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国家公務員制度の人事評価に関する諸問題 - C
2013 進化経済学会報告論文 国家公務員制度の人事評価に関する諸問題 日本経済大学 戸田宏治 0. はじめに 日本の国家公務員制度においては、すでに成果主義に基づく人事評価制度が導入されて いるが、学歴や職歴で優位にあり、将来を嘱望される官僚は大きな制度改正を伴う部署(典 型的には新法の制定、大きな法律改正等)に配属される傾向がある。彼らがそのような部 署において仕事に失敗するリスクが非常に低いこと、そのような部署に配属された者が 360 度評価やそれに基づく評判という点では圧倒的に有利であることを考えると、競争に参加 している当事者の視点から見れば、年次主義が競争促進的な制度であるとは考えにくい。 むしろ同期横並び昇進は「長期間にわたる競争」を促したのではなく「長期間にわたる表 面的な競争」に敗れた場合の保険として、競争者のモラルハザードを防いだという点で重 要だったと考えるべきであろう。すなわち、同期横並びで処遇することであれば、一定レ ベルまでのポストが保障されることを意味し、たとえ競争に敗れたとしてもある程度の処 遇が保障されるため、モラルハザードに陥ることなく長期間の競争に参加し続けることに なる。そうだとすると、モラルハザードに陥らないための新たな保障が必要となる。 筆者が知る限り、現在の給与水準に大きな不満を持っている官僚は少ない。ということ は、自分の業績が正しく評価され、能力を存分に発揮できる職場があることが今後のイン センティブとして必要ではないか。むろん、それは「天下り」とは異質の労働市場の中に 見出されるべきである。公務労働では、業績を数値化することが困難な場合が多い。その ため、絶対評価よりも相対評価の方がしやすい。このときの基準をどうするかが問題とな る。すでに相対評価を導入している民間企業のなかには社員同士の足の引っ張り合いが生 じており、どのようにチーム・ワークを高めていくべきかが重要な課題となっている。 国家公務員制度改革基本法では、新たに内閣人事局を設置し、人事評価の基準を明確に したうえで、内閣が幹部職員の人事を一元的に扱うこととされた。これは裁量権の大きな 幹部職員について、省益優先の行動パターンを廃し、内閣が国民に対して説明責任を果た すことを目的としたものであった。さらに同法では、官民の人材交流を活発にしていくこ とも盛り込まれている。これは、民間の労働市場でも通用するスキルを身に付けることに よって所属省庁以外からも高い評価を得られるようにすることを目的としている。 1. 人事評価制度の構築 国家公務員制度改革のポイントは人事評価制度の構築にある。 現在、人事院は国家公務員法に基づき、人事院規則 10-2 を次のように定めている。 第2条 勤務評定は、職員が割り当てられた職務と責任を遂行した実績(以下『勤務実績』 という。 )を当該官職の職務遂行の基準に照らして評定し、並びに執務に関連して見ら れた職員の性格、能力及び適性を公正に示すものでなければならない。 2 勤務評定は、あらかじめ試験的な実施その他の調査を行って、評定の結果に識別力、 信頼性及び妥当性があり、且つ、容易に実施できるものであることを確かめたもので なければならない。 3 勤務実績の評定方法は、次の各号に定める基準に該当するものでなければならない。 (1)職員の勤務実績を分析的に評価して記録し、又は具体的に記述し、これに基づいて 総合的に評価するものであること。 (2)2 以上の者による評価を含む等特定の者の専断を防ぐ手続を具備するものであること。 (3)評定を受ける職員の数並びに職務の種類及び複雑と責任の度を考慮して一括するこ とが適当と認められる職員の集団について、評点の分布を定め、又は平均点数を規 制する等評定の識別力を増し、且つ、その不均衡の是正を容易にする手続を具備す るものであること。 第4条 所轄庁の長は、勤務評定の結果に応じた措置を講ずるにあたって、勤務成績の良 好な職員については、これを優遇して職員の志気をたかめるように努め、勤務成 績の不良な職員については、執務上の指導、研修の実施及び職務の割当の変更等 を行い、又は配置換その他適当と認める措置を講ずるように努めなければならな い。 このように、法制度上は勤務評定に基づく人事評価が行われることになっている。とこ ろが、実際には(1)何が評価の基準なのかが不明確、 (2)採用試験の種類によってその 後のキャリアが決められている、 (3)俸給表は年功序列的なしくみになっている等、これ までの国家公務員制度は、制度と運用に大きなギャップが存在していた。 2001 年 3 月に内閣官房・公務員制度等改革推進室が発表した「公務員制度改革の大枠」 には「お役所仕事という言葉が、不親切、非効率の代名詞になって久しい。今こそ、国民 の奉仕者である公務員の原点に立ち返って、コスト意識や顧客サービス意識を根付かせな ければならない。国民生活に欠かせない業務に、使命感を持って、日夜地道に取り組んで いる公務員も多い。ただ、例えば前例主義や予算消化主義が蔓延していないか、国民の視 点に立って再点検することが必要ではないか」と自ら問いかけ、こうした視点から改革の 基本方向を(1)信賞必罰の人事制度の確立、(2)多様な人材の確保・育成・活用、 (3) 適正な再就職ルールの確立としている。 これまでの国家公務員におけるキャリア制度には「仲間うちの評価」 (peer review)によ る独特の人事評価があった。キャリア官僚の場合、彼らの昇任はノン・キャリアと比較し て非常に速いため、1 年から 3 年程度で部署を移動し、各省庁の課長級にまではほぼ全員が 自動的に昇任できる(近年、ポストが少なくなったため昇任できない場合もある) 。ただ、 そこから局長や審議官など、上位への昇任には「同僚の評価」が大きな影響を持つ。しか し、国民生活の利益に対する貢献度や他の省庁からの評価が入り込む余地はない。 そして、昇任の可能性がなくなった官僚は、職務に対するインセンティブが大幅に低下 すると考えられ、また、下から上がってくる後輩にポストを譲らなければならないため、 定年を待つことなく職場を離れることになる。しかも短期間で異動を繰り返すため、一般 の労働市場でも通用するような専門的なスキルを身につけることは難しい。にもかかわら ず、いわゆる「天下り」によって能力以上の待遇を受けることがあり、所属する組織に対 して過剰な忠誠心を持つことになる。この「天下り」は、定年前に職場を離れる官僚にと っては大きな代替インセンティブとなっているため、これまで国会や世論などから繰り返 し批判されても制度改革が進まなかった。ほとんどの官僚には高い職業倫理があると思わ れるが、これまでの慣行(省庁別の任用制度とインフォーマルなキャリア・システム)が 省益優先の行動パターンを生み出す原因の一つとなっている。 公務員の労働は「チーム生産方式」である。チームによる労働は、チーム構成員が同じ 技術を補完しあうだけでなく、何らかの外部性が生じたときに協調してそれに対処するこ とで、組織全体の利益を生み出すことができるという利点を持つ。このことを踏まえるな らば、仲間うちの評価は本人が所属する部署以外からも幅広く行われるべきであろう。 2.チーム生産とインセンティブ 公務員制度の特徴の一つである「チーム生産方式」の特徴と問題点について触れておき たい。行政機関の内部では、いわゆる「大部屋主義」によって仕事が割り当てられ、各職 員の職責や権限については明確な規定が少ない。これは、複雑な業務に対する人的資源配 分の柔軟性を確保すること、チームが協力して任務に当たることによる生産力向上等が期 待されているためである。だが、各職員の努力水準が正確にモニターされにくいため、「能 力等級制度」という成果主義による人事評価では矛盾が生じる可能性がある。そこでまず、 チーム生産に関する論点を整理しておき、その後、現在の制度改革を検討していきたい。 チーム生産アプローチが問題とするのは、マネージャーによるモニタリングが不完全に しか行われない状況で、経営者はセカンド・ベストの戦略をとらざるを得ないときである。 このチーム生産では、チーム構成員の限界生産性は測定不可能か、測定のためには大きな 費用が必要になると考えられる。 「測定のための費用」 (monitoring cost)が発生するとき、 その費用に見合った労働の成果が期待できない場合、モニターを一定水準に限定しておく 方が合理的となる。そうすると、自分の努力を「怠け」(shirk)、他人の成果を自己利益に 結びつけようとするフリー・ライドへのインセンティブが発生する。 自分の「努力水準」 (effort level)が正確に測定されず、 「努力>報酬」ではないかと判 断した場合、労働供給は報酬水準以下となる可能性がある。あるいは、上司にゴマすりを 行って努力以上の評価を受けようとするかもしれない。このような場合は「影響を与える ための費用」 (influence cost)が発生する。逆に、チームの生産額に比例した報酬が保証さ れているとしても、自分の努力水準を引き下げてもチームの生産額に変化がない場合も、 やはり「怠け」が発生するおそれがある。こうしたチーム生産における問題の解決策には いくつかの方法が考えられる。 (1) 生産額=報酬 生産額のすべてをチーム構成員が受け取る。チームが成果を出せば出すほど構成 員の報酬は増えるため、この方法は有効なインセンティブとなる。しかし、実際に は経営者に対する報酬や他の取引先への支払いも必要になるため、現実的ではない。 (2) チームに一定のノルマを課し、達成できない場合は報酬を 0 にする 生産額がノルマに達しなかったときは報酬を得ることができないため、当初の契 約を破棄して、生産額分を受け取ろうとするだろう。したがって、この場合は再交 渉による事後的な非効率が発生し、ペナルティーの履行に困難が生じる。 (3) 構成員の労働供給に応じた賃金を保証する B.ホルムストロームは、全エージェント契約を前提とする均衡予算制約下ではチ ーム生産は効率的な生産水準を達成できないため、不均衡予算を前提とした上で、 ナッシュ均衡としての効率的生産が実現される条件を指摘した 1。ホルムストローム によると、チーム生産方式で効率的な生産を達成するためには、ペナルティーの条 件がついた報酬体系が必要で、そのためにはチーム外の第三者、つまり、プリンシ パルの存在が不可欠になるという。もちろん、このプリンシパルは株主総会に出席 するだけの株主のような存在ではなく、エージェントの業務をモニターできる存在 である。 だが、これについてM.エスワランとA.コトワルは、新たにチーム内部にプリンシ パルを導入すると、エージェントとの間に「裏取引」(side contract)を行おうと いうインセンティブを発生させるため、チーム構成員がエージェントのみのときと 1 B.Holmström,‘Moral Hazard in Team ’, The Bell Journal of Economics, Vol.13,1982, 324-340p. 同じような契約問題を引き起こすとしてホルムストロームの主張を批判した 2。例え ば、プリンシパルがチーム内の 1 人のエージェントに対し、意図的に怠ける約束を 交わしたとしよう。そうすると、他のチーム構成員が十分な労働供給を行っても連 帯責任としてチーム全体にペナルティーを課すことができるため、エージェントへ の報酬を少なくすることができる。 むろん、ホルムストロームも裏取引の可能性を検討しているが、彼によると、こ うした取引は必ず実行されるとは限らないという。なぜなら、この種の取引は「立 証可能性」が少ないため強制力を持ちにくい、つまり、裏取引の「裏切り」が発生 しやすいからである。 この点について、伊藤秀史氏らの分析によれば、日本企業の場合「残余財産請求 権」の一部が株主から経営者に委譲され「残余コントロール権」として扱われてお り、それは、従業員に共有されているのではなく、経営者が占有しているのだとい う 3。伊藤氏らによると、経営者は部下をモニターし、査定をつうじて昇進を決める 権限を持つ。ただ、このことはすべての意思決定が経営者に集中していることを意 味しない。なぜなら、権利の一部が部下に明示的あるいは暗黙的に委譲され、重要 性の高い事項については上位者による意思決定が必要だからである。 (4) トーナメント方式による昇進競争 チーム構成員の努力を絶対業績評価することが困難なとき、相対業績評価として 「序列トーナメント方式」 (rank order tournament)による長期的な昇進競争があ る。長期となる理由は、短期間で従業員の技能・適性を判断すると誤差が生じやす く、従業員のモチベーションに悪影響を与えてしまうからである。この方式の特徴 は、絶対的な評価基準よりも少ない情報量でチーム内の最大成果を挙げた従業員に 大きな報酬と昇進の機会を保証する点にある。この方式の意義は、従業員がその企 業に留まる限り、昇進競争を勝ち抜くために自分の努力水準を高く維持し続けなけ ればならない点にある。しかも、一般に企業規模が大きいほど競争に勝ち抜く確率 が低下するため、勝ち抜いた人には「成功報酬」の意味合いを込めて巨額の報酬を 保証しなければならない。これが従業員のモチベーションを維持させる。チーム生 産にともなう非対称情報の問題は、こうした自己選択のメカニズムが機能すること によって、ある程度は緩和されるだろう。 しかし、チーム内部での競争は、構成員の努力を促すとしても、競争によってチ ーム・ワークが破壊されてしまう可能性がある。また、業績の相対的評価では、自 2 3 M.Eswaran、A.Kotwal,‘The Moral Hazard of Budget-breaking’ ,The Rand Journal of Economics, Vol.15, No.4 , 1984,Winter, 578-581p. 伊藤秀史・林田修・湯本祐司「中間組織と内部組織」 、伊丹敬之・加護野忠男・伊藤元 重編『リーディングス 日本の企業システム』第 1 巻に所収、有斐閣、1992 年。 分自身の努力水準を上げるより同僚の業績を破壊するほうが容易な場合がある。こ のような昇進競争がインセンティブ効果を発揮するのは、何を業績とするのかとい う基準が明確で、しかもチーム構成員の才能に大きな格差がないという条件を満た したときだけである。 (5) 職業倫理と仲間からの評価 チーム構成員に強い職業倫理があればモニタリングが不十分でも怠けることはな く、自発的に努力水準を高く設定するだろう。また、 「仲間からの評価」が機能する と、努力水準の低い構成員に対しては「あいつはダメだから辞めてもらおう」とし てチームから排除される可能性があるため、フリー・ライドへのインセンティブは 抑制される。 ただ、仲間からの評価には負の効果があることに注意が必要だろう。例えば、仲 間からの評価を絶対評価として点数化し、それが直接本人の処遇につながる場合、 仲間と取引してお互いに高い点数を付け合うことがありうる。逆に、相対評価にす ると仲間に対する評価が低くなりすぎることがあるだろう。したがって、こうした 評価方法を採用する場合、複数の上司によるチェックや評価メンバーを定期的に入 れ替えるなどの工夫が必要となる。また、上司自身も同僚や部下からの評価を受け る「360 度評価」も必要となる。キャリア官僚は事実上 360 度評価が行われてきた と指摘されることもあるが、それはインフォーマルなものであり、評価基準を明確 にしなければ制度とはいえない。 このように、チームによる生産は、個別の労働投入を合計した以上の効果があるといわ れるが、個別の業績が評価しにくいため、フリー・ライドやインフリューエンス・コスト の問題が発生しやすい。実際、成果主義の賃金制度を導入している民間企業では、個人に 対するインセンティブ付与とチーム・ワークの両立が大きな課題となっている。民間企業 よりはるかに業務が多様で複雑な国家公務員の場合、この問題はよほど慎重に検討しなけ ればならないだろう。 3. 成果主義への批判 (1)経営学の視点から 経営学の立場から成果主義への批判は少なくない。例えば、高橋伸夫氏は日本企業の特 徴といわれる「年功序列賃金制」は同期入社の社員間では競争原理がさほど働いていない ような印象を与えるが、実際には昇進・昇給を巡って激しい競争が行われており、その際、 上司によって能力や成果が厳しく査定されるため「年功」ではあっても「年功序列」では ないと主張される 4。 この指摘は公務労働に当てはめて考えることができる。中野剛志氏は次のように指摘さ れる 5。 よく知られているように、行政組織内では、特にキャリア官僚と呼ばれる幹部候補生 は、定年までの雇用保障が必ずしもなく、彼らの間では、次官や局長、審議官など、限 られた「良いポスト」を巡って激しい競争が繰り広げられている。その一方で、良いポ ストを得られなかった者が自信を喪失しないように配慮した人事管理が行われ、最終的 には天下りも保障されている。これによって、成功者からは高いモチベーションを引き 出し、成功者以外の者にも挫折感を味わわせずに、組織全体のモラールを維持している のである。 アメリカの大学では、教員を採用すると数年後に業績を評価して、昇進させるか解雇す るかを決めることが多い。評価が悪くても昇進させずにそのままのポジションにとどめて おく、あるいは給与を引き下げて雇用を継続するようなことはない。これを「アップ・オ ア・アウト」という。仮に、昇進でも解雇でもない中間的な処遇を認めた場合、雇用者側 (大学)はその教員を意図的に過小評価して低い給与を支給しようとする。そうなると、 職務へのインセンティブは働かず、他の優秀な教員の雇用機会を奪ってしまうことにもな る。 日本のキャリア官僚制度はこれと似たところがある。キャリア(現在は「総合職」)とし て採用されると、課長級ないしは課長補佐級まではほぼ全員が昇進し、局長ないしは次官 候補として選抜されなかった者には「早期退職勧奨」が行われて職場を離れることになる。 そうしなければ若手官僚の昇進機会が奪われ、モラールの低下とともに組織の新陳代謝が 失われてしまうと考えるからである 6。こうした慣行は給与を引き下げ、雇用を維持する道 を閉ざしたことになるため、賃金の下方硬直性を生み出し、官僚の失業を招く結果となる。 いわゆる「天下り」とは、こうした問題から官僚のモラルハザードを防止するインフォー マルな保険制度である。 民間企業のなかには一定の年齢に達すると管理職ポストをはずし、一般社員として働か せるところもある。むろん、給与も削減されるわけだが、50 代後半ないしは 60 歳前後の再 就職の機会が限られているなかで、組織の新陳代謝、ポスト不足、雇用の維持、といった 問題に対処する苦肉の策となっている。だが、これでモラールはどのくらい維持されるの 4 5 6 高橋伸夫『虚妄の成果主義』 (日経 BP 社、2004 年) 。 中野剛志『官僚の反逆』 (幻冬舎新書、2012 年) 、51 ページ。 むろん、省庁を去ることになる官僚が利害関係のある法人や民間企業に再就職していくこ とを正当化する理由にはならない。この問題は日本の規制行政、労働市場の問題と結び ついているため、より詳細な分析が必要となる。最近の代表的な研究としては、 中野雅至『天下りの研究』 (明石書店、2009 年)を参照。 か、また、管理職から一般社員に替わったあと、同じ職場で働く人々にどのような影響が あるのか等々、詳細な検証が必要であろう。 近年の天下り批判を受けて、現在の安倍内閣も天下りを防止するために定年まで働ける 環境づくりを行なうというが、国家公務員の総人件費削減と天下り防止=中間的な処遇の 存在を認めることは容易ではない。 また、中野氏は公務労働における成果主義の虚妄に対し、次のように指摘されている 7。 成果主義の最大の虚妄は、人間の能力を客観的指標によって的確に測定することがで きるという誤った信念にある。その虚妄がもたらす弊害は、企業経営以上に、行政組織 においてひどくなるだろう。なぜなら、企業の目的が営利にある以上、企業人の業績は、 生産性、売上、あるいは利潤率などで、正確でないにせよ一定以上は表現し得るかもし れないが、営利目的ではない公務員の業績はそれすら不可能だからである。 また、 「国家百年の計」というように、国家運営の視野は企業経営よりははるかに長い。 理想を言えば、公務員は、自分の定年よりも長い時間、場合によっては寿命よりも長期 にわたる視野に立って仕事をする必要上がある。したがって、公務員の業績の評価もま た、長期的な観点から行わなければならない。公務員は、自分の定年後になって、場合 によっては死後になって、やっと成果となって表れるかもしれないような仕事も手がけ なければならないのである。 にもかかわらず、行政管理に成果主義を適用したら、どういうことになるか。公務員 は、自分の評価につながるような仕事、すなわち短期的な成果が表れやすく、しかも数 値で表現しやすいような仕事しかしなくなる。成果が出るまでに時間のかかる難しい事 業や、成果を定量化できない複雑な仕事からは、たとえそれが必要であっても逃げるよ うになるのだ。 2009 年にはじまった新人事評価制度では、すでに能力・業績が(課長級以下の場合)5 段階で評価されることになっている 8。6 か月から 1 年というタイム・スパンで能力・業績 を評価するという方法は、確かに中野氏の言われるように短期的な成果を重視し、長期的 な視点を軽視する傾向を助長しかねない。しかも、自己目標の達成度合いが評価の軸とな るため(むろん、目標は上司と相談して決めるが) 、目標達成が容易な業務を優先しやすく なることは否定できない。 だが、民間企業のなかにも長期戦略はあり、長期的な研究開発を行っているところも少 なくない。また、 「国家百年の計」を考えるにはあまりにも不確実性が大きく、少子高齢化、 グローバル化等、早急に対処すべき行政課題が非常に多いのも事実であろう。さらに、今 7 8 前掲書『官僚の反逆』 、53~54 ページ。 この制度の概要については、拙著「国家公務員の人事考課システム」 (日本経大論集、第 40 巻 第 2 号)を参照。 日行政に求められているのは行政経営の効率化であることを考えると、短期的な能力・業 績評価方式にも一定の妥当性があると言わざるを得ない。 また、地方自治体のなかにはこうした成果主義の課題に対して、業務の困難さにウエイ トをかけて安易な目標設定を回避しようとする名古屋市、360 度評価を実施している寝屋川 市など、国の制度よりも進んだ取り組みを行っているところがある 9。 (2) 「遅い選抜」と「早い選抜」 稲継裕昭氏は長時間かけて評価を行う「遅い選抜システム」と「積み上げ型褒賞」が日 本の人事管理システムの特徴だと指摘される 10。稲継氏によると、日本のエリート公務員 が真にエリートとなるのは諸外国と比べて比較的遅く、40 歳代になってからであるが、こ れは能力や実績を重視していないわけではなく、 「長期にわたる実績主義」なのであり、多 くの公務員に長期間にわたって業務へのモラールを維持させる効率的なしくみなのだとい う。また、給与は年齢とともに上昇していくものの、昇格や昇進の程度によって上昇する 割合が異なっている。これは長期間の実績が積み重ねられて対象者の褒賞を決める「積み 上げ型褒賞システム」なのである。 こうしたシステムが成り立つためには、常に一定数のポストが用意されていること、一 定割合のメンバーには昇進の機会が少ないこと、民間企業などの外部労働市場から採用さ れるメンバーが少ないこと、メンバーが均質的で能力を比較しやすいこと、といった条件 が必要である。これらの点について、次のような状況があることを確認しなければならな いだろう。 ① これを実現するためには、組織の新陳代謝が不可欠となる。競争に敗れたメンバーが 定年まで組織に残ることになるとポスト不足は深刻になる。また、安易にポストを増 やすことは行政改革の目的に反する。そのため、競争に敗れたメンバーは後進に道を 譲らざるを得ない。 ② ノンキャリアが課長級以上に選抜されることはきわめて稀である。また、最近までは 女性職員が昇進する機会は少なく、官僚としてのトップをめざす競争からはあらかじ め排除されていた。 ③ 一部に特別職があるのみで、新規一括採用された職員による内部昇進が大原則だった。 ④ 採用試験が厳格に行われており、一定の学歴と能力を有する者でなければ決してキャ リア官僚として採用されることはない。採用が決まった官僚たちは皆優秀であり、彼 らの間に大きな能力格差はないと考えられる。 9 この点については、拙著「国家公務員制度改革の現状と課題~能力・実績にもとづく人事 評価システムについて」 (2011 年進化経済学会報告論文)において言及している。 10 稲継裕昭『日本の官僚人事システム』 、東洋経済新報社、1996 年。 ところが、近年こうした条件に変化が生じてきている。 その理由は、第 1 に、行政改革によって「組織のフラット化」が進んでおり、中間管理 職を中心にポストが不足してきている。キャリア官僚の場合、かつてはほぼ全員が課長級 にまで昇進できていたが、現在では課長補佐で止まっているキャリアも少なくない。 第 2 に、近年の政策目標として「男女参画型社会」の実現をめざしているため、女性職 員にも昇進の機会が広がっている。他の先進国と比較しても女性管理職が少ないため、今 後は増加していくと考えられる。 第 3 に、採用試験Ⅰ種合格者とⅡ種合格者の能力にも大きな格差はなく、これに対し、 採用後の昇進に明確な差異があるのが不合理と考えられるようになってきた(2012 年度か ら採用試験の方法は改められたが、 「総合職」が事実上のキャリア官僚採用システムとして 存続している) 。また、採用時のスクリーニングのみという方法に対して組織内外から批判 が強まってきた。 第 4 に、近年公務員として採用される職員には「スペシャリスト志向」が高まっている。 各行政機関内部からもスペシャリストの必要性が強く主張されるようになったため、キャ リア・システムの見直しが避けられない状況になってきた。 第 5 に、行政の効率化を図るためには優れた人材の確保が必要で、閉鎖型の公務員制度 から開放型の制度に転換することにより、民間からの中途採用を増やす方向で改革が進め られてきている。 そして第 6 に、 「天下り」に対する世論の批判は強く、また予算の効率化という観点から も天下り先である特殊法人や公益法人等の削減は不可欠である。 さらに、稲継氏のいわれる「遅い選抜システム」と「積み上げ型褒賞」に対し、中野雅 至氏は長期にわたる競争は「表面的」なものにすぎないと指摘される 11。 例えば、公務部門においては入省時の学歴・試験の順位などが重要であるという指摘が 根強い一方で、学歴や職歴で優位にあり、将来を嘱望されるキャリア官僚は大きな制度改 正を伴う部署(典型的には新法の制定、大きな法律改正)に配属される傾向があるが、彼 らがそのような部署において仕事に失敗するリスクが非常に低いこと(内閣提出法案の成 立率の高さからもそれはうかがい知ることができる)、そのような部署に配属された者が 360 度評価やそれに基づく評判という点では圧倒的に有利であることを考えると、競争に参 加している当事者の視点から見れば、年次主義が競争促進的な制度であるとは考えられな いだろう。 むしろ、同期横並び昇進は「長期間にわたる競争」を促したのではなく、 「長期間にわた る表面的な競争」に敗れた場合の保険として、競争者のモラルハザードを防いだという点 で重要だったと考えるべきである。すなわち、同期横並びで処遇することであれば、一定 11 前掲書、中野雅志『天下りの研究』 、265~266 ページ。 レベルまでのポストが保障されることを意味し、たとえ競争に敗れたとしても一定レベル の処遇が保障されるため、モラルハザードに陥ることなく競争に参加し続けることになる。 だとすると、問題はモラルハザードに陥らない保障には何が必要か、ということになる。 前述したように、今後も「組織のフラット化」によってポストは削減されていく可能性が 高い。このため、何らかの代替インセンティブが必要となる。民間企業の場合、それが成 果主義に基づく賃金形態であった。しかし、筆者が知る限り、現在の賃金水準に大きな不 満を持っている官僚は少ない。ということは、自分の能力を発揮できる新たな職場がある ことが今後のインセンティブとして必要ではないか。 4. 官民人事交流 高度・複雑化する行政課題に対し公務員の対応能力を高め、国民の負託に応えていくた めには、国家公務員の人事システムの開放化が不可欠であるとして、1999 年に「国と民間 企業との間の人事交流に関する法律」(通称、官民人事交流法)が制定された。 アメリカの開放型公務員制度と異なり、日本では新規一括採用の職員を各省庁単位で採 用し、長期にわたって職員の育成と人材配置を決めてきたため、民間企業から人材を受け 入れることや、職員を民間に派遣することは稀であった。また、行政側に民間から人材を 登用する必要性を意識することがなく、民間側も処遇面での相違や行政機関で経験を蓄積 する必要性を意識することがなかったことも背景としてあるだろう。 この法律の目的と官民人事交流の定義は以下のとおり。 (目的) 第一条この法律は、行政運営における重要な役割を担うことが期待される職員について交 流派遣をし、民間企業の実務を経験させることを通じて、効率的かつ機動的な業務遂行の 手法を体得させ、かつ、民間企業の実情に関する理解を深めさせることにより、行政の課 題に柔軟かつ的確に対応するために必要な知識及び能力を有する人材の育成を図るととも に、民間企業における実務の経験を通じて効率的かつ機動的な業務遂行の手法を体得して いる者について交流採用をして職務に従事させることにより行政運営の活性化を図るため、 交流派遣及び交流採用(以下「人事交流」という。)に関し必要な措置を講じ、もって公 務の能率的な運営に資することを目的とする。 (定義) 第二条この法律において「職員」とは、第十四条第一項及び第二十三条を除き、国家公務 員法(昭和二十二年法律第百二十号)第二条に規定する一般職に属する職員をいう。 2 この法律において「民間企業」とは、次に掲げる法人をいう。 一 合名会社、合資会社及び株式会社 二 有限会社 三 信用金庫 四 相互会社 五 前各号に掲げるもののほか、その事業の運営のために必要な経費の主たる財源をそ の事業の収益によって得ている本邦法人(その資本金の全部又は大部分が国又は地方公共 団体からの出資によるものを除く。)であってその営む事業について他の事業者と競争関 係にあるもののうち、前条の目的を達成するために適切であると認められる法人として人 事院規則で定めるもの 六 外国法人であって、前各号に掲げる法人に類するものとして人事院が指定するもの 3 この法律において「交流派遣」とは、期間を定めて、職員(法律により任期を定めて任 用される職員、常時勤務を要しない官職を占める職員その他の人事院規則で定める職員を 除く。)を、その身分を保有させたまま、当該職員と民間企業との間で締結した労働契約 に基づく業務に従事させることをいう。 4 この法律において「交流採用」とは、民間企業に雇用されていた者であって引き続いて この法律の規定により採用された職員となるため退職したものを、選考により、引き続い て任期を定めて常時勤務を要する官職を占める職員として採用することをいう。 5 この法律において「任命権者」とは、国家公務員法第五十五条第一項に規定する任命権 者及び法律で別に定められた任命権者並びにその委任を受けた者をいう。 6 この法律において「各省各庁の長等」とは、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長及 び人事院総裁、宮内庁長官及び各外局の長並びに独立行政法人通則法(平成十一年法律第 百三号)第二条第二項に規定する特定独立行政法人(以下「特定独立行政法人」という。) の長及び日本郵政公社の総裁をいう。 国から民間へ派遣される場合は、各省庁の職員を一旦人事院へ異動させたうえで、民間 企業に雇用されるかたちをとる。公務員としての身分は保有したままとするが、行政の職 務には就かない。賃金は民間企業が支給する。派遣される期間は 3 年以内(必要がある場 合は、最長 5 年)とする。 民間から受け入れる場合、期間は 3 年以内(必要がある場合は、最長 5 年)の任期付採 用となり、賃金は国が支給する。服務の条件は、どちらの場合も許認可権と関わるところ への派遣は禁止される。 人事院は、毎年、人事交流の状況を国会及び内閣に報告する義務がある12。それによると、 2011年度は国から民間へは13府省111人が派遣され(2006年度の約4.6倍)、民間から国へ は18府省208人を受け入れている(2006年度の約2.2倍)。 12 人事院、2012 年 3 月 28 日公表資料。人事院 HP より。 数字の上では官民の人事交流は進んでいるように見える。しかしながら、課題も多いと 思われる。 ① 誰をどこに派遣し、どのような経験とスキルを身に付けさせ、そこでの経験をどのよ うに生かしていくのかという組織戦略ではなく、派遣先の選択は職員個人の自発性に ゆだねられている。民間からリクルートする場合は行政機関として欲しい経験とスキ ルがあるはずだが、職員を派遣するときは人材育成の一環として行われているものの、 派遣後にどのような経験とスキルを活用するか不明確なところがある。 ② 民間で経験を積むことによって業務の効率性を向上させたいというのが人事交流の 目的の一つであるが、これまでのところ、どの程度の効果があったのか不明確である。 ③ いわゆる「現役出向」が「天下り」と同じではないか、という野党からの批判に対し、 民主党政権はそれを否定した。だが、定年まで働ける環境を保障しつつ人件費の削減、 組織の活性化を図るという目標を達成しようとすると、一定数の職員を民間に派遣す れば比較的容易に実現できる。「新たな天下り」ではない派遣のルールが必要であろ う。 ④ 現在、人事院が定めているルールは本人が派遣先を提出し、人事院が審査を行うしく みとなっている。この際、省庁と許認可権にかかわる職場には派遣できないというル ールが適用されるが、派遣へのインセンティブは双方の業務に関連があるところでは ないか。したがって、派遣先の企業そのものを規制するのではなく、具体的な職務や ポジションを精査したうえで規制を加えた方が有意義であると思われる。 ⑤ 行政職員と民間企業とのマッチングについて、現在は官民人材交流センターが役割を 担っているが、マッチングを生業とする民間企業を参入させ、競争原理によってマッ チングの有効性を高めていく方法を検討してもよいのではないか。 官民の人事交流は日本の労働市場全体に関わる問題である。アメリカのように流動性の 高い労働市場を日本がそのまま受け入れることは困難であろう。しかし、日本式の新たな 労働市場を構築する時期には来ていると思われる。