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風力発電施設に係る影響評価方法
風力発電施設に係る影響評価方法 京都大学大学院 工学研究科 准教授 松井 利仁 1.低周波音の特性と住民への影響 1)低周波音の定義と現状 わが国では、環境省が 100Hz 以下の音を低周波音としている。風力発電施設の場合には もう少し高周波側で問題が生じていることも多く、個人的には 200Hz 程度にした方が良い ように感じられる。20Hz 以下は超低周波音であり、一般的には聞こえないとされているが、 十分に大きな音であれば、知覚することができる。 一方、低周波音に係る苦情件数は、ここ 10 年間に急激に増えてきている。 2)低周波音の物理的特性 低周波音の音響特性は、中高周波音と比較すれば、以下の特徴がある。 ・距離減衰 空気による吸収の影響が少なく、遠距離まで到達する。 ・回折減衰や吸音による減衰 ・透過減衰 遮音壁などではあまり減衰しない。 ガラスとか壁では、高周波の音と比べて減衰しない。 ・音波の干渉・共鳴 6畳くらいの部屋では、50~100Hz ぐらいで共鳴が生じやすい。 例えば、部屋の長さが半波長となる周波数の音で共鳴し、この場合は壁 面や床面でレベルが高くなる。 3)低周波音の測定方法 屋外での測定では、地面や周囲の構造物での反射による干渉の影響で、測定点によって は、騒音レベルが大きく変わる。地表面付近で測定することで、地面による反射の影響は 回避でき、安定した測定が可能となる。 環境省のマニュアルでは、地上 1.5mでも地表面でも良いことになっているが、直達する 波と地表面で反射した波が干渉しあう(位相が逆の波が合わさると打ち消しあう)ので、 特定の周波数範囲でレベルが極端に低くなる。10dB 以上低くなることもあるため、地表 1.5 mで計測するよりも地表面で計測する方が望ましい。 周辺に建物がある場合にも注意が必要。高周波音でも干渉は生じているが、オクターブ バンド分析の場合は影響が少ない。低周波音では、1/3 オクターブの周波数帯域の幅が狭い ので、反射音による影響が大きい。 屋内での測定では、屋内空間での共鳴により、測定点によって、音圧レベルが大きく異 なることが多い。共鳴した周波数については、屋外よりも屋内の方が高レベルとなる場合 もある。特に洋室では、反射性の素材が利用されており、和室などに比べて共鳴しやすい。 屋内では窓面から 1.5mの地点で測定することとされているが、低周波の場合には、共鳴に より周波数によっては測定値に大きな影響が生じる。 ベッドは壁近くに置くことが多く、一番レベルが高いところに位置してしまっているこ -1- ともあり得る。実測例を見ると、最も高いレベルが 60dB ぐらいで、低いところは 40dB 以 下と大きく異なっている。屋内の低周波音を測定する場合、部屋の隅で測定することによ って、比較的安定した測定結果が得られる。窓から 1.5mの位置で測定すると、何を計って いるか分からなくなる可能性がある。 4)苦情に関する参照値 環境省が作成した心身に係わる苦情に関する参照値は、実験室内における純音による心 理実験の結果であり、一般成人における「寝室の許容値」の 10 パーセント除外値である。 そのため、この参照値の利用あたっては、次の点に注意が必要である。 心身に係る苦情に関する参照値は、1割の人が気になるという値であり、かつ、この苦 情は、眠れないという健康に係わる苦情であることに留意しておく必要がある。また、純 音に関する実験結果であるという点にも注意が必要である。人間の耳は細かく周波数分析 ができないので、100Hz 以下はほとんど1つの帯域のように感じられ、各 1/3 オクターブ ごとの測定値が参照値を下回っていても、人間の耳では合成され、より大きな音として聞 こえるため、注意が必要である。 物的苦情に関する参照値(建具のがたつきなど)についても、家具によっては、ごく簡 単に共振してガタガタ揺れるものもあれば、タフな建具もある。そういう意味で参照値は 目安と考えるべきである。 このように、十分な評価方法が整っているとはいえず、今後の研究に注意が必要である。 心身に係わる参照値は、A特性に換算すると 20~30dB 程度に相当する。100Hz ないしは 200Hz 以下の低周波音をA特性騒音レベルで測定評価するという方法も提案されている。 G特性で低周波音を評価している事例もあるが、G特性は 20Hz 以下の超低周波音を対象 としており、超低周波音の感覚閾値に基づいた周波数毎の重み付けがなされている。92dB 以上であれば、20Hz 以下の超低周波音による心身に係る苦情の可能性が考えられるが、こ の値よりかなり低いレベルでも、聞こえないけれど身体的な症状が出るという症例もある ので、注意が必要である。 風力発電については、低い騒音レベルから苦情が出ることが知られている。各種の騒音 源に対する「非常に不快」とする騒音レベルを見ると、飛行機や道路、鉄道では、40~50dB から「非常に不快」との回答率が多くなるが、風車の場合には 30dB ぐらいから多くなり始 める。この原因は低周波音が、常時発せられている点も関係しているのではないかと考え られている。 5)聴覚/前庭器官による低周波音の検知と影響 人間は、耳に届いた音を、鼓膜を介してテコのような動きをする耳小骨で増幅し、蝸牛 内で聴神経に伝えている。一方、三半規管や卵形嚢、球形嚢といったリンパ液が入ってい る前庭器官は、頭の傾きや前後左右の動きを検知する働きをしている。この前庭器官は蝸 牛内とリンパ液がつながっており、低周波音を検知しているという説がある。したがって、 可聴音は蝸牛を介して脳に伝わるが、低周波音は、前庭器官を介しても検知している可能 性がある。ただし、個人差が大きく、まだ明らかにはなっていない。たまたま低周波音の 感受性の高い人が風車の近くに住む可能性があることに注意が必要である。 -2- 2.風力発電の環境影響評価 1)苦情発生率と単機出力・距離との関係 小さな施設では、5~10%と苦情が少ないが、大きくなると 40~60%と多くなっている。 風力発電施設からの距離が離れるほど苦情は少なくなり、2,500kW 以上で 300~900mま での地点では 100%苦情が出ている。500kW 未満であれば苦情はほとんどない。 低周波音に慣れることができず、苦情が継続している事例においては、2,000~2,500kW での苦情が大部分で、距離が離れると急激に少なくなっている。 2)風力発電施設からの騒音伝搬 距離減衰については、距離が倍になっても 10dB 弱しか減衰しない。家屋遮音量のバラツ キや屋内での共鳴の影響のバラツキが大きいため、離れた家の方が苦情が大きいといった こともありうる。 3)海外における風車騒音の基準値の例 海外では、A特性騒音レベルで規制している例が多く、低周波音を取り出して規制して いる例は少ない。オランダは、夜間 41dB(A特性)、フランスは、暗騒音レベル+3dB、 オーストラリア南部は、暗騒音レベル+5dB かつ 40dB 以下である。 日本の環境基準は、風力発電施設を想定しておらず、一般地域の環境基準値は夜間 45dB であり、今後、低周波音の評価方法も含めて、検討を要することになると考えられる。 3.騒音の健康影響(WHO,欧州 WHO による知見) 以上、風力発電施設からの低周波音に関して、環境影響評価に係わる現時点での知見など を紹介したが、騒音の影響評価に関しては、この 10 年の間に大きな変化があった。 従来、騒音は感覚公害とされ、TV聴取妨害、睡眠妨害といった生活妨害を引き起こす環 境要因と考えられてきた。しかし、10 年ぐらい前から欧州での研究が進み、騒音によって心 疾患、脳溢血、糖尿病などの健康影響が生じることが明らかにされてきた。 WHO は、1999 年に環境騒音ガイドラインを出した。しかし、この時点では、心疾患の閾 値を定めるには、さらなる疫学的研究が必要とされていた。 その後、WHO 欧州地域事務局は、2009 年に夜間の騒音による健康への影響に関するガイ ドラインを出し、心疾患に影響が及ぶ閾値を示した。さらに、2011 年に「環境騒音による疾 病負荷」として、環境騒音による種々の傷病に対する DALY 値(生涯調整生存年)を算定し た。 1)欧州 WHO:夜間騒音ガイドライン(EUNNGL:2009) 道路騒音による健康影響については、アノイアンス(不快感)によって身体的な影響が 生じるよりも、騒音による生活妨害のうちの睡眠妨害が健康影響の主な要因になっている とされた。ネズミを使った実験で、深い眠りに入れないようにすると、5 日目には脳下垂体 の細胞が死滅し始めたという結果が新聞で報じられている。また、ヒトは睡眠時に深い眠 りと浅い眠りを繰り返すが、深い眠りに入らないよう、音によって睡眠妨害することを繰 り返すと、3 日程度で糖尿病状態になったというヒトを対象とした実験結果も新聞で報道さ -3- れている。 このような近年の多数の疫学調査結果や実験結果に基づいて、WHO は 2009 年に夜間騒 音に係るガイドラインを出した。このガイドラインでは、夜間の平均騒音レベルが 30dB 以 下であれば夜間騒音の影響は生じないとし、30~40dB では、睡眠影響が生じるが、健康へ の悪影響とはいえないレベルである。40dB を超えると、多くの住民は夜間騒音に適応する ために生活を変更(窓を閉める;ベッドの位置を変える;寝室を変えるなど)しなければ ならなくなり、高感受性群ではより重度に影響を受ける。55dB を超えると、高頻度で健康 影響が生じ、相当数の住民が不快感や睡眠妨害を訴え、かつ心疾患のリスクが増加すると いう知見がある。 これらの知見を元に、 「健康影響」の防止を目的としたガイドライン値(Lnight,outside) 40dB および暫定目標値 55dB が設定されている。後者は、様々な事由により短期間にガイ ドラインを達成できない場合の暫定値で、高感受性値群の健康は保護できないが、例外的 な地域に対して政策担当者が定める実行可能性に基づいた目標値とされている。 このガイドライン値とわが国の「騒音に係わる環境基準」を比較すると、静穏を要する AA 地域以外はガイドライン値または暫定目標値すら超えている。もちろん、ガイドライン と環境基準は目的が異なるが、我が国の環境基準は健康保護という面では十分でないこと になる。 道路交通騒音と虚血性心疾患のリスクとの回帰曲線に基づけば、わが国の幹線道路沿道 の環境基準は 70dB であり、55dB 以下の地域と比較して、心疾患のリスクは 1.15 倍に相 当するということになる。また、道路交通騒音のレベル別超過戸数に係る調査結果に基づ けば、虚血性心疾患の有病者数 865,000 人のうち道路交通騒音を原因とする人は約 4,000 人と算出できる。心疾患での死亡者数については、75,000 人/年のうち約 350 人/年が道路 交通騒音で亡くなっていることになり、生涯死亡リスクとしては、2×10−4 (10,000 人に 2 人が騒音で死亡)となる。幹線道路近接空間の環境基準値での生涯死亡リスクは約 10−2 (100 人に 1 人)となり、ベンゼンの環境基準の生涯死亡リスク 10−5より 1000 倍高いレ ベルに基準値が設定されていることになる。 したがって、騒音については、環境基準をクリアしているから OK という評価は、健康 影響という面では必ずしも適切ではないことになる。 2)欧州 WHO:環境騒音による疾病負荷(2011) 西ヨーロッパにおける環境騒音による疾病負荷 DALY 注)を求めた結果、合計で 1,000,000 ~1,600,000 年と算定されている。 この結果から、わが国における環境騒音による DALY を求める(人口が 1/3 として推計) と、300,000~500,000 年となる。がんの 2,361,000 年、循環器疾患の 2,156,000 年、自傷・ 自殺の 544,000 年、道路交通事故の 238,000 年、HIV・エイズの 3,000 年と比べると、環 境騒音によって、交通事故をやや上回る程度の健康損失があるということになる。 注)DALY:疾患による早世で失われた生命年数と、障害を有した状態で生活した年数に障害の重度に 応じた重み付けをして求めた生命年数を合計した年数。1 年間の死亡者数や罹患者数に基づいて算 定され、保健政策の優先順位を判断するための指標として利用されている。 -4- 3)各種環境要因の DALY 欧州における環境要因の DALY を計算した結果を見ると、大気汚染が最も高く、騒音が それに次いでいる。 日本において試算された例では、騒音が入っていないが、大気汚染が 270,000 年、地球 温暖化が 160,000 年、有害化学物質が 31,000 年であり、交通騒音はおそらく 300,000 年程 度であろう。 騒音による高い健康リスクが長い間放置されてきたことを意味しており、今後、WHO か ら騒音の健康影響に関するガイドラインが提案されれば、わが国でもガイドラインの策定 や環境基準の見直しなどが行われるかもしれない。 4.騒音の健康影響に関するまとめ 1)騒音の健康影響 • 欧州では、夜間騒音ガイドラインが定められ、健康影響は周知の事実という扱いになっ ている。 • 睡眠影響は健康影響であり、高頻度の睡眠妨害は、 「環境性睡眠障害」という疾患である。 • 生活妨害だけでなく、心疾患を含む種々の健康影響が主として睡眠妨害によって生じる。 2)わが国の環境基準と騒音政策 • 「騒音に係わる環境基準」の道路に面する地域の基準値は、心疾患の閾値を超えている。 • 「航空機騒音に係わる環境基準」は、日平均(年平均)の騒音レベルを指標とするため、 夜間の睡眠妨害を評価できない。 • 騒音は、有害化学物質と同様に「健康影響」を有する環境要因にも拘わらず、大気汚染 に次ぐ高い健康リスクが放置されてきた。 -5-