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裁判員のための死刑、冤罪の研究』(01)「死刑台
「誤った死刑 った死刑」 死刑」 前坂俊之著 三一書房 (1984 1984年3月刊) 月刊) ( このドキュメント この ドキュメントは ドキュメントは 1984 198 4年 3月 に「 三一書房」 三一書房 」 か ら出版したものです 出版したものです。 したものです。 裁判員制度が 裁判員制度が 2009 年 5 月から始 から始まりますが、 まりますが、約3 0 年前の 年前 の 「 日本の 日本 の 刑事裁判の 刑事裁判 の 現状はどうであった 現状 はどうであった のか」、「 のか」、「なぜ 」、「なぜ、 なぜ、誤った死刑 った死刑が 死刑が多発したのか 多発したのか」 したのか」を当時、 当時、 新聞記者として 新聞記者として、 として、警察、 警察、検察、 検察、裁判所を 裁判所を回りながら、 りながら、 具体的な 具体的な死刑事件の 死刑事件のケースにふれながら ケースにふれながら、 にふれながら、その問 その問 題点を 題点を考えたものです。 えたものです。 内容的には 内容的 には確 には 確 かに古 かに 古 くなってはいますが、 くなってはいますが 、 現在も 現在 も 冤罪を 冤罪 を 再生産していく 再生産 していく構造 していく 構造は 構造 は 余 り 変 わっていませ ん。その点 その点で、旧版のままで 旧版のままで、 のままで、裁判員になった 判員になった皆 になった皆さ んの参考 んの参考になればと 参考になればと公開 になればと公開いたしました 公開いたしました。 いたしました。差別用語、 差別用語、 その他 その 他 で 不穏当な 不穏当 な 部分もありますが 部分 もありますが、 もありますが 、 原文のまま 原文 のまま で掲載しています 掲載しています。) しています。) 1 第1章 死刑台から 死刑台から生 から生き還った男 った男 免田栄氏に 「免田栄氏 に会う 」 ある苦悩 ある苦悩の 苦悩の年輪を 年輪を刻んだ男 んだ男の肖像― 肖像―中肉中背に 中肉中背にブルーの ブルーの背広姿、 背広姿、赤いネクタ イ。細面 細面の の顔は日焼けし 日焼けし浅黒 けし浅黒かった 浅黒かった。 かった。眼鏡の 眼鏡の奥の柔和な 柔和な目には何事 には何事にも 何事にも興味 にも興味を 興味を 好奇心と はにかんだ視線 視線が 交互に われた。 示す好奇心 と、はにかんだ 視線 が交互 に現われた 。 ハゲ上 がっていたが、 くふさふさしており、 無造作に 額は少しハゲ 上がっていたが 、髪は黒くふさふさしており 、無造作 に分けた ところはとても五十七歳 五十七歳には には見 えなかった。 どちらかというとスマート スマートな ところはとても 五十七歳 には 見えなかった 。どちらかというと スマート な学究 タイプを わせた。 タイプ を思わせた 。 その男 わが国 めて〝 死刑台から から生還 生還した した男 免田栄氏に った第一 その 男。わが 国で初めて 〝死刑台 から 生還 した 男″、免田栄氏 に会った 第一 印象であった であった。 印象 であった 。 った瞬間 瞬間、 それまで新開 新開、 雑誌、 裁判記録などを などを読 んで私 会った 瞬間 、それまで 新開 、雑誌 、裁判記録 などを 読んで 私の頭の中に出来 がっていた免田氏 免田氏の イメージと 所在なげに なげに立 っている現実 現実の 上がっていた 免田氏 のイメージ と目の前に所在 なげに 立っている 現実 の免田氏 印象とはかけ とはかけ離 れていた。 の印象 とはかけ 離れていた 。 外見上は 平凡で 地味で 無口な 初老の であった。 ですれ違 っても、 外見上 は全く平凡 で地味 で無口 な初老 の男であった 。街ですれ 違っても 、誰 れもふり向 きはしない目立 目立たない たない感 しかも、 免田氏は かがみで、 背中を れもふり 向きはしない 目立 たない 感じ。しかも 、免田氏 は前かがみで 、背中 を しきりに目 キョロキョロさせて させて、 物珍しそうに しそうに周囲 周囲を めていた。 少し丸め、しきりに 目をキョロキョロ させて 、物珍 しそうに 周囲 を眺めていた 。 三十四年間という という気 くなるような歳月 歳月を 独房で ごし、 死刑と 三十四年間 という 気の遠くなるような 歳月 を独房 で過ごし 、死刑 と 向い合っ てきた恐 るべき体験 体験。 死刑確定囚という という絶体絶命 絶体絶命の から運命 運命を いた超 てきた 恐るべき 体験 。死刑確定囚 という 絶体絶命 の淵から 運命 を切り拓いた 超 人的な 努力、 不屈の 闘志、 その壮絶 壮絶な 人生を 免田氏の 外見からうかがわせるも 人的 な努力 、不屈 の闘志 、その 壮絶 な人生 を免田氏 の外見 からうかがわせるも のはまるでなかった。 のはまるでなかった 。 その落着 落着いた いた、 あまりに淡 とした姿 すかしを食 ったような気持 その 落着 いた 、あまりに 淡々とした 姿に、私は肩すかしを 食ったような 気持 ちだった。 ちだった 。 歴史的な 免田再審事件の 無罪判決から から約三 約三カ 昭和五十八( 一九八三) 歴史的 な免田再審事件 の無罪判決 から 約三 カ月、昭和五十八 (一九八三 )年 十月七日の 東京都千代田区一ツ 日本教育会館ホール ホールで 十月七日 の夜、東京都千代田区一 ツ橋の日本教育会館 ホール で拘禁二法反対集 開催された された。 免田氏はこの はこの集会 集会の ゲストとして として招 かれた。 はこの会場 会場で 会が開催 された 。免田氏 はこの 集会 のゲスト として 招かれた 。私はこの 会場 で 免田氏と った。 マスコミ攻勢 攻勢にうんざりしたためか にうんざりしたためか、 毎日新聞』 免田氏 と会った 。マスコミ 攻勢 にうんざりしたためか 、私が『毎日新聞 』の社 名入りの りの名刺 名刺を して、 質問をしても をしても、 期待した した返事 返事はなかなか はなかなか返 名入 りの 名刺 を出して 、質問 をしても 、期待 した 返事 はなかなか 返ってこなか った。 った 。 この日 免田氏は 免田事件の 弁護団の 荒木哲也、 佐伯仁弁護士ら 三人と この 日、免田氏 は免田事件 の弁護団 の荒木哲也 、佐伯仁弁護士 ら三人 と壇上 事件について について語 った。 で事件 について 語った 。 弁護士一人一人が 免田氏に 質問するという するという形 約二十分にわたって にわたって話 をした。 弁護士一人一人 が免田氏 に質問 するという 形で約二十分 にわたって 話をした 。 2 その語 その語り口はあくまで控 はあくまで控え目で、まるで物静 まるで物静かに 物静かに悟 かに悟りの境地 りの境地を 境地を独白するかのよ 独白するかのよ うであった。 りや悲 しみ、 しみなどは突 うであった 。怒りや 悲しみ 、苦しみなどは 突き抜けてしまった感 けてしまった感じで、 じで、会場を 会場を めた聴衆 聴衆は 一瞬驚き そして引 まれた。 弁護士が 質問し 免田氏が 埋めた 聴衆 は一瞬驚 き、そして 引き込まれた 。弁護士 が質問 し免田氏 が答えた。 ― 急に社会に 社会に出てきて、 てきて、今一番気をつかっていることは 今一番気をつかっていることは何 をつかっていることは何でしょうか。 でしょうか。 社会にすぐなじめませんし にすぐなじめませんし、 健康も 十分でございませんし でございませんし…… ……」 「社会 にすぐなじめませんし 、健康 も十分 でございませんし …… 」 どういう点 をどういう風 をつかうのですか。 ― どういう 点をどういう 風に気をつかうのですか 。 食事の 問題とか とか、 世間でのいろいろな でのいろいろな賛成派 賛成派とか とか批判派 批判派とかございまし 「食事 の問題 とか 、世間 でのいろいろな 賛成派 とか 批判派 とかございまし いろいろ言 っていますから」 て。いろいろ 言っていますから 」 賛成派、 批判派というのは というのは何 でしょうか。 ― 賛成派 、批判派 というのは 何でしょうか 。 無罪判決に 好意を っていただく方 それを批判 批判される される方 とか…… ……」 「無罪判決 に好意 を持っていただく 方、それを 批判 される 方とか …… 」 直接、 あなたの耳 りますか。 ― 直接 、あなたの 耳に入りますか 。 そういうことはございませんが…… ……」 「そういうことはございませんが …… 」 ハガキや 手紙など などですか ですか。 ― ハガキ や手紙 など ですか 。 ハイ」 「ハイ 」 拘置所に 二十四年間、 あなたはおられたわけですが、 死刑囚の ― 拘置所 に二十四年間 、あなたはおられたわけですが 、死刑囚 の名 の下に ごされて、 一番苦しかったことはどんなことでしょうか しかったことはどんなことでしょうか。 過ごされて 、一番苦 しかったことはどんなことでしょうか 。 そうですね。 真実が らないこと。 死刑という という直面 直面の 問題が 生活に 「そうですね 。真実 が通らないこと 。死刑 という 直面 の問題 が常に生活 に からんでくることでした」 からんでくることでした 」 死刑がからんでくることをもう がからんでくることをもう少 しあなたの体験 体験として として具体的 具体的に ― 死刑 がからんでくることをもう 少しあなたの 体験 として 具体的 に 話し てくれませんか。 てくれませんか 。 再審中に 死刑囚で 再審をしていた をしていた人 はたくさんいましたが、 「私が再審中 に他の死刑囚 で再審 をしていた 人はたくさんいましたが 、再 却下と 同時に 執行される される人 何人もいましたので もいましたので、 自分もそういう 審が却下 と同時 に執行 される 人が何人 もいましたので 、自分 もそういう ことになりはしないか、 れていました」 ことになりはしないか 、恐れていました 」 刑執行の 通知はいつごろくるのですか はいつごろくるのですか。 ― 死刑執行 の通知 はいつごろくるのですか 。 朝八時ごろ ごろ、 保安課の 職員から から通知 通知があると があると同時 同時に 本人が され、 「朝八時 ごろ 、保安課 の職員 から 通知 があると 同時 に本人 が連れ出され 、 家族とちょっと とちょっと面会 面会させて させて、 遺書を かせ、 風呂に って九時半 九時半か 家族 とちょっと 面会 させて 、遺書 を書かせ 、風呂 に入って 九時半 か十時 されます」 前に連れ出されます 」 無罪判決後の 記者会見で 死刑囚を 七十人近く 見送ったのが ったのが、 一番つらか ― 無罪判決後 の記者会見 で死刑囚 を七十人近 く見送 ったのが 、一番 つらか ったと言 われましたが、 執行される される時 遺言など など受 ったと 言われましたが 、執行 される 時は遺言 など 受けることはあるんで すか。 すか 。 わりの整理 整理がすんで がすんで、 死刑台に くという前 各死刑囚と 「身の回わりの 整理 がすんで 、死刑台 に行くという 前に各死刑囚 と別れの 握手をやりますから をやりますから、 その時 しくしている人 とは会話 会話をするし をするし、 握手 をやりますから 、その 時は親しくしている 人とは 会話 をするし 、日 ごろ、 再審とか とか何 とか話 をしている人 不満を ごろ 、再審 とか 何とか 話をしている 人は不満 を打ち明けていくこともあ りましたね」 りましたね 」 3 無実を 遺言して して執行 執行された された死刑囚 死刑囚たちのこと たちのこと」 「無実 を遺言 して 執行 された 死刑囚 たちのこと 」 ― 不満の 不満の中ではどんな点 ではどんな点が多かったんでしょうか。 かったんでしょうか。 冤罪を 「冤罪 を訴えておられる人 えておられる人も多くいましたが、 くいましたが、端的に 端的に言って多 って多かったのは 殺人はしているが はしているが、 強盗はしていないとか はしていないとか、 殺人ではなくて ではなくて、 傷害が 殺人 はしているが 、強盗 はしていないとか 、殺人 ではなくて 、傷害 が殺 になったとか、 そんな事件 事件が いですね」 人になったとか 、そんな 事件 が多いですね 」 そういう自分 自分の 一番いいたいことをあなた いいたいことをあなた方 えて行 ― そういう 自分 の 一番 いいたいことをあなた 方に 伝 えて 行 ったわけです ね。 そうです」 「そうです 」 七十人近くを くを見送 見送った った中 印象に っているものは。 ― 七十人近 くを 見送 った 中で、特に印象 に残っているものは 。 一審で 死刑判決を された裁判官殿 裁判官殿が 高裁に 栄転され されまして まして、 「一審 で私に死刑判決 を下された 裁判官殿 が高裁 に栄転 され まして 、その 何人かに かに死刑判決 死刑判決を しておられるんですが、 この死刑囚 死刑囚と 方が何人 かに 死刑判決 を出しておられるんですが 、この 死刑囚 と私は 二 年間ほど ほど一緒 一緒にいまして にいまして。 その人 死刑執行の 殺人はやってい 年間 ほど 一緒 にいまして 。その 人が死刑執行 の朝、私に殺人 はやってい ないのに、 強盗殺人で 死刑になるのは になるのは残念 残念でたまらないといって でたまらないといって、 ないのに 、強盗殺人 で死刑 になるのは 残念 でたまらないといって 、私 に 遺言して して執行台 執行台に られた方 二人おられます おられます。 もそんなことを体験 遺言 して 執行台 に上られた 方が二人 おられます 。私もそんなことを 体験 しておりますから、 裁判の しさ、 裁判官と 個人の 痛感させられま しておりますから 、裁判 の難しさ 、裁判官 と個人 の差を痛感 させられま した」 した 」 そういう立場 立場に って、 あなたが無実 無実の 汚名を せられた原因 原因はどこに ― そういう 立場 に立って 、あなたが 無実 の汚名 を着せられた 原因 はどこに あると思 いますか。 あると 思いますか 。 (しばらく しばらく考 えて) そうですね。 機構の 問題ではないですか ではないですか、 司法という という。 「( しばらく 考えて )そうですね 。機構 の問題 ではないですか 、司法 という 。 場合、 警察から から理由 理由のない のない連行 連行をされ をされ、 それからずっと八日間 八日間も 私の場合 、警察 から 理由 のない 連行 をされ 、それからずっと 八日間 も寝 えない取調 取調べを べを受 けて、 一審の 判決になっておりますから になっておりますから」 食も与えない 取調 べを 受けて 、一審 の判決 になっておりますから 」 あなたは自白 自白を 強要されて されて、 ウソの 自白をしたことが をしたことが最後 最後まで まで自分 自分を ― あなたは 自白 を強要 されて 、ウソ の自白 をしたことが 最後 まで 自分 を苦 しめたと言 ってましたね。 一生懸命に 最後の 最後まで まで警察官 警察官に する批 しめたと 言ってましたね 。一生懸命 に最後 の最後 まで 警察官 に対する 批 公判で 対決させてほしいと させてほしいと言 っておられますがその気持 気持ちは ちは一審 一審か 判、公判 で対決 させてほしいと 言っておられますがその 気持 ちは 一審 か らですか。 らですか 。 一審で 否認した した時点 時点から から、 自分の さもありましたが、 「一審 で否認 した 時点 から 、自分 の愚さもありましたが 、だまされたとい うことを身 って体験 体験しましたので しましたので、 対決させてほしいということを うことを 身を持って 体験 しましたので 、対決 させてほしいということを 確定後、 再審でも でも再 いしたんですが実現 実現しなくて しなくて今 残念に 確定後 、再審 でも 再々お願いしたんですが 実現 しなくて 今でも残念 に思 っております」 っております 」 あなたは取調 取調べで べで一番 一番つらかったのは つらかったのは眠 ― あなたは 取調 べで 一番 つらかったのは 眠 らせてくれなかったことだと ってますが。 言ってますが 。 人吉警察( 当時、 取調べられた べられた警察署 警察署) 留置場がないですから がないですから。 「人吉警察 (当時 、取調 べられた 警察署 )は留置場 がないですから 。刑事 交代交代で 徹夜で べて食事 食事も えないし、 らせない。 二月の が交代交代 で徹夜 で調べて 食事 も与えないし 、眠らせない 。二月 の厳寒 ガタガタふるえて ふるえて、 さなど感 じないほどでした」 期で)体がガタガタ ふるえて 、寒さなど 感じないほどでした 」 取調べの べの状況 状況は 検察庁へ られるまでガタガタ ガタガタふるえどうしだったん ― 取調 べの 状況 は 検察庁 へ 送 られるまで ガタガタ ふるえどうしだったん 4 ですか。 ですか。 「それを それを警察 警察は 警察 は私が否認し 否認し、隠しているから、 しているから、ふるえがくるといって、 ふるえがくるといって、逆 にますます追及 追及されたんです されたんです」 にますます 追及 されたんです 」 その後 検察庁に られて拘置所 拘置所に ったわけですが、 拘置所と ― その 後、検察庁 に送られて 拘置所 に行ったわけですが 、拘置所 と代用監 留置場) とはどう違 いますか。 獄(留置場 )とはどう 違いますか 。 全然違います います。 拘置所は 食事なんか なんか少 ないし、 規則もやかましくても もやかましくても、 「全然違 います 。拘置所 は食事 なんか 少ないし 、規則 もやかましくても 、 ることも食 べることも自由 自由が えられています。 警察では では食事 食事を 寝ることも 食べることも 自由 が与えられています 。警察 では 食事 を与 え ないし、 ることも許 してくれませんし…… ……」 ないし 、寝ることも 許してくれませんし …… 」 第一審の 三回公判から から、 あなたは自白 自白をひるがえしていますね をひるがえしていますね。 ― 第一審 の三回公判 から 、あなたは 自白 をひるがえしていますね 。 警察におる におる時 警察に 連行されたものは されたものは犯人 犯人である である。 法律でそうなって 「警察 におる 時、警察 に連行 されたものは 犯人 である 。法律 でそうなって いるのだから認 めなくてはいけない、 とそういうことをくり返 されて言 いるのだから 認めなくてはいけない 、とそういうことをくり 返されて 言 われました。 えている常識 常識とは とは違 うとは思 ながらも、 自分の われました 。私の考えている 常識 とは 違うとは 思いながらも 、自分 の愚 さもあり、 そういうものかと思 自白してしまった してしまった。 その後 さもあり 、そういうものかと 思い自白 してしまった 。その 後、体も回復 自分で 物事の 判別ができるようになって ができるようになって、 これではいかんと思 し自分 で物事 の判別 ができるようになって 、これではいかんと 思い自白 をひるがえしたのです」 をひるがえしたのです 」 集会は 集会は会場が 会場が午後九時までしか 午後九時までしか使用 までしか使用できないという 使用できないという制約 できないという制約があり 制約があり、 があり、免田氏から 免田氏から もっと突 んだ話 余裕はなかった はなかった。 「もう もう時間 時間ですから ですから…… ……」 もっと 突っ込んだ 話を開く余裕 はなかった 。 「 もう 時間 ですから …… 」と主催者 ピッタリ二十分 二十分で 免田氏への への質問 質問を 拘禁二法の 主題に った。 はピッタリ 二十分 で、免田氏 への 質問 を打ち切り、拘禁二法 の主題 に戻った 。 免田氏は 拍手に られ退場 退場した した。 免田氏 は拍手 に送られ 退場 した 。 聴衆は 免田氏からもっと からもっと生 しい死刑囚 死刑囚の 体験を くことを期待 期待していた していた様 聴衆 は免田氏 からもっと 生々しい 死刑囚 の体験 を聞くことを 期待 していた 様 ガッカリした した空気 空気が った。 子でガッカリ した 空気 が漂った 。 った免田氏 免田氏の 「地元 地元に 賛成組と 批判組がある がある」 私は淡々と語った 免田氏 の 話の中 で、 「 地元 に賛成組 と批判組 がある 」という 死刑執行前に 自分はやっていないと はやっていないと訴 えて死 んでいった死刑囚 死刑囚が 二人い 点と「死刑執行前 に自分 はやっていないと 訴えて 死んでいった 死刑囚 が二人 い という点 にかかった。 る」という 点が特に気にかかった 。 賛成組、 批判組とはまるで とはまるでブラジル ブラジルでの での勝 じではないか。 賛成組 、批判組 とはまるで ブラジル での 勝ち組、負け組と同じではないか 。 なぜそうなるのか。 なぜそうなるのか 。 それに、 免田氏と じような運命 運命に 冤罪を らすことなく執行 執行された それに 、免田氏 と同じような 運命 に泣き、冤罪 を晴らすことなく 執行 された がおればこんな不幸 不幸なことはない なことはない。 七十人近い 死刑確定囚の 最後を 見送った 人がおればこんな 不幸 なことはない 。七十人近 い死刑確定囚 の最後 を見送 った 免田氏こそ こそ、 そうした実情 実情に 一番詳しい しい人物 人物ではなかろうか ではなかろうか。 免田氏 こそ 、そうした 実情 に一番詳 しい 人物 ではなかろうか 。 さな祝賀会 祝賀会にて にて」 「小さな 祝賀会 にて 」 免田氏と 免田氏と熊本市 熊本市から付添 から付添ってきた 付添ってきた荒木弁護士 ってきた荒木弁護士は 荒木弁護士は会場を 会場を出て、同じ弁護団の 弁護団の一 人、倉田哲治弁護士 倉田哲治弁護士の 事務所を の事務所 を訪れるという。 れるという。事務所は 事務所は中央区銀座六丁目にあ 中央区銀座六丁目にあ 倉田弁護士は 毎月一回「 陪審制度を える会 いていた。 り、倉田弁護士 は毎月一回 「陪審制度 を考える 会」を開いていた 。 5 この日 この日は例会日であり 例会日であり、 であり、免田氏もあいさつに 免田氏もあいさつに顔 もあいさつに顔を出すことになったのである。 すことになったのである。 私もこの もこの会 毎回出席しており しており、 免田氏、 荒木弁護士らを らをタクシー タクシーで 案内した した。 会に毎回出席 しており 、免田氏 、荒木弁護士 らを タクシー で案内 した 。 車中で 免田氏は 大手町の オフィス街 銀座の ネオンや イルミネーションの 車中 で免田氏 は大手町 のオフィス 街や銀座 のネオン やイルミネーション の華 さに日 われたのか「 東京は きいですね」 「地下鉄 地下鉄に ってみたい」 麗さに 日を奪われたのか 「東京 は大きいですね 」 「 地下鉄 に乗ってみたい 」と無 邪気に していた。 邪気 に話していた 。 単刀直入に 二人の 死刑囚は れなのか、 免田氏に いた。 免田氏は 私は単刀直入 に二人 の死刑囚 は誰れなのか 、と免田氏 に聞いた 。免田氏 は黙 ったまま、 「二人 二人の 人権上の 問題がありますから がありますから… えを避 けた。 ったまま 、 「 二人 の人権上 の問題 がありますから …」と答えを 避けた 。車の渋滞 でわれわれはタクシー タクシーから から降 りて歩 いた。 でわれわれは タクシー から 降りて 歩いた 。 銀座ではこの ではこの日 はちょうど「 大銀座まつり まつり」 かれており、 銀座 ではこの 日はちょうど 「大銀座 まつり 」が開かれており 、イルミネーシ ョンで った車 パレードし 沿道は 数十万人の 観客でにぎわっていた でにぎわっていた。 ョン で飾った 車が次々にパレード し、沿道 は数十万人 の観客 でにぎわっていた 。 洪水と やかな音楽 音楽の 饗宴、 横切り やっと倉田法律事務 光の洪水 と華やかな 音楽 の饗宴 、人の渦の中を横切 り、やっと 倉田法律事務 到着した した。 そこには弁護士 弁護士、 編集者、 主婦ら 約十人が っていた。 所に到着 した 。そこには 弁護士 、編集者 、主婦 ら約十人 が待っていた 。 沖縄の 米軍占領下の 陪審裁判を 題材にした にした作品 作品『 逆転』 一九七八年度 沖縄 の米軍占領下 の陪審裁判 を題材 にした 作品 『逆転 』で、一九七八年 度の 大宅壮一ノンフィクション ノンフィクション賞 受賞した した作家 作家の 伊佐千尋氏も メンバーであった であった。 大宅壮一 ノンフィクション 賞を受賞 した 作家 の伊佐千尋氏 もメンバー であった 。 一転し 免田氏の 祝賀会に えられた。 寿司が りよせられ、 会は一転 し、免田氏 の祝賀会 に切り換えられた 。寿司 が取りよせられ 、ウイ スキーや 焼酎も テーブルに んだ。 スキー や焼酎 もテーブル に並んだ 。 免田氏は べた後 でないと、 一度に るので…… ……」 恐縮しながら しながら、 免田氏 は「酒は食べた 後でないと 、一度 に回るので …… 」と恐縮 しながら 、 焼酎を 注文した した。 焼酎 を注文 した 。 免田氏はここでもほとんど はここでもほとんど聞 かを発言 発言するということはなか 免田氏 はここでもほとんど 聞き役で、自ら何かを 発言 するということはなか った。 柔和な 日差しを しを向 けて微笑 微笑んでいることが んでいることが多 かった。 った 。柔和 な日差 しを 向けて 微笑 んでいることが 多かった 。 められた狭 鉄舎で 一人だけの だけの長 沈黙を いられた結果 結果であろうと 閉じ込められた 狭い鉄舎 で一人 だけの 長い沈黙 を強いられた 結果 であろうと えた。 私は考えた 。 賛成組、 批判組をもっと をもっと具体的 具体的に 説明してくれませんか してくれませんか」 免田氏に 「賛成組 、批判組 をもっと 具体的 に説明 してくれませんか 」と私は免田氏 に開 いた。 いた 。 三対一ぐらいで ぐらいで、 判決を 支持してくれる してくれる人 いんですが…… ……。 熊本日々 「三対一 ぐらいで 、私の判決 を支持 してくれる 人は多いんですが …… 。熊本日 々 新聞には には批判 批判も なからず行 ってるようです…… ……」 免田氏は 残念そうな そうな口 新聞 には 批判 も少なからず 行ってるようです …… 」と免田氏 は残念 そうな 口ぶ りだった。 りだった 。 被害者の さんがあくまで免田君 免田君は 犯人に 間違いない いない、 とあちこちで言 「被害者 の娘さんがあくまで 免田君 は犯人 に間違 いない 、とあちこちで 言って ますからね。 犯行のあった のあった時 この娘 さんは免田 免田さんの さんの顔 たんで間違 間違い ますからね 。犯行 のあった 時に、この 娘さんは 免田 さんの 顔を見たんで 間違 い ないと言 ってるんだけど…… ……、 記録を んでもどこにもそんなことは書 ないと 言ってるんだけど …… 、記録 を読んでもどこにもそんなことは 書いてな いよ」 いよ 」 倉田弁護士が をはさみ、 すぐそばにある本棚 本棚に ズラリと んだ記録 記録を 倉田弁護士 が口をはさみ 、すぐそばにある 本棚 にズラリ と並んだ 記録 を指さ した。 した 。 三十三人目の 証人として としてマスコミ マスコミが 報道した した半仁田証人 半仁田証人にしても にしても、 「三十三人目 の新証人 として マスコミ が大々的に報道 した 半仁田証人 にしても 、 これまで記録 記録には には片鱗 片鱗もないですよ もないですよ。 三十三年目に めて証言 証言し これまで 記録 には 片鱗 もないですよ 。三十三年目 に初めて 証言 し、それもまる 昨日のことのように のことのようにリアル リアルに 証言する する。 人間の 記憶なんてそんなものではな で昨日 のことのように リアル に証言 する 。人間 の記憶 なんてそんなものではな 6 い。過去の 過去の冤罪事件をみると 冤罪事件をみると、 をみると、誤った証言 った証言によって 証言によって罪 によって罪に落された人 された人がどんなに たくさんいるか。 証言などどうにでも などどうにでも変 えられるんですね」 たくさんいるか 。証言 などどうにでも 変えられるんですね 」 弁護士の 一人がさらにこうも がさらにこうも指摘 指摘した した。 弁護士 の一人 がさらにこうも 指摘 した 。 しかし、 被害者が 犯人だというなら だというなら間違 間違いない いない、 という単純 単純な レベルで 「しかし 、被害者 が犯人 だというなら 間違 いない 、という 単純 なレベル で免田 さんは犯人 犯人だというのが だというのが一般 一般の じゃないのかな。 記録を 丹念に んで、 さんは 犯人 だというのが 一般 の人じゃないのかな 。記録 を丹念 に読んで 、問題 冷静に 検討した した上 免田さんの さんの主張 主張が しいかどうかを判断 判断する する人 点を冷静 に検討 した 上で免田 さんの 主張 が正しいかどうかを 判断 する 人などご ないしね。 事件は 片付いても いても冤罪 冤罪を 風土は 一向に わっていない」 く少ないしね 。事件 は片付 いても 冤罪 を生む風土 は一向 に変わっていない 」 免田氏はここでも はここでも、 裁判を ける被告 被告のように のように、 周囲のやりとりを のやりとりを黙 って開 免田氏 はここでも 、裁判 を受ける 被告 のように 、周囲 のやりとりを 黙って 開 いているだけだった。 いているだけだった 。 伊佐氏が いた。 「無罪判決 無罪判決で 裁判長が 最後におわびの におわびの言葉 言葉を 伊佐氏 が口を開いた 。 「 無罪判決 で、裁判長 が最後 におわびの 言葉 を述べなか ったのは画竜点晴 画竜点晴を くんだな。 免田さんに さんに謝罪 謝罪して して、 先輩裁判官の ったのは 画竜点晴 を欠くんだな 。免田 さんに 謝罪 して 、先輩裁判官 の過ちをわ びれば名判決 名判決になったのにね になったのにね」 ウイスキーの グラスを けながら感想 感想を びれば 名判決 になったのにね 」とウイスキー のグラス を傾けながら 感想 を述べ た。 会員の には同調 同調する する意見 意見が かった。 それまで感情 感情の 起伏を 会員 の問には 同調 する 意見 が多かった 。と、それまで 感情 の起伏 を見せなか 免田氏が めて、 って紅潮 紅潮した した顔 をあげて毅然 毅然とした とした口調 口調で った。 った免田氏 が初めて 、少し酔って 紅潮 した 顔をあげて 毅然 とした 口調 で言った 。 おわびなんて必要 必要ないですよ ないですよ。 日本だけのものです だけのものです。 謝罪し 「おわびなんて 必要 ないですよ 。日本 だけのものです 。謝罪 し、おわびすれば すべてが許 してもらえると思 西欧にはおわびなんて にはおわびなんて概念 概念はないですよ はないですよ。 すべてが 許してもらえると 思う。西欧 にはおわびなんて 概念 はないですよ 。本 いと思 におわびすることは二度 二度とこうしたことを とこうしたことを起 当に悪いと 思い、真におわびすることは 二度 とこうしたことを 起こさないため 制度なりを なりを改革 改革することです することです。 言葉だけのおわびなど だけのおわびなど必要 必要ありません ありません。 に制度 なりを 改革 することです 。言葉 だけのおわびなど 必要 ありません 。悪い えることが本当 本当の 意味のおわびです のおわびです」 点を変えることが 本当 の意味 のおわびです 」 言葉はそれまでの はそれまでの淡 とした調子 調子と らなかったが、 免田氏の なる激 言葉 はそれまでの 淡々とした 調子 と変らなかったが 、免田氏 の内なる 激しい りがその言葉 言葉には には現 われていた。 みんな思 わず、 田氏の 怒りがその 言葉 には 現われていた 。みんな 思わず 、免田氏 の胸の中に秘められ いに圧倒 圧倒された された。 た思いに 圧倒 された 。 一瞬、 には沈黙 沈黙が れた。 免田氏は 獄中三十四年の 無念をふりかえるかの 一瞬 、座には 沈黙 が流れた 。免田氏 は獄中三十四年 の無念 をふりかえるかの ように目 をつむった。 ように 目をつむった 。 (つづく)<禁転載>© 7