Comments
Description
Transcript
新渡戸稲造 自警録 ダウンロード
自警録 新渡戸稲造 自警録 一 芭蕉 ハ無 クシテ クシテ耳聞 イテ 日 ニ転 イテ雷 ヲ 開 ズ キ 眼随 葵花 ハ無 そめ色の山もなき世におのづから 柳はみどり花はくれなゐ 自警録 二 三 じゅがく がた ちんぷんかん こんにち きょう よう と に 儒学 のみでなく、仏教においても同然で、 今日 もなお解 という。また、かくのごときは 独 り本 邦 ばかりでない、西 ほんぽう 洋においても一時は 解 りきったことさえも、わざわざ自国 ひと き難 き句あれば﹁珍 聞漢 ﹂とか、あるいは﹁お経 の様 ﹂なり の通用語を 排 してラテン語をもって、論説した時代もあっ 序 た。薬も長きむずかしき名を付ければ 効能 多く聞こゆるの そ ごじん たんたん たいら わか とかく道徳とか仁義とかいえば、 高尚 遠 大 にして、通常 例によりて、ややもすると、今もこの 弊 に陥 りやすい。 おそれ ごじん ひろ こが こころがけ あらそい やぶ ようい きわ へい むぞうさ ゆび きょうくん もうし ごじん おちい こうのう 人の及ばざるところ、たまたま及ぶことあれば、生 涯 に一度 なるほど、なにごとにしても、理を 究 めんとすれば心理 げん いにしえ えんだい ほどこ みちそん はい た はい か二度あって、専門的に修むる者にあらざれば、単に 茶話 学の原理に入らざるを得ないから、 容易 ならざる専門的研 しょうがい の料 か、講義の題として聞くもののごとく思い流すの 懼 が 究となるが、吾 人 の平常 踏 むべき道は藪 の中にあるでなし、 こうしょうえんだい ある。もちろん道徳の思想は 高尚 、その道理は遠 大 であろ 壁 断 絶 巌 を 沿 うでもない。数千年来、数億の人々が 踏 み固 ぜんげん おび さ わ う。しかしその効用と目的は日々の言行に現すほど、 吾人 めてくれた、 坦々 たる平 かな道である。吾 人 が母の胎 内 に むね かて の意識の中に 浸 み込 ませるところにあると思う。 古 の賢人 おいてすでに幾分か聞いて来た道である。 孟子 の、﹁ 慮 ら くんし こうしょう も道はここにありと教えた。なお賢人の 曰 うに、 ﹁言 近くし ざる所にして知るものは人の良知なり﹂と言った通り、 慮 よう はらわた そそ ふ て旨 遠きものは善 言 なり。守ること約にして 施 すこと博 き らずして、ほとんど無意識に 会得 してある教 訓 に従うを道 せい じんぎれいち しろうと い たいない かぞ おもんぱか おもんぱか かた ものは善道なり。君 子 の言 は 帯 より下 らずして道 存 す﹂と。 徳と称するものでなかろうか。 う え りんり せいじん たんれん ふ これを思えば道すなわち道徳はその 性 高くしてその用 低 わが 輩 は決して道徳問題は、みなみな 無造作 に解するも でんぷやじん くに おさ あた ふう か ぜっぺきだんがん く、その来たるところ遠くして、その及ぼすところ広く、 のと言うのではない。一生の間には一回二回もしくは数回 こ 夫野人 も守り 田 得 るものであるらしい。 腸 を断 ち、胸を焦 すような 争 が心の中に起こることもある。 し わが邦 においては道徳に関する文字は漢語より成るもの多 しかしそんな難題は生涯に何回と一本か二本の 指 で数 えつ かい くせ い きがゆえに、学問なければ、道も修 め得 ぬ心地す。仁 義礼智 くせるくらいなものである。これに反し、われわれの最も かたくる くだ などとは斯 道 の人にあらざれば解 し能 わぬ倫 理 として、素 人 を注 意 ぐべき 心掛 は平常毎日の言行︱︱︱言行と言わんより げん のあえて関せざる道理のごとくみなす 風 がある。これもそ は心の持ち方、精神の態度である。平常の 鍛錬 が成ればた ぼんじん えとく のはずであって、むかしは 堅苦 しき文字を 借 りて、聖 人 にも しどう 人 にも共通なる考えを言い現す 凡 癖 があった。これはただ 自警録 ようい はんもん おそ はい こころえ あんがい じんじょう またま大々的の 煩悶 の 襲 い来る時にあたっても解決が 案外 へいぜい じかい きおく 易 に出来る。ここにおいてわが 容 輩 は日々の 心得 、 尋常 きょう 生 の 平 自戒 をつづりて、自己の 記憶 を新たにするとともに しなのまる 同志の人々の考えに 供 したい。 大正五年五月九日 四 とじょう 南洋旅行の途 上 、信 濃丸 船中にて にとべいなぞう 渡戸稲造 新 五 第一章 男一匹 六 神と獣類の間に立つ人 くに 七 めいし おとこ じんかく 外国語では人という 名詞 をただちに男 に代用するが、わ や ひ そんじゃ ひと あま へりくだ うち しんげん ひと ひと ひと ひと ずから 尊者 の敬称を甘 んじて受け、またある時はみずから ひとおほ 卑 と称するほど謙 野 遜 る。信 玄 の歌に、 ひと ひと ひと ひと ひと ひと 多 人 き人 の中 にぞ人 ぞなき、 人 となれ 人 、人 となせ 人 ひと とあるは、ある人の歌に、 ひと かんねん はたゞ人 人 とならねば人 ならず、人 となれ人 、人 と ひと が国 において人というのは西洋のいわゆるペルソン︵ 人格 ︶ こうしょう なせ 人 ことば を指し、ただちに性の区別をいいあらわさない。しかして とあると同じく﹁ 人 ﹂なる 観念 を二つにしていることが よう この人なる語 はあるいは高 尚 な意味に用いることもあれば、 ふく 明らかである。すなわち﹁人﹂なる字が善悪の二 様 に用い や ひ またすこぶる 野卑 なる意味を含 ませることもある。たとえ られている。 はじ ば、 八 れいちょう ﹁人と生まれてかかる事をするのは 恥 である﹂ 女なる言葉に含まれた道徳的意味 し おんな この人間のうちには男もあれば女もある。しかして﹁ 女 ﹂ そな という場合に用いられた人は、万物の 霊長 であり、した れんちしん がって 廉恥心 も自然に 備 わっているものなれば、よろしく おも なる言葉はその用うる場合により、﹁人﹂の場合と同じく、 みずか ら 自 重 んずべきものなりとの意味をいいあらわし、動物に い 善悪両様の意味を別々に含ませている。むろん男のことを そんちょう ひぼう 対して人の尊 重 すべきを示したものである。しかるにこれ ﹁女らしい﹂というときは、十に八、九まで 誹謗 する意 旨 で にんげん に反し、 あるが、しかし女自身に使用するときでも、おもしろから しょうじん ふう ﹁どうせ人 間 だもの、このくらいのことをするのは当然だ﹂ かみ ぬ意味を 諷 することはしばしば見るところである。 くちょう ざいごう という 口調 を放つときは、神 ならぬわれわれは肉も血も はんじゅうせい じょし がた たとえば、 まぬか ひ げ やしな あり、多くの弱点を備うるものなれば、時にこれしきの 罪業 ﹁ 女子 と小 人 は養 い難 し﹂ もち かいざい じょし じょし をするのは免 れぬと、 半獣性 の欠点に富めることをいいあ という場合、単に 女子 という文字だけにてはさらに善悪 じゅうるい つごう むす の意を含んでおらぬが、 小人 という 語 と 結 びあわせると、 かって ことば らわすに 用 いられる。かくのごとく人間といえば上は神、 子 を卑 女 下 する心持が現れている。ちょっと普通行わるる けんび しょうじん 下は 獣類 のあいだに介 在 するものであるから、両者の性質 くら を兼 備 し、自分の勝 手 で都 合 よきほうに 較 べ、ある時はみ 自警録 を見ても、 諺 ことわざ なんじ ︵女よ心弱きとは 爾 の名なり︶といい、またテニソンの Woman ︵女は小さき男なり︶といえるなど、よほ is a lesser man. れいしょう ど女を見下げた言葉である。もしそれかかる 例証 を文学中 ﹁どうせ女の事だもの﹂ な ﹁家の乱は女から﹂ ないしんにょやしゃ より拾い集めんとすればほとんど無数である。されば女と れんけつ げめんにょぼさつ ﹁七人の子は生 すとも女に心を許すな﹂ あっこう にょにん いう言葉だけで、いわゆる 外面如菩薩 、内 心如夜叉 という だいじゃ ﹁大 蛇 を見るとも女 人 を見るべからず﹂ 思想を含ませることは、世界を通じて広く行われることで ひっきょう などと女に関する 悪口 がたくさんある。 畢竟 いかに男子 じはく ある。 ぐ が自己の 愚 より婦人に迷ったかを自 白 するに過ぎぬ。こと しかし同時にまたこれと反対の意味を含ませて用うるこ へん つくり に漢字では女の字を 偏 または旁 に含めるものは、むろん善 ともある。たとえば、 りょうだん ぼう 意を含めることなきにあらざるも、多くの場合むしろ悪意 ﹁某 はさすがに女だけありて﹂ かん なぶる といえば、もちろん弱いという意味にも用いらるるが、 はさ を含ましている。 またしばしば柔 和 で従順で廉 潔 なるの意を含ませて 使 わる さゆう つか たとえば女を三字集めた 姦 、 両男 の 間 に 女 を 揷 ん だ 嬲 ることもある。漢字を見ても好︵このむ︶ 、妥︵しずか︶な どは善い意味である。西洋の文学にも女といえばただちに にゅうわ に相違ない︶ 、奴︵やっこ︶ 、妄︵みだる︶ 、奸︵みだす︶ 、妨 ︵もっともこれは女のほうより 左右 にある男のほうが罪ある ︵さまたげる︶、妖︵わざわい︶、妬︵そねむ︶、婪︵むさぼ 使 と同一視する例も少なしとせぬ。かくのごとく女とい 天 こと る︶ 、嫉︵ねたむ︶のごときは悪い意味である。その他普通 う字だけを用いる時は、単に男と性を 異 にする人なりとい ひょうか てんし の用語にしても女といえばなんとなく 卑 めるがごとき印象 う簡単な意味にとどまらないで、善とか悪とかいう 道徳的 いやし を受ける。わが輩は常に女といえばただちに母ということ 価 で判断さるるものである。しかしてこの評価はその使 評 ひ げ しからば男という言葉もまた人もしくは女というように どうとくてき を頭脳に思い出すから、いちがいに女という文字を 嘲笑的 用の場合によりあるいは高きことあれば、あるいは安きこ ちょうしょうてき に用うる人多きを見て、 不愉快 に感ずる。しかし女を 卑下 とありて、 相場 が一定しない。 ふゆかい する思想は必ずしも日本のみでなく、またシナのみに限ら Woman, Frailty is thy name. そうば ぬ。西洋においても多少この傾向の存在を否定することは 男一匹とは何を意味するか かのシェークスピアの句に 九 できぬ。 自警録 自警録 きたい ちょゆう ぬ。わが武士道においてもかくのごとき勇気をもって 猪勇 ふか 善意にも悪意にも用いらるるかというに、これは 奇態 に悪 ほしょう ほうち と称し、 深 く尊敬しなかったものである。しかしこれは高 いんしょう だいたんふてき 意に用うることがほとんどない。単に男というときは、た き見地より見てのことであって、社会がいまだ 法治 の階段 にんきょう ごうき だちに男らしいとかあるいは剛 毅 とか、あるいは大 胆不敵 、 に進まない時代には、武勇は社会の安全に対する 保障 で、 か だ ん ゆうもう ひん あるいは 果断 勇 猛 、あるいは任 侠 というような一種の印 象 あまがわやぎへえ ちょう こうし せきじ ゆう ゆう こ しょい 武勇なければ生命も財産も危険に 瀕 するばかりである。今 じゃっき を惹 起 す。 さおう ね げん でも一 朝 事ある際には、たちまち一国が猛烈なる 所為 に出 かつ そうかい へいそく ﹁天 川屋儀兵衛 は男でござる﹂ る。 沙翁 の 言 に、 ぴき とりて と一 喝 すれば 捕手 の者も閉 息 する。 ﹁ラッパの 音 のわが耳に響 く時は吾 人 のまさに騎 虎 の行動 ぼうこひょうが けいふく ゆう とうと きょくちょく き 男一 匹 なる句は一種 爽快 なる感想を人に与える。わが輩 を 倣 うの時なり﹂ すぐ うなが ゆう のぼ ごじん はその出所を知らぬが、おそらくは徳川時代の産物であろ と。 暴虎馮河 の徒 には孔 子 は与 せずといったが、世俗は ぎわく とく ひび う。普通動物に用いる一匹なる言葉をそのままに、万物の いまだ彼らに 敬服 する。昔 時 、ローマ時代には徳という字 ぶじょく とく なら 霊長たるしかも女に優 れたる男子に応用するは、一見男子を と勇気という字とは二つ別々に存在しなかった。 勇 すなわ ゆう くみ 辱 せるかの 侮 疑惑 を促 すが、おそらく動物としても優勝な ち 徳 、徳 すなわち 勇 と考えられていた。かかる時代には よ にんきょう と るものの資格を嘆美するために用いた言葉ではあるまいか。 し や動物性が混じ、 匹夫 の勇 以上に 昇 らずとも、それが 尊 ゆうもう ひっぷ すなわち前に述べた 勇猛 とか任 侠 とかという勇ましいとこ かった。しかして男子として 褒 むべきはこの種の 勇 を有し びみょう ほ ろに重きをおいてこの句を用いたのではあるまいか。いわ たからで、国がやや進歩し、法律をもって善悪 曲直 を判 別 ほ ひっぷ ば動物として最も 微妙 なる知能を有する者、または才能に する時代にいたっても、依然としてなお 匹夫 の勇 が尊 ばれ、 さいろうこひょう よりて力の足らぬところを、武器をもって 補 い、豺 狼虎豹 男を褒 むるに一匹の言葉をもってしたものであろう。 たくま しょうぶ 一〇 とうと はんべつ ひょうか やそきょう であろう。 もうじゅう せいじん く ん し 武 思想 尚 ぶじょく 右のごとく考え来たれば一匹 なる言葉には、やはり幾分か ヨーロッパでは 耶蘇教 が普及して以来、人生観が一変し こうそう きょうくん にゅうわ 辱 の意が含まれているごとく思われる。けだし 侮 聖人 君 子 キリスト なんじ た。したがって人間の 評価 もまた変わってきた。 柔和 なる ひっぷ 者は幸いなりとは、 基督 の教 訓 であるが、 汝 に敵する者を もうし の勇気に類したもので、 孟子 のいうところの匹 夫 の勇に過ぎ おぎな も遠く及ばぬ力を 逞 しゅうするさまをいいあらわしたもの 、 僧 等より見れば、普通にわれわれの賞賛する武勇は 高 猛獣 ぴき 、 、 自警録 を打つ者あらば左をも 頬 叩 かせよというがごとき、 柔 順 か、汝 に一里の道を強 うる者あらば二里を 歩 めとか、右の 愛せよとか、あるいは 汝 を迫害する者に 復仇 するなかれと お恭謙譲の三者をもって最高の徳として考えている。もち 教えのごときは、 よ ほ ど俗界に 縁 の近いものであるが、な たいてい 柔和 の徳を主として教えざるものはない。 孔子 の でない。道徳とさえいえば、マホメットの 回々教 を除き、 フイフイきょう 和 の道を説き、道徳上の理想としてこれが一般社会に説 温 ろんこれらはいずれも個人を主とし、その実行すべき徳を ふっきゅう かれたのである。しかしこれを実行する者はほとんど皆無 説いたもので、これをもってただちに国と国との関係にま なんじ であった。わずかに有志者があるいは世を去りあるいは山 で応用すべしとは、おそらくはいかなる宗教家でも説いて おんわ いおり そう やそきょう げんじ やそきょう にゅうじゃく キリスト けが ちょう ほうちく いいだくだく しゅし こうし いきどお にゅうわ とど おそれ じゅんぽう こうし 深く 庵 を結び、あるいは市街にありても 僧 となりて俗縁を はおらぬであろう。またこの宗教の旨をそのままに 遵奉 す しょう きょうし にゅうわ 断ったものが、文字どおりにこれを実行したるに過ぎなかっ れば、とかく 柔弱 に流れ、かえって開祖の主旨に反する 虞 あゆ た。 もある。現に 基督 のごときは前にも述べたごとく 柔和 主義 にゅうわ どれい し 普通一般の人はみずから 耶蘇教徒 なりと称 しながら、こ の教えを垂れたるにかかわらず、ときには大いに 憤 り、綱 なんじ の柔 和 の道を守らなかった。すなわちニーチェが 耶蘇教 を をもって神殿を 汚 した商人を放 逐 したことがある。 キリスト ゆうもう ただ ゆかり 隷 の道徳と 奴 悪口 したのも無理ならぬことで、現 時 の戦争 この事実に 徴 すれば温和を主とするとはいえ、必ずしも せいこう あいま じゅうじゅん にも現れているとおり、 基督 の言葉が決してそのままに行 不正なる要求に対しても 唯々諾々 、これに盲 従 せよとの意 おうしゅう キリストきょう ちしゃ たた われておらぬ、むしろその反対の 勇猛 なる教 旨 が、耶 蘇教 ではなかったことがわかる。ゆえに人にはあくまでも男ら ほお 以前より一貫して 欧州 に盛 行 している。これこそ実にニー しい気骨がなければ宗教の 主旨 にも 適 わなくなる。人は軟 やそきょうと チェのいわゆる 治者 の道徳である。これは前に述べた女ら 骨動物ではない。愛とは単に老牛が 犢 を舐 むるの類に止 ま あっこう しく柔順なれという 基督教 に対し、男らしかれという教訓 らぬ。しかしてこれは 啻 に男子にかぎらず、女子において そと キリストきょう マスキュラークリスチャニーチー もうじゅう である。こんにちの世界はこの両者 相俟 って始めて円満な もまた然りである。 お お ふんがい かな るを得るものであるが、 外 に対して常にわれわれの眼を喜 今より六、七十年前、英国の思想家のあいだに 基督教 の な ばせるものは、 男々 しき男性的道徳である。 弱 に流るるを憤 柔 慨 して、いわゆる 腕力的基督教 を主張 にゅうじゃく したものがあった。この事業に従った主なる人には文豪キ 一一 ングスレー、大説教家モリース、 ﹃トムブラオン﹄の著者と やそきょう 男一匹の活動 ひと しかしこの柔和なれと 訓 うるは 独 り耶 蘇教 に限ったこと おし 、 、 、 自警録 ささい たことであろう。これらの 些細 の事柄は笑うべきではあっ げんこん ちゅうちょ だん たす けんか ぶっそう して有名な裁判官ヒュース等があった。もちろんこれら一 キリスト たが、まただいたいにおいて彼らのなすところ、 物騒 の傾 ほしいまま 派の 紳士 は腕力を 縦 にしたのでなく、 基督 の仁と称する 向なきにあらざりしも、その動機においてはいかにも男性 しんし は決して悪き意味における婦女子の愛のごとき 猫 可 愛 が り の くじ 的で、子分の顔を立てるためには自分に不利益なる 喧嘩 を な か でないと説いた。そして彼らの腕力は一時ロンドンに響い がら ったこともあろう。 買 けんか たものである。ヒュースのごときは身は裁判官でありなが 自分の命を投げ出したこともあり、強きを挫 き弱きを扶 く げんこつ ちんちょう ぎ ら、ロンドンのちまたに 喧嘩 があると、職務 柄 の礼状を発 るを主義とし、 義 を見ればいかなることにも 躊躇 しなかっ けんか かちゅう することなく、みずからその 渦中 に飛びこみ、﹁サアここ た。この 任侠 な勇猛な性質は、 勘定 高き 現今 の社会におい おもむき だ て し ぼ 非なりと信ずるゆえに、たとえ 当年 の男 伊達 の意気を思 慕 とうねん たる憲法政治のもとにそのままに実行することは、 断 じて かんじょう にヒュースが来た、ヒュースの 拳骨 を知らぬか﹂と名 乗 り、 ておおいに 珍重 すべきものと思う。されとてわが輩は、法 て にんきょう もってしばしば 喧嘩 を仲裁したという。彼らはまさしく男 律もろくろく備わらなかった社会に発達した風俗を、法治国 だ く 一二 一匹の心持で活動したのである。わが国にていえば、まず て 男 伊達 の趣 を備えた人である。 だ だ て けいぼ か ほ こんにち ぜひきょくちょく おさ するとはいえ、こんにちの男一匹は長兵衛そのままを写し はい 男 伊達 の行為よりもその精神を 酌 め て可 なりとは思わぬ。争議起これば、今 日 はこれを治 むる はい そうおう わが 輩 はつねに男伊 達 の制度を景 慕 する者である。なか ために 相応 の法定機関がある。これによりて 是非曲直 を判 ばんずいいんちょうべえ そんすう でも 幡随院長兵衛 のごときは、これを談話に聞いても、書 ひょうぼう おとこまえ だ て 断すべく、みだりに腕力を用うることを許さぬ。ゆえにわ にんきょう ささい 籍に読んでも、じつに我が意を得たものとして 尊崇 せざる が輩 は外部に表れた男 伊達 の行為よりも、むしろこの行為 じ ぎ くまこう 一三 ほ を得ぬ。 任侠 の標 榜 するところには、 些細 なる点において を生み出した任 侠 の心持が欲 しいのである。すなわち、 おろか もう が 人にまけ 己 れにかちて我 を立てず義理を立つるが男 おの にんきょう まことに 児戯 に似たることも少なくない。たとえば 手拭 は ﹁男は気で食え﹂﹁男 前 よりは 気前 ﹂ コンヴェンション てぬぐい どう持つものとか、尺八はどう 揷 すとか、帯はいかに結ぶ などいうところの男性的気象が 欲 しいのである。 はか きまえ とか、語尾はいかに発音するかというがごとき、 愚 なこと るい べん さ ではあるが、その子分として用いた者が多くは無学の 熊公 勇は男一匹たるの要素 とうぎょ によりて 統御 の便 を計 ったのも、あるいは止むを得なかっ はちこう 公 の類 八 であったから、かくのごとき 紋切形 を 設 け、これ 、 、 、 、 、 自警録 だ て しんちょう かみ ひと じょう と、孔子は答えて、 くんし らん ﹁君子は義をもって 上 とす。君 子 勇ありて義なければ乱 を 達 なり 伊 す。小 為 人 勇ありて義なければ盗 をなす﹂と。 そうめいさいべん ししつ い けいちょう 一四 とう の一首まことに 深重 の味がある。ことに上 の句の﹁ 人 に ふる しんちんこうちょう しょうじん まけ﹂のごときは前に述べたもろもろの宗教の教うるところ じつにそのとおりで、古人の語に、 か な で、右の 頬 を打たるれば左の 頬 を出すがごとき意を含んで ﹁深 沈 厚重 は是 れ第一等の 資質 、磊 落 雄 豪 は是れ第二等の ほお いる。またそのつぎの﹁ 己 れにかちて﹂などは勇の最も洗練 資質、聡 明 才 弁 は是れ第三等の資質なり﹂と。 ほお されたるものである。勇気もこの階段に達すればもはや猛 ふる い しょう きょう ほんまつ う む らいらくゆうごう 勇でなく、 匹夫 の勇でもない。 孟子 のいわゆる大勇なるも 男一匹になるには推理の力が 要 る か か こ ので、西洋の学者のいうモーラル・カレッジ︵ 道徳的勇気 ︶ しからば男一匹たるの資格は、勇気の 有無 のみをもって せかい おの である。 定むるかというにそうは行かぬ。勇気なるものは目的に達 おの か もうし 男一匹たるの資格は第一に勇を 揮 うて己 れに克 つにあり する方法であって目的でも動機でもない。なんのために勇 おの ひっぷ と思う。 己 れに克 つものはほかに勝つこともさほど難事で を揮 うかといえば、義のためにするのである。義を見てな いわ げん どうとくてきゆうき ない。 己 れに克 つものは世 界 に勝 つことを得 と古人の 言 え せばこそ勇と称 すれ、不義と知りながら行えば、いかに奮 しょ おの るのはこのことである。なお古い漢書に 曰 く、 闘してもそれは 怯 たるを免れぬ。ここにおいて男性として か ﹁善く身を 処 する者は、必らず世に処す。善く世に処せざ くべからざる要素は事の 欠 本末 物の 軽重 を分別する力であ ぞく う るは、身を 賊 する者なり。善く世に処する者は、必らず 厳 こ る。テニソンが﹁女は小さき男なり﹂といったのは、むろ げん に身を修む。 厳 に身を修めざるは世に媚 ぶる者なり﹂ もうしんてき ん形の大小を意味したのでなく、知能の多少を指したので たいにん と。決して女子は勇気なくともよいというのではないが、 ある。 さっ のうずい 女子の強きところは耐 忍 にありとせば、男子の特長は猛 進的 わが輩は 脳髄 において女性が必ずしも男性に劣るとはい し ろ たげん わぬ。女性にして学者や芸術家や宗教家を出しているに見 ふんとう なる 奮闘 の力にある。このことを論ずるには 多言 を要せぬ。 れば、両性のあいだにおいて 脳髄 の作用が種類を異 にする こうし こうし あずか こと 動物を見てもすみやかに天意のどこにあるやは 察 しられる。 とは思わぬ。今までは西洋においても女性は男性ほどに教 とうと のうずい 孔子 の弟 子 なる子 路 は勇 ましい男性的の者であって、つ 育の恩典に 与 るの便がなかったゆえ、その頭脳もまた思う くんし いさ ねに勇を好んだ。ある日 孔子 にたずねた、 で し ﹁ 君子 は勇を尚 ぶか﹂ 自警録 がた 分に 発揮 したとは言い 難 い。なんとなれば男性の特性は活 はっき 存分に啓発されなかった。しかし女子教育の便も進みたれ 動にある。働きかけすなわち能動は男性的にして、女子は ないじょ ほまれ ば、今後女性の智力の発展は男子のそれに比べてますます 受け身である。また男子の働きは外部に現るるを 誉 とする ないじょ 大なるものであろう。もっとも普通に女子は男子に劣ると も、女子の働きは 内助 にある。しかしてこの 内助 はただに わんりょく いう言葉のうちには、 腕力 の差違を含めることはいうまで ゆうえつ 一家のうちの意味にとどまらずして、心のうちの助けの意 しりょ もないが、思 慮 において男子の女子に優 越 なることを述べ さき しょ 味とも解すべきであると思う。 はな たのである。 そこ ゆえに一家に事あり、これに 処 するは男子の任であるが、 さかしゅ ぶじょく ﹁女 賢 うして牛売り 損 なう﹂﹁女の 鼻 の先 思案﹂ その動機はあるいは女性に起こることが少なくない。 し などいうは、こんにちの女子に対してははなはだ 侮辱 の キングスレーの 詩 に、 げん いな に聞こゆるも、女学校の設置なかりし時代においてはさ 言 もありしなるべしと思われる。 否 、女学校に通う学生のあ しりょ そし まぬか とど Men must work and women must weep. ︵かせがにゃならぬ男の身、泣かにゃならぬ女の はい しりょ いだにおいてさえも、なお往々にしてこの 謗 りを 免 れない せん 身︶ という一句 がある。 詮 じつめれば男子の力は 思慮 に止 ま いい く ものもある。わが 輩 のいう 思慮 とはいわゆる﹁ロジカル・ マインド﹂で、推理の力の 謂 である。かくすればかくなる らでこれを判断し、しかしてこれを実行するにある。女子 はか と直接に起こる因果の関係は何ぴとでも 測 りやすきことで こ の力は判断するについてははなはだ弱い。しかし思慮する おもんぱかり あるが、その先は? なおその先は? と先の先までも推論 おと に参考とすべき種々の観察を下し、あるいはこれが材料を むしりょ まさ きのうてき を下して遠き 慮 を凝 らす力は、今日では︵将来はいざ知 のうずい 集むることは決して男子に 劣 るものでない。 げん らず︶なお男子の特長︵もちろん男子にも 無思慮 の者多き かた 物を観察すれば、理性によりて発見しえざることがらを、 えんえきてき かつてある学者の 言 に男子の 脳髄 は 帰納的 なるも、女子 ほこ はいうまでもなけれど、女子に比すれば少なかるべく︶と は演 繹的 なりとあったが、女子は感情が 勝 っているから冷 一五 ぴき も称すべきものであって、男一 匹 と誇 るものはものごとの 静に事物に接することが 難 い。しかし感情の力をもって事 とく い しりょ 利害、曲直について 篤 と思 慮 する要素を備えねばならぬ。 往々にして発見することがある。昔の男一匹は動物的に猛 ふる 勇を 揮 うを特性としたとはいいながら、なおかつ当時にお きょうちゅう 男一匹には判断実力の力が 要 る しりょ 思 慮 のただ 胸中 にあるのみにては、まだ男性の資格を充 自警録 すぐ 商店において、事務所において、女性は一部男性に代って しりょ いても女子よりは 思慮 と判断の力が 優 れていたであろう。 仕事しつつある。この競争は今後急に終るまいと思うが、 近来、人類の進歩を考うるに、女子の進歩は男子にくら 男女両性の接近し競争する傾向 るように聞こゆるし、また 現 に経済上の競争においては利 競争とか勝負とかいえば、両性のあいだに利害を 異 にす 子だけの性質を 忌憚 なく発揮することにある。 か、それは未来の事とし、 吾人 の目下の務めは、男子は男 しりょ せきじ 今やまた知識上の競争も始まらんとしている。これを思え げんしょう こんにちの男一匹は、文化の進歩とともに 昔時 のごとき ばんゆう 勇 の必要はいちじるしく 蛮 減少 したけれども、思 慮 と判断 ば男一匹の将来ははなはだ危ぶまるる。この戦争が将来い べて速度が早いと思われる。知識上のことはいうまでもな 害を異にしているが、この利害を異にする関係は永遠に続 た た 力とにおいて 多々 ますます進むにあらざれば、男一匹とし へいわ かに成りゆき、いずれが勝つか、いずれが負けるか、はた く、その身体のうえにおいてさえも、近時、男子の体格上 くものであるか、あるいはまた男女は単に性の相違するの まさ て女子に 優 るの理由を失うにいたる。 に起こる変動よりも、女子の体格に起こる変動が多い。 みで、その他の利害はことごとく共通するものではないか ごじん またいずれも勝負なしに円満なる 平和 をもって解決さるる ある学者はかくのごとき有様が続いたならば、世は遠か という問題も起こってくる。 一六 らず 蒲柳 の美人がなくなるだろうというている。思慮、学 問、決断において女子が男子のごとくなれば、身体までも 弱者の保護は男一匹の要素 きたん 類似してくる。かくなればもはや男一匹などいうことは 相 従来、男は女に比し優等なりしために、男は女を保護す 一七 あい こと 決 し て 男 子 の 誇 り の 言 葉 で な く な る 。 昔時 の得意を夢み、 るをもってその義務となし、またこれを 愉快 とした。がこ げん 油断していると、男子はその長所を失うて粗雑な荒くれ男 の点についても今後両性が 相 類似するときは同等となり、 ほりゅう のごときものとなり、さらに一歩を進めて道徳上に退化を 一方が一方を保護する必要がなくなりそうであるが、おそ あい 来たしたならば、いよいよ一匹の匹が動物的男性なること らくはそれは空想にとどまり、動物の例により 推測 するに、 せきじ を示すにいたりはせぬか。 男性はあくまでも女性を保護するものらしい。すなわちあ ゆかい ある人は今後の戦争は女性との対戦ならんといった。も る意味において女性はあくまでも弱き地位に立つもので、 すいそく ちろんこれは 腕力 の戦いでなく、経済的の戦いである。こ わんりょく の戦いはすでに開始せられ、工場において、学校において、 自警録 ふじ ひとごう いわ われじゅう あ ほんいく ゆう うしな ﹁ 人 剛 を好めば 我 柔 をもってこれに勝つ﹂ ごう すべか せきし 男は松、女は藤 である。 じゅう よ と、また 曰 く、 ちぶさ 今後、女性の身体の構造にいかなる変化が来たるとする ﹁ 柔 能 く剛 を制す、赤 子 に遇 うて 賁育 その勇 を失 う﹂と。 ちから ゆえ そと も、男子に乳 房 が加わる時の来ないあいだは、母たるの役 ち え 男子は 須 らく強かるべし、しかし強がるべからず。 外 弱 かんが うち 目はいつまでも女子に属する。この一時に 鑑 みても男子は ま の きがごとくして 内 強かるべし。 てんねん 女子を保護するの義務が 天然 に備わっていると思われる。 けて退 負 く人を弱しと思ふなよ 智恵 の 力 の強き 故 な もてあそ しりょ ゆえに男一匹に欠くべからざる要素は女性に対して保護者 しん り らんよう となるにある。女性の弱きに乗じて彼らを 弄 び、あるいは さ よろこ にせもの とら さい こ ひ どうちゃく おし おのの かの とは、 真 の男子の態度であろう。男もこの点まで 思慮 が まも 彼らを苦しめるがごときは、これ男性の権能を 濫用 するの 進むと、先きに述べたる宗教の 訓 うる趣旨に 叶 うてきて、 ひつじ くさ よろこ しつ はなはだしきもの。力ある者が力なきものを養いかつ 護 る 沈 深 重厚 の 資 と磊 落 雄 豪 の質 との撞 着 が消えてくる。かく ほうとう ひ らいらくゆうごう こそ、生物界における永遠 不易 の法則である。 なると 羊 のようにおとなしい性と虎 のごときたけき質とを くず ようしつこひ こ ないしんひきょう ようしつ とら し むかしの任 侠 と称する者を見ても、彼らは外見上 放蕩 三 兼備する人格が出るであろう。漢学者の使用する一句に、 しんちんじゅうこう に身を持ち 昧 崩 すようでありながら、なお女子に対する関 ﹁羊 質虎皮 ﹂というのがあって、外面 虎皮 をかぶりて虚 勢 を ふえき 係は思いのほかに潔白で、足を 遊里 に踏み込んでも、女子 張り、 内心 卑 怯 きわまる偽 物 を指 す成語としてあり、 楊雄 もてあそ にんきょう を弄 ぶがごときことは少なかったようである。この程度に ︵前五八︱後一八︶の文に、 まい 達せざれば二十世紀における男一匹として世に誇ることは ﹁ 羊質 にして虎 皮 、草 を見て 悦 び、 豺 を見て 戦 く、其の皮 かな ようゆう きょせい できぬ。 の 虎 なるを忘るるなり﹂ 一八 ゆうり もうゆう さい おのの おくびょうしん かよく とあるが、草を見て 悦 ぶになんの悪きことがない。悪きこ まっと 男は強かるべし強がるべからず ぎょうかんけいれい とは 豺 を見て 戦 く臆 病心 にあるのだから、その温順 寡慾 な とら 女子の保護者たる役目を 全 うするには 猛勇 では 叶 わぬ。 れんきちゅうか いわ こ る羊質をもちながら、なお虎 の驍 悍勁厲 なる質を修めたら、 だ て やはり優しきところ、一見女性的のところがなくてはなら かた すなわち 廉毅忠果 の性格となりてこれに 超 ゆる人格はなか ば ろう。政治家かつ文学者として高名なるバヤード=デーロ い ぬ。血も涙もあってこそ真の男と称すべし。今後の男 伊達 ル氏の詩に 曰 く、 いわ は決して 威張 り一方では用をなさぬ。内心 剛 くして外部に やわ らかくなくてはならぬ。むかしの賢者も教えて 柔 曰 く、 自警録 ︱︱︱ The bravest are the tenderest, The loving are the daring. ゆうしん おんじゅう あいじょう だいたん ︵勇 深 なる者は温 柔 なる者、愛 情 深き者は大 胆 な る者なり︶ 自警録 第二章 一人前の人と一人前の仕事 一九 二〇 たい て一人前とする。 こ しゃく もう だいひょう たん 一人前に 対 してかくのごとき標準を 設 けたのは何より起 しゃく こったのであるか。 四 尺 に足らぬ小 男にも、六尺 ちかい 大兵 にも、一反 の反 二一 一人前とは何を標準とした言葉か 物をもって不足もしなければあまりもせぬ。もっとも仕立 たん 永き過去を持たぬ人にも、自己の身の上を反省し、もっ にく しんしゃく の方法によりてはいかようにもなし得られる。特別の理由 たけ て将来のことを計るのは、折々あることであろう。まして あるにあらざれば、 丈 の長短を 斟酌 せず一人前は一反 と定 ろうにゃく 一生の旅路の坂を下りかけた人にはしばしばある。ゆえに けんたんか なんごう さず めてある。 たが これは 老若 を問わず誰しも経験あることと信ずる。凡人の おとこ しょくもつ また小食の人も 健啖家 も、肉 を注文すれば同じ分量を 授 ぴき 習いと言わんか、僕もこの例に 違 わず四十歳前後のころよ け ら れ る 。ほ と ん ど 個 性 を 無 視 し て 男 一 匹 の 食物 は何 合 、 なんじゃく りしばしば、 衣類は 何尺 と、一人前なる分量が定まっている。して、こ にんまえ な の分量は数学的に割り出したのではない。 おの ﹁己 れは一人 前 の仕事を為 したであろうか﹂ 日本には何尺の反物が出来る。これを人口に割り当てて りょう を自問した。しかしてこの問題の起こると同時に起こる にんなみ ぴき 疑問は、そもそも一人前というはいかなる 量 を指すかとい ひとなみ かおかたち い 一人前は何尺としたのでなく、また消費の額を精算して、 とお うことである。 にんぶん 日本人は春夏秋冬を通じて衣服は何枚 要 るかから割り出し にんまえ 一 人前 、一 人分 、一と通 り、 人並 、十 人並 、男一 匹 の任 たものでもない。 めはな おもむき ぶん そろばん はか なみ 務などいう言葉はわれわれのつねに聞くところである。な それと同じく人の 容貌 を評するにも、よく十人 並 という ようぼう かんずく一人前という言葉は種々の場合に応用されている。 言葉を使う。これはすなわち 美醜 の一人前という意味であ びしゅう 物 一反あれば一人前の衣服が出来る。五 反 合 の米があれば るが、美醜の割り出しなどは、 眼鼻 や顔 形 の寸法を計 って もんめ ごう 人間一人の一日の生命をつなげる。 出来得るものでない。まして芸などについては 算盤 にかけ たんもの 独立の生活を営み得るだけの芸術を習得すれば、一人前 じゃく ることは絶対的に不可能のことである。 ごう これによりてこれを見れば一人前あるいは一人 分 と称す めし の芸人となる。 るは、統計学者が平均人と称するものとはだいぶ 趣 を異に もんめ 牛肉屋に肉を注文すれば二十五匁 より三十五匁 までをもっ 料理屋で飯 を注文すれば一合 二、三勺 を一人前という。 自警録 じつざいてき を説明して、世の常の人の 列 なること、尋 常 と説いている。 大 槻 先生はその著﹃ 言海 ﹄において、人並みという言葉 一人前と統計学者のいうノルム も解釈の一 法 となし得はせぬか。人が普通に 道 というのは これは種々に解釈されるが、平均とノルムとをもってして ﹁道 の道 とすべきは常 の道 にあらず﹂と。 と思 う。老 子 の有名なる語に、 種の理想的標準を設け、物を測定するに用うるものである ゆびさ これをもって見ても人並みまたは一人前ということが平均 ノーマルの道をいうのであろう。さすれば同じく平均だけ し とは違うことがわかる。統計学者がよく用うる言葉にノル の仕事をするものをもって一人前の任務を終えたものとみ もく もあろうが、平均は 実在的 現象を測るもので、ノルムは実 ︶というがある。通常これを標準、規範、 型 など ム︵ norm と訳しているけれども、この訳語にては他の文字と混同す なすことが 出来 ようか。僕はかくのごとき問題で長く 頭脳 た しているように思う。 際経験の後、誰 れいうとなく、十目 が見、十指 が指 して、一 二二 る 虞 があるから、僕は 原語 のままにノルムという字を 用 い を痛めたが、恥ずかしいことにはこれを自己に応用して問 おそれ ものさし てき つら げんご ごげん かな だいく もち みち いなか しょう え ど 二三 ぎょう しょう ことわざ あ なんぴと ずのう 題を解決し得なかった。しかしてこれは今もなお出来たと で き 実測上のすなわち平均の道というので、常の道というのは ぽう ろうし たいと思う。ノルムはその 語原 を調べると大 工 の使用する は断言しがたい。 な おも 指 すなわち定 物 規 である。この定規に 適 ったものがノルム そ げんかい すなわち英語にいうノーマル︵ normal 的 ︶である。一人前 ひと の人 というのはノルムで測って不足なき人をいうので、す 一人前の人と一人前の業 おおつき なわち常識的に言わば肉眼鑑定で見て、まずまず一ととお この問題を提出したならば、 何人 もそれは国柄や年齢に みち り具 備 わっているものを指していうのであろう。未開国な もよろうし、社会の位地職業等にもよろう。五十歳の男と つね ら未開国相応に風俗・習慣・智能・信仰があって、これに 二十歳の青年と同一にこの問題に 当 つることは出来ぬとい こくじん みち 応ずる態度がある。 うであろう。一人前の 業 を客観的に一定することが出来れ おちい じんじょう これすなわちその国のノルムに 適 うというべきものであ ばまことに気が楽であるが、とても 諺 にあるごとく、 みち る。もしこのノルムに達し得なければ、その人は社会の一 ﹁田 舎 の一升 は江 戸 でも一 升 ﹂ かな かた 員として取扱われぬ不幸に 陥 る。ゆえに同じ 国人 のうちで と い う わ け に は ゆ く ま い 。僕 も ま た 幾 ぶ ん か そ う 思 う じょうぎ も精神薄弱児とか精神異常者を測ればノルムに 適 わぬ。 かな ノルムと平均とを同じように用いても差し支えないこと 自警録 らぬことである。ゆえに根本的でなくとも、一時的の解決 かしいかなる問題もこれを根本的に解決することは容易な 解決せんとすれば、恐らく各自に解決が出来ると思う。し こういうように一人前なる意義をせまく取りてこの問題を たか、一国の 宰相 なら宰相として一人前の仕事をしたか。 稚奉公 の職にあるものならば 丁 丁稚 の一人前のことをなし けれども、二十歳の者なら二十歳の一人前並みであるか、 た標準はみな自己以外にあることである。学生ならば学校 しかるにこの例について起こる疑問は、 定規 として用い 測る標準は内にあるか外にあるか に好人である。 との心掛けを連日実行して、一生を 貫 けば、その人は 実 ﹁ 世 に在 ること一日ならば、一日の好 人 と做 るを要す﹂ あろう。古人の言のごとく、 一人前の仕事をした人で、天にも地にも人にも恥じぬ人で でっち にてもよかろうが、とにかく幾らか安心の出来るだけの解 の規則と教師の要求する業務を行うのである。商売人なら でっちぼうこう 決はしたいものである。 ば他より起こる取引を 完 うするのであり、婦人ならば家政 じょうぎ 二四 つらぬ せけん じょうぎ な 自分は果たして一人前の仕事をなしたかというのと、自 上のことを、いわば余儀なくさせらるるのである。ノルム ぐせつ こうじん 分は果たして一人前の人間であるやということとは、二つ は 定規 なりといったが、この定規は自己以外に、 世人 がわ なんぴと へい あ の問題であって、もちろんそのあいだに少なからざる差違 れわれに期待する業務の分量であり、してその分量は、同 たと よ がある。今しばらく仕事について愚 説 を述べてみよう。 じ境遇にある普通の人が 為 しつつある分量であって、甲も さず さいしょう 一人前の仕事という分量は 何人 が定めるのか、これをき 乙も 丙 も丁 も や り 得 るのだから誰れでも や る べ きものと定 じつ わめて具体的にわかりやすく譬 えれば、学生の身なれば一日 められている分量である。俗にいう 世間 の勤めとはこのこ まっと の一人前の仕事は 授 けられた学科を習得し、点数は百点に とをいうらしい。 せじん 達しなくとも、七十点も取れれば一人前とみなされるであ ここで僕の心を苦しむることは右のごとく一定の職務と おっと おれ 、 、 、 、 な ろう。商売人であればその日の取引を残らず 結了 すること か地位とかが要求するのなら、ずいぶん明白に寸法に従っ てい であり、一家の主婦なれば一日のあいだに 為 すべき 掃除 な て測り得るが、しかし 俺 は一人前の人間なりやというにい しゅび けつりょう り料理なりその他 夫 に対する義務、子供に対する世話をも たっては、仕事をもって測るのでなく、思想をもって測る そうじ 尾 よく 首 為 しとげることであろう。右は一日の仕事をいっ のではあるまいか。果たしてそうとすれば自分の心を測る まっと な たのであるが、これを一年を通じてその日その日の務めを な うし、ひいては終身これを継続せば、この人はたしかに 完 、 、 、 、 自警録 ノルムは果たしていかなるものなりや。またどこにありや。 彼らの 寸尺貫目 を測ると平均人よりはるかに以上に当たっ ば英国の王立学士院では英国一流の学者を網羅してあるが、 すんしゃくかんめ もしノルムにして自己以外にあるものならんには、自分 ている。この点より推測すると学問の出来るものは 脳髄 も えいり のうずい の勝 手 にならぬことは確実である。たとえば牛肉屋に行き、 よい。脳髄のよい者は体格も偉大にして 肉附 もよく大きい かって は人並みよりも大食であるといったからとて、一人前と 俺 という関係があるかも知れぬ。 もんめ せじん にくづき して五十 匁 なり六十匁なりを持っては来ない、私は小食で しかし必ずしもそうとは断言されぬ。ナポレオンのごと おれ すと遠慮したとしても、一人前の注文すれば牛肉はやはり く一代の豪傑にして身長の低い者もある。ことに学者中に もんめ 三十 匁 である。 己 れは 碌 な教育を受けなかったといったか は 頭脳 の透明鋭 利 な者にして肉体のこれに伴わぬものがた ろく らとて、自分が一人前に足らぬ業 をすれば世間は斟 酌 せぬ。 くさんある。ゆえに人の力を種々に区別し、そしていずれ おの 私は最高教育を受けた者だといったからとて、一時の尊敬 の力では人並み以上とか以下とか、個々別々に離すことは ずのう を受くるかは知らぬが、その人格にいかがわしきことがあ 案外たやすいことで、また普通に行わるる方法である。専 しんしゃく れば、彼に対する尊敬は永続せぬ。学問は人並み以上でも 門家が 世人 よりたっとばるるのもこれがためである。 いな ぎょう 人として果たして一人前なりや 否 やはおのずから別問題で くわ すぐ 専門家というもあながち学問に限るのでない。いかなる こうけん ある。 なんがん 芸、いかなる職業においてもある一方面に練習を 加 え優 れ 二五 めかた じゃく ずん それがし た者は世に貢 献 することが多い。その専門の道については、 オールメン たしかに普通人の標準に比し一人前以上の仕事する人であ はか 職業上の一人前と 全人 としての一人前 る。前に述べた芸人などの例はもっとも 能 く当たることで かんめ ま ま ねっちゅう よ 故に人を測 るについて、目 方 をもって某 は何 貫 ときめる あるが、これはいわば人を 幾多 の片 に切り、そのもっとも たけ ことは出来る。 丈 をもってして某は何尺 何寸 と定むること 長じた所を一般的ノルムで測るのである。 へん も出来る。そしてこの人の 貫目 、あの人の身長は人並みと しかるに専門家中には、その専門に 熱中 し、他の天 稟 の すぐ いくた か人並み以上とかまたは以下と判断することも出来る。そ 力を発達せしめない者がたくさんある。その 怠 りたる力を はか てんぴん れと同じく無形なることについても学問は人並み以上とか、 もって測れば遠くノルムに及ばぬ者も 間々 ある。すなわち おこた 談話は人並み以下とか、思想は人並み 優 れて高いとか低い かかる人は 全人 として見れば一人前に足らぬ人である。 己 おの とか、かく別々に 測 ることは出来る。こういう体格、知力、 オールメン 才能は根底において相互に関係があるかも知れぬ。たとえ 自警録 れの職業については一人前の仕事をしたと称するも、人と も商売も政治も踊も大弓もやれというにはあらぬ。仕事す 人間一 人 並みになるには、あれも少し、これも少しと音楽 かくいったからとて僕は専門に集中することをやめて、 にん しては一人前の人ならぬ人が多い。学者などのうちにはほ こう とんど人間失格者のごとき人がある。自分の専門の範囲に しつ るにはよろしく専門的であるべしと僕は確信している。堂 のぼ ついては大家であるが、人間としてはまったく成っておら に 昇 らばよろしく 室 にも入るを要する。しかして 甲 がその こうし ぬ場合も往々ある。むかし 孔子 は、 き 専門についてある点まで上達すれば、乙がまた他の専門に くんし ﹁君 子 は器 ならず﹂ ぶん それがし ついてある点に達するに比べて専門がいかに違っても、各 ぞうけい といったが、学者はとかく器械化しやすい。ゆえに、世 おちい 自の 造詣 は深さ高さによりて測り、たしかに 某 は何の道に あやま おいては人並み以上なりということが出来る。もしかくの じっちか 俗の人がややもすれば学者をぼんやりした人間失格者のご ごとき人にしてたとい非倫のことを 為 したとしても、その みだ いな な とくいう。しかし 実地家 の中にも同じ過 ちに陥 るものが多 人はやはり専門については一人前の 分 をなしたものといわ てん い。すなわち実業家と称する人の中には自分の商売を進む ねばならぬ。しかるにこの人は果たして人として一 人 並み するど るに 鋭 く、その成功のためにはほとんど人倫を 紊 すも恬 と であるや 否 やにいたっては疑問であるといわねばならぬ。 にん して恥じざるのみか、かえってこれを誇りとするがごとき ふう 人をしばしば見受ける。かかる 風 あるものは人間失格者と しゅう すぐ しからば一人前の人となるのと、一人前の仕事をするの たと しか思われぬ。 うしな こんにち だいぶ とはまったく別であろうか。人としては不具者であるも、 なんぶん おそらく人間として平均の調和を 失 えるものは、学者よ しんかん 仕事をして 衆 に 優 れたならば、それで甘んじて死すべきか。 うで ぐ り も 実 業 家 に か え っ て 多 い か と 思 わ れ る 。 譬 えていえば、 ふ この問題になるとおそらく人々の考えに 大分 の相違がある こ 人の 腕 は身 幹 に比して何 分 とか、たいてい一定した割合が こうか であろう。 今日 のごとく功利的思想のさかんなる時代にお て ある。この割合を 越 えても不 具 であり、不足しても不具で か い いては、人となりは一人前ならなくとも、仕事の 効果 さえ しごとし 以上たらねばならぬことがだんだんに分かって来はせぬか。 あ ある。いわゆる世の実務家あるいは実業家などには 手 の長 ぐるを得ば人として生まれ来た 挙 甲斐 ありと信じ、仕事に そしり かん 過ぎる人があるとすれば、学者 間 に短か過ぎる人のあると 重きを置いて人となりを 顧 みぬであろうが、しかし真に偉 かえり 同然、両者ともに不具なりとの 譏 はまぬがれまい。 大なる効果を挙ぐる 仕事師 は、その人格においても人並み ぎょう 二六 要は人は 業 なり 自警録 おうさとうりょう とそう ひと だい らんだ つと こうしそうにく ︱︱︱ Self-reverence, self-knowledge, self-control, しょうぎしょうのう ﹁王 佐棟梁 ﹂の才であっても、これを利用もせず懶 惰 に日を あ ﹁文は人なり﹂ 送れば、 小技 小能 なるいわゆる﹁ 斗筲 の人 ﹂で正直に努 め お る者に比して、一人前と称しがたく、ただ大 なる﹁行 尸走肉 ﹂ と というが、人格を示すもの 豈 に独り文のみならんやで、政 な 治も人なり、実業も人なり、学問も人なり、人を 措 いては たるに過ぎぬ。してみれば一人前の仕事とは各自がめいめ ぎょう 事もなく 業 もない。一人前の仕事を為 し遂 げんと欲する者 い 天賦 の才能と力量のあらん限りを尽すことであろう。果 しゃく てんぷ はあらかじめ一人前の人となることを心がくべきものと思 たしてそうとすれば一人前の仕事を計る基準は当事者めい い おの う。一人前の仕事さえ出来れば、一人前の人なりとは断定 めいに存在するもので、 己 れ以外に求むべきものでなかろ がた し難 きものでなかろうかとは、僕の常に疑うところである。 うつわ う。すなわち己れの仕事を計るものは己れ自身である。英 たと あまた これを 譬 えていえば、ここに 数多 の器 があるとする。こ 国の大詩人テニソンの句に、 うつわ とくり れらの 器 ︱ ︱ ︱仮りに徳 利 とすればその仕事は水を入れるに こく ある。そしていずれもその容積は異なっている。大きいも のは一 石 も容 るれば小さきものは一勺 も容れ得ぬ。しかし がんぐ These three alone lead life to sovereign power. じそん じ ち じ ち じ しょう みちび ︵自 尊 、自 知 、自 治 の三 路 は、一 生 を導 いて王者 しょう いかに 小 なるも 玩具 にあらざる限りは、皆ひとかどの徳利 の位に達せしむるなり︶ しんたく と称する。ただ何の実用にもならぬほど小さければ徳利一 おの し さと と。太古ギリシアの 神託 に、 な か 本といわずに玩具一つと呼び 做 す。してみれば徳利の徳利 た ﹁己 れを知 れ﹂ ゆえん たる 所以 はある最小限以上の容積すなわち分量すなわち仕 うれ とありしは自己の性質能力を 覚 り、もって自己の使命の うれ し 事にあると思わるれども、分量の 多寡 には大差がある。人 おの 何たるを認識することで、世には人を 知 らざるを 患 うる者 はくち も同じく多数の者が同種類の仕事に従事していても、仕事 おの ぼうとう うれ がある。人の 己 れを知らざるを 患 うる者はさらに多いが、 かぞ の能率の上に非常なる差があっても、 白痴 でなければ、み れを知らざるを患 己 うる者ははなはだ少ない。 かえり な一人前と算 えらるるであろう。 いかん な 冒 頭 にいうがごとく僕は永く自分の身に 顧 みて、我は果 とだる しかるにここに大いに考うべき一条は各自が果たして各自 いな ま ごうどくり たして一人前の仕事を 為 し終えたるか、我は果たして一人 そな からどくり しょうだる 前の人となりしかという問題について、いささか所感を述 み から の容積いっぱいに水を含めるや 否 やの問題である。四斗 樽 べたが、これが解決は 遺憾 ながらいまだ述ぶることは出来 だい を 大 備 えても 空 なれば四升 樽 にも劣る。二 合徳利 でもいっ と ぱいに 満 つれば一 斗 入りの空 徳利 に優 さる。人もどれほど 自警録 なんびと かっこ おの な かえり ぬ。恐らくは 何人 といえども、 己 が身に 顧 みてこの問題を せじん 提出したならば、 確固 たる答えを為 し得るものはあるまい まよ けいろ と思う。もし為し得る人があるとすればもって 世人 に示し きょう て欲しい。僕がここに自分の 迷 いの径 路 を述べたのは、同 じ問題に苦しめる人の参考に 供 したいからである。 自警録 二七 第三章 強き人 二八 か れはあたかも茶碗やランプを相手にする者は力あるものと 信じ、取りも直さず器具に 克 つことをもって偉いこととみ なすのである。 独り 相撲 で強い人 二九 ﹁克 つ﹂に含まれた二種の考え つまらぬことではあるが、今もなおわが 輩 の記憶に残れ か 克 つといえば誰 しもただちに強い、すなわち力の有ると ることがある。十余年以前であった。あるところに 宴会 が たけなわ まっせき まんさん かぶ ぼう すうこう かちき じじつ おのの はい いう思想と連関して考える。しかして強いあるいは有力と 開かれ、当時議会で 羽 ぶりのよい有名な 某 政治家が招待せ か ささ 三〇 いうについてただちに起こる考えは少なくとも二種ある。 られ、わが輩もその末 席 についたことがある。酒数 行 、主 客 かつ にな ゆえん ずもう 一つは人に負けぬこと、一つは人に勝つことである。ゆえ ともに興 酣 となり、談論に花が咲き、元気とか勝 気 とかい じびき たれ に 克 つことについても、この二 種 の考えが含まれている。 さましい議論の風発せるあいだに、わが輩は退席せんとし か 引 を見ると、克 字 の字はもと家を 支 うる材木の意味であり、 て玄関に出た。某政治家も 爛酔 して前後もわきまえず女中 たた ぼう か しゅかく えんかい したがって人の場合には重荷を 荷 って堪 える意を含ませて の助けをかりて 蹣跚 として玄関に来たが、自分の強さ加減 か は あると 聞 くが、これはいわゆる勝つ 所以 を最もよく表した を証拠だてるため、女中が 冠 らせた帽子を、 戦 く手より奪 しゅ ものと思う。 いとり、玄関の柱に 叩 きつけ、意気揚々として車で帰った た 克 つ人といえばとかく外部の敵に勝つように思わるるが、 ことがある。この時までわが輩はおおいにこの政治家の人 やばんじん じらい らんすい その外に障害物を一 掃 する人、もしくは 破壊 する人と思わ 物を尊敬したが、このいわゆる強さを見て、 き れる。また野 蛮人 の社会においては、破壊する人が一番の ﹁ハハア、かねて聞き及べる 某 の硬 骨 とはこのへんが程度 たくま はい はかい 強者として尊敬される。ひとり野蛮人のみならず、進歩し かな。この人は古シャッポを相手に 克 つ人だナア﹂ そう たる今日の社会においても、ややもすれば乱暴に破壊する力 と思い、 爾来 大いに尊敬の念を失ったことがある。この こうこつ を逞 しゅうする者が最も強いように信ぜられ、何かぶちこ 前にもその後にも、他人についてこれに類した 事実 をしば ランプ じゅく わすことが偉いことにされている。わが 輩 が往年 塾 にあっ しば目撃したが、こういうことが果たして強い証拠であろ やつ やつ たとき、食堂で茶碗類をこわすものがあると、人に強い 奴 うかと思うと、何となく人を動物視したくなって来る。 たた たた と思われ、自分もまたそう思うらしく、あるいは 洋燈 でも ほ きこわすと、強い 叩 奴 と賞 め讃 えられた時代もあった。こ 自警録 またこれに類する話であるが、われわれがしばしば出会 ますます人が柔弱になるかというに、決してそうではない。 しからば文明国にては文明の進歩とともに強力が減退して 度をもって他人にせまる必要は、はなはだ少ないと思う。 おれ わすことは自分の勝った 手柄 自慢話である。 俺 はこういっ てがら たら先方は一言もなかったとか、向うを大いに へ こ ま し た 減退するのでなく、強さの形、力の現れ方が変化するので かつ とか、最もしばしば耳にする語はこうこういって や っ たな こう にな ある。 ただ せつもん どと、語る人の言によれば、いかにも先方は恐れ入ったよ が いわゆる強さの形が変化するというは、 克 の字について し しんくかんなん の強さが計られる。他人より 侮辱 をうけ、カッとなりてこ ぶじょく すなわち 辛苦艱難 に堪える、 耐忍 の力あることをもってそ たいにん うに聞こゆるけれども、さて先方に 質 してみると、一 向 や りき 前の﹁説 文 ﹂にいえるがごとく、重荷を荷 うて堪えること、 ずもう られたともなんとも 歯牙 にかけないでおることがある。こ 三一 れらは独り相 撲 で 力 んでおる人である。 み ちょうひ あいだ にんたい ちょうばんきょう しせい あつら れに手向かいするは、一見極めて勇ましく思われ、第三者よ おそ 文明時代の強き力 り見 てにぎやかにおもしろく、見物としては 誂 え向きであ い 世には、かくのごとき児戯に類した 示威 運動により怖 れ る。これに反し打たれても 蹴 られてもジッとこれに堪える け たり、またはこれを偉いもののように思う者も多くある。 のは、はなはだ陰気で 卑屈 のごとく、普通の人にはちょっ ひくつ 論より証拠、おりおり日 比谷 の近辺をはじめ諸所に行わる とその強さを見ることが出来ぬ。 韓信 が市 井 の 間 に股 をく や るモッブ騒ぎを見ても分かる。自分から進んで他を 威赫 し ぐったことは、非凡の人でなければ、張 飛 が 長板橋 上に一 ひ び たり、あるいは苦しめたりするのは、未開の社会における 人で百万の敵を退けたに比し、その勇気あるを喜ぶものは また 強さである。もちろん文明の進んだ今日とても、なさけな なかろう。進歩したる人にあらねば真の強さは 忍耐 にある 三二 かんしん いことには、かくのごとき示威運動の必要なる場合もある。 ことを 会得 し得ぬ。 いかく しかしこれは他の手段方法がすでにまったく尽きた最後に えとく なすべきことで、未開国ならいざ知らず、法治国において 外に強き人と内に強き人 げれつ りんぜん 僕は好んでプルタークの﹃英雄列伝﹄を読む、読んでい は るあいだに古代の英雄豪傑の勇気 凛然 たること、いわゆる か 示すを必要とする場合ははなはだ少ない。 強いことに何もかも忘れて 震 い上がるごとく感ずることが おど かつまた人を 威 して克 つのは、みずから 恥 ずべき 下劣 な ふる る勝利である。また個人々々の一身上にとりても攻撃的態 きょうこ はかくのごとき方法によりて自己の意志の 鞏固 なることを し 、 、 、 、 、 、 、 、 自警録 ある。しかるに﹃新約聖書﹄を見ると、その説くところは を祈った。あまりに苦痛のはげしいときは、 呻 りでもすれ 民全体がふかき同情をよせ、一日も早くご 平癒 あらんこと ものであったので、かたわらに 侍 するもののみならず、国 じ なはだ 柔和 にして強みがさらになきにかかわらず、読んで うな へいゆ 行くあいだに犯すべからざる力を感ずる。百万人が襲来し ば、幾ぶんか苦痛の気休めにもなり、また世人はよく覚え ごう にゅうわ ても、 毫 も動かざる心の強みを与うること、 ﹃英雄列伝﹄の かんじ ず呻 りやすきものであるが、帝は決して呻 られたことなく、 ほうぎょ うな 遠く及ぶところでない。もっともこれは誰れしもかく感ず またかつて苦しい顔色を示されたこともなく、つねに 莞爾 うな るとは断言することを 憚 るし、あるいはわが輩一人の所感 として左右に接せられた。ほとんど病苦のその身にあるこ はばか であるかも知れぬけれども、同感の人も必ずあろうと思う。 とを知られなかったようであった。 崩御 の数日前、今のカ ちんとう わが輩の信ずるところによれば、いわゆる世人の強いと称 イゼルを 枕頭 に召され、 ひっぷ だい する 匹夫 的の勇と、霊的に強い沈勇とのあいだには 大 なる ふとん おうが びと Lernen zu leiden ﹁小 言 を言わずに、堪うることを学べ﹂ ︵ こごと 差違がある。 きむらながとのかみ 絵草紙や講談師の筆記にある 木村長門守 が茶坊主のため ︶ ohne Klagen おし わか と訓 えられたが、フリードリヒ帝の強さは相応に 解 った人 す に 辱 を受けたとき、起 ってこれを斬り 捨 つることは、なん でなければ図 り得ぬことである。ドイツの植民地よりまっ た らのめんどう手数もなかったであろうし、また女子供らの の黒人を連れて来て先帝の病床に侍 裸 せしめ、あるいは子 かっさい はずかしめ 采 を博するためには、たちどころにこれを切り捨てたほ 喝 供を左右に侍せしめたならば、 彼 らはおそらく先帝はなん はか うが勇ましくも思われたであろう。しかるに彼の精神を 酌 らの苦痛もなく、やわらかい 布団 に横 臥 しニコニコと喜べ みけん じ み得るものは、彼が 眉間 に傷をうけ、しかもそれを茶坊主 るものと思い、しかしてかくまでにうれしそうな顔してお ぱだか 輩の手よりうけながら、なお泰 然自若 としていたのを見て、 らるるなら、何ゆえに外出して馬にも乗り、観兵式にでも かつら かれ 心ある者は泣かずにおられぬ。かつこの若貴公子は真に強 出られぬと疑ったであろう。 く い人であると賞嘆するを禁じ得ない。 桂 公爵の人格もしくは政見等については人々の考えは種々 三三 たいぜんじじゃく しんぼう に分かれているようであるが、公の た だ人 ならざりしこと なんぴと よく耐うる人は強き人 ちょうじつげつ は は、何 人 も同意であろう。して辛 抱 づよい点は公の長所で ふ あった。 長日月 病床に臥 しながら、公の身辺に侍 べる者に しんぎん 日間病床に呻 吟 し、しかもその病気は苦痛の最もはげしい ドイツの先帝フリードリヒ陛下が不治の病気に 罹 りて数 かか 、 、 自警録 き人がたくさんある。見たところ、吹けば倒れるかと思わ た人を真の武士といっている。しかして世にはかくのごと し さえ苦しき顔を見せなかったという。公に 知 られぬように れる柔しい男にして、いよいよというときには思いがけな のぞ こっそり 覗 いて見るとさも痛そうな顔色をして痛みある局 さす 部をみずから 摩 っていても、誰か病室に入れば、ただちに ふう い力を示すものはたくさんある。この前英国の巨船タイタ めんそう 相 を変え、痛みなき風 面 をよそおったという。 ニック号が大西洋に沈没したときの話を聞くに、最後にい そろばん しょうよう たいぜんじじゃく 戦場に死するはことの外たやすい、何故なれば死ぬよう たりながら 泰然自若 として落着きはらい、死を見ること帰 うな に万事仕向けてある。すなわち周囲が死を 促 がす、ゆえに するがごとく、 従容 として船と共に沈めるもの数十名の多 たお びょうしつ 見事に 死 ぬ。しかし長らく 病疾 にかかりてなお帰るがごと きに達したという。かくのごときは大なる勇気、強き力あ し く斃 るるは容易の業ではない。強き人はよく耐える。よく るものでなければ出来ぬ 業 である。平生は威 張 ったことも じつ はじ い ば 耐える人を強者という。 なく、おだやかに 算盤 を弾 ける実業家でありながら、かく わざ のごとくなるは 実 に見上げた人々である。人の強みもここ 三四 いよいよという時に発する強さ まで来なければならぬ。 うかが しんてい 我々の交われる人々の中にも、つくづくその人物を 窺 う と心 底 強いものがたくさんある。 戦場における日露兵の比較 三五 残念なことには我々はそういう人物をつくづく見ること いかん かつてある軍人に満州の戦場において日露両国兵の優劣 ほとけ を勤めない。 何 を問いしに、その人の言に、 如 い 知らざりき仏 と共におきふしてあけくらしける我が ひきょう ﹁ロシア人は死するも 活 くるも神の力により、働くも働か ほとけ 身なりとは つよ ぬも神のためなりと、こう考えていたらしい。ゆえに 卑怯 みつとしあそん ますらお とは 光俊朝臣 の述懐であるが、歌の﹁ 仏 ﹂という代りに 者もたくさんあったが、何ごとなりとも命令を受くると、 お 人が 居 ろうと居るまいとを問わず、神のためと思ってその いのしし 武士なり 丈夫 なりの強 い人格の文字を用いても同じことに 任務を果たすことにつとめた。しかるに日本兵は 煽 てなけ ば なる。しかつめらしく具足をつけ威 張 るものは、古来 猪 武 れば働かない。決死隊と称するものも、 何人 か彼らの花の い 士と呼ばれている。 ごとく散るありさまを目撃する者がなければ、ことに将校 たん おだ これに反し外見はおだやかにして円満に、人と争うこと なんぴと なきも、しかも一 旦 事あるときは犯すべからざる力を備え 自警録 が現場に居る場合でなければ、士気はなはだ振わなかった﹂ つ 烈 しく 堕落 するのは彼らの仲間である。なんとなれば彼 猛獣的に強くなっているからである。しかして最も早くか なれば某県にある時はいわゆるスパルタ式教育法を受け、 だらく と物語ったが、あるいはそうであったかも知れぬ。いま はげ だ一般民衆の中には強いという観念ははなはだ幼稚である。 か らは強さをそとに求むればなり﹂ おの おの むしろ猛獣的の一見して人が 己 れを怖れるとか、あるいは か といったが、精神的勇気を養わなければ、真の強い人と あら いつでも人に 噛 みつかんとする気が顕 われねば強いと思わ なることは出来ぬ。真に 克 つ者は己 れに克 つを始めとなす か ぬものもあるが、これがそもそも人を弱からしめる手段で べく、しかして後に人に克つべし。しかるに往々この順序 は はあるまいかと思う。議論をしても、理屈を述ぶるよりは かな よりは手もつけられぬ要害を内より破る 外 栗 のいが くり を逆にするから結果がおもしろくなくなる。 くり そと 声の高いほうが勝つと思い、あるいは悪口でも 吐 くを元気 わか と思うごとき世の中では、真の強さはちょっと 解 りかねる であろう。 あると思うは大間違いである。力は内にある確信と、この 栗 のいがも強さを助くるものではあろうが、これが力で 確信を実行するためにあらゆる障害に 堪 える意志である、 三六 れに 己 克 つものが世界に勝つ か 昔のスパルタ人の教育法は無やみに 武張 って、勇ましく しかしてかくして得たる力が真に強き力である。 おの いさましくとのみ教えた。わが輩も年のわかかった頃、ス 真の力は内に発し、内に練られ、内に磨かれ、内に養わ よ た パルタ式の教育法にはなはだ感服したこともあるが、しか れ、内に 貯 えられ、内より 溢 れて外に流れるから、十分余 ぶ ば し同国がこの教育法によりて何をなしたかと考うると、は 裕がある。ゆえに内、 己 れに克 つものは外、世界にも勝つ すべ いわ あふ なはだ心ぼそい結果となる。かくいったからとてわが輩は ことが出来る。己れに克つこと 能 わずして世界に勝つこと たくわ 決してスパルタ式教育がことごとく悪いといわぬ。ただあ は、一時的に出来ぬこともなかろうが、恒久の勝利を得る か れだけではいかぬというのである。すなわち精神的勇気を ことは望み難い。古人の書に 曰 く、 おの 養わずして猛獣的に強からんことを養うはスパルタ式教育 ﹁自責の外に、人に勝つの 術 なく、自強の外に人に上たる よ あた の大なる欠点である。これは今日もなお同じことである。 の術なし﹂ か と。太古、禹 王 が、 ﹁一に 能 く 予 に勝 つ﹂といったが、後 うおう ある青年の道徳品行を観察する人はかつてわが輩に向い、 かた ﹁某県より来る学生は、上京当時はすこぶる 硬 い、なんと 自警録 の学者はこの言を評して、﹁君子この小心なかるべからず﹂ といっている。 自警録 三七 第四章 外は柔、内は剛 三八 まれ こういうことは決して世に 稀 でない。ちょっと会っては つきあ こうこつ 虫も殺さぬような柔和な、ほとんど女のごとき人でも、だ 見るといかにも 凛々 しく、 衣 は骭 に至り袖 腕 に至り、鬼と 言い出すと決してあとへ 退 かぬ人もあるし、また外部から ひ んだん 交際 ってみるにしたがい、なかなか硬 骨 で、一たび 英雄に現れた内外の差違 も組打ちしそうな 風采 をなしていても、内心柔和な女のよ 三九 西 郷南洲 が始めて橋本 左内 に会うたとき、こんな柔しい うな人を往々見受ける。 男が何で国事を談ずるに足るだろうかと、心ひそかに 軽蔑 外貌 と内実との相反することは 稀 でない。この柔と剛と き ふうさい まれ おそ お ん わ じゅうじゅん そでわん したことを、後にいたって自白している。さもあったろう は善い意味にも悪い意味にも解される。いま述べた女のご と かん と思う。 聞 くところによれば橋本という人は、外見はまこ とくというのも、また同じく善悪両様に解される。 女々 し と いふう 四〇 ころも とに温和に柔順な好男子であったから、この人の心情を知 いとか、 意気地 なしにも解 れるが、僕のここに用いた女ら ふう り り らぬものは、この柔順らしい皮の下に、いかに燃ゆるがご しいというは善意に 解 いたので、温 和 柔 順 の意味である。 おいは さない とき熱血が流れつつあったかを 悟 ることが出来なかった。 さいごうなんしゅう また同じ西郷が藤田 東湖 に会った後、人に向い、 怖ろしがらせるのが偉いか くかん けいべつ ﹁追 剥 ぎみたいな人物だ﹂ 日本従来の教訓によれば、他人に 怖 ろしく思わせるのを がいぼう と評したという。これもさもあったであろう。氏は 躯幹 偉いとする 風 があった。威 風 あたりを払うというを豪 傑 の なんしゅう ぼうじゃくぶじん ほ ほ ごうけつ め め 長大にしてたくましく、色が黒かったそうであるから、外 理想とし、人の近づき得ざるところを偉いと 做 したから、 おそ こわ かっぽ じ 観を見ては、その血管にいかに柔和な心があり、しかして 偉がるものは、なるべく人を近づけぬ工夫をなし、あるい がいぼう い く 母の危急を救うためには自分の生命までも投げ出すことを は 傍若無人 にして人を馬鹿にして独りで偉がった。世人も にゅうわ さと 常人は察し得ぬであろう。また 南洲 自身についていえば、 またかかる人物を 褒 める傾向があったゆえ、もし肩でも 怒 けいけい とうこ ようによりては 見 外貌 が怖 ろしい人のようにも思われ、あ らして往来を 濶歩 するか、あるいは人の気にさわることで おもむき な るいは子供も 馴染 むような柔 和 な点もあった。ちょっと見 も大声にしゃべり、相手の人が、病犬が 吠 えるかと疑い避 み ても、その烱 々 として大きくかがやく眼は怖ろしいが、そ ければ、これは 怖 くて近づかぬのだと解してますますこれ ひ さ いか の奥底にはいうべからざる愛情がこもり、近づくものをみ な じ な惹 きつけねばやまぬ趣 があったという。 自警録 た び なるべく短くし、 髪 はなるべく梳 らず、足はなるべく 足袋 くしけず を穿 かなかったような、粗暴の風 采 はなさぬ人が多かろう。 かみ を行う。 ゆえに外貌のことにつきここにかれこれいう必要はなかろ 四二 ふうさい 文化の進むにつれて近頃はだんだんこの豪傑気取り 連 が あきんど は 減って来たようであり、また今後もますます減るであろう。 うと思う。僕がここに剛柔を説くにも、外貌に現れた剛柔 れん ことに洋服でも着るようになれば、減らざるを得ない。は と説かんとしない。ことに実業に従事する者のうちにも、 よう なはだつまらぬことながら、洋服では 衣 は骭 に至り 袖腕 に ﹁ 商人 の、道に賢き笑い 様 ﹂ ふともも ぬ そでわん 至る筆法は行われない。シャツを着たり、靴を 穿 いたりす 商業のごとく客を相手にする職業にある人は損得の関係 さ かん ると、行儀も改っておとなしくなる。しかし洋服を 脱 いで 上からも外貌をなるたけ柔和にし、もって人を 惹 きつける ころも 日本の 浴衣 にでも換えると、従来の筆法が最もあざやかに につとめるから、なおさら外貌のことを述ぶる必要はある むなげ は 現れて来る。汽車や電車に乗ると、 胸毛 を曝 らし 太股 を現 まいと思う。これらの点に関してはむしろ学生に述ぶべき ごうじゅう ひ すをもって英雄の肌を現すものと心得て、かえってそれを ことゆえ、今はここにこれを見合わす。 ゆかた 得意とするものがある。 四一 ごうじゅう かた で ま く 柔 、分を守りて人格が円満 剛 じ 曲解されたる教訓 がんこ はくし ど い き さて心の 剛柔 とは、すでに前に女という字についていえ こうげんれいしょく ふうさい かこく れいしょく なおこれと関連して世に誤解された教訓は、﹁ 巧言令色 たくみ ふう ていちょう るごとく、善意にも悪意にも解せられる。剛が過ぎれば剛 すくない げん こうげん 情となり、 頑固 となり、意 気地 となる。柔に過ぐれば 木偶 じん 鮮 かな仁 ﹂ということである。言語を 鄭重 にしたり温和 となり、 薄志 弱行となる。極端に失すればいずれも 悪 しく すくない にすれば、すぐに 巧言 と解し、威儀をもって語れば 令色 と なるが、 度 に過ぎぬ以上は、すべからく 剛毅 でなければな あら はげ あ 曲解し、すぐに 鮮 かな 仁 と結論をくだす。この苛 酷 なる判 らぬ。 じん 決を 避 けるために、 言 を 巧 にし 色 を 令 くせんとする者も、 自分の所信を貫徹するためには、一たび 固 めた決心を抂 ごうき つとめて 荒 あらしくする風 がある。心の内と外の 風采 と一 げぬ、あくまでも、左右の言にも耳を 借 さずに猛進するく がいぼう よ 致せぬことは、西洋よりも日本において最も 烈 しい。 らいの強いところが必要である。さればといって、剛ばか ごうじゅう いろ 僕は今このことについて善悪を議論せんとするものでな りで、慈悲もなく、人情も捨て、全然柔和のところを失え さ い。事実がかくあると単純に 剛柔 の区別につき一言したい か のである。往事の書生が、なるべく 外貌 を粗暴にし、衣は 自警録 ば、これ他人に不幸を与うるのみならず、自分も心の全部 お互いにその心の持ち方を果たして剛に向けるか柔に向け ぶ。しかしこれらは余談に流れるからしばらくこれを 措 き、 らるる硬教育もいかなるものであるか、疑問として胸に浮 お を尽すわけに行かぬから、つねに不幸を感ずる。剛柔が 能 よ くその分を守りその調和を保ちて、はじめて円満なる人格 るか、いずれに重きを置くべきかは、重大なる問題で、各 おも を作り上げる。 自が慎重なる判断を下すべきことと 思 う。 四三 身を処するには剛柔がおのおの必要 四四 心の持方は剛柔いずれとすべきか 先天的に剛に出来ている人と、同じく先天的に柔に出来 おとこ いわ 僕は近ごろある人が僕の知人を批評するのを聞いた。そ ている人とあるは、あたかも動物にも 亀 もあれば海 月 もあ おれ そくばく くらげ の言に 曰 く、 り、植物にも 栗 もあれば苺 もあるがごとくである。すでに てんぷ すいこう かめ ﹁あの 男 はまことによい男だが、惜しいことには、宗教家 先天的に出来ているものを、 強 いて俺 はこれから剛にする、 いちご であるため、弱くて 不可 ぬ。あれにいっそう骨 っぽいとこ 俺はこれから柔にすると、 天賦 の性質を矯 め、束 縛 するこ くり ろがあれば、実に見上げた人間だのに﹂と。 とはすこぶる難事であるが、しかし俺はあくまでも剛であ ほね この知人は 耶蘇 教信者たることを思うて、僕は、この批 る、俺は何事にも柔であると一貫して 遂行 することも出来 づか い か 評 が 一 部 あ た れ る こ と を 考 え た 。一 部 あ た れ る と い う は 、 ぬ。これは矛盾するようであるが、人がこの世に処するあ こうこつかん し この知人は言葉 遣 いと言い、行動と言い、まことに柔和な いだには、あるいは剛に出ねばならぬことあり、あるいは くつがえ もも た ところがあるゆえである。 氏 がかつて心を宗教に寄せる前 柔ならねばならぬことがある。 や そ には、剛情で始末におえぬ 硬骨漢 であったが、ひとたび信 人間の 体躯 も骨ばかりでは用をなさぬ、筋肉もあれば 脂肪 し 者となってからは手を 覆 したごとく温和な柔順な、涙もろ もある、腹や股 が柔であるから、人体は柔であるといえぬ。 しぼう い人に変った。この点より見れば彼に対する某氏の批評は や歯 爪 牙 があるから剛だともいわれぬ。ゆえに剛だとか柔 たいく 一部あたれるものであるが、さるにても宗教なるものが人 だとかいって、いずれか一方を主義とすべきものでなく、 が を柔化するの力あるも、剛化させる力はないものであろう 事に触れ機に接して、身を処するにこれは剛にすべく、是 ほね し かという問題が浮び出る。 は柔にすべく、その場合に応じて二者の調和よろしきを得 つめ かつこの問題は一歩を進めると、彼のいう 骨 っぽいとは ひ 何を意味するかという疑問も起こり、 延 いては近ごろ称せ は剛となりあるいは柔となるというも、それは決して矛盾 て、人間は始めて円満となるのである。事によってあるい 手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。 なるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか と、 昔時 の物語にもある通り、出来るだけの力をもって せきじ でない。前にいった橋本にしても藤田・西郷にしても、両 これはむろん 攫 む工合いにもよりけりであるが、ここに述 つか 方の性質があったから、外見と性質とがちがうように見え べたのは 粟 とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか あわ たのであろう。 よ あわ 金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐 四五 らくこの 世 における幸福なるものは粟 、米のごときもので、 つか やわらかく握るところに人生の真味あり わたしぶね やわらかく握ったほうが余計に 攫 み得るものではあるまい よ たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う 渡船 みょうみ か。権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握 じ のごときものである。人とともにこの 世 を渡るには、おだ き りようもあるか知らぬが、僕は人生の 妙味 とか真の幸福と い やかに 意気地 ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思 かを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自 さいこんたん う。僕のしばしば引用する﹃ 菜根譚 ﹄には、 じ み 分は引っ込む態度でなるべく人に譲るをもって人生の真味 け い ろ せま たしな を味わい得るものと思う。 こまや ごくあんらくほう ゆず ﹁径 路 窄 きところは、一歩を留めて、人に行かしめ、 滋味 こ わた 濃 かなるものは、三分を減じて人に 譲 りて嗜 ましむ、これ むね 四六 、 、 かっさい キリスト 前にいった宗教家なる知人が、おとなし過ぎて惜しいと けんか にゅうわ は是 れ、世を渉 る一の極 安楽法 なり﹂と。 しりぞ 批評を受けたのも、もっともなことである。 基督 教のごと ほ く、 柔和 を 旨 とする宗教にては、 は でなことがはなはだ少 ゆず また、 ない、 喧嘩 も少なければ、議論も少ない。ドラマチックの ちょうほん ﹁世に処するには一歩を 譲 るを高しとなす、 歩 を退 くるは ことがはなはだ 稀 なるゆえ、世の見物人より 喝采 を受ける まれ 即ち歩を進むるの 張本 ﹂ ことなくして世を過ごすが、しかしなお華麗に世を渡るよ かえ といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを 繰 り返 し りはこの方がかえって人生の真味を味わわれると思う。 おちい く てあるが、実にその通り。自分の権利を最大限度に要求す ゆえん ることははなはだ卑劣に陥 る所 以 と思う。不思議なもので、 和 の心は相手の柔和の心を 柔 抽 き出す ひ 人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。 かく人情の大体より考うるも、そうありそうに思われる。 にゅうわ 翁 の言にも、 沙 さおう ﹁世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い﹂ 自警録 自警録 なれば、︱︱︱もっと砕 いていえば親切とか思いやりとか誠 なんとなれば諺 にも、 ﹁世 は情 け﹂という通り、人情が敦 厚 も直さず柔和は 何人 でも重んずる証拠である。 ば善いほど種々の 偽 も出来る。猫 被 りが多いというは、取 からである。悪い者なれば 偽 が出来るはずはない。善けれ にせ とかがあると、人世は 美 わしきもの、生ける甲 斐 あるもの 和 なる者はこの世を 柔 嗣 ぐ とんこう のように思われる。しかしてこれらの親切、思いやり、誠 ﹁ 憎 まれ 子 世にはびこる﹂という俗 諺 があるが、これは原 なさ がどういうふうに現れるかというに、こちらの親切、思いや 因と結果とを 顛倒 したことである。世に は び こ るものは憎 よ り、誠を現すと、その反響として相手方にも現れ出ること まれる、 は び こ らずに 謙遜 に柔順なるこそ真に世に処する ことわざ が多い。いわゆる売りことばに買いことば、こちらが 柔和 妙法である。かつこれが持久の 基 と思う。聖書に、 にく なんぴと てんとう けもの けんそん つ もとい とら こわ ぞくげん ねこかぶ におだやかなる心をもって人に接すれば、相手の柔和な心 ﹁柔和なる者はこの世を 嗣 ぐべし﹂ にせ を抽き出す。鐘もうちよう、人の心も 触 りようである。お とある。この世を 承 けて引き継ぐ者は柔和なる者なりと くだ 互いに電車に乗っても、こちらが立って席を譲れば相手も、 は、柔順なる人は永久にこの世の継続者である。 か い ﹁ありがとうございます。まあどうぞおかけ下さいまし﹂ 換言すれば柔順は永久の徳なり、 剛 いもの、力をもって ごめん うる と遠慮の心も起こる。しかし無理に押し込んで入れば、 世を圧倒するものは、たとえ一時の効はあるとも、永久に かぶ 四七 なに此 奴 がという気が起こりやすい。世を渡るには、 は継続せぬ。 獣 を見ても分かる、 虎 、獅 子 、熊 などのごと ひきょう おおかみ つ ﹁御 免 なさい御 免 なさい﹂ き猛獣は年々その数が減じつつある。もし統計を取ること かぶ こ と遠慮がちなることは、必ずしも 卑怯 とはいわれぬ。あ が出来れば、彼らの減少率のはなはだ 迅速 なることを示す まんちゃく ひくつ じんそく し くま 、 、 、 、 にゅうわ るいは人によりては、これはずるい方法で、猫を 被 るとか、 であろう。こんにちの状態にて進行すれば、数年ならずし はなは ごうき にゅうわ 猫なで声で人を 瞞着 するとか、西洋でいう 羊 の毛を 被 る 狼 てこれらの猛獣はこの世に跡を絶つであろうと、動物学者 さわ のごとく、偽善の最も 甚 だしきもののように思うものもあ はかえって心配し、彼らの保存法を講じている。 にせ う る。むろん偽善の一方法ともなり得るが、しかし恐らくは しかるにこれらの猛獣より見れば、 卑屈 らしく女々しく し こやつ 世の中のことで偽善になり得ないものはあるまい。柔和を 思わるる牛馬羊のごときはかえって年々増殖する。すなわ ごめん 偽善と 誣 うるならば、それと同じく 剛毅 もまた偽善に供す ち柔和なる動物がこの世を継いで、烈しい猛獣は年々歳々 し ることが出来る。決して 偽 ものがあるからとてその者を非 ひつじ 難するわけに行かぬ、むしろ偽者を出すものは本物が善い 、 、 、 、 自警録 にその跡を絶ちつつある。人間においてもまたそうと思う。 きものもたくさんあると思う。 けんか しまがら 意志というと言葉がはなはだよく聞こゆるも、何ごとに ぶ せいばい ころも 小心なる 厄介者 である。たとえば衣 を着るにも、 縞柄 から やっかいもの 野蛮時代には武 ばる一方で、永久に続くことは出来ぬ。喧 嘩 き ついても明白なる意思を発表するものは神経質かあるいは ご け ふたり で して世を渡るものは喧嘩両成 敗 で共倒れして後がつづかぬ。 ものゝふ 士 のけんくゎに 武 後家 が二 人 出 来 さけ どじょう いも すいこう らいきゃく たくあん なっぱ さいくん い方から着 縫 ようにいたるまで一々明 白 した意思を表示し、 こわ したてや 相互に殺し合うゆえに永続せぬのである。猛烈をもって かつこれを 貫 かんとすれば、たいていの 仕立屋 または細 君 はっきり 勇気なりと思う時代はまだまだ野蛮時代たるを 免 れぬ。武 は必ず手に余すであろう。三度食う 飯 さえも強 い柔かいが き 骨で強そうなるをもって武士道の教訓のごとく思うははな ある。この浮世を渡るに 飯 の炊 きようについて、あまり明 みそしる ために不満足を唱えて暮らさねばならぬだろう。 つらぬ はだ幼稚なる武士道である。理想に富める武士はものの哀 白な意思を有するものは、恐らくは生涯の三分の二は飯の ぬ れを知り、仁の徳に 長 け、温和に柔順なものである。 僕の信ずるところでは、世の中のことは判然たる意志を まぬか とはな かつて英国のある子供が、その父に gentlemanly と んの意味かと問 うたとき、父は通例の書籍に書いてある文 もつ必要のないことが多い。換言すればどちらでもよいこ めし 句の切り方は違 う、ふつにはジェントルマンとリーとに切 とが多い。物を食うにも 鮭 でも 鰌 でもよい、沢 庵 でも菜 葉 た る、と思うであろうが、これは文法上正しいだけで、その でもよく、また 味噌汁 の実にしても 芋 でも大根でもよい。 めし 内容はジェントルで切り、マンリーを加え、柔和で男らし ただ特別なる場合、たとえば 来客 とか病気とかの時のごと た いという意味であると答えたという。 きには、明らかなる意思を立てて遂 行 するも必要だが、たい ちが ていの場合にはどちらでも差支えないことが多い。しかし 四八 て朝起きて夜寝るまで、自分のなすこと、接することを一々 さしつか 世の中には譲って差 支 えないことが多い 数えたてれば、自分が 頓着 しなくとも善いことが多くあり もろ 柔和というと、いかにも自分に意志なく、人の意志に 脆 はせぬか。相手には非常に重大の問題でありながら、自分 あまた とんじゃく く服従するごとく思うものあるが、しかし決してそうでな には何の関係ないことがありはせぬか。かく思うと 無頓着 いい い。柔和は意志の弱き謂 でない。もっとも一方より考えれ というは 語弊 もあるが、自分から関係せず、関係深い人に むとんじゃく ば、かく思うも無理はない。僕の考えでは世には 抂 げても 譲りて差支えないことが 数多 ある。ここがすなわち僕の、 ま よい意思がたくさんにあり、また意思を表示するに及ばぬ ごへい ものもたくさんあり、あるいは意思を明らかにする必要な ゆえん 四九 き い いうことを 聴 き容 れ、いくら無理をいうてもハイハイと忍 かんしょう いかん ぶ。どこまでもそれに付け込んで彼女の名誉や生命にまで 渉 せんとするときには、どっこい、それは 関 不可 と毅然と さ しりぞ してこれを 斥 ける。 ま 譲られぬところはあくまで固守せよ むかし 袈裟 が遠藤盛 遠 に挑 まれたときには、無理を忍ん そうじ さかて も いど 譲って世を渡れとは説くものの、事によりては一歩も 抂 でハイハイと返事し、もって母の危急を防いだが、いよい かんざし もりとお げられぬこともある。しかしてまたかく大切な事柄につい よ最後の守らねばならぬ点にいたっては、身を殺してまで け ては一歩だも決して 抂 ぐべきことでないと思う。僕はどこ も毅然として自己を 操持 した。この点にいたると婦人は 侮 ま までも抂 げよとはいわぬ。出来るだけは譲り譲りして、ど るべからざる強いところがある。日ごろは一つの 柔 しき飾 ま うしても譲られぬところに行けば 飽 くまでもこれを固守す りに過ぎぬ﹁ 簪 も逆 手 に持 てば恐ろしい﹂ 。こういう強味は もろ あなど べきである。 世に処する上において、どうしてももたなくてはならぬ。 あ とかく人は表面に現れたことのみで 測 るから、人のため 僕は種々なる人のなすところを見るに、とかく表面には やなぎ やさ に譲ると相手の人は図に乗ってますますつけこみ、ますま 剛毅を装うているものが、何か事に当たると、たちまち 脆 はか すその人の権利までも犯すことが折々ある。右へ十歩譲れ みぞ ばもう二十歩、もう三十歩とだんだんに押し出す。ハイハ く倒れる、松の木が風に折れると同じである。これに反し みぞ ほんしょう イといって押されたままに譲って行くと、ついには 溝 の中 こうむ まっと 風のまにまに動く 柳 は動きながらも本 性 を失わず、かつ折 ふち に叩 き込まれんとする。溝の 縁 までは譲ろう。しかし溝 に れることなくして、その一生を 完 うする。 つよ いたり真の強 みが発揮される。 こういう強みを処世上に持ちたい これは婦人などによく見ることである。柔和にして他の 五〇 こべに溝 に叩き込むのが至当である。しかしてこの場合に みぞ 譲らせようとするものもあれば、断然 御免 を蒙 って、あべ ごめん 先は一歩も半歩も譲ることが出来ぬ。この場合に臨みなお たた 叩き込まれんとする時は、ドッコイ、いかぬぞ、これより ﹁世を譲って渡れ﹂という 所以 である。 自警録 自警録 五一 第五章 心強くなる工夫 五二 き よ わ 五三 同病相憐むに出でたる余の 気弱 がいじゅうないごう 前章に僕は 外柔内剛 につき少しく述べたが、内剛につい つく ては所説のいまだ 竭 さぬところがあったから、いま章をあ らためて所感を述べたい。僕はいろいろなる人々と対談し、 あるいは種々なる人々より受取る手紙により、世には階級 くふう たず の上下を問わず、年の老若を論ぜず、自分は気が弱くて困 る、どうかもっと気を強くする 工夫 はあるまいかと 尋 ねら れることがしばしばある。 この質問は僕自身が他人に接するごとに痛切に感ずるこ た とで、自分が常に気の弱きことを 矯 めたいと思っているく せじん らいなれば、 世人 に対してこれが方法を授くるがごときは あいあわれ 思いも及ばぬことである。しかし同病 相憐 むという、僕自 ねんらい 身もはなはだ気弱いことを感知し、これにつき 年来 少しく こ 工夫を 凝 らしている。もしその工夫を話したなら、たとえ 未熟ながらも、また直接に益する人はなくても、世にもま きょうせい つと たかくのごときものもあるか、かくのごとき考えをもって めぐ ひっさ その欠点を矯 正 せんと 努 めるものがあるかと思って、新た に工夫を 運 らすに至る人もあろうと思い、僕は本問題を 提 げたのである。 おそ ごうたん五四 盲者蛇を 怖 れぬ豪 胆 おくびょう ぼう 僕の友人に僕と同じように気の弱い、いわば 臆病 の人が ある。子供のときに、その親が当時有名なりし 某 将軍につ れて行き、 ﹁どうかこの子の胆力を練らせていただきたい。今のよう い れいり に気が弱くては、その将来が案ぜられます﹂ おくびょう といったとき、将軍より、 ﹁いや 臆病 なるはさほど心配が要 らぬ。怜 悧 なる証拠であ る﹂ れいり れいり といわれ、当人はかえって得意になり帰ったことがある。 臆病者は 怜悧 なのか、怜 悧 なものが臆病なのか、いずれが 原因で、いずれが結果であるにしても、ともかくこの二者 の間には何らかの関係があるように思われる。といって僕 もあながち自分が臆病なるゆえ怜悧なりという考えはない が、世にいわゆる盲者蛇で、周囲のことも、前後のことも、 いっさい分からぬものはその行動がちょっと豪胆らしく見 える。しかしこれは豪胆にあらずして前後左右が見えぬの ごうたん である。危険あるを知って豪胆に振舞うのでなく、危険あ あらわ るを知らぬゆえに 豪胆 らしく振舞うのである。 せんぷく そもそも人生には明らかに 顕 るる危険もあれば、両側あ おそ るいは地下に 潜伏 せる危険もまた多い。この危険を幾分な え りとも見得るものは、 怖 れざらんとしても怖れざるを得な い。すなわちある意味において臆病にならざるを 得 ないゆ 自警録 の事も一見 矛盾 の感なきにしもあらぬ。すなわちそれほど きがよく利くため、とかく 人負 けするように思われる。こ ひとま えに想像力の強きものはいよいよ 臆 する。したがって臆病 物の分かるものなれば、何物も怖るるに足らぬではないか おく すなわち気の弱きを 矯正 するには、盲者になったら、ある むじゅん いはその目的を達するかも知れぬが、むろん我々が 気弱 を というものもあろう。しかし、ここがすなわち智能ばかり きょうせい 矯正せんとするのは、各自の本体を捨て消極的に改めんと では事足らぬ証拠である。いわゆる 鋭敏 にして頭脳の 明晰 おく きよわ するのでない、見えることならますます 能 く見、その危険 なるものは、この事はこうなっているから、こんどはこう おれ おくびょうけ めいせき をも見透してなお 臆 しないところにまで到達するが主意で いうことになろう、さてそうなれば 俺 はここに処するにい えいびん ある。盲者になって豪胆らしく振舞うはもとよりその主意 かにせばよきかと案じ出す。 五五 よ に反する。 この解決が出来れば物が分かるだけ、それだけ多く 臆病気 きよわ ね おも れいり がつく、この解決が出来なければ出来ぬで、またそれだけ た 身体より来る気 弱 の原因 多く心配の 種子 がふえるわけである。しかるにいかに 怜悧 た 気の弱いことを 矯 むるには、その弱い理由を考え、その に物ごとに解決を下しても、未来に属することは、自分の れいり ひそ 理由からこれに処する方法を案出せねばならぬ。しかして 見込み通りに行かぬゆえ、必ず危険の分子が 潜 んである。 た ね その第一の理由は身体にありと思う。しかし身体が大きく すなわち心配の 種子 が存在する。かくいえば 怜悧 なるもの ふる 強健であるとも、必ずしもその人が強いとは限らぬ。大男 きゃしゃ は必ず気弱でなければならぬという結論に達するらしく 思 ろくろく にしてすこぶる健全なもので、人の前に出ると、声が 顫 え、 けんぐ せま われるが、決してそう一定せるものとは思われない。意志 けんご 々 物を言えぬものもある。吹けば飛ぶような 碌 華奢 な姿し さえ 堅固 なれば、 賢愚 を問わず、百難前に迫 っても、これ きよわ れいり おか たものでも、さらに物に動ぜぬものもある。ゆえにひろく を 冒 して断行する。 おも 身体といわないで、狭く神経質の人はとかく 気弱 勝ちであ や むす るといわれると 思 う。これが前にもいった 怜悧 なことと気 かくすればかくなるものと知りながら 止 むに止まれ 己 れの行為の結果が容易ならぬものとは知りながら、な やまとたましひ 弱なこととが結 びつく理由であろう。 ぬ大 和魂 お、 ﹁やっつけろ﹂という強いところが欲しい。この強いと おの 神経過敏にして周囲の事物に感じやすい人は、人の顔色 など最も早く見分け、人のいうことの表裏をも察知する。 れいり かく神経作用の鋭いものは、すなわち怜 悧 なるものは、目先 自警録 きよわ いじゃくしゃ なり、いわゆる 気弱 となる。また胃 弱者 のごときもまた同 れいり じく、気が始終 苛々 し、つねに人と交際するのを 煩 わしく わずら ころがあれば、いかに 怜悧 なるものでも、決して臆病とな 思う。 煩 わしいのが進むと、 怖 れを生じて気弱となる。要 いらいら らぬ。ところが一方の意志が薄弱なるときは、頭脳が 明晰 めいせき なれば、先の先までも見えて心配の苦を増し、はなはだし するに生理的状態より来る不快の観念を除くを得ば、気が おそ く人を臆病ならしめる。しかるに人はその身体、ことに神 さわやかになり、人に逢うても快楽を 感 じ、したがってま わずら 経の構造により、一方の智力がことさらに発達し、その他 すます衆人のあいだに出入し、気弱とか 怖気 とかが取去ら きよわ うち おくめん おじけ の力たとえば意志がこの智力と 権衡 がとれぬときは 気弱 に れてしまう。 おくびょうかぜ おじけ かん なる。なお身体の発育上、何歳より何歳ごろまでが智力の 例により僕は自分の 恥曝 しの経験を述べて参考に供した けんこう ことさら伸張する時代であろう。そのころは 臆病風 の最も い。僕は少年のころ、物に 怖気 ない、大胆不敵、あまりに無 はじさら 強く吹く 期節 となろう。 遠慮であった。両親の友人などが来ても、 臆面 もなくその きせつ 前に出て、しゃべりたいことをしゃべり、 家 の人々の手に 五六 きょうせい もてあまされた。それが二十歳前後になると、処女も及ば きよわ 身体局部の故障より来る気弱 ぬように 引込 勝ちになり、人の前に出るを 嫌 い、人に顔見 おそ ぎゃくもど す きら 気弱 は生理的原因に由来することがあるゆえ、これを 矯正 られるのを 怖 れた。いまになってその理由を顧みると、身 お ゆううつ ひっこみ するには、生理的方法によらねばならぬ。すなわち冷水浴を 体の 工合 、ことに目に関係したのではないかと思う。かく すいみん 実行するとか、睡 眠 が不足するものであれば、充分にこれを いわばあるいは一つの笑話のごとくに聞き 捨 つるものもあ ひっこみ きのう ぐあい 取るとか、あるいは営養が不足するの虞 があれば、食 物 を改 ろうが、若い人々の参考のために一言したい。しかるにそ しょくもつ 良するとかせねばならぬ。一般の健康状態はさて 措 き、あ の後七、八年のあいだに、また幾分か 逆戻 りして、怖 気 が おそれ る局部が不良なるために 卑屈 となり引 込 勝ちとなり、憂 欝 なくなったのは、その間に日常心懸けたこともあるが、一 ひくつ にに沈む傾向がありはせぬか。これは僕の推測で、あるい つには身体の 工合 がよくなったためと思う。 うっとう おじけ は誤っているかも知らぬが、多くの事実よりかく 帰納 した ふゆかい ぐあい く思う。 弱点の自覚より起こる気弱 五七 たとえば目の不良なる人はつねに欝 陶 しく感じ、したがっ 自分の弱点を自覚するために 怖気 ることがある。これは しゅうじん いと てますます不 愉快 を覚え、人の前に出るのを 厭 うにいたる。 おじけ それが一歩を進めると、 衆人 の前に出るのを恐れるように 自警録 みにく ぼん 供のときから顔の 醜 いことをつねに笑われ、顔がお 盆 のよ にく なくてさえ、人にはいかなる人にても、秘密はあるもので 見るのであるが、その見られるのが 怖気 を促 す。かく何か り、 怖気 たのである。公然開放的の顔のことゆえ 何 ぴとも 人の前に出ても、またなんか言われはせぬかという気にな おそれ ある。もっとも秘密だからといって、決して悪いものとは 弱点があって、 自分 に控 目 になることの自覚があると 怖気 うれ うだとか、鼻が低いとか、色が黒いとか、眼ばかり大きいと 限らぬ。何 らの秘密なしと称する人こそ怪しむべきである。 る。しかし容貌のごときは 腕白小僧 にはさほどの感じもな あざけ 世間に多く見ることで、笑われはせぬか、憎 まれはせぬか、 か、お出 額 がどうとか何とか、つねに人にいわれたために、 人 も隠すべきものをもっている。秘密といえば何か悪事 何 いから、幼少のころは平気に聞き流して意に介せなかった。 で こ る場所には成るべく欠席せんとする考えが起こる。そうで られはせぬかと、つねに心に 嘲 憂 うるゆえに、かかる 虞 あ するごとく思い疑わんが、決してそうでない。 しかるにそれが 年頃 になると、この自覚を感じ、人の前に しょじょ からだ はず としごろ ようぼう しゅう あたい なん 処 女 の羞 かしがるは何が一番 甚 だしきかというに、自分 出ると恥かしくなり、ことに婦人の前に出ると、前に述べ が びがん うなが の体 にありて、親にも示すべからざるものあるがためであ たる生理上の関係のみならず、 容貌 の醜 なるを恥じて気が かいぼう し ようぼう おじけ る。これは秘密にすべきものではあるが、善悪の標準をもっ 弱くなる。 おじけ て論ずる限りではない。いな 解剖 上よりいえば、婦人が婦 かくのごときは 歯牙 にだもかくる値 のなき、まことに些 々 なん 人としての身体を有せぬが恥ずべきことである。ゆえに各 たることではあるが、世には僕と同じく気の小さなものが おじけ はにか 五八 みにく さ す さ おじけ 人が秘密を有すればとて決して怪しむに足らぬ当然なこと あり、あるいは 容貌 とかあるいは身体の一部に何かの欠点 はれ ひかえめ である。この秘密を発見せられはせぬかという観念が人を あることを自覚して、羞 むものがあるように見受けるから、 ひと かんし じぶん して怖 気 させるのである。 掲げて参考に供する。 なんびと 京都の人 は、 ﹁晴 がましい﹂という言 葉 を使う、すなわち きょうせい たで く わんぱくこぞう 東京のいわゆる、 ﹁きまりが悪い﹂の意で、目立つ所に立ち、 容貌や秘密の暴露は恥とならぬ はなは 多数の 環視 のもとに出ることを 晴 がましいといって 引込 む これが 矯正 策としては、顔が 醜 いとても美 顔 術をほどこ ことば が、これは何か秘密とすることを発見されはせぬかという す必要もなかろう。 蓼 食 う虫もある世の中にはまったく 棄 はれ に起こる。しかしてこの秘すべきことに、何らかの弱点が てる物はない。いかに顔が醜いとても、またそれ相応の天 じはく ひっこ あれば、この念がいっそう深くなる。 さら 前にも僕は子供時代の感情を 自白 して恥を曝 したが、子 自警録 かいぼう ゆる すものである。 宥 ようぼう 職もあろう。ことに 容貌 は解 剖 的のものでなく、心の作用 しんぎ さいごう 五九 によりては、少なくともその表情を変えることが出来る。 自分の 心得 の最善を尽 せば無作法も宥 される ごばいしょく いなかざむらい さほう せんせんきょうきょう ぎょくざ ゆる そして人の顔色を読むには、 骨格 肉付きの如 何 よりも、む 事の 真偽 は知らぬが、明治の初年ごろに西 郷 はじめ維新 ごうけつれん つく しろその表情によることが多い。米国の大統領リンカーン の 豪傑連 がはじめて 御陪食 を 仰付 けられたことがあったと か こころえ は有名な 醜男子 であった。しかるに親しくこの人に接した いう。いずれも 田舎侍 で、西洋料理などは見たことのない いかん ものは、 彼 の青ざめた顔、大きな口、凹 んだ眼を忘れてそ 連中のみで、中には 作法 を知らぬゆえ、いかなるご 無礼 を こっかく の慈愛に富んだ表情にのみチャームされた。 せぬとも限らぬと、 戦々兢々 とし、むしろ御陪食の 栄 をご さいごう おおせつ 顔の改造は出来なくとも、心の改良は出来る。また心を 辞退申し上げんとしたものもあった。 ひっこみ くぼ 改良すればただちにそれが顔に現るることなくとも、また いよいよ当日になり、 玉座 に近き食卓につくと、ろくろ しゅうだんし その見分けのつかぬぐらいの人から親しみを受ける価値も く落着いて手を出すものも、口を開くものもなかった。そ ひくつ えい ぶれい ないように思わるるが、何を苦しんでか外部の顔のために こで西 郷 は起 って口を開き厚くご陪食の御礼を申し上げ、 うば た 進取の気象を奪 われ、いたずらに卑 屈 に引 込 勝ちになろう、 ここのえ ごさほう かつこれに加えて、 たてまつ いなかざむらい と思えば心も晴々しくなって来る。 ﹁小臣らはいずれも田 舎侍 で、九 重 の 御作法 にははなはだ心 おん めん あいさつ ささ たい さら てら たてまつ そむ へいか また外部に現れぬ秘密の事にしても、道徳上恥ずるに足 得が 薄 いもののみでござりまする。ただ一身をもって 陛下 あいきょうだん たず ささ の 御 ために 捧 げ奉 ることのみを心得、他には何らの心得な ばくろ ととの うす らぬ秘密ならば、すなわち人には明 せられぬが、 己 れが心に きものであれば、今この席においてもあるいは 御作法 に 背 おの し、あるいは天に 明 明 して恥ずべきことでない秘密ならば、 くごときことがあるかも存じませぬ。ただ 陛下 に対 し奉 る あか 露 したところでこれまた一場の笑話となるか、 暴 愛嬌談 と 至誠に 免 じてお許しを願う﹂ いなか あか なるにとどまり、これがために心を痛め、胸を苦しめ、人 と 挨拶 して席につき、スープを飲むに、両手を 皿 にかけ あか に顔見らるるを 怖 るるにあたらない。 て 捧 げグイと飲んだという。 もうとう そしり ごさほう 田 舎 から上京した人は東京風 を知らぬゆえに、何かにつ もしこれが知っておりながら、少しく奇人を 衒 い、英雄 へいか き無礼を振舞いはせぬかとどきどきする。自分の心に 尋 ね を真似たとすれば、無礼の 誹 をまぬかれぬが、自分の心得 ゆる おそ て人に無礼を加うる念が 毛頭 なければ、動作の調 わぬこと ふう などは、人も 宥 すであろう、また自分の良心も必ずこれを 自警録 ぎょうぎさほう ぎょうぎ かく かく ひといずくん またこれに関連して述べたいことは、弱点の末の末まで ゆる かく の最善を尽している以上は、 行儀作法 に多少の欠点ありと かく し得ないことを心得れば大いに気が澄んで来る。﹁ 隠 人 焉 さほう するも、人はこれを宥 すものである。自分は 行儀 を知らず、 ぞ さんや﹂で、 さんとする人はただ一人だがこれを見 かく 法 が分からぬと、自分の弱点を知ったとても、人の前に 作 る人は幾千万人ある。また さんと欲する心を示すものは、 おく 出て、決して 臆 することはない。またそんなことを気にし つまさき 目、口、鼻など頭の頂上より足の 爪先 に至るまで、一つとし め ねうち て、かれこれいうような人なれば、友として交際する 価値 いわくらこう うらぎ て我々の性質を現す機会とならぬものはない。これを さ ごとう かく あくせく なきものと思う。 おく んとするも、これらの機関はほとんど 裏切 りするかのごと お 後 藤 男爵が少年のころ、何かの折りに、 岩倉公 の前に 召 で く、我々の心情を現すものである。かく考えると 齷齪 とし もてな され、菓子を 饗 された。地方からポット 出 の男は 怯 めず 臆 て、あるものを無しと言い、無いものを有ると見ても、と ばくろ せず、その席上でムシャムシャと菓子を食った。しかし決 うてい永続せぬものである。早晩その真相は 暴露 されるも みだ さくじつ ごふきょう く して岩倉公に無礼を 加 うる考 えなく、ただ食 えといわれた のである。 さだ きょうおう かんが から食ったまでで、いわば至当のことをなしたに過ぎぬ。 ゆえに僕はむしろクローディアス王がその画工に対し、 くわ しかるに後になって、かかる 饗応 の前で 妄 りに食うもので ﹁我を画かんとするなら、どこからどこまですべてを画け、 だん ないと言い聞かされ、 男 は定 めし岩倉公の御 不興 を受けた も何も﹂ 疣 いぼ であろうと思いしが、翌日にいたり 公 より昨 日 来た青年は といった主義に従いたいと思う。むろんこれがために 迷惑 こう 菓子が 嗜 だと見えるというて、かえって一箱の菓子を送ら を受け、他人より多く笑われ、他人より一層多く非難され ごうけつ さ い し あざむ あ しりぞ めいわく れたという。しかし僕は繰り返していう。かくのごときこ ることもある。しかし常に心に 戸閉 まりし、つねに隠 さん すき とを聞き、豪 傑 才 子 を気取って、わざと礼儀作法を破るも とする 重荷 がないだけ気軽で、大なる利益がある。要する じ のがあれば、これすなわち自己と他人を 欺 くものであるが、 に心のうちさえさっぱり晴れているなら、何事に 逢 っても あざむ おそ と この 欺 く心がなければ、たとえ自己の弱点を見られたとこ 怖いことも恐ろしいこともなくなると僕は確信する。ゆえ おもに ろで、たいした恥にならぬ。したがって一向 怖 るべきこと に人の前に出るにあたり 怖気 が起こったならちょっと 退 い ﹁ 己 れの心に忌 しい点があるか﹂ おじけ もない。 六〇 いまわ て、 いまわ おの ﹁心に 忌 しい点あるか﹂と反問せよ 自警録 かんじん おくびょう の一言である。 Be just and fear not と反問するが肝 腎 である。 臆病 なる僕に一大興奮剤となっ さおう た教訓は 沙翁 の 自警録 六一 おじけ 第六章 怖気 の矯正 六二 こやつ な かんが り うる いる時、ふと浮いた 考 えが二つあった。一つは、 の の知れたもののみである。ことに自分の今 高 演 べんとする たか ﹁ナニ 此奴 ら、 服装 こそ 美 わしけれ、金持ちでこそあれ、 ことは、日本に関することではないか、この点については 六三 い 始めて試みた英語演説 すぐ 僕は確かに彼らに 優 れている。少なくとも日本に関する知 おじけ 怖 気 は自信力のとぼしい場合に起こることが多い。﹁自分 た 識においては、彼らはゼロ同然である、 否 なゼロよりもか にん はとうていこの 任 に堪 えられぬ﹂と思えば、手を出すこと えってマイナスであろう。僕が今述ぶる問題の範囲内にお こわ も怖 くなる。 いては、彼らは取りも直さずまったく無知同様である。か ふる ゆうべん さだ おじけ てら おそ かる人を相手として演説するに、何の 怖 るることかあらん、 しゅくじょ な 僕がはじめて外国で外国語の演説をしたときは、草稿を この 馬鹿者奴 らがッ﹂ たずさ えて行ったが、 携 慣 れぬことばで語ることでもあり、かつ としきりに彼らを 呑 んでかからんとつとめたが、なかな しかのみならず りつぜん ことば しゅんかん ばかものめ 聴衆は千有余人もあり、しかも 燕尾服 着用で聴講料を払っ か 呑 めない。いかに心中では豪傑を 衒 わんとするも、 真底 えんびふく て入場した紳 士 や淑 女 ︱ ︱ ︱一目 しても一 片 の書生たる僕以 よりの豪傑でないから、ますます 怖気 てガタガタ 戦 える。 た せんりつ の 上の人と見受けられ、 加之 この時は僕の独り演説であった ぺん から、これらの聴衆を見ると、思わず 慄然 と 震 えた。 演説の 顫 いを止めた経験 しょうがい い す ひか もく やがて司会者は 起 って五、六分間、紹介の 辞 を述べた。 すでにしてまた一つの考えが起こった。 じょう しんし この 間 は僕にとって、 生涯 忘れられぬ苦痛の 瞬間 である。 ﹁この席に来た人々は日本に関する知識を求めに来たので、 おじけ あやつ わか た しんそこ の中央には演壇と 場 椅子 があり、その両側には市の有名な 決して 雄弁 や能 弁 を聴くつもりで来たのでない。日本人が の る人々が十人ばかりずつ控 え、その壮厳なる光景を見ては、 英語を操 るのであれば、定 めしブロークンな英語であろう。 ぼうちょう ふる なおさら 怖気 て、手足はブルブルと戦 慄 した。幸いにして 演説の良否よりも、内容が半分も 解 れば、それで足 るくら おさ ふる 明るくなかったからよかったものの、もし電燈の下にでも いに思うであろう。また恐らくは 傍聴 の半数以上は聴くよ おのの わずら 六四 立ったなら、いかに顔が青ざめていたであろう。とにかく りも日本人を見に来たのであろう。僕の演説を充分に解す かん も、戦 きを抑 えられぬ。愚かなことをしたものかな、こん ることはその期待せぬところであろう。もし彼らが僕の演 こうむ のうべん な演説を引受けねばよかった、いっそ急病と称して 御免 を ごめん ろうか、何か他の理由をつけて退席せんかと思い 蒙 煩 って 自警録 なま あざむ らんよう おの ざるものと思う。これ消極もまたはなはだしきものである。 なか ね 説を 半 ばなりとも了解し得たならば彼の人は感心によく英 た 自分に偉い力がないと思いながら、そのない力をあるかの あいきょう 語を話したと思ってくれるだろう。発音の 訛 りや、文法の ごとく見せ、力ある人を力なきものと仮定し、 己 れを欺 き、 ごびゅう 謬 などはかえって 誤 愛嬌 の種 子 になるくらいのものだ。な 人を欺く 芸 であるから、なかなか骨が折れよう。 すぐ げい るほどこの演説は自分にとっては責任が重い。しかし聴衆 これに反し第二の考えは相手の人には力がある、しかも わら にして心あらば、任の重きに対して同情してくれるだろう。 むく 自分より優 れた力がある。しかし彼らはこの力を濫 用 せぬ。 そこ けが ゆえに演説中に誤りを笑うものがあるとも、その 笑 いは冷 ばかものし 自分に対して善用するだろう。我もこれに 酬 ゆるに相手を けいべつ 笑でない。また出来 損 ねたからとて、あながち国名を 汚 す 蔑 しあるいは馬 軽 鹿者視 したりせず、最善を尽すべしと決 おく 心する。双方が共に相許し合い、尊敬と同情をもって結び お ことともなるまい。ブロークンながらも 怯 めず臆 せず元気 よくやるがよい﹂と。 つけられる。何の 怖気 が起こるべき理由かあらん、何で怖 おじけ かく自分勝手の理屈を考えて、覚悟をしたら、今までの た 気の起こるべき余地かあらん。 ふる あたま いがとまった。わずかに五、六分間であったが、その間 顫 おじけ しん さ 六六 じょうだん に頭 脳 の考えは二回変った。しかしていよいよ 起 った時に 信じてかかれば 怖気 ない おに きゅうちょう に供したき要点は、相手を信 じてかかれということである。 おじけ は平然として何のこともなく、草稿にない 戯談 なども臨時 そこで僕が自分の恥を 晒 らして物語り、怖 気 る人の参考 そうにゅう 六五 かっさい に揷 入 し、幸いに案外の 喝采 をうけた。 おじけ りょうふ おじけ へ おくびょう 渡る世間に 鬼 はない、鬼でさえ頼めば人を食わぬ。 窮 鳥 ふところ 気 に処する二種の考え 怖 懐 に入れば 猟夫 もこれを殺さぬ。 怖気 たり 臆病 な人も、 おそ その後、僕はこの経験を思い出すごとに自分の教訓とす 他に信じてかかれば 怖 るることがなくなる。僕はこの一時 えいゆうごうけつ ることがある。それは天性 英雄 豪 傑 ならぬものが、英雄豪 の経験により、自分の心理状態に一大改革を 経 たように思 てら おろ か きゃつ う。あるいは読者中には、粗雑にしてかつ乱雑なる僕の演 ぼうじゃくぶじん 傑を気取り、 傍若無人 を衒 い、なに彼 奴 らがという態度を 説を聞かれた人もあろうが、こんにち日本においても聴衆 じ することは、あるいはこの方法で成功するものもあるか 持 の前に立ち、何らの腹案もなく述べ出す。 と 知らぬが、自分にははなはだ愚 かなる方法であると思った。 学術上のことはさて 措 き、日ごろ思っている考え、日ご ひ 恐らくは 他人 にも、かかる借 り元気は一時の成功を来たす お ことがあるとも、これをもって常に用うべき策とすべから 自警録 てみずから重んぜざる人がいかにして他人より重んぜられ おそ ようか。 人爵的 の軽 重 ならばいざ知らず、心より発する尊 いだ ろ懐 ける感情を述ぶるに、何の 怖 れることもない。ありの 敬などは自ら重んぜざる人に払うものはあるまい。 おそ つらぬ けいちょう ままに口を開け、﹁ 腸 見せる柘 榴 ﹂同然にやる。隠したと じんしゃくてき ころが、数百の聴衆は僕よりもいっそう鋭敏なる眼をもっ ゆえに人を信ずるに先だち、自ら信ずる念がなければな ちょうろう たま ざくろ て見つつある。隠さんとしても隠しきれぬ。急に君子顔を らぬ。みずから信ずるというは自分に暗いところがない、 はらわた 装ったとて、また言葉だけに 珠 をつらねたとても、音調に よし他人が自分を信ぜなくとも、自分は独立しても世を渡 ね せい うと 得た所がなければ、聴衆の 嘲弄 を招くばかりである。また る、またいかに他人が自分を 疎 んじても、我はあくまでも自 かれ たんりょく その場に急に英雄豪傑を 真似 たとて、その腹の底に 胆力 が ら 重 んじて、所信を 貫 くという、みずから 潔 しとするとこ ま なければ、話しているあいだの姿勢にて暴露する。聴衆は ろがなければならぬ。僕がしばしば引用する し し し し とな かれ おじけ いさぎよ 自分よりも具 眼 の士であると、 彼 らを信じてかかれば、か おの おも えって 怖 しくなくなる。同じ獅 子 の穴 に入るにしても、相 ︵正 を守りて 怖 るることなかれ︶というはすなわ fear not ちここをいったのである。 く おぼつか おそ Be just and 手が 己 れを食らうなど思えばおそろしくなるが、この 獅子 自分が正しいと信ずるものは、いかなる事があっても 怖 おじけ ぐがん は妄 りに人を 食 わぬことが分かれば、恐怖の念が去る。ゆ れない。したがって人の前に立っても 怖気 ることがない。 あな えに僕は 怖気 る人に対し特筆して注意したきことは、相手 かの宗教改革を 唱 えたルターが始めてその新説を発表し旧 おそろ の人を疑うことなかれ、相手の人に好意をもってすれば、 教家の反対を受けたときは、その 生命 の安全さえもはなは かれ みだ らもまた君に対し好意を懐くものであると。 彼 だ 覚束 なかった。そのころルターの友人は 彼 のある会合に 六七 いのち きょうせい 出席せんとしたのを止め、 おじけ 気 の根本的矯 怖 正 は自信自重にあり こうぜん ﹁今日は家にあれ、一歩戸外に出れば生命は危険である﹂ いまし 右に述べたのは相手を信用してかかれという意味である と 警 めたが、ルターは 昂然 として、 おそ やま ﹁この町の 家屋 の瓦 ほどに敵が多くとも、心に 疚 しきこと かわら が、これに相伴って必要な一つの覚悟があると思う。それ なき以上は、何の 怖 るることかあらん﹂ かおく は他人のことに関せぬ自分自身の態度である。いかに他人 と言い出席したという。おそらくは 怖気 の根本的矯 正 法 きょうせい が自分に対して好意があるだろうと信ぜんとしても、自分 は自身の正しきを自覚するにありと思う。 おじけ の心に暗いところがあれば、みずから信ずる念が 乏 しくな とぼ り、したがってまたみずから重んずる念が欠ける。しかし 自警録 ふぎょうぎ の中学を巡廻し、生徒の 不行儀 なることを、ことに痛切に 感じていたから、僕は、 ﹁行儀を正すことが目下の一大急務なり﹂ 六八 暗いところがあると 怖気 出す というや、今までの豪傑は急に 狼狽 しはじめた。露出し おじけ これに 反 し自分に最 善 を尽しておらぬものは、何かの時 た 膝頭 を気にして、 衣服 で 掩 わんとしたり、あるいは 趺座 ベスト に退 けを取りやすい。恥ずかしいが、僕もしばしば自分で をかいた足を幾分かむすび直し、正座の姿に移らんとした。 はん これを経験したことがある。かようなことは相手も知って 僕はこれを見て、ハハア、この人が今までの 大言壮語 も、そ つじつま らいらく きえん えいまい ろうばい おるまいと、思って大きな顔している間に、はしなくも 話頭 の 磊落 の行儀も、思いつかずになした 業 でなく、一時 の拵 ひ がみずから犯した罪に、すこしでも触れると、すぐにビク え 気焔 で人を脅 かすつもりか、あるいは豪傑を 衒 っての 業 はなし お ごうたん わた てら ひるがえ こざいく はた お ろうばい わざ こしら あぐら つき、あるいは 顔色 が変わり、あるいは声が 顫 え、あるい であったのだな。彼の 英邁 奇行は道具立ての 小細工 たるを たの おお はその言うことに 辻褄 が合わなくなり、あるいは 極 上等に 見て 可笑 しくなった。彼はその知れる限りの最美を尽して はなし きもの 出来たとしても、 話頭 を漸 々 に 曲 げて自分の痛いところよ おらぬ。むしろ彼の最悪の行儀をなしていたのである。自 ふぜい ひざがしら り遠く離さんとし、然らざれば正反対に自分の弱点を弁護 分が為すべからざることと知れることを、ことさらに為し はなし するごとき議論や物語をしたりする。 ていたのである。 あぐら たいげんそうご これは僕自身にそういう経験があるのみならず、また他 ゆえに一言でも 話頭 が彼の弱点に渉 ると、胸中幾分か狼 狽 ま いな 六九 むほん じ 人に逢っても、自分みたいなことをやっているわいと感じ するの 風情 が現れ、今まで 頼 もしい 剛胆 なる青年と思われ へや ざんじ はな わざ たことが 間々 あった。たとえば前年僕を訪ねて、なかなか たものが、見すぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗 ぼうじゃくぶじん あわ ふる 元気よく議論したある青年があった。その挙動を見るとす 兵となった観を呈した。 かおいろ こぶる 傍若無人 で、 室 に入るや 否 やいきなり 趺座 をかき、 パラダイスロスト おど 口角に 泡 を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなる ﹃失楽園﹄に現れた悪魔の姿勢 こんにち ごく ほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼が独りで 暫時 議論 英文学に異彩を 放 つと称せらるるかの有名なるミルトン ま したのち、僕にむかい、 の﹃ 失楽園 ﹄の主人公は、神を相手に 謀叛 の 旗 を翻 した悪 ぜんぜん ﹁今 日 の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か﹂ 魔の雄将サタンである。彼が戦いに敗れ地獄に 堕 ち、しば か と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮 ま 肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方 自警録 だらく ると、変わるごとに一歩ずつ小さくなり、 堕落 する順序が いき 現れている。 ひき らく夢中に卒倒してあった後、たちまち 息 ふき返して、わ 僕はミルトンの﹃失楽園﹄を見るごとに、人格の 堕落 の ね ね だらく た がんちく だらく が身辺を見廻わすと、彼の同僚および彼の 率 いたる軍勢は、 階段が秩序的に現れているがごとく 感 ずる。すなわち世に つか 何万となくいずれもあるいは 疲 れあるいは負傷して消ゆる 行われる進化の階段に正反対して退化の順序が行われてい てんだい かん ことなき地獄の青い火の中に、燃えもせず焼けもせず、苦し るのを見る。 り こ ぶ みながら横たわれるさまを見て、サタンは再び士気を 鼓舞 しかして進化というはすでに発芽すべき力がもともと 含蓄 えが して、天に逆らい再挙を計ることを、詩仙ミルトンが 椽大 されているものが、 漸々 に働くことを称すると 同 じく、退 ふる の筆を 揮 って描 いている。 化もまたすでにもともとその性質において堕落すべき 種子 おな しかして書中に現れた悪魔の態度の実に 凛々 しく、彼の が含まれているある一種の病原が存し、この 種子 が年とと ごじん ぜんぜん 野心の実に偉大なる、彼の度量の 広闊 なる、読む者をして もに蔓 延 するものである。ミルトンの悪魔もはじめは高尚 り 知らず知らず神よりも悪魔を尊敬する念を起こさしむる。 な位地にあり、世の尊敬も浅からず受けていたが、一たび野 こうかつ ゆえに英文学を論ずるものは、 ﹃失楽園﹄を批評するにあた 心という病いの黴 菌 が胸中に萠 したのちは、いかなる方法 ふうさい ひれつ た 崇 めぬもの り、ミルトンの神を け な し、ミルトンの悪魔を そむ まんえん はない。またこの悪魔の姿は実に堂々たる 風采 で、吾 人 の をもってするも、目的を遂げんと望んだため、最初堂々たる あたい あが 崇拝に 値 するように写してある。ことに彼が天帝に 反 かん 方法で戦ったに反し、後には目的を達するに急となり、目 かれ し、ついに虫 類 同然のものに身を変えて幾分かその目的を むしけら しめる。 遂げた。この詩を見る人はその堕落のさまの顕著なるに驚 きざ とする豪胆のこと、また大敗を受けても再び事を挙げんと 的のためにはいかに 卑劣 な手段も辞せず、だんだんに 堕落 ばいきん する勇気のごときは、読者をしていよいよ 彼 に尊敬を払わ しかるに﹃失楽園﹄を最終まで読むときは、この悪魔の 七〇 く。 せんぷく おじけ 大将軍がとうてい対等の軍を張ることの不利なるを察し、 やま からだ その後は種々なる計略を用い、神に勝たんとしている。彼 た ね わきみち 顧みて疚 しからずば怖 気 は起こらぬ はなし 話 頭 は 岐路 に入ったようであるが、自分の胸中に正しか へび がこの考えを起こした後は、固有の偉大なる 身躯 があるい らざる 種子 が潜 伏 する以上は、いかに最初は勇敢なるも、い かえる なる形に変化している。しかしてその変化のありさまを見 は蛙 となり、あるいは鳥となり、あるいは 蛇 となり、種々 、 、 、 ふ かに初対面のときに豪傑風を装うとも、いかに人に接して きんぱく は 偉大なる感を与うることあるも、年を 経 るにしたがい、そ ひきょう の金 箔 がだんだんに剥 げると同時に、その人はますます小 おじけ さく、臆病にかつ 卑怯 になる。ゆえに僕は何か人に逢った いなぞう きさま かか り、多数の前に立つ時、 怖気 を覚ゆればすぐに自分を呼び 出し、 すん げ からだ おの りっしんべん じ りょうけん ちぢ ここち かえる おじけ きょう じ ぎ 、 ふ かね 、 ﹁りっしんべん+くさかんむり/氓のへん﹂ 、 99-7 みだ ぼう り起こる。漢字で 立心扁 に 去る︵怯 ︶ 布く︵怖 ︶ 芒ふ︵※ ︶ 、 まま存する者は 怖 がりもせぬ。 怖気 は自己の心を離るるよ こわ 心を 取 り直し、 己 れに帰る心 地 する。して己れの心をその と がけよりも、この点において大いに堕 落 したと思いあたり、 だらく かく発問すると、なるほどもっともだ、自分は 予 ての心 を引下げておりはせぬか﹂。 ミルトンの悪魔同然に鳥なり 蛇 なり蛙 なりの程度まで一身 へび ら五 尺 四寸 の体 躯 を四尺三尺に縮 め、それでも不足すれば、 しゃく に自分を 卑下 して、なさずともよいお辞 儀 をなし、みずか ひ 所があって、相手の人にお 世辞 を述べるか、あるいは妄 り せ められたいと思っておりはせぬか、あるいは何か求むる 褒 ほ 自分の真価以上に 看板 をかけたい了 簡 なるか、相手の人に かんばん ﹁ 汝 は人の前に立ち、少しでもよく自分を思われたいと、 なんじ と自問を発し、あるいは、 どこかで病いの 種子 を宿しはせぬか﹂ た ね ﹁これ稲 造 、汝 は近ごろ、何かバクテリアに罹 りはせぬか、 自警録 1 1 ゆえ をつけて こ わ が るの意を現すも 故 ありというべし。 、 、 、 、 自警録 七一 きぼう 第七章 譏謗 に対する態度 七二 かなか心を悩まし、自分に対する悪口に無頓着なることは 出来ぬ。またズッと高く進んだ聖人さえも、全然これを無 英雄も聖人も悪口を気にかける 視するを得難いもののように思われる。 人に最大不快を与うるは何か かつて故 児玉 大将が生存中、僕は一 夕 大将をその邸 に訪 人間社会で不愉快なる感を与うるものは 数多 あるが、こ ねたことがある。折から外出より帰った大将は、 七三 れを一々区別して、何が最も有力なるかを 尋 ぬるに、貧困 ﹁ 大層 お待たせした﹂ あいさつ じじいれん ちが おれ ばばあ ばばあ てら やしき よりも 疾病 よりも、失望よりも何よりも、他人から悪く批 と 挨拶 し、 ひとかた うら せき 評されることが最も有力なものであろう。 ﹁イヤハヤ、どうも元老の 爺連 がお互いに悪口言い合うを ごう らいらく 七四 ある人が人間の行為として最下等なる職業を 営 む数 多 の 調和するは、 一方 ならぬ骨折りだ。今日も一日かかって、 こと かげぐち け こだま 醜業婦について、 そんな骨折りをやって来た﹂ あまた ﹁お前たちはこの商売していて一番イヤなことは何か﹂ と歎ぜられた。僕は、 すい たず と訊 したら、お茶をひいて仲 間 に笑われることだと答えた ﹁悪口って、どんなことを言われるのです﹂ しっぺい そうであるが、彼らは日々の飯さえ遠慮して食い、終夜一 ﹁どんなことって、まるで裏長屋の 婆 が井戸 端 でグズるの たいそう もせぬことしばしばなるに、 睡 身体 の苦しきよりは、やは と 異 なったことはないさ﹂ ささい あまた じつ あまた り四囲 の批評のほうがつらきものと見ゆる。 ﹁しかし天下を預かる英雄にはそんなこともありますまい﹂ むとんじゃく ひと いとな こういうと、あるいはそんな 些細 なことがと、言い流す ﹁英雄は英雄でも、豪傑は豪傑でも、 俺 のことをこんなこ かま なかま 人もあろうが、実際においては自分の悪口を言われても、 と言った、 怪 しからぬ 奴 だ、あんなことをいったが不都合 ただ これを心にかけず平然たるくらいまで進んだ人ははなはだ だと互いに 陰口 きいたのを、 怨 むようにこそこそと他人の からだ 少ない。中にはそんなことは 構 わぬと称する人 も数 多 ある 悪口をいうさまは、 毫 も裏長屋の婆 と異 うことはない﹂ ごうけつはだ ばた が、なにかかにか言われると、まったく 無頓着 に聞き流す と言われたが、 磊落 にして世評などに無頓着を 衒 う豪傑 い 人はほとんどない。誰しも必ず心に不愉快を感ずる。こと にしても、なおかつかかる人が多い。いわんや普通の凡人 むとんじゃく やつ に少しく神経 過敏 なものになると、なおさら不愉快を深く かびん 感ずる。 無頓着 と称される豪 傑肌 の者でさえも、その実 な 自警録 あば うなが るものも、これを 発 いて反省を促 さねば、ますますその暴 たくま においてはなおさらである。 ひつじ 行を 逞 しゅうしやすくなる。 ひぼう 世間の批評が我々の行為を抑制することは、あたかも 羊 せじん また僕はかつて次のごときことを読んだことである。ソ の群れを監督するために 羊 犬 を付けるがごとくである。 みにく クラテスは容貌の 醜 い人で、 世人 が彼を 誹謗 するときは、 おろかなる 羊 は草を食いながら、少しでも柔軟に、少しで おの きどう シェファードドッグ 必ずこの点を指摘した。しかし彼自身も容貌などは、どう も緑の草があるほうに進み、だいたいの方向も忘れて進み ひつじ でもよいと思うため、世人が自分の容貌の醜きを悪口すれ 路を迷いやすい。このとき羊犬が迷った羊に 吠 えつき、各 おさ ほ ば、自分もその仲間に加わり、一緒に笑い、 己 れの眼の飛び 個の羊をその群れより離散せぬようにまとめると同じく、 か 出しているは、四方八方をよく見るためであり、鼻の天井 世評なるものは、我々が得意になり、あるいは 岐路 に迷わ ろ を向いているは、他人の 嗅 げないものを嗅ぐためであると んとするとき、これを 抑 えて軌 道 に 惹 き着ける役目をする おれ きぼう らんよう き 落 に笑い流していたが、その死せんとするにあたり、ヘ 磊 ものと思えば、修養の一大補助ともみなされる。すなわち らいらく ムロックの杯 を取りながら、 謗 は社会の要求の声ともいうべきものならん。 毀 ひ ﹁いよいよ俺 が死んだなら、もはや俺の容貌の醜きを笑う それについてはこれを 濫用 せぬよう心がけることが最も はい 人もあるまい﹂ と そし と一 言 した。してみると、他人が彼の醜きを 譏 るのを気 必要である。してその濫用とは、 ごん にしていたと思われると 説 いた人の論を聞いた。この論が 一にはその悪口をいった人を 怨 むこと、 いか はたして当を得たるや 否 やは別とし、いわゆる聖人なるも 二には自分の悪口されたのを聞き 怒 ること、 うら のも他人より悪口さるれば、少なくとも不愉快の感を起こ 三は悪口を耳にしてヤケとなること、 いな すものと思われる。まして凡人においてをや。 いしゅく 四には悪口に対する弁解に大いにつとむること、 七五 等が、その主要なるものである。これらの 弊 に陥 らぬよ おちい うにするには、まず悪口に対してはいかなる態度におらね へい かれこれ相互の批評は人生の大部分を成しているかと思 ばならぬか、その度胸を定めたい。 五には悪口のために落胆し萎 縮 すること、 われる。むろんこれが刺激となって人生は進歩するもので 悪口そのものについては他所にも述べたから、ここに再 世評は修養の補助 ある。いかなる人でも、その備うる短所を批評せねばいい け 気になりますます得意となる。いかなる 怪 しからぬ行為あ 自警録 うに思われるが、翌日甲乙が互いに話し合うところを見る げん と、前夜用いた 罵詈 の言 は、いずれにあったかを解するに ば り び繰り返す必要はない。僕のここに言わんとすることは、 苦しむことがある。誰しもまた必ずかかることを経験した ごん 悪口の目的物となり、すなわち悪口を受けるものの態度に であろう。 ついて一 言 したい。 こ きぼう 七七 七六 りゅうげん 悪口は一時的のものが多い 謗 の大部分は介意の価なし 譏 ぞくげん おちい なんしゃ じょうはつ ひとかぜ すこ あた うわさ しかるに少し気の小さな人が、自分のことを 噂 され、あ うわさ 多くの悪口には一時的 流言 に過ぎずして、ほとんど一 顧 るいは新聞雑誌に悪く掲げらるれば、再び 起 つ能 わざる窮 きげん ろう た の値いなきものがある。 俗諺 にいう、 ﹁人の 噂 も七十五日﹂ 。 地に 陥 るごとく 歎 く。かくのごとき時には、 少 しく度胸を なげ その語るところを聞くと根底深いらしいが、その実は根も 大きく持ち、今日あって明日なき 言 の葉 の、 一風 吹けば散 うら は 葉もないことが多い。これは我々がしばしば新聞雑誌に見 り果てるものだと思うと、悪口もさほど不愉快に感ぜぬの いただ よぎ げん とおぼ こと ることによりてもよく分かる。すなわち新聞雑誌に掲げら みならず、かえって 為 に一種のおかし味を感ずるものであ くら ぼう げったん れる 月旦 とか人物評論とかあるいはいわゆる三面記事を見 る。自分に対して非難するものあるを、直接または間接に もと ののし ため ると、 某 はかくのごときことをなし、国賊であるとか、そ 聞くことあるも、その 難者 はいかなる人かと聞けば、 怒 っ とも の肉を 食 っても 饜 たらぬとか、 倶 に天を 戴 くを恥じとする たり 怨 んだりするより、むしろ一種のおかし味を感ずる。 こまごま あき とか極端の言葉を用い、あるいは某が某女性と関係したる あの男が一ぱい 機嫌 で悪口するはアルコールの 蒸発 が喉 け さわ のど おこ 末 を 始 細々 と記してある。 を過 って来るから、人の言葉として顕われるが、一種のガス め これを読む者が 真面目 に考えれば、とても読み流すこと の作用にほかならぬ。我々の耳に達したころはちょうど消 じ は出来ぬ。国のためにかかる人は一刀の 下 に刺し殺すべし えてなくなる。彼の男にしてそういう 言 を弄 するは、ちょっ ほ ま とまで思うようなことが載せてあれば、三、四日もすると、 と奇抜で、面白いが、あまりガラに似合わぬ、真のことで しまつ そんなことも忘れ、翌月になると、同じ新聞雑誌がこの同 もあるまい。またさらに力あるとも認められぬと思うと、 うわさ よろん じ人を恐ろしく 褒 め立てることがある。いわゆる 輿論 なる 悪口を受けても苦痛でなく、犬の 遠吠 えぐらいに聞こえる。 やつ ものは実に軽薄なものである。また我々の友人中にも甲が ちょっとは耳に 障 っても、あとに残らない。 あき ところを聞くと、その間の関係が、絶交しても 饜 たらぬよ 乙の 噂 をして、はなはだ 怪 しからぬ奴 だと罵 る。その語る 自警録 僕もしばしば人から種々の批評を受け、家族や友人から め これを弁解するように勧められたこともあるが、僕よりも ま じ しかるにこれを一々 真面目 に解し、言葉通りに直訳して 知恵のすぐれた人に対し、毀 謗 の理由は薄弱なりとしても、 きぼう 考うれば由々しいことになるが、人はなかなか大いに考え うら て悪口することは少ない。ただその場合々々に好き勝手な ため 自分の受けた悪口を弁護すればするほど、ますます自分が は 熱を 吐 くほうが多いから、為 に人を怨 み、あるいはみずか 言い負かされる。しからば僕よりも知恵の劣った人が悪口 ことごと ら怒り、あるいは落胆し、あるいはヤケになったりする価 するなら、自分より劣ったものを相手とし、 事々 しく弁解 ぶ 値はない。ゆえに世に処するものは悪口の六、七 分 は聞流 する労を取るだけの価値がない。 加 之 時日の進行中にお かれこれ はない。ことに自分をよく知らぬものが、 彼是 批評するこ しかのみならず しにすべきもの、意に介 する価値なきものと僕は信ずる。 いて自然に消滅する悪口と思えば、さほど気にかけること かい 折々は濁るも水の習ひぞと思ひ流して月は澄むらん とは、当を得ないことが多いから、自分を知れる人にその 七八 知らぬ人の批評には弁解が要らぬ 判断を任すれば事は足る。 きゅうきょう もっとも悪口でも右のごとく軽いものばかりと限らぬ。 はなし こ 四、五年前、ある青年が僕を訪ね来て、自分は非常に 窮境 おちい ときには念の入った、しかも非常に念入りのものもあり、 きゅうきょう おちい に 陥 り衣服にも窮している、どうか助力を 乞 いたいと訴え かき たが、彼がその 窮境 に陥 ったことの説明として世間はすべ わな 中には道具立てした悪口もあり、数人かかって、それぞれ て自分を誤解したといったから、僕は彼の 談 を遮 り、世間 あいぞう さえぎ 手を廻わし、こちらに 罠 をかけ、あちらに 垣 を結び、もっ が君を誤解しても、君の 知己 が誤解しなければよいではな い ち き て他を 陥 れんとする、手配り広き悪口もある。 いか。 おとしい こういう悪計にかかってはよほどの知者ならねば、とう 世間とは君を知らぬ人の 謂 いである。君を知らぬ人がか まぬか ていこれを免 れられぬものである。しかし五人かかろうが、 れこれ批評することは、さほど意に 介 するに及ばぬ。失敬 は 十人かかろうが、 知恵 を絞り出して吐 く悪口は、つまりそ ながら君のことはいかなる事があったか知らぬが、よし新 え れ以上の知恵さえあれば、ことごとくこれを無効ならしむ 聞等に二、三回掲げられたことがあっても、僕ら別に耳に ち ることが出来る。しかし人の批評や悪口を取消すために、 したこともないし、したがって君に対して 愛憎 の念も何も のうしょう かい 自分がそんなに骨折って知恵を 運 らす必要があるか、むろ ない。すなわち君を知らぬわが輩は君のいわゆる世間であ めぐ 対し弁護するよりもまだまだ適切な用途が多くあると思う。 ん悪口の種類にもよるが、同じく 脳漿 を絞るなら、悪口に 自警録 か つげぐち せんどう てうち しまづひさみつ に 藉 るが、実はこれを 煽動 するものであると、島 津久光 公 さしつか るが、わが輩は君を何とも思わぬといった。 なにぴと に 告口 した。公はこれを聞かれて非常に怒られ、西郷の帰 ひさみつ いな すいせん り次第、何 人 でも差 支 えなきゆえ、 手討 にせよとの命令を下 おおくぼ かかる悪口は自然に消える した。これを聞いた 大久保 はそもそも西郷を 久光 公に 推薦 七九 ばく 世間だの世評だのということは、はなはだ 漠 としたこと したのは自分である。彼が 不埒 を働いたとすれば、自分も じ れば、生命はないぞ。到底助からぬものと思えば、むしろ ひょうご ここで刺し 互 えて死する積りだといった時、西郷は、 ふらち で、ために一身を処するとか、あるいは思想を変えるとか またその 責任 を分かたねばならぬと思い、西郷が来るや 否 といわねばならぬ。 ﹁ウン、二人死ぬのはつまらぬ。二人が死ねば島津家は真っ せきにん する価値なきものと思う。しかるに自分をよく知るものが、 や、ただちに彼を 兵庫 に引連れ、明日君が君公の前に 侍 す たとえば学校を預かれる校長に対して、世間がかれこれ 暗になってしまう。一人残るがよい。 俺 は罪を得たから死 ゆ ゆ 自分を見捨てることがあるなら、これぞ実に 由々 しき大事 難 しても、校長にして生徒に対する関係が依然良好であ 非 ぬが、 汝 は生き残って俺の代りに君公に 仕 え、二人前を働 ちが るならば、世評などはあえて意とするに足らぬ。また会社 いてくれ﹂ ひなん 社長あるいは店の主人に対して種々なる動機より悪口を 吐 といって出仕した。幸いにして何のこともなく一命は助 つか おれ き、その会社の信用を傷つけ、その店を 顛覆 させる計画あ かり、引き続き国事に 奔走 したが、世には随分念の入った きさま るも、社長なり主人なりが、その部下、重役、株主、すな 言 悪口がある。しかしこれがために軽々しく一命を捨て、 讒 は わち関係の最も近いものに対し、何の不義もなく、何の不 ヤケとなり、あるいは他を 怨 むことを要せぬ。ジッとして てんぷく 正もないならば、一向に意とするに足らぬ。あるいはため それを放任すれば、自然にその悪口も消え、真実のみが残っ さつま ほんそう に一時迷惑を受けることあるも、その迷惑は永遠に継続す て、最後の勝利を得る。 さいごうなんしゅう ざんげん るものでない。ゆえに種々なる批評があっても、それらは うら 意とするに足らぬ。 言語よりも実行をもって弁解せよ こころよ けいおう 西 郷南洲 翁が慶 応 年間、京都に集まった 薩摩 の勇士の挙 かくいったならば、あるいは正直の人は、 ちんぶ 八〇 動はなはだ不穏なりと聞き、これが 鎮撫 に取りかかったと ﹁人より受ける悪口はそう軽く見るべきものでない。 汝 は ちんぶ き、日ごろ西郷に 快 からぬ人々が西郷の挙動をもって正反 なんじ 対の意味あるがごとくに言い放ち、西郷は名を浪士の 鎮撫 自警録 家の御用史家により、成るべく 悪 しざまに書かれたため、 間英国の歴史を 汚 した。また我が国にても 石田三成 は徳 川 人の言が世に伝わり、いかにも悪党なるかのごとく、数百年 西洋歴史にていうならクロムエルのごときは、彼を 憎 む ことが多い。 二千年の後までも残り、しかも誤りを伝え世に害毒を流す に思わせるが、これが歴史となって百年も二百年、千年も 軽い例ばかりを挙げたから、人をしてこれを軽い事のよう ﹁ああそうかい﹂ 然として、 と白状したとき、世人から 生 ぐさ坊 主 と非難されても、平 白隠和尚 はその 檀家 の娘が妊娠して 和尚 の 種子 を宿した べきであると思う。 いて弁解するなら、言語をもってせず実行をもって示す 強 しからざればこれまた放任して置くべきものと思う。もし 惑を及ぼすことがあれば、それは説明する必要もあるが、 解説明する必要がないと思う。もしこれがために他人に迷 る心がけにてこの場合に処するかといえば、僕はやはり弁 とくがわ ごびゅう し その人格および事業はすべて曲げて世に伝えられた。教訓 と言い、生まれた後は、自分でその子を 懐 きなどしてい にく よりしても、歴史よりしても、はなはだ望ましからぬ影響 たが、後、和尚の 種子 でなく、娘は一時のがれに和尚の名 けが た ね むとんじゃく た ね を世に及ぼしたように思う。ゆえにいたずらに人を悪口す を 汚 したことが明らかになった時も、また、 いわ よ むべん よ い うらみ よ とど か し に無 頓着 であったという。僕 き よ ほ う へ ん 八一 や おしょう るものがあれば、根底よりその事実を明らかにし、 誤謬 を ﹁ああそうかい﹂ いわ だんか 改めしむべきが本分である。汝 の言のごとくどうでもよい、 といって世間の 毀誉褒貶 はくいんおしょう 放任せよというは 怪 しからぬ﹂ は悪口に対してはこの心がけをもって世に処したい。 いしだみつなり という人もある。歴史上の事実としては明らかなる証拠 僕の日ごろ愛読する書物にこういう言がある。 けが を世に伝うることは必要である。円形なるものを眼の悪い ﹁何をもって 謗 を熄 むる、 曰 く無 弁 。何をもって怨 を止 む よ ぼうず 人が四角と伝えるものがあれば、確かに円形なりとの事実 る、 曰 く争わず﹂ しんぎ そし あなど なま を証明することは望ましい。しかしこれを冷淡に考うれば、 と、また、 あ これは歴史上の事実を明らかにするに過ぎぬ。はたしてし ﹁人の我を 謗 るやその 能 く弁ぜんよりは、能 く容 るるに 如 し だ からばこれ正邪の問題でなく、 真偽 の問題である。道徳の かず。人の我を 侮 るや、その能 く防がんよりは、 能 く化 す び なんじ 問題でなく、歴史上の問題である。 るに 如 かず﹂と。 ひ け 歴史上の事実としては真実を伝うることは無論必要であ そしり るが、お互いの 日々 の心得としての立場より見て、いかな 自警録 私もクエーカーというものが多く、政府はその真偽を弁別 悪口に対する理想的態度 徳望高き人は特に穏便に取扱い、戦時だけ自分に 都合 よき 完うせざるものは、無遠慮に罰し、日 ごろの行状が正しく、 えクエーカー宗に入れるものにしても、 日 ごろその主義を ひ 実に尽せる言である。 しかしこれについてはくれぐれも心得たきことがある。 主義を唱えたとても、平生の行状がこれに伴わないものは、 ひ するに苦しみ、一々その人の 日 ごろの行状を審査し、たと すなわち 白隠和尚 の態度のごときは日 ごろの修養ある者で ただ一場の言い前に過ぎずとして採用されなかった。 白隠 八二 なければ、為すべきことでない。かく言えば、前に説いた 和尚は日ごろ修養を積み、 平生 の言行が正しく聖人たる資 むじゅん か ひ ことと 矛盾 するらしく思われるがそうでない。日ごろこれ 格あることを証明したゆえ、一時疑いを受けたことも、数 はなし あつ ひ きんしん はくいん つごう らの修養を欠 く人が、ある一事にかかることを為すと、自 年ならずして解けたのである。 ひ 分はともかく、他人に大なる迷惑をかけ、しかしてかえっ ゆえにかかる場合に身を処すること同一筆法に出ても、 はくいんおしょう て悪事を為すことを 奨励 するに傾きがちである。 白隠 なり ごろの修養如 日 何 によりてその価値が著 しく違う。白 隠 の と はば つつし よ むごん ほんらいせいじょう ろう はくいん しゆえ、後日に至り疑いも 解 け、差し支えなかったが、し は美事であるが、僕はこの筆法をすぐに各自に応用する 談 おそれ ひ おこた へいぜい かし世間では、ややもすれば 白隠 以外の、しかも良からぬ を 憚 かる。しからば何ゆえにこの例を掲げたかというに、 ま ね はくいん 人が、実際自分の私生児を引き 取 り、白隠の言葉を借用し ごろの行状を謹 日 み、日常の信用を 厚 うするだけの慎みを しょうれい て聖人の行為を 真似 る虞 が多い。 なさねばならぬことを勧めたいからである。この点に 謹慎 と 米国の南北戦争にクエーカー宗の人々は非戦論を唱えて、 し、修養していれば、一時いかなる非難 非譏 を受けたとて おし こくびゃく いちじる 戦時税を払わず、兵役にもつかず、ために当時の政府はそ も、何らの弁解を試みずして 能 く晴天白日の身となり得る おの いかん の処分について少なからず苦しんだ。法に従って彼らを 罰 と思う。悪口に対する吾人の理想的態度は 無言 実行の弁解 ひ ひ せんか、 惜 むらくは彼らの中には有名の 士君子 が多く、か をもってすべきであると思う。いかに人はかれこれいうと けんぎ はくいん つこれらの人は 日 ごろ社会百般の事柄に力を尽し、世間の も己 れさえ道を蹈むことを怠 らずば、何の策を 弄 せずとも、 き 信用と敬愛とを受けている。法に従い罰するに 忍 びぬ。ゆ いつの間にか 黒白 判然するものである。要は﹁ 本来 清浄 ﹂ めん ばっ えに止むを得ず一時の 権宜 として、彼らには軍法を応用せ を守るにある。さすれば人為人工を用うるに及ばぬ。かく しくんし ず、兵役も免 じ、納税の義務も免じた。 しの これを見たるクエーカー宗以外の人々も、私もクエーカー、 自警録 ひと やまざと やなぎ 思うと左の歌は教訓的に解しても面白い。 はな 住まぬ 人 山里 なれど春くれば 柳 はみどり花 はくれな ゐ はびこ 第八章 世に 蔓延 る者は憎まる 八三 八四 に は び こ るのである。我々がある目的を達せんとするため、 あるいは何らかの欲望を充足せんとする行動に対し、妨害 まっと となるものは、我々はただちにこれを有害とみなす。しか るに は び こ るほうからいえば、これ自己の天職を 完 うし、 八五 びるのである。ゆえに天より見れば彼らは悪い者でない。 伸 はびこ 世に蔓 延 る者は憎まる 現に世にいわゆる は び こ る人を見るに、なるほど憎まれ勝 があるが、わが輩はこれ ﹁憎 まれ 児 世に は び こ る﹂という諺 ちではあるが、親しくその人に接し、その動機や行動を察 てんとう まこと げんかい しげ こめむぎ の を顛 倒 して、世に は び こ る者は 憎 まれるということも、ま すると、必ずしも悪人でない、 否 むしろすこぶる感服する こ た 真実 であると思う。いったいこの﹁はびこる﹂とはいか ことがたくさんある。 にく なる意味か、 ﹃言 海 ﹄を見ると横行、強 梁 などいう漢字を充 の にく 用し、 這 いひろがる意とある。一般には、とかく悪い意味 古今の事例はこれを示す せいじん い 八六 や そ さまた いな に用うるも、文字より考えれば必ずしも悪い意味のみでな これ我が天職なり、これ我々がまさに 履 むべき道なりと きょうりょう く、 延 びひろがり繁 る意味である。米 麦 を蒔 いた田畑に米 の確信の 下 に働ける人、すなわち意志の強き人は世に は び は 麦がよく繁茂するのも、害草が繁茂するのも、共に同じく こ り、ために 何人 かの進路を 妨 げ、人から 邪魔視 される。 じゃま ま は び こ るのである。一は有益なる植物なるゆえにこれを喜 人 君子のごときをもってしても、意志強く、自分の目的 聖 こうし 、 、 、 、 じゃまし だ れ とうせき つと いや じゃまし 、 、 ふ び、一は 邪魔 になるゆえにこれを嫌う。喜ぶと嫌うとの差 をあくまでも貫徹せんとする者は、必ず 何人 からか 邪魔視 え 、 、 もと あるも、 は び こ るうえにおいては二者同一である。また豆 される。 そうりょ じゃまし を植えかつ豆を 穫 んと欲するところに、麦が繁茂したなら 孔 子 の言 えることまたは為せることは、 盗跖 より見れば、 え なんぴと ば、たとえ豆よりも尊いにしても、耕作者の目的に 適 わぬ はなはだ邪魔になったに相違ない。 かな 以上は、やはりこれを害草と同じく取扱わねばならぬ。す キリストが無遠慮に自分の思想の実行を 力 めたから、時 ちが と なわち悪い意味において麦が は び こ るのである。 嫌 なも の官憲 僧侶 から 邪魔視 され、耶 蘇 ほどに は び こ る、 、 、 、 、 と して見ると、 は び こ るという文字の意味を悪く 解 るか解 のはないと思われたればこそ、十 字架 の上にその一生を終 あ じ か らぬかは、これを用うる人の意によりて 異 うので、豆を穫 わったのである。 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 え あ を穫 んとするところに豆が茂れば、豆が同じく 悪 しき意味 ことわざ 、 、 、 、 、 、 、 、 んとする人には、麦が 悪 しき意味に は び こ るのであり、麦 自警録 自警録 ふ か いんとう またソクラテスの言ったことや為したことが、当時の 淫蕩 華 なる風俗の進歩をさえぎったから、彼は青年を毒する 浮 よ ものなりと呼ばれて死刑に処せられたのである。 にく ゆえに、 ﹁憎 まれもの世 に は び こ る﹂というに対照し、世 、 、 、 、 に は び こ る者は憎まれるということは、歴史上においても だ れ かあい またお互いの日常において目撃するところによりても確実 なことと思う。 何人 にも 可愛 がられるものは世にないと思 ひと う。もしかかる 人 がありとすれば、そは自己の意志なきも だ れ のである。何 人 にも程よくお茶を濁すものは、憎まれもせ ばりざんぼう て﹁死んだポリティシャン﹂なりといった。すなわち世に せられる。ゆえにある人が﹁ステーツメン﹂の解釈を下し なる政治家にてもその生ける 間 は敵より政治屋と 罵詈讒謗 あいだ して実行する者を﹁ステーツメン﹂という。しかるにいか でいる。これに 反 して一個の定見あり自己の所信を国是と はん し、何の政見もなく所信もなき者の意味で 軽蔑 の意を含ん けいべつ 訳すべきだが、いわゆる陣 笠 の意に用いられ、政治を商売と じんがさ 来る。米国の﹁ポリティシャン﹂という言葉は政治屋とでも 我々は目下の政治界においてよくこの事を見ることが出 る。 にして敵なきものはほとんどない。敵ある以上必ず憎まれ ぬ代りに は び こ りもせぬ。実際の事にあたり仕事するもの 、 、 、 、 ありて活動している間は世にはびこり非難される。 すいこう 意志の遂 行 と社交の遠慮はいかに調和するか なんぴと いや 八七 ひょうたん かわなが 人がこの世を渡るに、人からかれこれと批評され憎まれ こころざし こころよ るのは、何 人 も嫌 である。嫌だからとて﹁ 瓢箪 の川 流 れ﹂の は ごとく浮世のまにまに流れて行くことは 志 ある者の快 しと せざるところ、むしろ 愧 ずるところである。ゆえにすでに つと 自分に所信あれば反対を受くる覚悟をもってこれを実行す ぶえんりょ ぼうじゃくぶじん るに力 めねばならぬ。もちろんかくいったからとて何事に つけても 無遠慮 に勝手放題に 傍若無人 に行えというにあら ちかみち ぬ。独り孤立して世渡りの出来ぬ以上、他人に相当に遠慮 することは、社会生存の必要条件である。 うつ ふもと たにま 山から山に渡るには頂上より頂上まで行くのが最も 近道 けわ であるが、実際山より山に 遷 るには、一度 麓 の渓 間 に降り うかい てまたまた 嶮 しき峰をよじ登らねばならぬ。一直線に行け ば近くとも、自分の前に人があらば 迂廻 して行くだけの遠 ひきょう 慮がなくてはならぬ。しかし迂廻の必要があるからとて、 ひきょう 進むことを中止するのは 卑怯 である。かれこれ言われるか らとて遠慮するのも 卑怯 である。 しからばどの程度まで遠慮せねばならぬか。この程度は 概括的に定むることは出来ぬ。周囲の状態やら各自の性質 ぎせい きもの やらあるいは為さんとする目的やらによりて度合いが異る きもの ので、我々の犠 牲 として払うべき意志は我々が 衣服 を買うと ひとくち ものかという質問に対しては 何人 も一 口 に答えかねる。な なんぴと きの代価のごときものである。いったい 衣服 は な ん ぼする 、 、 、 、 、 、 、 自警録 ひとえ わたいれ もめん とするに、右のほうが道がよいか左がよいか、必ず問題と きもの きもの ぜなれば衣 服 にも 単衣 あり綿 衣 あり、木 綿 物もあれば絹織物 して考え得る。右は近いが左のほうが歩きやすいとか、右 ひだり は 平坦 だが 左道 は清潔だとか何とか、たいがいのことには すいこう へいたん もある。和服もあれば洋服もある。具体的に個々の 衣服 に きもの ついて始めて 価 がきまるのである。単に 衣服 というただけ 得失問題を起こす理由がある。そしてその判断には少なか あたい では何とも決することが出来ぬ。それと同じく遠慮と 遂行 らず苦しむものである。 わがおも ふ さいけつなが の程度は概括的に定めることはほとんど不可能である。 むかしの英傑の伝を見るに、果断だとか、 ﹁ 裁決 流 るるが おの わが輩は折々知人や未知の人より相談を受けるが、その ごとし﹂とか ぞ う さもなく出来るように書いてある。彼ら みつくにきょう みづとり めいせき 要点は 己 れの意志と親の意志と相い投合せぬとか、あるい が凡人よりも早く事物の要点を見る 明晰 の頭脳を有するこ い は自分の望むところを世間が 容 れてくれぬとか、かかる場 とは疑いなきも、また凡人の 窺知 し得ざる苦労を 経 るので な 見れば只 何の苦もなき水 鳥 の足にひまなき 我 思 ひか たゞ き ち 合にいかなる態度にいずべきかということが多い。わが輩 ある。 光圀卿 の、 八八 もんがいかん はこれらの相談に対しつねに答える、その事情を詳細に知 ひそ るにあらざれば、到底門 外漢 の解決し得るところでないと。 かんてつ である。 らん シーザーがその留守中にローマに 乱 の起これるを聞き、 しゅじゅう しょうとつ 所信の 貫徹 に潜 める大苦心 出征先より大軍を 率 いて帰国し、自国に入ろうか入るまい がんらい 元 来 、義務と義務との 衝突 は根底においてあり得べきも かとルビコン 河畔 に立ったときは、凡人の考え得られぬ苦 ほんまつ いん ひき のでない。義務そのものは絶対的であるとしても、個人が 心があったであろう。外部より見れば、さほどに苦心もな ひざまず わかれめ かはん これに対すれば 軽重 、 本末 、主 従 、大 小 、遠 近 等によりて く一 蹴 してルビコン河を越えたらしく見られるも、今もな ささい えんきん 関係的相違あり、決して絶対的に同等なものでない。した お歴史上の分 岐点 として謡 われているほど彼の苦心の跡が たいらのしげもり だいしょう がって思想的根底において衝突せぬものであるが、実行に 世界の人心に印 してある。 けいちょう あたっては衝突する場合がたくさんある。 また米国の南北戦争にリー将軍が南軍につかんか、北軍 しゅう 孝ならんと欲すれば忠ならず、忠ならんと欲すれば孝な に走らんか、これを決するためには終日終夜 心魂 を痛め、 うた らずと 歎 くものは、独り 平重盛 に限らない。 些細 なること あるいは 跪 いて神意を伺わんとしたり、あるいは思案に沈 なげ においても、少しく考うると必ず衝突の問題の起こらぬこ しんこん とはない。朝自分の家を出て事務所なり学校なりに通わん 、 、 、 自警録 退した時の決心、また多数に 擁 せられ新政厚 徳 の 旗 を揚 ぐ かほど心を労したろう。また 西郷南洲 が 廟堂 より 薩南 に引 また 信長 が 寡兵 を督 して桶 狭間 に突進するに先だち、い くするまでの苦心はいかに 辛 かったであろう。 たか、ついに義理に 絆 されて南軍についた。その決心を 固 ると細君も相談相手にならず親友も依頼するに足らなかっ んで、ほとんど無意識に一室を 往 き来 したという。こうな 自分が代って見事に 遣 って見ようというものもあったであ たろう。また彼の技 倆 を疑える者は、彼が 遣 り 損 えばよい、 武術を示すなど分に過ぎたる 果報者 だと 羨 んだものもあっ 州 より出て来たあの 奥 田舎武士 が、御 大将 の眼前で晴れの ろう。しかもそれは 平家方 のみでなかったであろう。また を覗 うあいだには、必ず彼の失敗を祈ったものがあったであ ついでに加えて述べたきことは、 与一 の場合にも彼が 扇 善事の背後にも敵がある き るに至った心中は、おそらくはその周囲におった人にも分 ろう。あまり邪推をまわすようではあるが、ふつうの人情 ゆ からなかったであろう。かくいう僕などにはその十分一だ より考えてかくありそうに思われる。彼が成功したと同時 あた ぼうせきがく とく びわうた さいごうなんしゅう おけはざま よう なすのよいち こうとく はた おうしゅう だいかっさい や ぎりょう ねた や うらや おんたいしょう ささい むかし かほうもの いなかぶし へいけがた 八九 も想像し 能 わぬ。 に、 大喝采 を受けたことは歌にも歴史にも記してある通り かたわら うら しょうとつ おくびょう ひ おうぎ また 某 碩 学 がかつて那 須与一 の琵 琶歌 を聞き、さめざめ であるが、またその後においてただちに彼の名誉を傷つけ いさおし まんべん あまた よいち と泣き出したとき、 傍 の人がこの勇壮なる歌を聞き、何で んとしたり、彼を 怨 み嫉 んだ者から見れば、彼が人 目 を惹 ふなばた なじ にな れ かた 泣かるるか、ことに与一が弓を満月のごとく引き絞り、矢 き世に は び こったことを喜ばぬものがいかに多かったであ ほだ を放った時、敵も味方も 舷 をたたいて賞賛したこの 勲 を聞 ろう。 げんじ だ しょしん ねら き、泣くとはその意を得ぬと 詰 ったとき、某は暗然として わが輩は話にまぎれてとかく昔 時 のことのみを述べたが、 つら 答えて言った。数千の軍中よりただ一人選抜された名誉は 我々が今日においてしかも毎日、 些細 なことにおいてもそ しょうたん さつなん 顧みぬとしても、全 源氏 軍の名誉をただ一身に荷 って弓を れぞれに所信と決心とをつらぬくにはどこかに喜ばぬ人あ びょうどう 引いたときの心はいかであったろう。命中したればこそ敵 り、確かに自分と 衝突 しているものがあると覚悟する必要 た かへい も味方も 賞歎 したものの、弓を引き絞った時、矢を放った がある。僕は性来 臆病 なるゆえ、僕自身の為すことにおい のぶなが 時の心の苦しみはどうであったろう、思ってここに至れば てこれは 万遍 なく済んだなと思うごとに、その結果、必ず あ まことに同情に 堪 えぬと。実に見る人が見れば、 何人 の行 不愉快なることを数 多 聞かねばならぬと思わぬことはない。 そこな 為についても、一大決心をもってするもので、自己の所 信 、 ひとめ 自己の意志を貫徹することの容易ならぬことが察せらる。 、 、 、 自警録 さいくん かんご のろ ほ 読者中病身の 細君 を親切に看 護 する者あれば、これを 褒 かかあ またたまたま善事を為したと心の底に喜ぶときに、これが める者があると同時に、 彼奴 め嚊 に惚 いと批評された経験 いだ せんじゃく あなど うたが りんしょくど きゃつ ためにいかなるところに、いかなる人が如何なることを 企 もあろう。 くわだ て、この善事を 覆 さんとするものがあろうと、恐れを 懐 か 読者中もし 小児 に何か教えることがあれば、 褒 める者あ くつがえ ぬことはない。 ると共に、いやに物知りぶると難ぜられたこともあろう。 はばか あいつ ちょちく こころざ ごじん さしはさ きょしゅ ほ こういう考えが善いというのではない。聖人ならこんな また読者中 繊弱 なる女子に助言するなりまたはその他の こども 考えなく、何の 憚 るところなく善事を行 るであろうが、普 親切をいえば、彼 奴 はチト怪しいと疑われたこともあろう。 おくびょう や 通人はしばしば善事をするのでなく、たまたま 衷心 より世 公 の事に奔走すれば野心家と 疑 われ、老後他人の厄 介 に ちゅうしん のためだと思うことをすると、一方に 臆病 の考えが起こり、 なるまいと貯 蓄 に志 せば 吝嗇奴 と侮 られ、一挙 手 、一投 足 、 とうそく やっかい これを害する人も必ず起こると覚悟するを要す。僕自身の 何事にしても、 吾人 のする事なす事につき非難を 揷 むこと おおやけ わずかの経験においてもそういうことが多い。しかしてま のなきものはない。これが世の中である。 多く行えば行うほど非難の声が高くなる。世に は び こ る ふ というは多く行う人で、こういう人が一番に憎まれる。し せじょう た世 上 聖人君子が少なき以上、同じ経験を 履 めるものが多 いであろう。 ほ ひっぽう かして何もせぬ、あるいはまた責任のない事をするのが一 ぎきょう 読者中にも必ずかかる経験あらん あ 番 褒 められる。世の中を見渡すに何らの責任ある位地にお あわれ 仮りに読者中 憫 な人に 逢 いこれを救った人があったとす らず、単に 筆鋒 なり口先きで批評のみする人が一番評判が ぎぜん きょく る。自分は何の求むるところもなく、一片 義侠 の心をもっ よい。今までこれといって 局 に当たり意志を実行せんとす こと てしたとするも、一方にはその 事 たるや 偽善 からやったと る場所におらぬものは、一番悪く言われぬものである。ゆ きょ むね かあるいは慈善ぶっていると非難された経験もあろう。あ あとあし ふかず太 笛 鼓 たゝかずしゝまひの後 足 となる胸 のや たいこ えに気の弱い者は、 疑われたものもあろう。 まぬか で、何事もせねば非難も憎 悪 も免 れるのである。僕の知人 ぞうお すさよ にして、今は故 人 となったが、生前公職につき藩政に 与 って あずか 時に 彼奴 め親に孝行ぶってるなど批評を受けた経験もあろ こじん う。 きゃつ 読者中、親に孝行してことに目立ったことがあれば、同 ふえ るいは他に求むるところあり、この 挙 に出たのであろうと 九〇 、 、 、 、 しょ つづ ちっきょ おうかものがたり 大いに尽した人があった。ついに怨みを買って 蟄居 のあい のこ あいぎん だに死んだが、自分の経験を一冊の 書 に綴 りて﹃桜 花物語 ﹄ さ さくら ひと を さくら あだ と題して子孫に 遺 したが、その人は常に左の古歌を 愛吟 し た。 なんぴと かざれば桜 咲 を人 の折 らまじを桜 の仇 はさくらなり けり うら じゃま 実にこの歌の通り大小となく仕事するものは、必ず 何人 さい あやま み じ くっ な かに 怨 みを受けるものである。いわゆる人から 邪魔 に思わ さとう れるものである。 つみ 佐 藤 一斎 先生の語に、 なり﹂ の あやま いにしえ まぬか てん かんねいじん こころざし こ に得て、名後世に 辱 ず。古 の天 定まりて人に勝つとは是 れ は 世 に 後 伸 ぶ。罪ありて 愆 ちを免 るる者は 奸侫人 、 志 一時 こうせい ﹁ 罪 なくして愆 ちを得る者は非常の人、身 一時 に 屈 して、 名 自警録 自警録 九一 九二 九三 第九章 心の独立と体の独立 なぐ めし とこ てっけん くら くかん かっぱつ けん僕は突然 床 よりムッと起き上がり、彼の上に馬乗りに おれ 乗り、彼の頭を目がけて 鉄拳 を食 わし、 ど な ﹁ 俺 の飯 を食ってるくせに、なぜ反対するか﹂ と怒 鳴 ったことがある。彼は僕より躯 幹 長大にして、 活発 にかつ短気の男であったが、この時ばかりは何も 手向 かい げしゅく なが きょく せいらい こんじょう わんぱくこぞう おさ て む 友人を 擲 った少年時代の追懐 だもせず、 擲 られたままにその夜を過ごし、翌日は丁寧に ぐこう はじさら なぐ この問題は永く僕の心に 蟠 っているもので、今 日 もまだ 礼を述べ他の 下宿 に移ったことがある。 こんにち ことごとく解決したとは断言しかねるが、近ごろことに感 わだかま じたこともあるから、 愚考 を述べて世人の教えを 乞 いたい。 心の独立と体の独立とは密着 こ 話の順序として自己の 恥曝 しから始めたい。僕が十三、 今ここにかくのごとき愚かな 子供談 をし、しかも自己の 九四 四のころであった。まだ東京英語学校に、 下宿 から通学し を曝 恥 すのは、この経験が 永 く僕の頭に留まり、四十年後 げしゅく ていたとき、友人 某 が九州の親許 より来る学資金が 後 れた の今日もこれを追懐すれば、自分が 生来 短慮なりしことを ぎきょうしん ひょうだい かつ せんぷく こどもばなし ために寄宿料、食料、月謝の支払いに 滞 りが起こり大いに 明らかにすると同時に、種々の教訓を受くるのである。 おく 惑 せるを見、僕は彼を自分の下宿につれて来たことがあ 当 表 題 の心の独立と体の独立ということもその一つである。 もと る。かくいうといかにも 義侠心 ありげに聞こえるが、実は 僕が友人に対して 俺 の飯 を食いながら反対するのはけしか ぼう 日ごろ親しく交われる友人間のことゆえ、一時の急を救わ らんという一 喝 は、たしかに僕の根 性 の曲 を曝 露 する。し さら んとする自然の友情より起こったことで、あながち誇るべ かるにこれが十二、三歳の 腕白小僧 の一時の感情にとどま なんこう はじ きことではないが、これに反し僕が彼に対する態度は実に るか、はたまた天下万民の心の内にもこういう考えが 潜 め まくら くすのきまさしげ とどこお 恥ずべきものがあった。 るかと問わば、右のごとく露骨にいわずとも、人を使う人 とうわく それはある夜同室に 枕 をならべて眠りにつきながらの話 の心中深く 潜伏 する考えではあるまいか。また使わるる人 なんこう ほうろく ばくろ に、ワシントンと 楠正成 との比較論が始まり、僕が 楠公 を の心にも同じくこの思想が存在しておりはせぬか。換言す つか めし 愛国者と称したのを、彼はこれを訂正し、 楠公 は愛国者で れば 俸禄 をもって他人の身体を 抑 える者は、心そのものを おれ なく忠臣だといった。彼は僕より二歳年長であり、かつ漢 も制し得る考えをもってする者が多くありはせぬか。 俸禄 かえり ほうろく ひそ 学の素 養 も、より多くあったので、文字の 遣 い方も正しく、 そよう また彼の議論も今より 顧 みれば正当であったが、なに思い 自警録 だ ら く 九五 係がすこぶる密着して離し得ぬ場合が多い。 うば りっぱ を受ける者は知らず知らずのうちに心まで自分の主人のた ほうきゅう ぐたい めに奪 われることはありはせぬか。 こどもごころ ぼう いかん めかけ はなし 動機は 立派 でも年とともに堕 落 しながわ ほうじん ひ ゆうじょ さらに具 体 的にいえば知人の恩恵によりて位地を得、 俸給 僕は 子供心 に、維 新 のころ世に名高き 遊女 の談 を敬服し いしん を受くる者は、その知人あるいはその上官・社長・重役ら て聞いたことがある。それは 品川 の遊女某 が外人に落 籍 せ はばか かど こゝろ けが ぼう らくせき の説に心ならずも服従し、反対説あるもこれを述ぶること られんとしたことで、当時は 邦人 にして外人の 妾 となれる もくにん かれ を憚 り、また 彼 らの行動をいさぎよしとせざることあるも をラシャメンと呼び、すこぶる 卑下 したものである。 某 は らくせき ふ げ これを 黙認 し、あるいはかえって進んでこれを弁護するこ 遊女ながらもひと 廉 の気 象 があったが、如 何 せん、商売が たとへ み きしょう とありはせぬか。 ら外人に 落籍 されたので、 令 身 仮 はふるあめりかに 触 るゝとも心 一つは汚 さゞ はなし 先般ある会社の重役が検挙せられたときの 談 を聞くに、 部下の者は始めて日ごろよりいだいていた重役に対する不 しゅわん よ らまし あらかじ 満を述べたという。日ごろそれほどその人の人格 手腕 に対 と 詠 んだと聞く。心と体とを別に考うることはすでに身 からだ ちくしょう だらく ぎせい どろみず を売る時より 行 わるる議論で、良家の子 女 が 泥水 に入る時 うしな いんぽん しょうぎ しじょ し疑いを有したならば、何ゆえに 予 め警戒しなかったかと も、たとえ 体 は畜 生 同然になるも、心は親のため、主人の おこな 思えば、非難する人の人格そのものも 疑 わしくなる。また ため、夫 のためあるいは家のためなりと称し犠 牲 となった。 うたが 役所などで上官が代れば部下の者が後任者を迎うるに前任 しかるに、身を売る時の動機はいかに正しくとも、 一度 かげぐち あわれ うんでい ひとたび 者の 棚卸 しをもってするは常にあることで、それほど 宜 く 身の独立と自由とを 失 った以上は、心もまた 堕落 すること え じ ご おっと なければ交替前に何ゆえに前任者に注意しなかったかと思 が多数の事実である。恐らく我が国の 娼妓 となりし人の動 じしゅてきかんねん よ えば、 陰口 をいう者の人格の下 劣 にして、些 の俸 禄 のため 機と理由とを統計上より数えなば、自己の 淫奔 よりする者 たなおろ に心の独立を失い、口に言わんと欲することを 得 言わず、 は少なく、大多数は一家のために 犠牲 となったのであろう。 ほうろく はなはだしきは心に思わんと欲することさえも、まったく 身を売る時はじつに 憐 むべく、また尊敬すべき動機に基づ そくばく いささか 思わず、機械的に 否 奴 隷 的に使われていたと思わざるを得 くも、 爾後 三年ないし五年の後、彼らの心理を統計に現す げれつ ぬ。体の独立はなくとも、心にさえ独立していればよい、 ことを得たなら、その性格の一変し、当初とは 雲泥 の差あ ぎせい たとえ体は束 縛 せられていても、精神が 自主的観念 をいだ いな ど れ い いていればよいなどというが、心の自由と体の自由とは関 自警録 寓 させてくれと頼んだ。友人はすでに家には書生もおり 寄 きぐう 新たに入れる余地がないと 断 り、かつまた上京するときの たしょう ことわ るを発見するであろう。 目的がはなはだ明らかならぬゆえ、この青年に帰国を勧告 こうしょう 僕の友人が洋行した時、ハンブルグに行ったことがある。 あまた み ハンブルグは西洋に例の少ない 公娼 制度の行わるる所であ したが、彼は旅費がないから帰国されぬという。友人も、 つう る。ゆえに友人はその道に 通 なる人の案内でその制度を 視 ﹁君とこうして 談 するのも 他生 の縁であろう。君が親もと つうじん しょうかい はなし に行った。その時この 通人 は数 多 の婦人を呼び出し、友人 に帰る考えがあるなら失敬ながら旅費は僕が手伝おう﹂ きぜん のためにその経歴を 紹介 したが、かくするあいだについ三、 というや、青年は 毅然 として、 しんざんもの もら 四ヵ月前に来た新しき女があったが、あれはどうしたかと、 ﹁私は独立を重んじます。旅費などは 貰 いたくありません﹂ あ た あにはか 通人は 頻 りに 新参者 を求めたりしに、豈 計 らんや新参者は と立派にいいきった。これを聞いた友人は 奇異 の思いを しき 多 の列座中にあったので、それが分った時の通人の驚き 数 なし、青年に、 ひとかた しょじょ き い は一 方 ならなかった。わずかに百日も経 たぬ間にこれほど ﹁君は独立をたいそう重んずるようで、まことに結構であ と あまた に処 女 と商売人とは変わるものかと、開 いた口がしばらく たてか うしな とが るが、果たして独立の意味が分かっているか。一時旅費を しば 替 えてもらうのが独立を 立 失 うと思うはあながち 咎 むべき はなし たと じなかった。 閉 しょうぎ 僕は多く不浄の 談 をならべるようではあるが、身を縛 ら こんにち でない。それくらいの考えはむしろ持ってもらいたい。し どれい れた例は 奴隷 制度の廃止された 今日 、娼 妓 をもって例 うる かるにそれほど独立を重んずる君が、すでに二、三日前よ けん あめつゆ ついや のほかなしと思い、ここに引例したのである。がしかしそ お けが り毎日二、三時間を 費 して僕に求むることは、決して独立 どろみず の実 泥水 に居 らなくとも泥水よりいっそう深き穢 れに心の を重んずる精神とは受取りがたい。君が僕の家に置いてく しょうぎ 染まれるものが世には多くありはせぬか。身は一 見 独立の れと要求する意味は、 雨露 を防ぐの方法を与え、三度の食 きしょく ごとくして、心は 娼妓 よりもなお独立なく他人に依頼し、 事を今後一年二年ないし五年十年とも 寄食 させよというの た た ではないか。仮りに一年としてもこれを金銭に換算したら あいぞう しかも他人の 愛憎 によりその日を送れるものが多 々 ありは せぬか。 君に提供した旅費の何倍かに当たる。少額を受取れば独立 を害し、多額を受ければ独立 自重 の心を害さぬ理由は解し じちょう がたい﹂ 九六 独立とは何を意味するか と かつてある青年が僕の友人を 訪 うて、どうぞ書生として 自警録 もうじゅう の、あくまでも心の 盲従 を要求されない。いかに国家の命 と称す 申合せて 同居 するのである。動物学者の symbiosis きょうせいてき る生活を同じゅうする 共棲的 現象である。ゆえに置く人も でも家に 居 らしむる。書生もまた同じく思うゆえ、互いに とは僕の便利であり楽しみであり、 否 必要であるゆえ頼ん 独立なきものとは思わぬ。なんとなれば書生が 家 にいるこ ものとは言わぬ。僕の 家 にも書生はいる。この人をもって 僕は決して先輩の家庭に寄食するをもって独立を 失 える 使わるる者必ずしも独立を失わぬ 隷 にならなかったのは、翌日相当の礼を述べ 奴 下宿 を代え てこれを 顧 みれば気の毒だと思う。さりとてまったく余の 事を知りしゆえ 擲 らるるままに 恥 を忍 んで去った。今にし わち僕の生活の道を制する人はついに僕の心までも制裁す 凡人の情なさには、僕の身の自由を制裁し得る人、すな 身は縛 られても心は独立 んで職を 辞 することは出来る。 あれば、その命令を 拒 むことは出来なくとも、自分より進 ふ と説いたそうである。 独立を失わず、置かるる人も独立を失う訳はない。そこで たからである。彼に転宿する 余裕 ありしゆえ、心の独立を どうきょ ひようしゃ シンバイオシス ほうきゅう どれい けんご こんじょう かえり かっぽ なぐ はじ よゆう かって とまい しの ゆいぶつ や ひくつ うわさ げしゅく こんじょう はいきん くっ ひくつ るにいたる 虞 がある。先に述べた友人は少年ながらもこの じ 役所に使わるる者も会社に働く者も、 俸給 を受けるからと 失わなかったが、この余力なき人はますます 根性 が卑 屈 と こば 令とはいえ、役人にして国家の為す所に 腑 に落ちぬことが 九七 うしな て、必ずしもそれだけで身の独立を失うものでない。また なる。折々僕も見ることであるが、役人にしてその位地が ゆうい 九八 実際の手続きとしては 被傭者 は志願し会社に入る。しかし 固 なりと思うあいだは随分 堅 勝手 な口をきき、いつ 辞 めて しば て志願すといえば一方よりのみ頼み、会社の恩恵のみを受 も天下を 濶歩 する意気込みを現すも、一たび辞職を勧告さ うち けているように聞こゆるも、実は会社は世の 有為 なる青年 るればたちまち態度を変え、即日より上官のことを 噂 する きょうきゅう けいやく うち に向かって入ってくれと頼むようにも思われる、いわゆる にも敬語を用い、一夜にしてかくまでも変化するかと驚く いや いな 要 と供 需 給 との相互に応じ合ったことである。 ことがある。 お かくのごとき場合には 契約 の両者が依然として独立の心 かくいったからとて人間の心の中に 唯物 的拝 金 的卑 屈 な と おそれ を失わぬのである。また身は一見 縛 られているようである る根 性 があって、体の制裁によって心が左右さるるものだと じゅよう が、一方の 嫌 というのを縛るのでなく、自由の契約である。 断言することは出来ぬ。五 斗米 のために身を屈 しても身を しば しば る。役人も国家の命令により身を 縛 られるとは論ずるもの 自分の心に面白くなしとあればその契約を 解 くことも出来 自警録 き、人に拘わらねば、それが心の独立なりと思うことで、 背 ただ注意すべきはこの精神を誤解して 扶持 をくれる人に ち げても、心はどこまでも直立独歩する者もある。むかし 枉 これは疑いもなく間違いである。世には往々にして自分の ふ 耶蘇教の 弟子 パウロは新しき宗教を奉じた 咎 をもって 捕縛 ま せられ 笞 うたれ、獄 に投ぜられ種々の苦を受けたが、つい 会社のアラをさらけ出し、はなはだしきは親の罪なり秘密 しば しょく つ ばんく きた い おか らんとう う か しょい あんこ そむ に国王の前に呼び出され、御前裁判を受けたとき、 傷 だら なりを 発 き、あるいは上官の悪口を言ったりして、それで からだ とりいすねえもん ながしのじょう まみ ほばく けの体 を縛 られたまま、 我が思想の自由なりと思うは、物によるべきことであるけ なわ たけだかつより とくがわいえやす とが ﹁我は実にみずから幸福なものと思う。願わくは殿下もこ れども、おおいに熟慮を要する。 し の繩 を除いてはまったく我の如 くあられんことを﹂ 孔子 も子は父のために隠し、父は子のために隠すと教え で といった。この気象は身こそ自由ならざれ心に独立ある たごとく、隠 すことが国家に危 害 を与 うるなら い ざ 知 ら ず、 じゅんじつ ごく ものである。 会社の 内幕 を語りいたずらに他に告ぐるがごときは裏切り むち またむかし武 田勝頼 が 三河 の長 篠城 を囲み、城中 食 尽 き 同然で、これを思想の独立と混同すべきでない。身は一定 くぐ きず もはや 旬日 を支え得なかった時、 鳥居強右衛門 が万 苦 を 冒 の国籍の 下 にありて、法 律 の保護を受け、もって生命財産の とら らいえん もと うちまく あば して重囲を潜 り、徳 川家康 に見 えて救いを乞い、再び城に 固 を保ちながら、その国の不 安 為 を謀 るごときは、決して ごと 帰らんとして武田軍に 擒 えられ、城に向かい、援軍 来 らぬ 国民たる個人の 独立行為 といわれぬ。こんなことは 売国奴 さけ こうし と告げよと命ぜられ、送られて城下に至った時、城を仰い の所 為 として誰も卑 む。それと同じく役所や会社に勤務す しゅこう う どくりつこうい いやし ちゅうおう はくいしゅくせい ふため はか あた で大声に 主公 の大軍すでに出発したれば 来援 三日を 出 でぬ る者が上官や重役と異なる独特の意見を有するなら、 陰 で おか ぶおう いさ つみ きがい であろう、諸君努力せよと 叫 んだ。ために、身は 乱刀 雨 下 かれこれ言わずに第一着に社長なり長官なりに意見を 陳述 しば しゅう かく に寸断せられたが、心の独立はついに 侵 されなかった。一 すべきである。 みかわ だも動かされぬほど 指 縛 られながらも、なお心中に言わん 周 の 武王 が殷 の紂 王 を伐 たんと出征したとき、民みな武 王 ふさ たた はくいしゅくせい は独特の意見を述べて、 よろん ほうりつ と欲することを敢然として口に出すがごときは、真の心の の意を迎えたが、 伯夷叔斉 のみは独立行動に出 でて、武 王 し 独立で、百万の敵も彼の口を 塞 ぐごとはできぬ。いわんや の馬を 叩 いて 諫 めた。左右の者ども両人を 兵 せんとした。 いん 彼の心を屈するにおいてをや。 すなわち 輿論 は伯 夷叔斉 を 罪 せんとした。このとき太 公望 九九 へい い 心の独立と誤解しやすき考え たいこうぼう ぶおう ぶおう ちんじゅつ かげ ばいこくど 、 、 、 、 、 自警録 これ ぎ じ ん はくいしゅくせい たいこう かえ なお けねばならぬ。もっとも世の要求することなら何でもこれ たす じちょう お たれびと ﹁此 義 人 なり﹂ い に従えというではない。みずから 反 りみて縮 からば千万人 よ といって扶 けて去らしめた。 伯夷叔斉 も太 公 も群衆に逆 といえども、吾れ 往 かんとの独立自 重 の心は 誰人 にもなく げんし りっきゃく ごじん かどだ らった心の独立は 好 みすべきであるが、もし二人の兄弟が ひそ たいこう ま てはならぬけれども、いわばどちらでも好いことに 角立 て ぶおう 王 に反対して、 武 密 かに出版物を播 き散らしたり、あるい ぶおう こうげき て世俗に反抗するほどの要なきものが多い。風俗習慣の中 いん ま は隠 に徒党を組んだり、あるいは公然と演説するにしても には主義として争うに足らぬものがたくさんある。 かんかい いわ 佐藤 一斎 の﹃言 志 四録 ﹄に曰 く、 らんしんぞくし ろく 事実を 曲 げて武 王 や太 公 の政策やら人身を攻 撃 したならば、 ﹁ 寛懐 俗情に忤 らざるは和 なり、立 脚 俗情に 墜 ちざるは 介 よろん さい 彼らは決して義人でもなければ、善人でもなく、後世は彼 なり﹂ しゅようざん さとう らを 乱臣賊子 と呼ぶであろう。なぜなれば、彼らの考えは と。この簡単なる一言をもってよく 吾人 の世に対する関 しゅう かい 論 とは異なり、いわゆる独立思想であったとしても、同 輿 係を尽している。 わ かな わ 意を求むることあれば、やはり彼らには他人を頼む心のあ 心の独立を計るに身を世俗より去る必要はない。むしろ 山深く何かいほりを結ぶべき心の中に身はかくれけ もと ることが 判 かる。しかるに彼らは真に心の独立を重んじ、 世に入り込んで独立の実を揚 ぐべきこそ吾人も務めであれ。 が し かく ついには我が心に 叶 わぬ周 の粟 を食わずとて首 陽山 に隠 れ、 あわ 歌を詠じて餓 死 したところは、たしかに両人は心の独立を 味わうべきは左の歌である。 一〇〇 あ 重んじた証拠である。 り みやまぎ 風俗習慣に逆らうは独立にあらず 禅 せば四条五条の橋の上ゆき来の人を 座 深山木 と見 ざぜん なお心の独立と思い違いやすきことは風俗習慣に逆らい じんさい て ころも さえすれば心の独立を現すもののごとく思う一条である。 かみ 通常の服より違った 衣 を着れば、独特の 人才 にでもあるか は のように思う人も少なくない。 髪 を長くしてみたり、赤い あが 着物で外出したり、一本歯の下駄を履 いたりすることは、馬 鹿でもやり得ることで、心の独立を 崇 める値いはない。人 が社会に住んでいるあいだは法律のほかに世俗の制裁を受 自警録 第十章 人生の成敗 一〇一 いなか ついぼ き田 舎 中学の校長となって身を終ったその地方を巡回して、 いよいよ同氏の人格の高朗なるを知って、いよいよ 追慕 の も失敗とはいかなるものであるかという事について、少し 考えはない。僕は 彼 のいわゆる失敗せるに鑑 みて、そもそ 一〇二 く感じたことを述べたい。 かんが 米国南北戦争における名将 かれ 念が深くなった。しかし今ここにリー将軍の伝記を述べる かねて米国に遊学していたころから、見物してみたいと 彼は 成敗 よりも任務の遂行に 力 めた 思っておったいわゆる 南部 地方に、四年前しばらく滞在し、 歴史は彼をして失敗の人と命名する。みずからも敗軍の 一〇三 かの南北戦争の舞台とも言うべき場所を視察し、また当時、 将たることを承認している。彼が前記の中学校の校長であっ サウス 事に当たった人々の子弟に 交 わって旧事を聞き、またなお たとき、不勉強な生徒を 譴責 する折があった。その節 彼 は かど 一〇四 日 戦争の傷 今 の癒 えない情態を見て、種々なる感想を起こ この青年に向かって、 ふんぱつ つと した。経済学者や社会学者・政治家・経世家の 眼 をもって ﹁君はもっと勉強しないと、やりそこなう︵ せいはい 見たならば、学ぶべき 廉 が多々あろうと思う。しかし 凡庸 いに 奮発 せんといかんぞ﹂ まじ の眼をもって視察し、平凡の耳をもって歴史を聴く僕のこ と言ったときに、この青年が、 い とであるから、やかましい議論はしばらく 措 いて、いささ ﹁将軍、あなたは、やりそこなった︵ きず か個人的の教訓に資すべき事柄を談 したいと思う。 ませんか﹂ こんにち なかんずく僕の心を最も強く打ったものは、南軍の総司 と答えた。これを聞いた将軍は、 かれ しょうじき まなこ ︶将軍の人格である。僕はこ 令官でありしリー︵ R. E. Lee の人の名と性格とを青年時代より聞いて、彼の伝記を読む ﹁君の言う通りだからわが輩のごとき経験を君にさせたく くだ けいい かげん ︶方 で はあ り failure かた ︶から、大 fail かれ 前に、すでに彼に対する敬愛の念が深かった。 正直 にいう ない﹂ あらわ けんせき と、僕はこの敗軍の将 に対する同情と敬愛の念は、彼 の軍を と述べたという。この青年ははなはだ無礼な 過言 を述べ ぼんよう 敗り、彼をして軍門に 降 らしめたグラント将軍より、いっ たように見えるが、その実、将軍に対して同情と 敬畏 の念 お そう強く常に懐しく思っている。 を顕 す考えであったという。すなわちやりそこない、失敗 くだ はな 彼が三十万の兵をもって、百万の兵に当たった古戦場に しょう 足を留め、彼の破れて北軍に 降 ったのち、ほとんど名も無 自警録 おの み ただ 己 れの義務と思うことを為した以上は、勝とうが負け なんしゅうおう おの なるものは、恥ずるものじゃありましょうが、あなたのご ようが、 己 れの関するところでないとの考えが 充 ちていた まぬか とき人でも、なお失敗は 免 れないではありませんかと言う ように思われる。 たばるざか こうぜつ そうろうわけ しょかん と ろ 意味であったという。どれほど深い考えをもって、この青 我が南 洲翁 もややおなじ境遇にあるの時、同じ意志を 吐露 ここ がた あいはん おおやまけんれい 年が自分の不勉強なることを言いわけする考えであったか ぜひきょくちょく いわ した。翁が 田原坂 の戦いのころ、 大山県令 に寄せた書 翰 に まぬか かんねん らんが、とにかく世のいわゆる失敗なるものは、英雄に 判 く、 曰 わか も聖人にも君子にも、 免 れ難きものであるという 観念 は、 ﹁もはや時勢も 此 に 至 り 候 て は さ ら に 言 語 口舌 を も っ て ひんぴょう そうろう まん ふ こ う あいやぶ な お あしかがたかうじ かばね はい ふじわらのひろつぐ ら たお う うんぬん さら なかなか かし天下の事は成敗 利鈍 をもって相 判 じ 候 訳 にはこれな そうろう 彼の言葉の裏に 顕 れている。リー将軍がこれしきの事が 判 非曲直 を争い難 是 ければ、腕力のほかこれなかるべし。し わか らぬではない。 く、小生は正をもって起こり、正をもって 斃 るること始め みなみがた あらわ ︶ ちかごろ出版になった有名なる 文豪 ページ︵ W. H. Page いくたび 氏のリーの伝記を見ると、 幾度 となく戦場から、あるいは よりの目的に 候 。ワシントン、 那波翁 云 々 は 中々 小生 輩 の はい ふつか りどん 方 のときの連邦大統領あるいは夫人に送った手紙の内に、 南 その 品評 を同じゅうするも足 利尊氏 と成るを望まざるなり﹂ 事にあらず、万 一不 幸 相 破 れ屍 を原野に曝 し 藤原広嗣 等 と すう へいたん ぶんごう ﹁今まではとにかくに敗 も取らずに来たが、次の戦いはど がた お うであるか、数 より推 せば、我が軍はとうてい北軍に比し とうと 一〇五 い。また兵 難 站 を考えれば、二 日 以後の食糧は、どこに求 義務を 完 うするところに成功あり いくさ この思想はただ 戦 のみに関わることではない。平生も持 まっと むべきか当てもつかず、冬が近づくが、兵士に 靴 のなき者 ちたい思想である。世には成功ほど望ましいものはない、 あ くつ が数千人、この秋風を 凌 ぐに毛布なき者が数万人である。 失敗ほど恐ろしいものはないと思う人が多い。して、いわ おの てんぷ も しの しかし 軍 の成 敗 は天に在 る。かくのごとく我々が苦しむの ゆる成功に達せんがためには、いかなる方法も用いようし、 せいはい は、己 れの求めて成 す事にあらざる以上は、何事か天意の また失敗を 免 れるためには、いかなる事をも 憚 らない人が いくさ ある事ならん。 天父 の慈愛に頼 って、各自の任務に忠実な 多い。すなわち成功熱に浮かされている人が多い。しかし な るより為すべき事はない﹂ てその成功とは何ぞやと聞くと、多くは 名利 である。この よ と言う口調を 洩 らすことがしばしばであった。彼の考え 成功あるいは具体的に言えば名利を 貴 ぶの結果として、人 めいり はばか には成と敗の区別が明らかでなかったように思われる。彼 まぬか の心には勝負の考えがはなはだ弱かったごとくに思われる。 自警録 ﹁どう成功しましたか﹂ という。 ﹁あの人は近ごろたいそう成功しました﹂ と、 格を 測 るにさえ名利を標準とする者が多い。たとえて言う かなか 解 るものでない。リー将軍が失敗したというが、自 ゆえに成功だの失敗だのということは、世の中の人にはな なるものは、己れの本心に背き、己れの任務を 怠 るにある。 思うことをまっとうするの一点に存するのであって、失敗 真の成功なるものは、 己 れの本心に背 かず、己れの義務と 来ようが来まいが、あえて 頓着 すべきものではなかろう。 いが、 己 れの正しいと信ずる事さえやっておれば、名利が おの と押し返すと、 分では失敗を重視しなかったろう。古人の教えたことにも はか ﹁大 分 金 が出来ました﹂ 貴 名 富 誉 を必ずしも 避 けない、その代りことさら 迎 えもし ふうき めいよ ふうき めいよ とんじゃく とか、 ない。 じょじょはんえん せ ん し はいこう ね う そむ ﹁近ごろ 大分 名が聞こえて来ました﹂ ﹁富 貴 名 誉 、道徳より来たるものは、山林中の花の如く、お たちま おの という。 のずから是れ 舒徐 繁 衍 、功業より来たるものは 盆 中 の花 へいはつちゅう やつ 一〇六 にく しぼ きょうかん ぼんこうちゅう おこた 僕が初めて伊藤公を訪問した時、人物の大小論を試みた の如く、 便 ち遷 徙 廃 興 あり。若し権力をもって得たるもの わか が、そのとき公は人物を 測 る標準は、事業にあると言われ は、 瓶鉢中 の花の如く、その 根 植 えず、その萎 むこと立っ だ い ぶ かね た。この一句を案ずれば、伊藤公は伊藤公だけの事業なる て待つべし﹂ め たいぜん むか 文字についての解釈があろうが、この句が凡人の耳に 這入 やつ そむ さ れば、ただちにいわゆる成功なる文字に翻訳せられて、俗 ギリシアのソクラテスを見よ だいぶ の言葉に訳すと、 むかしギリシアの哲学者ソクラテスのもとに、ある 兇漢 おわ はか ﹁うまくやった 奴 が偉 い奴 ﹂ が来て、さんざん悪口を言って帰った。かたわらに聞いて つゆ は い ということになり 了 る。僕は決して名 利 が悪いとは言わ おった門弟が、哲学者に向かって、 きず えら ない。名も利も求めずして来たるものならば、 拒 むべきも ﹁先生あいつ 奴 、いかにも憎 い奴 でございます﹂ やつ のとは思わない。しかるに名利はこちらから追い駆けて、 といったときに、哲学者は 泰然 として、 くだ めいり あるいは他人を 毀 つけたり、また 己 れの本心に背 いて得る ﹁なぜにくい﹂といったら、 こば ものと、天より 降 る露 のごとくにおのずから身に至るもの おの とあろう。といって決して果報は寝て待てという意ではな 自警録 ふしまつ ではだいぶ 不仕末 の事があったそうだ、社会主義も唱えた もくろみ ﹁あんなに先生を恥ずかしめたのがにくい﹂ そうだ、某婦人と仲がよかったそうだ、 謀叛 の目 論見 さえ ぐみん むほん といった。彼は笑いながら、 したそうだ、 始終 下等な女や悪党の仲間につき合っておっ ねこなでごえ しじゅう ﹁お前は少し考え違いをしている。彼はわが輩を恥ずかし たそうだ、折々は魔法みたいな事をして 愚民 を驚かしたそ おれ めた考えかも知れないが、 俺 はちっとも恥ずかしめられた うだ、始終 猫撫声 をして 女子供 を手なずけたそうだなど、 おんなこども とは思わない。自分が恥でも受けたような顔をしとったか ま その他あらゆる悪口をもって、彼は見事に失敗したなどと なにがし ね﹂ ほん いったであろう。いずくんぞ知らん 敗 けたと思った人が最 めんそか ゑ ゆゑ と答えたという。失敗もその通り、世の中で 何某 が大い ひ ち 後の勝利者たることを。 けて退 負 く人を弱しと思ふなよ 智恵 の力の強き 故 な ま に失敗したと四 面楚歌 の声が聞こえても、 本 の当人はどこ を風が吹くかという顔をしていることがたまさかある。二 り しょうかん 成敗は世人の眼に見えぬ ごくや 千四百年前に、ソクラテスがアテネの裁判所に召 喚 せられ、 有罪の宣告を受けて、 獄屋 に投ぜられたときには、アテネ その他歴史に現れて失敗した人で、その実みずからは失 いかん 一〇七 の者が皆々嘲 り笑って、とうとうあのおしゃべり 爺 も、あ 敗せぬと思った人もたくさんあろう。 成敗 は実に世の眼に あざむ かれ じじい の年になって、 本性 露見して畳 の上でくたばりそこなった は見えないものである。 如何 となれば当人の標準とする事 あざけ わい、と評判を立てて、もし当時アテネに新聞があったも と、世の標準とする事とたいそう違う。たとえば僕が朝起 たたみ のなら、いかに当時の記者が論説やら 雑報 に忙しく彼 の罪 きて今日は天気もよいし、気分もいいから、一 奮発 して十 ほんしょう 状を書き立て、彼がその日まで口に唱えた教訓はまったく 里先へ遠足する、とこう心の内に十里 塚 を目的として出発 ねつぞう と づか と せいはい 善 であったとか、彼の純潔なる素行はたくみに人を 偽 欺 く する。夕刻に目的地に達すれば、これすなわち僕が成功し しっぽ ざっぽう の方法であって、その実、彼がかくのごとき事もしたであ たのである。自分の心に期しただけの事を遂 げたのである。 キリスト せじん かげ ふんぱつ ろう、ああいう事もしたと、ありとあらゆる 捏造 説を書き しかるに世間はこれを見て成功と言うか言わぬか。世間 ぎぜん 立てたであろう。 ではこれをもって失敗と笑う人もある、また成功と 褒 むる ひめい 基 督 がゴルゴタの山上で、かの 非命 の最期を遂 げたごと 人もある。しかして 褒 める人のうちにもこれを僕と同じよ くんしがお ほ きも、世 人 は、あの男もとうとう 尻尾 を現して、あのざまの ほ 死に方をしたとか、表向きには 君子顔 をしておっても、 蔭 自警録 思う程度に成功と思ってくれる人ははなはだ少ない。 の内に入れてくれぬから、同じく成功とみなしても、僕が 分がよかった、天気が清朗であったなどということは 考 え れば僕のその日の心持ちを知らんから、その日ことさら気 易 にいわばあたり前に考える人は少なかろう。 平 如何 とな うな考えをもって、まあまあ思っただけのことをやったと、 とて、 小人 が英雄の心事を解し得ぬに 譬 えたが、この句 ﹁ 燕雀 安 んぞ鴻 鵠 の 志 を知らんや﹂ 古人の言に、 どは心のうちにおかない。 わが輩は 車引 でもなく、また健脚を誇る考えのないことな 十里も歩かなければ、健脚を誇る権利はないなどという。 引 などは一日に三十里もゆく、普通の人間でもせめて二 車 が輩の遠足を 測 る。して十里の道ならば子供でもゆける、 はか しかるに時には十里歩いたことをもって、非常なる成功 は 独 り人物の大小の差を示すのみにあらで、 小人 と小人の ぶしょう かんが よろん ちせき しょうじん だいじん ししゅく ひと えんじゃくいずく くるまひき と思って、僕は何か世に 偉 い奴 であったごとくに賞賛する 間にも、 大人 と大人との間にも当たる言である。 ほ いかん 人もあろう。かくのごとき人は 日 ごろ僕が歩き不 精 である へいい から、一里行くのも 珍 らしいのに十里歩いたのはエライと 論 を標準として成敗は測られぬ 輿 くわ くるまひき ほめる。しからざれば自分らが足が弱くてなかなか十里の リー将軍の 治績 を顧みても、これに変わったことはない。 ひん ぼうげつぼうじつ か こころざし 道を遠しとしている連中ならば、これまたわが輩を 誉 める 彼に 私淑 する者は、彼の 寡 をもって北方の衆に敵し得たと おか こうこく であろう。そうでなければ、わが輩が歩いた道のことを 詳 か、南軍の 貧 をもって北軍の 富 に当たった、 某 戦場におい はなうた しょうよう たと しく知らぬ人が、よその人から聞いて、この道は非常に悪 ては某将軍を破った、 某月某日 には某所において漲 る流れ やつ 路である、嶮 岨 だとか、危険の多い道だとか信じている人 を 冒 して川越えをなしたとか、その他かくのごとき 逸事 が へいたん えら は 、わ ず か 十 里 な が ら も え ら い と こ ろ を 行 っ た と 思 っ て 、 ある、かくのごとき軍功があると、言を極めて彼の徳と彼 ぼう いつじ みなぎ しょうじん わが輩は非常なる成功をしたごとく思う人がある。しかる の力を称 揚 する。これらの賛辞が将軍の耳に入ったときは、 ひ に実際は 平坦 な道を、荷物もなく折々休みながら、 鼻唄 う 十里歩いてほめられる僕の感とさらに変わった事はなかっ めず たって通ったに過ぎぬ。 たろう。 あざけ 一〇八 しかるに世人の多くは十里歩いた人の話を聞いて成功と またこれに反しなにゆえに彼が某戦場において、某将軍 もよお とみ はなかなか言わない。まず第一に十里ぐらいはなんだと 嘲 を某地に向けなかったか、なにゆえに某月某日に、北方軍を けんそ りを心に 催 す。この種類の人も僕が出 立 するときに、今日 しゅったつ は十里の散歩をしようと、心に定めたことを度外視してわ 自警録 つ ほうい おかめはちもく 某地において 衝 かなかったか、なにゆえに彼は某所の 包囲 げ す ち え の時に、かくかくの作戦をしなかったかと、 岡目八目 や、 かれ あとから出る 下司知恵 を振りまわして、彼を非難する声が さかんになった時は、 彼 の心に起こった考えは、恐らく僕 よろん が十里以上の遠足をしなかったと非難されると同じことで あったろう。 せじん はか 世を渡るにはまったく 輿論 を無視するわけにはいかぬけ わざ れども、 世人 の考えをのみ標準として成敗を 測 ることは、 もと はなはだはかなき 業 である。勝つも敗くるも、失敗するも おもんぱか 成功するも、その 基 は各自の心のうちに置いてこそ、真の 成敗の味わいが分かるものである。成敗を 慮 るには立脚の 地歩によりてどうとも考え得らるる場合が多い。これはし さと まったと思うことも静かに見つめ、自己の心に顧みて悪意 す なきを 悟 れば、いわゆる失敗は恥ずかしくもなければ、痛 はか しゃくど ま くもないことがしばしばある。自己の心の 据 えどころこそ そうぐう うれ れいたん 成敗を 測 る尺 度 であって、この尺度が曲 がらぬ以上は、い りゅう てん きん かなる失敗に 遭遇 しても心に憂 うることがない、これ霊 丹 一粒 、鉄を点 じて金 と成すものか。 自警録 一〇九 第十一章 人生の決勝点 おちい に 陥 らぬ。 一一二 分かりやすく例を取りてみれば、商戦に従事する者はも 一一〇 くろみ通りに成功し、いわゆるトントン 拍子 に身 代 をふや 勝った時には精神上に保険をつけよ 負けた時の用心 し、または営業を拡張することあるも、これは決していつ 一一一 昔の、経験ある武士の言葉に、 までもつづくものではない。よいほどに 儲 けてやめぬ以上 ﹁勝つ事ばかり知りて 負 くる事を知らざれば、害その身に は必ず営業上の困難を来たす時節の来ることは、 何人 も知 もう ちょちく ちょう なんぴと しんだい いたる﹂ るところである。 艱難 なしに成功した例はない。艱難とは おもんぱか た りれき びょうし とある。戦いに臨む者は勝利を期待することは当然であ ある意味においては失敗である。もちろん全然の失敗なら ま るが、万一期待に 背 く事あるときはかくかくすると 予 め覚 なくとも、勝敗の怪しき 謂 である。ゆえにさかんに繁昌す かんなん 悟なくてはならぬ。連戦連勝は、いかなる国の歴史、いか るとき、万一の場合を 慮 りてあるいは 貯蓄 するなり、ある あらかじ なる勇将の伝記においても、永続した 戦役 にはあり得ない。 いは新事業に手を出すことを 慎 むなり、あるいは繁昌に 乗 そむ そのこれあるは勝敗の早く決する戦争にのみあるのである。 じて 驕奢 を極むることを 矯 めたりすれば、不幸にして利あ いい 子 も、 孫 らぬ事ありとするも、右のごとき 謹慎 を加えなかった者に かえ せんえき ﹁兵に 常勢 なきことは、水に常の形 なきが如 し﹂ 比すれば失態を演ずることが少ない。これは我々が社会を みじこ とぼ じょう と繰 り返 し教えている。しかして人生の戦争においては、 見ても、あるいは各自の友人の 履歴 に徴 しても、必ずその ひか つつし 太く短く世を渡るを望む者あるも、望み通りになるやならぬ 例に 乏 しからざるを感ずる。 そんし や誰も保証出来ぬ。みずから手を下して自己の生命を 短 う 勝てるあいだに負けた時の準備をすることは商事会社が なんぴと ふぜい きょうしゃ するにあらざる以上、人はいつまで生きるものか予想し難 準備金を積み立てるか、あるいは個人が火災なり、生命な ふんとう あらかじ ごと い。何 人 も生命の長きを望む。しかしてこの望みの存する りを保険するようなもので、勝ちつつある時に、﹁待てよ﹂ かたち 限り、人生の 奮闘 もまた連戦連勝を望むことは出来ぬ。ゆ と一歩を 控 えることは、わが輩はこれを精神上の保険と名 かんが じょうせい えにはなはだ縁起の悪いことながら、人間は予 め負けた時の づけたい。 つつし きんしん えを用意して置かねばならぬ。この考えある者は勝った 考 く 時はなお 慎 みて油断なく、負けた時にも み す ぼ ら し い風 情 、 、 、 、 、 、 自警録 まち かんしん きょうだ とくとく しめたことがある。 市 の人は皆 韓信 の怯 懦 にして負けたこ とを笑い、少年は勝ったと思って必ず得 々 としたであろう。 一一三 勝つとは何を意味するか かんしん かんしん しかし今日は当時勝ったという少年の名を知れる者がはた ちから つよ 勝負を語るにつけ、一歩をさかのぼりてそもそも勝つと ゑ してあるか。しかして 韓信 の名を知らぬ者が果たしてある たず ち はなんであるかと考えてみたい。勝つとはなにかと 尋 ぬる すもう か か。 せじん 負けて勝 つ智 恵 の力 の強 さにはたれも感心するぞ 韓信 めいりょう と、おそらく 世人 は奇怪なる質問と思うであろう。勝負ほ ど明 瞭 なものはないと思う人が世に多い。しかし 相撲 を見 わが輩はしばしば思う、 頸 引きという遊 戯 は前に倒れる ゆうぎ ても東西のいずれが勝ったのかはなはだ不明なる場合があ ものが負けと 定 まっている。しかし実際には勝った者が勝 いわ くび る。数万の眼で見る勝負さえもかくのごとくである。また ちに乗じて強く引くとき、かえって引っくりかえるのをし き 多年審判の任に当たれる 行司 さえも判定を下すに苦しむこ ばしば見る。もし単に倒れる者を負けとすれば、勝敗の標 ぎょうじ とがある。まして個人の行為において勝敗を決するの難き 準が異なり、従来勝った者が負けとなり、負けた者が勝ち せじん たふ は常に見るところである。また決勝点はすべての人により を見よ 負けて勝つ心を知れや 首引 きのかちたる人の 仆 るゝ くびひ となる。ある狂歌師の作に 曰 く、 ま ま て必ずしも一致するものでない。 世人 が決勝点なりと認む じんいてき るものを、自分は決勝点と受け兼ねることが 間々 ある。 ため 中には 為 にするところあって、人 為的 形式的に定めたと ただ ジャンケンで勝負を決するのも同様である。石と紙とい すもう 思わるる決勝点なきにしもあらぬ。たとえば 相撲 のごとき かた ずれが勝つかと、何事も知らぬ外人に 質 せば、恐らく石が てんねん も一つの形式で勝敗を定むるものである。すなわち土俵を けん 紙よりも重く強く、かつ 固 いから、石が紙に勝つというで ふえき 作り、それを標準とするが、この土俵なるものは 天然 に定 あさしお ていぎ あろう。 おおとり まれる一定不 易 の圏 でなく、人為的に仮りに定めたるに過 うれ すぐれ して見れば、勝つという語の 定義 を下すことは至難であ ひと まさ ぎぬ。﹁鳳 ﹂と﹁ 朝潮 ﹂とが取組み、一方が一歩を土俵のそ るが、普通の考えでは他人に 優 る、相手より 超絶 るの意で ところ とに踏み出せば、それで勝敗を決する規則であるが、世界 えら あろう。さらばただただ 人 より偉いと嬉 しがるために勝つ ほふく と 中を土俵だとすれば、勝敗あるいは 地 を換えることもある かと問 わば、決して偉 がるばかりが目的でない、むしろ人を こ か 服従させるのが勝つの意味である。ゆえに争わずとも自然 わいいん あなど であろう。 かんしん むかし 淮陰 の少年が韓 信 を侮 り韓信をして袴 下 を匍 伏 せ 自警録 に服従さすれば、それで勝利を得たというべきである。さ の最も厚き人が最高の勝利者となる。 に進歩し礼をもって治められる時代に 到達 したならば、礼 く 図 るものが勝利者となるに至った。しかるに社会がさら はか らに一歩を進めて、服従させるとは何のためと問わば、こ あるいは商業、あるいは学術研究、あるいは芸術、社交、 とうたつ れ自己の意志を行うためと答えてよかろう。しからば勝つ と いかなる世においても、種々なる形で競争が行われる。 わ とは吾 が意を遂 げるなりと定義したい。 はか その他いかなる階級にもそれぞれ競争は絶えぬ。して競争 一一四 しょうぶ 人生の勝利者 あまた えら あれば必ず勝者と敗者がある。一口に勝者という者の中に どりょく てき こんなもので世の中でいわゆる 勝負 を 測 る標準は、人の お か も一番強い者を相手にした者は一番 偉 い勝者である。また ふんとう 実力や 努力 の標準とはちがう。ゆえに俗界を離れて高い立 ふふく てき あおおに 同じく 敵 と称する者の中にも種類が 数多 ある。強きもあれ あかおに 場よりこの世の競争 奮闘 のありさまを見れば、定めて 可笑 ば弱きもある。 赤鬼 もいれば青 鬼 もおろう。してあらゆる はか えら しきことがたくさんあろう。世間で得意を極める人も、高 種類の敵に勝つ者は一番 偉 い勝者である。時には敵とは称 や そ いやし き標準から測 ったならば、最も 卑 むべきものとなりはせぬ せずとも吾 人 の勝つべき相手もある。それは親兄弟、妻 子 、 ちじょう ふく か しょう さいし か。耶 蘇 がその 弟子 に説いた言葉に、 友 のごときはもちろん敵ではないが、彼らが我々の心に 朋 くすのきまさしげ ごじん ﹁地 上 にありて最大たりしものも、 天国 にありては恐らく さぬことがあれば、その 服 不服 の範囲において敵のごとき で し は最小なるものならん﹂ ものである。ゆえに広い意味においては親兄弟にも勝たね おいおい われ にかちみかたに勝 我 ちて敵 にかつこれを武将の三勝 しょうはい ほうゆう と述べたが、天国に行かずとも、同じ地球の表面におい ばならぬ。 楠正成 の歌に、 てんごく てすらも、時の移るとともに人の 勝敗 を定める標準が 追々 違って来るかと思われる。 わんりょく といふ やばん この前にも述べたごとく 野蛮 の社会においては 腕力 ある とあるのが、ちょうど僕の今いう勝つべき相手の種類で おさ 者が最強者で、最大勝利者で、人も尊敬し自己もまた得意 もと ある。 や ちつじょ であった。社会が一定の 秩序 の 下 に治 められ、腕力のみを 一一五 一時の勝利と永久の勝利 ほうちこく もって優劣を定めることを 止 めて以来、理屈の最も分かる こういう 礼治的 社会は、まだまだ前途 遼遠 なる今日の社 りょうえん ものが社会で勝利を得ることになった。すなわち 法治国 に れいちてき おいては法を破らぬ範囲内において、自己の利益を最もよ 自警録 にして、ながき奮闘には負けるものと言わねばならぬ。な ゆる現代的なるをもって足れりとせば、これ一時の勝利者 会においては、勝利を得れば足れりと思う人も、単にいわ が始まり、四、五年の後には 犯罪者 のごとき批 評 を受ける 極度に達したのであろう。二、三ヵ月 経 てばそろそろ悪口 める声が あ ち こ ちに聞こゆるようであるが、これはすでに のがある。僕は友人にそれを喜んだとき、なるほど僕を 褒 ほ んとなれば世の中の思想は、我々一 生涯 中にも次第に変わ であろう。しかしてまたその後にいたり相当の位地に帰る す ふじさん そくざ じゅんかんき ぼんじん た るものである。ことに我が国のごときは十年を一 期 とし、 であろう。そのサイクル︵ 循環期 ︶は十年は出ない。七、 けいこう ようい そくりょう ひひょう おそらくは七、八年中には、思想が一変しつつあるかと思 八年ならんといったが、いかにも今日まで五ヵ年になるが、 こうてつ じんじょう ごかい おお はんざいしゃ わるるほどに変化が多い。昨日の 非 は今日の是 となり、昨 彼のいったごとき 傾向 が現れんとしつつある﹂ しょうがい 年の 是 は今年の非 となることは、内閣の 更迭 ごとに起こる と。これは 尋常 の人であるから、その批評もまた七、八年 しんじゅくじ き 事実に照らしても分かるくらいである。 で一循環するのである。もし非常の人物であるならば、彼 ぜ またいわゆる思想に用いらるる用語を調べてみても、五 に対する 誤解 も五年七年では 済 むまい。あるいは百年二百 ふっかつ そせい ひ 年後には 字書 に現れなかったことが、こんにち日々の新聞 年もつづくであろうし、また真価の充分に認めらるるには ひ に見ることを考えれば、今後五年にはいかなる 新熟字 、新 百年二百年を要することであろう。 富士山 の測 量 はいまだ ぜ 思想が世に行わるるかは 想像 出来ぬ。よし新熟語が必ずし 密 に出来ていないごとく、大人物であればあるほど、そ 綿 じしょ も新思想を表さなくとも、旧思想が 復活 することであると の高さも大きさも 容易 に凡 人 の見分け得るものでない。 そうぞう するも、一たび死んだ思想が再び 蘇生 し来たりて人心を動 普通の人についてもその真価は 即座 に決することは出来 めんみつ かすのであることは明らかである。 ぬ。まずは七、八年はかかる。むかしの人のいったごとく かん 人生は 棺 を覆 うて始めて定まるものである。しかして勝敗 一一六 勝敗は長年月を経て始めて決定す なぐさ も人の真価で計るべきものである。真の力ある人はいやゆ らくたん 僕はつねに失望する人を 慰 めんとするとき、あるいは 自 る投げられても負けぬ。真の力がより以上の真の力のため あっぱく ら失望し 落胆 せんとするとき、みずから励まして、 ﹁マア十 に 圧迫 されて始めて負けたということになる。その時々に らいほう かんしん とくとく 行わるる標準をもって勝敗を定むることはほんの一時的で、 としゃ 市中の屠 者 が 韓信 に勝ったといって得 々 たると同じである。 めいぼう た友人が 来訪 し、こういうことをいった。 はや ﹁僕の友人で一時世にもて 囃 され、名 望 一時に高まったも あ 年待て﹂といっている。ついこの間もしばらく 会 わなかっ みずか 、 、 、 、 自警録 一一七 ぐ ひょうじゅん かちどき いさぎよ め心ならずも、 標準 の決勝点を引下げ、潔 からずと思いな ふほんい がらも、俗界の喜ぶ 勝鬨 を挙げんとする者が多くなり、し いかん 標準高き勝利 かしていわゆる失敗者となるを 不本意 とするにいたる。し せじん かか かし 誰人 が不正の 名利 を抱 えて、心のうちに満足を覚ゆる めいり かく思うと負けたことを 遺憾 とするははなはだ 愚 なりと か。 世人 に向かっては大きな顔もしようなれ、自己に 顧 み そむ たれびと 思う。ことに勝負の標準が一時的、 人為的 、時勢的のもの てはなはだ不安の念を抱くや疑いない。すなわち不正不義 じんいてき であれば、なおさらそうである。いわゆる負けたからとて の手段によりて 獲 た名利すなわち勝利は、己 れの本当の心 いい かえり 自分の人格の下がる訳でもなく、また真価を 傷 つけるもの に 背 いているに違いない。 きず でもない。これがためにあるいは無知の人の笑いを 招 くこ しかして先にも述べた通り勝つとは我が意を 遂 ぐるの 謂 一一八 おの とはあろう。しかし笑いも無知の人の笑いなる以上は気に であるなら、不正不利の名利は敗北と称すべきもので、勝 え するほどのこともない。 利というべきものでない。 こころよ まね しかるに世の中にはともするとただ勝てばよいと、決勝 もう と 点の何たるを問わず一向に勝つことのみを 快 しとする者が 勝敗の決勝点を高きに置け あ 多い。たとえば経済競争において勝負を争う時は金が決勝 よ 点である。この場合には 善 かれ 悪 しかれ、金さえ 儲 ければ わが輩の言ったことを一言に約すれば、勝敗を定むる標 ふう 勝利者と思う風 がある。 準を高きに置けよというに帰着する。ことに青年時代いま やから 今日普通に成功者と称する輩 の中にも、いかなる方法によ だまったく心の俗化せぬとき、すなわち理想のいまだ高き ひれつ ひきょう りて今日の位地を得たかというと、はなはだ怪しげな道を もう ふんとう 時に、みずから決勝点を定めよ。しかしてこれを高きに置 はいぼくしゃ は 進んだことが分かる。少し高い決勝点に照らせば、まさし ひにく け。すなわち金を 儲 けるのも儲ける道を純白にし、 卑怯 な ねた く敗 北者 と称すべき者で世に時めく者が少なくない。僕は 方法にて儲くれば、これ 奮闘 の敗北なりとみなし、また高 こころえ ふみだい き位地を得るにしても、他人を 踏台 としたり甚だしきは友 よ あながち勝者を 妬 んで 皮肉 を吐 く考えもなければ、誰がど 人までも売って位地を 占 めんとしたら、これまた勝利にあ し うと具体的に指さすことを 能 くせぬが、かくのごとき人が らずして 敗北 なりと心 得 、よし名を挙げるにしても、 卑劣 はいぼく 世にありそうであり、またありと聞いている。世の中には な 賤 しき方法によりて得たならば、その名がいかに広まる さ えそこ かかる人を重んじている。しかしてかかる勝利を 得損 なっ いや た人が失敗者に数えられる。ゆえに世間の笑いを 避 くるた 自警録 どうりょう いさぎよ しゅだん ろう とも、勝利にあらずして敗北なりと思い、これに反し自分 めいせい とどろ うら の同 僚 友人が 潔 からざる手 段 を 弄 して巨万の富を積み、高 ひ げ 位に上るとも、また 名声 を海外に轟 かすとも、さらに 恨 む とくそう ゆうゆう にも当たらず、また彼らに対し自分は敗北者だと 卑下 して ちょうだつ 小さくなる必要もない。 じ ぎ ひと 物質的利益に 超脱 し、名誉、地位、得 喪 の上に 優游 する おの か を得ば、世間に行わるる勝敗は 児戯 に 等 しきものとなる。 真の勝利者は第一 己 れなる者を全然破り、己れに 克 ち、古 しょうはい 人の言う私心なきことこそ必勝の条件なれ。この点に意を 留めたなら世間でかれこれいう 勝敗 などのために心を動か はいぼく なげ たんたん すことなく、勝っても笑わず、負けても泣かず、勝利のた せきせき めに誇らず、 敗北 のために歎 かず、心つねに平々 坦々 とし こうし とうとう しょうじん とこしなえ て、定めし幸福なることであろう。 たいらか 孔 子 のいわゆる、 くんし キリスト はりつけ ﹁君 子 は坦 にして 蕩々 たり、小 人 は 長 に戚 々 たり﹂ よ か とはこの心をいうならん。これで 基督 は 磔 になりながら、 ﹁われ 世 に勝 てり﹂ と叫んだ心をも幾分か理解し得る。 自警録 そんりつ 一二一 第十二章 人生表裏の判断 一一九 一二〇 うす いやし ひょうり およそいかなる物でも物として 表裏 なきものはあるまい。 きかがく いかに 薄 き平面にても苟 くも実物である以上は必ず表と裏 とがある。表裏なき表面は、ただ 幾何学 上に現れた理想的 うす ぶ の形たるにとどまる。幾何学上に称する点や線などは大き がんぴし はば さき 表と裏とは物の 存立 条件 はか さなきものと説いてあるが、しかし針の 尖 でさえも一分 一 そな なんぶん 人生の言葉はとかく相対的になる。たとえ思想は絶対的 の何 厘 分 の一というように必ず 量 り得る大きさを有するも りん であっても、これを言葉に発するときには、思想の上も下 うら のである。線にしてもまた長さのみありて巾 なしというは、 おもて も、前も後も、表 も 裏 も、ことごとく同時に言い現すことは はな ま 幾何学上の理想たるにとどまり、実際目に見ゆるものであ こうがい ま 出来ぬ。それゆえに 口外 に放 つ言語が、胸中で考えること れば、必ず計り得るものである。ましてある面積を有する せ ひとえ と正反対の意味にとられることも 間々 ある。私は花が好き あわせ 平面を 備 うるものは必ず両面がある。 雁皮紙 のごとき 薄 い わたいれ ですといっても、聞く人によりてはこれを悪意に解し、華 紙でも表裏はある。 綿衣 、 袷 はいうまでもなく、 単衣 さえ いんしょう はやがてん ぼしんしょうしょ ぎゃくしん つみ あげあし も表裏がある。独り衣服のみに限らず一家においても表も いちょく とら 美を好むという 印象 を受けるものもあり、はなはだしきは あれば裏もある。人体においても表と裏とがあって 脊 と胸 そむ じり いう花と早 物 合点 する人さえある。言葉 尻 を捉 えたり揚 足 もの を取る人ならば、花を好むというは、 ﹁ 戊申詔書 ﹂の華 を去 とになっている。ゆえに表裏はあらゆる物の存立の必要条 じつ か り実 に就 くというご趣旨に 反 く、違 勅 の 逆臣 なりなどいう 件なることは、あたかもなにごとにも内外の区別あると同 ひっぽう 然であって、むかしの人はなにものによらず必ず陰陽の二 つ こともあろう。世の中には実際この 筆法 をもって人を罪 せ んとするものがたくさんある。 げ こ 様に考えたると同じであると思う。 あまとう じょうごげこ づか また普通に 甘党 といえばいわゆる下 戸 を指し、酒を好ま 表裏に善悪の区別を付する誤解 一二二 ぬことを意味するのであるが、実際社会においては両刀遣 い しかるに 表裏 という言葉を用うると、とかく従来の習慣 きょくちょく ぜんあく ひょうり する人もあり、甘党であると同時にまた酒を呑む、 上戸下戸 に 捉 われ、表は善く、裏は悪きものと解し、ただちに是 非 、 あやま ひ を兼ぬる人は決して少なくない。こういう例を挙ぐれば限 直 、善 曲 悪 の区別をこれに結びつけ、物の見方人の見方を ぜ りなきも、僕のここに述べたき要点は、人がある言葉を用 ることが多い。しかも裏といえばきっとなにか 誤 穢 い物な とら うれば、ただちにその反対の意味を排除するものでないこ きたな とを説くのである。 自警録 り悪き物なりを 隠蔽 してあるものとみなす。また 陽 といえ 互の便利とするのではあるまいか。 標準とすれば 簡便 なる裏門を設 け、 面倒 な礼を省 くのが相 になれば、商売は 煩 くなりはせぬか。むしろ彼らの便利を うるさ ばよかれ 陰 といえば気味悪く思うもあれども、はたして事 よう 物に 陰陽 の差があるものならば、両者の間の差は性質の差 人生に表裏あるはむしろ当然 いんぺい にして善悪、曲直の差ではあるまい。 人間の生計あるいは生活あるいは 品行 においていわゆる そまつ じっさい せ け ん 一二三 ひんこう す ちゃわんむ しょうれい さしみ ひなん こう さいくん もんつき ぎくんし はぶ 実 際 世 間 の慣 わしとしてはいかにも表 門 をりっぱにし裏 門 裏 ︵ことに い わ ゆ るなる文字を使うことに注意を 表 促 した こく しおもの きらく だんらん し めんどう を粗 末 にする。表門は大いに飾り裏門はみすぼらしくして い︶あるは、一家の門に表裏の両者があると同じ事情の場 もう あたい もう あるが、さりとてこれがためにその家の主人が 偽君子 なり 合がたくさんある。僕は決していかなる場合においても表 たいど かんべん と判断するは 酷 に過ぎたる批評である。表門と裏門とに区 裏の存在は止むを得ぬといって、これを 奨励 せんとする意 いん 別を 設 くるは世の風俗である。ゆえにたとえ裏門を立派に ではないが、攻撃的に表裏々々と 非難 する中には、 往々 に いんよう 造り得るだけの余裕ある人でも、かえって習慣に遠慮して して非難に 値 せぬものがある。むしろ表裏あるのが当然で、 とうふや うらもん 粗末に造るのである。かつ習慣のみならず、人を迎うるは 表裏なければはなはだしく自己および他人に迷惑を与うる おもてもん 表門よりするゆえ、客に対する礼としても表門を立派にす こともあると思う。たとえば日常の生活について見るに、 なら ることは当然の事である。 家族のみで食事するならば 塩物 と 香 の物ぐらいで 済 まされ いな や き ど すいか せっけん どてら おうおう うなが 表裏を区別するは必ずしも道徳的意味を付すべきもので るが、突然の来客でもあれば、急に 刺身 とか茶 碗蒸 しとか さかなや そまつ あいさつ ひょうり あるまい。否 区別を設けぬことこそ不道徳といわれるので を注文する。これは生計上の表裏ではないか。 ぶじょく ぎくんし はあるまいか。 日々 得意先を回る 魚屋 、八 百屋 、 豆腐屋 の また家庭にありて一家 団欒 している際は、寒ければ 綿袍 や 人々の中に裏門を通用する際、かく 粗末 なる木 戸 をくぐら を着ても用が足り、主人も 気楽 なれば 細君 も衣服の節 倹 な たずさ ていちょう お すは我々を 侮辱 するなりと 憤 る民主主義の人もあるまい。 りと喜ぶが、ふと客があれば急に 紋付 に取替える。これも ざる び またたまたまかかる人がありとするも、主人側は彼らを侮 生活上における表裏の一つではないか。かく時に応じてそ にな ひ 辱する意志はむろん 毫末 もない。むしろこういう人々のた の態 度 を改むることは、 強 いて偽 君子 の行為といわんより はんだい いきどお めにかえって便利なりと思えばこそ門を粗末に造ったので は、むしろ世上における普通の礼である。表裏の区別を全 ごうまつ され、あるいは門を出入するごとに 鄭重 に挨 拶 されるよう ある。 板台 を 担 い笊 を携 えて出入する者が一々門番に 誰何 、 、 、 、 自警録 どてら おもに にな おもに きだに 重荷 を荷 う人生において、かかる態度は 重荷 の上に まっぱだか 然無視せんとて、会社なり役所なりに出勤するに 綿袍 を着 ぎ がらくた荷を一層積むようなものである。礼儀正しきは人 ぶれい ふ 生の表なりとせば、裏は 無礼 不 儀 なりとは言われぬ。裏は ちつじょ て行き、夏の日に 真裸 で行くものはあるまい。かくのごと わきま きは物に表裏あることを 弁 えぬので、かえって世の 秩序 を 礼を略し儀式を除くに過ぎない。 みだ ことがら すものである。 紊 さほう 人の性質においてもまた同じような表裏がある。しかし てんしんらんまん こころよ 世にはとかく、 天真爛漫 などと称し、世に行わるる作 法 いや てこの人となりの表裏は、他の事 柄 と異って、一も二もなく ふるま に反するをもって 快 しとするものがある。かかる人は我は しきもののように思われる。あの男は表裏があるという 卑 いにしえ ぎくんし 表裏なしと誇り、無礼な挙動を 振舞 って得意がるが、これ 一言にて、他の事を聞くまでもなく、 あ てにならぬ 偽君子 めい とら は表は善で、裏は悪なりという前提に 捉 われたるより起こ なりと解せられる。これは文字の使いようがかかる意味に ゆうめい たまもの あん る誤解であって、 幽明 の区別を論ずる者が、幽 とか暗 とか なりしまでにて、僕も文字の用法を改めよと主張するわけ き ゆう 称すれば、それだけで悪感をいだき、 明 といえばそれだけ ではないが、人の性質には道徳的意味のほかに表裏あるこ ひと や や き きざ で善良と信ずるに 等 しい。しかし暗夜は暗夜の徳あって、 りょう とを記憶せねばならぬと思う。 もうし こうあく 子 のいわゆる﹁ 孟 夜気 ﹂は暗黒の賜 である。古 の学者の言 我々は友人中に時々新しき事実を発見して驚くことがあ ぶこつ に、﹁好 悪 の良 は夜 気 に萠 す﹂と。 おいわけ うた る。たとえば 無骨 一偏の人と思った者にして、案外にも美 はぶ うた いわ ひげ いしべきんきち しかつめ おやじ 音を発して追 分 を唄 う、これも一つの表裏ではあるまいか。 うら また 髯 もやもやの鹿 爪 らしき 爺 が娘の結婚の席上で舞を舞 れいぎ 人の性質上の表裏 いて 祝 うことがある。 無骨 一偏の者が 測 らぬ時に優 しき歌 おな おもて しからば表 は礼 儀 、 裏 は礼を 省 いた意味とし、家にある を 詠 うとか、 石部金吉 と思われた者に 艶聞 があるとか、い せき むじゅん えんぶん やさ ときも、裏でなく表でいたとしたらどうであろう。 聖賢 と ずれも人生の表裏であるまいか。しかしこれあるは決して はか 言わるる人は家にありて、言葉遣いも 苟 くもせず、 ﹁男女七 盾 でない、あるこそ当然である。またこれあるところに 矛 かみしも しょうれい ぶこつ 歳にして 席 を同 じゅうせず﹂の主義で、七歳以上は自分の 人生の興味が深いのである。すなわちある意味においてこ ふびん せいけん でも同座せず、しかして早朝より 娘 裃 をつけて四角四面に の類の表裏ならば 奨励 したいくらいなものである。 いやし 端座しているか。かくのごとき人がはたして理想の人であ むすめ ろうか、かかる人を父とした者は真に 不憫 なものであり、 くつろ また父たるその人もゆるりと 寛 ぐ場所も時間もなく、さな 一二四 、 、 自警録 悪い意味における表裏 一二五 我々が各自の友人を一人ずつ挙げて考えたならすぐに両 面あることを悟るであろうと思う。表と裏とは思想上にお いては反対と思われるも、実際においては同一物なりとも いえる。反対と思えば表のなすことを裏で取消したり、裏 こと あし の性質を表で消したり、相互に利益を 異 にするように聞こ ゆれども、そういうように意味を取ると、とかく性質が 悪 てき きんげん ふう べんきょう ざまになりて、表向きでは一滴 の酒を飲まぬと言いながら、 なま 裏面ではこっそりとちびちび飲む。外では 勉強 に見せて内 ほうとう せっけん では 怠 ける。表向きではすこぶる 謹厳 の 風 を装いながら、 らんぴ 裏面ではすこぶる 放蕩 する。あるいはまた表面節 倹 で裏面 費 する。 濫 かぶ おおかみ ひつじ かぶ こういう意味において表裏の差を生ずるはもちろん望まし ねこ からぬことで、いわゆる狼 が羊 の皮を 被 るがごときもの、俗 こと ふそうおう にいう 猫 を被 るのである。これは前にいった一家に表門と び れ い こうそう 裏門とある例とは事情を 異 にしている。つまり身分 不相応 そそ に力を表門に 注 ぎて 美麗 宏壮 に築き上げ、人目を驚かし、 く しかして裏門は柱が曲り、戸が 朽 ち、満足に開閉すること きけん も出来ず、出入りにも 危険 ならしむるがごときものである。 めいわく これでは裏門においてかえって人に 迷惑 を与うるものであ げきこう る。表門にのみかく力を用うることは悪い意味における表 裏といわねばならぬ。 近ごろ我が国民全体が 激昂 したことは、表向きでは愛国 ぎせい ごう いな を口にし、一身の名利などは 毫 も眼中にない、否 むしろ名利 ひそか こや を犠 牲 に供して国防の充実を計るという看板をかけた人が、 裏面においてはこれによりて 窃 に私腹を 肥 すことがあった ささ からである。かくのごとき事こそ悪い意味における表裏の 最もはなはだしいものである。 ひょうぼう かん またある党派のために一身を 捧 げるようなことを外部に 榜 しながら、内部においてはひそかに 標 欵 を反対の党派に むじゅん 通ずることがあれば、これまた悪い意味における表裏のは なはだしきものである。こういうような実際 矛盾 している 表裏的の事柄と、個人々々の性格なりあるいは生計なりに せいこう まぬか おけるいわゆる矛盾とは、よくこれを判別しなければ、人 一二六 を判断するにおいて 正鵠 を失し、混乱を 免 れぬ。 表裏の善悪を判断する標準 しからば表裏という文字を仮りに用うるとして、善き意 味の表裏と、悪き意味︱︱︱というのが過言であるならば、 そな 少なくとも自然的表裏とは、何を標準として区別すべきか。 てんせい 僕はこれは表裏を 備 うる人の意志によるものであると思う。 かた 僕のここにいう意志とは 天性 というにあい対して用いたの てんせい である。ただ 堅 い一方と思えるものが案外弱いところもあ あざむ かく るというのは 天性 両面を備うるのである。もしこの同じ人 こうこつ てら が自己のやわらかいことを仮りに他人を 欺 かんがために隠 し、すなわち悪意をもって 硬骨 を衒 ったならば、これ悪い 自警録 しかしもしこの人が 己 れの弱点を制せんとする意志に基 意味における表裏の初段である。 着物の裏は間に合せものである。おそらく他人も知ってい ともなく、また他人にそう思わせようとも 力 めず、自分の もある。着ている人は裏に つ ぎ は ぎしていると 吹聴 するこ ふいちょう づいて、これを 隠 しあるいは包むとすれば、さほどに 咎 む るだろうぐらいに思い流しているのである。しかるに彼が どりょく ほ あざむ ひとくち とうじしゃ やつ うち はか にく ののし つみ そと なになにとう うら じ ひ つと べきことではないと思う。むしろ場合によりては 褒 むべき あまりに平気であるために、見る人は定めしあの人だから じゃくてん しょうきょくてきしゅうよう おの で、 消極的修養 の努 力 であると思う。 元来 普通の人はす 表に 優 る裏をつけているだろうと 推量 し、ことさら尋 ねも つつ とが べて幾分かの 弱点 を備うるものである。この弱点に打ち 克 せずに独り 合点 している間 に、真相を始めて見て、彼は長 かく たんか、あるいはこれを 包 まんとするは、むしろ 褒 むべき 日月間我々を 欺 いた、表裏のはなはだしい 奴 だと詈 る者を おの ほ 努力であって、その人が果たして包みきれるか制しきれる 多く見る。先方が 欺 いたのでなく、当方が不注意のために おちい う む ほんがんじ へ い そ まじ おもて たず かは別問題とし、ともかく 己 れの弱点を意識し、ために過 知らなかったに過ぎぬ。ゆえに 一口 にいえば悪い意味にお ごじん すいりょう 失に 陥 らざらんと心づくことは 諒 とすべきことである。こ ける裏面の 有無 を判断する者は 当事者 一人というべく、他 とが しゅじゅおもしろ まさ ういう目的であれば、表裏があっても、たいして 咎 むべき 人は容易にこれを断定し得るものではない。 あざむ か 必要なきも、一歩を進めて、裏面あるのに、なきがごとく 近ごろ世間に海軍とやら 本願寺 とやら何 々党 とやらに関 がんらい して相手を欺 くの意志あれば、悪い意味における表裏の罪 して、 種々 面 白 からざる表裏ばなしを聞くが、 罪 は悪 むべ ようい ま の成立する時である。 きも、その関係者の人については、 慈悲 の心をもって当た あざむ あんがい がてん しかしその当人が果たして欺 く意志であるかどうかは容 易 りたい。いわんや 吾人 は平 素 交 わる人々について、 図 らざ あざむ あざむ に判断の出来るものでない。とかく我々が思わぬことを聞 る事を見、予期せざる事を聞くこと少なくない。そのつど こ い りょう いたり見たりすると、一時 案外 の驚きに打たれて、その人 友人の心事や性格を疑うごときは不見識のはなはだしきも あざむ おちど ごじん かわ が故 意 に我を 欺 けりと判断することがある。しかるに冷静 のなれば、つねづね、なにものにも 表 と裏 と、外 と内 と、皮 かく にく にこれを考えると、欺 かんとする意志があったのでなく、か と肉 との別あるを心得ておきたい。 、 、 、 、 えって我々のまったく知らなかったことが 落度 で、彼はこ とさらに 隠 しもせねば包んでもいなかったが、吾 人 がそれ を発見しなかったのが、我々の不注意であるということが 折々ある。人の衣服を見ても、裏を つ ぎ は ぎしているもの 、 、 、 、 自警録 きら 一二九 第十三章 広く世を渡る心がけ 一二七 一二八 婦人子供のみならず、大人にも主観と客観とを混同する きた うれ 者が多いといったが、最もよく理性の発達した人、あるいは 心の寛大なる人ならば、右のごとき混同を 来 す憂 いはない。 あんねい いいだくだく しりょ ゆえに一般の教育が進むにつけ、あるいは個人が年とりて おちい 好き嫌 いと善悪とは違う あやま 種々な経験を 経 たり、あるいは若い者でも少し 思慮 を深く きら へ 子供が 事柄 について判断を下すを見るに、事の 曲直 、物 用うる者であれば、この 過 ちに陥 ることは少ない。必ずし きょくちょく の善悪をそのままに見ることはほとんどなく、たいがい頭 も、世間通りに従う理由はない。もしなにもかも 唯々諾々 ことがら から好き 嫌 いという立場から判断する。また普通の婦人を と、世の 風潮 によるならば、進歩することはなくなる。し ふうちょう 見ても同じことで、自分の好きなことならばただちにこれ かし争うほどの事ならざる以上は世と共に 推遷 るのが、自 も しょ 世の中の人に心を合せけん水と 魚 とを見るにつけて おしうつ を善きものと思い、自分の嫌いなものならばすなわち悪い たしな 分のためかつ世間のためであろう。すなわち社会の 安寧 は いんが とみなす。﹁もちろん悪いとは知っていますが、どういう ぜんせ うを それで持って行く。 いんが えんりょ 果 でありますか、これが私の 因 嗜 みです﹂ということは、 しんしゃく 常に聞くことなるも、かくのごとき申し訳は人に対し 遠慮 なん 斟酌 する言葉に過ぎぬのである。 すん せまくる しかるに何事についても消極的に世に 処 すれば、どれほ しゃく ﹁何 の 因果 で﹂とか、﹁前 世 の約束﹂とかいう句のうちに きら ど広き世間もただただ 狭苦 しくなるのみで、 おの は、すでに自分の好むものは悪であり、 己 れの嫌 うものこ てんとう 世の中が四尺 五寸 になりにけり五尺のからだ置き所 ぜん なげ そ善 である、またその順序を顛 倒 して善なるものを自分は か ち なし きゃっかん 嫌い、悪なるものを自分は好むということを認めたもので、 じぶつ ひと ご 一三〇 と 嘆 くにいたるであろう。 しゅかんてきさよう けいこう か これは心の主 観的作用 と事 物 の 客観 的価 値 と一致しないゆ きら さしみ じようぶん す き嫌 好 いで人を判断する 過誤 しきしゃ えである。この傾 向 は決して独 り婦人子供のみに限らない。 刺身 の 嫌 いな者は医師よりいかに 刺身 の消化よきこと、 おとな 人 にもあり、しかも学者または 大 識者 にもあることである。 養分 の多きことを説かれても、何とか け ちをつけて毒で 滋 おの さしみ 自然といえばそれだけで 済 むようなものの、ややもすれば もあるかのごとく け な す。これに反し酒の好きな者は医師 きら これがために人を害し、また 己 れをも傷つける危険がはな 、 、 す はだ多い。 、 、 、 ちょう がんば こんどう さしがね は、ちょうど物の軽重を計るに 差金 を用うるがごとくであ きら がいかにその害を説くも、百薬の 長 なりと 頑張 って聴かぬ る。長いから重いというものでなく、また短いから軽いも す ものが多い。心の 好 き嫌 いと物の善悪を 混同 する者は実際 のでもない。測る道具と測る品物が往々にして 異 るので、 あやま ことな を見る 明 を失 う。 この二者を混同するとつまらぬことに 争 いが起こり、 互 い うしな ﹁ 凝 っては思案に及ばず﹂というが、なにか一つを好むと、 に 不愉快 の念を生 ずるにいたる。ことに人に対して愛 憎 の めい その好きなものの長所のみが 映 って短所は目に入らぬ。こ 念が起こる時は、いっそう注意してその人の性質の善悪や ふんべつ す な よろ しじゅう きた あいぞう たが の好き嫌いをもって物を判断する標準にすると、とかく 曲直 人格の高下等を批評することを 慎 まねばならぬ。 あし あらそ の分 別 ができなくなり、つまらぬことに争い、大きなこと 僕のごときも今日まで幾度となくこの過 ちを繰り返し来 っ こ にも争いを起こす。はなはだしきは政治の問題についても たもので、今にしてこれを顧 ると済 まぬことをしたと思うこ ぼう あやま せつ しょう 有力なる 某 政治家は嫌いだと思えば、その人の政見がいか とがたびたびある。ちょっと始めて面会した人がなんだか こうげき ふゆかい に正しくともこれを 誤 れるがごとくに批評し、たまたまこ 虫が好かぬと思うと、すぐに悪人のごとく思い 做 した。し きょくちょく れを 攻撃 する理論が発見されなければ、 説 そのものは善き かしてそう思えばその人のすること為すことが、一部 始終 きた いやし うつ も、その説を来 す動機がはなはだ卑 しいとか何とかいって、 不正のように見ゆる。また自分はさほど悪く思わなかった つつし 説そのものをも 卑 むようになる。ある外人が日本人を評し 人にして、自分のことを 悪 ざまに非難したことを聞くと、 た かえりみ てかくのごとく感情に高い国民は憲法政治を実行し得るだ その瞬間よりその人が善くなく思われたりするものである。 いや ろうかと疑ったことがある。 これは人情だと思えばそれきりであるが、人情には違いな 一三一 ちょうぜん きも、 矯 むべき人情、怪 しからぬ人情である。人は宜 しく しこう ひょうじゅん 測る物体と測る標準とが違う おもしろ かくのごとき人情に甘んずるより、いっそう 超然 たる人情 べつ わが輩はつねにこう信ずる。この世の中を渡るに 嗜好 は に達せねばなるまい。 きょうせい あ なるたけ人々により 別 なるが面 白 けれども、善悪の 標準 は 甲が乙を評するにいろいろの 悪 しき点を述ぶるのを聞く あやま 一様でなくてはならぬと。この一様なる善悪の標準をもっ とき、その批評の 過 てることを一々指摘し説明しても甲の きら へんけん 見 はなかなかになおるものでない。なにゆえかといえば、 偏 ものさ て好き嫌いを測るべきものでない。好き嫌いを測るものは 批評が 客観的 であるものならば 矯正 される望みもあるが、 あいぞう きゃっかんてき 道徳的 物差 しでない。しかるに好きなものは善い、 嫌 いな きょくちょく ものは悪いというように、 愛憎 をもって曲 直 を決すること け 自警録 自警録 ぞくろん く自分の説と異なればただちに 曲学阿世 だとか、俗 論 だと きょくがくあせい か売国的説だとか 異端 だとか議論はそっちのけにして、論 きょっかい 多くは 主観的 で批評する人が始めより 曲解 する精神でかか 者の動機やら人格までをかれこれ言うようなことは、 度量 しゅかんてき るのであるゆえ、どれほど反対の証拠を挙げてもなかなか いたん 心機一転しない。 の狭きを示すと同時に、進歩する余地なきことを自白する きら どりょう たとえば某 の衣服はよくないという。もしその悪い点が のである。 ぼう 果たして衣服にありとすれば、衣服を代えればその非難は とうぎ 前にもいった通り、説は成るたけ違うのが面白い。今日 いや こと ただちに消ゆるはずである。しかるに衣服を代えると、こ まで学問の進歩は種々の 異 なった説から、互いに討 議 し批 ゆうれい んどはまた代えた新しき衣服を非難する。赤は派手すぎる 評して得た結果にほかならぬ。昔は異説あると宗教の教え こんいろ やしな そむ と悪くいう。白くすれば 幽霊 のようだと非難する。黄色に に 背 くとかあるいは国家に危険なりとして圧迫を加えた。 ぼうず すれば 坊主 に似たりとか、 紺色 にすれば職工みたいだと言 その時代は人知の最も進まぬときである。ちょっと聞いて た い、何を着ても批評する人の心が 矯 められぬ間は非難が尽 自分の心にはなはだ 嫌 に思う説でも、一応は聞くだけの度 つと きないものである。 量を 養 うことを力 めたい。さらに力 めたきことは自分の 嫌 一三二 いと思う人の説なり行動なりを、冷静に客観的に考える心 どりょう つと 反対説にも耳を傾ける度 量 を養え を養いたい。 ししん おの 衣服とか外形上のことならば、単に非難する人の心を不 む し しゅんじゅう りょうけん 昔より 私 なしという言葉は公平なる態度を現すに用いら わたくし 愉快ならしめ、非難される人の心を不愉快にするだけにて れるが、 無私 というは狭い 量見 のない、己 ればかりが正し おの すむが、学術あるいは政治上の説が違う場合のごときは、 いのでない、また 己 れの利益のためでないという意味であ こうし る。たとえば 孔子 が﹃春 秋 ﹄を書くに私 心 をはさまなかっ とが しょういん 自分の気に入りたる説なれば、大いに怪しい点があっても たとは、﹃春秋﹄に出る人物を批評するに好きだから 褒 め ぜ これを 是 とし、自分が 承引 しかねる場合にはまったくこれ る、 癪 にさわるから悪く書くというのでなく、 好悪 は論外 ほ を異論なるかのごとく 咎 むるは、その害の及ぼすところ広 として、自分と性質は違うとも、正しい者は正しいと公平 こうお くかつ大きい。 な判断を下したからである。 しゃく 願わくは説が違ったときは、はてな、 己 れの考えとは違う おの が、一たびはその意見を聞こう、 正邪 の判断を下す前に一応 せいじゃ は取調べもし、耳を傾けもするだけの度量が欲しい。少し おの す きら 狭き己 れの好 き嫌 いで世に処するは危険 一三三 僕の友人に甲という人がある、この人のもとに同じ友人 の乙が行き、 ﹁甲君、君は丙君と仲がよいか﹂ と聞く。甲は、 わるくち ﹁別に仲の悪いことはない、永い間の友人だから﹂ といえば、乙はやや驚いた顔して、 かげ がてん ふたごころ さと いだ きら いやし おの 僕は人と交わるにはこの甲のごとき心持ちをもってした たことがある。 して以来、甲はいっそう丙を尊敬して、交わるようになっ からとて悪人とはいわれぬ。やはり丙は善い人だと考え直 は性質が違うから彼は僕を非難するのであろう、僕を嫌う はり丙は善い人である。しかし 己 れを嫌 っている。己 れと おの だと聞き、甲は始めて翻 然 として悟 るところあり、ああ、や ほんぜん である、今これこれの人を世話しているが、まことに感心 なった。ところがあるとき丁より、丙はたいへん親切な男 べき人であると思って以来、丙を見てもロクに 挨拶 しなく あいさつ はよい顔しながら、 蔭 にまわると悪口する、はなはだ 卑 む に、して見ると丙は余程、 二心 あるもので、僕に向かって でかれこれ自分を非難するのは 合点 がゆかぬと思うと同時 ているに丙は自分に対し別に悪意を 懐 かぬようだが、それ と告げたので、甲はいかにも意外に思い、しばしば会っ ﹁何のためだろう、丙はあちこちで君の悪 口 を言い歩くよ﹂ 自警録 いと思う。よし甲が僕を嫌っても、好き嫌いは各自の性質 に存するもので、我が甲に嫌われたとて我は悪い人でなく、 またその代わり彼も僕を嫌うために彼を悪人と称すること いや はできぬ。かく思えば世の中は広くなる。嫌いな者でも正 しく見えたり、 嫌 な者でもかえって善く見えたり、人のな す事することが美しく見えて来る。到るところ青山ありと 昔の人のいったのは、かくのごとき心の持ち方をいうので おの はないか。 せまき 己 れの好き嫌いを標準として世を渡る以上は、さ う う うら おの なきだにせまき世の中がますますせまくなり、さなきだに うら しょう き世の中がいっそう 憂 憂 くなって、人を恨 み己 れを恨み、 天を 怨 み、晴天にわざと暗雲を作りて不愉快に一 生 を送る ようなものである。 自警録 第十四章 報酬以上の務め 一三四 一三五 ちんせん ね だ だんな きょうふ けた︱︱︱程度は違うにしても︱︱︱と同じように、 轎夫 が分 に かご からぬことをいって 賃銭 を 強請 ったり、この 旦那 は重いと ごめん か、 荷 が多いとか、 轎 の中で動いて困るとか、雨が降ると ね かん か、橋がないから 御免 とか、その時々に応じて種々の苦情 一三六 ま きょうふ ふゆかい て 愉快なる台湾旅行中の不快 けんちょ を持ち出すことである。言語が通ぜぬから、 手真似 や顔色 たいわん しばしば台 湾 を旅行するに、その進歩の 顕著 なるに驚く。 ふべん やにて不快の念を表すが多い。これが一番 不愉快 に感 ずる やどや 昨年は 宿屋 もなく、道路も悪く、旅行に 不便 であったとこ 一三七 ことである。 ふう そうてい ろが、今年は大いに改良され、車も通ずれば旅館もできる かつ ふけつ つごう ひく かご 気が不良の場合に、 轎夫 が絶対に働かないで、途中に 轎 を きょうふ や 騒 ぐために大いに楽しみの程度を 低 められる。ことに天 かご かご ぞくげん という 風 で、台湾の旅といえば、難儀とのみ思うが、実は しんく 余のために 轎 を担 いだ壮 丁 の好意 かわい かわい 年々その観を改めつつある。 俗諺 にもある、 なんぎ 中国式の轎 は不 潔 ではあるが、読書することもできれば、 たんれん つら ﹁可 愛 い子には旅をさせよ﹂ 眠ることもできて、僕には最も 都合 よいが、轎 夫 のがやが な travel さわ というは、旅は辛 い、 難儀 である、 可愛 い子にはこの辛 苦 しんく を甞 めさせ、鍛 錬 させよとの意味である。英語の旅行 こころぼそ 置き去りすることがある。これは独り台湾においてのみな ほよう という字は、もと travail すなわち辛 苦 という字より起こっ たとかねて耳にし、東西人の旅に対する観念の一致せるこ こんにち らず、朝鮮にもあると聞くが、その不快と 心細 さといった で とを面白く思うが、今 日 は旅行ほど愉快なものはなくなり、 ごめん あ らない。 きょうふ あまざら しゅうせん さい 児童は見学に 出 かけ、老人は保 養 に行き、壮者は新婚旅行 しかるに数年前、僕は台湾旅行の 際 同じ場合に 逢 って、 おもむき ゆうどう する。 かつ やといいれ 行くにも帰るにも動きのつかなかったことがある。警官に そうてい きょうふ 台湾の旅行も愉快であるが、その 趣 は他の旅行とちがっ 依頼し轎 夫 の雇 入 を命令的に誘 導 的に周 旋 してもらったが、 とだい ている。従来、台湾に一種の興味を有し、年々 渡台 するも しばしは一人の応ずるものもなく、 雨曝 しになって進退 谷 いちじる めいわく きわ のは、行く 度 ごとにその進歩が 著 しいから、旅行に肉体的 まった。この時、村の青年が三、四人、みずから進み出て、 し たび 安楽はなくとも、精神的にその進歩の速度を見て愉快とす が、 壮丁 としてなら参りましょう﹂ ﹁私どもが 担 ぎましょう。もっとも 轎夫 としては御 免 です くもすけ たず る。しかし強 いて何か不愉快はなきやと 尋 ねらるれば、や むかし はり 往昔 、東海道を旅行した人が、 雲助 のために迷 惑 を受 自警録 きょうふ かつ ちんせん ばいばい なさけ かみ あって売 買 されるが、価なしに得らるるものは独り 神 のみ﹂ さけ といった。というは、 轎夫 として担 げば、相当の賃 銭 を にな と 叫 んでいる。実にその通りである。しかし 情 ないこと かご 受ける一つの商売である。しかし壮丁として行くのは公利 むく には、我々はこの世に生まれてから、人と人との関係にお ちんせん 公益のために力を尽すのである。職業として 轎 を担 うので いて金銭は何らかの 報 いを払うにあらざれば手にし得られ こっとうひん こ なく、また賃 銭 を要求するためでもない。したがって仮り ぬものと、 脳髄 に深く 染 み込 んでいる。ゆえに高く金さえ し に賃銭を払われてもこれを受くるをいさぎよしとせぬ。た 出せば出すほど良いものが得られ、金を出さずして得るも だま のうずい だ官職を 帯 びて巡廻するものが、轎 夫 なきために一歩も進 のは安いもの悪いもの、つまらぬものという観念を 懐 くよ まれ きょうふ めなくては公務のために 憂 うべきことである。ゆえに公務 うになった。ちょうど我々 骨董品 に何らの心得なき者が、 お のために自分らの労力を提供したのである。 物品そのものの 貴賤 の程度はさらに分別つかぬが、道 具屋 ひきお たいりゅう やと どうぐや いだ かかることはどこでも 稀 なることである。台湾において に 欺 かされて高価を出せば良品が手に入ると思うのと少し うれ もまた 稀 であるから、ことに強く僕の感激を 惹起 こさしめ も変わらぬ。僕が前年フランスに 滞留 して、教師を雇 いフ きせん た。 ランス語を練習していたころ、農政に関するスペインの書 一三八 を入手し、これを読もうとしたが、僕はスペイン語に不案 まれ 物の真価の誤れる計算法 内であったから、 件 の教師に、 くだん ローエルの有名なる詩中に、 ついや ただ あなた ﹁ 貴方 はスペイン語が読めるか﹂ いさん さんば と 質 したとき、 おけだい う ﹁この世の中で受けるもの、得るものはことごとくそれ相 ﹁うんスペイン語? しゅん あたい じょう かつせかい 僕はスペイン語を 稽古 するに何百フ けいこ 応の値段を払わざるを得ない。 生 まるるときは産 婆 に手数 ランを 費 した﹂ す ことな ゆず 料を払い、死すときは 葬儀屋 に 桶代 を払い、死後 遺産 を 譲 と答えた。どのくらいの書籍が読めるとか、何年研究した さえず う そうぎや れば 租税 を払う、何ものか払わで 済 まさるべきものかある。 とかをいわないで、すぐに金額の多少をもって答えた。そ ふしゃ そぜい ただ自然の美のみは 価 なしに得らるる恩 恵 である。三春 の の後、イタリア語に関して聞いたときにも、同じ意味の返事 おんけい 閑 なる、咲く花に 長 囀 る鳥は人工のとても及ばぬものばか を受けたことがある。これは一 場 の笑話であるが、活 世界 あくま あたい りで、 富者 も貧 者 も共に 享 けて共に喜ぶ権利は異 らない﹂ においては、あからさまにいわなくとも、胸中ではこうい のどか と説き、さらにまた、 ひんじゃ ﹁この世の悪 魔 の店にあるものは何ものもみな相応の 価 が 自警録 そろばん と せがれ しゃふ りっ 教師たるものは何を標準として自己を 律 するか。自分は実 はっきゅう う算 盤 を採 るものがたくさんある。折々老人などが 悴 の教 に 薄給 でありながらよく働く、 俥夫 さえも月に三十円、四 ついや 育のために何千円 費 したというを聞くことがある。かく何 ば 十円の収入があるのに、自分の給料はその半額にだも足ら う 事も金で計算する。人の働きはいうまでもなく、人格さえ ぬ。低いものである。したがって自分は子守か 乳母 の真似 きたん あずか も金額で計るようになりはせぬかと思われる。 をしていればよいと思うか、あるいは自分の 預 れるものは ふごう ごじつ 人を批評するに、彼の月給はいくらであると言い、聞く 日本国を 負 うて立つ 後日 の国民である。中には貴族の子も お 人に月給の中にその人の 手腕 人格を含むような印象を与う あり 富豪 の愛嬢もあり、また学者の 後裔 もある。これらの なんぴと しゅわん る。この事は 何人 にもあることであるが、だれもまた 快 く 人々を教育し、将来の日本の思想を一新するは自分の考え かえり こうえい 思わぬであろう。快く思わぬながらも、これが人を計るに にあるぞという点に着眼し、俸給の多少、月給の高低など こころよ 最も簡便なる方法と思われている。 は一向 顧 みないでやるべきか。 一三九 は ほうしゅう こころひそか そんぷうし あまた 僕は従来地方に行き、よく教師の悪口を 忌憚 なく吐 いた。 いた あたい 報酬以上に務むる教育者 また教師の中には悪口に 値 するものも数 多 ある。しかしだ ひょうじゅん 金銭を 標準 として人を計るの不当なることは、むろんい んだん彼らと 交 あってみると、実に 村夫子 の中に高い人格 つき うまでもない。ゆえにこの標準にて人を計るべきではない を備 えた人が、到 る所にいるのを見て、心 窃 に喜んでいる。 せじん そな が、世 人 はややもすれば教育に従事するものを計るにもこ おそらく教師を一つの職業とみなして、他の職業に比較し さしつか の標準をもってする。もっともかくいったからとて、僕は たら、彼らほど俸給低き、彼らほど思想の高きものはなか つと 教育界以外にはこの標準を応用して 差支 えないというので ろう。僕が彼らをかく賞賛するのは、彼らが 報酬 以上の 務 ほうきゅう ない。他にも応用されるが、ことに教育に従事する人には ないがい めをなすからである。 ていれん 格別気の毒なりと思う。我が国の小学教師の 俸給 は非常に してい 一四〇 たが 廉 で、平均十五円 低 内外 である。 ほうしゅう しょくぎょう 職業に当たる人の三段の区別 がんらい 元来 いかなる職 業 にありても、これに当たる人に三段の たましい お 互 いの子 弟 を依頼するは、ただ文字や数学を教えらる 区別がある。 報酬 だけの仕事をせぬすなわち 曠職 の人。次 き こうしょく るが目的でない。いわば 霊魂 の教育をお頼みするのである。 は報酬に 値 するだけの務 めする人、いくら気 づいたことが う ば つと かかる重大事を十五円の月給取りに頼むことはあまり心も あたい とない。つい 乳母 や子守を頼むような気になる。しからば 自警録 は出来ぬと思う。すなわち金を払っても出来ないくらいの 報酬以上の仕事を為す心がけがなければ、報酬だけの仕事 以上のことを為す人である。しかるに世の中を渡るには、 的に自分の命ぜられたこと以上には出来ぬ人。第三は報酬 あっても、それ以上のことを為さず、また気づかずに 馬車馬 は自分の交 際術 においては、彼らに比べられては困る、 硬骨 供のときより 妙 に褒 められたといって 筆蹟 を誇り、あるい のがある。自分の学力は 某 と同じであるが、自分の字は子 また自分の長所はいっそうこれを過大に 吹聴 したがるも とかいうことはしばしば聞くところである。 ﹁彼らの仲間と 同等視 されては迷 惑 である﹂ とか、 ばしゃうま 仕事を 為 すものにあらざれば、払った 金 も多過ぎるように なる点においては彼らに負けぬ、従順なる点においては決 き みょう ほ もっか こうさいじゅつ おと ふいちょう 一四一 たま もっ がた これ めいわく 思う。 して彼らに 劣 らぬと、各自がその特長とするところをいっ れ どうとうし たとえばここにある会社の社長が、新たに五十円の給料 そう多く 吹聴 し、したがって高値に他に売らんとする考え だ しきょう われ きょ こころう ぼう ひっせき むく おく ほうきゅう しな けいきょ ふいちょう で一人の 書記 を雇 ったとする。この書記の給料は五十円が がある。 じゅよう けい のぞ ぼう 相当とは 何人 が定 めるか、いかなる標準によりて決せられ おおざっぱ かね るか、いかにしてこの人の職務が五十円と 定 められるかと 瓊 の志 報 な ねれば、その標準ははなはだ 尋 漠 として当てにならぬ。な ﹃ 詩経 ﹄に、 い ちが ろうぎんろん おりおり きょうじょう じびき もっ こうこつ んとなれば同級生が 若干 で某 所 に務めているから 若干 とい ﹁ 我 に投ずるに木 瓜 を以 てせば、之 に報 ゆるに 瓊琚 を 以 て きょうきゅう やと うのが普通の標準であって、個人々々の特長の有無のごと せん﹂と。 しょき き問題は計算に 入 れぬ。経済学者に言わすれば、これ 需要 瓊 も琚 も、 玉 の名である。人が我に贈 るに、つまらぬ物 ぶっけん おし き 供 給 の然らしむるところと、 大雑把 に一言で解決するで をもってするなら、我は彼に与うるに貴重なる 品 をもって いやし とう ばく あろうが、これを個人々々の場合に当て 嵌 めると、人の問 すべしとの意で、かえって出来 難 きことながら、この句は たず 題は死んだ物 件 の需要供給とは大いに異 う。 世を渡るに常に 心得 べきことである。 ほうけい 苟 くも人格を有するものには、経済学の 教 える 労銀論 は 折々 新聞に伝えられる 某 学者は何千円の 俸給 を取るが、 じゃっかん 決して 当 を得たとはいわれぬことが多い。ことに使われる 毎日 教場 に臨 み授業するとき、たまたま生徒が何か質問を こま ぼうしょ 人は、その不当なることを適切に感ずるから、世の中の不 すると、それはむずかしい、 字引 を引いてもちょっと分か じゃっかん 満は多くこの点より起こる。 は ﹁僕は彼と同じく見られて 困 る﹂ 自警録 給では 勿体 ない問題である。俺 以上の月給取りでも、きっ るまい、 俺 が解 いてやってもよいが、しかしそれは 俺 の月 円取る人が七十円の仕事を 遂 ぐれば、二十円は俸給以上の の実行はここに述べた俸給以上の働きをするにある。五十 の高尚なる心も我が物となすことができると思う。してそ とても我々 凡人 の及ぶところでないように思われるが、こ ぼんじん と分からぬだろう。 俺 の月給が三千円となれば答えるとい 働きである。これを 換言 して説明すれば、七十円の働きあ おれ う。 る人が二十円だけ 犠牲 にし、すなわち二十円ほど献身的に と これは一場 の戯 談 に過ぎぬが、ともかくそういう考えが 尽したのである。 おれ 人 にもある。もちろん今述べたごとく、 何 露骨 なる形式に ただ、 ﹁己 れを捨 つるには、その 疑 いを処するなかれ。そ じょう か じょうだん い な れっとう ふたり ほうしゅう おれ 現れなくとも、 如何 ほど地位ある人にも起こり得る思想で の疑いを処すればすなわち 捨 を用 うるの 志 多く愧 ず。人 もったい ある。しかし何事を 為 すにも報 酬 だけの仕事をする考えで に 施 すにはその報 を責 むるなかれ。その 報 を責むれば、施 おれ は、つまり仕事する人の全部が仕事に入っていないで、た すところの心を 併 せて、ともに非 なり﹂。 よく よく ほうしゅう さしひきかんじょう ほう あわ つきあい ぎせい せ 一四二 しゃ と だその人の一部、しかも 劣等 なる一部なる 欲 が入っている ふ た り かせ あいきょう かんげん のだから、出来上ったときには何らかの欠点が感ぜられる。 酬 的思想なき夫婦の関係 報 ろこつ よく世間でいうことに、 ﹁欲 と二 人 で挊 ぐ﹂というが、報酬 人と人との交 際 に趣味のあるのとないのとは、金銭や 物件 かせ なんぴと のみを得る考えのものは、 二人 挊 ぐのでなく、いわば欲 の で 差引勘定 の出来ないところにある。いわゆる商売以外の ご はかど ひ もち うたが み挊 いで自分は何もせぬようなものである。 ところにある。しばしばいうことだが、世の中は 法治国 で おのずか す 極 く冷淡に事務に従事する人でも、親切に 愛嬌 または好 ある、法律で治まるというものもあるが、世の中は法律だ あたたかみ おの 意を持つと持たぬので 自 らその務めの捗 りも違う。まして けで治まるものでない。法律以外の関係があればこそ、人 かんび たましい しんし びいき ほう ちょじゅつ ぼう ろんなん ほうちこく は 近ごろ多くの人が従事する仕事には心尽しの 温味 があって、 間らしい生活が出来る。 しょうかい こころざし 始めて 完美 するものである。してこの好意だの温味だのと 英国の一紳 士 にしてながく日本に滞在し、日本の婦人を妻 あたい こうしょう ほどこ いう部分は、いわば人間の 霊魂 の一部であって、金銭で 酬 とせる人がすこぶる日本 贔屓 で、種々の著 述 もして日本を かせ いるわけに行かぬ。すなわち僕のいう報酬を受けない務め 世界に 紹介 した。さて数年前、有力なる 某 外人が外国の有 ぎせい よく があって、始めて自分の得つつある報酬に 値 するものと思 力な新聞に一書を寄せて、外国人と日本人との雑婚を 論難 けんしん ぶっけん う。 むく とかく献 身 とか 犠牲 とかいうと、いかにも高 尚 に聞こえ、 自警録 う水 臭 い関係より偕 老 の契 りを結べるにあらず、夫婦間の 妻とする理由は男女同権論とか財産権が 如何 とか、こうい 律論に過ぎぬが、 ﹁他の人はいざ 知 らず、余 が日本の婦人を その最後の句において今まで述べたことは某に対する法 この紳士が答えて長文を寄せた。 財産の 監理権 あるいは遺 産 に関する条文を説いたに対して、 し 、中 に も っ ぱ ら 夫 婦 間 の 法 律 上 の 不 備 あ る 点 を 述 べ て 、 ろんポチだの報酬だのを 夫 より受くべきはずはないが、し かったのであります。貴夫人などは 貞操 を招 牌 にかけ、む び込 むようなもので、商品が違っていたら、それは自分が悪 に驚くに足りません。 欺 される人は、招 牌 見ないで店に飛 らは 明 さまにこれをその職業に表していることゆえ、さら しいことをいうて、その 報酬 にポチを貰 おうとするが、彼 ます。 芸妓 はお世 辞 を売 品 とし、彼 方此方 に振りまき、 柔 妓 よりも 芸 卑 しいものが、今の貴夫人に多くあるかと思い ﹁世間の人は芸 妓 をたいそう卑 しみ、悪く言いますが、私は いや 関係は法律以外に属するものが多い。法律関係をまっとう かし随分それを 強請 ろうと思い、衣服を買って 貰 いたいが げいぎ するために同 棲 するものは真の夫婦にあらず﹂と。 ために、心にもないことを 夫 に述べて目的を 遂 げる人があ どうせい あじ ほうしゅう かいろう ちぎ ど ていそう あさゆう ふ こ あから しんぶつ いや いや この言を味 わうと夫婦間の親密とか貞 操 なるものは、自 ります。この点にいたっては芸妓よりも多く人を 欺 くもの あふ さしつか げいぎ 分ら以外の者のほとんど知るべからざるものである。その で、 神仏 の目より見たら、恐らくは芸妓よりはるかに 劣 っ あたた いさん 間の務めは報 酬 なしに、あるいは法律観念なしに行われる、 たものと思われましょう﹂ かんりけん すなわち 温 かき愛情より溢 れ出たもので、 朝夕 この間の関 といわれたが、なになにの 報酬 を得るがために、事を 為 き そ だらく ね だ ほうしゅう だま おっと おっと あず ほうしゅう かんり せいじん く ん し り もら かんばん かんばん ていそう と あざむ いな おと な やさ 係をまっとうせんがために、こうすれば法に 触 れる、ああ すくらい 卑 しいことはない。貴夫人と言い、学校の教師と せいさい もら あなたこなた すれば﹁民法﹂何条に差 支 えないかといっていれば、一家存 言い、はたまた会社員でも官 吏 でも、月給を得んがために、 つき ばいひん 在の 基礎 がどうなるであろう。またよしかくのごとく冷淡 礼を 貰 わんがために、ボーナスに 与 からんがために、その ほうしゅう しょうじん せ じ に法律的 制裁 のみによりて動くほどに堕 落 しなくとも、夫 他なんらかのためにする手段として職務に従事することは、 げいぎ 婦間に 報酬 的思想をもって 交 あったとしたら、その間にい 絶対的に悪いとまで行かずとも、決してこれで足るものと つとめ一四三 う かなる社会が出来るであろうか。 は思われぬ。世の中は 聖人 君 子 の集会でない、 否 、十人中 ぼう しょう よ 九人までは 小人 である。与うるに 利 をもってするは道徳上 ていしゅく し 報酬を求むる手段としての 務 非難すべきも、実際世の中を渡るには止むを得ざることと みずくさ 僕の知れる某 貴夫人はすこぶる高潔なる家庭に人となり、 もら 淑 をもって称 貞 せられているが、あるとき僕に、 自警録 にが しか ふゆかい ふう えば、授業時間には 苦 い顔せず、また 叱 ったり 不愉快 な 風 つも して、 互 いにその積 りで無言の約束を結んだも同然であれ に教えないで、愉快にこれを教えたいのである。また同じ たが ば、あながちそれだけを非難すべきでないが、しかしある 六時間中にも、つまらぬことを教えないで、真に生徒に有 しゅっきんぼ 職務にあるものは、それ以上の事をなす心得を常に持ちた 益なることを教えたいのである。 出勤簿 には、善いことを にが い。 教うるも、つまらぬことを説いても同じ六時間、 苦 い顔し うれ て教えても 嬉 しい顔して教えても六時間、職務上には変わ 一四四 だっ 報酬以上の務めの真義 はんい りはなきも、僕の職務以外の務めというはここにあるので ぶんげん 各自の職務には 分限 があって、その範 囲 を脱 するをゆる こし ある。 しゅわん さば つくえ さぬ、すなわち厳格なる境界を越えてはならぬ。ことに軍 しょっけん しつむ この事は決して教員に限ることでない。役所や会社にお ふる 事または外交に従事する人々は、たとえ大いにその 手腕 を いても 執務 時間に、机 の前に 腰 かけるだけは誰も同様であ どうりょう つぶや わんとしても 揮 職権 以外に出られぬ。ゆえに僕は職務以外 ひんしつ ちが るが、実際仕事を 捌 くについても、ぶつぶつ 囁 きながらす とど ひんせい のことに手を出せ口を出せというにあらぬ。 ると、快活にやるとは仕事の分量において 異 いはなくとも、 にもつ うんでい その 品質 と、 同僚 に及ぼす感情には 雲泥 の差を起こす。仕 かんめ にな のである。十 貫目 の荷 物 を荷 うものに、務めて荷物十一貫 職務の分量に 止 まらずして職務の 品性 をよくせよという さしつか そん すす ほう ほどこ のぞ すく どうりょう ていり しょう しょっこう あつれき できかた よ ほう なぐ せいけん ぼう こころよ せいしん じんじんこれ 事もこうやるようになれば真に君子的になる。 にな ひと 目を荷えというのでない。もっとも 荷 っても身体に差 支 え もっ たてもの く ん し これ ほどこ ﹁ 施 して必ず報 ある者は、天地の定 理 なり。 仁人 之 を述べ かつ グレースフル じゆう て 以 て人 に勧 む。 施 して報 を望 まざる者は、 聖賢 の盛 心 な すす にな うれ なく、またために全体に 悪影響 の及ぶ憂 いがなければ、そ り。 君子 之 を存 して以て 世 を済 う﹂。 おもに にな あくえいきょう れも 差支 えあるまいけれども、なんらかの 事由 のために各 さしつか 自の 重荷 は十貫目を 超 えてはならぬ規定のある場合には、 かかる心がけがあって人生の旅は幸福 かつ こ 十一貫目以上を 荷 えとは 勧 めぬ。しかし十貫目を荷うに 苦 建物 を建築するに、 出来方 は同じように出来ても、作っ ひん わか にが い顔せず、喜んで 荷 いたい。荷 うさまを 綺麗 にし、あるい ている間に、ある所では技師 職工 にいたるまで面白く 快 く にな は荷うものの品質をよくし、ただ十貫目 担 げといえば、な 仕事すると、他の一方には 軋轢 を生 じ同 僚 を 擲 れとか、某 ひ 一四五 るべく 品 よいものを担 げというのである。 がこんなことをいったとか、酒を飲ませなければ不平を起 たとえ ゆ かく 比喩 をもってしては、あるいは意味が 解 らぬか知ら か ぬが、 譬 を変 えていえば一日に六時間学生に教授するとい 自警録 じゅうじ りゅうりゅう し あ げ ひだりじんごろう ごらん か もん ち かみ ちんせん 幸福を増すものである。 きちょう きょうふ なん まぬか あたい そうてい は、神 は金銭で買うことが出来ぬというのである。前にいっ さいく こして仕事ができぬとかいって 従事 するのとでは、出来上 た 轎夫 の賃 銭 は金銭で計算されるが、 壮丁 の僕に対する好 たいせつ さいく ちょうこくぶつ さよう そく かんさん りにおいて大いにちがう。 ﹁ 細工 は流 々 、 仕上 を御 覧 ﹂とい 意は金銭をもって 換算 できぬものである。しかしてこれが ぶっけん うが、 物件 ならば、できた仕事で用にたつが、人間はそう 一番 貴重 なる務めである。こういう 価 なしに務めるものが さいく はいかぬ。細 工 する間の心持ちが 大切 である。左 甚五郎 は たましい あたい かいらく あればこそ、旅行中にも 雨曝 しの難 を免 れる。こういう心 こ なにごと あたい たびじ 恐らく仕上ばかりに苦心したのでなく、 細工 しているあい がけのものが多ければ多きほど、人生なる 旅路 は真の 快楽 くわ あたい あまざら だも精神を籠 めたればこそ、その 霊魂 が 彫刻物 にも移った のであろう。 人世のことは何 事 にかかわらず微妙なる精神的 作用 があっ みくび て、始めて自分の目的が達せられる。かかる事にはかくの と ごとき方法でやれば足れると 見絞 り、単に物質的方法のみ によって目的が 遂 げられるというのでは足らぬ。個々の仕 いしき 事なら、それでよいかも知らぬが、人世の目的という大きな あたい 考えは、決して 意識 なく機械的に動くばかりでは、その目 くわ 的を達し得ぬ。 価値 なき仕事に目をつけねばならぬ。英語 ヴァリュー レ ッ ス という字がある。近ごろの経済学者はこれを 価値 に value 加 う れば 価 なき もの 、二 束 三 文 の と 訳し、これに を less あたい あたい もない、つまらぬものという意になる。しかるに物の 価 価 プライス レ ッ ス は price と称し、学者の価格と訳するものである。これは と うと を加 えれば前例によれば価 なきもの、つまらぬものの less じつ か ね ように聞こゆるが、その 実 意味は正反対でとても 金銭 に換 かみ 算の出来ぬもの、あまり 貴 くして金銭に見積もれぬものと の意である。 最初に掲げたローエルの 神 のみ価 なしに得られるという 自警録 いまし 第十五章 逆上を 警 む 一四六 一四七 みずか さいはい ちんじ しまつ きづか きゆう 氏 自 ら采 配 を取っているという始 末 であるから、我々の考 えでは 珍事 なしには終らぬと 気遣 ったのも、今思えば 杞憂 すさ 開会中ルート氏が 座長 となって人 波 を撫 めた手腕は凄 ま なだ じいもので、当時の記事を読んで僕がつくづく 感服 したの ひとなみ 世界の 耳目 を集中さした共和党の大会 は、かねがね聞いているアングロサクソン人種の 秩序 的な ざちょう 大正 元年 の夏のころ、僕は米国に滞 留 していたが、その る一点である。同氏の冷静にして、 雷 のごとく騒 ぎ立 つ数 に過ぎなかった。 ころ日本の新聞通信にも 顕 れたことで、シカゴ市における 千の反対者を眼 前 に 列 べて、平然と 構 えて、いかに罵 詈讒謗 和党 の大会は近年にない大騒ぎで、独り米国の一大 共 出来事 を 浴 せても、どこの 空 を風が吹く底 の顔付きで落着き払っ 一四八 たるのみならず、世界の 視聴 もことごとくシカゴ市に集中 て議事を進行せしめたその態度と、彼に正反対の 論者 が発 じもく した。僕はシカゴまでは行かなかったが、直接または間接 言権を求めたとき、場内において発言を 妨害 せんとした彼 きょうわとう じんしん あら しちょう ばっとうさわ はんざい けんか え はな そら かえり どりょう かえ かっさい かま てい わか え ゆうべんのうべん あっぷく た かれ ばりざんぼう こと しつむ ろんしゃ さわ ちつじょ かんぷく に関係ある人の話 を聞いたり、新聞の報道を読んだりして、 の同志に向かって、 げんこつ たいりゅう いかに 人心 が 荒 やいでほとんど 狂 するごときさまなるかを ﹁我が党の歴史を 顧 みるに、反対者の発言を 圧服 して勝利 あらわ 見て、これが日本であったならば 抜刀騒 ぎになるであろう。 を 獲 たる例 しなし﹂ たいしょうがんねん 米国においてもせめて、 拳骨 ぐらいの喧 嘩 があるであろ との一言を 放 ち、却 って反対者の 喝采 を獲 たところなど ぎゃくじょう ひとり ふし らい うと、大会の閉会になるまで、好奇心をもって種々の新聞に は、その公平無私かつ 度量 の寛大なるところは、ほとんどド わんぱくもの とくちょう みずか えら できごと 眼をくばっておった。さなきだに 犯罪 や自殺多き夏の季節 ラマチックであった。しかしルート氏には一度しか面会し じしょう ざちょう なら に、一万四千の 腕白者 が大都会の一堂に会合したことであ たことはないけれども、一 目 して判 ることはその性格にお ひとしばい なだ じん がんぜん り、群集心理の 特徴 として逆 上 しやすき時、出席者のうち いてドラマチックの 節 のなきことで、この点が同じ米国人 はか こうふん あび の大多数は、 自称 政治家、自 ら天下に我一 人 の気前の連中 でありながら、ルーズヴェルトとは大いに性格を 異 にして はなし だからなおさらの事、 一芝居 の起こることを期待しておっ いる。氏の演説であれ、氏の会話であれ、役人が平素 執務 の しゅわん けんくろまく ぼうがい た。しかるになんぞ 図 らん、開会の始めにあたり上院にそ 際にとる態度で、いわゆるビジネス・ライクである。これが きょう の人ありと聞こえたルート氏が 座長 に選 ばれた。この人の フランス 人 の会合であったならば、 雄弁 能 弁 ジェスチュア ふまんれん ため 腕 でも出席者の 手 昂奮 を撫 め得ないであろう。なにしろ会 もく 場における不 満連 の総大将兼 黒 幕 としてはルーズヴェルト 自警録 の間にまた一方から、 どうさ その他ドラマチックの 動作 がさだめしみごとなものであっ ﹁君の説はちょっと面白いが、学理より実験に 戻 るじゃな もと たろうと想像さる。 やつ いか﹂ こ とやり 込 める奴 があった。僕はしばらく立って見ていた 一四九 ボストン公園に見た言論の自由 が、もの静かに思想を交換するさまは、昔 ソクラテスがアテ ちんぷろん そうぞう 同じころボストン市に逗 留 中、日曜日の夕方、かの有名な ネの市場で道を 説 いたときは、かくもあったろうかと 想像 きさま むかし る歴史的の公園地﹁コンモンス﹂にぶらぶら散歩したところ が浮かんだ。このときも我が 同胞 であったならば、すぐに か てじなし と が、道 傍 に二、三十人の労働者あるいは店の 手代 番 頭 めか 次馬 が乗り込んで来て、 野 とうりゅう しい者が一群をなしていた。わが輩好奇心に 駆 られて近づ ﹁ 貴様 の説はコロンブス以前の 陳腐論 だい。ヤイ 黙 れ!﹂ けがにん どうほう いて見た。喧 嘩 であろうか怪 我人 でもあろうか、 手品師 で とか、 くちょう て だ い ばんとう あるか物売りであるか、近づいて見ると年齢五十ぐらいの ﹁小学校の二年級をやりなおせ﹂ みちばた 男が中心となって、地球は円形じゃない平面であるという とか、 は やじうま 新説を 吐 いていた。しかも演説 口調 をもってあるいは高々 ﹁ジジイ、おいぼれやがったナ﹂ だま に説明するにあらずして、平生の個人と個人との会話のご くらいの 罵詈 は必ず聞こえるであろうと、つくづく物思 けんか とき調子で、 いに沈みながら、この群集を去って旅館に帰ろうとすると、 り ﹁ネー、そうだろう、今まで僕の言ったことは君らも学理 同じ公園のむこう 側 に二、三百人もあろうかと思わるる群 うんぬん ば 的だと認めるじゃろう云 々 ﹂ 集がかたまっておったから、かたわらの青年に、むこうの ぼうちょう がわ と言いかけると、 傍聴 者の一人で職工と思わしい若い男 群集は何をしているかとたずねると、 ど が、 カーブ なん ﹁あれですか、あれは社会党の人たちです。今日は日曜日 かんじょう いく ﹁そりゃ君の説は 勘定 が少し違うぜ、地球の曲 線 の度 は一 なもんですから、大勢集まっているんです﹂ けんぎ くちょう とはなはだ 尋常茶飯事 のごとき口 調 で答えた。これが日 じんじょうさはんじ マイルについて 幾 らいくらだぜ。君の先の例に取った 何 マ 本ならいろいろな 嫌疑 も受けるであろうが、自由の天地は てちょう うんぬん イル以上にある船の 帆柱 は云 々 ﹂ 違うと思いながら、僕はそのほうに足を運んだ。すると二、 ほばしら と、僕は最後まで聞き取れなかったが、数字をもってこ ばくげき れを 駁撃 すると、先の男が手 帖 を出して何か計算する。そ 自警録 はんざい ゆる 犯罪 の多い米国のことであるから、数百の人の集まっ ふていさい 三百人の連中は一かたまりになっていないで、二十人ない むらが たが たときには随分 不体裁 はあり得ることである。して不体裁 こすいしゃ し五十人ぐらいずつ別々に 群 っている。いずれも先の地理 げきこう かい たざん なことのみをならべ立てようと思えば、それもはなはだ容 か 学新説の 鼓吹者 と同じように、談話的に 互 いの説を交換し かえり おの ま 易なわざだと思う。しかるにたびたび言うとおり僕は 他山 どうほう た 合っている。 かっき こうしょう みが とら の 瓦礫 を捕 え来たって、自国の 璞玉 に比してみずから 快 と あざけ じゅんさ か あやま ぐ いずれの群集を見ても少しも激 しているものはない。 大言 するの 愚 なることを信ずるから、常に他山の石を 藉 りて自 うかが ようい がれき する者もなく、 哂 り嗤 う者もない。すこぶる真 面目 でさな 分の玉を 磨 くの用に供したいと思う。 ようす たいげん がら親の大病の診断を医者から聞いているような顔つきで そこで今まで述べたシカゴの大会とボストンの公園の集 ほうこう め あった。僕も三、四十分のあいだ甲群から乙群、丙群から 会を見て、我が 同胞 とともに顧 みたいことは、一時の 激昂 ま じ 群と 丁 彷徨 して、その 様子 を窺 ったが、かたわらに 巡査 が に 駆 られて事をなすを慎むべき一点である。なに事をなす げき いるでなし、しかもボストンのコンモンスといえば、市街 にも感情を 交 えることは危険である。むろん感情と一口に わら の中央にしてかつマサチューセッツ州の州庁の鼻の先であ 言っても 高尚 な感情もあるが、言うまでもなく今述べる感 ぎゃくじょう てい る。この時も先に述べたる共和党の大会と同じく、 容易 に 情は一時の 客気 である。とかくこの客気 血気 があれば考え きょうゆう まじ 上 せぬこの国民にして初めて言論の自由も思想の自由も 逆 に 誤 りを生じやすい。 一口 に熱心などと称するからよく聞 一五〇 けっき 有 すべきものと思った。 享 こえるが、思慮のない熱心ほど 己 れを害し人を害するもの きのう ひとくち つうかい きしょう はない。ややもすると世の中ではほとんど目的もなく騒ぎ ゆうかん 前二例より帰 納 する感情の危険 むけつ 散らすをもって、熱心があるとか、 気象 がさかんだとか、あ ふはい るいは 勇敢 だとか、痛 快 だなどと称する。しかし熱心勇敢 さわ もちろんただ上記の二つの例をもって、米国には社会党 の気象などというものは、いわば馬みたいなもので、 御 す いわ ぎょ の騒 ぎもなく、政治上の 腐敗 もなく、自治の精神が完全無 欠 る人があればこそその方向に進んで行くが、 御 する者なけ おさ ぎょ に発達しているというは僕の意ではない。実際かの大会に ればその向く処を知らない、狂人と同然である。発狂人の ばりざんぼう とぐち おいても、拳 骨 の 撲 り合いが会場の戸 口 で二、三度あったと 多くは勇気あり熱心あり気象の 旺 であるのであるが、惜し なぐ いうし、またボストンの公園地における会合も、僕の去った いかな心を守り、気を 抑 える力がないのである。古人の 曰 げんこつ のちで巡査が来て解散したかも知れない。あるいは議論が さかん 次第に高じて来て、 罵詈讒謗 に終ったかも知れない。あら 自警録 すなわ さだ れんよく ついしょう も来々月分も飲んでしまって、招待したお客の 追従 言葉を けいしゅ く、 聞いてますます得意になって、しばらくたつうちにかえっ ちょうだい とは、わが輩知人のうちにも折々見た。あるいは会社員で ふめいよ て一身およびその位置に対して 不名誉 を来たしてしまうこ き たいら 則ち気 平 かなり﹂と。 ﹁この心を敬 守 すれば 則 ち心定 まる、その気を斂 抑 すれば むさぼ がくい も さんまい いとま おれ あると社長さんから大いに信頼のお言葉を 頂戴 するか、役 一五一 かい つまらぬ事に逆上する国民的弱点 さず ごうまんそんだい きのう あつ 人であれば上官から重大な秘密を 洩 らされでもすると、 俺 ざんぼう たいせい 先を見ずにその場にて一時の 快 を貪 る極めて短慮な者に より信用 厚 き者はないような気がして、すぐにその態度が ふる は、内容のさらにない雄弁を 揮 ってみたり、あるいは大 声 変わり 昨日 まで同 僚 交際であった者を急に見下したり、に うれ どうりょう 一 喝 、相手の人には痛くもない 讒謗 や冷評を 浴 せかけて、 わかに 傲慢 尊 大 になる場合も僕はしばしば見た。あるいは おの あび ドラマチックに 喝采 を受けて嬉 しがるは我が国民性の一弱 学問をしている者でも、はじめのうちは 謙遜 に、あれも知 かつ 点である。言葉をかえて言うと、物にノボセ上がる、逆上 らぬ、これも知らぬと思いつつ、研究 三昧 に 暇 ない時は最 ひびき かっさい する性質がはなはだ我が同胞の間には広がっていると思う。 位を 授 けられたとかいうと、自分がいかにも偉い者にでも も尊敬すべきときであるが、あの 学位 を得たとか、その学 ほうか けんそん ゆえに何か大きな 響 のよい言葉を用いれば、己 れを忘れて じんぎ 飛び上がる連中がはなはだ少なくない。たとえば 仁義 のた にな なったように、人の前でも何もかにも物知り顔をしておる そうけん めに死するとか、国家の責任を 双肩 に 担 って立つとか、邦 家 さまは、 傍観 しても見苦しいものであるし、かつ近づく者 ひんこうほうせい しょうじん がお にご まが す てい にも、学問とはこんな 厭 な 臭気 のするものかと思わしむる しゅうき 場合もしばしばある。 つ いや のためには一身を 顧 みず、 知遇 のためには命 を 堕 すとか、 あ る い は 道 徳 を 語 る 人 で も 同 じ こ と で あ る 。あ の 人 は ぼうかん のためにその用語の内容や真の その他数多くの catchword 意味を一時忘れる者がはなはだ多いのみならず、一身の上 品 曲 った事のない人だ 行方正 の人だとか、まことに正しい おと についても、実に 詰 まらぬことに逆上する傾向が多いこと とか言われると、すぐさま君子 顔 になって、他人を見るに と いのち を目 撃 もし、また恥ずかしながら自分が経験したことがた 人 をもってして、世ことごとく 小 濁 れり我独り澄 めり 底 の きんまんか ちぐう くさんある。 考えに逆上する。かく言う僕も他人より賛辞を受けたこと かえり たとえば永く浪人しておった人が、仕官の 途 につき久し はないが、上に挙げた例の一部にあたっているかも知れな もくげき ぶりに 金 を手にすると、 金満家 になったような気がして、 かね 一月分の月給で友人を招いて一晩に飲んでしまう。来月分 自警録 と もう かえりみ ふう さいふ きゃつ え む だ ちか ろうひ 教訓ははなはだ少なくない。一身を 顧 てもあるいは他人を かた いと思えば、この辺が筆を 止 めるところであろうか。僕に 見ても、月給が入った、金を 儲 けたからとて、無 駄 の浪 費 を のぼせ から ほこ き せいりょく きゃつ してかくのごとき弱点はさらにないという自信がさらに 鞏 している人を見ると、 彼奴 め一円取って一円の財 布 を買っ かえり ければ、もっと大胆に論じたいが、自分で 顧 みて折々は逆 上 ているわいと思う。大いに勢 力 のある位置を獲 たと喜んで、 くんかい おの きゃつ そうになったこともあった。終りに述べる僕の実験談は普 その勢力を振りまわす人を見ると、 彼奴 一円の勢力を得て さら い ば 通に言う 逆上 るのとは違うけれども、その性質においては 一円だけ 威張 って、あとは 空 になっているわいと思う。学 のぼせ 同じであるし、かつ僕に取っては逆上の 訓戒 としてしばし 問なりその他の 名誉 を得て 傲 る者を見ると、 彼奴 も近 ごろ かたな めいよ ば記憶にのぼる経験であるから、 恥 を晒 してここに述べよ 一円 貰 ったばっかりだな、ああいう 風 にやっては明日の日 はじ う。 の登る前に 形無 しになるであろうと思う。とかく金に限ら 一五二 もら らんよう つつし おちい ず、位置でも名誉でも 己 れに帰 するときは、油断をすれば くだん ぎゃくじょう 一円の小遣いを一円の財布に投じた経験 上 してこれを利用するを忘れてただ 逆 濫用 に 陥 りやすい。 もら 逆上は独りおおぜいの群集の内にあってのみ 慎 むべき点で だいまい 僕が十一、二歳のころ東京に遊学していた際に、郷里か なく、ただ一人おっても、ただ一身を守るにも、なお 慎 む こづかいせん みやげ ら兄が上京して来た。その節の 土産 として大 枚 金一円 貰 っ しへい ただ から つつし たことがある。そのころ僕の 小遣銭 は一週間に二十銭と 定 べきものであると、かれこれの事について大いに感じたか さいふ き まっていたからして、一円 紙幣 を手にしたことはおそらく い ら 件 の如し。 たいきん そのとき初めてであったろう。そこで僕の頭に第一に浮か ふくろものや んだ問題は、この 大金 を入 るべき相当な 財布 を得ることで あった。ただちに 袋物屋 に走って種々の財布や紙入れを見 ねだん た。中にすこぶる気に入ったのが一つあったから、それを かいちゅう 取ることに定めて、値 段 を糺 すと一円ということであった。 すなわち 懐中 に持参の一円紙幣を払って 空 の紙入れを家に ぐ 持って帰ったことがある。 笑うにも及ばぬほどの 愚 なる一場の話に過ぎぬが、その 後四十余年のちの今日に至るまで、この経験が僕に教えた 自警録 一五三 第十六章 富貴の精神化 一五四 しんししゅくじょ しの には五十年以前に卒業したなどという人々も昔を 偲 ぶため つど に出席し、地方の 紳士淑女 はいうまでもなく、遠方からも のぞ 初夏、 親 しく久しぶりで二、三の卒業式に臨 み、かつ他の した わざわざ 集 い来たる数ははなはだ少なくない。僕は先年の 大学の卒業式の記事を新聞によって知ったが、大学の卒業 弁士の富論 式の折りは実に米国民の思想の最高点に達した時と言って 一五五 アメリカの 習慣 で羨 ましく思うものは、かの大学 卒業式 言 であるまいと思う。いかにその演説が教育に関係する 過 そつぎょうしき を熾 にすることである。いったい米国の諸大学は通常卒業 を要しないとても、青年が 主賓 になっている以上は、 招 か うらや 式は一年一回で︵シカゴ大学のごとく四回ある処もあるけ れる弁士はただ 能弁 だとか 悧口 だとかいうだけの資格では たいがい しゅうかん れども︶、して 大概 七月の初旬に行われる。卒業式の順序 足りない。 自 らその人と為 り、その 品性 を斟 酌 して招待す さかん は、あるいは音楽とか卒業生 総代 の答 辞 とか、あるいは卒 るからして、演説に 自 ら重みがついて、時勢遅れの学説も かごん 業生の 演説 とかいろいろあるが、大学卒業式にして独り当 あったり、あるいはあまりに理想に 奔 って実行出来ぬ空論 ぼう あらわ おのずか りこう 一五六 はし たいべい まね 時学校のみならず国民全般にとって重要と思うことは式場 を述べる者もあろうが、とにかく一年中米国の思想界が最 こうじょう しゅひん における名士の演説である。その演説は翌日新聞に 掲載 さ も上品な形に 顕 れるのはこの時であろう。 のうべん れ、某 が如何なる問題について如何なる説を 吐 いたかが全 とうじ 国に行き渡る。ゆえにいずれの大学においても著名の学者 物質的米国人と思想的米国人 そうだい あるいは実務家を一名ないし二名招待して式のうちの最も 例によって 口上 が思いのほか長引いたが、先年僕の 滞米 ほこ おちい しんしゃく 重きものとする。これらの人の選ぶ問題は必ずしも教育に 中諸方の卒業式の演説の中について、最も僕の面白く思っ じこく は ゆいぶつ ひんせい 関係しない。政治、外交、経済にわたることもあれば、軍 たものは実業的道徳に関するもののはなはだ多い一条であ あば はいきんこく な 事にわたることもある。歴史を説く者もあれば、未来を 卜 る。 のぞ おのずか する者もある。 自国 の名誉を誇 る者あれば、自国の短所を 誰も言う通り米国は 拝金国 で、美術も文学も理想もない えんぜつ く者あり、実に勝手な説を 剔 吐 いて独り学校卒業生のみな ように言うが、ある程度まではその通りで、米国人みずか けいさい らず全体の公衆に訴える。 らもとかく新開の国だけあって 唯物 主義に陥 りはせぬかと は またこの式場に 臨 む人は日本の学校のようにただに卒業 ぼく 生に限らず、また親戚に限らず、あるいは十年二十年、中 自警録 しょく そう な の一部には持てはやされがちのものである。しかるに常識 おそ けいかい かね け さ とみ みずから 虞 れている。ゆえに思想家はしばしばこの点につ へいがい 的に考えるときは、そんな根本的の思想は到底行わるべく いかん いて国民に警 戒 を与える。してその警戒の与え方が大いに もない。また不正なる方法によって 富 を為 す者ありとして にく れんたい 我が意を得た。 如何 となればとかく何事にしても 弊害 あれ も、不正と富とは必ずしも 連帯 するものではない。不正な ずいはん ぼうず ちり ちょぞう ぼうず ことわざ け さ ふ う き てん こしら ば弊害そのもののみを攻撃しないで、それに 随伴 する事な こうげき け さ つみ きた りちぎ る 行為 は富の外にも行われる。不正なる行為をもって名誉 にく くんし くんし こうい れば何事によらず 攻撃 しやすいものである。﹁ 坊主 が憎 け を得る者もある。その代りには 律義 一 色 で金を 拵 える者も ぼうず け さ りゃ 袈裟 まで 憎 い﹂というのは、また同時に 袈裟 を憎む者 ある。 か お く しょうごく ぼ ん ぷ しょうじん おちい は坊 主 自身を憎むという 弊 に陥 りやすい。君 子 はその 罪 を ゆえに 富貴 必ずしも不正ならず、子夏が﹁ 富貴 天 に在り﹂ しんせき へい んでその人を憎まずとあるが、かくのごときは 憎 君子 にし と言ったのは、意味の取りようによって富貴必ずしも 悪 と かれ あまた た ふうき て初めてなし得ることで、我々凡 夫 小人 は、罪ならばまだ 言えず、むしろ 天 の賜 物 という意に取れる。 袈裟 と坊 主 が にく しものこと、いささかの誤りがあっても、誤った人そのも 必ずしも伴うものじゃない。いわゆる 僧 にあらざる僧も世 つみ ちりあくた あく のはまだしも 彼 の 親戚 友人家 屋 生国 までも憎みやすいもの には 許多 ある。またその代りには 袈裟 を着た俗人もまた多 きら たまもの である。折々は学者のうちに高慢 ち きな者があると、学者 い。﹁貯 めるほど穢 ないものは塵 と 金 なり﹂という諺 がある てん そのものを嫌 い、進んでは学問そのものをすら罪 する傾向 くふう こうはく が、これも貯めようによるべし、おそらく 塵芥 とても 貯蔵 おこ ししょ むく がある。 こじん ふうき ひ せいれい こ っ き 法よろしきを得たなら、清くする 工夫 もあろう。黄 白 に至 あらわ りては 精励 克 己 の報 いとして来たるものは決して少なくな いな ことに宗教に関して、この傾向がはなはだしく 顕 れる。 かろう。 古人 の言にあるごとく、 たっと ゆえに実業を重んずる、 否 重んずるどころではない、実業 ﹁ 祖宗 の富 貴 は詩 書 の中より来たる、祖宗の家業は勤倹の とみ うらや そそう によって成立する米国においては、むろん金銭を 尊 び金力 中より来たる﹂と。 はかい な を尊重する結果として、不正なる方法によって 富 を為 す者 人の立身や家の 興 るを評するにはよほど注意せねば、と あまた も許 多 ある。少しく心ある者にして今日社会の状態を見る かく 羨 む心に 曳 かされて判断を誤りやすい。 しんし まと 者は、実業を一 纏 めに纏めて攻撃の 的 となし、反動的に太 ひとまと 古の仙人生活を主張したり、あるいは 私産 を破 壊 して共同 富貴は方法なり目的にあらず こうけつ しさん 主義を唱えたりしやすくなり、またかくのごとくする者は、 一五七 いかにも精神的なる人物、 高潔 なる 紳士 のごとくある社会 、 、 自警録 ふ か いた通り、金力と名誉とは両立せしむるを 不可 とするとい かえ ふうき また本題に 還 って卒業式における名士の実業に関する演 う説が一般に行われておったがためであろう。してこれは まいぼつ み あんねい じょくん そほうか 説をみるに、彼らは 富貴 の危険を大いに警戒して、巨万の はなはだ至当なる考えで、俗の世界には 素封家 はその人物 おの を積んで己 富 れの霊魂を埋 没 するなからしめんことを説き、 の如何なるを問わず、単に 金 があるために一種の勢力を有 とみ 富貴は人生の目的でない、人生の方法なり、補助物なり、人 するものである。しかるにこの上になお国家なり社会なり さず かね 間がその人格を 発揮 するために道具に用うべきものである が名誉を付することになったならば、彼らの勢力の増大は ぶっしつ という点に重きを置き、実業や 金儲 けを今日のごとく物 質 制し難 きものになるであろう。 たくわ かねもう 的の職業とみなさないで、新しき見解を加え新しき精神を はっき 吹き込んで実業を精神化すべし、あくまでも人を主として 富者の権利と義務 じゃま がた 物質を従とすべしと論じた。 話は横道にはいるようであるが、折々、我が国において かね ふじん 一五八 実にその通りで、数万の金を 蓄 えても人の人たることを も実業家に位 階 を授 けらるるとか、あるいは 叙勲 せらるべ ふじん いかい 忘れぬ以上は、 金 は邪 魔 にもならぬし、悪用もされぬ。富 しという議論がさかんに行われる。詩人シラーのいうごと み む者必ず 不仁 ではない。また 不仁 のみ富むわけでもない。 く人生の目的として花を選ぶ者とその 実 を選ぶ者とは別種 みき に幹 も根も取り尽し、その結果は社会の進歩も 安寧 も危 く と 従来、英米の人は専門的教育を要する職業すなわち統計 の者に数えるが至当であろう。花も 採 り実 も取る者はつい 、 profession こうしょう あやう 学者の自由業と称するものと、専門の知識を要せず常識に な づ よる実際的の営業とを明らかに区別して、一を 今 日 いずれの国においても財産の 安固 を 保障 しない法律 こんにち かさ とみ ほしょう はない。法律にそむかぬ以上は如何なる方法によって、如 おの に、富む者はますます富むの傾向あることは、今ここで述 あんこ と名 付 けて、もちろん自由業は 高尚 なものと 一を business そんけい なし、これに従事している者には社会も相応の 尊敬 を払っ 何なる額に 嵩 まるとも富 を蓄 積 占 有 することを許すがため するものであろうと思う。 て、あるいは 官吏 あるいは弁護士、教育家、あるいは軍人 べるを要しない。この富む者はややもすれば 己 れの財産の かんり らのごときは金銭で買うことのできない尊敬を 博 していた。 権利あるを知って義務あるを忘れることも疑うべからざる ちくせきせんゆう しかるにいわゆる 実業家なるものは、そ business man かね めいよ の業務の目的は 金 にあるゆえに、ことさら名 誉 をもって彼 事実であって、どこの法典を見ても財産の権利は明らかに はく らを迎えなかった。これは 強 ちいずれの政府の方針政策と あなが いうわけではなかったけれども、かのモンテスキューも説 自警録 の みじゅく ふうき ることがあるにしても、その人よりも社会の制度が不完全 よろん っている。かつ偉大なものである。 載 の義務を自覚しないことを難じたい。 ならびに 輿論 がまだ 未熟 にして、富者といわんよりは 富貴 ふたん しかるに財産の義務なるものは、わずかにその 負担 する とど 税額ぐらいに 止 まって、その額も重い重いと言いながら権 げんしょう くら ぶつぶつこうかん 一五九 利に 較 ぶれば、案外に軽いものと思われる。ことに法文の ずいぶん 経済状態と道徳的態度の変化 こうじつ 読みようによっては、義務を 忌避 する道も随 分 ある。ゆえ 昔の経済社会とは違って近代は一国内における経済 現象 き ひ に世に勢力ある人の中には種々なる 口実 をもって財産の義 さえなかなか 複雑 になって来ているに、いわんや国家的経 わか あまた ふくざつ 務をことごとく 負担 しないものがある。現に我々が仮りに 済現象に至ってはなかなか個人の力で 如何 ともできぬこと くら ふたん 所得税の負担額を 較 べて見ればただちに 判 るであろうが、 がままある。したがって経済行為に対する道徳的態度は昔 もと しょうだく いかん わずか二、三千円の俸給を受くる学校教師などが、先の何々 しゃく そぜい もく こうぼうこうかく のように簡単に行くまい。 かま だいじん 臣 、あるいは何々 大 爵 にして市内市外に 許多 の 高甍 宏 閣 を たとえば昔なら物を造る者とこれを用うる者が直接に だいじん とうろく で あ 会 って、相談のうえに物 出 々交換 を行った。こういう場合 えんてい ち そ えている人よりも以上の 構 租税 を払っている例すらある。 には 値段 を定むるに両者間の 承諾 の上に成るから、互いの たず ねだん ぬれば、彼らの 尋 園邸 は宅地にあらずして、山林と 登録 し そんなら、彼ら 大尽 は 地租 の目 の下 に多額の負担ありやと へ とうき なかが 満足のもとに終わる。こんにちでは値段を定むるに造る者 ばいかい てあるから、税率もはなはだ少ない。かくのごときは財産 ばっこ かえり こうり と用うる者は顔など会わすことは少ない。両者の間に 仲買 とみ じゅよう おろしうり の権利を 享有 しながら、その義務を負担しないというもの いあり 卸売 あり小 売 あり数人の媒 介 を経 て、我々の最も簡 きょうゆう である。富 が跋 扈 するというと、いつも米国を例にとるが、 単なる 需用 も供給せられる。なかでも株式会社のごとき大 とぼ んぞ知らん日本にもその例に 焉 乏 しからぬを。 組織の製造場において産出せらるる物品のごときに至って いずく 僕がかくのごとき言を述べたならば、あるいはいたずら は、物価を定むる分子はなおさら複雑を極めて来る。 なにがし ごう しょしき くる ぶっぴん なお進んでトラスト 組織 の下に製作せらるる物 品 は買い ひんみん そしき に人を責むるように聞こゆるであろうが、わが輩はそれが 手の相談などは 毫 も省 みらるるものではない。この一例を もうとう し何 某 なる個人を攻 撃 する考えは毛 頭 ない。法文の曲解を もってみても 諸色 が上がるの下がるの、米価が 騰貴 したた こうげき 難ずる意であって、僕は君 子 ではないが、人の罪を 憎 んで、 めに 貧民 が 困 しむの、あるいは暴徒が起こるの、あるいは ちくざい にく その人を憎まないように心がける積りである。ゆえに富め くんし る者が不正なことをし、あるいは人を苦しめてなお 蓄財 す 自警録 かんねん おぼつか いう 観念 から来ているために、いわゆる人の道をはなれて どうひっぽう 犯罪が増すというごとき道徳的行為も昔の簡単なる組織時 労働その他経済の問題の解決は 覚束 ない。 げんしょう あえ 代と 同筆法 で解決が出来ぬから、我々は新時代の経済界の しからばとていわゆる社会党︵わが輩は 敢 ていわゆると まぬか 象 に対する道徳的態度も新たにすることは 現 免 れないと思 いう文字を使う︶の主張するように、現今の社会を目 茶々々 問題も解決できない。今後は富 貴 の義務、労働の権利をば、 ふうき 法律以上に研究 解釈 して、前に言ったようにこれらのこと めちゃめちゃ う。 に 破壊 しようというごとき簡単な案では、労働問題も社会 ストライキの動機でも英人と米人とは違う を精神化するにあらざれば、現世界の 安寧 もまた真の進歩 一六〇 世には労働問題とか経済問題とか社会問題などを、とか も望むべからざるものと思う。 はかい く道徳と別に考うべきもののごとく思っている人があるけ ほうじゅ 一六一 かいしゃく れども、人たる 観念 を除いて、これらの問題は解決出来ま 黄金は 土芥 か宝 珠 か りっきゃくてん ちが あんねい い。しかして人たる観念の内からは道義観念を 排除 するこ いろいろ経済的救済法あるいは社会改良法など 区々 に行 かんねん とが出来ない。 われているが、なお最後の解決よりははるかに 隔 っておる はいじょ たとえば近来︵第一次大戦以前︶英国でしきりにストラ ことは誰しも感ずることである。その根本的理由は経済的 だいぶん どかい イキが 流行 る。アメリカにおいても近来あらゆる方面にス 象 を人なる立 現 脚点 から見ないからである。 みずか へだた まちまち トライキが行われる。しかるにある英国人の話に、英米の かく長たらしく書いたことを回 顧 すると、僕の平生の筆 法 や ストライキの性質において大いに異なるものがある。米国 とは 大分 調子が 異 っておる。国家あるいは社会とかあるい は では給料を増すことを主として要求するし、英国において は経済とか労働界とか個人以外のことに力を 籠 めたようで ゆえん ひっぽう は労働時間を減らすことを主とすると言った。この差の起 あるが、かくのごとき大問題に対して個人ははなはだ力な ごじつ かいこ こる 所以 は、アメリカ人はもっと 金 を欲しい、自 ら貯 蓄 し き者で、なんのなすところもないと断念するならば大いな げんしょう て後 日 安楽に暮らそうというのである。イギリス人はこん る誤りで、いかなる社会の改良といえども、個人の思想よ ごらく こ にちの制度ではほとんど家族の顔を見ることも出来ない。 り以外に起こるものではない。国家も社会もイニシアチブ ちょちく また人間としての 娯楽 を求めることも不可能である、金は があるものではない。人あって初めて問題も起こり改良も かね らんがもっと人間らしい生活をしたいというところにあ 要 い るという。両者とも根底にさかのぼれば労働者も人なりと 自警録 ふごうしゃ 行われるのである。 きんしょう 我々も、よし富 豪者 にあらずとも、また一方、労働者にあ しりょ らずとも、お互い所有する財産あるいは所得がいかに 僅少 ろぼう どかい よく であっても、その用法については大いに 思慮 を要すること いさぎ ていねい おの で、金を 路傍 の土 芥 のごとくみなすのはいかにも 欲 がなく ふところ よく聞こえるが、また 潔 丁寧 に考えると金は決して己 れの物 あずか ではない。社会共有のもので、自分の 懐 に入っている間と いたくきん ろうひ ても、なお一時社会から 預 ったようなものである。いわば どかい け 託金 のごときものであるからして、これを無意味に 依 浪費 とが しすなわち土 芥 同然に取り扱うことははなはだ怪 しからん どかいし ほうじゅし こととも言える。あえて言葉 咎 めをするの意ではないが、 ぶっけん 金を 土芥視 するのも宝 珠視 するのも、要は人として金に対 していかなる態度を保つかにあるから、 物件 所有者の精神 あんねい いかんを明らかにして、初めて決すべきものであると思う。 おぼつか しょうけんこうたいごう おんうた すなわち金銭財産を精神化するにあらざれば、社会の 安寧 たま 進歩は 覚束 ない。昭 憲皇太后 の御 歌 に、 持つ人の心によりてかはらとも 玉 ともなるはこがね なりけり 一六二 第十七章 実業を精神化せよ ぎげい 出してくれるだけになっている。 むとんじゃく かねかんじょう 米国実業家の人生観 するのも好まぬし、よしまた金が 要 らぬというてわが輩が とはない。子供の時から 慣 れた職業であるから 今 さら転職 しながら金持になってなんになるだろうと常に思わないこ 一六三 しょうじき しかし僕は学問や 技芸 に不案内であると同様に、金銭に かつて米国フィラデルフィアにいたころ、資本額二百万 したならば、実際のところ社長にあたる人がない。して 辞 ついても 正直 お話するとはなはだ無 頓着 で、毎日金 勘定 を 円ばかりの中ぐらいな合資会社の社長をしておる四十五、 君の知らるる通り僕には妻もあり子供の二人もあることゆ 一六四 六歳の男と親しく話をする機会があって、いわゆる 拝金国 え、自分は金がつまらないといって、山に引っ込んで妻子 の米国の実業家にもかくのごとき考えの者があるか、 否 一 の苦労も 顧 みぬというほど、僕はいわゆる神聖な人にはな いな いま 歩進めてこの国の実業家の中に少しく 品 のよい者は、こう りかねる。また妻子を苦しめて自分のみ 潔 よいということ きもの うれ とうと い いう考えで世を渡る者かと、つくづく感じたことがある。 がほんとの神聖とも思わない。天が我に子供を与えた以上 な その談話の要領は 彼 の言葉のままに挙げれば、 は、彼らをして僕以上の者にするだけの義務は僕にある。 じ ﹁二十年以来の知人のことであるから、君もいくらか察しら また自分の妻についても、自分が世を去ったあとで 寡婦 と はいきんこく れているだろうが、僕は大学の教育も受けず、幼少の時から して暮らすばかりも気の毒であるに、衣食に不足のことが ひん 会社に入って、今日までで三十ヵ年にもなる。その間、社務 あるようでは、なんとも天に対し妻に対し妻の家族に対し かえり にあくせくしているのと、かつ視力の許さぬがために読書 て申し訳がないと思えばこそ、金の 貴 いこともいくらか知 こっとうひん いさぎ もできず、また美術の趣味を 涵養 することもなく、すこぶ るが、今日のところでは幸い 後顧 の 憂 いがないだけになっ かれ る乾 燥 無味な人間になり果てて、朝から晩まで事業々々と たから、なんだこの金はと思う気が常に僕の頭を去らない。 はいとう か ふ ばかり心がけて年を送った。その代りには僕が社長になっ もっとも君の見らるる通り、僕の家には、装飾品もなけ かんよう てからわずか五、六年にしかならんけれども、事業の発展 れば 骨董品 もないし、また僕の着る 着物 は、家内のも子供 かんそう についてはいくらか見るべきところもある。今は四ヵ所に のも同然、流行には 添 わない。友だちにもたびたび、せめ こうこ 工場も起こし、販売係は諸所に出張さしており、 配当 もこ て時計だけは 金 のに代えよなどともいわれるけれども、こ そ の国においてはまず相当と思うだけのこともして、有難い きん ことにはこの市内の銀行ならば僕の手紙でいくらでも金を 自警録 自警録 したわ おの ぎせい するにも、その宣言には、 己 れの身を犠 牲 にして、社会に こうけん の銀時計は子供のときから持った 慕 しい記念物だから、こ 献 するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家 貢 おの れを離すわけにはゆかぬ、もっとも二、三ヵ月前に自動車 あ の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。その多 しんじょう を買ったので、やはり流行にかかわると笑った人もあった な いのが必ずしも悪いとわが輩は言わぬ。 己 れを捨てて社会 こっかかんねん いかん すす ついや とくとく こと が、笑う者に説明する必要はないけれども、僕の 真情 を 明 の利益を 図 るの望ましきことはいうまでもない。 事 を為 す ぜいたくひん せんげん かいらく よみ かしていうと、僕の息 子 にだけは時勢に遅れさせたくない。 に 国家観念 より打 算 するもはなはだ嘉 すべきことである。 たず ださん して自動車はもはや 贅沢品 ではない。今後ますます発達す その 宣言 を非難するわけではないが、その実際は 如何 と おの はか るものと思えば、将来世に出て働く者はこれしきのことは ねられれば、ややもすると国家社会は言うまでもなく、 尋 むすこ 心得ておらなければならぬし、かつ子供に器械だの物理だ れの友人 己 親戚 にさえも迷惑をかけて自分のみ 得々 として こころざ しんせき のの観念を養成さすには、何か彼が興味をもって当たる物 しょもつ うと 金を作ったり、あるいは自分一個の 快楽 のみに金を費 して い を与えなければ、 書物 の学問だけでは実際に迂 くなると思 いる者もすこぶる多きに驚かざるを得ない。ゆえに僕は実 えんりょ わす 業に 志 す人に、社会国家を 忘 れろとは決して言わないけれ うんぬん うから、僕が 要 るような顔をして実は子供に運転と使用と ども、口に出すことだけは 遠慮 するほうがよかろうと 勧 め あ に必要なる事業であれば、宣言もせずしても社会に 貢献 す な と長時間、真情を打ち 開 けて話した。 を馴 らさせるために買った云 々 ﹂ たいくらいに思っている。いかなる事業でもおそらく社会 るのである。かつまたこの事業に関係する人も直接 犠牲 を 個人的利益と国家社会の利益 払うの必要はない。仮りに何か事業を起こすとする。この じゅよう ぎせい 僕はこの男とかねてより親しくしている。彼が教会にお 業 にして果たして社会に必要あるものならば、それ相応 事 こうけん いて年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はこ の 需要 が顕 れて、この会社も相応に 繁昌 し、その結果相応 一六五 とごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時 の利益を得る。もし会社にして利益を得ないとすれば、そ じぎょう 間に渡って彼の人生観、なかでも 貨殖 に関する態度を初め の仕事を社会が要求しない証拠で、要求しないものを押売 しなもの はんじょう て聞き知った。僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一 りしようと思えばこそ、国家事業であるから世間の人に私 あらわ 度も社会のためとか、ましていわんや国家のためというこ の 品物 を買えと叫 んで押売りするようなことになりはせぬ かしょく とに、わたらなかったことがあとで気がついた。 さけ 普 通 日 本 の 実 業 家 で あ れ ば 、五 万 足 ら ず の 会 社 を 設 立 自警録 するについても、読者の 曲解 なきことを切 に望む。 その 業 につくに、個人の利益を 旨 として差 支 えないと断言 さしつか か。 国民が 各 個 人 的 の 最 良 な る 利 益 を 図 っ た な ら ば 、そ むね 社会の需要よりはるか進歩した事業でも、あるいは社会 の結果はおそらく社会と国家との利益になることであろ ぎょう の指導者または 模範 ともなるような事業であっても、 珠盤 う。僕はことさら最良なる利益なる文字に力をいれて言う。 かんじょう が り が り も う じ ゃ れん じんしんこうげき ねつぞうせつ ぼうとう はか せつ となればいかに 勘定 しても間に合わぬというごときものな 利々々亡者 連 我 が他の者の事業を 妨害 したり、競争者を 中傷 きょっかい らば、かくのごときことは 私人 のなすよりは直接あるいは したり、人 身攻撃 をしたり、 捏造説 をはいたり、その他卑 劣 おのおの 間接に国家そのものがなすのが至当であろう。もっともこ な方法によりて得る利益は、僕のいう最良の利益とはあい あまた はんい そろばん の問題については経済学者、財政学者の起点より見れば、解 反するものである。 もはん 決をするに許 多 の考慮をせねばならぬことであるから、こ 最良の利益とは正々堂々と人の前でいって恥ずかしくな はか はか ひれつ ちゅうしょう こで論ずる範 囲 でないけれども、だいたいにおいて個人な いことをいうのである。この 冒頭 に話した米人の 己 れの一 おの おごり ぼうがい りあるいは私設会社がなすべき経済行動は、国家社会のた 家のよろしきを 図 るごときは、人に対して何の 恥 ずるとこ しじん めといわんよりは、その個人その会社の利益のためだと公 ろもない。もしこの男にして一家の 驕奢 を図 り、その妻に ふ おの 言しても恥ずることはないし、また実際に当たっているの ごらく は である。英米独仏いずれの先進国にしても、経済上発展を は流行の先駆者たらしめ、あるいは子女をして だ ら しのな と げたのは個人の利益を主としたからである。 遂 い娯 楽 に耽 けらしむることをもって、己 れの利益とみなし 一六六 おの たならば、これはまさしく恥ずべきことである。しかるに にく 個人の最良なる利益はすなわち社会国家の利益 れよりは一歩進んだ人に育てあげようという目的ならば、 己 ささ かく言ったからとて僕は 憎 むべき意味における個人主義 これまさしく国家のため善良なる市民を 捧 げるのであるか ふたん はか ら、国家のためといわないで、確かに国家の利益を 図 って こうしょう を唱えるものではない。西洋にいわゆる個人主義なるもの おる。かつまた 己 れの事業にして 繁昌 すれば、営業税も余 はかいてき こうけん はんじょう には必ずしも悪い意味が入っておらぬ。すこぶる 高尚 なる 計に収め、もって国家に対する 負担 も喜んで増し、また海 おの 意味をふくましむることの出来るのは、ちょうど社会主義 外に輸出額がふえればこれまた国産に 貢献 することである にく なる言葉の内にも必ずしもおそるべく 憎 むべき 破壊的 なる からなおまた国のためになる。 おだやか 思想をふくますべきものでなく、 穏 な高尚な建設的なる内 がんちく 容を、 含蓄 せしむることが出来ると同じである。実業家が 、 、 、 自警録 ゆうべ しんく 晨 に星 をいただいて出 で、夕 に月を踏んで帰るその 辛苦 い も国家のためなりと思って 甘 んずればよいが、なかなか普 ほし 国家のためという誤解の危険 通人情として 甘 んじてのみいるものでない。しかして甘ん あした を与えた。 これに反し、しばしば我々が耳にするもので、しかじか じないときは国家が 己 れを苦しめることのはなはだしいも 一六七 の事業は 己 れには不利であるが国家的事業であるから、身 のである。こんな国家はないほうがいいという結論にも来 を犠 牲 にしてこれに当たるなどいうことは、言葉を換えて たり得るし、また歴史上そういう結論をした国民も折々あ あま いうと、国家が個人に要求することのあまりに多きことを る。 あま 意味することになる。もちろん一 旦 事ある時は個人の利益 そむ おの や個人の財産生命も投げ出さねばならぬが、 平生 何事につ ﹁国家﹂というよりも健全なる個人思想が大切 ひと おの いても国民より重い 犠牲 を要求するような国家は、国家の 僕はくれぐれも言うが、国家のために忠君愛国の 観念 は貴 ぎせい 一大目的に背 いているもので、はたしてそういう国家が今 ぶべきものにして、独 り教育のみならず実業においても 涵養 たん 日世界にあるならば、永続の 覚束 ない国家といわねばなる すべきものであると思う。この観念の 涵養 は 漫 りにくりか ぜい へいせい まい。 えすことによりて目的を果たし得るものでない。これを乱 ぎせい 幸いにして我が国では相当に 税 は重いとはいいながら、 用すればかえって正反対の結果を来たすを恐れる。ちょう けい じょうてい しんこう やま かじきとう き ばいきん みだ りょうじ かんよう かんねん 一六八 まだまだ個人の営業について、しばしば 犠牲 を要求するほ ど 欧米 において宗教の力の最もさかんな時には、何事につ りょうほう なお そう こ とうと どに弱いものでないのはお互いに 慶 すべきことである。僕 いても 上帝 やキリストを担 ぎ出して、その目的を果たそう おぼつか の友人が地方に巡回して農民に勧めるときに、お前たちの としたが、その結果を見るとかえって面白くないことが多 ふんれい いちじる かんよう 仕事は実に国家的の事業であって、昔から農は国の 本 とい かった。たとえば 療法 にも 信仰 だの 加持祈祷 だのを混合す ふんれい ぎせい うたくらいであるから、いかに苦しくも、いかに利益が 薄 る。もちろん病気によってはいわゆる 気 の病 いもあるから、 おうべい くとも、国家のために 奮励 せよと説いて歩いた。かの意味 心の持ちようで 癒 る病気もあろう。してこの類の病気には かつ は、多分農民みずからが 奮励 して、農業を利益あるようにせ 信仰が 著 しく功を 奏 したろうけれども、 黴菌 から起こる病 もと よという意味であったろうけれども、普通農民の耳に入っ いのごときに至っては、宗教が入り 込 んではかえって 療治 うんじょう うす たときは、やはり昔のごとく強制的に労働をして、ただお かみ に 上 運上 を収める道具になるだけのことであるという観念 自警録 れることは、 ︵僕は非常の時を言うのではない︶かえって実 を阻 害 するものと思う。と同様に実業にも国家や愛国を入 て学校の課目に宗教を入れることは、かえって教育の目的 の心 髄 を動かすものでないと信ずるけれども、しからばと 教育においてもそうである。僕自身は宗教なき教育は人 いう形跡を現している。日本の歴史にして果たして西洋史 移って行くと説く人もあるが、 欧州 の進歩は果たしてそう 学者は社会の進歩の 秩序 として、団体観念から個人関係に い。 分の 炉辺 に差 支 えなければ平気でいるかというとそうでな と家庭と for hearth and home を揚 言 する。ちょっと聞く たお といかにも個人的であるが、しからばとて国が 仆 れても自 ようげん 業の 邪魔 にもなり、また国家愛国の観念にも 疵 をつける 憂 と轍 を同じゅうするものならば、我々も 近 ごろ言う国家々々 じゃま いがある。 という声が今後いくらか弱りはせぬかと懸念に 堪 えないと の邪 魔 になることが多い。 かつて実業に従事する者は感情と実務とを混合してはか 同時に、健全なる個人的思想に 伸 びて行ったならば、国家 そがい じゃま さしつか えって害あることを述べたが、今日ここに述べることも要す なる語を公言することは少なくなっても、実際においてそ ひとくち ろへん るに同じ考えに帰する。さきに米人の言葉を取って話した の力が強くなるであろうと信ずる。 しんずい うちに、感情がさらに入っていないかというと大いに入っ おの の ひ び いさぎ おうしゅう ている。すなわちその妻子を思うの感情、 一口 にいうと自 人生を甘からしむる心がけ じょうあ ちつじょ 家の感情である。これは社会に対すれば私の感情であるけ 今まで述べたくだくだしいことを約言すれば、 冒頭 に掲 うれ れども、その個人から見れば愛他的のものである。もし一 げた米人の言うごとく、おのおのが 潔 よい愛情から起算し きず 国に危険でもあるときには、一家を愛する感情ではあるい て、 ︵親なり妻なり子なり、最も自分に近いゆえに最も自分 しゅつじん ちゅうじつ ちか は物足らぬ事もあろう。我が国の 誉 として我々は親も捨て、 に親しい情 合 いに基づいて︶ 己 れの日 々 の事務を怠 らず、百 やばん あずか てつ はなはだしきは妻子を 殺 すまでして出 陣 した例などを物語 姓は百姓、商人は商人、教師は教師、役人は役人と 己 れの たんしょう ちょうえつ しゅうかく おの ひりょう こころざし ぼっきゃく おこた た ると、今日の西洋人の耳には 野蛮 に聞こゆるそうだが、か っている職務に忠 預 実 にして、なおかつ思想は高く俗界を ほどこ つ 一六九 くのごとき例は幾たび聞いても、僕らの 嘆賞 を買うもので 越 して、商人が金を造っても金を目的とせず、農家が 超 肥料 ろへん ぼうとう ある。ゆえに我々は一家を捨てることをも重いことに思わ を遠きに 着 け、役人が執務するに、俗務のために 没却 され を施 しても収 穫 以上に目的を置き、教師が教場に出ても 志 ぜっきょう ほまれ ない。ゆえに事あれば国のためとはいうけれど、一家のた ころ めとは 絶叫 しない。しかし西洋の人は戦いに出る時も 炉辺 自警録 はな ごん ちぢ ごじん ない、すなわち一 言 に縮 めると、吾 人 が人格としてまった く世を 隔 れた思想をいだくと同時に、常に世に対してはい すいちょくてき しじゅうはか かなる俗務といえどもこれを尽し、わが輩のたびたびいう 直的 関係と平面的関係との調和を 垂 始終 図 って行けば、つ あらわ まらぬ務めにも深い意味のあることがわかり、また深い意 味のある思想がいわゆるつまらぬことにも 顕 れて、もって けんべん 人生の味がはなはだ甘きをなすものである。 りんせん いなか お すべか ﹁軒 冕 ︵高貴の人の乗る馬車︶の中におれば、山林の気味 ろうびょう ちょうてい けいりん いだ なかるべからず。 林泉 ︵田 舎 の意︶の下に 処 りては、 須 ら ごじん いや く廊 廟 ︵朝 廷 ︶の 経綸 を 懐 くを要すべし﹂と。 吾 人 は、いかなる低き、いわゆる 卑 しき職に従事しても 心一つは高く持ちたい。 自警録 一七〇 一七二 第十八章 知らぬ恩人に対する感謝 しんとう 一七一 こゆう う たか 想、哲学、美術もないことは、誰しも承知しているが、何 ほんぽう しんとう か日本に 固有 な思想が一つでもありはせぬかと、 鵜 の目鷹 じゅんすい やまと の目で、 本邦 の制度やら歴史やらを調べると、 神道 だけは 粋 なる大 純 和 民族の思想であることがわかる。 み 英国碩 学 の観 たる神 道 の要旨 もっともこれとても、 儒教 が入って以来、その説くとこ せきがく 先年 交換教授 として渡米するにつき、その準備の一つと ろやら、その 儀式 がたいそう違って来たし、ことに仏教輸 して、研究というほどの深い事もないが、少しく調査した 入以来はその 教理 さえも変化し、おそらくこんにち神 道 の せきがく きょうり げん ふくいんしょ しんとう ふゆかい くろずみ じゅきょう いことがあって、 神道 に関する書物を読んでみた。そのう 名のもとに、世に説かるる説の少なからざる部分は、 神道 ぎしき ちに英国の碩 学 、ことに日本の古代宗教および文学に精通 に 固有 なものであるまいと疑う理由も確かにある。僕はさ こうかんきょうじゅ せるアストン先生の書中に、 神道 は知 恩 と愛情の宗教なり きのアストンの 言 および黒 住 氏の所説を読んで、これを 現 かん しんやくせいしょ しんとう ほしいまま ちおん てんしゅきょう み かんねん がんめい かぶ はいたてき ほ げん しんとう しんとう という一句があった。これが僕の眼に大いにとまった。ま に我が周囲に行わるるいわゆる 神道 に比すると、ちょうど しんとう た同氏の説明を見てますますこの一句の 味 わいが理解せら ﹃新 約聖書 ﹄の福 音書 を見た目で、 天主教 の儀 式 を見たとき ご うかが こゆう れた。 に起こる 感 よりもさらに不 愉快 なる思いを起こす。ゆえに くろずみむねただ ちおん その 後 あ る 友 人 が 、日 本 の 神 道 を 研 究 す る に は 、必 ず 僕は神 道 の純粋なる教えを重んずると同時に、その名を 冠 っ しんとう 住宗忠 の説を 黒 窺 わねばならぬと注意してくれて、 懇 にも ていろいろなる迷信を 説 いたり、あるいは頑 冥 な排 他的 主 いな くろずみ こゆう こゆう しんとう この偉人に関する出版物を送ってくれた。これを読んでいっ 張を 恣 にする神 道 の宗派をいうのではない。アストンにし あじ そうアストン氏のさきの言の誤らざると、 否 、誤らざるど ても、 黒住 にしても、その説くところ間違いなきを 保 し難 おんぎ あやま しんとう ぎしき ころでない、実によく 穿 っていることを感じて、その後ま いが、我が 固有 の教えは知 恩 の念に 満 てるものなりとの一 つと ねんごろ すます 恩誼 を知るの感を深めることについて、心のうちに 条は 過 ちなしと信ずる。 ば、 恩誼 を知るは取りもなおさず日本民族の特長であると おんぎ 断言してよかろうと思う。 と めている。 努 しかして 神道 が日本民族 固有 の観 念 を代表するものなら うが 恩 は日本民族の特長 知 一七三 古来、日本人は宗教と言い、学術と言い、中国、朝鮮を ちおん はじめ、外国から輸入して、ほとんど自国に起こった大思 きたい 恩の観念は固有か輸入か むがく 一七四 はか よみ わがくしゃ おん しかしここに 奇態 に思うことは、古い言葉にはあるいは わくん あって、僕の 無学 のために知らぬのかは 測 られぬが、恩 と よみ いう字に 和訓 のないことである。こういったなら、 和学者 しか はんしょう のお 叱 りを受けて、こういう訓 がある、ああいう 訓 がある かんおん という 反証 が出るかも知れぬが、それにしても、これほど やまと はつおん ざわ な大 和 民族の特長が、普通一般に 漢音 で流通していること なさけ は情 ない。 おん やまと 恩 の漢音はすこぶる 発音 に便利で、耳 障 りもよいから、 ながたらしい 大和 言葉の代りに通用するにいたったかも知 かんたん れないが、実際我々がこんにち外国の言葉を用うるは 簡単 であるからとて用いる。単語は何か新しい思想を含んだも まれ のであって、普通にある言葉をわざわざ西洋語を借りて言 いなか い表わすことは、よしあっても 稀 である。 ことば マッチという 詞 は今どんな田 舎 でも用いている。しかる はやつけぎ はやつけぎ に僕の子供のときは 早附木 といったものだ。今はそんなこ とをいうものはほとんどない。 早附木 というよりもマッチ ことば はやつけぎ というほうが簡単だからでもあろう。さらばとて単に簡単 つけぎ はや だという理由で、従来用い来たった 詞 なら早 附木 をマッチ か と替 えることはない。従来は附 木 だけはあったが﹁ 早 ﹂な かぶ おさ てしょく ほんやく る形容詞を冠 せて通用させようとしても通用しなかった。 あんどん ようがく かね 僕らが始めて 洋学 を修 めるころには筆または金 の筆と訳し ﹁ランプ﹂を 行燈 とも 手燭 とも翻 訳 しない。ペンのごときは 自警録 かね たものだ。しかるに今は日本のすみずみに行ってもペンで 通る。 金 の筆というよりはペンというほうがむしろ簡便で おん ある。さればとてペンなる言葉をかりて、古来あった筆の 文字に代用することはない。そこで 恩 という言葉も発音の やす じゅきょう ぶっきょう きからとて、従来あった思想に代えたものか少しく疑い 易 かんおん が起こる。恩なる観念はやはり 儒教 、仏 教 から入ったもの でなかろうかと疑いが起こって来る。 やまと 僕は世の言語学者に望みたきは、いま用うる文字こそ 漢音 めいりょう なれ、思想は 大和 民族の特長なりということを、言語のほ 一七五 うからも証拠を 明瞭 にする一条である。 日本人ははたして恩知らずか くろずみ くろずみ 単に右のごとくいうたなら、僕がアストンの説に反対の 考えでも持ち、あるいは 黒住 の教えが黒 住 という個人より やまと おん 起こったもので、 大和 民族の代表的思想にあらざるとでも しんとう やまと 主張するごとくに聞こゆるだろうが、僕はあくまでも 恩 を おん 知ることは 神道 の基礎、大 和 民族の美風なることを信じた いのである。 そうご きゃつ やつ あっこう 西洋人はともすると、東洋人は 恩 を知らないという。ま やまと ほこ た我々とても 相互 に、彼 奴 は恩を知らぬ奴 だといって悪 口 かえり する。恩を知るをもって 大和 民族の特長などと 誇 っても、 いな しばしば自分に 顧 みないと、人から受けた親切ほど忘れや すいものはない。 否 、人のしたことが、はたして親切であ 自警録 かみしも ちょうだい じゅうぼく むく かみしも たまもの ぬきん きゅう おんぎ おん してくれた相手によりて区別したるに過ぎぬ。 めした くんこう もと いのち めうえ るか不親切であるか、その区別すらもなかなかしない。ま 受 身 の立場からいうたら、 目上 の人から受けた 恩 よりも、 うけみ た人が我がためにしてくれたことの程度は、はなはだ 鑑別 下 の者から受けた 目 恩 のほうが大きいこともある。自分の かんべつ しにくいものである。このへんの 弁 えを誤ると、とかく他 公 からお 君 古 の裃 を頂 戴 するのは、昔では非常の 恩誼 とみ おんぎ きみ おん 人の眼には、恩 知らずの感を与える。 なした。しかし自分の 従僕 が一命を捨て自分の難を救うほ わきま ことに西洋人が日本人は恩を知らない国民なりというの うの 恩誼 ははるかに重いと僕は思う。 ひ ふる は、この辺から起こっているらしい。すなわち日本人は恩 あるいは 君 なるものは自分に対して常に 衣食 を給 してい おん を知らないのではなく先方の人がどれほどの親切でしたの て 日 ごろ生命の基 である。ゆえにこれに報 ゆるに常に生 命 ひとくみ いしょく かが分からぬために、有難うというべきところを言わなかっ をもってすべきものを、自分の 生命 を取らずにかえって裃 あ くんこう いのち たりする。すなわち事情が判然せぬために、思想までが大 の一 組 でもくれるというは、その物は 僅 であっても、その心 かんねん わずか 変違うように思わしむる 惧 がある。そこで外国人の書いた は我々の期待するよりはるかに以上であるから、その重き おそれ 書物のうちに、折々日本人の短所の中についても、恩知ら ことは日ごろ給料を与えて、自分のために忠勤を 擢 ずべき そし ずの 譏 りあることは、これは仮りに誤解から起こったとみ 義務をもっている従僕が、たまたま難に 遇 って自分を救っ おんぎ はぶ なしておいて、しばらくこれは預りとしてここには省 こう。 たよりは、ものそのものはいかに軽くとも、 君公 の賜 物 の ぢか ここではもっと手 近 い、お互いの間の交際上、 恩誼 の観 念 はいりょうぶつ けらい いのち ほうをはるかに重しとすべき議論も一通り立つから、僕と くんこう について注意すべきことを述べたい。 一七六 てもあながち絶対的に 君公 の拝 領物 は 家来 の 命 より軽いと ひそ と ささい 一般にいう訳ではないけれども、君公だとか従僕だとか、 おん よ 思わぬところに恩人が潜 んでいる おん 社会的の区別をすればこそ、些 細 のことが大きく思えたり、 おん おん 恩 を説 くに当たって、いわば恩の部類について一言した ひそ 重いことが軽く見えるが、自分のために 宜 きを計り、自分 おんじん い。四 恩 なるものはなにかとか、あるいは中には五 恩 六 恩 に尽す親切の行為を計れば、思わぬところに僕の 恩人 が潜 おんぎ と数える人もある。けれどもこれは我々によきことをして んでいて、その人の 恩誼 をさらに感知しないで、見当違い とも ほどこ むやみ の 方 に無 闇 に有難がっていることもあり得ると思う。 きみ おん かた くれた相手によって分けたことで、たとえば向こうの人が であるから、僕は如何なる人が、如何なるほどに、僕の じゅうぼく ち だとか親であるとか、 君 天 であるとか地 であるとか、友 だ てん ちであるとか、あるいは 従僕 であるとか、それぞれ 恩 を 施 自警録 めい ろう ために心や身を 労 してくれたか、つぶさに考えて、これを 一七七 常に心に 銘 じておきたいと思うのである。 人も知らず自身も知らずに受ける恩 ただこの事について心に記憶したきことは、明らかに我 うつ おん の耳に達したこと、あるいは我が目に映 った行為のほかに、 めぐ かず 人も知らず、我れ自身も知らないでいる 恩 がたくさんある つ ことである。かくのごとき 恵 みが人生の中に数 限りなくあ そん ありがたみ ることを常に記憶に 存 しておきたい。たまには誰が 告 げる ぼう だっ ひざまず むせ とはなしに、ふと心に 有難味 を覚えて、ほとんど相手知ら ずに 帽 を 脱 し、跪 いて、有難さに、涙に 咽 ぶこともある。 誰しも必ずこの経験があるだろう。もしこの経験のない人 あらば、そは不幸な人である。天の恩はいうまでもなく、 ほうゆう 友 や親などのすることに、とかく秘密にわたって、受け 朋 めんどう る本人は夢にも知らぬことがしばしばある。なにか 面倒 な 事件があって、これを処理しに出かけると、案外にもすで ただ に半分以上解決されておったなどということがある。 もんちゃく これは不思議と思って、だんだんその理由を 質 すと、前 なかば た 日友人が来て 半 以上悶 着 を解決しておいてくれたなどとい みずか うことが、数日あるいは時によっては数年 経 って初めて発 あまた 見されることを 自 らも経験したし、世には必ず同じことを 感じた人が数 多 あろう。 今もなお不明なる僕の受くる恩 あたい 一七八 ささい はなはだ事が私事にわたるようで、ことに小なことで、人 に語るに 価 もないか知らぬが、かほどな 些細 なことも、好 こ はか さっぽろ 意をもってすれば、かほどに人の心を感動せしむるもので さっぽろ あるという証拠に、ここにこれを述べる。 僕が 札幌 の郊外に一個 の墓 をもっている。 札幌 の天地は した 僕の青年時代に学問したところで、さなきだに第二の故郷 ぼ ち せきひ として 慕 わしいが、この慕わしき念をいっそう深からしむ るものは、この小さき 墓地 である。ゆえに折々かの石 碑 の か い いたずら 周囲に雑草がはびこって、見すぼらしくなりはせぬか、石 らくがき ぶさほう が倒れて見る 甲斐 なきようになっておるまいか、悪 戯 の子 いた 供らが石の上に落 書 でもして 不作法 になってはおらぬかと、 みまわ 折々心を 痛 めることがある。それゆえ友人に頼み、ついで か の時に 見巡 ってもらったが、彼が墓所へ行ったつど、報告 してくれるに、いつでもいつでも草はきれいに 刈 られ、周 そうじ 囲がすこぶる整然していると。ここにおいてあまりの不思 わか ただ 議さに、同じ友人に依頼して誰が 掃除 してくれたるか、も せんさく し 判 ったならば礼もしたいから、住職なり番人なりに 質 し てくれと、いって送るけれども、友人の 穿鑿 ではなかなか かくも墓地に対して好意を示す人を探し得ない。 さ わ 今もなお僕にはその人が知れない。しかるにこの事たる、 うかが 事態は 茶話 の話題にもならぬくらいなるが、僕にとっては 人情のまことに柔かきところと深きところとを 窺 わしめて、 自警録 ねむけ はっか み、夜も眠らず、 眠気 がさせば眼に 薄荷 までさして、試験 ただ 感謝と喜びの念を深からしむることが少なくないのである。 の準備に余念ない三千ちかくの青年が、第一高等学校の試 おこた じゅんかん せつな それにこの行為をなす人はおそらく 唯 一人であろう。し 験場に 群 り来たり、いよいよ教室に入るその 刹那 まで、準 しかのみならず むらが かるに誰ということの 判 らぬ間に、僕の心には果たして一 備を 怠 らぬくらいであるからして、試験以前の十日間の勉 わか 人であるか二人であるか三人か、 加 之 一人であるにして 強は実に兵士の戦闘準備どころか、実戦にとりかかってい さんたん も、あの人であろうか、この人であろうかと 推量 を運 らす ると同じ感がする。すなわち試験以前の一 旬間 の惨 憺 たる ふゆかい めぐ のが 大勢 の人に関するから、つまり大勢の人が僕には恩人 さまは父兄友人はいうまでもなく、少しく今日の日本の教 おに すいりょう のごとき感を与えている。渡る世間に 鬼 はない。かれこれ 育並びに試験の制度を知るものは、察するにあまりありと おおぜい 僕は大勢の人に非難を受けるけれども、また世には心から いうくらいである。ゆえに中には試験の始まる前に、すで とうみょう かか しての友があるという自覚を強からしめて、折々 不愉快 な て数えるであろう。 かか に根気がつきたり、病に 罹 ったり神経衰弱あるいは脳貧血 一七九 ふみんしょう ことのあるあいだにも、かくのごとき小な事が、 燈明 のご あるいは不消化 不眠症 等に 罹 るものは、おそらく百をもっ あじ とく輝いて、人生の 味 を甘からしめる。 さんたん あゆ 一八〇 憺 たる一高の入学試験 惨 入学試験中、 俥 を待たした不思議の婦人 くるま 僕が第一高等学校に在職中ことさらに僕の感じたことが さきにいった、第一高等学校の試験の初日であった。僕 うつ へだ ろうか み は げんかん が各教場を通って 廊下 に出て、玄 関 の側を 歩 んで来ると、 せいじゃく くるまひき ろうか ある。それはある夏学校の入学試験の際であったが、今は ちらりと眼に 映 ったものは、分館の玄関のわきに一台の人 あつ おし はぶ 名も知れているけれども、これを明かすの必要もなし、あ 力車の傍に立っている 車挽 と、これを隔 つること一間ばか ね かしたならかえって 迷惑 の種 子 ともなろうから、姓名を 省 り傍に、 袋 を手にしている四十ちかくの婦人であった。試 た いて話そう。あるいは偶然にも話題の主の人の眼にこの書 験の最中の事であれば、三千になんなんとする青年を収容 めいわく が触 れたならば、あの時の男は彼であったかと思わるるで した学校も、百人ちかくの試験官の 見張 り監督していても、 ていじつ しょうりゃく ふくろ あろうが、僕はこれを美談と思うから 隠 さずに話する。 ただ水を打ったように 静寂 を極めて、廊 下 の板をふむ巡視 ふ 七月の初め、一週間ばかり続いた 暑 さの強い日がちょう の 靴音 さえも聞こえないほど静かで、ほとんど人なきがご かく ど全国の高等学校入学の試験の 定日 であった。中学を卒業 くつおと した四月から、以来は三度の食事も 省略 するほどに時を 惜 自警録 ﹁ハイ、ここで待っております﹂ ごとく、 妙 な顔をして、 と 心附 けたが、その婦人はさもそのへんのことは承知の のです﹂ こにはちょうど試験の最中で人がおってもいないようなも の寄 宿寮 に御用ならば、そちらの玄関でお 尋 ねなさい。こ ﹁もし学校の事務所に御用ならば、あの玄関へ、もし生徒 て、この婦人に向い、その用を 質 して、 か、その理由もちょっと解し難かったから、僕は小 使 に代っ とき 様 であるところの玄関に、何用あって婦人のいること うにするから、 といいながらしきりに 懐 の中に手を入れて、薬を出しそ ましたから﹂ んで 参 りました。それに 今朝 飲む薬も、いそいでいて忘れ ております。まさかの時には 連 れて帰るつもりで、 俥 を頼 今日ももしやそんなことでもないかと思って、ここに待っ ﹁今試験をしておりますが、昨 日 自 宅 で眩 がしましたから、 て、一しお念入れてその用向きの次第を 質 したところが、 に 俥 のあることゆえ、何か容易ならぬ 仔細 もあらんと察し というだけなので、僕はますます 奇態 に思って、かつ 側 ﹁ただこちらで待っております﹂ 恥ずかしそうにして、 さま というだけで、さらに動く様子も見えなかったから、 ﹁私がその薬を飲ましてあげましょう﹂ たず みょう こころづ あなた こづかい ﹁貴 女 のお尋 ねになる方は、ここにいる人ですか﹂ というたが、 まい ふところ つ ち しさい ただ めまい そば ﹁ハイ、いま試験しております﹂ ﹁これはご飯の後で、すぐ頂くのですから、もう遅くてい きたい ﹁そんなら、先生ですか、生徒ですか﹂ けますまいし、またもしや私がここに参っていることでも ただ ﹁生徒でございます﹂ 知れると、試験のためにようございません﹂ くるま ﹁生徒ならばまだ急に出る訳には行きますまい。試験は十 ﹁それじゃ、名はなんといいますか﹂ きのう う 一時までですから、もう二時間もあります﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ たず ﹁ハイ、それも承知しております﹂ ﹁何番ですか﹂ きしゅくりょう ﹁そんなら、もう二時間もここでお待ちになるのは 非道 で ﹁番号もハッキリしません、⋮⋮英法です⋮⋮もしや知れ めまい くるま すから、あちらに休む所があります。それとも急な事なら、 ると、恥ずかしがりますから⋮⋮﹂ け さ 私が取次いであげましょう。そうでなければ、十一時に出 ﹁ここの試験では、毎年三、四名ぐらい 眩 する者ができた こころづ ひどい なおして、お出になったら 宜 うございましょう﹂ よ と 心附 けたが、この婦人はさらに去る様子もなく、少し 自警録 のお医者もあって、そんなことがあると、おそらくあなたが は、そういうことに 始終 気をつけていられるし、また係り り、その他いろいろの病人が起こるので、監督の先生たち く彼の 脳髄 はただ試験の答案をもってのみ満 たされて、母 た。彼は友人と 肩 をたたいて談笑しつつ去ったが、おそら ばかりであろうと思いつつ、彼の姿の門を 出 ずるを見送っ ら大丈夫だ、この様子で家に帰ったなら、母の安心はいか て友人と笑いながら話をしているのを僕は 認 めた。これな みと 世話をなさるよりも、かえって学校の世話のほうがゆきと の苦心に考えを向ける余地はなかったろう。しかるに 奚 ぞ しじゅう どくだろうと思いますから、心配なさらずに、お帰りになっ 知らん、彼が無難に何時間の試験を 経 、その翌日もまたそ へ み い ても 大丈夫 でしょう。しかし念のために番号だけわかった の翌日も無難に 経 たことは、彼の学力のみによると思った かた ら知らせてお置きなさい﹂ なら、大いに見当がちがっておりはしまいか。 み いずくん ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 彼の眠られぬ時はともに起き、彼の眠っている際もなお かんとく のうずい ﹁イエ、御当人にわからないようにして、見はりをつけて 眼ざまし、彼の起きぬ間 にとく起きて、彼の準備を助け、彼 だいじょうぶ あげますから、当人にはなにも知らないように、お医者さ の眼や耳にさらに触るることなく、彼の身辺を 擁護 する母 へ まと 監督 の先生に、ことさら注意をするようにお頼みして の情愛があって、始めて無難な試験を 経 たものと、迷信か ま おきますから、安心なさい﹂ いかん ようご といったので、始めて 何部 の何番ということを 告 げたか は知らんが僕は信ずる。 しの にぶ えいびん へ ら、さっそくその教室に行って、入ってみると、なるほど 右はただ僕の実見にふれた一例に過ぎぬ。かくのごとき くだん さま つ その顔形がいかにも 件 の婦人によく似た青年で、まさしく 愛 は人の眼を 恩 忍 んで、世にあまたあると信ずる。いな、 なにぶ 両者の関係が親子であることが 判然 した。彼はそんなこと あまたどころではない、かくのごとき情愛は空中に 満 ちて おんあい は夢にも知らず、答案に余念ない 態 であった。僕は 係員 の いると思う。ただこの満ちている情愛に 触 れていながら、 げんかん はんぜん 先生やお医者さんにもことさら注意を頼んで、その教場を これに感ずるに鈍 きわれわれの心情こそ、遺 憾 至極である。 かかりいん 去って再び玄 関 に来たときは、母なる人の姿も俥 の影も跡 感応の力にして 鋭敏 であるなら、いたるところありがたか 一八一 ふ が見えなかった。 らざる場所はなく、見る人ごとにありがたからざる人はな ごと くるま むねただ い。 くろずみ 黒住 教の開祖宗 忠 翁の歌に、 げ た 見る人 毎 に有難からぬ人はない かね 十一時の鐘 が鳴ると同時に彼も教室を出て、下 駄 をはい 自警録 あ ひと よ よ い い く く りがたやかゝるめでたき 有 世 に出 でてたのしみ 暮 ら あ す人 ぞ一とく み やす こゝろ くも くも りがたやかゝるめでたき 有 世 に出 でてたのしみ 暮 ら あ す身 こそ安 けれ りがたや 有 心 の雲 もはれわたりうきよの 雲 はとにも かくにも 自警録 第十九章 言葉の心 一八二 一八三 一八四 こっけい ゆたか ない、心持ちを知らすの意である。 じゅうしゃ 僕の知れる老人に 滑稽 趣味に 饒 なものがあった。封建時 代には 従者 や出入りの者に勝手に新しき名をつけることは 普通であったから、この老人もまた種々な名を出入りの者 しんせき たい ほとけがお よ とくちょう ひやか 名は命名者の心を表わす きっきょう さるか みょうせんじしょう さる わに さる どもにつけた。かつて彼が使っていた若者を 冷 しながら、 な は や ひま きさま ﹁ 貴様 が笑うときの顔はまるで 猿 のようだ。これから姓名 しゅ ﹃荘 子 ﹄に﹁名は実 の賓 なり﹂とあるごとく、実 は主 にし を改めてはどうだ﹂ じつ て名 は客 である。言葉も同じく考えの 賓 、思想の 客 なりと といい、真 面目 になって猿 嘉 という命名書を与えた。 爾来 ひん いいうると思う。一方に名などどうでもよいではないかと この若者はこの姓を用いしのみならず、その子孫は今なお あいともな じつ いう人があれば、また一方には人は名によりて 吉凶 ありと 嘉 氏を称している。また老人の 猿 親戚 中に耳がはなはだ小 そうじ て、ことに近ごろ姓名判断など 盛 んに流 行 る。しかし名 と さなものがあったので、彼はその人のために新たに 半耳 と かく とが 実 相伴 わねば、とかく誤りをきたしやすいから、名は 命名したという。これらの命名は客観的にその人々の 特徴 ろうし よう ひん できうるだけ明らかにしておくに若 くはない。 を言い現したものだといえば、名は 体 をあらわすといわれ かく これははなはだ着実な議論であるが、さらに一歩を進め る、いわゆる 名詮自性 とやらである。しかし若者某 のごと た いか ねむ なりひら かっぱ とくちょう はんじ じらい て高い見地よりみれば、 老子 の言うごとく、名の名とすべき きは、ただ笑うとき 猿 に似たからとて、そればかりが彼の わずら おのずか はな してき さるか は常の名にあらずである。言語の 用 は思想を確実に、意志 特徴でもあるまい。おそらく他にも種々な 特徴 があったろ よう め を明らかにさえすれば事が 足 る。遊ばせ言葉は暇 つぶしで うと推量する。彼が 怒 る時は 鰐 のごとく、酔 った時は 河童 じつ はんじくん くち じ かつ 煩 わしい。言葉はなるべく簡略なるがよいというのも の ご と く 、し か し て 睡 った時は 仏顔 であったかも知れぬ。 こじん たちい ま 無理ならぬ説なれども、僕の考えでは名も言葉も 自 ら物や また 半耳君 にしても然りである。彼は耳に異状がありしと ことわざ な 思想の 実 を現すだけで 用 の足るものでない。二つながらこ するも、 口 なり鼻 なり業 平 をしのぐほどの形をしていたか げんはみのぶんなり さか れを用うる人の心のさまを言い現すものであると思う。す も知れぬ。 いわ じつ なわち名であれ言葉であれ、客観的のものを言い現すに 止 しかるにこの老人が彼らに命名した時は、ことさら悪い し まらで、これを用うる人の心持ちを示すものである。 古人 特徴をふざけて 指摘 したのである。彼らを取扱うに冷評的 しな ぼう の曰 く﹁言 者身之文也 ﹂と。日本の諺 にも﹁言葉は立 居 を とど あらわす﹂というが、これはただ 品 や育ちを現すとの意で 自警録 あゆてんねい ﹁ 巧言令色 の人、阿 諛謟佞 の人﹂ こうげんれいしょく 態度をもってすると、好意をもって善良なる特徴を選ぶの と評するし、乙は、 いっしどうじん あいきょう ﹁よいぐあいに世渡りする 上手者 、 愛嬌 を振りまく八方美 じょうへき じょうずもの とは、非常なる相違を生ずる。もし好意をもってすれば、 じ だ だとか、耳 猿 朶 が半分だなどいう特徴の一端を挙げずに、 人﹂ ゆかい さる 快 なる印象を与うるがごとき名をつけうることも必ずで 愉 という。また 丙 は、 もう きる。ゆえに僕は言いたい、名は実を示すというよりも、 ﹁真に人に接して 城壁 を設 けず一 視同仁 的の愛情の深い人 へい 命名者の心を現すものであると。 だ﹂という。 一八五 いま甲と丙との批評を聞くと、同じ人を評しているもの しんせき 言葉はこれを用いる人の心を表す とは思われぬ。乙の批評を聞くにおよび、 親戚 関係でもあ なんぴと 用語においてはなおさらである。これは 何人 でも経験あ る人かという疑問が起こる。同一の人にしても甲乙丙の 見 あり他の質問に応じて充分に説明するときは、甲は、彼は み ることであろう。同一の人を評するに敵意をもってすると ようによりてはかくのごとき差異を生ずる。またここに人 ものしり顔して少しばかりの学問を 衒 うと評し、乙は、彼 うんでい る。優 れた人を評するにつけても、 はちょっとひと通りはものをしっているようだが、だいぶ すぐ 好意をもってするとはその結果において実に 雲泥 の差があ ﹁あの男はエライ﹂という者あり、 得意になって話すると言い、丙は、彼は我々の質問に対し てら ﹁エラそうだ﹂というもあり、また、 切 によく説明してくれたと 懇 謝 する。同じ人の同じ説明で なんぴと しゃ ﹁エラぶる﹂というもある。 さえも、聞く人によりてかくのごとき異なった感情を受く くそ こんせつ ﹁まるい 鶏卵 も切りようで四角﹂。 る。 たまご ﹁物も言いようで 角 が立つ﹂ 。 こういう例をあげきたれば、 何人 にもまた何事について かど 俗に﹁ 糞 も味 噌 も一 緒 にする﹂というが、味 噌 を見て 糞 も必ずおびただしくある。また僕はかくのごとき例を多く たいど くそ のようだというのと、糞を見て味噌のようだというのとは、 あげたいと思う。なんとなれば読者中には甲か乙かあるい え み そ その人の 態度 に大差あるを証明する。ゆえに同じことを言 は丙かに属する人あり、自分でおのれは甲に属し、おのれは しょ うにまったく別な言葉を用いてよいこともある。 乙に属すると考うる人もあろう。ちょっと茶一 杯 飲むにし み そ たとえばここに笑 みを含んで話するものがあるとすれば、 ぱい 甲はこれを、 自警録 けんぎ ﹁彼が嫌 疑 がましいことをなすにつけ、いついかなる運命に おちい ても、こんなまずい茶をよくも恥かしげもなく出せたもの るかも知れぬ、万一そうなると自分の心残りとすること 陥 そし く だ。この家の主人はずうずうしい恥知らずのけちんぼなり けいごく は一人の老母の身の上である、老母が安全に生活する心配 しゅっきん と謗 る人もあれば、あるいはわれわれがちょっと来るたびご ぼしんしょうしょ ぎきょう しの がなければ、私は 繋獄 の身となるも 悔 ゆることがない、つ ぎょくろ ぺん いな とに五円、六円の玉 露 を出す必要はない、彼は﹁ 戊申詔書 ﹂ ほ じゃっかん いては 若干 の金を得て老母の養老金にしたいと頼まれ、わ のぎしき もも じゅく のご趣意をよく奉ずる、感心な 乃木式 の人なりと 讃 める人 きさき が輩一 片 の義 侠 、これを否 むに忍 びず、彼のために出 金 し せきじ もある。 じょ あわ きょうぼうしゃ た﹂ ばっ ちょうおとろ み く また昔 時 シナの妃 が庭園を散歩し、桃 の熟 したのを食い、 けん くろ と答えたが裁判官はこの事実をもって彼を 共謀者 なりと び 味の余りに美 なりしに感じ、独りこれを 食 うに忍びず、 食 みなした。すなわち僕の友人は答うるに事実のままをもっ ささ い残しの半分を皇帝に 捧 げ、その愛情の深きを賞せられ、 てしたが、裁判官はこれをそのままに受けないで、 憐 れで すんぶん きさき 愛 いよいよ厚きを加えたが、その後 寵 妃 の 寵 衰 えたとき、 あるから金を恵むというも、一円や二円の額ならその申し ちょうあい かつて食い残した品を捧げた無礼の 件 によりて罰 せられた つ 開きも受け取れるが、数千の金を出すにいま述ぶるがごと ほ そ という。 寸分 異ならぬ同一事実のものでも、見 ようにより き申し訳けは取り上げがたいと 告 げた。友人はこれを聞き、 い わ ては 褒 めることもできれば、誹 しることもできる。賞する カッとしてわが胸中に湧 きいずる同情の海に比ぶれば二千、 ばっ ぜっきょう ことも罰 することもでき、殺すことも活 かすこともできる。 あたい 三千の金はその一 滴 にだも 値 せずと 絶叫 したと聞いた。金 しょうじょう てき 同じことも見聞する人により 霄壤 の差を生ずる。 を与えたという事実は同一なるが、これを 叙 するに裁判官 の用いた言葉と友人の用いたる言葉とは非常に違っている。 同じ事が弁解にもなり有罪にもなる してこの差の起こるゆえんはまったく心の置き所が異なる 一八六 僕の知人に思いがけなき災難にあって裁判所に呼び出さ かね からである。 ひ けんぎしゃ たいほ れた人がある。彼は 日 ならずして無罪を宣告せられたが、 かくの如き曲解も起こる 一八七 捕 の理由は彼がある 逮 嫌疑者 に数千の金 を与えたというに また僕の知人にてある所で演説したことがある。始むる きさま あって、裁判官が、 にあたりてあたかも前面に掲げてあったご 真影 に最敬礼し しんえい ﹁なにゆえに貴 様 はかかる大金を彼に与えたるか﹂ じんもん の尋 問 に対し、彼は、 自警録 こんにち とうだん 不快の感を与うる言語 一八八 て登 壇 し、今 日 の教育はややもすれば技術的教育に流れ、人 我が邦 には西洋語にては言いにくき便利なる言葉がある。 おこた 格教育は 怠 りがちである、ゆえになにごとに対しても﹁イ くに エス﹂と﹁ノー﹂の区別さえもできぬものがある。自分が そのなかに﹁何々 し や あ が っ た﹂というのは一つである。ま しか く思わぬことでありながら、思っているようの返事をし 爾 じ た﹁何々を し て や っ た﹂というも一例である。まず前者に お なる善事をも悪化しうる。たとえば、 あが ﹁何 某 は死に や あ が っ た﹂ かん のと同じである 云々 、と述べた。 ﹁誰は結婚し や あ が っ た﹂ と たわむ たり、あるいは 爾 く思いながらも思わぬごとき言葉を使っ ついて一言せんに、僕はこの言葉の起こりを知らぬが、外 しか たりする、あたかも子供に 戯 れてくすぐる時は﹁ 叔父 さん 国人が見たら﹁ 上 った﹂というのでむしろ 鄭重 な言葉と思 すると 傍聴者 のなかに、痛 くこの演説が癪 に触 った者が ﹁勉強し や あ が っ た﹂ ていちょう いやだ﹂といいながらも、 止 めればまたからかってもらい うであろう。しかし日本人 間 にありては、この一言でいか あって、講演者を罪せんとたくらみ、彼は御真影の前をも ﹁昇 進 し や あ が っ た﹂ いな らず 憚 猥褻 なる 語 を用いたと称して問題を惹き起こしたこ うんぬん とがある。 といい、たとえ善事であっても、これに対して右の一句を ふう たい 風 をするごとく、真にいやなのであるか 否 かわからぬ 講演者はいかなる点が猥 褻 であるか と ん と理解しえなかっ 加うればたちまち悪化する。これはおたがいに常に耳にす わいせつ わいせつ ことば わいせつ おとしい いだ 次のごときことを話した。自分が何々博士を訪ねて、種々 しょうしん なにがし たが、よくよくその事情を聞くと﹁いやだいやだ﹂で始まる ることである。僕はかくのごとき言葉を聞くと、常に 不愉快 がんぜ みずか さわ 褻 の歌があるそうである。講演者はさらにその歌のある 猥 に思い、また人を 陥 るる手段をめぐらしているなと思う気 わいせつ いた ことさえも知らなかったが、演説中にいやだいやだという句 がして、この言葉に対しては常に気味が悪い感想を 懐 く。 ぼうちょうしゃ を使ったために、 猥褻 と思われたのであったという。同一 また﹁シテヤッタ﹂という言葉が広く行われる。むろん善 はばか なる言語を使用しても言う人は子供の 頑是 なきところを述 い意味に用うることもあるが多くは悪意に用うる。僕はこ はうた ふゆかい べんとの心なるに、聞く人はおそらく 自 らしばしば唄った れを聞くごとに一種の不愉快を感ずる。かつてドイツに留 じんく あげあし 句 か端 甚 唄 を思い出したのである。いかなることでも 揚足 学していたころ、やはり同じく留学していた同胞の一人が わざ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 しゃく 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 をとり曲解することは容易なる 業 で、口の先は偉い力を有 するものである。 、 、 、 自警録 ういって や っ たところが、だいぶ相手も 凹 んだようだった 議論したうち、少し 癪 に障 ったことがあったので、こうこ なりしかを示すだけで、同じことをまったく別な態度で見 いても記者がいかに 某 を重 大視 し、某は彼に対して 無頓着 アあの時のことであったかと思ったという。この場合にお に言葉なく、ギャフンと参ったと書いてあり、始めてハハ さわ と。僕はこれを聞き思いきったことを言ったものだ、相手 るとかくのごときゆきちがいが 始終 起こる。こういう例を しゃく の人も定めしだいぶまいったであろうと思い、そののち同 あげきたれば僕自身にも少なからざる経験がある。おそら へこ 博士を訪 ねた折、それとなくこうこういう議論につきいか くは同様の経験を持たぬ人はあるまい。 いわ 一八九 うそ しじゅう うそ むとんじゃく にお考えであるかと、いわゆるやっつけた人の説を繰り返 じゅうだいし せるに、博士は曰 く、 邦人間に行わるる嘘の原因 ぼう ﹁それに類したようなことを、この前に君の国の人がいっ そもそも外国人が日本人を批評し、日本人はとかく 嘘 を に二つの原因より来る。一つは普通教育がまだまだ充分な たず ていたことがあった。なにぶん言葉が不完全なので、 明瞭 つくというが、悪意をもって 嘘 を言わなくとも、事実に違っ めいりょう にその言うところの意味がわからなかった﹂ たことを 吐 く点にいたりては、おそらくは日本人は西洋人 とうとう といい、進んで 滔々 としてその説の正当ならぬことを説 よりもはるかに多いと思う。その事実に違うというはおも こちょう だ軽く、 や っ つ け ら れ たともなんとも思わぬことがしばし らぬから、用うる言葉に精確を 欠 くためである。ゆえに角 は け た﹂と大いに 誇張 していい、一人はそんなことははなは かれたことがある。つまり同一の事柄を、一人は﹁ や っ つ ばある。かくのごとき場合には や っ つ け たと思う心ははな ばりたるものなればすべて四角という。これを聞いた外国 こま か はだ陋 かつ小であって、先方を困 らす動機を示すのみで、は 人は真に四角なものかと思うと、なんぞはからん、三角と ろう たして自分の言が有効であったかを保証するものでない。 嘘 をいう考 か六角とか八角なものがある。言う者はあえて 、 、 、 、 、 らいほう まんまる うそ 近ごろ僕の知人にして雑誌記者の 来訪 を受け、なんかの まるぶち えはない。何角だかは考えないで、ただ角なるゆえに四角 りんかく 質問を受けたことがある。しかるにその質問があまりくだ というのである。 輪廓 が円 縁 であればただちに円いと言い、 まる まる らなかったので取り合わなかった。数日ならずしてなにか 曲 さえあれば円いというも、その 屈 円 というのは円形の意 くっきょく の雑誌に自分の名が掲げてあったので、はてな、そんな雑誌 でない。しかるにこれを聞く外国人は、これを 真円 と解す うそ るゆえに 円 ならぬものを円 と嘘 をいうとする。 まる に投書したことはなかったがと思い、試みにその記事をみ たず ると、某氏を 訪 ねて大いに議論を戦わしたるに、彼は答うる 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 自警録 ぜんげんびご 一九〇 わ もう一つの原因は前述の主観的の要素が西洋人よりも日 心から 湧 き出たものが真の言葉 こん 本人にはなはだ強い。すなわち感情が事実に 混 じやすい。 用言などは意さえ通ずれば、どうでもよきようなものの、 いやみ ゆえに事実を冷静に客観的に述べないで、あるいは 厭味 を 悪意をもって用うれば、いかなる 善言美語 も不愉快の感を くも 付加したりあるいは喜ぶ意を含ましめたりする。天気が 曇 わ 与える。ゆえに言葉などはどうでもいいという人は、まず あふ れば曇ったというだけで事実を述ぶるに足るに、曇ってき み 心を善くせよとの前提がなくてはならぬ。﹃聖書﹄に﹁心に そこゐ し や が っ たというような言葉を用うるために、曇るのを望ま ひと ち溢 充 れて言葉となる﹂とあるが、心から湧 き出たものが ていちょう こゝろ しく思う人でも、これを聞いて不愉快の感を起こす。 こと こゑ まことの言葉である。 の葉 言 の声 に心 のあらはれてやさしき 人 の底 井 知 ら は これに反して 鄭重 なものの言い方に、心にもないことを 含ませることがたくさんある。 僕は先に同一事実を別語で語りうるといったが、それと るゝ きんき と Your obedient servant いやみ えんきょく こうみょう もと ほね しょう 同じように同一言語をもって正反対の心を現すこともでき ちゅうぼく る。 婉曲 巧妙 なる言葉の 下 に 骨 を 銷 することもできる。 き か 記する礼法があるが、これを、 さいはい ﹁ 貴下 の柔順なる忠 僕 ﹂ とんしゅ 言葉などどうでもよいというは、心に比ぶればはなはだ軽 ほうぶん みなもと ぶ と直訳すると、 邦文 の﹁ 頓首 ﹂、﹁ 再拝 ﹂より ひ ど く聞こ か おとしい 少なりとの意でなく、心そのものを無視して言語はどうで き ぶれい つつし もよいと言い、厭 味 たっぷりの文句や人を 陥 れる言い振 り、 ふきんしん 人に無 礼 する語を用いることはなはだ 慎 むべきことである。 いなか じて従う﹂ おびただ 僕自身が 田舎 生まれではなはだ 不謹慎 の語を用いること多 ひと まど の厚意を述べた語である。いったい日本語には敬語が 夥 くや しょうじき きゆえ、一層このことを感じ、また世には僕みたような人 そうしき い よ は しいから、人の 葬式 に 悔 みに行っても、心の中の半分だも なげ いつは の歎 ける一首に曰 わく、 しからまし りのなき世 偽 なりせばいかばかり 人 の言 の葉 はうれ こと もあるだろうと思い、所感の一端を述べたのである。 する、すなわち用に立つことあらばあまん serve 、 、 、 思わぬことまで述べる。少し 正直 な人は 惑 わされる。古人 ﹁貴 下 に ひくつ ゆれども、この句の 源 はさほど卑 屈 の意ではなく、 洋でも 書簡文 には、その終りに しょかんぶん 手紙の文中に﹁恐縮の至り﹂ ﹁ 欣喜 の至り﹂などあり、西 、 、 、 、 自警録 第二十章 忠告の取捨 一九一 一九二 一九三 せ おそれ せいじん く ん し ぎくんし ゆえに、少しく油断すると 聖人 君 子 の言葉を用いて他人 ののし を 責 むる道具とする 懼 がある。さればこそ、他人を 偽君子 つみ と呼び、不忠不義と 罵 り、あるいは説教するに聖人の句を 引用して人を 罪 するごとき面白おかしいことがとかくあり せめどうぐ 教訓を 責道具 に使うなかれ せんけん ごじん がちである。 みずか こういう僕もこれより言わんと 欲 することについて、 自 こういうふうに他人が 吾人 のために与うる訓戒も、友人 あら ら反対の例となるの恐れなきにしも 非 ざれども、言わずに が精神より述ぶる忠告も、先 賢 が血を流して教えた大義も、 ほっ おれば、なおさら悪例の一つとなるに過ぎぬから、しばら 自分の身の上には直接あてはまらないように思うことの多 ひ きょうぐう きょうがい く読者の耳をかりたい。読者も必ず僕と同じ経験があるで きゆえんは、一つには自分がこれらの言を充分に味わう 境涯 さと あろうが、とかくに他人の我々に与うる忠告や訓戒は、わ に達しない、すなわち自己の 非 を悟 らず自己の弱点を察し 一九四 みずか ごじん れわれの身にとってはなはだ見当ちがいであるごとき感を ないゆえである。また一つには忠告する者が 吾人 の境 遇 を じゅうぶん 与えることが多い。 分 知らぬゆえである。 充 いしんぜん おさ 老人らが懇 々 と吾 人 に身の治 め方について説いてくれる ごじん ときでも、この老いぼれめが 維新前 の話をしているわいと、 教訓を味わう力が足らない こんこん 耳東風 に聞き流すことが多い。また 馬 吾人 の真情や実況を 今しばらく第一の点について一言したい。これをいうに こんせつ おれ ごじん 一通り心得ている友人が 懇切 に我々に忠告するときにも、 ついては例のとおり僕は 自 ら経験した恥 もさらさねばなら ばじとうふう ややもすればこの男がまだまだ 俺 の腹の中を知らんわい、 ぬ。 むなそこ はじ なんと見当違ったことをいうものかと、 胸底 で笑いたくな ふしまつ たとえば小さいことながら、僕は若い時から金を使うに ふきゅう ることもある。 はなはだ 不始末 であった。不始末といえばあるいは他人を てないということである。これがために自分が知らないう めいわく またわれわれが﹃論語﹄や﹃聖書﹄を読み万世 不朽 の金言 うま 借り倒したり、人に 迷惑 かけたりするように聞こえるか知 ふ と称せらるる教訓に 触 れても、 甘 いことをいっている、こ らんが、それほどにまでは不始末を実行したとは思わぬが、 おしえ たれそれ の訓 は某 に聞かしてやりたいものだと、おのれの身にあて 僕のいわゆる不始末は、小使帳をつけないとか、予算を立 ここち はめて考えるよりは、他人に応用する 心地 することがまま ある。 自警録 みずか あ かるにこの人にして相手方が彼を 欺 くか、あるいは自 ら飽 あざむ きてくると初めて目が 覚 める。かつて友人のいったことが ふところ から ちに 懐 が空 になったり、旅行中に費用が不足したりするこ テッキリ自分のことであった、﹃聖書﹄の文句の何章何節 さ とが折々ある。このことについては 親戚 友人から折々忠告 しんせき もされたが、しかし非常に行きづまって進退これきわまる は、自分個人のために書かれたものであるごとく感じられ うが てくる。 こんせつ ときまで、その忠告のいかに 懇切 に、いかに穿 っているか を味わうことができなかった。 ちゅうしょうてき 一九五 はんろんてき ぼんじん ﹁子を持って知る親の恩﹂﹁孝行をしたい時には親は無し﹂ ぞんめい 聖哲の教訓はなにゆえ 凡人 に入り難きか ことわざ と 諺 にいうごとく、親が存 命 で孝行する機会のあるとき こうきょう いったい聖人君子の教えと称するものは、長いかつ広い おこた に孝道の教訓を聞いても、なに分かりきったこと、百も承 経験に基づいたことは多いとはいえ、 抽象的 のものが多く けいしょ こじん 知と思いながら 怠 るが、親無きあとで﹃ 孝経 ﹄を読みかえす て具体的でない。いわば 汎論的 で、各論的でない。万民に の と、初めてその﹁ 経書 ﹂の真意が明らかになる。これ故 人 べた言で個人に述べた言でないからして、とかくわれわ 演 こうきょう の忠告が不足なるにもあらず、﹃孝 経 ﹄の悪いのでもない。 れ 凡人 の頭には入っても腹の底に 沁 みることが薄 い。 きんど おれ うす ひたすら自分が訓戒あるいは忠告を理解するの力なく、こ 大ざっぱの教訓も、すなわち忠義でも、孝行でも、信義で し れを受け 容 れる襟 度 のなかったためである。くどくどしく も、いずれも抽象的で、いかなる国民にも、いかなる 境遇 ぼんじん 細かいことをいうようだが、具体的の例をあげると、酒好 の者にも応用できるだけに、これは 俺 のことだと私の意味 い きの者に飲酒の害、禁酒の徳をどれほどくりかえしても、 に取ることは薄くなる。それゆえに先に述べたように、こ おも おれ だらく きょうぐう なかなか耳に入らぬが、いよいよその害毒が身におよんで ういう文字は人を 責 むる道具に用いるほうがむしろ多いか ほうとう せ 病いにでもかかると初めて成るほどという観念が起こる。 と 思 う。彼は不忠者である、彼は不孝者であるという言葉 ほけきょう たんでき また 放蕩 にふけっている者も同じことで、 耽溺 している はしばしば聞くが、 俺 は不忠である俺は不孝であると感ず と おれ ぎ おの あいだは﹃論語﹄をもっても﹃ 法華経 ﹄をもってもなかな ることは少ない。またたまたま 己 れの非を自覚しても、す みずか おれ か浮かびきれない。 説 けば説くほど自分に関係ないことの ぐに 俺 はまだ 某々 ほどに堕 落 せぬとか、あるいは俺 の場合 たれたれ ように心得て、 ﹁君の言うことは一々もっともだが、僕の場 は特別であると 自 ら義 ︵ justify ︶せんとしたがる。 実際僕が今こうしてこのことを書きながらも、僕自身が おちい てい 合は少し違う。君が心配するほどのことはないよ﹂ 底 の考 えでますます深みに 陥 るのもわれわれはしばしば見る。し 自警録 やしな ら、教育上道徳観念を 養 う者はほとんどなかった。ゆえに そう 人を責めておりはせぬか、この文を 草 するよりは、むしろ これを求むる者は 勢 い書物に依 ったのである。 あたま よ いて己れ、果たして忠なるか、己れ果たして孝なるかを 退 しかるに残念なことには書物にあることは前述のごとく 一九七 いきお 考えるほうが筆取るよりも急務ではないかとまったく思わ 象的 であるから、未熟の 抽 頭脳 には入りにくい。たまたま しりぞ ぬでもない。これを思うと同時にまた若い時につまらぬこ 入れば自分を 省 みるより他人を責むる道具となる。 ねうち ちゅうしょうてき とながら僕がここに言わんと欲することを言ってくれる人 しじゅう かえり があったなら、いくらか誤りも少なかったろうにと思いか 訓戒の 値打 を知る法 ほんやく の 抽象的 教訓を具体的に 翻訳 しなければならぬ。この翻訳 ちゅうしょうてき をするには、一つには伝記を読んで、 何某 がどういう誤り ほどこ えしてまた筆を取る。 そこで僕は始 終 思うに、個人の訓戒を実際に施 すには、そ 余らの学校時代には徳育が無い をして、どういう結果に 陥 った。そしていかなる法によっ 一九六 決して 誰彼 を怨 むわけではないが、⋮⋮もし怨むとすれ て、取り返しをしたかを知るが一つ。また一つには 年輩 も おちい けいけん だれだれ ば時勢を怨むというよりほかにないが、⋮⋮明治十年前後、 遇 も同じような親友とたがいに真情をうちあけて、 境 俺 は さばく うら 僕が学校ざかりの時分には、日本の国は教訓については︵道 こういうことをした、あるいはこういう悪い考えが浮かん たれかれ 徳とは言わぬ︶ 沙漠 の時代であった。 で困ると語り合い、また友人の実験を聞いて、実際の人生 おちい 僕の十歳代の時を顧みると年長者なり、 先輩 なり、親切 にいかなる 誘惑 のあるものか、 自 ら知らぬ経 験 を具体的に おの みずか しりぞ おれ ねんぱい に指導する者ははなはだ少なかった。 有為 なる人物を育て 他人から聞きただすも一つの法であろうし、また 自 ら退 い みずか きょうぐう るようには、心がけた人がたくさんあったが、正しい人間 て想像して、 己 れがかくのごとき場合に 陥 ったならば、い せんぱい を造ろうということには心のうちには、いずれも思ってい かに身を 処 するかを、考えるもまた一法であると思う。 ものわら みずか たろうけれども、これを形に 顕 して自 らこれを個人に及ぼ 僕がいま最後に述べたことは、子供らしい方法で、世間 かわ ゆうわく すことのはなはだ少ない時代であった。ゆえに 神経質 なる の 物笑 いになるか知らぬが、少なくとも僕のごとき平凡な う あまた じんさい ゆうい 僕のごとき者は、 ︵僕と同感の青年が何万とあったろう︶す る青年にはすこぶる役に立った方法である。たとえば今に あらわ がりよって、教えを求めようと 飢 え渇 いていたものである。 記憶に残っていることも少なくないが、十五、六のころ一 やつ しょ しかるに親切な人も正しい人も 許多 あったが、時代の要求 しんけいしつ は少しは悪い 奴 でも役に立つ人 才 を要する傾向があったか 自警録 おちい かね ろうばい を 兼 て聞いておらなかったならば、彼の 狼狽 は定めし見苦 おれ 人で想像して、もし 俺 がかくかくの困難に 陥 ったときは、 しかったものであろう。 おれ 自分はどうしよう、もし 俺 がかくかくの誘惑にさそわれた 一九八 えとく ときには、こうしようと夢みるごとくに描いた仮定が、そ 抽象的の教訓も初めて具体的に 会得 する かんなんゆうわく の後しばしば役に立った。今後も役に立つであろうと信ず 僕がさきに述べた、艱 難 誘 惑 を仮想的に描いて、これに対 しりぞ する方法を定めよとは、まことに子供らしいことはわが輩 まど る。事に当たって 惑 うときも苦しむときもちょっと一歩 退 いて、 も承知である。これを読む諸君なかんずく聖人、君子、英 ごうけつ ﹁ハハアこれはいつぞや夢に見たこういう場合に当てはま 雄、 豪傑 らは、僕の言の幼稚なるにふきだすであろう。け ろぼう りょう ぼんじん る。そのときにはこうしようと思ったが、今日その通りで れども僕はしばしば言いしとおり、僕の 同僚 たる凡 人 に対 ぶんきてん あたい どうりょう きぬはずがない﹂ して話をするのであるから、よろしく非凡の人々は 諒 とし じゅんび と、こう思うと大概のことには、かねての 準備 があるが てもらいたい。 あたい ちゅうしょうてき ごとき自信を抱いてくる。ゆえにこの想像がなかったなら この仮想によって、 抽象的 の教えを具体的に翻訳して初 ろうばい ば狼 狽 すべかりし場合にも、うんこれは例の夢が実現せら めて意味が 明瞭 にかつ実際的になり得る。明瞭に実際的に いかん おうごん めいりょう れているんだと、思いきりがつく。もっとも聖人君子なら ならなければ、いかなる金言もなんの 値 もない。そのかわ まど ざる身であれば、事に当たって一時 惑 うは遺 憾 ながらあっ じ だ ひけん り明瞭に実際に自分の言行を支配する力があれば、いかなる なりひら ても、そのことをかねて期待しておったとおらぬとはたい かね きのふ 見 も黄 卑 金 の値 を有するにいたる。それであればこそ 路傍 つひ へん違う。彼の有名な業 平 の辞世を見ても、 しょうに きんせん かた なみだ で 耳朶 に触れた一言が、自分の一生の 分岐点 となったり、 かたこと に行く道とは 遂 兼 て聞きしかど昨 日 けふとは思はざ ひとくちばなし もとい 言 でいう 片 小児 の言葉が、胸中の 琴線 に触れて、涙 の源泉 ろうおう りしを を突くことがある。老 嫗 の一 口噺 が一生涯の基 を固 めたり、 なりひら とある。業 平 という人は文芸に優秀なることは言うまで きのふ おのれながらなんでそんなつまらぬことが、こんなに自分 りんじゅう い もないが、その人となりについてどれほど根底のたしかな しゃか を刺激したろうと驚くことがままある。 う 釈迦 が東西南北の門を 出 で、あるいは病める者あるいは ふ い 人か知らんが、その臨 終 になって、 ﹁昨 日 けふとは思はざり 死せる者、あるいは老いたる者あるいは 貧 しき者を見て、 まず しを﹂とのこの句はちょっと 不意打 ちをせられて、あわて つひ たようにも聞こゆるけれども、もし彼にして﹁遂 に行く道﹂ 自警録 ひきん 人の心も先に言った想像なり、あるいはそれよりはるか以 ととの 人生観に新しき立脚地を開いたが、病める者死せる者老い 上の方法をもって、準備を 整 えていさえすればいかに 卑近 さまつ たる者貧しき者はわれわれも毎日眼にしておりながら、わ な教えでも、いかに 些末 な忠告でも、必ずこれを受け取っ はつが れわれはあえてこれがために新しき人生観も得ない。 い て 発芽 して、花咲かせて実るものと思う。 かんげん こじき かんげん たいじん おさ 他人の 諫言 忠告をいつでも 容 れる心の態度を有する者は きょう 忠告を納むるべき 肥沃 な畑 真の 大人 、君子、英傑である。シナ太古の聖人が世を 治 む 一九九 かの英国の誇りとするシャフツベリー 卿 は、身は名流で る時代には朝 廷 に諫 鼓 という太鼓のような物を備 えおいて、 ひよく あり、一家は巨万の富を積み、 娯楽 に世を渡る資格をそな 人 にても当局に忠告せんとする者はこれを打つと、役人 誰 いちごん たがや ぼんじん そな えておりながら、中学校時代 乞食 の葬式の途中棺 から死 骸 が出て 諫言 を聴いたと伝えるが、今日は 諫鼓 のかわりに新 そう かんこ のおちるのを見て、十五分間に自分の生涯の方針を定めた 聞があるけれども、耳を傾ける度量は昔にくらべてどうで こじき ひび こうし や そ ちょうてい と称している。 あろう。 ごらく しかるにわれわれもよし 乞食 の葬式にあらずとも、これ うつ しゃか たれびと に類したることはしばしば見ている。世の 憂 き事、人生の 正しき時に正しき言を放つは賢人 しがい つらいことが毎日われわれの眼に 映 り耳に 響 きながら、わ なお他人に忠告するについては、 一言 したいことがある。 かん れわれの胸にはなんらの影をも落とさず、なんらの共鳴を たびたび言うとおり聖人君子でないわれわれ 凡人 に訓戒を りっし どじょう はたけ かんこ も引き起こさない。しかるに世にいくらか仕事をなした人 与えることははなはだむずかしいし、また与えたところが う について質 したならば、十に八、九までは、私の 立志 はかく 迦 、孔 釈 子 、耶 蘇 の訓戒でさえもいちいち反応ないのに、わ おそ かなた あたい 二〇〇 かくの時に発したと、なにか具体的な、しかも他人の耳には れわれの訓戒が功を 奏 することはおぼつかなく思う。 ただ つまらなく聞こゆる 些細 な出来事を指摘するであろう。こ 友人に忠告することは常にあることで、ある意味におい りゅうおと ささい れ蓋 し、すでに腹の畑は 肥 しができ、掘り起こされて 土壤 ては世にありすぎることである。こんなことまで忠告する ぐうぜん こや が柔かになり、 下種 の時 晩 しと待っているところに、空飛 におよばんのにと思うことがままある。 けだ ぶ鳥が偶 然 一 粒 墜 したり、眼に見えない風が山の彼 方 より すべきは時を選ぶ一条である。友人の心の 畑 が耕 されてい しかし忠告する 値 があることについても、もっとも注意 かしゅ 種を抱いて吹き来たったりして、春に 萠 し、夏に花咲き、秋 きざ に実るのである。 自警録 はな おくびょうもの ゆうかん し 臆病者 と判断し、しかして 勇敢 なれと忠告した者があっ ことわざ るや否や、英国の 諺 に賢人とは正しき時に、正しき言を 放 もく たならば、おそらく彼は腹の底で笑うのみであったろう。彼 ほうしゅく を知る 鮑叔 が彼を 目 して臆病者とも卑怯者とも言わなかっ おと つ者なりとあるが、実にそのとおりで、どんな正しい言で ぐじん も時ならぬ時に放てば 愚人 の言にも劣 る。おそらく多くの たのは、彼の人となりと、彼の事情を知っているからであ そうぐう 人はみな経験があるだろう。 ゆうぎ る。 いさ まじめになって、友人を 諫 めたためにあるいは 友誼 を破 僕はずいぶん異なった境遇に 遭遇 したあまたの人に接し ひ り、あるいは他人の心に反抗心を 惹 き起こさせて、いっそ きえん て考える。教訓も忠告も、その百分の一も功の無きはこれ だらく そうしき う彼を 堕落 せしむるの 機縁 となることがある。時ならぬ忠 を受ける人の真情に当たらぬのと、これを受ける人に対す うす 告は有害ならぬまでも、無益におわる場合多ければ、 葬式 ごと ひと る同情の 薄 きによると思う。約言すればとかくわれわれの しゅくじ に祝 詞 を呈し、めでたき折に泣き 言 を述ぶるに等 しきこと つつし 忠告なるものには誠意誠心が欠けがちで、軽々しくするが まか は常識に 任 せて 謹 みたい。 ゆえに、先方を動かさぬは当然のことである。人に忠告せ さいこんたん た 僕のたびたび引用する﹃ 菜根譚 ﹄に、 げん んと思う者は口に言を発するに先だちて深く心に念ずるこ はなは そ順序であろう。また人より忠告を受くるものは先方の誠 せ ﹁人の悪を攻 むるは太 だ厳 なるなかれ、その受くるに 堪 う おも るを 思 うを要す。人に教うるに善を以てするは、高きに過 意を疑ってはならぬ。彼の言は長く心中に念じたる結果、 い ぐるなかれ、それをして従うべからしむべし﹂ やまとぞっくん やむなく口外に 出 でたるものと思えば、これ実に天の声で そう かいばらえきけん とある。 そう 二〇一 ある。 こう ばっすい 貝原益軒 がものせる﹃ 大和俗訓 ﹄の中に、忠告に関する うが を奏 功 する忠告と奏 せぬ忠告 ちょっかん あやま こうし いさ わじゅん ふうかん まことに 穿 った教訓があるから、左に抜 萃 する。 いさ 人を批評するにも、人を判断するにも、また人に忠告を ﹁およそ人を諫 むるには、人の気質によりて 直諫 、諷 諫 の二 く 与えるにも、先方の事情を深くかつ同情的に 汲 むにあらざ ちょっかん つの法あり。知らずんばあるべからず。その心 和順 にて義 ひ れば、われわれの批評がけっしてその当を得ない。かえっ り ぜ 理明らかなる人ならば 直諫 すべし。直諫とは 過 ちをいいあ そう らわし、理 をすぐにのべて、是 非 をまげず、つよく諫 むるな こう てわれわれの判断が誤りやすい、すなわちわれわれの忠告 り。かくのごとくなれば聞く人おそれて従う。 孔子 の法語 かんちゅう ひきょう は功 を奏 しない。 に 管 仲 が戦場で遁 げたからとてただちにこれを 卑怯 と批評 自警録 これ ふうかん わじゅん かあく よく はしに道理開けて明らかなる所あり、或いは好む所の 欲 あ げん ふうかん の言 とのたまう是 なり。また気質 和順 ならず義理くらき人 これ ちゅう いにしえ り。その所をよく見つけて言い入るれば聞き入れやすし。 げん まれ ﹄、まどは明らかなるところな いさ かた いさ ならば、 諷諫 すべし。諷 諫 とはただちにその人の 過悪 をさ この 諫 めようのよきこと 古 もさるためし多し。ふさがりた ほ しあらわしていわず、まずその人のよきところをあげて 誉 る処を知らずして、いかに 忠 をつくして諫 むとも、聞き用 そんよ ムスブヲイルルニマドヨリス まど おろか いさ め、その人を喜ばしめ、その人の心に従いてさからわず、た とくしつ とくしん いざれば益なし﹂。 そん えき だその事の損 なると益 なるとを説きて得 心 せしむべし。あ いさ るいは他事によそえて善悪 得失 を述ぶべし。かくのごとく こうし すれば聞く人、はらたたずしてよろこびて 諫 めを聞きした がう。 孔子 の 巽与 の言 とのたまえる是 なり。人をいさむる いさ 法はこの二つなり。その人の気質によりていさめの法かわ めいくんけんじゃ るべし。直諫するこそ本意なれども、正直に強く 諫 めても ちょっかん 聞く人の耳にさからいて受け用いざれば益なし。 名君 賢 者 ふうかん ならでは 直諫 によろしき人は稀 なり。よのつねの人ならば ことば 諫 すべし、諷諫をよくして人のよく聞き入れたるためし 諷 多し。是いさめのよき手だてなり。いさめの道を知らで 辞 をあらくして人にさからい、みだりにいえば人怒りて必ず 聞きいれず。人に益なくしてわが身のわざわいとなる。こ なか とにわが親に直諫して腹立たしめ、親よろこばざれば親子 いわく の中 うとくなる。大なる不幸なり。親をいさむるには法あ り。 えき 易 に曰 ﹃ 納 約 自 牖 かべごし り 。た と え ば 家 の 内 に あ る 人 に 外 よ り 物 を 言 い 入 る る に 、 また 越 にいえば聞こえず、 壁 牖 よりいえば聞こゆ。諫 めを言う も亦 かくの如し。いかなる愚 なる人も、必ずいずくにぞ 片 自警録 二〇二 第二十一章 潔き感情と正しき思想 二〇四 二〇三 いや め め のであるが、もし感情にして卑 しい女 々 しいものであれば、 ちぢ することなすこと小さくなって、偉大なる思想さえも、小 ぼうかん 感情のために、大きなところを失って 縮 まってしまう。お たがいも折々見ることで、知り合いの人のなすことを 傍観 いしゅく 偉大なる思想が何ゆえに 萎縮 するか しても、 思慮 はたいそうよく、すなわち思想においては間 いかなる文字でも、善き意味にも悪き意味にも用いらる 違いはなくとも、これを実行せんとするにあたり小さな感 しりょ るが、 感情 なる言葉ほど、ときには善く、ときには悪く用 情から割り出すがために、とかく 卑劣 な穢 い挙動に終るこ かんじょう いらるる言葉は少なかろう。人を 讃 めて言うときに、あの とがままある。あるいは人の思想をまたは行動を判断する にんしき きたな 人は感情家であるから、言うことが活気があるとか、ある についても、小さな感情をまじえてするがために、せっか ひれつ いは精神がこもっているなどという。これに反し、あの人 くの大きなことも善きことも充分 認識 せられないでしまう きどう ほ は感情家だから、議論が学理の 軌道 をはずれ、とかく横道 め ことが多い。 こしょう イギリスの 諺 に﹁いかなる英傑も 彼 の側 に侍 る小 姓 の眼 こしょう えとく はべ に走るともいう。 には偉大と映じない﹂とある。これ英傑が偉大ならざるに 二〇五 そば いったい感情は読んで字のごとく、われわれの 感覚 とい あらずして、 小姓 が偉大ならざるがためである。それと同 ごうけつ じんぶつひょう いや かれ わゆる 人情 との二つを含むものであるから、善くもとれる じく、小さなる感情を 挾 む人には、いかに善きことも、い ことわざ し、悪くもとれると同じく、正しきにも走り、正しからざ かに 大 なることも、けっして真の性質を 会得 しえない。僕 かんかく るにも走りやすい。感情はいわば一種の力であって、感情 ら古今の英雄や 自 豪傑 を批評するにつけて、小さなる感情 にんじょう あればこそ思想も力を 添 え、感情の力なければ、人の考え よりすることをたびたび恥ずかしく思う。 モーメンタム め め さしはさ はとかく冷淡にして働きに現れることは少ない。よし現れ だい ても、その運 動量 が弱い。 々 しい感情皮相の感情 女 そ 感情は意志や思想に力をつけるものであるゆえ、誤った 僕が数年前、米国に留学していたころ僕の下宿屋の主婦 みずか 思想に感情が混じると、その誤りがいっそう恐ろしくなる。 とリンカーンの 人物評 を試みたことがある。この主婦は、 いさぎよ ここにおいて、僕はしばしば感情の教育ということを口に もとはその家柄は 卑 しからぬ者で、南北戦争のさいには南 ひ するが、人の感情をして私を去って 潔 からしめたならば、 むす ら正しき思想に 自 結 びついて、偉大なる力を惹 き起こすも おのずか だい ほど 大 なる力はおそらく少なかろう。 がた 軍方 であって、最もリンカーンの政策に反対した者であっ にぶ 学者の説によれば人類の進歩は思想において発達すると さし たためか、リンカーンの人物を評するにも、その時の感情を れっとうじんしゅ けいふく ともに、感情はいよいよ 鈍 くなるという。ことごとくこの べんご はさんで、彼に関することならば、なにごとも曲解する 揷 議論には 敬服 はせられぬけれども、議論にあらずして実際 しゅうよう 傾きがあった。してこの曲解に対して、わが輩が一々 弁護 め において、 劣等人種 もしくは 修養 なき者は感情ことに小さ め したところが、最後の反対論として、 な 女々 しい感情に左右せらるること多きを思って、僕みず しゅうだんし ﹁だってもリンカーンという人は非常な 醜男子 でしたもの﹂ から感情家たるゆえか、これこそいちばん改革すべきとこ しゅう ろであると思う。 ようぼう とあたかも彼の 容貌 の醜 なりしことが、最大の罪悪であ ま りしがごとく述べた。 大統領改選に現れたる米人の感情と思想 二〇六 これほど明らかに口に出さなくとも、これに 負 けないほ 米国においては四年ごとに 大統領 の改選が行われる。一 せじん はた だいとうりょう どの不合理な理由から、人の批評をしたり、歴史の事実を判 期ごとに選挙はさかんになり、党派もふえる。したがって あまた 断するものは 許多 ある。なかんずく無学な者か、あるいは 候補者の数も増すために、 世人 の議論がなかなかやかまし き ひっぽう 少しばかりの学問があってもことさら婦人の仲間に多いと あやま 思う。婦人が往々にして身を 誤 つなどは、これと同じ筆 法 くなる。一家のうちでも二つに割れ三つに割れているとこ せき より、人を判断するからである。あるいは一 席 の歌を聴 い ろさえもある。 ちくおんき ちしつがくしゃ て、その声が善ければその音声のために感情を動かされて、 こうきゅう しかるに彼らの論ずるところを 傍 で聞くと、地 質学者 が く かせき 他のことにはなにも眼をくれない、ついに 蓄音器 の代用た 石 を科学的に攻 化 究 するごとき調子がある。甲の候補者は で まさ と、乙の候補者の特長は、甲に対してこう 勝 るとか、ある ひとくち るべき者のために身を誤ったりする。 一口 にいういわゆる かくのごとき長所があるから、よろしく選挙すべしという のはすなわちこれである。 いは彼らのたがいの短所がどこにあるとか、すこぶる冷淡 ようい に論じて、たまたま議論が 極端 に走って、容 易 ならぬ結果 した きょくたん また相応なる位置にある立派な人でも、かたわらにいる に 陥 るかと思えば、政治論はそれだけで、他の点において おついしょう 者のために、おべんちゃらをもって、あるいは 御追従 をもっ しく談話をする 親 様子 は、わが国においてはなかなか見え おちい て、その感情をやわらげられて、判断力を失うことは歴史 ようす にたくさんある。一身を誤る理由の多くあるうちにも感情 ようす ﹁様 子 がいい﹂人、すなわち木 偶 同然の者のために身を誤る 自警録 自警録 あるから、この事業の失敗することはわかっておったろう ひと ないことで、このことは 独 り政治にのみ関してしかるわけ に、なにゆえおれに出資するとき注意しなかったろうとか、 いとな 某はおれの性質をよく心得ているに、金だけ貸して一言の ひ び ではない。日 々 の事業について、実業家がその職業を 営 む そん につけても同じこと、おのれが 損 したからとて、みだりに 忠告しなかったのはひどい。某は大いにわが輩の着手する たお その罪を他人にかぶせるようなことはない。むろんそのか ときに賛成したのを見ると、わが輩の 倒 るるのを予期して、 かえって事あることを心ひそかに喜んでいるであろうとか、 かんしゃ わり大いに成功したからとて、他人に 感謝 する感情もない ように見受ける。 某は初めのうちは大いにわが輩に注意を加えて手出しをし すす ないように 勧 めたが、真にこういう失敗のあることを予期 二〇七 我が商人は事業と人情とを混同する したならば、なぜ、もすこし強く警戒してくれなかったろ ひんせい 西洋の新聞や雑誌に、しばしば日本の実業家の 品性 すな う。ちょっといい加減に注意するくらいは、かえって不親 なん わち商業道徳なるものを 難 じている。われわれとてもいか 切である、などの議論はわが輩もしばしば聞いたし、読者 まさ も必ず聞いたろう。また、なかには言うた人もあるかも知 ほ に讃 めたくも、日本の商業道徳を西洋のそれに 優 るとはい れぬ。 あまた おと いかねる。否 大いに劣 ると言わざるをえない。その理由は いな 多 あるが、僕がここで言いたいことは 許 唯 一点である。 また事業と感情とを混同する事についていうべきことは、 ただ すなわち日本の実業家はおのれの事業中に感情を 揷 はさ 外国ではたとえば 注文 の日 限 に品物ができなければ、むろ こうしょう さし むの欠点あることである。無論よくいえば、冷たい金銭に ん 契約破棄 となる。日本とても法律上はそうであるけれど じぜん しっぱい たた もつ け にちげん 人情を加えるのであるから、かえって 高尚 らしくも聞こえ も、東西の違うところは、西洋ならばおたがい知人のあい れいぜん きかい かね ろうれん ちゅうもん るけれども、それは慈 善 をなすときか、友人を祝うときか、 だでも Business is business で、 私 の交際と取引上のこと とは別として考える。日本ではこれに感情をただちに入れ パーソニファイ なにがし けいやくはき 前 に供 霊 うるときのことで、事業のためには、金銭は単に無 るから、ことが縺 れてくる。ゆえに前に述べた約束の時期 もと なん うった わたくし 心無情の 器械 である。ところがその器械に一種の感情をつ に、品物ができなければ、感情に 訴 えて申し訳をすること そな け加えるのがかえって間違いの基となる。 失敗 すると、失 を計る。自分が病気であったとか、あるいは 親戚 に不幸が き しんせき 敗の 本 たりし理由を人 格視 して、あの金 のために 祟 られた あったとか、子供が 怪我 をしたとか、出産したとか、取引 うらみ ほろ とか、あの機械のために一身を 亡 ぼしたとか、ついにはこ が れを供給した人にこの 怨 を被 せ、何 の某 はあれほど老 練 で 自警録 つと た 情の作用をたくましくするにあることを思えば、われわれ こうしょう か にまったく関係なき一家のことをもって、申し訳に供しよ ださん ふう は 勉 めてこの害を 矯 めるようにせねばならぬと思うが、僕 か はけっして英米人をそのまま 傚 って 彼 の風 に化 せよとはか お ついや なら うとする。 へんさい 借 財 の返 済 も同じことである。もっとも借財が、一家の つても言ったこともない。また今もなおそういう議論は主 しゃくざい 生計のために借りた金であれば、一家の 都合 によって返済 張しないけれども、彼らにくらべてわれわれが世渡りする のう ふ の う つごう の能 不 能 も定まることであるから、感情的の理由も通る場 に、少なからず損をしていることは確かである。 ちょちく そんとく 合もあまたあろうが、借財が事業のために 負 ったものなら 善悪 正邪 はとにかく、損 徳 の点から打 算 しても、なんの せいじゃ ば、一身上あるいは一家上の 都合 は言うべきものではない 必要もなきところに、感情を 費 すことはおろかな業 である。 つごう と思う。かく入るるべからざるところに、感情を入れるか 僕はかつて精力の 貯蓄 なる題のもとに、精神の力も貯蓄す さら わざ ら、人の交際が面白くなくなってしまう。せっかくの親し べきことを論じたことがあったが、感情の貯蓄についても せつ い友達のあいだが破れることなどもよく目撃することであ 同じような 説 をときたい。 二〇八 ごかい る。 ただ読者に 誤解 なきよう願いたいことは、 高尚 または有 へい い 益なる感情をも殺せという意は僕に 更 にない。すなわちさ らんよう た ふく 感情濫 用 の弊 を撓 める必要 さわ じゃま きに言うた感情を貯蓄せよなる言葉の内に、感情を有する しゃく さよう 普通にいう 癪 に触 るとか、虫が好かないとか、はなはだ しゃく ことの望ましきを 含 ましてある積りだが、ただ感情の入っ ばく とした言葉をもって、われわれの感情的の 漠 作用 をいいあ て 邪魔 になるところに、感情を 入 るるべからずというに過 とりひき らわしているが、この 癪 、この虫がわれわれ日常の生活を ぎぬので、さきにいった商業家の 取引 あるいは政治の党派 とうけい どれほど害しているのか、 統計 に積もると大したものであ どうしん 論のごときはもっともその適例と思う。学理あるいは歴史 じんよく じんしん ろう。 じんしん の研究についてはいうまでもない。昔のシナの学者も 道心 ゆかい なにかの会合に出席しても、この虫がいなかったならば、 と 人心 と区別して説いたそうである。道心は 人心 のその正 せい 有益にかつ愉 快 に過ごしうるだろう。合理的の事故なくし を得たる心と 王陽明 は説いたが、正 を得るとは、人 欲 のま おうようめい て不愉快に思ったり、途中歩いてもなんの理由なく、見る ざらないところで、つまらぬ感情のなきをいうところであ さわ ると思う。 つ こと聞くことが気に 触 ったり、家へ帰ってきてもまた同じ よ く一生 世 を面白くなく渡るのは、とかく 詰 まらぬことに感 自警録 きゃっかんてき うしな り がでんいんすい な あやま ぎ しりょ 時的感情より来たるものは 誤 りやすいから、 思慮 の上にも せい すく ち すなわち客 観的 に冷静にものの理を求むる心である。これ り どうさ 思慮をめぐらして、定めねばならぬ。﹁果断 義 より来たる者 りくつ じんぴん ま いたず に反し、人心とは道心のその正 を失 ったところで、我 田引水 ま しか あり、 智 より来たる者あり、勇より来たる者あり。義と智 おちい きれい ふく つ あわ 的に勝手しだいの 理屈 を案ずる心理動 作 で、自己の感情に うま そむ を 併 せて而 して来たる者あるは上なり。 徒 らに勇のみなる な よりて万事を判断する心である。自己の希望がものの 理 と か 者 殆 し﹂ ふごう 合 すればよいが、なかなかそう 符 甘 くゆくことが 少 ないか ら、結局感情に 駆 られて 為 すことは、理 に背 くこととなり やすい。 さらに注意したきは、友人あるいは会合において討論す じんしんこうげき るさいなどには、一層この点に注意しないと正々堂々たる ひきょう 議論はそっちのけになって、 人身攻撃 のごとき、あるいは そこな 怯 なる言葉に 卑 陥 って、自己が弁護せんとする議題をもか おうおう えって 損 われ、加うるにおのれの 人品 まで下劣にすること まい は往 々 にして見ることである。理屈において 負 けたならば、 一本 参 ったと 綺麗 に敗 ければ男らしくもあり、かえって自 どろ 分の主張に泥 をつけないものとなるに、おのれの議論が弱 ひにく いときには、その弁護に感情を 含 まして、みすぼらしい論 ま り 法など振りまわす。よし 皮肉 をもって一時勝利を得るにし あっこうぞうごん ても、その実は敵に 敗 けたものである。 ことを論ずるにあたり、 悪口雑言 をはさむのは、理 は 尽 きて、自己の主張の論拠のなきを自白すると同然である、 せいじょう つまり負けた証拠にほかならぬ。思想と議論はあくまでも かだん 冷静たるを要す。また実行と 性情 はあくまでも熱烈たるべ し。ことにあたるに 果断 なくてはならぬが、その果断も一 自警録 二〇九 第二十二章 感情より出た職業選択 るまいとまで疑われる。 職業とこれに従事する者の 不釣合 い でに一定の職業にある者よりしてなお他に 活路 を求めたき について相談を受けぬ者はほとんどあるまい。あるいはす 少し年老った者は年若い者いわゆる後進者より職業 選択 二一二 世の中を見渡すと、職業とこれを営む者とのあいだの釣 希望を 訴 えられぬ人はなかろう。 二一〇 合いが当を得たものと得ないものとがあることは、 何人 も わが輩もかくのごとき相談を、平均したら三日に一度ぐ せんたく 意外としないものはあるまい。両者の関係はちょうど夫婦 らいの割合に受けている。はなはだしきは簡単なる手紙を 難を求むる職業選定の依頼 のようなもので、世には、 似 た者 夫婦もあれば、いかにし もって、自分の 姓名 と生年月日とを 認 め、これに現在の職 ても釣合いの説明できぬような場合も少なくない。昔の人 業を書き加えて、他に発展の 途 を講じたいが、何をなした 二一一 も円きものが三角の穴に入らんとし、四角のものが円きと らよかろうかと、あたかも 卜者 に尋 ねるがごとき信書がく ふつりあ ころに 箝 らんとするといったが、実にそのとおりで、おそ る。わが輩も返事に 窮 し躊 躇 していると、三銭 切手 を封入 きゅう あやま ぼくしゃ ちゅうちょ たず ごう したた さいそく ぺん かつろ らくなんの職業にしても、これに従事せる人につきいちい せる以上返事をうながす権利があると催 促 されたことも一、 あま なんぴと ちに調べたならば、もとよりその職業につく目的をもって 二度でない。 せんぱい うった 進みきたり、かつ現在の職業に 甘 んずる人は百人に一人あ いったい自己の職業選定に、 毫 も知らぬ他人に相談する もの るや否や我らは大いに疑わざるを得 ない。 ことがすでに大なる 誤 りである。前述のごとき場合には、 に 自分の知れる人について考うるも、現在の地位に甘んじ、 僕はつねに親はもちろん、その他親類、親友なりもしくは はま くわ したた かつ得意でいる者ははなはだ少ない。たまたまそういう人 土地の 先輩 にしてよく当人の性質をわきまえる人に相談せ せいめい がありとするも、そは年来の予定の行動の一部をなしたの よと返事する。いかに 詳 しく認 めても、一片 の手紙におの ちつじょてき きじょ みち でなく、むしろ計らずその地位に箝 ったという場合が多い。 れの性質をいい現すことは、とうていできることではない。 はま たとえば法学士にして某職にある者に 質 せば、中学時代 よし筆はいかに達者でも、書くべき材料、すなわち自己の性 きって よりその目的としたる位地に達したと答うる者は百人に一 質を客観的に 記叙 することはおそらく不可能であろう。し え 人もあろうか疑わしい。まして 秩序的 教育を受けぬ人は、 ただ おのれが望むがままに今日の地位に進める人はほとんどあ 自警録 地 よりこの問題を見る力なく、 見 取捨 去就 に迷うゆえ、い ばこうなると、 理詰 で判断はできるが、自分はだいたいの ある具体的の問題あり、かくすればかくなり、こうすれ 選定を相談しても、けっして満足な返事は得られぬと思う。 たがって一面 識 だもなき人に自分の生 涯 を左右する職業の の感情により自分の将来の職業を定めんとする者がある。 折々青年にして時々の新聞を見て大いに 憤慨 し、その日 要する。 るときは、 須 く感情を避 け冷静に是 非曲直 の判断を下すを の 昂奮 する 謂 である。しかしことにあたるか否かを判断す するくらいになるがいい。熱するというのはすなわち感情 しょうがい わゆる先輩の判断を 乞 うというならば、知らぬ人に対して 軍国の際のごときことに 然 り、将軍の凱 旋 を見て、おのれ めんしき も相当の考えを立て判断を下すこともできようが、その性 も軍人にならんと思い、某代議士が演説に 大喝采 を得たる すべから いい 質および周囲の事情に深き関係を有する職業選定は、日ご を聞いては、おのれもただちに代議士たらんことを思い、 こうふん ろ交際ある人にあらざればなかなか判断のできるものでな あるいは実業家が 拝謁 を賜わりたりと聞き、おのれも実業 ばいかいしゃ たましい げんわく りんかく かたむ こうぞう なんぴと しゅうしん だいかっさい がいせん ぜひきょくちょく い。 家たらんと思うように、一時の現象に 眩惑 されて終 身 の方 せんたく おうおう きけん ご さ おそらく職業の 選択 は細 君 の選択よりもいっそう困難で 針を定むることは、必ず悪い結果をもたらすとは断言され りづめ あろう。細君の選択には 往々 にして 媒介者 の言に一任し、 ぬが、 危険 が多いとはいいうる。 かんさつ ふんがい しかして結婚の式を挙げたのち、始めて両者の 気象 の合わ いったい﹁三つ子 の 魂 百までも﹂というがごとく、 何人 しゅしゃきょしゅう ぬことを発見し、離婚する場合がはなはだ多い。世界の文 にも幼少の折、漠然とした職業選定の 傾 きが心に備われる こ 明国中で離婚数の多きこと日本のごときはなしというも、 ものである。いわゆる学者向きであれば研究的にできてお けんち 要するに選択に注意せぬためであろう。ましてさらに困難 り、あるいは才子的のものもあれば、あるいは事務的のも ありさま しか な職業を選ぶに、見ずしらずの他人を頼み、あるいは一時 のもある。人はおのおのその心の 構造 を異にしている。た こんとん はいえつ の感情にかられて決定することは危険のはなはだしきもの だ自分も判然とそれを自覚しなければ、世間の人は無論、 さいくん である。 親さえも明らかに 観察 することはできない。しかるに、こ きしょう の 混沌 たる 有様 のなかにも、おのずから 輪廓 だけはぼんや 二一三 感情よりする職業選択にも有利の場合あり りと現れている。 しろみ 鶏卵 にたとえていえばちょうど 黄身 も白 身 もまだ判然と き み わが輩はいま感情にかられるといった。わが輩はあえて けいらん 感情そのものが悪いというのでない。ことにあたるには熱 自警録 つきひ ふ きさま みずか ま じ め ﹁ 貴様 の言うごとく 自 ら天下を料理する考えを 真面目 に有 じゅくせい あた 分かれておらぬ程度である。それが 月日 を経 るに従い、黄 するなら、 長州家老 の 適否 のごとき 歯牙 にかくるに値 いな じ だ し が 身は黄身、白身は白身と分かれ、さらに進んでは頭もでき、 きものである。しかるにいま 貴様 の言を聴けば、それはや てきひ 手も足もそなわり、一つの 雛 に化 するように、きわめて幼 はり家老どもの力を 藉 らねば、天下が治まらぬというごと きざし たいせい ちょうしゅうかろう 少の折から自然的に各分業的の 萠 あるものである。しかる き 卑怯 の意志あることを自白するにほかならぬ。そんなこ しった しか ただ しゅんかん きさま にこの 観念 ははなはだ 漠 としているゆえ、前述のごとく自 とで天下の 大勢 がわかるものか﹂ しげき か 己の認識にのぼらぬのである。 と 叱咤 した。つねになき激語を発したので 弟子 どもも一 てんせい ひな しかるにある外部の 刺激 によってこの自覚が急に鮮明と 時はあっけにとられたという。伊藤公は多数 塾生 の面前で しか か なることがしばしばある。 天性 軍人になるべき資格を孕 め かく 叱 られ、心に恥じたが、さすがに伊藤公だけあって深 じつ ひきょう る者が一 日 新聞を見て始めて自己の天 職 のいずれに存する くこの教訓を心に銘じ、この時より自分のあらゆる能力を ばく かを発見するがごときはそれで、かくのごとき場合におい もって天下のためにつくさんことを決心したと、数年後 帰省 かんねん ては一時的の感情と見ゆるものがけっしていわゆる一時的 されたとき旧塾のなかでこの述懐談をしたことがあるとい はっき ねみみ で し 感情にあらずして、先天的感情の 発揮 である。ゆえに職業 う。 はら を選ぶにつき一見一時的感情とみゆる動機によりて定むる 伊藤公が先生に 叱 られたその瞬 間 に起こった一時の感情 二一四 てんしょく ことも必ずしも誤りなりとは言えぬ。 が同公をして政治家たらしめたかと 質 せば、その時始めて はっぷん はなし きせい しゅみ しょういん ﹁ 寝耳 に水﹂のごとくこの教訓が公の 耳朶 を打ったとは思 よしだしょういん こ われぬ。また 松陰 先生にしても誰にでもこの筆法をもって こう ろ よこやまけんどう 伊藤公 発憤 の動機を見よ 撻 されたとも思われぬ。日ごろ先生が公に見るところあ 鞭 じゅくせい じつ 一 日 、横 山健堂 氏より故 伊藤公に関する 趣味 多き 談 を聞 り、この機に乗じて一 針 を加えたにすぎぬ。また伊藤公に ふんがい べんたつ いた。 公 がかつて吉 田松陰 先生の塾 にいたとき、一夜、他 とりてはこの一言を 含味 しうるだけの素養がすでに胸中に ちょうしゅうはん しょういん じゅく の塾 生 とともに炉 を囲んで談話しているあいだに、公は時 あったから、その決心は一時の感情のごとく見えながら、 がんみ しん の長 州藩 の家老が人を得ないことを 憤慨 した。これを聞い しかもその実、数年来胸中にしらずに 蘊蓄 された熟 慮 を引 やさ ていた 松陰 先生は、平生は女子のごとく 柔 しくしてめった き出させたのである。 はげ じゅくりょ に大声だも発せぬ人であったにかかわらず、この時にかぎ うんちく り声を 励 まして、 自警録 じゅうそく しゃし においてもまた同様である。僕の友人にもまたこれを証明 しかしこれは 独 り伊藤公のみでない。ときどき凡人の間 余の友人にも同じ経験がある け、急に経済学の書を読み始めたという 談 を聞いた。これ 観念に打たれ、その 翌日 より倫理学、心理学の書をかたづ 級の経済状態を改善するは、すべての改良の根本なりとの 訓を与うることはもちろん必要であるが、ともかく下層階 るのみである。衣食充足の道を講ずるとともに、精神的教 さりとて衣食の 充足 のみに進ましむればただ 奢侈 に流る すべき適切の事例があるから、ここにこれを挙示したい。 だけの 談 を聞けば、彼は一時の感情に打たれて職業を決し 彼は青年時代、学校にあるやいずれの学科も人並にでき たようにも思われるが、また 詳 しくその事情を聞くとこの 二一五 たためにかえって職業の選択に大いに迷った。ある時は実 考えに到達するに順序があったようである。すなわち彼の ひと 業家にならんと考えたこともあるが、子供のときには政治 先代の関係だとか、あるいは彼の北国における境遇とかい しょうがい 二一六 ささい はなし 家になる望みがもっとも強かった。そののち世の中の 腐敗 ろいろさまざまの勢力が知らずしらず彼をある方面に向か れいじ よくじつ を聞き宗教家にならんとまで 考 え込んだことあり、また学 わしめていたのを、この冬の一夜の出来事がいよいよ自覚 ろ むさぼ はなし 者となって身を立てようという考えを起こしたこともある。 的にこれを決定せしめたものである。 うかが あん むさぼ くわ しかるに彼が十九歳のころなりしと聞く。一夜北国にあ あん ふはい りて月明に乗じ独り郊外を散歩し、一 軒 立ての藁 家 の前を 一時の感情か否かを判断する道 かわ かんが 通過せんとした。ふと 隙漏 る光に屋内を 覗 うと、 炉 を囲め 以上例 示 したるごとく生 涯 を一貫する職業選定の決心は、 あたた わらや る親子四、五人、一言だも 交 さずぼんやりとして 安 を貪 っ 能力の多少、位地の上下を論ぜず、一時の 些細 なることの ありさま きょうどう けん ていた。そのころ彼は、宗教家たらんとの念が最高潮に達 ために定められる場合は決して少なくないから、前述の一 ひはい すきまも していたときであったが、この 有様 を見、この考えが急に 時の感情に迷わさるるなというに対し、この感情は果たし たきぎ ふ 一転した。というのは親子夫婦 共働 し、雪を踏 んで家に帰 て一時的なりや否やという問題を、 自 ら提供しておのれに よ ち みずか れば身体すでに 疲憊 し、夕食を終ればたがいに物語るだけ み、しかも冷静に自己の真意を分析するを要する。 省 う の元気も 失 せ、わずかに拾った 薪 に身を 暖 め、安 を貪 るが すなわち約言すれば熱情を冷静に考えよということにな かえり ごとき 輩 が、どうして教育や宗教などを考うる 余地 があろ る。なにゆえにおのれはこのことにつき、かく熱するかを はい う。彼らをして人間らしい精神をもたせるには、まずなに た よりも衣食足 るの道を講ぜしめねばならぬ。 自警録 とく こ あた こじん ものでない。たとえば政治家たらんと熱する者ありとせよ、 そな 職業を選定せんとするのである。 なにゆえに政治家たらんと熱するかと聞かば、必ずや天下 いい やすいのである。もっとも実際にことにあたるときは他を 人心の 腐敗 とか、政党宜 しきを得ぬとか、ひととおり 何人 こ と攻究したいのである。 篤 凝 っては思案に能 わずと、 古人 しかし先輩がいかに思慮あるとも、いかに判断力を 備 う 顧みず猛進せねばならぬが、ことにあたるか否かを考うる も 首肯 するような理由を述ぶるであろう。しかるにこうい ようい るとも、青年がある事に熱するゆえんを 容易 に判断しうる あいだは 凝 ることは禁 物 である。しかるに青年の一大特長 う 漠然 としたことでは、なかなか熱心ということは起こり あやま むと他を顧みる余地も余裕もない、ゆえにとかく 過 ちを生じ も教えている。 凝 るとは熱するの 謂 である。ものを思い込 はものに熱するにある。二十代前後は感情のもっとも 旺盛 がたい。ゆえにさらに深く立ち入りてその理由を 質 せば彼 しゅわん ばくぜん はくしゅかっさい こっけい か こころざし こっけい びんぼう なんぴと なとき、三十代前後は 手腕 のもっとも発達するとき、四十 の熱心せる理由は必ずしも政治に関係するものでないよう ぼう した よろ 前後は知識のもっとも発達するとき、しかして五十前後は なことが出てくる。 ふはい 思慮のもっとも深いときである。 某 が自分の村に政談演説したとき熱烈なる 拍手喝采 を得 きんもつ 青年は知識にも思慮にもまた 手腕 においても、まだまだ た。それが彼の心を動かしたという場合には、彼の熱心は こ 不足あるかわりに、ある命令のもとに仕事するときはもっ 政治のためにあらずして拍手喝采のためである。拍手は政 しゅこう とも熱してあたる。これが彼らの特長なると同時に、方向 治にあらず。また実業家を志望する人に聞けば日本は 貧乏 どうよう ふんべつ ぼうだい おうせい を誤ることもまたこれより起こる。彼らは思慮も熟せず判 であるときまりきった議論を述ぶる。しからば今日急にそ さ どうかせん ぼう ただ 断力も 固 くないから、見るもの聞くものその他すべて五感 のことを思いつき、その方面に猛 進 せんとする 志 はなによ しんしょう しゅわん に触るるものによりて心の底までも 動揺 されやすい。かく り起こりしかと 質 せば、これまた実業になんの関係もなき かた 動揺されるときは、さなきだに思慮 分別 の熟 せぬ青年はい ことが 導火線 となれることがある。 しょうち たた もうしん よいよ心の衡 平 を失い、些 事 をも 棒大 に思い、あるいは反 たとえば 某 令嬢を 慕 いたるも実業家ならねば 嫁 せしめぬ じゅく 対に大事を針 小 に誤る傾向がある。これも無理ならぬこと というを聞き、実業を志望したというがごとき 滑稽 的動機 せんぱい ただ で、実際のことにあたり責任の地位を踏めることなき者は、 すらも現にわが輩の耳にしたところである。かくのごとき じ なかなかに自己の言行のおよぼす範囲を適当に 計量 するこ はおそらくは自分も知らずに行えるので、 滑稽 な動機に動 こうへい とはできぬ。青年にこの弱点あることは青年自身も 承知 し けいりょう ている。承知しているゆえ、いわゆる 先輩 の意見を 叩 き、 自警録 望が、実業従事という 抽象的 言葉にいい現されると、実際 ちゅうしょうてき けることに気づかずにいるのであろう。 たい 物理学にいう 固形体 のものを流 動体 に変じ、ガス体 に変 りゅうどうたい 感情的誤解の根本原因 ずるがごとく、 嵩 は大きくなるけれども、つかみどころが こけいたい から遠いものとなる。 かくのごとき 誤解 を 生 ずるのは、要するに自分の一個に なくなりがちである。ゆえに職業を選ぶにはそもそも自分 二一七 関する具体的の事実をば、 抽象的 文字をもって説明するか がある職業を志願し 志 を立てたときの具体的 境遇 、情 実 を ちゅうしょうてき かさ ら、その説明がかえって真情を離れ、世間に対する聞こえ しずかに考うると、その志望がいかに根底あることか、ま しょう はよいが、実際にはあてはまらなくなるのである。抽象的 た一時の軽々しい動機に起こりしかわかるであろう。 ごかい の文字を使えば意味の範囲がひろくなり、 高尚 に聞こゆる すなわち 抽象的 のひろい意味の言葉を用うるにいたった あざむ くしょ みずか いわ と まさ かじ な や や まと な おもんぱか すす しか や きょうぐう じょうじつ かわりに、また他の意味をも含んでき、したがって自己の にさかのぼって、しずかに考えると思い半ばに過ぐるも 本 もう およ こころざし 場合にまったくあてはまらなくなることがある。たとえば のがありはせぬか。大きなひろい意味の言葉を用うるとき ちゅうしょうてき 飲みたい食いたい、それについては金を 儲 けたい、金を儲 はしばしば 自 ら欺 くことがある。わが輩はとくに職業を選 こうしょう けるために何 品 を幾円で買い、これを幾円で売れば幾円を 定せんとする青年に自己の動機を 回顧 せんことを勧 む。先 しか もと けるという具体的問題ありとする。この動機は飲食の 儲 欲 人の言に 曰 く、 なにしな である。これを満足する方法として商売し、商売の目的は ﹁ 凡 そ人事を区 処 する、当 に先 ずその結局を 慮 り、 而 して もう なか かじ かいこ 何千百円を儲 くるにある。ことを始むるときは爾 く具体的 後に手を下すべし、 楫 無 きの舟を行 る勿 れ、 的 無 きの 箭 を よく に細密にもくろみするが、しかしこれを人に語るときは私 発する 勿 れ﹂と。 もう は実業に従事するという。 して楫 を執 るとき、箭 を放つときは心静かに落ちつけて、 でっちこぞう なか 実業といえば抽象的文字である。したがって意味が広い。 よくよくおのれの力先きの方向に留意するを要する。 はだし ま そのなかには商売のみならず、工業農業も入る。保険、運 えんてん 輸の事業も入る。これに従事するとなると 丁稚小僧 となり 自転車で走ることも、 炎天 のもと、裸 足 で畑に草取りする もう のも、自動車で会社に出勤することも含まれ、範囲が非常 にひろくなる。なにを商売して何円 儲 けるという具体的希 自警録 二一八 第二十三章 若返りの工夫 かれき ひと ことに理想において行きづまり、若い気のなくなった人は、 るいは落胆している人は一層気の毒である。ところが誰で 二一九 いつも若い人 も少し油断すると 小成 に安 んじ、これでよいという気にな 分にはこれ以上に希望なしとて、現状ですでに得意がりあ まるで 枯木 に弾力なきに等 しく実に み す ぼ ら し い。また自 目前の現実世界を離れて、しばらく人生を理想化し、理想 りやすく、しからざればなにごとについてもいたずらに不 二二〇 の天地を追うの美点はいわゆる老人になると次第に減じて 満の声を高くして、一見理想があるようにも見ゆるがこれ やす ゆくように思われる。かく理想の減じゆきて実際的になる 必ずしもしからずである。いわゆる成功なるものは多く理 しょうせい のをもってただちにこれを着実と呼び賞賛する者もあるが、 想の低き人の口にするところで、十円の月給をもらう人が きしょう わが輩から言わせるとこれは俗化して若き 気象 がなくなる みずか 百円を目的とし、その百円の月給を得るにいたれば、これ おとな のである。すなわち青年においてもっとも愛すべく、もっ こうろう を成功と称し自 ら安心する。これあるいは成功であるかも あかご とうと とも尊 ぶべき、高 朗 なる性情が消えるのである。﹁大 人 にし 知れぬ。しかしながら物質的目的を達するをもってただち きがい こと とう てなお 赤児 のごとし﹂という語があるが、しいて赤児のご に理想とするごときははなはだ 当 を得ないことではなかろ よくしん とくにならずとも、すくなくともいつまでも青年の 気概 を うか。欲 心 と理想とはちがう。欲は迷想とこそいうべけれ、 うしな た み わずにあるを要する。 失 ﹁あの人は年とってもいつも若い気 こと たれば足 事 るにまかせて事 たらず足 らで事 たる 身 こ こと 理想とは称しがたい。 んあるではあろうが、しかし僕は年齢にかかわらずに理想 そ安 けれ だんりょく とうらい こと み という歌は子供も知っているが、月給の増すのをもって なまき 者は実に尊敬すべき価値ある人なりと考える。かくのごと 目的とし人生の理想なりと解釈しておるならば、 ﹁ 事 たる身 ろうぼく やす き人の心には余裕がある。すなわち 生木 のようなる弾 力 が こそ安 けれ﹂というような、安心の時代はとうてい 到来 せ へんせん あって、世の変 遷 とともに進む能力を保留している。﹁老 木 ぬであろう。 しかるに理想はこれとは別方面のところに存するものであ じゃどう る。月給等の形 而下 のことをのみ欲するを理想と呼ぶのは けいじか である。 みにく およそ何事においても行きづまれるは 見悪 きものなるが、 まが は曲 らぬ﹂とは邪 道 に迷わぬの意より弾力なきを笑うの言 やす にあこがれる人という意味に解釈し、いつも若い気でいる た でいる﹂という語もしばしば聞くが、これも意味がたくさ 、 、 、 、 、 、 自警録 だい とう なる誤りであろう。ゆえに右のごとき月給の増減によっ 大 て理想の例に用うるは 当 を得ないことで、理想といわゆる ことがら 成功とは必ずしも同一方面に共存するものでない。 けいじか なんとならば月給とかその他の物質的 形而下 の 事柄 につ あま いては不足を 甘 んずるのがむしろ理想ある人のすることで ほうきゅう かんぷく ある。ゆえに 俸給 が上がって喜ぶはよいが、それだけのた めに喜ぶのは 感服 できぬ。上がらなくとも喜んでいたい。 いな 下がっても喜びたい。であるから、いわゆる立身したと 否 われ て、たちまち、 ﹁ 吾 は得たり、成功したり﹂と考えるのはま い ど みずが りょうえん ほうき ことに望ましからぬことである。これすなわち彼の﹁精神 の井 戸 が水 枯 れした﹂のである、遼 遠 なるべき前途を 放棄 したのである。 彼の﹁青年の前途は遼遠なり﹂とは青年は理想に生きる わかじに ちょうめい という意味である。彼がたとえ 若死 をすればとてこの遠大 か こ なる理想を有するにおいては、これをもってただちに 長命 ふ と呼ぶ、なんの 不可 か 是 れあらんやである。老人において りょうえん もまたしかりで、もし年齢において行きづまるも理想にお ひと いて行きづまらずんば、その老人の前途たるや 等 しく遼 遠 なりといわねばならぬ。その偉大なる希望において生くる ほうだい の点よりはこれを青年であると呼んでよかろう。もし人、 年をとりたくなかったならばよろしく大いに 鵬大 なる理想 をいだくべきである。 回顧反省 二二一 こそく ぼんじん りょうえん 世の賢人君子はいざ知らず、わが輩らのごとき 凡人 、ある つと いは凡人以下の者は、 姑息 かは知らんが、前途をして 遼遠 いな まなこ ならしむることを 努 め、われはたしてかかる大理想ありや じ ぎ やを反省する必要があると思う。すなわち賢人君子の 否 眼 いん よりせばあるいは 児戯 に等しいかは知らんが、青年時代の き く 希望の実状を 印 してこれを現今の実際と照合し、もって理 想の 規矩 にあててみるのである。いっそう具体的に述ぶれ ばあるいは月に一回なり、すくなくとも年に一回、年の終 めいにち しりぞ りとか年のはじめに、あるいは自分の誕生日、あるいは親 よ の 命日 、あるいは自分になにか特別の意味のある日、 退 い ぎゃくもど かえりみ て 予 ははたして青年時代の理想に近づきつつありや、ある いは 逆戻 りせぬかと深く 省 るのである。しかるときにはお そらく十人のうち九人ないし十人までが種々なる名目のも とに逆戻りしていることを発見するであろう。 して種々なる名目とは、すなわち俗才とか、実際とかい すす へんせん ごらく うごとき、あるいは現今の社会状態とか、あるいは世の習 わしとか、友人の 勧 めとか、時勢の 変遷 とか、 娯楽 の必要 はつらつ とか、生理的要求とか、ちょっときくともっともらしい名 目のもとに、青年時代の 溌剌 たる理想に遠ざかれるを発見 かえりみ し かえりみ するであろう。老いてもなお青年の活気と理想とを持続せ ふんれいどりょく んには折々自己に 省 るに如 くはない。省 て退歩せる点あら ばさらに理想に向かって 奮励 努 力 一番し、かくしてつねに 自警録 おおそうじ くふう すす ごみ す。 のうずい 若い心持ちで向上する。これすなわち僕の若返りの 工夫 で えだ か 一年二回の花盛り あくた 、枯 芥 れ枝 等をみな払うことをしたい。 二二二 二二三 かの哲学的詩人として有名なるブラウニングの句に ある。要するに 脳髄 のうちに折々大 掃除 を行って、煤 、埃 、 心機一転 いい おいぼれ the とあるが、僕は last of life for which the first was made しんしん 日ごろこの句の 津々 たる興味に感嘆する。意訳すれば、 おいぼれ われわれの年寄るというは精力の枯れるの 謂 である。よ ち ﹁人生の終り︱︱︱これぞすなわち深く人生の始めの作られ ぐ し身体が弱り果てるも、心ばかりは 老耄 たくない。よし老 耄 ゆえん まっと し目的﹂ あ あ ても、 愚痴 だけはいいたくない。 こと 嗚 呼 実に然り。人生の起これる 所以 のものは終りを 完 う おいゆ 僕はつねに思うに、庭の樹を見ても年々歳々同じからず はつが しょうけい か はな み するにあらざるか、 事 に始終あり、始めは終りのためにし いろか じゅく して、 老行 くとともに元気も衰えるが、手入れをしたり、 あらわ て、終りは始めのためならず、草木の 発芽 するは花咲き、 実 さっしん しょくもつ いきお 肥料をほどこすと、再び 色香 を増すを見る。樹そのものは を結ぶため、人の生まるるは 熟 して死するためなれば、幼 しかいさいねん こうせい 弱りても、その境遇を 刷新 すれば、 甦生 するの勢 いを顕 す。 少青年時代は 準備 の時代で、人生の目的時代はその後に存 ゆあ じゅんび 灰再燃 、人も同様、身体が弱れば 死 食物 を変えたり、転地 すると知れば、青年時代の活気を 憧憬 するは 蝶 を花を楽し りょうじ ひたい さ ちょう 治 をしたり、温泉に 療 浴 みしたりして健康を回復するが、 むに異ならない。なるほど若年のころは 花 やかなるはいう むす おいき か 住居も変えず、居ながらにして心的境遇を一変する方法も いほり までもないが、頭の白きも、 額 の波も、 華化 することはで なに ことわざ きぬであろうか。 はな あろう。 しりぞ 山深く何 か庵 を結 ぶべき心のうちに身はかくれけり こきん 俗の 諺 にいう﹁ 老木 に花 を 咲 かす﹂とは不可能なるか。 やぶ よう しんせい ともしび くふう 一身を物的境遇より 退 かせて、心的境遇に入らしむるこ か ど ば 僕は﹃ 古今 和歌集﹄のなかにある菊に寄せたる一首を読ん きりん とも、これまた麒 麟 老ゆるも 駑馬 に劣るに至らざる 工夫 。 で、さすがに菊は長命のシンボルなりと少なからず趣味を い 木は根あればすなわち栄え、根 壊 るればすなわち枯る。魚 感じ、なお老いてもよく菊のごとく老の花を咲かせ、老の あぶら そこな か は水あればすなわち 活 き、水涸 るればすなわち死す。燈 は めい じゅ めっ を放ち、老華の若葉に劣らぬを示すこそ、老の身の使命 香 あぶら であろう。 たも なり、これを 保 てばすなわち寿 、これを 戕 えばすなわち 夭 あればすなわち 膏 明 、膏 尽くればすなわち 滅 す。人は 真精 自警録 きく ひととせ にほ はな み 色変はる秋の 菊 をば一 年 にふたゝび匂 ふ花 とこそ 見 れ 第二十四章 全力と余裕 二二四 はか 二二五 二二六 はっき であらゆる筋肉の力を用うるわけには無論ゆくまいが、も かんめ ひょう あさめしまえ しその十分の一の力を発 揮 しえたなら、おそらく今日十五、 うんぱん 六貫 目 の我々の五体をもって、米の四、五 俵 は朝 飯前 に二、 三里の道を 運搬 することができよう。 かえる の筋肉の力を 蛙 測 りし学者の試験 僕みずからたびたび感ずることなるが、あるいは神経衰 二二七 せんぷく いじゃく かつてベルリンに在学のころヘルムホルツ博士の名が世 弱だのあるいはリュウマチスだのあるいは 胃弱 だのと、そ とどろ 界にひろく轟 いているので、僕の学問にはなんの関係もな の他種々の 故障 のために、 天賦 の力の百分の一も利用せず てんぷ かったけれども、好奇心にかられて先生の 講釈 を一度聞き 発揮もせずに一生送る者は、この人体に 潜伏 せる力につい こしょう にいったことがあった。医学の講義をドイツ語でされるか て深く考えたい。 こうしゃく ら僕が聞いてはわからぬことは言うまでもないが、先生の試 よりょく 験がよく眼に見えておぼろげに理解しえた。講義の大意も 最善をつくしても 余力 あるように思う たぶん読者の中にも同じ経験を有する人もあろうが、僕 いんしょう 多分こういうことであったろうと、その時深く頭脳に 印象 は何事をしても結了したあとで、 俺 は今少しよくできるは おれ し、今日もなお忘れない。 きんにく 試験は 蛙 の筋 肉 を取ってこまやかな糸のごとき一部分を ずだがなと思わぬことはない。 かえる にかけて、この筋肉をもっておのれの重量の何倍ある物 秤 たとえば演説をする、して終わるとただちに起こる考え はかり 質を 支 えうるか。すなわち筋 肉 の力を証明する主意と心得 は、なんとまずい言いざまじゃないか、おのれには今少し きんにく た。この試験によると、蛙の筋肉はおのれの重量に何十倍 よい思想もあるに。また同じ思想でももっと順序正しく説 明出来るはずだに、あるいはも少し面白く述べうるはずだ ささ がと、おのれを 怨 まぬことはない。 うら 手喝采 して、なおいっそう僕の印象を深めた。 拍 文章を書いても同じことである。 しろうと たぶんこの簡単なる、また 素人 にも理解しやすき試験は ある問題について 討議 しても同じことである。 俺 はも少 もんがいかん じふしん おれ 医科大学あるいは諸所の医学試験でも教授の材料となって しよくできるはずだがという観念は付き物のように万事に とうぎ いることであろうが、 門外漢 の僕には人体︵試験材料は蛙 ついて起こる。 自負心 であろうかと思うけれども自負心と そうぞう でも人間の筋肉でもあまり変りあるまいと 想像 する︶の内 せんぷく に恐しき力の 潜伏 していることを思った。この試験の割合 はくしゅかっさい ささ ︵何百倍?︶の重さをみごとに 支 えたので、学生が大いに 自警録 と ひそ しい女の乱暴するのを 止 めるために大男が五人もかかるこ きんにく は違う。またおのれの最善をつくさなかったのかというと、 やしな こ と かたわら とを見ると、いかに女の 筋肉 に力の 潜 んでいるかに驚かさ けんまく やまあそ とうさ めんどり あながちそうではない。 れる。僕はたびたび見たが、 雛 を 養 っている 雌鶏 の傍 に、 わす ご ひゃくしょう ひな その時の最善をつくしてもこの考えが起こる。おのれの 猫 がゆくと、その時の見 犬 幕 、全身の筋肉に 籠 める力はほ いぬねこ 力の深さが三層に分かれていて、平生はいちばん浅い一段 ほうばい てっ とんど 羽衣 を徹 して現れる。 かど はごろも の力で事に当たり、幾分か重大だと思うときは、第二層の あるいは今に 忘 れぬが、わが輩の七、八歳のころ、故郷 せんぷく 力を 発揮 するが、第三段の深さに 潜伏 する力を発揮したこ にあって 朋輩 三、四人と山 遊 びしたとき、森の内で火を 焚 はっき とがない心地がする。ゆえにさきにいう何事を終っても、 いた 廉 をもって、近所の 百姓 に追われて命 からがら落ちの た 第三層にあるおのれの力が声を発して、 びたことがある。その 後 その場におもむき実地踏 査 を 遂 げ ひそ いのち ﹁お前はまだ俺 の力は借りないよ、もいっそう深く考え、も たのに、どうして七、八歳の子供が一里余の山道を、しか おれ ういっそう高く行うにあらざればお前の全力が発揮できな もあまたの小流を 跳 りつ越えつつ走ったろうと考えると、 思われる。 おど いぞ﹂ 少なくもその時は僕も第三層に 潜 んでいる力を出したかと しか 二二八 よゆう 潜伏せる 余裕 を示す幾多の実例 裕 を存することと全力主義 余 ふ なにこくじん ほ わが国従来の教えとして全力を出さぬことを 賞 める。す 二二九 たぶんこの 知覚 についてはわが輩と経験を同じくする人 なわち 余裕 しゃくしゃくという言葉は、まだ力はつくさな よゆう が許 多 あることと信ずる。かくのごとく筋肉の力において いぞ、あとには予備が 控 えているぞという態度である。 ちかく も、精神的の力においても、各人にまだまだ開発すべき余 この態度は独りわが国ばかりではない。 何国人 といえど あまた 裕のあるものと信ずる。余裕のあることはまことに結構で も尊敬するところである。リンカーンの年を 経 るにしたがっ よゆう あるが、一生余裕の 貯 えだけで発揮せずに宝の持ち腐れで てますます人物の高まるのは、同氏にはさきにいった三層 ひか 終わることはどうであろうか。はなはだ惜しく思う。 どころではない、そのなお奥に四層も五層も深みがあった たくわ おたがい、世を見渡しても、一見優 雅 なる婦人などが、と から、彼の性格を味わえば味わうほど 甘味 を感ずる。 ふきつ ゆうが きによって大男三、四人ぐらいの力を出すことがある。は うまみ なはだ例が不 吉 であるが、精神病院にいってみると、やさ と物事につけて 叱 るような心地がする。 自警録 自警録 たとえ のである。もっともこれは 喩 の言葉であるから、他の例を かんめ これに反し、張りきっておって、二十貫 目 の力を二十貫目 とれば十貫のものを使ってただちに二十貫の力を得るとい 先生のは、あやふやじゃありませんかといわれたことがあ ても最善をつくし全力を 注 ぐということであるんですが、 たら、この青年がいぶかって、私の主義はなにごとについ るなら八貫目だけ出してあとの二貫目はとっておけといっ 数年前、ある青年と話の際、僕は、君に十貫目の力があ の深い尊敬に値 しない。 するときも、普通に用うるあらんかぎりの力をつくすべし 右に言ったことをもっとまっすぐにいうと、何事に従事 人の力は出せば出す程ふえる 君はわかっていただけたであろう。 不完全であるけれども、僕の心のあるところだけは読者諸 僕の正反対の説を述べることもできるから、はなはだ例は うごとき、つきせぬ河の流れの水を引くごとき例をとって、 ごじん る。なるほど意味の取り方によって、わが輩の言葉はけし という言葉とはさらに矛 盾 しないと思う。いかんとなれば、 しじゅう からん言葉である。ほどよく、いい加減にお茶を濁してお 普通にいう全力をつくせ、あらんかぎりの力を出せという あたい 終 手先きや足先きに現す者は感心はするけれども、 始 吾人 け、一所懸命になるな、熱心は 禁物 だというように誤解を ことは、実際十貫目の力のあるものを、一 匁 も残らぬほど そそ 起こしやすいけれども、僕の意は決してそういう考えでな に十貫目出せということではない。よし仮りに 正直 な男が 二三〇 い。 あって、十貫目を十貫目ことごとく出したと 見 なしても、 むじゅん 僕の意をことごとく説明することは、僕にとっては不可 おのれは十貫目の力よりないものと思ったものが、十貫目 きんもつ 能である。かつまたことごとく説明することは僕の意に 背 の底にいたると、まだまだ底のあることを発見する。単に もんめ く。考えがある以上はこれをいい現すについて、一割か二 僕のいった 俺 は第一層の力しかないと思っていた者が、一 み しょうじき 割は自分に貯えておきたい気がする。 種 までもことごとく 層をつくすと二層にいたり二層の底まで達すると、一層二 そむ さ ら け出すことはしたくなく思う。つねに幾分の ゆ と りが 層に 勝 る第三層が発見せられるように、かくのごとくにし 、 、 、 たね 欲しい。十貫目の力のあるものならば、その八分九分だけ 分 の ていわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二 おれ を用いて、残部は準備として貯えおき、これを資本として 力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あ たね まさ 十二貫になったならば、その時に十貫出す。十貫を利用し ることがわかってくる。いよいよ進めばいよいよ哲学者の よゆう ぶん て資本力が十五貫にましたなら、その時に十二貫出すと、 たくわ つねに 余裕 を貯 えておいてこれを 種 として進みたいと思う 、 、 、 自警録 するおそれあるをみる。努力奮闘を 標榜 する者も静 坐 黙 想 せ い ざ もくそう をすることは 潜勢力 を増加するのもっとも得たる策 だと思 ひょうぼう いわゆるパーソナリティー︵わが国で普通にいう人格とは う。 しょうがい さく 違う︶の 大 を知る。 はんげき せんせいりょく かく述べたならば前項において十分のものを八分より用 だい うるなと不熱心に聞こゆる僕の言と、この項において述べ 一日に一回でも黙想せよ しりぞ る十分あるものは十分以上に力を出せということと、実際 いかに 繁劇 な生 涯 を送る人でも、折々いわば人生より 退 むじゅん いて黙想するの必要あることは、たがいの経験で明らかで 二三二 において 矛盾 しないことも察せられるだろう。 二三一 あろう。 せんせいりょく 僕の祖父はかつて 禅僧 について、いったい 禅学 というの せ い ざ もくそう 坐 黙 静 想 は潜 勢力 を増加す はどんなものですと 藪 から棒にたずねたときに、僧の答え やぶ ぼうず しりぞ たとえ あくせく ぜんがく 昔、かの英国の大文豪と称せらるるジョンソン博士が、世 は禅学と申しましても、別にこれという学問ではなくて、 はかば ぜんそう の迷信を 嗤 わんがために一夜墓地に散歩して石 碑 を叩 いて この世を渡る者は 坊主 であれ商人であれ武士であれ、幾分 ひそ たた 霊 があるものなら 幽 顕 れよと言って、一夜を暮らしたとい か実行していることであるので、あなた方が戦場で敵を相 ゆうれい ひそ せきひ う話があるが、これを批評してカーライルが、このことた 手に戦うときにも、禅学をやっていらっしゃる。すなわち わら るや実に博士に似合わぬ愚挙である。 嗚呼 博士よ、君にし ただ敵を 斫 ろう、前に進もうという考えで 齷齪 するあいだ かえりみ あらわ て幽 霊 を見るの望みあるならば、なんぞ 墓場 に行くを要せ は、勝つことも進むこともおぼつかない、しかるに一歩一 ゆうれい ん。おのれに 顧 みれば霊魂のおのれに潜 んでいることが明 寸 退 く余裕があれば、その 突嗟 に敵の隙 がわかる。そこで あ あ らかでないかと論じたが、 吾人 も少しく心静かにおのれを 勝てる。この一歩 退 くところを禅学というのでありますと かえりみ き ると、銘々の内に 省 潜 んである力の偉大なることを感ずる。 答えたというが、もちろん僕はなにごとをするにつけても ごじん 僕の先にいった全力をつくすなかれというは、要するに 退くだけが余裕があるというのでない。とかく 譬 は不完全 かえり るだけの余地をとっておけというにほかならぬのである。 省 であるから言葉だけでみると、僕が単に不熱心たれ、退け、 すき しかるに僕が誤解しやすき言葉を用いたのは、いわゆる全 何事にも熱するなというように聞こえるか知らぬが、 分別 しょうもう とっさ 力をつくすと称する人々が、とかく静坐して内観をするの ある読者は僕の真意を味わわれるであろう。 ぼっとう しりぞ 余地を許さぬからである。いわゆる奮闘いわゆる努力等に ふんべつ 頭 する者は、ほとんど一粒の種も残さずに自分の力を 没 消耗 自警録 ぶしょう ねころ めいそう かま 僕のいわゆる折々退け、折々 冥想 せよということは、単 ばく に不 精 に寝 転 んでおれ、不精に 構 えろというのとは大いに 違う。また折々という文字が 漠 としたことである。一年に 一回ともとれるし、一日に三回ともとれる。むろん一定の 回数や時間をあげることははばかるところであるが、僕自 身だけでは平素︵ことさら重大なる問題のないとき︶少な いそが くとも一日一回、時間の長短をいえば五分以上くらいの程 こいねが 度なれば、いかに 忙 しい人といえどもかの実行の範囲内に きょうがい あると思うし、また 希 わくは一年に一回ぐらい一週間なり 十日間なりほとんど俗事を忘るるごとき 境涯 に入ることが いんとん できるならば、これに越すことはあるまい。といって必ず しも山深く身を隠せとか、異境に 隠遁 せよということでは ない。 おたがいの心の持ちようによっては俗界の中心にあっても とんせい きょうぐう へいたん ほとんど 遁世 のごとき心境がたもてると思う。われわれに まつだいららくおう めい いわ ねいせい その心がけさえあればいかなる 境遇 にあっても平 旦 の気を こ やしな 養う機会のなきはない。松 平楽翁 公の書室銘 に曰 く、 ﹁寧 静 れ心を 是 養 う第一法﹂と。 自警録 第二十五章 理想と実現 ここち みずか ぶの 心地 する。おそらく僕の精神発達のいまだ幼稚なるを 証するのではあるまいかと、 自 ら疑うことが多いと告白し たところが、かの文士は、それは君は心配するにおよばな 二三四 い、ドイツ人のうちにも、今日なおシラーを 推 して、思想 二三三 においてははるかにゲーテに 優 るものなりと 称嘆 する者は い べ いんぺい あん ぞっか みずか しょう おいおい えが こうみょう しょうたん お 幼少時代の理想の 回顧 けっして少なくない。むしろシラーを好んで読む者は、精 か い こ 二三五 毎 春 年の改まったについて、年ごとに起こる感じが再び 神未熟といわんより理想高き性格の高潔なるを 証 するもの かど すうはい みずか まさ き 湧 出 で、俺 はもう幾 歳 になったなアと、年を数え二十年 だ、といって僕を 慰 めてくれたことがあったが、かくいえ いくつ 前、三十年前に比べて、どれほど進んだか思い 較 べると、 ば、あるいは 新渡戸 の奴 めが自分の不足なるところを、 態 おれ ただ恥ずかしきことばかり多い。青年のとき描いた理想が、 よき言葉を用いて 隠蔽 し、 暗 に自 慢 するごとくに聞こゆる いだ まいはる いわゆる世の中の実際に擦 れて摩 滅 したこともあまたある。 でもあろうが、正直に自白すれば、近来になって僕もゲー わ しかし年に較べれば、自分ながらまだ理想を割合い余計に テを 尊崇 するの念が、十年前にくらべて増してきた。 よもやま くら いておるがごとくに信ずる 抱 廉 もないではない。 しかしてゲーテ 崇拝 の念の増すのは、さきの某文士の 言 なぐさ 僕が三十六のころ、ドイツ見物に数週間ベルリンに 費 や によれば、あるいは 自 ら俗 化 して理想の光 明 が追 々 に 薄 ら そし つと いろか 二三六 うす げん てい したことがあったが、その際ある文士に会って、 四方山 の ぐの 譏 りを受けるかも知れぬ。僕がここに話をすることは たず いと やつ 文談を聞いたときに、話がゲーテとシラーに移って、両氏 りを受ける受けないが問題ではない。 譏 自 ら君子ぶるのを ほ うと きけん ねんねんさいさい か と の性格および文才と、後世に及ぼせる偉業を論じた。その うがため、横道ながら注解的に右のことを述べて、再び 厭 じゅく やしな に とき僕はその文士に 尋 ねた。 本題に立ち返って話をすれば、年を追うに従って俗化する しりょ まめつ カーライルが、かつてゲーテを 賞 めたなかに、青年はと 険 あるを思うがゆえに、 危 努 めて幼少の時に 描 いた理想を す かくシラーに憧 憬 れて、ゲーテを疎 んずるの傾向があるが、 うことは 養 年々歳々 枯 れゆく心の色 香 を新たむるの道であ わかげ じまん 三十歳に至れば、 思慮 もやや熟 し、人生のなにものたるか ろうと信ずる。 こんにち そんすう もいくぶんか判明し、ここにおいてかゲーテの偉大なるこ つい とを認めてシラーの 若気 を捨てるにいたると説いてあるが、 米国で僕の深く印象された米人の理想 そし 僕は 今日 三十よりむしろ四十に近い年になるが、ゲーテと あこが シラーのいずれを好んで読むかといえば、まだシラーを選 自警録 かはん あまた はいたい ることもできるし、産業で国が 廃頽 することもある。学芸 あやま だじゃく 過 般 渡米の日、数 多 の著名なる人々、いわゆるこの国の に流れることもある。あるいは思想においても方向を 誤 る によって国の 勃興 することもある、学芸によって国が 惰弱 ぼっこう 思想界の指導者ともいうべき人々に直接あって、その人物 と、いかなる極端に落ちることがないともかぎらぬが、武 ふ に触 れ、その思想の一端をうかがうの機会を得て、もっと も僕の心に深き印象を与えたことは思想の力という一条で 力でも学力でも、芸術の力でも、健全なる思想が 真先 きに とうと まっさ あった。 あだな 立って指導するにあらざれば、国家も社会も個人も、なん へいがい おうごんすうはい いわゆる 黄金崇拝 物質的の米国などと 綽名 されてあるこの のために存在しておるかを解しないでしまう。 し ゃ し ぜいたく とみ かんげん 国民が 奢侈 贅 沢 の弊 害 に陥 る傾向が割合いに少ない。 換言 して思想と一口にいうものの、世の中の欲もすなわち名 おちい すれば一方には巨万の富 を積みながらこれに安んじないで、 誉も 富貴 も知らない清浄 無垢 の青年時代に起こる思想が実 きしょう む く なんなりこれ以上の、富以上の事業をまっとうせんと努力 に 貴 い。ゆえに年とともに若い思想を強めたいと思う。あ きまえ ふうき する 気前 と精力は、この国民の大いに買ってやるべき 気象 二三八 のうずい るイギリスの文豪もかつて言った、 ゆうわく である。 ﹁偉大なる人物とは成熟せる 脳髄 をいただいて、なお幼少 ふうき わが同 胞 はだいたいにおいて 貧乏 であるから、富 貴 の誘 惑 の心を 抱 くものなり﹂と。 びんぼう なるものを知らない。 貧乏人 が金持を批評することは、と すなわち大人にして 赤子 の心を失わない者の謂 に外なら どうほう かく見当が違うことが多い。自分で金を持ってみると、金 ぬ。 ゆうわく いだ 持の心理的作用もその 誘惑 もよく理解しうると思う。しか びんぼうにん して我が国において少しく金を持った人は、多くなにに使 今の青年会と昔の若い衆 いい うかと、彼らのなすところを米国の金持に 較 ぶれば、米国 とかくに若い者といえば、むしろ青年の弱点を指す意味 あかご 人は確かに日本人のいまだ持っておらない思想なるものに 合いがある。近ごろこそ各地方で青年会がさかんに行われ くら 動かされておることを察しうる。 て、その目的は実に 嘉 すべきであるが、同じく青年の会合 二三七 よみ ろく でも、三、四十年前に行われたるものは、若い衆の寄合いと た 最も貴ぶべき青年時代の理想 称して、若い衆といえば 碌 でもないことをする者、思想も ほうらつ 理想もなく、ただ 放埒 に時を移す者のごとく見なして、老 た 世界を動かすものは思想である。暴力で一時国を 建 てる ほろ こともできるし、国を亡 ぼすこともできる。産業で国を建 て 自警録 いもので、譬 えて言うならば、ごく微妙な外界の影響を受け たと 人もこれを許し、また青年自身もこれを許して、その言行 やすい花のごときものである。外界の事情をよく知らない とが 青年時代には、いかなることがあっても一と花咲かしてみ みずか の正しからざることがあっても、 自 らも世人も咎 めなかっ た。 せるという元気もあるが、年 経 る間には風も吹けば 霜 も降 かど しも 普通教育のいまだ一般にいき渡らないときは、かくのご り、雨もあたれば 旱 もある。そのたびごとに根をはらすく ふ ときことも無理でない。教えてくれる設備もない時代と場 ふうをしなければ、とかく人生の半分も 来 ぬうちに花どこ こ 所に生まれ育った者は、ただこの世に出てきたというのみ ろか葉も根もみな枯らしてしまう。すなわち種無しになっ ひでり で、もの言うからこそ人間に違いないが、その他の点にお てしまう。 き おれ かえり いてはむしろ動物に近い。ゆえに動物的の行動をとっても 僕が新年を迎えるごとにもっとも強く心に省 みることは、 しゅうたい へだ 無理ならぬことであった。 幼少時代の思想と今日と、どれほど 隔 ったかという廉 であ ほうふつ 人の動物と違うところは思想あるがためで、この思想な る。これをもっと具体的にいえば左のごとき問題が起こる。 きんじゅう るものを養わない以上は、 禽獣 に髣 髴 たるものである。そ 一、幼少の折 、母を失ったときに、親に対して孝をつく じょうぎ おれ おり こで人を 測 るに、いずれの定 規 をもってするか、動物的の すことができなかったが、せめて母の希望であった点は はか 標準をもってするか、向上的すなわち思想の上下をもって 却 せずして、遅れながらもこれを達しようと、こうい 忘 ぼうきゃく るか、用いる量 測 によって人に対する観念がちがってくる。 う考えが浮んだ。年改まるごとにいま母に対するの観念 とが はかり すなわち動物的の定規をもってすれば、若い衆の飲酒にふ と、および実行が幼少のときの思想とどれほど一致する はか けったり夜遊びするのは、普通一般のことで 賞 めるほどの か。 ほ ことでなくとも、 咎 めることではない。しかるに思想の標 一、子供のときに飲んだくれの醜 態 を見て、俺 は酒にふけ しりょ 準をもって 図 るときは、なにか一種の 思慮 を持たぬ者は、 ることは決してしまいという考えを抱いた。して年 経 る はか 人間のごとくにみなさない。近ごろの青年会と昔の若い衆 ごとに、今日俺 のなすことがはたしてこの思想にかなっ 二三九 ふ と違うのは、高いほうの標準を使うからである。 ておるか。 へん おこた 一、幼少の折、学校で学問の大事なことを 聴 いて、よし いとま 学者にならなくとも、勉学読書は 暇 あるごとに怠 るまい くじ 幼年の理想は今いかに変 じたか しょうがいぶつ ただ思想の発展にはとかくに 障害物 があって、 挫 けやす 自警録 と思った。年改まるごとに、今日のわがなすことが、こ も、高い程度の所にぶら下がってゆくことにしたいと日ご くわだ 二四〇 ろ念じている。 ねた の点においてどうであろうと対照してみる。 にく うら 一、幼少の折、かつて、あるところで話を聞いたことに 主義を抱ける者の世渡りの覚悟 いだ よって、人を 怨 み悪 み嫉 むことは、下品なものというこ 一種の思想をもって世渡りを 企 てる者は、同じ思想を 抱 ふ ねた とを大いに感じたことがあったが、年 経 るごとに今日は うら にく いている人のうちにはもっともよく受けいれられて、いわ おれ はたして 俺 が人を怨 まないか悪 まないか 嫉 まないかと昔 いんしょう いだ ゆる調子よく世渡りもできるが、異なった思想を抱いてい ほうとうむすこ にくらべてみる。 る者、あるいはなんの思想をも 抱 かずに世渡りをする者に めいわく 一、幼少のときにある 放蕩息子 が身をあやまって、自分 し 対しては、はなはだ面白からぬ 印象 を与えるがために、と むていけん はくがい ひ かく 彼此 の批評を受けたり、あるいは、ときにはそれがた へ のみならず大勢の人に 迷惑 やら心配をかけたのをみて、 めに 迫害 も凌 がねばならぬことは承知せねばならない。 つつ 婦人関係は深く 慎 しむべしと決心した。年 経 たる今日に 普 通 に い う 世 渡 り の 上 手 だ と い う の は 、た だ 無 主 義 で とばく しの おいて、はたしてこの思想どおり身を 処 しておるか。 定見 で無思想で、流るるままに浮かんでゆくを称するの 無 ゆうわく しょ 一、賭 博 のよろしくないことはつくづく親の話によって とばく 承知し、いかなる 誘惑 があるとも、賭 博 などには手を出 であるが、いやしくもいずれかの主義を抱いた者は、一時 いだ へ すまいぞという思想を 抱 いた。年経 た今日において、は 調子よいことがあっても、浮き沈みのあることは覚悟せね うんぬん ばならない。またこの反対の勢力の 風波 に会わなければ、 ふうは たして幼少の思想にかなう行いをするか 云々 。 思想も練ることはできない。 かか というように、問題を 掲 げていちいち実際と、思想とい 僕がもっとも 崇拝 する人物はキリストのほかにソクラテ だらく りそう うか理 想 というか、かつておのれの心の、向上したときに スとリンカーンであるが、二人とも生きているあいだに名 はやりっこ すうはい 抱 い た 考 え と 引 き く ら べ て み る と 、年 経 るにしたがって、 声さかんで、一時 流行児 となって大いにもてはやされたが、 ふ むしろ 堕落 したことを発見する者が多くなかろうか。読者 ついにその最後は世人の皆知っているとおりである。 うえん のなかには、僕のいうことがはなはだ子供らしい、 迂遠 な うと ことだ、世渡りの道を知らぬとなじる人もあろう。僕も甘 理想家に対する世論の変遷 よわた んじていわゆる 世渡 りの道に疎 きことを自信する。僕の世 二四一 渡りの道と考えることは、低い標準の上に立って行くより 自警録 たいぎょう たと た じゃま みどり やなぎ くれない 事 大業 も機械に譬 うれば思想なる原動力の発現にほかなら たと ルーズベルトに対する世評の動くこと、実に驚くべきも ない。これを草木に 譬 うれば、 緑 の柳 、紅 の花と現れる世 け のである。かつては同氏を攻撃し、ほとんど 蹴 たおすばか おこた みち あ なんじひとたび さ ま ま みき の変化も思想なる根より起こるものであるから、なにはさ ばいよう りの語調が新聞や雑誌に表れ、また僕が直接話をした個人 ておき根の 培養 は 怠 れない。根さえ確かなれば、 幹 なり枝 あらわ の言葉にもしばしば 顕 れたけれども、そののち誰いうとも なり葉なり花なり自然の結果として栄える。 たれびと なく、同氏の名望が再び回復されつつある。僕はまだ同氏 誰人 も経験あることならんが、だんだん年とるについて ことごと に面会するの機会を得ないが、氏の人格と、ことに氏が思想 も、若きとき思い込んだ思想が、なにごとについてもヒョ た い の人であることは彼のいうことなす 事々 によって明らかで コヒョコと胸底に浮かび 出 で、あるいは邪 魔 し、あるいは ほ ある。彼を嫌 う人も、彼を賞 むる人も、彼の人格より彼の 手伝いし、われわれの今日の仕事に関係を絶たない。 きら 思想について判断することを思えば、昔も今も思想家はそ ﹁三つ子 の心は百までも﹂ ﹁老馬 路 を忘れず﹂という。青年 まと ご の思想を天下に刻印するには、血をもってするの覚悟がな 時代に植えた 種子 は、よかれ、悪 しかれ、いつまでも身辺 ね くてはならない。といって誤解のなきことを欲するが、わ に 纒 いつく。 へ とき ね れに思想あり、この思想を世に伝えんがために早くわれを 古き書にもあるとおり、﹁ 汝 一度 水田に 種子 を 播 け、数 た ね あき ち た ね 殺せといわんばかりに、めざましきを好む演劇的な挙動を 日を 経 て収穫すべし﹂と。われわれひとたび 播 ける種 子 の わざ おんびん たお 恣 にして、態 と反動を招いて、かえってはなばなしく 斃 れ いは、われわれ自身が刈らねばならぬ。若い時に植える 酬 ほしいまま ることを望むのが宜いと言うのではない。できるだけ 穏便 子 は、後年植えるものよりいっそう深く根を張る。 種 むく に平凡に、自分の思想を実行することにつとめることが肝 か 植ゑし植ゑば 秋 なき 時 や咲 かざらんはなこそ散 らめ ね 心なので、これがわれわれ日々の務めである。 さへ枯 根 れめや ごうけつ とあるごとく、単に植えさえしておけば、秋のない年はい ぼんじん 偉大なる凡 人 となるは平凡なる 豪傑 となるよりも、はる かに上 乗 であると思う。米国に行きてことに感ずることは、 ざ知らんが、いったい一年間に秋のなきはずはないから、必 じょうじょう この国には偉大なる凡人の多きことは、ほとんど日本にお ず秋がくるに相違ない。その秋がくれば、草木の性質とし よ て花を咲かす機会到来は 必定 。けだし去年の花は縦 しまっ ひつじょう いて平凡なる豪傑の多きがごとくである。凡人をして偉大 たく散り 了 っても、根さえ枯れずに健全なれば。 か ならしむるのはそれ思想 乎 。思想ほど恐しき力はない。人 おわ の動くのはみな思想の力によるのである。すなわち世の細 自警録 第二十六章 理想の実現は何処 二四二 二四三 ぎぬように思われる。理想というものははたして達しえざ るものであろうか。 理想はどこまで行っても達せられぬ 二四五 カーライルはかつて、 ﹁いかなる 卑 しい者といえどもけっ 犬車の前に垂れ下げた肉片 してこれに絶対的満足を与うることはできない﹂といった。 二四四 僕がヨーロッパ旅行中、ベルギー、オランダ、ドイツな なんとなれば絶対的満足は理想がことごとく充実された 暁 どでしばしば見たことがあり、また日本でも 大和辺 あるい において始めて達せられるのである。 いや は東京でもときどき見る 犬車 というものがある。すなわち しかるにその理想はけっして満足されるということはな やまとへん 犬に 曳 かせて荷を運ぶ小さな車である。これは犬の使用法 い。またないはずである。人間は一を得ると第二が欲しく けんこつ ちょうだい しおびき さしみ あかつき として理想に適したものとは思われぬ。犬というものはそ なる。第二段にのぼると第三段が欲しくなる。どこまで行っ けんしゃ の肩 骨 の構造から考えても、車を 曳 くようにできておらぬ ても人間の欲望の絶ゆるところがない以上は、けっして満 ひ が、とにかく方 々 で行われている。 足するものでない。いまのカーライルの言にあるとおり、 ひ ヨーロッパのある都会では小僧が車に乗り、犬に 曳 かせ いかなる 賤 しい、 路傍 の乞 食 でも、腹が空 いているときに たた ほうぼう て用を達している。しかるに犬が空腹になるとなかなか動 飯 を与えると、 握 ﹁三日も食わずにいたが、これは結構﹂と いたずら ひ かぬ。 擲 っても 叩 いても動かない。このときに肉でも与え いってありがたく 頂戴 する。も一つ 与 ろうとすると今度は く す ると動きだす。そこで 悪戯 の小僧らは、自分が車の上に乗 そうありがたく思わない。 にぎりめし こじき り、乗ったまま棒の先に肉をつけて、車の上から犬の鼻さき ﹁塩加減が悪いから塩をまいていただきたい﹂ ﹁ 香 の物をつ ろぼう へぶらさげる。犬はこれを 食 おうと思いワンといって動き けていただきたい﹂ いや だす。いくら動いてもけっして達することはできぬ。どこ という注文が出る。 なぐ までも肉をとろうとして進むが、いくら進んでも肉はけっ 三つめには、 ﹁握 飯 ばかりではなんですから 塩引 でも﹂と かわ や して口に入らぬ。僕は人間の理想というものもかくのごと いう。 にぎりめし きものでありはせぬかという考えをもっている。 四つめには﹁塩物ばかりでは 喉 が乾 く、刺 身 を﹂といい こう われわれが一つの理想をもって進む。一歩進むとまた一 のど 歩前に理想がある。何歩進んでも同じことを繰り返すに過 いものでない。私の思想は、も一歩高く、到底この世で満 こじき だす。 乞食 のごとき者でさえも、その欲望を満たそうとす おご 足のできぬ理想をもっていると大きなことをいう人がある。 やおぜん れば、どこまで行っても満足せぬ。 ぶんど しかしこれは理想でなく、むしろ空想というものである。 かさ 現のできるものであると思う。この例はあたるかどうか知 ごちそう ﹁八 百膳 ﹂の料理を奢 られても、三日続けて食わさるれば、 理想という以上は、合理的にして、 分度 ある欲望の要求 らぬけれども、われわれの理想なるものは、分量で 測 るも ごじん 不足を訴える。帝国ホテルの御 馳走 でも、たび 重 なればいや であろうから、少なくともその幾部分は、 吾人 の在世中実 に入 れても永く満足はせぬものである。 のでなく、品質で測るものではなかろうか。たとえば花を い 人間には絶対的幸福はけっして得られるものでない。また 見たいと思うと、菊でも 桔梗 でも花を見れば、すなわち花 ふ ききょう し はか 得られぬはずのものである。この 乞食 が三日も飯 を食わぬ を見たいという理想の一部分を達したというものであろう。 い めし ときにいちばんに痛切に感ずるものは 胃 の腑 である。 握飯 あるいはそれは違う、 桔梗 の花を見たいのでなく、花を見 こじき でも食いたいというのが彼の理想である。彼の理想という たいのである。花という以上は何万という花がある、その ききょう が、これは彼の理想でなくしてその実胃 の腑 の理想である。 花の全体を見たいので一、二の花をもって満足するのでな にぎりめし 腹がいっぱいになり 刺身 が食いたいというのは、腹の理想 ふ でなく、 舌 の理想である。あるいは着物が着たいとか、高 いというかも知れぬ。それがすなわち分量と品質の違うと み い 位につきたいとか、人に 褒 められたいとか、世の中に大き ころである。 さしみ な顔がしたいとかいうは、 虚栄心 を充 たす理想である。同 僕はつねに思う、一 枝 の花のなかに千種の花を見えぬ者 した じく理想というも、その出所を異にするから、したがって は花を語るに足らぬと。すなわち理想を論ずる者は一の中 ほ これを 充 たす物体も変ってくる。自分の理想を絶対的に充 に千万の数を読むを要する。われわれが理想とするところ あこが きょえいしん たしえぬことは、あたかも犬の鼻の前にたれている肉のご はいかに小なりとするも、その全体を実現することはでき み とく、いかに肉に 憧 れて進んでもけっしてその望みの全部 ずともいく分かすることはできる。昔から 天女 を見ると、 てんにょ を達するときがない。 衣 を着て自由自在に空中を飛び歩いている。おそらく交 羽 二四六 通機関としたら、これほど便利なものはあるまい。すなわ そうばん ち 羽根 が交通機関の理想のごとくなっていたから日本でも ね 理想は 早晩 実現せられる は あるいは理想とはこの世で実現しうるような、そんな低 はごろも しゅちにくりん になる。食物だけのことを望めば、人間はいかなる 酒池肉林 自警録 自警録 か知らぬが、その一部分は必ず行われると思う。これは国 これと同じくわれわれの思うとおりの理想は行われない 理想を実現したものといって差し支えない。 ないが、空中を飛び歩くという点にいたってはやや多年の 二十世紀になり飛行機ができた。飛行機は羽根で飛ぶので しかしこれは理想で、できるものでないといっていたが、 西洋でも自由自在に動くものの 意匠 には羽根をつけている。 国語をわかるような言葉に換えることを翻訳というと同じ 理想という 原語 を行為に翻訳するのである。わからぬ外 に翻訳することになりはせぬか。 ことばを換えていえば、人間の生活なるものは理想を実地 するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい。 理想なしにぶらぶら流れのまにまに 活 きていることは存在 ある。われわれのすべての働きは理想を実現せんためで、 か前にぶらさがっているものを得ようと思うから動くので いしょう 家社会の理想のみでなく、個人においてもそうであると思 く、もやもやしており、あるいははっきりしても形のない かた い う。個人がこういうことをぜひ行いたいと望み、 神 や仏 に 思想を、実際の言行に現すのである。これが人生というも そうばん こばん げんご 祈れば、その祈願として合理的ならば必ずそれが 早晩 達せ のではないかと思う。 ほとけ られると僕は確信する。なかには金が欲しく天から 小判 の かみ 降りきたるを理想とすればそれは実現されぬ。それは理想 誤って翻訳した実例 二四八 でなく、 欲想 である。実現せられぬのは理想でなく空想で この翻訳はなかなか 難 い。原文を精確に会 得 しなければ よくそう ある。 翻訳はできない。また訳する言葉がわからなければ適切な えとく 二四七 翻訳ができぬ。原文を誤解し、日本語を誤解している者が ほんやく 理想を行為に翻 訳 するが人生 い 翻訳すれば、できた翻訳のろくなものならぬことは無理も なんぴと 理想は 何人 でも、活 きている者は必ずもっている。また ない。それと同じくわれわれがとかく思うように理想に近 やそきょう これがその生命である。耶 蘇教 で教えているとおり、 ﹁人は い づきえぬのは、理想が精確でなく、実行もはっきりせぬと むぎめし まず パンのみにて生くるものにあらず﹂。 き 翻訳の仕方が分からぬからである。ここにおいてわれわれ い 人はなんで 活 きているかというに、理想で活きている。 は翻訳に 拙 い生活を送っている。 にぎりめし はな にしのまる 維新前に、どこかの殿様が行列を正して 西丸 近所を通っ か い ただ 呼吸 するだけならパンだけでもよい、パンでなくとも、 て登 城 するさい、外国人が乗馬でその行列の鼻 を乗 切 った。 のっき 飯 でも 握 麦飯 でもよいけれども、この世に生きている 甲斐 とじょう には、なにか理想がなくてはならぬ。前の犬のごとくなに 自警録 ひとかた ふんがい との 殿様はもとよりその従者も 一方 ならず憤 慨 し、殿 はただち め ただ はだご無礼ではあるが、まことにご苦労であったと厚くお 礼を申しております﹂ なんじ に通訳を 召 し、 という。外国人は恐縮し日本に来て大名と直接にお話し なり きゅうてい はいえつ だつぼう ﹁汝 は言語もわかることであるから、あの人の無礼を 糺 し たことは 始 めてで、 名誉 なことであると喜び、再三 脱帽 し めいよ てその場で切り捨ててこい﹂ たあとで去った。通訳官はかく再三脱帽しておわびを申し はじ と命じた。通訳は﹁かしこまりました﹂といって、その 上げていますと言うと、大名は、 あなた 外人を呼びとめ、 くら とじょう ﹁苦しゅうない、苦しゅうない﹂ かみ ﹁私の主人なんの 守 という大名が登 城 の途中に、 貴方 の馬 二四九 に乗ってゆかれる姿勢を見、西洋の鞍 が面白い、まだ見たこ 最大 侮辱 を最大敬礼とした誤訳 くら ぶじょく とがないから、どうか拝見したい、また 乗人 も見事に乗っ 翻訳というものはこうもできるものだ。しかしさらにはげ のりて ている、あの外人にお頼みして 鞍 を見せてもらうことはで しい翻訳の仕方もある。 幕府 時代に使節が始めてヨーロッ と かみしも ばくふ きまいかと申します。途中でお 止 め申して、はなはだ失敬 かみ つ パへ派遣されたことがある。 ゆ 髪 をチョン髷 に結 い、裃 を着 け、二本さし、オランダへ か ご まげ であるが、せっかくの望みであるから、見せていただきた か ご い。主人が駕 籠 をおりてくるのが本当ですがあなたは乗馬 行った。これよりさき、外国で日本人が来るそうだ、毛が頭 ご が上手ですから、 駕籠 の前に来て見せてくださらぬか﹂ の半分だけ生 え、その毛がつっ立っているそうだ。これは見 か は という。外人は得意になって、 駕籠 のそばに来たり 鞍 を ものだというので、子供も女も寄り集まって見に出た。使 いのち くら 見せんと下馬し脱帽して 挨拶 した。そのとき通訳官は、 節の一行は幾台かの馬車をつらねてホテルから 宮廷 に 拝謁 あいさつ ﹁この外人はまことに恐れ入ったしだいであるといい、か に出かけた。何万という人々は沿道に立って異様な 装 した ゆる ねが く脱帽しておわびを申し上げています、何分にも 命 だけは だつぼう ぶじょく 日本人を見、ぞろぞろとそのあとについてゆく。なかには げ ば お許 しを願 いたい﹂ たた 吹き出すもあれば、あらゆる侮 辱 を使節に加うるもあった。 しり と申し上げる。殿様も外人が 下馬 して 脱帽 しわびること おそらく日本の 侮辱法 の最大なるものは﹁尻 をまくって叩 ぶじょくほう なら許してつかわせといわれた。そこで通訳は外人に向か く﹂ことであろうが、西洋ではこの方法を実行することが はな できない。そのかわりに双手を開いて 鼻 の前にならべて人 か ご い、 くら ﹁見事なお鞍 を拝見してありがたい。駕 籠 のなかからはな 自警録 を当てワイワイいっている。使節はなんのことやら合点が 使節が馬車に乗って行くと、両側の子供らが 鼻 の前へ手 と同じくらいの程度とみなしている。 なし、無礼の極とし、日本人が 尻 をまくって人を侮辱する われぬが、西洋人はこれをもって極端なる侮辱の方法と 見 を遇 する侮辱法がある。日本人にはおかしくもなんとも思 ということになる。 世で晴れて一緒になれぬなら、むしろあの世で 蓮華 の上に 想とするが、 不義 の交際は親も許さず世間も認めぬ。この たとえば男女の 心中 のごとき、二人が夫婦になるのを理 理想の翻訳を誤るものが多い とがありはせぬか。 ことは、いまのオランダ語の通訳官と一 寸 一分 も違わぬこ ぶ 行かぬので、通訳官にだたすと、 かくのごとくその理想なるものを実行するさいにその翻 すん ﹁あれは日本でいうと三拝九拝にあたる、あの子供はあな 訳の任にあたる自分の考え一つで、 勝手 次第に意味をとる。 ぐう た方に最敬礼を表しているのである﹂ ちょっと聞くともっともらしく思うこともあるが、翻訳の きゅうてい へいか はいえつ み といった。そこで日本の使節もよいことを聞いた、小笠原 やり方によってははなはだもっともでない実行に現れるこ しり 流にもない礼法を学んだと喜び、いよいよ 宮廷 に達し 拝謁 とが 間々 ある。たとい商売人でも役人でも、書生でもいか ぶじょく ゆうしょうれっぱい 二五〇 するとき、使節は 玉座 の前でみな手を鼻に当てた。 陛下 は なる職業の人でも自分の同業者の悪口をいう。はなはだし じんしんこうげき しんじゅう 大いに驚き、自分に 侮辱 を加うるのはなはだしきものであ きは 人身攻撃 をする者もある。して彼らの理由を 訊 せば、 ぎ れば、ただこのままには 棄 ておかれぬ、そもそもこの儀は 人間が世の中にいる以上は、 優勝劣敗 の原則にしたがい競 ぐう ふ なにごとなるかとかたわらなる通訳に問われた。すると通 争するを要するがゆえ、かくすると弁解する。なるほど競 ちん はな 訳官はこれが日本の最敬礼でありますといった。陛下もな 争とか優勝劣敗とかいうと、学理的でよく聞こえるけれど たお ただ れんげ るほどそうか、それでは 朕 も遠来の大使を 遇 するに最敬礼 も、この理屈を実行に翻訳するにあたっては勝手なやり方 かって をもってせんといわれ、使節も陛下もともに侮辱を最敬礼 をする。敵を 殪 すにはいかなる手段方法をも用いる、 嘘 を ぎょくざ と心得て実行されたという話がある。 ついてもかまわぬというは、優勝劣敗あるいは生存競争と ま 通訳というものはこういうこともできる。僕はこの話を いうことを読み違えていると言わなければならぬ。 ま 思い出して一人で笑い出すことがある。笑うとともに思い 僕はたびたび耳にすることであるが、学校で試験のとき、 す あたることがある。すなわち理想を実行に翻訳するにあた うそ り、翻訳を間違えたり、あるいは故意に曲解して実行する 自警録 より出たことである、どうか早く学士になり、親に安心を か相当の理屈がある。試験に不正を行ったのは一つの理想 猾 をやる学生がある。それを呼び出して聞くと、なかな 狡 義だといって議論して歩くあいだはよく聞こえるけれども、 とはちょっとわからぬ。とかく愛国とかあるいは何々の主 かえって 強盗 強 姦 したものもある。これが愛国だというこ のように命を捨てたかといえば、なかなか捨てるどころか、 事であると、 佐倉宗吾 を気取ったまではいいが、佐倉宗吾 さくらそうご 与えたいと思うが、近ごろ親が病気でこうこうだとあわれ これを実地に行うときは、翻訳が間違いやすいゆえにわれ る げな話をする。してみると君が試験に 狡猾 をしたのは、親 われがいやしくも理想をいだくという以上、その理想なる ず 孝行のためにしたというのか、﹁そうでござります﹂とい ものを実現するにあたって、理想の品位を下げぬように行 ごうとうごうかん う。こういうことは 間々 ある。 為に現すにあらざれば理想でなく、 妄想 であることを一言 はっき ず る 愛国忠君などということを 口癖 にいう人にはこれが実行 したい。 ま の翻訳を 誤 る人が多い。愛国だといってみだりに外国人を こくすいしゅぎ ま 悪口したり、戦争をしないでもよいのに、戦争を主張した 理想の実行は位地の有無に関係せぬ つば くちぐせ りする人がある。 近時理想ということが一つの流行語になり、 成功 はいう じんもん こうみょう て が ら 二五一 もうそう 明治二十年ごろ、 国粋主義 のさかんなとき、途中で外国 におよばず失敗をも理想に 帰 する傾向がある。この語にあ あやま 人の婦人に唾 を吐 きかけた学生があった。なぜそんなこと ざむかれず、これを間違えず翻訳する一方法として、僕はい ばはい いな せいこう をなしたかと 訊問 されたとき、国体を発 揮 するためだと答 かなる小事にあたっても、なにかことをなすときは、ちょっ は えた。愛国ということはよく聞こえるが、これを実行に翻 と 退 いて、これは自分の理想を実行するのか 否 かと考えた ろうぜき と き 訳するときは、オランダの通訳官と同じく勝手にする。 いと思う。たとえば愛国の理想を描 くならば、戦争のとき、 ごうとう しりぞ むかし英国の学者ジョンソンは愛国心ほど 怪 しげな心は 背 にまたがって 馬 功名 手 柄 をするをもってただちに理想と ねん あや ない。いかなる悪党も愛国なる言葉を用うれば、犯罪をな は称しがたい。なぜなれば馬に乗らずとも、戦線に立たず えが すことができるといった。 とも愛国の行為を 遂 げるみちはある。 はたあ 明治十 年 ごろまでは強 盗 したり乱暴狼 藉 した者に、なぜ また日本の政治を改善したいと思うまでは理想として 嘉 ち そ うれ そんなことをしたかと聞くと、国を 憂 いて大いに 旗上 げする すべきであるが、これを行うには大臣にならねばならぬこ うれ よみ つもりであるといった。また 地租 改正のとき、あっちこっ さわ ちで 騒 いだ。このとき重税を課しては国のために 憂 うべき 自警録 とはない。理想を実現するにある位地をむさぼるのはいま てある︱︱︱向こうを向いているものを引き寄せる意である。 を向いているのを、肉をもって︱︱︱肉はまず 旨 いものとし うま だ真の理想とは思われぬ。 教育するという事がはたしてわれわれの理想であるとすれ くまざわばんざん げじょ げなん 教育家は教育をもって自分の理想とする。しかるにこの ば、必ずしも役人となるを要しない。家にいて 下女 下 男 の かいばらえきけん にょうぼう 理想は文部大臣にならなければ実現ができないという人を 教育もできる。また自分の 女房 子女を教育することもでき こころざし よく 糺 してみると、真に教育のためにつくしたい 志 より る。 人が真に教育家なら笑っても教育になる。寝ているのも ただ は、他に望みがあるのが多い。だんだんそのいうところを むかしの立派なる教育家 貝原益軒 、 中江藤樹 、熊 沢蕃山 教育になる。一 挙手 、一投 足 、すべて社会教育とならぬも とうじゅ なかえとうじゅ 聞くと、教育 云々 というのは第三次の考えで、大臣になり 等はみな 塾 を開いたことはあるが、今日のごとく何百人の ている。 のはない。われわれの目的および理想が教育であるなら、 すま あるいは実業家になりたいというは、いかなるところよ 全身その理想に 充 ち満 ち、することなすことがことごとく ひと り起こった考えかと 煎 じつめると、実業家は美服を 着 け茶 教育でなくてはならぬ。位地を選んで大臣、局長、課長に たいか うんぬん たいということは第二次の考えで、第一次的根本の考えは 生徒を集めて演説講義したものでない。 藤樹 のごときは村 屋に行ってドンチャンやるにある。しからばこの望みも実 ならねばならぬということはない。文教の職にあたった政 じゅく 馬車に乗り大 廈 に住 いすることが理想なのである。つまり を散歩することが教育であった。 人 そのものが教育である。 業家たるにあらずして幇 間 でも俳優でもできるわざにある。 治家は、たくさんあるけれども、なんらの功績を残さぬ者 ばてい それなら馬車会社の 馬丁 になるのがこの人の理想にかなっ とかく理想々々と 高尚 らしくいうが、とんでもないところ が多い。明治以来文部大臣となりし人のなかで、今日まで ほうかん こうしょう み かんが とうそく から割出している者が多い。 あの人の時にこういうことをしたと記憶される人はきわめ しがくかん きょしゅ 日本の教育を進めるには、必ずしも大臣になりあるいは文 て少ない。僕は文部省を攻撃するのでなく、ただ説明の便 つ 部の役人となる必要はない。また県の教育課長、 視学官 に 宜に引例したのである。して僕のいうことは教育のみに限 せん なる必要もない。真に教育を理想とするなら、学校の教師 らない。他の 官衙 においても同然である。 てんとう み になる必要もないくらいである。教えという字はなぐると また西洋でも同じである。各国の教育史を見てもペスタ たた か叩 くとかいうことを含んでいるようだが、育という字は にくづき 子という字を 顛倒 し、下に肉 月 がついている。子が向こう 自警録 はなじる へ た あらわ いげん さいごうたかもり おう ここち という人がある。たとい茶を飲まなくともその人のそばにゆ おう ここち ロッチ、フレーベルなどは自身で 鼻汁 をたらした子供を集 くと 心地 のよいことがある。 西郷隆盛 のそばにいると 心地 えり な おう ごこう めて教えたということは残っているが、役人になったかど よく 翁 の 身体 から 後光 でも出ているように人は感じ、 翁 は からだ うか、 世人 は問わない。われわれの理想を翻訳するに、ど 近づくと 襟 を正さねばならぬほど威 厳 があった。威厳はあ せじん の位地、どの椅 子 に坐 らなければできぬというものでない。 るが、なんとなく惹きつけられるようで近づきたくなり、 すわ 位地を得ればなお良いかも知らぬが、位地ばかりが理想を いよいよ近づいても 狎 れて失礼することはできぬというふ い す 達するゆえんでない。 否々 位地を得たため、かえって理想 うであった。これ全く翁 の心のそとに顕 れたがためである。 やから いないな を失する 輩 が多い。理想は椅 子 にあるものでないから、椅 理想もまたかくのごとくならねばならぬ。 す 子を得たによってまっとうするとはいわれぬ。もし椅子に 理想があれば手なり足なりに現れる。かの 椅子 に坐 らな てるが、いずれを使っても仕事が下手なことはわれわれが い よりてなしうるなら、人でなく椅子が働き、人は椅子の道 ければ理想が行われぬというは、 下手 な職人が道具をなら つねに目撃している。ゆえに理想があるなら、つねにここ すわ 具に化するようなものである。 べると同じである。こういう職人は道具の善悪をならべ立 理想は所在に現れる が理想を実行するところだという考えをもてば、理想の実 い す しかるにわれわれはややもすれば、理想なる文字のもと 現せられぬところはない。 泥棒 するの罪悪なることは誰で 二五二 に野心を包み、あるいは月給をよけいに取りたい、人に 褒 め も知っているが、人が見ていないところにものが落ちてい おわい ひ ほ られたい、いばりたいというような望みを包む。ゆえにだ ると、十に七、八人までは持っていってもよいか知らとい にく いや どろぼう んだんいわゆる理想の奥を探るとすこぶる 賤 むべき 野卑 な う気が起きる。 盗 む気はなくとも欲しい気はある。両者は や る動機に到着することがしばしばある。自己の欲望の 汚穢 行為に現れたときは大いに接近している。 いやし を 掩 うために理想という文字を用うるものがたくさんある。 聖書に﹁人を 憎 むは人を殺すなり﹂という意味が書いて きゃつ ぬす 要するに理想の実現は位地によるものでない、心の底まで ある。人を 憎 むのは、機会があれば殺すという行為に現れ おお 理想が 透徹 するならば、なにごとにあたっても実現すると やすい。 彼奴 は 嫌 な 奴 だ、早く死ねばよいということと、 とうてつ 思う。一杯の茶を飲もうが、一言の話をしようが、そのな 社会になんの制裁もなければ、一歩を進めてみずから手を よゆう にく かに理想が実現せられる。 やつ 人と交際するにあの人は茶を飲むにも 余裕 がありそうだ 自警録 課をそっち 退 けとし、月や星を 眺 め、へたな歌をつくり理 なが 想を養うているというが、理想はそう遠いものでない。 の 下すということとははなはだ近接している。ものが欲しい ﹁ここに 焚 く火の 烟 なりけり﹂で、日々やっていることの ひろ というのと、見る人がなければ 拾 うということは遠くとも うちに理想が含まれてある。またこれを養うに遠方にゆき からだ けむり 兄弟 同士ぐらいである。欲しがる人が拾わぬというは、 従 界 を去らねばならぬものでない。われわれは山へ 塵 引 っ込 た 世の中に制裁があるからである。 むもよい、 塵界 を去るもよいが、それが理想を養う必要条 こ この場合にかねて承知の道心を起こしてここだなという 件では断じてない。理想は心の 作用 である、実際は身体の と 考えをもてば、はじめて落ちた物を拾わないりっぱな人物 作用である。心と 身体 とは別であるがごとく、理想と実行 い が出てくる。あるいは拾ってもちぬしを探して、返すごと とは別のごとくしてそうでない。われわれが一つの理想を こ き人物となる。先年もある青年が婦人の 誘惑 に陥 らんとし もって世の中を渡ろうとするときには、その理想の中に身 ひ たとき、かねて聞いていたことは﹁ここだな﹂と思い、つ も入らなければならぬ。 ひきん じんかい いに危険を脱 したということを手紙で通知してきた。青年 実業家は店において、職工は工場において、学生は学校、 じんかい はみな理想をもっているが、 卑近 な小さなことにまで翻訳 家庭あるいは運動場において、女子はその台所において、 さよう して始めて理想の理想たるところが現れ、かつまた高くな おちい り強くなるものである。これは少しでも実験ある人のみな いかなる位地にあっても、理想を実現することはできうる。 二五三 ゆうわく 感ずるところで、僕のように達しないものでも、これを適 また真の理想なれば実際に行われぬものはない。いかに高 だっ 切に感じたことが二、三度ある。 けむり き理想も実際に現すことができると信ずる。 た た けむり ここに 焚 く火の 烟 なりけり 昔のある皇后の御歌に、 もろこし もろこしの山のあなたに立つ雲はこゝに 焚 く火の 烟 なりけり けむり われわれはとかく理想は遠い所にあり、 唐土 の山のかな あこが たに立つ 烟 のごとく、ほとんどわれわれと没交渉のように 心得、理想に 憧憬 れているという青年男女などは、日々学 自警録 第二十七章 夢の実用 二五四 二五五 家などに問いても、夢そのものがなにものなるか、また夢 と称するものの範囲がはっきりするまでは、とうてい満足 おいては、いずれが正しいか断言することを 憚 るが、しか はばか な解答を与うることができぬであろう。いわんやわが輩に 夢は迷信として 排 くべきか しもし夢なる文字を真実ならぬこと、事実ならぬこと、普 年が明けて、来たるべき一年間の出来事を卜 するためか、 通にいう本当でないという意味に用いるなら、僕は断じて、 二五六 あるいはまた過ぎた年の 厄払 いのためか、正月の二日に、 人生は夢でないと言いたい。 しりぞ 船 を 宝 枕 の下に敷き、めでたき初夢を結ぶことは、わが国 なんとなれば人生ほど実際なるものはない。実際も実際、 ぼく 古来の習俗で、いまもこの 風 を行うものが何万の数に達す 実際過ぎるほどに実際なるは実に人生である。米国の詩人 ふう やくばら るであろう。文明の今日になって、なおかくのごとき迷信 ロングフェローが、その﹃向上の詩﹄において、それ人生 たからぶね まくら が行わるるといって、これを憂うる人もあろうが、また一 は夢ならずと 謡 ったのも、もっとも至極の観察である。 夢もまた人生の一部 うた 歩しりぞいて考えると、これを迷信と非難するものの、は ゆめやゆめ、うつゝやゆめとわかぬかな、いかなる 二五七 たして迷信であるか否かと反問するの余地があると思う。 しかし夢もまた人生の一部である。ほとんど夢なきの人 よ るも、 世人 ことごとく聖人ならざる以上は、やはり夢は人 せじん 生はない。かりに﹁聖人夢なし﹂という句が本当なりとす にかさめんとすらん 世 なげ ない。 生に添えるものである。もし実際ならざることを夢と称す とは古き人の 歎 きであるが、いまも同感なる者は少なく よく人は、 ﹁人生は夢の如し﹂などという。人生ははたし るならば、未来も理想もすべて夢であるといわねばならぬ。 めいそう ち し き ﹁夢ではあるまいか﹂ ﹁これは本当であろうか﹂ なお実際なることがある。明らかに夢見ているときでも しかし折々はかえって夢のほうが、普通にいう実際よりも、 て夢なるか、夢ならざるか。これは学者も 名僧 知 識 も、い まだ容易に断定を下しえない。 しゃか 夢に死し夢に生まるゝ朝寝坊起きて苦を知る 釈迦 よ りはまし と疑うことは、普通に人のいうところである。しかるに しょうじょうあんげんしょう と 猩々庵原松 の狂歌にある。夢見つつねむりおるあい あかつき だが人生か、めざめたる 暁 が人生か。これは哲学者、宗教 自警録 かりに日常普通に起こらぬ、人生のうわっつらでない事 ときは、 ﹁夢ではないか﹂と思う。 実際の場合にもことさらにその実際なることを感ぜしむる 神を休むるというだけにとどまらぬと思う。もし休むとし く簡単なものでないと思う。この間は単に身体を休め、精 作用 あるものであるか。僕はこの二十年間なる長時間はか 意識的の時間すなわち四十年の意識時間を休ませるだけの いたず ひろう まぼろし すいみん ことわざ で、起きて大いに働く力を養う時である。ゆえにこの間に ぞうしょく ファンクション 実が起こったとする。たとえば不幸の上に不幸が重なり、 の うしな ても、その休むことは、まったくなにもなさずにいるとの うしな 火災に 罹 った上に親を 喪 うとか、子を失 うとか、あるいは 意味であるまい。 かか 自分が急病にかかるとか、すなわち人生のあらゆる苦しみ 農業に休田というがある。これはその田地が単に作物を おそ が、一時に襲 い来たるときはこれぞ人生の実際の実際たる 生育しておらぬだけの意味でなく、翌年の 作物 を生育する さくもつ ゆえんであって、すなわち人生の 蓋 を除 けて底に達したよ 力を 増殖 するために休むのである。人間の 睡眠 時間もまた ふた うなときである。人はかかる場合に会うと、これは夢では 同じく、なにもなさずにいるという消極的作用にとどまら 二五八 いの ないかと思い、夢であれかしと 祈 る。 している。また人生の出来事ははたして意識の行われてい らば 睡眠 中である。ゆえに睡眠中に起こったことを夢と称 るる現象である。しかして意志の行われぬときは、普通な に過したり、または 睡眠 する時もまた人生にとっては重大 た知覚の存するときのみが人生のすべてでない。 空々寂々 かくのごとく意識の行わるるときのみが人生でない。ま 睡眠中の時間も向上に用いられる わずら るときにのみかぎるものであろうか。 な時である。 ぞう の煩 臓 いでなく、精神的営養物となるものと思う。 結ばるる夢は 徒 らに疲 労 せる身体の 幻 すなわち諺 にいう五 ふ 夢とはいかなるものか いしき 普通にいう夢とは、自己の 意識 の行われぬときに心に 触 人間普通八時間 睡眠 し、しかしてその間は意志も意識も 長短よりいえば、前にも述べたごとく、人生の三分の一 すいみん 二五九 中止するなら、意識の行わるるのは、一日中三分の二しか を成しているが、この時間だけは人間の力でいかんともな すいみん ない。人間が六十年、生きるものとすれば、四十年間は意 しえぬとか、あるいは睡眠中は死んだも同然なりなどとは、 くうくうじゃくじゃく 識が行わるるも他の二十年間はまったく無意識に過す時と 普通に聞くところである。通常、 睡眠 と死とは、同一物の すいみん なる。しかしはたしてこの二十年間は、全然無意識に過ぐ すいみん るものであるか、またもしなんらかの意味があるとすれば、 自警録 ように思われている。さればこそ 沙翁 の悲劇﹃ハムレット﹄ でわかりやすく俗語で説けば、心の奥底に 潜 み隠 れ、自分 とは学問上、いかなるものなるやを知らぬが、僕の平凡見解 近ごろ心理学者が 潜在識 ということを説く。僕は潜在識 せんざいしき にも、 ﹁死ぬるは眠 るなり、眠るはことやすけれど、眠る間 がいっこう気づかぬとき、 不意々々 と現るる感想をいうよ さおう に夢という恐ろしきものあるなれば 云々 ﹂と死と眠りとを うに思わるる。たとえばわれわれが子供のとき、母の 乳房 ねむ ほとんど同一視してある。ただ時間の差異のみとみなされ につけるころに見たり聞いたり、または感じたりしたこと かたすみ わす かく ている。 は、われわれの心の、いわば 片隅 に 隠 れ、忘 れられている ひそ ゆえに人の一生を生と死との二者に分けて論ずれば、睡 らしく思われるが、必ずしも消滅し去るものでない。 うんぬん 眠はむしろ死の部に含まれているがごとくに 称 えられるが、 元来、人が事物を記憶するのは、たいがい四歳以上になっ ふ い ふ い 僕は繰り返していいたい、睡眠の時間も、その間に結ばる て見聞したことにかぎる。しかして三歳、または二歳のこ なんぴと ちぶさ る夢も、人生の一部をなすものであると。この間に直接の ろ、まったく無意識的に見たり聞いたりしたことは、根底 たましい ふ 出すことがある。またあるいはまったく新しい所、︱︱︱た いつであったか、その時を忘れたが、確かにあったと思い なにかするときに、こういうことはかつて前にもあった、 し、また他人についても見聞することである。われわれが いたこともないことを想い浮かべるのは、よく各人の実験 かく 意識知覚が行われぬとしても、人生には重大なときであっ より消え失せるかと問わば、けっしてそうでない。どこか とな て、心がけによっては、この時間をも向上のために資する に 潜 んでいて、いつかことに 触 れ機に接して、 何人 にも聞 ゆめぢ ゆめ ひそ ことができると思う。古人の言に夢の 魂 などと称するもの ゆき がある。 きみ いく こふる夢のたましひ行 君 かへり、 夢路 をだにもわれ に教へよ といい、また、 ゆ つらさのみまさり 行 く幾 おもひやる夢 のたましひい ゆ かゞ行 くらん とえば外国に行って、その風景などもなんとなしにかつて さ などという歌があるが、これは睡眠中の心理的動作を 指 どこかで見たように感ずることもある。しかるに実際はい ししょう かに考えても、見たはずがないというがごとき類は一種の す すもので、今日の学者といえども 捨 てがたい面白い 詞章 で あると思う。 経験したことばかりのものにかぎらない。われわれの祖先 潜在識の作用であろう。この潜在識はわれわれ個人として 二六〇 夢は一種の潜在識 自警録 が経験したことまでも材料となる。 のごとき夢は自身にあらざるとも、自身に関係近き者の実 ても、いつも下に落ちきる前に目がさめるのである。かく 験の子孫に遺伝する理由はないから、落ちるだけの夢は見 たれ たとえば 誰 でも一度か二度は経験しない人はあるまいが、 め 寝ておって、高い所から落ちる夢を見て、 冷汗 をかいて 目 際なしたことに基づくものであると思う。 ひやあせ ざめることがある。かくのごとき夢はどこの国の人でも見 一斎翁 の言に曰 く、 おとこ こ しか うち た う めと ゆめ せきじん る夢であって、おそらく人類共通の経験に基づいたことで ﹁およそ 人心 の裏 絶 えて無 きのこと、夢 寐 に 形 れず、 昔人 げんまこと さかゆめ かな ゆめ わがながくあいおもうをあきらかにす ことわざ あらわ あろう。 う、男 謂 、子 を生 むを夢 みず、女 、妻 を娶 るを夢 みず、こ せんざいしき む く ぼく び さて近ごろの学説によれば、これは人類が数万年以前、い の 言 良 に然 り﹂と。 ねごと おも む まだ 猿 であったときか、あるいは猿のごとき生活を営んで 眠る時にもこの 潜在識 はひそかに働きつつある。ゆえに さかゆめ ゆめ おも わす こじんわがゆめにいる な おったころ、樹木の枝に宿り、木から木に伝わり、それこそ この潜在識にして、純粋、潔白、 無垢 であるならば、眠る ことわざ ゆめ ことわざ いわ 夢の浮き橋を渡るような交通法を行っておった際は、 諺 に 間に働く人生もまた無垢なるものとなる。 じんしん わず、折々は木から落ちることもあったに違いない。わ 違 ﹁ 夢 は逆 夢 ﹂とか、 ひつじょう いっさいおう れわれの祖先にとってはこれほど 怖 いことはない。悪く落 ﹁あたらぬものは 夢 とちょぼいち﹂ りはくをゆめむ さい ちれば絶命は 必定 であるが、幸い途中の枝にでもかかれば などいう 諺 は、夢をもって未来を 卜 する方法に用いんと ほ ごにじょういん おんな 生命だけは助かる。しかるに助かった者には永久忘れがた するより起こる言であって、夢は過去の経験や思想より起 し と ゆめ い恐しい経験である。したがってこのことは全身、全心に こるとすれば、当たる当たらぬの論も無用で、 逆夢 という ひやあせ い みこんで、死ぬまでも記憶に留るのみならず、子孫の記 沁 こともなくなって、 ﹁ 思 うこと寝 言 ﹂なう諺 こそ事実に適 う さる 憶にまで留って人類の 潜在識 に化するにいたる。これがす なれ。 たが なわちわれわれの代になってもなお、時々は現れ出て 冷汗 杜 甫 の﹁夢 李白 ﹂の詩に﹁故 人入我夢 、 明 我 長 相 憶 ﹂ きたい こわ をかかせる理由となる。 と詠じたのも、 後二条院 の、 せんざいしき これについて 奇態 なことは、高きより落ちる夢を見て、 こひしさのねてや 忘 ると思 へどもまたなごりそふ夢 ふう けっして下まで落ちきった夢は見ない。いつも夢の浮き橋 のおもかげ と歌われたのも、 詩仙 にかぎらぬ情である証拠は、われ しせん で中絶するという 風 である。なぜなればもしまったく落ち きった祖先があったなら、必ず死んだであろう。死んだ経 自警録 潜在識の作用によることが多いと思う。 われ 凡人 も折々経験して明らかであって、これはすなわち り考えで眠れば、よし宝船を夢みても遠い沖を 帆走 る光景 それと同じく 宝船 を枕 の下に敷いて眠っても、ただ 欲張 れ出たのがすべて財宝であった。 し、 正直 爺 さんは宝 物 を潜 在 させたから、なかからあらわ に潜在させたから、 蓋 を開くとともに 醜怪 なものが顕 れだ あらわ 船 以上の夢見る 宝 秘訣 を見たり、あるいはかえって宝船の難破を見たりするであ しゅうかい 僕の 素人 的の考えでは、 潜在識 は知識を、心という土蔵 ろう。これに反し、得たる 宝 を慈 善的 公共的その他の正当 ふた の奥にある葛 籠 の中に入れて、しまいこんだように思われ な使用に 充 つることを日 ごろ念じながら夢をむすべば、お ぼんじん る。ゆえに日ごろよき考えと、しからざる考えとを 蔵 め入 そらく宝船以上の 宝 の夢を得るであろう。しかしてかかる もと ただ あ たからぶね たから かんたん まくら おそ おに たから はいせき ひ せんざい るるによって、潜在識の性質に異同を 生 ずることはいうま 夢は普通にいう 邯鄲 の夢でなくして、理想とも称すべきも ほうもつ でもない。潜在識はその 本 を 質 せば、意志にさかのぼって、 のであり、また人生の実際の一部となるものである。僕が しょうじきじい 自分の力のおよばざる方面より来たる知識もあるが、その 夢を一概に迷信として 排斥 すべからずといったのもこれが かな つづら うな か しか 二六二 おそ あらわ ばけもの よくば 大部分は自分の希望どおりのものを選んで入れることがで ためである。 ふう ひ け つ 二六一 きる。 たからぶね 人に交わっても、その短所のみを見、ここが心に 叶 わぬ 夢と実際とは連絡することが多い つづら たた つづら ほばし とか、あの風 が気にくわぬとかいう、弱点のみを心の奥に 子供が眠るときに、 怖 ろしい顔して叱 ると、子供はかつ泣 ゆかい せんざいしき ある 葛籠 に詰め込むか、あるいは善良なる 観察 と思想を入 き、かつふるえつつ眠ってしまう。かくのごとき夜にむす い つづら るるかは、精神の持ちよういかんによってできるものと信 ぶ夢のなかには、あるいは 鬼 に襲 われたり、あるいは 化物 しろうと ずる。しかしてこの貯蔵した意識が、眠るときに、 葛籠 よ に 逢 ったり、あるいは 魘 されたりして可 愛 ゆかるべき顔に したきりすずめ つづら じぜんてき り現れ 出 で、不愉快なものは不愉快な夢となって 祟 り、善 も苦痛または恐怖の念がありありと 顕 れる。これに反し愛 おとぎばなし あず ばけもの おさ 事は善く出て、 愉快 なる夢となって、おのれの心を喜ばし らしき物語を聞かせ、あたたかき愛情をもって、寝かしつ ただ しょう かつ心を養うものである。 伽話 にある﹁舌 切雀 ﹂の 葛籠 に けたときは、子供も天使に迎えられたり、あるいは極楽に ばあ かんさつ いかなるものが潜在してあるかは、もらう人の 与 かるとこ 連れられて楽しく遊んだりする夢を見、すやすやと眠る顔 よくば わ ろでないようなものの、その根本を 質 せばもらう人が入れ あ 込むのである。 欲張 り 婆 さんは、みずから 化物 を 葛籠 の中 自警録 構成する分子となる。目がさめるとともにあるいはこれを ては︵大人にしても、同じであるが︶ 、一つの精神的経験を ろしき夢をむすぶも、 吉夢 を見るのも、ともに子供にとっ には 笑 をふくみ、いわゆる﹁子供の寝顔﹂となる。かく 怖 に連続するものと思う。ゆえに目 覚 めているとき、つねに 連続したのである。これと同じく実際なることも、また夢 右に述べたことは、夢に見たことが、実際にも、眼前に 夢は人間の心の鏡 ゆる実際のほうがおのずから 怖 ろしくなったことがある。 おそ 忘れてしまうかも知れぬが、しかもどこかに、子供の意識 高きよいことを思うものは、夢にもまた 下品 な、紊 れたこ おそ となって残り、すなわちいわゆる 潜在識 となって、なにか とを見ぬものである。しかるに少し油断し、修養を 怠 ると えみ につけて記憶にのぼってくるものである。 悪夢を結ぶか、よしそれまでに至らぬとしても吉夢を見な きつむ 僕もかつて病いにかかり、体温の四十度を越したとき、夢 いようになる。 孔子 は、 しゅうこう わ こうし 二六三 に 怖 ろしき 化物 を見たことがある。眼がさめたのちも、化物 ﹁ 甚 だしいかな、 吾 が衰 えたるや。久 しく吾 れ復 た夢 にだ こうし ざ は眼前にちらついて残っていた。けしからぬことであると、 も 周公 を見 ず﹂ せんざいしき 自分ながら自分を 責 め、これはまったく熱が高いためであ といっている。 孔子 が油断したのか、しからざるか、僕 えい さくやゆめにこれをみる わ しゅうこう ゆめ ひるなか せいかく おこた みだ ると思い、試みに検温器をかけるとはたして高熱であった。 は知らぬがこの一言は大いに考うべきことである。この言 はくきょい へいぜいあつうするところのもの げひん かく精神は落ち着き、自覚したのちでも 化物 の形 がハッキ 葉を裏面よりみれば、衰えぬときは、 周公 のことを夢にま ばけもの リと目に映 じていた。このとき僕は独り病室におったので、 でも見たということを含んでいるであろう。しからばすな ほうふつ おそ かたわらにあったランプをつけ、目をみひらき、ばかなも わち 白居易 の詩に、 こうしょう ま のを見たものと思いつつ、空中をにらんだが、なおその姿 ﹁ 平 生 所 厚 者 昨 夜夢見之 ﹂ むこん うかが ひさ が髣 髴 として眼前に残っていた。むろん、これは病的であ とあるように、日ごろめざめているときに高 尚 な善良のこ めいりょう げんしょう すいみん いずこ おとろ ることを、僕はよく知っていた。しかしいかに病的とはい とを想っていると、夢にこれを見るものならん。はたして はなは え、みずから 明瞭 に自覚しておるにかかわらず、夢に見た そうならば、 睡眠 中のいわゆる夢 魂 によっていわゆる 醒覚 せ ことが、さめたるのちまでも、その 現象 の消え去らず、連 中の真意が 何処 にありしかを 窺 うこともできる。 昼中 働い み 続しておった。あるいは心理学者の一笑を招くかも知れぬ ている間ほとんど無意識にいかなることにもっとも心を寄 かんが かたち が、いわゆる夢なるものといわゆる実際なるものとが連続 ばけもの しておることを 考 え、怪物の夢そのものよりかえっていわ 自警録 やす と び みずか あざむ さと きょもう ならば、夢相も夢物もみな同一の 虚妄 にして、すべてある し が せていたか、かえって夜中に結ぶ夢によりて解きうるであ みずか みずか ゆめ げんしてつろく もっ やす ちょう こころ ところなしと 悟 らるるであろうことは、あたかも先に掲げ さい こころ さとう こ む び かた こ ろう。 佐藤 一斎 の﹃言 志耋録 ﹄に、 た例のとおり、現時の人類がいまだ人間にならざりし時代、 し えいし ﹁感 は是 れ心 の影 子 なり、夢 は是 れ心 の画 図 なり﹂と、ま すなわち今日よりもなお低き 境遇 にありしころの経験を、 かん た、 夢の中にあるごとく、折々繰り返すことあれば、 荘子 は高 ひと まさ たわむ うつゝ ゆめ けいじじょう きょうぐう ﹁人 を知 るは 難 くして 易 く、自 ら知 るは 易 くして 難 し、 但 き思想界に入ってのち、自己の経験をかえりみて百年があ あた けいじか なさけ けいじじょう うつゝ きょうぐう くふう ゆめ そうじ し当 にこれを夢 寐 に徴 し以 て自 ら知 るべし、夢 寐 自 ら欺 く いだ 胡蝶 となって花の上に 戯 れてのち驚き覚 めたるごとく りょうか ごじん ただ わず﹂と。 能 言った。形 而下 の世にあると、形 而上 の世にあるとは、物を りょうぼく かた 実にそのとおりで、 良木 は良 果 を結ぶごとく、意識的善 夢と見なすのと、夢を物と見なすの差があろう。わが輩は む 行は潜在的善智を結び、潜在的善智は無意識的善夢を結ぶ 凡人の 情 なさに、 形而下 の話をして夢を物とみなして長々 かがみ し という順序ではあるまいか。しからば夢はまた 吾人 の平素 しく弁じたが、 形而上 の思想の存在するをまったく心得ぬ し すいみん なか さ らず識らずに思う心の 識 鏡 と称してもよかろう。かく考え わけでもない。しかしわが輩のごとき考えをもって夢をも こちょう ると、 睡眠 を利用して修養の用に供することができそうで 修養の用に供する工 夫 をし、まじめにかつ永く 努 めたなら、 よ 古人の歌に、 けいじか ある。 必ず一段も二段も高き 境遇 に進入することを得るであろう。 二六四 つと 努力すれば高い境遇に登れる くう の中 世 は夢 か現 か現 とも夢 とも知らずありてなけれ ぐうぜん わが輩が今まで数百の言をならべて述べきたった要点は、 ば ごじん 夢は 偶然 なる現象にあらず、まったく 空 のものにあらず、 などいう一首の意味も、 吾人 の立場の高低によってどう のぼ 病的のものにあらず、ばかげたるものにあらず、人生の一 ぎん と も 取 れ る 。な お さ ら 修 養 が 積 ん だ な ら も う 一 段 昇 り て おうようめい 部としてかえりみるべきもの、一歩進んでは大いに修養の なおねむ 人間白日醒猶睡 人間は白日に 醒 むるも猶 睡 るが さ 陽明 とともにかく 王 吟 ずるの日も来たらん。 おどろ 資に供すべきものであるというにほかならぬ。わが輩のこ せんぱく の文を見る人のうちには定めし僕の思想の 浅薄 なるに 驚 く ろうし かえ ごとく きょうかい 老子山中睡却醒 老子 は山中に睡るも 却 って醒め だっ 人もあろう。 ふ 一般人士の 踏 む境界を脱 していっそう高き 境界 に達した 自警録 二二 二一 二〇 一九 一八 一七 一六 一五 一四 ﹁測る標準は内にあるか外にあるか﹂は中見出し ﹁一人前の人と一人前の業﹂は中見出し ﹁一人前と統計学者のいうノルム﹂は中見出し ﹁一人前とは何を標準とした言葉か﹂は中見出し ﹁第二章 一人前の人と一人前の仕事﹂は大見出し 3字下げ ﹁男は強かるべし強がるべからず﹂は中見出し ﹁弱者の保護は男一匹の要素﹂は中見出し ﹁男女両性の接近し競争する傾向﹂は中見出し ﹁男一匹には判断実力の力が要る﹂は中見出し ﹁男一匹になるには推理の力が要る﹂は中見出し ら是 けいうんばくばく れいれい 溪雲漠漠水冷冷 溪雲 漠 漠 たり 水冷 冷 たり 自警録終 八 七 六 五 四 三 二 一 ﹁男一匹とは何を意味するか﹂は中見出し ﹁女なる言葉に含まれた道徳的意味﹂は中見出し ﹁神と獣類の間に立つ人﹂は中見出し ﹁第一章 男一匹﹂は大見出し 3字下げ 天から3字下げ ﹁序﹂は大見出し 3字下げ ページの左右中央 三五 三四 三三 三二 三一 三〇 二九 二八 二七 ﹁戦場における日露兵の比較﹂は中見出し ﹁いよいよという時に発する強さ﹂は中見出し ﹁よく耐うる人は強き人﹂は中見出し ﹁外に強き人と内に強き人﹂は中見出し ﹁文明時代の強き力﹂は中見出し ﹁独り相撲で強い人﹂は中見出し ﹁﹁克つ﹂に含まれた二種の考え﹂は中見出し ﹁第三章 強き人﹂は大見出し 3字下げ また 二三 ﹁職業上の一人前と全人としての一人前﹂は中見出し せいすいふた たり 二四 ﹁要は人は業なり﹂は中見出し ぜ 醒睡両非還両是 醒睡 両 つながら非 還 両つなが 二五 二六 後註 九 一二 一一 ﹁勇は男一匹たるの要素﹂は中見出し ﹁男伊達の行為よりもその精神を酌め﹂は中見出し ﹁男一匹の活動﹂は中見出し ﹁尚武思想﹂は中見出し 三八 三七 三六 ﹁第四章 外は柔、内は剛﹂は大見出し 3字下げ ﹁己れに克つものが世界に勝つ﹂は中見出し 一〇 一三 自警録 六三 六二 六一 六〇 五九 五八 五七 五六 五五 五四 五三 五二 五一 五〇 四九 四八 四七 四六 四五 四四 四三 四二 四一 四〇 三九 ﹁始めて試みた英語演説﹂は中見出し ﹁第六章 怖気の矯正﹂は大見出し 3字下げ ﹁﹁心に忌しい点あるか﹂と反問せよ﹂は中見出し ﹁自分の心得の最善を尽せば無作法も宥される﹂は中見出し ﹁容貌や秘密の暴露は恥とならぬ﹂は中見出し ﹁弱点の自覚より起こる気弱﹂は中見出し ﹁身体局部の故障より来る気弱﹂は中見出し ﹁身体より来る気弱の原因﹂は中見出し ﹁盲者蛇を怖れぬ豪胆﹂は中見出し ﹁同病相憐むに出でたる余の気弱﹂は中見出し ﹁第五章 心強くなる工夫﹂は大見出し 3字下げ ﹁こういう強みを処世上に持ちたい﹂は中見出し ﹁譲られぬところはあくまで固守せよ﹂は中見出し ﹁世の中には譲って差支えないことが多い﹂は中見出し ﹁柔和なる者はこの世を嗣ぐ﹂は中見出し ﹁柔和の心は相手の柔和の心を抽き出す﹂は中見出し ﹁やわらかく握るところに人生の真味あり﹂は中見出し ﹁身を処するには剛柔がおのおの必要﹂は中見出し ﹁心の持方は剛柔いずれとすべきか﹂は中見出し ﹁剛柔、分を守りて人格が円満﹂は中見出し ﹁曲解されたる教訓﹂は中見出し ﹁怖ろしがらせるのが偉いか﹂は中見出し ﹁英雄に現れた内外の差違﹂は中見出し 八八 八七 八六 八五 八四 八三 八二 八一 八〇 七九 七八 七七 七六 七五 七四 七三 七二 七一 七〇 六九 六八 六七 六六 六五 六四 ﹁所信の貫徹に潜める大苦心﹂は中見出し ﹁意志の遂行と社交の遠慮はいかに調和するか﹂は中見出し ﹁古今の事例はこれを示す﹂は中見出し ﹁世に蔓延る者は憎まる﹂は中見出し ﹁第八章 世に蔓延る者は憎まる﹂は大見出し 3字下げ ﹁悪口に対する理想的態度﹂は中見出し ﹁毀誉褒貶﹂は底本では﹁毀誉貶褒﹂ ﹁言語よりも実行をもって弁解せよ﹂は中見出し ﹁かかる悪口は自然に消える﹂は中見出し ﹁知らぬ人の批評には弁解が要らぬ﹂は中見出し ﹁譏謗の大部分は介意の価なし﹂は中見出し ﹁悪口は一時的のものが多い﹂は中見出し ﹁世評は修養の補助﹂は中見出し ﹁英雄も聖人も悪口を気にかける﹂は中見出し ﹁人に最大不快を与うるは何か﹂は中見出し ﹁第七章 譏謗に対する態度﹂は大見出し 3字下げ ﹁顧みて疚しからずば怖気は起こらぬ﹂は中見出し ﹁ ﹃失楽園﹄に現れた悪魔の姿勢﹂は中見出し ﹁暗いところがあると怖気出す﹂は中見出し ﹁怖気の根本的矯正は自信自重にあり﹂は中見出し ﹁信じてかかれば怖気ない﹂は中見出し ﹁怖気に処する二種の考え﹂は中見出し ﹁演説の顫いを止めた経験﹂は中見出し 自警録 九四 九三 九二 九一 九〇 八九 ﹁心の独立と体の独立とは密着﹂は中見出し ﹁友人を擲った少年時代の追懐﹂は中見出し ﹁第九章 心の独立と体の独立﹂は大見出し 3字下げ ﹁読者中にも必ずかかる経験あらん﹂は中見出し ﹁善事の背後にも敵がある﹂は中見出し 一一九 一一八 一一七 一一六 一一五 一一四 ﹁第十二章 人生表裏の判断﹂は大見出し 3字下げ ﹁勝敗の決勝点を高きに置け﹂は中見出し ﹁標準高き勝利﹂は中見出し ﹁勝敗は長年月を経て始めて決定す﹂は中見出し ﹁一時の勝利と永久の勝利﹂は中見出し ﹁人生の勝利者﹂は中見出し ﹁悪い意味における表裏﹂は中見出し ﹁表と裏とは物の存立条件﹂は中見出し ﹁表裏の善悪を判断する標準﹂は中見出し 一二〇 一二五 3字下げ 一二一 一二六 ﹁第十三章 広く世を渡る心がけ﹂は大見出し ﹁動機は立派でも年とともに堕落﹂は中見出し ﹁風俗習慣に逆らうは独立にあらず﹂は中見出し 一二七 ﹁好き嫌いと善悪とは違う﹂は中見出し ﹁独立とは何を意味するか﹂は中見出し 3字下げ 一二八 ﹁好き嫌いで人を判断する過誤﹂は中見出し 九五 一〇〇 ﹁第十章 人生の成敗﹂は大見出し 一二九 ﹁測る物体と測る標準とが違う﹂は中見出し 九六 一〇一 ﹁米国南北戦争における名将﹂は中見出し 一三〇 ﹁反対説にも耳を傾ける度量を養え﹂は中見出し ﹁表裏に善悪の区別を付する誤解﹂は中見出し 一〇二 ﹁彼は成敗よりも任務の遂行に力めた﹂は中見出し 一三一 ﹁狭き己れの好き嫌いで世に処するは危険﹂は中見出し ﹁人生に表裏あるはむしろ当然﹂は中見出し 一〇三 ﹁義務を完うするところに成功あり﹂は中見出し 一三二 3字下げ 一二二 一〇四 ﹁ギリシアのソクラテスを見よ﹂は中見出し 一三三 ﹁第十四章 報酬以上の務め﹂は大見出し 一二三 一〇五 ﹁成敗は世人の眼に見えぬ﹂は中見出し 一三四 ﹁愉快なる台湾旅行中の不快﹂は中見出し ﹁使わるる者必ずしも独立を失わぬ﹂は中見出し 一〇六 ﹁輿論を標準として成敗は測られぬ﹂は中見出し 一三五 ﹁余のために轎を担いだ壮丁の好意﹂は中見出し ﹁身は縛られても心は独立﹂は中見出し 一〇七 3字下げ 一三六 九七 一〇八 ﹁第十一章 人生の決勝点﹂は大見出し 一三七 九八 一〇九 ﹁負けた時の用心﹂は中見出し ﹁人の性質上の表裏﹂は中見出し 一一〇 ﹁勝った時には精神上に保険をつけよ﹂は中見出し ﹁物の真価の誤れる計算法﹂は中見出し 一二四 一一一 一三八 ﹁心の独立と誤解しやすき考え﹂は中見出し 一一二 ﹁勝つとは何を意味するか﹂は中見出し 九九 一一三 自警録 一六三 一六二 一六一 一六〇 一五九 一五八 一五七 一五六 一五五 一五四 一五三 一五二 一五一 一五〇 一四九 一四八 一四七 一四六 一四五 一四四 一四三 一四二 一四一 一四〇 一三九 ﹁第十七章 実業を精神化せよ﹂は大見出し 3字下げ ﹁黄金は土芥か宝珠か﹂は中見出し ﹁ストライキの動機でも英人と米人とは違う﹂は中見出し ﹁経済状態と道徳的態度の変化﹂は中見出し ﹁富者の権利と義務﹂は中見出し ﹁富貴は方法なり目的にあらず﹂は中見出し ﹁物質的米国人と思想的米国人﹂は中見出し ﹁弁士の富論﹂は中見出し ﹁第十六章 富貴の精神化﹂は大見出し 3字下げ ﹁一円の小遣いを一円の財布に投じた経験﹂は中見出し ﹁つまらぬ事に逆上する国民的弱点﹂は中見出し ﹁前二例より帰納する感情の危険﹂は中見出し ﹁ボストン公園に見た言論の自由﹂は中見出し ﹁世界の耳目を集中さした共和党の大会﹂は中見出し ﹁第十五章 逆上を警む﹂は大見出し 3字下げ ﹁かかる心がけがあって人生の旅は幸福﹂は中見出し ﹁報酬以上の務めの真義﹂は中見出し ﹁報酬を求むる手段としての務﹂は中見出し ﹁報酬的思想なき夫婦の関係﹂は中見出し ﹁報瓊の志﹂は中見出し ﹁職業に当たる人の三段の区別﹂は中見出し ﹁報酬以上に務むる教育者﹂は中見出し 一八八 一八七 一八六 一八五 一八四 一八三 一八二 一八一 一八〇 一七九 一七八 一七七 一七六 一七五 一七四 一七三 一七二 一七一 一七〇 一六九 一六八 一六七 一六六 一六五 一六四 ﹁不快の感を与うる言語﹂は中見出し ﹁かくの如き曲解も起こる﹂は中見出し ﹁同じ事が弁解にもなり有罪にもなる﹂は中見出し ﹁言葉はこれを用いる人の心を表す﹂は中見出し ﹁名は命名者の心を表わす﹂は中見出し ﹁第十九章 言葉の心﹂は大見出し 3字下げ ﹁見る人毎に有難からぬ人はない﹂は中見出し ﹁入学試験中、俥を待たした不思議の婦人﹂は中見出し ﹁惨憺たる一高の入学試験﹂は中見出し ﹁今もなお不明なる僕の受くる恩﹂は中見出し ﹁人も知らず自身も知らずに受ける恩﹂は中見出し ﹁思わぬところに恩人が潜んでいる﹂は中見出し ﹁日本人ははたして恩知らずか﹂は中見出し ﹁恩の観念は固有か輸入か﹂は中見出し ﹁知恩は日本民族の特長﹂は中見出し ﹁英国碩学の観たる神道の要旨﹂は中見出し ﹁第十八章 知らぬ恩人に対する感謝﹂は大見出し 3字下げ ﹁人生を甘からしむる心がけ﹂は中見出し ﹁ ﹁国家﹂というよりも健全なる個人思想が大切﹂は中見出し ﹁国家のためという誤解の危険﹂は中見出し ﹁個人の最良なる利益はすなわち社会国家の利益﹂は中見出し ﹁個人的利益と国家社会の利益﹂は中見出し ﹁米国実業家の人生観﹂は中見出し 自警録 二一三 二一二 二一一 二一〇 二〇九 二〇八 二〇七 二〇六 二〇五 二〇四 二〇三 二〇二 二〇一 二〇〇 一九九 一九八 一九七 一九六 一九五 一九四 一九三 一九二 一九一 一九〇 一八九 ﹁感情よりする職業選択にも有利の場合あり﹂は中見出し ﹁難を求むる職業選定の依頼﹂は中見出し ﹁職業とこれに従事する者の不釣合い﹂は中見出し ﹁第二十二章 感情より出た職業選択﹂は大見出し 3字下げ ﹁感情濫用の弊を撓める必要﹂は中見出し ﹁我が商人は事業と人情とを混同する﹂は中見出し ﹁大統領改選に現れたる米人の感情と思想﹂は中見出し ﹁女々しい感情皮相の感情﹂は中見出し ﹁偉大なる思想が何ゆえに萎縮するか﹂は中見出し ﹁第二十一章 潔き感情と正しき思想﹂は大見出し 3字下げ ﹁功を奏する忠告と奏せぬ忠告﹂は中見出し ﹁正しき時に正しき言を放つは賢人﹂は中見出し ﹁忠告を納むるべき肥沃な畑﹂は中見出し ﹁抽象的の教訓も初めて具体的に会得する﹂は中見出し ﹁訓戒の値打を知る法﹂は中見出し ﹁余らの学校時代には徳育が無い﹂は中見出し ﹁聖哲の教訓はなにゆえ凡人に入り難きか﹂は中見出し ﹁教訓を味わう力が足らない﹂は中見出し ﹁教訓を責道具に使うなかれ﹂は中見出し ﹁第二十章 忠告の取捨﹂は大見出し 3字下げ ﹁心から湧き出たものが真の言葉﹂は中見出し ﹁邦人間に行わるる嘘の原因﹂は中見出し 二三八 二三七 二三六 二三五 二三四 二三三 二三二 二三一 二三〇 二二九 二二八 二二七 二二六 二二五 二二四 二二三 二二二 二二一 二二〇 二一九 二一八 二一七 二一六 二一五 二一四 ﹁今の青年会と昔の若い衆﹂は中見出し ﹁最も貴ぶべき青年時代の理想﹂は中見出し ﹁米国で僕の深く印象された米人の理想﹂は中見出し ﹁幼少時代の理想の回顧﹂は中見出し ﹁第二十五章 理想と実現﹂は大見出し 3字下げ ﹁一日に一回でも黙想せよ﹂は中見出し ﹁静坐黙想は潜勢力を増加す﹂は中見出し ﹁人の力は出せば出す程ふえる﹂は中見出し ﹁余裕を存することと全力主義﹂は中見出し ﹁潜伏せる余裕を示す幾多の実例﹂は中見出し ﹁最善をつくしても余力あるように思う﹂は中見出し ﹁蛙の筋肉の力を測りし学者の試験﹂は中見出し ﹁第二十四章 全力と余裕﹂は大見出し 3字下げ ﹁一年二回の花盛り﹂は中見出し ﹁心機一転﹂は中見出し ﹁回顧反省﹂は中見出し ﹁いつも若い人﹂は中見出し ﹁第二十三章 若返りの工夫﹂は大見出し 3字下げ ﹁感情的誤解の根本原因﹂は中見出し ﹁一時の感情か否かを判断する道﹂は中見出し ﹁余の友人にも同じ経験がある﹂は中見出し ﹁伊藤公発憤の動機を見よ﹂は中見出し 自警録 二六四 二六三 二六二 二六一 二六〇 二五九 二五八 二五七 二五六 二五五 二五四 二五三 二五二 二五一 二五〇 二四九 二四八 二四七 二四六 二四五 二四四 二四三 二四二 二四一 二四〇 二三九 ﹁努力すれば高い境遇に登れる﹂は中見出し ﹁夢は人間の心の鏡﹂は中見出し ﹁夢と実際とは連絡することが多い﹂は中見出し ﹁宝船以上の夢見る秘訣﹂は中見出し ﹁夢は一種の潜在識﹂は中見出し ﹁睡眠中の時間も向上に用いられる﹂は中見出し ﹁夢とはいかなるものか﹂は中見出し ﹁夢もまた人生の一部﹂は中見出し ﹁夢は迷信として排くべきか﹂は中見出し ﹁第二十七章 夢の実用﹂は大見出し 3字下げ ﹁ここに焚く火の烟なりけり﹂は中見出し ﹁理想は所在に現れる﹂は中見出し ﹁理想の実行は位地の有無に関係せぬ﹂は中見出し ﹁理想の翻訳を誤るものが多い﹂は中見出し ﹁最大侮辱を最大敬礼とした誤訳﹂は中見出し ﹁誤って翻訳した実例﹂は中見出し ﹁理想を行為に翻訳するが人生﹂は中見出し ﹁理想は早晩実現せられる﹂は中見出し ﹁理想はどこまで行っても達せられぬ﹂は中見出し ﹁犬車の前に垂れ下げた肉片﹂は中見出し ﹁第二十六章 理想の実現は何処﹂は大見出し 3字下げ ﹁理想家に対する世論の変遷﹂は中見出し ﹁主義を抱ける者の世渡りの覚悟﹂は中見出し ﹁幼年の理想は今いかに変じたか﹂は中見出し 底本:「自警録――心のもちかた」講談社学術文庫、講談社 1982(昭和 57)年 8 月 10 日第 1 刷発行 2002(平成 14)年 8 月 20 日第 31 刷発行 底本の親本:「自警録」実業之日本社 1929(昭和 4)年発行 入力:ゆうき 校正:田中哲郎 2010 年 7 月 4 日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫( http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制 作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。