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私たちの道徳 中学校(96ページ~113ページ) (PDF:2413KB)
かがや 3 生命を輝かせて ⑴ かけがえのない自他の生命を尊重して い けい ⑵ 美しいものへの感動と畏敬の念を ⑶ 人間の強さや気高さを信じ生きる 96 97 い の ち ぐう ぜん せい 今、自分がここに生きていることの偶然性。 だれ むか 誰もがいつか必ず死を迎えるという有限性。 そして つ わた 先祖から受け継ぎ、子孫へ受け渡していく連続性。 さらに、自分は他の誰でもない、 ゆいいつ む に 唯一無二の存在であること。 私たち人間ばかりでなく、 生きとし生けるもの全てに 思いをはせてみる。 偶然性 今ここにいる不思議 考えてみよう、 生命とは何なのかということを。 生命を考える 地球の永い永い歴史を考え 人類の誕生を考え そして今ここにいる自分を考えてみる。 こうやって生きていること 存在していることが 何か不思議に思えてくる。 私の周りに え がお いつもの笑顔、いつもの声。 でも、この人たちとの出会いも さず 今、ここに生命を授かっているからこそ。 星の数ほどの偶然があって 私が、今ここにいることの不思議。 がた 生きていることの有り難さ。 98 99 生命を考える 生命を考える 生命を考える な 大切な人を亡くしたことがありますか。 自分の生命にも いつか終わりがやってくる。 一度しかない あかし この生命の証を 自分はこの世に どのように刻んでいけばよいのだろう。 もっともっと 生きていることを実感し、喜びたい。 そして、かけがえのない私の人生を、生命を かがや もっともっと輝かせていきたい。 この生命は私のもの。 だれ 誰のものでもない、かけがえのない私の生命。 でも、どこからやってきたのだろう。 そう つ これは私が受け継いだもの。 ずっと遠い昔から受け継がれ 私が受け取ったもの。 この生命は私の生命だけれど 私だけのものではない。 私は生命というたすきを受け取り 人生というコースを 走りきらねばならぬ駅伝走者。 転んでも、立たなければならない。 くじけるわけにはいかない。 たすきを私に届けてくれた人たちのためにも、 そして私のたすきを 待っている人たちのためにも。 100 101 いつか終わりがあること ずっとつながっていること 有限性 連続性 生命を考える 生命を考える かけがえのない自他の生命を尊重して かけがえのない自他の生命を尊重して 広く高い空を見上げ 果てしない宇宙を想像してみる 自分はなんと小さい存在なのだろう しかし ここに立つ私は「私」しかいない あお ねむ だ ころ おばさんと、生まれたばかりの赤ちゃんが 私の家にやってきた。 赤ちゃんはにこにこと笑ってとてもかわいい。 おばさんの話を聞くと、夜、泣き出すことも多いようで、 赤ちゃんの世話は大変だと思った。 赤ちゃんを抱いてみると ずっしりと重くて、温かい。 言葉にならない声を発したり、 手足を動かしたり、 もういろいろな感情があるようだ。 生まれたばかりの頃は 私もこんなふうだったのかと、 不思議な気持ちになった。 満天の星を仰ぎ ゆうきゅう 悠久の時の流れを感じる 自分はなんとはかない存在なのだろう しかし ここにいる私は「私」でしかない 果てしない宇宙にあっても えい ごう はるか永劫の時の中にあっても この私は ただ一つの存在、二つとない存在 え がお 102 103 か なみだ ふ 一人一人のかけがえのない生命を 尊重し合って生きていきたい だれ いっしょ あんなに元気だった祖父が 息もせず、静かに眠っている。 いつもそばにいた大切な人が、 もう二度と、笑顔を見せたり、 私に話し掛けたりしないことが とても信じられない。 たくさんの人の涙、それは祖父が たくさん愛されていたからだと思う。 誰かが 「もっと一緒にいて、いろいろな話がしたかった。」」 」 と、言っていた。 私は、身近な人の死に接して初めて 生命のかけがえのなさを知った。 これまでの生活を振り返って、生命のかけがえのなさについて感じたことを書 いてみよう。 ⑴ 生命の誕生と死 かけがえのない自他の生命を尊重して りん り 科学技術の発達と生命倫理 かけがえのない生命 こ じゅ みょう 脳死と 臓器提供 さい 代理母 しん だん ちが 遺伝子検査 出生前診断 な クローン技術 今、世界の人口は70億人を超えたと言われる。 日本の人口は約1億3千万人となっている。 日本だけでみると1年間に 100万人以上が誕生し、亡くなっている。 医療が発達した現代では、日本人の平均寿命は80歳を超えているが、 一人一人の生命の長さは違う。 私たちの世代でも、毎年、かけがえのない生命が失われている。 い りょう 日本の出生数・死亡数 出生数 1,037,231 人 死亡数 1,256,359 人 厚生労働省「人口動態調査」(平成 24 年) き せき ぐう ぜん 科学技術や医療の急速な発達により、 これまで難しかった診断や治療が可能になった。 一方で、そういった実態と、人間としての在り方や生命倫理との関係について、 様々な角度から議論が行われるようになった。 こうした課題について、私たちは今後、どのように考えていけばよいだろう。 あた 奇跡のように偶然が重なって自分に生命が与えられたことや、 その生命にもいつか終わりがあることを考え、 私たちは、どのように自他の生命を尊重していけばよいのだろう。 自分の生命、他人の生命、生きとし生けるものの生命の尊さについて考えたことを まとめよう。 105 生命倫理に関する問題について、調べたり、話し合ったりしたことを書いてみよう。 104 為的に軽度の天然痘にかからせ 度の 天然痘になってしまう恐れ じん とう しゅ とう ほう 「 人のために生 きて自 分のため る人 痘 種 痘 法 という 予 防 法が い てき に生きないということが重要で のがよい。」 幼い 甥と姪 らに人痘種痘を試み があり ました。洪 庵は、自 分の ましたが、 やはり良い結 果は得 めい 江戸時代の末期、 まだまだ医 られませんでした。洪 庵はこれ おい 学が未熟な時代、 人命を救うこ とにすさまじいまでの使命を自 らを 踏まえて危険性の高い人痘 がた こう あん てき じゅく じっ せん 己に課し、実践した人がいまし 種痘 を多 く の 子 供たちに施 す お ぎゅうとう ほどこ た。 わけにはいかないと考えました。 きち はい しゅつ かつ やく おお むら ます じ ふく ざわ ゆ じん ふ その名は緒方洪庵。適塾の創 やがてイギリスで開発された い ろう 設者であり、 適塾は大村益次郎、 安全性 の高い牛痘種 痘 法の牛痘 じょ とう かん 大阪市中央区北浜に残る「適塾」 緒方洪庵(おがたこうあん) 1810~1863 ぎゅうとう 福澤諭吉など幕末・明治に活躍 苗(ワクチン)が日本に渡ってき わた する偉人を輩出したことで知ら ました。 びょう まさに人の命と向き合うことに れています。医師洪庵の原点は、 し せつ 洪 庵は同 志 と協 力して牛 痘 緒方洪庵 オーストリアの精神医学者、心理学者。 『夜と霧』な ど。 てん ねん とう 種痘 をする施 設 と し て除 痘 館 ■ヴィクトル・フランクル(1905~1997) ありました。 を設 立し、 その普及に尽力しま じんりょく 天然痘の流行に、 当時人々は やわ 人間が生きることには、常に、 どんな状況でも、意味がある。 フランクル きょう ふ 恐怖に包まれていました。天然 した。 かん せん さい てき てき わずら い 痘は、 患ってしまえば死に至るか、 症が残る恐ろしい病だったから しょう おそ のが こう その難 を逃れても 重 大な後 遺 です。 古 来より天然 痘 に 一 度かか しゃ がく らん はん もり びっ ちゅう あし り治った者は二度と感染しない ことが知られていました。この事 ■マルティン・ハイデッガー(1889~1976) ●備中足守藩出身。蘭学者。 1836年、長崎へ出て 西洋医学を学び、大阪で「適々斎塾」 ( 適塾)を開く。 ●輸入された牛痘種痘の痘苗を入手し、大阪に種 痘所「除痘館」を開き、故郷の備中足守にも種痘所 を開設した。●適塾では多くの門人が学び、近世か ら近代への時代の変化の中で、重要な役割を果た す人材を輩出した。 あなたの見付けた言葉、考えたこと。 このころ西 洋 医 学 を 理 解 す る 人 はまだ 少 数で、反 対 勢 力 ひ ぼう あ から の誹 謗 中 傷 にも 遭いまし た。 そ ん な 中 、洪 庵は時には米 か し あた や菓 子 を 与 えることで接 種 す つの る子 供 を 募 り 、牛 痘 種 痘の活 動を続けて多くの命を救ったの です。 小説家。 『 宮本武蔵』 『 私本太平記』など。 じん ■よしかわ えいじ(1892~1962) ドイツの哲学者。 『存在と時間』 『 形而上学入門』な ど。 を健康な人の体に接種して、 人 ひとの生命を愛せない者に、 自分の生命を愛せるわけがない。 吉川英治 から、 天然痘にかかった人のうみ 人はいつか必ず死ぬということを 思い知らなければ、 生きているということを 実感することもできない。 ハイデッガー 人の命を救い、 人々の苦しみを 和らげる以外に考えることは 何もない。 じょう きょう しかし、 この方法では、 時に重 人物探訪 ありました。 この人のひと言 考えず、 自分を捨てて人を救う column ある。楽をせず、名 声や利 益を saying 106 107 この人に学ぶ かけがえのない自他の生命を尊重して かけがえのない自他の生命を尊重して つばき キミばあちゃんの椿 「こんにちは、キミばあちゃん。」 ゆう すけ 裕介たちの学校では学期に一回、近くの一人暮らしの老人を訪問している。キミばあちゃんは今年 さい 七十八歳。長い間、大学で国文学を教えていたそうだ。大学の先生というと、気難しそうに思われが み き さ おり じ ゅん ちだけど、とても気さくで話好きである。 「よう来てくれたね。美紀ちゃん、佐織ちゃん、順ちゃん。あれ、裕ちゃんはいないのかい。」 訪問も三年目になって、キミばあちゃんを訪問して元気付けるというよりも、キミばあちゃんが裕 介たちの相談相手になってくれている。 づ だ ま 「裕介ね、また入院したんだ。しばらくかかるらしい。昨日寄ってみたんだけど、あいつあんまりしゃ べらなくて、黙っているのも気詰まりで、せっかく行ったけど、すぐに病室を出てしまったんだ。 …… どうしたらいいのかなあ。」 じ ゅんぺい 順平が助けを求めるようにキミばあちゃんの方を見た。キミばあちゃんもすぐに順平の気持ちを察 したようだ。 「難しいなあ、順ちゃん。でも心配している順ちゃんの気持ちは裕ちゃんにも分かるよ。」 それから四か月がたち、最後の訪問日となって、四人はそろってキミばあちゃんの家に行った。 たず キミばあちゃんは、みんなの顔を見るなり、すぐに裕介に調子はどうかと尋ねた。 。」 「ここんとこはまあまあなんですけど。すぐに具合悪くなっちゃうんで …… さび と、裕介は寂しそうに答えた。 こ な や 「裕ちゃん、一人で悩むと落ち込むよ。裕ちゃんには心配してくれる友達もいるんだからね。」 苦しくなるん …… と、キミばあちゃんは、裕介の背中をポンとたたいた。美紀も佐織もそうだそうだと言うようにうな ずいた。 「う ん 。 元 気 に な れ る っ て い つ も 自 分 に 言 い 聞 か せ て い る ん だ け ど 。 時 々 ね 、 だ。」 「苦しくなるって。」 。」 …… すわ や うなが かた さ 「ずっと一生こんなふうに病院を出たり入ったりするのかな、と思うと ふる おどろ キミばあちゃんは、裕介の肩に手を置いて座らせ、優しい目で次の言葉を促した。 めい わく 「親にも心配や迷惑ばかりかけて心苦しいし、何のために生きてるのかな、生きていても仕方がない のじゃないかと思ったりすることもあるんです。」 いつもは感情をあまり表に出さない裕介の声が、震えているのに気付いた順平は、驚いて裕介のそ ばに寄った。 「そうかい。」 キミばあちゃんは穏やかに言うと、立ち上がった。 おだ もど と なり ひろ せ たん そう 隣の部屋から何冊かの本を手に戻ってくると、一冊を開いて裕介の前に置いた。そのページには、 はさ しおりが挟んであった。 「 裕 ち ゃ ん 、 こ の 本 に は 、『 広 瀬 淡 窓 』 と い う 人 の こ と が 書 い て あ る 。 七 十 五 歳 ま で 生 き た ん だ け れ ど も 、 とても病弱だった人なんだよ。その淡窓が二十三歳のときに倉重湊という医師に宛て くら しげ みなと あ た手紙と、その後のいきさつが書いてあるから読んでごらん。」 裕介は本を手に取った。 15 10 5 20 15 10 5 広瀬淡窓 江戸時代の儒学者、漢詩 人 、 教 育 者 。 私 塾「 咸 宜 園(か ん ぎ え ん )」を 創 設 。 身 分 などを問わない教育 を行った。 108 109 * かけがえのない自他の生命を尊重して はげ かん ぎ えん そう く で か ら し げ ふ 20 15 10 5 うれ 「 生 来、多病の私ですが、今最も憂えているのは、何を目標に生きていけばよいかということです。 幼いときから勉強に励 んできたことを生かして身を立てる以外にないように思うのです。そうする じゅく は ん なら、どこかの藩に仕官するか、都へ出て自分で塾を開くかだと思うのです。しかし、病気がちの 私には務まりません。この日田で教師となることも考えましたが、この地で儒者として成功した人 おお いた ろ う という思いが湧き上がってきた。そして病気はどうなったんだろうという思いも消えなかった。 わ 裕介は、ここまで読んで顔を上げた。キミばあちゃんが湯飲みを両手に包み込むように持ってこち じゅん ぺい ろ せ ひ ら を 向いている。順平は 少 し心配そうな顔付きで見ている。裕介は、広 瀬淡窓はこの後どうしたのだ ゆう すけ こ 倉重のこの言葉で、淡窓はこれまでの判断しかねていた気持ちを吹っ切って塾に専念することにし た。 ころでは、まだ工夫や努力が足りない。不健康を理由に、だらだらした生活を送るならば、父母へ の最大の不孝だ。迷うことなく、ただ一筋に教師の道を進むべきである。」 く ふ う しん て見苦しい。君の行くべき道はただ一つしかなく迷いようがないではないか。君の得意な分野で生 けん きていくことだ。教師では食えないと言うが、それはまだ真剣に教えていないからだ。私の見ると ところがなかなか返事が来ないので、待ちきれなくて淡窓は倉重に会いに出掛けて行った。 しゅ し く ぐ ち うら 「 確 かに手紙は読んだ。趣旨は と もかく、同じことをくどくど繰り 返 して、愚痴や 恨 み言ばかり並べ たん もたやすいことではありません。どうすればよいのか悩んでいます。どうぞ解決の良い方法を教え てください。」 なや しゅぎょう はいません。私も数年来、生徒を集めて教えていますが、とても生計を立てられるほどには人は集 まりません。医師になることも考えたのですが、長い修行も必要ですし、だからといって農工商売 じゅ しゃ ひ た * 「 淡 窓は、江戸時代に今の大分県 の 日田に『咸宜園』という塾を開いたんだよ。 『咸宜』というのは『み な よ ろ し』と い う 意 味 で ね。身 分 に 関 わ ら ず、み ん な 勉 強 し に 来 な さ い と い う こ と な ん だ。日 本 中 か ら 塾生が集まってきたんだよ。 しん ぼう た 淡 窓 の 病 弱 は 治 っ た わ け で は な い。い つ も 体 中 の あ ね こ ち こ ち に 痛 み が あ っ て、そ の た め に 何 か 月 も 寝 込 ん だ ん だ よ。な か な か 辛 抱 で き な い よ う な 痛 み も 耐 え けん めい がん ば て、懸 命 に 頑 張 っ た ん だ。ま あ、言 っ て み れ ば、病 気をすればするほど少々の困難にはびくともしない 精 神 的 な 強 さ を 身 に 付 け た ん だ ろ う ね。自 分 だ け が 何 で と い う 思 い も あ っ た と は 思 う け ど。そ れ を 何 か の せ い に せ ず、前 へ 進 も う と し た の が 広 瀬 淡 窓 な ん だよ。 あ れ あ れ、ち ょ っ と お 説 教 臭 く な っ た か ね え。そ れ くさ おも し ろ な ら、一 つ 面 白 い も の を 見 せ よ う。淡 窓 の チ ャ レ ン ジだよ。」 キ ミ ば あ ち ゃ ん は、黒 と 白 の 丸 が ず ら っ と 並 ん だ コ ぜん ぼ ま ん ピ ー 用 紙 を み ん な に 配 っ た。右 上 に 万 善 簿 と 書 い て あ る。 いっ せい 20 15 10 5 仕官する 役人になること。武士が 大名などに仕えること。 儒者 儒教を学ぶ者、また教え る者。 110 111 「まんぜんぼ。」 四人が一斉に声を上げた。 「そ う、『万 善 簿』と 言 っ て ね。淡 窓 が、今 日 か ら 一 万 咸宜園 * かけがえのない自他の生命を尊重して 個 の 良 い こ と を し よ う と 付 け た 帳 面 な ん だ。良 い こ と を し た と き は 白 丸。悪 い こ と を し た と き は 黒 丸。例 え ば、生 き 物 を 大 事 に し た と い う と き は 白 丸。体 に 悪 い こ と を し た と き は 黒 丸。毎 日 帳 面 に 付 け て、白 丸 と 黒 丸 を 計 算 し て、今 日 は 白 丸 が い く つ 残 っ た と い う よ う に 付 け る ん だ。私 が 一 番 好 き な の は、黒 丸 が 十 個 も 書 い て い る と こ ろ。何 を こ ん な に 悪 い こ と を し た の か と 思ってみると、『権藤生 死す』とある。権藤さんという塾生が ごん ど う せい じ ゅく せい な かい ほう 亡くなったんだね。そして、『介抱不行き届き』と書いてあるん だ よ。自 分 の 所 に 来 て い る 塾 生 が 死 ん だ か ら と い っ て、こ れ だ けの黒丸 を 連 ね て い る ん だ よ 。 気 に な っ て 、 帳 面 の 少 し 前 を ま 見 る と 、 今日は権藤生を見舞った。白丸一つ。今日は権藤生を み 見 舞 う つ も り だ っ た が 行 け な か っ た。黒 丸 一 つ と 書 い て あ る ん だ よ。自 分 が 病 人 な の に ね 。 そ れ で も 、 権 藤 さ ん が 亡 く な っ ひろ せ たん そう た と き に は 、 黒丸をいくつも連ねずにはいられなかったんだね。 人柄が分かるね。」 ひ と がら ぼく 「 す ご い 人 が い た ん だ ね。と っ て も 僕 は 広 瀬淡窓とかいう人のよ あま 。甘かったんだね。キミばあちゃん、ありがとう。」 うになれないだろうけど …… し 裕介は、キミばあちゃんの手を取ってぐっと握り締めた。 にぎ ゆう す け まん ぜん ぼ 「 裕 介、僕らも万善簿、いや、百善簿くらいやってみるか。」 き さ お み り 美紀と佐織は、私たちもやってみようと言い出した。そして、庭を指差した。 つばき 「庭の椿がきれいだね。美しいものを美しいと思う、この気持ちに白丸一個。」 さ と、すまして言うと、キミばあちゃんは、窓を開けた。 「きれいだろう。あの椿。あれはね、冬の寒い中でもきれいな花を咲かせ ご しょ へい の すけ る 。 そして、椿は最後の最後まで生ききる。だから私は好きなんだよ。あ 感じたこと、考えたこと。 5 万善簿 五所平之助 昭和の映画監督、俳人。 112 113 20 15 10 5 んなふうに生きたいと思っているよ。そうそう五所平之助さんという人が よ ひ かんつばき 詠んでいる句があってね。『生きることは一と筋がよし寒椿』、いいねえ。」 *