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社団法人” 日本記者クづプL

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社団法人” 日本記者クづプL
創 立 一一
十 周年 記 念
盛 大 に 祝 賀 の宴
社 団 法 人
日本 記 者 ク ラ.
ブ
日 本 記 者 ク ラブ
㊥㎜
東 京 都 千代 田 区 内 幸 町 ニ ノ ニ ノ 一
杜団法 人
日 本 プ レス セ ン タ ー ビ ル
◎
電 話 五〇 一
.
一
- 二 七 二 二(代 )
ム ズ ・ レ ス ト ン氏 を 招 い て 昼 食 会 を
開 く 計 画 が進 められ て いたが 、間近
に 転嬬 っ て レ ス ト ン 氏 、
が 病 々丸で 来 日巳で
㌧.
転 櫨く な り 、 こ の 昼 食 会 は 残 念 な が
ら 中 臣 せ さ る を え な く な った 。
し かし 、訪 日を楽 し み に して い た
レ ス ト ソ.
氏 から は、 お 詫 び の し る し
に と 、 矛 定 し て いた ス ピ ー 手 の草 稿
.日 、 偲 ・
ゾ一 ー 周 年
は ト
(16 ペ ー
L の と お り で 、 多
こと を 決 め た 。 詳 細 ぱ 別 掲
ジ ) の. コ実 施 要 領
数 の推 薦 .
か寄 せ ら れ る こ と を 、 理 事
会 は 期 待 し !、い る 、
理 事 会 は さ ら に、 現 事 務 局 長 か ら
を 了
承
[ ∴ 、
v機 会
.と の 申 し 出
出 ﹂
・
ごれ た 健 康 上 の 理 由 .
で
に辞 任 し た い
し 、 日﹁急 に 後 任 の 人 選 に ・取 り 掛 か る
こ と を決 め た 。
﹂1月 の ク ラ .
7μ
付 事 ﹂も、 九 n
月 に 引 ︾C
続 き 盛 り だ く さ ん 、 昼.
食 会 は、 N T
T の 山 口 開 生 社 .長 だ 汁 だ っ た が 、 "記
者 会 見 は、 ア ラ 7 アト P L O 呼
戚長 、
ル .平 制 背員画又牌貝 の.サ ハ ロ ソ 陥吋士 、 シ .ラ
米 通 ・
前 代 表 部 の.ヒ ル ズ 女 史 、 ノ ー ベ
十 周 年 記 念 号L に収 録 のう え 、 近 く
。見
ク ・ パ ー-・市 長 な ど 計 八 回 、 研 究 会 も
こ の.ほ .
か 、 庸・
日崎 の、リ 一
一ア 詮晒.乗
.
・
.可 ・
リ ﹁
ノ←
こ
.
一 ﹁ 誌
16
学 会 に は 二 十 五 人 、 幕 張 メ ッ 諏=の 東
京 モ ー タ ー ・
γ ヨ ー に は 約 .κ 卜 人 が 参
.卜 周 年 の 催 し に 光 立 ら 、 十
月 卜 九 目 に 理事 会 が ⋮
閉か れ た.
.こ の
ま た 、 ワ シ ン ト ンの ナ シ ョナ ル ・
加 し た .
に と も.
な い、 海 蔀 首 柑 に 来 イ、い た だ
ブ レ ス ク ラ ブ か ら .の 要 請 に こ た え 、
﹁ジ ャ パ ン ・ ナ イ ト ﹂
く 案 を 凱 て、 そ の快 諾 を え な が ら 国
の
同 ク ラ ブ
ハイ
(4 ペ ー ジ 参 照 ) へ の 水 上 理 事 長 の
あ いさ つを N H K の協 力 に よ り
ー
ビ ジ ョ ン 録 面口で Ψ
込 り 、 成心謝問さ れ た 。
﹃目
本 記 者 ク ラ ブ 賞 ﹄ の 推 薦 ・選 考 を 、
一)
(事 務 局 長
.
卜 田 進
ほ ぼ 例 年 ど おり の手 続 ぎ で 実 施 す る
理 賓 会 は ま た 、 一九 九 〇 年 度
の経 緯 が報 告され、 了 承 され た。
会 の 都 含 で実 現 不能 と な った、 な ど
理 事 会 で ぱ、 レ ス ト ソ氏 の来 [巾 止
削 立
﹁ク ラ ブ 賞 ︼候 補 の 推 薦 を
己,
臼ト
ヲ・
ア
,
3
酉イ ﹁
ノ
、
が 送 ら れ て き た . こ れ は 会 報 の ﹃二
月
第23了 号
1989年
(平 成 元 年)
11月10日 発 行
ψ
ゲ迎 ・
え、 同 Hは十 後 Lハ時 か ら 十階 の ホ ー ルと 隣 接 の ア ラ ス ヵ
を 借 り 切 り 、 盛 大 た 祝 賀 パ ー
幽
ア ィ ー を ⋮囲い た ..
.パ ー ア ィー
った 。
し て 、 た い へん
に は 、 来 賓.
多 数 を 含 む 約 .
.
.百
.五 十 人 .
か参 加
な 盛 況 11 写 真 11 だ
﹃と っ て お レ
ざの
﹃目 本 ﹁記 者 ク ラ ヅ .一
卜
こ の 口 の 参 入一
一
者 に は 、 ・記 八芯
山山版 の
砿-の 歩 み ﹄ と
話 ︹⋮.)
﹄ が 渡 さ れ た 。 出 席 で
ぎ.
な か っ た く台 貝 に は 、 後 日 郵
送 な ど に より 配 布 さ れ る。
二 十 嗣 年 の.
.
記 念 行 事 と し て
は こ の ほ か、 米 口
困か ら ジ ェー
(1)
日本 記 者 ク ラ ブ 会 報
号
第23ア
穏89年11月10日
夢 の瀬 戸 大 橋
三 十 年 前 の海底 取 材
昭 和 ⊥ハ十⊥二年 四 n
月 ⊥1日 、 瀬 ︼
戸大
は 対 岸 を走 る 車 両 が 肉 眼 で 見 え
い い 、 わ ず か 六 キ p、 快 晴 の 目 に
森
橋 が 開 通 、 当 時 の皇 太 子 、 同妃 殿
る 。 し か し水 深 は深 ・
\
津
下 を 迎 え て 盛 大 に 式 血ハが 催 さ れ
流 も 速 く 、 架 橋 も ト ン ネ ルも 難 事
さ らに 潮
た 。 前 年 十 二 月 東 京 へ転 勤 し た わ
本 州 と 四 国 を橋 で 結 ぶ と い う計
は ス ト ップ 、 四 国 は 孤 島 と な っ て
所 。年間十数 回 にわ たり海E 交 通
こ の ⋮帯 は 、 名 だ た る 霧 の 名
画 が 具 体 的 に動 ぎ 出 し て ち ょう ど
いた。昭和 ︻
∴十 年 五 月 十 一日 、 濃
霧 の中 、 出 航 し た 国 鉄 宇 高 連 絡 船
明
ト ン ネ ル調 査 を 約 束 し
り、 海 底 調 査 が 不 可 欠 であ る 。 そ
三十 六 年 六 月 、 わ た し は 県 政 担
の う え 経 済 効 果 と いう ソ 7 ト も 大
い な い。 架 橋 案 に な る
当 記 者 と し て 、 こ の海 底 調 査 の 取
た 。 こ の時 点 で 、 本 四
の ぱ 三 十 三年 七 月 の こ
材 を 命 じ ら れ た 。 この ころ 瀬 戸 大
事 であ る。
と で 、 面 白 い こと に 、
卜津 井 、 王 越 - 口 比 と い う よ う
橋 ルー ト は 、 高 松 ー 宇 野 、 坂 出 -
間 の架 橋案 はまだ 出 て
参 院 本 会 議 で質 問 し た
体 が 引 っ張 り 合 いを し て い た 。
ー ト が 考 え ら れ 、 そ れぞ れ の自 治
に、 香 川 と 岡 山 の間 にも 三 つ の ル
.
平井 と .
二木 は 、 と も に
の ち に本 四 架 橋 ル ー ト
争 い の渦 中 に 入 る .
高 松 - 宇 野 ル ー ト は、 最 短 距 離
架 橋 に つ い て の最 初 の アイ デ ア
は、 百 年 前 の則 治 二十 二年 五 月 二
i ド津井 ルー トが結局 、本 命 と な
で も 十 五 キ ロあ り 、 王 越i 目 比 ル
ー チだ った と さ れ るが 、 時 代 を 先
る のだ が 、 こ ち ら は島 が 点 々と あ
十 二口 の讃 岐 鉄 道 開 業 式 に お け る
取 り し た凄 い発 想 だ った と い え よ
り 、 自 然 の 橋 脚 が あ る。 そ れ に し
ー ト は 水 深 が 深 す ぎ る。 残 る 坂 出
う 。 第 二次 大 戦 後 も 、 在 野 中 の福
ても 海 中 橋 脚 も いる か ら 、 海 底 調
香 川 県 会 議 員 大 久 保 講 之 丞 の スピ
家 俊 一 (香 川 ) が 、 架 橋 の夢 を ぶ
査 は 欠 か せ な い。
建設 省 は、 ∩鯨 号と いう潜 水 艇
って いる。 こ の 時 点 でも ま だ 夢 の
夢 だ った .
を 使 い、 海 中 に 潜 り 調 査 す る こ と
一紫 雲 九 一が 僚 船 と 衝 突 、 沈 没 し
しかし香 川 県 知事 金子正則 氏 の
にな った 。 重 さ 四 = .
一ト ソ 、 長 さ
た の で あ る 。 画 .面 に 映 し 出 さ れ た
恥 国視 察 に よ っ て架 橋 案 が 具 体
六 ・ 一メ ー ト ル 、 四 人 乗 り 。 わ た
て 百 六十 八人 の犠 牲 者 を 出 し た こ
化 、 県 が 本 格 的 に動 き 出 し、 建 設
し は カ メ ラ マ ン と 一緒 に こ の 潜 水
鉄 の 巨 大 な ア ー チ を 見 な が ら、 わ
省 土 木 研 究 所 も 調 査 を始 め る に至
艇 に同 乗 し た の であ る。 六 月 二 十
と も あ り 、 本 四 連 絡⋮
鉄 道 の 建 軸醸促
悲 劇 か ら ヨ.日 目 の 参 院 本 ム耳議 で
り、 夢 は 次 第 に 正 夢 に近 づ い た 。
日 昼 下 が り 、 事 故 の さ いも 生 命 の
た し のジ ャー ナ リ ス ト 牛.
活 とオi
(香 川 ) は 、 政 府 を
架橋 とな る と 、 中央径間 の関 係
補 償 請 求 は し な い旨 の誓 約 書 を 書
し、 三木武夫 運輪 相
平 井太郎議員
追 及 、 海 底 ト ソ ネ ル の必 要 性 を 質
で海 中 に 橋 脚 を 立 て る 必 要 が あ
進 の声 が 高 ま った 。
の よ う に 思 い出 さ れ て 仕 方 な か っ
た。
瀬 戸 大橋 のうち で、 ・
本州 と 四 国
(徳 島 ) も 、
"
ハ ー ラ ップ す る 架 橋 中舎か 、 走 馬 灯
.巨 費 と 十 年 の 歳 月 を か け て 完 成 し
三 十 年 。 兆 千 =.
百 億 円 と いう
様 子 を 見 た。
業 が予想さ れ て いた。
、
っ罵憲・
お頴
義 の.話 ・
た し は 、 テ レビ に よ って こ の口 の
一
と
が 接 近 し ている辺 り を備 讃瀬戸 と
(2)
第237号
1989年11月10日
号
第23了
1989年11月10日
ま を.
わ た し た '? 砥 凝 観 L た 、
.大 ・
㍗
、
乱
-
.
分 間 、 海 底 を つ ぶ 炉、
.
﹂に 調 陛 す る さ
起 百 メ ー ト ル の沖 合 で あ る.
汀 .
.
卜
出 沖 の
"万 葉 の 島 " 沙 弥 島 北 北 束
﹁
.一メ ー ト ル の 地 点 で 着 地 し た 、 坂
ち の 山-、艇 は 降 下 、つ い に 海 底 .
.
.
十
︾・
﹂、 潜 水 し た , 何 と も い え ぬ 気 持
門 ル ー ト、 尾 道 ー 今 治 ルー 1
・も あ
各 候 補 ルー ト で 行 わ れ 、 明 石- 鳴
う だ っ た 。 し か し 、 二 の調 査 ば 、
自 ら 海 底 を 見 る と い う 熱 の入 れ よ
行 治 岡 山 県 知 事 も 艇 に乗 り込 み 、
も 行 われ 、 金 子 香 川 県 知 事 、 ﹁
.
}木
こ の 白 鯨 号 .調旧
査 は翌 .
二十 七 年 に
題 と な った 。 . 卜 七年 、瀬戸内 海
り 、 ど の ルー ト に す る か は政 治 問
昌
.た 、
、プ ラ ン
い岩 も な !
\.
ソ イ ト に 照 ら キ、
長 た 海
﹂
底 、
は 、 フ ラ ッ ト で.あ
と し て、 こ の 造 成 に よ りて 六 二〇
だ 贈 収 賄 事 件 で あ った 。 事 件 は 別
浅 瀬を埋 め立 てる人 事業 にか ら ん
った 。 ま た 発 ︻
打 ざドれ た ペ ー ジ は
機 に か か る こ と な く幻 の 特 集 と な
た特 集 の う ち 、 卜 六 ペ ー ジ は 輪 転
期 を 決 定 し た 。 こ の た め 用 音心さ れ
﹁祝 着 ⊥
.
一 を 、 ﹁着 工 が 待 た れ る 大
橋 ﹂ と 見 出 し を 変 えざ る を え な か
ヘタタ ー ル と い う 広 大 な 県 土 が 牛.
地 続 事・
﹂と な っ た 。 こ の 造 成 に よ っ
った 。 夢 の か げ 橋 は 、 や は り 夢 だ
"万 葉 の 島 " は じ め 二 島 が
て坂 出 ー ド 津 井 ル ー ト架 橋 は が ぜ
った の か 。 こ の 年 、 金 子 知 事 は 、
ま れ、
ん有 利 と な った 。
知 事 選 に破 れ 下 野 し、 革 新 の前 川
忠 夫 が 知 事 と な り 、 就 任 口﹁ 々 、 橋
こ の こ ろ 香 川 で は 、大 .
悟 、平 井 、
加 藤 常 た 節 ρの ち 労 柑 )、 隔 家 、 津
洋 上 知 事 会 議 が 行 わ れ 、席 上 、出 席
より隔 祉 優 先 を 述 べ、 あ わ て た 賓
ク ト ン が 映 り 、 珍 L ・い 魚 か 泳 い で
島寿 ズ .
兀蔵 相 )ら の 占 参 政 治 家 が
し て い た 河 野 一郎 建 設 相 か 明 石 -
務 局 の 進 ↓.
口も あ り 、 修 .
止 す る 一幕
い ,
如の が 目 に つ い た . わ た し の 潜
現 役 ℃ あ りた し 、社 会 の 成 田 知 己 、
が あ った り し た . そ し て 五 十 三 年
鳴 門 ルー ト優 先 を 述 べ、 釜 .
†知 官
民 社 の酉 尾 末 広 と そ うそ う た る 人
卜月 卜 目 、 っ い に着 に と な った 。
" た こ の海 底 辺 .
り に 、 いレ
噴南 備 讃
物 が いた 。 架 橋 運 動 も いよ い よ 活
と 激 論 を か わ す シ ー ン も あ qた 。
県内 一
.
一ル ー ト に つ い て は 、 弘 井
快晴 のド 、 鍬 入 れ す る人 た ち の 顔
橋 によ って通婚 圏も変 わ る だ ろ
に ば 、古、さ に 満 面 の 笑 み が あ った .
発 化、経済 効 果 の調査、架橋 技 術
四 十 八 年 十 ]月 一 卜 五 日 、 つ い
も 進 み 実 現 へ次 第 に 近 づ い た 。
(の ち の首 翻 ) ら
太 郎 、大平正 芳
の仲 介 も あ り 、 今 日 の 坂 出- 下 津
井 ル ー ト に 嫡叙り 込 ま れ 、 四 十∴ 年
い う のが 発 生 し た 。 卜 六 年 間 、 県
事 件 担当時代 、吊 の州汚職事 伴 と
こ弘へり 、 陥
弟 .線 か ら 現
還の い た が 、
事 伴 担 当 にな り 、 き ら にデ ス ク 職
こ の ころ わ た し ば 整 理 部 を 経 て
印 刷 O K と な った 。 大 刷 り を 見
.
な
が ら、 二 の大 事 業 の ス タ ー ト の 紙
別 刷 一﹁
卜,
八ぺ ー"
ソも ↑
柵臨
集 を 終 認ん、
特集 デ スクを担 当 した。全祉 あげ
重 る 、デ ス ク の わ た し は 、そ の 日 の
工 が 決 ま った 。 世 紀 の大 事 業 が 始
架 橋 史 に 思 い を 馳 せる の で あ る 。
ャ ー ナ ワ ス ト 生 活 と 軌 を ↓に し た
大橋 の上 を 通 る た び 、 わ た し の ジ
う 、と わ た し は 論 説 に 階 い た 。い ま
議 会 議 長 の 座 に あ .っ た 実 力 者 を は
面 に踊 る見 出 し を み つめ て い た 。
か ら は 、本 に ま と ま った 、
じ め 、 臼 民 の幹 部 議 員 、 社 会 の有
と こ ろが 、 政 府 は石 油 シ ョ ック
に 道 路 、 鉄 滑⋮
併 用 橋 の 茄堅 L
八橋 善刑
力 議 員 ま でが 逮 捕 さ れ る に 及 ん
に よ る総 需 要 抑 制 に よ り、 着 工 延
つちり 防ぎ ら会 員
∵些 、
.
四年 香川 県生
士れ 関 酉大 卒 ん ﹂年四国新 聞 天社 編
集局報道 整 即潔 〃経 ゾ.
報道部次 長 兼 論説
寄蹟 文化 部 長 報道..
蔀長 編 集 局 次長
兼出版委員会 事 務局 長を猷任 八 七年 取 締
役東京支社長 著書 に ﹃日本 の神 々﹄(2)
(白水社) ﹃讃岐 人物風景﹄ (全 18巻 ・丸
出学芸図泄肖) ﹃う た の謂岐路﹂ (
同 )な ど
だ 。 これ は 坂 出 沖 の 番 の州 と い う
(3)
瀬 一
月 光﹁
橋 の橋 脚 が ら
孟 っ .て い る ..
「
ウ,1.'し=1・
し:1司.宥ll月1
謹扉'ゼ
逗葺「
塁査;二 ∫
」
雪』7「
』1『1二`慕がく盒延 ・ジ1餌`}ナ
P
C
ワ シ ソト ソ
N
ジ ャパ ン ナ イ ト
1<⋮
答oげ "、
一.
プo ⊂ . ㏄.-
内
藤
頼
誼
エ ク タ ー に繰 り .
涙一し 砧吠 し .
山山・
翠
へ
噛
.の 例 外・
だ った 、
を 見 せ た い、 と い う ホ ル ム ス 氏 の 強
い要 削匡で 、 N H K が プ ロ ジ ェ ク タ ー
と ソ フ ト の提 供 を 引 ざ受 げ 、 水 上 理
事 長 の あ い さ つも 、 H D T V の 画 面
ゾ∴仔 ト
わ噛
れた,.
ブ ッ シ ュ大 統 へ
眼 の就 任
式 の 模 ,樽かな ど N H K の ﹂㌧の の ほ か 、
T B S の 貯 代 レ フ マも 鮮 明 な 画 面 に
映 し 出 ざ れ 、 会 場 に据 え ら れ た .
一
、
基
のプ ロジ 、
{ク タ ー の 前 に は 、 宴 が 果
・
Lる ま で 人 だ か り が 続 い た 、
"伝 統
て 束 京 特 派 員 で鳴 ・
.
つし た 面 々 と 口 本
" の方 は 、 ニ ュー ヨー クか
ら尺 ・
へ ・硬、の ヘロ奏 者 を 招}い た ほ か 、
記 者 団 の談 笑 は深 夜 ま で 盛 ん だ っ
口 程 を 都 な口し て来 演 、 下 町 娘 の き び
と い う のが 、 日 米.の 出 席 者 に 共
ばな .
いが 、 懇 親 を 深 め る の も 有 意 義
た p ニ ュー ス に 直 接 結 び つ く わ け .
で
た ま た ま 文 化 交 流 で米 国 を 巡 演 中 の
き び し た ば ち ヤ、
﹂
ば 払、
㌧で 大 太 鼓 が 場 内
﹁神 田 明 神 将 門 太 鼓
い て の 協 力 要 請 が あ った の は ぺ 月 巾
に 眼岬り 響 ぎ 、 米 人 ジ ャ ー ナ リ ス ト た
﹂ 女 性 チ ー ムが
(N T
ソ ト ン 日 本 記 者 団 に、 こ の催 し に つ
タ イ ム ズ 編 集 局 次 .長 ) か ら 、 在 ワ シ
タ ー ・ ホ ル ム ス へ訳、ド
欠 (ワ シ ソ ト ソ ・
ナ シ ョ ナ ル ・プ レ ス ク ラ 。
フ の.
ビ ー
ね た の.
か 、 猛
プ ロジ
ハ イ ビ ジ .ン と 大 太 鼓
.
ジ﹂
.
︻
①︻
=餌
(金 ) 夕 、 ワ シ ン ト ァ の
智 B p ゆom︹
.
、 と 銘 打 っ た 催 L .
か、
レ 月 十 ∴.
.日
ナ シ ョ ナ ル ・ブ レ ス﹁ク ラ ブ.で だ
σ 、
わ
酒 、 紫 日 の 報 道 関 係 者 を 中 心 に 約 一
.
.
ド
.口 .
κ卜 人 か 集 ま る 盛 会 と な った . 平
旬 の二 }と だ 。 当 時 の 幹 事 四 社
".
シ マパ ン ・ナ イ ト "
V 、 T B S 、テ レ ー
ビ 朝 日 、朝 日 新 聞 )
﹁
.
寿/
1、
パー
の前 に 長 蛇 の列 が で
ニ ュー ス
催 し の.
性 格 付 げ 濠、 日 ご ろ 日 米 関
卜ード ル の・チ ケ ット を ⋮
貝 つた 人 ・
も鯖⋮構
期 待 し て 一人 四 1
.ト ル 、 カ ヅゾ ル 七
・
.
cた の は 、 記 す ま 、
・
∵も な い 。 二 れ に
係 を 追 っ て い る 記者 た ち が
べ
ョ ソ )
は じ め 政 府 ・団 体 の 日 本 担 当 者 、か つ
か で も 悪 日 に ぶ つ か った 。が 、国 務 省
中、
﹂ .7蕾 B の 大 暴 落 。 か
牛 中 多.
事 のな
こ の 日 は ニ ュー ヨ ー ク 市 場 で 株 が
は 今 や 米 圃 人 の大 好 物 な のだ 。
いた の で は な いか と 思 う ほ ど 、 寿 4
1
、、 第 二 に は 口 本 の 特 徴 で も あ る
・ ソ ー ス ン﹂歓 鞭
献す ろ・
場 を.
作 ノ
⇔二 ・
とが
第
の 食
ハ イ テ ク と 伝 統 の 翫へ存 を 具 体 的 に .
小
す . そ し て も ち ろ ん、 貝 本
(ハイ ビ ジ
物 、 酒 を 楽 し む 、 と 決 ま っ た 。
目 本 の H D T V
こ 、n
"
ー暫
な .
、﹁層
二う
局 長
だ ζ い .
朝 n 新 闘 ∵ ぜ﹂
台、総
ナ シ ョナ ル ・
い .ま す .
.取 村 や 旅 F
臼で '
汀 か れ た 際 、憤
伺 川 く
ト 会 員 ﹂・し て 鹿 設 を 利 耀 了.
、
書る ・
.(う に な っ て
い.
烹 r 。当 ク ラ .
フ の会 員 試 を 携 督ナ .
彗ば 、ゲ ス
ブ レ スク.
7プ ニ π姉 妹 ク ラ ブ 財の 溺 定 な 結 ん 、
で
B 本 記 階 ク ラブ ば 、 7 γン ・
∴あ
r、∵ ・. 氏
を最後 .
﹂記 し て 、 .厚 く け 礼 申 L 上 .庁
H 兜﹂か ら 多 大 の こ 協 か ・
4
1二填 い た こ キ}
シ ン ト ン 目 本 商 ﹁.
会 、 日 右航空、 全
一一の 催 し に 際 し て 口 本 た 使 館 、 ワ
通 の.感 想 だ .
.
戦 錬 磨 の ニ ュ ! ス の 〃鬼 " を 数 多 ・
く
の 総 支 巳側長 が 以 後 、 ク ラ ブ ム渥長 豪上に
︹目 木 の タ ベ ) な の だ が 、 そ こ は 師
メ ソバ ー に 抱 え る ク ラブ の こ と 、 催
何 度 も 集 ま り 、 ホ ル ム ス氏 の 相 談 を
ちも 盛 大 な拍 r でこた え た。
し の名 "
杯 屯 、 取 材 意 欲 を か ぎ ﹂硫 .て .
・
勺
受 ナ る こ と 二 恒 る.
た く .
、
.
.
ロえ ば 、
Pゲ ↓聖1;
目 噸月 日 彰11∫i「
・
エう '
.
帳も の訊.一
な ほ ,
れば こ、 い さ 艶、
﹂か
・講
仰 々し いも の に な っ
、た の は や 吾 を 得
な い .そ の か わ り 当 夜 ば 、 演 説
演 の 類 ば い っさ い な し 9
った と こ ろ ⋮ ﹂ と 切
﹁た .っ た 今 、 ア ラ 7 岬
ート P ﹂ 0 議
長 の会 見 が 終 わ
り 出 し て 、 日 米 両 ク ラヅ の友 好 強 化
・
を 呼 び か け る 水 上 健 也 ・日 本 記 者 ク
ラ ブ 理.
事 長 の姿 、
か、 会 場 のビ デ ォ
(4)
・=・IIガ_{・iと.i尊じ1!{尋ミ者(10.13)
月箆'匿こ ㌃
号
第23了
1989年11月10日
葉 だ ,番 記 者を仰 せ つか って三 力
とり の巾 で海部首 相が よく 使 う言
わ け 叫、す か ら ⋮ ﹂。
番 記 者 と のやり
︻
.一生 懸 命 が ん ば っ て や っと る
のま ま に。
と い う 、 欝 記 者 軍 田 の群 集 心 理 そ
て いる。
" 一人 が 走 れ ば 皆 走 る "
ら 、 赤 じ ゅう た ん の ﹁を +
疋り 回 っ
て素 朴 な 疑 問 を 投 げ か け ら れ なが
二 と ひ を二.
.
日も 、
.
口っ と ら ん の て す か
し イ、.
分 か ろんの かなあ ﹂ .
.
孝.ん な
の 、 た び 重 な る 質 問 に 対 し 、-ど ・
リ
と{
疋数 是 正 の 首 相 の 発 、
一
.
口に つ い て
な く な っ て ヒ、
覧た 。 小 選 挙 区 制 導 人
命 で あ る な ら、
ば 、 番 記 者 の黒 い 軍
の 他 の 11 程 を こ ・
な す こ と に }生 懸
て " は い る、 首 相 が H 々国 会 や そ
い と 、私 疏 り に " 一生 、懸 命 か ん ば
広 が る 出 来 艀 が 見 え る か も し れ な
団 の 中 で 、 首 相 が 何 に 対 し て 一生
後 ろ を 占 拠 す る 一種 異 様 な 黒 い 、
す る わ け だ が 、 こち ら は 、 首 招 の
な あ ﹂ と 記 者 の 質 問 を さ え ぎ った
や、
丸
なが ら聞 く のはや め てく れ んか
頃 、国 会 の 廊 ド で 質 問 を さ れ 、 ﹁歩
海 部 首 棚 は就 任 し た ば か り の
、
ず る と 不機 嫌 ・
な様 子 で
だ し 、 パ 串シ
﹁分 か ら ん
コ疑 惑 に 関 し て 質 聞
い よ う に と 、 身 ぶ り 千 ぶ り の応 戦
ら ﹂ と 指 導 力 の 弱 妻ご・
ゲ一
指 摘 されな
と を 、
、
口っ て し ま ∩
、
.た あ と の 気 髪 す
い時 の顔 や、 、
ロっ て は い け た い 二
り の中 て、 .
.
.
.
]い た い け 2
1ど.
.
.
uえ な
団 に身 を 置 く 者 と し て は、 や り と
っ
刀 、 海 部 政 権 と ほぼ 歩 み を 同 じ く
懸 命 な の か 、 真 意 を 探 る の に ﹁生
ば な ら な い の で は な い か と思 う .
源、
、夕 .
引 き 出 せ る よ ら.に な ら な け ね
各 社 の爵 連 絡 に ト 護 が 増 え た の
そ し て そ の中 か ら 、 赤 i 山引 た ん
の 喉、す よ 一を 繰 り 返 す 。
ば最 .
近 の こ と で は な いだ
の.全 容 が 少 し r.
も 分 か る よ う に な
こ と が あ った 、 よ ほ ど 番 記 者 軍 団
の 風 圧 が 強 か った の か 、 首 相 が 極
ろ 引 か 。例 え ば 、ー再 び .
舎
期 に つ い.
マ.
、 海 部 首 相 は壷 面 と は
ゴリの だ .
.
. 取}り W、・
た レ
、
咳
﹂灘 る 解一
肪肌力 砧
助
2
/ば 、 走 り 回 る 意 味 も あ る と い う
に [と か ﹁自 ら か け 声 を か
け て﹂ と い った 具 介 に。
裏 腹 に や は り
枝
定 L て Lと か ﹁
.
困 った よ う
懸 命 であ る 。
利
何 が 首 相 の 気 分 を高 揚
こと だ ろ ・
'︻
脇
レ
、
、
﹂せ 、 何 .
か 原 閥 で目 の 下 に く まが
2
卍し一
わ.
㌣.
. 、
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.
り
氏. 、九 ・
へ.
.
・
"
1
1T B S ∴ .
押
.
T:・
"i ⋮6 狙 申,々経 げ 八 11 '
・・∵理
門
﹄ 生 懸 命 ﹂の 三 カ 月
洩㌔る 七 け
月 のレ
木、 私 は 総 理 番 へ の
異刊
甥を L 司 か ら告 げ ら れ た 。
報 道 局 に所 属 し て い た と は い
・
兄、 ム7ま 弔、ロ ー カ ル 。 ニ ュ ー
スを 担 当 し てぎ た 私 に と っ
て 、 赤 じ ゅ弓 た ん は遠 い世 界
め.て 常 識 的 だ った の か 、 そ こ の と
でき る のか、
.電 話 と い う あ り ふh
ゾ ロゾ ロ と む ら が る 一団 に 、 自 分
が 加 わ る 二と に な ろ う と は 思 わ な
か った . し か し時 の経 つ の は は や
は 、こ ま 切 れ の や り と り と 、首 相 .
乙
一 生 .懸 命 ぢ 賭 て い る
ころ ば 定 か /
.
.
、は な い が 、 す か ざ ず
た し か し強 ね な 武 器 が あ る の て、
だ った .
、虫 し て や政 局 が 動 く
..
.一
木 誕・
﹂
る .
二、 こ う 、
"う や り と り
て い る のか .
は と ん ど 分 か ら、
な い-
た び に 映、し 出 さ れ る 首 相 の 後 ろ に
を 大 切 に し げ.い た ん で す よ
ー と切
り 返 さ れ 、 と まど った 表 情 を 浮 か
番 記 者 に と ってケ え ら れ た 材 料
こ の ﹁伴 、
㌔反 省 し た の.か ど う
生 で 接 す る際 の実 感 し か な い。 そ
の中 か ら 首 相 が 何 を 考 え 何 を し よ
惰番
い。 首 摺 自 身 は 、 訪 米 、所 信 表 明 、
べ て いた 。
程 を こ な し 、 アゴ のあ た り の肉 も
か、 口
取近 官 邸 内 で は 、 時 に 立 ち.
止
一枚 の.
扉 の.
向 こら 側 .
で何 が 起 こ っ
そ し て臼 民党 総裁.
再 選 と 着 実、に 日
"首 相 の顔 " に な っ て ぎ た ,
ま っ て話 を す る な ど 丁 寧 な 対 応 が
う と し て い る の か、 も し か す る と
とれ
一方 私 は 、 他 社 の 番 記 者 の 人 や 警
目 立 つ。 と は いえ、 は や 三 り 月 余
小 さ な 穴 か ら そ の穴 の 向 こう 側 に
(S P ) に ﹁ど う し て ス カ ー
護官
り・
、 答 え る 酋 相 の.
様 子 も 一様 で は
i可}」1己.針'1μ1到 六:・fく ノ.三1『 ・'rン`幽'し
(5)
ワ ー キ ン グ プ レス
海 部番
ト を は い て こな い の ? ﹂ と 、 極 め
・
『」『.{/亨li暫
,.・
第237号
1989年11月10日
東 欧 諸 国 か ら の ド イ ツ民 族 系 と 呼
人 ﹄ な ら 西 ド イ ツ政 府 は保 護 す る
は ソ連 に 住 ん で い よ う が
で い よ う と 、 ポ ー ラ ソド 、 あ る い
対 し て は 、 独 自 の 国籍 を 主 張 し て
合 わ せが 殺 到 し て いる ら し い。
﹁あ の 人 た ち は み ん な ド イ ツ 人
ば れ る人 々 の流 れ も あ る。 こ ち ら
い る東 ド イ ツ政 府 が 歯 ぎ し り を し
こ う し た 西 ド イ ツ政 府 の 見 .
解 に
な ん です よ 。 亡 命 者 で も な け れば
の 方 は こ と し .年 間 で 一
.
.
十 π万 人
義 務があ る、 と いうわけだ。
﹃ド イ ツ
難 民 でも な い。 困 って いる 自 国 民
にも な ろ う と い う 。
ド イ ツ人 た る こと の要 件 と す る
の米 国 大 使 館 に か け 込 ん だ 東 ド イ
早 い話 、 十 月 初 め に 東 ベ ル リ ン
て いる 。
か、 と いう こ と に な る.
.ド イ ツ 語
ツ市 民 を 米 国 側 は て いよ く 追 い 出
問題 は、 そ れ じ 謁
、あ 何 を も っ て
を 口常 語 と す・
るだ げ で は 不 卜 分
した。保 護 の義 務が な いから だ 。
イ ツ 領 か ら の ﹃引 き 揚 .げ 者 ﹂、そ の
他 の 地 域 か ら の ﹃帰}
仲⋮
者 一、分 類 も
だ 。 ド イ ツ語 を 話 し て も オ ー ス ト
東 ドイ ツ当 局 に、
日わ せ れ ば 、 西
束 ド イ ツ か ら の ﹃移 住 者 ﹄、旧 ド
を保 護 す るの は政府 と して当然、
助 げ の手を差 し伸 べ る のは同胞 と
し て当 た り前 で す ﹂
東 ド イツか ら の大 量脱 出悶題 の
話 を 聞 き に 行 った ら 、 西 ド イ ツ 政
や や こ し 、㌔
ーー ア や ス イ ス の 国 民 は ド イ ツ 人 で
﹁な あ に ド イ ツ 人 で あ る こ と が
確 認 さ れ れ ば 全 部 同 じ 扱 い で す ﹂。
ばな いからだ 。
禁 じ ら れ た。そ の子弟 は
人 々 は ド イ ツ語 の使 用 を
の 旧 ド イ ツ領 に 残 さ れ た
ホ甑た 戦 後 、 ボ ー ラ ン ド
だ。も ち ろ ん、 大 量脱出 を招 いた
え な か った はず だ 、 と い う わ げ
さ な け れ ば 、 こ んな にも 脱 出 が 増
ド イ ツ 市 民 へ の 保 護 権 を ふ り か ゴご
ト イ ツ が 東 ド イ ツ国 籍 を 認 め 、 東
K 氏 は あ く ま で も こと も な げ だ 。
"問 題 も 歴 史 の 宿 題
西 ド イ ツ (連 邦 共 和 国 ) は 憲 法
と 話 は急 に 生 臭 く な る 。
なが りだげ が頼 りな のだ、 と な る
る、
結 局 、ト イ ツ 人 と し て の 血 の つ
問 題 で も 混 乱 が 続 い て い る のが 東
いまだ 平 和 条 約 も 結 ば れ ず 、 国 籍
し か し 、 戦 後 四十 年 以 L を 経 て
自 ら の悪 政 を 棚 に L げ て の勝 f な
国 を 勝 ち 取 った ﹃非 公 認 組 ﹄ が 約
にあ たる基本 法 で、自 らを将来 の
西 ド イ ツ へ移 住 を 希 望 す る ソ 連
ド イ ツ語 を話 せな く と も
四万 六千人。 同 じ大 使館 立 てこも
全 ド イ ツ 国 家 が 成 立 す る ま で の過
や ポ ー ラ ン ド の ド イ ツ系 住 民 は 、
く 歴 史 の宿 題 を 片 付 け て ﹂ と い
.
三]いぐ さ に 過 ぎ な い 。
り 組 でも プ ラ ハの 約 一万 三千 人 は
渡 期 の政 体 と 規 定 し て いる。 だ か
自 分 の 血統 を 証 明 す る た め、 ナ チ
う、 ド イ ツ の 庶 民 の悲 痛 な う め き
"国 籍
府⋮
h
尚出
日の K 氏 は こ と も な げ に こ う
雪口う 。
東 ド イ ツ か ら 西 ド イ ツ への ﹃移
住 者 ﹄ は こと し 初 め か ら 十 月
下旬 ま でにト 五万 人 を 超 え
た 。 東 ド イ ッ当 局 の移 住 許 可
を も ら った ﹃公 認 組 ﹄ が 約 九
万 五 千 人 、 ブ ダ ペ ス ト の西 ド
東 ド イ ツ当 局 か ら ﹃国 外 追 放 処 分 ﹄
ら 西 ド イ ツ の 国 籍⋮
なるも のは存 在
ス ・ド イ ツ 時 代 の 人 種 登 録 カ ー ド
の よ う な 気 が し て な ら な い。
ド イ ツ人 と認 められ て い
を 受 け た し 、 ワ ル シ ャ ワ の約 二 千
し な い。 あ る の は ﹁九 .ゴ.
年 のド
を そ れ こ そ 血 眼 に な って 探 し て い
克
人 は ﹃国 籍 離 脱 手 続 き ﹄ を 終 え て
イ ツ帝 国 時 代 の法 律 に規 定 さ れ た
井
西 ド イ ツ に や っ て き た。 そ れ ぞ れ
﹃ト イ ツ 国 籍叩
﹄ だ け 。 こ の法 律 で
る 、 と聞 い た 。 西 ベ ル リ ン で 米 軍
今
時 期 が 違 う か ら 東 ド イ ツ当 局 の対
﹃ド イ ツ 人 ﹄ と み な さ れ て い る 人
が 管 理 し て い る 旧 ナ チ ス関 係 資 料
イ ツ大 使館 に 立 て こも って 出
応 も 異 な る。
と そ の子 孫 は 全 部 、 西 ド イ ツ 基 本
セ ソ タ ー に は 最 近 、 こ の種 の問 い
.瓦 七=.
年共 同通 信 入
71ヘラ ン芝局 長 〃経 て八ヒ年 から ボ ン
特派貝
社
いま い まさ る氏
東 ド イ ツ か ら の大 量 脱 出 は
西 ド イ ツ の現 実 な のだ 。
西 ド イ ツ へ の人 口流 入 は実 は 東
法 の適 用 を 受 け る のだ 。 東 に 住 ん
﹁早
ド イ ッ か ら だ け で は な い。 ソ連 ・
(6)
つ一 キ ン グ ブ レス
東 かち茜への移住 民
号
第23了
1989年11月10日
め 、 21 時 16 分 、 藤 田 監 督 の 作 が 宙
後 の 打 者 日 野 〃二 一直 併 殺 に し と
始 ま った 。 左 腕 宮 本 が 横 浜 大 洋 最
か ら 、 優 勝 への カ ウ ントダ ウ ンが
揺 れ る横 浜 球 場 の 巨 人 フ ァ ン の間
十 月 六 目 21 時 15 分 、 ウ エー ブ で
ヘ タ.
を す る と 作 動 し
近 の カ メ ラ は、 電 子 部 品 を多 川 し
ワ ー か ら 防 ぐ た め.で あ る 。 特 に 最
カ メ ラと ス ト μボ を ビ ー ル の シ 濁
、
ッ プ 、 ポ リ 嚢 、 ビ ニ ー ル テ ー ブ ﹂ロ
セ ット を 剛
貝い に 行 く 。
﹁サ ラ ン ラ
ス ト アに、 ビ ー ル か け取 材 用 .
二点
さ っそ く 、 近 所 の コ ソ ビ ニ エ ン ス
撮 ろ ・
りと 、 友 騒 ギ、
、
し 、
乳 いる ⋮
選r に
づ
、γ は 少 し で も "
廻 り の あ る 写 旺へを
.
ヒ ー ル か 目
げ冒
かリ
嬬 ま る ﹂L、 カ メ ラ
で G ナ イ ン ば
ド.ソ 、
.
か ズ ラ 、ーソ, 代 表 の 乾 杯 の 就目.頭
に は 、 選 f の 尻 ポ ケ ット に ビ ー ル
オ ー ナ ー 、 監 督 の あ い 趣、
﹂つ の.
頃
か け て い る 理 由 が よ く分 か った 。
二時 、
. カ メ ラ を 水 ぶ 与C乾 燥 i.
、 メ
す べ て .
が 終 わ り帰 廷 , 七 日午 前
水 道 で 髪 の 毛
へ。 フ ィ ル ム を 渡 し 、 と り あ ・
ズす
ト の ひ か れ た ハで ヤ ー で 球 場 暗 室
祝 勝 ス ムが 終 わ り 、 ビ ニ ー ル シ ー
再 バ)球 擢吻肉Uの ,
膳淋至 へ。
ソ、
7ー を 忘 馳
'-Σ '
﹃.張 と 思 い な 、
が ら 、
ツ 、シ 肋 ツ と 毛 ナ ベ で着 替 ・
え 、シ ャ
と 顔 を 洗 い、 パ ン
に 舞 った 。 読 売 巨 人 軍 二 年 ぶ り 一
一.
て い る た め、
近 づ く 。 そ れ だ 汁 ビ ! ルを 浴 び .
匂
ソ テ ナ ン ス ・
〃.
.
L でゼ ℃ら う (凡め に 嵯眠
な 祝 杯 を あ .
げ 帰 宅 。 東
.九 八 四 年 報 ㎞ 斯 川
﹁
の 空 は 、
も.
・
リ
ん 訊
、.
前 が 見 え .
なく な
詣
、
∴.
.に 明 る い 。 .
.
.
秒 間 の.た め の 長
っ た
か 、 "
て の 瞬 間 の写 申
具 が 木
写い
[
蔀 ・
、社
ヤ'
・
・∵﹁
弔つ氏
い 一日 が 終 わ っ た 。
っ
瀞
、
﹂
.
・
、
.
、
ぎ
紙 ⋮
.
一.
血 を 飾 る こと が 出 来
一挙 に 爆 発 し た 。
十 四度 n の優 勝 の 瞬 間 であ る.
な く な り 、 取 材 中 な ら.
、 泣 く に 泣
・
、
; ﹂も 多 く な る 、 ク ロ 一
,テ ノ,ら の
[ザ ・ホ テ ル横 浜 L へ移 動 。 屋 外
盟 時 5分 、 巨 人 ナ イ ン はパ ス で
け な い こ と と な る `
理 を.
す る .
、 赤 坂 孤.
同 僚 と さ さ や か
1
1 時 。 カ メ ラ ♪︺
着掃けえ レ﹂.
.
.占 崩セ
ビ ー ル に レ ソ ズ を 直 撃 さ れ 、 に じ
駐 車 場 内 に 張 ら れ た 紅 白 の 幕 の 中・
で 、 歓 声 と 共 に祝 勝 会 が 始 ま
った 。 報 知 新 聞 か ら は 、 ロ.人
初 体 験 ビ ー ル かけ取 材
た 。
い く ら サラ ン ラ ップ 等
で 防 水 を.
し て も 、 フ.f ル
ム 交 換、
時 は 無 防 備 と な る 。 そ ん な
勝
ッ ト を 持 ら 錨慣浜 球 旧
場 へ. ウ メ ラ マ
欝 にピ ー 兀を 浴 び た ら 、 以 後 の 取
清
ン席 に ふ だ ん の 三 倍 も の 一
.
.脚 の 数
材 が 出 来 弥鳳ノ
\ μ瓶る 、 ナ ・
.
は 画・く テ ソ
佐 々木
を 見 て、 優 勝 決 定 戦 を実 感 す る 。
った の に は 、 ほ
(7)
の カ メラ ワ
、ンが 頭 か ら ビ ー ル
を か ぶ る ハ メ と な った 。 用 意
さ れ て いた ビ ー ル は 約 千 本 。
時 間 に し て 約 二 卜 分 、 ア ッと
いう 間 に から に .
な った 。
-[
60 秒 の シ 申.ッ タ ー で 、.
∴十 らハ
枚 撮 り フ ィ ル ム五 本 を 撮 った とす
時 間 が か か リ イ ラ イ ラ し た 。
ト 外 .で 交 楯hす る の だ が 、 引.メ ラ 、
を 亡心、
れ(に事 に 気 付 く 。 ル
兀輩 カ メ ラ
数 の 確 認 と ス ト ロボ が 生 き て い る
試 台終.
J。 記 者 会 貼 は パ ス し て
一
、ンが 撮 影 し て い る 時 間 は 一
,
.秒 に
マ ン ニ人 は と 見 る と 、 さ すが に 上
か に は 、 よ り 以 L に 気 を つ.
け た 。
る,計算 h は 一
.
一秒 に し か な ら な
も 満 た な い こと と な る。 し か し、
か ら 下 ま で完 全 武 装 。 お かげ 一
で二
幸 いに も 日
取後 ま で 、 カ メ ラ 、 ス ト
指 と も .
.
ヘタ .
.
ヘタ に ぬ れ て い る た め
そ の 三秒 間 の た め に い ろ いろ 苦 労
人 だ け 頭 か ら ビ チ ョビ チ ョと な
ロボ と も 無 事 だ
祝 勝 会 場 へ。 球 阻切に レ イ ソ ハ ッ ト
す・
る のが 、 カ メ ラ マ ンであ るq
り 、 ビ ー ルが 目 に 入 り 痛 い の な ん
と 胸 を な で お ろ し た 。
い。 極 論 す れ ば 、 祝 勝 会 で カ メ ラ
当 日 は 午 前 10 時 30 分 出 社 。 デ ス
の 。 駒 田 、吉 村 、津 末 が 水 中 限 鏡 を
ヨ マ
ク か ら祝 勝 会 の 取 材 を 言 わ れ る。
・.犀"ノ填.
浴 び=撮
ー ・Lの シ ヤ ワ ー"1を
"ピ
第237号
1989年11月10日
ワ 」 キ ン グ プ レス
が あ り ま す が 、 こ れ も 大 体 狂 って い る の
ビ 画 面 の端 に時 刻 が 表 示 さ れ て い る こ と
ま う ん じ ゃな い で し ょう か。 ま た 、 テ レ
て 、 マ ニ ラ への 上 り の マ イ ク ロ 回 線 が な
が 、 セ ブ 、 バ ギ オ 等 ﹁部 の 大 都 市 を 除 い
大
は、 離 島 を 除 い て 電 気 が あ る と こ ろ な ら
でし ょう。
こ れ は 口 本 と い う よ り も ア メ リ カ の影 響
し 、 記 者 リ ボ ー ト を 割 合 多 用 し ます が 、
ト の中 に 男 女複 数 の キ ャ ス タ ー が 登 場
(こ の 他 、
の テ レビ 局 が あ り 、 こ のう ち チ ャ ン ネ ル
マ ニ ラ に は 2 、 4 、 7 、 9 、 13 の 五 つ
2 チ " ン ネ ル は 白 家 用 ジ ェ ット で 速 や か
空輸 す る こ と に な り ま す 。 こ う し た時 、
い た め 、 ニ ュー ス 素 材 は 飛 行 機 を 使 うて
き 替 え ら れ てお り、 英 語 の ほ う は ま だ い
す 。 前 者 は 英 語 、 後 者 は タ ガ ログ 語 で 吹
つ の 目 本 の番 組 が 続 け て 放 送 さ れ て い ま
に
.
体 全 国 ど こ でも テ レビ を 見 ら れ ま す
で信 用 し て は い け ま せ ん。
4が 国 営 で、 残 り は民 放 です
に運 び ま す が 、 国 営 テ レビ は 通 常 の コ マ
い の で す が 、 ーシ ャ イ ダ ー
最 後 にな り ます が 、 現 在 、 土 曜 の夕 方
特 殊 な ア ンテ ナ を 付 け る と、 F E N が 見
ーシ 瀞
、ル フ ラ イ ー
-を 使 う の で 、 ひ ど いと
日 本 人 で 声 が タ ガ ログ 語 と いう のは 何 と
-の 登 腸 人 物 が
﹁シ ャ ィ ゲ ー ﹂ の .一
ら れ る )。国 営 テ レ ビ は P T V 4 と 呼 ば れ
き に は 素 材 の 人 手 が 一日 近 く 遅 れ る と い
へ 八年 か ら
一九 八 ∵.
年 フジ テ レビ
﹁度 ご 覧 に な る こ と を お 勧 め し ま す 。
く にお氏
撮影巾継部を経 て外 信部
マ一
=フ支 局 .長
入社
たか さぎ
非
ま す 。 フ r リピ ンに い ら し た 際 には 、 是
も 言 え な い シ ュー ル な 気 分 に さ せ て く れ
﹁バ ィ オ マ ン﹂ と
て いま す が 、 こ の P は フ ィ リ ピ ン の P で
う こと に も な り ます 。
こん な こ と で は国 営 テ レ ビ の 将 来 は危
は な く 、 ピ ー プ ル の P で 、 一九 ,
八 六 年 .一
﹁我 々 は マ
ル コ ス の宣 伝 機 関 で は な く 、 民 衆 の た め
な い ん じ ゃ な い か 、 と い う 気 も し てき ま
刀 の革 命 の 際 、 国 営 テ レ ビ が
す が 、 そ こ は 大 丈 夫 。 プ ロバ ス ケ ット ボ
ー ル の独 占 中 継 権 を持 っ て い る か ら で
﹁ピ ー プ ル ズ ・
[ を 名 乗 った こ と に 由 来 し て い ま
で悩 む フ ィリ ピ ン。 政 府 に は お 金 が あ り
気 な の で す 。 ま た 、 国 営 で あ る こ と の利
(8)
の テ レビ 局 で あ る = と 、
テ レビ
い い加 減 な 国 ﹂ とも 呼 ば れ る フ ィ リ ピ
ま せ ん。
を 生 か し て 、 去 年 の ソ ウ ル 。オ リ ンピ ッ
す。ち ょ・
・2 ど 日 本 の 野 球 の よ う に 、 フ ィ
ン、 当 然 時 間 の感 覚 も い い加 減 です 。 ま
局 の 運営 に 関 し て国 が 金 を出 し て い る わ
クも 独 占 放 送 し て いま し た , た だ し、高
す 。 ご 存 知 の よ う に、 対 外 累 積 債 務 な ど
あ 、 良 く 言 え ば 大 ら かと い う こ と に も な
け で は な く 、 す べ て独 立採 算 、 毘 放・
と同
い放 送 権 料 を 貼
用う た め に 、 番 組 の 半 分 ぐ
国 会,裁 判 等 の 取 材は 可 能 。 ま た,留 置 場
口 の 悪 い 人 間 に言 わ せ れ ば 、 ﹁世 界 ﹁
る わ け です が 、 と に かく フ ィ リ ピ ン に
じ よ う に コ マー シ ャル収 入 で賄 わ れ て い
.
の犯ノ
、も取 材 で き る 二 とが 多 い 。
リ ピ ン で は バ ス ケ ット ボ ー ル は 大 変 な 人
は 、 ﹁フ fリ ビ ノ ・タ イ ム ﹂ と 呼 ば れ る
ます 。 し か も 民 放 に出 資 す る の は 大 企
午 後 五 時 半 か ら 七時 ぐ ら い の 問 に夕 方 の
と こ ろ で ニ ュー ス の ほ う は 、 各 局 と も
らいは コマーシ 諏
,ル で し た が i
マ ニラ で は 、 王 つの テ レビ 局 の う ち 国 営
ニ ュー ス を 放 送 し て い ま す 。 こ の ほ か 昼
業 . 政 府 と は 違 って 金 が あ り ま す か ら 、
テ レ ビ が 一番 貧 乏 だ と 言 わ れ て い ま す 。
と 夜 に も ニ ュー ス の時 間 は あ り ま す が 、
放 送 制 度,国 営 放 送 の故 革 を 進 め て い る。
﹁国 営 ﹂ と は 言 って も 、 テ レ ビ
独 特 の 時 間 の概 念 が あ り ま す 。 ﹁十 時 ﹂
テ レビ も ﹁フ ィリ ピ ノ 。タ イ ム ﹂ で 進
反 対 に 、 一番 金 が あ る と 言 わ れ て い る の
メ ー ン は 夕 方 , そ し て 一番 人 気 が あ る の
と 言 え ば 十 時 ち ょう ど か ら 十 時 五 十 九 分
み ま す か ら 、 は っき り 言 っ て進 行 は メ チ
は 2 チ ャ ンネ ル。 こ こは 電 力 会 社 が バ ッ
が 2 チ ャ ン ネ ル の ﹁テ レ ビ パ ト ロ ー ル ﹂
象 でが 、 十 時 と な る わけ で す 。
ャ ク チ ャ。 ﹁野 球 中 継 の延 長 の た め に 予
クに ついて います。
と い う 番 組 で す 。 ニ ュー ス の 演 出 方 法 な
定 し て いた ビ デ オ の留 守 番 録 画 が 繊 来 な
ど は お お む ね 日本 と 同 じ 、 ス 〃 ジ オ セ ッ
ア キ ノ政 権 は い くつ か の ラ ジ オ局 の 閉 鎖 や,
雄
邦
崎
高
資 金 力 の 違 い が 一番 良 く 分 か る の は 、
放 送 時 問 は 平 日が 朝10時 頃 か ら 夜12時 頃 ま
フ ィ リ ピ ン
か った ﹂ と 言 って怒 って い る よ う な 人
リ ビ ン 全 上て「40タ6,マ ユ ラポ「剖;1翻看87%。
也界の
地 方 で事 件 が 起 き た と き 。 フ ィリ ピ ン で
送 事 業 を運 営 して い る。 テ レ ビ1劉 之率 は フ イ
連載20
は 、 こ の国 の テ レビ を 見 た ら 卒 倒 し て し
半頃 か ら夜12時 頃 まで 〕
朝7時
で,上,L1が
教 団 体,大 学 な ど 多 数 の機 関 が 放
放 会 社,宗
在政 府,民
テ レ ビ放送 開 始 ば1953年 で,現
あ る国 営 局
CMの
号
第23了
1989年11月10日
第237号
1989年11月10日
森永
教授
晴彦
ミ ュン ヘ ン 工科 大 学 正
ミ ュン ヘン に
住 ん でい る原 子
核物 理学者 は、
チ 訊ル ノ ブ イ リ
原 発 事 故 の際 の
ヨー ロ ッパ の山
争
情 に つ い て 就川る
と レ一
も に 、 自 ら放 射 能 を 水 に 溶 か し
て飲 み 、 そ の 後 測 定 器 で測 って み せ
た。
放 射能 と いうと、すぐ原 発 と結 び
つけ 、 賛 成 か 反 対 か と いう 議 論 が 展
開 さ れ が ら な 昨 今 だ が 、 ﹃ど の よ う
な 〃 策 を と れ ば 、 放 射 能 の危 険 を 克
た話 は 、 一
放 射 能 取 り扱 い の規 制 を
服 しう る か ﹄ と の次 元 か ら 進 め ら れ
緩 く し て 、 大 勢 の人 に放 射 能 を "利
用 き せ " 、 放 射 能 で "遊 ば せ る " こ
と が 肝 要 ー 一そ の た め 比乱
較的 安 全 な
放 射 能 を 社 会 に "ば ら ま く " 一方 、
放射線 測定 器 を普及 させる ことが 必
要 ︼と 結 論 づ け られ た。
ヤ セ ル ・ア ラ フ ァ ト
ナ解放 機構 )議 長
PLO
(パ レ ス チ
豆絞 り のず き ん に戦 闘 服 . お な じ み の
服 装 で 懸 場 し た アラ フ ァ ト 議 長 の ク ラ ブ
訪 問 は 、 八 一年 十 月 以 来 、 八 年 ぶ り 二 回
口 . し か し ム∴凹 は 、 11 本 政 府 の 公 式 招 特
"嵐14客 " だ った 。
﹁あ ら ゆ る 手 段 、 あ ら ゆ る レ 。
ヘル で パ
による
レスづナ㎡
州 平㌔フ ロ + ス に 参 加 ふ
ラる 、 と の
奔 意 を 得 た ﹂ と 訪 日 の 成 果 を 語 ー3・、 先 に
﹁公 式 な 見 解 を 聞 い
ワ , ント ン で行 わ れ た ブ ワシ ﹁
.、 ム バ ラ
ン会談 に関 しては、
て い な い が 、 一殺 論 と し て 和 .平 プ ロ セ ス
に な れ る
を 荊 進 さ せ る 努 力 は 支 持 で き る ー。
﹁日 本 が 中 東 和 平 の 調 停 役
か 一と の 質 問 に 、 落 語 の ﹃︻
.
一
方 一両 損 ]
長ル鞠子
出 席 一 二 百 ∴.
十
通商産 業審 議 官
通訳
直道
也 理事 長
一
⋮
.
人︼
鈴 木
日米 構 造協 議 にあ
たり、 ① 構造 協議 は
お遅 いの国内 周 題を
トー ク す .
勺も.
の で、
感 情 的 要 因 が 人 る余
地が あ る。 従 ﹁
.て、
ま ず 冷 静 に厨 話 す る
姿勢 が 必要、②建 設的、 生 産的 な も のに
す る た め 奨 通 の認 識 を 深 め る こ と が 必
と 三 つ の必 要性
要、6
1㌔
それ 咽
てれ の 国 が 目 ら の 責 任 で旧
好応
し て い く こと が 必 要
を強 調 し た隔
ノ[り わ け 、 黄 通 の 認 識 を 深 め る こ と に
重点 を置 き、
-こ こ 数 年 の 日 本 の 変 化 は
の話 を 引 用 し 、
激 し い 。 少 し 前 の ギ ー ダ で 話 し へーーう ー
・
﹂
、
﹁、
パレ スチ + 、 で スラ エ
ル、 そ し て 和 平 を 望 む 友 人 た ち が 、 そ れ
ザ ー ビ ス 産業 は 大 い に 変 化 し て い .
儲. こ
エ ン ス ス ト ア の増 加 な ど 、 流 通 を 含 め た
るが、 。
パパ マ マ ス ト ア の 減 少 、 コ ン ビ ニ
" と 障 われ てい
-米 か ら
違 うた 結 論 が 導 かれ て し ま う ﹂
求 上健
"口 本 の 流 通 は 硬 直 的 だ
ぞ れ 、両 ず つ 損 す る 格 好 一
、
・解 決 策 を 見 い
ー
パ レ ス チ ナ順 家 が でき た 暁
川 し た い ﹂.会 揚 が ド ッと 沸 い た .
そして、
記 者 会 見. 司 会
に は 、 本 日 の 出 席 者 全 員 を 招 待 す る ﹂、
︻卜 月 四 日 (虞 )
の 点 も 理 解 さ せ た い ﹂、
ま た 、 明 年 度 の 予 算 に つ い て の 断只問 に
答 え、
こ の ほ か、 ]放 射 能 に対 す る 、 官
製 の防 衛 は き わ め て無 力 で あ り 、 市
派遣 や受 け入れなど、 輸 入拡 大 策 に重点
﹁通 産 省 と し て も 、 ミ ッ シ .
.ン の
民 防 衛 が 主体 で な け れば な ら な い 一
司ム苫 村野
(2 ) 司 会
藤 原 伯 弥委 員
出席
八十ヒ人︼
研 究 会 ﹁日 米 構 造 協 議 .
を 概 く ﹂ こと を 明 ら か に し た 。
研究会
.
ニレ四人︼
︻卜 月 κ 日 (木 )
とも付 け加 えた。
出席
︻卜月.
.
一
日 へ火)
賢歳委員
フ ラ ン ツ ・フ ラ ニ ツ キ ー
首 相
ハ
オー スト リア
中 立 国 の 革
臼相 の 蝋劇︺Hは 財 解⋮
だ ・
,た
一政 仏帽の 改 革 が 成 功 す る た
ニガ リ ー やポ ー ラ ンド ・
など痕 欧 の改 革 支
援 に ハ
.い て 、
め に は、 経 済 の改 革 が ま ず 成 功 し な け れ
ば な ら な い。 そ の た め に 陣
.
⋮国 際 融 資 な レ﹂
の財 政 的 援 助 で は な く 、 口 餐 も 他 の西 欧
ー
.
・道 だ ﹂.
諸 国 し`
二 緒 にな 簿で 具 体 的 な産 業 .
ノ ロジ
Tク ト で 協 力 す る の が .止 し
﹂
部 反対す る 入も いるが、
t た 、 オ ー スト リ ア の E C 加 盟 申 請 に
関 し て は、
E C は 国 民 の行 動 の 自 由 を 徐 一
・ーも の で は
に は 国 民 投 脚.
牛で 意 思 を 決 定 ナ る ﹂、
な い .今 後 精 力 的 に 交 渉 を 進 め 、 最 終 的
つ い て
段 階 的 に .不
、
現 在 、 ﹁対 .五 の バ ラ ン ス に な .
.て
.方 、 日 本 ﹂一
の 間 の貿︻
易関 係
は、
い る が 、 短 期 的 に で は な /\
均衝 を改善 して いく.
. こと ﹂ ヒ月 か ら ウ
百十 六 人 ︼
呵会
.
,
出席
栄 中2
でー ン への直 行 便 が 開 通 し 、 これ か ら は
矢野F 恵予
記者会 見
観 光 面 にも カ を 人 れ て いく
通訳
︻レ ー1 六 日 (
危)
珊事
(9)
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
'ク
開生
NT T社 長
裕委 員長
通訳
ーター社 会長
長井鞠子
森由 美 子
出席
低 い声 で 論 理 的 に 、 ア メ リ カ の通 商 政
述 べ る中 で、 ﹁アジ ア ・太 平 洋u
地 城 の市
山口
七 月 の 参院 選 挙 で ﹁思 わ ぬ 大 勝 を し
二百瓦十九人 ︼
ま ず は今 後 の
た ﹂ と 語 る 会長 は 、 全 電 通 出 身 。 ﹁か つ
参 院 ﹁連 合 の会 ﹂ 会 長
電 気 通 信 のあ り
て は 団 体 交 渉 に よ って生 活 が 守 れ た が 、
稔
方 に 関 し 、 ﹁世
今 は 労 使 間 で解 決 で き な い問 題 が 増 え て
ム ス タ ング の生 み の親 であ る フ † ー ド
豊田
界的 に ISDN
き た ﹂、そ し て ﹁最 近 は 民 間 労 組 の方 が 、
・モー タ ー 社 会 長 は、 リ ンカ ー ン コ ン チ
労 組 の "政治 資 金 " に は、 一般 組 合 費
策 を 語 り、 ウ ルグ ア イ ・ラ ウ ンド の成 功
場 を 重 視 す る た め、 東 京 に戦 略 的 組 織 を
ネ ン タ ル に 乗 って や って き た 。
フ ォー ド ・モ
(統 合 サ ー ビ ス
選 挙 や政 治 活動 にカ を 入 れ てく る よう に
ド ナ ル ド ・ピ ー タ ー セ ン
デ ジ タ ル網 )が
な った ﹂。
黒 い スー ツ で ク ラ ブ に 現 れ た。
構 築さ れ て い
る 。 N T Tも 従 来 の 計 画 を 変 更 し、
に 含 ま れ て いる も の と 、 カ ンパ に よ る 特
を 訴 え、 そ し て、 日 本 の国 内 措 置 に ﹁
、
一
.
[及
設 立 す る﹂ こ と を 明 ら か に し た 。
化 ) が 必 要 。 規 制 は 必 要 で は な い﹂
が 、 ﹁料 金 の認 可 制 の 弾 力 化 (機 動
超 え、 株 主 も 百 五 十 万 人 い る そ う だ
N T T の加 人 者 は 現 在 五 千 万 人 を
法 定 選 挙 費 用 の五 〇 ∼ 七 〇 % を 交 付 金
五 億 円 。 連 台 の会 を 通 じ て 地 方 組 織 に 、
円 程 度 徴 収 し た ﹂。 ﹁連 合 の予 算 は約 二 十
総 評 、 同 盟 は 、 特 別 組 合 費 的 に約 二十 億
は 、 数 百 万 円 も の不 必 要 な金 を 支 払 って
て いな い .
、そ の た め 、 ﹁日本 の 消 費 者
本 の市 場 で は 自 由 な 参 入 と競 争 を 許 さ れ
財 界 が ﹁丸 と な って、 貿 易 不 均 衡 の是 正
の関 係 を 悪 化 さ せ な い た め に も 、 政 府 、
さ ら に 、 日 米 関 係 に つい て 、 ﹁両 国 間
ま ず 司 会 音 の声 を ほめ 、 訪 口 の 目 的 を
一九 九 五 年 ま でに完 成 さ せ た い﹂。
別 組 合 費 的 な も のが あ る が 、 ﹁参 院 選 で
し ﹁外 国 の投 資 、 サ ー ビ ス、 商 晶 は 、 日
﹁資 金 調 達 の多 様 化 も 求 め ら れ て い
(組 織 整 備 費 ) と し て支 出 し た ﹂。
ま た 、 米 包 括 貿 易 法 ス ーパ ー 三〇 条
し て 、 行 政 のあ り方 に つ い て、 も う 少 し
放 を 重 ね て求 め る と と も に、 ﹁ "排 他 的
の貿 易 不 均 衡 の改 曲
膏に は 全 く 役 山
呈一
ノて い
って い る 現 地 生 産 に 関 し て は 、 ﹁口 米 間
であ え ぐ こ と に な る﹂。
い。 そ れ を 怠 れ ば 、 管 理 貿 易 の規 制 の 下
策 を 見 つけ 出 す 努 力 を し な け れ ば な ら な
る 。 政 府 に対 し て財 政 的 な 規 制 緩 和
最 後 に 、 ﹁政 治 改 革 の中 で気 にな る の
の対 日 適 用 品 R で あ る 、 スー パ ー コ ン ピ
い る﹂。
を 要 望 し て いる﹂。
は 、政 治資金、選 挙制度 、 国会運営。 そ
答 申 で は 、 N T T の分 割 に つ い ても
メ スを入れ ることが
商 慣 行 " が 構 造 協 議 に お け る優 先 課 題 の
十 月 二 H の電 気 通 信 審 議 会 の中 間
触 れ て い るが 、 ﹁N T T は "面 " に
必 要 では な い か﹂ と
そ の溝 造 協 講 に つ い て の質 問 に対 し 、
な い。 部 品 、 生 筐 機 械 、 工 具 類 は 日 本 か
口本 の自動 車 メーカーが アメ リ カで行
近 い複 雑 な ネ ット ワ ー ク を も って い
ュー タ ー、 人 工衛 星 、 木 材 製 品 の市 場 開
る。 別 会 祉 にす る と 、 接 続 装 置 が 必
︻十 月十 一日 (水)
提 言 した。
﹁つに な って い る ﹂。
要 と な り、 特 別 な 費 用 が か か る﹂
トした。
し た だ け ﹂ と コメ ン
硬究会 ﹁政治改革﹂(3)
る 意 味 か ら も 、 明 春 の中 間 評 価 で青 写 真
ら の輸 入 で あ り 単 に 不均 衡 の源 が シ フ ト
内 田健三委員
か ん で含 め る よ う に 、 ﹁真 剣 さ を 証 明 す
﹁分 割 さ れ る と、 地 域 に よ って料 金
司会
八十 七
宮智
出席
司会
人︼
穐子
記者会見
の格 差 が で てく る。 ま た 、 研 究 開 発
ま と め るぐ ら い、 で き な い ハズ が な い。
︻十月 二十 四 日 (火)
米 通商 代 表部代表
平野
三 ∼ 四年 も か か る こ と は あ り 得 な い﹂。
司会
そ し て次 の会 談 先 へと 急 いだ。
記者 会見
長井
を 示 し、 夏 の最 終 報 告 で具 体 的 な 計 画 を
カ ー ラ ・ヒ ルズ
" の主 役 は、 精 力 的 で
あ る 。 こ の日 も 朝 か ら、 郵 政 相 、 科 技 庁
︻十 月十三日 (金)
通訳
四+ 七人︼
久
長 官 と の会 談 を こ な し て 、 十 時 三 十 分 、
宗 七委貝
出席
司会
"対 日 通 商 交 渉
力 が 低 下 す る 。 こ の ほ か 、 全 国デ ジ
七十三 人︼
昼食 会
タ ル 計 画 に つい ても 、 支 障 が で てく
る ﹂ と 反 論 し た。
出席
︻十月十 一日 (
水)
木 保委員
(10)
ス'ト
ゲ
ブ
ラ
ク
第237号
1989年11月10日
号
第23ア
1989年11月10日
ア ン ド リ ュー ・ゲ ロ ー ブ
社 社 長
イ ンテ ル
ハ ン ガ リ.
ー出
身 , 米 カ リフィ
ル ニア 大 学 で博
﹁年 前 ⋮
一
.
+
圭 号 を 取 得 し、
二十
二歳 で 同 社 の創
立 に 参 加 し た、
半 道尋体 の 11 本 申
巾堤.へ の ア ク セ ス は
コカ イ ぜ ン ﹂
され た が 、 U 米 の ア ク
池 の業 界 に 比 べ れ ば
(目 太 .
尻四貯
←
セ ス が 対 導 にな る に は ま だ 時 間が か
ア ン ド レ イ ・サ ハ ロ フ 博 士
八 六 年.
、 ゴ ルバ チ コ
.7 堂口記 長 自 ら の 電
話 で流 刑 を解かれ、今 年 五 月 には人民代
議 目
14 に 選 出 さ れ た 六 十 八 歳 の サ ハ ロ フ 博
士 . ソ 連 の 現 状 や 変 わ ら ぬ 改 革 へ の情 熱
﹁.
ヘ レ ス ト ーーイ カ は
〃歴 ・
呪 的 必 銃ゾ 。
を 、 ゆ っく り と 静 か な 口 調 で 語 ㍗た 。
あ る
。
、
フ
・C ・イ ク レ 米 元 国 防 次 官
ク .
.ソ .ン
.
T' 1
︻卜 月 ..
レ 六 巨 (駅 )
記 藍会 見
司 会
水
L 健 也 埋 岱 .長
濫 、
臥
徳・
水晴 莞
摂席
一.げ
十 二人 ︼
フ レ ッド
=
﹁
ドへ
-政 権 で 軍 備 管 理 軍
縮 ⋮旧門長 . レ : ガ ン 政
(氏
ジ ャ ック
・シ ラ ク
パ リ 市 長
(前 首 相 )
﹁近 く 、 ピ カ ゾ.の 絵 が 競 憎冗 に か か .
リ.
、
.
.唱 洋 地 域 、 欧 米 の 民
{
尚い値 が つき そ う だ が 、 国 家 に よ る 援 助.
と は 別 に 、 ア.ジ ア 太
﹁つ にな る .
. .[
" を 作 り た ら ど う .か .
︼
間 人 が 巾-心 と な ∴ .て (東 欧 ・
文 援 の.た め の )
解自 山 の 連 帯 基 金
ハは い ず.
れ
し一
締 め !.
\ど、 .一 ハ﹂り
﹁
.
. マ .∴ 比
つ に .分 艶 さ れ 、い る の は 、 歴 史 の 事 故 -
権 へ
、・国 防 次 官
と +.る 前 首 伺旧は 、 .
ボ ー ラ 、.
'ド ・や ハ .
、
、
'ガ リ
だ が 、 も ,と 抜 木 的 な ラ ジ カ ル な も の が
.﹁
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兄.
ノヱ ∼ ﹁
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1 噛.
.
、
﹂
必要 だ ..
,
目
葉 か ら行 動 に 移 す 時 に来 て い
る 一と 述 .
↓、 ∼ バ東 欧 の 変 革 も 一
.
歴史が
・-の 動 き .
に つ い .
.
.
・、
た め に は 、 経 済 的 な問 題 が 解 決 ・
.
、
.
、
ブ∵.
勺こ
.東 欧 .
の寮、
化 が 准 む
シ L
./ク ダ ン ク ・賎 塔
在 、 戦 略 論 で存 名 壕
国 際 間 垣 町 究 所 叶 荒 員 .
用 意 し た 必 然 の も の `と ﹂ て 、 西 側 諸 国
に こ れ ら の動 き への支 援 を 訴 え た 、
と が 前 提 。 酉 ヨ ・ーロ ワ
.バ し 一し て .は 、 金 削
面 岨
.
・塀︹瑚叩し て い く が 、 H 米 {pこ の 剥
剛 キ.
.
旭に
北 レη頒 土 問 題 を 質 ♪
.
﹁
﹂れ る と 、 戦 争 に よ
つ い て話 L ∴ レ
-こ の
る領 走拡 上
八は あ " て は な ら な い こ .
ごだ こ
r ←乞 ﹂
か ・了 二 し ムか 緊 要 が﹂ 一 ご ー.
、
∵冊、り 隔
.
﹂経 ㎝
請
ー
・冒
切 り出 した.
が る と し 、 ..
.
じ、
︹ー セ ン ト の シ 丁ア
靖訊助 〃 ﹂
輪 矧調 ・
ず 噌
勺 ..
ー1 右 の 長 期 的 安 へL保 障 戦 略 の 必 要 性 に
を H 標 に努 力 す る こと を 強 調 し た 朋
閂・
下年 間 、 日 本 の 安 保 政 策 は 、 口 表 同 盟
﹁戦 後 、 移 住 し 肥、い る
ワ き に,† る ま .叩
、
﹂は 槙 重
に仔 動
を な し 遂 げ た
-今 後 は 日 本 を 中 心 と し 之
夫
出席
修委員
記者会見
渡辺
弥 永原
八十 人︼
通訳
司会
︻十 月 .
.
.
・
∵H (月 .
)
城 に な る﹂ と も .
世界 で最 も重 要 な 地
平 和 な ヨー ロ ッ
.
.
.
、
ハが
ア ジ ア.太 平 洋 地 域 、 再 統
こ の ほ か 、
す べ き だ ﹂ レ 一・
.
E .張 し た 。
な 変 化 が は
の rT隅杖 } レ"述 べ 、 一車 頓
舳 伊﹂⋮囲 L 二.﹂ 訪朕晶担"
岡
け な い) そ れ 二 そ が 平 和.
キ}
保 障 す る 唯 ⋮.
、
.
ソ 連 入 の 運 命 や 戦 賂 ﹂ の 利 虚日な ど 裡 雑 な
H ぺ・
外
,核 の抑 止 、 脅 威 と い
.核 抑 配 〃 ぱ 保 持 し な け れ ば
前 置 き し た上 で、
々.
.
.
ー ゲ ヴト を 設 け ﹂.
﹂
協 定 は フヨ ア.
事 情 が か ら み ヘリ,. 解 瓶低に は 妥 協 ・
ド一
訴⋮し
で な い L.双 与 の 国 益 に 某 つ く 、 づ
てれ そ れ
体 の 長、
嘲 戦 略 を 必 要 レ一
しな いと いう こと
反省と転換
-
の 軍 事 的 不 均 衡 が も た ら す はず の 緊 張 を
も 除 去 し て いる
・
ワ現 .
宝へ
.
か ら 、 日 本 も のが れ ら れ な い、 ど
の よ う な 役 割 を そ こ で 果 た す か だ ] レ﹂、
︻十 月 ..
卜 七 11 (
金)
司へ
.
﹁
ハ 浅井 拳範喬 員
吊
阻U
眺 池 田蟹⋮ 申円降川 山
ハ串1.
∴人 ︼
一方 、
中∼心 に 進 琉∵b れ て き た が 、 い 窯 や 口 本 自
なへ
月田 離既争 を 妨 げ る の 叫、は な い か 、
合 い が 必 要 だ ∵ 二。
五 人 の 質 問 に .つ ひ と っ て い ね い に 答
L 機 能 レ、
扇
せる、 と いう考 え方 だ.
我 々は 日本 市場 の
持 つ莫 体 的 な 障壁 を 取 リ 除 こう と努
え た 博 士 の世 腎 発 展 の概 念 は 、 い わゆ る
ま た 、浅 珪 墓 文 東 た 教 授 の 近 著
と い う 質 問 には
力 し て き た が、 外 国 製 半 導 体 が 参 入
収 れ ん論 だ とハ
.
ロツ . ソ 連 で の ペ レ ス ト ロ
交
の 戦 略 の存 在 が 、 同 盟 関 係 を よ り 堅 囲 に
す る の は依 然 と し て難 し い。 日本 企
イ カ ぜuそ の た め の ゾ p セ ス .
-人 類 は グ
業 は 文 化 的 に日本 製 品 を 好 む 。 こ の
安保 清算論 "も意識 し てだろう か、
"日 米
ローバ ルた .
汽レ ス ト ロ イ カ の 時 期 を 迎 え
星 (岩 波 新 勲じ で の
点 は 協 議 を し ても 解 決 す る こ 3
.一
は難
て お り 、 今 必 要 な の は 両 体 制 の収 れ ん で
出艦
記 者 会 見 . 可会
突吉典子
﹁口
(シ ェ ア の 向 E )
し い だ ろ う 。結 果
米 の 軍 事 同 明肌は 対 ソ だ け で な く 、 日 中 問
が す な わ ち ア ク セ ス の 改 整"だ ﹂と 。
自 由 競 争 の原則 論 を 唱 え た ヒ ル.
ス
代 表 (10 / 13 )と 対 照 的 と も 言 え る 、
通訳
︻・
r月 ⋮.
十 五 日 ︹水 )
米 産 業 人 の 正 直 な 声 L だ っ た 。
藤 原作 弥 委員
四十 六人 ︼
(ヱD
1989年11月10自
(12)
第237号
号
第23了
1989年11月10日
会 員 の 著 書 (ご恵贈 いただ ぎ ました)
M
飲沼 和 正
知 的 冒H
険 を求 め て
対談
辻
近藤智雄
虞吾
北 京 激 動 - 中 国 の民 ・
旺
ト ヨタ 50 年 の戦 い
か く て 披 ら は勝 った
〃
松山幸雄
東海 忍
ア閑[ユ ニー ヶ 人脈
国際 対 話 の時 代
今
藤 井 チズ子
静行
実 感 か ら つ か む 11傘 経 済
す てき な お かあレ
、 ん学
書
大 蔵雄之助
贈
票 の 反 対
寄
四国放送
11 本 放 送 協 会
日本新 聞協会
第 29 回 新 聞 広 告 論 文 ・感 想 文 入 選 作 晶 集
な つか しき 徳 島
NHK年 鑑 籾
画文集
一
.シ セガ ー
蟹轡灘ド蜘 講 鎚 鰭輪
﹁ウ 、
﹁ー ン畦 紀 末 ﹂
﹁岡 村 崔 写 真 般 ﹂、N H K ナ
ルの シ 函
、ガ ー ル 展 ﹂コ昭 和 の マ ン ガ 展 ﹂、読
○選 展
売新 聞 社 か ら
ー ビ ス セ ン ゥヤ ーか ら 一藤 / 木 レロ墳 レ︾て の
︹個 人 D ) か ら
ベ ニ ン王 国 美 術 展 ﹂ の
時代 展 一
、 .
半野光男会員
3ナ で 謹
ン ーワ ア
第 じ回 中 南 米 記 者 研 修 参
しあげ ま す 。
詔 待 券 を ご 恵 贈 いた だ き ま し た . お礼 印
門
窃 層議 閏翻 職
加者七名
(
10 月 22 日 ∼ U
影力 ほ
源丁
卍幽餓磁
月 18 日 睦 フ ォ ! リ ン ・プ レ ス セ ン タ i )
(13)
会議 報告
第 71 回 企 画 委 員 会
(ω ・5
た会 議 室 )
司 会 を し た 委 員 か ら の行 弊 報 告 の 後 、
平野委 員長 、浅井、伊藤 、 菅 答 、
十 月 以 降 の ク ラ ブ ゲ スト に つ い て協 謎 L
た.
出 席
明 年 ・ 刀 n
万 の ﹁新 春 随 想 ﹂ を 能 ⋮
本 日 目新
す る こ と を 決 定 . 一月 由
木日 の 納
柿め切 り で
年 度 の 口本 記 者 ク ラ ブ 賞 を 例 年 通 り実 施
一、 事 務 局 長 人 拝
(編 集 部 長 )
健 康 上 の 理 山 で辞 意
(1ーー ) 村 上 孝 止
新 聞 協 会 (粘 )権 出 萬 治
同 嘗ハ
推 蔽曜委 邑︹の{
父代 ・
τ承 刃幽し た 。
聞 社 の 岩 下 雄 二 氏 (名 誉 会 員 ) に 依 頼 す
大会 議室 ︺
池 浦 、 出 田 、 ヘノ城 、
候 補 者 を 募 る こと に L た , ま た 、 左 記 の
深 川 委員長
ること に した 、
出席
(m ・19
林 の各委員 .
第 62 回 理 事 会
﹁、 二 十 周 加-記 隼心昼 侮八
ヘムの 中 止
受 け 、 今 年 末 で の退 任 を 了 承 し た .
・見 学 会
リ ニ ア (M L ロ ﹁
り.
り . ) の 試 乗 一
、
㌔す り
部 長 か ら概 要説 明 、 そ し て 、 い よ いよ
江藤監事。
老 沢 、 椿 、 深 川 、 深 谷 の各 理 夢 、
山 、 太 川、 米 、 坂 野 L 、 多 賀 、 海
水E 理雰長、犬 養 副 理 事 長 . 松
を 長 明 し て い た下 田事 務 口
句長 の中 し川 を
広 瀬 、 江 口、 藤 源 、 久 木 、 藤 川 、
ム ズ ・ レ ス ト ン 氏 を 招 い て の 昼 食 会 巾-止
漣ン .ー
丸 尾、 川内 、酒井、握 野、 鈴 木、
出席
す る ことを決 定 した .
ニ ア 試 乗
、 一九 瓦 ㍉
) 年 降風目 仁 氾 隊 〃 ラ ブ 臨
鼓
ー リ
珂
局 から報告 、 記念昼食会を やむ なく断 汽
,
心
に至 る 経 緯 と そ の後 の対 応 に つ い て鹿 務
第 2会 議室 )
渡 辺 、 マ "一
ンの な﹃弥冷貝
第 06 回 会 報 委 員 会 (-o ・n
一.
卜 周 年 紀 念 号 の発 行 を 決 め た . ま た
宮 崎
ー ト ベ ル ト付 き の座 席 な ど 虫 る で雇 行
流 線 形 の ボ テ r ー 、 ハ 、 チ w、
ーア.
、 シ
﹂ R 総 へ目技 術 研 究 所 の 宮 崎 実 験 セ ン 々
機 の よ一
'
-. 秒 、画み 一
.
㌧ス ヶ i ト す る と 、
キ ロを 超 え、 レ 人秒 後 に一
、
♂卜. (地 レ.
約
市臼
内 の 凄 h
度掲 示m
恢ぽ み る み る ・
つち に 百
-- (宮 碕 県 日 ・
同市 ) で の リ ニ ア モ ー 9ー
ウ ー (磁 気 浮 L 式 鉄 道 ) 試 乗 ・見 学 会
が、十 月 十 六口
+ セ ン チ )、 な お 加 速 し て ロ.
卜秒後 に
(月 ) 、 一.卜 圧 人 が 参 棚
し て行 わ れ ま し た
昨 速 一.氏 ∩,
・
キ ・を 経 験 、 と 思 う 間 も な
く 十 秒 で 駿 凍⋮
開 始 。 片q
道 約 じ キ ロ、 ㎝
凸
呂崎 兜n港 か ら ,
ハ尺 で 納⋮ ﹁ 時 間 半 。 途
中 、 展 望 台 か ら走 行 の模 檬 を 駐 た 後 、 実
・
5
2﹁
十 六 秒 の "未 濫 体 験 " で ﹂ た 、
来 年 は 山 梨 に複 線 と 急 こ う 配 を 持 つ
験 セ ン 9 ー へ、 ザ
ての ⋮
圓、 △以目
貝 の 動⋮
心 占
怯質
問 が と び か い . 日 会 ・村 野 賢 哉 企 画 委
.句 、
約 四 十 キ ロ の新 実 験 線 が 着 工 さ れ ま す 。
参 加 し た佐 か
、木 凛 ﹁会 員 が
⋮
亡野 を 突 コき り・
リ ニア 速 き か な
凛
員 、 ゲ ス ト ・宮 田 尚 彦 浮 上 式 鉄 道 開 発 推
進 本 部 副 本 部 長 の車 中 即 席 記 者 会 見 と な
りま した、
、
実 験 セ ン タ ー 到 着 後 、 改 め て 宮 田副 本
第 2会 議 室 ﹀
ーガ ⋮日 付 の 会 員 人 退 会 を 審 謎 し 、
(10 ・25
第 46 回 会 員 資 格 委 員 会
卜
松山委員長 .斉 藤 、播谷,牧 田、
理 事 会 に答 申 し た .
出 席
第 2 会 議室 )
金 子 、 曽 我 、 青 木 、浅 野 の各 委 員 。
第 64 回 施 設 運 営 委 員 会
(m ・27
中
帯務 局 か ら、 '
山・
.一
十 周 往-記⋮
年心,
かー テ ィ
ー の 推丁
備⋮
状 況 、 凸 ・
ア ラ ス カ の新 サ ービ ス
態 勢 、 ③ 新 し い コー ヒ ー マ シ ンの導 入 な
近 藤 委 員 .長 。 中 空 、 西 村 、 和 田 、
ど に つ い 一、報 翫口し た 、
.
出 席
小 松 原 、宮 地 、樋 " 、ヒ 田 の 各 委 員 。
一月 二 十 五 日 に 二 十 周 年 記 念 大 会
○.
囲 碁 の会 ●
十
室 内謡庵戯 に は も ﹁
、た い な い秋 晴 れ の ト・
月 一.十 一日 、 例 会 に 集 ま っ た の は .﹁十 ﹁
優 秀な成績を あげ た の は 占沢正也 じ
入、 総対局数 は四 レ .
一
.
局 で し た。
段 、 江 口浩 瓦 段 、 川 田 健 古 .
.
疫 、規 定 に
﹂ラ ン ク ず つ 昇 段 級
よ り、 江 口 圧 段 、 村 上 四 段 、 川 田 、
・
.
段 、
戸 旧 2級 が そ れ ぞ れ
と な り ま し た 。 な お 、 石 崎 六 段 は先 月 か
ら最 高 位 の七 段 に 昇 段 し ま し た 。
さ 一、次 回 は 、 日 太下一記 瀞
百ク ラブ 州
川立 .一十
周 年 を 機 に 記念 の 優 勝 杯 争 奪 大 会 を 催 し
(土 ) 午 前 十 ﹁時
か ら 、 多 数 のご 参 加 を !
ま す 。 十 ﹁月 二 十 五 ]
(11)
号
第23了
1989年11月10日
第237号
1989年11月10日
筋 誹 き の な いド ラ マと は よ く ぞ い った も
の であ る 。
一咄吋は ペ ナ ソ ト か 歳り旧釦放 敦L層
れ 占にか に 日抽鼻ん
た 近 鉄 が 西 武 に 連 勝 、 ダ イ エ ー を 一蹴 し 、
木 拠 地 藤瀞
井亀すで 仰 木 監 督 の 体 が . 度 三度 歓
喜 の 胴 上 げ に 舞 った 。
と ころが ツ
て の わ ず か 十 五 日 後 、 目 本 一〃一
決 め る 対 巨 人 戦 て は ボ ン ポ ン ポ ソ レ﹂.運 勝
し な が ら 、ま さ か の 四 連 敗 。皮 肉 に も 同 じ 藤
井 寺 で藤 川 監 齊 の胴 上 ぼ を こ ん ど は指 を 食
わ えて見 物 せねばな ら ぬと は, 近鉄 にと っ
て は一
大 旧門と 地 獄 、 冨
宋瀞
九か 巾
り鶴㌍燦 へ の ド ン 詞
ア
ソ返 し 。 毎 年 の こと と は い い な が ら 負 け た
方 に と っ て 、二 れ ほ ど ザ ソ コ ク 物協⋮も な い 。
さ て 藤 井 鉦 と いえ ば 大 阪 虚 の東 南 椰 、 河
内 の ド 真 ん 中 にあ る. 今 東 光 さ ん の小 説 さ
な が ら の人 情 風 俗 、 近 鉄 フ 咋
ノソ ば熱 狂 的 と
いう の が 通 り 相 場 だ、 シ ワ ! ズ 四 連 敗 に さ
ぞ か し フ ァ ン は荒 れ る ・
こ田心っ た か 、 ワ
てれ が
意 外 に サバ サバ し て い た .
、
﹁こ ん レ﹂こ そ 勝 ち よ る と 思 う た ら コ μ リ
や り 強 い の か 弱 い のか サ ソパ リ わ か ら ん ,
.
これ が バ ッ フ ﹁
、 ロ ー ズ の オ モ ロイ と こ や ろ
しょ
コ優 牒粉 セ ー ル と 、 応 援 感 謝⋮セ ー ル。 ウ チ
は 百 貨 店 の 大 安 売 り 、一回 が よ か った ワ。 つ
い で に 消 費 税 も 負 け て く れ へん や ろ か﹂
照海 ﹀
﹁ア ホ 、 そ れ は 海 部 ハ ン に い 之 [
(永 旧
q5)
穣 G:1、三.禦.1∵llili謬
…:枡駒'";.1矧:)
田
芦
写真
近 鉄 の"天 国 と地 獄"
一九 九 〇 年 度
﹁日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 ﹂ の
候 補 者 を推薦 願 いま す
◇ 取 材 、 報 道 、 評 論 活 動 な ど を 通 じ て、 ジ ャ ー ナ リ
ス ト と し て顕 著 な 業 緒蝸
を あ げ 、 ジ ヒー ナ リ ズ ム の
信 用 と 権 威 を 高 め た 個 人 を 、 一月 三十 μ ま で に
候 補 と し てご 推 薦 く だ さ い。
そ の存 在 お よ び 業 績 が ジ ャ ー ナ リズ ム の活 性
績 が 顕 著 " であ る こ と が 重 視 さ れ る。
ス ヶ ープ 賞 で は な く 、 特 に 〃最 近 数 年 間 の業
活 動 し て いる と い う 意 味 で の "風 雪 賞 " で も な
賞 " でも な く 、 口 の 当 た ら な い困難 な と こ ろ で
活 動 が 長期 に わ た る と い う 意 味 で の "敬 老
う こ と で、 故 人 は 対 象 と し な い )
る 、 (現役 と いう 意 味 は 現 に活 動 し て い る と い
◇ ﹁選 考 基 準
- は左 記 の 通 り で す 。
現 役 ジ ャー ナ リ ス ト個 人 に与 え られ る 賞 で あ
ω
ω
圖
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化 と成 熟 に イ ンパ ク ト を 与 え る よ う な 個 人 を 顕
彰 す る。
◇ △苔貝お よ びプ レ スムム員夙
社 に 属 す る〃 〃、が 候 補 有一
資
スイ ス製 新 鋭 機 に 更 新
ひ き た て の コー ヒ ー を ど う ぞ
プ レ ス セ ンタ ー 移 転 当 初 か ら働 い てく れ て い た ラ ウ
ン ジ の "老 兵 " が 去 り 、 ス イ ス製 の 新 鋭 機 が 十 一月 一
目 か ら 登 場 し て い ま す 。 こ の機 ・
械 は 、 注 文 の都 度 豆 を
ひ い て 、 ア メ リ カ ン 、 レ ギ ュラ ー 、 エ ス プ レ ゾ ソ の 三
種 類 を 自 動 的 に つく り ま す 。 ア メ リ カ ン と か レギ .
[ラ
ー と か は っき り お っし ゃ っ て 、 ご 注 文 願 い ま す 。
﹁豊 か な 香 り を 逃 が さ な い 泡 立 ら 、 ソ フ ト な 口 当、た
り 、 深 く マイ ルド な 味 の コー ヒ ー を ﹂ が メ ー カ ー の C
﹁喫 茶 券 ﹂ を ご 利 用 願 い ま す ー
、 一冊 二 十 枚 つづ り で
な お 、 コー ヒー な ど を オ ーザ ー す る 場 合 は でき る だ
M で す が 、 味 は い かが で し ょう か .
け
二 千 四 百 円 。 コー ヒ ー 、 紅 茶 、 コ ー ラ 、 オ レ ン ジ ジ ュ
一新
ー ス、 ジ ン ジ 画
、ー エ ー ル に 共 通 し て お 使 い い た だ け ま
す 。 ラ ウ ンジ の レジ で 販 売 し て い ま す 、
二 十 周 年 で 、 ゲ ラ ス も 陶 器 類 も
レ ス ト ラ ン ・アラ スカ は 、 ク ラ ブ 創 立 二 十 川 年 の 十
一月 一日 を 機 に 、 九 階 レ ス ト ラ ン の グ ラ ス 、 陶 器 類 を
し 、 四 百 字づ め 原 稿 用 紙 五 枚 以内 に推 薦 理 由 を ま
◇ 推 薦 者 は 、所 定 用 紙 に 候 補 の氏 名 、 略 歴 等 を 記 人
器 類 は 、 大 理 石 の模 様 を イ メ ージ し た デ ザ イ ン の も の
グ ラ ス の も の に 、 ま た コ ー ヒ ー カ ッ.
7、 お 皿 な ど の 陶
氷 人 れ 、 水 差 し を は じ め各 種 のグ ラ ス類 は 、 カ ット
一新 し 皮 し た 。
と め、 必 要 な 参考 資 料 を 添 え て事 務 局 へ提 川 願 い
格 者 で す、
ま す。
﹁こ れ か ら も 、 よ り .層 サ ー ビ ス を
充 実 さ せ て いく h と し て い ま す 。
ア ラ スカ で は、
に、 す べ て変 わ り ま し た 。
◇ 詳 細 に つき ま し て は、 事 務 局 (五〇 三 ) 二 七 二 二
へお 問 い合 わ せ く だ さ い。
レ スト ラ ン ・ア ラ ス カ の異 動
これ ま で 9 階 の フ ロ ァ
の責 任 者 だ った宮 武 厚 次 さ ん が 、 十 月 十 六 口 付 で 、 有
楽 町支 店 の支 配 人 と な り 、 後 任 は、 有 楽 町支 店 の 室 任
楠 田 久 泰 へ石貝 (関 西[テ レビ 放 送 ) が 十 月 十 山
ハ日
だ 7た 高 浜 浩 一さ ん (二 十 七 歳 ) が 就 任 し ま し た 。
卦報
心不全 のた め、高.
P照 夫 会 員 (日経 映像 ) が 同 二 十 四
巨 心 不 全 の た め 、 福 石 忍 会 員 (南 目本 新 聞 ) が 同 二 十
基木会員
六四五人
六 ロ 肝 不 全 のた め逝 去 さ れ ま し た 。 謹 ん で ご 冥 福 を お
祈 り いた します 、
法 人会員
一四 五 社
会員 現況
[
七三
ハン
ソ
二、 五 一 一人
名誉 会 員
法 人 ・個 人 賛 助 会 員
ヒO人
一= 八社
一 月 の 行 事 (7日現在 )
計
特別賛助 会 貝
一、 五 四 二 人
.一四 〇 人
個 人会 員
社
四人
十
ヤ コブ レ 7
7 オルガ ー チ
連最高会 議議 員団 団 長記看会見
15 日 (水 ) 午 後 3時 ∼ 4 時 30分
ガ リ ー大 使 昼 食 会
22 日 (水 ) 正午 ∼午 後 2 時
研究 会 ﹁
.
政 治改
今城力夫
林
利隆
五 〇 三- .
二七 六 四 ]
革 ﹂ (4) 山 口 敏 夫 衆 議 院 議 員
27 日 (月 )午 後 2時 ∼ 3 時 30分
[行 事 案 内 電 話
誠
裕
河野 (
事 務 局 五〇 三ー 二 七 二二)
出田
会 報委 員 長 日深 川
委 員 ロ池浦 正彦
連 絡 n長谷 川
(工6)
号
第23了
1989年11月10日
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