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ボーフム・ルール大学所蔵のシーボルト・コレクション

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ボーフム・ルール大学所蔵のシーボルト・コレクション
国際シンポジウム報告書
ボーフム・ルール大学所蔵のシーボルト・コレクション
マティアス・レギーネ
(山 本 恭 子 訳)
現在、シーボルト家の多種多様なコレクションは、世界中に分散しています。民族学的
コレクションは、ライデンとミュンヘンの民族学博物館設立の基礎コレクションの一部と
なっていますし、シーボルトが収集した文書や書物の大半はライデンと英国図書館に収蔵
されています。自然科学的コレクションは植物標本室に、また動物学的コレクションはラ
イデンやミュンヘンなどの場所にあります。
ルール大学には、シーボルトの個人的かつ学術的な遺品のうち重要な部分の大半が収蔵さ
れています。ルール大学のシーボルト・アーカイブに保存されている文献は約20,000ページ
に及び、まだ歴史の浅いこの大学における唯一の19世紀の手稿の収蔵品となっております。
この収蔵品は紆余曲折を経てボーフムに到来したのですが、その道のりは、推理小説の
ように手に汗握るものであると同時に、日独関係とドイツの日本研究の波乱に満ちた歴史
をより詳細に記録するものでもあります。ボーフムのシーボルト関連文献は、当初はシー
ボルト家(現在はヘッセン州シュルヒテルン、ブランデンシュタイン城のフォン・ブランデ
ンシュタイン=ツェッペリン家)に保存されている収蔵品に含まれていました。1915年以
降、これらの文献は子孫2人に分け与えられました。シーボルトの孫の一人、エリカ・フォ
ン・エルハルトは1927年、当時ちょうどベルリンに開設されたばかりの日本研究所に、約
600点に上る自分の持分を売却しました。これがボーフムにおける当大学のシーボルディア
ナ・コレクションの出発点であり、したがってこのコレクションは現在もボーフムのシーボ
ルト・コレクションの基礎であり、今日もなおブランデンシュタイン家に所蔵されるコレク
ションと密接に関係しています。人間文化研究機構(NIHU)のプロジェクトの一環として、
複数のコレクションを一つのデータベースにまとめることが計画されていますが、それに
よってこの遺品の2つの部分もまた一緒になるものと期待されています。
戦時中、当時約15,000巻を収蔵していたベルリンの日本研究所の蔵書とシーボルト・コ
レクションの一部は様々な場所に疎開させられました。その残りは、外観を維持すると共
に「敗北主義を助長しないように」するためもあってベルリンに保管したままにされてい
ましたが、当時のベルリン日本研究所所長マルティン・ラミンクが目にしたように、戦争
末期にロシア軍によって持ち出されました。
現在ボーフムに収蔵されている書籍やシーボルト関連文献の中には、米軍がテューリン
ボーフム・ルール大学所蔵のシーボルト・コレクション
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ゲンで接収しワシントンに移送されたものも含まれています。これらの収蔵品は1958年に
ドイツに返還され、マックスプランク協会の管理下に置かれました。同協会は、これらの
書籍やシーボルト・コレクションを、新設されたばかりのルール大学に付与することを
1966年に決定しました。収蔵品のその他の部分はボン大学のトラウツ・コレクションなど
から移送されたため、ボーフムのシーボルト・コレクションには、現在の収蔵番号ベース
で415点に上る約20,000葉が――つまり本来のコレクションの約3分の2が収蔵されてい
ます。本来の収蔵品のうちの若干数はソビエト連邦から東ベルリンの州立図書館に返却さ
れ、現在まだ州立図書館の手稿部に置かれています。その中には、
「1826年の江戸参府中
の日記 Journal während meiner Reise an den Kaiserlichen Hof in Jedo 1826 」という日誌の原本
もあります。残りは依然として行方不明です。とはいえ、失われた文献の一部は、少なく
ともコピーの形で保存されています。これらの文献は、シーボルト資料展を機に1935年に
東京に移され、同地でコピーされました。これらのコピーは現在東京の東洋文庫にあるほ
か、ボーフムでもマイクロフィルムの形で利用に供されています。
1989年、ボーフムのシーボルト・コレクションは科学的な方法で包括的に目録に記載さ
れました。これらの収蔵品は、2010年から日本の研究者の方々との密接な協力の中で財政
的支援を受けて日本側でデジタル化されていますし、国際的な研究のために間もなくフル
テキスト版の形でもオンラインで公開される予定です。
ボーフムのシーボルト・コレクションの大半を占めているのは、多種多様な手書きの文
献です。例えば書簡、メモ、刊行物の下書き、日誌、収集品の目録や注文書のほか、出島
時代の計算書、また少数ですが図版などがあります。これらの文献は、テーマの範囲の広
さゆえに、多種多様で少なからぬテーマ領域に関連しています。つまり気象・気候研究か
ら医学、自然科学、さらには歴史学や言語学に至るまで多岐にわたっています。またボー
フムのシーボルディアナ・コレクションには、日本の門下生らのいわゆる学位論文の原本
も多数あります。シーボルトは、これらの論文の作成にあたり、助産術から日本の歴史に
至るまでの様々な分野の情報を、主にオランダ語で彼らに伝授しました。これらの論文は
当大学のアーカイブの中で最も魅力のあるものの一つとなっています。
その他の例としては、地理のほか人口動態やその他のテーマに関する膨大な覚書のほか、
例えば気象観測が記載されたこの1861年の
日誌のような若干数の日誌(図1)もあり
ます。収蔵品のその他の部分は日本の動植
物を取り扱ったものです。その中には、植
物標本の目録、植物のリスト、またシーボ
ルトと共同で研究を行っていたツッカリー
ニなどのような植物学者の書簡のほか動物
学上の観察に関する多数のメモやスケッチ
も含まれています。
そのほかに、例えばアイヌ語の語彙集、
漢字、平仮名とオランダ語の訳語が記載さ
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
図1 日々の天気を記した1861年の日記
(シーボルト・コレクション 1.551.000) れたその他の単語表や、シーボルトの文字練習(図2)
のような、どちらかと言えば歴史言語学や文化史に関す
る研究に分類すべき一連の資料もあります。
こうした資料の大半は、シーボルトがその偉大な著
作「日本植物誌と日本動物誌 Flora und Fauna Japonica」
と「日本 Nippon」を執筆するために使用したものです。
ボーフムで保存されている文献の一部は、彼の活動の
様々な段階を表しているため、これらの文献は彼の情報
元を明らかにするだけでなく、多くの場合、彼の学術的
活動の進め方を再現することを可能にしてもいます。
ブランデンシュタイン城に保管されている家族のアー
図2 シーボルト自身の文字練習と
思われる書類
カイブとは異なり、ボーフムには図版はわずかしかあり
(シーボルト・コレクション
ません。最も興味深いものの一つは、18世紀後半の作と
1.292.001, page 1)
思われる「七十一職人歌合絵巻」です(口絵1・図3)
。
もう一つの例も絵巻ですが、光格天皇の修学院離宮への行幸の地図です(口絵2・図4)
。
図3 「七十一職人歌合絵巻」
(シーボルト・コレクション
1.137.000)
図4 近藤雍慎筆「修学院行幸行程圖並眺望」
(シーボルト・コレクション 1.134.000) ボーフム・ルール大学所蔵のシーボルト・コレクション
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アーカイブの利用者は、コレクションの専門的な幅の広さを反映しています。進行中の
プロジェクトの一つに、日本の鉱物学者である田賀井篤平教授のプロジェクトがありま
す。田賀井教授は、フンボルト財団奨励研究員として、ここボーフムで数か月間シーボル
ト・アーカイブについて研究しておられました。教授は、ライデンやウィーンなどにある
様々なコレクションの中の鉱物標本とボーフムの研究資料とを照らし合わせることによ
り、部分的にしか保存されていないシーボルトの鉱物コレクションをほぼ再現可能にされ
たほか、シーボルトが計画したものの実現できなかった、植物誌と動物誌に続く三部作の
三巻目、日本鉱物誌という著作を再現しようと試みられました。
またシーボルト・アーカイブは、教育目的でもドイツの日本学の学生に多くの可能性を
提供しています。学生たちが重点を置いているのが歴史であれ言語学であれ、このことに
変わりはありません。例えば我々は、最近のセミナーの一環として、バーチャル・シーボ
ルト展を学生たちと開発しました。これにより、興味のある方々は間もなく当校のホーム
ページ上でコレクションを閲覧できるようになる予定です。
人間文化研究機構(NIHU)の後援を受けて2010年に国際協力に基づく当プロジェクト
が開始されてから、既に3年以上が経過しました。当プロジェクトの主眼は、日本関連の
文献や収蔵品を他の国々でふるいにかけ調査することです。当研究プロジェクトの最大の
目的は、19世紀に日本で収集され国外に移送されたシーボルト家のコレクションやその他
の資料を調査することです。
「シーボルトが紹介したかった日本――欧米における日本関連コレクションを使った日
本研究・日本展示を進めるために」と題した当シンポジウムが進行する中で、当校のメン
バーや欧州からの精鋭のゲストにより、上述した各コレクションのほか、日本ならびに外
国の人文科学および自然科学にとってのその価値に関連したテーマが論じられることに
なっています。こうした方法で、長期にわたる我々の研究が進展すると共に、日本が本質
的な変化を遂げたこの19世紀の極めて重要な期間に関する我々の知識がさらに拡充される
よう願っています。
シーボルト・アーカイブの責任者として、またボーフム・ルール大学における日本研究
の代表者である同僚のオスターカンプ氏共々、我々のプロジェクトの多彩さを明白に反映
し、かつ最高のメンバーからなる当シンポジウムがこのたび当地ボーフムで開催され、皆
様にご来訪いただいたことを嬉しく思っております。
では、これをもちまして皆様の御清聴に感謝すると共にシンポジウムを正式に開始した
いと思います。
(れぎーね まてぃあす・ボーフム・ルール大学)
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国際シンポジウム報告書「シーボルトが紹介したかった日本」
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