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﹁少年少女﹂の時代
千葉大学教育学部研究紀要 第5 7巻 4 0 6∼3 9 8頁(2 0 0 9) ﹁少年少女﹂の時代 ︱︱戦後における﹁教養形成﹂の対象︱︱ The Era of“Boys and Girls” : Cultural Education of Children and Youth after World War II 佐 藤 宗 子 千葉大学・教育学部 SATO Motoko Faculty of Education, Chiba University, Japan 一九五〇年代から六〇年代にかけて、﹁少年少女﹂を冠した叢書が数多く刊行されている状況を概観し、そこに第二次大戦後の日本の文化・社会状況における、﹁少年少女﹂ が ﹁ 読 書 ﹂ す る こ と へ の 期 待 が 内 在 し う る こ と を 確 認 し た 。 と く に 創 元 社 刊 行 の ﹁ 世 界 少 年 少 女 文 学 全 集 ﹂ を と り あ げ 、 各 巻 の 付 録 紙 面 や 関連 す る 版 元 の 雑 誌 の 特 集 号 、 第 二 部の内容見本など、全集本体よりむしろその周囲に注目する中から、﹁少年少女﹂が、戦後の状況の中で新たに区切られた﹁小学校高学年から中学生﹂の時期として明確に認 識されていたこと、﹁家庭﹂と﹁学校﹂の二つの享受の場が両立して認識されていたこと、発信者側を含めた三者が子ども読者を囲い﹁読書﹂への期待を向けていたこと、発 児童文学︵ ’ ︶ 翻訳︵ children s literature ︶ 少年少女︵ translation ︶ 全集︵ cultural education ︶ series : 向 け 翻 訳 推 理 叢 書 に み る﹁読 書﹂へ の 期 待 ︱ ︱ ﹂ ︵同誌第五五 巻、二 〇 〇 七︶ 、﹁行 要﹄第 五 四 巻、二 〇 〇 六︶ 、﹁ ﹁少女﹂が﹁推理小説﹂を読む 時︱︱戦 後 の ジ ュ ニ ア 女名作﹂という発想︱︱戦後の再話叢書の一側面︱︱﹂ ︵﹃千葉大学教育学部研究紀 来の﹁女性﹂イメージが内在していたことも同時に浮き彫りにされた。︵小論﹁﹁少 女﹂像が提示されていたことが明らかになってきた。もっとも、その裏に実は、従 発信者側の意識や、発信者と受信者の応答過程などの一端を見ることから、﹁読書﹂ 移のなかで、前述の問題提起に関わらせて、追究をしていくこととする。すなわち、 てたい。ただし、個別の収録作品の内容に踏み込むのではなく、その刊行時期の推 では以下﹁創元社﹂と呼ぶ︶から刊行された﹁世界少年少女文学全集﹂に焦点を当 が冠された叢書の刊行状況を概観した上で、とくに創元社︵後の東京創元社。本稿 本稿では、一九五〇年代から六〇年代にかけての時期を範囲とし、﹁少年少女﹂ 学﹂は何を期待され、いかに手渡されようとしていたのか。 ような回路を通して、どのようなメッセージを送られていたのか。そのとき、﹁文 や年長の少年たちや少女たちは、読者としてどのようなまなざしを向けられ、どの 読者は、どのような﹁読書﹂の期待の中に置かれていたのだろうか。幼年よりもや ︶ 教養形成︵ boys and girls 信者側が﹁教養﹂の﹁形成﹂を念頭においていたこと、 子ども読者側もそれと連動した﹁読書﹂観を抱いていたこと、 当時の読書指導との関連があることなどが明らかとなった。 キーワード 一 近年の、第二次世界大戦後の﹁少女﹂を冠した翻訳叢書の研究からは、十代前半 動 す る 少 女、結 婚 す る 女 性 ︱ ︱ 再 話 に お け る 改 変 ・ 創 造 さ れ た 女 性 造 型 を め ぐ っ への期待の基盤を掘り起こすことをしていくつもりである。 から後半までを括るその対象に対し、戦後民主主義の時代を生きる、あるべき﹁少 て︱︱﹂ ︵同誌第五六巻、二〇〇八︶を参照されたい。 ︶ では、このような特化された﹁少女﹂に対し、そうした限定をしないときの一般 4 0 6 (1) 千葉大学教育学部研究紀要 第5 7巻 À:人文・社会科学系 二 ﹁少年少女﹂が冠された叢書は、第二次大戦前から世に送り出されていた。比較 的よく知られていると思われるのは、金の星社から複数、刊行されていることだろ う語の児童書出版における浸透を見ることができるように思う。事実、知識読物ま で含めた叢書名を前記のOPACで拾い上げていくと、五〇年代から六〇年代にか けて二百タイトル近くになる。多い年には、一年当たり十タイトル以上が新たに発 刊されているのである。 その中では、対象となる年齢層に対し﹁ジュニア﹂などの語を使用した叢書につい ここで、いくつかの出版社ごとの傾向などを概観しておくことにしよう。また、 昭和期に入っても﹁少年少女世界名作物語﹂などがある。国立国会図書館のOPA ても、関連して言及することにする。まず、今日でも児童書出版でよく知られる偕 う。大正期からの﹁世界少年少女名著大系﹂や﹁世界少年少女偉人伝大系﹂のほか、 Cによれば、﹁少年少女叢書﹂という同名の叢書が、早くは大正初年に岡村盛花堂 戦前にすでに﹁偕成社少年少女文庫﹂を出していた偕成社は、五〇年代末から六 成 社 、 ポ プ ラ 社 ︵ 今 日 で は 一 般 書 が 多 く な っ た が︶ 、岩 崎 書 店、次 に そ れ ぞ れ 特 徴 〇年代にかけて、多様な﹁少年少女﹂叢書を手がけている。﹁少年少女地理﹂ ﹁少年 から、昭和初年には三洋社、豊江堂︵この二社の叢書は年代的に継続していると想 社︵﹁偕成社少年少女文庫﹂ ︶などを見つけることができる。概して言え ば、﹁∼文 的な文学の叢書を持つ講談社、あかね書房、そして参考として後の時期にわたる小 庫﹂という名が多いように、﹁少年少女﹂と銘打っているのは、む し ろ﹁幼 年﹂と 少女歴 史 小 説 全 集﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 の 名 著﹂ ﹁少 年 少 女 現 代 日 本 文 学 全 集﹂ ﹁少 年 少 定される︶から出されている。ほかにも金蘭社︵﹁少年少女文芸講談叢書﹂など︶ 、 の対比において、あるいは一般の﹁成人﹂との対比においての、年齢区分といった 女 世 界 の ノ ン フ ィ ク シ ョ ン﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 の 民 話 伝 説﹂な ど、地 理、歴 史 物、ノ 学館、集英社と、順に見ていくことにしよう。 意味合いに見えてくる。第二次大戦からまもない一九四八年には、十を越す出版社 ンフィクション、伝承文学と対象分野も幅広い。また、﹁ジュニア﹂を冠する叢書 新潮社︵﹁新日本少年少女文庫﹂ ︶ 、湯川弘文社︵﹁少年少女読物文 庫﹂な ど︶ 、偕 成 からの﹁少年少女﹂を冠した叢書が次々に出回るなど、出版の活況をうかがわせる。 も見逃せない。とくに、﹁ジュニア版日本文学名作選﹂﹁ジュニア版世界文学名作選﹂ ポプラ社の場合は、﹁新日本少年少女文学全集﹂のほか、音楽、体育などの叢書 は、普及度も高かった。 そんな時期に、この世代の読者を極めて強く意識した叢書として登場したのが、 ﹁岩 波 少 年 文 庫﹂ ︵一 九 五 〇 年 刊 行 開 始︶で あ る。同 叢 書 巻 末 に 掲 げ ら れ、よ く 知 られることとなった﹁岩波少年文庫発刊に際して﹂には、﹁いま何を大切にし、何 があるものの数は少ない。また、﹁ジュニア文学名作選﹂や﹁ アイドル・ブッ に期待すべきか﹂の対象物について、﹁未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない クス﹂など、偕成社と拮抗するような文学叢書は﹁ジュニア﹂が用いられている。 〃 今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあ ﹁この萌芽に明るい陽光をさし入れ、豊かな水分を培うことこそが、この文庫の目 科学、歴史と偕成社以上に、多種の叢書を出している。文学関係では、﹁少年少女 庫﹂ ﹁少年少女世界地理風俗全集﹂ ﹁少年少女動物図解百科﹂に始まり、美術、技術、 知識読物が多いのが、岩崎書店の特徴である。五〇年代の﹁少年少女発明発見文 的﹂と断定される。文章の最後の段落では、﹁世の心ある両親と真摯な教育者との、 宇宙科学冒険全集﹂を出しているのが、SF物に強い同社らしい。ほかには伝記、 のみずみずしい草の葉であり、若々しい枝なのである﹂と明示されている。そして、 広汎なご支持﹂が必要であることを強調し、﹁都市はもちろん、農村の隅々にまで 古典物などもある。 ﹁少年少女﹂叢書の出版で目立つのは、やはり、講談社である。戦前に も﹁少 年 少 普及する日が来る﹂ことを強く希求しつつ締めくくられる。対象となる年齢層 ﹁ = 年期﹂をこれほど強く意識した叢書も、あまり多くはあるまいと思われるほどであ その岩波書店は、この叢書の成果を活かして一九六〇年から﹁岩波少年少女文学 年少女日本歴史小説全集﹂ ﹁﹁少年少女世界探偵冒険全集﹂と立て続けに、字数、名 界科学 冒 険 全 集﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 動 物 冒 険 全 集﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 探 偵 小 説 全 集﹂ ﹁少 少女教育講談全集﹂を刊行しているが、五〇年代以降に目を移すと、﹁少年少女世 全集﹂を刊行し始める。あれほど強く念頭に置いた、この世代の読者たちをさす言 づけ方が似たシリーズを出し、さらによく知られた﹁少年少女世界文学全集﹂の刊 る。 葉が、﹁少年﹂から﹁少年少女﹂に変わる︱︱そこ に、こ の 間 の﹁少 年 少 女﹂と い (2) 4 0 5 「少年少女」の時代 雑 誌﹃少 年 倶 楽 部﹄ ﹃少 女 倶 楽 部﹄で 培 っ て き た﹁少 年 少 女﹂読 者 を 対 象 に し た 編 古典文学館﹂が近接した時期に出されることも、付言しておこう。こうしてみると、 ﹁少年 少 女 日 本 文 学 館﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 文 学 館﹂ ﹁少 年 少 女 伝 記 文 学 館﹂ ﹁少 年 少 女 半 ば ま で で 一 段 落 つ く 恰 好 と な る。な お、八 〇 年 代 に 至 っ て、相 似 た 装 丁 な ど の 年少女日 本 文 学 全 集﹂ ﹁ 少 年 少 女 新 世 界 文 学 全 集﹂な ど が 刊 行 さ れ る が、六 〇 年 代 行となる。その後も、﹁少年少女日本名作物語全集﹂ ﹁少 年 少 女 世 界 伝 記 全 集﹂ ﹁少 後発の叢書刊行については、いずれ機会を見て検討することにしたい。 の世界童話の森﹂と、対象年齢を異にしつつこれら叢書を刊行している。こうした ﹁ 子 ど も の た め の 世 界 文 学 の 森﹂ 、﹁こどものための世界名作童話﹂ ﹁こ ど も の た め ﹁少年少女世界の名作﹂﹁少年少女世界名作の森﹂ 、﹁子どものための世界名作文学﹂ が 目 に 付 く。さ ら に、世 界 文 学 全 集 の 類 が 激 減 し た 七 〇 年 代 後 半 以 降 に な っ て、 で、SF、歴史、冒険、推理、日本の文学、世界の文学などを順次刊行しているの 筆者は勝尾金弥︶や前述の﹃児童文学事典﹄の項︵執筆者は宍戸寛︶が指摘するよ ど も の 本 と 読 書 の 事 典﹄ ︵岩 崎 書 店、一 九 八 三 ︶ の ﹁ 子 ど も の 本 の 歴 史﹂の 項︵執 ここに挙げた以外にも、宝文館、河出書房、小峰書店その他の出版社から刊行さ 予想外にシリーズの数が多いのが、あかね書房である。五〇年代半ばからの﹁少 うに、作品収録の方針や本造りの面で、一定の高い評価を得てきた。しかし、ここ 集経験が、叢書刊行に結びついたかとも考えられる。また、五八年刊行開始の﹁少 年少女日本文学選集﹂ ﹁少年少女世界文学選集﹂ 、その後も﹁少年少女世界ノンフィ れた叢書があるのだが、そこで見落とせないのが、五三年に刊行開始となった創元 クション全集﹂ ﹁少年少女ワールドライブラリー﹂ ﹁少年少女世界推理文学全集﹂な では、﹁少年少女﹂という読者対象の意識のしかたを中心に、以下、追究を試みた 年少女世界文学全集﹂以下の五タイトルは、﹁解説﹂とは別の﹁読書指導﹂が巻 末 どのほか科学、ドキュメンタリー、動物文学などの叢書が六〇年代半ばにかけて出 い。刊行時期からいえば、それは、﹁岩波少年文庫﹂から﹁岩波少年少女文学全集﹂ 社の﹁世界少年少女文学全集﹂である。これまでにも、日本子どもの本研究会編﹃子 されている。このうち叢書名を掲げた五タイトルについては、﹁作品の読みかた﹂ ︵傍線は筆者︶への間に位置し、形式で先鞭をつけたあかね書房の﹁少年少女日本 につけられている。これに関しては、後の節でまた触れることになろう。 乃至﹁読書指導﹂が付けられていることも記しておく。とくに﹁少年少女日本文学 文学選集﹂にも先行し、世界の文学対象という点で同種の講談社﹁少年少女世界文 学全集﹂に五年先んじたものである。つまり、﹁岩波少年文庫﹂の理念に共鳴する 選 集 ﹂ は 、 日 本 児 童 文 学 学 会 編﹃児 童 文 学 事 典﹄ ︵東 京 書 籍、一 九 八 八︶に よ れ ば ﹁文学全集の構成﹂の面で﹁後発他社の文学全集﹂の﹁先鞭をつけた﹂と位置づけ と こ ろ に 発 し、刊 行 の 途 中 で 多 様 な 読 者 た ち と の 応 答 を 行 い つ つ、普 及 の 足 場 を 作ったが、より広汎な読者獲得に至る手前にある。とすれば、その過程を見ていく られている︵項目執筆者は宍戸寛︶ 。 六〇年代の途中からこうした叢書の分野に躍り出てくるのが、小学館である。六 国際版﹂ 論を展開していくこととしたい。 三 ︵一︶ ﹁世 界 少 年 少 女 文 学 全 集﹂は、 一 九 五 三 年 五 月 一 日 の 第 一 回 配 本 ﹃ 〃 ドイ ツ 次節では、その全体像を簡単に紹介した上で、今回の手がかりとなる資料を示し、 にしていくことにつながるのではないか。 ことが、﹁少年少女﹂という読者が﹁読書﹂することへの期待のあり方を、明ら か カラー名作﹂ 、七一年から 〇年から﹁少年少女世界名作物語全集﹂が出てはいたが、六四年からの﹁少年少女 世界の名作文学﹂ 、六八年からの﹁少年少女世界の文学 国際版﹂や﹁少年少女世界童話全集 の﹁少年少女世界の名作﹂と、地域割りの発想を受け継いだ叢書を次々と刊行する。 その後の﹁少年少女世界文学全集 などやや大判の叢書は、収録作品や造本からみて対象年齢が低くなっており、会社 として一貫した﹁少年少女﹂イメージがあるようには見えない。ただ、少なくとも 打ち続いた三シリーズの段階では、﹁読書の手びき﹂﹁読書のしおり﹂﹁読書ノート﹂ などをそれぞれ付していることからも、他社と比べてさほど差のない年齢層が想定 ﹄を皮切りに第一期三二巻が刊行開始となった。ときに一か月一回よりも速い ペースで配本がなされ、五五年四月三〇日に第三二回配本がなされた後、翌月から 編 最後に 集 英 社 の 場 合 を み て お こ う。五 〇 年 代 後 半 に﹁少 年 少 女 物 語 文 庫﹂ 、六 〇 第二期として一八巻が継続され、五六年一一月三〇日に第五〇巻が最終回の配本と されていると考えてよさそうである。 年代に﹁少年少女世界の名作﹂があるが、七〇年代に、﹁ジュニア﹂を冠した叢 書 4 0 4 (3) º 千葉大学教育学部研究紀要 第5 7巻 À:人文・社会科学系 なって完結する。さらに、﹃世界少年少女文学全集 第 二 部﹄と し て、五 六 年 一 二 月二〇日から五八年五月二五日まで毎月の配本で一八巻が刊行された。 全集の構成は、基本的に、世界の国々の地域割りによる。第一期三二巻では、古 刊行年月 一九五三・ ︵ 五 ↓ 五四・二︱三 一回 配本回数 一六巻 巻数 ドイツ編 巻内容 ↓ ↓ イギリス編 ↓ ドイツ編 備考 第一期開始 第二部完結 第二部開始 第二期完結 第二期開始 第一期完結 ﹃創元﹄五〇号︵世界少年少女文学全集一周年記念号︶ ︶ 一巻 世界童謡集 代編、中世編、イギリス編四巻、アメリカ編四巻、フランス編三巻、ドイツ編四巻、 一六回 三二巻 古代編 三 三二回 五四・ 四 フランス編 ロシア編三巻、北欧編二巻、南欧編二巻、東洋編三巻、日本編三巻、世界児童劇集、 五五・ 三八巻 世界童謡集となっている。第二期一八巻では、同じ地域の巻数表記は第一期につな がるものとなっているが、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ編が二巻ずつ追 三三回 二巻 八巻 アメリカ編 五 一回 一八回 三五巻 五五・ 五六・一一 五六・一二 五 した責任﹂として、次のように言う。 ﹃創元﹄五〇号巻頭の﹁ごあいさつ﹂で、社長の小林茂は、﹁この全集が自らに課 五八・ 五〇回 加、ロシア編が一巻追加、東洋、日本編が二巻ずつ追加、そのほか推理小説集、動 物文学集、世界探検紀行集、世界伝記文学集、世界名作劇集となり、地域割りに比 してジャンル編成を増やしたことがわかる。第二部も、第二期に準じるかたちで、 イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ編が二巻ずつ、ロシア編一巻、諸国編二巻、 東洋編、日本編各一巻、そしてユーモア文学集、感想日記集、冒険小説集、世界文 学物語、世界文化史物語という構成である。 全集各冊の本体には、それぞれの収録作品本文のほか、解説があるのみである。 しかし、配本時には毎回、付録がついていた。︵ただし、本体と付録とで、刊行 日 記載に差違があるものが散見される。本稿では、以下、本体記載の月表記を基本と し、日は省略する。 ︶第一部では、﹁世界少年少女文学全集ニュース﹂ ︵以下﹁ニュー 長八ページ建てである。これらの掲載記事は多岐にわたり、そこには、読者に対す 一 巻︶の み、十 二 ペ ー ジ 建 て。 ︶第 二 部 で は 付 録 に と く に 名 称 は な く 、 B 六 判 の 横 ︵﹁ニュース﹂は一四号︵第一五巻︶ 、四二号︵第四五巻︶を未見。また一六号︵第 一つにも苦慮し、また造本にしましても日本的貧しさの中で、安く、しかも美 注意を払ってまいりました。この仕事たるや、実際にはすこぶる難渋で、表現 の忠実な翻訳、熟した表現、用語用字の注意、そして造本の完璧に及ぶ限りの に与えることでありました。その為には作品選択の一定水準、その体系、原作 ⋮⋮人間の真実と正しい生き方を芸術的感銘として味わい深く少年少女諸君 る版元からの直接的なメッセージもあれば、識者による大人の購買者に対する記事 麗堅牢というのは、かなりの苦心を要したのであります。 このほか、大阪国際児童文学館には、版元である創元社の雑誌﹃創元﹄五〇号︵世 界少年少女文学全集刊行一周年記念号、一九五四年二︱三月︶が所蔵されているほ か、第二部刊行に際しての内容見本、随時挟み込まれた広告その他の資料が保存さ れている。これらをもとに、﹃世界少年少女文学全集﹄に見られる﹁少年少 女﹂た ちへの期待等を窺うことにする。 全巻の大まかな刊行状況のデータは、配本順のものを本稿の末尾に記す。とりあ えず、全体的な流れを左記に示しておく。 いくことにしよう。 なる受信状況であったのか。﹁ニュース﹂からうかがえる双方の応答を、次に見て では、そのように作られた叢書は、どのような言葉を添えられて発信され、いか 合致するものとして叢書そのものが捉えられていたことがわかる。 すなわち、内容としての﹁文学﹂+表出の﹁ことば﹂+表層の﹁造本﹂の三点が や、購買者、読者からの反応や感想の掲載もある。 ス﹂と記載︶の名で配本回数を号数とし、B六判縦長の八ページ建てを基本とする。 ¼ ¼ * (4) 4 0 3 º * 「少年少女」の時代 第一六巻 ﹁ニュース﹂二号︵第九巻付録、一九五三年六月︶には、第一回配 本 = の反響を受けて、﹁よりよき明日へのちかい⋮︱︱父兄のみなさまからのおたより 読者に語りかけるような書き方がされた回もある。この間、﹁P・T・Aからのお い﹂ ︵一七 号︶と い っ た 具 合 だ が、読 者 の 大 人 を 想 定 し た 回 も あ れ ば、直 接 子 ど も の読み方﹂という欄が、何回かにわたり掲載される。内容は、﹁翻訳について﹂ ︵八 への返信﹂と題する見開きの記事が掲載されている。親や教師たちからのさまざま たより﹂として、親や教師たちからの手紙が紹介されるページもしばしば見受けら 二号︵二六巻︶からは﹁ぼくの感想﹂として長めの感想文が紹介されるようにもなっ 号∼一 〇 号︶ 、﹁読書指導について﹂ ︵一 一 号∼一 二 号︶ 、﹁読みくらべてごら ん な さ な感想を紹介し、また編集方針への反映を説明した文章である。いくつかの声を、 れるほか、﹁みなさんからのおたより﹂として子ども読者たちの短評が、さらに一 ︵二︶ 拾い上げてみよう。 ﹁今のところ子どもはありませんが将来にそなえて﹂ 、あるいは﹁私の小さかった い﹂という人、さらにまだ子どもが小さいという人々。﹁予想外に小さいお子さん ︵まだ結婚していないが︶や、ほかの子どもによんできかせたり、よませてやりた れぞれに込めながら、いわば協調するかのごとく各巻の成立から享受までを支えて する親・教師たち、そして子どもたちが、﹁世界少年少女文学全集﹂への期待をそ りページ構成が相当程度変化していく。それは、発信者側の版元・編集者と、受信 叢書刊行開始から第一期の半ばにかけての﹁ニュース﹂は、このように、号によ た。 のためにそなえられている方が多い﹂と編集部の方が驚くほどである。また、実際 とき、家が貧しくて本など読めなかった。︵略︶こんどこそはこの本を私の子ども に家庭や教室で小学校四、五年生の子どもたちに手渡した様子を知らせる人もいる。 いるとも考えることが出来るだろう。 輪相まって希求し、普及させたことになる。この二つの場の意識は、発信者の側で この状況は、別の言い方をするなら、﹁家庭﹂と﹁学校﹂という二 つ の 場 が、両 ﹁自分のクラスの四年生の子どもたちに一時間読んできかせましたがなかなか興味 深 く き い て い ま し た。や や 内 容 に む ず か し い と こ ろ も あ る よ う に 思 い ま し た ﹂ と いった教師の声もある。 挙げれば、前出の﹃創元﹄五〇号の、第一期三二巻の内容総覧のページトップには は、﹁ニュース﹂のみならず他の広告・宣伝資料にも強く反映されている。一例を 質など、さまざまな点での注文も編集部に寄せられたということは、受信者側の大 ﹁今や、家庭と学校での大切な基本図書となりました!﹂の文字が躍る。後の第二 刊行それ自体の歓迎のみならず、早速に内容の難易度、ルビの振り方、造本、紙 人たち︱︱媒介者である親や教師たちが、発信者側とともに、最終的な享受者たる 第九巻の帯には、﹁学校と家庭をむすぶ基本 部の時期 に も、た と え ば 第 五 回 配 本 = ︿出版社︱家庭︱学校﹀のトライアングルに囲まれた中に、子どもたちがいる︱︱ 子どもたちに手渡すべきものを作っていこうという意志の表れである、と考えるこ 実態としての受容の状況と、理想的な読書環境としてのその構図の提示が、循環し 図書﹂であると端的に示される。 約束してもいる。たとえば﹁ニュース﹂同号の﹁よりよき∼﹂の前の見開き﹁P・ とができる。﹁みなさまのご希望により﹂として、対象年齢の明記、ルビの増加を T・A作品ノート﹂では、第九巻収録の二作品︵ ﹁小公子﹂ ﹁小公女﹂ ︶に関して、﹁両 つつ強められていく。そんな熱気が、﹁ニュース﹂の紙面からは立ち上っている。 熱気のこもるトライアングルの中に置かれた子どもたちは、実のところ、どのよ ︵三︶ 作 品 と も 、 小 学 校 四 年 生 で よ め る よ う に 漢 字 を 制 限 し ま し た﹂ ︵傍 線 は 引 用 者︶と ある。もっとも、その後の﹁ニュース﹂でこうした注意書きがずっと続けて出され たわけではない。 続く。七号ではまた、﹁本の読み方・さし絵の見 方︱︱ニ ュ ー ス8号 よ り︰︰﹂と 年から中学生向﹂と書かれている。それが、この叢書の対象となる﹁少年少女﹂の 右にあげた第五回配本の帯には、その文言の下に、丸カッコを付しつつ﹁小学四 うな存在であったのか。 して、﹁読んだものが、むだなく心の栄養になるような、じょうずな読み方を知る 範囲ということになる。この、本の帯への対象年齢表記は、確認できる範囲では、 この﹁P・T・A作品ノート﹂や﹁父兄のみなさまへ﹂は﹁ニュース﹂七号まで ことが必要です﹂との意図のもとに、﹁文学の味わい方、さし絵や口絵の鑑賞のこ 第一巻までの四回分である。時期的 = 第二部の第五回配本 第九巻から第八回配本 = と﹂を、次号から載せるとの予告がなされた。そして﹁ニュース﹂八号からは、﹁本 4 0 2 (5) 千葉大学教育学部研究紀要 第5 7巻 À:人文・社会科学系 を三十冊読んだところでの感想だが、﹁知っているものが多かった。それが残念な 通り、書き手の早熟さが感じられる。注目すべきは、後者の意見だろう。この全集 のであ る。 ﹂ ﹁知 り つ く し て い る も の は 何 と な く 読 む 気 が し な い。 ﹂と い う。そ の 一 にいうならば、発信者側が、第一期五〇巻の完結により受信者側の手応えを強く感 確に絞り込んで示した、と考えられる。小学校高学年から中学生の時期︱︱それこ 方、﹁風車小屋だより﹂や﹁月曜物語﹂などは初見のためか、﹁ステキだった﹂とし、 じていたときだろう。それだけに、相当の自信を持って、対象読者をそのように明 そが、﹁少年少女﹂の時期であるのだ、と。 主人公が﹁運命を自覚して強く生きていく﹂ところなどに魅力を感じている。第一 期完結を前に、叢書の継続を希望するが、それは﹁知識のためにも、そして楽しみ 第一部の五〇巻の間の﹁ニュース﹂でも、第二部になっての﹁付録﹂でも、確か に、掲載された子ども読者の声や感想は、その年代の子どものものが多い。 のためにも。 ﹂だと結ぶ。 袋弥生は、最も読み巧者な﹁少年少女﹂の一人だろう。実際には、第二期最終配 第二四巻の﹁ニュース﹂に掲載された﹁愛読者 早い時期の、第一部第三回配本 = カードより︱お友だちのおたより﹂には、八人の子ども読者の声が紹介されている。 第三五巻﹁ニュース﹂の﹁おたより﹂欄掲載の小四・斎藤一 夫 の よ う に、﹁最 本 = 近︵略︶読み始めました﹂という読者もいただろうし、それでさえ、自分の手元に 中二・一人、中一・二人、小六・三人、小五・一人、小三・一人である。小三・藤 沢あやめの場合、﹁だいじにとっておこうと思った﹂と言い、﹁ふりがなをふって﹂ 本を置けるというのは、当時でいえば、恵まれた﹁少年少女﹂であったといって間 生の意見を総合したとき、そこには、次のような読書をめぐる考え方が見えてくる 違いあるまい。ともあれ、初期の﹁ニュース﹂から紹介した子ども読者の声や袋弥 とばもいくつか見られる。中一・小倉義弘の場合は、第一回配本のドイツの作品に のではないか︱︱子ども向けの作品の中には、﹁少年少女﹂期以前に楽しむべきも ほかの子どもたちの声には、﹁面白い﹂という語が多く見られるが、気になるこ つ い て、﹁飛 ぶ 教 室、シ ュ ミ ッ ト ボ ン の 童 話 は お も し ろ か っ た で す が、マ ー ヤ は のもあるし、﹁少年少女﹂期にこそふさわしい作品もある。そこを通過した後、よ と要望する。まだ、十分に楽しむ段階に至っていなかったということなのだろう。 思ったよりつまらなく、ヘッセはむずかしかったので大きくなって、また読もうと にもつながるし、読書態度の養成は望まれるものである。読書はまた、楽しみであ り年長の読書対象作品へと向かう。その間の﹁少年少女﹂期の読書は、国語力増進 読 書 態 度 も よ く な っ て 先 生 か ら ほ め ら れ ま し た。 ﹂と 報 告 す る。お も し ろ い か ど う るだけでなく、知識としても求められるものである、と。 思﹂うという。また、中二・陸節子の場合は、﹁とても国語の成績がよくな っ た。 かというのは、もちろん、個人の好みによるところも大きいだろうが、やはり、想 子ども読者たちのことばは、片言のようなところもある。それでも、そこからは ﹁少年少女﹂たち自身、大人たちが﹁読書﹂をめぐって期待しているものを感じとっ 定される読書の段階と作品の適合性という問題がかかわってきそうである。そして、 読書に何が期待されていたのか、ということ︱︱教育の場との関係が、見過ごせぬ あることと、それを身につけさせるべく大人たちの関与がありうることを。端的に ている様子がはっきりと窺える。すなわち、その時期ならではの獲得すべきものが ﹁ニュース﹂をざ っ と 見 渡 し て い く 中 で、か な り 長 い 感 想 が 二 回 掲 載 さ れ て い る ものとして浮かび上がる。 いうなら、﹁教養﹂を、﹁形成﹂させる時期として﹁少年少女﹂期の﹁読書﹂がある の夕方に頂上の岩々が美しいバラ色にそまるその荘厳な光景と、まっ青に広がった る感想文だが、﹁心はいつも明日の幸福を考え、あふれる喜びを持ち、アルムの山 幼稚 舎 五 年﹂ 、後 者 は﹁慶 応 中 等 部 一 年﹂の 時 期 の も の で あ る。前 者 は 作 品 に 対 す ﹁アルプスの山の少女﹂の感想が、第三一回配本 = 第七巻﹁ニュース﹂の﹁おたよ り﹂欄に﹁全集をみんな読んで﹂が掲載されている、袋弥生である。前者は﹁慶應 の糧を!﹂と記されていることがわかる。ほぼ同様の文言は、第二期刊行開始にあ 少年少女文学全集﹂の肩の部分に﹁明日の日本を築く少年少女に豊かな教養と情操 る、創刊時の新聞広告の写真からは、一ページ広告の全段通しの大きな文字﹁世界 ほかはない。それでも、たとえば﹃創元﹄五〇号に資料として小さく掲載されてい ﹁ 教 養 ﹂ の 中 身 の 十 分 な 解 明 は 、こ の 叢 書 に 限 っ て み て も 、 ま だ 先 の こ と と す る ことを。 空に黒い羽をはばたき、気味の悪い鳴声をたてるおそろしい鳥に、ふしぎな気持を た っ て の 折 り 込 み 広 告 に も 使 わ れ て い る。ま た、第 二 部 の 内 容 見 本 に 掲 載 さ れ た 子ども読者がいる。第一五回配本 第一〇巻﹁ニュース﹂の﹁わたしの感想﹂欄に = い だ く こ の ア ル プ ス の 少 女 は 、 深 く 自 然 を 愛 し て い た。 ﹂と い う 一 節 か ら も わ か る (6) 4 0 1 「少年少女」の時代 の中で求められているものがあり、日本国中のすべての地域における﹁少年少女﹂ あの﹁岩波少年文庫発刊に際して﹂と通底する、第二次大戦後の民主主義社会到来 も た ち に 愛 読 さ れ る こ と を 望 ん で や ま な い。 ﹂と も 希 望 す る。こ れ ら の 文 章 か ら は、 うために、この清新な全集があまねく学校・家庭に行きわたり、全国すべての子ど らに、﹁来るべき新しい日本を荷なう少年少女たちの広い視野と気高い精神とを養 ら の 日 本 人 に と っ て 特 に 大 切 な 教 養 で あ る と 思 わ れ る。 ﹂と 意 見 を 述 べ る。原 は さ の感情にふれ生活を知るにはその国の文学作品に親しむことが第一であり、これか ﹁すいせんのことば﹂で原随園︵京大教授・文学博士の肩書︶は、﹁世界の各 国 民 あったということである。識者の経験に頼れば、戦前の枠組みに則った旧制の中等 こ こ か ら 推 察 さ れ る の は、 こ の 時 期 に 十 代 の 読 書 を 考 え る と き、二 つ の 焦 点 が 教養的に読書する基本的な指導をしておかなければならない﹂との考えも提出する。 業して職業を持つ少年少女﹂にとっての、﹁問題解決のひとつの方法として研究的、 急速調をものがたるもの﹂との見方を示す。当時の状況を反映して、﹁中学校を卒 を一括りとし、﹁不消化な語イが目立つ現象は、いわば少年少女期における成熟の 導の目標︵少年少女期︶ ﹂で滑川は、﹁小学校の五、六年生から中学校時代にかけて﹂ 制高校初年頃の読書に触れていたりする。他方、﹃少年期∼﹄の巻頭論文﹁読書指 概ね高校生のみを念頭に置いていたり、自身の十代︱︱とくに旧制中学後半から旧 十代と身近に接する教育現場からすれば、新制の中学校という場が、従来にない子 が﹁読書﹂することでそれが実現していくという期待と必要性の認識を読みとるこ さらに、一つの見通しを述べるなら、推薦文を書いた原随園が第二部第一一回配 た四巻すべてで巻頭論文を書いている滑川が、この後、講談社の﹁少年少女世界文 教育の時期や旧制高校的﹁教養﹂がイメージされがちであった。その一方、現実の 最終巻にあたる第一八巻で、ウェルズの本をもとに﹃世界文化史物語﹄を執筆 本 = していることも、﹁教養﹂のありようを探る手がかりになりそうである。つまり、 学全集﹂ではすべての巻の巻末︵つまり、付録ではなく本体︶に置かれた﹁読書指 とができるだろう。 基本的な地域割りによる、各国等の文学の把握と、それを補うような大衆的その他 創元社の﹁世界少年少女文学全集﹂は、第二次大戦後に、成人にとっても﹁教養﹂ るものであったとみてよかろう。 ﹁小学校高学年から中学生﹂という区切りのほうが、教育現場からすれば妥当性あ どもたちの括りとして、対処を迫られたものであった。前述の講座の年代を区切っ のジャンル、そしてそれらを横断的に﹁世界﹂という眼で見ること︱︱その総合と 導﹂のページで、名を載せていること︵ただし第一回配本 第二六巻のみ単独。他 = の巻はすべて、連名。また、﹁読書指導研究会﹂の肩書あり。 ︶を考え合わせれば、 して、﹁世界少年少女文学全集﹂の発信者側が考える﹁教養﹂がある、との推測 が 成り立つ。この点については、別に検討していく機会を持ちたい。 さて、その﹁教養﹂が﹁形成﹂されるときに関与してくる﹁読書指導﹂について は、次節でもう少し考えてみたい。 が広く求められていく時代︵新制大学に教養課程が設けられたこともその好例であ 発達段階を四つに区切り、順に、幼年期、児童期、少年期、青年期を扱っている。 夫、波多野完治の四人。第四巻から七巻までは、﹃○○期の読書指導﹄と子ども の 全一〇巻が牧書店から刊行され始めた。責任編集は亀井勝一郎、阪本一郎、滑川道 ﹁世界少年少女文学全集﹂第一期が完結に近づいた一九五五年、﹁読書指導講座﹂ 第九巻から数回、﹁読書感想文コンクール応募作品 い。その な か で、第 五 回 配 本 = から﹂として、佳作の作文が転載されていることが目を引く。これを、やがて他社 の紙面構成の変化はない。そして、第一部ほど熱い、受信者側との応答も見られな の﹁ニュース﹂紙面というわけである。ちなみに、第二部の付録では、第一部ほど べく生み出されたものであった。その試行、模索の過程が読み取れる資料が、付録 ろう︶のなかで、新しく区切られた﹁少年 少 女﹂期 に、﹁教 養﹂を﹁形 成﹂さ せ る 目次に示された各論題からは、幼年期が幼稚園から小一・小二、児童期が小三・ の叢書では本体につけられていく読書指導ページの、先駆的なかたちとみることも 四 小四、少年期が小五・小六、青年期が中学・高校ときれいに分けられているように 第二次大戦後の一九五〇年代から六〇年代にかけては、﹁現代児童文学﹂出発か できるように思う。 とえば、﹃青年期∼﹄の巻では、指導計画にかかわる論こそ﹁中学生﹂ ﹁高校生﹂を ら発展の時期にあたる。そこにおける作品群や批評の流れとは少し離れたところだ 見える。ただ、個別の論考を見る限り、必ずしもこの区分と一致してはいない。た それぞれ対象にして書かれていたりするが、さまざまな文学者が寄稿した論では、 4 0 0 (7) 千葉大学教育学部研究紀要 第5 7巻 À:人文・社会科学系 が、時期としては重なるときに、全集、叢書群の対象読者として明確に区切られ、 注視されていた﹁少年少女﹂たち。彼ら/彼女らに向けられた、﹁教養 形 成﹂の 熱 い視線。それは、どこかでやはり、﹁現代児童文学﹂の本流ともつながっていたは ずである。本稿の問題提起をもとに、今後、﹁世界少年少女文学全集﹂のさらなる 掘り下げ、他の関連する叢書への追究を行いつつ、二〇〇九年に出発から半世紀を 迎える﹁現代児童文学﹂との関連をも考えていくこととしたい。 ※本稿は、平成二〇年度科学研究費補助金基盤研究︵C︶ ﹁少年少女向け名作と﹁教 養﹂形成︱︱児童文学における翻訳叢書が果たした役割﹂の研究成果の一部をま とめたものである。 平成二〇年一〇月一一日︵土︶に発表した。 ※本稿の骨子は、愛知淑徳大学で開催された日本児童文学学会第四七回研究大会で (8) 3 9 9 「少年少女」の時代 世界少年少女文学全集 (9) 3 9 8 配本順