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会長挨拶 少年時代のオリンピック奉仕 クラブ報告
◆会長挨拶 少年時代のオリンピック奉仕 日本で第 18 回オリンピック競技大会東京が 1964 年にありました。たぶん いろいろなボランティアが募集され、企画実施されたのだろうと思います。 1963 年・64 年というのは、私は 14 歳、中学 1・2 年でした。 当時、世の中は“五輪・五輪・オリンピック”で景気を沸かしていたよう に思います。ことに家電業界は“カー・クーラー・カラー”の時代、 『3Cの 時代』といわれました。オリンピックは子どもにかかわりがないという状態 でした。自分達ボーイスカウト(BS)が、奉仕活動をさせてもらえる機会 があると知り、驚きと期待で、自分が選ばれるのか心配したりしました。奉 仕活動とは何か?といいますと、各国の国旗を掲揚するということなのです。 63 年の秋寒くなって、全員制服制帽で東上線東武練馬駅朝 8 時集合という 連絡があり、集まると、近所の隊や知らない隊が駅前に集合しています。リ ーダーに連れられ、自衛隊第一師団練馬駐屯地に到着しました。みんなで「歩 いて来たほうが近いね」と話しながら正門の歩哨に挨拶、中に入ると何十人 に一人か、正装の自衛官が、BSのリーダーに指示を与えています。塀越しに、いつも奇麗な庭と整然とした 建物しか見えなかったのですが、グレーの小石を引いた巨大な運動場、広場が見えてきたのです。広場に相当 大勢のスカウトがいました。その端にはいくつもの縛材にロープを掛けてポール状にした太い長い棒が立って いたのです。BS東京連盟の偉そうなおじさんが何かを挨拶し、地区の役員さんが訓示のような分担のような、 指示を与え、私達は奥の奥にある、蒲鉾型の長家まで連れて行かれました。そこで半袖半ズボンの制服で広場 へ出て、整列から始まり、隊列行進、止まれ、休め、気を付け、気を付け休めなど一通りさせられて、自衛隊 の形式をまねるのか、ボーイスカウト式に直すのか、散々いじくりまわされました。私達は蒲鉾ハウスで食事 をすると、リーダーが「よそのスカウトを見てご覧、外の陽だまりで食事だよ。私達は良い待遇だよね。」と 言っていたのを憶えています。午後からは吹きさらしの中、自衛隊の国旗掲揚・降納ラッパで、掲揚 37 秒降 納と始末の練習を三・四回し、午後3時近くに解散しました。半年後の 6 月初旬に簡単な集会と掲揚訓練があ り、「各国の国旗を上げるので逆さまは許されない」こと、「国際問題になる」という注意があったのを記憶し ています。 そして 10 月 10 日朝6時に家を出て、国立競技場そばの明治神宮絵画館に集合、競技場下の掲揚柱に到着。 国旗の配付があったのか、取りに行ったのか定かではありません。一日おきに掲揚と降納をお手伝いしました。 掲揚は朝がつらいのですが、学校を少しサボることができました。降納は午後 5 時で、学校を早く出て急いで 信濃町まで行かないとならないので大変でした。大学生の先輩達は、私達が掲揚した各国の旗を点検し、逆さ の掲揚を直すとか、乱入の悪戯などへの警戒で一日中粗相のないよう大変だというような話を伺いました。 10 月 24 日オリンピック閉会式は、国旗降納式をしました。通常午後 5 時ですが、閉会式は、オリンピック ファンファーレにあわせて降納午後7時か8時でした。国旗降納が終わり、オリンピック競技場は、割れんば かりの歓声が何度も外に響きました。絵画館前の広場には、多くの自衛隊員がうろうろしているのが見えまし た。私達は何が始まるのか判らず、絵画館前の石の手すりにうで立てて首を乗せて肌寒い中、次の解散指示が あるまで見ていました。するとものすごい轟音と共に斜めに火柱が立ち、巨大なキャノン砲が火を噴いたので す。これには私達だけでなく周りのBSが唖然として立ちすくみ、度肝を抜かれて放心したまま見ていたこと を覚えています。現代ならば日本伝統の花火なのでしょうか。当時はよくわかりませんが、誰かが皇礼砲だと いっていたのが聞こえました。5・6発のようにも思えますが、ずい分長く何発も聞こえたようにも感じまし た。夜間に紫というのか青の火柱が上がるのは、なんとも荘厳で、少し恐ろしい感じも受けました。 年内のことと思いますが、BSの集会に参加したとき、オリンピックに奉仕した子どもが名前を呼ばれ、み んなの前に並んで、金色の五輪の上に日の丸の入った白い用紙に『奉仕に感謝します』という趣旨の賞状と岡 本太郎画伯のデザインの小さなメダルをもらいました。2014 年 10 月 10 日、今年 2020 年の東京オリンピック が選定された年に、何気なく夜中のテレビを見ていましたら、昭和 39 年の東京オリンピックから 50 年経過し て再びオリンピックが来るという番組を流していました。私の少年時代の一こまの話です。 ◆クラブ報告 Ⅰ 幹事報告 1.例会 【変更・休会】 なし 2.報告事項 (1) 柏市役所:保護司会だより(回覧) (2) 米山奨学会:ハイライトよねやま(回覧) (3) 2790 地区ガバナー:義援金お礼(回覧) (4) 有倉フェロー、体調不調のため入院しております。慶弔規定によってお見舞いの予定。 (5) 10/22(水)臨時理事会:該当者には事務局から FAX を送信します。 Ⅱ 委員会報告 記念品授与(最終ページに記事) ◆卓 話 臨床検査からわかること ~コレステロールと動脈硬化~ 吉田 博 東京慈恵会医科大学 臨床検査医学・大学院代謝栄養内科学 教授 東京慈恵会医科大学附属柏病院 副院長 病院やクリニックあるいは健診やドックなどで、日常的に臨床検査が行わ れています。臨床検査の目的は病状の原因を探索し診断すること、病気の進 行の程度をみること、治療の効果をみること、副作用など有害事象がないか を確認することなどです。検査には感度の高い検査と特異度の高い検査があ ります。前者はスクリーニングや除外診断に、後者は確定診断に有用です(図1=下左) 。 検査結果をみるときに、参考にするのが「基準範囲」です。かつては、 「基準範囲」とはいわず、 「正常範囲」 あるいは「正常値」などと呼んでいました。この範囲内を逸脱していても必ずしも異常ではありません。そも そも基準範囲は、ある一定の条件に合致する基準個体の集団から算出された範囲にすぎません(表1=下右)。 いいかえますと、病気があるのか否かを見きわめる「病態識別値」とは意味が異なります。 今年 4 月に新聞紙上を賑わせた人間ドック学会の基準範囲は、このような基準範囲の意味が誤解されたこと も原因と言われています。悪玉コレステロールとも呼ばれる LDL コレステロールの基準範囲は、一般的には 70 ~139 mg/dl とされていますが、人間ドック学会の提案では男性で 72~178 mg/dl です。女性にいたっては、 45 歳以上の上限 183 mg/dl、65 歳以上の上限が 190 mg/dl とされています。一方、動脈硬化性疾患予防ガイド ラインによると、LDL コレステロールが 180 mg/dl 以上が続いて認められる場合は、家族性高コレステロール 血症(FH)も視野に入れ診療するとなっており、FH では動脈硬化性疾患がハイリスクであるとされています。 このように検査データの解釈が一部で混沌としているように見えることから、本例会の卓話では、コレステロ ールと動脈硬化の話題をもとに、臨床検査の考え方と基準範囲の意味について解説します。 ◆例会の記録 例会 月 会 点 合 ゲス 数:2614 回例会 日:平成 26 年 10 月 15 日(水) 場:ザ・クレストホテル柏 鐘:会長 唱:手に手つないで ト:関則昭松戸 RC=右 吉田博東京慈恵会医科大学教授・東京 慈恵会医科大学附属柏病院副院長 出 席 報 告 :出席義務会員 51名 出 席 34名 欠 席 17名 出 席 率 66.7% 欠 席 会 員:石戸義行、伊藤公一、井上英博、今山利 猛、児玉隆晴、島田秀貴、諏訪達志、仙田 和雅、溜川良次、髙田新也、須藤英華、寺 嶋哲生、永尾太樹、中沢由岐子、中島康 子、山内尚美、芳野雅彦 ベネファクター 根本孝英 F ザ・クレストホテル柏 結婚式場のご案内 (高橋賢 F) ポールハリス マルチプル 岡本祐彦 F・石戸新一郎 F (上段左から) 神野美明 F・少名子正彬 F(下段左から) 誕生日:杉原浩 F ■10-12 月 月 日 10 29 11 12 行事予定 内 容 例会数 ○休会 5 2616 クラブ協議会 12 2617 通常例会 卓話= 原木善之・日本光電工業㈱ 営業本部 係長 19 2618 ⇒19・20 ◇移動例会(親睦旅行) 26 2619 通常例会 卓話=中田隆 3 2620 通常例会 卓話=稲垣典子 10 2621 クラブ年次総会 17 2622 通常例会 卓話=神野美明 24 2623 通常例会 卓話=大瀬 由生子・ベジラボ 代表 31 ○休会 理事会 理事会