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いわゆる 「人格権に基づく差止請求権」 の再編成

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いわゆる 「人格権に基づく差止請求権」 の再編成
Kobe University Repository : Kernel
Title
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再編成(Die
Rekonstruktion der Theorie, "Der
Unterlassungsanspruch auf das Personlichkeitsrecht")
Author(s)
上北, 正人
Citation
神戸法學雜誌 / Kobe law journal,55(2):141-228
Issue date
2005-09
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005006
Create Date: 2017-04-01
二O O五年九月
人
第五五巻第二号
正
神戸法学雑誌
はじめに
北方ジャーナル事件判決
上
北
いわゆる ﹁人格権に基づく差止請求権﹂ の再構成
第一章
﹁人格権﹂概念の措定 l 分析の視点として
日本法における人格権侵害に対する差止請求
第一節
﹁人格権﹂侵害に対する差止請求に関する判例の変遷
第二款
北方ジャーナル事件判決以後
氏名権侵害のケ lス
第三款
精神的利益の侵害のケ 1 ス
生命・健康侵害のケlス
氏名権侵害のケ lス
人格的法益あるいは利益に対する差止請求権による救済のはじまり
第二節
信用二立早
目
次
第一款
第
第
第
第
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
1
4
1
第
第一款
第三節
第
生 命 ・ 健 康 侵 害 の ケ lス
精 神 的 利 益 の 侵 害 の ケ lス
﹁人格権﹂侵害に対する差止請求権に関する学説の変遷
差止請求権の根拠に関する学説の変遷
第二次世界大戦前の学説│生活妨害型の侵害に関して
戦 後i 一九七 O年以前
北方ジャーナル事件判決以後学説における人格権への収数
一九七 O年1北 方 ジ ャ ー ナ ル 事 件 判 決
第四
人格権への収数に対する反省
日本法に関する小活 l ドイツ法検討の視座
第一五
第四節
第二款
信用二
判例の分析
連邦通常裁判所の判決
帝国裁判所の判例
判例における精神的利益の侵害に対する差止請求権による保護の拡大
判例の分析
連邦通常裁判所の判決
判例における生命、健康、身体侵害に対する差止請求権による保護の範囲と要件
ドイツ法における判例の検討
ドイツ法における差止請求権による保護の状況
第一款
第一節
第三章
第 第
第
第
第
第
第
1
4
2
5
5
巻 2号
志
ロ
且ん
雑
寸ー
法
戸
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
1
4
3
第三款
第二節
第一款
信用
第二款
第 第
第
第三節
第四章
札ドヰ白
・
,
ノ
、 vJh
ドイツ法の学説状況
人格権侵害に対する差止請求権に関するドイツ法の通説の形成
通説の+明+牙
通説の形成
戦後の学説状況
通説に対する反省と新たな見解の発展
義務違反に根拠を求める立場
法の一般原理に根拠を求める立場
ノ
,
h
dエJ白
vt
ドイツ法に関するまとめ
はじめに
第一一一一条、特許法第一 O O条 、 商 標 法 第 三 六 条 な ど の 例 を 見 る こ と が で き る 。 ま た 、 ご く 最 近 に お い て は 、 平 成
現行法においても、差止請求権を規定する例は少なくなく、とくに知的財産法に関する分野においては、著作権法
に、差止請求権は侵害行為そのものを阻止し、権利や利益の侵害を事前に防止する手段として重要な意義を有する。
る制度であるのに対し、権利ないし利益の性質や侵害態様により、損害賠償請求権では十分な救済とならない場合
一定の権利ないし法律上の利益が侵害された場合に、不法行為に基づく損害賠償請求権が、その事後的救済を図
時間知一且早
結語に代えて
第三款
第
1
4
4
5
5
巻 2号
志
日
一二年に私的独占の禁止および公正取引の確保に関する法律(以下、独禁法と略称する)中に、私人による差止請
求権が新設されるにいたった(同法二四条)。さらには、消費者契約法の分野においても、差止請求権導入の可能
性が検討されているところである。しかし、私法の一般法である民法典には差止請求権に関する一般根拠規定がな
いばかりでなく、差止請求権という文言自体も法典の中に見当たらない。いかなる根拠に基づいて、いかなる要件
の下で侵害行為の差止めが認められるかは、判例・学説の解釈に委ねられているというのが実情である。
では、日本の民法学において、差止請求権の根拠・要件に関して、これまで展開されてきた種々の解釈理論は、
多様な分野で認められ、拡大を続ける差止請求権の法領域を広くカバーし、その一般理論にふさわしい普遍性を備
えたものといえるであろうか。後に見るように、民法における差止請求権の議論は、当初、公害あるいは生活妨害
絶対権)を根拠とするよりは、不法行為における相関関係理論を差止めにも応用し、より柔軟な問題の解決を図ろ
根拠とする考え方が生まれてきた。また、これらとは対照的に、所有権あるいは人格権といった﹁権利﹂(ないし
康という人格的利益に対する侵害であるという側面を直視し、やはり一種の絶対権としての人格権を差止請求権の
安定した法律構成として考えられてきた。しかし、これに対して、公害または生活妨害が直接には人間の生命・健
且A
あるいは日照の侵害による生命・健康侵害に対する差止めという場面を中心としてなされてきた。そこでは、所有
ナ
権という絶対権を通して、その絶対権を基礎として構築される生活を保護するという、物権的請求権による保護が
j
去
を契機として展開してきたものである。ここでは、差止請求権の根拠について、生活妨害におけるような学説の対
侵害を事前に防止すべきであるという議論が存在する。これは、とりわけ昭和四五年の﹁エロス十虐殺﹂事件決定
・プライバシーといった人間の精神的側面に対する侵害行為に対しても、やはり差止請求権を-認めて権利・利益の
公害や生活妨害事例は主として生命・身体に対する物理的侵害を特徴とするものであるが、これとは別に、名誉
うとする不法行為説も誕生した。
戸
雑
神
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1
4
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立が存在するわけではない。基本的には、名誉権あるいはプライバシー権に基づいて差止請求権を認めるという考
え方が安定したル l ル と し て 定 着 し て い る 。 実 際 、 後 で 詳 し く 検 討 す る 北 方 ジ ャ ー ナ ル 事 件 判 決 に お い て も 、 ﹁ 人
格権としての名誉権﹂に基づいて差止請求権が認められており、一定の権利に基づいて差止請求権を認めるという
権利説的発想、すなわち、差止請求権を根拠付ける一定の権利が存在し、かっそれが侵害された場合に、その効果
として差止めが認められるという考え方を窺うことができ、そのような発想は、公害・生活妨害事例における物権
的請求権ないし人格権を根拠とする差止請求権という考え方に通ずるものといえる。
両者に共通するのは人格的利益の保護、すなわち人格権の保護であり、民法において差止請求権が問題とされる
領域を包含しうる差止請求権の根拠を、人格権に求める考え方が一定の説得力をもつものとして是認されていると
いえよう。こうした、人格権に根拠を求める考え方は、侵害が人格的利益に向けられていることを率直に認めると
ともに、人格権の絶対性・排他性を強調する点で、物権的請求権のアナロジーを強く意識するものである。先に掲
げた知的財産法分野における個別的な差止請求権も、このような文脈で捉えることが可能であろう。
このように、日本においては、差止請求権の根拠を人格権に収数させる方向に議論が展開している。しかし、果
たして差止請求権は、そうした一種の絶対権侵害の場面に限って認められるべき救済手段なのだろうか。後で詳し
く見るように、日本法におけるよりも絶対権・相対権の区別を強調するドイツ法において、従前は、絶対権の保護
を前提に差止請求権をめぐる議論がなされてきたが、絶対権・相対権とは別の基準に従って差止請求権の存否を判
断し、この救済手段を機能的に活用する方向で、新たな議論の展開がみられる。日本法においても、差止請求権を
めぐる伝統的理論にとらわれず、独禁法や消費者契約法における差止請求権を視野に収めた、新たな一般理論を模
索する必要があるように思われる。
このような問題意識の下に、まず次章においては、日本法における差止請求権に関する議論の発展を分析し、従
1
4
6
キυ
=
=
n
H
5
5
巻 2号
前の議論で前提とされていた考え方とその問題点を明らかにする。ついで、第三章において、ドイツ法における従
一定の方向を提示することとする。
来の判例・学説の状況と新たな議論の進展を検討し、第四章において、ドイツ法の検討を通じて得られた示唆に基
﹁人格権﹂概念の措定│分析の視点として
日本法における人格権侵害に対する差止請求
づき、日本法における今後の議論のあり方について、
時間開二音十
伊再開一時即
先に述べたように、差止請求権は様々な法領域で明文をもって定められている。たとえば特許法第一 O O条は、
主
主ι
寸一
物権と同様に妨害排除および妨害予防請求権が認められると説明されてい出。差止請求権を規定した現行著作権法
著作権侵害中止の請求権が認められていた。その場合の根拠については、著作権が絶対権・支配権であることから
著作権法第一一二条に関しても同様であり、旧法時代には差止請求権は明文上認められてはおらず、解釈によって
化したものであるが、当初よりその性質は物権的請求権と理解されており、現在においてもその点に変わりはない。
旧法(大正一 O年法)において明文上定められていなかったために判例・学説上認められていた差止請求権を明文
法
れた﹁独占禁止法違反行為にかかる民事的救済制度に関する研究会﹂が平成一 O年一一一月に﹁独占禁止法違反行為
たっては、公正取引委員会事務総局から差止訴訟制度及び損害賠償制度の充実についての検討の依頼を受けてなさ
請求権に関する解釈論の問題点を明らかにするものとして注目に値する。独禁法に私人の差止訴訟を導入するにあ
その趣を異にする。特に、独禁法に私人による差止訴訟が導入された際に行われた議論は現在の民法における差止
は明文をもってこうした理解を承認したものと理解されている。しかし他方、独禁法二四条における差止請求権は
戸
雑
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権Jの再構成
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4
7
に対する私人による差止訴訟制度の導入について(中間報告書)﹂と題する報告書を公表した。そこでは、独禁法
違反行為に対する私人の差止請求権の導入についての理論的検討として民事法との関係が論じられている。そのな
かで、民事法体系における差止請求権は①物権的権利に基づくもの、②人格権に基づくもの、③特に立法されてい
るもの、の三種類に分類され、独禁法における私人の差止請求権の根拠については、独禁法違反行為が物権または
人格権侵害行為とは考えられないことから、これらに基礎付けることはできないとしている。しかし、その後、同
o他方で、こうした議論は解釈
研究会が取りまとめた最終報告書﹁独占禁止法違反行為に係る民事的救済制度の整備について﹂のなかでは、独禁
法上の差止請求権と民法上の差止請求権論との関係に関する議論は姿を消していお
論においては受け継がれており、独禁法上の差止請求権と民法上の差止請求権との関係が問題となることは意識さ
れている。この点につき、独禁法上の差止請求権を不法行為に基づく差止請求権であると理解する立駅と現在の民
法上の差止請求権論との接合を目指す立場とが見られる。こうした議論の存在は、私法上の制度としての私人によ
る差止請求権について、私法の一般法であるべき民法がその十分な理論的・解釈論的受け皿を用意できていないこ
との証左でもある。
そこで本稿は、﹁人格権侵害に対する差止請求﹂を批判的に考察することにより、差止請求権の根拠論に関する
理解を見直し、あらたな思考枠組みを呈示することを目的とする。ただ、その前提として、はたして﹁人格権﹂と
はいかなる内容を有する権利であろうか。この点を明らかにしないでは、問題の領域が明かとはならない。しかし、
他方、﹁人格権﹂は日本の民法典に明文の規定をもたない。むしろこれは、判例と学説との展開の中から生まれて
きた概念である。したがって、考察の出発点において﹁人格権とはこれこれである﹂と定義して、その問題の範囲
を確定することもまた、不可能なのである。
ところで、我が民法は権利の保護を中心に不法行為法が整備されている。しかし他方、 いわゆる大学湯事件判決
以降、制定法上権利として明示的に挙げられた法益のみならず、制定法上権利と認められていない利益もまた、不
法行為法によって保護されてきた。そこで、以下の裁判例の分析においては、判決及び決定において明示的に人格
権が問題とされたものはもちろんのこと、文言上、人格権が問題とされていなくとも、実質的に人格的な利益が問
題とされていると考えられる判決をも含めて考察の対象とする。その上で、それらの裁判において、いかなる利益
害が含まれることを前提とした規定ぶりとなっている。さらに、七一一条は七 O九条が生命の侵害をも権利侵害と
民法典によれば、七 O九条は権利の侵害を要件とし、七一 O条はその権利侵害の中に、身体、自由、名誉への侵
が侵害され、その利益に対し如何なる保護が与えられたのか、ということを明らかにしてみたい。
して把握することを前提としている。したがって、七 O九条の﹁権利﹂には、物権・債権のほかに、これらの生命、
o
o そこでは、農家であった原告らが小作
うになった事案に対し、裁判所が、こうした原告に対する事実上村八分という差別待遇は、﹁原告らの人格権及び
に対してその小作田地の返還を請求したことに対し、所属する組合から除名され、組合員からは村八分にされるよ
保護の目的となることを認める判決がなされるのは、少し後のことであ幻
ヲ保護スル﹂ものと解する判決が早くにみられている。しかし、直接に人格権が不法行為による損害賠償請求権の
いる﹁人格権﹂についても、﹁人格権﹂自体が問題とされたわけではないが、著作権法第四 O条の趣旨を、﹁人格権
その他にも、プライバシー、氏名権、貞操、生活利益といったものも認められてきた。また、本稿で問題として
(辺)(日)(辺)(お)
たのは周知のとおり、銭湯の老舗あるいはその売却による得べかりし利益の保護が争われた大学湯事俗であるが、
しかし、これらの権利を越えて、様々な利益について、損害賠償による保護が認められてきた。その端緒となっ
身体、自由、名誉を含むことにな幻
第二節﹁人格権﹂侵害に対する差止請求に関する判例の変遷
5
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巻 2号
1
4
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誌
出
A
雑
ナ
法
戸
神
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9
自由権を不当に侵害したものと謂わざるを得﹂ないとして、共同不法行為の成立を認め、損害賠償義務を認めた(た
だし、事案の解決としては和解により損害賠償請求権は消滅しているとされた)。
こうして、明文で規定された生命、身体、自由、名誉のほか、その他の諸利益に対し、損害賠償による救済が認
められてきた。しかし、それとは別に、明文で規定されている法益のほか、その他の利益についても差止請求によ
る保護を認めるようになってくる。そこで以下では、生命、身体、自由、名誉およびそれ以外の諸利益が如何にし
て差止請求権による保護の対象となり、さらに、これらの法益および諸利益の差止請求権による救済がいかになさ
れてきたのかについて相互関係的に見てゆくこととする。このうち氏名権は、現在、判例・学説上人格的利益とし
て認められており、このことは古くの学説にも見られることから人格的利益の一内容として理解されていた氏名権
(却)
の侵害に対する救済から考察していくこととし、その後、いわゆる﹁生活利益﹂侵害および名誉・プライバシー侵
人格的法益あるいは利益に対する差止請求権による救済のはじまり
害に関する諸利益の保護のあり方を、差止請求の観点から検討を加えることとする。
第一款
氏 名 権 侵 害 の ケ lス
する。これを前提として、華道の家元であることを表す名称もまた、華道に関する生活関係において他人から区別
る人を他人と識別する意味では氏と同様に保護されるべきであるとして、氏名もまた同様に権利であると解すると
たものと理解し、ある人を他人から区別する必要から、氏を称する権利を絶対権であるとする。その上で、名もあ
四六条一項の趣旨を、ある家族に属する者の氏の専用使用権とそれ以外の者の当該氏を称しない消極的義務を定め
たとえば、華道専慶流の家元であることを表称する名称の使用差止めを求めた事案について、裁判所は旧民法七
まず、人格権侵害との関係では、氏名権の侵害に対する差止請求は古くから争われ実際に認められてきた。
第
1
5
0
5
5
巻 2号
誌
雑
するために必要であることは氏名と同様であるから、﹁絶対権﹂として保護されるべきであると解し、原告の請求
を認容した。
さらに、協議離婚し分家した訴外夫の元妻である原告が元夫の事実上の妻に対し、同じ﹁大場﹂の姓を使用する
ことの禁止を求めた事案については、まず氏名を﹁自己を表象し、それによって自己の存在を明らかにするもの﹂
と定義づけ、この氏名は専用使用することによってはじめてその機能が発揮されるものであることを理由として、
その専用使用の利益が侵害される場合には妨害除去および使用禁止を求めることができるとの判断をなした。結論
としては、原告にいかなる不利益が生じているかが証明されていないとして、請求は棄却されている。
その後、日置当流の宗家または師家なる名称を使用することの差止めを求めた事件において、裁判所は、各人の
(お)
氏名と同様にその人格の一面の表象である師家なる名称が他人による権限なき使用から保護されうる旨、判示し
た
。
こうした一連の判決を受けて、氏名権そのものの効果として、物権的請求権と同様に、差止請求権を肯定する立
(お)
駄がみられる一方で、﹁法的な根拠としては、氏名権そのものというよりも、具体的な事案の評価の方に重点がお
かれていると解することもできよう﹂との理解がなされ、とくに、昭和三八年判決については、﹁氏名権という固
仮処分事件については、近隣の工場から発せられる騒音振動に対し、支配権・身体権・財産権に基づいてその防
第 二 生 命 ・ 健 康 侵 害 の ケ Iス
差止めをより機能的に理解する立場であるということができよう。
﹁人格の表象というべき名称﹂への侵害が、差止めの対象として把握されうるものと解するものであると同時に、
(お)
い権利から解き放されて、原告の人格の一面を侵害するものとされている﹂と理解されている。こうした理解は、
法
;
=
,
.
戸
寸ー
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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1
止の仮処分を求めた事案につき、福井地判昭和二五年一 O月一八日下民一巻一 O号一六六三頁が、当該騒音振動が
﹁社会協同生活上普通とされる程度以上﹂で、かっ﹁近隣居住者の生活が堪え難い﹂場合には、権利の濫用として、
﹁相手方は所有権其の他の権利に基づき該妨害の除去または予防を請求﹂し得ると判示したものの、結論としては
受忍限度内だとして却下している。他方、甲府地判昭和三 O年一一月一一日下民六巻一一号二三七九頁は、隣接す
る工場の騒音・振動によって、﹁客の応接沈思黙考を必要とする弁護士の業務あるいは家庭生活の享受に著しい悪
影響をおよぼす﹂場合は、工場の窓を常時解放してはならないと判示し、仮処分を認めた。しかし、建築工事が進
行しているとき、その敷地に隣接した居住営業者から工事禁止の仮処分の申立がなされた事件については、大阪地
決昭和三 O年四月五日判時五一号八頁が、侵害状況を生命、身体、さらには営業に対する侵害であると認定した上
で、建築工事禁止請求権の存否については、なるほど自己の所有する土地での工事は特段の事情のない限り、正当
な権利の行使であるが、工事の施行が近隣に何らかの影響を及ぼす場合には工事施行の態様、その影響等を考慮し
(幻)
て工事施行の適否を判断しなければならないとし、隣人の居住営業に極度の不安を招きあるいは招くおそれのある
場合には、隣人はその工事の禁止を求め適切な予防措置を講ずることを請求し得るとして、申請を認めた。他方、
広島地決昭和三六年四月一 O日下民二一巻四号七五八頁では、受忍限度をこえないとして却下されている。
他方、本案訴訟では、近隣の住人から工場に対し、生命、身体、財産への侵害を理由に、操業に伴う機械の振動
・騒音および粉塵の飛来を防止するよう求めた事件につき、所有権の尊重を誕いながらも、原告の﹁都会生活﹂上
(お)
の受忍義務を認め、被告が不十分ながらも可及的に被害の防止措置をなしたことを理由に受忍限度の範囲内である
と判示し、また、隣地の製氷工場に対し、そこから発せられる音響により、所有権および占有を侵害されたとして、
(mU)
その音響の防止を求めた事案については、被告製氷工場機械から発せられる音響が、原告の社会生活上忍容すべき
程度を越えているものと認めることはできないとして、請求を棄却している。本判決も、構成としては所有権・占
1
5
2
5
5
巻 2号
誌
有に対する侵害とされているが、実質的には身体に対する侵害と考えられる。原告が向かいで工場を操業する被告
に対し、その工場から出される騒音によって日常生活の不快および不眠と精神不安定による神経衰弱に陥ったこと
(却)
を理由に、五 Oホン以上の音の侵入の禁止を求めた事案では、当該侵害が﹁生活の静穏を堪えられないまでに侵害
して﹂いないとして、請求を棄却している。同じく、工場の騒音振動の防止を求めた名古屋地判昭和三九年一一月
三 O日判時三九八号四八頁は、被告の努力により騒音の程度が減少し、現在の騒音振動は原告において受忍すべき
として、請求を棄却している(この判決は、本事件の控訴審判決・上告審判決においても維持されている)。
このように、騒音による生活妨害に関しては、仮処分事件および本案訴訟が昭和三 0年代初頭から数多くみられ
るようになる。これらの事案においては、生命、身体に対する侵害が問題とされているが、その救済としては、所
ている。この事件は、原告である高校教諭が所有し居住する家屋の隣に、被告が鍛冶工場を建築して農具の製造を
拠にそれを認める判決がなされた後、人格権に対する侵害を理由に、差止請求権による保護を認めた判決が出され
案において、快適で円満な生活を享受することを内容とする﹁生活享受権﹂から派生する﹁生活妨害排除権﹂を根
そうしたなか、騒音による生活妨害事例について、まず、工場から生じる騒音に対し防音施設の設置を求めた事
且ι
有権侵害に対する妨害除去請求権が用いられており、所有権の保護を通して生命・身体の保護を図るという手法が
十
用いられていることが分かる。しかし、結論として仮処分および請求が認められた事例はほとんど見受けられない。
法
妨害の排除もしくは予防の請求権を有するものである﹂とするが、その行使が認められるのは、侵害が受忍限度を
人格権の侵害と考えるべきである。)または所有権を侵害され、もしくは侵害のおそれがある者としては、これが
の事案に関し、裁判所は一般論として、﹁一般に人格権(生活の妨害は身体的肉体的自由に対する侵害であるから
値喪失に対する家賃相当額の損害賠償および防音施設の設置と開口部分の閉鎖等を訴求したというものである。こ
業とし、そのため騒音を発するので、原告が被告に対し、右騒音による精神的苦痛に対する慰籍料と家屋の利用価
(お)
戸
雑
神
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(誕)
越えた違法なものであって、かっ、両当事者の利益を比較衡量した上で決すべきであるとの判断を示した。結論と
しては、比較衡量の結果、請求を棄却したが、はじめて人格権と所有権とを併存的に妨害除去・妨害予防請求権の
被保護利益として認めている点で看過し得ないものであると同時に、騒音が平穏な生活の基盤である土地所有権へ
の侵害であると同時に人格権への侵害であることを認めた点で、重要な意義を有するものと考えられる。しかし、
この判決によって、人格権が差止請求権による保護の対象となることが一般に認められるようになったわけではな
(お)
い。その後も、生活妨害を﹁平穏で快適かつ健康な生活を営む利益﹂の侵害であるとか、土地所有権に対する侵害
であるとみなす考え方に基づく判決がいくつか見られた。
こうした一連の騒音被害に関する諸判決を受けて、大阪国際空港公害訴訟第一審判決では、﹁人の日常生活を著
しく妨害し人の健康にも害を及ぼす虞れのある侵害行為が継続的かつ反復的に行われている場合には、その救済手
(お)
段として﹂、﹁人格権に基づいて損害を生じさせている行為そのものの排除を求める差止請求が一定の要件の下に認
(訂)
められるべきである﹂と判示され、明確に﹁人格権﹂を根拠に差止請求権が認められるとの理解が示された。こう
した、人格権を根拠に差止請求権をみとめるという考え方は控訴審でも維持され、そこでは、﹁個人の生命、身体、
精神および生活に関する利益﹂の総体を人格権ということができるとし、この人格権に対する侵害行為に対しては、
﹁その侵害行為の排除を求めることができ、また、その被害が現実化していなくともその危険が切迫している場合
(お)
には、予め侵害行為の禁止を求めることができるものと解すべき﹂であるとし、本件事案についても、人格権が侵
害されその被害の重大性から、差止請求が認められるとした。しかし、本件の上告審判決では、国営空港が、航空
行政権と国の営造物管理権の両面を有し、それらが不即不離、不可分一体的に行使・実現される以上、営造物管理
権に関する通常の民事訴訟は不可避的に航空行政に関する請求を含むから、不適法であるとして、原審を破棄し差
止請求を却下している。このように最高裁は差止請求を却下し、差止請求権の根拠について判断していないものの、
U
コ
コ
ロ
、
士
(必)
この大阪国際空港事件判決によって﹁人格権﹂が判例上定着したとの評価がなされてい封。ただ、その後しばらく
は、騒音が人格権侵害であることを認めたうえで、その騒音の差止めを認める本案判決は見受けられない。
その中でも、名古屋市南部の新幹線沿線一 0 0メートル内に住む原告らが、身体的被害、日常生活上の被害を理
由に、当時の国鉄を相手取って、侵害の除去および将来の侵害の予防を求めた、いわゆる名古屋新幹線公害訴訟に
おいて、第一審では新幹線による騒音・振動を人格権に対する侵害であるとし、﹁第三者よりの侵害に対しては人
格そのものに対する侵害として、これを排除しうるものと解することができる﹂と判示している。さらに控訴審裁
判所は、﹁原告らが人格権の侵害という名の下に主張するところは、騒音振動による身体の侵襲をいう限りにおい
て正当で﹂あり、﹁身体に対し痕跡を残さないで妨害ないし影響を及ぼし、比較的長期に亘りうる騒音振動にあっ
ては﹂、条理あるいは正当防衛を根拠に、﹁当該騒音振動の侵襲につき、原因を与えている者に対しこれを排除(場
(必)(必)
合によっては予防)する請求権が被侵襲者に与えられるものと解しなければならない﹂と判示し、さらに、この請
求権の内容効果については﹁可能な限り物権的請求権に関する規定を類推するのが相当である﹂との理解を示した。
精神的利益の侵害のケース
デルにしたものであり、この小説が原告の私生活を描いていることを不快に思い、中央公論誌上に連載された当該
﹁宴のあと﹂事件とは、被告である三島由紀夫の小説﹁宴のあと﹂に描かれた主人公である野口雄賢が原告をモ
ら考察を始めてゆきたいと思う。
差止請求に関する判決については、 いわゆる﹁宴のあと﹂事件判決がプライバシーを認めたことから、この判決か
求が認められるようになり、差止請求権がその適用範囲を拡大してきた。他方、名誉・プライバシー侵害に対する
このように、氏名権の侵害に対する差止請求は古くから認められ、それに加え、生活利益の侵害に対する差止請
第
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巻 2号
雑
;=.
ザー
法
戸
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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小説を単行本として刊行することを中止するよう申し入れたにもかかわらず、発売されたので、プライバシー侵害
を理由に損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めたものである。これに対し、裁判所は以下のように述べている。つま
り、プライバシーを﹁私事をみだりに公開されない﹂利益と定義づけ、今日のマスコミュニケーションの発達した
社会において個人の尊厳および幸福追及を保障するうえでプライバシーが必要不可欠なものであることに鑑み、そ
の保障は﹁もはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高め
られた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、
なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である﹂と、体系上の位置付けを行って
いる。そのうえで、﹁いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として
理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきもの
で あ り 、 民 法 七 O九 条 は こ の よ う な 侵 害 行 為 も な お 不 法 行 為 と し て 評 価 さ れ る べ き こ と を 規 定 し て い る も の と 解 釈
するのが正当である。﹂との理解を示している。ただし、原告の求めていたプライバシー侵害の回復を求める謝罪
(仏)
広告請求は、プライバシーはいったん侵害されるとその回復が不可能でり、また名誉段損を事由とする民法七二三
条はプライバシー侵害の場合にはあたらないことを理由に、結論として原状回復請求は認められていない。
この判決については、判決が、プライバシーという新しい権利を認める先例を欠きながらも、私事をみだりに公
(必)
開されないことを尊重することが、人格権に包摂される一つの権利として、我が国の法の保護を受けるものである
ことを明らかにした点は重要な意味をもっとか、あるいは、﹁本判決は、一般論として我が国でもプライバシーの
(日明)
侵害に対し法的保護が与えられうることを宣言した﹂と評価されていることからも分かるように、はじめてプライ
パシ l権 を 認 め た 判 決 で あ り 、 当 然 の こ と な が ら 、 傍 論 で は あ る が 、 は じ め て プ ラ イ バ シ ー 侵 害 に 対 す る 差 止 請 求
権の可能性を認めた判決でもある。
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5巻 2号
志
ロ
﹁宴のあと﹂事件判決の後、プライバシーの侵害が問題となった裁判例として、﹁エロス+虐殺﹂事件決定があ
る。この事件は、婦人解放運動・社会主義運動家として有名であった神近市子をモデルとした映画が作成され上映
されることになっていたので、名誉致損およびプライバシー侵害を理由に、神近市子が上映中止の仮処分を申請し
たものである。これに対し、裁判所は申請を棄却している。そこでは、人格権の侵害に対する法的救済は、個人の
尊厳、幸福追及の権利と表現の自由との接点の問題として慎重な配慮を要するとし、憲法二一条二項の精神を考慮
して、権利侵害の違法性が高度な場合にのみ、差止請求を認めるべきものと解するのが相当であると解した上で、
(必)
プライバシー侵害及ぴ名誉致損につき、いずれも高度の違法性がないとして請求を棄却している。さらに、この控
訴審は以下のように判示する。すなわち、﹁現行法は人格的利益の侵害に対する救済として、損害賠償ないし原状
者が排除ないし予防の措置がなされないままで放置されることによって蒙る不利益の態様、程度と、侵害者が右措
ついて慎重な考慮を要するところである。そうして、一般的には、右請求権の存否は、具体的事案について、被害
の権利の保護と表現の自由(特に言論の自由)の保障との関係に鑑み、いかなる場合に右の請求権を認むべきかに
かし、人格的利益の侵害が、小説、演劇、映画等によってなされたとされる場合には、個人の尊厳および幸福追及
;=.
回復を認めることを原則とするけれども、人格的利益を侵害された被害者は、また、加害者に対して、現に行われ
寸ー
ている侵害行為の排除を求め、或いは将来生ずべき侵害の予防を求める請求権を有するものというべきである。し
法
決定は不法行為構成によるものと理解されている。また、五十嵐日藤岡も本件控訴審決定について、本件が、﹁人
(印)
さらに、本件決定については、人格権侵害に対する差止請求権の根拠として、第一審決定は人格権構成、第二審
ケl スであると理解されている。
本件決定は、名誉・プライバシー侵害を理由とする映画の上映禁止の仮処分申請として争われた、我が国最初の
置によってその活動の自由を制約されることによって受ける不利益のそれとを比較衡量して決すべきである﹂。
戸
雑
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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格的利益を侵害された被害者は、現に行われている侵害行為の排除を求め、或は将来生ずべき侵害の予防を求める
請求権を有するものというべきである﹂とし、その上で、差止請求権は表現の自由との関連で利益衡量によって決
すべきだとしている点について、単純な人格権的利益への侵害を法的根拠とし、類型的考察に基づく要件論により
判断するものであると解している。そのうえで、本件に関し、﹁人格的利益という表現が用いられているが、内実、
基本的には伝統的な権利侵害 H違法性(権利説)に立脚しながら、差止めの要件を附加することによって、具体的
な妥当性をはかっているものといえよう。﹂と解している。
(日)
﹁エロス+虐殺﹂事件決定以後、人格権侵害に対する差止請求権に関する裁判例は、﹁エロス+虐殺﹂事件にお
ける決定の理論を踏襲していると理解されている。たとえば、マンション建設に反対する住民側がとった現実的物
理的建築工事阻害行為(名誉致損的表現を含むプラカードおよびピラの掲示)を差止めるよう、建築者側からなさ
れた工事妨害禁止仮処分の申請がなされた事案に対し、ピラが名誉致損であることを認定した上で、名誉に対する
(弘)
継続的な侵害が行われていることを理由に、法益侵害を排除する請求権の存在を認め、さらに、﹁本案判決を待つ
ていては回復しがたい損害を受けるであろうことは推測するに難くない﹂として、本件保全の必要をも認めた。ま
た、被申請者によって頒布された印刷物によって、申請者の名誉が致損され、かっ、なおさらに名誉が致損される
危険がますます増大しているとして、被申請者の名誉段損行為の停止を求めて仮処分の申請を行った事件では、裁
判所は﹁一旦名誉致損の結果が生じてしまうと、事柄の性質上、右のような事後的な救済手段を持ってしては、そ
の完全な回復を図ることが極めて困難であるから、名誉侵害が現に行われ、あるいは行われるおそれがあるときは、
(日)
人格権に基づく妨害排除もしくは妨害予防請求として、侵害行為の差止、すなわちその停止、除去を請求すること
ができる場合のあり得ることはこれを肯定せざるを得ない﹂とする。また、仙台市長選挙の候補者を当選させるた
めの選挙活動をすることを目的とする政治団体である原告が、この選挙の期間中に被告が発行する雑誌に右候補者
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志
ロ
雑
を中傷する記事を掲載して、これを当該市長の選挙人に有償・無償で配布しているとして、この配布禁止の仮処分
を求めた事案において、﹁侵害の対象が所有権、占有権、人格権等明確な権利として構成することができない場合
であっても、それが侵害行為の差止によって保護されるべき十分な利益を有すると認められるときは、これに基づ
(白川)
いて侵害行為の差止を請求することができる﹂と判示する。あるいは、 Y のいわゆるスト l カl行 為 に よ り 平 穏 な
日常生活を妨害された X夫婦の Y に 対 す る 妨 害 予 防 を 求 め た 事 案 に お い て は 、 平 穏 に 生 活 を 営 む こ と を 内 容 と す る
u によるプライバシーの侵害を
利益が人格権ないし人格的利益のひとつであるとした上で、その利益の侵害に対しては人格権ないし人格的利益に
(回)
基づく差止めを請求しうることを認めている。さらに、この時期において庁覗き見
理由に、障壁の設置や建築の一部差止めが争そわれた事案がいくつか見られるが、そのいずれにおいても差止請求
権の根拠を論ずることなく、受忍限度論によって問題の解決を図っている。
これまでみてきたように、氏名権侵害、生活妨害(さしあたり騒音被害)、および名誉・プライバシー侵害のい
北方ジャーナル事件判決
ず れ の ケi ス に お い て も 、 当 該 侵 害 が 人 格 権 に 対 す る 侵 害 で あ る と の 判 断 が 下 級 審 に お い て 数 多 く な さ れ る に 至 っ
第二款
た。こうした状況の中で、差止請求権にとっては大変重要な判決がなされている。いわゆる北方ジャーナル事件と
に関する判断に先立ち、実体法上の差止請求権の存否について考えるのに、人の品性、徳行、名声、信用等の人格
分申請人に対し損害賠償を請求したものである。これに対し、最高裁は、寸所論にかんがみ、事前差止めの合憲性
処分の執行に係り裁判官及び執行官に職権乱用があり、また仮処分申請そのものが違法であるとして、国及ぴ仮処
ていた原告に対し、その雑誌の販売等を禁止する仮処分申請し、それが認められ執行されたのだが、原告は当該仮
いわれるものである。具体的には、知事選に立候補を予定していた Aが 同 人 を 下 品 な 表 現 で 攻 撃 す る 記 事 を 掲 載 し
法
且ム
戸
ナ
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償(民法七一 O条)又は名
誉回復のための処分(同法七二三条)を求めることができるほか、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、
現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることがで
(
ω
)
きるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権とし
ての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである﹂と判示した。
この北方ジャーナル事件判決は、当時すでに有力に主張されていた人格権説によったものと理解され、人格権と
しての名誉に基づき名誉に対して将来行われるべき侵害行為をあらかじめ差止めることができる旨を最高裁として
はじめて認めたものであると解されている。具体的には、まず、本判決は、名誉侵害について差止請求が認められ
るかどうかについて、﹁名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権
の場合と同様に排他性を有する権利というべきである﹂ことを理由に、﹁人格権としての名誉権に基づき、加害者
に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求める
ことができるものと解するのが相当である﹂として、これを認めている。この点、最高裁が﹁人格権﹂を初めて承
認したケ i スであ胸、さらに、﹁﹁人格権としての名誉権﹂から差止請求権を導き出しており、名実ともに人格権概
(臼)(山田)
念を承認したと言える﹂とか﹁人格権を承認し、そこから差止請求権を導いたことは、大きな意味をもっ﹂と評価
されている。ただ、本判決の射程とも関係する問題として、最高裁が﹁一般的人格権﹂までもを認めたものかどう
かについては、﹁本件多数意見は、﹁人格権としての名誉権﹂という言葉を使っている。この用法では﹁人格権﹂を
ドイツ法でいう﹁一般的人格権﹂の意味で使い、﹁名誉権﹂を﹁個別的人格権﹂の一つとして捉えたことになる。
そうだとすると、本件大法廷判決は、実質的にいって一般的人格権概念を認めたものということができる﹂として、
これを肯定するものと、﹁今回の大法廷は、現在、人格権と呼ばれているあらゆる法的利益一般が物権と同様に排
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巻 2号
他性を有すると判示したものではなく、人格権の一つである﹁名誉権﹂という個別具体的な権利について排他性を
(白山)
肯定したものであるから、その射程範囲を人格権一般に拡大して考えるべきではないであろう﹂とか、人格権とし
)0
ての名誉権に基づく差止請求権を認めたことは﹁当然に他の人格権に基づく差止請求権を肯定する論拠になるとは
いえな吋﹂として、これを否定するものとがある(なお、竹田は本判決の公害差止の法理への影響を認めてい封。
なお、調査官解説によれば、﹁生命、身体、名誉の他に、いかなる人格的利益につきかかる差止請求権が認められ
るかは、今後の問題というべきであろう(その意味では、本判決により、西ドイツのように﹁一般的人格権﹂が認
められたものとはいえない。)﹂とされているのが示唆的である。
北方ジャーナル事件判決以後
上 に 見 た よ う に 、 北 方 ジ ャ ー ナ ル 事 件 判 決 に よ り 名 誉 侵 害 の ケ l スに限られるとはいえ、最高裁が人格権を承認
第三款
し、それに基づく差止請求権を認めたことは、大きな意義を有するものであり、その後の裁判所実務においても多
止A
法
氏名権侵害のケ I ス
名権及び名誉権侵害を理由に当該書籍の印刷、製本、販売の禁止および損害賠償と謝罪広告を求めた事件につき、
幕を暴露する書籍﹁政治家の夜と昼一議員秘書のブラック・ノ lト﹂を出版した被告およびその出版社に対し、氏
を付し原告の実名と酷似する著作者名を使用して原告あるいは第三者の人格、名誉を段損する記述のある政界の内
たとえば、氏名権侵害の事案としては、元参議院議員の第一秘書であった原告が、元参議院議員秘書との肩書き
第
く差止請求権を認める判決がいくつか出されていることからも裏付けられる。
大な影響があったものと推測される。このことは、下級審あるいは最高裁において人格権侵害に対し人格権に基づ
雑
志
ロ
ナ
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神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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1
差止請求については、氏名権及び名誉権を人格権の一種としてそれぞれの権利それ自体に基づき侵害行為の差止め
を求めることができる旨を判示した。
生 命 ・ 健 康 侵 害 の ケ lス
いないものの、調査官解説によると、明示されなかったのは上告理由とされなかったためであり、むしろ控訴審に
ている。さらに、国道四三号線公害訴訟では、人格権に基づく差止請求権であることについては明示こそされては
(ね)
かれていることを理由に、﹁一般的・抽象的には﹂こうした差止請求権の成立の可能性を肯定するものと理解され
在や生活妨害についても人格権侵害に基づく物権的請求権類似の妨害排除ないし予防請求権を認めるべきことがと
もに却下ないし棄却されたが、調査官解説によると、人格権に基づく差止請求については北方ジャーナル事件の存
離着陸の差止めおよび損害賠償を求めた厚木基地騒音訴訟の上告審判決において、いずれに対する差止請求権もと
(
η
)
また、厚木基地周辺の住民である原告らが騒音を理由に、自衛隊と米軍の使用する航空機の一定時間帯における
る
。
求権に準じて妨害予防及び妨害排除請求権を認めるのが相当であるとして、人格権を根拠とすることを認めてい
によると、人格権については、少なくとも身体は物よりも重大な価値を有することはいうまでも無いから、物上請
されておらず、訴えが不適法であるとして却下されながらも、仮定的判断として実体的判断が下されている。それ
素の流入の差止め及び損害賠償を求めた、いわゆる国道四三号線公害訴訟においては、差止請求はその内容が特定
境等への侵害により被害を被っているとして、国及び道路公団に対して本件道路の共用による騒音および二酸化窒
つか出されている。まず、国道四三号線沿線の住民が当該道路からの騒音、振動、大気汚染によって健康や生活環
さらに、生命・健康侵害のケl スについても﹁人格権に基づく差止請求権﹂という枠組みを承認する判決がいく
第
1
6
2
(花)
おいてみとめられた人格権に基づく差止請求の考え方を是認したものと理解すべきであるとされている。
精神的利益の侵害のケ iス
法
十
誉、信用あるいは名誉感情を侵害する行為に対しては、﹁これらの人格権に基づいて侵害行為の差止めを求める﹂
う会社の理事会を非難するピラを配りさらに立看板を設置した行為の差止めを求めた事案についても、こうした名
ることができるとし、ここでも北方ジャーナル事件判決にしたがったことが伺える。さらに、ゴルフ場の経営を行
も、結論としては却下したものの、一般論としては﹁人格権としての名誉権に﹂基づいて侵害行為の差止めを求め
)O
このように多くの裁判例において北方ジャーナル事件判決の枠組みが下級審において浸透していく中で、最近言
た事案につき、人格権に基づいて差止めを求めることができるとしが
誹誘中傷する内容の街頭宣伝を行ったことに対し、原告らが一定の範囲内における街頭宣伝を禁止することを求め
法な取引であるとして、継続して原告たる会社の住所及びその役員の自宅周辺で、街頭宣伝車等を使って、彼らを
ことができるとして、請求を認容している。また、被告らが原告の行ったゴルフ会員権販売およびロ l ン設定が違
(沼)
戸
(力)
件訴訟で係争中の被申請人が、自己の住宅の二階ベランダに﹁欠陥造成裁判中﹂と大書きした横断幕を設置したこ
また、横断幕やピラなど書籍の出版以外の表現行為により他人の名誉信用を侵害した事案としては、申請人と別
従ったものと考えられる。
分を争った事案について、﹁人格権としての名誉権﹂に基づいて差止めを認めており、北方ジャーナル事件判決に
例については、先に氏名権侵害の例として示した事案のほか、相互銀行の信用を致損する書籍の出版差止めの仮処
他方、精神的利益の侵害の事例についても様々な侵害態様が見られる。まず、書籍の出版の差止めに関する裁判
第
とに対して不動産販売業者が名誉・信用の侵害行為として横断幕の撤去を求めたものがある。この事案について
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誌
且ι
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神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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(鈎)
い渡されたいわゆる﹁石に泳ぐ魚﹂事件判決はそうした傾向を確認する判決として好例であろう。この事件は、作
家A が 執 筆 し た 小 説 が 原 告 の 名 誉 、 プ ラ イ バ シ ー 、 及 び 名 誉 感 情 を 害 し た と し て 、 被 告 出 版 社 に 対 し 当 該 小 説 の 出
版の禁止を求めたものであるが、この事案に対し、最高裁は﹁人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求
を-認容した判断に違法はなく、この判断が憲法二一条一項に違反するものでないことは、当裁判所の判例の趣旨に
照らして明らかである。﹂として、控訴審における、﹁人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対
し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めること
が で き る も の と 解 す る の が 相 当 で あ る ﹂ と の ル l ルを追認している。
本件判決については、控訴審において端的に﹁人格権﹂に基づき、とされているのと対照的に、最高裁では、﹁人
格権としての名誉権等に基づく﹂とし、北方ジャーナル事件判決の枠組みを承継している点は、留意する必要があ
る。さらに、本件が名誉権、プライバシーおよび名誉感情の侵害として争われたことから、名、誉権﹁等﹂に基づい
て差止請求権を導いている点で、名誉権と同時にプライバシーおよび名誉感情の侵害が生じる場合にも、差止請求
による救済が認められることを明らかにしたものである。この点、﹁名誉とともにプライバシーや名誉感情が侵害
された場合に差止めが認められうることを示したにすぎず、プライバシー等の侵害のみで差止が認められるとした
差止請求権の根拠に関する学説の変遷
﹁人格権﹂侵害に対する差止請求権に関する学説の変遷
わけではない﹂との理解が示されている。
ザ再開三時即
第一款
差止請求権の根拠に関する学説は古くから論じられてきた。そこで念頭に置かれていたのは主として生活妨害型
の侵害に対する差止請求権であった。他方、名誉・プライバシー侵害に対して、差止めによる救済が認められるか
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志
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ι
否かについては、先に挙げた、いわゆる映画﹁エロス十虐殺﹂事件以前においては立ち入って論じられてこなかっ
(お)
たとされてい討。そこで、学説の展開については、まず、この映画﹁エロス+虐殺﹂事件を手がかりにし、この判
(刷出)
決がなされた一九七 O年を学説史の出発点として始めてゆきたいと思う。そこで、以下においても諸判決の検討に
おけるのと同様、生活妨害型と名誉・プライバシー侵害型とに分けて論述することとする。
第二次世界大戦前の学説│生活妨害型の侵害に関して│
生活妨害型の侵害に対する差止請求権の根拠に関して最初に扱ったのは鳩山秀夫であるとされている。その論文
(お)(お)
の中で、絶対権の本質と占有訴権に関する規定の準用によって不作為の訴権の成立を主張するものであると述べら
れている。また、我妻栄は、不法行為の効果として差止請求権を認めることには反対しながらも、物権的請求権に
見られるが如く、権利が侵害される場合に、その権利を理由として妨害の排除または予防を請求することを認める
ことが解釈論として認められていることを前提に、支配権ないしは絶対権(無体財産権・人格権等)にその保護を
(釘)
拡張することを是認している。このように、戦前において既に絶対権を理由に差止請求権が認められるという理解
戦後以後i 一九七 O年以前
したといえる。具体的には、加藤は人格権を七一 O条に例示的に列挙された身体・自由・名誉のほか、貞操・氏名
られるとされているが、人格権をも差止請求権の保護の対象となることを詳述した点で差止請求権論が大きく展開
に、妨害排除請求権によって保護されることを認めている。また、加藤一郎による理解も我妻説の延長に位置づけ
(鈎)
戦後においてもこうした学説の流れは変わっていない。たとえば、川島武宜は物権以外の権利でも所有権と同様
(
∞
∞
)
が有力に主張されていたことが分かる。
主
主
第
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第
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神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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(川町)
・肖像をまとめる概念として理解し、また、人格権には、身体的側面に関するものと精神的側面に関するものが含
まれることを認識している。そのうえで、この人格権の差止めによる保護については以下のように考えていると理
解できる。ただし、以下の理解が、人格権の内容全てに妥当するものか否かについては明らかではない。というの
(m出 )
も 、 加 藤 一 郎 の ﹁ 不 法 行 為 ﹂ の 中 で 、 身 体 的 側 面 に 関 す る 人 格 権 に つ い て は 、 生 活 妨 害 に よ る 侵 害 の ケ i スにおけ
る妨害排除ないし予防の請求の可能性について言及がみられるものの、精神的側面に関する人格権については、そ
の言及がみられないからである。したがって、以下の理解は、身体的側面に関する人格権の保護についてのみ妥当
すると考えるのが素直であるように思われる。
まず、妨害排除請求権が、判例・学説によって、物権のほか、無体財産権や人格権のような支配権、賃借権のよ
うな特殊な債権にまで拡張されてきており、これをさらに拡張し、解釈論または立法論として、不法行為の効果と
して一般に損害発生の排除ないし予防の請求権を認めるべきだとの意見が存在することを前提に、こうした考え方
に組みしないことを明らかにする。つまり、およそ権利であるからといって、その侵害に対して妨害排除請求権が
あるとか、不法な侵害に対してはその排除が認められなければならないとかいうことは、理論的にはありえないと
し、侵害された権利ないし利益の種類・性質によって、あるものは単に損害賠償しか認められないが、他のものは
(幻)
妨害排除まで認められる、という程度の差が生ずることを認め、どこまでの救済を認めるかは、﹁立法政策の問題﹂
であるとする。これは、損害発生の排除または予防の請求権を不法行為の効果と考える立場を否定し、さらに、権
利・利益の種類によりその保護の程度が変りうることを明らかにしたものと理解できる。さらに、﹁解釈論として、
一定限度をこえる侵害に対しては、人格権の侵害として、妨害の排除ないしは予防の請求権を認めることが可能で
(川田)
部
)
、
ある﹂として、人格権が妨害排除および妨害予防請求権の保護の目的たりうることも明らかにしている。この、加
藤一郎の立場の理解として、いわゆる人格権説ないし人格権的構成と理解する立場があるカこの時点においては、
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6
士U
=
=
H
M
F
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法
;=.
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ナ
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神
加藤は妨害排除・予防請求権を人格権に基礎付けることは言及していないのではないだろうか。
実際、こうした理解は一九六八年に出版されたモノグラフィー﹃公害法の生成と展開﹄においてさらに深化され
ている。この論文集は四大公害訴訟が提起されるなど、公害問題が社会問題化したことを背景として執筆されたも
のであるが、そのなかで加藤一郎は差止請求権の根拠について、﹁所有権あるいは物権を根拠にするよりは人格権
(町田)
を根拠にするほうが請求しやすいように思われる。さらに進んでは、人格権という権利を根拠として持ち出さなく
ても、違法な侵害を受けているからそれを排除するといいさえすればよいということが考えられる﹂と述べており、
やはり明確に人格権説に立つものと理解することはできないように思われる。むしろ、いわゆる﹁違法侵害説﹂的
発想に近いようにも伺える。ただ、より正確に理解するならば、さらに加藤一郎は、侵害の行為と侵害の継続とい
o その後、この点をより明確に主張したのが幾代通である。幾代は﹁権利侵害の継続性﹂に差止請求権の根拠
う結果とを切り離し、差止請求は侵害行為にではなく侵害の継続という結果に向けられていることを明らかにして
い討
を求めてい的。つまり、一回的侵害に対しては損害の填補で十分であり、継続して権利が侵害され、それにもかか
(鈎)
わらずそれに対して差止めが認められずにますます損失が拡大するという権利侵害の継続性にこそ根拠があるとす
る
。
しかし他方で、﹁公害法の生成と展開﹄のなかでは、不法行為を差止請求権の根拠と考えながらも、加藤の説い
た﹁違法侵害説﹂的理解とは異なる主張がいくつか見られる。たとえば、野村好弘はニュ lサンスを受忍限度論に
(削)
よって二冗的に処理し、その効果として不法行為に基づく損害賠償を結び付けるという理論の帰結として、差止請
求権もまた不法行為を根拠として成立することを肯定している。また、竹内保雄も差止命令の根拠として所有権・
占有権では狭く、人格権・生存権では広すぎるとし、加害者側の故意・過失、侵害行為の違法性などを考慮しうる
不法行為法を理由に差止めを求めることができると考えるのが妥当であるとする。
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
1
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しかし、こうした差止請求権を不法行為の効果として認める立場に対しては批判が相次いだ。たとえば、不法行
(
m
)
為説のもつ体系的問題として、不法行為という語は実定法上は過去の損害の賠償としての地位を持っていて、当然
には差止めを含んではいないという点が指摘されている。また、加害者側の故意・過失を考慮するとする竹内保雄
の主張する不法行為説に対しては、沢井裕が差止請求権は将来の損害発生を阻止するものであるから、過去の行為
(問)
に関する不法行為にその根拠を求めることはできず、むしろ過去の行為の態様は参考程度の意味しかないとの批判
があたる。また、物権的請求権説には利益考量をなす余地がないとする不法行為説からの批判に対し、物権的請求
権説においても利益考量が必要であることを説き、また、被害法益の権利性にとらわれずに、弾力的に判断すべき
(雌)
であるという点に対しても、相手方に対する効果が非常に積極的な差止請求権を不法行為と同レベルで論ずること
はできないとの再批判もある。
こうした生活妨害型の差止請求権に関する理論的展開が見られる中、他方では﹁宴のあと﹂事件判決が出され、
学説においても表現行為による人格権侵害の問題が取り上げられるようになる。例えば、﹁宴のあと﹂事件の分析
の中で、伊藤正己は、差止めという救済方法について、我が現行民法上、一般的にその妨害排除を認める救済が与
えられる体制がとられていないけれども、人格権侵害については、﹁その性質上﹂妨害排除を許すことができると
(邸)
の理解を示し、プライバシーの侵害の場合も、性質上、妨害排除が認められる場合に含まれるとの立場を明らかに
されている。このように、当然の事理として、性質上、人格権侵害に対し、差止請求が認められ、さらにプライバ
シー侵害が人格権侵害として把握しうることを認めている点は、当時としては、斬新な考え方であり、後の人格権
へ収数させる考え方の第一歩を踏み出したものと理解しうる。
ただ、人格権侵害に対する差止めによる救済の根拠付けを理論的に行うことを目指す一方で、当時から、名誉段
損的言論に対する事前差止は認められず、事後的な損害賠償請求による救済に抑止的機能を期待する立場も存在し
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三
円
H
キυ
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巻 2号
雑
ていた。三島宗彦は、名誉およびプライバシーの双方に関して、﹁救済手段の不完全さとの関連において、抜本的
対策として事前抑制の方法も理論的には考えられないではないが、現在いずれの民主主義国家においても言論の自
(邸)
由ということは最大限に尊重すべきものと考えられ、こうした対策は一様に排斥されていることを思えば、わが国
で問題とする余地はない﹂とか、﹁この考え方を妨害予防請求権に及ぼすことには問題があるように思われる。と
くに、言論の自由と関連するような第二および第三の類型に関わるときは、慎重を要すべく、原則的には侵害が現
(閉山)
に発生した後にこれを排除することでプライバシーの保護としては十分であろう﹂と述べているのは、こうした主
一九七O年 j 北 方 ジ ャ ー ナ ル 事 件 判 決
旨によるものと理解される。
日弟三
こうしたなか、﹁エロス+虐殺﹂事件決定が出され、学説においてもにわかに、精神的侵害型の差止請求権に関
プライバシーの侵害に対する差止の保護は既に判例の中に芽生えつつあるように思われる。すなわち、差止請求に
五十嵐清日藤岡康宏は、これまでの﹁エロス+虐殺﹂事件判決までの諸判決の趨勢について、﹁わが国における
する議論が活発化してくる。
ついて財産権から人格権の保護へという経過はわが国でもみられるし、法理論として当初、権利説があらわれたの
へ の 侵 害 あ る い は 侵 害 の お そ れ を 具 体 的 に 評 価 す る (不法行為説)ことによって、差止請求の認否を決すべきであ
りもむしろプライバシーとか名誉といった﹁社会的に是認され定型化された﹂利益そのものを根拠とし、この利益
がらも、両者の連続性にも言及するもので興味深いものであると言える。その上で、法的根拠については、権利よ
えられていた。この五十嵐U 藤 岡 の 理 解 は 、 物 権 的 請 求 権 と 人 格 権 侵 害 に 対 す る 差 止 請 求 権 と は 別 の も の と し な
も、それはこの説が確立された法理論である物権的請求権と直接に結びつきうると考えられた結果であろ引﹂と考
﹁岡山 J
法
戸
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.
戸
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神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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(問)
るとして、不法行為説に立つことを明らかにする。さらに、その要件については﹁利益毎に場合を分けて考察する
ことが必要であ羽﹂として、要件については、物権的請求権あるいは損害賠償請求権から独立した請求権として独
自の要件を考える必要があるとし、﹁一応、ある利益への違法な侵害のおそれ、あるいは繰り返しの危険がある場
合には、当事者の利益を考量することによって差止を請求することができ糾﹂とする。具体的には、﹁エロス十虐
殺﹂事件について、﹁被侵害利益(プライバシー)と行為の内容(主張の内容)とによって決すべきであり﹂、﹁さ
らに侵害のおそれや繰り返しの危険などは、行為者の意図、当事者の事前協議、あるいは裁判における行動などを
0
全体的に評価することによって決すべきであれ )﹂
と主張する。このように、五十嵐日藤岡によって、要件論とし
ては人格権説とも不法行為説とも異なる方向に進むべきことが論じられており、その意味で、根拠論における不法
行為説も、 いわゆる﹁不法行為説﹂とはことなり、侵害の惹起とは時間的に切り離された、客観的違法に結び付け
られた違法行為説に立つものと理解できる。
このように、これまで生命・健康侵害型の差止請求権が論じられてきた中で、ようやく精神的利益侵害型の差止
請求権が論じられ始めた。そうしたなか、好美清光によって人格権説が強く主張されたことは、差止請求権論の新
たな展開の大きな契機となったといえる。
好美清光は、日照妨害に関してではあるが、いわゆる人格権的構成を﹁個人の快適な生活利益に着目し、これを
端的に妨害排除請求の法的根拠として承認しようとするものである﹂と理解する。この考え方は、先に述べた、加
藤一郎の立場に対する理解に依拠するものである。しかし、加藤一郎は人格権が妨害排除・予防請求の目的たりう
ることを認めたにすぎず、それが根拠となることまでは述べていないと理解しうるから、好美清光によってはじめ
て、﹁個人の快適な生活利益﹂、さらにいえば人格権が差止請求権の根拠となることを学説上明らかにしたとも言え
る。この、﹁人格権説﹂は生活妨害における差止請求権の根拠としても承認されるに至り、沢井裕﹁公害差止の法
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=-高川 H
士心
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巻 2号
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理﹂のなかでは、生活妨害に対する差止請求権の根拠の一つとして、物権的請求権説および不法行為説にならぶ学
説としてあげられている。その中において、﹁﹁人間の尊厳﹂に対する社会的価値認識の高まりによって、既に名誉、
プライバシーの領域では、人格的利益は人格権としての保護を受けつつあるが、今日では公害による生命・健康あ
るいは快適な生活への侵害を阻止することなしに、かかる人間の尊厳を守り得ないことから、これらの防止権能を
も含めた人格権の承認が不可欠である﹂と解している。この理解は、これまで明確に峻別されてきた、名誉・プラ
イバシー侵害と生活妨害とを人格権侵害のもとに収数させ、単一的にその侵害および防止を理解しようとする立場
であると解することができるのではないだろうか。
こうした理解は体系書においても承認される。つまり、生命、身体、自由、名誉、プライバシーを包括的に人格
権の内容として理解し、その人格権を根拠に差止請求権を導くという思考の枠組みが説かれるに至るのである。さ
らに、判例においても、こうした理解に立った判決がなされるに至る(最大判昭和六一年六月一一日民集四 O巻四
号八七二頁)。
こうした動きが現れてきたのと同時に、学説において権利的構成と不法行為的構成との並存を認める立場が現れ
てくるのもこの時期である。たとえば、先にあげた沢井裕は権利説の確定を前提とした上で、その外延をカバーす
要件とされる、いわば﹁準不法行為﹂的構成によって認められるとする。
(
m
)
権を権利説的構成と有責性を要件とせず、かっ、不法行為的構成が適用される場合にのみ不法行為法上の違法性が
つ、できる限り、過程的理論として利益衡量の枠組みを設定しようとするものである。また、四宮和夫は差止請求
これは、伝統的体系を尊重しつ
)O
るものとして利益への違法侵害を差止めの根拠として認めることを是認していれ
法
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.
戸
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神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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時間開四
北方ジャーナル事件判決以後│学説における人格権への収数
このように、最高裁により認められた、いわゆる﹁人格権に基づく差止請求﹂の考え方は、学説においても、安
定したものと理解されていた。たとえば、幾代リ徳本は、名誉・プライバシー侵害の場合も公害の場合も、人格
権に基づく差止請求という考え方が当然のものとして語られている。また、人格権の概念を、身体、健康、自由、
名誉、プライバシーを含むものと理解し、こうした、﹁人格的諸利益への侵害は、その性質上差止を認めなければ
救済の実を挙げられない場合があるので、差止の根拠として、物権に準じた権利としての人格権概念を定立する必
(印)
要があり、ここに人格権の法技術的意味がある。最高裁は、この意味での人格権を承認しており、ほぼ確立された
(
m
)
ものと扱ってよいと思われる。﹂との理解もある。こうした理解は、大塚直によると、当然のこととして理解され
ているふしさえ伺える。
他方で、先に述べた複合説を支持する立場も広がっている。たとえば、大塚直は、まず、積極的侵害と消極的侵
害とを分け、積極的侵害については物権構成・人格権構成を維持し、ただし、不快感等の精神的侵害は人格権侵害
(印)
とは認めていない。他方で、消極的侵害については、加害者の主観的態様をも要件として不法行為に基づく差止請
求権を認めている。また、平井宜雄は生命・健康・身体・自由のように被侵害利益の重大さが大きい場合には物権
的請求権または人格権に基づいて差止めが認められ、それほど大きくなくても特別法による差止請求権の趣旨を拡
張して保護される場合には、その解釈問題として保護されるとする。さらに、それ以外の場合でも、損害発生の高
度の蓋然性が存在し、かっ、行為者の故意または過失(ハンドの定式)が存在するときには、差止請求権を認めて
(幽)
い活。また、潮見佳男は生活妨害の差止請求について、物権的請求権説・人格権説を維持した上で、不法行為説(権
利侵害要件+受忍限度要件)の主張を接合させる立場を表明している。ここでは、所有権の絶対権性あるいは生命
・身体・健康といった利益の絶対的優越性を強調し、これらの権利・法益については衡量過程が典型化されている
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巻 2号
同
志
(凶)
人格権への収数に対する反省
ことを指摘しており、沢井説との親和性を窺わせる。
第五
こうした、﹁人格権に基づく差止請求権﹂という差止請求権の根拠論に関する思考枠組みに対しては、内在的な
批判がなされるようになってくる。例えば、和田真一は、その﹁名誉致損の特定的救済﹂の中で、人格権構成の当
否について、﹁予防請求や中止請求﹂が人格権に基づく請求権として構成することがいわゆる﹁北方ジャーナル事
件﹂上告審判決以降、完全に定着した観があるが、差止めを認めるには違法性判断において様々な利益衡量を経な
ければならないということを考えると、差止めの要件を弾力的に考えうるという意味で、端的に違法な名誉侵害に
基づき差止請求が認められるとすれば十分ではないかとされ、また、名誉以外のプライバシーや肖像についても差
ているように、おおむね同様の法的保護を権利主体に付与する新たな法的地位を承認するための﹁母権﹂として人
される。その上で、﹁人格権侵害の効果として構成する利点は、例えばドイツの一般的人格権の研究が明らかにし
であり、人格権に基づく差止請求の一般的な要件論や効果論の定立にいかほどの意味があるのかという疑問を呈示
且4
止めを認めるとしても、それぞれの法益と侵害行為の類型に照らした要件と具体的な救済手段が要求されているの
ナ
わる規範とは異質の新しい規範が創造されたのではないかと考えることもできる﹂として、人格権の保護において、
(即)
利用をめぐる争いであるから、﹁そこで人格権侵害が問題となるのは、土地利用の衝突をめぐる紛争そのものに関
では﹁どのような人格的利益までが法的保護に値するかが問われるにすぎない﹂が、生活妨害では、本来、土地の
さらに、藤岡康宏は、人格などの精神的側面に対する侵害では、明らかに人格的利益の侵害が問題となり、ここ
している。
格権概念が機能していく点に存在する。﹂にすぎないとして、一般的に人格権に基礎付けることに対して疑問を呈
(凶)
法
雑
戸
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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3
その対象が精神的側面か身体的側面かによって違いが生じることを強調している。さらに具体的に、人格権を根拠
に差止請求を認容した﹁大阪国際空港﹂事件判決(最大判昭五六・二一・一六民集三五巻一O号一三六九頁)の第
一、第二審判決の上告審である大法廷判決において、少数意見が、﹁人格権の外延の不明確性から排他的な権利と
して構成することの困難さや法的安定の懸念を表明して人格権に対し否定的態度を取ったことは、同じ大法廷判決
(邸)
でありながら、既述の﹁北方ジャーナル﹂事件と対比すると、﹁その聞に歴然とした差異が認められることに驚か
される。﹂と指摘する。このことは、人格権の中にあって、その性質によって保護のあり方が異なることを、まさ
に言い当てるものである。その上で、﹁﹁北方ジャーナル﹂事件では、人格権としての名誉権は物権の場合と同様に
(四)
排他性を有する権利と解されていることからすると、生活利益は、人格権としての生活利益と捉えなおす程強固な
保護法益ではないということであろうか﹂とする分析は、こうした結果に対する分析とひとつとして、傾聴に値す
るものと考える。
こうした、﹁人格権﹂への単純な二冗化に対する反省はその後もみられ、たとえば潮見佳男は、﹁人格権とは、人
間の尊厳に由来し、人格の自由な展開、ならびに個人の私的生活領域の保護を目的とする権利を指す(名誉権と異
な組)﹂と理解し、こうした﹁人格権に基づく差止請求権﹂という言い回しについて、生活妨害類型で問題となる
人格権は、先の北方ジャーナル事件判決で認められた﹁人格権﹂とは異なり、﹁生命・身体・健康に関する権利を
中核にするものとしてとらえられている点に注艶﹂しなければならないとされている。
また、森田修は、こうした﹁抽象理論のレヴェルで酷似した枠組みのもとで判附﹂することに対しては、﹁実際
の判断のプロセスは両事案類型で異質であり、両者を一括して人格権に基づく差止の法理の下に整理することには
(邸)
法技術的な意味はないように思われる。かえって人格権を根拠にしていることから、保護の対象となる人格的利益
の範囲が暖昧になると考えられる﹂との指摘を行っている。
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ロ
心
、
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三土
雑
第四時即
日本法に関する小括│ドイツ法検討の視座
これまでに検討してきたように、人格権侵害に対する差止請求権に関しては、判例、学説ともに﹁人格権に基づ
く差止請求権﹂という考え方への収殺が見られた。判例に関しては、古くから人格権の一内容と考えられていた氏
名権の侵害に対する差止請求権から始まるが、その後、生命・身体への侵害に対する差止請求権による保護が数多
く見られるようになった。当初は所有権の保護を通して、所有土地上で営まれる生活をも保護するという考え方を
とり、所有権侵害に対する物権的請求権という法的構成により生命・身体の保護が図られていた。その後、下級審
においては差止請求権を人格権に基礎付けた裁判例が見られるようになる。特に、大阪国際空港公害訴訟では第一
審および控訴審において明確に人格権を根拠として差止請求権を認める考え方が示され、下級審レベルでは人格権
説が定着したものと理解されている。こうした流れを受け、最高裁も、国道四三号線公害訴訟において、人格権に
基づく差止請求権を明示的に認めたわけではないが、これを肯定した原審を是認するかのごとき態度を明らかにす
るに至った。他方、精神的侵害に対する差止請求権は、当初より人格権侵害であると理解されていたためか、特段
の議論もないまま﹁人格権に基づく差止請求権﹂という思考枠組みの下で差止請求権が認められてきた。この類型
の差止請求権に関しては、いわゆる﹁北方ジャーナル﹂事件判決によって、名誉致損に関するものではあるが、最
きな視点の転換をもたらしといえる。もっとも、不法行為説に対しては絶対権・支配権を根拠に差止請求権を認め
者側における差止請求の必要性と差止めを認めることによって生ずる行為者側の不利益との利益衡量に関して、大
る議論の過程で、不法行為に基づく差止請求権の成立を認める不法行為説が主張されるようになったことは、被害
権説)が有力であった。こうした考え方は第二次世界大戦後にも受け継がれていく。しかし、四大公害事件をめぐ
他方、学説に関しては、第二次世界大戦以前から差止請求権を物権的請求権であると理解する立場(物権的請求
高裁により﹁人格権に基づく差止請求権﹂という理解が承認されるに至っている。
法
且ム
戸
ナ
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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る立場から強い批判が見られた。そうした中でも、好美清光によって、差止請求権の根拠を人格権に求める人格権
説が強く主張され、上に述べた﹁北方ジャーナル﹂事件判決の出現ともあいまって、人格権説が多数説となるに至っ
た。しかし、現在においては、﹁人格権に基づく差止請求権﹂という考え方は、生命・身体に対する侵害と精神的
利益の侵害という、異質の侵害行為類型を同一の法理の下に説明しようとするものであって、適当ではないとの批
判が見られるに至っている。このように、一旦確立したかに見えた差止請求権の根拠をめぐる議論が新たな展開を
見せ始める中で、近時に制定された独禁法上の差止請求権は、権利の絶対性や人格的利益の保護という観点からす
ると、これまで検討してきた差止請求権とは異質な特徴を有するものであり、差止請求権を認めるべき実質的根拠
が何かについて、新たな理論の構築が迫られているといいうる。
興味深いことに、これと類似の状況はドイツ法においても見受けられる。後に詳しく見るように、かつてドイツ
法においては、名誉、信用等の侵害に対する差止めによる保護を認めるため、明文上規定されていない﹁一般的不
作為の訴え﹂という法理を解釈により生み出した。このことは、ドイツ法が法体系として、﹁権利﹂の保護をその
基盤としていることからすると、権利としては認められていない、名誉、信用等について物権的な保護を認めたも
のといえ、理論的には大きな展開であった。その後、この訴えは﹁請求権﹂であるとの理解が浸透し、物権的請求
権を規定するドイツ民法一 O O四条に基礎付けられるに至った。しかし、こうしたドイツ民法一 O O四条に基礎付
ける考え方に対しては批判があり、むしろ、この名誉、信用等の保護に向けられた不作為請求権はその保護の対象
の性質に着目して、一般的な法理により基礎付けるべきであるとする立場もみられる。こうした立場は、日本法に
おいて今日定着したかに見える﹁人格権に基く差止請求権﹂に対して疑問を提示する立場とその発想を同じくする
ものといえる。この意味において、ドイツ法における議論の状況を分析することは、日本法における新たな議論の
展開の評価に際しでも、重要な示唆を与えることが期待される。このような見地から、次章においては、ドイツ法
1
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巻 2号
志
ロ
ドイツ法における差止請求権による保護の状況
における、﹁一般的不作為の訴え﹂の生成及ぴその発展と今日の議論の状況を分析することとしたい。
借用問三立早
ここでは、ドイツ法における生命・身体・健康侵害および精神的侵害に対する差止請求権による保護がいかなる
根拠に基づき、また、 いかなる基準においてなされているのかという問題について考察を加える。これまでの日本
法における分析で明らかになったように、日本法においては名誉・プライバシーに対する侵害と同様に生命・健康
・身体に対する侵害をも人格権に対する侵害と捉え、﹁人格権に基づく差止請求﹂による保護を認めてきた。他方、
ドイツ法においては、第二次世界大戦中のナチス支配当時、個々人の人格への配慮を欠いたことに対する反省の上
人格権侵害と把握する態度をとっている。したがって、同じように﹁人格権﹂侵害といっても、ドイツ法と日本法
る。ただ、日本法と異なり、ドイツ法においては、人格権が人の精神的側面に限定され、これに対する侵害のみを
められた。さらに、その一般的人格権に対する侵害に関しては差止めによる救済を認める判例が次々に出されてい
ι
に﹁一般的人格権﹂を認めることが強く主張され、その結果として帝国裁判所(以下、 R Gと略す。)時代にはか
とではその問題領域が異なることが分かる。また、ドイツ法においては、日本法における人の生命・身体・健康侵
主
主
o) に お い て 初 め て 判 慨 に よ っ て 認
ザー
たくなに否定されてきた一般的人格権が連邦通常裁判所(以下、 BGHと略す
j
去
とを平行して考察していくこととする。
してのドイツ法における土地所有権侵害型の差止請求権に関する議論と人格権の精神的側面に対する侵害の差止め
そこで、以下においては日本法の議論との平灰を合わせるために、人格権の身体的側面に対する侵害の差止めと
一0 0四条が請求権根拠条文であると同時に、 BGB九 O六条により、その要件が明確に規定されている。
害に対する差止請求権は、土地所有権の侵害に対する差止請求権と構成され、ドイツ民法(以下、 BGBと略す。)
戸
雑
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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笛知一時即
第一款
ドイツにおける判例の検討
判例における生命、健康、身体侵害に対する差止請求権による保護の範囲と要件
BGB 一O O四 条 一 項 は 、 ﹁ 所 有 権 が 占 有 の 奪 取 ま た は 不 渡 し 以 外 の 方 法 に よ り 侵 害 さ れ た 場 合 に は 、 所 有 権 者
一{疋
は侵害者に対し侵害の除去を求めることができる。更なる侵害のおそれがある場合には、所有権者は不作為の訴え
(閉山)
E
一O九 O条二項)や用益権者 (B
をなすことができる﹂と規定している。この規定は物(動産及び不動産)の所有権を保護するものであるが、
の 制 限 物 権 者 の 保 護 も 認 め ら れ て い る 。 た と え ば 、 地 役 権 者 (BGB一O 二七条、
G B 一O六五条)、あるいは、動産の質権者 (BGB 一二二七条)、地上権者(地上権法一一条一項一文)などには、
(邸)
BGB 一O O四 条 が 準 用 さ れ 、 差 止 請 求 権 に よ る 保 護 が 認 め ら れ て い る 。 さ ら に 、 物 権 以 外 の 絶 対 権 的 権 利 、 特 に
無 体 財 産 権 や 、 氏 名 権 (BGB 一一一条)、抵当債権者 (BGB一 一 三 四 条 ) な ど に つ い て も 差 止 請 求 権 が 認 め ら れ
る。しかしながら、差止請求権による保護は、これらの制定法上の認められた諸権利を超えて、さらに裁判例によ
り種々の絶対権にも拡大していった。たとえば、狩猟権や漁業権、あるいは、水利権などである。このように、絶
(邸)
対権という性格に着目して保護の範囲を拡大してきた差止請求権は、それを超えて、一方ではいわゆる﹁枠権利(河島
BSおの宮)﹂としての一般的人格権にもその保護領域を拡大させていくと同時に、他方で、最近では不法行為法上
保護された法益、すなわち八二三条によって保護された四つの生活利益および人格的な性格を持つ利益にもその保
護を拡大させている。
連邦通常裁判所の判決
て数が少ない。これは、こうした法益侵害も所有権侵害に対する差止請求の形で争われることに起因するものであ
ドイツにおいて、生命・健康・身体といった法益への侵害に対する差止請求権に関する最上級審判決は、きわめ
第
1
7
8
=で
ロ
1
(
;
、 55巻 2号
ると考えられる。ただ、今日、保護法規違反に対する差止請求という構成を用いて生命・健康・身体の保護を求め
る事案に対して、特徴的な判決がなされているので、これを考察の対象とする。
o
σ
E員同市右凶(回凸出 N H M M・-)
回。出口同門・︿・いN
a・
同u
︻事案}
原 告 ・ 被 告 は 土 地 の 隣 人 同 士 で あ る 。 被 告 は バ レ l学 校 を 経 営 し 、 そ の 窓 は 南 に 面 し て い る 。 原 告 は 西 に 隣 接 す
る土地の物権的用役権者であり、そのテラスは直接土地の境界に接している。
B市 は 、 一 九 八 四 年 九 月 と 一 九 八 五 年 一 一 月 に 、 被 告 に 対 し 、 半 地 下 室 に お け る 改 築 お よ び 利 用 の 変 更 ( バ レ ー
ホI ル ) に 必 要 な 建 築 認 可 を 与 え た 。 両 認 可 に は 、 ﹁ 音 響 機 器 の 使 用 中 、 窓 は 原 則 と し て 閉 め て お く こ と ﹂ と い う
一九八五年一一月認可取消を求めて訴えを提起し
、
文 面 の 命 令 が 含 ま れ て い た ほ か 、 バ レ l学 校 の 運 営 に あ た っ て 、 イ ン ミ ッ シ オ ン の 基 準 値 は 、 日 中 は 六OdBを
夜 間 は 四 五d Bを超えてはならないと定められていた。原告は、
所有権行使の範囲内にあるかを判断するについては、 B G B九 O六 条 以 下 の 特 別 の 規 定 が 決 定 的 で あ る 。 そ の 限 り
土地の隣人間の関係において、ある人の土地から隣地に対して生ずる作用が違法な所有権侵害にあたるか適法な
︻判旨}
原告は、棄却部分につきさらに上告。原告勝訴。
の窓は一九時以後閉じておくように命じたが、その他の点については訴えを棄却。
棄却。原告が控訴。上級地方裁判所は、被告に対し、音響機器の使用中は、被告の家の一階と半地下にある練習場
原告は、被告を相手として、上記の義務を履行するよう、私法上の訴えを提起した。ラント裁判所はこの訴えを
たが、この行政訴訟は棄却され、確定している。
止ん
1
十
雑
法
戸
神
において、これらの規定は単に、自己の所有物について自由に行動することができ、他のあらゆる作用を排除しう
る (BGB九 O三 条 ) 所 有 者 間 相 互 の 紛 争 を 一 般 的 に 規 律 す る も の で あ り 、 か っ 、 直 接 に そ れ ら の 権 限 を 限 界 付 け
(邸)
るものである。しかし、このことは保護法規による特別の規律について当てはまるものではなく、したがってまた、
保護法規を根拠とする準ネガトリア的差止請求権にも妥当しない。この限りにおいては、保護法規に違反すること
が違法性を示すことになる。この保護法規に当たる、制定法に基づく行政官庁の行為命令は、保護法規違反がどの
ような結果を生ずるか知何にかかわらず、隣人の保護をいわば前倒しした、抽象的な危険性要件が基準となる。こ
の特別の権利保護によって、隣地所有者の法益は、ただ直接に保護されるだけでなく、特に効果的に保護されるこ
とになる。原告に追加的に認められた法的地位は、原告を準ネガトリア的差止めの訴え以上に保護しうる。なぜな
ら 、 被 告 に 対 す る 行 為 命 令 は 、 個 々 の ケi ス に お け る 作 用 の 結 果 か ら 独 立 し て 当 該 命 令 の 貫 徹 が 保 障 さ れ る と き に
の み 、 そ の 命 令 の 目 的 に 適 合 し た も の と な る か ら で あ る 。 仮 に 、 保 護 法 規 違 反 の ケ l スにおいても、 BGB九 O六
条の基準によって違法性が確定されなければならないとすれば、特別かっ抽象的な保護法規の規律の基準が空虚な
ものとなろう。したがって、保護法規違反に基づく準ネガトリア請求権に基づいて差止めを認めようとする場合に、
BGB九 O六条と同じ基準に従う必要はない。
かよ、つにして、 BGB八 二 三 条 二 項 に 基 づ く 準 ネ ガ ト リ ア 的 差 止 請 求 権 とBGB 一O O四 条 一 項 二 文 お よ びB G
B九 O六 条 に よ る 請 求 権 は 、 な る ほ ど 、 本 件 で は 騒 音 の 防 止 と い う 同 一 の 目 的 に 資 す る も の で は あ る が 、 そ れ ぞ れ
。
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円$2332HJそ33・ロ N)
回。国巴ユ・︿-E・
固有の要件を有する請求権に関するものであり、内容的にも部分的には異なりうるのである。
2
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いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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7
9
原告は、賃借人として、七 0年代の初めころから、五 0年代に高台に建てられた家屋に居住していた。その土地
の五 O mほど下手の谷に、一八六七年以来、被告の製紙工場が存在している。九 0 0 0 o dの工場敷地上には、工
場のほか多くの製紙機械や倉庫、三つの燃焼施設とガスタンクがあり、必要な限りにおいて、建築法上のつまりイ
ンミッシオン法上の許可を受けている。
行政当局は、一九八八年一 O月、建築法上の許可を必要としない被告の施設について、夜の二二時から翌朝の六
時までの問、四五d Bを超える騒音を発してはならないという決定を行った。そこで、原告は、被告の企業施設か
して、被告を相手として、夜の二二時から翌朝六時までの問、原告の賃借土地に対する、四五d Bを超える騒音イ
一部差戻し。
一九八八年一 O月に出された行政当局の命令に基づいて、原告に差止めを求める請求権が認められるか
どうかについて、なんら検討していない。当裁判所がかつて判決したように、有効な行政行為の利益を受ける第三
行政行為自体ではなく、そのつど適用される規範である。
こと、および第三者がその保護された人的範囲に属していることが要件となる。保護法規として顧慮されるのは、
が、第三者を(も)保護している公法上の規範により具体化されること、第三者の保護に資する行為命令があった
により、その者の利益のための命令の道守を求める準ネガトリア請求権が認められうる。このためには、行政行為
者には、 BGB九 O六条の要件を問題とすることなく、 BGB八二三条二項及び BGB 一O O四条一項二文の類推
原審は、
︻判旨︼
ンミッシオンの差止めを求めて訴えを提起し、予備的に、そのような騒音の作用を防止する措置をとるよう主張し
ら、夜間に、過大な費用を要することなく防止できるにかかわらず、四五 d Bを超える騒音が出されていると主張
た。ラント裁判所は訴えを認容し、上級地方裁判所は控訴を棄却した。被告により上告。一部棄却、
1
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;
=
,
.
雑 志
ロ
ナ
戸
法
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権Jの再構成
1
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判例の分析
オン保護と私法上のインミッシオン保護との関係が伏在しているからであるとす討
oす な わ ち 、 連 邦 通 常 裁 判 所 お
界値の道守には特に注意するべきであることを指摘している。その理由として、その背後には公法上のインミッシ
(即)
このことに関連して、バウア/ピッツァ lは、原告が求めた、被告の義務の遵守、つまり、定められた騒音の限
しまうことが指摘されている。
同時に、保護法規違反の枠内で BGB九 O六条を適用するとすれば、保護法規の抽象的なル i ルの機能が失われて
らかにしており、このことは、侵害の結果如何によらずに、隣地所有者の保護を前倒しするものであるとしている。
また、保護法規違反に基づく差止請求権の存否を判断するについては﹁抽象的な危険性﹂の要件によることを明
条のル l ルは適用されないということを明らかにしている。
るものではないとする。すなわち、保護法規違反に対する差止請求権(不作為請求権)に関しては、 BGB九 O六
に関して妥当するものではなく、それゆえ、結論として、保護法規に基づく準ネガトリア的差止請求権にも妥当す
作用の法的な価値判断についての規律であるからであるとする。さらにこの規律は、保護法規による特別なル l ル
従前の判決を援用している。その理由は、 BGB九 O六条以下が基本的には、ある土地から他人の土地に発散する
(印)
本判決は、 B G B九 O六条の要件を吟味することなく、保護法規たる帝国車庫法に基づく差止めの訴えを認めた
不作為請求権の枠内において、 BGB九 O六条が適用されるのか否かという問題に関する論旨が興味深い。
う問題が、本判決の核心的論点である。しかし、本稿との関係においては、保護法規違反に基づく準ネガトリア的
行為の執行によって B G B八二三条二項の意味の保護規範に﹁格上げされる﹂程度に具体化されうるのか否かとい
BGH 一九九三年二月二六日判決はいくつかの重要な点を含んでいる。とくに、公法上の権限付与規範は、行政
ここで上に見た判決について若干の考察を加えておく。
第
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2
三
日
Z
U
工
LA
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巻 2号
雑
よぴ連邦憲法裁判所の最近の判例には、 BGB九 O六 条 の 私 法 上 の 受 忍 限 度 の 判 断 に と っ て 決 定 的 で あ る 本 質 性 の
限界を連邦イミッシオン保護法二二条および三条による﹁損害性﹂つまり﹁重大性﹂の限界と同視する傾向がある
(鴎)
が、このことを背景に、遵守されるべき騒音の限界値を裁判上確定させる場合、とりわけ侵害結果を前提としなが
ら、事前的な抽象的危険の要件の判断をなしうるのかという問題があるというのである。このこともまた、保護法
規違反における義務の貫徹においては、﹁抽象的な危険性﹂の要件が働き、結果としての﹁損害性﹂や﹁重大性﹂
が判断の基準となりえないのではないか、ひいては、 BGB九 O六 条 の 予 定 す る 法 律 状 態 と 保 護 法 規 違 反 に 対 す る
不作為請求権が問題とされる法律状態とは異なるのではないか、という指摘として理解することができる。
この指摘とも関連して、本判決において、 BGB八 二 三 条 二 項 に 基 づ く 準 ネ ガ ト リ ア 的 差 止 請 求 権 と BGB 一O
O四条一項二文およびBGB九 O六条による請求権は、同一の目的、つまり、騒音の防止に資するものではあるが、
それぞれ固有の要件を有する個別の請求権であると指摘されているのは、﹁ほんのついでに付加されたコメン同﹂
BGH一九九五年一 O月一四日判決は、 BGH 一九九三年二月二六日判決で示されたル l ルを確認するものであ
ではあるがきわめて重要である。
り、この二つの判決によって、保護法規違反に基づく差止請求権が、 BGB九 O六 条 等 に 基 づ く 差 止 請 求 権 と は 別
判例における精神的利益の侵害に対する差止請求権による保護の拡大
の判例において示されたル i ルを検討することとする。
判例が積み上げられ、特徴的な判例法理を形成してきた。以下においてはそれらの判例を紹介するとともに、個々
生命・身体・健康侵害の場合とは異なり、精神的利益の侵害に対する差止請求権に関しては、古くから数多くの
第二款
個のものであるとの判断が判例上確立していると評価できる。
法
山
'
ナ
戸
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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帝国裁判所の判例
問。巴門戸︿・同日・﹀℃ユ--甲()同(問。NhH∞・ニム)
BGB二 四 九 条 以 下 の 原 則 、 及 び 、 被 告 に よ る 脅 迫 状 態 の 維 持 に よ っ て 生 じ た 権 利 侵 害 状 態 の 観 点 を 差 止 請
一O O四 条 ) が 、 民 法 に お け る 他 の 全 て の 場 合 に つ い て 、 同 様 の 差 止 請 求 権 が 認 め ら れ る こ と を 排 除 す
るものではない。
八六二条、
求権について利用しようとする演鐸方法には従えない。ドイツ民法は、差止請求権を個別に定めている(一二条、
土
寸
こv
、
1
1
行為の差止めを求める請求権が認められるべきである。その限りで、第一審の裁判官の論述には賛成しうるが、同
発 生 が 予 防 さ れ る べ き と き に は 、 少 な く と もBGB八 二 三 条 ま た は 八 二 六 条 に 該 当 す る 場 合 と し て 、 被 告 の 行 っ た
不法行為が既に現実化し、かつ、さらなる侵害が予想されるとき、換言すれば、すでに生じている損害の将来の
︻判旨︼
した。これに対し、控訴審裁判所は請求を棄却した。原告により上告がなされ、破棄差戻し。
えを提起。第一審裁判所は、まず、仮処分決定により、さらには判決により、原告の求めた被告に対する禁止を出
船グループの運輸会社である原告を脅迫してきた。そこで、原告は、被告のこうした脅迫行為の差止めを求める訴
し、それがかなわないと分かると、別の運送航路において特別の運送料で運送契約を締結する旨を宣告し、当該帆
行っていた。しかし、被告がブリスベンまでの航路を拡大させるにあたって、帆船グループの運送を締め出そうと
被告は帆船による貨物輸送を行う会社であるが、帆船による運送の競業団体と貨物運賃料率につき取り決めを
案
1 第
事
同
cdFU ・HmHER-甲()凶(問。Na()・ 色 )
内円。
a・0
} σRH 申 ( ) 凶 (O
a-- w
同N
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一
が認められる。民法典は、八二四条から明らかとなるように、人の信用、収益、生計を特に侵害を受けやす
問。口同行︿・
い法益として保護している。
5
5
)
れ た 法 益 を 違 法 に 侵 害 さ れ た 被 害 者 に は 、 さ ら な る 侵 害 が 予 想 さ れ る と き 、 準 ア ク チ オ ネ ガ ト リ ア(
Rま 告 白 5mmE
は、二一条、八六二条、一 O O四 条 と い う 規 定 の 類 推 適 用 に よ る 保 護 に 見 出 す こ と が で き る 。 制 定 法 に よ り 保 護 さ
法な侵害が反復される場合には、しかるべき保護が与えられるということも、正義の命令である。その法的な根拠
損害賠償義務は過失がある場合にのみ認められるのは公正さの要請であるが、過失がない場合でも、客観的に違
︻判旨︼
認めたものの、上級地方裁判所が請求を棄却したため上告。原告勝訴。
ていたことから、債権者が債務者に対し、がその主張内容を流布させないように求めた。ラント裁判所は仮処分を
仮処分事件。債務者が出版した本の中に、債権者の信用を危険にさらし、収入の減少を招くような内容が含まれ
︻事案︼
2
3
いった。その結果、原告の約束違反を明らかにし、その工場の製品の不買を主張するピラが配られるようになった。
トライキを理由に従業員を解雇しないことを約束したが、その後、ストライキに参加した従業員を次々に解雇して
ケi キ 製 造 業 者 の 中 央 連 合 会 議 長 で あ る 被 告 と 職 人 達 と の 交 渉 に よ っ て す ぐ に お さ ま っ た 。 そ の 際 、 原 告 は そ の ス
原告はアルトナで菓子工場を経営していたが、そこで賃上げを求めたストライキが起こった。そのストライキは、
事
案
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戸ら
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寸ー
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原告はこのようなピラの作成、配付の差止めを求めて訴えを提起。ラント裁判所、上級地方裁判所とも請求を認容
したが、帝国裁判所は差戻した。
︻判旨︼
すでに一九 O五 年 一 月 五 日 の 判 決 で も 言 わ れ て い る よ う に 、 人 の 信 用 、 収 益 、 生 計 は 法 益 と み な さ れ 、 虚 偽 の 事
実の主張または流布によってそれらが侵害された場合には、権利保護が認められる。その保護のあり方として、 B
G B八二四条で予定された要件の下での損害賠償請求のみならず、 B G B 二一条、八六二条、一 O O四条の規定の
類推により、虚偽の事実を主張し流布している者に有責性が認められない場合、あるいはその者が正当な利益を主
張して行為した場合であっても、将来の侵害の差止めを求める訴えもまた認められる。﹂
問。口三・︿・ N・∞σ
門戸沼凶吋(問。N 5 P 凶、芯)
宮 OB-umw
お け る さ ら な る 侵 害 の お そ れ を 要 件 と す る 。 名 誉 は 法 益 で あ り 、 こ れ は B G B八二四条、八二六条と並んで B G B
判例において認められてきた予防的差止めの訴えは、保護された法益に対する現在の違法な侵害および、将来に
︻判旨︼
求を認容した。被告が上告。破棄差戻し。
しないよう、差止請求。ラント裁判所はこの訴えを棄却したが、上級地方裁判所はラント裁判所の判決を破棄し請
供も誰が父親か分かったものではない、などと述べた。原告は、被告に対し、原告の妻に関するそのような主張を
で話し合いがもたれた。その折り、被告は、原告の妻は窓から男を自分の部屋に忍び込ませていた、原告に妻の子
原告の妻が自分の両親を訪れた際、被告の妻と言い争いとなり、その日の午後に、原告の妻の父親と被告との間
︻事案︼
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車
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八二三条二項によって保護されるものであり、名誉の侵害は、予防的差止めの訴えの対象ともある。特に BGB一
0 0四条において示された考え方が拡大していく中で判例により形成されてきた差止請求という法制度は、抑止さ
れるべき権利侵害が、将来現実化することが予想されるということを特色とする。侵害反復の危険がもはや存在し
ないという状態になれば、そのような請求はもはや根拠を失うことになる。
同
p
w
σ
g
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w 円 3hFH(NON-aArHUC)
河口己民・︿・ニ-
ず、具体的な違法侵害があれば足りる。
うに、制定法が保護する法益に対する侵害の差止めを求める、いわゆる予防的訴えは、行為者の有青ハ性を要件とせ
ある場合にのみ、認められるとする立場に立つが、これにしたがうことはできない。確立した判例が認めているよ
上告理由は、予防的差止めの訴えは、行為者が自らの行為の違法性と、自らの発言が侮辱にあたることの認識が
︻判旨︼
所、上級地方裁判所ともに請求認容。被告が上告。上告棄却。
花等を送りつける行為や二人がかつて婚約していた事実を口外することの禁止を求めて、訴えを提起。ラント裁判
その文書の受領後も原告を何度も訪ね、また、花や手紙やカ lドを送りつけるなどした。このため原告は、手紙や
原告と被告とは婚約していたが、原告は、文書で被告に対し婚約を解消するとの意思を伝えた。しかし、被告は、
︻事案}
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第
-NU
・ 7向。﹄
3uhH(回CZN ロ・一出品)
連邦通常裁判所の判決
切の出口尽・︿
一般的人格権は憲法上保障された基本権とみな
限されるとすればどれほど制限されるのかについては言及する必要がない。なぜなら、ここで問題となっているケ l
いて、人格の固有の領域の不可侵性の利益に優越する正当な私的又は公的利益によって制限されるのか、そして制
ここでは、その限界付けに利益衡量という特別の基準が必要な、この一般的人格権の保護が、個々のケ l スにお
されなければならない。
法上の権利、 つまり万人に尊重される権利として認めたのであり、
そ の 権 利 が 、 他 人 の 権 利 を 侵 害 せ ず あ る い は 憲 法 上 の 秩 序 又 は 公 序 良 俗 に 反 し な い 限 り に お い て (GG二条)、私
これからは、基本法が人間の尊厳の尊重に関する人の権利 (GG一条)及び人格の自由な展開に関する権利を、
︻判旨}
用したS博士に関わるニユルンベルクの判決からの抜粋の再現がなされていなかった。
九五二年七月六日の号の中で、﹁読者の投稿﹂という表題の下、上記の文書を公表した。そこでは、文書の中で引
法一一条により訂正をすることを要求するものであった。しかし、被告は原告になんら回答せず、むしろ被告は一
一九五二年七月四日、 S博士の委任により、原告である弁護士は被告にある文書を送付した。その文書は、出版
S博士の政治的影響力を徹底的に分析するものであった。
たな外国貿易銀行に対して、ある態度決定を含んでおり、このことに関連して、ナチス政権当時及び戦後数年間の
を契機とする政治的考察﹂という副題である記事を公表した。この記事は、 S博士によって H の中に設立された新
被告は一九五二年六月二九日に自らの週刊誌の中で、﹁口同国・∞・伴内。﹂の見出しおよび﹁新たな K銀行の設立
︻事案︼
1
スにおいては、原告が争っている被告の行動を正当化しうる被告の保護に値する利益が明らかではないからであ
N0
コ
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山
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向包戸沼一泊∞(回。国 N い
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る。これに対し、文書の本質的な部分を省略してなされた訂正文書の公表により、原告の人格権的利益は侵害され
国白出 dR
・
︿
・
ている。
2
う求めて訴えを提起。ラント裁判所は請求を-認容したため、被告が控訴・上告。 いずれにおいても、棄却。原告勝
被告の妻は被告に頼まれて、原告に黙ったままその内容を録音した。原告は被告に対し、会話の録音を抹消するよ
金の分配につき争いが生じていた。原告と被告との間で、これらの争いごとを解決するため話し合いが持たれたが、
医者である被告とその職務上の上司である原告との聞には、税金業務や住居経営そして住居建設に関する公的資
事
案
凶()喧吋)
被告は義歯の洗浄・強化を行うビタミン剤の販売業者であるが、ある雑誌に、有名な歌手が自らの体験を語り、
︻事案︼
回白出口ユ・︿一∞-FER-由一明甲(回。出 N
被告はBGB八二三条、 一O O四条により、発言の録音を消去しなければならない。
F555♀ESo回開8455)に対する侵害が継続している。したがって、
るかぎり、原告の人格権的自己領域(唱 OECD-甘
被告が、録音により原告の声および発言内容を原告のコントロールを受けることなく自由に利用することができ
︻判旨︼
訴
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志
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雑
且A
十
法
戸
神
その製品を推賞する広告を掲載した。しかし、その歌手はこの広告に承諾を与えておらず、無断使用により氏名権
一O O四条一項二文の類
と人格権が侵害され著しい損害を生じたとして、広告への氏名の使用の差止めを訴求。ラント裁判所は訴えを認容
した。上級地方裁判所・通常裁判所とも上訴を棄却した。原告勝訴。
︻判旨︼
この権利は、さらなる侵害が危倶されるとき、 BGB 一二条二文、八六二条一項二文、
一般的人格権が侵害され、かつ今後も侵害が危倶される場合には同様に認められる。この侵
推適用により、侵害者の過失如何に関わらず、保護された法益に対する客観的に違法な侵害について、被害者に認
められるものであり、
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・HRER 戸支出)(。河口。同支出)唱
u
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)
害反復の危険は原審判決において明らかに認められている。
CECR・
回
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・
一九四一年の終わりから始まった、大規模な
(ZQEB)﹂秘密情報部員豆急正号門官庁のいかさま﹂という本を出版したが、
(色町阿見 NO)
﹂という題で連載した。原告はこの出版社に著作権を譲渡しており、出版社はその
(リ。出版社は被告と二度協議し、被告が一 0 0 0マルクの報酬を得る
作品を一九の連続シリーズで一九五五年九月三まで出版した。
において、﹁ネコ
原告も同じテ l マ を 扱 う 連 続 シ リ ー ズ を 、 ミ ュ ン ヘ ン に あ る 玄 室
g∞侍円。出版会社が発売している新聞﹁βE兵﹂
一九五 O年、被告は、﹁﹃ネコ
同 グ ル ー プ の 指 導 者 の 一 人 で あ る フ ラ ン ス 人 女 性 冨ωEEo 内自止は、﹁宮内町差。﹂ の仮名で知られていた。
ス パ イ 活 動 の 暴 露 と フ ラ ン ス の レ ジ ス タ ン ス ・ グ ル ー プ で あ る ﹁HE2
色広 0﹂に対する破滅作戦に関与していた。
被告は、第二次世界大戦中、パリでの防衛隊の中心的人物であり、
︻事案︼
4
連続シリーズの準備の段階で、冨宝
g∞
R
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ことと引き換えに、﹁ β己主円﹂が著作権を取得した題材について、被告の記憶に基づき、﹁ネコ
ω055)﹂が果
(
円
たした役割の補足、挿絵、記録、登場人物の名前、行為の場所等に関する情報の提供を受けることを合意した。
︽
ωE兵の刊行が開始された後、被告は、原告が、被告の作品である作品﹁CCEE から内容および、部分的に
は文言を無断借用し、有責的に盗作を行ったと主張。被告は二度にわたって文書でこのような非難を行うとともに、
改めて一 0 0 0 0マルク報酬を支払うよう求めた。
これに対し、原告は被告を相手として、原告が盗作をしたとの主張のを撤回と、そうした内容を第三者に主張す
ることの差止めを求めて訴えを提起。ラント裁判所・上級地方裁判所はこの訴えを棄却した。連邦通常裁判所は控
訴審判決を一部変更し、その他の部分を差戻した。
︻判旨︼
原告に主張する差止請求権は、過去に存在する請求権者の権利への侵害が違法であったことを要件とするもので
はなく、むしろ、違法な侵害が差迫っており、侵害者が、その正当化根拠を有しないにかかわらず、問題の行為を
田口出 dE
・︿・∞
-H
己ー昆同窓口(回。国N
∞h f N以 吋 )
続行する権利があると引き続き主張するということのみを要件とするものである。
5
これを﹁問。号 ccEEhH
﹂として、﹁逃亡を目指した銀行家﹂ のタイトルを付して第一被告の詩集として出版。原告は
た。この詩は、最初一九七二年に K.
w
. から出版されたが、その後、一九七五年に別の出版社である第二被告が、
﹁買収されたご都合主義の政治家は法の外の世界で暗躍し、政敵をズタズタに引き裂く﹂という一節が含まれてい
第一被告が﹁富。岳忠告岡田o
-EE出。号ロ∞﹀呂田丹ロロ仏肘足。﹂という詩を一九七一年に書いたが、その詩の中には、
事
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雑
十
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去
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この出版により人格権が侵害されたと主張し、﹁問。号R
FEhF﹂と﹁富。岳民﹂の頒布の差止めを求めた。ラント裁判
所は請求を棄却したが、控訴審裁判所は請求を認容した。被告が上告。連邦通常裁判所は請求棄却の判決をなした。
︻判旨︼
﹁代議士の買収﹂という点について、原告は差止めの訴えをもって自己の利益を守ることができる。すなわち、
この主張が真実でない場合には、これに対峠されるべき保護に値する利益は存在しない。音山見表明の自由を規定す
る基本権 (GG五条一一項)であっても、名誉を侵害する不実主張を正当化するものではない。
もっとも、 G G五条三項一文は、意見表明の自由とは異なり、芸術の自由を無条件に保護しており、他人の名誉
を侵害するような構想についても、芸術の自主性と自律性を主張する余地があるかに見える。しかし、芸術家とい
えどもその作品において、現実に存在する人間を対象として取り上げる場合には、憲法上同じように保護されるそ
の者の人格権をまったく無視することは許されない。すなわち、芸術家は、相互に衝突しあう基本的価値が統一的
な価値システムの中で並立しうるような、緊張関係の中に置かれている。したがって、価値が衝突するケ l スにお
いては、表現の対象となった者の人格権について公表されることによって生じる不利益の側面と、公表の禁止によっ
て制約を受ける自由な芸術活動の重要性という側面の双方に注意が払われなければならない。それぞれの価値がい
かなる範囲で保護されるかについては相互の衡量が必要であり、その際、とりわけ、問題とされる文章の性格、意
uが な さ れ る こ と に 対 す
味や価値が、芸術の意味内容としていかに理解されるべきかに留意が必要であるが、描かれる人物像は、それが実
際の人物と同一視される傾向が顕著であり、したがってまた、人格の庁現実に忠実な表現
る利益は保護に値するものである。
また、この詩が公表されることによって原告の人格について徹底した議論がなされたという状況も、出版禁止を
認めることにより原告の人格的領域に対する将来の侵害を阻止するという利益を縮減するものとはいえない。
dp
国白出
ZN 沼市Y 5 3
ZOO
︿ BσRS∞臥(回。
︿・いNU
・
一九八四年八月三日版の同紙の中で、
ヶ月以上ものあいだ法に従ったいかなる決定も行わないほどであった﹂
法
庁当然のことへの感謝
という標題の
H
という呼称によって自らの名誉を傷つけられた原告側の一九八四年八月一五日の申し入
H
uという呼称を使用しないものとする﹂旨の意思
一九八四年八月二 O日、﹁われわれは、違法行為に当たる可能性を
上級ファシスト党員
H
uという呼称は、原告がその概念と説明文によっ
前提となるのは、原告には、被告が行った発言の差止めを求める請求権が帰属しているという点である。
︻判旨︼
棄却された。
いを認容する判決がなされた。侵害を中止することの公表を求める訴えについてのみ受理された被告からの上告は
提起。ラント裁判所、上級地方裁判所双方において、侵害を中止することの公表と催告に関する弁護士費用の支払
原告は一九八四年九月一 O日付けの書簡で、この内容の謝罪文を直近の版の新聞に掲載することを求めて訴えを
を表明した。
考慮し、今後は、あなたの依頼者について庁上級ファシスト党冒ハ
町上級ファシスト党員
﹁その主務官庁の長官は、市当局と上級ファシスト党員たる F教授 (U原告)との間で政治的板挟みのため、
れにもとづき、被告は原告側の弁護士に対し、
あった。
論評が掲載されたが、その中で、 デユツセルドルフ市が交付したディスコ営業の免許に関して以下のような記述が
回目。∞﹂という新聞を発行していた。
原 告 は ノ ル ト ラ イ ン l ヴェストファ l レ ン 州 の 労 働 ・ 健 康 ・ 社 会 省 の 大 臣 で あ っ た 。 被 告 た る 出 版 会 社 は ﹁ 戸
︻事案︼
6
一九八四年八月三日の新聞記事における
四
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巻 2号
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神
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てナチズムに近い人間と見られ、その名誉を侵害する意見表明にあたる。
原告の一般的人格権に対する侵害が反復の危険を伴う場合には、原審判決も正当に述べるように、 G G五 条 一 項
の自由な意見表明に関する憲法上保障された権利によってカバーされるものとはいえず、また、﹁反論権﹂によっ
て正当化されるものでもない。この新聞記事の内容については、記事の作成者とともに並んで新聞社もまた編集責
任者・出版者として連帯責任を負う。したがって、被告は、原告に対する侮辱による一般的人格権の侵害を理由に、
BGB 一O O四条一項二文、 BGB八二三条一項、 BGB八二三条二項の類推適用により、侵害を中止する義務を
色ヤつ。
判例の分析
一O O四 条 の 包 括 的 な 類 推 適 用 に よ っ て 差 止 請 求 権 を 認 め る と い う 考 え 方 が と ら
されるということを明らかにしたと解されている。
(財)
一般的人格権を認めるとともに、
般的人格権侵害に対する差止請求権の成否に当たっては、相対する権利及び利益の衡量によってその違法性が判断
判決が踏襲されていたが、まず、 BGH 一九五四年五月二五日判決において、
第二は、法秩序における差止請求権の位置づけに関する点である。すなわち、戦後に入っても、しばらくは R G
れるに至った。
づき、 BGB 一一一条、八六二条、
ととの関係から、 R G一九 O五年一月五日判決においては、 ア ク チ オ ネ ガ ト リ ア 2255
宮 SE) と の 類 似 性 に 基
体系書およびコンメンタ i ルにおいても認められていれ/カその後、差止請求権が有責性の要件を必要としないこ
論
)
、
第一は、差止めの訴えが当初は不法行為の効果として理解されていた点である。このことは、ドイツ法における
(泌)
これらの判決を見ると、とくに以下の二点を特徴として指摘することができる。
第
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巻 2号
誌
さ ら に 、 遅 く と もBGH 一九八二年六月八日判決において、その判断の構造に重要な変化が生じた。そこでは、
差止請求権を認めるについて、基本法五条との関係が初めて問題とされるに至ったのである。この点につき、本件
判決の一評釈において、 BGHが、原告の人格権と、﹁富。岳民﹂に向けられた芸術家としての被告の関心との間で
価値が衝突する場合、両利益を相互に衡量するべきであるとしたという指摘がなされてい刻。
第三款
身体的利益の侵害及び精神的利益の侵害に関するドイツの判例の検討結果を要約すると、以下のようにまとめる
ことができる。
まず、身体的利益への侵害に対する差止請求権に関しては、保護法規違反行為の差止めが問題とされた。そこで
関しては、 BGB九 O六 条 が 具 体 的 な 結 果 に 焦 点 を 当 て て い る 一 方 で 、 ﹁ 抽 象 的 な 危 険 性 ﹂ の 要 件 に よ っ て 差 止 請
てのみ規定されたものであることを明らかにするものである。さらに、保護法規違反の場面における差止請求権に
否定する立場に立っている。このことは、 BGB 一O O四 条 が あ る 人 の 土 地 か ら 他 人 の 土 地 に 発 散 す る 作 用 に 関 し
は、保護法規違反に基づく差止請求権という枠の中で、 BGB九 O六 条 の 適 用 の 可 否 が 問 題 と さ れ 、 判 例 は こ れ を
寸ー
BGB八六二条、 BGB 一O O四 条 の 包 括 的 な 類 推 適 用 に よ っ て 、 予 防 的 権 利 保 護 請 求 権 が 認 め ら れ て き た 。 し か
他 方 、 精 神 的 利 益 へ の 侵 害 に 対 す る 差 止 請 求 権 に つ い て は 、 古 く か ら 確 定 的 な 判 例 法 理 と し て 、 BGB 一一一条、
はあるにせよ、里ハなる請求権であることを認めている。
差止請求権とは、同じ目的に向けられたものではあるが、それぞれの個々の要件を異にするものであり、部分的で
れ て い る こ と も 明 ら か と な っ た 。 こ の 点 、 判 例 も 、 保 護 法 規 違 反 に 基 づ く 差 止 請 求 権 と BGB 一O O四 条 に 基 づ く
法
求 権 の 存 否 が 判 断 さ れ る と と も に 、 そ の 保 護 もBGB 一O O四 条 に 基 づ く 差 止 請 求 権 に 比 べ て 、 時 間 的 に 前 倒 し さ
且ム
t
百
戸
雑
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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し 、 そ れ と 同 時 に 、 戦 後 、 人 格 権 が 認 め ら れ る に と も な い 、 意 見 表 明 の 自 由 (GG五条)との関係が問題とされる
に至り、そこでは、私法上の権利としての人格権の保護と憲法上の自由権としての意見表明の白白との利益衡量に
より問題が処理されている。このこともまた、精神的利益への侵害に対する差止請求権においては、 BGB九 O六
条に定められた基準によって受忍義務の存否を判断するという方法が適合的ではないことを示すものと考えること
ができよう。
以 上 の よ う に 、 こ れ ま で の 裁 判 例 を 検 討 し て み る と 、 土 地 か ら 派 生 す る 作 用 に 関 す る 純 粋 なBGB 一O O四条の
ケースに関わる問題と、保護法規違反に対する差止請求権の問題、さらには、精神的側面への侵害に対する差止請
求権の問題とでは、そこに現れる請求権が判例法上も異なるものであるように思われる。そこで、次款においては、
これらの差止請求権の根拠が何に求められ、それがどのような内容のものとし理解されているのかについて、ドイ
ドイツ法の学説状況
ツ法の学説の状況について考察を加えていくことにする。
智内二時即
第一款人格権侵害に対する差止請求権に関するドイツ法の通説の形成
現 在 、 ネ ガ ト リ ア 的 権 利 救 済 は 、 絶 対 権 の 範 囲 を 越 え 、 不 法 行 為 法 に よ っ て 保 護 さ れ て い る 法 益 、 と く にBGB
(附)
八 二 三 条 に よ っ て 保 護 さ れ て い る 四 つ の 生 活 利 益 お よ び 信 用 や 生 計 、 さ ら に は 精 神 活 動 の 自 由 やBGB八二三条二
項によって保護された利益圏にまで拡大している。ドイツ法においては、 BGB 一O O四 条 に 定 め ら れ た 妨 害 除 去
請求権および不作為請求権がこのネガトリア請求権であると理解されていることから、こうした権利、法益および
諸利益がBGB 一O O四条の保護の目的として考えられていることが分かる。そこで、以下においては、 BGB 一
0 0四 条 に よ る 保 護 の 対 象 の 拡 大 が 如 何 に 正 当 化 さ れ て い る の か に つ い て 、 そ こ に い う ネ ガ ト リ ア 請 求 権 の 根 拠 付
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誌
雑
けおよび要件の点から、学説の変遷を見ていくことにしたい。
通説の萌芽
けられなかった。
時の帝国裁判所の判決を明らかにしたにとどまり、帝国裁判所による新たな展開を積極的に理論付けるものは見受
(邸)
性から、帝国裁判所は、全ての絶対権を越えて、法律により保護された利益つまり名誉や信用に対するあらゆる侵
る場合を越えて、全ての絶対権が不作為の訴えによって保護されることを紹介している。また、社会通念上の必要
(四)
また、別のコンメンタ 1 ルにおいても同様に、帝国裁判所により、所有権および、その他、法律上規定されてい
借用した(例えば、人の信用、所得、生計の保護)﹂と述べるにとどまる。
(四)
害の差止めを求めあ一般的準ネガトリアの訴えを、類推適用の方法で、二一条、八六二条、一 O O四条の規定から
に理解していた。﹁帝国裁判所は、所有権に特有なものとは異なる、法律上認められた法益への客観的に違法な侵
である。また、今日の支配的見解の形成には、判例が大きな役割を果たしてきた。これに対して学説は以下のよう
そもそも、名誉に対する侵害に対してネガトリア的保護を認めることは、先に示した帝国裁判所の判例が先駆け
はウルマーによるものとされている。
名誉侵害に対するネガトリア的保護をBGB一O O四条に根拠付けようとする考え方は、シュリlヴェンあるい
第
害が、さらなる侵害の危険がある場合には、不作為の訴えを生じさせたことを紹介している。こうした記述は、当
法
止ム
戸
ナ
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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通説の形成
に述べている。
(瑚)
所有権に基づく妨害排除の方法による請求は、 BGBの中で、
一
一
一四、
一O五三条、
一六各条参照)。しかし、
(一二条、 H B G三七条)に限定されない。これによりとくに商標が保護されるほか、営業を、妨害を受けるこ
の結果と見られている。同様に、この訴えは、人格権についても、一般私人や商人の名前など法律で定められたケ l
狩猟権、水利権、採掘権にも妥当する。とくに、無体財産権においては、不作為の訴えは排他性から導かれる自明
とは疑いがない。これは、 B G B一二二七条、二一七三条二項の適用が認められない場合にも、例えば、漁業権、
これらにとどまらず、立法者の沈黙にもかかわらず、あらゆる絶対権が不作為の訴えによって保護されるというこ
三四条など見受けられる(他の法律では、 HGB三七条と U W G一、三、
一
、
一
一二条、五五 O条、八六二条、
そうした中、シュリ lヴェンは、 B G Bのコンメンタ l ルの一 O O四条に関する記述の中で、概略、以下のよう
一、シュリ lヴェンの見解
第
え方が示されたと言える。
このシュリ lヴェンの所説によって、学説上はじめて、 いわゆるネガトリア請求権を一 O O四条に基礎付ける考
において、不作為の訴えを認めている。
律により保護された利益、具体的には名誉と信用に対するあらゆる侵害についても、侵害の継続が危倶される限り
さらに、帝国裁判所は、絶対権の保護という枠を越えて、社会通念上の保護の必要性を顧慮するようになり、法
して形成されている。
の訴えによって排除できる。これら全てのケ l スを通じて、そのル l ルは所有権に基づく妨害排除請求をモデルと
となく行うという権利も帝国裁判所により主観的権利として捉えられており営業の違法な侵害に対しては、不作為
ス
1
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8
二、ウルマ l の見解
また、ウルマーはその論文の中で、次のように述べ的。
最初、判例において、原状回復の訴え(老町号SPEao) を 損 害 賠 償 の 訴 え と し て 認 め て お り 、 不 実 の 主 張 を し
た者は、その主張が無かったならそうであったであろう状態に回復させる義務を負うと理解されていた料、この判
例法理が十分に機能しなくなった。というのも、損害賠償の訴えは、被告の過失を要件とするため、単に客観的に
不実の主張が人の評価を低下させる場合には、介入が必要であるにかかわらず、保護範囲から外れることになるか
(町)
らである。そのために、学説上、所有権に基づく妨害排除の訴え (BGB 一O O四条)の準用が主張されるように
雑
誌
かにするものである。
償請求権として根拠づけられるものではなく、客観的な権利侵害の場合でも、これが認められるとする立場を明ら
年六月五日判決でもこれが維持され、詳細な根拠付けが行われている。この判決は、原状回復請求権は単に損害賠
いる。第二小法廷はその後の一連の判決でもこの判決を維持しており、とくに、公式判例集に登載された一九三五
り、一九コ二年二月二七日第二小法廷判決では、原状回復請求権は有責性を要件としないということが確認されて
帝国裁判所は一九二 O年には、この考え方をとらなくなったものの、その一 O年後には再びこの考え方に立ち戻
なった。
ナ
戦後の学説状況
上に見たように、戦前の学説は当時の判例の立場をそのまま受け入れるものであった。戦後においても、 BGB
第
ガトリア的妨害排除請求権に関する問題であると結論付けている。
(即)
ウルマ iはこの判例分析を経て、このような原状回復請求権を、 BGB 一O O四条に基礎づけられた、独立のネ
(邸)
法
(四回)
戸
5
5
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神
;=.
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一O O四条に根拠を求める考え方は受け継がれた。しかし、議論は BGB一0 0四条に認められる妨害除去請求権
とBGB八二三条による損害賠償請求権との関係に重きがおかれ、制定法上の権利以外の権利及び法益への侵害に
対する不作為請求権の根拠付けに関する議論は、とくに進展を見せていない。とくにドイツ法の体系書、教科書に
おいては、 R Gの判決を紹介するにとどまり、人格権侵害に対する差止請求権の根拠論に関して積極的な記述をお
﹂なっているものは僅かである。
一、バウアの理解
体系書においては、例えば、バウアは端的に、ネガトリア請求権が認められている権利との類似性から、 一0 0
o他方、妨害除去請求権について、﹁妨
四条は全ての絶対権と法的に保護される法的地位にも準用されるとし、それには、たとえば﹁人格権﹂の保護、﹁営
業権﹂の保護、﹁私的取引上の保護﹂、﹁信用﹂の保護などが含まれると解す組
)O
害除去請求権は、具体的な場合において同様の結果(原状回復二四九条) へと至るとしても、損害賠償請求権では
ない﹂として、二四九条二文および二五一条二項の適用を否定すれ
二、ヘファ l メールの理解
また、最新の BGBのコンメンタ 1 ルにおいても、判例が一 O O四条の適用範囲を所有権にとどまらず、単なる
(邸)
法益や法によって保護された利益、とくに、単に不法行為法上保護される利益にまで拡大してきた創造的法発展の
(出)
経緯を見た上で、他人の保護を目的とする制定法に違反して他人の法益を侵害した者は、一 O O四条の類推適用に
(邸)
よって、継続する侵害の除去を義務付けられるということが、確立された判例法理であり、慣習法であるとしてい
る
。
2
0
0
υ
土
、
同
z=
5
5
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三、ヴォルフの理解
さらに、教科書の中でも、ヴォルフは、 BGBにおいて一 O O四条が所有権のほか、上述のように、制限物権に
(附)
準用され、また、その他の絶対権も一 O O四条によって保護されていることから、あらゆる絶対権は侵害に対し、
一C C四条の類推適用によって保護されるということが認められるとしている。そのうえで、 BGB八二三条一項
(町)
に挙げられた法益のほか、一般的人格権の侵害、会社の社員権や持分権の侵害、さらに営業権の侵害が一 O O四条
通説に対する反省と新たな見解の発展
の類推適用により保護されるとしている。
第二款
これまで見てきたように、伝統的・支配的見解は所有権以外の絶対権ならびに法律により保護された法益への侵
に対する異論として説かれたというわけではないようであり、その位置付けが明確にされたのは、最近になってか
なくから、異なる考え方が断片的に存在していたことが窺える。こうした考え方は、かつては、とくに支配的見解
且ム
害に対する差止請求による保護をBGB 一O O四条に根拠付けてきた。しかし、こうした態度とは別に、戦後間も
らだと言える。
一
渇
)
、
♀)と呼ぶこと、あるいは BGB 一O
﹀ロ45
O四条の類推適用であるということを、理由は示されて
保護をBGB 一O O四条に根拠を求めない立場にはいくつかの考え方が認められる。
いないものの、誤りであると指摘してい子カこのような、絶対権以外の法益への侵害に対する差止請求権による
o
口m
mgE♀g
一九五七年に出版された体系書において、ヴオルフ/ライザ lは、﹁準﹂ネガトリア的請求権 (EAgg守
ナ
すでに、
法
雑
戸
神
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0
1
義務違反に根拠を求める立場
絶対権および絶対権以外の法益に対して認められる差止請求権を包括的に理解しうる立場であると言える。
的権利保護の根拠となりうるとする点で、これまでの通説的見解との違いが認められ、民法典に依拠しながらも、
このヘンケルの立場は、絶対権か否かという基準ではなく、被告に課せられた義務に違反しているか否かが予防
昇格したことを意味するに他ならないとの結論を導き出している。
(筋)
とす日。その上で、予防的権利保護の拡大は、非自立的な義務が、自立的な、つまり、予防的に請求可能な義務に
によって保証される権利の範囲は、所有権と同等の絶対権でなければならないという結論を導くことは誤りである
為から切り離し、一 O O四 条 に 拠 ら し め る こ と も 有 用 で あ っ た か も し れ な い と し つ つ も 、 や は り 、 予 防 的 権 利 保 護
した違いを明らかにし、また、 R G 一九 O 一年四月十一日判決が陥ったような間違いを予防する意味では、不法行
ヘンケルは、たしかに、予防的権利保護は被告の有責性を要件としていない点で損害賠償と異なることから、そう
止請求権を不法行為から分離し、 B G B 一O O四条の類推に根拠を求めたことに起因するともいっている。そこで、
(郎)
権利の拡大であると見ることを間違いであるとする。また、こうした間違った理解は、いわゆる準ネガトリア的差
(
m
)
こうした法の発展を前提に、予防的権利保護の拡大に関連して、こうした予防的権利保護の拡大を絶対的主観的
的権利保護が拡大しているのだとする。
(
m
)
るようになってきたと分析している。さらに、こうした状況は不法行為法においても当てはまり、そのために予防
ていること(例えば、 B G B六一八条やH G B六 O条・一一一一条)を理由として、義務の遵守が予防的に保証され
(閃)
るように法が発展してきたこと、あるいは、付随的義務においても、それ自体として訴え可能な義務が生まれてき
(紛)
ヘンケルは、契約法における付随的義務が本来的義務に並んで、それ自体として損害賠償の根拠として認められ
一、ヘンケルの理解
第
2
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志
ロ
二、ラ l レンツの理解
上に述べたヘンケルの見解に影響を受けたと考えられるラ l レンツは、妨害除去請求権に関しては、以下のよう
一
に述べて、 BGB O O四条との結びつきを認めているが、差止請求権については、ヘンケルの立場に近い見解を
展開している。
つまり、法律により保護された利益への侵害に対する妨害除去請求権による保護が、損害賠償請求権の要件と内
容のみを定める法律のなかにおいて何ら規定されていない場合、法律欠訣の補充の問題、つまり、﹁法律によって
保護されるべきであると認められた利益が侵害された場合の保護の問題﹂であると理解し、客観的な法益侵害の際
に被侵害者に、継続する侵害に対し措置をとる可能性を何ら与えない場合には、この保護は不完全なままであると
説く。したがって、目的論的に、妨害除去請求権をとおして実質的には損害賠償までをも認めるということをしな
じるが、これに対し、有責性も存在する場合には、損害賠償が基礎付けられ、侵害の除去請求権は、その場合損害
いる場合でも、故意と過失という有責性要件を欠くことになり、したがって、妨害除去請求権という弱い効果を生
二重に意味をもつことになる。つまり、
止A
ければ、﹁絶対﹂権への類推を認めるのである。その結果、 BGB八 二 三 条 以 下 の 意 味 に お け る 不 法 の 構 成 要 件 は
賠償請求権に吸収されるとする。
しかし、差止請求権に関しては、以下のような理解を示している。
BGB一0 0四条に基礎付けている点で、これまでの伝統的理解に組みするものであることが分かる。
題に配慮するものではあるが、基本的に絶対権および法律により保護された法益への侵害に対する妨害除去請求を
よって保護することから生じる、不法行為法上の効果である﹁原状回復請求権﹂との衝突というドイツ法独特の問
このラ l レンツの理解は、法律に保護された利益、とくにBGB八二三条に保護された利益を妨害除去請求権に
u であるにすぎない場合には、他の全ての構成要件が満たされて
ナ
斤客観的
法
(郎)
戸
雑
神
いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
2
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3
つまり、これまで絶対権以外に差止請求権が認められたのは、名誉、取引上の名声、信用、職業上の生計に関す
(釘)
るものであり、これらは、軽蔑的な発言や真実に反する主張の反復や維持によって、被侵害者に不利益が生ずるで
あ ろ う 危 険 が 存 在 す る ケl ス に 関 す る 問 題 で あ る と 、 問 題 の 領 域 を 明 確 に し た 上 で 、 こ う し た 判 例 の 態 度 は 、 差 止
(
m
)
めの訴えが有効である予防的権利保護に関し、ある禁止の違反とそれにともなう具体的な法益の危険が迫ることに
(的)
備えて、その保護に向けて一定の行為禁止が存在している絶対権と法益を同視してきたものであると分析し、とり
わけ、他の方法では保護が難しい法益に関して問題となっていると結論付けている。
こうした差止請求権に関するラ l レンツの理解は、行為の禁止が請求権を認めるか否かのメルクマールと考えて
いる点で、上にみたヘンケルと同様の立場であると理解することができるものと考える。
法の一般原理に根拠を求める立場
一、エンネクツ工 i ルス/レ l マンの理解
さらに、 エンネクツェ l ルス/レ l マンは、他人の法益圏への違法な侵害に対する不作為の訴えに関して、
G
まうのではないかとの懸念について次のような指摘がある。あまりに広く理解された帝国裁判所の基本原則のゆえ
保護された利益にまで拡大して認められることにより、いわゆる主観的権利と単なる法益との区別がなくなってし
絶対権について考えられていたと推測される。というのも、不作為の訴えが、判例にみられるように法律によって
権利の保護という機能的妥当性に求められているといえる。もっとも、こうした捉え方は、所有権をはじめとする
いものであることを理由に、これを肯定する。つまり、ここでは不作為の訴えを正当化する根拠が、直接、予防的
(間)
権利侵害が起きないようにするための判決を求めるものであり、損害の予防の方が損害の填補に比べてより望まし
Bは 、 差 迫 っ た 権 利 侵 害 を 予 防 す る 任 務 を 負 っ て い る こ と を 前 提 に 、 不 作 為 の 訴 え が 、 権 利 侵 害 の 禁 止 を と お し て
B
第
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0
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巻 2号
ま
固
に、保護の価値と保護の必要性を考慮することなしに、不作為の訴えが著しい拡大する危険が生ずる。しかし、帝
国裁判所は、正当にも、保護に値すると認められた特定の法益、たとえば、営業利益や名誉などについて個別的に
類推適用をするという方法をとった。不作為の訴えは、実際には、個々の特定的な、保護の必要な法益のためにだ
け機能しており、法益と主観的権利との聞での区別もこの特定法益に関してのみ、実務上意義がなくなっているに
すぎない。
このよ、つに、 エンネクツェ l ルス/レ l マンは、判例を営業や名誉といった個別的な法益についてのみ、その保
護の価値性と保護の必要性から不作為の訴えを認めたものであると理解していることが窺える。こうした理解につ
いては、これまで所有権以外の絶対権あるいは法で保護された利益への侵害に対する不作為の訴えを無批判に B G
B一O O四条に基礎付けていたのとは異なり、不作為の訴えによることの必要性という﹁機能的妥当性﹂および被
保護利益の﹁保護の価値﹂と﹁保護の必要性﹂という実質的判断基準を持ち込んだ点で画期的であると評価するこ
法の欠訣補充に関する理解
とができよう。
止ん
法
一
二、カナ Iリスの理解
、
、
ー
ノ
るにもかかわらず、その規範を含んでいない場合﹂に認められるとする。
(鴎)
可能な意味の境界の内部で、あるいは、慣習法が、法秩序が全体としてそのような規範(ル i ル)を必要としてい
における、現行の全法秩序という尺度に照らした場合の、反計画的な不十分さ﹂あるいは、﹁制定法がその言葉の
(飽)
ま ず 、 カ ナ lリ ス は 、 欠 扶 の 存 在 は ﹁ 実 定 法 ( つ ま り 、 言 葉 の 可 能 な 意 味 の 枠 内 で の 制 定 法 及 び 慣 習 法 ) の な か
カナiリスは、法の欠訣とその補充という観点から、差止請求権と妨害排除請求権について考察を加えている。
〆戸ー、
ナ
雑
戸
神
そのうえで、﹁妨害予防請求権﹂と﹁妨害除去請求権﹂に関して、第一に、それらの訴えが絶対権の上におかれ
ている限りにおいて、制定法から導き出されることを承認す刻。
さらに、制定法から導き出されないような不作為請求権について、まず、そうした請求権が認められるべきか否
か 、 つ ま り 、 そ う し た 利 益 の 保 護 に お い て 、 制 定 法 上 の ル l ルが欠けているのか、つまり、欠扶が存在するのかと
(筋)
いう問題について考察する。この間題についてカナlリスは、そうした欠扶が存在するか否かを確定するには、一
般的な法原理の助けをもってしてのみ可能であるとして、差迫った侵害が、その実現の際に B G B八二三条以下の
(蹴)
構成要件の一つを満たす全ての場合に関し、不作為請求権は、﹁損害を填補することよりも損害を予防することの
ほうが望ましい﹂ということに、その正当化根拠を見出すという。ここでは、 B G B八二三条以下の要件が一つで
も満たされるようなケ l ス全てについて、﹁損害を填補するよりも予防するほうが望ましい﹂という一般的法原理
に基づいて不作為請求権が認められないことを欠鉄にあたるとしている。すなわち、不作為請求権はこの﹁損害を
(閉山)
填補するよりも予防するほうが良い﹂という命題によって基礎付けられているとするのである。このことは、言い
一般的原理の有効性を、法理念まで立ち返ることができるとし、このことに関連して、
二三条以下の要件が満たされる場合には不作為請求権を認めるという一般的規律の欠如は反計画的であるとすいよ
換えれば、この原理が法の補充なくしては完全に実現されないがゆえに、こうした一般的なル l ルつまりB G B八
さらに、ここでもまた、
(閤)
単にこの原理│つまり﹁損害を填補するよりも予防するほうが望ましい﹂という命題の自明性だけではなく、法秩
(別)
序の内的な合致という必要条件もまた語られるとする。つまり、損害がなお予防されうるにも関わらず、まず、故
意に損害を発生させ、その後で賠償を命じるというのでは、法は自己矛盾に陥るであろうという、法理念である。
結局、﹁損害がなお予防されるにもかかわらず、故意に損害を発生させ、その後賠償を命じるのは、法自らに矛
盾する﹂という法理念に支えられた﹁損害を填補するよりも予防するほうが望ましい﹂という原理に基づいて、
B
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5
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0
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P
IC
.
"
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さ士
G B八二三条以下の要件を満たす全ての場合に関する一般的な不作為請求権の規律の補充を認めることになる。
(悶)
また、こうした考察により、帝国裁判所が、アクチオ・ネガトリアを﹁正当性﹂から導き出したことは、結論に
一
法の欠訣補充の具体的発現形態
おいて正当なものであったと評価している。
、
、
.
.
/
(刷出)
拘らず、健康と生命を保護しないということについて合理的な理由がないことから、ネガトリア請求権をBGB八
方法論としては、たとえば、所有権と氏名とは不作為請求権という制定法上の法的救済により保護されているにも
不法行為法の観点からは、ネガトリア請求権が不法行為法を補充する規範として捉えているのである。その上で、
填補を行うということが矛盾であるということに支えられた﹁損害を填補するよりも予防するほうが望ましい﹂と
画 (
E
S
)﹂ で あ り 、 そ う し た 利 益 を 予 防 的 に 保 護 し な い こ と は 、 法 が 損 害 の 発 生 を 是 認 し つ つ 、 そ の 後 に 損 害 の
充に関する議論と併せて読むならば、不法行為によって健康や生命が保護されているということが、いわゆる﹁計
このカナ lリスの理解は、一見、不法行為法に根拠を求める立場のようにも見えるが、先の法の欠扶の確定と補
に関する直接的かつ明白な類推的推論に関する問題だとするのである。
(防)
(臥)
ナ
を要件としていないためであり、そのため実務上非常に重要な不法行為の保護の補充が存在するとする。つまり、
(邸)
要な結びつきを認めている。というのも、 BGB 一O O四条および他の関連する諸規定の文言においては、有責性
リア請求権の根拠であり得ることを理由に、とくに要件の観点においては、 BGB 一O O四条は損害賠償法との重
ま ず 、 カ ナi リ ス は 、 今 日 に お け る 法 の 発 展 状 況 に 照 ら す と 、 基 本 的 に は あ ら ゆ る 不 法 行 為 法 上 の 規 定 は ネ ガ ト
請求権については、債権法の体系書の中で次のように説かれる。
こうした、法の欠鉄の確定とその補充に関する基本的理解にたった上で、法により保護された利益に対する差止
、
司
法
二三条一項の権利および利益に拡張することは容易に認められるとする。つまり、ここでの問題は、全ての絶対権
;=.
〆F
戸
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いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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いう原理に反するということになると理解することができる。 つまり、差止請求によりBGB八二三条に定められ
た法益を保護することの正当性は、これらの利益にとって﹁差止請求が損害賠償に比べて優れている﹂という一般
的ル 1 ルによるものである。しかし、ここでカナl リスも認めているように、ここではいわゆる﹁絶対権﹂に関す
る直接的な類推の問題が生じているに過ぎないとも言える。
また、表現行為によって人格権の精神的側面への侵害が生じるケl スは、判例においてもG G五条との調整の問
題として捉えられていたことは、先に示したとおりであるが、差止請求権が予定する重要なケ l スの一つであるこ
とは明らかである。この点、カナ lリスは、別の論文の中で、この問題をも検討している。
(邸)
それによると、基本法が侵害の禁止として私法上の主体に向けられているという、﹁直接第三者効(直接適用)﹂
(即)
の学説は、認められないとするのが正当であるとしている。しかしながら、 G G一条二項や三項が私法上の立法や
(邸)
司法に適用されないということは、説得的ではないとする。また、よく言われるように、私法においては相衝突す
(別)
る利益の調節が問題となるという点についても、公法においても利益の調整が問題となるとし、これらを理由に、
(制)
基本法が私法上の法律関係に介入しうることを認める。そのうで、公法上の妥当性、必要性、必要性の原理が適用
可能であるとしている。
二、グルスキーの理解
こ、つした、 エンネッケルス/レ l マンおよびカナ lリスの見解は、今日においても賛同者を見いだしている。と
くにグルスキ lは以下のように述べて、支配的見解に対する批判を展開する。
まず、 いわゆる準ネガトリア的妨害除去請求権は、単なる﹁継続的﹂名、誉侵害については、もはや一 O O四条一
項一文への類推によって根拠づけられないとする。というのも、その問題は有責性のない損害賠償請求権に関する
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問題であり、それは、帝国裁判所が﹁法倫理的原理を考慮した法形成﹂の過程で生み出されたものであるところ、
原状回復請求権を不法行為法の有責性要件から解放することは、実際、正義の必然的な要請であったのであって、
一O O四条への解釈論上の結び付けは間違った道であったと批判している。なおのこと、この手がかりを名誉侵害
の範囲を超えて、法益と法的に保護された利益の保護に資するとされる、十分な輪郭を持たない﹁一般的﹂準ネガ
トリア的な(または、より明確にいうとすれば、むしろ、﹁準不法行為的﹂というべきか)有責性に依拠しない妨
害除去請求権にまで拡大したことは誤りであった。そのような一般的な法的救済から有責性なき違法な侵害につい
ての従来の実務上のネガトリア的結果除去請求権が導き出せるとすれば、 RE。ロomωSEは 所 有 権 現 実 化 機 能 に 相
当する狭い適用範囲に引き戻されたままになるであろう。そのうえ、そうした有責性に依存しない妨害除去請求権
益について、有責性に依存しない防御的保護、つまり、準不法行為的差止請求権(たとえば、インミッシオン保護
の利益状態と明確に限界付け可能な侵害源があるからである。これに対し、不法行為法上保護された財貨および利
壁に貼られた侮辱的ポスターのようなもの)の場合に受け入れられうる、というのも、これらの場合には全く同様
害的表現の言及された特別なケ l ス、および、人格権侵害という稀なケ l ス(たとえば、青(任無能力者によって外
λとA
は
、 BGB一O O四条に関する支配的解釈が直面している、侵害除去と損害賠償との限界付けに関する克服しがた
ザー
い困難性に至るであろう。したがって、有責性に依存しない妨害除去請求権は、とりわけ、回復されるべき名誉侵
法
ている。それによれば名誉保護の権利における有責性に基づかない不作為請求権と妨害除去請求権は、従来通りB
さらに、グルスキ lはヴェスタ l マンの物権法体系書の改訂版の中で以下のように述べて、自らの考えを展開し
情、すなわち予防が損害の填補よりも優れているということに、その正当性を見出すのである。
(捌)
害に対する、このような予防的権利保護は、一 O O四条二項に基礎を置く原理に基づくのではなく、より簡明な事
法上の建築義務の貫徹のための予防的差止請求権)は正当である。法益と法的に保護された利益への迫っている侵
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いわゆる「人格権に基づく差止請求権」の再構成
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H
名誉侵害についての原状回復請求権は、 BGB 一O O四 条 一 項 一 文 に 典 型 に う ま く 適 合 す る も の
G B 一O O四条への類推によって支えられているが、単に現在の違法な状態のみを所有権侵害と見なす場合には、
単なる庁継続的
(
m
)
とはいえない。むしろ、 BGB 一O O四 条 に 違 法 概 念 を 確 定 す る と い う 定 め る 試 み を 結 び 付 け る こ と に よ りBGB
一O O四 条 は 特 別 に 注 意 深 く 解 釈 さ れ る 必 要 が 明 ら か と な っ た と 説 い て い る 。
ここでとくに注目すべきは、これまでは、 BGB 一O O四 条 が そ の 根 拠 と な り う る か 否 か と い う 問 題 が 、 差 止 請
求 権 に つ い て の 最 も 重 要 な 問 題 で あ っ た の に 対 し 、 ヴ ェ ス タl マ ン が 、 実 質 的 に は 違 法 概 念 を 探 る 必 要 性 を 示 唆 し
ていることにあるという点である。
第三款
これまで、ドイツ法における学説を検討してきたが、それを通じて、とくに以下の点を指摘することができる。
まず、ドイツ法においては、絶対権及び制定法上保護された法益への侵害に対する差止請求権に関しては、
的にBGB 一O O四 条 の 類 推 適 用 に よ る 保 護 を 主 張 す る 立 場 が 依 然 と し て 支 配 的 見 解 で あ る と 認 識 さ れ て い る と い
う こ と で あ る 。 し か し 、 こ の 支 配 的 見 解 へ の 反 省 も 見 ら れ る 。 こ の 反 対 説 は 、 ヘンケルおよびラ l レ ン ツ 、 あ る い
ネ ッ ケ ル ス / レ l マ ン あ る い は ラ i レンツに比べ、その保護範囲が広く、
一般性が高いものと考えられる。
理由に差止請求権を認めるべきであることを主張する点で、名誉・営業権についてのみ差止請求権を認めるエン
題に支えられている。とくに、 カナ lリスはBGB八 二 三 条 以 下 の 要 件 が 満 た さ れ る 場 面 全 て に 関 し 、 法 の 欠 歓 を
マンならびにカナl リ ス に よ っ て 主 張 さ れ た 学 説 は 、 ﹁ 損 害 を 填 補 す る よ り も 予 防 す る ほ う が 優 れ て い る ﹂ と の 命
レンツによって主張された学説は、義務違反を差止請求権の根拠と考えているのに対し、エンネクツェ l ルス/レ l
は、エンネクツェ l ルス/レ 1 マンならびにカナ1 リ ス に よ っ て 主 に 主 張 さ れ て き た も の で あ る が 、 ヘ ン ケ ル や ラ !
般
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百
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m三時即 ドイツ法に関するまとめ
品目
判例においては、 R G一九 O 一年四月十一日判決において初めて、法律により保護された利益に対する差止請求
が認められ、また、 R G一九 O五年一月五日判決において有責性に依存しない差止請求権が認められるに至った。
その後、帝国裁判所においては数多くの判決がなされたが、目立った変化はなく、ほとんどの場合、差止請求権を
定める実定法上の法条の類推適用によって、法律に保護された利益に対する差止請求権は基礎付けられていた。連
邦通常裁判所に移行して後もしばらくはこの考え方が踏襲されていたが、 BGH一九八二年六月八日判決において
はじめて、差止請求権を何に基礎付けるかという観点ではなく、むしろ衝突する法益(具体的には、意見表明の自
由を定める G G五条と私法上の人格権)との間で、どのような調整がはかられるべきかという観点から、利益の調
﹁保護の必要性﹂によって判断され、またカナ lリスによれば、それを認めないことが﹁反計画的(立自主
E
m
)﹂
礎付けられており、差止請求が認められるか否かは、エンネクツェ l ルス/レ l マンによれば、﹁保護の価値﹂と
判説の立場によると、差止請求は、何よりも、﹁差止請求が損害賠償に比べて優れている﹂という自明の原理に基
B 一O O四条に基礎付けられてきた。しかし、こうした理解に対しては一部に有力な批判も存在している。その批
旦A
整が行われるようになった。
寸ー
他方、学説においては、絶対権および法律により保護された利益への侵害に対する差止請求は、伝統的には B G
法
ており、差止請求独自の根拠および要件論が改めて問い直されているものと評価することができる。
このように学説上、差止請求権はこれまでの BGB一O O四条に基礎付けられる考え方からの新たな展開を見せ
れるべきものであるとされる。
ると、差止請求の可否は侵害された法益の現在の状態が受忍されるべきものか否かという観点にしたがって判断さ
か否かで決まるとされる。こうした考え方は、差止請求権に独自の違法概念を持ち込むことにもなった。それによ
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4 立早 結語に代えて
伊再開
本稿では、日本法において、今日なお多くの論者によって主張されている、差止請求権を絶対権、とくに人格権
に基礎付ける解釈理論の正当性を、ドイツ法との比較の下に考察してきた。
まず、日本法の判例・学説についての検討を通して判例・学説が差止請求権を﹁人格権﹂あるいは絶対権に根拠
づけるという考え方に収殺させてきたことが明らかとなった。しかし、同時に、今日新たに、差止請求権の根拠を
全て﹁人格権﹂に求めることに対する疑問が提示されるに至っていることを看過すべきではない。もっとも、その
批判は、身体的利益の侵害と精神的利益の侵害では、差止請求権の根拠・要件は同一ではないいうことを指摘する
一定の重要な示唆を与え
にとどまり、 ではそれらがどう異なり、それぞれの根拠・要件がどのようなものかについて具体的な解決を提示す
るものではなかった。
この点について、第三章におけるドイツ法の分析を通じて得られたいくつかの視点は、
るものである。
第一に、判例において BGB 一0 0四条の想定する場面と、保護法規違反による身体的側面への侵害に対する差
止請求権が問題となる場面、および精神的側面への侵害に対する差止請求権が問題となる場面では、それぞれ、そ
こで語られる請求権が異なるのではないかとの指摘は、今日の日本法における新しい批判と方向を共通にするもの
である。 つまり、 BGB一O O四条に基づく差止請求権(物権的請求権)を他人の土地から派生する作用に関わる
ルl ルであると限定的に解し、保護法規違反に基づく差止請求権を、その根拠および体系的位置づけをBGB 一O
O四条と異にし、要件論においてもBGB九 O六条が適用されず、独自の要件論を立てうる独立した請求権である
と理解し、また、精神的側面への侵害に対する差止請求権についても、侵害 H違法という絶対権侵害に特有の構造
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をとらず、違法性の判断に当たっては、常に利益衡量を要するとされている点でその判断構造が絶対権の保護に向
けられた BGB 一O O四条とは別異のものであると理解することができるのである。こうした理解は、人格権を差
止請求の統一的根拠とする今日の日本法における考え方に反省を迫るものとして、参考になる考え方であろう。
次に、差止請求権の根拠付けの問題については、ドイツにおける通説的考え方を批判して、 ヘンケルやラ l レン
ツは義務が自立的に訴え可能となったことが予防的権利保護の根拠であると考え、または、 エンネクツェ i ル ス /
レl マンあるいはカナl リスが、﹁損害を填補するよりも予防するほうが優れている﹂との命題から差止請求権を
導こうとしていること、とくに、カナ lリスは、法の欠扶補充という観点から、 BGB八二三条以下の要件が満た
さ れ る 全 て の 場 合 に 差 止 請 求 権 を 認 め る べ き で あ る と 主 張 し て い る 。 と り わ け 、 カ ナ lリスによるこの指摘は、そ
れまで BGB 一O O四条に結び付けられてきた差止請求権を絶対権ドグマとも言うべきものから解き放ち、差止請
求権に、より柔軟な機能を持たせる可能性を包含するものであるということができる。こうした前提の下で、カナ l
リスがBGB八二三条以下の要件が一つでも満たされる場合には、差止請求権を認めるとする点は、 BGB八二三
の内容をどのように確定すべきか、という問題は残されており、この点の具体的な検討が不可欠であるが、この要
請求権において、差止請求権による保護を前倒しするための重要な判断枠組みであると考えられる。もちろん、そ
権の解釈論の中で明らかにした、﹁抽象的な危険性﹂の要件は、事前に侵害行為を防止することを目的とする差止
さらに、ドイツ法の判例が、身体的面への侵害という場面において問題となった保護法規違反に基づく差止請求
して大きな示唆を与えるものといえる。
求権による保護を広く認めようとするものであり、差止請求権の根拠についても保護範囲についても、日本法に対
さらには、八二四条や八二六条の諸場合をも含めて、これらにより救済されるべき法益への侵害に対して、差止請
条一項に掲げられた諸権利のほか、 BGB八二三条二項に定められているように、保護法規により把握された利益、
且乙.
一
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いわゆる「人格権に基づく差止請求権j の再構成
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件も差止請求権を認める範囲を拡大する方向に作用しうるものといえよう。
最後に、カナ lリ ス が 、 精 神 的 側 面 で あ る 人 格 権 に 対 す る 侵 害 の 救 済 と し て の 差 止 請 求 権 が 表 現 の 自 由 と 衝 突 を
起こす場合に、﹁妥当性・必要性・相当性﹂の判断基準が利用可能であると主張する点は、精神的側面への侵害に
対する差止請求権の要件論に一定の具体的な判断基準を提供するものといえる。この点、わが国の民法学において、
精神的側面への侵害に対する差止請求権の要件論については、名誉段損のケ l スに関して、判例によって要件が定
立されているものの、それ以外の精神的利益に対する侵害が表現行為によって引き起こされる場面については、い
ま だ 明 確 な 基 準 が 明 ら か に さ れ て い る と は い え ず 、 カ ナ lリスの提案は、その具体化のために有益な示唆を与える
ものである。ただし、この点に関しては、憲法上の規範が私法の法律関係に介入することの是非について激しい議
論が存することに留意が必要である。
本稿は、差止請求権の根拠を絶対権的性格を持った人格権に求める考え方に対し、学説や立法の新たな展開を踏
まえて、疑問を提起し、日本法における議論と向様に、絶対権的構成に対する異論が登場しているドイツ法の検討
を行うものであるが、その検討を通じて、上に述べたような重要な示唆を得ることができた。もっとも、その成果
を日本法における差止請求権の根拠および要件論に結びつけるためには、残された問題点は多いが、本稿で得られ
た基本的な視座を基に、今後さらに検討をすすめることとしたい。
l
中山信弘﹁工業所有権(上)第二版増補版﹂二三三頁[二 0 0 0年]
加藤一郎﹁権利侵害に対する救済﹂ジュリスト一七四号一六頁[一九五九年]
注
2
(3)
榛村専
﹁著作権法﹂四一五頁[一九二九年]、山本桂一
﹁著作権法﹂ 一三九頁[一九六九年]
NBL六五七号六三頁以下[一九九九年]
半田正夫﹁著作権法概説﹂二六二頁[一九七四年]
(5)
(日)
(日)
1
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﹁独禁法違反と民事訴訟﹂ 一人O頁以下[二OO一年]
一、世間の評価に悪い影響を与えない場合にも成立する点、二、真実を
東京地判昭和四年六月二九日・法律新聞三O二九号二一頁
問題となることから、分けて考える必要がある場合を除き、同列に扱うこととする。
和夫﹁不法行為﹂三二七頁[一九八三年])、両者とも人格権の精神的側面とされていること、表現の自由との関係が
公表した場合にも違法たることを免れない点、三、法人には認められない点で、名誉と異なるとされているが(四宮
名誉とプライバシーは、プライバシーが、
東京地判昭和四五年二月二七日・判タ二五一号二九八頁
大判大正一四年一一月二八日民集四巻六七 O頁
前田達明﹁民法羽二(不法行為法)六七頁[一九八O年]、四宮和夫﹁不法行為﹂三九六頁[一九八三年]
﹁座談会・民事的救済制度の整備について﹂(根岸発言)公正取引五九七号一二頁[二000年]
商法雑誌二一五巻一号一 0 1一一頁[二OO一年]がある。
為に基づく差止請求権としての可能性を窺わせるものとして、﹁独占禁止法と民事法︿座談会(下)﹀﹂(森田発言)民
﹁座談会・民事的救済制度の整備について﹂(淡路発言)公正取引五九七号二一頁[二000年]。さらに、不法行
東出浩
六六頁[一九九九年]
禁止法に基づく特別の請求権と位置づけるかについては、今後の具体的検討の中で整理するとする (NBL六五七号
そのうえで、民事法体系の中で、私人の請求権を、民法上の不法行為に基づく請求権の特例と位置づけるか、独占
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掲
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頁
O
東京地判昭和三二年七月二六日・下民二号七=二頁ほか
和
夫
H藤岡康宏﹁人格権侵害と差止請求 i
H藤岡康宏・前掲三頁
﹁エロス+虐殺﹂事件を契機として│﹂判例評論一三九号三頁[一
名古屋高判昭和四一年一二月一一一日判時四九九号四 O頁
横浜地裁川崎支部判決三八年四月二六日下民一四巻四号八一八頁
佐賀地判昭和三二年七月二九日・下民八巻七号二二五五頁
津地判昭和三一年一一月二日・下民七巻一一号一三 O 一頁
ただ、事案の解決としては、仮処分の執行停止または執行処分の取消を求める供託(三 O O万円)を認めている。
五十嵐清
九七 O年]
五十嵐清
川井健﹁氏名権の侵害﹂(伊藤正己編﹃現代損害賠償法講座2名誉・プライバシー﹂所収)二四一頁[一九七二年]
岡山地判昭和三八年三月二六日下民一四巻三号四七三頁
東京地判昭和四年七月二二日法律評論二 O巻二四五頁
京都地判大正六年五月九日法律評論六巻八五四頁
を中心としてこ琉大法学一四号六九頁以下参照[一九七三年]
なお、生活利益妨害に関する初期の判例の詳細な分析については、安次富哲雄﹁公害と差止請求権一裁判例の分析
鳩山秀雄﹁日本債権法各論(下)﹂八八 O頁[一九二四年]
高松地裁丸亀支部昭和三 O年三月一日判決
大判大正二年六月三日刑録一九輯六七一頁
四
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最三小判昭和四二年一 O月二二日判時四九九号三九頁
名古屋地判昭和四二年九月三 O日判時五一六号五七頁
佐賀地判昭和四二年一 O月一一一日判時五 O二号二六頁
名古屋地判昭和四七年一 O月一九日判時六八三号一一一百ハ、昭和四八年一 O月一五日判時七二七号七四頁
大阪地判昭和四九年二月二七日判時七二九号三頁
大阪高判昭和五 O年一一月二七日判時七九七号三六頁
最大判昭和五六年二一月一六日民集三五巻一 O号一三六九頁
沢井裕﹁公害差止の法理﹂ 一四頁[一九七六年]、新美育文﹁判批﹂私法判例リマ iクス尚一 O [一九九五年]
カラオケによる騒音の差止めが争われた事案においては、過去の騒音を人格権侵害であると認定したが、結論とし
ては、現在既にその騒音がなくなっているとして、請求は棄却された(大阪地判昭和五八年一月二七日判タ四八六号
一八八頁)。
名古屋地判昭和五五年九月一一日判時九七六号
名古屋高判昭和六 O年四月二一日・判時一一五 O号三 O頁
生活妨害事例を人格権侵害と構成するものは、この他にも数多く出されている。特に、日照紛争に関するものが中
心であり、たとえば、熊本地裁玉名支部昭和四六年四月一五日判決が、﹁日照、通風の阻害が、被害者から陽光(太
陽光線)を奪うだけでなく、採光(自然光線)まで奪ってしまうような場合であるとか(けだし、光の無い生活は人
聞の基本的生存形式と相容れない)、日照、通風の阻害と被害者の擢病との聞に明らかな因果関係が認められるよう
な場合(かかる場合は日照、通風の阻害が慢性的経過を辿った場合に多いと見られるが)、もしくはいまだ結果は発
生していないがその発生が高度の蓋然性をもって予見できるような場合には、直接的な人身加害として人格権の侵害
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も成立し、かかる場合は請求権の競合関係が成立するものと見るのが相当﹂と判示したのを皮切りに、東京地裁昭和
四七年二月二八日判決が、﹁日照被害による建築差止の非保全権利﹂を﹁物権的請求権と人格権の複合的なものと﹂
理解しているし、さらに名古屋地裁昭和四七年一O月一七日決定では、端的に﹁日照利益の侵害は被害者が従来快適
な生活をしていたことに対する侵害として人格権に基づく妨害排除という方向で把握すべきである﹂としており、日
照・通風の利益について、人格権を通して差止を認める方向性が指し示されるようになってきたといえる。
東京地判昭和三九年九月二九日・判時三八五号二一頁
伊藤正己﹁﹁宴のあと﹂判決の問題点﹂ジュリスト三O九号四七頁[一九六四年]
五十嵐清﹁判批﹂マスコミ判例百選(第二版) 一二三頁[一九八五年]
東京地決昭和四五年三月一四日判時五八六号四一頁
東京高決昭和四五年四月二二日高裁民集二三巻二号一七二頁
佐藤幸治﹁判批﹂憲法判例百選I七O頁[一九八O年]
H藤岡康宏・前掲四頁
佐藤幸治・前傾七一頁
五十嵐清
五十嵐清 U藤岡康宏・前掲四頁
竹田稔﹁名誉・プライバシー侵害に対する民事責任の研究﹂ 一九八頁[一九八二年]
静岡地判昭和四八年二一月二二日判時七四八号一OO頁
横浜地判昭和四九年六月一五日判時七六O号七九頁
仙台地判昭和四九年七月二O日判時七六八号八O頁
横浜地判昭和五三年四月一九日判時九O五号八七頁
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大阪高決昭和五二年九月一一一日判時八六八号八頁、大阪地判昭和五五年一月一二日判時九七O号一六六頁、仙台地
決昭和五五年一月二五日判時九七三号一一五頁など
最大判昭和六一年六月一一日民集四O巻四号八七二頁
本件の判例解説においては人格権を通説として紹介し、我妻栄﹁事務管理・不当利得・不法行為﹂ 一九八頁、加藤
一郎﹁不法行為﹂二一四頁、幾代通﹁不法行為﹂二九六頁等が参照されている(加藤和夫﹁解説﹂最判解民事編昭和
六一年度三 O 一
頁
)
。
谷口安平﹁手続法から見た北方ジャーナル事件﹂ジュリスト八六七号四二頁[一九八六年]。また、斉藤博は﹁人
格権の保護、それも人格権に基づく差止請求、表現の自由との関わりの中で出版物の頒布等の事前差止がどこまでで
きるかにつき最高裁の示した最初の判断である﹂(斉藤博﹁判批﹂民法判例百選(一)︿第三版﹀一四頁[一九八九年ご
と説明し、山本敬三も﹁名誉侵害のおそれがある表現行為に対して事前差止が認められるかという点について、最高
裁の立場を初めて明確に示したものである﹂(山本敬三﹁判批﹂民法判例百選(こ︿第五版﹀一六頁[二OO一年])
竹田稔・前掲二六頁
竹田稔﹁北方ジャーナル事件判決の民事上の諸問題﹂ジュリスト八六七号二六頁[一九八六年]
須藤典明﹁北方ジャーナル事件大法廷判決について﹂法律のひろば三九巻一O号二七頁
五十嵐清・前掲三三頁
山本敬三・前掲一七頁
五十嵐清﹁人格権の侵害と差止請求権﹂ジュリスト八六七号三三頁[一九八六年]
斉藤博・前掲一五頁
と解している。
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加藤和夫・前掲二八八頁
東京地判昭和六二年一O月一一一日判時二一五二号一O八頁
神戸地判昭和六一年七月一七日判時二一O三号一頁
最判平成五年二月二五日民集四七巻二号六四三頁
大内俊身﹁判解﹂最判解民事編平成五年度二一O七頁
最判平成七年七月七日民集四九巻七号一八七O頁
田中豊﹁判解﹂最利解民事編平成七年度七三一七頁
東京地判昭和六三年一O月二二日判時二一九O号四八頁
大阪地決昭和六三年八月一七日判例時報二一二五号九八頁
東京地判平成三年一 一月二七日判時一四五三号八四頁
東京地判平成八年一月一六日判タ九四四号二二二頁
最判平成一四年九月二四日・判時一八O二号六O頁
大塚直﹁判批﹂﹃法学教室別冊判例セレクト二OO二﹄ 一五頁[二OO三年]
佐藤幸治﹁判批﹂﹃別冊ジュリスト・憲法判例百選I﹄七O頁[一九八O]、竹田稔・前掲﹁研究﹂ 一九三頁
戦前においては、不法行為の効果として不作為請求を認める立場は存在したものの、人格権の効果として不作為請
E
z
とくにして、名誉権その他の人格権も、権利たる性質上、排外性、妨害禁止性を有するを以て、その円満な状態 (
に述べている。﹁不作為の訴の基本は、権利の排外性より生ずる不作為義務の履行を求むるにあること先に説明のご
請求﹂民商法雑誌一一六号四・五巻五O六頁[一九九七年])。その宗宮は、その著書﹁名誉権論﹂の中で以下のよう
求権を認めたのは、宗宮信次を含むわずかの論者にとどまっていたと理解されている(大塚直﹁人格権に基づく差止
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mEEE) が害せらるるときは、物権がその内容に適せざる状態を生じたるとき、物権的請求権により妨害の廃除珠予
一一四頁
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加藤一郎・前掲二一六頁[一九五七年]
加藤一郎・前掲二一四頁[一九五七年]
加藤一郎・前掲二=二
川島武宜﹁民法I総論・物権﹂ 一O四頁[一九六O年]
郎﹁民法雑記帳(上巻)﹂二四O頁[一九五三年])。
cしかし、こうした宗宮の考え方は、当
理論そのものを根本的にすてて、衡平法の見地から解決を目指すべきであるとする末弘説なども見られる(末弘厳太
見られた具体的妥当な解決を目指す傾向を考慮し、﹁機械的な物権的請求権理論﹂によるのではなく、物権的請求権
戦前において、すべての論者が支配権あるいは絶対権に基づいて差止請求を認めたわけではない。当時の裁判例に
我妻栄・前掲一九八頁
我妻栄﹁事務管理・不当利得・不法行為﹂ 一九八頁[一九三七年]
収)四三八頁[一九一一年]
鳩山秀夫﹁工業会社の営業行為に基づく損害賠償請求権と不作為の請求権﹂(﹃債権法における信義誠実の原則﹄所
大塚直﹁生活妨害の差止めに関する基礎的考察(一)﹂法学協会雑誌一O三号六一O頁[一九八六年]
五O六頁[一九九七年])。
時、学界において一般化しなかったとされている(大塚直﹁人格権に基づく差止請求﹂民商法雑誌一一六号四・五巻
じめて名誉権および人格権侵害が差止請求の対象となることを明らかにした
の廃除、停止、予防を求むるを得﹂(宗宮信次﹁名誉権論﹂四八二頁[一九三九年])。このように、宗宮は学説上は
。
件防の訴えを提起し得るのと同一理により、名誉権の侵害が継続または将に侵害せられんとする虞れあるときは、妨害
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加藤一郎・前掲一二三 1一一一四頁[一九五七年]
加藤一郎・前掲二二二
好美清光﹁日照権の法的構造(中ごジュリスト四九四号一一一一一頁[一九七一年]、大塚直・前掲﹁基礎的考察(一ご
一島宗彦﹁人格権の保護﹂三 O七頁[一九六五年]
伊藤正己﹁﹁宴のあと﹂判決の問題点﹂ジユリスト三 O九号四九頁[一九六四年]
沢井裕・前掲﹁研究﹂ 一四六頁
O四頁[一九九四年])。
合は侵害者に故意または過失がある場合に限られないということを承認する(広中俊雄﹃債権各論講義
第六版﹄五
沢井祐・前掲﹁研究﹂三五 O頁また、広中俊雄も既に存在する侵害の停止・排除の請求を認められてしかるべき場
ることを強調する。
孝編﹃公害法の研究﹄所収)三四頁[一九六九年]も不法行為に基づく損害賠償が事後的であり、金銭の支払いによ
沢井裕﹁公害の私法的研究﹂三五一頁[一九六九年]西原道雄﹁公害に対する司法的救済の特質と機能﹂(戒能通
竹内保雄﹁ V差止命令﹂加藤一郎編﹃公害法の生成と展開﹄所収四三八 1四三九頁[一九六八年]
野村好弘﹁E故意・過失および違法性﹂加藤一郎編﹃公害法の生成と展開﹄所収四 O四頁[一九六八年]
幾代通・前掲一一一二頁
幾代通﹁公害の私法的救済﹂(戒能通孝編﹃公害法の研究﹄所収) 一一一一頁[一九六九年]
加藤一郎・前掲﹁序論﹂一一一頁
加藤一郎﹁序論一公害法の現状と展望こ加藤一郎編﹃公害法の生成と展開﹄所収二 O頁[一九六八年]
法学協会雑誌一 O三巻四号
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五十嵐リ藤岡・前掲三頁
五十嵐 H藤岡・前掲三 1四頁
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﹁公害差止の法理﹂ 一一頁[一九七六年]
四宮和夫・前掲四七九頁
平井宜雄﹁債権各論E不法行為﹂
潮見佳男・前掲四九二頁
潮見佳男﹁不法行為法﹂四九二頁[一九九九年]
平井宜雄・前掲一 O七1 一O八頁
大塚直﹁生活妨害の差止に関する基礎的考察 (
8)﹂法学協会雑誌一 O七巻四号四七四頁以下[一九九 O年]
大塚直・前掲﹁人格権に基づく差止請求﹂五二六 1五二七頁
一O七頁[一九九二年]
沢井裕・前掲﹁法理﹂五O頁、二五八頁
沢井裕・前掲﹁法理﹂三頁
前田達明・前掲二七一頁
沢井裕
好美清光・前傾一一一二頁
好美清光﹁日照権の法的構造(下)﹂ジュリスト四九四号一一一二頁[一九七一年]
五十嵐日藤岡・前掲六頁
五十嵐 H藤岡・前掲六頁
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﹁名誉致損の特定的救済﹂山田卓生日藤岡康宏編﹃新・現代損害賠償法講座二﹂ 一一六頁[一九九八年]
藤岡康宏﹁人格権﹂山田卓生日藤岡康宏編﹃新・現代損害賠償法講座二﹄二五 1二六頁[一九九八年]
藤岡康宏・前掲二九頁
藤岡康宏・前掲二九頁
潮見佳男・前掲七七頁
潮見佳男・前掲四八五頁
森田修﹁差止請求権と民法 l 団体訴訟の実体法的構成﹂高橋宏編﹁差止請求権の基本構造﹂ 一三 O百口正(一 O)
森田修前掲二ニO頁注(一O
後 掲 回 白 出3
2u-MU・判決
BGB一一一二四条は、﹁所有権者または第三者が、抵当権の信用を危殆化するような土地の悪化が懸念される方法
で土地に影響を及ぼす行為を行うときには、抵当債権者は不作為の訴えをなすことができる﹂と定めている。
一般的人格権の法的性質に関しては、これを絶対権であると解する立場とそれを否定する立場とが存在する。この
立場の違いは、本稿のテ l マでもある、﹁人格権﹂に対する差止請求権をいかに基礎付けるべきかという問題とも深
く関係している。 一般的人格権を絶対権だとする論者は、そのことを当然視しているようである(切さ♂∞R宮号R戸
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ばしば﹁ロo
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さ れ る 場 面 を 全 て 指 す と の 理 解 も 一 部 に は あ る が 、 絶 対 権 を 超 え てBGB八 二 三 条 一 項 に 掲 げ ら れ た 法 益 やBGB八
二 四 条 に よ り 把 握 さ れ た 利 益 、 さ ら に は 意 思 活 動 の 自 由 ま た はBGB八 二 三 条 二 項 の 意 味 に お け る 保 護 法 規 に よ り 保
護 さ れ た 利 益 を 保 護 す る 差 止 請 求 権 を 指 す も の と 解 す る の が 一 般 で あ る ( ∞SEEm
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巻 2号
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脱稿(二 O O五年二月)後、根元尚徳﹁差止請求権の発生根拠に関する理論的考察川、 ωi差 止 請 求 権 の 基 礎 理 論
序説 l ﹂早稲田法学八 O巻二号一O九頁、四号二O九頁[二OO五年]に接した。
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