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ニヒリズムの風景 : ユンガーとハイデガーから見た一考
察
山本, 興志隆
愛媛大学法文学部論集.人文学科編. vol.40, no., p.33-53
2016-02-29
http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/handle/iyokan/4732
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ニヒリズムの風景
─ ユンガーとハイデガーから見た一考察 ─
山 本 與志隆
序
鷲田清一は『しんがりの思想』の中で、現代の日本社会にあっては、人々が
相互に支え合うという「インター・ディペンデンス(inter-dependence)のネッ
トワーク」が崩壊してしまっていることを指摘し、そうした社会に見られる風
景について、次のように述べている。
ここという場所から立ち上がるはずのそういう[インターディペンデン
トな]ネットワークは、これら二つのシステム[=国家というシステムと
4
4
4
4
4
4
4
グローバル経済のシステム]に懐深く侵蝕されて、どこにでもある景色に
変貌している。出張で遠くの土地に出かけても、ビジネスホテルの室内
も、ホテルの周辺も、室内装飾からコンビニ、さらには建造物の佇まいま
で、じぶんがいま住んでいる界隈とおなじ光景が広がる。どこにでもある
風景の中にじぶんがいるというのは、ここという場所にじぶんがいる必然
性が杳として見えないということでもある。
(鷲田清一『しんがりの思想』
(角川新書、2015年)
、p. 180[ ]内は山本による挿入。以下同様。)
このように言及されている「風景」の与える感覚については、現代に生きる
我々の誰もが多かれ少なかれ共有しうるのではないだろうか。そして鷲田はこ
- 33 -
山 本 與 志 隆
こから、そうした社会に生きる我々が「豊かな社会」の中で「しがらみのない
自由な生活を満喫しているはずなのに、どこか、浮いている感じ、流されてい
るという感じに苛まれている」
(同上)という、我々の感覚に説き及び、「わた
し」の存在感覚への問いへと導いていく。
わたしがたとえば、ここに、この町にいる理由、いなければならない理
4
4
4
由もよく見えなくなっている。存在に重しがなくなっている、そう浮いて
4 4
4 4
4
4
4
4
いる感じ、流されている感じである。その感覚が、地域から浮き上がった
コンビニなど環境の浮遊感とともに、身体の奥深くにまで浸透してきてい
る感じがある。
(同書、p. 181)
この「感じ」についても、我々は共感を禁じ得ないであろう。そしてこの
「感じ」こそ、現代における我々が常にどこかにいながら、どこにも根をもた
ず、よって自らの存在に確固たる理由、根拠をもつことができず、浮遊するよ
うな、まさにニヒリズムのひとつの現象であるということができよう。以下で
は、先に挙げた、現代の我々が見る「風景」について、なぜそのような現象の
仕方をするのかを考察しつつ、この「感じ」についても解釈を試みたい。
その際まず手引きとするのは、第一次世界大戦以降の現代の人間類型を「労
働者(der Arbeiter)
」として把握し、ひたすら進歩を志向するテクノロジーの
もたらす、ニヒリズムの内にそのような労働者が動員されることを指摘した、
エルンスト・ユンガーの思惟である。そしてそれと対照させて、ユンガーと親
交をもち、自身の後期思想の核心の一つをなす技術論に関して、ユンガーから
多大な影響を受けたハイデガーの思惟を参照する。両者の思惟を対照すること
を通して、現代の我々にとって原初の風景を求めることの意義を剔抉したい。
以下、本論は三つの節に分かたれる。
1.進歩を志向する労働者の風景
2.総動員による計画風景
3.原初の風景への回帰
- 34 -
ニヒリズムの風景
1.進歩を志向する労働者の風景
まず我々の第一の課題を明確にしておきたい。本論で考察しようとするの
は、現代の風景において見られる「一様さ」
、
「無差別さ」、「平凡さ」といった
現象がどのようにして生起しているのか、という問いに関わっている。もちろ
んその前提として、いずれの風景にもその土地、地域、地方に独特の固有性が
存していることは疑いのない自明の理であるということは確認しておかなけれ
ばならない。言うまでもなく、この世界には全く同じ風景というものは、おそ
らくただの一つとして見出すことはできないだろう。ここで我々が問題とする
のは、そうしたいわば固有性、唯一性といった性格が一つ一つの風景に備わっ
ているはずであるにもかかわらず、それらの風景のある種のもの、とりわけ都
市の風景は一様に「見える」ということであり、そのように「見える」という
現象の根源にあるものは何かということである。我々は現代の風景のうちに認
められる、いわば類似性、あるいは相等性、さらに言えば平板さといったこと
を問いたいのである。
1)
ここで我々はユンガーの『労働者』
の中での議論を参照する。というのは、
上述のようにユンガーは、第一次世界大戦以後の現代における人間類型として
「労働者」というあり方を指摘していたが、その特徴はまさにその代替可能性
に基づく一様性、相等性の内に見出されるからである。ユンガーは労働者に関
して次のように言う。
…労働者は、進歩が労働者に割り当てた断片的役割を乗り越えて、新た
な生を規定する英雄的な根本実体(Grundsubstanz)の担い手として現れ
る。
さてこのような実体の作用を実感するとき、我々は労働者に近づくので
あり、またこの実体が我々の遺産に属するかぎり、我々は労働者である。
我々が我々の時代について驚異的と感じるもの、そしてはるか後世の伝説
においても我々を力ある魔法使いの一世代として登場させるものの全て
- 35 -
山 本 與 志 隆
は、この実体に属し、労働者の形態に属する。我々がそこに生まれ落ちた
というだけで全く奇異に感じない我々の風景(Landschaft)の中に作用し
ているもの、それがこの実体である。
(EJ, Bd. 8, S. 51)
ここでは労働者のあり方と進歩、あるいは風景との連関が語られている。労
働者の「新たな生」は、
「進歩」という理念に定位することによって規定され
るという。そして進歩を現実化するものが、近代以降の科学技術、テクノロ
ジーであったことに鑑みれば、労働者が担うべき「英雄的な根本実体」とは、
まさにそのテクノロジーであるということになる。そして我々が奇異とも思わ
ず馴染んでいる「我々の風景」の中に、このような「実体」が作用していると
考えられている。例えば、旧来の生活に比して、我々に文字どおり「便利さ」
「快適さ」を与えるコンビニエンス・ストアが我々の生活圏内に存在すること
を、そして各々のニーズに見合った商品を過不足なく入手できることを、我々
は「進歩」と捉える。実際、上記の引用の直前でユンガーは、
「快適と安全へ
と通じるかに思われた道を延長していくと、今やそれは危険なものの圏域へと
入り込んでいく」(ibid.)と述べている。すでにユンガーにとっては、テクノ
ロジーに基づいて「快適と安全」を求めることが、危険へとつながるという事
態が透見されていたようである。
また、先の鷲田の言葉にあったように、都市において幾何学的に設計され、
造形されて林立するオフィスビルやマンション等の高層建築物や、アスファル
トで覆われた道路の街並みにある種の違和感を覚えつつも、そこに我々は進歩
の足跡を見出す。あるいは、日進月歩で進化するスマートフォンは、単なる通
信手段を越えて現代生活の全般に関わるものとなり、その最新ヴァージョンを
誰もがこぞって手にすることで、進歩したテクノロジーの恩恵に浴しようとす
る。そしてその結果として、日本全国のどの都市に行っても同じような街の風
景の中を違和感もなく歩くようになり、電車やバスの中でも、歩行中でも食事
中でも絶え間なくスマートフォンの液晶画面をのぞき込む人々の姿に奇異の念
を抱くことがなくなってくる。人々は同じような風景の中を、誰もが同じよう
- 36 -
ニヒリズムの風景
な姿勢で歩くようになる。価値観の多様化が叫ばれ、個性、主体性の重視が言
われるようになって久しい現代のこの風景の、姿勢の一様さの背景にあるのは
「秘められた力への意志」
(EJ, Bd. 8 S. 51)に貫かれたニヒリズムのあり方に
他ならない2)。この風景の「一様さ」については、すでにユンガーは次のよう
に指摘している。
我々の時代を特徴づけ、一般には産業風景と呼ばれることが多い作業
場風景(Werkstättenlandschaft)は、それ特有の建物と施設、それ特有の都
市と区域によって実際すでに極めて一様な仕方で地球を覆っている。道
路と線路、有線と無線、空路と海路によって繋がれることのない地域は全
く存在しない。カメラのレンズによって記録された写真が、どの国で、い
やそれどころかどの大陸で撮られたものかを決めることすらますます困難
になっている。今ようやくその最初の局面を終えつつあるこの変化が、こ
のような点でも破壊的な性格を持ち、自然風景と文化風景とを爆破してそ
こに異物を混入させている、ということは全く疑いえない。(EJ, Bd. 8, S.
226)
ここでは、近代的な通信、輸送技術によって形成される都市はそれに特有の
建物と施設を有することで、どこもかしこも一様な風景を呈するようになると
いう事実が語られている。我々は先にも見た通り、現代の日本において、どの
都市に行っても同様のビルと街路、コンビニエンス・ストア等の店舗によっ
て構成された街並みといった風景に出会うことになる。そして、それは同時に
「自然風景と文化風景」を破壊するものである。こうしたことがすでに1930年
代のベルリンの風景(であると同時に、当時の世界の、他の都市の風景)の中
に見て取られていたのである。そしてこうした風景こそ、当時の人々にとって
は、目新しい、革新的な文明の象徴として受け取られていたであろう。こうし
た事象の根本にあるのは、まさに上述の「進歩」の理念である。しかし、そう
した進歩、発展のもう一つの性格について、ユンガーは次のように言う。
- 37 -
山 本 與 志 隆
進歩という大きな学校の特徴は、根源力との関係を欠いていることで
あり、またそれの活力が運動の時間的進行に基づいていることである。
進歩の帰結が首尾一貫してあたかも悪魔的な数学に導かれるようにニヒ
リズム(Nihilismus)へと合流することを宣告されるのはこのためであ
る。我々は進歩に関与した限り、このことを身をもって体験したのであ
り、それゆえ、現実との直接の結びつきを再建することを、久しく原風景
(Urlandschaft)の中で暮らした世代の偉大な使命と考える。
(EJ, Bd. 8, S.
50)
現代における我々が進歩(Fortschritt)に関わり、すべてをどのくらい前に
進んだか、どのくらい多くの成果を成し遂げたかで評価、判断しようとする限
り―近代以降のテクノロジーはまさにそれを目指してきたのであるが―
我々が自然の、あるいは我々自身の文化の「根源力」と結びついて生きた「原
風景」は喪失され、目的も価値の尺度も欠いたニヒリズムへと陥らざるをえな
い。いや、ニヒリズムという何か特定の状態があるというのではなく、まさに
進歩、発展の行き着く先を目指すことそのものが、根源力、原風景の喪失とい
う意味でのニヒリズムなのである。だからこそ、かつて原風景の内に暮らした
世代にとっては「現実との直接の結びつき」を再建し、現代において回復する
ことが偉大な「使命」であるとされる3)。
全く実際的に見て我々に明らかとなることは、我々が発展そのものでな
く、全く特定の状態に向かう発展を特徴とする、ある暫定的な空間に生き
ている、という事実である。
(……)その結果、我々の空間は途方もなく
大きい鍛冶場に等しくなる。
[永続性のあるものは何ひとつ生まれず]ど
んな手段も、暫定性と作業場性格とを帯びており、期限付きの使用を定め
られている。
この状態に対応するのは、我々の風景が移行風景として映じるという事
実である。ここには形式の堅牢さが存在しない。あらゆる形式が、動的な
- 38 -
ニヒリズムの風景
不安定さを通じて間断なく形成される。手段の永続性が存在しない。昨日
までは比類ない器具であったものを今日は古鉄として投げ捨てる性能曲線
の上昇以外、永遠的なものは何もない。それゆえ建築や生活態度や経済の
永続性も存在しない。それらの永続性はすべて、斧や弓や帆や鋤に固有で
あるような、手段の永続性とむすびついているからである。
(EJ, Bd. 8, S.
176)
本来「実体(Substanz)
」は、他のなにものにも依存することなく、永遠的
に存続するものであると考えられてきた。その意味では、先の引用で進歩、発
展する技術、あるいはテクノロジーが「根本実体」とされていたことには、い
わゆるカテゴリー・ミステイクに基づく違和感が伴っている。というのは、テ
クノロジーはその本質の内奥に技術革新ということを内包しているので、ここ
に言及されているように、技術的なるもの、技術によって生み出されたもの
は、常にその進歩、発展の「途上」にあるものとしての「暫定性」と「作業
場的性格」を帯びたものとして現象してくるからである。それゆえそこでは、
「永続性」のあるものは一切生まれない、と言われている。その意味では、技
術によって導かれた風景についてもまた同様にどこまでも暫定的なものである
に留まり、その意味で「移行風景(Übergangslandschaft)」と呼ばれている。
つまり、我々にとって不変的にあり続けて、その許で常に我々の帰属意識を喚
起するような「故郷」
、
「家郷」の風景はもはや見られない。この間の事情は、
次のようにも記述される。
このような暫定性が歴然とするのは、ここ百年来、技術的風景の一特徴
を成してきた、雑然たる混乱状況に目を向けるときである。目を背けたく
なるこの眺めは、自然風景と文化風景との破壊によってもたらされるばか
りでない。それは技術自体が不完全な状態にあることによっても説明がつ
く。これらの都市、すなわち電線と煙、喧噪と塵埃にまみれ、蟻のごとき
群衆が行き交い十年ごとに都市に新しい顔を付与する建築物と装飾物に覆
- 39 -
山 本 與 志 隆
われたこれらの都市は、諸々の形式の巨大な作業場である。しかしこれら
の都市自体には全く形式がない。
(EJ, Bd. 8, S. 177)
作業場風景は、そこに引き込まれる世代に犠牲と倹しさとを要求する。
それゆえ我々が認識しなければならないことは、ここに現れる形式には、
不変の確実な尺度が内在していないこと、形式の創造でなく手段と道具の
創造が進行中であるがゆえに、そもそもそのような尺度がありえない、と
いうことである。
(EJ, Bd. 8, S. 222)
現在我々が違和感なく生きる都市は、まさにテクノロジーの産物として、多
様な面においてその成果を導き入れている。その結果として都市は「技術的風
景(die technische Landschaft)
」と化し、
「雑然たる混乱状況」を極めることに
なる。そこには「不変の確実な尺度」が内在しえないがゆえに、そして「形式
の創造でなく手段と道具の創造が進行中」であるがゆえに、我々自身が自らの
住まう場所として安んじることのできる空間は残されていない。少なくとも
1930年代のドイツの風景について、ユンガーはそのように理解している。それ
から80年余りを経た21世紀の今日の世界は、そして日本が今現在呈している風
景は、上記のようなユンガーの指摘の妥当性を増しているように見えないであ
ろうか。
ユンガーはこの技術的風景に関して「まさしく近年、崩壊と新秩序という技
術的風景の両側面が不思議な仕方で併存する状況が目立つ」(EJ, Bd. 8, S. 227)
とも言う。近代の科学革命、産業革命以降、先進諸国において全世界的な規模
で推し進められた趨勢と言うことができる、所謂 ‘scrap and build’ という言葉
がここで想起せしめられる。近代以降、あるいはそれ以前から人類史の全体に
亘って、我々は自らの居住する周囲の場所を村落共同体から都市へ、さらに大
都市、巨大都市へと作り変えてきた。その過程においてまさに作っては壊し、
作っては壊しを繰り返して、そのこと自体を「進歩」と名付けてきたのであっ
た。いや、さらに正確に言えば、もちろん我々の住まう場所のすべてが都市化
- 40 -
ニヒリズムの風景
した訳ではない。とりわけ科学技術、テクノロジーの発端をなしたヨーロッパ
圏に対して、それ以外の諸地域においては、きわめて多様な文化を形成してき
たし、現にその幾許かは保存されてもいる、と言うことはできる。しかし、そ
れは時に、まさに絶滅に瀕した「文化遺産」として博物館の中におけるかのよ
うに「保存」されているのであって、そこに見出せるのは、現に生きられてい
る様態における街、あるいは文化ではないこともありうる。それ以前の本来の
文化の住まう場所は、20世紀の科学技術の進歩と政治的動乱の中で、
(まさに
19世紀の日本がそうであったように)近代化という進歩を目指した。そしてそ
れは、とりもなおさず「西洋化」するということであったが故に、また西洋
列強に植民地化されたが故に、結果として西洋的な都市景観の建造を目指す
中で、全世界的、地球的なニヒリズムの風景を生じ来すこととなったのであっ
た。
以上のような風景、とりわけ都市における風景の変容のあり方が、ユンガー
の「作業場風景」という規定から理解されうるものとなった。次節ではそうし
た作業場風景からさらに進んだものとして提示される、
「計画風景」について
考察したい。
2.総動員による計画風景
前節で見たような全世界的、地球的に拡大するニヒリズムの風景のあり方に
ついては、すでに述べられた「作業場風景」という様態を越えて、
「計画風景
(Planlandschaft)
」という語でも語り出されている。ここで注意すべきは、
「計
画風景」という考え方を導いているのは、ユンガーが近代の人間類型として労
働者を規定するに際して用いられた「類型人(Typus)
」という概念であるとい
うことである。まずその点を確認しておきたい。風景との連関では、類型人は
次のように言われている。
類型人は、その特性に従って人種としての明晰な自己認識をもつように
- 41 -
山 本 與 志 隆
なればなるほど、いっそう断固たる姿勢で自己形成と取り組むようにな
り、また手段もいっそう大きくその意味を変えることになる。あるいは、
手段を用いることの意味が作業場風景の混乱の中からより明確に立ち現れ
ることになる、と述べる方がむしろ適切であるかもしれない。
(EJ, Bd. 8,
S. 243)
類型人はある種の「人種」として自己認識し、自己形成するものであると考
えられている。そしてそれが作業場風景の混乱の中で、様々な手段を用いるこ
との意味を変容させながら、より明確な仕方で立ち現れてくると述べられてい
る。ここに言う「手段」は、
「農耕や水陸の交通や戦争のような基本活動をも
含むあらゆる領域」に侵入してくるものであり、しかもその際に「動員しつつ
破壊しつつ(sowohl mobilisierend wie zerstörend)
」という二つの様相を呈しつ
つ、
「風景の変革、建築、宇宙規模の劇の準備」にも関与するものと考えられ
ている(EJ, Bd. 8, S. 244)
。このように類型人として捉えられる人間存在と類
比的に、「全地球的」あるいは「宇宙規模」に拡大する、風景の「類型」につ
いても語られる。
このような[類型形成の全地球的な]妥当性は、先に見たようにもちろ
ん否定的な印のもとにおいてではあるものの、移行風景として見なされる
べき作業場風景の中にすでに示されている。
(……)純然たる作業場風景
にとって代わる計画風景においては、もはや個人や個人的自由概念の図式
に基づく勢力がその担い手としても現れることがなく、類型形成がそれま
でよりもいっそう明瞭に浮かび上がる。
(EJ, Bd. 8, S. 247)
この「類型形成(die typische Bildung)
」は、まさに上述の「労働者」のあり
方としての「類型人」の類型である。つまり類型人としての労働者のあり方を
風景の文脈に転じたものであると解釈することができる。そして重要なこと
は、この段階に至れば、もはやそこでは個人や個人的自由概念といったものに
- 42 -
ニヒリズムの風景
よっては風景の「類型形成」はなされえない、ということである。というの
は、この段階に至るまでのプロセスにあっても、誰か個別の意志によって街の
風景というものが決定されるということは、おそらくはありえないことではあ
るが、それにもかかわらず多くの街の風景が一様な景観に向かって変容しつつ
あったということから考えても、こうした事態は、個々人の自由を超えた、上
述のような「進歩」という理念に導かれてのことであったと解釈されてきたか
らである。それがここに至って、個々の人間を超えた類型としての労働者のあ
り方に比すべき、風景の類型形成が思惟されている以上、それがまた個人的な
意志や自由によって創出されているとは考え難い。
このように人々も街もある一定のあり方へと規定される仕方はまた、ユン
ガーの言う「総動員(die Totale Mobilmachung)
」とも連関している。ユンガー
は『労働者』の2年前に当たる、1930年当時の状況を『総動員』4)の中で次の
ように論じていた。第一次世界大戦時には「国家民主主義」の名のもとに、国
民と国家の物資の全てが戦争遂行のために駆り出される総動員体制という事態
が生じており、その下で人々の生は、総体として戦争遂行のための「エネル
ギー」へと転換され、生活上のあらゆる「結びつき」は唯一の目的としての戦
争遂行のために駆り出されることが可能となるよう、その結合は「一時的な」
仮初めのものとされていた。1930年代当時にはちょうどそのような事態が、戦
争時ならぬ平時においても出来し、全ての存在者が一律の尺度で測られて、そ
の存在者自身が元来有していた本来の「意味」や「価値」はすべて平準化さ
れ、無化されることとなる。そして、戦時において戦争遂行のために可能な限
り使用しやすいもののあり方へと変様せしめられ、戦争遂行という唯一の目的
のもとでのみ存在せしめられるように、平時においても人々の生活を支える物
流産業や食料生産業が、
「運輸、食糧、軍需産業」という「新種の軍隊」、ある
いは「労働の軍隊」
(EJ, Bd. 7, S. 126)と言われるような事態として記述され
ていた。
このような状況においては「軍人、聖職者、学者、芸術家」もまた労働者
の形態が世界を動員する作業場風景の只中に巻き込まれている(EJ, Bd. 8, S.
- 43 -
山 本 與 志 隆
215)
。そのような中で、先述のように「崩壊と新秩序という技術的風景の両側
面が不思議な仕方で併存する状況」
(EJ, Bd. 8, S. 227)が出来し、本来であれ
ば不可避的に自由概念と結びつくべき「アナルヒーの痕跡」(ibid.)が風景像
の中に刻み込まれるという。このアナルヒー(Anarchie)5)、すなわち無政府
状態、無秩序状態においては、先に見たように「動員」と「破壊」という様相
のもとに、作業場風景の多様な手段が我々の世界のあらゆる領域に侵入して来
て、明確に「風景の変革」を伴うものとして捉えられ、またそれは「宇宙規模
の劇の準備」とも言われていた。そして次のように言われる。
総動員のための産業の利用が諸々の施設と連絡手段との権威的な配置、
選択、整理を前提条件として必要とするのならば、自然風景と文化風景の
保護と博物館的管理もまた、最も包括的な枠組みにおいてのみ適切に実施
されうる措置の一つに数え入れられるのである。(EJ, Bd. 8, S. 229)
ここでは総動員の前提条件として多様な施設や手段が「構成的」に「配置、
選択、整理」される中で、我々の原風景に他ならなかった「自然風景や文化風
景」もまた「保護」と「博物館的管理」の下に置かれることになるという、ま
さに「計画風景」として現出してくることが指摘されている。こうした風景
にまで至る管理体制が国家というレベルで遂行されるという指摘が重要であ
る6)。
計画風景の完結性は一連の国家モデルをもたらす。それらは、歴史的出
自と特殊な空間的位置とに応じて多様であるものの、本質的な点で類似し
たものと見なすことができる。
(EJ, Bd. 8, S. 293)
ここでは、国家というものがその「歴史的出自と特殊な空間的位置」の多様
性に応じて、本来多様なものであるはずであるにもかかわらず、計画風景の成
立とともに「類似したもの」となってしまうことが指摘されている。そして、
- 44 -
ニヒリズムの風景
このように国家という枠組み、あるいはそれをも超えたより大きな流れ―そ
れは冒頭の鷲田の文脈では「グローバリゼイション」であり、次節で参照する
ハイデガーにとっては存在の歴史において現成してきた「総かり立て体制(Gestell)
」ということになるであろう―の中で、我々にとって本来は根源的に生
きられていたはずの風景が変容せしめられてきたという現実をユンガーは確実
に把握していたと言うことができる。ここで言われる「計画風景」という語に
ついても「すでに計画という言葉自体、ここで問題となっているものが可変的
な風景であることを示している」
(EJ, Bd. 8, S. 309)と言われ、我々の時代の
風景の変容の運命が言い当てられている。21世紀の現代に生きる我々は、まさ
にこのような風景の中に生きている。
しかし、それでは我々はどのようにしてもこうして変容された風景の中で生
きるしかないのであろうか。その可能性と限界について、次節ではハイデガー
の小論を参照しつつ考察したい。
3.原風景への回帰-文明と文化
すでに見たユンガーの『労働者』が発表されたのは1932年である。その
翌年、翌々年に当たる、1933年と1934年に放送されたラジオ番組の講演原
稿として、ハイデガーは「創造的な風景、我々はなぜ地方にとどまるのか
7)
(Schöpferische Landschaft: Warum bleiben wir in der Provinz?)
」
という小論をも
のしている。その中で、自らがベルリン大学への二度目の招聘を受けたことに
触れながら、都会人と南ドイツのシュヴァルツヴァルトの農夫との対比を通し
4
4
て、ハイデガーが自身の思惟の「仕事(Arbeit)
」をどのように理解していたか
を述べている。そこでは、進歩的、啓蒙主義的な都会人に対して、田舎の農夫
の「厳しく単調」で素朴な生のあり方が活写されるとともに、表題にあるよう
に、ハイデガー自身は後者の側に身を置くことの理由が半ば詩的言語を以て
訥々と語られる。
さてこれまでのユンガーの議論を受けて、ここで我々がさらに問わねばなら
- 45 -
山 本 與 志 隆
ないのは、都会人と農夫との対照を通して語られる対比は、根本的に何を物
語っているのか、ということである。言い換えれば、ここで「都会人」あるい
は「農夫」によって名指されているのは、いったい何者かという問いである。
この問いには幾つかの答えが考えられるが、ハイデガーがこの文章を認めた時
期、そして招聘を受けた大学がベルリン大学、すなわちユンガーが当時住まっ
た場所であることを勘案するならば、この問いは我々に熟考を迫るものとな
る。
まずハイデガーは、自らが在職したフライブルク大学の休暇中に住まう
「トートナウベルクの山小屋」について、次のように言う。
南シュヴァルツヴァルトのある広くて深い谷の1,150メートルの高みに
ある急斜面に、一つの小さなスキー小屋が建っている。(Bd. 13, S. 9)
ここでハイデガーは学期の間の休暇中、自らの「仕事」に勤しむ。ハイデ
ガーのなすのは思惟と執筆である。この「仕事」は、ともすると都会的な人々
の目には、単調で、遅々たる歩みのものと映るかも知れない。しかし、だから
こそ、とハイデガーは続ける。
仕事が[厳しい単調さへの移り行きや、日常の現存在に押し寄せ、振動
4
4
4
4
4
させるといった]この山の現実に対する空間を初めて開く。仕事の歩みは
この風景の生起の内に埋め込まれたままである。(Bd. 13, S. 10)
冬の深い夜更けに荒々しい雪の嵐が小屋のまわりに襲いかかって荒れ
4
4
4
4
狂い、全てのものを覆い包み隠すとき、その時が 哲学の最上の時であ
4
4
4
4
4
る。哲学の問いはその時には 単純になり、本質的にならなければならな
い。それぞれの思想の仕事を仕上げていくこと(die Durcharbeitung jedes
Gedankens)は、厳しく鋭敏でなくてはなされえない。言葉を刻む労苦は、
嵐に対して聳え立つ樅の木の抵抗のようなものである。(Bd. 13, S. 10)
- 46 -
ニヒリズムの風景
この山小屋での生のあり方こそが、
「雪の嵐」が荒れ狂い、全てのものを覆
い包み隠すときこそが、哲学をなす自らの思惟の仕事には相応しく、
「最上の
時」であると語る。
「それぞれの思想の仕事を仕上げていくこと」は、この山
の上での厳しい生の中で、あたかも樅の木が嵐の中で、抵抗するかのように聳
え立つ姿に通ずるという。そのように孤高の姿で大地に立つあり方をとる自ら
の仕事を、ハイデガーはかの土地の農夫の仕事に擬えて言う。
哲学の仕事の居るべき場所は農夫の仕事のただなかに属している、
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(……)私の仕事はそれら[農夫の仕事]と同一種類のもの である。私
の仕事の内には農夫への直接的な帰属性が根を下ろしている。(Bd. 13, S.
10)
ここではハイデガーが自らの仕事を農夫の仕事と「同一種類のもの」の内に
帰属せしめていることが語られている。その一方で、両者と異なるものとして
言及されるのが都会人(der Städter)である。ここに見られる対照は、単に両
者の住まう場所の相違といったことを超えた事柄を指示している。たとえば、
都会人が農夫と長い対話を交わし、
「民衆のもとに行った」と考えるのに対し、
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ハイデガーは農夫のそばに座っても、
「その時私たちは大抵の場合全然しゃべ
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らない 」(Bd.13, S. 10f.)と言う。そしてハイデガー自身の仕事がシュヴァル
ツバルトとそこの人間に内的に帰属していることを、一世紀に亘る、なにもの
によっても取り替えることのできない「アレマン的-シュヴァーベン的土着性
(Bodenständigkeit)」
(Bd. 13, S. 11)に由来する、と述べる。
また、都会人は所謂田舎での滞在によって、高々一度だけ「活気づけられ
る」のに対し、ハイデガーの仕事はその全部を、これらの山々とそこの農夫た
ちによって支えられ、そして導かれる、と言う。そして、都会人はしばしば
山間の農夫たちのもとでの長い単調な独居を不思議がるが、ハイデガーによれ
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ば、それは単なる独居ではなくて「孤独(Einsamkeit)」なのである。
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山 本 與 志 隆
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大都市の中では、なるほど人間は他のどこでも決してできないほど容易
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に一人で(allein)いることができる。しかし彼はそこでは決して孤独で
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あることはできない。というのは孤独は、私たちを個別化しないで、現存
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在全体を万物の本質の広い近さの中へ解き放つという固有の力をもってい
るからである。
(Bd. 13, S. 11)
ここには、先の引用で大地に聳え立つ樅の木に擬えられたハイデガーの仕
事の「孤高」のあり方の由来するところとその現れとが、
「孤独」と言う語に
よって明確に語り出されている。そして同時に、この「孤独」は『存在と時
間』の本来的自己への変容ということの重要な契機をなすものであった(
『存
在と時間』第40節、第53節、第62節を参照)
。そのような観点から見ると、さ
らに続けて次のように言われることは極めて興味深いと言えよう。
人々は外では新聞や雑誌による手回しの中で「有名」になることができ
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る。それは常に、その途上で自分に最も固有な意欲が誤解に頽落し、根本
的にしかも速やかに忘れ去られる最も確実な道である。
これに対して、農夫の回想は単純にして確かな、そして投げやりでない
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律義さを有している。
(Bd. 13, S. 11)
[もっとも必要なことであるにもかかわらず、都会の人々によって拒絶
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されるのは]農夫の現存在から距離(Abstand)を保つことであり、農夫
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の現存在をますます農夫固有のおきてに任すことである。
(……)農夫が
必要とし欲するものは、農夫自身の本質とそれの自立性に対する遠慮深い
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礼儀である。
(……)
私たちは慇懃無礼に馴れ馴れしく近づくこととか、真正でない民族性崇
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拝といったものを、すべて立ち去るに任せておく、 ―私たちはかの単純で
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屈しない農夫の現存在を、そこの上で真面目に受け取ることを学ぶ。その
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時初めて、農夫の現存在は私たちに再び語りかける。(Bd. 13, S. 12)
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ニヒリズムの風景
このあたりもまた、
『存在と時間』の「世人(das Man)」の記述を彷彿とさ
せるところである。声高に空談を語り、各種メディアを通して「有名」になる
ことに大きな好奇心を見出し、自らの最も固有の意欲を誤解し、曖昧性の内に
忘却せしめて、土着性を喪失したままに、浮遊するように過ごしていくこのあ
り方は、まさにハイデガー自身による、世人についての再解釈を見るようでも
ある。そして、このようなあり方の「感じ」こそ、まさに冒頭で鷲田が触れて
いた、あの「感じ」であると考えて、あながち間違いではないであろう。
都会人のこうしたあり方と対照的に、ハイデガーは沈黙の内に「かの単純で
屈しない農夫の現存在」を真面目に受け取ることを学ぶと言う。そしてまさに
このような農夫の仕事と、自らの哲学の仕事を「同一種類のもの」と述べるの
であった。
とすれば、このように「同一種類のもの」と考えられた両者の仕事に対し
て、異質なものと考えられているのは、都会人のなすことである。上述の点を
今一度確認すると、都会人は、農夫のもとで多弁に空談をなし、田舎に滞在し
て「活気づけられる」
。これは都会人が、自らの場所への帰属性を失い、自ら
に固有の土着性を喪失しているからである。それに対して、「同一種類のもの」
と考えられた哲学者と農夫のうち、農夫は文字通り、自らの土地で仕事をする
という仕方でその土地に「帰属」し、
「土着性」を有している。一方、哲学者
は普遍的な主題について思惟する際にも、ある固有の文化的伝統の内で思惟す
るという仕方で、やはり農夫と同様の帰属性と土着性の内にある、とも言うこ
とができる。
我々はここに、都会人と農夫(あるいは哲学者)
、都市と地方との対照を通
して、図らずも文明と文化の対照を見ることができる。周知のことではある
が、
「文明」と「文化」それぞれのヨーロッパ語の語源を遡るならば、
「文明
(civilzation, Zivilisation)
」は、
「都市」を意味するラテン語 ‘civitas’ に行き当
たり、一方、「文化(culture, Kultur)
」は、
「耕作」を意味するラテン語 ‘cultus’
に行き当たる。実際のところ、ハイデガーは後の『ヘルダーリンの思索の解
明』8)の中で次のように言う。
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山 本 與 志 隆
人間が達成することは見極め難いが、そうすることで人間は自分自身
を保護し、自分の業績を促進して、確実にするために、大地を耕作して、
過酷なまでに利用しながら、大地の上に適応する。(……)すべての業績
や作品、栽培することや手入れをすることは「文化(Kultur)
」に留まる。
(Bd. 4, S. 89)
こうして、大地と人間の業績や作品、さらに「文化」の連関が語り出さ
れている。ここでこれ以上ハイデガーのヘルダーリン論、あるいは芸術(詩
作)論9) ─これらは後期のハイデガーの思惟にとっては中心的な主題とな
る─に立ち入る余地はないが、ハイデガーが文化を大地に根ざすものとして
理解していたことは明らかであろう。そしてまた、先に言及した「総かり立て
体制」に対して、ハイデガーが物(Ding)の本来的なあり方をあらしめる「四
方域(das Geviert)
」の中で、神々と死すべきものたち(すなわち我々人間存
在)、そして天空と大地という形で、その一端を担うものとして、大地は思惟
されていた。いずれにしても、ハイデガーがこのような大地に根ざすあり方を
我々人間存在自身と、我々が生きる文化の形成にとって根源的なものとして思
惟していたことは明確に読み取れるであろう。
このように考えるならば、農夫のように自らの土地にあって、しっかりと地
に足を着けて耕作仕事をし、生きていくことは、それがそのまま文化を培って
いくことなのだということになる。もちろんこれは農夫にのみ妥当するという
ことではなく、ここでの「農夫」と「同一種類」の仕事の仕方をする者すべて
に当てはまることである。ここでは偶々ハイデガーの小論に従って、ユンガー
の指摘したような一様な風景を呈する都市とは異なる、地方の固有性が存在す
る可能性について言及することになったが、都市にあってもここで言う「農
夫」と同一種類の仕事をすることは可能であろうし、その内の多くはそれぞれ
固有の仕方で文化の形成に参与することであろう。しかし、このことをまさ
に農夫とともに直接経験した哲学者ハイデガーは、地方でのそのようなあり方
を、特に「創造的な風景」と呼んだのではないかと考えられる。
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ニヒリズムの風景
結 語
以上、本論は現代における我々が目にする風景の一様性、画一性、類似性を
問うことから考察を始めた。そしてそれが20世紀の初頭には、都市の風景の根
本性格として顕著なものとなりつつあったことを、ユンガーの論述から明らか
にしてきた。
その一方で、それとは別の仕方で捉えられる、いわば我々にとっての「原風
景」のあり方を地方の、とりわけ農夫の生きる風景の内に見出しうる可能性
を、ハイデガーの論述から読み取った。ここには、都市と地方との対照が、文
明と文化の対照に呼応しているということが読み取られた。
もし、我々が我々自身の伝統的な文化を継承し、さらに新たに創造していく
ことを望むならば、地方にとどまり、自らの帰属性と土着性を確たるものと
していくことが一つの肝要なあり方である、という示唆がここでは得られた。
1930年代のドイツの風景を見たユンガーとハイデガーの指摘は、我々にこのよ
うに語りかけているように思われる。我々は、この呼びかけに応える一つの試
みとして本論を位置づけるところで、この論を閉じたい。
1)Ernst Jünger, Der Arbeiter Herrschaft und Gestalt, in Sämtliche Werke Band 8(1981).(邦訳
E. ユンガー『労働者 支配と形態』、川合全弘訳、月曜社、2013年。)以下、この書から
の引用は、EJ, Bd. 8の略号にページ数を添えて示す。
2)上掲翻訳書、訳注399ページに示唆されるように、自動車の発明、普及は当然のことな
がら風景そのものを変容させた。
3)ここで示唆的に思われるのは、進歩の帰結としてのニヒリズムへと導くものが、「悪
魔的な数学」とされている点である。というのは、近代以降のテクノロジーを批判する
ハイデガーもまた、その基盤をなす自然科学の根本特徴を「計算可能性」「測定可能性」
の内に見ていたからである。Vgl. M. Heidegger, Die Frage nach der Technik, in Vorträge und
Aufsätze(1954)
.
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山 本 與 志 隆
4)Ernst Jünger, Die Totale Mobilmachung, in Sämtliche Werke Band 7(1980).(邦訳はE. ユン
ガー『追悼の政治』
(川合全弘訳、月曜社、2005年)所収。)以下、同書からの引用は、
EJ, Bd. 7の略号にページ数を添えて示す。また、拙論「ニヒリズムの現在― 総動員と技術
の本質について」
(
『愛媛大学法文学部論集人文学科編』第38号、pp. 69-87(2015))も参
照。
5)ここで「アナルヒー(Anarchie)
」をこのようにカタカナ表記することについては、『労
働者』の邦訳者である川合全弘氏の指摘に従っている。前掲『労働者』(邦訳)、p. 394、
訳注4を参照。なお、本論は川合氏によるユンガーの御訳業に多くを負っている。ここに
期して謝意を表したい。
6)
『労働者』においてユンガーは、
「国家」
、あるいは国家を越えた組織のあり方(これに
ついては多分に否定的な仕方で)について、たとえば以下のような形で、しばしば言及し
ている。
諸々の計画風景を整序し、自らに従属させる仕事は、むしろ[上位の世界組織として
の国際連盟という、19世紀の世界像に属する観念ではなく]帝国的地位をもつ国家計画
のためにとって置かれる。(EJ, Bd. 8, S. 295)
こうしてかなりの期間を経た後に、旧式の国民国家と国民帝国が、計画風景の有機的
構成を通じて出現するあの新しい体制へと自らを改造する作業に従事するようになるこ
とが予想される。
(EJ, Bd. 8, S. 304-305)
[どの国にも軍備を義務付けるこの状態自体がある程度の安全保障をもたらす]とい
うのも、計画風景の完結性が外交紛争を回避しようとする特別の努力を生むからであ
る。言い換えると、展開を妨げられることは誰も望まないのである。(EJ, Bd. 8, S. 309)
帝国的空間への歩み入りに先立つのは、諸々の計画風景の試験と鍛錬であるが、これ
については今日まだ全く想像することができない。(EJ, Bd. 8, S. 310)
これについては、当時のユンガーの急進的ナショナリズムからの脱却の試みの中でなされ
たものとして、ユンガー解釈の上で極めて重要な主題をなす、彼の国家観の変遷を考慮させ
るものであるが、今回はこの点については論究できない。
7)Martin Heidegger, Schöpferische Landschaft: Warum bleiben wir in der Provinz?, in Martin
Heidegger Gesamtausgabe Band 13 : Aus der Erfahrung des Denkens(1983).以下、本書から
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ニヒリズムの風景
の引用はBd. 13の略記号の後にページ数を併記して示す。
8)Martin Heidegger, Gesamtausgabe Band 4 : Erläuterungen zu Hölderlins Dictung(1981).以
下、本書からの引用はBd. 4の略記号の後にページ数を併記して示す。
9)ハイデガーの芸術論については『芸術作品の起源』を参照。Vgl. Martin Heidegger, Der
Ursprung des Kunstwekes, in Martin Heidegger Gesamtausgabe Band 5 : Holzwege(1977).な
お、このテクストでは、
「大地」は「世界」との対立、抗争という連関の中で思惟されて
いる。
(本稿は、JSPS科研費(課題番号:25370022)及び平成27年度愛媛大学法文学部人文系担当
学部長裁量経費の助成による研究成果の一部である。)
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