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病院内倫理委員会の比較医事法学的研究 一家 綱邦

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病院内倫理委員会の比較医事法学的研究 一家 綱邦
早稲田大学審査学位論文(博士)
病院内倫理委員会の比較医事法学的研究
―モデルと指導原理の探究―
早稲田大学大学院法学研究科
い っ か
つなくに
一家 綱邦
1
目次
序章 はじめに―問題関心と本稿の構成
1.医療現場での倫理的問題の典型
2.倫理的問題への医事法学及び生命倫理学のアプローチ
3.倫理委員会をめぐる問題
4.本邦の倫理委員会システムの最大の問題
5.本稿の構成
第 1 章 本邦の「医をめぐる倫理委員会」
第 1 節 日米の倫理委員会の始まり
1.アメリカ国内及び国際的な IRB の始まり
2.アメリカ国内の HEC の始まり
3.本邦の倫理委員会の端緒と普及
第 2 節 倫理委員会に関するルール
1.研究倫理審査委員会に関する公的ルール
2.病院内倫理委員会に関する公的ルール
第 3 節 日本の病院内倫理委員会の実態―量的調査研究からの全体像
1.一般病院の倫理委員会設置率及び構成員について
2.倫理委員会の活動について
3.臨床の倫理的問題への対応のニーズについて
4.まとめ
第 4 節 ある倫理委員会の実態―質的調査研究(フィールド・ワーク)からの具体像
1.調査研究の目的と研究対象の概要
2.調査研究の手法
3.調査研究の結果
4.まとめ
第 5 節 小括―本邦の現状を踏まえた本稿の課題と目的
1.個々の倫理委員会の上位組織
2.日本の倫理委員会の 1 つのモデル―北里大学医学部・病院倫理委員会
3.本邦の病院内倫理委員会に必要なこと
2
第 2 章 大統領委員会報告書に見る病院内倫理委員会の基本論
第 1 節 本章の目的と大統領委員会報告書の背景
1.本章の目的
2.一連の事実状況
第 2 節 報告書の全体像と決定能力を有しない患者の問題
1.大統領委員会
2.報告書の全体像
3.報告書第 4 章「決定能力を喪失する患者」前半部
第 3 節 重症障害新生児の処置をめぐる問題
1.重症障害新生児の医療と問題の発生
2.障害新生児の治療差控えの決定
第 4 節 倫理委員会についての調査
1.調査の概要
2.調査結果
第 5 節 倫理委員会についての提言―報告書第 4 章後半部
1.医療施設内の決定手続機関
2.倫理委員会の職務
3.倫理委員会の運営に伴う問題点
第 6 節 小括―大統領委員会による倫理委員会法案モデル
1.病院内倫理委員会設置のための法案モデル
2.報告書に関する議論
3.大統領委員会報告書に対する本稿の評価
第 3 章 大統領委員会報告書を受け継ぐ 2 つの倫理委員会モデル
第 1 節 保健福祉省の倫理委員会モデル①提案規則から終局規則へ
1.提案規則の発表
2.ICRC に関する意見
3.保健福祉省の回答
4.終局規則による ICRC モデル
3
第 2 節 小児科学会の倫理委員会モデル①提案規則へのコメント
1.小児科学会コメント
2.小児科学会コメントとドウ終局規則による倫理委員会モデルの比較
3.ドウ終局規則無効判決
第 3 節 小児科学会の倫理委員会モデル②ガイドラインの発表
1.障害児の処置をめぐる問題への小児科学会の取組み
2.特別調査委員会
3.倫理委員会の組織構造
4.倫理委員会の手続、機能及び留意点
第 4 節 保健福祉省の倫理委員会モデル②ガイドラインの発表
1.ガイドラインの沿革と序文
2.倫理委員会の設置、組織及び運営
3.倫理委員会の機能
第 5 節 小括―大統領委員会、保健福祉省、小児科学会の倫理委員会モデルの比較検討
1.大統領委員会、保健福祉省、小児科学会の倫理委員会モデルの比較
2.小児科学会及び保健福祉省の狙い
第 4 章 患者のケアに関する助言委員会―メリーランド州法の示す倫理委員会モデル?
第 1 節 本章の目的と PCAC 法の紹介
1.本章の目的
2.PCAC 法の沿革
3.定義規定
4.設置及び活動形態
5.構成員
6.为たる機能
7.事前審議機能
8.免責規定
第 2 節 倫理委員会モデルとしての PCAC の検討
1.PCAC の設置と活動における協働関係
2.構成員の問題
3.患者保護のための手続の問題
4
4.免責規定の問題
第 3 節 PCAC 法の効力についての調査研究
1.調査研究の概要
2.第 1 段階の調査結果
3.第 2 段階の調査研究
4.第 3 段階の調査結果
5.第 4 段階の調査結果
6.調査結果の分析
第 4 節 PCAC 及び PCAC 法に対する評価
1.メリーランド州司法長官
2.メリーランド州法律家協会
3.患者の自己決定法との比較
第 5 節 小括―PCAC は倫理委員会か
1.PCAC 法の評価
2.PCAC は倫理委員会か?
第 5 章 裁判所が考える倫理委員会―決定手続の当事者と裁判所との関係を中心に
第 1 節 本章の目的と裁判例の情勢
1.本章の目的
2.裁判例の情勢
第 2 節 リーディング・ケースとしての Quinlan 事件判決と Saikewicz 事件判決
1.Quinlan 事件判決
2.Saikewicz 事件判決
3.Q 判決と S 判決の比較
4.両判決をめぐる議論
第 3 節 倫理委員会をめぐる 1980 年代前半の裁判例
1.Spring 事件判決
2.Eichner 事件判決
3.Colyer 事件判決
4.JFK 病院事件判決
5
5.L.H.R.事件判決
6.Torres 事件判決
第 4 節 倫理委員会をめぐる 1980 年代後半から 1990 年代前半の裁判例
1.Conroy 事件判決
2.Farrell, Peter, Jobes 事件判決
3.Lawrance 事件判決
4.L.W.事件判決
5.DeGrella 事件判決
6.Fiori 事件判決
第 5 節 小括―裁判例から読み解く倫理委員会のあり方
1.Fiori 事件判決以降
2.
【第三のポイント】について
3.
【第一のポイント】について
4.
【第二のポイント】について
5.裁判例から倫理委員会が学ぶこと
終章 おわりに―倫理委員会の指導原理
1.本稿の総括
2.手続的正義について
3.倫理委員会における手続的正義
参考文献一覧
別表 第 1 章・別表 1:倫理委員会の一般的な活動内容
第 1 章・別表 2:データ生成第 4 段階の一例
第 1 章・別表 3:女子医大 EC 定例委員会での全質疑の概況
第 3 章・別表:大統領委員会、保健福祉省、小児科学会の倫理委員会モデルの比較
第 4 章・別表集
第 5 章・別表:倫理委員会が登場するアメリカの裁判例
6
7
序章
はじめに―問題関心と本稿の構成
1. 医療現場での倫理的問題の典型
(1) 医療現場において、倫理的判断が求められる場面は多い。1 つの典型的な場面として、
終末期医療の実例を挙げる。
積極的安楽死及び消極的安楽死(治療中止)の許容要件を示した判決として有名な東海大
学安楽死事件判決1においては、終末期医療を受ける患者、その患者が苦しそうな姿を見て
....
治療中止を求める家族を前にして、孤立する医師の姿が浮かび上がった。
2002 年 4 月下旪に発覚した、1998 年 11 月に行われていた川崎協同病院での筋弛緩剤投
........
与事件では、多くの患者からの信頼が厚かった医師が自分一人の判断で、意識不明状態にあ
った患者に対して気管内チューブの取外しと筋弛緩剤の投与を行い、死に至らせた。医師が
患者家族に対する適切なインフォームド・コンセント(=IC)を行ったか否かが争点になった
本件は、最高裁まで争われた2。
2004 年 5 月には、北海道立羽幌病院に勤務する医師が、無呼吸状態に陥った患者から人
工呼吸器を取り外して死亡させたとの報道がなされた。
医師は患者が脳死状態にあると患者
家族に説明し、その説明を受けて家族は治療中止を希望し、医師は治療を中止した。病院長
の判断によれば、
カルテを見る限り人工呼吸器を外さなくても数時間後には間違いなく心停
...
止していたという。正式な脳死判定手続を踏まずに、医師が卖独で患者の脳死を判断し治療
中止の決定を行ったことが、本件の最大の問題点として指摘されたが、本件は不起訴処分に
落着した3。
2000 年 9 月から 2005 年 10 月にかけて、富山県の射水市民病院(事件当時は新湊市民病
院)の外科部長が、50~90 歳代の 7 人の患者の人工呼吸器を外して死なせたことが 2006 年
横浜地裁判決平成 7 年 3 月 28 日(判時 1530 号 28 頁)。
本判決については多くの研究がある。代表的なものとして、唄孝一「いわゆる「東海大学
安楽死判決」における「末期療法と法」――横浜地裁平成 7 年 3 月 28 日判決を読んで」法
律時報 67 巻 7 号(1995 年)43 頁、中山研一「東海大学「安楽死事件」判決について―横浜
地裁平成 7 年 3 月 28 日判決」北陸法学 3 巻 3 号(1995 年)27 頁、甲斐克則「治療行為中止
および安楽死の許容要件―東海大学病院「安楽死」事件判決(平成 7.3.28 横浜地判)月刊法学
教室(判例クローズ・アップ)178 号(1995 年)37 頁、町野朔「「東海大学安楽死判決」覚書」
ジュリスト(特集・東海大学安楽死事件判決)1072 号(1995 年)106 頁。
2 最高裁第三小法廷決定平成 21 年 12 月 7 日(判時 2066 号 159 頁)。
本判決については各審級に対して、多くの研究がある。代表的なものとして、甲斐克則「終
末期医療・尊厳死と医師の刑事責任―川崎協同病院事件第 1 審判決に寄せて(平成 17.3.25
横浜地判)」ジュリスト 1293 号(2005 年)98 頁、町野朔「患者の自己決定権と医師の治療義
務―川崎協同病院事件控訴審判決を契機として(平成 19.2.28 東京高判)」刑事法ジャーナル
8 号(2007 年)47 頁、武藤眞朗「川崎協同病院事件最高裁決定(平成 21.12.7 最高三小決)」刑
事法ジャーナル 23 号(2010 年)83 頁、矢澤昇治編著『殺人罪に問われた医師 川崎協同病
院事件―終末期医療と刑事責任』(現代人文社、2008 年)。
3 2004 年 5 月中旪(14 日)以降、新聞各紙などで報道された。
1
8
に明らかになった。死期の切迫性、治療義務や苦痛緩和のための尽力の程度、患者の意思表
示の有無、家族への説明内容など問題点は複数に亘り、富山県警は 2008 年 7 月に殺人容疑
で書類送検するも、2009 年 12 月に不起訴処分の決着を見た4。
(2)
これらの事件に共通する問題として、医師個人による独断的判断、医師と患者又は患
者家族及び医師と他の医療者との間のコミュニケーションの欠如が指摘された。そして、そ
のような問題状況に対応する方策として、裁判官は判決の中でチーム医療の必要性を説き5、
論者は倫理コンサルタント6の設置を提唱した7。
(3) また、倫理的問題8が生じる医療現場は終末期医療に限らない。障害児の治療拒否や医
療ネグレクトなどの問題を抱える小児・新生児医療、ドナーの意思表示の確認が厳格に求め
られる移植医療、
宗教的理由に基づく輸血拒否によって医学上救命可能な生命を前に戸惑う
救急医療、患者本人の意思表示が期待できない精神科医療、その他医療技術と医学研究の発
展が目覚ましい生殖補助医療や再生医療などが挙げられる。
2.倫理的問題への医事法学及び生命倫理学のアプローチ
(1)
従来、そのような倫理的問題に対しては、医事法学や生命倫理学は一般的抽象的原則
(例えば、自律尊重、無危害、仁恵、正義から成る生命倫理の 4 原則9、医療法 1 条の 2 に挙
本件については、立山龍彦「富山県・射水市民病院人工呼吸器取り外し事件」白門 58 巻
7 号(2006 年)37 頁、中島みち『
「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から』(岩
波書店、2007 年)。
5 「医師側においても[患者の推定的意思の]認定を行うのに適確な立場にあり、必要な情
報を得ておくことが必要とされるのであるが、患者及び家族に関する情報の収集と蓄積、並
びに認定を適確に行うためにも、
複数の医師及び看護婦等によるチーム医療が大きな役割を
果たすといえよう。
」横浜地裁判決・前掲注 1・38 頁。
6 「倫理コンサルタント」についての共通理解はいかほどか。安易な定義付けは躊躇われる
が、便宜上以下のように簡卖に理解しておく。すなわち、医療者や患者らが医療上の選択・
決定を行うことに困難を感じた場合に、
純粋な医学的問題ではなく医療倫理的問題について、
相談者が選択・決定を行うことを容易にするためのサポートを行う個人(倫理学者が多い)ま
たは機関と要約できる。
「アメリカの病院・施設にみるバイオエシックス・コンサルテーシ
ョン・サービス」臨床看護 30 巻 12 号(2004 年)1767 頁を参照。
7 「重要な医療措置の決定には、病院内に設置された倫理委員会の承認を得ることが理想的
だ。
ただ、
そうした手続きを踏む十分な時間がないなど、
臨床の現場の現実をかんがみれば、
院内に倫理コンサルタントあるいはリスクマネージャーを配置し、担当医が彼らと相談した
うえで、なすべき医療行為を決定することが最低限必要とされよう。
」前田正一、児玉聡「院
内に倫理的助言者を」読売新聞北海道版 2004 年 5 月 20 日 33 面。
8 「倫理的問題」を定義することは難しい。それは「法的問題」とは異なるのか、重なるの
か。このことを自覚した上で、本稿では医療において倫理的に問題とされる問題を「倫理的
問題」と呼ぶ。ケネス・A・ドゥヴィル、グレゴリー・L・ハスラー(横野恵訳)「病院倫理
委員会の審議における法の取り扱い」D・ミカ・ヘスター編(前田正一、児玉聡監訳)『病院
倫理委員会と倫理コンサルテーション』(勁草書房、2009 年)301 頁は、この問題に取り組
み、倫理的議論から法の影響力を排除することは不可能であり、法の影響力の存在を認めた
上で法(法的議論や法律家)の適切な役割を考えることを求める。
9 トム・L・ビーチャム、ジェイムズ・F・チルドレス(永安幸正、立木教夫監訳)『生命医学
4
9
がる「生命の尊重と個人の尊厳」)を立て、その原則の下に個別的具体的各則(例えば、IC、
医師の説明義務、患者の自己決定)を設け、それらを精緻化(例えば、安楽死の許容要件、正
当な IC として認められる説明し理解させるべき内容、意思無能力患者のための代行決定の
基準としての最善の利益基準)しようと努め、実効せしめるための道具(例えば、リビング・
ウィル)を考案してきた。
(2)
制定法以下の規範は、そうした倫理的問題への対応策を提示し、周知を図る。最近で
は、ガイドラインあるいは指針という形式の規範が多く見られる。それらを読むと、以前か
ら医療界に存在するある機関に、ここ数年来改めて着目されていることに気づく。それが、
倫理委員会である。
例えば、終末期医療に関しては、上記の射水市民病院事件が社会に与えた動揺は大きく、
以後複数のガイドラインが出され、それらは倫理委員会(と目される機関)を重視する。
日本緩和医療学会の「終末期癌患者に対する輸液治療のガイドライン(第1版、2006年)」
.......
は、「一貫性のある意思決定プロセスを実現するためには、病院倫理委員会や公式な倫理カ
ンファレンスが重要な場合がある(71頁)」と述べる(傍点強調は筆者による。以下同じ)。
厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(2007年)」は、「医療・
ケアチームの中で病態等により医療内容の決定が困難な場合、患者と医療従事者との話し合
いの中で、妥当で適切な医療内容についての合意が得られない場合、家族の中で意見がまと
まらない場合や、医療従事者との話し合いの中で、妥当で適切な医療内容についての合意が
.............
得られない場合等については、複数の専門家からなる委員会を別途設置し、治療方針等につ
いての検討及び助言を行うことが必要である(3頁)」と述べる。
日本救急医学会の「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」は、「医
.........
療チームによっても判断がつかないケースにおいては、
院内の倫理委員会等において検討す
る」と述べる。
日本医師会・第Ⅹ次生命倫理懇談会の「終末期医療に関するガイドライン」は、「医療・
ケアチームの中で医療内容の決定が困難な場合、
あるいは患者と医療従事者との話し合いの
..........
中で、妥当で適切な医療内容についての合意が得られない場合には、複数の専門職からなる
...
委員会を別途設置し、その委員会が治療方針等についての検討・助言を行う(4 頁)」と述べ
る。
日本学術会議・臨床医学委員会終末期医療分科会の「終末期医療のあり方について―亜急
性型の終末期医療について―」は、上記のガイドラインをまとめて「医療内容の決定が困難
.............
な場合には、複数の専門家からなる委員会を別途設置し、治療方針等についての検討及び助
言を行うことが必要である(9 頁)」と述べる。
(3)
臨床の倫理的問題に対して、倫理委員会という専門機関が対応すれば、今後は問題状
況の改善を期待できるだろうか。先行研究や社会及び医療界の最大公約数的な共通理解とし
ての病院内倫理委員会の理念を集約すれば、筆者は次のように理解している。
倫理』(成文堂、1997 年)79 頁以下。
10
すなわち、倫理的問題が臨床で生じた場合には、従来は医療者の専門職倫理(医療倫理や
看護倫理など)によって対応することが倫理的であると評価されてきた。しかし、様々な理
由(为に医療界に対する社会の不信感)から、医療者の倫理のみを用いて問題に対応すること
を非医療者(特に患者の立場から)が良しとしなくなった。医療コミュニティのみに通じる専
門職倫理だけではなく、
一般社会の価値観を臨床の倫理的問題の検討及び対応において導入
することが求められる。その意味で、医療界は社会との接点や亣流を持つことをより明示す
ることが求められるが、それは結局のところ患者という存在を通じてである。身体的、精神
的及び社会的に弱い立場にあるとされる患者の福祉を保護することが、倫理的であると評価
される(自律尊重と仁恵の原則がその象徴である)。そのような要求を実現し、また社会に対
する証明を果たす場が、多職種且つ学際的なメンバーが構成し、各々の専門性を活かした議
論を通じて、倫理的問題への対応にあたる病院内倫理委員会である。
3.倫理委員会をめぐる問題
(1) だが、他方では、倫理委員会をめぐる問題も尐なからず見られる。
2006 年 10 月に岐阜県立多治見病院の倫理委員会が、心肺停止状態で救急搬送され蘇生
処置を施したが回復の見込みがない 80 歳代患者について、患者が 11 年前に作成した文書
などに基づいて延命治療の中止を容認した。ところが、病院長が国の指針などが明確でなく
医師が責任を問われる可能性を理由に治療継続を命じた10。全日本病院協会は、「終末期医
療の指針(2007 年)」の中で、この件を問題視して「決定プロセスではなく、具体的な内容
に関する指針が必要である」と述べ、厚労省の上記ガイドラインを批判した。
2006 年に発覚したいわゆる病気腎移植事件では、病気の患者の腎臓を摘出・提供した岡
山、香川両県の 2 病院が、移植の可否を審議する倫理委員会を開いていなかったことが問
題になった11。「日本移植学会倫理指針」は、非親族間の生体臓器移植について全ての症例
に対して自施設の倫理委員会の承認を受けることを求め、2007 年に改正された厚労相保健
医療局長通知としての「「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)」
が、
非親族間の生体間移植の全ケースに対する自施設の倫理委員会の承認を求めるにもかか
わらず、である。
2011 年 6 月に発覚した親族間の生体間移植を装った臓器売買事件では、倫理委員会が複
数回にわたって関係者に事情聴取をしたが、
移植目的の養子縁組を見抜くことができずに承
認した12。結果的に、事態は関係者が臓器移植法違反として逮捕される刑事事件になった。
(2) これら 3 件は、一般病院の倫理委員会が関係する事件である。次に、医科系大学に設
置される倫理委員会が関係する事件を挙げる。
朝日新聞 2007 年 1 月 9 日朝刊 30 頁。
朝日新聞 2006 年 11 月 4 日夕刊 1 頁。その後(2010 年 12 月)、事件を起こした同じ病院
において、病気腎移植は臨床研究として再開された。
12 朝日新聞 2011 年 6 月 24 日朝刊 35 頁。
10
11
11
冒頭に挙げた 1991 年の東海大学病院での安楽死事件に対して、倫理委員会は機能しなか
ったといえる。すなわち、東海大学医学部は 1983 年以来「医の倫理委員会」を設置し、「医
学の発展と人間の生命の尊厳の調和のために医学部及び同付属病院における重要な倫理的
事項を・・・審議検討し、答申する(医の倫理委員会規程 第 1 条)」ことになっていた。
同様に、大学の倫理委員会が機能しなかった事件としては、金沢大学医学部附属病院の臨
床試験事件がある。同大学では、1985 年以来「医学研究に関する倫理基準委員会」が「人
間を直接対象とした医学の研究及び医療行為がヘルシンキ宣言の趣旨に添った倫理的配慮
のもとに行われることを目的として(金沢大学医学部医学研究に関する倫理基準委員会内規
第 1 条)」設置されていたにもかかわらず、同大学の医師が、患者を適正な同意なく臨床試
験に組み入れ、
患者にとって最善の医療を提供したとは評価できないような抗がん剤を投与
し、その強力な副作用によって結果的に患者が死亡した事件である。本件は、民事の損害賠
償請求事件として最高裁にまで上告されている13。
2009 年 11 月には、昭和大学の研究グループが「自施設の倫理委員会の承認を得た」と
虚偽の報告をして、英国の医学雑誌ランセットに掲載された。その後、研究データの偽造な
どの疑いも生じ、掲載論文は取下げられた14。
(3)
何故、倫理委員会が存在するにもかかわらず、適切な関与がなされず、その管轄内で
倫理的な問題が生じるのか。これは、その特定の施設や倫理委員会に限ったことなのか。ま
た、倫理委員会が関わるとして列挙したこれらの事件は、問題の内容も法的性質も様々であ
るが、倫理委員会が扱うべき倫理的問題とは何か。
4.本邦の倫理委員会システムの最大の問題
(1) その疑問には、日本の倫理委員会システムの最大の問題に答えを求めることができる、
と筆者は考える。すなわち、倫理委員会という制度が始まったアメリカを範にすれば、医学
研究の倫理的観点からの審査と日常的な医療現場で生じる倫理的問題への対応という 2 つ
の独立した任務は、研究倫理審査委員と病院内倫理委員会15という個別の組織に担われるべ
きである16。ところが、本邦では、2 つの組織は倫理委員会という名称の下に 1 つにされ、
金沢地裁判決平成 15 年 2 月 17 日(判時 1841 号 123 頁)、名古屋高裁判決平成 17 年 4 月
13 日
(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/4A2BFEE0DA9D6BAD4925702E00030C6F.pdf)。
本件については、仲正昌樹他『
「人体実験」と患者の人格権』(御茶の水書房、2003 年)、
仲正昌樹他『
「人体実験」と法』(御茶の水書房、2006 年)、光石忠敬「金沢大学病院無断臨
床試験事件」年報医事法学 20 号(2005 年)122 頁。
14 朝日新聞 2009 年 11 月 21 日朝刊 38 頁。
15 英米では「Clinical Ethics Committee(臨床倫理委員会)」という名称も使われるが、意
味するところは同じであると推測される。また、日本の病院に設置されている倫理委員会の
名称としては「臨床医学倫理委員会」「医療問題検討委員会」
「医学研究倫理委員会」「倫理
審査委員会」などもある。
16 アメリカにおいても、両委員会を独立させずに、それぞれが担うはずの任務を 1 つの委
員会が担うことはある。John B. Beinhart, INSTITUTIONAL ETHICS COMMITTEES AND
13
12
結果的に(特に、医療現場での倫理的問題への対応を担う部分が)機能不全に陥っている。
(2)
医学研究と医療の境界も、それらを明確に区別することの意義も実際には時に曖昧に
なることは、研究と教育と治療の実践が重なる大学医学部の付属病院では、否定できない。
しかし、医学研究の対象者である被験者は、医療の利益享受者であると同時に弱者としての
保護を要する患者でもあることは、両者の扱いを異にすることを要求する17。万人に恩恵を
もたらしうる医学研究の成果を追求する医学研究者の使命と、目の前の病に苦しむ担当患者
の治療に専念することを要求される医師の責務とは、時に相容れない。
両者の区別が果たされないことが最悪の形で顕現したのが、
上記の金沢大学医学部附属病
院の事件である。研究者と治療者という 2 つの職責を同時に背負った医師のジレンマ18に介
入し、第三者としての立場から研究計画を倫理的に審査(規律)することを通じて結果的に研
究を支援するための役割を、研究倫理審査委員会は担うはずが、本邦のそれは十分に機能し
ているとは言い難い。
既述した昭和大学の事件は、研究倫理審査委員会が有名無実化している状況を示す。その
一般的な問題状況は多くの研究が指摘しており19、本稿も後に明らかにする。
(3)
本稿が倫理委員会をめぐる多岐に亘る問題状況の中で、最も重い問題として受け止め
るのは、本稿冒頭で列挙したような臨床の倫理的問題が繰り返し生じ、そのための専門機関
として病院内倫理委員会が要求されているにもかかわらず、現実に機能しておらず、事態の
改善が見られないことである。
それは、臨床の医療者にとっては負担の重い酷な状況であり、
何よりも患者の保護が十分ではないことを意味する。
5.本稿の構成
本稿は以上のような問題関心に基づいて、病院内倫理委員会について第 1 章から第 5 章
に亘って、以下のような研究を行う。
HEALTH CARE DECISION MAKING at 189, Audience Discussion (Ronald E. Cranford et al.
eds., 1984).
17 田代志門『研究倫理とは何か
臨床医学研究と生命倫理』(勁草書房、2011 年)は、倫理
委員会について検討する前に、
医学研究と医療を規律する倫理を明確に区別することの重要
性を指摘する。
18 このジレンマの解消が難しいことは、医学研究の国際的ルールであるヘルシンキ宣言 3
項と 4 項の対象者が「人々」と「私の患者」であることが示す。この点について、樋口範
雄『続・医療と法を考える 終末期医療ガイドライン』(有斐閣、2008 年)20 頁参照。
19 樋口・同上・1 頁。武藤香織他「倫理審査委員会改革のための 7 つの提言」生命倫理 15
巻 1 号(2005 年)28 頁。原昌平、増田弘治「日本の特定機能病院における倫理審査委員会の
現状―読売新聞によるアンケート結果の紹介と倫理審査の改善に向けた考察―」臨床評価
35 巻 2 号(2007 年)375 頁。鈴木美香、佐藤恵子「研究倫理審査委員会の現状と改善策の提
案―ある施設における臨床研究を対象とした平成 18 年度の審査過程の調査及び委員、申
請者の意識調査より」臨床薬理 41 巻 3 号(2010 年)113 頁。平成 21 年度科学技術総合研究
委託
「研究機関における機関内倫理審査委員会の抱える課題の抽出とその対応に向けた調査
研究」報告書(http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/life/haihu62/haihu-si62.html)。
13
第 1 章では、病院内倫理委員会に対象を限定せず、研究倫理審査委員会と併せた本邦の
倫理委員会システム全体の問題を明らかにしたい。そのために、アメリカで始まった倫理委
員会の経緯と、
本邦での端緒と倫理委員会に関する公的なルールの現状を確認する。さらに、
本邦の病院内倫理委員会の全体像を明らかにすることを目的に複数の先行研究(アンケート
調査)を整理し、それだけでは見えない倫理委員会の具体像を示すために筆者自身が行った
フィールド・ワーク研究の成果を明らかにしたい。
こうした歴史的経緯、現行ルール及び実像を明らかにする結果、本邦の病院内倫理委員会
の拡充を図るならば、同委員会に焦点を絞った議論が必要であり、その議論の材料として病
院内倫理委員会のモデルと基本原理を明らかにすることを、本稿の第 2 章以下における研
究課題とする。その課題をクリアするために用いる研究手法は、倫理委員会システムの先進
国と言えるアメリカを対象にした比較法研究である。
第 2 章と第 3 章では、1980 年代前半に病院内倫理委員会の設置率が急上昇したことが明
らかになっており、この背景にあった事実を確認する。第 2 章は、国家レベルの生命倫理
委員会として有名な大統領委員会が作成した報告書を研究の対象にする。
報告書が示した病
院内倫理委員会に関する最も基本の議論に立ち返る。第 3 章では、大統領委員会報告書の
公表と同時期に、保健福祉省と小児科学会が提案した倫理委員会モデルを紹介する。大統領
委員会によるモデルと併せて、3 者を比較して理論的関係を検討する。
第 4 章では、病院内倫理委員会のモデルについて規定するメリーランド州法を紹介し、
その内容の適否及び実効性について検討する。前 2 章において倫理委員会のモデルを提示
する行政規則、
医学界のガイドライン及び国家レベルの生命倫理委員会による立言を比較し、
それらに制定法を加えて、
いずれの形態の社会規範が病院内倫理委員会の普及と充実に有効
であるかについて、検討の材料も提示できよう。
第 5 章では、アメリカの連邦及び州の裁判所が、病院内倫理委員会をどのような機関と
して位置付けるのかを確認する。後述するが、倫理委員会の機能のうち最も重視される、臨
床の倫理的問題に関する相談(ケース・レヴュー)である。倫理委員会が出す結論はどのよう
な法的効力を有するかは、患者及び医療者といった当事者にとって関心が高い点であろう。
宣言的判決という訴訟制度によって、臨床の倫理的問題に事前に対応できるアメリカの裁判
所による倫理委員の位置付けを確認することで、その関心に応えることができると考える。
終章では、以上の議論を踏まえて、病院内倫理委員会のモデルと基本原理を明らかにする
本稿の課題に応える。
14
第1章
第1節
本邦の「医をめぐる倫理委員会」
日米の倫理委員会の始まり
序章において、本邦の倫理委員会制度は、研究倫理審査委員会と病院内倫理委員会という
本来独立してあるべき 2 つの組織を 1 つの組織として設けることに問題があることを指摘
した。本来あるべき姿として存在するアメリカの 2 つの倫理委員会制度が、どのような経
緯で始まったのかを簡卖に確認する。
1.アメリカ国内及び国際的な IRB の始まり
.
.
.
(1) アメリカでの研究倫理審査委員会は、施設内審査委員会(Institutional Review Board)
と一般に呼ばれる。IRB の歴史20は、アメリカで非人道的な人体実験が数多く実施されてい
たことが、1960 年代に明るみになったことから始まる21。この事態を受けて、議会は 1974
年に国家研究規制法22を制定し、生物医学・行動科学研究におけるヒト被験者保護のための
国家委員会を設けると同時に IRB についても定めた23。すなわち、人を対象にする医学研
究を行う研究者は、国に研究費の申請を行う前に各研究機関に設置が義務付けられる IRB
に研究計画書を提出し、その認可を得なければならない。IRB は最低 1 名の部外者を含む 5
名以上で文化、人種、性別に配慮して構成され、研究の評価と同時に倫理的・法的問題にも
明るいことが要求された24。
(2) また国際的ルールとしては、世界医師会のヘルシンキ宣言が第 2 版としての 1975 年
東京改訂版以来、IRB の設置を要求する。
「人間についての個々の研究計画および実施法は
実験計画書に明確に記載し、この計画書は、検討、意見および指導を受けるために特別に任
命された、独立した委員会に送付されなければならない(基本原則 2 項)」
。
こうして始まった IRB 制度は、その後の医学研究の発展や臨床への応用などの影響を受
けて尐しずつ変化している部分はあるが、IRB 自体の大きな枠組みは変わっていない。
2.アメリカ国内の HEC の始まり
.
.
.
それに対して、病院内倫理委員会(Hospital Ethics Committee)の原型には、1960 年代以
R.フェイドン・T.ビーチャム(酒井忠昭、秦洋一訳)『インフォームド・コンセント 患者
の選択』(みすず書房、1994 年)第 5 章及び第 6 章を参照。
21 Henry K. Beecher, Ethics and Clinical Research, 274 N. ENGL J MED. 1354 (1966).
22 Public Law 93-348, §202,88 Stat.342 (1974).
23 国家研究規制法の制定前には、保健教育福祉省が研究施設ごとの委員会(committee of
organization)による審査を求める規則 39 Fed. Reg. 18914.を制定した。それ以前も含めた
歴史的経緯については、丸山英二「臨床研究に対するアメリカ合衆国の規制」年報医事法
学 13 号(1998 年)51 頁に詳しい。
24 米本昌平「医学研究と社会的価値との調整―生命倫理から先端医療政策への離脱―」医
療と社会 7 巻 4 号(1998 年)80 頁。
20
15
来いくつかの病院において人工妊娠中絶や不妊手術の要請を審査したり、
希尐な人工透析機
器を患者に割り当てたりするための委員会が位置付けられる25。
その中で、
「神の委員会」と名付けられ、非難された有名な委員会がある。1960 年に開発
された腎臓病のための人工透析機器の数が 1970 年前半までは十分ではなく(1972 年に、連
邦政府が終末期腎臓病のための全治療に資金を供給することになった)、治療を受けられる
患者数に限界があり、誰が治療を受けるかという生存をかけた倫理的問題が生じた。この問
題に対して、透析機器開発者 Belding Scribner のワシントン州立大学シアトル人工腎臓セ
ンターは、医師、病院スタッフ、弁護士、牧師及びコミュニティの一般人から成る委員会を
設けた。その委員会の任務は、医学的には透析処置を受ける資格のある患者達の各ケースを
審議し、実際に治療を受けられる僅かの患者を選ぶことであった。しかし、1962 年に写真
週刊誌 Life の記事で、患者が社会的価値に基づいて選択されていたことが明らかとなり、
倫理的感覚が欠如しているとの非難が浴びせられた26。
その後 1976 年の Quinlan 事件判決を契機に HEC に注目が集まり、
1980 年代以降に HEC
の普及を見るが、それについては次章以下で扱う。
3.本邦の倫理委員会の端緒と普及
(1) 翻って本邦の歴史を辿れば、記録に残る限り、本邦最初の倫理委員会は 1982 年に徳島
大学医学部に設立されたと考えて良い27。
当時は生殖補助医療としての体外受精の最初の実施段階にあり、
東北大学や慶応義塾大学
などでも研究が進められて28、徳島大学でも森崇英産科婦人科教授(当時)から斎藤隆雄同大
学附属病院院長(当時)に実施の可否についての相談があった。斎藤教授は、同僚研究者の仕
事を応援したい気持ちと体外受精の社会的影響の懸念とのバランシングに悩み、
まずは病院
運営委員会(臨床各科の教授と事務部長、薬剤部長、看護部長などが加わった病院長の諮問
機関)に諮問した。その場の議論は、研究者の学問研究の自由を尊重しようという意見が大
半であったが、
体外受精という新たな医療技術を導入することの倫理的及び社会的問題にま
では十分に配慮できなかったという。
斎藤教授はこの点を非常に懸念し、
外部の人間も含めて公開で議論することの必要性を考
え、カリフォルニア大学倫理委員会での委員経験に基づき、倫理委員会の設置を医学部教授
WARREN THOMAS REICH, EDITOR IN CHIEF., ENCYCLOPEDIA OF BIOETHICS VOL.1,409,
Clinical Ethics: Institutional Ethics Committee (Revised Edition, 1995)を参照
26 グレゴリー・E・ペンス(宮坂道夫、長岡成夫訳)『医療倫理 2 よりよい決定のための事例
分析』(みすず書房、2001 年)第 13 章を参照。
27 「徳島大学医学部倫理委員会規則」斎藤隆雄、星野一正編集『全国医科系大学
倫理委
員会規則集』(大学医学部・医科大学倫理委員会連絡懇談会、1990 年)336 頁、斎藤隆雄『試
験管ベビーを考える』(岩波書店、1985 年)1 頁、斎藤隆雄「医学部倫理委員会の現実と未来」
メディカル・ヒューマニティ 3 巻 4 号(1988 年)22 頁、森崇英『生殖・発生の医学と倫理』
(京都大学学術出版会、2010 年)42 頁以下。
28 東北大学、慶應義塾大学の倫理的対応については、森・同上・102 頁参照。
25
16
会に訴えた。倫理委員会の設置をめぐって教授会での議論は紛糾した。学問の自由や自由な
発想に基づく研究活動、
医師としての自由裁量又は講座の自治といった聖域に土足で踏み込
まれるという反対意見も出たが、患者や被験者の安全と人権擁護、公開の原則及び社会的影
響などを考慮して、1982 年 12 月 9 日に倫理委員会が設立された。
その後、倫理委員会は体外受精研究についての審議を重ね、1983 年 4 月 12 日に申請者
の森教授に条件付承認の判断を示した。結果的に東北大学に先を越され、日本で 2 例目の
体外受精となったが、森教授は「尐なくとも倫理委員会の審査によって世間を説得できたこ
とは間違いない」と述べる29。
(2)
徳島大学以来、日本の倫理委員会システムは医科系大学及び付属病院を中心に設置さ
れてきた。1985 年 10 月には全体の約 1/3、1986 年 9 月には 68%、1988 年 8 月には 94%
と急増していき、1992 年の北里大学を最後に、現在では全国の医科系大学 80 校全てに倫
理委員会が設置されている30。
これらの医科系大学及び付属病院の倫理委員会については、当時の医学者及び医療者の倫
理的意識から自発的に設置されたものであり、評価すべきであろう。また、その端緒となっ
た徳島大学の意識の高さは、特に評価されて良いだろう。しかし、始まりが研究成果の臨床
応用という医学研究と医療の亣錯点であったことを差引いても、
日本の医療の中心を担う医
科系大学と付属病院において倫理委員会システムが正しく区別されずに普及したことは、
現
状を思慮すれば残念であったと言わざるをえない。
第2節
倫理委員会に関するルール
1.研究倫理審査委員会に関する公的ルール
(1)
本節では本邦の倫理委員会を研究倫理審査委員会と病院内倫理委員会に分けて、各々
についての公的ルールを確認する。
まず、研究倫理審査委員会に該当する組織全般について規律する公的ルールを確認する。
最も広範囲の医学研究を規律する最上位規範として位置付けられるのは、
国際的ルールの
ヘルシンキ宣言であろう。現行の 2008 年ソウル改訂版31は、1 項において「ヒト由来の試
料およびデータの研究を含む、人間を対象とする医学研究(日本医師会訳による、以下同じ)」
を対象にすることを示す。宣言の名宛人については、2 項が「人間を対象とする医学研究に
関与する医師以外の人々に対しても、これらの原則の採用を推奨する」と定める。
徳島新聞 1999 年 10 月 23 日朝刊 34 面。
星野一正「日本の医系大学倫理委員会 その現状と問題点」星野一正編『倫理委員会のあ
り方』(蒼穹社、1993 年)10 頁。
31 ソウル改訂版のヘルシンキ宣言については、一家綱邦、池谷博「人を対象にする研究を
規律する倫理的ルール―インフォームド・コンセントとヘルシンキ宣言は必要十分か?―」
日本義肢装具学会誌 27 巻 2 号(2011 年)123 頁。
29
30
17
その医学研究の審査に関しては、15 項が「研究計画書は、検討、意見、指導および承認
を得るため、研究開始前に研究倫理委員会に提出されなければならない。この委員会は、研
究者、
スポンサーおよびその他のあらゆる不適切な影響から独立したものでなければならな
い。当該委員会は、適用される国際的規範および基準はもとより、研究が実施される国々の
法律と規制を考慮しなければならないが、それらによってこの宣言が示す研究被験者に対す
る保護を弱めたり、撤廃することは許されない。この委員会は、進行中の研究を監視する権
利を有するべきである。研究者は委員会に対して、監視情報、とくに重篤な有害事象に関す
る情報を提供しなければならない。
委員会の審議と承認を得ずに計画書を変更することはで
きない」と定める。独立した第三者機関であること以外に、研究倫理審査委員会の詳細につ
いては定めがない。
委員会には監視権限があることと研究者に研究遂行に関する報告義務が
あることが併記され、矛盾なく具体的なシステムを想像することは難しいが、各国の制定法
以下の規範に委ねられる。
.
.
同 様 の 国 際 的 ル ー ル に は 、 国 際 医 学 団 体 協 議 会 (The Council for International
.
.
.
Organization of Medical Sciences)の「人を対象とする生物医学研究の国際的倫理指針
(International Ethical Guidelines for Biomedical Research Involving Human Subjects)
がある。CIOMS は、WHO(世界保健機構)とユネスコの援助の下に 1949 年に設立された国
際的な非政府組織であり、
国際連合の援助の下に为として後進国及び低開発国の医療の向上
と医の倫理の普及などを目指して活動している。CIOMS 指針は、ヘルシンキ宣言を低開発
国・発展途上国にも普及定着させるために、1982 年以来数次の改訂を経て発表されている32。
ヘルシンキ宣言より具体的であり研究倫理審査委員会についての規定も厚い33。
(2)
次に、研究倫理審査委員会全般に関する本邦固有の最も公的なルールを探すと、関係
省庁が策定した 6 つの研究倫理指針が挙げられる。臨床研究、疫学研究、ヒト ES 細胞の樹
立と使用、ヒトゲノム・遺伝子解析、遺伝子治療、ヒト幹細胞という研究分野ごとに倫理指
針が設けられ、倫理審査委員会に関する規定がある。
そのうち最も規律範囲が広い「臨床研究に関する倫理指針」によれば、研究倫理審査委員
会は「臨床研究の実施又は継続の適否その他臨床研究に関し必要な事項について、被験者の
人間の尊厳、
人権の尊重その他の倫理的観点及び科学的観点から調査審議する(指針 第 1. 3.
用語の定義(16)倫理審査委員会)」ことを目的、任務とする。そのために「学際的かつ多元
的な視点から、様々な立場からの委員によって、公正かつ中立的な審査を行えるよう、適切
に構成され、かつ、運営されなければならない(指針 第 3. 倫理審査委員会(5))」とされる。
構成員については、
「細則」が定める。だが審査に関する手続や組織体制については細かな
規定はなく、各施設の自为性に委ねられる(指針 第 3(2))。それは臨床研究指針に限らず他
32
日本医師会「医師の職業倫理規程(案)」
http://www.med.or.jp/nichikara/rinri/3-01.html(2011 年 9 月 8 日最終アクセス)
33 筆者の経験上、倫理審査の現場や受審研究者との対話の中で CIOMS 指針が俎上に載っ
たことは多くなく、規範としての実効力は低いと見られる。
18
の指針でも同様であるが、6 つの指針を比較すると、倫理審査委員会の最低限ともいうべき
内容についてさえ整合性がない34。それは、科学技術・学術審議会の生命倫理・安全部会が
「機関内倫理審査委員会の在り方について」を発表するにもかかわらず、である。つまり、
一連の指針が規範として研究倫理審査委員会を導くことは殆ど期待できない。
(3)
最後に、研究倫理審査委員会の中でも、治験という特定領域の研究の倫理的審査を行
う治験審査委員会に関する公的なルールを確認する。
治験(=医薬品の開発過程における臨床試験)を実施するための科学的及び倫理的妥当性
を審査するための治験審査委員会については、
「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省
令(通称、省令 GCP=Good Clinical Practice)」が規定する。本邦では、治験という限られ
た範囲の研究分野において、研究倫理審査委員会に関する最も詳細な規定が存在する。
医薬品を対象とする治験については、1989 年 10 月に旧厚生省薬務局長通知が定めた基
準(旧 GCP)が、行政指導の形で実施されていた。その後、1993 年に明るみになったソリブ
ジン事件に対する反省や、1990 年代前半の治験の国際的基本ルールに関する日米 EU 医薬
.
.
.
品規制調和国際会議(International Conference on Harmonization)での合意の結果として
の ICH-GCP といった国内外からの改訂の要請を受けて、1997 年 3 月に省令 GCP が厚生
省令として公表された。旧 GCP から省令 GCP への重要な改正点として、文書による被験
者の IC の取得や治験総括医師制度の廃止とともに、治験審査委員会の役割が重視された。
省令 27 条は、治験を実施する医療機関の長に治験審査委員会の設置を義務付け、その目
的を「治験を行うことの適否その他の治験に関する調査審議を行わせるため」と定める。当
該医療機関が小規模であることを理由に、
治験審査委員会を設けることができない場合には、
他の医療機関の長と共同で設置したり、医学系の学術団体が設置したり、他の医療機関の長
が設置したりした審査委員会を利用できる。
省令 28 条 1 項は、治験審査委員会の構成を定める。すなわち、①治験について倫理的・
科学的観点から十分な審議ができること、②5 名以上の委員から構成されること、③医療的
専門知識を有する者以外の者を委員に加えること、
④治験を実施する医療機関と利害関係を
有しない外部委員を委員に加えることである。
省令 28 条 2 項から 34 条にかけて、治験審査委員会の職務と運営に関する規定が置かれ
る。治験審査委員会は運営のための手順書及び委員名簿を作成し、その手順書に沿って業務
を行うことを義務付けられる(29 条 2 項)。手順書は、委員長の選任方法(28 条 2 項 1 号)、
会議の運営に関する事項(同 3 号)、会議の記録に関する事項(同 5 号)などを内容とする。ま
た、治験依頼者と密接な関係を有する者(29 条 1 項 1 号)、治験実施者及びその者と密接な
関係の者(同 2 号)、実施医療機関の長・治験責任医師等35・治験協力者(同 3 号)は、その委
員会の審議及び採決に参加できない。
原、増田・前掲注 19・400 頁。
省令 2 条 3 号の定義によれば、
「治験責任医師」とは、実施医療機関において治験に係る
業務を統括する医師又は歯科医師をいう。
34
35
19
治験審査委員会の为たる業務として、
治験を行うことの適否について予め意見を提出する
ことが義務付けられているが(30 条 1 項、32 条 1 項)、実施医療機関の長は、外部の第三者
委員会に意見を求めることもできる(30 条 2 項)。また、治験の適否の審査は最初に 1 回だ
け行えば良いというのではなく、治験の期間が 1 年を越える場合には年 1 回以上の継続審
査を行い(31 条 1 項)、その他随時必要な場合(治験薬の副作用情報が通知された場合、被験
者への説明文書が改訂された場合、モニタリング報告書又は監査報告書が提出された場合
36)にも、委員会に意見が求められなくてはならない(31
条 2 項及び 3 項、32 条 2 項及び 3
項)。
2.病院内倫理委員会に関する公的ルール
(1) つづいて、本来ならば病院内倫理委員会に関する公的なルールを整理したいが、実は、
病院内倫理委員会について規律する公的なルールはない。
序章に既出の厚労省による終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインは、
臨床の問
題に直面した当事者に倫理委員会(複数の専門家からなる委員会)の支援を受けることを求
めるが、その委員会について具体的又は詳細に定めない。同じく既述の「
「臓器の移植に関
する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)」は、生体間移植の個別ケースを行う倫理委
員会について「委員会の構成員にドナー・レシピエントの関係者や移植医療の関係者を含む
ときは、これらの者は評決に加わらず、また、外部委員を加えるべきであること(第 12. 生
体からの臓器移植の取扱いに関する事項 7 の細則)」と定める。同指針は、脳死移植につい
てはケース毎ではなく、
自施設での脳死移植の実施一般について承認することを倫理委員会
に求める(第 4. 臓器提供施設に関する事項 1)。
つまり、これらは、終末期医療や臓器移植に倫理的問題が生じ、当事者以外の第三者委員
会の関与が必要であることを認めるが、その委員会の内容等については殆ど定めがない。こ
れは、研究倫理審査委員会について定める各種の研究倫理指針と同様である。研究や医療に
ついて倫理的観点からも適正に規律すべき国(行政機関)は、倫理委員会の運営と活用に関し
て研究機関及び医療機関の自为性に完全に委ねている。
医学研究や医療についての倫理的問
題は、研究者の研究倫理や医療者の医療倫理(その他看護倫理など)という専門職倫理に負う
部分が大きいので、そのアプローチが完全に誤っているわけではない。本邦の医科系大学に
おいて外部からの直接的な圧力もないのに倫理委員会が普及した経緯を見ると、
問題の対応
を医学コミュニティの倫理に委ねることも誤っていないのかもしれない。だが、多治見病院
36
「モニタリング」とは、治験が適正に実施されるように、治験の進捗状況、治験の実施
計画書及び各種手順書の順守状況などを、製薬企業などのモニターが実際に医療機関などに
出向いて調査することである。
「監査」とは、治験によって収集された資料の信頼性を確保
するため、治験がその実施計画書や各種手続書に準拠して行なわれたかどうか、治験を遂行
するに当たって治験実施機関の医療機関などのシステムが適切であったかどうかなどを、
製
薬企業などの監査担当者がモニタリングとは別に調査することである。田村周平「「新 GCP」
完全実施―日本の医療の常識を変える?」ばんぶう 201 号(1998 年)69 頁参照。
20
の事件が示すように、
病院内倫理委員会の法的な位置付けが曖昧であることから臨床では混
乱が生じ、折角の自発的な活動の努力も無駄になってしまう現実もある。
また、第 3 節と第 4 節で確認する本邦の倫理委員会システムの実態からは、医療界の自
为性に任せて倫理委員会を運営することにも限界が見えている、
と言わざるをえないのでは
ないだろうか。
第3節
日本の病院内倫理委員会の実態―量的調査研究からの全体像
本節では、先行研究による量的調査研究に依拠して、本邦の病院内倫理委員会の全体像を
把握する。その当時の実態を調査した多数の先行研究が長年に亘って存在するので、それら
を複合的に適宜引用する形で整理したい37。
1.一般病院の倫理委員会設置率及び構成員について
(1) 一般病院の倫理委員会38の設置率についての調査結果を比較する。赤林研究によれば、
37
それぞれのアンケート調査の基礎データを示す。本文では以下の研究を順に赤林研究、
中尾研究、長尾研究、平川研究、児玉研究、原研究と呼ぶ。
Akira Akabayashi et al., An Eight-Year Follow-Up National Study of medical school
and general hospital ethics committees in Japan, 8(1) BMC MEDICAL ETHICS 8 (2007).は、
1995 年と 2002 年の 2 回に亘って医科系大学の倫理委員会(80/80 回答及び 62/80 回答)と 300
床以上の一般病院(743/1457 回答及び 464/1491 回答)を対象にした。なお、1995 年の調査
研究の詳細は、赤林朗(研究代表者)『日本における倫理委員会の機能と責任性に関する研究
(平成 9 年~11 年度科研費補助金基盤研究(c)(2)研究成果報告書)』(2000 年)を参照。
中尾久子他
「日本の病院における倫理的問題に対する認識と対処の現状―看護管理者の視
点をめぐって―」生命倫理 18 巻 1 号(2008 年)75 頁は、2007 年に日本医療機能評価機構の
認定病院の看護管理者を対象にした(675/2164 回答)。
長尾式子他「日本における病院倫理コンサルテーションの現状に関する調査」生命倫理
16 号(2005 年)101 頁は、2005 年に臨床研修指定病院の委員長を対象にした(267/640 回答)。
平川仁尚他「病院内倫理委員会の現状に関する調査」日本老年医学会雑誌 44 巻 6 号(2007
年)767 頁は、2004 年に大学付属病院(54/137 回答)と国公立病院及び日赤や農協など民間为
要団体の病院(287/885 回答)を対象にした。
児玉知子「一般病院における倫理委員会設置状況について―終末期医療全国調査から―」
病院管理 44 巻(2007 年)228 頁は、無作為抽出の 4911 病院(1542 回答)を対象にした(実施時
期不明)。
原、増田・前掲注 19 は、2006 年に特定機能病院 83 施設の 205 倫理委員会を対象にした
(回答数 176 委員会)。
なお、本稿では扱わなかったが、白井泰子(为任研究者)『遺伝子解析研究・再生医療等の
先端分野における研究の審査及び監視機関の機能と役割に関する研究』も、本邦の倫理委員
会の状況について調査した優れた研究である。その成果は、平成 14 年度の総括・分担報告
書に詳しい。その成果に基づく研究論文が、白井泰子「ゲノム時代の生命倫理:医療と医学
研究の狭間で」生命倫理 13 巻 1 号(2003 年)63 頁である。
38 病院に設置される倫理委員会=病院内倫理委員会では必ずしもないことに、注意が必要
である。
21
設置率は 1995 年の 24.4%から 2002 年には 58.2%に上昇した。2000 年代後半に行われた
と推測される児玉研究でも、設置率 51.1%という数字が出ている。ただし、いずれも 2000
年代の回答率が 3 割強に留まることを、どのように評価するか(自施設に委員会が設置され
ていれば、積極的に回答するのではないかという推測が働く)。
(2) 委員会の構成についての調査結果を比較する。医科系大学の 1995 年の構成員の平均値
は、総数 10.4 名、外部(医学部外+学外)2.7 名、女性 0.6 名、看護師 0.3 名、法律家 1.0 名
であり(赤林研究)、委員会全体に対する構成比率を計算すると、外部 26.0%、女性 5.8%、
看護師 2.9%、法律家 9.6%である。2006 年の構成比率は、外部 24.2%、女性 15.9%、看
護師 7.7%、法律家 8.2%である(原研究)。医科系大学の倫理委員会が、内部、男性、医師中
心为義であることに殆ど変化はない。
一般病院における構成について、年代を比較することはできない。1995 年の構成員の平
均値は、総数 10.3 名、外部 1.2 名、女性 1.3 名、看護師 1.2 名、法律家 0.4 名である(赤林
研究)。2000 年代後半には、病院の委員会が次の構成員を含める割合は、外部 48.3%(中尾
研究)、法律家 34%、生命倫理専門家 13%、有識者 42%(児玉研究)である。
いずれの結果からも、委員会の学際性や多様なバックグラウンドを望むべくもない。
2.倫理委員会の活動について
つづいて、倫理委員会の为たる活動は何か。全ての先行研究が、各委員会が臨床の倫理的
問題への対応より、医学研究の倫理的審査を優先することを示す(別表 1「倫理委員会の一
般的な活動内容」参照)。直接に両機能を比較できる赤林研究及び中尾研究から明らかにな
るだけでなく、平川研究及び児玉研究が、病院内倫理委員会の機能を満たす委員会は過半数
に満たないことを示す。
赤林研究によれば、1995 年に医科系大学の倫理委員会で実際に検討された事項の上位は、
「脳死・臓器移植に関する問題(78.8%の委員会)」「生殖技術についての臨床研究に関する
問題(75%の委員会)」
「エホバの証人信者の輸血治療の取扱いに関する問題(68.8%の委員会)」
「IC に関する問題(43.8%の委員会)」となっている。臨床の倫理的問題に対応することを示
す検討事項は、後二者のみであろう(脳死臓器移植法の施行は 1997 年である)。エホバの証
人による輸血拒否事件の発生が 1992 年、最高裁判決39が 2000 年であったから、当時の倫
理委員会の関心の高い問題であっただろう。これら 4 つの検討事項は、1995 年の一般病院
の倫理委員会においても関心が高い上位 4 者であり、順に「エホバの証人(37.8%の委員会)」
「IC(35.2%の委員会)」
「生殖技術研究(22.8%の委員会)」
「脳死・臓器移植(22.8%の委員会)」
である。
原研究は、特定機能病院の倫理委員会による臨床現場の倫理的問題(延命措置の中止・不
開始、小児の脳死判定、輸血拒否患者への対応、意思不明や判断能力を欠く患者への対応、
がんや難病の告知、患者の隔離・拘束・抑制、特定患者への診療拒否の当否)への対応のル
39
最高裁第三小法廷判決平成 12 年 2 月 29 日(民集 54 巻 2 号 582 頁)。
22
ールと現状を明らかにする。それらの問題については、
「個別申請が必要で検討例あり」
「申
請義務はないが検討例あり」という対応を取ることは尐なく、「要請があれば検討」という
対応を取ることが多い。だが、臨床からの要請を受入れる体制が、倫理委員会に備わってい
るのか否かが問題である。臨床からの要請がないから、倫理委員会の中での扱いも低いとい
うことが現実ならば(患者側はともかく、尐なくとも医療者にとっては)問題がないが、倫理
委員会に臨床からの要請を受け入れる体制自体がなく、
臨床のニーズに対応していないとい
うことはないだろうか。
3.臨床の倫理的問題への対応のニーズについて
長尾研究によれば、
「あなたの病院で倫理コンサルテーションを行われる必要があります
か」という質問に、89.1%の回答者(院長又は副院長が約 7 割)が、
「必要ある」と答えた。
中尾研究によれば、現場の看護職の 63.7%が、現場の看護職は倫理的問題について悩みを
抱えていると回答した。
ところが、同じく中尾研究によれば、病院の倫理委員会があるにもかかわらず、倫理的問
題の軽減・解決の有無に大きな差は見られなかった(軽減・解決した=46.4%、しない=
38.6%)。ただし、倫理委員会がコンサルテーションの実施について規程に記載することと
問題の軽減・解決とに関連性はなかったが、コンサルテーションを実施することと問題の軽
減・解決とには関連性が見られた(軽減・解決した=51.1%、しない=32.6%)。
4.まとめ
本節の結果からは、様々な施設の倫理委員会において、臨床の倫理的問題への対応という
病院内倫理委員会の任務は十分に果たされていないことが分かる。医科系大学の倫理委員会
にとどまらず、一般病院の倫理委員会においても、医学研究の審査が为たる任務になってい
る。臨床の倫理的問題への対応のために、倫理委員会が十分な体制を取っていないことは、
委員会の構成だけを見ても推測できる。
第4節
ある倫理委員会の実態―質的調査研究(フィールド・ワーク)からの具体像
1.調査研究の目的と研究対象の概要
(1) 本節は、筆者の手による東京女子医科大学倫理委員会(以下、女子医大 EC)における参
与観察方式でのフィールド・ワークの成果を示すものである40。大規模なアンケート調査を
行う力は筆者にはないが、そのような量的研究からは把握できない倫理委員会の現状(具体
本節は、研究ノートとして既に発表した、一家綱邦「日本の 1 つの倫理委員会の実態―
東京女子医科大学倫理委員会におけるフィールド・ワーク―」早稲田法学 85 巻 1 号(2009
年)249 頁を、本稿の目的に沿って加筆修正するものである。
40
23
的には、委員会の審議の状況)を明らかにすることが、フィールド・ワークを行った目的で
あった。4142
(2) 「倫理委員会規程」を踏まえながら、女子医大 EC の概要を説明する43。
女子医大 EC は 1987 年 1 月に創設され、筆者が調査を始めた 2007 年 12 月に第 160 回
の委員会会議が開かれた。倫理委員会の目的は、
「学長の諮問機関として、東京女子医科大
学で行われる人を直接の対象とする研究あるいは医療行為が、ヘルシンキ宣言の趣旨に沿っ
た倫理的配慮にもとに行われるよう監視し指示を与えること(1 条)」である。その職務は、
「本学で行われる研究あるいは医療行為に関して、
当該科教授から提出された実施計画につ
き、学長の諮問に応じ倫理的観点に立ってその妥当性を審査する(2 条)」ことである。すな
わち、女子医大 EC は、研究倫理審査委員会(IRB)と病院内倫理委員会(HEC)を兼ねる44。
倫理委員会の会議は、毎月 1 回の「定例委員会」と、緊急時に委員が招集され開催され
る「臨時委員会」との 2 種類ある。定例委員会は、申請された案件を検討、審査する IRB
の会議として専ら開催された。筆者の調査期間中には、定例委員会では総じて 232 案件を
審査したが、そのうちの 1 案件(生体間腎臓移植実施の是非をめぐる案件)だけが、HEC と
して審議した案件であった。他方で、臨時委員会は、筆者の調査期間内には 5 回(各回 1 案
件について)開催され、その全てにおいて脳死臓器移植の実施に関する倫理的検討を行った
41
先行研究には、特定の倫理委員会の実態を描出するものもあるが、それらの委員会は著
者が構成員として関与し、客観的な研究や分析の対象ではない。例えば、山田卓生「東京都
立病院倫理委員会のガイドライン策定作業」年報医事法学 17 号(2002 年)57 頁、浅野瑛他
「看護倫理委員会を立ち上げた看護部の挑戦」看護管理 11 巻 7 号(2001 年)500 頁、兼松百
合子他「医療の現場において看護婦の直面する倫理上のジレンマ」生命倫理 2 巻 1 号(1992
年)32 頁、小島恭子「北里大学病院における看護倫理委員会の活動①」看護学雑誌 62 巻 7
号(1998 年)661 頁、小島恭子、家永登「看護倫理委員会の活動の実際②」看護学雑誌 62 巻
8 号(1998 年)775 頁、单由起子「患者の権利を擁護することで生じるジレンマ」看護学雑誌
62 巻 9 号(1998 年)874 頁、高嶋妙子「現場为導の倫理委員会活動へ」看護学雑誌 62 巻 10
号(1998 年)966 頁、塩見元子「水島協働病院における医療倫理委員会の活動」看護学雑誌
62 巻 11 号(1998 年)1076 頁、濱口恵子「東札幌病院臨床倫理委員会の活動」看護学雑誌 62
巻 12 号(1998 年)1173 頁。
42 一般的に倫理委員会は審議を非公開にし、フィールド・ワークを行いたいという申出を
受け入れてくれる委員会は、女子医大 EC 以外になかった。女子医大 EC は、委員の仁志田
博司先生(当時、東京女子医科大学母子総合医療センター所長)の紹介を通じて、筆者の研究
意図をご理解いただき、フィールド・ワークの実施を認めていただけた。フィールド・ワー
クを許可された動機には、
委員会の審議を透明性のあるものにするという女子医大の意識が
窺われた。
43 以下の女子医大 EC の概要については、
(当時の)倫理委員会委員長である小林槇雄先生と
学務部医学部学務課の山本毅氏へのインタビューに拠るところが大きい。女子医大 EC の規
程は、
筆者の調査時に運用されていた 2002 年 4 月 24 日改訂版である。
2009 年 4 月以降は、
2009 年 4 月 1 日に施行された「臨床研究に関する倫理指針(平成 20 年改正版)」に基づく改
正規程が用いられる。したがって、委員会の運営も調査時点と現時点では異なる点がある。
44 倫理委員会と同様の学内の委員会には、遺伝子解析倫理審査委員会、動物実験倫理審査
委員会、治験審査委員会があるとのことである。
24
45。筆者の問題関心の中心は、IRB
よりも HEC にあるが、臨時委員会において検討される
事柄に対するプライバシーの配慮又は守秘義務のレベルは、
定例委員会におけるそれら以上
に高く設定するという倫理委員会の事情により、筆者には公開されなかった。
委員会は、
「学長の指名する教授若干名、病院長、東医療センター病院長および学外有識
者(3 条 1 項)」から構成されるが、その数と細かな専門分野に関する規定はない46。筆者が
調査期間中に委員会で同席した委員は、14 名である(この他、1 度も委員会に出席しない委
員が 3 名いた)。14 名の委員の専門分野、就任・退任時期及び出欠状況を、別表 3 に示す。
また、学務部医学部学務課の職員が委員会事務を担当する(6 条参照)が、委員会専従の職員
はいない。
「委員の任期は 2 年(3 条 4 項)」であるが、再任されることが多く、退職まで長
く務める委員も尐なくない。
定例委員会の審査までは、原則的に以下のような手順を踏む47。まず、定例委員会開催の
4 週間前までに、各研究者が「研究実施申請書」
「研究計画書」「説明文書・同意書」「参考
文献」を提出し、新たに実施予定の研究に対する倫理審査の申請をする。申請を受理した事
務担当者は、書式の不備や誤字などの形式面をチェックし、研究の内容面に関わることを委
員長に委ね、両者により当該案件を定例委員会の審査に付すか否か、「持回り審査48」に付
すかが判断される。定例委員会の審査に付すもののうち、事前の修正が必要なものについて
は、その旨を各申請者に指示する。定例委員会開催の 1 週間前に適正な書類が揃った案件
についてのみ、定例委員会で審査が行われる。この後、各委員には審査対象になる全案件の
上記関係書類が送付され、委員は委員会当日までに目を通す。
定例委員会では、研究申請者が招かれて研究の要点を「説明」し、それを受けて委員と申
請者の間で「質疑応答」が行われ、申請者退室後に委員が「討論」して「結論」を出す。結
論は「承認、承認(修正)、確認して承認、持回り審査、再提出、不承認、委員長預かり、対
象外」の 8 通りである49。委員会の議事については、
「委員の過半数をもって成立する。審
査の決議は、出席委員の 3 分の 2 以上の合意による(4 条 1 項)」と定められる。定足数の確
保のために、欠席する委員からの委任状の提出を求める。
45
倫理委員会の前に適応検討委員会が別にある。
実質的には、選任は小林委員長に一任されているようであり、小林委員長によれば、審
査案件に対して、第三者的な立場で評価できる、脳死判定に関わる立場にある、委員会への
欠席が尐ないと予想されるなどを基準に、外科系と内科系のバランスをとって医学部委員を
選出するとのことである。医学部と看護学部からの学内委員は全て研究室教授である。
47 臨時委員会における手続についての別段の定めはないとのことである。
48 「持回り審査」は委員会全体での審査ではなく、個別の委員による書類審査に付すこと
をいう(委員会全体での審査の手間を省く意味が強い)。
49 「承認(修正)」と「確認して承認」は、前者は委員会審査での指摘が形式面を为とし、そ
の指摘を受けて申請者が修正したことを確認するのに対し、
後者は委員会審査での指摘が研
究の内容面にまで及び、
その指摘を受けて申請者が修正したことを確認するという差異があ
る。両者の確認は、委員長が一人で行う。「対象外」は、倫理委員会での審査対象にならな
いとして審査しないことをいう。
46
25
2.調査研究の手法
(1) 女子医大 EC は、2007 年 12 月から 2009 年 2 月までの筆者の調査期間中に、毎月 1
回(2008 年 8 月は休会)、全 14 回の定例委員会を通じて、231 案件を審査した。総審査時間
は 2176 分(申請者説明が 746 分、質疑応答が 1300 分、委員討論・結論が 130 分)を要した。
1 案件当たりの平均に直すと、順に 9.42 分(3.23 分、5.63 分、0.56 分)である。1 案件にか
かった最長時間は 43 分(次点は 28 分)、最短時間は 2 分(次点は 3 分(8 案件))であった。
調査対象の性質上及び筆者の能力上やむをえない制約50の中で、筆者は倫理委員会の質疑
応答に見られる委員の審査の視点を調査することを目指した。委員会の場で、申請者の説明
を受けた各委員が、どのような点から申請案件を審査するかを調べた。そのために次のよう
な手法をとり、各委員の審査の視点を調査成果のデータとして生成した。
(2)
第一段階として、同席した毎月の委員会審査の場で、各委員の質疑の趣旨やキーワー
ド(以下、キーワード)を調査ノートに全て書きとめた。それらキーワードは、申請案件の不
備などを理由に、委員が注意をはらって審査に臨んだポイントを示すと考える。ただし、委
員の質疑がないからといって、
そのポイントに委員が必ずしも留意しないということでは当
然ない(例えば、申請された研究が質疑の余地がないほど倫理的に不備がない場合)。
第二段階として、その 14 回の委員会における全質疑を記録した調査ノートから、キーワ
ードを全て書き出した。同一委員又は異なる委員が、同一案件又は異なる案件に関して、同
趣旨の質疑をすることも当然にあり、その場合には書き出すキーワードとして繰り返さなか
った。そうして集めたキーワードは 148 項目であった。
第三段階として、
その 148 項目のキーワードを大きく 8 つに分類した(○◎△などで示す)。
さらに、8 つの大分類のうち 3 カテゴリについては、その中を細分して小分類を設けた(ア
ルファベットで示す)。
次々頁に示したキーワードの分類について補足する。「○:申請された研究の医学的観点
に関する質疑(以下、○医学)」は、非常に多くのキーワードを含む大きなカテゴリになった。
これは、医学的観点の説明と質疑応答の理解が不十分な筆者が、カテゴリ内を細分すること
ができないためである。委員の質疑のキーワードの具体例としては、研究の性質・意義・趣
旨、研究の内容・方法、予定症例数、サンプル数の根拠、先行研究の有無と内容、日本での
エビデンス、プレテスト実施の有無、通常療法・ルーティンとの関係、薬品名と製品名、投
与量は通常量か、研究実施期間・回数などが挙げられる。また、
「○医学」は、当然に患者
50
第一に、臨床研究実施の是非を審査する委員会であることから、研究の新規性と患者・
被験者(以下、患者ら)のプライバシーを保護するために審査案件に関する多くの情報は、委
員でない筆者には限定的に開示された。具体的には、委員と異なり、筆者には審査に必要な
書類に事前に目を通す機会はなく、委員会開催直前に当日の資料として配布され、その委員
会限りの閲覧を認められた。また、録音機器を使って委員会での申請者・説明者及び委員の
発言を記録することは認められなかった。第二に、筆者は社会科学(法学)を専門としており、
審査される研究の医学的側面の理解はほぼ不可能であった。すなわち、委員会の場に同席し
て委員の質疑や検討を聞いていても、その内容を完全に理解できたとは考えていない。
26
への影響を念頭に置いた質疑の趣旨であることは推測できるが、
その点が委員の言葉に表れ
たものは「◎:研究の医学的観点のうち、特に患者への影響に関する質疑(以下、◎患者)」
に分類する。
委員の質疑のキーワードの具体例としては、
副作用、想定しうる最悪のケース、
安全性の確認が必要、患者への影響、患者の利益・メリットなどが挙げられる。これらの「○
医学」と「◎患者」に含まれる質疑は、臨床研究が科学的妥当性を備えることを確認し、科
学的な意味を持たない研究は非倫理的であるという考え方を根底に持つ51。
「△:研究の実施に関係するが、純粋な医学的内容ではないことに関する質疑(以下、
「△
研究実施)」は、その内容を A~J に細分した。「B.研究に関与する者に関する質疑(以下、
「△研究実施 B」(他カテゴリも同様))」は、研究責任者、実施者、実施分担者に関する確認
の意味が強い。
「△研究実施 C」は、データの保管方法、情報管理者、匿名化の方法、検査
結果の開示性などについて質疑する。「△研究実施 D」は、実働部隊になる会社との関係、
製薬会社との経済的関与を問う。
「△研究実施 E」は、学会のガイドラインと学内内規の確
認とその遵守について問う。
「△研究実施 H」は、臨床研究において有害事象が発生した場
合の患者らへの補償・賠償に関する質疑である。実施不可能な補償又は賠償をするかのよう
な、IC 書の記述を改めさせる質疑もあった。
以上の 3 つの分類(○、◎、△)に振り分けられるキーワードは、そのキーワードを含む質
疑をする委員が「Ⅰ.研究が科学的妥当性を備えるか」という研究倫理審査の原則に関わる
問題意識を持っていることが推測される。また、研究の科学的妥当性に並んで研究の倫理的
審査において重要なポイントは、
「Ⅱ.患者らの保護」である。次の 3 つの分類(□、■、▲)
には、
その倫理的原則に関わる問題意識を委員が持つことで発する質疑に含まれるキーワー
ドが振り分けられる。また「Ⅲ.審査に関する書類の形式的な適正」の分類(*、×)に振り
分けられるキーワードは、これら 2 大原則とは関係がない形式的な問題であると筆者が判
断したものである。
第一に、
「☐:説明同意(以下、IC)書の内容に関する質疑(以下、☐IC 書)」は、患者への
IC 書を読んで疑問点を問う。適正な IC の取得が患者の保護に資することは自明であり、IC
の内容面を確認する質疑である。
「☐IC 書 B」に分類された質疑で指摘された、患者らに説
明されていない内容には、研究目的、これまでの調査結果、本施設で使う薬、患者の負担、
副作用の発現頻度などがあり、患者に不利益がないと断定することの是非が問題になった。
「*:IC 書の形式的な適正に関する質疑(以下、*IC 書)」は、IC 書のサンプルを受理する
事務担当者が指摘できると思われるレベルの問題(誤字、脱字、日本語としての文章の誤り、
宛名の統一、連絡先の明示など)を質疑するのに対し、「□IC 書 D」は IC 書の構成の拙さ、
説明書と同意書の内容不一致など事務担当者が指摘するのは難しいと思われる点を問う。
「■:IC を患者らから取得する方法と条件の適正に関する質疑(以下、■IC)」は、同意
の取得方法、代諾者による同意、包括的同意、IC 書以外の患者への説明は十分か、手術の
同旨の発言は、委員の質疑の中で度々聞かれた。この点は「ヘルシンキ宣言 12 項」や
「臨床研究に関する倫理指針 第 1. 3.用語の定義 (16)倫理審査委員会」にも確認できる。
51
27
同意書又は解剖承諾書は IC 書になるか、データ利用拒否の権利についての告知方法などに
ついて質疑する。つまり「□IC」とは異なり、IC を取得する手続的側面を確認する。
<委員の質疑を分類するためのキーワード>
Ⅰ.研究が科学的妥当性を備えることを問う質疑
○:申請された研究の医学的観点に関する質疑
◎:研究の医学的観点のうち、特に患者への影響に関する質疑
△:研究の実施に関係するが、純粋な医学的内容ではないことに関する質疑
A.申請研究が多施設共同研究であること、データの集積地に関する質疑
B.研究に関与する者に関する質疑
C.研究データや個人情報の取扱いに関する質疑
D.医療機関ではない会社との関係に関する質疑
E.諸ガイドラインや学内内規に関する質疑
F.重篤な障害発生の報告先に関する質疑
G.倫理委員会の役割に関する質疑
H.患者らに対する補償又は賠償に関する質疑
I.薬や処置の費用に関する質疑
J.難解な医学用語の確認に関する質疑
Ⅱ.患者らの保護に関する質疑
☐:説明同意(以下、IC)書の内容に関する質疑
A.IC 書の内容が専門的すぎるので、患者らに分かりやすくするための質疑
B.IC 書の説明が不足(同意に必要な情報がないこと)を指摘するための質疑
C.IC 書として相応しくない記述を指摘するための質疑
D.IC 書の形式的適正のうち特に重要な点に関する質疑
E.IC 書を対象者別に分けるべきことを指摘するための質疑
■:IC を患者らから取得する方法と条件の適正に関する質疑
▲:IC 以外の点からの患者の保護を図るための質疑
A.研究に参加する患者らの立場を考慮するための質疑
B.患者らを臨床研究に参加させて無作為割付することに関する質疑
C.患者のプライバシー保護に関する質疑
D.患者の経済的負担に関する質疑
E.臨床研究と現在の治療法との比較に関する質疑
Ⅲ.審査に関する書類の形式的な適正に関する質疑
*:IC 書の形式的な適正に関する質疑
×:IC 書以外の書類(研究計画書・実施申請書など)の形式的な適正に関する質疑
28
患者の IC を取得することは患者保護の必要条件だが、十分条件ではない。患者が判断
できない医学専門的観点からも、患者の保護は図られなくてはならず、
「▲:IC 以外の点か
らの患者の保護を図るための質疑(以下、▲患者)」に分類されるのは、その目的を持つ質疑
である。その内容を A~F に細分した。
「▲患者 B」は、無作為化比較臨床試験を行うこと
で患者の比較群に不公平が生じることを懸念する。
「▲患者 D」は、通院の強制など治療外
での患者の経済的負担が生じることを懸念する。
「▲患者 E」は具体的に、生活指導で良く
なる可能性がある患者に対してすぐに薬を投与することが良いのか、
現在服用している薬を
止めさせることが倫理的に良いのかを問う。
「×:IC 書以外の書類(研究計画書・実施申請書など)の形式的な適正に関する質疑(以下、
×書類)」は、IC 書以外に審査のために委員会に提出される書類(研究計画書・実施申請書
など)に関する形式的な誤りを指摘する。具体的には、必要な書類が揃っていない、誤字や
脱字、記述の脱落などである。同じ形式的誤りに関する質疑だが、IC 書は一般人に理解で
きるように書かれているのに対して、研究計画書などは医学研究者に向けて作成されるもの
であり、事務担当者が指摘することは難しいかもしれない。
第四段階として、この分類を、第一段階で作成した調査ノートに記録した各委員の発言に
当てはめ、月毎に集計して表にした(別表 2「データ生成第 4 段階の 1 例」を参照)。
以上の調査及びデータ生成方法は、本来は定量的に捉えることに馴染まない委員会での議
論(委員の質疑)を、定量的に把握することを目指して考案した。第一段階の調査ノート作成、
第二段階のキーワードの取捨選択、
第三段階の分類については筆者の個人的为観に依拠して
いるとの謗りを免れない可能性を自覚する。
しかし、委員会での具体的な議論を公開せずに、
その現状を示すためには、抽象的に(委員の質疑をキーワードとして拾って)、定量的に(質疑
の数を数えて)示すしか方法がなかった。
3.調査研究の結果
第四段階で作成した毎月の表を集計して、別表 3「女子医大 EC 定例委員会での全質疑の
概況」を作成した。この結果から得られる知見は、以下の点である。
(1)
各月の審査案件と出席委員の数を見ると、質疑の頻度との間に一定の関係が窺える。
一方で、審査案件が尐ない月は、1 案件当たりの質疑数が多くなる。案件数が 1 番目と 3
番目に尐ない 2008 年 5 月と 12 月は、1 案件当たりの質疑数が 1 番目と 3 番目に多い月で
ある(6.20 件と 4.62 件)52。他方で、審査案件の多い月は、1 案件当たりの質疑数が尐ない。
審査案件数が最大の 2 つの月である 2008 年 3 月と 7 月は、1 案件当たりの質疑数が最小の
2 つの月でもある。この点につき、審査案件の多寡により、委員会の進行を考えて質疑する
か否かを決する委員の無意識の傾向があるのかもしれない。
2007 年 12 月は 1 案件当たりの質疑数が 2 番目に多い月だが、1 案件当たりの平均質疑
数が 2 番目に多い(1.33 件)委員が唯一出席した。また、2008 年 1 月は案件数が 2 番目に尐
ないが出席委員が最小の月である。両月はそれぞれ特殊事情のある月として考慮外とする。
52
29
(2) 「○医療」が最多で、質疑全体の 1/3 近くを占める。委員 14 人中 10 人が医師である
ことからは、当然の結果であろう。
「○医療」に関する質疑総数と 1 案件当たりの平均質疑
数(=各委員の質疑数を担当した審査案件数で除した数)の上位 3 名は、医師の委員である。
(3) ついで「☐IC 書」
、
「*IC 書」が、順に多くの割合を占める。IC の取得が臨床研究の
重要な原則であると委員が十分に理解していること、一般人が理解できるように書かれる
IC 書が委員にも理解しやすいことが、理由として推測される。弁護士委員が「☐IC 書」と
「*IC 書」の両質疑の圧倒的な割合を担う。
(4) 質疑のうち 1/4 を占める「□IC 書」内の小分類に、一定の傾向が見られる。
「☐IC 書 A」は、IC 書の説明が医学上専門的に過ぎるので、一般人の患者らに分かりや
すい内容に改めるための質疑である。
「☐IC 書 B」は、患者らに説明されていない内容を明
らかにするための質疑である。
「□IC 書」の総数のうち 4 割を担う弁護士委員は、「□IC 書 A」の割合が多い。他方、
それ以外の委員(多くの医学部委員と看護学部委員)は、
「□IC 書 B」の割合が多い。IC 書の
充実のための委員の役割分担が、自然とできているのであろうか。
(5) 形式的な問題に対応する「*IC 書」と「×書類」は、併せて総質疑の 1/5 以上を占め
る。この状態から、委員の専門能力が十分に生かされているのかが懸念される。特に、全委
員中最多の質疑数と 1 案件当たりの平均質疑数(286 件と 1.47 件)を担う、弁護士委員の質
疑総数の 4 割強が両質疑に費やされることにも、(説明同意書を一定の法的効力を持つ文書
と考えれば、その形式に留意することの重要性は認めるが)同様の懸念を持つ。
(6) 数の多い順に「△研究実施」の内訳に着目したい。
「△研究実施 A」の 22 件であるが、そのうちの 16 件を委員長 1 人で担う。この点につ
き問うと、委員長は「個人情報の管理のためである。多施設での研究の場合、情報の分散が
ないように配慮するためである」と答えた。
「△研究実施 I」は、特に臨床研究に用いる薬剤に保険適用はあるのか、適用外である場
合に、その費用負担を患者らに任せるのか、研究実施者側が負担するのかを問う。また、通
常療法では不要な検査や処置を行う際の費用を患者に請求するのかを問う。
「△研究実施 G」は、申請者側が倫理委員会の役割を理解しているかを問う趣旨である。
ある委員の発言によれば、
「倫理委員会の審査対象か否かを申請者に問い直すことは、申請
者が自身で申請した研究の意義を理解しているかを問うことである」
。また、他施設での倫
理委員会での承認を経ているのかを確認するための質疑も含む。
(7) 数の多い順に「▲患者」の内訳に着目したい。
「▲患者 B」は、無作為化比較臨床試験を行うことで、患者の比較群間に不公平が生じる
ことを懸念する。
「▲患者 B」は、臨床研究の方法から患者が受ける間接的又は潜在的危険
性を憂慮し、
「◎患者保護」は、臨床研究による患者の身体的又は直接的危険性を憂慮する
という関係がある53。
53
「▲患者 B」と「◎患者保護」が共に現れた案件は、全体を通じて 1 案件のみである。
30
「▲患者 A」は、患者の状態や性質を問い、被験者は患者という弱い立場にあることを強
調し、ボランティアの募集方法の正しさ(謝礼の有無、学生や職員の利用)を確認するための
質疑である。
(8) 女子医大内に所属する委員と外部委員の違いに着目する。外部委員は 2 名で、弁護士
と生命倫理学者である。1 案件当たりの平均質疑数は、弁護士委員が全委員中最多、生命倫
理学委員は 4 番目に多い。これは、外部委員は発言をしやすいこと、法学と生命倫理学の
専門性は臨床研究の審査に有用であることの証左かもしれない。
(9) 内部委員のうち医学部委員と看護学部委員の違いに着目する。医学部委員は 10 名、看
護学部委員は 2 名である。医学部委員 10 名全体の 1 案件当たりの平均質疑数は 0.51 件(=
総質疑数 544 件÷総審査案件数 1074 案件)であるのに対して、看護学部委員 2 名全体の 1
案件当たりの平均質疑数は 0.27 件(=総質疑数 54 件÷総審査案件数 201 案件)である。一般
的に、医師と看護師には臨床での発言力に差異があるといわれるが、そのような関係が委員
会の場でも見られるということであろうか。ただし、臨床研究の倫理審査は、日常診療の倫
理的判断以上に、医学委員の専門性を求めることは確かであろう。
(10) 審査の結論についてである。承認 210 案件(確認や訂正を要するものを含む)、再審査
15 案件、再審査対象外 2 案件、保留 2 案件、持回り審査 1 案件、委員長預かり 1 案件であ
った。承認された 210 案件のうち再審査案件数は不明であるが、筆者の調査期間において
実に審査案件の 9 割以上が承認された。
4.まとめ
以上から明らかになった女子医大ECは、病院内倫理委員会としての機能は殆ど果たして
おらず、上記の実態や知見の大半は研究倫理審査委員会についてのものになる54。しかし、
これが規程上は両方の機能を担うとされる倫理委員会の実態である。この点について、委員
長によれば「倫理委員会の案件として挙がれば、審査する。これまでには、エホバの証人の
患者が輸血拒否をした事例についての審査を行った。また、脳死臓器移植も臨床倫理的な案
件の1つである。終末期医療に関する議論は、個々の患者の診療行為として個々の事例ごと
に診療科での判断に委ねるしかないであろう」とのことである。このような認識は、前節の
2の原研究が示した「要請があれば検討」と答えた倫理委員会の姿勢と重なるものであろう。
女子医大ECには、臨床の倫理的問題を倫理委員会に相談するための手続や書式などの受
入体制はなかったが、多くの医科系大学の倫理委員会も同様のようである。時に臨床からの
相談要請はあって、時にそれに対応するのだろうが、そのような方式で良いのだろうか。既
述の通り、臨床の倫理的問題には医療者の専門職倫理に依拠する部分は大きく、そのような
アプローチは(尐なくとも医療者にとっては)一面では正しい。しかし、自らの専門職倫理に
54
圧倒的に注力する研究倫理審査委員会の機能についてさえも、十分か否かは検討しなく
てはならない。女子医大 EC は医師中心、内部委員中心であるが、医師以外の委員や外部委
員を有効に活用することはできているだろうか。審議時間は十分であろうか。
31
基づく判断や対応では不十分であると判断し、法律や倫理からの知見を得ようとする、ある
意味で意識の高い医療者の要請を適切に受け入れるためのシステムを用意しておくことが
必要ではないだろうか。また、医学研究の倫理的審査という機能も十分に果たせていないな
らば、臨床の倫理的問題への対応に適宜対応できるのであろうか。
第5節
小括―本邦の現状を踏まえた次章以下の課題と目的
1.個々の倫理委員会の上位組織
(1)
ここまで本章では、病院内倫理委員会を中心とした倫理委員会をめぐる現状として、
公的ルールの不備及び不十分な実際の活動があることを確認した。公的なルールは、個々の
倫理委員会の自発性に活動の充実を委ねるアプローチを示し、そのような白紙委任に近い形
の裁量を委ねられた個々の委員会は、病院内倫理委員会としての機能を果たしていないこと
が明らかになった。この状況は重大な問題として認識されるべきだが、個々の倫理委員会が
資金、人材、時間、ノウハウなどの様々な資源の点で苦しい状況にあることも認めなくては
ならない。
(2)
その上で考えなくてはならないのは、個々の倫理委員会を導く立場にある組織のあり
方である。序章の 2(2)に挙げたガイドラインを示した医学系学会や学術会議は、医療者や
研究者を規律する専門職団体である。これらの団体が個別の病院内倫理委員会の問題や置か
れている状況を正確に把握せずに、倫理委員会の利用をただ肯定し勧告して良いのか55。実
働のない病院内倫理委員会の利用を勧められて最も困惑するのは、臨床の医療者である。
同様の問題は、医科系大学の倫理委員会相互の連絡や情報亣換の必要性から 1988 年に発
足した「大学医学部・医科大学倫理委員会連絡懇談会(現在は医科系大学倫理委員会連絡会
議)」にも指摘される。自己研修を为たる目的に連絡会議としての統一見解をしない申合せ
の下に、その時の重要テーマを取り上げて議論を重ねてきたことは56、同会議は世界的に見
ても稀な存在であり、
日本社会においても専門家集団の自为的な組織化の珍しい例として評
価されて良い57。しかし、医科系大学に倫理委員会が始まり普及した歴史は尊重した上で、
同会議は医科系大学の倫理委員会の臨床の倫理的問題への対応という機能とその現状を自
ら再考すべきではないか。
55
赤林朗(研究代表者)「医学系学会における倫理委員会の設置・運営状況および倫理的問題
への対応の現状(平成 10 年度調査報告書)」からは、医学系学会による医療現場への指導的
役割については、学会内の倫理委員会の設置やガイドラインの作成に関する状況からは、尐
なくとも調査実施時点(1998 年度)では否定的な見方にならざるを得ない。
56 星野・前掲注 30・27 頁。
57 森下直貴「日本における「倫理委員会」の存在理由と課題」浜松医科大学紀要 一般教育
第 7 号(1993 年)2 頁。
32
2.日本の倫理委員会の 1 つのモデル―北里大学医学部・病院倫理委員会
(1)
倫理委員会をめぐる現状には様々な多くの問題が見られるにもかかわらず、筆者が病
院内倫理委員会に期待をかけるのは、臨床の倫理的問題のために病院内倫理委員会を活用し
よう、病院内倫理委員会を改善しようとする姿勢が医療者の間にも見えるからである58。と
りわけ、長年にわたりモデルとして評価されてきた59北里大学医学部・病院倫理委員会に言
及する。
(2) 同大学には 1984 年以来、個々の医療行為の責任を問題にして規制する医療検討指導委
員会があったが、その規制のための判断材料となる規定(特に臨床の医療行為に対するマニ
ュアル)がないと判定ができないため、倫理委員会が必要とされたことが北里大学での設立
の端緒である60。その後、6 年間の倫理委員会準備委員会を経て、設立に至る61。北里大学
の倫理委員会は、いくつかの点から高く評価される。
まず、他大学の倫理委員会の規程には見られない「前文」が理念を謳う62。要約すれば、
①医療は科学的行為であると同時に、病者と医療従事者との相互関係を前提にする倫理的行
為である。②「医の倫理」とは医療に対する外からの拘束ではなく、医療そのものに本来的
に理念として内在し、生命の畏敬と個人の尊厳を内容とする。③医療者は、一方で治療と研
究において自己規律と相互批判を徹底すること、
他方で医療を社会から信託された責務と捉
えて、
専門性に閉じこもることなく社会の多様な考え方をフィードバックすることが求めら
れる。
また、最も特筆すべき点として、全体の倫理委員会が A/B/C の 3 つの委員会から構成さ
れる。全体の倫理委員会の中核である A 委員会は、医療倫理に関する基本的事項を調査・
検討し、理念的なものを考究・討議し、B/C 委員会から求められた検討課題について審議を
行い、様々な対象に対して教育活動を行う。B 委員会は、医学部と病院でのヒトを対象にし
た研究が前文で掲げた倫理的配慮の下で行われるよう、必要に応じて審議・指示・勧告を行
い、そのための基準や指針などを作成する。C 委員会は、医学部と病院内で行われる医療行
為が前文で掲げた倫理的配慮の下で行われるよう、必要に応じて審議、指示、勧告を行う。
この体制は倫理委員会設立当初からであるが、2011 年から A 委員会は臨床倫理コンサルテ
若園明浩他
「望まれぬ出生の超低出生体重児における出血後水頭症に対する治療拒否の 1
例―病院倫理委員会並びに、人権擁護団体と協議し対応した事例を通して―」日本新生児学
会雑誌 39 巻 4 号(2003 年)850 頁、三浦靖彦他「院内倫理コンサルテーションの導入と効果
一般病院で求められる倫理委員会の機能とは」看護管理 17 巻 11 号(2007 年)978 頁。
59 森下直貴・前掲注 57・13 頁。本文に示した評価点以外に、①メディカル、コメディカル、
ノンメディカルの委員構成の間に対等なバランスが持ち込まれていること、
②管理者を委員
にはしないが、
申請や報告の権限を残すなど管理機構との関係で相対的な独立性を保ってい
ること、③再審議の可能性や尐数意見の併記とともに、公開性への配慮が見られることなど
を挙げる。
60 「限界的医療と倫理委員会制度―坂上正道教授に聞く」生命・人間・社会 2 巻 1 号(1987
年)5 頁。
61 北里大学医学部「医学部ニューズ」(1991 年 7 月 31 日付)1 頁。
62 北里大学医学部「北里大学医学部・病院倫理委員会規程(2010 年 11 月 1 日改訂)」参照。
58
33
ーションを開始したようである63。
さらには、準備委員会期においても、医学部医科系大学倫理委員会連絡懇談会の全国大会
を 1991 年に为催したり64、倫理委員会のこれまでの活動を考えるためのシンポジウム65を
開催したり、自らの活動の広報や医療倫理的問題の紹介・検討を行うための倫理委員会ニュ
ースという情報紙を発行したりするなどの教育的・啓蒙的活動にも熱心に取り組んでいるこ
とは評価されよう。
3.本邦の病院内倫理委員会に必要なこと
(1)
病院内倫理委員会の設置を促し活動を充実させるためには、現行の公的ルールが十分
でないことを現在の問題状況の原因と位置付け、
実行力を伴う公的ルールによる委員会の充
実の義務付けを改善の方向性として結論づけることは 1 つの方策である66。このアプローチ
においては、法規範(制定法、行政規則など)又は他の社会規範(研究者又は医療者の専門職団
体のガイドラインなど)のいずれが妥当かを検討しなくてはならない。
ところが、このようなアプローチを取るためにも大きな問題がある。すなわち、病院内倫
理委員会とはどのような組織であるかについて、
明確且つ具体的な理解が本邦にはないこと
である。だからこそ、倫理委員会という名称の下に研究倫理審査委員会と病院内倫理委員会
が 1 つにされ、曖昧なイメージのまま運用されてきて、その実際の活動が臨床の医療者に
とって実効的でなくても批判する基準が存在しない。本邦の先行研究や海外の議論状況を紹
介する研究は尐なからずあるが67、その多くは生命倫理学からのアプローチが中心である。
法律学の立場から、倫理委員会制度が発展し、議論も盛んなアメリカ合衆国の倫理委員会の
モデルを、比較法的アプローチにより検討することに本稿の意義がある。
具体的には、管轄の範囲(病院内倫理委員会が扱うべき又は扱うことのできる倫理的問題
とは何か68)、委員会の構成(その問題を考えるためには、どのような構成員であるべきか)、
運営手続(その問題を扱う際に踏むべき手続は、どのようなものか)、権限の範囲(その問題に
http://www.med.kitasato-u.ac.jp/rinri/kmecconsul/index.html (2011 年 9 月 6 日最終ア
クセス)。
64 北里大学医学部『北里大学医学部三十年史』(教育広報社、2001 年)667 頁。
65「北里大学医学部創立 30 周年記念シンポジウム 倫理委員会を考える」の詳細は、同上・
640 頁。
66 IRB と比較して HEC の任務実行の難しさは、制定法によってその活動が裏付けられて
いないことにあるという指摘もある。Leonard H. Glantz, Contrasting Institutional
Review Boards with Institutional Ethics Committees, INSTITUTIONAL ETHICS
COMMITTEES AND HEALTH CARE DECISION MAKING 136 (Ronald E. Cranford et al. eds.,
1984).
67 最も代表的なものとして、D・ミカ・ヘスター編(前田正一、児玉聡監訳)『病院倫理委員
会と倫理コンサルテーション』(勁草書房、2009 年)を挙げる。
68 中山研一「脳死肝移植手術の許容性―東大医科研倫理委員会審査書の検討」ジュリスト
959 号(1990 年 7 月 1 日)69 頁、岡本珠代「倫理委員会―日米の比較―」比較思想研究 23
別冊(1996 年)26 頁は、倫理委員会の検討対象という視点から問題提起を行う。
63
34
対して、倫理委員会は何をどこまでできるのか)などを明らかにしなくてはならない。これ
らの点を検討する中で、序章の 2(3)で集約的にイメージしたような病院内倫理委員会の理
念を実現するための法的指導原理を明らかにしなくてはならない。
北里大学医学部の倫理委員会のような自発的な活動がある限り、
医療界を外から規律する
ための公的なルールは必要ないと考えることにも一理ある。筆者は、倫理委員会システムが
本邦で始まり約 20 年経過した上での一般的な現状を肯定できないが、公的なルールの必要
性については現時点で判断しかねる。本稿は、ルールの必要性の有無も含めて、何らかのル
ール作りのために資する議論の材料を提供することを目指す。そして、そのような議論の材
料は、
自発的に病院内倫理委員会の活動を充実させようとする医療者の取組みに寄与するた
めにも、
また現在でも積極的な活動を行う病院内倫理委員会を正当に評価するためにも必要
なことであると考える。
(2)
ここで予め断わっておきたいのは、筆者は病院内倫理委員会が臨床には絶対に必要で
あると考えるわけではない。現状、病院内倫理委員会という臨床の倫理的対応を任務とする
組織が不十分ながら存在していて、
それを改善してでも利用する価値と可能性があるのなら
ば利用すれば良いと考え、
そのような任務を実現することは不可能又は不要であるのならば、
設置も利用も無理に行う必要はないと考えている。
ただし、担うと掲げる任務を実際に果たせていないのに、それを果たしているかのように
存在し振舞うることは、患者や医療者にとっては不幸であるし、それこそ非倫理的であると
の誹りを免れない。
「近ごろ、医療の世界にとても「便利な言葉」が 2 つできまして、しき
りに流行しております。1 つはインフォームド・コンセントです。1 つは倫理委員会です。
だからお医者さんが…「倫理委員会を通していますよ」
、これだけ言えばあとはすべて合格
という雰囲気が、尐し言い過ぎかもしれませんが、ないわけではありません69」という唄孝
一の言葉を忘れてはならない。
(3)
次章以下では、以上の課題と目的を達成するために、アメリカ合衆国の病院内倫理委
員会をめぐる制度と議論を対象にした比較法研究を行う。なお、以下においては、病院内倫
理委員会にのみ焦点を当てるので、特別に断らない限りは、便宜上「倫理委員会」という言
葉を病院内倫理委員会の意味で用いる。
69
北里大学医学部・前掲注 64・642 頁。
35
第2章
第1節
大統領委員会報告書に見る病院内倫理委員会の基本論
本章の目的と大統領委員会報告書の背景
1.本章の目的
ある調査によれば、1999 年における全米の病院の約 93%に病院内倫理委員会が設置され
ていた70。しかし、本章・第 4 節で紹介する調査研究によれば、1980 年代初めのその設置
率は 1%にすぎなかった。また別の調査によれば、1983 年には 26%、1985 年には 60%の
調査回答病院が倫理委員会を設置すると答えた71。
このような 1980 年代前半の倫理委員会設置率急増の要因は、従来一般的に次のように理
解されてきた。当時全米の注目を集めた「ベビー・ドウ事件(以下、ドウ事件)」を契機に「医
療及び生物医学的ならびに行動学的研究における倫理的問題研究のための大統領委員会
(President‟s Commission for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical
and Behavioral Research)(以下、大統領委員会)」という国家レベルの生命倫理委員会が倫
理委員会の設置を勧奨する報告書を発表し、連邦政府の行政規則(通称「ドウ規則」)も倫理
委員会の設置が求めたことが、倫理委員会の普及に影響を与えた72。
これらの著名な事件、報告書及び行政規則について、倫理委員会に焦点を当てて詳細に検
討する先行研究は、本邦に殆ど存在しない73。大統領委員会の報告書は、アメリカの歴史上
倫理委員会について総合的に論じる最初の国家为導の刊行物であり、その影響力は大きい。
ドウ規則は、倫理委員会について定めた最初の国家又は行政機関による法規範であり、大統
領委員会報告書との事実的及び論理的関係は浅からぬものがある。
また、本稿は当時の事実関係を辿る中で、医療界を中心とするアメリカ社会において倫理
委員会が普及し定着した要因は、上記 3 者以外にもあったのではないかと考えている。す
Glen Mcgee, Joshua P. Spanogle, Arthur L. Caplan, David A. Asch. A National Study
of Ethics Committees. 1(4) AM J BIOETH 60 (2001).
71 Ethics committees double since ‟83: survey, 59(21) HOSPITALS 60 (1985).
70
ただし、1983 年の倫理委員会の設置率は 1%とする別の記述も見られる。Glen Mcgee,
Joshua P. Spanogle, Arthur L. Caplan, Dina Penny, David A. Asch, Success and Failures
of Hospital Ethics Committees: A National Survey of Ethics Committee Chairs, 11
CAMBRIDGE QUARTERLY OF HEALTHCARE ETHICS 87(2002).
72 Diane E. Hoffmann, Evaluating Ethics Committees: A View from the Outside, 71(4)
MILBANK Q 677 (1993), 赤林朗「倫理委員会の機能:その役割と責任性」浅井篤他『医療
倫理』(勁草書房、2002 年)277 頁、米本昌平「ガイドライン=委員会体制とは何か」生命・
人間・社会 2 巻 2 号(1987 年)8 頁。
73 中島理暁「
「倫理委員会」の脱神話化」思想 977 号(2005 年)88 頁は、本稿の対象に留ま
らずその前後も含めた倫理委員会の通史についての優れた研究である。同研究の視点は、倫
理委員会についての精緻な検証を行わずに先行する肯定的なイメージに基づき本邦の生命
倫理学及び生命倫理政策を勧めることを厳しく戒めるものである。
36
なわち、当時大きな社会問題となった障害新生児の処置への対応策として、全米小児科学会
が提案した倫理委員会モデルがあった。
これらが倫理委員会について示す内容を正面から取上げ、倫理委員会モデルを検討するこ
とが本章と次章の第一の目的である。そのうち、その後の医療界や社会が倫理委員会モデル
を考えるための基本となる議論を提示した大統領委員会報告書が、本章の対象である。
2.一連の事実状況
(1)本章と次章の検討対象となる倫理委員会モデルに関係する一連の事実はやや複雑である
ので、時系列に沿って概容を記述したい74。
<年表:1980 年代前半のアメリカにおける倫理委員会に関する事実状況>
1982/4/9
障害新生児ドウに対する治療を行わずに死亡(第 1 のドウ事件、インディアナ州)
1982/5/18
レーガン大統領の命を受けた保健福祉省長官による医療関係者への通知
1983/3/7
保健福祉省が暫定的終局規則(ドウ規則)を発表
1983/3/21
大統領委員会報告書「生命維持処置を受けない決定」が発表
1983/4/14
暫定的終局規則を無効とする連邦地裁判決
1983/7/5
保健福祉省が提案規則を発表⇒小児科学会がコメント発表
1983/10/11
障害新生児ジェイン・ドウの治療を行わず死亡(第 2 のドウ事件、ニューヨーク州)
1984/1/12
保健福祉省が終局規則を発表
1984/5/23
終局規則を無効とする連邦地裁判決
1984/8
小児科学会がガイドラインを発表
1984/12/10
保健福祉省が暫定ガイドラインを発表
1985/4/15
保健福祉省が改正ガイドラインを発表
以下の記述については、上掲の年表を参照されたい。また、以下の記述中の下線による強
調が、本章と次章において詳細に検討する対象になるので注意されたい。
(2)
ダウン症と食道閉鎖症を先天的に患う新生児の処置をめぐるインディアナ州のドウ事
件は、全米の注目を集めるとともに、当時のロナルド・レーガン大統領の注意も引いた。大
統領はこの事件を障害者に対する差別に基づく治療の否定と捉え、保健福祉省長官に覚書を
送り、障害新生児を治療しないことは 1973 年のリハビリテーション法 504 条75(以下、法
504 条)違反に当たることを医療関係者に通知するように命じた。法 504 条は連邦政府から
74
詳細は、丸山英二「重症障害新生児に対する医療とアメリカ法(上)(下)―2 つのドウ事件
と裁判所・政府・議会の対応」ジュリスト 835 号(1985 年)104 頁及び 836 号(1985 年)88 頁、
同「重度障害児医療と合衆国最高裁判所 Bowen v. American Hospital Association, 54
U.S.L.W.4579 (1986)」ジュリスト 868 号(1986 年)40 頁。
75 Rehabilitation Act of 1973,§504, 29 U.S.C.§794 (1976).
37
財政的補助を受ける者がその対象事業において障害を理由に差別することを禁じた。
それを受けて保健福祉省は 1982 年 5 月 18 日に全米の医療関係者に、法 504 条が適用さ
れる可能性を想起させることを目的とする通知を出した76。すなわち、連邦政府からの財政
的補助を受ける施設が行う障害児に対する治療の差控えが障害の存在に基づき、
その治療や
栄養補給が医学的に禁忌でない場合には、治療差控えが法 504 条に違反するとみなされ、
その結果として連邦政府からの補助を打ち切られる可能性を示した。
さらに 1983 年 3 月 7 日には、先の通知の内容を効果的に実現するために「暫定的終局規
則(Interim final rule)77」を発表した。それは障害児に対する法 504 条違反に関する情報を
速やかに入手し、小児の生命の保護を目的とする。そのための手段として、①障害児が障害
を理由に通常の医療を与えられない症例を知った場合は当局へ通報しなくてはならず、その
ための緊急直通電話を設けること、②その旨を記した貼紙を施設内に掲示すること、③その
通報に基づき保健福祉省の特捜班が施設内に立入り、記録を入手閲覧し、調査に当たること、
を内容とした。
だが、この暫定的終局規則は 1983 年 4 月 14 日に連邦地裁において規則の合理性テスト
違反、行政手続法上の公告要件の不備などを理由に無効とされる78。それでも保健福祉省は
規則制定を断念せず、その修正版である「提案規則(Proposed rule)79」を同年 7 月に発表し、
「意見の募集(Comments solicited)」を行った。それに応募してきた多方面からの意見(小
児科学会のコメントもその 1 つである)を検討することを経て、1984 年 1 月に「終局規則
(Final rule)80」が発表された。終局規則発表の数か月前にはニューヨーク州において脊髄
髄膜瘤、小頭症及び水頭症を患う新生児ジェイン・ドウの処置をめぐる第二のドウ事件が起
きた(この事件の連邦控訴裁判所の判決理由が終局規則無効判決に関与する)。
保健福祉省の終局規則は、発表 2 カ月後にアメリカ病院協会やアメリカ医師会が提起し
た訴訟によって、発表 4 カ月後に連邦地裁において無効とされた81。連邦地裁の無効理由は、
制定法の権限なく(=法 504 条の趣旨や枠組みを超えて)制定されたことであった。
ここで興味深いことに、
暫定的終局規則の無効を争った訴訟においては原告として登場し
た小児科学会が終局規則の無効を争う訴訟には参加しなかった。小児科学会は、連邦地裁判
決が出た数カ月後に倫理委員会に関する独自のガイドライン82を発表した。
47 Fed. Reg. 26027 (June 16, 1982). 丸山英二「重症障害新生児に対する医療について
のアメリカ合衆国保健福祉省の通知・規則(1)」神戸法学雑誌 34 巻 3 号(1984 年)642 頁。
77 48 Fed. Reg. 9630 (March 7, 1983). 丸山・同上 640 頁。
78 American Academy of Pediatrics v. Heckler, 561 F. Supp.395 (D.D.C.1983).
79 48 Fed. Reg. 30846 (July 5, 1983). 丸山・前掲注 76・634 頁。
80 49 Fed. Reg. 1622(Jan. 12, 1984).
81 連邦地裁判決は、American Hospital Association v. Heckler, 585 F. Supp. 541(S.D.N.Y.
May 11, 1984)。連邦控訴裁判決は、判例集未登載(In re: Grand Jury Sobpoena, 794 F. 2d
676 (1984 U.S. App.)参照)。連邦最高裁判決は、Bowen v. American Hospital Association,
476 US 610(U.S. June 9, 1986)。
82 Infant Bioethics Task Force and Consultants, Guidelines for Infant Bioethics
76
38
他方 1983 年に法案提出されて 1984 年に成立した児童虐待改正法83の施行に伴い、保健
福祉省は施行規則の下に倫理委員会に関するガイドライン(暫定版84と改正版85)を発表した。
これら一連の事件とは一応独立した関係において、1983 年 3 月にレーガン大統領下の大
統領委員会が報告書「生命維持処置を受けない決定8687」を発表した。
第2節
報告書の全体像と決定能力を有しない患者の問題
1.大統領委員会
(1) 本節では、大統領委員会報告書の全体像と倫理委員会の利用を促すまでの議論(決定能
力を有しない患者に対する従来のアプローチ)を明らかにする。
報告書の議論の検討に入る前に、大統領委員会について若干の説明を加える88。大統領委
員会は 1978 年の連邦議会において成立した法89の下で、カーター大統領が大統領府に設置
Committee, 74 PEDIATRICS 306 (1984).
Child Abuse Amendments of 1984, Public Law No.98-457, 98 Stat 1749 (1984).
Interim Model Guidelines for Health Care Providers to Establish Infant Care Review
Committee, 49 Fed.Reg. 48170 (1984).
85 Model Guidelines for Health Care Providers to Establish Infant Care Review
Committee, 50 Fed. Reg. 14893 (1985).
86 PRESIDENT‟S COMMISSION FOR THE STUDY OF ETHICAL PROBLEMS IN MEDICINE AND
BIOMEDICAL AND BEHAVIORAL RESEARCH, DECIDING TO FOREGO LIFE-SUSTAINING
TREATMENT (U.S. Gov‟t Printing Office, Washington D.C., March 1983).
87 倫理委員会について論じる大統領委員会による他の報告書もある。PRESIDENT‟S
COMMISSION FOR THE STUDY OF ETHICAL PROBLEMS IN MEDICINE AND BIOMEDICAL AND
BEHAVIORAL RESEARCH, MAKING HEALTH CARE DECISIONS, vol.1 (U.S. Gov‟t Printing
Office, Washington D.C., October 1982).の第 4 部「Decisionmaking Incapacity」第 9 章
「Substantive and Procedural Principles of Decisonmaking for Incapacitated Patients」
である。両報告書の当該部分の表題から推測できる通り、両報告書が倫理委員会の意義を説
き、倫理委員会活用のための問題を論じる理論的展開は共通する。この報告書については、
平林勝政「Making Health Care Decisions―《インフォームド・コンセントに関する大統領
委員会報告書》紹介」唄孝一編集『医療と法と倫理』(岩波書店、1983 年)523 頁参照。
88 以下の大統領委員会に関する記述は、Morris B. Abram & Susan M. Wolf, Public
Involvement in Medical Ethics―A Model for Government Action, 310(10) N. ENGL J
MED. 627(1984). Alan J. Weisbard & John D. Arras, Commissioning Morality: An
Introduction to the Symposium, 6 CARDOZO L. REV. 223 (1984).に依拠する。その他に、
Daniel Callahan, Morality and Contemporary Culture: The President‟s Commission and
Beyond, 6 CARDOZO L. REV. 347 (1984). Daniel Wilker, What has bioethics to offer health
policy? 69(2) MILBANK Q 233 (1991). Alan J. Weisbard, The role of philosophers in the
public policy process: a view from the President's Commission, 97 ETHICS 776 (1987). を
参照。
本邦の研究では、額賀淑郎『生命倫理委員会の合意形成 日米研究比較』(勁草書房、2009
年)40 頁、129 頁が詳しい。額賀の研究はアメリカの歴史上の他の国家レベルの生命倫理委
員会と比較しても、大統領委員会の活動を高く評価する。
89 Public Law 95-622 Title III § 302(a), codified at 42 U.S.C.§300v (1978).
83
84
39
した独立委員会である。同法は、かつて国家研究規制法を議員立法として成立させたケネデ
ィとロジャースの 2 人による議員立法であった。
議会から学際的なメンバーから構成することを求められた委員会は、委員と事務局スタッ
フ(研究者、アシスタント、専属コンサルタント、大学院生及びインターンを含む)に錚々た
る顔ぶれが並ぶ。医事法学又は生命倫理学の有名人を列挙すれば、社会学者 Renée C. Fox
委員、倫理学者 Albert R. Jonsen 委員、法学者 Alexander M. Capron 事務局長、哲学者
Allen Buchanan スタッフが含まれる。
(2) 年間予算 500 万ドル(当時)90の大きな委員会の为な役割は、約 30 回の公聴会の実施と
委員、スタッフ及びコンサルタントによる報告書の作成であった。結果的に 10 本の個別報
告書と 1 本の総括報告書を作成した。他の国家生命倫理委員会と比べても、連邦政府が医
学研究ではない医療における倫理的問題に対して、
これほど大きな権限を行使して取り組ん
だことは従来なかった91。いずれの報告書も後世にまで評価が高いが、本稿が取り上げる「生
命維持処置を受けない決定」は連邦政府の刊行物の中のベストセラーであり、卖なる政府機
関の政策立案の目的に留まらない存在である。また同報告書は連邦法で取り組むよう義務付
けられた課題とは別に、大統領委員会が独自のイニシアティヴで取り組んだ課題である92。
2.報告書の全体像
(1) 報告書に関する先行研究93を行った唄孝一に倣って報告書の大綱を知るために、大統領
委員会委員長が大統領に報告書を提出する際に付した書簡を読むと、
末尾近くに次のような
記述が見られる。
「無能力の患者の利益が保護されることを確保するために、医療施設が、
すべての関連問題の探査とすべての意見の聴聞とを許し、かつ治療チーム全員及び患者の家
.... .............
族メンバーの間のコミュニケーションを改善する内部審議94の諸方法を開発し利用するこ
.
とを委員会は力説するものである(傍点は筆者による)」。ここから、大統領委員会が倫理委
員会という内部機関に大きな期待を持つことの予測が、報告書本体を読む前に成り立つ。
報告書本文の紹介及び分析に入ると、まず報告書における問題意識について大統領委員会
は次のように述べる。すなわち、医療の発展とともに死がプライベートな領域から医療施設
42 U.S.C.§300v-3 (1978).
委員長 Abram と Wolf による前掲注 88 の論文は、私的領域における医療上の決定に、
政府が介入することの是非を検討する。
92 42 U.S.C.§300v-1 (1978).
93 唄孝一「生命維持治療を受けない条件―大統領委員会報告書は「尊厳死」を認めたか―」
『生命維持治療の法理と倫理』(有斐閣、1990 年)151 頁、同「続・
「死」に対する医事法学
的接近・5」法律時報 54 巻 5 号 (1982 年) 84 頁。これらは報告書の全体像と特に前半部分
の正確な理解のために有用である。また、同「アメリカにおける社会的合意の探求と形成」
唄孝一編著『講座 21 世紀へ向けての医学と医療(第 1 巻)医の倫理』(日本評論社 1987 年)253
頁は、大統領委員会自体についてのフィールド・ワークの成果を含む研究である。
94 本稿では病院内倫理委員会による“review”を「審議(又は討議)」と訳す。それは研究実
施の可否を事前に一方的に「審査」する Institutional Review Board とは機能が異なると
考えるからである。
90
91
40
などに存在領域を移したこと、結果として多くの人間が個人の死に関与するようになり、そ
の者たちの争いを解消するためのフォーマルなルールと裁定の方法が必要になったこと95、
神の領域の問題であった死は人間が選択する倫理的問題や法的問題になったことを背景に
して、
アメリカ社会の中で死をタブー視することなく死について決定することが関心を集め
ている。結果、大統領委員会は生命維持処置を中止するか否かの決定のやり方及びそのある
べき形について再調査する好機にあると考える。ただ、大統領委員会は特定のケースの解決
を目指したり問題解決の唯一の指針を提供したりするのではなく、生命維持処置の中止を望
む患者の選択が道徳的及び法的に制限される状況を調べた上で争いの基準を提供する、決定
を行うための手続を提示する、決定プロセスにおける様々な公的・私的機関の役割を検討す
るという相対为義的又は多元为義的な立場をとる。
〈1 頁~2 頁〉96
(2) つづいて報告書全体について概要を紹介する。第 1 部「治療について決定すること」
は、あらゆる生命維持処置の決定に関して共通する問題を調査する。第 1 章「報告書の背
景」は、報告書の社会的コンテクストを明らかにする歴史的、文化的、心理学的情報を提示
する。第 2 章「良き決定の諸要素」は、まず医療者と患者との間での決定の重要性を検討
し、能力を有する患者の自発的決定は拘束力を持つが、患者が決定者になることが適当でな
い場合に生じる問題を考える。そして生命が保護され不正な死を防ぎ処罰するために、社会
によって課せられる制約について論じる。処置を差し控えることのうち認められる行為と認
められない行為の伝統的な相違が精査され、健全な決定のための有用性が検討される。第 3
章「患者の決定に対する附加的な制約」は、家族や医プロフェッションの行動、資源の公平
な分配を求める社会及び医療施設の指針や慣習から生じる患者の選択に対する制約を検討
する。
第 2 部「特殊な関心を喚起する患者グループ」は、現在の特別な公共政策的な問題を生
じる類型の患者について論じる。第 4 章「決定能力を喪失する患者」は、無能力患者一般
のための決定について検討し、リビング・ウィル(以下、LW)、アドバンス・ディレクティブ
(以下、AD)、倫理委員会のような施設内審議、裁判所の手続の問題などを扱う。第 5 章「永
久に意識を失った患者」と第 6 章「重症新生児」は、永続的に完全に意識を失う患者と重
症障害新生児の処置をめぐる問題を検討する。第 7 章「入院患者についての蘇生の決定」
は、入院患者が心拍停止になった場合の蘇生禁止指示を検討し、そのような指示に関する施
設内の指針を推奨する。
〈11~12 頁〉
3.報告書第 4 章「決定能力を喪失する患者」前半部
(1) 報告書第 4 章の前半部は倫理委員会を勧奨するまでの理論の道筋を示す。
以下の本章・第 2 節及び第 3 節の波線部は、本稿が重視する議論又はポイントである。
その意味を第 6 節の 3(3)で明らかにする。
96 報告書の引用又は要約には〈
〉を用いて報告書の該当箇所を示す。
95
41
第一段階として、患者が決定能力を有しない(lacks capacity97)ことを決定する際の問題を
考える。その際には「医プロフェッションが重要な役割を果たす〈122 頁〉
」。しかし、患者
の無能力の程度が強くなければ「最終的な決定の権限を患者に委ねられなくても、プロフェ
ッションは患者に事実状況や可能な選択肢についての重要な情報を与えるために、そして患
者の選好を求め斟酌するために合理的な努力をすべきである」。
「患者が自らの価値観や選好
に従って自らの福祉を増進する決定を行う能力を欠く場合に限って、
患者は無能力状態にあ
ると決定されるべきである」
〈123 頁〉。
「患者の決定能力を評価する責任者は、患者が無能
力か否かという問題に答えを出すことに満足すべきではなく、できる限り患者の決定能力に
対する障害を取除く努力を行うべきである〈124 頁〉」。
つづいて、患者が無能力状態にあることを決定する手続的問題を考える。
「医プロフェッ
ションはその決定が重要である理由と、
その決定を行うために必要な手続を熟知していなく
てはならない」
。同時に「医療施設は、患者の無能力状態を評価する責任者とそのための基
準に関して明瞭な指針を設けるべきである」。「その指針は、なされた決定が施設内及び(必
要時の)司法手続による審査を受ける旨も定める必要がある」
〈125 頁〉。
「通常、医療施設の担当職員又は患者の家族98が患者の決定能力の問題を最初に取上げる。
無能力であることを決定するための司法手続は存在するが、
患者が自らの受ける医療につい
て自己決定できないという決定は、慣習的に司法部の外でなされている」。
「そのような司法
部の外での決定の法的地位は不確定だが、患者の近親者から IC を得ることを医師に促すお
決まりの勧告や、施設内の規則、裁判所の先例においても保証されている」
〈125 頁〉。
「理
念的には無能力患者の利益を守るには裁判所が適するが、裁判所の手続には時間と資源が多
くかかり、責任の分散に働く可能性がある」
。したがって「患者が決定無能力状態にあるこ
との決定は定型的に裁判所に頼るのではなく、担当医によって行われ施設内で規律され審議
される。例外的に州法が明確に司法の介入を要請したり、施設内での審議後も争いが継続し
たりする場合には裁判所に頼る。そして、立法者と裁判所は〔医療施設でなされた〕決定の
有効性を認めるべきである」
〈126 頁〉
。
(2)
第二段階として、患者が無能力状態にあると決定されて代行決定者が指名される場合
の問題を考える。
「通常、代行決定者は患者の最近親者から選ばれるべきだが、患者の最善
の利益を代表するに適すると医プロフェッションが考えれば、親しい友人や最近親者以外の
親族も代行決定者たりえる〈126 頁〉
」。複数名が候補者となりえるが「1 名を为たる決定者
97
『incapacitated』は一般的な疾病や障害ではなく、決定能力を欠く状態を指すことに用
いられる。法的な意味を持つ『incompetent』の慣習的用語法とほぼ同義であるとされる〈12
頁・注 1〉
。また『決定無能力(Decisionmaking incapacity)』は医学的見地に基づいて判断
されるのではなく、事実状態を理解し、その理解に照らして選択を行う能力を失っていると
素人が判断する状態であるとする〈123 頁〉
。
98 報告書は「家族」という言葉を広義に用いる。患者について最も大きな知識と関心を有
するのは、血縁や婚姻による親族だけでないと考えるからである。〈127 頁〉患者が能力喪
失前に指名した後見人も家族の定義に入る。
〈129 頁・注 24〉
42
として任命すべきである」
。したがって「代行決定者の決定や指名についても医プロフェッ
ションが責任を有する」し、
「(適当な施設内審議を受けることを条件に)スポークスマンの
役割を与えるのか、
裁判所による後見人の任命を求めるのかはプロフェッションに委ねられ
る」
〈127 頁〉
。また「家族が为たる決定者になる資格がなくても、処置の指針の決定過程に
おいて家族に相談することは依然として適切である〈128 頁〉」
。
「裁判所の任命による後見人に欠格事由がない場合には代行決定者になるべきである」。
「その後見人による無能力者にとっての重要な問題に関する決定は、
通常は裁判所による審
理と事前の承認又は不承認に服する。そのような監督が必要ない場合でも、医師はその後見
人の決定を覆すことを求める裁量を有するべきである。医師のそのような裁量は、代行決定
者が患者家族である場合には小さくなる」〈129 頁〉。
「家族や法律上の後見人を用いえない場合には、治療に関する決定のための権限と責任を
明確に付与することを保証して、適切な代行決定者が指名されるべきである」。しかし「家
族のない者のために代行決定者を指名するというアイデアは素晴らしいが、
現実的には代行
決定者として用いうる適切な個人や機関が存在しないことも多くある」〈129 頁〉
。
「全ての州が後見人の任命を認める制定法を有するが、代行決定者は決定者として活動す
ることの承認を最初に裁判所から得なくてはならないかという問題を扱う制定法はない」
。
また「
〔無能力状態の患者の処置をめぐる〕あらゆる先例が裁判所に任命された後見人が必
要かという問題を回避してきた。その代わりに裁判所は個々のケースにおいて、ある者が後
見人に相応しいか、処置を打ち切ることができるかを考えてきた」。「後見人は必要か否か、
いつ必要かという問題に関する法の欠缺を思慮すると、
医療施設は代行決定者の指名に関す
る指針を持ち、近親家族のいない患者に代行決定者を付けることと、争いのあるケースを裁
判所に適切に照会することに責任を負うべきである」
〈131 頁〉
。
(3)
第三段階として、報告書の問題関心は決定能力のない患者のための代行決定に用いら
れる実体的原則に移る。その原則とは「無能力の患者が選択できるならば、行うであろう決
定を代行決定者が行おうとする〈132 頁〉
」代行判断基準と、
「客観的社会的に共有される基
準に依拠して、その患者の最善の利益に適うことを実行しようと試みる〈134 頁〉
」最善の
利益基準の 2 つである。
「最善の利益基準よりも代行判断基準が、患者の自己決定権の尊重
と患者の福祉の増進という 2 つの大きな価値目標により大きく寄与し〈136 頁〉」、最善の利
益基準は代行判断基準を用いえない場合に適用されるべきである。
(4) 第四段階として、患者が決定無能力状態になった場合のための 1 つの方策として、AD
を考える。
最も一般的な形態として、
「患者が受けたい(又は受けたくない)処置の種類を特定してお
く〈136 頁〉
」処置内容指示書に当たる LW が挙げられる。各種医学系団体が为導して普及
に努めた LW の法的地位の不確定性に対処すべき「自然死法としては 1976 年にカリフォル
ニア州で制定されたのが始まりである」
〈137 頁、141 頁〉
。同州の自然死法は、不治の怪我
や病気によって末期状態に陥り死が切迫する場合に、死の瞬間を引き延ばすだけの生命維持
43
処置を差し控える又は中止する内容の指示書を作成する権利を、
正常な精神の成年者に認め
る99。しかし、報告書は現実の医療を行う中での自然死法の妥当性を疑問視し、「最大の意
義を患者と医療者に対して生命維持処置の差控えに関する議論の場を与える〈145 頁〉」と
いう教育的効果を見出すに過ぎない。
他方、
「患者に代わって処置に関する決定をしてほしい人間を指名しておく〈136 頁〉」代
行決定者指示書に関する代表的な法律としては、
「本人無能力の場合にも継続的効力を持つ
委任状に関する法律(durable power of attorney statutes、以下、DPA 法100)」がある。「委
任状を用いて、
自分が医療処置に関する決定をできなくなった場合のために代行決定者を指
名しておく」
。
「コモン・ロー上は、本人が無能力になると代理行為は無効になる」ので、
「各
州法は、本人が無能力になった場合にも代理人の権限が『継続する』ように定めた」。
「その
結果、DPA 法は代行決定をなすための簡略、柔軟、強力な方策となった」
〈146 頁〉
。しか
し「本来 DPA 法は、尐額の財産を扱うために後見制度の手続を用いることの面倒を避ける
ことを为たる目的として制定されたので、厳格な手続を備えておらず濫用の可能性があるこ
とは注意すべきである〈147 頁〉
」
。
AD の有用性を高めるために「一般人や医療者の教育を図ることを立法府の課題とする」。
自然死法や DPA 法により AD に権限を持たせるためには、次のような問題点を考察すべき
である。すなわち「有効な AD としての要件」
「AD の法的効力(特に適切な AD に従うこと
による免責)」
「代行決定者の性質と権限」の問題である〈149 頁~150 頁〉
。また報告書は
「能力を有した患者による AD(特に処置内容指示書)は、大統領委員会の勧める判断基準で
ある代行判断基準に有用であり」
、
「通常その AD を解釈することは代行決定者の役割」であ
るが、
「代行決定者の決定に対して、医プロフェッションが異議申立てできる条件を決める
機関を設ける規定」の必要性を指摘する〈151 頁〉
。
さらに AD を実際に活用する場合の問題すなわち「運用上の側面と手続上の問題」を考え
る。具体的には AD を作成する段階の問題、患者が無能力状態になり AD を実際に用いる段
階の問題、作成した AD を取消す場合の問題などである。
「AD に関して争いが生じた場合
には…審議手続が患者の利益のためのセーフガードとして重要である」。そのための機関と
しては「施設内審議及び必要時の裁判所での手続」が考えられる。〈151 頁~153 頁〉
(5) 第五段階として、決定過程の審議手続に議論は進む。
「処置の決定が高い水準を保って行われることを保証する責任は、まず担当医にある。患
者の決定能力を向上させ評価すること、患者に情報提供すること、患者にとっての優先事項
を知ること、適切な代行決定者を指名すること、その他の補助が必要な場合を把握すること
などに関して、担当医が最適な立場にある」
。しかし「医師に第一次的な責任を与えれば、
富田清美「アメリカにおけるいわゆる自然死立法の傾向」東京都立大学法学会雑誌 28 巻
2 号(1987 年)293 頁参照。アメリカの自然死法全般の紹介に詳しい。
100 DPA 法については、富田清美「無能力時のヘルスケア決定に関する代理人指名のための
法律について―Durable Power of Attorney for Health Care」年報医事法学 1 号(1986
年)232 頁が詳しい。
99
44
それ以外の者を(処置の決定に)関与させる必要がないのではなく、医師は患者家族や他の医
療者の助けを必要とする。
生命維持処置の差控えのように処置の決定が重大で間違いが取返
しのつかない場合には、
一般的な慣行と個々のケースの両方に関して審議と異議申立てがさ
らに必要である」
。
〈153 頁〉
そのような審議機関として報告書がまず挙げるのは裁判所である。
「基本的には(裁判所の
手続による者でも非公式の者でも)患者の代行決定者が決定権限を持つべきであると大統領
委員会は考える。
実際、
代行決定者と医師による決定が裁判所の審理に服するのは稀である」
。
しかし「患者の近親者間で対立が起きた場合、医療者が承認できない処置を代行決定者が選
択した場合など」には「医師が望ましいと考える処置を行って代行決定者は権限を失うか、
どちらか一方が争いの司法的解決を求めるか」である。さらに「医療者は代行決定者との意
見対立の場合だけでなく、
処置を中止することにより生じる可能性のある民事的又は刑事的
責任の免責のために裁判所の審理を求めることがある」
〈154 頁〉。
報告書はこの問題に関する判例の代表として Quinlan 事件判決101と Saikewicz 事件判決
102を挙げ、両判決を次の様に理解した。
「マサチューセッツ州最高裁が
Saikewicz 事件で提
示した規範―決定的な役割を果たさない医療専門家の助けを得た裁判所の決定―は、
Quinlan 事件でのニュージャージー州最高裁の立場―患者家族とともになす医療者の決定
が通例であり、
裁判所による審理に服するのは非常時の場合のみである―の例外であると考
える〈157 頁〉
」
。また、倫理委員会に関する両判決のアプローチは次の通りである。Quinlan
事件判決は「処置の決定のための権限を、倫理委員会との相談において無能力患者の後見人
に委ねる〈155 頁〉
」と考えた。他方で Saikewicz 事件判決は「裁判所は倫理委員会の勧告
には拘束されないが、
医療専門家の証言と同様にそのような機関での討議を裁判所は考慮に
入れて良い〈157 頁〉
」と考えた。
最後に、報告書は無能力患者の処置の決定に関して裁判所に依拠したり、介入を求めたり
することの是非を検討する。一方で賛成する理由には以下を挙げる〈158 頁~159 頁〉。医
師による処置の決定には類似ケース間の一貫性がない一方で、裁判官の活動は公共の監視下
にあること、同様のケースは同様に扱うという原則に基礎付けられていること、証拠の原則
の適用と利害関係のない決定者の利用により公平性を求めること、当事者対抗为義的手続に
よる十分で公正な審議を行うことなどである。他方で反対する根拠には以下を挙げる〈159
頁〉
。裁判所による審理は時間と費用がかかること、医療上の決定は静態的ではなく動態的
なものだから患者の処置の過程を混乱させること、
代行決定者と医療者との関係に不必要な
緊張をもたらすこと、
私事を法廷での詮索や公共メディアの視線に晒してしまうことなどで
ある。
「思慮深い決定がなされ、患者に不利益からの補助的な保護が与えられるならば、これら
の問題点は正当化されるが、
裁判所による審理は形式的なものでしかないと大統領委員会は
101
102
In re Quinlan, 355 A.2d 647(1976).
Superintendent of Belchertown State School v. Saikewicz, 370 N.E.2d 417(1977).
45
考える。当事者間で出された決定には(特に当事者が合意し、裁判所の認可を求めるだけの
場合には)それ以上のものを付け加えることはできないと裁判官自身が考える」。「裁判所に
持ち込まれる問題の典型は選択された特定の処置が正しいか否かであり、
このような問題へ
の回答には患者の変化する症状や処置の選択肢を実質的に理解する必要があり、
裁判所は担
当医の勧告に従うしかない」
。
〈160 頁〉
以上の議論を前提にして報告書は
「患者家族や医療者による無能力患者のための処置の決
定をなす過程において誤りが生じる可能性があり、
日常的な裁判所の監督は不必要かつ不適
当であるが、場合によっては審理されるべきである」と考える。したがって「生命維持処置
に関する良き決定を保証することは、無能力の死にゆく患者をケアする施設の責務となる」。
〈160 頁〉
(6) この後に報告書の第 4 章は、無能力患者の処置の決定における倫理委員会の役割を論
じる。本稿は先に次節で、報告書の第 6 章が障害新生児の処置をめぐる問題をどのように
理解し、報告書の第 4 章と同様に倫理委員会への期待を結論として示すのかを確認する。
それらを踏まえた上で、本稿の第 5 節において倫理委員会に関する報告書の議論に正面か
ら取り組む。
第3節
重症障害新生児の処置をめぐる問題
1.重症障害新生児の医療と問題の発生
新生児医療の目覚しい発達103の一方で障害新生児の全てが健康に暮らせるわけではなく、
「重症障害新生児の死を防ぐための医療の大きな力は、
様々な医療処置のどれから障害児が
利益を受ける又は受けないかの評価というこれまでも困難だった医師及び両親の役割を大
きくする〈198 頁〉
」
。
「新生児に対する生命維持処置の差控えに関する倫理的問題の議論は 1970 年代初めに専
門誌に登場し〈198 頁〉
」最近では一般紙の一面を飾る。その中心はダウン症104と脊髄二分
症のケースであるが、それに限らず「新生児集中治療室(NICU)の生死に関する実際の決定
は、医療及び社会に関する幅広い事情を含む」。
「本章で大統領委員会は重症障害新生児の処
置をめぐる混乱を一掃すること、
倫理的及び法的に許容できる決定の範囲と決定者について
提案することを試みる。報告書の他の为題と同様に、ここでの議論を個々の新生児のケース
103
報告書で例示される変化は、次のようなものである。10~20 年前なら生後数日から数
週で死亡した新生児を救命できる。1970~80 年にかけて、生後 28 週(新生児期間)の死亡率
は約半分になった。体重 1000~1500gの新生児の死亡率が、1961 年の 50%から 20%に減
尐した。1000g以下の新生児は 20 年前には 10%しか生きられなかったが、今では優に半
分が生存可能である。
〈197~198 頁〉
104 この記述に対する脚注(198 頁・注 7)では、最も有名な事件としてはジョンズ・ホプキ
ンス事件(1971 年)が挙がるが、ドウ事件は挙がらない。
46
において必須の決定のための処方箋とするのではなく、決定プロセスの責任を負う者(医療
施設や法システム内の指針作成者など)のための枠組みを提示する」
〈199 頁〉。新生児に生
命維持処置を行うか否かの決定が問題になるのは、未熟児(2500g以下)と生命に関わる先天
的障害を持つ小児である。
「公共の関心が最近寄せられるのは後者、すなわち治療可能な生
死に関わる疾患と生死には関わらないが永続的で治療不可能な障害(精神遅滞など)とを持
つ小児である。その中で有名なものがダウン症である〈202 頁〉
」。
その新生児の障害に対応する医療システムについて概容を示す。全米約 600 病院に約
7500 の NICU があり、1000 人以上の新生児科医がいる。新生児の 6%が NICU に平均 8
~18 日間入る。そのような先端医療を受けるには平均的ケースで 8000 ドルかかり、1978
年の 1 年間で NICU に 15 億ドルかかった。NICU が生後 1 ヶ月の小児の死亡率の劇的な減
尐に寄与するのは確かなようである。ただし NICU での処置は障害児を救命できても、小
児、両親及び医療者に辛い経験をもたらす。彼らへのカウンセリングやサポートの体制を整
える NIUC もある。退院後も障害児やその家族の困難は続き、彼らへの様々な社会的支援
が重要である。
〈203~207 頁〉
2.障害新生児の治療差控えの決定
(1)障害新生児の治療差控えという倫理的問題に対する現状の決定が、いかに行われるかを
確認する。
「
〔大統領委員会で証言した〕医師によれば、処置を差し控える決定は NICU の日常であ
る。これらの決定は、裁判所やその他の機関による審議を経ず親と医師とで行う〈207 頁〉」。
これは「重症障害児の生命を維持する最大限の努力を行うか否かの決定は、親に委ねられる
〈207 頁〉
」
という全米医師会の法律委員会の立場とも重なる。医師に対する調査によれば105、
大半の医師が尐なくとも一定の障害児の処置を中止する親の希望に従う。
〈208 頁〉
だが、現行の決定には次の 3 つの欠点がある。第一に、決定に関わる全ての当事者に適
切な情報が伝えられていない。それは障害児の QOL に関する医師及び家族の偏見や、家族
が医療という場や様々な決定を行うことに不慣れなことが原因である。結果、医療者側は患
者側を決定過程から遠ざけてしまう。第二に、親同様に専門家も処置を行うか否かの決定の
根拠を理解していないこともある。親だけでなく医師も決定には困難を感じており、この種
の問題に対する十分な考察を行っているとは言いがたい。第三に、親やその他の代理人の承
認を得ずに何らかの行為が実行に移される。医師は自分達が決定の責任を負うべきで、それ
カリフォルニア小児科学会の 1975 年の調査によれば、(親の同意があり、現行法上の免
責もある状況で)腸閉塞を伴い死の危機にあるダウン症児をどのように処置するかという問
に、17%が小児の生命を救うために人道的にあらゆることを行うと答え、61%が通常ケア
を行い、腸閉塞を治療せずに死なせると答えた。また 1977 年の全国調査(法律上の免責に
言及しない)では、先天的心臓疾患を抱えるダウン症児の場合に 85%の小児外科医と 65%
の小児科医が親の希望に従うと答えた。マサチューセッツ州の調査によれば、51%の小児
科医が腸閉塞を患うダウン症児に外科手術を勧めない。
〈208 頁〉
105
47
が患児の親に負担を負わせないためにも良いと考える。
だが決定に対する親のコントロール
を奪うことは、小児が代理人による保護を失うことになる。他方で親も決定を他者に委ねた
くない気持ちを持つ。結果、親ではなく医プロフェッションの利益のために、このような状
況が作られる。家族とコミュニケーションをとるのは自分達の決定を受け入れさせ、後に訴
訟を起こされないためである。
〈209 頁~211 頁〉
これらの問題がクリアされても、親が決定過程に参加しない又はできない、親が小児にと
って有害と思われる決定を行うという問題に医療チームは直面する。
医療者及び施設は訴訟
に巻き込まれたくないと考えるが106、それ以外に選択肢がない場合もある。この問題を考
えるために 2 つの法理がある。第一に、小児の親が適切な決定者であるという推定が働く。
憲法上のプライバシー権にも支えられる伝統的な家族法は、両親に相当の裁量を認める。第
二に、自らを保護できない者は州のパレンス・パトリイに服する。州は小児を虐待又はネグ
レクトする親を処罰するだけでなく、小児にとってそれほどの不利益な選択が実行される前
に親の決定を変更することができる。この両法理を具体的なケースで両立させる困難は、
『虐
待とネグレクト』の要件を明らかにする困難に通じる。だが医療者が認めた選択肢から処置
を親が選ぶ限りは、裁判所が審理すること、まして変更することは殆どない。例外的に裁判
所が小児のための後見人を選任したり、児童保護機関が介入したりする場合があるが、一般
に法的機関にケースを持ち込むことは私人に委ねる。〈211~214 頁〉
(2)
障害新生児のために親が代行決定することに関する倫理学的基礎について、キーワー
ドをもとに示す。
第一は「親の自律と対抗する問題」である。基本的には家族生活や親の決定を尊重する。
だが、親が決定できるように医療者が支援しても、親の決定が小児の最善の利益に適わない
場合には、まず施設内での検討が早急に行われるべきである。それでも小児の最善の利益に
適う決定がなされない場合には、
医療者は親に代わる後見人の任命を裁判所に求めるべきで
ある。ただ、親は障害児の誕生時には色々な理由で適切な決定ができないかもしれないが、
適切な援助、
情報、
理解及び共感が与えられれば、
時間はかかっても決定できるようになる。
そのために尽力すべきである。
〈215 頁~217 頁〉
第二は「小児の最善の利益」である。一般的に特定の処置が障害児の純粋な利益になるか
否かを決定するのは難しくないが、何が小児の『最善の利益』かは難しい場合もある。それ
を決定するために、現状が次の 3 つのいずれに該当するかの検討が有用である。
〈217 頁〉
①明らかに小児の利益になる(beneficial)処置が利用できる。大統領委員会の調査によれ
ば、このような医療者の合意がある場合、処置が差し控えられることは実際に稀であり、そ
うすべきでもない。先天的疾病自体や実施した処置が永続的障害をもたらすことがあるが、
その場合に生命維持処置を差し控えることは制限的に考える。生存が小児の純粋な利益にな
らないほど障害が深刻な場合に限り、処置の差控えは正当化される。したがって、代行決定
106
小児科医及び小児外科医は、重要な決定者として両親、医師、病院内倫理委員会、裁判
所の順に並べたという調査結果がある。
〈212 頁・注 61〉
48
者は小児の立場から利益と負担を評価し、親、兄弟及び社会など他者への影響を考慮すべき
でない。
〈217~219 頁〉
②あらゆる処置が無益(futile)である。小児の利益になる処置がない場合には、無益と予
想される試みを行わない代行決定者及び医療者の決定は倫理的及び法的に正当化される。
医
師が無益と考える処置でも親が望むのであれば、
小児に相当の苦痛を与えない限りで実施し
ても良い。回復や救命のための処置を行わない場合でも、死にゆく小児を尊重し苦痛を与え
ない義務はある。
〈219~220 頁〉
③様々な処置の中で見込まれる利益が不確かである。
大半のケースでは上記①②の判断は
可能であるが、その評価が難しい場合が稀にある。この判断の難しさは医学的事実の不確実
性に負うところが大きいので、
この困難を避ける一方策として医学的要素だけに頼る客観的
基準を設けることが考えられる。しかし、小児の将来(すなわち処置の実施の決定)は、医学
的予後だけを考えた場合には無視される要素を含む。換言すれば、実際には様々な価値判断
を伴うことを医学化するに過ぎない。医学的な事項に基づく客観的基準は、難しいケースの
決定の質を改善せず、
価値判断の問題に直面した親や医療者から決定の責任を安易に免除す
ることになる。
〈220 頁~223 頁〉
(3)
「以下、本章で大統領委員会が提案する手続は、小児の利益が事実上不確定であって
代行決定が尊重されるべき場合と、
小児が特定の処置から利益を受けることが明らかである
が親や医療者がそれを選ばないために州のパレンス・パトリイの権限が行使されるべき場合
とを区別する助けとなることを目指す〈223 頁〉
」
。
報告書は 2 つの問題を重視する。第一に、親は古くて不完全な情報を医師から与えられ、
そのことが代行決定者としての能力を制限する。
報告書は決定のために最適な情報の利用を
保証することは医学会及び医療施設の役割と考える。これは医学及びその他の努力が急速に
発展している新生児医療の場合に特に当てはまる。
医師は専門家に相談を求めるべきであり、
施設も求めて良い。親と医療者のコミュニケーションに関して問題が生じた場合、施設が解
決策を設けるべきである。
医療者はコミュニケーション技術を個人及びチームとして高める
ことと、代行決定者の能力を高めることを優先すべきである。〈223 頁~224 頁〉
第二に、尐数のケースではあるが不適当な決定に対して慎重な再検討がない。小児の代理
人の同意なく行動したり、
医師及び代行決定者が悲劇的に誤った決定をしたりすることが稀
にある。
司法手続はこのような問題に対応するが、
大統領委員会は最善の方策とは考えない。
同様に、大統領委員会はドウ規則にも懐疑的である。ただでさえ難しい問題に、ドウ規則は
新たな曖昧さ107を持ち込む。むしろ連邦政府は(特に障害新生児の)生死に関わる決定に対す
る監督手続の改善を病院に勧告する方が良い。〈224~227 頁〉
(4)
大統領委員会の結論は以下の通りである。重症障害新生児に医療を行う病院は生命維
持処置をめぐる決定手続について明示の指針を持つべきで、
病院認可機関はこのことを要求
107
その曖昧さの例として、障害の存在が治療中止の理由にならない根拠、
『医学的に禁忌』
と『障害を持った』という言葉の意味が挙がる。
〈226 頁・注 97〉
49
して良い。その指針は、親及び担当医が処置差控えの決定を行う場合、親と医師が対立する
場合などには施設内での検討を常に行うことを定める。
その検討は各ケースに適切に柔軟に
対応すべきであり、
そのための機関は一方では致命的な結果の診断を確認する医学的コンサ
ルテーションであり、他方では処置の有効性が明らかでない場合の『倫理委員会』や類似機
関である。その検討機関は幾つかの機能を果たし、それにより構成も変わる。第一に、最適
な情報が用いられることを証明する。第二に、当事者間での決定が適当なものであるかを確
かめる。
第三に、
コミュニケーションや相互理解をもたらし、
必要ならば一方当事者に与し、
決定関係者間の争いを解決に導く。第四に、ケースを公的機関(児童保護機関、検認裁判所、
検察官)に適宜照会する。
〈224 頁~228 頁〉
可能な限り最適な情報が集められ、迅速な検討が行われるまで、小児の生命は保持される
べきである。親と医師がこの条件を満たさなくても正当であると考え行動し、小児の容態が
急速に悪化した場合には、事後的検討が行われるべきである108。
〈228 頁〉
「大統領委員会は、そのように規律された検討機関の効率性及び実効性を改善し、それが
必要とされる条件の再定義を行うために、各施設、社会科学者及び資金提供機関に、検討機
関の有効性を評価することを勧告する〈228 頁〉
」
。
第4節
倫理委員会についての調査
1.調査の概要
(1)
本節では、大統領委員会が倫理委員会の現状把握のために行った調査研究を確認した
い。その調査結果に基づき、報告書第 4 章は倫理委員会に関する提言を行ったことが推測
される。以下は「付録 F 病院内倫理委員会 制定法の提案と全国調査」の「病院内倫理委
員会に関する全国調査(報告書 443 頁以下)」の概要である。
「導入部」において、
「この研究は、合衆国全土に亘る病院における『倫理』委員会の普
及度、明示の目的、活動の特徴及び認められる有効性について評価することを試みるもので
ある〈443 頁〉
」と述べる。
(2)
「研究の方法論」を要約する。調査対象の倫理委員会は「特定のケースにおける決定
のプロセスに関与する可能性を有し、その関与が個々のケースにおける生命維持処置の差控
え又は中止に関するいかなる最終決定にも優位する〈445 頁〉」と定義する。
調査サンプルは、全米病院協会登録の全病院の 97%以上に当たる 6186 病院(登録外の精
神病院とリハビリテーション病院を除く)。6186 病院をベッド数 200 床以下の 4354 病院と
201 床以上の 1832 病院に分け、各々から 202 病院と 400 病院を無作為抽出する(大病院の
108
事後的検討には次のような意義がある。事前的検討を避けるための拙速な行動を防ぐこ
と、個々のケースには対応できなくても施設内での決定の基準を高く設定すること、施設内
及び裁判所に照会によって重大な誤った決定を非難する。〈228 頁・注 99〉
50
方が倫理委員会を設置すると考えたためサンプル数が多い)。①電話調査による倫理委員会
の有無の確認、②管理職対象の詳細なアンケートという 2 段階調査である。
〈445~446 頁〉
2.調査結果
(1) 委員会の普及率と分布は、以下の結果になった。倫理委員会を設置するのは、201 床
以上の病院では 4.3%(17 病院)、200 床以下の病院では皆無であった。倫理委員会を有する
最小規模の病院は、235 床である。1000 床以上でも、倫理委員会を設置しない病院はある。
不均衡抽出を修正評価すると、全米の約 1%の病院が倫理委員会を設置すると見積もる。北
東部及び大西洋岸、北西部産業地域、極西部の地域に倫理委員会は集中して存在した。7 病
院(41%)がニュージャージー州に存在した。これは、ニュージャージー州にある 200 床以上
の病院の 39%に当たる。
〈446 頁〉
大きな病院(特に研修プログラム(teaching programs)を設置する病院)の多くが、倫理委員
会を設置する。倫理委員会を設置する病院の 64.7%は、教育病院である(サンプル全体では
35.2%の病院が研修プログラムを設ける)。倫理委員会を設置する又はしない病院の病床数
の中間値は、それぞれ 485 床と 298 床である。病院の宗教的性格の有無や公立私立の区別
は、倫理委員会の設置に影響なかったと考えられる。〈446 頁~447 頁〉
(2)
委員の構成については、以下のような結果になった。医師が最も多く委員になってお
り、全構成員の約 57%を占める。医師のみが委員である委員会も 3 つあった。残り 14 委
員会は、尐なくとも聖職者を 1 名とその他のプロフェッションを 2~3 名含む。委員数は 3
名~23 名と差異があり、中間数は 8 名である。別表(450 頁)からは、各職業の委員が最低 1
名は所属する委員会の数(及びその割合)と 1 委員会中の各職業委員の中間数は次の通りであ
る。医師=17 委員会(100%)、5.25 名。聖職者=14 委員会(82%)、1.05 名。管理者=9 委
員会(53%)、0.58 名。看護師=8 委員会(47%)、0.44 名。弁護士=7 委員会(41%)、0.35 名。
ソーシャル・ワーカー=5 委員会(29%)、0.21 名。一般人=4 委員会(24%)、0.15 名。研修
医(House officers)=2 委員会(12%)、0.07 名。その他=2 委員会(12%)、0.07 名。
(3) 委員会が最も多く設置されたのは 1977 年(最古は 1973 年)であった。ニュージャージ
ー州の Quinlan 事件判決は同州の倫理委員会の設置を促した(71%)が、他州でその影響か
ら設置された委員会は 10%にすぎない。
(4) 倫理委員会の審議に関して、以下のような結果になった。委員会は平均で年間 1 件の
ケースを審議する。最近に設置された 3 委員会は、ケースを審議した経験がない。1973 年
に設置された委員会が最も頻繁に活用され、年間平均 2.25 件を審議する。
別表(451 頁)によれば、規程に定められる委員会の機能と実際に委員会が担う機能の割合
が分かる。医師に対してカウンセリングや支援を行う=59%(10 委員会)と 69%(11 委員会)。
深刻な病状に対するケアに関して倫理的社会的指針を策定する=47%(8 委員会)と 38%(6
委員会)。患者のケアに関する決定における倫理的問題を検討する=53%(9 委員会)と 56%
(9 委員会)。医師以外のプロフェッションに対してカウンセリングや支援を行う=35%(6 委
51
員会)と 31%(5 委員会)。医学上の予後を決定する=29%(5 委員会)と 25%(4 委員会)。患者
や患者家族に対してカウンセリングや支援を行う=29%(5 委員会)と 31%(5 委員会)。生命
維持に関する最終的な決定を行う=18%(3 委員会)と 31%(5 委員会)。継続的な教育の必要
を決定する=18%(3 委員会)と 18%(3 委員会)。その他=12%(2 委員会)と 12%(2 委員会)。
大半の委員会の審議は拘束力を持つ決定を出すよりも、相談及び助言で終わる(81.3%)。
委員会の助言は委員会の総意として出されることが多く(62.5%)、各委員に個人的見解を述
べさせる委員会は尐ない(18.8%)。
(5) さらに別表(452 頁)からは、委員会の出席可能者と委員会開催の要求権者の割合が分か
る。担当医=100%(16 委員会)と 100%(16 委員会)。聖職者=56%(9 委員会)と 31%(5 委員
会)。ソーシャル・ワーカー=50%(8 委員会)と 19%(3 委員会)。看護師=50%(8 委員会)と
31%(5 委員会)。患者家族=44%(7 委員会)と 62%(10 委員会)。患者側弁護士=38%(6 委員
会)と 25%(4 委員会)。担当医以外の医師=25%(4 委員会)と 38%(6 委員会)。患者=19%(3
委員会)と 25%(4 委員会)。医学部生=12%(2 委員会)と 12%(2 委員会)。その他=19%(3 委
員会)と 19%(3 委員会)。
〈447~448 頁〉
(6)
倫理委員会の有効性については、総じて積極的な回答を得られた。報告された利点は
以下の通りである。重要な問題を明らかにして決定を促す(73.3%)。病院や医療スタッフに
法的保護を与える(60%)。生命維持処置に関して一貫した病院内の指針を作る(56.3%)。不
同意の意思表示の機会を専門家に設ける(46.7%)。他方で、患者や患者家族が決定に影響力
を持てるようにすること、
生命維持処置に関する問題について専門家を教育することの目的
には、倫理委員会があまり有効ではないと考えられている。
倫理委員会の活動を評価する得点も高かった。5 段階評価で「倫理委員会は、患者家族が
難しい決定を行うために支援した」
、
「医療スタッフのストレスになった」、
「患者家族のスト
レスになった」
、
「病院や医療スタッフに法的保護を与えた」、
「医療スタッフが難しい決定を
行うために支援した」
、
「時間の浪費になった」、
「スタッフ間にトラブルを生んだ」、
「難問に
対して良い答えを生み出した」の 8 項目に回答させた結果、最低評価は 29 点、最高評価は
40 点であった。
〈447~448 頁〉
(7) 「結論」は以下の様にまとめられる。
①病院内倫理委員会は、
医療倫理に関する問題を扱う方策としては広く採用されていない。
委員会を設置するのは、1%の病院にすぎない(200 床以下には設置する病院はない)。実存
の委員会も、
多くのケースに関わっていない(平均年間 1 件のケースを審議するだけである)。
②本調査で認められた倫理委員会の構成や機能は、
患者の権利擁護者の疑念を払拭しない。
委員会が医師やその他の医療者によって支配されることは明らかである。大半の委員会は、
患者の出席も開催要求も認めない(患者家族のそれは幾分認められる)。しかし、委員長は自
委員会を有効であると考えている。
一般に倫理委員会を設置しない病院も医療倫理に関する問題に関心を持ち、意識を払うよ
うである。
「その問題に取り組んでいる最中です」とか「あなた方の調査結果を送ってくだ
52
さい。我々が何をすべきかを決めるのに有用でしょう」という言葉が一般に見られた。調査
対象外の倫理委員会の委員は、
「我々の委員会の会議は、モデルとして寄与します。今は、
各集中治療室が難しい問題を議論するため会議を開きます。倫理委員会を求める必要は、も
はやありません」と述べる。
裁判所、議会、連邦政府からの明確な委任がなくても、全米の 1%の病院は生命維持処置
の差控え又は中止に関する決定を助けるために倫理委員会を設置した。本調査における倫理
委員会は、僅かの数であるがケースを審議していた。この事実を説明することは、本研究の
射程を超えるが探求に値する。これらの委員会は、
『表面的な』理由だけで設置されたのか。
委員会の設置や機能を妨げる病院内の政治的社会的な力が存在するのか。それとも、卖に必
要ない又は有用でないだけなのか。病院は倫理的ジレンマを解決するために、その他の公式
又は非公式な方法を見出したのか。
『成功した』倫理委員会を宣伝することは、利用拡大に
つながるか。これらの問題に答えるには、詳細な研究が必要である。
〈448 頁~449 頁〉
第5節
倫理委員会についての提言―報告書第 4 章後半部
1.医療施設内の決定手続機関
本節は、報告書第 4 章「施設内審議と倫理委員会の役割」の議論に戻る。第 2 節と第 3
節で確認した通り、大統領委員会は、決定能力を有しない患者と重症障害新生児の生命維持
処置をめぐる決定について、施設内の検討機関の重要性を認める。その上で、前節で紹介し
た調査結果に基づき倫理委員会に関する提言を行う。以下、その議論を辿る。
無能力患者の処置に関する有効な決定を促すために、施設が設ける手続機関は幾つかの職
務を果たす。すなわち、①患者の担当医が行った医学的診断や予後を確認するために各ケー
スを検討する。②個々のケースの社会的問題や倫理的問題に関する議論の場を与える。倫理
的問題を認識し、枠組み設定し、解決する手段を医プロフェッションに教育する。③患者の
処置に関する決定についての指針やガイドライン(以下、GL)を定める。④特定の患者の処
置に関して、医師や代行決定者による決定の検討又は決定自体を行う。〈160~161 頁〉
問題に対するアプローチの相違は、施設内の機関の多様性として表れる。①関心を有する
人々による非公式グループとして始まった『倫理相談サービス』
、②生命維持処置の差控え
の可能性について、医療者が望む場合いつでも開催される『倫理会議』、③患者の症状につ
いて病院スタッフが議論するために、定期的に病院の各科で予定される会議、④特定の患者
の要求に応えるために組織される臨時のグループ、が例示される。〈161 頁〉
その中でも、倫理委員会109が処置の決定に関連して最も言及される。それは、施設内の
管理組織内の常設委員会であったり、そのような組織とは独立していたりする。決定に伴う
109
報告書では、
「倫理委員会」という言葉を特定の患者のケースにおける決定に関与する
可能性のある委員会として用いる。
〈161 頁・注 122〉
53
問題への施設の対応として倫理委員会が目立ち始めたのは、前述の Quinlan 判決の影響が
大きい。また大統領委員会の調査によれば、全米の 1%以下の病院(200 床以上のベッドを
有する病院でも 4.3%)だけが倫理委員会を設置する。このような現状を認識した上で、倫理
委員会の組織や職務について考察する。
〈161~162 頁〉
2.倫理委員会の職務
(1) 倫理委員会の適切な職務を検討する。Quinlan 事件判決は、担当医の決定に同意又は
不同意を与える予後検討委員会(prognosis review committees)を提案した。そのため、その
後の倫理委員会をめぐる議論を混乱させた。また、为に諮問機関的な役割を果たす、倫理委
員会(consultative ethics committees)を有する医療施設もある。その諮問倫理委員会は、
個々のケースで利害関係人が提起する倫理的問題や社会的問題を議論し、
要望に応じて助言
を与えることもできる。倫理委員会=諮問倫理委員会と考える論者は、倫理委員会は自らで
決定をなすべきではないと強く为張する。また諮問倫理委員会ごとに、相談や支援を行う対
象は異なる。
大統領委員会の調査によれば、現存する倫理委員会の半分以上は医師を対象に、
1/4 強は患者や患者家族を対象に相談や支援を行う。
〈162~163 頁〉
(2) 倫理委員会の重要な教育的機能について、4 点を論じる。①医師、看護師、その他の
プロフェッション及び一般人から構成される倫理委員会は、
無能力患者の処置に関するより
良い決定に繋がる視点を出席者に共有させる議論を行う。臨床の現場での決定者を、様々な
倫理的及び社会的問題に触れさせる方法が重要である。②一定期間(数年)を経た倫理委員会
は、医療施設の中の人々が個々の決定に倫理的原則を結びつける知識を有し、苦痛を感じな
いようにするための教育の場を設けても良い。③その施設内での注意を引くような実際のケ
ースを通じて幾つかの問題を提示して、問題の重大性、解決策の正と負の可能性及びその問
題に取り組む全員の責任を強調する。④無能力患者の問題だけでなく、より一般的な生命倫
理的な問題についてコミュニティでの議論や教育の中心として機能する。
〈163 頁〉
(3) ほぼ半数の倫理委員会の明示の目的の 1 つに、末期患者のケアに関する倫理的及び社
会的指針の設定がある。
この職務を症例管理に関する検討及び助言と同一に扱うという報告
もあるが、異なる 2 つの役割を同一集団に任せることは問題視される。〈164 頁〉
(4)
無能力患者の家族及び医療者の行った決定を審議することも、倫理委員会の職務であ
る。倫理委員会は、全ての当事者(特に患者)の利益が適切に为張され、その処置の決定が許
容される範囲内にあることを確認する目的を有する。大統領委員会は、無能力患者の福祉を
促進することに伴う、
施設の責任を免除するための手段として真剣な考慮に値すると考える。
倫理委員会が審議者として働く場合には、家族及び医療者のような为たる決定者に代わるの
ではなく、常に裁判所の審理を受ける責任を避ける効率的な検討を行う。倫理委員会は、適
当なケースが裁判所の審理に服することを保証することもできる。〈164 頁〉
(5)
倫理委員会の職務として最後の可能性は、患者の処置に関する決定者になることであ
る。上述の様に大統領委員会は、医プロフェッションと患者の代行決定者が为たる決定者に
54
なるべきと考える。
常に倫理委員会に生命維持処置に関する決定という役割を任せることは、
为たる責任者の責任感を減じる。それは避けるべきことであるが、非常の場合には倫理委員
会の決定が求められる可能性はある。〈164 頁〉
3.倫理委員会の運営に伴う問題点
(1)
皮肉なことに、倫理委員会が裁判所による審理よりも非公式的で負担にならないこと
は、倫理委員会が医療システム全体にもたらす影響を非常に厄介にする可能性がある。倫理
委員会の利用しやすさが、
裁判所による審理がかつて行っていたよりも数多く幅広い領域の
医療に関する決定を、常に倫理委員会が検討するようになった場合に起こりうる。大抵は私
的で検討もされない現在の決定手続が、
適切に倫理委員会と同程度に良き決定を出すのであ
れば、倫理委員会の設置はその全体としての決定手続を混乱させるだけである。担当医など
の卖独の決定者から責任を分散しがちな集団に責任を移転させると、
決定の審議は優れたも
のではなくなる。同様に、倫理委員会は他者の出した決定を簡卖に承認するだけの機関か、
議論の場でしかないという問題も生じる。〈165 頁〉
(2)
誰が倫理委員会を設置し、メンバー構成を行うかも明らかにすべきである。これは全
米病院協会や病院認定合同委員会(Joint Commission on the Accreditation of Hospitals)の
関心事である。倫理委員会の正確な性質はその医療施設の性質によるが、倫理委員会は施設
の中での確固たる立場を持たなくてはならない。
複数の専門科を有する大きな病院には複数
の倫理委員会が存在する場合があるが、
どのような問題がどの委員会で審議されるべきかを
定める GL が必要である。倫理委員会のメンバーを選出する方法は医療施設ごとに様々であ
り、その考えられる選出方法も評価しておく必要がある。〈165~166 頁〉
(3)
適切な倫理委員会について考えを及ぼすならば、委員の構成がその職務を反映したも
のであるかを考えるべきである。
予後検討委員会が専ら医師に占められることは正当である
が、倫理的問題を考察する場としては適当でない。大統領委員会の調査によれば、医師と聖
職者は特に数多く委員になり、病院管理者、看護師、弁護士は比較的多く委員になっている
が、ソーシャル・ワーカーと一般人は殆ど委員会にいない。
①多様な専門性を有する人々や専門性を有しない人々を委員にすることは、
委員会の職務
が専ら技術的なものになる可能性を最小限にする、
②委員の多様性が特定の専門家や社会団
体の見解を無批判に受け入れ又は拒否することを防ぐ、
③説明を受け理解した上で決定を行
おうとする患者、患者家族、医療者が多様な見解を得られる、という 3 つの理由から、委
員の多様性は重要である。
〈166 頁〉
(4)
倫理委員会の会議の頻度と形式も委員会の職務に拠る。委員全員が全ての会議に参加
する必要はないと解されている場合に、迅速な検討を行うことができる。特別の問題領域を
扱う分科委員会が活発な場合には、そのような小人数の委員による会議で充分である。倫理
委員会での決定のための適切な形式(参加メンバーの総意、多数決など)は、討議される問題、
倫理委員会の職務及び医療施設の性質によって変わる。
〈166~167 頁〉
55
(5)
誰が倫理委員会の開催要請をし、会議に出席できるかも考えなくてはならない。大統
領委員会の調査によれば、全ての倫理委員会で担当医は開催を要請できるが、患者家族がそ
のような要請ができるのは半分強の倫理委員会であった。倫理委員会の委員全員が委員会の
開催を要請できるかという問題については、
倫理委員会は権限もなく介入するという非難を
避けるために、否定的な立場を取る倫理委員会が存在する。しかし、倫理委員会が他者の決
定を検討する機能を果たす場合には(大統領委員会は、末期状態にある新生児の処置のよう
に常に検討されるべきカテゴリが存在すると考える)、委員は開催要請できる権限を有する
ことが望ましい。
倫理委員会の会議への出席に関しては、大統領委員会の調査によれば、現行の全ての倫理
委員会で担当医の出席を認めるが、
患者家族及び患者の信仰する聖職者の出席を認める倫理
委員会は尐ない。
〈167 頁〉
(6)
倫理委員会の存在を医療者及び患者に広告する方法も考える必要がある。ある病院に
定着して活発な倫理委員会について、外来患者 120 人中 9 人しか知らない(76%の者が倫理
委員会は必要であると回答しながらも)という報告がある。〈167 頁〉
(7)
患者及び患者家族のプライバシー保護も問題となる。特に、患者らに委員会開催要請
及び会議出席の権限がない場合に、
医学的情報が同意もなく倫理委員会に提出されることは
患者らにとって好ましくない。
プライバシーの問題は、
委員会での討議の記録を保存する場合及び過去の議論の記録を使
用する場合にも当てはまる。倫理委員会での討議の有効性を評価するためにも、討議の何ら
かの記録は必要である(例えば文書による要約版の会議録を作る倫理委員会がある)。しかし、
記録が保存されても、その使用は制約を受ける(例えば倫理委員会で議論された特定ケース
の教材としての使用を禁止する病院がある)。訴訟において、倫理委員会の記録を用いるこ
とも考えなくてはならない。
〈167~168 頁〉
(8) 代行決定者、医療者、倫理委員会の委員及び設置医療施設の責任も法律上問題となる。
無能力患者の代行決定者を、
刑事上及び民事上の責任から完全に自由にすることによる歪ん
だ効果について問題が生じる。
相当な注意をもって活動する限りは保護されるべきであるが、
第一決定者とその決定を検討する者は、
法律上の責任から完全には解放されるべきではない。
その責任の基準は、個々人の委員としての活動を保証することだけではなく、彼らの討議が
刑事訴追の心配によって不当に制限されないことも考えて判断されるべきである。その基準
は誠実性(good faith)の基準と共同謀議罪110の免責で充分であろう。
〈168 頁〉
(9)
医療施設内の倫理委員会の为たる利点が、多くのケースにおける裁判所による審理に
代わることならば、
現行の法制度の中で倫理委員会が受容されることにも充分配慮しなくて
はならない。幾つかの州では、裁判所だけが無能力の患者のための処置の決定を行うのに正
大統領委員会のスタッフ(assistant director)であった Joanne Lynn は、倫理委員会で障
害新生児の治療中止の決定を議論し決定することは殺人のための共同謀議罪の成立可能性
を示唆する。後掲注 114・27 頁。
110
56
統な権限と利害関係のない立場を有すると、判例上述べられている111。このルールが一般
的であるならば、倫理委員会は良くても、裁判所の判断に繋がる審理手続の中の有用な一段
階であるか、悪くすると、卖なる決定の遅延の一要素になってしまう。
しかし、大統領委員会は、倫理委員会と他の医療施設内での対応は裁判所による審理より
も迅速で配慮が行き届いていると考える。それらは臨床の近くに存在し、その討議は私的且
つ非公式であり、医療上の秘密保持の一般原則の範囲内にあると参加者に見なされ、委員会
を再招集することも容易であり、委員による分科委員会に決定を委ねることも可能である。
だが、倫理委員会というアプローチを勧めるには、上記の問題に答えなくてはならない。
〈168~169 頁〉
(10) そのために、IRB に関する経験には学ぶところがある。これまで 15 年間、 IRB は、
科学技術と社会の利益のために、
ヒト被験者を危険に晒すような研究に対する事前審査機関
として発展してきた。ヒト試験者の選出と自発的な IC の確保に関する倫理的問題は、個々
の医師兼研究者の良心に大きく任され、
プロフェッションの規範と不適切な行為に対する責
任又は規律を予見することによって導かれてきた。初期に多尐の争いはあったが、現在では
IRB は生命医学の分野において一般的に受け入れられ、ヒト被験者の保護、研究に対する
公の信頼の改善及び一部の生命医学研究者の内省に効力があると考えられる。〈169 頁〉
IRB の場合と比較して、無能力患者の利益を保護するために施設内倫理委員会の利用を
促進するためには、より厳格な研究が行われるべきである。
〈169~170 頁〉
第6節
小括―大統領委員会による倫理委員会法案モデル
1.病院内倫理委員会設置のための法案モデル
報告書は以上のように112、決定能力を有しない患者と重症障害新生児の生命維持処置を
めぐる決定に伴う問題について順序立て整然と諸論点を検討した結論として、倫理委員会に
倫理的問題の解決を委ねる。
実態調査の結果からは現存する倫理委員会について肯定的に評
価できないことを認めながらも、倫理委員会に期待を寄せたことの意味は大きい。
報告書は以上の議論を踏まえて「付録 F 病院内倫理委員会設置のための法案モデル」を
示す。次章で扱う複数の倫理委員会モデルと比較するためにも全訳して紹介する。
マサチューセッツ州の判例のみが脚注 156 に挙がる。本稿の第 5 章で扱う Saikewicz
事件判決、Spring 事件判決の他には、In Dinnerstein, 380 N.E.2d 134 (1978). Custody of
Minor, 385 Mass. 697, 434 N.E.2d 601 (1982).
112 報告書は第 4 章と第 6 章以外にも、倫理委員会やそれに類するものについて言及する部
分が数箇所ある。その中で最も注目すべきは 246 頁の記述である。すなわち、蘇生処置が
無能力患者にとって有益であることについて医師と代行決定者の間で意見の一致を見ない
場合には、
初めから施設内のコンサルテーションか倫理委員会による注意深い検討を行うべ
きである(75、93、194 頁も同旨)。しかし、緊急の場合及びこのような過程を経ても意見の
一致のない場合には、裁判所にケースを持ち込むべきである(緊急時にも可能だろうか)。
111
57
付録 F
病院内倫理委員会設置のための法案モデル
§1.定義
A) 病院
『病院』は、入院患者にケアを施す全ての施設を含む。
B) 処置
『処置』は、外科的、薬学的又は機械的(mechanical)のいずれであっても、生命
維持処置及び救命処置の両方を含む。
C) 無能力患者
『無能力患者』は、医療処置を受けるか拒否するかを決定しなくてはなら
ない場合に、処置の性質と結果を理解する精神能力又は理性を十分に持たない成人患者
を含む。
D) 症例記録(Case Record)
『症例記録』は、患者が行った又は患者のために行われた決
定を審議する際に、病院内倫理委員会が集めた記録である。症例記録は、患者の医療記
録、顧問医(consulting physicians)の意見の要約、病院内倫理委員会の会議録及び病院
内倫理委員会の書面による勧告を含む。
§2.病院内倫理委員会の権限の範囲
A) いかなる病院も病院内倫理委員会(以下、
『委員会』という)を設置することができる113。
B) 委員会は、以下の機能を果たす。
1) 末期状態にある無能力患者に代わって行われた決定を審議し、委員会の審議を要求
する末期状態にあるが能力を有する患者によって行われた決定を審議する。委員会
は、患者が能力を有することを確認し、患者が末期状態にあるか否かを決定する。
委員会は、患者、患者家族、担当医及び(裁判所によって任命された後見人がいれば)
患者の後見人と決定について議論する。委員会は、その処置に関する決定について
の審議中に望む場合、その他の医師又は専門家に相談して良い。委員会は、その患
者にとって適切な処置を示す助言的で拘束力がない勧告を結論とする。無能力患者
の家族、担当医又は無能力患者の後見人が、委員会の勧告に同意しない場合や、能
力を有する患者が委員会の勧告に合意しない場合は、委員会はそのケースを適当な
管轄権を有する裁判所に解決を求めて照会する。委員会が解決を求めて裁判所にケ
ースを照会する場合は、委員会はそのケースの記録を裁判所に提出する。
2) 倫理的意味(ethical implications)を持つ医療上の決定を審議する。能力を有する
患者、患者家族、医師又は病院スタッフは、病院内で行われた倫理的意味を有する
医療上の決定の審議を委員会に要求することができる。病院内の他機関がより有効
に決定を審議できるのでなければ、委員会は各要求に対して審議することを認める。
委員会は、自分のケースが審議される患者に対して、委員会がケースを検討するこ
とを通知する。委員会は、患者、患者家族、担当医及び(患者に裁判所によって任命
された後見人がいれば)患者の後見人と決定について議論する。さらに、病院スタッ
フが決定について審議することを要求する場合には、委員会はそのスタッフとその
助動詞 may は「できる」と訳出するが、shall は訳出しない(2 項以下の全ての動詞に助
動詞 may 又は shall が付く)。
113
58
ケースについて議論する。委員会は、その処置に関する決定についての審議中に望
むのであれば、その他の医師又は専門家に相談して良い。委員会は、その患者にと
って適切な処置を示す助言的で拘束力がない勧告を結論とする。能力を有する患者
の決定と委員会の勧告が対立する場合には、委員会はそのケースを適当な管轄権を
有する裁判所に解決を求めて照会する。委員会が解決を求めて裁判所にケースを照
会する場合には、委員会はそのケースの記録を裁判所に提出する。
3) カウンセリングを提供する。患者、患者家族、医師又は病院スタッフは、委員会又
はその委員に社会的、心理学的、精神的又はその他のカウンセリングを求めること
ができる。委員会又は個々の委員は求められたカウンセリングを与え、又はカウン
セリングを求めた者を求めたカウンセリングを提供できる個人や機関に照会する。
C) 委員会は、以下の機能を果たすことができる。
1) GL を策定する。委員会は、病院スタッフ、管理部及び各専門家団体と協力して、処
置又はその他の医療上の決定に関して GL を策定することができる。
2) 教育する。委員会は、病院スタッフ、管理部及び一般公衆に、医療分野の倫理的問
題について教えるための教育プログラムを支援又は実行することができる。
§3.免責
A) 委員会のメンバーは、委員会が第 4 項の規定に従って活動する限りは、委員会の権限の
範囲内で行われた委員会の勧告に対して、完全な民事上及び刑事上の免責を受ける。
B) 病院スタッフ、管理部及び担当医は、委員会の勧告に従って行った活動については、民
事上及び刑事上の責任から開放されることの推定を受ける利益を有する。この推定は、
患者の利益を重大な過失又は故意により無視したことの証明により覆される。
§4.運営
A) 委員会構成員
1) 委員会の構成。委員会は、9 名の委員から成る。医師 2 名(1 名は内科医、もう 1 名
は他の専門科医)、弁護士、病院管理者、ソーシャル・ワーカー、精神科医、聖職者、
患者の擁護者及び病院内のボランティア又は病院のあるコミュニティの代表者。
2) 委員の選出。病院の管理部長(chief hospital administrator)は、病院スタッフの
中から委員の推薦を求める。病院の管理部長は、推薦された人々の中から 9 名の委
員を任命する。病院の管理部長は、9 名の委員が 4 項 A)1)に挙げられた 9 つの立場
にあることを確認する。しかし、管理部長は、病院スタッフの中に専門性を有する
者がいない場合には、病院スタッフでない者を委員会のメンバーに任命できる。
3) 任期。各委員は、1 年の任期で倫理委員会に従事する。但し、1 任期以上、委員とし
て従事することもできる。病院の管理部長は、3 名以上の委員の任期が同時に終了
しないように、委員の任期をずらす制度を設ける。
B) 委員会の手続
1) 委員会は、本法と矛盾しないような自らに関する規則を起草することができ、職員
59
を任命することができる。
2) 委員会は、処置やその他医療上の決定に関する委員会の審議を求められてから、3
日以内に開催する。
3) 委員会は、その議事録を保存する。これらの議事録は、勧告に至った委員会の討議
を要約する。
4) 委員会は、多数決によって勧告に至る。
5) 患者、患者家族、医師又は病院スタッフは、委員会の検討課題についての問題を提
示するために委員会の会議に出席できる。委員が勧告のためにケースについて議論
している間は、委員会のメンバーだけが委員会の会議に出席できる。
C) 注意事項
1) 病院は、入院を認めた患者全てに、倫理委員会の存在、その機能及び患者が倫理委
員会にアクセスする方法について通知する。
2) 委員会は、勧告のコピーを病院内の患者記録の中に置く。担当医は、患者の精神的
地位及び身体的状況を考慮した適切な方法で、患者に対して委員会の勧告を口頭で
通知する。
3) 処置又はその他医療上の決定に関して委員会の審議を求めた者は、委員会の勧告の
コピーを受け取る。
2.報告書に関する議論
(1)
以上が、大統領委員報告書が考える倫理委員会の全容であるが、委員会スタッフの
Joanne Lynn が報告書の議論を補足する論稿を発表する114。Lynn 個人の見解か、大統領委
員会の立場を補うものかは注意すべきであるが、
その議論のうち報告書自体からは明らかで
なかった点を紹介したい。
第一に、倫理委員会の設置に対する誘因として、従来は医師患者間における処置の決定に
ついて医師に責任が課せられていた115のに対して、そのような決定に伴う責任が病院にも
課せられるようになったことを挙げる。
医療にかかるコストとその回収を無視できない経営
为体としての病院は、
医療者が費用のことを考えない決定をなすことを見過ごすことができ
ない。その結果として、病院は決定過程に関与しなくてはならなくなった。
第二に、第一点とも関係するが、倫理委員会は処置に関する決定過程におけるコストの問
題にも適切に検討することができる。また、倫理委員会の発言力が大きくなることの弊害と
して、コストの問題を検討することを制限してしまうことを挙げる。この指摘は、実際のケ
ースの議論でもしばしば争いになる、
倫理的問題についての検討は経済的観点を含んではい
Joanne Lynn, Roles and Functions of Institutional Ethics Committees; The
President‟s Commission‟s View, INSTITUTIONAL ETHICS COMMITTEES AND HEALTH CARE
114
DECISION MAKING 22 (1984).
115 Lynn によれば、1940~50 年代のアメリカの病院は、訓練を積んだ従業員を雇用しサー
ビスを提供するホテルと同じ責任しか負わない存在であった。
60
けないのか、という問題に対する回答となるだろう。
第三に、大統領委員会は倫理委員会の活用を勧めても、既存の個々の倫理委員会を全面的
に承認するわけではない。その理由として「大統領委員会は、医療に関する決定に対する施
設内の審議のための公式の手続を設けるべきことを勧告してきた。・・・その手続は秩序だっ
たもの且つ明示されたものであるべきである」。また、(裁判所の介入に代わる)施設内審議
手続の利点に全ての関係当事者の裁量を保護できることを挙げ、
適切な手続は必要なケース
を外部機関(裁判所及び社会福祉機関)に送ることができると考える。
(2)
本稿は大統領委員会報告書を高く評価するが、報告書に対する批判的見解を若干紹介
しておく。
法学者 Robert A. Burt116は、大統領委員会に意図はなくても現実に生じる問題を受けて
報告書のようなテーマに取り組むこと及びその議論内容が、障害者、高齢者又は重篤患者の
死期を早める社会に寄与してしまうと警鐘を鳴らす。特に倫理委員会については、常に医療
を与え、生命を救い、患者が頼る伝統的な真の医師像を損う存在と考える。また、1960 年
代に神の委員会と批判された倫理委員会の原型(第 1 章・第 1 節の 2 参照)を批判した社会及
び連邦政府の対応と比較して、
大統領委員会が倫理委員会を支持することがアメリカ社会の
共同体的理想(Communal Ideal)を損うと考える。
Burt の为張に対しては、本稿は倫理委員会による負の影響が存在する可能性を否定でき
ないが、それは倫理委員会の実際の運用次第であり、倫理委員会は弱者の生命を保護する方
向にも寄与すると考える。大統領委員会も同様の立場であろう。
また老年医学を専門とする医師 Christine K. Cassel117は、1983 年にメディケア及びメデ
ィケイドが医療費削減の目的で診断科目別標準定額料金決定システム(diagnosis related
group=DRG)を採用した文脈において、大統領委員会報告書を検討する。コストの側面から
医学的判断を制限された上で倫理的問題についての決定を求められる医師は、社会に決定の
ための助けを求め、そのために倫理委員会が用いられる。Cassel は、倫理委員会を通じて
の決定を、最善の決定を行うために多様な見解や専門性を集める「るつぼ」として評価する
一方で、法規を遵守するだけの効率性を求める官僚为義に流れることを懸念する。それを防
ぐために、またコスト制限を背景にしながらも倫理的見解を堅持するために、報告書にはな
いアイデアとして、臨床倫理学者又は臨床哲学者の倫理委員会への参加を提案する。
3.大統領委員会報告書に対する本稿の評価
(1) 本稿は、報告書第 4 章及び第 6 章が患者の処置をめぐる決定に困難を伴うケースに正
面から取り組むアプローチを大きく支持する。報告書が無能力患者の処置の決定というハー
ド・ケースへの対応を目指して議論を進め、その議論は倫理委員会という施設内機関への期
Robert A. Burt, The Ideal of Community in the Work of the President‟s Commission,
6 CARDOZO L. REV. 267 (1984).
117 Christine K. Cassel, Deciding to Forego Life-sustaining Treatment: Implications for
Policy in 1985, 6 CARDOZO L. REV. 287 (1984).
116
61
待を述べて結ばれる。その議論を丹念に追えば、倫理委員会に依拠するという結論ありきの
議論ではなく、
対応すべき問題の様々な論点や対応方法を考えた末に倫理委員会という結論
に辿り着くことは読み取れる。
大統領委員会が倫理委員会に関して包括的に詳細に様々な論点を挙げて論じた議論は、
そ
の後今日までの倫理委員会に関する多くの文献に散見される。事務局長 Capron は、報告書
の内容以前に委員会の議論形式、議論の態度又は公的な位置づけを回顧的に評価するが118、
その自己評価に第三者が首肯できるのは、
やはり成果としての報告書が高い評価を受けるに
値するからであろう。
(2) 報告書の考え方を大胆に(向う見ずに)要約すれば、以下のようになると考える。自ら決
定できない患者に対する生命維持処置を行わない決定において、
最重視されるべきは患者の
利益である。処置に関する为たる代行決定者は、患者家族である。医療者は処置の良き決定
のための前提条件を整える義務があり、
良き決定に資する医プロフェッションの裁量と責任
を有する。つまり、決定のために必要な臨床の活動を充実させることで、患者の利益の保護
は達成できる。行政の過度の介入には反対し、裁判所に依拠する場合も考えられるが、臨床
現場での決定は尊重されるべきである。ただし、現状を無条件に尊重するのではなく、決定
手続の充実を促す。無能力患者の処置を決定する一連の過程を、適切な手続に沿って実行す
ることへの高い意識が窺われる。具体的には、その手続を施設内の明確な指針により示す。
代行決定者と医療者が決定を行う過程又はそれら当事者の結論としての決定自体を支援す
るために、施設内には倫理委員会のような機関を設ける。
(3)
一連の決定手続及び倫理委員会に関する諸論点を指導する原理は、患者の利益を保護
するための手続的正義であると考えられる。倫理委員会における手続的正義については、終
章で考察したいが、ここでは以下のように理解しておく。すなわち、手続的正義は、
「取り
扱いに関する一定の形式的な制約や実質的な基準とともに、
その取り扱いの公正な遂行過程
を保障し結果への受容可能性を支えている119」。手続的正義は、
「裁判や行政過程における
決定手続と紛争処理に際して紛争当事者に公正な手続と公平な配慮を提供する重要な役割
を果たすもの120」であり、
「具体的には当事者の対等性と公正な機会の保障、第三者の公平
性、理由づけを伴った議論と決定といった手続的要件を要請する121」。そして「手続的正義
の観念それ自体は、こうした裁判や行政過程以外にも、実質的正義原理の導出・正当化過程
や経済的な分配過程において「一定の手続的要件が充足されるならば、そこから生じる結果
は正しい(あるいは尐なくとも不正とは言えない)」という観念を示す122」
。
Alexander M. Capron, Looking Back at the President‟s Commission, 13(5) HASTINGS
CENT REP 7 (1983).
119 玉木秀敏「正義論の現代的展開」田中成明編『現代理論法学入門』(法律文化社、1993
年)247 頁。
120 同上。
121 同上・248 頁。
122 同上。
118
62
これまでの本章の第 2 節及び第 3 節の波線部の記述は、一連の決定手続を適切なものに
することを重視していた。第 5 節は、倫理委員会の内容を充実させるための議論であり、
それは倫理委員会という一連の決定手続の最終的且つ最重要な段階で手続的正義の理念を
実現するための議論であった。また、たびたび裁判所と対比されるのは、裁判所こそが手続
的正義の要として位置するが故であろう。すなわち、大統領委員会報告書は随所で手続的正
義の実現を意識することが窺われる。本稿は、無能力状態の患者が生命維持処置を受けない
決定手続の要に倫理委員会を置いて、その基本的な論点を明らかにし、(大統領委員会は明
示こそしていないが)患者の利益を保護するために手続的正義を倫理委員会の指導原理とし
たことに大統領委員会報告書の最大の意義があると考える。
(4)
次章は、大統領委員会報告書の後まもなく、保健福祉省と小児科学会が提案した倫理
委員会モデルを対象にする。本章の冒頭で確認したように、1980 年代前半にはドウ事件を
端緒に、連邦政府(保健福祉省)がドウ規則制定による臨床への介入を目論むが、医学界がそ
れに強く反発したという対立構図が存在する。その中で各々が123ガイドラインとして倫理
委員会モデルを提案したが、そのモデルには各々の狙いが込められる。
123
保健福祉省と小児科学会の関係は卖純な対立関係にあったわけではないが、それについ
ても次章を参照。
63
第3章
第1節
大統領委員会報告書を受け継ぐ 2 つの倫理委員会モデル
保健福祉省の倫理委員会モデル①提案規則から終局規則へ
1.提案規則の発表と意見の募集
(1) 本章は、1980 年代前半の一連の事実のうち、保健福祉省による提案規則の発表から検
討を始める。
保健福祉省は、暫定的終局規則が無効と判示されたことを受けて、提案規則を発表する。
提案規則は、①貼紙のサイズ縮小と掲示場所の変更(病棟から看護師詰所)、②連邦からの財
政補助を受ける州の児童保護機関に対して、
障害児の医療ネグレクトを防止するための手続
書面の作成を求めたこと、において暫定的終局規則と異なる。そして発表した規則本体に前
文と付録として、法 504 条の趣旨、諸判例及び医師に対するアンケート調査を踏まえて規
則制定の正当性及び必要性を大きく論じた。その中で、大統領委員会報告書が示した立場(前
章・第 3 節の 2(2)の小児の最善の利益に関する議論)を高く評価する。
さらに提案規則には「意見の募集」も付され、その中で倫理委員会についての意見も求め
る。すなわち、両親及び/又は医師が生命維持処置を差し控えることを決定した症例を審議
するために、①連邦政府からの財政的補助の被亣付者は、大統領委員会の報告書によって示
唆されたような施設内審議委員会(institute internal review board=病院内倫理委員会)の
設置が求められるべきか。②もし設置すべきであるならば、この委員会は提案規則の要件に
代わるものとなるべきか、あるいはそれに追加されるものとなるべきか。③もしそれが提案
規則の要件に代わるものとなるように提案されるならば、訴えを調査したり法 504 条の遵
守を実行させたりするための現行法及び規則の下で自らの責任を果たすためには、保健福祉
省はどのような手続に従うべきか。
(2)
この提案規則に対する多方面からの意見124は、終局規則の「Ⅲ.終局規則の規定 A.
小児医療審査委員会(INFANT CARE REVIEW COMMITTEE(以下、ICRC))125」で紹介さ
れる。
それによれば、
総数 16739 通の意見のうち提案規則への賛成意見は 16331 通(97.5%)、
反対意見は 408 通(2.5%)であった。回答者ごとに支持・反対の順で実数と割合を、次頁の
表を参照されたい。
この表から、次のような傾向が読み取れる。①障害者に関わりの深い(当事者ともいえる)
親や協会は、医療関係者よりも提案規則を支持する。病院及び医療者にとっての弊害を考え
なければ、提案規則には賛成できるのであろう。②同じ医療者でも医師よりも看護師が提案
124
この意見は提案規則中の意見の募集に答えるものであり、倫理委員会一般について意見
を求められて回答をしたものでは必ずしもない。しかし、それを勘案しても倫理委員会に関
する重要な提言であろう。
125 Supra note 80, Ⅲ. Provisions of the Final Rules, A. Infant Care Review Committees.
64
規則に賛成する。看護師は障害児及びその家族に直接的に接する機会が多く、この種の問題
に晒される機会が多く、提案規則が定める方法による救済手段を求めるからであろうか。③
提案規則が対象とする分野の専門科医(小児科医、新生児科医)は、提案規則に大きく反対す
る。彼らは提案規則の弊害を強く恐れるからであろう。④医療関係者の中でも、医療施設を
運営する者は、臨床で医療に従事する者よりも提案規則に反対する。提案規則の弊害につい
て、病院全体の運営や責任を考える立場の者は重く考えるためであろう。
<表:提案規則への意見>
個人
回答者
看護師
(322 通)
小児科医又は
新生児医療専
門家(141 通)
団体
小児科医又は新
生児医療専門家
以外の医師(253
通)
障害者
の親
(100 通)
病院職員又は医
療、病院、看護その
他保健関係学会及
び協会(137 通)
障害者関
係の協会
(77 通)
支持数
314 通
39 通
140 通
95 通
31 通
77 通
(割合)
(97.5%)
(27.7%)
(55.3%)
(95%)
(22.6%)
(100%)
反対数
8通
102 通
113 通
5通
106 通
0通
(割合)
(2.5%)
(72.3%)
(44.7%)
(5%)
(77.4%)
(0%)
この結果を見ると、個々の医師(特に小児科医と新生児科医)と医療関係者団体以外には、
提案規則が受け入れられていたことが分かる。この圧倒的支持の結果を受けて、保健福祉省
は終局規則を制定したのだろう。
2.ICRC に関する意見
(1) その提案規則に対する意見の中で、ICRC=病院内倫理委員会に関するものを見る。
総じて、提案規則の反対者(特に医療者)も、提案規則又は法 504 条の実施のための病院内
審議委員会(hospital review boards=病院内倫理委員会)というアプローチには大きな賛意
を示した。
ICRC に対する賛意の代表的立場として紹介されるのが、全米小児科学会である(ただし、
後述するように、小児科学会は提案規則本体には反対していた)。小児科学会は、全ての病
院がメディケア事業への参加要件として審議委員会を設置することを提案し、それは全米子
ども病院及び関連施設協会(National Association of Children‟s Hospitals and Related
Institutions)及び全米病院協会によっても支持される(小児科学会のコメントの詳細につい
ては、次節に改めて紹介する)。
提案規則のアプローチに代わるものとして、
病院内審議委員会の設置を支持する多方面か
らの意見を紹介する。①委員会は政府と医学界との間の対立的アプローチではなく、協力的
65
アプローチを表す。②委員会は、施設の『自己評価』が行われるための媒介物を提供する。
③委員会は、
重症障害新生児に関する個々の複雑な症例についての多様な視点を持つ人々に
よる、徹底的な審議を確保する。④委員会は病院、医師及び親が、障害児の治療に関する最
新の医学情報について、地域のサービス、相談・助言、親に対して支援を行う団体、及び養
子、
里親そしてそれ以外の家庭外施設への入所のような代替的監護として選択できるものに
ついて、熟知することを確保するためのメカニズムを提供する。⑤委員会は子どもの利益が
満たされていないと考えられる場合に、児童保護機関や裁判所の介入を導く。
(2)
他方、提案規則を支持しながらも病院内審議委員会という代替的アプローチに反対す
る意見も示される。①委員会は、市民の権利を守るという州及び連邦政府の責任を代わるこ
とはできない。委員会の利用は、全ての障害者が法 504 条によって保障された差別のない
取り扱いを受けることを確実にしない。②委員会は、差別的行為から障害児を守るための実
用的なメカニズムとしては試されたことが殆どない。
全 米医師会 、カトリ ック 保健協会 (Catholic Health Association)、全 米病 院連合会
(Federation of American Hospitals)、全米病院管理者協会(American College of Hospital
Administrators)、全米内科医師会(American College of Physicians)、全米看護師協会など
の多くの意見提出者は審議委員会というアイデアを支持するが、
審議委員会設置のための強
制的命令には反対した。特に全米医師会は「重症障害新生児の処置の決定に対する連邦政府
の介入を支持しないが、政府の活動により生まれた関心は、連邦政府による自らの権限外の
領域への介入を伴うことなく、
これらの配慮を要する問題を扱うメカニズムをつくる継続的
な刺激を提供する」と述べる。
3.保健福祉省の回答
(1)
これらの意見を受けて、保健福祉省は「回答」として、病院内審議委員会に対する自
身の見解をまとめる。
まず、
障害児からの医学的又は外科的処置の差控え又は中止に関する医学的決定の審議に
おける排他的役割を、審議委員会に与えることはできない。病院内審議委員会を、法 504
条執行メカニズムの代替物として受け入れることはできない。保健福祉省は、障害新生児の
ための医療に関する医学的決定を引き受けるわけではない。最善の決定者は、直接的に関与
する親及び医師である。
しかし、
決定者である親や医師が活動する枠組みとして法は存在し、
存在しなくてはならない。審議委員会を法 504 条執行メカニズムの代替物とすることは、
親及び医師による決定を規律する法的枠組みから決定手続を分離させてしまい、
親及び医師
が法の枠組みに沿って行動することを確保できない、と理解して否認の理由とする。
だが、代替物としては受け入れられないが、審議委員会は非常に価値のあるものになりう
る。医学的専門性を有する人々と医学的視点を持たない人々を含み、適切な基準や綱領によ
って統制される委員会からの意見や情報は、これらの問題に関する情報に基づいた賢明な、
公正な決定を生み出すのに非常に有用である、
という大統領委員会及び多くの論者に同意す
66
る。保健福祉省は、政府は病院内審議委員会の設置を推奨するべきという大統領委員会の勧
告を採択する。
(2)
また、病院内審議委員会の設置は連邦政府によって強制されない。その理由は、全国
の病院に義務付けるほどの、倫理委員会の有効性が未だ明らかでないこと、強制するには詳
細な基準が必要であるが、病院ごとの柔軟性も尊重すべきであること、为要な医学団体の強
い反対があることなどを挙げる。
そして、
義務付けがなくても、
モデルの提示により審議委員会の設置は進む。
したがって、
規則の§84.55(f)は ICRC モデルを定める。このモデルは、実質的に小児科学会の提出した
意見に基づくことを明らかにする(ただし、保健福祉省自身が明らかにするが、小児科学会
の提案からの重大な修正がある。本稿は第 2 節の 2 で扱う)。
(3) そして、次のように述べて「回答」を結ぶ。
「このモデルは、大統領委員会の勧告や全
米病院協会及びその他の医学団体の意見とも対立しない。また、保健福祉省は、政府の活動
は『これらの配慮を要する問題を扱うためのメカニズムをつくる』ために『継続的な刺激』
を医学界にもたらすべきであるという全米医師会の意見を是認する。
医学団体がそれらの提
案を完全に実行し、このような ICRC の設置と運営に際して、会員である医療施設や医プ
ロフェッションに可能なあらゆる援助を与えるように、保健福祉省は強く推奨する。
」
4.終局規則による ICRC モデル
以上の議論を受けて作成された終局規則のうち、倫理委員会についての規定126を全訳す
る127。
§84.55 障害児のための医療に関する手続
(a)小児医療審議委員会
保健福祉省は医療者が医療及び関係諸サービスを小児に提供すること並びにこの規則
(this part)に従うことを助けるために、ICRC を設置することを連邦政府の財政的補助を
受けるプログラムにおいて医療サービスを小児に提供する連邦政府の財政的補助を受け
45 C.F.R. 84.55 (a), (f).
また、この(a)(f)の両項目に定めない ICRC に関する事項について、保健福祉省は提案規
則の「回答」の中で明らかにする。
第一に、
医療施設は自施設の障害児に対するサービスに関する指針及び活動についての自
己評価を ICRC の活動を通じて最も有効に実行できる。
第二に、障害者団体の代表や障害の問題に関する専門家をメンバーに含む ICRC は、設
置施設で生まれた障害児の親のために障害児に様々なサービスを提供する地理的に近い場
所にある公的・私的機関を教えることを中心的活動とする。
第三に、法 504 条違反の可能性の通報を受けた後の保健福祉省の立入り調査に際して病院
に対する予備的照会及び現地調査を行う場合には、保健福祉省は各病院に設置される ICRC
と密接に協議を行い、ICRC の分析や勧告を慎重に検討する。それらの調査を行う公民権局
の調査官(OCR investigators)は資格を有する医師を医療コンサルタントとして用い、障害
児のケースに関する医学的事実の決定に従事させ、医療コンサルタントは電話で病院の
ICRC や適切な職員と討議する。
126
127
67
る各ヘルスケア施設の医療者に勧奨する。ICRC の目的は障害児に処置を行うことに関する
基準、指針及び手続を策定すること並びに特定のケースにおいて医学的に有益な処置につ
いての決定を行うことに際して医療者を助けることである。保健福祉省は小児に適切な医
療を保証することにおける ICRC の価値を認めるが、そのような委員会はこの規則では必
要としない。ICRC は幅広い視点を代表する諸個人から成り、それは開業医(practicing
physician)、障害者団体の代表、准看護師(practicing nurse)及びその他の者を含む。ICRC
の提案モデルはこの規則の(f)項に定める。
(f)小児医療審議委員会のモデル
連邦政府の財政的補助を受ける施設の(Recipient)医療者のうち ICRC を設置しようとする
者は、以下のモデルの採用を考えるべきである。このモデルは助言的なものである。当該
医療者は ICRC を設置することを求められないし、設置する場合にもこのモデルに従う必
要はない。この規則に従っているかを決定するに際しては、そのことがこのモデルに従っ
て ICRC を設置し実際に運用する医療者によって提供される障害児への医療に関係するの
で、保健福祉省は可能な限り ICRC に相談する。
(1)設置と目的
(ⅰ) 病院は〔単独で〕ICRC を設置し又は他の 1 つ若しくは複数の病院と協働で ICRC を設
置する。その設置文書は ICRC の目的として以下のことを明示する。すなわち、合理的な
医学的判断を尊重しつつ、現在の又は予期される身体的又は精神的障害のみを理由に障害
があっても利益を受ける処置や栄養を障害児から差し控えないことを保証する基準、指針
及び手続を作成し、実行することを促すことである。
(ⅱ)ICRC の活動の指導原理は以下のものである。
(A)障害児の医療に本規則を適用することに関する保健福祉省の説明的 GL
(B)小児科学会、子ども病院及び関連施設協会、知的障害者協会、ダウン症会議及び二分
脊椎症学会などを含む主要な医学会及び障害者団体が合同で出した『障害児の処置に関す
る原則(Principles of Treatment of Disabled Infants128)』は次の様に述べる。
医療が明らかに有益である場合は常に提供されるべきである。適切な医療が得られない
場合には適当な医療施設に移送するように取り計らう。将来的に又は現実に患者の可能性
が制限されるという懸念及び現在又は将来のコミュニティの資源の不足は無関係であり、
医療に関する決定を規定してはならない。決定に際しては患者の医学的状態だけに焦点を
絞る。これは極めて厳格な原則である。
内科的又は外科的処置を差し控えることは、それが明らかに無益で死を延期するにすぎ
ない場合には倫理的にも法的にも正当化される。しかし、医学的に望ましい栄養補給及び
苦痛緩和などの支持療法は与えられるべきである。死期が迫った患者のニーズは尊重され
るべきである。悲しみにある家族も支援されるべきである。
American Academy of Pediatrics, Joint Policy Statement: Principles of Treatment of
Disabled Infants, 73 PEDIATRICS 559(1984).
128
68
医療処置が有益か不確実な場合、患者に障害があることは処置差控えの決定の基礎にな
ってはならない。医療処置の有益無益を決定する全過程で、患者は医学的に最適な方法で
ケアされるべきである。処置すべきか否かについて疑義が存する時は常に処置の実施が推
定されるべきである。
(C)医療及び生物医学的ならびに行動学的研究における倫理的問題研究のための大統領委
員会は以下の様に述べる。
この(医学的に有益な処置を提供する基準)は、障害児の生存が両親、兄弟及び社会など
の他者に及ぼすマイナスの影響を除外する意味で極めて厳格なものである。この基準を遵
守することは特定のケースでは難しいかもしれないが、障害児の生命の価値を貶めること
は余りに容易である。大統領委員会は、健康な小児又は同様の障害を持つが処置を受ける
年長の小児と等しく積極的に処置することでかかる事態を打破することを必須と考える。
(ⅲ)ICRC は自らの目的を以下のことを通じて実行する。
(A)小児に対する医療処置の差控え又は中止に関する施設内の指針を勧告する。それは、
小児の生命の危機状況の特定カテゴリに対する ICRC の活動のための GL 等を含む。
(B)小児の内科的又は外科的生命維持処置を差し控える又は中止する決定を検討する特定
のケースにおいて助言を与える。
(C)生命維持処置が差し控えられた又は中止されたケースの医療記録について、定期的に
事後的に検討する。
(2)組織とスタッフ
ICRC は 7 名以上から成り、以下の者を含む。
(ⅰ)開業医(例えば、小児科医、新生児科医、小児外科医)
(ⅱ)准看護師
(ⅲ)病院管理者
(ⅳ)法律専門職の代表
(ⅴ)障害者団体の代表又は発達障害に関する専門家
(ⅵ)コミュニティの一般人
(ⅶ)施設内の真面目な医療スタッフ(organized medical staff)(=委員長)
(f)(3)(ⅱ)(E)に規定する様に、特定のケースを審議することに関して ICRC のメンバー
1 名が小児のための『特別擁護者』として活動することを任命される。病院は ICRC のため
に法律顧問のような人的支援を行う。ICRC は定期的に又は後述で求められるように特定ケ
ースの検討との関係で開催される。ICRC は任期や定足数要件などの運営上の指針について
適切な病院職員や機関に採択し勧告する。ICRC は、病院職員や患者家族が ICRC の存在、
機能及び 24 時間利用できることについて十分に知ることを保証するような手続を勧告す
る。
(3)ICRC の機能
(ⅰ)事前の指針策定
69
(A)ICRC は、生命の危機にある小児に対する医療処置の差控え又は中止に関する病院内の
指針を策定し、それを採用するように勧告する。例えば、ダウン症と二分脊髄症などの特
定種類のケースを対処することに関する GL 及び脳死状態にある小児に対して親が救命処
置の実施に同意しないなどの繰り返し起きる状況で従うべき手続である。ICRC の勧告に基
づき、病院は施設内で ICRC により定められた症例(ダウン症と二分脊髄症など)の小児が
いることを ICRC に通知するように担当医に求めることができる。
(B)これらの指針及び GL を勧告するに際し、ICRC は医学及びその他の専門家(例えば、新
生児科医、小児外科医、障害者のためのサービスを提供する各地域の機関及び障害者擁護
団体)に、障害者に関する問題について相談する。また、ICRC は自らの指針及び GL がコン
サルテーション及びスタッフ構成員の要件に関する既存のスタッフの規則に基づくこと
を保証するために医療スタッフによる適当な委員会に相談する。ICRC は自らが策定する指
針及び GL について病院スタッフに通知且つ教育する。
(ⅱ)特定のケースの審議
定期的な会議とともに個別のケースを審議することが許される特定の状況下で臨時の
ICRC の会議が行われる。病院は可能な限り、ICRC がケースに対して審議及び助言できる
まで各ケースにおいて生命維持処置の継続を要求する。
(A)小児の家族と担当医の間で処置の差控え又は中止に関して争いがある場合、ICRC が認
める特定カテゴリのケースにおいて処置の差控え又は中止の仮決定がなされた場合、病院
内の医療スタッフ及び/又は看護スタッフ間に争いがある場合又はその他適当な場合に
は、臨時の ICRC の会議が 24 時間(それ以下が望ましい)以内に開かれる。
(B)そのような臨時の ICRC の会議は ICRC の委員、病院内スタッフ又は小児の親若しくは
小児の後見人の要請に基づいて行われる。ICRC はその要請をした個人の秘密保持のための
手続を設け、その個人は報復から守られる。適当な場合には、ICRC 又は指示された委員が
ICRC の勧告をその個人に通知する。
(C)ICRC はケースのタイミング及び性質上策定した指針で認めるような臨時の会議の開催
が現実的でない場合には、電話及びその他の審議方法を設けることができる。
(D)臨時の会議はその影響を受ける人々に対して公開される。ICRC は次のことを保証する。
すなわち、両親、医師及び小児の利益が十分に検討されること、家族に小児の容態や予後
について十分に知らせること、現在の審議の対象としているような容態の小児に対して親
に対する支援グループ及び近隣の公的私的機関によって与えられるサービスに関するリ
ストを ICRC が提供すること並びに ICRC がそのようなサービスやグループへのアクセスを
促すことである。
(E)ICRC の討議に関する全ての選択肢と要素について包括的に評価することを保証するた
めに、委員長は特定のケースの審議に関して委員の 1 名に小児の特別擁護者として活動す
ることを命じる。特別擁護者は生命維持処置を行うためのあらゆる問題が十分に ICRC に
よって評価され検討されることが保証されるように努める。
70
(F)処置を巡って医師と小児の家族間で争いがあり、家族が生命維持処置の継続を希望す
る場合には、その処置が医学的に禁忌でない限りその希望は家族が望む間は実行される。
医師と家族間で争いがあり、家族が生命維持処置への同意を拒否し、ICRC は適切な審議の
結果として家族の希望に同意する場合には、処置の差控えを勧告する。医師と家族間で争
いがあり、家族が〔生命維持処置への〕同意を拒否するが、ICRC は家族に同意しない場合
には、病院内の理事会(board)又は適切な職員に当該ケースを適切な裁判所又は児童保護
機関に照会するように勧告する。同時に、裁判所又は児童保護機関が決定を出す又はその
他の適切な行動を取るまでは、処置を継続し、現状を維持し、小児の容態が悪化するのを
防ぐためのあらゆる努力をすべきである。同様に、家族と医師が生命維持処置の差控え又
は中止に合意しても ICRC が同意しない場合は、ICRC はこの手続に従う。
(ⅲ)記録の事後的検討
ICRC は定期的な会議で、小児に対する医療処置の差控え又は中止に関する全記録症例が
ICRC の策定した指針に適うことを審議する。ただし、ケースが本規則の(f)(3)(ⅱ)に従っ
て、以前に ICRC で審議した場合を除く。ICRC は当該ケースが施設の指針の逸脱例を発見
した場合は、審議を行い、適切な職員に適切な対応を求めて審議結果を報告する。
(4)記録
ICRC はその討議の全記録、検討された特定のケース及びケースの結末の要約を保持する。
そのような記録は、医療情報の秘密保持に関する施設内の指針に従って保存される。それ
らは、裁判所の命令又はその他制定法が求める場合に、適切な政府機関の利用に供される。
第2節
小児科学会の倫理委員会モデル①提案規則へのコメント
1.小児科学会コメント
本節では「障害児のためのヘルスケアに関する、障害を理由にした差別を行わないことに
ついての提案規則に対する全米小児科学会のコメント129」を検討したい。同コメントは、
この種の問題に従来取り組んできたことを自負する小児科学会による提案規則及びドウ規
則一般に対する否定的見解とその理由付けがその大半を占める。
「小児に関する生命倫理審
議委員会(Infant Bioethical Review Committee、以下 IBRC)」についての見解は、次の 2
つの箇所の論述で明らかである。
第一に「保健福祉省の提案規則に対する学会の立場130」では、次のような議論が展開さ
れる。小児科学会は、障害児の出生時というストレスがかかる状況では、以下の 3 点を特
American Academy of Pediatrics, Comments of the American Academy of Pediatrics
on Proposed Rule Regarding Nondiscrimination on the Basis of Handicap Relating to
Health Care for Handicapped Infants, 1984〔3〕BIOETHICS REP. LITERATURE 31.
129
この意見書は大統領委員会報告書への言及が多いことにも注目すべきである。
Id. at 43, B. Academy Position on Proposed HHS Rule.
130
71
に問題視する。①障害児の親と担当医が他者と相談できず、その問題状況にあまりに近接な
関係に置かれ、障害児のケアについて理性的客観的な判断ができない。②医師は、二分脊椎
のような症例に対する外科的処置の最近の劇的な進歩を十分に把握していない。
③障害児の
親も医師も、障害児のケアのために利用できる各地のサービスについて十分に知らない。こ
れらの情報及び教育が欠如する結果として空虚な状況において処置の決定がなされるとい
う問題に対応するには、ドウ規則は全く不適切である。小児科学会は、問題状況に対する直
接的で有効な手段を IBRC であると考える。IBRC は以下の責務を負う。(a)特定のケース
で助言する、(b)処置の決定過程に「最新の目配り(fresh look)」を保証する、(c)医療の専門
家、地方自治体の諸機関、障害者保護団体などに相談しながら、障害への医療的処置、障害
児へのケアのための各地の社会的資源などについての指針及び手続を策定する。
第二に「生命倫理審議委員会のモデル131」では、上述の IBRC の有用性を論じるに際し
て、
医学研究における被験者を保護する研究倫理審査委員会の経験と有用性を参考にすべき
であると説く。そして IBRC の利点として次の点を列挙する。①医療記録の秘密保持を保
証する。②既に人員不足と資金不足にある児童保護機関に、さらなる負担をかけない。③各
施設の自己評価の原動力となる。
④重症障害児の個々の複雑なケースを徹底的に審議できる。
⑤障害児の処置に関する最新の情報について、
病院及び医師が把握するための制度を設ける。
⑥障害児の親が、様々なコミュニティ内サービス、カウンセリング、親の支援団体、及び養
子修養、
里親によるケアなどの代替的な育児手段ならびにその他の家庭外託置制度について、
十分に知ることができるようにするための正式な手続を設ける。
この直後の本コメントの結論部分132でも、この見解の要として、IBRC の設置が障害児の
処置の問題の解決には有用であると述べられる。この点は前章・第 6 節の 3(1)で確認した
ように、大統領委員会報告書が、無能力患者の処置の決定という問題への対応の要として、
倫理委員会の設置をスムーズな理論的帰結として説いたことと重なる。
2.小児科学会コメントとドウ終局規則による倫理委員会モデルの比較
本コメントの末尾には付録として、IBRC のモデル(Standard)が考案される133。それは、
委員会名称(ICRC と IBRC)の違いや原文の助動詞の違い134などの相違点はあっても、驚く
ほどにドウ終局規則に酷似する(ただしドウ終局規則の中の「特別擁護者」は IBRC モデル
にはない(第 1 節の 3(2)参照))。以下、両者の酷似の程度を示して IBRC モデルを紹介する。
まず序文部分で、医療施設は卖独で又は複数の施設と協働で IBRC を設置しなくてはな
らないことを述べ、その目的として後述する IBRC の 3 つの機能を挙げる。
131
132
133
Id. at 79, Ⅳ. The Bioethical Review Board Model.
Id. at 84, CONCLUSION.
Id. at 86, APPENDIX.
終局規則の ICRC の内容を表す動詞には助動詞 will が、小児科学会コメントの IBRC の
内容を表す動詞には shall が付される。倫理委員会に課せられる要件として、この相違の意
味は小さくないのではないか。
134
72
A. 組織とスタッフ
IBRC の構成員は、尐なくとも以下の 8 名を含む。①開業医(例:小児科医、神経科医、
小児外科医)、②病院管理者、③倫理学者又は聖職者、④法律専門職の代表(例:裁判官)、⑤
障害者団体の代表、
発達障害に関する専門家又は障害児を持つ親、
⑥コミュニティの一般人、
⑦施設内の真面目な医療スタッフ、⑧准看護師である。
③以外は終局規則(f)(2)(ⅰ)~(ⅶ)に挙げられるのとほぼ同一である。ドウ終局規則との相
違点は、④の例示が裁判官であること135、⑤の障害児を持つ親はドウ終局規則では外れて
いること、⑦が委員長を務めるとは明示されていないことである。
この後に、IBRC 運営のための特記事項として、ドウ終局規則(f)(2)の内容(特別擁護者以
外に関する事項)を示す。
B. IBRC の機能
「1. 事前の指針策定」は、ドウ終局規則(f)(3)(ⅰ)と同一内容である。
「2. 記録の事後的検討」は、ドウ終局規則(f)(3)(ⅲ)と同一内容である。
「3. 特定のケースの審議」は、ドウ終局規則(f)(3)(ⅱ)の(A)(B)(C)(D)(F)とほぼ同一内容
である((E)は特別擁護者に関する規定)。ドウ終局規則と異なる点は、臨時の IBRC の会議
を行う事由として医療スタッフ又は看護スタッフ間で争いがある場合が想定されない。
C. 記録の形式と保存
これはドウ終局規則の(f)(4)とほぼ同一内容である。記録を閲覧できる根拠に相違があり、
ドウ終局規則は裁判所の命令と制定法とするが、ここでは裁判所の命令だけである。
3.ドウ終局規則無効判決
(1)
小児科学会は、提案規則に対するコメントによって、障害児の治療の選択という困難
な倫理的問題への対応策として倫理委員会を支持し、保健福祉省による終局規則の制定過程
において積極的な提言を行った。保健福祉省も、小児科学会による提言を殆どそのまま採用
して、終局規則を制定した(特別擁護者のアイデアの出所は不明である)。この両者の緊密な
関係は、終局規則の無効を争う訴訟に現れる。
終局規則の発表は 1984 年 1 月 12 日であったが、その 2 か月後には規則の無効と施行の
禁止を求める訴訟が提起された。原告は全米医師会、全米病院協会、全米産科婦人科学会、
全米医科大学協会、全米家庭医協会(American Academy of Family Physicians)、ニューヨ
ーク州病院協会、ロチェスター大学ストロング記念病院、その他若干の医師である136。と
ころが、暫定的終局規則の無効を求めた訴訟には参加した小児科学会は、終局規則無効訴訟
135
倫理委員会の構成員に関する文献や資料の中で、法律家の代表に裁判官を挙げるものを
筆者は見たことがない。裁判官が倫理委員会構成員になることの現実可能性はあるのか。
136 丸山によれば「手続的には、本事件は、アメリカ病院協会が 1983 年 4 月に提起した・・・
「暫定的終局規則」の効力を争う訴訟が、84 年 3 月に「終局規則」の効力を争うよう変更
された訴訟と、同 84 年 3 月にアメリカ医師会等によって提起された同趣旨の訴訟とが併合
されたものであった」
。丸山・前掲注 74「重度障害児医療と合衆国最高裁判所」40 頁。
73
には参加していない。
(2)
さらに、終局規則無効訴訟に関して、その判決の内容自体ではなく、原告である医プ
ロフェッション団体が終局規則の中の(b)~(e)項のみについて訴訟上争い、(a)と(f)の両項に
ついては訴訟上争わなかったことは興味深い。
終局規則は、障害児の差別的処置の禁止という目的を達するための手続を次の 6 項目に
定める。(a)ICRC の基本的概念、(b)次の 3 点について、連邦政府の財政補助を受ける医療
施設内に貼紙を掲示すること。①法 504 条が障害に基づく差別を禁止すること②問い合わ
せ先又は法律違反の事例について病院又は児童保護サービス機関の連絡先③通報者の秘密
保持と通報者への報復の禁止、(c)連邦政府の財政補助を受ける児童保護サービス機関が、
法律違反に当たる障害児差別の医療ネグレクト防止のための手続を設けること、(d)児童保
護サービス機関による医療施設及びその記録への迅速なアクセス、(e)法律違反の施設への
迅速な対応措置、(f)ICRC のモデルである。
訴訟対象を限定したことの理由は判決記録からは明らかでないが、医プロフェッション団
体は ICRC に対して異議はなかったことが推測される。他方で遡ってみると、終局規則制
定の前提として行われた提案規則による意見募集に対する多方面からの意見の中に、
終局規
則の ICRC に関する(a)及び(f)項以外の項目に反対意見は表れていた。
(b)項については、
「要求される貼紙の掲示自体が、既に極めてストレスの多い状況にある
障害児の親に、医師、看護スタッフ及び病院は小児に適切な医療を与えていることを信じる
べきでないという印象を作り出すことで、新生児への医療提供の場に混乱を与える影響をも
たらすという懸念を示す論者もいる137」。(d)項については、
「そのような調査は極めて混乱
をもたらす。OCR の職員は障害者の生命又は健康への危険の程度について判断する資格を
有しない。終局規則は〔記録などへの〕アクセスを認める条件と通常の開業時間後の調査に
適用される手続とを明示すべきである138」。これらは、終局規則の手続が医療施設の業務の
妨げとなるという反対意見である。
前節の 2 で確認した医プロフェッションの提案規則に対する意見とともに、終局規則無
効判決において訴訟対象を限定したことは、
医学会が倫理委員会について全面的な支持をし
たことを示す。それは、終局規則自体が無効になった後も、重症障害児の処置差控えの問題
に専ら取り組んだ小児科学会の活動に引き継がれる。
第3節
小児科学会の倫理委員会モデル②ガイドラインの発表
1.障害児の処置をめぐる問題への小児科学会の取組み
(1) 本節の検討の中心は、1984 年 8 月に小児科学会の中の「小児に関する生命倫理につい
137
138
Supra note 80, Ⅲ. Provisions of the Final Rules, B. Informational Notice.
Id. Ⅲ. Provisions of the Final Rules, D. Expedited Access to Records.
74
ての特別調査委員会及びコンサルタント(Infant Bioethics Task Force and Consultants、
以下、特別調査委員会)」が発表した「小児に関する生命倫理委員会についてのガイドライ
ン(Guidelines for Infant Bioethics Committees)139」である。だが、その検討に入る前に、
ガイドライン発表以前の障害児の処置をめぐる問題への小児科学会の取組みを確認する。
(2)
1983 年 11 月 29 日に小児科学会は、知的障害者協会(Association for Retarded
Citizens)、全米子ども病院及び関連施設協会、全米二分脊椎協会(Spina Bifida Association
of America)、重症障害者協会(The Association for Persons with Severe Handicaps)、全米
精神遅滞協会(American Association on Mental Deficiency)、発達障害者のための大学提携
プログラム全米協会(Amrican Association of Unversity Affiliated Programs for Persons
with Developmental Disabilities)、全米障害者連盟(American Coalition of Citizens with
Disabilities)、全国ダウン症会議(National Down‟s Syndrome Congress) との共同指針声明
という形で140「障害児の処置に関する原則141」を発表した。それは次の 4 パートから構成
される。
第一に序文部分は、
障害を理由にした差別は社会の様々な場面で決して許されないことを
述べる。第二に「情報の必要性」は、専門家組織、支援団体、政府及び個々の医療者が、患
者、処置の決定に関わる者及び社会に、障害者(特に障害児)に関する様々なことを伝えてい
く必要があることを述べる。第三に「医療ケア」は、障害者の医療処置を決定する際に考慮
すべき事項とすべきでない事項や処置に関する原則を挙げる142。第四に「政府とコミュニ
ティの支援」は、障害児の処置に対して政府機関及び私的機関の適切な支援が必要であるこ
とを述べる。143この共同指針声明の中には、倫理委員会に関する言及はない。
(3) 他方で、小児科学会の学会誌 Pediatrics は 1980 年代以降、障害児の治療実施に関わ
る問題144、ドウ規則に関する問題を扱う論稿145、ガイドライン146及び原則147を掲載してき
Infant Bioethics Task Force and Consultants, supra note 82.
全米医師会は共同指針声明を発表した学会及び団体には加わらなかった。Dixie Snow
Huefner, Severely Handicapped Infants with Life-Sustaining Conditions: Federal
Intrusions Into the Decision Not To Treat, 12 AM.J.L. AND MED. 171 at n66 (1986).参照。
141 American Academy of Pediatrics, supra note 128. 声明に関する紹介及び解説は、
Medical, Disability Groups Agree on Principles of Care for Disabled Newborns,
EDUCATION OF THE HANDICAPPED (December 14, 1983).参照。
142 それらの事項や原則は、多くのガイドラインや文献等でも見られる内容である。
143 この共同指針声明中の表現は、児童虐待改正法及び保健福祉省の発表する諸規則の中で
賛同をもって用いられているとの評価がある。Larry Gostin, A Moment in Human
139
140
Development: Legal Protection, Ethical Standards and Social Policy on the Selective
Non-Treatment of Handicapped Neonates, 11 AM. J. L. AND MED. 38 (1985).
144 Peter Singer, Sanctity of Life or Quality of Life ?, 72 PEDIATRICS 128 (1983).
145 Carol Lynn Berseth, A Neonatologist Looks at the Baby Doe Rule: Ethical Decisions
by Edict, 72 PEDIATRICS 428 (1983). Dana E. Johnson and Theodore R. Thompson, The
„Baby Doe‟ Rule: Is It All Bad ?, 73 PEDIATRICS 729 (1984).
Committee on Hospital Care and Pediatric Section of the Society of Critical Care
Medicine, Guidelines for Pediatric Intensive Care Units, 72 PEDIATRICS 364 (1983).
147 Committee on Child Health Financing, Principles of Child Health Care Financing,
146
75
た。当該問題に対する学会の意識が高まっていたことの証左であろう。その中でも、ガイド
ラインや原則と比較して公式なものではないが、
倫理委員会に関して次の 2 つに注目する。
1 つは、学会内の生命倫理委員会(Committee on Bioethics)による「重症障害新生児の処
置148」である。その要旨は、以下のようにまとめられる。①重症障害児が生まれると、処
置の実施をめぐる困難な倫理的問題が生じる。②その状況下で、小児科医は他の誰でもなく
小児に対してこそ、第一の法的及び道徳的義務を負う。だが、医師が卖独で決定するという
伝統的方法には危うさがある。③そこで問題状況を解決する方策として、各施設に倫理委員
会の設置を提言する。倫理委員会にも困難や問題点はあるだろうが、卖独の意思決定より優
れているであろうこと、患者と医師の両方の利益に資する機関であることを強調する。
もう 1 つは、小児科学会会長である James E. Strain の論稿である149。その要旨は、以
下のようである。①学会はドウ規則が適用される問題状況を認識し、ドウ規則の趣旨(障害
に関係なく全ての小児に人道的なケアを与えること)には賛同する。②医師の第一の責任が
小児に対するものであり、
治療を行わないという熟慮された決定がなされるまでは治療の継
続を原則とする。③しかしドウ規則は、医プロフェッション、政府機関、児童保護施設の間
に対立関係をもたらし、配慮を要する医療現場及び治療決定の場への介入になる。したがっ
てドウ規則を承認できない。④治療を行うか否かの決定が困難を伴う場合には、小児に関す
る生命倫理審議委員会(Infant Bioethics Review Committee)の利用が最も有用だろう。
(4)
両者には、学会としての公式な指針やガイドラインという位置付けは与えられていな
いが、学会の専門小委員会と学会長の手によるものであり、その意義は大きいと思われる150。
ただ、
これらは結論として倫理委員会への現実の有用性とそこから生まれる期待を表明して
いるが、その具体的な中身は論じられていない。したがって、小児科学会が考える倫理委員
会のモデルを見るには、やはり「小児に関する生命倫理委員会についてのガイドライン」を
検討する必要がある。
2.特別調査委員会
ガイドライン本体を紹介する前に、特別調査委員会の構成メンバーについて整理する151。
William B. Weil は、小児科を専門分野とする。特別調査委員会の委員長であり、同時に
学会内の生命倫理委員会の委員長を同時期(80~86 年)に務め、小児科医研究学会(Society
71 PEDIATRICS 981 (1983).
148 American Academy of Pediatrics Committee on Bioethics, Treatment of Critically Ill
Newborns, 72 PEDIATRICS 565 (1983).
149 James E. Strain, The Decision to Forgo Life-Sustaining Treatment for Seriously Ill
Newborns, 72 PEDIATRICS 572 (1983).
150 Strain 会長の提案する生命倫理審議委員会は、提案規則に対する小児科学会コメントの
IBRC とほぼ同一の名称である。会長のアイデアを基に学会コメントは作成されただろう。
151 以下の各委員の紹介は、ガイドライン発表時(1984 年 8 月)までの経歴を中心とする。
Marquis Who‟s Who on the Web (http://www.marquiswhoswho.com/index.asp).に依拠し、
それ以外の資料による場合は、別途注記する。
76
Pediatric Research)の会長を務めた(69~70 年)。
William G. Bartholome は、同じく小児科を専門分野とする。全米小児科学会では、特別
調査委員会(84~85 年)の他に生命倫理委員会の委員(81~87 年)、小児科学倫理に関するメ
ディア対応広報担当(national media spokesperson on pediatric ethics)を務める。
法律家、生命倫理学者として著名な Alexander M. Capron は、大統領委員会の事務局長
(executive director)である。彼の存在だけでも、大統領委員会報告書と特別調査委員会のガ
イドラインが浅からぬ関係にあることを推測できる。
Ronald E. Cranford は神経科医且つ生命倫理学者であり、昏睡状態と植物状態の定義基
準を設けることに貢献した脳障害の専門家である152。特別調査委員会には、全米医事法学
会(American Society of Law & Medicine)に所属することを明示して加わる。
Thomas E. Elkins は産科婦人科を専門分野とし、全米産科婦人科学会内の生命倫理委員
会の委員でもあった(83~88 年)。
Richard L. Epstein は法律家であり、全米病院弁護士協会 (American Academy of
Hospital Attorneys)の理事を務めた(75~76 年)。
Norman C. Fost は小児科を専門分野とし、1986 年からは小児科学会内の生命倫理委員
会の委員長を務めた。
Judy Hicks 153 は看護師であり、イリノイ州病院協会の看護部評議会議長 (chairman
council on nursing)を務めた(82~83 年)。特別調査委員会には、全米子ども病院及び関連施
設協会に所属することを明示して加わる。
Robert H. Parrott は小児科を専門分野とし、複数の医学系学会に所属する。特別調査委
員会には、全米子ども病院及び関連施設協会に所属することを明示して加わる。
Robert H. Sweeney も特別調査委員会には、全米子ども病院及び関連施設協会に所属す
ることを明示して加わる。
その他、George A. Little は医学の分野(MD)から、Anne W. Weisman は法学の分野(JD)
から、Jean D. Lockhart(小児科学会の事務スタッフ)は医学の分野(MD)から特別調査委員
会に参加する。
このように、特別調査委員会は、医学(小児科、産科婦人科、神経科)、法学、倫理学、看
護学の分野からの専門家により組織され、小児科学会を代表して倫理委員会に関するガイド
ラインを策定した。
3.倫理委員会の組織構造
(1) 以下、そのガイドラインの内容を詳細に紹介する154。
まず、
「背景(BACKGROUND)」と銘打たれた部分からは、小児科学会の問題意識が窺わ
Ronald E. Cranford, 65, an Expert on Coma, Is Dead, THE NEW YORK TIMES, June 3,
2006.
153 Marquis Who‟s Who on the Web には Judith Eileen Hicks の名前で掲載されている。
154 ガイドラインの該当部分のタイトルを〔
〕で示す。
152
77
れ、それは以下のとおりに要約できる。
問題状況として、重症障害児の処置をめぐる議論が近年広くなされている。小児の処置に
関する難しい決定が常に可能な限り最も有効になされるよう保証する手続を設けることが
論点の 1 つである。
その問題への対応として、全ての病院に「小児に関する生命倫理委員会(infant bioethics
committees、以下 IBC)」を各病院に又は他の病院と協働して設置することを勧める。障害
児の生命維持処置の中止を検討する場合に、
障害児の親及び医師は倫理委員会に相談する旨
の学会の勧告は、大統領委員会報告書の結論と合致する。
ちなみに、1982 年から小児科学会は、この種の問題に取り組む。1983 年には、保健福祉
省による暫定的終局規則の無効を求める訴訟を提起した。終局規則は小児科学会が提出した
コメントが提案したように、小児審議委員会(infant review committees)という概念を支持
する。
〔BACKGROUND より〕
(2) ガイドラインの序文は、IBC の設置を促し、その機能を挙げる(本稿は後述)。さらに設
置を検討する際の考慮事項を 3 点挙げる。①IBC と病院内の既存の他の決定プロセス(他の
倫理委員会など)との関係。②新設のプロセスは、常設の病院内委員会(Hospital Committee)、
必要に応じた臨時の委員会を選出するプロセス又はアドバイザ・グループを含むものである
べきか。③IBC の設置に関して、他施設との協働の可能性(特に独立の委員会を設けること
を理由付ける数の重症障害児を処置しない場合)。
〔INTRODUCTION より〕
(3) 小児の医療に関する倫理的問題のコンテクストにおいては、IBC は 4 つの機能を果た
すべきである。すなわち、
「教育」
「指針の策定」
「事前審議」
「事後審議」である。これらは
「手続及び機能」の項目で詳述される。
〔FUNCTIONS より〕
(4) 組織構造について、次の 3 点が述べられる。①IBC の組織における位置付け(病院運営
組織の委員会、医療スタッフの委員会又はそれ以外でのいずれであるか)は、病院の内規、
病院の記録の秘密保持及び開示についての州法などの諸要素に依拠する。
②1 つの IBC が、
複数病院間の協力事業として複数病院に従事しても良い。③IBC の職務遂行のために事務
的、法的及び財政的に適切な支援が、IBC に与えられるべきである。
〔STRUCTURE より〕
倫理委員会が十全に機能するように配慮して、このような問題にも言及することは、医プ
ロフェッションの学会が出すガイドラインの特色であると、本稿は評価する。
(5) IBC の構成については、多くのことを述べる。
IBC が多様な専門性を持つ委員から構成されることを基本的に肯定し、その理由を 2 つ
挙げる。すなわち、専門性の観点から関係する情報を提供し評価すること、コミュニティの
視点がより善き決定に寄与することである。
その備えるべき多様な専門性は、医療、心理学、福祉サービス資源、看護、ソーシャル・
ワーク、障害者問題、法学、倫理学、その他である。これらの専門性を IBC の委員又は外
部からのアドバイザによって備えるべきである。
IBC の規模は多様性を備えつつ、率直な議論を妨げないサイズであるべきである。
78
IBC のコア・メンバーは、開業医、保育(nursery)の知識がある小児科医、看護師、病院
管理者、障害児の親、障害者団体の代表又は発達障害の専門家、ソーシャル・ワーカー、病
院内のカウンセリング・プログラムのメンバー又は聖職者、法律家、
コミュニティの一般人、
倫理又は哲学の教育訓練を受けた者である。
〔MEMBERSHIP より〕
(6) IBC の管轄範囲について述べられる要点は 2 点ある。①他の同様の機関との関係とし
て、IBC は重症障害児の医療に関する善き決定のために施設内の既存の他の方法に代替す
べきでない。②IBC が扱う問題の性質として、IBC の相談及び審議のプロセスは、可能な
場合に常に全ての決定が患者のケア・カンファレンスにおける適切な議論を経ていることを
求めるべきである。そのようなプロセスを経た論点整理は、一見すると倫理的な対立を事実
に基づいて解決することがある。〔JURISDICTION より〕
4.倫理委員会の手続、機能及び留意点
(1) IBC の運営のための手続と実際の機能(職務)とに二分される部分が、ガイドラインの中
心になる。
〔以下、PROCEDURES AND FUNCTIONS より〕
まず、IBC の手続についての規定を確認する。①理事会が、IBC の設置時に委員の任命
方法及び委員長と副委員長の選出法を決める。②IBC は、会議の開催頻度、委員の代役の
出席、定足数要件などに関する手続を作るべきである。手続を作成するために、蘇生禁止指
令や永続的意識喪失状態にある患者の処置などの問題に関する、
広範な文献や公の指針が有
用である。③定期的な会議は、教育、指針の策定及び事後審議の機能を果たすために必要で
ある。④個々のケースの事前審議機能のために、委員長により会議が〔臨時に〕開催される。
(2) つづいて、IBC の 4 つの機能についてである。前出で省略した箇所とあわせて、各機
能に関する記述をまとめる。
第一に、教育機能についてである。
IBC の教育活動の対象は、病院スタッフ、小児の家族及びコミュニティである。その内
容は、処置をめぐる善き決定を行うために関係する倫理的原則、諸論点並びに重症障害児の
処置をめぐる問題及び障害者とその家族のための支援プログラム事業である。
各病院は IBC の存在と機能、指針、手続及び IBC への連絡方法などが十分に知られるよ
うに配慮すべきである。
〔Educational Functions より〕
(3) 第二に、指針策定機能についてである。
IBC は、生命の危機にある小児のための生命維持処置の差控えに関する施設内の指針及
びダウン症と髄膜脊髄瘤などの特定症例における決定に関するガイドラインを策定し、病院
へ採択を勧告すべきである。その勧告に際して、IBC は障害者の問題について、新生児科
医、小児外科医、障害者にサービスを提供する地域の機関、障害者擁護団体など医学及びそ
の他の分野の専門家に相談すべきである。IBC は指針及びガイドラインが、相談とスタッ
フ要件に関する既存の内規、ルール及び手続に基づくことを保証するために、適切な医療ス
タッフの委員会と協議すべきである。
79
病院が指針及びガイドラインを承認した場合には、IBC はそれらについて病院スタッフ
に通知し教育すべきであり、
それらが適切に実行されることを保証するよう必要な機関に勧
告すべきである。
〔Policy Development Functions より〕
(4) 第三に、相談機能(事前審議)機能についてである。ガイドラインの分量から、小児科学
会が同機能を IBC の为たる機能と考えていると推測される。
〔以下、
Consultative Functions
(Prospective Review)より〕
生命維持処置の差控えが検討されている場合に、IBC は患者家族と医療者の間の対立解
消を助けることを目的として相談及び審議を行うべきである。記述の内容と分量から学会は
これを IBC の为たる機能と考えていると推測される。事前審議は任意のものと強制のもの
とに細分化される。
IBC が申請者の任意で事前審議を行う場合の要点は、次のとおりである。個別ケースに
おいて困難な決定に直面する者との協調的関係を作るため、IBC は、審議対象ケースが自
発的に提出されることを期待する旨を明示すべきである。審議は委員会全体として開催して
も良いし、定められた手続に従って、倫理コンサルタント・チームのような一定の委員に相
談の責任を委ねても良い。IBC が任意の審議を行う場合の例示として、①入院する小児の
医療についての決定が重大な倫理的問題を呈して、病院スタッフ又は小児の直近の家族
(immediate family)の要請がある場合、②入院する小児の医療についての重大な倫理的問題
が公的機関によって提起された場合の 2 つを挙げる。(特に IBC ができた初期は、)小児の
担当スタッフの間又は担当医と小児の親の間で深刻な対立があるケースを、
全て審議すると
いう推定は働くべきである。
〔1.Discretionary Review より〕
担当医と親が小児の生命維持処置の差控えを提案する全てのケースを、IBC による強制
審議の対象とし、その要点は次のとおりである。小児の死が切迫する場合には、審議は強制
ではない。疑わしいケースは審議するという推定は、働くべきである。担当医は、強制審議
を要するケースを IBC に通知する責任を持つ。IBC は、ダウン症や脊髄髄膜瘤などの一定
の症例について、処置の中止が IBC によって常に審議されることを明示できる。〔2.
Mandatory Review より〕
次に具体的な審議のプロセスについて述べられる。
まず、審議の発端となる申請について定める。通常、担当医(適宜にその他の者)が審議(又
は強制的審議が必要か否か)を IBC に求めるべきである。審議の申請者は、委員長、その他
の指名された委員又は病院職員に連絡すべきである。IBC による審議の申請は、匿名でも
可能である。病院は審議を求めた者を秘密にし、その者を報復から守るための手続を備える
べきである。
〔3.Requests for Review より〕
本格的な IBC の審議が行われる前に、予備的調査を行う。審議の申請に基づき、委員長
又はその指名者による事実関係の調査が(家族及び担当医に連絡をとるなどして)行われ、
IBC の会議の開催又は不開催が仮決定される。深刻な倫理的問題を明らかに生じない場合
(例えば、問題とされる小児が病院の患者ではない、小児が深刻な病態ではないなど)は、IBC
80
の審議に適さない申請になる。ただし、審議は、できるだけ行われる方向に推定が働くべき
である。定期的な会議において委員長は、不適切と判断した申請について IBC 全体に報告
すべきである。申請者はその処分について通知される。
〔4.Initial Assessment より〕
ケースの審議を行う場合は、そのために必要な関係者を委員会に召喚できる。召喚される
関係者の例として、小児の親(家族)、担当医、看護師、上級スタッフ、コンサルタント医、
小児の病棟担当者(house staff)、その他小児のケアに関わりの深い者及び審議申請者が挙が
る。小児の親(家族)は、希望する場合には教会牧師などの自らの支援者を伴っても良い。審
議に召喚された者は、
彼らが望まない場合又は審議の討議部分から退席するのが良い場合に
は出席する必要はない。
〔5.Invited Participants より〕
審議は、
次のような目的の下に行われる。全ての関係当事者が自らの見解を提示し、適宜、
他者の見解を聞く機会を有するべきである。あらゆる関係事実を引き出し、ケースから生じ
る問題を明らかにすべきである。小児の利益についての合意を促す目的を持って、様々な処
置の方法を評価すべきである。協調的な雰囲気は決定プロセスに欠けるものを補修し、委員
会及びケースの全関係者が、適切な行動について合意できるようになる。小児の利益が明ら
かにされる決定に関与した家族及び医療者の尊厳と高潔を支援するために、
あらゆる努力が
なされるべきである。
〔6.Plan of the Meeting より〕
IBC による事前審議の結論として勧告を行う場合がある。委員会、家族及び医療者の間
で合意できない場合、並びに、提案された行動が小児の利害に関する明らかに不合理な前提
又は不適切な評価に基づく(例えば、ダウン症児の非合併症的な腸閉塞を治療しない)場合に、
IBC は然るべき行動を勧告すべきである。勧告に関係なく、家族が生命維持処置の継続を
希望し、担当医がそれに同意しない場合は、家族が患者の後見人の地位を公式に免責される
又は現行の病院の指針及び手続に従って処置が中止されるまでは、家族の希望は実行される
べきである。
为たる当事者と IBC の間に重大な見解の相違が続く場合には、IBC は、そのケースを適
切な裁判所及び/又は児童保護機関に報告する責任者たる病院職員に報告すべきである。こ
の場合、IBC は、各委員がグループ・プロセスの強制から自由に自分の誠実な結論を表現
できるような、公式な投票(無記名投票)手続を設けるべきである。そのような手続を用いる
ことは、合意が達成されず、提案される行動は小児の利益に反すると委員が感じる場合に限
定される。法的手続が進む間は、裁判所による権限付与者からの指示があるまで処置を継続
し、現状維持と容態の悪化防止のあらゆる努力がなされるべきである。IBC の勧告は、適
切な覚書をカルテなどに記録するように配慮すべき、担当医に迅速に伝えられるべきである。
誤解を避けるために、特に困難なケースでは、担当医は IBC による覚書の作成を求めるこ
とができる。
〔7.Recommendations より〕
(5) 第四の機能として、協議機能(事後審議)についてである。IBC は、審議すべきケースに
脱漏がないかを判断するため、IBC に照会されたケースの顛末を追及するため及び病院に
よって承認された指針の有効性と受容性を評価するために、
事後的な審議手続を行うべきで
81
ある。特に、重症障害児に対する処置に関する審議は行われるべきである。それは、病院で
生まれた又は入院した障害児の記録の審議及び病院で死亡した小児の審議を含む。その全て
のケースのリストは、定期的に IBC に提出される。全てのカルテを審議すべきか、無作為
に審議すべきか又は予備的な審議を分科委員会に任せるべきか、は IBC の判断事項である。
〔Consultative Function (Retrospective Review)より〕
(6) IBC の運営のために重要な問題として、記録の保存がある。IBC は、全討議の記録、
検討した特定のケースの要約及びそれらのケースの顛末に関する記録を、
医療情報の秘密保
持に関する施設内の指針に従って保存すべきである。IBC の議事録は、最終版になる前に
IBC に承認されるべきである。病院の顧問弁護士は、IBC のために、記録が州法の求めに
よって政府職員又はその他の者の利用に供されねばならない条件を明らかにすべきである。
〔RECORD KEEPING より〕
(7) 最後に、法的な責任関係の問題についてである。IBC から理事会に適切な手段で適宜
報告するための規定を設けるべきである。IBC は、裁判所が小児の後見人を指名する検討
事項として、一定の処置に関する決定が、指名された政府職員に児童ネグレクト又は虐待の
可能性のある事例として報告することに注意する病院職員に課された州法上の責任につい
て、顧問弁護士の助言を求めるべきである。IBC が委員会の手続に従った行動について民
事上又は刑事上の責任を負うことはありえない。それでもなお、病院は IBC の構成員を彼
らの決定に対する責任から保護すべきである。あらゆる場合に、委員会による誠実になされ
た注意深い決定は責任の可能性を最小限にする。
〔LEGAL ISSUES より〕
第4節
保健福祉省の倫理委員会モデル②ガイドラインの発表
1.ガイドラインの沿革と序文
(1)
医療ネグレクトという新たな児童虐待のカテゴリを設けた1551984 年児童虐待改正法
156の成立を求めた議会での争いの結果、連邦政府が直接臨床に介入しないための妥協案が
生まれた。すなわち、州が児童虐待防止のための連邦政府からの財政補助を受ける条件とし
て、障害に基づく新生児への差別を防止するシステムを作ることであり、その 1 つが ICRC
の設置である157。同法の施行に伴って保健福祉省が公表した規則158に付された「ICRC を
Robyn S. Shapiro, Richard Barthel, Infant Care Review Committees: An
Effective Approach to the Baby Doe Dilemma? 37 HASTINGS L.J. 837 (1986).
156 児童虐待改正法が、ICRC のモデルに関するガイドライン発表を求める。Supra note 83.
157 John A. Robertson, Extreme Prematurity and Parental Rights after Baby Doe, 34(4)
155
HASTINGS CENT REP 33 (2004).
児童虐待改正法及び規則に関する議論は、Steven R. Smith, Disabled Newborns and the
Federal Child Abuse Amendments: Tenuous Protection, 37 HASTINGS L.J. 765 (1986),
丸山・前掲 74「重症障害児医療と合衆国最高裁判所」39 頁、永水裕子「アメリカにおける
158
82
設 置 す る 医 療者 の た めの モ デ ル ・ ガイ ド ラ イン (Model Guidelines for Health Care
Providers to Establish Infant Care Review Committee)」を、本節では検討する。
保健福祉省によるガイドラインには、1984 年 12 月 10 日に公表された暫定的モデル・ガ
イドライン159(以下、暫定 GL)と、それに対する意見募集の後に修正を加えて 1985 年 4 月
15 日に公表されたモデル・ガイドライン160(以下、改正 GL)の 2 種類がある。両者はその関
係上内容の重複が多く、重複した紹介を避けるために暫定 GL、それをベースに募集された
意見提案161及びその検討結果としての改正 GL での改正点を詳細に取り上げる。
(2) 序文において、暫定 GL は、ICRC 設置の支持及び GL 公表の社会的背景を述べる。す
なわち、障害児の処置及びサービスに関する諸問題に対する一般社会の注目と、医療に関す
る決定についての論争が過去数年に亘り存在した。その結果、医療処置に関する決定が説明
を受け理解した上で行うもの、
熟慮されたもの及び適切な医療水準に適うものであることを
病院内の委員会(hospital-based committees)が保証することが支持された。大統領委員会の
報告書、多くの医学会162、及び 1984 年児童虐待改正法を通じて議会がこの考え方を支持す
る。保健福祉省はそれらの支持に賛同し、ICRC 設置を促す非強制的且つ助言的な GL を策
定する。ICRC の設置は連邦のプログラムへの参加要件ではない。ただし、保健福祉省は一
定レベルの病院に、ICRC 設置と GL が提案するモデルの検討を強く勧奨する。
この暫定 GL に対して次のような意見があった。すなわち、暫定 GL はその様式、構造及
び文言から GL は強制的である、又は GL に伴う何らかの法律上、規制上、運営上の誘引が
存在するという印象を与えうる。暫定 GL は病院ごとの多様性に対応するには硬直的すぎる
ので、重要な概念や代替的アプローチを提示する方が良い。ICRC の有効性に疑念があり、
保健福祉省は ICRC の勧奨の程度を和らげるべきである。
保健福祉省は、このような疑問や懸念を解消すべく、また ICRC の有効性を支持する考
え方を堅持すべく、改正 GL においては暫定 GL の記述に以下の点を加筆した。すなわち、
GL は全く助言的なもので、いかなる方法によっても強制されない。いかなる連邦法、規則、
行政指針も ICRC の設置を求めず、連邦のプログラムへの参加の要件でもない。病院が
ICRC の設置を選ぶ場合に本モデルに従うことは自由である。保健福祉省は、ICRC の設置
及び/又は本モデルの遵守に対して、何らの法律上、規制上、運営上の誘引又は報償も与え
ない。病院の法律上の責任(州の児童保護サービス機関に関する責任を含む)は、ICRC の設
重症新生児の治療中止-連邦規則の批判的考察とわが国に対する示唆-」桃山法学 8 号
(2006 年)1 頁を参照。
159 Supra note 84.
160 Supra note 85.
161 提案規則発表後の意見募集期間には、前例のない 116000 通(そのうち 115000 通は一般
市民による)の意見が保健福祉省に寄せられた。E. Bruce Nicholson, Final Federal “Baby
Doe” Rule Released, 9 MENTAL & PHYSICAL DISABILITY L. REP. 227 (1985). 本稿で紹介す
る意見は ICRC に関する限りのものであり、その数は判明しない。
162 小児科学会、子ども病院及び関連施設協会、病院協会、医師会、カトリック保健協会、
病院連合会、病院管理者協会、内科医師会、看護師協会その他が挙げられる。
83
置及び/又は本モデルの採択によって消滅も減殺もされない。
〔Ⅰ.Introduction より〕
2.倫理委員会の設置、組織及び運営
(1) 暫定 GL が病院の ICRC の設置形態と ICRC の目的及び機能について述べる。
病院は、卖独で又は他の病院と協働で ICRC を設置する。
ICRC の目的と機能は、①病院職員と生命の危機にある障害児の家族を教育すること②生
命の危機にある障害児に医学的適応のある処置の差控えに関する施設内の指針及びガイド
ライン(以下、指針等)を勧告すること③生命の危機にある障害児に関するケースにおいて助
言及び審議を提供することである。
このような暫定 GL に対しては、ICRC と異なる名称(例えば、IBC)を提案する意見があ
ったが、保健福祉省は ICRC が当該機能を有する委員会の名称としては相応しいと考え、
名称を改定しなかった。
〔Ⅱ.Establishment and Purpose より〕
(2) 暫定 GL が ICRC の構成員を列挙する。ICRC は最低 8 名から成り、以下の全ての職
種を含む。開業医(例えば小児科医、新生児科医、小児外科医)、准看護師、病院管理者、ソ
ーシャル・ワーカー、法律専門職の代表、障害者団体の代表、コミュニティ内の一般人、施
設内の真面目な医療スタッフ(=委員長)である。適する場合に、これらに聖職者の代表を常
時又は臨時に加えても良い。
この暫定 GL には、次のような意見があった。すなわち、構成に柔軟性を持たせるために
構成員を特定すべきでない(例えば、委員を医療スタッフに限定できる)。構成員には、特定
の資格を求めるべきである(例えば、看護師は正看護師、医師は新生児科医)。その他の分野
からも、構成員を選ぶべきである(例えば、特殊教育の教師、倫理学者、家庭医)。ICRC は、
障害児を保護するためのより公式な仕組みを有するべきである(例えば、訓練を受けて第三
者機関から指名された児童擁護者を常任の特別擁護者として置く)。医師及びその他の医療
専門職の数又は割合を増やすべきである。
これらの意見に対する保健福祉省の考え方は、次のようにまとめられる。すなわち、ICRC
は、多様な専門性を有するメンバーからバランス良く構成されるべきである。各職種の構成
員には、特定の資格を求めない。ICRC と裁判所の機能は異なるので、ICRC に訴訟のため
の後見人(guardian ad litem)のような制度は必要ない163。
163
この議論は興味深く、逐語訳して紹介する。
「保健福祉省は、障害児のための公式な擁
護者に関する様々な提案を採用しない。
ネグレクトを受けた小児に関する司法手続において、
小児が熟練した独立の擁護者を有することは非常に重大である。この理由から、児童虐待防
止及び処置に関する連邦法の 4 条(b)(2)(G)は、訴訟のための後見人が、そのような全ての訴
訟手続において子どもを代表するために指名されることを求める。しかし、保健福祉省は、
ICRC と裁判所の機能は大きく異なると考える。裁判所は、自らの面前の当事者の権利及び
責任について拘束力のある決定を行う。対照的に、ICRC の機能は、これらのガイドライン
を発表する保健福祉省の制定法上の命令に定められるように、病院職員及び家族を教育する
こと、施設内の指針を勧告すること、特定のケースにおいて「助言及び審議を提供する」こ
とである。故に、保健福祉省は ICRC において訴訟のための後見人の役割を複製すること
84
そして、この考えに基づき、改正 GL では大幅な改定を行う。暫定 GL は上述の職種を列
挙するだけだが、改正 GL は列挙する職種をコア・メンバーと位置付け、その点及びその他
の点に関してその列挙の前後に以下の要点を含む文章を付記する。①ICRC は、様々な分野
及び視点を有するメンバーから構成される。②委員会の規模は、多様な視点を提示しつつ、
有効性を妨げない大きさであるべきである。③コア・メンバーたる職種から、法律専門職の
代表だけが外される。④ICRC は、
「助言者」の任命などによって、他の専門性の補充を考
えるべきである。そのような補充人員の候補は、聖職者の代表、法コミュニティの代表(弁
護士又は裁判官)、検討中の指針又は特定ケースに専門性を有する医師、子ども又は障害児
の家族に影響する問題について見識を備える者、ICRC の特定の機能及び活動に有効な見識
及び視点を備える他の者である。〔Ⅲ-A. Membership of ICRC より〕
(3) 暫定 GL が ICRC の運営手続を定める。詳細な内容ではなく、必要最低限の事項を定
めた印象が強い。要点は 7 点ある。①病院は、ICRC のための人的支援(法律顧問など)を行
う。②ICRC は、定期的に又は特定ケースの審議が求められる時に会議を開催する。③ICRC
は、
任期や定足数要件などの運営指針を採択する若しくは病院内の適当な職員又は機関に勧
告する。④ICRC は、病院職員及び患者家族に ICRC の存在と機能及び 24 時間利用できる
ことについて十分に情報を与えられていることを保証するための手続を勧告する。⑤ICRC
は、関係するあらゆる法律上の要件や手続164について知る。⑥ICRC は、関係する州の機関
と相互の調整及び協議のために意見亣換すべきである。⑦ICRC は、特定ケースの討議と要
約の記述及びそのケースの顛末の全記録を、
医療情報の秘密保持に関する施設内の指針に従
って保存する。そのような記録は、裁判所の命令又はその他法律が求める場合に適切な政府
機関の利用に供される。
この暫定 GL に対しては、次の 3 点に関して意見があった。各論点に関する議論と保健
福祉省の考えについて要約する。
第一に、ICRC に関する情報の公衆への広告について。児童保護サービス機関が児童虐待
や医療ネグレクトのケースに関する市民からの通報を認めても、保健福祉省は ICRC の機
能を同じ観点から考えない。ICRC は児童保護サービス機関の一部門ではなく、同機関と同
じ手続が ICRC には適さない。ICRC の機能は、適用を受ける法の下で病院の適切な医療サ
ービスの提供を保証することにある。したがって、ICRC は児童保護サービス機関の手続を
真似るより、同機関との調整と協力について指針を策定する方が良いと考え、この点は改正
GL のⅤ-B で定める。同様に、ICRC と児童保護サービス機関の関係について、改正 GL
のⅤ-B で定める。
第二に、ICRC の記録の保存について。記録が供される根拠と対象の限定、記録(保存)の
は、必要でも適切でもないと考える。」
164 例として挙がるのは、
生命の危機にある障害児への医学的に適応のある処置(適切な栄養、
水分、及び投薬など)の差控えを含む、発覚した又は疑いのある医療ネグレクトの事例を、
適切な州の児童保護サービス機関に報告又は通報することを要求する州法の適当な規定及
び州の機関の関係する手続である。
85
様式、児童保護サービス機関への記録の伝達について意見提案された。だが、保健福祉省は
実質的な変更を行わなかった。記録の保存については、現行法の中で定められており、新た
な詳細な規定は、ICRC の目的や機能を考えて、適切でも必要でもないからである。
第三に、ICRC 及びそのメンバーの民事上の免責について。保健福祉省は ICRC の活動に
関して民事上免責できる権限を有さず、関係州法の規定を熟知していない。問題を掘り下げ
る病院及び ICRC は、自施設の弁護士と相談すべきである。
〔Ⅲ-B. Administration of the
ICRC より〕
3.倫理委員会の機能
(1) ここから、ICRC の具体的な機能について述べられる。第一に、教育活動である。基
本的活動(①②)と特定活動(③)とに分かれ、各々の暫定 GL の要点を見る。
①ICRC は、病院職員及び生命の危機にある障害児の家族のために、その病院及び照会関
係にある病院の医療処置の方法や資源に関する最新且つ完全な情報源として活動する。
②ICRC は、生命の危機にある障害児へのサービスと処置を提供するのに必要になりうる、
コミュニティ内の利用可能なサービスに関する情報源としても活動する。
③上記①②の機能を実行するために、ICRC は、以下に関する情報を病院職員及び障害児
の家族が利用できるようにすべきである。国家及び地方の情報資源センター165、リハビリ
テーションサービス及び継続支援などの処置及びサービスを障害児とその家族に提供する
地域の施設及び機関、コミュニティ及び地域の公的私的プログラム及び活動(例えば、障害
児及びその家族にカウンセリング及び支援を提供する組織など)、医療処置及びリハビリテ
ーションの方法及び資源に関する他の情報及び支援活動である。
この暫定 GL については、次の意見があった。これらの教育活動は、ICRC の能力を超え
る。常駐スタッフがメンバーに必要である。これらの教育活動は、重複する又は既に病院ス
タッフが行う。
保健福祉省は、これらの疑問や懸念を否定し、改正 GL に殆ど変更を加えない。ただし、③
の例示に養子縁組措置のカウンセリングとサービスを加えた。〔教育機能(Ⅳ.Educational
Activities)より〕
(2) ICRC の指針策定機能について、一般的な問題について定める。
暫定 GL の要点は以下である。①施設内の指針等を策定する際の基本方針は、生命の危機
にある障害児への医学的に適応のある処置の差控え(以下、障害児への処置の差控え)を防止
することである。②その基本的指針を確定するために、幾つかの用語の定義を行う166。
暫定 GL に対する意見の要点は、以下である。暫定 GL 内で、指針等を「策定する
(developing)」と「勧告する(recommending)」の言葉の違いが不明確である。①のような
Computerised Handicapped Assistance Information Network が例示される。
それらの用語は 1984 年児童虐待改正法の内容と深く関わるものであり、倫理委員会の
機能に中心的に焦点を当てる本稿の趣旨とは異なるため紹介は省略する。
165
166
86
基本的指針の限定は、ICRC の機能の対象を意味し、より一般的な内容にすべきである。
これらの意見に対する保健福祉省の考え方と改正 GL の変更点は、以下である。①ICRC
に関するガイドラインを発表するように命じる 1984 年児童虐待改正法の中では、ICRC の
機能の 1 つは「施設内の指針及びガイドラインを勧告すること」と示され、暫定 GL はこ
の基準から逸脱するものではないが、この点を明確にするように改正 GL 内の必要箇所を修
正する。②いくつかの用語の定義は、改正法施行規則本文に関して激しく論難されて削除さ
れた用語であり、改正 GL でも削除する。③以下のことを定める条項を新たに設ける。すな
わち、施行規則の補遺には、
「医学的に適応のある処置の差控え」の定義を ICRC が理解す
るために有用な保健福祉省の解釈、解釈のための議論などが含まれており、それを ICRC
が検討することを保健福祉省は勧奨する。
〔Ⅴ.Policy Development A.Basic Policy より〕
(3) 指針策定機能に関して、各 ICRC が指針等を各々に策定する問題である。
暫定 GL の要点は以下である。①ICRC は、上記の基本的指針に適った施設内の指針(ジ
レンマを呈する特定ケースのガイドライン及び従われるべき手続)を策定し、病院に採択を
勧告する。②その勧告に際し、ICRC の指針で特定した状態の小児が施設内にいることを
ICRC に通知するように、担当医に求めることができる。③その勧告に際し、ICRC は、障
害児への処置やサービスに関する問題について専門家(例えば新生児科医、小児外科医、障
害児にサービス提供する地域の代表、障害者保護団体)に相談する。④ICRC は、指針等が
既存の規則に基づくことを保証するために、医療スタッフによる適当な委員会に相談する。
⑤ICRC は、策定した指針等について病院スタッフに通知及び教育する。
この暫定 GL に対しては、次の意見があった。第一に、ICRC、児童保護サービス制度、
同制度の活動に責任を負う病院内の者との 3 者間関係の改正又は明確化を求める。第二に、
暫定 GL が求める活動は、過度に規範的で医療活動への不合理な介入である。
第一の意見を受けた改正 GL は、以下の内容を含む新たな条項(第 3 項)を設けた。
すなわち、保健福祉省は、ICRC が病院の既存の手続を審議すること、及び/又は、州の
児童保護サービス制度の活動が障害児への処置の差控えの防止に関する場合に病院と当該
制度との間の有効な調整及び協力を促すための新たな手続を勧告することを勧奨する。その
手続は、以下の内容を含むべきである。①児童保護サービス機関に医療ネグレクトの疑いの
ある事例(障害児への処置の差控え)を報告することの病院、医師及び他の医療専門職の州法
上の責任。
②医療ネグレクト報告に対応するための児童保護サービス機関のプログラム及び
手続に関係して、当該機関との連絡機能を果たす病院内の(ICRC のメンバーでも可167)個人
の指名(以下、被指名者(designated individuals))。③当該機関による諮問に対応する被指名
167
第一の意見への保健福祉省の回答に留意すべき内容がある。すなわち「このモデル案は
ICRC の委員長又はメンバーが児童保護サービス機関との連絡係として被指名者になるこ
とを特に求めなかった。だが、そう指名することは当該機関との調整及び協力を最善に促す
可能性はある。また、各病院が被指名者制度を児童虐待やネグレクトの可能性のある問題に
まで最大限適用できる既存の調整制度に含めても良い。この問題については各 ICRC が取
り組むべきである」
。
87
者と ICRC の間の調整に関する手続。④医療ネグレクトの疑いを、被指名者が当該機関に
迅速に通知するための手続。
⑤障害児への処置の差控えに関する児童保護サービス制度のプ
ログラム及び/又は手続に関連して、当該制度の活動についての州法上のあらゆる要件を病
院内の医療スタッフが遵守することを促す手続。⑥その他の目的に有用な手続。
第二の意見を受けた保健福祉省は、そのような意図がないことを強調し、改正 GL では数
カ所の用語の改正を行った。
〔Ⅴ-B. Development of Specific Policies and Guidelines より〕
(4) ガイドラインによれば、ICRC の为たる機能は、生命の危機にある障害児に関する特
定のケースにおいて審議及び相談を提供することである。ガイドラインは、それを実施時期
に応じて「事前審議及び相談」と「事後的な記録の審議」の 2 種類に分ける。
事前審議及び相談に関する暫定 GL の要点は、次の通りである。
①個々のケースの審議を許す特定の状況下では、事前審議及び相談のために緊急の ICRC
の会議が行われる。
②処置の差控え又は中止に関して、小児の家族と担当医との間で対立がある場合、ICRC
の指針等に定める一定カテゴリのケースにおいて、
生命維持処置の差控え又は中止の予備的
な決定がなされる場合、
病院内の医療スタッフ間で対立がある場合又はその他適当な場合に
は、遅くとも 24 時間以内に緊急の審議が行われる。
③緊急の審議は、ICRC の委員、病院スタッフ、親又は小児の後見人の申請によって行わ
れる。ICRC は審議の申請者の秘密を保持する手続を有し、その者は報復から保護される。
ICRC 又は指名された委員が申請者に ICRC の勧告を適宜通知する。
④ICRC は指針で定めたケースの時機及び性質上、緊急の審議を行うことが現実的に可能
でない場合には、電話その他の方法による審議を行うことができる。
⑤緊急の審議は影響を受ける当事者に公開され、ICRC は以下のことを保証する。すなわ
ち、親、医師及び子どもの利益が十分に検討されること。患者の状態及び予後について患者
家族が十分な情報を与えられていること。患者家族が当該ケースの小児に地理的に近い患者
支援団体及び公的私的機関によるサービスに関するリストを与えられること。ICRC がその
ようなサービス及び団体への患者家族のアクセスを促すこと。
⑥あらゆる選択肢及び要素の包括的な評価を保証するために、委員長は委員の一人をその
特定ケースにおいて、小児のための「特別擁護者」として指名する。特別擁護者は、ICRC
がさらなる処置の実施に関するあらゆる事項を十分に評価し、検討することを求める。委員
長は、
全ての参加者及び傍聴者に対して特別擁護者の指名は完全な討議を保証するための標
準的な手続であること、そのような制度があっても、その他参加者が小児の福祉に無関心で
はないことを明言する。
⑦当事者間での対立がある場合の基本的な方針を示す。
処置について医師と小児の家族の
間で対立があり、家族が生命維持処置の継続を望む場合には、家族の希望はそのような処置
が医学的に禁忌でなければ実行される。医師と家族間で対立があり、家族が生命維持処置へ
の同意を拒否し、ICRC が適切な討議後に家族に同意する場合には、ICRC は処置(適切な栄
88
養、水分及び投薬以外の処置)が差し控えられることを勧告する。医師と家族間で対立があ
り、家族が同意を拒否し、ICRC が家族に同意しない場合、又は、家族と医師は処置の差控
えに合意するが、ICRC はそれに合意しない場合には、ICRC は病院内の理事会又は適切な
職員に対して、適用される報告要件と関係手続に従って、当該ケースを適切な裁判所又は児
童保護サービス機関に迅速に照会することを勧告すべきである。また、裁判所又は同機関に
よる決定又はその他適切な措置があるまで、
処置を継続して小児の状態の悪化を防ぐための
あらゆる試みがなされるべきである。
暫定 GL の以上の要点に対しては、多くの意見さらにそれに関する保健福祉省の議論があ
り、改正 GL が改めた点もある。以下、それを整理する。
②③に関して、審議の過不足を避けるために、③に定める申請者による緊急の会議を開か
ずに、委員長が審議に適したケースか否かを判断する手続を設けるべきである。また②の基
準に従うと、本来審議対象となるべきケースが ICRC の監督から外れることを理由に、関
心を有する全ての者の申請によって緊急の審議を行うべきである。保健福祉省は、これらの
意見に対し、各 ICRC が経験を積んでいる段階にあり、②の基準が対象とするケースの審
議が実際に不必要か否か又は審議すべきケースに脱漏があるか否かについて適切に判断で
きないことを理由に採用せず、改正 GL の実質的な内容は変更されなかった。
②の 24 時間以内の会議の開催は現実的ではないという意見、④の電話会議は直接対面会
議ほどの有効性を持たないので規定から削除されるべきという意見があった。しかし、保健
福祉省はこれらの規定の有効性を信じて、改正 GL では実質的な改定を行わなかったが、迅
速な審議と助言の必要性を強調する文言を加えた。
⑤については、改正 GL が次の 2 点を追加した。ICRC の審議を十分な情報に基づいて行
うために適宜、当該障害や生命の危機状態を扱った経験のある医師を召喚すべきである。ま
た、患者の両親が適切なカウンセリング・サービスの利用を保証される。
⑥については、次のような意見があった。特別擁護者は、訓練を受けて病院から独立した
者であるべきである。また、委員会内に対立的な関係を生むこと、小児の最善の利益につい
て他の委員は関心がなくても良いという印象を与えること、処置が〔医学的に〕正当化され
ない場合でも常に処置の支持者がいることが親を混乱させることを理由に、
同号の規定は削
除されるべきである。
このような意見を受けても、保健福祉省は以下の理由に基づき、実質的な改定を行わなか
った。Ⅲ-A で既述したように、〔訓練を受けて外部の第三者機関から指名されるような〕
訴訟のための後見人のような制度は、ICRC には必要でも適切でもない。不処置が〔医学的
に〕適切で許容される場合には、特別擁護者が「処置のための擁護者」になることは求めら
れない。つまり、特別擁護者はあらゆる関係する要素を十分に検討し、不処置を支持する委
員の判断を論難する必要はない。特別擁護者の指名は標準的な手続であり、その存在は他の
関係者が小児の福祉に無関心であることを意味しないことを、委員長が周知させるようにガ
イドラインは求めている。
89
⑦については、2 つの点に関して意見を受けた。第一には、ICRC は相談と審議の場の提
供よりも、
決定機関の機能を果たすことをガイドラインは勧告しているように解釈されうる。
これに対しては、そのような意図はなく、誤解を避けるために文言を改正した。
第二には、ICRC と児童保護サービス機関との関係についてである。生命維持処置を行わ
ない結論の場合には、ICRC 自身は医学的に適応のある処置の差控えと考えるか否かにかか
わらず、同機関による独立の審議を行わせるために、ICRC は審議の結論を当該機関に報告
すべきである。ICRC が審議対象のケースの存在を知った時点で即時に、同様の目的のため
に同機関に同様の報告を行うべきである。ICRC での議論は、同機関への報告遅滞の許容事
由になるべきである。しかし、これら 3 つの意見を受けても、ガイドラインの改正は次の
理由に基づき行われなかった。すなわち、審議と相談の場を提供する ICRC と、児童保護
のための州の権限を発動させることを決定し、
適切な活動を実行する児童保護サービス機関
とは、果たす役割が異なる。したがって、ICRC の存在及び活動が、同機関に医療ネグレク
トの事例を報告する医療専門職や病院の責任に影響を与えるわけではない。
同機関と医療専
門職及び医療施設との関係は、法的に及び 1984 年児童虐待改正法の立法史において確立し
ている。これらの点を思慮して、暫定 GL は同機関への報告の基準を変えることはない。
〔Ⅵ
- A. Prospective Review and Counsel より〕
(5) 最後に、ICRC の行う事後的な記録の審議である。
暫定 GL の要点は次の通りである。すなわち ICRC は、当該ケースが事前審議を受けて
いない場合に、定期的会議において、小児への医療処置の差控え又は中止に関する全記録が
ICRC の策定した指針等と矛盾しないことを審議する。ICRC が施設内の指針からの逸脱し
たケースを発見した場合に、ICRC は審議を行い、その結果を担当病院職員に報告し、適切
な対応を求める。
この暫定 GL に対して、次の意見があった。①文言から非生産的、事後的、粗捜し的な仕
事を行う印象を与える。②ICRC が逸脱ケースを発見した場合には、児童保護サービス機関
に報告すべきである。または、保健福祉省や同機関の公表に倣って、ICRC は全ケースに対
する審議の記録を同機関へ年 1 回報告すべきである。③ICRC の有益性及び問題点について
専門家や市民に周知させるために、この機能を用いて彼らと亣流する制度を設ける。
①を受けてガイドラインは改正された。すなわち、病院及び ICRC の指針と手続の有効
性を監督する目的を明示する。その目的を徹底させるために、指針の改正が有効又は適切で
あると判断した場合には適切な勧告を行うことも明示する。②に対してはⅥ-A と同様の理
由で改正されなかった。③の趣旨には賛同するが、ガイドラインの射程を超えるとして採用
されなかった。
〔Ⅵ-B. Retrospective Record Review より〕
90
第5節
小括―大統領委員会、保健福祉省、小児科学会の倫理委員会モデルの比較検討
1.大統領委員会、保健福祉省、小児科学会の倫理委員会モデルの比較
(1)
本節では前章及び本章で取り上げた大統領委員会、小児科学会及び保健福祉省が提案
する倫理委員会モデルを比較、検討する。そのために、別表「大統領委員会、保健福祉省、
小児科学会の倫理委員会モデルの比較」に要点を整理した。
以下、別表の各項目のポイントとそれに関する私見を述べる。特に、①大統領委員会報告
書第 4 章が、④小児科学会ガイドライン⑤保健福祉省ガイドライン(改正 GL)に与えた理論
的影響、④小児科学会ガイドラインと⑤保健福祉省ガイドライン(改正 GL)の細部の相違に
着目する。
(2) 別表「A.問題意識」についてである。倫理委員会が必要とされるコンテクストは、3
者が共有する。くわえて、④は学会としてのこれまでの取組みについて、⑤は改正 GL の性
質・効力について論じる。この点は両者の性格上首肯できるだろう。しかし、ここでは現れ
ないが、両者が対応すべきと考えた問題状況は異なっていたのではないかと本稿は考え、こ
の点は後述する。
別表「B.設置、他機関、他施設との関係」についてである。①が裁判所との関係を強く
意識するのは、倫理委員会に関する議論が Quinlan 事件判決から始まったことにあるのだ
ろう。④と⑤の内容には量的な差がある。小児科学会が保健福祉省以上に細部に言及するの
は、医プロフェッション団体としての臨床の現場への配慮からであろうか。
別表「C.構成員」についてである。各々が多様性を重視することには変わりがないが、
細部に違いが見られる。まず②の構成員に看護師が含まれないことには驚きを禁じ得ない。
また⑤は、法律家をコア・メンバーとして不可欠としない点が目を引く(③は構成員とする)。
古今日米を問わず、倫理委員会の構成員として看護師又は法律家を外した例を知らず、その
意図は窺い知れない。ただ、次の「D.運営手続」で、⑤は人的支援の代表例として病院の
法律顧問を挙げており、病院の顧問弁護士が委員になることが現実的ならば、理解できるだ
ろうか168。
別表「E.教育機能」についてである。④と⑤には相違が見られる。④は、教育の内容と
して倫理的性格のものを(恐らくは①に由来する倫理委員会についての基本的な考え方に適
合すると考えて)含める。それに対して⑤は、関係者に現実的な対応策についての情報を提
供するに留まる(③が教育機能を全く考えなかったことに比べれば大きな変化ではある)。両
者の相違は、そのまま倫理委員会の本質的機能の捉え方に関わるであろう。
別表「F.指針策定機能」についてである。④と⑤の重なる点は尐なくないが、大きな相
違がある。⑤は、各 ICRC が独自の指針を策定する際の各指針の基本的趣旨(生命の危機に
ある障害児への医学的適応のある処置の差控えを防止すること)を確認し、さらに医療ネグ
法律家委員について、Norman Fost, Infant Care Review Committees in the Aftermath
of Baby Doe, COMPELLED COMPASSION 289 (1992).
168
91
レクト事例を児童保護機関に報告すべき旨とそのための手続を各指針に含めることを求め
る。④は、障害を理由にした差別的な処置の差控えはそもそも存在しないと考えていること
が窺われ、施設外への報告を考えない。両者の考える倫理委員会の意義や機能について、基
本的な相違が窺われる。
別表「G.事前審議機能」についてである。①~⑤のいずれでも、最も内容の多い項目で
ある。①において基本的な論点は示され、以下のモデルがそれを具体的に実現する仕組みを
考えたと見るべきであろう。
②では倫理委員会の義務としての機能と明示されることからも
重要な機能である。また、①~⑤のいずれを見ても、倫理委員会の事前審査の結論は、審議
申請者に対する強制力を有さない助言又は勧告としての意味しか持たない。
場合によっては、
相談や議論の場として機能することのみを期待し、
倫理委員会が助言又は勧告を出さないこ
とも想定する。
④と⑤を比べて目を引くのは④の詳細さである。
ここでも医療者の立場から事前審議機能
を果たすために必要な手続が丁寧に考案されている印象を受ける。それに比べると⑤は基本
的要点を列挙したに過ぎない感がある。
ただし、そのようなガイドラインを策定した保健福祉省の(③と⑤に窺われる)アイデアの
中では、次の 2 点に注目すべきであろう。電話などを使っての会議については、倫理的な
問題を十分に議論できるかという懸念、
緊急時の委員の招集のしやすさ等その現実可能性や
有用性が問題となろう169。また、特別擁護者制度についても、意義と効果を考える必要が
あろう。そのような存在をあえて設けることは、反対意見が为張したように委員会の会議を
混乱させる恐れはある。しかし、障害児の処置が(差別的に)差し控えられる可能性を考えれ
ば、
障害児の生命や利益を絶対に保護するという高い理想を表現する制度であるとも評価で
きる。この点も、小児科学会と保健福祉省のそもそもの問題状況の捉え方及び倫理委員会の
意義に対する意識の違いを反映するだろう。
別表「H.事後審議機能」についてである。大統領委員会(①②)は、これについて語らな
い。④と⑤の目的とするところは、策定した指針の有効性を確認することで一致するように
見える。だが、④は各倫理委員会の自己研鑽の手段として、⑤は事前審議の脱漏や指針から
の逸脱のチェック機能として考えるように窺える。この相違に対しても、上述と同様の推測
が立つ。
別表「I.記録の保存」についてである。①②とそれ以外では、法的問題として意識する
か否かの違いがある。④と⑤ともにほぼ同じような趣旨と内容に見えるが、④は閲覧許可条
件の確定を各施設に促すのに対し、
⑤は裁判所命令又は制定法で強制的に閲覧を求める可能
性を示唆するに留まる。
⑤は各医療施設には厳しい又は不親切な態度と受け止められる可能
性がある。その反面、小児科学会は医療者を慮り各施設に注意を喚起した。この相違も両者
の問題意識の違いに基づくだろう。
1980 年代半ばと比べて情報通信技術が進歩した現在では、遠隔会議一般の方法も改良
されていることも考慮する必要は当然ある。
169
92
別表「J.法的責任」についてである。①②は法的責任の問題を重視して、比較的明確に
免責について肯定的な方針を示す。特に②は倫理委員会の勧告に従う医療者にも配慮する。
④は倫理委員会の基本的な免責を明示する。
倫理委員会を各施設で抱える医療者からすれば、
免責を明示する小児科学会の立場は歓迎できるものだろう。
他方で保健福祉省は③では法的
責任について何も語らず、⑤は倫理委員会の免責には言及できないという立場を示す。両者
の相違は、ガイドライン自体及び発表为体の性格の相違に因ると考えられるが、倫理委員会
の設置を新規に考える機関としては倫理委員会の免責の問題は無視できない。
2.小児科学会及び保健福祉省の狙い
(1)
これら細部の異同を踏まえた上で、各々の理論的関係及び提案者の倫理委員会をめぐ
る思惑を考察する。
①~⑤の大きな枠組み(A~J の項目)が共通することには、前章で確認したように、大統
領委員会報告書が倫理委員会の基本的な論点を明らかにしたことの影響が大きい。保健福祉
省は、大統領委員会報告書を③ドウ規則制定時から確かに意識しており、①大統領委員会報
告書⇒⑤保健福祉省ガイドラインという系図は成立するだろう。
小児科学会も大統領委員会
報告書の意義や内容は意識しており、①大統領委員会報告書⇒④小児科学会ガイドラインと
いう系図も成立するだろう。また、⑤は③を原型とし、④は小児科学会コメント(本章・第
2 節)を原型とするが、③は小児科学会コメントの影響を大きく受けた。そうであれば、④
と⑤が類似することにも当然の理由がある。
(2)
ところが、④と⑤には問題状況の把握とその問題に対応する倫理委員会の目的、大統
領委員会報告書の提案の捉え方が異なり、絶対的に相容れない部分もある。
小児科学会は、問題状況は障害児の処置に伴う倫理的に困難な決定が当事者(最終的には
医師)に迫られることであり、倫理委員会は医師又は医療者を保護するための組織であると
理解した170。そのことは、第 2 節の 1 の小児科学会コメント及び第 3 節の 1 の学会内の生
命倫理委員会及び会長の見解からも窺える。
それに対して保健福祉省は、
問題状況は障害児の生命が差別的に侵害される可能性が存在
することであり、倫理委員会は障害児の生命保護のための機関であると考えた。それは、ガ
イドラインの運営手続と指針作成機能の内容に児童保護サービス機関との関係が割り当て
られていることに加えて、そもそも ICRC 以外の一連のドウ規則の強行的な制度を想起し
ても想像に難くない。
こうした問題意識の把握と倫理委員会の目的という議論のスタート段階から、小児科学会
と保健福祉省は考え方が異なる。この両者の相違は、小児科学会コメントと③ドウ終局規則
George J. Annas, Ethics Committees in Neonatal Care: Substantive Protection or
Procedural Diversion?, 74 AM. J. PUB. HEALTH 843 (1984)によれば、
「医療施設及びスタッ
170
フは倫理委員会の为たる機能を、
特定の患者を治療する又はしないことに伴う法的責任の可
能性から自分たちを保護することとしばしば考えている」。
93
の比較において最大の相違点である小児のための特別擁護者として既に現れていた。
そして、
小児科学会コメントと③ドウ終局規則とをそれぞれ発展させた、
④小児科学会ガイドライン
と⑤保健福祉省ガイドラインとにおいて、それぞれのガイドライン策定者が倫理委員会モデ
ルの内容を質量ともに拡充させたために、倫理委員会に対するそれぞれの考え方と差異が強
調された。
(3)
上掲の系図のとおり、小児科学会の倫理委員会モデルは、大統領委員会報告書が考え
た倫理委員会に関する基本的な考え方に沿う。同報告書を評価する本稿の立場からは、同様
に小児科学会の倫理委員会モデルを評価する。その上で、小児科学会は医プロフェッション
の代表として、学会員を始めとする医療者が臨床の現場で直面する倫理的問題に、各施設及
び各倫理委員会で対応するためのガイドラインを策定し、倫理委員会の運営を助けるような
内容を盛り込む点も評価できる。例えば、
「B.設置、他機関、他施設との関係」について
の詳細な規定、「G.事前審議機能」に関する当事者に配慮した手続規定、「J.法的責任」
における倫理委員会への免責規定を挙げられる。その限りで、医療者たちの間で受け入れら
れ、臨床で定着した倫理委員会モデルであったと推測できるだろう。
他方、保健福祉省が考える倫理委員会モデルは、保健福祉省がドウ規則制定時から一貫し
て抱いた目的すなわち障害新生児に対する差別的処置の防止を達成するために(「F.指針策
定機能」を参照)、大統領委員会報告書の描いた基本的な考え方からの応用形である、と考
えることもできる。その意味で、保健福祉省モデルの倫理委員会も評価できよう。だが、問
題状況の認識が異なるために、保健福祉省の目的を支持できない医療者にとっては、保健福
祉省の倫理委員会モデルを全面的に受け入れられないのではないか。個々の規定を見ても、
医療者にとっては、保健福祉省ガイドラインは受け入れられないのではないか。例えば、
「D.
運営手続」に関して、倫理委員会は 24 時間利用可能であること、
「J.法的責任」において、
倫理委員会の免責を明らかにしないこと、複数の項目で州の関係機関(児童保護機関等)との
関係を作るよう求めることである。
(4)
しかしながら視点を裏返せば、小児科学会の倫理委員会モデルに肯定的な評価ばかり
を与えることはできない。医療者には望ましい又は受け入れやすい内容は、逆に悪く言えば
彼らには面倒ではない又は都合の良い内容でもある可能性がある。そこから、倫理委員会と
いうプロセスさえ経ていれば、倫理的問題を伴う難しい決定の責任を免れることができる、
責任を拡散できるという意図をもって利用される可能性はないか。それは、大統領委員会報
告書が、無能力患者の生命維持処置を受けない決定手続及び倫理委員会に対する指導原理を、
患者の利益を保護するための手続的正義と考えた趣旨から外れてしまう。例えば、「G.事
前審査機能」において、審議の請求権者に担当医以外の候補が挙げられていないことや小児
のための特別養護者制度を採用しないことは、当事者の対等性と公正な機会の保障を鑑みれ
ば問題であろう。
⑤保健福祉省ガイドラインは、
標榜する障害児の生命保護という差し迫った目的を達成す
るために、「G.事前審議機能」以下で医療者には受け容れにくい内容を課したが、障害児
94
の生命保護という観点からは評価されよう。繰返しになるが、倫理委員会の内容における③
⑤と④との最大の相違点である特別擁護者は、保健福祉省の目的を達成するための重要な制
度である。⑤の「H.事後審議機能」における全ケースのチェックも、生命保護の対象たる
べき障害児が保護を受けていない可能性を探るための厳格な手続である。これについては、
手続的正義を「取り扱いの公正な遂行過程を保障し結果への受容可能性を支えている」と理
解した立場から評価できる。このように保健福祉省が、倫理委員会を設けるのは各医療施設
の医療者であるが、倫理委員会はそれらの利益を保護するためだけの存在とは考えずに、倫
理委員会に厳格な要件を求めたことは、手続的正義の観点から評価できる。
95
第 4 章 患者のケアに関する助言委員会―メリーランド州法の示す倫理委員会
モデル?
第1節
本章の目的と PCAC 法の紹介
1.本章の目的と構成
本章は、1980 年代後半にメリーランド州で制定された「患者のケアに関する助言委員会
法(Patient Care Advisory Committee Act)171」における倫理委員会モデルを紹介、検討し
たい。前 2 章との接続点として、2 つの点を意識する。第一に、大統領委員会報告書が示し
た倫理委員会の基本的な考え方、基本モデルから外れる倫理委員会モデルとして PCAC を
掘り下げたい。第二に、倫理委員会をめぐる社会規範としては前章までの行政規則とガイド
ライン、
医学会のガイドライン及び国家レベルの生命倫理委員会の作成する報告書に加えて、
制定法を検討することになる。それら社会規範の性質を考え、どのレベルの規範を用いてモ
デルを提案することが、倫理委員会が適切な役割を果たすために、最も有効かという視点か
らの研究に通じうる172。
本稿がメリーランド州という 1 つの州に着目した理由は以下である。すなわち、同法の
制定により、メリーランド州は州内の全ての病院に PCAC という倫理委員会を設置するこ
とを制定法で求めた最初の州になった。筆者の知る限り、倫理委員会について正面から規定
した州はメリーランド州の他にはない。倫理委員会の設置を医療施設に求め、倫理委員会の
構成、活動内容、従うべき手続について規定し、倫理委員会のモデルを提示する制定法を設
けた州は、メリーランド州の他にはない。
以下、本章の構成である。第 1 節では、全 5 条から成る PCAC 法を紹介し、検討を行う。
第 2 節では、一歩踏み込んで同法において問題と思われる点についての検討を行う。第 3
節では、PCAC 法の効果を計るために行われた調査研究を紹介する。他法域と比較して、
同法の制定によりメリーランド州の倫理委員会の設置や活動の状況が変わったか否かにつ
いて調べることを目的に行われた調査研究である。第 4 節では、PCAC 法及び PCAC に対
する公的な为体の評価を紹介する。第 5 節は、本章のまとめの議論を行う。
Maryland Health-General Code Annotated§19-370 to 19-374(1990). 以下では、同法
を PCAC 法、患者のケアに関する助言委員会を PCAC とする。2008 年の同法の和訳を本
章末尾に「資料」として掲載する。なお、本文における紹介、検討の対象は 1990 年に施行
された法律である。その理由はそれ以前の版からの多くの改正をした 1990 年法は現行法に
ほぼ等しい内容であること、本章で紹介する論者らの見解が 1990 年前後のものであり、当
時の法律を対象にすることがある。条文ごとの改正の経過は資料に併記する。
172 この視点からの研究の示唆を与えるものとして、位田隆一「先端医学・生命科学研究と
法」ジュリスト 1339 号(2007 年)2 頁、同「医療を規律するソフトローの意義」樋口範雄、
土屋裕子編『生命倫理と法』(弘文堂、2005 年)70 頁。
171
96
2.PCAC 法の沿革
全 5 条の PCAC 法は、メリーランド州制定法の中で医療、公衆衛生、薬事などを扱う
Maryland Health-General Code Annotated の「第 19 章 ヘルスケア施設(Title19 Health
Care Facilities) 」「 第 3 節 病 院 及 び 関 連 施 設 (Subtitle 3 Hospitals and Related
Institutions)」の中に「第 9 款(Part 9)患者のケアに関する助言委員会」として規定される。
同法は 1986 年 5 月 27 日に成立、翌年 7 月 1 日に施行された。その後条文ごとに回数は異
なるが 2008 年までに数次の改正を経る。
Paula C. Hollinger173は、メリーランド州の上院議員として PCAC 法を提案し、成立ま
でにその後 3 年を費やした。その Hollinger が 1991 年に同法の制定を記念した Maryland
Law Review での誌上シンポジウムを企画し174、企画責任者として次のように述べる175。
すなわち、PCAC 法の制定に際しては、医師、ソーシャル・ワーカー(以下、SW)、聖職者、
病院幹部(hospital executives)、州のカトリック会議(Catholic Conference)、司法長官等か
ら意見や情報を収集した。児童虐待防止及び処置に関する連邦規則176が制定されたことが
立法作業に大きな影響を与えた。多くの事件が裁判所で扱われた中でとりわけ倫理委員会の
可能性と機能に言及した Quinlan 事件判決177と、裁判所が実在する倫理委員会の報告書を
検討した Torres 事件判決178に触発された。
以下、PCAC 法の全容を紹介し、解説を付す(PCAC 法の全訳を、本章末尾に掲載する)。
3.定義規定
「助言」とは、
「助言委員会の勧告」をいう(§19-370(b))。この助言は医療施設又は医療
者に出され、強制力を伴わない(§19-374(b)(1),(f)参照)。このような助言を行う委員会を、
Hollinger のキャリアは看護師としてスタートした。Marquis Who‟s Who on the Web
(http://www.marquiswhoswho.com/index.asp).を参照(アクセス日:2011 年 10 月 10 日)。
また、Hollinger は下院の環境問題委員会(the House of Delegates Environmental Matters
Committee)に参加したこともあり、その経験が本法の制定作業に役立ったとのことである。
同委員会では、いわゆるベビードゥ事件、中絶及び LW の問題に関する法案を検討した。
174 このようなシンポジウムの開催自体が、PCAC 法及び PCAC に対してメリーランド州
の法律家及び法学研究者が注目を寄せた証左であろう。Hollinger 以外には 5 人の論者が寄
稿した。Diane E. Hoffmann, Susan M. Wolf, John C. Fletcher, Jonathan D. Moreno, Gail
J. Povar である。Fletcher 以外の論者については、本稿で適宜言及して紹介する。Fletcher
の議論は、バイオ・エシックスの発展の歴史の中で倫理委員会(Institutional Review Board
も含む)を捉え直すことを为眼としており、PCAC 法や PCAC に関する言及は殆ど見られな
い。John C. Fletcher, The Bioethics Movement and Hospital Ethics Committees, 50 MD.
L. REV. 859 (1990).
175 Paula C. Hollinger, Hospital Ethics Committee and the Law: Introduction, 50 MD. L.
REV. 742 (1991).
176 Child Abuse and Neglect Prevention and Treatment, 45 C.F.R.§1340.15 (1990).当該
規則には、倫理委員会(Infant Care Review Committee)を各病院が設置するためのガイド
ラインが付される。Supra note 85. 本稿第 3 章・第 4 節参照。
177 Supra note 101.
178 In re Torres, 357 N.W.2d 332 (1984).
173
97
Susan M. Wolf は相談モデル(Consultation Model)と呼ぶ。専ら医療者のために、相談機能
を果たす。PCAC は以下の諸々の点で、このモデルに合致すると大略考えて良い179。
「助言委員会」とは、
「患者のケアに関する助言委員会」をいう(§19-370(c))。
「申立人」とは、
「患者のための医的結果を伴う決定をなす責任を負う者」をいう。
「患者」
「医師」「正看護師」
「SW」「家族構成員」
「後見人」「患者のための医的結果を伴う決定を
なす代理権を有する者」又は「その他、患者のケアに直接関与する医療者」のいずれかであ
る(§19-370(d))。申立人は、PCAC に後述の事前審議180を実施するように要請できる。重
要な役割を持つ申立人について、明確な範囲及び定義に関する規定を設ける。
他の法律の定義によれば、
「家族構成員とは血縁、養子縁組又は婚姻により子と親族関係
にある者をいう181」
。これに倣えば、PCAC 法における家族構成員は、血縁、養子縁組又は
婚姻により患者と親族関係にある者になろう。医療に関する決定者の問題を考える際に、家
族構成員の範囲を画することは難しい。例えば、Wolf は PCAC 法及び倫理委員会一般に関
する論考の中で、家族という言葉の範囲を上述の定義よりも広く「出生、養育又は婚姻によ
る患者の血縁者に限らず、患者の親しい者(intimates)」とする182。
同様に他の法律の定義によれば、
「後見人とは障害者のために、その身体若しくは財産又
はその両方の事項について裁判所によって任命された後見人をいう 183」。これに倣えば、
PCAC 法における後見人は、患者のためにその身体若しくは財産又はその両方の事項につ
いて裁判所によって任命された後見人になろう。
PCAC 法は、様々な立場を列挙することから、申立人の負う「責任」は「医的結果を伴
う決定」を行うことで生じる法的な責任ではなく、患者に対する医療処置を決定するプロセ
ス(後述する事前審議)への関与自体を意味するのであろう。
Susan M. Wolf, Ethics Committees and Due Process: Nesting Rights in a
Community of Caring, 50 MD. L. REV. 814 (1991).
また Wolf によれば、それと対比として裁定モデル(Adjudication Model)が考えられる。
専ら患者の保護のために医療者と患者らを平等に扱う委員会で、
裁判所に準じた組織になる。
だが、実際の倫理委員会は 2 つのモデルに容易に峻別できない。そのことが患者の権利及
び利益を損なう形で医療者に資する。そのような状況を改めるために、倫理委員会は法的、
倫理的な意味においてデュー・プロセスの義務、患者のための保護手続を与える義務を負う。
患者らと医療者の良い関係を構築し、その中で患者の権利や利益を尊重する方向に医療界を
変えようとする変革的義務を倫理委員会が果たすことを Wolf は重視する。
180 本章では、医療処置の実施以前に倫理委員会がその倫理的適否を検討して勧告すること
を表す言葉として「事前審議(prospective case review)」と「ケース・コンサルテーション」
を同義に用いる。本稿は前者が適当と考えるが、諸論者が用いる“case consultation”に配
慮する。
181 Maryland Family Law Code Annotated§5-701(g)(1990).家族法を扱う Maryland
Family Law Code Annotated の「第 5 章.児童 第 7 節.児童虐待」に定義規定が置かれる。
182 Wolf, supra note 179 at n.19.
183 Maryland Courts and Judicial Proceedings Code Annotated §3-201(c)(1990).司法手
続を扱う Maryland Courts and Judicial Proceedings Code Annotated の「第 3 章.一般的
管轄権の裁判所―管轄権/特別訴訟原因 第 2 節.仲裁判断の抗弁」に定義規定が置かれる。
179
98
「関係施設」とは、
「関係施設から独立して運営される日常生活ケアホーム」以外の施設
をいう(§19-370(e)184)。他の法律によれば、「関係施設」とは、日常生活ケアホームとは
異なり、
日常生活に関するケアだけでなく身体的ケア又は介護も夜間にも複数人に提供する
ための条件や設備を備えた施設又はホームである185。具体的には、高齢者用ナーシング・
ホーム、回復期療養所(convalescent home)、障害者用ナーシング・ホームなどの関係施設
が挙げられる186。他方、
「日常生活ケアホーム」とは、他の法律によれば、日常生活に関す
るケア(家事、食事の提供、日常生活に必要な物資の提供、シェルター及び日常生活上の監
督指示)のみを、複数人に有償で施設入居や在宅の形で提供するホームである187。関係施設
と比較して、小規模で非専門的なケアのみを提供するケアホームには、PCAC の設置を求
めない趣旨の除外規定である。
4.設置及び活動形態
病院及び関係施設は、PCAC を設置する。同様に、PCAC の会議を開催するための明文
手続を設ける(§19-371(a))。PCAC 法は、不遵守に対する罰則規定こそ設けないが、州内
の全ての医療施設に PCAC とその運営手続を設けることを求めた。
関係施設に設置された PCAC は、3 つの活動形態のいずれかを選ぶことができる。すな
わち「関係施設において卖独で」
、
「病院の助言委員会と協働して」又は「他の 30 箇所未満
の関係施設を代表する助言委員会と協働して」活動する(§19-371(b))。第 3 形態の「他の
30 箇所未満の関係施設を代表する助言委員会」とは、各関係施設に設けられた各 PCAC の
上位機関として一定地域を統括して活動する PCAC のことであろう(以下、地域 PCAC)。
各関係施設 PCAC が対応できない問題について、地域 PCAC に諮問できる関係であろう。
しかし、病院が設置する PCAC には活動形態に関する規定がない。病院 PCAC は卖独で
活動することが想定されている。
5.構成員
PCAC を構成するために必須な委員は、
「医師」
「正看護師」「SW」及び「病院の最高経
営責任者又は当該助言委員会のある各病院及び各関係施設から指名された者」の 4 名であ
る。医師と看護師の委員には、PCAC で事前審議の対象になった患者に「直接に関与しな
い」者が就任する(§19-372(a)(1))。これら 4 職種の委員が PCAC の中心になる。同じ職種
§19-370(e)は 1990 年改正法により追加された。設置施設の範囲の拡張を唱えた州司法
長官の意見(後掲注 62)の影響を受けた可能性が高いと推測できる。
185 Maryland Health-General Code Annotated§19-301(l)(1990).Maryland
Health-General Code Annotated の
「第 19 章.ヘルスケア施設 第 3 節.病院及び関係施設 第
1 款.定義、一般規定」に定義規定が置かれる。
186 Hollinger, supra note175 at 744.
187 Maryland Health-General Code Annotated§19-301(e),(n)(1990). Maryland
Health-General Code Annotated の
「第 19 章.ヘルスケア施設 第 3 節.病院及び関係施設 第
1 款.定義、一般規定」に定義規定が置かれる。
184
99
の委員が複数名いることは問題ない。さらに、各 PCAC は設置施設が選んだ「コミュニテ
ィの代表者」及び「倫理アドバイザ又は聖職者」のうち、1 名以上を委員として加えること
ができる(§19-372(a)(2))。
PCAC は事前審議を行う場合には、適宜に「患者の医療処置チームの全員」
「患者」及び
「患者の家族」に意見を訊くことが義務付けられる(§19-372(a)(3))。申立人が事前審議の
実施を PCAC に求める場合は、申立人自らが希望する者を伴うことができる(§19-372(b))。
6.为たる機能
PCAC の为たる機能として、次の 3 つが挙がる。それらは、倫理委員会の機能として一
般的に多くの文献や指針等で挙げられる機能である。
第一に、
「申立人が求める場合には、生命の危機状態にある者に関するケースにおいて助
言をする」事前審議機能がある。これは実施が義務付けられる(§19-373(a))。第二に、
「施
設内の職員、患者及び患者家族を医療上の意思決定に関して教育する」機能がある。第三に、
「医療処置の差控えに関する施設内の指針及びガイドラインを審議及び勧告する」機能があ
る。両機能の実施は各 PCAC の判断に任される(§19-373(b))。
これら 3 つの機能については「それらにとどまらない」という但書が付される。すなわ
ち、事前審議できる対象は「生命の危機状態にある者に関するケース」に限定されない。教
育機能の対象は「医療上の意思決定に関して」であり、指針及びガイドラインの審議及び勧
告機能の対象は「医療処置の差控え」である(中止を含まない)。両機能の対象の基本的射程
は異なるが、それらに限定されない。
7.事前審議機能
PCAC の 3 つの機能のうち、事前審議機能が最も重要な機能と考えられ、審議の事前、
実施時、事後に対応する細かな規定が設けられる。
事前審議の実施前に、PCAC は「患者、患者の直近の家族構成員、患者の後見人及び患
者のために医的結果を伴う決定をなす代理権を有する者に対して、以下に掲げる個人の権利
について通知するよう誠実に努力する」。すなわち「申立人になること」
「医的なケア及び処
置に関する選択肢について助言委員会と面談すること」及び「助言委員会の助言の基本的性
質に関する説明を受けること」の権利である(§19-374(b)(1))。これらのこと及び「助言委
員会」
という名称から次のことが推測される。
第一に、申立人は事前審議の実施を申し立て、
意見を述べることはできるが、その討議に加わることはできない。第二に、PCAC の助言
は申立人にではなく、設置为体たる医療施設又は医療者に対して行われる。
事前審議では、
「患者の希望を表す情報又は文書は何であれ、…他に先んじて重視される
(§19-374(b)(2))」
。
「患者の希望を表す情報又は文書」は、いわゆる AD であろう188。
メリーランド州は 1993 年に初めて AD に関して立法した。Md. Health-General Code
Ann. §5-601 to 5-618 (1993).
188
100
事前審議機能に伴う事後的な手続として、次の 2 点が確認される。第一に、PCAC が行
う事前審議における「審議過程及び討議内容は、Md. Health Occupations Article§
14-601189に規定されるように秘匿される(§19-374(e)(1))」。すなわち、PCAC の議事録や結
論に関する記録は非開示である。
第二に、患者の医療処置についての「助言委員会の助言は、患者の医療記録の一部」とし
て保存され、
「
〔Maryland Health-General Code Annotated の〕§4-301,302190に基づき秘
匿される(§19-374(e)(2))]。すなわち PCAC の助言は患者の医療記録中の特定情報として扱
われ、原則的に患者本人又は患者の代理人の公開要求にのみ応じる。ただし例外的に、合理
的な理由(患者本人の処置のために必要、法定政府機関に情報提供する、医学研究に利用す
るなど)に基づく情報公開の請求には応じる。その場合は、書面による情報提供を合理的な
時間内に行う。その提供情報に PCAC の助言も含まれる。
8.免責規定
PCAC の設置や活動に関連して、いくつかの为体及び場合ごとに責任を免除する。
第一に、PCAC 及びその委員を免責する。PCAC が事前審議を行い、誠実に行った助言
に関しては PCAC も個々の委員も民事及び刑事上の法的責任を負わない(§19-374(c))。
第二に、PCAC の設置に助力した者を免責する。設置に助力した者はその者自ら、設置
施設、PCAC 又は PCAC 委員が誠実に行う助言活動に関しては民事及び刑事上の法的責任
を負わない(§19-374(d)前段)。その場合(設置に助力した者が免責される場合)に、PCAC 及
び PCAC 委員が代位責任を負わされることもない(§19-374(d)後段)。
第三に、病院又は関係施設は、PCAC の助言が病院又は関係施設の明文の指針に対立す
る場合には、その助言を実行しないことで民事上の法的責任を負わない(§19-374(f))。免責
される为体は、PCAC が助言を与える対象になる「病院又は関係施設」であること、医療
者を含まないことに注意を要する。病院又は関係施設は、自身の免責のために PCAC を設
置すること又は施設内の指針を策定することのいずれかを求められる。
第2節
倫理委員会モデルとしての PCAC の検討
1.PCAC の設置と活動における協働関係の問題
(1) 本節では前節の逐条的な紹介から一歩踏み込んで、PCAC を倫理委員会として見た場
合の問題点を考える。論点及び評価の基準は、大統領委員会報告書など第 2 章及び第 3 章
189
医療の質を維持・改善することや医療者の懲罰に関する事項を評価することを目的に活
動する様々なレベルの施設や団体が設ける医療審査委員会(medical review committees)に
ついて規定する。なお§14-601 は 1990 年当時の条文であり、現在は改正を経て§1-401 に
改められている。
190 医療者の医療記録の開示について定める。
101
から得た知見になる。
(2)
設置及び活動における協働関係について考える。§19-371(b)によれば、関係施設
PCAC は卖独で活動することはもちろん、病院 PCAC 又は地域 PCAC と協働で活動するこ
とができる。関係施設が病院に比べて様々な資源が乏しい(と推測される)ことに配慮して191、
関係施設 PCAC が病院 PCAC に協働関係を求めること192ができたり、関係施設が各々の
PCAC の上位機関たる地域 PCAC を設置できたりすることは有意義である。特に、後者の
2 段階での倫理委員会の設置は評価できる。基本的には各関係施設 PCAC が問題に対応す
るが、
より難しい問題が生じた場合に各関係施設が資源を出し合う結果として優れた内容に
なる地域 PCAC に諮問するという 2 段階での問題対応の仕組みである。各医療施設が個別
には倫理委員会を設けずに倫理委員会を協働設置するアイデアは、ドウ終局規則、小児科学
会ガイドライン及び保健福祉省ガイドラインにも見られた。
そのアイデアを一歩進めるのが
本規定である。
しかし、本規定では認められていない(が、認めた方が有意義である)協働関係が他に 5 通
り考えられる。①関係施設 PCAC 間の協働関係、②病院 PCAC から持ちかける関係施設
PCAC との協働関係193、③病院 PCAC 間の協働関係、④病院 PCAC と関係施設の設置する
地域 PCAC との協働関係、⑤複数の病院が共同の地域 PCAC を協働設置して、その地域
PCAC との協働関係である。
2.構成員の問題
(1) 構成員について考える。§19-372(a)(1)は、PCAC に必須の職種を定める。まず、医師
と看護師の委員も最低 1 名いれば良いとする点が問題になる。医師と看護師の常任委員が 1
名しかいない委員会において、
その委員になった医師と看護師が担当するケースが事前審議
の対象になると委員会が成立しない。医師と看護師の常任委員が複数名いなければ、常設の
委員会としては機能しないであろう。
他方でさらに問題がある場合として、特定の医師と看護師が常任の委員ではない可能性が
ある。事前審議すべきケースが持ち込まれると、そのケースに関係しない医師や看護師が、
委員として選出されるという仕組みである場合である。PCAC 法の規定からは、委員会が
非営利のナーシング・ホームを構成員とする高齢者ホーム・サービス協会による 1997
年の調査によれば、66%のホームが倫理委員会を設置する。128 施設のナーシング・ホー
ムから成るニューヨーク市長期ケア倫理ネットワークの調査によれば、1994 年には 41%の
設置率が 1999 年には 71%に上昇した。Diane E. Hoffmann & Anita J. Tarzian, The Role
and Legal Status of Health Care Ethics Committees in the United States, LEGAL
PERSPECTIVES IN BIOETHICS: ANNALS OF BIOETHICS SERIES 49 (Ana S. IItis et al. eds.,
2008). これらの数字から本文の推測が外れている可能性も否めない。
192 事前審議や指針の作成時に互いに諮問し、施設内の教育活動を共同で行うことなどが考
えられる。
193 (b)項(2)の記述からすれば、関係施設 PCAC から病院 PCAC に協働関係を求めることは
できても、その逆はできないように読める。
191
102
常設であるべきか否かが判然としない。この場合には、委員個人に倫理的問題に対応するた
めの経験の蓄積を見込むことができないし、
委員会の運営手続に一貫性が得られるか怪しく
なる。
(2)
また、委員として挙がる職種には多様性がない。委員の構成に多様性を確保する重要
性は大統領委員会報告書で提言された理念であり、同報告書が提示したモデル法案は 9 つ
の職種の委員を求め、医師委員は複数名且つ専門が異なることも求めた。それに比べて、
PCAC 法では任意の委員の職種((a)項(2))を含めても 6 職種しかない。
医学的観点以外の法的・倫理的・社会的観点を代表できる委員が基本的には SW しかい
ないことに、大きな問題がある。医師や看護師がそれらの観点につき知見がない又は意見を
述べない、患者の利益を代弁しないということではない。医師や看護師の第一の職責は、医
学的観点からの意見表明である。その上で、自身が把握する個々の患者の希望や個別的事情
などの患者の福祉に関する事項にも通じていれば、意見表明もするだろう。だが、医師や看
護師にとっても個々のケースにおける患者の福祉からの自身の見解を補強するために、法
的・倫理的・社会的観点を専門にする職種が必要ではないだろうか。具体的には大統領委員
会報告書等に挙がる職種である法律家、倫理学者、聖職者、患者団体の代表、コミュニティ
の代表などが考えられる。
(3) 次に、具体的な個々の職種について検討したい。まず PCAC の委員に法律家が含まれ
ていないことは問題ではないか。保健福祉省ガイドラインについても、法律家がコア・メン
バーとして含まれていないことに疑問を呈したが、本条に対する驚きと疑問には、それ以上
のものがある。保健福祉省ガイドラインは法律家を適宜補充することを求めるが、PCAC
法は本条(a)項(2),(3)のように法律家のいかなる関与も求めないからである。法律家がいなけ
れば、法的な観点からの検討ができなくなる可能性が高い。例えば、生命の危機状態にある
患者への治療中止を認めるか否かを検討する場合に、治療中止行為に対する法的評価や AD
に関する州法の規定についての知見をどのように得るのか。また、法律家が委員にならず、
法的観点からの考察や知見の程度が疑わしい倫理委員会に、
後述の法的免責を安易に与える
ことは問題ないのだろうか。
その一方で(a)項(1)(ⅳ)で病院を運営する側の人間が委員になることを求めることは、問
題ないのであろうか。多様性があるとは言えない PCAC 法の委員構成にもかかわらず、運
営する側の人間を委員にすることは 2 つの疑問が生じる。第一に、PCAC が扱うのは倫理
的問題だけではないのかという職分範囲に疑問を覚える。第二に、PCAC は誰のために存
在するのかという PCAC の中立性に疑問を覚える。端的に言えば、PCAC は患者でも医療
者でもなく、病院経営のための問題解決機関と解されないだろうか194。
194
本邦の研究倫理に関する各種のガイドライン(「臨床研究に関する倫理指針」
「ヒトゲノ
ム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」
「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」)が、
機関の長が倫理審査委員会の委員になること、又は委員会の審議・採決に加わることを禁じ
るのは、審査の中立性を損なわないためである。研究倫理と臨床倫理との違いはあるが、倫
理審査における委員の中立性は、
研究倫理審査委員会も病院内倫理委員会も共通して達成す
103
(4) 以上のように、構成員に関しては問題点が多いが§19-372(b)は評価できる。すなわち
申立人が事前審議の申立てに際して自らの意見を代弁したり、自身に足りない知見を補った
りする者を伴うことができる。患者が申立人になる場合には、この付添人の存在から倫理委
員会の場に法的・倫理的・社会的知見を補うことは可能かもしれない。
3.患者保護のための手続の問題
(1) 患者らの保護のための手続について考える。PCAC 法には、患者及びその家族を保護
するための手続規定が含まれる。Wolf は、倫理委員会が様々な意味においてデュー・プロ
セスの義務を負うことを重視し、同法の規定を検討する195。以下、その見解を紹介する。
同法中の最も詳細な手続規定は§19-374 であり、生命の危機状態にある者のケースに関
する事前審議機能に関する細則である。(b)項(1)に挙がる者でなく、医療者が申立人として
活動する場合にも有する権利か否かは条文の文言からは明らかではないが、(b)項(1)(ⅰ)~
(ⅲ)の権利を創出した点において、患者らに対して寛大である。また、(e)項(2)の文言より、
委員会は助言を書面で出さなくてはならない。
§19-374 が対象にしないケースの場合、つまり生命の危機状態にある者のケースに関す
る事前審議を行う以外の場合には、§19-372 が一般的手続規定として適用される。この場
合には患者の手続的保護が大きく制限されているが、そもそも手続的保護を 2 つの場合に
分けることに理由がないと考えられる。
特に患者らへの諸権利の通知がないこと及び患者ら
には委員会の助言を受ける権利がないことが問題である。(a)項(3)は、患者及び患者家族が
委員会に意見聴取され、そこで患者らは意見を述べられる可能性を示すが、何が「適当なケ
ース」であるかは明らかではなく、委員会が患者及び患者家族に意見聴取するか否かが委員
会の裁量に任されることが問題である。(b)項については、患者が申立人になる場合に、弁
護士などを伴うことができる手続的保護を与えることは評価できる。
§19-371(a)(2)の書面による手続は、間接的ではあるが患者らに手続的保護を与える。こ
の書面による手続がケース・コンサルテーションのための手続であるか否かは、条文からは
明らかではないが、
そうであるならば書面によってルールを定めるという最低限の保護を与
えるものである。
(2) さらに、Wolf は、PCAC 法が欠く手続的保護を考える196。第一に、申立人にならない
場合にも、患者及び患者の代理人に PCAC が患者のケースを審議する旨を伝える。第二に、
その際に PCAC 内の手続及び患者らが行使できる手続上の選択肢も教える。第三に、患者
らには、事前審議機能を行う以外の場で、定期的に PCAC の存在と機能を教える。
そして、Wolf は、より患者の保護を徹底するために、次のような手続を提案する197。そ
れは、PCAC が 3 つのレベルの間違いを犯さないことを目的にする。第一に、医学的事項
べき目標であろう。
195 Wolf, supra note 179 at 845-848.
196 Id. at 847-848.
197 Id. at 849-850
104
の理解における間違いを防ぐために、真の利害関係人である患者又は代理人が担当医の医学
的見解に異議を申し立て、そのためには他の医師にセカンド・オピニオンを求めることがで
き、自らの医療記録にアクセスできるべきである。第二に、患者又は代理人の意見に関する
間違いを防ぐために、患者らは医療者を介さず PCAC に意見を直接提示すべきである。第
三に、各ケースに妥当する倫理的原則に関する間違いを防ぐために、患者らは倫理学者、聖
職者、法律家などに相談ができ、必要があれば PCAC に彼らを代弁者として伴うことがで
きるべきである。そのためにも、PCAC は、患者らが検討できるように結論を書面で提示
すべきである。最後に Wolf は、これらの手続を設けることを法的・倫理的義務として、患
者の権利を強化するために PCAC が定期的な自己評価手続を設け、患者の視点から自己評
価を行うべきであると考える。
4.免責規定の問題
(1) 免責規定について考える。§19-374(c),(d),(f)は、PCAC 及びその関係者に対する免責
規定である。倫理委員会の法的責任に関する問題を扱った論者には、Andrew L. Merritt が
いる198。免責に関する制定法がない状態における「助言的役割を果たす委員会199」のコモ
ン・ロー上の責任についての考察が、Merritt 論文の中核を成す。そこから得られる知見を
もとに、PCAC 法の免責規定について検討したい。
(2) 第一に、PCAC の法的責任について考える。Merritt によれば、倫理委員会が医療者へ
の助言活動によって責任を負う可能性は、幇助若しくは教唆又は専門家過誤のいずれかの方
途より生じる。まず、倫理委員会は医療者に不法な行為を行うよう助長し、委員会が不法行
為を構成する全ての事実状況を知っていて、第三者としての患者が損害を受けたならば、委
員会は助言を実践した医療者に対する幇助又は教唆による責任を負う。他方、専門家過誤責
任については、
患者が倫理委員会の直接の依頼者である又は倫理委員会が意図する受益者で
ある場合にのみ、委員会の責任が認められる。両方途は矛盾する結果を導くが、その矛盾を
解決するために Merritt は、倫理委員会が患者の立場で患者の利益のために活動するという
推定を働かせることを提案する。この推定は、患者の利益の増進という最も重要な医学の目
的と一致する200。倫理委員会の法的責任に関する一般原則として Merritt の为張が妥当で
あるならば、一般的な倫理委員会の助言活動は不法行為責任を免れ得ないだろう。PCAC
法は§19-374 (c)によって、PCAC 又は PCAC 委員は「誠実に」与えた助言に対する免責を
明示する。
さらに Merritt によれば、倫理委員会が責任を回避する可能性のある方途として、倫理委
員会が患者ではなく医療者や医療施設のために活動する旨を明示すること、
そもそもの名称
Andrew L. Merritt, The Tort Liability of Hospital Ethics Committee, 60 S. CAL. L.
REV. 1239 (1987). アンドリュー・L・メリット(アメリカ医事法研究会紹介・抄訳)「病院倫
理委員会の不法行為責任」ジュリスト 934 号(1989 年)79 頁が同論文を詳細に紹介する。
199 Id. at 1273.
200 Id. at 1292.
198
105
を倫理委員会以外のものにすることが考えられる201。
「患者のケアに関する助言委員会」と
いう名称からは、事前審議及び助言を行う責任を患者に対してではなく、医療施設に対して
負う意図が窺われる。§19-374(b)には患者側の諸権利が列挙されるが、その中には PCAC
の助言を直接受ける権利は明示されていない。患者側が申立人になって問題提起をしても、
PCAC が第一義的に助言を与える対象は医療施設である。患者側は、その二次的利益を受
けるに過ぎない存在である。
また、倫理委員会以外の病院内の委員会を訴訟から免除し、委員会の議事録を公表から守
り、委員会の会議で明らかになったことを公開することを禁じ、委員会の活動に関する証言
や文書を訴訟の証拠から除外する法律が全ての州に存在する。証拠がなければ、原告の勝訴
はあり得ず、そのような証拠に関する法律は実質的に各種委員会の免責を導く。しかし、こ
のような州法を倫理委員会に適用することができないことを Merritt は示す202。この問題
に関する Merritt の結論を覆すように、PCAC 法の§19-374(e)は PCAC の審議過程、討議
内容及び助言を秘匿の対象にする。こうして証拠の観点からも、PCAC を相手方にした訴
訟で勝訴する可能性は失われる。
(3) PCAC 法の第二の免責対象として、
§19-374(d)は、
PCAC の設置に助力した者に PCAC
の活動に関して責任が及ばないことを明示する。PCAC 設置に向けての機運を削がないこ
とを目的にするのだろう。また、それらの者を免責することで PCAC と委員が責任を代位
して負わないように両者の免責も明示する。
(4)
第三の免責対象として、PCAC の助言に従わない医療施設が挙げられる。まず、§
19-374(f)の文言を読んで理解に苦しむのだが、法定機関である PCAC が設置施設内の指針
に反する助言を出す場合を容易に想定できない。PCAC が法的又は倫理的に一般に正しい
助言を出すと推定されるならば、それに背馳する指針は修正されるべきであり、その指針を
遵守することを奨励されるべきではない。しかし、§19-374(f)は、PCAC の助言が正しく
ないので受容できないと各施設が判断した時に、
施設が免責されるための方策を示すのであ
ろうか。また、ここでの免責は民事責任のみであるが、これは対象が病院又は関係施設とい
う法人に限定されるからであろう。
(5) このように様々な対象に免責を与えることに、PCAC 法の大きな特徴が見られる。本
稿も、
倫理委員会及びその委員が法的責任を問われることを危惧しながら活動することには
反対するが、倫理委員会の構成や手続に関する規定が充実していないことを考えれば、手厚
い免責規定には驚きと懸念を覚える。また、免責の対象に PCAC の助言に従う医療者が含
まれないにもかかわらず(PCAC の助言に従う医療者も即時に免責すべきとは考えない)、
PCAC 及び設置施設の免責が厚いことにもバランスの悪さを覚えてしまう203。
201
202
Id. at 1293.
Id. at 1252-1253.
203
樋口範雄『医療と法を考える 救急車と正義』(有斐閣、2007 年)24 頁によれば、アメ
リカの医事法教科書には、医師・患者関係よりも医療制度や医療組織に関する考察が多い。
それは医事法学という学問研究の対象の取捨選択の結果に留まらず、
現実の法制度が医療者
106
Robin Fretwell Wilson によれば、倫理委員会や医療者に対する手厚い免責を与える制定
法は、PCAC 法以外に複数の州に存在する204。だが、Wilson はそのような制定法を社会が
何も対価として得ることなく倫理委員会や医療者に特権と免責を与えるとして非難する205。
(6) 本節全体を通して、PCAC を特に患者の保護の観点から評価できなかった。むしろ免
責規定に顕著であるように、PCAC 法は医療施設にとって好都合であり、PCAC は医療施
設を保護するための機関であるかのように見えた。
第3節
PCAC 法の効力についての調査研究
1.調査研究の概要
(1) 1989 年 1 月にメリーランド大学によるメリーランド州(以下、Md)、コロンビア特別区
(DC)、ヴァージニア州(Va)の病院を対象にした調査研究が行われた206。その目的は第一に、
PCAC 法の効力(PCAC を PCAC 法に従って設置したか、その PCAC が PCAC 法の規定通
りに機能しているか)を評価することである。第二に、PCAC における様々な専門職(特に法
律家と倫理学者)の役割を検討することである。Md が为たる調査対象であり、倫理委員会
の設置を求めるような法律は存在しない DC と Va は比較対象になる207。
(2) 4 段階に分かれた調査研究の概要を明らかにする208。
第 1 段階では、3 地域の全ての病院(Md:63 病院、DC:18 病院、Va:118 病院)の CEO
に質問状を送る。倫理委員会を設置しているか等 PCAC 法に規定され、形式的に回答でき
ることを質問する。委員会を設置していると答えた CEO には、委員会の委員長にコンタク
トを取ることを求める。
第 2 段階では、第 1 段階での回答をもとに委員長に電話インタビューを行う。委員会の
個人よりも医療制度や組織の問題を厚く規定することの結果ではないか。そうであれば、
PCAC 法の規定も特別に不合理ではないのかもしれない。
204 Robin Fretwell Wilson, Hospital Ethics Committees as the Forum of Last Resort: An
Idea Whose Time Has Not Come, 76 N.C.L.REV. 361 (1998).
205 Id. at 405.
206 Diane E. Hoffmann, Does Legislating Hospital Ethics Committees Make a
Difference? ―A Study of Hospital Ethics Committees in Maryland, the District of
Columbia, and Virginia―, 19(1-2) LAW MED HEALTH CARE 105 (1991).
Hoffmann 自身の説明はなく、以下は筆者の推量である。Md と Va は医療をめぐる種々
の条件が類似し、PCAC 法の有無を比較の要点とする。DC は他の 2 州よりも医療をめぐる
種々の条件や環境が進んでおり、倫理的問題についても内発的に意識が高いことが他の 2
州との比較の要点になる。
208 以下、本章の別表を参照されたい。なお、ここで紹介する調査研究に基づき Hoffmann
が別稿を著す(以下、別稿を「Hoffmann 論文」とする)。Diane E. Hoffmann, Regulating
Ethics Committees in Health Care Institutions―Is it Time?, 50 MD. L. REV. 746 (1991).
本稿の以下における調査研究の紹介は、前掲注 206 に为に依拠し、Hoffmann 論文から情
報や知見を補う。ただし、本稿の問題関心からは扱わない情報もあったことを断っておく。
207
107
活動の実質的内容を質問する。
第 3 段階では、1 年以上在任し、1 件以上のケース・コンサルテーションを行った経験の
ある委員(各委員会から専門の異なる 3~4 人)に電話インタビューを行う209。委員会での議
論の具体的な事柄を質問する。
第 4 段階では、メリーランド州の 5 病院のスタッフ210に、委員会の有効性を委員会の外
から評価することを目的に質問する。
2.第 1 段階の調査結果
委員会211の設置状況について、各地の設置数と割合を別表 1-①に示す。3 地域全体での
設置率は 50%である。委員会を設置する病院は病床数が多く(250 床未満:設置=37%、不
設置=63%。250 床以上:設置=74%、不設置=26%)、教育病院が多い。PCAC 法の適用
を受けない合衆国立の病院を除くと設置率は上がり、Md では 91%になる。
設置しない理由(質問者による選択肢に回答する方式)は、以下の通りである。委員の選任
が困難である(Md の 1 病院、Va の 2 病院)。特定の集団からの反対がある(Md の 1 病院、
Va の 8 病院)。委員会が法的な悪影響を及ぼす可能性に懸念がある(Md の 1 病院、Va の 8
病院)。その類の問題を扱う非公式な委員会が他に存在する(Md の 1 病院)。委員会の必要性
を感じない(DC の 2 病院、Va の 36 病院)。委員会の目的を決定するのが困難である(DC の
209
医師、看護師、SW、法律家、コミュニティ代表、倫理学者、その他・病院経営者・患
者代表が対象になり、総数は Md:81 人(26 委員会)、DC:25 人(6 委員会)、Va:18 人(6
委員会)である。
210 医師、看護師、SW が回答した(回答者総数:573 人/調査対象者総数:1981 人)。5 病
院を選ぶために、設立 2 年以上且つ過去 1 年間で 5 件以上の倫理委員会によるケース・コ
ンサルテーションの実施を条件にした。5 病院は、全て私立・非営利の総合病院である。4
病院は、教育病院(3 病院が 250~500 床、1 病院が 500 床以上の規模)である。4 教育病院
のうち 1 病院が、宗教系病院である。教育病院でない 1 病院は、100~250 床の規模である。
調査対象者と回答者(及び回答率)の内訳の詳細については、次表を参照。
医師
看護師
SW
合計
A 病院
B 病院
C 病院
D 病院
E 病院
50/200 人
39/200 人
24/103 人
24/213 人 55/284 人
192/1000 人
(25%)
(20%)
(23%)
(11%)
(19%)
61/206 人
77/142 人
7/72 人
79/200 人 118/298 人
342/918 人
(30%)
(54%)
(10%)
(40%)
(40%)
(37%)
3/12 人
5/5 人
3/6 人
6/10 人
22/30 人
39/63 人
(25%)
(100%)
(50%)
(60%)
(73%)
(62%)
114/418 人
121/347
34/181 人
109/423
195/612 人
573/1981 人
(27%)
人(35%)
(19%)
人(26%)
(32%)
(29%)
(19%)
合計
質問文は”Does your hospital have an ethics committee or patient care advisory
committee?”である。”or”が「又は」か「即ち」のいずれかによって意味がかなり異なる。
211
108
1 病院、Va の 15 病院)。病院の組織内での位置付けの難しさ(Va の 6 病院)。書面による手
続の作成において意見の不一致があった(Va の 1 病院)。
委員会の活動状況を、別表 1-②に示す。
PCAC 法施行の 1987 年前後の委員会設置率の変遷を、別表 1-③に示す。
委員会の規模(構成する委員の数)を、別表 1-④に示す。最小構成員数は 4 人、最大構成員
数は 30 人であった。概して病院の規模(病床数)と委員会の規模は比例する(100 床未満:平
均 9.9 人、100~249 床:11.9 人、250~499 床:14.2 人、500 床以上:16.4 人)。
各委員会が委員にする職種の割合を、別表 A に示す。職種別の委員長になる割合は、医
師:65%(Md:58%、DC:81%、Va:71%)、看護師:8%、病院の役員会メンバー:9%、
病院内の牧師:9%であった。
委員会を招集するための書面による手続を有する割合と、
委員会の目的と内規を明示する
憲章を有する病院の割合を、別表 1-⑤に示す。
委員会を招集する目的別の割合を、別表 B に示す。
患者とその家族又は医療者に委員会の存在を通知する制度を持たない病院の割合を、
別表
1-⑥に示す。Md で採用される患者側に通知する方法は、患者に入院時に情報提供する(35%)、
家族に情報提供する(29%)、患者用ハンドブックに委員会について記載する(38%)。
委員会について医療者に通知する方法の割合を、別表 C に示す。
委員会に関する院内教育の対象者の割合を、別表 D に示す。
3.第 2 段階の調査結果212
患者のケアに関する指針を有する委員会の数と割合を、別表 1-⑦に示す。3 地域全体では、
83%の倫理委員会が尐なくとも 1 つの指針を有する213。
ケース・コンサルテーションを行う委員会の数と割合を、別表 1-⑧に示す。3 地域全体で
は、80%の委員会がケース・コンサルテーションを行う。さらに、ケース・コンサルテー
ションで扱ったケースの種類を、別表 E に示す(割合は、ケース・コンサルテーションを行
うと回答した委員会を母数にしたもの)。
注意すべきは、第 1 段階の調査に回答した病院のうち第 2 段階の調査にも回答した委員
会の割合である。Md では 42 委員会/52 病院=81%の委員会が回答するのに対し、DC で
は 8 委員会/13 病院=61%の委員会、Va では 13 委員会/27 病院=48%の委員会しか回
答しない。
委員会の活動や内容に乏しい委員会はそもそも調査に回答しにくいという推測が
働くので、この点を考慮してこの後の調査結果を見る必要があるかもしれない。同旨のこと
を Hoffmann も前掲注 206 の脚注 5 で述べている(が、そのような推測に基づく数値処理は
なされていない)。
213 その指針には、蘇生禁止指示、人工栄養水分投与の差控え、重度奇形新生児の処置、死
の定義、医療処置の差控え、LW、エホバの証人患者の処置、処置をめぐる患者と家族の間
の争い、輸血ガイドライン、エイズ患者の処置に関するガイドライン、職員の薬剤試験への
参加、身体的・化学的拘束具の利用、IC、臓器移植、レイプ、遺伝カウンセリング、患者
との性亣渉に関するものがあった。
212
109
過去 1 年間に委員会会議が開催された回数214とそのうちのケース・コンサルテーション
開催数を、別表 F に示す。
委員会の勧告を患者の医療記録(カルテなど)に記載する割合を、別表 1-⑨に示す。3 地域
全体では、66%の委員会が勧告を患者の医療記録に記載する。
「誰が倫理委員会のサービスを要請するか」という質問への回答結果を、別表 G に示す。
倫理委員会の利用者の意見を取り入れるフィードバック制度を設けている倫理委員会の
割合を、別表 1-⑩に示す。全体では 23%の倫理委員会が、そのような制度を設ける。
4.第 3 段階の調査結果
第一に、委員会会議の場で勧告に至るプロセスについての意識調査の結果を紹介する。委
員会の勧告に至るプロセスの割合を、別表 H に示す215。
委員会の勧告に際して、最も影響力が強いと回答した職種を別表 I に示す。
自身所属の委員会が勧告を出すプロセスに満足する割合を、別表 1-⑪に示す。
第二に、委員会に対する法及び倫理が与える影響に関する意識調査の結果である。自らの
勧告が持つと予想される法的な結果に、
委員会が受ける影響の程度を数値で回答した結果を、
別表 J に示す(影響の大きさと数字の大きさが比例する)。また、そのような影響に対する職
種別の評価を、別表 K に示す。
委員会に対する訴訟の可能性が、
委員会で扱う問題に対する立場に影響するかという質問
の回答結果を、別表 1-⑫に示す。職種別で総じて言えば、医療者(SW、看護師、医師など)
が非医療者(法律家、倫理学者、コミュニティ代表者)よりも、そのような影響の存在を肯定
する。
また、病院スタッフに対する訴訟の可能性が、委員会で扱う問題に対する立場に影響する
かという質問の回答結果を、別表 1-⑬に示す。3 地域全体では、41%の回答者がそのような
影響の存在を肯定する。
委員会の委員として個人的に訴訟が提起されて損害賠償責任ありとされた場合に、
病院の
責任保険が対応する又は病院から免責されるかという質問に対しては、3 地域全体で「Yes:
55%」
、
「No:10%」
、
「分からない:35%」という回答結果になった。
公的な倫理原則が委員会の議論に影響を与えるかという質問の回答結果を、別表 1-⑭に
示す。3 地域全体では、81%の回答者がそのような影響の存在を認めた。
倫理に関する公式なトレーニングを受けた委員が、委員会内にいるかという質問の回答結
3 地域全体の「0~5 回」の割合が Hoffmann の調査研究の結果(前掲注 206 の 110 頁
Table9)では 53%となっているが、
明らかに数値が間違っている(全割合を合計すると 100%
を超える)ので、筆者が他の項目の数値が正しいことを前提に計算し直して 38%に改めた。
215 倫理委員会における合意について懐疑的な立場で論じるのは、Dorothy Rasinski
Gregory, Consensus—Real or Imaginary, 1 J CLIN ETHICS 43 (1990). ; Ian M. Shenk,
Consensus—The Measure of Ethical Permissibility: A Response to Jonathan Moreno, 1
J CLIN ETHICS 45 (1990).
214
110
果を、別表 1-⑮に示す。3 地域全体では、77%の回答者が肯定する。また、委員就任に際し
て個人的に倫理に関するトレーニングを受けたかという質問に対して、3 地域全体では、
69%の回答者が肯定した。そのうち、病院からの支援を受けた回答者の割合を、別表 1-⑯
に示す。
第三に、委員会が扱うのに適切なケースと考える割合を、別表 L に示す(ケースは選択肢
として予め指定)。
第四に、委員会について立法化することに関する意識調査の結果である。全ての病院で委
員会の設置が義務付けられるべきと回答した割合を、別表 1-⑰に示す。職種別では、法律
家が法律による強制に最も否定的(44%の回答者が賛成)であり、倫理学者が最も肯定的であ
った(100%の回答者が賛成)。
5.第 4 段階の調査結果
各職種が患者のケアに際して倫理的ジレンマに直面した場合に、
最初に相談する対象者と
その割合を、別表 2-(a)に示す。病院毎に「倫理委員会=最初の相談対象者」と回答した者
の割合は、異なる(最低は 3%、最高は 16%)。さらに、最初の相談ではジレンマが解決しな
かった場合に、次に相談に行く対象者として倫理委員会を選ぶ割合を、別表 2-(b)に示す。
両質問から、1 番目又は 2 番目という早い段階での相談対象者に倫理委員会を選ぶ割合は、
3 職種を通じて 27%になった。
各職種が病院内に倫理委員会が存在するかを正しく知らない割合を、別表 2-(c)に示す。
倫理委員会の利用率についての調査結果である。
コンサルテーションを倫理委員会に求め
た経験がある割合を、別表 2-(d)に示す。自らでケース・コンサルテーションを求めたこと
はないが、ケース・コンサルテーションに関わった経験がある割合を、別表 2-(e)に示す。
結果、何らかの形でケース・コンサルテーションに関与した経験があるのは、回答者 365
人中 82 人(22%)になる。その 82 人のうち 43 人が、自らの意思決定に際しての倫理委員会
からの知見の有用性を肯定し、21 人が否定した。
倫理委員会を利用したことがないと回答した者 318 人のうち 247 人(78%)が、患者のケア
に関する困難な倫理的問題に直面した場合に、倫理委員会を利用すると答えた。44 人(14%、
内訳:医師 10 人、看護師 32 人、SW2 人)は利用せず、27 人(8%)が無回答である。利用し
ない理由に「問題解決の手段が他にある(44 人中 21 人)」、
「倫理委員会の決定は望ましくな
い(6 人)」
、
「倫理委員会は有効でない(4 人)」が挙がった。
倫理委員会の利用状況については「わからない(58%)」、「利用が尐なすぎる(32%)」、「適
正な利用状況である(8%)」
、
「利用が多すぎる(1%)」という回答結果だった。
倫理委員会の役割として適当と考えられるものの調査結果を、別表 2-(f)に示す。
6.調査結果の分析
(1) 以上の調査結果に関して、为に Hoffmann の分析を紹介し、適宜に本稿の見解を示す。
111
倫理委員会の設置状況及び活動状況に関して(別表 1-①②③参照)、Hoffmann は次のよう
に述べる。Md と Va の設置率を比較すると、PCAC 法の形式的な効力が見られる216。しか
し、Md での活動状況を見れば、同法の実質的効力については疑問が付される。つまり、
Md では法律を遵守するためだけに倫理委員会を設置されたが、それでは倫理委員会を機能
させるようとする意識は生まれない。
他方で、DC において設置率が高く活動が活発であることは、次の理由から説明できよう。
すなわち DC は他 2 地域に比べると病院の規模(病床数)が大きく、大学付属の病院が多く、
都市部であることから、DC の病院は倫理委員会の委員となる人材を得やすい。実際に、倫
理委員会を設置する 85%の病院が 250 床以上の大学病院である217。
また、Md と異なって、Va の倫理委員会のうち活動が活発でないものの多くは設置後、
間もないようである。だが、委員会の設置時期に着目すると、同法が倫理委員会の設置を促
す効力を有したことさえ疑問が付される。すなわち、PCAC 法施行の 1987 年前後において、
Md と DC の設置率が同時期には同程度である。さらに、Md では 87 年以後の設置率が低
い218。Va では 87 年前後で設置率に差異が見られない。
(2) 倫理委員会の構成員に関して(別表 A 参照)、Hoffmann は複数の委員の職種について
地域間での興味深い差異があると論じる。
法律家委員について、Md において法律家委員の割合が尐ないのは、PCAC 法が法律家を
委員に求めない影響であろう(§19-372 参照)。さらに、同法が委員に対する法的免責を明
言することから、委員会内に法律家がいる必要性を強く感じないのかもしれない。ただ、
Md と同程度に Va での法律家委員の割合が低いことは、これらの理由からは説明できない。
DC における法律家委員の割合が高い理由は、DC に病院に顧問弁護士がいる割合も高いこ
とを考えれば、DC に多い大病院には法律家(特に顧問弁護士)を委員にする資源があること
になろう。
倫理学者委員について、DC の倫理委員会において割合が高いのは、DC に多くの大学病
院があり、倫理学者を人材として得やすいことが理由に考えられる。
病院経営者委員について、Md においてその割合が高いことは、PCAC 法の明文規定の影
響であろう(§19-372(a)(1)(ⅳ))。DC と Va の差異は、DC においては法律家特に顧問弁護
士が病院の利害関心を代表できるので、
経営者委員の必要性は低いことが理由として考えら
れるかもしれない。
本稿は、以上の Hoffmann の検討に加えて、Md より DC の倫理委員会が多職種から構成
全国平均設置率 60%(1985 年の全米病院協会の調査)と比較すれば、さらにそう言えると
のことである。Hoffmann, supra note 206 at 116.
217 大統領委員会報告書の調査からも同様の結果が示された(第 2 章・第 4 節の 2(1))。
218 87 年前後の設置率 51%と 33%という数字の評価は難しい。法施行前に 51%もの倫理
委員会が設置されていたのに、施行後は 33%しかないと見れば、同法の影響力は小さい。
他方、施行前に 51%もの委員会が設置されていたのに、そこから自発的には設置しなかっ
た病院の中から 33%の上積みを果たしたと見れば、同法の影響力が大きいことになる。
216
112
されるが、
委員の多様性を確保することは倫理委員会にとって重要な点であると考えるため、
PCAC 法の実質的意義に疑問を持つ。
(3) 倫理委員会の招集と宣伝教育に関して(別表 1-⑤⑥、別表 BCDG 参照)、Hoffmann は
次のように述べる。
まず、委員会召集の目的に相違がある(Md と Va では指針の作成と教育活動に関する議論
を目的にすることが多いのに対し、DC ではケース・コンサルテーションを目的にすること
が多い)理由は、DC の医療者は他 2 地域よりも委員会の存在を認識し、積極的に利用する
からであろう。このことは、DC の病院が医療者に対して委員会の存在を教えるように努め
ることと一致する。Md と Va では、医療者に対して委員会の存在を教える制度を持たない
病院も尐なくない(この影響は第 4 段階の調査結果(別表 2-(c))にも表れる)。だが、患者や家
族に対して委員会の存在を教える病院は DC と Va では尐なく、逆に Md では殆どの病院が
そのような制度を有する(本稿は、
この理由を PCAC 法の明文規定§19-374(b)(1)に求める)。
3 地域を通じて最も委員会を利用するのは医師であり、その医師が調査結果が示すような高
い割合で委員会の存在を知らないことが委員会の利用率の低さ(Hoffmann は明示しないが、
別表 FG、別表 2-(a)(d)の結果を指すと思われる)につながる。
さらに別表 2-(f)の結果と、PCAC 法が倫理委員会に唯一義務として求める役割はケース・
コンサルテーションであり、同法は法律家委員を求めていないという 2 つの事実からは、
委員会の役割について医療者に誤解がある又は PCAC 法に瑕疵があると言える。
以上の Hoffmann の議論に加えて、本稿は DC の倫理委員会活動が活発な要因には医療
者への倫理委員会の宣伝教育があることを認め、
その方法には特別な機会よりも日常業務の
中で存在や活動を知る機会(スタッフ・ミーティングなど)が望ましいと推測する。
(4) 倫理委員会の指針作成機能とケース・コンサルテーション機能に関して(別表1-⑦⑧、
別表 EFL 参照)、本稿は次のように考える(この点について、Hoffmann は何も述べない)。
PCAC の为たる機能は、生命の危機にある患者のケースでのコンサルテーションである
(§19-373)。だが、別表 F を見ると、Md の委員会の多くがケース・コンサルテーションを
行っていない。
別表 E の項目中では「人工呼吸器の取外し」
「栄養チューブの取外し」
「蘇生禁止指示」
が終末期の患者のケースでの論点になるが、これら 3 項目の後 2 者がケース・コンサルテ
ーションで扱われる割合は Md において高くない。栄養チューブの取外しは、州司法長官
意見も言及するほどに(次節を参照)Md において問題になったにもかかわらず、である。
それに対して、DC と Va ではこれら 3 項目がケース・コンサルテーションの対象になる
割合は上位にある。結果的に Md の委員会は PCAC 法を遵守する割合は高くない。
また、別表 L から、終末期の患者への対応に関するケースが倫理委員会のコンサルテー
ションに適すると、委員会の委員自身が考えていることが分かる。別表 E と別表 L の結果
の矛盾は、Md の倫理委員会は自身が適すると考える機能を実際には果たせていない問題状
況にあることを示す。さらに別表 2-(f)の結果に照らせば、医療者の期待にも応えていない。
113
ただ、ケース・コンサルテーションの件数が尐ないことは必ずしも悪いことでない。つま
り、委員会の教育活動や指針作成を通じて、医療者や患者側に倫理的問題への対応能力が備
わっていれば、委員会にケース・コンサルテーションを依頼する必要はない。この点を見極
める調査研究が必要であろう。
ここで Gail J. Povar による倫理委員会の機能の評価に関する考察を紹介する219。
まず、指針作成機能についてである。一般的には数多くの指針を作成することが成功して
いる倫理委員会の指標とされるが、Povar は次の 4 つの理由から懐疑的である。①医師は
医師患者関係の外から指針を押付けられ、その関係及び処置を決定する権利や責任を侵害さ
れることを恐れる。②委員会は、設置施設の規模やレベルに合致しない指針を作成すること
がある。③参考資料の尐ない分野でも、委員会の構成員に専門性がない指針を作成すること
がある。④良い指針を作成するには時間がかかるはずである。
そこで、Povar は、自身が 5 年間委員長を務めたジョージ・ワシントン大学医療センタ
ー倫理委員会での経験も踏まえて、
倫理委員会が教育活動を行い倫理的問題へ啓発された施
設内の人々の要請に応える形で指針を作成すべきとする。指針作成機能の評価のためのキー
ワードは「施設内での受容」であると考える。
次に、ケース・コンサルテーション機能についてである。Povar は、次の 3 つの理由か
ら、
ケース・コンサルテーションの回数を成功の指標とすることには懐疑的である。第一に、
ケース・コンサルテーションで扱われるケースでは、倫理的な争点の存在よりも当事者間の
コミュニケーションの欠如が問題になることがあり、それは倫理委員会に適した問題ではな
い。第二に、委員会会議から患者を排除する委員会ほど、ケース・コンサルテーションの回
数が増え、そのことは肯定できない。第三に、医師が委員会に処置を決定する責任を委ねた
り、唯一の正解を求めたりするほど、ケース・コンサルテーションの回数は増え、そのこと
は肯定できない。
そして、Povar は自身の経験を踏まえて、ケース・コンサルテーションを求めてきた医療
者が、その後に教育活動を倫理委員会に求めることを成功の指標とすべきと考える。その意
味での「施設内での受容」が、ケース・コンサルテーション機能の評価のためのキーワード
であると考える。
(5) 倫理委員会と法的責任に関して(別表 1-⑫⑬、別表 JK 参照)、Hoffmann は次のように
述べる。
Md と Va では、大多数の回答者が、倫理委員会での議論は予想される法的結果に影響を
受け、その影響の程度を適正であると答える220。倫理委員会に大きな影響を与える法的結
果を肯定的に捉える。また、Md では他 2 地域に比べて法的結果の影響が大きいと評価し、
この理由を PCAC 法に法律家の役割について規定がないことに見出す。
Gail J. Povar, Evaluating Ethics Committees: What Do We Mean By Success?, 50
MD. L. REV. 904 (1991).
220 Hoffmann によれば、
法的結果の影響を適正と考える回答者は Md で 63%、DC では 79%、
Va では 78%である。Hoffmann, supra note 206 at 112.
219
114
だが、本稿は Hoffmann のこの見解に、二重の意味で疑問を覚える。第一に、別表 J の
数字からは、Va が Md より法的結果の影響を大きく評価すると言えるのではないか。第二
に、法的結果の影響を大きく受ける理由としては、制定法の規定の有無よりも、実際に法律
家委員が尐ないことを挙げるべきでないか。
さらに Hoffmann は、次の点に着目する(Hoffmann は以下の事実に言及するが、その事
実を踏まえた考察をしないので、本稿が考察を補う)。PCAC 法が免責規定(§19-374(c))を
設けるにもかかわらず、Md と他 2 地域の間には、倫理委員会に対する訴訟の可能性が委員
会に与える影響に殆ど違いはない(別表 1-⑫より)。すなわち、同法の PCAC に対する免責
規定の実質的効力は疑わしい。
また、PCAC に対して訴訟が提起される可能性の影響よりも、病院スタッフに対する訴
訟の可能性が倫理委員会に与える影響の方が大きい(別表 1-⑫⑬の比較より)。それにもかか
わらず、PCAC 法は医療者を免責対象に含めない。ここに、PCAC 委員という当事者の問
題意識と制定法とが離反する一種の問題状況が見られる。
(6) 倫理的問題に関して(別表 1-⑭⑮参照)、Hoffmann は次のように述べる。
倫理原則が倫理委員会の議論に与える影響及び公的な倫理トレーニングを受けた委員が
いる割合は、Md で最も尐ない。この理由は、PCAC 法にある。同法は(医療者や病院経営
者を重視したが)倫理学者を委員にすることを求めず、委員会の活動方法について明確なガ
イドラインも備えない。また同法は「倫理委員会」ではなく、「患者のケアに関する助言委
員会」という名称を用いて、倫理的問題を重視しない印象を与える。
(7) 倫理委員会に対する評価に関して(別表 1-⑩⑪⑰、別表 2 参照)、Hoffmann は次のよう
に述べる。
委員自身は、勧告に至るプロセスに満足し、委員会の設置を全ての病院に義務付けるべき
と考え、委員会を肯定的に捉えることが多い。反対に、医療者による倫理委員会に対する評
価は高くない。これには、2 つの理由が考えられる。1 つは、利用者が倫理委員会の機能に
ついて誤った理解や期待を持っていることである。もう 1 つは、委員会が適切な委員構成
ではないために委員会に持ち込まれる問題に対応できないことである。そして、このような
問題があるにもかかわらず、
利用者からの意見を委員会にフィードバックする制度を持つ委
員会は尐ない。
(8) 最後に Hoffmann は、この調査研究について次のようにまとめる。
法律の存在以外に倫理委員会を設置するインセンティブが働かないならば、
その倫理委員
会は機能せず、利用者も多くはならない。この問題に対応するには、(特に医療者への)教育
活動を行うことが重要である。1/3 の利用者が倫理委員会を有用と思わなかったという問題
を勘案すれば、教育活動と併せて、倫理委員会が自身の構成や機能などについて再考する必
要がある。
さらに、本稿は次のように述べて本節をまとめたい。
以上の調査結果と分析からは、倫理委員会の設置や活動の充実のための PCAC 法の効力
115
について、疑問が尐なからず生じた。すなわち、同法が規定しない事項だけでなく、規定す
る事項についても充実した倫理委員会が多いのは、同法の適用を受ける Md よりも、同様
の制定法が存在しない DC である。内容として評価できる委員会を設置するのは、Md より
も DC である。この大きな理由としては、上述の繰返しになるが、倫理委員会を必要とし、
実際に設置して運営できる資源を有する大きな病院が DC に多いことが考えられる。
他方で、Md と Va を比較すれば、Md の倫理委員会の状況は、Va のそれよりも評価でき
る。DC のように内発的に倫理委員会を設置できる地域以外では、PCAC 法のような制定法
に一定の効力があることが示唆される。
第4節
PCAC 及び PCAC 法に対する評価
1.メリーランド州司法長官
(1) メリーランド州の司法長官は、1988 年 10 月 17 日付で意見221(以下、司法長官意見)
を以下のように示して、(間接的にではあるが)PCAC を評価する。司法長官意見は、人工栄
養投与の差控えに関する質問を常時受けるメリーランド州ボルチモア市の高齢者局(Office
on Aging)222からの、末期状態又は永続的意識喪失状態にある患者への同処置をめぐる質問
に回答するものである。
諸法をめぐる後述のような混乱がある中で、法の現状を捉え直すことは、高齢者局だけで
なく、患者、家族、医師及びその他の医プロフェッションに寄与する。司法長官意見は、末
期状態又は永続的意識喪失状態にある患者に対する、栄養投与の不実施又は中止の決定に限
定して回答し、
射程範囲の拡張を否認する。
以上のような前置きに続いて、
司法長官意見は、
次のように議論を展開する。
(2)
末期状態又は永続的意識喪失状態になった場合に、栄養非投与の指示をできる憲法上
且つコモン・ロー上の権利を行使するためには、口頭又は書面による LW、永続的効力を持
つ委任状(Durable Power of Attorney=DPA)が有効である。それらがない場合でも、処置
に関する決定を他者に代行してもらう権利がある。その代行決定する際の基準は、第一に代
行判断基準、第二に最善の利益基準である。無能力者に後見人がある場合は、後見人が代行
決定者として栄養投与の実施に同意し、又は、裁判所の承認を得た上で栄養投与の差控え又
は中止を指示できる。
後見人がない場合は、近親者(close family member)が、Md. Health-General Code
Annotated§20-107 の手続に従って栄養投与実施に同意できる。他方、近親者は栄養投与
の差控えに同意できないのが、
州法上の原則である。ただし、以下の全ての条件を満たせば、
73 Op. Atty Gen. 162 (1988).
高齢者局とは、医療に限らず、経済や福祉など高齢者の生活全般に対してサポートする
ことを目的として活動する行政部のようである。
221
222
116
憲法上及びコモン・ロー上、近親者は裁判所の手続なくして栄養投与の差控え又は中止を代
行決定できる。①患者が末期状態にあり且つ無能力である。②担当医が処置の差控えに医学
的観点から同意する。③家族の 1 人が処置の差控えは代行判断基準又は最善の利益基準に
適うと判断する。④その他の家族がその判断に反対しない。⑤適用可能な場合には、病院内
の PCAC が処置の差控えに反対する助言を行わない。
永続的意識喪失状態の患者が意識喪失以前に栄養投与について決定(=考えを表明)した
こともない場合に、家族が独断的に栄養投与を中止する決定はできない。患者の希望を忖度
する家族の判断は尊重に値するが、
拙速な又は悪しき動機による処置の中止の決定から末期
状態にない者を守るために、裁判所の承認が必要である。
(3) 本稿は、PCAC が末期状態又は永続的意識喪失状態の患者に対して栄養投与を行わな
い決定のプロセスの関与することについての、
司法長官の以下の考えに着目する。
すなわち、
患者が何らかの意思表示をしていたことはあっても、LW や DPA がない場合に、栄養投与
を中止するために、患者家族が後見人選任を裁判所に申し立てることは通常殆どない。実際
には、医師が勧告して家族が同意することが慣行である。この実務的慣行を承認する必要が
発生しており、両者による決定プロセスに病院内倫理委員会(hospital‟s ethics committee)
のような助言機関が加わることが望ましい。これが司法長官の認識であり、上記の要件⑤に
表れる。
州の司法長官意見は、州知事や行政各部からの質問に書面で回答する。法的拘束力はない
が、実際上行政部はそれに従い行動することが常である。裁判所も具体的事件の解決に際し
て、司法長官意見の存在を公知の事実として扱う。このような法的意義を有する司法長官の
意見が、上述の医療実務的慣行を認めるための 1 つの要件として、PCAC の関与を考えた
事実は大きな意味を持つだろう。換言すれば、司法長官が PCAC 法に対して肯定的評価を
与えたことになるだろう。
2.メリーランド州法律家協会
メリーランド州法律家協会の保健法部門(Health Law Section of the Maryland State
Bar Association、以下、法律家協会)は、1990 年 11 月 6 日付で倫理委員会の機能拡張を内
容とする州法の制定を为張する。
上記の通り、司法長官意見では、末期状態にある患者の栄養投与の差控えを、家族が代行
決定する場合に限り、PCAC の承認は不可欠の条件ではない(要件⑤は「適用可能な場合」
に限られていた)。無能力状態以前に意思表示をしていない永続的意識喪失状態の患者の場
合には、裁判所の承認が必要であると考える。その裁判所の関与を不要とするために、法律
家協会は、家族の決定を倫理委員会が承認すれば足りると考えた(これは、不可欠の条件と
考える)。
倫理委員会の権限が及ぶ範囲を、州司法長官が考えるよりも広げるということは、法律家
117
協会が、それだけ大きな信頼又は期待を倫理委員会に対して寄せることを意味する。223
3.患者の自己決定法との比較
(1) PCAC 法を評価するために参考になるのが、1990 年に成立したいわゆる「患者の自己
決定法(Patient Self-Determination Act)」である。この連邦法の法案段階では倫理委員会
設置に関する規定があったが、成立した制定法では削除された。ほぼ同時期に倫理委員会に
対して異なる考え方を示した 2 つの制定法の存在は、比較対象として興味深い。
本邦でも既に多くの紹介や研究224が存在するいわゆる患者の自己決定法が、1990 年 11
月 5 日に成立した(施行は翌年 12 月)。同法は包括予算調停法中の社会保障法の規定を改正
する 2 つの条文を指す225。1989 年 10 月に John C. Danforth と Daniel Patrick Moynihan
が提出した同法の法案の第 1 バージョン226では、倫理委員会の設置を求めることが 1 つの
柱であった。その内容を簡卖に紹介したい。
(2) 「第 1 編. 簡略名」は、本法を「1989 年患者の自己決定法」とする。
「第 2 編. 目的及び知見」が示す本法の目的は、医療処置に関する患者の自己決定権につ
いて詳らかにされ、保護されることを保証することにある。同じく知見は、6 点が列挙され
る。①コモン・ロー及び医療慣行上、患者自身が医療処置を決定する権利が、伝統的に認め
られる。②近年の医学及び医療技術の進展は、様々な手段を用いて死への過程の延長を可能
にしてきた。③その医療手段は、意識喪失状態又は処置の決定に関して無能力状態にある患
者を対象にする。④能力のある成人は、医療処置を受ける又は拒否する権利を有する。その
成人が意識喪失状態又は無能力状態になった場合も同様である。⑤成人能力者の 9%が LW
に署名し、9%よりずっと尐ない者が医療処置に関する DPA を作成すると見積もられる。
⑥医療サービスの提供者は、AD がない場合も患者の希望を尊重すべきである。だが、AD
の有用性を認識し利用することは、医療処置の決定への患者の参加を促すことになる。
「第3編. 患者に影響を与えるヘルスケアに関する決定に参加し指示することの患者の権
利の実行を保証するメディケア供給者の協定」と「第4編. 患者に影響を与えるヘルスケア
に関する決定に参加し指示することの患者の権利を保証するための、
供給者とのメディケイ
以上の法律家協会の立場は、前掲注 208 の Hoffmann 論文 755 頁以下に依拠した。一
次資料として、同論文の脚注 18 に、Health Law Section of the Maryland State Bar
Association, Proposed Amendments to H.G. §20-107: Individuals Who Are Ill or in a
Persistent Vegetative State (Nov, 6, 1990).が挙がるが、入手できなかった。本文中の「病
院内倫理委員会」は Hoffmann 論文中の言葉であり、それが PCAC のことか、PCAC とは
別組織の倫理委員会を想定するのかは不明である。恐らくは前者であると推測されるが、も
し後者の意味であれば、法律家協会は PCAC には満足していないとも言えよう。
224 唄孝一
「患者自己決定法(合衆国連邦法)の虚と実(序説)」法律時報 68 巻 4 号(1996 年)118
頁、丸山英二「患者の自己決定法」年報医事法学 6 号(1991 年)178 頁、同「患者の権利法」
外国の立法 31 巻 2 号(1992 年)1 頁など。
225 Omnibus Budget Reconciliation Act of 1990, Pub. L. No. 101-508, §4206, §4751,
104 Stat. 1388 (1990).
226 1989 S. 1766, 101 S. 1766., 101st Cong., 1st Sess.(1989)
223
118
ド州計画の協定」は、それぞれ包括予算調停法4206条と4751条になる。
その2編の为たる内容は、ADの利用により医療処置に関する患者の自己決定を促す手続
制度を医療施設に整備させることである。成立した制定法との相違点は大きく、制定法では
削除された4点に着目して列挙する。①患者が書面によるADで指示できる内容として、特
定の処置を受けるか否か、無能力状態になった場合の代理人の指名だけでなく、患者の臓器
の処理に関する指示も法案は含む(が、制定法では削除される)。②処置に関する希望を文書
化することは制定法と同じだが、
法案はその希望について患者と定期的に見直すことを求め
る。③法案は、医療者が良心上の理由で患者の希望を実行できない場合には、迅速且つ適切
に転院させることを求める(が、制定法では削除される)。④法案は、施設内倫理委員会制度
を実行させることを求める。その倫理委員会は施設スタッフ、患者、地域住民を対象に医療
上の倫理的問題に関する教育活動に始まり、
特定ケースでの助言機関と倫理的問題に関する
フォーラムとして機能する。
本稿の問題関心からは、4 点目の倫理委員会を設置することを求める法案段階での規定が、
制定法では削除されたことが重要である。次にこの点に関する経緯を示す227。
(3)
法案における倫理委員会設置の規定は、医療機関がメディケア事業へ参加する際の要
件として求められる形で実現するはずであった。だが、1990 年 7 月 20 日に開かれたメデ
ィケア及び長期ケアに関する上院議会財政委員会の小委員会(Subcommittee on Medicare
and Long Term Care of the Senate Finance Committee)の公聴会では、LW や DPA に議論
は集中し、倫理委員会に関するコメントは殆どなかった。
その中で、米国病院協会副会長 Paul Rettig が、最も熱心に証言した。同協会は、倫理委
員会設置の規定に 2 つの理由から反対した。第一に、同協会は倫理委員会を生命医療分野
の倫理的ジレンマを解決する 1 つの選択肢として考えるが、倫理委員会を設置するか否か
の判断は、各施設の必要性に応じた裁量に委ねられるべきである。第二に、同法の提案する
機能の射程は、倫理委員会が適任であるそれを超える。228
さらに、法案を提出した Danforth が、公聴会の場で法案の改正を宣言した。Danforth
が考えを改めた理由は明らかでないが、
彼のスタッフによれば以下の理由があったとされる。
すなわち、
委員会の構成や委員会が決定を下す際の実質的基準を内容とするドウ規則のよう
な規定を嫌い、倫理委員会という機関制度に設置を強制する十分な経験もなければ、その有
効性に関する実証的研究もないと考えたからである。
その後の法案では倫理委員会に関する規定が削除され、医療者が患者及びその家族を AD
や患者のケアに伴う倫理的問題について教育することが求められた。一方、下院での法案に
この経緯に関する一次資料は入手できず、Hoffmann 論文の 752 頁以下を参考にした。
同論文の脚注 46 によれば、倫理委員会の規定の削除理由は公式な記録に残されていない。
228 John C. Fletcher が AHA 会長の Gaelynn Demartino から個人的に得た情報によれば、
法案の内容が成立すれば、保健福祉省内の医療保険財政管理局(Health Care Financing
Administration)が倫理委員会を規制する権限を持つこと、小規模病院におけるコストの問
題に懸念が生じたことの 2 つが反対の理由だった。Fletcher, supra note 174 at 871.
227
119
は倫理委員会に関する規定がなく、患者の自己決定法は成立した。
(4)
患者の自己決定法の法案段階では存在した倫理委員会に関する規定が、成立した法律
では削除された理由は、以下の 5 点であった。①倫理委員会を各施設に設置するか否かの
判断は各医療施設の自为性に任せるべき問題で、
制定法によって全医療施設に強制すること
ではない。②合衆国として設置を強制できるほど、倫理委員会という機関・制度に経験もな
ければ、その実績を証明する実証的研究もない。③法案が求めた倫理委員会に対する機能(恐
らくは教育活動機能)は倫理委員会の能力を超える、と判断した。④小規模病院は、コスト
の面で設置が難しい。⑤患者の自己決定法の一部として倫理委員会の設置を求めると、倫理
委員会が政府内の医療保険財政を扱う部局の統制を受ける機関になりうる。
これらは患者の自己決定法に限らず、一定の法的な拘束力を伴って倫理委員会の設置や活
動を強制する場合に生じうる反対理由である。それぞれについて補足して論じる。
理由①は、前章までに検討した指針類にも強く表れた懸念である。大統領委員会報告書の
モデル法案では設置は任意であった。保健福祉省がドウ終局規則を制定しようとした際にも
懸念が表明され、結果として、終局規則は勧奨した ICRC の設置を強制しなかった。保健
福祉省が ICRC を設置するガイドラインを公表した時も、同様であった。このように、政
府各機関が倫理委員会の設置を勧告する場合には、強制でないことを明示してきた。
理由②についても、ドウ終局規則の制定時に設置を強制しない理由に「倫理委員会の有効
性が未だ明らかでないこと」が挙げられていた。保健福祉省ガイドラインの制定時にも懸念
事項として指摘されていた。この問題に対応しうる調査研究と言えるのが、本章第 3 節で
紹介した Hoffmann の研究であった。そこからは、倫理委員会に対して委員会自身は積極
的に評価し、外部の利用者は消極的に評価することが明らかになった。また、この問題状況
に対して、PCAC 法は対応できていないという同法の実効性について疑問が残る結果が示
された。
理由③は、保健福祉省が作成したドウ終局規則の中で勧奨した ICRC の活動のうち、教
育活動の実施を求めなかった理由として推測したことと同旨であろう。
理由④については、PCAC 法が資源の乏しい関係施設の PCAC の協働関係を認めたこと
は、本章・第 2 節の 1 で評価した。しかし、病院には同様の配慮が見られないことも、既
に指摘したとおりである。
理由⑤は、本章・第 2 節の 2 において PCAC の構成員について論じ、病院を運営する立
場の者を委員にすることに疑問を呈したことに通じる。
そのような立場の者を必須の委員に
する(一方で、法律家という患者の権利を重視すると推測される者を委員にしない)ことは、
終末期医療において医療費の削減や医療資源の配分に倫理委員会が与すると思われること
を助長するだろう。
また、Jonathan D. Moreno は、理由⑤と同旨の議論を展開する229。Moreno は、PCAC
Jonathan D. Moreno, Institutional Ethics Committees: Proceed With Caution, 50
MED L. REV. 895 (1991).
229
120
や PCAC 法に関して論じるのではなく、倫理委員会に対する法規制一般について考える。
Moreno によれば、倫理委員会に関する一般的な理解や知見は十分でなく、評価基準も明
確でない。倫理委員会や「委員会」と呼ばれるものが、集団为義に陥りやすい問題状況があ
る(これを「官僚制度」と称し、倫理委員会と個人の倫理コンサルタントとの比較を行い、
社会学や心理学からの知見を取り入れて克服すべきであると論じる)。それでも、倫理委員
会を制定法により強制することには、次の理由から反対する。第一に、倫理委員会は医療者
が切実に求める場合に最も機能する。第二に、外部から組織や機能に関する要件を押付けら
れることで、倫理委員会が演習を行う余地が失われ、常に新しい規制に対応を迫られる不安
がもたらされる。
Moreno が指摘する最大の問題は、制定法により強制された倫理委員会が、司法長官によ
る支持を得た州からの医療現場への介入又はリスク・マネジメントのための組織であると見
なされることである。さらに、連邦法で強制される場合には、メディケア・メディケイドを
運営する政府は医療費の削減に努めていると考える国民から、倫理委員会は医療資源の配分
の前線基地であると見なされてしまうことである。
倫理委員会の設置や活動の内容について立法化することには、このような反対理由が、一
般的に存在する。当時のメリーランド州も例外ではないと思われる。それにもかかわらず、
メリーランド州は州法を制定した。
第5節
小括―PCAC は倫理委員会か
1.PCAC 法の評価
(1) 前節の最後に挙げた反対理由を PCAC 法に当てはめて考えてみる。
反対理由①については、PCAC 法は設置を強制したが、倫理委員会の内容に関しては各
施設に自为性が与えられていると考えられる。だが、結果として、同法は倫理委員会の内容
に頓着せず、各施設での設置を促すことに傾倒した内容である。第 2 節で同法について指
摘した 2 点が、その顕著な例である。すなわち、構成員に多様性を求めないことで人材整
備の要件を緩やかにする。PCAC に関与する者への免責規定を充実させ、PCAC 設置の誘
因となる。また、同節で指摘した他の 2 点(施設間の協働関係と患者らの手続保護)について
着想自体は評価に値するが、徹底された内容ではない。
反対理由③に対応するかのように、
実施すれば評価されるが実施困難な教育活動について
は、各施設の任意の機能である。
上記のような反対理由を考慮した結果か、大統領委員会報告書の示した基本的な考え方、
倫理委員会が考慮すべき基本的論点を逸脱する PCAC 法を、内容的に評価することはでき
ない。
この点について、PCAC 法と大統領委員会報告書、小児科学会及び保健福祉省による倫
121
理委員会モデルとの間に、内容の差異が生じる理由を推測すれば、それらは対象となるケー
ス又は患者として無能力状態にある患者を想定していた。それに対して、PCAC 法は、基
本的に「生命の危機状態にある者に関するケース」で助言することを想定するが、患者が無
能力状態であることを必ずしも要求しない。つまり、PCAC が助言する場面は、患者が意
思表示できる場合も含む。そうすることで活動範囲を広くする半面、PCAC の要件を緩く
設定しても、患者の利益を保護するためには(患者は無能力状態ではないので)差支えないと
考えた、と PCAC 法を好意的に解することもできないわけではない。
他方、倫理委員会を設置する医療施設の数を増やすことに为眼を置くと、PCAC 法につ
いて肯定的に評価できる230。それは、メリーランド州とヴァージニア州の倫理委員会を比
較した結果から認められた。また、終末期患者の処置の決定という問題を考える活動の 1
つとして、問題に対応する機関である倫理委員会を周知させるために、制定法は非常に有効
であろう。メリーランド州の司法長官や法律家協会が同法を肯定的に評価したのは、これら
の意義を重視したからではないか。
(2)
しかし、同法の内容が倫理委員会モデルとしては消極的評価に留まることと、同法を
定めたこと自体は分けて評価すべきであるとも考えられる。むしろ、次の条件のいずれかが
付随的に存在すれば、同法の内容に対する消極的評価を改めることができるが、結果として
いずれも満たされないことが問題かもしれない。
すなわち、条件の 1 つとして制定法以下のレベルの指針類が存在し、倫理委員会の内容
の詳細を規定することである。制定法は原則や大枠を設定し、倫理委員会の内容の詳細を指
針類に委ねるという使い分けも当然にできよう。だが、そのような指針類の存在は確認でき
ず、論者等の言及もなかった。
もう 1 つの条件として、指針類がなくても、各施設が自発的に倫理委員会を充実させる
ことを期待できることが考えられる231。倫理委員会モデルとしての PCAC を倫理委員会と
して最低限満たすべき要件であると考え、各施設が各々の事情に応じた柔軟な内容の倫理委
員会が設置することには一理ある。だが、当時のメリーランド州の倫理委員会を、コロンビ
ア特別区の倫理委員会以上に高く評価できないことは、
既に確認した。
メリーランド州では、
コロンビア特別区のように倫理委員会の充実を各施設の自为性に委ねることは難しかった。
広く医療関係者や州民に周知させる力と遵守への大きな強制力を持つ州法は、医療の現場
に大きな影響を及ぼす。そして、制定法は両方の力の前提としての規範性も強い。それだけ
に、制定法により倫理委員会モデルを提示した場合に、各施設がそのモデルの要件充足に安
んじることを助長する可能性はないだろうか。このことを、倫理委員会の設置と活動が意義
あるものになるために、
制定法のみならず指針類を含めた諸規範と医療施設における自为性
230
ただし、倫理委員会を設置する病院の割合の法施行前後の推移からは、PCAC 法の効力
を(積極的・消極的いずれにも)評価するのは容易ではないことは既に述べた。
231「各委員会の従うべき手続については各医療施設に委ねられる」
と Hollinger も述べる。
Paula C. Hollinger, Hospital Ethics Committee Required by Law in Maryland, 19(1)
HASTINGS CENT REP 24 (1989).
122
との関係を考える上で、配慮すべき問題として示しておきたい。
2.PCAC は倫理委員会か?
以上の議論は、PCAC を倫理委員会モデルとして考えた場合の評価である。ところが、
筆者も、本稿で紹介した PCAC について検討する他の論者も、PCAC を倫理委員会として
当然のように理解したが、その理解が誤っているのかもしれない。PCAC は、倫理委員会
ではなく、他の目的を有する委員会として位置付け又は分類されるべきかもしれない。
本稿は第 2 章の最後に、無能力患者に対する生命維持処置を行わない決定の手続過程及
び倫理委員会の指導原理は、患者の利益を保護するための手続的正義であると理解した。換
言すれば、決定手続全般及び倫理委員会における適正な手続によって保護されるものは、患
者の利益である。
だが、
そもそも PCAC が倫理的問題を扱うことは、
明示されていない(任意の委員として、
倫理アドバイザが挙がるに留まる)。構成員の非多様性、患者らに対する十分でない手続的
保護、委員会及び医療施設にのみ厚い免責手続という問題が目立った PCAC は、手続的正
義の指導原理に従い、
目的を達成すべく組織される倫理委員会として理解すべきではないか
もしれない。倫理委員会として評価できなかった PCAC の全ての内容は、第一義的には医
療施設のための免責機関として意味を有し、
第二義的に患者の処置に伴う倫理的問題に直面
する医療者、最後に患者側の当事者という順序で寄与するものかもしれない。
PCAC がそのような機関として存在することの是非は、これ以上問題にしない。だが、
何故このような誤解(ミスリード)が生じてしまったか。倫理委員会として評価すべきでない
組織が、倫理委員会として機能するかのように存在することで、誰に不利益が生じるか。本
稿の序章において、日本の倫理委員会が倫理委員会の名称の下、病院内倫理委員会として機
能しない現状を明らかにし、結果的に患者の保護が十分ではない問題を指摘したが、それと
似た問題の構造を PCAC に関しても指摘できるのではないか。倫理委員会に対する正確な
共通理解を得ることの重要性と難しさは、アメリカにおいても変わらないかもしれない。
「資料 患者のケアに関する助言委員会法(2008 年)(試訳)」
Md Health-General Code Ann.§19-370 定義
(a)<総則>
本節第 9 款232において、以下の用語は以下の意味を有する。
(b)<助言>
「助言」(”Advice”)とは、助言委員会(the advisory committee)の勧告(recommendations)
をいう。
(c)<助言委員会>
232
1988 年改正法により「本条」から「本節第 9 款」に改められる。
123
「助言委員会」とは、患者のケアに関する助言委員会(a patient care advisory committee)
をいう。
(d)<申立人>
「申立人(petitioner)」とは、以下の者のうち、患者のための医的結果を伴う決定をなす
責任を負う者をいう。
(1)患者
(2)医師
(3)正看護師(A registered nurse)
(4)ソーシャル・ワーカー
(5)家族構成員(A family member)
(6)後見人(A guardian)
(7)患者のための医的結果を伴う決定をなす代理権を有する者、又は、
(8)その他、患者のケアに直接関与する医療者
(e)<関係施設>
「関係施設(related institutions)」には、関係施設から独立して運営される日常生活ケア
ホーム(domiciliary care home)は含まれない。233
Md Health-General Code Ann.§19-371 設置及び活動形態
(a)<設置>
各病院及び各関係施設234は、
(1)本節第 9 款235に規定される助言委員会を、及び、
(2)助言委員会が開催されるための書面による手続を
設けるものとする。
(b)<活動形態>
関係施設における助言委員会は、
(1)当該関係施設において単独で、
(2)病院の助言委員会と協働して、又は、
(3)他の 30 箇所未満の関係施設を代表する助言委員会と協働して、
職務を行うことができる。236
Md Health-General Code Ann.§19-372 構成員、申立人に伴う者
(a)<構成員>
233
234
235
236
1990 年改正法により(e)項が追加される。
1990 年改正法により「各関係施設」が追加される。
1988 年改正法により「本章」から「本節」に改められる。
1990 年改正法より(b)項が追加される。
124
(1)各助言委員会は、尐なくとも以下の 4 名の委員によって構成されるものとする。
(ⅰ)問題になる患者のケアに直接関与しない医師
(ⅱ)問題になる患者のケアに直接関与しない正看護師
(ⅲ)ソーシャル・ワーカー、及び、
(ⅳ)最高経営責任者(chief executive officer)、又は当該助言委員会のある各病院及び各関
係施設から237指名された者
(2)助言委員会は、その他、各病院(each represented hospital)及び各関係施設が選任する、
以下に掲げる一人又はそれ以上の者を構成員とすることができる。
(ⅰ)コミュニティの代表者、及び、
(ⅱ)倫理アドバイザ(ethical advisor)又は聖職者
(3)助言委員会は、その審議の過程において、適当なケースにおいては、以下に掲げる者
に意見を訊くものとする。
(ⅰ)患者の医療処置チームの全員、
(ⅱ)患者、
(ⅲ)患者の家族、及び、
(ⅳ)生命の危機状態にある小児に施すべき医的なケア及び処置のための選択肢に関する
ケースの場合には、小児の終末期ケアに精通した医療専門職が既に委員会の構成員になっ
ていなければ、その専門性を備える医療専門職238
(b)<申立人が伴う者>
申立人は、自らが希望する者を伴うことができる。
Md Health-General Code Ann.§19-373 助言委員会の主たる義務及び責任
(a)<助言委員会の主たる義務及び責任>
助言委員会は、申立人が求める場合には、生命の危機状態にある者に関するケースにおい
て助言をするものとする。但し、助言委員会の義務及び責任は、それにとどまらない。
(b)<医療上の意思決定:医療処置の差控え>
助言委員会は、
(1)病院と関係施設239内の職員、患者及び患者の家族を医療上の意思決定に関して教育し、
且つ
(2)医療処置の差控えに関する施設内の指針及びガイドラインを審議及び勧告する
ことができる。
但し、助言委員会の義務及び責任は、それらにとどまらない。
237
238
239
1990 年改正法より「当該助言委員会のある各病院及び各関係施設から」が追加される。
2000 年改正法より(ⅳ)が追加される。
1990 年改正法より「関係施設」が追加される。
125
Md Health-General Code Ann.§19-374 生命の危機状態にある者のための選択肢に関
する助言、個人の諸権利の通知、与えられた助言に伴う責任、秘匿
(a)<生命の危機状態にある者のための選択肢に関する助言>
助言委員会は、申立人が求める場合には、生命の危機状態にある者に施すべき医的なケア
及び処置のための選択肢について助言をするものとする。
(b)<患者の諸権利の通知>
(1)助言委員会は、患者、患者の直近の家族構成員、患者の後見人及び患者のために医的
結果を有する決定をなす代理権を持つ者に対して、以下に掲げる個人の権利について通知
するよう誠実に努力するものとする。
(ⅰ)申立人になること。
(ⅱ)医的なケア及び処置に関する選択肢について助言委員会と面談すること。及び、
(ⅲ)助言委員会の助言の基本的内容及び根拠について説明を受けること。
(2)患者の希望を表す情報又は文書は何であれ、助言委員会の討議において他に先んじて
重視されるものとする。
(c)<助言に対する責任>
助言委員会又は同委員会の委員は、誠実に助言をしたのであれば、与えた助言を理由とし
て、裁判所が同委員会又は委員に責めを帰することはできない。
(d)<同上>
1 つ若しくは複数の病院又は関係施設の助言委員会の設置に助力した者に対して、裁判所
は、その者、関係施設、同委員会又は同委員会委員が誠実に与えた助言を理由として責め
を帰することはできない。この場合において、助言委員会及び同委員会委員は、誠実に与
えられた助言に対して責任を問われない。240
(e)<秘匿>
(1) 助 言 委 員 会 の 審 議 過 程 (proceedings) 及 び 討 議 内 容 (deliberations) は 、 Health
Occupations Article §14-601 に規定されるように秘匿される。
(2)患者の医療ケア及び処置に関する助言委員会の助言は、患者の医療記録の一部を構成
するものとし、本法241§4-301 及び§4-302 に基づき秘匿される。
(f)<助言を実行しないことに対する責任>
患者の医療ケアに関する助言委員会の助言が、病院又は関係施設の書面による指針に背馳
する場合には、その助言を実行しないことを理由として、裁判所が病院又は関係施設に民
事上の責めを帰することはできない。242
240
241
242
1990 年改正法より(d)項が追加され、それにより 1988 年法の(d)項が(e)項に改められる。
Maryland Health-General Code Annotated のことを指す。
1990 年改正法より(f)項が追加される。
126
第5章
心に
第1節
裁判所が考える倫理委員会―決定手続の当事者と裁判所との関係を中
本章の目的と裁判例の情勢
1.本章の目的
(1) 本章の研究対象は、
「倫理委員会」が判決文中に現れるアメリカの裁判例である。
英米には宣言的判決制度243があるため、権利関係や法的地位を確認する形で、臨床の倫
理的問題について裁判所に事前に判断を求めることができる。例えば、無能力状態にある患
者の延命処置を中止するか否かが臨床で問題になる場合に、
患者の近親者や医師らの当事者
は、裁判所に対して当該患者の延命処置の中止の許可を求めることができる。裁判所はその
事実状況を検討して、延命処置の中止が適法であると判断すれば許可する(逆も然り)。当事
者(特に医療者)にとっては、延命処置の中止による患者の死亡に対する法的責任を問われな
いように図る意義がある。裁判所が事前にその法的判断を下すのであるから、当事者は安心
して当該処置を実行できる。また、当事者間で意見の対立がある場合に、いずれが法的には
妥当かを裁判所に判断してもらう場合もある。したがって、アメリカには臨床の倫理的問題
を検討し決定する为体として、患者、患者の近親者及び医師らを含める当事者、倫理委員会
ならびに裁判所が存在する。
(2)
本章の最大の目的は、裁判例が考える倫理委員会のあり方を整理して確認することで
あり、その目的を達成するための視点と射程として【3 つのポイント】を設定する。
【第一のポイント】は、臨床の倫理的問題の決定为体の関係についてのアメリカの裁判例
の立場を、特に倫理委員会を中心にして理解することである244。すなわち、アメリカの裁
判所が臨床の倫理的問題をケースとして扱う中で、
その問題に対応する機関又は制度として、
...................
倫理委員会を当事者ら決定为体との関係で、どのように位置付けるかを確認する。
ちなみに、倫理委員会は判決の中で 2 つの現れ方をする。1 つは、裁判例の事実関係の中
に倫理委員会が実在し、その活動を裁判所が検討し評価する場合である。もう 1 つは、事
実関係において倫理委員会は登場しないが、
裁判所が事案との関係で倫理委員会の存在や活
動を仮定して、その意義や可能性について見解を示す場合である。
【第二のポイント】は、裁判所が臨床の倫理的問題を事件として扱う中で、その問題に対
..............
応する機関又は制度として、倫理委員会を裁判所との関係で、どのように位置付けるかを確
田中英夫『英米法総論(下)』 (東京大学出版会、1980 年) 567 頁。最高裁判所事務総局
行政局『行政裁判資料第七号 英米法における宣言的判決』(最高裁判所事務総局行政局、
1949 年)。
244 唄は、かつて治療拒否権の行使の問題点を関係为体(個人対家族、医療対司法、倫理委員
会)ごとに考察した。唄孝一「アメリカにおけるいわゆる「死ぬ権利」(?) 判決の動向―医療
と裁判との間で―」
『生命維持治療の法理と倫理』(有斐閣、1990 年)126 頁。
243
127
認する。これは、
【第一のポイント】を掘り下げることにもなり、すなわち当事者にとって
の宣言的判決の意義(又は最大の関心)である法的な免責に関係する。倫理委員会が登場する
最初期の 2 つの有名な裁判例が、倫理的問題を裁判所に持ち込んで判断を仰がなくてはな
らないか、
それとも裁判所に持ち込まなくても倫理委員会で可否が判断された内容について
は、法的責任も以後問われないのかという点をめぐって対立し、この問題と両判決の理解を
めぐって論争も起きた(第 2 節で扱う)。裁判例がこの争点について後者の立場を取ることが
確認できれば、倫理委員会(の事前審査、ケース・レヴュー機能)に大きな意義を見出すこと
ができる。
この問題をめぐる裁判所の見解を、
全ての裁判例に亘ってフォローすることが
【第
二のポイント】である。
また、これら【第一、第二のポイント】について、裁判所が倫理的問題を考える文脈の中
で倫理委員会を位置付け、倫理委員会に一定の機能を担わせることにおいて、倫理委員会の
モデルを示す場合がある(「倫理委員会」という名称の機関であれば何でも構わないはずは
ないと推測する)。そこで、前章までと同様の視点として、裁判所が考える倫理委員会のモ
デルを確認することを【第三のポイント】とする。
(3)
事件判決は、各々の具体的な事実関係に基づき、判決の射程については厳しく解さな
くてはならない。その意味において、各裁判例が倫理委員会について述べることについて、
どの程度まで一般化できるのかは、事実関係に照らした注意深い検討を要する。本章の狙い
と試みには、そのような限界があることを自覚した上で検討を始める。
2.裁判例の情勢
(1) アメリカの連邦裁判所及び各州裁判所における裁判例の中で、
「倫理委員会」が登場す
るものを探すために、判例検索データベース lexis.com を用いた。アメリカでの倫理委員会
の名称は多岐に亘るが、代表的な“hospital ethics committee”, “medical ethics committee”,
“institutional ethics committee”, “clinical ethics committee”をキーワードに検索すると、
順に 38 件、13 件、6 件、0 件の裁判例が該当した245。
これら合計 57 件のうち、上下級審の重複は 1 つの裁判例として扱った。また、全く医療
と関係のない事例、
判決文中に登場する人物の背景説明として何らかの倫理委員会のメンバ
ーであることが示されるだけの事例、医師の資格や医師会への加入をめぐる事例は、臨床で
生じる倫理的問題を扱う裁判例を検討する本稿の対象外とした。また、本稿の対象として残
った裁判例を読み進める中で、当初の 57 件に含まれなかった重要な裁判例も検討対象に加
えた。こうして本稿の検討対象になる裁判例が、別表「倫理委員会が登場するアメリカの裁
判例」に挙げる 40 件である。
2010 年 3 月末日の検索結果である(以下、全て同じ)。“ethics committee”をキーワード
に検索すると、該当判例が 2932 件に上ったために、本文中のように検索方法を改めた次第
である。2932 件という厖大な数の裁判例があることは、“ethics committee”は医療以外の
社会領域でも存在することに由来する。
245
128
この表について説明する。縦軸の上から、裁判例が判決年月日の古い順に並ぶ。横軸の左
のコマが、整理番号(1~40)、事件判決名、引用情報、判決年、裁判所名を記載する。右の
コマが事件判決の概要を示す。①は患者の状態と事件の争点である。②は患者の希望や意思
表示の有無又は内容である。③は当事者(医師や近親者など)の見解である。④は訴訟が始ま
った経緯である。⑤は事実関係において倫理委員会が登場するか否か(登場する場合は、そ
の概容)である。⑥は判決の倫理委員会に対する見解(又は本稿の本文に記述する場合には、
その場所)である。
(2) この表が示す裁判例の概要から、次のことが全裁判例を通じた情勢として見えてくる。
第一に、40 件の裁判例のうち圧倒的多数の 38 件が、事前に裁判所に法的判断を求めるも
のである(残りの 2 件(31 番と 32 番)は、事後の損害賠償請求事件である)。
その 38 件のうち問題となった医療行為の内訳は、人工呼吸器や栄養水分補給などの生命
維持処置(又はそれに匹敵するような延命のための医療行為)の差控え又は中止の是非を問
う事件が 35 件と圧倒的多数を占める246。このことは、倫理委員会に医療者が諮問するケー
スの大多数が、処置の差控え又は中止であるという報告247とも一致する。その他には、壊
疽化した足の切断手術の是非が 1 件(3 番の事件)、知的障害女性に対する不妊手術の是非が
2 件(7 番と 15 番)である。
38 件のうち、医療処置の実施又は不実施の是非について倫理委員会が事実関係において
実際に登場するもの、事実関係には登場しないが、倫理委員会が機能する場面として裁判所
が仮定的に言及するものが、それぞれ 19 件ずつである。
第二に、倫理委員会が事前審査機能を果たしうる事例 38 件のうち、ほぼ半数に当たる 18
件(7,12,14,16,21,22,23,26,27,28,33,34,35,36,37,38,39,40 番)において、実際にその機能を
果たしている。この 18 件のうちの(21 番を除く)17 件の事例において、倫理委員会は勧告
を出しており、事前審査の後に勧告という手続が一般的なようである。
第三に、宣言的判決を求める 38 件の裁判例のうち、近親者や医療者らの当事者間で意見
が対立する事例は、14 件(1,6,7,11,13,16,17,18,28,33,34,37,39,40 番)である。つまり、大半
(24 件)の事例では当事者間に争いがなく、当事者間で合意する結論に対して法的な保証を
求めることが、当事者が裁判所を利用する動機である。
当事者の意見が対立する 14 件のうち、事実関係において倫理委員会が登場するのは 8 件
(7,16,28,33,34,37,39,40 番)の事例である。つまり、当事者間に争いがあり、倫理委員会に
諮問をしたケースでも、相当数(8 件)が結局は裁判所に法的判断を求めている。
第四に、同じく 38 件の裁判例のうち、申立て時に患者の明示の意思表示が存在するもの
Robert F. Weir によれば、1976 年~88 年における非自律的患者のための治療中止に関
する裁判例は 25 件しか(only)ない(Weir 自身の裁判例の整理紹介は 24 件)。
ROBERT F. WEIR,
ABATING TREATMENT WITH CRITICALLY ILL PATIENTS 108 (1989).
247 Ruth Macklin, Consultative Roles and Responsibilities, INSTITUTIONAL ETHICS
COMMITTEES AND HEALTH CARE DECISION MAKING 166 (Ronald E. Cranford et al. eds.,
1984).
246
129
は 2 件である(ともに ALS 患者の 19 番と 22 番)。残りの事例は、事前の意思表示(口頭又は
文書)がない又はそれがあっても適否若しくは有効性を(程度の差はあれ)問題にする。したが
って、倫理委員会が関与するケースは、患者本人の意思表示について問題になるものが大多
数であることが分かる。
第五に、表の項目⑥に着目すると、裁判所が倫理委員会について何かしら見解を示す裁判
例は、30 番の Fiori 事件判決までと考えてよい。それ以降の裁判例は、倫理委員会に関す
る見解を示さない又は先例が示した見解を補足する意味を持つに留まる。したがって、本稿
の【3 つのポイント】の検討のためには、1995 年の Fiori 事件判決までが重要になる。Fiori
事件判決までの時期は、前章までの検討対象時期に重なり、それらも含めて 1995 年前半ま
でに倫理委員会に関する基礎的な議論が、1 つの区切り(基本的な共通理解)を迎えたと考え
られる。
第2節
リーディング・ケースとしての Quinlan 事件判決と Saikewicz 事件判決
1.Quinlan 事件判決
(1) 本章では、別表の 1 番と 2 番に位置する Quinlan 事件判決と Saikewicz 事件判決を検
討する。
不可逆的に死に逝く患者への生命維持処置の中止の是非という倫理的問題に対して、
「Q 判決は、偉大な解答である以上に、偉大な出題であったことがわかる。そして、それ
らの問題は、…S 判決により一そう増幅されたのであった。それ以後の各州の判決は、いわ
ば、この Q・S 両判決の提起した問題をめぐって、その解答に懊悩し精進している姿ともい
える248」という分析もあるように、両判決は、生命維持処置の中止の是非の問題のリーデ
ィング・ケースである。それに加えて(その問題に包含される問題であるが)、両判決は、倫
理委員会の位置付け、
倫理的問題への司法の介入という本章冒頭に挙げたポイントから見て
もリーディング・ケースである。
アメリカの裁判例において、最初に倫理委員会というアイデアが登場した Quinlan 事件
判決の検討から始める249。
(2) Karen Quinlan は 21 歳の女性であり、ある時に突然昏睡状態に陥った。担当医や専
門家による医学的判断によれば、Karen は遷延性植物状態にあり、人工呼吸器の取外しは
患者の状態を悪化させ、人工呼吸器なしでは生存できないので、その取外しは医学的慣習、
標準、伝統に反する。ICU 内で 4 人の看護師による 24 時間体制のケアを受け、経鼻胃瘻チ
唄・前掲注 244・102 頁。唄論文において、Q 判決と S 判決は Quinlan 事件判決と
Saikewicz 事件判決を指し、以下では本稿もそれに倣う。
249 Supra note 101.
本邦にも Q 判決に関する優れた先行研究があり、詳細はそれらに委ねる。例えば、唄孝
一『生命維持治療の法理と倫理』(第二部 カレン事件の解題と分析)245 頁。香川知晶『死
ぬ権利 カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(勁草書房、2006 年)。
248
130
ューブによる栄養補給がなされ、常時感染症に対する注意が払われている。患者の遷延性植
物状態を改善する処置は不明である。意識を回復し、人間としての生活を取り戻すことは決
してない。現在の状態は安定しているが衰弱し、瀕死の状態であり、1 年以上生存できると
いう意見の医師はいない。
Karen の父 Joseph Quinlan は、裁判所に対して、Karen が無能力者であると判示する
こと、自身を Karen の身上及び財産上の後見人に任命すること、後見人の権能には通常外
の医療処置の中止の許可を含むことを申立てた。このような医療処置の中止を求める
Joseph の为張は、病院や医師から反対を受けた。
(3) ニュージャージー州最高裁の Hughes 裁判官は、以上の事実に基づき、憲法的及び法
的問題に取り組む(“CONSTITUTIONAL AND LEGAL ISSUES”以下)。
本事例の処置の中止を認めないことは、宗教の自由行使の侵害に当たること(Ⅰ.The Free
Exercise of Religion)、残忍異常の刑罰に当たること(Ⅱ.Cruel and Unusual Punishment)
を否定する。しかし、憲法上のプライバシー権は処置の中止を求めることも含み、それは医
師の治療義務と生命維持に対する州の利益を優越する。その権利については、処置による侵
襲の程度や患者の予後が考慮される。その権利は、患者が無能力状態であるからといって否
定されるべきではなく、患者の家族や後見人が、患者はこの権利を行使するか否かについて
判断して为張できる。その判断に際しては、社会の大多数の人々が選ぶであろうこと(いわ
ゆる最善の利益基準に近いか)を基準とする(Ⅲ.The Right of Privacy)。
(4) 本稿にとっては、
“Ⅳ.The Medical Factor”が興味深い。要所を引用して見ていく。
「
〔ここまでで〕Karen の代理人としての原告の権利が基づく実体的な法的基礎を宣言し
たので、
〔次に〕我々の命題が支配的な医療基準を不当に攻撃するという被告側の为張に取
り組み、答える250」として、上述の処置拒否権がプライバシー権に基づくという命題を、
医療者の立場から検討する。その上で導き出そうとする結論は、
「致命的な障害を自己に課
すことと、例えば、不可逆的で苦痛に満ち確実に切迫している死に直面して、人工的生命維
持又は過激な手術に反対する自己決定をすることの間には、
現実的な違いがあることを見出
..
251
そうとする 」ことである。換言すれば、
「通常は義務である生命維持処置の開始が、瀕死
.
の者への処置という文脈の中で、医師の裁量となるのは、どのような時か。そのような処置
によって既に生命を維持されている患者からの処置の取外しが、
医療の裁量の範囲に入るの
は、どのような時か。以上の偶発事のいずれかに関する決定が、関係する医師又は施設の側
に民事又は刑事責任という災厄を招くのは、どのような時か252」という問題に答える。
本件の医師は、
医療の基準や慣行に依拠して人工呼吸器の取外しを拒否する。原審の Muir
裁判官は、医師の考えを尊重し、Hughes 裁判官は、その考え方を一応肯定する。しかし、
同時に「原審裁判所に投影されている医療基準の適用可能性を再評価することを、我々〔当
250
251
252
Id. at 664.
Id. at 665.
Id. at 665.
131
裁判所〕は求められている。問題は、裁判所の手で原告の実質的救済を実行するのに避けら
れない障害になることを認めるほど、そのような医療基準の適用に一貫性と合理性があるか
ということである。我々は、否と結論する253」。そして「医療の基準に影響を与えるものを、
医師の責任についての民事法と刑事法及び不可逆的障害を負った生命の維持の新たな技術
的方法の両方と考えるのが適切である254」として、医療基準をめぐって原審とは異なる判
断をする。後者の技術的方法に関しては、医師は死に逝く患者を治療可能な対象として扱わ
ずに安楽にさせてきたこと、
不可逆的状態にある患者の死への過程を延長することを拒否し
てきたことを確認し、人工的生命維持処置を患者の状態に応じて「通常」と「通常外」に区
別して考えることを提案する。また同時に、
「我々が指摘した民事及び刑事医療過誤訴訟の
脅威に直面して、このジレンマは鋭いものである255」と述べ、前者の医師の法的責任に目
を向け、倫理委員会というアイデアを突然に持ち出す。
(5) まず、
「我々はこの不完全な世界において、裁判官や陪審員には伴う初期のコモン・ロ
ーからの免責を医師に対して提案することを躊躇する256」。「それでもなお、医師が治療と
いう職務を遂行する中で、
死に逝く患者の福祉のための独立した医学的判断を控えさせてし
まうような自己利益又は自己防衛に汚染してしまう可能性から、
彼らを自由にするための方
策257」として、小児科医 Karen Teel の論文を引用する(以下、二重鍵括弧部分)。
『医師は、医療上の判断の責任のため、時に自らの選択により、時に他にそういう者がい
ないので、用意もないのに倫理的判断をすることの責任を負う。我々は、必ずしも道徳的且
つ法的にそうすることの権限があるわけではない。そうすることで、医師はしばしば、自ら
の決定の要素として認識さえしていない民事上且つ刑事上の責任を負う。
この全過程におい
て、対話は殆ど又は全くない。医師は自らの判断が求められていると考え、誠実に(in good
faith)活動する。誰かがしなくてはならず、医師がその責任とリスクを負ってきた。
個々の場合に、より多くの情報提供と対話の常設のフォーラムを提供することと、これら
の判断の責任の共有を認めることが、より適当であろうと私は提案する。多くの病院は、医
師、ソーシャル・ワーカー、弁護士及び神学者から成る倫理委員会を設置し、それは倫理的
ジレンマの個々の状況を審議することに寄与し、
患者と医療者のための援助と安全策を講ず
る形で多くの貢献をしてきた。一般的に、これらの委員会の権限は、为に病院の臨床に限ら
れていて、その公的な立場は実行機関よりも助言機関である。
この種の組織を持ち、
患者に医療ケアを提供する者が容易にアクセスできる倫理委員会と
いう概念は、さらなる研究の最も有望な方向性であろうと考える。これは、これらの問題に
ついて極めて必要な対話を許し、
特定の患者のあらゆる選択肢を調査することを強いること
になるだろう。それは、これらの判断をすることの責任を分散する。多くの医師は、多くの
253
254
255
256
257
Id. at 666.
Id. at 666.
Id. at 668.
Id. at 668.
Id. at 668.
132
状況で、この責任の分配を歓迎するだろう。このような存在が、責任を懸念するが故に、今
は着手されていない一連の行動を許す法的地位を引き受けることに役立ちうる、
と私は考え
る258』
。
Hughes 裁判官は、
「Teel 医師が提案する技術〔である倫理委員会〕において最もアピー
ルする要素は、決定についての専門職の責任の分散である259」と考えており、それを裁判
官の複数制になぞらえる。さらに、倫理委員会システムは「家族又は医師の取るに足らない
動機で汚されるかもしれないケースをふるいにかける点で、病院と医師を保護する」と考え
る。また、倫理委員会の 3 つ目の意義として、
「重大な決定を熟考する関係に、多様な考え
方や知識を加えること」に価値を置く。
(6) この種の問題に対応する一般的な手続について、Hughes 裁判官の議論は及ぶ。
「その
ような決定を確かめるために、裁判所に申立てるというやり方は、一般的に適切ではない。
というのは、医プロフェッションの管轄領域に対する謂れのない侵害であるだけでなく、不
可能なほどに負担となるからである260」。つまり、裁判所に宣言的判決を求めることには消
極的見解を示し261、代わって次のアプローチを提案する。
すなわち「我々が述べている検討や決定は、その性質上専門職のものであるが、ある段階
では、無能力者の家族の感情も含むべきであることは明らかである。無害原理が医師の第一
の義務の表れであると考えるならば、医療における意思決定は、为に患者-医師-家族の関
係においてコントロールされるべきである262」として、患者、患者家族及び医師という当
事者間に決定を委ねる。
(7)
以降は、本件における刑事責任の発生を否定し(Ⅴ.Alleged Criminal Liability)、父
Joseph を娘 Karen の後見人として適することを認め(Ⅵ.The Guardianship of the Person)、
“CONSTITUTIONAL AND LEGAL ISSUES”を結ぶ。
続く“DECLARATORY RELIEF”において、以上のように展開した議論をまとめる。
すなわち、
「後見人及び家族の同意を得て、責任ある担当医は、Karen が現在の昏睡状態か
ら認識及び知性のある状態になる合理的可能性がなく、Karen に取り付けられている生命
維持装置は打切られるべき、と結論するならば、彼らは、Karen が入院する施設内の『病
院内倫理委員会』又は同様の機関に諮問すべきである。その諮問機関が、Karen の状態に
関する上述の合理的可能性がないことに合意すれば、現在の生命維持装置は取り外すことが
できる。そして、その行動は後見人、医師、病院又はその他の者のいずれの関係者にも民事
又は刑事責任を生じるべきではない263」。最後に“CONCLUSION”で判決を結ぶが、強調
258
259
260
Id. at 668-669.
Id. at 669.
Id. at 669.
261
ただし、
「これは、他に裁判にかけられるべき(justiciable)争いがある場合には、裁判所
へのアクセスが閉ざされることを意味しない。我々は一般的な実践と手続について述べてい
る」という断りを入れる。Id. at 669.
262 Id. at 669.
263 Id. at 671.
133
と明確化のために上記の直近の引用部分を繰り返す。
2.Saikewicz 事件判決
(1) 次に Saikewicz 事件判決について検討する264。
患者 Joseph Saikewicz は、67 歳の男性であるが、I.Q.は 10、精神年齢は 2 歳 8 ヶ月く
らいの重度の精神障害者である。マサチューセッツ州の精神医療施設に 50 年以上収容され
ている。急性骨髄芽球性卖球性白血病を発症するが、それ以外には健康である。
Saikewicz が収容される施設の長とスタッフが、Saikewicz の後見人の任命と、彼のため
のケアや処置に関する決定権限を持つ訴訟上の後見人の任命を求めて、Probate Court に提
訴する。任命された訴訟上の後見人が、次のように報告する。すなわち、病気が治療不可能
であり、化学療法が深刻な副作用と苦痛を与え、精神障害者である Saikewicz は治療の意
味を理解できず、彼が受ける恐怖と苦痛は治療から受けると見込まれる限られた利益(30~
50%の可能性での寛解、2~13 ヶ月の延命)を上回るので、治療しないことが Saikewicz の
最善の利益に適う。Saikewicz の 2 人の担当医も、化学療法に反対する。また、Saikewicz
の近親者として 2 人の姉妹に連絡をできたが、彼女らは本件に関わることを望まなかった。
(2) 以上の事実に基づいて、マサチューセッツ州最高裁の Liacos 裁判官が判示する。それ
は、ABC の 3 つのパートに分かれる。
パート A では、延命の可能性ある処置を拒否することの能力者又は無能力者の権利の性
質について論じる。患者が延命処置を拒否する権利は、IC の法理と憲法上のプライバシー
の権利に由来する。プライバシーの権利を为張できない無能力者の場合には、B と C のパ
ートで述べる基準と手続に従って後見人が为張できる。他方、この権利に対抗する州の 4
つの利益は、生命の保持、無辜の第三者の保護、自殺の防止、医プロフェッションの倫理的
統合性の維持である。しかし、本件では、これらの州の利益は認められない又は患者の権利
に優越しない。
パート B では、
無能力者への延命の可能性ある処置を行うか否かの決定過程を規律する、
法的な基準について論じる。まず、無能力者が延命処置を拒否する権利を有することを認め
る。その権利を本件において後見人が代行する際に、Saikewicz が治療を拒否するか否かの
判断基準は、Q 判決が示した最善の利益基準ではなく、精神障害を持つ患者の为観を重視
する代行判断基準である。本件の事実状況に表れる諸要素を衡量し、代行判断基準に基づい
て、Saikewicz は治療を拒否するであろうと結論する。
パート C は、その決定に至るまでに従わなくてはならない手続について論じる。ここが、
Supra note 102.
本件判決については、丸山英二「サイケヴィッチ事件―無能力者の延命治療拒否権をめぐ
って―」ジュリスト 673 号(1978 年)109 頁、丸山英二「臓器移植および死を選ぶ権利にお
ける Substituted Judgment の法理」アメリカ法 1979-1 号(1979 年)23 頁が詳しい。また、
星野一正「患者の代理意思決定―サイケヴィッチ判決―」時の法令 1616 号(2000 年)69 頁
を参照。
264
134
本稿の関心からは重要な部分である。
(3) まず、Liacos 裁判官は、裁判所特に検認裁判所の意義を述べる。すなわち「自らの管
轄下にある者の最善の利益のために活動する裁判所の権限は、彼の利益を保護するのに必要
な全ての救済を与えるのに十分なほど広範且つ柔軟でなくてはならない。検認裁判所は、後
見人又は訴訟上の後見人の任命の必要性を決定するのに適した法廷である。また、被後見人
の最善の利益を決定するのに適した法廷である265」
。
続いて、本件のような事件の場合の裁判手続を示す。第一段階として、後見人又は一時的
後見人の任命に際しての審理では、
裁判所は対象者が知的障害であるか、そうであるならば、
誰を後見人にするかを判断しなくてはならない。これら 2 つの問題について、裁判官にと
って、対象者の利益を代表する訴訟上の後見人が有用である。対象者が無能力であると判断
された場合に、訴訟上の後見人に適する且つ強く望まれる責任は、「時間の許す限り徹底的
な調査を行い、
対象者の生命を延長する処置を行うためのあらゆる合理的な議論を裁判官に
提示することである。この責任によって、その後の審理において、処置の実施を認めるべき
か否かを決定する、あらゆる見解や選択肢が積極的に追求され、調査されることが保証され
る266」
。このような手続や議論を経て、裁判官が代行判断基準に基づいて処置を行うか否か
を決定する。
裁判所と家族、
医療専門職及び倫理委員会との関係について議論は及ぶ。
「検認裁判官は、
裁判手続のいずれの段階においても、あらゆる個人や団体の助言又は見識を用いることがで
きる。ここで触れた多くの問題について検討する医療倫理委員会又はパネルを、多くのヘル
スケア施設が設置することに注目する。そのような団体の調査事項に関する検討や助言は、
担当医及びその他の医療専門職の証言と同様に、
このような難しい問題に直面する検認裁判
官には大きな助けとなることが通常であろう。裁判所にとって利用でき、有用である場合に
は常に、裁判官がそれらの見解を検討することは望ましいと考えている。しかし、この選択
肢が必須の手続であるというように解釈されるべきではない。適切な管轄権を持つ、正当に
設置された裁判所から、臨時であろうと常設であろうといかなる委員会、パネル又は団体へ
と究極的な決定の責任を委譲することについては懐疑的な立場をとる。したがって、
Quinlan 事件のニュージャージー州最高裁判決が採用した患者の後見人、家族、担当医及
び病院内『倫理委員会』に、生命維持処置の継続の決定を委ねるアプローチを拒絶する267」
。
さらに、Q 判決の対応箇所(本節の 1(7))を引用した後に、次のように述べて、パート C の
議論を結ぶ。
「我々は、この最も難しく恐ろしい問題―延命の可能性のある処置を自らにつ
いて決定できない者に差し控えるべきか否か―の司法的解決を、医療専門領域への『謂れの
ない侵害』であるとは見なさない。むしろ、そのような生と死の問題は、私心なく情熱的な
調査と決定のプロセスを必要としているように見え、それこそが政府の司法部が創設される
265
266
267
Id. at 433.
Id. at 433-434.
Id. at 434.
135
理想を形成する。この理想を達成することが、我々及び下級審裁判所の責任であり、どれほ
ど高邁な動機を持って立派に組織されていても、
『我々の社会の道徳と良心』を代表すると
される他のグループに委ねるべきではない268」。ここでいう「グループ」に倫理委員会が想
定されていることは明白である。
3.Q 判決と S 判決の比較
(1) Q 判決と S 判決を本稿冒頭に挙げた【ポイント】に沿って比較する。
【第一のポイント】に関して、Q 判決は次のように考える。まず、
「医療における意思決
定は、为に患者-医師-家族の関係においてコントロールされるべきである」と述べ、医師
が中心になった当事者間での対応を最も望ましいと考える。それでは、当事者間で結論の一
致を見ない場合にはどうするか。
「(医師を中心とした当事者間での)決定を確かめるために、
裁判所に申し立てるというやり方は、一般的に適切ではない。というのは、医プロフェッシ
ョンの管轄領域に対する謂れのない侵害であるだけでなく、
不可能なほどに負担となるから
である」と述べ、倫理的問題を裁判所に持ち込むことを望ましくないと考える。その理由に
は、医プロフェッションへの配慮がある(反面、患者やその近親者への配慮を明示しない)。
そして、当事者と裁判所の間に倫理委員会を置いて、倫理委員会には当事者(特に医師)に寄
与する機能を期待する(詳細は後述する)。
S 判決は、この見解に真っ向から対立する。
「
〔Q 判決が〕採用した患者の後見人、家族、
担当医及び病院内『倫理委員会』に、生命維持処置の継続の決定を委ねるアプローチを拒絶
する」
。無能力者への延命処置の差控えという倫理的問題の「司法的解決を、医療専門領域
への『謂れのない侵害』であるとは見なさない」
。むしろ、そのような倫理的問題への対応
は、私心なく情熱的な調査と決定を行える機関として裁判所を要求する。倫理委員会が高邁
な動機を持って立派な組織を有し、社会の道徳と良心を代表していたとしても、不適切であ
る。延命処置の対象者が無能力であるか否か、無能力である場合には後見人を誰にするかと
いう問題を、裁判所が考えるに際して、家族、医療者及び倫理委員会の見解を考慮すること
が有用であることは認める。ただし、その考慮は裁判所にとって義務ではない。
(2) 【第二のポイント】については、Q 判決は、倫理委員会を必要とする理由付けの端緒
とする。それは、医師の責任に関する医療過誤訴訟の脅威が、医師が医療基準や慣行を正し
く用いた上での患者の福祉を考えた医学的に妥当な判断を躊躇って、
自己利益や自己防衛に
堕することを防ぐことであった。一言で言えば、倫理的決定に伴う医師の法的免責である。
そのために倫理委員会を用いることを、Karen Teel の論文269を引用して提案する。その
法的免責とは、医師が倫理委員会に決定責任を委ねるとか、倫理委員会の勧告を得れば自動
的に免責を得られるとかいうことではない。繰り返し引用するが、
「〔倫理委員会は〕倫理的
268
Id. at 435.
Karen Teel, The Physician‟s Dilemma. A Doctor‟s View: What the Law Should Be, 27
BAYLOR L. REV. 6. (1975).
269
136
ジレンマの個々の状況を審議することに寄与し、
患者と医療者のための援助と安全策を講ず
る形で多くの貢献をしてきた。一般的に、これらの委員会の権限は、为に病院の臨床に限ら
れていて、その公的な立場は実行機関よりも助言機関である270」
。Q 判決が考える倫理委員
会システムの意義は、決定に対する責任を共有又は分配すること、家族や医師の良くない動
機を排除すること、様々な考え方や知識を取り入れることである。こうした倫理委員会での
議論というプロセスを経ることで、医師が行う倫理的決定を適正なものに仕上げ、それが法
.........
的にも免責に値するものになると考えるのである。Q 判決は、医師に免責そのものを与え
........................
るのではなく、法的免責のために決定を練磨する手段として倫理委員会を考える。
それに対して、S 判決は上述のように、
「
〔Q 判決が〕採用した患者の後見人、家族、担当
医及び病院内
『倫理委員会』
に、
生命維持処置の継続の決定を委ねるアプローチを拒絶する」
のであるから、倫理委員会が医師の免責のために働くことを考えない。倫理的問題について
は、裁判所が責任をもって決定すると考える。
(3) 【第三のポイント】に関しては、Q 判決が全く異なる機能を担う 2 つの委員会を「倫
理委員会」として一括りにして混同したことに注意しなくてはならない。
すなわち、本節の 1(4)において論じられた倫理委員会は、文字通りの倫理委員会である。
ただし、
上述のような大きな機能を期待する倫理委員会の構成や手続については何も示さな
い。
他方で、本節の 1(7)で論じられた病院内倫理委員会の機能は、患者の状態を中心にする
処置の決定の医学的観点を検討する予後委員会(Prognosis Committee)のそれである。この
委員会が、患者の予後という医学的観点について担当医の判断に合意することにより、当事
者や病院に法的責任が生じないことが期待される。
この Q 判決の混同から、倫理委員会は何を対象として扱うのかという問題が生じる271。
S 判決は、倫理委員会を重視せず、担当医や他の医療専門職の証言と同程度に裁判所の審
理には有用であると考えるに留まる。その倫理委員会とは予後委員会ではなく、いわゆる倫
理委員会を想定するようだが、その内容については何も述べない。
4.両判決をめぐる議論
(1)
両判決はリーディング・ケースゆえに、各々についての論評や両判決の対立点をめぐ
る議論も盛んであった。例えば American Journal of Law and Medicine 誌上では、集中的
な議論が展開された。
(2) Q 判決を支持し、S 判決を批判するのは、医師 Arnold S. Relman である272。Relman(と
Relman が代表する医療界)の S 判決に対する見解は、「この驚くべき〔S 判決の〕意見は、
270
Id. at 9.
唄孝一「
『倫理委員会』考・2―カレン事件と倫理委員会」法律時報 61 巻 6 号(1989 年)159
頁は、この点を理解するのに資する。
272 Arnold S. Relman, The Saikewicz Decision: A Medical Viewpoint, 4 AM. J. L. & MED.
233 (1978).
271
137
末期の病気に苦しむ無能力患者の最善の利益のために活動する医師と家族の能力に対する、
完全なる『不信任』の意思表示としか解せない273」という一文に端的に表れる。S 判決が为
張する司法の介入は、医療の伝統を侵害し、重篤な病状にある患者の苦しみを不必要に長引
かせると論じる。
(3) S 判決を支持し、
Relman の見解を論難するのは、法学者 Charles H. Baron である274。
Baron は、Relman が想定する医師患者関係は、時代遅れな医療的パターナリズムに基づく
と考える。生と死の問題の決定を委ねることができる対象は、司法制度に顕著な体系的決定
をできる制度である(その意味で、個人としての医師にも裁判官にも委ねられない)。その体
系的決定に寄与する概念が、法の支配(the rule of law)である。Baron の考える法の支配の
本質的特徴として、公共性があること(public)、裁判官の決定が法的原則に基づくこと
(principled)、決定者である裁判官の立場を公平なものにすること(impartial)、裁判手続が
当事者対抗的なものであること(adversary)の 4 つを挙げる。
(4)
本稿は、両見解に首肯すべき点があることを認めつつも、医と法の代表者が各々の为
張を強調しすぎていて、互いに受容することは難しいと考える。両見解を読む George J.
Annas も同様に考え、Q 判決と S 判決を対立しないように理解することを試みる275。
Annas によれば、
Q 判決では予後に関する医学的判断だけが争点になり、その他の(法的、
倫理的)判断を要しない。Q 判決は、医師が自己防衛に堕することなく医学的に正しいこと
をできるように、医学的見地から法的免責機能を持つ準行政機関(quasi-administrative
agency)としての予後委員会を用いることを勧告した。つまり、S 判決も誤解したことだが、
Q 判決は司法の権限を倫理委員会に全面的に委ねたわけではない。その限りで、Q 判決が
予後委員会に「倫理委員会」という名称を宛てたことは誤りであり、委員会制度ではなく予
後についての複数の医療専門職の同意を求めた方が分かりやすかった。
他方、S 判決での争点は代行判断基準を用いて解決できる法的なものであったので、S 判
決は、問題の解決を裁判所以外に委ねることはできないと考えた。
(5) 本稿も、
本節の 3 で対比させた点をめぐっても、
両判決は対立しないと考えるが、
Annas
の理解には疑問を抱く。
第一に、Quinlan 事件において、Karen への医療処置を中止するか否かの判断は、純粋
な医学的判断に依拠すれば足りるのだろうか。この点について同様に考えるのは Allen
Buchanan である276。
「生命維持処置を継続するか中止するかの決定は、医学的事実に基づ
かなくてはならないが、医学的決定それ自体ではない。それは、病気の末期状態にある重度
Arnold S. Relman, The Saikewicz Decision: Judges as Physicians, 298(9) N. ENGL J
MED. 508 (1978). これは Relman の医師としての立場をより強く明示する。
274 Charles H. Baron, Medical Paternalism and the Rule of Law: A Reply to Dr. Relman,
4 AM. J. L. & MED. 337 (1978).
275 George J. Annas, Reconciling Quinlan and Saikewicz: Decision Making for the
Terminally Ill Incompetent, 4 AM. J. L. & MED. 367 (1978).
276 Allen Buchanan, Medical Paternalism or Legal Imperialism: Not the Only
Alternatives for Handling Saikewicz-type Cases, 5 AM. J. L. & MED. 97 (1979).
273
138
の精神障害者に対して化学療法を開始するか否かが道徳的決定であるのと同じように、道徳
的決定である277」
。
第二に、Q 判決が想定した委員会は、予後委員会だろうか。上述したとおり、Q 判決に
は 2 通りの委員会が混在する。結論部(本節の 1(7))が予後委員会を示したことは看過できな
い。だが、その理論的基礎付けにおいて、倫理委員会を推奨する Karen Teel の論文を大き
く引用した(本節の 1(5))。また、Q 判決が考える委員会システムの意義のうち、決定に対す
る責任を共有又は分配することは予後委員会にも認められるが、
家族や医師の良くない動機
を排除すること及び様々な考え方や知識を取り入れることは、倫理委員会に特有のものであ
ろう。Buchanan も、Q 判決は予後委員会ではなく倫理委員会を示したと考える。
その上で Buchanan は、Relman、Baron 及び Annas の 3 者のいずれもが卖純に医学的
又は法律的な問題であると考えた問題、Q 判決でも S 判決でも争いとなった問題は、倫理
的問題であり、その問題を扱う場所として倫理委員会が適切であると考える。
Buchanan が考える倫理委員会の機能には、他の提案に類を見ない特徴がある。第一に、
倫理委員会は、
医療者や患者家族らが倫理的問題を考えるための一般的なガイドラインを示
し、事前のケース・レヴューを行わない。例えば、そのガイドラインとは、生命維持処置を
拒否する患者の権利を承認し、患者が権利行使できない場合に、家族の代行決定を認めるた
めの条件や手続、
及び代行決定のための判断基準としての代行判断基準又は最善の利益基準
について明らかにするものである。第二に、個々のケースについて、厳格な事後のケース・
レヴューを定期的に行う。
その結果として手続的不公正又は当事者の判断に誤りが疑われる
場合には、裁判所の介入を求める。こうした機能を果たす倫理委員会は、Baron が考える
法の支配の 4 つの特徴を備え、それは裁判所が独占するものではないと Buchanan は考え
る278。
第3節
倫理委員会をめぐる 1980 年代前半の裁判例
1.Spring 事件判決
(1) 本節では、Q 判決と S 判決の対立の影響も色濃く残るであろう 1980 年代前半の裁判
例を扱う。まず、S 判決と同じくマサチューセッツ州最高裁による Spring 事件判決279に注
目する(別表 4 番)。
唄によれば、
「Q・S 両判決が提起した問題は、マサチューセッツ州そのものにおいて…
ある種の答を与えられつつ、また、新たな問題を派生していた。この中で Spring 事件判決
277
278
Id. at 115.
Id. at 110.
In re Spring, 405 N.E.2d 115 (1980).
本件判決については、唄・前掲注 244・116 頁、宮野彬「蘇生処置の適否とスプリング事
件―米マサチューセッツ州最高裁判決について」判例タイムズ 456 号(1982 年)2 頁参照。
279
139
は、その事案の性質からいっても、それらを集大成すべき判決として、大方の注目と期待を
集めていた280」
。
(2) 患者 Spring は、79 歳で認知症(完全な見当識障害)と(週に 3 日、1 日に 5 時間の透析
治療を要する)末期の腎臓病を患い、両病ともに永続的且つ不可逆的な状態である。透析治
療を受けなければ、患者は死亡し、治療を受ければ、数ヶ月は生存できる(5 年間の生存は
現実的ではないが、全く可能性がないわけでもない)。透析治療による副作用も生じ、患者
が治療に対する抵抗も見せる。患者が能力を有していた時に表明した指示や希望はない。こ
れらは、判決も言及するように、Saikewicz 事件と似た事実状況である。この状況において、
Spring の妻子は、患者が能力を有するならば治療中止を望むだろうと述べ、医師らは治療
中止に賛成する。
(3)
この事実に基づき、州最高裁は結論として治療中止を是認する。州最高裁は、本件の
ような患者に対する生命維持処置の中止の判断について、代行判断基準を採用する。結論に
至る議論のうち、第 4 パート“The need for a court order”が最も重要である。
「本件も S 判決も、裁判所の承認なく行われた行為の合法性を論じたものではないし、
本判決が事前の裁判所の承認を要する要件を打ち立てると解するべきでない281」。裁判所の
承認が必要か否か、望ましいか否かは様々な条件が関わるが、その条件の組合せを決定する
ことは、我々の任務ではない。裁判所の承認のない行為は、刑事上又は民事上の責任の対象
になりうるが、
「裁判所の承認がないことが、自動的に処置の差控えに対する責任を生じる
わけではない。裁判所の承認は、法や事実について疑わしく争いのある問題を解決するため
には有用であるが、あらゆる責任のリスクを除外するわけではない。それでは、我々が、最
終的な責任を裁判所から委譲することを承認しないことの意味は何か?我々は、
決して病院
スタッフによる決定の委員会審査という実践を承認しないわけではない。しかし、私的な医
療上の決定は、責任を持って行わなくてはならないし、誠実性(good faith)や相当な注意(due
care)が疑わしい場合には、後の訴訟において司法の審査を受ける。ただし、権限を持った
コンサルタントの同意は、誠実性や善き医療慣行の問題において説得的ではある。このこと
は、医療上の決定に一般的に当てはまり、無能力の患者への医療処置を差し控える決定にも
当てはまる。裁判所に正しく法的問題(処置を差し控えて良いか否か)が提示された場合には、
裁判所がその問題を決定しなくてはならないし、
私的な人間やグループに委ねてはならない
282」
。
以上が、第 4 パートの大要であり、マサチューセッツ州最高裁の手による本判決は、S 判
決の見解を踏襲しつつ一部修正する。倫理的問題の決定の最終的な責任が、裁判所から当事
者や倫理委員会に委譲されないことが改めて明示された(その理由を明らかにすることが期
待されたが、それはなされない)。だが、同時に、裁判所の承認が必ずしも必要ではない場
280
唄・同上。なお、本文引用括弧内の「Spring 事件判決」の部分は、唄の原文では判決の
引用情報である。
281 Supra note 279 at 120.
282 Id. at 122.
140
合もあることも認めた。唄は、この点を「S 判決の与えたきゅうくつな要件を緩和したもの
の、どういう場合にどうなるかという具体的なふるい分けは示していない283」と述べ、釈
然としない思いを明かすが、それは筆者も同じである。
(4) 本件の事実関係を顧みると、患者 Spring には 55 年間連添った妻と今も近所に暮らす
息子がいる。裁判所は、
「家族の中には緊密な関係があったし、妻子は被後見人の最善の利
益のみを心から考えていたし、彼女らは彼のとりそうな態度について最も理解していた284」
ことを認める。この点は、近親者の関与がなかった S 判決と大きく異なる。それでもなお
決定責任の委譲を裁判所が否認したことには、S 判決以上の重みがあるのではないか。
さらに、この州最高裁判決の重みは、最高裁に至るまでの下級審裁判所の 3 つの判断の
変遷を辿ることで増す。
検認裁判所は、第一次命令と第二次命令という 2 つの判断を示した285。第一次命令は、
延命治療を抑止すべきである旨を命じた。第二次命令は、第一次命令を失効させ、担当医と
妻子が治療を続けるか否かの決定をすべきである旨を命じた。
この第二次命令は、控訴裁判所(appeals court)が是認する286。
ところが、州最高裁は、先例としての S 判決に照らして「担当医と被後見人の妻子に決
定を委譲したこと〔の第二次命令及び控訴裁判所の判断〕は間違いであった。検認裁判所の
〔第二次命令の〕判断を破棄し、検認裁判所の新たな命令を除いて、さらなる延命治療を許
可することを抑止するよう一時的後見人に命じる旨の新たな判断を示すことを求めて差し
戻した287」
。
検認裁判所の第一次命令から州最高裁判決までを整理すると、決定の権限が、裁判所⇒担
当医と妻子⇒担当医と妻子⇒裁判所(が任命する後見人)と揺れ動いた。その結末として州最
高裁が、裁判所は私人としての当事者に決定責任を委譲しないと判断したことには、相当な
重みがあったのではないか。
2.Eichner 事件判決
(1) 83 歳の患者 Joseph Charles Fox は、鼠蹊部のヘルニアの手術中に心停止に陥り、脳
にダメージを受け、人工呼吸器が必要な永続的意識喪失状態に陥った。
手術以前は心身ともに健康であった Fox は、16 歳からの 66 年間を修道士として積極的
に活動していた。その宗教的活動を通じて、Fox は Philip K. Eichner と出会い、2 人の間
には長年に亘る宗教的家族(religious family)とも評される強い人間関係が生まれた。また、
彼らが生活する宗教コミュニティは Quinlan 事件に関心を持ち、Pope Pius 12 世の声明288
283
284
285
286
287
288
唄・前掲注 244・119 頁。
Supra note 279 at 122.
検認裁判所の第一次命令、第二次命令については、唄・前掲注 244・116 頁に依拠する。
In re Spring, 399 N.E.2d.493 (1979).
Supra note 279 at 117.
Supra note 101 at 658.
141
などについて議論したことがある。そこでは、Fox は「
〔自らが Karen Quinlan のような状
況になった場合には〕このような通常外の所業(business)は望まないだろう」と言明した。
Eichner は、2 人の神経外科医に Fox の診断を依頼し、Fox の状態が確かなものであるこ
とを知ると、病院に対して人工呼吸器の取外しを求めた。病院が裁判所の指示がなくては取
り外せないと答えたので、Eichner は、Fox の近親者と宗教コミュニティの支持を得て、自
らを Fox の保佐人(committee)に任命すること、人工呼吸器の取外しを承認することを裁判
所に求めた。
(2)
こ の よ う な 事 実 に 基 づ き 、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 高 位 裁 判 所 上 訴 部 (Supreme Court
Appellate Division), Second Department は、結論として Eichner の申立てを認める289(別
表 5 番)。その議論において、本稿にとって最も関心が高いのは、そこまでの議論において
認められた権利―昏睡状態の末期患者による通常外の医療処置を拒否する権利290―を実際
に実行することである291。
高位裁判所は、Q 判決と S 判決及び両判決に対する批判を要約する。その上で、S 判決
に対する中心的な批判である、
「司法プロセスが、本質的に医的決定であるものに不当に侵
入する」という批判に着目する。
すなわち、
「我々〔高位裁判所〕は、S 判決を『医師の判断への全面的不信任』又は『末
期の病気に苦しむ無能力患者の最善の利益のために活動する医師と家族の能力に対する、
完
全なる不信任の意思表示』を示すものとは見なさない。司法プロセスは領域横断的な問題に
ついての医コミュニティの要望や専門性を無視しないし、不感的でもない。決定に達する際
......
には、裁判所は問題の医学的側面を決定する上で、医プロフェッションに依拠しなくてはな
...
らない。我々は、それらの点についての医プロフェッションの優越性を認める。しかし、他
にも関係する重要な考慮事項がある。例えば、確認できる限りでの患者の希望、存在する場
合の宗教的な要素、家族の意見及び社会の関心である。我々がこれらの諸要素を考量するた
めには、法という中立的な存在が必要であり、生命維持装置が打切られる前には、司法の介
入が求められるという S 判決に同意する。我々は『生と死の問題は、私心なく情熱的な調
査と決定のプロセスを必要としていて…、それこそが政府の司法部が創設される理想を形成
する』ことを確信する。このことが、裁判所は医学的予後について医師の判断を不可避的に
信頼しなくてはならないのだから、
医師の良心や能力に対する不信任を示すものではないこ
In re Eichner on behalf of Fox, 73 A.D.2d 431 (1980).
本件については、唄孝一「F 修道士の『死』(上・下)―ニューヨークにおける延命拒否事
件」法律時報 52 巻 7 号 60 頁、8 号 61 頁(ともに 1980 年)が詳しい。
290 患者本人による拒否の意思表示は、明確且つ特定的なものではないことを想定する。本
件の Fox の意思表示は「明白且つ確信を抱くに足る証拠(clear and convincing evidence)」
の基準を満たすことは認められた。ちなみに、本件では Fox 自身の明示の意思表示がある
ためか、
代行決定者が患者の希望を判断するための基準とは代行判断基準か最善の利益基準
かという問題は正面から議論されないが、最善の利益基準に依拠するようである。
291 Supra note 289 at 474. パートⅩの議論である。唄は、このパートを「司法的決定と医
的判断との関係」と称する。唄・前掲注 289・(下)63 頁。
289
142
とは確かである。むしろ我々の決定は、保護される社会的利益があまりに大きいので、裁判
...
所は個別な患者ベースで各ケースに介入し、調査する以外の選択肢はないことを認める292」
。
(3) この(幾分抽象的な)議論の直後に、Eichner 事件判決は、昏睡状態の末期患者から通常
外の生命維持処置を取り外すための具体的な手続を示す293。それは、臨床から裁判所まで
に 4 つの段階に分かれる。
第一に、担当医が、患者は不可逆的な末期状態にあり、永続的又は遷延的植物状態の昏睡
にあり、認識的脳機能を回復する見込みは極端に乏しいことを確認しなくてはならない。
第二に、このような確認を受けた者(家族、患者と緊密な個人的関係を持つ者又は病院職
員のいずれか)が、その予後を適当な病院委員会(hospital committee)に提出できる。
第三に、病院が最低 3 名の医師から成る常設の委員会を有する場合には、その委員会が
予後を確認する。常設委員会がない場合は、病院の为任管理者(chief administrative officer)
が、患者のケースに専門性を有する 3 名以上の医師から成る委員会を任命する。予後の確
認は、委員会メンバーの多数決で決せられる。全員一致でないことは、後に裁判所により考
慮される。
第四に、予後を確認した者が、精神衛生法(Mental Hygiene Law)78 条による手続を開始
し、無能力者の保佐人の任命と生命維持装置の取外しの許可とを求めることができる。検事
総長(Attorney-General)と当該地方検事(District-Attorney)は、その手続の通知を受け、必
要と考えれば、彼らが選ぶ医師による調査を行う機会を与えられる。さらに、患者の利益が
自己利益が全くなく、
中立的且つ私心のない団体によって保護されることを保証するために、
訴訟上の後見人を任命する。
以上の手続について、次のように述べて議論を結ぶ。この手続に従って、通常外の生命維
持処置を打切る場合には、誰も民事上又は刑事上の責任を負わない。死亡の近因は、最初に
患者を昏睡に陥れた疾患や事故に帰せられるべきである。この手続は、一見厄介で時間がか
かり過ぎて、迅速な決定に有用でないかもしれない。だが、この手続が無能力者の権利保護
のためには必要であり、この状況の供する緊急性を認識する申立人、医師及び裁判官全員の
協力により、迅速な実行も十分に可能であると考える。我々〔裁判所〕は、人間の生命と尊
厳ある死という深遠な問題を扱い、我々の社会は完全な手続のみを受容できるのであり、関
係者が可能な限りのスピードで決定に至る最善の努力を期待するしかないだろう。
(4) Eichner 事件判決は、S 判決を肯定し、倫理的問題の決定を裁判所から委譲しない理由
を明らかにする。つまり、そのような問題を決定するためには、医学的側面だけでなく、患
者の希望、宗教的事情、家族の意見、社会的影響などの諸要素をも考えなくてはならない。
そのために法という中立的存在、司法の介入を必要とする。
ところが、この議論の前提として、これまでの先例や論者が「倫理委員会」と呼んできた
機関は、
「卖に医学的予後の確認を行い、
『倫理的』見解をもたらさないので、より適切に『予
292
293
Supra note 289 at 475. 傍点部は原文ではイタリック体表記。
Id. at 476. Part Ⅺ.
143
後委員会』と命名されるべきである294」と断る。
この点について、予後委員会は上述の諸要素を考慮するための機関ではないので、裁判所
が諸要素を考慮して決定するという判決の理論も首肯できる。しかし、それは Q 判決が考
えた倫理委員会=予後委員会と理解して成り立つ議論であるから、Q 判決に対する意見(あ
るいは倫理委員会一般に対する理解)として、問題はないだろうか。この点については、次
節で扱う New Jersey 州最高裁の裁判例に先送りする。
さらに、本件の事実関係と結論的に示した手続との関係に、2 点の疑問が生じる。第一に、
倫理委員会を予後委員会に置換えたこと及び最後に示した手続は、どこまで本件の事案と切
り離して考えられたのだろうか。一方では、患者死亡後も争訟性の失われた事件という扱い
にはせずに、問題自体の重要性や繰り返し生じる同様の事件を顧慮して、本判決の意見は書
かれたはずである。他方で、Eichner は、2 名の神経科医から確定的な診断を得ている。3
名以上の医師だけから成る予後委員会で足りるとしたことには、
本件を事実関係に即して穏
当に解決しようとした側面はないだろうか。
第二に、Eichner 事件判決が最後に示した手続(上記(3))は、予後委員会に諮ることを除け
ば、精神衛生法 78 条の適用も含めて本件において踏まれた手続である。しかし、その手続
の実現可能性は、本件自体からは計り知れない。なぜならば、Fox は高位裁判所の Nassau
County, Special Term からの上訴後、本判決を出した上訴部 Second Department の審理中
に死亡したからである。手続が第一審で終わっていれば、Fox の人工呼吸器を取り外すとい
う決定が確定できたと考えて、Eichner 事件判決が示した手続を受け入れれば良いだろうか。
3.Colyer 事件判決
(1) 69 歳の女性 Bertha Colyer は、ある日突如として心肺停止状態に陥り、一命は取りと
めたが、自発的呼吸のできない永続的植物状態になった。2 人の専門医(心臓医と神経科医)
が、脳機能の相当の回復の見込みは極めて小さく、人工呼吸器を取り外せば短期で死亡する
ことに合意する。一方、彼らが最も楽観的に考える予後は、自発呼吸はできても会話やコミ
ュニケーションはできず、全身機能の保持を必要とする小児のような状態になる。
Bertha Colyer の夫が、Bertha の身上及び財産上の後見人に任命される。夫は、ワシン
トン州上位裁判所(Superior Court)に、生命維持装置の取外しの承認を求めた。Bertha に
は訴訟上の後見人が任命され、裁判が開始される。上位裁判所は、取外しを認める見解を示
すが、自らの命令の執行を停止させ、州最高裁に検討を求める。最高裁は 1982 年 4 月 1 日
に上位裁判所の命令を支持し、Bertha は生命維持装置を取り外されて死亡する。以下は、
Bertha の死後に示された最高裁の法廷意見295である(別表 8 番)。
(2) 最高裁法廷意見296は、ワシントン州の制定法上、医療上の決定に対する個人の権利及
294
Id. at 474 n. 22.
295
In the Matter of the Welfare of Bertha Colyer, 660 P.2d 738 (1983).
大法廷での審理は、7 名の法廷意見、2 名の反対意見、2 名の辞退という結果であった。
296
144
び生命維持処置の差控え又は中止の根拠としてのプライバシーの権利を承認する。本件がワ
シントン州では初めての種類の事件ということで、他州の 5 つの裁判例(Q 判決、S 判決な
ど)を参考にプライバシーの権利、身体への侵襲から自由でいる権利、州の利益を考える。
結論として、Bertha に対して、州の利益を上回る生命維持処置を拒否する権利を認める。
法廷意見は、次の論点として、無能力者がその権利を行使する術を考える297。この問題
を考える中で Q 判決と S 判決の対立を持ち出し、両判決を両立させる見解として、本稿で
も既に第 2 節の 4(4)で紹介した Annas の議論に依拠する。その上で、本件 Colyer 事件は、
Q 事件に類似した事実状態にあるとする。つまり、Bertha は Karen Quinlan と同じように
昏睡状態にある点、かつては能力を有した点、問題となっている医療は生命維持処置である
点、彼女の周囲に家族がいる点である。したがって、法廷意見は Q 判決と同様のアプロー
チをとり、生命維持処置中止の決定の全ての場合に、裁判所の介入が必要とは考えない。
「我々は、司法的介入は医プロフェッションへの侵害であるという Q 判決の見解を受入
れないが、
司法プロセスを、
この種の決定のために反応できない厄介な装置であると考える。
…明らかに裁判所システムは、それらの状況で求められる救済に時宜に対応できない。さら
に、法的判断の形式性は、後見人の被後見人の権利を为張する決意を挫きかねない。…医師
らが予後について合意し、
近しい家族構成員が無能力者の権利を行使するための後見人とし
て最善の判断を行う場合には、裁判所の介入は儀礼以上のものではない。それ故に一般原則
として、本件のような状況において、生命維持処置の中止の決定は司法的介入を必要としな
いと判示する。しかし、裁判所に提起されたそのようなケースについて審理し、決定する裁
判所の権限を放棄するのではない。Saikewicz 事件と同様の状況においては、司法的介入が
必要ではないと为張するのではない298」
。
(3)
こうして裁判所の介入は不要である一方で、立法府又は裁判所が設けるべきガイドラ
インとして、生命維持処置の中止の決定に至るまでに従うべき手続を考える。その中で、後
見人、訴訟上の後見人、医師及び裁判所の役割を検討する299。
州法の権限上、後見人は、無能力者の権利と最善の利益を为張することが求められる。後
見人の任命は司法手続だが、後見人を任命すれば、裁判所は生命維持処置の中止についての
実質的な決定に関与する必要はない。州法は、裁判所の命令なしに後見人が同意できる医療
処置を定めており、生命維持処置の中止はそのカテゴリに入る。後見人に委ねることの危険
性や良くない動機の問題もあるが、裁判所による監督体制があり、被後見人のための安全策
は図られている。後見人が被後見人の性格、かつての発言及び医療処置に対する一般的な態
度に通じていることが、決定には有用である。
訴訟上の後見人は、無能力者の最善の利益を代表する。訴訟上の後見人は、後見人への任
命を求める者の適性(具体的には、無能力者と後見人候補者との関係、良くない動機の証拠)
297
298
299
Supra note 295 at 744, Ⅳ(1983).
Id. at 746.
Id. at 746, Ⅴ.
145
について書面で裁判所に提出する。後見人の任命手続の間には、訴訟上の後見人が緊急的救
命処置に同意できる。後見人が任命されれば、訴訟上の後見人はその任を解かれるが、その
後も司法的介入が必要な場合には、無能力者の保護のために再任される。その場合には、訴
訟上の後見人は、無能力者についての事実(年齢、無能力の原因、家族や友人との関係、生
命維持処置に対する考え方など)、医学的な事実(予後、処置の侵襲性など)、州の利益につい
ての事実、後見人や家族などについての事実(無能力者との関係、無能力者の希望の受容、
良くない動機の可能性など)を裁判所に提示する。ただし、一連の活動において、訴訟上の
後見人が当事者対抗的な役割を果たす必要は必ずしもない。
続いて、医師の役割について検討する。患者の予後は医学的な判断であるが、患者以外の
利益に影響されることを防ぐため、生命維持処置の中止の決定手続において、安全策は必要
である。Q 判決で提案された倫理委員会は、無定形な存在であること、医学的決定につい
て非医療専門職を用いること、官僚的に干渉することを理由に批判を受けた。当裁判所も倫
理委員会ではなく、
予後委員会が担当医の診断を確認して全員一致で合意することを勧告す
る。予後委員会は、患者の状態に関する専門性を有する 2 名以上の医師と担当医から成り、
病院又はその他適切な機関が任命する。予後委員会での意見の一致がない場合には、裁判所
の介入なしに処置の差控え又は中止をできないかもしれない。意見の不一致がある場合には、
裁判所での専門家証言を通じて争いを解決する。本件においては、予後委員会に該当するよ
うな 2 名の医師がおり、彼らが Bertha の予後について合意している。
最後に、裁判所について検討する。全てのケースでの裁判所の介入が必要ではないが、司
法部の公正な判断が求められる場合もある。例えば、無能力者の希望について家族間で対立
がある場合、予後について医師の間に対立がある場合、患者が能力をかつて有したことがな
く患者の希望を知りえない場合、
不正な動機又は違法行為の証拠がある場合又は後見人にな
る家族がない場合である。後見人、医師又は病院が裁判所の介入を求めることができる。裁
判所は、代行判断基準に基づいて生命維持処置の中止を判断する。
(4) 法廷意見は、
「司法的介入は医プロフェッションへの侵害であるという Q 判決の見解を
受け入れないが、司法プロセスをこの種の決定のために反応できない厄介な装置である」と
述べて、Q 判決と S 判決のいずれに与するのかは判然としない。しかし、司法プロセスが
厄介な理由(時間がかかること、面倒な手続で患者のために生命維持処置を外すよう働く後
見人の気持ちを挫くことが、ひいては患者のためにならないこと、当事者が合意している場
合の裁判所は儀礼的存在に過ぎないこと)を並べ立てることから、Q 判決の考え方に近いと
考えて良いだろう300。
反対意見は、法廷意見以上に Q 判決に同調する。その为眼は、本件のような法的に死者
とされず、事前の意思表示のない患者から生命維持装置を取り外す場合には、患者の予後を
判断するために 120 日間の待機期間を設けることにある(本件において、患者が昏睡状態に
陥って 16 日後に医師の診断がなされ、25 日後に最高裁の判断が示されたことは、あまりに
拙速であると問題視する)。この待機期間中に、医師、ソーシャル・ワーカー、弁護士及び
神学者から成る倫理委員会に諮問し、倫理委員会が全員一致で生命維持処置の中止が患者の
300
146
しかし、法廷意見は Q 判決の倫理委員会アプローチを否定し、代わりに Eichner 事件判
決と同様に、予後委員会を提案する。法廷意見は、後見人、裁判上の後見人、医師(その内
容は予後委員会が専ら)及び裁判所の役割について 1 つずつ論じた。それは、本判決の大き
な特徴であり、手続の説明として丁寧で分かりやすい。それだけに、倫理委員会ではなく予
後委員会を提案することは意味を増す。ただ、その予後委員会の構成は、Eichner 事件判決
と同様に、本件の事実関係を追認する(2 名の医師で足りるとする)ものである。
ワシントン州最高裁は、翌年の Hamlin 事件判決301において、Colyer 事件判決が示した
手続を修正するが302、予後委員会アプローチは維持する。
4.JFK 病院事件判決
(1) 1981 年 4 月に、末期状態で John F. Kennedy 記念病院(以下、JFK 病院)に入院した
Francis B. Landy は、2 日のうちに昏睡状態に陥り、生命維持装置を装着された。Francis
の妻が後見人に任命され、妻は夫が 1975 年に作成した LW 文書に基づいて、全ての生命維
持装置を取り外すように病院と担当医に求めた。病院は、LW に従っても法的な責任を生じ
ないかを確信できず、
フロリダ州巡回裁判所に宣言的救済を求めて訴えを提起した。その後、
判示前に Francis は死亡するが、本件は争訟性の失われた事件とはされず、今後も同様の事
態が生じること(その例として、JFK 病院には 40 名の末期且つ昏睡状態の患者がいること)
を理由に裁判は継続される。
原審は、
「末期且つ昏睡状態の患者が LW を作成している場合に、裁判所が任命する後見
人は、通常外の生命維持装置を取り外す際に、それに同意した家族、担当医、病院とその管
理者から民事上及び刑事上の責任を免除するために、裁判所の承認を得ることが必要か303」
という点について、フロリダ州最高裁に意見確認をする304(別表 10 番)。
最高裁は、
「末期且つ昏睡状態の患者は、通常外の人工的な生命維持処置の継続を拒否す
る権利を有することを結論し、
この権利を行使できる手段がなくてはならないことを認める
最前の利益に適うと判断すれば、裁判所の介入は不要であるとする。さらに、倫理委員会を
持たない医療施設のために、州医師会が常設の倫理委員会を作ることも勧告する。倫理委員
会の利用を勧める理由として、Q 判決が論じた点(第 2 節の 1(5)参照)を挙げる。
301 In the Matter of Joseph Hamlin, 689 P.2d 1372 (1984).
302 その修正点は 2 点あり、いずれも裁判所の役割を縮減する。第一に、Colyer 事件のよう
に家族、担当医及び予後委員会の見解が一致する場合には、後見人の任命は不要である。後
見人の任命手続は、厄介でコストがかかることを認める。第二に、家族がおらず、患者が生
来の無能力者である Hamlin 事件のような場合に、後見人、担当医及び予後委員会が合意
すれば、生命維持処置は差控え又は中止できる。Colyer 事件判決では、
「患者が能力を有し
ていた時がなく、患者の希望を知りえない場合」には「司法部の公正な判断が求められる」
と述べたにもかかわらず、である。裁判所の介入は、「病院、予後委員会、担当医又は後見
人の間での争いを判断する」場合に、求められるように改められた。
303 John F. Kennedy Mem'l Hosp. v. Bludworth, 432 So. 2d 620 (1983).
304 John F. Kennedy Mem'l Hosp. v. Bludworth, 452 So. 2d 921 (1984).
147
305」として、権利行使のための手続を考える。以下、その議論を要約する。
(2)
本件のような場合に、事前に裁判所の承認を求めることは負担が大きく、州の利益又
は患者の利益を保護することにならず、無能力者の権利を無に帰しうると考える。そして、
Q 判決や Colyer 事件判決などの先例を検討した後に、Q 判決が病院内倫理委員会の同意を
求めたこと、Colyer 事件判決が全ての事例において後見人の任命を求めたことを否認する。
「不可逆的昏睡及び深刻な植物状態にある患者が有する、通常外の生命維持処置を拒否す
る権利は、患者の近しい家族構成員又は裁判所が任命した身上後見人によって行使される。
配偶者、成人した子ども又は親のような近しい家族構成員がいて、その権利を患者のために
行使しようとすれば、後見人が裁判所によって任命される必要はない。しかし、近しい家族
構成員又は法的後見人が、患者の権利を行使する前に、为たる担当医は、患者が永続的植物
状態にあり、脳の認識機能を回復する合理的見込みがなく、患者の生命は通常外の生命維持
装置の使用によってのみ保持されていることを確認しなくてはならない。この確認は、患者
の状態に関係する専門性を有する最低 2 名の他の医師によって同意されるべきである。生
命維持処置を中止する決定は、患者と医師と家族の関係においてなされるのが通常である。
近しい家族構成員と相談した上で、医師はこのような決定をする最善の立場にある。そのよ
うな決定の焦点は、植物状態の強制的な継続とは異なる、認識能力を有する生活に、患者が
戻れる医学的に合理的な見込みがあるか否かである306」
。
この後に家族構成員又は後見人による代行判断基準のためには、LW が患者の希望につい
ての説得的な証拠になること、
当事者らが法的に免責されるためには誠実に行動することだ
けが必要であることを論じて議論を結ぶ。
(3) JFK 病院事件判決は、一連の判決の中では最も簡易な手続を提案する。その理由とし
ては、Francis が LW を作成していたこと、判決前に Francis は死亡したために、予後に争
いがなかったことが大きいだろう。生命維持処置の中止の決定は、医師を中心にした当事者
間の合意で決すれば足りる問題であり、最大の要点は医学的な予後であると考える。医学的
な予後については、担当医と 2 名の医師の見解が一致することを求める点は、Colyer 事件
判決を踏襲するものと思われる。ただし、Colyer 事件判決は、2 名の医師でも予後委員会
という組織を構成することを考えていたが、JFK 病院事件判決は卖に 2 名の医師を必要と
するだけである。
委員会という名称の有無の違いはあっても、
両判決の含意は同じだろうか。
(4) JFK 病院事件判決の約 4 カ月前に、同じく Florida 州の控訴裁判所において、Barry
事件判決307が出された(別表 9 番)。そこでは、倫理委員会について異なる判断がされており、
興味深い。
生後 10 ヶ月の Andrew James Barry は、脳機能の 90%以上を失った永続的植物状態及
び末期状態にあり、Andrew の人工呼吸器の取外しを両親が裁判所に求めた。Andrew を診
306
Id. at 924.
Id. at 926.
307
In re Guardianship of Andrew James Barry, 445 So. 2d 365 (1984).
305
148
察する 3 名の医師と訴訟上の後見人が両親の訴えを支持するが、州検事は否認し、
Hillsborough County 巡回裁判所、控訴裁判所へと事件は展開する。控訴裁判所は、生命保
持に対する州の利益と小児のプライバシー権とを対比させ、結論としては Andrew の利益
(治療不可能且つ不可逆的状態で死期が切迫している状態にあるので、生命維持処置を中止
すること)を優越させる。
控訴裁判所は、
裁判所が代行判断基準を用いて無能力者のための決定をすることは適切で
あるが、未成年者の通常のケースでは、両親と医学的助言者(medical advisors)が決定しな
くてはならない、という現実的なニーズを認める。基本的に、生命維持処置の中止は、家族
(法的後見人の資格は不要である)を中心に最低 3 名の医師と(信仰がある場合の)聖職者との
合意により決定できる問題であると考える。特に本件では、両親が Andrew の状態につい
て十分な説明を受け、カトリック教会の信者として複数の牧師と話し合ったこと、医療費全
額が保険で賄われるために、経済的理由による制約が働かないことを評価する。そのように
成された両親の決定に対しては、上回るだけの州の利益は存在しない。
以上のことを前提にして、
「司法の介入は、当然のこととして求められる必要はないが、
家族、後見人、影響を受ける医療職又は州の求めにより、裁判所は、これらの問題を審理す
るために常に開いていなくてはならない。疑いがある場合すなわち家族、医師及び病院の間
に合意がない場合、又は影響を受ける当事者が卖純に裁判所の命令を求める場合には、その
問題を考えるために、裁判所は利用できなくてはならない。医療職及び病院は、本件の供述
にあった Solomon 医師による、この問題において家族及び医師を助けるために助言委員会
が利用できるべきであるという提案を考えた方が良い308」と述べて議論を結ぶ。
Barry 事件判決の立場を推測すると、判決文中には全く言及がないが、当時のアメリカ合
衆国においては、ドウ終局規則309が 1984 年 1 月 12 日に公表されたばかりであり、小児医
療審議委員会(ICRC)の設置が唱えられていたことの影響がないだろうか。(ICRC に関する
規定を除く)ドウ規則自体には医療現場からの拒否が激しく、また本件の Andrew の両親の
決定は差別的理由に基づくものではないことは確認されているが、ICRC の存在は、本件の
当事者(特に医療者)にとって新奇のものではないはずであり、その(又は類似の委員会の)利
用を検討する価値は十分にあると、控訴裁判所は判断したのではないだろうか。Barry 事件
判決における控訴裁判所の判断は、事案の違いから JFK 病院事件判決における州最高裁に
よって修正を受けないと考えて良いだろうか。
(5) 本節のここまでの 4 つの裁判例は、総じて倫理委員会に対して否定的であった。その
うち、Q 判決と S 判決が対立した点すなわち本稿冒頭に挙げた【第二のポイント】に適う
議論を示すのは、Spring 事件判決だけである。一見この点を論じる他の裁判例も、倫理委
員会=予後委員会であることが議論の前提になっている。倫理的問題の決定に対応するのは、
倫理委員会か裁判所かという Q 判決と S 判決の対立の構図は失われている。
308
Id. at 372.
309
本稿・第 3 章・第 1 節の 4 参照。
149
Q 判決以降、倫理委員会について肯定的な立場を初めて示したのは、上掲(4)の Barry 事
件判決であるが、州最高裁レベルにおいて初めて肯定的な立場を示すのが、次の L.H.R.事
件判決である(別表 12 番)。
5.L.H.R.事件判決
(1) 女児 L.H.R.は、生後 15 日から医学的に絶望的な状態にある。数ヶ月後に地方病院か
ら Henrietta Egleston 子ども病院に転院し、その神経科医の診断によれば、L.H.R.は、脳
機能の 85~90%が損なわれた慢性的植物状態にあり、認識能力を欠き、その状態は不可逆
的であり回復の見込みはない。
神経科医、L.H.R.の両親及び小児のための訴訟後見人は、L.H.R.からの生命維持装置の
取外しに合意する。臨時の小児医療審議委員会(Infant Care Review Committee)が、L.H.R.
のケースを審議した結果、当事者らの合意に同意する。同委員会は、2 名の小児科医、正看
護師、ソーシャル・ワーカー、病院管理者、障害児の親を構成員とする。
しかし、Egleston 病院は、宣言的判決による救済を求めて DeKalb 上位裁判所に訴訟提
起する。その翌日に同裁判所は、生命維持装置を取り外すことの子どもの憲法上及びコモ
ン・ロー上の権利並びに両親と後見人の希望に、病院及び医師が介入することを禁止する。
この命令を受け、生命維持処置が取り外されて 30 分後に L.H.R.は死亡した。同裁判所は、
司法長官を訴訟当事者に加え、控訴するよう指示する。控訴の目的は、ジョージア州最高裁
判所が同様な事件への将来的対応のためのガイドラインを示す機会を設けることである。
(2) 州最高裁310の为たる論点は、この種のケースにおいて誰が処置の決定を行うのか、裁
判所の介入が必要か否かである。
州最高裁は、Q 判決の検討から議論を始め、フロリダ州の裁判例として Barry 事件判決
と JFK 病院事件判決を紹介し、Colyer 事件判決と大統領委員会にも言及する。これらは、
裁判所の介入を不要とする立場にある。反対に、裁判所の介入を必要とする見解として、S
判決を挙げる。そして、州最高裁は、S 判決に対する反応として、5 名の論者 William J.
Curran311、Arnold S. Relman、Charles H. Baron、George J. Annas 及び Allen Buchanan
を挙げる。これらを踏まえた上での州最高裁の結論は、以下の通りである。
(3)
患者は小児であり、自身の意見を示したことはなく、回復が見込めない病気で末期状
態にあり、認識能力を獲得する合理的な可能性はない。この条件下では、生命維持処置は、
患児の生命ではなく死を延長する。当裁判所は、認識能力を獲得又は回復する合理的可能性
In re L.H.R., 321 S.E.2d 716 (1984).
William J. Curran, The Saikewicz Decision, 298 N. ENGL J MED. 499 (1978).
Curran 以外の 4 名の議論は既に第 2 節の 4 で扱ったので繰り返さず、ここでは Curran
の見解を要約しておく。すなわち、S 判決が全てのケースで当事者対抗審理と裁判所の決定
を必要とすることは、医療ケア処置に関する信頼と理解を欠くためである。裁判手続と訴訟
のための後見人の任命から生じる処置の決定の遅れは、患者の病状の維持を保証しない。家
族や患者の不幸や苦しみと医療制度にとっての抑圧やコストを生み出す。そして、それらを
回避するために、倫理委員会ではなく予後委員会の利用を提案する。
310
311
150
のない、慢性的な植物状態患者(成年及び未成年)の処置の中止に問題を限定する。
誰が処置を拒否する無能力患者の憲法上の権利を行使するかについて、社会における家族
の重要性を認める。患者が子どもの場合に、特に重要である。法は、子どもが欠く生命に関
する難しい決定を行うための成熟度、経験及び判断能力を、両親が有すると推定する。さら
に、愛情の自然な繋がりが、両親を子どもの最善の利益に適うように行動するように導くこ
とが歴史的に認められる。未成年の子どもを代弁する親の権利は、我々の伝統及びコモン・
ローに内包されており、州がいくつかの領域で親の権利を尊重することを、憲法は求める。
だが、ネグレクト又は虐待が疑われる場合には、親の権利は失われる。
一方、能力を有する成人患者は、対抗する州の利益のない場合に、医療処置を拒否する権
利を有することが判例上認められる。また、ジョージア州は LW 法312を最近成立させた。
したがって、この権利は、患者が無能力又は若年であることを理由に損なわれない憲法上の
権利であると考える。
最後に、親又は後見人が、小児に代わって権利を行使する手続を検討する。処置を拒否す
る又は中止する権利の行使のためには、
小児が上記の状態にあるという診断と予後を担当医
から得なくてはならない。そして、そのケースの結果と利害関係のない 2 名の医師が、診
断と予後に同意しなくてはならない。
事前の裁判所の承認は必要ないが、当事者間で対立がある場合、虐待が疑われる場合、又
はその他適当な場合には、裁判所を利用できる。本件に限った状況では、病院内倫理委員会
に相談する必要はないが、病院、医師又は家族が望む場合には、病院内倫理委員会の利用を
排除しない。そして、両親は小児の自然な保護者であるから、両親がいる場合には法的な後
見人も訴訟上の後見人も必要ない。すなわち、死の過程を終わらせるか否かの決定は、患者
に対して責任を有する者又は家族による私的な決定である。
以上の手続は、上記のような状態の小児と無能力の患者の両方に適用できる。
(4) L.H.R.事件判決においては、何よりその構成が目を引く。Q 判決の検討に始まる裁判
所の介入を否定する議論、その対抗としての S 判決、Q 判決と S 判決の対立に関する論者
を続けて紹介する。さながら、本稿の【第一及び第二のポイント】について、アメリカでの
これまでの議論を整理する教本のようである。それは、同様な事件への将来的対応のために
ガイドラインを設けるという州最高裁の目的に基づくのであろう。また、倫理委員会の利用
について言及することには、Barry 事件判決と同様に、ドウ終局規則の影響があると推測さ
れる。しかし、それは倫理委員会の積極的な利用を勧めるのではなく、当事者が有用と思え
ば利用すれば良いとするに留まる。
L.H.R.事件判決が繰り返し断るように、本判決の射程は「生命ではなく死を延長するに
すぎない313」処置を患者に施すという状況に限られる。反対に、「無能力者に対する死の
延長ではなく、生命の延長のための処置が問題になる場合に、倫理委員会の任命又は裁判所
312
313
Georgia Advance Directive for Health Care Act, O.C.G.A. 31-32-1 (1984).
Supra note 310 at 723.
151
の事前の承認が必要か否かについては取り組まない314」。つまり、処置の継続について、
医学的な利益がないことに争いのない場合には、
裁判所は医学的判断に基づく当事者の希望
を追認するにすぎないので、当事者を中心にした手続的対応で足りるとする。処置の継続に
医学的な利益が見込まれる場合に、
処置についてどのような手続で決定できるかは明らかに
しないが、当事者中心的な手続的対応では済まされない印象を受ける。
6.Torres 事件判決
(1) 57 歳の Rudolfo Torres は、自宅での事故の治療のために Hennepin County Medical
Center に入院した。ところが、入院中にベッドからの転落防止用の抑制帯が Torres の首に
巻きついて、完全な心肺停止状態に陥り、蘇生の甲斐なく無酸素性脳症によって植物状態に
なって人工呼吸器を装着した。
検認裁判所に任命された Torres の後見人(conservator)が求めた審理においては、Torres
の後見人(と後見人が依頼した神経科医の診断)、
従兄弟(と高齢且つ体調不良のために出席で
きない Torres の叔母の手紙)、親友、全国的に有名な神経科医の見解が示される。これら全
員が、Torres には回復の見込みがなく、Torres 自身が呼吸器の取外しを望むだろうと合意
した。さらに、3 つの地域生命医学倫理委員会(three area Biomedical Ethics Committees)
の報告書が出された。それは、Torres のような状態の患者の適切な処置を決定するための
手続を示し、Torres の呼吸器取外しを支持した。
検認裁判所は、呼吸器取外しの権限を後見人に与え、自然死を迎えるまで人としての尊厳
を保持するケアを行うことを命じた。それに対して、Torres の代理人(attorney)が控訴し、
控訴裁判所の迅速審理(accelerated review)の申立てを受けて、ミネソタ州最高裁315が本件
を扱う(別表 14 番)。
(2) 州最高裁は、2 つの問いを立て本件を検討する。第一に、生命維持処置の中止によっ
て死が生じる可能性があっても、裁判所はその中止を命じることができるか。第二に、検認
裁判所の命令は、明白に誤っていなかったか。
第一の問題について、州最高裁は Q 判決と本判決とを対比し、後見に関する州法、州憲
法、宣言的判決に関する州法及び患者の権利に関する州法の規定を検討し、大統領委員会報
告書の議論を引用し、関連判例を検討して、肯定する316。
第二の問題について、裁判所の命令が Torres の最善の利益に寄与しない、Torres のデュ
ー・プロセスの権利が侵害された、裁判所の命令は推測上の又は伝聞証拠に基づくものでし
かない、という控訴人の 3 つの为張をいずれも否定し、検認裁判所の命令を支持した317。
そして、結論として「本件の事実に基づいて、裁判所の命令は必要だった318」と述べる。
314
Id.
315
In the Matter of the Conservatorship of Rudolfo Torres, 357 N.W.2d 332 (1984).
Id. at 336-340.
Id. at 340-341.
Id. at 341.
316
317
318
152
ただし、
「口頭弁論において、ミネソタ州においては週平均で約 10 件の生命維持処置の中
止が行われていることが明らかにされた。これは、担当医と家族の相談及び病院内倫理委員
会の承認の後に行われている。本意見は、そのような状況で裁判所の命令が必要であるとい
う意図ではない319」ということを、脚注 4 として付言する。
(3) 全 4 名の裁判官による法廷意見は以上であるが、その内 3 名の裁判官が、補足意見と
して脚注 4 について異議を述べる。すなわち、生命維持処置の中止の全てのケースでは、
裁判所の承認が必要である。特に Peterson 裁判官曰く、「裁判所による承認の命令が形式
的である大多数のケースが短期間で終わるように、
そのようなケースが長引くことは恐らく
ないであろう。司法の監督を求めることは、市民の安全についての州の紛れもない利益を基
本的に承認することである320」
。
(4) L.H.R.事件判決に続いて、Torres 事件判決は、脚注 2 が示すとおり倫理委員会を正し
く理解している。脚注 2 は「病院内生命倫理委員会(hospital biomedical ethics committee)
は、
『施設内で生じる倫理的ジレンマに取り組むことを目的に、施設内の医療専門職から成
る学際的集団である。現在、これらのジレンマとは、意思決定能力を失った患者の処置の実
施又は不実施であることがしばしばである321』。多様な専門領域、利益、視点を代表する医
師、看護師、療法士、牧師、ソーシャル・ワーカー及び弁護士から構成される、このような
委員会は、
倫理的ジレンマが生じた際に医師、
家族及び後見人にガイダンスを与えることに、
他に比類なき程に適している322」と述べる。
Torres 事件判決の倫理委員会についての立場を把握するために最も重要な部分は、脚注 4
であろう。本件の事実関係において、近親者と医師と(患者の入院する病院のものではない)
倫理委員会が呼吸器の取外しに合意するにもかかわらず、裁判所の命令は必要だったと結論
することと、脚注 4 は相容れないように見える。裁判所の命令が必要だったという結論に
ついては、当裁判所が本件を受理したことに対する説明であると解するしかないだろう。た
だし、脚注 4 について 4 名中 3 名の裁判官が異議を述べることからは、裁判所と倫理委員
会の関係について見解の一致が見られないことが窺われる。本判決の評価としては、倫理委
員会アプローチに対して否定的であると解するべきであろうか。
また、Torres の入院する病院の倫理委員会ではなく、3 つの地域生命医学倫理委員会が報
告書を出したのは、Torres が昏睡状態に陥った原因が病院での事故に基づくからである323。
裁判所は、その報告書を呼吸器取外しを支持する証拠として採用し、倫理委員会の活動に対
319
320
Id. n.4.
Id.
R. Cranford and A. Donderal, The Emergence of Institutional Ethics Committee,
12(1) LAW, MEDICINE, AND HEALTH CARE 13 (1984).
322 R. Cranford and P. Jackson, Neurologists and the Hospital Ethics Committee, 4
SEMIN NEUROL 15 (1984).
323 Susan M. Wolf, Ethics Committee in the Courts, 16(3) HASTINGS CENT REP 13
(1986).
321
153
して信頼を寄せる。Eberhardy 事件判決324において(別表 7 番)、ウィスコンシン州最高裁
判所が倫理委員会の勧告と異なる結論を出したこととは、反対の構図である。
第4節
倫理委員会をめぐる 1980 年代後半から 1990 年代前半の裁判例
1.Conroy 事件判決
(1) 本節の検討を、ニュージャージー州の Conroy 事件判決から始める(別表 11 番)。Q 判
決を出したニュージャージー州の裁判所が、S 判決他の裁判例を受けて、どのような判断を
示すかが注目される。そして、州の上位裁判所と最高裁判所325が期待に違わぬ興味深い判
断を示す。
(2) 84 歳の女性 Claire C. Conroy は、重篤で永続的な心身の障害を持ち、余命が限られて
いると判断される。重度の器質性脳症候群、左下半身の壊疽、尿路感染、動脈硬化性心疾患、
高血圧、真性糖尿病に罹患していた。頭や腕をわずかに動かす以外は、話すことも意思表示
を伴う身振りもできない。嚥下能力も失われて経鼻胃栄養チューブが装着され、ベッドに寝
たきりで半胎児状態(semi-fatal position)にあり、導尿カテーテルを挿入され、排便も思う
ようにならない。動いたり、チューブを通して食事をしたり、包帯を亣換したりする際に呻
き声を上げる。目は時々部屋の中のものを追う。起きている時と寝ている時では顔の表情が
異なり、心地よい時には笑うこともある。
この状態について、Conroy は脳死状態、昏睡状態、永続的植物状態のいずれでもないが、
知的能力は著しく限られ、精神状態は決して改善しないということで、2 人の医師は合意し
た。しかし、Conroy が言語刺激に反応できるか、苦痛を感じているかについては意見が一
致しない。栄養チューブを外せば 1 週間で死亡することに 2 人の医師は合意したが、それ
による喉の渇きには苦痛が伴うかという点でも、意見が分かれる。そして、2 人の医師はチ
ューブを取り外すことについても賛成と反対に意見が分かれる。
Conroy は独身で友人も殆どなく、唯一の血縁者は後見人でもある甥である。この甥が、
チューブの取外しの承認を裁判所に求める。2 人は 50 年来の知己であり、Conroy がナーシ
ング・ホームに入居するまでは、甥が 4~5 年に亘り週に 1 回は訪れ、入居後もしばらくは
定期的に訪問を続けていた。チューブの取外しを求めることに関して、甥は善意に基づき行
動し、2 人の間には相続の可能性による利害対立はない。甥は、Conroy が医者嫌いであっ
In re Guardianship of Eberhardy, 102 Wis. 2d 539 (1981).
In the Matter of Claire C. Conroy, 486 A. 2d 1209 (1985).州最高裁判決については、唄
孝一「In the Matter of Claire C. Conroy, 486 A.2d 1209 (N.J.1985)―心身の病が重篤で余
命も限られている寝たきりのナーシング・ホーム居住患者から鼻腔栄養のためのチューブを
取外しうるか」アメリカ法 1989-2 号(1990 年)445 頁を参照。また、甲斐克則「意思決定無
能力患者からの人工栄養補給チューブ撤去の許容性に関する重要判例―アメリカ・ニュージ
ャージー州のコンロイ事件判決―」海保大研究報告 35 巻 1 号(1989 年)85 頁もある。
324
325
154
たことを述べ、以前に Conroy が足の切断手術を拒否したこと、今回チューブの取外しを求
めることは、彼女がそのように希望するだろうと考えるからである。
(3) 以上のような事実関係に基づいて、上位裁判所大法官部での第一審判決326はチューブ
の取外しを認めた。延命が Conroy にとって無意味で残酷なものであり、彼女の知的機能は
永続的に原始的レベルまで低減し、延命が不可能なほど永続的に負担であると判断した。
本稿にとって第一審判決が重要なのは、“Judicial Involvement327”と題する最後のパー
トが、Q 判決のアプローチの(実質的には否認に近い)修正をするからである。
「
〔司法的介入は不必要、不適切であるとした Q 判決の〕見解は有効ではある。可能な限
り、患者、家族及び関係する医師は、自ら決定すべきである」として、一応は Q 判決を承
認する。
「しかし、相当数の場合に司法的介入は必要である。患者は無能力であり、無能力
になる前に自らの希望を示していないことがある(本件がそうである)。家族の間で意見が分
かれることがある。医師の間で意見が異なる、医師と家族が対立する場合がある(本件がそ
うである)。これらの要件の 1 つ又は複数が存在する場合に、裁判所の介入は認められる」。
さらに、倫理委員会に対して否定的な見解を示す。
「Q 判決が描いた典型的な病院で用い
られる種類の医療倫理委員会は、ニュージャージー州の多くの病院には存在しない。そのよ
うな委員会は、典型的なナーシング・ホームにおいても利用できない。したがって、ニュー
ジャージー州最高裁が Q 判決において考えた、個々の施設における決定の厳格な支援及び
監督はしばしば現実ではない」
。そして、
「本領域における決定のトレンドを、公的に監督す
る必要がある。医師は技術的な専門性、頻繁な亣流(contact)及び専門職としての倫理的感性
を有し、それが大いなる尊敬を医師の見解に与える。しかし、医師は、裁判所が持つような
公的な受容と責任を持たない。時に応じて、裁判所の介入は、本領域の決定のインテグリテ
ィと妥当性に有用である」と述べ、このパートを結ぶ。
(4) 訴訟上の後見人が事件を上訴するが、Conroy はチューブを取り外すことなく死亡する。
訴訟は継続され、第二審に当たる上位裁判所上訴部328は第一審判決を覆した。Conroy のプ
ライバシー権と生命の保持という州の利益とを比較して、後見人の判断に基づいて生命維持
処置の中止を求める権利は、脳死、不可逆的昏睡又は植物状態にある者のうち、処置の継続
から医学的利益を得られない者に限られ、本件の場合にチューブの取外しは病気の進行に任
せるのではなく、死を急がせることになると判断したからである。第二審は、第一審判決が
論じた司法的介入の問題には言及しない。
(5) 州最高裁は、結論としてチューブ取外しを認めない。その結論までに、Conroy のよう
な患者の生命維持処置の中止を認めるための実体的ガイドラインと手続を考える。本稿の関
心は、後者の手続に関する議論にあるが、まず前者の実体的ガイドラインの概要を示す。
能力を有する患者には、憲法上のプライバシー権又はコモン・ロー上の権利としての治療
326
327
328
In the Matter of Claire C. Conroy, 457 A. 2d 1232 (1983).
Id. at 1236.
In the Matter of Claire C. Conroy, 464 A. 2d 303 (1983).
155
を拒否する権利が認められる。この権利には、対抗する州の 4 つの利益が存在する。他方、
Conroy のように自ら決定できない患者の場合には、問題が難しくなる。彼女らのための代
行決定者は、
生きる権利と医療を受けず自然の原因で死ぬ権利という自己決定権の両側面を
同時に尊重しなくてはならない。Q 判決では、当裁判所が Karen Quinlan のような患者の
ための決定手続を示した。
しかし、
当裁判所が現在直面している Conroy は、Quinlan とは異なる状況の患者である。
そこで、新たに代行判断の基準となる 3 種類のテスト「为観的テスト(subjective test)」
「制
限的客観的テスト(limited objective test)」
「純客観的テスト(pure objective test)」を示す329。
この後に、最高裁は、積極的に死期を早めることと消極的に死に逝くに任せること、生命
維持処置の差控えと中止、
通常の処置と通常外の処置など伝統的に論じられてきた区別に言
及するが、決定の根拠としては有用でないと考える。本件の対象である人工栄養補給の中止
と他の生命維持処置の中止は、差異を認めずに同視して良いとする。
(6) 以上の実体的問題に続いて、最高裁の議論は決定手続の問題に取り組む。
Q 判決で示された決定手続は、Conroy のようなナーシング・ホーム(以下、ホーム)に入
居する患者には適切ではない。病院とホームには患者、医療者及び施設構造の点で以下の重
大な相違があるからである。①ホームの患者は高齢、精神的な障害、日常生活での要援助性
という点で、特に弱者である。②ホームの入居者の多くには、生存する家族がいない。③ホ
この 3 つのテストを要約しておく。为観的テストは「当該状況における合理的又は平均
的な者ならば選択するであろうことではなく、まさにその特定個人が自ら選択できるならば
選択するであろうこと(1229 頁)」を基準とする。
制限的客観的テストと純客観的テストは、为観的テストが用いられない場合に、最善の利
益テストを適用するためのものである。
制限的客観的テストは「
〔为観的テストほどではないが〕当該患者が処置を拒否したであ
ろうことについて信頼に値する一定の証拠があり、
患者にとって処置による生命の継続に伴
う負担が生命のもたらす利得よりも上回ることを、決定者が納得する(1232 頁)」ことを基
準とする。
さらに、为観的テストと制限的客観的テストが要求するような、患者が処置の拒否を意思
表示したことの何らかの証拠が全くない場合には、
純客観的テストが用いられる。
それは「処
置による患者の生命の負担が、患者が生命から得られる利得よりも上回る(1232 頁)」こと
と、
「処置に伴って繰り返され避けられない激しい患者の苦痛ゆえに、生命維持処置を行う
ことが非人道的である(1232 頁)」ことを基準にする。
これらのテストについて、最高裁は次のようにまとめる。
「我々は、制限的客観的テスト
及び純客観的テストの下で、苦痛、苦しみ及び喜びの観点から患者の生命の性質を制限的に
評価することを許すが、個人的価値の評価又は他者の生命の社会的有用性(すなわち他人に
とっての生命の価値)に基づく決定を認めることを明白に拒否する。我々は、
「患者の生命の
質」又は社会にとっての価値が無視できるというだけの理由から、誰かの生命が生きるに値
しないと判断する権限を有する個人を、裁判所が指名することは適切であるとは考えない
(1232-3 頁)」
。
「代行決定者は、患者の意思を決定するに際して、患者の苦痛と喜びの可能
性とについて医学的に評価するに際して、大きな注意を払うべきであり、我々が概要を示し
た 3 つのテストのうち 1 つを満たすことにはっきりと納得できなければ、生命維持処置の
差控え又は中止を承認すべきではない(1233 頁)」
。
329
156
ームでは、医師は限定的な役割しか果たさない。④ホームには、患者の予後についての担当
医の診断を評価する、倫理委員会又は予後委員会は殆どない330。⑤一般的にホームでは、
病院で求められるほど急いで患者の医療ケアに関して決定する必要はない。
これらの相違点
ゆえに、ホームにおいて、後見人が生命維持処置の差控え又は中止を決定する際に従うべき
手続を新たに示す。
まず、患者の決定能力を検討し、無能力と判定された場合に、後見人を任命する(本件の
ように、以前から患者に後見人がいる場合には、その者が適任か否かを判断する)。これは、
ホームに限らず病院の場合にも当てはまる一般的な手続である。
そして、生命維持処置の差控え又は中止が、患者の希望を実現する又は患者の最善の利益
に適うと考える者は、予定する行為についてオンブズマン局(Office of the Ombudsman)に
通知する。患者の後見人又はその他の利害当事者(近しい家族構成員、担当医又はホームな
ど)が、その通知を行える。反対に、生命維持処置の差控え又は中止が、患者への虐待にな
ると合理的に疑う者は、そのような情報をオンブズマン局に報告する。オンブズマンは、全
ての通知に虐待の可能性があるものとして調査を開始する。
そのオンブズマンの調査を示す。担当医又は看護師が、患者の状態に関する証拠を提出す
る。ホーム又は担当医と関係を持たない 2 人の医師が、患者の医学的状態と予後について
確認するために任命される。2 人の医師の費用は、患者の財産、後見人、家族又はホームか
ら補償されることもあるし、
後見人はオンブズマン又はメディケアから償還できる場合もあ
る。2 人の医師から必要な医学的根拠を得て、担当医の同意をもって、後見人は上記 3 つの
テストのいずれかを満たすと考える場合に、
生命維持処置の差控え又は中止をすることがで
きる。そして、オンブズマンが、その決定に同意しなくてはならない。また、制限的客観的
テスト又は純客観的テストが用いられる場合には、家族(配偶者及び子ども、それらがいな
い場合には近親者)が同意しなくてはならない。悪意なく行動して、この手続に従う場合に
は、何者も民事又は刑事の法的責任を負わない。オンブズマンは、虐待が疑われるケースを
地方検察官に送致できる。
(7)
以上の上位裁判所大法官部判決と最高裁判決について、倫理委員会に関する議論を中
心に整理する。
既述のとおり、大法官部判決は Q 判決を修正ないしは否認する立場をとる。生命維持処
置の中止の決定に際して、裁判所の介入が尐なからず必要になることを承認する点で、S 判
決への親和性を見せる。ただし、裁判所の介入が必要なケースを列挙することは、裁判所が
扱うべき法的社会的側面と、医師が扱うべき医学的側面という問題の性質による棲分け(Q
判決と S 判決の対立点の解消)を試みる実践的な提案である。この提案は、大法官部判決が
初めて試みたものとして評価できる。また、(医療)倫理委員会の利用は病院及びホームにお
Q 判決で「倫理委員会」と称した委員会は、正確に述べれば「予後委員会」であること
を既に本判決において断る箇所がある。Supra note 325 at 1227.
330
157
いて現実的でないこと、Q 判決が考えた理念は画餅に帰すことを言明する331。
他方、最高裁判決は、病院の事件である Q 判決とホームの事件である本件とを分け、Q
判決の考えた決定手続は病院のものとして評価を回避する。ただし、病院とホームの相違点
④において、わざわざ「ホーム」には倫理委員会はないと断ることは、裏を返せば、病院に
は倫理委員会があるという認識を持つことになる。大法官部判決は、多くの病院にも倫理委
員会はないと述べていたので、この点をどう理解するのかを不思議に思って読み進めれば、
驚くべきことに、その「倫理委員会」とは「予後委員会」であることが明かされる。本最高
裁判決を書くのは、Q 判決にも携わった Schreiber 裁判官である。
こうして、州最高裁判決により、Q 判決の示した倫理委員会アプローチから、Eichner
事件判決以降に見られた予後委員会アプローチへの大きな修正が承認されることになる。
こ
の後のニュージャージー州の裁判例では、Moorhouse 事件判決332において、予後委員会ア
プローチが採用される(別表 25 番)。
2.Farrell, Peter, Jobes 事件判決
(1) 表題の判決は、1987 年 6 月 24 日のニュージャージー州最高裁による同日判決(コンパ
ニオン・ケース)であり333、本稿も 3 つの判決をまとめて扱う(別表 17、18、19 番)。
(2) Farrell 事件では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、自宅で介護を受ける 37 歳の
女性 Kathleen Farrell が、気管切開して装着した人工呼吸器の取外しを求める。Kathleen
の決定は、事情を理解して自発的に意思能力ある状態で行われたことを、心理学者が確認す
る。Kathleen の夫 Francis は、Kathleen と息子や両親ら家族と議論した結果として、裁
判所に自らを妻の医療上の特別後見人に任命し、
人工呼吸器の取外しに関与する者が法的責
任を負わない旨の宣言的判決を求めた。
第一審裁判所334は訴えを認めるが、州最高裁への直接上告に前後して、Kathleen は呼吸
331
しかし、このことを裏返せば、病院及びホームにおける倫理委員会の利用が現実的なも
のになったならば、あるいは現実は追いつかなくても理念的には、列挙したケースでも裁判
所の介入を要しないと解することができるだろうか。
332 In the Matter of Marie Moorhouse, 593 A. 2d 1256 (1991).
50 歳代のダウン症患者が 40 年以上入居する障害者施設内で突然に心肺停止状態に陥り、
装着された人工呼吸器の取外しが争われた事例である。
施設の予後委員会が招集され会議開
催が予定されたが、訴訟提起によって予後委員会は開かれなかった。上位裁判所大法官部で
は予後委員会の委員が証人として検討されたが、裁判官は証人に採用しなかった。大法官部
及び上訴部は、Conroy 事件判決が示した手続を踏襲するが、予後委員会と 2 名の神経科医
を別個に要することが同事件判決とは異なる点には注意を要する。
333 3 つの判決については、高井裕之「In re Farrell,108 N.J.335,529 A.2d 404(1987);In re
Jobes,108 N.J.394,529 A.2d 434(1987)―意思能力のある成人末期患者の生命維持レスピ
レーターの撤去が認められた事例、および、不可逆的植物状態にある妻の生命維持のための
栄養補給装置の撤去が夫の請求により認められた事例」アメリカ法 1990-1 号(1990 年)137
頁参照。
334 第一審の審理の一部は、Kathleen の証言を得るために彼女の自宅で行われる。
158
器を着けたまま死亡する。
州最高裁335は、処置を拒否する患者の権利を州の 4 つの利益と比較衡量し、本件の場合
には、患者の権利が上回ると判断する。また、今後の同様の事案のために意思能力を有する
在宅患者が生命維持処置の中止を求める場合に適用される手続を示す。
すなわち、患者の処置の拒否が、意思能力を有して十分情報を与えられて強制がない状態
でなされたことを保証しなくてはならない。在宅患者の場合には、为治医以外の医師 2 名
が確認しなくてはならない。このような場合に、裁判所の介入は一般的に適切でなく 336、
医師間又は家族間あるいは家族と医療者間で争いがある場合にのみ必要とされる。この手続
に従う限りは、民事法又は刑事法上の責任を負わない。
(3) Peter 事件では、永続的植物状態にあるが、死期の迫っていない 65 歳のナーシング・
ホームの患者 Peter からの鼻腔チューブの取外しを、Peter が植物状態に陥る直前まで 2 年
以上共同生活した友人が求める。
州最高裁337は、Peter が友人を医療上必要なことに関する決定権限を持つ代理人に指名し
ていたことから、Peter が当該状況で生命維持処置を望まないことの明白且つ確信を抱くに
足る証拠が認められるとして、Conroy 事件判決の为観的テストを採用する。
また、手続的な問題として Conroy 事件判決が示した懸念を繰り返し338、 Conroy 事件判
決が示すオンブズマンを基本とする手続を採用する(本節の 1(6)参照)。そして、Conroy 事
件と異なる事実関係として、親しい友人が代理人に指名されていたことから、次の手続を示
す。オンブズマンは、2 名の医師の確認を受けて、患者が家族構成員又は近しい友人を代行
決定者に指名していた場合に、又は、そのような代行決定者が指名されていなくても、近し
い家族構成員(close family member339)がいて、その者が代行決定する意思と能力を有する
場合には、それらに決定を委ねるべきである。
(4) Jobes 事件340では、亣通事故に遭った 31 歳の Nancy Ellen Jobes が、手術の最中に酸
欠状態に陥り、脳の思考と運動を司る部分に広範且つ不可逆的な損傷を受けた(永続的植物
In the Matter of Kathleen Farrell, 529 A.2d 404 (1987).
それは以下の点を問題視する。どれほど迅速に行っても、このような複雑且つ配慮を要
する領域に裁判所が介入することは時間がかかりすぎる。患者とその愛する者らが感情的で
動揺している期間に裁判手続が厄介で煩わしく費用のかかることは、
処置の中止の決定を抑
止することになる。たとえ裁判手続に従っても、多くの患者は彼らの処置拒否権が裁判所で
証明される前に死亡するので、患者の権利は挫かれてしまう。
337 In the Matter of Hilda M. Peter, 529 A. 2d 419 (1987).
338 オンブズマンの提案は病院には予後委員会がないことを理由にするからであるが、判決
文の注 13 における 2 点の指摘が興味深い。すなわち、2 つのタイプの医療施設(急性期と長
期)の統合傾向があり、ナーシング・ホームは、病院の予後委員会との連携を考えるべきで
ある。また、保健省は、複数のナーシング・ホームのために地域予後委員会の実現可能性を
考えるのが良い。この指摘は、Jobes 事件判決でも繰り返される。
339 この範囲としては、次の Jobes 事件判決も同様であるが、配偶者、両親、成人した子、
兄弟姉妹を考えている。
340 In the Matter of Nancy Ellen Jobes, 529 A. 2d 434 (1987).
335
336
159
状態にあるか否かは、争いがある)。Nancy は、ナーシング・ホームに移り、経皮空腸瘻チ
ューブによる栄養水分補給がされる。Nancy の夫 John は、人工栄養水分補給の中止を要請
するが、ナーシング・ホームが道徳的理由から拒否し、裁判所にその中止の承認と命令を求
める。
州最高裁341は、Nancy の言明が確かなものでないことから、Conroy 判決が示した为観的
テストを採用しない。Q 判決の Karen Quinlan と状況が似ているので、Q 判決の採用した
代行判断基準を本件でも採用し、患者の家族が代行決定者として適すると述べる。
州最高裁は、手続的ガイドラインについても Q 判決のアプローチを尊重するが、倫理委
員会は予後委員会に置換えられる342。ナーシング・ホームの高齢患者のためには、Conroy
事件判決がオンブズマンを中心にした手続を考えたが、本件の Nancy は高齢ではなくオン
ブズマンの管轄外になるので、代替的なアプローチを示す。すなわち、Nancy のような高
齢でなく、病院に入院していない永続的植物状態患者343に、ケアする家族若しくは近しい
友人又は裁判所が指名する後見人がいる場合には、それら代行決定者は、最低 2 名の神経
学に精通する医師から、
患者が意識を回復する合理的可能性がないという証言を得なくては
ならない。この手続に誠実に従う限りは、刑事法又は民事法上の責任を負わない。裁判所の
介入は適切でも必要でもないが、患者家族、後見人、医師の間で争いがある場合には、誰で
も利害関係者は、司法上の救済を求めることができる。
(5) 以上の 3 つの事件判決は、生命維持処置の中止をめぐる決定手続として、基本的には
裁判所の介入は適切でも必要でもないと考え、できる限り簡便なものを示す。
第一に、在宅の患者が生命維持処置の中止を明確に求める場合(Farrell 事件のようなケー
ス)には、その意思表示が妥当か否かを、担当医以外の 2 名の医師が確認すれば良い。第二
に、患者がナーシング・ホームに入居する高齢者の場合(Peter 事件のようなケース)には、
Conroy 事件のオンブズマン制度を用いることが原則であるが、患者が友人や家族を代行決
定者に指名していたり、近しい家族がいたりすれば、オンブズマンはそれらの者に決定権限
を委ねる。第三に、患者が非高齢者であり永続的植物状態にあって、予後委員会のないナー
シング・ホームに入所しており、家族、近しい友人又は裁判所が指名する後見人がいる場合
(Jobes 事件のようなケース)には、その代行決定者が最低 2 名の神経科医に患者の状態を確
認する。
これらの場合に、患者は病院に入院していないので、医学的な予後の確認は予後委員会で
はなく、最低 2 名の医師で足りるとする。もし(能力を有する場合の)患者、家族、医療者の
当事者間で争いがある場合には、倫理委員会ではなく裁判所又はオンブズマンが対応する。
Conroy 事件判決と併せて、Q 判決を判示したニュージャージー州最高裁が、倫理委員会ア
341
Id.
法廷助言者として州病院協会が、Q 判決以降に約 85%の州の救急病院に予後委員会が
設置されていることを明らかにする。Id. at 448.
343 Nancy が永続的植物状態にあるか否かについて争いがあったことは、
既述の通りである。
342
160
プローチを否定したことには驚きを禁じ得ない。
(6) 以上は法廷意見であるが、各判決の補足意見には、異なる見解(倫理委員会を重視する
見解)も見られる。
Farrell 事件判決の O‟Hern 裁判官は、Q 判決の期待した倫理委員会を倫理的決定の審議
のための手続として採用することを考える。O‟Hern 裁判官は、一定地域内の複数の病院が
共同で倫理委員会を設置し、Farrell 事件のように患者が病院外にいる場合に、医師及び家
族に援助や相談を提供することを考える。そして、倫理委員会の利用可能性は、訴訟上の後
見人が裁判所に生命維持処置の中止に代わる処置(=安易な生命短縮の防止か)を提案する
ことを促すと考える。
Jobes 事件判決の Pollock 裁判官は、予後委員会ではない倫理委員会の利用を勧告する。
すなわち、処置の中止の決定は、法的及び医学的だけでなく倫理的判断を伴う。医師、家族、
病院及び他の医療施設(ナーシング・ホームなど)を助ける存在として、倫理学者と施設内倫
理委員会の利用を考えるべきである。倫理委員会アプローチを支持するものとして、Q 判
決、大統領委員会報告書、ニュージャージー州病院協会の特別委員会の勧告、保健福祉省の
ガイドライン、メリーランド州法を挙げる。
3.Lawrance 事件判決
(1) Sue Ann Lawrance は、42 歳の永続的植物状態患者である。幼尐時より頭蓋内圧の亢
進を患い手術も受けてきたが、本件訴訟提起の 3 年半前に植物状態に陥り、ナーシング・
ホームに入所する。Sue の両親が上位裁判所に対して、娘 Sue への人工栄養水分補給の中
止に対する承認を求め、上位裁判所は両親の訴えを認める。その後、Sue が別地域のホスピ
スに移ることで、ある障害者保護団体(=Christian Fellowship with the Disabled)が、Sue
の保護のために訴訟上制限的な役割を果たす後見人(temporary limited guardian)の選任
を裁判所に訴える。選任された後見人が、人工栄養水分補給を中止することの停止を求め、
インディアナ州最高裁344に上告する(別表 24 番)。
(2) 以上のような事実に基づく州最高裁法廷意見の論点は、3 つに整理される。
第一に、人口栄養水分補給は、能力を有する患者が受容又は拒否できる処置に含まれ、無
能力患者の家族は、患者の代わりに受容又は拒否できることをヘルスケア同意法(Health
Care Consent Act)345に照らして認める346。
第二に、本件では裁判所への訴えが必要であったか否かを検討する。州法であるヘルスケ
In the Matter of Sue Ann Lawrance, 579 N.E.2d 32 (1991).
州最高裁判決については、富田清美「In re Lawrance, 579 N.E.2d 32(Ind. 1991) 一度も
能力を有することのなかった持続的植物状態にある成年患者への人工的栄養・水分の補給を
中止することを、ヘルスケア承諾法に基づいて、患者の両親が決定できる、とされた事例」
アメリカ法 1994-1 号(1994 年)216 頁参照。
345 IND. CODE §16-8-12-4 (1990).
346 In the Matter of Sue Ann Lawrance, 579 N.E.2d 38-41(1991).
344
161
ア同意法は、無能力者が予めヘルスケアに関する代理人を指名していなかった場合、又は、
その代理人が活動できない場合に代行決定する者の順位を定める。第一順位者は、裁判所が
任命した後見人である。第二順位者は、配偶者、親、成人である子又は兄弟姉妹である。立
法府の意図としては、利害関係を有する当事者の間で対立がない場合には347、裁判所の介
入なく同法の定める手続を実行すれば良い。
「処置の中止に関する決定は、必ずしも裁判所
がより良く決定できるわけでない。そうではないと考えるのは傲慢である348」
。
しかし、
「医療の決定の大半を裁判所の介入なく行うことを許すことは、望みのない患者
を通常外の危険性に無責任に陥れることではない。
裁判所に来ることなく活動することを求
められる家族は、何の制約も受けないわけではない。医療者も患者の家族も、処置の決定に
おいて制約のない裁量を与えられるわけではない。他の多くのセーフガードが、医療上の決
定を制約する349」
。
州最高裁は、その最たるセーフガードとして、医プロフェッションによる倫理的導き(具
体的には、医療倫理委員会の発展及び米国医師会のような団体の出す倫理的見解)を挙げる。
「我々は、医療倫理委員会は毎年力強く発展しており、倫理的見解はますます洗練されてき
ていると理解している。…裁判所の決定に依拠することが不当に負担となるような、処置の
中止という領域において、倫理委員会の決定を尊重する歴史は、最初の有名なケース〔であ
る Q 判決〕に起源を有する350」
。
第三に、検認裁判所が本件において当該団体を後見人に任命したことは、ヘルスケア同意
法に照らして誤りであったとする。
(3) L.H.R.事件判決以降、Lawrance 事件判決までの 7 年間のうち最近になって、いくつ
かの判決においても、倫理委員会は事実関係の中に登場してきた。
メーン州上位裁判所が扱った Joseph 対 Gardner 事件351(別表 21 番)においては、Human
Ethics Committee という病院内の委員会が、永続的植物状態患者からの人工栄養水分補給
チューブの取外しについて徹底的に議論するが、
結論に至らず勧告も出さなかったことが言
及される。
ペンシルベニア州フィラデルフィア郡の一般訴訟裁判所が扱った Jane Doe 事件352(別表
22 番)では、ALS 患者からの人工呼吸器の取外しについて、医療スタッフ及び非医療スタッ
フから成る病院内倫理委員会が、患者、家族及び医師による取外しの決定に同意する。
ニューヨーク州最高裁判所(Court of Appeals)が扱った O‟Connor 事件353(別表 23 番)では、
347
このように担当医と家族構成員が全員一致で合意している場合には、誠実要件(good
faith requirement)は満たされ、完全な免責が認められるだろうとする。Id. at 43.
348 Id. at 42.
349
350
Id.
Id.
In re Joseph v. Gardner, 1987 Me. Super. LEXIS 233 (1987).
In re Jane Doe, 16 Phila 229 (1987).
353 In the Matter of Westchester County Medical Center, on Behalf of Mary O‟Connor,
531 N.E.2d 606 (1988).
351
352
162
無能力状態にあって医学的補助なしでは食事の取れない高齢患者への、人工栄養水分補給チ
ューブの挿入について患者の家族と医師が対立する中で、病院内倫理委員会は医師のチュー
ブ挿入の意見に同意する。
これらの事件判決において、
各々の裁判所は倫理委員会に対する見解を明らかにしないが、
事実関係におけるその存在や役割を認める。
このことを踏まえて Lawrance 事件判決を読むと、倫理委員会の発展を言明することが
目を引く。倫理委員会に期待する役割は、医療者や家族が無制約に決定することによって生
命維持処置を中止することの危険性から、
患者を守るセーフガードとして機能することであ
る。これは Q 判決が考えた倫理委員会システムの意義のうち、家族や医師の良くない動機
を排除することと同義であろう。
4.L.W.事件判決
(1) L.W.は、鑑別不能型統合失調症(undifferentiated schizophrenia)を長年患って、約 40
年間ナーシング・ホームに入所し、近親者も友人もいない。L.W.が 79 歳の時に、ある非営
利団体(L.E. Phillips Career Development Center)が、L.W.の身上及び財産上の後見人に任
命される。その数日後、L.W.は心停止状態に陥り病院に入院する。数週後に担当医は、後
見人に対して、L.W.が永続的植物状態にあること、この状態が 4 週間続けば人工栄養水分
補給を含む一切の生命維持処置の中止に同意してもらうことを告げる。
後見人は、第一審の巡回裁判所に、後見人又は裁判所はその中止に同意する権限を有する
のか否かについての宣言的判決を求めた。第一審は、後見人が被後見人の最善の利益に適う
と判断すれば、裁判所の事前の承認なく、生命維持処置の中止に同意する権限を有すると判
示した354。訴訟上の後見人と後見人及び病院が、上訴及び亣差上訴し、ウィスコンシン州
最高裁の判断355を求めた(別表 26 番)。
(2) 州最高裁は、第一の問題として、L.W.のような無能力者が医療処置を拒否する権利を
有するか否かについて、以下のように考える。望まない医療処置を拒否する権利は、自己決
定と IC についてのコモン・ロー上の権利、合衆国憲法第 14 修正の個人的自由及びウィス
コンシン州憲法 1 条 1 項の自由の保障より導かれる。その権利は、無能力者にも保障され
る。本件のように一度も能力を有したことなく、処置について希望を示したことのない無能
力者の処置拒否権を、後見人が代行する際の基準は、代行判断基準ではなく最善の利益基準
同時に第一審は、後見人が最善の利益を判断する際の 12 の基準を定めた。①被後見人
が、かつて生命維持処置に関する意思表示をしたか否か、②家族の希望、③独立した医学的
見解、④(存在すれば)生命倫理委員会の勧告、⑤身体的回復の可能性、⑥精神的回復の可能
性、⑦処置の提供又は差控えの結果としての身体的、心理的又は情緒的侵害、⑧処置しない
場合の生存可能性とその期間、⑨処置の継続の身体的効果、⑩処置を提供する又はしない場
合に継続する生命のベネフィット、⑪中止を支持する者の動機、⑫被後見人の最善の利益に
関する他の要素である。州最高裁は、この基準に反対するわけでないが、幾つかは本件に関
係がないとして採用しない。
355 In the Matter of Guardianship of L.W., 482 N.W.2d 60 (1992).
354
163
である。
その権利を代行するためには、患者の担当医が、2 名の医師(神経科医又は内科医)ととも
に合理的な医学的確実性に基づいて、患者が永続的植物状態にあって、認識及び知覚のある
状態に回復する可能性がないことを診断する。また、後見人は、以下の客観的要素を考慮し
て誠実に最善の利益を判断する。
その要素とは、患者の状態と処置により生ずる屈辱的状態、
依存状態及び尊厳の喪失の程度、余命と回復の見込み、様々な処置の選択肢ならびにそれら
の選択各々のリスク、副作用及びベネフィットである。
「さらに考慮する可能性のある要素として、
『生命倫理』委員会又は『施設内倫理』委員
会の見解がある。ますます、病院やナーシング・ホームのようなヘルスケア施設は、生命倫
理委員会を設置している。1990 年に米国病院協会は、全米の 6 割以上の病院が生命倫理委
員会を設置すると算定した。一般的にこれらの委員会は、倫理的問題についての病院の指針
を作成することを助け、倫理的な決定に関して医療専門職、患者及び家族に助言、議論又は
諮問する。本件の記録は、聖フランシスコ保健医療制度(Franciscan Health System)の生命
倫理委員会が全員一致で、L.W.のような永続的植物状態の患者への生命維持処置を差し控
えることが適切であると結論したことを示す。確かに、そのような委員会が利用できるなら
ば、後見人はその委員会に決定を審議するよう要請すべきであり、処置を差し控えることが
患者の最善の利益に適うか否かを判断する際に、委員会の意見を考慮すべきである356」。ま
た、配偶者、近親者又は相当期間を過ごした近しい友人若しくは同僚には、生命維持処置の
中止について通知される資格があり、それらの意見をさらなる考慮事項とするべきである。
このようにしてなされる後見人の決定には、「裁判所による承認は不要である。〔Colyer
事件判決や Jobes 事件判決が述べるように、〕
『司法プロセスは、この種の決定のために反
応できない厄介な装置である』
。しかし、利害関係当事者が後見人の決定に反対する場合に
は、裁判所の審査は依然として適切であり利用できる。後見人の決定が争われる場合には、
生命維持が被後見人の最善の利益に適うという推定が働き、
高度な医学的確実性をもって永
続的植物状態にあることと、処置の差控え又は中止の決定が被後見人の最善の利益に適い、
誠実になされたことを証明する負担を後見人が負う357」
。
(3) 既述の通りに、ウィスコンシン州最高裁は、22 歳の知的障害の女性に対する不妊手術
356
357
Id. at 89.
Id. at 92-93.
「利害関係当事者」については、本判決中に度々引用される Coordinating Council on
Life-sustaining Medical Treatment Decision Making by the Courts, Guidelines for State
Court Decision Making in Authorizing or Withholding Life-Sustaining Medical
Treatment (1991).が示す。すなわち(A)患者(B)患者の担当医(C)ヘルスケア施設又は代理人
(D)患者が無能力な場合には(1)(いる場合には)後見人(2)(いる場合には)訴訟上の後見人
(3)(いる場合には)ヘルスケアに関する権限を有する代理人(4)患者に代わって意見を述べる
ことを求め、後見人が居所を把握できる配偶者、近親者又は相当期間を過ごした近しい友人
若しくは同僚である。
164
の実施の是非を争った 1981 年の Eberhardy 事件判決358(別表 7 番)において、病院内倫理
委員会が手術実施を承認したにもかかわらず、結論として手術実施を承認しなかった。
それに対して、本判決において同裁判所は、(施設卖位ではなく保健医療制度にある)倫理
委員会の結論と同一の結論に至った。さらには、一般的な倫理委員会の最近の普及状況に言
及し、病院の指針作成とケース・レヴューという 2 つの大きな役割を確認し、倫理委員会
のケース・レヴューを受けることが望ましいと考える。
この同一裁判所の態度変更を、どのように考えればよいか。事案も、論点も、事件におい
て登場する倫理委員会自体も異なるので、乱暴な議論ではあるが、L.W.事件判決は倫理委
員会の現状と担うべき役割に対して信頼と期待を有することが窺われ、そのことが州最高裁
の態度変更につながる一因とは言えないだろうか。
また、裁判所の考える倫理的決定における倫理委員会の用い方にも、倫理委員会=予後委
員会アプローチをとったり、倫理委員会の利用を勧めたりした、これまでの裁判例と、L.W.
事件判決の間には、相違点が見られる。
すなわち、これまでの裁判例は、倫理的問題へのアプローチを実体的問題と手続的問題と
して構成を別立てし、予後委員会又は倫理委員会の利用は、実体的問題を考えるための手続
的問題の中で考えていた。生命維持処置の差控え又は中止は、患者の権利行使の対象になる
のか。その権利は能力を有しない患者にも認められて、後見人などが代理行使できるのか。
こうした実体的問題を肯定的にクリアした上で、権利行使の段階で踏むべき手続の 1 つと
して、予後委員会又は倫理委員会に言及した。
それに対して、L.W.事件判決は、後見人が被後見人の権利を代理行使する際に、最善の
利益を誠実に考えるための考慮事項の 1 つに、倫理委員会の見解を据える。倫理委員会の
見解を考慮したか否かは、
後見人が誠実に患者の最善の利益を考えたか否かを判断するため
の 1 つの基準になる。
(4) このような理解は、同じくウィスコンシン州最高裁による Edna 事件判決359(別表 33
番)によって補強される。Edna 事件では、71 歳のアルツハイマー病患者 F から人工栄養水
分補給チューブを取り外すことの許可を、後見人である妹が裁判所に求める。患者の明示の
意思表示はなく、30 年前の一般論的な発言が唯一の証言として取上げられる。法廷意見は、
L.W.事件判決と比較し、それに依拠して、患者は永続的植物状態ではないことと生命維持
処置の中止が患者の最善の利益になるとは言えないことから、後見人の訴えを退ける。
この Edna 事件判決のうち、Abrahamson 裁判官の補足意見が興味深い。
「L.W.事件判決
は、医療施設の倫理委員会の役割を好意的に語る。病院又はナーシング・ホームの倫理委員
会は、生命維持処置の中止の決定についての討議のために重要な場を提供する。しかし、当
裁判所に提出された限られた記録からは、患者 F の後見人の要求を審議した委員会は、効
358
Supra note 324.
In the matter of the guardianship and protective placement of Edna M.F. 563
N.W.2d 485 (1997).
359
165
果的に機能していないようである。・・・原審同様に、処置の中止は倫理的に適切であると判
断した委員会の決定を重視することはできない。原審によれば、法廷には委員会の会議の公
式な記録も報告書も提出されず、
委員は倫理に関する原則や訓練を備えた集団として活動し
ていないようである。本件の倫理委員会委員に対して公正を期すならば、当該委員会が最近
組織され、本件以外には 1 件しか討議したことがないことを明らかにしておかなくてはな
らない。また、原審は、倫理委員会の調査の焦点に問題を見出したようである。委員会は、
自らの役割を倫理的に最善であることより、
医療施設を法的責任から保護する決定を行うこ
とであると理解していたようである。この生命のかかった困難な決定プロセスにおける全参
加者の焦点は、患者の死につながる行為の妥当性に向けられるべきである。後見人が医師と
相談して、被後見人は永続的植物状態にあって、処置の中止が被後見人の最善の利益に適う
と決定する時に、医療施設の責任について関心を持つことが、望まない生命維持処置から自
由になる被後見人の権利行使を代行しようとする、後見人の努力に影響してはならない
360361」
。
原審とともに、ウィスコンシン州最高裁は、Edna 事件に登場する倫理委員会を批判的に
評価する。結果を見ると、州最高裁は、倫理委員会の活動を全く評価せず、倫理委員会の結
論(処置中止に合意する)と逆の結論(処置中止を認めない)を出した。州最高裁としては、代
行決定者が評価の低い倫理委員会の勧告に従っても、患者の最善の利益を誠実に検討したと
認めることはできないであろう(この点は Edna 事件判決では、直接の論点になっていない
が)。
Edna 事件判決からは、州最高裁が評価する倫理委員会の要点を、①委員会の公式な活動
記録を残すこと、②委員は倫理原則を理解し、専門的訓練を受けていること、③複数回のケ
ース・レヴューを経験することに見出せる。また、倫理委員会は、医療施設を法的責任から
保護することより、
倫理的に最善な勧告を出すことを職務としなくてはならない。
これらは、
裁判所が考える、倫理委員会モデルに関する重要な知見であろう。
5.DeGrella 事件判決
(1) Martha Sue DeGrella は、1983 年 2 月に急性硬膜下血腫により脳に深刻なダメージを
生じ、永続的植物状態にある。ケンタッキー州のナーシング・ホームに 9 年間入居し、胃
瘻チューブにより栄養水分を補給し、気管切開チューブによって人工呼吸をするが、回復の
見込みはない。
1991 年 10 月に、母親 Martha Elston が、44 歳の娘 Sue の後見人に任命される。翌年 2
月に、Elston は Sue を被告にして、Sue は永続的植物状態にあり、人工栄養水分補給及び
360
Id. at 495-496.
判決文の注 16 によれば、倫理委員会は処置の中止には合意したが、家族全員の書面に
よる同意がないまま処置中止の決定を実行することには同意しなかった。さらに、原審裁判
官の質問に対して、委員の一人は、委員会の関心は責任の問題であったこと、それ故に家族
全員の同意を求めたことを認める証言をした。
361
166
人工呼吸の中止を指示する権限を認める宣言的判決を求めて、訴えを提起する。
第一審は、Sue が意思表示できるとすれば、生命維持処置の中止を望むであろうことにつ
いて、明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準を満たしているとして、Elston の訴えを認め
る。これに対して、Sue のための訴訟上の後見人が上訴し、ケンタッキー州最高裁362の判
断を仰ぐ(別表 29 番)。
(2)
州最高裁は、患者が選ぶであろうという明白且つ確信を抱くに足る証拠以外の根拠に
基づいて、その患者は死ぬべきであることを誰かが決めることを許さない。また、第一審が
認定した事実(人工呼吸及び栄養水分補給は Sue に対する人為的な侵襲であり、Sue の生命
を永続させるための通常外の手段であること、Sue 自身が、現在のような状況に置かれたな
らば、人工的手段で延命を望まないと表明したこと)について、最高裁でも争いはないこと
を確認する。
その上で、州最高裁は実体的問題に取り組む。医療処置を拒否又は中止する能力を有する
者のコモン・ロー上の権利と、現在の無能力者が有能力時に表明した希望に従って、無能力
者に代わって医療処置を拒否する後見人の権限とを、諸判例に基づいて認める。後見人が無
能力者の権利を代理行使するための基準としては、
「本件の文脈においては、
『最善の利益』
を被後見人の健康と福祉の立場からのみ考える。それは、被後見人が意識と能力を有するな
らば、選択したであろう決定と同義である363」と述べる。代行決定者を通じて医療ケアを
拒否する永続的植物状態患者の権利を、他の 17 州の裁判例364が支持する。そして、「全て
の州において、裁判所が無能力者の希望について納得した場合には、その希望を尊重する
365」
。また、上訴人が永続的植物状態患者には適用できないと指摘するケンタッキー州
LW
法366及びヘルスケア代行決定者法367について、
「それらは、コモン・ロー上の権利を制限す
ることよりも、補うことを明示する。…それらは、医療ケアの差控え又は中止を実現するた
めに、成人が有するコモン・ロー上又は制定法上の権利を侵害又は破棄しない368」
。
次に、州最高裁は、Sue が能力を有していた際の明示の意思表示に関して、証拠としての
Martha Sue DeGrella v. Joseph G. Elston, 858 S.W.2d 698 (1993).
ちなみに、上訴中に母親 Elston が死亡したために州最高裁での被上訴人は Sue の兄弟
Joseph G. Elston である。
363 Id. at 705. この見解では、最善の利益基準と代行判断基準を同一視することになろう。
それが可能なのは、
本件では患者本人の意思表示が明白且つ確信を抱くに足る証拠として残
り、どちらの基準を採用しても結果として実質的に差がないと考えるからであろうか。
364 それらの州の大半については、Cruzan 事件連邦最高裁判決(後掲注 420)がカバーする。
Id. at 705.
365 Id. at 706. さらにミズーリ州とニューヨーク州では、裁判所が患者の明示の希望を正確
に確定できない場合でも、患者の家族又は後見人が、患者が希望するであろうことについて
代行判断を行使することを認めているとのことである。
366 KRS 311.622-644 (1990).
367 KRS 311.970-986 (1990).
368 Supra note 362 at 708.
362
167
2 つの問題に取り組む。1 つは、有効な LW に関する制定法369に照らした形式要件の問題で
ある。これについては、
「医療処置を拒否又は中止する権利は、財産を遺言によって遺贈す
る権能とは異なり、その〔無能力者による意思表示の〕状態に影響されない。それは、医療
処置の選択に関する個人の自己決定の権利に内在するものであり、意思表示の状態は、意思
表示の行使に干渉しない370」と考えて問題視しない。
もう 1 つは、過去の医療処置に関する選好が、その後の医療処置に関する決定を支配す
るかという問題である。これについては、「過去の発言が最終的なものと見なされる、とは
決して考えない。家族構成員、友人又は医療者に患者が与える口頭の指示は、当該証拠上の
考慮事項として重要な価値を持つが、そのような発言を上回りうる他の証拠上の事項がある。
例えば、書面による反対の指示、特定種類の医療処置に関して声に出した反応、宗教上の信
仰及び教義、
又は患者自身の医療ケアについての以前の決定に関する一貫した行動パターン
である。…しかし、その他の証拠上の事項が利用できる場合に、患者の発言を上回りうると
いう事実は、その発言が本件のようになされた場合には、代行決定を導く信頼できる証拠と
して排除しない371」とする。
最後に、州最高裁は、無能力者の希望が分かるという限定の下、代行決定のプロセスを経
て医療処置を拒否又は中止する権利を行使する手続について考える。
「医療処置を中止する権利は、司法部が承認又は否認する権能ではない。宣言的判決を得
る訴訟の目的は、当事者が既に有する権利を司法上確定することであり、存在しない新たな
権利を創造したり否認したりすることではない。…裁判所は、〔権利又は事実に関する〕争
いが存在する場合には、その事件を決するために開いており、また開いていなくてはならな
い。その争いには、本件のような性質のものも含まれる。
…〔しかし、
〕本件の为題は、処置を中止する司法上の権能ではなく、Sue の処置を中止
する権利であり、彼女が現在の状態になる前に行い、この悲劇が彼女に起きた際に有してい
た選択である。したがって、裁判所は本件のようなケースに対して開いているが、基礎とな
る事実の存在について誰も争わないならば、
訴訟は患者の権利行使のために必要不可欠では
ない。決すべき問題は事実的なものであり、法的なものではない。担当医、患者がいる病院
又はナーシング・ホームの倫理委員会及び法的後見人又は近親者が、全員で合意し、患者の
希望及び身体状況を文書で記録し、誰もその決定に異議を述べないならば、患者の希望を実
行するために裁判所の指示は必要ない。将来的な刑事罰又は民事上の責任は、裁判所の指示
の有無に依拠するのではなく、ケースの事実に依拠する。この種の私的な決定への司法介入
は、費用がかかり煩わしい。要件たる事実が確定され、関係当事者によって注意深く文書に
記録されれば、
この種のケースにおける処置を拒否又は中止する決定は、責任を問われない。
他方、取った行動を支持する事実がなければ、裁判所は当事者を免責できない。虚偽又は不
369
370
371
KRS 394.040.
Supra note 362 at 708.
Id. at 709.
168
正且つ通謀詐害的な(collusive)決定は、生命維持処置の中止の事前であれ事後であれ、裁判
所が承認する権能を越えるものである372」
。
(3) DeGrella 事件判決については、上記の「倫理委員会」に注意しなくてはならない。実
は、同判決も倫理委員会=予後委員会と考えている。このことは DeGrella 事件判決だけを
読んでも気づかないが、同判決から 11 年後の同じく Kentucky 州最高裁による Woods 事件
判決373(別表 38 番)から明らかになる374。DeGrella 事件判決は、Lawrance 事件判決及び
L.W.事件判決を経ても、なお予後委員会アプローチに立つ。
その予後委員会の決定手続プロセスにおける位置付けについて、DeGrella 事件判決が従
来の裁判例と異なる点がある。本判決は、裁判所の介入について「費用がかかり煩わしい」
と否定的であり、上記 3 者の合意があれば、基本的に裁判所の指示を求める必要はないと
考える。ただし、当事者が法的免責を得るためには、免責の要件となる事実を確定し、その
内容を文書に記録することが課せられる。従来の免責要件であった予後委員会が合意又は承
認に至ったという事実に加えて、DeGrella 事件判決は、その事実についての文書の記録を
免責要件として明示する。
372
Id. at 709-710.
Matthew Woods v. COMMONWEALTH OF KENTUCKY, CABINET FOR HUMAN
RESOURCES, 142 S.W.3d 24 (2004).
374 Woods 事件判決の概要を示す。高齢者で IQ 約 70 の Matthew Woods の諸事を、1970
年から州機関が管理する。1991 年の陪審評決により、Woods は一部無能力者とされ、
Cabinet for Human Resources(CHR)の職員が、医療処置に対する同意も含む一定事項につ
いて決定できる後見人に任命された。1995 年に以前から診断されていた喘息の激しい発作
により心肺停止状態になり、通常の脳機能の全てを不可逆的に損なった。担当医及び相談を
受けた神経科医によれば、Woods は永続的植物状態よりも深刻な状態としての永続的昏睡
状態にある。2 人の医師は人工栄養水分補給の中止を勧告し、Woods が入院する病院の倫
理委員会(11 名の構成員のうち 4 名が医師)もそれに同意した。それを受けて、CHR が
Fayette 地方裁判所に生命維持処置中止の許可を求めた。
地裁から州最高裁までの争点は、Kentucky Living Will Directive Act (KRS 311.621-643)
の KRS 311.631 の合憲性である。同法は、決定能力を失い、事前指示書を作成していない
成人患者のために裁判所が任命した後見人が、誠実に且つ患者の最善の利益に適うよう行動
する限り、生命維持処置の中止を含む医療上の決定を、患者に代わって、裁判所の事前の許
可なく行うことを認める。訴訟上の後見人は、後見人は、生命維持処置の中止が患者の最善
の利益に適うことを、
明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準により証明しなくてはならない
ことと、公序(public policy)及び現代の倫理基準に反していることを理由に、同法が違憲で
あると为張した。それに対して地裁、巡回裁判所及び控訴裁判所は、同法を合憲であると判
示した。
州最高裁は、生命維持処置の中止を求める権利の根拠(コモン・ロー、合衆国憲法及び州
憲法)、州法、先例としての DeGrella 事件判決、明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準、
公序、倫理原則及び裁判所による監督などの論点を立て、多角的に事件を検討する。その中
で、Hamlin 事件判決を引用して、予後委員会アプローチを明示する。Id. at 50.
DeGrella 事件判決と異なり、事実関係において(予後委員会ではない)倫理委員会が登場
するにもかかわらず、Woods 事件判決が予後委員会アプローチに立った意味は、一層重い。
373
169
6.Fiori 事件判決
(1) ペンシルバニア州の Daniel Joseph Fiori は、1972 年の事故により脳に損傷を受けて、
車いす生活を余儀なくされた。彼が 24 歳になった 1976 年には、2 度目の事故によるさら
に激しい脳の損傷のため、全く回復の見込みのない遷延性植物状態になった。Fiori の脳の
認識機能は完全に失われ、痛みも生の喜びも感じることなく、誰とも意思疎通できない状態
である。それ以後、Fiori は胃瘻チューブによって、薬、栄養及び水分が補給される。Fiori
は、事故以前に生命維持処置に関する希望について意思表示していない。
1980 年に、
裁判所が Fiori の母 Rosemary Sherman を Fiori の身上後見人に任命し、
Fiori
は 無能力 者で ある宣 告を 受けた 。母 Sherman は 、1 日 に数回 Mayo Nursing and
Convalescent Center を訪れ、Fiori のケアが最善のものであるよう努めた。そして、1992
年 2 月に母 Sherman は、生命維持処置の中止が息子 Fiori の希望であると考え、ナーシン
グ・ホームにその旨を求める。ホームは、裁判所の許可なく生命維持処置を中止できないと
答え、母 Sherman は裁判所に許可を求めた。
(2)
本件に対する第一審判決375から第三審の州最高裁判決376まで、いずれもが生命維持処
置の中止を認めるが、本稿にとって最も興味深いのは、第二審の上位裁判所判決377(別表 30
番)である。
Beck 裁判官による法廷意見は、第一審から控訴した司法長官が示した 2 つの論点の考察
から始める。第一の論点は、第一審は、昏睡状態の患者の生命維持処置を中止する際に、患
者の利益を代表する訴訟のための後見人を任命しなかった点で誤ったのか。
この点について
は、
「本件のような大多数のケースにおいて、法的手続は必要ないと最終的に判示するし、
実際に本件でも法的手続は必要なかったので、訴訟のための後見人の任命は必要ないと考え
る378」
。
第二の論点は、第一審は患者が生命維持処置の中止を望んでいたということについて、明
白且つ確信を抱くに足る証拠を求めずに、そのような中止を認めたことは誤りであったか。
第一及び第二の論点に共通して法廷意見は、
司法長官のアプローチは争点を広く枠づけすぎ
ていると批判し、過去には能力を有していたが、現在は無能力者である点、現在の状況下で
In re Fiori, 17 Pa. D. & C.4th 558 (1993).
In re Fiori, 673 A.2d 905 (1996).
377 In re Fiori, 652 A.2d 1350 (1995).
州最高裁については、川田ひろ「In re Daniel Joseph Fiori,543 Pa.592,673 A.2d
905(1996)"Persistent vegetative state"(永続的植物状態,以下,PVS と記す)の患者が、PVS
に陥った時の治療に関して advance directives(事前の意思表示)を残していない場合、2 名
の医師の同意があれば近親は裁判所の関与なしに生命維持装置を取りはずすことができる、
との下級審の判決を、ペンシルヴェイニア州最高裁判所が維持した事例」アメリカ法 1999-2
号 324 頁参照。
唄孝一「生命維持治療の打切りをめぐる家族と司法――フィオリ事件判決(アメリカ)の研
究ノートから」佐藤進、齋藤修編集代表『現代民事法学の理論 西原道雄先生古稀記念 下巻
』(信山社、2002 年)353 頁は、全審級の判決について考察する。
378 Id. at 1352.
375
376
170
生命維持処置の中止を中止したいか否かについて、明確な意思表示を過去にしなかった点、
近親者が患者は処置の中止を望むと信じる点に、本件の射程を限定する。
つづけて、法廷意見は生命維持処置に関する自己決定権の問題に取り組み、「様々な根拠
があるが、そのような権利の存在に疑いはない379」とする。患者の希望が明確に表明され
ていない場合には、患者の家族又は後見人による代行判断の行使を認める。本件のようなケ
ースにおいて、明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準を適用することは、
「Fiori の自己決定
権を保護せず、むしろ損ねてしまうだろう380」。したがって、その基準の適用を要求し、処
置に関する決定過程に裁判所の介入を求めることはできない。「代行決定者は、指針として
患者の個人的な価値体系を検討する。代行者は、患者が選ぶであろう医療処置を推定するた
めに、患者にとって重要な哲学的、神学的及び倫理的価値を考え、医療上の問題に関する患
者の過去の発言と反応及び代行者には馴染みの患者のパーソナリティの全側面を考察する
381」
。
「さらに、生命維持処置の中止の決定の時は、患者を愛する者にとって苦痛と苦悩に満ち
た時である。裁判手続によって苦悩を深めることは、無神経で不必要なことである。こうし
た苦痛に満ちた私的な状況において、裁判所は何か特別な知識や洞察力を持っているのか。
患者は、2 名の医師に承認された代行者の決定では、十分に保護されないのか。司法長官と
は異なり、当裁判所は、裁判所による州の介入は個人のプライバシー権に対して過度に介入
的であり暴力的であると考える382」
。
他方、
「当裁判所は、代行決定者が患者の状態を評価する資格のある 2 名の医師による、
患者は回復の合理的な可能性のない永続的植物状態にある旨の書面を得ないのであれば、
処
置を中止できないことを求める383」
。裁判所の介入つまり後見人の任命が求められる場合と
して、
「患者に代わって判断するほど患者に近しい家族構成員がいない場合、患者のケアに
関わる医師が、家族は患者の選択を実行していないと判断する場合、又は、家族間で争いが
あって、誰も事前指示書の中で決定者として指名されていない場合384」を挙げる。
「このような考え方に同意できず、全てのケースへの裁判所の介入を望む者は、患者の保
護のための裁判所の必要性に言及する。この考えの基礎にあるのは、裁判所だけが生命の保
護を保証できるという哲学である。これは、狭小で不健全な見解である。それは、家族に対
する本質的且つ伝統的な尊重を損う。・・・そこには、裁判所及び訴訟上の後見人の介入がな
ければ、
親又はその他の近親者が個人的な利得のために生命を終わらせる行動をするかもし
れないという、理論的に明らかにされてはいない恐れが基礎にある。この恐れは、稀なケー
スでは根拠があるが、生命維持処置の中止の前に 2 名の医師の同意が必要な条件とされる
379
380
381
382
383
384
Id. at 1353.
Id. at 1356.
Id. at 1356.
Id. at 1356-1357.
Id. at 1358.
Id. at 1358.
171
場合には、意味を持たない385」。法廷意見がそれほど尊重する家族構成員とは、「通常は配
偶者、親、成人子又は兄弟姉妹であるが、それらに限定されない386」
。法廷意見が家族を尊
重することの前提には、
「大半の病院が、代行判断を行う近親者の適性や近親者の動機とい
う問題に取り組む倫理委員会を有しており、
病院自体は裁判所の介入を求める立場にあるだ
ろう387」という考え方があるように見受けられる。
(3)
この法廷意見に対して、興味深い補足意見や尐数意見が付される。本稿の関心に焦点
を絞って取上げる。
Wieand 裁判官による補足意見は、近しい家族構成員と 2 名の医師が決定する場合には、
裁判所の介入は不要だが、多くのケースでは裁判所の介入が必要とされる事情がある、と述
べる。本件も、Fiori が入所するナーシング・ホームが裁判所の許可がないままの生命維持
処置の中止を拒否し、母 Sherman が裁判所の許可を求めた点で、裁判所の介入が必要なケ
ースである。生命維持処置の中止の判断を求められた裁判所は、家族又は後見人の提案が患
者の最善の利益に適うか否かを考える。最善の利益を考慮するためには、客観的な基準の適
用が必要になる。客観的基準を評価するためには、
「苦痛からの救済、機能の保持又は回復
及び維持される生命の質と限度」
、
「現在における希望の満足、将来における満足のための機
会及び自己決定能力の発達と回復の可能性」
「
、患者が能力を有していた時の重要な意思表示、
現在可能な処置の選択肢、処置の利益又は不利益、改善の可能性、各処置に伴う苦痛又は不
快の程度、処置への依存度、処置の侵襲性、身体能力の低下の進行及び(可能な場合には)病
院内生命倫理委員会の意見」を考慮する388。
(4) Popovich 裁判官による尐数意見は、Fiori の生命維持処置の中止を支持するという結
論のみにおいて法廷意見に同意するが、それに至るまでの理論の過程は全く異なる。代行決
定の際に用いるべき基準と裁判所の介入に注目すべきである。
同尐数意見は、裁判所の介入は差し控えるべきという法廷意見の考え方を論難する。「州
は、州民のパレンス・パトリエとして、州民の生命が危険に陥っている時は、侵害的な招か
れざる参加者として退けられてはならない。まさしくそのような場面で、裁判所は(州政府
の延長として)知恵の貯蔵庫であり、熟考を助言してきた。・・・そのような洞察力は、Fiori
の家族が直面するような『生と死』の場面への不当な介入として退けられるべきでない389」
。
後に続く議論の前提として、
本件のような生命維持処置の中止の決定のために要する時間
と労力については、裁判所の許可を得ることも、家族と 2 名の医師の合意を得ることも変
わらないとする390。
「人間の生命の神聖さに関する、このような裁判所の監督下の決定には
385
386
387
Id. at 1358.
Id. at 1357.
Id. at 1359.
388
ここに列挙した諸要素が相互にどのような関係にあるかは、判決文から読み取れない。
Supra note 377 at 1365.
390 尐数意見の終盤部(1380 頁)において、全米で 5000 人の永続的意識喪失患者がおり、ピ
ッツバーグのある大学病院では 500~1000 名の生命維持処置を中止した、という実態調査
を認識した上での見解であることは興味深い。
389
172
迅速審理が利用でき、プライバシーの侵害行為にもならない。むしろ、そのようなプロセス
は、全ての当事者が患者の最善の利益を考えて忠実に行動し、患者の福祉に関する覆われた
関心によって精査から逃れた隠れた動機に導かれないことを保証するだろう391」
。
そして、Fiori に関する具体的な事実を確認した後に、Fiori の希望を代行決定者が実現す
るための判断基準として、最善の利益基準、代行判断基準、明白且つ確信を抱くに足る証拠
の基準について検討を始める。同尐数意見は法廷意見と異なり、
「裁判所が患者の選好を決
定できないならば、代行判断基準の厳密な適用は不可能である392」と考える。
「代行決定者
が患者の判断に代わって自らの判断を代行することを許すことは、代行決定者が無能力者の
選択を卖に実行させるのではなく、無能力者の選択の内容を補充することになる。これは明
らかに、
患者の自己決定権を実行せしめるための代行判断基準の基礎になる諸原則を侵害す
る393」
。また、患者のかつての選好を示す証拠としての言動の採用に関して、その特定可能
性を問題にする。結論として、同尐数意見は、本件のようなケースの場合には、
「無能力者
の『最善の利益』に寄与する高水準な『明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準』によって、
神聖な生命を中止するために必要な証拠の量を考慮したい。・・・生命維持処置の中止を代行
者が決定するために発展してきた基礎的な基準のうち、
『最善の利益基準』と『明白にして
確信的な証拠の基準』のハイブリッドを選択したい394」とする。
「患者が一度も能力を有し
たことがない場合、又は、生命維持処置の中止に関する意思表示がないままに無能力になっ
た場合には、後見人を導く最善の基準は『最善の利益基準』であり、それを明白且つ確信を
抱くに足る証拠の基準が補う395」
。これは、Conroy 事件判決の制限的客観的テストと合致
するものである。
さらに、代行決定者は、無能力者の最善の利益について誠実な(good-faith)決定を求めら
れるが、その決定のために考慮すべき非排他的な要素を列挙する。①患者の現在の身体的、
感覚的、情動的及び認識的機能のレベル、②医学的状態、処置及び処置の中止から生じる身
体的苦痛の程度、③患者の状態及び処置から生じる屈辱、依存及び尊厳喪失の程度、④処置
の実施の有無による回復の見込みと予後、⑤様々な選択肢のリスク、副作用及び効果である。
「不安定で負担になる生命の延長ではなく、尊厳ある存在に対する個人の権利を、人命の
維持と医学界における倫理基準の保持に対する州利益とバランスを取ることにおいて、(明
白且つ確信を抱くに足る証拠の基準により精査して)患者の最善の利益を融合することは、
人間の生命と尊厳を大切にする社会を象徴する有益な特徴を達成する。・・・この目的を達成
するために、
裁判所が生対死のような配慮を要する問題の紛争解決のための資源として関与
することを賢明と考える。・・・個人の自律に基礎付けられるコモン・ロー上の処置の拒否権
は、形式性を欠く第三者によって行使されるとは考えない。第三者の選択権を行使する後見
391
392
393
394
395
Supra note 377 at 1365.
Id. at 1371.
Id. at 1371.
Id. at 1378.
Id. at 1379.
173
人の権能は、被後見人の憲法上の権利ではなく、州の権限から生まれる。後見人は、州のパ
レンス・パトリエ権能を託される者である396」
。
同尐数意見は、
本件のような配慮を要する問題に裁判所の介入を許さない法廷意見を否認
する。
「衡量されるのは価値が高く貴重な生命であり、それは正当化についての適切な調査
を行わずに縮減されるべきではないから、裁判所の指導によって、後見人の真の動機が秘密
にされずに発見されるのが良い397」
。
最後に、同尐数意見は、法廷意見が裁判所に代わって家族による代行決定と 2 名の医師
の判断で足りると考える手続を疑問視する。
「法廷意見でさえ認める、患者の最善の利益は
何かという、魂を探られ心をかき回されるような内省を要する問題・・・の方程式に代入され
るのは、患者の医学的状態及び回復の見込みであるが、それらは全て医療プロフェッション
との協議によりなされる398」
。しかし、患者の最善の利益を決するには、尐数意見が提案し
た基準に合致する精神的及び事実的なチェックリストを経る必要がある。したがって「その
ための討議は、病院の廊下や医師のオフィスではなく、裁判所で行われる。これ以下のこと
を行うことは、生命が秤に載せられている患者に対する仇(disservice)となるだろう399」。そ
の仇は、法廷意見の「近しい家族構成員及び 2 名の資格を有する医師」という、射程が明
らかでないアプローチによって明確になる。
(5)
法廷意見、補足意見、尐数意見という三様の意見は、倫理委員会に対するアプローチ
も様々であった。
法廷意見は、近親者と 2 名の医師という当事者中心の決定手続を尊重し、代行判断基準
を採用し、明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準を採用しない。それが認められるのは、倫
理委員会が近親者の適性や動機を精査し、裁判所の介入を適宜求める体制を取るという前提
があるから、と考える。
補足意見は、法廷意見と同様に当事者中心手続を重視するが、現実的に多くのケースでは
裁判所の介入が必要であり、
裁判所は当事者の決定を患者の最善の利益から検討しなくては
ならないと考える。その最善の利益の考慮事項の 1 つに、倫理委員会の意見を挙げる。
尐数意見は、
全てのケースに裁判所の介入が必要と考え、
倫理委員会について言及はない。
裁判所の介入を求める前提条件として、裁判所の許可を得る手続も、当事者中心の決定手続
も、労力は変わらないと見積もる点は興味深いが正しいだろうか。
法廷意見と尐数意見は明確な対立の構図を描き、
当事者中心手続か裁判所かという対立軸
の鋭さは Q 判決と S 判決の対立を髣髴とさせる。しかし、当事者中心手続を重視した Q 判
決は最善の利益基準を採用し、裁判所の介入を必要とした S 判決は代行判断基準を採用し
た。つまり、Q 判決と S 判決の関係と法廷意見と尐数意見の関係には捻れが見られ、決定
基準と決定手続の関係には混迷が未だ見られる。
396
397
398
399
Id. at 1379.
Id. at 1380.
Id. at 1380.
Id. at 1380.
174
また、補足意見のアプローチは、L.W.事件判決の倫理委員会の利用と一見すると近似す
る。ただし、倫理委員会の意見について、裁判所が代行決定者の決定は患者の最善の利益に
適うか否かを判断する考慮事項の 1 つとすること(補足意見)と、代行決定者が患者の最善の
利益を考えるために考慮すべき事項の 1 つとして、裁判所の介入は不要とすること(L.W.事
件判決)の間には差異があろう。
第5節
小括―裁判例から読み解く倫理委員会のあり方
1.Fiori 事件判決以降
(1) 前節の最後に扱った Fiori 事件判決以降の裁判例について、概括しておく。
Wendland 事件判決400(別表 34 番)は、倫理委員会が患者の生命維持処置の中止を求めた
妻の決定を支持したにもかかわらず、患者の母と妹に面談をしなかったことから倫理委員会
の結論を重視しない。
その後、Blouin 事件判決(別表 35 番)、AB 事件判決(別表 36 番)、Carpenter 事件判決(別
表 37 番)、Stein 事件判決(別表 39 番)、DH 事件判決(別表 40 番)の事実関係の中で、倫理
委員会は登場し、その倫理委員会について一定程度(委員会の構成や勧告の内容等)の描写は
見られる。このことから、臨床において倫理委員会が普及し活動することが窺われる。しか
し、それらの裁判例は、その登場する倫理委員会について評価をしたり、倫理委員会につい
て一般的な見解を述べたりはしない。
すなわち、Fiori 事件判決以降の裁判例は、倫理委員会について存在を認識するも、その
法的な位置付け(活動の法的な評価)に頓着しないように理解できる。
(2) 以下では、本章のまとめの議論として、冒頭に挙げた本稿の視点と射程の 3 つのポイ
ントに対して、これまでの裁判例の読解から得られた知見を手掛かりに答えていく。
2.
【第三のポイント】について
(1) 第 3 節及び第 4 節で扱った裁判例が考える倫理委員会モデルに関して、
最大の発見は、
尐なくない裁判例が倫理委員会=予後委員会と考えたことである。リーディング・ケースた
る Q 判決の混迷が導いたかのような、この誤解は何故その後も継続したのか。それは、卖
なる誤解なのか、意味のある曲解なのか。
この点を、各々の裁判例の立場に沿って推測すれば、個々の事例の解決のために、それら
の事実関係を尊重した結果、
処置の中止を承認するための一般的な手続を考案する際にも事
実関係に牽引されてしまったのではないか、と考えられる。すなわち、倫理委員会の制度的
普及が十分ではない一方で、
予後委員会又はそれに類似する複数の医師による予後確認のた
めの制度が、各事例には備わっていた。当然に、患者の予後又は医学的状態について、医師
400
Conservatorship of the Person of Robert Wendland, 78 Cal. App. 4th 517 (2000).
175
及び医療者間で検討されるだろう。Jobes 事件判決では、この点が州病院協会により明らか
になる。
医療現場に普及する予後委員会又は複数医師による予後確認制度は、裁判所に判断を仰ぐ
ことを回避したい立場から、受容しやすい。裁判所の臨床への介入に対して否定的な見解を
明確に示すのは、Colyer 事件判決、JFK 病院事件判決及び Farrell 事件判決である。それ
らの否定的見解の理由は、生命維持処置の中止の決定に時宜に対応できないこと、後見人に
よる権利为張を躊躇わせるような負担になること、
当事者の利益や権利を保護するような実
質的な意義がなく、儀礼に過ぎないことに要約できる。裁判所が抱えるこれらの問題点を回
避するには、医療現場に普及する制度を用いることは、容易な解決策となろう。
(2) Robert M. Veatch らによれば401、ニュージャージー州の司法長官、衛生局長、免許委
員会委員長及び医療専門職団体が共同して「昏睡無意識状態患者のケアに関する処置を実施
するヘルスケア施設のためのガイドライン (Guidelines for Health Care Facilities to
Implement Procedures Concerning the Care of Comatose Non-Cognitive Patients)」を、
1977 年 1 月 25 日に発表した。そのガイドラインの評価には是非の両論があったが、予後
委員会の利用を勧めたことは、臨床に大きな影響を有したようである。このガイドラインの
存在を前提にすれば、Q 判決以降のニュージャージー州の裁判例が、予後委員会アプロー
チを採用したことにも合点がいく。
また、George J. Annas によれば、Q 判決以降にニュージャージー州の「倫理委員会」と
いう名称の委員会が、速やかに「予後委員会」と名称を改めた402。その理由は明らかでは
ないが403、この事実もニュージャージー州の裁判例に影響を与えたであろう。
アメリカの予後委員会が、
倫理的問題を扱う倫理委員会固有の意義を越権的に担うわけで
はなく、裁判所もそのように理解するわけではないだろうが、それならば尚更に、予後委員
会に倫理委員会という名称を宛てることはミス・リーディングである。
(3)
正しく倫理委員会の意義を理解する裁判例を見ても、その実体についての言及が尐な
いことは、冒頭の【第三のポイント】の見込みが外れたことになる。これに関しては、倫理
委員会についての共通理解が一部の州では既に存在し、
実体について改めて言及するまでも
ないから、という推測もできるが、倫理委員会=予後委員会と考える裁判例があることから
は、そのように安易に推測することも危険であろう。
(4) 他方で、以下の裁判例からの知見を改めて確認しておきたい。
Edna 事件判決は、事実関係の中の倫理委員会を評価しない点を挙げるが、それは倫理委
員会の評価項目と解することができる。すなわち、①委員会の公式な活動記録を残すこと、
②委員は倫理原則を理解し、専門トレーニングを受けていること、③複数回のケース・レヴ
Robert M. Veatch, Hospital Ethics Committees: Is There a Role?, 7(3) HASTINGS
CENT REP 24 (1977). Hirsh HL, Donovan RE., The Right to Die: Medico-Legal
Implications of In Re Quinlan, 30 RUTGERS LAW REV 286 (1977).
402 GEORGE J. ANNAS, JUDGING MEDICINE 266 (1988).
403 名称を改めることの(免責のための)法的な意義については、Merritt, supra note 198.
401
176
ューを経験することの 3 点を評価項目とする。また、倫理委員会の目的は、医療施設を法
的責任から保護することではなく、倫理的に最善の勧告を出すことと考えられた。
Colyer 事件判決の反対意見は、倫理委員会の構成員について言及する。医師、ソーシャ
ル・ワーカー、弁護士及び神学者が挙がる。また、個別に倫理委員会を設置できない医療施
設のために、州医師会が倫理委員会を常設することを勧める。
Torres 事件判決は、脚注 2 において倫理委員会の構成員について言及する。医師、看護
師、療法士、牧師、ソーシャル・ワーカー及び弁護士が挙がる。
Farrell 事件判決の O‟Hern 裁判官は、一定地域内の複数の病院が共同で倫理委員会を設
置し、Farrell 事件のように患者が病院外にいる場合に、医師及び家族に援助や相談を提供
することを提案する。これは、前章までに扱った、大統領委員会報告書、保健福祉省終局規
則、小児科学会ガイドライン、保健福祉省ガイドライン及びメリーランド州法が提案したア
イデアと通じる。
また、Jobes 事件の Pollock 裁判官が、Q 判決、大統領委員会報告書、ニュージャージー
州病院協会の特別委員会の勧告、保健福祉省のガイドライン、メリーランド州法を挙げたこ
とは、
これらが提案した倫理委員会のモデルが実際に影響力を持つことを示すと考えて良い
だろう。
3.
【第一のポイント】について
(1)
本稿の扱った裁判例において、生命維持処置の中止の決定は、患者の予後を中心にし
た医学的な問題と倫理的な問題とに二分されると考えられた。問題を綺麗に二分できるか否
かは難しい問題であるが、
医学的な問題を医プロフェッションの判断に委ねることに異論は
なかった。医学的問題についての担当医の判断に、予後委員会、担当医以外の複数名の医師
又は倫理委員会(内の医師メンバー)が同意することが求められた。その上で、各裁判例が倫
理的問題を検討する決定プロセスを、どのように構成するかを本稿は確認した。
Eichner 事件判決は、予後委員会との対比において、裁判所に対する肯定的な見解を明示
した。生命維持処置の中止を考える際の「重要な考慮事項」には、「確認できる限りでの患
者の希望、存在する場合の宗教的な要素、家族の意見及び社会の関心」を含め、これらの検
討を裁判所に委ねた。Spring 事件判決も、裁判所の介入に積極的な立場であったが、裁判
所に訴えを提起する以前の当事者中心の決定プロセスを明らかにしなかった。
(2)
それら「重要な考慮事項」について、裁判所の介入に積極的ではなかった裁判例は、
どのように対処することを示したのか。まず、(予後委員会又は複数医師の利用を勧めるが)
倫理委員会の利用も勧めないという意味で、
完全に当事者中心の決定プロセスを考えた裁判
例を整理する404。
Colyer 事件判決は、当該事実関係に牽引されるように、後見人の任命手続は裁判所の監
404
当然ではあるが、倫理委員会の存在を全く考えない裁判例でも、当事者中心の決定プロ
セスを示すものはあるだろう。本稿は、それらの裁判例の検討まではできなかった。
177
督にあり、その手続には訴訟上の後見人が関与することから、任命手続を通して重要な考慮
事項を後見人に任せよう、任せるに足る後見人を選任しようとする。
JFK 病院事件判決は、後見人の任命は不要であり、近しい家族(配偶者、成人した子又は
親)が患者の処置拒否権を代行すれば足りるとする。それは、患者が LW を作成していたと
いう前提条件に基づくものであり、その LW を証拠にして代行判断時に重要な考慮事項を
含むべきとする。
Conroy 事件(最高裁)判決は、患者が病院ではなく、ナーシング・ホームにいることを念
頭に置き、後見人又は利害当事者(家族、担当医、ホームなど)とオンブズマンが、重要な考
慮事項を検討することで、患者の保護の強化を図る。
Farrell, Peter, Jobes 事件判決は、それぞれの当該事実関係に牽引されるように、在宅患
者の明示の意思表示、
オンブズマンと近しい家族又は決定者に指名された友人による代行決
定、近しい家族又は友人の代行決定が、重要な考慮事項の検討を含むべきとする。
DeGrella 事件判決は、当該事実関係に牽引されるように(患者の事前の意思表示があると
いう限定条件の下)、後見人又は近親者、担当医及び予後委員会の合意で足りるとする。た
だし、その合意については文書で記録することを求める。
これらの裁判例は共通して、事件の事実関係を追認するような決定プロセスを示す。そう
して導かれた決定プロセスには、Jobes 事件判決を除く裁判例405は、本人の意思表示が不明
な場合における当事者の代行決定の濫用を防ぐために、何らかの公的な介入(後見制度又は
オンブズマン)を求める。
(3) 次に、当事者中心の決定プロセスに、倫理委員会の利用を勧める裁判例を整理する。
Barry 事件判決は、当該事実関係に牽引されるように、家族と 3 名の医師の合意(場合に
よっては聖職者も加わる)で基本的に足りるとする。
助言委員会(=倫理委員会)の利用を補足
的に促す。
L.H.R.事件判決は、結論の射程を当該事実関係の条件に限定した上で、両親の私的な決
定に委ねられる問題であるとし、その前提として医師(担当医 1 名と利害関係のない医師 2
名)の予後に関する診断を必要とする。倫理委員会に相談する必要はないが、当事者が希望
する場合には相談しても良いと考える。
Torres 事件判決(法廷意見)は、当該事実関係に牽引されるように、担当医と家族の合意、
倫理委員会の承認があれば足りるとする。ただし、3/4 名から成る同意意見は、裁判所の承
認を必要とすると考えた。
Lawrance 事件判決については、ヘルスケア同意法の存在が大きいと思われる。同法に基
づき、医療者や(第一順位者の)後見人又は(第二順位者の)家族が決定すれば良いが、彼らに
患者の明示の意思表示も公的な介入も求めない Jobes 事件判決と、それ以外の裁判例と
を分けるものを探せば、患者 Nancy Ellen Jobes は 31 歳と若いことに思い当たる。高齢で
なければ、家族の代行決定に濫用の危険性はないと考えることが、患者の明示の意思表示が
ない場合にも公的な介入を要しない理由であろうか。
405
178
課されるセーフガードとして、倫理委員会や倫理的ガイドラインを認める。
L.W.事件判決は、当該事実関係に牽引されるように、患者の後見人による代行決定のた
めには、担当医と医師 2 名の診断を要する。後見人が考慮すべき要素は、医学的見解の他
に、倫理委員会の意見や配偶者、近親者又は友人などの意見を含むと考えた。
これらの裁判例は、
「重要な考慮事項」については、家族や近親者などの患者の周囲の者
及び医療者という当事者の合意に、基本的に委ねて良いと考える。ここで、近親者には公的
な資格(後見人)が求められていない場合が多いことに気づく406。後見人が当時者として挙が
る場合にも、絶対に必要な要件として強制されていない。唯一 L.W.事件判決は、後見人が
代行決定することを第一に想定するが、これは、本件の患者に近親者も友人もおらず、後見
人が事件発生前から存在するという前提条件があるためであろう。倫理委員会が「重要な考
慮事項」についての私的な当事者中心の(公的制度の介入を要求しない)決定プロセスに関与
することを、裁判所が考えることには大きな意義がある。その意義(とそのための利用形態)
については、L.W.事件判決とそれ以外の裁判例が大きく二分する。
(4) 本稿の【第一のポイント】に適合する倫理委員会の意義は、まず L.W.事件判決以外の
裁判例が示した。それを広く裁判例から改めて拾い上げる。
Q 判決によれば、決定に対する責任を共有又は分配すること、家族や医師の良くない動
機を排除すること、様々な考えや知識を取り入れることである。
Barry 事件判決によれば、家族及び医師を助けることである。
Torres 事件判決(法廷意見)によれば、医師、家族及び後見人にガイダンスを与えることで
ある。
Farrell 事件判決の O‟Hern 裁判官によれば、訴訟上の後見人が裁判所に対して生命維持
処置の中止に代わる処置(つまり、安易な生命短縮の防止)の提案を促すことである。
Jobes 事件判決の Pollock 裁判官によれば、医師、家族、病院及び他の医療施設(ナーシン
グ・ホームなど)の助けになることである。
Lawrance 事件判決によれば、医療者や家族の決定の濫用を制約するセーフガードになる
ことである。
Fiori 事件判決(法廷意見)によれば、代行判断を行う近親者の適性や動機の問題に取り組
むことである。
このように並べると、Q 判決からの理論的な発展は殆ど見られない。これらの裁判例が
示した倫理委員会の意義を集約すると、それは、家族や医療者による当事者中心の決定プロ
セスに、倫理委員会がプロセスの一員として関与し、当事者による決定の検討を含めた助言
活動(家族や医療者の決定の濫用の防止を含む)を通じて、決定に対する責任を共有すること
である407。当事者が決定プロセスの中心であり、倫理委員会は、あくまで決定プロセスに
406
唄の提案した「ナマ家族=親権者とか後見人とか特別の法的地位や法的機能とは無関係
の(それを考慮しない)家族」に該当しよう。唄・前掲注 377・383 頁。
407 Q 判決が述べた分散される責任とは、法的な責任であるのか、倫理的な責任に留まるの
179
関与する一員あるいは当事者を補助する役割に留まる。換言すれば、当事者は決定に伴う責
任を、倫理委員会に委ねることはできない。これが、対当事者との関係における倫理委員会
の意義である。
(5) 他方、本稿は、倫理委員会の意義と利用形態に関する独自の見解を示した L.W.事件判
...................
決を強調したい。すなわち、L.W.事件判決は、倫理委員会の見解を考慮したか否かは、後
...............................
見人が誠実に患者の最善の利益を考えたか否かを判断する 1 つの基準になることを示した。
「誠実性(good faith)」という概念は、その適用分野や射程については明らかではないが408、
ある行為者の行為態様を法的に評価するための法概念であろう。Spring 事件判決において、
注意義務の基準として「相当な注意(due care)」という概念が、誠実性に並置されていたこ
とからも409、その推測は大きく外れてはいないだろう。
「誠実性」は、その他の裁判例にも
度々登場し、
その(誠実性の要件を満たすための)内容について言及もされた(以下の傍点強調
は筆者による)。
「後見人、同意する家族構成員、医師、病院又は病院管理者が民事及び刑事責任を免責さ
...
れるためには誠実に行動するしかない(JFK 病院事件判決 926 頁)」。「医プロフェッション
...
の場合には、一般的に認められている医療慣行に従って行動する義務は、誠実性の義務の一
要素である(Farrell 事件判決 416 頁の注 9)」。
「我々は家族の状況についての医プロフェッ
ションの評価が誤りであると分かる珍しいことがあることを認識する。そのような場合、医
...
プロフェッションがこの点について誠実な判断をしたならば、何ら民事又は刑事責任を問わ
れることはないだろう(Jobes 事件判決 447 頁)」。
「当裁判所がここで打ち立てたガイドライ
...
ンに誠実に従う限りは、
医療処置を拒否する代行決定の実行に関わる何人も刑事又は民事の
...
責任を負わない(Jobes 事件判決 448-449 頁)」
。
「医師及び他の医療職員は誠実に行動し且つ
承認された医学的基準から逸脱しない倫理的、道徳的及び法的義務を負う(Jobes 事件判決
449 頁)」。
L.W.事件判決は、これらの裁判例以上に、誠実性の要件を満たすための具体的な内容に
言及する。考慮すべき諸要素として医学的事項を並べることは、Fiori 事件判決尐数意見と
同様であるが、さらに倫理委員会の見解を考慮要素として加える。これにより(上記(4)で確
認したように)、Q 判決他の裁判例が示した倫理委員会の意義と、誠実性という法概念を当
事者中心の決定プロセスにおいて機能させる上での要件とが、一層明確になる。そして、裁
判所が認める倫理委員会の利用法として、次に検討する裁判所との関係において、倫理委員
か、あるいは(例えば精神的な安心感のために)事実上共有される責任にすぎないのかは明ら
かではない。
倫理委員会が自らの助言により法的責任(不法行為責任)を負わされることは現実的には
尐ないが、理論的には責任を否認することは難しいとの指摘もある。Merritt, supra note
198.
408 統一商事法典(Uniform Commercial Code)では、§1-209(19)に「当該行為又は取引にお
ける事実において正直であること(honesty)」とある。
409 Spring 事件判決においては、
「誠実性や相当な注意が疑わしい場合には、後の訴訟にお
いて司法の審査を受ける」という記述があった。
180
会の意義を限定的に評価する立場からも410、L.W.事件判決を評価する。
4.
【第二のポイント】について
(1)
まず、倫理委員会と裁判所の実務的な長所と短所について、本稿では立入って検討し
ないことを断わっておく。
本稿で扱った裁判例にも、
当事者にとって裁判所は負担になることを述べる意見があった
(Q 判決、Colyer 事件判決、L.W.事件判決、DeGrella 事件判決)。反対に、そのような難点
は実際にないことを述べる意見もあった(Torres 事件判決、Fiori 事件判決尐数意見)。また、
様々な実態に関する問題(医学的専門性411、費用412、適宜性413、プライバシーの保持414)か
ら、裁判所と倫理委員会を比較して評価する研究がある。
そのような論点及び研究の重要性を認識するが、本稿にはそれに取り組む能力はない。そ
のような論点は、
実際の倫理委員会が相当程度に活動した上で論じることに意味があると考
えるが、本邦は未だそのような活動状況にない。また、宣言的判決の制度がない本邦にとっ
ては、裁判所との実務上の差異を検討することには意味を見出せない。
そして、
【第二のポイント】の本質的な問題とは、臨床の倫理的問題を扱う裁判所が担う
法的な意義を、倫理委員会が代替できるか否か、倫理委員会が当事者に対する法的な免責を
裁判所と同様に担えるか否かを、裁判所がどのように考えているか、である。そのために、
以下の検討では、倫理委員会=予後委員会と考える裁判例を対象から除く。なぜならば、裁
判所の意義を予後委員会との比較で論じることは、
倫理委員会と裁判所を対比させる論点を
S 判決は、
「そのような団体〔=倫理委員会〕の調査事項に関する検討や助言は、担当医
及びその他の医療専門職の証言と同様に、このような難しい問題に直面する検認裁判官には
大きな助けとなる」と述べ、Spring 事件判決は「権限を持ったコンサルタントの同意は、
誠実性や善き医療慣行の問題において説得的ではある」と述べていた。倫理委員会に対して
否定的立場であった両判決も、L.W.事件判決の提案する倫理委員会の利用法を(明示しない
が)、想定していたのではないか。
411 裁判所については、Bernald Lo et al., Family Decisionmaking on Trial: Who Decides
for Incompetent Patients?, 322 N. ENGL J MED. 1229 (1990). E. Donald Elliott, Toward
Incentive-Based Procedure: Three Approaches for Regulating Scientific Evidence, 69
B.U.L.REV. 495 (1989). 倫理委員会については、Judith Wilson Ross, Commentary: Why
Clinical Ethics Consultants Might Not Want to Be Educators, 2 CAMBRIDGE Q.
HEALTHCARE ETHICS 445 (1993).
412 裁判所については、Thomas L. Hafemeister & Donna M. Robinson, The Views of the
Judiciary Regarding Life-Sustaining Medical Treatment Decisions, 18 LAW & PSYCHOL.
REV. 202 n43 (1994). Elizabeth S. Scott, Sterilization of Mentally Retarded Persons:
Reproductive Rights and Family Privacy, 1986(5) DUKE L.J. 855-856 (1986).
413 裁判所については、Hafemeister & Robinson,id. at 209. 倫理委員会については、John
La Puma et al., Community Hospital Ethics Consultation: Evaluation and Comparison
with a University Hospital Service, 92 AM. J. MED. 348 (1992).
414 裁判所については、Hafemeister & Robinson, id. at 203-204. 倫理委員会については、
JohnC. Fletcher & Diane E. Hoffmann, Ethics Committees: Time to Experiment with
Standards, 120 ANNALS INTERNAL MED. 336 (1994).
410
181
逸脱する恐れがあるからである。
(2)
倫理委員会について肯定的な裁判例のうち、当事者のために裁判所の介入を全く必要
ないと考えるのは、
Q 判決(第 2 節の 1(6)参照)、
Fiori 事件判決法廷意見(第 4 節の 6(2)参照)415、
Torres 事件判決法廷意見(第 3 節の 6(2)参照)である416。これらの裁判例は、当事者のため
の法的免責は裁判所の関与なく得られると考えるが、倫理委員会を直接的な免責機関として
考えるわけではないことは既述の通りである(第 2 節の 3(2)参照)。
その他の Barry 事件判決(第 3 節の 4(4)参照)、L.H.R.事件判決(第 3 節の 5(3)参照)、L.W.
事件判決(第 4 節の 4(2)参照)は、裁判所の介入が必要な場合を挙げる。これらの裁判例は、
倫理委員会と裁判所の棲分けを考える。それに従えば、家族及び医療者の間に対立がある場
合には、裁判所の管轄になる。法的免責については、当事者間の対立がある場合には、裁判
所の判断が必要になるが、それ以外の場合には、当事者間と倫理委員会が努めて解決できる
問題である(本節の 3(4)参照)。
(3) それに対して、S 判決、Spring 事件判決、Torres 事件判決補足意見、Conroy 事件上
位裁判所大法官部判決及び Fiori 事件判決尐数意見は、倫理委員会の利用について否定的で
あり、尚且つ裁判所が必要とされる理由と裁判所の法的な意義を示した。
これら 5 つの裁判例のうち、Conroy 事件上位裁判所大法官部判決以外は、裁判所が介入
すべき場合分けを提示しないので、患者の生命維持処置に関する希望が不明なケースでは、
必ず裁判所に処置中止の判断を求めるべきと考えるように読める。だが、それは、これらの
裁判例の本意だろうか。それは、あまりに非現実的であり、それほど裁判所は良く言えば積
極的、悪く言えば傲慢であろうか。
この疑問を解き、(2)に挙げた倫理委員会に肯定的な裁判例と整合性を取るためには、
Spring 事件判決の次の文言に注目すべきであろう。すなわち「裁判所に正しく法的問題(処
置を差し控えて良いか否か)が提示された場合には、裁判所がその問題を決定しなくてはな
らないし、私的な人間やグループに委ねてはならない」のである。
本稿は、本人の希望が明らかでない患者の生命維持処置中止の決定の問題を、倫理的問題
の最たるものとして扱ってきたが、この問題は当然に法的問題でもある。しかし、1 つの問
題をめぐって、それが倫理的問題か法的問題かを判断をしなくてはならない場面(=当事者
の法的責任が問われる場面)はあり、その線引きのための基準を設けることは非常に難しい。
問題の性質が医学的問題か倫理的問題かという峻別と並んで、別の難しい問題である。
裁判所の介入が必要な場合を当事者に対立がある場合と考えた、Barry 事件判決以下の 3
つの裁判例(上記(2)参照)は、その線引きのための基準を提示したと評価できる。問題の性質
が法的問題であれば、法的機関ではない倫理委員会が最終的な決定の責任を担い、当事者の
Q 判決が「医プロフェッションの管轄領域に対する謂れのない侵害」を理由にし、Fiori
事件判決法廷意見は「家族に対する本質的且つ伝統的な尊重を損う」ことを理由にした、対
比は興味深い。
416 Torres 事件に関しては、結論と脚注 4 及び 3/4 名の補足意見の複雑な関係から、裁判所
の介入を不要と考えていたと評価できるかが難しいことは、既述の通りである。
415
182
法的免責を承認することを、裁判所は認めることができない。当事者中心の決定プロセスに
倫理委員会を関与させ、
その限りで裁判所への訴えを強制しないという倫理委員会に肯定的
な裁判例は、その決定プロセスが扱う問題を、法的に争いがない問題すなわち倫理的問題で
あると認識するのではないか。しかし、その問題が当事者の対立という形で法的問題として
顕在化すれば、裁判所としては看過できないのではないか。そのことと Spring 事件判決の
上記の文言は同旨であろうし、倫理委員会に対して否定的であった Spring 事件判決以外の
5 つの裁判例も、そのことを前提にして裁判所の介入を要求するのではないか。すなわち、
Q 判決と S 判決の対立として始まった倫理委員会と裁判所の関係をめぐる諸議論は、倫理
的問題は当事者中心の決定プロセスと倫理委員会の関与に委ねて良いが417、問題が法的問
題と化し、当事者の権利行使として裁判所に持ち込まれた場合には、裁判所による法的な評
価は避けられないという至極妥当な棲分けのルールを、
それぞれが一面的に論じてきたに過
ぎないのではないか。
5.裁判例から倫理委員会が学ぶこと
(1) 最後に【3 つのポイント】を集約し、裁判例が考える倫理委員会のあり方を検討する。
臨床の医療者の期待に反することにはなるかもしれないが、
倫理委員会を臨床現場に近く、
当事者に対する直接的な免責機関として期待することは難しそうである。
決定プロセスは当
事者中心であるべきで、倫理委員会はその決定プロセスを充実させることで、当事者の事後
的な免責に寄与する存在と考えるべきであろう。誠実性の要件を満たす 1 つの要素として
倫理委員会の見解を考慮することは、裁判所が倫理委員会を活用する具体的な形かもしれな
い。全体を通じて見れば、裁判所が倫理委員会に委ねる機能は、臨床で生命維持処置の中止
に伴う法的責任を恐れる医療者にとっては、物足りなく感じるかもしれない。
(2)
しかし、他方では、大統領委員会が示した基本的なモデルがありながら、裁判所が予
後委員会を倫理委員会と混同することが、珍しくないことも事実である。このことは、裁判
所による倫理委員会の位置付けを、端的に表しているのではないか。すなわち、裁判所は、
倫理委員会を正確に把握できていない場合があり、
したがって法的な意義を明確に与えるこ
とができない。
この状況から、倫理委員会が自らの意義を高めるために取るべき方向性は、どのようなも
のだろうか。それについても、裁判例の示唆から学ぶことができよう。本節の 4(3)に挙げ
た裁判例が考える裁判所の法的な意義は、そのカウンターパートとして、倫理委員会を想定
する。すなわち、裁判所が倫理委員会には欠けると考える要点であろう。その点に関する各
裁判例の表現を、再掲して確認する(傍点は筆者による)。
..................
「生と死の問題は、
私心なく情熱的な調査と決定のプロセスを必要とし…それこそが政府
の司法部が創設される理想を形成する(S 判決)」
。
................
「
〔裁判所のために必要な訴訟上の後見人は、
〕時間の許す限り徹底的な調査を行い、対象
417
本章・第 2 節の 4(5)に紹介した Buchanan の考えに近い。
183
..........
者の生命を延長する処置を行うためのあらゆる合理的な議論を裁判官に提示する(S 判決)」
。
.......
......
「本領域における決定のトレンドを、公的に監督する必要がある。…医師は裁判所が持つ
...........
ような公的な受容と責任を持たない。時に応じて、裁判所の介入は、本領域の決定のインテ
グリティと妥当性に有用である(Conroy 事件上位裁判所大法官部判決)」。
「州は州民のパレンス・パトリエとして、州民の生命が危険に陥っている時は、侵害的な
......
招かれざる参加者として退けられてはならない。まさしくそのような場面で、裁判所は(州
............................
政府の延長として)知恵の貯蔵庫であり、熟考を助言してきた。・・・そのような洞察力は…『生
と死』の場面への不当な介入として退けられるべきでない(Fiori 事件判決尐数意見)」
。
「人間の生命と尊厳を大切にする社会を象徴する有益な特徴…を達成するために、裁判所
が生対死のような配慮を要する問題の紛争解決のための資源として関与することが賢明と
...................................
考える。・・・個人の自律に基礎付けられるコモン・ロー上の処置の拒否権は、形式性を欠く
..................
第三者によって行使されるとは考えない。第三者の選択権を行使する後見人の権能は、被後
見人の憲法上の権利ではなく、州の権限から生まれる。後見人は、州のパレンス・パトリエ
権能を託される者である(Fiori 事件判決尐数意見)」
。
(3)
傍点で強調した部分は、生と死の問題についての決定に資する目的のために、裁判所
が備えるべき要素である。これらの要素を束ねて裁判所に向けられる指導原理は、デュー・
プロセス・オブ・ローである418。デュー・プロセスは419、合衆国憲法第 5 修正及び第 14 修
正によって保障される、公正な手続を要求する権利である。両条項は、人から法の適正な過
程によらずに、生命、自由又は財産を奪う政府行為を禁止する。これには、処分権限を持つ
政府機関に正確な意思決定を促すことと、政府による不利益な措置を受ける者の尊厳を保持
することという、2 つの機能が期待される。影響を受ける者にもたらされる結果が、深刻で
あればあるほど、その者は生命、自由又は財産を奪われる前に、より厚く公正な手続を保障
されるべきと考える。手続的保障は、刑事事件において最大限に求められるが、民事事件に
おいても保障される。そのために民事事件の両当事者は、公平な裁判官による裁判を受ける
権利、予定される訴訟手続と裁判所の判決について公正な告知を受ける権利、証拠を提出し
証拠に異議を唱える機会を与えられる権利を有する。
本稿が扱った裁判例には、デュー・プロセスについて明示したものはなかったが、患者の
418
裁判所と倫理委員会を比較して、倫理委員会に不足する点を裁判所から学ぶアプローチ
は、Robin Fretwell Wilson にも見られる。Wilson の研究は、まず裁判所に比べて倫理委員
会が優れていると一般的に理解される点(医学的又は倫理的専門性、コスト、時宜性、秘密
の保持)を挙げて、その優务関係を否認する。さらに、客観性と委員会の決定に伴う誤りの
問題を取り上げ、患者らへの手続的保護の欠陥は、憲法上要請される公正と平等を保護でき
ないと問題視する。Wilson, supra note 204 at 384-395.
419 以下のデュー・プロセス・オブ・ローに関する記述は、リチャード・H・ファロン・Jr.(平
地秀哉他訳)『アメリカ憲法への招待』(三省堂、2010 年)97 頁、松井茂記『アメリカ憲法入
門(第 6 版)』(有斐閣、2008 年)276 頁、W・アラン・ウィルバー(内田一郎編訳)『アメリカ
合衆国の連邦最高裁判所とデュー・プロセス・オブ・ロー(Due Process of Law)の保障』(早
稲田大学比較法研究所、1987 年)1 頁を参照。
184
生命維持処置の中止の希望について、明白且つ確信を抱くに足る証拠の基準を要求すること
は、デュー・プロセスの観点から要求される。そのことは、生命維持処置の中止をめぐる諸
裁判例の中で、最も有名な Cruzan 事件合衆国最高裁判所判決420が明らかにする。
つまり、生命維持処置の中止の問題を、法的問題として裁判所が扱うことを考える裁判例
は、デュー・プロセスの観点からこの問題を規律する一方で、倫理委員会ではデュー・プロ
セスを当人の生命が剥奪の対象となる患者に保障することが期待できない、
と考えるのでは
ないか。
デュー・プロセス自体は、
基本的に政府機関に対して求められる法原則であるので、
各医療施設が設置する倫理委員会について、どの程度要求されるかは別途検討を要するが、
デュー・プロセスが前提にする手続的正義の観念を援用することは、倫理委員会にも求めら
れよう(その上で倫理委員会の内容について検討するためには、本節の 2(4)に挙げた、倫理
委員会の意義を正しく理解する裁判例の見解は参考になろう)。
420
Cruzan v. Director, Missouri Department of Health, 497 U.S. 261 (1990).
185
終章
おわりに―倫理委員会の指導原理
1.本稿の総括
(1)
序章は、本稿の問題関心の所在を明らかにした。医療現場では倫理的問題が繰り返し
発生し、その問題への対応を目指すガイドラインが、倫理委員会の利用を促す。ところが、
倫理委員会をめぐって或いはその周辺でも、倫理的問題が発生する。その状況は倫理委員会
が機能不全状態にあると指摘できるが、その機能不全の原因には、日本の倫理委員会システ
ムの最大の問題が存在する。すなわち、医学研究の倫理的観点からの審査を行う研究倫理審
査委員会と、臨床の倫理的問題への対応を行う病院内倫理委員会とを区別することなく、倫
理委員会という名称の卖一の組織に両方の機能を担わせてしまっている。
第 1 章は、序章で示した問題関心を掘り下げ、本稿の課題をより明確にすべく、病院内
倫理委員会を中心にした、本邦の倫理委員会の現状を理解することに努めた。アメリカで始
まった倫理委員会の経緯と本邦での端緒、倫理委員会に関する公的なルールの現状、先行研
究の整理により明らかになった本邦の病院内倫理委員会の全体像、筆者自身によるフィール
ド・ワーク研究が明らかにしたある倫理委員会の具体像は、病院内倫理委員会が臨床の問題
に実効的に対応できていないことを裏付けた。その要因として、本邦の医療現場、ガイドラ
イン又はこれまでの医事法学研究が、病院内倫理委員会について正面から取り組んでこなか
ったことを指摘した。病院内倫理委員会とはどのようなものか、拠って立つ基準又は指導原
理は何かについて明らかでないために、
頻発する問題とそれに対応できない病院内倫理委員
会の現状を放置し、下手をすれば、それらを問題のある状況として認識することすらなかっ
たのではないか。
このような問題に対して、2 つの大きな目的と課題を設定し、病院内倫理委員会の先進国
とも言えるアメリカ合衆国の制度や議論を対象にした研究を、第 2 章以下で行った。2 つの
目的と課題とは、倫理委員会に関する議論に資する材料を提供すること(より具体的には複
数の倫理委員会モデルを紹介し、その内容について検討すること)と、倫理委員会を規律す
るための法的指導原理を明らかにすることである。
(2) 第 2 章は、1983 年に発表された大統領委員会報告書「生命維持処置を受けない決定」
における倫理委員会に関する議論を紹介し、検討した。同報告書の内容を要約すれば、以下
のようになる。
自ら決定できない患者に対する生命維持処置を行わない決定において、最重視されるべき
は患者の利益である。処置に関する为たる代行決定者は、患者家族である。医療者は処置の
良き決定のための前提条件を整える義務があり、
良き決定に資する医プロフェッションの裁
量と責任を有する。つまり、決定のために必要な臨床の活動を充実させることで、患者の利
益の保護は達成できる。行政の過度の介入には反対し、裁判所に依拠する場合も考えられる
が、臨床現場での決定は尊重されるべきである。ただし、現状を無条件に尊重するのではな
186
く、決定手続の充実を促す。そこには、無能力患者の処置を決定する一連の過程を、適切な
手続に沿って実行することへの高い意識が窺われる。具体的には、その手続を施設内の明確
な指針により示す。
代行決定者と医療者が決定を行う過程又はそれら当事者の結論としての
決定自体を支援するために、施設内には倫理委員会のような機関を設ける。
同報告書は、作成した委員会自体の能力も併せて、その内容について一般的に高い評価を
受けた。本稿も、同報告書の倫理委員会をめぐる包括的で詳細な議論は、その後の議論やモ
デルの基礎として見るべき点が多いと高く評価した。とりわけ、倫理委員会の指導原理が、
患者の利益を保護するための手続的正義であることを示唆したことに、同報告書の最大の意
義があると考えた。
(3) 第 3 章は、大統領委員会報告書の影響を色濃く受けた、2 つの組織(小児科学会と保健
福祉省)による倫理委員会モデルを比較検討した。それらは、大統領委員会報告書が示した
基本的な議論を踏まえつつも、
障害新生児への生命維持処置をめぐる問題に対する両組織の
考え方を、それぞれモデルの細部に反映したものだった。
小児科学会は、障害児の処置に伴う倫理的に困難な決定が、当事者(最終的には医師)に迫
られることを問題状況として捉え、
倫理委員会は医師又は医療者を保護するための組織であ
ると理解した。それに対して、保健福祉省は、障害児の生命が差別的に侵害される可能性が
存在することを問題状況として捉え、倫理委員会は障害児の生命保護のための機関であると
考えた。
患者の利益を保護するための手続的正義を倫理委員会の指導原理とする立場からは、
保健
福祉省の考える倫理委員会モデルを評価した。ただし、第 3 章では全く扱わなかった点で
あるが、手続的正義又はデュー・プロセスには後述するような国家対私人の関係で捉える理
解もあり、
そのことを考えると保健福祉省モデルの位置付けも難しいものとなる可能性は断
わっておく。
(4) 第 4 章は、アメリカ合衆国の中で、唯一州法によって倫理委員会モデルを定めるメリ
ーランド州法 PCAC 法を紹介し、その内容を検討した。PCAC 法の実効力を評価するため
に行われた、3 州の倫理委員会の状況についての比較調査研究も踏まえた同法の評価は、以
下のようになった。
すなわち、倫理委員会を設置する医療施設の数を増やすことを中心に考えれば、PCAC
法について積極的に評価できる。しかし、その内容は、大統領委員会報告書の示した基本的
な考え方、倫理委員会が考慮すべき基本的論点を逸脱しており、PCAC を患者の利益を保
護するという観点から積極的に評価することはできない。PCAC 法を意義あるものにする
ためには、同法以下のレベルでの指針類が PCAC の内容を詳細に規定することか、各施設
が PCAC の充実に自発的に取り組むことを期待しなくてはならない。
さらには、筆者のみならず彼の国の論者も、PCAC を倫理委員会であるという前提で考
えていたが、
患者の利益を保護するための手続的正義を倫理委員会の指導原理と考えるなら
ば、第一義的には医療施設のための免責機関として存在し、第二義的に患者の処置に伴う倫
187
理的問題に直面する医療者、
最後に患者側の当事者という順序で寄与するかのような PCAC
を、倫理委員会と位置付けるべきでないとも考えられた。
(5) 第 5 章は、倫理委員会の意義をアメリカの医療界、法曹界及び法学界が検討する契機
になった Q 判決と、そのカウンターパートとして位置づけられてきた S 判決を皮切りに、
判決文中に倫理委員会が表れるアメリカの裁判例を対象にした。
裁判例を検討する要点とし
て、第一に当事者(患者ら及び医療者)中心の倫理的問題の決定プロセスの中での倫理委員会
の位置付け、第二に法的免責の問題を考えた際の裁判所と倫理委員会の関係、第三に裁判所
が考える倫理委員会モデルという【3 つのポイント】を設定した。
【第一のポイント】については、当事者中心の決定プロセスに倫理委員会の利用を勧める
裁判例から、次のことが言える。倫理委員会の意義とは、家族や医療者による当事者中心の
決定プロセスに、倫理委員会がプロセスの一員として関与し、当事者による決定の検討を中
心にした助言活動(家族や医療者の決定の濫用の防止を含む)を通じて、決定に対する責任を
共有することである。当事者が決定プロセスの中心であり、倫理委員会は、あくまで決定プ
ロセスに関与する一員あるいは当事者を補助する役割に留まる。換言すれば、当事者は決定
に伴う責任を、倫理委員会に委ねることはできない。また、倫理委員会の利用について肯定
的な裁判例の中でも、L.W.事件判決は、倫理委員会の見解を考慮したか否かは、後見人が
誠実に患者の最善の利益を考えたか否かを判断するための 1 つの基準になることを示した。
【第二のポイント】については、本稿が検討した裁判例は、倫理的問題についての最終的
な責任を負えるのは、
裁判所か倫理委員会かという点をめぐって対立をするように従来理解
されてきた。だが、それらを整理すれば、それらの裁判例及び倫理委員会と裁判所の関係を
めぐる諸議論は、
倫理的問題は当事者中心の決定プロセスと倫理委員会の関与に委ねて良い
が、問題が法的問題と化し、当事者の権利行使として裁判所に持ち込まれた場合には、裁判
所による法的な評価は避けられないという棲分けのルールを、それぞれが一面的に論じてき
たに過ぎないことが明らかになった。
また、その考察の過程において、Q 判決などの倫理委員会について肯定的な立場を取る
裁判例も、
当事者が倫理委員会の承認を得ることが直接的な法的免責につながると考えるの
ではなく、当事者が倫理委員会に助言を求め、議論をすることで法的免責のために決定を練
磨する手段として位置付けることが明らかになった。
【第三のポイント】については、尐なくない裁判例が倫理委員会=(医師のみで構成され
患者の予後を検討する)予後委員会と考えたことが、まず大きな発見であった。このミス・
リーディングの原因を推測すれば、倫理委員会の制度的普及が十分ではない一方で、予後委
員会又はそれに類似する複数の医師による予後確認のための制度が各事例に備わる事実に、
裁判例が牽引されてしまったのではないかと考える。他方で、倫理委員会の意義を正しく理
解する裁判例も見られ、それらの見解は、患者の利益を保護するための手続的正義を実現す
るための倫理委員会モデルを具体化するためには有用かもしれない。
そして、以上の【3 つのポイント】をまとめて、倫理委員会について考える裁判例からは、
188
倫理委員会が当事者中心の決定プロセスにおいて意義を増すこと、また裁判所との対比にお
いて意義を増すことを目指すならば、患者の利益を保護するための手続的正義を実現するこ
とが、倫理委員会の進むべき方向性であるという示唆を得られたと理解した。
(6) 第 1 章で設定した 2 つの大きな目的と課題のうち、倫理委員会に関する議論に資する
材料を提供すること(より具体的には複数の倫理委員会モデルを紹介し、その内容について
検討すること)については、ここで繰り返し整理する必要もないだろう。
だが、倫理委員会の法的指導原理として、患者の利益を保護するための手続的正義につい
て、以下で若干の検討をすることに伴って、本稿が考える倫理委員会モデルとして必要な要
素を示したい。
2.手続的正義について
(1)
本稿は、手続的正義について法哲学分野において蓄積される議論を整理する能力はな
く、
あくまで患者の利益を保護するための手続的正義という倫理委員会の指導原理について
考察するために、必要な範囲で法哲学の議論を借りるに留まる。その目的には、田中成明に
よる手続的正義と裁判機能に関する整理と説明が最も資する421。
(2)
実質的正義に関する具体的要求が対立する場合に、そのいずれが正しいかを要求の実
質的内容に即して決めることは難しい。その決定過程において競い合う各要求に、公正な手
続に則して公平な配慮を要請し、決定における恣意専断を排除することを核心とするのが、
手続的正義の観念である。
手続的正義の要請内容は、
①当事者の対等化と公正な機会の保障、
②第三者の中立性・公平性、③理由づけられた議論と決定という 3 側面に関する。
手続的正義は、
等しき事例の等しき取扱いを要請する形式的正義をその観念の中に含むが、
それに尽きるものではなく、上記 3 側面の①②の要請には、当事者の人格に対する尊敬と
関心に定位された一定の実質的正義の考慮が含まれる。
手続的正義において形式的正義を重
視する代表は、N.ルーマンの「手続による正統化」の観念であり、他方で実質的正義との
関連性を維持しようとする立場については、田中が「対話的合理性」の観念を用いて代表す
る422。
だが、対話的合理性の立場をとっても、手続的条件の充足と決定の内容的正当性の相互関
係は複雑で、一義的に定義することは難しい。そこで、田中は、J.ロールズの「純粋な手続
的正義423、完全な手続的正義、不完全な手続的正義424」という区分を、民事裁判及び現代
421
以下の理解は、田中成明「法哲学・法律学・法実務―法的議論と裁判の手続の理解をめ
ぐって」長尾龍一、田中成明編『現代法哲学 3 実定法の基礎理論』(東京大学出版会、1983
年)3 頁、同『現代法理論』(有斐閣、1984 年)165 頁及び 274 頁を参照。
422「対話的合理性」は「基本的な合意に依拠しつつ公正な手続に従った討議・対話などの
実践的議論を通じて理性的な合意を形成することを核心とする合理性基準の考え方のこと
である」
。田中・同上「法哲学・法律学・法実務」14 頁。詳細については、田中成明「法的
思考の合理性について(3)」法学教室 23 号(1982 年)6 頁。
423 賭博を例に挙げ、正しい結果についての独立の識別基準が存在しない代わりに、
「手続
が適切に遵守されているかぎり、その結果がどのようなものであれ、同様に正しいあるいは
189
型訴訟の多くが該当するいわゆるハード・ケース425に当てはめる。ハード・ケースにおけ
る手続的正義は、
「不完全な手続的正義」を基本としながらも、その枠内に補充的に「純粋
な手続的正義」の要素が入り込むことは避けがたい。
それだけに一層、ハード・ケースのような訴訟においては、卖に所定の手続を踏み、何ら
かの法的決定に至れば良いのではなく、決定過程への両当事者の为体的参加を促進し、対等
な法廷弁論活動を活性化させることによって、その決定が両当事者と裁判官との協同活動の
所産として形成されたものとして、
両当事者によって納得して受け容れられるように十全な
手続的配慮をすることが重要になる。
民事裁判における手続的正義の意義をこのように理解すれば、手続保障の機能や意義とし
て、
「真実発見機能」や「権利保護機能」という手段的機能よりも、手続保障を尽くすこと
自体によって、裁判が正統性を得ることができる「正統性確保機能」が重視される426。ま
た、「結果志向型」から「手続(過程)志向型」への移行が説かれ427、訴訟の手続的過程の展
開がそこから得られる判決とは別個独立に固有の内在的価値を持つことが承認されること
は、基本的に適切な方向にある。だが、当事者为義的手続保障が、法的基準の確定及び事実
認定について内容的な誤りを避け、
より納得のいく理由付けを伴う判決の追及を促進する最
適な方法であるという意味で、動態的・発展的に捉え直された真実発見・権利保護という目
的実現の手段という性格を持つことも否定しがたい。それゆえ、内容の問題を全面的に手続
の問題に転換するのは行き過ぎであり、
手続保障は判決の正統性の必要条件だが十分条件で
はない。手続保障による判決の正統性確保機能も、手続保障や弁論の活性化が内容的により
正しい判決の追及を促進する機能を抜きにして考えられるべきではない。
手続的正義と手続保障についてこのように理解すれば、
手続的正義や手続保障の内的構成
において、内容の問題を手続の問題に転換するのではなく、自律的な議論为体の相互作用的
活動による手続の問題と内容の問題との動態的統合を目指すことになる。
「対話的合理性」
の観念の立場に立てば、その動態的統合を訴訟において実現するために、裁判官に望まれる
基本的な役割は以下のものである。すなわち、両当事者の対等化を図り、公正な弁論の機会
を保障することにより、両当事者の相互作用的な自律的弁論の活性化を促すことを通じて、
正しい内容の判決が徐々に確定されていくための後見的配慮をすることである。
(3)
本稿は、以上の手続的正義と裁判機能についての考え方を、臨床の倫理的問題及び倫
理委員会に応用しうると考える。上記において、裁判所又は裁判官を倫理委員会に、訴訟当
公正であるとする、そのような正しいあるいは公正な手続が存在する」と考える。
424 刑事訴訟を例に挙げ、
「正しい結果に関する独立の識別基準は存在しているけれども、
確実にそこに導く実行可能な手続が存在しないこと」を特徴とする。
425 ハード・ケースについては、田中成明「ハード・ケースにおける裁判官の判断をめぐっ
て」司法研修所論集 110 号(2003 年)83 頁。
426 以上の諸機能については、谷口安平「手続保障の基礎理論のために」民事訴訟雑誌 27
号(1981 年)139 頁についての田中の理解に拠る。
427 この点については、井上正三「訴訟内における紛争当事者の役割分担」民事訴訟雑誌 27
号(1981 年)192 頁についての田中の理解に拠る。
190
事者を医療者及び患者側の両当事者に、
判決を倫理委員会での結論又は助言に置き換えて理
解することは可能ではないか。
すなわち、ハード・ケースに該当する臨床の倫理的問題の殆どは、実質的にどうすること
が正しいのかを決することができないという意味において、
実質的正義に依拠することには
限界があることから、倫理的問題の対応を手続的正義に委ねることには合理性がある。手続
的正義が要請する 3 つの側面を、臨床(の近く)で実現しうる場として、倫理委員会が適する
と考える。
もちろん、内容の問題を全面的に手続の問題に転換するのは行き過ぎであり、適正な手続
は、倫理委員会及びその結論又は助言の正統性の必要条件だが、十分条件ではない。倫理委
員会が正統性を確保することは、
適正な手続や当事者の議論の活性化が内容的により妥当な
決定の追及を促進することを抜きにして、考えられるべきではない。その意味で、倫理委員
会における手続的正義は、
「不完全な手続的正義」と「純粋な手続的正義」のバランスをと
るものでなくてはならない。
その鍵となるのは、倫理委員会における決定過程への両当事者の为体的参加、活性化され
た対等な弁論活動、自律的な議論为体の相互作用的活動である。しかし、医療者、患者及び
患者家族の間に意見の一致がない場面は、臨床の倫理的問題の最たる例であるが、それら決
定プロセスにおける当事者を訴訟の両当事者と同様の対抗関係に置いて理解することが適
切か、また、弱者たる患者に自律的な議論を期待することができるのかという問題がある。
そのような疑問に対しては、訴訟において両当事者と裁判官の間に、そのような理想的な関
係が本当に期待しうるのか、そのような理想を求める場としては、裁判所以外の場所、例え
ば倫理委員会のような場が望ましいのではないかと答えておく。
それだけに一層、訴訟における裁判官の立場に位置しうる倫理委員会には、正しい決定を
目指した後見的配慮を要し、
決定が両当事者と倫理委員会との協同活動の所産として形成さ
れたものとして、両当事者によって納得して受け容れられるように、十全な手続的配慮をす
ることが望まれると考える。こうした過程又は役割を果たすことによって、倫理委員会の存
在に正統性が付与されていくと考える。
それでは、
患者の利益を保護するための手続的正義を倫理委員会において実現するために
求められる具体的内容は何であろうか。その点について、最後に若干の提案をしたい。
3.倫理委員会における手続的正義
(1) 倫理委員会の活動形式や組織体を模索する議論は、アメリカでも時代を問わず(依然と
して)見られる。例えば、Cohen はケース・レヴューの形態について、委員全員で検討する
全体委員会方式、
委員のうち数名によるチーム方式又は相談者としての個人委員方式を挙げ
る428。ケースの個別性に応じて、諸形態を臨機応変に使い分けるべきとしながらも、何ら
Cynthia B. Cohen, Avoiding “Cloudcuckooland” in Ethics Committee Case Review:
Making Models to Issues and Concerns, 20(4) LAW MED HEALTH CARE 295 (1992).
428
191
かの構造的且つ方法論的な統一性が、ケース・レヴューの実践を制御すべきであり、それが
倫理委員会の説明責任を保証すると考える429。
Pope は、個々の倫理委員会の質が様々であること、過去 30 年において定義や定型を獲
得してこなかったこと、結果的に倫理委員会の決定が委員会の利益に誘導されたもの、偏見
に基づくもの、
手続を軽視する恣意的なもの及び不注意なものになっていることを指摘する
430。それらの欠点を克服するために、施設卖位の倫理委員会ではなく、多施設協働の倫理
委員会を設けること431を提案する432。
Cohen の議論は 20 年近く前のもの、Pope の議論は最近のものである。これは、倫理委
員会のあり方をめぐる議論にアメリカにおいても決着が見られないが、裏を返せば、個々の
倫理委員会の活動形態から倫理委員会システム全体に亘るまで、
倫理委員会とは可変性を有
する存在であることを示す。すなわち、倫理委員会の組織体や活動形式について設置者に委
ねて良い裁量の存在が示唆されるが、倫理委員会が基本的には設置や内容について医療者の
自为性に任せられるべきものであることからは当然であろう。それでも同時に、これらの論
者は、定義や定型、何らかの構造的且つ方法論的な統一性が倫理委員会には必要であると考
える。本稿が、倫理委員会の指導原理を患者の保護のための手続的正義であると考えること
は、そのような求めに応えることになろう。
(2)
ただ、倫理委員会がその活動の中でデュー・プロセス又は手続的正義を実現すること
を求める論者は複数いる。
その中で最も強力な論者は、第 4 章でも大きく紹介した Susan M. Wolf である。Wolf は
実態を見て、
「倫理委員会はデュー・プロセスの不毛の地である433」とまで言い、デュー・
プロセスの必要性を説く。
Wolf は、デュー・プロセスを法学の概念であることを認めながら434、倫理的問題にも親
429
Id. at 298.
Thaddeus Mason Pope, Multi-Institutional Healthcare Ethics Committee: The
Procedurally Fair Internal Dispute Resolution Mechanism, 31 CAMPBELL L. REV.
430
274-302(2009).
431 同様の提案は本邦でも見られ、日本医師会第Ⅷ次生命倫理懇談会が「倫理に関しても、
大病院や国立大学には倫理委員会(IRB:Institutional Review Board、HEC:Hospital
Ethics Committee)が存在するが、開業医などではこのような問題をどこに相談してよいか、
必ずしも示されていない。医師会として実情を把握し、今後果たすべき役割があれば、順次
対策を講じてゆく必要がある。さらにもし必要とあれば、都道府県医師会がそれぞれの地域
において中心的な役割を果たす倫理委員会を設立し、中小の医療機関、個人開業医などが悩
む倫理的な問題に立ち向かうなども 1 つの方策で、今後の検討に値するであろう」と述べ
る。日本医師会/第Ⅷ次生命倫理懇談会「
「医療の実践と生命倫理」についての報告」(2004
年)2 頁。
432 Pope, supra note 430 at 302-324.
433 Susan M. Wolf, Due Process in Ethics Committee Case Review, 4(2) H.E.C. FORUM
84 (1992).
434 Wolf は、デュー・プロセスに従うことは法的な義務であり、倫理委員会が、法的なデュ
ー・プロセスの義務に従う必要がない場合があることを認めても、倫理的なデュー・プロセ
192
和性が高い価値であると考える。その内容として、①自身の運命が問題になっている者に対
する尊重の必要性、②そのことから導かれる、その者の意見を聴取することを認める決定プ
ロセスを構築する義務、③そのことに内在する、その者が決定プロセスに参加する十分な機
会について告知せず、
機会を与えないままその運命を決することを権限保持者に許すことの
拙さ、を挙げる435。
また、Wolf は、裁判所はデュー・プロセスに従う義務を有するが、どのような手続が適
正かについて定理はないとする。しかし、上記の価値、より率直に表現すれば、
「患者又は
その代理人が、決定プロセスにおける不正確性を正し、不公正を非難し、誤りを明らかにす
ることに最も強い動機を持つ436」ことを生かす倫理委員会での手続として、本稿第 4 章・
第 2 節の 3(2)で挙げた手続を示す。すなわち、倫理委員会の存在、当該患者のケースにつ
いての審議の開始(ただし、この段階まではデュー・プロセスよりも秘密保持の原則が優先
する)、ケース・レヴューにおいて倫理委員会が従うルールと患者が利用できるツール及び
患者と異なる見解について、患者に教えるための手続と、患者が倫理委員会と対話し、委員
会の結論と理由付けを聞き、異論を述べる機会を持つための手続を設けることを求める。
同じく第 4 章の検討で大きく依拠した Diane E. Hoffmann らの分析によれば437、裁判所
は、倫理委員会が構成、経験、専門性及び手続の点で様々であるので、委員会の勧告に対す
る評価も様々になると考える。裁判所が、倫理委員会の勧告について検討する際には、裁判
所は、次の 3 点を考慮すべきである。①倫理委員会のメンバーが法又は生命倫理について
の専門的な訓練を受けているか、
②医療者とは異なる価値観を提供できるコミュニティの代
表又はその他の者、例えば患者又は患者の家族をメンバーに含むか、③委員会が最低限のデ
ュー・プロセスの要素に従うかである。そして、デュー・プロセスの要素として、(1)当該
患者に聴取について告知と機会の授与、(2)多様な委員会の討議のプロセスへの参加の証拠、
(3)関係する倫理的及び社会的規範に裏付けられた最終的な勧告の理論、の 3 点を挙げる。
Wolf と Hoffmann に共通する、手続的正義又はデュー・プロセスの視点は、医療者と患
者を相対する関係と捉え、
患者の利益を保護するための決定を医療者と患者らが協同して行
うことを確保することにある。医療者による非倫理的な決定は、患者の利益を害すると考え
るが、何が非倫理的あるかを実体的に定義することは難しく、又は、倫理的な決定を実行す
ることは難しいために、
手続的正義の考え方を用いて倫理的決定がなされることを担保しよ
うとする。そのために、医療者だけで倫理委員会が構成されることを禁じ、法学及び倫理学
ス、さらには医療界を変革するための(transformative)デュー・プロセスに従うことを倫理
委員会に求める。倫理的デュー・プロセスとは何かが明らかではないが、倫理委員会で(法
概念に留まらない)手続的正義を実現するという、本稿の为張と同旨であると理解する。た
だし、医療界を変革するためのデュー・プロセスとは倫理的デュー・プロセスとどのように
異なるのかが曖昧であるので(法学や倫理学の理論のレベルを超えた運動論的な意味かと推
測するが)、本稿では取り上げない。
435 Wolf, supra note 433 at 83.
436 Id. at 91.
437 Hoffmann & Tarzian, supra note 191 at 63.
193
的視点を提供できる専門家委員を含むことを求め、
患者側の意見が決定プロセスに正しく反
映されるよう求める。本稿が考える手続的正義の意義も、基本的にこのアプローチに従うも
のである。それに付加するならば、医療者が医学的裁量を十分に働かせて意見を表明するこ
とも、患者の保護には必要である。
(3) Wolf と Hoffmann とは異なる視点から、さらには本稿が考えてきた手続的正義の意義
とは異なる視点から、デュー・プロセスを倫理委員会に要請するのは、Gregory A. Jaffe で
ある。
Jaffe は、裁判所が倫理委員会の勧告をどのように扱うべきかという(本稿の第 5 章に通じ
る)視点から、
「倫理委員会が一定の『デュー・プロセス』型の手続に従って、より標準化し
た形式で機能できるならば、裁判所は委員会の科学的及び倫理的専門性に任せ、委員会の勧
告を重視して扱うであろう438」と考える。個々のケースの相談活動についても、
「倫理委員
会が、一定の手続的『デュー・プロセス』のセーフガードと個々の決定が依拠する一連の実
体的原則とを有するならば、この種の医事紛争処理機関として活動できるであろう439」と
考える。
Jaffe がデュー・プロセスを求める視点は、「施設内倫理委員会の最大の目的は、医療施
設内で、インフォームドな倫理的決定を促すことである。こうすることで、行政部又は司法
部による政府の介入を回避できる440」ことにある。すなわち、医療に関する倫理的決定を
極めてプライベートな事項に関する決定と見なし、
その決定の場に公権力が介入することを
良しとしない、憲法に規定されるデュー・プロセス本来の意味を重視する。そのために Jaffe
は、政府機関を満足させるためにも、一定のカテゴリのケース441については、倫理委員会
の審議を受けることと委員会の勧告に従うことをともに任意とするのではなく、
審議を受け
ることを強制すべきであると考える。同時に、「倫理委員会は、医師及び患者から好意的に
見られなくてはならない。コモン・ローは、患者の自律を、やむにやまれない州の利益が関
係しない状態で、処置について決定することと考えている。医師及び患者が、倫理委員会を
公正、偏見のない且つ利用しやすいものとして受け入れなくてはならない442」として、①
両当事者が倫理委員会による相談を利用できること、②多様な構成員を有すること443、③
Gregory A. Jaffe, Institutional Ethics Committee: Legitimate and Impartial Review
of Ethical Health Care Decisions, 10(3) J LEG MED 395 (1989).
439 Id. at 406.
440 Id. at 428.
438
441
一定のカテゴリの例として、大統領委員会が挙げる、重症障害新生児に関するケース及
び適切な代理人(natural surrogate)がいないケースを想定する。Id. at 408.
442 Id. at 428.
443 Jaffe は、弁護士委員の意義として、委員会が現行法について理解することを助け、倫
理的決定が認められる法的基準に対処できることと並んで、患者の権利に関連してデュー・
プロセスに配慮することができると考える。樋口・前掲注 203・50 頁は、倫理委員会にお
ける法律家の役割を、①患者や被験者の代理人、②医師と同様に倫理的問題に習熟し配慮す
る専門家、③形式的ではない指針の解釈に基づく指針遵守の監督者に見出す。Jaffe の見解
は、樋口の見解に、④倫理委員会に求められるデュー・プロセスの実行者又は監督者という
194
両当事者が決定プロセスと結論を理解できるような手続を要求する。
(4) Wolf、Hoffmann と Jaffe の間には444、デュー・プロセスの理解について上述したよ
うな差異が見られる。倫理委員会のデュー・プロセスについては、Wolf らのように、患者
対医療者という関係の中で考える視点と、Jaffe のように、医療者と患者らの当事者対国家
という関係の中で考える視点とがある。
臨床の倫理的問題への対応という問題関心から始め、
Wolf らと共有する視点で検討してきた本稿は、そのことを指摘するに留まるが、保健福祉
省ガイドライン又は PCAC 法のような行政規則又は制定法が、倫理委員会モデルを定める
ことの是非と意味を考えるためには、Jaffe が提起する視点からの検討が別途必要であるこ
とは論を俟たない。
それでも、両者の倫理委員会の意義を委員会の内容に反映する場合には、両立する部分が
あると考えられる(実際に両者の提案には、重複する内容が見られる)。事前審議を行うに際
して、
倫理委員会が患者の利益を保護するための手続的正義を実現するために求められる要
件としては、次の 3 点が考えられる。
第一に、学際的な専門家から委員会が構成されるべきである。医師、看護師等の医療者の
立場を尊重しつつ、倫理委員会が医療者や医療施設を保護するためではなく、患者の利益を
保護するための機関である、と一般に理解されることが重要である。倫理委員会が偏った考
え方をする、と一般に理解(誤解)されることがあってはならない。非医療者の委員の代表と
しては、法律家及び倫理学者を挙げるが、患者の利益を保護するために、それぞれの専門的
知見を生かすことと、
委員会の決定プロセスにおいて手続的正義を为導的に実践することが、
倫理委員会の中では求められる。結果的に、第 4 章の PCAC 及び第 5 章の裁判例の多くが
想定した予後委員会は、やはり倫理委員会とは認められないことになろう。
第二に、患者の意見や希望を、倫理委員会の事前審議の議論に反映できる手続が必要であ
る。倫理委員会で検討される問題は、患者の生命、身体に重大な影響を及ぼす。最大の利害
関係人の見解を委員会の議論に持ち込むことは、望ましくは直接的に、尐なくともそれを職
務とする委員によって間接的に、達成されなくてはならない。間接的に達成するためには、
第 3 章の保健福祉省による終局規則及びガイドラインが設けた、小児のための特別擁護者
を置く制度が参考になろう。
患者らが意見表明することの前提として、当然であるが患者が(患者が無能力状態である
場合には、患者家族が)、倫理委員会で自身(又は患者)の問題について審議されることを知ら
されなくてはならない。委員会での審議を希望する申立権は、医療者に限らず患者らにも認
められ、その前提として患者一般に対して倫理委員会の存在を周知させることは、倫理委員
役割を加えることになろうか。
444 この 3 者以外にも、Sheila AM McLean は、英国の臨床倫理委員会を対象にデュー・プ
ロセスの問題を考える。1998 年人権法 6 条の下に認められる公正な聴聞の権利に言及し、
倫理委員会においてデュー・プロセスの要件を満たすことを検討するが、その視点は Wolf
と Hoffmann に近い。Sheila AM McLean, Clinical Ethics Committees, due process and
the right to a fair hearing, 15 JLM 520 (2008).
195
会に求められるだろう。一般的な周知を容易にするためにも、また手続的保障を確かなもの
にするためにも、一連の手続について文書によるルール化を図るべきである。また、以上の
論理的帰結として、
委員会の審議の結論を正確に患者らが聞く機会が保障されなくてはなら
ない。医療者が、審議の結論を排他的に利用すべきでない。
第三に、手続的正義の中の形式的正義の側面を強く出し、等しき事例の等しき取扱いを要
請する結果、倫理委員会の(特に事前審議に関する)活動記録を残すことが求められる。記録
を残すことで、社会一般に対する説明責任を果たし、透明性を確保することになる。また、
その記録をもとに、委員会は自己教育の意味も含めて、事前審議のケースを定期的に検討す
べきであろう。
(5)
また、これまで利益を保護される「患者」については何ら定義をしないまま手続的正
義を考えてきたが、倫理委員会が事前審議すべきケースの患者についても若干考察したい。
第 2 章、第 3 章及び第 5 章において、倫理委員会について考えてきた大統領委員会、小
児科学会、保健福祉省及び裁判例は、無能力状態にある患者を想定した。本稿が肯定的な評
価をしなかった PCAC 法は、無能力状態の患者に限定せずに、倫理委員会(PCAC)が助言活
動を行うことを考えていた。
本稿の結論としては、無能力状態の患者の処置について検討する場合には、倫理委員会の
利用を強く勧め、それ以外の患者については、倫理委員会を利用するか否かについて当事者
中心の決定プロセスに委ねて良いと考える。それは、患者の利益の保護は、倫理委員会に限
らず決定プロセス全体に求められること、上記の手続の遵守は倫理委員会にとって容易では
ない要件であり、それだけ厳しい手続的要件を課すケースは、実質的正義の問題が難しい(本
人の希望が明らかではない無能力状態の患者の)ケースに限定しても良いと考えることを理
由とする。
(6)
以上が、本稿の議論の全てである。本邦の倫理委員会が機能していないことに問題関
心を有し、アメリカの諸議論にその範を求めた結果、倫理委員会の指導原理は、患者の利益
を保護するための手続的正義であることを明らかにした。
倫理委員会において手続的正義を実現することは、医事(刑)法学者の甲斐克則が数年来提
唱するメディカル・デュープロセスの法理に通じるだろう。甲斐は、同法理を「医療、とり
わけ人体実験・臨床試験・治療的実験のようなものについては、社会的観点も加味して、適
正手続による保障がなければ、当該医療行為ないし医学研究は違法である、とする法理445」
と定義する。具体的なチェック項目として、被験者・患者の IC、彼らの IC のための熟慮
期間(カウンセリングも含む)、人権への配慮や安全性についての倫理委員会の適正な審査、
人類への影響を思慮した情報公開と社会的承認を挙げる。甲斐は、同法理について研究の場
面を中心に展開するが446、同法理は(甲斐自身も認めるように)、日常的な医療現場にも適用
445
甲斐克則「
「人間の尊厳」と生命倫理・医事法―具現化の試み―」『被験者保護と刑法』
(成文堂、2005 年)30 頁。
446 甲斐克則「先端医療技術の研究開発と適正ルールの確立―医事法・生命倫理の観点から」
196
されうる。本稿が倫理委員会の指導原理を明らかにしたこと、それに基づいて倫理委員会の
活動を規律し充実させることは、同法理の充実又は精緻化に寄与しうると考える。
また、成育医療委託研究「重症障害新生児医療のガイドライン及びハイリスク新生児の診
断システムに関する総合的研究」班による「重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフ
の話し合いのガイドライン447」は、新生児医療現場での当事者の話合い又は治療方針の決
定に至るまでのプロセスを重視する。同ガイドラインの 9(1)は、
「生命維持治療の差し控え
や中止を検討する際は、
こどもの治療に関わるできる限り多くの医療スタッフが意見を亣換
するべきである」と述べ、
「限られた医療スタッフによる独断を回避し、決定プロセスを透
明化するため、治療の差し控えや中止を検討する際は、当該施設の倫理委員会等にも諮るこ
とが望ましい」と注釈を付す。同ガイドラインは、当事者の話合いのプロセスを「関係当事
者が冷静に十分に納得のいく検討を行い、その答えを見つけようと取り組む手法448」と位
置付け、同ガイドラインが「関係当事者相互が持つ専門性を維持しながら、同時に相互の信
頼関係を育む環境整備として449」機能することを期待し、当事者で話し合うことの意味を
真摯に考える。同ガイドラインが倫理委員会に期待をするのは、ガイドライン作成者が実際
に機能する倫理委員会の活動を把握することによると推測される450。
倫理委員会において手続的正義の実現を求める本稿は、こうした医事法学及び臨床での手
続的正義を重視する流れに同調するものであり、今後、学界や臨床との協働の下に研究に励
むことを約して、本稿を結ぶ。
Law and Technology 52 号(2011 年)31 頁。
447 このガイドラインについては、田村正徳、玉井真理子編著『新生児医療現場の生命倫理
「話し合いのガイドライン」をめぐって』(メディカ出版、2005 年)に詳しい。
448 野崎亜紀子
「なぜ「話し合い」のガイドラインなのか?―プロセスとしての「話し合い」」
同上 23 頁。
449 同上。
450 田村、玉井・前掲注 447 には、複数の倫理委員会の活動が紹介される。その中で最も詳
細な岐阜県立岐阜病院の事例については、若園明裕他「望まれぬ出生の超低体重児における
出血後水頭症に対する治療拒否の 1 例―病院倫理委員会並びに、人権擁護団体と協議し対
応した事例を通して」日本新生児学会雑誌 39 巻 4 号(2003 年)850 頁に詳しい。
197
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一、田中成明編『現代法哲学 3 実定法の基礎理論』(東京大学出版会、1983 年)3 頁
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・玉木秀敏「正義論の現代的展開」田中成明編『現代理論法学入門』(法律文化社、1993 年)247
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・田村周平「
「新 GCP」完全実施―日本の医療の常識を変える?」ばんぶう 201 号(1998 年)69
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・田村正徳、玉井真理子編著『新生児医療現場の生命倫理 「話し合いのガイドライン」を
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「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から』(岩波書店、2007 年)
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「人体実験」と患者の人格権』(御茶の水書房、2003 年)
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田村正徳・玉井真理子編著『新生児医療現場の生命倫理 「話し合いのガイドライン」を
めぐって』(メディカ出版、2005 年)18 頁
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・唄孝一「アメリカにおける社会的合意の探求と形成」唄孝一編著『講座 21 世紀へ向けて
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で余命も限られている寝たきりのナーシング・ホーム居住患者から鼻腔栄養のためのチュ
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・唄孝一「アメリカにおけるいわゆる「死ぬ権利」(?)判決の動向―医療と裁判との間で―」
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・唄孝一『生命維持治療の法理と倫理』(第二部 カレン事件の解題と分析)245 頁
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佐藤進、
齋藤修編集代表
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(信山社、2002 年)353 頁
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・樋口範雄『医療と法を考える 救急車と正義』(有斐閣、2007 年)
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・星野一正「日本の医系大学倫理委員会 その現状と問題点」星野一正編『倫理委員会のあ
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・星野一正「患者の代理意思決定―サイケヴィッチ判決―」時の法令 1616 号(2000 年)69
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・前田正一、児玉聡「院内に倫理的助言者を」読売新聞北海道版 2004 年 5 月 20 日 33 面
・町野朔「
「東海大学安楽死判決」覚書」ジュリスト(特集・東海大学安楽死事件判決)1072
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・町野朔「患者の自己決定権と医師の治療義務――川崎協同病院事件控訴審判決を契機とし
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・松井茂記『アメリカ憲法入門(第 6 版)』(有斐閣、2008 年)276 頁
・丸山英二「サイケヴィッチ事件―無能力者の延命治療拒否権をめぐって―」ジュリスト
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・丸山英二「臓器移植および死を選ぶ権利における Substituted Judgment の法理」アメリ
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・丸山英二「重症障害新生児に対する医療についてのアメリカ合衆国保健福祉省の通知・規
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・丸山英二「重症障害新生児に対する医療とアメリカ法(上)(下)―2 つのドウ事件と裁判所・
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・丸山英二「患者の自己決定法」年報医事法学 6 号(1991 年)178 頁
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・光石忠敬「金沢大学病院無断臨床試験事件」年報医事法学 20 号(2005 年)122 頁
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・武藤香織他「倫理審査委員会改革のための 7 つの提言」生命倫理 15 巻 1 号(2005 年)28
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・森崇英『生殖・発生の医学と倫理』(京都大学学術出版会、2010 年)
・森下直貴「日本における「倫理委員会」の存在理由と課題」浜松医科大学紀要 一般教育
第 7 号(1993 年)2 頁
・矢澤昇治編著『殺人罪に問われた医師
川崎協同病院事件―終末期医療と刑事責任』(現
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・山田卓生「東京都立病院倫理委員会のガイドライン策定作業」年報医事法学 17 号(2002
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・リチャード・H・ファロン・Jr.(平地秀哉他訳)『アメリカ憲法への招待』(三省堂、2010
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・
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・Bowen v. American Hospital Association, 476 US 610 (U.S. June 9, 1986)
・Conservatorship of the Person of Robert Wendland, 78 Cal. App. 4th 517 (2000)
・Cruzan v. Director, Missouri Department of Health, 497 U.S. 261 (1990)
・Custody of Minor, 385 Mass. 697, 434 N.E.2d 601 (1982)
・In Dinnerstein, 380 N.E.2d 134 (1978)
・In re Eichner on behalf of Fox, 73 A.D.2d 431 (1980)
・In re Fiori, 17 Pa. D. & C.4th 558 (1993)
・In re Fiori, 652 A.2d 1350 (1995)
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・In re: Grand Jury Sobpoena, 794 F. 2d 676 (1984 U.S. App.)
・In re Guardianship of Andrew James Barry, 445 So. 2d 365 (1984)
・In re Guardianship of Eberhardy, 102 Wis. 2d 539 (1981)
・In re Jane Doe, 16 Phila 229 (1987)
・In re Joseph v. Gardner, 1987 Me. Super. LEXIS 233 (1987)
・In re L.H.R., 321 S.E.2d 716 (1984)
・In re Quinlan, 70 N.J.10, 355 A.2d 647(1976)
・In re Spring, 405 N.E.2d 115 (1980)
・In re Torres, 357 N.W.2d 332 (1984)
・In the Matter of Claire C. Conroy, 486 A. 2d 1209 (1985)
・In the Matter of Guardianship of L.W., 482 N.W.2d 60 (1992)
・In the Matter of Hilda M. Peter, 529 A. 2d 419 (1987)
・In the Matter of Kathleen Farrell, 529 A.2d 404 (1987)
・In the Matter of Marie Moorhouse, 593 A. 2d 1256 (1991)
・In the Matter of Nancy Ellen Jobes, 529 A. 2d 434 (1987)
・In the Matter of Sue Ann Lawrance, 579 N.E.2d 32 (1991)
・In the Matter of the Conservatorship of Rudolfo Torres, 357 N.W.2d 332 (1984)
・In the matter of the guardianship and protective placement of Edna M.F. 563 N.W.2d
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・In the Matter of the Welfare of Bertha Colyer, 660 P.2d 738 (1983)
・In the Matter of Joseph Hamlin, 689 P.2d 1372 (1984)
・In the Matter of Westchester County Medical Center, on Behalf of Mary O‟Connor, 531
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・John F. Kennedy Mem'l Hosp. v. Bludworth, 432 So. 2d 620 (1983)
210
・John F. Kennedy Mem'l Hosp. v. Bludworth, 452 So. 2d 921 (1984)
・Martha Sue DeGrella v. Joseph G. Elston, 858 S.W.2d 698 (1993)
・Matthew Woods v. COMMONWEALTH OF KENTUCKY, CABINET FOR HUMAN
RESOURCES, 142 S.W.3d 24 (2004)
・Superintendent of Belchertown State School v. Saikewicz, 370 N.E.2d 417 (1977)
付記:本研究は 2012 年度文部科学省科学研究費(若手研究 B:23730120)に基づく研究
成果の一部である。
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