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戦時中の敬語 - 家庭雑誌

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戦時中の敬語 - 家庭雑誌
【論文】
戦時中の敬語
―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
遠 藤 織 枝
Honorific Forms in Wartime
― Photogravure Captions of the Family Magazine Ie no Hikari ―
ENDO, Orie
要旨:戦時中の雑誌の用語研究の一環として、天皇関連の敬語使用
の実態を報告する。戦時中の皇室に関する敬語には特殊なものが多
くあり、また、その使用については厳しい強制があった。戦後まも
なくの敬語の見直しで、それらの特殊性が浮き彫りにされた。
しかし、その使用された当時の実態に関する報告は少ない。今回
の戦時中15年間の雑誌のグラビアの文章を通して明らかになったの
は、尊敬にも謙譲にも二重三重の敬語が使われ、過剰・誇張と思わ
れるほどの敬語使用が日常であったという事実である。
キーワード:戦時中,敬語,天皇,家庭雑誌,グラビア
1.はじめに
昭和初期から中期の日本語を研究している。2004年には、ラジオドラマ
台本に基づき、特に戦時中の話しことばにしぼって、語彙・外来語・方言・
ジェンダーなどの面から考察した『戦時中の話しことば―ラジオドラマ台
本から』
(ひつじ書房)を刊行した。今回は同時期の雑誌『家の光』のグ
ラビアのことばを調査した中の天皇関係の敬語の部分を考察する。
―1―
「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
こうした昭和初期の語彙、つまり、近い過去の日本語の実態を知ること
は、日本語学・日本語教育で類義語や表現・文型などの異同を説明するの
に極めて重要である。現代語として辞書には採録されていても、現在では
ほとんど使われていないものも多いが、それらは現代語ではない、と言い
切れるかどうか、難しい。それらが、近い過去に使われていたことが判明
すれば、時代差による異同と判断することができる。また、近い過去と現
在の意味の拡大・縮小・価値の上昇・下降・ずれなどの変容の実態もあき
らかにできるのである。
2.調査対象
2-1 『家の光』を対象とする理由
雑誌研究会編(1952)の『雑誌の話』によると、
『家の光』は、
大正14年、当時農村が不況のどん底にあった時、これを打開しよう
と、当時の産業組合中央会全国の同志とはかって協同組合精神を鼓吹
すると共に農村家庭経済を合理化し、日常生活を豊かにすべく創刊さ
れたもので最高時には153万部に達した(p35)
雑誌である。また、佐藤卓巳(2005)によると、
(1)一家一冊万能主義、
(2)万人にわかる雑誌、
(3)農村のため
の雑誌、の原則で……1937年末に146万部に上昇し、産組が農業会に
改組された1943年12月には153万5000部に達している。……1930年代、
モダニズムの中に大衆のナショナリズムを体現した『キング』に、農
村の『家の光』
、女性の『主婦の友』を加えた「百万雑誌」の三誌鼎
立時代が成立する。
(pp41-43)
―2―
戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
ということで、当時の日本の代表的な大衆向け雑誌の1つと考えられる。
産業組合中央会という全国組織の発行であるために、全国の農村・農業従
事者の隅々まで普及できた。
当時の日本は農業国で人口が最も多く、当時の平均的な日本人が読んだ
雑誌の1つと考えられ、こうした読者を対象とする雑誌の日本語は、当時
の平均的な日本語と考えられるのである。
調査の対象とする雑誌は、ラジオドラマ台本の用語との比較上、戦時中
に限ることにして、1931年から1945年敗戦までの15年間に発行されたも
のすべてで、170冊である。
(1945年は紙の事情や、空襲などの事情で1月
号と2, 3月合併号の2冊しか発行されていない)
2-2 グラビアを対象とする理由
対象とする雑誌のグラビアは、毎号、初めの部分の10ページ前後を占め
ている。多くの写真を掲げ、読者を引きつけるようにさまざまな工夫がこ
らされているので、読者たちの関心を集めていたことが想像される。また、
グラビアにはその時期に話題となっている事柄が、外交・政治・経済・農
村事情・海外ニュース・文化・スポーツ・ファッションなど、あらゆるジャ
ンルの話題が載せられているので、語彙が偏らずに採集できると考えられ
る。主にこの2つの理由でグラビアの文章を調査の対象とした。
『家の光』のグラビアに表現された文章のことば(以下「雑誌」と略記)
をすべて、ワープロで打ち込んだ電子化資料として加工して、この資料を
検索しながら、以下の分析を行っていく。送りがな・漢字の用法など統一
されていないところもあるが、雑誌に記載されたままにする。なお、仮名
遣いは歴史仮名のままにするが、漢字は新字体に直している。
また、ルビは当雑誌では戦争末期以外はほぼ総ルビになっているが、引
用の際は特殊な読み方のもの、複数の読み方があるものに限ってつけてい
る。
―3―
「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
3.天皇に関する敬語
遠藤(2004)で、ラジオドラマ台本(以下「ラジオ」と略記)に使わ
れた天皇に関する敬語を拾い上げて特殊な語彙として紹介した。本稿では、
同時期の雑誌に用いられた天皇に関する敬語を整理して紹介する。まず、
当時の天皇関連の敬語について丸山林平(1941)を参照する。丸山は同書
の第14章「皇室に関する特殊の敬語」で、皇室に関する特別な敬語を例を
挙げながら詳述するが、それに先立ち以下のように述べる。
東京・大阪等の大新聞社などでは、皇族方の御名は予め一本の活字
に組んで用意してあるといふ。校正掛の不注意から唯一つの誤植を犯
しても、それは大なる不敬となるからである。まして、敬語の使用法
を誤るが如きは最も恐れ多いことである。
(p161)
と、
敬語使用に関する厳重な注意を呼びかける。そのあとで、
(1)から(22)
の項目に分けて順に天皇の敬称、別称、
「御心」
「御考」に関する敬語、天
皇の「御言葉」に関する敬語、天皇の「御顔」
・
「御身体」
・
「御年齢」に関
する敬語などを列記していく。そこには皇后や他の皇族に関する敬語も併
せて記される。それらを列挙した最後に、次のように述べる。
普通の国民としては、皇族の御前に立って直接ものを申し上げるや
うな機会はさう滅多にないであらう。併しながら、文明国民の常識と
して、ことに万世一系の皇室を戴く日本国民としては総べての国民が
皇室に関する敬語を知っておく必要がある。特に、皇室に関する記事
をものし奉るやうな場合には、我等は先ずその敬語の意義を辞書その
他の典拠に求めて、的確にこれを使用しなければならぬ。決して一点
一画の誤といへども、これを犯してはならないのである。
(p181)
―4―
戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
当時の社会での天皇に関する敬語の位置づけがわかる。マスメディアが記
事を書く際に「一点一画の誤も犯さないように」神経をすり減らしていた
だろう様が窺える。
戦後、1952年に国語審議会が文部省に建議した「これからの敬語」の11
には「皇室敬語」の項目が設けられている。猿田知之(1984)の紹介によ
れば、
これまで、皇室に関する敬語として、特別にむずかしい漢語が多く使
われてきたが、これからは、普通のことばの範囲内で最上級の敬語を使
うということに、昭和22年8月、当時の宮内当局と報道関係との間に基
本的了解が成り立っていた。その具体的な用例はたとえば、
「玉体・聖体」は「おからだ」
「天顔・龍顔」は「お顔」
「宝算・聖寿」は「お年・ご年齢」
「叡慮・聖旨・宸襟・懿旨」は「おぼしめし・お考え」などの類である。
〔……〕今日の報道上の用例について見ても、
すでに第6項で述べた「れ
る・られる」の型または「お―になる」
「ご――に」の型をとって、
平明・
簡素なこれからの敬語の目標を示している。
(p303)
と記されている。なお、第6項とは、
「動作のことば」の項で「動詞の敬語
として、Ⅰ「書かれる」Ⅱ「お書きになる」Ⅲ「
(お書きあそばす)
」の型
を示し、
「第Ⅲの型は、いわゆるあそばせことばであって、これからの平明・
簡素な敬語としては、おいおいすたれる形であろう。
」
(p301)と記されて
いる。
国語審議会は、
「玉顔・聖寿」
などという極端に誇張された形容の語や、
「・
・
あそばす」のような丁寧すぎる動詞句の使用を改めることを建議したので
ある。ここに示される「これからの敬語」以前の姿が、戦時中の敬語であ
り、その実態を雑誌中に見出そうとするものである。
―5―
「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
4.天皇を表現する語句
まず、実例に即しながら、考察対象とする項目を示す。なお、例文の後
の(1940/8)は1940年8月号の記事の意である。
例1 御写真〈2〉は橿原神宮に御参拝遊ばされる〈4〉天皇陛下〈1〉
(1940/8)
例2 7日の愛馬の日には畏くも〈3〉陛下〈1〉の行幸〈4〉を仰ぎ奉り〈5〉
、
民草はひとしく無上の光栄に恐懼感激した。
(1941/6)
例のような文章から〈1〉天皇の呼称、
〈2〉天皇に属し、また天皇から発
するもの、
〈3〉天皇の状態・様子、
〈4〉天皇の行為、
〈5〉天皇に対する行為、
の5項目に分けて、それぞれの語句をみることにする。
4-1 天皇の呼称
「雑誌」で収集された天皇の呼称は以下の7語(異なり語数)であるが、
「ラ
ジオ」で使われた語句、また、遠藤(2004)が調べた新聞の結果とも併せ
て表示する。この新聞の結果とは、1930年代後半から45年にかけての『朝
日新聞』に使われていた天皇に関する呼称である。
語数としては、3種の媒体とも、6-7語で変わりはないが、雑誌の語と新
聞の語の近似が明らかである。
「ラジオ」には「雲上・上御一人」など極
端に持ちあげた表現があるが、これらは時代物のドラマで使われていたも
表1 天皇の呼称:雑誌・ラジオ・新聞
「雑誌」
「ラジオ」
天皇陛下
天皇陛下
聖上陛下
大元帥陛下
大元帥陛下
陛下
陛下
聖上
畏き辺(あたり)
お上
一天万乗の大君
雲上
上御一人
―6―
新聞
天皇陛下
聖上陛下
大元帥陛下
陛下
聖上
畏き辺
一天万乗の大君
戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
ので、当時日常に使われた語と比べてよりいっそうの誇張した語が選ばれ
ていたものとみられる。
4-2 天皇に属し、また天皇から発するもの
「御」がつくものが多いが、その読み方を記事につけられたルビにした
がって分ける。
「御」のつく語
オ 御写真 御召艦
オン 御儀(特別観艦式の―)
御親(おんみづか)ら
御模様(御前会議の―)
ゴ 御愛馬 御英姿 御軍装 御前会議 御誕辰
ミ 御稜威(みいづ/みいつ)
「御」のつかない語
宸襟 聖恩 聖駕 聖旨 聖寿 天機 天長節 龍顔
「宸襟・聖寿・龍顔」などは、
「これからの敬語」で述べられていた、特
別の漢語である。その他の語はすべて「御」を伴っている。
「御英姿」な
どは「英姿」ですでに美化した語であるが、それにさらに「御」を付加し
ている。
「御前会議の御模様」などは、
「模様」という天皇自身ではない会
議の様子であるのに、
「御(おん)
」を伴っている。なお、
「聖旨・聖恩・
御稜威・宸襟」などは「ラジオ」にも使用されていたが、
「ラジオ」で使
われた「大御心」は「雑誌」には見られなかった。
4-3 天皇の状態・様子
形容詞の「畏し」の副詞的用法である「畏くも」が多用され、
次いで「麗
し/麗はし・神々し」が使われていた。それぞれの修飾語の使われ方は以
下のようである。
「畏くも」
例3 その秋晴るる十月十九日、畏くも天皇陛下には行幸遊ばされ、親
しく御拝(ぎよはい)を賜はつた。
(1938/12)
例4 世界が騒乱の中にある重大なる秋(とき)にあたり、畏くも大元
―7―
「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
帥陛下の親しくみそなはす紀元二千六百年特別観艦式の御儀(おん
ぎ)は、……(1940/12)
のような、
「天皇陛下・大元帥陛下」の直前に使われる、いわば枕詞的な
用法が目につく。
また、天皇のその行為を「畏くも」と修飾する用法も多い。
例5 天皇陛下におかせられては、……、緑こき伊勢路へ聖駕を進めさ
せられ、……畏くも時艱克服を御祈念遊ばされ給うた1)。
(1940/8)
すなわち、
「御祈念遊ばされ給う」ことが、おそれおおいことなのである。
また、天皇の動作ではないが、天皇の耳に届いて、結果として天皇が知っ
たことをおそれおおいこととする、以下のような「畏くも」の用法がある。
例6 重傷に屈せずよく責任をはたして工兵魂を発揮した福井軍曹、山
本一等兵に対し、全軍の亀鑑として、二階級を特進、畏くも上聞に
達した。
(1942/10)
「上聞に達する」すなわち、天皇の耳に入ったことが「おそれおおい」こ
となのである。
「畏くも」は16例採集されたが、そのうち天皇自身の枕詞的用法が9例、
天皇の行為の修飾用法が5例、
「上聞」を修飾するものが2例あった。
なお、言い切りの形の「畏し」も4例あり、以下のように見出しで詠嘆
の調子で使われている。
例7 畏し 民草に御答礼を賜ふ。
(1942/4)
この「畏くも/畏し」は例8に示すように、天皇に限らず、皇后ほかその他
の皇族を修飾するのにも用いられている。
例8 農村婦人に対し、常に御心を寄せさせ給ふ皇后陛下には、六月
二十一日、畏くも草深き東京都下七生村に玉輦(ぎよくれん)を進
めさせられ……(1943/8)
1)当雑誌記事の表記では「給う」と「給ふ」が混在しているため、引用も原文に従い、
例に即して「給う」
「給ふ」を併用する。
―8―
戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
また、同じ漢字表記だがルビによって「おそれおほくも」と読ませている
例が1例あった。
例9 明治二十七年八月、畏(おそれおほ)くも陛下には広島に大本営
を進め給ひ、親しく軍国の機務を御統裁遊ばされました(1933/11)
と、明治天皇を偲ぶ文章の中での用法である。これ以外はすべて、
「畏(か
しこ)し/く」と読ませている。
次に「麗しい/麗はしい」をみる。
例10 天機麗しく馬耕作業を天覧遊ばされる天皇陛下。
(1941/6)
天機、すなわち、天皇の機嫌がきわめてよい様子を伝えている。
例11 陛下には、……、御召艦(おめしかん)比叡に御便乗、龍顔御麗
はしく、皇国海軍の精鋭を御親閲遊ばされた。
(1940/12)
ここでは、
「麗しい」
にさらに敬語がついて
「御麗しい」
になっていて、
「龍顔」
つまり、天皇の顔が晴れ晴れと実にご機嫌よさそうだというのである。こ
の語は、天皇だけでなく、
「満州国皇帝陛下」が「御機嫌麗はしく大阪港
より御帰還の途につかせられ」
(1940/9)
「
、高松宮殿下」が「御機嫌御麗しく」
「御安着遊ばされた」
(1942/7)と、他の皇族・満州国皇帝の状態を表す語
としても使われている。高松宮殿下には「御機嫌御麗しく」と「御」がつ
き、満州国皇帝陛下には「御機嫌麗しく」と「御」がつかない理由につい
ては、意識的に差をつけたと見るのか、偶然によるものかは、例数が少な
いので判断できない。
次の「神々しい」は
例12 神々しい朝靄に包まれた高野山の全景。
(1934/5)
のような、自然の雰囲気が「神々しい」ものもあるが、
例13 天皇陛下には御軍装も神々しく、御愛馬『白雪』に召されて、畏
くも二重橋鉄橋上に出御あらせられ(1942/4)
と、天皇自身の姿が「神々しい」というものである。天皇を神格化した表
現で、戦争も後半の1942年当時、天皇を表現する語が人事を超越して神の
域に達していたことがわかる。
―9―
「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
天皇に言及する際には「畏くも」を枕詞のように使い、また、
「麗しい・
神々しい」のような、最大の賛辞を表す形容詞で飾ったりしている。しか
も、その語にもさらに「御」で敬意を付加するなど、戦時中の天皇に関す
る修飾語の多用や形式化、大げさなふるまいのようすをみることができる。
4-4 天皇の行為
天皇の行為・動作を表す語句をみるが、先に挙げた例5でいうと、
「緑こ
き伊勢路へ聖駕を進めさせられ、……畏くも時艱克服を御祈念遊ばされ給
うた。
」の「聖駕」のような名詞で表すものと、
「御祈念遊ばされ給うた」
のような動詞句で表すものとがある。前者を「名詞形」
、後者を「動詞形」
として、区別して考察する。
4-4-1 名詞形
名詞に「御」がつくものが多いが、4-2のように、ルビにしたがって読
み方で分ける。
「御」のつく名詞
オ 御出迎へ ギョ 御拝(ぎょはい)
ゴ 御挙手 御差遣 御親閲 御親拝 御親臨 御統裁 御答礼
御便乗
「御」のつかない名詞
行幸 行幸啓 親臨 天覧
天皇の行為を表す語として19語採集できたが、
そのうち和語は「御出迎え」
の1語のみで、他はすべて漢語である。
「親」を接頭辞的に用いる「親臨・
親拝・親閲」の3語が目につくが、この「親」は天子や最高の位置にいる
人物がみずから事を行うという意味で、行為者の行為を高く待遇して表現
する語である。その「親」のつく語にさらに「御」をつけて使われるもの
がある。
「親臨」では「御親臨」があり、
「親臨」は2例で、
「御親臨」が1
例あった。また、天皇が神社に拝んだということを伝える文では「御拝」
― 10 ―
戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
と「御親拝」と2語が用いられ「御親拝」5例に対して「御拝」が6例と拮
抗している。
つまり、天皇の行為を表す語として「親臨」
「御拝」でも十分に敬意が
表せることを示している。そうであるのに、さらに「御」を付加した「御
親臨」
「御親拝」も同じような頻度で使われている。これら過剰とも思わ
れる、敬語を重ねた表現は、3で述べた
唯一つの誤植を犯しても、それは大なる不敬となるからである。ま
して、敬語の使用法を誤るが如きは最も恐れ多いことである。
(p161)
という雑誌記者・編集者の認識が生んだ結果であったであろうことは想像
に難くない。
「御」のつかない語は、「行幸・天覧」の2語で、これらは、特別の敬語と
して例に挙げられている。この語自体がレベルの高い敬語だから、「御」は
不要である。
なお、この種の天皇の行為を表す語は、たとえば「行幸・天覧」は、天
皇に限られ、皇后の場合は同じ行為を表すのに「行啓・台覧」という明確
に区別した語が使われている。そのため、天皇・皇后がどこかへ出かける
となると「行幸啓」と記し、
何かを一緒に見ても次の例14のような「天覧・
台覧」併記となるのである。
例14 奉祝舞楽『悠久』を天覧、台覧遊ばされる両陛下。
(1941/1)
4-4-2 動詞形
4-4-2-1 本動詞のみのもの
「賜はる・賜ふ」
例3 その秋晴るる十月十九日、畏くも天皇陛下には行幸遊ばされ、親
しく御拝を賜はつた。
(1938/12)
例15 護国の忠霊に御拝を賜ふ。
(1942/4)
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
以下、例示する語の語義について、同時期に発行された国語辞典を参照し
ながらみていく。
「賜はる」
「賜ふ」の語義について『明解国語辞典』
(昭
和18年三省堂、1997年復刻版 以下『明解』
)は
たまわる[賜はる]タマハル(他四)①「もらふ」の敬語。いただく。
②くださる。
たもお[賜ふ]タマウ(他四)
(文)
「授ける・与へる」の敬語。くださる。
のように、区別しているが、
「雑誌」では両者は同じ記事の中で使われて
いる。
「賜はる」は本文中で4例、
「賜ふ」は見出し中で2例と、文章機能の
面からの使い分けがなされている。すなわち、見出しの方が文章語的でよ
り古い、硬い語として「賜ふ」が選ばれているのである。また、
「賜はる」
ものは、収集例では「御拝」
「御答礼」
「勲一等旭日大綬章」で、天皇の行
為と勲章である。
「みそなはす」
例4 畏くも大元帥陛下の親しくみそなはす紀元二千六百年特別観艦式
の御儀は、
(1940/12)
「みそなはす」は、
『大辞典』
(昭和11年 平凡社 昭和49年覆刻版)には、
以下のように記される。
ミソナワス[臠す]ミソナハス(動四)見るの敬語。見給ふ。御覧ず。
(例
省略)
すなわち、天皇が特別観艦式を「ご覧になる」という極めて敬意の高い敬
語である。
「召す」
例16 白馬に召さるゝが大元帥陛下。
(1939/3)
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
例13 天皇陛下には御軍装も神々しく、御愛馬『白雪』に召されて、畏
くも二重橋鉄橋上に出御あらせられ、
(1942/4)
などの例が挙げられる。
この語は、
『大辞典』では
メス 召す・食す(動四)①食ふ・飲む・着る・乗るなど人の所作にい
ふ敬語。
(例省略)
とあり、上の2例は天皇が馬に乗ることの敬語として使われている。
また、
「召す」は上掲の例以外にも「粗末な野戦料理を召される…」
(1933/5)
「御式服を召された…」
(1935/5)などの例があるが、
「召して」
「召
す」のような動詞のみの用法はなく、
必ず尊敬の助動詞「れる」
「る」を伴っ
て「召されて」
「召さるゝ」のような二重敬語の形で用いられている。
「召
す」は、皇族以外の人物の敬語としても使われるが、そこでは
例17 田島選手と御両親:写真前中央の和服を召した二人が御両親。
(1936/10)
のように、
「召した」だけで使われている。
「仰せつける」
例18 蒙古民族の統帥者徳王が日蒙親善の目的で、十月中旬、政府の要
人とともに秋晴の帝都を訪れ、畏くも、天皇陛下には拝謁を仰せつ
けられ……、
(1938/12)
のように使われている。
この語は、
『大辞典』も『明解』も採録していないが、
『大辞典』の「仰
せ」でみると、
オーセ 仰オホセ 仰すること。いひつけ・命令の敬語。
と記され、
「いいつける・命令する」の敬語であることがわかる。この語
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
も動詞単独の形ではなく、尊敬の助動詞「られる」を伴っている。天皇が
徳王に拝謁するように「お言いつけにおなりになった」とでもいう敬意の
高い表現である。
一方で同じ「仰せつけられる」が、敬語「仰せつける」に受身の助動詞
「られる」を付加した例もある。
例19 同大使は入京第二日の十七日、……宮中に参内、天皇陛下に謁見
仰せつけられ、……邁進せんことを誓ひ奉つた。
(1942/5)
天皇が謁見を「仰せつけ」それを同大使がありがたく受けて、極めて高い
謙譲表現の「誓ひ奉る」で「お誓い申し上げた」というのである。 4-4-2-2 補助動詞・助動詞を伴うもの
補助動詞
「給ふ」
例20 第三十四回の御誕辰を迎へさせ給ふ、聖上陛下の御(ご)英姿。
(1935/4)
例21 南京(ナンキン)陥落を嘉(よみ)し給ふ聖旨。
(1938/2)
のような例が挙げられる。補助動詞の「給ふ」は『大辞典』では、
タマウ 給ふ(助動)他の動作に関する動詞に添へて敬意を表はす。
と、助動詞としているが、本稿では補助動詞として扱う。上接の語は例16
の「嘉し給ふ」以外は、敬語の助動詞「せる・させる」を伴っている。
「嘉
する」はこの語自体が天皇の行為を「ほめたたへる」
(
『明解』
)意味の敬
意のこもった語であるから、この語には敬意の助動詞は要らない。
なお、
「せる・させる」を敬語の助動詞とすることについては、三矢重
松(1908)の「す・さす」を敬語の助動詞とする説に従う。三矢は、
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
「す・さす」
是は下に「らる」
「給う」を添へて用ゐる。元来此の助動詞は使性(使
役相)の本義であるが、……貴人は人に事をさせて自分はせぬのが当
り前であるから、かやうに転じられる訳と見える。
(p822)
と、本来の使役が敬語となる理由を極めて納得しやすく述べている。
例20は、現代語にすると、
「お誕生日をお迎えにおなりになられた」と
でも言わなければならないほどに重複した敬語の使い方である。
例21の「嘉する」は『大辞典』では
ヨミス 嘉す(動サ変)好しとする。ほめ給ふ。愛づ。
とされるから、この例では「陥落をお褒めにおなりになった聖旨」とでも
なるだろうか。
「遊ばす」
例22 ついで十一日には、肇国の聖地大和に進御遊ばされ、畝傍山陵、
並びに橿原神宮に御参拝あらせられた。
(1940/8)
補助動詞「遊ばす」が用いられた語の上接、
下接の語は以下のとおりである。
御出迎へ遊ばされ 御会見遊ばされた 御祈念遊ばされ給うた
御交驩遊ばされ給うた 御参拝遊ばされる 御親閲遊ばされた
御親拝遊ばされ 御統裁遊ばさるゝ 御奉告遊ばされる
行幸遊ばされ 天覧遊ばされる 天覧、台覧遊ばされる
これらの使用例から、上接の語は「御出迎へ」以外はすべて、漢語で、
敬意の高い補助動詞「遊ばす」は、
漢語と共起することが多いことがわかる。
しかも、
これらの漢語は「行幸」
「天覧」という特別の敬語以外はすべて「御」
を伴う敬語である。
下接の語は、すべて敬語の助動詞「れる・る」で、単独で「遊ばす」で
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
用いられている例はない。すなわち、
すべて
「―遊ばされる・―遊ばさるゝ」
の形で使われている。敬語の補助動詞と助動詞の二重使用が原則になって
いるのである。中には「御祈念遊ばされ給うた」のように、補助動詞「給
ふ」も伴ったものもあり、これらは「遊ばす+れる+給ふ」と敬語の三重
使用、
すなわち西田(2005)のいう「三重敬語」
(p237)ということになる。
「あらせらる」
例23 天皇陛下には靖国神社春の臨時大祭第二日の四月二十五日、畏
くも同神社に行幸あらせられ、新合祀の祭神一万五千十七柱を初め、
護国の英霊に御拝あらせられた。
(1942/6)
のように使われるものである。この語は『明解』
『大辞典』にはこの語形
では採録されていない。
『日本国語大辞典』
(小学館1974)では、
あら せ られる(敬意を強める助動詞「せる(す)
」と尊敬の助動詞「ら
れる(らる)
」が付いたもの)①「ある(り)
」
「おる(り)
」の尊敬
語。おありである。
(例文省略)②(補助的に用いて)
「
(で)ある」
の尊敬表現。…でいらっしゃる。
(例文省略)
のように、記述されている。 この語形は、松下大三郎(1924)が「被動態使動態の語形を以て主体尊
称を表はす。
」と記した語の例として以下のように提示している。
翌年「還御あらせらる」
。
(あらしめらる)
(有らせられた)
(p340)
つまり、使役から敬意を導き出した「す」に尊敬の助動詞「らる」を付加
したものを「ある」に下接した敬意の程度の高い敬意表現である。この語
形でまとまって使われることが多いので、本稿では「あらせられる」全体
を1語の補助動詞として扱うことにする。
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
今回「雑誌」で採集したのは、
御拝あらせられる 御親拝あらせられる 御参拝あらせられる
御祈念あらせられた
のような、
「御」のつく漢語を伴うものと、
行幸あらせられ 出御あらせられ
のような、特別の敬語を伴うものとである。
「御参拝・御祈念・行幸」な
ど敬語のサ変動詞に「あらせられる」がついて「御参拝あらせられる」な
どとなると、現代語に直した場合「御参拝におなりあそばす」とでも言わ
なければならないほど高い、高い敬意の表現になる。
助動詞
「せられる」
尊敬の助動詞はすでに、他の語との結合の例で述べてきたが、ここでは
2つの助動詞が結合して使われる例としてまとめて扱う。
先述の三矢が
「す・
さす」が、下に「らる」を添えて用いると述べているものである。現代の
辞書では『大辞林 2版』
(三省堂1995)が「せる」の項目の⑤で
せる⑤(
「せられる」
「せ給う」などの形で)動作を尊敬する意を表す。
「ま
すます健勝にわたらせられる」
「当山の開祖に当たらせ給うお方」
と記述しているものである。
このような、
「せられる」の形のものとして、
例24 当時陛下には……忠勇なる出征軍人の上にのみ専ら叡慮を注が
せられました。
(1933/11)
などがある。
他にも、
「観劇会にはのぞませられなかったのでございましたが」
(1936/11)
「行はせられた」
(1933/11)の例があるが、この助動詞を含む
慣用的な用法のものとして
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
例25 畏くも天皇陛下におかせられては……、御親(おんみづか)ら国
難打開を御祈念あらせられた。
(1943/2)
の「天皇陛下におかせられては」がある。この形の敬意表現は、西田直敏
(2005)が最高の敬語の例として以下に述べるものと一致する。
天皇に関して話題にする場合には必ず最高の敬語を使うように
1945年までのいわゆる戦時体制下では徹底的に教育された。
「恐れ多
くも今上陛下におかせられては……」という言葉を耳にすると直立不
動の姿勢をとるように軍隊や学校ではしつけられた(p239)
5.天皇に対する行為
天皇に対する敬語として、臣下の側で、へりくだって、対象である天
皇を最高に高く待遇する語句がある。その種の語として、
「奉」
「拝」
「捧」
の語のつく語を拾い上げる。
5-1 「奉」 のつく語
5-1-1 「奉ずる」
例26 勅命を奉じて賊討に赴く。
(1935/5)
例27 親邦日本に感謝の至情を披瀝すべく、御親書を奉じた謝恩特派大
使張景恵国務総理一行は……、
(1942/5)
の2例で、臣下が天皇の命を「つつしんでうけたまわる」のであり、
「親書」
を「つつしんでさしあげる」のである。
5-1-2 「奉る」
この語は、単独で用いられた例はない。
『明解』では、
たてまつる【奉る】一(自四)自分の動作をあらはす動詞の下に添へて
丁寧な意味をあらはす語。
「存じ一」
。二(他四)①さしあげる。以
下略
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
と、動詞の下に添える語とされる。今回の「雑誌」に見られた下に添えて
使われる例として
仰ぎ奉る 感謝し奉る 寿(ことほ)ぎ奉る 祝(ことほ)ぎ奉る
捧げ奉る 偲び奉る 誓ひ奉る 拝し奉る 安んじ奉る
の9語が収集できた。これらは和語動詞にも、漢語サ変動詞にもつき、
『明
解』の記すとおり、自分の動作を表す語について、天皇に対する謙譲の意
を表しているが、中には
例28 東久邇宮俊彦王殿下をはじめ奉り……(1944/11)
のように、順序を表す「
(―を)はじめ」に下接して、現在の言い方にす
ると「おはじめといたしまして」とでもなるような、うやうやしい副詞的
用法の「奉る」も見られる。
5-1-3 接頭辞的用法の「奉」 この種の語として、
奉安 奉迎 奉献 奉公 奉伺 奉祝 奉唱 奉送者 奉戴 奉読
奉拝
が採集されたが、これらの熟語のなかには、さらに複合して使われるもの
が多い。
「奉公」は「御奉公」の形で、
「御奉公の誠」のように天皇に身も心も捧げ
る意を表し、
「義勇奉公」
「再起奉公」
「至誠奉公」
「奉公隊員」のような複
合語としても使われている。
「奉祝」も多く使われ、皇太子誕生、天皇・皇后の誕生日の記事、また、
紀元2600年の記念式典にさまざまな語と複合して、以下のように多様に使
われている。
奉祝祭 奉祝旗 奉祝詞 奉祝式 奉祝隊 奉祝絵巻 奉祝記念
奉祝行事 奉祝行列 奉祝航進 奉祝大会 奉祝登山 奉祝舞楽
国民奉祝 奉祝全国馬耕競技大会
「奉戴」は「大詔奉戴日」のほか、
「聖旨を奉戴し」
「勅額を奉戴して」の
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
ように使われている。
「奉拝」は「聖駕奉拝」
「宮城を奉拝」のように使われている。
なお、
「奉」のつく語で「奉仕」が多く見られたが、これらは、天皇に
対する「奉仕」でなく、作業一般に対するものであり、また、グループ成
員どうしのものであるのでここには挙げていない。
5-2 「拝」のつく語
5-2-1 「拝する・拝す」
『明解』では
はいする【拝する】
(他サ)①頭をたれ、
体をかがめて敬礼する。おがむ。
②官を授ける。③ありがたく受ける。④つつしんで見る。
と、4つの語義が示される。今回採集した「拝する」は、
「遥かに九重の大
奥を拝し」
(1934/1)
「至尊の御英姿を咫尺の間に拝した民草は」
(1942/4)
のように、①の意味で使われるものと、
「大命を拝した米内光政大将は」
(1940/3)
「大みいくさの 詔(みことのり)拝せし師走」
(1943/12)のように、
③の意味で使われるものとがあった。
また、複合動詞との前項動詞としては「咫尺に龍顔を拝し奉つた新祭神
の三万遺族は」
(1942/6)のような、
「拝し奉る」の例もあった。
「拝する」
と「奉る」であるから、二重謙譲語とでもいうべく、極めてレベルの高い
謙譲語となっている。
5-2-2 接頭辞的用法の「拝」
拝謁 拝戴 拝受 拝察
の4語があった。後者の2語は一般的にも使われるが、ここに示したものは、
「明治大帝から拝受した」
(1932/7)
「上(かみ)三陛下の、御満悦こそ拝
察するだに畏き極みである」
(1934/2)と、天皇から「拝受」したのであり、
天皇のご満悦の様子を「拝察する」という例である。
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
なお、
「参拝」
「礼拝」
「拝見」なども「拝」のつく語であるがこれらは、
天皇に対する語ではないのでこのグループには含めていない。
5-3 「捧」のつく語
5-3-1 「捧げる」
例29 忙しいとはいへ、お上に捧げた息子までを……なんとありがた
いことだ。
(1942/11)
例30 そのとき、命(めい)により農民が稲穂を御前に捧げ奉つたと
ころ、陛下には……篤くその労苦を賞し遊ばされました。
(1933/11)
のような例である。
『明解』では
ささげる【捧げる】
(他下一)①両手に持って高く上げる。②たてまつる。
とされるが、例29は②の、例30は①の使用例である。
「お上に捧げた息子」は天皇に「捧げる」例だが、
「夫や父や子を国家に捧
げた人達」
(1931/10)
、
「幾多の部下と愛する二児の生命を君国に捧げた将
軍」
(1937/9)
、
「身を祖国に捧げた以上」
(1939/4)など、国家に捧げる例
も多い。また、捧げるものは「息子」
「夫」のように人間の場合と「忠誠」
「感謝の誠」など、精神的なものとがある。
例30は複合動詞の例である。
「捧げる」で稲穂を高く掲げて恭順の意を
表し、
その動作を「奉る」のであるから、
極めて謙譲の意の高い表現になっ
ている。
5-3-2 接頭辞的用法の「捧」
「千石会頭の勅語捧読」
(1939/7)
「同大使は、満州国皇帝よりの御親書
を捧呈」
(1942/5)の「捧読」
「捧呈」の2語があった。これらは「奉読」
「奉
呈」と類義語である。今回の調査では「令旨奉読」という例があったが、
「令
旨」は天皇より低い立場の人の命令である。また、
「奉呈」の例はなかった。
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「文学部紀要」文教大学文学部第20-1号 遠藤織枝
終わりに
天皇の呼称や行為など天皇自身の側の語と、天皇に対する臣下側の語を
いくつか見てきた。戦時中の天皇の敬語は一般の敬語とは違い、特別に高
い待遇のものが使われると言われていて、それなりの予測のもとに臨んだ
つもりではあった。しかし、実際に使われる例は予想をはるかに上回る待
遇度の高い用法のものが多かった。敬意も謙譲の意も、幾重にも幾重にも
重ねて表現される執拗さは、異様とも思われるほど大げさで過剰であった。
戦時中の日本語の特徴の1つとしてこのような敬語の実際をより多方面の
ジャンルから記録しておくべきであろう。そのため、今後は他のメディア
の敬語を調査して、さらに、幅広く戦時中の敬語の実態を記録したいと考
えている。
最後になるが、家の光協会の水口淳一氏には、
『家の光』創刊号からの
閲覧の便宜を与えていただき、資料を整備することができたことに対して、
心から感謝している。
参考文献
池上禎造(1973)
「現代敬語の概観」
(林四郎・南不二男編(1973)
『敬語講座6 現
代の敬語』明治書院)
江湖山恒明(1943)
『敬語法』三省堂
遠藤織枝(2004)
「
「天皇」に関する用語」
(
『戦時中の話しことば ラジオドラマ台
本から』ひつじ書房)
雑誌研究委員会編(1952)
『雑誌の話』日本雑誌記念会館内 雑誌週間実行委員会
発行
佐藤卓巳(2002)
『キングの時代 国民大衆雑誌の公共性』岩波書店
猿田知之(1984)
「資料Ⅱ 近代以降の敬語研究書抄」鈴木一彦・林巨樹『研究資料
日本文法⑨敬語編』明治書院
辻村敏樹(1968)
『敬語の史的研究』東京堂出版
西田直敏(1987)
『国語学叢書13 敬語』東京堂出版
西田直敏(2005)
「敬語史と現代敬語」
『朝倉日本語講座8敬語』菊地康人編 朝倉
書店2005
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戦時中の敬語―家庭雑誌『家の光』のグラビアから―
松下大三郎(1924)
『標準日本文法』紀元社
丸山林平(1941)
『日本敬語法』健文社
三矢重松(1908)
『高等日本文法』明治書院
三宅武郎(1944)
『現代敬語法』日本語教育振興会
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