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北海道北見地域における酪農業の特徴と 酪農発展途上地域への技術

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北海道北見地域における酪農業の特徴と 酪農発展途上地域への技術
地域創成研究年報第11号(2016)
北海道北見地域における酪農業の特徴と
酪農発展途上地域への技術・経営形態の活用可能性
包 翠栄 (愛媛大学大学院連合農学研究科特定研究員) ・
淡野寧彦(愛媛大学法文学部) ・ 胡
柏(愛媛大学農学部)
BAO Cuirong, TANNO Yasuhiko, HU Bai
化とも密接に結びついている。家畜飼養頭数の拡
1 はじめに
大による過放牧や近年の少雨傾向によって,砂嵐,
黄砂,草原退化などが引き起こされている。そのた
経済成長の著しい中国においては畜産物消費が
め内モンゴルにおいて伝統的に継続されてきた牧
急増し,その需要に応じて畜産業も急拡大を続け
畜形態である遊牧は「禁牧」ないし「休牧」政策の
ている。牛乳の消費量をみると,1980 年には1人
もとに衰退を余儀なくされている。筆者らのうち
あたり 1kg 程度に過ぎなかったものが,2010 年に
淡野は,内モンゴルの畜産業に関する統計データ
は同 30kg 近くにまで増加した。牛乳消費の拡大を
分析および現地調査を通じて,同地域の生業であ
受けて酪農業が急成長を遂げたのが内モンゴル自
った遊牧が砂漠化の進行や農業政策などの影響に
治区(以下,内モンゴル)であり,2003 年より内モ
よって衰退傾向にあるとともに,酪農や養豚など
ンゴルは中国最大の酪農地域となった。他方で,内
による主に畜舎内での家畜飼養が増加しており,
モンゴルにおける酪農業の担い手の多くは小規模
この動向は不可逆的であると考察した(淡野・淡野,
経営の酪農家であり,その生産技術も未熟である。
2011)。また中国政府は,酪農業の導入による生活
さらに 2008 年には牛乳へのメラミン混入事件(以
改善と牧草地の環境保全の実現を目指した生態移
下,メラミン事件)が発生するなど,克服されるべ
民政策を導入している(長命・呉,2012)が,様々な
き課題は多い。筆者らのなかの包・胡(2012)は,メ
問題への十分な対応策には成り得ていない。生態
ラミン事件発生前後の小規模酪農家の経営実態に
移民政策による牧畜経営の変化について内モンゴ
注目し,飼料価格の高騰やメラミン事件の影響,技
ルの桑根達来鎮を事例に取り上げた包・胡(2015)は,
術不足などの要因によって経営規模の縮小や廃業
主に家族労働力2名による酪農家への調査を通じ
などがみられることを明らかにした。そしてこの
て,乳用牛に加えて在来種の黄牛も飼養すること
対策として,単なる乳用牛頭数の増加だけでなく,
や粗飼料の高い自給率を実現させることなどによ
産乳量を増加させる飼養管理技術の向上やそのた
って所得の向上がみられることを明らかにした。
めの技術指導が必要であることを指摘した。また
一方で酪農家の多くは,これまで濃厚飼料の多給
包・胡(2014)は,フフホト市における小規模酪農家
により産乳量向上を図ってきたものの,濃厚飼料
の経営実態と収益構造の分析を通じて,酪農家の
の価格高騰によって経営費が大幅に上昇し,収益
収入増加は飼料原料となるトウモロコシや牛の販
を圧迫する要因となっていることも示された。こ
売価格が上昇したためであり,酪農による収益は
の状況を改善するには,産乳量の向上と経費削減
むしろ低迷し,酪農を継続する意向も薄れつつあ
を同時に図る粗飼料技術の導入が必要であり,そ
ることを指摘した。
のためには,国内先進地域や先進国で採用された
畜産業をめぐる課題は当該地域の生態環境の悪
サイレージの調製・貯蔵技術を参考に,地域の条件
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地域創成研究年報第11号(2016)
や家畜種の特性に見合った独自の粗飼料技術体系
力のための推進体制や拠点形成の確立,人的支援
を確立し,普及する必要があることが考えられた。
のあり方などについて検討する「中国の環境保全
以上のように,内モンゴルにおける畜産業は近
型酪農生産システム展開相互協力プロジェクト」
年,大きな変化を遂げており,酪農業の定着は地域
が発案された。
の産業や人々の生活の安定化を図るうえで重要な
また,新しい酪農技術の導入や普及のプロセス
課題の1つと位置づけられる。しかし先述のとお
については,梅田(2008)による北海道浜中町の事例
り,内モンゴルにおける大部分の酪農家の経営規
がある。浜中町においては,とくに 1990 年代以降,
模は小さく,技術・経営基盤のいずれもが脆弱であ
20~30 歳代を主とした新規就農者の受け入れや手
る。こうした問題を克服する手段の1つとして,先
厚い支援を浜中町農協が進めたほか,農協の下部
進的な酪農技術・経営体系を実現した地域の例を
組織としての地区酪農振興会による集団的学習機
検討し,このなかから内モンゴルでの活用可能性
会の創出や,従来からの住民による「地域コミュニ
について考察することが挙げられる。そこで本稿
ティの維持には新規参入者の存在が不可欠」との
では,北海道における酪農業をこの先進事例と位
認識が広く共有されたことなどが新しい酪農技術
置づけ,主に北見市およびその周辺部における現
の普及を後押しし,地域の酪農業の存続にも寄与
地調査から,優れた酪農技術・経営体系の特徴や現
した(梅田,2008)。梅田による分析は北海道内を対
在の課題などを見出し,内モンゴルにおける酪農
象としたものであるが,酪農の技術的・経営的進化
への活用可能性について検討することを目的とす
を特定の地域やコミュニティレベルでとらえるも
る。
のとして,マクロ的な視点での分析を行った先述
北海道の酪農技術や経営手法を中国に移転活用
の北倉ほか(2009)に対してミクロ的な視点による
する試みとして,北倉ほか(2009)がある。北倉らは,
成果として注目される。本稿でも,これらの先行研
中国をはじめとする新興国における畜産業の急拡
究による指摘をふまえ,北海道における酪農業の
大が近年の石油や飼料原料価格の高騰に影響をも
技術的・経営的先進性を,個別の酪農家レベルない
たらしていることを念頭に,中国における酪農業
し特定の地域レベルのスケールで内モンゴルの酪
の問題解決や進化の必要性を現地調査の成果をふ
農業に活用できる可能性を考察することとしたい。
まえながら指摘した。このなかでは主に,小規模経
以下,研究方法について本稿の構成とともに示
営の酪農家が多くを占めるために,牛乳生産性の
す。まず2章では全国および北海道の酪農業の展
低さや粗飼料生産基盤の脆弱性,糞尿処理対策の
開について統計データや先行研究をもとに概観す
不徹底,不合理な集乳体制や生産者に不利な乳価
る。次に3章で,北見地域における酪農業の地域的
決定などがみられることが挙げられた。そのうえ
特徴について,現地調査で得られた JA きたみらい
で北倉らは中国の法令に基づく農民専業合作社の
の動向や酪農家の経営事例などの情報から検討す
機能に着目し,この組織を軸とした「環境保全型酪
る。また4章では,酪農技術に関する試験形態およ
農生産システム構想」による技術的かつ経営的進
び人材育成の展開や現況について,ホクレン畜産
化と,そのための北海道からの技術移転の可能性
技術実証センターでの取組みを事例に分析する。
についてマクロ的な視点から検討した。しかし,北
これらをふまえて5章で,北海道における酪農業
海道の酪農関係者らへのアンケート調査の結果で
の技術的・経営的な先進性を内モンゴルの酪農業
は,中国への技術移転に関して酪農関係者らの意
に活用する可能性について,筆者らのこれまでの
欲や現時点での交流状況は希薄であることや,技
研究成果をふまえながら考察する。最後に6章で,
術移転自体の難しさなどが見出された。そのため,
上記の内容を総括するとともに,今後の研究課題
現時点では技術移転よりも技術協力としての関係
についても合わせて記載する。
なお,北海道北見市およびその周辺部における
性構築が現実的であるとの分析がなされ,技術協
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地域創成研究年報第11号(2016)
現地調査は 2014 年 7 月に実施した。また本稿で
2014 年の飼養戸数は 18,600 戸である。こうした
は,主な調査対象とした JA きたみらいの管轄区域
なかでは飼養規模の多頭化が進み,1戸あたりの
である北見市,置戸町,訓子府町を北見地域と総称
飼養頭数は 1960 年の 2.0 頭から 2014 年には 75.0
して記載する。
頭に達した。北海道における酪農業についてみる
と,1960 年時点では乳用牛の飼養頭数が 182,810
頭で全国に占める割合は 22.2%,1戸あたりの飼
2 北海道における酪農業の
養頭数も 2.9 頭と,必ずしも突出した産地であった
わけではない。しかし,その後は次第にシェアを拡
地域的展開
大し,1990 年代に入って全国的に乳用牛の飼養頭
数が減少傾向となるなかでも頭数規模を維持し続
1)日本における酪農業の発展
けたこともあって,2014 年の飼養頭数は 795,400
日本における乳用牛の飼養頭数は 1960 年の
頭で全国に占める割合は 57.0%にまで拡大した。
823,500 頭からほぼ一貫して増加し,1985 年に
同年の1戸あたり飼養頭数も全国平均を大きく上
2,111,000 頭に達した(第1図)。しかし 1990 年代
回る 115.3 頭となっている。都道府県別に乳用牛
以降は減少傾向に転じ,2014 年には 1,395,000 頭
の飼養頭数をみても,北海道に次ぐ規模の栃木県
とピーク時の約3分の2にまで減ってしまった。
が 52,900 頭に過ぎず,1戸あたりの飼養頭数も
一方,飼養戸数は 1960 年の 410,400 頭から一貫し
64.0 頭とおよそ半分の規模である(第2図)。さらに
て減少し続け,1980 年代には 10 万戸を割った。
第3位の岩手県の飼養頭数は 44,600 頭であるが,
第1図
北海道および全国における乳用牛の飼養頭数と1戸あたり頭数の推移
(1960-2014 年)
(畜産統計により作成)
1980 年は統計データが存在しないため,1981 年のものを用いた.
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地域創成研究年報第11号(2016)
第2図
日本における都道府県別乳用牛の飼養頭数および1戸あたり飼養頭数(2014 年)
(畜産統計により作成)
1戸あたり飼養頭数は 39.1 頭と全国的にみても零
在する。また1戸あたりの飼養頭数をみると,音更
細である。このほか,群馬県や千葉県,茨城県とい
町が 271.1 頭,士幌町が 203.4 頭と,北海道全体
った関東地方の東京周辺県において2~3万頭の
の平均の2倍以上に達しており,規模の大きい経
乳用牛が飼養され,一定規模の酪農産地が形成さ
営体が存在することがうかがわれる。これら2地
れているが,先述の栃木県と合わせても4県の飼
域のほか,乳用牛の飼養頭数が比較的多い市町村
養頭数合計は 153,200 頭で北海道の5分の1程度
は北海道の北部から北東部にかけての地域であり,
の規模である。
逆に道西部や南部では1万頭を超える市町村はみ
られない。
2)北海道における酪農業の地域的特徴
個別地域の酪農業の特徴に関する最近の先行研
北海道における 2010 年の市町村別乳用牛飼養
究としては,主に以下が挙げられる。村上(2013)は
頭数をみると,とくに飼養頭数の多い地域は東部
大規模な開拓事業によって最大の酪農産地となっ
の根釧地域であり,103,163 頭の別海町を筆頭に,
た別海町における酪農の生産構造について分析し,
中標津町(39,121 頭)や標茶町(35,009 頭),浜中町
近年では多頭飼養型,中規模型,マイペース型の3
(20,798 頭),標津町(18,619 頭)が上位を占める(第
つに区分される経営方式に酪農家が分化しながら
3図)。これらに次ぐのが十勝地域であり,士幌町
産地が存続していることを示した。また,先述の梅
が 18,099 頭,清水町が 17,978 頭,音更町が 17,352
田(2008)や東山(2012)が指摘するとおり,浜中町に
頭などのように飼養頭数1万頭台の町村が複数存
おいては積極的な新規就農者の獲得・支援策など
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第3図
北海道における市町村別乳用牛の飼養頭数および1戸あたり飼養頭数(2010 年)
(農林業センサスにより作成)
によって産地が維持されている。北見市北部に位
る。TMR センターでは5~20 戸ほどの複数の酪
置する湧別町の東地区における酪農経営に注目し
農経営による飼料生産の部門共同化と外部化によ
た高橋(1998)は,地区内において酪農専業農家と畑
り,飼料生産部門の効率化と飼養管理との分業化
作との複合経営農家の混在が生じたことが,酪農
による酪農経営の省力化が追求される。飼料を共
業としての効率性はやや劣るものの,酪農地域と
通化することによって経営間の技術の平準化が図
しての産地維持に一定の効果をもたらしたことを
られ,相対的に収益性の低い経営において収益性
指摘した。
の改善が期待できる。また,家族経営を維持しなが
北海道における近年の酪農経営では,先述の東
らそれぞれの酪農経営は飼養管理部門の展開に関
山(2012)や村上(2013)でも記されるように,個々の
して主体的に対応できる利点がある。一方で,広範
酪農家における経営規模の拡大ばかりが重視され
な地域からの飼料原料の集荷とその貯蔵,収穫適
るわけではなく,例えば協業経営型の大規模農場
期内での作業遂行などの課題も存在する(久保田ほ
を設立することによって,経営の「ゆとり」の創出
か,2013)。
(矢坂,2001)や新規参入支援対策としての機能(東
本稿が対象とする北見地域においては,北見市
山,2012)などが期待されている。また道内では,
の 2010 年の乳用牛の飼養頭数は 8,171 頭で,道内
粗 飼 料 の 集 中 的 管 理 ・ 製 造 を 行 う TMR(Total
179 市町村のなかでは第 32 位である。また1戸あ
Mixed Ration: 混合飼料)センターも増加傾向にあ
たりの飼養頭数は 76.4 頭である。置戸町の 2010
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地域創成研究年報第11号(2016)
年の乳用牛飼養頭数は 4,903 頭,1戸あたり飼養
体の 19.0%にあたる。全生産高に占める穀類など
頭数は 86.0 頭である。訓子府町の 2010 年の乳用
の割合は 11.2%に過ぎず,てんさいが 19 億円余,
牛飼養頭数は 5,167 頭,
1戸あたり飼養頭数は 97.5
麦類が約 13 億円,水稲と豆類がそれぞれ7億円程
頭である。いずれの市町においても,1戸あたりの
度である。
飼養頭数は,道平均の 105.0 頭と比較するとやや
JA きたみらい設立に際して,旧農協に所属して
小規模である。後述するとおり,北見地域において
いた酪農家は全て,JA きたみらいに移管された。
も酪農家の経営規模や経営形態の多様化や協同施
JA きたみたらいの全酪農家が牛乳を農協に系統出
設の設立などがみられ,酪農業の維持や課題解決
荷する。牛乳の流通形態は,農家が搾乳後にバルク
に向けた取り組みが進められている。
クーラーで牛乳を保管し,これを 10t ローリーが
集荷に訪れる。牛乳の運搬費は2円/kg であり,農
家が負担する。集荷された牛乳は全て,佐呂間町に
3 北見地域における酪農経営の特徴
存在する森永乳業の工場へ搬送され,主にバター
の原材料となる。北海道全体として,牛乳の用途は
1)JA きたみらいによる地域酪農の管轄体制
おおむね,飲用が2割,バター用とチーズ用が各4
JA きたみらいは 2003 年2月に,主に北見市と
割であり,取引価格は飲用が 120 円/kg,バターが
その周辺地域を管轄する8つの農協が合併して設
70 円/kg,チーズが 50 円/kg 程度である。ただし,
立された。JA きたみらいの第 11 回通常総代会資
酪農家への支払い価格は牛乳全体の価格に基づい
料をもとに 2013 年度の農業祖生産高(見込)の品目
て算出されるため,用途によって支払い価格に差
別割合をみると,総計は 421 億 1600 万円で,全体
異が生じることはない。JA きたみらいにおける
の 55.5%を青果が占める。なかでも生産高の大き
2003 年度からの乳価の推移をみると,2003 年度
いものがたまねぎであり,全体の 42.8%にあたる
の 77.50 円から 2006 年度の 73.84 円まで低下した
180 億円余に上る。青果に次いで粗生産高が大きい
ものの,その後は上昇傾向に転じ,2013 年度には
のが畜産であり,全体の 22.5%を占める。この大半
87.12 円に達した(第4図)。ただし,近年では配合
は牛乳によるものであり,生産高は約 80 億円で全
飼料価格も上昇傾向にあることから,乳価の上昇
第4図
JA きたみらいにおける牛乳単価の推移(2003-13 年度)
(JA きたみらい提供資料により作成)
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地域創成研究年報第11号(2016)
が農家の収益向上に十分結びついているとはいえ
た場合の事故率は4~5%であり,とくに生後半
ない。
年程度の期間の事故率が高い。これに対して JA き
一方,酪農家が用いる飼料については,必ずしも
たみらいでは,哺育センターにおける事故率目標
農協系統のものを使用する必要はなく,個々の酪
を 1.5%以下として仔牛の預託を開始した。センタ
農家の判断が優先される。一般的に,酪農家は飼料
ーには5名の職員が所属し,センター長は獣医師
経費を抑えるために複数の取引先を持つ傾向にあ
資格を持つため,家畜の疾病や怪我に迅速に対応
る。また,酪農に関する営農および技術指導につい
できることが利点である。このことが,哺育センタ
ては,農協職員や普及センター職員らによって必
ーに仔牛を預託する農家が経営規模の大小や立地
要に応じて実施されている。
を問わず存在する一因となっている。
酪農家が乳用牛を市場から購入する際には,毎
さらに JA きたみらいは,2013 年に策定した「第
月1回,サロマ町で実施されるホクレンの乳用牛
4次地域農業振興方策並びに中期経営計画」にお
市場が利用される。21~22 ヵ月齢の種付後の牛が
いて,TMR センターなどの設立による生産基盤の
出荷され,セリによって1頭あたり 50 万円程度で
維持・拡大を目指した「酪農振興システム」の構築
取引される。初妊牛を購入する場合,1頭につき5
を目指している。同システムに関する酪農家の意
万円が JA から農家に無償融資される。市場で購入
向等を JA きたみらいが尋ねた 2014 年のアンケー
後,農家が2ヵ月程度飼養した頃に乳用牛の出産
トに対して,対象酪農家 172 戸全てが回答した。
時期を迎える。生まれた仔牛がメスの場合は農家
酪農家の平均的な特徴をみると,搾乳対象の乳用
自身が飼養するが,オスの場合は7~10 日齢で市
牛が 54.6 頭で年間出荷乳量は 493.4t,飼料作付面
場ないし専門の肥育農場に出荷される。乳用牛と
積は 34.9ha であった。
経営者の平均年齢は 53.3 歳
しての稼動期間は3年程度であり,おおむね5歳
であり,
すでに後継者が存在する酪農家が 36.7%,
になると新たな牛に更新される。ほかにも,生乳量
後継者として就農予定のあるものまで含めると
を増やす取組みへの支援として,乳用牛を増頭す
45.6%となった。このなかで TMR センターに関す
る場合や増産に向けた取組みを行う場合には,5
る酪農家の意識をみると,全体の3分の1程度に
年間無利子の融資制度がある。
当たる 55 戸が利用したいと回答し,とくに後継者
酪農家の持つ課題の抽出や対応策の実施に向け
の存在する酪農家において利用意志が強かったこ
て JA きたみらいが実施した
「ミルクプラン 2008」
とから,TMR センターの設立に向けた検討が続け
のアンケート調査結果においては,酪農家が育成
られている。また,高齢の酪農家や労働力の不足す
牛の管理を預託できる施設の設立を望む意見が多
る酪農家などの労働負担軽減のための,共同利用
く挙げられた。このなかでは,酪農家の経営方針が,
施設などの整備による集団化的な酪農システムの
主に「積極的な規模拡大タイプ」
,
「緩やかな増頭タ
構築も必要と判断された。
また,先述の「第4次地域農業振興方策並びに中
イプ」
,
「ゆとりの創出タイプ」の3つに分類される
傾向がみられ,いずれのタイプの農家からも育成
期経営計画」では,JA きたみらい管内における農
牛の預託施設を望む意見がみられた。そこで JA き
家の営農類型として主に 15 タイプが示され,この
たみらいが実施主体となり,都道府県営草地整備
うち酪農を取り入れた経営形態としては以下の3
事業による 75%補助を受け,50 戸の農家から 861
つが挙げられた。年間出荷乳量 672t を想定した酪
頭規模を預かる施設として,2010 年に「きたみら
農専業経営については,
「高泌乳多頭化を目指す酪
い哺育育成センター(以下,哺育センター)」が整備
農専業経営。その存立条件は自給飼料基盤の強化
された。哺育センターでは生後3日~20 ヵ月齢の
であり,飼料価格高騰の影響を最小限に抑える工
乳用牛候補の育成牛が管理され,農家の作業負担
夫が必要となる」とされる。また畑作との複合経営
軽減につながっている。仔牛を農家自身が育成し
のなかで年間出荷乳量 442t を想定した酪畑複合経
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地域創成研究年報第11号(2016)
営については,
「畑作に飼料作物を加えて輪作体系
1985 年に世帯主が就農した後,1991 年には農場
を確立し,地力の維持・向上を目指した酪畑複合経
を現在地に移転し,フリーストール牛舎を新築し
営モデル。良質な飼料生産及び堆肥の還元により
て経産牛 40 頭規模に拡大した。その後も飼養頭数
持続可能な経営を行うことができる。類型 7(筆者
を徐々に増やし,2005 年頃には経産牛 100 頭規模
注:田畑野菜複合経営)同様,複合経営であるため
となった。近年では 2011 年に自走ハーベスターを
農機具費の削減が課題となる」とされる。最後に
2戸共同で,2013 年にはコンビラップマシーンを
TMR センターなどの共同利用施設を活用した酪
3戸共同で,それぞれ導入した。このうち自走ハー
農専業経営については,
「飼料部門を外部化し飼養
ベスターは後述する B 酪農家ととともに中古のも
管理部門に特化した経営。安定した飼料の供給に
のを約 2,000 万円で購入した。A 酪農家ではほか
よる乳量増加が期待できる。施設投資や外部委託
にも,最大で 200 馬力のものをはじめとするトラ
によるコスト増加を吸収するための収入・経営規
クター9台,4t と 2t のダンプカー2台,ショベル
模拡大が必須となる」とされる(きたみらい農業協
カー1台,除糞用ステアリングローダー1台,1t の
同組合,2013)。これらのように,酪農家の経営方
貨車トラック1台,ロールベンダー1台,バキュー
針や規模,労働力などの違いに応じた酪農振興策
ムカー1台,牧草収穫用のモアーコンディショナ
が図られている。また国内においては,牛乳の消費
ー2台,テッター1台,レーキ1台などの様々な農
量が頭打ち傾向にあることからも,単なる経営規
業機械を所有する。
酪農経営に従事するそれぞれの役割は,世帯主
模の拡大ではなく損益分岐点を考慮した際に採算
が労務全般に従事するほか,妻が主に搾乳業務,父
が取れることが重要とみなされている。
が畑作,母が牛舎管理の手伝い,従業員が牛舎管理
2)酪農経営農家の事例
全般に従事する。牛舎管理においては,牛が飼料を
(1)酪農専業の A 酪農家
食べやすいよう,世帯主自ら改造した手押し式の
A 酪農家は世帯主(51 歳)とその妻(53 歳),父(78
自走除雪機械を用いて飼料を寄せ集めることで,
歳),母(75 歳)および北見市在住の男性常勤従業員
労力軽減を図っている。1日の1頭あたり搾乳量
(42 歳)の計 5 名による酪農専業経営である。A 酪
は 35kg 程度であり,1991 年に導入した計 16 頭分
農家の農場敷地はおよそ 4ha であり,飼養する乳
のミルクパーラーを用いて搾乳する。
用牛は 250 頭,その内訳は経産牛 130 頭と育成牛
飼料管理のために農場内にはバンカーサイロと
120 頭である(写真1)。2013 年度の出荷乳量は
タワーサイロの両方が存在し,牧草とデントコー
1,329t である。また 96ha の耕地で飼料作物など
ンが保管される。このうちタワーサイロは主に夏
を栽培しており,その内訳は採草地が 48ha,デン
季の飼料管理に用いられる(写真2)。この理由とし
トコーンが 25ha,秋まき小麦が 23ha である。
て,バンカーサイロはサイレージに空気が入りや
A 酪農家では,1931 年に世帯主の祖父が青森県
すく,意図しない発酵または腐敗が発生しやすい
より北見市内に入植し,乳用牛3頭による酪農経
のに対して,タワーサイロは上部から飼料原料を
営を開始した。祖父の親は非農家であったが,祖父
投入するので空気に触れることが少ないためであ
は住居近隣で牛を飼養する農家のもとで働いた経
る。一方,配合飼料は計6社から購入する。農場を
験があり,自らも酪農経営を志した。1967 年には
訪れた営業担当者との話し合いによって良好な関
北見市内にて農場を移転して牛舎を新築し,35 頭
係が生まれれば取引を始めることとしているが,
(経産牛 20 頭,育成牛 15 頭)規模に拡大した。さら
一方で一度でも問題を起こした企業とは再契約し
に 1973 年にはバーンクリーナーやパイプライン
ない方針である。
を導入して次第に設備を整えたほか,1980 年には
家畜糞尿を処理した堆肥は,ワゴントラック 30
牛舎を増やし経産牛の飼養頭数を 35 頭とした。
台分程度を近隣の畑作農家が栽培した小麦と交換
62
地域創成研究年報第11号(2016)
するほか,自身のデントコーン耕地などにも還元
ンは毎年種蒔き・収穫を行い,採草地では年2回程
している。このほか A 酪農家では,6ヵ月齢まで
度の収穫作業を行う。この作業には世帯主が従事
の仔牛 30 頭を JA きたみたいの哺育センターに預
するが,収穫作業のみ父も手伝う。1日の1頭あた
託している。この理由は,専門技術を持った JA 職
り搾乳量は 33kg 程度であり,1回あたり 2.5~3
員に管理を任せることで自家の労働力を他の作業
時間かけて搾乳する。2009 年に新築した牛舎は全
に割り振れることや,新たな設備投資にかかる費
長 80m にも及び,牛は尻合わせ式で飼養される(写
用を節約できることなどである。
真3)。牛が飼養されるスペースの外辺部を自動給
A 酪農家の年間売上は1億 7,000~8,000 万円で
餌機が1回1時間程度かけて回って飼料を与える
あり,このうち酪農によるものが 70%を占める。
仕組みであり,給餌は1日に8回行われる(写真4)。
全ての経費を差し引いた収入は 2,000 万円ほどで
購入する飼料は配合飼料だけでなく,単味と呼
ある。世帯主には3名の子がおり,長女(21 歳)は農
ばれる個別原材料のものも計5社から入荷する。
外就業,次女(17 歳)は学生であるが,長男(18 歳)
単味飼料のほうが配合飼料よりも価格が安いこと
は将来の後継者として農業研修中である。
や,飼料の配合バランスを自身で微調整しやすい
(2)酪農専業の B 酪農家
ことが利点である。また複数の飼料メーカーと取
B 酪農家は世帯主(43 歳)とその妻(41 歳),父(71
引することによって,価格の安い飼料を入手しや
歳),母(72 歳)および男性常勤従業員1名(30 歳)の
すいことも利点となる。
給餌の約 15 分前に粗飼料,
計 5 名による酪農専業経営である。飼養する乳用
配合飼料,単味飼料が自動的に機械内部に投入・攪
牛は,経産牛 115 頭,育成牛 60 頭の計 175 頭であ
拌され,先述の自動給餌機によって牛に与えられ
り,2013 年度の出荷乳量は 967t であった。また
る。
所有する 74ha の耕地で飼料作物を栽培し,その内
JA きたみらいの哺育センターには 20 ヵ月齢ま
訳は採草地が 49ha,
デントコーンが 25ha である。
での牛を数頭預託しているが,最近では 6 ヵ月齢
B 酪農家では,1963 年に世帯主の父が門別町か
まで預託した後に引き取る場合もある。
ら現在地に入植した。なお,この場所は離農跡地で
B 酪農家の経営上の目標としては,設備投資時に
あり,入植当時には 40 戸近い酪農家が近隣に存在
借り入れた1億円の返済をなるべく早く進めるこ
したが,現在まで酪農を継続しているのは B 酪農
とが挙げられた。また1頭の牛をなるべく長期間
家のみである。1967 年に牛舎を新築して 24 頭規
飼養して最大 10 頭の仔牛を産出させる長命連産を
模とし,1974 年にバルククーラーを,その翌年に
目指している。一方で,現在の労働力を考慮すると,
はパイプラインをそれぞれ導入した。1993 年には
飼養規模をこれ以上拡大するのは困難であるため,
世帯主の就農を見越して牛舎が増築され,57 頭規
可能であれば従業員をさらに1名追加したい意向
模となった。世帯主は1年半のアメリカでの農業
である。世帯主の子はいずれもまだ 10 歳代前半の
研修の後,1995 年に就農した。2009 年には収入増
就学児であるが,15 歳の長男と 12 歳の長女はす
を目指し,畜産担い手育成総合整備事業を活用し
でに酪農の手伝いにも参加しており,将来的には
て自動給餌機付の 92 頭規模の牛舎を新築した。ま
後継者になりうる存在である。
た近年には,他の酪農家との共同購入によって自
(3)酪畑複合の C 酪農家
走ハーベスターやコンビラップマシーンも導入さ
C 酪農家は世帯主(42 歳)とその妻(43 歳),父(66
れた。
歳),母(66 歳)および男性常勤従業員1名(31 歳)の
酪農経営の役割分担として,世帯主が労務全般
計5名による酪農と畑作の複合経営である。飼養
に従事するほか,妻は牛の哺育や搾乳業務,父と母
する乳用牛は経産牛 55 頭と育成牛 46 頭の計 101
は育成業務,従業員は搾乳と牛舎内の清掃業務に
頭である。2013 年度の出荷乳量は 600t である。
従事する。飼料作物の栽培においては,デントコー
所有する耕地の面積は 35.5ha であり,このうち飼
63
地域創成研究年報第11号(2016)
料作物の生産用としては採草地が 11.2ha,デント
今後の目標として,当面は現在の規模や経営形
コーンが 9.3ha,一方で畑作には秋まき小麦が
態を維持する方針であるが,世帯主の3名の子の
14.2ha,ばれいしょが 0.5ha,ながいもが 0.3ha と
うち 16 歳の長男が就農を希望していることから,
なっている。なお,酪農に用いる粗飼料は全て自給
長男が経営に加わった際には,170~180 頭にまで
されている。
規模拡大を図ることも想定されている。
C 酪農家では,1917 年に世帯主の義祖父が富良
野から現在地に移住し,
10ha の水稲作を開始した。
4 酪農技術に関する試験形態および
この際,畦道に生える雑草を食べさせることを目
的に,牛が導入された。1954 年には馬小屋を改装
人材育成の展開 -ホクレン畜産
して4頭の乳用牛を導入した。1974 年にはバルク
クーラーやパイプラインを導入し,飼養規模は
技術実証センターの例-
徐々に拡大した。2004 年に,それまでは農業経験
のなかった世帯主が結婚を機に C 酪農家に入り,
就農した。これにより,同年に C 酪農家では牛舎
ホクレン畜産技術実証センター(以下,実証セン
を新築し,規模拡大を目指した。なお 2004 年時点
ター)は,1963 年にホクレン訓子府種畜場改良牧場
の飼養規模は 60 頭で,うち経産牛が 40 頭,育成
として訓子府町内に設立され,幾度かの改称を経
牛が 20 頭であった。
て 2012 年より現行名称の組織となった。2013 年
酪農経営の役割分担として,世帯主が労務全般
2月時点の全職員数は 34 名である。以下ではホク
に従事するほか,妻は牛の飼養全般,父と母は畑作,
レン畜産技術実証センター(2013)および現地調査
従業員は牛の飼養全般にそれぞれ従事する。1日
の内容をもとに,北海道における酪農業に対する
の1頭あたり搾乳量は 35~36kg であり,搾乳1回
実証センターの寄与について検討する。
につき3人がかりで1時間超を要する。C 酪農家
実証センターでは様々な試験開発研究や技術実
ではパーラー設備を導入しておらず,1頭ずつ搾
証研究が進められたが,とくに牛乳生産について
乳する。そのため,牛の飼養を尻合わせ式として中
みると,
「乳牛改良をはじめ,飼養管理方法,自給
央を通路にすることで,搾乳作業の負担を軽減し
飼料基盤の整備と調整技術の改善,飼料給与法,施
ている(写真5)。搾乳は朝 5 時半から9時頃と夕方
設整備など多方面にわたる改善が実施され,その
の 16 時から 19 時の2回に行う。配合飼料は5つ
成果が現在の生産能力」(ホクレン畜産技術実証セ
の飼料メーカーから購入する。複数の企業と取引
ンター,2013,p38)にまで向上する原動力となっ
することで,飼料を安価に購入できる利点がある。
た。すなわち,実証センターにおける経産牛1頭あ
C 酪農家では畑作経営も合わせて行うため,160,
たりの平均年間乳量の推移をみると,1981 年には
135,90,40 馬力の計4台のトラクターを所有し
6t 程度であったものが,1990 年代初頭には 8t に
ている。最大の 160 馬力のトラクターは 1,500 万
達し,2001 年以降は 10t を超える生産を実現して
円かけて導入された(写真6)。
いる。乳量 8t を超えた 1991 年には 100 頭規模の
農業経営による年間売上は酪農が約 6,000 万円,
フリーストール牛舎が増築され,飼養規模も拡大
畑作が約 1,500 万円であり,その他の雑収入を合
した。また 1990 年代における乳量の増加には,自
わせた合計は 9,000 万円ほどである。諸経費を差
給飼料の品質確保や受精卵移植による雌牛生産の
し引いた収入は 1,000 万円強である。現状の5名
拡大などが寄与した。
による労働力の場合,酪農のみでは 150 頭ほどの
実証センターでは酪農従事者の育成も積極的に
飼養規模を達成しなければ経営は成立しないため,
展開された。1968 年に研修生(当時の呼称は,実習
C 酪農家では畑作との複合経営を展開している。
生)の採用を開始し,翌年からは毎年 15 名程度を
64
地域創成研究年報第11号(2016)
受け入れて1年間の実習を行う酪農後継者研修を
1kg ほど食べることができる程度まで飼養される。
実施した。1991 年からは2年間の実習を1学年あ
次に生後4ヵ月までは哺育舎で飼養し,1群あた
たり7名が受けることとなったほか,酪農ヘルパ
り3頭で飼養される。牛舎内だけでなく,牛舎に隣
ー研修についても合わせて受講し,2013 年までに
接して屋外に設置された3×3mの柵内に牛が自
119 名が同資格を取得した。2003 年からは再度1
由に出入りできる仕組みになっている(写真 12)。
年間の研修となった。2012 年までの研修生総数は
育成舎 A では4~7ヵ月齢と7~10 ヵ月齢の2区
413 名に上り,このうち半数以上の 225 名が酪農
分を設けて飼養する。育成舎 B では 12 ヵ月齢から
経営に従事するほか,82 名が農協組織に就職し,
種付を行うまでの牛を飼養し,種付後は育成舎 C
他の多くも畜産関係の職業に就いている。ホクレ
へ移動させ,分娩の約2週間前までここで飼養す
ン畜産技術実証センター(2013)中の「研修生の想い
る。この際,初産牛と経産牛の区別はしない。
出」に記載された文面をもとに,研修生ら 17 名が
実証センターにおける様々な試験研究は今後,
研修中にとくに重視したり印象に残ったりしたこ
「生産技術支援など現場対応力を強化すること」
とについて注目すると,搾乳作業,牛の健康管理・
(ホクレン畜産技術実証センター,2013,p57)を重
疾病治療が各4名,人工授精,分娩作業が各3名,
点的な目的の1つとして展開され,センターの重
自給飼料の給与試験が2名,酪農ヘルパー研修が
要性が一層高まることが予想されている。
1名と,実証センターにおける研修内容が多岐に
渡り,かつ酪農従事者の様々な関心に対応してい
5 内モンゴル自治区における酪農業に
ることがうかがわれる。
2014 年現在,実証センターのフリーストール牛
対する技術・経営形態の活用可能性
舎で飼養される乳用牛は 120 頭であり,平均乳量
は1頭あたり 36kg 程度である(写真7)。搾乳は1
前章までにみた北海道における酪農業の実態は,
日2回行われ,2日分ずつ集荷される。2日分の出
荷乳量は8t程度である。搾乳前には乳頭を消毒
内モンゴルの酪農業と大きな違いがあることは明
のために拭く。かつては水で洗っていたが,水が乳
白である。事例として取り上げた北海道の酪農家
頭に滴り落ちてくるため中止された。搾乳は通常,
の乳用牛飼養規模は 100 頭超であり,内モンゴル
3名が従事するが2名の場合もある。現在の搾乳
の大多数の酪農家が 20 頭未満の経営をしているこ
設備は 10 数年前に導入されたものである(写真8)。
とと比較するだけでも,北海道での調査によって
搾乳設備は牛舎に隣接しており,乳用牛の移動に
得られた知見をそのまま内モンゴルの酪農業に適
大きな支障はない。また,給餌は 6 時半と 14 時の
用して考察することは困難といえる。そこで本章
計2回行う。粗飼料などの飼料原料はバンカーサ
では主に,包・胡(2014)および包・胡(2015)におい
イロにおいて,収穫後,2ヵ月ほど保管して発酵さ
て抽出された内モンゴルの小規模酪農家の課題を
せる(写真9)。
提示しながら,北海道における酪農技術・経営形態
一方,搾乳前の育成牛の飼養に際しては,生後す
の活用可能性について考察する。すなわちその課
ぐの仔牛は1度カーフハッチに移し,約1週間後
題とは,(1)飼料経費の高騰,(2)牛乳の品質向上問
に哺乳舎へ移動させる(写真 10)。哺乳舎には人工
題,(3)労働力不足,(4)酪農による所得問題,(5)先
哺乳器が存在し,ここで6週間ほど飼養する。人工
進技術の導入・普及の5つである。これに加えて,
哺乳の際,仔牛は人工乳首の前に移動し,乳を吸う
酪農の技術移転を先行的に考察した北倉ほか
(写真 11)。牛ごとに番号管理されているため,乳を
(2009)の指摘なども検討の材料としたい。
飲み過ぎることはない。仔牛は 10 頭ほどで群飼さ
(1)飼料経費の高騰については,日本においても
れ,次の段階に移るまでに,1日あたり配合飼料を
同様の経営課題とみなされており,一時期と比較
65
地域創成研究年報第11号(2016)
すると飼料原料価格は低下傾向にあるものの,抜
するための機関が,まずは公的な施策によって整
本的な解決は難しい状態にある。ただし飼料に関
備されるべきであろう。また,先駆的な意識や関心
わる問題は,(2)牛乳の品質向上問題や(3)労働力不
を持つ経営者ほど,導入に関わる障壁があっても
足とも合わせて検討されるべき内容とも考えられ
新しい手法を取り入れることに熱心になると想定
る。内モンゴルの小規模酪農家では,良質な飼料原
され,かつこのような経営者が地域の酪農業の中
料の確保やそのための労働力不足が課題であるが,
核的存在として新たな技術の普及に活躍すること
この背景の1つとして問題解決が個々の酪農家の
が期待される。そのため,例えば梅田(2008)によっ
経営努力によってのみ目指されがちであることが
て示された酪農技術の地域的普及やコミュニティ
挙げられる。とくに労働力不足の問題は北海道の
形成についての考察のように,地域の酪農業にお
酪農家の事例においてもみられたことであり,内
いてリーダーシップを発揮できる経営者の存在に
モンゴルの酪農業に限った課題ではない。また複
関する分析や,技術普及のための酪農家同士の連
数の酪農家が高価な農業機械を共同購入するとい
携を実現しうる地域コミュニティ形成のあり方に
った,資金面での連携も北海道の事例でみられた。
関する検討などについても,研究視点として広く
そのため,北海道において展開されている TMR セ
展開されることが重要と考えられる。
ンターや哺育センターなどの共同利用施設の活用
を通じた集団化された対応策が,内モンゴルの酪
6 おわりに
農業においても重要性を持つことが推察される。
集団化によって酪農家同士の連携が深まれば,北
倉ほか(2009)でも示された集乳業者や乳業企業か
本稿では,中国・内モンゴル自治区における酪農
らの介入に対抗できる可能性が高まり,最終的に
業の急拡大と様々な課題の発生を念頭に,こうし
は個々の酪農家にとっての利益にも結びつくこと
た課題解決のための対策として,北海道における
が予想される。北倉らが示した農民専業合作社設
酪農業の技術・経営形態を先進事例と位置づけ,内
立による環境保全型酪農生産システム構想も,こ
モンゴルでの活用可能性に関して考察した。
北海道は第二次世界大戦後の数十年のうちに日
のような酪農家の集団化や組織化による利点を重
本最大の酪農業産地としての地位を確立した。酪
視したものである点で,本稿の考察と一致する。
また,労働力にいくばくかの余裕が出れば,新し
農業の存続をめぐる今日的課題は複数存在するも
い技術の導入や経営展開を酪農家が模索する機会
のの,農協組織による共同利用施設の整備や経営
の創出にもつながり,将来的には(4)酪農による所
形態別の支援策の策定,農家同士の連携強化,また
得問題への対応策にもなりうることが期待できる。
酪農技術研修を通じた新規就農者の輩出などの対
このことはまた,酪農家でありながら収益の多く
策がなされている。内モンゴルにおける小規模酪
を飼料原料や育成牛の販売に頼り,酪農経営の継
農経営においては,個々の酪農家による経営努力
続意志が低下するという現在のいびつな構造から
のみでの課題解決は困難と考えられることから,
脱却するための一助ともなろう。そして,酪農経営
北海道の例でみられた集団化ないし組織化された
による所得向上は,後継者の確保や育成といった,
技術・経営形態の導入が目指されるべきである。そ
内モンゴルにおける酪農業の存続にも関係する内
して,これを支える存在として,リーダーシップを
容に好影響をもたらすことも予測される。(5)先進
発揮しうる先駆的な経営者の存在や地域のコミュ
技術の導入・普及についても,現状の非効率な経営
ニティ形成に関わるテーマに関する研究も進めら
状況の改善がまずは必要であろう。さらに,4章で
れるべきであろう。
みたホクレン畜産技術実証センターのように,酪
なお本稿では,内モンゴルの酪農業の改善や発
農経営によって生計の確立を目指す農業者を教育
展あるいは存続に向けて,具体的な提案を述べる
66
地域創成研究年報第11号(2016)
までには至らなかった。この点については残され
を中心とした農業発展.新地理,46,10-28.
た課題とし,内モンゴルにおける酪農業に関する
淡野明彦・淡野寧彦(2011):中国内モンゴル自治区
今後の研究を進めるなかで検討を続けていきたい。
における「退牧還草」政策による牧畜(遊牧)業
の変化に関する考察.奈良教育大学紀要(人文・
付記
社会),60,49-62.
本稿の調査を実施するにあたり,JA きたみらい
長命洋佑・呉
金虎(2012):中国内モンゴル自治区
およびホクレン畜産技術実証センターの担当者様,
における生態移民農家の実態と課題.農業経営
また北見市の酪農家の方々には,貴重なお時間を
研究,50(1),106-111.
いただいて多くのご教示を賜った。厚く御礼申し
東山
上げます。
寛(2012):北海道農業の構造問題と地域的対
応.経済地理学年報,58,324-335.
包
本研究には,日本科学協会による笹川科学研究
柏(2012):内モンゴルにおける小規
模酪農家の経営実態とメラミン事件の影響.農
助成(「内モンゴルにおける環境保全型牧畜経営の
成立条件」,研究代表者:包
翠栄・胡
林業問題研究,48,47-51.
翠栄)を使用した。
包 翠栄・胡
柏(2014):内モンゴルにおける零細
参考文献
酪農の経営実態と収益構造.開発学研究,25(2),
梅田克樹(2008):酪農新技術の普及にみる地域的学
22-29.
習システムの役割.地理科学,63,131-142.
北倉公彦・大久保正彦・孔
包
麗(2009):北海道の酪
翠栄・胡
柏(2015):内モンゴルの「生態移民」
による牧畜経営の変化 ―桑根達来鎮の「生態移
農技術の中国への移転可能性.開発論集,83,13-
民」を事例に―.農林業問題研究,51,173-178.
58.
ホクレン畜産技術実証センター(2013):『ホクレン
畜産技術実証センター開設 50 周年記念誌』
.
きたみらい農業協同組合(2013):『第4次地域農業
振興方策並びに中期経営計画』
.
村上
久保田哲史・藤田直総・若林勝史(2013):酪農にお
格(2013):北海道別海町における酪農の生産
構造.地理学論集,88(2),23-36.
ける企業的経営体のビジネスモデル.北海道農
矢坂雅充(2001):酪農メガファームにおける個と集
業研究センター農業経営研究,108,1-13.
団.畜産の情報国内編 ,143,4-13.
高橋 直(1998):北海道湧別町東地区における酪農
写真1
A 酪農家の牛舎内部
(2014 年 7 月 24 日
写真2
淡野撮影)
A 酪農家のタワーサイロ
(2014 年 7 月 24 日
67
淡野撮影)
地域創成研究年報第11号(2016)
写真3
B 酪農家の牛舎
写真4
(2014 年 7 月 24 日 淡野撮影)
写真5
(2014 年 7 月 24 日
C 酪農家の牛舎内部
写真6
(2014 年 7 月 24 日 淡野撮影)
写真7
淡野撮影)
C 酪農家所有の 160 馬力トラクター
(2014 年 7 月 24 日 包撮影)
ホクレン畜産技術実証センターの
写真8
牛舎内部
(2014 年 7 月 23 日
B 酪農家の牛舎内の自動給餌機
ホクレン畜産技術実証センターの
ミルクパーラー
淡野撮影)
(2014 年 7 月 23 日 淡野撮影)
68
地域創成研究年報第11号(2016)
写真9
ホクレン畜産技術実証センターの
写真 10 ホクレン畜産技術実証センターの
バンカーサイロ
(2014 年 7 月 23 日
カーフハッチ
淡野撮影)
(2014 年 7 月 23 日 淡野撮影)
写真 11 ホクレン畜産技術実証センターの
写真 12 ホクレン畜産技術実証センターの
人工哺乳舎内部
(2014 年 7 月 23 日
哺育舎
淡野撮影)
(2014 年 7 月 23 日 淡野撮影)
69
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