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庄司 友美

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庄司 友美
卒業論文
ミレニアム開発目標
~保健の面からできること~
国際学部国際学科
20627113
庄司
友美
牧田東一ゼミ
1
目次
3 ページ
はじめに
第一章
人権から見る社会的弱者
第一節 人間の権利
4 ページ
第二節 女性の権利
5 ページ
第三節 子どもの権利
6 ページ
第四節 子ども・ストリートチルドレンの現実
8 ページ
第二章
ミレニアム開発目標から見る社会的弱者
第一節
ミレニアム開発目標とは
10 ページ
第二節
妊産婦の健康の改善
12 ページ
第三節
乳幼児死亡率の低下
13 ページ
第四節
HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止
14 ページ
第五節
妊産婦の健康改善・乳幼児死亡率の低下・感染症の蔓延防止に向けて
15 ページ
第三章
ミレニアム開発目標達成に向けて
第一節
ミレニアム開発目標達成に向けた日本の活動
16 ページ
第二節
ミレニアム開発目標達成に向けた NGO の活動
19 ページ
第三節
ミレニアム開発目標達成に向けたありかた
21 ページ
終章
22 ページ
ミレニアム開発目標のこれから
参考文献・参考 HP
23 ページ
2
はじめに
途上国の中にも、女性や子供などの「社会的弱者」がいる。子供に興味があり、自分自
身も女性であることから、先進国に住む自分との違いなどに興味を持つようになった。そ
こで、この論文では、「社会的弱者」に目を向けてみたいと思う。
また、ミレニアム開発目標について学んだとき、大きな疑問を持った。
ミレニアム開発目標とは、2000 年に開催された国連ミレニアム・サミットにおいて採択さ
れた開発目標である。このサミットでは、平和と安全、開発と貧困、環境、人権などの課
題を掲げ、21 世紀の国連の役割に関する明確な方向性を提示し、21 世紀の国際社会の目標
として国連ミレニアム宣言が採択された。この国連ミレニアム宣言と、1990 年代に開催さ
れた国際会議やサミットで採択された国連開発目標を統合し、一つの共通枠組みとしてま
とめたものがミレニアム開発目標である。
ミレニアム開発目標では、2015 年までに達成すべき目標が 8 つ掲げられている。それは、
貧困や教育、環境についてなど様々だが、その中でも私は、女性や子供に関する目標とし
て、四つ目に掲げられている幼児死亡率の削減と、五つ目に掲げられている妊娠婦の健康
の改善について考えたい。これは、2015 年までに 5 歳未満児の死亡率を 1990 年と比較し
て 3 分の 1 にする。2015 年までに妊娠婦の死亡率を 1990 年と比較して 4 分の 1 にすると
いうものだ。
はたして、このままで 2015 年までに、幼児死亡率は低下し、妊娠婦の健康は改善される
のか。日本の幼児死亡率はとても低く、母親が健康な状態で安全に妊娠をできる環境があ
ることが普通かもしれない。しかし、途上国の幼児死亡率はとても高く、母親が健康な状
態で安全に妊娠をできるのは、先進国に比べるととても難しいことだろう。このように先
進国と途上国では大きな差があると感じる。
私はこの論文を通して、子供・女性の保健について、どのような問題があるのか、そし
てその原因を考えたい。また私は、妊娠婦や幼児死亡率の問題を、保健や医療の問題を改
善することで削減することができると考えるので、保健・医療において日本政府が行って
いること、NGO が行っていることを調べ、どのようなことができるのか考えたい。
3
第一章
人権から見る社会的弱者
本章では、すでに何度も出てきている「社会的弱者」について述べていきたい。
社会的弱者とは、権利の保障がなされていないがために生み出されてしまったものであ
る。そこで、本章では、人間にはどのような権利があるのか。人権がどのように考えられ
てきたのか、どのように作り上げられてきたのかを述べ、それに反する女性・子どもの権
利侵害の実例を挙げ、人権が守られずに社会的弱者となってしまっている女性・子供につ
いて述べていきたい。
第一節 人間の権利1
「人権」という概念が成立し、それが社会の基準となり、それを保障する文章もつくら
れたのは、一般的に 18 世紀だと言われる。
18 世紀、人権は法律によって与えられる実定法上の権利ではなく、自然法にもとづくも
のだと考えられ、極めて広い人間平等の理念であった。よって、人間平等の権利は、国家
以前に存在し、国家の権限をもってしても侵されるものではないとされた。
この自然法思想による人権宣言の先駆となったのが、1776 年にアメリカの独立戦争の中
で発布されたヴァージニア権利章典や、1789 年に起きたフランス革命で宣言された、
「人間
と市民の権利」である。このような人権宣言はヨーロッパ各国に影響を与え、これ以後、
ヨーロッパ各国の憲法の中に人権条項が明記されるようになった。
またこのような考えは、ヨーロッパにおいては、ルソーやモンテスキュー。日本におい
ては、福沢諭吉などの主張がこれを代表している。
1918 年ロシア革命の中、全ロシア・ソビエト大会で採択された「勤労し搾取されている
人民の権利の宣言」によって、人権の考え方は新たなものとなる。
この宣言で、社会的・経済的平等が主張されるようになった。この新しい人権の考え方
は、19 世紀~20 世紀初めの労働問題や社会不安を背景に、各種の社会権-両性の平等、家
庭や母性の保護、社会保障、労働者の団結権、教育を受ける権利、私有財産の絶対性への
制限など-が宣言・保障されるようになった。
この考えは、ドイツのワイマール憲法をはじめ、ヨーロッパ諸国の憲法議会に強い影響
を与えた。
このようにして人権は、18 世紀に政治的平等。また、ロシア革命の中生まれた社会的・
経済的平等の考えによって作り上げられてきた。
このような流れを経て、1948 年の第 3 回国際連合総会において、「世界人権宣言」が採
択された。この宣言では、自由権だけではなく、参政権や社会権の尊重・確立を同等に考
え、これらの人権を「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできな
い」普遍的なものであるとされたことに大きな意味を持った。
1
本節では、武者小路公秀(1983 年)
『世界人権宣言』岩波書店を参考にした。
4
「世界人権宣言」は、条約や規約とは異なり、国々に義務を直接に課しているものでは
ない。これは、「権利及び自由に対する共通の理解」とされ、「誓約」であり、「教育によっ
て(権利と自由の尊重を)促進」させようとするものであった。
あえて言えば、この宣言は、道徳的な基準にとどまっている。しかし、大国からの支配
から自立し、貧困のなかから立ち上がろうと苦闘する数多くの人、また抑圧と差別を解消
し平等な地球社会を築こうとする人にとって「世界人権宣言」は希望の光となった。
この後、12 月 10 日を「世界人権デー」として毎年各国で記念されるようになったことか
らも、人々に大きな影響を与え、画期的なものだったということが読み取れる。
そして、1966 年の国連総会で「世界人権規約」が採択され、10 年後の 1976 年に発効実
施された。これは、世界人権宣言の精神を受けて、「規約」の当事国が法的に守るべき人権
の内容を具体的に定め、その実施の手続・方法を定めたものである。
「宣言」が「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」とされたのに対して、
「規約」はそこに定められた、権利の実現のためにそれぞれの国がどのような国内実施措
置をとるのか、またその実効はどうかを報告させるなど、「規約」に批准・加入した国に法
的かつ具体的な義務を課すものである。
このようにして、20 世紀後半にいたって人権への関心は、世界的規模を持って拡がり、
深められた。
第二節 女性の権利2
第一節で述べた世界人権宣言や、それを条約化した世界人権規約では、
「男女同等の権利
を確保することを約束」している。この原則を現実に移し変えるための機関として、1946
年に経済社会理事会の機能委員会である「婦人の地位委員会」が設立された。
1963 年、依然として事実上の男女不平等と女性に対する差別が存在することに留意し、
婦人の地位委員会は「女子差別撤廃宣言」の草案を作成するように経済社会理事会に要請
し、加盟国や、専門機関、NGO に意見や提案を提出するように促した。そして、1967 年
第 22 回総会で宣言は採択された。この宣言は、女性差別は人間の尊厳に対する侵犯である
とし、あらゆる差別を撤廃するための国際基準をしめしたものである。
宣言では、女性に対する差別を厳しく訴え、法律的アプローチによる差別の撤廃と法律
上の平等を目指し(1・2 条)、世論の啓発により一般民衆の意識、態度を変えさせ、事実上
の平等を実現させようとしている(3 条)。また、参政権と公職に就く権利(4 条)
、国籍を
取得、変更、保持する権利(5 条)、婚姻および家族法における権利(6 条)、差別的刑法規
2
本節では、赤松良子・朝倉むつ子・伊藤すみ子・大脇雅子・(1990 年)『女性差別撤廃
条約‐国際の中の女性の地位』三省堂、赤松良子(2005 年)
『新版
ック
女性差別撤廃条約』岩波書店を参考にした。
5
女性の権利‐ハンドブ
定の廃止(7 条)、人身売買および売春からの搾取禁止(8 条)
、教育を受ける権利(9 条)、
労働における権利と母性保護(10 条)が規定されている。
そして、女性差別撤廃宣言から 12 年後の 1979 年、「女性差別撤廃条約」が採択された。
条約では、男女が固定的な役割を持つという考え方をやめ、男女とも自分の個性に応じて
のびやかに人生を生きるということが、中心の理念となっている。
そのためこの条約は、事実上の平等のよりいっそうの追求、開発なくしては平等も人権
もありえないと考えられている。このように開発を重視するという面で、女性差別撤廃宣
言とは異なっている。この条約では、締約国は差別的法制のみならず慣習、慣行も廃止す
るあらゆる措置をとること、国や公の機関による差別のみならず、個人、企業による私人
間の差別をも撤廃すること、男女の役割分担に関する人々の意識や態度を変える措置をと
ることなど、女性の権利の、より個人的な面まで踏み込み、より身近なものとなったと考
えられる。このようなことから、男女が「男らしさ、女らしさ」にとらわれず、「自分らし
く」生きることを目指すという条約の理念・目標が明らかになっている。
また国連は、20 世紀に 4 回の「世界女性会議」を開催した。
1975 年メキシコで開催された世界女性会議は、国際女性年会議と名づけられ、
「世界行動
計画」が策定され、
「平等・発展・平和」を目標に掲げた。そして、1976 年~1985 年を「国
連婦人の 10 年-平等・発展・平和」とした。国連婦人の 10 年を締めくくったものが、1985
年にナイロビで開催された第 3 回目の世界女性会議だ。この会議では、国連婦人の 10 年の
成果と見直し、評価を行い、2000 年までを目標にした「婦人の地位向上のためのナイロビ
将来戦略」が採択された。この戦略では、平等・発展・平和・それに対する国際協力及び
地域協力などについて書かれ、グローバルな指針の書となった。第 4 回目の国際女性会議
は、1995 年に北京で開催された。この会議では、ナイロビからの 10 年を総括して「北京
行動綱領」が採択された。このような会議では、政府の代表による会議だけではなく、民
間の女性たちによる NGO フォーラムが並行して開催された。
このような経験から、
「女性が開発のすべての過程における政策決定者、意思決定者、立
案者、貢献者および受益者として主体的に参加することが、平等、発展(開発)、平和の目
標達成へのもっとも確実な方法である」と考え、女性の権利が重視されるようになった。
第三節 子どもの権利3
子どもの権利を守るための国際的努力の前史として、1924 年に国際連盟が採択した「子
どもの権利に関するジュネーブ宣言」をあげることができる。当時、第一次世界大戦が終
3
本節では、
アムネスティー・インターナショナル日本支部(1994 年)『子ども・世界・
人権』明石書店を参考にする。
6
わり、国際連盟が組織されたとき、戦争で多くの子どもが犠牲になった反省から「子ども
のいない地球に未来はない」ということが強く自覚されるようになった。このことから、
戦争は子どもにとって「最悪のもの」で、これからの国際社会におけるおとなは子どもに
「最善のもの」つまり平和を提供していかなくてはならないと考えられるようになった。
その決意を宣言したのがジュネーブ宣言である。
この宣言の具体的な内容として、「飢えた子どもには、食を給せなければならない。病ん
だ子どもは、救助されなければならない。理解の遅れた子どもは、援助されなければなら
い。あやまちを犯した子どもは、救護されなければならい。そして孤児や乳浪児は住居を
与えられ救助されなければならない。」とされた。そしてこの内容は、人種・国籍・信条に
よって区別されてはならないとされた。
しかし、また直ぐに第二次世界大戦が起こり、再び多くの子どもが犠牲となってしまっ
た。前節で述べたように、第二次世界大戦後、1945 年に新たに国際連合が組織されると、
人権保障を具体化するために「世界人権宣言」が作成され、人権が重視されるようになっ
た。この宣言の後、これまでの人権の保障は男性に片寄っていて、男性の権利は政治参加
ないし国の政治意思決定をするにまで及び、その結果、従来の戦争はすべて男性の意思決
定によって行われ、つねに女性と子どもが犠牲となってきたという反省に至った。この反
省から、20 世紀の後半はとくに女性と子どもの人権保障を優先することが課題となった。
そこで、国際連合は、1979 年に、同じ人間としての男性と女性の差別を無くすために「女
性差別撤廃条約」を制定した。そして、次いで、1989 年に同じ人間として大人と子どもの
差別を無くすための「子どもの権利条約」を制定した。
国連で子どもの権利条約を定めようという提案は、1978 年にポーランド政府から出され
た。そこでは、翌年に予定されていた「国際児童年」を記念することが期待され、子ども
のための「条約」をつくることの必要性とその歴史的意義を説いた。ところが、かえって
きた反応は冷ややかなものが多く、条約の成立時期、有効性への疑問などがあげられた。
もっとも多かった国々の反応は「沈黙」だった。
このように冷ややかな態度をとる国々が多かったにもかかわらず、10 年後の 1989 年に
「子どもの権利条約」が採択されたのには、二つの理由があると言える。
第一に、1979 年の「国際児童年」の諸企画の成功である。このとき、135 カ国が特別の
国内委員会を設けて、子どもを中心テーマとした様々な行事を行った。ここでの最大の成
果は、発展途上国の国々の子どもが直面するさまざまな困難な問題が国際的な課題として
自覚されるようになったということである。
第二に、ユニセフの果たした役割である。1980 年に第 3 代事務局長に就任したジェーム
ズ・P・グラントは、地球のすべての子どもを病気と死から守るための革命を起こそうと、
7
「子どもの生存と発達革命」を呼びかけた。また、1983 年の理事会で、スウェーデンの代
表が、各地の武力戦禍に苦しむ子ども達の救済に積極的に役割を果たすべきだと訴えて以
後、ユニセフは、「困難な状況」におかれている子どもを救う国際的な動きの中心となって
いった。1986 年には、武力紛争と自然災害に伴う困難、搾取(児童労働、売春とストリー
トチルドレン)、虐待と放置などによって発展途上国の 16 歳未満の子どもの 20%がとくに
「困難な状況」におかれている現実を直視し、子どもの権利条約を早期に採択する必要が
あるとした決定を採択した。以後のユニセフの活動はめざましく、毎年『世界子供白書』
や『年次報告』を作成して頒布し、権利条約をテーマにしたセミナーや国際会議を開催す
るなどの努力をかさねた。
また、条約の成立を促した原因として、1980 年代における国際的な政治変動と社会的・
経済的現実の変化をあげることができる。このときから、
「家族の崩壊」などの問題がおき、
子どもを保護の対象とすると同時に、子どもの自律性の育成を基本的な課題としなければ
ならない歴史情況がいちだんと進化した。
このような流れを経て、子どもに関するかぎり、対立よりも協力が、政治的戦略よりも
人道的救済を優先することの意義が、国連加盟国相互の間で共通に認識されていき、「子ど
もの権利条約」の採択へと至った。
従来、子どもは未熟児だから大人に保護・養育され、管理される対象として考えられて
きた。しかしこの「子どもの権利条約」では、子どもにも大人と同じ人間としての存在価
値を認め「人権」の主体としてその地位を保証しようとした。
そのためこの条約では、すべての子どもに無差別平等の権利を保障する(二条)ほか、
生きる権利・育つ権利(六条)、表現の自由(十三条)、虐待・放任からの保護(十九条)、
健康・医療への権利(二十四条)、教育を受ける権利(二十八条)、休み・遊ぶ権利(三十
一条)、戦争からの保護(三十八条)などが定められている。
第四節
子ども・ストリートチルドレンの現実4
これまで述べてきたように、人間には、男女差別も無く、大人にも子どもにも差別が無
いように人権の保障がなされているはずだ。しかし、実際には、たくさんの問題が残って
いる。ここで、インドのストリートチルドレンの例を挙げてみたい。
プラシャッド(8 歳)は、家を出て一年ほどたった頃、ひどい病気にかかった。腸のな
かに六匹も寄生虫がおり、それを手術で取り除かなければならなかった。しかし、仲
間が病院に運ぶと、治療費が払えないとみた病院側は相手にしようとしなかった。そ
こで、リーダー格のサガール(十七歳)が中心になって仲間からお金を集めたところ、
やっと手術をすることができた。もう少しで手遅れになって、命を落とすところだっ
た〔甲斐田 1994:37〕。
8
このように、子どもであり、お金が無いことで病院に行けない子どもが存在する。実際
には「いかなる子どもも、到達可能な最高水準の保健を享受するために、保健サービスへ
アクセスする権利を持っている」とされているが、インド 6 都市のストリートチルドレン
の 4 分の 1 が健康を害しており、52.5%が保健サービスへのアクセスを持っていない。
もう一つ、例を挙げてみる。
マスマードは、ボンベイの路上で夜を過ごす。くず拾いに使うズタ袋がふとんがわり
だ。衣服は一枚しかないため、路上の水道で身体を洗っても、汚れた服を着るしかな
い。冬は少しずつお金をためてセーターを一枚買う。食事は、レストランの残り物を
あさって食べる。
「すべての子どもには、栄養、衣服、住居など、その発達のために十分な生活水準が与
えられる権利がある」しかし、ほとんどのストリートチルドレンはそのベーシックニ
ーズの満たされない生活を送っている。インド六都市のストリートチルドレンに最も
必要としているものを尋ねたところ、60.7%が食事、40%が衣服と答えた〔甲斐田
1994:37〕。
このように、子どもの権利条約などで権利を保障されているはずの子どもでも、衣食住
なども満足に与えられず、保健サービスへのアクセスも行えない子どもが存在する。権利
を保障されているにもかかわらず、それが守られずに、人間らしい生活を送れない子ども
が多く残っていることが現実である。
4
本節は、 アムネスティー・インターナショナル日本支部(1994 年)
『子ども・世界・人
権』明石書店を参考にする。
9
ミレニアム開発目標から見る社会的弱者
第一章で述べたように、人間は「国際人権規約」などによって人権が保障されている。
また、女性や子どもは、「女性差別撤廃条約」や「子どもの権利条約」などによって、それ
ぞれ差別無く平等に生活をできるように保障されている。しかし、現実には女性や子ども
に対する差が残っている。そこで本章では、2000 年に採択されたミレニアム開発目標につ
いて述べ、その中でも女性・子どもについて直接定められている、目標の四つ目に掲げら
れている幼児死亡率の削減と、五つ目の妊娠死亡率の改善に目を向ける。
第一節
ミレニアム開発目標とは5
ミレニアム開発目標とは、2000 年に開催された国連ミレニアム・サミットにおいて採択
された目標である。このサミットでは、平和と安全、開発と貧困、環境、人権などの課題
を掲げ、21 世紀の国連の役割に関する明確な方向性を提示し、21 世紀の国際社会の目標と
して国連ミレニアム宣言が採択された。この国連ミレニアム宣言と、1990 年代に開催され
た国際会議やサミットで採択された国連開発目標を統合し、一つの共通枠組みとしてまと
められたものがミレニアム開発目標である。目標の内容は、
(1) 極度の貧困と飢餓の撲滅
(2) 普遍的初等教育の達成
(3) ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上
(4) 乳幼児死亡率の削減
(5) 妊娠婦の健康の改善
(6) HIV/AIDS、マラリア、その他疾病の蔓延防止
(7) 環境の持続可能性の確保
(8) 開発のためのグローバルパートナーシップ
の 8 つで、それぞれに 2015 年までに改善すべきターゲット、指標が定められている。
この目標の背景には、6 つの原則があり、21 世紀の国連の役割に関する明確な方向性を
提示した。6 つの原則について、以下に簡単に説明する。第 1 は「自由」すなわち、男性も
女性も尊厳を持ち、飢えや暴力、抑圧、不正の恐怖の無い生活を営み、子どもを育てる権
利があること。第 2 は「平等」すなわち、いかなる個人、国家も開発の恩恵を受ける権利
を否定されない、男女の権利と機会の平等が保障されなければならない。第 3 は「連帯」
すなわち、世界規模課題には、公平と社会正義にそって、費用と負担が公平に分担されな
ければならない。苦しむ人、最も不利にある人は、最も恩恵を受けている人から支援を受
ける資格がある。第 4 は「寛容」すなわち、人間は、あらゆる信念、文化、言語の多様性
5
本節は、外務省HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.htmlを参考
にする。
10
をお互いに尊重しなければならない。文明間の平和と対話を尊重する文化を育てなければ
ならない。第 5 は「責任の共有」すなわち、国際平和と安全への責任は世界の国々が分か
ち合うべきであり、国連が中心的な役割を果たすべきである。第 6 は「人権」すなわち、
ミレニアム開発目標は、世界人権宣言に述べられた経済的、社会的、文化的権利の具体的
な表現である、というものである。
特に女性の立場から、これらの目標を達成するために重要なのが、リプロダクティブ・
ヘルス/ライツという考え方だ。リプロダクティブ・ヘルスとは、女性の生や生殖に関する
健康を指し、リプロダクティブ・ライツとは、女性の生や生殖に関する権利を指す。
リプロダクティブ・ライツの要素として、以下にのべる 8 点が挙げられる。第 1 に「生
命と生存の権利」すなわち、防止可能な妊産婦および幼児の死亡を防ぐ、早期の死亡につ
ながる女児の育児放棄と差別をなくす。第 2 に「身体の自由および安全の権利」すなわち、
女性、男性、思春期の若者が、強制、暴力、差別をうけることなく妊娠、出産に関する決
定を行えるようにする。第 3 に「情報を求め、受け取り、伝える権利」すなわち、リプロ
ダクティブ・ヘルツ/ライツ問題に関する情報や関連する規定、法律を、広く自由に利用で
きるようにする。第 4 に「出産する子どもの数、時期、間隔を決める権利」すなわち、家
族計画の方法を選択し、適切に利用できるようにするためのすべての情報を提供する。第 5
に「自由意志で結婚し家族を形成する権利」すなわち、児童婚、強制的結婚を防止し、規
制する法律を制定する。第 6 に「到達可能な最高水準の健康を得る権利」すなわち、利用
可能な財源を公平に割当て、リプロダクティブ・ヘルツに関する教育とサービスの利用が
最も困難な状況にある人々を優先する。第 7 に「科学的進歩の恩恵を享受する権利」すな
わち、女性が管理できる避妊法、男性が使う避妊法などの避妊研究に対する資金援助を行
う。様々な避妊方法を提示する。第 8 に「差別を受けず、教育と雇用における平等を享受
できる権利」すなわち、妊娠や避妊法使用証明または母親であることを理由に雇用上の差
別を行うことを禁止する。女子を学校にとどめるプログラムを確立するなどが挙げられて
いる。
1994 年の国際人口開発会議(ICPD/回カイロ会議)では、179 カ国の政府が、リプロダ
クティブ・ヘルスケアを「できるだけ早期に、遅くとも 2015 年までに」全ての人が使用で
きるようにと公約し、リプロダクティブ・ライツは人権、持続可能な開発、ジェンダーの
平等、女性のエンパワーメント(能力強化)の中核をなすという国際合意が成立した。こ
の国際合意からもわかるように、リプロダクティブ・ライツは、それ自体が人権を守る上
で重要なものであり、リプロダクティブ・ヘルツ/ライツに向けた努力と財源を一層充実強
化させない限り、ミレニアム開発目標は達成できないという考え方は国際的に広く指示さ
れている。事実、国連ミレニアム・プロジェクトは、リプロダクティブ・ヘルスは、「経済
成長と貧困削減にわたり成功するために不可欠」であり、ミレニアム開発目標達成に必要
な「適切な人的資本の主な要素」のひとつであるとしている。
11
第二節 妊産婦の健康の改善6
これまで述べたように、ミレニアム開発目標の達成には、女性の人権が必要不可欠であ
る。そこで、ミレニアム開発目標の中でも、直接女性がターゲットとなっている、妊娠婦
の健康改善について目を向けてみたい。妊娠婦の健康改善として、ミレニアム開発目標で
は、2015 年までに妊娠婦の死亡率を 1990 年と比較して 4 分の 1 にするというものだ。
世界では、妊娠関連の原因で毎分 1 人の割合で女性が死亡し、各年に計 50 万人の母親が
命を失っているとされている。これに加えて、800 万人以上が妊娠の合併症によって生涯に
わたる障害を負うとされている。このような出産に伴うリスクは、貧困によって増大する。
サハラ以南のアフリカでは、高い出生率のために母親が生涯に直面する危機は大きくな
る。この地域では、16 人に 1 人の女性が、妊娠が原因で死亡する確率がある。その中でも、
最貧困地域の一部では、6 人に 1 人もの女性がこのリスクに直面している。それに比べ、先
進国では、このリスクに直面する確率は、2800 人に 1 人ととても低い。このように、妊産
婦死亡の 99%が開発途上国で起きており、そのほぼ 95%がアフリカとアジアが占めている。
このような問題は先進国では皆無に等しく、主に開発途上国で多く起きている。それは、
社会的な規範に加え、家族計画の必需性やサービスが十分でないために多くの女性がそれ
を利用できないこと、また、教育が十分でないため、出産のリスクやその他の健康問題に
ついてわずかな知識しか持っていなかったり、無知な女性が多く見られることが原因とさ
れる。
このように、開発途上国で妊産婦死亡の改善がみられないことは、女性の生命が軽んじ
られている事実を浮き彫りにし、また公共政策の優先事項を決めるうえで女性が発言力を
あまり持たないことを示していると言える。
妊娠というと「女性の問題」と見られがちだが、男性やコミュニティーに妊娠のリスク
を正しく認識してもらうことで、女性が救命ケアを受けられる可能性は高くなると考えら
れる。インドネシアでは、「母親にやさしい運動」とともに、「注意深い夫のプログラム」
が実施され、妊産婦支援の必要性をコミュニティーに認識させ、陣痛が始まった女性のた
めの緊急搬送システムを促進した。コミュニティーに信頼の厚い保健要員がいることで、
女性を公的な保健施設に紹介して安全な場所で出産を促すことができるなど、妊娠を女性
だけの問題とするのではなく、男性・コミュニティーの問題と捉えることで、妊産婦の健
康改善を促進することができる。
その他に、意図しない妊娠を減らす家族計画、すべての出産への専門技能者の立会い、
合併症のある女性すべてに対する適切で時宜を得た緊急産科ケアを充実させることが妊産
婦の死亡と生涯を防止する最も効果的な戦略であるとされる。しかし、専門技能を持った
医療提供者の不足や避妊薬(具)の入手困難、保健制度の不備などが主な障害となり、妊
6
本節では、
国連開発計画(2003 年)『人間開発報告書
(MDGs)に向けて』国際協力出版会を参考にする。
12
2003‐ミレニアム開発目標
産婦の健康改善への大きな障害となっている。このような問題や障害は、妊娠に限らず、
HIV/AIDS の問題でもいえることで、若い女性が高いリスクを背負っている。
このような問題を解決するためにも、良好なリプロダクティブ・ヘルスの基礎づくりを
人生の早いうちから始めることが必要である。
第三節 乳幼児死亡率の低下7
第二節で述べたように、妊産婦の健康が改善されないことは、乳幼児死亡の原因にもつ
ながる。ミレニアム開発目標でも、乳幼児死亡率についての目標があり、乳幼児死亡率の
低下として、2015 年までに 5 歳未満児の死亡率を 1990 年と比較して 3 分の 1 にするとい
う目標が掲げられている。そこで、乳幼児死亡率について目を向けてみたい。
途上国における 5 歳未満児の死亡原因の一位として、出産前後の死亡を挙げることがで
きる。これは、不適切な出産状況、つまり母親の健康管理不足や、熟練助産師の立会いが
ない出産、などが原因で亡くなることである。そのあとに、急性呼吸器官感染症や下痢、
マラリアと「はしか」が乳幼児死亡の主な原因として挙げることができる。このような乳
幼児の死亡は、先進国では稀な事であり、先進国では 1000 人に対して 7 人の死亡であるが、
サハラ以南のアフリカでは 174 人、南アジアでは 97 人までにも上る。このように、サハラ
以南アフリカの子どもの 17%は、5 歳をむかえることができない。このペースでいくと、
目標達成までに 150 年もの時間が必要だとされ、他のどの目標よりも達成が難しいとされ
ている。
それは、上で述べたように、様々な原因が複雑に絡み合っているからである。
出産前後の死亡として、妊産婦の健康が良くないと、出生時に低体重の子どもが生まれ
る可能性が高く、これは栄養失調へとつながりやすい。また、母親が HIV/エイズの場合、
人工乳を与えなければならず、母乳で育てる場合よりも、子どもに栄養がいきにくく、栄
養失調につながりやすい。このように、妊産婦・母親の健康は、乳幼児に大きな影響を与
えるので、妊産婦・母親の健康は、とても重要なことだと言える。その他に、乳幼児の栄
養失調の対処として、栄養強化食品を与えるなどの対処も考えられる。ビタミン等の不足
は、1 年に 2 つビタミン強化カプセルを与えるだけで、乳幼児の健康に大きな影響を与える
といわれる。
出生前後の死亡の次に多い死亡原因として挙げられている急性呼吸器官感染症に対して
は、そのほとんどが容易に予防をすることができる。このような感染症にかかった乳幼児
のうち、保健医療施設で診察を受けたのは、半数だけだとされ、保健医療サービスをうけ
られずに命を落とす乳幼児も少なくない。この問題に関しては、保健医療制度をしっかり
本節では、 阿藤誠・黒田俊夫(2005 年) 『UNFPA 世界人口白書 2005』UNFPA
7
を参考にする。
13
機能させ、サービスの行き届いていない地域に保健医療施設を設立することが必要不可欠
である。また、保健医療施設などを整えるだけではなく、安全な水や衛生環境などを整え
ることで、家庭での下痢の手当て(水分を多く与え、食事を取らせること)ができるよう
になり、乳幼児死亡の減少にもつなげることができる。
このように、乳幼児死亡率を低下させるためには、妊産婦・母親の健康改善から生活に
かかわる水や衛生環境の設備など、様々な対処が必要となる。
第四節 HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止8
これまで述べたように、第二節、第三節で述べた妊産婦の健康改善、乳幼児死亡率の低
下に大きな負の影響を与えているのが、HIV/エイズやマラリアの感染症だ。
サハラ砂漠以南におけるエイズの蔓延は妊産婦死亡率に大きな影響を与え、マラウイと
ジンバブエの国立研究所によると、エイズによって妊産婦死亡率は 1.9~2.5 倍にふくらむこ
とが明らかになっているほどだ。また第三節で述べたように、エイズに感染している母親
から産まれる子供・乳幼児に与える影響は言うまでもない。
そこで、第四節ではミレニアム開発目標の 6 つ目に挙げられている HIV/エイズ、マラリ
ア、その他の疾病の蔓延防止について述べる。ミレニアム開発目標では、この項目におい
て 2015 年までにエイズの蔓延を阻止し、その後発生率を下げると掲げられている。
エイズなどの感染症は、感染した本人への影響だけではとどまらない。エイズによって、
平均寿命が急落してしまったり、労働力を奪われ食糧不足や経済的に追い込まれたり、ま
た教師の死によって教育の質が低下して国の経済力が落ち、その結果保健医療の予算が減
ってますます感染が広がる、という社会的悪循環に陥ってしまうのだ。
またエイズ問題は、女性問題としてもみることができる。エイズ問題には社会的圧力が
働くとされ、エイズの一番の餌食になりやすいのが、若い女性である。第一章で述べたよ
うに、女性は男性に対して力を持たず社会的弱者とされるため、プレッシャーや強制でセ
ックスをさせられたり、きちんとした情報に基づいて何かを決められるようにするために
必要な情報をもらえなかったりする。女性は男性に交渉するスキルも、異議申し立てをす
る自信もないことが多く、安全なセックスをするように交渉することはとても難しい。実
際、エイズ感染者に占める女性の割合は年々増加しており、サハラ砂漠以南のアフリカで
は、若い女性は同年代の男性の 4 倍から 6 倍の割合でエイズに感染している。
このように、エイズの問題といっても健康問題に限らず、社会的悪循環や女性差別問題
につながることが多い。
8
本節では、
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.html
を参考にする。
14
第五節
妊産婦の健康改善・乳幼児死亡率低下・感染症の蔓延防止にむけて9
第一章でも述べたように、女性・子どもは、それぞれ差別無く平等に生活をできるよう
に保障されている。しかし、ミレニアム開発目標を通して妊産婦の健康改善や乳幼児死亡
率、HIV/エイズ、マラリアその他の疾病の蔓延防止など、健康についてみただけでも、女
性や子どもが、差別なく平等に安全な生活を保障されているとは言えない。
ここで問題解決のために、第二節・第三節・第四節で共通して言えることは、妊産婦の
健康改善や乳幼児死亡率低下、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止のために
重要なことは、妊産婦・母親自身が男性と平等の権利を持ち、健康でいるということ、保
健医療施設を整えることだ。
妊産婦自身が妊娠・出産に関してのリスクや正しい教育を受け、情報を持つことで、妊
産婦も安全に子どもを産むことができる。また、男性と共に結婚や家族計画の選択を行う
ことで、望まない妊娠を防ぎ、危険な中絶や出産を行わなくてすむ。また HIV/エイズなど
の感染症にかかるというリスクの軽減にもつながる。このように、妊産婦・母親自身が男
性と平等の権利を持ち、安全な妊娠や出産を行うために、女性も教育を受け、知識を身に
つけること、つまり女性の地位を向上させることが問題解決の鍵になる。女性が情報を得
ること、求めること、女性が家族計画の選択を行うこと、女性が教育を受けることなどは、
リプロダクティブ・ライツの要素ともされ、妊産婦の健康改善や乳幼児死亡率低下だけで
はなく、ミレニアム開発目標の達成において、とても重要なものだとされる。
このように、妊産婦の健康改善や乳幼児死亡率低下、HIV/エイズ、マラリア、その他の
疾病の蔓延防止の問題は、それぞれがひとつの問題としてではなく、様々に絡みあってい
る。逆に言えば、妊産婦の健康改善や急幼児死亡率低下、HIV/エイズ、マラリア、その他
疾病の蔓延防止などの保健医療に関する問題でも、教育や栄養、水、衛生設備など、ひと
つの分野に投資することで、他の分野でも成果を挙げることができる。この中でも、教育
は人間開発のあらゆる分野での成果に影響を与える。教育は知識の源であるだけではなく、
衛生状態の改善を促し、保健医療サービスの利用を拡大させる。また、安全な水と適切な
衛生設備は保健医療に大きな影響を与える。伝染病が減ると、子どもの栄養状態は改善し、
学習能力が上がる。このような政策が相まって、保健医療の問題、妊産婦の健康改善や乳
幼児死亡率低下の問題は解決されていく。
以上のように、人間開発の多くの分野に相乗効果があることを認識した上で、ミレニア
ム開発目標の達成に向けて、教育や保健医療への投資をすることが必要だといえる。
10
本節では、
国連開発計画(2003 年)『人間開発報告書
2003‐ミレニアム開発目標
(MDGs)に向けて』国際協力出版会、
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.htmlを参考にする。
15
第三章 ミレニアム開発目標達成に向けて
本章では、これまで挙げてきた妊娠婦の健康改善・乳幼児死亡率の低下 HIV/エイズ、マ
ラリア、その他疾病の蔓延防止に向けて、日本・NGO の視点から、どのような活動を行っ
てきたのかを述べる。またこれらの活動から、これからについて考えていきたい。
それぞれの活動を述べる前に、ここで日本自身の母子健康について述べる 10。
日本は戦前戦後の 100 年間、目覚しい母子保健の向上を図った。母子手帳や母子衛生法、
予防接種法など法制度の整備といった上からのアプローチと、保健師や助産師、ボランテ
ィアの人々の地域保健への参画など下からのアプローチが日本全土で行われ、妊産婦死亡
率や乳幼児死亡率の劇的な低下に繋がった。日本の母子保健の特徴として、日本が開発し
た母子手帳に見られるように、妊娠期、出産期、出産後、赤ちゃんの胎児期、誕生後と、
母子が一体化した継続ケアが受けられることを挙げることができる。実は、この「母子の
継続ケア」という考え方は海外では意外に新しく、これまでは母と子どもの医療がばらば
らに行われてきた。ところが最近になって「母子の継続ケア」という考えが注目され、2005
年「Partnership for Maternal Newborn & Child Health(PMNCH/妊産婦と乳幼児のため
のパートナーシップ)」という母子保健分野の国際協調の枠組みが設立された。
このように国際的な取り組みの中で、日本はこれまで母子保健に対する考えを発信して
きた。この経験を生かし、日本は母子保健について世界の中でもリーダーシップをとる必
要があると考えられる。
この日本の経験を踏まえた上でミレニアム開発目標達成に向けての、日本の活動、NGO
の活動に目を向ける。
第一節 ミレニアム開発目標達成に向けた日本の活動 11
はじめに本節では、ミレニアム開発目標4・5に挙げられている、妊産婦の健康改善、
乳幼児死亡率の低下に対しての日本の活動として、「JICA」の活動について目を向けたい。
JICA(Japan International Cooperation Agency/独立行政法人国際協力機構)は、2003
年(平成 15 年)に設立された外務省所管の独立行政法人であり、政府開発援助(ODA)の
実施機関の 1 つである。その前身は、1974 年に設立された特殊法人の国際協力事業団であ
る。
私が JICA に目を向けたのは、JICA が現場主義を活動指針に挙げ様々な活動を行ってい
るからだ。政府開発援助というと、筆者の中では資金援助のイメージが強く、現場の声に
応える活動が行われているのかという思いがあった。しかし JICA は、有償資金協力・無償
11
本節では、外務省HP
JICA HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.html、
http://www.jica.go.jp/を参考にする。
16
資金協力に限らず、開発途上国への技術協力として、研修員の受け入れや専門家派遣、機
材供与、技術協力センターの設置・運営を行い、政府開発援助(ODA)の中でも、より現
場の声・生活に根付いた協力活動ができているのではないかと考えたからだ。
JICA は、自身の使命として
(1)
グローバル化に伴う課題への対応
(2)
公正な成長と貧困削減
(3)
ガバナンスの改善(途上国政府の政策・制度など)
(4)
人間の安全保障の実現
の 4 つを挙げている。また、自身の戦略として、
(1)
包括的な活動
(2)
連続的な支援
(3)
開発パートナーシップの推進
(4)
研究機能と対外発信の強化
の 4 つを挙げている。
JICA は、課題別に取り組みを行っており、初等・中等教育、さらに識字教育などを含み、
人々が生きるための最低限必要な知識・技能を獲得するための「教育活動」を行っている。
また、感染症、母子保健、保険システム開発・復興、保健人材育成の4分野において、途
上国の保健・医療に取り組む「保健医療活動」も実施している。さらに、利水、治水、水
環境などの総合的な観点から、途上国の水資源問題の解決、また途上国の人々の暮らしを
直撃し貧困を深刻化させる災害に対して、災害リスクを軽減するための支援を行う「水資
源・防災活動」も活動の範囲である。また、政府や行政における取組だけではなく、国民
や民間セクターも含めて、社会が運営される仕組み全体に注目する「ガバナンス活動」も
ある。そして、医療保障や年金などの社会保険制度の整備、高齢者・児童・母子に対する
社会福祉施策の強化を行う「社会保障活動」も実施している。最後に、政策決定、計画・
立案、意思決定に男性のみならず女性の視点・経験・知識・利益意識を取り込み、影響を
与えることで、男女双方にとって有意義な開発を実現させる「ジェンダーと開発活動」も
含まれている。。
その中でも、妊産婦の健康改善、乳幼児死亡率の低下につながる「保健医療活動」に目
を向ける。
現在日本の政府開発援助(ODA)として、先に述べた「母子手帳」の普及活動「母と子
の健康手帳普及プロジェクト」を行っているのも JICA である。
2005 年 8 月に JICA のプロジェクトは始動し、パレスチナ自治政府保健庁や国連児童基
金(UNICEF)とともに作業委員会を設置し、パレスチナ版母子手帳の作成に乗り出した。
そして 2006 年 7 月、アラブ地域初の「母子健康手帳」がパレスチナ自治区で産声を上げ
た。戦後日本の母子手帳を活用した母子保健の向上の経験を参考に、パレスチナ人自身の
17
手で作られた手帳だ。長い占領下の抑圧的な生活の中で将来への展望を見いだせない人々
に、「生命(いのち)のパスポート」と呼ばれるこの母子手帳が、一筋の明るい光を照らし
ている。
「生命(いのち)のパスポート」作成に当たり、JICA は日本人専門家の指導のもと、日
本での経験を参考に、パレスチナ保健庁の職員が主体となって初のアラビア語母子手帳草
稿を作成。日本で母子手帳の作成・運営に関する研修を受けて、草稿を改善した。その後、
医療従事者や母親の意見を参考に製作した試作版を、2006 年 7 月に母子保健センターで配
布を始めた。さらに日本では、手帳の活用・管理方法を学ぶ研修が行われ、手帳運用のガ
イドラインと全域普及計画が作られた。この研修や計画、啓発活動の実施の末、2008 年 1
月、ついに全国普及版の手帳 12 万冊が出来上がった。この手帳の印刷費も、日本が UNICEF
を通じて援助した。
そして 2008 年春、西岸地区では、公立の全医療機関だけではなく、国連パレスチナ難民
救済事業機関(UNRWA)や NGO との連携により、それぞれの医療施設でも手帳の運用が
開始された。
母子手帳を活用する母親たちは、手帳から産前検診の大切さや母乳の適切な与え方、家
族計画いついてなどを学び、様々な知識を得、以前に増して「母子の継続ケア」に関して
勉強の意欲が高まっているという。また、夫が母子手帳を見て、栄養のある食べ物のこと
を知り、買ってきてくれるようになるなど、母子手帳が影響を与えたのは、母親だけでは
なく、夫や家族、周辺の人々にまで影響を与えた。保健センターのスタッフも、手帳のお
かげで、より自信を持って診察をできるようになったなど大きな効果を挙げている。
母子手帳は現地で、母親だけではなく、家族や周囲の人々の意欲・行動の変化、学習意
欲の向上、女性のエンパワメントにつながった。またこのことから、母子保健サービスへ
の信頼感も高まり、公立のセンターに来る女性が増えるなど、市民と保健庁、公立センタ
ーなどの間で良い循環、信頼関係ができるようになった。
以上のように、「母と子の健康手帳普及プロジェクト」は現地で大きな成果を挙げた。
次に、ミレニアム開発目標の6つ目に挙げられている HIV/エイズ、マラリア、その他の
疾病の蔓延防止にむけた日本の活動を見ていく 12。
ここで注目したいのが 2000 年 7 月に行われた、九州・沖縄サミットで、日本がサミット
史上初めて、途上国の感染症問題を主要議題の 1 つとして取り上げたということだ。サミ
ットは日本・米国・英国・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・ロシア・EU(欧州連合)
の首脳が集まり年に 1 度開催されるトップ会談であり、その場でこの議題を挙げたことは、
「日本」の大きな成果といえるだろう。
12
本節では、
外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.htmlを
参考にする。
18
日本は、感染症対策の国際的な関心を喚起するとともに、2000 年度から 2004 年度まで
の 5 年間に、総額約 30 億ドルの感染症対策支援を行うとする「沖縄感染症対策イニシアテ
ィブ(IDI)」を発表。HIV/エイズ、結核、マラリア・寄生虫、安全な水の四つの分野から
感染症対策を直接的または間接的に行っている。その後、「『保健と開発』に関するイニシ
アティブ」を発表し、2005 年から 2009 年までの 5 年間で感染症を含む保健分野の支援に
約 50 億ドルの支援を行うことを表明した。これらのイニシアティブを通じて、日本はミレ
ニアム開発目標の達成に貢献するため、感染症対策、保健システムの強化、関連分野の支
援など、包括的な支援を実施していくこととなる。
このようなサミットやイニシアティブがきっかけとなり、感染症問題への国際社会の関
心が高まり、2001 年のジェノバ・サミットを経て、2002 年 1 月「世界エイズ・結核・マ
ラリア対策基金(世界基金)」の設立につながった。
世界基金は、HIV/エイズ、結核、マラリアの三大感染症の予防、治療、ケア等に対して
資金を支援しており、これまで世界の 136 カ国において約 250 万人の命を救うなど、途上
国における感染症対策の「最大の資金供給者」となっている。また、援助国と援助を受け
る国だけではなく、国際機関、民間企業や財団、NGO、学界、感染症に苦しむ地域の人々
などが一緒に支援策を検討し、基金に対して申請を行うという「全員参加型」のスタイル
をとっているため、これからの国際的な資金協力と世界基金を通じた支援の世界的な実績
を期待できる。
このような感染症対策について、世界基金の例は、「日本」がきっかけとなり他国と
手を組み、世界へ発信している成功例と見ることができるだろう。
第二節 ミレニアム開発目標達成に向けた NGO の活動 13
ここからは、ミレニアム開発目標4・5・6に挙げられている、妊産婦の健康改善・乳
幼児死亡率の低下・HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止に対して日本の NGO
が行っている活動に目を向けていく。
ここでは JOICFP(ジョイセフ/家族計画国際協力財団)に目を向ける。
JOICFP は、日本の戦後の家族計画普及と母子保健向上の経験から、途上国の住民、と
くに妊産婦や女性ひとりひとりの視点に立って支援をすることを活動の基本として、草の
根支援を行っている日本生まれの NGO 団体である。JOICFP は「リプロダクティブ・ヘル
ス」の理念に基づき、どこに住んでいる人も、安心して安全な妊娠、出産ができるように、
すべての妊娠が望まれた妊娠であるように、そして妊娠や出産で命を落とす女性たちが一
人でも減るように、「人を育てる支援」「物の支援」「アドボカシー(政策提言)」の 3 つの
支援活動の柱でプロジェクトを行っている。
人を育てる支援、物の支援の中には、第一節の JICA の活動、日本の活動としても挙げた
母子手帳普及活動があり、JICA がこのような活動を行う以前に、JOICFP は母子手帳普及
の活動を行っていた。1980 年代、JPICFP は途上国の研修生の声と産婦人科医の意見を取
19
り入れ、母子手帳の英語版を完成させた。これが母子手帳を世界に広める活動の第一歩だ。
このような経験を生かし、近年ではアドボカシー活動として、妊産婦健康の改善、乳幼幼
児死亡率の低下、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止に関して、日本政府へ
の政策提言を積極的に行い、日本政府に影響を与えている。
また NGO だからこそできる活動として、企業や団体、自治体と手を組み、物の支援にも
力を入れている。JOICFP は物の支援として募金活動のほか、ランドセルや学用品、切手
や、プリペイドカード、商品券、自転車、電気や電池を使わない体重計、巻尺などの物資
の寄与を行っている。このような物資は、私たちも支援をすることができる。
この中で自転車の援助は、一見母子保健や感染症問題に関わっているようには思えない。
しかし、自転車の寄与も立派な母子保健や感染症問題への支援で、タンザニアやウガンダ
などの診療所の少ない途上国では、妊産婦や保健師の大切な運搬手段となっている。この
自転車寄与の活動は、ウガンダ女性の「一台の自転車で村人の命を救いたいのです。」とい
う実際の一言から、実現した支援だ。こうした住民の声を軽んじることなく、支援に結び
つけているのは、一人ひとりの生活に同じ目線で耳を傾ける JOICFP だからこそ実現した
といえる。
JOICFP の活動のように人を育てる支援、物の支援、アドボカシー活動の他にも、私た
ちにでも気軽に参加できるミレニアム開発目標達成へ向けての活動がある。それが STAND
UP TAKE ACTION(スタンド・アップ・テイク・アクション)というグローバルアクション
活動だ。
この活動は、「動く→動かす」という NGO のネットワークが、貧困問題を解決するため
に「立ち上がり」(STAND UP)
、その参加人数でギネス記録を更新、各種マスコミの注目
を集め、世界の貧困をなくすという強い声を各国のリーダーに届けようという思いで行っ
ている活動である。ミレニアム開発目標と貧困の原因を広く知ってもらう「伝える」、世界
のリーダーにミレニアム開発目標達成のための取り組みを強化してほしいというアピール
を行う「声を届ける」、STAND UP を通じて貧困問題解決に取り組む人々の輪を広げる「輪
を広げる」事を目的に行われている。授業の一環で、生徒会の呼びかけや、大学のゼミや
サークル単位で。学校やオフィス、イベント会場など、どのような場所でも二人以上(一
人が STAND UP の証人になる)集まれば参加ができ、必要なものは、活動に参加したい、
伝えたい、声を届けたい、輪を広げたいという参加者自身の思いだけだ。
2006 年に産声を上げた STAND UP。当時日本国内では 2711 人、世界では 2354 万 2614
人がこの活動に参加した。3 年後の 2009 年には、参加者は 5 倍にまで増加し、年々「貧困
を終わらせたい」という声を世界中に届けている。世界の貧困、ミレニアム開発目標に関
心を持ち、アクションを起こす市民が増えていると言えるだろう。
13 本節では、JOICFP
HP http://www.joicfp.or.jp/jpn/、STAND UP TAKE ACTION HP
http://www.standup2015.jp/を参考にする。
20
第三節 ミレニアム開発目標達成に向けたあり方
これまでミレニアム開発目標達成に向けて日本の活動、NGO の活動を述べてきた。この
節では、それぞれの活動の総評を行い、よりよい活動に向けて述べて行く。
日本の活動として挙げた JICA の母子保健に対する「母と子の健康手帳普及プロジェク
ト」は現地で大きな成果を挙げたと言えるだろう。しかし、JICA 自身が戦略で挙げている
「開発パートナーシップの推進」と「研究機能と対外発信の強化」という点からはどうか。
「母と子の健康手帳普及プロジェクト」は、日本と支援を受ける国の二国間で止まってお
り、JICA 自身の戦略を達成しているとは言えない。この事は、日本が母子保健について世
界の中でもリーダーシップをとっているとは言えないということに繋がる。日本は日本自
身の母子保健の経験があるからこそ、リーダーシップをとる必要があるのではないか。
一方、HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止の日本の活動として挙げた「世
界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)」は、日本が世界的活動のきっかけとなり、
大きな成果を挙げたといえる。このように、妊産婦の健康改善、乳幼児死亡率の低下にお
いても日本は他国と手を組み、呼びかけること、世界への発信が必要だ。
しかし、世界基金の活動も十分とは言えない。世界基金は資金の支援が主である。この
点では、JICA のように現地に目を向ける必要があり、世界的なパートナーシップを築けた
からこそ、技術支援でも世界的な支援を行うべきだ。
日本の活動として述べた二つの活動から見られるように、日本は世界への発信、技術支
援と資金支援のバランスを取れるように強化するべきである。
NGO の活動として、JOICFP は現地の声に根付いた活動を実現できている。現地の声に
根付いた技術支援、そのために必要な物資支援。それぞれの支援は充実していて、バラン
スは取れている。しかし途上国の現実、妊産婦の健康改善、乳幼児死亡率の低下に対する
ミレニアム開発目標達成が一番難しいとされる今、活動量を増やす必要があるだろう。
JOICFP は NGO 団体でありながらも、JICA の後援を受け、国際的にも目を置かれる団体
である。JOICFP は国際的に活躍している団体でありながらも、その活動は日本の企業や
団体、自治体の協力が必要である。そのため、活動量を増やすためには、日本国内での呼
びかけ、発信が必要である。
STAND UP TAKE ACTION の参加者が増加しているところからも見られるように、日本
国内でもこのような活動に関心を持つ市民が増えている。このような日本市民の思いに応
え、日本国内でも気軽に活動に参加できる環境、ミレニアム開発目標について知ることの
できる環境などを整える必要がある。そのためには、大きな影響力を持つ政府が活動を国
内で強く呼びかけ、市民に近い立場にある NGO の活動を普及させる必要があるだろう。ま
た政府は一部の NGO 団体の後援を行っている以上、日本の NGO 団体がより国際的な舞台
で活躍できるように支援する必要がある。
21
終章
ミレニアム開発目標のこれから
これまで、ミレニアム開発目標の達成に向けて日本、NGO の活動やあり方を挙げてきた
が、ここからはミレニアム開発目標達成に向けて「私たち」にできることを考えて行く。
ここで言う「私たち」とは、日本人を指し、ミレニアム開発目標を学んだ「私」として述
べる。
はじめに、ミレニアム開発目標について学んだ筆者は、途上国の現実やその中でも女性
や子どもの権利が尊重されていない事実を知る。そしてミレニアム開発目標の中でも、女
性や子どもの命に直接関わる「妊産婦の健康改善」「乳幼児死亡率の低下」という目標の達
成が現時点で一番難しいとされている事実を知る。この事実は、妊産婦や乳幼児死亡率の
低い日本では想像しにくい事実であり、筆者自身ミレニアム開発目標について学んでいな
ければ知ることのなかった事実だろう。しかしこれが現実で、この一瞬一瞬に妊娠や出産、
感染症が原因でなくなる命がたくさんある。地球世界の中に住む私たちは、この現実を知
る必要がある。またこの事実に対して、日本政府は問題解決のための活動を行っている。
日本が世界にミレニアム開発目標達成に向けて発信していく中で、私たち日本人はそれを
知る義務があるだろう。また日本の活動、NGO の活動、いずれも課題は残っているが、私
たちでも参加できる活動はある。その活動に目を向ける環境が整っていないこと、目を向
ける機会が少ないことも私たちの現実だ。
ミレニアム開発目標達成に向けて、途上国の現実を変えることは、私たち自身の現実を
変えることから始まる。STAND UP TAKE ACTION の活動ように、直接途上国への支援に
繋がらなくても、私たちがミレニアム開発目標について知ることで、私たちの思いから政
府を動かすこと、日本や世界を動かすことは可能である。
私たち一人一人が日本国民、地球市民の一員であり、世界のためにできることが身近に
あること、小さなことからでも世界へ繋がるということを私たち自身が感じること。ミレ
ニアム開発目標を学んだ私自身も「私たち」の一員であり、小さなことでも私が始めれば
その輪が繋がっていくことを胸に置いていたい。
22
<参考文献>
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(1990 年)
『女性差別撤廃条約‐国際の中の女性の地位』三省堂
赤松良子(2005 年)『新版
女性の権利‐ハンドブック
女性差別撤廃条約』岩波書店
アムネスティー・インターナショナル日本支部(1994 年)
『子ども・世界・人権』明石書店
独立行政法人国際協力機構(2008 年)
『monthly Jica 2008 July』独立行政法人国際協力機構
国連開発計画(2003 年)
『人間開発報告書 2003‐ミレニアム開発目標(MDGs)に向けて』国際協力出版会
武者小路公秀(1983 年)
『世界人権宣言』岩波書店
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外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/doukou/mdgs.html
JICA HP
http://www.jica.go.jp/
JOICFP HP http://www.joicfp.or.jp/jpn/
STAND UP TAKE ACTION HP http://www.standup2015.jp/
23
Fly UP