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グルムキー文字による印刷出版史における ルディアーナー・ミッションの役割
グルムキー文字による印刷出版史における ルディアーナー・ミッションの役割 岡口 典雄 ラーホールに住むヒーラーナンド・マルワーハー Hiranand Marwaha がインド人とし て最初にグルムキー文字の活字を製造し実用化したのは西暦1887年のことである。 彼はグル・ナーナク生誕420年紀(西暦1889)には,最初の活版印刷による聖典 グル・グラント・サーヒブをアムリトサルの総本山に奉納している。グルムキー文字 による活版印刷がようやくパンジャーブに根付いたこの19世紀末に至るまでの道筋 はどのようなものであったろうか,ルディアーナー・ミッション(伝道団) Ludhiana Mission の役割を中心に概観してみたい。 インドにおける活版印刷はキリスト 教宣教師により西暦1550年に始ま り,インドの言語による最初の出版物 は,彼らが拠点とした現地のタミル語 とマラヤーラム語にポルトガル語から 翻訳された聖書であるとされている。 また1578年にはスペイン人ゴン サルベスが用意したインド系文字の 活字が使用されたと言われるが,その 出版物がタミル語であったかマラヤー ラム語であったかの結論は未だ出てい ない。17世紀にはポルトガルがゴア に印刷所を開設する。しかし結局イン ドに持たらされた印刷技術は,155 0年以後約120年間の歴史において は,ポルトガル語と彼らが拠点とした 現地の言語による宗教書の出版に貢献 するに留まり,広くインド全体で用い られるには至らなかった。 17世紀後半以降は英国東インド会 社がその活動の手段の1つとして,ボ ンベイ(1674),マドラス(17 図 1: ウィリアム・ケアリーの出版した『パン ジャービー語版新約聖書』 パンジャービー語のタイトルは parmeśurde śub h bacan 200mm×115mm, 647頁(セ ランポール,1811年) 72) ,カルカッタ(1779)と,インド各地に印刷所を設立する。しかしインドの 研究協力者: 拓殖大学非常勤講師 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 一般の民衆による印刷は行われず,彼らの記録・伝達は手書きの書写に依っていた。 ヨーロッパでは16世紀の半ばには新聞・書籍の印刷出版が既に普及したのに対し, インドでは18世紀前半には一般の民衆にはまだ印刷所の概念はなく,18世紀後半 にようやくその存在が意識され始めたようである。 最初のベンガル文字活字は1778 年にフーグリ Hooghly (Hugli) の出版 社でヘイラド Haled の『ベンガル語文 法』の印刷に用いられた。この活字は チャールズ・ウィルキン卿 Sir Charles Wilkin が自ら刻印し,現地の職人に 技術を伝授したものと言われる。その 他記録に残る物として,1785年に は東インド会社出版 East India Com- pany’s Press が,ダンカン Duncan の 翻訳によるベンガル語版『エリヤ・イ ムペイ卿の法規』 Sir Eliyah Impay’s Regulations をベンガル文字で印字発 行している。 18世紀後半から19世紀を通じて インドにおける活版印刷は,再びキリ スト教宣教師の貢献により北インドを 含む広範なインド系文字の活字化へと 前進する。カルカッタの北15マイル 図 2: ウィリアム・ケアリーの出版した『パ の小都市セランポール(スーリラーム ンジャービー語文法』 プル) Serampore (Srirampur)1) を拠点 (セランポール,1812年) としたバプティスト伝道教会は,18 01年から1832年にかけて既にインドの40種に及ぶ主要な言語・方言を表記す る活字を製造し,21万2千巻以上の出版物を世に出すという革命的な事業を遂行し ていた2) 。1799年のこの教会の創立が,インドにおけるインド系文字の本格的な 活版印刷の起点とされる所以である。 この事業の中心人物はウィリアム・ケアリー William Carey (1761∼1834) である。キリスト教の一般の民衆への布教のためインドの各言語での聖書の翻訳出版 1) セランポール(スリーラームプル)は西ベンガル州フーグリ県の都市。フーグリ川沿いに並ぶヨー ロッパ諸国のかつての植民都市の一つで,1845年に英国東インド会社に買収されるまではデン マーク領であった。 2) セランポール伝道教会印刷所には漢字活字もあり,1814年には宣教師J.マーシュマンの著書 『中国言法』 Element of Chinese Grammar が刊行された。インド系文字についての記述はないが,邦 語の活字研究書でもセランポール伝道教会印刷所について触れている。小宮山博史 1996 「一九世紀 ヨーロッパ・中国での明朝体金属活字の開発と日本への伝播」 ,西野嘉章(編) 『歴史の文字―記載・ 活字・活版』,東京大学出版会 p.256 52 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 を企図していたケアリーは,カルカッタ到着後まずベンガル語・サンスクリット語の 学習からその仕事にとりかかった。聖書のベンガル語への翻訳はインド人学者とトー マス Thomas の協力を得て完成し,さらに東インド会社の駐在員の協力を得ながらそ の出版のための印刷所開設に尽力した。1800年にセランポールに新しく赴任した 宣教師家族に会い現地語訳聖書出版の企図を確認し,宣教師J.マーシュマン Joshua Marshman ,W.ウォード William Ward と協力して印刷所開設の目標を達成したケア リーは,1801年には『ベンガル語版新約聖書』の出版を成し遂げた。 ケアリーの製造した40種に及ぶイ ンド系活字には,グルムキー文字・ム ルターニー文字・ドーグリー文字・ラ ンダー文字というインド北部の文字も 含まれていた。グルムキー文字の活字 による最初の出版物は,ケアリーによ って印刷された『パンジャービー語版 新約聖書』Parmesurde śubh bacan であ った。パンジャービー語への翻訳は1 807年から1809年にかけて行わ れ,出版されたのは1811年である。 後年ルディアーナー・ミッションの宣 教師がマハーラージャー・ランジート・ スィング Maharaja Ranjit Singh (17 80∼1839)の招きでラーホール を訪れた際,この『パンジャービー語 版新約聖書』がマハーラージャーに謹 呈されている3) 。ケアリーはさらに翌 年1812年にはパンジャーブにおい 図 3: ウィリアム・ケアリーの製造したグル て布教活動を行う宣教師がパンジャー ムキー文字の印字サンプル ビー語を学ぶためのテキストとして 『パンジャービー語文法』 Grammar of the Punjabee Language を出版した。現存するこ れら2点が,グルムキー文字を用いた活版印刷としては最古の出版物であるとされて いる。 パンジャーブにおける印刷出版はルディアーナー・ミッションの創立を待たねばな らなかった。パンジャーブに活版印刷を誕生させたこの教会の母体はアメリカ長老派 教会 American Presbyterian Mission であった。1833年8月15日アメリカ長老派 教会宣教師ジョン・ローリー John Lowrie とウィリアム・リード William Reed は,そ 3) マハーラージャー・ランジート・スィングは1835年1月宣教師ジョン・ローリーをラーホール に招き,学術機関として英語を教える学校を開設するよう要請したが,ジョン・ローリーはキリス ト教の布教を目的とした学校を主張したため開設には至らなかった。ラーホールへの招請を断念し たマハーラージャーは,その後ルディアーナーへ多くの学生を派遣し英語を学ばせた。 53 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 れぞれ妻を伴ってカルカッタに到着する。二人はカルカッタでセランポール教会の宣 教師J.マーシュマン Joshua Marshman ,W.ウォード William Ward と出会い,彼 らの指導と助言により,パンジャーブを新たな布教活動の場として選択する。当時マ ハーラージャー・ランジート・スィングの統治下のパンジャーブは英国にとって垂涎 の的であった。英国当局の支援を受けた多くのキリスト教団が既にインド全土での活 動を促進していた情勢の下,パンジャーブの拠点造りをこの時期まで遅らせたのは偏 にランジート・スィングの統治権力に因るものである。 パンジャーブの諸都市の中からルデ ィアーナーが最初の拠点となった背景 には,当時の複雑な政治情勢があった。 ラーホールを都とするランジート・ス ィングのスィック(シーク)王国と英 国の関係において,ラーホールへの幹 線ルート上のルディアーナーは戦略上 の要衝であった。ランジート・スィン グのラーホール政権との政治交渉はル ディアーナーの英国政府機関に委ねら れ,既に友好関係維持のために工作に 成功していた。政略実行の立て役者と しては,ルディアーナーに事務所を持 つ英国政府政治顧問クロード・ウェイ ド Claude Wade の名が挙げられる。ル ディアーナーへの教会誘致に政治的に 重要な役割を果たしたのは他ならぬこ のウェイドであった。 パンジャーブに活版印刷が導入され る前の18世紀中葉,書家によるグル 図 4: ダムダマー体(18世紀中葉) ムキー文字の筆記としてはダムダマー damdamā 体と呼ばれる書体が全盛を迎えていた。ダムダマー,正式の呼び名でグル ドゥワーラー・スリー・ダムダマー・サーヒブ gurdwārā srı̄ damdamā sāhib は,現在 のパンジャーブ州バティンダー bathimdā 県タルワンディー・サーボー talvamdı̄ sābo ˙ ˙˙ ˙˙ にあるスィック(シーク)教の五大聖地の1つである。聖典の多くはこの聖地に住む スィック教学者が確立したこの書体を用い石版で刷られていた。現在もダムダマー・ サーヒブはグルムキー文字の書家の職能集団の中心地として有名である。 19世紀に入って流行した手書きによる書体として,カーシュミーリー・グルムキー kāśmı̄rı̄ gurmukhı̄ と呼ばれる書体も注目に値する。マハーラージャー・ランジート・ スィングのカシミール侵攻後,それまでデーヴァナーガリー文字によるサンスクリッ ト語の筆記を専門とした書家たちはグルムキー文字によるスィック教典の書写に従事 54 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 するようになる。彼らの残したカーシュミーリー・グルムキー体は活字の書体にも受 け継がれ,ラーラー・ダニーラーム Lala Dhaniram によって活字化されている。グル ムキー文字の活字は,装飾体も含めて縦横の線の強弱のアクセントは少なくほぼ一定 の筆幅となっているのが主流である。ところが彼の活字は,字形はグルムキー文字で ありながら,書体は葦ペンを用いたデーヴァナーガリー文字の伝統的な手書き書体に 基づくものである。 さて再びルディアーナー・ミッショ ンによるパンジャーブへの活版印刷導 入の過程に戻ることにする。ジョン・ ローリーは1834年11月5日ルデ ィアーナーに到着する。長老派教会の 宣教師として初めてパンジャーブに入 ったローリーは,アメリカ合衆国での 経験とセランポール教会の宣教師たち の助言に基づき,布教活動には印刷出 版が不可欠であると考えていた。翌年 の1835年12月,ジョン・ニュート ン John Newton とジェームズ・ウィル ソン James Wilson がそれぞれ妻を伴 ってルディアーナーに到着する。ロー 図 5: カーシュミーリー・グルムキー体 (19世紀) リーの意志は続いて赴任するこの二人に伝えられ,彼らはルディアーナーへの途中カ ルカッタに立ち寄り,中古の印刷設備を購入してルディアーナーに移設する。これが パンジャーブにおける最初の印刷所であった。この時の活字は木製のローマ字,ペル シア文字,デーヴァナーガリー文字の3種で,グルムキー文字は含まれていない。現 在この木製活字はラーホール博物館に保存されている。 ルディアーナー・ミッション印刷所 Ludhiana Missionary Press からの最初の出版物 は A Sermon for the World のペルシア語版の小冊子であった。当時の印刷所の様子と して,ニュートンは「当初は印刷の作業のため3部屋の小さな家屋を購入し,その後印 刷所は拡張され大いに繁栄した」と記述している。既に1834年に活動を開始して いたルディアーナーのアメリカ長老派教会 American Presbyterian Church 教会は18 37年に13人のメンバーで正式に設立され,ルディアーナー以外の主要都市にも各 教団の教会が設立され,パンジャーブは本格的なキリスト教布教活動の舞台となる4) 。 4) 第二次アングロ・スィック戦争に勝利した英国がパンジャーブを支配下に収めた1949年までに, キリスト教の布教の拠点は既にサハラーンプル Saharanpur (1836) ,ジャランダル Jalandhar (1 846) ,アンバーラー Ambala (1848) ,シムラー Simla (1848) ,ラーホール Lahore (1 849)など各地に設けられていた。センサスリポートによると,1881年に僅か3786人で あったパンジャーブにおけるキリスト教徒は1891年には約10倍の37980人に達している。 1853年マハーラージャー・ランジート・スィング の嫡子ダリープ・スィング Dalip Singh (1 837∼1893)をキリスト教に改宗させた成果がその後の布教活動に有効に作用したと言われ ている。 55 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 健康を害しルディアーナーを離れたローリーに代わりミッションの中心人物となっ たニュートンは,1841年にはアメリカから熟練の職人を呼び寄せ,カルカッタか ら新しい活字を取り寄せ,印刷所の基盤をさらに確固たるものとした。1834年か ら1893年まで発行されたルディアーナー・ミッションの年次報告書の中で入手可 能な一部に基づいて作成された出版物のリストには1849年から1885年までが 記録されている。1840年代の正確な記録が不明であるのは,1844年以後に起 こった印刷所の火災による消失のためであると言われている。年次報告書の記述から の推定によると1841年から1844年にかけて出版された書籍・小冊子は20点 で発行部数の総数は3千から1万5千部となっている。 ルディアーナー・ミッションがグル ムキー文字の活字を備えたのは,18 42年とも1845年とも言われる が,いずれにしても1842年から1 845年の間と考えられる。出版物の 大部分は,伝道を目的とした聖書・福音 書などからのパンジャービー語訳の書 籍・小冊子である。しかしパンジャー ブにおけるグルムキー文字の最初の活 版印刷物としてルディアーナー・ミッ ションが1846年に出版したのは 語学書であった。L.ジェインウィー アー L. Janvier によって発行されたこ の書物は『英語−パンジャービー語対 照慣用例文集』 Idiomatic Sentences in English and Panjabi であった。 次の2点はパンジャービー文学史 上重要な位置を占める出版物である。 1859年に出版されたジョン・バニ ヤン John Bunyan (1628∼16 88)作の寓意物語『天路歴程』 Pil- grim’s Progress のパンジャービー語版 は,パンジャービー語の散文体による 小説の創作に大きな影響を与えた。ま た翻訳以外では,1882年に出版さ れた作者不詳の小説 Jayotiruday がパ ンジャービー語の散文体による小説の 原型となったと言われている5) 。 5) 図 6: 『英語−パンジャービー語対照慣用 例文集』(Idiomatic Sentences in English and Panjabi) L.ジェインウィーアー (L. Janvier) によっ て発行されたルディアーナー・ミッション からのグルムキー文字の最初の活版印刷物 (ルディアーナー・ミッション,1846年) パンジャービー文学史においては,パンジャービー語の散文体による小説の創始者であるとされる 56 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 その他の現存する出版物の中で重要な辞典・語学書を数点紹介する。グルムキー文 字を用いた最初の本格的なパンジャービー語−英語辞典 Panjabi Dictionary は,ジョ ン・ニュートン John Newton の収集した語彙に基づき,J.ポーター J. Porter とL. ジェインウィーアー L. Janvier が編集作業を引き継ぎ1854年に出版された。J. ポーターは出版の前年に死去し,発行者はL.ジェインウィーアーとなっている。そ の地名を冠して『ルディアーナー辞書』ludhiānāvı̄ kos とも呼ばれるこの見出し語数約 ˙ ˙ 2万8千の辞書は,その後の辞書編纂の基礎を築き,1961年及び1970年にそ の復刻版がパティアーラーのパンジャーブ州言語局から出版されている。 1812年のウィリアム・ケアリーによる『パンジャービー語文法』 Grammar of the Punjabee Language 出版以後,1838年にもロバート・リーチ Robert Leech がボン ベイから『パンジャービー語文法』 A Grammar of the Punjabee Language を出版した。 しかしこの文法書は内容も23頁と少なく,パンジャービー語表記もローマ字でなさ れ,インド系文字印刷の観点からも重要なものとは言えない。ルディアーナー・ミッ ションからは1851年にジョン・ニュートンが『熟語集付きパンジャービー語文法』 A Grammar of the Panjabee Language with appendices を出版した。文字・語彙・例文・ 巻末の熟語集と順序よくまとめられた構成さらに解説に含まれる言語学上の観点も信 頼できる内容で,1866年には第2版,1893年には第3版が出版されている。 その後1898年にはジョン・ニュートンの息子E.P.ニュートンが父親の文法書 を改訂し, 『練習と語彙集付きパンジャービー語文法』 Panjabi Grammar with Exercises and Vocabulary を発行した。 本稿では史実の概略を整理するに留まり論考を加えるには至っていないが,結語と して「布教の目的を越えて印刷出版及び言語文化全般に貢献した19世紀のルディアー ナー・ミッションの役割は実に大きなものであった」とのみ加えておきたい。 バーイー・ヴィール・スィング Bhai Vir Singh (1872∼1957)が,これらの翻訳・小説の影 響を受けたのではないかという推論が述べられている。 57 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 参考文献 Bhāı̄ kānh simgh nābhā, 1930, 1993 reprint; ˙ Guruśabad ratnākar mahān koś, dillı̄ : naiśanal buk śāp Dalı̄p simgh, (sampādak) 1989; ˙ ˙ Pamjābı̄ viśv koś, jilad tı̄jı̄, patiālā : bhāśā vibhāg pamjāb ˙ ˙ ˙ Kapūr simgh ghummana, (sampādak) 1983; ˙ ˙ ˙ ˙ Pamjābı̄ viśv koś, jilad cauthı̄, patiālā : bhāśā vibhāg pamjāb ˙ ˙ ˙ Surimdar simgh narūlā, 1969; ˙ ˙ Pamjābı̄ sāhit dā itihās, jalamdhar : niū buk kampanı̄ ˙ ˙ ˙ Jı̄t simgh sı̄tal, 1973; ˙ Pamjābı̄ sāhit dā ālocnātmak ithās, patiālā : paipasū buk dipū ˙ ˙ ˙ Gurcaran simgh ārśı̄, 1975; ˙ h Pamjābı̄ b āśā te sāhit n¯ũ ı̄sāı̄ miśanarı̄¯ã dı̄ den, patiālā : bhāśā vibhāg pamjāb ˙ ˙ ˙ ˙ Parmimdar simgh, 1987; ˙ ˙ Īsāı̄ miśanarı̄¯ã dā pamjābı̄ sāhitt n¯ũ yogdān, ludhiānā : lāhaur buk śāp ˙ ˙ Surimdar simgh kohlı̄ (sampādak) 1972-1992 ˙ ˙ ˙ Pamjābı̄ sāhitt koś, bhāg pahilā tõ bhāg tı̄jā, camdı̄garh : pamjāb yūnı̄varasitı̄ ˙ ˙˙ ˙ ˙ ˙ Ajmer simgh, 1983; ˙ Pamjābı̄ sāhit dā ālocanātmik adhiain, patiālā : bhāśā vibhāg pamjāb ˙ ˙ ˙ Ajmer simgh, 1982; ˙ Mahārājā ranjı̄t simgh ate pamjābı̄ sāhit, patiālā : pamjābı̄ yūnı̄varsitı̄ ˙ ˙ ˙ ˙ ˙ ˙ Bhagat simgh, 1983; ˙ Mahārājā ranjı̄ta simgh, patiālā : pamjābı̄ yūnı̄varsitı̄ ˙ ˙ ˙ ˙ ˙ Amar nāth, 1983; Zapharnāmā-i-ranjı̄ta simgh, patiāla : pamjābı̄ yūnı̄varsitı̄ ˙ ˙ ˙ ˙ ˙ Gaganimdar kaur, 1984; ˙ Bhāı̄ vı̄r simgh de nāvl㯠ute simgh sabhā lahir dā prabhāv, ludhiānā : lāhaur buk śāp ˙ ˙ ˙ 58 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 Gaganimdar kaur, 1953; ˙ Pamjābı̄ pattar kalā - ları̄ nam 13, patiālā : mahikmā pamjābı̄ ˙ ˙ ˙ ˙ ˙ Narimdar simgh kapūr, 1988; ˙ ˙ Pamjābı̄ pattarkārı̄ dā vikās, patiālā : bhāśā vibhāg pamjāb ˙ ˙ ˙ Bhajan simgh, 2000; ˙ Pamjābı̄ pattarakārı̄ dā vikās, dillı̄ : pamjābı̄ akādmı̄, dillı̄ ˙ ˙ Gobindnāth rājguru 1980; Gurumukhı̄ lipi mẽ himdı̄ gadya, camdı̄gar’ : lipi prakāśan ˙ ˙˙ ˙ Parminder Singh, 1975; Characteristics and Tendencies of Panjabi Literature during Later 19th Century, Chandigarh : Punjab University E. Y. Campbell, 1961; The Church in the Punjab - Some Aspects of its Life and Growth, The National Christian Council in India B. J. Hasrat, 1968; Anglo-Sikh Relations, Hoshiarpur B. J. Hasrat, 1977; Life and Times of Maharaja Ranjit Singh, Nabha W. L. Mcgregor, 1846, 1979 reprint; The History of the Sikhs Vol.I-II, Allahabad : R.S.Publishing House Khushwant Singh, 1963, 1978 reprint; A History of the Sikhs Vol.I, Delhi : Oxford University Press, Delhi Khushwant Singh, 1966, 1978 reprint; A History of the Sikhs Vol.II, Delhi : Oxford University Press, Delhi Harbans Singh (ed.), 1992-1998; The Encyclopaedia of Sikhism Vol.I-IV, Patiala : Punjabi University G. A. Grierson, 1916, 1968 reprint; Linguistic Survey of India, Vol.IX.Part-I, Motilal Banarsidass 59 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 V. S. Suri, 1969; Punjab District Gazetteers LUDHIANA, Chandigarh : Government of Punjab, Revenue Department L. Janvier, 1854, 1970 reprint; Ludhiana Mission Panjabi Dictionary, Patiala : Language Department 小宮山 博史 1996 「一九世紀ヨーロッパ・中国での明朝体金属活字の開発と日本への伝播」,西野嘉章 (編) 『歴史の文字―記載・活字・活版』 ,東京大学出版会 pp.236-269 [付記] 人名・地名・書名など文中の原語表記は,英文で用いられる綴りまたはグルムキー 文字の綴りから特定の潜在母音を削除した転写文字の綴りを,カタカナ表記の横に併 記した。グルムキー文字と転写文字との関係は下の表に示す。 a a aA ā ie i eI ı̄ uU u u< ū eE e a> ai o o aO au a^ am ˙ ka a^ ã aA: 㯠s sa h ha k kha g G gha L ṅa x h ca T h c C ca j ga ja h J ja M ña Q h N Y da ˙ dha n na ˙ na D W ta ˙ tha d da ˙ da pa f pha b ba B bha m ma y ya r ra l la v wa,va R S śa K xa Z ǧa S za F ra ˙ fa V ta ˙ ta p t 60 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 図 7: ラーラー・ダニーラームによって 図 8: 宣教師とスィックの学者で構成さ 活字化されたカーシュミーリー・グルム れたルディアーナー・ミッションのグル キー体の活字印刷のサンプル ムキー・パンジャービー新約聖書翻訳改 訂委員会の会合 61 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 図 9: E.P.ニュートンが出版した『練 図 10: 左の書の練習の頁 習と語彙集付きパンジャービー語文法』 (Panjabi Grammar with Exercises and Vocabulary) のタイトル (ルディアーナー・ミッション,189 8年) 62 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 図 11: パンジャービー語−英語辞典 Panjabi Dictionary (ルディアーナー・ミッショ ン,1854年) 母音字の見出し語の語順が字母表とは異なり, a, e, u になっており,1頁目は a の文 字から始まっている。頁数は438で,収録語数は約2万8千。 63 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 ヒーラーナンド・マルワーハー Hı̄rānamd Marwāhā によるグルムキー活字実用化(1 ˙ 887年)以前の印刷物。手書きの文字が用いられている。 図 12: 『アクバール・スリー・ダルバー 図 13: 『グルムキー・アクバール』創刊 ル・サーヒブ』創刊号 Axbār srı̄ darbār 号 gurmukhı̄ axbār (ラーホール,188 sāhib (アムリトサル,1867年3月 0年11月20日) 1日) 近代パンジャービー語散文体による初め グルムキー文字による初めての新聞。ヒ ての新聞。 ンディー,サンスクリット,ブラジュバー シャーの混交した sadhukkarı̄ で書かれて ˙ いる。 64 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 図 15: 『カールサー・アクバール』xālsā axbār (ラーホール,1886年7月1 0日) 図 14: 注解書『グルバーヴディープカー』 1886年4月16日に創刊。ギアー gurub āvdı̄pkā のタイトル ニー・ディット・スィング Giānı̄ ditt simgh ˙ 等の編集により1905年まで存続した。 h (ラーホール,1881年) 65 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 グルムキー活字実用化以後の活版印刷物。 図 16: 現在のU.P.州カーンプルにお 図 17: 『カールサー・サマーチャール』 けるグルムキー文字の出版物。 創刊号 xālsā samācār(アムリトサル,1 『ヴィチャール・サーガル』vicārsāgar 899年11月17日) 現在のハリヤーナー州ロータク Rohtak 現在まで存続し,デリーのバーイー・ヴ 県サーンプラー S¯ãplā に近いキハダォー ィール・スィング・プレス Bhai Vir Singh リー Kihadaulı̄ 村出身の行者ニシュチャ ˙ ルダース Niścaldās がヒンディー語で著 Press から発行されている。 したヴェーダンタ哲学の注解書。カーシ ュミーリー・グルムキー体の活字が用い られている。 (カーンプル,1893年) 66 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 図 18: ルディアーナーのアメリカ長老派教会 (2000年8月撮影) 図 19: 同上: 門の横には礼拝の時間が示されている 67 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 図 20: ルディアーナーのアメリカ長老派教会の中庭 68 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 図 21: ルディアーナーの活字鋳造会社 AMERICAN TYPE FOUNDRY (2000年8月撮影) 図 22: AMERICAN TYPE FOUNDRY 販売事務所 69 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 ラーホールで創業。分離独立のためア ムリトサルに移る。その際,ラーホール に残る知人からパーキスターンでは必要 のなくなるグルムキーの母型を譲り受け る。その後,そのドイツ製の母型は旧式 になり,イギリスのモノタイプ社 MONO TYPE COOPERATION がアメリカで製 造した現在の母型を使うようになった。 社名はこの母型の輸入先に由来する。ル ディアーナーに移ったのは1970年。 以来30年間,ルディアーナーで活字の 製造販売を続けている。現在は印刷用イ ンク・印刷用紙・スタンプの台木などの 材料の販売,印刷機械の販売取り次ぎな どが営業の中心となっている。 図 23: 工場内で稼働中の鋳造機 70 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 [資料] 【ルディアーナー・ミッション年次報告書(1849∼1885年)に記録された 出版物リストの中でグルムキー文字を用いたパンジャービー語で書かれた出版物】 年 書名 頁数 発行部数 1849 lUct< a>cts rs<l:A dE crV&v 254 5000 1849 luka/tū aika/tasa/ rasūl㯠de kara/tavva/ ˙ ˙ ihstrI bAeIbl ivC~: C~NvIaA: cWAvA: 120 5000 1850 hisa/tarı̄ bāı̄bala/ vicõ cona/vı̄¯ã kat āv¯ã ˙ ˙ ijinss uUVpVI 200 3000 1850 jinisasa/ uta/patı̄ l<c 156 6000 1850 lūka/ tr>&ct d<jA 100 6000 90 8000 197 8000 h taraikkata/ dūjā ˙ ˙ 1851 srv - vAd VE tr>&ct 1854 sarava/-vāda/ te taraikkata/ ˙ ˙ jb<r jabūra/ 1854 Sbd - c~S 438 600 1855 śabada/-kośa/ tr>&ct pihlA ih&sA 148 7000 220 800 1856 uta/pata/ te kūca/ vı̄ha/v˜ı̄ bhāga/ taka/ y<h^nA dI ie^ jIl 120 8000 1856 yūhamnā dı̄ imjı̄la/ ˙ ˙ l<c dI ie^ jIl ( d<jI vAr ) 158 8000 1857 lūka/ dı̄ imjı̄la/ (dūjı̄ vāra/) ˙ Yrm pUsVcA: ivC~: VvArIk dIaA: TET g&l:A 170 5000 1857 d arama/ pusa/tak¯ã vicõ tavārı̄k a dı̄¯ã t et a/ gall¯ã ˙ ˙ m~VI dI ie^ jIl 60 6000 1858 motı̄ dı̄ imjı̄la/ ˙ 1 jgV dI uUVpVI 298 4000 1859 jagata/ dı̄ uta/patı̄ 2 iys<eI mUsAFr dI jAVqA 144 6000 taraikkata/ pahilā hissā ˙ ˙ 1855 uUVpV VE c<C vIhvI: BAg Vc h h yisūı̄ musāfara/ dı̄ jātrā 71 h h アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 1859 3 COpVqIaA: dI pihlI p~WI 40 3000 25 3000 caupatrı̄¯ã dı̄ pahilı̄ pothı̄ 1860 4 COpVqIaA: dI d<jI p~WI h caupatrı̄¯ã dı̄ dūjı̄ pot ı̄ 1860 mArcUs dI ie^ jIl 94 6000 1860 māra/kusa/ dı̄ imjı̄la/ ˙ mUcVI mAlA 109 4000 1861 muka/tı̄ mālā l<cA dI ie^ jIl 157 6000 1861 lūkā dı̄ imjı̄la/ ˙ ih^ d<a:A dE ieVrASA: dA k^ Dn 97 5000 1861 himdū㯠de ita/rāz㯠dā khamdana/ ˙ ˙˙ rs<l:A dE crV&b 149 5000 4000 rasūl¯ã de kara/tabba/ 1861 bEbUl sAr 20 1861 bebula/ sāra/ ds hS<rI hUcm 40 2000 1862 dasa/ hazūrı̄ hukama/ y<h^nA dI ie^ jIl ( d~ bArA ) 120 3000 1862 yūhamnā dı̄ imjı̄la/ (do bārā) ˙ ˙ uUpdEs p&VrI 100 5000 1862 upadesa/ pattarı̄ mUcVIdAVA dI uUsVVI dA gIV 20 1000 1873 muka/tı̄dātā dı̄ usa/tatı̄ dā gı̄ta/ hRH dI chANI 16 5000 1873 harha/ dı̄ kahānı̄ ˙ ˙ ipaArE dI isFV 4 4000 4 5000 piāre dı̄ sifata/ 1873 pqB< ys< msIh h prab ū yasū ması̄ha/ 1873 iensAF VE dieaA 20 5000 1873 ina/sāfa/ te daiā yAVr< dI chANI 19 5000 1873 yāta/rū dı̄ kahānı̄ ˙ d~ GrA: dI chANI 11 5000 1873 do ghar¯ã dı̄ kahānı̄ ˙ sEvc VE gUr< 12 6000 sevaka/ te gurū 72 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 1873 a&Kr b~Y 16 5000 akkhara/ bodha/ 1873 mrUcs dI ie^ jIl 120 6000 1873 marukasa/ dı̄ imjı̄la/ ˙ dAnIeEl dI pUsVc 57 8000 1874 dānı̄ela/ dı̄ pusa/taka/ y<nAh dI chANI 8 6000 1874 yūnāha dı̄ kahānı̄ ˙ mVI dI ie^ jIl ( p&d ivC ) 59 2000 1874 matı̄ dı̄ imjı̄la/ (padda/ vica/) ˙ uUsVVI dA gIV 12 3000 1875 usa/tatı̄ dā gı̄ta/ pUSpAvlI 19 1000 1875 puśa/pāva/lı̄ p^ jAbI bAl b~Y 18 3000 1876 pamjābı̄ bāla/ bodha/ ˙ j~Sa < A 94 4000 224 4000 jośūā 1876 Sb<r zabūra/ 1876 mVI dI ie^ jIl ( d~bArA ) 110 5000 1876 matı̄ dı̄ imjı̄la/ (dobārā) ˙ bRI pUrANI chANI 16 3000 1876 barı̄ purānı̄ kahānı̄ ˙ ˙ ˙ swaAl jwaAb 103 1000 1876 sawāla/ jawāba/ chAuVA: dI pUsVc 84 3000 228 2000 16 1000 16 1000 16 1000 16 1000 kahāut¯ã dı̄ pusa/taka/ 1876 mA: VE d<jA sEml U m¯ã te dūjā semula/ 1876 pqB< iys< dA jIvn ibqV:AV prabhū yisū dā jı̄vana/ brit¯ãta/ 1876 iys< nAl dgA yisū nāla/ dagā 1876 iys< dE CElE yisū de cele 1876 iys< dE gUr< yisū de gurū 73 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 1876 b>pitst y<h^nA 16 1000 1876 baipa/tisata/ yūhamnā ˙ ˙ ˙ iys< dA bCpn 16 1000 16 1000 yisū dā baca/pana/ 1876 iys< dE CmVcAr yisū de camata/kāra/ 1876 iys< dA a^ V 16 1000 1876 yisū dā amta/ ˙ iys< dI acAS uUDArI 16 1000 1876 yisū dı̄ akāśa/ udārı̄ ˙ cnAn 16 5000 kanāna/ 1878 cnAn dES n<^ ij&VN dA vrNn 10 1000 1878 kanāna/ deśa/ n¯ũ jittana/ dā vara/nana/ ˙ ˙ imsr ivkE iesrAeElIaA: dA vrNn 9 1000 1878 misara/ vikhe isa/rāelı̄¯ã dā vara/nana/ ˙ abrAhIm 184 1000 1878 aba/rāhı̄ma/ bEnVI pqcAS 156 500 1879 bena/tı̄ prakāśa/ uUpdESc dI p~WI 28 3000 1879 upa/deśaka/ dı̄ pot ı̄ asVr 30 3000 1879 asa/tara/ r<b 12 3000 1879 rūba/ j> is^ G dI chANI 74 1000 1880 jai simgha/ dı̄ kahānı̄ ˙ ˙ adv>V 156 3000 1880 ada/vaita ie^ jIr sAr 298 1500 1880 imjı̄ra/ sāra/ ˙ gIVA: dI p~WI 72 2000 54 1500 62 1500 h h gı̄t¯ã dı̄ pot ı̄ 1880 r~mIaA: dI p&VrIaA: romı̄¯ã dı̄ pattarı̄¯ã 1880 pqcAS dI p~WI h prakāśa/ dı̄ pot ı̄ 74 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 1882 5 jy~iVrUdy 144 1000 1882 jayotirudaya/ mrUcs dI ie^ jIl 27 5000 1882 marukasa/ dı̄ imjı̄la/ ˙ uUVpV VE c<C 8 5000 1883 uta/pata/ te kūca/ KUSI pqApVI dA sAYn 7 3000 141 3000 300 3000 xuśı̄ prāpa/tı̄ dā sādhana/ 1883 Yrm dA sAr h d arama/ dā sāra/ 1883 pqB< dI uUpmA prabhū dı̄ upa/mā 1885 phARI uUpr uUpdES 16 1000 1885 pahārı̄ upara/ upa/deśa/ ˙ kEVI crn dI p~WI 92 6000 khetı̄ karana/ dı̄ pothı̄ 75 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 【出版物リスト中の 1 ∼ 5 について】 1 『天地創造』のパンジャービー語版,298頁,1858年,4000部 パンジャービー語版のタイトル “ jgV dI uUVpVI ” “jagata/ dı̄ uta/patı̄” aAr^ B ivC prmEsUr nE acAs aVE YrVI n<^ uUVpV cIVA aVE YrVI uUjAR aVE sU^ nsAn aVE D<^ GAN dE uUVE anHr E A sI aVE prmEsr U dA aAVm pANIaA: dE uUVE ihldA sI aVE prmEsr U nE aAikaA j~ CAnN h~vE aVE CAnN h~ igyA . aVE prmEsr U nE CAnN n<^ idn ar anHr E E n<^ rAV aAikaA . . . . ārambha/ vica/ paramesura/ ne akāsa/ ate dharatı̄ n¯ũ uta/pata/ kı̄tā ate dharatı̄ ujāra/ ate sumnasāna/ ˙ ˙ ˙ ate d¯ũghāna/ de ute anherā sı̄ ate para/mesura/ dā ātama/ pānı̄¯ã de ute hila/dā sı̄ ate para/mesura ˙ ˙ ˙ ne ākhiā jo cānana/ hove ate cānana/ ho giyā / ate para/mesura/ ne cānana/ n¯ũ dina/ ara/ anhere ˙ ˙ ˙ n¯ũ rāta/ ākhiā / . . . 初めに,神は天地を創造された。地は混沌であって,闇が深淵の面にあり,神の霊 が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」 こうして,光があった。神は光を 昼と呼び,闇を夜と呼ばれた。. . . 2 ジョン・バニヤン (John Bunyan) 作の寓意物語『天路歴程』 Pilgrim’s Progress のパンジャービー語版,14 4頁,1859年,6000部 パンジャービー語のタイトル iys<eI mUsAFr dI jAVqA sUfnE ivkE ies jgV VE sUrg dI vl yisūı̄ musāfara/ dı̄ jātrā supha/ne vikhe isa/ jagata/ te suraga/ dı̄ vala/ 原題 THE PILGRIM’S PROGRESS FROM THIS WORLD TO THAT WHICH IS TO COME DELIVERED UNDER THE SIMILITUDE OF A DREAM (パンジャービー語の散文体による 小説の創作に大きな影響を与えた。) 図 24: パンジャービー語版『天路歴程』の タイトル (ルディアーナー・ミッション,1859 年) 76 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 登場人物(例) Faithful 信仰者 aAigaAcArI āgiākārı̄ Worldly Wiseman s^ sArI bU&YImAn 世渡り(世才)氏 Hopeful samsārı̄ buddhı̄māna/ ˙ aAs 希望者 āsa/ 3 『宣教小冊子第一集』[9編所収] 40頁,1859年,3000部 “ COpVqIaA: dI pihlI p~WI ” — 9 tr>&ct “caupatrı̄¯ã dı̄ pahilı̄ pothı̄” — 9 taraikkata/ ˙ ˙ (1) ‘ pqSn aVE uU&Vr ’ 「質疑応答」 ‘praśana/ ate uttara/’ (2) ‘ sBnA: dE leI prmESr dE ds hUcm ’ 「民のための神の十戒」 ‘sabha/n¯ã de laı̄ para/meśara/ de dasa/ hukama/’ (3) ‘ mnUk dE pApI h~N ar mUcV pAuN dI bAbV ’ 「罪と救済について」 ‘manukha/ de pāpı̄ hona/ ara/ mukata/ pāuna/ dı̄ bābata/’ ˙ ˙ (4) ‘ uUpdES VIrWIaA: n<^ pAuN dI bAbV ’ 「巡礼者への教えについて」 ‘upadeśa/ tı̄ra/thı̄¯ã n¯ũ pāuna/ dı̄ bābata/’ ˙ (5) ‘ d~ bUi&QaA: dI vArVA ’ 「二人の老人の話」 ‘do buddhi¯ã dı̄ vāra/tā’ ˙˙ (6) ‘ piv&VrVAeI dI bAbV ’ 「神聖について」 ‘pavittara/tāı̄ dı̄ bābata/’ (7) ‘ ip&Vl dA s&p ’ 「真鍮の蛇」 ‘pittala/ dā sappa/’ (8) ‘ VUhADA m&V cI h> ?’ 「あなたの意見は如何に?」 ‘tuhādā matta/ kı̄ hai?’ ˙ (9) ‘ LrIb ys<F dI vArVA ’ 「慎ましきイエスの話」 ‘ǧarı̄ba/ yasūfa/ dı̄ vāra/tā’ 実例 (6) ‘ piv&VrVAeI dI bAbV ’ ivC~: ceI s^ V h~rnA: n<^ bd - dUaAeIaA: id^ dE hn , s~ piv&Vr l~c:A dA crm nhI:. uUh l~c:A n<^ b&DE b&DE srAp id^ dE hn. hUN s~C~ , j~ piv&VrVAeI n<^ DAh nAl cI vAsVA h> , sg~: sCk^ D bdnIVA: uUs WI: hOlE hOlE inst h~ jA:dIaA: hn aVE mn ivC dyA ar Yrm ieVnA uUVpV 77 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 hU^ dA h> j~ uUh aApNE v>rI ar imVq dUh:A n<^ ipaAr crdA h>. bd dUaA dENI GAV crnE nAl~: G&t nhI:. . . . (6) ‘pavittara/tāı̄ dı̄ bābata/’ vicõ kaı̄ samta/ hora/n¯ã n¯ũ bada/-duāı̄¯ã dimde hana/, so pavittara/ lok¯ã dā karama/ ˙ ˙ nah˜ı̄/ uha/ lok¯ã n¯ũ badde badde sarāpa/ dimde hana// huna/ soco, jo pavittara/tāı̄ ˙ ˙ ˙˙ ˙˙ n¯ũ dāha/ nāla/ kı̄ vāsa/tā hai, sagõ saca/khamda bada/nı̄t¯ã usa/ th˜ı̄ haule haule nisata/ ˙˙ ˙ ˙ ho j¯ãdı̄¯ã hana/ ate mana/ vica/ dayā ara/ dharama/ ita/nā uta/pata/ humdā hai jo uha/ ˙ āpane vairı̄ ara/ mitra/ duh¯ã n¯ũ piāra/ kara/dā hai/ bada/ duā denı̄ ghāta/ kara/ne nālõ ˙ ˙ ghatta/ nah˜ı̄/ . . . ˙˙ (6)「神聖について」より いく人かの聖者は他の人々に悪しき祝福を与えている。これは聖者の行 いではない。彼らは人々に大きな呪いを与えている。さあ神聖は悪意とど う関わるか考えなさい。真の領域では悪意は徐々に滅びゆき,敵も友も愛 する慈悲と信仰が心に生まれる。. . . 4 『宣教小冊子第二集』[6編所収] 25頁,1860年,3000部 “ COpVqIaA: dI d<jI p~WI ” — tr>&ct “caupatrı̄¯ã dı̄ dūjı̄ pothı̄” — taraikkata/ ˙ ˙ (1) ‘ uU&Vm pUsVc dA d<V ’ 「至高の書物の使徒」 ‘uttama/ pusa/taka/ dā dūta/’ (2) ‘ eIsAeI pAdrI vl~: ih^ d<a:A n<^ uUpdES ’ 「宣教師からヒンドゥー教徒への教え」 ‘ı̄sāı̄ pāda/rı̄ valõ himdū¯ã n¯ũ upa/deśa’ ˙ (3) ‘ ys<F dI iviWaA ’ 「イエスの物語」 ‘yasūfa/ dı̄ vithiā’ (4) ‘ g^ gA dE aSnAn dI g&l bAV ’ 「ガンガーでの沐浴の話」 ‘gamgā de aśa/nāna/ dı̄ galla/ bāta/’ ˙ (5) ‘ crmA: VE mUcV dA nA h~NA ’ 「義務を解かれざること」 ‘kara/m¯ã te mukata/ dā nā honā’ ˙ (6) ‘ ie&c a&fl h^ jIr dE b<tE dA idqStA:V ’ 「一本の実らぬイチジクの木の例」 ‘ikka/ apphala/ hamjı̄ra/ de būte dā driśat¯ãta/’ ˙ ˙ ˙ 5 小説 “ jy~iVrUdy ” 作者名なし,144頁,1882年,初版1000部 “jayotirudaya/” (パンジャービー語の散文体による小説の原型となったと言われている。) 78 岡口 典雄: グルムキー文字による印刷出版史 登場するインド人はヒンドゥーのベンガル人家族であるが,英語やベンガル語の 原作からの翻訳・翻案ではなさそう。推測として,ベンガルでの生活を経験し研究し た後にパンジャーブに赴任した宣教師が,パンジャーブで創作したものと考えられて いる。 〔登場人物のせりふ〕 (P.30) “ a^ grESI VImIaA: VA: sB pRHnA jANdIaA: hn aVE ceI VA: aijhIaA: pRHIaA: hn j~ uUn:HA nE p~WIaA: rCIaA: hn pr b^ gAlI VImIaA: VA: bRIaA: m<rk hn. ” “ãga/rezı̄ tı̄mı̄¯ã t¯ã sabha/ parha/nā jāna/dı̄¯ã hana/ ate kaı̄ t¯ã ajihı̄¯ã parhı̄¯ã hana/ jo unh¯ã ne ˙ ˙ ˙ pothı̄¯ã ra/cı̄¯ã hana/ para/ bamgālı̄ tı̄mı̄¯ã t¯ã barı̄¯ã mūrakha/ hana//” ˙ ˙ 「英国の女性たちは皆読み書きができ,書物を著す人もいます。しかしベンガルの 女性たちはとても無知なのです」 (P.73) “ YrVI nAr^ gI dE smAn g~l h> pr SAsVq aAkdA h> , j~ uUh CptI h>. h~r ceI aijhIaA: g&l:A j~ SAsVq dE ivC hn , j~ bUY dE ivrUY hn. ikrstAnIaA: dE SAsVq ivC m>: VA: ajE V~RI c~ii g&l aijhI nhI: iD&TI , j~ bUY dE ivrUY h~vE ” “dhara/tı̄ nāramgı̄ de samāna/ gola/ hai para/ śāsa/tra ākha/dā hai, jo uha/ capa/tı̄ hai/ hora/ kaı̄ ˙ ˙ ajihı̄¯ã gall¯ã jo śāsa/tra de vica/ hana/, jo budha/ de virudha/ hana// khrisa/tānı̄¯ã de śāsa/tra vica/ mãı̃ ˙ t¯ã aje torı̄ koı̄ galla/ ajihı̄ nah˜ı̄ ditthı̄, jo budha/ de virudha/ hove” ˙ ˙ ˙˙ 「世界は蜜柑と同じように球形なのです。けれど真実に反し,ヒンドゥー教の聖典 には平らだと書いてあります。キリストの聖典には今まで真実に反したことを見たこ とはありません」 〔情景描写〕 ieh mn dE lUBAuNhArI f&gN mhInE dI s^ iYaA sI. im&TI im&TI pON W^ QI c<lI vgdI sI. aAcAS cUJ cUJ inrml aOr nIlA sI. b&dlA: dE t~tE CA:dI dE WAnA: aA:L< s<rj dI j~V nAl CmcdE h~e , icVE icVE ik^ D rhE sI. a^ bA: dE ibrx b<r aOr clIaA: dE nAl l&dE h~e , J<ldE sE , aOr sUg^YVA dI mihc nAl pON BrI h~ii sI. . . . cUJ aCrj nhI: jE s&B V~: im&TA ar sAiraA: ivC prCilV b^ gAlI ivC VImIaA: dA nAU bs^ V hI hU^ dI h~vE , ar ieh~ nAU sArE vrHE dI mn - BAUdI rU&V dA h>. iha/ mana/ de lubhāuna/hārı̄ phaggana/ mahı̄ne dı̄ samdhiā sı̄/ mitthı̄ mitthı̄ pauna/ thamdhı̄ ˙ ˙ ˙˙ ˙˙ ˙ ˙˙ ˙ kūlı̄ vaga/dı̄ sı̄/ ākāśa/ kujha/ kujha/ nira/mala/ aura/ nı̄lā sı̄/ baddal¯ã de tote c¯ãdı̄ de thān¯ã ñ¯ãṅū ˙ ˙ sūraja/ dı̄ jota/ nāla/ camaka/de hoe, kite kite khimda/ rahe sı̄/ amb¯ã de biracha/ būra/ aura/ kalı̄¯ã ˙˙ ˙ de nāla/ ladde hoe, jhūla/de se, aura/ sugamdha/tā dı̄ mahika/ nāla/ pauna/ bharı̄ hoı̄ sı̄/ . . . kujha/ ˙ ˙ aca/raja/ nah˜ı̄ je sabbha/ tõ mitthā ara/ sāri¯ã vica/ para/calita/ bamgālı̄ vica tı̄mı̄¯ã dā nāũ basamta/ ˙ ˙ ˙˙ hı̄ humdı̄ hove, ara/ iho nāũ sāre varhe dı̄ mana/-bhāũdı̄ rutta/ dā hai/ ˙ 79 アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 これは心を酔わせるパッガン(パーグン)月の夕暮れのことだった。甘い微風が 涼しげに優しく吹いていた。空はいくらか澄み,蒼く見えた。千切れ雲が銀の胡桃の ように陽の光に輝き,所々に散らばっていた。マンゴーの木々は花のつぼみを載せて 揺れ,微風は心地よい香りに満ちていた。. . . 最も甘美で馴染み深いベンガルの女性 の名前がバサントだというのもうなずける。この名前は一年の中でも好ましい季節の 名前だから。 80