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日本記者クラブ会報501号(2011年11月10日号)16ページ

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日本記者クラブ会報501号(2011年11月10日号)16ページ
©日本記者クラブ 2011
日本記者クラブ会報
第501号 2011年11月10日
苦闘 除染始まる
東京電力福島第1原発から約60キロ離れた福島市大波地区で本格的に始まった除染作業 作業員が民家の屋根に上り
高圧洗浄機で放射線量の低減に挑む 10月18日
永山能久撮影(福島民友新聞社写真部)
このページの写真は「被災地のいま」を地元紙から提供していただきます
〒100 - 0011 東京都千代田区内幸町2 - 2 - 1 日本プレスセンタービル 電話 03-3503-2722 http://www.jnpc.or.jp/
公益社団法人 日本記者クラブ
●原発問題ドキュメンタリー上映会 …2
チェルノブイリ・ハート 松
本仁一
アンダー・コントロール 清
水真人
●ワーキングプレス …3
小沢会見「陸山会事件」
…
…
…
…
…
●気仙沼発 …4
苦悩する水産都市
●上関発 …5
原発推進派町長の圧勝
●クラブゲスト …6
黒岩祐治
神奈川県知事
志位和夫
共産党委員長
中村時広
愛媛県知事
U・カルナカラ
国境なき医師団インタ
ーナショナル会長
萬歳章
J A全中会長
U・
ベルラド放射能安全研究
バベンコ
所副所長
震災復興とコミュニティ再建
M・ イ ブ
ラヒム
N・バサンタカラ
R・タマエ
小宮山洋子
厚生労働相
田坂広志
元内閣官房参与
開沼博
「
『フクシマ』論」著者
永田哲朗
日本風力発電協会代表理事
中川正春
文部科学相
元米兵捕虜7人
池田隼啓
日本税理士会連合会会長
C・ヴルフ
ドイツ大統領
J ・チャウ
UNAIDS親善大使
M・ビルナイ
イスラエル民間防衛相
B・ミラー
駐日オーストラリア大使
イグ
・ノーベル賞受賞者
亀井亜紀子
国民新党政調会長
●書いた話書かなかった話 ロッキード事件余話 村上吉男
●リレーエッセー 私が会った若き日の吉沢久子さん
藤原房子
●後衛から①ゲストの紹介 岩崎玄道
●料理の味付け
記者次第
中井良則
●日本記者クラブ賞へ推薦を 16
18
21 21 19
「フクシマ」を考える
の精神病院が映し出
カメラはドイ
は3・ の前に
月
日
、
原
発
問
題
を
追
● 低線量地の子どもたちが
される。見たことも った海外ドキュメンタリー ツ各地の原子力
作られている
背負ったものは
2本の上映会が行われた。
な
い
症
状
の
肢
体
不
自
発
電
所
や
関
連
施
が
、ドイツが既
来日中の「チェルノブイリ・
由児が寝かされてい
設の内部をひた
に乗っていた
福島原発事故をかかえる私たちに
ハ
ー
ト
」
の
マ
リ
ア
ン
・
デ
レ
る。
「脱 原 発 」 の 流
とって、不気味な映画である。
オ監督は「事故から 年た す ら 追 っ て 行
れを反映し、後
チェルノブイリから キロ離れた 脳が頭骨からはみ つが、被曝被害は終わって く。会議や施設
いない。フクシマでも悲劇
出してしまった子。 が 起 こ り 途 方 に 暮 れ て い の点検など日常
半では解体作業
ベラルーシのゴメリ市で、
健常な子ど
内臓が背中の外にあ
的光景に始ま
が延々と続く旧
もの出産率は 〜 %なのだという。
る
。
何
ら
か
の
解
決
法
を
見
い
る子。下肢のない子 だすのを祈るばかりだ」と り、原子炉の緊
原発の廃墟や
タイトルの「チェルノブイリ・ハ
上映前にあいさつした。
……。原発事故以来、
急停止の瞬間、
「認 可 さ れ、 却
ート」というのは、原発事故の放射
線による先天性異常で、隔壁欠損な
肢体不自由児の出生率は 倍に上が
研究炉の燃料棒の入れ替え、作業員
下された」使わずじまいの高速増殖
どがある心臓のことだ。
っているという。
の放射線防護策などあらゆる「現場」 炉施設の転用後のまさかの姿(写真)
ターニャは 歳の女の子で、原発 ゴメリ市の遺棄乳児院。奇形で生
を 粛 々 と 撮 り 続 け る。「現 場 」 に 従
も出てくる。
事故後に生まれた。2か所に欠損が
まれ、親に捨てられた子を引き取る
事する人々の様々な声も拾っていく 筆者は極端な文系人間で、原子力
ある。国際NGOの医師がその手術
乳児院だ。原発事故まではなかった
が、第三者的な解説はない。
にも全くの素人だ。映し出される原
を担当した。カメラは手術室に入り
施設である。そこがいっぱいになっ ドイツの深い森に白煙を噴き上げ
子力施設の巨大さや、専門用語の過
込み、手術中の医師と話す。
ている。
るコンクリートの太い円柱が出現す
剰さなどに気押されるが、どうも最
「ほ ら、 こ こ に 穴 が あ い て い る。 問題は、ゴメリが原発から遠く、
る。高さ150メートルもの冷却塔
先端のハイテクの集積という印象は
ここにパッチを貼るんだ。ゴアテッ
放射線量がそれほど高くないこと
だ。日本の原発にはないらしいが、
受けない。近代の産物には違いない
クスの」
だ。そのため人々は住み続け、低い
そう言えば欧州駐在時にフランスを
が、SF映画と言うよりも、直感的
パッチは1枚が300ドル。ベラ
放射線を継続して浴びた。その結果
ドライブして、妙に威圧的な建造物
に子どもの頃に観たウルトラマン・
ルーシの医師の
がこの映画にある。
が目に留まったのもこれだったのか。 シリーズを想起してしまう。どこか
月収の3倍だ。
福島の5年後、 年
巨大な使用済み核燃料プールや、無 「昭和の技術」に見えて仕方がない。
後はどうなるのだろう
米国では医師が
数のランプが点滅し、警報音が鳴る 有用性の半面に途方もない厄介さ
話しながらでも
か。重荷を負うのは子
制御室の映像は内部見学の臨場感だ。
も秘める原子力。それを人間は制御
できる手術であ
どもたちなのだ。
登場人物が特に「脱原発」を説く
下に置く(アンダー・コントロール)
る。しかしここ
朝日新聞出身
ことはない。監督も言葉は抑えて、
ことができているのか。タイトルに
では、多くの子
松本
仁一
とことん「現場」を見せることに徹
はそんな問いかけを込めたのだろう
どもがそのまま
する手法を選んだようだ。映画自体
か。3・ 後の我々には重く響く。
ⓒ2003 ダウンタウン
死んでいく。
日本経済新聞編集委員 清水
真人
TVドキュメンタリーズ
●徹底して映し出す原発の
「現場」
首都ミンスク
Stefanescu/Sattel/Credofilm
2011. 11. 10 No. 501
( )
15
14
20
80
チェルノブイリ・ハート
10
25
31
10
25
11
アンダー・コントロール
11
ⓒ
いては、紙面スペースの限界やそれ
ぞれの記者・デスクの関心・得意分野
の偏りも現実にあり、思う通りの記
事とならない場合も多かっただろう。
だが、新聞のインタビュー取材の
場合はどうか。小沢事務所は、原稿
に細かくチェックを入れてくること
が多かった。そうして載った記事ま
で「偏向した報道」と言うのであれ
ば八つ当たりに過ぎない。
むしろ小沢氏の場合、新聞記事の
内容が何も間違っていなくても、意
に沿わぬ記事の掲載自体に怒って側
近議員とその社に乗り込み、幹部に
面会を強要することもあった。
私自身も陸山会の 億円相当に上
る不動産保有問題を取り上げた際、
小沢事務所から記事内容ではなく
「記 事 化 し た 意 図 」 に つ い て 問 い 合
わせる文書が何度か届いた。上司が
その「説明」のため、小沢事務所に
呼びつけられたこともあった。
もともと小沢氏は、耳の痛い話を
聞くのを嫌がることで知られる。若
い記者から都合の悪い質問をされる
などプライドが許さないのかもしれ
な い が、「報 道 被 害 者 」 を 装 う の は
筋違いというものだ。
あびる・るい 1990年入社
仙台総局
社会部を経て 年から政治部
現在
主に
外交・安全保障など担当
( )
小沢会見
「陸山会事件」
ください!」
だが、三権分立は立法、行政、司
法の三権の不干渉を意味するもので
はない。権力の暴走を防ぐため、三
権が互いに抑制し合い、均衡を保つ
ことに目的がある。
▼阿比留瑠比
小沢氏は追い詰められると攻撃的
(産経新聞社)
になる。だが、言っている内容は支
離滅裂であることが珍しくない。
平成 年 月、天皇陛下と中国の
習近平国家副主席との「特例会見」
について聞かれた際もそうだった。
小沢氏は記者に「君は日本国憲法を
読んでいるのかね?」と食ってかか
ったが、憲法を誤って引用したのは
小沢氏の方だった。
こうした小沢氏の逆ギレのような
逆質問に対しては、その場で反論し
ない記者も悪いとの意見もある。一
理も二理もあるが、小沢氏側は原則
として追加質問を受け付けないし、
一方的に質問を打ち切ることも珍し
くないので実際には難しい。
12
●“敵意”むき出し? 社へ圧力も
21
「新 聞 は 何 を し ゃ べ っ て も そ の 通
りに伝えてくれない。偏向した報道
に終わってしまうので、国民に真意
が伝わらない」
月2日のインターネット番組で
はこう述べた。確かに記者会見につ
10
「報道被害者」
装うのは筋違い
一方的な自己主張と自身の不勉強
をごまかす強弁、逆質問、恫喝と焦
点のすり替え…。民主党の小沢一郎
元代表の記者会見を聞くと、
毎度
「ま
たか」とうんざりさせられる。
小沢氏は自民党時代から現在に至
るまで、記者会見で自身の政治資金
問題について追及されるといつも
「適法に処理している」
「やましいこ
とはない」と言うばかりだ。決して
質問者が指摘した疑問点に具体的に
答えはしない。
10
初公判後の会見 各社のカメラが表情を追う
10. 6 産経新聞社提供
月6日の「陸山会事件」初公判
後の記者会見でも、延々と検察批判
を繰り広げて自身の潔白を主張した
揚げ句、国会での説明責任を問うた
記者にこうかみついた。
「三 権 分 立 を 君 は ど う 考 え て い る
の?いろいろな力や干渉で結果が左
右されることになったらいけないか
ら、司法は司法で独立している。も
うちょっと勉強してから質問をして
98
●側近が司会、追加質問認めず
その記者会見自体、小沢氏の場合
は側近議員が司会者を務めることが
多い。また、別の側近議員が小沢氏
の両隣に座ったり、何の目的か会場
内にたむろしていることもある。
それだけ小沢氏を慕っているの
か、小沢氏が何を言い出すか不安な
のか分からないが、無言の圧力をか
けているようで異様な光景だ。
10
2011. 11. 10 No. 501
ワーキングプレス
2011.
11. 10 No. 501
宮城・気仙沼発
ち上がれないほどの大ダメージを受
このまちでは、多くの商売が漁船
けたとはいえ、水産業の再生がこの
漁業に連なり、ある種の総合産業を
まちの鍵を握っているのは間違いな
形 成 し て い る。「総 本 山 」 の 魚 市 場
い。復興はそこに全精力を傾注する
の壊滅、実働現場の加工場や冷凍庫
のか。あるいは、これを機に水産業
の崩壊は、産業のエンジンが無に帰
依存型の体質を軌道修正し、新しい
してしまったことを意味する。
産業構造を模索するのか。
結果的に言えば、どっちつかずの
●突出していた「漁業」
対応に流れた観がある。魚市場機能
こうした構造は特異だ。七十七銀
を取り急ぎ復旧させ、目標としたカ
行(仙台市)によると、同市の産業
ツオの水揚げを6月中に達成した。
別特化係数(生産額ベース、1より
それは復活ののろしではあったが、
大きいほど特化度が大きい)は、漁
二の矢、三の矢が続かなかった。
業が ・ と突出。2位は食品の5・ 地盤沈下が著しい臨港地区は泥水
。大半は1点台か1・0以下だ。
がたまり、とても食品関連の仕事が
長年にわたり築いてきた「水産都市」 できる環境ではない。まちの土台を
未曽有の大震災から9日目の朝だ
の危うい実像が震災によってあぶり
った。
「ご無事でしたか」
「生きてて
建て直す基盤整備が必要なことは明
出された。
よかったな」
。電気が復旧していな
らかだが、土地の買い上げなど国の
い気仙沼市魚市場の薄暗い会議室で、 二つの考え方があったと思う。立
方針が定まらない。早期の事業再開
集まった200人の誰もがそんな言
を目指す業界と、待ちの姿勢の行政
葉を交わして再会を喜んだ。
側の意思疎通も不足していた。建築
制限が続く中、時間だけが過ぎた。
しかし、多くの人は絶望の淵にい
たはずだ。漁船を失った船会社はも
●カツオは3割、サンマ4割弱に
ちろん、魚の仲買人、鮮魚店、食品
例年なら最盛期を迎える戻りガツ
加工、製氷、倉庫、造船、燃料、食
品仕込みに至るまで、あらゆる事業
オ、サンマの水揚げの現状は寂しい。
主が暗闇の中に放りこまれた。皆が
年連続日本一のカツオは、前年の
前に踏み出す手掛かりを欲し、すが
3割程度にとどまる。サンマも4割
る思いでいた。会議では「まずはカ
弱で本州一だった前年実績に遠く及
ツオの水揚げを目指そう」と目標を
ばない。地元スーパーの鮮魚コーナ
ーに並ぶ魚の価格は高騰気味だ。通
掲げた。
2011. 11. 10 No. 501
苦悩する水産都市
定まらぬ国の方針
進まぬ加工業再建
■菊池 道治
(河北新報社)
24
10
85
気仙沼港に初水揚げされたサンマ(8. 24)
14
常なら7割以上が冷凍に回るサンマ
の水揚げ不足が特に目立つ。
最大の弱みは、冷凍・冷蔵施設の
稼働が遅れていることにある。生鮮
出荷が可能な分しか水揚げできない
から、船はよその港に逃げる。資金
面で余力のある業者も建築制限のな
い他市に拠点を移しつつある。
ある加工業者は「仮工場を自力で
再建しても、都市計画事業が進めば
いずれ移転を迫られる。復旧したく
て も で き な い 」 と 困 惑 す る。「国 は
漁業者の支援は手厚いが、水揚げを
支える水産加工業の再建は置き去り
だ」と嘆きの声も聞こえる。
気仙沼漁協は 月、 ㌧の凍結能
力と3000㌧の保管能力を持つ冷
凍施設を再建する。稼働すれば受け
入れ態勢は大幅に改善する。漁協関
係者は「今年気仙沼に入港してくれ
た船も、施設の復旧が遅れれば見捨
てられる。早く元に近い状態に戻し
たい」と焦りを見せる。
国頼みの姿勢で手をこまねいてい
ては関連産業は干上がり、港は廃れ、
人は去っていく。羅針盤はどこを向
いているのか。
港町・気仙沼の将来はまだ見えな
いままだ。
60
きくち・みちはる 1983年入社
報道
部副部長
論説委員を経て 2010年4
月から気仙沼総局長
11
( )
原発推進派町長の圧勝
■久保田 剛
(中国新聞社)
「逆 風 の 中、 ま っ た く 予 想 し て い
なかった高得票」
。漁協前の駐車場
に響いた陣営幹部の声は興奮してい
た。9月 日に投開票された山口県
上関町長選。しかし、原発建設計画
の推進派が推した現職、柏原重海氏
の表情は険しいままだった。
計画反対運動のリーダー山戸貞夫
氏を破り3選を果たした。1868
票対905票。原発建設構想が浮上
した1982年以降、町長選は9度
目で推進派は9連勝。柏原氏の得票
率は過去最高の ・4%に上った。
福島第1原発の事故後、原発の新規
立地計画がある自治体であった最初
の首長選は全国の注目を集めたが、
「反対派」
の票も集め
国の出方見ての両にらみ
25
67
まで有権者は揺れていた。
ないか。
福島の被害を目にしてもなお、町民 福島の事故を受け、国はエネルギ 計画の浮上後、住民は賛否に2分
の選択は原発推進の現職に集まった。
ー基本計画の見直しに着手。町が財
さ れ て き た。「さ ん ざ ん 悩 み、原 発 し
では、町民は原発推進を強く支持
かないから選んだ。今さら反対でき
源の柱にする原発関連の交付金は、
し た の だ ろ う か。「事 故 が あ れ ば 古
ない」。推進派のベテラン町議は言っ
見込み通り受け取れるか不透明とな
里を捨てることになる。でも、町政を
た。「子育てを犠牲にして反対してき
っている。町が1984年度から昨
任 せ ら れ る 人 は 誰 か 考 え た 」。 柏 原
た。絶対に建てさせない」。反対運動
年度までに受けた交付金は約 億
氏に投票した主婦は行政手腕を重視
の拠点となっている離島・祝島の女
円。使途は 月にオープンする温浴
した。別の無職男性も「もう原発はで
施設の建設費のほか、学校整備や看
性 は 会 う た び に 語 気 を 強 め る。「
きん。年寄りばかりの町をまかすな
護師の人件費、町営バス運行費など
年の重み」が小さな町に横たわる。
ら、経験がある方がいい」と明かす。 多岐に及んでいる。
国の新しいエネルギー基本計画の
中国新聞が投票を終えた200人
策 定 作 業 は 動 き だ し た ば か り。「こ
町の財政不安と島の生活
にしたアンケートでは「原発計画に
のまま宙ぶらりんが一番つらい」と
賛 成 」 は ・ 5 %、「反 対 」 は ・ 選挙戦で柏原氏は「匹敵する財源
の声も多く聞いた。
0 %、「ど ち ら で も な い 」 は 2・5
はない」として原発推進の立場を維 町の地域ビジョン検討会には 人
% だ っ た。 柏 原 氏 に 投 票 し た 人 は
の全町議が参加する。推進9、反対
持 し つ つ、「国 の 方 針 決 定 を 待 つ し
・5%。柏原氏に投票した人のう
かない。原発問題がどうなろうと、
3人の議員がどこまで突っ込んだ議
ち ・7%は原発計画に「反対」「ど
町民が団結してヤマを乗り越えた
論ができるか注視したい。町が現状
ちらでもない」と答えた。原発によ
い」と、推進と反対の垣根を超えた
を一歩踏み出せるか。両派の住民が
る町の活性化と事故への不安。はざ
町民団結を訴えた。選挙前の6月の
歩み寄れる町づくりを、ともに考え
町議会定例会では、原
ていきたい。
発のない町づくりも議
く ぼ た・ つ よ し
1998 年入社
20
08年から柳井支局長
論する地域ビジョン検
討会(仮称)の設置を
表明していた。
国の出方を見つつ
「原発のない町づくり」
も想定する。財政への
不安は、柏原氏の「両
にらみ」ともとれる対
応を後押ししたのでは
( )
29
12
(かみのせき)
上関
原発建設計画
中国電力が改良沸騰水型
軽水炉2基(出力各137万3
千キロワット)の建設を計
画。33万平方メートルの土地
を造成し、うち約14万平方メ
ートルは海面を埋め立てる。
1号機は2018年3月、2号機
は22年 度 の 運 転 開 始 を 目 指
しているが、反対派漁船によ
る抗議行動などで埋め立て
工事は進んでいなかった。中
電は福島原発事故を受け3
月15日から工事を中断。
67
20
2011. 11. 10 No. 501
山口・上関発
54
43
12
上関町の原発建設予定地 海を隔てた
真向かいに 住民の大半を反対派が占
める祝島がある
45
少し前まで聞く側に座っ
あわせるために猛烈なスピードで実
ていた人が、話す側に座っ
現させようとした。しかし、「誤算が
た。冒頭、ご本人も「少し
あった。議会のことを忘れていた」。
不思議な感じがする」と切 議会はオール与党のはずだが、「オ
り出した。
ール野党のように感じるときもあ
とはいえ、長い間テレビ
る」ということで、考えていたスピ
キャスターとして鍛えた弁
ードでは進まない。9月からの議会
舌は一段と磨きがかかった
では、選挙の時の「4年間200万
感じで、選挙で訴えた太陽
戸 分 」 を ひ っ こ め、「2 0 2 0 年 に
光発電推進の思いを、熱く
創エネ、省エネ、蓄エネで全体の
かつ率直に語った。
%をまかなう」とした。
選挙戦では、「太陽光発電 このことを「公約の後退」とメディ
設備を4年間で200万戸
アにとらえられるのではないかと心
分作る」
と訴えた。そして、 配したそうだが、「思ったほどそうし
その一部は夏の冷房需要に
た書かれ方をしなかった。何とか議
会を乗り
越えつつ
ある」と
話した。
「太 陽
光パネル
は タ ダ
で」という構想も当初強いインパ
クトを与えた。200万円のパネ
ルから補助金を引いた額を融資
し、電力会社に電気を売って得た
金を返済に充てれば 年で返し終
え て、 あ とは自分のものになると
いう 構 想 だ。こ れ に つ い て は、 今
の法制度で計算すると 万円ほど
るからだ。全面賠償をする気がな
い」と批判した。
政府の原子力損害賠償紛争審査
会が8月にまとめた中間指針にも
「全 面 賠 償 」 と い う 発 想 が な い と
指摘。その理由は審査会委員のう
ち2人が電力業界とつながりの深
い研究機関から毎月 万円をもら
っていたからだと批判した。
野田佳彦首相が定期検査中の原
発を「安全性を確保しながら」再
稼働しようとしている問題にも言
及。首相が「事故の究明、徹底調
査がすべてのスタートの大前提」
と言っているが、東京電力が国会
ゆうじ
くろいわ
自己負担が残るという。ただ、これ
もアイデアを駆使したりパネル価格
を下げたりすることで、何とか自己
負担ゼロを実現したいと言う。
「小 泉 さ ん が 乗 り 移 っ た 気 が し ま
す。いったん口にしたことは貫き通
す と い う こ と で す。『神 奈 川 か ら エ
ネルギー革命』は貫き通したい」
「後 退 し て い る 」 と い う 陰 口 を 振
り払うように、力強く言い切った。
朝日新聞WEBRONZA編集長
一色
清
・3(月 ) 昼食会
司会
小櫃
真佐己理事
小此木潔委員
出席
人
HP動画
に提出した書類では「事故原因の真
相究明はできない」と指摘。さらに
「安 全 性 を 確 保 」 す る 主 体 が 事 業 者
と原子力安全・保安院、原子力安全
委員会では、国民の信頼は絶対に得
られないと厳しく糾弾した。
最後に「原発は人類と共存しえな
いことは除染を一つとって見てもわ
か る 」 と 語 り、「原 発 ゼ ロ の 日 本 」
を目指す決意を改めて表明した。
朝日新聞政治部長 渡辺
勉
・5(水 ) シリーズ企画「各党に
聞く
エネ ル ギ ー 政 策 」 司会
和
田圭委員
出席
人
HP動画
47
( )
10
41
10
10
50
20
「神奈川からエネルギー革命」貫く
「原発ゼロの日本」を目指す
20
9月 日の衆院予算委員
限を決めないから住民が受け入れな
会で行った質疑をもとに、
い」と指摘。仮置きの期限を明示す
放射能汚染対策、
損害賠償、 るよう政府に強く求めた。除染費用
原発の再稼働という3大テ
については「当面は国が全額を支払
ーマについて考えを語った。
い、そのうえで東電に請求し、原発
汚染対策では「除染が一
メーカーにも拠出を求めるべきだ」
大事業になっている」と全
という考えを示した。
体状況を説明。除染の対象 損害賠償問題では、東電が発送し
は福島県に限定せず、
た賠償請求の書類
汚染された地域はすべ
が説明書だけで1
て国が責任をもって除
56ページもある
染するように求めた。
ことを問題視し、
取り除いた土など廃
「東 電 は で き る だ
棄物の仮置き場が決ま
け賠償額を減らそ
らないのは「仮置き期
うという意図があ
27
黒岩 祐治 神奈川県知事
かずお
志位 和夫 共産党委員長
し い
クラブゲスト
2011. 11. 10 No. 501
師が手を挙げた。国境なき医師団の
日本支部ができて 年がたち「日本
には医師や看護師、臨床心理士など
巨大なネットワークができていた」
と解説する。現地入りしたスタッフ
はほとんどが日本人だ。
カルナカラ氏は「残念ながら、こ
ういった危機は日本だけではない」
とも指摘する。ソマリアなど「アフ
リカの角」と呼ばれる紛争地域を襲
ったききんでは、武装勢力の妨害を
受けて支援が進まないことへの怒り
を あ ら わ に し た。「ソ マ リ ア 以 外 に
も、援助をする際に医師や患者が危
険にさらされる懸念がアフガニスタ
( )
会見趣旨からそれるが、知事が多
用した「アディショナル」という単
語 が 耳 に 残 っ た。「国 の 基 準 を 上 回
るアディショナルな対応を求める」
などの言い回しだ。和訳は、付加的
な、追加のといったところ。3月
日以降、原発事故対策に上限がない
ことは、国、事業者も含め共通認識
になった。報道機関もそうだが、関
係者には「アディショナル」を積み
重ねる努力が求められている。
愛媛新聞社東京支社 和泉
太
・5(水 ) シリーズ企画「3・
原 発 立 地 県 知 事 」 司会
井 上寛二
愛媛新聞社東京支社長
出席
人
HP動画
31
ときひろ
なかむら
11
11
52
ほか、ボランティアの医師らの活動
の機会を増やすため短期の休暇を取
りやすくすることを提案した。
丁寧で論理的な語り口の一方で、
時折少年のような笑顔を浮かべる。
国境なき医師団 年の歴史で初めて
のインド人会長だ。 カ国のスタッ
フが働く大組織のリーダーだが「人
道主義を信じることで1つに結ばれ
ている。国境や国籍、宗教は関係が
ない」と断言した。
日本経済新聞アジア部 北角 裕樹
80
・6(木 ) 記者会見
高畑昭男
委員
通訳
石川純子
出席
人
HP動画
40
定評価。プルサーマル導入時のシ
ンポジウムでの「やらせ問題」が
発覚したが、初期段階で公表した
四電に寛容ともいえる姿勢を示し
ている。
一方で、国の姿勢にはストレス
テスト実施の経緯などを踏まえ、
不満をあらわにした。国が再稼働
に向けた方針を示す際には、文書
を出して責任の所在を明確化する
よう注文。責任者の立場は「経産
相は最低条件」とし、国が応じな
い場合は「真剣に考えていないと
いう姿勢を表す行為で、話になら
ない」と厳しい言葉を並べた。
ン や リ ビ ア な ど で 増 え て い る 」と
指 摘 す る。こ の た め 組 織 の 独 立 性
と中立性が重要だと主張。製薬会
社、兵器メーカー、紛争当事者ら
からの寄付は受け取らず、活動資
金の %以上が個人からだ。
震災にもかかわらず日本が国際
貢献を続けると表明していること
を高く評価。ただ、日本の政府開
発援助(OD
A)の2%程
度しかないと
される公衆衛
生関連の予算
増額を求めた
90
再稼働に向けた3条件を提示
人道主義で一つに結ばれる
「再 稼 働 第 一 号 の
策を位置付け
原発はどこか」に関
た。 3 つ め に
心が集まる中、四国
は、これらを受
の電力の約4割を賄
けた地元の声を
う四国電力伊方原発
挙げ、3条件を
ちょうかん
が県内にある中村時
鳥 瞰 的に見極
広知事は
「今の私の立場は、 め「知事としての最終判断を下す」
白紙というところから一歩
と語った。
も出ていない」と従来の考 愛媛県では、前知事が原子力本部
えをあらためて強調した。
を本店のある高松市から松山市に移
知事は「再稼働を考える
転するよう要望してきたが、四電は
には、3つの条件が整わな
拒否。福島原発事故を受けて中村知
いと無理だ」と指摘。うち
事があらためて要望すると、四電は
2つには国の再稼働に向け
一転して受け入れ、本部長に副社長
た姿勢、電力会社の安全対
が就いた。この対応を中村知事は一
「も っ と 早 く 来 日 し た か
ったが、日本のチームが東
日本大震災の支援で活動し
ているので邪魔したくなか
った」
。カルナカラ氏は開
口一番、支援の現場にいる
スタッフへの配慮の気持ち
を口にした。
会見の前に訪れた岩手県
宮古市の田老地区は「震災
から7カ月たっても、津波
の甚大な被害を思い知らさ
れる光景だった」という。
震災直後には、日本各地の
ボランティアの医師や看護
20
中村 時広 愛媛県知事
ウンニ・カルナカラ
国境なき医師団インターナショナル会長
10
10
2011. 11. 10 No. 501
クラブゲスト
ウラジーミル・バベンコ
ばんざい
チェルノブイリ原発事故
はウクライナで起きた。し
かし、実際は風向きの加減
で、国境を越え、北のベラ
ルーシにも被害をもたらし
た。その放射線汚染と戦っ
ている民間組織が「ベルラ
ド放射能安全研究所」だ。
そして、バベンコ副所長の
話から伝わってくるのは、
国家への強烈な不信感だっ
た。
「我 々 の 最 大 の 敵 は 保
健省だった」と、糾弾して
止まない。
事故当時、ゴルバチョフ・
今年8月、農協界
のトップである全国
農業協同組合中央会
(J A 全 中 ) の 会 長
に就任した。新潟県
内の米農家の出身。
東日本大震災で被害を受け
た被災地農業の復興と、農
産物市場の大幅な開放をも
たらすTPP(環太平洋経
済連携協定)に反対する運
動に取り組む。
質疑応答はもっぱらTP
P問題に集中した。第3次
補正にめどを付けた野田政
ソ連政権は事実の公表を遅らせ、内
容も隠し続けた。それは社会主義国
家の威信に関わる問題だった。しか
し、バベンコ副所長の説明では、ソ
連崩壊後も国家は適切な対応をして
こなかった。政府は人命よりも社会
利害関係を重視し、常に、官僚主義
の保身に走った。聞いていると、一
体、国家はどこまで人々を守るのか
との根源的な問いにぶつかる。
そして、バベンコ副所長は、控え
目ながら、福島原発事故後に発表さ
れた日本の食品暫定規制値にも疑問
を呈した。ベラルーシでは食品ごと
に、細かな数値が出されているが、
権の、この時期
の最大の課題は
TPPへの参加
問題。ホットな
テーマだけに関
心も高かった。
TPPについて萬歳会長は「国内
農業振興や食料安全保障と両立せ
ず、とうてい容認できない。しかも
食料自給率を向上させるという政府
の基本方針とも矛盾する」として、
絶対反対の立場を貫いた。
「自 由 化 絶 対 反 対 の か た く な な 農
協の玉砕戦法が、ウルグアイ・ラウ
ンド農業交渉の失敗を招いた。同じ
30
村田
泰夫
( )
るのか」という疑問は残る。これに
対し、農協としても 〜 ヘクター
ルの「強い」水田農業を育てるとい
う。しかし「強い農業を育てること
とTPPとは別問題だ」との立場だ。
「農 協 は 身 内 だ け の 世 界 に 閉 じ こ
もって(世間と乖離して)いる」と
か、「日 本 農 業 は 壊 滅 す る と、 こ れ
まで常に危機をあおってきたが、実
際はつぶれていない」とか、農協に
不信感をぶつける意見も出た。
企画委員
朝日新聞出身
12
12
・ (水)昼食会
司会
村田 泰
夫委員
出席
人
HP動画
11 10
日本では大雑把に二つの数値しか
品が汚染されているのか、きちんと
ない。日本は「まだ発展途上にあ
調べる。汚染の概要が分かり、放射能
るのだろう」と、皮肉な感想を述
への理解が若い世代に養われていく。
べた。
国家は常に「問題はない」と言い
では、信頼できない国家に、ど
続けるが、我々は「問題はあるが、
う対応するのか。バベンコ副所長
解決はできる」との態度が重要だ。
の答えは「自分のことは自分で守
日常の対策こそがもっとも大切と力
る」ことだという。推奨するのが、 説した。そんなに国家不信の感情を
各地の学校に、放射能汚染調査ク
抱いていいのかとの疑問はあった。
ラブを作る。子どもたちが課外活
そ れ で も、 現 場 体 験 か ら の 言 葉 に
動を通じ、
は、十分な説得力があった。
自分の地域 毎日新聞出身 石郷岡
建
のどこかが
・ (水 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」 司会
瀬川至朗 委員
通訳
汚染され、
辰巳雅子
出席
人
HP動画
どの程度食
轍を踏まないか」との指摘には、
陪席した富士重夫J A全中専務が
「T P P は 例 外 な き 関 税 撤 廃 と い
う柔軟性のない協定。当方として
柔軟に対応できる余地がない」と
答えた。
また、萬歳会長が「自由貿易そ
のものには反対ではない。公正、
平等なルールであれば」と述べた
のが、注意を引いた。WTO(世
界貿易機関)のもとで、多様な農
業が共存できる道を探るという意
味だろう。
そ れ に し て も、「T P P 反 対 の
先に、日本農業再生の展望が開け
10
20
98
59
萬歳 章 全国農業協同組合中央会会長
ベルラド放射能安全研究所副所長
TPPは食料自給率向上と矛盾
日本の食品暫定規制値に疑問呈す
クラブゲスト
2011. 11. 10 No. 501
あきら
その解決のための国際支援の重要
性を再認識する機会でもある。
津波に加え、内戦の激化にも直
面したバサンタカラさんは、生活
の再建には、定住住宅と漁業など
生活基盤の確保を急ぐ必要がある
と語った。被災地では様々な人が
共同で生活する場面も増えるた
め、 良 好 な 関 係 を 築 く 催 し を 通
し、絆を失わないようにする配慮
も必要だという。
自らもレイプでHIVに感染し
た経験を持つタマエさんは「私は
レイプサバイバーであり、HIV
サバイバーです」と語った。過酷
な体験の犠牲者ではなく、サバイバ
ー(生存者)だと強調するのは「自
分に起こったことを受け入れ、前に
進むことが大切」と考えるからだ。
石巻でタマエさんが自らの体験を
語ると、被災者の一人も「この話を
するのは初めてです」といって自分
の話を始めた。信頼関係の構築には
「相 手 が 自 ら 話 し た く な る の を 待 つ
こと」が重要だという。
企画委員
産経新聞特別記者・編
集委員兼論説委員 宮田
一雄
・ (木 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」 司会
宮 田一雄 委 員
通訳
宮本城
津野暁子
加 藤 丈典
出席
人
HP動画
・ (金 ) 記者会見
司会
西
川孝純委員
出席
人
HP動画
81
2人の女性指導者と、イラクで子ど
もたちの医療支援活動を行うムハン
マド・イブラヒムさんの3人は会見
の前日まで、宮城県石巻市を3日間
にわたって訪れ
ていた。
東日本大震災
では「今度は自
分たちが日本を
助ける番だ」と
途上国から支援
の申し出が相次
いだ。日本にと
ってそれは、地
球規模の課題と
13
14
( )
11 10
り 歳までやるのはむずかしいのか
なと思っています」と発言。
歳引き上げ断念か、と問い合わ
せが殺到した。その2時間後に改め
て厚労省で会見を開き「引き上げを
否定したわけではない」と述べ、日
本記者クラブでの発言を撤回した。
社会保障改革は痛みを伴う内容も
あり、強い信念とリーダーシップが
なければ実現はむずかしい。小宮山
厚労相の奮起を期待したい。
TBSテレビ解説委員 牧嶋 博子
68
68
スリランカのニャーナセ
ルバム・バサンタカラさん
は2004年のインド洋大
津波で被災した村の復興に
取り組んできた。ロ
ーズ・タマエさんは
南アフリカで、エイ
ズの病原ウイルスで
あるHIV(ヒト免
疫不全ウイルス)に
感染した人たちを支
援する活動を続けて
いる。
コミュニティ再建
の担い手であるこの
が、交付金で行うのか、介護保険
で 対 応 す る の か。 介 護 保 険 の 場
合、保険料引き上げとなるが、国
民の納得をどのように得るのか。
解決の道筋は示されなかった。
歳引き上げ案が部会で審議中
の年金問題については、会場から
の質問に「ダブルでさらにいきな
68
犠牲者ではなく、サバイバー
社会保障改革 強い信念が必要
左からイブラヒムさん タマエさん
バサンタカラさん
厚労相に就任して、 日
き最大課題「社会保障改革」につい
余り。就任時、野田総理か
て、介護分野では、高齢者を地域で支
らは「東日本の復旧復興、
える地域包括ケアの推進、福祉で働
福島原発への対応、社会保
く人の処遇の改善の実施を力説した。
障と税の一体改革」を取り 「複 雑 方 程 式 を 解 く よ う な も の 」
組むべき最重要課題として
と繰り返した医療の分野については、
指示を受けたという。厚労
医師の偏在、不足の解消。在宅医療
副大臣時代から取り組んで
体制の充実。診療報酬の引き上げ。
いる子育て支援については、 医療保険分野では国保の広域化、協
子ども手当だけでなく、幼
会けんぽの財政強化などを挙げた。
保一体化を給付の面からも 大臣が列挙した項目は、自公政権
さらに促進する「子ども子
時代から懸案となっている課題だ。
育て新システム」を実現し
問題は財源を何に求め、どのように
たいと強調した。
解 決 す る か だ。 た と え ば、「福 祉 で
また厚労省が取り組むべ
働く人の処遇の改善」と簡単に言う
40
18
10
ようこ
震災復興とコミュニティ再建
途上国からの視点
小宮山 洋子 厚生労働相
こ み や ま
2011. 11. 10 No. 501
クラブゲスト
3・ 以後、原発関連地
域で争われた山口県上関町
と北海道岩内町の町長選挙
は、いずれも原発容認派が
勝った。東京に本社を置く
メディアはほぼ一様に、こ
れほどの事故があってもな
お、と驚いてみせたが、地
域の「原子力ムラ」の深層
をしっかり説き明かした記
事はほとんどなかったよう
に思う。
原発事故前にあらかた書
き上げたという氏の著書
「
『フクシマ』論」には新聞
「年 内 の 冷 温 停 止 状 態 達
成」
「汚 染 水 は 浄 化 処 理 で
減少」…。東京電力・福島
第1原発事故の収束への取
り 組 み を 巡 り、 政 府 か ら
「順 調 な 進 展 」 を 強 調 す る
発言が相次いでいる。
しかし、3月末から約5
カ月間、内閣官房参与とし
て原発事故対応や原子力行
政への助言を続けてきた田
坂 氏 は「
『事 故 は 収 束 に 向
かっている。すみやかに原
発再稼働を』という根拠の
ない楽観的空気が今の最大
が書けなかった「ムラ」のからくり
が 詳 述 さ れ て い る。 こ の 日 の 講 演
は、その要旨を本人が語るというお
もむきだったが、事故から7カ月が
経過してさらにその内容に自信を深
めているようにみえた。
中央と立地地域の2つの「原子力
ムラ」を分析した氏が最も強調して
いるのは、立
地地域の「ム
ラ」の主体性
だ。メディア
がとかく被害
者的に扱う立
地地域の「原
のリスク」と警告する。
さらに「絶対に安全な原発ができ
たとしても、高レベル放射性廃棄物
の最終処分の問題が残る」と語った。
特に①管理しなくてはならない 万
年先まで、安全性の科学的な保証は
できない②未来の世代に負担を先送
りしなくてはならない──ことから
「廃 棄 物 を ど う す る か は 技 術 的 問 題
で な く、 社 会 が 受 け 入 れ る か の 問
題」との見方を示した。その上で「国
民が納得するには、政府への信頼が
絶対条件」として、福島原発事故で
信頼を失った原子力行政の徹底改革
を求めた。
11
4号炉
の使用済
み核燃料
プールの
冷却機能
が 喪 失
し、炉心がむき出しのまま溶融す
る「最悪シナリオ」となれば、首
都圏の住民3000万人の避難が
必要な事態が起こりうるとの試算
を専門機関が3月末時点で政府に
提出していたことも明らかにし
た。「起 こ り そ う に な っ た わ け で
はない」としながらも「最悪の場
合、国家機能が喪失しかねない現
71
・ (金 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」 司会
川村晃司委員
出席
人
HP動画
会見詳録
( 10 )
実を直視してほしい」と、政官財か
らの早期再稼働を求める声や浜岡原
発停止要請への批判に反論した。
また、事故発生直後、原発周辺の
放射性物質濃度を予測する「SPE
EDI」の情報が住民避難に生かさ
れなかったことを挙げ「(政府内で)
情報を誰に伝え、どう判断、指示す
べきかについてのマニュアルが整備
されていなかった」と、危機管理の
甘さを指摘した。
毎
日新聞政治部副部長 塚
田 健太
27
11 10
61 11 10
17
14
子力ムラ」が必ずしも受け身では
し付けた」という単線的な視点で原
な く、む し ろ「疲 弊 」と「困 窮 」か ら
発問題を見ていては、今後のエネル
脱出する媒介として原発を「自発
ギー政策や日本の将来設計に「解」
的に受け入れてきた」と主張する。 は出てこないとの思いがうかがえる。
コメづくりに向かない土壌、近代 歳といえば一定の知見を積み自
技術に淘汰されていった塩田事業、 己主張したい盛りの年齢だが、語り
福島県内の所得格差などの地域事
口は終始抑制が利いていた。質疑の
情を背景に、
地元の人たちの多くが
最後で「あなたは脱原発を唱えるの
自らの意思で原発を引き受けてい
か 」 と 問 わ れ た と き の こ と。「何 々
ったという分析は、
自身が福島原発
がダメだと言うことで見えなくなっ
の隣町(いわき市)出身であること
て し ま う も の が あ る 」。 一 瞬、 社 会
を踏まえれば一層の説得力を持つ。
学者としての強い自戒をのぞかせた。
無論、地域の責任を自虐的に指 共同通信編集局次長 河
仁志
原
摘しているのではない。その言説
・ (月 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」司会
倉重篤郞委員
出席
の 底 流 に は、「中 央 か ら 地 方 へ 押
人
HP動画
根拠なき楽観が最大のリスク
「ムラ」の主体性説き明かす
田坂 広志 元内閣官房参与
ひろし
たさか
ひろし
開沼 博 「『フクシマ』論」著者
かいぬま
クラブゲスト
2011. 11. 10 No. 501
10
る設備がある」と言及。日本の風力
発電最大手、ユーラスエナジーホー
ルディングスの社長でもある永田氏
は、風力発電の実力は十分にあると
自信を見せる。
東日本大震災という未曽有の大災
害による東京電力福島第1原子力発
電所の事故を受け、電源構成に占め
る原発の比率は当初計画よりも低下
するのは避けられ
ない状況。風力や
太陽光発電など再
生可能エネルギー
に注目が集まって
い る が、「再 生 可
構想も洗い直され、来夏には基本的
方向づけがなされる見通しだ。
文科省は研究開発を担うが、大転
換期ゆえに関連予算の概算要求では、
基本政策が整うまでの暫定的なもの
にした。ただ原子力の安全や基盤を
支える研究、人材育成は「途絶えさ
せてはいけない。今後もしっかりや
っていく」と語った。
国民にはさらに重大事である放射
能のモニタリングや除染。中川氏は
「測 定 は 陸 海 空 で 拡 充 し、 除 染 は 学
校、通学路、公園など子どもの集ま
りそうなところを『チルドレン・フ
ァースト』で進める」と強調。ただ、
能エネルギーは政策次第で伸び方
が大きく変わる。国民の強い意志
があれば伸びる」と、普及促進の
ための環境整備を強く求める。
風力や太陽光で発電した電気を
全量、固定価格で買い取る制度が
関連法の成立により2012年7
月をめどに導入されることになっ
た。 た だ、 同 制 度 の 導 入 を 見 込
み、補助金は先行して段階的に縮
小 さ れ て き た だ け に、「風 力 発 電
でつくった電気は1キロワットア
ワー当たり 〜 円で買い取って
もらいたい」と注文を付ける。
風力発電の拡大のため、新たな
20
24
海外の知
見も入れ
て除染技
術をもっ
と開発す
る必要が
あるとい
う。
ホットスポットは民間の団体や
自治体が独自に調べている。バラ
バラにならないよう、ガイドライ
ンを作ったり、文科省に情報を集
約する窓口を設けることを明らか
にした。
ただ問題の根源には事故後の不
立地先として目を向けているのが海
だ。「風 が 安 定 し て 吹 く 洋 上 な ら、
稼働率は陸上よりも高まる」とみる。
海に風力発電所を建設する洋上風力
発電は欧州が先行し、まだ日本では
一部が試験的に稼働している段階だ
が、陸上では風が良く吹く場所の開
発が進み、適地は徐々に減ってきて
いる。島国の日本は海に囲まれてい
るだけに「洋上風力発電の潜在力は
大きい」と期待をかけている。
日本経済新聞産業部 銀木
晃
・ (火 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」 司会
川村晃司委員
出席
人
HP動画
手際や不備、失敗で広がった「不信」
と「不 安 」 が あ る。「安 全 基 準 」 も
ブレたりして「何をあてにできるの
か 」「国 は 情 報 を 隠 し て い る の で は
ないか」という声が上がっている。
故郷を離れた多くの転校児童・生
徒ら、不安定な境遇になりがちな子
どもたちの安全安心、あるいは学力
をしっかり支え、守っていけるか。
深く傷ついた信頼の回復と教育行
政トップとしての重大な責任はそこ
にかかっているといえる。
毎日新聞専門編集委員 玉木
研二
・ (水 ) 記者会見
司会
和
田圭委員
出席
人
HP動画
62
( 11 )
18
19
「東 日 本 大 震 災 後、 再 生
可能エネルギーに注目が集
まっているが、風力発電を
知っている人と、そうでな
い人はギャップがある」と
永田氏は過剰な期待を排す
るように慎重な物言いで語
る。
「風 力 発 電 を 町 お こ し
や村おこしなどのマイナー
なものと思って
いる人が多い」
と指摘しながら
も「世界全体で
は日本の電力需
要を十分に賄え
ご本人が言うように「守
備範囲」が大変広い。この
日も原発事故対策を中心に
大学改革、基礎科学研究の
充実、電子書籍をめぐる著
作権、そして大相撲などと
話柄は移った。
焦眉の急として対応を迫
られると同時に、将来へ骨
太いビジョンも求められる
原子力問題。政府は新政策
大綱の策定に入った。原発
の基幹電源としての位置づ
けや核燃料サイクルや高速
増殖炉などをめぐる計画、
62 11 10
10
てつろう
ながた
まさはる
潜在力大きい洋上風力発電に期待
除染はチルドレン・ファーストで
永田 哲朗 日本風力発電協会代表理事
中川 正春 文部科学相
なかがわ
2011. 11. 10 No. 501
クラブゲスト
しただろ
と話したが、途中胸が詰まって嗚咽
う」と、複数
し た。「とにかく戦争は駄目だ。
日米
の人が答え
は仲良くしなければいけません」と
た。こ れ は
述べるのがやっとだった。会場から
意外だった。 拍手がおきた。元捕虜たちがN会員
これがアメ
の も と に 来 て 握 手 を 求 め た。「こ れ
リカでは一
が 真 の 日 米 交 流 だ 」と 米 側 か ら 声 が
上 が っ た。記 者 会 見 と し て は 珍 し い
般的な考え
光景だった。
なのか。
最後にN 私は大岡昇平の俘虜記の冒頭の一
節
「わがこころのよくてころさぬには
会員が立っ
て自らの体
あらず
(歎異抄)
」を思い出していた。
験を話した。当時中学1年だった NHK出身 田中
信義
・ (金 ) 記者会見
司会
露
が名古屋の実家は空襲を受けなく
木茂 委 員
通訳
長井鞠子
森岡幹
なった。名古屋城も炎上したなど
予
出席
人
HP動画
21
36
は放射線汚染除去や避難生活の損害
はどうする、東電からの賠償はどう
なるなど、未知数が多すぎて手が付
かない。
被災地からは今も7〜8万人が全
国各地へ避難しており、避難先も十
分把握できない。それで日税連は
月 、 の両日、全国 カ所で無料
税 務 相 談 を 開 く。 池 田 さ ん は、「是
非それを知らせてください」と会見
で要請した。
時事通信出身 長沼
節夫
10
78
11
・ (月 ) シ リ ー ズ 企 画「3・
」 司会
泉宏委員
出席
人
HP動画
27
11 10
24
19
元POWの一行7人は笑
後日本の神岡収容所で過酷な労働を
顔で記者会見場に現れた。
させられた。各人も自らの苦しかっ
戦後 年、ほとんどが 代
た捕虜生活を話した。その体験は彼
後半以上、最高齢は 歳。
らにとって 年たった今なお、心の
外務省は日米草の根平和交
大きな傷となっている。しかし彼ら
流招聘プロジェクトとして
は、それを淡々と話した。これまでの
2010年から米国人元捕
わだかまりは消えたかのようだった。
虜を日本に招いている。今 一行はまた平和と友好のために来
度が2度目だ。
たのだと繰り返し、政治問題に触れ
会見は団長のロバート・
ることをさけた。
ボグラ・ジュニアさん(右) た だ 広 島 長 崎 の 原 爆 に つ い て は
から始まった。1940年 「きわめて悲しい出来事だった。二度
陸軍航空隊入隊、フィリピ
とあってはならない。
しかしもし原爆
ンで捕虜、あのバターン死
を投下せず日本本土上陸の事態にな
の行進をも経験した。その
れば、100万人以上の犠牲者を出
壊か一部損壊かで控除比率に大き
な差が出るので被災者は真剣だ。
津波では家庭や企業だけでなく役
所の課税原簿まで流出した自治体
もあり、このままでは処理できな
いので、前年実績から推定しなが
ら進めている。ローンで新築した
家が流失したなど、2重ローン問
題 も 深 刻。 日 出 さ ん は、「給 与 所
得者でも雑損は控除されるので申
告してほし
い」と呼び
掛ける。
原発被害
の税務処理
26
平 和と友 情 の旅
11月末、全国各地で被災者相談開催
( 12 )
80
92
70
納税者と国との間にあっ
が成立、実現した。
て、納税の適正化を図るの なぜ前年に発生と?「今年発生と
が使命の税理士。池田さん
すると、被災者が雑損控除を申請し
は全国7万2千人の組織日
ても、還付が1年も先になり気の毒
税連の先頭に立つ。税理士
だから。去年なら納税済み分から直
た ち に 今 年 激 震 が 走った。 ちに還付される。私は大阪人で阪神
「3・ 大 震 災 」だ。し か も
淡路大震災を体験したが、あの時も
3月 日の納税申告期限直
同様の扱いで納税者が随分助かった」
前の大災害。
さあどうする。 と。経験者の話だけに重みがある。
池田会長は直ちに、国税 被災地・東北の税務については主
庁に①被災地での申告期限
に副会長の日出雄平さんが語った。
延長②災害が前年に発生と
3・ は地震+津波+原発事故の3
みなして処理─などを申し
重苦だった。地震では申告に必要な
入れ、①は直ちに、また②
罹災証明の発行がまだ役所で1万5
も翌月、国会で震災特例法
千件も滞っている。自宅が全壊か半
11
66
15
11
米国人元戦争捕虜(POW)
としひろ
池田 隼啓 日本税理士会連合会会長
いけだ
クラブゲスト
2011. 11. 10 No. 501
た 」。 金 融 市 場 へ の 攻 撃 は 緩 す ぎ
た規制が混乱に拍車をかけたとの
認識の裏返し。投資マネーをあふ
れさせた低金利政策は「安価なお
金をばらまくのはドイツの立場で
はない」と切り捨てた。
大統領に就く前はフォルクスワ
ーゲン(VW)の本拠地があるニ
ーダーザクセン州の首相だった。
グローバル化には理解があるはず
だが大統領としては保守的な立場
に回帰せざるを得ない。前大統領
のケーラー氏が国際通貨基金(I
MF)の元専務理事だったにもか
かわらず金融市場を「モンスター
(怪物)」と批判したのに重なる。
いまドイツは、自らの経済政策の
発想を欧州全域に広げて危機を乗り
切ろうと試みる。それには「ドイツ
流」を押しつけるだけでなく、 世
紀のウエストファーレン条約で確立
した国家主権を段階的に手放し、欧
州連合(EU)の機能を強化するこ
とも欠かせない。それが決断できる
のか。「ドイツは責任を担う」。統合
深化に向けた公約は重い。
日本経済新聞経済金融部 赤川 省吾
・ (月 ) 記者会見
司会
吉
田慎一理事長
通訳
桑 折 千 恵子
蔵原順子
写真
栗田格会員
出席
人
HP動画
27
物」であることが
求められるドイツ
の大統領は、その
役割をそつなく演
じきった。
戦後ドイツの経
済政策は経済学者
オイケンが中心となったフライブル
ク学派が提唱する「社会的市場経済」
に 立 脚 す る。 市 場 原 理 は 尊 重 す る
が、政府が市場競争を管理し、英米
型資本主義とは一線を画す。それが
絶対的な価値観となっていることが
言葉の端々からにじみ出る。
「銀 行 が 巨 額 資 金 で 投 機 に 走 っ
17
を伝える際にもっとも重要だと氏
中でメディアの果たすべき役割とは
は考えている。
何か、チャウ氏は科学を人々に伝え
現在世界では3400万人がエ
ることだと指摘する。たとえ、科学
イズに苦しみ、
毎日7400件の新
がエイズ治療に革新的な技術をもた
しい感染症例が報告されていると
らしても、メディアがそれを人々に
いう。
こうした状況はまだまだエイ
伝えなければ役に立たないのだ。氏
ズをとりまく状況には問題がある
は記者会見中常に笑顔を絶やさずに
と氏は指摘する。
エイズが世界的な
われわれに話しかけたが、そのひと
問 題 と し て 取 り 上 げ ら れ て 年、 つひとつの言葉は重く、私たちにジ
次の 年に
ャーナリストの使命とは何かをずっ
向けては医
しりと響くように問いかけた。
療技術の革 NHK国際部副部長 中
健夫
島
新などが必
・ (火 ) 研究会「HIV/エイ
要となる。
ズ 」 司会
宮 田一雄 委 員
通訳
池田薫
出席
人
HP動画
そうした
24
25
( 13 )
10
111
10
通貨ユーロの将来が
危ないのでは、との疑
問には「欧州は過去も
危機をバネに統合を進
めてきた」
。苦境に陥
った南欧には「支援枠
をきちんと広げる」と
模範解答した。
欧州債務危機への対応を
問いただしても、いやがる
そぶりを見せずに、懇切丁
寧に説明するいつものスタ
イルを貫いた。政治的な実
権 は ほ と ん ど な い が、
「国
家元首として尊敬される人
ジ ェ ー ム ズ・ チ ャ ウ 氏
ている言葉は「メディアは命を救う
は、国連エイズ親善大使と
ことができる」という言葉と、これ
して、HIV陽性者の人権
と対極にある「メディアは人の命を
擁護を訴えるとともに、エ
奪うこともできる」というものだと
イズの感染予防などの啓発
いう。
に務めてきた。氏がエイズ 以来氏は、エイズをはじめとした
問題をはじめとする世界の
世界の保健問題を伝える際に単に患
保健問題に取り組むきっか
者の数などの統計を伝えるのではな
けになったのは、SARS
く、病気に苦しむ人々の生活を伝え
(重 症 急 性 呼 吸 器 症 候 群 )
ることをもっとも重要視している。
や鳥インフルエンザ問題な
こうした「数字の向こうにある人々
どの取材がきっかけだった。
の暮らし」を記事やニュースとして
国連エイズ親善大使に任
伝えることでその情報を受け取る人
命された後に受けたアドバ
が「自分は何ができるのだろう」と
イスで、今も氏の中に残っ
感じてくれることが世界の保健問題
10 30
クリスティアン・ヴルフ ドイツ大統領
ジェームズ・チャウ
国連合同エイズ計画(UNAIDS)親善大使
“ドイツ流”
で統合深化に貢献
メディアは科学を伝え命を救う
2011. 11. 10 No. 501
クラブゲスト
震災でイスラエルの医療チームが
指摘した。
駆けつけた被災地・宮城県南三陸 果たして「 年の建国以来、戦い
町も訪問した。
続けている」イスラエルに和平は来
民間防衛はイスラエルにとって
るのか。ビルナイ氏は停滞する中東
最 重 要 課 題 の 一 つ。「中 東 最 強 」
和平交渉について、ハマスと自治政
の軍事国家イスラエルに、周辺国
府の内部対立を解消できないパレス
が真っ向から戦線を開く事態は、
チナを非難こそしたが、国際的に批
もはや考えにくい。敵は「非対称」 判を浴びるユダヤ人入植地問題への
対応など具体論には踏み込まなかっ
だ。ロケット弾などが最大都市テ
た。
ルアビブや聖地エルサレムに降り
英司
注ぐ事態が最大の脅威となる。ビ 毎日新聞外信部 前田
ルナイ氏は今後想定される戦線を
・ (火 ) 記者会見
司会
会
軍事的な「ミリタリー・フロント」
田弘継委員
通訳
池田薫
出席
と、民間の「シビル・フロント」
人
HP動画
と定義し、危機に備える重要性を
48
25
・ (水)昼食会
司会
脇 祐三
委員
出席
人
HP動画
26
70
( 14 )
10
し「この問題で関係を損なってはな
らないという点では両政府は一致し
ています」とも。
同感だ。それにはシーシェパード
の暴力行為など感情的対立をエスカ
レートさせるような芽を摘む不断の
努力も重要な外交課題だろう。
歳 の 時、「何 か 外 国 語 を 学 ぶ な
らアジアの言葉を選びなさい」との
父親の一言が日本・日本語との出会
いという。示唆に富んだエピソード
として強く印象に残った。
産経新聞特別記者 千野
境子
11
き抜く「厳しさ」だった。イスラエ
ルのせん滅を公言するイランを筆頭
に、南はパレスチナ自治区ガザのイ
スラム原理主義組織ハマス、北はレ
バノンのイスラム教シーア派民兵組
織ヒズボラが、それぞれ固める。民
主化要求運動「アラブの春」で地域
情 勢 は 流 動 性 を 増 し た。「次 の 戦 争
は時間の問題だと思っている」
イスラエルは今年、国防省の傘下
に「民間防衛省」を新設した。災害
を含む緊急時の民間対応を指揮する
省庁で、その初代大臣に就任したの
が軍人出身で国防経験に富むビルナ
イ氏だ。今回の来日では、東日本大
たって自らの熱い思いも込めなが
ら、しかし静かに抱負と課題を語
った。
もっとも日豪には捕鯨の対立が
ある。これも厳然たる現実だ。
「日
本人から見ると理解出来ない」と
の質問に「オーストラリア人の
〜 %は反対です」とここは国益
を背負う
大使も譲
れない。
もちろん
日本にも
国益があ
る。しか
96
「我 々 は 世 界 で 唯 一、 今
世紀になっても『生存』を
かけて戦っている国だ」
ビルナイ氏が繰り返し強
調したのは非アラブ、非イ
スラムの国として中東で生
駐日大使のデビュー会見。 輸支援を行い、日米豪連携作戦が奏
会場には打ち解けた、どこ
功した。もう一人のトモダチ。そん
か穏やかな雰囲気が終始、
な風に呼びたくもなるような関係が
漂っていた。
生まれつつある。
基調講演も質疑応答もす ミラー大使も戦略・防衛協力の分
べて日本語、日本専門家、
野における向こう5年の課題として
顔見知りの記者も多い。だ
①包括的な法的枠組みの整備②その
が理由はそれだけではある
実行を上げた。どういう形になるか
まい。やはり現在の良好な
は「これからの議論」と無難な答弁
日豪関係と将来性あっての
だったが、新大使にとっても大きな
ことと思いたい。
仕事の一つになるに違いない。
中でも近年、とみに緊密 このほかAPEC誕生の原動力と
化を増しているのが安全保
なった日豪のパートナーシップの重
障分野だ。東日本大震災で
要性、日豪経済連携協定の迅速な締
も米国以外の国では唯一空
結、人的交流の拡大など広範囲にわ
97
「シビル・フロント」
で危機に備える
緊密化増す もう一人のトモダチ関係
マタン・ビルナイ イスラエル民間防衛相
ブルース・ミラー 新駐日オーストラリア大使
37
10
クラブゲスト
2011. 11. 10 No. 501
学賞「わさび火災警報装置の開発」
は、その典型例かもしれない。
この装置は、通常の火災報知機の
作動を感知し、わさびのにおいがす
る気体を噴射する。聴覚障害者はた
とえ眠っていても、においの刺激で
起き、危険に気付ける。眠りを覚ま
すのに最適な濃度を決定したこと
も、受賞理由の一部だという。
においは、天然のわさびよりアレ
ルギー反応のリスクが低い、化学合
成されたものを使用。会見でもスプ
レーが試しに噴射され、つんとする
「あのにおい」に場内が沸いた。
もっとも、開発側は大まじめだ。
「においで起こす」という発想は、
睡眠中に嗅覚は働かないという定
説に挑戦する格好となり「臨床研
究のパートナーを探すのに苦労し
た」と装置を開発したシームス社
の種村秀輝取締役は振り返る。当
然、機器の開発はゼロからの試行
錯誤だったという。
そんな彼らの成果が授賞式で満
場の拍手を浴びた。田島幸信・香
りマーケティング協会理事長は、
成功の秘訣を①「香り」に方向性
を絞り②社会に貢献しようと③懲
りずにやったこと─と整理する。
「寝ている間の火災が不安」と訴え
「今 の 制 度
ではコスト
削減は無
理」と総括
原価方式の
見直しを求めたが、発送電分離に
は「電力は国のインフラ、公共性
が高く、外資の参入も許すべきで
ない」と慎重姿勢を示した。
会見では「民主党との連立はい
つまで?」との意地悪い質問も飛
んだ。国論が二分しているTPP
参加について「断固反対。党とし
て(参加の)閣議決定にも反対す
る」と口をとがらせたが、やはり
・ (木 )シリーズ企画「各 党に
聞く
エネ ル ギ ー 政 策 」 司会
西
川孝純委員
出席
人
HP動画
( 15 )
る聴覚障害者たちの声が、世に出る
までの辛抱の日々を支えたのだろう
か。
体臭を手掛かりにしたがんの探知、
酔っぱらいには運転できない車、そ
して、においの分析技術の幹細胞研
究への応用と、においにまつわるユ
ニークな開発プロジェクトは広が
る。「わ れ わ れ の 商 品 は 必 ず 社 会 性
を帯びる。社会貢献がないと心底燃
えない」と同社の漆畑直樹社長は語
った。
共同通信科学部 井口雄一郎
・ (水 ) 記者会見
司会
橋
本五郎委員
出席
人
HP動画
最大のポイントは郵政改革法案の行
方。「今 国 会 が 最 後 の チ ャ ン ス。 そ
れができなければ…」と同法案の不
成立は連立離脱に直結するとこぶし
を握り締めた。
父親の亀井久興元衆院議員は旧津
和野藩主・亀井家の第 代当主。「世
が世なら本物のお姫様」の亜紀子さ
ん、控室での記帳は「人間万事塞翁
が 馬 」。 整 っ た 文 字 と 丁 寧 な 筆 遣 い
が育ちの良さをうかがわせた。
企画委員
時事通信出身 泉
宏
36
15
24
クスッと笑わせ、ムムム
と考えさせる。そんな業績
に与えられるのが「イグ・
ノーベル賞」だ。今年の化
うのが自然。福島でも壊れたのは古
い 原 発 」「代 替 エ ネ ル ギ ー は 天 然 ガ
スによるガスコンバインドサイクル
と地熱発電」など淡々と語った。
少し力が入ったのは原発再稼働の
前 提 条 件。「地 元 の 理 解 が あ れ ば 再
稼働してもいい」と柔軟姿勢を示し
ながらも「我が党の亀井静香代表は
『福 島 原 発 は 地 震 で 壊 れ た の で は 』
と言い続けている。それがはっきり
しないと、安全基準が決まらない」
と訴え、前臨時国会で設置が決まっ
た国会原発事故調査委での原因究明
が優先するとの立場をアピールした。
電力会社の今後についてはまず、
26
27
“においで社会貢献”
に燃える
再稼働は福島事故原因究明が前提
左から 田島幸信氏 種村秀輝氏
漆畑直樹氏
民主党と連立を組む国民
新党のエネルギー政策の基
本 は「脱 原 発 」
。参院当選
回組ながら党政務調査会
長としてテレビ討論などで
活躍する亀井氏の説明も常
識的な内容で、党として目
指すのは「原子力から自然
エネルギーへのシフト」
。
その理由は①地震大国は原
発に適さない②最終処分場
も決まっていないのに原発
を推進するのは非現実的─
とこれもごく当たり前。「古
い原発から止めていくとい
1
10
10
あ き こ
イグ・ノーベル賞受賞者 共同記者会見
亀井 亜紀子 国民新党政務調査会長
かめい
2011. 11. 10 No. 501
クラブゲスト
氏を見た時、この人物に聞くのが不
可欠だと強く感じた。2月後半から
ほとんど毎晩のように、示し合わせ
た合図で電話をかけ、事件のことは
何も聞かないで、政治やスポーツな
どを話し合いながら信頼関係を築く
ことに精力を注いだ。ロサンゼルス
との時差から、電話をかけるのはい
つもワシントン時間の午前2時ご
ろ。睡眠不足に悩まされた。自宅電
話が盗聴されていることを警戒し、
しばしば公衆電話からかけていたの
でなおさらだった。
この間、2回ほどロスに飛んで本
人と会えた。いっさい記事にしなか
った。いつか単独会見ができるので
はないかと、淡い期待感を抱きはじ
めていた。
●8日間 時間超の単独会見
それは8月に実現した。朝から晩
まで、二人だけでホテルの一室にこ
もって、丸8日間、延べ 時間を超
えるインタビューとなった。ロ社の
最新鋭大型旅客機、トライスターL
─1011型機を全日空に売り込む
ためにどんな不正支払いが行われた
のか。その全容をつかむべく、右手
のしびれをこらえながら懸命に取材
した。
コーチャン氏は余人を許さず、テ
60
( 16 )
村上
吉男
絡し合っていたからだ。3カ月後に 「1 0 0 ピ ー シ ー ズ、 受 け 取 り ま し
た」などと書かれた紙に、ロ社の代
は西海岸にある彼の母校、スタンフ
理店、丸紅の役員の署名。ロ社から
ォード大学にほど近い新居で会う約
それぞれ、1億2500万円、1億
束にもなっていた。
円受け取ったことを確認する領収証
●取材合戦の中、
事件触れず毎晩電話
となっていた。これらは日本の政治
あれは1976年2月6日。米上
家らに行く金だとコーチャン氏は聞
院のフランク・チャーチ議員(民主)
かされていた。
が委員長を務める多国籍企業小委員 他の諸国でも同じことが行われた
会の公聴会だった。真冬の寒い朝だ
の で は な い か。 軍 用 機 を 含 む ロ 社
ったが、会場は熱気に包まれていた。 の売り込み先だったオランダ、英、
仏、 伊、 西 独(当 時 )、 さ ら に 中 東
米国の大手航空機メーカー、ロッキ
諸国やオーストラリア、インド、韓
ード社の海外不正支払い事件を究明
する公聴会で、証言したロ社のコー
国など多くの国の特派員がいっせい
チャン社長(当時)の口からいきな
に猛烈な取材合戦に突入した。むろ
り、日本での不正支払いの領収証の
ん、米国のメディアは連日、この報
暗号名が飛び出してきたからである。
道で持ちきりだった。
「125ピーナツ、受領しました」 公聴会で明確に答えるコーチャン
60
ロッキード事件余話
コーチャン死去のニュースは20
08年 月の土曜日の昼下がり、自
宅のパソコンに突然、メールで飛び
込 ん で 来 た。
「悲 し い 知 ら せ が あ り
ます。父が先週、亡くなりました」
で始まるメールは、ひとり息子のロ
バートさんからだった。
驚くと同時に、咄嗟に出たのは、
すぐに記事にしなければ、という反
応だった。あれから 年も経って現
役も引退しているのに、ロッキード
事件の取材競争から抜け切れていな
い自分がおかしかった。
会社に電話して記事にしてくれる
よう依頼した途端に、事件のことや
コーチャン氏との長い付き合いが、
走馬灯のようによみがえってきた。
事件後もずっと、メールや電話で連
12
32
私とアーチボルド・C・コーチャンのこと
書いた話 書かなかった話
2011. 11. 10 No. 501
ープをとることも拒んだ。おそらく
弁護士の助言だったのだろう。
昼食も部屋でルームサービスにし
た。サンドイッチと冷たい飲み物が
すごく楽しみな雑談の時間となっ
た。さまざまな国の驚くほど高位の
人物に巨額の金銭が贈られていたよ
うだった。冷戦時代(当時)にあっ
て、
「不 正 支 払 い 」 と み な さ れ る も
のが、西側陣営に貢献した面は評価
しないのかと、コーチャン氏は不満
だった。東側陣営からの、採算を度
外視した兵器の売り込みなどが、「不
正支払い」受領者の判断で、阻止さ
れたケースには無視できないものが
あったはずだという。
暗号領収証は、田中角栄首相(当
時)側に行くとされた5億円の受取
証だったこと、ロ社による不正支払
いは 億円近い巨額だったことなど
を3日間にわたり朝刊で詳細に報道
した。
●支払い拒否はゲームからの脱落
40
新聞に出た直後から、各国のメデ
ィアや日本の週刊誌などからの電話
が連日、連夜、自宅などに殺到して
きた。コーチャン氏の居場所や連絡
方法、ある特定国のことを何か話し
ていなかったかなど、取材のラッシ
ュに総局のドアのカギをかけ、自宅
40
の電話にも
出ないよう
にした。ま
るでコーチ
ャン氏の身
代わりにさ
れた感じだ
った。
ところ
で、コーチ
ャン氏は、
この種の支
払いが総売
上額の5%
以内にとど
まる限り、
通常の手数
料と考えるべきだと割り切ってい
た。 億円は、ロ社が全日空への売
り込みに成功した 機のトライスタ
ー旅客機の総額、1300億円の3
%ほどだ。むしろ、これらの支払い
は、航空機売り込みゲームへの参加
費のようなもので、支払いを拒否す
ることは即、ゲームからの脱落を意
味したという。
公聴会のあと間もなく引退した彼
は、ネヴァダ州の湖のある保養地に
ルーシー夫人と住み、ロ社の海外不
正支払い問題に関しては完全に口を
閉ざした。手を替え品を替え、あら
ゆる国のメディアがアプローチして 「い つ カ リ フ ォ ル ニ ア の 新 居 へ 来 て
きたが、いっさいの会見を断ってい
くれるんだ」と言われたので、かね
た。
てから思っていたことを聞いてみ
トライスター機売り込みの滞日
た。「来 年 春、 3 月 ご ろ に 記 者 を 一
中、週末にはルーシー夫人とよく、
人連れていくから、ロ事件を顧みて
箱根や伊豆、そして一度は長良川の
いまの心境を語ってほしい」と。コ
鵜飼見物に出かけたりした。てんぷ
ーチャン氏は「もうあまり憶えてな
ら、松阪ステーキなどが大好物だっ
いけれど、話し合おうか」と快諾し
た。日本再訪を何度か勧めたが、「弁
てくれたので、同行予定の記者に伝
護士が許してくれない」と拒み、最
えた矢先の訃報だった。
後まで実現しなかった。
お悔やみの電話で、ロバートさん
に「1カ月前にあれほどお元気だっ
●かなわなかった回顧インタビュー
た の に 」 と 尋 ね る と、「あ な た と 話
ルーシー夫人が2002年に亡く
すときはいつも元気ぶるんですよ。
なったあと、刑事訴追される恐れの
本当はもう、衰弱しきってました」
ないヨーロッパのハンガリーやスイ 「ご 連 絡 が 遅 れ て 済 み ま せ ん。 メ ー
スなどに、友人たちと旅行にでかけ
ル・アドレスが見つからなかったの
たりしていた。クリスマスには息子
で」と述べたあと、地元の新聞に一
一家と過ごすのが決まりで、ネヴァ
応知らせたところ、ロ事件のことを
ダ州からカリフォルニア州の息子の
聞 き は じ め た の で、「何 も 知 ら な い
家まで、 歳になっても、一人で8
って、ガチャンと切りました」と言
時間も車を運転して行った。息子か
っていた。息子さん一家にとっては、
らも叱られていたようで、 歳にな
もう思い出したくない事件だった。
った2005年から息子の家の近く
写真
単独会見の数年後にロサンゼルス
で再会(筆者提供
)
に居を移した。
2008年の4月に転んで足を骨
むらかみ・よしお
1965年朝日
折。入院とリハビリをして自宅に戻
新聞入社
バンコク支局長
アメリ
カ総局長
外報部長
国際本部長
ったら、すぐまた転んで腰の骨を痛
取締役国際担当など
現在
米テン
め、再入院。メールが遠のいたので、
プル大学日本校特任教授
インタナ
その年の 月に電話してみた。
シ
ョ
ナ
ル
・
ヘ
ラ
ル
ド・トリビューン・
アジア版特別顧問
入院先のベッドから大きな声で、
90
11
2011. 11. 10 No. 501
書いた話 書かなかった話
21
91
( 17 )
リレーエッセー
2011. 11. 10 No. 501
ごまかしのない
暮らしを紡いで
93歳 いまも現役
な気分に襲われた記憶がある。
それから約 年、社会部記者を経
て婦人家庭部に移ってまもなく、そ
の吉沢さんに初めて取材で会うこと
になった。誰が名付けたか新職業「家
事評論家第1号」と言われた人なの
で、家事に疎い私は二重に構えた気
分だったが、誠実な印象で肩の力が
一気に抜けた。
戦時中に吉沢さんは速記
者として古谷氏に紹介され
秘書になる。もともと外で
働いていくつもりだったそ
10
うだが、結婚で一族の長男
の妻として家事万端を担う
ことになり、早く一人前に
なりたくて計画的に務めた
らこうなったまで、と言わ
れ、妙に納得した。
当時から吉沢さんは家事
評論家ではないと言ってい
た。研究し勉強はしたけれど、評論
はしていない、するつもりもない、
と。自分にごまかしのない暮らしを
紡ごうと実践する人で、無理をしな
い姿勢は若いころからぶれていない。
戦後の激変はすべての分野を総な
めにし、見た目にも家庭内景観は一
変した。家電製品をはじめ新製品と
称するものが、居間にも台所にも雪
崩をうって大量に入り込み、その中
で物に振り回されずに暮らすことは
難しくなる。しかし安易なハウツー
や知識の受け売りでお手軽に暮らす
受け身の生活者を相手にして、おも
ねらなかった。
何度か会う機会があったのち、結
婚前後の心境をさりげなく聞いたこ
と が あ る。「古 谷 は 封 建 的 フ ェ ミ ニ
スト。勉強せよ、と命令するけれど
自分ではお茶もいれない」と笑った。
でも手を抜くコツもわかりましたか
ら、と矛盾の塊のような人と穏やか
に生きた経験を、世に多く見られる
現実と重ね合わせ、早くから達観し
知恵を育てていた。
姑と夫との3人暮らしを守り、最
後はそれぞれに心こめた家族葬で手
厚く見送った。その前後の日々の営
みを、問えばユーモアたっぷり、か
つリアルに話された。職業を貫い
た女性の柔軟さと強さ。どこまで
もソフトな語り口である。
今は一人だが親しい人の連携と
いう安全ネットが支えている。
歳の今年も昨年も著書をまとめ、
今は終戦前後の自分の日記を読み
解いて、時代の底辺を見つめる仕
事を始めている。
日記は綱武氏が兵隊にとられ、
当時の家族も疎開して無人になっ
た留守宅を、 代の秘書が守った
記録である。空襲が激しくなった
戦争末期、そこへ毎日新聞記者だ
った弟の故古谷綱正氏が社員寮の
空爆で住めなくなったからと同僚
と移り住み、男性3人を下宿させ
る非常時の留守居役をかねた。
綱武氏の原稿料等が振り込まれ
ると疎開先の家族へ送金、下宿人
のためヤミ物資の購入などもやっ
てのけ、あるじの復員まで家と生
活を守り抜いた奮闘記でもある。
「ヤ ミ 物 価 や 入 手 方 法 な ど、 面
白いのよ。これを活字にしておき
たくて」
日常の細部をしっかり握り、み
ごとな自然体である。
20
93
ふじわら・ふさこ 元日本経済新聞婦人
家庭部編集委員
( 18 )
人との出会いには、時に思わぬ
伏線がある。敗戦後、紙不足で書
籍も雑誌類も薄かったころ、女性
の社会進出をうながす声が聞こえ
始め、大学生だった私は女性論の
著述等で精力的に発言した文芸評
論家古谷綱武氏の名を知り、自立
を励ます言葉に刺激された。
吉沢 久子さん
だが就職もしないうちに彼の離
婚、吉沢久子さんとの再婚が週刊
誌に大きく報じられる。一般に離
婚は好ましくないといった通念が
まだ根強く、まるで糟糠の妻を離
別し年若い秘書と再婚する、とい
った批判調の記事だったから、青
臭い私は正直言って、何とも複雑
私 が会った若き日の
藤原 房子
日本経済新聞社提供
このクラブの会見
は、いやがる相手の
首に縄をつけて引っ
張ってきてやるよう
な類いのものではな
い。あくまでゲスト
として招いて行われ
る。だから、会見冒
頭の司会者による短
いゲスト紹介も、こ
のクラブの会見なら
ではのものといえるだろう。
司会の回数は企画委員が一番多い
わけだが、それぞれの委員で個性が
あっておもしろい。紙幅の関係であ
えて3人にしぼるが、まず国際関係
で は 高 畑 昭 男 委 員(産 経 )
。国際会
議などのコーディネーターをやって
も見事にこなすだろうと思われる、
この人の司会ぶりには定評がある。
親しみがこもった、的確で明快なゲ
スト紹介をしてくれる。
感染症、HIVエイズ、NGO関
係の司会をすることが多いのは、宮
田一雄委員(産経)だ。言葉を飾ら
ず人柄の誠実さそのままにゲストを
紹介する。この人は、わが国のエイ
ズ報道の第一人者だ。
最近、事務局が頭の上がらないの
は、
経済担当の小此木潔委員
(朝日)
だ。ゲスト紹介も入念だが、司会者
としての冒頭質問でなんとかニュー
首相をされています。最初の首相の
ざいます。それはせっかく、こうし
スを引き出そうとあの手この手と執
ときは、 歳という若さで、フラン
てフォールさんがおいでになったの
拗だ。それだけでなく会場の若手記
ス政治史始まって以来の最年少の総
ですから、専門の皆さん方から、フ
者にも質問を促し、記事にするとき
理という、戦後フランス政界の大物
ォールさんに、大学問題の大きな部
は「日本記者クラブで会見し」と書
中の大物というわけでございます。
分を占めるゲバ棒の使い方、石の投
いてください、とまで言い添えてく な か で も 我 々 の 最 も 印 象 深 い の
げ方などをお見せできるとよろしい
れている。
は、フォールさんが北京に渡られて、 のですが、なんと言いましても、我々
ところで、先月、いかにも新聞記
例の中共承認の橋渡しをされたこと
の年齢と、時間とがこれを許さない
者らしいなあと、きっと皆さんもう
であります。さらにはフランスの5
ものですから、まことに残念でござ
なずくだろう例を発見した。クラブ
月危機の導火線になった大学問題に
います。
の第1号ゲスト・フォール仏元首相
対して、大学の自治を拡大して、学 この点はご了承願いまして、いろ
昼食会( ・1・ )のときの原四
生参加を大幅に認める革新的な案を
いろみなさんの活発な質問を、後ほ
郎初代理事長の紹介だ。
おつくりになって、これをおさめた。 ど期待したいと思います。それでは
無試験で採用してもらった、私が
これはまだ我々の記憶に新しいわけ
フォールさんのお話をうかがうこと
初めて見た原理事長は、長身で、ブ
でございます。
にいたしましょう。
ルーグレーの仕立てのよいスーツで、 このたびフォールさんはOECD
ダンディそのものだった。6年後、
の大学調査団の一員としておいでに 原さんは「読売・社会部」の名を
クラブがプレスセンターへ移転した
なったわけでございます。日本でも
とどろかせた方だ。1908年、岐
直後、元理事長はバーカウンターで、 大学問題は一応の混乱は収拾したも
阜・高山生まれで、法政大学仏文科
こ ん な 話 を し て く れ た。「昔、 ソ 連
のの、基本的な問題は何も解決され
卒。新聞学院で1年学び、国民新聞
へ行ったとき、プレスクラブのこう
ていない。昨日、ようやく中教審の
入社。1936年に読売社会部へ。
いうところで、退役した老記者から、 基本構想というものが出てきたとい
戦中は従軍記者として活躍、戦後は
自分の書いた記事だといって変色し
う段階で、非常に大きな関心を持っ
文化部長、社会部長、編集局長、副
た切り抜きを見せられたんだ。読め
ておるときでございます。
社長・編集主幹などを務めた。
なかったが、いいもんだなーと思っ こうしたときにフォールさんを、 2000年にIPI(国際新聞編
たよ」。では、昼食会へ。
こんど新しくできた我々の日本記者
集者協会)が設立 周年を記念して、
クラブの、第1回の歴史的なゲスト
世界の報道人 人を顕彰したとき、
としてお迎えしたということは、ま
日本からただ1人選ばれた。(顧問)
ことに意義あることと考えるわけで
クラブは 月1日、
創立 年を迎えました。
ございます。(会場・拍手)
今 号 か ら 過 去 の 会 見 な ど を 素 材 に、 前 専
務理事のクラブよもやま話を連載します。
ひとつ、まことに残念なことがご
70
13
私が申すまでもなく、フォールさ
んはフランスでの数次の内閣で、文
相、外相、あるいは農林大臣、大蔵
大臣などを経験され、さらに2回、
50
42
2011. 11. 10 No. 501
原初代理事長の場合
後衛から①
ゲストの紹介
岩崎玄道
43
11
50
( 19 )
会員の著書/会議
2011. 11. 10 No. 501
マイBOOK
マイPR
交官・東郷文彦の生涯
31
■戦後日米交渉を担った男
外
10
伊奈
久喜
13
日本経済新聞特別編集委員
106
■元ラガーマンのタフガイでした
テレビ朝日の野村能久カイロ支
局長( )と支局スタッフらが乗
った車が 月 日リビア取材中、
交通事故に遭い、野村支局長ら3
人が亡くなりました。
野村支局長は「カダフィ死亡」
との一報を受け陸路、カダフィ派
の最後の拠点シルトに向かう途中
でした。早大ラグビー部出身の熱
血漢の記者だったそうです。ご冥
福をお祈りいたします。
( 20 )
生の展望が開けるわけではない。市
場は開放するが、国内農業も守る「両
立策」はないものか。実はある。米
国やEUの農政が採用している「直
接支払制度」である。農産物価格は
下げるが、農家の
所得は財政で補填
し再生産を維持す
る。一方、価格引
き下げで国際競争
力がつき輸出も可能となる。関税引
き下げは「攻めの農政」でもある。
会議報告
理事交代
第 回会報委員会
読売新聞社
( ・7
小会議室)
(新)小田
尚
取締役論説委員長
月号の編集と 月号の恒例企画
(旧)白石興二郎
「20 1 1 年 印 象 に 残 っ た 本 」 に つ
いて協議。明年1月号の「新春随想」 長を小田尚読売新聞社取締役論説委
(仮 題 ) を 河 北 新 報 の 一 力 雅 彦 社 長
員長に委嘱することを決定した。
クラ
に依頼することを決定した。
ブ賞規約と内規にもとづき、201
出席
奥野委員長、石川、大谷、大
2年度日本記者クラブ賞および同特
寺、小西、坂井、萩谷、橋本、牧の
別賞を実施することを決めた。
各委員。
第 回総務委員会
第 回会員資格委員会
( ・ Bホール)
( ・ 小会議室) 記者会見のネット生中継について
意見交換し、今後も協議を続けるこ
ととした。
出席
河野委員長、白石、小孫、加
藤、星野、小林、北澤、小櫃、鳥居
の各委員、吉田理事長、住田副理事
長、中井専務理事。
(農林統計協会
1、575円)
月1日付の会員入退会を審議
し、理事会に答申した。
■周防人月性
謹んで申す─維新
出席
白石委員長、喜園、村岡、宮
回天へ錫を飛ばす
秋田
博 (読売新聞出身) 本、梅野、荒木、山本の各委員。
第 回企画委員会
2人の勤王僧
安政ノ大獄の年、2
人の勤王僧・月性と月照が死去しま
( ・ 宴会場)
した。月照は西郷隆盛と錦江湾で入 新委員の山岡邦彦読売新聞論説副
水死しドラマ等で有名です。もう一
委員長(旧・浜本良一氏)が紹介され
人の月性は「男児・立志」の詩僧と
た後、司会担当委員が行事を報告し、
して知られますが、二人を混同する
今後のゲスト候補などを協議した。
例も多く、月性の姿が見えません。
出席
小孫委員長、小此木、星、橋
維新回天の魁は、
本
、山岡、原田、宮田、高畑、会田、
月性でした。西欧
西川、長谷川、神志名、川戸、井田、
列強の侵出を「神
和田、萬、泉、露木、村田の各委員。
州陸沈」の危機と
第 回理事会(書面)
先覚し、長州毛利
藩を勤王・倒幕に先駆させたのです。
別記の理事交代にともない、白石
一読くだされば幸いです。
(自
費出版) 興二郎氏が務めていた会員資格委員
10
(中 央 公 論 新 社
1、995円)
圧倒的存在感の外交官
日米安保条
約改定と沖縄返還のふたつの交渉に
外務省の担当課長、局長としてかか
わった東郷文彦氏は、多くの記録を
書 き 残 し ま し た。
「密 約 」 を め ぐ る
調査で機密解除された膨大な外交文
書に目を通すと、東郷茂徳元外相の
女婿でもある、この外交官の圧倒的
存在感に気づきます。記録を読み、
ともに仕事をした人々や当時の記者
たちの話を聞い
て、彼の生涯の再
現を試みました。
岸、佐藤時代に懐
かしさを感じると
いう読後感を寄せてくださった方が
います。
■攻めの保護農政
直接支払で
「TPPに負けない日本農業」
村田
泰夫 ( 朝 日 新 聞 出 身 )
TPPと国内農業の両立策
環太平
洋経済連携協定(TPP)反対運動
が農協を中心に高まっている。関税
が撤廃されれば農産物価格が下がっ
て、農家の所得が減るからである。
だが、TPP反対の先に日本農業再
21
37
10
12
10
12
10
327
11
410
11
412
509
を論じた。作家、塩野七生さんを総
会員資格委員長に小田尚さん(読売)
会記念講演に招いたのは2007年
5月 日だった。毎日新聞の小松浩 読売新聞社取締役論説委員長、小
論 説 委 員 は「反 射 鏡 」(8 月 日 )
田尚さんが同社グループ本社代表取
で 塩 野 さ ん の 発 言 を 引 用 し、「政 治
締役社長、白石興二郎さんに代わっ
家は詩人か散文家か」と展開した。
てクラブ理事に就任した。白石さん
は昨年6月から理事で、会員資格委
で語った「埋もれた記憶を取り戻す これらのほかに、会員のブログや
ネットメディアでクラブの会見はと
員長を務めていただいた。吉田慎一
ためにやっている」など味わい深い
りあげられている。ユーチューブの
理事長は後任の同委員長を小田さん
ことばを紹介した。泉田裕彦・新潟
動画や会見を文字化した会見詳録も
に委嘱した。いずれも 月の書面理
県知事は記者会見(8月4日)で「福
そろっている。内幸町はネタの宝庫。 事会で承認された。
島で地震による配管破断があったの
味付けに腕をふるってほしい。
(専務理事・事務局長
中井良則)
では」と述べた。この部分は一般記
事にはならなかったようだが、朝日
新聞夕刊1面「素粒子」(8月5日)
は「明らかにするべし」と書いた。
員は理事会の同意を得て理事長が
クラブ賞の候補推薦を
【ま と め 記 事 】 当 日 の ニ ュ ー ス に
任命する。現在は加盟社OB記者
案内を同封
はならないが、何日かたって記事の
の個人D会員7人で構成する。
中で使われることもある。
2012年度の日本記者クラブ 第3段階は、選考委員会が推薦
川勝平太・静岡県知事は記者会見
賞選考プロセスが始まった。プレ
委の結果を参考にして、受賞者を
(6 月7 日 ) で 浜 岡 原 発 の 運 転 再 開
ス会員に候補の推薦をお願いする
選び、理事会に答申する。推薦委員
について考え方を説明した。読売新
案
内
を
、
こ
の
会
報
と
一
緒
に
お
届
け
会
は、
原則として総務委員会 人で
聞の「基礎からわかる原発停止」
(6
した。クラブ賞について詳しく説
構成する。最後に理事会が選考委
月9日)は写真とともに知事の発言
明したので、ふるって推薦してい
の答申に基づき、受賞を決定する。
を詳しく紹介した。
た
だ
き
た
い
。
推
薦
の
締
め
切
り
は
来
月号でお知らせしたように、
【ア ー カ イ ブ 】 過 去 の 会 見 が き ょ
年1月 日。
非会員のジャーナリストやジャー
うの記事によみがえる。朝日新聞の
受賞者を選ぶ過程は4段階あ
ナリズム活動を対象に「特別賞」が
「政治考」(8月 日)で星浩編集委
り、推薦が第1段階だ。第2段階
新設された。クラブ賞も特別賞も
員は、森田一・元運輸相が昨年8月
は
、
会
員
か
ら
推
さ
れ
た
候
補
を
推
薦
候補が出そろって、選考が始まる。
3日、シリーズ「消費税はなぜ嫌わ
委員会が審査し、若干名にしぼっ
推薦権を持つのは会員だけ。賞に
れるのか?」で大平正芳氏を回想し
て選考委員会に具申する。推薦委
ふさわしい候補を推薦してほしい。
たことばを引いて、政治家の責任感
10
10
15
( 21 )
クラブ会見の記事
10
10
27
13
27
31
14
料 理の味付け
記者次第
19
ストレート記事からコラムのネタ
まで。会員や会員社は日本記者クラ
ブの記者会見をさまざまな形で記事
やニュースとして、発信している。
最近のスクラップブックからみなさ
んの料理法を紹介しよう。
【ス ト レ ー ト 】 当 然 な が ら、 こ の
タイプが最も多い。会見の当日、た
だちにニュース記事となる。
たとえば、民主党代表選の候補5
人による共同記者会見(8月 日)
はその日の最大のニュースと扱わ
れ、NHKテレビの生放送をはじめ
各メディアで詳細に報道された。中
川正春文部科学相の記者会見( 月
日)は放射性物質汚染マップ、教
科書採択制度、大相撲の年寄名跡改
革の3つが見出しとなり、社会面、
政治面、運動面に記事が載った。
【コ ラ ム 】 こ の と こ ろ、 気 づ く の
がコラムのネタになるケースだ。
震災被災者の心のケアをとりあげ
た 東 京 新 聞 朝 刊 1 面「筆 洗 」
( 月
3 日)
。 精 神 科 医、 桑 山 紀 彦 さ ん が
「3・ 大震災」シリーズ(9月 日)
2011. 11. 10 No. 501
11
24
2011. 11. 10 No. 501
情報発信
クラブ施設では会員による各種の会合が行われてい
ます。企業や大使館などの賛助会員も記者発表の場と
してクラブを利用しています。
●フォーラム「絵本・物語とことばの世界」
「子どもの読書活動推進法」が施行されて、今年
で10年。子どもの想像力やことばの力を育む読書の
意義について、絵本作家の浜田桂子氏と日本児童文
学研究者の宮川健郞氏が語り合った。約100人が参
加。主催は(財)
文字・活字文化推進機構。
(10. 1 10階ホール)
●「総合医を育て地域住民の安心を守る会」
設立総会
今年4月、地域社会における総合医体制の充実と
整備を目指すために設立された(会長=福井次矢聖
路加国際病院院長)
。その設立総会と記念パーティ
ーが開催された。
(10. 6 大会議室)
●日本医師会定例記者懇話会
日本医師会は医療にかかわる諸問題に関して、日
医プレスクラブ加盟の記者との懇話会を定例で行っ
ている。
今回は国民皆保険制度の根幹を揺るがす「受
診時定額負担」について、意見交換を行った。約30
人の担当記者が参加。
(10. 13 宴会場)
●新聞週間記念の集い 10月15日からの「新聞週間」にあたって東京地区
の記念の集いが開催された(日本新聞協会共催)
。
岸井成格毎日新聞主筆、秋山豊寛氏(元TBS・宇
宙飛行士)、ノンフィクション漫画家の井上きみど
り氏らが、原発事故報道などについて討議した。コ
ーディネーターは八塩圭子さん(元テレビ東京)
。
約160人が参加した。(10. 21 10階ホール)
●亀山郁夫東京外大学長ドストエフスキーで講演
亀山郁夫東京外国語大学学長が、NPO日ロ交流
協会主催の講演会で、
ドストエフスキー著の
『悪霊』
に
ついて解説した。約80人参加。
(10. 22 10階ホール)
●放送人政治懇話会
テレビ・ラジオ局の現役・OBの政治記者たちが
定期的に政治家を講師に迎えて勉強会を開催してい
る。10月は藤井裕久民主党税調会長(10. 5)、仙谷
由人民主党政調会長代行(10. 13)、馬淵澄夫元国土
交通相(10. 19)、山口那津男公明党代表(10. 26)
を招いた。
● 秋のゴルフ会(10. 25) 戸引会員が初優勝 ●
東日本大震災以来、自粛して
いたゴルフ会(第96回)が、戸
塚カントリー倶楽部で再開。80
歳を超える会員3人を含む15人
が参加しました。
優勝は戸引和夫会員(写真=
朝 日 新 聞 出 身 )NET78。 2 位
は野本俊輔会員(特賛)同79、3位は真田允稔会
員(テレビ東京出身)同80。
懇親会で、年長会員から「ゴルフは生涯楽しめ
る唯一のスポーツ。80歳を超えた会員には、ハンデ
ィキャップなど年齢にふさわしい環境にしてほし
い」との要望があり、参加者一同が同意しました。
次回は来春の予定です。初参加も歓迎しており
ますので事務局までお知らせください。(小橋)
●世界糖尿病デー記者説明会
11月14日の「世界糖尿病デー」
(2006年国連が指
定)を前に、その趣旨や関連イベントに関する記者
説明会が開催された。日本糖尿病協会の清野裕理事
長、日本糖尿病学会の門脇孝理事長、国際糖尿病連
合の堀田饒副会長らが会見した。
(10. 17 10階ホール)
●「世界人口白書2011」発表記者会見
国連人口基金が「世界人口白書2011〜70億人の世
界:一人ひとりの可能性」の事前発表記者会見を行
った(10. 26 世界同時発表)
。国連は10月31日、世
界人口が70億に到達すると推計。池上清子同基金東
京事務所長が白書の概要を説明し、人口70億人の世
界における可能性や課題などを語った。
(10. 19 宴
会場)
ハンディ少なくなっても連覇狙います!
ゴルフは、打数からハンディキャップを差し引
いて、その数が一番少ない人が優勝となる。だか
らハンディキャップが重要だ。私もいろんな会に
参加しているが、ハンディは一桁から25までと
様々。何回も優勝できないように、優勝者のハン
ディを2割くらい少なくするのが普通だ。私も次
回から少なくなるが、連覇を狙いたい。
戸引和夫
●未来をひらく日本委員会10月セミナー
未来をひらく日本委員会(尾畑雅美代表http://
www.nihoniinkai.com/) は 磯 村 尚 徳 氏(外 交 評 論
家/元NHKキャスター)を迎え、
「ヨーロッパか
ら見る激変する世界と日本」をテーマにセミナーを
行った。
(10. 19 10階ホール)
●東日本大震災の国際協力と今後
「3. 11大震災」時の国際的支援を再考し、今後の
世界的な自然災害における国際協力の在り方を討議
するシンポジウムが開催された。馮寄台・台北駐日
経済文化代表処代表が冒頭に挨拶。猪口邦子参院議
員、R・デュジャリック米テンプル大学日本校現代
アジア研究所長、坂東賢治毎日新聞編集編成局次長
らがパネル討論を行った。
主催は
(社)
アジア調査会。
(10. 20 10階ホール)
日本新聞博物館 企画展
「日米開戦70年 水木しげるの戦争と新聞報道」
が12月25日まで開催中です。本展では、第2次世界
大戦で南方の激戦地・ニューブリテン島の最前線に
送られた漫画家の水木しげる氏が、戦争をテーマに
描いた作品と、当時の新聞報道を展示します。
電話 045-661-2040
http://newspark.jp/newspark/
( 22 )
2011. 11. 10 No. 501
法人賛助会員として辻・本郷税理士法人が入会
バー、レストラン、宴会
予約電話 和食 3503-2723 洋食 3503-2766
吉冨カクテル
旅の思い出
サンフランシスコサワー
今月は米西海岸のサンフランシスコをイ
メージしました。バーボンウィスキーをベ
ースにレモンジュースなどをシェイクしたカクテル
です(630円)
。
和食
霜月懐石 11月25日まで
先付け:柿の白和え 前菜:なまこのみぞれ和えな
ど 椀:清汁仕立て 刺身:鯛のうす造りなど 焼物:
鰆の幽庵焼き 煮物:ふろふき蕪柚子味噌 揚げ物:
蓮根のはさみ揚げ 食事:カニ雑炊 季節のフルーツ
グラス冷酒付き 5,250円
(板長 大井由光)
洋食
冬の味覚コース 11月21日〜12月29日昼まで
ズワイガニのカクテル、冬瓜とカニ肉のコンソメ
スープ、魚介類の蒸し焼きハーブソースとカニのピ
ラフ添え、季節のシャーベット、パン又はライス、
コーヒー 3,150円
(シェフ 黒須修一)
忘年会・新年会 ご予約はお早めに 11月21日〜1月28日
お手頃なプランが好評です。飲みもの・部屋代は
別ですが、お一人3,000円。1,300円プラスして飲み
放題にもできます。お酒の持ち込みは無料です。10
人からお受けします。申し込み 03-3503-2724へ
会員社ホール イベント情報
■日経ホール ホワイト・クリスマス NYブロードウェイで韓
国人女優として初めて主役に抜擢されたイ・ソジョ
ンがミュージカルナンバーを歌い上げます。
12/1 18時半開演(一般3,500円 子ども2,500円) 問い合わせ:03-6256-7682 http://www.nikkei-hall.com/
■サントリーホール オペラ・アカデミー公演 ロッシーニ作「セビリ
ャの理髪師」
日本の若手音楽家が世界のトップア
ーティストから指導をうける場として1993年に発足
したオペラ・アカデミー。その参加者たちによるオ
ペラ公演です。
12/10 13時開演
(5,000円)
問い合わせ:03-3584-9999
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/
■王子ホール
銀座ぶらっとコンサート “ぴあのの部屋”
オラ
ンダを拠点に活躍するフォルテピアニストの平井千
絵がモーツァルトなどの楽曲の中から、女性に捧げ
られた演目を演奏します。
12/6 13時半開演(2,500円)
問い合わせ:03-3567-9990 http://www.ojihall.jp/
クラブの電話 ダイヤルイン
和食レストラン(9階)
3503−2723
洋食レストラン(10階)
3503−2766
貸室予約、宴会打ち合わせ
3503−2724
受 付
3503−2721
会員事務
3503−2727
経 理 3503−2728
クラブ行事への申し込み
3503−2722
会見申し込みアドレス
[email protected]
会報委員会
委員長=奥野知秀
委 員=石川荘太郎 大谷 徹 大寺廣幸
小西美和子 坂井 幸 富田 恵 萩谷 順
橋本 聡 牧 久 森嶋幹夫
事務局=長谷川和子 本庄五月
(電 話 03−3503−2752 FAX 03−3503−7271)
税務申告、相続、公会計などのコンサルティング
業務を行っている辻・本郷税理士法人が法人賛助会
員として11月から入会しました。登録会員は下記の
おふたりです。
本郷孔洋 理事長
徳田孝司 副理事長
HP「私の取材余話」をお寄せください
ホームページの「会員ジャーナル」に「会員エッ
セー」コーナーがあります。いくつかのシリーズに
分かれていますが、「私の取材余話」はweb版「書
いた話・書かなかった話」です。先月は下記のよう
に、ベトナム戦争時代、サイゴン特派員だった友田
錫会員の2編が加わりました。OB会員の取材の思
い出や、ベテラン記者の今だから書ける“取材秘話”
が掲載されています。投稿をお待ちしています。今
でも心に残る事件や取材対象・人物・場所…テーマ
は問いません。下記担当者へご連絡ください。
長谷川または本庄 電話 03-3503-2752
メール [email protected]
(12P)で、
訂正 10月号の「書いた話 書かなかった話」
都市名が「ロンドンからブタペストに飛んだ」
「ブタペ
ストの広場で」とあるのは、ブカレストの誤りでした。
<法人会員代表変更> 日刊工業新聞社 井水治
博・代表取締役社長兼論説委員長(旧・千野俊猛)
朝日放送 和田省一・代表取締役専務取締役(旧・
脇阪聰史)
<訃報>
西井芳夫会員(読売新聞出身 64歳)が10月26日、
肝臓がんのため死去されました。謹んでご冥福をお
祈りいたします。
<会員現況> 法人会員 129社 基本会員 743人
個人会員 1,449人 法人・個人賛助会員 67社 167人
特別賛助会員 87人 名誉・功労会員 10人
学生会員 31人
計 196社 2,487人
HP http://www.jnpc.or.jp/
NEW!
10月のアップロード
■会員ジャーナル 会員エッセー
私の取材余話
友田錫元産経新聞記者「カンボジア断想① 平和は
衝撃的だった」「カンボジア断想② ジャーナリス
トの受難」
■会見詳録
桑山紀彦 心療内科医師 「心のケアとは語ること」
(9.27)
今後の行事予定(11/2 現在)
11月21日(月)12:00〜14:00 10階ホール
昼食会 緒方貞子JICA理事長
11月24日(木)13:00〜14:30 10階ホール
研究会「世界の新聞・メディア⑮」
ディビット・カプラン 調査報道ジャーナリ
スト国際コンソーシアム(ICIJ)代表
11月28日(月)18:00〜20:00 10階ホール
試写会「カルテット」
ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども
含め、最新のクラブ行事をお知らせしています。参加申し
込みもカレンダーからできます。
( 23 )
2011. 11. 10 No. 501
「進め、進め、輝く太陽の中へ─」
ニュージーランドのラグビーは「国技以上の
宗教」という。そのナショナルチーム「オール
ブラックス」の試合前に歌い、踊ったのが、こ
の歌詞を伴った「ハカの踊り」である。
光と闇、生と死が戦う。やがて、光と生の貴
さを称えつつ、太陽の娘の降臨を求めてフィフ
ティーンを鼓舞するのだ。オールブラックスの
テーマソングとして世界に知れ渡っていた。
年ぶりにオールブラックスが優勝した今年
のラグビーW杯でも歌われたかどうか知らない
が、この少年の見事なフォームを見ていると、
そんな伝統の歌も聞こえてくる。
ここはニュージーランド北島の小都市、ネー
ピアの海岸。先月のW杯で、日本代表が悲願の
一勝をいま一歩のところで逃した因縁の町だ。
パルプの供給基地でもあり、大手製紙会社の有
名ブランド名もこの地名に由来する。
日本と同じ地震地帯にあるこの町は、また、
震災から見事復活した町として、広く知られる。
年前、M7・8の烈震に見舞われ壊滅したが、
教訓を生かした低層のまちづくりに成功、観光
都市へと蘇ったという。阪神大震災時、このこ
とを知り、がれきの中で一筋の光を見たのを覚
えている。東北も、さありなんか。
「前へ進もう」。ネーピアの海は、日本を優し
く鼓舞しているようだ。少年のリターンパスの、
その先には、大逆転のトライが待っている。
(中元
孝迪)
ネーピアの海
24
80
( 24 )
)
日本経済新聞社写真部
撮影 柏原 敬樹(かしわばら・たかき
写真回廊
ネーピア ニュージーランド(9. 27) 
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