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FRB 使命 課題 FRB 使命 課題
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
FRB
使命 課題
∼デフレ・リスクとその対応および出口戦略∼
*
市場調査部 主席研究員・シニアエコノミスト 小野 亮
▲
要 旨 1.本稿は、金融安定化策や大規模な景気対策によってもなお米国経済に残る金融危機の傷あと、すな
わち「高過ぎる失業率と低過ぎるインフレ」という深刻な問題に対処する手立てが FRB に残され
ているのか、それは有効なのかどうか、という点を展望・考察したものである。
2.FRB は、1946年雇用法にその源流を持ち、77年連邦準備改革法によって定められた「最大限の雇
用と物価安定」という二つの使命(デュアル・マンデート)を負う。現在は四半期ごとに公表され
る「長期見通し」がデュアル・マンデートを具現化しているといわれるが、足元の米国経済はデュ
アル・マンデートを満たす状況にはほど遠い。本稿のシミュレーションによれば、2011年後半から
米国経済はデフレ入りし、2017年まで緩やかなデフレ(デフレ均衡)に陥る可能性がある。
3.一方、伝統的金利政策はゼロ金利制約に直面している。テイラー・ルールに基づけば、2010年末時
点における適正な FF 金利はマイナス4%に達する。
4.金融危機を通じ、FRB はバランスシートを使った非伝統的な金融政策を採用し、マクロ経済およ
び金融の安定化を図ってきた。準備供給政策と信用政策と呼ばれる政策である。理論的には準備供
給政策は総需要を刺激する効果がないといわれ、一方、信用政策については財政政策的側面が強く、
民間金融仲介システムが機能不全に陥るような異例の状況にのみに限って発動されるべきといわれ
ている。伝統的金利政策が直面するゼロ金利制約と、バランスシートを使った非伝統的金融政策に
関する議論が進む中で、FRB が採用した追加緩和策は長期国債の買い入れ策であった。
5.この政策は、ポートフォリオ・バランス・チャネルとシグナリング・チャネルという二つの波及経
路を通じた効果が期待されている。前者の効果は株価上昇に現れているともみられるが、実証上は
限定的である。人々の予想に働きかけるシグナリング・チャネル効果は FRB の思惑とは逆方向に
働いている。金融市場における利上げ予想は前倒しされ、リフレ効果を期待した短期予想インフレ
率の上昇は限定的で、物価安定を脅かしかねない長期予想インフレ率が上昇している。
6.FRB は追加緩和策とは対極に位置する出口戦略の整備を進め、新たなコミュニケーション戦略も
模索し始めた。金融緩和解除のあり方を巡っては、経済構造に関する知識が不確かなことに対処す
る上で漸進主義が望ましいという見方と、金融的不均衡の蓄積を防ぐために迅速に緩和姿勢を解除
していくべきという見方(BIS view)の対立がある。
7.米国経済にはデフレ・リスクが燻るというのが本稿の見立てであり、株価上昇にみられる楽観論が
自己実現的に高成長を達成したとしてもディスインフレをどの程度止められるのか、疑問が残る。
こうした中、FRB もデフレ・リスクと楽観論の狭間で難しい政策運営を続けざるを得ないだろう。
*
E-Mail:[email protected]
(※)本稿は、2010年12月24日時点までの情報に基づき作成している。
1
FRB の使命と課題
《目 次》
1. はじめに ……………………………………………………………………………… 5
2.デュアル・マンデート………………………………………………………………… 7
⑴ 高過ぎる失業率と低過ぎるインフレ率……………………………………………………………… 7
⑵ デュアル・マンデートの原点―1946年雇用法 …………………………………………………… 9
⑶ 物価安定の責務と説明責任………………………………………………………………………… 10
⑷ 数値目標の問題点…………………………………………………………………………………… 11
⑸ FRB 見通しと三つの機能 ………………………………………………………………………… 12
⑹ 実質的ターゲットとしての長期見通し…………………………………………………………… 12
3.伝統的金融政策の限界………………………………………………………………… 14
⑴ テイラー・ルールとゼロ金利制約………………………………………………………………… 14
⑵ ディスインフレはどこまで進むか………………………………………………………………… 17
⑶ 意図せざるデフレ均衡……………………………………………………………………………… 22
⑷ デフレ均衡の回避策………………………………………………………………………………… 26
4.バランスシートを使った金融政策…………………………………………………… 27
⑴ 金融政策の三つの次元……………………………………………………………………………… 27
⑵ 望ましい政策………………………………………………………………………………………… 30
⑶ FRB による準備供給政策と信用政策 …………………………………………………………… 31
⑷ 長期国債買い入れの経済効果……………………………………………………………………… 35
⑸ 国債管理政策との衝突……………………………………………………………………………… 37
5.残された緩和手段と障害……………………………………………………………… 38
⑴ 予想への働きかけ…………………………………………………………………………………… 38
⑵ 物価水準目標………………………………………………………………………………………… 40
⑶ 予想のコントローラビリティ……………………………………………………………………… 43
⑷ ターム金利目標と課題……………………………………………………………………………… 45
⑸ 米国財務省とのアコード…………………………………………………………………………… 46
⑹ 通貨安競争批判……………………………………………………………………………………… 48
2
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
6.出口戦略………………………………………………………………………………… 50
⑴ 信認問題……………………………………………………………………………………………… 50
⑵ 出口戦略の手段と順序……………………………………………………………………………… 52
⑶ 漸進主義とその批判………………………………………………………………………………… 55
7.おわりに………………………………………………………………………………… 57
3
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
じたに違いない。なぜ政策当局の失態が続くの
1. はじめに
かと。
信用バブルはなぜ起きたのか、FRB や政府
しかし幸運にも、政策当局の致命的な誤りは、
は金融危機にどのように対応したのか、といっ
そ れ が 最 後 と な っ た。 大 規 模 か つ シ ス テ マ
たことを主な関心事として論文(小野(2009))
ティックな介入・支援が開始され、経済・金融
をまとめてから2年が過ぎた。政策当局の努力
活動の秩序が徐々に取り戻されていった。中心
は奏功し、米国および世界の金融システムは曲
と な っ た の は、2008年 緊 急 経 済 安 定 化 法
がりなりにも安定を取り戻し始め、実体経済も
(Emergency Economic Stabilization Act、10
回復に向かっている。大恐慌は繰り返されな
月3日 成 立) に よ っ て 財 務 省 に 付 与 さ れ た
かった。
TARP
(Troubled Assets Relief Program) と
グローバルな金融市場を崩壊寸前まで追い
呼ばれる7,000億ドルの資金枠だった。この資
やった2008年9月のリーマン・ショックは、金
金を梃子に、金融機関、自動車産業、証券化市
融市場参加者のみならず、世界中の人々の記憶
場、住宅市場の4分野に対し、米国の政府全体
に今なお鮮明に残っていることだろう。同月末
では8,700億ドルにのぼる資本注入や融資、政
に不良債権処理案が米国下院議会でいったん否
府保証等が実行された(図表1)。
決された時には、多くの人が大恐慌の再来を感
景気対策も大規模だった。ブッシュ前政権下
図表1:TARP を梃子とする米国の金融安定化策
支援対象と
制度略号
支援内容
財政支援(10億ドル)
返済額(10億ドル)
計
うち TARP
計
うち TARP
204.9
40.0
301.0
69.8
204.9
40.0
5.0
69.8
152.8
40.0
301.0
152.8
40.0
5.0
金融機関
CPP
TIP
AGP
SSFI
銀行への資本注入(計707行)
Citigroup、Bank of America への資本注入
Citigroup の特定資産の保証
AIG への資本注入
自動車産業
AIFP
ASSP
AWCP
GM、Chrysler、GMAC、Chrysler Financial 向け支援
自動車部品供給業者への政府保証
GM、Chrysler 再建期間中の消費者向け政府保証
80.7
0.4
0.6
80.7
0.4
0.6
10.2
0.4
0.6
10.2
0.4
0.6
証券化市場
TALF
PPIP
UCSB
資産担保証券投資家に対する NY 連銀のノンリコース貸出
官民共同の不良資産買取制度
SBA(中小企業庁)ローン担保証券の買取
71.1
29.8
0.4
4.3
22.4
0.4
41.4
0.4
0.0
0.4
住宅市場
HAPM
CDCI
住宅ローン融資条件の見直し
地域開発金融機関向け資本注入
70.6
0.6
45.6
0.6
869.9
474.8
546.8
209.4
計
(注)2010年10月3日時点。
Bank of America も1,180億ドルの政府保証を受ける動きが一時あったが結局取り止めとなった。
(資料)SIGTARP 四半期議会報告書(2010年10月)
5
FRB の使命と課題
の2008年には1,680億ドルの対策が打たれたが、
めて低いインフレ率が並存し、FRB に課せら
オバマ政権に移行した2009年初め、7,872億ド
れた使命(いわゆるデュアル・マンデート)の
ルにのぼる景気対策(American Recovery and
達成が極めて困難になっている。一部には、米
Reinvestment Act of 2009、ARRA、米国再生・
国経済が、日本経済と同様の「デフレ均衡」に
再投資法)が成立した。減税か支出かを巡る論
向かっているのではないかとの指摘もある。
争を取り込むように、その景気対策は、即効性
が期待できる個人減税と財政難にあえぐ州・地
入りを防ぐことができるのか。本稿はこの問い
方政府への支援が当初の中心を占め、後年度に
を出発点に、FRB の金融政策について考察し
公共事業のシェアが高まる内容となった。中で
たものである。
もこの景気対策に盛り込まれた住宅減税や、別
本稿の構成は以下の通りである。第2節は、
途実施された自動車買い替え促進策(キャッ
FRB の使命とされる「デュアル・マンデート」
シュ・フォー・クランカー)は、相応の呼び水
の源流まで遡りながら、FRB がデュアル・マ
効果を持ったといえるだろう。住宅販売の悪化
ンデートとどのように対峙してきたのかをみ
に歯止めがかかり、自動車販売は回復に転じて
る。
いる。
さらに「非伝統的金融政策」に踏み込んで危
機に対峙したのが FRB だった。
第3節は、伝統的な金融政策が限界に達して
いるという問題を考察する。第4節は、金融危
機を契機に採用された「バランスシートを使っ
これまでの間、金融危機の原因や当局の政策
た金融政策」に焦点を当て、望ましい政策とは
判断などについて、様々なことが明らかにされ
何か、FRB の金融政策はどのように変遷して
てきた。著名ジャーナリストによる『バーナン
きたのか、限界に突き当たった金利政策の代替
キは正しかったのか』
、『リーマンショック・コ
策として2010年11月に発表された長期国債買い
ンフィデンシャル』
、『愚者の黄金』、『世紀の空
入れ策はどう位置づけられ、どう評価できるの
売り』などのノンフィクションは、単なる読み
かを考察する。
物を超えて、重要かつ貴重な情報と示唆を提供
してくれる。
学界や政策当局者の間でも、金融危機時に採
られた様々な政策、特に中央銀行の対応策(バ
第5節は、残された緩和手段を取り上げ、予
想への働きかけとその限界、財政当局との責任
分担の必要性、通貨政策を巡る最近の動きを考
察する。
ランスシートを使った金融政策)について理論
第6節は FRB に対して高まる批判を紹介し
面からの整理や、政策効果に関する検証が進め
た上で、追加緩和策とは対極的な位置にある出
られている。歴史的な信用バブルとその崩壊を
口戦略を取り上げる。
経て、いわば21世紀型の金融政策のあり方が問
われている。
6
果たして FRB は、米国経済の「デフレ均衡」
なお本稿では、原則として FRB という用語
を用いる。金融政策を決定するのは FOMC(連
一方、金融危機の傷が今なお癒えていないの
邦公開市場委員会)の役割であるが、煩雑を避
も事実である。特に米国では、高い失業率と極
ける目的である。ただし特定の FOMC に言及
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
する必要がある場合は FOMC という用語を用
いる。
2.デュアル・マンデート
⑴ 高過ぎる失業率と低過ぎるインフレ率
2010年11月3日 に 発 表 さ れ た FOMC 声 明 文
は、当時の米国経済が患っている病の重さを端
的に表している。
desirable in the longer run.
「今後、追加的なショックがないとしても、
経済成長、失業率、インフレ率が長期的な水準
に完全に到達するまでに5∼6年ほどかかると判
断している参加者が半数以上おり、残るメン
バーも、失業率やインフレ率についてはそれ以
上に時間がかかるとみている。」
主要経済指標で米国経済の状況を確認してみ
Consistent with its statutory mandate, the
ると、まず米国の実質 GDP 成長率は2010年7∼
Committee seeks to foster maximum employ-
9月期時点で前年比3.2%(暫定値)と当該時点
ment and price stability.(中略)Although the
における潜在成長率(CBO(議会予算局)によ
Committee anticipates a gradual return to
れば1.6%)を大きく上回る伸びをみせている。
higher levels of resource utilization in a con-
FRB による極めて緩和的な金融政策の採用、
text of price stability, progress toward its ob-
2009年2月に成立した米国再生・再投資法や同
jectives has been disappointingly slow.(下 線
年夏に実施された自動車買い替え促進策などの
は筆者。以下、同じ)
財政政策、そしてこれらに後押しされた在庫循
「FOMC は法律で定められた通り、最大限の
雇用と物価安定の促進を追及しているが、その
進展は失望するほど鈍い。」
環の好転が高成長を支えてきた。
しかし、失業率は2009年11月につけた10.1%
のピークから幾分改善しただけで、2010年10月
さらに同会合で取りまとめられた経済見通し
時 点 で は9.6% と 高 い 水 準 を 保 っ た ま ま だ
(FRB 理事および連邦準備銀行総裁らの見通し
(図 表 2)。一方、同年10月のコア・インフレ率(食
を集計したもの)では、米国経済が健全さを取
品・エネルギーを除くインフレ率)は、CPI
(消
り戻すまでに非常に長い時間がかかるとの見方
費者物価指数)ベースで前年比0.6%、PCE デ
で一致していることが議事録によって明らかと
フレーター(個人消費支出デフレーター)ベー
なった。
スで同0.9%とともに1%割れで、統計開始以来、
Somewhat more than half of the partici-
最も低い上昇率である(図表3)。
pants judged that, in the absence of any addi-
先に引用した FOMC 声明文も、このように
tional shocks to the economy, the economy
高過ぎる失業率と低過ぎるインフレ率という問
would converge fully to its longer-run rates of
題に直面する FOMC の姿を浮き彫りにしてい
output growth, unemployment, and inflation
る。
within about five or six years;the rest indi-
Currently, the unemployment rate is elevat-
cated that it could take longer for unemploy-
ed, and measures of underlying inflation are
ment to fall back to its longer-run rate or for
somewhat low, relative to levels that the Com-
inflation to rise back to the level they deemed
mittee judges to be consistent, over the lon-
7
FRB の使命と課題
図表2:失業率
(%)
12
10
8
6
4
2
0
1948
60
70
80
90
2000
10(年)
(資料)米国労働省
図表3:コア・インフレ率
(%)
16
14
CPIベース(点線)
12
10
8
6
4
2
PCEデフレーターベース(実線)
0
1948
60
70
80
90
2000
(資料)米国労働省、米国商務省
ger run, with its dual mandate.
「長期的にみればデュアル・マンデート(二
つの使命)と整合的であると FOMC が判断し
ている水準と比べて、今の失業率は高く、イン
8
フレ率は幾分低い。」
10(年)
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
⑵ デュアル・マンデートの原点―1946年雇
以下、同じ)という議論を呼び起こし、1946年
雇用法として結実したのである。
用法
FOMC 声明文にあるデュアル・マンデート
同法では、成立前の法案にあった連邦政府に
とは何か。以下では、主として Meltzer(2003)
よる完全雇用へのコミットメント(当時は「最
によりながら、その歴史を簡単に振り返ってみ
後の貸し手」ならぬ「最後の雇用主」と呼ばれ
たい。
た)は削除されたが、連邦政府の使命として「最
連邦準備法(Federal Reserve Act)第2条⒜
大限の雇用、生産、および購買力の促進」とい
項は金融政策の目的を次のように定めている。
う三つの使命が謳われた。購買力の促進とは物
The Board of Governors of the Federal Re-
価安定を意味する。
serve System and the Federal Open Market
だが、
「最大限の雇用、生産、および購買力
Committee shall maintain long run growth of
の促進」に明確な定義はなく、政権や議会はど
the monetary and credit aggregates commen-
うにでも解釈できるようになっていた。そして
surate with the economy s long run potential
重要なことは、当時は景気安定化策として財政
to increase production, so as to promote effec-
政策が重視されており、金融政策の位置づけが
tively the goals of maximum employment, sta-
低く、
「雇用法の目標を達成するために FRB が
ble prices, and moderate long-term interest
何かをしなければならない」という認識が少な
rates.
かったという点だ。
条文では「最大限の雇用、物価安定、低い長
期金利」
(下線部分)の三つが金融政策の目標と
されている。
そもそも1913年連邦準備法でも FRB の設立
目的は
・連邦準備銀行の設立(to provide for the
しかし、このうちの「低い長期金利(moderate
establishment of Federal Reserve Banks)
long-term interest rates)
」は、安定したマク
・柔軟な通貨の提供(to furnish an elastic
ロ経済環境でのみ達成されるものと考えること
ができる。つまり、最大限の雇用と物価安定の
二つの使命を全うできれば、長期金利に関する
currency)
・CP の 再 割 引(to afford means of rediscounting commercial paper)
目標は自ずと達成されるという考えである。こ
・米国における一段と有効な銀行監督の整備
うして、雇用と物価に関する二つの使命が重要
(to establish a more effective supervision
視されるようになっている(Mishkin
(2007))。
デュアル・マンデートの原点は、1946年雇用
of banking in the United States)
・およびその他の目的
法(Employment Act)にある。前年の45年に
とされ、マクロ経済の安定化に対する FRB の
ルーズベルト大統領が彼の最後となる一般教書
積極的な役割は示されていない。物価は金本位
演説で「6千万人分の仕事を作る」と述べたこ
制によってコントロールされ、FRB には、季
とが、その後「職に就く個人の権利」と「完全
節的・循環的な信用の変動を再割引によって調
4
4
4
4
(傍点は筆者。
雇用を提供する連邦政府の義務」
節するという受け身的な役割が期待されたので
9
FRB の使命と課題
ある。
景気や物価の安定に対する FRB の役割を、
合同決議133号であり、その後、1977年連邦準
備改革法として結実した。同法によって、
「最
歴代の議長はどのようにみていたのか。大恐慌
大限の雇用、物価安定、緩やかな長期金利」と
後の1934年11月から戦後の1948年2月まで FRB
いう使命が FRB に課せられることになった。
議長の座にあったマリナー・エックレスは、
さらに FRB に対し説明責任を求め、失業と
1950年の議会証言で次のように述べている。
「議
インフレを抑制しようという議会の努力は、
会がお金の使い方を決定する。彼らは税金を課
1978年 完 全 雇 用・ 均 衡 成 長 法(Full Employ-
す。財務省は必要な資金をいくらでも調達する
ment and Balanced Growth Act、通称ハンフ
責任がある。…こうした中で政府機関の中に、
リー=ホーキンス法)となった。
財政赤字という議会が選んだ政策を無効にして
FRB
(1979)によれば、同法は、「短期的な
しまう政策を選択できるほど独立性を持った政
数値目標」と「予め定められた中期的目標、均
府 機 関 が 存 在 す る と は、 私 に は 信 じ 難 い。」
衡財政、および合理的な物価安定を、実行可能
(Meltzer
(2003)、p689) マ ク ロ 経 済 安 定 化 の
な範囲内でできるだけ早く達成するために大統
責務はまず議会や財政当局にあり、中央銀行は
領が必要と考えるプログラムや政策」とを、大
これらに従属するという見方は、1950年代から
統領経済報告に明記するよう定めた。当初3年
1960年代を通じて FRB 議長にあったウィリア
間の大統領経済報告では、中期的目標として次
ム・マッチェスニー・マーチン・ジュニアにも
の数値目標が掲げられることになった。
引き継がれていたといわれている。
・1983年までの5年間に下記目標を達成
――20歳以上の成人失業率は3%以下
⑶ 物価安定の責務と説明責任
デュアル・マンデートを FRB の使命と定め
10
――16歳以上の失業率は4%以下
――インフレ率は3%以下
たのは、1977年連邦準備改革法(Federal Re-
・1988年までにゼロ・インフレを目指す
serve Reform Act)が最初だ。それは雇用偏
ハンフリー=ホーキンス法により、FRB は、
重からの脱却と物価安定へのコミットメントを
各年の2月20日と7月20日までに、「通貨量と信
FRB に求めるものだった。
用量の年間伸びの範囲についての目標と計画」
先にみたように1946年雇用法は三つの使命を
を議会に示すことが義務づけられた。FRB は、
掲げていたが、ほとんどの場合「最大限の雇用」
これらの FRB の目標と計画が、最新の大統領
が最優先され、FRB の政策運営も、失業を抑
経済報告書で示される短期目標や議会が承認し
えることに軸足が置かれてきた。
た短期目標とどのように関連づけられるのかに
しかし、米国経済が持続的な高インフレに悩
ついて、説明を求められることになった。7月
まされるようになると、議会は、通貨鋳造権と
20日の報告では、翌年の通貨・信用量の伸び率
その価値を規制する合衆国憲法上の自らの権限
の範囲を示すことも義務づけられた。
を引き合いに出し、FRB に対して物価安定に
数値目標に対し、FRB 議長や当時 CEA 委員
コミットさせようとした。それが1975年の両院
長だったグリーンスパンが強く反対したといわ
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
れている。法律上も抜け穴が存在した。まずそ
高めのインフレ目標が必要という意見には反
もそも、中期目標自体について改訂・修正され
対論もある。マイケル・ウッドフォード・コロ
ることが前提とされた。さらに、経済情勢の変
ンビア大学教授は、Willams
(2009)が示した
化に応じて計画が達成できなかったり、計画を
シミュレーションの解釈に疑念を呈している。
達成すべきでないと FRB が決定したりした場
低インフレ目標を採る中央銀行にとって、望ま
合でも、FRB は事後的な説明を求められるだ
しくない状況(大きなショックや、均衡実質金
けにとどまったのである。
利の低下、シンプルなテイラー・ルールが持つ
問題、財政政策による支援の欠如など)を想定
⑷ 数値目標の問題点
FRB が数値目標に反対したのは、経済構造
した場合でも、「2%というインフレ目標が望ま
しいという証拠はなく、ましてや2%を超える
の変化に応じて、あるいは経済理論や統計手法
インフレ目標をサポートする材料は全くない」
の発展に応じて、デュアル・マンデートと整合
というのが正しい解釈ではないかという。
的な成長率や失業率、インフレ率といった経済
またコーン FRB 副議長(当時)は、高めの
指標の水準が変わり得るためだったと考えられ
インフレ目標に対し、三つの反対理由を挙げて
る。
いる(Kohn(2010))。第一に、予想インフレ率
例えば物価安定と整合的なインフレ率とは何
が目標とされる新しい水準に円滑に調整され、
かを巡っては、ハンフリー=ホーキンス法では
そこにとどまる保証がない。第二に、4%とい
長期(10年間)の目標としてゼロ・インフレが
うようなインフレ率は企業や消費者にとって無
掲げられたが、今の FRB による長期見通し(13
視できる水準ではなく、契約等に織り込まれて
ページ図表4参照)では1.5%∼2.0%とされてい
いくようになるため、インフレが昂進するおそ
る。
れがある。第三に、実現されたインフレ率や、
4%と高めのインフレ目標を採用すべきとい
中央銀行の行動、その他の経済情勢に対してイ
う声もある。Williams
(2009)は、標準的なテ
ンフレ期待が過敏になり、インフレ期待が不安
イラー・ルールで仮定されている2%という定
定化するおそれがある。
常的なインフレ率は、ゼロ金利制約の存在を踏
物価安定の目標を巡る議論には、インフレ率
まえると、デフレに対するバッファとしては不
ではなく物価水準を目標にすべきという指摘も
十分ではないかと指摘する。特にインフレ目標
あるが、物価安定よりも数値目標の設定が難し
を1%以下とする場合、強力な財政政策や新た
いのが雇用と言われている。ミシュキン FRB
な金融政策によってゼロ金利制約の影響を緩和
理事(当時)は、「最大限の雇用」に対する目
し得たとしても、そうした低いインフレ目標は
標を定めることは「誤っている可能性がある」
深刻なコストをもたらす恐れがあるという。
「お
とさえいう(Mishkin
(2007))。なぜなら、金
そらく4%程度の、より高いインフレ目標を掲
融政策は景気安定化策に過ぎず、経済活動や雇
げることが慎重な金融政策といえるのかもしれ
用の潜在的・長期的な水準をコントロールする
ない」と指摘している。
ことはできないためだ。そうした水準を決定づ
11
FRB の使命と課題
けるのは、経済構造、人口動態、人々の選好や
・FRB が 考 え る 長 期 的 な 経 済 の 姿(as an
技術、労働市場の効率性、税制等であり、中央
evaluation of certain long-run features of
銀行の仕事ではないという。
the economy)
さらに、「最大限の雇用」水準をリアルタイ
彼によれば、まず「予測」の機能とは、予測
ムに計測するのは困難だ。1970年代のスタグフ
値の提示と、これらの予測値に関する様々な情
レ ー シ ョ ン は、FRB が NAIRU
(Non-Acceler-
報を提供することによって、金融政策のスタン
ating Inflation Rate of Unemployment、 イ ン
スやその変更に対する一般の理解が深まるとと
フレを加速させない失業率)を過小評価したた
もに、一般の人々が、委員会の判断がどの程度
めといわれており、物価安定と整合的な経済活
合理的で説得力を持つのか判断できるようにな
動や雇用の水準をどう計測するのかは、今なお、
ることだという。彼は、予測には不確実性がつ
多くの中央銀行家を悩ませる問題である。
きものであるが、金融政策がラグを伴って支出
活動や物価動向に影響を及ぼす以上、FRB に
⑸ FRB 見通しと三つの機能
では、現在の FRB が具体的な数値目標を全
く持たずに金融政策を運営しているのかという
と、決してそうではない。
とって、中期的な予測を提示する以外に選択の
余地はないのだと述べている。
第二の「暫定的な計画」の提示とは、物価安
定へのコミットメントを示すと共に、どの程度
ハンフリー=ホーキンス法に従い、また同法
の時間軸で物価安定を果たそうとしているの
が2000年に失効した後も、FRB は経済見通し
か、その考えを示すことを指す。持続的な成長
を 公 表 し 続 け て い る。1999年2月 の FOMC 議
と物価安定を目指す金融政策の“スピード感”
事録によれば、委員会は「議会に対する半期報
はそれぞれの局面によって異なっているもの
告と、それに関連する議会証言は、これまで極
の、物価安定をどの時点で達成しようとしてい
めて有益であって、今後も継続すべきである」
るのかという中期的な見通しを提示すること
との意見で合意した。
「報告や証言は、FOMC
で、金融政策における戦略や計画に関する情報
がその政策を説明し、様々な問題に対する見方
を提供し、透明性や予測可能性を高め、説明責
を伝え、国民と議会に対する説明責任を果たす
任を果たすことが可能だという。なお、金融政
上で、効果的な手段となってきた」という。な
策のスピード感を巡っては、これまで激しい議
お、2007年の10月 FOMC 議事録が公表された
論が繰り広げられてきた(第6節参照)。
同年11月20日以降は、見通しが四半期ごとに公
表されるようになった。
バーナンキ議長によれば、FRB が公表する
三つめの「長期的な経済の姿」こそ、デュア
経済見通し(projections)には三つの異なる機
ル・マンデートを具体的に数値で表すことに他
能が期待されている(Bernanke
(2007))。
ならない。
・予測(as a forecast)
・暫定的な計画(as a provisional plan)
12
⑹ 実質的ターゲットとしての長期見通し
Bernanke
(2007) の 発 言 当 時、FRB の 経 済
見通しは3年先までしか示されておらず、デュ
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
アル・マンデートの長期的視点とは必ずしも一
トを具現化した長期見通しを公表することは、
致しないという問題が残っていた。しかし2009
金融政策に対する一般の人々の理解を深めるこ
年初頭からは、FRB の経済見通しにおいて、
とにつながる。バーナンキ議長は、そうしたこ
今 後 数 年 の 予 測 値 に 加 え て、 長 期(Longer
とによって、経済や金融に対する不確実性が軽
run)の経済成長率、失業率、インフレ率も示
減され、人々の長期的なインフレ期待の安定を
されるようになった。2010年11月に公表された
図ることが可能となると指摘している。万が一
見通しを図表4に示す。
大きなショックが生じた場合にも、中央銀行が
Bernanke
(2010d)によれば、長期見通しと
して示された経済成長率、失業率、インフレ率
大胆な政策を打ち出すための土壌になり得る。
インフレの暴発を恐れる必要がないためだ。
の水準は、追加的なショックがなく、金融政策
さて、2010年11月の FRB による長期見通し
が適切に運営される場合に、次第に経済が収れ
をみると、インフレ率は1.6%∼2.0%(中央傾
んしていくと予想される値である。適切な金融
向値。以下同じ)であり、これが物価が安定し
政策とは、長期的に FRB の目標を達成するこ
ているとみなされるインフレ率を表すことにな
とを目的としたものであり、「FOMC 参加者に
る。一方、実質 GDP 成長率は2.5%∼2.8%、失
よる経済成長率、失業率、インフレ率に関する
業率は5.0%∼6.0%とされており、こうした水
長期見通しは、それぞれ、経済の長期的な潜在
準であれば物価安定と整合的であるということ
成長率、長期的に(物価安定と整合的という意
だ。前者はインフレを加速・減速させないとい
味で)維持可能な失業率、および(物価安定と
う意味での潜在成長率であり、後者は NAIRU
いう)使命と整合的なインフレ率として解釈す
や自然失業率を指すものと考えてよいだろう。
ることができる。」
(Bernanke
(2010d)。括弧は
筆 者。 以 下、 同 じ) つ ま り、 長 期 見 通 し は
FRB にとっての実質的ターゲットなのである。
数年先までの予測に加え、デュアル・マンデー
図表4:FRB 経済見通し(2010年11月)
(%)
2010年
2011年
2012年
2013年
長期(Longer run)
実質 GDP 成長率
2.4 to 2.5
3.0 to 3.6
3.6 to 4.5
3.5 to 4.6
2.5 to 2.8
失業率
9.5 to 9.7
8.9 to 9.1
7.7 to 8.2
6.9 to 7.4
5.0 to 6.0
インフレ率
1.2 to 1.4
1.1 to 1.7
1.1 to 1.8
1.2 to 2.0
1.6 to 2.0
コア・インフレ率
1.0 to 1.1
0.9 to 1.6
1.0 to 1.6
1.1 to 2.0
(注)中央傾向値(上位3予測値及び下位3予測値を除いたもの)。
実質 GDP 成長率、インフレ率、コア・インフレ率は当該年10∼12月期における前年比。失業率は当該年の10∼12月期にお
ける平均値。インフレ率、コア・インフレ率は個人消費支出デフレーターベース。
(資料)FRB
13
FRB の使命と課題
で、潜在 GDP の水準ではない。そこで、成長
3.伝統的金融政策の限界
率と失業率の間に「オークンの法則」が成り立
つとすれば、テイラー・ルールはさらに次のよ
⑴ テイラー・ルールとゼロ金利制約
1990年代以降、FRB の政策金利を予測する
上で重要なツールとなったのが、テイラー・ルー
ルである。テイラー・ルールは、1987年から92
年にかけてのグリーンスパン FRB 議長(当時)
の政策運営に関する経験則としてジョン・テイ
ラー・スタンフォード大学教授(Taylor
(1993))
= *+π*+α
(π−π*)+β
(
ただし
*
*
− )
式⑶
は NAIRU を表し、時間によらず
一定と仮定。
式⑵に示されているように、テイラー・ルー
が見出したものであり、FRB の政策運営はイ
ルに基づく政策運営では、インフレ率が変化す
ンフレ率と産出水準について、それぞれの望ま
ると、その変化幅よりも大きく政策金利を動か
しい水準からのギャップを用いた極めてシンプ
す。インフレ率の変動に対し、アクティブな金
ルな式によって表される。
融政策を採用するということだ。こうしたアク
= *+π+0.5(π−π*)
+0.5
式⑴
*
ただし、 期の政策金利 、均衡実質金利 (時
間によらず一定と仮定)
、望ましいインフレ率
*
π(同)、インフレ率π、産出ギャップ
Taylor(1993)は均衡実質金利
*
である。
ティブさはマクロ経済の安定をもたらす上での
必要条件とされ、テイラー原則(Taylor principle)と呼ばれている(なお、テイラー原則
の一般形は後掲の式⑽として表される)。
その後の研究では、金融政策の慣性(金利ス
と望ましいイ
ムージング)を織り込んだり、実証研究におけ
ン フ レ 率 π* を と も に2% と 仮 定 し た。 産 出
る推計の説明力を高めたりする目的で、式⑵の
ギャップは、84年1∼3月期から92年7∼9月期ま
テイラー・ルールの右辺に政策金利のラグ項を
で の 実 質 GDP の ト レ ン ド(年 率2.2%) と の
加えたものや、均衡実質金利を可変とするもの、
ギャップを用いている。
先行きの景気やインフレ率の予測値に基づくも
のなどいくつかのバリエーションが生まれてい
式⑴をインフレ率に関して変形すると、
= *+π*+1.5(π−π*)+0.5
*
式⑵
る。さらに、金融危機の経験を踏まえて、スプ
レッドや貸出量などによって表される金融環境
*
+π は、インフレ率につい
の変化をテイラー・ルールの変数として加えた
ても産出水準についても、望ましい水準からの
研 究 も 進 ん で い る(Cúrdia and Woodford
となる。右辺の
ギャップがない場合の政策金利の水準(均衡名
14
うに書き直せる。
(2009)、Kannan et al.
(2009))。
目金利)を表している。ここで望ましい水準と
FRB は、金融危機による米国経済の悪化を
は、前節でみたデュアル・マンデートと整合的
食い止めるため、2009年12月にフェデラルファ
な水準に他ならず、FRB の長期見通しが該当
ンド(FF)金利の誘導目標レンジを0%∼0.25%
すると考えられる。ただし、長期見通しでは物
に引き下げた。しかし、望ましい政策金利は大
価安定と整合的な潜在成長率が示されるだけ
幅なマイナス値を取り、金利政策だけでは十分
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
な金融緩和を生み出すことができない状況と
たっては、少なくとも各時点において政策担当
なっている。テイラー・ルールの推計によって、
者が利用可能であった統計(いわゆるリアルタ
このことを確認しよう。
イム指標)を用いる必要がある。こうした問題
バーナンキ FRB 議長は2010年1月の米国経
は、金利や株価など事後的には改定されること
済学会における講演で、FRB の政策運営は彼
がない金融関連指標の動きを、改定が頻繁に行
ら自身の経済見通しに基づいて決定されている
われる経済指標の動きによって説明しようとい
と述べた(Bernanke
(2010a))。そこで FRB の
う場合に必ず付きまとう。米国では、一部の重
経済見通しを説明変数に用いたテイラー・ルー
要な指標について、セントルイス連邦準備銀行
ルを推計する。ただし、すでに触れたように
がリアルタイム指標のデータベースを整備・公
FRB は産出ギャップの推計に必要な潜在 GDP
表している。
の水準を公表していないため、前掲式⑶の失業
90年 代 後 半 か ら2007年 前 半 ま で を 対 象 に、
率を用いたテイラー・ルールをベースに、次の
FRB 見通しを用いたテイラー・ルールの推計
ように修正して推計する。こうしたアプローチ
結果を図表5に示す。推計期間を2007年前半ま
は、Orphanides and Wieland
(2007)に倣った
でとしたのは、FRB 当局者の発言をみる限り、
ものである。
サブプライム問題の深刻さが認識されるのは
=
+αΕ[π+4]−βΕ[
+4
]
ただし、Ε[π +4]とΕ[
+4
式⑷
]は 期におけ
る +4期の FRB による予想インフレ率と予想
失業率である。また、
≡
*
+(1−α)π*+β
2007年夏であり、少なくともそれまでは、ほぼ
一貫した金融政策が採られたと考えられるため
である。
推計結果をみても、政策金利のラグ項を導入
していないにもかかわらず決定係数は高く、推
*
式⑸
と仮定していることになる。
計誤差は0.61%であることから、こうした考え
が概ね妥当なことが示唆される。また定数項の
推計値は統計的に高い有意性をもっており、仮
テ イ ラ ー・ ル ー ル の 推 計 に お い て Or-
に均衡実質金利や NAIRU が可変的であったと
phanides and Wieland
(2007)や本稿のように
しても、それぞれが互いの影響を打ち消す方向
FRB の予測値を用いる利点として、過去の政
に動いている可能性があることが示唆される。
策判断時に利用可能であった経済指標と、推計
FRB の長期見通し(前掲図表4)を用いて、
時点で得られる経済指標とが必ずしも一致しな
π*=1.8%、
いという問題を回避できる点も挙げられる。
すると、
通常、政策担当者はその時点で最も新しい経
済指標を参考にしながら予測を行い、政策を決
定していく。将来行われると予想される統計の
改訂を完全に織り込んで政策決定が行われてい
るとは考え難く、テイラー・ルールの推計にあ
*
=5.5%とおき、推計結果を整理
= *+π*+2.06(Ε[π+4]−π*)
+1.63
(
*
−Ε[
])
+4
式⑹
この結果、インプリシットな均衡実質金利は
*
=1.1%であることが分かる。
15
FRB の使命と課題
図表5:FF 金利誘導目標と予測ベースのテイラー・ルールに基づく推計
(%)
8.00
6.00
4.00
2.00
0.00
▲2.00
FF金利誘導目標(期末値)
推計値
▲4.00
▲6.00
1996 97
誤差(FF金利誘導目標−推計値)
98
99 2000 01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12 (年)
(注)推計期間:1996年7∼9月期∼2007年1∼3月期(FRB 見通しが得られる四半期のみ)
。
FF 金利誘導目標=8.01+2.06×インフレ見通し−1.63×失業率見通し。
(1.58)
(0.29) (0.24)
括弧内は標準誤差。決定係数0.90、回帰の標準誤差0.60。
(資料)FRB、みずほ総合研究所
推計されたテイラー・ルールは、インフレ・
0.25%へと引き下げられたが、推計値は10∼12
ギャップに対する政策金利の感応度の方が失業
月期時点でマイナス0.35%と、マイナス値を指
率ギャップに対するものよりも大きい。ただし、
すようになった。
インフレ・ギャップに対しても、失業率ギャッ
こうしてみると、まず2007年は FRB の見通
プに対しても、ギャップの変化幅以上の大きさ
しに沿った形で金融政策が運営されてきたとい
で政策金利を変化させており、両ギャップに対
えるが、Taylor(2008)はこれと異なる指摘を
しアクティブな金融政策が採られてきたことを
している。Taylor
(2008)は、2008年2月26日の
示唆している。
議会証言の中で、その時点におけるインフレ・
サブプライム問題の深刻さが明らかになり始
16
ギャップがプラス0.5%、産出ギャップがマイ
めた2007年4∼6月期以降について、FF 金利誘
ナ ス1.5% で あ り、 テ イ ラ ー・ ル ー ル(式 ⑴)
導目標と推計値(外挿値)とを比較してみると、
に基づく望ましい FF 金利は4%と「実際の政
同年末までは FF 金利誘導目標は、ほぼ推計値
策金利よりも1%上回る」と述べている。そし
どおりに推移した(図表5)。しかし、ベア・
てこのように FRB がテイラー・ルールによっ
スターンズが破綻した2008年1∼3月期から4∼6
て示唆される水準よりも1%も低い金融緩和を
月期にかけて、推計値を150bp 前後下回る水準
行っているのは、金利スプレッド(具体的には
まで政策金利が引き下げられた。さらにリーマ
3カ月物 LIBOR と OIS
(オーバーナイト・イン
ン・ショックに見舞われた同年7∼9月期から
デックス・スワップ)のスプレッド)に表れて
10∼12月期にかけて、FF 金利誘導目標は0∼
いる短期金融市場におけるストレスへの対処で
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
はないかという。
しかし、本稿の結果は、FRB が金融市場に
FRB の見通しが外れれば、その度合いに応じ
て望ましい政策金利の水準は変わる。例えば、
おけるストレスに対応したのは、Taylor
(2008)
「予測に基づくテイラー・ルールから判断する
後に起きたベア・スターンズの破綻がきっかけ
と2003年から2005年にかけての金融緩和は適切
であり、それまでは従来の行動様式に従ってい
だ っ た」 と い う Bernanke
(2010a) に 対 し、
たことを示唆する。ベア・スターンズの破綻に
Taylor
(2010)は、「当時の FRB のインフレ見
直面すると、FRB は彼ら自身の見通しに基づ
通しが低過ぎただけだ」と批判している。
「予
くテイラー・ルールが示唆する以上の金融緩和
測に基づくテイラー・ルールはさほど良好なも
を行った様子がうかがえるのである。FRB は、
のではないことが示唆される」というのである。
テイラー・ルールに利用しているインフレ率や
もし、Taylor
(2010)に従い、予測ではなく
失業率以外の要因、すなわち金融システムへの
足元の実績値をテイラー・ルールに適用すると、
ストレス等を加味して金融緩和を行ったともい
適正な FF 金利の誘導水準はほぼゼロとなる。
えるだろう。なお、こうしたテイラー・ルール
これは追加緩和策不要論(第6節参照)につな
からの逸脱は98年の LTCM 危機や、2000年の
がるものである。
IT バブル崩壊時にもみられるものである。
このように積極的な金融緩和を行った FRB
⑵ ディスインフレはどこまで進むか
ではあったが、リーマン・ショックによってつ
コア・インフレ率が1%を割り込んでいるこ
いにゼロ金利制約に直面することになった。テ
とはすでに述べたが(前掲図表3)、基調的・
イラー・ルールに基づく望ましい政策金利は大
趨勢的なインフレ率を捉えるために開発された
幅なマイナス値を指すようになり、伝統的な金
代理指標をみても、足元のインフレ率の低さは
融政策では十分な金融緩和効果を生み出すこと
際立っている(図表6)。
ができなくなったのである。
こうした指標の一つに刈込平均指数がある。
本稿の推計で得られたパラメーターと、2010
コア・インフレ率は先見的に食品とエネルギー
年11月に発表された FRB の経済見通しを使っ
の関連項目を除外しているが(金融政策では対
て、2010年10∼12月期時点における望ましい
処できない供給ショックによる変動が大きいた
FF 金利を算出するとマイナス4.1%に達する。
め)、刈込平均指数は各時点で個別品目のイン
さらに FRB の経済見通しに基づく限り、FRB
フレ率のなかから一定割合の異常値を除去して
がゼロ金利制約を克服し、望ましい FF 金利が
合成されたものである。クリーブランド連邦準
プラスに転じるのは2013年を待たなければなら
備銀行による刈込平均 CPI は2010年9月時点で
ない。この間、伝統的金融政策に替わる政策を
前年比0.77%、ダラス連邦準備銀行による刈込
打たなければ、米国経済が長い間にわたって意
平均 PCE デフレーターも前年比0.78%と低い
図せぬ金融引き締めに曝されることが示唆され
水準となっている。
るのである。
無論、望ましい政策金利を導くために用いた
基調的・趨勢的なインフレ率を捉えるもう一
つの代理指標が、クリーブランド連邦準備銀行
17
FRB の使命と課題
図表6:基調的・趨勢的インフレ率を表す代替指標
(前年比、%)
4.0
3.5
3.0
2.5
2.0
1.5
1.0
クリーブランド連銀加重メディアンCPI
クリーブランド連銀刈込平均CPI
ダラス連銀刈込平均PCEデフレーター
0.5
0.0
2000
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10 (年)
(資料)クリーブランド連邦準備銀行、ダラス連邦準備銀行
による加重メディアン CPI である。個別品目
を除き、一貫してコア・インフレ率も低下して
ごとのインフレ率を高い方(または低い方)か
いることがうかがえる。
ら並べ、品目別ウエイトの累積値が50%になる
各シャドー部分におけるコア・インフレ率の
インフレ率を抽出したものだ。2010年9月の実
変化幅を整理すると、失業率ギャップのピーク
績値は前年比0.51%である。
は平均2.4%、失業率ギャップがピークを打っ
図 表6か ら は、 代 替 的 な イ ン フ レ 指 標 は、
2008年後半以降、急速に低下し始め、2010年入
幅は、CPI、PCE デフレーターのいずれでみて
り後も、スピードを緩めつつ、なおディスイン
も平均0.9% Pt である(図表8)。中央値でみた
フレが続いていることがうかがえる。
場合には、失業率ギャップのピークは2.0%で、
インフレ率の決定要因の一つである産出
コア・インフレ率の低下幅は CPI でみると0.6%
ギャップに着目すると、ディスインフレの圧力
Pt、PCE デフレーターでみると0.8% Pt となる。
は大きく、デフレに陥る可能性が無視できない。
18
た後ゼロになるまでのコア・インフレ率の低下
今回の金融危機による失業率ギャップのピー
図表7は、失業率と NAIRU の差(失業率ギャッ
クは2009年10∼12月期につけた5.0%であるこ
プ)の大きさとコア・インフレ率(PCE デフレー
とから、上記の関係を踏まえるとコア・インフ
ターベース)の関係をみたものだ。グラフのシャ
レ率には1.5% Pt ∼2.0% Pt 程度の低下圧力が
ドー部分は、失業率ギャップがピークを打った
生じているのではないかと考えることができ
時点から同ギャップがゼロに転じるまでの局面
る。さらに失業率ギャップがピークをつけた時
を表している。このシャドー部分におけるコ
点のコア・インフレ率は前年比1.7%と低い水
ア・インフレ率の動きをみると、2000年代半ば
準であったことから、先行き、失業率ギャップ
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表7:失業率ギャップとコア・インフレ率
(%)
12
コア・インフレ率(前年比)
10
8
6
4.6
4
2
5.0
2.7
1.1
2.0
1.5
0
▲2
失業率ギャップ
▲4
1960
65
70
75
80
85
90
95
2000
05
10 (年)
(注)失業率ギャップ=失業率− NAIRU。
コア・インフレ率は PCE デフレーターベース。
シャドー部分は失業率ギャップがピーク(●印及び数値)をつけてからゼロになるまでの期間。
(資料)CBO、米国労働省、米国商務省
図表8:ディスインフレのスピード
失業率ギャップの
ピークの大きさ
(%)
失業率ギャップがゼロになるまでの
インフレ率の変化幅(% Pt)
コア CPI
コア PCE
デフレーター
1961年 4∼ 6月期
1975年 4∼ 6月期
1982年10∼12月期
1992年 7∼ 9月期
2003年 7∼ 9月期
1.5
2.7
4.6
2.0
1.1
0.5
▲4.2
▲1.0
▲0.6
0.8
0.3
▲2.7
▲2.1
▲0.8
0.7
平均値
中央値
2.4
2.0
▲0.9
▲0.6
▲0.9
▲0.8
2009年10∼12月期 5.0
予想されるコアインフレ率の低下幅
▲1.9∼▲1.5
▲2.0∼▲1.9
(資料)みずほ総合研究所
認できる。ロバート・ゴードン・ノースウェス
タ ン 大 学 教 授 の い わ ゆ る“Triangle Model”
(Gordon
(2009))に倣い、説明変数としてイン
フレ率の慣性、失業率ギャップ、サプライ・
ショックを使ってフィリップス曲線を推計した
結 果 が 図 表 9で あ る(な お、 次 項 で 触 れ る
NKPC とは異なる定式化である点に留意され
たい)。インフレ率はコア PCE デフレーターを
用いた。
推計式①は Gordon
(2009)とほぼ同じ推計期
間をとる一方、8期までの短いインフレ率のラ
グを説明変数に用いている。推計式②は推計期
が解消する時点ではコア・インフレ率は前年比
間をサプライ・ショックが小さい1980年代後半
マイナス0.3%∼プラス0.2%のレンジで推移す
以降(いわゆる Great Moderation 期)に限定
ることが示唆される。
している。推計式③は Gordon
(2009)と同じく
定量分析でもディスインフレ圧力の強さが確
24期までの長いインフレ率のラグを説明変数に
19
FRB の使命と課題
図表9:フィリップス曲線の推計
Gordon
(2009)
Triangle Model
本 稿
推計期間
1962年4∼6月期 ∼
2007年10∼12月期
1968年4∼6月期 ∼
2008年10∼12月期
被説明変数
PCE デフレーター
(前期比年率%)
コア PCE デフレーター
(対数前期差年率%)
推計式①
説明変数
インフレ率の慣性
失業率ギャップ
相対輸入物価
食品・エネルギー物価効果
趨勢的生産性の変化
物価統制(オン)
物価統制(オフ)
ラグ
1∼24
0∼ 4
1∼ 4
0∼ 4
1∼ 5
0
0
R2
S.E.E.
推計値
***
1.01
▲0.56***
0.06***
0.89***
▲0.95***
▲1.56***
1.78***
ラグ
推計値
***
1∼8
0∼4
0∼4
0∼4
1.00
▲0.24***
0.04** 0.45***
0
0
▲0.93* 1.41***
0.93 0.64 1985年1∼3月期 ∼ 2008年10∼12月期
コア PCE デフレーター
(対数前期差年率%)
推計式②
ラグ
1∼8
0∼4
0∼4
推計値
***
1.02
▲0.26***
0.05** コア PCE デフレーター
(対数前期差年率%)
推計式③
ラグ
推計値
1∼24
0∼ 4
0.99***
▲0.22** 0.90 0.76 0.80 0.52 0.78 0.53 1.19 1.40 0.65 0.82 0.85 1.06 ダイナミック・シミュレーション
2007年1∼3月期 ∼ 2010年7∼9月期
Mean Absorute Error
RMSE
(注)失業率ギャップは失業率と NAIRU の差。NAIRU は本稿では CBO による推計値、Gordon(2009)はオリジナルの推計値を
利用。相対輸入物価は食品と石油を除く輸入物価上昇率とコア・インフレ率の差。食品・エネルギー物価効果はヘッドライ
ン・インフレ率とコア・インフレ率の差。Gordon
(2009)で説明変数に用いられた趨勢的労働生産性の変化は非農業民間部
門のトレンド労働生産性(円滑化パラメーターを6,400とした HP フィルターにより抽出)
の8期前からの変化率。物価統制
(オ
ン)ダミー変数は1972年7∼9月期から72年7∼9月期までの5四半期に0.8とし、物価統制(オフ)ダミー変数は74年4∼6月期
と75年1∼3月期が0.4、74年7∼9月期および10∼12月期が1.6。Gordon
(2009)におけるインフレ率の慣性は、1-4期、5-8期、
9-12期、13-16期、17-20期、21-24期の各移動平均を用いてパラメーターを節約している。推計式③のインフレ率の慣性も
Gordon
(2009)に倣っている。推計式①と②のインフレ率の慣性は特定のラグ構造を仮定していない。
(資料)Gordon
(2009、Table 1)
、みずほ総合研究所
20
用いつつ、推計期間は1980年代後半以降として
ではサプライ・ショックがいずれも統計的に有
いる。
意な影響をコア・インフレ率に与えているが、
いずれの推計結果も決定係数は高く、推計誤
Great Moderation 期にはサプライ・ショック
差は1%未満(年率)である。推計結果からは、
のうち食品・エネルギーの価格変動が説明力を
インフレには慣性があり、またその係数は統計
もたなくなり(推計式②)、さらに長いインフ
的 に 有 意 に1で あ る こ と か ら NAIRU 型 フ ィ
レ率のラグを仮定した場合には輸入物価の変動
リップス曲線であること、ヘッドラインのイン
もコア・インフレ率には影響を及ぼさないよう
フレ率を用いた Gordon
(2009)と比べると傾き
になる(推計式③)。Great Moderation 期には、
が半分の「フラットな」フィリップス曲線であ
コア・インフレ率の変動に対し、インフレ率の
ることが確認できる。推計期間が長い推計式①
慣性と失業率ギャップの役割が相対的に強まっ
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表10:コア PCE デフレーター上昇率:実績とシミュレーション
(対数前期差年率、%)
4.0
シミュレーション開始
3.5
3.0
2.5
2.0
1.5
1.0
0.5
0.0
実績
推計式①
推計式②
推計式③
▲0.5
▲1.0
▲1.5
2001
02
03
04
05
06
07
08
09
10 (年)
(資料)米国商務省、みずほ総合研究所
健なフィリップス曲線が得られたにもかかわら
た。
この推計結果を用いて、2007年以降について
ず、2009年7∼9月期以降のコア・インフレ率の
ダイナミック・シミュレーションを行った結果
動きを捉え切れないのはなぜか。言い換えれば、
が 図 表10で あ る。 こ れ を み る と2007年 か ら
なぜコア・インフレ率は、2009年7∼9月期以降
2009年4∼6月期までは、実際のコア・インフレ
に持ち直したのか。
率の動きをほぼうまくフォローしていることが
そのタイミングに着目すれば、一つの仮説と
分かる。特に推計式②と③の RMSE は1%未満
して FRB の金融政策(信用政策。第4節図表17
にとどまっている(前掲図表9)。一方、サプ
を参照)が奏功した可能性が指摘できる。しか
ライ・ショックの感応度が強い推計式①は、
し、たとえ金融政策がコア・インフレ率の持ち
2008年のグローバル・インフレの発生とその後
直しに寄与したとしても、その後のコア・イン
の反動の影響を受け、実績との乖離が他に比べ
フレ率が低下し続けている点は見逃せない。
て大きい。
もし CBO の推計どおり NAIRU が今後も一
シミュレーション結果が実績から乖離するの
定のまま推移し、一方、失業率は毎四半期0.25%
が2009年7∼9月期以降である。実際のコア・イ
低下していくと仮定した場合(FRB の経済見
ンフレ率は持ち直しをみせているが、シミュ
通しにほぼ沿った仮定)、コア・インフレ率は
4
4
4
4
4
4
4
レーションは米国経済がすでにデフレの淵をの
4
4
4
4
今後どのような推移を辿るのか。それを検証し
4
ぞいていることを示している。
推計によって、過去数十年にわたってほぼ頑
たものが図表11である。シミュレーションに
は推計式②を使い、サプライ・ショック(相対
21
FRB の使命と課題
図表11:高過ぎる失業率と低過ぎるインフレ率の帰結
(対数前期差年率、%)
4
3
2
コアPCEデフレーター上昇率
1
0
▲1
▲2
▲3
▲4
2010
11
12
13
14
15
16
17
(年)
(注)失業率ギャップと相対輸入物価を所与として、2010年10∼12月期以降のコア・インフレ率
の動きを確率的ダイナミック・シミュレーションによって推計。
点線は±1標準誤差。失業率ギャップは毎四半期0.25%改善、相対輸入物価は固定(ゼロ・
インフレ率)と仮定。
(資料)みずほ総合研究所作成
輸入物価上昇率)はゼロとした。
で政策金利を動かすアクティブな金融政策は、
コア・インフレ率は2011年入り後しばらく小
インフレ率が中央銀行の目標近傍あるいはそれ
幅プラスで推移するが、2011年10∼12月期以降
以上で推移するような状況にある限り、インフ
はマイナスへと転じる。マイナス幅は徐々に拡
レ率を目標近傍にとどめるのに役に立つ。しか
大していき、2014年頃には年率マイナス1%程
し、大きなショックに直面した場合、アクティ
度のデフレとなる。デフレ・スパイラルには至
ブな金融政策で対処しようとすると、中央銀行
らず、デフレは改善していくが、デフレ解消は
はゼロ金利制約に直面することになり、その結
2017年半ば以降となる。
果、
「ゼロ金利下でデフレが持続する」という「意
予測には大きな誤差を伴うが、シミュレー
図せざる均衡」を招いてしまう。
ションに基づけば、足元の米国経済にデフレが
長期にわたる物価安定を達成した中央銀行が
迫っている可能性を無視することができず、そ
抱えるこうしたジレンマが、FRB にとって現
のデフレは長期にわたって根付くかも知れな
実味を帯びつつあることを指摘したのは、ブ
い。次項では、そうした持続的デフレの可能性
ラード・セントルイス連邦準備銀行総裁である
に関する議論を紹介する。
(Bullard
(2010))。ここでは標準的なニュー・
ケインジアン・モデルを使って二つの均衡の存
⑶ 意図せざるデフレ均衡
インフレ率の変化に対し、それ以上の度合い
22
在を示す。
標準的なニュー・ケインジアン・モデルを使
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
うと、次の3本の式によって経済を描写するこ
とができる(式の導出は本稿では割愛。Walsh
(2010)、Woodford
(2003)などを参照)。
=Ε
1
− ( −Επ+1)
+
σ
式⑺
+1
π=βΕπ+1+κ
式⑻
式⑺は経済の需要サイドを表し、予想に基づ
くフォワード・ルッキングな IS 曲線(Expectational, forward-looking IS curve)と呼ばれる。
式⑻は供給サイドを表し、ニュー・ケインジア
だ。
κ
(δπ−1)+(1−β)
δ>0
この安定均衡におけるインフレ率と政策金利
を取り出してみると(安定均衡における変数を
チルド付きで表す)、
1 κ
∼
π
= (σ∼−∼)
det σ
∼
∼
=π
+δ∼
格の下での均衡生産水準(定常状態周りの変化
式⑾
式⑿
となる。ただし
ン・フィリップス曲線(NKPC)と呼ばれる。
変数の添え字 は全て期間を表す。 は伸縮価
式⑽
1
−δ −δπ
−1
= −σ
0
率表示、以下同じ)と定常状態における生産水
σ−1
0
式⒀
κ β−1
準とのギャップ、 は債券(満期は1期間)の
∼
である。中央銀行がゼロ・インフレ(π
=0)を
利回りであり、中央銀行が決定する政策金利に
目指すとき、 =∼ =σ∼ となる。このσ∼ は、実
等しい。
は伸縮価格の下での均衡生産水準と
質政策金利がこの水準に等しいとき産出ギャッ
その予想値とのギャップであり、外生的な生産
プが不変であるという意味で景気中立的な金利
性ショックのみによって変動する。σは相対的
である。式⑺を書き換えると、
危険回避度係数(=異時点間の消費の代替弾力
性の逆数)
、κは主観的割引率βと価格の粘着
∼
=Ε
1
− ( −Επ+1−σ )
σ
+1
式⒁
の比によって決定
Woodford
(2003)によればσ∼ はヴィクセル
されるパラメーターである。いずれのパラメー
流実質金利(Wicksellian real interest rate)と
ターも正値をとり、β<1である。E
は +
呼ばれ、自然利子率に相当する。本稿の定義で
1期の変数 に対する 期における予想である。
はヴィクセル流実質金利は外生的な生産性
性および実質限界費用と
+1
一方、政策金利はテイラー・ルールに従い、
シ ョ ッ ク に よ っ て 変 動 す る が、 家 計 の 選 好
とπ によって次のように決定される。
ショックや政府支出などの外生的需要をモデル
=δππ+δ +
式⑼
に導入した場合、それらを含む形でヴィクセル
流実質金利を定義し直すことができる。
ゼロ金利制約を考慮に入れない場合、式⑺∼
一方、ゼロ金利制約を考慮するとモデルはど
⑼によって描写される経済が単一の安定均衡を
う変わるのか。大幅な利下げ後、景気回復が思
持つためには以下の条件が満たされる必要があ
わしくなく、政策金利を常にゼロにとどめざる
る。いわゆるテイラー原則(Taylor principle)
を得ない状況を考えてみよう。すると、式⑺と
23
FRB の使命と課題
⑻より、簡単に以下の均衡状態が導出される。
数(当期のインフレ率に対して政策金利を変化
させるもの)を表す曲線と、フィッシャー方程
− (β−1)κ
= σ−
−
π
−1
式⒂
式との間には、二つの交点があることが確認で
きる。インフレ率がプラスの領域の交点が「望
すべてのパラメーターが正値をとり、β<1
ましい均衡」
、マイナスの領域の交点が「意図
であるため、式⒂は、経済にはデフレギャップ
せざる均衡」である。
が残存し、デフレが根付いている状況にあるこ
とを示している(−
π=−σ−<0)。Benhabib et
もっとも、簡単な動学分析に基づくと「意図
せざる均衡」は安定的ではないと考えられる。
al.(2002)や Bullard
(2010)が「意図せざる安
DeLong
(2010)によれば、フィッシャー方程
定状態」
(unintended steady state)と呼んだ状
式よりも上(下)の領域では、市場の実質金利
態である。
が自然利子率よりも高い(低い)ため、景気が
Bullard
(2010)に倣い、この二つの均衡を具
減速(加速)し、インフレ率には低下(上昇)
体的に示したのが図表12である。議論を簡単
圧力が生じる(図表13、上段グラフの横方向
にするため、産出ギャップとの関係を捨象し、
矢印)
。一方、金融政策曲線よりも上(下)の
政策金利とコア・インフレ率の関係のみに着目
領域では市場金利が高い(低い)ため金融緩和
して両変数をプロットしたもので、金融政策関
(金融引き締め)が行われる(縦方向矢印)。
図表12:二つの均衡
金融政策関数
(%)
6
5
政策金利
フィッシャー
方程式
4
(2.4,3.5)
3
2
1
自然利子率
1.1%
(▲1.1, 0.0)
0
▲2
▲1
0
1
コア・インフレ率
2
3
4
(前年比、%)
(注)2002年1月から2010年10月まで。コア・インフレ率は PCE デフレーターベース。
FF 金利誘導目標は月末値。自然利子率は本稿の推計結果を利用。
金融政策関数:政策金利= exp
(−4.52+2.41×コア・インフレ率)
。
○印は金融政策関数とフィッシャー方程式の交点で、括弧内数字はそのときのコア・インフレ
率と政策金利の組み合わせ。
(資料)米国商務省、FRB、みずほ総合研究所
24
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表13:2つの均衡に関する動学分析
金融政策関数
コア・インフレ率
(前年比、%)
6
5
フィッシャー
方程式
&<0
4
3
2
π&<0
1
0
▲2
&>0
π&>0
▲1
1
0
2
3
4 (%)
FF金利誘導目標
金融政策関数
(前年比、%)
6
コア・インフレ率
5
4
A
フィッシャー
方程式
3
2
1
C
0
▲2
▲1
B
0
1
2
3
4 (%)
FF金利誘導目標
(資料)DeLong(2010)をもとにみずほ総合研究所作成
インフレ率と市場金利に対するこうした力を
名目金利と同様、名目価格にもゼロ下限が存在
合成すると、「望ましい均衡」が安定的であり、
するため、ハイパーデフレが長期にわたって続
経済が一時的にデフレに陥っても“自然失業率
く状況は考え難いだろう。
にマイナスの符号をつけた大きさに等しいデフ
こうした考察結果は、Bullard(2010)が依拠
レ率”に達しない限り、望ましい均衡に向かう
した Benhabib et al.
(2002)の結論と全く異な
調整メカニズムが働くことが期待されるのであ
る。Benhabib et al.
(2002)によれば、インフ
る。図表13の下段グラフは、点 A や点 B にあっ
レ側の均衡の方が不安定で、経済が中央銀行の
た経済が、金融政策を通じて意図した均衡に到
目標近傍にあったとしても、不可避的にデフレ
達することを示している。
均衡に陥ってしまうと指摘した。この点につい
しかし、いったん“自然失業率にマイナスの
て、日本における著名ブロガーの1人である
符号をつけた大きさに等しいデフレ率”に到達
himaginary 氏は、Benhabib et al.
(2002)のモ
してしまうと(図表13、下段グラフの点 C)、
デルでは時間選好率として実質金利(自然利子
それ以降の経済はデフレ側に発散する。ただし、
率)を使っていることが決定的な違いを生んで
25
FRB の使命と課題
いるのではないかと指摘している。そのため「政
可能性が示唆されると述べている。実際、日本
策金利が家計の時間割引率に比べて相対的に高
について政策金利とコア・インフレ率をプロッ
まると、家計が金融収益で潤う半面、貯蓄への
トしてみると、2002年以降、このデフレ均衡の
インセンティブは以前と変化しないので、消費
近 傍 で 推 移 し て い る こ と が 分 か る(Bullard
バブル状態になってしまう。一方、政策金利が
(2010)、小野(2010))。
相対的に低下すると、貯蓄超過・消費過小とな
第三は、今回と同じようにデフレが懸念され
り、デフレ状態に向かっていく」
(himaginary
た2003年から2004年にかけての米国経済の経験
(2010))という。
また、Benhabib et al.
(2002)のモデルは人々
からみれば、デフレは回避できるという見方だ。
確 か に 当 時 は デ フ レ を 回 避 し た が、Bullard
が完全な知識を持ち、複雑な形を持つ中央銀行
(2010)は、それが金融政策によるものなのか、
の金融政策の形状を正確に知っていることを前
単に経済環境の好転を知らせるニュースがイン
提にしている。しかし、こうした前提は現実と
フレ期待を高めたことによるのかはっきりしな
かけ離れていると考えられ、民間経済主体の知
いとして、今後の米国経済がデフレ均衡回避に
識が不完全な場合(経済の構造パラメーターに
成功するかどうかについて懐疑的である。
対する不完全な知識を持つ場合)には、De-
第四は、意図せざるデフレ均衡を生まないた
Long(2010)と同じように、デフレ均衡は非常
めに、高めの政策金利を維持する金融政策を採
に不安定な均衡になることが知られている(武
用すればよいという考えに立つ。具体的には、
藤(2004))
。
インフレ率が一定水準(ゼロよりも少し高い水
準)以下では、それまでのテイラー・ルールを
⑷ デフレ均衡の回避策
Bullard
(2010)は、米国経済がこの意図せざ
あるようなプラスの政策金利を採用する方法
る均衡(以下、デフレ均衡)に陥ってしまうの
だ。基準となる水準をインフレ率が下回ると、
かどうかについて、七つの議論を紹介している。
政策金利を不連続に引き上げる金融政策であ
第一は、マイナスの政策金利を採用すればデ
フレ均衡は回避できるという議論だが、Bullard(2010) は「馬 鹿 げ て い る(nonsensical)
」
と一蹴している。
第二は、デフレ均衡はそもそも不安定という
議論である。上述したように、簡単な動学分析
によればこの見方が妥当のように思われるが、
26
放棄し、ゼロよりも高いが依然として緩和的で
る。
同様の方法を提案したものとして、第五に、
「イングランド銀行がつい最近まで300年以上に
わ た っ て 続 け て き た よ う に」
(Bullard(2010))
政策金利の下限を2%程度と高めに維持する方
法が提案されている。
第四、第五の議論は、デフレではなく、低い
Bullard
(2010)は、デフレ均衡が安定的か不安
プラスのインフレ率が続く「意図せざる低イン
定なのかは分析に使われているモデル次第であ
フレ均衡」を作り出そうというものだ。政策金
り、明確な結論が得られていないが、何よりも
利はゼロよりも高い水準にとどまる分だけ金融
日本経済をみれば、デフレ均衡が安定的である
緩和効果が薄れるが、Bullard(2010)は「ほん
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
のわずかな追加緩和を得るために、(デフレ均
最後の見方は、量的緩和(Quantitative Eas-
衡という)
“失われた10年”に陥るリスクを取る
ing、QE)が有効であるというものだ。Bull-
意味はあるのだろうか」と述べ、これらのアプ
ard(2010)は、イングランド銀行が採用してい
ローチに理解を示している。
る量的緩和を例に挙げ、①経済の状況に応じた
第六は、金融政策を変更するのではなく、財
柔軟な政策運営である点と、②購入対象がすべ
政政策の変更によってデフレ均衡を回避するこ
てギルトと呼ばれる国債に限られインフレ的な
4
とができるというものだ。
4
“マネタイゼーション”である点を評価してい
Benhabib et al.
(2002)や Woodford
(2003)な
る。一方 FRB の金融政策については、2010年
どによれば、次のような政策が実施される。金
夏までの長期証券の買い切りオペを硬直的とみ
融政策は一貫してテイラー・ルールのような金
なし、その対象の多くがエージェンシー MBS
利政策に従う。その上で、インフレ率が低下し
であることも問題視している。FRB は経済情
始めると自動的に強力な財政政策が発動される
勢に応じて米国債を買い進めるべきだ、と指摘
仕組みとする。経済がデフレ均衡に近づくと、
している。
財政赤字は巨額となり財政的に維持不可能にな
る(横断性条件が満たされずに発散する)
。閉
鎖経済モデルでは、政府実質債務は家計の実質
4.バランスシートを使った金融政策
⑴ 金融政策の三つの次元
金融資産に他ならず、実質金融資産の増大は財
前節で触れた量的緩和や長期証券の買い切り
に対する超過需要を生み出すはずである。財市
オペは、中央銀行がマクロ経済安定化のために
場の均衡とともに、物価水準が上昇するため、
従来採用していた政策金利の操作とは大きく異
デフレ均衡は消失する。
なる政策である。それはバランスシートの規模
こうした見方に対し、Bullard
(2010)は、モ
や資産構成を変化させることを通じて、金融環
デル上は機能するかも知れないが、欧州ソブリ
境に働きかけ、ひいてはマクロ経済の安定化を
ン危機が発生したグローバル経済の現実には
図ろうというものだ。そこで本節では、最近研
「そぐわない」政策であり、「軽率な火遊び」に
究が進んでいる金融政策の新たな体系化を用い
終わると批判的だ。日本経済は債務レベルが際
て、金融危機対応として FRB が採用してきた
立っているにもかかわらず、デフレ均衡を脱し
政策を振り返るとともに、2010年11月に決定さ
ていないという現実を踏まえれば、こうした政
れた長期国債買い入れ策の位置づけとその有効
策が実際に機能するのかどうかも疑問だとい
性を考察する。
う。
金融危機後の FRB 等による政策対応を踏ま
なお以上の財政政策に関する議論は、デフレ
え、学界や政策担当者の間で、金融政策に関す
均衡に至るまでの回避策について述べたものだ
る新たな体系化が進んでいる。代表的な体系化
が、いったんデフレ均衡に陥ってしまった場合
の例を図表14に示す。新たな体系化によれば、
の克服策に関する議論は別に存在する。日本で
中央銀行の政策手段として、従来からの
は岩本(2004)や岩田(2010)などに詳しい。
・政策金利の操作
27
FRB の使命と課題
図表14:金融政策の新たな体系化
政策手段
政策金利の操作
準備金利の操作
政策分類
Goodfriend
(2009)
Curdia and Woodford
(2010a)
白塚(2009)
―――
金利政策
interest rate policy
金利政策
・金利政策と金融政策によって
一意に決定
金利政策
interest rate policy
資産構成の操作
=民間部門向け信用供給
―――
―――
・金利政策と準備供給政策に ・金利政策と広義の量的緩和に
よって一意に決定
より一意に決定
金融政策
monetary policy
総資産の操作
=ハイパワードマネー
または準備の供給
・当該論文では明示されていな
いが自明
準備供給政策
reserve-supply policy
・国債売却により準備を供給す
るか、国債購入により準備を
吸収する政策を特に「純粋な
金融政策」と定義
信用政策
credit policy
狭義の量的緩和
・各国中央銀行の金融危機対応
策は狭義の量的緩和と狭義の
信用緩和を組み合わせたもの
で あ り、「広 義 の 量 的 緩 和」
と定義
信用政策
credit policy
狭義の信用緩和
・準備の変化を伴わないものを
特に「純粋な信用政策」と定義
(注)政策手段のうち白抜き文字で示した三つの手段は、うち二つが独立。太枠で囲った手段はバランスシートの変化を伴うもの。
(資料)各論文をもとに、みずほ総合研究所作成
に、次の三つの手段が加わる。
・準備金利の操作
手段として選んでも本質的な違いはない。例え
・総資産の操作
ば CW
(2010)は、論文の注の中で、FRB や他
・資産構成の操作
の中央銀行に認められている準備金利操作を独
まずこれらの手段のうち「政策金利の操作」、
立した政策手段として取り上げることも可能だ
「準備金利の操作」、「総資産の操作」の三つの
手段については、いずれか二つの手段のみが独
が、いわゆる量的緩和策を論じる上で都合が良
いとして、上述した選択を行っている。
立であり、二つが決まれば残る手段は従属的な
FRB による準備金利操作の制度的基盤であ
位置づけとなる。Goodfriend
(2009)は「準備
る準備付利制度は、2006年金融サービス規制緩
金利の操作」と「総資産の操作」を独立した政
和法によって2011年10月から実施される予定で
策 手 段 と し て 選 択 し、Cúrdia and Woodford
あったが、2008年緊急経済安定化法によって前
(2010a、2010b、
以下 CW(2010)と略す)は「政
策金利の操作」と「総資産の操作」を独立した
政策手段として取り扱っている点が異なる。
28
もっとも、三つの手段のうちどれを独立した
倒しが決定した。
準備金利は、次のように短期市場金利の下限
として機能する。市場金利が準備金利よりも低
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表15:準備金利と実効 FF 金利(2008年)
(%)
5.00
4.50
リーマン破綻
(9/15)
準備付利開始
(10/9)
4.00
3.50
3.00
2.50
2.00
1.50
1.00
0.50
0.00
8/1
9/1
10/1
11/1
12/1
(月/日)
(注)実線が実効金利。点線は FF 金利誘導目標(まはた上限)。網掛けは日中の FF 金利
の変動幅(±1標準偏差)
。太線は超過準備に対する金利。
(資料)FRB、ニューヨーク連邦準備銀行、みずほ総合研究所
下すれば、民間銀行は市場で運用するよりも中
いる可能性があるという(GSE = Government
央銀行に準備として預ける方が望ましい。その
Sponsored Enterprise と は、 議 会 が 設 立 し た
結果、市場では資金需給がひっ迫し、市場金利
民間企業。本文中の GSE は住宅金融の円滑化
は準備金利よりも高い水準に上昇する。
を託して設置されたファニーメイとフレディ
なお一時期、FF 金利は準備金利を下回る水
マ ッ ク を 指 す。 な お 同 じ よ う な 目 的 を 持 つ
準で推移した。図表15は準備付利制度が始まっ
GSE である FHLB
(連邦住宅貸付銀行)は FF
た2008年当時の状況である(現在も2008年12月
市場における需要者側といわれる)。
末と変わらないが、2008年12月16日に FF 金利
また、GSE は金融危機による金融機関の統
の 誘 導 目 標 が0∼0.25% と さ れ、 そ の 日 以 降、
合や、自身のリスク管理の変化などを背景に、
準備金利よりも低い水準に FF 金利が誘導され
短期金融市場における取引相手の数を絞り込
ている)
。当時、FF 金利が準備金利を下回っ
み、クレジット・ラインを厳格化した。その結
て推移した重要な要因として指摘されているの
果、取引相手として選んだ銀行に対する GSE
が、中央銀行に準備を持たない非銀行・金融機
のバーゲニング・パワーが低下し、低い金利で
関の存在である。
の資金供給を余儀なくされた可能性もあるとい
Bech and Klee
(2010)によれば、FF 市場の
う。
参加者全てが準備を持つことができるわけでは
一方、低利資金の供給があれば通常それを準
ない。特に GSE は、日々の FF 市場において
備で運用しようという銀行が現れ、裁定が働く
巨大な資金の出し手となっており、そうした参
はずだ。しかし、米国の銀行はそうした裁定行
加者の異質性が準備市場と FF 市場を分断して
動を採っていないか、その能力がなかったとい
29
FRB の使命と課題
う。その理由として、Bech and Klee
(2010)は、
適政策について簡単に解説する。
資本やレバレッジに関する規制を背景に、銀行
CW モデルは、一般的なニュー・ケインジア
が収益よりもバランスシート管理を厳格化した
ン・モデルをいくつかの点で拡張したものだ。
のではないかと指摘している。
①代表的家計ではなく、家計には二つのタイプ
次にバランスシートの変化を伴う政策の体系
(均衡における貯蓄家計と借り手家計)がある
化をみてみよう。総資産を操作・変更するか、
という異質性、②金融仲介の不完全性、③借り
資産の構成を変えるかの二つの政策がある。総
手家計の導入による民間債務の存在、④中央銀
資産を変更する政策とは、国債の購入オペを通
行による民間向け信用と⑤準備金利の導入、⑥
じた準備供給(あるいはハイパワードマネー供
準備に取引サービスの供給機能を認めること
給)である。これは中央銀行の負債側の政策で
(非金銭的リターンの存在)などである。
あり、その政策意図は、民間部門に対してより
なお CW モデルにおける「中央銀行の民間
多くのマネー(流動性サービス)を供給するこ
向け信用」とは、最終的な借り手に対する信用
とにある。論者によって、金融政策(または純
を指しており、金融仲介機関に対する流動性
粋な金融政策)、準備供給政策、狭義の量的緩
ファシリティなどは該当しない。
和と呼ばれている。
CW モデルによれば、最適準備政策とは金融
一方、資産構成を変化させる政策とは「中央
仲介機関に「飽和水準」以上の十分な準備を供
銀行の資産は国債のみに限られる」という伝統
給する政策である。飽和水準とは、①もし準備
的な“Treasury Only”政策から逸脱すること
がそれ以下の場合、準備が供給されるほど厚生
を指す。
が改善し(家計の効用が増大し)、②ひとたび
国債を売却し、それに見合う規模で民間向け
準備がその水準を超えると厚生の改善が止ま
信用を供与する政策であり、民間金融仲介機能
る、という準備の水準を指す。これは、飽和水
の代替が目的と位置づけられている。この政策
準を超えた超過準備による総需要の刺激効果
は、一般に信用政策と呼ばれている。
(いわゆる量的緩和効果)は期待できないこと
をも意味している。
⑵ 望ましい政策
金融政策が三つの異なる次元を持つことを述
金利は同一となる。したがって最適準備政策は、
べてきたが、それぞれどのような政策が望まし
「政策金利を所与としたときに、準備金利を政
いとされるのか。本項では、CW(2010)の理
策金利と同水準とする政策」と言い換えること
論モデル(以下、CW モデル)に沿って、
ができる。
・金利政策
30
準備が飽和水準にあるとき、政策金利と準備
最適な信用政策については、そもそも中央銀
・準備供給政策
行が果たして信用の配分に関わるべきかどう
・信用政策
か、関わることが許されるとすればそれはどの
のうち、金融危機によって焦点が当てられるよ
ようなときか、という問題と深く関係する。中
うになった準備供給政策と信用政策に関する最
央銀行は伝統的な Treasury Only 政策を採る
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
べきであるという考え方が根強いほか、十分に
第6節)。
機能している金融市場が存在する状況では、信
信用政策は三つに分類している。①ファニー
用政策は経済の均衡状態に影響を与えないと考
メイ、フレディマックが発行・保証する MBS
(以
えられている。信用政策が役割を果たすのは、
下 エ ー ジ ェ ン シ ー MBS、 た だ し 図 表16で は
民間の金融仲介システムが著しいダメージを受
GSEMBS と表記)
、②両社および FHLB が発
けた場合に限られるという見方だ。「中央銀行
行する債券(以下エージェンシー債、ただし
による貸出を正当化する条件とは、マクロ経済
図 表 16では GSE 債と表記)
、③民間向け信用
的なものよりも、ずっとミクロ経済的なもので
である。③民間向け信用の内訳は以下の通りで
ある。その条件とは、特定の市場で生じた歪み
ある(詳細は省略)。
の深刻さや、そうした市場に介入するコストと
・TAF
の関係であり、アグリゲートなものではない」
・Primary Credit
(CW(2010))。そうした理由から、信用政策を、
・Secondary Credit
総需要や物価をコントロールする金利政策の代
・Seasonal Credit
替策として用いるべきではないといわれてい
・PDCF
る。なお信用政策のあり方については第5節5項
・AMLF
で再び触れる。
・Credit extended to AIG
・Preferred interests in AIA Aurora LLC
⑶ FRB による準備供給政策と信用政策
& ALICO Holdings LLC
次に、金融危機以降の FRB の金融政策を上
・Net portfolio holdings of TALF
述した体系化に従いながら振り返ってみよう。
・Net portfolio holdings of CPFF
図 表 16は、金融危機から現在にいたるまでの
・MMIFF
FRB のバランスシートに関して8時点のデータ
・Net portfolio holdings of Maiden Lane Series
を抽出し、さらに各時点間(七つの局面)にお
・SLF & TSLF
ける変化をみたものである。
なお、
FRB は Citigroup および Bank of Amer-
なお、図表16の不胎化政策とは準備供給政
ica 向けに一時期ノンリコース・ローンを提供
策の一部で、準備の吸収手段に相当する。不胎
する契約を締結した。ローンは未実施のまま契
化政策には、リバース・レポ、ターム預金制度
約が終了しており、本稿でも民間向け信用から
(Term Deposit Facility、TDF)
、米国財務省
除外したが、こうした統計に表れない信用政策
による補足的資金調達制度(Supplemental Fi-
でも、当時の金融市場に与える影響は無視でき
nancing Program、
SFP)の三つの手段がある。
なかったと思われ、軽視すべきではない。
通常、準備の吸収はバランスシートの縮小を伴
局面の定義は次の通りである。
第①の局面は、
うが、これらの不胎化政策は、バランスシート
米国の格付け会社によるサブプライム・ローン
の大きさを保ちながら(あるいは増加させなが
関連証券化商品の大量格下げが行われた2007年
ら)準備を吸収することを可能にする(詳細は
7月から同年末まで。第②の局面は、ベア・スター
31
FRB の使命と課題
図表16:FRB のバランスシート
バランスシートの状況
(10億ドル)
総資産
局面
日付
2007年07月04日
2007年12月26日
②
2008年03月26日
③
2008年12月31日
④
2009年10月28日
⑤
2010年03月31日
⑥
2010年07月28日
⑦
2010年12月01日
①
準備供給政策
米国債
880.4
893.8
895.8
2,240.9
2,164.7
2,310.5
2,328.7
2,349.7
790.6
754.6
612.3
475.9
774.6
776.7
777.0
917.5
計
紙幣
798.1
803.2
802.2
1,713.2
1,958.3
1,948.0
1,954.2
1,947.2
781.4
791.8
780.6
853.2
874.8
894.1
903.3
936.4
準備
16.8
11.4
21.6
860.0
1,083.4
1,053.9
1,050.9
1,010.8
計
32.2
40.5
40.8
347.7
94.4
182.7
264.8
252.8
不胎化政策
リバース
TDF
レポ
32.2
0.0
40.5
0.0
40.8
0.0
88.4
0.0
64.4
0.0
57.8
0.0
60.6
4.2
52.9
0.0
信用政策
SFP
0.0
0.0
0.0
259.3
30.0
125.0
200.0
200.0
計
39.5
64.0
157.1
1,252.6
1,254.1
1,433.8
1,442.4
1,320.9
GSE 債 GSEMBS
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
19.7
0.0
141.6
774.1
169.0 1,068.7
159.4 1,117.5
148.2 1,022.7
その他
民間向け
通貨
信用
スワップ
39.5
0.0
64.0
14.0
157.1
0.0
1,232.9
553.7
338.4
32.9
196.2
0.0
165.6
1.2
150.0
0.1
総資産に対する比率
(%)
総資産
局面
日付
2007年07月04日
2007年12月26日
②
2008年03月26日
③
2008年12月31日
④
2009年10月28日
⑤
2010年03月31日
⑥
2010年07月28日
⑦
2010年12月01日
①
準備供給政策
米国債
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
89.8
84.4
68.4
21.2
35.8
33.6
33.4
39.0
計
紙幣
90.7
89.9
89.6
76.4
90.5
84.3
83.9
82.9
88.8
88.6
87.1
38.1
40.4
38.7
38.8
39.9
準備
1.9
1.3
2.4
38.4
50.1
45.6
45.1
43.0
計
3.7
4.5
4.6
15.5
4.4
7.9
11.4
10.8
不胎化政策
リバース
TDF
レポ
3.7
0.0
4.5
0.0
4.6
0.0
3.9
0.0
3.0
0.0
2.5
0.0
2.6
0.2
2.2
0.0
信用政策
SFP
0.0
0.0
0.0
11.6
1.4
5.4
8.6
8.5
計
4.5
7.2
17.5
55.9
57.9
62.1
61.9
56.2
GSE 債 GSEMBS
0.0
0.0
0.0
0.9
6.5
7.3
6.8
6.3
0.0
0.0
0.0
0.0
35.8
46.3
48.0
43.5
各局面における増減
局
面
①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
(10億ドル)
総資産
日付
米国債
2007年 7月∼2007年12月
13.4
▲35.9
2008年 1月∼2008年 3月
2.0 ▲142.3
2008年 4月∼2008年12月 1,345.2 ▲136.4
2009年 1月∼2009年10月
2009年11月∼2010年 3月
2010年 4月∼2010年 7月
2010年 8月∼2010年12月
民間向け
信用
4.5
7.2
17.5
55.0
15.6
8.5
7.1
6.4
その他
通貨
スワップ
0.0
1.6
0.0
24.7
1.5
0.0
0.1
0.0
▲76.3
145.9
18.2
21.0
298.6
2.1
0.3
140.4
準備供給政策
計
紙幣
準備
5.1
▲1.0
911.0
10.4
▲11.2
72.5
▲5.3
10.1
838.4
245.1
▲10.3
6.2
▲7.0
21.7
19.3
9.2
33.1
計
不胎化政策
リバース
TDF
レポ
8.3
0.3
306.9
8.3
0.3
47.5
223.4 ▲253.2
▲29.6
88.3
▲3.0
82.1
▲40.0
▲12.0
▲23.9
▲6.7
2.9
▲7.8
0.0
0.0
0.0
信用政策
SFP
計
GSE 債 GSEMBS
0.0
24.5
0.0
93.2
259.3 1,095.5
0.0
0.0
19.7
0.0 ▲229.3
1.5
0.0
95.0
179.7
4.2
75.0
8.6
▲4.2
0.0 ▲121.6
121.9
27.4
▲9.6
▲11.2
その他
民間向け
通貨
信用
スワップ
0.0
24.5
0.0
93.2
0.0 1,075.7
14.0
▲14.0
553.7
774.1 ▲894.4 ▲520.8
294.6 ▲142.3
▲32.9
48.8
▲30.6
1.2
▲94.8
▲15.5
▲1.2
(注)TDF
(Term Deposit Facility)=ターム預金制度、SFP
(Supplemental Financing Program)=財務省による補足的資金調達
制度。
(資料)FRB よりみずほ総合研究所作成
32
ンズが破綻した2008年3月末まで。第③の局面
MBS 等の期限前償還によるバランスシートの
は、リーマン・ブラザーズの破綻を含む時期で
目減りを補うため長期国債による再投資政策が
同年末まで。第④の局面は、大規模長期証券購
発表された8月以降から12月初めまでの時期で
入(Large Scale Asset Purchase 、LSAP)プ
ある。
ログラムが発表・実施され、長期国債の買い切
初めに FRB の総資産の推移をみると、当初
りオペが終了する2009年10月末まで。第⑤の局
の8,804億ドルから足元では2.3兆ドルまで膨張
面 は、 エ ー ジ ェ ン シ ー 債 と エ ー ジ ェ ン シ ー
している(図表16の上段表)。この背景には準
MBS の購入が終了する2010年3月末まで(デリ
備供給策があり、特に準備は、わずか168億か
バリーが完了したのは同年8月19日)。第⑥の局
ら1兆ドルを超える水準に増加した。一方、紙
面は、新たな措置が採られない空白的な時期で
幣は相対的に微増にとどまっており、その点で、
同年7月末まで。第⑦の局面は、エージェンシー
バーナンキ議長がテレビのインタビュー番組の
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
中で「我々は“printing money”を行っている
図 表 16の下段表)。第③局面で拡大した不胎化
わけではない」
(CQ.com(2010b))と述べたこ
政策と通貨スワップは、第④局面で共に大幅に
とは正しいが、苦し紛れでもある。
縮小した。国債が増えたのは、2009年3月から
次に局面ごとに政策の変遷をみていこう。第
①、第②局面では総資産の変動が抑えられる中
10月までに実施された長期国債の買い入れのた
めである。
で米国債が減少し、それに見合う形で民間向け
第⑤局面は追加的な準備供給政策は行われず
信用が増大した(前掲図表16の下段表)。この
(前掲図表16の中段表)、信用政策のみが拡大
時期は、信用政策が採られたことを示している。
した(前掲図表16の下段表)。第⑥局面は、準
第③局面では、米国債の比重が引き続き低下
備供給政策の面でも信用政策の面でも追加策は
し、民間向け信用とエージェンシー債が増加し
採られていない。
ているが
(前掲図表16の中段表)
、総資産規模の
第⑦局面は、紙幣の増加を準備の減少が相殺
拡大が伴っており
(前掲図表16の下段表)
、準備
し、準備供給政策としては変更がない中で(前
供給政策と信用政策が組み合わされたといえる。
掲図 表16の下段表)
、信用政策が縮小している
この局面では、不胎化政策(リバース・レポ
(前掲図表16の中段表)
。
と SFP の増加)も採られている。信用政策は
最後に、信用政策の中身の変化をみると(前
国債から民間向け信用へのシフトを指すが、当
掲図 表16の中段表)
、第①局面から第③局面ま
初のバランスシートの大きさが制約となる。こ
では民間向け信用の比重が拡大した。第④局面
の局面ではリーマン・ショックを機に金融危機
と第⑤局面は、民間向け信用が減少し、それを
が深刻化し、信用政策の必要性が著しく高まっ
補うか、それ以上の規模で、エージェンシー債
た。当時の FRB は準備付利制度が認められる
とエージェンシー MBS
(特に後者)が拡大した。
前であったため、超過準備の供給には慎重でバ
第⑥局面は、引き続き民間向け信用の減少を
ランスシートの拡大を抑えてきた。しかし信用
エージェンシー MBS の増大が相殺したが、
エー
政策の需要に応え切れなくなり、財務省の協力
ジェンシー債は減少に転じている。第⑦局面で
を得て SFP を導入した。これにより、一方で
はエージェンシー MBS も大きく減少した。こ
は高まる信用政策の需要に応えるべくバランス
の時期、信用政策は全体として縮小し、伝統的
シートの拡大を図りつつ、他方では、将来のイ
な Treasury Only 政策に回帰し始めたことが
ンフレにつながりかねない超過需要の増加を防
確認できる。
ぐため、市中から SFP を通じて余剰資金を吸
第⑦局面における信用政策の縮小は「金融緩
収したのである。また第③局面では金融危機の
和を維持する」という当時の FRB の決定とは
グローバルな側面への対応として海外中央銀行
相容れなかった。エージェンシー MBS やエー
との通貨スワップが拡大している。
ジェンシー債の減少は、長期金利が低下し両証
第④局面は準備供給策が拡大した。信用政策
の残高はほぼ不変に保たれる中で国債が増え、
それに見合う規模で準備が増加している(前掲
券の償還が予想以上に早まったことが理由だっ
た。
長期金利の低下によって MBS の償還が早ま
33
FRB の使命と課題
るメカニズムは次の通りである。まず長期金利
般の投資家では発し得ないアナウンスメント効
が大きく低下すると、MBS の原債権である住
果も持ち得るため、FRB の新たな再投資政策
宅ローンの一部で借り換えが進む。その結果、
は、長期金利の低下を通じ、自身による長期国
MBS の期限前償還が投資家の見込み以上増大
債の買い入れ額を加速的に膨らませる可能性を
する。MBS の投資家はポートフォリオのデュ
秘めていたと考えられる。
レーションが短期化してしまうことを防ぐた
またエージェンシー債とエージェンシー
め、長期の国債を購入する。これはダイナミッ
MBS は「米国財務省によって支えられている」
ク・ヘッジと呼ばれる。そうした MBS 投資家
(Bernanke
(2009a)
)ことから、もし米国債の
による長期債への需要によって、一段と長期金
ように信用リスクがゼロとみなすなら、金融危
利を押し下げられることになり、MBS の早期
機によって膨らんだ FRB の信用政策は、足元
償還との間でスパイラル的な動きにつながるの
までの間に大きく縮小したと考えることもでき
である。
るだろう(民間向け信用の残高は2010年12月初
2010年8月 の FOMC で は、FRB の ス タ ッ フ
から2011年末までの償還額が、エージェンシー
占める比重は金融危機前並みに低下している)。
MBS では3,400億ドルに達し、エージェンシー
この点は出口戦略(第6節で詳説)にとって大
債も500億ドルに上るとの予想が提示された。
きな意味を持つ。金融危機の後遺症が癒え、信
同 年11月 の FOMC で も、2011年6月 末 ま で に
用政策が大きく後退し、バランスシートの資産
両証券を合わせて2,500億ドル∼3,000億ドルが
構成が元の状態に近づいたのであれば、中央銀
償還されるとの見通しが示されている。
行の出口戦略とは、総資産の規模縮小、すなわ
こうした信用政策の縮小は、FRB にとって
ち準備の吸収を意味する。一方、信用政策の比
「意図に逆らうもの」
(a perverse outcome)で
重が大きい状態での出口戦略では、信用政策見
「望ましからぬ受動的金融引き締め」
(an unde-
合いで準備を固定化する政策を採っていく必要
sirable passive tightening of policy)であるこ
がある。
と か ら、2010年8月 の FOMC は、 両 証 券 の 償
以上みてきたように、FRB による準備供給
還金を再投資する政策を決定した(Bernanke
政策と信用政策は状況に応じて単独あるいは組
(2010年8月27日))。
み合わせという形で実施されている(図 表 17)。
ただし、その再投資先は長期国債とされた。
白塚(2009)によれば、今回の金融危機への各
長期国債の買い入れは第④局面でも実施されて
国中央銀行の政策対応や、日本銀行が2001∼
いることはすでに触れているが、長期国債の買
2006年に採用した量的緩和政策は、
「狭義の量
い入れが金融緩和効果をもたらすかどうかは議
的緩和」と「狭義の信用緩和」という「二つの
論の余地が残っている。
要素を組み合わせ、非正統的な政策全体として
一方、MBS の償還に合わせて長期債を購入
34
めの時点で1,500億ドルと巨大だが、総資産に
の有効性を高めよう」としたものであるという。
するという FRB の行動も、MBS 投資家による
なお白塚(2009)はこうした政策を「広義の量
ダイナミック・ヘッジと同じである。さらに一
的緩和」と呼んだ。
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表17:バランスシートを使った金融政策の変遷
局 面
体系化に基づく区分
た場合の米国経済の改善テンポが「失望するほ
ど鈍い」ためである(第2節1項参照)。
①2007年 7月∼12月
信用政策
さて、総額9,000億ドルにも上る長期国債の
②2008年 1月∼ 3月
信用政策
買い入れ枠は、どのように決まったのか。制約
③2008年 4月∼12月
準備供給政策+信用政策
④2009年 1月∼10月
準備供給政策
⑤2009年11月∼2010年3月
信用政策
⑥2010年 4月∼ 7月
<現状維持>
⑦2010年 8月∼12月
信用政策(縮小)
(注)各局面におけるバランスシートの変化をもとに作成。
(資料)みずほ総合研究所作成
となるのは、FRB の内規であった。
FRB が公開市場操作を通じて取得する証券
については、彼らの内規によって、伝統的に「1
銘柄当たり発行残高の35%以下とする」とされ
てきた。2010年11月の FOMC の決定は、この
内規を一部緩和しているが、そうした変更を踏
まえた場合、FRB としてはほぼ最大限の買い
入れ枠を設定したと考えられる。
⑷ 長期国債買い入れの経済効果
内規は次のように変更されている。FRB の
第⑦局面に再開された長期国債の買い入れ策
保有比率がすでに30%を超えている銘柄につい
はマクロ経済に影響をもたらすのか、それはど
ては、追加的な買い入れ規模は発行残高の5%
れほどの大きさを持つのか。本項ではこの点に
を上限とする。例えば FRB の保有比率が32%
ついて考察していく。
の銘柄は、同比率が最大37%となるまで買い入
FRB は、第④、⑥局面と第⑦局面の終盤以降、
れることが認められた。FRB によれば、TIPS
長期国債の買い入れ(買い切りオペ、
Permanent
を除く長期国債の保有比率は、2010年11月3日
Open Market Operation、POMO)を行ってい
時点で平均13.2%であった(図表18)。特に保
る。第④局面では、エージェンシー MBS やエー
有比率が高い年限は、残存期間が10年から17年
ジェンシー債の購入とともに「信用緩和策」
の国債で、市中発行残高の28.3%を FRB が保
(credit easing、Bernanke
(2009a))の一つと位
有している。
置づけられた。第⑥局面では「受動的な金融引き
FRB が公表している各銘柄の保有比率をも
締め」を防ぎ「エージェンシー MBS やエージェ
とに、筆者が試算したところ、
新しい内規に従っ
ンシー債に再投資するよりも効果的に長期金利
た場合 FRB が購入可能な長期国債(具体的に
を引き下げ、金融環境を改善させる」
(Bernanke
は残存期間が1.5年以上)はおよそ1兆ドルとな
(2010c))ための再投資政策として、また2010
る。これは11月の FOMC が決定した買い入れ
年11月の FOMC では追加緩和策として6,000億
額をわずか1,000億ドル上回るに過ぎない。買
ドルの買い入れが発表された。再投資政策も継
い入れが2011年6月末までの時限的措置である
続されることとなり、その規模は前述した通り、
ことを考えると、FRB は兎にも角にも上限一
2,500∼3,000億ドルと見込まれている。
杯の買い入れ枠を提示したといえる。
2010年11月の FOMC の決断は、すでにみた
後知恵に過ぎず、定量化も困難だが、上限一
ように、デュアル・マンデートと照らし合わせ
杯というシグナルによって、市場に対するアナ
35
FRB の使命と課題
図表18:FRB の長期国債購入余力と QE2
残存期間
∼1.5年
1.5∼2.5年
2.5∼4 年
4∼5.5年
5.5∼7 年
7∼10 年
10∼17 年
17∼30 年
計
うち対象銘柄
2011年6月末までの購入予定額(10億ドル)
発行残高
FRB 保有分
平均保有
購入余力
(10億ドル)(10億ドル) 比率(%) (10億ドル)
計
再投資分
追加緩和分 購入比率
(%)
1,339.0
128.4
9.6
980.1
949.6
757.9
761.3
743.7
197.8
495.4
121.0
116.6
78.3
117.7
88.2
56.0
68.9
12.3
12.3
10.3
15.5
11.9
28.3
13.9
216.8
217.4
188.2
137.1
172.6
40.6
80.0
43.8
175
175
201.25
201.25
17.5
35
13.8
55.0
55.0
63.3
63.3
5.5
11.0
30.0
120.0
120.0
138.0
138.0
12.0
24.0
5
20
20
23
23
2
4
6,224.8
4,885.9
775.0
646.6
12.5
13.2
1,052.7
848.75
266.8
582.0
97
(注)発行残高、FRB 保有分は2010年11月3日現在。T-bill と TIPS は含まない。
購入余力は「FRB の保有比率が30%を超える場合、追加購入額は発行残高の5%以内」とする FRB 内規に基づき算出。今
後の購入予定額(含む TIPS)
のうち再投資分を総額2,750億ドルと仮定(FRB 発表による2,500億ドル∼3,000億ドルの中央値)
。
(資料)ニューヨーク連邦準備銀行、みずほ総合研究所
ウンスメント効果を最大限に高める一方、タカ
派からの批判には「新しい情報に照らし合わせ
これに対し、長期国債の買い入れ策は、二つ
て証券の買い入れペースと総額を定期的にレ
の波及経路を通じてマクロ経済に影響を及ぼし
ビューする」
(11月 FOMC 声明文)ことによっ
うるという考えがある(Clause et al.
(2000))。
て対応しようとしている FRB の戦略がうかが
一つは、短期政府証券(T-bill)と長期国債
える。
が完全代替の関係にあり、長期債のリスク・プ
では、その経済効果はどの程度なのか。内規
レミアムがゼロまたは一定の場合に、中央銀行
に関わる問題よりも、こちらの方が本質的な問
の長期国債の買い入れが将来の政策金利予想に
題であることはいうまでもない。
働きかけるというシグナリング・チャネルであ
長期国債の買い入れは、バランスシートを使
36
ある(Reinhart and Sack
(2000))。
る。
う政策でありながら、上述した準備供給政策に
もう一つは、投資家がリスク回避的で、短期
も信用政策にも定義上は該当しない。その役割
政府証券と長期国債の代替性が不完全である場
からみれば、金利政策に近い。
合に、中央銀行の長期国債買い入れによって資
元来、完備な資本市場を前提とした考え方の
産の相対的な供給を変化させ、それがリスク・
もとでは中央銀行が長期証券を買おうが短期証
プレミアムの変化を通じて債券利回りに影響を
券を買おうが違いはない。極端なケースでは金
与えるというポートフォリオ・バランス・チャ
利政策として行われる公開市場操作そのものが
ネルである。「米国債市場における重要な参加
無効だという見方(Wallas(1981))や、長期国
者の一人として、FRB は、短期国債から長期
債の買い入れ策が前提とする証券間の不完全な
国債への資産構成の変化を通じ、ターム・プレ
代替性に対し、批判的な結論を得ている研究も
ミアムひいては全般的な利回りに影響を与える
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
ことができるかもしれない。(中略)同じロジッ
して打ち出された買い入れ枠は6,000億ドルで
クで、社債や株式、または外国の政府証券の買
あるため、その効果だけを取り出せば、上記試
い入れを購入することも考慮に入れることがで
算値よりも小さいことになる)
。
きるだろう」
(Bernanke
(2004))。
さらに1985年から2008年までの月次データを
ここではポートフォリオ・バランス・チャネ
元に、FF 金利誘導目標の前月差と10年債利回
ルから着目していこう。その場合、証券の市中
りの前月差の関係を筆者が OLS 推計したとこ
発行残高を所与とすれば、中央銀行が買い入れ
ろ「100:42」という関係が得られた。Gagnon
る証券の総額が重要であり、買い入れのテンポ
et al.
(2010)とこの結果を合わせると、2010年
ではない。前者はストック・ビュー、後者はフ
11月に発表された長期国債の買い入れ策は、
ロー・ビューといわれる(Bernanke
(2010c)、
FF 金利の誘導目標を最大100bp 引き下げるこ
Kohn(2010))。
とに相当する。
ストック・ビューに基づく最近の実証研究に
だが、当時の議事録を読む限り、長期国債買
よれば、長期国債の買い入れ策は一定の効果を
い入れ策による経済効果の定量的分析に触れた
持つことが示されている。
くだりは見当たらない。経済効果に確信が持て
ダドレー・ニューヨーク連邦準備銀行総裁は、
ないまま、政策決定が行われたと考えることが
「最近の経験に基づいた簡単な計算によれば、
できるだろう。また、上述した試算値について
5,000億ドルの長期国債買い入れは FF 金利誘
も、はじめにみたテイラー・ルールに基づく
導目標を50bp ∼75bp 引き下げたのと同じ」と
FF 金利の適正水準(2010年10∼12月期時点で
指摘している(Dudley
(2010))。
マイナス4%)と比較すると、長期国債買い入
4
またローゼングレン・ボストン連邦準備銀行
4
4
4
れによる推計上の効果は十分ではない。
総裁は、2010年10∼12月期から2年間の累積効
追加緩和期待が高まった2010年夏場以降にみ
果として GDP を0.8%ポイント弱押し上げ、失
られる株価上昇を、ポートフォリオ・バランス・
業率を0.5%ポイント弱改善するというシミュ
チャネルを通じた効果の表れとみなすことは可
レーション結果を紹介している(Rosengren
能かも知れないが、長期国債買い入れ策の効果
(2010))。FRB の長期国債買い入れによって70
の検証は今後も続くだろう。
万人の雇用が維持・創出されることに等しいと
いう。
一方、Gagnon et al.
(2010)は、民間部門に
⑸ 国債管理政策との衝突
一方、米国債の供給サイドに目をむけると、
対する長期国債の供給が GDP 比で1% Pt 減少
長期国債の買い入れによるポートフォリオ・バ
すると、ターム・プレミアムの低下を通じて長
ランス効果を阻害する要因が指摘できる。米国
期金利が4∼7bp 押し下げられることを示した。
財務省の国債管理政策との衝突である。
この結果に基づくと、9,000億ドル(GDP 比で6%
Bernanke
(2004)は、長期国債買い入れ策を
相当)の長期国債の追加買い入れは、10年債利
進めるに際して直面し得る「複雑な問題」とし
回りを最大42bp 低下させる(追加金融緩和と
て、国債管理政策との関係に言及した。
37
FRB の使命と課題
2000年代前半における日本の金融政策を巡る
論争でも、同様の議論があった。白川(2002)
的に同じであると指摘した。
や小宮(2002)は、長期国債の需給バランスを
これに対して、委員会のメンバーからは、
通じたポートフォリオ効果を認めた場合でも
FRB と財務省は相互に独立した機関であり、
(彼らは批判である)
、「政府が長期国債の発行
時折衝突するように思われるかも知れない相異
を減額し短期国債の発行を増額するという国債
なる使命を持っている、という指摘があった。
管理政策によっても全く同じ効果が実現する。
そして、委員会は、FRB の金融政策にかかわ
しかも、現在の発行金額を前提とすると、量的
らず、財務省が長期的にみて最も費用のかから
にはそうした政府の国債管理政策の方が需給バ
ない調達を確保するというその使命を全うすべ
ランスの改善という目的には効果的であろう」
きであるという点で合意したのである。
(白川(2002)
)と指摘した。見方を変えれば、
また2∼3名の委員からは、FRB は米国債市
もし中央銀行の長期国債買い入れを相殺する形
場において本質的には「巨大な投資家」に過ぎ
で、財政当局が長期国債の発行を増やした場合、
ず、また、長期債を大量に購入するという行動
金利はおそらく上昇するということだ。
も、恐らく一時的(transitory)ではないかと
FRB の長期国債買い入れ策を直前に控えて
の指摘があった。米国財務省は、単一の巨大な
いた時期に開かれた米国財務省と市場参加者と
投資家のために、定例かつ予見可能な発行の枠
の議論によれば、金融政策との協調よりも、よ
組みを修正すべきではない、ということだ。
り低利での調達という国債管理政策上の観点を
さらに、FRB の長期国債買い入れによって
重視し、財務省が FRB と相対立する目的を持
品薄となる年限等について、流動性不足に対処
つとしても仕方がないという見方が優勢だ。以
するために財務省が当該年限の国債を追加発行
下 は、2010年11月 FOMC の 第1日 目 に あ た る
することを示唆する発言もあった。こうした提
11月2日に開催された、米証券業金融市場協会
案は、需給に影響を与えようとする FRB の政
(SIFMA)の財務省借入諮問委員会の様子であ
る(U.S. Treasury
(2010))。
この会合では委員の1人から、米国財務省が
低利調達のためにポートフォリオの平均満期を
策と真っ向から対立する。
5.残された緩和手段と障害
⑴ 予想への働きかけ
長期化しようとしているのに対して、FRB が
ポートフォリオ・バランス・チャネルを通じ
長期債を購入しようとしている点を踏まえる
た FRB の長期国債買い入れがもたらす経済効
と、両者は「相反する目的」
(cross purposes)
果が限定的であるとすれば、シグナリング・チャ
に向かっているのではないか、という疑問が提
ネルの効果はどうか。より広い視野に立てば、
起された。
民間の経済主体に対する予想への働きかけはう
疑問を呈した委員は、経済的観点からみると、
38
減らし、短期債をより多く発行することと経済
まく機能するのか、が問われることになる。
準備を増やすことで賄われる FRB の長期債購
まず2010年8月27日、カンザスシティ連邦準
入は、米国財務省が長期のクーポン債の発行を
備銀行主催によりジャクソンホールで開催され
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
た毎年恒例の国際カンファレンスにおいて、
様の指摘を行っているが、これは「市場機能論」
バーナンキ FRB 議長が行った講演を振り返っ
と呼ばれる論点である。
てみよう。同カンファレンスは、もともと日本
一方、「コミュニケーションを通じた金融緩
銀行の国際カンファレンスを見習って始まった
和の促進」と「物価安定と整合的な水準を超え
とされる(岩田(2010))。
た水準への中期的なインフレ目標の引き上げ」
「経済見通しと金融政策」と題したこの講演
は、いずれも民間経済主体の予想(政策金利の
で、バーナンキ議長は、
「追加緩和のためのオ
予想パスや予想インフレ率)に働きかける政策
プション」として長期証券の購入以外に、次の
として位置づけられ、上述したシグナリング・
三つの政策オプションを提示した(Bernanke
チャネルよりも踏み込んだものと捉えられる。
(2010c))。
このうち「コミュニケーションを通じた金融
・準備金利の引き下げ
緩 和 の 促 進」 に つ い て、 バ ー ナ ン キ 議 長 は
・コミュニケーションを通じた金融緩和の促
図 表 20のように述べている。
進(例:声明文の変更)
・物価安定と整合的な水準を超えた水準への
中期的なインフレ目標の引き上げ
このうち、
「準備金利の引き下げ」については、
9月21日に開催された FOMC でも、長期証
券の買い入れ策と並んで、民間経済主体の予想
に働きかけることの重要性が指摘された。
予想への働きかけに関するその議論で興味深
すでに市場金利が低く追加的な効果が小さいこ
いのは、
「短期予想インフレ率」と「長期予想
と や、 こ れ 以 上 の 短 期 金 利 の 引 き 下 げ は、
インフレ率」の区別である。9月 FOMC の議
FOMC が金融政策の運営において大きく依存
事録では、追加緩和策として焦点を当てるべき
している短期金融市場の機能を損なう可能性が
インフレ期待が、
「短期予想インフレ率」であ
高いことを問題点として指摘した(図表19)。
講演より1カ月前(7月21日)の議会証言でも同
図表19:市場機能論
現状では、超過準備に対する金利の引き下げが金融状
態にもたらす効果は、それだけでは相対的に小さいだろ
う。
(中略)
さらに、そうした行動は、いくつかの重要な金融市場
と金融機関を混乱させる可能性がある。FRB の目的に
とって重要なのは、極めて短期の金利をさらに低下させ
ると、FF 市場のような短期金融市場の流動性を悪化さ
せてしまう点にある。というのも、ゼロ近傍のリターン
では多くの参加者とマーケット・メーカーが市場から退
出してしまうからだ。通常時、FRB は金融政策を運営す
る上で、十分に機能する FF 市場に強く依存しており、
我々は、そうした市場に恒久的なダメージを与えないよ
う注意深くなければならない。
(注)下線は筆者。
(資料)Bernanke
(2010c)より訳出
図表20:予想への働きかけ
声明文は現在、異例の低金利が「かなりの長期にわたっ
て」正当化されるだろうという FOMC の予想を反映し
たものである。もし状況によって必要となれば、委員会
が考慮している(次の)ステップは、現在市場が予想し
ている以上の長期にわたって FF 金利の目標を低く抑え
続けると(FOMC が)予想していることを投資家に対し
て伝えるべく、声明文の文言を修正することである。こ
のような変更は、たぶん、政策予想の見直しに相応して
その分だけ長期金利を低下させるだろう。
(中略)
FOMC の声明文を用いて市場の予想に働きかけること
の潜在的な問題点は、少なくともより包括的なフレーム
ワークが実施されない限り、委員会の意図を十分な正確
さと条件を付して説明することは難しいということだ。
委員会は、見通しと政策意図を可能な限りはっきりと伝
えることを目標として、そのコミュニケーション戦略を
積極的に見直し続けるつもりである。
(注)下線は筆者。
(資料)Bernanke
(2010c)より訳出
39
FRB の使命と課題
ることが強調されている。「短期名目金利がゼ
みの可能性が提示されたが、中央銀行が目新し
ロ金利制約に直面している状況下、短期インフ
いアプローチを採用しようとしても、一般の
レ期待の低下は短期実質金利の上昇を招き、総
人々がその枠組みを理解していなければその効
需要を抑制してしまう。反対に、短期インフレ
果は限定的である。「一般論として、必要とさ
期待を高めることで短期実質金利が引き下げら
れるどのような追加策も、それを一般の人々に
れ、 経 済 を 刺 激 す る」
(2010年9月 FOMC 議 事
明確に伝えられるフレームワークの中でこそ有
録)。
効性を持ち得る」
(9月 FOMC 議事録)との認
FRB は、これから採用するかもしれない予
識の下で、FOMC 参加者は、議事録そのものが、
想インフレ率への働きかけ、すなわち“リフレ
新たな金融政策の枠組みに対する人々の理解の
政策”はあくまで短期的なもので、長期的には
手助けになることを期待している。「FOMC 議
物価安定を目指す姿勢に変わりがないことを示
事録は金融政策に関する FOMC 参加者の見方
すため、わざわざ議事録の中でこうした説明を
を伝えるための重要なチャネルである」
(同)。
行ったのではないかとも考えられる。後述する
なお、バーナンキ議長は8月下旬の講演にお
ように、議事録そのものが、重要なコミュニケー
いて、「物価安定と整合的な水準を超えた水準
ション・ツールと位置づけられているためだ。
への中期的なインフレ目標の引き上げ」に賛同
短期予想インフレ率に働きかけるため、議事
する FOMC のメンバーは「誰もいない」と発
録では次の三つの枠組みが提示されている。
言していた。一方、9月 FOMC 議事録はリフ
・FRB がデュアル・マンデートと整合的で
レ策に触れており、1カ月足らずの間にその賛
あるとみなすインフレ率に関する、より詳
同者が現れていたことを示唆している。これは
細な情報の提供
大規模な金融危機後の経済予測がいかに困難な
・物価水準のパスの目標化
ものかを示すエピソードといえる。また議事録
・名目 GDP のパスの目標化
では、先の講演でバーナンキ議長が強調してい
これらはそれぞれインフレ数値目標、物価水
た追加緩和の副作用についてほとんど言及がな
準目標(より正確には物価水準経路目標)
、名
いことも付言しておこう。
目 GDP 目標(同じく、名目 GDP 水準経路目標)
を示唆している。特に後二者は、望ましい水準
とのギャップが埋まるまでの間、金融緩和を続
インフレ目標政策と物価水準目標の違いは、
けることを約束するものであり、現状では、リ
ゼロ金利制約下でデフレに直面した場合、先行
フレ政策が採られることを意味する。物価水準
きのインフレ率に関する予想形成を通じて現時
目標は、日本銀行が採用すべき金融政策として、
点における強力な金融緩和効果を生み出せるか
かつて FRB 理事時代にバーナンキ議長が提言
どうかにある。
していたものでもある。この物価水準目標は次
項で触れる。
9月 FOMC ではこのように新たな政策枠組
40
⑵ 物価水準目標
ま ず、 イ ン フ レ 目 標 政 策 の 場 合 を 考 え る
(図 表 21の上段グラフ)。
経済にショックが発生したことで、それまで
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表21:インフレ目標政策と物価水準目標政策
<インフレ目標政策>
物価水準
望ましいインフレ率
(=2%)で推移
デフレ前の
物価水準パス
デフレ
ショック
低インフレ期
デフレ後の
物価水準パス
望ましいインフレ率
(=2%)に回帰
物価水準の傾きは
インフレ率を表す
時間
現在
<物価水準目標政策>
物価水準
望ましい物価水準の
パスは不変
望ましいインフレ率
(=2%)で推移
デフレ
長期予想
インフレ率は不変
物価水準
ギャップ
2%超
ショック
リフレーション
↓
短期予想インフレ率を引き上げ
時間
現在
(資料)みずほ総合研究所作成
望ましいインフレ率(2%と仮定)で推移して
近傍に低下しているとする。
いた物価水準が下方屈折し、現在はデフレが生
インフレ目標政策の下では、「デフレから脱
じているとする。この過程で、政策金利もゼロ
却しても、しばらくの間は、望ましいインフレ
41
FRB の使命と課題
率を下回る低インフレの時期が続き、その後に
の失敗が問われることになるため、中央銀行に
ようやく望ましいインフレ率に戻っていく」こ
は金融緩和策を模索する強いインセンティブが
とが予想される。短期予想インフレ率も長期予
生じる。インフレ目標政策を採用する中央銀行
想インフレ率も安定的に2%で推移するわけだ。
は、こうしたインセンティブが発生しない。
このため、インフレ目標政策の下では、予想イ
ンフレ率を高めることで実質金利を低下させ、
金融緩和を実現する、といったことはできない
のである。
なお、インフレ目標政策下の物価水準パスは、
い。
まず、物価水準目標政策の有効性が最も高い
のは、これまでの説明で分かるように、人々の
インフレ予想が過去のインフレ率の動向に左右
ショックの前後で下方シフトしていることが分
されず、フォワード・ルッキングに形成される
かる。一方、物価水準目標政策の下では、物価
場合である。しかし、実際に人々のインフレ予
水準パスはショックの前後で変わらない(前掲
想がフォワード・ルッキングに形成されている
図 表 21の下段グラフ)。
とは限らず、バックワードな要素が重要である
その結果、物価水準目標政策下の長期予想イ
ンフレ率は、インフレ目標政策のときと同様に、
可能性は否定できない。
物価水準目標政策には導入上の問題もある。
2%近傍で推移する。異なるのは短期予想イン
Kohn
(2010)は、①いつの物価水準をターゲッ
フレ率である。前掲図表21の下段グラフに示
トとするのか、②インフレ率のオーバーシュー
したように、中央銀行は望ましい物価水準のパ
トと調整が頻繁に繰り返される可能性があるこ
スを維持しようとするため、実際の物価水準を
と、③目標物価水準を毎月更新していかなけれ
望ましい水準まで引き上げる必要がある。両者
ばならないなどの点で、物価水準目標政策の実
の差は「物価水準ギャップ」と呼ばれ、「中央
行には困難が伴うと指摘している。
銀行の失敗」を表している(Bernanke
(2003))。
物価水準目標を提唱している経済学者でさ
物 価 水 準 ギ ャ ッ プ が 存 在 す る と き、 そ の
え、物価水準目標政策の導入に対する中央銀行
ギャップを解消しようとすれば、中央銀行は一
の慎重姿勢に共感を示している。政策は、常に
時的に2%を超えるインフレ率を許容しなけれ
それが正しく理解されて始めて有効性を持つ
ばならない。リフレーション期と呼ばれるこの
が、人々の理解を求めるのは容易ではなく、誤っ
期間を経て、物価水準は望ましい水準に回帰す
た方向に導いてしまうおそれがあるというもの
るのである。
だ。
物価水準目標政策下で発生するリフレーショ
マイケル・ウッドフォード・コロンビア大学
ン期の存在によって、人々の短期予想インフレ
教授は、ブルッキングス研究所の会合における
率は高まることになる。その結果、実質金利を
Reis
(2009)へのコメントとして、物価水準目
低下させ、金融緩和を実現することが可能とな
標政策下で生じる一時的な高インフレを許容す
るのである。
る中央銀行の姿勢が、人々によって誤解され、
物価水準ギャップが存在する限り、中央銀行
42
物価水準目標政策に問題がないわけではな
中央銀行に対する人々の信頼が崩れてしまうお
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
それを当局者が抱くことに無理はないと述べて
摘があった。
いる。
同教授によれば「金融政策当局者は、中央銀
⑶ 予想のコントローラビリティ
追加的な緩和効果を生むために人々の予想に
行のいうことを人々が理解した上で何が起きる
のかを考えるだけではなく、実際上の問題とし
働きかける金融政策は成功するのか。
て、人々が中央銀行の言葉や行動にどんな別の
まず政策金利の予想パスに対しては、日本銀
解釈を与えるのか、そしてその結果何が起きる
行による政策コミットメントが成功を収めたと
のか、についても考慮に入れる必要がある。中
指摘されている(白塚ほか(2010))。しかし、
央銀行が理解している通りに人々が理解すると
米国の足元の状況をみる限り、FRB は必ずし
単純に仮定した理論分析では、こうした問題に
も成功しているとはいえない。
対処できない。政策当局者は、ニュアンスの違
図表22は OIS から算出したインプライド・
う政策を理解させる上で、人々の理解力に単純
フォワード・レートの変化をみたものである。
に頼るよりも、政策が人々に理解され、そうし
追加緩和の用意を示唆した2010年9月の FOMC
て初めて効果を持つためにも、政策をどのよう
に関する議事録が公表された日の翌日に当たる
に説明すべきか、もっと考える必要がある」。
同年10月13日、長期国債買い入れ策を決定した
2010年10月 の 臨 時 FOMC で は、
(結 論 は 出
11月 FOMC の翌日に当たる11月4日における
ていないものの)インフレ目標や物価水準目標
金融市場の政策金利予想はほぼ同一で、それら
の導入に関する議論において、四半期ごとに公
の時点では、「今後1年間は金利政策に変更がな
表している長期見通しで十分ではないかとの指
い」との見方が織り込まれていた。しかし、12
図表22:OIS からみた政策金利予想
(%)
0.50
(%)
5.0
2010年7∼9月期
2010年7∼9月期
4.5
10月13日
4.0
11月4日
11月4日
3.5
12月初旬
12月初旬
3.0
10月13日
2.5
0.25
2.0
1.5
1.0
0.5
0.00
1カ月後
0.0
6カ月後
12カ月後
1∼2年後
2∼3年後
3∼4年後
4∼5年後 6∼10年後
(注)OIS よりインプライド・フォワード・レートを算出。2010年10月13日は追加緩和の用意を示唆した9月
FOMC 議事録の公表翌日、11月4日は FOMC 翌日。
(資料)Bloomberg
43
FRB の使命と課題
月初旬の時点では政策金利の予想パスは大きく
下げ余地がない中で、人々の「短期予想インフ
変化しており、1年後には金利政策の変更(政
レ率」を引き上げることによって、金融緩和効
策金利の誘導レンジを0∼0.25%とする政策か
果を生み出すことを狙っている。一方、物価安
ら、0.25%とする政策へ)を織り込み始めてい
定を堅持する上で、長期予想インフレ率は安定
る。
していることが望ましいだろう。
この間に、一部の経済指標が好転したことや、
この点を確認するため、金融市場の予想イン
追加景気対策が発表されたことが大きな要因の
フレ率としてブレーク・イーブン・インフレー
一つと考えられる。しかし、本稿で考察してき
ション(BEI)の動きをみたものが図表23であ
たように、①テイラー・ルールに基づけば金利
る。短期予想インフレ率として現在から5年後
政策の変更(引き締め)は当面考えられず、②
までの平均予想インフレ率をとり、長期予想イ
長期国債の買い入れ策がもたらす効果も限定的
ンフレ率として6年後から10年後までの平均予
と考えられることから、こうした政策金利の予
想インフレ率(BEI よりインプライド・フォワー
想パスの引き上げは、FRB からみれば「意図
ド・レートを算出)をとっている。
せざる金融引き締め」を意味することになるだ
ろう。
なお厳密には「BEI =予想インフレ率+イン
フレ・リスクプレミアム+ TIPS の元本保証オ
次に予想インフレ率はコントロールできてい
プション・プレミアム− TIPS の流動性プレミ
る と い え る の か。2010年9月 の FOMC 議 事 録
アム」と考えられるが、本稿では各種プレミア
で明らかなように、FRB は、名目短期金利の
ムは一定と仮定している。こうした仮定がどれ
図表23:金融市場における予想インフレ率と実質金利
ジャクソンホール
講演(8月27日)
(%、%Pt)
11月FOMC
上院証言
4.5
(11月3日)
(7月21日)
4.0
9月FOMC
予想インフレ率格差
議事録公開
6∼10年後の平均予想インフレ率
3.5
(8月27日)
現在∼5年後の平均予想インフレ率
3.0
ジャクソンホール
講演(8月27日)
11月FOMC
上院証言
(7月21日) (11月3日)
(%、%Pt)
4.0
実質金利格差
6∼10年後の実質金利
現在∼5年後の実質金利
3.0
9月FOMC
議事録公開
(8月27日)
2.0
2.5
2.0
1.0
1.5
0.0
1.0
0.5
2010年
1
2
▲1.0
2010年
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12(月)
(注)予想インフレ率はブレーク・イーブン・インフレ率を利用。
(資料)Bloomberg、みずほ総合研究所
44
1
2
3
4
5
6
7
8
(注)実質金利は TIPS 利回りを利用。
(資料)Bloomberg、みずほ総合研究所
9
10 11 12(月)
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
だけ妥当なのかについては議論の余地がある。
その結果、前掲図表23の右グラフに示した
例えば D’
amico et al.(2010)によれば、BEI
ように、実質金利(TIPS 利回りを利用。厳密
のボラティリティのうち、56%を予想インフレ
には TIPS 利回り=実質金利−オプション・プ
率 が 占 め、 イ ン フ レ・ リ ス ク プ レ ミ ア ム は
レミアム+流動性プレミアムと考えられる)は
21%、流動性プレミアムは26%であり、リスク・
むしろ上昇に転じている。
プレミアムの変動が無視できないことを示唆し
これまでの考察を踏まえると、実体経済面の
て い る(興 味 の あ る 読 者 は D amico et
理由からインフレ懸念が高まっているとは思わ
al.(2010)の Table 7を参照されたい)。ただし
れず、むしろ FRB による長期国債の買い入れ
D amico et al.
(2010)が推計対象とした1999年
策が、短期的なリフレどころか、長期的なイン
から2007年3月までのうち、2004年以降の流動
フレを招くのではないかとの金融市場参加者の
性プレミアムはほぼ安定して推移している様子
懸念につながっている可能性が示唆される。
が う か が え る(同 Figure 11)
。現在までの
FRB の長期国債買い入れ策が、その政策意図
TIPS 市場の一段の拡大を踏まえると、少なく
と異なる解釈がなされているとすれば、米国経
とも流動性プレミアムについては一定とみなし
済は高い失業率と高いインフレ率というスタグ
てもよいのではないかと思われる。
フレーションに見舞われてしまうおそれもあ
さて、前掲図表23の左グラフみると、2010
る。
年4月下旬から8月下旬にかけて、短期予想イン
FRB にとって、物価安定に対する FRB の強
フレ率と長期予想インフレ率はともに低下基調
いコミットメントや、実施している金融政策に
を辿った。変化が生じたのが8月下旬であり、
関して、人々によりよく理解してもらう必要が
短期予想インフレ率も長期予想インフレ率も反
高まっているといえるだろう。実際、2010年10
転・上昇し始めた。特に長期予想インフレ率の
月に開催された臨時 FOMC においては、日本
上昇が大きい。この間、7月21日にはバーナン
銀行や ECB
(欧州中央銀行)が行っているよう
キ議長が議会証言の質疑応答で追加緩和のため
な、金融政策決定後の記者会見の有効性が議論
のオプションに言及し、8月27日にはジャクソ
されており、また11月会合ではコミュニケー
ンホールでの講演でより具体的な言及を行って
ション戦略のレビューに関する小委員会の設置
いる。こうしたアナウンスメント効果が予想イ
が決まっている。FRB には、コミュニケーショ
ン フ レ 率 の 反 転 を 引 き 起 こ し た が、 そ れ は
ン戦略の有効性を高める手立てが急がれてい
FRB の思惑とは異なり、主に長期予想インフ
る。
レ率の上昇を招いた。2010年12月上旬時点でも、
短期予想インフレ率は相対的に低位にとどま
⑷ ターム金利目標と課題
り、長期予想インフレ率が高止まりする状況に
2010年10月の臨時 FOMC では、政策オプショ
ある。FRB が、予想インフレ率のコントロー
ンの一つとしてターム金利を目標とする政策が
ルを通じた金融緩和効果の発現に成功している
取り上げられた。ターム金利目標政策は、金利
とはいえない。
ペッグ政策や債券価格ペッグ政策とも言い換え
45
FRB の使命と課題
られ、長期国債買い入れ策をより極端に推し進
また、1942年から51年にかけて採られた金利
めるものだ。米国では1941年から51年にかけて
ペッグ政策は、それに伴う通貨創造によってイ
実施されたことがある。
ンフレ圧力が高まり、最終的に崩壊した。
10月の会合では、「長めの金利を押し下げる
もし今後 FRB がこの政策を導入するとすれ
ための効果的方法であり、追加的な景気刺激効
ば、的確なタイミングで出口戦略に踏み出せる
果を持つ」という意見が出された。以前、Ber-
か否か(あるいはそうした FRB の行動に対す
nanke(2003)は長期金利を引き下げるための
る人々の信頼)が成功のための重要な鍵を握る
手段として、政策金利をある一定期間低く抑え
ことになる。その点で、FRB のコントロール
るというコミットメントと並んで「個人的に好
を離れつつあるようにもみえる長期予想インフ
むもう一つの方法」として、
「もっと長い満期
レ率の動きは、出口戦略(第6節)への信認が
の財務省証券(たとえば、2年以内に満期が到
得られていないことの現れであるとも考えら
来する証券)について、FRB が利回りの明確
れ、非常に気がかりである。
な上限を公表し始めること」を提案したことが
ある。1942年から51年の間に採られた同様の政
策 に 関 し、Bernanke
(2003) は「FRB は 長 期
長期的な予想インフレ率の高まりは、金融政
既発債の保有シェアで目立ったことなど一度
策に由来するものとは限らず、膨張する財政赤
も」なかったにもかかわらず、「10年近くにわ
字への懸念の表れである可能性も否定できな
たり長期債利回りの上限を2∼2.5%に維持」し
い。
たと述べている。彼は「FRB は、想定しうる
FRB による長期国債の買い入れ策は、すで
ほとんどのケースで、長期財務省証券の金利操
にみたように今後1年間に予想される財政赤字
作によってその目的を達成できるのではない
の規模にほぼ相当する。前回のエージェンシー
か」と考えていた。
MBS やエージェンシー債および長期国債の買
一方、2010年10月の FOMC では、潜在的に
い入れ策についても同じことがいえる。つまり、
大きなリスクを抱える政策であることも指摘さ
FRB は市中からこれらの長期証券を買い入れ
れている。参加者からは、
「金利を目標水準に
るものの、実質的には財務省から新発債を買う
とどめるために、望まないほどの大きさで証券
ことと同じであり、マネタイゼーションという
を買い入れることになりはしないか」との懸念
色彩が強いのである。
が示された。Bernanke and Reinhart
(2004)も、
「短期金利が低くとどまることに市場が疑問を
人々の眼に、物価安定という目的ではなく、
マネタイゼーションという目的で金融政策が運
抱く場合、中央銀行が目標となる証券の全て、
営されているかのように映り始め、それが長期
もしくはその多くを買い入れてしまうことにな
予想インフレ率の高まりとなって表れていると
りかねない」と指摘した(それでもなお、Ber-
考えるのは、決して行き過ぎた見方ではないだ
nanke and Reinhart
(2004)はこの政策を支持
ろう。
している)。
46
⑸ 米国財務省とのアコード
こうした人々の懸念を払拭するには、中長期
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
的な財政健全化に向けた道筋をつけることが重
は納税者である国民に負担をかけるものである
要である。しかし米国ではまだ、抜本的な財政
ため、議会制民主主義の下では、中央銀行の裁
健全化に向けた動きがみられない。オバマ大統
量によってのみ信用政策が実行されることが
領が設置した超党派の財政責任・改革国家委員
あってはならないという考え方ができるだろ
会は、財政健全化に向けて報告書を作成したが、
う。
同委員会の評決では議会に諮問するために必要
な票数が集まらなかった(2010年12月4日)。
中央銀行と財政当局(もしくは政府・議会)
実際、金融危機以前、そして金融危機の最中
でも、FRB による信用政策は十分な担保を取
ることが大前提とされてきた。さらに、たとえ
との間で、相互に、長期的な物価安定と財政健
十分な担保を取った場合であっても(Primary
全化について合意を取り交わし、その上で短期
credit など)、FRB による信用政策は納税者を
的なマクロ経済安定化策を採ることの必要性が
危険に曝す可能性があるという慎重な見方もあ
高まっているように思われる。そうした合意の
る(Goodfriend
(2009))。
一部には、マクロ経済安定化策によって中央銀
米国ではこうした観点から、金融政策と財政
行が損失を被る場合に対する財政面での支援
政策との境界について合意が取り交わされた。
や、それとは逆に、財政政策と金融政策の境界
米 国 財 務 省 と FRB が2009年3月23日 に 共 同 で
を明確化する取り決めが含まれるだろう。前者
発表した声明文がそれに当たる(図表24)
。
は長期国債の買い入れ策に伴うキャピタルロス
声明文では、信用市場の機能改善と金融安定
の問題や信用政策に伴う信用リスクの問題と関
化に向けた協調が謳われただけでなく、「連邦
係し、後者は、中央銀行がどこまで信用政策に
準備による信用リスクと信用の配分の回避」が
踏み込むべきかという問題と関連する。
明記され、中央銀行の仕事は「幅広い金融また
信用政策は「総資産の規模を所与として、資
産構成を変える政策」であり、具体的には「中
は信用状況の改善」にあり、「信用の配分」は
財政当局の責務であることが明記された。
央銀行が保有する国債と引き換えに民間向け信
日本銀行は2010年10月5日、「包括的金融緩和
用を供与する政策」である。ここで「国債と引
策」を発表した。国債のほかに社債、ETF
(指
き換え」るとは「中央銀行が国債を発行するこ
数連動型上場投資信託)
、J-REIT
(不動産投資
と」にほかならない。というのも、民間部門か
信託)など多様な金融資産の買い入れを行って
らみれば政府と中央銀行は一体であり、中央銀
いくものだ。しかし FRB の場合、上述したア
行が公開市場操作を通じて取得した国債は、民
コードを踏まえると、日本銀行が実施したよう
間部門にとっては償還された国債と同じだから
な信用政策の再開に踏み切る可能性は(金融危
だ。実際、中央銀行は政府から国債の金利を受
機が再発する恐れがある場合を除いて)低いだ
け取るが、必要な経費を除いた多くの部分は国
ろう。
庫に返される。
財務省と FOMC の共同声明において明確に
こうしてみると、信用政策とは財政政策の一
された FRB の信用政策に対する制限は、2010
つとみなせることが分かる。さらに、財政政策
年7月21日に成立した金融規制改革法(ドッド
47
FRB の使命と課題
図表24:財務省・連邦準備の共同声明(2009年3月23日)
1.信用市場の機能改善と金融安定化に向けた財務省と連邦準備の協調
金融危機を防止・管理する上で連邦準備の専門性と権限は不可欠。今般の危機発生後に発動した政策は、広範な経済に悪影
響が広がることを抑える上で極めて重要な役割を果たしてきた。異例かつ差し迫った状況が続く限り、信用市場の機能を改善し、
システミックな悪影響をもたらし得る機関の破綻を回避し、金融システムの安定化と修復を促すため、連邦準備は必要に応じ
て財務省と緊密かつ共同歩調をとりながらすべての政策手段を使い続ける。
2.連邦準備による信用リスクと信用の配分の回避
連邦準備による最後の貸し手責任は、責任を有する連邦準備銀行の合意の上で行われる担保貸付を意味する。また、連邦準
備による行動は、幅広い金融または信用状況の改善を目的とすべきであり、特定の借り手に対する信用配分ではない。信用配
分に影響を与える政府決定は財務省の権限領域。
3.通貨の安定性維持の必要性
バランスシートの大きさに影響を与える貸付や証券買い取りなど、異例かつ差し迫った状況下において金融安定化のために
連邦準備が採っている行動が、持続可能な最大限の雇用と物価安定を促進するために必要な金融政策の実行を妨げてはならな
い。財務省は、連邦準備のバランスシート管理を支援するため、補足的資金調達プログラム(Supplementary Financing Program)と呼ばれる特別な資金調達メカニズムを設けている。これに加えて、財務省と連邦準備は、連邦準備による貸付や証券
買い取りが銀行準備の供給に与える影響を不胎化するための追加的政策手段を連邦準備に付与するための法整備を(議会に対
して)要請する。
4.システム上重要な金融機関に対する包括的破綻処理レジームの必要性
財務省と連邦準備はシステム上重要な金融機関の無秩序な破綻を回避することに対して、引き続き完全にコミットしている。
将来の危機を防ぐため、財務省と連邦準備は、議会とともに、システム上重要である、いかなる金融機関の潜在的な破綻に対
しても早い段階で効果的に政府が対処するためのレジームを開発する。そのフレームワークの一部として、法律上に、破綻処
理における連邦準備と他の政府機関に期待される役割を可能な限り明確化。
長期において、またその権限が許す限り、財務省は、いわゆるメイデン・レーン・ファシリティを連邦準備のバランスシー
トから分離もしくは清算。
(資料)FRB
(みずほ総合研究所仮訳)
=フランク法、Dodd = Frank Wall Street Re-
議会、Financial Stability Oversight Council の
form and Consumer Protection Act)によって
創設や Too big to fail 救済の禁止など)として
法制化された。その内容は、
結実している。
・個社に対する緊急融資は禁止
・あらゆる融資制度に財務長官の承認が必要
・融資制度は広範なものでなければならず、
破綻会社への融資は禁止
・担保は納税者を損失から守るに足るもので
なければならない
などである。
また、共同声明では「通貨の安定性維持の必
48
⑹ 通貨安競争批判
追加的な金融緩和策として、理論的には自国
通貨を直接減価させる方法がある。財政当局の
管轄である為替介入と、中央銀行による外国債
券の買い入れだが、いずれも厳しい国際的批判
に曝され、国家間の対立を招きかねないリス
キーな政策であり、現実的ではない。
要性」と「システム上重要な金融機関に対する
2010年は FRB の金融緩和を通貨安政策とみ
包括的破綻処理レジームの必要性」が確認され
なし批判する動きが強まった。そのきっかけは、
たが、前者は準備付利制度の前倒し執行として、
ブラジルのマンテガ財務大臣が「我々は国際通
後者は金融規制改革法の一部(金融安定監督評
貨戦争の只中にある」
(9月27日)と発言したこ
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
と に あ る。 韓 国 の 慶 州 で 開 催 さ れ た20カ 国
のための「十分に資金を確保するための枠組み」
(G20)財務大臣・中央銀行総裁会議は、10月
が作られたことが発表されたことで、ようやく
23日、「通貨の競争的切り下げを回避する」と
沈静化した。その枠組みとは、日本側の提案に
の文言を含む共同声明を発表し、その後11月に
よる「SDR・円スワップ」や市場を介さない「ド
開催されたソウル・サミットも、同様の内容を
ル・円スワップ」などであった(滝田(2006)
)。
含む「ソウル・アクションプラン」を発表して
基軸通貨国である米国が、外貨準備を十分には
いる。しかし、緊張は解けていない。
持っていないことへの対応であるが、外貨準備
米国にとってみると、ドル売り介入や外国債
券の買い入れ策は、ドル暴落につながりかねず、
が少ないという状況は現在も変わっていない
(図表25)。
そもそも安易に実施できるような政策ではな
一方、ソウル・サミット後、新興国とともに
い。過去の教訓がある。ドル高是正を目的とし
米国の追加金融緩和を「通貨安競争」と批判し
て1985年9月にプラザ合意が発表されて後の2年
てきたドイツは「通貨競争はなくなった」
(ショ
間が、ドル高是正どころか、ドル防衛を迫られ
イブレ財務相)との見方を示したが、今度は、
る状況に変化したことだ。ドル暴落の恐怖は、
バーナンキ FRB 議長が、新興国こそ通貨安政
87年12月のいわゆる「クリスマス合意」を経て、
策を採っていると批判している(11月19日)。
翌88年1月の日米首脳会談において、ドル防衛
図表25:日米欧の外貨準備比較
(10億SDR、100万トロイオンス)
800
676.0
700
外貨準備
600
IMF特別引出権
500
金
400
347.0
300
261.5
200
132.8
100
33.2 36.9
30.9
9.2 10.0
28.0
13.4 24.6
0
米国
英国
ユーロ圏
日本
(注)2010年9月末。ユーロ圏の SDR 保有額はドイツ、フランス、イタリアの3カ国分の合計値で代用。
(資料)IMF
49
FRB の使命と課題
6.出口戦略
⑴ 信認問題
2009年7月上旬、FRB を含む九つの政府機関
(エージェンシーと省庁)を対象に、その仕事
ぶりに対する一般国民の評価を示す結果が公表
された。ギャラップ社が行ったその世論調査に
操作は GAO の監査対象。取引相手、金額、
条件等の情報の開示も FRB に義務づけ
・FRB 理事の1人として金融監督・規制担当
を設置し、議会に対して年2回報告
・連邦準備銀行のガバナンスに関する調査お
よび改善策の提示(GAO)
よれば、当時、新型インフルエンザ対策に追わ
・連邦準備銀行総裁の選出手続きの改革
れていた CDC
(疾病予防管理センター)が最も
それでもなお、FRB に対する批判は根強く
高い評価を獲得し、61%が「すばらしい/よい
燻っており、FRB の長期国債買い入れ策も、
仕事をしている」と回答した。
そうした批判の矢面に立っている。図表26は、
NASA
(アメリカ航空宇宙局、59%)
、FBI
(連
インターネットの動画サイト Youtube に掲載
邦捜査局、58%)が続く中、FRB は、一般に
された“QE2 explained”と題する動画のトラ
人気のないといわれる IRS
(内国歳入庁、国税
ンスクリプトである。FRB に対する誤解や悪
局に相当。40%、7位)よりも低い評価(30%)
意も感じられるが、米国民の一部の眼に FRB
にとどまり最下位だった。FRB に対する評価
がどのように映っているのかを知る上で貴重な
は2003年にも行われており、当時の好意的評価
手がかりとなるため紹介しておこう。
は53%だった。一方、最低の評価をつけた割合
動画では、2匹の動物(アニメーション)が
は2003年には5%に過ぎなかったが、2009年の
やり取りを繰り返し、
「デフレといっても下がっ
調査では22%にのぼった。
ているのは、FRB に対する評判だけ」と皮肉っ
FRB に対する米国民の厳しい視線の背景に
ている。「過去20年間で FRB が正しいことを
は、FRB が信用バブルを助長したとの見方が
やったことは一度もない」し、「1年前にも2兆
あることや、FRB や政府の支援によって金融
ドルを使って雇用を増やし住宅市場を回復させ
機関(Wall Street)は救われたが、数百万の
ようとして失敗したにもかかわらず、とにかく
失業者(Main Street)はどうするのか、といっ
6,000億ドルを使いたがっている」と批判して
た不満や感情が高まっていたことが挙げられよ
いる。
う。
経済学者の中にも、追加的な金融緩和に対す
2010年に成立した金融規制改革法でも、FRB
る強い批判がある。報道によれば、主に共和党
に対し、次のように、一段の透明性の確保と説
系といわれるエコミスト、投資家、政治家らが、
明責任を求めている。
Wall Street Journal と New York Time 両紙に
・金融危機において実施された FRB による
広告を掲載し、FRB が計画する資産購入は為
全ての緊急融資に対して GAO(会計監査
替相場の下落とインフレのリスクを高め、雇用
院)が監査を実施
促進という FRB の目的を達成することにはな
・全融資の詳細の一般公表
50
・今後の緊急融資、公定歩合貸付、公開市場
らないと主張した(52ページ図表27)。
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
図表26:FRB への批判
A:Did you hear about the Fed?
B:No. What about the Fed?
A:They announced another round of the Quantitative Easing.
B:What does it mean?
A:It means that they are going to make large asset purchases via POMO(Permanent Open Market Operations)
.
B:What does it mean?
A:It means that they are going to expand their balance
sheets and buy Treasuries.
B:What does it mean?
A:It means that they are going to print ton of money.
B:So why do they call it the Quantitative Easing? Why
don’t they just call it the printing money?
A:Because the printing money is the last refuge of failed
economic empires and banana republics. And the Fed
does not want to admit that this is their only.
B:So why do they want to print money?
A:Because they say we have deflation and deflation is
very bad.
B:What is the deflation?
A:The deflation is when prices of things we buy go down.
B:Isn t it good? Doesn t it mean that the people can buy
more of the stuff?
A:Yes. But the Fed said this is bad, especially during recession.
B:So they think during recession when the people have
less money to buy the stuff, it is bad that prices go down.
A:Yes. The Fed would rather have inflation.
B:So why does the Fed think that we have deflation?
A:Because the CPI said so.
B:But aren t the food prices higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the gas prices higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the health care costs higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t tuition prices higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the taxes higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the subway fares higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the stock prices higher than a year ago?
A:Yes.
B:Aren t the bond prices higher than a year ago?
A:Yes.
B:So what is deflating right now?
A:The only thing deflating that I can see is the Fed s credibility.
B:Did they have a lot of credibility to start with?
A:No.
B:Why not?
A:Because the Fed has been wrong about every major
economic development in the past 20 years.
B:You mean they didn’
t see the internet stock bubble?
A:No. In fact they helped fuel the internet stock bubble.
B:And they didn’
t see the housing bubble?
A:No. In fact they helped cause the housing bubble.
B:And they didn t see the subprime crises?
A:No. In fact they told us subprime problems were contained right before the shit hit the fan and the Lehman
went bankrupt.
B:So has the Fed ever been right about anything?
A:Let me see, if I can think of anything, no, nothing.
(中略)
B:So what you are telling me is that the Fed thinks prices
are going down when in fact they are going up?
A:Yep.
B:And they think, during recession with higher unemployment, it is better if the things people buy need to cost
more money.
A:Correct. According to Ben Bernanke, the inflation will
create jobs and improve the housing market.
B:Has this ever been tried before?
A:Yes, just last year, the Fed tried the Quantitative Easing
with 2 trillion dollars.
B:Did it create a job?
A:No.
B:Did it help the housing market?
A:No, not at all.
B:Did it help anybody at all?
A:Yes, it helped XXX.
B:How much of the money are they printing now?
A:600 billion dollars.
B:So even though the first 2 trillion did not create jobs, or
improve the housing market, the Fed decided to do another 600 billion anyway?
A:Yes.
(中略)
A:Most economists around the world think that the Quantitative Easing is very dangerous.
B:Does anyone think it is good idea?
A:Yes, the people at XXX.
B:Is this some kind of nightmare?
A:No, it is very real.
B:I want to bang my head against wall.
A:You should not do that.
B:Why not?
A:Because the health care is too expensive.
B:But didn’
t the President Obama fix that?
A:No.
(注)XXX は大手金融機関を指す固有名詞が使われているが、本稿では伏せている。
(資料)“QE2 explained”
(Youtube.com)より、筆者がトランスクリプトを作成
51
FRB の使命と課題
図表27:Open Letter to Chairman Ben Bernake
We believe the Federal Reserve s large-scale asset purchase plan(so-called“quantitative easing”
)should be reconsidered and discontinued. We do not believe such a plan is necessary or advisable under current circumstances. The planned
asset purchases risk currency debasement and inflation, and we do not think they will achieve the Fed s objective of promoting employment.
We subscribe to your statement in the Washington Post on November 4 that“the Federal Reserve cannot solve all the
economy s problems on its own.”In this case, we think improvements in tax, spending and regulatory policies must take
precedence in a national growth program, not further monetary stimulus.
We disagree with the view that inflation needs to be pushed higher, and worry that another round of asset purchases,
with interest rates still near zero over a year into the recovery, will distort financial markets and greatly complicate future
Fed efforts to normalize monetary policy.
The Fed s purchase program has also met broad opposition from other central banks and we share their concerns that
quantitative easing by the Fed is neither warranted nor helpful in addressing either U.S. or global economic problems.
(資料)Wall Street Journal(Real Time Economics)
, November 15, 2010
また、米国債券運用大手パシフィック・パシ
フィック・インベストメント・ マネジメント・
スキームはかつてなかったと断じている(PIMCO(2010))。
カンパニー(PIMCO)のマネージング・ディ
レクター、ビル・グロス氏は、FRB による長
⑵ 出口戦略の手段と順序
期国債買い入れ策について「数兆ドルにおよぶ
長期金融緩和への世界的な警戒感や、米国内
通貨の増発は債券保有者にとって好材料とはい
における(一部は政治的な背景を持つ)金融政
い難く、実際にインフレを押し上げるものであ
策に対する批判に対する FRB の回答の一つは、
り、率直にいうと、ポンツィ・スキーム(ネズ
出口戦略の整備である。
ミ講)的な性質を帯びたもの」であると批判す
まず出口戦略の手段には、大きく分けて①準
る。FRB は「真のポンツィ・スキームのように、
備金利の引き上げ、②リバースレポ、③ TDF
騙される人の数を増やし続ける必要はなく、自
(ターム預金制度)、④保有証券残高の縮小の四
らに対して通貨を発行すれば事足りる」のであ
り、「これほどまでに厚かましい」ポンツィ・
つがある(図表28)。
準備金利はすでに述べたように短期金利の下
図表28:出口戦略のツールとバランスシートへの影響
準 備
FRB の
総資産規模
準備(要求準備、超過準備)に対する金利を引き上げ
不変
不変
リバースレポ
一定期間後の高値での買い戻し条件付きで保有国債等を売却し資
金を吸収。FRB は取引相手と適格証券を広げようとしている
縮小
不変
TDF
(ターム預金制度)
一定期間引き出しができない銀行向け預金(CD に類似)の創設
縮小
不変
保有証券の自然償還または売却
保有証券が満期を迎えた場合、償還金を再投資しない。または買
い戻し条件なしで売却(売り切りオペ)
縮小
縮小
ツール
準備金利の引き上げ
(資料)FRB、みずほ総合研究所
52
内 容
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
限として機能する。この準備金利操作を除き、
いずれの手段も超過準備の吸収を伴う措置だ。
リバースレポ(買い戻し条件付き売りオペ)
4
(売り切りオペ)の二つがある。
なお、これら以外にも補足的資金調達制度
(Supplemental Financing Program、SFP) と
4
は、経済的にみると FRB による担保借入と同
いう準備の吸収手段があること、また、実現は
じで、一時的に市中から資金を吸収する手段で
していないが、日本銀行の手形の売りオペと同
ある。
様に FRB が短期債を発行し準備を吸収すると
FRB は、2009年12月にプライマリーディー
いう議論があったことも紹介しておこう。
ラー(政府証券公認ディーラー)18社との直接
SFP は財務省が短期政府証券を発行するこ
取引を通じた従来のリバースレポと比べて流動
とを通じ、市中から資金を吸収する制度である。
性吸収力を高めるため、クリアリング・バンク
SFP の規模は、連邦政府債務残高の上限規制
を介したトライパーティレポを実施した。2010
に左右されるほか、財務省が金融政策に関与す
年8月には、初めてエージェンシー MBS を含
ることになるため、SFP への依存は FRB の独
むリバースレポをプライマリーディーラーとの
立性が揺らぎかねない問題を孕んでいる。
間で行っている。
FRB による短期債券発行とは、SFP を FRB
取引相手も広がっている。2010年8月に取引
自身で行うためのもので、日本銀行の売り出し
相手として適格と認められたマネーマーケット
手形オペに相当する。しかし、金融危機を防げ
ファンドのリストが初めて公表されたほか、さ
なかった FRB に対する議会の目は厳しく、短
らなる拡充が進められている。
期債券の発行権限が FRB に与えられる見通し
TDF は2010年4月に新たに導入が決定された
制度である。「譲渡性預金(CD)と類似の制度」
は全く立っていないとされる。
さ て、FRB は 上 述 し た 手 段(前 掲 図 表28)
(Bernanke
(2009b)
)を創設することで、準備
をどのように組み合わせ、またどのような順序
を一定期間 FRB のバランスシートに釘づけし
で実施していくのが望ましいと考えているのだ
ようというものだ。
ろうか。2010年1月の FOMC では、出口戦略と
リバースレポも TDF も、準備として計上さ
して準備金利、FF 金利および準備吸収に関し
れている資金をそれらの口座に振り替えること
て、三つのオプションがスタッフから提示され
で準備の縮小、すなわち流動性の吸収を行う。
た。
これらの措置は一時的であり、かつ FRB のバ
<オプション1>
ランスシートの大きさはリバースレポや TDF
によっては変わらない。
準備とバランスシートをともに縮小させる手
段が、保有証券残高の縮小である。保有証券残
高の縮小には、①満期を迎えた証券や期限前償
他の手段を組み合わせることで準備を吸収
し、その後に、準備金利と FF 金利誘導目標を
引き上げ
<オプション2>
準備金利を FF 金利誘導目標に沿って引き上
還となった証券の受取金を再投資せず、準備と
げ、同時に、準備吸収策も実施
相殺する方法と、②積極的に売却していく方法
<オプション3>
53
FRB の使命と課題
FF 金利が誘導目標通りに上昇しない場合に
て後者の見方を表明したことがある。「銀行シ
限り、準備金利を FF 金利誘導目標に沿って引
ステムが巨額の準備を保有している間は、FF
き上げ、準備吸収策も実施
金利の有用性が低下している可能性があり、準
a.準備金利と FF 金利をどう関係づけるか
備金利と準備残高目標などの代替的指標を操作
上述の通り、出口戦略の手段には準備金利の
目標とすることもあり得るだろう」
(Bernanke
引き上げと、準備またはバランスシートの縮小
がある。このうち準備金利の引き上げは、FF
b.金利操作と準備吸収のタイミング
金利誘導目標の引き上げと並んで、金融緩和姿
出口戦略として提示された三つのオプション
勢を解除する上で重要な要素となるという点
は、準備吸収のタイミングがそれぞれ異なって
で、FOMC 参加者の全員が合意している(2010
いる。
年1月 FOMC 議事録、以下同じ)
。
バーナンキ議長は、可能性がある手順の一つ
問題は、準備金利操作と FF 金利操作をどの
として、オプション1に触れている(Bernanke
ように関係づけるである。上記の三つのオプ
(2010b)
)。まず限定的な規模で準備を吸収す
ションのうち、最初の二つは準備金利と FF 金
るツールをテストし、準備吸収の実証性を確認
利を常に同時に操作することを想定しており、
していく。緩和的政策を解除する時期が近づい
最後の一つは特定の条件下に限って準備金利を
たときには、これらのオペレーションの規模を
FF 金利に沿って動かすことを想定している。
拡大し、短期金利に対する一段と厳格なコント
理論分析によれば、最適な準備供給政策は、
準 備 金 利 と FF 金 利 を 一 致 さ せ る こ と だ が
(第 4 節 2 項)、FOMC 参加者の多くはコリドー・
システムの有益性を認めている。コリドー・シ
54
(2009b)
)。
ロールが可能な環境を整備する。そして「実際
の金融引き締めは、準備金利の引き上げによっ
て行われる」という手順である。
ある程度の準備の吸収を前倒しすることが望
ステムとは、準備金利を FF 金利よりも低く、
ましいとする背景には、銀行システムに巨額の
一方、公定歩合を FF 金利よりも高く設定する
余剰資金が残存している状況では、
短期金利の厳
金利体系を指す。現状は準備金利が要求準備、
格なコントロールが難しい点にある
(第4 節1項)
。
超 過 準 備 と も0.25%、FF 金 利 の 操 作 目 標 が
当時の FOMC 参加者の多くはオプション1
0%∼0.25%のレンジ、公定歩合は FF 金利操
を支持しており、準備金利と FF 金利の利上げ
作目標の上限+50bp と設定されており、準備
前に、準備をある程度吸収しておくことが適切
金利と FF 金利との逆転が起きている(2010年
との見方に立っている。ただ、一部には、準備
12月現在)。
吸収は利上げの前兆とみなされるかもしれない
さらに、多くの FOMC 参加者が、他の短期
ため、もうすぐ利上げが適切な時期を迎えると
金利への影響力がある限り、従来通り FF 金利
判断される局面で初めて準備吸収に踏み切るべ
が金利操作手段として適切であるとみなしてい
きという見方や、同じ理由から、準備吸収と利
る。ただし一部には FF 金利よりも準備金利が
上げは同時に実施すべき(オプション2)とい
適切という見方もある。バーナンキ議長もかつ
う見方がある。
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
⑶ 漸進主義とその批判
回帰を進めている。
従来、FRB の金融政策は、利上げ・利下げ
なお Treasury Only 政策にも、それが短期
のいずれにおいても、望ましい水準に即座に変
政府証券を指すのか、長期国債をも含むのとい
更していくアプローチではなく、望ましい水準
う論点がある。一部の FOMC 参加者は、長期
にゆっくりと近づいていくアプローチ、すなわ
国 債 で は な く 短 期 政 府 証 券 の み の Treasury
ち「漸進主義」
(gradualism、Bernanke
(2004))
Only 政策が望ましいとの意見を表明している。
に立つべきといわれてきた。
こうした漸進主義に対し、大きなショックが
「漸進主義」は三つの利点を持つと考えられ
生じた後に急速かつ大幅に利下げが行われてき
ている。第一に、経済構造に対する知識が不確
た過程と対称性を持つように、回復過程におけ
実なことに対処できると考えられる点であり、
る金融緩和解除や利上げについても迅速に進め
アラン・ブラインダー元 FRB 副議長によって
るべきではないか、との見方がある。いわゆる
4
4
4
4
「ブレイナードの保守主義」と呼ばれている
4
4
BIS view だ。
(Brainerd
(1967)、Blinder(1998)
)。 第 二 の 利
漸進主義は引き締め局面か緩和局面かに依存
点は、短期金利よりも経済に対する影響が大き
しない考え方だが、資産バブルに対する金融政
い長期金利に働きかけることができるだろうと
策のあり方を巡る議論の中で、「アグレッシブ
いう点である。第三は、金融の安定性を維持す
な金融緩和と漸進主義の利上げ」という FRB
ることができるだろうという点だ。
の金融政策が非対称的に運用されていることが
出 口 戦 略 の 議 論 が 行 わ れ た2010年1月 の
指摘されるようになった。FRB は、①資産バ
FOMC でも、漸進主義の考え方に沿った方向
ブルは早期の識別が困難であり、②金融政策に
で意見が一致しているようだ。準備とバランス
よってバブル退治を図ろうとすれば大幅な利上
シートは時間をかけて大幅に縮小させていくこ
げによってマクロ経済に不必要なダメージを与
とが適切という点で全員が合意したのである。
えかねず、③バブルは破裂した後で金融緩和に
なおバランスシートの中身は最終的に米国債の
よって対処すればよい、という考え方に立つと
みとすること(Treasury Only 政策への回帰)
いわれ(いわゆる Fed view)
、こうした考え方
も確認している。
が金融政策の非対称性を生むとされる。
2010年1月 FOMC 後の FRB は、この合意に
図表29は90年代以降の利下げ・利上げ局面
基づいて、エージェンシー債とエージェンシー
を比較したものだが、1994年と2004年に始まる
MBS については償還金を再投資せず(ラン・
利上げと、1990年、2001年、2007年に始まる利
オフ)
、米国債については同じ満期の銘柄に再
下げとを比較すると、利下げ局面の方が傾きは
投資する(ロールオーバー)という方針を採っ
急であることが分かる。「それまでの利上げと
て き た。2010年8月 の FOMC は、 ラ ン・ オ フ
比べると明らかに早い」
(Bernanke
(2004))と
する分の償還金を米国債に再投資すること(再
いわれる1994年の利上げ局面でさえ、利下げ局
投資政策)を決定し、バランスシートの急激な
面と比べるとゆっくりと進められてきたことが
縮小を回避しながら、Treasury Only 政策への
分かる。
55
FRB の使命と課題
図表29:金利政策の非対称性
(bp)
600
500
400
300
2007年9月18日∼2008年12月16日(利下げ)
2004年6月30日∼2006年6月29日(利上げ)
2001年1月3日∼2003年6月25日(利下げ)
1994年2月4日∼1995年2月1日(利上げ)
1990年7月13日∼1992年9月4日(利下げ)
200
100
0
0
5
10
15
20
25
30 (カ月)
(注)利上げ・利下げ開始からの FF 金利の累積変動幅。利下げ局面は符号を反転。
(資料)FRB、みずほ総合研究所
漸 進 主 義 や そ の 背 景 に も な っ て い る Fed
から得られる教訓は、
(少なくとも)前者がも
view を批判する BIS view は、デフレ回避を目
たらす歪み(副作用、リスク)は明らか」とい
指す長期の金融緩和が新たな金融的不均衡の温
う。BIS が注意を払うべきという六つのリスク
床となることを防ぐために、「金融政策は信用
とは、①資産価格の上昇とそれに伴うリスクス
サイクルを通じ、もっと対称性を持つように運
プレッドや VaR 等のリスク指標の低下、②利
営されるべきだ」
(White(2006)
)という考え方
回りの追求(search for yield)姿勢、③金利リ
に立つ。White(2006)によれば、中央銀行は、
スクの増大、④民間部門や政府部門におけるバ
深刻な不均衡を識別するための手段(金融の安
ランスシート調整の遅れ、⑤短期金融市場の機
定性を示す指標)を開発し、また、短期的な痛
能麻痺、⑥新興国・資源国における国際資本移
みが生じるとしても増大する金融的不均衡に対
動に対する脆弱性の高まり、である。
処する意思を中央銀行は表明しなければならな
いとされる。
BIS は年次報告書の中で、長期にわたる低金
56
FRB でも、BIS view に沿った意見を表明す
る高官が現れている。
ウ ォ ー シ ュ FRB 理 事(Warsh
(2009)) は、
利政策がもたらす六つのリスクを指摘し、「中
FRB が異例の緩和策を解除する「正確なタイ
央銀行は政策金利の正常化の時期とペースの決
ミングは知り得ない」としつつ、迅速な金融緩
定にあたってこれらのリスクを考慮すべき」と
和の解除に理解を示している。
警告した(BIS(2010))。先進国の中央銀行では、
「究極的に、金融緩和を解除するという決断
金融危機の影響を和らげるため伝統的金融緩和
を行うときには、現代の中央銀行の慣例と比べ
策と非伝統的金融政策を採ってきたが、「歴史
て、より迅速に事を進めていくことが、慎重な
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
リスク管理の考え方に沿っている」。「もし経済
が順調かつ持続的に持ち直していくとみられる
なら、緩和政策はそれが導入されたときと同じ
7.おわりに
本稿では、金融危機の深い傷跡として失業率
決意を持って解除していく必要がある。つまり、
の高止まりとディスインフレに見舞われている
今後の(引き締め)政策の速さと力は、それに
米国経済が、日本経済と同様に「デフレ均衡」
先んじる(迅速かつ大幅な緩和という)政策パ
入りしてしまうのか、FRB はそれを回避する
4
4
4
スと一致した対称性を持ち得るだろう」。
ウォーシュ理事は、発言当時の株価や社債価
格の上昇、米国債金利の低下やドルの減価を例
ことができるのかという問題意識を出発点とし
て、FRB の金融政策を巡る議論を展望・考察
してきた。
に挙げて、
「投資家の選好とインフレ・成長見
第2節では、FRB に課せられたデュアル・マ
通しに関する分布がともに変化していることを
ンデートについて歴史を遡りながら考察した。
示唆し、予想以上に強い景気回復やインフレ率
デュアル・マンデートは FRB の創設時からあっ
の高まりの兆候なのではないか」と警告した。
たわけでなく、1946年雇用法、1977年連邦準備
ダドレー・ニューヨーク連邦準備銀行総裁も、
法、1978年ハンフリー=ホーキンス法などを経
BIS view に沿った考え方を示している。「短期
て徐々に確立されてきた。金融政策の目標とし
金利の変更という手段では資産バブルへの対処
て数値目標が定められた時期があったが、法律
は十分ではない。しかし、中央銀行が持ってい
には抜け穴があり、FRB は自由度を保った。
る他の手段の有効性を検討すべき」といった主
また米国では、政策目的の数値目標化は困難で
旨の発言を行っている(Dudley
(2009))。
あるという議論があり、特に雇用については、
なお、コーン FRB 副議長(当時)によれば
金融政策では対処できない要因によって望まし
「FRB は非対称的な金融政策を意図していない
い雇用水準が異なるだろうという重要な指摘が
し、そうした行動を採ったこともない」
(Kohn
ある。
(2007))。金融政策が非対称的にみえるのは資
もっとも、FRB は長期の経済見通しを公表
産価格の変動を映じているためであるという。
しており、長期見通しがデュアル・マンデート
「上昇するときはエスカレーター、下落すると
を具現化したものであることも明らかにされて
きはエレベーター」と喩えられるように、資産
いる。これらの議論は、日本銀行に対し政策目
価格は比較的ゆっくりと長期にわたって上昇す
的として「雇用安定」や「雇用最大化」を加え
るが、下落するときは短期間で急激であること
ようという議論にも示唆を与えるものだろう。
が多い。資産価格は企業や家計の支出行動に
第3節では、伝統的な金利政策がゼロ金利制
とって重要であるため、主要な実体経済変数(例
約に直面する中で、高過ぎる失業率と低過ぎる
えば失業率)も資産価格同様に非対称な動きを
インフレ率によって米国経済が先行きデフレ入
みせる。その結果、
「(資産価格ではなく)マクロ
りし、長い間にわたって緩やかなデフレが続く
経済に焦点を当てた金融政策が(事後的に)非対
可能性があることをシミュレーションによって
称的な足跡を残すとしても驚くにあたらない」。
明らかにした。米国では、ゼロ金利制約下でデ
57
FRB の使命と課題
フレが持続する「デフレ均衡」に関する議論が
今後のオプションとしてはターム金利目標導
あり、伝統的な金利政策を超えた新たな手立て
入の議論もみられるが、その弊害が懸念されて
の必要性が指摘されている。
いる。また長期予想インフレ率上昇の一因とし
第4節では、そうした新たな手立てとして研
て財政赤字への懸念を反映している可能性は否
究が進んでいる「バランスシートを使った金融
定できない。FRB による物価安定へのコミッ
政策」について考察した。バランスシートを使っ
トメントと同様、政府・議会による財政規律回
た金融政策には準備供給政策と信用政策があ
復へのコミットメントも、金融政策の有効性を
り、理論的には、前者は政策金利である FF 金
高める上では重要性を増しているのかもしれな
利と準備金利を一致させることが望ましく、ま
い。
た後者は民間金融仲介システムが著しいダメー
なお追加緩和策のオプションとして外国証券
ジを受けた場合に限られると指摘されている。
の購入オペがあるが、通貨安競争批判が燻って
実際の FRB は、金融危機の最中、準備供給政
おり、現実的な政策オプションではない。
策と信用政策を組み合わせて実施してきてお
り、現状では信用政策の縮小過程にある。
代わって登場したのが長期国債の買い入れ政
インフレ率の高まりは FRB に対する信認の揺
らぎとも捉えられるが、米国では金融危機以降、
策であり、これは準備供給政策とも信用政策と
FRB に対する厳しい批判がある。批判には政
も分類されず、実際上は金利政策に近い位置づ
治的な色彩が強いが、FRB は出口戦略の整備
けと考えられる。長期国債買い入れにはポート
と出口戦略に対する人々の理解を深めるための
フォリオ・バランス・チャネルと政策金利の予
努力が従来以上に必要になっていることは間違
想経路の変化を通じたチャネルが期待されてい
いない。バーナンキ議長が、2010年12月初めの
るが、実証研究の成果を踏まえると前者を通じ
テレビ・インタビューで「インフレがコントロー
た効果は限定的である。気がかりなのは、米国
ルできなくなるのを防げるほどすばやく行動で
財務省の国債管理政策であり、FRB の長期国
きるのか」と問われ、次のように回答したのは
債買い入れ策と真っ向から対立する可能性があ
そうした背景を持つ。
「我々は、もしそうしな
る点には注意が必要である。
ければならないなら、15分で利上げできる」、
第5節は人々の予想形成に働きかける金融政
策を考察した。こうした政策には物価水準目標
58
第6節は出口戦略の展望を行った。長期予想
「(引き締めによるインフレのコントロールに
は)100%の自信がある」
(CQ(2010b)
)。
政策があり、長期予想インフレ率を一定に保ち
米国経済にはデフレ・リスクが燻るというの
つつ、短期予想インフレ率を高めることで金融
が本稿の見立てであり、株価上昇にみられる楽
緩和を実現しようというものである。しかし、
観論が自己実現的に高成長を達成したとしても
将来の政策金利に対する予想や、予想インフレ
ディスインフレをどの程度止められるのか、疑
率の動きをみると FRB の予想を通じた金融政
問が残るところだ。こうした中で、FRB も、
策は今までのところ成功してはいないと考えら
デフレ・リスクと楽観論の狭間で難しい政策運
れる。
営を続けざるを得ないだろう。
みずほ総研論集 2011年Ⅰ号
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