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大津むかしむか~し25号(PDF:1.6MB)

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大津むかしむか~し25号(PDF:1.6MB)
第 25 号
2016.3.31
あ の
遺跡紹介1
う
の
ぞ
え
こ
ふ
ん
ぐ
ん
穴太野添古墳群(坂本一丁目)
穴太野添古墳群は、大津市穴太一丁目、坂本一丁目に所在し、比叡山系から
流れ出る四谷川の北側尾根、南斜面に位置しています。6世紀中頃から7世紀
前半、大津市湖西南部の坂本から錦織の地域には、小豪族の家族墓とみられる
古墳群が集中して築かれています。中国大陸や朝鮮半島から、海を越えて渡っ
と
ら
い
じ
ん
てきた渡来人の文化の影響を受けてつくられた古墳と考えられています。古墳
よ こ あ な し き せ き し つ
の目立った特徴は、横穴式石室の石の積み方が、少しずつ内側にせり出して積
げ ん し つ
み天井に1~2石で蓋をするドーム状を呈していることや、玄室のかたちが正
せ ん ど う
方形であったり羨道に対して横長にとりつくものがあることが知られています。
穴太野添古墳群調査地
●
京阪穴太駅
穴太遺跡調査地
●
西大津バイパス
【 穴 太 野 添 古 墳 群・穴 太 遺 跡 調 査 地 位 置 図 】
○ 穴 太 野 添 古 墳 群 は 、現 在 150 基 ほ ど の 古 墳 が 確 認 さ れ て い ま す 。昭 和 44 年
に は 滋 賀 県 教 育 委 員 会 に よ り 7 基 が 、昭 和 61・62 年 度 に は 墓 地 の 拡 張 整 備 に
伴 い 大 津 市 教 育 委 員 会 に よ っ て 17 基 が 調 査 さ れ て い ま す 。 現 在 も 墓 所 で あ
り、古代から現代に至って、あらゆるひとたちが眠り続けています。
Q:今回の調査地は、今までに確認され
てきた穴太野添古墳群の調査地点と若干
離れていますね。
A:分布範囲の北東付近で、新たに7基
の横穴式石室を持った古墳を確認しまし
調査地点
た。特に5基は良好に残っていました。
Q:どんなことがわかったのですか?
A:周辺の調査で指摘されている、渡来
人の影響を受けた古墳であることは、石
【穴太野添古墳群分布図】
室や出土遺物からみて間違いないです。
Q:石室の石の積み方が、ドーム型のよ
うになっていることですね。石室の中に
い
ぶ
つ
納められた遺物にも渡来人の風習が表れ
るていることは、有名なのですよね?
玄室
A:坂本から錦織にかけて築かれている
ふ く そ う ひ ん
後期群集墳では、副葬品として、実用炊
飯具を小型に作り石室に納めた、ミニチ
ュア炊飯具セットが出土することが知ら
れています。今回も、カマド・カマ・ナ
羨道
ベ・コシキなどのミニチュア炊飯具セッ
トが見つかり、4号墳ではそれに加えて
ハチと考えられるものが出土しています。
Q:過去に確認された古墳と比べて、な
にか特徴があるのですか?
A:はい。①この地域で出土している須
【1 号墳石室】
つ き
恵器の杯類が全く副葬されていません。そして、納めてある土師器・須恵器の
鉄釘
甕や壷など、大体同じ器種のようです。
また、土器類の副葬がみられた各古墳
玄室内の副葬品の配置がすべて同じで
は
じ
き
す 。奥 壁 を 正 面 に 見 て 、右 奥 に 土 師 器 の
か め
甕や須恵器の壷が納められています。
も っ か ん
左側に鉄釘が出土しているので、木棺
が置かれていたことや、規模がわかり
ミニチュア
炊飯具セッ
ト カマド
ま す 。木 棺 は 朽 ち て 無 く な っ て い ま す 。
②4号墳出土の土器類は、6世紀前半
ぐ ん
~中頃のものであり、当地域の後期群
しゅうふん
集墳の中でも、この古墳は初期の頃に
つくられた古墳と考えられます。
③検出された7基の古墳は、過去に調
査したものと比べると、それぞれの間
【4号墳石室】
隔が広く散在しています。そして、一
定の規則性を持ってつくられているよ
うな印象を受けます。
Q:今まで見つかった古墳と、違う雰
囲気を持つところがあるのですね。
A:①の特徴より、穴太野添古墳群の
中でも、ここの地域の人だけが持って
そ う そ う ぎ
れ
い
いる風習というか、葬送儀礼があった
【遺構配置図】
【カンザシ出土状況】
ように思われます。
そ の ほ か 、注 目 さ れ る 出 土 品 と し て 、
カンザシが1点、2号墳の玄室中央や
や北東よりの床面よりみつかりました。
銀製で細長く、逆U字形に作っていま
す。ここに葬られたひとたちも、漢人
の風俗を受け継いでカンザシを使用し
ていて、お墓に納めたのでしょうか。
【横穴式石室模式図】
【ミニチュア炊飯具セット
( 太 鼓 塚 遺 跡 出 土 )】
遺跡紹介2
穴太遺跡(穴太一丁目)
先ほど紹介した、穴太野添古墳群の東側にあたり、JR唐崎駅の北西に広が
る、縄文~平安時代の複合遺跡です。
Q:穴太野添古墳群と近いですね。何
か関係があるのでしょうか。
A:渡来系の後期古墳群と同時代と考
えられている建物遺構が2棟、みつか
りました。柱を壁の中に塗り込んだ建
物で、韓国の遺跡の類例などから、渡
来人との関わりが指摘されています。
【大壁建物】
お お か べ た て も の
Q:大壁建物ですね。渡来人の影響を
受けた人たちは、この辺で生活し、墓
地を西側の山手に作っていたのですか。
A:そのように考えるのが自然ですよ
ね。住居であったのか、何かの施設だ
ったのかはよくわかっていません。付
ど
こ
う
近 の 土 坑 か ら は 、 小 型 で 丸 底 の 土 師 器 【 大 壁 建 物 復 元 模 型 (公 財 滋 賀 県 文 化 財 保 護 協 会 編 ・ 発 行
壷 な ど が 、 約 10 点 出 土 し て い ま す 。 こ
こ
が
た
ま る ぞ こ つ ぼ
さ
い
し
の小型丸底壷は、古墳時代前期の祭祀
に用いられていたものと考えられてお
り、特に1点、壷の中の土に炭化した
種子が混じった状態でみつかりました。
まじないのあとであるのか、または何
かを貯蔵していたのでしょうか。
【壷・小型丸底壷出土状況】
2016. 3. 31
1996)】
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