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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL 「フレーム問題」の解消 : 人工知能研究への一提言 羽地, 亮 京都大学文学部哲学研究室紀要 : Prospectus (1998), 1: 1328 1998-12-01 http://hdl.handle.net/2433/50713 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 「 フ レーム問題」の解消 - 人工知能研 究- の-提言羽地 亮 0 は じめに 「フ レーム問題 ( ra f mep r o b l e m)」は、1 9 6 9 年 にマ ツカーシー と-イズ ( Mc Ca r t h ya n d AI )研 究 にお いて長 らく難 問 とされ Ha y e s1 9 6 9)に よって提唱 されて以来、人工知能 ( て きた。 しか も、人間の精神 を コン ピュー タになぞ らえる昨今 の論調 において、 この問 題 は、単 なる形式論理上の問題や 工学上の問題 に とどま らず 、AI研 究に よっては じめて 明 るみに出 され た 「 根 の深 い新たな認識論的問題 」( De n n e t t1 9 8 4 , p. 1 48 ) とみ な され る。 す なわち、 コン ピュー タに とってのみ な らず、人間に とって もまた 「フ レーム問題 」は 問題であるとい うのである。 これ に対 して、私は次の ことを主張 したい。① 「フ レーム問題」は現在の AI研 究に特 有のアポ リアである。そ して、それがアポ リアである限 り、AIは実現 しないだろ う。②人 間の精神 に適用 された 「フ レー ム問題」は疑似問題 で ある。 人間に とって 「フ レーム問 題」 は存在 しない。( 診なぜ 人間 に とって 「フ レー ム問題 」が存在 しないのか を考察す る ことによって、人間の認識や概念の構造 についての知見が得 られ、ひいては これが AI研 究の方向性 に関す る示唆 を与える。 1 「フ レー ム問題 」 とは ど うい う問題 か 1.1 R2D2への道 周知の とお り、 「フ レーム問題」の正確 な定義 は、今の ところ存在 しないO この間題が 何 を指 してい るかにつ いて、研 究者 の間の コンセ ンサ スは存在 しない。 しか しなが ら、 あち こちで引用 され てい る話 なので気が引けるけれ ども、デネ ッ トが こ しらえた次の物 語は ( De n n e t t1 98 4,p. 1 4 7 f . )、 「フ レー ム問題」 を差 し当たって直観 的 に理解す ることに 役 立っだ ろ う。 1 3 Rlと名付 け られ た一台の ロボ ッ トがあった。 あ る 日、Rlの予備 バ ッテ リー を しま って あ る部屋 に時 限爆 弾が仕掛 け られ 、それ はま もな く爆 発す るよ うにセ ッ トされ て いた。 部屋 には一台の ワゴンが あ り、バ ッテ リー はその上 にあ る。Rlはバ ッテ リー救 出作戦 を ULLOUT ( WAGON,ROOM) とい う行 動 を行 えば、バ ッテ リー を 立てた。 す なわ ち、P 部屋 か ら持 ち出す こ とがで きる と考 えた。Rlはた だ ちに これ を実行 した。 ところが、 不 幸 な こ とに爆 弾 もまた ワゴンの上 にあった.. Rlは爆 弾が ワゴンの上 に あ るこ とを知 って いたが、 ワゴンを引 っぼ り出す ことが、バ ッテ リー と一緒 に爆 弾 も持 ち出す こ とになる とい うこ とに気 が付 か なか った。 自分 が計画 した行動 の この明 白な帰結 を見落 と してい た Rlは、部屋 の外 で爆発 して しまった。 技術者 た ちは考 えた。 ロボ ッ トは 自分 の行動 の帰結 と して、 自分 の意 図 した ものだ け では な く、副産物 につ いて の帰結 も認識 で きなけれ ばな らない、 ロボ ッ トは周 囲 の状況 の記述 を用 いて 自分 の行動 を計画す るか ら、その よ うな記述 か ら副産物 につ いての帰結 を演鐸 ( d e d u c e ) させ れ ば よい、 と。 こ う したわ けで 、RI Dl( r o b o t d e d u c e r ) がつ く ら Dl は Rlと同 じ苦境 にたた され た。RI Dlも、P ULLOUT ( WAGON,ROOM)を れ た。RI 考 えついた。それ か ら RI Dlは、設計 され た とお り、この行動 の帰結 を考 え始 めた。RI Dl は、ワゴンを部屋 か ら引っぼ り出 して も部屋 の壁 の色 は変 わ らない とい うことを演縛 し、 ワゴンを引けば車輪 が回転 す るだ ろ うとい う帰結 の証 明に と りかか った。 そ の とき爆 弾 は爆発 した。 技術者 た ちは考 えた。 われ われ は ロボ ッ トに、関係 のあ る ( r e l e v a n t )帰結 と関係 のな い ( i r r e l e v a n t )帰結 との 区別 を教 えてや り、関係 の ない ものは無視す るよ うに させ な け 2 Dl( r o b o t r e l e v a n t d e d u c e r. ・分別 の あ る演鐸 ロボ れ ばな らない、 とO こ うしたわけで 、R ッ ト)がつ くられ た。 R2 Dlも例 の苦境 にたた され た。す る と、驚 いた こ とに、 この ロボ ッ トは、部屋 に入 ろ うともせず 、 じっ と うず くま って考 えて いた。 設 計者 た ちは 「 何か しろ」 と叫んだ。R2 Dlは 「して ます よ」 と答 えた。 「私 は、無 関係 な帰結 を探 し出 して それ を無視す るの に忙 しいんです。 そんな帰結 が何 千 とあ るんです。 私 は、関係 のない 帰結 を見つ け る と、す ぐそれ を無視 しな けれ ばな らない ものの リス トにのせ て、 ・ ・ 」 また爆発 して しまった。 これ らの ロボ ッ トはみ な 「フ レー ム問題 」 に苦 しんで い る 。 事態 を的確 に判断 し、す ばや くそれ に対処 で きるよ うな R2 D2ロボ ッ トをつ くるためには、設計者 た ちは 「フ レー ム問題 」 を解 か なけれ ばな らない。 1 4 「 フレーム問題」の解消 1 ・2 「 一般化 フ レーム問題 」 汎用のプ ログラム可能 なデ ジタル コン ピュー タは 、 1 941 年 ドイ ツの コンラー ト・ツー ゼ に よって開発 され( l )、以後 、急速 な進歩 を遂 げた。 コン ピュー タは、チ ェスや チ ェ ッ カーの よ うなゲー ムや 、論理学 の定理 の証 明の よ うに、世界 が閉 じてい る とい う仮説 を とることがで き る場合 は、大 きな成功 をお さめた。 こ うした仮説 の下では、行為 に先立 って、その行為 に直接 は関係 しない有限の周囲の状態 ( 行為 を囲む 「 枠 ( ra f me )」) につ いて完全 な 目録 を こ しらえ、それ を書 き換 え るこ とに よって次の動 作 に利 用す ることが で きる。 しか し、現実 の世界の よ うな開いた世界 の場合 は、行為 を囲む フ レー ムにつ い ての 目録 は、ほ とん ど無限 な もの とな り、それ を完成 させ るこ とはで きない。 こ うして コンピュー タはフ レー ム問題 に直面す る。 マ ッカー シ- と-イズによる 「 フ レーム問題」のオ リジナル な規定では ( Mc Ca r t hya nd Ha ye s1 969,pp. 4 7490)、電話 を持 っている人間 Pが、電話帳で人間 Qの電話番号 を調べ 7 て、電話 をか け会話す るとい う状況が設 定 されて い る( ,こ うした行為 を古典的 な形式論 理 で記述 しよ うとす る と、電話 を持 ってい る人間 p は、電話帳で電話番号 を探 した後で も、まだ電話 を持 ってい る、 とい うよ うな人間に とっ ては 自明 な条件 をい くつ も加 え ざ るを得 ない。 こ うした条件 の記述 の量は、膨大 な もの になって しまって手に負 えな くな る。す なわち、一般的 には、ある行為 を形式論理 で記述す る とき、その行為 のフ レーム ( その行 為 に よって変化 しない事柄 )が変化 しない とい うことを効率的 に記述す るには ど うすれ ば よいか、 とい うのがオ リジナル な 「フ レー ム問題 」であ る0 しか しなが ら、オ リジナル な 「フ レー ム問題」 の定 義は、狭す ぎて知識表現の研 究 に De nne t t1 98 4)や松原 ( 松原 1 990) の主張である。 有意義でない、 とい うのがデネ ッ ト ( 特 に松原 は、オ リジナル な定義 を拡 張 して 「 一般化 フ レー ム問題 」 を提唱 してい る . デ ネ ッ トは、狭 い方の問題 に対す る 「 解決」が真の 困難 を広い方の問題 に押 しつ け る可能 性 を示唆 してい る。私 として も、デネ ッ トや松原 に賛 同 して 「フ レー ム問題 」 を よ り広 くとりたい (しか し、私 は、デネ ッ トや松原 とは違 って、 「 フ レーム問題」 を人間 にまで 適用す ることは妥 当でない と考える) 。 ここでは、松原 の 「 一般化 フ レー ム問題 」 を取 り 上げ るこ とにす る。 松原 によれ ば、 「フ レー ム問題 」は最初 は形式論理の中の問題 と して議論 が始 まったの フ で、マ ツカー シー ら論理主義の Al研究者 は、非単調論理の よ うな形式論理 の拡張 を 「 レー ム問題 」にか らめて議論す る傾 向があ る (この場合 の論理主義 とは、計算機 上では 形式論理 だけで知識 を表現すべ きで あ り、そ うす るこ とに よって原理的 に計算機 は人間 の よ うな高度 の知性 が もて るはずである、 とす る立場であ る) 。 この傾 向の原因は、論理 1 5 主義者 が 「フ レー ム問題」 の定義 を形式論理 にお ける記述 の量 を減 らす問題 に狭 く限定 してい るためであ る。 しか し、情報 に対 しては空 間 とともに時間 も関係 してい る。空間 に対応す るのが記述 の量 とすれ ば、時間に対応す るのが処理 の量で ある。知識表現の効 率 を考 え るときには記述の問題 と処理の問題 とを込み にす る必要が あ り、形式論理か ら のアプ ローチは、記述 の量の処理の量-の転嫁であったのである。 例 えば、非単調論理 において、様相記述の記号 を M とすれ ば 、 「 M ( 電灯がついてい る)」は、 「 電灯がついてい る」の命題 が否 定 され ていない限 り 「 電灯がついてい る」 と 考えて よい、 とい う様相命題 であ る。 この 「 M ( 電灯がついている)」 とい う記述 が存在 すれ ば、 も しも 「 電灯がつ いている」 ことが偽 と判明 していなけれ ば、 「 電灯がつ いてい る」 を真 と仮 定 して推論 を進 める ( いか に状態が変化 しよ うとも、電灯 に関係 の ある行 電灯が 為がな され ない限 り、い ちいち 「 電灯がついてい る」 と断 る必要はない)。後で 「 つ いてい る」が偽 と判 明 したな らば、 この命題 を真 と仮定 した ことに よって得 られた定 理 はすべて取 り消す こ とになる。 しか し、 「 電灯がつ いている」 とい う命題 がある状態で 真 か偽 か を決 定す るた めには、その命題 に関す る記述 を探 して過去 に遡 って処理 を行 う 必要があるので、それ だけ余計に処理の量 を要す る。また、ある仮定が否定 され た際に、 その仮定 に基づ いて生成 され た定理 をた どって否 定 してい く処理 の手間 も小 さくない。 「フ レー ム問題 」 に関 しては、非単調論理 は単に記述 の量 を推論 の量に転嫁 しているに 過 ぎない。 これ に対 して、松原 の 「 一般化 フ レー ム問題 」 は、記述 の量 を減 らす とともに、処理 の量 を減 らす ことを新たな問題 として考 える。 「 一般化 フ レーム問題」の本質は、膨大な 情報 を、記述す るに しろ処理す るに しろ、いかに扱 うか とい うことであ る。 記述 の量 と 処理 の量 とが計算論的 に トレー ドオ フの関係 にあ ることは 自明であ り、その一方 だけの 増減 を議論す るのは、知識表現 の効 率 を考 える上で無意味で あ る. 「 一般化 フ レー ム問 題 」は、情報処理 の主体が膨大 な情報の うちの 一部 しか参照す ることがで きない ことか ら生 じるのである。 以上、松原 の 「 一般化 フ レーム問題」 を概観 した。 しか しなが ら、松原が 「 解決」す るべ きであると した この問題 を、私は疑似 問題 と して 「 解消」す るべ きであるとみなす。 なぜそ うみなせ るのかが次の間題 である。 2 なぜ 「フ レー ム問題 」 は疑似 問題 なのか 松原が言 うよ うに、 「 フ レーム問題」は、情報処理の主体が膨 大な情報 の うちの一部 し ‖莞 「 フレーム問題」の解消 か参照で きない ことか ら生 じるよ うにみ える。 しか し、松原 の議論 には、あ る哲学的な 前提 が存在 し、 しか も松原 自身がそれ をはっき り認 めてい る ( 松原 1 990,p. 236) それ 。 は 「 表象 主義」 といわれ る ものである。 私が ここで 「 表象 主義」 とい うのは、行為 に対 して認識 が先行 し、認識 とは世界 を抽象的 に表象 す る記号 を操作す ることであ る、 とい う考 え方であ る。 世界か らの 「 入力」を表象 ・記 号に変換 しこれ を操作す ることに よっ て次の行 為を企図す る ( 「 出力」す る) とい うのは、認識や行為 の主体が コン ピュー タで あれ人間であれ 、ごく自然 な考 え方である。 この 自然 な考え方は、AI研 究者 に とっては、 人間が コン ビュ- タ と連続 的 な存在 であ り、 したがって、人間 もコン ピュー タも 「フ レ ー ム問題 」 を抱 えてい る、 とい う主張 を結果す る。 これ に対 して、私は 、AI研 究者が 「 表象主義」の立場 にたっ限 り、AIの実現 に とって 「フ レ← ム問題 」は解決不可能 な問題 と して立ちはだか る、 と考 える(2)。 なぜ な ら、 「 表 象 主義」 は行 為 と認識 との分離 を前提 と してお り、 この認識 の側 にあ らゆる場合 に記述 の量 も処理の量 も爆発 させず に情報処理 を行 わせ るとい うのは、有限な情報処理能 力 し か もたない主体 に とって不可能 な ことだか らである 。 さらに私は、 「 表象主義」の立場 に たっ のではない、人間の知性 の把握 の仕方 が存在 す る、 と考 える。 そ して、私 は この こ とを根拠 に して、人間 に とって 「フ レー ム問題」 は存 在 しない、 と考 える。 以下に これ らを明 らかにす る議論 を提示す る。 2 ・1 メタ推論規則 ・サーカムスク リブシ ョン 前節 でみた よ うに、論理主義者 は様 々な非単調論理 を考案 して 「フ レー ム問題 」 の解 決 をはか ったが、いずれ も失敗 に終 わってい る 。 通常の ( 単調 な)形式論理 では、ある 公理系が よ り包括的な公理 系に拡張 され た場合 、前者 の公理系 に よって証 明 され るすべ ての定理 は、後者の公理系によって証明 され る定理 の中に含 まれ る。論理 の単調性 とは、 公理 が増加すれ ば定理 も増加す るよ うな単調 な関係 の ことをい う。 ところが、非単調論 理 の場合 、公理が増加 す る と、証明で きる定理 は減少 す る。 以下にみ るのは、マ ッカー シーが考案 したサー カムス ク リブ シ ョン ( ci r c ums c r i pt i on) とい う一 一 ・ 種の非単調論理 であ る ( Mc Car t hy 1 980,1 986)O この論理の特長 は、世界の中の差 し当た り非関与的 な事柄 を 無視す る最 も端的 な定義 を含 む ことである。 大樺 が、マ ッカー シー-の叙述 を うま くま と めてい るので、 これ を利 用す る ( 大滞 1 990,pp. 27ト276)。 なぜす でに不首尾 に終 わ ると わか ってい る議論 を紹 介す るか といえば、サーカ ムス ク リブ シ ョンの限界 を見通す こと に よって、 「 フ レ- ム問題」 を生み出 してい る真 の源泉が露 にな るか らである。 サーカムス ク リブシ ョンは、特殊 なメタ推論規則 を ともなった二階述語論理 であ る。 1 7 その中には 「 対象 O が、事実 A の もとで性質 pを もつ ことが推論 され た とき、性質 pを もつ対象 は 0に限 る」 と解釈できるよ うな推論規則 が定義 されている。 この推論規則 は、 性質 pをもつ ものを 0 だけに囲い込み、0 以外の他 の対象 も性質 pをもつ可能性 がある に もかかわ らず、それ らについては無視す ることを定めてい る。 定義 :論理式 A( P)にお ける述語 p のサーカムスク リブシ ョンとは、次の よ うな文図 式である。 A( ¢)< ∀x( ◎( x)⊃ P( x) )⊃ ∀x( P( x) ⊃ ◎( x) ) (1) ◎( x)は任意の論理式。 ここでは一つの変数 x のみの場合 を書いたが、一般的には n個 の変数の組 で考 えるべ きである。A( P) - す なわち述語 p( x)を含む論理式- が定理であるとき、上記の文 も定理 になる。 この推論規則 は、次の ことを意味す る。論理式 ¢で表現で きるよ うな性質や関係 を満 つ ま り、 たす対象 xが、述語 pが表現す るよ うな性質 をもつ ことがわかってい るとき ( ◎( x)⊃ p( x)の とき)、P を満たす x はすべて ◎をも満足す るとみなす ことに よって、 ¢と pがまった く合致 してい ると考 えるとい うことを、この規則 は合意す る。A( ◎)は、 pによって満足 されてい る条件 が、 ¢によって も満足す るとい う仮定を表現す る。 例 :ブ ロック世界 において、次の文 A が成 り立 っているとす る。 i s bl oc ka ∧ i s bl oc kb ∧ i s bl oc kc ( 2) す なわち、aも bも Cもブ ロックであると主張 されてい る。 この i s bl oc kとい う述語の サーカムスク リブシ ョンは、定義 によって次の よ うに書 き表す ことができる。 ◎( x)⊃ i s bl oc kx)⊃ ∀x( i s bl oc kx ⊃ ◎( x) )( 3) ◎( a )∧◎( b )∧¢( C )< ∀x( ここで、 ◎( x)≡ ( x-a V x-b V x-C ) 3)の前件 は当然真 になるか ら、 とお けば、サー カムスク リブシ ヨンの図式 ( ∀x( i s bl oc kx ⊃ ( x-aV x-b > x-C ) ) ( 4) と結論す ることができる。 これ はブ ロックが、aか bか Cに限 るとい うことを意味 して い る。つま り、ブ ロックであるとい うことが、最初の文 A ( ( 2) の こと) において主張 1 8 「フ レーム問題」の解消 され ていた対象 のみ に限定 され、他 の対象 がブ ロ ックである可能性 を無視 してい るこ とになる 。 ところで、 ある公理系のモデル とは、その公理 系のすべての公理が満 足す るよ うな、 各変数お よび論理式への真理値 の割 当法の こ とで ある。モデル とは、いわば、その公理 系によって記述 され てい る世界の ことであ る。 また、公理系の中の述語 P に関す る極小 モデル とは、公理系の公理 を満足 し、また p が真 とな るよ うなモデルの中で、真である 論理式 の範囲が最 も小 さくなるものの ことである 。 極小モデル とは、公理系が記述 して い る と解釈 で きるよ うな ( 複数 の)世界の中で、最 も小 さい ものであ る。 この とき、次 の定理が成 り立つ 。 定理 :公理系 A の中の述語 P についての任意のサーカムスク リブシ ョンは、 P につい ての任意 の極小モデル において真 である。 証明 :M を P につ いての A の極小モデル とす る。P ′を ( 1 )の前件 の ◎の代 わ りの も の とす る 。 前件 の右 半分 よ り、P は P′ を拡張 した ものである。 も しここで ( 1 )の後 件 が満 た され なか ったな らば、p ′ は P の真部分であることにな る。 この場合には 、P 以外のすべての述語 をそのままに し、Pを p′ に置 き換 えれば 、M の真部分モデル M′ を得 ることがで きる。 これ は、M の極小性 の仮定に反 す る。 これ らを考慮 した上で、次の よ うな記法 を導入す る と、サー カムスク リブ シ ョンの直 観的にわか りや すい別 の形式的表現 を得 ることがで きる。 ,すなわち、∀x( U( x ) ⊃V( x) ) を、 U≦V と表 してお く 。 これ は、U のモデルが V のモデルの部分集合 である、 とい うこと である( 。 これ を使 えば、述語 P についてのサーカムスク リブシ ョンは、次の よ うに書 き 表す ことがで きる。 Ci r cum l N( P) ∧( U≦P):P]≡ N( U)∧ ( U-P) ( 5) N( P)は、Pが肯定形 と しては出現 しない論理式。 ci r cum [ …∴ P】は 「 pについてのサーカムス ク リブシ ョンは-・ 」 と読む。 ( 5)の基本的含意は ( 1 ) と同 じだが 、( 5 )の方が単純で、サーカムスク リブ シ ョンとい う操作が いかな るものであ るかをわか りやす く示 してい る。 これ は 、U( x) ⊃ P( x) の と き- U が Pのモデルであるとき- 、P の定義 と して U を採用 して しま うことによっ て 、P を最小化す る操作である。 この とき、U 以外 に も P とい う性質 をもつ対象が存在 す るか も しれ ないのに、その ことは全 く無視 され る。 しか しなが ら、サー カムス ク リブシ ョンと名付 け られ た この推論 を行 う手順 が機械 的 1 9 な仕方で定義で きた と して も、たいてい、その手順 に したが った推論の量は膨大になる。 つ ま り、サー カムスク リブ シ ョンは、意 に反 して、無視 の操作 を非効率的に しか代行 し ない。サーカムスク リブシ ョンに よる推論 は、ち ょうど R2Dlと同 じよ うに、多 くの時間 をかけて、無関係 な部分 を無視す るのである。 2 I2 サー カムスク リブシ ョンの限界 と 「フ レ-ム問題」の真の在処 ところで、実はサーカムスク リブシ ョンの計算可能性 は一般的には保証 されていない。 サーカムスク リブシ ョンは、対象 となる論理式 A( P)が、次の よ うな意味で、述語 p に 関 して孤立 してい る場合 に、計算可能 なのである。 定義 :論理式 A( P)が p に関 して孤立 してい るとい うことは、それが次の よ うな形 を とっている場合 である。 N( P)∧ ( U≦P) ( 6) ここで N( P)は肯定形の P が出現 しない論理式であ り、U は述語 p を含まない述語の 組 である。 なお 、Pが単一の述語であるとは限 らない。一般的には P は m 個 の述語 の 組 であると考えるべ きである。 p に関 してサーカムスク リブシ ョンをほ どこ した場合 には、P のモデル U がそのまま 6)は次の ことを意味 している。A( P)が P に関 p の定義 と して採用 され ることになる。( して孤 立 してい るとい うことは 、U が P を含 んではな らない ことか ら端的に示 され るよ P)の中で Pが P 自身 を用いて 自己参照的循環的に定義 されていない とい うこと うに、A( に他 な らない。 この よ うな 自己参照的循環的定義 が排 除 されてい る とき、サーカムスク リブシ ョンの計算可能性が与え られ る。 自己参照的 に定義 され る述語 にサーカムス ク リブ シ ョンが適用で きないのはなぜ だろ うか。サーカムス ク リブシ ョン とは、その述語 についての極小モデル を指 定す る ことで ある。 ところが、述語 の定義が 自己参照的である とき、極小モデル が得 られ ない。 なぜ な らば、pを定義 し、Pに取って代わ られ るべ き述語 U の中に再び Pが見出 され るため、 その P に関 して同 じ置 き換 えが反復 され な くてはな らないか らである。 この よ うな反復 は、P が pを含む U に よって 自己参照的に定義 されている以上は、決 して終わ らない。 つ ま り、P の どんなモデル に対 して も、それ よ りさらに小 さいモデル を見つ けることが できるため、極小モデルには絶対到達 しない。 それ ゆえ、 この よ うな p に対 しては、サ ーカムスク リブ シ ョンが計算で きないことにな る。 しか しなが ら、サーカムスク リブシ ョンが、無視す る操作 を表現す ることに よって 「 フ 2 0 「 フレーム問穎 」の解消 レ- ム問題 」の解決 を企図 しつつ も無益 な試 み に終わ った ことを鑑 みれ ば、サー カムス ク リブ シ ョンがそれ に対 して禁止 されてい るよ うな操作の内にこそ、「フ レ-ム問題」の 問題性 を捉 える手がか りが隠 されてはいないだろ うか。 「 フ レーム問題 」とは、例 えば 「 以 下同様 の仕方 で」 とか 「 他 の事情 が等 しけれ ば」 とい う句 に よって表 され るよ うな操作 を効率的 に記述 で きない とい う問題 である。 「 以下同様 の仕方で」 とは、行為 を、 したが ってそれ を表現す る述語 を、循環的 に定義す る方法の一 一 一 種 である。 サー カムスク リブシ ョンは、 自己参照的循環的定義 を、推論 の対象か ら排 除 して しまったが、む しろ、 自己 参照性 ・循環性 は概念 を定義 した り説明 した りす る ときの基本的な形態で ある。集合論 の よ うな数学 の基礎的 な部分 を参照 してみれ ば、循環 を含 んだ仕方 で集 合 を定義す るこ とが しば しば行 われ る。 よ り一般的 には ( 羽地 1997)、われ われの 日常の概念 を説明す る とき、 当の概念 の必要十分条件 を与 えることは普通不可能 であ る。 なぜ な ら、言語 を 説明す る事象が 当の言語 に依存す る結果 と して、説明 と説 明 され る もの とは区別 で きな くな るか らであ る。 日常使 われ る言語 ・概念 の説 明 とい うこ とは、 自己参照的構造、循 環的構造 をな してい るのである。 したが って、われ われ は、概念 に包含 され る具体的事象 を順次挙げてい くことで しか 説明 を行 うこ とがで きないO例 えば、何 か を 「 知 って いる」 とは ど うい うことか説明す るとき、 「 知 ってい る」 とい う言葉 の使用が記述 され る( ,この とき説明 はそのまま説明 さ れ るもの とな る。 そ してその説 明には、原理的には終点がない。概 念の内包や外延 とい った ものはな く、ただ、概念 に包含 され る具体的事象 が、多様 な類似点 と相違点 との重 な り合 いにお いて、無限に連 なってい るばか りであ る。 その無限の連 な りが 「 以 下同様 の仕方で」の よ うな句 に よって代表 され るのであ る。 この よ うな暖味 な記述 を、その唆 昧 さを保 存 したままで コン ピュー タにプ ログラムす ることが極 めて困難 であ ることは、 容易 に見て取れ る。 コン ピュー タに とっての 「 フ レ- ム問題 」は、 われ われ が 日常的 に 用いてい る概念 の 自己参照的循環的構造に存す る。 2 ・3 認識 は行為で ある さらに間 を進 め よ う。 なぜ われ われ人間の概念 は、 自己参照的循環的構造 を もってい るのかO 例 の 「 表象主義」 に したが えば、概念や認識 は、われ われ の行為 を導 く規則 の よ うな役割 を果 た さなけれ ばな らない。 しか し、 「 入力」の後の情報処理の結果が この よ うに暖味 な ものであるな らば、情報処理 の主体 は どの よ うな 「 出力」 を行 うべ きか困惑 す ることになろ う。 こ うした問題 に答 えるための鍵 は、知的 システ ムにお けるあ る事実 を考察す ることで 21 手 に入 るだ ろ う。佐 々木 が紹介 して い る-ル ドとハイ ンの古典的な実験 は、認識 が行為 987,pp. 1 720)。誕生時か ら暗闇 に他 な らない こ とを劇 的 に明 らかに してい る ( 佐 々木 1 の 中で母 ネ コ とともに育て られ た同腹 の子 ネ コ五対が、歩 け るよ うにな るの を待 って、 特殊 な状 況 下で 「 見 る」体験 を与 え られ る。 そ の際、対 に され たネ コの片 方 は、装置内 の どこ- で も 自 ら移動 で き る 。 ところが も う片 方 のネ コは、 も う一方のネ コの動 きを忠 実 に同時 に再現す るゴン ドラに乗せ られ て、無理 矢理移動 させ られ る。 自由に移 動す る ネコ ( 行為 してい るネ コ) もゴン ドラのネ コ ( 移動 はす るが行為 は していないネ コ) も、 平等 に一 日三時間、十 日間 にわた り、 こ うした条件下での 「 見 る」体験 を与 え られ る。 ネ コた ちが見 る能 力 を獲得 したか ど うかは、見 るこ とと密接 な関連 を もつ行動 を基 準 に して観 察 され た。 第- に、実験者 がネ コを両手 で もち、 ゆっ く りと机 の上 に下 ろす と きに起 こる、足 で机 の面の近づ きを予測す る よ うな着 地姿勢 の有無 、第 二 に、実際 には ず っ と同 じガ ラスの板 に覆 われ てい るが 、見え と して は途 中か ら床 がな くな り落 ちて し まいそ うにな って い る 「 視 覚的崖 」 を回避 で き るか ど うか、第 三 に、突然 目の前 に現れ る人の手 に対 して 目を閉 じる 「 瞬 目反射」の有無、これ ら三種類 の行動が基準 となった。 いずれの行動 も動物 の生存 に とっては不可欠で あ り、最 も基本的 な視覚行動であ る。 観 察の結 果 、す べ ての 自由に移 動す るネ コには、 これ ら三種類 の視覚行動 が現れ 、彼 らが見 る能 力 を獲得 した こ とを示 した。 ところが 、す べての ゴン ドラのネ コは視 覚行 動 の兆候す ら示 さなか った。彼 らに与 え られ なか ったの は、 自 ら引 き起 こ した身体 の動 き が見 えの変化 の原 因 にな る とい う経験 で あった。確 か に ゴン ドラの上でネ コの足 は動 い ていた。 しか しその動 きは、動物 の身体 の動 きが本来 もってい る、動 きが見 えの変化 と 密接 に対応 して い る とい う性質 を失 っていた。 したが って、彼 らに とって、 「 見 る」体験 は、視覚 の機 能 の獲得 には繋 が らなかったので あ る。 こ うした事 実が示 して い るのは、ネ コにお いては、見 るこ とが行 為す る こ とを含 意す る とい うことであ る。 「 表象 主義」は行為 と認識 との分離 を前提 と していたが、動物 の実 験結果では、行為 と認識 とは緊密 な一体性 を有 してい ることになる. それ で は 、人 間 で は ど うか。 佐 々木 の報告 は 、 ま た して も興 味深 い ( 佐 々木 1 987, pp. 2729)。 人間 の眼球 は、人間が もの を見てい る とき、常 に活 発 に動 いてい る。 その動 きの 中には、肉眼 では ほ とん ど捉 え るこ とので きない非 常 に速 い周 期 の揺れ で あ る 「 眼 震 」、疫撃的 な左右 のふ るえ と して現れ る 「 眼振 」、 ゆるや か な 「 漂流」、視 点 を次 々に変 えてい く際 に現れ る 「 飛越 」な どが あ るo そ こで、鏡 の付 いた コンタク トレンズを用 い て眼球の微動 と対象 の像 の動揺 とを同調 させ る こ とで 、眼球 の微細 な動 きに よる効果 を 相殺 し、 「 静止網膜像」 を こ しらえてみ る。 この よ うな動かない像 は、 も し視覚が対象 を 2 2 「フ レー ム問題」の解 消 受動的に写 し取 ることによって成立す る認識 であるな らば、理想的な光学的映像 である。 しか しなが ら、 この よ うな揺れ ない網膜像 は奇妙 な知覚 をもた らす。 静止網膜像 を与 え られ た知覚者が見た ものは、意味ある部分 ( 例 えば対象 が顔 な らば、 鼻や首や頭 の よ うな部分) が明滅す るよ うに消 え去 りそ してまた現れ る、対象 の像 の不 安定な変転であった。網膜像 の静止 は正常な見 えを崩壊 させ るのである。 外界の安 定 した見えを得 るためには、まず 、「 眼震」や 「 眼振」 といった眼球の細かな 動 きが重要であ り、さらに この よ うな微動 を基層 と して、眼は さらに大 き く動 いてい る 。 対象 に向か う眼球は、まず一点 を凝視 ( 停留) し、次々 と起 こる 「 飛越」運動 に よって、 停 留点 を移動 させ てい く。 その動 きは年齢 に よって大 き く異 な る。 三歳児の停留点の動 きは対象 の中心 に集 中 し広 が りを もたない。 一方 、六歳児 の停留点 の動 きの最は三歳児 の四倍 で あ り、その軌跡 はま るで指 で図形 の輪郭 をなぞ るよ うであ る 。 そ して、眼球 の 動 きの発達差 は、図形 の見 えの成 立 と密接 に対応 して いる。 六歳児 に とっては、先 に見 た図形 と同 じ図形 を、後か ら与 え られたい くつかの図形の中か ら正 しく選択す ることは 容易である。 しか し、 この よ うな簡 単な図形の再認 に多 くの三歳児 は失敗す る。 眼球の運動 は、対象 のあ る場所 に移動 して対象 の輪郭や表面 を 「 なぞ る」行為の代 わ りを してい るのである。視 覚 とい う認識 は、対象 を受 動的 に写 し取 るこ とに よっては成 立 しない。 人間において も、見 ることは行為す ることに他 な らないのであ る。 以上の心理学 上の事実か ら、次の よ うに考 える ことができる。 われ われ は、認識 か ら 生 じた 「 表象 」 に導かれて行為す るのではない。 そ うではな く、認 織 は行為 に他 な らな いのであ る。 この行為 は、心 に浮かぶ何 か規範的 なものに導かれ て生 じるのではない。 誇 張 して言 えば、それ は端的 に生 じるのであ る。 この ことは、われ われ 人間の 自然的事 実である。先に言及 した よ うに、 「 知 っている」 とい う概念 を自己参照的循環的な仕方 で しか説明で きないのは、 この概念が行為だか らである。例 えば、 「 手 を挙げ る」行為 は、 明示的 に定義す ることはで きず 、強 いて説 明す るな ら、 この よ うな手の挙 げ方が あ り、 あの よ うな手の挙 げ方 があ り、以下同様 、 と自己参照的循環的 に語 る しかない。 よ り厳 密 に言 えば、あ る行 為がその行為 と して同定 され るのは、行為がな され る状況 に依存 し ての こ とであ り、その状況 が どの よ うな状況か説 明す るためには、また も当の行為 に言 及せ ざるを得 ない。す なわ ち、行為の説 明 に とって、 自己参照的循環的状況依存性 とい うことは、本質的な ことなのである。 「フ レーム問題」が現在 の AI研究に特有 のアポ リアであることも、今や説明がつ く。 AI研 究の主流 は 「 表象主義」に依拠 してお り、行為 と認識 とを分離 して考 える。そ して、 認識 の局面だけを取 り上げてそれ を形式論理 で完 全 に明示化 してプ ログラムに書 こ うと 23 す るが、行為 と してのわれ われ の概念の 自己参照 的循環的状況依存性 が AIを悩 ませ るの 第一歩 は、 「 表象 主義」 を捨 て る ことで あろ う。 2 ・4 概念 は身体 的である それ では、概 念 の 自己参照 的循 環的状況依 存性 とい うことに直面 して い るわれ われ 人 間は、なぜ 「フ レー ム問題 」 に悩 まないのだ ろ うか。 「 以 下同様 の仕方 で」 に よって、な ぜ われ われ はお互 いに T解 で きるのだ ろ うか。解答 の第一段階 は、それ は AIと違 ってわ れ われ 人間 にお いて は、認識 と行為 とが一体 とな ってい るか らであ る、 とい うものであ ろ う。 しか し、 これ で は完全 な解答 にはな って い ない。 われ われ が あ る概 念 を説 明す る ときに、原 理 的 には終 点が ないはず の説 明 を どこで切 り上 げれ ば よいのだ ろ うか。換言 すれ ば、概念 の説 明 と説明 でない もの とを ど うや って 区別 して い るのか。認識 と行 為 と の一体化 の議論 は、確 か に、われ われ の概 念 の 自己参照的循 環的状 況依存構 造 の 由来 を 明 らかにす るが、 こ う した概念 がいか に してわれ われ にお いて運用 され てい るのか につ いての知見 を教 えては くれ ないので ある。 残 念 なが ら、私 は ここで完全 な答案 を提 出で きない こ とを告 白 しな けれ ばな らない。 しか しなが ら、解答 へ の手 がか りは確 か にあ る。 レイ コフの認 知 言語学 は、人間の概 念 一般 が、人間 の心 のはた らきのみ に よって生み 出 され て きたのでは な く、人間の身体性 と深 く関 わ って い るこ とを、豊 富 な研 究事例 の 引用 に よって 明 らか に して い る ( La kof f 1 987) 0 例 えば、人 間の色彩概 念 は、人間の生理学 的 な条件 に大 き く制約 され てい る。 目と脳 の神 経経 路の研 究 に よれ ば、色彩概 念 に関わ る 6タイ プの細胞 が あ る。 それ らは、色相 を決定す る 4つ の細胞 と明度 を決定す る 2つの細胞 で あ る 。 色相 を決定す る 4つ の細胞 は 2組 の対 にな っていて、一方 の対 は青 と黄 の知覚 に関わ り、 も う一方 の対 は赤 と緑 の 知覚 に関わ る。それ ぞれ の細胞 の興奮の度合 いの様 々な複雑 な組 み合 わせ に よって、様 々 な色彩 が知覚 され る。 基本 的 な色彩語 は言語 に よって様 々で あ るが、 あ る言語 に基本 的 な色彩語 が 2つ しかない場合 は、それ らは黒 と白であ る 基本 的 な色彩語 が 3つ の とき 。 は、黒 と白と赤 で あ る。 4つ の ときは、そ の 4番 目は黄か青か縁 の いずれ かであ る。 言 語が概念 体 系 を決定す る とい うよ うな ウオー フ流 の考 え方 は、必ず しも真 で はない。 色 彩概念 は身体化 され てい る。 また、 古典的 なカテ ゴ リー理論 では、カテ ゴ リー を決 定す る属性 はすべ ての成員 に よ り等 しく共有 され てお り、カテ ゴ リー 内 にお いて特別 の地位 を もつ成員 は存在 しないは 24 「 フレ-ム問題」の解消 ずで ある. しか し、最近の研 究の示す ところでは、カテ ゴ リーの成 員の中には、そのカ テ ゴ リー に極 めてふ さわ しい中心的 な成員か ら、他 のカテ ゴ リー に も同時 に分類 され て しまいそ うな疑わ しい成員 まで、多 くの段階が あ る。 カテ ゴ リーの 中で最 も中心的 な成 員は 「 プ ロ トタイプ」 と呼ばれ る。 「 鳥」のカテ ゴ リーの中では、 コマ ドリはニ ワ トリ、 ペ ンギン、ダチ ョウに比べて 「 プ ロ トタイプ的 な」成員である。 「 椅子」のカテ ゴ リーの 中では、机用の椅子は揺 り椅子 、床屋用の椅子、電気椅子 に比べて プ ロ トタイプ的であ る 。 そ して、 どの成員がプ ロ トタイプ的で あるか を決 める基準は、ゲシュタル ト知覚 、 心的イメー ジを引き起 こす 力、学習 ・記憶 ・使用の容易 さ等 々の身体的な ものである。 さらに、古典的 なカテ ゴ リー理論 では、例 えばカテ ゴ リー間の次の よ うな階層構造 ( タ ク ソノミ-)がつ くられ る 。 論理的 にはそれ ぞれ の レベル は対等 で あ り、 どれかが特権 的な地位 を与え られ るとい うわけではない。 始発点 ( 植物、動物) 生活形 ( 木、薮 、鳥、魚) 中間形 ( 広葉樹 、針葉樹) 属 ( オー ク、カエデ) 種 ( サ トウカエデ、ホ ワイ トオー ク) 変種 ( 葉 に切れ込みのあるウル シ) しか し、ツェル タル語 を話す人々の言語 の研究 を通 じて分か ったのは、 これ らの レベ ル の中に優 先的 に関わ りの対象 と して選 ばれ る レベル があ るとい うことであ る。 ジャン グル の中で原 話者 に 目に付 いた植物 の名前 を言って も ら うと、原 話者 は種 の レベルでは な く属 の レベル の名前 を言 う傾 向があった。 ( 話者は種 の区別 をす る能力があ り、その名 称 も知 っていた。)原話者 はまた生活形の レベルや 中間形 レベル の名前 を言 うことはなか った。 この属の レベル が 「 基本 レベル」 と呼 ばれ るもので ある。 属 の レベルが基本 レベ ルで ある理 由は、また して も、それ が最 も容易 に知覚 し、意見が-一 致 し、学び、覚 え、 名付 けることがで きる レベル である とい う、身体的 な条件である。 なお、基本 レベル は文化 に よってある程度異 な る。例 えば、都会の文化 において、人 は木 とい うカテ ゴ リー を基 本 レベル として扱 うか も しれ ない。 また樹木 の専門家 は特異 なカテ ゴ リー を基本 レベル とす るか も しれ ない。 これ らの研 究はまだ暫 定的 な部分 を残 してお り、われ われ の概 念の運用 の メカニズム を完全に明 らかにす るほ ど、完成 されてはいない。 そ して、 これ らの研 究 は、われ われ の概念 の運用 に対 して よ りも、む しろ、われ われ の概念 の習得過程 に対 して焦点 を合 わ 25 せ る傾 向が あ る 。 しか しなが ら、明 らか にわれ われ は、概念 を用 い る とき、われ われ の 文化 に根 ざ した根 拠 を もつ とともに、われ われ の身体 的条件 に根 ざ した根拠 を ももって い る。 す なわ ち、 われ われ の身 体 は、概 念 の説 明 と説 明でない もの とを 自ず か ら区別 し ている。 「 以 下同様 の仕方 で」 とい う了解 の仕 方 は、われ われ の精神 に とっては唆味 な も の と しかみ な され ないが、 われ われ の身体 に とっては、それ はほ とん ど明噺判 明 な了解 の仕方 なのであ る。 したが って、概念 は身体的 で あ る とい う斬新 な洞 察 は、 さ らに掘 り 下げて研 究 され る価値 を もつ と思われ る。 この身体性 の洞 察 にお いて こそ、人間 の知能 が満 た していて機械 の知能 が欠 いてい るもの を、最 も明示的 に解 明で きる見通 しがある。 3 結語 断 ってお くが、私 は、 ドレイ プ アスの よ うに ( Dr e yf us1 992)、人工知能 の研 究 を否 定 したいわ けではない。 ここで私が主張 したのは、 「 表象 主義」 に基づ く研 究は、ま った く 実 りが ない、 「フ レー ム問題 」 を解 くことはで きない、 とい うこ とだけであ る。 したが っ pa r al l e ldi s t r i but e dpr oc e s s i ng) の よ うなモデル につ いては、 あ る程度 て、並列分散処理 ( の共感 す らもってい る 。 しか し、 ここで この新 しい AIのモデル につ いて論 じる余裕 は も はや ない。 ところで、 ここまでの議論 にお いて、 「フ レー ム問題 」 の疑似 問題性 を追求す るこ とに よって、人間の認識や概念 につ いて、一定の知見が得 られ た。 私は この知 見が Al研 究 に お いて も軽視 で きない論 点 を含 んで い るのではな いか と思 う 。 これ をま とめ るこ とに よ って 、Al研 究へ の提言 と したい. )AI研 究が人間の知性 をシ ミュ レー トしよ うとす る とき、 「 表象主義」ではない、 ( I 知性 の把握 の仕 方 が あ る。 それ は、人間の知性 が身体 と密接 不可分 に結びつ いた仕方 で 情 報 を処理 してい る とい うこ とであ る 。 人間 の身 体性 にお いて、関与的 な情報 のみ を取 り上げ、非 関与的 な情 報 を 自然 に無視す る仕組 み が必ず備 え られ て い る。認 知 に関す る 諸科学 の進展 に伴 って、や がて この仕組 み は全貌 を現 して くるはず であ る。 こ うした科 学 と手を携 えて、身体性 を シ ミュ レー トす るこ とは、非常 に困難 で はあ ろ うけれ ども、 不可能 ではない。 ( 2) 動物 であれ 人間であれ 、知的 システムが行 う行為 は、頭 の 中の表象 ・規則 ・命令 に したが ってな され るので はない。 もちろん、頭 の 中の規則 や命 令 に したが って行為す る とい う場合 が ま った くない とは言 えない。 しか し、行為 は原 理的 には規則 や命令 を必 要 とは しない。正 しくは、何 らかの状況 が行為 を生 じさせ る と言 うべ きであ る。そ して、 26 「 フ レーム問題」の解消 言 うま で もな く、 この 行 為 を生 じさせ る状 況 に は 、や は り身 体 的 条 件 とい うこ とが 重 要 なモ メ ン トと して含 まれ る。Alを備 え 、 閉 じた 実 験 室 で は な く開 い た 現 実 の世 界 で行 為 す る ロボ ッ トをつ く る にお い て も、 諸 科 学 と手 を携 え て 、 身 体 性 の 理 解 を深 め な けれ ば な らな い。 ( 3) 本 論 文 で は 、 示 唆 す る に と どま っ て い るが 、AIに 思 考 させ た り行 為 させ た り し よ う とい うとき に 、 身 体性 だ け を考 慮 す るわ け に は い か な い。 い か な る知 的 シ ス テ ム も 文 化 や 社 会 を生 み 、 そ の 文 化 的 社 会 的 制 約 の 中 で 活 動 して い る。 この 文 化 的 社 会 的 制 約 が 、私 が これ ま で 強調 して きた身 体性 を条 件 づ け て い る場 合 さえ十 分 に想 定 可能 で あ る。 文 化 や 社 会 を生 ま な い知 性 とい うの は 、 ほ とん ど矛 盾 した概 念 で は な か ろ うか 。AI研 究 者 に とっ て 予想 す ら しな い 提 言 で あ ろ うが 、私 は 、知 性 に 対 す る文 化 的 社 会 的 な 可 能 性 の 制約 を 明 らか にす る こ とが 、AI研 究 に とって も重 要 な こ とで あ る と考 え る。 した が っ て 、AI研 究 者 は 、 人 文 諸 科 学 、社 会 諸 科 学 の 知 見 に も耳 を傾 け るべ きで あ る。 注 AC ( 1 945年完成)である とみ ( 1 ) 一・ 舷には 世界初のデ ジタル コンピュータは、ア メ リカの ENI e のコン ピュータが継電器 を使用 しているのに対 して 、ENI AC は真空 な されている。確 かに、Zus 管を使用 した電子式であ り、 よ り進歩 していると言 えるかも しれ ない。 しか し、 この よ うに、現代 の コンピュー タの特長 を どれだけ備 えてい るかを判断の基準にす るな ら、イギ リスで開発 されたプ nc he s t e rMa r kI(1 9 48年完成、のちプ ログラム内蔵型 に改良) ログラム内蔵型 (ノイマン型)の Ma ENI AC はプ ログラム内蔵型ではない) O が世 界初のデ ジタル コンピュー タとい うことになるだろ う ( AC が世界初の コンピュー タであるとい う説には根拠がない と思われ る。 いずれに して も、ENI ( 2) 松原 らは、表象 主義 を とらない ときで さえフ レーム問題 か らは逃れ られ ない と主張す る ( 松 990) 。 これ に反論するためにはもう一つ論文が必要である。 原 、橋 田 1 文献 Denne t t ,D.C.( 1 984) :" Cogni t i veWhe e l s: TheFr a mePr obl e m ofAt " ,i nBode n, A.B.e d. ,ThePhi l o s o ph y o fAr t l j i c L ' all nt e l l l ge nC e ,Oxf or dUni ve r s i t yPr e s s ,1 990,1 471 70・ Dr e yf us ,r LL.( 1 992) 二WhalCo mput e r sSt i l /Can' tDo:ACr L ' t i qu eo fAr t l J 7 C i alRe as o n,MI TPr e s s 家族的類似性 について」 ( 神戸大学哲学懇話会 『愛知』第 1 2、1 3合併号,8492頁) 羽地亮 ( 1 997) :「 La kof l ,G.( 1 987) :Wome n,Fl r e ,andDan ge r ou sTh l n gS /WhatCat e go r i e sRe v e alabou tt heMi nd,The Uni ver s l t yOfChi ca goPr e s s 松原仁 ( 1 990) :「一般化 フ レー ム問題 の提唱」 ( J・マ ッカー ーシー 、P・J・-イズ、松原仁 『人工知 752 45頁 ) 能 になぜ哲学が必要か』,哲学書房 ,1 松原仁、橋 田浩一・( 1 990) :「 表象な しの ロボ ッ トもフ レーム問題 に悩む」 ( 『現代思想』 1 990年 7月号, vol . 1 8,no, 7,1 60-1 67頁) 27 Mc Ca r t hy ,J .a ndHa ye s ,P.J .( 1 969) :" SomePhi l os o phi c a lPr obl e msf r om t heSt a ndPoi ntofAr t i f i c i a l , Mac hi nel nt e l l L ' ge nc e4,Edi nbur h Uni g ve r s i t yPr e s s ,463I nt el l i ge nc e ",i nMel t ze r ,B.a ndMI C hi e ,D.e d. 502. J ( 1 980) ' ・H Ci r cums c r i pt i on: Af or m ofnonmonot oni cr e a s oni ng", Ar E E j i c L ' all nt e l l i ge nc e ,vol , I 3, Mc Ca r t hy 2739. ,J .( 1 986) ' ." Appl i c a t i onsf orc i r c ums c r i p t i ont of or ma l i zi ngc ommons e ns ek nowl e dge , "Ar t l j i c t al Mc Ca r t hy J nl e l / l ge nCe ,V Ol . 28,89I 1 6 大滞 真 幸 ( 1 990) ・「知性 の条件 とロボ ッ トの ジ レンマ フ レー ム問題 再 考 」( 『現代 思想 』 1 99 0年 31 4 月 号 ,v ol . 1 8,no, 34,3月 号 1 401 59頁 , 4月 号 27028 8頁) - 佐 々木正人 ( 1 987) :『か らだ :認識 の原 点』 ,東京 大学 出版 会 ( 文学研 究科研修員 、龍谷大学非常勤講師) 28