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東アジア経済危機の読み方

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東アジア経済危機の読み方
東アジア経済危機の読み方
〔総 説〕
Article
東アジア経済危機の読み方
Interpretation of the East Asian Economic Crisis
* 原 洋之介 *
Yonosuke HARA
要 約
1997 年夏以来の東アジアの経済危機は、それまで奇跡と名づけられた高度成長を実現さ
せてきた開発主義的経済システムが、歴史上かつてないほどのスピードと規模で拡大する
グローバル資本主義に巻き込まれていく過程で発生し深化していった。東アジア諸国が経
済成長のターンパイクを走っていた時期には、そこでの政府・ビジネス関係は、民間主体
の経済活動を調整させて経済の奇跡を生み出した要因として、肯定的に評価されていた。し
かし、今回の危機の中で、一転して、そういう政府の介入は、透明性を欠くクローニー資
本主義しか生み出さなかったとみなされ始めている。
本当に、東アジアの経済危機は、各国の政府の介入だけが生み出したものなのであろう
か。今回の経済危機は、東アジア型経済システムの欠陥が引き起こしたというよりは、あ
まりにも速いスピードで世界を駆け巡るグローバル・マネー・キャピタルが引き起こした
ものであったのではなかろうか。
いずれにせよ、東アジアの経済危機をどう解釈するかは、基本的には市場経済をどうと
らえるかという問題と不可分な問題であることを見落としてはならない。そのとき、現実
の模型ではなく現実を整序するための模型でしかない新古典派の完全競争型市場というパ
ラダイムを捨て去ることが、最も重要な課題となってこよう。グローバリズムの時代に生
きていくためには、現実の市場経済を冷静に眺めて、
「極端な単純化やイデオロギー」を捨
て去る必要がある。今回の東アジアの経済危機は、まさにこの単純ではあるが重要な事実
を、改めてわれわれに語りかけてくれているのではなかろうか。
ABSTRACT
The economic crisis in East Asia that took place in the summer of 1997 originated and
deteriorated in the process in which the development-oriented economic system, which
had realized the "miracle," was swallowed by global capitalism expanding at unprecedented
speed and magnitude. While the East Asian countries were achieving economic growth,
their government-business relations were evaluated positively as the factor in the economic
miracle because they successfully prevented a coordination failure of investments. The
present crisis, however, has started to change this view, holding governments responsible
for generating nothing but "crony capitalism", which lacks transparency.
Was the East Asian economic crisis really caused by government intervention lacking
transparency? The current crisis may have resulted from the globally moving money capital rather than from defects in the East Asian-model economic system. In either case, we
must acknowledge that interpreting the East Asian economic crisis is fundamentally inseparable from interpreting the basic characteristics of the market economy. In doing so, it
will be important that we abandon the paradigm of a completely competitive market under
* 東京大学東洋文化研究所長
Director and Professor, Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
1
the neo-classical school, which is not a model that reflects reality, but is only a model for
reorganizing reality. In order to survive this age of globalism, we must take a good look at
the real market economy and abandon "extreme simplification and ideology." The present
economic crisis in East Asia may be a reminder of this simple, but crucial fact.
奇跡」が起こったとして世界中から注目されたわ
I
高度成長から通貨・金融危機へ
けである。この時代、東アジア地域内では、経済
を政府の規制から外して自由化さえすれば、どこ
1.
東アジアの奇跡
でも市場の持つ普遍的威力によって経済的繁栄が
1980 年代に入るころから東アジア諸国は、相互
達成されるという信念が共有されていた。
に競争して、世界中から資本・資金の受入れを急
ぐようになった。特に東南アジア諸国連合
2.
通貨・金融危機へ
(ASEAN)諸国は、プラザ合意以降の円高、さら
1990 年代に入ってから東アジア諸国は、この信
には東アジア新興諸国の通貨高を受けて、自国内
念の下に経済自由化をさらに進めて、世界市場か
にいまだ十分には育っていなかった輸出財の物づ
らの資金の取入れを目的として、金融取引の国際
くりの場に積極的に直接投資を呼び込もうとした。
的自由化を急速に進めた。経済がブームになり始
それは、グローバルな資本主義的経済活動には必
めると、国内外の投資家は、その使い道をそれほ
ずしも適合的ではない、脆弱な経済社会という大
どゆっくりと調査もせず、資金をつぎ込んだ。投
海の中に、グローバルな経済区という飛び地「輸
資家のこういう行動は、金もうけのチャンスを逃
出プラットフォーム」を政策的に作り出し、そこ
すまいとする他の投資家を刺激して、まさに自己
に多国籍の企業を導入して、世界市場との結合を
実現的期待形成を通してブームを膨らまし続ける
注 1)
。輸出加工
ことになった。そして、金もうけは名誉であり、ビ
区、保税倉庫、輸出戻し税などの政策処置に加え
ジネス・チャンスは無限に拡大し続けるといった
て、製品・部品にかかる関税を大幅に削減する貿
神話すら語られるようになっていた。ところが、
易自由化が実施された。そして、各国政府はこの
このような過熱化した期待は、政治権力や家族利
戦略を、労働集約財輸出にインセンティブを与え
己主義・縁故といったものが幅を利かせている東
る為替レートの現実化を中心とする一連のマクロ
アジア諸国の市場経済の現実に突き当たるとき、
経済政策によって、推進させてきた。
突然崩れ去る運命にあった。ブームとしての投資
ありていにいえば、各国が競って経済自由化政
熱を支えていたこのような期待がはじけてしまっ
策を採用したことで、国境が消えて東アジア地域
たのが、今回の通貨危機であった。
がひとつの経済圏になってしまったといえる。そ
東アジア地域の奇跡ともいわれた高度経済成長
れまで各国間に存在していた賃金水準の差異が、
の中で、国際市場から流入した資金は、経済成長
資本主義活動がそれを基準に展開される単一のシ
を持続させ得るファンダメンタルズを強化する方
グナルである利潤率の格差として顕在化したため、
向だけで使われていたわけではない。資金は、資
直接投資の大量移動が発生した。東アジア地域で
本の回転期間の長い物づくりの場ではなく、不動
は、製品輸出の相互依存の深化だけでなく、投資
産取引や消費者金融に集中的に流れ始めていた。
資金の供給源をも同じ地域内に求める「自己循環
ところで、資金のこのような形での配分が、外資
メカニズム」が形成された。地域内で蓄積された
導入を促進させる目的で通貨当局が対米ドル相場
貯蓄が最も効率的なところに投資されることで、
を安定させるべく、流入したドル資金を固定レー
地域としての高度経済成長が生まれ、
「東アジアの
トで買い続ける政策によって誘導された面が強
果たしていこうとする戦略であった
2
東アジア経済危機の読み方
かったことは否定できない。特に、今回の通貨危
したのである。今、経済のグローバリゼーション
機の引き金を引いたタイでは、こういう為替政策
の中で、それになじまない経済制度・システムが
の結果として、国内のマネー・サプライが増加し
淘汰されていくドラマが展開し始めたとみなされ
インフレーションが加速化して実質為替レートは
ている。
割高となっていた。そのため、輸出財などの貿易
東アジア諸国が経済成長のターンパイクを走っ
財が安く不動産などの非貿易財が高いという国内
ていたころには、そこでの政府・ビジネス関係は、
相対価格体系が形成されており、このゆがんだイ
経済の奇跡を生み出した要因として肯定的に評価
ンセンティブの下に、資金が不動産などに集中し
されていた。たとえば、韓国において、政府は銀
て配分されていたのである。
行の融資活動に強く介入して、有望と判断された
さらに、通貨不安が開始されて以降、次第に東
業種の企業家に、低利での融資や希少な外貨を割
アジア国内の銀行の融資行動が問題の多いもので
り当てた。多くの途上国ではこのような政府介入
あったことが明らかになってきた。明示的な形で
がレント・シーキング活動だけを活発化させるこ
はないにしろ、銀行がつぶれるようなことを政府
とが多かったのに対比して、韓国では各企業の輸
がさせないと保証していたことで、銀行の融資活
出業績のコンテストに基づいて融資・外貨割当て
動がモラル・ハザードに彩られたものとなり、手
が行われた。そのため、民間企業家は、経営の効
元に多量の不良債権がたまっていたことが顕在化
率化を実現させるインセンティブを保持し得たの
してきた。それによってさらに東南アジア諸国に
で、政府介入は失敗しなかった。このように、東
対するグローバル・マーケットの信頼が崩壊し、
アジア諸国の政府・ビジネス関係は、投資決定の
通貨売りが深化するといった悪循環が発生してき
協調の失敗を避け得るやり方として肯定されてい
たわけである。国内金融市場が、完全競争型市場
たのである注 3)。
にまで成熟していないという制約があったために、
しかし今回の危機の中で、一転してそういう政
金融の国際取引を自由化すると、結果として経済
府・ビジネス関係は、透明性を著しく欠くクロー
自体がより悪くなってしまうという、厚生経済学
ニー資本主義でしかなかったとみなされ始めた注4)。
のセカンドベスト命題が含意していたような事態
特に、国際通貨基金(IMF)がその支援の条件と
が生起したといえる注 2)。
して、これらの国内諸制度・構造の改革を強く求
めたために、世界市場は、根本的改革が実現され
3.
東アジア型開発経済体制の終焉か
ない限り、東アジア諸国はその民間債務の返済が
1997 年夏以来の東アジアの経済危機は、それま
できないと考え始めた。世界の世論は、東アジア
で高度成長を実現させてきた独特の開発主義的経
型経済システムとは、非効率的で不公正なクロー
済システムが、歴史上かつてないほどのスピード
ニー資本主義でしかなかったといい始めたので
と規模で拡大するグローバル資本主義に巻き込ま
ある。
れていく大きなうねりの中で、発生した。
ノーベル経済学賞を受けたロバート・ルーカス
通貨危機発生からほぼ 1 年たった 1998 年の 5 月
は、かつて東アジア諸国の経済開発のやり方を
に入り、ついにインドネシアでスハルト政権が崩
「マイケル・ジョーダン・モデル」と性格づけてい
壊した。世界の金融市場は、不透明な政策・ビジ
た 注5)。市場主義原理に反するような東アジア諸国
ネス関係を嫌いルピアを売り続けたために、失業
の政府介入がたとえ本当に成功といえるもので
が増大しインフレーションをも加速化した。国民
あったとしても、それはマイケル・ジョーダンの
が激しい不満を顕在化させ、ついにスハルト大統
ような天才が一般的なやり方を無視してもすばら
領は身を引かざるを得なかったわけである。まさ
しいプレーができるような例外でしかないという
に、市場が国家を揺さぶり、開発独裁政権が崩壊
主張である。ルーカスは今、東アジアも決してマ
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
3
イケル・ジョーダンのような天才ではなかったこ
潤率につられて多額の資金が流入し、資産インフ
とが明らかになったとほくそえんでいることであ
レが起こり、それがさらに資金流入を呼ぶといっ
ろう。
た事態になっていたことは容易に観察されたはず
である。その一方で、長い期間資本固定が必要と
II
市場経済論再考
なる物づくりの場ではそう簡単に高い利潤率が期
待できないので、資金があまり流入しない状態に
1.
イデオロギーとしての新古典派経済学
なっていた。
「資本主義にとって自分の領分」であ
東アジア地域での危機の発生を契機として、ア
る金融部門と「資本主義にとってどこか他人の領
メリカの標榜する自由主義的国際政治経済秩序を
分」である物づくりとの間で、市場経済的調和が
基礎づける新古典派経済学というイデオロギーが
うまく形成され得ないことは、資本主義の長い歴
世界中で声高に叫ばれるようになってきた。この
史の中で繰り返し観察されてきた事態であった。
イデオロギーとしての新古典派経済学とは、現実
しかし、新古典派経済論は、市場が完全という虚
の模型ではなく、現実を整序するための模型であ
構を前提としており、この 2 つの市場の間のずれ
る。こういう新古典派経済学を背景として、エコ
を明確に意識し得るものではなかった。少しでも
ノミストは、政治権力が幅を利かせていた状態を、
市場経済の現実を見ようとすれば、たとえ各部分
規制撤廃を徹底的に実施して市場経済本来の姿に
の市場がそれぞれのメカニズムと時間軸とで均衡
戻る必要があると主張している。また、華人系を
に向かっていても、そういう部分で構成される市
中心とする家族利己主義・縁故重視という経済慣
場経済の全体が調和的な均衡に向かって動くと
習も、経済活動を規制するルールを国際スタン
いったことはあり得ないことは容易にわかるはず
ダードに変更させる圧力を加えることで、修正さ
である。しかし、新古典派の経済論は、すべての
せるべきであると主張しているわけである。
部分、変数が一挙に調整されて効率的な均衡が実
新古典派のエコノミストは、形成論的に資源配
現されるという、まことに非現実的な市場観しか
分の効率性を実現させる力があると証明された完
示してくれていないのである。
全競争型模型・モデルに合わせて、現実の経済シ
ステムを作り替えるべきであると主張している注6)。
2.
少しでも新古典派のテキストブックを読めば、完
先進国においても、市場経済が完全競争型であ
全競争型市場が成立する前提条件が非常に多くか
るとはとてもいえないことは、だれの目にも明ら
つ厳しいものであることは容易に理解されるはず
かであろう。各個人が他者の存在を前提とする戦
である。そういう多数の条件が重なり合う和集合
略的意思決定に基づいて経済活動を展開せざるを
は、非常に狭く、ほとんど唯一の点にまで縮約さ
得ない状況下では、各個人が決定する変数相互間
れてしまうものである。イデオロギーとしての新
に非線型の関係が発生してしまい、諸個人の活動
古典派経済学は、まさにこのような唯一の点でし
が結果として作り出す経済パフォーマンスは、複
かない状態を、どこの国でも作り出すべきである
雑かつ不安定な振る舞いを示す。市場経済とは、
と主張しているわけである。
まさに複雑系でしかあり得ないものである。
どういうわけか、新古典派論者は、情報の不完
規制からの自由が実現して、各個人が自由に選
全性とか規模の経済といった、市場を失敗させる
択できる範囲が広がれば広がるほど、よい結果が
事態をほとんど重要視していないのである。東ア
得られるという新古典派の理論的帰結は、完全競
ジア地域の経済ブームの時代でも、その実態を少
争という模型でしか成立しないことをはっきりと
しでも謙虚に眺めてみると、金融取引の自由化に
認識しておく必要がある 注 7)。完全競争というワル
よって各国の膨張する金融市場には、高い期待利
ラス模型の世界では、各個人はオークショナーが発
4
不完全でしかない市場経済
東アジア経済危機の読み方
信してくれる価値情報とだけつながっていればよ
か実現されないことが多い。開発にとって政府の
く、他者とは全く無関係に孤立して自己の意思決定
役割はやはり決定的に重要であるはずである。政
を行うだけである。社会の中で他者の行動を読み
府介入が政権担当者のクローニー資本主義しか生
取って自らの意思決定を下さざるを得ない、現実
まないという診断はそれなりに的を射たものであ
のわれわれの経済社会生活においては、このよう
る。しかし、この事実だけを一面的に強調して、開
な完全競争模型が約束してくれるような理想的結
発における政府の役割を全面的に否定してしまっ
果は望むべくもない。ワルラスのモデルは、
「市場
てはならない。政府介入が失敗を起こさなかった
社会主義のモデル」としては有効であるにしても、
事例を、再検討してみる必要があろう。
現実の「市場経済のモデル」としては全然有効な
ものではないのである。
3.
市場経済と文化的信念
非協力ゲーム理論が教えてくれるように、他者
市場経済に関する議論をさらに進めると、人々
の行動を読みながら行動するとき、確かに人々の
の自発的行動が作り出す社会的帰結としてのナッ
期待が実現されるという意味でのナッシュ均衡は
シュ均衡とは、唯一のものではなく、多数の均衡
実現する。ナッシュ均衡とは、自他の意思決定が
が存在することに注目しておくことが必要となる。
相互関連して作り出される経済・社会の働きに対
この複数の均衡という束の中から、どのような均
する各自の主観的モデルに基づいて各個人が予想
衡がある社会で選ばれるかは、その社会のたどっ
し期待する状態が実現されているために、各個人
てきた歴史や、その社会の人々が共有している自
はその意思決定を変更させるインセンティブを持
他関係を律する文化的信念ないし価値観に依存し
ち得ないという意味である。社会の中で、あるタ
てくることになる注 9)。家族・同族を重要視する文
イプの慣習が支配的なものとなってくるプロセス
化的信念が共有されている社会と、個人主義的な
も、そういうタイプの慣習を社会のより多くの人
文化的信念が共有されている社会とでは、均衡と
が採用するにつれてだれでもがそれを採用したほ
して選ばれる経済取引組織化のやり方が全く異
うがより得になるという、ナッシュ均衡の時間的
なったものとなってくる可能性が非常に大きいの
変化として記述され得る進化ゲーム論として解釈
である。どういう均衡が選ばれるにせよ、新古典
されるようになってくる。しかし、セルフ・イン
派がイデオロギーの根拠としているような完全競
タレストを追求して自分の行動が他者にもたらす
争型市場が存在し得ないことは確かである。ど
利益や損害を考慮に入れない限り、実現するナッ
んな社会においても、人々は不完全市場の中で経
シュ均衡は、ほとんどの場合、社会全体からみる
済生活を営むことになる。そして、不完全である
と非効率的な帰結しかもたらさないのである。
理由や不完全性のありさまは、決してどこでも同
先進国においても、その市場経済が完全競争型
じではなく、非常に個性的なものであるという事
市場であるとはとてもいえない。豊かな経済にお
態を明示的に理解しておくことが重要である。そ
いてすら、諸個人の私的利益追求が相互関連して
のため、市場の不完全性に対処する方法も、どこ
形成される市場経済は、不完全なものでしかな
でも一様というわけではなく、これまた多様なも
い 注 8)。成熟した経済社会においても、諸個人の分
のとならざるを得ないのである。どのような市場
権的意思決定を、社会全体にとって効率的な帰結
経済にも普遍的に適用可能な介入といったものを
をもたらすようにコーディネートすることは、大
想定することは、できない相談であろう。
層困難なのである。先進国の豊かさにキャッチ・
経済危機の深化につれて、東アジア諸国では銀
アップしようとしている途上国において、民間経
行がその融資を同族・親族に対して集中的に流し
済主体が特に投資決定を個別バラバラに行うと、
ていた事態も明らかになった。グローバルな規模
国民経済全体の開発にとっては非効率的な投資し
で活動している投資家たちは、金融取引の国際的
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
5
自由化それ自体ではなく、東アジア諸国での銀行
ために、世界中の投資家がこういう改革を敢行し
のこういう不透明な融資活動こそが金融システム
ない限り、特にインドネシアの民間がその対外債
の不安定化の原因であったと主張している。そし
務を返済できないと信じ始めたことは大きな問題
て、IMF などの国際金融機関は、金融に関しても
であろう。インドネシアの経済の実態は、債務超
グローバルな基準に基づいた規則体系を早急に確
過による破綻ではなく、一時期の外貨不足という
立させる必要があると主張しているわけである。
資金の流動性の問題であった可能性は大きいので
金融制度をグローバルな基準に見合うように改
ある。まさに「それが、いかに長期的には有益だ
革していく必要があるが、われわれは決して性急
としても、経常収支バランスの回復に必ずしも直
であってはならない。人々が自主的に作り上げる
接的に必要ではなく、かつ金融・経済構造、そし
市場組織化のやり方が、文化的信念にも依存して
て政治規範の大がかりな変革を必要とするような
いる以上、地域にはそれに適した市場経済の型や
プログラムを IMF は強制してはならない」注 11) の
進化があるのだということを認識しておく必要が
ではなかろうか。東アジア経済の実態に関するか
注 10)
。法的な整備さえすれば金融の国際的自
たくなな新古典派ドクトリンに縛られた誤診の下
由化がどこでも経済効率を改善させるという神話
に、必要以上に大がかりな改革案を提案する IMF
から解放されて、市場経済にも地域的個性がある
の存在自体が、経済危機を深化させてしまったと
ことを相互に容認し合うことが急務であろう。
もいえよう。
ある
新古典派のエコノミストは、今回の通貨・経済
III 危機を越えるための政策選択
危機の背景として、東アジア地域の急速な工業化
が世界的規模で労働集約財の過剰生産を生み出し
さて、IMF がタイとインドネシアに課したコン
ている事態が存在していることを完全に無視して
ディショナリティについて少しみておこう。IMF
いるのである。1997 年夏以降の東アジア経済の動
は、決して国家財政の赤字が危機の主要因ではな
揺は、決して短期循環的な後退ではなく、中・長
かったこれらの諸国に対しても、ラテン・アメリ
期的投資環境の後退局面として理解されるべきで
カで成功を収めたとされる緊縮財政と信用引き締
あろう 注 12)。さらに、ASEAN 諸国では、高度成長
めという 2 つの政策を組み合わせた処方せんを適
の中で実は国内所得分配は不平等化の度合いを高
用した。しかし、こういう政策は経済の回復を遅
めており、大衆消費はそれほど伸びていないため、
らせてしまう可能性が大きいのではなかろうか。
生産と有効需要とのギャップが拡大しているので
増税と財政支出の削減によって、国内経済が不況
ある。こういう圧力に押されての東アジア諸国か
度を強める上に、必要以上に国内金利が上昇して
らの輸出の急増に対して、欧米で保護主義への動
しまうことで、短期的に流動性危機に陥っている
きが顕在化してきたことも間違いない。世界経済
だけで将来性のある企業すら、倒産してしまう危
全体は、長期波動の面で下降局面に入りつつある
険性が高まっているのである。
といえる。こういう時代では、自由化政策の追求
IMFは、タイとインドネシアに対して、ラテン・
が、30 年代のように、意図したわけではないが圧
アメリカ諸国のマクロ経済安定化のために課した
力に押されて、東アジア諸国が競って為替レート
条件よりも、むしろロシアなどに強要した腐敗対
の切下げに走る状態を導き出してしまう危険性は
策をも含む包括的制度・構造改革をその金融支援
大層大きいのではなかろうか。
の条件として課していたといってよい。こうした
ASEAN 地域では国内所得分配が急速に不平等
制度・構造改革が、長期的には各国の経済にとっ
化しているのである。この事態こそ、グローバリ
て望ましいものであることは否定し得ない。しか
ゼーションが東アジア地域に投げかけている最大
し、IMF が制度・構造改革をあまりにも強調した
の問題点である。新古典派エコノミストは、為替
6
東アジア経済危機の読み方
レートの調整を中心とする経済調整によって労働
のに対応して、グローバル・マネーの流通速度も
集約産業の成長が軌道に戻れば、所得分配のこの
急激に速くなっている。短期性の投機資金が流入
悪化傾向も止まるはずであると主張している。し
している間は、金融は緩和し株価も上昇し、経済
かし、経済のグローバリゼーションに伴い開かれ
活動も強い刺激を受けて活況を呈す。しかし、資
た金融資産・不動産取引機会を巧みに活用し得た
金がひとたび流出し始めると、その瞬間から金利
層と、そういう経済能力を持ち得ない農民、労働
は上昇し為替レートも下落し株価も暴落し、経済
者層との間での所得稼得能力の差がそう容易に縮
活動は全面的に停滞の方向に歩み始める。グロー
小されていくとは期待できないのではなかろうか。
バル・マネーは、危険が大きすぎる割には高い収
所得分配の悪化の背景には、多数の企業で雇用
益が期待できそうにない、長い時間が必要な物づ
が臨時雇用化するといった事態が存在している。
くりの場は避けて通る。今回の経済危機は、東ア
アメリカの最近のニュー・エコノミー論が期待し
ジア型経済システムの終焉といったものではなく、
ているように、東南アジア地域でも労働市場の弾
あまりにも速いスピードで世界を駆け巡るグロー
力化、柔軟化が完全雇用を実現させ得ると想定し
バル・マネー・キャピタリズムが引き起こしたも
てよいのであろうか。裸の競争の中で、人々は、技
のというべきであろう。市場とは、先進経済をも
能形成の道を断たれ低賃金、低労働生産性のわな
含めて、決して完全なものにはなり得ない。開発
から抜け出せず、安定した生活基盤を失ってしま
のための政治経済システムが、IMF が考えるよう
うことになるのではなかろうか。クルーグマンが
に、外からの構造・制度改革の押し付けで、短期
問題提起をして注 13) 以来、次第にはっきりと認識
間に完全なものになることはあり得ない。どこの
されるようになってきたが、ASEAN諸国では物づ
国においても、開発のための政治・経済システム
くりの現場での技術進歩ないし生産性の向上はそ
は、その国の歴史や社会構造に強く規定された個
れほど顕著なものではなかったのである。生産性
性ある形態で進化していくしかないのである。ま
の向上がそれほどはっきりと実現しなかったのは、
さに、グローバリズムの時代に生きていくために
あっさりと表現して、この地域に歴史的に形成さ
は、以上のような事実を冷静に認めて、
「極端な単
れてきたものとしての社会的インフラが、世界市
純化やイデオロギー」を捨て去る必要がある注 4)。そ
場での競争に耐え得るような労働者の技能や企業
して今こそ、資本主義経済の強さと同時にその弱
組織へのコミットメントを早急に作り出すには未
みをはっきりと見抜いていたケインズの思想を再
整備であったからである。教育体制や社会慣習ま
評価する必要がある。
「知識は国際的であるべき。
で含めた社会組織は、いまだグローバル・コンペ
しかし、財は国内生産を旨とすべし。とりわけ、金
ティションに耐え得るような生産性の向上を可能
融は国内的であるべき」注 14) としたケインズの思
にするものとはなっていなかった。端的にいって、
想を、東アジア諸国は真剣に再考してみる必要が
賃金が安いから、国際競争力が発揮できていたに
あるのではなかろうか。荒々しいグローバル・マ
すぎなかったのである。こういう事態を冷静に考
ネー・マーケットをいわば飼い馴らしつつ、各国
えてみると、現在この地域でみられ始めている労
内で物づくりの場に長期的資金が流れるような政
働市場の構造変化が、長期的にはこの地域の経済
策を作り上げていく必要がある。東南アジア各国
の供給能力を弱めてしまう可能性は大きいのでは
が経済危機を脱するためには、輸出産業を育てて
なかろうか。
外貨を獲得していく以外に道がないことは明らか
東アジアは、早急にグローバリズムを美化する
であろう。そのために効果的な政策体系とはどの
だけの市場原理主義物語の呪縛から抜け出さねば
ようなものであるかを考えることこそが、最重要
ならない。情報技術革新によってコミュニケー
な課題となっていることを忘れてはならない。
ション・メディアのベロシティが急速に高まった
国際協力研究 Vol.14 No.2(通巻 28 号)1998.10
7
注 釈
1) Radelet, S., Sachs, J.:Asia's Reemergence. Foreign Affairs, Nov./Dec., 1997.
2) Krugman, P.:What Happened to Asia, Mimeo, 1998.
3) World Bank:The East Asian Miracle, The Johns Hopkins
University Press, 1993.
4) Stiglitz, J.:Sound Finance and Sustainable Development
in Asia, Mimeo, 1998.
5) Lucas, R. E.:Making a Miracle. Econometrica, 62(2),
Mar., 1993.
6) 原洋之介:多相的自由主義ルールの構図(開発と文化,
第 7 巻),岩波書店,1998.
7) 神取道宏:ゲーム理論による経済学の静かな革命.現
代の経済理論,岩井克人,伊藤元重編著,東京大学出
版会,1994.
8) 松山公紀:コーディネーション問題としての経済発
展.東アジアの経済発展と政府の役割,青木昌彦,他
編,日本経済新聞社,1996.
9) Grief, A.:Economic History and Game Theory:A Survey. Handbook of GameTheory, North-holl, 1998.
10) 原洋之介:商人と国家の経済学(世界歴史 15),岩波
書店,1998.
11) Feldstein, M.:Refocusing the IMF. Foreign Affairs, Jan./
Feb., 1998.
12) 篠原三代平:東アジア経済の 21 世紀を考える.This is
読売,6 月号,1998.
13) Krugman, P.:The Myth of the Asia's Miracle. Foreign
Affairs, Nov./Dec.,1994.
14) Keynes, J. M.:National Self-sufficiency (The Collected
Writings of John Maynard Keynes, volXXI), Macmillan,
1933.
原 洋之介(はら ようのすけ)
1944 年生まれ.東京大学農学部農業経済学科卒.同大
学院農業経済学専攻博士課程修了.農学博士.
現在,東京大学東洋文化研究所長.専門は,アジア経済
論,開発経済学.
〔著作・論文〕
開発経済論,岩波書店,1996.
アジア・ダイナミズム,NTT 出版,1996.
東南アジア諸国の経済発展,東大東洋文化研究所,1994.
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