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論争と手数料や会計士

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論争と手数料や会計士
羅濟 論 叢
第 九 →・瑳… 筋 圧 號
杉
組 織 の 統 合 理 論 ←う・
・… … … … … ・….田
競/
近 代 海 運 業 分 析 の 方 法 と 課 題 ・… … ・
… ・山
田
浩
之21
木 炭 の 生 産
・
・
野
木
稔
郎43
一梅
津
和
郎66
・流 通 機 構 と 農 協 ←う…
日本 資 本 主 義 確 立 期 に
お け る償 金 取 寄 論 争 … … … … …
昭 和三 十 七年 十 一 月
察 那 大學 繧 濟學 會
巨木資 本 主義確 立期 に 就げ る借 金取 寄論 争
日本 資本 主義 の確立 と独占 への移
二四〇 ページ) およ び同年 の
第 九〇 巻
三六六
梅
岩波 文 庫版
A 償金取寄方法
津
第 五号
六六
﹂ (野 呂栄 太郎
日本資 本
これ は資 本 主義 国 とし て世 界市 場
九三 ペ ージ) を想起 す る 。 たし かに 、
一一 償 金 取 寄方 法 を めぐ る論争
く みと る こと にし よう 。
わ れわ れ は、以 下 に述 べ る論争 を通 じて 、そ の意 義 を充分 に
は なか った 。
れ ども 賠 償金 取寄 せ の意義 は、金 本 位制 の実 施 に つき るも ので
条 件 のも と では賠 償 金獲得 をま っては じめ て可能 で あ ,た。 け
産 業資 本確 立 の上 部構 造的 指 標 た る金本位 制 の実 施 は 、当 時 の
主義 発達 史
に乗出 す べき旅 行 免状 であ ったi
於 け る金貨 本 位制 の施 行
われ われ は 一般 に、賠償 金獲 得 と関連 し て、 ﹁明治 三十 年 に
義 を にな ったの であ る。
展 の基 礎 を確 立し た産 業資 本 の資 金需 要 に応 じう べき 重要 な 意
5 強力 によ って獲 得 され た貨幣 資 本 の利 用 にか かわ り、 そ の発
郎
日 本資 本 主 義 確 立期 に おけ る償 金 取 寄 論 争
問 題 の所 在
序章
近代
日清戦 争は産 業 資本 のた めの国 内市 場 を確 立し 、 同時 に清 国
第 二巻
市 場 を開拓 す る と いう 二 つの役割 を はた した (松 井 精綿
日本貿 易 史
行参 照)。 戦争 の結果 えら れ た賠 償金 は、資 本蓄 積 の低位 に悩
んだ 日本 資本 主義 にと ってま さし く早 天 の慈 雨 であ った。 償 金
額 一.
億 三、○ ○○ 万両 (一般 会計 の歳 入 に編 入 さ れる べき 威海
衛 守備 費 償却 金 一五〇 万両 を除く )、 邦貨 換 算額 三徳 六、 五 二
五万 円 は、 日清戦 争終 結 の翌年 であ る 一八 九六年 (
明治 二九年)
日本経 済 統計 集
の国民 所 得推 計 額 一二億 一、 二〇 〇 万円 (大川推 計 による 、日
本統 計 研究 所
二 二〇 ペ ージ) と比 較 し てみ るとき 、発 展 の途 に つい
歳 入規 模 一億 八 、七〇 〇 万円 (経常 部、臨 時 部 合計 、 日本 経済
統計集
こ の賠償 金 の取寄 せ 、し たが ってそ の運 用方 法 は、戦 争 と.
い
た円 本 資本 主義 に およぼ し た影響 をは かり知 る こ とが でき よ5 。
和
蔵 大 臣が償 金 特別 会計 法制 定 の前 年 に閣議 に提出 し た案 に よれ
政 府 と日本 銀 行 と のあ いだ に預 ケ合勘 定が 開 設さ れた 。渡 辺大
成 スル コト ヲ得﹂ (前掲潜 二二 六 ペー ジ) の規 定 にし たが って 、
府 は、償 金 三儀 六 、.五 二五万 円 を領収 した の であ った 、そ の領
一八九 五年 度 (明治 二 八年度 ) より四年 度 にわた って明 治 政
収 に つ いて、政府 は価
第 一に、 ﹁
其 領収 シタ ル償ハ
金 ト離州
モ予 メ柿
共
ハ国庫 中 巨 額 の賠 償 金 ヲ有 シナカ ラ更 二巨額 ノ公 債募 集
ば 、預 ケ金 勘 定 設置 は つぎ のよ う に説明 され て い る。
コ
費途 ヲ定 メ其必要 二応 シ テ漸 次支 出 ス ヘキ者 ナ レ ハ到底 一会 計
籍
又 ハ借 入金 ヲ為 ス ノ不便 ヲ避 ケ ーハ日清 事件 軍 費補 償 ト シテ清
明治 財政 史
地 金等 ヲ以 テ本邦 二輸 入 スル ニ就 テ モ欧米 ノ金融市 場 ノ景 況 ヲ
掲書
二二 五 ページ) と した 。最後 に、 ﹁此 等 ノ為換 其他 金銀
ハ有 価 証券 一
一交換 シテ 一時 保 有 スル便 ヲ開 クノ必要 アリ﹂ (前
いし て [年 一分、 政府 の借 入 金 にた いし て ぱ 一年 二分 と定 めら
実 施し て いる 、 こ の預 ケ合 の利 子 は 、政府 から の預 け 入れ にた
ヶ合勘定 は、 一八 九 六年 五 月 に第 一回 の預 ケ合 五 、○ 00 円 を
政 府官 僚 に よ って以 上 のよう に そ の設置 目的 を説 明 され た預
二二 五ペ ージ) とし 、第 二 に、 ﹁
之 ヲ本邦 二取寄 セ使 用
二巻
ケ 一挙 両得 ノ儀 ト 存候 ﹂ (前掲 書
国 ヨリ払 人 傑賠 償 金 ヲ以テ 直 二.陸海 軍備 拡張 二充 ツ ル ノ嫌 ヲ避
年 度 二結 丁 スル ヲ得 ス﹂ (明 治財政 史 編纂 会
セ ソト スル 二 八世 界金 融市 場 ノ景 況 ヲ参酌 シ為 換 ヲ以 テ スルノ
視 察 シ到 底急 速 二回送 ズ ルヲ得 サ ル ニ拘 バラ ス 一方 二 八該 償 金
ところ で、 こ の賠償 金 は ロンド ンに おかれ 、し たが.
ワて預 ケ
れ 、結 局国 庫年 一分 の利子 を負 担 す る こと にな った の であ る。
五六九 ページ )
.
外 金銀 地 金等 フ以 テ セ サル ヘカ ラ ス故 二該 英貨 ハ之 ヲ地金 若 ク
ヲ以 テ支 払 ヲ為 ス ヘキ費途 二向 ツ テ急 二支 出 スル ノ必 要 ヲ生 ス
﹁
在 外 正貨 は如 何 な る事 情 の下 に、何時 頃 から 出来 た か と申
合 勘定 は実 際 に は μソド ンと東 京 間 で おこ なわれ た 。
ル ハ免 レサル所 ナ リ如 此 場合 二当 リテ ハ国 庫 ノ問一二 時融 通 ノ
途 ヲ求 メサル ヘカ ラ サル ニヨリ政 府 ヨリ ノ償 金 ハ金 地金若 ク ハ
しま す と、 日清戦 争 の時 に 日本 は支那 から 三徳 六モ 万円 の償 金
英貨 ヲ 日本銀 行 へ預 ケ入 日本 銀行 ハ之 ヲ準備 二兌 換券 ヲ発行 シ
を取 っカ のであり ま し て、 それ は倫 敦 で受 取 った のであ り ます 。
それ の大 部分 を 日本 に持 って来 て 、貨 幣制 度 を変 え て金貨 本 位
之 ヲ政府 二貸伺 シ此 借入 金 ヲ以 テ右 ノ必 要 二応 スル﹂ ︹前 掲書
に した の.であ り ます 。然 る に英吉 利 で は最初 から 条 件が ついて
二一.五 ページ )利点 を述 べた 。
以 上 の理 由 によ って政.
府 は 、償 金特別 会計 法 (一八九六 年 三
居 り ま して 、余 り急 激 に此 の賃 金 を日本 に持 って行 かれ て は困
六七
月 四 日 公布 ) を制定 し た のであ った。 こ の償金 特 別会計 法 第 三
第五号
る 。倫敦 の市 場 の妨 げ にな るから いう注 意 があ りま し た為 め に、
三 六七
条 ﹁
国 庫内 現 金融 通 ノ為 国 庫 ヨリ ハ償 金 ノ金地 金 ヲ以 テ日 本銀
第 九〇巻
行 ヨリ ハ之 二相当 スル兌 換 銀行 券 ヲ以 テ相 互間 一
一貸借 勘定 ヲ組
日本 資本 主義 確 立期 に おけ る償 金取寄 論 争
第 九〇 巻
一
二六 八
日本 資本 主義 確 立期 に おけ る償金 取 寄論 争
第五 号
ハ八
府 が 日本 で受取 る 。す る と 、日本 はどう な る かと云 う と、其 の
千 万円 だ け渡 し、 そう し て其 の五千 万円 に相 当す る 兌換券 を 政
案 出 した方 法 が在 外 正貨 であ りま す 、倫敦 に於 て日 本銀行 に五
れ を使 用 し なけれ ば なら ぬ こと に事 情 が迫 った為 め に、 そ こで
金 若 く は為 替 貸勘 定 と なるも のなり 。 日本銀 行 は之 に対 し て為
論 な り。夫 れ英聞 銀行 の預 金は 日本 銀行.
の帳 簿 に於 て は必ず 預
以 て正貨準 備 とな し兌 換券 を発行 す るも 差支 な し と.是 無法 の
既 に英 蘭銀 行 を以 て代 理店 となさ ば 、其庫.
中 に存 在 せ る現金 を
う べからざ るなり 邑 然 るに政 府委 員 は弁明 し て 曰く 、日本 銀行
を 以 て、決 して現 金 と見 る を得ず 。足 れ明 々白 々 の理 にし て争
﹁然れ ども 外国 に於 け る 正貨 は則 ち数月 後 に領 収す べき な る
さ ら に これ を敷衍 して 言5 。
五 千万 円 、即 ち五 百万 礁 を英 蘭銀 行 に預け て おき 、 それ を丁 度
に、 三億 六千 万円 の 一部 は政 府自 らが 内地 に於 て使 いた い、 之
左 程急 激 に内 地 に持 って 来 る こと は出 来 な か った のです。 然 る
日 本銀 行 の内 地 の庫 の中 に在 るが 如く して 、それ に対 して兌 換
そ の論 理 にお いて 余り にも 忠実 な出 典 学派 の継 承者 であり 、万
と った こ と、 そし て在外 正 貨 の演ず る役割 を みた の であ った。
すで にわ れ われ は、 円本 の金 本位 制 が金為 替 本位 制 の形 態 を
得 んや﹂ (前 掲書 、同 ページ)。
是 れ 則 ち保 証準備 なり 。焉 ぞ之 を以 て 正貨準 備 と 見做 す こと を
券 を発 行 し た のであ りま す 、それ が 即 ち正確 にいう 在外 正貨 で 、 替 手 形若 く は小切 手 を振 出 す にあら ざれ ば之 を 領収 す るを得 ず 。
あ り ます 。
﹂ (井上 準 之助 論叢 第 一巻 三 四五一 三四六 ペ ージ)。
以上 の引用 に よ っても 明ら か な よう に、国 際収 支 差額 の決 済
が国 の金 本位 制度 は、金 為替 本位 制度 の形 態 をとら ざ るを えな
は、英 聞 銀行 に預 け 入れ られ た ボ ンド によ ってお こな われ 、わ
か った。 し かもそ れ は 、イ ギ リ スの圧力 に よ って いた 。 こ の点
さ れ つ つ領 収 され ただ け で はな か った。明 治政 府 は 、償金 取寄
し かしな が ら、 賠償 金 は かか る日本 資本 主義 の後進 性 に規定
ら ざ るを えな か った目 木資 本主 義 の後 進性 を 理解 でき な か った。
民 主義 の立 場 を踏 襲し た田 口卯 吉 は、 金為 替本 位制 の形態 を と
論争 の内容
に、.
日本 資 本主義 の後 進 性 が反映 され て いた と言 え よう。
B
田口卯 吉 は、償 金特別 会 計法 と それ が規 定 する預 ケ合勘定 に
せを積 極的 に利用 し 、帝国 主義 的侵 略 を 可能 にす る 条件 を整備
た いし て つぎ のよ うな批 判 を はな って いる。
して い った。 われ われ は 、 この側 面 を以 下 の論争 を 通 じて明 ら
さ て田 口卯古 は、預 ケ合 勘定 に つい て つぎ の 三点 か ら批判 を
か にした い。
かれ は、 ﹁償金 特 別会 計法 に存 する根 本 の誤 謬 は、 英国 に存
三 一〇 ペ ージ、
一八九 六年 二刀 ﹁五日発 行 ) と断 定 し 、
鼎 軒 田 口卯 害全 集第 七 巻
す る正貨 を 以 て日本 に現 存 せ る正貨 と同視 す るにあ り ﹂ (
償金
特別 会計 法 に関 し て
東 京 経済 雑 誌 八 = .
号
加える。
第 一は、預 ケ合 勘定 によ って事 実上 流 通紙幣 が 膨 脹 を来 す 点.
たらす 点 であ る 。 かれ の論 理を明 ら か にす るた め に、長 文 を い
て は日 本銀 行 は 五分 の租 税 を払 いて以 て 六分 の利子 を政 府 より
﹁
敷 き に制 限 外発行 を為 ﹂て以 て政 府 に貸 与 した る場 合 に於
と わず 引用 する ことに し ょ5。
於 て制 限外 発 行 たり しも のなり 。制 限外 発行 た り し兌換券 を移
政府 よ り 二分を 払 い日本 銀 行 より 一分 を払 えり 。故 に其差 額 は
要 求 し たつ 。而 し て之 を償 金特 別会 計法 の預合 と なす に至 りて 、
であ る 。す なわ ち、 ﹁預 合 に属 す る五千 万円 の兌 換券 は事 実 に
し て正貨 準備 の発 行 と なす は、 単 に名称 を変.
更 し たる に止 まる
前後 共 に 一分.
にし て、制 限 外発行 も 償 金特 別会 計法 も 差異 あ る
ことな り。従 米単 に政 府 の借 用 証文 のみ に対し て貸 付け た るも
のを変 じて 、倫 敦正貨 抵 当 にて 貸上 げ た るも の となし た るなり 。
ことな し。
徴 して 日本 銀行 を して 民間 に融 通 せし む る に及 び し は、之 を制
償 金を 取寄 せ 、之 を以 て寄 託金 となし 、其 手裕 は 二分 の利 子 を
然 る に政 府 は五 千万 円 の預合 を以 て不動 のも のとな し、 他 の,
名 は預 合な り 内然れ ども事 実は 倫 敦正貨 抵当 貸 上金 な り。 故 に
既 に五 千万 円 の制 限外 発行 をな し て動 かさ ざ る に於て は 、則 ち
限 外発 行 に比す るに非常 の損失 あ り。 今試 み に之 を計 較 せ ん。
兌換 券 の流 通高 は依 然 五千 万円 の制限外 発 行 を存 す るも のな り。
流 通紙 幣五 千 万円 を膨 脹 した る こ とにて 、物価 騰 貴し 、輸 出減
年 六分 にて 三、O QO 、00 0円
年 五分 に て 二、五〇 〇 、O OO 円
五〇 〇 、○ ○○ 円
年 二分 一、○ ○○ 、0 00 円
償金 特別 会計 法預 合 の場 合
五十万 円 の制 限外 発行 税 を全有 す る を得 べし 。
若 し国庫 余 金 五千万 円 を以 て 借入 金を 返済 せぱ 、国 庫 は 二百
差 引国 庫 損
制 限外 発行 五千 万 門 の税
政 府借 入 金五千 万 円 の利 子
制 限 外発 行 の場合
少 し 、輸 入増 加し 、正 貨 を輸出 し 、正 貨準 備 を減 じ 、兌換 券 を
収 縮 し て、以 て其 過発 の害 を医 す るは社 会自然 の治療 法 なり ﹂
(前 掲 論文、 前掲 雪 三 一四ペ ージ)、 と。
第 二 は、銀 行券 の過 度 の増 発 が低金 利政 策 の 必.要 と背離 す る
点 であ る。 ﹁余 は戦後 の日本 に於 ては諸 専業 の 勃興 し 、鉄道 電
話水 道 築港等 の如 き 巨大 な る事 業 の差支 なく 成 就 せん こ とを望
むも のなり。 故 に金 利 の低落 せん こと を望む 。 然る に兌 換券 の
過発 あ りて物 価騰 貴 す る に於 ては 、決 して 金融 の緩 和 を望 むを
五千 万 円 の預 合 に付政 府 の払
第 五号
五〇 Q、 0.○ ○円
三 六九
六九
年 一分五〇 〇 、Q OO 円
同上 に付 き 日本銀 行 の払
第 九〇 巻
差引 国 庫損
得ず ﹂ (
前 掲 論文、 前 掲書 、 三 = ハページ・
)、 と かれ は非難 し
最 後 は、 預 ケ合勘 定 方式 による 銀行 券発 行が 国庫 に損 失 をも
て いる。
日 本資本 主 義確 立期 に おけ る償 金阪寄 論争
目木資 本 主義 確 立期 にお ける 償金 取寄 論争
若 し国 庫余 金 五千 万円 を 一ケ年 二分 の利 子 にて臼 木銀行 を し
て使 用 せし む るとき は、 一ケ年 百万円 の利 子 を得 べ し と難 も 、
右 預 合差 損五 十万 円 とを 差引 く とき は余す 所 の利 僅 に五十 万 円
に過 ぎず 。
故 に国 庫余金 を 以 て借 入金 を返済 す る と、寄 託 金 として 利 子
前 掲書
第 九〇巻
三七〇
第五号
七〇
四 八四 ペ ージ) の言葉 によ っても 明ら かな よ5 に、政
府 は賠 償金 を も って公 債等 の借入金 を返済 す る。 かく し て、金
融 緩和 が生 じ 、低金 利 が産業 資本 の要 求 に こたえ う る のであ る。
田 口卯 吉 の償 金取 寄 方式 にた いし て、東 京日 々新 聞 に よる 一
ど 壱億円 以 上 の為替 が 一時 置買 え るも のにあ.
ら ず 到底 大部 分は
﹁田 口先 生 は償 金 は 不残為 替 に て日本 に回 送 せ よと 申さ るれ
論 者 は、 つぎ のよ5 な 批判 を くわ えて いる 。
あ る なり 。然 るに 我政府 は現時 右損 失 ある方 法 を執 れ るな り 、
を 徴収 す る との聞 に於 て 五千 万円 に付 き 一ケ年 二百万 円 の損 失
豊 に愚 なら ず や﹂ (前 掲 論文 、前掲 書 、 三 ⋮八ペー ジ)。
な らず 政 府 が どし どし為替 を 買付 れば 貿易 上 の為 替 は片 為替 と
D
な り商 人 は非 常 の迷惑 を蒙 る べし﹂ (償 金 取寄 せず 論 者は更 に
と保 険会 社 とは手 を拍 て喜 び馬鹿 を 見 るは日 本政 府 の み然 のみ
現 送 の外 無 之候 さす れば非 常 の失費 を要 し銀 買占 連 と 運送 問屋
以上 の引 用 から 田 口卯 吉 自身 の償 金 取.寄方 式 が明 ら かであ ろ
利 益し輸 出 貿易 を損 失す 、足 れ 止む を得 ざ る の利 益 な り。故 に
ペ ージ)。
迂 遠東 京 経 済雑誌 第 八〇 六号
う 。す な わち 、 ﹁償金 の取寄 は為替 相場 を変 動 し 、輸 入貿易 を
当 局 有司 が 償金 を移 入す るに当 りて は宛 も東 印度 政府 の如 く 、
し 、之 を東京 にて政府 に上納 す る には 、幾何 の手数 料 を要 す る
﹁政府 は単 に 一億 円 の僕金 を倫 敦た る正 金銀 行 の支店 に預托
この批判 にた いし て、 田口卯 吉 は つぎ のよ う に反駁 し て いる。
一八九 五年 ﹁二月 八日 ↓〇 三四
毎 週 若干 額 を定 め て手 形 を売 出 し (横浜 に て)若 く は手 形を 買
入 るる (倫敦 にて )を 至当 とす。 果 し て然る とき は為 替相 場 に
東 京経 済 雑
三 一九 ページ ) とし て、
急 遽 なる変 動 なし ﹂ (償 金特 別会 計法 及 償金 取寄
誌 一八九 六年 一二月 一二日号 、前 掲習
数 料 を要 求す べし、現 金 運 送 点ま で手数 料 を払 う決 心 ならば 、
や と問う べし 、然 ると きは 正金銀 行 は 必ず 現金 運 送点 ま で の手
一時 は愚 か、. 抄 時 と難 も 一億 円 の為 替 は出 来 るな り﹂ (償金
償 金 を取 寄 せる。
つぎに 、 ﹁日本人 民 は 八千 万円 を政 府 に貸 上げ て而 して [銭
取寄 せず 論者 は更 に迂 遠
︻○ 、
二四 .
ヘージ )
、 と。
の 償却 を受 けざ るも の凝 り。共 事情 を知 らず して妄 り に鉄 道等
前 掲誌 同号
を 計 画す と難も 、若 し夫 れ金 融 にし て 更 に少 く 逼迫 せば 、此 等
れ て い った。
こ の論 理 は、 前述 の.引 用 にみ られ る よう に、 一貫 し て つら ぬか
東 京 経済 雑 誌 ︻八 九六年 八 月 八口号
の計 画 は直 に姻敬 霧 消す べき のみ、 空想 者等 少 しく注 意 し て可
な り﹂ (
償 金 取寄 と金 融
、
いたと 言え よう 。す なわ ち 、 ロ ンド ン金融 市 場 で償金 を売 却 す
し か しな がら 、 田口卯吉 の主張 ば つぎ の二点 に おいて誤 っ.て
メカ ニズ ムの作用 を、む し ろかれ は東 京 [
口々の論 者 に したが っ.
替 相場 変 動 の メカ F
▽ズ ムを否定 しう るも の では なか った。 こ の
決 済 ば、 償金 の取 宵 せ によ る国内 物価 騰貴 一 輸 入増 加 およ び為
﹁田 口先 生は政 府 が 日本銀 行 よ り高 歩 にて借 入金 を為 す は無
判す る 。
続 いて東京 日 々の論者 は 、預 ケ合 勘定 に 関し て田 口卯 吉 を批
て肯定 す べきで は なか ∩た
.か。
る場 合 、為替 相場 の変 動 が避 けら れ な い点 であ る。 こ の点 は、
す でに 井上 準之 助 の指 摘 から 明ら かにさ れ た。第 二に 、輸 入貿
易額 が年 間 一億 七 、O O O万 円程 度 の段階 で邦貨 換 算 一億 円を
こえ る 巨額 のポ ンド為 替 を 一時 に 日本 に送金 し た場 合 、金 輸 入
益 なり と云 わるれ ど借 入 の大.
部分 は六分 に て日 本銀 行 は発行 税
点 を こ えて為 替 相場 (
受 取勘 定 ) の騰 貴 をも たら す ことは 必至
であ る 。し たが って、金 現 送 の方 が有 利 と なり 、 田口卯吉 の言
と して五 分 を納 め其 上 に兌換 券 の製 造費 発 行手数 料 ま で負 担 す
之 を以 て 六分借 入金 を返 済 し、其 の上 に制 限外 発行 よ り税金 を
田口卯 吉 は、 ﹁
若 し日 本政 府 に於 て倫 敦 無利息 預金 を取寄 せ
に迂 遠 前掲 誌国 号 一〇 三 五 ページ )
。
るが 故 に正 味 の入 は僅 なり と被 存候 ﹂ (償 金 取寄 せず 論者 は更
5 よう にか ならず しも 為 替 送金が 有 利 とは 言え な い。
それ では 、金 に よる取 寄方 式 の場 合 は どう であ ろう か。東 京
﹁田 口先 生 は賃金 は取 寄 て公債 を買えば 政 府 の利 益 と申 さる
日 々新聞 の論 者 は 、さら.
に批判 を続 け て言 う。
黙れ夫 こそ 大変 な り我 邦 現 在 の紙 幣 発行高 は既 に 二億円 に 近か
徴収 せげ 更 に国庫 に御利 益 ある な れば なり ﹂ (償金 取 寄 せず 論
﹁軍資 供 給 の必 要 に依 り政.府 畏 き にロ本銀 行 より 五 千万 円 を
い批 判 をむ け て いる。
こう した 田 口卯 吉 の主張 にた いして 、東 洋経 済新 報 記者 は鋭
べた箇 所 に照応 す る。
この考 えは 、さき に引用 し た預 ケ合 勘定 による 国庫 の損 失 を述
前 掲誌 同母 一〇 三 五 ページ )、 と答 え て いる。
ら んと す其 上 に 皿億 二千 万円 も金 銀 を海外 より取 寄 市場 に放 出
者 は更 に迂 遠
前 掲誌 同 母 ﹁〇三 五 ペー ジ)。
せぱ物 価 の激 変輸 入の超 過 日本 の経済 は暗 夜 と な るべ し﹂ (償
金 取寄 せず 論者 は更 に迂 遠
田口卯 吉 は、 ﹁此御 心 配 は全く 杷.
愛 なり 、共 は 一億 二千 万円
の金銀 が 海外 よ り 入らざ れば なり 、成 る程現 金 に て取寄 せ れば
為 替 貸 とな りて適 当 な る時期 を以 て這 入る ことも あ り 、叉輸 入
七
政府 に借入 れた れば こそ、 償金 の預入 れ と共 に此 に預 合 の勘定
品勘定 と.決済 す る ことも あ るなれ ば な り﹂ (償 金 取寄 せず 論者
第五号
を 生ず るに至 り たれ。 左れ ば仮 り に記 者 (東京 経済 雑誌 を指 す
前 掲誌 同号 一〇.二五,
ヘー ジ)、 と反 駁 し てい る。
三七 一
は更 に迂 遠
第 九〇 巻
し かし 、田 口卯 吉 の言5 為替 貸 やあ る い はまた輸 入品勘定 と の
日 本 資 本 主義 確立 期 に おけ る償 金取寄 論争
、
七二
充 に、 二億 一、 一八五万 余 円は 陸海 軍 軍備 拡張 費 に、 二、 OQ
第五号
O万 円 は皇室 費 に.
、そ して 残額 五 、O O O 万円 は軍艦 水 雷艇 補
三七 二
一 梅津 注 ) の⋮
=
阿に従 い 、預 合 を決 了 した り とせば 一億 六千 五 百
充災害 準 備 及教育 の三基金 に充 用 され た (明治 財政 史 第 二巻
第 九〇巻
万円 の兌換 券 は五千万 円 を減 じ て 一億 一千万 円 とな り、毫 も制
日本 資本 主義 確 立期 に おげ る償 金取寄 論 争.
限外兌 換券 を発行 す る の必要 な ぎ に至ら ん。何 となれ ば固 と此
六 四 ペ ージ )。
貸与 し たる 五 千万 円を 以て 人民 に貸 付け た るも のとせ る にあ り
二百 五十 万 円 を徴 収 す るを得 ん 。記者 の誤解 の根 抵 は 、政 府 に
掲 同誌 一三〇 五 ペ ージ) と主張 し た東 京日 々新 聞 の論 者 の立場
我邦 に移 す が得策 なら ん﹂ (
償 金 取寄 せず 論者 は更 に迂遠
と振 替 之な り何 れ にも最 も 利益 あ る形 を以 て時 期を 見 て漸次 に
っく り と構 え為替 なり現 送 なり 軍艦 商船 兵 器器 械鉄 執筆 の代 価
以 上 に よ って み るなら ば 、 ﹁償金 の取寄 は慌 てる ことなく ゆ
五千万 円は軍 費 と して政府 に貸付 げ た るも のにあ ら ざれば なり。
・
⋮・
・
。 記者 は 償金 を取寄 せて 一時 に此借 入金 五千 万 円 を返済 す
が 判明 す る。
巳 に制 限外 兌 換券 を 発行 す る必 要 なし、 政府 は何 を以 て五分 税
べし と云う 。 然れ ども 之れ を現 送 す6 にも せよ将 た為替 に依 る
るは事 実上 巳 に争 う べから ざ る にあらず や 。而 し て若 し現 送法
主 義侵 略 の跳躍 台 と して賠 償金 を 利用 した 。償 金預 合 勘定 は、
た る金 本位 制 を実 施す る と同時 に、軍 事力 増強 を実 現 し、 帝国
明治政 府 は 、賠 償金 をも って産 業資 本確 立 の上部 構 造的 指標
前
にも せよ、 一時 に此 大 金を 取寄 る の財政 上 及び 経済 上 に不 利あ
に依 り償金 を 取寄 せ、 正貨 を以 て 其借 入金 か返済 せり と せげ、
ω
た 。や むを えず東 京 経 済雑誌 転 載 分を利 用す るこ とに した。
さ れて いる が、東 京 大 学明治 文庫 にお いて欠 号 とな って い
神 田橋 小 僧 と称す る論者 の批 判 は、東 京 日 々新聞 に掲 載
割 を は たした の であ った 。
東京 日 々の論 者 は 、 この ような 明治 政府 の意 図 を弁 護す る役
め であ る。
記者 の所謂 る 預合 英国 預金 切手 は、直 ち に変 じ て純 然 た る正貨
↓八
そ のメ カ 一
一ズ ムのな かに 以上 のよ 5な 積極 的意 義 をも って いた
東 洋 経済新 報 三 一弓
準備 とな るが 故 に、毫 も制 限外 兌 換券 を発 行す る必要 なき にあ
ら ず や﹂ (償 金預 合 に関 す る謬 見
東洋 経済 新 報記 者 の批判 は、預 ケ合 勘定 に関 す る 田 口卯 吉 の
九 六年 九月 一五日、 四 ペー ジ)。
混 乱 を明快 に指 した点 にお いて、 東京 日 々新聞 の論者 に まさ っ
て いる。 し かし、 政府 の預 ケ金 勘 定設 置が はた した積 極的 意義
償 金受 取額 邦貨 換算 三儀 六、五.一
五 万 円 は、 つぎ のよ う に使
を明 ら かにし て は いな い。
用さ れ た。す な わち 、 七、 八九 五万余 円 は度清 戦 争 の軍事 費補
100
23536
1896
168856
100
73248
1897
223678
100
1/0542
49.4.
1898
219757
100
//2427
51.1
(注)日
本 経 済 統 吉士集 ・PP,234-235
表2貿
年
易収 支(単 位100万 円)
次
1輸
(明 治29年)
1897
入
差
額
172
△54
163
219
△46
166
278
△112
ξ
1898
「
(注)内
輸
出
1
1118
1896
1
.6
43.4
地 の み移 出 入 を 含 まず
日 本 経 済 統 計 集p.166
表3日
銀 券 保 証 準 備 発 行 額 内 訳(単 位 ユ,000円)
次
均均均
) 平平 平
作畑鵠
均均 均均
平 平平平
日[
[日 日
5 66 6
1 22 1
=
=
R四
日[
口、
口
日宇0
、
7 9 1 6 8 1 2 2 1
七一
89 月 月 月 89 月 月 月 月
1 8 9 1 1 1 2 3 4
1
第 九〇 巻
3 11 1
治 一=
月
醐謂
年
旧.
[ 卯 士[の 立 場
85317
日 清戦 争後 の三国 干渉 に た いし て明 治 政府 は ﹁臥薪 嘗 胆 ﹂ の
i27
1895
明 治28年
ス ローガ ンを も って国 民感 情 を 煽動 し 、軍備拡 張を中 心 とす る
%
表 1 にみ る よう に、軍 事費 の総 歳出 額 にしめ る比 重 獣、 一八
軍事費
一〇 年計 画 を戦後 財政 に織 り こ んだ のであ った 。
位1,000円)
九五年 (明 治 二 八年 ) の 二七 ・六% から 九 六年 四三 ・四% 、九
'
口 本資 本 主義確 立 期 にお ける 償金 販寄 論争
年
の二倍 に膨脹 し て いる 。 一八九 六年 から 預 ケ合 勘定 が償 金 領収
事 費 の 比 重(単
中央財政
次 一 般 会 計%
歳 出 総 額.
七年 四 九 ・四% 、九 八年 五 一 ・一% と急 増 し、 九 六年 には前 年
表1軍
保証 準 備
行 高
1基盤 塁攣 舗1
.発
198291
ロ
107,970
90320
サ
籍 .1纏 証 券 韓
3310722000
ロ
90,488
103,104
ド
33,10722,000
33,10722,000
211.743:
ド
96,775
114.968
ロ
31364122.000
ロ
ド
19工430.
84520
り
ユ.85124[
!82:8381
77,457
70287
ユ06,9111
107.6671
31,36422,000
3136422000
リ
ロ
1892911
・93:・1921
97593
ロ
91698
サ
18
,000iユ7,214
20,000{16p59ユ
26,167,21,831
四
ド
2700026910
ロ
112:5511
31.364122.000
,P
,
130.000131.603
ロ
ロ
ロ
27,00027,303
27,000!31,/87
第 五号
織)峯 羅 経撮 嚢鴨 酷_酵o
表4日
七一
年 列
1994
1895
1896
1897
1898
(注)大
工月
銀 調 査 東 京 重 要 品 卸 売 物A旧
2刀
3月4月5刀
δ月 ・・1 8月
123
12宮
126125邑123
]21.・,/.26
工33
/40
133
142
136135=133
140142江143
132
/47
146
170
147
173
176
島清
1521611/61159
ユ.79;177
日本 恐 慌 史 論
平 均 指 数(ユ887年!耳
1741
上p.160
131
143
]59
168
127
133
144
160
166
・月1 10月
128
135
148
163
166
(資 料)明
131
148
150
173
167
一100)
1・・月 i・2刀
131
132
138
140
152
153
174
172
165
161
年 平均
治大 正 国 勢総 覧
126
135
145
16工
170
.
`
・
第 九 〇巻
三七 四
第 五号
七四
のでは なか った 。そ れ は、 明治 絶対 主 義権 力 の 一支 柱 とし て の
産 業 資 本は 、絶 対主 義 と対 決 し得 るダ イ ナ ミズ ムをも って いた
日本 資 木 主義確 立 期 におけ る償 金 取寄 論争
終 了 によ って解 除 され る九 八年 ま で には、 軍事 費合 計 はほぼ 三
上
一
役割 を演 じ 、半 封建 的 性格 を内 包 した 産業 資本 であ った。
億 円 の巨額 にた っし て いる 。す で に廿
、
同及し た よ5 に、 この軍事
こ のよう な急 激 な軍備 拡張 は、信 用 膨脹 を通 じ て輸 入増 加を
費 の調 達を 可能 にした のは 、賠 償金 の獲得 であ った。
も たら す。表 2 に よ って、 一八九 六年 から 九 八年 まで の貿 易収
支 をみ るな らば 、毎 年 入超 を 示しそ の合計 は 二億 一、 QO O万
円 忙た っし て いる。 こ の入超 を 可能 にした 主要 な条 件 とし て、
連 続 的入 超 の結果 、 正貨 準備 発行高 が減 少 し、制 限 外発行 た
賠 償金 が とう ぜ ん考 えられ なけ れば なら な い。
る保 証 準備 発行 高 の増 加を み て いる(表3 参 照)。そ れ に ともな
日本恐 慌史 論
って、表 4 の示 す よう に物価 が 一層 はげし く騰貴 し 、 労働者 の
賃上 争議 が頻 発 す る のであ る ︹大島 清
以 上 のよ う に、[ 清戦 争後 の急 激 な軍 備拡張 は、賠 償金 取寄
六 一ページ 公7
照 )。
せ の効 果 に 歪み を与 え た。す な わち 、軍需 品輸 入お よ び軍需産
業 拡張 に重点 が おか れ るこ とに よ って 、資 本蓄 積 の跛 行 性が よ
この時期 に、 ﹁日 本人民 ば八千 力円 を政 府 に貸 上げ て而 して
り強 められ たと⋮
百え る。
一銭 の飲却 も 受け ざ るな り﹂ と して 、預 ケ合勘 定 に よら ざ る償
金 取寄 せ と公使 償 還11
金融 緩 和を 王張 し た田 口卯 吉 の論 理 は、
客観 的 には民力 休養 の立場 に通ず るも のであ った 。し かしなが
ら 、か れが 主張 し た公 債償 還 1
1金 融緩 和 の論理 にこた えう べき
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