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大分大学 講演録(H26.12.13

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大分大学 講演録(H26.12.13
大分大学福祉科学論集
第T号
大分大学福祉科学研究センター
2015年S月
認知症の人を地域で支える
精神科診療ができること
敦賀温泉病院
千葉大学医学部附属病院地域医療連携部特任准教授
内閣府障害者政策委員会委員
上野秀樹
1.はじめに
く精神症状が激しい認知症の方も工夫すれば地域での生活を支えられる>
皆さま,こんにちは。丁寧なご紹介をどうもありがとうございました。私は上野と申し
ます。早速お話を始めさせていただきます。
私は1992年(平成4年)に大学を卒業してからずっと精神科医として仕事をしてまいり
ました。認知症の人とかかわるようになったのは,東京都でベッド数が1,000以上ある巨
大な公立の精神科病院,東京都立松沢病院で認知症の人のための精神科入院病棟を担当し
てからです。2004年(平成16年)から3年間担当して,177名の方を入院加療しました。
現在の日本では,社会の中で認知症の人を支える仕組みが残念ながら不十分で,いろい
ろな精神症状が出てしまって地域で支えられない,施設の中で暮らすことができないとい
う状況になってしまった方がたくさんいます。そうした方を177名入院加療したのです。
当時Iまは精神症状が激しい状態になった認知症の人は精神科へ入院するのはやむを得ない
と考えていました。
その後,海上寮療養所(千葉県旭市)で診療することになりました。ここは単科精神科
病院ですが,すべての病棟が開放病棟,中にいる人が自由に出入りできる病棟だけだった
ので,俳個などが問題になる可能性がある認知症の方を入院治療することはできなかった
のです。海上寮で認知症の人を診療する中でいろいろ診療方法を工夫したら,今まで精神
症状が激しくて精神科病院に入院しなければ問題が解決できないと信じていた方でも,工
夫すれば実は地域での生活が支えられるということが分かりました。今日はその辺をお話
しさせていただこうと思います。
く認知症の定義と2つの予防>
まずは認知症に関する現在の定義をご紹介します。この定義が妥当かどうかという問題
はありますが,認知症は今こういう形で定義されています。グラフを見ていただきます。
(図1)横軸が年齢で縦軸が知的な能力です。私たちが生まれたときは知的な能力は低い
ですが,家庭内で社会生活をして学校教育を受けて知的な能力は正常に発達していきま
−21−
F
す。途中で何らかの原因で知的な能力が低下してしまって,物忘れとか判断力の低下があっ
て日常生活,社会生活に支障を来した状態を,認知症としています。また,世の中には最
初から十分に知的な能力が発達しない方もいて,そういう方は精神発達遅滞とか,行政用
語で知的障害と呼ばれています。
これでわかるのは,現在の認知症は,ご本人の要因,いったん正常に発達した知的な能力
が低下してしまって物忘れとか自分の周囲の状況がわからないとか,理解力や判断力の低
下があるとか,そういったご本人の認知機能障害が認められる状態と,そういう認知機能
障害がある方が,その方が生活している地域の中で生活上の支障を感じる,社会生活上の
支障,日常生活上の支障があるということ,この二つの要因から決まってくるということ
です。
図1認知症とは
一一一一口
刃心
知斥とは
正常なレベルまで発達した知能が、
正常レベル以下にまで低下し、社会
生活に支障を来すようになった状態
知的槻能
正常
異常
年齢
出所:上野作成
今,私たちの社会の中で認知症の予防というと,大体本人の要因のほうに皆さんは注目
されます。例えば,物忘れをしないようにするにはどうすればいいのか,脳梗塞とか脳卒
中を起こさないためにはどうすればいいのかとか,認知機能障害を生じないことが認知症
の予防として大きく取り上げられますが,現在の認知症の定義を前提とすれば,社会が変
わることによって認知機能障害がある方でも,日常生活上の困難とか社会生活上の困難を
感じさせないような社会があれば,社会の側の要因がなくなるので,現在の定義の上から
は認知症ではなくなり,認知症の予防が可能になるのです。
ご本人の要因を完全に予防するのは今のところ難しいので,私たちが今やるべきことと
いうのは社会を認知症の人が生活しやすく変えていくということであると思います。私た
ちの社会のあり方を変えて,たとえ認知機能障害,物忘れとか判断力の低下があったとし
−22−
ても,社会生活上の困難であるとか生活上の支障を感じないような社会を作ること。それ
は多分私たちの工夫と努力によって十分に可能なのです。「社会を認知症の人が暮らしや
すいものに変えていく」という認知症の予防をぜひ一緒に考えていけたらと思います。
<コミュニケーション能力の低下による行動・心理症状>
認知症では,物忘れとか判断力の低下が出ます。私たちは社会的な生きものなので社会
の中でコミュニケーションしながら生きています。特に認知機能障害が出ると言語的なコ
ミュニケーション能力が低下してしまいます。例えば適切な言葉がうまく出なくなるとか
何を言われているか分からなくなります。そうすると上手に会話することができなくなっ
たりします。
そして,現在の日本では認知症に関するイメージがよくありません。
例えば,認知症は自分がなりたくない病気のナンバーワンであるし,自分の大切な人に
なってほしくない病気のナンバーワンではないかと思います。そういう認知症に関してあ
まりよくないイメージがあるような状態なので,例えば少し物忘れがするとか,ちょっと
周囲の状況が判断おきなくなったときに周りの人,家族に気づかれたくない。大切な人に
気づかれたくないという気持ちが働きます。そうすると,気づかれないように家族の会話
にあまり参加しなくなったりとか’暖かい家庭の中にもかかわらず孤独を感じてしまった
りとか’そういったことが生じてきます。こうしたコミュニケーションの障害のために,
周囲との関係性が変化するというのは認知症における最も大きな問題なのです。それに
よって行動・心理症状という精神症状が生じることがあります。これは出雲エスポワール
クリニックの高橋幸男先生がおっしゃっていることです。
認知症のケアメソッドはいろいろありますが,認知症の方の低下した言語的なコミュニ
ケーション能力を非言語的なコミュニケーションで補完する形のケアメソッドが多いのは
こうした理由です。
私たちは脳の働きでいろいろ会話をしたり,行動したりしています。神経細胞が死んで
しまって物忘れや周囲の状況がわからないとか理解,判断が低下するとか,段取りをつけ
ていろいろなことができなくなるとか,認知機能障害が出てきます。そういう方が社会の
中で生活する中で,一部の認知症の方に行動・心理症状と呼ばれる精神症状が出ることが
あります。例えば,不安になったりとか’焦燥,いらいらとか,気分が落ち込んでしまっ
たり,うつ状態になられたりとか,幻覚や妄想であったり,俳個や迷惑行為,暴言・暴力
とか,きれいにしたいと思っても結果としてきれいにできないと不潔行為と呼ばれる症状
が出ることがあります。
−23−
2.私の認知症診療経験一都立松沢病院の専門病棟
く精神科病院への入院ニーズ>
私が認知症の診療に本格的に従事することになったのは,2004年(平成16年)4月から
3年間,東京都立松沢病院で認知症の精神科専門病棟,入院病棟を担当してからです。現
在の日本では,一部の認知症の人ですけれども,精神症状が出てしまって家庭で生活がで
きない,そして施設での生活が続けられないということで精神科病院への入院のニーズが
すごくたくさんあります。
私が3年間病棟を担当していたときも本当に大変な状況になって,ほかで頼れるところ
がなくて困っていらっしゃる方がたくさんいました。ベッド数が30床の病棟だったのです
が,そういう方たちが来院したときにはなるべく早く入院していただけるようにと考えて
いたことを記憶しています。
東京都には独自の医療政策があります。当時の東京都の認知症精神科医療施策は,東京
都内9病院の認知症精神科専門病棟への入院加療を中心としたシステムでした。今現在は
それに認知症疾患医療センターが10カ所加わって運営されています。
今でもそうですが,9病院のベッドの空き待ちの人数とか,入院を希望した場合にどの
程度の期間を待てば入院できるかというのは東京都のホームページから検索ができるよう
になっています。認知症精神科専門病棟をもつ病院の中で,松沢病院は唯一の公立病院で
した。
く東京都高齢者精神医療相談班の訪問>
私が素晴らしいと思った東京都の高齢者精神医療相談班という制度をご紹介します。東
京都は広いので精神保健福祉センターが3カ所あります。各精神保健福祉センターに1つ
ずつ高齢者精神医療相談班が設置されています。相談班は精神科の医師と保健師のチーム
で,訪問をします。精神科の医師が現場を訪問して見立ててくれる制度なのです。どうい
う方に対して訪問をするかというと,認知症のためと思われる問題行動で困っている場
合,例えば病院嫌いであるとか,お医者さん嫌いとか,暴れるなどのために家族や関係機
関が認知症高齢者を病院に連れてくることができず困っている場合とか,幻覚・妄想・い
らいら.怒りっぽい.不安暴力・俳回・大声・迷惑行為などの認知症に伴う激しい精神症
状,問題行動に対して近隣住民,民生委員や関係機関が困っている場合などに訪問してく
れます。
この制度が,どういった形で運営されているかを説明します。ご家族,地域包括支援セ
ンター,民生委員,近隣住民の方が,認知症と思われる問題行動で困っている場合に,ま
ず地域の市区町村の保健センターの保健師に相談します。そうすると保健師がその現場を
−24−
訪問します。保健師が現場でご本人をみて,これは精神科医にきちんと見立ててもらった
ほうがいいとなったら,精神科医療相談班に訪問の依頼をするのです。そして精神科医が
訪問し,専門的な立場から今後の処遇に関して助言をしてくれるのです。これは精神症状
がある方のための制度です。精神症状は認知症が原因で出てくる場合もありますし,精神
疾患であったりもしますので,その方にとって一番適切な対応は何かどいうのを専門的な
立場から精神科医が診見立ててくれるというのがポイントです。
私がいたころのこのシステムは9つの専門病棟に入院目的で運営されていたので入院の
相談が結構多かつたのです。ほかの8つの病院は民間の単科精神科病院が多く,なかなか
身体的な合併症に対応できないことが多かったので,重い身体合併症があるケースは全て
松沢病院で入院治療を引き受けていました。また,唯一の公立の精神科病院ということも
あり,緊急性のあるケースであるとか,複雑な背景がある方(ご家族に精神障害がある方
など)や単身者で医療費が支払えるかどうかわからないといった方,島しょ地域でのケー
スは松沢病院で対応していました。
<訪問診療を考えたきっかけ>
私は平成16年,17年,18年の3年間,松沢病院の認知症精神科専門病棟を担当しまし
た。平成17年度に高齢者医療相談班が扱った入院75ケースのうち31ケースを松沢病院で引
き受けました。松沢病院は2つの認知症病棟があり,高齢者精神科医療相談班が対応した
ケースは私の病棟でほとんど引き受けていました。このことを通じて私が学んだのは,現
在,地域の中で精神症状が激しく,周囲がどうやって対応すればいいのか全く分からず,
そして残念ながら医療機関にもつながることができず非常に困ったケースがたくさんある
ということでした。
また,松沢病院認知症病棟を3年間担当する中で一般科病院からの転院依頼が結構あり
ました。精神科のない医療機関,内科とか外科の病院に入院されている高齢者の方で,内
科や外科的な疾患があってその治療のために入院されているのですが,療養の指示に従う
ことができず暴れてしまったり,点滴を引っこ抜いてしまったりして治療がうまくいかな
いので精神科的な部分を治療してほしいという転院の依頼が3年間で30例から40例ぐらい
あったのです。本当にひどい状態で内科や外科の病院では対応できないという触れ込みで
松沢病院に転院してきます。しかし,実際に転院していただくと,ごく単純な精神科薬物
療法で劇的に改善するケースが多かったのです。松沢病院には内科や外科の合併症病棟も
あります。常勤の医師50人の内訳は,精神科医30人,内科や外科医が20人くらいです。し
かし,認知症病棟に転院すると担当医が精神科医の私ということになるので,本来その方
が治療すべきであった内科や外科の疾患治療が十分にできないのです。そして精神症状が
改善しても元の病院には戻ることはできませんでした。こうしたケースを経験する中で,
−25−
もし私が相手の病院に出向いていって精神科医療を提供させていただければ,わざわざ転
院する必要はなかったのではないかと考えたのが,訪問診療を考えたきっかけです。しか
し松沢病院での仕事はとても忙しかったので残念ながら訪問診療することはできませんで
した。
3.私の認知症診療経験一海上寮療養所
く訪問診療の開始>
その後,2008年(平成20年)11月から,千葉県の旭市にある海上寮療養所という民間の
単科精神科病院(199床)に勤務することになりました。なぜ海上寮に移ったかというと,
認知症の人のための精神科病棟の新設を計画していたからなのです。その頃の私は,認知
症で精神症状が重ければ精神科への入院は避けられないと思っていたので,海上寮で新病
棟の設計から関与して最高の精神科医療を提供しようと考えていました。
満を持して,2009年(平成21年)4月から物忘れ外来を開設しましたが,月に1,2名
しか患者さんが来院しなかったのです。千葉県の東総地区と呼ばれる地域ですが,もしか
してこの地域には,認知症の人は少なくて,精神症状がある方はほとんどいないのかなと
も思いました。実は全然そんなことはなくて,単に海上寮の地域での評判が非常に悪かっ
たというだけだったのです。海上寮は1931年(昭和6年)に結核療養所として開設された
病院だったので,来院する高齢者にとっては,肺病の病院でした。例えば,高齢の方にお
聞きすると,「昔海上寮の前を通るときには息を止めていたよ」とか,そんなことをおっ
しゃっていました。その後,昭和30年代に精神科の病院になったのです。ということで,
なかなか受診しづらいのだろうということがわかったのです。それで半年間ほとんど患者
がいらっしゃらないので,じゃあ,いらっしゃらないのならこちらから出向いていこうと,
念願の訪問治療を始めることにしたのです。
私が考えた精神科訪問診療サービスは,前述の東京都の精神科医療相談班のシステムに
治療機能をプラスしたものでした。先ほどの東京都の精神医療相談班のシステムは保健セ
ンターから精神科医を派遣する形だったので,見立てるだけで治療はしないのです。精神
症状とか行動障害で精神科の外来を受診することができない認知症の人のところへ精神科
医師が往診するサービス,精神科のない医療機関,内科とか外科の病院とか,介護保険施
設などに精神科医師が往診するサービスとして設計しました。こちらから出向いていって
必要とされている方に,適切な精神科医療を提供するサービスとして開始したのです。
海上寮療養所はカソリック系の社会福祉法人なので,こういったマリア様のパンフレッ
ト(図2)を作って宣伝をしました。最初それだけではいらしていただけないと思ったの
で,何をしたかというと,今もそうですけれど認知症高齢者の'情報を一番持っているのは
ケアマネの方だと思った私は,地域で行われているケアマネの連絡会,ネットワーク会議
−26−
とかに出向いて行って訪問診療サービスを積極的に宣伝をしました。そうするとケアマネ
の方はどうしてもお医者さんに連れて行くことができない認知症の人だとかとか’激しい
精神症状が精神障害によるものなのか認知症によるものなのかわからないというような方
を結構たくさん抱えておられたので,少しずつ受診していただけるようになりました。そ
れから口コミで受診してくれる方が増加して,一番多いときで月に30人から40人の新患の
方がいらっしゃるようになりました。
定期的に往診している施設は,最も多いときで約20カ所に上りました。一般科の内科と
か外科の病院が1カ所,特別養護老人ホーム6ケ所,養護老人ホーム1ケ所,有料老人ホー
ムに1カ所,認知症対応型のグループホームを10ケ所,小規模多機能ホーム2ケ所に出向
いていました。
一般科の療養型の病床の場合は結構長く入院されている方が多いのですが,急性期の病
院だと入院期間が平均17日とか18日なので,一回往診して次に行くときには退院していた
りします。急性期病院に関しては不定期に必要があるときに出向いて見立てをして,そち
らの病院の主治医の方に診療のための'盾報を提供するというようなサービスをしていまし
た。
図2
お困り⑱お宅へ
お伺いします
ちのわすれでお困りの方
家獣が淫迩渥でば軽いかと心配な 万
③
本人が鰯羨に行きだがらない方
ご一園下さい
ご福鴎に応じます
d12f,O47g−6O−OSOl
曲
干冥県旭市野中4017
ロザリオの堅田会海上張療侵所
■□■
一
雫
夢
電
ご
筆
三
_
‐
了竜阜一.
p Q ■ 里 。 .
■
旬
p■ワ
●■早●p
ー 。 ●
…・・働■韓謡¥・・‘
■
■
● ■ 0 ○ ■ 画 〃
一 画
出所:海上寮療養所
く高齢者の精神症状は3種類に分類される>
これから認知症の方の精神症状がどういう形で出てくるかということを考えてみたいと
思います。高齢者の精神症状は以下の3つに分類されると私は考えています。
認知症の方で一番多いのはいわゆる「行動。心理症状」と呼ばれる症状です。これは,
認知機能障害がある方が周囲の環境で混乱してしまったり,言葉で表現するのが苦手な認
知症の人の言葉にならないメッセージとしての精神症状です。例えば普通の人であれば便
−27−
』。
「
秘でおなかが張って苦しいという場合,それをきちんと言葉で表現すれば適切な支援が得
られることでしょう。しかし認知症の人はそれを言葉でうまく表現することができませ
ん。でも人間として便秘でおなかが苦しければいらいらするし,そのために怒ってしまう
かもしれないし,大声を出してしまうかもしれません。大声を出したり,人をたたいてし
まったり,物を壊してしまったり,こうした認知症の人の「行動・心理症状」と呼ばれる
症状が,認知症の人の言葉にならないメッセージという可能性があるのです。
2つ目はせん妄状態です。これは,意識レベルの低下を背景として,幻覚や妄想が出る
とか,興奮状態になってしまう精神状態です。認知症で行動・心理症状がある方に合併す
ることが多いことが知られています。
3つ目は,もともと精神障害がある方でその精神症状が出現する場合です。例えば統合
失調症,妄想性障害やアルコール性の障害などがよく認められます。今お酒は飲んでない
けれども,若いころ例えば一升酒を平気で飲んでいたとか,長期大量の飲酒歴がある場合,
脳が障害を受けていろいろ怒りっぽくなるとか,幻覚や妄想が出るということがありま
す。認知機能がしっかりしている場合はこうした精神症状を理‘性的にコントロールできて
いたのが,何らかの原因で認知機能障害を合併すると精神症状をコントロールできずに前
面に出てきてしまうというようなケースです。
現場では,この3種類の精神症状を適切に見きわめることが必要です。
く環境による混乱と言葉コミュニケーション能力の低下によるケース>
例えば認知症の行動・心理症状としてどんなケースがあるかをご紹介します。これは海
上寮に来院された75歳の女‘性です。認知症を10年前に発症された方です。5歳年上の旦那
さんと二人暮らしで旦那さんが介護していたのですが,ずっと一緒にいる旦那さんの顔が
分からないのです。人に関する見当識障害があるということでかなり認知機能障害が重度
の方でした。。ご家族からは「認知症が重いので施設で面倒をみてもらったほうがいいん
じゃないか」と言われていたのですが,旦那さんは「大丈夫だから」ということで介護を
続けていました。あるとき旦那さんが急性心筋梗塞を発症して3∼4週間ですが入院する
ことになりました。さすがに独り暮らしはできないので,ご本人の息子さんのお宅に引き
取られることになりました。間取りが同じ家というのもなかなかないと思いますが,息子
さんのお宅ではトイレの場所が分からなくなってしまって,そこら中に排せつするように
なってしまったのです。また,最初はよかったらしいですけれども,数日たって不安とい
らいらが募って落ち着かない状態となり,「どうにかしてくれ,殺してくれ」というよう
な大声を上げて不安を与える状態が続くようになったらしいのです。
ご家族は介護保険施設のショートステイなどを使いながら何とかご自宅でみていたので
すが,あるとき認知症対応のグループホームに入所することができました。そうしたら
−28−
「どうにかしてくれ,殺してくれ」という大声の叫び声がぴたりとなくなって笑顔で生活
できるようになったのです。それで海上寮に,認知症対応のグループホームなので「認知
症である旨の診断書」を書いてほしいということで来院されました。そういう診断書は入
所する前に書くべきものではないかと思ったのですが..、診断書作成以外にやることは
ないので,「どうしてそんなによくなったのですか」と尋ねたのです。そしたら,息子さ
んのお宅ではどこに排せつしてしまうか分からなかったので,「おばあちゃんの部屋」と
いうのを作ってそこにポータブルトイレを置いてなるべく部屋でじっとしていてもらった
らしいのです。でもグループホームというのは,限られた人数の認知症の方が顔なじみの
関係を作って,それで残された能力を生かして一緒に生活をする場なので,排せつを疑わ
せる行動が認められる場合にはトイレに誘導することで自由に過ごしてもらうことができ
ていました。
この方は認知機能障害が重かったので,いろいろ家事をしてもらうと,例えば洗濯物を
畳んでもらうにしても家族毎に分けられないとか,料理をしてもらうにしても味付けがめ
ちやくちやになるとか,盛り付けがうまくできないということで,息子さんのお宅では家
事をやってもらう_とやり直さなくてはいけないのでなるべく何もさせなかったと。お客さ
ん扱いしていたらしいのです。グループホームでは積極的に家事を手伝ってもらったそう
です。もともと家事が大好きで,家庭内で家族を支えるのを自分の役割と考え,家事をす
ることが生きがいだった方だったのです。グループホームで積極的に家事を手伝うことで
役割が与えられたので,大声で「どうにかしてくれ,殺てくれ」と言うような叫び声がぴ
たりとなくなったのです。後から考えてみると,この女性の「どうかしてくれ,殺してく
れ」というような大声の叫び声は,「私にもできることは何かさせてほしい」という訴え
だったのです。しかし,こうしたメッセージを適切に読み取るのは普通は難しいことです。
<訪問診療の必要性>
認知症に伴う行動・心理症状の場合は,認知症の人が混乱しないような環境を調整して
あげること,そして認知症の人の言葉にならないメッセージを周囲の方が受け取ることが
できれば,このように改善する場合が多いのです。ケアマネの方がついたり,ヘルパーの
方がついたり,介護保険サービスを適切に利用したりすることで多くの場合は改善しま
す。
でもどうしてもこうした対応では改善しない方がいらっしゃいます。そういう方がお医
者さんに通院が可能かというと,多くのケースで通院は不可能です。認知症の方の妄想と
か攻撃とかIま身近で世話してくれる家族へ向くことが多いのです。そうするとお医者さん
にも行ってくれないし,ご家族が攻撃を受けたりしてすごく疲弊してしまって精神科へ入
院せざるを得ない状態になってしまうということがあります。
−29−
「
内科や外科の病気で医療の必要‘性が高まった場合,例えば内科の病気で昏睡状態になる
とか大けがをしている場合,その方を医療機関に搬送することができれば医療へのアクセ
スは容易です。しかし精神障害の場合には,医療の必要性が高まれば高まるほど,自分が
精神的な病いがあって治療を必要としているといういわゆる病識が失われてしまうことが
多いのです。精神症状や精神障害がある場合は,医療の必要性が高まれば高まるほど医療
機関へのアクセス,医療機関へ受診することが不可能になる方が多いのです。
これは高齢で精神症状がある方についても同じことです。それで私は,いろいろケアと
か介護の対応を工夫しても通院が不可能な場合,こちらから出向けばいいのではないかと
考えて,精神科の訪問治療をはじめました。
そうすると精神科医療は結構強力なので出向いていって,先ほど申し上げた三つの場合
をきちんとみたてて,適切な対応をすると,精神科病院に入院することなく地域生活を支
えられること,もしくは施設での生活が支えられることが分かりました。
く精神科訪問診療が有効であったケース>
4年ぐらい前,私が訪問診療を始めて最初のころのケースです。当時88歳の方で,ひと
り親方のカバン職人として75歳まで現役で働いていた方です。ペースメーカー埋め込みを
されていて,高血圧があって,かかりつけの内科の先生にかかっていました。奥さんと長
男一家と同居され,もともと穏やかでとてもおとなしい人だったのです。この方には20年
来の不眠症があり,かかりつけの内科の先生から睡眠導入剤のハルシオンをもらっていま
した。ご本人の認知症機能障害はそれほどひどくはありませんでした。薬も自分で管理さ
れていました。
同居の奥さんに4∼5年前から認知症の症状があって,夜間に独り言を言ったりするよ
うになりました。このために本人の不眠が悪化して怒りっぽくなって暴れたりするように
なったのです。「奥さんと別の部屋で寝たほうがいい」と家族から言われたらしいのです
が,ご本人が頑としてそれはできないと。
海上寮に相談があった2カ月ぐらい前から家の前の道路に空き瓶とか空き缶,お皿など
を投げ捨ててしまうようになりました。息子さんのお嫁さんが音がしたら,道路に出ていっ
て掃除をするというような対応をしていました。また,近隣の駐車場に置いてある車にマ
ジックでいたずら書きをしてたりとか,そういうことも認められるようになりました。さ
らにスーパーに行ってお金を支払わずに商品を持ってきてしまったりしました。一番問題
だったのは,数日前から近隣のお宅の玄関先に新聞紙を丸めて火をつけるようになったこ
とです。それを知った息子さんは大慌てで地域包括支援センターに相談をしました。旭市
の地域包括は行政直轄なので,そこから海上寮の私のところに診療の依頼がありました。
息子さんと娘さんが相談にいらしたのですが,すぐに精神科病棟に入院させて欲しいとい
−30−
う相談内容でした。
この方の認知機能障害は軽度で,医療機関への受診拒否が強かったのです。かかりつけ
の内科の先生のところにはハルシオンをもらうために行くのですが,ほかの医療機関に対
しては強い受診拒否がありました。どこか連れていかれてそのまま帰ってこられなくなる
ことを恐れていたようです。例えば,数年前にペースメーカーの不調で一時的に意識を失っ
たことがあったらしいです。救急車が呼ばれて搬送する時には意識がもどっていて,本人
はかなり激しく怒って,絶対に救急車には乗らなかったということがありました。
こうした方は精神科への入院は困難です。例えば何らかの形で入院させることはできた
としても,どこに入院させられたかというのはしばらくたつとすぐ分かりますので,そう
したら多分全力で抵抗されるでしょう。その時に,鎮静をかけたりとかすると命の危険が
生じる可能性もあるのです。精神科病棟への入院は難しいということでお断りしました。
入院ができないとわかって,息子さんも娘さんも非常にがっかりされました。私はこの
頃は結構暇だったので,午前中の相談の後,すぐ午後に往診に行きました。精神科訪問診
療の場合,ご本人が医療機関の受診を拒否しているときに,ご自分が精神的な問題がある
ということは全く思っていませんので,私が訪問する場合も「病院から来ましたjという
設定で行くと「俺は悪くないのにそんなところから来やがった」ということですごく拒否
される可能性があります。
地域包括と行政と相談して,「役所から高齢者の健康診断に来た」という形で診療しま
した。海上寮があるのは,結構田舎なので特に高齢の方々は行政機関に対して特別な感覚
を持っていることがあります。このときも「わざわざ役所から来てくれた」とすごく喜ん
でくれて,いろいろお話をしてくれて,血液検査もさせてくれました。
<身体的診察も不可欠>
ここですこし精神科救急の話をします。急に精神症状が悪化した精神科救急の現場にお
いて何が一番大切かというと,症状精神病,身体疾患で精神症状が生じているケースなん
です。例えば統合失調症や覚せい剤の精神病で精神症状がある場合は,安全な場所に保護
してあげれば治療開始がしばらく遅くなったとしてもそう大した問題にはなりません。
しかし,症状精神病,身体的な病気から精神症状が出ている場合は,ちょっとした対応
の遅れや誤診が大きな後遺症であるとか死亡につながります。このように急に精神症状が
出てきた場合には,身体的な診察とか血液検査が必須なのです。認知症の人に対する精神
科訪問診療も,「高齢者の健康診断に来ました」という設定で行くと,ご本人は結構受け
入れて診察もさせてくれるし,血液検査等もすることができるのです。
このケースの場合には,家族から非常に大切にされていて特に混乱するような環境でも
ないし,介謹にも問題はありませんでした。問題であったのは,睡眠導入剤であるハルシ
−31−
オンの内服でした。ハルシオンの内服のために軽いせん妄状態を起こしていて,焦燥感な
どのいろいろな精神症状を生じていたのです。
ハルシオンは精神的な依存を生じやすい薬です。ハルシオンで眠れている方はなかなか
ほかの薬に代えてくれないのです。ハルシオンを代えるというのは困難であったので,次
善の策として精神科薬物療法をするということになりました。
私はあくまで健康診断として訪問しているので私から処方するとおかしいので,薬局に
かかりつけ医の処方と一諸に渡してもらうことをお願いしました。そしたらごくごく軽い
精神科薬1錠で劇的に精神症状が落ち着いて,もう4年がたちます。認知症はだいぶ進行
してお薬の管理は自分でできなくなり,今はご家族が管理していますが,今でも息子さん
夫婦と一緒に暮らしていて,息子さんととても仲がよくて,パチンコ好きなご本人は,
「海物語」しかできないらしいのですが,時には数万円勝つことがあったりという感じで
ごく普通に暮らしています。
ときどきこのように,認知症の方,高齢者の方で精神的に危機的な状況を呈する方々が
いらっしゃいます。そのときに適切なみたてをして,適切な医療の提供ができれば,精神
科病棟に入院せずに対応できるのです。このケースは私が訪問診療を始めて最初のころの
ケースでした。「これはいける」という感触を得て,精神科の訪問診療サービスを積極的
に進めていくことになりました。
<診療の工夫一携帯電話番号>
息子さんの奥さんもおっしゃっていましたが,私が診療を工夫した中で最も効果があっ
たのは,この携帯電話です。私の個人的な携帯電話の番号をご家族にお教えすることにし
たのです。精神科病院なので皆さんは精神科の薬物療法を希望されて来院されます。精神
科薬は高齢の方にとっては非常に副作用が多く注意が必要な薬物です。私としては状態が
変化したり副作用が出たときにすぐにその状態を教えてほしいということでご家族に私の
携帯電話番号をお教えすることにしました。海上寮はかなり田舎の地域にあります。例え
ば家族の中に認知症の人がいたり,その人が精神科病院にかからなくてはいけないという
ことは本当は周囲に隠したいことだったりします。それで誰にも相談できなかったご家族
が24時間365日,専門家である私につながる電話番号を知ることでご家族が安心するので
す。介護するご家族の安心感,心の余裕が,認知症の方にも伝わって認知症の人の精神症
状が落ち着くということがよくありました。私が何か妙な薬(精神科薬)を出すよりも,
この携帯電話の番号のほうが何十倍も効果があったのです。
もう一つは,緊急時の備えです。玄関先で新聞紙に火をつけたりとかがあったので,万
が一のときには精神保健福祉法上の警察官通報による措置診察に対応してくれるように,
−32−
所轄の警察署の生活安全課のほうにご家族のほうから依頼してもらっていました。幸いに
してそんなことはなく,4年たった今も普通に地域で生活することができています。
<適切な精神科訪問医療は入院と同等以上の効果>
海上寮に勤務しているとき,精神科訪問診療を一生懸命にやりました。精神症状で困っ
ている方,750例ぐらいの新患の方を診ましたが,そのうちに実際に精神科に入院させざ
るを得なかった方は30例か40例ぐらいだけでした。それもうつ病で「死にたい」という希
死念慮が強い方であるとか,いろんな精神病'性の妄想があるうつ病の方とか,妄想I性障害
の方であったりとか,精神病性の異常がある方々がほとんどでした。純粋な認知症でどう
しても精神科病院に入院せざるを得なかったという方はかなり少なかったのです。
私は東京都立松沢病院で3年間,認知症の精神科専門病棟を担当して精神症状が重いと
か重い身体合併症があるとか,さらにいろいろ複雑な背景がある方などの入院治療を経験
しました。こうした精神科病棟での治療効果というのは多くが適切な薬物療法によるもの
なのです。
そうであるとまれば何らかの形で適切な見立てを提供することができて,手を尽くして
環境を調節してケアや対応を工夫して,それでもどうしてもうまくいかなかった場合に,
最後の手段として適切な精神科の薬物療法を提供できれば,精神科入院治療と同等もしく
はそれ以上の効果が得られるのではないかと思います。
これから適切な精神科医療を訪問で提供できるような仕組みが広がればいいのではない
かと考えています。
3認知症初期集中支援チーム
<世田谷のモデル事業>
これは認知症初期集中支援チームの概念図(図3)です。認知症集中支援チームという
のは平成24年のオレンジプランで提示された,認知症の方を地域で支えるための一つの方
法です。将来的には市町村の必須事業となるのでいろいろな地域で正式に始まるものと思
います。平成24年から世田谷区のほうでモデル事業をさせていただいています。
−33−
『
図3認知症初期集中支援チームの概念図
I参考資料3
認知症初期集中支援チームの概念図
④チーム員による本人家族への脱明とケア方針の作成
近隣地壌
・在宅での普段の
生活
・生活歴、現病歴
・配知醒の進行状況に沿った対応
愚呂
・経過予測とサービス利用時の鯛整
・緊急時・亙箆時を含むケア方針の作成等
・身体状況本人家族
⑤在宅初期集中支援の実施
謹蕊繍苓蕊職瀧,‘
・在宅での具体的ケアの提供
・理境改善
・眼薬管理
・24時間ヨ65日連絡体制の破保
①初回アセスメント訪問
函'1里
雛
⑥家族支援|:鶏溌胤パィス
②チーム員会溌の開催
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認知症疾患医療センター等への検査、診察紹介
麗知症初期築中
支授チーム
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│ ⑦急性増悪期のアウトリーチや電話相餓
(主治疾経由)
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⑧ケアマネジヤー等への助倉
樫”…
⑨地域ケア会鯉への出席
出所:厚生労働省
最初に私たちが想定していたのは,地域で初期の認知症の方がいる場合に,その方が住
み慣れた地域でできるだけ長く生活できるようにいろいろな環境を調節するというモデル
でした。それはどういうことかというと,認知症の人を取り巻く物理的な環境,そして認
知症の人を取り巻く人的環境を適切に調整するということです。認知症は残念ながら進行
していく病気です。しかし相当進行してしまっても,環境を最適化することによってその
方が住み慣れた地域で生活できるように,最初のうちに集中的に支援を行うようなモデル
になります。
認知症初期集中支援チームは認知症に関する専門家の集まりです。オレンジプランの中
では医療職,看護職とかOTとか,医療職の職種が掲げられていますが,チーム員には
医療職の方々だけではなく介護職やケアマネの方とかも入っています。このチームから初
期の認知症の方のところへ,アセスメントの訪問に行きます。必ず複数で訪問してご本人
と周囲の方から別々に情報をとって,その認知症の方を取り巻く環境を評価します。そう
した'情報を持ち帰ってチーム員会議というのをやります。チーム員会議には認知症専門医
にも参加してもらい,その方の認知症のタイプとか,今後どうやって進行していく可能性
があるのかであるとか,そういった'情報も提供します。認知症が進行していった状況にお
いても,その方が住み慣れた場所で,ずっと生活を続けるためにはどのような環境を整え
ればいいのかということを検討します。
−34−
<物理的な環境調整>
物理的な環境については,例えば認知症がすごく進行してしまって,ガス台がうまく使
えなくなったり,ぼやを出したりしてからガス台をIHにかえても,新しいものの使い方
が分からなかったりするので,その場所での生活ができなくなってしまうことになりま
す。その方が認知症であって今後進行することが分かっているのであれば,相当進行して
しまったた段階でもその場所で生活できるように,例えば最初からIHに代えてしまうと
か,能力が残っている段階で新しい環境というか,ずっとそこで生活できるような環境に
調整してしまうというのが初期集中チームの一つの目的です。
<人的な環境調整>
人的な環境を整えるという点を述べます。認知症の人の介護をしている方にお聞きする
と,初めての経験だったのでどうしたらいいのか分からなかったというような感想を述べ
られることが多いのです。こうしたことに関しては認知症に関する啓発が必要です。例え
ば,認知症に関するマクロな啓発があります。これは例えばオレンジリング,認知症サポー
ターの研修によって,一般的な認知症の知識を国民全体につけていただくというもので
す。認知症に関しては,こうしたマクロな啓発と,ある特定の認知症の方に関する情報を
周囲の方に知っていただくというミクロな啓発があると思います。認知症は高齢の方が多
いので,高齢化によって生じてくる身体的な障害とか,認知機能障害が進行していろいろ
な症状が出ることとか,一部の認知症の人に精神症状が出るとか,認知症の人はさまざま
な状態になり得ます。さまざまな状態になったときに,どう対応したらいいのかわからな
いというふうにならずに,適切な'情報が提供できるようにあらかじめ支援をしておくとい
うのが初期集中支援チームのもう一つの目的なのです。
<認知症の方の人生,価値観を予め聞いておく>
あともう一つ大切なことは,認知症はだんだん進行していずれ死に至ります。同じよう
に進行していずれ死に至る病である末期がんの方の支援を行う場合,その方が自分の意思
を十分に表現できなくなったときにどういった医療を受けたらよいか,どういったケアを
受けたいのかをあらかじめ聞いておきます。
認知症もだんだん進行していずれ死に至るわけですが,認知症における一番大きな問題
は,死が訪れる遥か以前から,自分の意思が適切に表現できなくなってしまうということ
です。認知症が進行したときにどういった生活を送りたいか,どういう医療を受けたいか
などの'情報を,認知症の方が自分の意思をきちんと表現できるときに,その方から直接そ
の方の言葉で,確認しておくのが初期集中支援チームの大切な役割の一つです。
−35−
「
私たちが認知症の方を支援するに当たって,いろいろな行動・心身症状とか,精神症状
が出てしまった場合に非常に困ったりすることがあります。認知症の人の行動・心身症状
は,認知症の人の言葉にならないメッセージの可能性があります。言葉にならないメッセー
ジを読みとるためにはその方のことをよく知ることが必要です。ご家族から聞けばいい
じゃないかという話もあります。しかし,例えばお子さんに聞いても,ご本人の子どもの
ころの話とか,若いころにどういう仕事をしてたのかとか,何を考えていらしたとかそう
いうのは分からないことが多いのです。だからよりよいケア,よりよい生活の支援をする
ためには,その方の言葉でその方が歩んできた人生,そしてどういう価値観を持っていらっ
しゃるのかとかそういった情報を収集するのはとても大切になると思います。
<アセスメントとチーム員会議>
初期集中支援チームはこうしたコンセプトで運営されています。例えば世田谷区では平
成24年度は認知症初期の方を選んで,そういった方に支援をすることで,このコンセプト
どおりの運営ができました。その後の2年間は地域包括支援センターから初期集中支援
そうしたら現在,初期集中支援チームを運営していて一番重要になっているのが,いわ
ゆる処遇困難ケースへの対応です。例えば,地域の中で精神症状が激しい方がいて,この
方が認知症なのか分からない,精神障害なのか分からない,でも訪問も拒否されてうまく
できないし,医療機関にも受診できないというようなケースです。世田谷区の場合は約3
割がこうしたケースになります。初期集中支援チームを運営していく中で精神科的なアセ
スメントが不可欠になっています。
いろいろな課題があって一筋縄ではいかない方を支援していくことが多いので,初期集
中支援チームの中では,チーム員会議がとても大切です。そしてチーム員会議で最大の成
果を上げるためには,チーム員同志のフラットな関係が必要になります。普通にやってい
ると,お医者さんがしゃべるとそれで最終決定みたいな形になってしまうので,ほかの多
職種のチーム員の方にもいろいろな知恵を出していただいて,その方を支える術をみんな
で工夫することが大切になっています。
私が今実際にかかわっているのは世田谷と敦賀でです。各地域で利用可能な医療資源や
福祉資源がいろいろ違います。また,そこに住んでいる方々の気質や文化的な背景も違う
ので,地域ごとにいろいろな初期集中支援チームの在り方というか,サポートの仕方があっ
ていいのかなと考えています。
現在の日本には,既にたくさんの認知症の方がいます。そして軽度認知機能障害(MC
I)という認知症の予備軍と言われる方は400万人もいるということなので,初期集中支
−36−
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チームに対応してほしい事例を上げていただく形にスキームが変わりました。
援チームだけでそういった方全てを支えるというのはなかなか難しいと思います。大切な
のは私たちが初期集中支援チームの取組みを通して得られた知見と成果を社会に還元する
ことで,私たちの社会を認知症の方に優しい社会にかえること,認知機能が低下してきた
としても生活に支障を感じないような社会にしていくということではないかと思います。
おわりに
く認知症の人が暮らしやすい社会は,普通の人も暮らしやすい社会>
私たちの社会で認知症の人が増えています。誰でも高齢になれば認知症になる可能性が
高まります。そして,残念ながら今の医学では,認知症の完全な予防や完全な治療はでき
ません。私たちは認知症の人がそれまでと同じように価値のある人生を送ることができる
社会を作ることを求められているのです。
ここで認知症の人の社会生活上の支障を考えてみましょう。例えば認知症の人が行きた
いところ行くことができず,迷っていると「俳個」と呼ばれてしまいます。しかし,誰で
も道に迷うことはあります。例えば私は新大阪でホテルに泊まりました。駅からホテルま
で徒歩1分のは壷だったのですが,地図を持っていても全然分からなくて15分もぐるぐる
回ってしまいました。このように,認知症の人がこの社会の中で感じている生活上の支障
と,普通の能力を持った方が感じている生活上の支障とは連続しているのです。
認知症の人が暮らしやすい社会づくりは,普通の人にとっても暮らしやすい社会の実現
につながっているのです。認知症の人が暮らしやすい社会をつくるための施策は,認知症
の人のためだけの施策ではなく,すべての人のための施策なのです。
く今必要なのは認知症に対する肯定的な啓発>
認知症の人には早期からの適切な支援が重要になります。適切な支援があれば,不安や
混乱で実際の能力低下以上に,生活能力が低下してしまうというようなことは防ぐことが
できます。しかし,現在は残念ながら私たちの社会の中で認知症に対するイメージが非常
に悪いので,少しもの忘れがひどくなっても,おかしいなと思っても,それを隠そうとし
てなかなか診断を受けたがらなかったりします。必要なのは認知症に関する肯定的な啓発
なのです。
認知症に関するネガティブキャンペーン,例えば認知症になったらこんなにひどい状態
になるとか,周囲がこんなに困るとか,本人がこんなに困るとか,そういうのはマスコミ
がどんどんやってくれます。私たちにとって必要なのは,認知症になったとしても適切な
支援を受ければこんなにいい人生を送れるとか,意義のある人生を送れますというキャン
ペーンなのです。認知症当事者の方々に,例えば「認知症がありながら生活するのは大変
です。でも認知症があることでこんなに人生が広がって,いろいろな人とのつながりがで
−37−
きて,それまでよりずっと深い人生の意味を見つけることができた」とかお話ししていた
だくことや,「認知症の家族を介護している間はとても大変だったが,いろいろな経験が
できて,多くのことが学べた。この経験を通じて,以前よりも人にも優しくできるように
なった」とか,そういった経験を肯定的にご家族の方からお話ししてもらうことなどが大
切なのです。
認知症の人が増えていること,そして認知症の人々を支えること,そのためにいろいろ
工夫することを通じて,私たちの社会が大きく進歩することができるものと考えていま
す。
一
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