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刑罰として死刑は許されるか ―存置論者の論拠の検討
一般研究論文
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討―
Is the Death Penalty Allowed as Punishment within the Law?
Examination of Reasons of Group Supporting the Death Penalty
菅原
由香
SUGAWARA, Yuka
はじめに
月に 1 名の 8 カ月で合計 6 名に上っている)
。
わが国では死刑が刑法に規定されており,また死
このように,現在のところ,わが国では死刑が廃
刑判決及び死刑執行も停止していない状況にある。
止される兆候がないと言わなくてはならない状況に
時の法務大臣により執行数に違いはあるものの,
あるが,この高い死刑存置に対する支持率は,死刑
2011 年に執行が 0 だった以外は毎年執行があり,
の現状及び無期懲役の現状が広く国民一般に正しく
わが国では大体年一桁程度の死刑執行がある。一方,
認識・理解されていないことに理由があるのではな
韓 国 で は, 死 刑 が法 律 に規 定 さ れて お り ,ま た
いかと考える。つまり,死刑存廃論にあたり,その
2010 年に憲法裁判所により合憲の決定が出ている
判断に必要となる情報が正確に共有されていないこ
のに,1997 年 12 月 30 日の執行以降 10 年以上執行
とが,このように存置派が多数を占め続けている要
がないため,2008 年に「事実上の廃止国」になっ
因となっているのではないかと考える。もちろん,
たとアムネスティ・インターナショナルが伝えてい
諸外国に比較した場合のわが国独自の国民の死生観
る(1)。しかし,韓国の国会で死刑廃止法案が通るこ
や刑罰観などがこの多数派の支持を存続させている
とは見込めず,事実上の廃止国の状況が続くものと
とも言いうるが,しかし死刑や無期懲役刑などに関
パクビョンシク
見られている(朴 秉 植 2012:8)
。
わが国のアンケート調査(総務省「基本的法制度
に関する世論調査」2009 年)によると,死刑存置
派が 85.6 パーセントを占め優勢を保っており(ま
して有している情報が,必ずしも正確なものではな
いことにもよっているのではないかと考えられるの
である。
すなわち,死刑を存置しようとする多くの支持者
たこの率はアンケート調査ごとに増加傾向にある),
が,死刑を存置しなければならないと考える理由は,
また死刑判決は裁判員裁判導入後も特に控えられて
例えば以下の 3 点によるものではないかと考える。
いる傾向にはなく言渡されており(2009 年 5 月か
しかしこれらはいずれもそのように断定できるかに
ら 2013 年 5 月までの約 4 年間で 17 件の死刑判決が
ついて検証が必要な事項であって,必ずしも正確な
言渡されている),また執行は最近になりハイペー
裏付けを有する確固たる論拠とはなりえていないの
スになったと言われる状況にある(2013 年 9 月 12
ではないかと考える。
日付朝日新聞夕刊によると,自民党政権交代以降,
①死刑に処せられる者は極悪非道の人間である。そ
谷垣法相による執行は,2 月に 3 名,4 月に 2 名,9
して,死刑判決にあたっては裁判所は厳正に証拠を
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認定しており,間違いはないものと認められる。ま
て死刑は許されるかという問題について考えてみた
た,死刑でなければならない犯罪というものは現に
い。
存在する(2)。
②死刑を廃止すれば,現行刑法上で次に重い刑罰は
1
わが国の最近の死刑執行及び判決の現状(3)
無期懲役刑になるが,わが国で起きている凶悪犯罪
まず,わが国の最近の死刑執行の現状であるが,
に対する刑罰としては,無期懲役刑では軽すぎるか
先に触れたように,2013 年に入って 10 か月の間に,
ら死刑は廃止できない。
6 名に対する執行があった。なお,確定死刑囚の人
③死刑執行の方法は,わが国では少なくとも残虐な
数は同年 9 月の執行により 132 人となり,うち 70
方法によっているのではない。
歳以上が 18 人となっている。なお,前回 4 月の執
わが国の死刑執行は,刑法第 11 条 1 項「死刑は,
刑事施設内において,絞首して執行する。」により,
絞首刑によっている。絞首刑はしばしば憲法の禁止
行以降 6 月に 74 歳,8 月に 73 歳の死刑囚が病死し
たという(2013 年 9 月 13 日付朝日新聞朝刊)。
最近 10 年間の死刑の執行人数は,2012 年は 7 人,
する「残虐な刑罰」(憲法第 36 条「公務員による拷
2011 年は 0 人,2010 年は 2 人,2009 年は 7 人,
問及び残虐な刑罰は,絶対にこれを禁ずる。」
)にあ
2008 年は 15 人,2007 年 9 人,2006 年は 4 人,
たるか否かが何度も裁判所で争われてきたが,現在
2005 年は 1 人,2004 年は 2 人,2003 年は 1 人,
までのところ,死刑は残虐な刑罰には当たらないと
2002 年は 2 人と大体年一桁台となっている。
するのが最高裁の確立した立場である。また,国民
一方,最近の死刑判決の現状であるが,2011 年
の間でも,執行方法がギロチンや石打ちなどによる
の通常第一審における死刑の言渡人員は 10 人であ
のでもない限り,残虐な刑罰とは見なされないとも
った。そして最近 10 年間の死刑の裁判確定人員は,
考えられる。なお,本稿では詳しく触れないが,実
2011 年は 22 人,2010 年は 9 人,2009 年は 17 人,
際の死刑執行では,頭部と胴体が離断するという現
2008 年は 10 人,2007 年は 23 人,2006 年は 21 人,
象が起こることがあると指摘されており,このこと
2005 年は 11 人,2004 年は 14 人,2003 年は 2 人,
から絞首刑は残虐な刑罰にあたるため,執行方法を
2002 年は 3 人となっている。死刑が確定すると執
変更しなければならないとする論者もある(土本武
行が可能となるため(なお,心神喪失状態にある者
司など)
。
や懐胎している女子は死刑執行が停止される),確
以上のような死刑の存置派の認識のいずれかにも
し変更があるとすれば,死刑は存置派にあっても廃
止派へと変更することがありうるのではないかと考
える。
従って,本稿では,これらの死刑存廃論の判断の
定者数が執行者数を上回ると執行可能な人数が増加
していくことになる。
一方,2011 年の殺人罪の認知件数(犯罪につい
て,被害の届出,告訴,告発その他の端緒により,
警察等が発生を認知した事件の数)は 1051 件であ
前提となると思われる死刑及び無期懲役刑の実態に
り,検挙人員(警察等が検挙した事件の被疑者の数)
ついてまず見ていき,その後,簡単に世界の情勢に
は 971 件となっている。
ついて触れ,また最近のわが国の死刑に関する新た
2011 年の「検察庁終局処理人員」は,1155 件の
な問題点についても触れ,その後で改めて刑罰とし
殺人のうち 420 件のみが公判請求され,712 件が不
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一般研究論文
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
起訴となり,23 件が家裁送致(少年事件)となっ
本年 5 月 2 日,知事の署名を経て 18 番目の死刑を
ており,殺人の起訴率は 37.1%となっている。
廃止する州となった」(5)。
従って,これらを踏まえると,認知された殺人は
以上のように,わが国は死刑廃止国のフランス,
年に 1000 件程度で,死刑執行は年一桁台なので,
ドイツ,イギリスより殺人の発生率は低いにもかか
おおよそ認知された全殺人犯の 1%以下の者が数年
わらず,死刑制度を存置し死刑判決が言渡され続け
後に死刑執行される計算となる。この事実から,本
ており,また執行も停止することなく継続している
当に死刑に値する犯罪を犯した者だけが,裁判所に
状態にあることが確認できる。
より吟味され,選別されていると予想されるかも知
れない。しかし,私見では,後述するように,現行
2
わが国の無期懲役刑の現状
の刑事訴訟手続を前提とする限り,いかに死刑とな
次に,死刑を廃止した場合,最も重い刑罰となる
る確率が低かったとしても,本当に死刑になるべき
のは現行法上無期懲役刑となるが,現行の無期懲役
者についてだけ死刑判決が下されている状況にある
刑では軽すぎるので死刑は廃止できないという理由
とは認められないと考える。例えば,今年執行され
が成り立つかについて検討することにする。
た者の中に,控訴を取下げ,一審の死刑判決を確定
無期懲役刑とは言えども,実際には 20 年程度で
させた者があったが,死刑を言渡された本人が事件
仮釈放となり出所し,再び犯罪を犯すのではないか
を争う意思がなかったとしても,最高裁まで量刑に
といったイメージを持つ人が多いのではないかと思
ついてだけであっても争うべきであり,そうでない
われる。無期懲役刑とは,刑法第 12 条により「刑
限り,審理不尽(4)の認められる恐れが払拭できない
事施設に拘置して所定の作業を行わせる」となって
のではないかと考える。
おり,刑務作業の義務のある者であり,死刑囚には
一方,殺人の発生率(人口 10 万人当たりの認知
件数)は日本が 0.9%であるのに対し,同じくフラ
その義務がないという違いがある。
2012 年 10 月付法務省「無期刑の執行状況及び無
ンスが 2.8%,ドイツが 2.7%,イギリスが 2.1%,
期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」(過
アメリカが 4.8%となっている。このことから,わ
去 10 年分のデータ)によると,無期懲役刑の平均
が国の殺人の発生率はこれらの国の中ではかなり低
受刑在所期間は 2007 年に 31 年 10 か月となり(初
い数字となっていることがわかる。このうちフラン
めての 30 年超え)
,2011 年では 35 年 2 か月にまで
ス,ドイツ,イギリスは法律上,いかなる犯罪に対
伸びているという。また,無期懲役刑受刑者の人数
しても死刑を規定していない国である。アメリカは
は,1999 年に千人の大台に乗り,2011 年では 1812
「全 50 州のうち 18 州とコロンビア特別区が死刑を
人となっている。これに対し,無期懲役刑受刑者の
廃止しており,死刑廃止州の割合は 3 分の 1 を超え
仮釈放者は,2011 年は 8 人であり,非常に少なく
ている。2011 年に実際に死刑を執行したのは 13 州,
なっている。2011 年末には 40 年以上服役をしてい
2012 年は 9 州に減少している。一昨年 11 月 22 日
る者が 28 人にも上っている。この 10 年間で死亡し
にはオレゴン州知事が任期中の執行停止を表明。昨
た無期懲役刑受刑者数は,2011 年は 21 人,2010 年
年 4 月 25 日には,コネチカット州で死刑が廃止さ
は 21 人,2009 年は 14 人,2008 年は 7 人,2007 年
れた。メリーランド州でも死刑廃止法案が可決し,
は 13 人,2006 年は 15 人,2005 年は 12 人,2004
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年は 15 人,2003 年は 11 人,2002 年は 18 人となっ
ンの 314 名が 1 位であり,次いでイラクの 129 名,
ている。10 年間に刑事施設内で死亡した無期懲役
サウジアラビアの 79 名と続いており(この上位 3
刑受刑者の合計は 147 人にも上っており,仮釈放と
か国で全体の 4 分の 3 を占める)
,わが国は 7 名で
なった無期懲役刑受刑者の数を上回っているという。
10 位となっている。昨年(2012 年)末の時点で死
無期懲役刑受刑者の平均年齢は 54.2 歳であり,60
刑制度維持国は 58 か国で,10 年以上執行していな
歳代が一番多く,453 人(全体の 25.3%)となって
い「事実上の廃止」を含めた廃止国は,140 か国に
いる(6)。このように無期懲役刑受刑者の仮釈放は認
上っている。
められにくくなっているので,無期懲役刑は実質的
世界の趨勢は死刑廃止へと向かっており,近隣国
に「終身刑化」していると言われる。このことは,
である韓国も「事実上の廃止国」になっているにも
仮釈放審理が通りにくくなったことが原因と考えら
かかわらず,なぜわが国では廃止の兆候すらも認め
れている。
られないのかは必ずしも明らかではない。もっとも
従って,これらを踏まえると,無期懲役刑受刑者
同じく近隣国である中国は,世界一の死刑執行国と
は 20 年程度で釈放されるという認識は現状とは異
見られているので,近隣国であること自体に死刑存
なっており,平均でも,仮釈放まで 35 年 2 か月も
置・廃止の背景があるかは不明であると言わなけれ
の期間を要し,また 40 年以上も服役している者が
ばならない。勿論諸外国の趨勢自体はわが国の死刑
いる以上,受刑中に死亡する者が仮釈放となる者よ
の在り方の参考になるとは言えたとしても,わが国
り多いことから,無期懲役刑では刑罰が軽すぎるか
の死刑制度がそれにより変更を迫られるものとなる
ら死刑を廃止できないとは言えないものと思われる。
とは言い切れないであろう。しかし,国連の条約諸
なお,私見では現行の無期懲役刑でも十分に重い
機関から度重なる死刑廃止の勧告があり,国連総会
刑罰になっていると考えるが,死刑を廃止するため
決議を無視しているとの批判があること自体は,受
に,現行の無期懲役刑よりも更に重い終身刑を導入
け入れなければならないのではないかと思われる。
すべきとの議論がある。これについては,死刑を廃
止するとの条件であれば,導入も検討しなければな
らないところであるが,釈放の望みの全くない刑罰
4
最近のわが国の死刑に関する新たな問題点
以下にわが国の死刑に関する最近の問題点につき,
は人間にとって過酷過ぎて認められないと考えるた
指摘しておくこととする。わが国では,以下のとお
め,現段階では賛成しがたく,最高刑は現行の無期
り,死刑に関連して知る必要があると思われる情報
懲役刑で十分であると考える。
が開示されていないという問題が多数存在する。
①執行対象者の選択基準が未公表である
3
世界的な情勢(7)
まず,執行対象者の選択基準が未公表となってい
2012 年の世界の死刑執行国数は,世界 198 か国
るという問題がある。谷垣法相の本年(2013 年)4
中 21 か国にとどまったと報告されている。10 年前
月の執行後の記者会見では,「個別の執行をどうし
には 28 か国であったので,減少傾向にあることに
たかのお答えは差し控えたい」「日本では法の上で
なる。国別の執行人数は未公表の中国が最多で数千
死刑制度が決まっており,裁判所が慎重な審理の上
人規模と見られている。公表されたものでは,イラ
で結論を出した。私としても慎重に判断した上で執
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一般研究論文
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
行命令を出した」と述べたことが報道されている
いことなどが考えられるだろう。すると,たまたま
(2013 年 4 月 27 日付毎日新聞朝刊)。執行された
事件の現場に近かったために収容された施設が東京
者がなぜ選ばれたかについて公表しないことは,無
拘置所であったという理由だけで,執行が早期に行
用な不安を国民に与えるものとなり,かつ無用な萎
われたということになると,刑罰の性質上執行時期
縮効果をもたらすものとなるので,許されないもの
が大きな利害を死刑囚にもたらすものであるから,
と考える。つまり,死刑の確定から 40 年以上執行
問題があるものと思われる。新聞報道によると,死
がない者と確定からわずか 1 年数か月で執行される
刑確定者のうち再審請求中の者が約 6 割にあたると
者があるのに,選択基準を公開しないことは,国家
言われており(8),9 月に執行された熊谷死刑囚は再
の都合により対象者を決定しているとも疑われかね
審を請求していなかったため,先に死刑が確定して
ないことになる。執行までの期間に違いのあること
いた 90 人余りより執行の順番が早まったと見られ
自体が死刑囚にとって耐え難い不公平感を生じさせ
るとも指摘されている (9)(同新聞記事)。また「法
ることは疑いようのない事実である。このことは,
務省は最近,死刑執行後の記者会見で再審請求の有
早期に執行された者に,その事実が知らされるので
無を問われても,回答しない姿勢を示している。熊
なければ苦痛を感じさせることもないので特に問題
谷死刑囚についても,谷垣法相は『プライバシーに
はないと言うことはできないものと思われる。死刑
関することなので,答えを差し控えたい』と述べる
制度は,もし維持しなければならないものであると
にとどめた」(2013 年 9 月 12 日朝日新聞夕刊)と
するのであれば,死刑執行についてのあらゆる問題
言う。谷垣法相は刑場の公開にも消極的であり,こ
点は当然にすべて解消されなければならないものと
のような死刑に関する情報を開示しない姿勢には問
思われる。
題があるものと考える。
また同記者会見では「間隔については特段理由は
②確定から執行までの期間に著しい差がある
ない」と述べたとされるが(同新聞記事),執行の
確定から執行までの期間の平均が,法務省による
度に国内外からの注目・反発のあることが予想され
と,これまで約 5 年 7 か月であったところ,2013
るのであるから,特段の理由はないとするだけの説
年 9 月に執行された者は,死刑確定から執行までの
明では,国内だけではなく国外に対しても不十分な
期間が 2 年半であり,
「平均」の半分以下であった
ものであるように思われる。
と報道されている(2013 年 9 月 12 日付朝日新聞夕
2013 年 9 月の 1 名に対する死刑執行の場合であ
刊)
。また,2013 年 4 月に執行された者のうちの 1
れば,なぜ執行可能な状況にある 134 人の中から 1
人は,死刑確定から執行までの期間が 1 年 4 か月で
人の対象者が選ばれたのかが明らかにされないこと
あった。先にも触れたが,このこと自体は違法とま
には問題があると考える。この執行は東京拘置所で
では言えないものであるが,死刑制度が維持されな
行われているが,東京拘置所は同年の他の執行時に
くてはならないとするのであれば,死刑囚には死ぬ
も行われているので,収容者の側の事情ではなく,
以外の苦痛を恣意的に与えることは許されないはず
執行をする施設側の事情によっているのではないか
であるので,確定した者の中から執行が行われる場
とも考えられる。例えば,執行する設備が整備され
合には,少なくともその期間についても説明可能な
ていることや執行にあたる職員の人員を確保しやす
合理的な理由のあることが必要であり,またそれは
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公表されるべきであると考える。また「自民党の政
更に,情報が開示されない問題と関連して,死刑
権復帰後,確定から執行までの短期間化が鮮明にな
囚の処遇上の問題がある。例えば手紙の発信や面会
っている」
(同新聞記事)と言われている。
などの接見交通権の制限を,死刑囚の管理上の問題
以上のように,死刑執行に関して,国民や死刑囚
として,不必要に加えることは認められないと考え
に開示することが必要と思われる情報が開示されて
る。もし死刑制度が必要やむをえないものであると
いない状況にあるが,特に死刑確定から執行までの
するのであれば,その制度を維持させるために最低
期間に著しい差があることは,執行される者にとっ
限度必要な制限以外は認められないものとしなけれ
ては執行が不意打ちと感じられ,耐えられない苦痛
ばならない。
を与えるものとなると思われるので,死刑制度存続
また,先にも触れたが,わが国の採用する絞首刑
上問題があると考える。法的根拠はなかったとして
が執行の方法として妥当であるのかという問題があ
も,確定から執行までの期間は大体 5 年であるとす
る。わが国では死刑の執行が全く公開されていない
れば,5 年は執行がないと思っているところ,執行
ために,現在の方法が適当であるかという判断が
当日の朝にその事実を知らされ刑場に連れて行かれ
我々には困難になっていると言える。絞首刑とは断
る苦痛が与えられることは認められないと言うべき
末魔の苦しみの中に絶命させられていくのか,絞首
である。死刑制度を存続させている以上,死刑囚に
刑によることで無用な苦痛は最小限にすることがで
は刑の執行以外の苦痛を無用に与えることは許され
きているのか,判断するための情報は乏しくなって
ないはずであるので,従来の確定から執行までの期
いる。アメリカでは死刑はマスコミなど一部の者に
間が約 5 年 7 か月であったならば,それと同等の期
対して公開されているので,少なくともどのように
間を経過していない者に対しては,執行を差し控え
死刑が執行されているかが監視されている状態にあ
るべきである。死刑囚の最大の関心事である執行日
ると言える(10)。
がいつになるかは死刑囚の利益に直接関わる問題で
以上で見てきたところから,世界の趨勢に逆行し,
あり,執行までの期間が何十年にもなる者がいるの
わが国では死刑判決及び執行は停止および廃止の傾
に,自らの執行だけはわずか 1 年半程度であったと
向には全くなく,死刑囚は増加傾向にある一方,無
いうことは耐えがたい苦痛や不公平感が生ずるはず
期懲役刑の実態は国民の認識よりも重いものとなっ
である。
ており,また無期懲役刑受刑者は増加傾向にあるこ
繰り返しになるが,死刑が確定すればいつ執行が
とが確認された。一方で,死刑執行に関して必要と
されたとしても法的には何ら問題は生じないが(む
思われる情報は,死刑囚にも国民一般にも公開され
しろ,刑事訴訟法第 475 条第 2 項では,判決確定の
ておらず,不透明な点が多くなっている状況にある
日から 6 か月以内に執行しなければならないとされ
と言える。以上のことから,死刑存置派は,凶悪犯
ているので,規定より運用が大幅に遅れていること
罪には死刑を処さねばならないとの考えから強力に
になる),どのような順番により執行されるかを公
死刑を支持しているものと思われるが,以上の事実
開しないことは,死刑囚にとり耐えられない無用な
を正しく認識したとすれば,現行の死刑の運用状況
苦痛を与えるものとなり,死刑の運用上また死刑囚
のままでは,死刑存置の考えに再考の余地が生じる
の人権上無視しうるものではないと考える。
ことになるのではないだろうか。
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一般研究論文
検討
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
その軽重だけが問題となるので,仮に間違いが起こ
最後に,死刑存置派の考えるように,死刑判決は
ったとしても取り返しがつかない程度の問題にまで
本当に死刑に処さねばならない者に対してのみ科せ
は発展しないとも言いうるが,死刑の場合は,他の
られていると言えるかについて検討してみることと
刑種とは全く異なり,それが取り返しのつかないも
する。すなわち,死刑とは,裁判所が厳正に証拠を
のになるのであるから,おのずとその選択基準とい
認定して,本当に死刑に処さなければならない者に
うのは他の刑罰とは全く異なる厳格さがなければな
ついてのみ科しているのであるから,死刑制度は維
らないと言わなくてはならない。またその量刑に際
持されるべきであると言えるかについて検討してみ
し,「誤判」が生じないようにすることは,死刑制
る。
度を維持しようとする者が最低限度責任を持つべき
結論から言えば,仮に事実認定の誤判は回避でき
はずのものであると考える (11) 。もっとも死刑を科
たとしても,また仮に裁判所が正確に証拠を認定し
するのは死刑以外の刑罰は考えられない犯罪を犯し
えたとしても,以下の理由から,量刑の「誤判」の
た場合に限らなければならないとの考え方自体を採
問題は現状では回避できないと考えられるので,死
用しない存置論者もあるのであろう。実際に,死刑
刑制度はやはり維持できないのではないかと考える。
の判決文を見ても,死刑を言渡した裁判官の判決文
量刑の「誤判」という時の「誤判」がないという意
の中には,本当に死刑に処さなければならない者の
味は,死刑を言渡すにあたり間違いがない,すなわ
みを選択したとは思われない判決文が存在している
ち死刑以外の刑罰が考えられないという犯罪につい
ように思われるのである。このように誤判問題とい
てのみ死刑が言渡されることまでが求められるもの
う深刻な問題が,存置論者にあっても,完全には払
であると考える。死刑という刑罰に相応しい犯罪が
拭できないことは認めざるをえない現段階において
何かという判断は,すでになされているという反論
は,死刑以外には考えられない事件についてのみ死
が予想されるが,この問題は合法か否かの問題にと
刑判決が言渡される程度に誤判問題が解決されるま
どまらず,哲学的な犯罪と刑罰の関係にまで発展す
では,死刑制度は維持しえないと言わなくてはなら
るものである。この点についての国民的議論は全く
ないのではないかと考える。従って,死刑の場合の
熟しておらず,かつ本稿で見てきたような事項につ
選択基準は,他の刑の量定の場合とは異なり,間違
いてさえ一般に関心が持たれていない状況にあり,
いがあってはならないということから,量刑の「誤
それでも裁判員が従来通りに死刑判決を言渡してい
判」が一層深刻になるので,死刑制度を維持する上
るのであるから,およそ死刑制度を持つために必要
で耐えられる程度に死刑の選択基準の精度の高さを
な責任を果たしえている状況にあるとは言切れない
維持することができるようになるまでは,死刑制度
であろう。また,裁判官によって判断が異なるよう
は維持できないものと言うべきである。
な,また審級ごとに言渡し刑が異なることがあるよ
以上のように,私見では,死刑制度はもし維持さ
うな現行の制度の下では,本当の意味で死刑の選択
れなければならないとしても,本当に死刑以外の刑
基準は確立しているとは言えない状態にあると考え
罰は考えられない者についてのみ死刑が言渡される
られる。
程度に法整備が完成した時でなければ存置できない
死刑以外の量刑の選択の場合では,刑種の選択と
と考える。従って,その整備が未だ不可能である現
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在の状況の下では,およそ死刑制度は維持しえない
...
楽に死ねるこの最後の希望を,確実に奪い去って
と言わざるをえないのではないかと考える。
いるんですからねぇ。そこには判決というものが
なお,もう一方で,そもそも死刑に見合った犯罪
あって,もう絶対にのがれられないというところ
などというものがおよそあるのかという問題がある
に,むごたらしい苦しみのすべてがあるんです。
ものと考える。死刑存置派は「人を殺した者は自ら
……」(ドストエフスキー2011:(上)48)
の生命をもって贖罪しなければならない」との考え
を支持するものと思われるが,私見では,殺人と死
このように死刑と殺人は全く異なるものであるの
刑は全く別のものであって,混同することはできな
で,単純に人を殺した者は死刑に処せられなければ
いものと考える。そもそも国民による殺人と国家に
ならないから死刑制度は維持しなければならないと
よる死刑という殺人は,人を殺害する点においては
いうことはできないと言わなくてはならない。ドス
共通するもののように見えるかもしれないが,死刑
トエフスキーの言うように,殺人の恐怖と死刑執行
はその主体が国家であり,またその殺害が法律に根
の恐怖は全く種類も内容も異なるものであり,それ
拠を持つものであるという点で,全く異なるもので
を同じく人を殺害したという理由や殺害される人間
あって,死刑と殺人は同列に扱えるものではないこ
の人数だけでもって比較することはできないのであ
とに特に注意する必要があるものと考える。存置論
る。この死刑の恐怖だけでも死刑廃止の強力な論拠
者は人を殺したのだから自らの生命でもってその罪
としうるのではないかと考える。
を償わなければならないと言うが,殺人と死刑とは
死刑を存置すべきか廃止すべきかは,裁判員制度
そのようにして並列的に考えられるものではないの
が導入された今日,益々私たち自身の問題になって
である。死刑は法律により執行されるので,殺人の
きたと言える。私たち自身が死刑判決を言渡し,そ
死とは異なり確実な死となるところに最大の特徴が
の判決に責任を持たなければならなくなったのであ
ある。
る。しかしこのように刑事裁判が私たちの問題とな
この点につき,ドストエフスキーは,自らが死刑
ったということは,私たちの持っている感覚・感情
執行直前にその刑を免れた体験を元にして,小説
で,自由に,有罪・無罪と量刑を決めることができ
『白痴』で,主人公のムイシュキンの台詞の中で,
るようになったということを意味するものではない
死刑の恐怖について次のように語らせている。
ことは十分に意識すべきである(12)。
そもそも刑罰は国家が刑法に違反した者に対し強
「……判決文を読みあげて人を殺すことは,強盗
制力をもって科す制裁であるが,国家が国民に刑罰
の人殺しなんかと比べものにならないくらい恐ろ
を科すことまでは必要悪として認められたとしても,
しいことですからね。夜の森などで強盗に斬り殺
換言すれば,刑罰そのものは国民による合意が認め
される人は,最後の瞬間まで,かならず救いの希
られたとしても,その生命を奪われるとする刑罰に
のど
望をもっているものなんです。もう喉を切られて
対してまでは国民による合意があったと見ることは
いながら当人はまだ生きる希望をもっていて,逃
必ずしもできないのではないかと思われる。自らの
げたり,助けを求めたりする例はいくらもあるん
生命までを国家に差し出すというのは,戦争の問題
です。ところが,死刑では,それがあれば十倍も
にも発展するところであるが,認められないとする
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一般研究論文
見方が説得力を持つように思われる。国民は,国家
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
なくなっていくのではないだろうか。
に対し,自らの生命を守ってもらうために法律に従
うことは約束できるが,自らの生命を放棄すること
注
は自分の全てを差し出すことになるから,ホッブズ
(1)国際人権団体アムネスティ・インターナショナ
も言うように,同意することはありえないように思
ル日本の HP による(http://www.amnesty.or.jp/n
われる。現在のところ,死刑制度が維持されている
ews/2012/0803_3348.html)
。「1997 年 12 月 30 日,
のは,国民による広い意味での受容があったと見る
韓国は,5 カ所の刑事施設において,19 名の男性と
ことができる状況が認められるからであろうが,こ
4 名の女性の死刑確定者を絞首刑により処刑した。
のことは時代の変化に伴い,また国民の価値観の変
2010 年 12 月現在,これが韓国で行われた最後の死
化に伴い,いずれ変わっていくのではないかと思わ
刑執行となっている」
(デイビッド・T・ジョンソン
れる。
2012:45)。なお,韓国のように国民による死刑の
向江璋悦は,この点につき,次のように述べてい
る。
支持率が高くても執行停止をしている国は他にもあ
り,支持率が高いこと自体は執行が止められない理
由にはならないものと見られる。「フィリピン(民
「元来刑罰は行為者個人の責任に基礎がおかれて
主主義国家である)の大衆の支持率は 2006 年に死
いる。その責任を全うするために
は生命の存在
刑が廃止された当時,約 80%で,他方,民主政権
が前提となることは疑いのない事実である。責任
である韓国,台湾は成人の 3 分の 2 以上が死刑を支
を果たすべき行為者を抹殺することを前提とする
持しているのに,韓国では 1997 年以降死刑を執行
刑事責任論は存在しえないはずである。又刑罰に
しておらず,台湾は 2005 年に死刑の執行を停止し
は人間の基本的権利である幸福追求ないし希望を
た。独裁主義で,世界中で最も積極的な死刑執行国
減却するものであってはならない。刑罰の本質に
家である中国では,大衆の死刑支持(58%)は,き
ついての希望刑主義においてこそ社会秩序の維持
と個人の幸福追求の権利との最小限度の調和点を
ちんとした証拠が存在するアジアの他国に比べても
..
著しく低いということが,マックスプランク研究所
見出すことになるであろう。」(向江璋悦 1960:
の調査で明らかとなった」
(福井厚編 2011:149)。
21)
(2)なお,確かな論証の準備はないが,わが国の国
民性から,殺人を犯した者は極悪非道の人間である
重大な殺人に対しては,自らの死をもって償わせ
と想像され,殺人をせざるをえなかった者に対して
るとする死刑に処するのが正しい刑罰であるとの考
は感情移入ができないため(一方で,被害者側には
えは,一面においては,正義にかなっているように
大いに感情移入ができるように思われる),理解で
も見え,受け入れられやすいものであるかもしれな
きない悪い人間を排除しようとすることの表れとし
い。しかし,刑罰とはそもそも犯罪者とされた者が
て死刑を存置しようとしているものと考えられる。
社会に復帰するためのものであるはずであり,その
一方,またわが国では未だ裁判所だけではなく,国
罪を償うためのものであるとすれば,その生命を放
家の活動全般に対する国民の信頼が厚いため,国家
棄させる死刑とは刑罰としてあり続けることはでき
の活動には間違いがないという盲目的な信頼がまた
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『総合人間学』第 8 号
2014 年 9 月
このことを支えているものと考えられる。つまり,
察官等にも意見を聞くなどした上で(同法第 38 条
冤罪の可能性は,正しく理解されていない状況にあ
第 1 項,犯罪をした者及び非行のある少年に対する
るものと思われる。
社会内における処遇に関する規則(以下,「社会内
(3)データは,本稿執筆時に最新版の法務省法務総
処遇規則」という)第 22 条,第 10 条),3 人の委
合研究所編『犯罪白書 2012』による。
員の合議により(同法第 23 条第 1 項)
,個々の受刑
(4)審理不尽とは,裁判所による審理が尽くされて
者について…基準(①法律上の規定…刑法 28 条に
いないこと自体を控訴理由とすることができるとす
より刑の執行開始後 10 年が経過することと当該受
る考え方であるが,現行刑事訴訟法上に明文の規定
刑者に『改悛の情』があること。②省令上の規定…
はない。松岡正章はこの点につき,「現行刑事訴訟
『改悛の情』があるかについては社会内処遇規則第
法は控訴理由限定主義をとっている。ところが,判
28 条の基準にあてはまっていること。③さらに詳
例は,明文がないにもかかわらず,大審院以来,原
細な規定…『改悛の情』や『改善更生の意欲』など
裁判所の『審理不尽』を理由に原判決を破棄するこ
についての判断が更に詳しく通達により定められて
とを認めてきた。/一般的にいえば,職権主義を基
いる。―括弧内引用者)に該当するかどうかを判断
調とする旧法当時においては,裁判所が実体的真実
しています。」
(2012 年 10 月付法務省「無期刑の執
の発見に十分な努力を払わなかったことについて審
行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況に
理不尽ということがいわれ,当事者主義を飛躍的に
ついて」
「無期刑及び仮釈放制度の概要について」
)
強化した現行法の下では,内容的には主として訴訟
(7)国際人権団体アムネスティ・インターナショナ
手続における裁判所の各種義務違反として構成され
ル日本調べによる。
ることになるであろう」(松岡正章 1991:242)と
(8)「法務省によると,11 日現在の確定死刑囚 133
指摘する。
人のうち,執行回避の理由となりうる再審請求をし
(5)注 1 のアムネスティ・インターナショナル日本
ていたのは約 6 割に当たる 85 人」2013 年 9 月 13
HP の 2013 年 9 月 12 日付「日本:死刑執行に対す
日付毎日新聞朝刊。
る抗議声明」の「背景情報」より。
(9)2013 年 9 月 13 日付毎日新聞朝刊。
(6)刑法第 28 条によれば,無期懲役刑受刑者の仮釈
(10)「死刑を存置する米国の一部の州が執行時の報
放が許される要件は,刑の執行開始後 10 年が経過
道陣や被害者の立ち会いや死刑囚へのインタビュー
することと「改悛の情」が見られることであるが,
などを認めているのに対し,日本は情報開示が進ん
実際に仮釈放を許すか否かの判断は次のとおりとな
でいないと指摘される。」
(2013 年 4 月 26 日付毎日
っているという。「仮釈放を許すか否かを判断する
新聞夕刊)
のは,全国 8 か所にある地方更生保護委員会(以下
(11)事実認定の誤判だけではなく,死刑に処さなけ
「地方委員会」という)であり,刑事施設の長から
ればならない者でない者に対して死刑判決を言渡す
の申出又は自らの判断に基づいて審理を開始し(更
ことも誤判と同様に考えるべきであると考える。
生保護法第 34 条第 1 項,第 35 条第 1 項),地方委
「存置論者の論理は,誤判によって命を奪われる人
員会の委員が直接受刑者と面接するほか(同法第
の命を軽視するものである。彼らにとって,無実の
37 条第 1 項),必要に応じて被害者やその遺族,検
人間の命は,裁判の「減価償却費」でしかない。/
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一般研究論文
また,存置論者の論理は,死刑囚の遺族の感情をま
ったく無視している。犯人にとって殺された被害者
の無念さと遺族の感情は大事にする反面,誤判によ
って殺された死刑囚の無念さと遺族の感情は考慮に
入れない。これは,被害者遺族の感情を理由に死刑
存置を主張した彼らの論理と矛盾する。生命の尊厳
性に対する『裁判官』という職業人の傲慢であり,
パクビョンシク
空威張りである。」
(朴 秉 植 2012:81)
「刑罰として死刑は許されるか
―存置論者の論拠の検討」
パクビョンシク
朴 秉 植 (2012)
『死刑を止めた国・韓国』インパク
ト出版会
福井厚編(2011)『死刑と向きあう裁判員のために』
現代人文社
松岡正章(1991)「審理不尽」松尾浩也・井上正仁
編「刑事訴訟法の争点(増刊)
」有斐閣
三原憲三(1980)『現代に死刑は必要か』第三文明
社
(12)福井厚は,「その(職業裁判官の従来の判断や
向江璋悦(1960)
『死刑廃止論の研究』法学書院
思考方法に対する裁判員による)修正及び改善は,
森達也(2008)
『死刑』朝日出版社
素人感覚ではなく,専門的知識及び経験,科学的知
読売新聞社会部(2009)
『死刑』中央公論社
見に基づかなければならないはずである。言い換え
れば,『井戸端会議型』や『ワイドショー型』では
菅原
由香(日本文化大学非常勤講師)
なく,『科学的知見尊重型』の判断でなければなら
ない。個人的なごく限られた経験に基づく非専門的
素人的感覚に頼って無責任になされることにより退
化する量刑(「素人的感覚としての量刑」
)であって
はならず,専門的知識及び叡智を結集して進歩する
量刑(「叡智結集としての量」
)でなければならない
のである」
(福井厚編 2011:42,弧内引用者)と指
摘する。
参考文献
王雲海(2005)『死刑の比較研究―中国・米国・日
本』成文堂
菊田幸一(1988)
『死刑』三一書房
斎藤静敬(1968)
『死刑再考論』表現社
デイビッド・T・ジョンソン(2012)
『孤立する日本
の死刑』現代人文社
団藤重光(2000)
『死刑廃止論
第 6 版』有斐閣
ドストエフスキー(2011)『白痴(上・下)』(木村
浩訳)新潮社
中川智正弁護団他編著(2011)『絞首刑は残虐な刑
罰ではないのか?』(田鎖麻衣子訳)現代人文社
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