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人類史Ⅰ 第13回

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人類史Ⅰ 第13回
人類史Ⅰ 第13回
今日は何の日
2012年7月
日(
)
西 ヨ ー ロ ッ パ 世 界 の 変 容 《 ⇒ Text p83~p93 》
1 . 教 皇 首位 権 の 確 立
●ローマ=カトリック教会の権威の確立
・聖職者…階層制組織の成立
ローマ教皇を頂点としたピラミッド型の組織
その下に大司教·司教·司祭・修道院長の序列が定まる
・教会の封建領主化
教会への国王・貴族からの土地の寄進·高位聖職者
·農民に対しては,十分の一税を課税し,教会法にもとづく
裁判権を行使する
·大司教や修道院長など高位聖職者は,諸侯と並ぶ支配階級
となる
・教会の腐敗と堕落
背景 皇帝・国王など世俗権力が,俗人を聖職者に任命する
など,介入をするようになる
·聖職売買や聖職者の妻帯などの弊害が発生する
●修道院運動
・ フ ラ ン ス に ク リ ュ ニ ー 修 道 院 設 立 ( 910 年 )
・ 教 会 の 腐 敗 堕 落 に 対 す る 粛 正 運 動 が 開 始 ( 11 世 紀 )
·厳格な戒律,労働と修養の重視,聖職者の堕落を批判
● 叙 任 権 闘 争 ( 11 ~ 12 世 紀 )
・ 発 端 … ロ ー マ 教 皇 グ レ ゴ リ ウ ス 7 世 の 改 革 ( 1073 年 )
-1-
①聖職売買・聖職者の妻帯禁止など聖職者の規律強化
を図る
②聖職叙任権を世俗権力から教会に取り戻そうとする
・影響…神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が反発し,叙任権
闘争が始まる
皇帝が教皇の改革を無視したため,教皇は皇帝を破門
·ドイツ諸侯は解除がなければ皇帝を廃位すると決議
„ 結果
カ ノ ッ サ の 屈 辱 ( 1077 年 ) … 皇 帝 が 教 皇 に 謝 罪 し 許 さ れ る
●教皇首位権の確立
・ ヴ ォ ル ム ス 協 約 で 両 者 の 妥 協 が 成 立 ( 1122 年 )
·神聖ローマ皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上放棄
ローマ教皇は聖職叙任権を認められ,教皇首位権が確立
●教皇権の全盛期…ローマ教皇インノケンティウス3世の時代
・ イ ン グ ラ ン ド 王 ジ ョ ン を 破 門 し 封 建 的 臣 下 と す る ( 1209 年 )
·強大なローマ教皇権の下で、十字軍運動が展開された
2 . 十 字 軍運 動
●農業技術の進歩
・ 11 ~ 12 世 紀 の 三 圃 制 農 業 , 重 量 有 輪 犂 ・ 水 車 の 改 良
·生産力向上·人口増加·西ヨーロッパ(キリスト教)世界
の膨張運動が起こる
・耕地の拡大…修道院による開墾運動,オランダでの干拓
・ドイツ人の東方植民…エルベ以東のスラブ人の居住区侵出
・イベリア半島の国土回復運動…イスラム教に対するキリスト
教の攻勢
・聖地イェルサレムへの巡礼の増加
● 十 字 軍 運 動 の 開 始 … ロ ー マ 教 皇 の 主 唱 ( 11 世 紀 末 )
・中央アジアからイスラーム教勢力のセルジューク朝が小アジ
ア に 侵 出 ( 11 世 紀 )
·ビザンツ皇帝がローマ教皇ウルバヌス2世に救援を要請
・ ク レ ル モ ン 宗 教 会 議 を 開 催 ( 1095 年 )
·ヨーロッパ諸国の君主・諸侯に聖地回復をめざすして十字
軍の派遣を提案し決議される
ローマ教皇側は叙任権闘争における教皇権の優位の確立を
-2-
はかることを目的とする
● 十 字 軍 運 動 の 展 開 ( 11 世 紀 末 ~ 13 世 紀 )
・ 第 1 回 ( 1096 ~ 99 年 )
聖地回復に成功,イェルサレム王国を建設
·まもなくイスラム勢力が回復し,激しい抗争が続く
・ 第 2 回 ( 1147 ~ 49 年 )
独王コンラート3世・仏王ルイ7世が参加するも両者反目し
失敗
・ ヒ ッ テ ィ ー ン の 戦 い ( 1187 年 ) … サ ラ デ ィ ン が 率 い る ア イ ユ
ーブ朝軍がキリスト教軍を破り,イェルサレムを占領
・ 第 3 回 ( 1189 ~ 92 年 )
独王フリードリヒ1世・仏王フィリップ2世・英王リチャー
ド1世が参加するも聖地奪回が出来ず講和
● 十 字 軍 運 動 の 変 質 ( 13 世 紀 )
・ 第 4 回 ( 1202 ~ 04 年 )
ローマ教皇インノケンティウス3世が提唱,ヴェネツィア率
いる十字軍がコンスタンティノープルを占領
·ラテン帝国を建設
・ 第 5 回 ( 1228 ~ 29 年 )
皇帝フリードリヒ2世の話し合いで聖地一時回復
・ 第 6 回 ( 1248 ~ 54 年 )
仏王ルイ9世が主導,エジプト攻撃に失敗
・ 第 7 回 ( 1270 年 ) … 最 後 の 十 字 軍
仏王ルイ9世が主導,海路チュニスに遠征失敗。王も病没。
● イ ェ ル サ レ ム 王 国 の 滅 亡 ( 1291 年 ) … 十 字 軍 最 後 の 拠 点 ア ッ コ
の陥落
●十字軍運動の結果と影響
結果 聖地回復に失敗
影響 a聖地回復の失敗·教皇の権威の動揺
b遠征軍の指揮を執った国王の権威が高まる
·長期の遠征により,諸侯・騎士の没落が始まる
c商業の復興
·イタリア諸都市の繁栄,地中海での東方貿易再開
dビザンツ,イスラーム文化の流入
·西ヨーロッパの世界観の転換
-3-
3 . イ ン グラ ン ド と フラ ン ス の 王 権 の 伸 張 と 身分 制 議 会
【イギリス】
● ノ ル マ ン 朝 の 成 立 ( 1066 年 ) … ウ ィ リ ア ム 1 世 , イ ギ リ ス 征 服
· 1154 年 に 断 絶
● プ ラ ン タ ジ ネ ッ ト 朝 ( 1154 ~ 1399 年 )
・フランスの有力諸侯アンジュー伯のヘンリ2世が即位
· イ ギ リ ス 王 で あ り な が ら ,フ ラ ン ス 国 内 に ノ ル マ ン デ ィ ー ,
アキテーヌなどの領土をもつ
●王政の動揺
・ジョン王の時,フランス王フィリップ2世と戦い敗れ,フラ
ンスの領土(ロアール川以北)を失う
・ 大 憲 章 ( マ グ ナ = カ ル タ ) の 発 布 ( 1215 年 )
背景 国王が財政難から貴族に対し重税を課税
„
貴族が一致して反抗
„
国王に発布を認めさせた
内容 国王の徴税権の制限,教会の自由,都市の自由,不当
な逮捕の禁止など
·貴族の従来の特権を王が認め王権を制限した
イギリス立憲政治の基礎とされる
史料:大憲章
第1条【イングランド教会の自由と自由人の自由の確認】
朕は,イングランド教会が自由であり、その諸権利を完全に享有し、そ
の自由は侵されることがないことを最初に神に誓い,次いで朕および朕の
相続人のために,この朕の現在の特許状をもって永久に確認する。……朕
のこの希望は,朕と朕のバロンたちとの間に紛争が発生する以前に,イン
グランド教会にとって極めて重要かつ不可欠なものである選挙の自由を,
朕の純粋かつ自由な意思によって,朕が付与し,朕の特許状によって確認
し,教皇イノケンテイウス3世によって確認されたことからも,明らかで
ある。……朕は,朕および朕の相続人のために,以下列挙の自由のすべて
を,朕の王国すべての自由人およびその相続人が……保有保持すべきもの
として,かれらに付与した。
-4-
第 14 条 【 議 会 の 招 集 】
前記の3場合の以外の援助金の賦課,または楯金に関し,王国の一般評
議会を開催するためには,朕は,大僧正,僧正,僧院長,伯および権勢あ
るバロン達には,朕の書状に捺印して,各別々に,召集されるよう手配す
る。またこれとならんで、朕より直接に封をうけているすべての者が,州
長および代官によって総括的に、召集されるよう手配する。招集は一定の
日 に , す な わ ち 少 な く と も 40 日 の 期 間 を お き , 一 定 の 場 所 に お い て 行 な わ
れるものとする。朕は前途の召集に関する書状にはすべて,召集の原因を
明示する。そして召集がこのようにしてなされた場合には,たとえ召集さ
れた者全員が集まらなくても、議事は指定された日に,出席した者の協議
によって進行するものとする。
●イギリス議会の始まり
・ヘンリー3世の失政·シモン=ド=モンフォールが国王軍を
破 り 議 会 を 召 集 = 身 分 制 議 会 の 最 初 ( 1265 年 )
・ 模 範 議 会 … 1295 年 に エ ド ワ ー ド 1 世 が 召 集 し た 議 会
· 14 世 紀 ま で に 貴 族 院 ( 上 院 ) と 庶 民 院 ( 下 院 ) と な る
【フランス】
● カ ペ ー 朝 ( 987 ~ 1328 年 ) … 弱 体 王 権
● フ ィ リ ッ プ 2 世 ( 尊 厳 王 ) … 12 世 紀 末 に 都 市 と 結 び 諸 侯 を 押 え
王権を次第に伸張させる
·イギリス王のジョンからフランス国内のイギリス領の大半を
奪う
・ ブ ー ヴ ィ ー ヌ の 戦 い ( 1214 年 ) で , 神 聖 ロ ー マ 帝 国 ・ イ ギ リ
ス王国などの連合軍を破る。·フランス王権確立の第一歩
●ルイ9世(聖王)…第6回・第7回十字軍を自ら率いる
·フランスの王権が南フランスに及ぶ
●フィリップ4世(端麗王)
・聖職者への課税をめぐって教皇ボニファティウス8世と対立
・ 三 部 会 召 集 ( 1302 年 )
· 聖 職 者 ・ 諸 侯 ( 貴 族 )・ 都 市 の 各 身 分 代 表 を 集 め る
国王の課税権を承認させ教会を王権の支配下に組み入れる
=フランスにおける身分制議会の始まり
-5-
4 . 百 年 戦争 と ば ら 戦争
●英仏の対立
・原因…フランスが毛織物工業のフランドル地方の支配を狙う
·イギリスは羊毛の輸出先であったので阻止を図る
・王位継承問題…フランスのカペー朝断絶し,フィリップ6世
が ヴ ァ ロ ワ 朝 を 創 始 ( 1328 年 )
·イギリスのエドワード3世,フランスの王位継承権を主張
● 百 年 戦 争 … 1339 年 か ら 1453 年 ま で の 間 , 断 続 的 に 継 続
・戦争の前半はイギリス軍が優位に進める,すべてフランス国
内が戦場となる
・フランスの荒廃 国内でペスト(黒死病)が流行
ジ ャ ッ ク リ ー の 乱 ( 1358 年 ) … 農 民 一 揆
・ ジ ャ ン ヌ = ダ ル ク の 登 場 ( 1428 年 )
·オルレアンの包囲を解き,シャルル7世を救う
● 百 年 戦 争 の 終 結 ( 1453 年 )
・結果…フランスの勝利,イギリスはフランス内の領地のうち
カレーを残して所領を失う
・影響…戦争の長期化·フランスで諸侯・騎士(貴族)が没落
シャルル7世の中央集権体制が強まる
● ば ら 戦 争 ( 1455 ~ 85 年 ) … イ ギ リ ス の 王 位 継 承 を め ぐ る 内 戦
・ランカスター家は赤バラ,ヨーク家は白バラを紋章とする
・ ヘ ン リ 7 世 の 即 位 で 終 結 ( 1485 年 ) · テ ュ ー ダ ー 朝 を 開 く
5.教皇権の変容
●教皇権と王権の対立…十字軍の影響·国王の強大化·ローマ教
皇権の衰退
・ ア ナ ー ニ 事 件 ( 1303 年 ) … フ ラ ン ス 王 フ ィ リ ッ プ 4 世 が 聖 職
者への課税を要求
·反対したローマ教皇ボニファティウス8世を捕らえ幽閉,
教皇は釈放後,屈辱のうちに憤死
・フランス人のボルドー司教クレメンス5世が教皇となり,南
フ ラ ン ス の ア ヴ ィ ニ ヨ ン に 教 皇 庁 を 移 転 ( 1309 ~ 77 年 )
● 教 会 大 分 裂 ( 大 シ ス マ , 1378 ~ 1417 年 )
・教皇庁がローマに戻るとフランス王の後援で、アヴィニョン
にも教皇が立つ
·ローマとアヴィニヨンに教皇が同時に存在し,それぞれが
-6-
正統を主張
·教会批判が強まる…異端問題・魔女裁判で教会批判を封じ
込める
●教会改革の開始…後の宗教改革の先駆的役割を果たす
・ウィクリフ…カトリック教会の腐敗を非難,教皇に対するイ
ギリスの政治・宗教上の独立を主張
·聖書の英語訳,民衆への布教
・フス…聖書にもとづく信仰を説く
● コ ン ス タ ン ツ 公 会 議 ( 1414 ~ 18 年 )
・神聖ローマ皇帝ジギスムントが召集
カトリックの混乱収束を目指し,ローマ教皇を正統と認め統
一教皇を選出して教会を再統一·教会大分裂が終わる
・ フ ス ら を 異 端 と し て 火 刑 ( 1415 年 )
· ベ ー メ ン ( 現 チ ェ コ ) で フ ス 戦 争 が 勃 発 ( 1419 ~ 36 年 )
確認問題
1.中世ヨーロッパで教会粛正運動の中心となった修道院の名前
を答えなさい。
2.聖職者の任免権をめぐって起こった皇帝と教皇の争いを俗に
何というか。
3 . 10 ~ 11 世 紀 以 後 , ア ル プ ス ・ ロ ワ ー ル 川 以 北 の 荘 園 で 普 及 し
た耕地を3分して3年で一巡する農法を何というか。
4.中世ヨーロッパでカトリック教徒が聖地奪回を目指して行わ
れた大遠征を何というか。
5.イングランド王ジョンを破門にしたローマ教皇は誰か。
6.大憲章(マグナ=カルタ)が発布されたのは西暦何年か。
7 . 1302 年 に フ ラ ン ス 王 フ ィ リ ッ プ 4 世 が 教 皇 ボ ニ フ ァ テ ィ ウ ス
8世に対抗するために創始した身分制議会を何というか。
8.エドワード3世の挑戦で始まった中世末封建制危機時代を象
徴する長期の戦争を何というか。
9.ばら戦争で赤ばらを紋章として王位を主張した王家の名前を
答えなさい。
10 . 1414 年 に 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 ジ ギ ス ム ン ト が 召 集 し た 教 会 大 分 裂
を解消するきっかけとなった会議は何か。
ß次回の予告ß
ユーラシア大帝国の出現
-7-
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