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猫の会「第1回総会」

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猫の会「第1回総会」
国思う 勉強会
参考資料
猫 の 会 第 1 回 総会
心豊かな日本を!
平成 22 年 8 月 7 日
主催:
政治ブログ「博士の独り言」
講師 :
島津 義広
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
国思う勉強会
猫 の会 第 1 回 総会
=
タイムスケジュール概要
12:30
13:00
13:10
13:55
14:05
14:30
15:00
15:30
=
開場、受け付け開始(受付で当日の本資料)
勉強会開始(挨拶)と資料の説明
勉強会(プレゼンテーション)
休息(10 分間)
勉強会(発表, 質疑応答等を含む)
勉強会終了
懇親(ご希望の方のみとの個別の簡易的な懇親、ご要望等)
懇親終了
平成 22 年 8 月 7 日開催
於 神奈川県藤沢市
主催・政治ブログ「博士の独り言」
2
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
動物は人を裏切らない
国思う活動の拠点(連絡所)を置かせていただいている藤沢市(神奈川県)にもシニア世
代が多く、人通りが少ない早朝など、そぞろに愛犬や愛猫と散歩に出かけている姿をよく見
かけます。体躯の大小を問わず、血統種、雑種を問わず、どの犬も猫も、散歩主にとっては
可愛いわが子です。身にもしものことがあって、この子をノラにするようなことがあっては
ならない、と。だから、健康に気をつけて頑張るんだ、と語るシニアもおられる。動物好き
の筆者にとって、その気持ちは痛いほど分かります。その「子」たちは、それぞれの「親」
にとって気脈と愛情が通じた分身であり、かけがえのない存在に他ならないからです。
(産経新聞記事(切り抜き)2009 年 7 月
「忠犬・ハチ公」の逸話をご存知の方は少な
くないことと思います。平成 21 年 8 月公開の
「HACHI 約束の犬」は、忠犬ハチ公の実話をも
とに制作された映画でした。ハチ公は大正 12
(1923)年生まれの秋田犬で、戦前、飼い主の
大学教授が突然他界した後も 10 年近くもの間、
渋谷駅の出入口で雨の日も風の日も主人の帰り
を待ち続けたことが人々の感動を呼び、多くの
人々に知られることになりました。まさに、動
物は人を裏切らない。その典型的な実話ではな
いかと思います。
8 日朝刊(切り抜き)(24 面)より)
よく似た実話が海外にもあります。蓄音
機を覗(のぞ)いている犬の姿の絵が、ビ
クターという企業のマークとなっているの
をご存知の方もおられることと思います。
「ニッパー」という名のフォックステリア
が、可愛がってくれた主人(故人)の声(録
音)を懐かしそうに聴き入っている姿に心
を打たれた(故人の)弟が、1 枚の絵に描き
出したものがその原画となったそうです。
JVC「ビクターマークの由来」のページより
動物は死を認識することが出来ません。ゆえに、不幸にも、養い親が先に亡くなることが
あっても、親は生きている、とそう疑うことなくずっと慕い、姿を探し続けるのです。
個人的には、犬も猫も、馬も大好きです。人間が彼らを裏切る不幸はあっても、彼らが人
間を裏切ることはない。本日はこの視点から、猫について少々申し述べたく思います。
3
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
かけがえのない猫の存在
人間にとって、猫という存在は、犬と同様に、
歴史的な伴侶といえます。その猫の減少により、
都会ではねずみが増え、あらたな病原キャリア
となる懸念が指摘されています。たとえば、14
世紀のヨーロッパではねずみが主なキャリアと
思われるペストが大流行し、人口の 3 分の 1 が
死にいたる大惨事にいたりました。その時に、
猫が導入され、猫の存在が伝染病の蔓延阻止に
寄与した、とのエピソードがあることはご存知
のことかと拝察します。
猫の存在を感知するだけで、ねずみは妊娠しなくなり繁殖が止まります。一定の猫の常駐
を感知するとねずみは退散すると謂われており、この点が重要です。
ゆえに、家ねずみ放逐のため、ひいては、畑を食い荒らす野ねずみの繁殖阻止のために、
多くの農家では猫を養っています。また、長い航路を往来する船には、とりわけねずみに敏
感とされる三毛猫を同船させ、運搬物を鼠害から保護する船の守り神のような存在として重
用された、と謂われています。
猫を、その特質から、あたかも悪魔の化身であるかに忌み嫌い、縁起が悪い、とする風潮
があります。しかし、もしも、猫の存在がこの地上から消えれば、ねずみや害虫の繁茂を助
ける結果を招きかねません。また、犬派、猫派、と相互に嫌遠する感情的な判断が一部に見
受けられますが、動物愛護の視点からすれば、いずれも大切にあつかい得てこそ、本当の動
物好きと謂えるのではないでしょうか。
裏切られた動物の苦労皺(しわ)
犬猫に共通していますが、一時期はペットとして養いながらも、しかし、自己都合や事情
によって平然と捨てる風潮があるようです。毎年、行政処分される犬猫は、残念ながら、こ
の日本でも少なくなく、保健所等に保護された犬猫の表情にも悲しみと不安が見てとれます。
一度、捨てられた犬猫のほとんどは人間に懐かなくなると指摘されています。
また、保健所による保護に至らずとも、野良となった猫の表情にも必ずと謂ってよいほど、
眉間に苦労皺が観られます。次に紹介する猫にも、その苦労の相を観てとれます。
4
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
一度裏切られた猫の表情
「野良ですけど、お呼びでしょうか」」
「ん、なにか?」
-------
「優しそうな人ですね、信頼できるかも」
「撫でてもらえるのも、何年ぶりかなあ」
-------
-------
動物は人間を裏切りません。しか
し、人間が動物を裏切ることがある。
気づくべきことは、人間に裏切られ
たことを自覚できる能力を犬猫は備
えていることです。それが苦労皺と
して、顔相の上に、明確に浮き出る
のです。
「嬉しいな。甘えちゃって、いいですか」
ゴロゴロ
----------
5
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
江の島の猫にも
両側の写真は、
江の島に生活の場
を得た猫です。光
線の具合でも気の
せいでもなく、や
はりそれぞれの眉
間には、本来有る
はずのない「苦労
皺」を観てとるこ
とが出来ます。
江の島の猫(筆者撮影)
江の島の猫(有志撮影)
捨てられた猫で
あっても満足な余
生を送らせてあげ
たい。江の島の人々
のそうした厚意に
より、捨てられた猫
たちが、避妊手術を
施された上で、同島
江の島の猫(筆者撮影)
では手厚く保護さ
江の島の猫(筆者撮影)
れています。
江の島にたどり
つくまでの苦労旅
のゆえか、片眼を失
明している猫もい
ます。しかし、少し
ずつですが、人間へ
の信頼を回復しつ
つあるようです。
江の島の猫(筆者撮影)
江の島の猫(筆者撮影)
江の島には、観光の島であるがゆえに、食品をあつかう店舗が少なくありません。しか
し、猫たちのおかげでねずみが居なくなった、との声が随所で聞かれます。
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猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
命の大切さをあらためて思った出来事
(平成 22 年 6 月 21 日付)
私事で恐縮です。8 年前に、縁あっての法事があり、参列するために地方の寺に出かけた
時のことでした。境内で法事の開始を待つ人々の間を縫うように、鳴きながら歩く子猫がい
ました。おそらく迷い猫で、生後 3 週間くらいでしょうか。小さな子猫でした。
子猫に周囲の人々の視線が集まり、おやまあ、可哀想に、と。こうした声がそぞろに上が
っていました。そこへ寺の小僧さんが駆け寄って来て、「気にしないでください。すぐに処
分しますから」、とこういうことを仰(おっしゃ)った。私は動物好きなものですから、
「ち
ょっと待ってください」と。反射的に、その小僧さんに申し上げた。「たとえ畜生であって
も、殺生を好まないはずの仏教のお寺で、処分しますからとは何事でしょうか」とその場で
申し上げ、鞄から一筆箋を執り出して同趣旨の内容を書き、その小僧さんに、「これをご住
職に渡してください。反論があればこの私が引き受ける」、と手渡しました。これも意見書
の 1 つだったのかもしれません。
法事が終わり、そこのご住職から、「仰る通りです。小僧が失礼で申し訳ないことをしま
した」とのメッセージをいただいた。果たして、その約 8 ヶ月後、別のご縁の法事に参列す
るため同じ寺を訪れました。季節は 6 月。丁度今頃の紫陽花が見頃の季節でした。たまたま
随行した弟とともに寺の参道を歩いていると、満開の紫陽花の植え込みの間から猫が姿を表
し、立ち止まった私の足元を八の字を描くように身をすり寄せて、私の顔を見上げては「に
ゃー」と言い、話しかけるようにして、また、足元に身をすり寄せて来ました。通常、無表
情に見える猫の顔が嬉しそうに映った。そう見えた瞬間に、8 ヶ月前の、あの時の猫である
ことに気づきました。
大きくなって、首には赤いリボンが着けられていました。「そうか、この寺で養ってもら
っているんだね。よかったね」と。かかんで頭を撫でているうちに、私も嬉しくなりました。
思えばこのことは不可思議で、何でこの私に、との思いが残りました。唖然と観ていた弟に、
その後で事情を話すと、「あの猫がお礼を言いに来たんだよ、きっとそうだ」と言う。まさ
か、とは思いますが、そう考えれば、「そうなのかな」とも思える出来事でした。その時の
光景と、猫の表情を今も忘れることが出来ません。
動物の「命」を考える時に、この度の不幸により、昼夜を問わず、手塩をかけて育てた家
畜を、全頭殺処分に追われなければならなかった畜産農家の人々の苦しみには想像を絶する
ものがあった、と拝察しています。二度とこのような惨事があってはならない、とこう願う
と同時に、人々の復興のために、何かお手伝いできることはないか、と考える次第です。さ
さやかではあるけれども、表題に関する周知のお手伝いも、その 1 つになればと思います。
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猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
畜産農家に嫁いだ女性
(平成 22 年 7 月 20 日付小ブログ記事より)
福岡から、宮崎県西都市の和牛繁殖農家に嫁がれて半年の女性が、今般の口蹄疫(こうて
いえき)事件に遭遇。ここで、その女性が夫婦で殺処分という辛苦を経験され、乗り越えよ
うとしている姿をメインにした記事(東京新聞)を参照させていただきたい。
以前の小稿で、特に、宮崎県の、心大らかな畜産農家の人々の様子を少々記したことと思
う。表題記事の写真もその 1 つのシーンである。顔と顔を近づけて挨拶をする。そこには人
間も牛も、あるいは、人間と馬であってもそれぞれの垣根を超えて信頼し合う姿がそこにあ
る。写真には、女性が農家の仕事に慣れて来た、動物と挨拶を交わすようになった来た、と
ふとそのような状況を彷彿させてくれる。
だが、キャプションには「殺処分を間
近に控えた牛と最後のひとときを過ご
す川越久美子さん=6 月下旬」とある。
複雑な思いであられたに違いない。その
前の状況について、紙面には、「被害は
拡大し続け、感染多発地帯や周辺でのワ
クチン接種が五月に決まった。接種後は
全頭が殺処分だ。必死で消毒をしてきた
川越さん夫妻の牛も対象となった」と記
している。その当時、農水相(当時)は
何をしていたか。
東京新聞紙面(切り抜き)7 月 20 日夕刊より
どこぞの政府が対策本部を設置したのは何時であったか。これら経緯については、以前の
小稿で非道を言及した通りである。しかし、殺処分が決まってもこのように可愛がる。心あ
る人々の優しさに違いない。
続けて紙面は、「接種から一カ月後、牛六十六頭との別れの日が来た。獣医師に「親子は
一緒にしてあげるから。分かるようにしちょって」と言われ、母牛と子牛にそれぞれ同じ色
のリボンを付けた」と。「前日に生まれたばかりの「ゆみちよ」と誕生日が同じで、特別に
かわいがっていた「てるこ」も。親子の証しの色とりどりのリボンが揺れ、トラックに載せ
られていく光景に、涙があふれた」と。その日の状況を記している。いずれも口蹄疫に感染
している牛ではない。
その日の心境を、
「思い出して、悲しくて今書けなくなりました」
「牛も、人も・・・とて
もつらい一日でした」と。このようにブログに綴られ、全国から励ましが届いたそうだ。表
題は、懸命に立ち直ろうとしている夫妻を紹介している。
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猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
誇りと感謝をもとに
今般は、趣向がいつもとは異なりますが、猫という、日常にごく身近な存在を通じて、動
物をいかに大切にするか、否かで客観的に民度を測る。その眼を持つ諸外国に対しても、誇
れる日本の民位共有に通ずる事項を共有できれば嬉しい。また、動物を大切にする心が豊か
な心の醸成に通じ、ひいては、日本人本来の思慮と毅然とを兼ね備えた心の確認に、と思い
立ち、地道ながら、動物が好きな国思う方々と、年一度の「猫の会」を開催させていただく
ことにしました。あるいは、お盆休みへの入口、夏休みの最中にあり、ご家族、ご親族の交
流を最優先すべき時期にありますが、ごく近隣の動物好きのみなさまにお誘い合わせの上、
お立ち寄りいただき、ささやかながら年次開催出来得れば有り難く思う次第です。
父母、先祖に感謝する。そのごく自然な心は、豊かな情操からさらに育まれ、さらに、尊
い命と引き換えに、この日本を守り育てて来た幾多の先人に対して眼(まなこ)を開き、感
謝の念を育てることに通じます。豊かな心を次の世代へと引き継いで行く。これが、今後に
欠かせざる徳分の一つと考える次第です。これらごく自然にあるべき心をもとに、私たちが
今守るべきもの、そして、後代へ伝えるべき事柄を問う。ここに国思う視点もまた育つもの
と信じて止まず、動物を大切にされる国思うみなさまの存在に、その実感を一層強くしいた
しております。
(以上、「猫の会」第 1 回総会の一部資料として)
9
日本人
の国思
う講座
博士の独り言
島津義広
猫の会 第 1 回総会
平成 22 年 8 月 7 日
Memo
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