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2007における試み~ 小野 環

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2007における試み~ 小野 環
場と美術
アーテイス卜・イン・レジデンス尾道2
007における試み
小野環
AIR
尾道 2
007開催概要
滞在作家
山本基
クリスチアン ・メルリオ
通称トリのマ ーク
オオツカノブカ
もうひとり
小野環三上清仁
開催期間 /2007
年 8月 1
1日"
'
9月 1
1日
場所/干光寺かおり館、千光寺南斜面空き家、空き地
尾道実行委員会
主催 /AIR
共催/尾道大学
助成/尾道大学特別研究費、野村国際文化財団、朝日新聞文化財団、エネルギア
文化スポーツ財団
後援/尾道市、尾道市教育委員会、フランス大使館、尾道大学地域総合センタ ー
はじめに
私は尾道固有の場所の特性を活かした美術活動である AIR
尾道(アーテイスト・イ
ン・レジデンス尾道)の企画・運営を 2
007年より行っています。 AIR尾道は国内外
より様々な領域で、創作活動を行っている作家を招轄し、尾道に滞在しながら山手地区
の空き家、空き地など、で創作活動を行ってもらう試みです。作家に尾道という場で新
たな制作に挑んでもらうことと、場に眠っているさまざまな魅力や可能性を掘り起こ
して行くことを目的としています。企画の名称である AIRはア ーテイスト・イン・レ
ジデンス (
A
r
t
i
s
ti
nR
e
s
i
d
e
n
c
e
) の頭文字をとった略称ですが、これには住人不在の
空き家に新たな空気を送り込むという意昧も込めています。 2
007年には国内外より
5組の作家を招轄し、千光寺にある 「
かおり館J を拠点に数カ所の空き家や空き地で
-37-
それぞれの作家が創作活動を展開しました。 この活動を始めた経緯も含め、 AIR尾道
について 2007
年の活動をメインに紹介します。
ア ー テ イ ス 卜 ・ イ ン・ レジデ ン ス に つ い て
アーテイスト ・イン ・レジデンスとは芸術家をその 土地に招待し 一定期間滞在しな
がら創作活動を行ってもらう機関や組織のことを言います。
作家の創作活動を支援し、
表現や交流の場を作り 出すという役割を担うもので、欧米では以前より盛んでしたが、
日本では 1990年代以降、各地で行われるようになってきました 。 とは言うものの、
実際にはア ーテイスト ・イン ・レジデンスという呼び名は 一般に普及しているとは言
えませんし、このような横文字の呼称を使うと、それが指し示すものが何かしら新奇
なものであるという印象を与えてしまう傾向があります。 しかし 、私は現在ア ーテイ
スト ・イン ・レジデンスとして行われていることは、かつて各地を旅しながら創作活
動を行っていた文人・画家がいて、各地に彼らを庇護していた町衆がいたように案外
これまでも多く行われてきた表現活動を支える基本的なかたちだったのではないかと
考えています。そして、今なお共同体に異なる視点を持っている他者を招き入れる事
は場の活性化のために有効な手法のように思われます。作家にとっては旅 =新たな場
との出会いが次なる創作のきっかけになり得るだろうし、生活者にとって当たり前す
ぎて見落としがちな状況に作家が気付き、新たな視点でそこに眠っている魅力を再発
見する可能性があります。居住と旅、共同体とその外部など 日常と非日常の境界を越
える行き来のなかで生み出される振動が新たな創造や活動を触発する可能性を持って
いるのです。
AIR尾道までのこ と
まず、なぜキュレ ーターでもまちづくりのコ ーディネータ ーでもない美術に携わる
ー制作者である私がア ーテイスト ・イン・レジデンスの企画を始めたかについてお話
しします。 こうした方向性への志向は徐々に生まれてきたように思えますが、今の時
点で振り返ってみると大きく 2つのきっかけがあったように思えます。
一つ目には制作を行っていく 中で 「
場」 の問題が興味深いテ ーマとして浮上したこ
とが挙げられます。私は画家を目指して美術の世界に入り込み、大学では絵画科で油
絵を専攻したのですが、制作を続けていくうちに 、絵画の枠組みや絵画とそれを包み
込む空間との関係が気になってきたり 、生活している 中で自分が感覚的に引っかかっ
た問題に対して、よりダイレクトに関われる方法を探すかたちで表現を模索するよう
δ
口
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になりました。そのような折、当時東京事術大学の取子校地で助手の仕事をしていた
私は取手市の街中を使って開催された第 1回目の「取子アートプロジェクト
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に関わる事になります。そして、私自身市内に住んでいた事もあって、この時構想さ
れていた「オープンスタジオ」に運営スタップとして関わる事になりました。このオ
ープンスタジオの構想に大きく関わっていたのが当時先端芸術表現科で講師をされて
いた故渡辺好明氏です。渡辺さんは自身がドイツに留学していた経験をベースにしな
がら作家が自分達で場所を作り出していく活動について折りに触れ紹介してくれてい
ました 。オープンスタジオは取子市に住んでいる作家達の制作場所を一般に公開し、
作家と市民あるいは作家相互の新たな交流を生み出す事を主な目的としていました 。
それぞれの参加者が作品を家やアトリエに展示するなど、普段の制作プロセスの一端
を公開し、来場者を迎えるオープンスタジオには人数こそ多くはないのですが多彩な
人々が参加しました 。大学を卒業・修了し活動を行っている作家、現役の大学生、取
手市在住の郷土作家。活動領域も年齢も様々でした。版画、彫刻、日本画、陶芸、現
代美術…。設備投資してクレーン付きの立派なアトリエを構えている金属彫刻家もい
れば、ぼろぼろなアパートで制作している在学生、長年取手市を拠点に制作を続けて
きたベテラ ンの彫刻家、共同でアトリエを構えている修了生、古い民家を改修してア
トリエにしている作家、コンパクトながらも充実した版画工房を持つ地元の作家。 こ
のイベントでは十人十色の作品と、それぞれの作品が生み出される現場の状況、住ま
い方、など多面的に作家の活動に触れる事ができ、当初の予想、を超えた多くの発見が
ありました。 そして、生活する事と制作する事の関係や、作家としてどのように生き
残っていくのか、あるいは展示場所の新たな可能性など制作を支えるさまざまな事柄
について具体的に考えるきっかけになった出来事でした。この時、私も改造した自宅
の一室に作品を展示し公開したのですが、これによってギャラリーや美術館など既存
の展示スペースでなくても実現できることもあるのだという手応えを得、場を作るこ
とにも多くの可能性があることを実感することができました。
尾道の場所との出会い
もうひとつのきっかけが尾道の場との出会いです。私は 2001年尾道大学に美術学
科が設置された年に尾道に赴任することになりました。尾道に来て最初に感じたのは
街のありかたの独自性でした。戦災に遭っていないことや街の開発の歴史が大変古い
こともあり 、海と山に挟まれた東西 2キロメートルに満たない旧市街ではちょっと歩
くだけで実に多彩な時間の層の重なりに触れることができます。中世以前の社寺、江
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戸期や明治期の邸宅や倉、大正期の洋館、昭和のモルタルアパートや現在建設が盛ん
なマンション 。 これら年代もスケールも様式も異なるさまざまな建築が同じエリアに
同居しています。そして、古くから人々が住んできた歴史や文化的な厚みを感じさせ
つつも、それは倉敷や保存地区に感じるような冷凍保存されたような文化的・歴史的
な資産と言ったものとも異なります。人々の生活によって積み重ねられ、今なお進行
している歴史を視覚的に捉える事ができるのです。明治以降開発された北海道で生ま
れ、関東の新興住宅地で、育った私自身の感覚からするとこの環境は大変不思議なもの
に感じられました。 そして、その中でも特に印象的だったのが坂の町尾道の顔とも言
うべき社寺が立ち並ぶ斜面地でした。最初にこのエリアを散策した時、この場所の持
つ迷路性と独特の建築群が残されている様に魅了されました。ところが、現在では車
社会への転換など人々のライフスタイルの変化によって空洞化、高齢化が進行して空
き家問題が慢性化しています。中には廃虚化している家屋も少なからずあります。人
が住まなくなったとたんに、傷みが加速しこのような状態へと到るのでしょう 。 まだ
まだ活用できそうな家も数多く残されているのでこれは大変もったいない事です。私
自身住居を探したり 、新たな活動の場所を作り出していきたいという希望を持ってい
たので、変な言い方かも知れませんが、このエリアが数多くの資産が眠っている宝の
山のようにも見えてきました 。
尾道での試み
尾道に移り住み、 2001
年より工房尾道帆布が主催する尾道帆布展の運営に関わる
事になります。開催場所の下見を行ったり、作家と打ち合わせをしたり 、記録集を編
集したり 。
私にとっても始めての経験ばかりで大変学ぶ事が多かったように思います。
年に尾道市商盾街で開催した第 3回尾道帆布展です。
特に印象に残っているのが 2003
元々興昧のあった尾道市 旧市街で活動を展開し、会場となる空き届舗や空き家を視察
して回る経験は大変印象に残っています。 また準備段階でそれまで長年眠っていた場
所を聞き、掃除からスタートしてスペ ースを磨き上げていく開拓作業というのは期待
感と歓びを伴うものでした。参加学生の多くもその感覚を共有してくれていたようで、
ずいぶん多くの学生が最初の掃除や片付け段階から参加し、企画の運営に協力してく
れていました。
ア ーテイスト・イン・レジデンス)の
こうした経験を踏まえて、 2006年頃 AIR (
構想が生まれました。私も 山手に住み始めて数年経っている時点であったし、周囲に
問題意識を共有する作家や学生達がいた事も大きなきっかけとなり、尾道に来て数年
-4
0-
間暖めていた山手地区を舞台とする企画をスタートさせる事となりました。
2007年の活動
様々な広がりを見せる現代美術の中で魅力的な作家を招轄したい、それと海外から
も作家を招轄したいというのが最初に考えた企画の基本的な方向性でした 。尾道とい
う場所を共有する視点には多様性が必要であり、自分達もこの企画を通じて学んでい
きたいと考えたためです。広島市で展覧会「ヒロシマアートドキュメント」を 10年
以上に渡って開催し続けているインディペンデントキュレーター※の伊藤由紀子氏に
も協力して頂き、企画を練っていきました。
第 1回目となる 2007年は国内外各地(フランス、イギリス、金沢、東京、尾道)
より多様なジャンル(演劇、写真、彫刻、絵画、インスタレーション)の現代美術作
家 5組 7名を招轄し、活動を行いました。 7名はそれぞれ表現媒体や形式の違いはあ
っても皆、場との関わりが創作活動にとって重要な意味を持っている作家たちです。
約 1ヶ月の開催期間中、各作家は山手地区に点在する空き家などの会場で活動を展開
しました。そして、非常に短い期間ではありましたが、それぞれの場所で各作家の持
ち昧を活かした作品が成立しました 。制作された作品の多くはその時、その場所でし
か成立しない質、例えば美術館やギャラリーなどでは実現不可能な内容を持っており、
表現と場との関係や作品と時間との関係など今日の美術のありかたを考える上でも興
味深い作例になっていたと思われます。 それでは各作家の制作を見ていきましょう 。
,
.山本基の制作
山本基さんは尾道出身で金沢を拠点に国際的に活躍している作家です。塩を素材と
する静誼なインスタレーション作品を国内外各地で発表しています。近年、床面に塩
で迷路を描くシリーズ「迷宮」の制作を行っています。 山本さんが塩という象徴的な
素材を使い初めたのは 10年以上も前から 。最愛の妹の死が契機となり、塩という素
材に出会ったと言います。塩は持つ白く美しい存在感と象徴性を兼ね備え、そして自
然界の至る所に存在している原初的ともいえる素材です。 山本さんは死という不可逆
的な出来事に対し、絶えず表現行為を通じて向き合って来たように思えます。
山本さんは尾道でもこの塩を素材とする作品「迷宮」を制作しました。会場は旧和
泉家別邸(通称尾道ガウディハウス)です。 この建物は現在、 NPO法人尾道空き家
再生プロジェクトの中心として活用されているシンボリックな場所ですが、 25年間
空き家であった上、風雨やシロアリのダメージを受けており、相当傷んだ状態にあり
-41-
ました。 しかし、この建物は「ガウディハウス」という 愛称が物語るように大変ユニ
ークな特長を備えています。 旧和泉家別邸 は日本の木造建築技術のひとつの頂点を迎
えた時期とも言われる昭和一桁台の昭和 8年 (1933年)に建てられました 。傾斜地
にへばりつくような高低差のある不定形な敷地。和洋折衷の意 匠。厳選された材料。
実用を超えた細部に至るまで、行き渡った遊び心。一人の大工が 3年かけて作ったと言
われていますがそのエピソ ード が納得できるぐらい様々な見所が凝縮された優れた建
築です。
山本基さんはその建物の構造全体とがっぷり四つに関わる制作を行いました 。約 2
週間の滞在期 間中 、 山本さんはガウディハウスで塩の迷路を摘き続けました 。 日々
「
行」 のように黙々と続けられる行為の 中で線が増殖し、床面全体を覆っていきます。
抑制の効いたように見え る塩のライン は案外感覚的に引かれていきました。 山本さん
の制作の 中で特に印象的だ、
っ たのは風雨で、腐って穴があいた床面も 作品 の中に取り込
み積極的に活かしたことです。日常の感覚では負の要素を持った傷みの激しい箇所が、
表現行為が介在する事で一気に魅力的な場に変容したのです。 これは美術という営み
の持つひとつの力ではないでしょうか。 山本さんの圧倒的密度を持った迷路の作品は
ガウディハウスの内部空間と密接な関係を持ち 、そ こに置かれている家具や小物など
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にも隈無く干渉し 、建物全体のスケール感を揺さぶる力を持っていたように思えまし
た。 と同時に 、チベットの砂量奈羅を連想させる、置かれただけの危うい塩の存在感
は私たちに有限の時間や存在のはかなさを思い起こさせるものでした 。会期終了後、
私たちは作品を構成していた塩を海に帰しました。作品の素材となっていた塩を再び
海に返す行為によって作品自体は失われましたが、作品の存在の記憶はこの期 間中
、
007年、山本さんの尾道での初め
会場を訪れた多くの人々とともにあるはずです。 2
ての展覧会は妹の 13回忌にあたる年でした 。 山本さんはその後もフラ ンスやドイツ
で展示を行い 、最近では東京都現代美術館のアニュアル展「装飾」 に出品するなど、
各地で精力的に活躍されています。
2
. クリスチ アン・ メルリ オの制作
尾道は映像作家にとっては特別な場所です。小津安次郎、大林宣彦、ヴィム・ヴェ
ンダース
・・
・
。それ以外にも多くの映画のロケ地になり、映像作品としてそのイメ ージ
が定着されています。特に小津作品には世界的影響力があり、このレジデンスに来た
作家クリスチアン ・メルリオもその作品を敬愛し、社会構造の変化の中で失われゆく
「
ふるさと 」 として描かれている場所、尾道を知っていました。
クリスチア ンはパリの現代美術のひとつの拠点となっている場所であるパレ・ド・
トーキョー/現代創造サイト※の中にある教育機関パヴ、イヨンで映像の講師をつとめ
ている映像作家です。 これまでもパリを拠点に世界各地を旅しながら数多くの映画を
撮影してきました 。 またクリスチアンは日本の小説の熱心な読者であり、日本に来る
前に尾道で撮影する映画のラフスケッチは村上春樹の小説 「
海辺のカフカ」の 一節を
基にしたものでした。
しかし、実際に尾道を訪れると原作イメージと適合する場所がありません。 クリス
チアンは 2週間という短い滞在のうちの最初の数日をまるごと撮影場所の選定に費や
しました 。尾道市内から竹原近辺までの多くの場所を見て選ばれた場所は 中国自然歩
道沿いにある滝と久 山田 町近辺の棚田、土堂小学校の音楽室で、す。是等の場所は尾道
に住んでいても普段はそう訪れることのできないすばらしい場所でした。そういった
場所にエキストラの子どもたちゃ学生スタップ、照明や音響のエンジニアたちと出か
け、数日間にわたって撮影を行いました。私もアシス タントの一人として参加しまし
たが、映画の撮影現場独特の緊張感と一種、祝祭的ともいえる雰囲気を昧わうことが
できたのはとても貴重な経験でした。 また、普段見慣れている大学近辺の棚田が完成
された映像の中ではある種普遍的とも言える牧歌的田園風景として立ち現れてきてい
-4
3-
たのがとても印象に残ります。 ク リスチア ンの映像は見るものの想像力を喚起す る寓
話 的なイメ ージと歴史的な物語の断片とが結びついた ユニークなものとなりました 。
クリスチアンは滞在期間中、 山手の空き家の 一軒をスタジオ兼滞在場所として使用し
ました。機材を空き家に持ち込み、撮影のあとは毎晩編集作業に打ち込みました。車
の入らない静論な環境は集中して作業をするのに最適だったと 作家は語っています。
この機会に制作された作品「お椀山の出来事」はレジデンス直後に開催された展覧会
ヒロシマアートドキュメント 2007で発表されました 。 ク リスチア ンは帰国後、作品
をより徹密に 再編集し 、音響を仕上げ、この作品はポンピドゥ ーセ ンタ ーをはじめフ
ランス各地で上映されました。定着された 映像はその場所の光と 出来事を作品として
他者と出会う 可能性を未来へと繋いでいきます。
3
. オオツ力ノブカの制作z
オオツカさんはロンドンを拠点に活動している作家です。 イギリスのいくつかの大
学で彫刻や絵画など ファインア ートを学び、その後ヨ ーロッパ各地で発表活動を行っ
ています。欧米ではノプ力さんのように複数の大学で絵画や彫刻、写真や映像など複
-44-
数のメディアを学ぶことはそれほど珍しいことではありません。彼女は、現在でも興
昧ある領域の授業を大学に聴講しにいって行っているそうです。
今回の滞在でノプカさんは旧和泉家別邸(通称ガウディハウス)に残されていた数
多くの古着に注目し、その古着をもちいて、ノプカさん自身が創作し偏愛している鳥
のキャラクター「ピ
ちゃん」を作りました。様々な生地や柄の着物や洋服を繋ぎ合
わせながら徐々に大きな小鳥が姿を現しました。展示会場となったのは何十年も空き
家となっていた山手のアパートの 2部屋です。一階の 一室には古着をまとった大きな
「ピーちゃん」を設置。窓を覆うったや、部屋の中に置かれたままになっていた一昔
前の観光地のペナントやアイドルポスター、粉砕したガラス、そして、それらに覆い
かぶさる壊の存在などが以前の住人を想起させる部屋の雰囲気は古着で構成された色
とりどりの「ピーちゃん J と不思議に響き合っていました 。アパート二階のフロアー
では鳥のおもちゃを用いたインスタレーションを制作しました。漫画のセリフの吹き
だし部分の切り抜きをフロアーに散りばめ、その中に録音再生機能がついていておう
む返しをする鳥の玩具を数台設置しました。その部屋での会話や物音がしばしオウム
によって反復されますが、すぐにまた元の静けさに戻ります。その静けさはかつてそ
の部屋で、交わされたであろう会話の存在を思い起こさせ、かえって住人不在の現状が
強調されているようにも思われた作品でした
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. 通称トリの マークの制作
トリのマ ー クは東京で小劇場を中心に活動する演劇集団です。通常、演劇と 言 うと
劇場空間の 中に舞台があり、その上で俳優が台本に基づいて演技し 、観客席でそれ見
るというような設定の中で行われるものです。しか し、近年 ト
リ のマ ークが試みてい
る演劇活動はそのような 枠組みを逸脱 しているように見えます。彼らの演劇において
は一般の邸宅、廃屋、公園、ギャラ リー など様々な場が舞台に 早変わりしますし、台
本も観客や参加者が書 いたかと思えば、筋書 きがなく偶然の出来事が作品を形づくる
こともありますし、演者と観客が入れ替わったりも します。演劇の 自明のル ール を -
E白紙にしてその 可能性を環境の力を導入しながら再構築する試みとも 言 えるでしょ
う。現在、
トリ のマ ークは東京都墨 田区向島の古い民家を改造したカフェこぐまを経
営しながら、そこを拠点に様々なワ ークショップや演劇活動を展開し ています。尾道
で行った活動もこの流れの延長上にあるものです。
尾道滞在期 間中トリ のマ ークは、干光寺公園サル 山・ 共楽園 ・かおり館 ・山木戸庵
など 山手界隈を移動しながら、毎日異なる場所でカフ ェを聞きま した。そのカフ ェで
はお金と 引き換えにお茶を飲むのではなく、お客さんが自分自身の家についての記憶
や、音の記憶をカ ー ドに書き/描き、それと交換にお茶を飲みます。そして、その記
憶に関する話な どをするのです。それ
ぞれの場所で、お客さんが、自らの 記
憶の語り部となるのです。地元の人々
や旅行者、タクシ ーの乗務員の方、小
さな子どもまで、さまざまな人々が 自
分の話を演 じま した。
場所を動き 回る軽快 なフッ トワー ク
と、どこかに 置 き忘れてきた記憶にさ
さやかに光を 当てるという決 して大仰
ではないありょうが女子ま し く思える イ
乍
品で した。
-4
6-
5
. もうひとりの制作
「もうひとり」は私と美術作家三上清仁のユニットです。AIR尾道では全体の企画
運営も行っています。 2005年に尾道市商庖街で行ったワークショップ「街にもうひ
とり」を共同で行ない、以来、尾道の街の持つ流動的で不安定な要素をモチーフにい
くつかのプロジェクトを共同で行ってきました。そこで制作されたサイトスペシフィ
ック※な作品やワークショップは街に対する私達なりの返答や問いかけです。
今回、もうひとりは山手地区の中でも自分達にとって特に強い印象を残した 2つの
場所を用いて制作を行いました 。ひとつは建物が取り壊されたあとのブルーシートが
敷かれた空き地、もうひとつは岡の上に立つモルタルのアパートです。圧の上と谷の
空き地、これら 2つの場所を窓によって対話させる作品を制作しました。
アパートにはかつて、多くの住人が住んでいましたが、現在ではほとんどの棟が空
き家となっています。窓のガラスは割れ、木製の窓枠はかろうじて残っている状態で
したが、もうひとりは、そのなかで最も眺望がよい窓を選び制作を行いました。アパ
ートの内部にブルーのホリゾント(ドーム状の曲面)を作り、強力な光量によってブ
ルーの色彩で室内を満たしました 。アパートの内部空間は外から見た時に距離感を失
い、夜になると昼の空のような青さとして見えてきます。一方、アパートから見下ろ
せる空き地には虚構のアパートの窓を出現させました。その窓は仮設足場の上に設置
されていますが、あたりが聞に包まれ始めると内部の照明によって棚や造花などが置
かれた生活感のある窓辺の様子が浮かび上がってきます。その光は空き家が多い一帯
のなかでひときわ明るい光を放ち 、 しばらくのあいだかつて家があった空地を照らし
ていました 。夜になると存在感を強める窓の幽霊とも言える作品です。
円
4i
場所の記憶との対話
2007年の AI
R尾道では、特に具体的なテーマを設定していた訳ではありません 。
むしろ招璃作家の活動領域や居住地の多彩さに注目して企画・運営を行いました。 し
かし、実際に展示を終えてみると各作家の活動に通底する共通項が浮かび上がってき
たように思えます。それぞれの作品は自己完結的なモノローグとして作られたという
よりも場所の持っている時間の厚みと対話をしながら制作されたように見えるので
す。 そして、作品という 「
図」 を特定の場所の中 で生み出す事によって既にそこにあ
った 「地」としての日常や場に働きかけ、 「地」とし て存在 して いる風景に新たな役
割を与えていま した。それによって 「地」と「図」の関係 が反転し、そこにある環境
の方が前景化し、眠っていた細部が生き生きと現れてきます。もちろん、その場の力
の引き出し方は作家により異なるものですが、作品を介することによって潜在してい
た出来事の痕跡やそれにまつわる記憶など繊細な細部の表情が現れる現場を目撃する
事が出来ました。こうした作品のあり方は周囲の生活空間と隔絶され漂白された ニュ
ー トラルな美術館やギャラリーでのものとは大きく 異な ります。それぞれの作品はそ
の場に新たな振動を作り出す事に よって忘れられていた過去への新たな入口を指し示
しているようにも思えました。それは一般的な歴史的知識をもとに共有される記録と
も、家族アルバムのように個人の内側にとどまる記憶とも違う、現在の経験や知覚を
通じて個人が自由に出会う事ができる聞かれた入口になり得るものではないでしょう
か。
2007年を振り返って
AIR尾道 2007ではより 多くの 方に成果を見て頂くという主旨から会期の後半には
展覧会として各会場を公開しました 。 旧和泉家別邸(通称尾道ガウディハウス)、ア
パート 、干光寺公園界隈、山城戸庵それぞれの場所の性質と作家が対話した成果を見
て頂くことができ、期間中インフォメーションおよび作家のスタジオとなっていた
700人もの来場者が訪れました。
「かおり館」を含め、の べ 1
今振り返る と2007年の AIRは成果=作品 にいたる道のりが少し短かったように感
じています。もちろん、事前から打ち合わせを 重ね、短期滞在のなか集中力 を発揮し、
作品を作り 上 げた各作家の制作は大変充実したものとなりましたが、作家は尾道滞在
期間中、制作に追われる緊迫した日々を過ごすこととなりました。ア ーテイスト・イ
ン・レジデンスのひとつの意味に作家が新たな環境とのかかわり 中でいったんそれま
で培ってきた方法を解体し、次の展開へ動き出すための充電期間としての役割があり
-48-
ます。 こうした側面での作家のサポートは必ずしも十分でなかったように感じていま
す。また、もっと作家との交流や意見交換の機会を持つ事が出来ればとも感じました。
今回の AIR開催によって、準備段階より空き家再生プロジェクトの豊田さんや長江中
町内会の香本さんをはじめ多くの方の協力により山手の空き家,空き地を活用した最
初の一歩を踏み出せたのもとても大きな収穫であったと思います。
その後の活動と山手をめぐる展開
AIRの活動と時期を同じくして活動を始めたのが尾道空き家再生プロジェクトで
法人化し、現在約 150名の会員を抱え、市からの委託を受けて空
す。2008年には NPO
き家パンクの運営を行うなど、山手地区の空き家再生作業を中心に大変活発に活動し
年より始まった尾道建築塾です。建築塾
ています。その代表的な活動のひとつが 2008
では専門の建築家とともに町歩きをしながら町並みに眠っている魅力や優れた建築技
術、場所の歴史などを再発見していきます。この建築塾には職人を講師として行われ
るワークショップ形式の「現場編」もあります。2009年の夏には全国から建築学生を
中心に受講者を募り、実際の家を教材として再生現場を体感する「空き家再生!夏合
宿 Jも行いました 。それ以外にも空き地を再生する「園芸部」の活動、斜面地への引っ
越しサポート、工事の補助を人海戦術で行う「土嚢の会」など多岐にわたる活動を行
っています。こうした試みが山手に新たなコミュニケーションの場を作り出し、徐々
に山手をめぐる環境を変化させてきました。空き家パンク事業もスタートして間もな
いにも関わらず着実に成果を上げ、山手地区への学生や若者の移住を促進しています。
AIR尾道は空き家再生プロジェクトの協力を得、多くの活動を共有しながら 2007
年以降も活動を展開してきました 。 2008年 12月には尾道白樺美術館[尾道大学]で
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i
d AIR ONOMICHIの報告展 2007-2008J を開催。 2007年の活動状況を報告す
ると同時に、ゲスト作家に海外でのレジデンス経験を語ってもらうレクチャーや美術
館近隣のロケーションを活かしたワークショップを行いました 。 2009年には国内外
より 4名の作家を招き、第二回目となる AIR尾道を開催しました 。 2009年はレジデ
ンスプ ログラム(作家の滞在制作)とワークショップ(講演会や作家ととも に場所を
歩いたり、ものを作ったりする企画)とリノベーション(建物の改修、再生、活用)
の三つの企画を軸に活動を展開しました。 プログラムにリノベーションが加わったこ
とと、作家の滞在期間を最長 4ヶ月と長期化し、期間中さまざまなワークショッププ
年の AIR
尾道の特徴でしょう 。 2007年の時点では会
ログラムを開催したことが 2009
場探しも難航した事を考えるとリノベーションが可能になったというのは大きな進展
-49-
と言 えます。 また会期中には山手エリアのアーテイストの滞在スタジオや光明寺会館
年と 2009年を比較すると
などを中心にめぐるガイドツアーも多数行いました 。 2007
2009年の方がエリアは狭くなっていますが、三軒家と東土堂のエリアを中心に密度
が高まり、地域との実質的な連携が深まったように思われます。その後、東土堂エリ
アでは光明寺会館を核とする新たなプ ロジェクトも始動し、空き家パンクを利用して
入居した学生がリノベ ーション作業を行い、居住するなど新たな波も生まれ始めてい
1年 に開催する計画ですが、地域コミュニティとの連携を深めながら
ます。次は 201
さらに面的な充実が図れればと考えています。
おわりに
尾道の風景は日々呼吸を続け、変貌を続けています。新 たに作られるものもあり、
失われてゆくものもあります。それは社会の変化を反映したものであり、そこで生き
ている人々の必要に応じたものです。私は美術で直接的にこの流れを変化させようと
は思いません。しかし、その変化の瀬戸際をじっくりと見ていきたいと考えています。
それは時に驚きであり、時に何ともいえない喪失感をともなうものだったりしますが、
変化の瀬戸際には その時その場所だけに現れるリアルというものがあるように感じて
います。そうしたリアルな現場感覚を大事に今後も表現活動に携わって行きたいと思
います。
また、既に 2回AIRを開催し、私自身も住んでいるのですが、山子地区には今だに
初めて出会うようなロケーションが存在しています。尾道山手地区という複雑な時間
と空間の堆積層にはまだまだ多くのポテンシャルが眠っているのです。そして、眠っ
ている場所と出会い、見過ごしがちな日常の片隅に面白さや可能性を見つけ出しなが
ら今後も場づくりを行っていきたいと 思ってい ます。私は未知の空間と 接触する時の
尾道の 一つの大きなモチベーションだと感じていますが、初発
緊張や興奮こそが AIR
的な面白さや感動を失わずに今後も活動を継続し創作と交流の場を構築していきたい
と考えています。
AIR
尾道は地域の方 をはじめ多くの方々に支えられて開催する 事が可能 になってい
ます。 この場をお借りして御支援御協力頂きました多く の方々に御礼申し上げます。
※以上の文章は 2008年度に行われた尾道学講座をもとに、その後の展開なども付け加えたものです。
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注※
インディペンデントキュレーター
美術館に所属せずにフリーランスの立場で展覧会企画を手がけるキュレーター
サイトスペシフィック
特定の場所でのみ成立する美術作品の性質の事。作品が存在する周囲の環境や、その場
所が持っている性質が作品内容に大きく関わっているため他の場所では成り立たない性
質を持った作品の事をさす。
パレ・ド・トーキョー/現代創造サイト※
パリの新しい現代美術のを中心とした展示スペース。 1
9
3
7年パリ万博時の会場となった
スペースをリノべーションして 2
002年にオープンした 。当時t
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o通りとよばれていた
道に面していた事からこの名称となっている 。
参考文献
尾 道 大 学 芸 術 文 化 学 部 研 究 紀 要 第 3号 / 平 成 1
5年
尾道帆布展報告
AIRONOMICHIDOCUMENTBOOK AIR尾 道 2007記 録 集 平 成 19年 1月
参考ホームページなど
AIRONOMICHIブログ
山本基
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http://www.moto
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クリスチアン・メルリオ
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映画「お椀山の出来事」
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取手アートプロジェクト
尾道空き家再生プロジェクト
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