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県民が一体となって食料危機対策に臨む平成の大飢饉発生の可能性と

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県民が一体となって食料危機対策に臨む平成の大飢饉発生の可能性と
県民が一体となって食料危機対策に臨む
平成の大飢饉発生の可能性とその対応戦略について
特 集
埼玉県東松山農林振興センター 長谷川 隆史
プロローグ
昨年は、戦後半世紀以上続いた世界の経済構造や
政治情勢の歴史的な転換点の年であった。北京のオ
てみたい。
1 平成の大飢饉発生の可能性
(1)現在の埼玉県農業の状況
リンピックの開催や金融バブルによる原油や各種資
大飢饉などと言うと、ずいぶん大げさな物言いと
源、穀物の記録的な高騰と下落、サブプライムロー
思われるかもしれないが、人間の歴史は食料の確保
ンの破綻に端を発した世界経済の破綻と大恐慌の始
と飢饉との戦いの歴史とも思われる。日本では生産
まり、そしてアメリカの新大統領オバマ氏の誕生と
力と人口の増加とのアンバランス、天候異変、時の
それまでの政策の大きな変革。昨年が歴史的な転換
政権の政策の誤りなどから大飢饉が何度も発生し、
点の年であったとすれば、今年はその転換の方向が
鴨長明の「方丈記」にもあるように、京の町に餓死
明らかになってくる年になる。これからの世界経済、
者が放置されるような地獄図が江戸時代まで繰り返
政治情勢の変化と輸入に大きく依存している日本の
されてきた。明治以降も飢饉発生の危機はあったが
食料の需給動向をどう読み解くか。それが日本、埼
当時は自給率が高い水準にあり、また不足分は海外
玉県の食料確保戦略に大きな影響を及ぼすと考えら
から緊急輸入することで危機を回避してきたと言え
れる。
る。
食料自給率の数値が示しているように、県の農業
生産力は年々低下傾向を示している。その要因とし
ては、農家の高齢化と担い手農家の減少、開発によ
る農地面積の減少、遊休農地(耕作が出来ない農地)
の増加、農産物価格の低迷と肥料や農薬など各種資
材の高騰による生産意欲の低下などがあげられる。
一方、若い農業後継者の就農や他産業から農業へ
新規参入する人が増加している。また、定年後農業
に意欲的に取り組んでいる事例も増加している。
写真 1 比企地域の農村風景
東松山農林振興センター管内の比企生花組合は、
このような情勢の中で平成の食料危機、古い言い
長い歴史を持っているが生産者は高齢者や女性が中
方をすれば平成の大飢饉発生の可能性はあるのか、
心であった。しかしながら近年は、若い後継者の就
そしてあるとすれば、どうすれば危機を回避し県民
農が増加し、クジャクソウを中心とした大規模栽培
の食料を安定確保出来るのか。日本の食料自給率は
に取り組んでいる。また、他産業から就農希望者が
40%、埼玉県は 11%である。この現実を意識しな
あれば研修生として積極的に受け入れ、栽培技術の
がら、県民の命を守る食料の確保戦略について考え
指導や就農に必要な農地などの調整役も行ってい
13
特
集
では遊休農地を積極的に受け入れ野菜などの生産拡
大に意欲的である。会のメンバーの年齢は 70 才前
後が多いが、日頃から農業で鍛え、楽しく農業をやっ
ていることから年齢を感じさせない意欲と若さにあ
特 集
ふれている。現在、高齢化と福祉対策が大きな課題
となっているが、会の活動は農業分野における高齢
者の役割発揮と活動のモデルとなっている。
写真 2 比企生花組合の活動
る。
一方、小川町で早くから有機農業に取り組み、日
本の有機農業の先駆者として知られている金子さん
は、サラリーマン生活に疑問を持ち有機農業に活路
を見いだそうとする若者を研修生として受け入れ、
農業で生きるすべを教えている。有機農業による自
給自足を原点とした金子さんのライフスタイルに共
写真 4 互笑会の活動
鳴する人は多く、現在では、日本はおろか韓国やド
農業が衰退を続ける中で、注目すべき新たな動き
イツなど有機農業を志す若者が研修生として世界か
の増加は低迷を続ける埼玉県農業の将来に大きな希
らやって来ている。
望を与えている。
(2)県農業政策のこれまでの取り組み
戦前、戦後を通じ、農業政策は国の農業政策をも
とに実施されてきた。戦後の食料難時代の増産政策、
高度経済成長時代の自立的農家の育成政策、米余り
時代の減反政策などが代表的な政策である。しかし
ながら、農産物の輸入自由化時代になると政策のジ
レンマとほころびが目立つようになり、農家の政策
不信と農業経営を発展させるための自立した取り組
みが各地で行われるようになってきた。
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写真 3 金子さん宅の研修生
県においても、平成 9 年から未利用有機質資源を
定年後の高齢者も各地で活躍している事例が多く
農業に積極的に活用し、肥料や農薬の使用を半減
なっている。ときがわ町の互笑会は、定年後に農
することを目的とした「有機 100 倍運動」を全国
業に本格的に取り組むようになった 7 人の高齢者グ
に先駆けて取り組んでいる。県独自の特別栽培農産
ループである。埼玉県の伝統野菜である青ナスの栽
物の認証制度の実施や、有機質の産業廃棄物や生ゴ
培と市場出荷に取り組み、忘れられていた伝統野菜
ミを堆肥化することを目的にモデルプラントを建設
の復活に貢献している。また、伝統野菜ののらぼう
した。モデルプラントで出来た堆肥は農家に供給し
菜や新しい品目のアピオスの栽培も行っている。会
有効活用できることを実証、普及した。また、平成
都市部の住民は国から配給された食料では不足で
消運動」の取り組みを開始した。特別栽培農産物の
あったため、農家への買い出しや闇市での購入で食
認証制度とリンクした特裁農産物利用店の認証制度
料の不足を補った。配給された食料だけで生活し、
の創設や県産農産物利用店制度の制定など独自の施
正義を貫こうとした東京地裁の判事が餓死した話
策を進め、大きな成果をあげている。
は、新聞でも大きく取り上げられ有名である。
(3)平成の大飢饉発生の可能性はあるのか
(2)中越地震の教訓
このような状況の中で、平成の大飢饉発生の可能
平成 16 年 10 月に発生した中越地震の時、避難
性はあるのかどうか。農村に住み、昭和 54 年から
所の体育館からのテレビ中継は非常に示唆的な映像
約 30 年間農業改良普及員として県内各地の現場で
であった。テレビのレポーターが被災者にマイクを
従事し、農業・農村の大きな変化を見て来た経験か
向け、「今何をして欲しいですか」と問いかけたら、
ら、可能性は大いにあると考えざるを得ない。単
ある被災者が、「食べるものが欲しい。朝届くと聞
純な計算ではあるが全国で 4 番目に低い食料自給率
いていたおにぎりが、まだ届いていないのです」と
11%では、県民の 1 割分しか県内では食料を供給出
答えたのには、緊迫した状況と食料の重要性を改め
来ない。耕地面積、生産する農家も限られており、
て考えさせられた。新潟県は全国でも屈指の米産地
世界的にも非常に低い水準にある国の食料自給率
である。産地にありながら食料がないという、現在
40%からもほど遠い状況である。現在の豊かな食
の流通システムの盲点を見るような思いであった。
は、
「砂上の楼閣」以上に危険なバランスの中にあ
現在、もしも災害や輸入のストップで食料の供給
ると言っても良い。
がストップしたらあなたは、家族はどう行動するか。
2 飢饉が発生したときにあなたはどう行動し、家族を守るのか
(1)日本は古代から飢饉とは背中合わせの状況
国や地方公共団体の支援、民間のボランティア活動
に期待するのか。期待するとすれば、冷蔵庫の中の
食料や保存食であなたの家庭は何日間待つことが出
奈良時代や平安時代の人口は 700 万人から 1000
来るか。それとも、農家へ食料の買い出しに向かう
万人と推定されている。当時の生産力は低く、気象
のか。
災害などでしばしば農作物が不作となり飢饉とは背
中合わせの状況であった。そのため、国が穀物の備
蓄に努めていたが備蓄量にも限界があり、気象災害
3 食料はどこにもなくなる
(1)スーパーではどうか
などが発生すると飢饉が頻発した。人々は食料が集
大地震が発生すると道路などの流通ルートが寸断
まる都に向かい、食べられる野草などは何でも食べ
され、スーパーや食料品店では食料の仕入れが不可
てしのいだと言われる。江戸時代になると新田開発
能となる。また、直下型の大地震ではスーパーその
などで生産力は強化され、人口も 3,000 万人程度
ものの営業が出来ない。何時でもどこでも手に入っ
に増加した。しかしながら、東北地方など冷夏によ
た日本や世界からの農産物が、一瞬で手に入らない
る不作を受けやすい地域では飢饉は絶えず、享保
状況になる。
(1732 年 )
、 天 明(1782 〜 87 年 )、 天 保(1833
特 集
14 年には全国的な潮流となりつつあった「地産地
外国での天候異変などで食料生産が減産し、輸入
〜 39 年)
、に発生した 3 大飢饉は有名である。
が不可能になった場合はどうか。これについては、
近代では戦後の食料難時代をご記憶の方も多いと
昨年の穀物の高騰が教訓になる。
思う。空き地や学校の校庭を掘り起こしてサツマイ
日本では昔からよく言われていることであるが、
モを栽培し、食べられるものは何でも食用にした。
生産量が 10%低下すると価格は倍に跳ね上がると
15
特
集
されている。市場原理である。お金がいっぱいあっ
している国から見ると、食料を世界中から買いあさ
てもない物は買えないか、買えたとしてもとんでも
り、買えなくなって慌てふためく日本を見て何を今
ない価格になる。お札が食料になるのはヤギくらい
さらと思うかもしれない。
しかいない。
(4)備蓄はどうか
特 集
輸入がストップすることがわかれば、食料品価格
現在の国の食用米備蓄量は約 100 万 t で、これは
は瞬時に高騰を始め、そして最後はスーパーの棚か
国民の年間消費量の 1 ヶ月強の量である。しかしな
ら姿を消す。アフリカや食料不足に見まわれている
がら、これは平時の消費量であればという条件がつ
国で現実に起こっている飢餓状態が、日本でも十分
く。食料がなくなれば米への依存度は当然高くなる。
起こり得る。
消費量が急増すれば 1 ヶ月も持たないだろう。
(2)農家には食料はあるのか
また緊急時に備えた備蓄は、地域が限定された災
どこにも食料がなくなると、最後の頼りは農家で
害などであれば対応できるが、日本全体の食料危機
ある。お金を持って農家に買い出しである。しかし
ではなすすべがない。
ながら、あなたは農家から言われるだろう。「あな
たに分けてあげられるお米はない。親戚からも頼ま
れて、残っているのは自分の家族分しかない。申し
4 県民、消費者が参加して取り組む食料危機対策
(1)農地として利用可能な土地の活用
訳ないが、他をあたってくれ」と。しかたがないの
食料生産において、その基盤である農地は非常に
で、隣の農家へ行くとする。やはり同じことを言わ
重要になる。現在、減反による不作付けや遊休農地
れ、
あなたは何の収穫もなく家路につくことになる。
化で活用されていない農地が多くあり、その活用が
運が良ければ、庭先になっている柿くらいはもらえ
まず必要になる。
るかもしれないが。
現在の農家は昔の農家と違い、米の備蓄は行って
いない。昔の農家は不作に備えて 2 〜 3 ヶ月分の
米を備蓄していたが、現在の農家は家族が必要な 1
年分だけである。そうでないと、稲を収穫してもし
ばらく古米を食べなくてはいけないからである。
(3)緊急輸入は何時でも可能か
政府は緊急輸入を発動するだろう。アメリカ、オー
ストラリア、中国、ブラジル、タイなど食料の輸出
国に輸出を依頼する。しかしながらである。平時で
写真 5 活用されていない遊休農地
あれば備蓄していた穀物などを輸出してくれるが、
また、農地として活用できる土地も多く存在して
昨年のような状況では自国を優先して輸出はしてく
いる。利用されていない工場用地、広大な河川敷、
れない。昨年、米不足で米が高騰し政情が大混乱し
さらに県内各地に多くあるゴルフ場は緊急時の食料
たフィリピンでは、大統領が直接輸出国に依頼して
生産基地として大いに活用できる。特に平坦に整地
いたが、
相手国の反応は「ない袖は振れない」であっ
されているゴルフ場は、現在のほ場整備技術や大型
た。
農業機械を使えば、短期間に優良農地に変えること
したがって、食料の緊急輸入も頼りにならないの
が可能である。
である。スイスのように国民の 1 年分の小麦を備蓄
16
(2)食料自給率の向上は可能である
して総合力を発揮できるような組織である。
さらに、緊急時に備えた作物や品種の試験研究体
の各種資材がそろって初めて生産が可能になる。非
制の充実である。かつては、救荒作物としてサツマ
常時になると機械、施設、各種資材も不足するかも
イモやそばが主体であったが、現在は生産力の高い
しれない。しかしながら、日本では稲を 2000 年以
作物が育成されつつある。小面積で、収量が多く短
上、人力と有機質肥料などを活用した循環型農業で
期間で栽培できる作物が必要であり、またその種子
行ってきた歴史と技術がある。農家以外の人も生産
や増殖用の株を確保しなければならない。
活動に参加すれば、マンパワーで生産拡大が期待で
また、試験研究で開発された技術や、品種を現地
きる。
で栽培指導できる体制の整備が求められる。食料危
自給率は綿密に現状を調査し、計画・実践すれば、
機は初めての体験となる。事前に現地での栽培試験
飛躍的に向上させることが可能である。後は現状を
なども必要になってくるし、現地における生産組織
直視し、有事に備えて戦略的に食料の危機対策に臨
の育成、支援が大きな役割を果たすようになる。
むかどうかである。
④県民による食料危機対策
(3)県民参加による食料危機対策
特 集
食料は人と、農地と機械、施設、肥料や農薬など
最初に述べたように、埼玉県では食料生産に必要
では、具体的に食料危機対策について考えてみた
な担い手も農地も減少が続いている。しかしながら
い。
700 万人以上の県民を擁しており、食料危機に不
①埼玉県の自給率目標の再検討
安を感じている人も多い。そういう人たちのボラン
現在、県の目標値は 14%となっているが、果た
ティアや NPO 組織を立ち上げ、県民自らの問題と
してこの数値で県民の食料を確保できるのか。例え
して食料自給率向上活動に取り組む必要がある。ま
ば、県民の半数の食料を確保するとすれば 50%が
た、有事の場合はゴルフ場を率先して農地として提
目標になる。妥当な目標を設定するためには、精緻
供できるような民間との協力体制の確立が課題であ
な現状分析と利用可能な農地、機械、施設の調査、
る。
それから不足分の 50%を県内外からどう確保する
かが課題になる。
②数値目標に基づいた具体的な戦略と各種施策の立
案
数値目標は政策的な目標である。しかしながら、
農業生産は農業経営を前提にした経済活動である。
生産しても赤字では意欲を示す人はいない。した
がって、
それをカバーする施策が必要になってくる。
食料の安全保障である。
「食料がなくては日常生活
は成り立たない」である。思い切った施策が必要に
なってくる。
③食料危機に備えた体制の整備
写真 6 県民参加によるサツマイモの収穫体験
エピローグ
次に食料の安全保障について総合的に検討する場
私は昨年、10 年ぶりに稲を 600 坪ほど作付けし
が求められる。先程の数値目標の設定や戦略、施策
た。それまで貸していた農地を返してもらい、自分
の立案を一元的にここで行う。県の関係部局が協力
自身で食料危機対策に臨むことにしたのである。機
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特
集
特 集
械はトラクターだけは所有しているが、他の機械、
サラリーマンでもやろうと思えば土、日農業でか
施設は持っていないことから、田植機は友人から借
なりの食料を確保できるのである。市民農園や農地
りて田植えを行った。その後の水管理や、病害虫の
を貸してもいいと思っている農家も増えている。農
防除などを何とかクリアーし、収穫の秋となった。
林部地域機関の農林振興センターや市町村、JA に
収穫や乾燥調製は近所の農家に委託した。600 坪の
相談すればいつでも紹介やアドバイスを行ってい
作付けで幸い 17 俵(1020kg)、年間消費量で言う
る。経験のない人には各種の技術指導のサービスも
と約 17 人分の米が収穫でき、自家用はもとより親
実施している。
戚などにも供給できることになった。自分で作った
「備えあれば憂いなし」である。まずは、出来る
米の味は格別である。親戚や友人からも有事の際の
ところから食料の確保対策に臨みたい。プランター
確保先として期待されている。さらに、太り気味で
を使った野菜栽培でもいいのである。そういった取
あった体重を 4kg も減量できたおまけまでついた。
り組みが増加すれば、自ら県民参加の輪が広がり食
料自給率も向上すると思う。勇気を出して、その第
一歩を開始しようではないか。
写真 7 稲の収穫委託作業
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