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Waseda
Mechanical
Engineering
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ンジニアとしての強い自負の念と使命感
があふれていた。機械工学科には材料試
験や熱機関の実験室および実習工場は創
立当時から設けられていたが、水力関係
の実験室はなかった。大正9年(1920年)
田島清 11月に機友会内に機械工学科後援会が組
早稲田大学理工科機
しての役割を担ったからである。この前
織され、会員から資金を集め、大学当局
械学科は明治41年
後から、学生運動の嵐が吹き荒れ、理工
とも折衝して大正15年(1926年)10月に
(1908年) 2月に専門学
学部長室が学生に占拠される事態も発生
水力実験室の第1期工事が完成し、続いて
校令による大学として
した。社会は高度成長期に入り、平成に
第2期、第3期工事を経て充実された。早
新設され、同年4月か
なって、情報化時代の到来とともに機械
稲田機友会第24号に、当時の総長高田早
ら機械学科予科授業が
工学科に期待される内容も大きく変わっ
苗博士から後援会に送られた感謝状とと
てきた。
もに、水力実験室を詳しく紹介している。
開始された。5年後の大正2年(1913年) 11
月29日に機友会が創立され、発会式が執
機友会の変遷も時代の変化を反映して
当時は学会活動も現在のようには活発で
り行われた。したがって、今年は機友会
いるが、全体を貫いて変わらないのは機
はなかったが、この頃の機友会誌は論文
創立90周年に当たる。
友会と校友の強い絆である。機友会は創
発表の場でもあった。機械工学科卒業生
立当初は仮にME会と名付けられたが、
として初めて工学博士の学位を取得した
日に早稲田大学が新大学令による大学と
大正3年(1914年)10月10日の年会で早稲
伊原貞敏教授の学位論文の全文が機友会
して認可されて大学となり、理工科が理
田機友会と名称を変更した。機友会の会
誌第26号(昭和5年8月)に特集を組んで
工学部に改称された。昭和時代に入って
報、あるいは機関紙が2度の断絶を経て
紹介されたこともある。戦前の機友会誌
軍国主義の傾向は日1日と強まり、その結
現在まで略年度毎に発行されてきた。機
には、教員や一般校友の機械学会誌や論
果として昭和20年(1945年)8月15日の終戦
友会の会報は創立以来終戦間際の昭和19
文集に掲載されたものが殆ど機友会誌上
を迎えた。早稲田大学では同年9月8日か
年(1944年)まで発行され、戦後途絶えてい
にも発表された。戦後の混乱期は学会活
ら授業が再開されたが、同年11月18日の
たが、昭和25年(1950年)10月10日に早稲田
動が十分に出来ない時代でもあったが、
連合軍通達により、12月31日をもって航
機友会ニュースの形で復活した。昭和27
機友会が主体となって学術講演会を開催
空機および気球に関する学科、学科目、
年(1952年)10月に機友会誌が8年ぶりに発
し、その発表論文が機友会誌に掲載され
研究所等、および関係する授業、研究、
行された。昭和33年(1958年)には理工
た。機械学会における発表と、機友会の
調査、実験が廃止された。さらに、昭和
学部創設50周年記念号が出されている。
発表が同等と見なされたということを聞
24年(1949年)4月1日から新制大学に切り替
その後、学生運動などで途切れていたが、
いたが、戦前か戦後かの時期等について
わり、昭和14年4月1日に発足した専門部
平成に入ってから機友会再建が図られ、
は明確ではない。
工科(関連学科は、機械科と運輸機械科
校友と学生の機関紙としてのWME
平成に入ってから関係各位の尽力によ
(旧航空機科))が制度上なくなった。昭
NewsLetterが平成6年(1994年)から毎年2
り、機友会が再組織された。大久保キャ
和26年10月31日をもって専門部は廃止さ
回発行されている。
ンパスに移転してから学生と校友の数は
この間において、大正9年 (1920年) 2月6
れ、昭和28年4月から、機友会の会則が変
以下に、機友会創立当時から学生運動
急増したが、これに対応して機友会の新
更され、専門部工科機械科、運輸機械科
で機友会活動が途絶えるまでの機友会の
しい組織造りと役割を模索しなければな
(旧航空機科)の卒業生も機友会会員に加
歴史を、機友会誌などの記事を通じて振
らなくなった。学会活動も誠に華やかに
わった。
り返ってみよう。
なり、機友会が論文発表の場として機能
我が国における大学の機械工学科創立
する時代ではなくなった。いままでの機
部キャンパスから現在の大久保キャンパ
起源をみると、早稲田大学(1908年)は、
友会の歴史に残された先輩達の足跡に恥
スに移転した。理工学部全体が移り終わ
東京帝国大学(1877年)と京都帝国大学
じないように、校友と学生、さらに社会
ったのは昭和42年である。これは、理工
(1897年)に続いて3番目である。九州帝
の要望に添う形で、新しい機友会がこれ
系学部の卒業生の数の大幅増が社会から
国大学(1911年)、東北帝国大学(1919
からも益々発展していくことを祈りたい。
求められ、早稲田大学がそのモデル校と
年)がこれに続く。当時の記事には、エ
(機械工学科 名誉教授)
昭和38年(1963年)4月、機械工学科は本
page 1
W.M.E Newsletter Vol.19
パネル
ディスカッション
パネルディスカッションに参加して 川合 潤子(修士1年)
就職活動の準備が始まろうとしていた11月下旬に、毎年行
われる「これからの社会に求められる人材について」をテー
マにした企業によるパネルディスカッションが行われました。
私はこのパネルディスカッションから、今後の社会に求めら
れる人材において必要な要素は以下の能力、目標、意欲の3
つであるということを学びました。
パネリスト 写真右から鉄道整備
(株)
代表取締役社長 笹子 稔氏、日産
自動車
(株)
常務取締役 菅 裕保氏、日立プリンティングソリユーションズ
(株)
総
務部長代 石井 利裕氏、三菱重工業
(株)
人事部人材開発課採用担当
課長 大串 和之氏、機械工学科 主任教授 大聖 泰弘氏
司会 機械工学科教授 太田 英輔氏、機械工学科教授 高西 淳夫氏
「能力」とは、研究生活で得た体力、精神力、基礎知識及
び専門知識などが上げられましたが、エンジニアになるなら
ば、まず工学における基礎知識、特に機械工学科の出身で
あれば3力と呼ばれる材料力学、流体力学、熱力学の基礎知
つということは、当たり前のことではありますが、それを持続
識は必ず備えてなければならないということでした。また、そ
させることは非常に難しいことであると私は思います。
の他に特に強く指摘されていたのが、英語力です。これは企
最後に3つ目の必要とされる要素ですが、
「意欲」
、つまり
業側が、常に変動する社会の中、本質を見極め、世界観を持 「この企業に入って、こういうことがしたい」という意欲でし
った上で社会の動きに対する先見性及び対処までを考える
た。
「これがしたい」という意志を持ち、目標を設定し、その
ことができる人材を育て、20年、30年後の社会を動かしてい
目標を達成する意欲を強く持つ学生が必要とされているとの
く“ヤングマネージャー”を作る意向を示していることから、 ことでした。この要素が必要とされている理由として、近年の
エンジニアに対し文法などの机上の英語ではなく、世界を相
企業側が採用方針を大きく変えたことにあると思われます。
手にNegotiateやディベートできるような英語力が必要とされ
バブル期には、本学機械工学科の9割以上の学生が希望する
ているということでした。社会に出て必要とされてから学ぶ
企業に就職することができましたが、
「大量採用」の時代は終
のではなく、今からそれらの能力を伸ばすことで、将来自分
わり、今は各部門がどのプロジェクトを遂行する人材が必要
自身がどれだけ社会に貢献できるかということを考えるきっ
か吟味し、これについてやりたい!と強く主張する学生を採
かけになるのではないだろうかと感じました。
用するjob matchingの時代に変わってきているようです。
2つ目に上げられた要素は「目標」でした。夢、情熱を持ち
私はこのディスカッションの中で特に衝撃を受けた言葉は、
10年先のことを考えながら目標を設定する人材の必要性が 「就職であり、就社ではない。」という言葉です。就職活動を
指摘されました。上記にある先見性ということにも共通する
するにあたり、
「自分には何ができ、こういうことがしたい。」
点ですが、先を見据え目標を立て、自分から働きかけ、動け
という意志を持ち、邁進することの重要性を認識しました。
る行動力を持つ学生は必ずどの企業でも成功するとのこと
このディスカッションをきっかけに自己分析を行い、
「どの企
でした。研究室でまわりのムードに流されず、自分はどういっ
業で何をしたいのか」を明確に持ち、就職活動に臨みたいと
た目的で実験や解析を行い、どこが目標であるかを明確に持
思います。
(梅津研究室)
W.M.E Newsletter Vol.19
page 2
ら、科目に生物を導入して(応用化学
と電気・情報生命学科)次に述べる新
学科の教育体制に備えることとなっ
勝田 正文 た。
第二は、学部・学科の再編問題であ
WMEから学
要なテーマを紹介して任を終えたい。
る。 この問題は、本部教務部の方針
部・学科の最近の
最初に、入試オフィスおよびリエゾ
である生命 、生物学系の教員の理工
動向について、何
ンオフィスの立ち上げを行い、専任の
学部への集結、と情報学部(仮称)の
か 書くようにとの
教授に室長として就任いただいた。入
理工学部からの独立要望、がきっかけ
命をうけた。日頃
試オフィスは、前任の学部長室からの
となった。 特に後者は、その後の理
色々とお世話にな
引継ぎによるものであるが、過去の入
工学部再編議論のトリガーとなり、現
っていながら、機
試データの分析と、将来にわたる入試
在に至っている。 理工学部は大久保
友会の再生時には微力をもってお手伝
戦略を立てることを目標として、学部長
移転から、 実社会の要請に応じなが
いすることができたものの、その後疎
室入試担当経験者がこの任に当たる
ら臨機応変にその学科構成を変えて
遠になっているお詫びも含め、最近の
こととなった。
きてはいるが 、大学院生の増加に伴
またリエゾンオフィスは、学部教職
って全学部で1万人を超える学生を収
このような題名にさせていただいた
員、学生、OBの連携をより堅固にする
容する、 早稲田大学で最大の学部と
のも、00年9月16日から02年9月15日ま
ためのあらゆる活動を視野に入れ、今
なっている。
での二年間、理工学部の教務担当教
まで不十分であった、理工学部の動向
もちろん、この学部を構成する教職
務主任を仰せつかり、その任を離れた
をいち早く広報する機能を設けること
員数も他学部を凌駕している。 この
からである (機械工学科の教員から
を目標とした部署である
(ホームぺー
ような状況で、意思決定の迅速さに欠
は、宇佐美元学部長以降、山本教授、
ジに一度アクセスしていただきたい。
ける面が、 世の中の流れに乗り遅れ
山川教授、さらに副主任には梅津教授
理工学部のぺージから入れます)
。
る大きな要因となってきたことは事実
動きについて書かせていただく。
が当たられている。)いわゆる学部スタ
大きな課題の第一は、宇佐美元学
である。そこで、 この提案を機に全
ッフは、学部長中心に4名が担当し、
部長室から引継いだ入試改革である。
学部で理工学部を複数の学部に再編
主任会や教授会を円滑に運営するた
たぶん反省するべき点も多々あると思
し、 学部改革を急ごうという議論をス
め、各学科主任との議論を重ねつつ、
うが、近年の悪意に満ち溢れた週刊
タートさせた。
学部の将来を検討する一方、学科で
誌によるネガティブキャンぺーンに見る
前者は一見すると異質のものとお考
は片付かない理工学部学生の世話も
ように、停滞気味にあった入学試験改
えであろうが、その後の情報系学科の
行う。つまり、学部の小使いさんある
革の実行を行った。用意された幾つ
再編に繋がっている。 情報のキーワ
いは、円滑運営の潤滑剤と言えよう。
かの選択肢から、入試オフィスの助言
ードを持つ学科は、ご承知のように3学
ただし、ほとんど研究室を省みること
も得て、AO入試を2001年から実行に
科存在した。電気、通信、情報である。
のできない(つらーい)日々が続く。した
移した。
受験生や付属高校生からは、各学科
っがて、現在はなにか“ほっとした”気
この入試は、
創成入試と名づけられ、
の情報に関する特徴が見えず、混乱を
長時間の面接を主に複数の教員が受
与えていた。当初は、情報学部の独立
前学部長 尾島教授(建築学科)
よ
験生と対峙して行い、受験生の入学へ
という提案であったが、その後人間科
り就任要請を受けたのが2000年の8月
の意欲、学科における適応能力、創成
学部から転籍された、4名の生命科学
も末のことと記憶している。あまりにも
力等を吟味し、結論を出す方式であ
系教員に加わっていただき、電気・情
時機を失した要請にいささか疑問もあ
る。学科により実技試験を課すなど、
報生命工学科とコンピュータ・ネットワ
ったが、頼まれると断るすべを知らな
さまざまな工夫された面接方式が取ら
ーク工学科へ再編することとし、募集
い小生を指名されたものと思い、お受
れている。2003年度入試は、政経学
定員数ともに210名で2003年スタートす
けすることとした。ただし、これは、つ
部と同時に11月行われ、70名(機械工
ることで合意、2002年8月に文部科学
かまったあとから伺った話ではある
学科は9名)
を越える合格者を迎える。
省の認可を得た。
が、どうも何人かの先生から就任を断
成果は、本方式の合格者が学部卒業
学部再編では、125周年である2007
られた経緯があったようである。
を果たすときに報告ができるものと考
年に理工学部を複数の学部に再編す
分である。
このようなこともあったが、幾つかの
えるが、 昨年度の合格者に関して、
ることを教授会で了承いただいた。決
大きな課題に解決の糸口だけはつけ
積極性の面で優れているとの評価を
定に至るまでには紆余曲折があった
られたものと考えている。その中の重
得ている。また、2003年度一般入試か
が、勉強会や拡大主任会、さらには
page 3
W.M.E Newsletter Vol.19
2002年3月の全学科・領域、事務系、
入れ、中堅の技術者を輩出しようとす
コリドール構想(建築学科、土木工学
技術系のシンポジウムを経て、多数決
る」Bで議論を進めている。目標は、
科)がある。これは、高田馬場から本
での決定に至った。この課題は現学
学部再編の前年あたりを考ている。
部西早稲田をつなぐミニ学生街開発構
部長室(足立学部長 数理学科教授)
最後に、理工学部100周年(2008年)
想で、その中核を理工、戸山、学習院、
で引き継ぎ、具体的な案を再編実行
とその構想である。教育学部の理学
本部を担う。地下鉄13 号線の駅舎が
委員会において検討いただいている。
系、特に生物系の教員は、早くから理
理工学部に乗り入れる頃に実現すれ
工学部への合流を希望されていた。
ば、この上もない100周年記念事業と
は、山川前主任教授を中心に学科再
残念ながら諸般の事情によって、我々
なろう。 (ただし、現在は構想のみ)
編の議論が進んだ。現在、最終の段
の学部長室での実現はかなわなかっ
とにもかくにも2年間を曲がりなりに
階、カリキュラムの仕上げに入ってい
たが、今後検討されるこの問題を実現
も過すことができた。ご支援いただい
るが、グループAとB
(仮称)
「既存の
させるためにも63号館(テニスコート)
た学科の先生方と、なにより研究室の
機械工学体系を磨き上げ、 さらに高
と、生物系実験室の確保は重要であ
助手をはじめとする学生・OB諸氏に
度なものにしようとする」Aと「新しい
る。100周年に向けての切り札になろ
お礼申し上げる。
教育手法(共創 学生参加 PBL)を取り
う。さらに大きな計画としては、早稲田
このような中で、わが機械工学科で
(機械工学科教授)
学部学科の動向
増本 憲泰(平成11年博)
早稲田大学WABOT-HOUSE研究所*1は, のようなロボットが既に家庭に入ってきている現在,さらに
2001年11月16日に締結された岐阜県と早稲田
高度なロボットと共存する時代の住宅について,問題点とそ
大学との協定*2に基づき,本学プロジェクト
の対処法をあらかじめ考えておく必要があります。そのよう
研究所*3の一つとして2001年12月1日に設立さ
な時代にはロボット産業が必須でしょう。一方,ロボットが
れました。設立と同時に,岐阜県各務原市テ
家庭に入ることによって,家族の絆が壊れてしまうことも懸
クノプラザ*4内にサテライトラボが設置され, 念されます。したがって,ロボットの研究開発は技術的課題
2002年4月1日より5年間の計画で研究プロジ
のみではなく社会的課題をも真剣に考えなければならない新
ェクト(2002年度は18研究テーマ)が動き始めました。最終的
たな局面を迎えつつあるのです。
な研究成果物としては,数十種類におよぶロボットおよびロ
メカニズムとその制御技術に加えて人工知能や高速情報通
ボット・コミュニティ,3棟の建築物*5(A棟:人間のため
信技術など,ロボット要素技術も現在では多岐にわたってお
の未来の家,B棟:人間とロボットが共存するための家,C
り,高度な知能をもつロボットが将来誕生するかもしれませ
棟:ロボットのための家),ロボット・ミュージアムが予定
ん。しかし,人間並みの能力をもったロボットが開発される
されています。また,形のない成果物として,大学所有のロ
と人間は本当に今より幸せになれるのでしょうか。早稲田大
ボット関連シーズ技術を実用化(ニーズ化)するための共創的
学は人間型ロボット(ヒューマノイド)の研究で世界をリード
コーディネーション技術の確立をも目指しています。岐阜県
してきましたが,早稲田大学WABOT-HOUSE研究所はこれ
は,テクノプラザを中心とする地域をロボット研究およびロ
までに蓄積されてきたロボット技術の上に建築技術,情報通
ボット産業の世界的拠点にしたいと考えており,早稲田大学
信技術さらに芸術的な深みを加え,将来の社会を先取りした
はその構想実現のためのパートナーとして選ばれたのです。
研究に積極的に挑戦することによって,人間の真の幸せが望
菅野重樹所長(機械工学科教授),尾島俊雄副所長(建築学科
まれる時代の到来に向けたロボット技術を追究していきま
教授),三輪敬之副所長(機械工学科教授),橋本周司副所長
す。
(応用物理学科教授),小松尚久副所長(電子・情報通信学科教
授)をはじめとする研究スタッフは,機械工学科,応用物理
(紙面の都合上,詳細は下記ホームページをご参照下さい)
学科,電気電子情報工学科,建築学科,電子・情報通信学科, *1 http://www.wabot-house.org/
*2 http://www.sci.waseda.ac.jp/koho/1116.html
芸術学校に所属する研究者から構成されており,筆者を含め
*3 http://www.waseda.ac.jp/kikou/
て4名の若手研究者が現地スタッフとしてテクノプラザに常
*4 http://www.pref.gifu.jp/s11338/vr/
駐しています。このように,従来の主なロボット研究分野に
*5 http://www.ojima.arch.waseda.ac.jp/~wabot/
加えて建築分野や情報通信分野を,さらに芸術分野をも含め
*6 http://www.humanoid.waseda.ac.jp/booklet/katobook-j.html
た組織となっていることが,他の研究機関には類を見ない本
研究所の大きな特徴と言えます。
漫画家の故手塚治虫氏は2003年4月7日を鉄腕アトムの誕生 (早稲田大学WABOT-HOUSE研究所 客員研究助手)
日と設定しました。また,故加藤一郎教授は「21世紀はマ
[増本連絡先]
イ・ロボットの時代」という言葉を残されました*6。 AIBO
E-mail:[email protected](機械工学科山川研究室)
W.M.E Newsletter Vol.19
page 4
納富 信(平成10年博)
2002年7月に、
21世紀の地球規
模での環境問題
に対応した先導
的な研究開発を
展開する新しい
機関として、
『環
境総合研究セン
ター』が設立され、初代所長には、機
械工学科の永田勝也教授が就任した。
本センターは、学内・学外各所との
緊密な連携を図りつつ、本庄キャンパ
スを中心とした「本庄地方拠点都市地
域 」に お いて 、産・官( 公 )
・民( 地
域)
・学が一体となった、実践的な教
育・研究活動の展開を指向している。
特に、環境問題は学際領域での対応
が求められており、理工学分野だけで
なく人文・社会科学分野等の幅広い学
問領域を統合した「学問領域統合型ア
プローチ」による体制の構築が必須で
ある。
本センターでは、環境問題の解決に
向けたアプローチ方法として、
①統制対象に向けて環境負荷の低減
を主眼としてアプローチする「環境制
御」、
②環境の定常的な体系化・維持メカニ
ズムの構築を主眼としてアプローチす
る「環境経営」、
③環境との共生を企図した新しい環
境のあり方を創出することを主眼とし
てアプローチする「環境創造」、という
三つを掲げている。
表1 展開中の研究活動
研究プロジェクト・研究クラスター名
リーダー
産業機械の環境配慮型生産・運用システム
永田 勝也 教授(理工機械)
畜産廃棄物の再資源化システム
河合 素直 教授(理工機械)
資源循環圏域可視化研究
寄本 勝美 教授(政経)
先進コミュニティ交通システム
大聖 泰弘 教授(理工機械)
本庄市元小山川浄化プロジェクト
河合 素直 教授(理工機械)
精密農法プロジェクト
河合 素直 教授(理工機械)
自動車リユース・リビルト部品普及システム
永田 勝也 教授(理工機械)
CDMによる森林の炭素吸収量評価手法の開発
森川
靖 教授(人科)
図1 研究クラスターの構造
★最終目標を共有するクラスターは
研究所組織に位置付け
<研究クラスター・研究プロジェクト・主体者の構造>
次世代自動車研究所
産業機器の環境配慮型
生産・運用システム
生産・運用システム
先進コミュニティ
交通システム
交通システム
自動車リユース・リビルト
自動車リユース・リビルト
部品普及システム
部品普及システム
★プロジェクトを統合して
クラスターを構築
★4つの主体から参画
【公(官)】
【学】
※早稲田大学を中心に
他大学や研究所を含む
研究所( 5 ∼ 10 年で完結)
※国、地方自治体、国立
研究所を含む
【産】
【民(地域)】
※企業の他。社団法人・コンサ
ル・企業研究所等を含む
※本庄地方を中心に、地域住
民やNPO・国際機関を含む
先進コミュニティ
先進コミュニティ =研究クラスター( 3 ∼ 5年で完結)
交通システム
交通システム
これらのアプローチを基本として、
各々が密接な連携関係の下で活動で
きる体制として、
『研究クラスター』
とい
う研究ユニットを設けている(図1参
照)。
『研究クラスター』は、それぞれに
目標を持つ研究プロジェクトを同時並
行で進め、それらを実社会システム内
に定着することを最終目標として、全
体として統合した学際領域的研究体制
である。現在、具体的には、表1に示
す研究活動が展開されており、機械工
学科の教員も積極的に参画している。
2003年度以降は、より活発な研究活動
を予定している。
今後の展開として、2003年夏に、
「イ
ンキュベーション・オン・キャンパス本
庄早稲田」という研究活動の中心とな
る施設が完成し、本庄キャンパスにお
ける本格的な活動がスタートする。さ
らに、2004年春には、上越・長野新幹
線新駅が完成して交通アクセスが向上
すると共に、ゼミ・講義室を中心とした
「産・学・公・地域連携促進センター」
も本格的稼動を開始する予定となって
いる。
これらハード面での整備と並行して、
本センターを母体とした環境系大学院
の設置が近い将来に予定されており、
既設の学部や研究科と連携関係を持
ちながら、本庄キャンパスにおける教
育・研究活動の展開を予定している。
環境系大学院では、企業・官公庁・地
方自治体・NPOなどの社会人や留学
生も積極的に受け入れ、実践的かつ
即効的に社会に通用する人材の育成
を目指す。
今後の社会システムは、環境への取
り組み無くしては存続することが困難
な状況になってきている。その意味で
も、本センターを中心とした本庄キャン
パスでの活動には、是非とも注目して
いただきたい。本センターの詳細は、
http://www.waseda.ac.jp/weri/
を参照いただきたい。
(環境総合研究センター客員助教授)
=研究プロジェクト( 3 ∼ 5 年で完結)
ただし、単独プロジェクトの場合は 1∼ 3 年で完結
page 5
W.M.E Newsletter Vol.18
山本 勝弘
まず研究室の経
ると,この現象は二相流となるので,
緯から述べさせて
精度の高いモデルが必要とされ,その
いただきます。昭和
確立を目指しています。また,洪水対
40年(1965年)理工
策用の人工河川や下水道などでは,管
学 部 は 、大 学 創 立
内に一時的に空気が閉じ込められ,そ
8 0 周 年 を 機 に ,現
の過渡現象が問題となっています。こ
在の大久保校舎に
の現象について企業との共同研究によ
移転し,機械工学科は学生定員が大幅
り,従来のモデルを改良してその有効
に増加されました。
性を縮尺模型により検証しています。
その機械工学科の中に故佐藤常三先
このモデルを実スケールに拡大し適用
生が中心になって産業数学コース(学
するため差分式の数値不安定の問題や
部),産業数学部門(大学院)が設定さ
過渡現象の相似則を明らかにすること
れました。その趣旨は,産業界で技術
を目標としています。
ばかりでなく経済現象までも視野に入
(2) 「 高 速 ウ ォ ー タ ー ジ ェ ッ ト の 研
れて数理を生かせる人材を養成するコ
究」:比較的簡単な装置で,高速な液
ースということで,複素関数論,微分
体噴流を発生させるため,7気圧程度
方程式,解析力学,連続体力学に加え, の空気圧によりピストンを加速し,そ
非線形振動論,不規則振動論,確率統
の衝突圧により出口径2-10mmのノズル
計,最適化理論,オペレーションズ・
から流速500-1000m/sの単発型超音速水
リサーチ,ゲームの理論,線形計画法
噴流を実現しています。このような非
など当時の数理計画系の科目が数多く
定常性の強い液体流れについて,ノズ
設置されました。
ル内の流れ,大気中での噴流挙動,金
筆者はそのコースを昭和51年(1976
属材料への穿孔作用を調べ,流れ特性
年)に引き継ぐこととなりましたが, の解明と共に実用化への道を探ってい
学部,大学院と流体工学の出身なので, ます。一方,幅広い応用範囲を有する
数学や連続体力学などの科目を担当す
定常な高速水噴流について,大気中,
ることとなり,それ以外は他大学,学
水中における流動特性を調べ 単発型
外の研究機関に勤務された先生方にご
超音速水噴流による金属の穿孔種々の
協力いただくことになりました。この
材料に対する加工能力との関係を追求
ような経緯から,筆者は現在,学部で
しています。
「工業数学」,「力学」関係の科目を担当
この他,立型ポンプの設計に必要な
させていただき,大学院で「レオロジ 「駆動軸のふれまわり運動の研究」や市
ー」や「流体関連振動」を担当させて
街地道路の交通流の改善を目的とした
いただいております。
「交通流の計測システムとシミュレーシ
他の科目群は時代に合わせて整理統
ョンモデルの開発」にも取り組んでい
合され,それと共に学部の産業数学コ
ます。
ースも流体工学グループに統合されて
最後に研究室の教育方針を述べさせ
現在は大学院の産業数学部門のみが残
ていただきます。はじめにも述べまし
っています。今後,大学院の部門も学
たように30年前の出発点の産業数学コ
科再編,学部再編の中で見直しが行わ
ースでは理論解析を主体とした研究テ
れる予定です。
ーマがゼミナールや卒業研究,修士論
つぎに現在の主な研究テーマを紹介
文で展開されていました。
させていただきます。
私が引きついでからは,研究室の教
(1) 「水撃および気液二相流の過渡現象
育は理論と実験の補完を重視するよう
に関する研究」:水を送る配管装置に
に心がけています。具体的には3年生
おいて,水撃現象(Water Hammer)は, で週1回の「ゼミナール」を通して,
管路の振動や機器の破壊を招くことが
流体工学の基礎である,質量,運動量,
あり,この現象の予測は配管システム
エネルギーの保存則と構成方程式,初
の設計・開発および安全維持に必要不
期条件,境界条件の意味を復習します。
可欠となっています。特に圧力低下時
英語の専門用語に慣れるためテキスト
に水の気化現象(水柱分離)が発生す
は英語とし,輪講形式で議論をします。
W.M.E Newsletter Vol.19
page 6
一方,「エンジニアリング・プラクティ
ス」では具体例を通じて基礎の理解を
深めるため,差分法により簡単な流れ
の数値計算を実行してもらいます。流
れの数値計算の基礎と共に,コンピュ
ーターのプログラム言語,計算結果の
グラフ化,ワープロによる報告書作成
など,大学院修士1年のアドバイスの
もとで課題遂行のための必要最低限の
スキルを身につけてもらいます。
これらの学習成果は年末に皆の前で
発表させますが,3年生の段階では自
ら準備し,課題に取り組むことが意外
に不慣れで,多くを期待すると消化不
良を起します。4年生の卒業論文では,
原則として1テーマ2∼3名のグルー
プとし,専門知識ばかりでなく,実験
や計算を通じて共同作業の重要性を学
んでもらいます。さらに大学院では,
テーマの理論面の強化と共に,卒業論
文の面倒を見ることにより,課題遂行
のためのリーダーシップを身につけて
もらうようにしています。
本研究室のテーマで流体工学上問題
となっていることは,非定常管摩擦,
キャビテ―ション,気液二相流の計算
モデルの適切性と数値不安定,相間の
物質・運動量・エネルギーの移動,超
音波と衝撃波,流れの3次元性と乱流,
差分法におけるクーラン数の壁などい
ずれも一筋縄で解決できるものではあ
りません。
これらの問題を1つ1つ解明し,学
術面で貢献するためには,流体の専門
知識はもとより,数学,物理学の素養,
専門基礎,コンピューターのスキルと
英語力,そして何よりも気力と体力が
要求されます。これらの知識と技術を2
∼4年間でマスターすることは容易では
ありませんが,最近は大学院の修士レ
ベルでも国際会議での発表が珍しくな
くなって来ています。
なお研究室の卒業生は,本年3月現在
で学部,大学院合わせて376名に達し,
様々な分野で活躍しています。
(機械工学科教授)
機友会会員として数々の功績を残され、お元気な頃は
毎年機友会総会に出席され、昔日の思い出を語つてい
ただいた池谷武雄先生が本年1月、105歳の天寿を全
とうされました。ここに慎んでご冥福をお祈り申し上げ、
特に、先生とご縁の深かったお二方にその追悼の辞を
寄せていただきました。
渡部 陽(昭和26年卒)
私は池谷武雄先生には昭和30年に初めてボス
トンでお会いして以来約50年になりますが、毎年
肉筆の絵が描かれた年賀状や、折に触れてスケ
ッチのコピー等を送っていただきました。先生は
昭和35年に「欧米画信」というスケッチ画集を刊
行されましたが、母校の旧制沼津中学校の同級生
であった芹沢光治氏は序文に次のように書いています。
「水力発電
に関する学者である同君が、国際会議の旅行の途上、世界各地で
このような見事なスケッチと印象記を物にしたのは、ただ驚くばか
りだが、これは偉大な技術家精神の賜物であろうか、岳麓の風光
明媚な風土が幼い日に養った詩心のたまものであろうか。
」
芹沢氏の言われたことは、私が先生のお宅をその後訪問して初
めて分かりました。先ず先生は毎年描かれたスケッチなどの絵の中
から年末年始にかけてその年を代表する絵を選び、大型の集印帖
に清書し直して画集にしておられました。これは昭和26年から始め
100歳になられた時は46冊に達していたそうです。先生の画集の絵
が素人離れしているのは単なるスケッチではなく、高い技能をもっ
てデザインされているからです。先生のお宅で拝見しましたが、毎
日の新聞から自分の気に入ったカット絵、挿絵などを切り抜いて何
冊ものスクラップブックに保存して構図やデザインの研究をしておら
れました。また先生はWMEニュースレターに、
「機械科の授業では
複雑な機械の絵を教師は黒板に描き、学生はノートに写さねばな
らなかった」と書いておられますが、これも絵の訓練で、芹沢氏が
賞賛した技術屋精神の生まれた所以であると思います。先生が人
から送られた葉書や書簡に絵の描かれているものは全て大切に保
存しておられたことにも感服しました。昨年1月末に寒中見舞いを頂
き、
「104歳になった、母校の沼津中学の100周年記念に出席し乾杯
の大役を果たすことができた」と書かれておりました。大隈会館で
開催される稲画会には毎年油絵を出品され、104歳の昨年まで続
けられたそうです。
先生は機友会には特別な思い入れを持たれ、1997年、98年のW
MEニュースレターに寄稿され、特に1979年から1982にかけて11回
にわたり、「機械工学科創成記」を九機会有志代表として執筆され
ました。大正9年に機械工学科を卒業された6氏による座談会を池
谷先生がまとめられたもので、貴重な資料が掲示され、我が機械科
への愛情と後輩への励ましの気持ちが伝わってきます。
なお、最近ご遺族から、芹沢氏と池谷先生による絵画展が沼津
市我入道の芹沢光治文学館で「企画展=親展」
と題して4月25日まで
開催されているとのお知らせを受けました。 心よりご冥福をお祈
り申しあげます。
合掌
((財)素形材センター技術顧問)
鈴木 悟郎 (昭和3
0年院)
平成15年1月9日の午後池谷先生がお亡くなり
になったとの悲報を池谷先生と親交のあった同
期の渡部 陽氏より戴いた時、惜しい方がお亡
くなりになったとの思いで胸が一杯になりました。
池谷 武雄先生は長年東京電機大学に奉職さ
れその間電機学園高等学校校長,東京電機大学
教授、機械工学科長、理事、工学部第二部長、顧問等の要職を歴
任され東京電機大学名誉教授として学園主催の会合にご出席下さ
っていました。ご専門は水力学、水力機械関係で幾多の業績を残
されましたが、主に日本機械学会でご活躍されました。1
9
5
6年には
ASME75周年式典に日本機械学会の代表として参列されました。
日本機械学会功労賞を授与され、日本機械学会名誉員であります。
また勲四等旭日小綬章に叙せられています。池谷 武雄先生は東
京電機大学第一部機械工学科を昭和3
6年4月に創設されましたが、
私は発足時より半年後に機械工学科に採用して戴きました。引き読
き昭和37年4月には第二部機械工学科を設立されました。その後
池谷先生が中心となって大学院工学研究科機械工学専攻修士課程
の設立の申請をしました時には校地面積不足のため却下されまし
た。現在では設立条件を満たして博士課程まで設立されておりま
す。
創設時に池谷先生の右腕となって働いたのが同じく早稲田大学
機械工学科出身の故人となられた川口毅先生であります。この早
稲田大学機械工学科出身の人脈は現在も東京電機大学機械工学
科のなかで生き生きとしております。発足時の方も入れますと故菊
地五郎(教授、自動車工学)故橋本三郎(教授、機械工作)故川口毅
(教授、水力学)、現存では鈴木悟郎(名誉教授、材料力学)三船博
史(教授、制御工学)高村淑彦(教授、熱工学)伊藤明俊(教授、ロ
ボット工学) 等です。現在早稲田大学機械工学科の勝田正文教
授も一時東京電機大学機械工学科に在籍しておられました。創設
者の池谷武雄先生のご尽力によるものと深く感謝しております。
池谷先生は水力学、水力機械の権威であり水車、各種ポンプ、
水力タービン、流量測定などについて多数の研究発表をされてい
ます。
池谷先生の講義はご専門の水力学、水力機械ですが、機械工学
科の学生には機械全体についての常識が不可欠であるというお考
えのもと“機械一般”として講義をされていました。このような内容
の講義は深いご造詣とご見識がないとできませんが、学生には大
変評判がよかった様です。また池谷先生は学生にたいして深い愛
情を持っておられました。
池谷武雄先生の特色は多芸多才なことだと思います。弁舌さわ
やかで、興味深い随筆をおかきになったり、漢詩をおつくりになっ
たりされました。、特に水彩画が見事でした。池谷先生のお話によ
ると写真よりも克明に頭に焼き付けられているとのことでした。こ
のようにして書き溜めた絵日記の画集をたびたび拝見させていた
だきました。先生のご長寿の秘訣もこのような活力に溢れたご趣味
にあったと思います。
池谷 武雄先生のご冥福を心からお祈り申しあげます。
(東京電機大学 名誉教授)
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W.M.E Newsletter Vol.19
一文字 正幸(昭和57年院)
機友会の事務局から山川研の紹介記事を執
筆するようにとのご依頼にあたり、昔話でもかまい
ませんというお言葉にしたがってつたない筆を執
ることにしました。ということで山川先生と最適設
計を軸に私の思い出話をつづらせていただくこ
とにして、
「今は昔」
と参りましょう。
私が山川研の配属になったのは25年前の昭
和53年
(1978年)
です。山川先生は前年に助教
授に就任されて研究室を構えられたばかりでまさ
に新進気鋭、研究活動や教務のみならず学内
や学会の雑多な事務なども次から次へと精力的
にこなされる活躍ぶりには驚かされました。研究
室として独立していましたけれども山川先生の指
導教授でおられる奥村先生の研究室と共同で
活動していました。奥村先生は材料力学の教科
書でご存知と思いますが、構造振動の分野で伝
達マトリックス法の先駆的な研究をなされた権威
で物腰から研究に向かわれる姿勢までとてもエレ
ガントでした。日ごろの研究はもとより工場見学や
スポーツ祭のボートレース、ソフトボール大会など
奥村研の同級生といつも一緒でした。若くエネル
ギッシュな山川先生と経験の深くエレガントな奥
村先生のお二人に広い見地から指導いただけ
たこと、また両研究室の2倍の知己に恵まれたこ
とは望外の幸運ではなかったかと思っています。
山川研では構造物の振動とそれに着目した最
適設計を研究テーマとしています。当時、山川先
生は最適化手法と振動解析を組み合わせ振動
の低減化をはかる最適設計の研究をされていて、
私も同期2人とともにはり構造物の外力に対する
振動を最小化する課題を卒論テーマにいただき
ました。そのころは大型計算機をバッチ処理で
使うしか数値計算の手段は無く、プログラムを手
でコーディングしては穿孔機で一行づつパンチカ
ードに打ち込んで入力していました。パンチカード
とは一枚に80バイトのデータをカードに穴をあけて
記録するものでもはや見かけませんけれども、今
でも使われる一行80バイトの書式はそのなごりで
しょう。これをリーダにかけると早くても1∼2時間
後にラインプリンタに結果が出力されてきます。一
字でもパンチが間違えればこの待ち時間が無駄
になりまたやり直しという悠長な時代でした。この
ところ最適設計は工業分野で設計効率化の追
い風に乗ってたいへん流行していますが、卒論
を学会発表したときには最適解は自明のもので
最適設計の意義はどこにあるのかという批判的
な質問を受ける有様でした。大型計算機という
のもかさだけでパソコンから大きく見劣りする代物
で実用的な問題には至らなかったがためでしょ
うが、その後計算機が飛躍的に向上していくに
遠藤 明彦(昭和61年院)
1986年に熱工学・永田
研究室を卒業し、パイロ
ット訓練生として日本航空
に入社した。飛行機の運
航に関しては全くの素人
であったが、訓練の後ボ
ーイング747型機のSecond Officer (航空機関
士の業務を行う)、副操縦士、ボーイング767
型機の副操縦士を経験し、2000年にボーイ
ング767型機の機長になった。その後、運航
業務と並行して地上業務にも携わる様にな
った。昨年末までの2年程AIDSの解析を行
った。
AIDSとは Aircraft Integrated Data System
の略称で、
(最近はこの名称が嫌われてか
ACMS等と変更されている。)航空機事故の
時話題になるFlight Recorderとは別の、日常
運航をモニターするData Recorderのことで
あり、多くのパラメーターを記録している。記
録媒体は頑丈なビデオテープの様な物であ
り、新しいSystemでは光磁気ディスク(MO)
を使用している。学生時代はエコランカー
(燃費競技車両)を取り扱い、データを取り込
W.M.E Newsletter Vol.19
む装置を作るのに苦労したが、今度はユー
ザーの立場となり、多くのデータが所得でき、
解析に専念出来るのはありがたいことであ
った。
日常運航において好ましくない事例が起こ
るとAIDSにDataが自動的に記録される。
Dataは地上のコンピュータにより解析され、
数日後、本人にFeedbackされると共に、担当
乗員(担当時は私)が当人にインタビューを行
い、当該事例について解析・考察を行いレ
ポート形式にして全乗員(該当機種のみ)
に
配布する。この事により情報を共有し、安全
運航の維持、品質の向上に役立てるというシ
ステムである。誰がその事例を行ったかは
本人と私以外は誰も知らない。
代表的な好ましくない事例としては、ハー
ドランディング、Overspeedがある。
ハードランディングについては、皆様もお
客様の立場で操縦が上手い、下手と意見が
お有りかもしれないが、発生率としてはボー
イング767型機の場合数千回の着陸に1件程
度であり、普通乗客として経験する事は先ず
無いと思われる。Overspeedに関しては、自
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写真 東芝京浜稲門会にて山川研同窓の山口強(右S58年修)、馬場三
知夫(中S57年修)両氏とともに
したがって最適設計も高度化、実用化が進み
私たちのようにメーカーに身を置く者にとってたい
へん便利なツールに発展を遂げています。山川
研ではこの間も人工知能や遺伝的アルゴリズム
など次々に新しい研究成果を送り出して最適設
計の発展に大きく貢献している様子を頼もしく見
てきましたが、山川先生が草創期から研究に取
り組まれ、いつくしむように発展させてこられた結
果が今日の隆盛につながったのではないかと感
じ入っています。
最適設計は有効な設計ツールとして定着しま
したが、最適な状態は評価する視点によって
様々でただ一つではありません。多様な要求を
完全に満足させるまで最適設計の進化はまだま
だ続くことと思います。最適設計と山川研究室の
発展を祈念して私の昔話を終わらせたいと思い
ます。(東芝電力システム社 電力・産業システム
技術開発センター 主査)
動車が一般公道を走行する際の速度制限に
相当するものは、高高度を巡航する際には規
定が無く、飛行機の性能から速すぎても遅す
ぎてもバフェットが発生する為、運用限界と
して制限を受けている。参考までにボーイ
ング767型機に関してはMach0.86(音速の
86%)である。
昨年4月成田空港の新滑走路オープンに伴
い、中国路線に乗務する機会が増加した。中
国から日本への便は貨物の搭載量が多いた
めに(旅客便ではお客様の下に貨物を搭載
するコンパートメントが有る。)最大着陸重量
近くで着陸することも多く、中国の急速な進
歩を実感している。逆に困る事は、中国で
は視程が悪い事が多く、着陸直前まで地表
面が見えないことはしばしば経験する。時々
着陸出来ずに日本に帰ってくる便も有る。視
程が悪いのは公害対策が十分ではなく、燃
料に石炭を使用しているのも原因の一つで
はないかと勝手に想像している。ボーイング
747型機に乗務していた頃、発展途上国によ
く飛行した。滞在中、街中で大学の熱機関
室と同じ匂いがしていた。道端のあちこちで
ガソリンをポリ容器に入れて売っているのが
原因であった。安い物価には理由があるよ
うに感じている。
(日本航空 ボーイング767型機機長)
小川充洋(平成6年院)
機械工学科を卒業して
から医用工学・福祉工学
の道に進んでしばらくと
なります。現在は、東京
医科歯科大学生体材料工
学研究所に、助手として
奉職しています。現在進行中の研究は、高
齢者を対象として自宅で健康状態や生活活
動をモニタリングし健康管理に役立てよう
という研究(「在宅健康モニタリングシス
テムの開発」などと呼んでいます)、身体
内部の熱的状態や精神活動に関連する発汗
活動を汗腺ひとつひとつのレベルで観測す
るシステムの開発(「単一汗腺を対象とし
た発汗計測法の開発」
)
、サーモグラフィー
カメラを用いた新しい皮膚表面血流計測法
の開発、痴呆性徘徊老人支援および対応の
ための『ひと』に優しい技術の開発、など
があり、充実した日々を過ごさせていただ
いています。
私は学部時代には工学と社会との関連に
ついて貧困な認識しかなく、それこそ小学
校の社会科で習ったような「日本は加工貿
易立国を行う国なので工学は資源に付加価
値を付け加える学問」というくらいに考え
ていたように思えます。土屋教授の研究室
に所属して医用工学という分野に出会い、
産業以外に医学という領域にも工学を応用
できることを学びました。当時、自分の中
にあった産業−工学という二項系を恩師土
屋先生や梅津先生に破壊されたのも衝撃で
はありましたが、今では自身が福祉領域に
も工学技術をもって貢献しようと非才なが
らも努力しているのですから、なんとも面
白いものではあります。
福祉分野を勉強して思うのは、「ひと」
一人一人の違いです。同じシステムを使っ
ていただいても、受け入れていただける方
とそうでない方がいるという現実がありま
す。その差こそが個性ではありますが、工
学的なアプローチでは、その差を無視しが
ちになることも多く、失敗も数限りなくあ
ります。ひとによって感性が違うからだ、
と言ってしまえば簡単ではありますが、感
性の差を克服するためのアプローチが必要
なのではないかと常々考えさせられます。
感性の差を克服するためには、一方で巨大
メディアが行うような「単一の感性の押し
付け」といったアプローチもあり、そのた
めの方法も研究されてはいるようです。し
はじめに、湘南工科大学について簡単に紹介しま
す。湘南工科大学は平成2年に相模工業大学から改
称し、現在の名称となりました。昭和38年の開学で
すから本年で40周年ということになります。場所は、
東海道線辻堂駅から「サーファー通り」を南下して
徒歩約15分、辻堂海岸からは北に約500m、海岸に出
れば東に江ノ島、西には富士山が望めるという風光明媚な場所にあり
ます。
平成15年4月からの学科構成は、機械工学科が2学科に分離して機
械システム工学科、機械デザイン工学科になり、ほか電気電子メディ
ア工学科、情報工学科、マテリアル工学科、システムコミュニケーシ
ョン工学科と6科体制となります。学生数は約2800人、大学院は、機
械、電気、材料の3専攻科があります。私は16年前に機械工学科に就
職しましたが、平成13年4月に新設されたシステムコミュニケーショ
ン工学科に移籍しました。この学科は、情報技術、異文化コミュニケ
ーション、そしてシステム工学を融合させたユニークな学科です。現
在2年次生までしか在籍していないのですが、行っている教育内容を
簡単にご紹介していきたいと思います。
システムコミュニケーション工学科は、目的をもたずに大学に入学
してきた学生に、入学後目的意識を持たせよう、という主旨で設立さ
れました。そこで情報技術を中心にして、文化系の領域から理系の領
かし、そうではない方法が模索されるべき
であると考えずにはいられません。感性と
いうと、我々の世代の卒業生には井口先
生・三輪先生のお名前を思い起こさずには
いられません。今になって当時のノートな
どを見返してみると、両先生はバブル経済
絶頂期のさなかにあっても感性に対する工
学的アプローチが必要となる時代を見越し
ていらっしゃったように思えます。学部時
代の自らの不勉強が恨めしいところでもあ
り、両先生の慧眼に畏まるところでもあり
ます。
私にとっての機械工学は、産業−工学と
いう二項系から始まって、そこに医学が加
わり、そして福祉が加わり、今では感性に
挑戦せねばならぬところまで拡大してきま
した。社会が高齢化・少子化によって急速
に変化し、それに工学が対処しなければな
らなかったということはできるでしょう。
しかし、私は工学自体と数多の工学者自身
に社会の変化に対応するだけのポテンシャ
ルがあったと考えます。輸入した資源に付
加価値を加えるための工学に発して、「ひ
と」の人生に付加価値を加えるための工学
を目指していきたいと考えているのです。
(東京医科歯科大学生体材料工学研究所
助手)
域まで、幅広い科目が設置されています。現在9名いる教員のうち2
名は外国籍で、英語教育や異文化コミュニケーション関係の科目を担
当しています。私は制御を含めたシステム工学部門の担当です。本学
科で特にユニークだと思われるのは、チームプロジェクトラーニング
という実習科目です。これは、1年次後期から3年次終了時までの2
年半にわたり、あるプロジェクトをネタにして授業科目で教え込めな
い内容を、実習を通して勉強してもらおう、という科目です。各教員
は約10名の学生の面倒を2年半行います。プロジェクトを行う実習ス
ペースは、ほとんど壁のないオープンスペースで、お互いにどのよう
なプロジェクトを行っているのか見えるようにしてあり、興味が出れ
ば、学生は自分の所属しているプロジェクトだけでなく他のプロジェ
クトに参加することもできます。
これまでチームプロジェクトラーニングを1年半行ってきました。
私のプロジェクトは何か自立型の動く物を作ろうというのが主題です。
私も学生同様、初めは何をしてよいのか迷いました。素材レベルから
始めようと思いましたが、実際は無理でした。あちこち探して、それ
らしい組み立てキットを探して、やっとここ半年、学生が興味を持っ
てくれるものを見つけました。私は、ほとんど学生を放任しておきま
した。従って進みは亀の足より遅いという感じでしたが、最後は自分
達なりに考えて動作プログラムも考えていたようです。とは言え、ま
だまだ相当低いレベルであり満足の行かない状態です。しかし、自主
性が少し出てきたような気もします。とにかく事態は少し良い方向に
向かっているようです。教育とは時間と手間のかかる非効率的な作業
であると実感するこのごろです。
(湘南工科大学 システムコミュニケーション工学科 助教授)
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W.M.E Newsletter Vol.19
等高校としてまもなく創立100年になる。日工大は昭和42年(私が生
まれた頃)に開学し、現在は、機械工学科をはじめとする工学部5学
丹澤祥晃(平成8年博)
科に5000人の学生が在籍している。大学のキャンパスは一つ。北千住
から東武線の快速に乗ると25分の東武動物公園駅から歩いて15分。春
早稲田大学には10年以上通ったが、そのほとんど
日部を過ぎると急に田園風景が広がり、ちょっと田舎に来た気分であ
は学生として過ごした。助手の1年間はあっという
るが、東京からそれほど離れず、通勤ラッシュもないというのはかな
間であった。日本工業大学(日工大)に通って6年
り良いことのように思う。キャンパスも美しい。大学が出来る前は湿
になるが、こちらは、教員という立場であり、大学
地だったそうであるが、開学当時から植樹を進め、当時からの建物は
というものが、また違った見え方になっているよう
ちょうど建て替えが終わったところである。このような地の利にある
に思う。
からなのか、全国の工業高校から推薦入学で進学してくる学生が多い
大学ごとにカラーがあるのか。大学生の時によく考えた。サークル
からだと私は考えているが、学生達はとてものびのびとしている。そ
に入って他大学の学生とも交流した。しかし、世の中で言われている
して、たくさん授業をとってまじめに授業に出席する。勤め始めた当
ほどでもないというのが、当時の私の印象だった。日本のどこの街に
時、授業時間帯のキャンパスが閑散としているのに驚いた。食事もち
行っても同じような車が道路の左側を走って、同じような信号で止ま
ゃんと昼休みに取る、考えてみれば当たり前のことだが。
り、街並みもなんとなく同じように見えるのと似ているのだろうか。
工業高校出身者のためのカリキュラムはどのようなものか。低学年
しかしながら、大学の特徴を述べよと言われたとき、ここ日工大は
から機械の専門科目を勉強するということと、ものに触れることを大
他の大学との違いを探すのが簡単である。端的に書けば、「工業高校
切にする、すなわち、実験実習科目の重視。早稲田で私自身が学んだ
生が進学するために工業高校が作った大学」。こういう大学は他には
カリキュラムに近いと感じた。つまりは、普通高校出身者にとっても
ない。工業高校生は、多くの普通高校生とは違った勉強をしているの
すばらしいカリキュラムなのではないかと私は考えている。
で、一般の大学入試で普通高校生と同列に評価を受けるのではかなり
最近は、工業高校の統合や総合的な勉強をするような変化がみられ
不利になってしまう。しかし、工業高校生にも大学進学の希望はあり、
る。日工大も柔軟に対応しつつある。また、沿線の普通高校からの入
入学してきた学生を普通高校出身生と比べると、早い時期から進路に
学者も増えてきている。ものづくりに興味を持つ普通高校生も多いの
ついて考えて専門的な勉強を始めているので、大学での専門科目の学
ではないかと思う。是非、日工大で学習し、社会に出て活躍してほし
習は速やかで、実験などもより積極的に行うものが多い。
いと願っている。(日本工業大学 工学部 機械工学科 専任講師)
前身の東京工科学校は明治41年に開校し、現在は駒場に東京工業高
本年度ホームカミングデーは1
0月2
0日(日)開催、これに合わせて機友会の懇親会が西早稲田キャンパ
スにおいて開催された。この席で大学・理工学部・機械工学科の現況について勝田教授が紹介され、
wabot
housについて増富客員研究助手が、本庄環境総合研究センターについて納富研究センタ
ー客員助教授がそれぞれ概要を紹介された。該当年次S33卒の前機友会理事の古賀 亮介氏が
「ホームカミングデーに参加して」
と題して次ぎのような原稿を寄せられた。集合写真は氏のクラスである。
ホームカミングデーに参加して
古賀 亮介(昭和33年卒)
まさしく4 5 年 の 時 を 経 て
「心の故郷」母校のミニ講義
を拝聴したく前日上京し、朝8
時半には戸山キャンパス38号
館に到着しておりました。
「わせだの歴史を語
る」の講師は教育学部佐藤能丸先生で受講者
の中には先生より年配の人が多く隔世の感を
強くしました。
早稲田はいかにして成立したか、早稲田の
通史、
「早稲田の歴史」は"伝統"形成の歴史、
「大学文化史」など興味深く拝聴しました。
式典では奥島総長による祝辞、招待者を代
表して卒業後45年目の佐藤安弘氏(麒麟麦酒
(株)代表取締役会長)の挨拶につづき応援部
による歓迎プログラムが披露され和やかな雰
囲気につつまれていきました。その後名誉博
士学位贈呈、石橋湛山記念大賞贈呈、最後に
校歌斉唱して終了しました。
式典後は、卒業年次毎に会場が設けられて
いて、33年卒は西早稲田キャンパス10号館
109教室。旧友との再会を喜び合うなか、数
十年の時が一気にタイムスリップ、さらに校内
W.M.E Newsletter Vol.19
は「稲門祭」で湧きかえり祭の雰囲気に浸るこ
とができました。機友会懇談会では、28年卒、
33年卒、43年卒、53年卒の人達が同席しまし
た。
毎年33年卒のクラス会でお会いする田島先
生をはじめ先生方と会話がはずみましたが、
奥村先生、斉藤先生、林先生、それに1995年
当時の機友会の学内理事で、梅津先生、大聖
先生、武藤先生、勝田先生、川田先生方とは
お会いできず残念でした。
先生方が機友会の現状、
「生命理工学専攻」
設立の背景など熱心に説明され、
「生命」関連
分野の研究者が学部、学科の枠を越えて情報
交換、共同研究、グループ化し、ことに21世紀
の社会ニーズを先取りした新しい研究として
「理」
と「工」の融合をはかり、更に東京女子医
大と連携を図り
「医」を複合することで、シナ
ジー効果が期待でき、将来より発展した「ユニ
ークな研究成果」が期待できるものと思われま
す。
その他、財団法人本庄国際リサーチパーク
研究推進機構などの説明が続き、
「WABOTHOUSE研究所」が岐阜県にあるとのこと、そ
れも我が家とは車で30分程の所と知り是非訪
page 10
れたいと思いました。
参加者の近況報告の中で、松浦研究室の
卒業生から、アモルファス合金が世に出る10
年程前に当研究室で開発できていたとの報告
があり驚きました。
機友会懇談会終了後、稲門グリークラブの
歌を聴き校歌斉唱で散会しました。青春時代
を送った学び舎を後にした頃は早や夕暮とな
り、運営に関わられた方々に感謝しつつ帰途
につきました。
めまぐるしく移り行く時代に即した母校のま
すますの発展を祈ります。
(1
9
9
5年度 機友会 理事)
全会員の動静を
「はがき」
でお伺いして更
機友会HP開設の大きな理由には会
新したものです。個人情報のホームペー
員間の情報交換は勿論ではありますが、
ジ掲載については、諸種議論もあり、動
他面、企業より就職情報の掲載を頂き学
向お伺いの
「はがき」
にも、各位の情報の
生の就職活動を援助する狙いと、その掲
掲載可否について注意を払ったつもりで
載料を基に学生への奨学補助としての
す。
「奨学制度」
の運用を図って行くことが発
特に掲載不可の表記のないものは、
掲載ご了解いただいたとする旨、調査用
端でありました。
紙にも記載し、項目毎に各位のご意志の
最近の状況としては
1.遅れておりました、会員名簿の掲載
確認をいたしました。
ご返信のないものについても、同様の
が漸く行われました。
趣旨を明記した上で、1999年のデータを
参照
2.本年度より企業の就職情報掲載に
基に掲載させていただきました。
加えて、企業先輩から送るメッセージとし
新規「先輩からのメッセージ」
というショー
トページを新たに設けました。
このページは学生諸君にとって、企業
なお、外部からの会員情報についてのお
人事担当からの一般的情報とは異なり
問い合せは、該当者にご連絡して判断
身近な、そして、頼りになる情報として利
いただくこととしています。事務局から直
用してもらえることと考えて設置しました。
接のご返事はいたしません。
会員各位には役目柄、ご来校の折、ご
賛同いただきたく存じます。
3.本年度企業就職情報掲載状況は
1.機友会ホームページ活用のお願い
氾濫するこの種の情報に押され、昨年よ
前回もお願いいたしましたが、ホームペ
り更に少なく学生支援の影響が懸念さ
ージが活発でありません。会員各位に知
れます。OB会員に置かれましては、
「先
らせたい情報、クラス会開催通知など直
輩からのメッセージ」
というショートページの
接掲載されなくても、[email protected]
掲載でも結構です。在籍企業内におい
net.ne.jpに原稿を送付ください。事務局
てお力添えをお願いします。
で掲載します。
2.会費納入のお願い
機友会会費の納入がよくありません、
遅れておりました会員名簿の掲載が漸
会員各位の納入年度は封筒宛名ラベ
く掲載されました。ご一覧下さい。その
ルに記載してあります。機友会では未納
際、個人情報保護の点から、転記・転
年度の遡及はいたしません、なお、
用は厳守となっております。あわせてお願
いします。
機友会会員名簿
このホームページ掲載の名簿は、1999
年発行の名簿データを基に2002年5月、
振替納入以外には
りそな銀行 新宿支店
普通口座 No
事務局
普通口座 No
2002年度機友会特別賞並びに奨励賞が去る1月14日の理事会いおいて、下記のように決まりました。今回の奨励賞は、昨年同
様の機械工学科2年基礎製図A
「CAD−Y立体模型」の優秀作品に加え、あらたに卒業論文関係の成果として太田研「前方ス
ウィープ翼を有する高負荷軸流圧縮機の製作」の受賞が決まりました。特別賞は昨年に引き続きエコラン関係でした。ここに概
要を報告します。詳しい内容は次号に受賞者より発表紹介します。
1375963
東京三菱銀行 新宿支店
2460079
が゙あります。この場合、同姓同名の方が
居られます、3桁の数字であります
を必ず記載して下さい。この
他、銀行・郵便局からの自動引落方法
もあります。申出下さい、用紙を送ります。
代表 草鹿研究室 機械工学科3年 西之宮 賢
成果:第22回 本田宗一郎杯 ホンダエコノパワー燃費競技全国大会 グループ「大学・短大・高専・専門学校クラス」に
おいて準優勝
(燃費:1231.991km/l)
3.住所・勤務先等変更の折にはご連
絡ください。当方からの調査は思うように
まいりません。事務局
(Fax03-3205-9727)
までご一報下さい。
参加メンバー:澤野 敦志、松平 直之、小菅 晋作、隠塚 大介、筑後 隼人
成 果:四国EV
(Electric Vehicle)
ラリーにおける全レグ完走&優勝m四国EV駅“電”における四国一週走行達成、日本
EVフェステバル、
1時間耐久ディスタンスチャレンジに於ける優勝
4.別掲の如く、本年10月19日
(日)
大学
隣接の
「リーガロイヤルホテル東京」
にて
機友会90周年祝賀会・式典を開催しま
す。会員お誘い合わせの上、お越し下
さい。節目の年に相応しい盛大な催しに
指導教授 大田 英輔
なりますようご協力ください。
メンバー 坂本 大智、田杭 隆一、杉浦 秀幸、高野 祐司、福重 達也
5.機友会運営、HP運営、WMEニュー
スレター編集、その他企画関係全般に
亘りご意見をお待ちしております。
担当教員 山口 富士夫、富岡 淳、丹羽三樹弥、西川 進
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W.M.E Newsletter Vol.19
WMEニュースレター編集後記
機械工学科 富岡 淳
WMEニュースレター第19号をお届けし
ます.機友会が発足して,今年で90年に
機友会90周年を記念して機械工学科・機友会の歴史を
90周年を記念して,記念式典・
なります.
振返り、未来に語り継ぐ冊子の編集に執りかかっており
(日)
に開催される予
祝賀会が10月19日
ます。この中で会員各位からメッセージを頂いて文集の
定です.是 非,参加していただき,祝賀会
中に取り込みたいと思います。
を盛り上げていただければ幸いです.この
日に,クラス会や研究室OB会などを企画
内容は、学生時代のこと、心に残る先生たちの言葉、
して頂ければ,相乗効果で出席率が増え
卒業後の技術者生活と学業の思い出、技術者として、社
ますので,是非ご検討願います.祝賀会で
会の歴史の節目に立ち会った思い出、これからの大学へ
は,
「記念誌」
を配布する予定です.現在,
のメッセージ、後輩に送るメッセージなどなど、あまり型
ご期待下さい.なお,
編集作業中ですので,
にはまらず、皆様の自由な思いを文章に載せお寄せくだ
さい。
「記念誌」
では,皆様からのメッセージを募
また、文章だけでなく資料や古き良き時代の写
集しております.色々な世代からのメッセージ
を,お待ちしております.
真がありましたら一緒に掲載したいと考えております。
第12回幹事 古庄 進(昭和42年卒)
かと期待しています。
さてプレーの方ですが、川崎国際
生田緑地ゴルフ場は大会の数日前
から乗用カートの導入がされ高齢者
にも優しいコースとなりました。小生
もこの大会の最年少に近いのです
が、アップダウンのきついコースでカー
機友会懇親ゴルフ大会は平成14
トの有り難さをしみじみ感じながらプ
年11月13日(水)川崎生田緑地ゴル
レーをしました。このカートの導入を知
フ場で開催されました。参加者も9組
って、敬遠されていたOBの方々の参
33名と、企画委員を始め関係者のご
加が増えることと思われます。
努力により第10回記念大会に匹敵
今大会の優勝者は長年ゴルフ大
するほどの大きな大会になり、大会当
会の世話役をされている石岡貞雄氏
日も11月と云うのに暖かく、日中は上
(昭32年卒)で、準優勝は前回幹事
着を脱ぐ程の絶好のコンディションで
の鈴木俊夫氏(昭37年卒)でした。石
楽しくプレーが出来ました。
岡氏はグロス91ストロークとグロスで
競技開始前のクラブハウス・ベラ
ンダでの恒例の競技内容説明と記
も4位に入る立派な成績で優勝され
ました。
念撮影の際に、企画委員からの提案
プレー後の懇親会では林名誉会
で高齢にも拘わらず、毎回ご参加さ
長より参加者が増えたことと、カート
れている、土橋正道氏宮武正次氏
導入により体力的負担が少なくなり、
(昭 19年 卒 ) 林 名 誉 会 長 (昭 25年
今後参加者の増大が期待できる旨
卒)のご三方に功労賞としてタイガー
の挨拶をいただきました。事実参加
ウッズも愛用している早稲田カラーの
者の半数以上の方がスコアーを伸ば
キャップを贈呈させていただきました。
されており、負傷者もなく終了しました
今後はこのキャップを特別賞に設定
ことは乗用カートの効果と思われます。
し多くの方に受賞してもらい、機友会
また今回は安田賢次氏(昭37年
のシンボルとして大会には全員が早
卒)がデジカメとパソコンを駆使され、
今回の大会は最年少では昭45年
に優しくなった川崎国際生田緑地ゴ
稲田カラーのキャップでプレーするこ
すばらしい写真パネルを作成していた
卒が参加され、より巾広い年代層に
ルフ場で早稲田機友会の輪を広げ
とでより楽しい大会になるのではない
だきました。 これもまた機友会親睦
広がりつつありますが、37年卒8名・
て行つていただきたいと思います。
2002年9月以降に下記の会員のご逝去が判明
しました。ここにご報告いたしますととも
に、謹んでご冥福をお祈りいたします。
卒年
氏名
逝去年月
大9 旧理工
昭4 旧理工
昭10 旧理工
昭12 旧理工
昭13 旧理工
昭15 旧理工
池谷 武雄
佐藤 主
笠羽 高道
斉藤 礼雄
高橋 賢司
大矢 正五
2003.1
W.M.E Newsletter Vol.19
2002.8
2003.2
2002.9
2002.8
昭17 旧理工
昭19 旧理工
昭20 旧理工
昭21 旧理工
昭21 旧理工
昭21 旧理工
昭21 旧理工
昭21 旧理工
昭22 旧理工
昭26 旧理工
昭27 一理
昭32 一理
昭24 専機
昭24 専運
ゴルフ大会のオリジナルの一つに加
38年卒7名と同期の層も厚くなってき
わることを期待します。
ています。皆様も同期を誘い合い 体
菅原 重二
東城 一朗
大畔 達夫
相田 武久
植村 卓哉
佐々木宗良
長谷川和音
横尾 亮二
三瓶 俊雄
今澤 瑛一
柴田 実
池田 秀夫
下田 光宏
塩谷 和久
page 12
2002.6
2002.8
2002.8
1999.11
2001.3
2002.8
1998.2
2001.6
2002.8
2001.2
2003.1
2003.2
2002.6
2002.10
WME ニュースレター Vol.19
発行元 早稲田機友会 編集委員会事務局
〒169-8555 東京都新宿区大久保3-4-1
早稲田大学理工学部内55号館S棟2階
電話03-3203-4141(大代表)内線73-5252
TEL/FAX03-3205-9727
Email
[email protected]
浅井/土金が月、火、木、金の10:00∼17:00の間執務。不在
の折には上記FAX、または、梅津研究室
(電話03-5286-3256)
へご連絡下さい。
印刷所 エヌ・ケイ・インターナショナル株式会社
〒102-0072 東京都千代田区飯田橋2-7-4
オオムラビル
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