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民族まつりポスター図像の内容分析: 京都・東九条マダンを事例とした

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民族まつりポスター図像の内容分析: 京都・東九条マダンを事例とした
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
民族まつりポスター図像の内容分析:京都・東九条マダンを事例と
した文化社会学的研究
Author(s)
小川, 伸彦
Citation
小川伸彦:奈良女子大学社会学論集, 第20号, pp.23-39
Issue Date
2013-03
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3436
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-31T23:14:03Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
民族まつりポスター図像の内容分析
――京都・東九条マダンを事例とした文化社会学的研究――
小川
伸彦
はじめに
社会学的なまつり研究においては,まつりの理念や目的,運営の組織形態,諸資源の調
達方法,担い手の意識やその変容,準備期間における対内的・対外的相互作用,諸主体間
のコンフリクトの様態,後継者の確保問題,観光資源としての評価などが注目されること
が多い(Ali-Knight, Jane et al. 2008 など).組織・意味付与・アイデンティティ・参加への
動機付け・相互作用などは,社会的経験としてのまつりの重要な構成要素だからである.
また日本における祭礼研究においては,従来,地域社会を活性化させる統合機能に着目
するものが多かった.しかしそのような傾向に批判を加える論も蓄積されつつあり,
「祭り
の『外部』との関係,さらにはその『内部』における関係において生じるコンフリクトの
諸相に注目し,競争,対立あるいは葛藤といった非調和的な関係性がどのような過程を経
て,祭りを実質的な成立へと至らしめるのか」
(有本 2012: 23)といった視座が提起されて
いる.
本稿はこのような研究の進展を評価しつつも,まつりの<内容>に踏み込む文化社会学
的な試みを行いたい.というのもまつりというものは,表層的には<見せ(たい)物の連
鎖>として現象しているからである.外部の者にはその部分だけが眼に入るのであり,ま
つりはコンテンツの集積として存在しているといえよう.また,まつりの担い手もコンテ
ンツの生産者であるとともに享受者でもあるはずだ.
そこで本稿では,伝統的な祭礼ではなく,コンテンツの構築において自由度の高い新し
いまつりの事例として「民族まつり」 ①をとりあげたい.現代日本に存在する多くのまつ
りのなかで,
「民族まつり」とみなしうるものはすでにかなり多く,消滅してしまったもの
を除外しても,今やその総数は 100 を超えるというカウントがある(藤井 2012).本稿で
はそのなかの一つであり,筆者が調査を継続している京都の東九条マダンというまつり②
を取り上げ,開催告知ポスターの図像というコンテンツのあり方から何が分かるのかを試
論的に示すと共に,<まつりコンテンツ>のどのような側面に着目することが可能なのか
という方法論も検討したい.
1
東九条マダンとは
京都において 1993 年から毎年秋に開催されている東九条マダンというまつりは,地域の
公立学校(2011 年までは3小学校,1中学校)を順に回る形で行われてきた.しかしなが
ら,その運営は自治体の教育委員会や特定の既存団体によってなされているのではなく,
趣旨に賛同した有志たちが実行委員会を立ち上げ,担い手を固定させることなく関心を持
つ人々を常に広く受け入れる形によっている.
まずはその開催の趣旨が示されている「東九条マダンとは」という文章を引用しておこ
う.
「在日韓国・朝鮮人と日本人が共に暮す町・京都市南区東九条で,民族性や国籍,障
害の有無やさまざまな立場の違いを超えて,たくさんの人々が共につどい,力を合わ
せて一つのマダン(ひろば)を創りだすことをめざし,1993 年以来毎年秋に開催され
ている地域のまつりです.」
(第 20 回開催チラシ裏面より.第 18 回目から掲載)
.
簡潔なフレーズに趣旨が凝縮されているが,特に,
「東九条」という地域に注目したい.
ここは,京都市の中でも京都駅のすぐ南にひろがるエリアである南区の東部に位置する
地域である.まつりが第8回を迎えた 2000 年に国勢調査があったが,この時点での東九条
3学区の総人口 17,090 人のうち,外国人総数は 2,621 人となっていた.その大半が韓国・
朝鮮籍であり,比率としては 15.3%を占めていた.朝鮮半島にルーツをもちつつ日本籍を
取得した人々をカウントすると,さらにその割合は高くなるものと想定される.しばしば
京都の中の在日集住地区として描かれる地域である(京都市国際交流協会編 1994 など)③.
この地域で民族的な文化をとりもどしまた表現しようという動きはすでに 80 年代から
あり,民衆文化運動の実践を目指して結成されたハンマダンという団体が 1986 年に最初の
マダン劇(参考:梁民基・久保覚編訳 1981)の公演を行なっている④.そしてさらに東九
条という地域に密着せねばという意識が高まり,
「東九条の青年達と『東九条マダン』の夢
を語り」(朴 1999)あうなかから,苦労の末に実現したのがこのまつりであった.
したがってその特徴のひとつは,上記趣旨の末尾にある「地域のまつり」という文言に
集約されているといえるだろう.そしてこのまつりが地域に根ざした,地域のためのまつ
りであろうとするならば,日本人の存在を等閑視することはできない.なぜならば,たと
いここが「在日」の集住地域であったとしても,比率的なマジョリティは日本人であり,
その存在を無視したようなまつりが地域のまつりであることは,不可能だからである.そ
してもちろんそれは,
「無視」できないというような消極的なものではない.民族間の相互
理解は,このまつりがめざす開催目的の一つなのである.これをふくめ,このまつりは次
のような4つの目的を掲げている(東九条マダンチラシ裏面より.HP にも掲載)
.
東九条マダンが目指すもの
※韓国・朝鮮人,日本人をはじめあらゆる民族の人々が,共に主体的にまつりに参加
し,そのことを通して,それぞれの自己解放と真の交流の場を作っていきたいと思
います.
※朝鮮半島にルーツをもち日本で暮らすすべての人々が,ひとつの踊りの輪に参加で
きるような,世代交流の場とし,そのことを通じて,子どもたちの生きた民族教育
の場を作り出したいと思います.
※朝鮮民族の願いである南北統一に寄与するため,生活の場である地域から,和解と
統一につながるマダンを作っていきたいと思います.
※東九条で生活するさまざまな人々が,共に生き,人と人が真に触れ合える,そのよ
うなマダンにしたいと思います.
この4つは順に,<民族間関係><民族文化継承><民族内関係><弱者・被差別者連
帯>にかかわるものといえるだろう(小川 2003: 72)
.このように整理すると,このまつり
が非常に多面的な目標を自己に課していることが浮き彫りとなる.それらはいかに遂行さ
れようとしているのか.その一端を明らかにするためにも,本稿では<民族まつりコンテ
ンツ>に注目するのである.
2 <まつりコンテンツ>
2.1 暫定的定義
本稿でいうところの<まつりコンテンツ>とはさしあたり次のように定義できる.つま
り,
「祭りの準備から終了後までの全過程で,外部に向けて発信・表現される内容物」であ
る.これは,著作権法にいう「著作物」の定義である「思想又は感情を創作的に表現した
ものであつて,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」
(同法第二条一)と重複す
る部分がある.しかしながら,これに加えて,創作的ではない情報も含め,広くとらえる
ところに特徴があるといえよう.
2.2 類別化の試み
では具体的にどのようなものがこのコンテンツに相当するのであろうか.東九条マダン
を例にとるならば、さしあたり下記のような類別化が可能である⑤.
◆理念コンテンツ:パンフレット記載の趣旨文や開会宣言
◆PR コンテンツ:ポスターやチラシ,マダンニュース
◆上演コンテンツ:楽器演奏,マダン劇(分析事例=片岡 2007:51-2),アクション
ペインティングなど
◆展示コンテンツ:地域の生活や記憶,民族学級,夜間学校,ハンセン病などに関す
るもの
◆体験・参加コンテンツ:仮面の絵付け,民族衣装試着,車いす体験やのど自慢
◆ビジュアルコンテンツ:会場内の飾り付けやポスターの図像
◆身体化コンテンツ:出店の飲食物など身体内に摂取するもの
◆移動性コンテンツ:パンフや販売品など入手者の生活空間に移動していくもの
◆社会関係資本表示コンテンツ:来賓挨拶や協賛団体・賛助広告主リストなど
コンテンツの特性ごとに分析手法を案出する必要があるが,以下では,開催告知ポスタ
ーに焦点を絞り、その図像分析を試みる.
3
分析枠組み
3.1
視点
東九条マダンは 2012 年で第 20 回目を迎えた.したがってその告知ポスターも計 20 回分
の蓄積がある.そこに描かれた 20 通りの図像はどのように解読できるのであろうか.ここ
で参考となるのが浜日出夫の歴史博物館展示論である(浜 1998).
浜は土浦の公立博物館を分析するにあたり,言語(文作成)のアナロジーを用いて,展
示されたモノがいかにして意味を構築する記号になるのかを解明した.範列関係にあるス
トック(語彙=博物館収蔵庫)から,有意味な一項(一語=一品)が選び出され,それを
連辞的に配列(文法)することで意味が生まれるというものである.
これをポスター図像分析に応用するならば,表現可能な諸アイテムから取捨選択・配置
して,各回のポスター図柄が作られている,という視点を採用することになる.したがっ
て,つぎの二点に着目することになろう.
1)図像の中にどのような要素が登場しうるのか.
2)要素のストックのなかで何が選択されるかにかかわるパタンや変化の傾向性は存在す
るのか.
このような分析の狙いは,作画者の意図ではなく,図像そのものが表示しているまつり
の特性を構造的に抽出しようとする点にある⑥.
3.2
要素の抽出(詳細別表)
実際に1)の作業を行い,登場しうる要素を抽出したのが,別表である.
ここから見えてくるのは,朝鮮文化にかかわる文化アイテムや動植物を中心にしつつも,
日本的なもの,地域性を表すもの,人間の多様性(老若男女,障害者など)を示すもの,
国境を表示するものなどが採用されているということである.
【別表】 東九条マダン ポスター図像 構成要素一覧(第1回~第20回/◎=大きく表現、◯=あり、△=ややあり、×=不在)
第1回
1993年
○
×
×
○
×
×
×
×
×
○
×
×
×
×
×
×
×
×
○
×
○
○
×
○
×
×
45%
サンモ/ヨル
ティバル
×
○
○
×
×
×
×
◎
×
×
×
×
○
×
×
×
×
×
○
×
×
◎
×
×
ソッテ(鳥
竿)・チャ
ンスン・
ヤンパン
×
△
×
×
○
○
×
○
○
×
×
○
○
○
×
×
◎
×
×
×
×
×
×
×
×
○
×
×
×
×
×
×
◎
×
×
×
×
15%
45%
15%
20%
10%
30%
朝鮮の衣装
仮面
ムグンファ
サジャ
ホランイ
踊り・舞
45%
その他コリアン
なもの
15%
その他日本的な
もの
多文化的・多様
なもの
×
×
×
×
◎
×
×
×
×
×
○
○
○
○
×
×
×
×
○
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
◎
○
×
×
×
○
○
×
○
×
○
×
×
×
○
○
×
×
×
×
×
×
×
×
×
朝鮮の楽器(ナルナリ/喇叭) ×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
朝鮮の芸能(サンモ/ヨルティ
×
バル)
×
○
○
○
×
×
○
○
朝鮮の衣装
朝鮮の仮面
朝鮮の花(ムグンファ)
朝鮮の獅子(サジャ)
朝鮮の虎(ホランイ)
朝鮮の踊り・舞
○
×
×
×
×
×
×
×
○
×
×
×
○
○
○
○
×
○
○
○
×
×
×
○
○
○
×
×
×
○
○
×
×
×
×
×
○
×
×
×
×
×
○
○
×
×
×
○
△
×
×
×
×
×
その他コリアンなもの
版画で
ハルモニ ハング
ル
ハルモ
ニ
日本の楽器(太鼓)
×
×
その他日本的なもの
多文化的なもの・多様なもの
×
×
×
ノルティ
ギ(シー
ソー)
×
×
×
×
×
×
×
×
出現率
(要素再掲)
△含む
○
○
○
○
×
飛び上
がる女
の子
×
第19回 第20回
2011年 2012年
×
×
×
×
×
3つの
仮面
×
第18回
2010年
紙粘土
さまざま
ラッパと 人形の
紙細工の交
な姿態の
諸演目 サムル
差点風景
人間図
ノリ
○
○
×
○
○
○
×
○
○
○
×
×
×
○
×
○
×
○
×
○
アニメ風 プンム プンム 刺繍の 校舎・ム
踊り(ソ
シー
ル男女 ルや踊 楽器+ クゲ・楽
ロ)
ソー
2人
り
日韓
器+桜
×
第14回 第15回 第16回 第17回
2006年 2007年 2008年 2009年
大プン
獅子と子
ムル写
供プンム
真と切り
ル
紙文字
○
△
○
△
×
△
×
△
○
△
マダン
踊り(5
パン(?)
人)
&人々
朝鮮の楽器(チャンゴ)
朝鮮の楽器(プク)
朝鮮の楽器(チン)
朝鮮の楽器(ケンガリ)
朝鮮の楽器(ソゴ)
○
×
×
○
×
×
×
×
60%
45%
25%
40%
30%
×
×
×
×
×
焼き鳥・おで
んの店
×
×
○
○
○
×
40%
第18回
○
○
×
○
ネコ・鳥・犬
第19回
○
×
×
×
×
△
×
×
×
×
出現率
85%
40%
15%
2%
6%
×
焼肉店、韓国
料理・食材
店、唐辛子
チャング
プク
チン
ケンガリ
ソゴ
5% ナルナリ
○
○
×
×
×
○
将棋、ユンノ
リ、唐辛子、
にんにく、胡
麻の葉等
×
南大門
チャンス
遊び、
ン
灯篭
○
×
桜・扇子・
獅子舞 三味線・ ×
獅子舞
仮面姿
文化アイテ
の大人
ム取合せ
たち
15% 太鼓
×
○
○
×
×
×
×
×
○
○
×
×
×
×
○
×
第1回
○
○
○ ×
×
パレード
かまつり
での群像
第2回
○
○
○
×
鳥
マダン
パン(象
徴的)
第3回
○
○
○
○
鳥
マダン
パン(象
徴的)
第4回
○
×
×
×
×
第5回
○
×
×
×
×
第6回
○
○
×
×
×
第7回
○
×
×
×
×
第9回
×
×
×
×
×
第10回
×
×
×
×
×
第11回
×
×
×
×
×
第12回
○
×
×
×
×
第13回
○
◎
×
×
ネコ
第14回
△
×
×
×
×
第15回
○
×
×
×
×
第16回 第17回
○
○
○
×
×
×
×
×
カメ・ネコ ×
×
×
マダン
パン
×
第8回
○
△
×
×
鳥
マダン
パン(象
徴的)
×
△(会場
校舎)
×
△(地
図)
群像
会場写
演目
真
演奏
群像(象
地図模型
徴的)
×
×
65%
まつり/マダン
の「場」の表現
まつり会場の直接的表現
×
×
×
×
×
×
×
×
×
○
×
×
×
○
○
×
×
○
×
×
10%
まつり会場の直
接的表現
街や暮らしの表現
×
家や銭
△
湯
×
×
×
×
×
×
×
×
地図や
×
京都駅
×
×
×
×
交差点
道路実
×
景写真
20%
街や暮らしの表
現
アート・
楽しい
親しみ
アニメ
アート・ ポップ・
真面目・ アート・ 洗練・真 繊細・上
調・楽し
上品
楽しい
劇画調 上品
面目
品
い
迫力・
ユーモ
ア
優しい・
劇画調・
楽しい・
元気
童話風
手作り
感
インパク 楽しげ・
不思議・ 具体性・デザ
アート・ マニアック・手
ト・こま 手作り
茶目っ イン性と親し
やや抽象 作り感
ごま
感
気
みやすさ
(回数再掲)
人間(年齢不問)
人 こども
の 老人
部 車いす
動物
まつり/マダンの「場」の表現
場
面
第11回 第12回 第13回
2003年 2004年 2005年
輪をな
プンムル
す人と
とオモニ
街
全体の特徴
モ
ノ
の
部
第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年
その他の場面
全体の雰囲気
日韓
真面目・
運動系
×
人間
こども
老人
車いす
動物
その他の場面
全体の雰囲気
そこで以下では2つの視角からさらに分析を進め
る.ひとつは,類型抽出を行う静態的分析である.
ここでは,主要なモチーフにそって,類型を抽出す
る.もうひとつは,物語抽出をおこなう動態的分析
である.それは,20 回分の図像の連鎖からどのよう
なストーリーが浮かびあがってくるのかを,全体と
して把握する試みである.
4
静態的分析=類型化
20 回分のポスター図像を,コード化して要素にば
らしたもの(別表)を通覧すると,大きく2つの類
型があることに気づく(図像は,第5節も参照のこ
第1回
と.実際のポスターはカラー刷りである).
4.1 第一の類型:民族文化の表現
第一の類型は,第1回に現れた.在日朝鮮人の存在や文化をストレートに表現しようと
するものである.そのパタンは,その後も様々なバリエーションを経つつも受け継がれて
いる.これに相当するのは第1,4,5,6,7,8,11,12,13,14,16 回であるとい
えよう.たとえば第7回(後掲)では男女二人が朝鮮の打楽器を演奏する姿が力強く表現
されていた.また第 11 回(同)においては,伝統的な劇形式に使用される仮面3種が印象
深く配されているのである.この類型は,<民族文
化表現型>と呼ぶことができよう.朝鮮半島にルー
ツをもつ人々にとってそれは,自文化をとりもどし
気兼ねなく表現することのマニフェストとなってい
る.一方,このような朝鮮半島の文化にあまり親し
みのない者にとってそれは,場合によっては違和感
をかきたてる異文化と映るであろう.
4.2 第二の類型:多様な存在の肯定
第二の類型は,早くも第2回に現れた.それは,
第1回とは全く趣を異にする.同じまつりのポスタ
ーとは見えない程である.そこに描かれているのは,
街の風景である.しかし,その真ん中にマダンの象
第2回
徴である円形のひろばが置かれている.そこは,マ
ダンのある街なのであり,同時に,街あってこそのマ
ダンなのである.そしてさらに,街とマダンの間に描
かれているのは,人間,である.それも,第1回の図
像のような,一斉に同じことをしている画一的な群像
ではない.若い人,赤ん坊,壮年,老年,怪我人など
が体を伸ばしてつながり輪をなしている.協力しあっ
ているわけでもなく,他人のようでもない.存在して
いることが,そのまま輪になっているような形である.
様々な属性の人々の共生が表現されているともいえよ
う.それは,文化を押し付ける脅迫的・強迫的な「多
文化共生」ではなく,
「多存在共生」ともいうべき自由
さを感じさせる.
そして,その輪こそがマダンとなっている.ひろば
第 18 回
は,人間が作るものであることが,端的に表現されて
いるといえよう.では,朝鮮民族・朝鮮文化は消えたのであろうか.そうではない.ひろ
ばの真ん中に,マダンとハングルで刻むことでそれは表現されている.この第2回のよう
な図像は,<多存在肯定型>とよびうる.ほかにも,第3,9,10,15,17,18,19 回の
図像がこれに当てはまるといえよう.
ではなぜこのような二種類が現れたのであろうか.これは,まつりの理念(=「目指す
もの」
)に関わっていると解釈できる.
第1節で紹介した4つの「目指すもの」の1~3番目にウエイトをおけば第一類型(民
族文化表現型)となり,4番目(地域での共生)にウエイトを置けば,第二類型(多存在
肯定型)になるのである.この多存在肯定型は,その
多元的性格のゆえに,さまざまなバリエーションとな
って表現されることになる.そのうち東九条という地
域性をはっきりと表現しているのは,第2回以降は,
第 18 回のみである.地域性とまつりと民族性を同時に
描く困難さが窺われる(民族性と地域性の両立への模
索に関しては,片岡 2007 が詳しい).
その他の方法による多存在肯定の試みとしては,日
韓融和をストレートに表明したもの(第9回・後掲)
や,桜や三味線など日本的なものをちりばめたものな
ど(第 10 回)がある.ただし,異文化アイテム同士の
<ちりばめ>によって地域の民族関係や人間関係の多
第 10 回
元性を表現できるかどうかについては、まつりづくり
の内部でもつねに議論となる点であり,この手法は暗黙
のうちに避けられる傾向が近年では強まっている.
5
動態的分析:変化の物語を読み取る
5.1 異色の一枚
まずは第 17 回の図像を見ていただきたい.そこには染
色体のような形状の人体が散りばめられているだけであ
る.
まつりの内容に関わるものは一切表示されていない.
このような図柄は 1993 年の初回には到底不可能だった
第 17 回
であろう.
ではなぜ可能になったのか.それは,もはやまつりの内容を図像化しなくても「東九条
マダン」という文字さえあれば,どんなまつりかが通じるほどに定着したとの自負の表れ
といえるであろう.
ここから見えてくるのはポスター図像の二重性である.まず,表層的なレベルにおいて
は,前節で指摘したようなメッセージ媒体としてそれは機能する.まつりが目指す理想像
を部分的にでも表現したものとしてのポスターであり,この第 17
回の図柄のように抽象化されていても,なにか伝えたいものはあ
るはずだ.いっぽう,ポスター図像をメタレベルにおいて捉える
ならばそれは,まつり自体の自己像の表明媒体とよみとることが
可能である.つまりまつりが自己をどのように解釈しているかに
関わる情報が,意図せざる形で滲みだしているのである.
5.2
理想像と自己像の連鎖としてのポスター図像
上述の二重性を念頭に,以下では全 20 回分の図像を,理想像と
第1回(再掲)
自己像の変遷の物語として,試行的な時期区分を施しつつ読み解
いていきたい.その際,各図像に不在の要素は何であるかも指摘
し,より立体的に特徴を描くこととする(【
】内に記すのは,各
図像から読み取れる物語的テーマである).
■第一期
民族性と地域性:調停の模索
第1回 1993 年【まつりの出立】
生まれたてのまつりは,ひたすら民族的なものを希求し,子供
のイメージで歩みはじめる.一人で歩くには不安があり,群をな
す子供たちを.慈母(ハルモニ)がやさしく見守る.不在な要素
は、地域性・日本的なもの・非民族的なもの・直視の視線など。
第2回(再掲)
第2回 1994 年【周囲が見えてくる】
様々な人が暮らす町があってこそのまつりであることの表現.しかしながら,その中で
ことさらに民族的なものを打ち出すには至らず,控えめに民族の花が添えられる.町がま
つりを受け入れているかどうかも定かではなく,町は暗く夕暮れのイメージで描かれる.
在日への風当たりのきつい町であっても,それを愛したいというジレンマの表れか.
犬食の誤解や偏見を避けるため,絵の中に犬をあえて登場させないなどの配慮もなされた
という.不在な要素は、明示的な民族文化。
第3回
第4回
第5回
第3回 1995 年【様々な人々が少し楽しく】
町は大きな円へと抽象化され,多様なまつり参加者が少し楽しげになりはじめる.過去
二回の図像が融合し,この地で,民族文化を表出し楽し
むことが可能であることが示されるが,人物はまだ小さ
いままである.
■第二期
個の独り立ち:アイデンティティの模索
第4回 1996 年【仮面に守られた民族主体】
ようやく大きな姿で堂々と民族文化が表出される.し
かし顔は存在感が希薄である.第 1 回と異なりこちらを
見据えている視線もあるが,そこには,仮面がかぶせら
れている.個人として,民族性を大きくカミングアウト
するに至っていないかのようである.
第6回
第5回 1997 年【仮面の独り立ち】
ようやく独り立ちし,
民族文化を楽しいものとして真正面から表現するに至る.しかし,
仮面はまだ外されていない.
第6回 1998 年【ズラし】
ついに仮面を脱いで,真正面をみすえる.しか
し,次の諸点でずらしが行われている.シーソー
(ノルティギ)というやや傍系の民族(俗)文化・
子役の使用・アニメによる定型表現など.また初
めて,男女という二項対比が導入される.
第7回 1999 年【控えめなカミングアウト】
男女対比,無仮面という前回の構図を引き継ぎ
つつ,子供→大人,シーソー→民俗楽器,という
変換がほどこされる.しかし祝祭感が後退し,表
第7回
情には硬さがある.カミングアウトの不安が垣間
見えるともいえる.
■第三期
政治への意識:21 世紀へ
第8回 2000 年【南北という構図:民族内祝祭】
カミングアウトを経た後の,素直な祝祭感を表現.
「ついに実現!京都朝鮮第一初級学校と京都韓国
中・高等学
校がともに
出演」とい
う文言は,
在日社会内
の南北とい
う対比軸の
第8回
存在を提示している.よって踊りは,南北の融和が
寿がれているようにもみえる.逆に言えば,南北の
不協和がここまで存在しつつも伏せられていたこと
がわかる.なおこの年 6 月 15 日,金大中・金正日に
より統一を目指す南北共同宣言がなされた.
第9回
第9回 2001 年【日韓という構図:民族間祝祭】
日本と韓国.2つの国土とそれぞれの文化アイテムが初めて明示的に表現.両者を繋ぐ
かのごとく,真ん中にまつりの名称が入る.そのかわり,人間は極限まで模式化され,ほ
ぼ姿を消す.対比図式は,男女→韓日へと変換.
第 10 回 2002 年【地域性回
復の予兆】
日韓文化の対比図式は継
続しつつも,国土の対比は
消える.代わりに,2 つの
文化が出会う場所は,会場
(デザイン化された校舎の
図)へと変換.第二期では
不在項となっていた地域性
がようやく回復され始める.
第 10 回(再掲)
■第四期
第 11 回
まつりの定着:民族的個の再解放と地域性回復
第 11 回 2003 年【コリアン文化への回帰】
政治的対比や文化的共生を不在化し,ふたたび,「民族」
まつりであることを直截に表現.ただし,人が登場しない
形式は残存し,仮面にすべてが仮託される.
第 12 回 2004 年【民族的個と地域性の同時獲得】
ここまでの苦しい模索をすべて解消し,カミングアウト
の不安を振り切ったかのように,仮面が脱がれる.まっす
ぐこちらに視線を向けた女性が,民族衣装を着て屈託なく
第 12 回
飛び上がってくる.そして,彼女が自己をさらけ出してい
るのは,足元に描かれた東九条の地図上であり,北には京
都タワーが立つ.見上げる視線が印象的.
第 13 回 2005 年【同上】
前回の彼女に続けとばかりに,子供たちが民族楽器を楽
しげに打ち鳴らす.地域性は一見希薄に見えるが,共同体
を守る存在であるチャンスンが描きこまれている.空に飛
び上がった昨年の彼女の代わりであるかのように赤い獅子
が空にいて,見守る視線をそそぐ.
第 13 回
第 14 回 2006 年【ま
つりと地域性の客観
化】
会場写真が背景に
なる.まつりは自信
をもって自己言及し,
自らを天上から俯瞰
する視点に立つに至
る.
第 15 回 2007 年【顔
の見える文化の協働】
第 14 回
第 15 回
実写の素顔が高らかにまつりの開催を告げ,日本的
なもの(和太鼓)との共存・協働がはっきり図像化さ
れる.仮面はいまや小さく展示されるアイテムとなる.
■第五期
自信に基づく表現実験へ:まつりとしての
ポスター図像
第 16 回 2008 年【増殖するまつり】
実写でも絵でもなく人形たちが,地面の見える戸外
でまつりを模倣している.
第 17 回 2009 年【身体としての人間】
第 16 回
楽器も衣装もはずした人間の身体そのものを表現.
民族的な文化やアイデンティティに染まった存在ではなく,身体としての人間がまつりを
つくる.多様な人間がいるのか,それとも,ひとりの人間が多様であるのか,あえて答え
をださない.
第 18 回 2010 年【まちとまつり】
具体性を持った町の中に存在する
まつりであることが,模型を用いて
しっかりと表現される.第2回など
と比較すると,まつりはいまや昼間
の町の一風景となりえたとの自負が
垣間見える.犬も登場.
第 17 回(再掲)
第 18 回(再掲)
第 19 回 2011 年【まつりの滲出】
普段着姿の無邪気な仮面たちが町に繰り出し,日常
生活を営む.ことさらにコリアンタウン的な要素を強
調する記号(キムチ店など)は写しこまれていない.
ストリートに親和性のある開かれたまつりであるとい
うイメージだけが象徴的に表現されている.逆に言え
ば,まつりの時間・空間の外側にもまつりにつながる
ものが常在していることが明かされたといえよう.
なお,民族文化の表現は,ともすれば個々の人間の
多様性を抑制的に扱う場合が多い(第1回など)が,
第 19 回の図像は,多種多様な仮面を使用することで,
人間存在の多様性をも同時に表現しえている.
第 20 回 2012 年【文化の曼荼羅】
第 19 回
人間も街も消え,さまざまな文化アイテムが大きく
クローズアップされる.表現されているものはこれま
での楽器や仮面・衣裳にとどまらず,食材(ニンニク
や唐辛子)や遊戯(将棋など)にも広がっている.実
際のまつり会場においても食べ物や物販の出店があり,
その姿にポスター図像がより近づいたともいえよう.
九つの区画は密教における金剛界曼荼羅の構成を彷
彿とさせる.第 20 回という節目にあたって,これまで
不定形にイメージされてきたまつりが,ひとつの全体
性を有するものとして体系的に把握・提示されようと
しているかのようである。
5.3
ポスター図像の要素と二重性
第 20 回
通覧した結果わかってきたのは,このまつりのポスター図像が次の5つの事柄の表現を
担おうとしているということである.
1:民族・文化/2:民族関係/3:自己・人間主体/4:地域性/5:まつりの存在
そして,1+2+3+4=5(=まつり)
,というわけではなく,第 14 回や 15 回のよう
に,
(実体としての)「まつり」自体も表現の要素として自己言及的に取り込まれている点
が興味深い.これらのポスター画像は,それぞれが,この5項目をいかに取捨選択しなが
ら,
(理念としての)
「まつり」をいかに表現しうるかという 20 通りの解法を示したもので
あるといえよう.
そこで描かれるのは必ずしも事実でも実態でもない.このまつりが自らに課した4つの
「目指すもの」は,未だ実現されざる理想の未来像だからこそ,目指されている.その実
現の前にはさまざまな対立軸や矛盾が顕在・潜在している.それらを,さしあたり図像上
で乗り越えてみせる試みがポスターの絵柄であるといえよう.
また,まつりが回を重ねることは人間が齢を重ねることに等しい.計 20 回という開催の
蓄積は,あたかも赤ん坊が成人してゆくような成長の物語として読み解くことが可能であ
った.実際まつりの当事者も,
「第1回の時に生まれた子が,もう今や大学生」などという
形式で歳月の経過を語ることが少なくない.上の 5.2 ではそのような視点での解読の試み
を,ポスター図像の時期区分という形で示した.
またすでに 5.1 で記したとおり,ポスター図像には,まつりのめざす理念や理想を具体
的内容に託して他者に伝達するという面と,このまつりは何であるかを巡る自己同定・自
己認識という面との二重性がある.そして,各回の図像分析からわかったことは,同じ理
念や理想を表現する場合でも,後者における自己同定・自己認識のあり方によってその図
像化の方向性が多様に変化しうるという点である.
つまりポスター制作とは,まつりがめざす理想像とまつりをおこなう自己像とを無意識
のうちにであれすり合わせ,年ごとに点検しなおす営みなのである.通常このまつりでポ
スターの制作が始まるのは7月ごろであるが,その時点ですでにまつりは始まっているの
である.
6
おわりに:さらなる分析に向けて
図像の意味は,制作者にインタビューすれば解明できるとは限らない.意図・偶然・構
造(もしくは意識されない了解事項や禁忌の網の目)の三者が結託して,まつりコンテン
ツが作られている可能性がある.今回は,意識されていない部分が読み解ける事例として
ポスター図像を扱ったことになる.
「まつりコンテンツ」とは,
「そのまつりに接触した者に,新たな情報・経験・契機を提
供する可能性のある内容物であり,その際まつり全体はひとつのメディアとして機能して
いる」と試論的に規定できるのではないだろうか.今後は 2.2 で示した類型化の試みを精
緻化し,まつりというものが多元的なコンテンツの集積であるという視点の有効性をさら
に検証せねばならない.その際には前述した浜(1998)の着想にヒントを求め,時間的・
空間的配列等による意味の生成ルール(=まつりコンテンツの文法)と,参加者側の読み
取り能力(=まつりコンテンツリテラシー)の配分にもきめ細かく目配りしていきたい.
また民族まつりに特化した課題としては,民族交流や共生といった民族まつりの公式的
理念と,まつりコンテンツの多元的表出もしくは多声性とが,どのような相互規定的関係・
親和性やコンフリクトを有しているのかに迫っていくことが必要である.
[文献]
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京都市国際交流協会編,
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転載.2012 年 10 月 22 日確認)
Neuendorf, Kimberly A., 2001, The Content Analysis Guidebook, Sage Publications.
Riffe, D., Lacy, S., & Fico, F. G., 2005, Analyzing media messages: Using quantitative content
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梁民基・久保覚編訳,1981,
『仮面劇とマダン劇―韓国の民衆演劇―』晶文社.
梁民基記録集編集委員会,2012,「座談会
ハンマダン結成の頃」,同委員会編『みずから
の文化を創りだす―梁民基記録集―』(梁民基記録集編集委員会刊)121-129.
[注]
①
「民族まつり」という概念を確定することは容易ではないが,本稿では,当該社会に
おいてマジョリティではない特定の民族的集団の文化が主たる焦点となるようなイベ
ントを念頭におきつつも,複数の民族的文化が同時に提示されるようなタイプのものも
含めて考えている.英語圏における研究では,以前は ethnic festival
(例えば Esterik 1982)
と呼ばれる場合が多かったが,近年では multicultural festival(例えば Mc Clinchey 2010)
と呼称されるケースが増えている.
②
調査期間は 1994 年夏から現在(2012 年秋)に至る.
③
なおその後 2005 年の国勢調査では,同3学区総人口 16,573 人のうち外国人人口は
2,369 人だったが,2010 の年国勢調査では総人口 16,325 人のうち,外国人人口は 1,112
人となった.この地域での外国人人口が 5 年間で半数以下に急減したことになる.その
理由は,日本国籍取得者の急増や外国籍者構成比が相対的に高い高齢者層における死亡
率の加速度的増加などが考えられるが,別途詳細な検討が必要である.
④ 「1986 年の夏,とにかく京都でマダン劇を実現したいという梁民基先生の強い意志の
もと,京大朝鮮語自主講座や韓国の民主化運動支援に関わっていた青年と,主に東九条
で地域運動に取り組んでいた青年がいっしょになって『ハンマダン』ははじまりました」
(ハンマダンホームページ
http://www.geocities.jp/h_madang/より 2012 年 10 月 21 日取
得)
.当時の様子をふりかえる貴重な座談会記録もある(梁民基記録集編集委員会,2012)
.
⑤
この類別化では複数の分類軸が交錯しており,さらなる整理が可能かつ必要である.
⑥
いわゆる内容分析(content analysis)の方法論についてはすでに多くの研究がある
(Neuendorf 2001,Riffe, D. et al. 2005 などが詳しい).この手法を用いて,テレビ映像
やビデオゲームなどの視覚的資料の分析もなされてきたが,主流は新聞記事や演説内容
など言語情報としてのコンテンツを量的分析にかけるものである.本稿でもコーディン
グや若干の数量化は行ったが(別表参照),悉皆調査とはいえサンプル数が 20 にすぎな
いこともあり,全面的に数量化して処理することはおこなっていない.
(おがわ
のぶひこ
奈良女子大学文学部教授)
Content Analysis on the Graphic Images of PR Posters of an Ethnic
Festival: Sociological Study of Higashikujo Madang Festival in Kyoto
OGAWA Nobuhiko
Abstract
This article tries to show how an ethnic festival can be analyzed sociologically by seeing it as a
multi-dimensional expression of contents. The festival taken up here is Higashikujo Madang (i.e.
plaza) which was initiated in 1993 by the resident Koreans and collaborating Japanese active in
Higashikujyo area, south of the city of Kyoto, Japan.
The major focus is on the twenty different graphic images presented each year on the PR poster
from 1993 version to that of 2012.
By roughly coding the elements of each image, two aspects of
the festival are found, that is to say static and dynamic.
The former shows that this festival is organized by two poles, one concerning the expression and
transmission of ethnic cultures and the other concerning the effort in embedding itself in the local
Higashikujyo community.
The latter, i.e. the dynamic aspects, shows that this festival has followed, over the twenty-year
period, several stages of development.
By dividing into five periods, it is shown that the festival
has gradually gained confidence in itself and started to act as if the existence of the festival is now
taken for granted.
As a concluding remark, the efficacy and possibility of content analysis on the ethnic festival are
examined.
(Keywords: ethnic festival, content analysis, PR poster, graphic image, cultural sociology)
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