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Page 1 Page 2 アフリカの人々と名付け28 名前の近代化とキリスト教化
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Title
Author(s)
Citation
アフリカの人々と名付け 28 名前の近代化とキリスト教
化
小馬, 徹; KOMMA, Toru
月刊アフリカ, 37(4): 18-19
Date
1997-04
Type
Journal Article
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
アフリカの人々と名付け 2
8
名前の近代化とキリスト教化
小馬
西欧文明、キ リス ト教、近代化
文化人類学の視点を採 り入れ、初めて複数の
徹
1
9
8
8
]。前項の歴史観を勘案すれば、よ り大 き
な視点か らそれが納得で きよ う。
文 明 の歴 史 と して世 界史 を描 いた A.トイ ン
英国庶民の苗字の成立 は、英国のキ リス ト教
6
世紀のユーラシアには西欧、 ビザ ン
ビーは、1
化の進捗 ともかな り並行的である。異教の神 々
ツ、アラブ、 ヒン ドゥ、中国、な らびに極東の
の名前を個人名 とす る事を禁 じたのは、キ リス
諸文明が並立 し、それぞれが世界の中心を 自認
ト教会初 の総会義で ある3
25
年 のニ ケ-ア公会
していたと考えた。中心 に位置 して最 も覇権 に
議だ った。1
6
世紀の英国国協会 は、 この禁止事
近か ったアラブで はな く、西の隅にあった西欧
項を更に強化 して、異教的な起源を もつ名前、
が世界を制覇 したのは、科学技術の文明を発達
即 ち非キ リス ト教的な名前の使用を禁 じた。
させたか らだ と彼 は言 う.後 に Ⅰ.ウォーラス
高名な社会人類学者EdwardEvanEvans-Prit
タイ ンは、西欧文明が覇権を握 る近代を、世界
chardsの名前 に もこの事情 の一端が窺 え る。
システムとしての資本主義が全地球を飲み込ん
Evanは、 「
エホヴ ァは優美な り」を意味するヘ
で行 く過程 として捉えた。
その科学 と資本主義を生み出 したのは、キ リ
ス ト教の風土である。神の言葉 (ラテ ン語)で
ブライ語の名前 Johnのウェールズ語形であり、
EvansはEvanの息子 を意味す る。現在のアフ リ
カの経験は、か っての英国の経験で もあった。
書かれた第-の聖書 (
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eB
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okofS
c
ri
pt
ur
es
)
リー ン-- トは、スーダ ンの牧畜民デ ィンカ
と、神の創造の御業を刻んだ第二の聖書 (
the
を例 に引いて、アフ リカの伝統的な命名法が官
Book ofCreatures) を同時に読む とい う営為
僚的な一覧表化 に適 さないと指摘す る。 自分の
が、その風土を特徴付 けた。 G.ガ リレイは、
名前の後 に父 と父系の祖父の名前を連ね るデ ィ
自然 とい う書物 (
第二の聖書)は数 という言葉
ngDengDi
ng,Di
ng
ンカの伝統的な名前 は、Di
で書かれていると言 った。それは、 自然の本質
DengDeng,
DengDengDi
ng,DengDingDeng,-・
を数学 と して記述す るとい う近代科学のあり方
Li
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dt
,
i
bi
d]
O
などと紛 らわ しくなるか らだ [
を実に見事に言 い当てていよう。
植民地行政 は、税の徴収を初めとす る管理を
だか ら、近代化 は西欧化であ り、西欧化がキ
徹底す るために二名式の個人名を制度化 し、個
リス ト教化であった側面 は否みがたい。 アフ リ
人を登録 した。それには、植民者たちに馴染み
カの人 々の名付 けの変化を考える時にも、キ リ
の名前の方が好都合だ。現在で もケニ アのキブ
ス ト教の巨大な影響を無視で きない。
シギス人 は、周辺の諸民族 よりもキ リス ト教徒
の割合が低い。それに も関わ らず、余程の高齢
名前 と能率
者を除 くほとん どの人が西欧的な個人名を持 っ
社会人類学者 リー ンハー トは、何であれ苗字
ている。 これは、キブ シギス人が近代化の 「
東
化 した名前が単独の個人名を系譜的に連鎖 させ
アフ リカの手本民族」 と目された事実 と無関係
る伝統 に取 って代わ りつつあるアフ リカの状況
ではない。洗礼名の受容 は、キ リス ト教徒化以
を、中世の英国に準えている [
Li
enhar
dt.G.,
前 に、植民地 とい う新たな社会空間で或 る役割
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ASO (19)2,
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を認知され る事に繋が っていたか らである。
英会話とスワヒリ語の授業
名前 と二つの世界
ここで思い出す事がある。私 の高校 には、-
リー ンハ ー トは、デ ィンカでは、学校教育の
ングマ ンとい う怖 い英会話の先生がいた。彼 は
過程で数多 くの者が洗礼名を得つつあると報告
最初の授業の初めに、我のように折 り畳んだ小
してい る [
i
bi
d]
。 この事態 は、非 イスラム圏
さな紙片を選ばせ、一年生の一人一人 に英語名
アフ リカ各地 にも当てはまる。だが、それがそ
を与えた。私 はゲ- リーというキ リス ト教臭 く
のままキ リス ト教化の程度を表 してはいない。
ない名前を貰 ったが、聖人名を貰 った友人 も多
ディンカにキ リス ト教が伝わ ってか ら、 ほぼ
か った。真宗の寺の息子である級友 もその一人
3世代の時を経た。 もし、ある男性が生 まれて
だ ったが、ハ ングマ ン先生が怖 くて、いやだ と
間 もな く貰 った個人名がB
olであ り、父親の名
は言 いだせなか った。先生は、英語 に馴染んで
前がDi
ngであれば、父称を付 してB
oIDi
n
gと呼
欲 しいためだ と言 ったが、何時まで経 って も生
ばれるか、あるいは去勢牛名か揮名で呼ばれ る
徒の本名には興味がなか った。
のが伝統だ った。だが、今 日学校教育を受 けた
ず っと後年、一 カ月 ほど集中的にスワヒリ語
を学んだOザ ンジバル人のワズ ィ-ル先生 は、
受講生の名前が覚え られない し、スワヒリ文化
男性であれ ば、J
o
hnDi
ngのよ うに名乗 るのが
普通にな っている l
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。
ただ、デ ィンカで は、今 日で も洗礼名は決 し
の理解 にも役立つ と、皆 にスワヒ リ名を与えた。
て父称 にな らない点 に注意す る必要がある。つ
全てがイスラム教の聖人の名前だ った。私 は予
oh
nDi
ngの父親の洗礼名がE
d
w
ar
dで も、
ま り、J
言者 ムーサの名で呼 ばれ、面 映 くて仕方 がな
息子 はB
oIE
dw
ar
dとかJ
o
h
nE
dw
ar
dと呼ばれ る
か った- 英語風に言えばモーゼだか ら。
事 はない。言い換 えれば、洗礼名はキ リス ト教
会や学校 との関係を意味す る重要な指標 と考え
文化表象としての名前
私の経験 は、寓意的な意味で、 アフ リカ人が
られなが ら、歴史や系譜の上では余分であ り、
どんな意味 も与え られていないのだ [
i
bi
d]
。
植民地下で洗礼名を受容す る状況の一つの側面
それ は一体なぜか。洗礼名は、ある個人が、
の理解 に役立 とう。英語名を拒否すれば、ハ ン
先祖のほとん ど知 らない世界に部分的に同化 し
グマ ン先生に呪まれ る。また、事大的な名前が
ている事を意味す る反面、デ ィンカ人 としての
嫌で も、社会人類学専攻の大学院生であった私
個人史や社会的人格 のそれ以外の側面 は何一つ
には、文化 も学べ とい うワズ ィ-ル先生の促 し
i
bi
d]
O
伝えないと考え られているか らだ [
は拒みがたい。つま り、名前を受 け入れ る事が
リー ンハー トの この見方 は、そのままアフ リ
その状況では地位を獲得す る絶対的な前提条件
カ全体 に当てはめる事がで きる。 この事態 は、
だ ったのだ。
奴隷 と してアメ リカ大陸に送 りだされた人 々の
ここで、顔見知 りのキブシギスの老女がある
子孫、即 ちア フ リカ系 アメ リカ人 とは全 く異
日突然エ リザベスと自称 し始めて私を驚かせた
なっている。アメ リカの黒人たちが今 日で は白
エ ピソー ド (
連載第 1
6
回)を思い出 して欲 しい。
人 と名前 の上で区別が付かないのは、単に彼 ら
彼女がそ うしたのは、キ リス ト教 に改宗 したか
がキ リス ト教化 した結果ではない。彼 らがアフ
らで はな く、近隣の女性 自助組合 に参加 したか
リカの伝統を遠 く離れてか ら長い時間が経 ち、
らだ った。キブ シギスの老女が洗礼名 (と考え
今やアメ リカを一つの世界 として白人 と共有 し
る名前)を名乗 るのは、大概 はこのよ うな場合
ているか らに他な らない。
である。つま りそれは、老女が現代の社会的脈
(こんま とおる 神奈川大学社会人類学)
絡 に参入 した事の文化表象なのだ。
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