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平成28年盛夏号A4版配布用 - NPO法人リタイアメント情報センター
Relive Journal “りらいぶ”ジャーナル №21 平成28年 盛夏号 (7月15日発行 15日発行) 日発行) <“りらいぶ” りらいぶ”憲章> 憲章> ● 組織 、 肩書 き 、 経歴 にとらわれない 自由 な 生 き 方 ● 知識 、 経験 、 技術 を 生 かして 社会 に 貢献 する 生 き 方 ● 初心 に 帰 って 新 しい 自分 を 発見 する 生 き 方 私たちNPO たちNPO法人 NPO法人リタイアメント 法人リタイアメント情報 リタイアメント情報センターはこのような 情報センターはこのような生 センターはこのような生き方を“りらいぶ” りらいぶ”と呼び、 その生 その生き方をサポートします <目次> 目次> 1.台湾冬季ロングステイ候補地として高雄訪問記(第3次) (会員 渡嶋 八洲夫) (楽しいロングステイを過ごすために) 2.病院ボランティアを始めて <明るい病室>から学ぶこと (国立循環器病研究センター 病棟ボランティア 前田 妙子) 「命の大切さを考えよう」基調講演とパネルディスカッションに参加して (会員 伊丹 淳一) 3.2016 年3月 5-6 日オムコイバーンクンメートウン小学校 (会員 三原 健三) Wプロジェクト 図書館・保健室完成式 4.乗馬で何を? (会員 鳥居 雄司) 5. 「高齢者の消費者トラブル」 (講師:田坂圭子先生)をお聞きして (関西支部長 阿賀 敏雄) 6.エッセイ・自分たち探し「ほのぼのマイタウンより」 (フリージャーナリスト 國米 家巳三) 再び縄文本の出版がふえています 7.“りらいぶ”サロンのご案内「日本語教師でトクする話」 (“りらいぶ”塾 塾長 鈴木 信之) 8.第 2 回カラダりらいぶセミナー開催 (会員 尾崎 浩一) 東京地区 第1回りらいぶ落語会開催! 9.シャルル・アズナブール ~奇跡のコンサート~ (会員 ヤスコ Wild(杉山 泰子)) 10.関西支部からのお知らせ (関西支部長 阿賀 敏雄) 1 1.台湾冬季ロングステイ 台湾冬季ロングステイ候補地 ロングステイ候補地として 候補地として高雄訪問記 として高雄訪問記(第3次) (会員 渡嶋 八洲夫) 八洲夫) (楽しいロングステイを過 しいロングステイを過ごすために) ごすために) 過去2回(2012 年 2 月)(2014 年 2 月)訪問したが、今回は高雄に絞って調査した。将来の ロングステイ地として有効な結果がえられた。 (1)期間 2016年2月17日~2月27日 (2)航空便 - LCC バニラ航空 バニラ航空 他の航空便は復路が朝早い時間帯であるので今回はバニラ航空を選んだ。 (往路)成田 12:25→高雄着 16;45 (復路)高雄発 16:50→成田着 21:20 (注)高雄の時差は東京と比べ△1時間。 価格的には安価であるが、今回経験した LCC の問題点 成田からの便がとんぼ返りで成田に引き返すことになりその間30分しかないので高雄からの 出発が遅れることが予想される、今回は高雄出発が60分近くおくれた。 預ける荷物は重量やサイズがオーバーの場合かなりの超過料金を支払うことになる。また航空券 によっては荷物料金が含まれていない場合があるので事前の確認が必要である。 「食事や飲料の持ち込みは遠慮する様に」とのアナウンスがあった。機内販売の弁当を購入して みたが極めてお粗末だった。 今回はフライトの3日前に急遽予約してあった復路の便が「機材 不足の為キャンセルになり他の便を予約する様に」とメールで連絡 がはいった。航空会社からの連絡はメールのみであり、滞在先でメ ールが受信できることが必須となる。別便の手配のため日本のコー ルセンターにホテルから電話を掛けたが繋がった後の待ち時間が長 く2000円も電話代を支払った、現地仕様の携帯電話を持ってい れば便利。 ① ② ③ (3)為替レート 為替レート( レート(2016 年2月) 1台湾円=3.55日本円 宿泊した 宿泊した華王大飯店 した華王大飯店 (4)ホテル( ホテル(華王大飯店 Hotel Kingdom) Kingdom) 多くのホテルでは英語も通じないし、メールでの予約が難かし い。幸いメール(英語)で予約出来たが宿泊予定料金の30% のデポジットをとられたが華王大飯店を予約した。1968年 にオープン、高雄では老舗であるが、2005年にリニューア ルしたので、内部は明るく清潔感がある。上階の部屋にはウオ ッシュレットが設置されている。在高雄の80%近い日本企業 が指定ホテルにしている。一方観光客も多いいが、観光客の 発する騒音に一般客が迷惑をこうむらないよう、観光客は下階 の部屋に、一般客は上階の部屋にと階を分ける配慮もされている。 2 ホテル近 ホテル近くの愛河 くの愛河で 愛河で行われた ランタンフェスティバルの花火 ランタンフェスティバルの花火 住所等 *高雄市五復四路42号 *TEL:886- 07-5518211 FAX;886- 07-5210403 *E-mail: [email protected] ① 部屋料金 1部屋8,000円(2,200TWD)、朝食付で内容はまあまあだ。 ② 所在地 高雄空港からホテルまでタクシーで20~30分程度と近い。ホテルから台鉄高雄駅までも タクシーで10分~15分程度。愛河に近く散歩やジョギングは気持ちが良い。徒歩10分の距 離にある MRT塩埕埔駅から空港までも便利、MRT美麗島乗り換えでデパート等ショッピング が楽しめる三多商圏も近い。この時期開催されるランタンフェスティバルは毎年愛河周辺で行わ れ、2~3kmの道路沿いにランタンが掲げられ、大勢の人が見物に出かける。屋台もでて賑や かだ、川並べた船から花火が打ち上げられ凄まじい音がする、日本の花火と比べ情緒はない。。 ③ 設備 2005年に改装されたので、内部は明るく清潔だ。部屋は十分な広さがあり、Wi-Fi も容易に 利用できる、バスタブ付である。NHK はじめ日本語の TV も入る。プールとジムも利用可能。 ④ 受付スタッフ 受付スタッフ 日本語・英語がわかるスタッフを揃えている。それと皆明るく笑顔で対応してくれるので気持ち が良い。外出時ドアーの開閉、タクシーの呼び込みもしてくれる。ベッドメイキングの女性も廊 下出会うと日本語で「お早うございます」と笑顔で挨拶してくれる。 (5)ホテル近 ホテル近くのレストラン ホテルの1km以内に気軽に食事がとれるレストランが沢山あり食事をとったレストランは ① 鐘庵ソバ 鐘庵ソバ屋 ソバ屋 鯖・サンマの塩焼き、各種蕎麦定食、どんぶり物等種類は多い。日本酒も置いている。ビールの メニューに海尼根とあったので聞いてみたら「ハイネッケン」だった、何時もは「台湾ビール」 を飲んでいた。価格の例(台湾円): 牛肉すき焼き風うどん定食(280円)、天ぷらうどん定食(300円)、 ヒレカツカレー(300円)、カツ定食(280円)、カツ丼(260円) 天ぷら定食(250円)、うな丼(250円) ② 合羽亭 合羽亭(カッパ亭 カッパ亭) 大衆的な店、現地化した日本食が食べられ店は現地の人で賑わっている。日本酒も置いている。 ③ 小園 店も広く、色々な日本食を出してくれる。個室もあるがたまたま当日は現地人の宴会が隣の部屋 で催されており、その騒がしさには驚いた。 ④ 大松 やや高級感がある店、寿司がメインなので寿司を食したが味はまあまあだ、シャリも申し分ない が高価だ。日本酒はやや薄い味のようで不評であった。 芋粥が美味しい。目の前に並んだ出来合い料理から何品か自分で指定して粥と一緒に食べる。大 衆食堂で価格も安い。 ➅ ラーメンに肉類をトッピングした麺、ビール等の飲み物はセルフサービス、昼食に良い。 ⑤ 高雄清粥小菜 港園牛肉麺 3 ⑦ フランスパンをはじめ各種パンが購入できる。出来立てのフランスパンは絶品だった。 ⑧ ホテルの近くに2軒のコンビニ(セブンイレブンとファミリーマート)があり便利だ、特に 森パン屋 パン屋 コンビニ ビールを買い求めた。 (6)タクシー メーター表示の金額を支払えばよく安心して利用できる。6人乗りと4人乗りがある。荷物が多いい 場合は2人なら4人用で対応できるが3人の場合は6人乗りが良い。荷物料を取られることもある。 価格は安い。 (7)コンドミニアム 三多商圏駅近くの摩天海灣商旅の事務所を訪問社長から話を聞いた。 12坪程度の小部屋から28坪の広い部屋のコンドミニアムを数多くそろえている。小さい部屋には 魅力を感じなかった。住むなら28坪のものが魅力的。 *2ベッドルーム、食堂兼リビング、キッチン、バスタブ+シャワー、光熱費+水道料込み。 *家賃は1日1200台湾円なので1ケ月なら36000台湾円(13万日本円)、ネゴ可能である。 *すでに毎年「関西のワールドステイ・クラブ」の常連がロングステイに滞在している。 MRT (8)今回訪問したスポット 今回訪問したスポット ロングステイ向きの満足なホテルはない事を ① 新営のホテル 新営のホテル: のホテル: ② ③ 確認した。 台鉄高雄駅から知本駅はで特急列車自強号303 号に乗り約2時間かけて、日本人人気のある知本老爺酒店 Hotelroyal の日帰り入浴を体験した。やや温めのアルカリ性 炭酸泉(美肌の湯)であった。日本の箱根のように湯本を過 ぎで奥に進んだところにある温泉。 寿山(365m)別名打狗山、高雄の名の由来と なった。麓には動物園、大仏寺がある。中腹には英霊(上級 士官)を祀った忠烈祠があり、高雄港の眺めは素晴らしい。 ④ 台鉄高雄発特急列車菖 光562号に乗り台南乗り継ぎで永康駅下車、駅前からのバスかタ クシー利用。4年前台南市郊外で開館。時代毎の建物のセットや蝋 人形等で台湾の歴史を自代別に紹介、充実した展示で台湾史を楽し みながら学習できる。 ⑤ MRT橋頭糖廠駅下車、徒歩10分。日本 統治期に台湾を支えた製糖工場を戦後台湾企業が引き継いだ工場跡 地を公園と博物館として公開している。当時の社宅、事務所、 工場が点在する。週末にはミニ鉄道も復活。 ⑥ ホテルで暫しゴルファーを見かけたのでゴルフ も可能と考えるが確認は失した。 知本温泉: 知本温泉: 知本温泉 寿山公園: 寿山公園: 国立台湾歴史博物館( : 国立台湾歴史博物館(台南市安南区) 台南市安南区) 台湾製糖博物館: 台湾製糖博物館: 台湾製糖博物館 事務所 ゴルフ場 ゴルフ場: (9)結び 台湾でのロングステイは諸条件が整っている高雄がベストであることを確信できた。今後が楽し みである。 4 2.病院ボランティアを 病院ボランティアを始 ボランティアを始めて <明るい病室 るい病室> 病室>から学 から学ぶこと (国立循環器病研究センター 国立循環器病研究センター 病棟ボランティア 病棟ボランティア 前田 妙子) 妙子) 病院の受付でエプロンをしたボランティアの方がお手 伝いをされる光景は今では普通になりましたが、日本で初 めて病院ボランティアが導入されたのは(1962 年大阪 の淀川キリスト教病院)50年以上も前のことだそうです。 14 年前(それまで 10 年もっていた不整脈により)あ る日突然大変危険な心臓発作を起こし、その時は近くでお 世話になっていた先生のおかげで一命をとりとめたので すが、それから二か月後に私はカテーテルによる手術を受 ける事となりました。その手術を境に 10 年間たまらなく 気持ちの悪かった脈がまるで魔法がかかったようにピタ リと正常に切り替わり、自分の周りにはこんなにもたくさ んの酸素があったのか、と感動するほど快適になりました。 <朝陽いっぱいのありがとう 朝陽いっぱいのありがとう> いっぱいのありがとう>の本より 病院への感謝をほんのわずかでも形に変えたく、入院の 朝陽ちゃんを ちゃんを中心 朝陽 ちゃんを中心に 中心に右が前田妙子さん 前田妙子さん 時に頂いた書類の片隅に載っていたボランティアをしたい (2005年 2005 年5月撮影) 月撮影) と思ったのがきっかけで始め、それから 14 年が過ぎました。 病院では色々なボランティアがあり、受付だけでなく病棟で患者さんと関わる、子ども達が提げるモ ニター心電図の袋などを縫う、花壇のお世話、他様々な事をたくさんの人がしています。私は小児病棟 で子ども達の遊び相手をしたり、本の貸し出しを通じて患者さんの話し相手をしたりということを週に 一回しています。 さて最初の私の決意はどうなったかと申しますと、ご恩返しができるどころか想像もしていなかった たくさんの事を病棟の患者さんから学ぶこととなり、感動と感謝は何倍にも膨れ上がってしまい、この 病院に永遠にお返しできそうにはありません。 学校を一日も休んだことのなかった私にとって、子ども達の過酷な闘病生活は衝撃的であり、それを 乗り越える彼らの強さや他者を想いやる優しさは感動的であり、ご家族の大変さ、愛情の深さは言葉に は尽くせず、健康のありがたさ、そして自分が何もわかっていなかったのだ、という恥ずかしさを思い 知らされる事となり、病院ボランティアを始めて本当に良かった、と強く思っているところです。そん な感動をどうしても文字にしたくて<朝陽いっぱいのありがとう>という本を書くことで私は朝陽と いう少女との交流を綴ったのですが、そのタイトルの<朝陽>の部分に入れたい名前は数えきれず、大 人も子どもも本当にたくさんの患者さんにありがとうの気持ちでいっぱいです。 過酷な治療はもちろん、厳しい水分塩分の制限、何ヶ月あるいは何年もの入院、学校にも仕事にも行 けない患者さん、それを支えるご家族も自宅が遠方のかた、きょうだいが何人かいる家庭では、一人ず つ父方母方のご両親が助けておられ一家がみんな違う場所で暮らすことになることもあり、本当に厳し い現実の中で、人の痛みがわかるからこその優しさがどの人にもあるのです。 人のことなどどうでもいい、という悲しい出来事が余りにも多い世の中で闘病の中で得た彼らの優し さや逞しさはまるで宝石のように私には見え、命がどれだけ大切なものかということを<朝陽>はじめ たくさんの患者さんが毎日心から叫ぶように伝えてくれているように感じます。 さて、私たちには個人差はあれどもいつか必ず病床に伏す時が来るわけで、その時私はどんな患者と 5 して(或いは高齢者として)看護(介護)を受けるのか、と最近考えてみることがあるのです。病室の ドアを開けただけでその部屋の空気感が違う、そんな前向きで明るい患者さんに出会うことがあるから です。 いつになるかわからない心臓移植の日を待ち続けていても、何年もの入院が繰り返されても、大手術 を何度経験しても不屈の精神で克服していらっしゃる患者さんたちの病室のドアは不思議です。それを 開けると何とも言えない笑顔と「ありがとう!待ってたよ。」の言葉から私達ボランティアが元気さえ もらえるのですから、一体<人の健康>というのは何を指すのか。病は気から、ということは昔から言 われますが心だけはいつまでも元気でありたい、と彼らに会う度に強く思います。 どんなに身体が健康でも、どんなにお金があっても、どんなに幸せな暮らしができていても、それを 実感できなければその人は不健康であり不幸であり、結局私たちの健康や幸せは<健康的な心>に依っ て随分変えられるのだ、ということに気づかされます。 心だけは死ぬまで健康でいられるよう、笑顔と明るい言葉のキャッチボールをしながら、周りの人と の関わりの中で心をしっかり鍛えておかなければと切に思っているところです。 以上は 以上は、6月11日 11日エトレ豊中 エトレ豊中で 豊中で「命の大切さを 大切さを考 さを考えよう」 えよう」と題する講演 する講演とパネルディスカッションにて 講演とパネルディスカッションにて 基調講演並びにパネリストをしていただきました びにパネリストをしていただきました前田妙子様 基調講演並 びにパネリストをしていただきました前田妙子様からのご 前田妙子様からのご寄稿 からのご寄稿です 寄稿です。 です。 (事務局) 「命の大切さを 大切さを考 さを考えよう」 えよう」基調講演とパネルディスカッションに 基調講演とパネルディスカッションに参加 とパネルディスカッションに参加して 参加して (会員 伊丹 淳一) 淳一) さる6月11日(土)エトレ豊中で「命の大切さを考えよう」と題する講演・ パネルディスカッションに参加した。基調講演は「朝陽いっぱいのありがとう」 著者、前田妙子氏、パネリストは前田妙子氏に加えて神戸大学名誉教授・東亜大 学教授の西澤信善氏、 豊中高校元校長で全国高等学校文化連盟理事の須賀寅充氏、 京都教育大学附属特別支援学校元教頭の平岡恵子氏の4名で行われた。 案内状を貰って参加を決めた時、タイトルを見てきっと涙が出るだろうなぁと の予感はあったが、あれほど目頭を押さえながら聞いた講演は記憶にない。ひと の10倍、 時間を大切に過ごしながら9年で生涯を閉じて旅立った 「朝陽ちゃん」 の病室にいるようでもあり、朝陽ちゃんと会ったことがないのに身近に知ってい たかのようで、単に話として聞いている域ではない感動を覚えた素晴らしい講演 でありました。それは知識・情報や人の話を伝授・伝習するのではなく、自身が直接関わってきた、朝陽ち ゃんとの感性のやり取りであり、まさにお互いが感じ合う表現の数々と行動がそのまま伝わってきたという ことであります。 1月に旅立つ前年のクリスマスに手渡す予定で作り始めたクリスマスカード。間に合わないことに焦りを 感じながら「まだ出来上がってないねん。ごめんね ! 」と言っていたカードには、点滴器具を付けた力の入 らない手で消しゴムを使いながら書き直した跡があり、いかにそのことに集中し、ありったけの力を振り絞 って仕上げようとしていたか、 その様子が手に取るように伝わってきて痛々しい。 きっと渡した時に 「わぁ、 凄い。ありがとう ! 」と言って前田さんが喜ぶときの顔を想像しながら、もう少し、もうちょっとと使える 限りの力を振り絞って取り組んだクリスマスカード。どこにも売っていない朝陽ちゃんの魂が込められたク リスマスカードになったことは言うまでもありません。 6 闘 活 余儀 厳 ハ 負 小 明 舞 周囲 心 ぎゆ 渇望 愛 不足 母 祖父 家族 医 含 巻 周囲 達 家族愛 愛 思 慰 憐み ア ラ キ 運 正面 受 止 与 環境 条件 精一杯 貴重 一緒 証 実 思 確 改 認 他 比べ 評価 受 止 方 供 本 舞 意 的 訳 周 明 舞 映 同 友達 退院 良 一緒 寂 退院 分 残念 思 心 持 分 分 他 場 物 み 価値観 気質 個 運 屈抜 如何 難 社 相対評価 ば僻み 妬み 本 周 不幸 実 結 与 環境 条件 分 精一杯 巻 実践 告 式 家族 落 着 気持 迎 心 謝 挨拶 母 葉 物語 口 簡 故 虎 先 コ 先 先 メ 角度 述べ 先 含 三方 鞭 方 代 共 変 価値観 代 本 方 何 愛 説 気 起 向 気 機づ 必要 分 易 頂 昨今 頻繁 新 紙 虐待 愛 飢 持 犯 多 み 悲 例 適 小 軍隊 経験 無 映画 本 軍隊 官 部下 暴 暴 受 部下 今度 分 部下 暴 腹 分 受 暴 分 官 絶対 分 昔 述 ダブ 愛 飢 分 家族 供達 友 持 愛 注 ば良 思 如 結婚 供 程 両 ケ 本質的 違 思 家庭 家族愛 存在 ず 暴 伴 場 根 深 格 変 我 抵抗 ケ 多 同士 軍隊 成 期 供へ 影 響 本質的 違 訳 家庭 愛 飢 暴 受 厄介 再婚 同棲 同居 場 供 受 暴 後 絶 残念 悲 今回 反響 個 問 将 愛 テ 方式 場 アメ セ 企画 如何 思 突然 依頼 受 追 語 尽 容 許 筆 頂 完 次頁に 次頁に前田妙子様の 前田妙子様のご紹介を 紹介を兼ねて、 ねて、「命の大切さを 大切さを考 さを考えよう」 えよう」の講演チラシを 講演チラシを添付 チラシを添付させていただ 添付させていただきます させていただきます。 きます。 なお講演 なお講演チラシは 講演チラシは一部編集 チラシは一部編集させていただきました 一部編集させていただきました。 させていただきました。 病生 と、 を なくされ の大人は感 けれど、 情は め、取り めや く ンデを の人 、人間 に恵まれていたことが大きいと 命を から からの ン ッ ーな その様に朝陽ちゃん自身が、 いを 識 しくなったり、 に立って もって生まれた すれ や と 事を 々の「 ちで で言うほど 生が きで らしく 単なことではないが 、そして 前 きにその にさせるための「動 く ものの に られるのは により 力を振るって 人に 人には で、この 特に 子にも が れ子と で上 えが が に は上 のことと てる を 者の 内に が されたお 充 生が と に 化する 性についても やいじめは、 に 力を振るうシーンがあり、 が けたあのような 別 の日を いのにと いがあると 力を う うが に え 合の子 々人の身近な われている中で ます。 ) ( り ち が 合は が 力が ンターで くせていない内 生も も人間として を こさせ、 いた。 の が が いものの、 は自 になった時は くである。しかし、 く人 を けて育った大人は ける 生と平岡恵 の 行 や に しないという して子 の ・子 を育てた過 っている。 を 題でもあるので、近い ント情報 け、時間に が っている。 えて育ったからこそ、自 力を が、このリタイ を えられた られた。須賀 えてしまうため、大人になって の と 長 にある子 である。まして たないのは で ・ 来「人間 されては 」を かと 7 により連 がかなりあっ ーマにしたディスカッション っている。 になっていることをお が の しい。 の「命の大切さを考えよう」と題した講演会、パネルディスカッションについては の 局 って大人になった者の けた が上 に たと感じており、 である。 会の中で がそれを くお話し 生は 力を 力は、自 ルことがあった。つまり 、 様の言 えた生い立ちを に するようになった 人のことはその かれた。また、やる かり いようである。つまり大人 で 、 の中で、いつの時 ースが で、 っている」ように であり、 から命の大切さについて考えを なく手を出すという う に育っているから、 ーディネーターを務められ、西澤信善 切ではないかもしれないが、 な せ は自 になることも事 」の大切さと素晴らしさを いでくれれ ースには 、 になって喜んであげることはあっても、 されたということであり、 「 け」の 上で報じられる しい。 のもとで に感動を覚える。 よりも「人間 いせする人と、自 かれて、 や 聞 るく振る いものではあるが、人間 しています」 と 々であり、時 来のあり 、 をしない子 ち合わせていない。自 ともし く人々が、見事に をとられた ・ うが頭で考えて出来るも 生きていくしかない。 えることができ、 から感 は教 め りの人には「 りの人たちも インパネリストになって、いろんな めこのお は えられた 者様も っている。それは決して が身についていて、それが朝陽ちゃんの素晴らしい 人はもとより の が う していた 識させられた。 け しても、 かったと 「パネルディスカッション」では、須賀 子 めて えるのか 、前田さんほかお そうなんだろうと ・ ではないが、 に 」は、理 このことを朝陽ちゃんを取り いた が を るという が生まれ、 のもとで、自 てどうという にしている できない自 めて、 でもある。しかし、事 人と るということなのだろう。 室の 人の立 け さんたち るく振る く時間には 様をはじめお かであり、そこに関わった人々の凄さを 人は特別な振る さい子が したとありました。講演をお聞きして、朝陽ちゃんは過 になって過ごした のでないことも いながら、どうしてこんなに していなかった。それはお ではなく、 な時間を しい 感想文の しいただき を をおかせて き 8 3.2016 年3月 5-6 日 オムコイバーンクンメートウン小学校 オムコイバーンクンメートウン小学校 Wプロジェクト 図書館・ 図書館・保健室完成式 Wプロジェクト総建設総額費用 プロジェクト総建設総額費用 567,065.50 บ า ท 2016 年 3 月 5-6 日 Project Organization Collaborator 心待 (会員 三原 健三) NPO JTASH C.E.O Kenzo Mihara Friend Co.,Ltd. C.E.O Keisuke Yamaguchi Griffin Marine Travel Japan Co.,Ltd Seichi Yamaguchi Green Life Support Co.,Ltd Midori Ichige Adsawin Khieosawad ちにした・・この日のために・・・ 方 頂 暖 形 係 方 応 下 皆 場 借 御礼申 Wプロジェ 皆 暖 活 成果 実 結び 皆 寄 金 不足分 両山口 三原 補 寄贈 図 館 供 将 未 養 場所 協 員 願 保健 供 衛 問 健康 維持 助 協 心 思 プロジェ 協 村 森林 方 村 住民 皆 小 先 方 協 完成 地 ぐ み 協 完成式 至 賜物 思 今後 地 協 図 館 保健 有意義 維持 願 ば 参加者: 参加者: 三原健三、 三原健三、山口馨右、 山口馨右、山口精一、 山口精一、樋口敏雄、 樋口敏雄、 井原、 井原、戸井田恵一、 戸井田恵一、市毛みどり 市毛みどり、 みどり、 アッサウィン 8 名 たくさんの やっと 関 々から いた かい支援が・・ になりました。 者の 々、支援 援をして さいました 様にこの をお クトが立ち上がってから1年間理事を始めとした さまから この 書 が子 そしてこの そしてこの して せられた支援 と たちにとり 室が子 たちの 氏と が 様の し上げます。 かい支援 い素晴らしい 来を考えるそして 来を う 生 する けになることが クトのために 学校の校長を始めとした は りして 生 題と を 力してくれた の に 9 域 った も 室が ることを を の からの 々そして できませんでした、 そして 力者全 力者の 局の の が ます。 が出来ました。 になることが、 長さんを始め 力なくしては 動の いです。 の る の の だと 域との さんそ 力こそがこ います。 力にて なものとして う いです、 かりです。 書 、 していけ オ コ バ メ ゥ 小 早3 齢 変 老体 片道250 km距離 訪問 度 遠 途 休憩 疲 悲 実 8 発 10 半 途 オ コ 食兼昼食 疲 今 回 オ コ バ メ ゥ 村 道 2 車酔 ダウ 老体 本当 厳 道 山口馨介 胃 摘 膵臓疾患 気難 乗 越 山口精一 脳 難 疾患 み 市毛み 一昨 乳 術 受 後 投薬 ザ 治療 癌 向 戦 井 奥 今回 同 訪問一週 呼吸疾患 患 緊 急 院 夫 一 奥 要望 活 皆 ぞ 気 持 ず 供 逢 供 笑 供 祝 思 気持 苦 乗 強 気持 3 本当 皆 苦労 み 75 歳 下 飛びぬ 若 44 歳 均 齢 65歳 村 道 ラ 荷台 同 齢 態 移 座 激 アロビ 鉄板 ロ オ 1 半休み 体験 皆 頑張 TV 材 ば 番 請 コミ 静 和 世界 壊 恐 迎 供 員 挨拶 供 姿 疲 べ 不思議 往復 本当 供 笑 気 助 活 今回 完成式 翌 控 到着 ぐ職業訓練 受 徒 暖 サ ジ 受 皆 幸 み 徒 客 老体 敵 ム イ ーンクン そのためか 中 時出 は ム して イから には に 氏は が ン 学校に支援を始めて には学校までの をしても・ 朝 ート に ーンクン しい 全 が れが取れないのは 時 中 ム ート っており、戸 田さんの 入 され の恵 様の しさを までの 年 かい けでその まだ のりで ほか数々の病 立ち さんは 子 イで朝 ン どりさんは ているにもかかわら する にどんどん しいかな・・年をとりました、 も えてしまいます・・ くなります。 感してしまいます。 れは見えない様子でしたが・・このあとの 名が いで ン・・ のりになりました。 出や つかり、 年、 月日は支援者の年 たちに 局を がん手 様も を も えて支援に加わり、 は 、レー に 病 などをうけて に 間前に 動に参加されました。 たちの 氏は ー 行する予定でしたが もありこの支援 いたい・子 り けその 顔が見たい、子 様それ たちと れ病 いたいと を い を たれ う ちだ り切れるのですからすごいものです。 またそういう した、ちな い ちで支えてきた に上は から 年間 は けて に 様ご い 平 様で 年 は での参加でした。 から学校までの この高年 なり のりはト しいエ ックと したことになります。 の取 しマス 学校で出 くれる えてくれた子 は な を かいマッ に生 が入れ の上の さん かな平 な をする子 は 日に ー を に子 え たちの 顔に元 してす を けることができ・ たちはこれが始めてのお さん をもらい の を始めるために までで けた生 たちか せそうでした、ち 様だそうで、 には素 なおも たちと教 いしたり・こういう時間がなにより はやはり子 たちを たことがないものを させて来た るだけ・・ きたので で子 たちと過ごした時間 な時間でした。 りしたり・・・これはなんだ・・このレシ で・・大 の ート を ースと は・・・ しい時間でした・・ かせたい させたいの いで 人 かつです。 ート ースは でたらあわせれ 出来あがり・ をさきに して かつは・・ げるだけ・・でしたが・・これがなんとも 時間 め して もかかっ てしまいました・・ なかなか 人 を するということの大 さを 痛感させられ ます。 それでも です。 を けられた 夕食 準備 台所 供 師 今 一番有意義 べ ピ 質疑応 答 笑 楽 今回 夕食 供 驚 ! 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(会員 鳥居 雄司) 雄司) 乗馬でできるのは 乗馬でできるのは 2012 7 乗馬 ラブ 通 乗馬歴5 主 TV 代劇 暴 坊将軍 白馬 海岸 走 員 勧誘 海岸 疾走 乗馬 続 乗馬 何 分 馬場 障害 外乗 年 演の 月から 時 のときに会 ク 「 になる けると 、 を 、 い始め、 」で で、 ではありませんが、 く に れん を 乗馬 松 健 画面 思 体験乗馬 毎回 乗馬 海岸 走 改 み 年目に入ろうとしています。 にまたがって るタイトル を できるようになると言われました。 、 けている人は で を をしているのでしょうか。 と言うと、 平 い出します。 で を めて考えて れるわけ ました。大き になりそうです。 馬場と 馬場と言うのは 馬場馬術(Dressage 馬場馬術(Dressage ドレッサージュ) ドレッサージュ) オ ピ 民体 縦40m(60m) 方形 帽 黒 歩( ) 駈歩( 私 2013 何 リン ックや国 ます。 の つで、 を に で、決められた演 か の上 と かけあし などの は り手が の 子をかぶり、 はやあし 、 す。 競技 一 馬 正確 美 運 競 競技 横20m 馬場 技(規 ) 由 技( 由 技) 順位 採 濃紺色 着 白色 ズボ (キュロ ) 技 常歩( み ) 速 ) 馬 歩 方(歩 ) 脚 歩幅(歩度) み 馬場 図形 描 体馬場馬術 野市 乗 馬 筈 乗 分 乗 意思 馬 育大会の の長 の 年の東京国 の き 動させることを な演 ン 自 演 う の を組 で見ました。 かりませんでした。 り手が り手の です。 があり、 ット をはきます。演 様と をあきる をするか見ていましたが全く しく 定 と自 は は な 合わせて どおりに あし 、 に を動かしている 点で決め を きま なので、 が動いているように見 えました。 障害は 障害は 障害飛越競技(jumping 障害飛越競技(jumping ジャンピング) ジャンピング) オ ピ 民体 置 色 形 障害物 ミ 早 リン ックや国 された様々な どの スなく、 や み? 競技 本馬術 ホ ペ ジ 競技ア ナ 設 順番通 飛越 走 障害物 落下 不従順 求 載 競 競技 馬場馬術 比較 乗馬 ラブ 騎乗 慣 指 先 馬場 障害 障害 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を支えて下さるお一人です。 山田先輩の第一声電話にて「アガちやん、無茶苦茶オモロイおばちゃ んがいるで。自分のセミナーの講師になつてもらえへんか?」 阿賀「そうですね」 山田先輩「民博のセミナーで聞いたけど、かた苦しい話を消ちゃん 人形を使って腹話術で退屈させないで大阪弁丸出しでしやべるねん。 山田治雄 先輩 笑いの渦の中でええ勉強ができたわ。自分が講師として迎えたいのなら、 なんぼでも紹介したるで!面白い上に内閣総理大臣賞まで受賞されてる偉い先生やで!」 阿賀「ご紹介お願いします」 山田先輩のおっしゃる通り面白おかしく勉強が出来ました。 懇親会も、いつになく盛り上がりました。 山田先輩、いつも支えていただき有り難うございます。 田坂圭子先生、有益なお話を心から厚く御礼申し上げます。 田坂先生 田坂先生を 先生を囲んで、 左から3人目の 人目の方が 田坂圭子 田坂圭子先生 圭子先生 16 6.エッセイ・自分 エッセイ・自分たち 自分たち探 たち探し 「ほのぼのマイタウンより」 ほのぼのマイタウンより」 再び縄文本の 縄文本の出版がふえています 出版がふえています 米 家巳三 しばらく低調だった縄文本の出版が、近ごろ、また目立つようになりました。「タネをまく縄文人」 「クリと日本文明」「つくられた縄文時代」「美の考古学」「アイヌと縄文」・・・エトセトラ。縄文時代 を考えることは、日本人の原点を振り返ることですから、まことに結構なことだと思います。 かつて“考古学ブーム”というのがあって、たしか青森の三内丸山遺跡の発掘を契機に古代の遺跡が 多くの人々の関心をあつめました。とくに旧石器時代の遺跡めぐりなど長蛇の列ができるほどでした。 が、これら旧石器のほとんどは捏造されたニセ遺跡だと判明、一気に考古学ブームはしぼみます。 しかし、もともと日本人には、過去を蔑む傾向があります。学校では太平洋戦争を教えたがらない。 明治の初めは江戸時代のものをできるだけ切り捨てました。チョンマゲをやめたのはいいとして、各地 の城郭までつぶそうとした。 「われわれに歴史はない。これから始まるのです」と明治政府の高官が話すのを聞いたドイツ人医師 ベルツはあきれて「自分たちの歴史を足蹴にする国に未来はない」といったものです。その明治政府の 検定教科書(小学校・歴史)には「最初吾ガ国ニ住居セシ人民ハ如何ナルモノナリシカ知リ難シ、推古 ノ記録ニ土蜘蛛ト云フ名アリテ其ノ穴居野蛮ノ民タリシヲ知ル」とあります。この「古の記録」という のが奈良時代にまとめられた「日本書紀」。自分たちの祖先、縄文人のミーム(文化の遺伝子)を受け 継ぎながら「土ぐも」などと思い切り蔑称してはばからなかった。その影響でしょう、哲学者の梅原猛 さんらひと握りの“縄文主義者”を除いて、現代の文化人の多くが縄文時代を無視、日本文化の始源は 稲作の弥生時代だと信じています。 「タネをまく縄文人」にもありますが、日本列島でも 5 千年前にはダイズ、アズキ、ヒエ、クリな どが栽培されています。このころユーラシア大陸ではヒツジ、ウシ、ブタの飼育が本格化。人為的に縄 文人は植物の増殖と管理をおこない、向こうは獣類の増殖と管理、つまり牧畜に着手した。こちらは植 物系食材を中心にした生業戦略を選択し、向うは動物系食材に依存したのです。植物と動物の違いこそ あれ、双方ほぼ同じ時期に人智を絞って人工的に食材を生み出す方法を獲得している。彼我に時間差も 優劣差もありません。 縄文人は、こよなく自然を尊崇し、大地を穢すことをひどく恐れました。土を掘り起こして自然を傷 つけることに強い抵抗感をもち、農耕は抑制的でした。森は聖地、塵芥などで汚すことも避けました。 鳥浜貝塚(福井)や三内丸山遺跡には厠(かわや)があったともいわれています。風の声、雨の色、波 の形、空の姿のうつろいに鋭く反応し、山にも谷にも、また一木一草にも神宿るとして、シカやイノシ シにも友情を寄せたのです。だから、イノシシの子、ウリ坊をとらえて家畜にするなど、さらさら考え もしなかった。そのかわり三内丸山が代表例ですが、クリ林を造成してその実を「いただきました」。 ただいただくだけではなく、縄文当時としてはめずらしい、クリの巨木6本で高さ 20 メートルもの神 殿を建て、自然の恵みに深甚なる謝意と祈りを捧げました。これは現代日本人の自然観の原像でもある のです。 最近活発な縄文本出版は、訪日客が急増したり、和食ブームが世界的な広がりをみせだして、日本人 が自信を取り戻していることに関連があるような気がします。以前の考古学ブームはバブルがはじけた あとの沈滞した日本を背景としていましたが、今回は前向きの明るい雰囲気の日本のなかで、自分たち の原点を冷静に吟味しようといった気運が感じられます。 こくまい・かきぞう 元産經新聞記者・東久留米市在住 (フリージャーナリスト 17 國 ) 7. “りらいぶ” りらいぶ”サロンのご案内 サロンのご案内 ( “りらいぶ” ぶ”塾 塾長 鈴木 信之) 之) 18 8.第 2 回カラダりらいぶセミナー開催 カラダりらいぶセミナー開催 (会員 尾崎 浩一) 浩一) さる 4 月 8 日、港区立商工会館・研修室で「チベット体操で、楽に動ける!若返る!」をテーマに 第 2 回カラダりらいぶセミナーを開催しました。 講師は前回に引き続き、斉藤秀子(チベット体操インストラクター、メイク心理セラピスト)先生です。 ●身近になったストレッチポール 身近になったストレッチポール 前回、「本当にリラックスできる、血行が良くなって、背筋が伸びる」と好評だったストレッチポー ル体操から、今回も始まりました。 第 1 回セミナーの後で、ストレッチポールを購入して、日々 の健康維持に活用している方、いつも通っているアスレチッ ク・クラブにストレッチポールが置かれているのを知ってはい た けれど、使い方を知らなかったので、あれ以来ジムで使ってい る方など、ストレッチポールが以前よりずっと身近になった人 も多いようです。 初めての場合、ポールの上に仰向けに寝て、体のバランスを とるのも難しい方もいますが、今回はみなさん安定していまし た。 ストレッチポール の上でぐらぐらする 体をリラックスさせ てバランスをとって いると、自然に体幹が まとまり、肩甲骨をはじめ、普段あまり使わない骨の可動域が 広がって「とても気持ちがいい」との感想。 そのリラックスした状態で、斎藤先生の指導で、あたかも水 に浮かんでいるような感じで手足を動かして、血行を良くして いきます。 30 分近く、ストレッチポールのエクササイズが続きます。 これでもう充分なくらい皆さんの顔色も良くなってきました が、あくまでも準備運動です。 19 ●気合のポーズから 気合のポーズから、 のポーズから、チベット チベット体操本番 ット体操本番へ 体操本番へ 前回は時間の関係で、チベット体操の時間が充分とれなかったのですが、第 2 回目はチベット体操 の本来の動きを堪能してもらうことが狙い。 チベット体操はヨガのルーツとも言われ、元々はチベットの僧侶が、体、心、魂をつなぐための訓練 として行っていたものといわれています。体幹トレーニングの要素もあり、様々なポーズで、インナー マッスルを整え、若返ることをめざします。 ヨガに比べて、ポーズもシンプルで、覚え易いものが多く、ストレッチポールと組み合わせると、短 時間で優れた効果が期待できます。 前回からお馴染みになった、両手を合わせて真っ向斬りのように切り下ろす動きから始まりました。 エイっという気合をかけて切り下ろすと、リラックスしていたからだがピシっと引き締まります。 斎藤先生は、約 1 時間近くかけて、丁寧に、チベット 体操のポーズを指導していきます。 前回に比べて、会場 の都合で参加人数を絞ったため、先生が、個々の方々の動 きに注目しやすかったので、参加した方々も、より充実し たトレーニングが出来たのではないでしょうか? 最後は、音楽を聴きながら瞑想します。一通りのポーズ をこなした後は、みなさん見違えるように背筋が伸びて、 リラックスしていながらも、安定した立ち姿になっていま す。 日常生活ではなかなかできないポーズも、先生の指導 で、体に負担をかけないやり方を教わることができまし た。 今回のセミナーを通して、またチベット体操ファンが 増えたのではないかと思います。 20 東京地区 第1回りらいぶ落語会開催 りらいぶ落語会開催! 落語会開催! (会員 尾崎 浩一) 浩一) 「上方落語と江戸落語のコラボ!!両国に新しい落語旋風が吹く!!声をあげて笑って、脳の活性化 と若返りを!!」を謳い文句に 6 月 22 日お江戸両国亭で「 東京地区第1回 りらいぶ落語会」を 開催しました。 これは「上方落語会のニューヒーロー桂三若師匠による人気イベ ントで、R&I 関西支部では既に恒例となっているりらいぶ落語会を、 ぜひ東京でも!」という会員の思いが今回実現したものです。 出演者は、桂 三若、三遊亭 楽生、三遊亭 けん玉のお三方。 まず、若手落語家の三遊亭 けん玉さん が、会場を盛り上げます。 前座の 前座の三遊亭けん 三遊亭けん玉 けん玉さん そして桂三若師匠は、さすがに関西支 部で R&I 会員の様子をよくご存知です。 年齢層にあわせて退職後の夫婦をテーマ にした新作落語でたちまちお客さんを ぐっと引き込みます。 次に、三遊亭楽生師匠が登場。 軽妙洒脱な「時蕎麦」を彷彿と させるお江戸の詐欺話で会場は 爆笑の渦と化しました。 江戸落語が 江戸落語が冴える 三遊亭楽生師匠 テンポのいい江戸落語に対して、 最後は三若師匠が上方の伝統話で 受けて立ち、爆笑につぐ爆笑で しっかりと締め、熱気と爆笑に 包まれた落語会は大盛況で幕と なりました。 東京は 東京は第1回目でもあり 回目でもあり 張り切ってご挨拶 ってご挨拶される 挨拶される 竹川理事長 おもろい新作落語 おもろい新作落語で 新作落語で 会場を 会場を爆笑させる 爆笑させる 桂三若師匠 上方の 上方の伝統落語で 伝統落語で締める 桂三若師匠 この成功を受けて、早速 11 月 30 日に東京地区第2 回りらいぶ落語会の開催が決まりました。 詳細は後日事務局からご案内します。 21 9.シャルル・アズナブール ~奇跡のコンサート 奇跡のコンサート~ のコンサート~ (会員 ヤスコ Wild( ) Wild(杉山 泰子) 泰子) 去る 6 月 13 日、大阪フェスティバルホールでアズナブールのコンサートが開催された。 92 歳という年齢で、いったいどんなコンサートになるのだろう? そんなに無理をしなくても・・・。 口パクで歌う、などという噂も流れていた。 最後のコンサートと銘打ったコンサートが何年も前から行われていた。 あるテレビの番組でインタビューを受けていたアズナブールは、どこにでもいる枯れ切った小さなおじ いさんだった。 そんなわけで、私は複雑な思いでコンサート会場に足を運んだ。 けれど彼がステージに現れたとき、一瞬にしてすべての危惧は吹っ飛 んだ。 そこに居たのはまさしく本物のアズナブール。 あのシャルル・アズナブール! 私がまだ 10 代の終わりころ聞いた歌、アメリカ人の歌手が英語で 「When I Was Young(私が若かったころ)」を聴いたのがアズナブール との出会いだった。 後になって、これがアズナブールのシャンソン「帰り来ぬ青春」だった と知る。 私は当時、エルヴィス・プレスリー、ポール・アンカ、ビートルズ、 カーペンターズ、バート・バカラックなどの英語で歌われる音楽に夢中 で、その頃はシャンソンというものに特別な意識は持っていなかった。 「帰り来ぬ青春」はアメリカや世界の歌手たちの何人もがカヴァーしているのだが、私が最初に聞いた のはシャーリー・バッシ―の歌だったのではなかったかと思う。 その曲は、それまでの美しく、楽しく、心地よい曲とは違い、深い味わいがありハッピーエンドでは終 わらない、文学的、哲学的な部分で音楽をとらえているように感じた。 同時期、エルビス・プレスリーやフランク・シナトラが歌っていた「What’ s now my love (私の恋はどこへ行ってしまったのだろう)」という歌にも夢中になっていた。 これも後になって知るのだが、ジルベール・ベコーの「そして今は」というシャンソンだった。 フランク・シナトラと言えば、彼が歌った「My way」、これもまた基はクロード・フランソワが作っ た「いつものように」というシャンソンだ。 このように思うと、シャンソンが世界の音楽に与えた影響は大きいものがある。 そのシャンソン界をけん引してきて今も活躍中の歌手が、アズナブールとジュリエット・グレコだ。 アズナブールは、その作品の多くを自分で作り、また俳優としても活躍している。 歌うことと演じることは表現法が違うだけで、彼は一生を通じて人生の深さと愛の大きさを発信し続け てきた。 その美しい旋律と、温かい言葉、心をときめかすリズムで、長年、私たちを魅了してきた。 彼は、コンサートでは 20 曲あまりの曲を休憩もなく歌い続けた。足取りも軽やかで、滑舌にも滞り 22 がない。若いころよりもより一層素晴らしいステージを披露してくれた 彼は、長年自分の音楽を愛してくれた日本のフアンのために、精一杯歌ってくれたのだろう。 私自身の人生も決して楽なものではなかったけれど、ここまで乗り越えられてきたのは、 アズナブールたちシャンソンの先輩方が与えてくれた愛と夢が力を与えてくれたのだと思う。 私の友人の中には、二言目には「年金暮らしだから」という人がいる。 留まってはいけない、後ろ向きではだめ、逃げないで思い切って前進しよう。 彼は今 92 歳。彼からすると私なんぞは、まだひよこだ。さあこれからまた頑張るぞ! ヤスコWi ヤスコ Wild(杉山 泰子) 泰子)プロフィール ャ ソ 歌 訳詩家 セ NPO法 ャ ソ 協 本訳詩 協 部 阪 外 語 英米語 科卒 CD『詩 音楽』『三 オペラ』『天 翼』制 詩 『空 色』 セ 『ケ セラ セラ』 ヴ ツジプ 版社 『KCAガラコ サ 』『ヴ ヴァ! ャ ソ 』『好色七 女』 主催 シ ン ン 日 手・ 関西 と 集 ・エッ 会関西支 イスト、 長。大 文 の 、エッ ン 人関西シ 生まれ、関西 使の ー集 ート ・ ィ ン ン 大学 ( ン ィレ ン 員各位 メ R&I 5万円 当 2 へ寄 4月 6日に には から 付させていただきました。 頃 世 寄 金へ 領収証 会が日 この 付 からお の 生した 日 聞 の の をいただきましたので、 23 。 発 熊本地震へ 救 金 毎 新 社 毎 新 社 業団 以下 通 添 告 話になっている させていただきます。 )。 など (事務局) 局) ールにてお知らせしておりますが、4月 を 。 レス出 人 ●平成2 成28年 8年熊本地震救援金への 熊本地震救援金への領収証受領報告 への領収証受領報告 さる4月に会 会理事長、 学 作。 ・ シ 国 援 日 聞東京 の りの として、 会事 付にて報 10. 10.関西支部からのお 関西支部からのお知 からのお知らせ 関西支部では8月以降から来年に掛けて、以下の行事を予定しております。 皆様のご参加をお待ち申し上げております。 (関西支部長 阿賀 敏雄) 雄) ◆コンサート& コンサート&講演会 日時:2016/8/26(金) 14:00〜16:30 会場:エトレ豊中5階すてっぷホール 第1部14:00〜14:50 かしわもちかずとコンサート 第2部15:00〜16:30 譚皓先生講演会 「近代日本人の中国留学史・・・倉石武四郎を中心に」 ◆CDの CDの会 日時:2016/8/29 (月)15:30〜17:00 会場:ベルウッド ◆りらいぶ歌声喫茶 りらいぶ歌声喫茶 日程:2016/9/下旬 15:30〜17:00 会場:ベルウッド ◆第15回りらいぶ落語会 りらいぶ落語会 日時:2016/10/21(金) 14:00〜16:00 会場:ホテル・アイボリー 出演:桂三若さん 他 ◆笑いヨガ 日時:2016/11/12(土) 15:00〜16:30 ◆「人間愛」 人間愛」パネルディスカッション 日程:2016/11/下旬 ◆新春特別講演会 日時:2017/1/26 (木) 14:00~ 会場:ホテル・アイボリー 講師:拓殖大学 森本 敏 総長 <キョウヨウ・キョウイク・エイヨウ・ショウショウで健康ライフ> 関西支部長 阿賀 敏雄 090-1896-4575 ●東京地区から 東京地区からのお からのお知 のお知らせ ◆東京地区 第2回りらいぶ落語 りらいぶ落語会 落語会 日時:2016/11/30(水)13時半~16時 会場:お江戸日本橋亭 出演:桂三若、三遊亭兼好、三遊亭じゃんけん 発行: 発行:特定非営利活動法人 リタイアメント情報 リタイアメント情報センター 情報センター(R&I) センター(R&I) 〒105-0012 東京都港区芝大門1-4-14 芝栄太楼ビル 4F VIPシステム内 (事務局) 事務局) ●TEL 03-5733-2311 FAX 03-5733-3532 ●e-Mail: [email protected] ホームページ: http://retire-info.org/ ●リタイアメントジャーナル: http://retirement.jp/ (発行責任者) 事務局 島村 晴雄 24