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米国の家族性乳がん・ 卵巣がんの予防医療の実際
Schneller Genetics 3 第8回 家族性腫瘍研究会学術集会 特別企画講演(ランチョンセミナ-1)要旨 Victor G.Vogel,MD,MHS 米国の家族性乳がん・ 卵巣がんの予防医療の実際 原 題:Current situation of medical prevention for hereditary breast and ovarian cancers in the U.S. □講 師: Dr.ヴィクター・G・ヴォーゲル (Victor G. Vogel, MD, MHS) Director, Magee/UPCI Breast Program Professor of Medicine and Epidemiology University of Pittsburgh, School of Medicine 平成14年6月14日 (金) □会 場:国立京都国際会館 □日 時: 第8回 家族性腫瘍研究会学術集会 特別企画講演(ランチョンセミナー1)要旨 講師:Dr. ヴィクター・G・ヴォーゲル (Victor G. Vogel, MD, MHS) これから遺伝子変異のないリスクの高い女性に対して現在行 われている一般的な方法と、遺伝子変異キャリアに対して取ら れている方法についてお話します。 乳がん予防法の論拠となっているのは、乳がん患者の少なく とも半数から3分の2は、正常な乳腺上皮が過形成から異型を伴 う過形成というように段階を経て、非浸潤乳管がん、そして浸 潤がんに進行していく、という観察です(図1)。こうした発症過 程を見るかぎり、発症の初期段階での治療が最終的に浸潤がん へと進展する率を減らすのに効果的であろうことは明らかです ので、そのリスクを縮小することがこの予防法の基本となって います。 リスク縮小のもう一つの根拠となっているのは、ヒトのエス 図1 トロゲン受容体の主要なリガンドであるエストラジオールが受 容体と結合しているということです。受容体とエストラジオー ルの複合体は二量体を形成します。その二量体は、DNAのエス トロゲン応答エレメントと結合して、RNAポリメラーゼを含む コファクターを集め、最終的に転写や細胞分裂を行います(図2)。 1960年代後半から1970年代前半にかけて、世界中の製薬 産業の多大な努力によって、選択的エストロゲン受容体モジュ レーター(以下、SERMs)が発見され、経口避妊薬や妊娠促進 薬として使用されるようになりました。しかし、このSERMsの 部類であるタモキシフェンやその他の薬が、培養乳がん細胞の 成長を抑制することがわかり、続いて、実際の患者の転移性乳 がんや初期の乳がんの成長も抑制することがわかりました。 図2 ラットの体内に悪性腫瘍を発症させてみたところ、化学的に 誘発されてできたラットの乳房の発がんを、タモキシフェンで 防ぐことができるということがすぐにわかりました。 第二世代のSERMsは、ベンゾサイアフェン (benzothiaphene)構造のラロキシフェン(raloxifene)です。 タモキシフェンについてお話しした後、ラロキシフェンの臨床 試験についてもお話しする予定です。 タモキシフェンはエストロゲン受容体と結合します(図3)。 熱ショックタンパクは、エストラジオールの時と同じようにタ モキシフェンと受容体の二量体から解離します。二量体になっ た複合体は再びエストロゲン応答エレメントに結合しますが、 エストロゲン受容体に結合したタモキシフェンの構造的な違い のため、完全なコアクチベータータンパクの増加は起こりませ ん。RNAポリメラーゼの活性があっても制限されます。そして 転写は減少し、細胞の成長も抑えられたり遅くなったりします。 Û Schneller Genetics 3 図3 早期乳がんの治療についての膨大なデータやラットの乳房の 発がんをタモキシフェンによって90%以上抑制したという動物 実験での結果に基づいて、アメリカの大規模な共同グループで あるNational Surgical Adjuvant Breast and Bowel P r o j e c t が 、1 9 9 2 年 6 月 に 乳 が ん 予 防 の 臨 床 試 験 ( 以 下 、 BCPT)を始めました。この試験の目的は、タモキシフェンによ ってハイリスク女性の乳がんのリスクを縮小させることができ るかどうかを確かめることです。 被験者として適格なのは、少なくとも60才の北アメリカ人女 性と同程度のリスクを持つ女性でした。つまり5年間に1.66%、 乳がんになるリスクがあるということです。およそ5年間にわた って、13,388人以上のハイリスク女性のうち、無作為に選ば れた6,681人の女性が、1日20ミリグラムのタモキシフェンの 投与を受け、残りの約半数はプラセボの投与を受けました(図4) 。 観察を始めて54ヵ月後、有意な結果が見えてきました。 この試験に参加するために必要なリスクの程度は、国立がん 研究所(NCI)で使われているモデルによって決められ、ゲイル 図4 乳がんリスクモデルと呼ばれています(図5)。そのモデルに使 われている7つのリスク要因は、年齢、浸潤乳がんに罹患した第 1度近親者の数、初産年齢または未経産歴、乳房生検の回数、小 葉か乳管のどちらかにおける異型過形成の有無、初潮年齢、そ して人種です。こうしたリスク要因を用いて、それぞれの女性 が5年間で乳がんになるリスクを推定し、この試験に参加しても らう適格者を決定しました。 BCPTでプラセボを与えられ、タモキシフェンの投与を受けな かった女性について、調査員がゲイルの乳がんリスクモデルに 基づいて乳がんになる見込み数を予測計算するとともに、54ヵ 月間の観察を実行しました。予想した数が実際に観察された症 例数に近ければ、このモデルはしっかり機能していることにな ります。全体的にみて、予想と観察結果の比率は1.03で、この 図5 試験における全ての年齢層の女性に対して正しい予想ができて いました。つまりこのモデルはBCPTの結果を正確に予想してい ると言えます。 このモデルは、アメリカ国立がん研究所のウェブサイト (http://bcra.nci.nih.gov/brc/)で見ることができます。そこで は乳がんについてのリスク要因を入力することにより、5年間で 乳がんになるリスクが決定されます。現在のモデルは患者の人 種や民族の選択をしていますが、北アメリカに住むアジア人女 性のデータも含んでいるので、アジアに住むアジア人女性が5年 間で乳がんになるリスクを推定するための罹患率データも含ん だものに修正できるかもしれません。 試験の見通しがついた時、プラセボの投与を受けている女性 の浸潤乳がんの累積発症例は、女性1,000人につき43.4人の割 合であり、言い換えればプラセボの投与を受けている女性全体 図6 のうち、浸潤乳がんを発症したのは175人であったことがここ で示されました(図6)。そして、タモキシフェンを使用してい る場合では、89人、すなわち女性1,000人につき22人の割合 となりました。この違いは統計学的に非常に有意なp値を示し、 両者の乖離は試験の初期から始まっていて、観察期間中ずっと Schneller Genetics 3 Ü 乖離したままでした。5年間タモキシフェンを使用した女性をそ の後7年近くまで観察したところ、その結果の違いはまだ持続し ていました。 図7は、この試験に参加した女性が5年間で乳がんを発症する リスクをパーセントで示したグラフです。2%未満のグループ、 2%から3%のグループ、というように分かれます。ご覧のよう に、どのリスクのグループにおいても、プラセボと比較してタ モキシフェンは浸潤乳がんの発生率を減らしています。文献の 中に少なくとも3つの大規模な前向き観察研究の記録があります が、異型過形成があると、乳がん発症の相対的なリスクが4倍か ら5倍に増加することを示しています。そして、第1度近親者に 1人もしくはそれ以上の乳がん患者がいる女性に異型があると、 乳がんになる相対的なリスクは、これら3つの前向き研究では 10倍から、高い場合は20倍になります。従って、BCPTにお いて小葉か乳管のいずれかに異型過形成がある女性の乳がん発 生率は、全ての女性を考慮に入れた上で50%以上の縮小が見ら 図7 れたということが重要です。異型過形成が見られる女性のリス クは86%まで縮小しました(図8) 。 このことは、おそらく半数から3分の2くらいの女性は異型の 段階を経て乳がんに進行するという、私が示した初期のモデル を実証するものであり、リスク縮小戦略の介入によって異型を 有する女性の浸潤乳がんになる二次的なリスクを著しく縮小す ることができたのだと思います。予防試験でプラセボを使った 非浸潤小葉がんの女性の浸潤がん発生率が年次1.3%だったのと 同様に、この試験に参加した非浸潤小葉がんのある600人ほど の女性にプラセボとタモキシフェンを平等に分けたところ、浸 潤がんが発症する率は55%縮小しました。 さて、タモキシフェンが乳がんの発症を抑える効果を調べた 研究が他に3つあります。試験に参加したうちの25%ほどの女 図8 性が、事前にそれ自体リスクを減らす効果のある卵巣摘出術を 受けていたイタリアの研究、ロンドンのRoyal Marsden Hospitalで行われた小規模な研究、そして、ちょうど3ヵ月前 にバルセロナで行われたヨーロッパ乳がん学会で発表されて、 最近論文になった国際乳がん予防研究グループ(IBIS-1)の3つ です。 図9のサンプル数を示している列とフォローアップの観察女性 人年の数を示している列に注目してください。これらの研究は3 段目の13,000人以上の女性を観察し、50,000人以上の観察 女性人年のフォローアップをしたBCPTと比べればかなり小規模 なものです。したがってBCPTの研究がタモキシフェンの効能を 最もしっかり評価していると思います。興味深いことに、BCPT で示された縮小率が49%だったのに対して、無作為抽出した人 を前向きにフォローアップするというBCPTと似たようなデザイ ンであるIBISの研究では、約30%のリスク縮小という異なる数 値を示しました。Royal Marsden Hospitalでの研究は力不足 であり、被験者の少なさやフォローアップの人年の数に限りが あったので、私たちがBCPTで確認した相違点と同じ数値を証明 できなかったのだろうと思い、NSABPの統計学者である Ý Schneller Genetics 3 図9 Costantino博士との共著論文でそう発表しました。イタリアの 試験は、参加した女性の多くが先に卵巣摘出を受けていたので、 効果の分からない研究であると思います。 タモキシフェンは申し分のないSERMsというわけではありま せん。BCPTに参加した女性のうち、閉経前の女性ではなく閉経 後の女性(つまり50歳以上の女性)は、浸潤子宮内膜がんの発 病率がおよそ4倍に増加していました(図10)。これらのがんは 全て初期のもので、いずれもFIGO分類の第0段階か第1段階で したが、タモキシフェンの使用がリスクを増加させるのではな いか、という懸念があります。5年間タモキシフェンを使用した 人の浸潤子宮内膜がんの発症率は平均で1%でした。ラロキシフ ェンを含むタモキシフェン様SERMsやホルモン補充療法は、肺 の塞栓、身体深部の静脈血栓症、脳卒中や一過性脳虚血発作な どの血栓塞栓症に関与しています。 BCPTのデータでは、一過性脳虚血発作のある患者にタモキシ フェンを投与したグループでは明らかな増加は見られませんで 図10 したが、一過性脳虚血発作の患者の多くは脳卒中のグループへ と移行するということに留意してください。プラセボを使用し た患者と比較して、タモキシフェンおよびタモキシフェンを含 む全てのSERMsを使用した患者の危険比率はおよそ3倍です が、このリスクは閉経後の女性(50歳以上)に限定されたもの で、 閉経前の患者のリスクではありません。 また、Richard DayとPatricia Ganzが発表した、BCPTで タモキシフェンを服用した女性とプラセボを服用した女性の生 活の質を比較したデータがあります(図11)。これは副作用の リストですが、これを見ると、非ホルモン薬物治療で管理され る全ての一般的な副作用と比べて、リスク比率はおよそ17∼ 20%の増加が見られるものからおよそ60%の増加が見られる ものまでいろいろです。 図11 閉経後にホルモン補充療法を受けている女性が浸潤がんを発 症するリスクの増加は、ホルモン補充療法を受け始めてから5年 未満の女性には見られませんが、5年から9年、もしくは10年 以上ホルモン補充療法をしている女性においてはリスクが40% 増加するということが、疫学的に十分に立証されています(図 12)。 以前にホルモン補充療法を受けていた女性の、ホルモン使用 に関する相対リスクは増加していません。私たちアメリカの医 師は通常、浸潤乳がん患者にはエストロゲンは処方しませんし、 実際のところ、使用するのを避けているのですが、1年ほど前に シアトルのワシントン大学のThe Puget Sound Health Cooperativeと呼ばれるグループによって発表された研究によりま すと、診断後にホルモン補充療法を受けた女性の最初のがんに 対してエストロゲンを処方しますと、もう一方の乳房の乳がん 図12 発症率が50%縮小したそうです。これは非常に興味深く、注目 すべき点です。この50%という縮小率が、BCPTでタモキシフ ェンを使用した時に見られた縮小率に限りなく近いということ は、非常に興味深いことだと思います。 Schneller Genetics 3 Þ では変異キャリアの人々に注目してみましょう。このグルー プは非常によく知られているように、患者や家族の中に以下の 特徴が見られる場合、BRCA1やBRCA2を保有している可能性 が高くなります。45歳未満の若年期に乳がんが複数発症してい る、乳がんになりやすい家系の中に1例でも卵巣がんが発症して いる、同じ患者に乳がんと卵巣がんの両方が発症している、45 歳になる前に両方の乳房にがんが発症している、などです。西 ヨーロッパ人や北アメリカ人がBRCA1やBRCA2の変異を保有 しているリスクは600人に1人、または800人に1人という割 合であるのに対して、アシュケナージ系や東ヨーロッパ系ユダ ヤ人の家系のリスクは1∼2%であり、彼らの家系では変異が広 く行き渡っていることが分かります。また男性の乳がんはご存 じのとおりBRCA2が関係しています。 北アメリカ人が浸潤乳がんになる生涯リスクがおよそ10%で あるのに対して、変異の保有者が浸潤乳がんになる生涯リスク は、高い場合で80%、低い場合で50%と推定されています (図13)。このスライドでは示されていませんが、このグループ 図13 はまた、浸潤卵巣がん、卵巣上皮がんになるリスクが20∼40% あります。 研究モデルに基づいて考えると、BRCA1のキャリアに対して は、ホルモンによる介入をしても効果が出にくいだろうと予測 することができます。図14は3年ほど前にScienceで発表され たデータです。この黒いバーで示している培養乳がん細胞は、 遺伝子工学的にBRCA1に変異を導入してあります。これらの細 胞では、エストラジオール存在下で、エストロゲン受容体とエ ストロゲン応答エレメントとが結合する能力を、ルシフェラー ゼレポーターシステムを用いてアッセイすることができますが、 変異があるとルシフェラーゼ活性は500∼800倍に増加しま す。しかし、ここで示されているように、 この細胞に野生型の BRCA1遺伝子を導入した時には、エストラジオールの刺激に対 する反応に著しい低下が見られます。 図14 このことは、BRCA1変異がある細胞をターゲットにしたホル モンの介入は、ほとんど効果がないだろうということを示唆し ています。図14の右側のグラフに示されているのは、これらの 細胞に野生型のBRCA1遺伝子を導入した時の量的効果ですが、 中等度の野生型BRCA1の量でエストラジオールに対するルシフ ェラーゼ活性がかなり減少していることを示しています。しか し、そのようなデータが報告されているにもかかわらず、3年前 に遺伝性乳がん研究グループのTim Rebbeckが報告したとお り、BRCA1変異を保有し、かつ予防的卵巣摘出術(すなわちホ ルモン操作)を受けた患者が乳がんになる生涯リスクは50%縮 小するのです(図15)。これら2本のグラフが、先ほど私が皆さ んにお見せしましたBCPTにおけるグラフに非常に似ているのは 大変興味深いことだと思います。 変異キャリアに発症した最初の乳がんに対するタモキシフェ ンの使用や卵巣摘出術を治療として行うことに関する文献の中 に、卵巣摘出術かタモキシフェンの使用のいずれかを行った患 者の反対側の乳房に第二の腫瘍が発生する率を観察したデータ があります。興味深いことに、BRCA1に変異のある患者がタモ キシフェンの投与を受けると、もう片方の乳房に第二の腫瘍が ß Schneller Genetics 3 図15 発生する率が60%縮小するのです。これらのデータは、図14 でお見せしましたScienceで発表されたFanらの研究では予測 されなかったことです。 さらに、BRCA2に変異を有する患者のもう片方の乳房に乳が んが発生する率はBRCA1の場合ほど減少しませんでした。この ことは、BRCA2関連乳がんのエストロゲン受容体陽性について の知識では予測できないことでした。2年から4年の間タモキシ フェンを使用することで、乳がんのリスクは70%以上縮小しま した(図16)。卵巣摘出術のリスク縮小率はおよそ60%です。 最初の乳がんに対する治療として化学療法を行った場合の縮小 率はおよそ60%です。これはおそらく、化学療法によって卵巣 の機能が停止するためでしょう。だいたい50%のリスク縮小が 見られたこれらの治療法を考えて、私が非常に興味をそそられ るのは、これらの治療法が、ホルモン介入でリスクが縮小する だろうとは予測されなかった変異を持つ女性に対して行われた ことです。 このデータは、BRCA2変異のキャリアがタモキシフェンのよ うなホルモンの介入に目覚しい反応をするはずだということを 示唆しています。なぜなら3年前にJournal of Clinical OncologyでVerHoogによって発表されたオランダでのデータ によりますと、BRCA2に変異を持つ女性28人中、エストロゲ ン受容体陽性乳がんの割合は93%で、これはオランダにおける 散発性乳がんのエストロゲン受容体陽性腫瘍の比率よりもさら 図16 に高いからです。これらのデータは、BRCA2変異のキャリアに は、タモキシフェンが非常に効果的であるということを示唆し ています。 これらのデータは、ワシントン大学のMary-Claire Kingが BCPTで患者に対して行った付随的な研究でも裏付けられていま す(図17)。私たちは、試験で合計315人の乳がんの症例を観 察しましたが、そのうちの288人のBRCA1およびBRCA2の塩 基配列を解析することができました。全ての患者の塩基配列を 解析することができた訳ではありませんが、この288人のうち 19人、つまり6.5%の人はBRCA1またはBRCA2の変異を受け 継いでいたことが分かりました。このおよそ7%という比率は、 北アメリカで私たちが臨床の現場にいる時に、新たに乳がんと 診断される患者の率として普段目にしている比率と同じもので す。この19人の女性のうち、8人の女性にBRCA1変異が見つ 図17 かりました。5人はタモキシフェンを、3人はプラセボを使用し ていたのですが、リスク比率は1.67で、BRCA1変異キャリア のリスク縮小の証拠にはなりませんでした。しかしBRCA2変異 を持つ11人の女性のうち、3人がタモキシフェンを、8人はプ ラセボの投与を受けた結果、リスクの縮小率は62%でした。 とは言え、これはわずか19人のケースに基づいたデータです ので、これらのデータに対する深読みには注意が必要です。し かし、私はこのデータが、BRCA2変異のキャリアにとって、タ モキシフェンの使用や卵巣摘出手術が確かにリスクを縮小する 上で大きな利益となることを示唆しているのだと思います。だ から私たちには、BRCA1についてのもっと多くの情報やデータ が必要なのだと思います。 Schneller Genetics 3 à では、変異のキャリアに対する予防的手術に注目してみまし ょう。図18は、3年前にミネソタ州ロチェスターのMayo ClinicのLynn Hartmannが発表したデータです。このデータは、 乳がんの発症を防ぐために両方の乳房の予防切除手術を受けた 女性は、手術後、浸潤乳がんの発生率が90∼94%まで縮小し たことを示しています。そして、このデータは、リスク要因や 手術を行うタイミング、家族歴の強さなど様々な要因で解析さ れましたが、どのグループでも相当なリスクの縮小が見られま した。 ちょうどここにニューヨークのMemorial Sloane Kettering Cancer Centerのグループが報告しているNew England Journal of Medicineの5月23日号掲載の最新データがあるの ですが、卵管卵巣摘出術を受けたことのある、BRCA1か BRCA2のいずれかに変異を持つ女性もまた、がんになるリスク が縮小したことが示されています(図19)。これらの女性は6年 の間に同定され、前向きなフォローアップを提供された35歳以 上の女性170人で、彼女たちは手術を受けた女性と手術を受け ていない女性とのグループに分けられました。これらのデータ が報告されたのは、フォローアップの期間としてだいたい2年ぐ らいの時でした。手術を受けた98人の女性の内、乳がんと診断 されたのは3人でしたが、手術を受けておらず、単にサーベイラ ンス(医学的監視)を続けただけの女性72人の内で、乳がんと 図18 診断された人が8人、卵巣がんと診断された人が4人、腹膜がん が1人でした。これは乳がんや婦人科系のがんの危険比率が 75%縮小しており、BRCA1やBRCA2の変異キャリアがこの 手術を受けると、乳がんと卵巣がんの両方のリスクが縮小する ということを示唆しているのです。ここに示されているこれら のデータは、手術は受けずにサーベイランスを続けただけの女 性と、手術を受けた女性の無病曲線グラフですが、手術を受け ていない女性は予防的な卵管卵巣摘出術を受けた女性と比較し て、乳がんと卵巣がんの両方の発症率が著しく増加しています。 これは統計学的に非常に有意な結果です。 Rebbeckの率いる遺伝性乳がん研究グループの最新の研究で は、BRCA1かBRCA2のいずれかに変異を保有する551人の女 性を、予防的卵巣摘出術を受けた259人と、受けなかった292 人にグループ分けし、その後の卵巣がんの発症率を調べました。 予防的手術を受けた259人のうち6人(2.3%)で、この期間中 に卵巣がんが発見され、2人(0.8%)で卵巣摘出の3年後と8 年後に、乳頭状硬がんを発症したことが分かりました。しかし 予防的手術を受けなかった292人のうち58人(20%)は、9 年近いフォローアップの期間中に卵巣がんと診断されました。 BRCA1やBRCA2のどちらかに変異がある女性のグループに対 する予防的卵巣摘出術は、統計学的に有意な信頼区間で卵巣上 皮がんを96%縮小させました。また、乳がんの既往がなく、予 防的乳房切除術も受けていない241人を、予防的両側卵巣摘出 術を受けた99人と、受けなかった142人にグループ分けし、そ の後の乳がんの発症率を調べました。卵巣摘出術を受けた99人 のうち、乳がんを発症したのは21人(21%)でしたが、受け á Schneller Genetics 3 図19 なかった142人のうち、60人(42%)で乳がんを発症しまし た。非常に興味深いことに、この研究での乳がん危険比率の 0.47という数値は、BCPTでの危険比率の0.51という数値に 極めて近い結果となりました。 図20のリスク縮小率に関するデータは、女性をそれぞれ、卵 巣摘出術を受けた年齢、フォローアップの期間、初潮年齢(12 歳より前か後か)、初産年齢(30歳より前か後か)などのグル ープに分けたもので、すべてのグループにおいて、だいたい50 ∼60%は予防的手術の後、卵巣がんと乳がんのリスクは縮小し ていることが分かります。 オランダの研究では、少数ではありますが、研究中に変異を 保有していることが分かって、両方の乳房の切除手術を受けた 女性を調べたものがあります。私たちもクリニックで変異のあ る女性から「予防的乳房切除術は変異キャリアのリスクを減ら せるのですか?」という質問をよく受けます。この研究では、 76人の女性が予防的乳房切除術を受け、63人の女性が手術で はなくサーベイランスを受けました。そして興味深いことに、 予防的乳房切除術を受けた女性は乳がんを発症しませんでした。 このことは実際、予防的乳房切除術が変異を持つ人のリスクを 縮小させることを示唆しています。 つまり私たちは、変異のある女性に対するBCPTと治療観察記 録の両方から、タモキシフェンが変異キャリアの、中でも特に 図20 BRCA2変異キャリアのリスクを縮小させるという確かな証拠を 得たのです。予防的卵巣摘出術は、卵巣がんと乳がんの両方の リスクを縮小させるという証拠も得られましたし、観察研究に よって予防的乳房切除術が浸潤乳がんのリスクを大幅に縮小さ せるという良いデータも得られています。 では、管理に関して推奨される方法とはどのようなものでし ょうか?これらの情報がまとめられている文献はほとんどあり ませんでした。そこで私は2年前に14、5人の同僚に呼びかけ て、「The Management of Patients at High Risk for Breast Cancer」という本を出版しました。 乳がん予防の臨床試験のデータや、皆さんにお見せしていな い様々なデータから考えますと、私や同僚たちは、特に家族歴 から見てリスクの高い人や、変異キャリアの非浸潤小葉がんや 非浸潤乳管がんに対しては、リスクを縮小させるために、タモ 図21 キシフェンの使用を強く奨めます。また、BCPTで、異型を有す る患者のリスクを80%以上縮小させたので、乳管タイプでも小 葉タイプでも異型過形成があれば、タモキシフェン使用の効果 があると信じています。変異を持つ閉経前の女性で、予防的手 術を受けることを選ばなかった女性や、あるいは予防的乳房切 除術を受けずに予防的卵巣摘出術を受けた女性で、特にBRCA2 に変異を有している場合、タモキシフェンの使用が最適である と考えられます(図21) 。 60歳以上の女性は、子宮内膜がんや血栓症のリスクが高いた め、非常に高いゲイルスコアを必要とします。しかし、非常に リスクの高い高齢の女性に対しては、タモキシフェンの使用を Schneller Genetics 3 â 考慮する余地がまだあります。また、ゲイルスコアが高く35歳 過ぎの閉経前の女性、つまりこの予防試験に参加する資格が十 分にある女性にも、タモキシフェンの使用が考慮されるべきで す(図22)。しかし、脳卒中や一過性脳虚血発作などの血液が 凝固した既往を持つ女性にタモキシフェンを使用する時には、 極めて慎重になると思います。 タモキシフェンは、わずかではありますが白内障のリスクを 増すのです。北アメリカでは、50歳以上の女性の白内障罹患率 は、1年間に約2%です。タモキシフェンはその2%という割合 を、およそ2.2%、つまり10%相対的に増加させてしまいます。 私たちがこのことを話しても、ほとんどの患者は白内障のリス クのことは心配しませんが、私たちはきちんと伝えています。 タモキシフェンを使用している女性にホルモン補充療法を同時 に行ったデータはありませんが、特にヨーロッパでは、このこ とを調べるための研究が行われているようです。 では最後に、私たちがどのようなアプローチの仕方で薬理学 的な介入を用いたリスク縮小を行おうとしているのかについて 少しお話させてください。ここにすでに発表された研究があり ます。これらは研究の事前データであり、後にJournal of the American Medical Associationで発表されたラロキシフェン の評価、つまりMORE試験についてのものです。これは65歳以 上の閉経後の女性で、少なくとも1つの脊椎が損傷している高齢 図22 女性の骨粗鬆症治療のためにデザインされた試験です。7,700 人の女性を3つのグループに分けました。プラセボを使用するグ ループとラロキシフェンの投与量を変えた2つのグループです。 ラロキシフェンの投与量の違いには関係なく、2つのグループの 結果は全く同じでした(図23)。 ラロキシフェンはタモキシフェンと同じくSERMsの一種で す。そして、ラロキシフェンが動物の発がんモデルで、タモキ シフェンと似たような効果があったということを示す研究デー タがあります。MORE試験でプラセボの投与を受けた骨粗鬆症 の女性を追跡したところ、試験に参加した後の乳がんの発症率 は1,000人中4.3人でした。ラロキシフェンは乳がんのリスクを 1,000人中4.3人から1.5人(相対リスク0.35)に縮小し、65% リスクを縮小させました。これは統計学的に有意な数字です。 ただし、これはあくまで乳がんではなく、骨粗鬆症を評価する ためにデザインされた試験での分析結果です。しかし、これらは 動物実験でのタモキシフェンとラロキシフェンの効果を示した 研究所のデータと同じように、非常に示唆に富んだ刺激的なデー タでした。私たちはこうしたデータに刺激されて、STAR試験や タモキシフェンとラロキシフェンの研究を立ち上げたのです。私 たちは1992年の6月から7月にかけてこの試験を開始しました。 私たちがP-2とか第二予防試験と呼んでいたこの研究は、一番 初めの試験や乳がん予防の臨床試験にとてもよく似ていました が、ここでは対象を閉経後の女性に限定しました。何故なら閉 経前の女性に対するラロキシフェンの効果に関するデータがな かったからです。ラロキシフェンは乳がんのためではなく、骨 粗鬆症のために開発された薬だったからです。私たちは乳がん 予防の臨床試験の時と同じグループ分けをしました。タモキシ ã Schneller Genetics 3 図23 フェンまたはラロキシフェンを同じ割合で投与し、5年間の薬物 療法を行うのです。ちょうど2週間前の5月下旬、私たちは 116,000人の女性を評価しました。半数以上の人が被験者とし て適格でした。私たちはその中から13,000人ほどを適格者と して登録しました。現在、これはアメリカとカナダのおよそ 200もの臨床現場で行われています。それから、私たちは被験 者として適格な女性の11.5%に相当する13,000人以上の女性 を無作為抽出して登録しました。 私たちの戦略はどこにあるのでしょうか?現在、私たちは管 洗浄と呼ばれているマイクロカテーテルの技術によって、リス クの高い女性の乳管から細胞を採取して観察する新しい方法が 利用できます。私たちはこれを試験の適格者であるかもしれな い異型細胞を有する女性を同定するのに使いたいと思っていま す。今ではエストロゲンの生成を90%抑えるアロマターゼ阻害 薬と呼ばれる薬物類がありまして、これが閉経後の女性の乳が ん発症率を70%以上縮小させることを示唆するデータがありま す。そこで、それらの薬物のリスク縮小に着目する研究が計画 されています。変異キャリアに対するデータはまだありません。 乳がんになるリスクの高い女性を同定するために、私たちが用 いている疫学的なリスク要因に加えて、エストラジオール・レ ベルや成長因子レベルなどのような血清分析評価を使って予知 モデルを改善しようというのが私たちの戦略です。 さて、私たちは現在、乳がんに罹患しやすい遺伝子の変異を 持つ女性においてもリスクを縮小できるということを示すデー タを持っていて、臨床的にもそれが実現可能だということに同 意していただけたのではないかと思います。また、私たちは今、 試験を続けて行きつつ、リスクの高い患者に対してこうした介 入を行っていくことのできる機会を提供できるような時代の出 発点に立っているのだと思っています。 Schneller Genetics 3 ä Schneller Genetics 第3号 2003(平成15) 年6月10日発行 企画・編集・発行:株式会社 ファルコバイオシステムズ 遺伝子事業部 京都市中京区河原町通二条上る清水町346番地 1075-257-8541