Comments
Description
Transcript
明治政界の奥座敷・相関図(PDF:181.4KB)
陸奥宗光 西園寺公望 (1844.8.20~ ~1897.8.24) (1849.12.7~ ~1940.11.24) 第12・ 12・14代 14代内閣総理大臣 内閣総理大臣 立憲政友会第2 立憲政友会第2代総裁 滄浪閣の 滄浪閣の隣に別荘所有 「隣荘」 隣荘」 第2次伊藤内閣 外務大臣 「立憲政友会」 立憲政友会」に参加 松本 順 (1832.7.13~ ~1907.3.12) 『楽痴庵』 楽痴庵』 と 書かれた書 かれた書を 送る 林 董 (1850.4.11~ ~1913.7.20) 伊藤博文 「立憲政友会」 立憲政友会」 に参加 原 敬 (1856.3.15~ ~1921.11.4) (1841.9.2~ ~1909.10.26) 初代陸軍軍医総監 1885年大 1885年大磯海水浴場開設 年大磯海水浴場開設 兄 弟 カミソリ大臣 カミソリ大臣と 大臣と呼ばれ、 ばれ、 門 不平等条約 不平等条約の の改正に 改正に辣腕を 辣腕を 下 振るう 1894年大磯に 年大磯に別荘購入 門 生 1894年大磯 下 生 岩倉使節団 第19代内閣総理大臣 19代内閣総理大臣 立憲政友会第3 立憲政友会第3代総裁 大磯南下町に 大磯南下町に別荘所有 初代・ 初代・第5代・第7代・第10代内 10代内閣総理大臣 代内閣総理大臣 韓国統監府初代統監、 韓国統監府初代統監、立憲政友会初代総裁 1897年滄浪閣建設 1897年滄浪閣建設 1898年大磯町民 1898年大磯町民になる 年大磯町民になる 大隈邸「 大隈邸「築地梁山泊」 築地梁山泊」にて井上馨 にて井上馨、 井上馨、 渋沢栄一らとともに 渋沢栄一らとともに議論 らとともに議論 1881年以降政変 1881年以降政変により 年以降政変により争 により争う立場に 立場に 外交官、 外交官、政治家 榎本武揚率 榎本武揚率いる 武揚率いる脱走艦隊 いる脱走艦隊 に身を投じ、箱館戦争時 には佐藤東三郎 には佐藤東三郎と 佐藤東三郎と名乗る 名乗る 大磯に (1838.3.11~ ~1922.1.10) 大磯に別荘所有 現翠渓荘 第8代、第17代内閣総理大臣 17代内閣総理大臣 東京専門学校( 東京専門学校(現早稲田大学) 現早稲田大学)の創立者 1909年伊藤 1909年伊藤の 年伊藤の訃報を 訃報を聞いて密 いて密かに涙 かに涙 大隈重信 加藤高明 第4次伊藤内閣 外務大臣 (1860.1.25~ ~1926.1.28) 娘 婿 岩崎弥之助 (1851.2.8~ ~1908.3.25) 三菱財閥2 三菱財閥2代目総帥 第4代日本銀行総裁 大磯に 大磯に別荘所有 兄 弟 第24代内閣総理大臣 24代内閣総理大臣 1902年大磯 1902年大磯に 年大磯に別荘購入 岩崎弥太郎 (1835.1.9~ ~1885.2.7) 実業家 三菱財閥の 三菱財閥の創業者 伊藤博文没後100 伊藤博文没後100年記念 100年記念「 年記念「滄浪閣の 滄浪閣の時 代」 大磯町郷土資料館 より