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状況論的アプローチからみたシンキング・ツールの活用実践

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状況論的アプローチからみたシンキング・ツールの活用実践
状況論的アプローチからみたシンキング・ツールの活用実践
The practice of using thinking tool from the perspective of socio-cultural approach
岸 磨貴子*
Makiko Kishi*
三宅 貴久子***
Kikuko Miyake***
今野 貴之*
坂田 篤志**
Takayaki Konno* Atsushi Sakata **
黒上 晴夫****
Haruo Kurokami****
久保田 賢一****
Kenichi Kubota****
関西大学大学院* NPO 法人学習創造フォーラム**
岡山市立津島小学校*** 関西大学****
Graduate school of informatics, Kansai University*
NPO Forum i-learning Creation**
Okayama Tsushima elementary school***
Kansai University****
<あらまし> 本研究は思考力・言語力育成をめざし,シンキング・ツールを活用した授業
実践について報告する.シンキング・ツールは,図表を用いて比較・判断・分類させるなど
の考えさせるためのツールである.しかし,単にシンキング・ツールを使えば思考力・言語
力が育成されるのではなく,実践的活動の中にシンキング・ツールをどのように組み込むか
が重要となる.本研究では,シンキング・ツールを活用した授業実践を教員側がどのように
デザインするのか,また,児童側が学習でシンキング・ツールをどのように活用するのかを
状況論的アプローチの視点から考察する.
<キーワード>思考力・言語力 初等教育
1. 研究の背景
1.1.思考力・言語力を重視する動向
昨今,学校教育法の中で「思考力・判断力・
表現力」の育成が明記されたり,それに合わ
せて中央教育審議会(2008)においてもその
重要性が指摘され「考えるための技法」など
の用語が使われ始めた.また,言語力育成協
力者会議(2007)でも,「思考力」と関わる
言語事項が具体的にあげられている.例えば,
「事象を比較する,分類する,関連づける」
などの「解釈・説明」に関わる認知活動や,
「帰納的な考え方,演繹的な考え方などを活
用して説明する」などの「評価・論述」に関
わる認知活動が論理的思考力の育成に関わる
ものとして示されているのである.
本研究チームは,海外の学校や教育委員会
などの取り組みを取材する中で「思考力・言
語力」とは何かについて検討してきた.その
中でアメリカやオーストラリアの教育現場で
用いられている方法に関心を持った.この方
シンキング・ツール 状況論的アプローチ
法は図表を用いて,比較・判断・分類させる
などの考えさせるためのツールであり,シン
キング・ツール,グラフィック・オーガナイ
ザー,ビジュアル・オーガナイザー,マイン
ドマップなど様々な用語で呼ばれている
(Ralph 2005, Pad ら 2004). 本研究ではこ
れらのツールを“シンキング・ツール”とい
う用語に統一する.シンキング・ツールは,
何かイメージするとき頭の中の情報を整理し
たり,論理的に物事を考えて作文や読書をす
る時などにも利用できる(Burke 2002).中
には,魚骨図(石川 1952)など日本で開発さ
れたものもある.
日本におけるシンキング・ツールに関する
研究は,黒上(2008)や 鈴木(2005)が報
告しているが,実践報告や活動の提案にとど
まっているのが現状である.そこで本研究チ
ームは日本の学校教育で思考力・言語力育成
を目指し,シンキング・ツールを活用した授
業づくりおよび学習環境に関する研究に取り
組むことにした.
グ・ツールと相互に作用しているかを記述す
る.言い換えれば,単にシンキング・ツール
1.2.理論的背景
を使えば思考力が向上するのではなく,シン
しかしながら,単にシンキング・ツールを
キング・ツールという道具と相互に作用する
使えば思考力・言語力が育成されるといった
ことで児童が思考力・言語力をどのように身
単純な話ではない.加藤ら(2001)は,人間
につけるようになるのか,またその相互作用
の 知 的 活 動 に つ い て ,「 人 工 物 と 相 互 作 用 す
が学級および授業という活動システム自体に
る,すなわち,人工物による制約をうけつつ
どのような影響を与えているのかについて考
作用する(使用することだけでなく,それを
察する.
作り出したり,作り変えたりすることを含む)
こと自体が,すでにそれを有している文化共
同体(コミュニティ)の実践の一部」と述べ
る.また,Brown ら(1988)は,「道具を単
に獲得するのではなく実践的活動に積極的に
活用する人は,その道具が使われる世界と道
具自体についての豊かな暗黙的理解を次第に
形成していく」と述べている.二人の考えに基
づいてシンキング・ツールを道具として捉え
ると,単に使わせるのではなく,実践的活動
に児童を積極的に参加させることによって,
児童自身はその道具との相互作用を通し,そ
の使用と意義を学ぶのである.以上のような
2. 研究の目的と方法
前述のとおり,思考力・言語力育成を目的
とし,シンキング・ツールを組み入れた実践
的活動に児童を積極的に参加させることが重
要となる.本研究では,シンキング・ツール
を活用した授業実践を2つの視点からとらえ
る.ひとつは,教員がどのように実践をデザ
インし学級および授業という活動システムを
構築しているかを記述する.もうひとつは,
児童がその活動システムの中でシンキング・
ツールとどのように相互に作用しているのか
を考察する.
考え方は,状況論的アプローチ(または,活
動理論,社会文化的アプローチ,社会歴史的
2.1. 研究の対象と選定の理由
アプローチ,文化歴史学派)と称されている.
研究の対象は,岡山市立 T 小学校の M 教
状況論的アプローチでは,旧来の比較文化
諭と担当クラスの5年生児童 31 名である.
研究の流れにあったように「個人」と「社会」
選定の理由は,研究の対象とする担当教員が
を切り離すのではなく,個人と社会の二項対
思考力育成のための研究会へ積極的に参加し
立を超え,歴史・文化的に蓄積された経験の獲
ていることや諸外国への視察をおこない児童
得過程として学習を論じる(石黒 2004).状況
の思考力育成をめざした実践的活動を過去数
論的アプローチの視点でワークプレイス研究
年にわたり実践しているベテラン教員である
を行っているハッチンス(Hutchins)は,熟
からである.また,対象の児童は担当教員が
達は,個人の能力の増進ではなく,むしろ道
始めて担任するクラスであり,この新しい道
具や他者との協調であり,馴染んでいく過程,
具を使うようになるプロセスに着目できると
そしてアイデンティティの獲得の過程である
考えた.
ことを明らかにした(石黒 2003).つまり,
道具を使えば能力が上がる(たとえば,コン
2.2. 分析データと分析の手順
ピュータを使えば成績が上がる)のではなく,
本研究では,2008 年4月および5月に収集
道具や他者との相互作用を通して,できるよ
した以下 a から c に示すデータを対象とする.
うになる過程(たとえばコンピュータを使う
(a)参与観察
ことで頭の中が整理されて文章が書ける過
収集した参与観察データは 2008 年4月 22
程)を学習と捉える.そのため,道具を教室
日,23 日,30 日,5月7日の4日間に実施
文化や授業から切り離して考えることはでき
された全日の授業である.実践で起こってい
ない.そこで本研究では,状況論的アプロー
る様々な出来事を可視化するため,エンゲス
チの立場をとり,児童がどのようにシンキン
トローム(Engestr ö m)の活動システムを分
表1 インタビュー対象者とその特性
群
児童
Ma
a
Fa
Mb
b
Fb
Mc
c
Fc
特性(M は男子,F は女子,abc は学力の上・中・下に分類した群を示す)
5 年生になって授業が楽しいと思うようになっている.総合学習では,積極的に教
員や友人と相談し課題追求をしていた.授業では積極的に発言をする.
授業中積極的に発言をするほうではないが,教員の支援を受けなくても自律的に学
習を進めている.担任教員を尊敬しているが,間違いを指摘されるのを恐れている.
教員の発問に対して 1 番に手をあげて発言する.グループ活動の際はリーダーシッ
プをとり他の児童を牽引する.気づいたことをすぐに発言する.教員に気軽に声を
かけて質問をする.
教員の発問に対して積極的に手を挙げようとしている.席のまわりの男子児童が非
協力的であるため,悩んでいる.授業で分からないことがあると自己解決か教員に
支援を求めて解決している.
5 年生になってから教員がどんな意見でも尊重し聞き入れてくれるため,教員の発
問に対して積極的に手を挙げている.自分らしい意見を持つことを重要視している.
分からないことがあると一人で悩むことが多い.周りの様子をみて自分が何をすべ
きかを判断しようとしている.担任に対して,気軽に質問したり声をかけたりする
のが困難と感じている.友達に自分から質問することも抵抗があるようだが教えら
れると一生懸命耳を傾ける.
析の枠組みとして導入し,参与観察で得られ
の日の授業について振り返ってもらった.そ
たデータを基に M 教諭が作る実践を共同体,
こでは,著者ら研究チームと思考活動におけ
ルール,分業の3つの視点から記述する.
る児童の状況を共有し,次にどのような取り
(b)児童6名へのインタビュー
組みが必要かについてディスカッションした.
M 教諭が学力のレベルに応じて児童を a,
b,c 群に分け,それぞれの群の代表的な児童
男女1名ずつを選定し,児童のシンキング・
ツールの使用方法とその認識を明らかにする
ために(1)シンキング・ツールを授業で使
う際の感想,
(2)自分の考えをシンキング・
ツールにまとめることの便利さまたは難しさ,
の2点について半構造的インタビューを行っ
た.インタビューは2名ずつをペアにし,3
人のインタビューアーによって約 30 分程度
行った.分析の手順は,木下(2003)が示す
質的研究手法を参考した.インタビューデー
タを文字データとして書き起こし,これらの
データをオープンコード化する.オープンコ
ード化したデータは,類似したラベルごとに
カテゴリを生成する(軸足コード化).生成さ
れたカテゴリは,その属性(プロパティとデ
ィメンション)からカテゴリ間の関係性を見
つけ出し(選択コード化),図式化したものを
説明する.分析の結果は,児童の特性に関す
るデータを含み考察するため,表1には選定
した児童およびその特性を示す.
(c)教員に対するインタビュー
参与観察を行った日の授業終了後,担当教
員である M 教諭と1時間から2時間程度そ
3. 分析の結果
3.1.実践のデザイン
3.1.1.共同体のデザイン
児童の思考活動を円滑に進めるため,教室
には児童の学習活動を支える様々なリソース
が準備されている.壁掛けの日本地図,児童
が自由に使える教材棚(模造紙,工作・筆記
用具),視聴覚メディア(パソコン,プリンタ,
テレビ,DVD デッキ,CD プレイヤー,教材
ビデオ),資料や辞書などの書籍,児童の学習
記録(ポートフォリオ)などのリソースが常
備されており,児童はいつでもこれらを利用
できるようになっている.
M 教諭の学級は,通常から児童同士が協同,
協力して学習を進めるような働きかけを行っ
ている.たとえば,児童が相互に学習状況を
観察し,参照できるように座席を“コ型”に
している(写真1).特に思考活動においては,
グループ活動やペアワークなどを多く取り入
れ,対話やディスカッションを通して問題解
決の学習手法を取り入れている.学級全体で
の対話やディスカッションにおいても,誰か
の 発 言 に 対 し て 賛 成 ・反 対 を 表 明 さ せ そ の 根
拠を述べさせたり,ハンドサイン(写真2)
を活用し人の意見を元に自分の意見を述べさ
せるといった児童同士が共に学び合える取り
組みをしている.
(2)自分の意見の根拠を考える
M 教諭はどの授業場面においても児童に
自分の考えを持ち説明できるように促す.判
断・説明できない児童に対して,まずは自分
の立場を明確にし,さらに,
「どうしてそう思
うのか?」と児童の答えに対してその理由を
追及する場面が多くみられた.
M 教諭に促されて自分の意見を主張し,そ
の根拠を述べる児童もいれば,自ら自分の意
見を明確にし,その根拠を述べる児童もいた.
(3)多様な意見を尊重する
正しい意見を出させることよりも,全員が
思考活動に参加させるために,児童から出て
写真1
教室のインターフェース
きたどの意見も尊重し褒める.また,児童か
らでてきた意見を教材として活用し,児童は
教員とともに授業を作っているという意識を
持たせるように工夫している.
そのため,児童は一つの考えに固執せず,
多様な視点から意見を述べるようにしている.
一方,間違いを恐れて発言できない児童も多
くいた.
写真2
ハンドサイン
3.1.2.実践のルールと分業
(4)到達基準を意識させる
M 教諭は,ルーブリックを使うことで,何
を考えさせるかを明確にし,具体的にどこま
M 教員が実践を作り出すために児童と共
でできればいいか学習の到達目標を意識させ
にどのようなルールと分業を構築したかにつ
る.児童は,教員と共に設定した到達基準を
いて記述する.ここで記述されているルール
めざして学習を進める.到達基準を示される
と分業も,児童の状況に応じて,変更された
が,その具体的な方法は示されていないため,
り,新たに作られたり,現状を維持したりす
児童は自分たちの方法で到達基準に達するた
る.M 教諭の学級では,新しい学級が始まり
めに様々なリソースを活用して学習を進める.
始めの 1 ヶ月で以下の4点に見られるような
ルールと分業が構築,共有されていることが
参与観察データおよびインタビューデータか
3.2. シンキング・ツール学習方法
児童のインタビューの結果,5つのカテゴ
らうかがえた.
リが生成された.本節では各カテゴリの説明
(1)時間より学習内容を重視される
をし,カテゴリ間の関係については後述する.
思考活動のための時間が十分に設けられて
いる.M 教諭は「5分で考えよう」と時間を
3.2.1. シンキング・ツールの使い方
示すが,児童の状況を見ながら時間を延ばす
参与観察および児童のインタビューから,
などしている.そのため,授業時間が終わっ
シンキング・ツールの使い方は,児童によっ
たとしても,児童の思考活動を止めないよう
て異なることがわかった(表2).
に 45 分の授業時間の枠組みを変えて,一日
参与観察を通して,シンキング・ツールに
全体を通して授業時間を調整している.チャ
自分の意見をしっかり書いている児童,メモ
イムが鳴れば授業が終了するのではなく,学
程度しか書かない児童,ほとんど書かない児
習すべき課題が終了した時点で授業を終了す
童がみられた.シンキング・ツールを使うた
ることを学級全体で共通に理解している.
めには,自分の考えをまとめる力と書く力が
表2
児童の発言内容のカテゴリ(使い方に関する発言)
Ma
使い方
Fa
○
考えをまとめるのは TT,発展はノートと使い分ける
発言することに集中し,TT に書く気にならないことがある
教員に評価してもらうため TT を使う
Mb
Fb
Mc
Fc
○
○
○
○
○
発言しなくても思考活動が確保される
○
個別の思考活動の確保
振り返りになる
○
教員や他の児童の支援を受けて TT の内容を改善できる
○
○
○
書くプロセスで,書き方・考えを再検討する
何から考えればいいか明確になる
※
○
○
○
TT = シンキング・ツール
求められることから,これらの差は児童の思
「自分の考えがまとまる」,「自分の考えが書
考力・言語力の違いではないかと考えた.し
けるようになる」,「何を考えればいいか明確
かし,表3に示す分析結果から,シンキング・
になる」,「自分の考えに自信がもてるように
ツールを使わない理由は単に思考力・言語力
なった」といった効果があった.同時に「自
の問題ではなく,シンキング・ツールを自分
分の考えをまとめて書くのは難しい」,「何を
たちの学習スタイルに合わせて使い分けてい
書けばいいかわからないと不安になる」,「間
たためであった.
違いを恐れて書けないことがある」,「考える
児童 Fa は,
「考えをまとめるのはワークシ
ためには時間がかかる」といった問題を児童
ートを使って,応用はノートを使えばいいっ
は抱えていた.しかし,これらの問題もまた,
て分ければいいと思う」と述べ,考えをまと
それぞれの方法で解決を図っていることが窺
めるのはシンキング・ツールを利用し,そこ
えた.たとえば,自分の意見を書くように指
で書けないことはノートに記述すると目的に
示された際,間違った答えを書いたらどうし
応じて道具を使い分けていた.児童 Ma は「発
よう,自分の考えていることは正しいのか,
言することに集中するので書かない」と述べ,
という不安を感じることがある.その不安を
シンキング・ツールは発言するためのメモと
軽減させるために(1)漢字の意味など語彙
して捉え,シンキング・ツールには詳しい記
の分からないことは国語辞典で調べる,(2)
述をしていなかった.児童 Fa や Fb は,積極
問いの意味が理解できないときは周りの児童
的に授業で手をあげて発言できないため,
「発
に相談する,
(3)どうしても分からないとき
言しなくても自分の意見を書けるので,授業
は,教員に質問するといった方法で問題を解
に参加しやすい(児童 Fb)」と思考を表現す
決していた.これは,教室の席の配置がまわ
る手段として利用していた.その他にも,ノ
りの児童の作業を観察しやすくなっているこ
ートの代わりとして(児童 Mb),振り返りの
とや,国語辞典を常に授業で活用しているこ
ツールとして(児童 Fb,Mc),教員に評価し
とが問題解決のヒントになっていた.児童は
てもらうため(児童 Ma)シンキング・ツー
不安が軽減されると,安心して自分の意見を
ルを利用していた.言い換えれば,児童は,
書けると述べていた(児童 Fa,児童 Fb,児童
教員に与えられた道具を使いこなすのではな
Fc). し か し , 周 り の児 童 が 非 協力 的 で あ る
く自分たちの実践的活動にあわせて,シンキ
場合,不安を持ちながら,思考作業をするこ
ング・ツールを適した用途で利用し,自分自
とになり,思考活動が苦しいと答えた児童も
身の学習環境を作り変えていた.
いた(児童 Fb).
また M 教員が(1)思考活動の際に,他者
3.2.2. 問題解決方法
シンキング・ツールを導入することにより,
との相談を可能とし,質問があれば必要に応
じたリソースや道具を提供したり,分かりや
すい言葉で説明するなどして足場づくりをす
(児童 Fa)」と,多様な考えが重視されると
る,(2)「考えなさい」という曖昧な言葉を
いう価値が学級内で共有されている.このよ
使うのではなく「比較しなさい」「理由を述べ
うな「考えること」の価値を共有することも
なさい」と具体的な発問をする,
(3)思考活
思 考 力 ・言 語 力 育 成 の た め の 環 境 づ く り を 考
動の際,黒板に授業のねらいやどのように考
える上で重要であるといえる.
えればいいか足場づくりとなるヒントや視点
を明記する,といった工夫も児童が思考活動
の不安要因を軽減する要因となっていた.
3.2.5.言語力・思考力の育成
教員は,思考力育成を目的としてシンキン
グ・ツールを活用している.
「まずは,これに
3.2.3. 他の児童による影響(モチベーション,
不安,異なる視点の獲得)
ついて考えればいいんだなとか,ここから考
えればいいんだなって思う(児童 Fa)」と発
児童は,シンキング・ツールを媒介として
言からもわかるように,ある問題について追
周りの児童の影響を受けていた.たとえば,
求するために何から考えればいいかが明確に
周りの人がシンキング・ツールに自分の意見
なっていた.つまり,
「考えるための技法」を
を書いているのを見て,自分も頑張らないと,
理解できた児童もいた.
と刺激を受け,モチベーションがあがった児
また,児童はシンキング・ツールに自分の
童もいた(児童 Fa,Fc).逆に,周りの児童が
考えをまとめ,書くことを継続的に行うこと
書けているのに自分は考えつかない,とプレ
で,思考力だけでなく,要約の仕方・文章の
ッシャーや焦りを感じて,思考できない児童
書き方といった言語力も身につけるようにな
もいた(児童 Fb).
っていた.
「 考えていくといろいろ考えてでて
また,各児童が自分の考えを外化するため,
きて,いろいろ書いていくとどんどん(ワー
視覚化された文字情報から様々な考えの違い
クシートが)汚くなっちゃうし,どんどんわ
を発見できるようになっている.
「 友達のを参
からなくなって,またいしから書き直さない
考にしたりすると,全然考え方とかが違って
といけなくなっちゃったりするし(児童 Fc)」
いて,あ~そういう考え方があるんだって気
「何回も書き直していくとかけるようになる
づいたりする(児童 Fa)」と多角的な視点か
(児童 Fa)」という発言からもわかるように,
ら物事を考えることにもつながっていた.
自分の考えを記述するプロセスで,何度も書
き直し,文章の書き方,自分の考えのまとめ
3.2.4.考えることを重視する価値共有
かたを身につけるようになっていた.言い換
児童 Mc は,4年までは教員が黒板に書い
えれば,シンキング・ツールを使って思考を
たことをそのまま写し取るだけであったが,
外化すること自体が書くこと,思考力・言語
5年生では自分の考えを出すことが重要視さ
力のトレーニングになっていたと考えられる.
れ,多様な意見が尊重されることから,
「自信
を持てたのは,先生がおもしろいっていって
くれるから間違っていても発言するようにな
4.まとめ
分析の結果得られた5つのカテゴリをロゴ
った」と自分の意見を出すようになっていた.
フの共同体における三つの側面を参考に図式
これは授業観察の際に実施したインフォーマ
化した(図1).共有化された取り組みに加わ
ルインタビューで他の児童も同様の意見を得
っている時には,発達や変容は個人のことだ
た.また,
「他の先生は,なんも理由は聞かな
けではなく,その共同体の実践における変化
いけど,M 先生だといっぱい聞いてくるから
に伴っていく(Rogoff 2008).そのため,ひと
(児童 Mc)」「M 先生は間違ってても理由な
つの発達や学習という現象を眺め,分析する
し に 否定 しな い (児 童 Fc)」「 前 は, 時 間 厳
際には,
「 個人の平面」「個人間の平面」「共同
守で,どちらかというと時間内にできたら終
体・制度的な平面」という3つの側面が必要
わりって感じ.今の授業は,時間っていうよ
となる.分析の結果得られた5つのカテゴリ
り,できることが目標だし,授業内容が大切
をこの3つの側面を元に図示し考察する.
共同体・制度的な平面
個人の平面
TT
振り返りの
ツールとして
TT
思考力・言語力の
トレーニングにつ
ながっていた。
TT
個人の平面
個人の平面
児童のシンキングツールの使い方は、それぞれの学
習スタイルに応じて異なっていた。
個人間の平面
・ シンキング・ツールの制限(不確かさや思考の難しさなど)が児童のコンフリクトを起こし、そ
の問題解決のために児童間の協同や他のリソース(辞書など)へアクセスが促された。
・ シンキング・ツールを媒介として、児童間の相互作用が促された。児童は他の児童との協同
により他者を尊重し、新しい視点を獲得できた。
図1
カテゴリ関係図(※シンキング・ツールを TT と示す)
(a) 個人の平面
他の児童との相互作用を起こすようになって
個人の平面に着目すると,児童は自分たち
いた.ひとつは,シンキング・ツールに何を
の学習スタイルに合わせてシンキング・ツー
書けばいいのか,何を考えたらいいのかが分
ルを使い分けていた.
からないというコンフリクトが起き,それを
シンキング・ツールに自分の考えを書き込
解消するために,他の児童に意見を求めたり,
むことができていた児童は,思考力・言語力
教え合うといった行為が生まれている.さら
のトレーニングになっていた.シンキング・
に児童間で教えあう中で,自分とは違う意見
ツールを媒介することにより児童の考え方や
や考えがあることを知り,教え合うことの重
書き方が視覚化されるため,教員はこれをリ
要性に気づき,尊敬や信頼関係を構築するよ
ソースとして活用し,指導に役立てることが
うになっていた.
できるのである.一方,シンキング・ツール
(c) 共同体・制度的な平面
が思考力・言語力育成の道具にならなかった
児童は,人以外のリソースにもアクセスす
児童もいた.これはシンキング・ツールを使
るようになっていた.M 教諭はわからないこ
うことの意義・意味を見いだせていなかった
とがあると国語辞書など教室のリソースを活
ためであると考えられる.
用するように指導する.しかし,児童は教員
思考力・言語力育成とはあまり関係のない
の指導の元でリソースを活用するのではなく,
使われ方もされていた.授業中にあまり発言
実践に参加する中で主体的に必要なリソース
できない児童は,一度自分の考えをシンキン
にアクセスしていた.活動の中で問題が起こ
グ・ツールに書くことで個別の思考活動が確
ると,辞書で分からないことを調べたり,こ
保され,授業中の発言に参加できるようにな
れまで記述したシンキング・ツールやポート
っていた.個別の思考活動がなくともすぐに
フォリオを参照するなどして問題解決を図っ
自分の意見を言えるような児童はシンキン
ていた.M 教諭はこのような児童の状況を見
グ・ツールを書くという必然性を見つけるこ
ながら 3.1 で記述した実践のデザインを作り
とができていなかったのである.
替えたり,新しい実践を取り入れたりしてい
(b) 個人間の平面
る.例えば,児童の思考活動を円滑にするた
児童はシンキング・ツールを媒介として,
め,黒板に思考のキーワードや考え方のヒン
トの掲示,および,視聴覚メディアや資料を
ユ ー リ ア エ ン ゲ ス ト ロ ー ム ( 著 ), Yrj ö
随時準備,児童の間違いに対する不安を軽減
Engeström (著), 山住 勝広 (著), 百合草 禎二
させるような取り組み(学級内の人間関係構
(著 ), 庄 井 良 信 (著 ), 松 下 佳 代 (著 ), 保 坂
築や多様な意見を尊重しあう価値共有)など
裕 子 ( 著 ), 手 取 義 宏 ( 著 ), 高 橋 登 ( 著 )
をしていた.
(1999) 拡 張 に よ る 学 習 ― 活 動 理 論 か ら の ア
このように児童はシンキング・ツールを媒
介することにより,思考力・言語力の育成だ
けではなく,他者と協同するようになるなど
新しい活動システムを構成し,それが学級文
化や授業へも影響を与えていた.
プローチ,新曜社
言語力育成協力者会議(2007)議論の整理用一
覧表, 2007 年 6 月 25 日
石黒広昭(2004)
社会文化的アプローチの実
践,北大路書房
石川馨(1952)工場に於けるサンプリング, 丸
5.今後の展望と課題
本研究では,シンキング・ツールを実践的
善出版
石黒広昭,茂呂雄二(編著)(2003)
アーテ
活動に埋め込むことで,児童は適した用途で
ィファクトと活動システム,
『 実践のエス
利用するようになったことが事例から明らか
ノグラフィー』,金子書房, p.77
になった.また,シンキング・ツールを媒介
することにより,他の児童との協同的な学習
が促進されたり,様々なリソースにアクセス
する機会を与えていたことがわかった.
状況的アプローチの観点は,学習者側の視
点からどのように学習環境をデザインしてい
加藤浩,有本典文(2001)認知的道具のデザイ
ン,金子書房, pp.1-2
木下康仁(2003) グラウンデッド・セオリー・
アプローチの実践-質的研究への誘い,
弘文堂
黒上晴夫 (2008)高次思考力の育成をめざす
くことができるのかについて示唆を与えるこ
授業設計法と評価に関する研究,平成 16
とができる.しかし,教授法的な方法を提示
年度~19 年度科学研究費補助金(基盤研
することをめざすものではなく,必ずしも具
究(B))研究成果報告書 16300277,
体的な示唆を与えてくれるものではない.そ
pp.37-68
こで,本事例から得られた知見を活用する具
体的な方法を探ることが今後の課題となる.
Pat Wolfe, David Hyerle, Larry Alper,
Sarah Curtis(2004)StudentSuccesses
With Thinking Maps: School Based
参考文献
バーバラ・ロゴフ,當眞千賀子(訳)(2008)
文化的営みとしての発達,新曜社
Brown,J.S., Collins, A., & Duguid, P.(1988)
Situated cognition and the culture of
learning. IRL88-0008. 杉本卓(訳)安
西祐一郎他(編)(1992)状況に埋め込ま
れた認知と学習の文化 認知科学ハンド
ブック,共立出版,pp.36-51
Burke,J. Wolfe,P. Pirozzo,R. (2002) Tools
for Thought, Graphic Organizers for
your classroom. Heinemann,
Portsmouth, NH
中央教育審議会(2008)幼稚園,小学校,中学
校,高等学校及び特別支援学校の学習指
導要領等の改善について(答申), 2008
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