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友を包んだ主の光 - 学校法人東洋英和女学院

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友を包んだ主の光 - 学校法人東洋英和女学院
追悼記念日礼拝説教「友を包んだ主の光」
コリントの信徒への手紙 一 3:10-17
山本 香織
なぜ東洋英和は10月1日を、学院の追悼記念日と定めているのでしょうか。在校生も同窓生の皆様
も、必ず一度は聞いたことがあることです。東洋英和の第11代、第13代校長でいらしたミス・マー
ガレット・クレイグ先生が亡くなられたのが10月1日だからです。私はかつて自分が在校中、それを
伺ったとき、どうしてあの有名な創立者カートメル先生の亡くなった日にしなかったのだろう、と素朴
な疑問を抱いたことを思い出します。そういえば私たちが今集まっているこの講堂。いつもは大講堂、
大講堂と言っていますが、正式には「新マーガレット・クレイグ記念講堂」です。そしてこの校舎にな
る前の旧校舎の講堂は、
「マーガレット・クレイグ記念講堂」という名前でありました。
「カートメル記
念講堂」ではありません。
在校生や卒業生に、東洋英和の校長をなさった宣教師の先生のお名前を挙げてみましょう、何人言え
るでしょうか、と質問したとします。真っ先にあがるのは創立者ミス・カートメルのお名前でしょう。
続いてミス・ハミルトンも思い浮かびます。その後、ミス・ブラックモア、ミセス・ラージと出てきた
ら優秀なほうで、その辺りで止まってしまうことでしょう。毎朝礼拝をする講堂の名前に記念され、そ
の命日が学院追悼記念日ともなっているのに、ミス・クレイグのお名前を挙げる者は中々いないと思い
ます。ミス・クレイグがどういう校長先生でいらしたのかは、一同あまり分かっていないのです。
私もそうでした。しかし3年前。学院創立125周年記念として『カナダ婦人宣教師物語』の編集を
お手伝いしていく中で、私はミス・クレイグの章を担当することになりました。そして恥ずかしながら
初めてミス・クレイグがどういう先生なのかを知りました。
ミス・クレイグは、カナダ、モントリオールの裕福なご家庭の長女としてお育ちになり、この世的に
は何不自由ない境遇であられました。しかし大学をお出になったあと、さらにメソジスト養成学校で学
び宣教師となり、残る人生を遠い異国での宣教と教育にささげられたのです。なぜそのような選択をさ
れたのかは必ずしもはっきりしていませんが、日本にいらしてからの先生のなさったことすべてが、そ
れをもの語っていると思います。ひとえにクレイグ先生の深い信仰が、神様と、東洋英和に、彼女のす
べてをささげさせたのです。校長先生として生徒たちの教育に関して大変情熱的、厳格であられただけ
でなく、近隣の教会での働きも献身的に進められました。そしてミス・クレイグは何より大変お優しか
ったのです。卒業生たちが、なつかしさの中で、先生の優しさを数多く語っています。
『赤毛のアン』シ
リーズの翻訳で有名な村岡花子氏も、昔の恩師たちを語った随筆集の中でおっしゃっています。
「ミス・クレイグという人を思い返すと、暖かいうしおがこみあげてくるような気がする。
」
思い出すだけで暖かいうしおがこみあげる・・・。生徒たちはミス・クレイグから、よほど深い慈しみと愛
情とを受けていたのでしょう。
さてそのクレイグ先生には、どうしてもこの学校に欲しいものがありました。それは講堂です。当時
講堂はなく、卒業式とか文学会(これは今で言う学芸会のようなものでしょう)など大きな集会のたび
ごとに、一番広い教室の椅子や机を片づけ、床にブラシをかけ、二階からベンチを下ろしてきて300、
400人分の座席をつくる、ということをしていたそうです。クレイグ先生の強い希望があったのでし
ょう。やがて学校をあげて講堂建築のために動き始め、そのための資金の積み立てが始まります。しか
し結局ミス・クレイグは、講堂の完成を目にしてはいません。もともとお体の弱いクレイグ先生は、そ
の頃しだいに健康を失われ、ついに1922(大正11)年5月、療養のためカナダに帰国されたので
す。モントリオールでご病床にありながら、東洋英和の生徒たちのこと、ベンチを運んでの文学会のこ
と、英和の近隣の教会のこと…、気になさり、祈り続けていらしたことでしょう。
ところが先生がカナダに戻られてから1年数ヶ月後、1923年(大正12年)9月1日、東京は未
曾有の大災害に見舞われます。関東大震災です。東洋英和の校舎は一部壁が崩れたりしたくらいで被害
はなく、その後、校舎を失った他の女学校に教室を貸したり、他の学校の寄宿生を預かったり、いわゆ
る被災支援の働きをしたようです。校舎は無事でしたが、休日のためそれぞれの自宅で被災した在校生
たちのうち5名が犠牲になりました。学校は震災から100日後、その5名を覚えて追悼会を催してい
ます。5名のうち二人は小学生…。人形のように可愛らしかった4年生と、文学会のときに上手に演技
をした3年生であったそうです。
はるかモントリオールのミス・クレイグのところにも、東京が大震災に見舞われたニュースが届いた
ようです。病床より、学校や生徒、卒業生たちの安否を気づかう手紙を、寄せてくださいました。でも
その時すでにクレイグ先生は相当お悪かったようです。というのも、そのお手紙が学校に届いてほんの
数日後のことが、学院の『七十年史』に記されています。
「かのおそろしい大震災の後の淋しい秋の日、十月一日、先生御永眠の悲報は、終に私共に達したので
ありました。
」 9月1日の関東大震災のちょうど一月後、10月1日に先生は天に召されたのでした。
そののちモントリオールの友人たちがミス・クレイグの日本での働きを覚え、その遺志を継ぐかたち
で資金集めをしてくださり、ミス・クレイグの遺産とともに、東洋英和に寄付されました。その約十年
後、1933(昭和8)年、ついに鉄筋コンクリート四階建の素晴らしい校舎が完成しました。それに
先立ち、まずミス・クレイグが夢見た講堂が完成し、学院は「マーガレット・クレイグ記念講堂」と命
名しました。講堂の落成式において、ミス・クレイグの次の校長先生、ミス・ハミルトンは次のように
お話されました。
「いつでもこの講堂に集まるときは、愛と同情の精神に満たされたミス・クレイグを思い、真のキリス
ト者として立とう、という心に満たされましょう」
。
その講堂は、今はこの「新マーガレット・クレイグ記念講堂」として生まれ変わりました。正面左右の
「敬神奉仕」の額は同時のままです。
そもそも本日10月1日、ミス・クレイグの命日を記念して、学院追悼記念日とすることを定めたの
も次期校長のミス・ハミルトン先生でした。この日を毎年、学院に関係ある人々のうち、その1年に亡
くなられた方を追悼する日として覚えていこう、となされたのです。そして今やハミルトン先生の思い
を超え、この学院追悼記念日には深い意味が増し加えられていっていると私は感じます。
今から約80年前、1933年10月1日。第一回の追悼記念日礼拝が行われました。会場はもちろ
ん、その年に完成したばかりの「マーガレット・クレイグ記念講堂」です。当時も在校生のうち最高学
年が生徒を代表して出席したようです。第1回追悼記念日礼拝に参列した、当時高等女学科4年の田口
さんがつづった感想文が、その年の同窓会誌に残されています。私はこれを初めて読んだとき、大変感
動を覚えました。学院が創立して50年目の頃です。卒業生の数自体まだ少なく、今のように覚える方々
の人数も少なかったからでしょう。すべての方ではなかったようですが、亡くなられた方々についての
思い出のお話もあったようです。田口さんは追悼記念日礼拝の印象として、
「葬式の時のように誰も声を
あげて泣きはしないけれど、その時以上の複雑な思いと、一時的の感情ではなく、いつまでも忘れられ
ない、心の奥からこみ上げる思いがそれぞれの胸を打」ったと記しています。そしてそこでお名前のあ
がった先輩の方々については、
「自分は知らない方たちではあるが、
かつて、
今私が教えられていること、
経験しつつあることを、私たちより前になさった方たちである。たとえ時代は違っても同じ年ぐらいの
人間が、ものに感ずる気持ちに違いはないだろう。
」と語っています。同じ東洋英和で学んだ先輩たち。
本日もたくさんの方々のお名前をお呼びして、一同で覚えております。時代はそれぞれですが、同じ「マ
ーガレット・クレイグ記念講堂」で礼拝をした日々を過ごしたその方々は、何をお感じになられていた
のでしょうか。80年前の田口さんの言うように、ここにいる今の東洋英和高3生である皆さんと、本
当に「ものに感ずる気持ちに違いはな」かったことでしょう。そして私が感動したのは、感想文の次の
ところです。
「英和の歴史は、その人々によってなされ、現在我々が受けついでなしつつあり、将来はまだ見ぬ多く
の人々によってつくられて行くだろう。
」
80年後の私たちは、第1回追悼記念日に出席した田口さんがその時想像した「まだ見ぬ多くの人々」
です。その時にとっての将来は、今、現在です。そしてこの後、まだ見ぬ多くの人々によって受け継が
れる、東洋英和の未来があります。私が、学院が大切にしてきた追悼記念日礼拝には本当に大きな意味
がある、と思ったのはそこです。東洋英和を過去から現在、そして未来へとつなぐ日だということです。
本日お招きし、前方のお席にいらしている皆様は、それぞれにこの1年の間に、愛するご家族とお別
れをし、私どもには計り知れない、悲しい体験をされた方々であられます。皆様の中には、もしかした
ら初めて、東洋英和にいらした方もあられるかもしれません。 ここが奥様の、お母様の、おばあ様の、
お姉様の、お嬢様の学ばれた、あるいは教鞭を執られた学校です。そしてこの講堂で、あるいは横浜キ
ャンパスで礼拝をささげ、神様のみ言葉を日々聞いてこられました。厳密に言えば、本日記念させてい
ただいている永眠者の皆様の中の多くは、信仰告白をして洗礼を受けた「クリスチャン」でいらっしゃ
るわけではないと思います。しかしこの学院で、主イエスと出会われたことは確かです。
先程、大変印象的な讃美歌をご一緒に歌いました。皆様の愛するご家族が、愛する友が生きた春、夏、
秋、冬を歌いました。 「花彩る春を この友は生きた、 (中略) この日、目を閉じれば、思いうかぶ
のは この友を包んだ 主の光。
」
(
『讃美歌21』385番より)
この学院で生きた日々、家族は、友は、主の光に包まれていたのです。ミス・クレイグが亡くなる1ヶ
月前の、関東大震災において、貴い命を落とした在校生のことを申し上げましたが、同窓会誌にお嬢様
を亡くしたお母様の談話が紹介されていました。
「短い間でも宗教学校で学んで安らかに天国に召されたことを感謝します。
」
主の光に包まれて、この学院で春、夏、秋、冬を過ごして生きた「生」に、深い意味を覚えます。
ところで本日与えられました聖書のみ言葉。そこに「土台」という言葉がありました。誰しもしっか
りした、揺るがない土台の上に立ちたいです。しかし関東大震災や、昨年の東日本大震災で分かってい
ます。まさかと思う土台が揺らぐのです。地面のことだけではなく、人生において、人が自分の安定の
よりどころとするところ…。自分の力、家族や友、財産や社会的地位、健康、それらすべても、永遠で
も、絶対でもありません。突然起こる地震に揺らぐ土台と同じぐらい不安定なものです。明日、奪われ
るかもしれません。 聖書は主イエスこそ、いつまでも変わらず必ず私たちを支え続ける、生きた土台
であると語っています。東洋英和は、主イエス・キリストを土台として建てられました。ミス・カート
メル、ミス・クレイグ、ミス・ハミルトンはじめたくさんの先生たちがその仕事をしてくださいました。
本日の聖書に、また、次のような言葉がありました。
「あなたがたは、
自分が神の神殿であり、
神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
」
私が神殿であるというのは、何だかよく分からない考え方です。神殿といえば、私たち、神様が祀られ
ている立派な建物を思い浮かべるからです。私と建築物としての神殿は結びつきません。しかしそうで
はなく、ここで大切なのは、神殿とは神様の住まいである、という概念です。
「あなたがたは、
自分が神の神殿であり、
神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
」
神の霊が自分たちの内に住んでいる、という意味で、私たちは神の神殿なのです。
学院で、主の光に包まれて春、夏、秋、冬を過ごした友、家族、先輩は、本人が気づく、気づかない
にかかわらず日々神様の愛を受け、守られ、力をいただいていたのです。学院が主イエスを土台に据え
た神の住まい、神殿であったからです。
128年間この地に立ち続けた学院で、神の霊が自分の内に住んでくださり、主の光に包まれる恵み
をいただいている私たち…、今ここにいる同窓生、在校生、教職員には使命があると思います。まだ見
ぬ未来の東洋英和のために、この住まいを受け継ぎ、つなげていくことです。第1回追悼記念日に参列
した高等女学科4年の田口さんに教えられました。英和の歴史は、ここまで生きた土台、主イエス・キ
リストの上に学院を立たせ続けてくださった方々、
また本日お名前をお呼びした皆様、
によってなされ、
現在我々が受けついでなしつつあり、
将来はまだ見ぬ多くの人々によってつくられて行くのでしょう…。
主イエスという生きた土台に学院が立つ限り、それは確実になされていくと思います。先ほど呼ばれ
ましたお一人お一人のお名前は、天国にある学院の名簿に書き加えられたことでしょう。128年の間
には天国の名簿のお名前も随分と増えたことと思いますが、それはそのまま学院にとっての力であり、
土台だと思います。そして私も含め、ここにいるほとんどすべての者も、やがて天国の学院の名簿に書
き加えられます。この世での日々は終えてなお、天国の名簿にて学院を支える働きに加えられることの
幸いを覚えます。
(祈りましょう)
学院の主、イエス・キリストの父なる神様。
学院が大切にする追悼記念日礼拝に招かれ、み言葉をお与えくださり、ありがとうございます。
かつてここで学んだ者、今ここで学ぶ者を包んでくださる主の光に気づき、お招きに応える者とさせて
ください。神様が住まわれる私たち自身をきよめ、心を整え、学院を未来へとつなげる主のお働きに加
えさせてください。 ここに集う一人一人を、復活の主の慰めと祝福で満たしてください。
この祈りを、主イエス・キリストのみ名によってみ前におささげいたします。 アーメン
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