Comments
Transcript
Essay 「羽ばたく」 1 of 23 トリにとっての「羽ばたく」は、「普通であること
Essay 「羽ばたく」 □ かは重要となってくる。 トリにとっての「羽ばたく」は、 「普通であること」。 ここまで抽象的な内容になってしまったが、私は ヒトにとっての「羽ばたく」は、 「普通でないこと」。 羽ばたくチャンスのある人は恵まれた人であると 私はこうとらえた。ヒトが羽ばたくことは、もちろ 思っている。そして、自分は今その幸せな環境を持 んプラスの意味での普通でないこと。つまり、今ま っている。このことを忘れずに、いつか私も羽ばた での自分にとって普通でない何かをすること。「羽 き、どこかに着地できるように日々を過ごしたい。 ばたく」を別のことばで表現するのなら、「成長と 成功」がぴったりだと思う。成長と成功が羽ばたく □ ことを意味するのなら、誰にでも羽ばたくことは可 To live is to choose. But to choose well, you 能であると言えるかもしれない。けれども、私はそ must know who you are and what you stand うは思わない。「成長と成功」を可能にして、羽ば for, where you want to go and why you want たくことができるのは、チャンスある人間に限られ to get there. ると思う。 「生きることは選択すること。しかし、賢く選択す 私は、昨年1年間を新潟で過ごした。そこで感じ るためには、自分が何者なのか、何を信じるのか、 たことは、「ひとり」ということである。どんなに どこを目指すのか、なぜそこを目指すのかを知る必 たくさんの本を読んでも、どんなに英語の勉強をし 要がある。」 ても、発揮する場がなかった。つらいつらいと言い コフィ・アナン(1997 年、マサチューセッツ工 ながらも、積極的に挑戦し続けるゼミ生を見て、と 科大学でのスピーチより) ても羨ましかった。私はそこで、羽ばたくためには 「羽ばたく」ためには、羽を使う方法を知らなけ それなりの舞台が必要だと思った。羽ばたくために ればならない。どのように動かし、どのような速さ は、自分を見ていてくれる人が必要だとも思った。 で動かすかを知らなければならない。物事には順序 つまり、羽ばたくことは、羽ばたける環境があり、 があり、それを知らなければ、「羽ばたく」ことす 一緒に行動する誰かがいて、そして初めて可能にな らできないのである。「羽ばたく」ためには何が必 るのではないかと思う。もちろん、人によって羽ば 要なのだろうか。 たくことへの捉え方や基準は違うだろう。私にとっ 人生において大切なこと、それはすなわち選択す ては、今この生活が羽ばたける場であるといえる。 ることに他ならない。自分が何者なのか、何を信じ 私は毎日学校へ通い、ゼミ活動を行い、そしてこ るのか、どこを目指すのか、そしてなぜそこを目指 れからは就職活動をする。それら全てが羽ばたける すのかを知る必要があるのである。私は上で述べた チャンスの一つであると感じる。日本人の多くは、 コフィ・アナンの言葉がそれを如実に表していると このチャンスを持っていると思う。けれども、それ 思う。ではなぜ私がこの言葉を選んだかというのは、 を持つことのできない人もきっといる。自分には、 「羽ばたく」ためにも 物事の本質を知る(考える) 行動する場があること、それを見ていてくれる人が こと や 準備 というものが必要であると確信して いること、私はこの環境を大切にしたいと感じてい いるからである。 る。 2011年は激動の1年だったように思える。2 更に、羽ばたくということについて思い巡らせて 011年は3月11日が全てだった。震災後ほど自 いると、気になるのは羽ばたいた先についてである。分が無力だと感じたことはなないし、「誰かのため もしかしたら、羽ばたくことには先があるのかもし に」、 「何かのために」ということを考えたことはな れないと思う。羽ばたいた先に必ず着地装置がある かった。今は復興に向けて 準備 が進められている かどうかはわからない。一番大変なことは、羽ばた 段階である。震災直後は生活インフラが全て遮断さ いた後に着地ができるかどうかなのかもしれない れ、食べ物や飲み物も かしかない状況が続いた。 と思う。人間は誰しも、先が分からないことに不安 食べ物を分け合い、飲み物を分け合うことを通じて を感じる。羽ばたく先が素晴らしい世界であるとい 人とのつながりや人の支えというものが実感でき う保障はない。だからこそ、私たちにとって、羽ば た人も数多くいたと思う。 たいた後に着地ができるよう行動し続けるかどう 阪神大震災の経験も踏まえて、日本では「東日本 1 of 23 Essay 「羽ばたく」 大震災や津波の記憶を風化させてはいけない」とい きな、大きすぎる空に向かって。 うことが声高に叫ばれるようになった。しかしその 最近、20 年間の人生を振り返ることが多くなっ 一方で復興が進むにつれ、人々の意識は震災から離 た。就職活動が本格的に始まり、「自己分析をしな れていくのがわかった。それを一番強く感じたのは、さい」と周りがしきりに囃したてるのである。「自 24時間営業のお店が復活してきたことと、各地の 己分析」をして自分がどのような職業に向いている 街を彩るイルミネーションの様子をニュースなど のかを見つけた上で、実際に就職する業界や企業を で観たときである。震災が起こってから節電ブーム 絞っていく作業をしなければならない、らしい。と が起こり、首都圏においても輪番停電などが相次い りあえず、年表をつくってみて、私が今までどのよ だ。そんなこともあったのに、年の瀬に近づくにつ うな人生を歩んできたかを分析してみた。残念なが れ電力の消費のことはどうでもいいような風潮に ら、この分析によって私に向いている業界や企業は なってしまっているのが残念である。 絞りきれてはいないが、ただ、1 つ気付いたことが 被災地のイルミネーションが被災者の心を勇気 ある。「何と恵まれている人生なのだろう」と。年 づけ、各地のイルミネーションは日本を元気づける 表とは違う形で自己分析をしてみた。 象徴になるものであればうれしい、と感じながらも 朝日新聞の GLOBE という別刷りを私は好んで 胸中は複雑な思いでいっぱいである。復興のことを 読むのだが、その中の連載の 1 つにインタビュー記 考え、復興のスピードを上げていく必要がある一方 事 Breakthrough[突破する力] というものがあ で、今一度立ち止まって、自分たちの生き方や復興 る。その中の「自己評価シート」というコーナーを のカタチを考えなければいけないと感じる。復興の 用いた自己分析である。10 種類の力(1.決断力、 ための 準備 というものを真剣に考えなければい 2.行動力、3.持続力、4.運、5.協調性 6.独創性 7. けないのではないだろうか。本当に今の生活水準や 体力 8.分析力、9.集中力、10.語学力)を並べてみ 経済規模を維持しないと生活できないのか、と問わ るという企画であるが、(因みにこれは、女子サッ れればその答えはノーである。幸せということを日 カー沢穂希さんの順番)これをやってみて、私は迷 本全体で考えたい。ブータンの国王はこう言ってい わず 1 番目に「運」を選んだ。周りの人に恵まれな た。「幸せというのはとても主観的で個人的なもの がら生きてきたという意味で、私は運がいいと思っ だ。でもブータンは『幸せを目指す国づくりをする』 たのである。20 年間に出会っていた友人、先輩・ と言ったら、定量的なものにしか価値を置かない国 後輩、恩師、そして両親・・・。すべての人との出 際社会から『じゃあどうやって測るのだ』と強く問 会いが私の人生を形作ってきた。本当に恵まれてい われた。だから一応モノサシを作った。でも 本質 る。 はそこにはないのだ。」と。 ただ、別の見方をすれば、私は周りの人たちにも 日本にとって東日本大震災が転換期なのではな たれかかりながら生きてきた、もっと言えば、周り いだろうか。日本がどこを目指すのか、なぜそこを の人に甘えながら人生を歩んできたとも言える。や 目指すのかを「ゼロ」から考える絶好の機会である。 りたいことをやりたいように、言いたいことを言い 復興の意義や 本質 を考え、 「羽ばたく」ための 準 たいように、そんな生き方をしていた。そんなぬく 備 をどこまでしっかり行えるかがカギである。国 ぬくと温室で育ってきた私にはどんな危機にでも 際社会の在り方もそうだが、日本が今後どのように 助けてくれる周りの人がいた。しかし、これから私 日本の「羽ばたく」姿を示していくことができるの が羽ばたこうとしている社会で私のウリである「運」 か、期待と不安の入り混じった感情を抱いている自 が通じるとは到底思えない。社会では「自立」する 分がいる。 ことが求められる。1 つの危機でも乗り越えられな かったら落ちてしまうような厳しい世界が待って □ いる、と私は思っている。周りの人が助けてくれる 人には羽ばたかなければならない時がある。どのよ とは限らない。私はまだ親鳥に守られ、太りに太っ うな時か。それは人それぞれ、決まっているわけで た雛鳥である。私が太りすぎて飛べようが飛べまい はない。しかし、少なくとも私は、今羽ばたかなけ が、私が飛ぶ方向を決められようが決められまいが、 ればならない時を迎えていると思う。社会という大 これから羽ばたこうとしている社会という大空は 2 of 23 Essay 「羽ばたく」 待ってはくれない。むしろ空は近付いてくる。そこ に羽ばたけるか、そして飛ぶことはできるのか。 「覚 悟」を決める必要がある。 少しだけ自信はある。10 種類の力のうち、ゼミ の活動で少なからず身についたかも、と思えるもの がいくつかある。例えば「分析力」。社会経済学を 学ぶことで社会を見る目は養われてきている。私が 羽ばたく方向、迷った時の道標、社会のありようを 学ぶことで見ることができそうである。また、その 他にも「協調性」「独創性」「語学力(話す力)」な どはゼミ以外の場所ではふれることさえもできな かったかもしれない。「社会人」という立派な鳥に なり羽ばたけるか、否か。 「ゼミがあったから。」と 後の人生で振り返られるようでありたい。 □ 「羽ばたく」というテーマを聞いて、私が一番はじ めに思い浮かべたのは、卒業式だった。卒業式にな ると、よく「羽ばたく」という言葉を耳にしていた。 レクチャーシリーズで先輩方が過去を振り返って いたように、私自身も今までの生活について振り返 りたいと思う。 最初に「羽ばたく」という言葉を聞いたのは、私 の記憶の中では、小学校の卒業式だった。小学校を 卒業する時の気持ちを一言で表すと「楽しみ」であ る。私の中学は、2つの小学校の生徒が来るので、 新しい友達ができるかな?早く制服を来て登校し たいな!など、とにかく今から始まることが楽しみ でいっぱいだった。次は、中学校の卒業式。中学校 を卒業する時の気持ちは「嬉しい」だった。人生で 初めて受験というものを経験し、第一志望の高校に 合格するために、3年生の頃は、必死で勉強してい た。そして、第一志望校に合格することが出来たの で、とにかく「嬉しい」の気持ちでいっぱいだった。 そして、その次は高校の卒業式。高校を卒業すると きの気持ちを表すと「不安」。法政大学に行くこと が決定し、友達が一人も居ない東京に上京し、一人 暮らしを始めることは、私にとって不安でいっぱい だった。しかし、今振り返ってみると、この大学生 活の始まりが私の最初のターニングポイントだっ たと思う。そして、あと1年後には大学の卒業式が ある。卒業式といのは、これからの人生の中で最後 の行事だと思う。人生最後の卒業式だからこそ、大 学の卒業式には、「羽ばたく」という言葉が一番ふ さわしいのではないかと思う。人生最後と言える卒 業式は、どんな気持ちで迎えるのだろうか?これか らの気持ちと行動次第で変えられるだろう。理想と しては、「晴れ晴れ」とした気持ちで迎えたい。残 りの大学生活は、卒論、就職活動、この2つが中心 となっていく。私は、就職活動はゼミの延長線上に あると考えている。就職活動も徐々に始まっていっ て、 「働く」ことについて考えることが多くなった。 「働く」ことが、とても楽しみな一方で、ゼミとい う仲間で一つの作品を作り上げるために、集まって、 みんなで必死になって取り組むということも出来 なくなると思うと寂しい気持ちにもなる。4年生の 方がゼミから羽ばたいていかれ、次は私たちだと思 うと、ゼミに参加する回数も限られてくるだろう。 就職活動もあるけれど、ゼミにも出席し、ゼミの仲 間と一緒に過ごせる時間を大切にしていきたいと 思う。そして、ゼミ活動を納得のいく形で卒業でき るようにしたいきたい。 □ 佐藤ゼミに入る前までの私は目標を完全に失って いた。大学に入ったらこの勉強をしよう!という目 的もなく大学に入ってきた私は堕落した生活を送 っていた。大学の授業にも飽き、完全に落ちこぼれ ていた。というのも、私はどうしてもこの学校に入 りたかったわけではなく、どこか生徒をバカにして いた様に感じる。受験が上手くいかなかったことが 背景にあるのか、なぜか無駄なプライドがあった。 こんな風に考えていた三年前の自分を振り返ると ものすごく小さな人間であった。今となっては恥ず かしい話である。 そんな中、サークルの先輩にゼミに入らなければ 就職は厳しいとの指摘を受けた。その頃の私はゼミ というものがどのようなもので、大学においてどの ような意味があるのかわからなかった。そこで試し に佐藤ゼミに知り合いの先輩がいたので、佐藤ゼミ を見学しにいくことにした。ここが私の中での人生 においてのターニングポイントとなることとなっ た。見学に行った時、佐藤ゼミの先輩達を見て愕然 とした。どの先輩を見てもディスカッションでガツ ガツと自分の主張を述べたりし、プレゼンでは自信 に満ちた、堂々とした態度で聴衆に向けプレゼンを していた。私は浪人して大学に入学したので、一つ 年上の学年は同じ年の生徒である。にもかかわらず、 3 of 23 Essay 「羽ばたく」 たった一年大学に入るのが遅れただけでここまで 差が開くのか?このゼミにいる先輩が皆優秀だか らなのか?疑問は多いにあった。今の自分は生まれ たての 雛 どころか産み落とされた たまご の様 な存在なのではないか?と疑ってしまったぐらい である。どの先輩に話を聞いても、ゼミだけ頑張っ ていればこうなれる!との話を聞き、このゼミに入 れば、この先輩達のように大きく成長できるにちが いない。そう確信した。だから私はこのゼミに入る 事を希望し、実際に入って来た。それからというも のはひたすら先輩の姿を追いかけて、追いかけて。 入った当初は同期のゼミ生に劣等感を感じていた が、自分が積極的に活動することによってそんな意 識は自然と感じなくなった。 現段階の私が、先輩達との差をどの程度埋めるこ とができたのか。それとも先輩達とは違う方向に成 長したのか。自分ではよくわからないのだが、今の 私は先輩達の姿を見て、ものすごく成長して来たと 思う。グループ活動を通して、時には先輩と個人的 に話す機会を通して、自分なりに様々な人の良いと ころを吸収してきたつもりである。がゆえに、自分 なりに多少自信のつくゼミ生活であったと感じる。 この二年間はその意味でゼミ生と切磋琢磨し、お互 いに刺激し合い、良い経験を積むことができた。人 前で話すことが苦手だった自分を大きく変えるこ とができた。そういった意味を込めて大いに 成鳥 できた。 現在の私たち 3 年生は就活という試練に立ち向 っている。ここでの選択や経験は今後の私たちの人 生に大きく影響をし得る経験になるだろう。就活は 社会に出る前の羽ばたく訓練であって、そこがゴー ルではない。今の自分を形成するために様々な経験 をしてきた。飛ぶための力はそれなりにはついてき たことだと思う。今こそ 成鳥 した私は、様々な経 験や思いを胸に羽ばたく時なのだ。この一年私にと って大事な一年となるが、今まで培って来た力を使 い、大いに羽ばたきたいと思う。 □ 今まで 22 年間の人生で羽ばたくという言葉を幾度 か耳にする機会があった。小学校、中学校、高校の 卒業式という場がその言葉を聞く最たる場所だっ たと思う。私が考える「羽ばたく」とは自らで選択 し、行動に移る、そしてその行為に責任を持つこと である。では、果たして今までの人生を振り返って みた時、羽ばたいたと言える時があったのだろうか。 よくよく考えてみると私が考える「羽ばたく」とい う言葉の意味では残念ながら一度もなかったよう に思う。中学は私立を受験することも特に考えてい なかったので皆と同様いわゆる普通の公立の学校 に進学した。さすがに高校、大学は自ら進学先を決 めたわけだが進学の理由が明確にあったわけでは なく、高校は最低限出ておかないといけない、大学 に関しては全入時代ということもあり大部分の人 が進学しているからという大変受動的な理由で進 学したというのが本音である。このように自分の人 生を振り返ってみると大変恥ずかしながら敷かれ たレールに沿ってただ進んでいただけだったよう に思う。羽ばたきの対義語を留まるとするならば私 は文字通り、羽ばたく準備もろくにせずにレールの 上に留まっていただけにすぎなかったのである。 しかし、そんな私も現在羽ばたくための準備をし ている。大学に入ってもこれと言ったことをしてお らず、怠惰な生活をおくっていた私が選択を迫られ た大学 1 年の冬。私の選択は正しかったと確信して いる。それは佐藤ゼミを選んだことだ。見学には一 度しか行けなかったが一度で十分なくらいのイン パクトがあった。一目でこのゼミに入りたい、ここ でこのような先輩方と学びたいと真剣に思った。入 ってからも密度の濃いディスカッション、ディベー ト、個人・共同プレゼン、進級・共同論文どれをと っても今まで経験したことのないような事をさせ てもらえた。このような場で約 2 年間社会へ羽ばた くための準備をさせてもらえることが、どんなに貴 重でかけがえのないものなのか今さらながら実感 している。 これから就職活動が本格化し、心のゆとりもなく なっていくだろう。しかし、この 2 年間での共同論 文、ディベート大会、合宿等の辛かった時のことを 思えば乗り越えられると思う。例え、辛く長引いた としても就職活動を新たな自分を発見できるもの として楽しみながら行い、心のゆとり失くさないよ うに努めたい。そして自分が思い描いた場所へ羽ば たくことができたなら幸いである。 □ 3.11、財政破たん、就職氷河期、失業率増加、自殺 率過去最高、大洪水、企業の隠ぺい工作、回復の見 4 of 23 Essay 「羽ばたく」 えない日本経済。今年も多くの悲しい出来事が世界 □ を覆い尽くした。そして、多くの人が悲しみ、途方 「羽ばたく」という言葉は、「空高く羽ばたく」と に暮れた。我々大学生も不況によって自分の未来を いった実際に翼を用いて飛ぶ様子から、「未来へ羽 思い浮かべることが難しいのが現状である。努力が ばたく」といったように現在身を置いている場所と 報われることのない世界を恨みながら日々の生活 は異なる場所へ踏み込む時に用いられる。私は、後 を送っている若者も少なくないだろう。テレビや新 者の意味合いから「挑戦」という言葉を連想した。 聞でも、 「自分の生活で精いっぱい」 「不景気だから 「空高く羽ばたく」、「未来へ羽ばたく」、どちらの 安定した仕事に就きたい。」と考える若者が多く取 意味合いにしても、「羽ばたく」という動作は初め り上げられている。 からできるものではない。羽ばたくためには、まず しかし、つらい時だからこそ我々若者が勇気を振 巣立たなければならない。羽ばたけるまで成長し、 り絞り世界に出てゆかなければならないのではな これから先に起こる様々な出来事に対し、不安を抱 いのだろうか。なぜなら、歴史的にみても世界が苦 きつつも一歩踏み出してこそ、羽ばたけるようにな 境に立たされている時には若者の力が世界を動か る。 す原動力となってきたからだ。例えば、1968 年に 自分に当てはめて考えると、現在に至るまでこの チェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」一連の流れの繰り返しであったように思う。必ず目 や、チュニジアに始まる北アフリカ・中東の民主化 の前には、乗り越えなければならない壁があり、乗 運動「アラブの春」がその代表的例である。双方と り越えてきた。現在では新たにどこへ羽ばたくのか も祖国を思う若者のパワーが国を動かした歴史的 を模索している段階だ。この「羽ばたく」というテ な出来事である。そしてこの二つの出来事を通して ーマを与えられた時、どこへ向かって羽ばたくのか、 我々日本人、特に若い世代が学ばなければならない ふと疑問に思った。どこを目的地にするかによって、 点がある。それは、両事件の若者たちが「世の中を 「羽ばたく」意味は変わってくるものだと思う。私 良くしたい」と願い実際に「行動」に移したという が連想した「羽ばたく」とは、前述したように「挑 点である。多くの人が世の中の平穏を願うのは当た 戦」である。そのため、目的地とする場所は、自分 り前のことである(例外もいるが)。しかし、自分の にとって未知の世界、自分の成長できる場所である。 願いを実現するために何かしらの行動を起こす人 大学では様々なことに挑戦することができた。例 というのはかなり少ないと私は考えている。多くの えば、塾講師のアルバイトが挙げられる。大学に入 場合において願いが願いのままで終わってしまっ 学してすぐに始めたアルバイトが塾講師であり、初 ているのである。このエッセイのタイトルのように めてのアルバイトであった。今まで教えられる側で 「羽ばたく」という事に消極的になってしまってい あったのに対し、教える側になることは想像できな るのである。(ここでの「羽ばたく」は広い社会に いことであった。当初、塾講師は選択肢になかった。 出ていくこと、挑戦することに近いニュアンスで扱 教える側につくことで、自分が客観的にどのような っている) 人物に見えたのか気になったこともあり、あえて塾 何か新しいことに挑戦することは簡単なことで 講師を選んだ。実際に経験していくと、相手に通用 はない。時間と労力もかかるしリスクも伴う。しか する教え方でなど、教える側についたからこそ学べ し、現状に満足し自分の世界を満たすだけで本当に ることが多かった。講師という未知の領域に挑戦し 良いのであろうか。自分の幸せだけを追求して本当 たことは、間違っていなかったと今は思う。 に幸せになれるのだろうか。2011 年は苦労の方が この時期になって考えることは、社会に出るとは 多い年であった。だが、私は、その苦労を無駄にし どういうことなのかということである。大学 4 年に ないためにも今我々若者が立ち上がらなければな なれば、自然と次の目的地は社会ということになる。 らないのではないと考えている。確かに人間には翼 それに向けて、巣立つ準備ができているのかと言わ はない。だが「勇気」と「野心」という他の動物に れれば、そうではない。社会はとても広い場所だと はないものを持っているのだ。この二つの翼を心に いうのが、私が社会に対して持つイメージである。 秘めて大空に飛び立つべきではないのであろうか。 自分が次に目的地とする場所は社会の中でもほん の一部であろう。また、自分にとって未知の世界と 5 of 23 Essay 「羽ばたく」 述べたが、情報が飛び交う現在の社会において、未 って重要な選択の一つである。大学に進学すること 知の世界はほとんどない。自分の言う未知の世界と で、さらに多くの知識を身に着けるのか、また就職 は、全く知らないではなく、経験したことがない世 すること、一足早く社会の構成員の一人として働い 界のことを指す。似たような意味に捉えられるかも ていくのか。 しれないが、知識はあっても、実際に行ってみると そして、今私は社会に羽ばたいていくための重要 想像とは異なっているということは少なからずあ な選択を迫られている。自分の将来を決める進路選 ると思う。塾講師の経験においても同様であった。 択、就職活動である。高校生のころにも進路選択を 実際に教える側になると、それまでとは違う側面か することはあったが、自分自身の考えとしては、最 ら授業に臨むことになり、違和感はあったが、同時 後のモラトリアムを過ごしたい程度しか考えてい に自分の成長のきっかけとなった。 なかった。しかし、今回の進路選択は自分自身にと 社会にでることを考える際に、思い浮かぶ事柄は って最も重要な選択である。なぜならば、自分の将 明治維新の頃の日本である。それまでの日本は鎖国 来に直結しかねない選択をしなければならないか 体制を維持しており、外国との交易は一部に限られ らである。自分は将来どのような仕事に就きたいの ていた。後に幕府側と政府側と対立することになり、か。また、将来自分はどのような人になりたいのか。 開国することになる。私は当時の人々が何を思い、 そのためには、どの企業に就職するのが望ましいの その時代を生きていたのか考えることがある。教科 か。自分自身で、さまざまな情報を取捨選択し、決 書の知識だが、この頃の日本は歴史上の著名人が多 断しなければならない。あらためて自由の責任とい く存在したという印象がある。それほど、歴史が動 うものを強く感じている。 いた時代であり、当時の人々は新たな時代に対し、 今まで、社会に羽ばたいていくためにさまざまな 大きな希望を抱いていたのではないかと思う。当時 出来事を経験し、多くの準備をしてきた。就職活動 の人々のように壮大な考えは持っていないが、就職 を通じて、自分の将来をしっかり認識できるように 活動は、いわば自分にとっての明治維新のようなも 成長し、そして、就職活動と同時に、日々の大学の のであると思っている。アルバイトという一部分で、通常授業やゼミなどを大事にしていくことで、更な 社会と関わっていたのが、社会人になることで社会 る高みへ羽ばたいていきたいと思う。 と全面的に関わることになる。その際に、重要なこ とは大きな変化を求め、挑戦することなのではない □ かと思う。これから社会にでるにあたり、自分が大 「羽ばたく」というテーマを初めに聞いたときに、 きく成長できる場所をもとめ、羽ばたいていきたい。真っ先に思い浮かんだのが、大学を卒業するという ことであった。現在、4年生は、羽ばたきに向かっ □ て卒業論文を執筆している。この卒業論文執筆が、 「羽ばたく」ことは成長することであると考える。 羽ばたきへの準備期間となる。この卒業論文執筆を さまざまな出来事から羽ばたいていくことで、さま 悔いの残らないようにすることで、しっかりと社会 ざまな事柄に触れ、多様な経験を積み、そしていろ 人へ羽ばたくことができるのではないだろうか。こ いろな人との出会い、またいろいろな人との別れを のことから考えてみても、人が羽ばたくためには、 経験することで、人は大きく成長することが出来る 常に準備期間が必要であり、この期間を使って人は と思う。無論、私もさまざまな出来事から羽ばたい 成長することで、しっかりと羽ばたけるのではない てきたことで、大きく成長することが出来たと思う。だろうか。人は常に羽ばたきの前に努力と言う準備 小学校から羽ばたくことで、友達との別れを経験 期間がある。 し、中学校から羽ばたくことで、高校選択する自由 例を使って考えていくと、例えば、中学受験がそ と同時に自分自身の行動の責任の重さを知ること れにあたるだろう。自分は私立の中学校に進学する になった。そして、高校から羽ばたいていくことで、 ために、小学5年生のころから週に三日塾で勉強し 中学生のころ以上に自由が与えられると同時に、中 た。その結果、無事に希望する学校に進学すること 学生のころよりも大きな責任を課されることとな ができた。いま考えると、まさにその受験勉強が私 った。また高校からの羽ばたきは、自分の将来にと 立中学合格という目的、つまり、普通の公立中学校 6 of 23 Essay 「羽ばたく」 ではなく私立中学校に通学するといいう羽ばたき がニューヨークの嵐を引き起こしたり、アマゾンの への準備期間だったのだろうと思う。 蝶の羽ばたきがシカゴの大雨を引き起こしたりと そして現在まさに、「就職活動」という新たな羽 いうように表現されることもある。この言葉は、蝶 ばたきへの準備期間にさしあたっている。卒業への の羽ばたきのような本当に少しの要素の違いが時 羽ばたきで、4年生が行っている卒業論文執筆もあ 間の経過によって拡大していき、最終的にはトルネ げたが、就職活動も、羽ばたきへの努力の時期であ ードあるいは嵐のように大きな結果の差異をもた ろう。この準備期間によって、社会へ羽ばたく時の らすという事を表している。 方向が決定する。今までの人生の中で、誰もが一番 フェーズの移行という一つ目の意味での「羽ばた 自分を見つめなおすという期間になるだろう。就職 き」では、「羽ばたき」は次の局面へ移行すること 活動をすることで、自分がどういう人であるのか、 であり、それ以前に様々な努力や健闘があったこと どういう社会人になるのか、どのように羽ばたきた が予測される。しかし、その「羽ばたき」自身もバ いのかを考えることになる。また、毎日企業に足を タフライエフェクトでいうところの蝶の羽ばたき 運び、面接にのぞむなどといった努力を行うことで、のようなものではないだろうか。「羽ばたき」その 悔いが残らないようにすれば、すっきりとした気持 ものが将来時間を経ると、自身に大きな差をもたら ちで羽ばたくことが出来るだろう。このことをしっ すのだと思えるのである。 かりと忘れないように頑張りたいと思う。 そう考えれば、「今学生という局面から社会人と 今回、このテーマについて考えたことで、人は羽 いう局面へと「羽ばた」かなければならない時にき ばたきに向かうときに努力が必ず伴うと言うこと ている」という趣旨で記したことは間違いだといえ に気づくことが出来た。人は、羽ばたくときに常に る。私は現在も「羽ばたい」ており、過去に羽ばた 壁にぶつかり、努力しなければならない。しかし、 いて得た結果の中にいるのである。私の過去の「羽 努力することで、成長することが出来る。そして、 ばたき」が、今どのような結果として表れているか 成長とともに、羽ばたくことで、また次の羽ばたき を知ることは難しい。なぜなら、私たちは日々の日 に向かうことになるのだろう。 常の中で常に羽ばたき続けており、さらにそれを意 識し続けていないからである。 □ 日常を大きく切り取り学生と社会人、あるいは大 学生である私にとって「羽ばたく」という言葉は、 学3年生と大学4年生のように切り離すことは簡 これまでの現状からの脱却を示唆する文脈で使わ 単であるし、そのように振り返ることも時には必要 れることが多いように思う。「夢に向かって羽ばた だ。しかし、それと同時に私たちが日々しなければ く」「世界に羽ばたく」といった具合である。その ならないことは、目の前の現実に対して精一杯の努 意味で大学3年生の12月を迎え、私たちには「羽 力を重ね、それが将来どんな結果をもたらすのか分 ばたく」ことが求められているし、「羽ばたく」と からなくとも一生懸命に「羽ばたく」ことではない いう事について考え始めなければならない時期が だろうか。 来ていると感じる。長かった学生生活の終わりが見 え始め、社会人としてのフェーズに移行するという □ ことはどのようなことなのだろうか。このような意 2011年も年の暮となりました。今年1年の出来 味での「羽ばたく」には、もう一つ「羽ばたく」か 事を振り返ると、どんなことを想像できるでしょう ら連想された語も関係するのではと考えた。それが、か。三月に起きた東日本大震災を皮切りに、リビア 「バタフライエフェクト」である。 ではカダフィ独裁政権が崩壊し、アメリカの同時多 バタフライエフェクトとは、マサチューセッツ工科 発テロを起こしたアルカイダ指導者のウサマ・ビン 大学に所属していた気象学者エドワード・ローレン ラディンが殺害され、北朝鮮では最高指導者の金正 ツ氏が行った講演のタイトルから作られた言葉で 日が死亡しました。話題はそれだけに尽きることが ある。そのタイトルは「予測可能性-ブラジルでの なく、ウォール街やロンドン、世界各地でデモが起 蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こ き、ミャンマーではアウンサンスーチーが政治活動 すか」というもので、他にも北京での蝶の羽ばたき を参加し、民主化運動の激化が起きました。このよ 7 of 23 Essay 「羽ばたく」 うに、一年を通して、これまでに常識として受け入 □ れていたものがこのようにいろいろな力がかかる 羽ばたくと聞いて頭に思い浮かべたのは、鳥が空に ことで歪み、もともとあった形ではなくなりました。羽ばたく姿である。鶴、白鳥、鷲等々さまざまな鳥 わたしは、2011年は「ゼロ」に戻った年ではな を思い浮かべた。一方で人が羽ばたくと表現する時 いか、と考えています。 には、学校を卒業して社会で羽ばたく、世界に羽ば 一番身近なことを例に取り上げると、東日本大震 たくなどと言う時があると思う。多くの人は義務教 災はこれまでに日本が経験し得なかった危機的な 育を経て、高校、大学と進む。では、現在私は社会 状況に未だにあります。それは東北だけではなく、 で適応し、羽ばたいていける羽を持っているかと現 原子力の利用の仕方について世界が大きく揺れ動 状を考えてみると、まだまだ不十分だと受け止めて いています。様々なスペシャリストがこの度の地震 いる。また、より大きく羽ばたくためには、その前 について、レクチャーをしなくてはならなくなり、 の助走や羽の状態も重要となるであろう。鳥であれ 表舞台に立つきっかけにもなりました。このことで、ば、陸上からなら地面を、水上では水面をどれほど 私たちも一つの事柄に対して、異なる研究の手法が 強く上手く蹴るかが、その後の飛行に影響すると思 あることを、異なる論があることに気付かされるき う。羽に関しては、文献で調べてみたところ、鳥類 っかけとなったはずです。それらの論を抽出し、実 の羽は常日頃の手入れがとても重要であり、羽繕い 際に現場に足を運ぶことで状況を理解すること、自 の際に羽の柔軟性や細菌から羽を守るために分泌 分たちにできることはなんだろうか、と考えるため 液のようなものを塗っているという。それを私に置 の機会を与えられたのです。 き換えてみると、今現在がまさに助走と羽繕いをし 大きな被害を受け、たくさんの人を失い、国土の ている時だと思う。社会に出て十分にやっていける 一部を失った日本ではありますが、失ったものの大 ように、授業を受けたり、課題をこなしたり、新聞 きさ、これまで見向きもしなかったことへの矛盾、 を読んだり、様々なことを体験すること、などがあ 自身でも何かができる、という自信や、世界におけ てはまると考えた。 る日本の位置づけを肌で感じ、得たはずであると思 さらに、ゼミ活動を一年間通して、力強い羽ばた います。これは「ゼロから」スタートする絶好のチ きをするために何をすべきか、が見えてきたように ャンスです。過去からの「羽ばたき」を得るには、 思える。それは、何かをやろうと思っているだけで 過去を知る必要があります。 行動を起こさなかったら意味がなく、結果を恐れず そして、これからの世界で日本が羽ばたく方向を やるということだ。具体的に、自分にとっては、話 定めなくてはなりません。強い者が仕切っていたこ し合いや討論の際の発言をする力や意見を認める れまでではなく、私たち自身で羽ばたく方向を決め 力だと思う。大学の卒業後、社会に出ると今まで以 ることができます。新しいものを受け入れ、明るい 上に様々な方と接するようになるだろう。その中で 未来のために一人一人が手を取り合う社会を目指 人と仕事をしていく上で大事なことは、相手の主張 す必要があります。わたし自身は、就職活動が始ま を認め、その上で自分の意見、考えを上手く発信す り、わたしらしく、わたしの長所を社会のために活 るというような聞く力や話す力、だと私は考える。 かすにはどういった職業が適しているのか、と悩ん 現在自分には足りないものは他にも数多くあるが、 でいる最中です。就職活動では、わたしの周りにい やはりコミュニケーション力は欠かせないものだ る人を素直に受け入れ、話を聞き、相手の目を見て、 と思う。それを培うような場は、普段の会話以外に 思いやりを持つことを最重要と考えています。常に、はあまり無く、幸いにも大学でこのゼミに入れたこ まずは相手の話を聞きいれ、提案型で話すことを心 とでこんなに沢山の機会に恵まれた。しかしそれに がけたいと考えています。相手の話を聞くことで、 もかかわらず、この一年は多くの機会を有効に活用 みんなの長所が結び付けられるし、提案型で話すこ できていなかったと反省している。この環境を無駄 とで高みを目指せると考えているからです。わたし にはしたくないと本当に強く思う。勿論、話す、聞 は一人では羽ばたくことができません。大きな「羽 く力だけでなく、その他の能力も高めていきたい。 ばたき」のための大きな翼づくりをこれからしたい 今は鳥のように羽繕いをし、羽ばたくための準備 と考えています。 をする期間だと感じている。どんな環境や雨風にも 8 of 23 Essay 「羽ばたく」 耐えうる頑丈な羽を持ち、そして力強く大地を蹴っ て飛び立てるように、今の気持ちを忘れず日々努力 していきたい。 なように思われるかもしれないが、やはり大切なこ とだと私は思う。これまでは周りに頼ってばかりで 楽な道を選んできたが、これからはもっと色々なこ とに挑戦して成長していきたいと思う。 □ 「自分を変えること」そして「失敗を恐れず挑戦 「羽ばたく」という言葉を聞いた時、多くの人は すること」。この二つは、大がかりなことをする必 どんなことをイメージするだろうか?私の場合は 要はない。毎日の小さな努力の積み重ねで達成する 「未来へ羽ばたく」、 「世界へ羽ばたく」という言葉 ことができるものだ。私はこの二つの方法で「羽ば をイメージした。どちらにしてもとても大げさで、 たく」ということを成し遂げたいと思う。 大がかりな何かを成し遂げなければならないよう に思われる。そして、多くの人も私と同じようなイ □ メージを持っているのではないだろうか?例えば、 「羽ばたく」という言葉には2つの意味がある。 「鳥 子どものときからの夢を叶えたり、世界で活躍でき などが両翼を広げて上下に動かす」という意味と るような人物になったりするなど、誰の目から見て 「人が広い社会に出て行く」という意味である。 も明らかな成功を収めることが、「羽ばたく」とい 1つ目の意味を考えたとき私の頭に浮かぶのは、 う言葉にはふさわしいように思われる。 大きな鳥が立派な翼を広げて青空の中を悠々と飛 ところが、そのような成功を収めることは、人生 び回っている姿。2つ目の意味から思い浮かぶのは、 で一度できるかどうかという非常に稀なことであ 新入社員が真っ新なスーツと を身に付けて生き る。しかし、私は「羽ばたく」ためのチャンスはも 生きと会社に向かう様子。どちらも「羽ばたく」と っと身近なところにもあるのではないかと思う。そ いう言葉がぴったりなイメージである。 こで今回私が考えた身近な「羽ばたく」は「自分を しかし、人が社会に出て行くというのは、就職し 変えること」である。今の自分を変えて新しい自分 て働き出すこの1回だけなのだろうか。私はそうで になること、これも十分「羽ばたく」ことなのでは はないように思う。なぜなら、「社会」という言葉 ないかと私は思う。例えば私の場合、昔から変えた が指す場所は人によって違うだろうし、その時によ いと思っていた自分の性格である、人見知りや積極 って変わると考えるからである。たとえば、大学生 性のなさ、ネガティブな考え方などを変えることで にとっては会社に入ることが「社会に出る」ことか 「羽ばたく」ことができるのではないかと思う。私 もしれないが、小学生にとっては中学生になること は小さいときから周りから「やればできるのだから が「社会に出る」ことかもしれない。会社に入って もっと積極的になった方がいい」と言われ続け、最 からも、昇格すればそれが新たな「羽ばたく」かも 近は正直うんざりしていた。それは、変わらなけれ しれないし、退職が「羽ばたく」ことだと考える人 ばいけないということは自分が一番良く分かって もいるかもしれない。そう考えると、一番近い未来 いる事であり、また、分かっていてもなかなかでき に自分が置かれる、より広い集団や環境が「社会」 ないことでもあるからである。しかし、今回「羽ば だと言うこともできる。一番大きな「羽ばたく」は たく」ということについて考えながらこれまでの自 「就職」かもしれないが、人生にはたくさんの「羽 分を振り返ってみると、ゼミに入ったばかりだった ばたく」ステージがあると私は考える。また、「羽 ころに比べて「変わりたい!」という意識はだんだ ばたく」という言葉には文字にはされないプラスの ん薄れていたように思う。そして本当にうんざりし イメージがあるように思う。そのため、 「羽ばたく」 ているのは、周りからの言葉に対してではなく、変 ステージはもっと細かく考えることもできる。たと わることのできない自分に対してだということに えば、試験に合格したり資格を取ったりすることも も気がついた。そこで私は、 「自分を変える」=「羽 「羽ばたく」の1つだし、小さな目標を達成するこ ばたく」ために、これからは意識を高く持ち直して とも「羽ばたく」の1つである。このように、人は 努力していこうと思う。そして、もう一つ私が考え 色々な場面で羽ばたき、もしくは羽ばたく練習をし、 た「羽ばたく」ための方法は、失敗を恐れないで色々 常により大きく羽ばたく準備をしているのかもし なことに挑戦するということだ。これはありきたり れない。 9 of 23 Essay 「羽ばたく」 私の次のステージは「留学」である。青空の中を 悠々と、とはいかないと思うが、自分なりの羽ばた きをして、成長して帰って来たい。 □ 「羽ばたく」という表現は単なる記号ではなくて、 メタファーである。人は、抽象的で説明の難しい概 念を示そうとする際、まったく新しい言葉を作るよ □ りは「例え」を使うのが常だ。では、「羽ばたく」 朝六時十分、アルバイト先に向かうために僕は自転 という鳥の動作を指す表現を借りてきたとき、人は 車を漕ぎはじめる。何気なしに空を見上げると、い そこにどんな思いを託したのだろうか。 「羽ばたく」 つも冷え冷えた空気のなか、鳥が羽ばたいている。 という言葉の持つ意味を、鳥の羽ばたきから探って 僕は、生まれ変わったら鳥になりたい。僕は今でも みると、普段普通に使う意味以上の含意があるよう 鳥のように空へと羽ばたくとこが一つの夢である。 に感じられる。 鳥にはなることはできないし、高所は得意なほうで 突然だが、鳥が全力で羽ばたいた直後の心音を聞 はないけれど、自由に、何も考えずに飛んでみたい。 いたことはあるだろうか。ドクドクドクドクと、こ それはなぜなのか、まず初めに考えてみようと思う。ちらが不安になるほど強く速い鼓動が続く。もとも 一に、まだ見知らぬ場所へと行ってみたいのだ。 と小動物自体の心拍数が高いのもあるが、それ以上 遠くへと行き、見たことのない場所へと自らの力で に羽ばたき飛行運動が身体にかける負荷の大きさ 飛んで行きたいのだ。二に、逃げたい時にすぐに逃 を示している。例えば、一部の渡り鳥などは、いた げたい。翼があればそれができる。嫌なことなど全 ずらに羽ばたきの回数を増やしてしまえば力尽き て忘れて、飛んでいってしまいたい時が無いと言っ て海に落ちるほかない。雁などが V 字編隊を組む たら嘘になる。三に、空を飛ぶ気分を味わってみた のもそのためだ。また、周知のように、鳥類の中に い。風吹く日でも、雨降る日でも、鳥が空にいない は「飛ぶ」という行為があまりにも生体的な負担と 日はない。晴れの日の飛行はどんなに気持ち良いの なるがために、あえて「飛ばない」という道を選ん だろうか。しかし、僕は翼を使って空を飛べない。 だ種も多い。要するに、一見優雅に思える鳥の飛翔 鳥のように自らの力で空へと羽ばたくことは、おそ の背景には、地味で単調かつ、つらくしんどい羽ば らく一生できないのだろう。鳥が自転車を漕ぐこと たきという実態がある。別に、ヒナの巣立ちという ができないことと同様に、人間は空へと羽ばたくこ 一世一代の瞬間に限った話でもない。多かれ少なか とはできないのだ。 れ、鳥が飛ぼうとするときには必ず必要な努力だ。 東日本大震災が起こったとき、鳥は何を思ったの これは人間にもあてはまる。というよりも、あて だろうか。車や人間が濁流に飲み込まれ、いつもあ はめて内省することが求められる。自分は「羽ばた る止まり木も、いつも止まっていた電線も海へと流 く」という言葉の、ただ華やかな側面ばかりを捉え されてしまった。今まで見ていた風景がなくなり、 がちなのではないか。大空を自由に舞う鳥の姿を勝 悲しんだかもしれない。しかし、その一方で「飛べ 手に夢想するだけで、「羽ばたく」ことのつらさや ばいいのに」と思ったかもしれない。飛んで逃げれ 大変さを引き受ける覚悟があるのか。……言わんと ばいいのに、と。しかし、人間にはできなかった。 するところをもっとストレートな言葉に換えるな 飛ぶこともできないし、逃げることもままならなか ら、すなわち、私たちはもっと実直に努力を積み重 った。人間は走り、ただ呆然と変わり果てる景色を ねる必要がある、ということだ。 見ることしかできなかった。 「羽」という字で構成される漢字の一つに「習」 今日も空を見上げれば、鳥がどこかへ向かっている。がある。その成り立ちには諸説あるが、なんにせよ 駅に行けば鳩が電車から逃げている。気持ち良さそ その意味は、 「行為を何度も繰り返し継続すること」 うに、僕を見下ろして悠々と飛んでいる。僕も空を である。これは、「習性」「習練」「習慣」などの用 飛びたい。いつでもどこでも嫌なことがあったら、 法からも推察できるだろう。そして、学習や練習、 青空の中、羽ばたいて見知らぬ場所へと飛んで行き 習得や習熟といった言葉と「継続」。この、言葉の たい。しかし、僕は人間なのだ。逃げることはでき 関係性が持つ意味についてじっくりと考え、受け止 ない。ただ、前を見て進むのみないのだ。 める必要があるのではないだろうか。 10 of 23 Essay 「羽ばたく」 □ 私たち大学生には多くの「羽ばたく」機会があり、 「羽ばたく」と聞いて人それぞれ想像するものがあ それを活用するのもその人の意思に委ねられる。こ ると思う。ひな鳥が親のもとから飛び立つさま、学 れは強制ではないので、できる人とできない人がい 校の卒業式、就職、一人暮らしなど様々だ。今まで る。そして、活用した人としていない人とでは経験 拠り所 としてきたところから離れ、新しい場所や の差が大きいものだ。就職のために経験しろという 境遇に置かれることを「羽ばたく」と言うのだろう。 のではなく、様々な経験を経て人生を楽しむべきで 鳥の場合、羽ばたくのは親のもとからひな鳥が飛び はないだろうか。みすみす身の回りにある「羽ばた 立つ時の一度だけである。しかし、人間の場合は何 く」ための機会を逃すのは惜しい。うまく活用し、 度も羽ばたく機会があり、成長していくものである。大学生活を素晴らしいものにしていきたい。そのよ それだけ人間の成長には時間がかかり、複雑なもの うなことをこの「羽ばたく」から連想しました。 である。 私はこの「羽ばたく」という言葉を聞いたときに □ 一つの新聞記事を思い出した。それは「日本人大学 「羽ばたく」時は、割と私たちが気づかないところ 生で留学する人は全体の 2%」という記事だ。朝日 で日常的に行われているのではないか。羽ばたくと 新聞の一面に掲載されていたので、この記事を見た いう言葉をどう捉えるかは人それぞれ違うが、私は 人は多いだろう。みんなはどういう感想をもっただ 「羽ばたく」という言葉を「過去の自分からの変化」 ろうか。世間では「グローバル化」や「グローバル と捉えている。過去といっても一年前、一か月前、 人材」などよく聞くが、実際に世界へと羽ばたこう 一週間前等、期間には長いもの短いものさまざまだ とする者は少ないようである。確かに日本は今まで が、私にとってはたった一分前の自分であっても過 内需で賄ってきた国であり、留学や英語などの多言 去の自分である。その過去の自分から一つでも何か 語を習得せずとも就職に困ることはなかった。しか これから向かっていく先に前進することができた し、世界は凄まじい勢いで変化しており、日本もこ なら、それは過去の自分から羽ばたいていると考え の影響を受けている。実際に企業の動きは海外投資、ている。 多国籍間の人材登用に力を入れ始めている。日本の 「羽ばたく」という言葉をこう捉えることで、 「羽 企業も世界へと「羽ばたいている」といえる。この ばたく」時は特別な非日常的なものではなく、日常 2%という数字は非常に衝撃的だった。世界の流れ 的なものであると気づくことができた。また、この はグローバル化であるにもかかわらず、国内では留 気づきと同時に私にもこの一年で「羽ばたく」時は 学しようと思う者は少ない。しかし、これはもった いくつもあったのだと実感している。そして、毎週 いないことである。最初にも述べたように、人間は 行われるゼミはこの一年間での「羽ばたく」時の大 何度も「羽ばたく」を経験して成長していくもので 部分を占めており、私にとってゼミ活動は羽ばたき ある。自分を全く新しい環境に置くからこそ今まで を積み重ねる場になっている。 できなかった経験ができ、成長できると私は思って しかし、今年の一年、私はこの羽ばたきを認める いる。その機会を少なくしてしまうのはもったいな ことができなかった。羽ばたいた自分がこんなもの いことである。もちろん、「羽ばたく」ことの決定 でいいのか、と考えさせられることが多かった。過 は自分で行うことである。他人から強制的に与えら 去の自分から変わっていくことに、かつ大幅に変化 れるものではなく、自主的に行動する必要がある。 していくことに固執しすぎていたのかもしれない。 それは勇気を伴うものでもあるから、なかなか新し 新たな視点から自分を見つめなおすためにも、「羽 い環境に身を置くことを多くの人間は好まない。だ ばたく」こと、そしてその結果である自分を少しは が、人間が成長できる時は新しい環境が必要である。認めていくことが、私には必要である。そして、向 人間は環境の動物である。多くの人が佐藤ゼミを選 上心を維持するためにも私は羽ばたかなければな んだのも佐藤ゼミという環境を求めたからではな らない。 いだろうか?多くの 4 年生がレクチャーシリーズ でそのような発言をしていたのだから、そうであろ □ う。私たちは自分が成長できる環境を求めている。 「羽ばたく」をテーマとして与えられた時に思いつ 11 of 23 Essay 「羽ばたく」 いたのは、鳥が羽を使って空を飛ぶことであり、 「羽 ばたく」ことができるのは羽を持つ鳥だけだと思っ ていた。しかし、辞書で「羽ばたく」を調べてみる と未来にはばたく若人とある。自分たちの夢へ向か うことと解釈すると、これは私たちにも「羽ばたく」 ことができる意味がこめられていると考える。確か に実際に「羽ばたく」ことができるのは、羽がつい ている鳥だけだ。しかし、私たちには羽ばたこうと する気持ちがあれば誰にでも羽ばたくことはでき、 誰にだって「羽ばたく」ための羽を持っているので はないかと考える。 しかし、私はその羽の開き方が分からなく、羽を 広げても折れてしまうのではないか、羽を広げても 飛ばないのではないかと不安で一向に「羽ばたく」 ことができない。自分の過去を振り返ってみても、 何かの夢に向かって挑戦しようとしても失敗を恐 れてしまい、あと一歩が踏み出せないことが多くあ る。そのため「羽ばたく」ことを何度も断念してし まっていた。だが、私はもう社会の一員であり不安 なだけで何かに挑戦しないというのは言っていら れなくなってしまった。この不安要素を取り除くに はどのようにしたらよいのか。 それは、自分の羽をいかにして羽ばたかせようと するのかを考える、つまり自分の努力が必要となっ てくるのではないかと考える。失敗を恐れてしまう ということは、準備をきちんとしていないから恐れ てしまうのである。確かに、今までの自分を振り返 ってみると叶えたい夢は多く思い浮かべることは でき、その夢に向かって努力はしようとする。しか し、どの努力も数日でやめてしまい中途半端に終わ らせてしまうことが何度もある。そのため、何個も の夢を諦めてしまい、夢を実現させることができた のは数えられるほどしかない。中途半端に終わらせ てしまう理由は、おそらく努力をするということが 好きでないからであるのと、努力をして夢を実現さ せるよりも、思い立ったらそのときに夢を実現させ たがるからである。実現させることできた夢を多く するためにも、努力は決して格好悪いものと思うで はなく、むしろ努力したということは何よりも自分 にとって誇れるものだと考えるのが、今の私にとっ て大事なことだと思う。夢に向かって羽ばたこうと するのにも努力が大切なのだということを忘れな いようにしたい。 どんなに努力をしたって夢を叶えることができ ないことがあるかもしれない。思うように自分自身 の羽が動かなくて、夢へと向かうまでに大きな壁に ぶつかってしまうかもしれない。しかし、努力した ことが自分自身を成長させる糧であり、夢が実現し なくても決して無駄であったと思わないようにし たい。また、どんなに大きな壁にぶつかっても、そ れを突き抜けることができるように自分自身の羽 を努力で強化していきたい。どんな夢へも不安をお それないで一歩を踏み出し、自分の羽は必ず飛ぶこ とができると信じて羽ばたいていきたい。 □ 羽ばたく、それは鳥が翼を持って空に飛び立つさま。 今まさに飛び立とうとしている、ヒナ鳥の羽ばたき を想像してみよう。これから未知なる世界(空)へ と、新たな一歩を踏み出そうとしている。翼(持っ て与えられたもの)を使って、羽ばたくことを親鳥 に教わり、今まで経験したことのないこと(羽ばた き)を、今まさにしようとしている。そして、未知 なる世界へと羽ばたく。最初はうまく羽ばたき、飛 ぶことはできないかもしれない。翼を上手に使うこ ともできないかもしれない。しかし、親鳥から教わ ったことと、ヒナ鳥の努力で、周りの鳥たちと同じ ように、羽ばたき未知なる世界へ順応していく。周 りの鳥たちと同じように、新たな世界へ仲間入りを 果たす。ヒナ鳥にとって未知なる世界は新たな世界 となった。これから、自分自身で生きていくことを 必要とされる。これからどのようにしていくかは、 すべてヒナ鳥次第である。そして、ヒナ鳥はまた親 鳥へと変わっていく。 類語辞典によれば、人間に対してこの羽ばたくと いう言葉を使うとすると、新生活・未知なる世界へ 出発する、船出する、スタートするという意味があ る。そして、今の私はヒナ鳥であると考えた。親鳥 (両親・学校・これまでの経験など)から、羽ばた くことを教わり、これから未知なる世界(社会)へ 羽ばたこうとしている。今、その羽ばたきの準備期 間である、親鳥に教わる時期におかれている。この 時期に親鳥から何を吸収するか、それをどのように して努力して自分のものとするか、すべては自分次 第である。羽ばたくも羽ばたかないも己の自由であ って、未知なる世界へ順応するか否かも己で決める ことができる。しかし、持って与えられたものがあ るのにもかかわらず、羽ばたかないヒナ鳥は居るだ 12 of 23 Essay 「羽ばたく」 ろうか。最終的には、親鳥から学んだことを活かす も潰すもヒナ鳥自身である。 一方、いまの私は親鳥でもあると考える。新ゼミ 生を迎えこれから、ヒナ鳥を導いていく立場にもあ る。ヒナ鳥が、未知なる世界へうまく羽ばたくこと ができるようにも、親鳥として、立派でなければな らない。普通の鳥では成り得ない、ヒナ鳥でもあり 親鳥でもあるこの立場をどう生活していくか。これ までのゼミ生活で、親鳥から学んだ経験を活かし、 立派な親鳥になりたい。 ばすぐに羽ばたくことができる。私は、この「羽ば たく」ということ自体が私たちにとって非常に大切 なことであると考える。何か目標を決め、それに向 かって羽ばたく。今までに身につけたものや日々の 努力を力にして飛び続ける。飛んでいる間にも新た な力をつける。そして目標を達成する。このような 流れで羽ばたいてから目標を達成するに至るわけ だが、そこで終わってはいけない。重要なのは、目 標を達成してもそこからさらに上を目指して新た な目標を見つけ、同じように羽ばたくことである。 何度もそれを繰り返すことである。そうするうちに 自分の羽ばたき方を見つけることもできる。もちろ ん、最初だけ張り切って羽ばたいておいて、その後 の努力を怠るのではあまり意味がない。しかし、目 標は大きいものでなく少し努力すれば達成できそ うなものでも良いのである。どんなに小さな目標で あっても、それを持ち続け達成しようとすることに よって人は成長し続けることができると思う。人は 生きていくうえで、目標を持ち続け羽ばたき続ける ことが大切なのである。 □ 「羽ばたく」という言葉を聞き、まず鳥が羽を広げ 飛び立つ様子が浮かんだ。鳥たちにとって羽をばた ばたと動かすのはごく普通のことで、窓から外を見 ればその様子は簡単に目にすることができる。この ように「羽ばたく」は主に鳥の動作を表す言葉であ るが、新たな場所や広い世界への出発を表す言葉と してもよく使われる。では、人間が「羽ばたく」の はどのような時なのだろうか。大学生であれば卒業 して社会に出ていく時なのか、家庭であれば全く知 らない土地に引っ越していく時なのか、企業であれ □ ば日本を飛び出して海外に進出する時なのか。これ 「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起 らはどれも正しいと思う。しかし、「羽ばたく」時 こる。」 は新たな場所や広い世界に向かう時のことだけを この言葉を耳にしたことがあるだろうか。これは 指すわけではない。 1972 年、アメリカの気象学者エドワード・ローレ 私が思う「羽ばたく」時は、ある目標に向かって進 ンツがアメリカ科学振興協会で行った講演のタイ み始めた瞬間である。人はそれぞれ大小様々な目標 トルに由来する。 バタフライ効果 というもので、 を持っているだろう。目標を持つからには達成する 通常ならば気に留めることもないような極めて小 ために何らかの努力をする必要があるが、その目標 さな差が、結果として無視することのできない大き に向かって気持ちや体が動き出した時が「羽ばたく」な差となることを意味する。本来はポジティブな意 時なのだと私は思う。また、「羽ばたく」タイミン 味ではあまり使わることのないこの言葉を、私は グが同じでも目標とするゴールが違うため、その過 塵も積もれば山となる という に当てはめてみ 程で飛ぶスピードや進むルートはそれぞれ違うよ た。 うになる。つまり、人それぞれ違った羽ばたき方が 今の私が仮に小さな行動を起こしたとしても、他 あるということである。これらのことから、「羽ば 国の知りもしないような誰かに何か大きな影響を たく」は決して大きな出来事や節目を表すのではな 与えることができるとは到底思えない。しかし、私 く、日常的によく私たちがしていることを表す言葉 はいずれそのような人間になりたいと思っている。 であると考える。そういう意味で、私は今までに何 世間でもそのような人物は存在すると思う。どこか 度も羽ばたいたことがあるし、ほとんどの人が同様 の経済学者が何気なくつぶやいた一言が経済学の であると思う。さらに言えば新たに羽ばたき始めた スローガンとなるようなこともあるし、発明家だっ ところでもあり、飛んでいる最中でもあり、もっと てたった一本の鉛筆が卓上を転がる様を見て、その 羽ばたきたいと思っているところでもある。 物体の摩擦を研究しプリンターというものを発明 人は、目標とそれを達成しようとする意志があれ した。偉人や天才でなくとも小さな人間の羽ばたき 13 of 23 Essay 「羽ばたく」 が大きな結果に結び付けることはできるのだろう か。私の答えは YES であり、私でなくとも誰でも できると考える。例えば募金や援助、支援を行うこ とだって蝶のように一羽の羽ばたきが大きな差へ と変えていくことにつながるだろう。 一日10 0円の募金をすることで何人のアフリカの子供に HIV のワクチンを接種させることができるだろう か。地球規模から見れば私は70億人の人口のうち のたった一人にしかすぎず小さな存在である。しか しこんな極小の存在が人助けだってできるのであ る。今年起こった震災で節電意識が国民の間で広ま っている。その中で、たった一時間 TV を見る時間 をやめる、エアコンの温度を1℃高低する、そんな 単純な小さな行動を始めることに意味があるのだ。 羽ばたくとは言い換えれば出発するという言葉 に変換される。その出発がいつから始まるのか、い つするべきなのか、これもまた様々である。しかし 羽ばたくこと、出発することは誰でもいつでもでき るのではないかと私は考える。先ほど例に挙げた募 金であっても、節電であっても基本的にはどこにい ても誰でもできる行動なのである。 私たちの身の回りには小さい存在かどうかは関 係なく、いつだって羽ばたくチャンスが転がってい る。確かに蝶のように私たちは地球、または宇宙か ら見れば本当に小さな存在である。しかし蝶の羽ば たきが嵐を誘うように、私たち人間一人の些細な行 い、小さな羽ばたきこそが積もり積もって大きな結 果に結び付くだろう。 様な人の価値観に触れることでひとつの物事を多 角的に見ようとする考え方を持つようになったし、 人に自分の考えを伝えることの難しさ、どうしたら 伝わるのかを考えて話せるようにもなった。このよ うに、「羽ばたく」ということは、同時に自分をよ り成長させる機会でもあると思う。 バタフライ効果の話に戻るが、今の佐藤ゼミ生で ある私があるのは、ほんのささいな思いや出来事の 積み重ねがあったからかもしれない。今の環境を変 えたい、今とはまったく違った環境に入っていきた いという漠然とした思いがあったから、今の私があ るのかもしれない。ゼミ見学で、緊張感を持ちなが らも、どこか楽しそうな先輩たちの姿を見たからか もしれない。だがそれは、私自身が意思を持ち、行 動することで起こりえた結果である。私が行う行為 は、その一つ一つは些細なことであっても、それは やがて大きな意味をもつと思っている。大切なのは 未来の自分のために、今の自分が何をすべきかを考 え、着実に行動していくことだと思う。全ては「蝶 の羽ばたき」から始まる。そしてゆっくりと羽ばた いてこそ、より遠くまで飛ぶことが出来る。「後輩 から先輩になる」というひとつの節目を迎えた今、 次のステップに羽ばたくためにやるべきことをし ていきたい。私にとっての「羽ばたく」とは、今を 変えることである。 □ 普段、私たちはいつ「羽ばたく」という言葉を使う だろうか。グローバル化が進む現代、「世界に羽ば □ たく」なんてかっこいい使われ方もする。しかし、 「ある場所での蝶の羽ばたきが、遠くはなれた場所 一方でもっと根源的に「鳥が羽ばたく」と言ったり の天候に影響を及ぼす。」これはバタフライ効果と もする。わたしは、この「羽ばたく」から得た一つ いう現象を表した比喩である。つまりバタフライ効 の教訓について述べたい。 果とは、どんなにささいな要素の組み合わせでも、 まずは、その教訓を考える上で大切ないくつかの 未来に大きな影響を与える可能性があるというこ 疑問点について考察する。一つ目は、そもそもなぜ とだ。 鳥は飛ぶのだろうかということである。これには諸 話は少し変わるが、「羽ばたく」という言葉は、 説あるが、あらゆる研究成果に共通する理由が一つ 人生の節目でよく目にする。卒業、進学、就職など、 だけある。それは「必要性」である。「そんなこと 共通して言えることは、新たな環境へ移行する時期 は当たり前だろう」と言われるかもしれない。しか ということだ。「羽ばたく」ということは、新たな し、飛ぶ必要性がなく、飛ばない鳥もまた、存在し スタート・次のステップに進むことを表していると ていることを忘れてはならない。そして、そのもの いえる。この佐藤ゼミに入ったことも、新たな「羽 たちは代わりとなる力を得ているのである。例えば、 ばたき」であったと思う。そしてこの「羽ばたき」 ダチョウは飛ぶことを捨てた代わりに時速 70km を通じて、私は様々なものを得ることが出来た。多 で走る力を手に入れた。また、ペンギンは飛ぶこと 14 of 23 Essay 「羽ばたく」 を捨てた代わりに海の中を自由に泳ぐ力を手に入 備の段階で決まる』らしい。それほど準備は大切な れた。どちらもただ飛ぶことを考えていては決して のだ。いつ訪れるかも分からない人生の選択のため 手に入れることがなかった力だ。彼らは、進化の過 に日々の準備を怠らないことだ。 程の中で必要性を選ぶことによって、間接的に「可 こんなことを考えながら、わたしはゼミ活動の一 能性の選択」を行っていたのだ。 つ一つの課題を将来のビジョンをもって意味ある 鳥が飛ぶ理由が必要性にあることがわかったと ものにできるように計画的に取り組んでいこうと ころで、次はなぜ鳥は飛べるのかについて考えてみ 決意した。 たい。同じく空を飛ぶものとして、人間がつくった 飛行機があるが、実はなぜ飛行機が空を飛べるのか □ という理由は物理学的にはわかっていない。しかし、 羽ばたく という言葉から連想するものは何でし 鳥が空を飛べるのには明確な理由がある。それは、 ょうか。個人的にはプラスのイメージが強いです。 大まかに言ってしまえば、「準備」がしっかりして 鳥が羽ばたく、といったそのままの言葉の意味とし いるからである。それは例えば、翼が揚力や推力を て使ったり、自由な世界に羽ばたく、といった比喩 生み出すように進化させたり、少ないエネルギーで 的な使い方をする時もあります。また鳥の羽ばたく 飛べるように体を軽くしたり、長く飛べるように筋 様はしばしば人々の憧れの対象となりました。その 力をつけたりといったことである。これらの準備が 例が鳥人間コンテストというもので、翼を真似した 鳥の飛ぶ(または羽ばたく)という行為を支えてい もので人が鳥のように羽ばたいて高い所から飛ん るのである。 でみせるというようなものです。 羽ばたく という これまで鳥が羽ばたくことについて考える中で 事の与えてくれる力強いイメージは何なのでしょ 得られた「必要性」 「可能性の選択」 「準備」といっ う。 たキーワードを私たちの日常生活まで押し広げて この漠然としたイメージから思い浮かんだ事が 考えると、一つの教訓が考えられる。私たちは普段、 あります。それは現時点の自分、つまり大学一年生 様々な必要性の中に身を置いている。しかし、その になり新しい環境に身を置き始めた自分は 羽ばた 多くは気づけないまま通り過ぎてしまう。気づけた いている ということです。経済学部に入り、難し としても、その必要性に応えることはなかなか難し い用語に囲まれ、先に何が起こるかわからないよう い。だが、難しいからといって私たちはその必要性 な状況でとりあえず羽ばたいているといった感じ を無きものとしてはならない。なぜなら、誰もが経 です。 羽ばたき の度合いは人によって様々で、同 験したことがあるように、「やれと言われたからこ じ大学一年生でもすでに定まった目標に向けて一 そできる」ということが人生の中には多く存在する 心に羽ばたいていたり、怠けて何もせず羽ばたく事 からだ。そして、たとえそれが強制されたことだと を休憩している人もいます。私の場合、 羽ばたき しても、やりきった後には必ず自分は前の自分より の度合いは とりあえず飛んでいるだけ といった 進化している。つまり、必要性は進化の種なのだ。 感じです。どこかで休憩して羽を休めて、他の一年 だから私たちは生活する中で必要性に注視しなけ 生に劣等感を感じたくはないし、かといって明確な ればならない。そしてどの必要性を選ぶのかという 将来の目標もなく、どの方向へ一直線に飛んで行こ 選択も大切にしなければならない。なぜなら、それ うか迷っている状態です。本当ならキッパリと方向 は鳥が空を飛べるようになることを選んだように、 を決めて一直線に進みたい。しかしその先にあるリ 自分がどうなるのか、どう変わるのかを決める「可 スクを恐れてより安全な、より楽な方向を探してい 能性の選択」に他ならないからだ。人生はそのよう るというような現状です。 な選択の連続だとも言えるだろう。しかし、単に選 羽ばたく ということは勇気が必要です。それま 択したからといって、それが為せるとは限らない。 で覗き込むだけであった世界、興味はあるのだけれ むしろ、為せないことの方が多いだろう。そこで、 ど踏み出せない、あるいはそこに突入するのが怖い その人生の選択を成功させるか否かということは といった世界に初めて自分の力で飛び込んでいく。 「準備」にかかっている。ソフトバンクの代表取締 しかしこのリスクを飛び越えた後の自身感、達成感 役の孫正義氏によると『事業が成功するか否かは準 というものは必ずや自分の糧になるもので、また次 15 of 23 Essay 「羽ばたく」 の 羽ばたき へのステップになります。この 羽ば たく 事へ対する行動力が自分に欠けているものだ と思います。例え行動に移して、失敗に繋がってし まったのなら、次の方向を模索すればいいのです。 また時には休憩も必要だと思います。 そして大事な事はひな鳥が親鳥から飛び方を学 ぶように、他の人の飛び方を学ぶという事です。飛 ぶという一連の動作には色々な細かい要素がちり ばめられているもので、その小さい差の積み重ねが 羽ばたく という動作の効率性に繋がります。同じ 距離を飛ぶにしても、労力、時間は違うもので、よ り効率の良い飛び方を学ぶという事は成功に繋が るし、空く時間も増えることになります。私から見 た、上手に羽ばたいている人は誰なのでしょうか。 まずはそれを判断してその人の行動を真似してみ たいと思います。きっと羽ばたき方のヒントを発見 できると思います。 私は今大学生という身分に置かれていますが、こ こまで成長するのにも数々の 羽ばたき を経験し てきました。今何かに向けて羽ばたいているとした ら、それはこれまでの人生で最新の 羽ばたき であ り、それまでの人生の中の数々の 羽ばたき の中か ら良かった点、悪い点などを学んだ上で羽ばたける という事です。私に今求められている事は、大学生 という限りない可能性を持った身分で、自分の 羽 ばたく 方向を定める事です。例えその 羽ばたき ががむしゃらで、綺麗でないとしても、様々な困難 にぶつかろうとしても、 羽ばたく ことに意味があ る、私はそう思います。 に立候補する勇気など私には持っていなかった。そ んな調子で小学生を過ごしていた。中学生になって も寡黙なままで志望校をめざして、ひたすら勉強し 成績を上げていた。いわゆる「マジメ」である。 「中 学時代の自分が好きか?」と聞かれたら「嫌い」と 答えるだろう。大学生の今よりも成績が良く優秀で あったが一言で言えば「おもしろくない」のである。 先生から「委員長やらないか?」と言われても頑に 断っていた。小学生の頃と唯一違っていたのは卓球 という趣味を持ち熱中していたことだ。そして、志 望校であった法政二高に入学した。私は特に入りた い部活もなかったが、入学式の時、生徒会長のスピ ーチのレベルの高さに驚いた。その衝撃から生徒会 に入ることを決意した。それからが苦痛の日々であ った。毎日、生徒に配る書類の印刷や生徒の前で話 したりすることがとても嫌だった。しかし、生徒会 に入った結果、人前で話すことが出来るようになっ た。自分の考えや想いを他人に伝えることが出来る と、今まで嫌いだった自分が少しずつ好きになって いった。高校 2 年生の時にコブクロやゆずに憧れて ギターを弾き始めた。「路上」というステージをめ ざし、友達の前で歌ったり公園で歌ったりした。小 学生の頃では考えられない話である。ギターに熱中 して成績はどんどん下がったり、寒い日に歌い風邪 をひいたり、誰も私の歌を聴いてくれない日々が続 いたが、それでも私は今の私が好きだ。目に見える ものは何もないけれど、時に優しい声を掛けてくれ る路上。街の雑踏の中、大声で歌える。何もかもが 「おもしろい」のである。 私の 19 年間の歩みを振り返って「羽ばたく」と □ いう瞬間はいつだったのだろうか?私は高校生の 私の 19 年間を振り返ったら「羽ばたく」という瞬 時に生徒会へ入ったことだと思う。小学生から中学 間はいつだったのだろうか?そんなことを考えな 生まで「嫌い」だった自分を変えたのは生徒会での がら自分の 19 年間の足跡を ってみた。 経験である。その経験が路上への「掛け橋」となっ 私は幼い頃、目立つのがとても嫌いだった。今、 ている。そして、路上が佐藤ゼミへの「掛け橋」と 路上で歌っていることが信じられないくらいであ なった。おそらく、佐藤ゼミが未来の自分への「掛 る。人前で話したりするのが、とても怖かったのを け橋」となるだろう。たった一つの「羽ばたく」が、 覚えている。スポーツも出来なく寡黙で地味な子ど ここまで自分を変えてくれたのである。私のこれか もだった。小学生の頃、習い事はしていなく毎日、 らの人生で後、何回「羽ばたく」のだろうか?楽し 友達とサッカーをして遊び、勉強も授業を受動的に みである。 受けていた。テレビゲームばかりしていて特に自分 の趣味という趣味を持っていなかった。なので、ク □ ラスの中でスポーツが出来たり、委員長などをやっ 「羽ばたく」は、私が小学校、中学校、高校と、卒 ている友達がとても羨ましかった。しかし、委員長 業式で必ずと言っていいほど耳にしてきた言葉だ 16 of 23 Essay 「羽ばたく」 が、卒業式の長い祝辞中の決まり文句のようになっ 自分を磨くかが一番重要になってくると思う。 ていたので、今まで聞き流していた。また、私の中 私の夢はマスコミ関係の職業につくことだ。中2 では小学校を卒業したら中学校、中学校を卒業した の頃初めて観た甲子園の決勝で感動を覚えてから、 ら高校へと進むのが当然で、あまり羽ばたくという 私は高校野球にはまり、毎年春夏欠かさず観るよう ことを意識していなかった。しかし今、 「羽ばたく」 になった。何も夢中になれるものがなかった私にと を考えることは、大学生という社会人になる前の最 って、1つのことに一生懸命になれる高校球児の姿 後のステップを踏み出した私にとって、とても重要 は憧れだった。高校野球関係の雑誌や新聞をひたす な気がする。漠然としているが、このエッセイを書 ら読みあさっているうちに、今度は自分が球児たち き始めるとき「羽ばたく」から連想したのが、自分 の色々な思いを取材して、高校野球のファンの人た の就きたい職種に就くこと、すなわち夢を叶えるこ ちに感動を与えたいという気持ちが強くなった。 とだったからだ。 しかし高校野球の季節は春と夏に限られている。 明鏡国語辞典によると、 「羽ばたく」は、 【鳥が両 高校野球の雑誌もそんなに多いわけではないので、 翼を広げて上下に動かす。人が広い世界へ出て自由 高校野球1本のマスコミ関係の仕事につくことは に活躍することのたとえとしても使う。】とある。 難しい。なら、高校野球に絞ってしまうのではなく、 卒業式で使われるのは後者の意味だろうが、「卒業 マスコミ業界全体に挑戦して高校野球に少しでも 生の皆さん、新たなステージへ向けて、大きく羽ば 携われる機会を作ればいいと思った。マスコミ業界 たいて行ってください。」と言われても、実際に羽 は豊富な知識、個性、順応力など求められることも ばたくことは難しい。私自身、中学、高校と目標を 多い。私は今、マスコミにつくために自分がしたこ 持っていなかったため、なんとなく過ごして終わっ とがどうやって活かせるか常に考えている。資格の てしまった。受験も完全燃焼したわけではなかった 勉強もそうだし、バイトやゼミ、遊びだってそうだ。 ので、悔いが残った。広い世界へ出て自由に活躍す まだ大学生活は2年あるが着実に準備をして、2年 るためには、それなりの準備と目標が必要だと思う。後には自信を持って羽ばたきたい。 私が大学で羽ばたくためには、高校時代に大学でし たいことを明確にしておくことが必要だった。ただ □ 中学、高校、大学というあらかじめ用意されたステ 人生には節目ふしめに進学や就職など、試験など ージへ進むだけでは、私は本当の意味で羽ばたくこ の困難を乗り越え成長し、今いる場所から羽ばたく とはできないと思う。今思えば、高校時代羽ばたい 機会があります。しかしチャンスを掴むことができ ていたのは、目標を持って部活動をしている人たち なければ羽ばたくことはできず、いつまでも次の段 だった。野球部は甲子園、サッカー部は選手権目指 階に行けないままです。私が今、法政大学にいられ して、それに見合うような練習を積んでいたから、 るのも両親をはじめたくさんの人たちの支えがあ 大会で自信を持って羽ばたけていたのだ。自信は成 ったからで、自分ひとりの力で得られた結果ではあ 功につながっていた。 りません。 大学生活も同じことだと思う。自分で選択して受 私は、法政大学合格というある種のゴールに到着 験して入った大学でだって、自分で目標を持って行 してから、特に目的もなくただ漠然と「さあ、大学 動しないことには羽ばたけないまま終わってしま 生活を楽しむぞ」とだけ思っていました。 う。私は、大学は自分が 18 年間で培ってきたもの しかし入学して 1 か月ほどたち、所属しているサ を試す場所でもあるし、社会人になる前に自分に足 ークルの先輩に前期末試験のことで相談している りない部分を補う場所でもあるし、挑戦して失敗し ときに、その先輩の就活のお話を聞いて、自分は何 ても許される最後の期間でもあると思っている。し をしているのだろうとはっとしました。その先輩は かし反面、小学校の次は中学校、中学校の次は高校 大学では授業をがんばると決め、法政大学の第 2 種 と、次があったが、大学はもう次がないことも事実 奨学金を受給し、それが評価され三菱東京 UFJ 銀 だ。最終段階に入っている今、どれだけ頑張って自 行に内定をもらったと教えてくださいました。その 信をつけて、就活という自分の夢を叶える場で自分 先輩は、大学生活で何かをがんばって結果を残せば を発揮し、自分の働きたい場へと羽ばたけるよう、 自分が行きたいところに就職できると仰っていま 17 of 23 Essay 「羽ばたく」 した。私も先輩のように何か 1 つがんばれることを 借り、お互いに助け合ってこれからのゼミ生活、そ みつけて、悔いなく卒業して、胸を張って次のステ して就活でチャンスを掴み、ゼミで得られたものが ップに進みたいと思いました。 かけがえのないものであると胸を張って、ここから、 私は『企業経営入門』という授業が好きで、出席 人生の次のステップへ羽ばたきたいです。 点がもらえるので積極的に発言をするようにして いたのですが、ある日出席カードを出しに行ったと □ きにその授業の担当の先生から「君、できるね」と 「羽ばたく」とはどういうことなのか、辞書による 言っていただき、あるテーマについてみんなの前で と、実力をつけて広い社会に出て行く。という意味 プレゼンテーションをする機会をくださいました。 らしい。では、実力をつけて広い社会に出ていくと そのへたくそな発表を見ていてくださっただろう あるが、社会へ出るためには一体何が必要なのか。 Y 先輩が、各ゼミがブースを出していたお昼休みに、調べてみたところ、現在、社会で最も必要とされて 「企業経営に出ていますよね」と声をかけてくださ いるものは「コミュニケーション能力」ということ り、一緒にいらっしゃった沙紀先輩に私のことを だった。今回はこのコミュニケーション能力につい 「頭のいい子だよ」と紹介してくださいました。企 て考えてみたい。実のところ自分はコミュニケーシ 業経営の先生のゼミを受けるつもりでしたが、私の ョン能力とはなんたるかをよくわかっていなかっ ことを見ていてくださる人がいることがとてもう た。なぜならコミュニケーション能力という言葉自 れしく、お二人のいらっしゃる佐藤ゼミの見学に行 体が実に多義的になってきているからだ。単純に考 かせていただきました。 えれば相手に意志を伝える能力というだけの意味 佐藤ゼミの雰囲気は純一先輩の言葉を借りれば なのだが、敬語がうまく使えること、飲み会などに まさに知的リア充で、すごく難しいことについて話 積極的に参加すること、人前で自分の意見をしっか し合っているのに、ゼミ生が積極的に発言をするこ り言えること、他の人のことを気遣うこと等々例を とでゼミが展開していることに衝撃を受けました。 挙げればきりがないが、現代ではこれらすべてもコ 前期末試験がうまくいかなくて、何をがんばろうか ミュニケーション能力という言葉の意味に含まれ 悩んでいて且つ、不真面目な雰囲気が嫌いな私は、 ているらしい。恐らくコミュニケーション能力とい 佐藤ゼミに入って大学生活をゼミに捧げようと思 う言葉が世の中に広がる際に、色々な意味を飲み込 い、佐藤ゼミを受けました。 んでいってしまったのだろう。 ゼミに入れていただき、1 年生としては周りより さてコミュニケーション能力をつけるにはどう 一足先にゼミに参加させていただけて、今自分が成 すればいいのか。ある本では聞き上手になるのがい 長する軌道に乗っていることを実感しているし、先 いと書いてあり、またある本では空気を読む力をつ 生や皆さんに出会えて本当によかったと思ってい ければいいというふうに書いてあった。調べたとこ ます。佐藤ゼミを知るきっかけをくださった Y 先 ろいろいろな解決法が存在していたが自分はどれ 輩には感謝しています。なにより 1 年生のみんなは も間違ったことは言ってはないが、正解ではないよ 同じ 1 年生とは思えないほど意識も高くて驚きま うな気がした。コミュニケーション能力がある人は した。ついていくので、これからお互いに切磋琢磨 聞き上手であり、コミュニケーション能力がある人 しつつがんばっていきましょう。何かに行き詰まっ は空気が読めるのは正しい。しかし、聞き上手の人 たときや、自分ひとりでいたらどうしたらいいのか が必ずしもコミュニケーション能力が高い、空気を わからないときも、自分だけの力では状況を変える 読める人が必ずしもコミュニケーション能力が高 ことが困難でも、そこに誰かの力が加われば道が開 いとは限らないと思うのだ。先ほども述べたように けるということもあると思います。 コミュニケーション能力というものは実に多義的 私は、人生は広い意味で一期一会だと思っていま なもので、色々な意味を含んでいる。なので、なに す。今は毎日のように会えても、5 年後 10 年後に かひとつのことだけ出来るのではなく、全体的な技 はどうなっているかわからない。だから今、みなさ 術が高くなくてはコミュニケーション能力が高い んといられる時間を大事にする、そう考えています。とは言えなくなってきてしまっているのではない 縦と横のつながりの深い佐藤ゼミで、皆さんの力を だろうか。だから、コミュニケーション能力をつけ 18 of 23 Essay 「羽ばたく」 る方法も色々な種類がでてきてしまったのだろう。 もしコミュニケーション能力をつけたい人がいる なら、自分に足りないものがなんなのかを分析し、 足りない能力をつけるために必要な方法を調べて 実践すればコミュニケーション能力をつけること ができるはずだ。つまり、コミュニケーション能力 をつける方法は人それぞれであり、その人に適した コミュニケーション能力をつける方法をしなけれ ば意味はない。とはいってもそんなことは最初から なんとなくわかっていた。またしてもコミュニケー ション能力のもやもや感が深まっていってしまっ たような感じがする。だが、今回コミュニケーショ ン能力について調べていった結果、色々な物事に挑 戦し、多くの人と繋がりを持ち、毎日を向上心をも って過ごせばコミュニケーション能力は自然につ いてくるのではないかと感じた。コミュニケーショ ン能力をつける方法を本やインターネットなどで 調べるのもいいが、毎日のコミュニケーションを意 識しながら過ごしてみるだけで意外にも力はつい ていくと思う。そうすれば、いざ社会に出ていくと きにも十分に適応できるはずだ。 もうひとつ気づいたことなのだがコミュニケー ション能力という言葉は社会でうまくやっていく ために最も必要な能力というよりも、社会でうまく やっていくために必要な能力全般の総称なのでは ないだろうか。自分も社会へと羽ばたくために大学 生活を大切にすごしもっとコミュニケーション能 力をつけたいと思う。 最大の分岐点といっても過言ではない。しかしそん な塾に入っていても中学2年の段階では志望校の 候補すらないまま過ごした。ある日塾でのクラス分 け(5 つのレベル)の発表があり私の名前は上から 3 番目のクラスのところにあった。そのときになぜ かショックを受け「これでは W 高校に入れない」 と思い、その足で 2 年生のときの塾のクラス担任に 異議を申し立てに行った。自分から行動することが ほとんどなかった私にとってこの行動は「羽ばたい た瞬間」であるといえる。このとき私が W 高校と 思ったのは自分の直感であったため、入ってよかっ たなと思う今でも何で W 高校だったのか…不思議 である。 次に高校入学後すぐにある部活動選択である。中 学校時代ハードな塾に入ったため、書道部に所属し ていた。しかし高校に入ったら運動部がいいなあと 思い、水泳部を考え始めたのだが、すぐに壁とぶつ かった。というのも中学校時代に文化部であったた め、体力面とメンタル面に不安があったのである。 これによりかなり迷ったのだが、水泳部の見学説明 会で勘違いしたため水泳部に入部することになっ た。この勘違いというのは後々気づくのだが、説明 してくれた先輩に「合宿の最終日には 50m 40 本 があるからね」と言われ、2000mぐらいならギリ ギリいけるかなと思ったことである。実際はその前 の 2 日間で 20km弱泳いで、50m 40 本の当日の 午前中にも 4000m弱泳いでからプラスアルファで というものであった。さらにこの 50m 40 本とい うのは自分が一番得意な泳ぎと、クロールで半分半 □ 分に行い、自己ベスト+3 秒以内に泳げなかった場 私が「羽ばたいた」と感じた瞬間は 3 つある。ここ 合できなかった本数だけやり直しというルール付 でいう「羽ばたく」という意味は、辞書に載ってい きであった。しかしこのような大きな勘違いをして る【1.鳥などが両翼を広げて上下に動かす】,【2. いても、水泳部への入部は私にとってとても大きな 実力をつけて、広い社会に出ていく】という意味と 決断であり、「羽ばたいた瞬間」といえる。水泳部 は異なり【自分の殻を打ち破った瞬間】・成長した に入ったおかげで体力がつき、毎日楽しく過ごし、 瞬間】を指す。 良き仲間たちとも出会えた。 まず 1 つ目は高校受験である。小学校時代、頭が 最後の 1 つはまだ羽ばたいている最中というか 悪かった私は中学 1 年から塾に通っていた。この塾 やっと巣からのそのそ出てきたという感じなのだ は姉が通っていて母から薦められたことから入っ が、佐藤ゼミに入ったことである。大学に入ってか た。「川口しんがくかん」という個人の塾であり、 らいまいちパッとしない生活を送っていたが、佐藤 宿題もテストも課題も山盛りてんこ盛りの鬼塾で ゼミに入ることができてまだ数回しか出席してい あった。しかし、先生はユーモア れていて授業も ないが、とても刺激を受けている。これかもまだま 面白いし、非常にわかりやすかったので入ったこと だ未知なることばかりでどうなるかわからない。し は全く後悔していないどころか、私の人生における かし活動の中で新たな自分を発見していこうと思 19 of 23 Essay 「羽ばたく」 う。 私の「羽ばたいた瞬間」は、現段階ではどれも辞 書の意味のような「実力をつける」というようなこ とはなく、また、「広い社会」とはいえないものな ので正しいとは言えないかもしれない。しかしがむ しゃらにやってきた結果であるため私は満足して いる部分が大きい。少し後悔している点があるとす れば、「羽ばたいた瞬間」の回数が少ないことであ る。もっとアグレッシブに行動できることもあった し、挑戦できたこともあったはずである。それらの 後悔を払拭すべく、佐藤ゼミでの活動は 1 つ 1 つ 大切にしていく。そして今度は辞書にある通り、 【2. 実力をつけて、広い社会に出ていく】ために「羽ば たいて」いこうと思う。 員が0になってしまったという。クラブというもの にもう縁がないと思っていた私は喜んでワンダー フォーゲルクラブに入り、部員を集めるために友達 に呼びかけたり、先生と相談して山登りの計画を立 てたりしていた。山登りの計画は生徒たちから人気 のある先生に来てもらえることになったため何人 か志願してくれた。しかし、顧問の先生が忙しくな ったため行けなくなってしまった。私は結局ワンダ ーフォーゲルクラブの活気を取り戻すことが出来 ないまま卒業したが、それまでだらだらと学校生活 を過ごしていた私がひと時とはいえ一生懸命取り 組んだということが自分で信じられなかった。これ が私にとって一つの大きな羽ばたきであった。 次に受験を終えたときのことだ。受験を控え私は 受験というムードに耐えられず、一人でいることが □ 多くなった。学校も行きたくなくなり遅刻が増えて まず、私にとって「羽ばたく」とは前に進む、つま いった。また、何でも一人でしたいと思うようにな り変化を象徴する言葉だと思う。変化とはなかなか り、一人で遊びに行ったり、ご飯を食べるなど友達 自分では気付くことが出来ないが、私たちは生まれ と過ごす時間が激減してしまった。しかし、大学で たときから何度も羽ばたいている。ただそれがあま 友達が出来るにつれて一人で行動しなくなってい りにも当たり前に思えることであるため気付くの た自分に気付いた。確かに自力で何かをするという が困難なのだ。だからこそ、私たちは自分を見直し、 のは大切なことだと思うし、個人でやらなければい どのように羽ばたいてきたか改めて深く考える必 けないことも沢山ある。だが、友達と行動するよう 要がある。それがどこで自分を役立てるのかを考え になり仲間の大切さに気付いた。全部一人でやらな るヒントになり得るからである。 くても良い、背負い込む必要はないことに気付いた 今年3月に起きた震災で私たちの多くは何も出 のだ。まだまだ自分の力だけでやらなければと思う 来なかった。自分に何が出来るのか分からなかった 意識が高いのだが、これから徐々にバランス良く効 からだ。そして、震災の被害に脅えることしか出来 率良く進めることができるようになりたい。今、私 なかった。しかし、時が経つにつれて、復興に向け ははばたきつつある。 ての様々な取組がなされるようになってきた。日本 私たちは羽ばたくことで成長し前に進んでいく。 全体で東北の人たちのためにやらなければならな 羽ばたくことが私たちを人間として成熟したもの いことを考えたのだ。このことは日本全体が自身を にさせているのである。言い換えれば、羽ばたかな 見直し、また新たに羽ばたいたといって良いのでは い人は何も変化出来ず前に進めないということだ。 ないか。このように私たちは気付かぬうちに羽ばた また、人によって全く異なる羽ばたきをしているた いているのだ。 め人生も様々だ。だから、私は多くの人と関わり、 私には自分の中で大きく羽ばたいた、またははば 多くの経験を積み、多くの知識にふれることでこれ たきつつあることが2つある。はじめに高校時代で からも羽ばたき続けていきたい。 のことだ。私は中学生のとき、色んな部活に入って はすぐやめていた。自分で目標を決めて何かをする □ ということが出来ず、上手くいかないとすぐやる気 「羽ばたく」。抽象的で、羽ばたくと言ってもなに が無くなってしまうからだ。しかし、高校生のとき、 を書いたらよいものか…。難しい。そう最初は思い ある先生が私にワンダーフォーゲルクラブを勧め ましたが、私の好きなミュージシャンが、歌詞の中 てきた。そのクラブは昔からあるクラブで昔は部員 で「羽ばたく」という言葉を使っているのを思い出 もたくさん在籍していてにぎやかだったが今は部 したのと、私が尊敬している人物の逸話にも、何か 20 of 23 Essay 「羽ばたく」 通ずるものがあったな、とふと思い浮かびました。 「羽ばたく」という言葉には(これは羽ばたくとい う言葉だけに限りませんが)たぶん、それぞれのひ とに、その分だけ意味があると思うのですが、私が この歌詞や逸話を通して思った、「羽ばたく」の意 味を書いてみたいと思います。 まず、一つ目の歌詞の話ですが、これは一人の少 女の物語になっています。幼いころ、少女はある少 年と出会います。彼女は彼と楽しく遊んでいました が、ある日別れがやってきました。彼は彼女に必ず 迎えに行くと言って別れましたが、そのあと彼はし んでしまいます。やがて彼女は大人になり、婚約の 話がきました。彼女の父は結婚するように言いまし たが、彼女はきこうとしません。怒った父親は彼女 を磔にすると言いましたが、それでもきかず、彼へ の愛を貫くという、自分の意志を貫き通して逝きま した。歌詞の最後で、「地に落ちるその時まで、羽 ばたいてみせよう」と彼女は言っています。 二つ目の話についてですが、私の尊敬する人物と いうのは、石田三成です。彼は東西に分かれた関ヶ 原の戦いで西軍を率いた武将です。この関ヶ原の戦 いで三成は敗れ、その中で逃げ延びていきました。 しかし、やがて徳川につかまり、処刑されてしまい ます。ここで彼の逸話があります。彼は処刑される 直前に、のどが渇いたといいます。警護の人間は柿 ならあるといいますが、彼は、柿は痰の毒だからい らぬと答えます。今から死ぬものが何を言うのかと 笑いましたが、三成は大志をもつものは最期まで諦 めない、と泰然としていたというものです。 両者とも結果をみると、せっかく羽ばたいたのに 落ちてしまうなんて、羽ばたくことがそんなに大事 なのか?と思うかもしれません。でも、私は自分の 意思を貫き通して生きていくならば、結果がどうな ろうとも後悔しない、満足できると思っています。 世の中いろんな生き方がありますが、命が燃え尽き るその瞬間まで自分の意志、信念を貫くという生き 方をするというのも素敵だなと思います。 ここまで私の「羽ばたく」のイメージを書いてみ ましたが、他に羽ばたくってどんなイメージなのか な?と思い、Google で画像検索をかけてみました。 すると、青い空にむかって飛んでいる鳥の写真が多 く出てきました。私は割とひねくれている考え方を するので、明るいイメージがありすぎなのでは?と 思ってしまいました。もちろん、明るい方向に羽ば たいていくイメージを持つことは大事だし、行動す るときはそういうイメージを持って行動したほう がいいと思っています。しかし、自分が羽ばたいて 後悔しないだけの意志、信念を持つことも大事だと 私は考えています。でないと大けがをするかもしれ ないし、何より自分が後悔してしまうからです。そ して、自分が羽ばたくことによって、良いも悪いも、 周りにどんな変化や影響をもたらすかを考え、もし 悪い影響がでてしまったとしても、それを背負って 羽ばたいていく覚悟も必要なのでは、と私は思って います。 □ 「羽ばたく」だけなら雛だってできる。私は「羽ば たいて飛ぶ」ことが重要だと思う。「羽ばたく」と いう言葉は頻繁に「広い社会、世界に出て行く」こ との比喩で使われるが、本来の意味は「鳥などが両 翼を広げて上下に動かす」これだけだ。(出典:デ ジタル大辞泉)つまり「羽ばたく」だけでは世界に 向けて飛ぶことができるとは限らない。 生物学の分野では、翼や羽を持っているだけ、又は 飛ぶことができるだけでは「羽ばたいて飛ぶ」動物 にはカウントされない。羽を持ち羽ばたくが飛行で きない烏骨鶏などの鳥類の一部や、モモンガをはじ めとした高所から滑空する哺乳類は紛い物だ。「羽 ばたいて飛ぶ」動物として認められるのは、羽を持 ち、それを空気に撃ちつけて大空を自由に旅するも ののみ。人間社会においても、真似しかできない者 や他者に依存するだけの者は上には行けない。高み に行けるのは自身の力で羽ばたいて飛ぶことがで きる人間だけだ。 ではどうすれば上手く「羽ばたき」大空(社会) の高みへ行くことができるのだろうか。 中国には武術で強くなるための要訣を表すこと わざで、一胆二力三功夫という言葉がある。胆は「勇 気」、力は「筋力や体力」、功夫は「技」、戦いの中 で重要な順番に並べられている。これは「高く羽ば たいて飛ぶ」ことにも通じる理念だと思う。 小学六年生の時に通っていた学習塾の先生が中学 受験の直前、「熊蜂根性だ」と言っていた。昔、熊 蜂は大型の体とそれに見合わない小さな翅から、航 空力学的に飛行可能なでない身体バランスとされ ていた。しかし熊蜂は当時から翅は小さいながらも しっかり飛んでいた訳で、いったい全体どうなって 21 of 23 Essay 「羽ばたく」 いるのか?と科学者の間で長年の だった。そして ついにこんな理論が展開された。「彼らは、飛べる と信じているから飛べるのだ」という説だ。これが 熊蜂根性のもとであり、先生が伝えたかったのは 「己を信じてやれば、不可能なことなど何もない」 ということだった。現在では熊蜂の はレイノルズ 数や動的失速によって解明され、根性で飛んでいる 訳ではないことが証明されてしまったが、彼らは今 でも不可能を可能にする存在としてシンボルマー クなどに多用されている。 この話から主張したいのは、「羽ばたいて飛ぶ」 ためには、まず己を信じて進む「勇気」を持つこと が必要だということだ。鳥は雛として親の庇護下で 成長し、いずれ巣立つときを迎える。未熟ながらも 飛べると信じて、自分の体の何十倍もある高さの巣 から飛び降りる。その姿はまさに勇往邁進そのもの だ。この姿勢は見習わなければならない。よし勇気 については分かった。とくれば次は力と技術だ。 我々は小中高の学校生活で、実生活に全く関係な いものを含めた色々な教育を受ける。それは社会へ 羽ばたくための知識を身に着けることと、知的活動 への持久力を養う為だ。最低限の知識と知的体力が 無ければ社会の高みへ行くことはできない。「筋力 (知識)、 (知的)体力」という翼を育てる。そして 大学ではより専門的な知識を蓄積しつつ、翼の動か し方、つまり知識をどう応用していくかの「技」を 学ぶ。技は何度も使うことで磨かれる。ゼミを含む 様々な練磨の機会を活用し、成長したい。 今回のエッセイ作りを通して高く「羽ばたいて飛 ぶ」ための要素を考察する貴重なチャンスを得るこ とができた。まず己を信じて未知の世界へ飛び込む こと。そして更に知識を蓄え、それを上手く使う技 を磨き、より高い場所を目指す。しっかりと順を追 って、社会という大空へ高く、高く旅立ちたい。 上下に動かすことをさす。このように「羽ばたく」 という言葉は飛んでいる状態よりも飛ぶ以前の段 階に重点がおかれた動作のように考えられる。だか ら、そこから転じて「未来へ羽ばたく」「世界へ羽 ばたく」というような何か物事を出発する、スター トするという使われ方をするようになったのでは ないだろうか。また「羽撃く」という動作からは力 強さ、自由、希望といったものを人々に与え、今日 では、企業のキャッチフレーズや歌の歌詞等に多用 されている。 私は「羽ばたく」という行為は勇気がいるものだ と考えている。鳥に対してでも、人間に対してでも 「羽ばたく」には労力を必要とするし、何より慣れ た環境を捨てて、新しい環境へ飛び出すということ はとても恐い。鳥を例に挙げるならば、鳥が初めて 「羽ばたく」時というのが、巣から飛び立つ時だ。 親鳥から庇護された安全な環境から、自力で生きて いかなければならない危険であふれた外の世界へ 出る時、初めて「羽ばたく」のである。この時、果 たしてすべての鳥が自ら外へ「羽ばたきたい」と思 っているのだろうか。「羽ばたきたくない」と思っ ている鳥だっているのではないか。巣にいれば親鳥 が を持ってきてくれる。外敵から護ってくれる。 外に出れば、 も自分で取らなくてはならないし、 自分の身は自分で護らなくてはならない。しかし、 それでは生きていけないのである。自分を庇護して くれる親鳥はやがて死んでしまうし、巣から出なけ れば子孫を残すこともできない。「羽ばたけない」 鳥たちに待っているのは死しかない。だからすべて の鳥は否応なしに「羽ばたいて」外の世界へ巣立っ て行くしかないのだ。 では、人間はどうか。生憎人間には、羽ばたかな ければ死んでしまう、という事態は起こらない。最 悪、現代社会で問題となっている ニート のように いつまでも親の脛にかじりついて生きていくこと □ は不可能ではない。しかし、私は「羽ばたけない」 「羽ばたく」という言葉は漢字で書くと「羽撃く」 鳥に死が待っているのと同様に、「羽ばたけない」 と表記される。よく、「翔」という漢字を「はばた 人間もまた別の意味で死んでしまうのではないか く」読んでいるものを目にするが、実際には「翔」 と思う。なぜなら、「羽ばたけない」人間はそこか の字に「はばたく」という読み方はなく、意味にお らの向上というのはもう望めないからだ。人間とい いても微妙にニュアンスが異なる。「翔」という字 うのは現代まで技術を向上し続けながら環境の変 が羽を大きく広げて飛び舞うという意味なのに対 化に対応し、生き残ってきた。人間がここまで進化 し、「羽撃く」とは「はたたく」とも読むことがで して来られたのは絶え間ない向上、すなわち「羽ば きるように、文字通り鳥が翼を広げて打ち合わす、 たき」である。慣れた環境に居座り続けず、常に新 22 of 23 Essay 「羽ばたく」 しい環境へと踏み込んでいったからこそ発展して 来られた、そしてこれからも発展し続けることがで きる。 私自身は「羽ばたく」ことが苦手だ。今までの人 生の中でも環境が変わるとなかなか慣れることが できず、それまでの慣れた環境を引きずることがし ばしばあった。新しいことを始めるにしてもその一 歩を踏み出すまでに長い時間がかかってしまう。し かし、最近ではそれでもいいのではないかと思うよ うになった。急いで「羽ばたいて」飛ぶ鳥もいれば、 のんびり「羽ばたいて」飛ぶ鳥がいるように、私も 自分のペースで「羽ばたいて」時間がかかってもい いから、新しい環境にどんどん入っていきたいと思 う。 苦しんでいる。こうした社会不安を一つ一つ解消す ることが大事であるが、それ以上に私は自分自身が 力をつけることが重要なのではないかと考える。冒 頭では、「羽ばたく」機会はたくさん存在すると述 べたが、「羽ばたく」には相応の準備が必要なので はないだろうか。「羽ばたく」を体現する鳥も、生 まれてすぐに飛び立つことはできない。親鳥に育ま れ、飛ぶのに必要な能力を備えて初めて大空に「羽 ばたく」ことができる。これは人間でも同じで、い きなり次のステップへは羽ばたけない。教育制度を 例に挙げれば、小学校、中学校の義務教育で世の中 のルール、礼儀作法、マナーなどを学び、さらに学 びたい者は高校、大学へと進学し、知識やスキルを 蓄えて、ようやく社会人として社会へ出ていくので ある。なので私は今までの経験に加え、今の大学生 □ 活でたくさんの知識、スキルを身に付けて、社会へ まず、「羽ばたく」という言葉にはどういう意味が 「羽ばたく」準備をしっかりとしていきたいと考え あるのか。調べてみると、実力をつけて、広い社会 ている。 に出ていく。というものだった。また私はこの「羽 人間は誰でも、どこにでも「羽ばたく」機会を持 ばたく」という言葉から「自由」という言葉を連想 っている。ただ「羽ばたく」には、それに応じた能 した。私たちの周りには、たくさんの「羽ばたく」 力、そして勇気が必要なのである。新しいことに挑 機会があると思う。例えば実力のあるプロ野球選手 戦することは不安であるのは間違いないだろう。だ がメジャーリーグへ挑戦するとき、「メジャーへ羽 が、積み重ねたものを出し切り、最後は勇気をもっ ばたく」などと表現されたり、中学校の卒業文集の て挑めば、必ず人は「羽ばたく」ことができる。こ テーマとして「羽ばたき」という言葉が使われてい のテーマをいただいたことも何かの縁だろう。人は たりする。しかしよく考えてみると、「羽ばたく」 「羽ばたく」ことによって新たな「自由」を見つけ、 とは本来鳥などが翼を上下に動かし、空へ飛び立つ 大空へと飛び立てる。鳥が「羽ばたく」ために必要 行動を指すものである。どうして人間が社会へ出て な「翼」は、私たちの創造力であったり、能力であ いく様子の意味を含んだのだろうか。私は鳥が大き ったりと形は様々である。各々が持つ、実力という な空へ自由に飛び立っていく姿に、先人たちが人間 「翼」を広げて、次のステップへ飛び立っていくこ の姿を重ねたのだろうと推測する。先にも述べたよ とが「羽ばたく」ということなのだ。私たちはこの うに、人間には羽ばたく鳥が数多く存在するように、先の未来に向かって「羽ばたく」ことが必要である。 たくさんの「羽ばたく」機会が存在する。では私自 「羽ばたき」は多くを変えられるもので、羽ばたか 身、今まででどれだけ羽ばたいたのだろうか。まず、 なければ何も変わらないのだ。 一番最初の「羽ばたき」は出生であると思う。そこ から大小様々な「羽ばたき」を経験して現在の私が *** 形成されている。そしてこれからも、未来へ向かっ て羽ばたいていくのだと思う。そんな未来への「羽 ばたき」で、今最も身近に描いていることが就職で ある。就職とは、まさに学生生活から広く複雑な一 般社会へと出ていくことであるが、果たして自分は しっかりと就職し、社会へと「羽ばたく」ことがで きるのか、正直不安である。今の日本は、いろいろ な社会不安から就職難が続いていて、大勢の若者が 23 of 23