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刑法と医療行為
法学研究論集第5号96・9 はじめに リシャ時代から医師の心得であった﹁ヒポクラテスの誓い﹂が示すよう 医者と患者の関係は近年大きな変化をとげている。従来の医療ではギ 刑法と医療行為 医療行為と傷害罪 に医師は患者のために誠意をもって最善の医療を施し患者は専門家であ 陽 専断的医療行為の法的処遇 る医師にすべてをお任せすればよいとして、﹁知らしむべからず、由ら 一、はじめに 医療行為と故意 しむべし﹂との考え方が強かった。しかし、一九四七年﹁ニュールンベ 目次 医療行為と許された危険 ルグの倫理綱領﹂はナチスドイツによる非人道的な人体実験への反省に ら一九六四年の第一八回世界医師会総会における﹁ヘルシンキ宣言﹂や 確に要請した。この倫理原則は被験者の人権保護という限られた領域か の被験者の自発的同意の必要とその実験について十分な情報の開示を明 患者の意思と刑法的問題 美 基づき患者の意思の尊重と人権の保護を初めて宣言し、医学的研究の際 本 一九七三年のアメリカ病院協会による﹁患者の権利章典に関する宣言﹂ 一273一 森 むすび ζ六再叩黒宍: 〇年には日本医師会生命倫理懇談会が﹁説明と同意についての報告﹂を 新薬の臨床試験は患者の同意を不可欠とするという通達を出し、一九九 為となりうるとの下級審判例が続出し、最高裁も医療行為は本人の同意 ヲ なしに実施されてはならないとしている。また、厚生省も一九八九年に 日本においては一九七〇年以降、患者の同意を欠く医療行為は不法行 等を通じてその適用が拡大された。 ある。 意思の尊重される範囲や緊急事態におけるその意思の推定について等で 理の適用、また、患者の同意に関して、被害者の承諾との比較、患者の 危険性の高い手術をあえて行なう場合の故意の認定や許された危険の法 きく異なる。 とする。このよヶに結論の違いにより患者の同意の持つ刑法的意味が大 このように患者の意思を重視する傾向が強まっているが刑法的見地か 他人を身体的に虐待し︵ぎ6①﹁⋮07自切ゴきユo一昌︶もしくはその健康 ドイツ刑法二二三条︵傷害罪︶ 二、医療行為と傷害罪 さらに、医療行為そのものに関するいくつかの間題がある。例えば、 発表した。さらには一九九二年に医療法も改正され﹁患者本位の医療﹂ 本稿は、刑法的見地から以上の点について検討するものである。 を基本理念とした。また一九九六年四月二五日には厚生省の諮問機関で ある医療審議会は医療法の見直しに関する答申をまとめ、﹁インフォー ムドコンセント﹂について、患者の理解を得るよう努める旨の規定を医 らすると医療行為や患者の意思はどのように位置づけられるのであろう を傷害した︵雪ユ臼OΦ。・旨穿Φ胃げΦのo冨象ひqΦ昌︶者は、三年までの自由刑 療法に位置づけることが肝要であるとした。 か。この問題は日本では主に民事法の領域で取り扱われてきたがドイツ もしくは罰金に処す。 ︵1︶同意説 1 医療行為を構成要件該当行為とする見解 では医療行為自体をどう捉えるかの問題と絡んで当初から刑事法の領域 で扱われてきた。例えば医療行為と刑法二二三条︵傷害罪︶の規定をめ ぐり判例と学説が激しく対立している。判例は一八九四年のライヒ裁判 所の骨ガン判決以来皿貫して医療行為を構成要件該当行為と見倣し患者 同意説とは医療行為を構成要件該当行為とし、違法性を阻却するには る。これによると同意の存在しない医療行為、すなわち専断的医療行為 の同意を違法性阻却事由としている。この見解に従えば患者の同意のな 異なり医療行為は構成要件には該当しないとする。従って専断的医療行 は傷害罪にあたる。この見解は一八九四年ライヒ裁判所判決により認め 原則として患者あるいはその法定代理人の同意を必要とする見解であ 為は自由権を侵害する違法行為ではあるが、傷害罪には該当せず、態様 られ、戦後の連邦最高裁判所にも継承されている。この判決以前は医療 い専断的医療行為は傷害罪の構成要件を満たす。一方、学説は判例とは によっては強要罪、監禁罪になる場合もあるがほとんどが不可罰である 一274一 れていな以下にこの事件を詳しく検討する。 行為の合法性についての論議はほとんどなく、当然のこととして捉えら 傷害の目的や結果が被害者にとって合理的であるということでは不十分 は行為者に侵襲の独立の権利が与えられていることが必要であり、身体 ヨ 足を切断した。手術を受けた後、少女は順調に回復したが医師は傷害罪 女の父の意思を無視して医師は二回にわたって足の手術をなし最終的に われる七才の少女に対し、自然療法の信奉者であり、手術を拒否する少 足首の骨に結核性の膿潰があり放置すれば病巣が拡大し死亡したと思 ない。学説の﹁業務権﹂も医師の侵襲の権利を基礎付けるものではない。 みの対象として利用する何らかの法的な権限を、決して与えるものでは 量によって隣人の権利領域に介入してその身体を勝手に善意の治療の試 促進しうる能力を持っているとしても、このことはそのものに自分の裁 精神的幸福を巧みにかつ知的に様々の手段を用いて本人以上に合理的に である。なぜなら、自分自身の確信、またその同業者の判断によるなら で起訴された。原審であるハンブルグラント裁判所は以下のような理由 なぜなら、ドイツでは国家による認可は﹁医師﹂となる資格を与えるだ 一八九四年五月三一日ライヒ裁判所判決 閃OQ。島伊ω刈9 で医師を無罪とした。すなわち少女は手術により健康を悪化させられた けであって医業は他の自由業と基本的には異ならず自由業からは公的な ば、ある者が隣人の真の利益を本人以上によく理解し、隣人の身体的、 わけではなく改善された、また、妥当且つ合理的で必要な治療を﹁虐待﹂ 権利が生じないからである。﹁認可﹂がそれだけで医師と患者の間の何 ︵事実の概要︶ と呼ぶのは概念矛盾である、彼女はドイツ刑法二二一二条の意味する﹁健 いかにして多くの﹁認可された﹂医師のうちでもまさにこの医師にとっ らかの具体的権利関係を創出する力をいかにして持ちうるのか、そして、 権者である父親の意思に反して施術したかどうかは法的に重要な意味を てこの患者に対する強制支配が生まれるのか理解しえない。医師の治療 康侵害﹂や﹁虐待﹂を受けたとはいえない。よって、被告人が少女の親 持たない、と。しかし、ライヒ裁判所は原判決を破棄し差し戻した。 べきである。すなわちプロイセン刑法一八七条の﹁故意に他人を突きも 原判決とは逆に外科手術を客観的に傷害に該当させることは肯定する の場合においてこの患者を引受けてもらうようにまさにこの医者を呼ん の合致が指導的かつ決定的な観点として固持されねばならない。すべて 法の領域においては、医師と患者との関係にとって、とくに両者の意思 権を基礎付け傷害の違法性を阻却するのは患者の同意である。民法と刑 しくは殴り、または、他の身体の虐待または傷害を加えたものは﹂とい だのは患者、ないしは近親者および法定代理人の意思なのである。この ︵判旨︶ うカズイスティックな文言の代わりに、現行刑法二二三条の文言を選び、 ような意思が有効とならない限り、原則にしたがって医師と患者という とを固持するならば医師にこのようなかたちで認容された権能は医師が ふたつのカテゴリーの人間間には何らの法的関係も存在しない。このこ さらに広く一般的な意味における﹁身体的に虐待する﹂という表現によ ってすべての直接的、物理的に身体器官に加えられた侵害を含めようと したのである。そして、この意味での傷害の違法性が阻却されるために 一275一 自分の技術のすべてを用いるにあたり、まさに患者の法的意思そのもの な によって規制されるという帰結が当然に生じてくゑ が官庁の面前で年々行なわれ官庁がそのことに異議を述べないところで の行為を行なうことについて永続的な必要性が存在し、このような行為 公的の職務によるものに限らず﹁他人の権利または法益に干渉する一定 以上のようにライヒ裁判所は医学上正しく行なわれかつ成功の結果を に患者またはその法定代理人の同意が必要であるとした。そして同意説 ほかに﹃裁判官、説教者、司教司祭、聴聞司祭等の聖職者、商人、工場 の執行権や命令に基づく行為等のように公的な職務、教育権や懲戒権の は、業務権が存在すると推定される﹂と述べた。このようにして、官吏 ハロリ を採ることにより治療権を専ら患者の意思に委ね、患者の自己決定権を 経営者、手工業者、・漁師、曲馬師﹄等などの一般的業務権を認め、﹃認 生んだ医療行為であっても傷害罪の構成要件を満たし違法性阻却のため 全面的に認め医師の強制治療権を排除した。この後、連邦裁判所は一九 可された医師﹄の行為はこのうちの一つとして合法化された。このよう ら 五七年の﹁第一筋腫判決﹂の中で、﹁同意説﹂の立場から、患者の自己 にしてビンディングは医業を他の私的業務と同等に置き、その継続性に ベルナーはそれに対し、医師という職業の持つ固有の国家的、公的な 違法阻却の根拠を認めたのである。 決定権をボン基本法二条二項の保障する﹁生命・身体不可侵の権利﹂ ︵寄o耳。。ロh冨げ①コ偉巳閃α6㊦島070ご昌く①﹃ω①ゴ①昏①5として理解した︶ 我が国では斉藤︵誠︶教授や井上︵祐︶教授がこの立場に近い。井上 性質から医療行為の合法性を説き、﹁医師の業務による権能﹂を﹁官職 による権能に類似する場合﹂として正当化した。また、メルケルによれ 教授は﹁市民社会の構造から個人の私的自治は生まれ、個人倫理はその 社会の構造原理となる。医学の功績と文化性はこの個人倫理を媒介とし ば、一定の営業を国家が許容し基準の設定を行なうのは、その運営に属 セ てのみ評価される﹂と述べ、患者の自己決定権を中心にして医療は決定 フ されるべきとされた。 するのが普通であるような行為が必要な注意を払って行なわれるなら む ば、当然に認可されるであろう医師や薬剤師の行為などに対してである. るいは責任阻却事由である﹁業務権﹂は﹁医師の業務権﹂を中心に理解 を根拠に違法性を阻却する見解である。ライヒ刑法典成立以降、違法あ 業務権説とは医療行為が国家により認められている法的業務であること だ、﹁遅れると危険﹂のような例外的場合に限って、患者の同意を不要 業務権説であっても原則として患者の同意が必要であるとしており、た は医師の﹁強制支配﹂に至りかねないと懸念したが、具体的には、この 前述のライヒ裁判所が医師にのみこのような特権的治療権を与えること ︵2︶業務権説 されるようになり、フーゴーマイアーによって医師の行為は﹁法的に認 としていたに過ぎない。 目的説とは医療行為はたとえ成功した場合であっても客観的には傷害 ︵3︶目的説 ハリリ められた業務﹂として不可罰なものとなったコ ビンデイングは、業務を﹁その遂行と成就のために彼の生活の全部ま たは一部が規定されているところの永続的な諸の課題の領域﹂と定義し 一276一 の構成要件に該当し、その違法性を阻却するのは治療目的であるとする 見解である。これは治療行為非傷害説との対立から生みだされた。リリ エンタールは治療行為非傷害説のドイツ刑法二二三条の条文解釈につい て、﹁この﹃虐待﹄には不愉快なあるいは苦痛を与える処置も含まれ、 の意思は手段の相当性を失わせる﹂とした。 ︵9V 医療行為行為を傷害としない見解 ︵1︶治療行為非傷害説 しないとする見解である。この見解によれば専断的医療行為は傷害罪に これは、医療行為が医学上正当に行なわれたときには構成要件に該当 というとの理解が条文解釈として正当であり、これこそが日常用語に合 は該当しないが、患者の意思の自由の侵害として監禁罪や強要罪により ﹃健康の侵害﹄には継続的な傷害だけではなく一時的な傷害も含まれる 致する解釈である。また、治療の意思は傷害や殺人の故意を阻却すると べ、治療目的が医療行為の違法性阻却事由であるとした。 のみ許可する。目的が手段を神聖にするとの原則は妥当しないが、目的 ハゑ を望む者は手段をも望まなければならないとの原則は妥当する。﹂と述 侵害をその侵害がないならば重要な一般的目的が達成されえない場合に 問題は違法性の次元で解決されねばならないとし、﹁国家は個人の権利 十分認識しているので故意を満たしている﹂と批判する。そして、この ①成功した医療行為 切り離した。 た﹂医療行為を、次に、﹁失敗した﹂医療行為をも傷害罪、致死罪から の心理状態は要求されていないので、この根拠付けは適切ではない。そ を根拠に医療行為を傷害から切り離した。しかし、傷害罪の成立に特別 所はこの見解をとっていた。ヘスは﹁医師を不可罰とするのは私を決し と て傷つけまいという彼の意思である﹂と述べ、主観的な加害意思の欠如 いう点に対しては意図︵﹀げω89と故意︵<o﹁ω卑N︶とを混合するもの処罰される可能性もある。前述のライヒ裁判所の原審であるラント裁判 このリリエンタールの見解、すなわち、違法性阻却の一般原理として シュトースは客観的にドイツ刑法二二三条の﹁傷害﹂という構成要件 であり、医師は患者の苦痛の惹起、場合によってはその死の可能性さえ 目的説を説き、医療行為の合法性をその適用例の一つであるとするやり 要素の条文解釈からそれを説いた。すなわち、﹁手術による治療を行な @ゴ雪ユ①一昌︶したのであって、虐待︵ヨお芝5島巴旨︶したのではない﹂と ︵15︶ ︵σq①ω巷穿簿ωωoげ匿圃①昌ユ︶行為を行なうものではない。彼は患者を治療 の後、ドイツでは、まず、患者の身体利益を考察の中心として﹁成功し 方はリスト等により実質的違法性の理論へと発展していった。患者の意 う者は、何ら身体傷害的︵ざ弓①芝巴①巳o巳︶、健康侵害的な 彗犀o︶としての働きをする。リストは﹁このような侵襲の法的基 思はこれによると医療行為の許可の基盤︵閃ロ巳角ヨ窪Oではなく、﹁柵﹂ 薯 礎は追求された目的の国家的許容、その柵は手段の相当性である。そし て、手段の相当性は医学と為術の原則から明かになる。被害者の承諾は 侵襲の合法性を基礎付けない。しかし、患者、ないしその代理人の反対 し、成功した治療は傷害にあたらないと結論した。ハイムベルガーは ﹁裁判所が、行なわれた手術はそれが生命を救う結果をもたらしたとし 一277一 2 (げ (Qり 結果とは異なると主張した。 この見解は成功した医療行為は結果的に健康が回復されており、傷害の ではなく、一方は自己の行為によって治癒の条件を設定し、他方は疾病 ぬ のそれを設定するという事情である﹂と述べ、シュトースを支持した。 れているのではないだろうか。両者を峻別するのは単に彼らを導く意図 ても意図的な違法な傷害であるというのなら、医師と無頼漢は同一視さ 2ま﹁ユ①≡oゴΦωo﹁臓巴Oを払った者として過失犯の成立に必要な客観的 当な治療行為をなしたときは﹁社会生活上必要な注意﹂︵一ヨ<①碁①ξ ボッケルマンは医師が﹁治療法則︵冨αqoぎω︶﹂にそった医学的に正 ②失敗した医療行為 する見解だけではなく、失敗した医療行為にまでもそれを否定する見解 リングと同じく成功した医療行為にのみ傷害罪の構成要件該当性を否定 注意義務違反は存在しないとしたコ の においてもその成功した医療行為の部分の基礎付けとされた。 ベーリングは、単なる条文解釈論ではなく構成要件理論から成功した 医療行為を傷害罪から切り離した。彼によれば、傷害罪の文言﹁健康の エンギッシュも失敗した医療行為について傷害罪の構成要件該当性を る。決定的なのはいかなる場合においても法益の衡量なのである。﹁一 侵害﹂や﹁身体の虐待﹂自体に意味を認めるのではなくむしろ﹁身体利 害したか否かによって行なわれるべきであり、単なる身体侵害の存在に 方では、追求する結果が予期される蓋然性と、他方では、危険を冒した 否定しようとする。彼は傷害罪を﹁身体利益の侵害﹂と理解し、この利 よって肯定されるのではない。また、客観的な身体の健康は勿論、それ 場合に法益侵害が起こってくる蓋然性。また、医者の手術を取り上げる 益の侵害﹂を構成要件として理解するべきである。そして、﹁身体傷害﹂ を侵害しても最終的にそれよりプラスの健康促進的効果をもたらした行 と、まさにこの場合こそ、手術によって予期される治癒は、大きな確実 益を優越的に維持する行為は傷害にはあたらないとする。しかし、彼は 為や、身体利益を侵害してもそれより上位の﹁存在利益﹂、すなわち本 性をもって予期されるのか、それとも小さな確実性でしか予期されない とは﹁身体利益の侵害﹂︵国o愚①ユ昌器﹁窃ω①<巴o巨昌匹の省略であり、従 人の生命を救う行為はすべて傷害罪の構成要件から除外される。さらに、 のかということが、大きな役割を演ずるのであり、また、生命の危険が、 結果から身体利益の侵害を判断するのではなく事前に判断するのであ 構成要件判断は違法判断、責任判断とは異なり自然的、一般的な評価を あるいは、生体に対して継続的に、しかも、著しく害を与えることとな って傷害罪の構成要件該当判断も当該行為が全体的に見て身体利益を侵 基準として外面的な結果に対してなされるものであり、患者の医療行為 り を演ずることになる﹂ と述べる。 見解に対して医療行為の﹁社会的意味﹂を理由にそうする見解が登場し 患者の利益侵害の有無を基準に医療行為を傷害罪から分けようとした る危険が大きいのか、それとも、小さいのかということが、大きな役割 に対する態度、すなわち医療行為への同意の有無によっては、全く左右 ぜ されないと述べた。この見解は、医学的侵襲によって惹起された患者の 身体的利益の侵害が最終的にさらに大きい身体利益の維持によって帳消 ヨ しになるという﹁差し引き残高︵Qo巴ユo︶﹂の理論に基づいており、べー 一278一 なってすべての法益侵害を客観的な不法として禁止したなら、すべての 特殊な態様︵行為の反価値︶に注目するべきであるとし、﹁法が本気に 法益侵害︵結果反価値︶に尽きるものではなく、この侵害を導く行為の 件概念を批判することから始まる。ヴェルツェルは刑法上の不法は単に た。この流れは、ベーリング以降の法益侵害を中心とした客観的構成要 べきかは行為の外形ではなく社会的意味によって決まるからである。従 不作為に導いたにすぎない。ある行為を作為と見るべきか不作為と見る によって積極的に侵害結果を引き起こしたのではなくこの危険結果をを する。すなわち失敗した医療行為を社会的意味で理解すれば医師は作為 医療行為に対しては、不真正不作為犯の理論によって以下のように説明 因果的行為論である﹂と述べて構成要件を阻却するが、一方、失敗した ︵26V 社会生活は一瞬のうちに停止せざるを得なくなり、ただ見物するだけの って、失敗した手術の合法性の問題は不真正不作為犯の観点で解決され 約を受けた秩序に従い、行なうすべての行為は社会的相当の行為であり 当然である。医師には、医学がその手術を引受る際に期待される客観的 ねばならない。危険のある手術を始めた医師に結果回避義務があるのは ︵21︶ 博物館のようになってしまうだろう﹂、また、﹁共同体の生が歴史的に制 不法概念から外れる﹂と主張し、医療行為はこのような﹁社会相当性 ︵22︶ れ結果回避義務違反がなく、構成要件には該当しない、と。 ︵27︶ 要件の問題であるから。医学的に正当に行為したときには結果がどうあ ︵ωoN芭巴9ρ§自︶﹂の一つであるから成功か失敗かを問わず傷害罪の構 な理解と能力に応じた侵害の回避義務がある。この結果回避義務は構成 成要件に該当しないとした。この﹁社会的相当性﹂やその一つの場合で ︵23︶ ある﹁許された危険﹂の理論は他に多くの影響を与えたが、その中でも クルークは医師の医療行為は社会倫理的に﹁要請されている︵ひq①ぴ08昌︶﹂ 危険な行為であるから、﹁社会的適合性︵QりoN芭吋o昌豊①昌包﹂を持つもの 三、専断的医療行為の法的処遇 ︵24︶ として構成要件該当性を阻却するべきであると説いた。 把握に際しては忘れてはならない、また、﹁医師が患者の身体にメスを 為、治療の傾向を持った医学の原則に従った処置の存在を社会的意味の わち、﹁社会的意味﹂を持った人間の行為態様であるとした。医師の行 しての行為は社会生活における経験から客観的に理解される意味、すな 準にこの問題を解決する。彼は成功した医療行為を、法的評価の対象と 益を決める権利を所有していることを示している。 ある治療を受けるか否かの決定により患者が自分自身の身体や生命の利 の犯罪が成立する。また、刑法上保護されるべき患者の意思の存在は、 意のない専断的医療行為は違法性阻却事由を欠き、有責であればこれら な場合は致死傷害罪として処罰される。治療行為傷害説からは患者の同 医療行為は暴行、傷害罪の構成要件に該当するのであるから違法有責 シュミットは独自の﹁社会的行為論﹂︵QりoN芭Φ=き巳巷σqω冨耳o︶を基 1 治療行為傷害説の立場から いれるのは意味のない中間段階であり、それを本質的なものとして傷害 しかしながら、治療行為傷害説を取りつつも、専断的医療行為は傷害 ︵25︶ 罪の構成要件に該当するとするのは医師の行為の社会的意味を見失った 一279一 て是認されているものであり、医師が不必要な健康の損傷を回避するの るであろう。しかし、医療は、本来健康の回復や維持に適した行為とし と言ってよい。なるほど医療侵襲は、外形的に見れば身体の傷害にあた 事司法がこの犯罪の適用に消極的なのは、むしろその健全さを示すもの で専断的医療行為が問題となったことは、かつてなかった。我が国の刑 説へと改説された大谷教授は専断的医療行為に対し﹁我が国の刑事実務 なければならないのであると。 医学の自立性に委ねなければならず、医者に対して法は謙抑性を保持し 可能であり、またそれは医療の固定化に通じる、そして、問題の解決は 判所には医学上の見解の対立に踏み込んでその当否を判断することは不 量を保障し、過失責任を限定するとの考慮が働いている。すなわち、裁 述べた。このように、医師処罰に消極的な見解の背後には医師の自由裁 は意思決定の自由の法益を侵害する。しかし、医師の行為自体は医療行 お 為のままであり、乱暴者や無法者の行為態様に変わるものではない﹂と 罪の違法性を欠くとの見解がある。治療行為非傷害説から治療行為傷害 に相当な技術を適用しているかぎり、その行為が通常健康の損傷を引き また、ドイツの学説のなかにはシュレーダーのように専断的医療行為 起こすわけではない﹂と述べ、刑事的制裁には消極的立場を示しておら のうち失敗、あるいは四肢の切断のように健康、病気という概念では処 法性の問題とは無関係である。しかし、専断的医療行為は場合によって 尊厳﹂﹁自己実現の権利﹂と言う抽象的な人格的自由権の表れであり違 あっても医師の責任は問題にされない。従って、患者の意思は﹁人間の 見て、傷害の結果を確実に認識、あるいは意図できた場合と異なり医療 らは傷害罪が成立するのは当然の結果であるが、このように医者側から 師が患者の意思を無視して医療行為を行なったときに治療行為傷害説か 故意をめぐって医療過誤とも関連する次のような問題が存在する。医 四、医療行為と故意 理できないような侵襲については傷害罪の構成要件該当性を肯定し、傷 ︵30V 害罪として処罰しうるが、それ以外の場合には否定するとの見解がある. れる。 2 治療行為非傷害説の立場から 医療行為を行為の医学的正当性の有無を基準に致死傷害の構成要件か ら排除するこの見解によれば医師が医学的に見て不当に行為したとの は逮捕監禁罪︵ドイツ刑法二三九条︶、強要罪︵同二四〇条︶として処 行為に付随する危険から発生する結果についてはどう判断すべきであろ 積極的事実がない限り、たとえ患者の意思を無視した専断的医療行為で 罰される。シュミットは﹁身体の不可侵性の法益は、医師が医学的に不 うか。これは未必の故意の問題である。これに関する学説は、従来故意 の本質を行為者の構成要件的行為ないし結果発生の認識に求める、いわ も ば故意の知的側面に重点を置いた認識説︵認識主義︶とそれらに対する 当に︵一昌 5口①匹一N一昌一ωOゴ﹄①ゴ一〇﹁げ聾①﹁芝Φ一ω①︶身体に働きかけたときに問題 となる。しかし医師が医学的に正当に︵ヨ巴§巳ωoず①宣≦雪αマΦご、しか し患者の意思に反し、つまり﹃その同意なしに﹄行為したときは、医師 一280一 欲望や希望に本質を求める意思説︵意思主義︶とが対立してきた。両説 ︵32︶ の争いは認識説を基礎とした結果発生の蓋然性について行為者の認識の 心﹂を示す場合である。しかし、一方、行為者が結果不発生を期待して 随的結果の発生を可能であると考えたに過ぎない場合、その﹁発生を計 いる場合には故意の成立を否定する。さらにヴェルツエルは行為者が付 ︵37︶ 程度を基準とする﹁蓋然性説﹂と、意思説を基礎とした故意の意思的側 算にいれる﹂場合には故意が成立し、﹁不発生をあてにする﹂場合には ︵33︶ 面を重視し結果発生を行為者が認容したかどうかを基準とする﹁認容説﹂ それを否定する。これらの見解によれば、医療行為から付随的に発生す ︵38︶ る危険はどれほど高度の蓋然性を有していようとも、そして医師がそれ ︵斑︶ 蓋然性を認識した場合に故意が認められ、後者の立場からは結果発生の を認識していようとも患者を治療しようとする意思がある限り、故意は との対立に形を変え、なお続いている。前者の立場からは結果発生の 可能性を認識し、かつ、その発生を認容するならば故意が認められる。 存在しないことになる。 を必要とする予防策を怠っても過失︵〇三冨︶ではない﹂と述べた。こ ︵40︶ 可能性を排除する結果となる。有益な企業が釣り合いの取れないコスト に防止し得るような過度の予防策を要求すると、あらゆる企業の活動の ﹁=疋の危険﹂が不可避であるという前提に基づき﹁害悪の発生を完全 る因果関係論﹂で初めて主張したとされている。彼は、社会生活で、 ︵39︶ 許された危険の法理はドイツにおいてバールが﹁法、特に刑法におけ 五、医療行為と許された危険 ドイツではこれ以外にも未必の故意についていくつかの見解がある。 ﹁蓋然性説﹂を唱えたヘルムート・マイアーは﹁行為者が、禁止され た結果ないしは普通の付随的な事情を蓋然的なものと表象したかどう か﹂を問題とし、この蓋然性は﹁単・なる可能性より程度が高く、極めて ︵35︶ 高い蓋然性より程度の低い﹂こととする。この見解を機械的に医療行為 に適用すると医療行為にあたって、付随する危険の蓋然性を認識したう えで手術等に踏み切る医師には自動的に傷害罪が適用されることとな る。 これに対し、﹁認容説﹂を支持するメツガーは﹁患者の死を蓋然的だ と知りつつ患者を助ける最後の可能性に挑戦し手術する医師は患者を故 認めることに対しては、あらゆる健全な感覚が反対する﹂と述べる。ま との価値判断を理解できる。 会生活の発展の重視という観点から許容せざるを得ない行為が存在する のことから、個人の生命や身体にとって危険を及ぼす行為であっても社 た、エンギッシュは、故意の限界を﹁無関心と義務動機の弛緩﹂に基づ ミリチカは﹁様々な有毒物質の使用、危険事業の経営等の存在は必要 意に殺害したのではない﹂、﹁このような場合に故意殺人、ないし傷害を ︵36︶ き設定し、故意が成立するのは結果発生の高度の蓋然性を認識している であり、それらすべてを禁止するならば、人類の発展が停滞してしまう であろう﹂、エクスナーは﹁国家は、人が何とか予見できる損害のすべ ︵41︶ 場合すべてと、結果発生の認識がその程度に至らないときは、行為者が 結果発生に積極的に同意しているか、あるいは結果に対し﹁絶対的無関 一281一 具体的な解釈論の段階で医療行為の問題に特に影響を及ぼした。エンギ ﹁社会全体の利益のためには一定の危険が許される﹂という主張は、 らくは確実性を伴・ユと述べる。 意によらない権利の侵害の危険ないし権利侵害の可能性、蓋然性、おそ 立したビンディングも、﹁人間の行為は純粋な心理作用でないかぎり故 困ω涛o︶という名称のもと、この許された危険理論をドイツにおいて確 ︹42︶ うことになるからである﹂としている。また、﹁適度の危険﹂︵ヨ巴くo臣。・ 歩を否定し、これらの領域で得られた多くの有益な成果を排除してしま てを回避するように要求することはできない。あらゆる学問技術上の進 そこで、一定の行為を義務づけられている者は、その義務の遂行に不可 その行為の際に、法的非難なしに冒すことが許される危険は大きくなる。 ンディングは﹁行為が法的意味において不可避なものであればあるほど、 では、当時、許されるか否かの基準はどこにあったのであろうか。ビ 一の場合を予見していたのであるから。しかし、この結論は不合理であ ︵45︶ り、人が何もなしえなくなることを意味する﹂と。 が死亡した場合には必ず過失致死罪に問われるであろう。なぜなら万が のである。それでこの可能性の認識は責任を帰するには十分であり患者 しており、この手の事故の可能性を十分承知していても手術に踏み切る によっても完全には避けえないことがある。医師はこれらのことを認識 ︵43︶ ッシュは許された危険の概念を過失犯の注意義務との関係で整理し、 欠な危険を冒すことが許される。同様に、法的に許された行為の遂行に ための唯一の手段としての法益の危険は常に許される。さらに、行為が 行使を阻害された場合には、許される危険は増大する。法益を維持する 際して不可避な危険も、原則として正当とされる。行為者が、その権利 ﹁危険を冒すということが例外的に許されるものとすれば、世間の人も 一般に認めているように、その根拠は、法秩序が達成させようとして是 認しているような、特別な︵﹁客観的な﹂︶目的に立脚する。そのような 目的として存在しうるのは、すなわち、人間の生命ないし健康の保持 法的に意味を持たないものであればあるほど、許される危険は小さくな る﹂と述べ、法的不可避性にその根拠を求める。エンギッシュは一方、 ︵手術、救助作業︶であり、科学の進歩︵危険な実験︶、交通の利益︵鉄 道や自動車の運行︶、あらゆる可能な方向へ向けての教育、鍛練︵スポ 法的不可避性だけでは不十分であり、﹁むしろ決定的なのは、いかなる 確実性をもって予期されるのか、それとも小さな確実性でしか予期され 場合においても法益の衝量なのである﹂例えば、﹁医者の手術を取り上 ﹁行為者は自分の行為から単にもしかすると生じるかもしれないと認識 ないのかということが、大きな役割を演ずるのであり、また、生命の危 ーツ、体操、乗馬、それにまた、責任重大な職業における最初の単独処 ︵44V 理︶、財貨の生産︵鉱業、工業、採石場の経営︶等である﹂と分類した。 したすべての害悪について責任を負う必要はない。外科手術には患者に 険が、あるいは、生体に対して継続的に、しかも著しく害を与えること げると、まさにこの場合こそ、手術によって予期される治癒は、大きな 対する一連の危険が不可避的に結びついている。例えば、麻酔による心 となる危険が大きいのか、それとも、小さいのかということが、大きな また、エクスナーは医療行為との関連でさらに以下のように述べる。 臓麻痺や突然死、あるいは敗血症の可能性が関係者全員の最大限の注意 一282一 の事情を取り入れた。すなわち、行為自体の評価が重視され、その危険 用性を比べる利益衡量に対し許された危険の法理は違法性判断に行為時 利益衡量の主張とほとんど変わらないが、現実に生じた結果と行為の有 このように、許された危険の法理は実質的違法判断の基本原理である 役割を演ずることになる。﹂と説明する。 でにかかっている病気から解放され自らの身体利益を高めるために行な て単に患者は好き好んで自分の身体利益を放棄しているのではなく、す されないという原則の尊重が背後に存在するからである。そして、決し のは、患者本人の健康や生命は患者本人のものであり、医学の専断は許 放棄という点では同質のものである。しかし、患者の同意を問題にする は別の利益の選択のため自己のある利益を放棄するものであり、法益の ︵46︶ 性の大小はその行為の有する有用性や必要性と比較衡量され﹁義務を守 れる﹂と考えられていた。その後、許された危険の正当性の限界は結果 また、被害者の承諾の法理で医療行為の違法性を阻却しようとするな の同乗者の危険と同様に扱うのは適切ではない。 っているのである。従って車に乗らなければ健康であった酔っ払い運転 回避義務の内容に求められるようになっていった。この傾向に大きな影 ら、その運用上も多くの不都合が生じる。例えば傷害罪における被害者 ったから許される﹂のではなく﹁危険を超える利益が存在したから許さ 響を与えたのが既に述べたヴェルツェルの社会相当性の理論であった。 の承諾の要件は相当に厳格であり、﹁承諾の内容および承諾そのものの 意義を理解する能力﹂という高度の承諾能力の要求がなされている。こ れによれば、無能力者の承諾は当然のこととして、精神障害者のほとん で精神障害の治療のため電気ショック療法により生じた脊椎骨折の結果 1、被害者の承諾の法理との比較 ︵47︶ 一九五四年連邦最高裁判所は裁判所は﹁第一電気ショック事件﹂判決 阻却効果の限定をそのまま医療行為における患者の同意による違法性阻 治療費の額や施術者︶によっても、有効性が否定される。さらに、違法 る承諾は無効であるとされており、患者の側の何らかの錯誤︵例えば、 六、患者の意思と刑法的問題 を患者がこの結果を予測し、承諾していた場合にのみ正当化されるとし 却に適用するのは非常に複雑、かつ微妙で大変に難しい。 どや、小学生のある者にも承諾能力がないものとなる。また、錯誤によ た。そして、この事例を自らの意思で酩酊しているドライバーの運転す 性を肯定できるのであろうか。自己の法益侵害への被害者の承諾が認め る車に乗った﹁好意同乗﹂︵O①壁自σq評①冨富ゴδの事例と同様に理解され では、被害者の承諾と比較して、どの程度の危険の認識や同意で有効 るべきであるとした。では、このように両者を全く同一のものとして理 られるには、侵害結果の認識という﹁知的要素﹂と侵害の認容という 生を消極的に忍受する意思には後者の要素が欠けるため承諾意思の存在 ﹁意的要素﹂の存在が求められており、事態の進行に身を任せ、結果発 解するのは相応しいであろうか。 被害者の承諾とは通説によれば被害者の同意による法益侵害の欠如、 ︵48︶ ﹁法的保護の放棄﹂を理由に違法性を阻却する見解である。患者の同意 一283一 発生を根拠に処罰を加える必要性がなくなるといえる。このように理解 認識しつつも患者があえてそれを忍受することにより、法益侵害の結果 る。一般的な被害者の承諾とは異なり、医療行為は結果発生の危険性を もたらす蓋然性があると認識したがゆえに伴う危険をも忍受するのであ は否定される。しかし、医療行為の場合は、患者はそれが自己に利益を ではない。ドイツ刑法二二六条aは﹁被害者の承諾によって傷害を行な の側からすれば患者の同意さえあればすべての行為が処罰を免れるわけ れはどんな場合でも患者の意思が認められるという意味ではない。医師 患者の意思の尊重は専断的医療行為を禁止し、患者を保護するが、こ 2、患者の意思の尊重とその限界 に対する患者の同意の﹁意的﹂要素は低度でよい、つまり治療の適応性 ずしも不可欠な正当化要素ではなく﹁善良の風俗に反しない﹂との条件 為したものである﹂と規定する。つまり、患者の意思は医師にとって必 った者は、善良の風俗︵σq口θ①昌Qり一肖一①昌︶に反するときにのみ、違法に行 と患者の同意の﹁強度﹂︵ぎ審諺剛鼠Oは逆比例の関係になる。これは未 付きの、単に正当化の限界にすぎないのである。 するならば医療行為の事前的優越利益が高度になるに応じて、結果発生 成年者や精神障害者の同意にも適用可能であり、医療行為の適応性と侵 ︵52︶ され、患者の要求があっても医師は処罰された。また、一九六〇年代ま お で﹁非配偶者間人工受精﹂に対して刑法的制裁が検討されていた ドイツ刑法二二六条aの倫理違反の制限は断種の問題で論議の的とな また、医療行為を行なうために患者の実際の同意を得ていたのでは、 襲の大きさを考慮し、客観的な優越利益性が高度の場合は同意能力の前 未成年者であっても同意能力があるとした。精神障害者については﹁第 生命や身体に重大な危険が及ぶ場合もある。このような場合をドイツで った。医学的、社会医学的あるいは優生学的に根拠のある場合にのみ許 二電気ショック事件﹂において精神障害者でも判断能力、自由な意思決 は﹁遅れると危険﹂︵OΦ雲ユヨ<o﹁塁屯と呼んでいる。例えば、交通事 提の意思能力も相対的に低度でよいとする。連邦最高裁判所は一七才の 定能力のある場合もあり、同意能力の有無は医学的判断により肯定しう 故で重体、意識不明となった患者、あるいは手術開始後、その拡大や変 されるが、﹁願望断種﹂︵O①貯旨σ9寄冨ω8﹁まω”け凶8︶は反倫理的であると るとした。我が国の判例においても﹁札幌ロボトミー判決﹂においては 更の必要が判明した場合などである。このような場合は患者の意思をど 少女の盲腸摘出手術について、将来炎症を起こすかも知れないという程 爆発型精神病質、慢性アルコール中毒病の患者であっても﹁患者本人が のように扱うのだろうか。 度では同意能力はないが、手術をしなければ生命に危険のある場合には 自己の状態、当該医療行為の意義や内容、及び、それに伴う危険性の程 ︵51︶ 度につき認識しうる程度の能力のあるときには、同意能力を肯定する﹂ ドイツでは緊急医療行為をも積極的に患者の意思に合致しなければ違 ︵50︶ ︵49︶ としている。 法であるとの見解が有力であった。メツガーは、被害者の推定的意思を ︵邑 その現実的意思の補充物とし、また、カウフマンは﹁患者の自己決定と 一284一 てよいわけではなく、その行為が明かにその意思に反するときは違法で 性の本質をなすとする。この場合でも、患者の推定的意思を全く無視し る見解では患者の意思ではなく、行為の優越利益が緊急医療行為の合法 一方、﹁被害者の利益のための行為﹂や﹁真の幸福の原理﹂を援用す 違法性阻却には本人の﹁利益の要請﹂、かつその﹁推定的意思﹂をも考 ︵56︶ 慮することを要するので、患者の推定的意思に従わなければならない。 理規定によって理解されるべきであるとの見解もあり、これによっても、 己決定権を非常に重視する。また、このような医療行為は民法の事務管 ︵55︶ 完全に調和できるのは推定的承諾の視点のみである﹂と述べ、患者の自 意思を尊重す有 拒否や文書によるその意思表明には適用されないと述べて、事前の拒絶 り、﹁意思に反した﹂治療を許容するものではなく、患者の事前の治療 フェルは、この規定は患者の﹁同意のない﹂医療行為だけを許容してお 者の事前の治療拒絶意思を無視する根拠とする見解に対し、キーンアプ た場合にのみ、第一項によって処罰される﹂と規定する。この条文を患 さらされると判断して、被治療者の同意を得なかったどきには、行為者 為者が、治療の延期により被治療者の生命もしくは健康が著しく危険に トリア刑法=○条二項について以下のような議論がある。二項は﹁行 ︵61︶ の認めた危険が存在せず、かつ必要な注意を払えばそのことを認識しえ あるとする。エンギッシュは客観的かつ規範的な﹁平均的立場﹂による ︵57︶ 利益衝量すなわち﹁患者の真の利益﹂を基準とすべきとし、シュミット 決定権の維持、尊重についての患者の利益とが衝突する緊急状態である ︵58︶ とし、前者が後者に優越するゆえに患者の意思を無視してよいとする。 た。ドイツの裁判所は一貫してライヒ裁判所の﹁同意説﹂の立場から医 まず第一に医療行為を構成要件該当行為とするか否かについて検討し 七、むすび 患者が事前に治療を拒否している場合はどのように考えることができ 療行為を傷害罪にあたるとし、違法性阻却事由として患者の同意を厳格 は、緊急の医療行為を生命、健康の危険から遠ざかる患者の利益と自己 るであろうか。メツガーは客観的合理性の判断よりも、本人の個人的意 倣された生命の抹殺や人体実験を行なっていたという事実を踏まえ、改 なまでに要求する。この傾向は、ナチス的性格の完全排除政策の影響で った理解に基づいている可能性もあり、その場合には推定的承諾を本人 めて患者の自己決定権を確認し、これを医師の専断的医療行為から絶対 思の方向を考慮して高い蓋然性に推定的承諾の違法阻却を与えたが、緊 の﹁真の意思方向﹂として認めるとし、ロクシンも個人の生と死につい 的に保護しようとしたのである。一方、学説の多くは医療行為を、それ ある。すなわち、ナチス政権下多くの医師たちが生きる価値のないと見 ての実存的な決定は予測しえないので、本人が事前にたとえ拒絶の意思 が医学的に正当に行なわれたときは傷害罪から区別する。ハイムベルガ 急状態以前に拒絶意思の明示があったとしても、それは現実について誤 表明をしていても、緊急状態において行なわれた生命を救うための手術 ーによれば医療行為を傷害とするのは医師と無頼漢を同一視するもので ︵59︶ はその推定的意思に合致し、合法的であるとした。しかし一方、オース ︵60V 一285一 代以降、刑法改正作業で行なわれようとしている専断的医療行為の処罰 のためではないかと考えられる。もし、そうであるならば、一九六〇年 のみが目的なのではないか、つまり、患者の自己決定権の最大限の保護 為を一律に傷害罪として構成要件該当とするのは専断的医療行為の防止 益という点に実害は生じないはずである。このように考えると、医療行 益への不都合なことを待って構成要件判断を行なっても患者の身体的利 ような深い意味があるのかという疑問も生じる。医療行為中に生じる法 かしながら、逆に、医療行為開始の時点で構成要件を認めることにどの から、構成要件該当性判断にこだわるのはその判断に何らかの非難が結 ︵62> びついているという素人的誤解に基づくものであるとの批判がある。し 終的に行為の合法性、不可罰性が肯定されれば何ら問題がないのである ある。このような見解に対しては、たとえ、構成要件が肯定されても最 第三は医療行為についての故意の認定について検討した。この問題は 為のための構成要件を新設することが求められる。 ろう。一九七五年のオーストリア刑法典でなされたように専断的医療行 の自己決定権を明文化された法律によって保護することが最善の策であ からはどのように結論できるであろうか。やはり、前述のように、患者 行為を構成要件該当行為とせず、なおかつ自己決定権を守るという立場 た、治療を施すといういわば強者の立場にいるからである。では、医療 なぜなら、医師は特別の知識を持ち合わせているとの自負心があり、ま 人が自己決定権を完全に行使できるのであろうか。非常に少数であろう。 実際問題として医師の治療方針と自己のそれが食い違う場合どれだけの リスティック一辺倒な医療行為から現在は自分の身体や生命について自 を不可罰とする。ところで、医療の現場を見てみると昔からのパターナ 同意を原則的に必要とし、また専断的医療行為は違法行為であると認め 害行為に対し、刑罰を科そうとする。一方、治療行為非傷害説は患者の で専断的医療行為を抽象的な権利侵害ではなく刑法的侵害としてその侵 のようにこの見解は患者の自己決定権を最大限に尊重する立場をとるの 行為を傷害とする見解からは当然に傷害罪の構成要件に該当する。前述 第二に専断的医療行為についての法的処遇についてであったが、医療 件というフィルターを通して判断するのは不必要のようにも思える。 に不自然であり、また抵抗があるだろう。社会のすべての行為を構成要 え方からすれば医療行為を傷害罪の構成要件に該当するとするのは大変 第四に検討したのは医療行為における許された危険についてであっ る。 あるいは許された危険の法理を援用して考慮するのが適切であると考え と結果発生への行為者の意思を考慮に入れる見解によって認定するか、 高い場合であっても成功を願ってチャレンジするのである。そう考える 成功との期待がない場合でも、それどころか患者死亡の蓋然性が非常に の結果とは正反対の結果を望んでいるのである。たとえ、行為の結果が わち、外形上は傷害と同様の行為でありながら行為者は通常の傷害行為 や﹁認容説﹂による判断では適切には行ないえないことがわかる。すな 医療行為の行為としての特殊性を考慮するときに一般的な﹁蓋然性説﹂ ︵63︶ 分で決定する傾向に変化しつつあることは確かである。しかしながら、 を法文化するということで解決される可能性がある。一般的な物事の捉 はするが、その違反は単なる自由権の侵害にとどまり、ほとんどの場合 一286一 者の同意とは根本的に異なる。なぜなら、前者は身体や生命にかかわる 意による違法阻却がしばしば比較されるが、傷害罪の被害者の承諾と患 最後に患者の意思をめぐる問題を検討した。被害者の承諾と患者の同 広くなるのである。 体や生命を保護するとの高い価値を担っているので正当化される範囲も ためには、どうしても必要とされる医療行為であったのならば、たとえ ヨ 手術による死の危険性が高くても正当化されうる。医療行為は患者の身 法益にプラスであったか否かが判断される。そして、患者の生命を守る 可能性のある危険結果の種類とその蓋然性、また、医学的行為が患者の 法は、行為時を基準に、その手術の必要性、緊急性、ならびに発生する 解できる。例えば、手術の際に思わぬ死の結果が発生した場合の判断方 他の許された危険の事例と比較して許容範囲が広くなるということが理 た。これについて考慮する際に具体的な利益衝量という点から見ると、 借りて個人の決定に介入するのはあまり適切ではないと考える。 為が他者の法益を明かに侵害しないかぎり、第三者が国家や法律の名を ーナリズムと自己決定との問題は非常に難しいことではあるが、ある行 前の拒絶意思こそ真の意思表明ということにもなりえる。従って、パタ 医療行為に対して存在する証拠ではないであろうか。そう考えると、事 表明をしておくという行為自体ある種の思い入れ、ないしは信念がその 実の意思表明の手掛かりとはならないとの考え方があるが、事前に意思 人が事前にある種の医療行為を拒否していた場合についてはその意思を で規範的立場からの利益衝量を重んじる見解が対立していた。また、本 定的意思に従わなければならないとする見解と患者の意思よりも客観的 の患者の意思の扱い方については、そのような場合も積極的に患者の推 が緊急状態にあるため、その時点での患者の意思の確認が不可能な場合 して依頼しても許されず、かえって、医師は処罰される。そして、患者 尊重しようとする見解は少ない。その理由として、事前の拒絶意思は現 ような重大な事柄とはほとんどの場合無関係であり、いわば自分の勝手 な都合で自らの法益の保護を放棄するのである。しかし、後者において はその同意は身体や生命の危険と密接に関係があり、自らの法益を守る ためある種の法益を放棄するのである。従って、被害者の承諾の法理と は異なる基準でその有効性は判断されるのが適切であろう。すなわち、 医療行為の必要性を客観的な事前の利益優越性から考慮し、その利益が 大きければ大きいほど患者の同意にかかる強さの割合が少なくなると考 えられる。 では患者の同意があればどんな医療行為も許されるのであろうか。ド イツでも日本でも﹁公序良俗﹂に違反する行為はたとえ患者が医師に対 一287一 れありとして、原告の同意を得ることなく左乳房の手術も行なった。 その結果、原告の乳房は、左右とも皮膚と乳首を残すのみで、内部組 ︵1︶このきっかけとなったのが昭和四六年の東京地裁﹁乳線症判決﹂であ る。原告は乳線癌である右乳房の腫瘍の摘出手術には同意したが、被 告である医師は右乳房の手術の後、左乳房の腫瘍も将来ガンになる恐 かった扁桃線除去手術に対して傷害罪の成立を認めた。菊Oω戸ωω噂ω心゜ 四号四七七頁。 の問題に就いて﹂﹃法学新報﹄四一巻七五七頁以下。 礎をなし、慣習法によって医師の行為の許容される原則が定まるとし 織の全くない状態となった。裁判所は、これについて、被告の左乳房 の手術は医学的には不当だとはいえないが、﹁承諾を得ないでなされた 一号八八頁以下。 ︵7︶井上祐二﹁被害者の同意﹂刑法講座2一七四頁、平野龍一﹃刑法概説﹄ ︵6︶UdΩ=ω二r=一゜町野朔﹁治療行為と患者の同意﹂﹃警察研究﹄五三巻 ︵5︶ライヒ裁判所はこの後も患者の同意もなく、また医学的にも必要のな ︵4︶町野朔﹁刑法解釈論から見た治療行為︵一︶﹂﹃法学協会雑誌﹄八七巻 寄嘗冨昌露巳OΦωロ巳①P一。。㊤・。’ω.ミ舜藤本直﹁医師の手術と身体傷害罪 た。O署O昌7①一∋︾Oβ。ω弩N畠Oゴ①勾①O鐸Nロ昇αε①≡Oげ①﹁国回昌σqユ︷︷㊦昌弩 手術は患者の身体に対する違法な侵害であると言わなければならない﹂ として、被告に慰謝料一五〇万円の支払を命じた。東京地判︵民︶昭 和四六年五月一九日下民集二二巻五・六号六二六頁。 ︵10︶=二σqoζ2①き冨ξ①げロ9ユ①ω︼︶①三ω9窪ω茸蹄87β㎝.﹀=戸一゜。⑩伊Qり゜ミ一゜ 六一頁、斉藤誠二﹃刑法講義各論1﹄一九二頁以下。 ︵11︶Uuぎ島ロσq”=9巳げ二〇﹃畠①ωω侍﹁蹄①6鐸ω切α﹂し。。㎝9ω.刈㊤一陣町野朔・﹃患者 ︵12︶ロσ⑦∋①さ冨7﹁①90ゴユ①゜。Ooロ房oゴo昌ω弓蹄①o耳ρ一゜。陰﹀島‘一◎。㊤゜。矯ψ一〇〇h町 の自己決定権と法﹄︵一九八六年︶四一・四二頁。 ︵13︶ζ①蒔①r冨﹃冨ぴロoげα㊦゜・O①蕪ωoゴ魯の耳蹄oo窪ω゜一゜。。。PQり゜一q。。°町野・前掲 野・前掲書四二頁。 ︵14︶諺=o努O凶①国ξ①=民ユ圃①Ud包①三陰コαq9ω一㎝Q。Qりρρbd仁。。㊤どψ㎝心≧θ∋.心゜ 書四三頁。 ︵15︶ω80ωρ〇三ヨ﹁笹ωoげ①OO①鑓自o員ψ①.藤本直﹃司法協会雑誌﹄ 一一巻六 町野・前掲論文四二六頁。 ︵16︶=①凶∋げ①﹁σq①3QりR醇①9ε&ζ巴巨5矯ψOb。° ︵17︶bd①ぎσq矯Nω箋心♪ψNNN自 号四二六頁。 とするのでは、手術の遅延をきたすことになる、とした。最高裁もこ れを認め、一般論として、﹁手術の内容及びこれに伴う危険性を患者ま ︵18︶udo穿ρqっロ巨ユ貯ユω§9お。。b。矯Qり゜一お捧一勢oげω鴇ω録9拝≧阿ゴ一¢°。ω嘘 るキール学派に就いて﹂﹃法学論叢﹄三八巻二八六頁以下参照。 ︵20︶カール・エンギッシュ著・荘子邦雄11小橋安吉共訳﹃刑法における故 意、過失の研究﹄︵一九八九年︶三五一頁。 ︵21︶この傾向は、義務違反としての犯罪や﹁全体的考察方法﹂を主張した キール学派の刑法理論に始まったと言われる。佐伯千初﹁刑法に於け ︵19︶ud8冨ぎ雪Pω鐸蹄87ε①ω≧算①ρQo°8h ψω$h する法律が存在しないにもかかわらずはるか大昔から行なわれ、何人 もそれが犯罪とはならないことを疑ったことがない、このような事実 ︵∩︸㊦≦Oゴ昌ゴ㊦諄oo﹁㊦Oゴ一ω一7①O﹁一①︶を主張し、医師の治療行為はそれを許容 に基ずく慣習法が、医師の治療の目的と共に、治療行為の合法性の基 問題とされていたにすぎない。オッペンハイムは﹁慣習法説﹂ ︵3︶治療行為の合法性は当然のこととされ、ただそれをどう説明するかが 昭和五六年六月一九日判例時報一〇一一号五四頁。 たはその法定代理人に対して説明する義務がある﹂とした。最判︵民︶ ︵2︶この事案は、転倒して後頭部を打ち意識不明となった一〇才の少年に 脳出血、脳損症が疑われたため、医師は少年の両親︵原告︶の承諾を 得て開頭手術を行なったが、結局、出血多量による心不全でこれを死 亡させてしまったというものである。原告の説明義務違反の主張に対 して第一審判決は、原告は手術の内容、危険性について十分な説明を 受けなかったが、手術は緊急性を要するものであり手術が性質上相当 な危険性を伴うことは原告においても認識していたこと、十分な説明 を受けていたとしても原告らは医師に手術を依頼するしかなかったで あろうとしてこれを退けた。控訴審は手術の危険性についての医師の 説明義務違反の存在を否定し、さらに、確実に把握できない事実であ る病状、手術の見込みや予後についてまで説明義務を認めるのは不可 能であり、しかもこのような詳細な内容まで説明しなければならない 一288一 注 ︵22︶壽冒①一Nω箋㎝゜。旧ψ㎝一①自 頁、団藤重光﹃刑法綱要総論﹄︵一九七九年︶二〇六頁、福田平﹃刑法 ︵一九四四年︶二二七頁、安平政吉﹃刑法総論﹄︵一九四八年︶二六二 ︵35︶=°ζ曙oさω貯蹄8耳≧侭㊦゜頴拝一8ω.ψb。㎝OR斉藤誠二﹁未必の故意と 総論﹄︵全訂版一九八四年︶一〇七頁参照。 ︵23︶社会的相当性が構成要件該当性を阻却するというのはヴェルツェルの 前期と最後の見解である。芝Φ冒①ドO帥ωO①⊆房oげ①Qっ胃帥融①oゴ戸=.﹀色‘ ψ卜。○。○。自 ︵37︶カール・エンギッシュ著、荘子邦雄ー1小橋安吉共訳﹃刑法における故 ︵36︶ζ①Nゆq①き冨ぼ①げ=o買ψω&° ︵24︶固ロαq’﹃臥巴ぎ蓉①自§二留臥巴9。α薗ρロ罠巨ω曇8げ霧8ヨ国﹃曽巨黛 認識ある過失の区別︵一︶﹂﹃判例時報﹄六九三号一二頁。 憂跨纂一㊤①ドω゜卜。O卜⊃°藤木英雄﹃可罰的違法性の理論﹄六〇頁。 ︵26︶ωoげヨ乙戸p卑O‘ψコ. ︵25︶ω9aOこ︶①﹁≧§ぢQo貯蹄06算ψ$陣 ︵38︶≦爵①㌍岳ω02房07Qo舜蹄①o耳=°﹀島こ一〇①PQo匿9R 意・過失の研究﹄︵一九八九年︶二三〇・二三一頁。 ︵40︶切舞望①冨ぼ①<oヨO碧ω巴Nロωp。ヨ∋㊦∋塁αq一∋刃8耳ρげ⑦ωo民①﹁ω凶∋ ︵39︶牢窪ωω”q昌8お二窪5αq①コ塁ヨ巴きげ8コ匹゜。回ぎ凶∋ω臼﹁鉢①09一り躍、ω゜b。° ︵27︶ω9巳鼻帥゜費O二ω゜ミh ︵29︶Qっoげヨ乙ρO鐸90耳oロ2﹁念゜O一8Z野一〇も。.町野・前掲書一〇二頁。 ︵28︶大谷実﹃医療行為と法﹄︵一九八〇年︶七九頁。 ︵42︶国×器びO霧≦①。。窪二①﹁守7﹁宣ωω貫ぎ罫一Φ一ρQり﹂00前田・前掲論文同 ψ6Φ゜前田・前掲論文三四三頁。 ︵41︶ζ三〇訂℃Oδ閃o§①昌島臼ω耳勢07巳ユ巷ユαq①ω①旦一〇冨勾①σq色§σqし㊤8. 三四三頁。 ︵30︶ωo汀&①さZ毫一㊤①一噂Qり.8b。⋮=≧昌①﹁矯Qo茸蹄①o耳≧眞ゴ一㊤Oωb°ミO h ω耳蹄①o茸ρ一。。ご゜Qり﹂ω゜前田雅英﹁医療過誤と過失犯の理論﹂三四二・ ︵31︶認識説からの見解のうち、もっとも広い範囲で故意を認めようとする のが﹁可能性説﹂である。すなわち、故意の成立には、構成要件的結 Nロ∋bU①讐喩α①﹁ロロ①毒ζ。言昌閃魯﹁冨ωω碍犀①劉Qり.ω一ω.斉藤誠二﹁未必の故意 果の発生の可能性を認識しただけで十分であるとする。Qっoげ巳鼻7碧ω①5 ︵43︶じσ圏巳ヨαq”9①Zo∋窪巨9げお¢げ①母①ε昌αqしΦ一Pψおω゜ 頁。 ︵45︶閣︼§①﹁︾PO‘ω.一¢ω゜ ︵44︶カール・エンギッシュ・全掲書三五〇頁。 ぎhσきロ巳O﹁oロN80㊦ω<。話欝σ①鷺日ω噛閃①ω叶ω。﹃﹁洋旨﹁≦ぎ①巨Q。碧①さ と認識ある過失の区別︵二︶﹂﹃判例時報﹄七〇五号一八頁、Qりoξo匹①5 一逡メ9っ゜卜。O刈R青木紀博﹁未必の故意の一考察﹂﹃同志社法学﹄三二巻六 ︵47︶ロσO=[N一Zヨ一8◎=O①゜ ︵46︶エンギッシュ・前掲書三五〇・三五一頁。 号=五頁。日本の学説として江木衷﹃現行刑法原論﹄︵再版一八九四 年︶六八頁以下、泉二新熊﹃刑法大要﹄︵改訂版一九二八年︶一六七頁、 三一七頁以下、生田勝義﹁﹃被害者の承諾﹄についての一考察﹂立命館 ︵48︶被害者の承諾については川端博﹃刑法講義総論︵上︶︵一九九四年V 岡田朝太郎﹃刑法講義﹄︵再版︸九〇五年︶==頁、宮本英脩﹃刑法 〇年︶参照。 大綱﹄︵一九三二年︶一五〇頁、江家義男﹃刑法講義総則編﹄︵一九四 法学二二八号一六七頁以下参照。 ︵54︶ζ⑦Nσqo﹁”冨ゴ﹃①げロo貫ψ卜。一。。陣 のある場合か医学的適性を欠く場合ぐらいである。 ︵53︶今日、この問題は民法の領域で取り扱われ、刑法の介入は同意に錯誤 れたが、一九四六年に廃止された。 ︵52︶断種はドイツ刑法二二六条︵b︶で一九三三年に特別に構成要件化さ ︵49︶ロロO=Qり二Nω刈◎ω゜。N° ︵50︶切O出Nb。P&”凹 ︵32︶意思説からの見解のうち、最も狭い範囲でしか故意の成立を認めない のは希望説である。すなわち、故意が成立するためには構成要件的結 果の発生を意欲あるいは希望することが必要であるとする。大場茂馬 ︵51︶札幌地判︵民︶昭和五三年九月二九日判例時報九一四号八五頁。 ︵33︶日本の学説では牧野英一﹃刑法総論下巻﹄︵全訂版一九五九年︶五五 ﹃刑法総論下巻﹄︵一九一七年︶七〇〇頁以下参照。 六頁、後藤正弘﹃主観主義による刑法総論﹄︵初版一九七五年︶二九頁、 ︵34︶日本の学説では小野清一郎﹃刑法講義﹄︵一九三二年︶一四六頁、小 荘子邦雄﹃刑法総論﹄︵旧版一九六九年︶五一五頁。 泉英一﹃刑法要論﹄︵一九三九年︶一五三頁、佐伯千初﹃刑法総論﹄ 一289一 ︵55︶諮ロhヨ8PNQっ 箋 刈 ω る 刈 Q 。 陰 ︵57︶国コ嬉ω9糟Nω箋㎝◎。矯oり゜ミR ︵56>ドイツ民法六七七条 ︵59︶ζ①Nσqqb’pO‘Qり゜b⊃bこ一゜ ︵58︶Qりoげヨ圃葺b. m b ‘ q D ﹂ = R ︵60︶幻o×旦毛色N孚閃$房07ユ費ωムO。。h川原広美﹁推定的同意に関する一試 論﹂﹃刑法雑誌﹄二五巻一〇九頁。 ︵61︶察魯碧鍵剛02巳ユωω自①ωαωけ①旨㊦凶窪ωo冨昌Qり信蹄8げβ⇔ご①ω↓‘じdユ﹄﹁お刈。。° ︵62︶誇O﹁臥謹Oo7昌9。”=器冨ε﹁げ①ユ9戸Ngり窒①ρψb。㊤N° 一290一 寄﹁.°。ωO⋮鯉99N一 箋 8 Q り ゜ ω 。 。 0 参 照 。 ︵63︶オーストリア刑法一一〇条。 ・