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財団法人 国際金融情報センター - S3 amazonaws com
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った
我が国の取組
(財務省委嘱研究会)
平成 18 年 1 月
JAPAN CENTER FOR INTERNATIONAL FINANCE
財団法人
国際金融情報センター
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
はじめに
本報告書は、平成 17 年度に財務省国際局開発政策課の委嘱に基づき組成された「『イン
ドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組』に関する研究会」における成果
を踏まえて同研究会の各委員が執筆し、財団法人国際金融情報センターが取りまとめたも
のである。
インドネシアは、平成 16 年 10 月に同国としては初めての直接選挙により誕生したユド
ヨノ大統領の下で、政治・経済面では一応の安定を示している。しかしながら、同年 12
月にはスマトラ沖大地震・大津波により甚大な被害を受け、最近も 17 年 8 月末のルピア暴
落による経済混乱や、原油価格高騰に伴う消費者物価の大幅な上昇といった問題が発生し
ている。アジア経済危機当時と比べれば経済状況は大幅に改善しているとはいえ、中長期
的に安定的な成長を達成していくためには、投資環境の整備を含め、まだまだ課題は多い。
したがって、長年にわたり同国と緊密な政治・経済関係を有する我が国にとっても、同
国の政治・経済情勢を的確に分析しつつ、連携・協力関係を一層深め、諸課題を解決する
ための適切な助言を行っていく必要性はますます高まっている。
これらを踏まえ、本研究会では座長に政策研究大学院大学の白石隆副学長・教授を迎え、
学界、各研究機関および実業界から豊富な知識と経験を有する委員を招いて研究活動を行
った。研究会会合は、財務省会議室において、17 年 9 月から 12 月の間に計 4 回実施した。
各会合には、主催者の財務省国際局からはもとより、同省他局の幹部など毎回 20 名前後が
参加した。また、オブザーバーとして、外務省、経済産業省、国際協力銀行、国際協力機
構などからも多くの参加があり、委員の研究発表に続いて毎回活発な質疑・討論が行われ
た。
会合の場で行われた研究発表や質疑・討論、さらには委員が現地出張で得た成果なども
加えて取りまとめたのが本報告書である。
本報告書が、今後の我が国とインドネシアとの連携・協力関係のあり方を考える上での
一助となれば幸いである。
平成 18 年 1 月
財団法人
国際金融情報センター
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
「インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組」に係る研究会委員
(座長)
政策研究大学院大学
副学長・教授
白石
隆
木村
福成
古宮
正隆
佐藤
百合
高安
健一
本名
純
(委員)
慶應義塾大学
経済学部
三菱商事株式会社
教授
業務部
顧問
インドネシア担当
日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所
地域研究センター
日本総合研究所
立命館大学
東南アジアⅠ研究グループ長
調査部
国際関係学部
環太平洋戦略研究センター
助教授
上席主任研究員
(敬称略、50 音順)
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
目
第 1 章:
次
スシロ・バンバン・ユドヨノ政権の 1 年
-その実績、評価、課題-
第 2 章:
白石
隆・・・・・・
1
本名
純・・・・・・
9
佐藤
百合・・・・・・
27
古宮
正隆・・・・・・
43
高安
健一・・・・・・
63
木村
福成・・・・・・
79
白石
隆・・・・・・
93
松村
淳
ユドヨノ政権 1 年目の政治
-改革・復興・治安・選挙
第 3 章:
ユドヨノ政権 1 年目の経済運営
-投資環境改善と産業政策を中心に-
第 4 章:
インドネシア政府のインフラ整備戦略および
中国のエネルギー投資等の動き
第 5 章:
第 6 章:
インフラ整備資金の調達と金融資本市場整備
国際的生産・流通ネットワークとインドネシア
:FTA/EPA への示唆
第 7 章:
総括と課題
研究会報告要旨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
101
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第1章
スシロ・バンバン・ユドヨノ政権の 1 年
―その実績、評価、課題―
政策研究大学院大学
副学長・教授
白石
隆
2004 年 10 月 20 日、スシロ・バンバン・ユドヨノ政権が発足して 1 年余が経過した。
この 1 年余、ユドヨノ政権にはよくよく「つき」がなかった。政権発足 2 ヶ月後の 2004
年暮れには、インド洋大津波でアチェが壊滅的な被害を受け、そのあおりで政権の 100 日
プログラムはどこかに行ってしまった。次いで 2005 年 8 月には原油価格高騰の中、2006
年度予算案の提出をきっかけとしてルピア「危機」が起こり、政府は 10 月 1 日、2005 年
入り後 2 度目の燃料費値上げを余儀なくされた。さらにこの夏からジャカルタをはじめ各
地で鳥インフルエンザが広がり、すでに 10 人以上の死亡者が出た。また 10 月 1 日にはバ
リで再びジェマ・イスラミア(JI)武闘派残党による自爆テロが起こった。
しかし、今こうしてユドヨノ政権の 1 年余を振り返ってみると、大統領がきわめて慎重
で決定が遅いということはあっても、メガワティ大統領時代のように、政府が何もしない、
誤った決定をする、といったことは起こっていない。だからこの政権はすばらしいという
わけでもない。司法改革、インフラ整備その他、多くの懸案事項への取り組みは遅々とし
て進んでいない。アチェの災害復興にもめざましい成果は挙がっていない。警察は JI の
中心的指導者、アザハリの殺害には成功したものの、ノルディン・トップの逮捕にはまだ
成功しておらず、先のバリのテロを考えれば、これからもソフト・ターゲットに対するテ
ロは続きそうである。しかし、それでも、アチェ和平は近々、達成されそうな情勢である
し、2005 年 6~7 月、インドネシア各地で実施された地方自治体首長の直接選挙もほぼ何
の混乱もなく終了した。またアチェ復興、汚職対策、鳥インフルエンザ対策、テロ対策な
どにおいても、確かに政府としての取り組みは行われており、大統領の表現を使えば、
「戦
争に勝つ」のはまだ先のことでも、
「戦いには勝ちつつある」1。その意味で、大統領の儀
礼的機能のみを楽しんだメガワティと比較して、ユドヨノのパフォーマンスの良さは明ら
かであり、これはユドヨノ大統領に対する国内的、国際的評価の高さによっても裏書きさ
れている。さてそれではこの 1 年余、インドネシアでは何が起こり、ユドヨノ政権はどの
ような分野でどのような実績を挙げ、これから先、何を大きな課題とするのか。
1
汚職摘発は、ユドヨノ政権発足直後の、地方議会、地方自治体首長の汚職摘発から始まり、総選挙委
員会(KPU)の裏金問題、宗教省による巡礼基金流用、国会議員の地方政府に対する口利きの摘発を経て、
ついには裁判所における判決買収問題など司法汚職の摘発から、通関・租税事務所などにおける汚職摘
発に及んでいる。これについては松井和久「はじめに-ユドヨノ政権の 1 年を振り返る」、川村晃一「汚
職撲滅は進むのか」(『ワールド・トレンド』、2005 年 12 月号)を参照されたい。
1
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
1.政権基盤の強化
この問題を考える上でまず指摘されるべきは、ユドヨノ政権がこの 1 年、その政権基盤
を大いに強化したことである。これについては 3 点指摘できる。
第 1 に、議会では与党勢力が安定多数を確保した。新政権発足時、国会における与党連
合の勢力は、開発統一党(58)、民主党(56)、国民信託党(53)、福祉正義党(45)、月星
党(11)、諸派(10)、合計 233 議席(国会議員総数 550)にすぎなかった。しかし、2004
年 12 月、バリで開催されたゴルカル党大会で、副大統領ユスフ・カラが、国会議長アグ
ン・ラクソノ、実業家スルヤ・パロほかの支持を得て、総裁選に出馬し、323 票対 156 票
の大差で、前総裁アクバル・タンジュンを破って、新総裁に選出された。この結果、議会
では、メガワティとアクバル・タンジュンの盟約を基本としたメガワティの闘争民主党と
ゴルカル党の野党連合(国民連合)が崩壊し、国会における与党連合の勢力は、ユドヨノ
の民主党、イスラム諸政党、諸派の 233 議席にゴルカル党の 127 議席を加え、安定多数(360
議席)を確保することになった。
第 2 は国軍、警察、国家情報庁の掌握である。国軍では 2005 年 2 月、三軍参謀長が交
代し、陸軍参謀長には、メガワティの夫のタウフィック・キマスと親しく、アチェ問題で
ユドヨノの和平工作をことごとく妨害したリヤミザド・リヤクドゥ大将(士官学校 1973
年卒)が更迭されて、ユドヨノの「子飼い」、ジョコ・サントソ中将(1975 年卒、前陸軍
参謀次長)が任命された。さらに陸軍ではこの 1 年余、戦略予備軍司令官、特殊部隊司令
官、全国 12 の軍管区司令官の大半がすでに交代した。また、2006 年 1 月に、国軍司令官
エンドリアルトノ・スタルト大将勇退後の後任に、ユドヨノがジョコ・スヤント空軍参謀
長を推薦し、国会の承認も得られる見込みである。これにより、大統領の国軍掌握はほぼ
確実なものとなった。また警察ではユドヨノ大統領と士官学校同期(1973 年)のスタン
ト大将が長官に任命され、国家情報庁ではメガワティ側近のヘンドロプリヨノ(退役大将)
に代わってユドヨノ大統領の「後見人」、エディ・スドラジャット(退役陸軍大将、元国
軍司令官・国防相)側近のシャムシル・シレガル(元国軍戦略情報庁長官、退役中将)が
任命された。
第 3 に、大統領は 2005 年 12 月 5 日、内閣改造を発表して、ブディオノ元財務相を経済
調整相、スリ・ムルヤニ前国家開発企画庁(Bappenas)長官を財務相、ゴルカル党出身国
会議員パスカ・スゼッタを Bappenas 長官、ファハミ・イドリス前労働相(ゴルカル党政
治家)を工業相に任命した(なお経済チームのうち、マリ・パンゲストゥ商業相、プルノ
モ・エネルギー鉱業資源相は留任した)。これによって新経済チームでは調整相、財務相、
中央銀行総裁ポストをテクノクラットが占め、実業家出身のゴルカル党政治家(ファハ
ミ・イドリス工業相、パスカ・スゼッタ Bappenas 長官)と共に経済運営を行うこととな
った。
なお付言しておけば、この内閣改造においては、大統領がどれほど自前の経済チームを
編成できるか、それによって政策決定における大統領とユスフ・カラ副大統領の役割分担
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
にどのような変化が生じるかが大きな注目点であった。その意味で、ブディオノ、スリ・
ムルヤニが経済調整相、財務相に任命されたことはマクロ経済安定を重視する大統領の意
思を示した人事といってよい。しかし、同時に、大統領は、副大統領、与党連合参加の政
党に対しても周到な配慮を行った。副大統領の盟友、アブリザル・バクリの閣内残留(経
済調整相から社会福祉調整相に横滑り)、パスカ・スゼッタの Bappenas 長官任命はこれを
示すものである(なお内閣改造の最終段階ではアブリザル・バクリの処遇が大統領と副大
統領の間で最大の争点となり、これに関連して副大統領は経済調整相ポストをマクロ経済
担当調整相と産業貿易担当調整相ポストに分割することを提案したといわれる。これは後
述の通り、実現しなかったとはいえ、大いに注目に値する)。
2.政権の実績
さて、それではユドヨノ政権はこの 1 年余、どのような実績を挙げたのか。先にも述べ
たように、この 1 年余、司法改革、汚職撲滅、インフラ整備、アチェ復興などは、政府と
しての取り組みは行われているが、成果はあまり挙がっていない。またテロ対策において
も、JI の残党、ノルディン・トップを中心として新しい世代の活動家が登場しつつあり、
2005 年 10 月 1 日のテロを考えれば、これからもバリ、ジャカルタの繁華街などではソフ
ト・ターゲットに対するテロは続きそうである。しかし、それでも、2005 年 6~7 月イン
ドネシア各地で実施された地方自治体首長の直接選挙はつつがなく終了し、アチェ和平も
近々、達成の見込みである。また原油価格高騰に伴う燃料費値上げも実施された。こうし
た実績は、上に述べたような政権基盤の強化があってはじめて実現できたことである。で
はこうした問題処理の過程で何が達成され、何が問題として残ることとなったのか。
まずはアチェ和平である。中央政府と自由アチェ運動(GAM)は 2005 年 8 月、ヘルシン
キで和平協定に合意した。それ以来、今日まで、停戦の遵守、GAM の武装解除、国軍派遣
部隊の撤収、GAM 逮捕者の釈放等は順調に進展しており、最近では GAM がその軍事組織の
解体を宣言、アチェ和平国際監視チームによれば、和平のプロセスは 2006 年半ばには完
了の見込みという。アチェ和平がこれほど順調に進展した 1 つの理由は、国軍司令官、陸
軍参謀長がアチェ和平を全面的に支持して、かつてのリヤミザド・リヤクドゥ陸軍参謀長
時代のように、アチェ和平の気運が盛り上がるたびにアチェで「民間人」が和平反対、戒
厳令支持のデモを行い、またアチェ各地で「反乱勢力」と国軍部隊の武装衝突が頻発する
という事態が起こらなかったためである。
しかし、このことは、アチェ和平達成にもう何の問題もないということではない。2 つ
の大きな問題がある。その 1 つは GAM の処遇である。和平協定においては、GAM がアチェ
で新しく政党を結成し、地方議会選挙、地方自治体首長選挙に参加できるとされている。
これを実現するためには、アチェ特別州に関する法律を改正し、地方政党を認めない現行
政党法の規定にもかかわらず、アチェにおいては地方政党を認めることを明記しなければ
ならない。この問題について、インドネシアの国民世論は圧倒的に地方政党承認に否定的
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
であり、与党連合が議会において安定多数を占めるとはいえ、なお不確定要素が残ってい
る。もう 1 つは元 GAM 兵士の社会復帰の問題である。この 2 つの問題が和平協定の精神に
適うかたちで処理され、アチェにおける地方自治体首長選挙が平和的に行われるならば、
2006 年中にはインド洋大津波災害を奇貨として 30 年ぶりにアチェに平和が戻ることにな
る。
次は 2005 年 6~7 月に実施された地方自治体首長の直接選挙である。これは全国 215 県、
11 州で実施され、現職再選が約 60%、新人の選出が約 40%という結果となった。自治体
首長に当選した圧倒的多数の人たちは地方の高級官僚、実業家であり、選挙は至るところ
で、2004 年の国会・地方議会議員選挙、大統領選挙以上に「実弾」のとびかう金権選挙
となった。しかし、それでも、選挙は心配されたような混乱もなく平和的に実施され、北
スラウェシなどにおいては、施政において実績のない現職が次々と落選するなど、選挙は
Oligarchical Democracy のルールとして定着しつつある。
では燃料費値上げ問題はどうか。2005 年には 3 月に 1 回目、10 月 1 日に 2 回目の燃料
費値上げが実施された。特に 2 回目の燃料費値上げは平均値上げ率 126%に達する大規模
なものであったが、心配された抗議運動もそれほど盛り上がらず、これによって 8 月中旬
の 2006 年度予算案発表以来の「小危機」はほぼ克服された。しかし、この問題について
は、8 月末以降、政府内の対立が露呈し、これが 12 月 7 日に実施された内閣改造の大き
な理由となった。新聞雑誌等ですでに広く報道されたことであるが、燃料費値上げをめぐ
る政治過程をごく簡単に整理するとおよそ次のようになる。
2005 年 8 月中旬、政府は 2006 年度予算案を発表した。この予算案では 2006 年の原油
価格を 40 ドル/バレルと想定し、これが 60 ドル/バレルの市場価格に照らして「非現実的」
と批判された。こうした中、議会はこの問題を取り上げて政府の説明を求め、仮に原油の
市場価格が 60 ドル/バレルで推移すれば、2005 年の燃料費政府補助金は当初予想をはる
かに上回り、年末までに予算総額の 4 分の 1 に達することが明らかとなった。財政赤字の
拡大はインフレをもたらし、インフレはルピアの減価をもたらす。こうしてルピアは 2006
年度の予算案発表以来、徐々に値を下げ、8 月 30 日には 1 ドル=11,800 ルピアをつけた。
これが 1997-1998 年危機の悪夢をよみがえらせた。1997-1998 年危機においては、ル
ピアの暴落によって、ジャカルタ株式市場の上場企業の大半が破綻した。こうした危機が
また起こるのではないか、そういった悪夢がよみがえる中、大統領は連日、閣議を開催し
た。8 月 30 日の閣議において、燃料費の即時値上げを主張するアブリザル・バクリ経済
調整相、これを支持するスリ・ムルヤニ Bappenas 長官と、1 年で 2 回目の燃料費値上げ
に逡巡する大統領の対立が露呈した。またその際、バクリ経済調整相があらかじめこの問
題について根回しを行ったプルノモ・エネルギー鉱山資源相が、閣議においてバクリ経済
調整相を支持しなかったことも明らかとなった。これによって大統領が経済チーム、特に
アブリザル・バクリ経済調整相を信頼していないことが歴然となり、これはさらに大統領
が内閣官房長官(スディ・シラライ)、警察長官(スタント)だけを伴い、経済チームの
メンバーをひとりも伴わずに中央銀行を訪れたことでますます明らかとなった。こうした
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
中、訪中・訪日の途上にあったユスフ・カラ副大統領は外遊を途中でキャンセルして帰国
した。これ以降、事態は沈静化の方向に向かった。大統領は副大統領の説得で燃料費値上
げを決断し、10 月 1 日には 126%の燃料費大幅値上げが行われた。
これで問題は一応、決着した。しかし、大統領はこのエピソードによってマクロ経済安
定の重要性を改めて確信し、投資促進・輸出振興に力点を置くアブリザル・バクリ経済調
整相を中心とする体制に代えて、財政金融政策によってマクロ経済安定を重視するブディ
オノ経済調整相中心の体制へ、経済チームの編成替えを行った。しかし、これは、大統領
と副大統領の役割分担、力の均衡を変える政治的にはきわめて微妙な問題であった。これ
がアブリザル・バクリの処遇をめぐる大統領と副大統領の対立として表面化し、結局、ア
ブリザル・バクリの社会福祉調整相任命、ゴルカル党国会議員パスカ・スゼッタの Bappenas
長官任命というかたちで処理されることになった。
3.政権の評価
さてそれではユドヨノ政権のこれまでの実績はインドネシアではどのように評価され
ているのか。2005 年 9 月 22 日-26 日実施のインドネシア世論調査機構(LSI)の調査に
よって見てみよう。
まず大統領の実績については、「満足している」が 2004 年 11 月の 80%から 2005 年 9
月の 63%へ、副大統領の実績については「満足している」が同時期に 77%から 58%に低
下した。しかし、2004 年 9 月の第 2 回目の大統領選挙の得票率が 61%であることからす
れば、大統領、副大統領の承認率はなお高い水準にあるといえる。
次に経済については、
「良くなっている」と答えた人は、2003 年 10 月の 23%、2004 年
10 月の 29%から、2004 年 11 月には 41%に上昇、2005 年 3 月の燃料費値上げ後の 4 月の
調査で 26%に低下した後、7 月には 37%に回復、今回また 24%に低下した。ただし、
「こ
れから 1 年後、経済は良くなっていると思いますか」という問いに「はい」と答えた人は、
2003 年 10 月で 51%、2004 年 10 月で 66%、それ以降、67%(2004 年 11 月)、55%(2005
年 1 月)、49%(4 月)、53%(7 月)、42%(9 月)と徐々に下降しているものの、なお高
い水準を保っている。
また経済問題についての政府の取り組みについて、「よくやっている」との評価は、燃
料供給(20%)、物価対策(26%)、失業対策(24%)、貧困削減(39%)、投資促進(48%)
とかなり低い。一方、政治社会問題についての政府の取り組みの評価は、犯罪取り締まり
(77%)、賭博取り締まり(76%)、汚職撲滅(65%)、海外出稼ぎ労働者保護(52%)、木
材不法伐採取り締まり(52%)、パプア紛争処理(58%)、GAM への対応(76%)、GAM との
ヘルシンキ和平協定(66%)と一般的にかなり高い。しかし、これは、経済問題が回答者
の生活実感に直接関係するものであることからすれば、ごく自然なことであり、ここでは
政府の政治社会問題についての取り組みが一般的に高く評価されていることの方に注目
すべきであろう。一方、経済問題への取り組みとして、より注意すべきは時系列的変化で
5
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
あり、これは、2004 年 11 月から 2005 年 9 月にかけて、燃料供給についての政府の対応
を評価する人は 30%から 20%、物価対策は 43%から 26%、失業対策は 32%から 24%、
貧困削減は 40%から 37%と低下、その一方、投資促進についての政府の取り組みを評価
する人は 47%から 48%へと 1 ポイント上昇している。
なお付言しておけば、民主主義体制に対する支持は、2001 年、アブドゥルラフマン・
ワヒド大統領時代の 28%から 2005 年の 73%へと大きく上昇しており、一方、現役軍人の
政治指導に対する期待はメガワティ大統領時代の 31%(2002 年)、26%(2003 年)、34%
(2004 年)から 2005 年 9 月には 24%に低下している。さらに現役軍人は大統領、州知事、
県知事、国会議員、地方議会議員になるべきでない(68~69%)、政府と議会が軍事力の
水準(50%)、国防費(58%)、国防計画(51%)、非常事態宣言(50%)、宣戦布告(51%)
を決定すべきであるといった結果が出ており、民主主義体制とシビリアン・コントロール
は、一般世論として定着しつつあるといえる。
4.これからの課題
ここに見るように、政府はアチェ和平、地方自治体の首長選挙実施、原油価格高騰に伴
う小危機の克服などに実績を挙げ、また実際にはそれほど成果は挙がっていないにもかか
わらず、世論は政府の犯罪取り締まり、汚職撲滅などについても高い評価を与えている。
その一方、経済問題については、政府は燃料費値上げなど、政治的にきわめて難しい問題
について適切に取り組んだにもかかわらず、あるいはそれ故に世論の評価は低く、現在で
もなお世論は、インフレ、失業、貧困問題などについての政府の取り組みにあまり高い評
価を与えていない。
さてそれでは大統領はこれからの政権の課題をどのように考えているのか。私は 2005
年 12 月 22 日、大統領官邸にて約 1 時間、大統領と面談の機会を得た。その際、大統領が
政権の実績、これからの政権の課題について述べたことを簡単にまとめると以下の通りで
ある。
まずこれまでの実績として、アチェ復興は軌道に乗りつつある。汚職撲滅、テロとの戦
い、鳥インフルエンザ対策なども進展しつつある。しかし、問題はまだ残っており、その
意味で、戦い(battles)には勝っているが、戦争(war)に勝ったとはいえない。一方、
アチェ和平プロセスは順調に進展しており、和平達成はもうそこまで来ている。また 2005
年 10 月の燃料費値上げは非常に難しい決定であったが、貧困者への救済措置との組み合
わせによって大きな混乱もなく乗り切ることができた。これが大統領のおよその自己評価
である。
次に今後 4 年間の政権の課題(priorities)は以下の通りである。第 1 はマクロ経済の
安定である。2004 年の経済成長率は 5.1%、2005 年の経済成長率は 5.5~5.8%を目標と
している。投資は回復しつつあるが、インフレはなお大きな問題であり、為替の安定にも
注意しなければならない。大統領就任時に編成した先の経済チームは投資奨励、輸出促進
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
には実績を挙げたが、マクロ経済安定の達成に課題を残した2。ブディオノ元財務相を経
済調整相に登用し、スリ・ムルヤニ前 Bappenas 長官を財務相に任命したのは、財政金融
政策に人を得て、成長の前提としてマクロ経済安定を達成するためであった。インフレ率
は、2005 年は 10.5%に達する見込みであり、2006 年にはこれを 1 桁台に落としたい。ま
た為替の安定、外貨準備にも注意しなければならない。
第 2 の課題は雇用の創出と貧困削減である。その鍵は投資の促進にあり、これに関連し
て、投資環境整備のため、税制改革、新投資法の立法化、官僚機構の効率化、汚職撲滅、
労働問題の改善などに取り組んでいる。
第 3 の課題は総合的エネルギー政策である。ここでは原油、ガス、石炭、その全てにつ
いて総合的なエネルギー生産の拡大とバイオ・エネルギー、地熱エネルギーの開発、その
他、エネルギー源多様化が課題となる。なお燃料費補助政策の見直しは、これからも適切
に行っていく。
第 4 の課題は法秩序の確立である。
そして最後に第 5 の課題は貧困者対策である。2005 年 10 月の燃料費値上げに関連して、
現在、貧困者に対する救済措置として現金の給付を行っている。しかし、中長期的には、
これを 9 年間の義務教育、保健所(Puskesmas)における医療サービスの無償化に転換し
ていきたい。
これが大統領の挙げた優先順位である。さらに大統領は投資促進・雇用創出に関連して、
経済特区設立の可能性について述べ、バタムに加え、大ジャカルタ地域(Jabotabek)、西
ジャワ、東ジャワをその候補地と考えているとした。これはインドネシアの長期的安定を
考えれば、ジャワ、特に中東部ジャワにおける雇用創出が決定的重要性を持っていること
による。
この 20 年、インドネシアでは、第 1 次産業部門の対 GDP 比率は、1985 年の 23.2%から
1994 年の 17.3%、2003 年の 15.9%へと着実に低下している。その一方、第 1 次産業部門
の就労人口比率は、1985 年の 54.7%から 1994 年の 46.1%へと低下した後、2003 年には
46.4%とほぼ同じ水準に止まっている。1997~1998 年の経済危機以来、第 2 次産業部門
の雇用創出が停滞しているためである(第 2 次産業部門の就労人口比率は、1985 年の 9.9%
から 1994 年に 14.1%へ増加した後、2003 年には 13.2%と若干の低下を見た)。このため
経済危機以来、失業者、潜在失業者は第 1 次産業部門、第 3 次産業部門(あるいはインフ
ォーマル・セクター)に堆積している(第 3 次産業部門の就労人口比率は 1985 年の 35.4%
から 1994 年の 39.7%に増加、その後 2003 年には 40.4%となっている)。この結果、イン
ドネシア、特に人口稠密なジャワでは、社会危機が深刻化しつつあり、ルピア暴落、イン
フレの昂進、生活必需品の売り惜しみといった外的ショックがあれば、1997-1998 年危
機と同様、反華人暴動、略奪などが起こりかねない。
2
2005 年 1~12 月の外国直接投資額(承認ベース、石油・ガス、金融部門を除く)は 135.8 億ドル、対
前年同期比 30.4%の増加であった。また同時期の国内投資は 50.6 兆ルピア、対前年同期比 14.7%の増
加となった。2005 年の政府の投資目標額は 179 兆ルピアであったが、これを下回った。
7
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ではどうするか。かつてスハルト時代には、工業省、科学技術応用評価庁(BPPT)、投
資調整庁(BKPM)などが中心となってプリブミ企業家の育成、戦略産業の推進を行った。
ユスフ・カラ副大統領、アブリザル・バクリ社会福祉調整相、パスカ・スゼッタ Bappenas
長官、ファハミ・イドリス工業相などはそうした政策の恩恵を受けて成長した実業家であ
る。その意味で、副大統領が内閣改造に際して、経済調整相ポストをマクロ経済担当調整
相と産業貿易担当調整相の 2 つに分割することを提案し、ファハミ・イドリスが工業相に
任命されたのは、新政権としてプリブミ企業育成を行うべきとの考えが、少なくとも副大
統領、ゴルカル党の政策課題として、受け入れられたためかもしれない。しかし、これは
おそらく大統領の立場ではない。大統領官邸のスタッフによれば、大統領にとっては、イ
ンドネシアに投資し、雇用を創出するのであれば、企業が外資系、華人系、プリブミ系の
どれであるかはどうでもよいという。また実のところ、スハルト時代とは違って、工業省、
BPPT、BKPM などはすでにプリブミ企業育成、戦略産業推進のための有効な政策手段を持
たなくなっている。大統領が雇用創出・投資促進の一手段として、経済特区の設立を考え
るのはこのような事情によるものである3。
ユドヨノ政権は、「統一」内閣の名称にも見るように、(1)アチェ、パプアにおける分
離独立運動、JI のテロ、マルク、ポソの宗教紛争など、スハルト体制崩壊以来、インド
ネシア統一に対する深刻な脅威となってきた政治問題の処理、
(2)マクロ経済の安定、雇
用創出・貧困対策を中心とした経済問題への取り組み、
(3)司法改革、汚職撲滅、法秩序
の維持等によるインドネシア国民の共和国に対する信頼回復によって、インドネシアの統
一維持、
「プロジェクトとしてのインドネシア」の reinvention を試みてきた4。政権評価
の世論調査結果に見る通り、インドネシア国民は政権の社会政治問題についての取り組み
については一般に高い評価を与え、一方、経済問題の取り組みについての評価は相当に厳
しい。大統領が政権の優先順位として第 1 にマクロ経済の安定、第 2 に雇用創出・貧困削
減を挙げるのはそのためであり、2005 年 12 月の内閣改造によって新たに編成された経済
チームがこの期待に応えることができるかどうか、それがこれからの注目点となる。
3
経済成長と雇用の関係については、インドネシアの共通理解として、「1%の経済成長が 40 万人の雇用
を生み出す。毎年、新規に労働市場に参入する 250 万人の雇用を創出し、すでに堆積している失業者、
潜在失業者にも雇用を作るためには、7%超の成長が必要である」と言われる。しかし、頼俊輔「インド
ネシア経済・金融メモ、No.7、2005-12-2」は 2001 年には 1%の成長について 25 万人の雇用が創出され
たのに対し、2004 年の雇用吸収力は 17.7 万人に低下しているとし、「経済成長そのものによって正規の
雇用が増えるのではなく、失業対策、さらには貧困対策を進めるためには、民間主導の経済成長を追及
するのみならず、公共部門による戦略的な雇用政策が必要である」としている。
4
ここで言う'reinvention'については、Takashi Shiraishi, "Reinventing Indonesia, " in Susilo Bambang
Yudhoyono, Transforming Indonesia: Selected International Speeches with Essays by International
Observers (Jakarta:Office of Special Staff of the President for International Affairs,
2005),p.33-38 を参照されたい。
8
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第2章
ユドヨノ政権 1 年目の政治―改革・復興・治安・選挙
立命館大学
国際関係学部
助教授
本名
純
はじめに
2004 年 10 月に誕生したユドヨノ政権は、この 1 年の間、慎重に政権基盤を確立してき
た。ユドヨノ大統領は、退役陸軍大将であり、政界入りはエネルギー鉱業相としてワヒド
政権(1999~2001 年)に入閣した 1999 年であった。そのため政党政治の経験を持たず、
2004 年の大統領選挙の際も、自らが設立した新党「民主主義党」を足場に立候補したもの
の、勝利のカギとなったのは、
「有能・誠実・クリーン」という個人イメージであり、それ
が直接大統領選挙の時代となったインドネシアの国民的支持を得ることに成功したともい
える。また、軍人時代は「改革派将校」の筆頭として国軍改革の立案と実施の指揮を取っ
てきたこともあり、米国政府の信頼も厚い。さらにインテリで温厚、かつ鮮明な国家ビジ
ョンを持つ人物として、国際社会の広い支持も得ている。このように、ユドヨノ大統領の
政治リーダーシップは、国民の支持、そして国際的な支持を拠り所にしており、以前の大
統領のように、巨大政党の国会内談合政治を足場にするものではない。そのため、世論の
動向や国際的な信頼というものに、極めて敏感な体質を持っており、それらがユドヨノ大
統領の政治的イニシアティブと政権運営を規定する度合いも強い1。それでは、実際に、ど
のような政治プログラムが、国内外の世論に後押しされて遂行されてきたのか。それによ
って予想される既存の政治エリートとの衝突をどう回避してきたのか。この 2 つの議論を
軸に、本章ではユドヨノ政権の 1 年を分析し、今後の展望を示したい。
以下では、まず第 1 節で、広い視点から民主化移行の課題としての政治部門改革につい
て議論し、ユドヨノ政権下での改革前進の実態と力学を考察する。第 2 節以下では、過去
1 年間の個別の政治課題について、その重要性と政権の対応について議論する。具体的に
は、アチェの和平とポスト津波の復興について、テロを中心とする治安の課題について、
そして各地で一斉にスタートした地方首長の直接選挙のインパクトについて見て行きたい。
1.政治部門改革の再活性化
(1)ポスト・スハルト政治改革の性格
政治改革は、民主化時代のインドネシアの国家安定に欠かせない努力である。1998 年 5
月のスハルト長期独裁の崩壊から、すでに 7 年が過ぎた現在においても、政治の民主化改
1 ユドヨノの世論重視や国民との直接的な関係を強調する最も象徴的な姿勢は、
「携帯メール」の公開に
表れている。これは大統領の携帯電話に、一般国民が身近な問題を直接メールで訴えることができるとい
うもので、実際、地方政府の汚職や、公務員給与の不支払いなどのクレームのメールを受けて、大統領が
動いたケースもある。
9
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
革は政権に課せられた重要課題となっている。スハルト体制下では、国軍が政治的抑圧を
日常的に担当し、他方で政権党であるゴルカル党が中央・地方議会の大多数議席を独占し
ていた。いわゆる開発独裁であり、地域住民などによる開発プロジェクトへの抵抗運動な
ども、治安悪化や「共産主義的」扇動活動とのレッテルを貼られて組織的に弾圧されるか、
司法に訴えても勝機ゼロの時代であった。その 32 年におよぶスハルト体制からの脱却には、
大きく区別して 3 部門の政治改革が課題となる。第 1 に、国軍を政治から撤退させる改革
である。第 2 に、自由で競争的な選挙が保障される民主制度を確立して、民意を反映した
議会政治が営まれるようにすることである。そして第 3 に、政治の利害対立を健全・公平
に仲裁する国家機能の確立であり、そのための司法制度の改革である。とりわけ、この司
法制度の改革は、社会正義を保障し、政権に対する国民の信頼を回復するためにも重要だ
と認識されている。
それでは、これらの政治改革課題は、これまでどのように実施されてきたのか。ポスト・
スハルト期の全体的な傾向としてまずいえることは、政治部門改革というものが、きちっ
とデザインされ、段階を追って計画的・総合的に実施されるものでなく、その時々の国内
外の圧力や権力関係、もしくはイベント実施といった流動的かつアドホックなものに「場
当たり的」に対応するかたちで実施されてきたことである。そのため、あるときは、ある
特定部門の改革が前進するが、それを後押しする環境が消滅すると、その改革の機運も弱
まるという傾向がある。また、総合的なビジョンを持たないため、各改革課題間の調整と
連動も弱く、単発的な政策の積み重ねとなる傾向がある。とはいうものの、一度実施した
改革は後戻りするものではなく、一歩前進には違いないわけであり、それらの積み重ねが
政治部門改革に貢献していることは疑いの余地はない。ただ、このようなアメーバー的な
性格上、テーマによっては改革が進んだり進まなかったりすることがあり、その主たる原
因は、政治部門改革における計画性・全体性の欠如にあることをまず理解したい。
このような性格は、インドネシアの体制変動の特徴に起因する面が大きい。スハルト開
発独裁から民主化の時代への移行は、民衆による社会革命の結果でもなければ、占領軍に
よる国家改造でもなく、旧体制エリートによるスハルト退陣誘導であり、その結果、新体
制の中核にはスハルト時代の利権エリートが寡頭的に競合する政治空間を温存している。
中央・地方を問わず、スハルト後の権力関係は相対的に流動化しているものの、構造的に
は議会と官僚組織を占める旧体制の政治エリートが「民主化の時代」を巧みに波乗りしな
がら、自らの利害に則して「改革」を押したり引いたりする政治力学が支配的である2。
「改
革」を進めることで、政治競争が優位に展開されると判断する政治エリートは「改革」を
プッシュし、そうでないと判断する政治エリートは「改革」への抵抗を示す。市民社会の
圧力は、このエリート政治の演出として有効利用され、時には意図的に動員される。後述
するように、ハビビ政権時代(1998~1999 年)で最も政治部門改革が前進したが、それら
の担い手は、ワヒドやメガワティといったスハルト時代の反体制勢力ではなく、ハビビを
2
実証研究として、例えば拙稿「ポスト・スハルト時代におけるジャワ 3 州の地方政治――民主化・支配
エリート・2004 年選挙」『アジア研究』(アジア政経学会、2005 年 4 月号)を参照。
10
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
取り巻くゴルカル党の主要リーダー達であり、旧体制下で政治経済的特権を謳歌してきた
人たちである。これからもわかるように、インドネシアのポスト・スハルト体制への移行
において、政治部門改革は、民主国家建設の最優先課題であるにもかかわらず、その実行
に計画性と総合性がない理由は、政治エリートに改革ビジョンのコンセンサスがなく、ア
ドホックに「改革」をめぐる政治的綱引きで優位に立つか否かを判断する傾向が強いから
である。そうなった背景には、スハルト体制の崩壊が、
「革命」や「占領」ではなく、旧体
制エリートのイニシアティブで誘導され、彼らがスハルト後の民主化ペースの舵取りをし
ているという現実があることを踏まえたい。
(2)政権サイクルと政治部門改革
以上の前提のもとで、現ユドヨノ政権下での政治改革を、どのように認識すべきか。改
革ドライブには大統領のリーダーシップが欠かせない。まずその観点から、以前の政権と
の比較でユドヨノ時代の傾向を浮き彫りにしたい。
スハルト後、インドネシアには 4 つの政権が誕生した。すなわち、スハルト退陣を受け
て副大統領から昇格したハビビによる政権(1998~1999 年)、1999 年の議会選挙を経て、
国民協議会の談合政治の末に誕生したワヒド大統領による政権(1999~2001 年)、ワヒド
弾劾によって副大統領から大統領に昇格したメガワティによる政権(2001~2004 年)
、そ
して 2004 年選挙(議会選挙と大統領直接選挙)を経て誕生したユドヨノ大統領による政権
である。
ハビビ時代は、政治改革に対する国内外の圧力が最も強かった時期である。スハルト体
制末期に拡大した市民の民主化運動は、スハルト退陣で勢いづき、「抜本改革」(インドネ
シア語で Reformasi Total)を求めた。ハビビはスハルトの延長でしかないと位置づけ、
市民は政治改革の断行を迫り、連日デモを展開した。当時のハビビ大統領のアドバイザー
を務めたデウィ・フォルトゥナ・アンワルによると、「当時のハビビは政治を嫌っていた。
自分は政治家ではなくエンジニアであり、墜落寸前の国家という飛行機を、どのようにナ
ビゲートして軟着陸させるかが自分の使命だと決意していた」という3。民主化運動から「ス
ハルトの延長」とレッテルを貼られ、ハビビは政権の正統性と存在意義を改革の実施に求
める動機が強かったともいえよう。メディアと報道の自由化、軍と警察の分離、政党設立
の自由化、東ティモールでの住民投票など、様々な重要な政治改革が、ハビビ時代に実施
された。ハビビ率いるゴルカル党の政治エリートも、旧体制というレッテルを貼られない
ために、先を争い改革推進を唱え、巧みな「生き残り政治」を展開してきた。このような
政治力学が共鳴し、この時期の改革ドライブは強固なものとなった。
続くワヒド政権は混乱の時代であった。インドネシア最大のイスラム組織「ナフダトゥ
ール・ウラマ」
(NU)は極めて封建的な組織文化を持つが、彼はその長としての役割と大統
3 アンワルとの会話、2005 年 11 月 18 日。スハルト体制下でのハビビと国家発展については、Takashi
Shiraishi, “Rewiring the Indonesian State,” in Daniel S. Lev. and Ruth McVey, eds., Making
Indonesia: Essays on Modern Indonesia in Honor of George McT. Kahin (Ithaca, NY: Southeast Asia
Program, Cornell University): p.164-179 を参照。
11
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
領としての役割を混同し、その結果、国家の政治運営に大きな混乱が生じた。毎日のよう
に NU 幹部からの膨大な私的陳情を受け、そのたびにワヒドは政策を二転三転させ、サプラ
イズ人事を中央・地方政府で連発した。その手法に対して政界内で不満が高まると、今度
は「政界外」勢力の動員に励み、大量の政治資金を NU 関係者に注入して「草の根」でのワ
ヒド支持運動を展開させ、同時に「禁じ手」ともいえる国軍・警察幹部への露骨な人事操
作で、治安組織の忠誠確保に乗り出した。その結果、軍内は政治化し、ユドヨノら改革派
将校がハビビ時代に下地を敷いた国軍改革路線は頓挫した4。また政界も、ワヒド弾劾に向
けての政治工作に没頭し、改革イニシアティブどころではなくなった。民主化運動も、以
前のような結束力を失い、ワヒドを政治的に守るか排除するかといった政治問題で分断さ
れた。これらの負の共鳴で、この時期の改革ドライブは停滞していった。
続くメガワティ政権はどうであったか。この政権は汚職体質が最も社会に認知されたポ
スト・スハルト政権であり、改革の成果も、政権のコミットメントの反映というよりは、
「慣性」・「偶発」・「必然」の結果である。汚職体質が露出した理由は 3 つ考えられる。第
1 に、メガワティ周辺、特に「裏の大統領」とも呼ばれた彼女の夫タウフィック・キマス
の政治フィクサー的な役割に伴う利権活動が顕著になったことである。政界のみならず社
会の末端までがメガワティ政権の汚職体質を日常的に世間話のネタにするほどであった。
第 2 に、メガワティ率いる闘争民主党の地方議員と党出身の地方首長たちによる日常的な
金権政治体質が挙げられる。1999 年の議会選挙でゴルカル党を破って第 1 党となった闘争
民主党であったが、その結果、議員数は膨れ上がり、質の悪い新参議員たちも増えた。各
地での彼らの露骨な利権漁りが、与党第 1 党に対する市民の失望を加速させた5。第 3 に、
2004 年の議会選挙と大統領選挙を控え、その前年からメガワティ周辺による次期連立政権
構想が始まり、ゴルカル党と NU を取り込んでの選挙戦突入が模索された。そのビジョンに
伴って、
「ガソリン」と称した政治工作資金が、タウフィック周辺から連合パートナーに大
量に注入され、金権政治が政界を覆った。これらの背景の下、多くの国民はメガワティと
闘争民主党に改革ドライブを期待することがいかに非現実的かを知り、失望感を高めてい
くのであった。
ただ、政権の改革リーダーシップは欠如しているものの、いくつかの重要な政治部門改
革が、メガワティ時代に日の目を見た。それらは、憲法改正による直接大統領選挙の導入
(2002 年)、汚職撲滅委員会の設置(2003 年)、そして国防法(2002 年)と国軍法(2004
年)の成立である。この憲法改正はメガワティ周辺は反対であったが、国会政治の押し引
きのなかで、いわば「偶発的」に可決された。汚職撲滅委員会の設置は、投資環境整備と
の絡みでドナー国からの強い要望と支援があって、いわば「必然的」に実現した。国防法
と国軍法は、警察と分離した後の国軍の役割に対して、速やかに法的根拠を明確化したい
4 国軍改革をめぐる政治については、拙著(Jun Honna, Military Politics and Democratization in
Indonesia, London/New York: Routledge, 2003)Chapter 9 に詳しい。
5
闘争民主党の興亡については、拙稿「メガワティと闘争民主党の敗北―党内政治・地方政治・選挙政治
で何が起こっていたのか」松井和久編著『2004 年インドネシア総選挙と新政権の始動-メガワティから
ユドヨノへ』アジア経済研究所 2005 年所収を参照。
12
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
国軍首脳部の意向に沿って、いわば「慣性的」に実現したものであり、国軍ビジネスの段
階的な解消といった重要改革も含まれているが、これは民間国防専門家や人権活動家たち
の単独ロビーの成果であり、大統領や政権のイニシアティブではない。以上のことから、
政権の改革コミットメント(ここでは政治部門に限る)としては、メガワティ時代を「低
迷の時代」と位置づけても異論はあまりないと思われる。
このように、ハビビ時代で前進して、ワヒド時代で混乱し、メガワティ時代に低迷した
政治部門改革のドライブではあるが、ユドヨノ政権ではどのような傾向が見られるだろう
か。政権発足後 1 年で全てを語るわけにはいかないが、これまでの状況を見る限り、大統
領の政治改革に対するコミットメントは強く、ビジョンを持って改革を遂行しようとして
いる姿勢が様々な言動から窺える。例えば、インドネシアでこれ以上の貧困層の拡大は国
家的な脅威であり、そのため失業率の上昇に歯止めをかけることが政策プライオリティー
となるため、雇用促進につながるインフラ投資に期待がかかるわけだが、そのための整備
として、ユドヨノ大統領は汚職追放に力点を置く。彼の指揮の下、汚職調査が大規模に行
われ、各地の地方議会議員をはじめ、40 名以上の地方首長(州知事・県知事・市長)、さ
らには総選挙委員会の委員長を含む多数の幹部委員や、警察中将にまで捜査の手が伸び、
多くが逮捕されている。警察中将が汚職容疑で検挙されるのは歴史的に例がなく、現政権
のコミットメントの表れだといえよう。また不法伐採への関与が疑われるカリマンタン島
内 10 県の県知事を取り調べており、これも大きなメス入れだと評価できよう。さらには、
閣僚が企業経営を兼ねることを「二重機能」だと批判し、これを禁止する大統領令を準備
しており、これも国民の高い支持を得ている6。ちなみに、2005 年 12 月 14 日~18 日にか
けて実施されたインドネシア調査機関(LSI)の全国世論調査によると、大統領の政策に総合
的に満足していると答えた回答者は全体の 56%と高く、なかでも反汚職政策に関しては
63%の回答者が政権のパフォーマンスに満足していると答えている7。
他方、国軍改革に関しても、信頼を置いている軍事専門家や人権活動家たちを国防省の
内部で改革作業委員会に参加させ、先の国防法と国軍法の修正案作りを任せている。より
厳密な文民統制と活動規定を盛り込んだ修正法案が出てくる見込みである8。あくまでも相
対的な位置づけではあるが、ユドヨノ現政権は、ワヒドやメガワティ時代と比べると、政
治部門改革への取り組み意欲が格段に高いといえよう。
ユドヨノに対する批判としては、決断が遅い、ビジョンはあるが実行力に欠ける、根本
的には保守的、困難に直面すると逃げる、皆に良い顔をしたがる、かかあ天下、等の指摘
6
現政権では 35 閣僚中 13 人がビジネス活動を行っている。最も象徴的なのがユスフ・カラ副大統領とア
ブリザル・バクリ社会福祉担当調整相であろう。彼らのファミリー・ビジネスが巨大公共事業を落札する
状況に対する懸念が社会批判となり、ユドヨノの大統領令の決断を促した。
7 Lembaga Survei Indonesia, “Review Akhir Tahunan: Kinerja Pemerintahan SBY-JK (Evaluasi
Publik),” Jakarta, 29 December 2005.また国際 NGO である Transparency International が 69 の途上
国で行った世論調査では、これから 3 年間に母国で汚職が減ると答えたインドネシアの回答者は全体の
81%であり、2003 年の調査結果の 55%を大きく上回った。詳しくは Transparency International,
“Global Corruption Barometer 2005,” Berlin, 9 December 2005, p.10.
8 詳しくは、拙稿「ユドヨノ政権下における国軍改革への再挑戦」
『アジ研ワールド・トレンド』2005 年
12 月号。
13
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
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がなされるが、そうであったとしても、歴代の大統領に対する批判と比べてみれば「軽度」
なものに留まっている。他方、
「民意」に対しては、従来のどの政権よりも「レスポンス度」
が高いのも事実であろう。
このユドヨノ政権において、政治部門改革で最も期待がかかるのは司法制度改革である。
勿論、国軍関連改革も民主制度改革も取り組むべき課題は少なくないが、これまで最も進
行ペースが遅いのが司法の改革である。検察や裁判において賄賂が常習化しており、担当
官がマフィアのごとく、巨悪の無罪放免を手助けする状況が、地裁から最高裁まで野放し
にされてきた。この問題は、国軍の脱政治化や、選挙関連改革、地方自治拡大、報道の自
由、人権保護などといった「改革」に比べ、旧体制エリートが最も政治的に改革モチベー
ションを持ちにくい。なぜなら、他の問題と違って、自らの手足を縛りかねない改革であ
り、それに対しては前向きにはなれないからである。既存の大政党とのしがらみが薄いユ
ドヨノ大統領の時代に、この司法制度改革に取り組まない限り、今後の展望も危うくなろ
う。言い換えれば、今がチャンスであり、タイミングが遅れるほど、2009 年選挙に近づき、
ユドヨノも選挙政治で忙しくなり、改革ドライブが失速する可能性も予想される。従って、
2006 年あたりに本格的な司法改革に着手することが期待される。
(3)政権の安定
ただ、ユドヨノ政権下で政治部門改革が順調に進行していくためには、政権が政治的に
一定の安定感を持っていることが条件になろう。政権の不安定化は改革エネルギーの消耗
につながる。それでは現在、不安定の要素はどれだけあるのか。それを判断するポイント
は 3 点ある。第 1 に、大統領と副大統領の関係である。第 2 に大統領と国会の関係である。
第 3 に政権と「場外勢力」との関係である。結論からいうと、これらのどれを見ても、現
在の権力均衡は安定的であり、当面、不安定要素は見当たらない。
大統領と副大統領の関係は、不協和音を多分に内包しながらも、どちらかが暴発して関
係解消になるような事態に発展するとは考えにくい。実業家としての行動様式が染み付い
たユスフ・カラ副大統領は、次々と政治問題でイニシアティブを発揮し、ユドヨノよりも
目立った成果を挙げている。アチェ和平においては、ユドヨノが政治治安問題担当相とし
てメガワティ時代から取り組んでいたにもかかわらず、突破口を見出せずにいたのとは対
照的に、ユスフ・カラは副大統領就任後、早々に自由アチェ運動(GAM)と交渉し、現金を
積んでのプラグマティックな交渉に臨み、和平合意を説得させた。同時に国軍幹部にも多
額な「アチェ撤退補塡金」をばら撒き、こちらも説得した。商人ならではのアプローチで
あり、これはパプアの地位問題の説得でも効果を発揮して、なんとか「パプア人民評議会」
の設置と特別自治法を軌道に乗せた。2005 年 10 月の石油燃料価格値上げ決定の際も、大
規模な反対デモを画策するリーダーたちに現金を積んで説得した。また、後述するように、
10 月 1 日のバリ爆弾テロ後には、各地のイスラム指導者たちを私邸に招き、テロ組織のビ
デオを見せてテロ撲滅に向けてのイスラム宣言を演出した。
ユドヨノにこういう実行力は見られない。それを考えると、大統領と副大統領では明ら
14
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
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かに後者に政治的な力があるといえよう。副大統領の力の背景には以下の 4 つが挙げられ
る。第 1 に、2004 年選挙で国会第 1 党に返り咲いたゴルカル党の党首として発揮できる力
である。第 2 に、国内有数の実業家として、インドネシア商工会議所を支持基盤にしてい
ることも力になっている。第 3 に、ムスリム学生連盟(HMI)のパトロンとして、イスラム勢
力にも顔が利く。第 4 に、彼の出身地の南スラウェシを中心に、東インドネシアのロビー
形成にも多大な影響を持つ。対照的にユドヨノの権力基盤は「世論」である。それは政権
の存続には欠かせないものであるが、政治エリートに対する交渉力に転化されるものでは
なく、その部分をユスフ・カラが補完している、という構図が存在する。お互いのスタイ
ルに不満はあるものの、両者とも相手の存在価値を認識している。従って、ユスフ・カラ
がユドヨノを見限って、大統領の座をハイジャックしようという発想も生まれにくい。そ
れは世論の反発と政局の混乱を招くだけだということを理解している。ユドヨノも、ユス
フ・カラなしでは政治運営が困難なことを十分承知している。その意味で、2 人の二人三
脚はプラグマティックなバランスを維持しており、これが次期選挙までに崩れるファクタ
ーは今のところ見当たらない。
このユスフ・カラの存在で、議会との関係も一定の安定感を維持している。第 1 党のゴ
ルカル党は、当然、党首が副大統領を務めるユドヨノ政権を支持し、その貢献をアピール
して見返りを期待するが、ユドヨノの立場としては、
「世論」とゴルカル党の間で板ばさみ
になっている。しかし現実問題として、議会との関係が安定することのメリットは大きく、
その関係をあえて拒否する動機はユドヨノにはない。その安定の代償として、2005 年 12
月の組閣でアブリザル・バクリを内閣から外すことが困難になり、さらにゴルカル党のロ
ビーを受け、党財務副担当のパスカを国家開発企画庁(Bappenas)長官として入閣させる
といった「ゴルカル配慮」が見られた。この組閣で政権と議会との安定関係はより強まっ
たといえよう。それを揺さぶるだけの力は野党にはなく、国会第 2 党の闘争民主党も孤立
野党に近い存在になっている。この政権・議会の均衡が崩れるファクターは今のところ見
当たらない。
外野勢力との関係においても、ユドヨノ政権を不安定化させる要素は少ない。大衆動員
力を持つ政治アクターの求心力はほとんどなくなってきている。メガワティやタウフィッ
ク・キマス、ワヒド、ウィラント元国軍司令官、アクバル・タンジュン(ゴルカル前党首)
などが、一時徒党を組んでユドヨノ政権に揺さぶりをかけようとしたものの、すぐに「息
切れ」した。このように、大統領・副大統領関係、政権・議会関係、政権・外野関係を見
る限り、今の均衡状態が崩れていく要素はあまりなく、その是非はともかく政権の安定は
確保されつつあるといえよう。そのことは、少なくとも大統領にとって改革意欲の維持に
プラスの環境を与えている。どこまでできるかは未知数ではあるが、今の政権は、これま
での政権に比べると、一歩踏み込んだ政治部門改革に取り組める環境にある。それを促す
国際的なメッセージが定期的に注入され、改革ドライブのカンフル剤となることも期待さ
れよう。
以上、政治部門改革に関する楽観的な中期展望を議論してきた。それを踏まえて以下で
15
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
は個別の政治イシューについて考えて行きたい。国家安定の課題としてのアチェ問題、最
大の治安懸念であるテロ問題、地方政治の変革が期待される地方首長選挙について考察す
る。
2.アチェの和平と復興に関する政治的課題
(1)アチェの脱軍事化
アチェ問題に関する懸念は紛争と利権に集約される。2005 年 8 月のヘルシンキ和平合意
で、インドネシア政府と GAM は内戦の終結を約束した9。インドネシア国軍が段階的にアチ
ェ派遣部隊を撤退するかわりに、GAM は独立をあきらめて武装解除し、今後は政党活動な
どを通じて地方政治に関与していく、というストーリーが合意され、30 年にわたるアチェ
紛争にとりあえずの決着が付いた。先のユスフ・カラによるイニシアティブに加え、2004
年 12 月の津波が、和平合意の締結に一役買ったのは間違いない。ヘルシンキ合意から 4
ヶ月経ち、当初懸念された反 GAM 民兵の暴走もなく、軍の撤退と GAM の武装解除はほぼ順
調に進んでいる10。1 万人ほどいた民兵は、軍の後ろ盾を失い、単独行動する力はない。ユ
スフ・カラから多額の「撤退資金」を得た軍司令部と地方軍管区に、いまの段階で和平を
妨害するインセンティブはなく、子飼いの民兵集団は自然消滅もしくは「冬眠」に入った。
GAM の軍事司令官も、12 月 28 日の最終武装解除の場で、部隊の解体を宣言し、これから組
織は「市民団体」として軍事活動でなく「政治活動」に専念していくと主張した。
この軍の撤退と GAM の武装解除が完了することで、アチェが脱軍事化し、いよいよ本格
的な復興が始まる。そしてそこには大きな課題が 2 つ横たわっている。1 つは地方政治の
正常化であり、もう 1 つは健全な社会再建である。
(2)ポスト内戦と地方政治の正常化
おそらく予定されている 2006 年 4 月には間に合わないが、同年中にアチェで地方首長
選挙が行われ、地方政治機能が復活する時期が来る。その前に「アチェ統治法案」を国会
で可決し、GAM が地方政党を作って選挙に参加できる法的基盤を整える必要がある。2006
年 1 月からの国会会期でそれが審議される予定だが、仮に法案が通過したとしても、それ
からの選挙準備では予定の 4 月には間に合いそうもない。おそらく地方首長選挙は、2006
年半ばくらいに実施されよう。その選挙はアチェ地方政治の正常化の第一歩となり、それ
を契機に市民社会の政治参加も活発になることが予想(期待)される。この段階に来て、
9
ヘルシンキ合意については、Edward Aspinall, “The Helsinki Agreement: A More Promising Basis for
Peace in Aceh?,” Washington: East-West Center, 2005 が詳しい。日本語では、河野毅「アチェ和平
は進むのか」『アジ研ワールド・トレンド』2005 年 12 月号を参照。
10 2005 年 12 月 28 日に軍のアチェ派遣部隊の撤退はほぼ完了し、約 21,000 の兵士がアチェを後にした。
アチェに駐屯する地方軍管区所属の 14,700 兵は撤退しない。この撤退過程で、軍が政治ゲームをしてい
る様子はまだ伺えない。ただ、この 12 月の撤退とほぼ同時に、軍はアチェ・ニアス復興再建庁の「依頼」
で、過疎地におけるインフラ再建を支援する陸軍技師を 1,000 名派遣する計画を公表し、GAM はその計画
を「増兵」であり和平合意に反すると強く反発している。
16
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
軍の既得権益との衝突が発生する。これまで長年、紛争によって地方政治機能は弱体化し、
また、2003 年の戒厳令導入以降は軍が地方政治に優越するアチェの状況があり、地方政府
予算の配分はかなり地方軍管区の意向を反映したものになっていた。それは軍管区の組織
的な自己資金調達の一環として制度化されたり、公共事業の談合を仕切る軍管区幹部の懐
に入るものも少なくなかった。地方政治の正常化は、こういった「紛争利権」の旨みを軍
から奪うものである。また、市民社会の政治参加の拡大で、おそらく予想されるのが、過
去の人権侵害や失踪者などの「内戦犠牲者」についての事実究明運動であり、それは軍管
区にとって少なからず脅威となる。こういったダブルパンチに直面し、軍はどのようなモ
チベーションを持つか。政治の正常化に対する密やかなサボタージュが懸念される。最悪
のシナリオは、「冬眠中」の民兵が政治ヤクザとして再動員され、市民社会の脅迫を担当
すると同時に、元 GAM メンバーを挑発して治安悪化を煽り、治安問題が日常政治に優越す
る環境がなし崩し的に再構築されることであろう。こういったサボタージュの可能性をど
う排除していくか。遠くない将来に、ユドヨノとユスフ・カラの手腕が再度問われること
になる。
(3)社会再建と地方エリート
もう 1 つの政治課題は、被災後の社会再建に関わるものである。国内外の市民団体の支
援を受け、現在、アチェの各地で崩壊したコミュニティーの再建が行われているが、その
過程で地元名士との対立が数多く報告されている。「住民参加型」のコミュニティー再開
発はグローバルな規範であり、その力学を生かした復興活動を進めることで、利権を失う
地元の封建名士は少なくない。住民参加ではなく、地元名士が指揮を取って、公共事業や
他の復興プロジェクトを断行しようとするケースが多々報告されており、住民排除を脅迫
したり、事業入札を巧みに操作する地方エリートの実態が浮き彫りになりつつある。依然
としてひ弱なアチェのローカル市民社会を、国内外で引き続き梃入れしていく必要があろ
う。そうでなければ、この大規模な復興支援が、公平な社会の創出ではなく、従来の歪ん
だ社会関係の再生産に終わる可能性さえある。
(4)わが国の支援
これらのことから、アチェの和平と復興には政治的な梃入れが非常に重要だということ
が理解できよう。その関係で、わが国に期待される支援として次の 3 つが挙げられる。第
1 に平和構築支援として、元 GAM 兵士の社会統合が重視されるべきであろう。わが国は、
カンボジアやアフガニスタンで紛争後「武装解除・動員解除・社会復帰」(DDR)の経験を
持つ。アチェにおいてもその実績を生かすことが期待されている。第 2 に、ガバナンス支
援として、2006 年の地方首長選挙が平和裏に公平に実施されるための選挙支援(準備と監
視)が期待される。これもわが国には蓄積がある。第 3 に、選挙後の政治機能の正常化が
持続性を持つためにも、市民社会組織(CSOs)のキャパシティー・ビルディングが不可欠で
あり、それに照準を定めた支援が期待されている。当然、この 3 つの支援は有機的に連動
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しており、「紛争の再発防止→民主的統治→持続的平和」をビジョンとするものである。
3.テロリズムの脅威
ポスト・スハルト時代のインドネシアにおいて、テロの撲滅は治安問題のトップ・プラ
イオリティーに位置づけられている。ユドヨノ大統領も、大統領就任時の演説でテロ対策
強化を強調し、国際的に「テロの温床」とレッテルを貼られたインドネシアのイメージ回
復を意識する。インドネシアでは 8 月~10 月が「テロの季節」として治安当局は注意を払
ってきた。8 月は国家の独立記念日があり、テロリストにとって犯行顕示のタイミングと
なっている。9 月は「9.11」というシンボルが、テロリストを駆り立てる。10 月は 2002
年のバリ爆弾テロのアニバーサリーであり、これもシンボル性を備えている。従って、イ
ンドネシアの治安当局のみならず、各国の情報機関は、この「テロの季節」を警戒してき
た。にもかかわらず、2005 年 10 月 1 日に、バリで再び「自爆テロ」が実行され、社会を
不安に陥れた11。以下では、この「第 2 のバリ爆弾」のインパクトを考えたい。なぜなら、
これを契機にテロ対応の国内状況が変わってきたからである。とくに注目すべきことは、
警察の能力向上、アザハリの死亡、そして犯罪としてのテロ認識である。
(1)警察の能力向上
まず警察についてであるが、なぜ防止できなかったのかという批判が海外の報道では目
立った。これは政府にとっては酷な批判である。そもそもバリに出入りする「市民」のト
ラベルを、警察が横の連携で情報を共有することは至難の業であろう。また 10 月 1 日は、
各地の警察で、石油価格値上げ反対のデモ行動への対応に追われていた。おそらく防止以
上に重要なのは、いかに敏速にテロ実行犯を特定し、逮捕するかということであり、その
治安能力こそが国際的な信頼確保につながると思われる。その意味で今回の対応は早かっ
た。警察の対テロ特殊部隊と豪州警察(AFP)の合同調査によって、1 ヶ月という短い期間
に実行犯の 4 人を逮捕し、11 月 9 日には指名手配中でジェマ・イスラミア(JI)の「爆弾
博士」と異名を持つアザハリを追い詰めた12。銃撃戦の末、アザハリの身柄確保は失敗し、
死体を回収することになったが、国際社会からは、事件の早期解決を実現したユドヨノ政
権と国家警察に賛辞が送られた。一方、アザハリ確保の現場にいた AFP は、膨大な量の情
報を得ており、独自の分析に基づく捜査アドバイスをインドネシア警察に提供している。
この二国の対テロ共同捜査は今後も継続され、その効果は警察の対テロ能力の向上につな
がるものと考えられる。
(2)ポスト・アザハリ
アザハリの死亡は、どのようなインパクトを持つのか。ある国家情報庁のエージェント
11
12
死者 20 名のうち、外国人は 6 名でインドネシア人は 14 名であった。
ただ、そのローラー作戦はかなり強引に行われ、人権侵害のクレームも多数出ている。
18
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
は、おそらく当分は、潜伏中のテロ集団も大規模な爆弾製造が困難になり、2003 年のマリ
オット事件のような 100 キロ級の TNT 爆弾を車に積んで自爆するようなテロは影を潜める
と分析する。それに代わって人間爆弾が主流になる可能性がある。プロでないと製造が困
難な大型爆弾ではなく、簡単なマニュアルを見ながら素人でも作れる小型爆弾を、リュッ
クに背負ったり体に巻きつけたりしてテロの犯行におよぶというスタイルである。殺傷能
力には限度があるが、場所を選べばそれなりの犠牲者が出る。マニュアルはポソやマルク
のローカル過激イスラム集団が作成したものが、かなり地下で普及しているらしく、この
タイプのテロが今後しばらく主流になる可能性が高い。そうであるならば、どういった場
所が狙われるのか。引き続き西洋人を第 1 のターゲットにするのであれば、爆弾を背負っ
てジャカルタのホテルに飛び込むことはセキュリティー上難しい。建築構造も強固な国際
5 つ星ホテルでは、人間爆弾の成果もさほど期待できない。そうなると、やはりバリが今
後もターゲットになる可能性が高い。バリには外国人観光客の集まるスポットが多く、そ
れらの建物も小規模で開放的なものが少なくなく、セキュリティーも必ずしも十分でない。
費用対効果でいえば、テロリストは依然としてバリで犯行におよぶ動機を強く持っている
と思われる。
(3)テロ認識の変化
最後に、
「第 2 のバリ爆弾」以後、テロに対する社会認識に変化が生まれていることを言
及しておきたい。上述のように、ユスフ・カラ副大統領は、自らのイニシアティブでウラ
マ(宗教指導者)たちを私邸に招き、アザハリのアジトから押収したといわれるテロ組織
の宣伝ビデオを見せ、その狂信性を訴えてウラマたちに政府の反テロ・キャンペーンへの
支持を促した。これまで多くのウラマたちは、
「テロとイスラムを同一視するな」といった
消極的な発言を繰り返すことに留まっていたが、これを機に「テロは立派な犯罪行為であ
り、ジハードではない。イスラム教徒はジハードの名の下でテロを行ってはいけない」と
一歩踏み込んだ発言をするようになった。これは大きな前進である。そもそもテロ容疑者
を匿う人たちや、見て見ぬ振りをする地域住民には、ジハードを実践しようとする人たち
を警察に通報することに、「道義的」「宗教的」な抵抗を感じる場合が多く、それがテロ細
胞のあぶり出しの妨げになっていたのは事実である。
「テロ=殺人犯」という認識が社会の
末端に浸透することで、警察が住民の協力を得てテロ対策を進める基盤が確立するであろ
う。
(4)TNC に対する国際協力
さらにいえば、テロは「国境を越える犯罪」(TNC)の一部であり、その構図は「テロ=
JI=アルカイダ=中東=反米」といった政治マインドや「テロ=実行犯は貧乏=貧困が原
因」といった経済マインドで捉えると歪んで見えることもある。
「反米」や「貧困」がテロ
の原因であるならば、インドネシア人の半数以上はテロ予備軍であり、もっと頻繁にテロ
が起きるはずである。また数でいえば JI よりも、その周辺のローカル・テロ集団のほうが
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
圧倒的にメンバーが多く、彼らのテロ動機はローカル志向である。こういった集団は、日
常的に様々な地下活動で組織を維持しており、そこをどう叩くかが大事になる。彼らの活
動ネットワークは TNC のネットワークとオーバーラップしている部分も多く、例えば海賊、
不法伐採、違法薬物、人身売買、武器密輸、マネー・ロンダリングといった国境を越える
犯罪活動が「開通」した移動・運搬ルートを、テロ関係者が利用しても何の不思議もない。
「蛇の道はへび」であり、むしろオーバーラップは自然である13。そうであるならば、テ
ロだけを TNC から切り離して対策を考えるよりも、他の犯罪動向を視野に入れた全体的な
対策が求められる。その前提に立てば、上記の犯罪カテゴリーの半数(人身売買、違法薬
物、不法伐採)が、インドネシア、マレーシア、そして中国といった領域を結ぶルートの
根絶に関わる課題であることがわかる。わが国としても、それに対する地域的な取り組み
を注視しつつ、ASEAN+3 の枠組みにおいて、問題提示と積極的な地域協力をマルチに進め
ていくべきであろう。これまで二国間ベースで行ってきた対テロ能力向上支援に加え、テ
ロのインフラともいえる国際犯罪ネットワークの遮断に貢献するマルチ支援が期待される。
4.地方首長選挙の民主化インパクト
本章で扱う最後の政治イシューは、2005 年 6 月から全国の地方自治体で一斉スタートし
た首長選挙である。このイベントは今後のインドネシア政治の行方を考える上で、とても
大きな意味を持つ。とりわけ重要なのは、新たに導入された直接選挙の実施が地方政治に
与えるインパクトである。「民意」で選んだ大統領が国の舵を取る時代となり、次は地方
の政治リーダーも直接選ぶことで、民主化が地方に深化していくとの期待が大きい。果た
してその展望は正しいのか。結論を出すには時期尚早であろう。なぜかというと、首長候
補を含む地方エリートの選挙政治が「利権漁り」の場となったことに加えて、選挙過程で
は「市民社会」の役割が極めて限定的であった、という 2 つのネガティブな側面が顕在し
た一方で、あまりにひどい候補者は落選するという有権者パワーを感じさせるポジティブ
なケースも見られたからである。以下では、首長直接選挙の導入で、政党の役割とイデオ
ロギーの役割が低下し、プラグマティックな金権主義(10 万ルピア札に描かれているスハ
ルトの絵を指して「スハルト主義」と呼ぶこともある)が浸透していく地方政治の実態と、
それでもポジティブな傾向が見られたいくつかの事例を考察したい。
(1)政党政治とイデオロギー政治の終わり?
2005 年の地方首長選挙は、11 の州と 215 の県・市が対象となった14。これらは全土の
13 オーバーラップの問題については、例えば Phil Williams and Dimitri Vlassis (eds), “Combating
Transnational Crime,” a Special Issue of Transnational Organized Crime (Vol.4, Nos.3-4,
Autumn/Winter 1998)や、John McFarlane and Karen McLennan, Transnational Crime: The New Security
Paradigm (Working Paper No.294, Canberra: Strategic and Defense Studies Centre, ANU, 1996)等を
参照。
14 選挙は、6 月末に 7 州と 160 県・市で行われ、残りの 59 の自治体でも 7 月以降に予定されたが、実施
が延期になったケースもある。
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
約 3 分の 1 の州と、約半数の県・市にあたる。残りの自治体でも、これから 3 年以内に全
て実施される予定である。これらの選挙を経て、州知事や県知事、そして市長として地方
政治で君臨する人たちが生まれる。ではどのような人物が選挙に勝つのか。選挙に勝つ秘
訣は何なのか。
ここで確認すべきことは、全ての立候補者が政党の公認を必要とするという選挙規定で
ある。無所属の独自候補はあり得ない。つまり選挙に出馬する人たちは、既存政党の思惑
に沿った人物であり、エリート政治の一部であって、革命家ではない。各主要政党も、自
らの党が擁立する候補者を当選させ、分権化時代の地方影響力を拡大させようと励んだ。
ゴルカル党は、全体の 6 割の選挙で勝利することを目標とした。闘争民主党は 4 割を目標
に設定した。浮動票が多い都市部は無理でも、田舎では政党の組織力が選挙キャンペーン
や集票活動に威力を発揮すると考えた。
しかし、実際に党がきちんと集票マシーンとして機能したケースは少なかった。公認を
めぐる党内分裂や、候補者と党組織の連携不足などが多くの地方で見られた。象徴的であ
ったのが、南スラウェシのゴルカルである。ここはユスフ・カラのお膝元でもあるにもか
かわらず、州内 10 県で実施された選挙で 5 県を落とした。勝った 5 県でも、4 県が他党と
の連合で候補者を擁立したにすぎず、党の独自候補で勝利したのはマロス県知事選のみと
いう悲惨な結果である。闘争民主党も、伝統地盤のジャワ島やバリでお粗末な結果を披露
した。中ジャワのスマラン市では、現職市長の再選を推したが、見返り金をせびり過ぎて
逃げられ、他党の立候補者として出馬、再選された。東ジャワのバニュワンギ県やバリの
バドゥン県とカランガセム県でも同様の展開で負けた。
このような巨大政党の地盤で、次々と推薦候補が負けていく状況は、政党の伝統的なイ
デオロギーや党利党略が支配的であった過去の政治との決別を示唆する。地方差はあるも
のの、直接選挙の時代に突入し、党のマシーン政治の効用は低下している。その傾向につ
いて、多くの識者は「これからは候補者自身の実力と資質が問われる時代」だと主張する。
だが「候補者本位」イコール「有権者第一の政治」ということではない。なぜか。それは
当選した候補者の票獲得能力の源を考えるとわかりやすい。その源とは、知名度、資金調
達力、そして社会ネットワークの 3 つである。
(2)立候補者の傾向
知名度は有権者にアピールする際に欠かせない。地方名士や元知事、さらには実業家や
官僚エリートといった候補者の知名度は高い。実際、6 月に実施された首長選挙の当選者
の約 6 割が現職知事の再選であり、残り 4 割の多くがビジネスマンと官僚である。いわゆ
る「市民社会派」首長の誕生は皆無に等しい。
また資金調達能力は決定的に重要である。大体、党の公認になるために莫大な金が必要
になる。どういう人物がそれを調達できるのか。やはり現職知事であったり、利権嗅覚に
鋭い実業家であったり、官製談合が得意な地方官僚などである。闘争民主党の場合、候補
者はまず各地方支部に 100 万円相当額を払って名前を登録する。そして候補者が 4 人にな
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った段階で、1人に絞るセレクションが行われるが、ここで大金が飛び交う。さらに党中
央執行部からの正式公認を得るために、さらに金をつぎ込む。最後に選挙運動資金も候補
者が党に出資する。この段階で候補者の放出する資金は 1,000 万~ 2,000 万円相当額近
くになる。
ゴルカル党の場合も似たようなものである。小党の場合も多党連合で候補を出すケース
が多いため、立候補者は連合に加わる政党全てに選挙資金をばら撒かなければならない。
官僚出身候補が実業家をパートナーに誘って立候補するケースが多いのは、「打ち出の小
槌」が欲しいからである。また逆に、実業家が官僚とペアを組みたがる理由は、後者の政
策マネージメント能力や政府運営能力を当てにしているからである。いずれにせよ、彼ら
は当選後の資金回収を念頭に入れており、それは地方政府予算から捻出されることになろ
う。ちなみに、選挙民に約束する初等教育や医療サービスの無料化、そして農村支援金な
どは、予算的には微々たるものであり、有権者アピールにもってこいの宣伝になる。
このように資金力がものをいう地方首長選挙においては、貧しい地域であればあるほど、
地元の良識派は、ジャカルタの政財界とパイプを持つ「エリート」候補に太刀打ちできな
くなる。実際、西ヌサ・トゥンガラやパプアでは、ジャカルタから送り込まれる「刺客」
候補に対抗するのは極めて困難な状況にある。
さらに中央政界とのパイプは、投票圧力にも効果を発揮する。例えばカリマンタンやラ
ンプンなどの外島において、中央政府とのコネをバックに「トランスミグラシ(移住)の
許可を剥奪すると脅せばジャワ移民の票動員は簡単だ」と選挙のプロは語る。「候補者本
位」の地方首長選挙の末に、地方住民よりもジャカルタの影響が強まるような「ねじれ現
象」が起こりかねない。
ちなみに、闘争民主党は今年度の首長選挙で 143 人の候補者を立てたが、その圧倒的多
数は中央官僚か、ジャカルタにアクセスがある地方高級官僚である。ゴルカル候補も似た
ようなものである。候補者の知名度とは、そういったものが中心であり、独立候補が出馬
できない現行制度を変えなければ、今後の変化はあまり期待できない。
さらに候補者の多くは、地元主義をアピールし、いかに自分が地元民を第一に考えてい
るかを有権者に訴える。これも演出臭いケースが少なくない。たいていの場合、その試み
で強調されるのが、伝統王国や貴族の血筋であったり、民族や慣習法社会といった、極め
て「封建的」なアイデンティティーであったりする。例えば南スラウェシや西カリマンタ
ンやバリの伝統王国、そして東ジャワの NU などのインフォーマルな社会ネットワークを重
視し、一定の票動員を期待する。有力候補者は、確実にそういう世界の実力者を陣営に取
り込もうと、「地元主義」をアピールする。これはいってみれば「縦社会」の動員戦略で
あり、地元主義という言葉からイメージされる市民社会型の「水平的社会連帯」とか「公
共圏の創出」とは大きく異なるだけでなく、その障害にもなる。
このように、地方首長選挙に立候補し、当選する「能力」を持っているのはどのような
人たちなのかを再度問うなら、その答えは第 1 に潤沢な資金、第 2 に知名度、第 3 に封建
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
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的社会ネットワークへのアクセスだといえよう15。ただ、3 つの優先順位は地方によって変
わる。例えばデポックの市長選では知名度が決定力を持った。反対にバニュワンギ県知事
選では知名度はゼロに等しいが、第 1 と第 3 が勝負を決めた。政党支配から「候補者本位」
に移行しつつあるインドネシアの選挙は、間違いなくエリート政治のパターンを変えてい
る。しかし、それは若干のケースを除き、必ずしも市民社会の追い風になっているとはい
いがたい。そういったことを踏まえながら、以下では各地の選挙状況を概観する。全ては
カバーできないが、横断的に数箇所をクローズアップしたい。
(3)各地の選挙政治
アチェでは、2004 年末の津波の被害で選挙どころでない。2005 年 10 月に、州内の 7 割
に当たる 16 県・市で首長選挙が予定されていたが、2006 年 4 月に延期された。ヘルシン
キ和平合意を受けて、GAM の地方政党化と選挙参加が約束されたことから、その制度的枠
組みを整える時間も必要になった。2006 年 4 月に実施できるかどうかも微妙である。いず
れにせよ、アチェでの地方首長選挙は国家の行方をも左右する一大イベントになろう。
同じく国軍の弾圧が続くパプアでは、13 の県・市で選挙が実施され、7 箇所でゴルカル
党が推す候補が当選した。そのうち 5 人は現職の再選である。投票率も全般的に低く、な
かには 20%というケースもあった。プンチャック・ジャヤなどで国軍が凄まじい住民弾圧
を展開し、5,000 人以上の国内避難民が出ているが、そういう被害者の多さも投票率の低
下に貢献している。西イリアン・ジャヤでも、2006 年 2 月の州知事選挙が注目される。ゴ
ルカル出身でヤクザの有力者ヨリス・ラウェヤイと、闘争民主党が擁立する現知事アファ
ルリ(退役准将)の一騎打ちになる可能性が高い。どちらが当選しても楽観的な展望は見
えてこない。
北スマトラも興味深い。メダン市長選では、主要政党の談合で現職のアブディラ市長が
擁立され、対抗馬は福祉正義党から 1 人出ただけであった。現職の再選は難なく決まり、
これまでの市の利権分配サークルは維持・強化されている。ビンジェイ市では、ゴルカル
の支持で元市長のアリ・ウムリが勝った。彼は市長時代に蓄えた豊富な資金と地元官僚ネ
ットワークをフル稼働させ、同時にムラユやジャワ、カロ、華人といった民族の有力者を
陣営に取り込み、多数票の獲得に成功した。しかし選挙当日に、投票者登録に問題がある
と主張する対立候補者勢力が選挙ボイコットを煽り、それが暴動にまで発展した。有権者
登録をめぐっては、ほかの地域でも類似の問題が多く浮上しており、地方総選挙委員会
(KPUD)の中立性と能力が問われることになった。
北スラウェシもおもしろかった。ここの州知事選ではゴルカル党の動向が注目された。
なぜなら、5 人の立候補者全員が過去にゴルカル党に所属していたからである。そして党
が現職知事のソンダの再選支持を決定したため、他の候補者は他党から立候補することに
15 それらの能力に加えて、選挙戦術として、有権者に魅力的な公約を打ちだせるかどうかも重要になる。
詳しくは岡本正明「2005 年地方首長直接選挙―地方政治・行政はどうかわるのか」
『アジ研ワールド・ト
レンド』2005 年 12 月号を参照。そのため、地元の大学教員をリクルートして選挙用「政策プラットフォ
ーム」を作らせるケースも多々見られた。
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
なった。その結果、ゴルカル党は内部分裂し、党内でソンダを支持する勢力は激減した。
彼は地元名士のバラムリ家から副知事候補を招き、後者の社会影響力に期待したり、自ら
がリーダーを務める州内最大のキリスト教組織の票動員を画策するが結果は負けであった。
評判の悪いソンダに対して有権者は支持を与えなかった。当選したのは闘争民主党から立
候補したサルンダジャンであり、彼は内務省の高級官僚で、元北マルク州知事という経歴
を持つ。マルク紛争で社会安定を回復させた功績が売りであった。選挙資金や地元の政治
ネットワークでは他の 4 人の候補者(現職のソンダ、退役軍将校、現役警察将校、バラム
リ家一員)に劣っていたものの、有権者の信頼を勝ち取った稀なケースである。この北ス
ラウェシのケースが暗示するのは、直接首長選挙の導入で、旧体制の政治寡頭エリート内
の競争が活発になり、その勝敗決定権の一部を有権者に委ねる時代になっているというこ
とである。その意味で有権者は大事であるが、構造的には寡頭エリート支配に大した変化
はない。
中スラウェシでは「紛争地」ポソの県知事選が注目を浴びた。選挙前の 5 月末には市場
で爆弾事件があり、22 人の死亡者を出している。そのため、治安を危惧する社会ムードが、
同地域軍管区の現役将校として立候補したデデ中佐に優位に働くのでは、との憶測も流れ
た。だがふたを開けて見れば、彼は全くだめで、キリスト教系の福祉平和党の候補が当選
した。案の上、その結果に不服の地元権力エリートはボイコット運動を展開し、県議員の
大多数が結果を認めないという事態に発展した。さらに地方総選挙委員会事務所に爆弾が
投げ込まれるといった騒ぎも起きている。この知事選を契機に、新たな紛争フェーズに突
入する可能性も懸念される。1999 年のポソ県知事選挙の結果が、イスラムとキリスト教住
民間の紛争にエスカレートした記憶はまだ新しい。ポソの紛争は、各地の「テロ」状況に
も大きな影響を与えるものであり、ここの政治情勢を注視する必要がある。
南スラウェシでは、上述のように 10 県・市で選挙が実施され、ゴルカルの敗北が顕著で
あったことや、植民地以前の貴族アイデンティティーが各地で強調されたという点が興味
深い。しかし同様に注目すべきは、ゴワ県やバルー県、マロス県、ブルクンバ県、北ルウ
県、トラジャ県など、半数以上の県・市で起きた混乱である。知事選の手続きと結果に不
服だと敗北候補陣営が主張すると、一気に支持者が抗議運動を展開し、地方総選挙委員会
の集計作業を停止させた。首長ポストの獲得が、いかに地元エリート・サークルの利権獲
得にとって死活問題なのかが窮えるよい事例となった。
ジャワを見てみよう。西ジャワの注目はデポック市長選挙であった。市議会第 1 党の福
祉正義党の候補者がクリーンな政治を訴えるキャンペーンで現職を破ったため、市民社会
ムードが高まっているが、市民が選んだヌルマフムディは、同党の初代党首で元林業相と
いう大物エリート政治家である。歴代の林業相がそうであったように、カリマンタンなど
での森林事業に汚職関与していた疑惑が早速指摘されている。
中ジャワでは 11 の県・市で選挙が行われ、7 箇所で現職が再選した。そのうち 5 人は
闘争民主党の候補者である。彼らはケンダル県やスコハルジョ県、マゲラン市、プルバリ
ンガ県、クブメン県の知事で、同党の伝統地盤を管理する。政党の集票マシーンが依然と
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
して機能しているケースを示した。だが他方で、州都スマラン市に見るように、現職市長
で同党出身のスカウィは、党中央執行部が公認を躊躇したため、早々と他党に乗り換え、
みごとに再選を果たした。彼が元妻でデマック県知事を副市長候補に起用したことも話題
を呼び、2 人の抜群の資金力で派手な選挙キャンペーンを展開し、勝利をもぎ取った。
東ジャワで傑作であったのはバニュワンギ県だ。地元闘争民主党の一押しは、バリのジ
ュンブラナ県知事の妻として資金豊富な 39 歳、バンテン州生まれのラトナであった。彼女
は党支部の候補者選定を余裕で通過し、中央執行部の公認を待つのみであった。しかし党
の県支部長は、彼女ではなく自分に公認をくれと中央に請願し、大金をはたいてそれを実
現させてしまった。あきれた彼女は、さっさと他党の連合に乗り換え、NU の大物キアイ(イ
スラム宣教師)の孫で弱冠 30 歳のユスフを副知事候補に添えて、そのネットワークの票
動員力に期待した。作戦はみごとに成功であった。資金と NU というリソースがフルに活
用された事例である。選挙キャンペーンでは、宝くじクーポン券をばら撒き、彼らが勝っ
たら抽選の末にオートバイや冷蔵庫をもれなくプレゼント、という演出までやった。この
バニュワンギ県や先の中ジャワのスマラン市のケースが示すように、政党は首長選挙で候
補者からどれだけの金を吸い取れるかが最大の関心となり、その結果「党公認」が「営利
化」している。能力のある候補者は、どの党から出馬しても勝算があると見込めば、「党
公認」の値段が安くすむほうに鞍替えするのである。
バリも闘争民主党の地盤だが、直接選挙は政党の機能を低下させている。例えばバドゥ
ン県では、同党の候補者(元副県知事)をゴルカル候補のグデ・アグンが破った。アグン
は古代バリのバドゥン王宮に滅ぼされたムングウィ王宮の血を引く人物で、その復興に熱
狂する支持者が慣習村での票動員を手がけた。その効力が大いに示されたケースである。
ちなみにバドゥン王宮の血筋は闘争民主党支持である。逆にデンパサール市では、現職市
長が闘争民主党の看板で再選を果たした。同党の後ろ盾はサトリア王宮であり、対立関係
にあるプムチュタン王宮は、スハルト全盛期にゴルカルの票動員基盤として機能し、その
恩恵を謳歌してきた過去を持つ。バリでは、首長直接選挙の導入で、こういう封建的貴族
政治の競争を再活発化させつつある。
以上、地方首長選挙のインパクトについて、全体傾向と各地の実態を見てきた。たしか
に直接選挙で住民本位の意識が地方政府に芽生え、行政サービスの向上や社会福祉の充実
に取り組む地方リーダーが誕生するかもしれない。例えばジャンビ州知事のズルキフリや、
西スマトラ州知事のガマワン、中ジャワ州クブメン県知事のルストリニシなどにはその期
待がかかる16。また有権者が評判の悪い知事に「三行半」を叩きつけ、新人に期待してい
るケースも見られた。北スマトラ州知事のソンダ、南カリマンタン州知事のシャフリル、
中カリマンタン州知事のアスマウィなどの落選が、その好例である17。これらのケースは、
16 ズルキフリとルストリニシは再選を果たした知事で、行政パフォーマンスが地元有権者の強い支持を
受けていた。ガマワンは新人であるが、元ソロク県知事で、「反汚職大賞」の受賞者であった。彼が戦っ
た西スマトラ州知事選挙では、対立候補の実業家が大金をはたいて全国放送のテレビ・コマーシャルまで
行ったが、住民はガマワンを信頼した。
17 シャフリルは汚職のデパートであった。特に州内の炭鉱業者との癒着で、操業ライセンスのばら撒き
と環境破壊の隠蔽を助けることで莫大な政治献金を蓄積していた。有権者の力で彼は落選したものの、当
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ポジティブな動きとして理解すべきであろう。
しかし、客観的に見て、これらのケースは全体からすれば希少である。当選後の知事や
市長は、住民サービスの意欲と同じくらい、もしくはそれ以上に投資した選挙資金を回収
するインセンティブを持っている。さらに政策の円滑な実施には地方議会の協力が不可欠
であり、その確保には利権配分の政治手腕が要求される。そう考えると、首長直接選挙の
地方民主化インパクトも、いまはまだイリュージョンに近い。
おわりに
本章では、ユドヨノ政権 1 年目の政治を、改革、アチェ和平、テロ、選挙という4つの側
面から検証した。これらはすべて国家安定を左右する政治課題である。現政権は、これら
をどう乗り越えていくのか。改革コミットメントは高い。この勢いで司法制度改革が本格
化することが期待されている。アチェ和平も今後のフォローアップが欠かせない。テロ対
策では警察の捜査能力の向上と共に、市民警察として住民との信頼関係の構築が一層大事
な課題となる。また、首長選挙が地方政治の民主化を推進するためには、残された課題が
多いことが今年の実践から学習できた。複雑な政党政治のしがらみから、一歩引いたとこ
ろで成り立っているユドヨノ政権の今後の取り組みは、今後とも国内世論と国際社会のサ
ポートに大きく左右されよう。その意味で、わが国が発信する期待とサポートが、これま
で以上に政権の土台と政策イニシアティブに反映されていく可能性がある。政権が上記の
課題に取り組む過程で、わが国も適切なボタンを押し、梃入れしていくことが、インドネ
シアの持続的な国家安定に大きく貢献していくと思われる。
選したルディ・アルフィン(元バンジャル県知事)も同じ穴のムジナである。ルディのパトロンは有力炭
鉱実業家のアビディンで、そのビジネス・ライバルのラムランが知事選に立候補したためアビディンはル
ディを担いだ。中カリマンタンでは、アスマウィ州政の終わりと同様に興味深いのは、ウソップ候補の落
選である。ウソップ(教授)は州内民族紛争の扇動者であり、マドゥラ人移住者に対する民族浄化を煽る
自称「ダヤック民族リーダー」である。彼の選挙キャンペーンは「ダヤックのための政治」「マドゥラ人
排除」が中心で、州内最大の民族集団であるダヤックの動員に勝算を見出していたが、それは大失敗に終
わった(得票率 4%)。多くの市民は、彼が 2001 年の民族紛争の責任者であり、これ以上、彼に力を与え
て州のイメージを悪化させたくないと考えたと思われる。
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第3章
ユドヨノ政権 1 年目の経済運営
―投資環境改善と産業政策を中心に―
日本貿易振興機構
アジア経済研究所
地域研究センター
東南アジア第 I 研究グループ長
佐藤
百合
1.はじめに―ユドヨノ政権の 1 年
インドネシア経済は、前メガワティ政権下でマクロ的安定を取り戻し、アジア通貨危機
以来の IMF による経済管理を 2003 年末に卒業した。しかし、4%程度の安定成長では失業
率は年々上昇する。成長なくしては貧困も失業も解決することはできない。この認識に立
って、ユドヨノ政権は大統領選での政治公約に「繁栄するインドネシアの実現」を掲げ、
経済成長を目指す姿勢を明確に打ち出した。経済政策を「安定」志向から「成長」志向へ、
マクロ経済の均衡からミクロ経済の活性化へと転換したことが、ユドヨノ政権の一つの特
徴である。大統領選の期間中には、財界、大学エコノミスト、外国政府・国際機関など多
方面から新政権に対して「成長」実現のための政策提言がなされた。これらの提言に盛ら
れた数々のアクションプランを携えて、2004 年 10 月にユドヨノ政権はスタートした。
ところが、2004 年 12 月のスマトラ沖大地震・津波を皮切りに、国際原油価格の高騰、
ポリオ再発、航空機墜落事故、鳥インフルエンザ、バリ爆弾テロの再発と、ユドヨノ政権
は想定外のショックに相次いで見舞われた。とりわけ経済運営を混乱させたのは、未曾有
の津波被害を受けたアチェ問題と、原油価格の高騰である。ユドヨノ政権 1 年目の経済運
営は、予期せぬ事態への対応に忙殺され、そのなかで何とか経済の「安定」を維持するこ
とに手一杯であった。ショックへの対応力は高く評価すべきではあるが、本来ユドヨノ政
権が進めるはずであった、
「安定」から一歩進んだ「成長」のための政策には目立った成果
がなく、政権 2 年目の宿題として持ち越された。
本章では、ユドヨノ政権 1 年目の経済運営を、政策の焦点ともいえる投資環境改善と産
業政策を中心に検討しながら、全体としてどのように評価できるのかについて考える。以
下では、第 2 節でユドヨノ政権の経済課題、第 3 節で 1 年目の経済パフォーマンスを確認
しておく。次に、第 4 節で投資環境の改善、第 5 節で産業政策を取り上げ、それぞれ 1 年
目にどのような進展を見せたかを検討する。そして第 6 節では、想定外のショックであっ
た原油価格高騰に対する政権の対応を見る。これらを踏まえて最後に、ユドヨノ政権 1 年
目の経済運営への評価をまとめ、2 年目を展望する。
2.ユドヨノ政権の経済課題
ユドヨノ政権の中心的経済課題は、雇用創出、貧困削減、それを可能にする成長の実現
である。国家開発企画庁(Bappenas)がまとめた国家中期開発計画は、この 3 つの課題に
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ついてそれぞれ任期 5 年間に達成すべき数値目標を掲げている(表 1)。インフレ、財政収
支、公的債務の管理といったマクロ的安定を大前提としたうえで、成長率を 5.5%から
7.6%へと加速させ、2009 年までに失業率と貧困率を半減させるという目標である。
この目標は、もともとユドヨノ大統領の選挙戦での政治公約として提示されたものであ
り、かなり野心的な数値であることを、スリ・ムルヤニ Bappenas 長官(2005 年 12 月 7 日
以降は財務大臣)も認めている。達成が最も難しいのが雇用だという。通常インドネシア
では、1%の成長が 40 万人の雇用を創出すると仮定されている。6%の成長で創出される雇
用はほぼ新規参入労働人口に相当するので、6%成長では失業率は低下しない。目標どおり
に失業率を低下させるには、論理的には 7.5%ほどの成長が必要になる。
表1 中期開発計画(2005~2009年度)の経済目標
(%)
経済指標
2005
2009
年平均
GDP実質成長率
5.5
7.6
6.6
民間消費
4.3
5.3
4.8
投資
14.6
12.8
13.7
輸出
5.7
10.1
7.9
完全失業率
9.5
5.1 -
8.2 -
貧困人口比率
16.6*
インフレ率
7.0
3.0 -
財政収支
(GDP比)
-0.7
0.3 -
政府対外債務 (GDP比)
21.6
12.6 -
政府国内債務 (GDP比)
26.3
19.2 -
(注)* 2004年。
(出所)国家開発企画庁 「国家中期開発計画」
できるだけ高い成長を実現するには投資がカギを握る。表 1 に見るように、投資が二桁
成長を持続して成長を牽引することを政府も想定している。中期開発計画は、5 年間の総
投資必要額を 4,073 兆ルピア(約 4,649 億ドル)と見積もっている(表 2)。財政の出動余
地は限られているとの認識から、全体の 85%を民間投資とし、それを上回る 88%を国内民
間貯蓄で賄う計画である。すなわち、政府投資の一部にも民間貯蓄を動員することが想定
されている。
表2
中期開発計画における投資計画と資金調達源
投資必要額(兆ルピア)
GDP比(%)
うち政府投資(構成比:%)
民間投資
資金調達源(構成比:%)
政府貯蓄
国内民間貯蓄
海外貯蓄
2005
529
21.0
16.4
83.6
2006
653
23.1
15.6
84.4
2007
806
25.3
14.1
85.9
2008
962
27.1
14.1
85.9
11.7
96.2
-7.9
11.8
90.3
-2.1
12.1
88.3
-0.4
13.1
86.1
0.8
(出所)国家開発企画庁 「国家中期開発計画」
28
2009 5年間合計
1,123
4,073
28.5
25.4
14.5
14.7
85.5
85.3
14.3
83.7
2.0
12.8
87.8
-0.7
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ユドヨノ政権が経済目標を達成するには民間投資の活性化が必要であり、そのためには
投資環境の改善が喫緊の課題であるとの認識が、政府内や財界に強まった。成長に向けた
施策は「投資環境の改善」というキーワードの下に集約され、ユドヨノ政権の政策実行能
力に期待がかけられた。政府は早速、インドネシア商工会議所(KADIN)や外国政府からの
提言も容れて投資環境の改善に向けたアクションプランを練り、100 日アジェンダの経済
政策の筆頭に「投資環境の改善」を挙げて改革への意欲を示した。
3.政権 1 年目の経済パフォーマンス―投資主導で 6%成長へ
ユドヨノ政権 1 年目の経済パフォーマンスを見ておこう。実質 GDP 成長率は、投資と輸
出の成長が重なって、2004 年第 4 四半期から 2005 年第 3 四半期までの 4 四半期平均で 6.0%
となった(図 1)。これは、メガワティ政権期の平均成長率である 4.3%より 2 ポイント近
く高い。任期中の 5 年間で平均 6.6%の成長を目標に掲げるユドヨノ政権としては、まず
まずの滑り出しといえる。
注目すべきは、投資(固定資本形成)の成長である。図 1 に見るとおり、危機後の経済
回復は主に消費需要に牽引されてきたが、2004 年から投資が消費に代わる牽引役を果たし
始め、6 四半期連続で二桁成長を持続した。投資の二桁成長がこれだけ持続したのは、1980
年代の構造調整期から 1990 年代ブームへの変わり目であった 1988~90 年以来、実に 15
年ぶりのことである。投資の内訳を見ると、需要規模では建物、伸び率では輸入機械設備
が大きい。事実、輸入統計においても資本財輸入は消費財の 25%を上回る 31%の伸びを見せて
いる(2005 年 1~11 月)
。投資調整庁(BKPM)による投資統計(石油ガスと金融を除く)では、2005
年の国内投資実績額(計画承認ベースではなく事業許可を取得したもの)は前年比 101%増の 31
兆ルピア、外国投資は同 94%増の 89 億ドルとなった。この国内投資の水準は過去最高であり、外
国投資も危機後に一時的にリバウンドした 2000 年の 99 億ドルに次ぐ高い記録となった。
図1 GDP実質成長率の推移
図1 実質GDP成長率の推移
%
(2000年基準)
25
20
15
10
5
0
-5
-10
I II III IV I II III IV I II III IV I II III IV I II III
2001
-15
消費支出
2002
メガワティ
政権
2003
固定資本形成
(出所)中央統計庁
29
2004
輸出
ユドヨノ
政権
2005
GDP
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(2005 年度財務省委嘱研究会)
投資と並ぶ成長牽引役である輸出は、2005 年 1~11 月の輸出統計で前年同期比 19%増、
そのうち非石油ガス分野は 18%増であった。ただし、伸び率が高いのは、世界的に需給が
逼迫している鉱物関連品で、工業製品は 13%の伸びに留まっている。
2005 年の ASEAN 諸国の平均経済成長率が 5%前後と見られるなかで、インドネシアの 6%
成長はベトナムに次いで相対的に高い水準にある。投資主導の成長であることも、成長の
持続性の点から評価できる。堅調な成長の持続によって、危機後に深刻な問題となった対
外債務の負担は大きく軽減した。政府の対外債務残高は 800 億ドル前後でそれほど変わら
ないものの、民間を含めた対外債務合計額を GDP 比で見ると、ピーク時の 163%(1998 年)
から 50%(2005 年 6 月)にまで低下した(図 2)。
図2 対外債務残高とGDP比の推移
GDP比(%)
債務残高(億ドル)
180
160
140
120
100
80
60
40
20
0
1,000
800
600
400
200
0
1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
政府債務
民間債務GDP比
民間債務
債務合計GDP比
政府債務GDP比
(注1)名目GDPは2002年まで1993年基準、2003年以降2000年基準の数値を用いた。 (注2)2005年は6月時点。
(出所)『インドネシア資料データ集』(アジア経済研究所)、インドネシア銀行月報
しかし、雇用情勢には改善の兆しは見られない。失業は危機後一貫して悪化しており、
完全失業率(過去 1 週間の労働時間が 1 時間未満の労働人口比率)は 6.1%(2000 年)か
ら 10.8%(2005 年 10 月)に上昇した(図 3)。6%成長では失業率が低下しないことが裏
づけられている。失業者数は 2004 年に 1,000 万人を突破した。
図3 完全失業率の推移
%
12
10
8
6
4
2
0
1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
(出所)中央統計庁
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(2005 年度財務省委嘱研究会)
4.投資環境の改善に進展はあったか
「投資環境の改善」に意欲を示してスタートしたユドヨノ政権であったが、1 年目にど
れだけの進展があったのかを以下に見よう。
投資環境の改善に向けた政策策定において目立ったのは、政府と財界、とりわけインド
ネシア商工会議所(KADIN)との連携関係である。前 KADIN 会頭であったアブリザル・バク
リが経済担当調整大臣(2005 年 12 月 7 日以降は福祉担当調整大臣)となったことに象徴
されるように、KADIN 人脈は政府中枢に直結し、KADIN の発言力は大きく拡大した。
また、政府と外国政府・外国経済団体との間の対話も緊密化した。インドネシア支援国
会合(CGI)の下に設けられた投資環境ワーキンググループは、ユドヨノ政権発足前に政策
提言をまとめたが、政権発足後も定期的にフォローアップ会合を開催している。会合には、
バクリ調整大臣やマリ・パンゲストゥ商業大臣が出席し、外国政府・経済団体代表の要望
に耳を傾け、政策の進捗を直接報告している。日本・インドネシア関係においては、2004
年 12 月に日本からの投資促進に資するための日イ官民合同投資フォーラムが設立され、
2005 年 5 月には「戦略的投資行動計画(SIAP)」が策定された。SIAP には、インフラ整備、
競争力強化・中小企業振興、租税・通関、労働の 4 つの優先政策分野において必要とされ
る具体的な施策とタイムスケジュールが示された。
以上のように、政策策定をめぐる全般的な環境は整ってきた。しかし、政策の実施には
どれだけの前進があっただろうか。
(1)インフラ整備
(イ)インフラ・サミットの開催
2005 年 1 月、政府は KADIN と共同でインフラ・サミットを開催した。そこで、民間投資・
民間協力を仰ぎたい 91 件、総額 225 億ドルのインフラ案件リストが提示された。このイン
フラ・サミット開催は、民間にインフラ開発の投資機会を開放するというユドヨノ政権の
方針が明確に国内外に表明されたこと、民間と政府との間のインフラ開発案件の担当区分
が具体的に明らかにされたことに意義がある。
しかし、その後 2005 年 10 月までの成約案件はわずか 6 件、20 億ドルに留まっており、
決して芳しい進捗とはいえない。
(ロ)インフラ関連法の整備
民間インフラ投資の進捗は、一つには法的枠組みの整備に左右される。民間開放を進め
るには、これまで政府・国営企業を事業主体と想定していたインフラ関連法が改正されな
ければならない。道路法、水資源法、建物法については、メガワティ政権期に民間投資を
視野に入れた新法が成立し、ユドヨノ政権下でそれぞれの実施細則が公布された。これを
受けて、高速道路では民間開放案件 4 件(上記 6 件のうちの 4 件)、政府案件 7 件が成約に
こぎつけた。2005 年 11 月に地場資本ボソワ・グループによって着工されたマカッサル高
31
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
速道路が、インフラ・サミットに提示された民間開放案件の着工第 1 号となった。高速道
路は、法整備と投資の実施が最も先行している分野である。
しかし、高速道路などの公共事業に付き物である土地収用について、問題が発生してい
る。ユドヨノ政権は「公益のための土地収用に関する大統領令 2005 年第 36 号」を発布し
た。しかし、同令が従来の「公益」の定義から「政府所有」と「非営利」を外して解釈を
緩めたため、民間による営利目的での土地収用を促すものとして社会から強い抗議行動が
起きた。そのため、2005 年 12 月現在、いまだに同令の施行による土地収用はなされてい
ない。政府としては、同令の改訂は考えていないとしており(公共事業省および後述のイ
ンフラ整備促進政策委員会(KKPPI))、2006 年度予算に土地収用のための費用を計上する
一方、事態が沈静化するのを今しばらく待つ姿勢である。
重要なインフラ関連法でもう一つ問題になっているのが、電力法である。電力法も、メ
ガワティ政権期に民間開放を視野に入れた新法が成立したが、ユドヨノ政権下で憲法裁判
所が違憲判決を下した。その理由は、価格設定に競争原理を導入することで遠隔地・僻地
での電力料金が高くなる可能性があり、これは「国民生活を充たす財サービスは国家が管
理する」との憲法第 33 条の精神に抵触する、というものである。これを受けて、政府は価
格設定に政府がコントロール権を持つことを明記した改訂新法案を準備中である。
インフラ関連法のなかで法整備が遅れているのが、運輸 3 法といわれる港湾法、空港法、
鉄道法である。この分野でも多くの民間開放案件がリストに挙がっていることから、新法
の制定が急がれる。
(ハ)政府保証の付与に関する制度づくり
民間のインフラ投資を推進するにあたって一つの障害となってきたのが、政府保証の付
与問題であった。スハルト体制下で重要な民間投資案件に政府保証を与えてきたことへの
反省、通貨危機で政府が重債務を抱え込むことになった経験によるトラウマから、メガワ
ティ政権期までのインドネシア政府は、政府保証の付与をめぐる議論を事実上棚上げにし
てきた。この点について、ユドヨノ政権下で制度的な前進が見られたことは大きな変化で
ある。
2005 年 1 月、大統領令によってインフラ整備促進政策委員会(KKPPI)が経済担当調整
大臣を委員長として再発足し、権限が強化された。この KKPPI を中心に、政府保証を付与
するか否を決定する仕組みが作られたのである。政府保証を求めるすべての民間インフラ
投資案件は、各省庁が優先順位をつけたうえで KKPPI に提出される。KKPPI は、省庁横断
的なセクター間の優先度を勘案して政府保証を付与する案件を絞り込み、それらの案件の
詳細と投資スケジュールを策定する。この時 KKPPI は、例えば、東カリマンタンからジャ
ワへのガス供給プロジェクトをガスパイプライン敷設にするか、LNG タンカーによるジャ
ワ北岸 LNG ターミナルへの供給にするか、タンジュンプリオク港のカーターミナル建設用
地を港湾の西側にするか東側にするか、といった案件の詳細を決定する権限を持つ(KKPPI
事務局)。これらの案件は、KKPPI から財務省のリスク管理委員会(2005 年 11 月に財務大
32
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
臣決定 518 号により新設)に提出される。そこで、財務省同委員会が予算状況を考慮しな
がら、最終的に保証可能な案件を絞り、保証の度合いや形態を案件ごとにケース・バイ・
ケースで決めていくという。以上がユドヨノ政権 1 年目に前進した制度づくりである。残
る課題は、発足間もない財務省リスク管理委員会において、民間インフラ案件の政府保証
に付随する偶発債務を、どのように政府予算のなかで手当てしていくかについて明確な仕
組みを作ることである。
(2)投資政策
(イ)投資調整庁の変化
投資振興の観点から注目されていたのが投資調整庁(BKPM)の位置づけと新投資法の成
立である。大統領直轄の政府機関である BKPM を投資行政の要として閣僚級機関に格上げす
る案も取り沙汰されていたが、結局 BKPM は商業省管轄下の庁へと移された。この結果、商
業省は貿易と投資を所轄することになった。
(ロ)新投資法の準備
BKPM の地位の変化は、ユドヨノ政権下で新たに作成中の新投資法案と関係がある。メガ
ワティ政権期に準備されていた新投資法案の目玉は、外国資本と国内資本を同等に扱う、
外資の内国民待遇であった。
この点に加えて、ユドヨノ政権の法案は、投資の許可制から登録制への移行をもう一つ
の目玉として盛り込んでいる。登録制と同時に計画されているオンライン化がもし実現す
れば、投資手続きは抜本的に簡便化される。インドネシアの投資手続きに要する期間は、
アジア域内諸国のなかでも最長の類に属する 151 日であったのが、マレーシアやタイ並み
の 30 日に短縮される予定だという(図 4)。
図4 投資手続き必要日数の各国比較
オーストラリア
シンガポール
香港
モンゴル
マレーシア
タイ
中国
台湾
フィリピン
ベトナム
カンボジア
インドネシア
ラオス
2
8
11
(日)
20
30
33
41
48
50
56
94
151→30?
198
0
50
100
150
(出所)商業省資料
33
200
250
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
登録制への移行に伴って、BKPM は許可機関ではなくなり、投資活動の円滑化、投資行政
の中央省庁間および中央地方間の調整を担当する行政サービス機関となる。こうした新投
資法が成立すれば画期的な変化だが、マリ商業相の 2005 年 9 月末の発言によれば、国会で
の審議を経て成立にこぎつけるまでにあと 3~6 ヵ月ほどの時間を要するとのことである。
(3)租税・通関・その他サービスコストの削減策
(イ)7 月発表の政策パッケージ
2005 年 7 月、政府は、シンガポールの南方に位置するバタム島と、ビンタン、カリムン
両島の工業団地を保税区と定める政策パッケージを発表した。バタム島の扱いをめぐって
は、全域を自由貿易区にするか課税対象にするかでこれまで政策が揺れてきた。今回の措
置によって 3 島の保税区としての扱いが確定して不確実性が払拭されたため、投資促進効
果が期待される。今回の政策は、3 島の保税工業団地について、関税の免除、付加価値税・
奢侈品販売税の優遇措置、各種許認可の簡素化を定めたほか、当地の通関事務所長に通関
総局長の権限を移管して機動的な制度運用を可能にした。
(ロ)10 月 1 日発表のインセンティブ・パッケージ
後述する石油燃料値上げと同時に、2005 年 10 月 1 日、産業界向けのコスト削減策が発
表された。主な内容は、関税の減免、通関検査の免除、輸送コストの軽減である。関税の
減免では、重機の原材料・部品、公共輸送機関用エンジンにかかる関税の免除などが実施
された。通関検査については、既に導入されている優良製造業者を対象とした優先輸入レ
ーンの対象業者や対象品目が拡充された。輸送コスト軽減策としては、過積載規制のため
に設けられた州・県境の重量計測所(実際には州・県政府による通行料徴収所と化してい
た)の半数を撤廃する、重量計測所に関連する 36 の地方政令を即時撤廃する、港湾におけ
るコンテナ荷役料(CHC:Container Handling Charge)を引下げる、などの措置がとられ
た。
コンテナ荷役料(CHC)は、例えば 20 フィートのコンテナ 1 台当たり 93 ドルから 62 ド
ルへ引下げ、それに上乗せさせる徴収料を CHC の 50%を上限とすることが定められた。従
って、上乗せ徴収料を含めた港湾荷役料(THC:Terminal Handling Charge)は、150 ドル
から 95 ドルに低減することになった。ところが、THC95 ドルへの引下げを拒否する外国海
運会社が続出したため、ハッタ・ラジャサ運輸大臣は、非遵守企業の実名を汚職撲滅委員
会に報告する、インドネシア港湾への入港を禁止するなどの警告を発し、厳格に対処する
姿勢を示した。この結果、ようやく 11 月半ばを過ぎて THC95 ドルが実現し、周辺国に較べ
て圧倒的に高コストであったインドネシアの港湾サービスコストが是正に向かった。しか
し、図 5 に見るとおり、今回のコスト削減によってもなお、シンガポールを除く ASEAN 各
国や中国よりも割高な水準にあり、更なる政策努力が必要である。
34
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
図5 港湾ターミナル・ハンドリングチャージの各国比較
(20フィートコンテナ)
USドル
65
タイ
66
上海
マレーシア
78
フィリピン
78
101
シンガポール
150→95
インドネシア
0
50
100
150
200
(出所)Jakarta Post , 2005.5.11.
(4)投資環境改善に向けた政策―小括
以上に見たように、ユドヨノ政権下での投資環境改善政策には、たしかにいくつかの制
度的前進が見られた。しかし、投資政策と労働行政の分野では進展はなかった。租税・通
関の分野では、財務省の租税総局、関税総局内での人事刷新と汚職摘発がいまだにないこ
とが社会からの批判の的になっている。さらに、国会で審議中の新税法案は、租税総局に
過度に強い徴税・罰則権限を与えていること、汚職の温床となり得る徴税当局による裁量
の余地がいまだ残されていることが、投資環境改善に逆行するとして批判されている。こ
れまでのところ、ユドヨノ政権下で投資環境を抜本的に改善するとの評価に値する成果は
上がっていない。
5.ユドヨノ政権下の産業戦略
中国、ベトナム、インドなどが産業競争力を高めアジア域内の競争環境がますます厳し
くなる一方で、インドネシアでは危機後に工業の成長率や就業者シェアが低下したままで、
産業競争力も相対的に低下している。こうした状況に対して、メガワティ政権の後半期か
ら財界と官界に危機感が芽生え、インドネシアの産業競争力を強化するための政策あるい
は戦略が必要だとの認識が持たれるようになった。この流れを受けて、ユドヨノ政権発足
後に政府内で新たな展開を見せているいくつかの動きを紹介する。
(1)工業省の「国家産業開発政策」
2005 年 3 月、工業省は「国家産業開発政策」
(Kebijakan Pembangunan Industri Nasional)
を発表した。同「政策」は、基本戦略として①産業連関(バリューチェーン)の強化、②
付加価値の向上、③生産性の向上、④中小企業の振興を挙げ、そのうえで政策運営上の戦
35
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
略として①産業発展に資するビジネス環境の整備、②優先的産業クラスターの振興、③資
源産出地方への産業立地の拡散、④技術産業における革新能力の振興、を挙げている。
優先的産業クラスターとは、今後 20 年(~2025 年)のタイムスパンでインドネシアが
競争優位を持ち得る産業群を、製造業小分類 335 業種から 23 の変数を用いて工業省が選ん
だものである。産業選択の基準として、特に雇用創出と輸出競争力が重視された。図 6 に
見るように、優先的産業クラスターとして 23 業種が選ばれ、そのなかで特に今後 5 年間(~
2009 年)に振興すべき 10 業種を「中核産業クラスター」、それらの関連・支援産業として
6 業種(プラス中小工業として 4 業種)、将来的な優先産業クラスターとして 3 業種を位置
づけている。これらの優先的産業クラスターそれぞれについて、
「政策」は、現在の問題点、
中期・長期目標、開発戦略、行動計画と官民・中央地方・研究機関との役割分担表、産業
立地マップと産地数・主要企業を列挙している。
同政策策定チームの一員であったデディ・ムルヤディ工業省次官府企画部長は、「政策」
策定の背景を次のように説明する。スハルト体制からスハルト後への移行に伴い、経済へ
の政治介入は過去のものとなり、市場が勃興した。一方、危機後のインドネシアの産業構
造は、脱工業化とも言うべき状態が続いている。政府は、こうした時代の変化に合致した
産業開発のあり方を提示する必要がある。そこで工業省は、政府の役割を介入ではなくフ
ァシリテーション(環境整備、産業発展支援)と規定し、政府介入を連想させる「産業政
策」ではなく「産業クラスター政策」を新たに採用するという、一種のパラダイム転換を
行った。産業クラスター論の発想を最初に取り入れたのは、産業連関表を使って産業連関
を強める政策を策定するよう説いたルフト・パンジャイタン商工大臣(2000~01 年)の時
代である。この時の作業を下敷きに、アジア開発銀行、世界銀行の方法論を新たに取り入
れ、また KADIN が作成した「中期産業ロードマップ」をも参考にしながら、2004 年 7 月か
ら 8 ヵ月ほどをかけて「国家産業開発政策」をとりまとめたという。
「政策」実行の手順としては、まず 2005 年から産業クラスターごとにワーキンググルー
プを設置する。10 の中核産業クラスターから着手する。「政策」の実行母体となるワーキ
ンググループは、工業省の当該総局、商業省、当該産業の関連省、工業省内外の研究機関、
業界団体、大手民間企業から成る。同時に、2006 年から工業省内、地方政府、民間への「政
策」の広報・普及を図る。中小工業クラスター、および各産業クラスターの中小零細企業
に関しては、診断士制度の導入を検討しているという。
工業省の「国家産業開発政策」が採用した産業クラスター政策は、一定の条件が揃えば
産業クラスターが革新を生むことを説明したマイケル・ポーターの「国の競争優位」モデ
ルを発端とし、空間経済学の産業集積に関する理論とも結びつき、さらに政策によって産
業クラスターを形成するという開発戦略論に発展してきた議論である。日本のほか、タイ
やマレーシアでも近年産業クラスター政策を採用して注目を集めている。インドネシアに
もこの流れが波及したということであろう。工業省が産業クラスターを活用した開発戦略
を策定したこと自体は、時宜にかなった動きと評価できる。大部にわたる「政策」も、よ
くまとめられた文書である。しかし、各産業クラスターの開発戦略の内容を見ると、理想
36
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
として掲げる目標(例えば、四輪完成車の設計・エンジニアリング能力の獲得)にどのよ
うにしてたどり着くか実践的な戦略が脱落している印象があり、理想論・抽象論を越える
インパクトがどれだけあるかに疑問が残る。また、一部の大学エコノミストからは、
「工業
省は特定業種の選定と政府介入という旧来の発想から抜け切れていない」、「同『政策』の
実効性はうすい」などといった批判も聞かれる。
図6 「国家産業開発政策」における産業開発の概念図と産業クラスター
〔将来的優先産業クラスター〕
1.アグロインダストリー
2.情報通信技術(ICT)
3.輸送機器(自動車・船舶・航空機・貨車)
〔基礎的製造業〕
中核クラスターの支援産業
中核産業クラスター
1. 鉄鋼
1. 飲食品(カカオ、果物、ココナツ、
2. 生産・建設・鉱業機械設備
コーヒー、砂糖、タバコ)
資本財産業
3. 農業機械
2. 海産物加工
4. セメント
3. 繊維・繊維製品
5. 家電
4. 製靴
部品産業
6. 陶磁器
5. パーム油加工品
6. 木材(籐・竹)加工
〔中小工業〕
7. ゴム加工・ゴム製品
1.抽出油
8. 紙パルプ
2.手工芸品
9. 電気機器
3.宝石・宝飾品
10.石油化学
4.焼物・陶磁器
天然資源(再生可能/再生不能)
人的資源
(出所)工業省『国家産業開発政策』2005 年、 vii、xv、63 ページより作成。
37
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(2)日イ合同投資フォーラムのセクター別産業戦略
日イ官民合同投資フォーラムが策定した「戦略的投資行動計画(SIAP)」に従って、いく
つかのセクターの産業戦略策定に資する作業が進行中である。一つは、日本企業の関与が
大きい自動車、電子、繊維の 3 セクターにおける競争力向上戦略への提言であり、もう一
つはゴム・加工品、紙パルプ、木材加工品の 3 セクターにおける輸出競争力の分析である。
前者は、セクターごとにワーキンググループが組織され、日本側とインドネシア側双方
から官・民の関係者が集まり、今後 5 年ほどのタイムスパンでの産業戦略が討議されてい
る。討議の中心主体は、当該業界の大手企業(その多くは日系企業)の日本人またはイン
ドネシア人の代表者および業界団体のインドネシア人代表者たちであり、日本の官代表者
(日本国大使館、日本貿易振興機構(JETRO)ジャカルタセンターなど)はお膳立て・とり
まとめの役回りを果たしている。日本・インドネシアの生産者のトップが一堂に会し、産
業の近未来像、競争力の源泉、競争力強化のための戦略を率直に語り合う場はこれまでイ
ンドネシアにはほとんど存在しなかったと言ってよい。この点で今回の試みは、セクター
限定的ではあるが、日イ生産者間の情報共有、共通認識の醸成の機会としてきわめて有益
だと考えられる。ただし、インドネシアの官側、特に各セクターを担当する工業省当該局
のコミットメントは弱く、上記の工業省による産業クラスター構想と SIAP の枠内での産業
戦略構想とが有機的に結びついていない印象がある。今後、産業戦略に関する実質的討議
の場がセクターごとに一つに融合していくことが望まれる。
(3)商業省による関税政策の判断基準策定作業
商業省は、新任のマリ商業相の主導で、関税政策の判断の根拠となるシステム作りを進
めている。その背景には、前政権期の関税政策は、利害関係者間の綱引きで関税率が決ま
り、保護関税も場当たり的に発動されてきた、との反省がある。関税率の設定には判断基
準が必要である。保護関税自体はあり得るが、発動するとなれば明確な根拠と時限、時限
内に国内産業が競争力をつけるための行動計画がなければならない、とマリ商業相は言う。
主要な貿易財について関税政策の判断基準を整備することが、商業省にとっての産業戦
略である。商業省は、セクター別に関係省庁、業界団体、主要企業、産地を持つ地方の州・
県・市政府などから情報収集し、国際競争力を評価する作業を開始した。その作業に際し
て、2004 年にマリ女史自身がとりまとめ役を務めた KADIN の「中期産業ロードマップ」が
活用されている。理想的にはすべての貿易財について判断基準が整備されることが必要だ
が、それには相当の時間がかかる。商業省は、主要な財について評価作業を急いでおり、
これを一通り終えてから関税政策を本格的な実施に移す構えである。商業省の政策基準づ
くりは必要な基礎的準備作業だが、現在進行中の日本との経済連携協定(EPA)交渉のスケ
ジュールがこの商業省の作業の進捗によって影響を受けることも考えられる。
38
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
6.「石油ショック」への対応
ユドヨノ政権 1 年目に相次いだ外的ショックのなかで、マクロ経済にとっての大きな波
乱要因となったのが国際原油価格の高騰であった。1970 年代の原油価格の高騰は、産油国
インドネシアに「石油ブーム」をもたらした。なぜ今回は、深刻な「石油ショック」とな
ったのだろうか。
「石油ショック」は、3 つの要因が重なったために発生した。石油生産の減少、国内消
費の急増、想定外の原油価格の高騰である。インドネシアの石油生産は、2000 年の 127 万
バレル/日から 2004 年の 97 万バレル/日へと大幅に減少した。その主因は、石油資源の枯
渇よりも、むしろ経済危機以来、石油開発への新規投資がほとんどなされなかったことに
ある。その証拠に、近年の原油価格の上昇に伴って石油開発投資が回復し、2006 年には 129
万バレル/日へと産油量は回復する見込みである。
他方、国内の石油燃料消費は、補助金によって燃料価格が低く抑えられていることもあ
って経済回復が本格化するにつれて増加し、2004 年には 120 万バレル/日と生産量を上回
る水準にまで達した。この結果、石油と石油燃料の輸入が膨らみ(図 7)、燃料を含めた貿
易バランスは 2004 年に 40 億ドル近い赤字に転落した(石油だけの貿易バランスはわずか
ながら黒字を維持している)。インドネシアが 160 万バレル/日レベルの産油国かつ純輸出
国であった 1970 年代とは、石油の生産・消費バランスと貿易構造が一変してしまったので
ある。
図7 原油・石油燃料の輸出入バランス
(上が輸出、下が輸入)
百万米ドル
10,000
8,000
6,000
4,000
2,000
0
-2,000
-4,000
-6,000
-8,000
-10,000
-12,000
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
2005
(注)2005年は1~4月。
(出所)中央統計庁
一方、政府は財政赤字を目標どおりに抑えるために石油燃料補助金を削減し、石油燃料
を値上げする必要に迫られていた。しかし、燃料値上げはかつてスハルト政権崩壊の一つ
のきっかけにもなった、きわめて政治リスクの高いイシューである。政府は、富裕層をも
39
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
利する燃料補助金を節約して、その財政資金を貧困層向けの教育・保健分野の投資に振り
向けることの重要性を国民に説き、2005 年 3 月、庶民の生活に直結する灯油を据え置いて
ガソリン・軽油だけを平均 29%値上げした。
ところが、この 3 月の値上げ時点で既に計算は狂い始めていた。国際原油価格が 2005
年度予算の前提である 24 ドル/バレルよりはるかに高騰していたからである。国際原油価
格が前提価格より 1 ドル上がるごとに燃料補助金は約 4 兆ルピア増え、石油ガス歳入の増
加分を上回って財政赤字は約 1 兆ルピア拡大する。仮に 60 ドル/バレルになれば、燃料補
助金は予算の 19 兆ルピアから 160 兆ルピアにも膨張し、歳出の 3 分の 1 にも達する。しか
もこの計算は燃料消費量が前年並みであることが前提だが、実際には 2005 年の消費量は前
年の 2.5 倍ものスピードで拡大していた。3 月の値上げにもかかわらず、想定外の原油高
騰と消費急増で財政は破綻の危機に直面した。
3 月以降、通貨ルピアはじりじりと下落し始めた。インフレ率が上昇し、公定歩合に相
当する中銀証書(SBI)レートは実質マイナス金利に転落した。しかし中央銀行は、ルピア
下落はドル実需による「正常な範囲」だとして、経済成長に水を差す金利引上げを見送っ
た。実際、ルピア下落の原因の一つは国営石油会社プルタミナのドル買いにあった。プル
タミナは、原油より割高の石油燃料の輸入が多く、しかも輸出ドル収入を輸入代金には充
てられない仕組みであるため、輸入用ドルをすべて市場から調達していた。しかし、後に
中銀は、この時点で金融引締めへと転換していれば 8 月の通貨不安は回避できたとして行
政府の官庁エコノミストらに批判されることになる。
中銀は 7 月になってようやく利上げに転じ、プルタミナへの燃料補助金を中銀が直接ド
ル建てで支払うなどのドル買い緩和策をとった。しかし、8 月に政府が国会に 2006 年度予
算案を上程すると、その前提である原油価格 40 ドル/バレルが非現実的だとして政府の財
政運営に対する疑念が一気に市場に広がり、8 月最終週が明けると、市場不安からルピア
が急落した。中銀は即座に利上げで対応し、政府も燃料価格の再値上げを伴う抜本的な打
開策を採らざるを得なくなった。
10 月 1 日、政府はガソリン 88%、軽油 105%、灯油 186%という史上最大幅の燃料価格
値上げを断行した。これにより、燃料補助金は 89 兆ルピア、財政赤字は GDP 比 0.9%の 25
兆ルピアに抑えられ、財政危機は回避された。連日の値上げ反対デモや買い溜めの行列で
社会は混乱したものの、大きな暴動は発生しなかった。
歴代政権にとって鬼門であった石油燃料値上げを史上最大幅で断行したこと、暴動や社
会不安で値上げを撤回することなく乗り切ったことは、ユドヨノ政権の政策手腕として高
く評価されてよい。問題を先送りせずに、2005 年度内の値上げで財政不安と通貨不安を除
去しておくことは、経済安定を確保するために何よりも重要なことであった。経済政策の
合理性の観点からも、補助金の削減は評価できる。燃料の過剰消費、石油・石油燃料の入
超化というインドネシアの現実に照らして、燃料補助金は持続可能な政策ではない。政府
消費から投資へ、ばらまき支出から貧困ターゲットへという財政資金の使途切り替えも合
理的といえる。ユドヨノ大統領は、国民に痛みを強いる措置に最後まで慎重な姿勢をとり
40
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
続けたが、カラ副大統領やバクリ経済担当調整大臣(当時)、官庁エコノミスト、そして財
界までもが政治的決断を大統領に迫り、国会もそれを後押しした。
しかし、庶民の生活にとって打撃は甚大である。首都ジャカルタでさえ中下層民は日々
の煮炊きを灯油に頼っているが、その灯油がほぼ 3 倍に値上がりし、翌週には公共交通機
関の運賃が約 2 倍に跳ね上がった。一方で賃金水準は当面変わらない。ユドヨノ大統領へ
の信頼喪失にまではいたらなくても、生活の苦しさは政権への不満に直結しがちである。
マクロ経済にも影響は及ぶ。10 月のインフレ率は 17.9%に跳ね上がり、中銀はさらなる利
上げ方針を発表した(年初の 8%から 10 月時点で 11%、年末には 12.75%へ引上げ)。投
資金融より消費金融が旺盛な現在のインドネシアでは、金利の引上げは消費を減退させる。
自動車業界は早速、2006 年の販売台数が 2 割減少するとの見通しを示した。消費減退は成
長と雇用にブレーキをかける。10 月の失業率は 10.8%と、2 月より 0.5 ポイント上昇し、
失業者数は 1,158 万人に達した。
ただし、今回の大幅値上げでインドネシアのエネルギーコスト面での国際競争力が大き
く低落したという認識は正しくない。ガソリン価格を国際比較すると、インドネシアはブ
ルネイやクウェート並みの低価格から 2 倍にはなったが、いまだアジア域内ではマレーシ
アに次ぐ位置にあり、産油国ゆえの優位性を維持している(図 8)。
図8 ガソリン価格の国際比較
USセント/リットル
180
160
140
120
100
80
60
40
20
中
マ
国
レ
ー
シ
イ
ア
ン
ドネ
シ
ア
ム
フ
ィリ
ピ
ミャ ン
ン
マ
ー
タ
イ
トナ
ベ
イ
カ ンド
ン
ボ
ジ
ア
ア
メ
リ
カ
ラ
オ
ス
ル
本
ポ
ー
日
ン
ガ
シ
イ
ギ
リ
ス
0
(注)2005年8月末時点。インドネシアの■は10月1日のガソリン価格87.5%引上げを示す。
(出所)インドネシア通信情報省、世界銀行、KADINの各資料より作成。 7.おわりに―1 年目の成果、2 年目の課題
ユドヨノ政権の 1 年を振り返って、経済政策のなかで最も大きな成果を挙げるとすれば、
石油燃料の大幅値上げであった。値上げを小幅に留めたり、先送りしたりすれば、政府の
政策運営への市場の信頼が揺らぎ、ルピア危機を招いて経済安定を大きく損なう恐れがあ
41
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
った。経済合理性の観点からも、燃料補助金の削減は妥当な政策であった。高い政治リス
クを伴う燃料値上げを、国民への説明責任を果たしつつ、今後も段階的に進めていくこと
がユドヨノ政権には求められるが、その試金石となる第一歩を政権は成功裡に踏み出した。
歴代政権ができなかったことを実行したという点で、政治面でのアチェ和平、汚職摘発と
並ぶユドヨノ政権の成果として評価できる。しかし、さまざまなアクションプランを準備
していた「成長」に向けた政策には見るべき成果はなかった。
1 年目の経済パフォーマンスは好調に推移したが、2 年目となる 2005 年第 4 四半期以降
は、燃料大幅値上げの影響で減速が予想される。消費の減退で成長が減速し、雇用情勢は
当面悪化に向かうと考えられる。生産者にとっては、原材料費の国際的高騰に加えて、エ
ネルギー・運輸コストの上昇、2006 年初に予想される最低賃金の上昇など、投入コストが
上昇する。しかし、国内購買力の減退から価格転嫁は十分行えず、競争環境も厳しいこと
から、採算悪化の局面に入る。難局に直面した企業のどれほどが、効率化・合理化投資を
行う、輸出に活路を見い出す、といった前向きの戦略をとれるかが、マクロ的に見た成長
の行方を左右しよう。成長下支え要因としては、インフラ投資にも期待がかかる。
成長減速に向かう時期だからこそ、2 年目のユドヨノ政権には成長政策に決定打が必要
である。新投資法の成立は必須であろう。遅れている運輸 3 法、いったん違憲となった新
電力法、政府保証をめぐる制度づくりなど、基本的な経済法制度を早期に整備することが
インフラを含む投資の活性化に大きく影響する。規制緩和、経済サービスコストの削減、
行政サービスの効率化、租税・通関など経済活動に直結する分野での汚職を含む不透明な
コストの除去など、投資環境の改善に向けたユドヨノ政権の実行力が問われている。
投資と輸出は比較的好調とはいえ、その内容を見ると製造業は主役にはなっていない。
製造業者が収益低減期に向かう時期だからこそ、競争力向上のための産業戦略が重要な意
味を持つ。コスト削減、生産・流通効率化、輸出開拓・拡大に向けた企業努力が基本にな
るが、政府が果たすべき役割も大きい。財界との太いパイプを持つ現政権の特性をプラス
に活かして、国際競争の下でインドネシアの産業競争力をいかにして向上させていくか、
官民対話をさらに密にして近未来の方向性を示し、戦略を具体化していくことが必要であ
る。
42
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第4章
インドネシア政府のインフラ整備戦略および
中国のエネルギー投資等の動き
三菱商事株式会社
顧問
古宮
業務部
正隆
1.経済政策を巡る政治状況:経済分野における政権内の力関係:
(1)「二つの太陽」といわれる正副大統領:「熟慮する理想家大統領」と「実行力の
商人(あきんど)副大統領」の関係:
ユドヨノ大統領は「高いモラル」により、史上かつてない程の国民的人気を享受してい
る。
これに対し、「建国時のハッタ初代副大統領以来の強い副大統領」といわれ、国会第一
党ゴルカル党首として「政治力」を有するカラ副大統領も、存在感を発揮している。
カラ副大統領は豊富な「資金力」を有するバクリ新国民福祉調整相(前経済調整相)と、
緊密な連携・相互依存関係にある。
2009 年の大統領選挙に向けた具体的な動きが始まるまでは、ユドヨノ大統領、カラ副大
統領とも相互に相手を必要とし、連携して政権を運営していく構図に変化はないと見られ
る。
スシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)大統領(56 歳)
ユスフ・カラ(JK)副大統領(63 歳)
(2)政策決定過程:
ユドヨノ大統領のスタイルは、「ビジョンを掲げ、ルール、枠組みを設けて Governance
を効かせる」というもので、熟慮し周到な戦略を立てての結果ゆえ、時間がかかるが、そ
の決定に間違いが生じることは考えにくい。
カラ副大統領のスタイルは、プラグマティック且つ「個別事項に素早く取り組み、決定
する」というもので、現在のところ、若干の緊張関係をはらみつつも、両者の長所がかみ
合い、結果として政権はうまく回転している。
従い、経済面での政権の行動パターンは、ユドヨノ大統領がビジョンと方向性を示し、
個々の案件をカラ副大統領が推進する、というものである。
43
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
燃料値上げのような重要事項についても、大統領が最終決定権を有するが、そこに到る
政策決定過程には、カラ副大統領以下が、結果としてではあろうとも主導的役割を果たし
てきた。
2004 年末のアチェ大津波への初期対応や、独立を目指していた自由アチェ運動(GAM)
との和平交渉についても、カラ副大統領およびその影響下の閣僚達のイニシアティブによ
り対応し、最後にユドヨノ大統領が承認する形となった。
外部にはあまり知られていないが、2005 年 9 月末の値上げ幅を含む燃料価格値上げ決定
についても、カラ副大統領・バクリ経済調整相(当時)のコンビが官僚・テクノクラート
レベルの計算に基づき、イニシアティブを取って推進し、意思決定の最終段階で、初めて
ユドヨノ大統領の承認を得た。
また、スリ・ムリアニ国家開発企画庁長官(当時)が、津波対策、インフラ民活、アチ
ェ独立運動側兵士の社会復帰から鳥インフルエンザ対策に至るまで、その取りまとめを行
い、八面六臂の活躍を見せてきた。
(3)内閣改造:経済学者・企業家複合体(Technocrat Business Complex):
2005 年 12 月 7 日の内閣改造により、バクリ前経済調整相が国民福祉調整相に異動して、
ブディオノ新経済調整相(元財務相、国家開発企画庁長官及び中央銀行副総裁も歴任、ガ
ジャマダ大学講師)が就任した。
スリ・ムリアニ新財務相(前国家開発企画庁長官)、マリ・パンゲストゥ商業相の存在
と共に経済学者出身のテクノクラート閣僚の比重が、ビジネス(企業家)出身閣僚に比し
て高まり、経済分野での相対的な重心が、従来のカラ副大統領からユドヨノ大統領に移動
した。ただし、パスカ・スゼッタ新国家開発企画庁長官(前国会財務委員長・ゴルカル党
副収入役)およびファハミ・イドリス新工業相(前労働移住相)は、ゴルカル党幹部であ
ると共に企業家出身であり、同じく企業家出身のスギハルト国有企業担当国務相(開発統
一党)の存在と共に、テクノクラート・ビジネス複合体の要素は依然残っている。
また経済チームはテクノクラートとゴルカル党が主体という要素も強くなり、カラ副大
統領の影響力も残った。
ブディオノ調整相は、ユドヨノ大統領と同じジャワ人として外柔内剛であり、メガワテ
ィ政権の財務相時代に、政党の圧力をはね退けて財政の健全性を維持した実績を有し、マ
クロ経済の「守り」については定評がある。
しかし今後は、スリ・ムリアニ財務相と共に、燃料補助金削減の後遺症であるインフレ
と高金利の重圧に喘ぐリアルセクターの活性化および民活によるインフラ整備を通じて、
ユドヨノ政権の公約である高度経済成長を果たす、という「攻め」も要求されるところで
あり、その舵取りが注目される。
44
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ブディオノ新経済調整相
(62 歳)
スリ・ムリアニ新財務相
(43 歳)
マリ・パンゲストゥ商業相
(49 歳)
パスカ・スゼッタ新国家開発企画庁長官(52 歳) ファハミ・イドリス新工業相(62 歳)
2.インフラ整備:特に民活インフラ整備の現状:
(1)現状認識および 2005 年 1 月以降のインフラ整備状況:
(イ)インドネシア政府トップの期待と内容のギャップ:取り組みの遅れ:
2005 年 1 月のインフラ・サミット時の予告では、91 件(225 億ドル分)が民活インフラ・
プロジェクトの入札予定とされたが、フィージビリティー・スタディ(FS)等の準備も優
先順位付けも不十分であり、これまで実現したのは 2005 年 8 月初旬の有料道路 6 件のみで
あった。多くの官庁の法令整備も予定より遅延した。
この遅延の一因は各官庁の次官・総局長級の任命の遅れである(最後の国家開発企画庁
次官級任命は 2005 年 8 月)。
さらに政権は、3~4 月頃までアチェの津波被害への対策に追われ、7~8 月は(法務人
権相は)GAM との和平交渉に没頭、8~9 月にはルピア不安対策に追われた。そのため、イ
ンフラ整備政策への取り組みは大幅に遅れ、インフラ政策への動きが再び軌道に乗り始め
たのは、10 月になってからである。11 月に予定されていた第 2 回インフラ・サミットは、
2006 年 2 月に延期になったが、プディオノ経済調整相就任に伴い、さらに十分な準備をす
るためとして、2006 年 6 月ごろまでの再度延期を余儀なくされた。
2005 年 1 月のインフラ・サミットは「民間への開放の表明」であり、次回のサミットで
「How の発表」をすることになる。
(ロ)セクター毎の案件の状況:
入札予定案件:2005 年 1 月のインフラ・サミット以降、入札実施は以下A.の有料道路
6 件のみで、優先順位というよりも、成熟案件から入札が開始されている。
45
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
A.有料道路:2005 年 1 月のインフラ・サミットで 38 案件(1,518km、94.28 億ドル)を
提示し、以下を 8 月に入札(156km、11.92 億ドル分)。
No.
区間
地域
操業開始時期
1
メダン~ビンジャイ
北スマトラ
2007 年 7 月
2
デポック~アンタサリ
西ジャワ
2008 年 12 月
3
チネレ~ジャゴラウイ
西ジャワ
2007 年 8 月
4
チカラン~タンジュン・プリオク
首都圏
2008 年 12 月
5
チルエニ~スメダン~ダウアン
西ジャワ
2008 年 12 月
6
マカッサル IV
南スラウエシ
2007 年 5 月
(注)上記の内 2 件(No.1/ No.5)は、8 月に応札がなく 10 月に再入札の Prequalification 中。
その他の 4 件については、国内企業 3 社が応札、豪州系企業 1 社が独自の条件を付帯させ
たため不適格(disqualify)とされた(Prequalification Process では 35 コンソーシアム
が興味を示し、インドネシア、マレーシア、インド、中国、韓国、豪州系企業が登録)
。そ
の後、燃料価格大幅値上げによる資材価格高騰で落札価格の見直し交渉中。
次の案件群として、2006 年 5 月までにさらに 13 件(692.5km、37.63 億ドル)を入札
予定で、現在 Prequalification 中。
B.電力:2005 年から 2015 年にかけて、ジャワ・バリで 15,380MW、その他で 6,335MW、
計 21,715MW の増設が必要とされ、送変電等付帯設備を入れると、138.36 億ドルの投
資が必要とされる。
電力庁(PLN)が 45%を、民間発電事業会社(IPP)が 55%を受け持つとされ、太宗を
占めるジャワ・バリの大規模発電は、ほとんどを IPP に依存する計画である(出所:
電力 10 年計画、エネルギー鉱業資源省および PLN)。
2005 年 1 月のインフラ・サミットでは、IPP12 案件、58.97 億ドルを提示したが、9
月に PLN が発表した IPP 予定案件は、以下 8 件、3,670MW、約 40 億ドル弱分である。
チ レ ボ ン 石 炭 火 力 が ま ず 想 定 さ れ 、 内 外 の 36 社 が 興 味 を 示 し 、 18 社 が
Prequalification に登録申請し、日本、インドネシア、マレーシア、インド、豪州、
香港の 11 社が適格とされた。
No
案件名
場所
容
量
(MW)
投資額
運開時期
(百万ドル) (年)
1
チレボン石炭火力
西ジャワ
1x600
2
パスルアン・ガス火力
東ジャワ
1x500
555
2011
3
中部ジャワ石炭火力
中部ジャワ
2x600
1,311
2011
4
パイトン石炭火力 3/4
東ジャワ
2x400
889
2012
5
バリ石炭火力
バリ
2x100
200
2008/9
6
北スマトラ石炭火力
北スマトラ
2x100
200
2010
7
北スラウェシ石炭火力
北スマトラ
2x25
50
2010
8
東カリマンタン石炭火力
東カリマンタン
2x60
120
2010
46
600
2010
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
C.ガス・パイプライン:2005 年 1 月のインフラ・サミット提示案件の現状:出所:ガス
公社(PGN)、および経済調整大臣府:
案件
現状
ファイナンス
Duri-Dumai-Medan 1 期
(スマトラ)
同上 2 期(スマトラ)
FS 終了、土地問題等地方政府と打合わせ中 未定
FS 終了、土地問題、ファイナンス等打ち合わせ中
東カリマンタン-中部ジャワ
ADB 支援で PPP 案件として FS 中、入札準備中
投資額
(百万ドル)
392.7
未定
267
1,475
Cirebon-Semarang
538
FS とガス協定終了、Feed、ファイナンス、ルート 民活投資
Semarang-Gresik
(348)(*)
細目、土地関連等を詰め中。入札準備中
上の 2 案件は申請受付中
(*)上の 2 案件
Cirebon-Muarabekasi
先行分
(西ジャワ-東ジャワ)
Kepodang-Tambak Lorok ADB 支援で FS、Feed、細目打ち合わせ中
未定
105
(ジャワ)
Sengkang-Makassar
FS、Feed、ファイナンス、ルート細目等打ち合わ 未定
110
(スラウェシ)
せ中
(注)ガス・パイプライン案件の課題は、ガス量の確認、引き取り手(off taker)の支払い、料金設定
方法等。
D/E/F.水道・運輸・通信・石油ガス分野及び合計:出所:経済調整大臣府 1 年間の活動報告:
案件
2005 年 1 月のインフラ・
その後の状況
サミット提示時
件数
D.
水道
24
単位
百万ドル
件数
372
6
18,015
ℓ/sec.
E.
運輸:
10
単位
7,500
百万ドル
130.5
ℓ/sec.
-
2,271
6
-
通信
1,923
入札準備中(港湾 3 件、空港
2 件、鉄道 1 件)
1
30,000
1,600
-
22,456
42
1,856
2
-
-
Palapa O2 Ring(全国デジタ
km
上記計(A.B.C.D.E.F.)
地方政府主導に決まり、見直
し結果 6 件を入札準備中
港湾・空港・鉄道
F.
現状
91
ル化計画)の戦略見直中
12,502.5
エネルギー鉱業資源省の直接の提示案件
G.
石油インフラ
21
81
入札準備中
(注)運輸案件の課題は、空港公団、鉄道公社、港湾公社の役割の明確化と空港、港湾の料金設定方法。
(ハ)その他案件:出所:経済調整大臣府報告書他:
A.ジャカルタの交通混雑の経済的損失額は、年間 5.5 兆ルピア(約 5.5 億ドル:車両の
運行費用と時間から計算)に達するとされ、その解消策の一環として、Mass Rapid
Transit(MRT)を国とジャカルタ都の協力で建設することとなった。
B.カーポート・ターミナルを、タンジュン・プリオクのコジャバハリ造船所の跡地に建
設することを、2005 年 8 月のインフラ整備促進政策委員会(KKPPI)で決定した。
C.上記リスト案件の他に、中国案件や地方の発電(メドコ社落札、ボソワ・グループが
検討中)等で若干の進捗がある。
47
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
D.地方では Infrastructure Regional Forum が開催され、地方ベースの案件を進めてい
る。特に水道は地方政府主導で行なうものとされた。
(ニ)今後の案件:
2005 年 10 月、バクリ経済調整相(当時)は、次回のインフラ・サミットで、有料道路
や発電施設、上水道施設、ガス・パイプライン、石油関連施設など 44 案件、約 125 億ドル
の案件を提示する旨を表明したが、内容は上記リストの通りである。これにより、労働移
住省は新規雇用 190 万人を期待しているという。
公共事業省のルスタム次官は、同省が必要とする投資額を 5 年間で 210 兆ルピアとし、
政府が 120 兆ルピアを負担する計画を示し、残る 90 兆ルピアの民間投資を求めた。ただし、
今後ブディオノ新経済調整相の判断を待つ必要があると見られる。
(2)政府のインフラ整備の考え方:2005 年 1 月の経済調整大臣府及びその後の国家開発
企画庁の発表によれば以下:
(イ)インフラ投資を Commercially Viable にして、民間が投資し易くし、電力、運輸、有
料道路、水道、衛生設備、港湾、通信等に総合的に取り組む。
(ロ)政府は Commercially Viable でないセクター、即ち地方の道路や上水道等、遠隔地社
会支援の特別の投資にも焦点をあて、貧困と戦う。
(ハ)公的と民間のインフラ供給ギャップを(Public-Private Partnership によるサポー
トや官僚的ボトルネックを除くことにより)埋める。
(ニ)財政圧力が、民間セクターにとっての機会となる。
A.公的インフラ投資の GDP 比が低下し、その傾向が持続する(1993 年の 5.34%が 2002
年には 2.33%となった)。
一方、政権の公約である 5 年間平均 6.6%の GDP 成長率の達成には、毎年 50 億ドル(GDP
の 2%)の追加投資が必要とされる。
B.2001 年に地方自治が開始されたので、地方政府への開発資金を増額した。従い地方政
府のキャパシティー・ビルディングが必要である。
C.民活インフラ投資への政府保証:政府は優先民活案件について、一定の保証を提供す
る(後述の、2005 年 10 月の財務相令 518 号及び民活インフラ活用の課題と解決の方
向性を参照。保証内容は未定だが、ブランケット・ギャランティーではなく個別案件
毎の固有の問題として検討される方向と見られる)。
(ホ)計画:地方自治を勘案、中央・地方政府の関係、地方の港湾、空港、電力等の管理等、
インフラに関する多くの規程改正・整備を行う。
中央・地方政府は、インフラ・サービス提供について、より多くの責任を負う。
48
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
地方政府では水道公社(PDMA)の統廃合と企業化が必要であり、地方の公社(BUMD)改革
の法令改正を行う。
(ヘ)PPP(Public-Private Partnership):合弁、投資、官民双方の取り決めを策定する(後
述の 2005 年 11 月の政令 67 号を参照)。
中央政府は現業管庁との関係を見直し、戦略的調整を行う(後述の 2005 年 5 月の大統
領令 42 号を参照)。
(3)投資需要と資金ソース(2005~2009 年):(2005 年 1 月 17 日経済調整相表明):
インフラ整備には今後 5 年間で 1,450 億ドルの投資を要するが、国家予算充当は 250 億
ドル(全体の 17%のみ)で、800 億ドルを民間から補おうとするもの。:以下:
1)40 億ドル:アチェ復興投資需要と資金供給
2)1,450 億ドル(1,303 兆ルピア)
:インフラ投資需要総額:資金源内訳以下:
⇒250 億ドル(225 兆ルピア)
:国家予算:17%
⇒300 億ドル(270 兆ルピア)
:国内ソース(需要サイドを増加させずに)
:21%:
銀行(5 年満期仮定)
、保険、年金基金、投資信託
⇒900 億ドル(810 兆ルピア)
:資金不足分:62%:内訳以下:
100 億ドル(90 兆ルピア)
:国際支援:
800 億ドル(720 兆ルピア)
:民間セクター:内訳以下:
外国:多国間、二国間の民間(Funding Investor and/or Operator,
Strategic & Equity Investor)、銀行、長期借款
国内:インフラ基金、生保改革
民間セクター内訳以下
225 億ドル(202.5 兆ルピア)
:2005 年 1 月のインフラ・サミットで提示
575 億ドル(517.5 兆ルピア)
:次の段階
(注 1)1 ドル=9,000 ルピア
(注 2)上記は経済成長に必要な数字から逆算したものであり、実現の可能性からの演繹的な数字
ではない。
(4)法令改正整備:セクター別法令整備改定アジェンダ:2005 年 1 月のインフラ・サミ
ット時に、ハミッド法務人権相は、以下A.の通り 18 の新規法令を制定するとしていたが、
以下 B.の通りこれまでに 5 件の政令等が発布された。予定よりも大幅に遅れている。
49
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
セクター別法令改正計画:出所:法務人権省:
:
A.2005 年 1 月時の計画(と実施状況)
(a)通信:①1999 年 36 号法令に競争を加えた改正
②地方のプロバイダーとのブロードバンドを含むユニバーサル・サービス・フラン
チャイズ(Universal Service Franchise)に関する法規制定
③差別的な限定サービス(地上回線)の選定(による補助金の)回避についての法
規制定
④いくつかの地域を多角的地域補助金の対象とする法規制定
(b)電力:⑤電力に関する新法令制定(注:2002 年の 20 号前法令の違憲判決を受け)
:ドラフト
につき、法務人権省等関係省庁と打ち合わせ中
⑥インドネシア政府が(規程あるいは国有(企業)により)いかに必要なサービス
提供が出来るかの検討と規定化:その後一部規定化
(c)石油ガス:⑦石油ガスに関する 2001 年法令 22 号の改正
(d)道路:⑧2004 年の道路に関する法令 38 号の実施
⑨有料道路に関する政令制定:その後制定済み
⑩有料道路機関(BPJT)設立:その後設立済み
(e)空港:⑪航空に関する新法令制定⇒新法律及び政令を準備中
⑫空港に関する政令制定
(f)港湾:⑬海運サービスに関する新法令制定⇒準備中
⑭港湾に関する政令制定
(g)鉄道:⑮鉄道に関する新法令制定⇒準備中
⑯鉄道インフラに関する政令制定
(h)水道:⑰水道に関する 2004 年法令 7 号の実施
⑱水道システム開発に関する政令制定 :その後制定済み
B.2005 年 1 月以降のセクター別及び土地関係法令整備状況:
(a)電力供給と使用に関する政令 3 号:2005 年 1 月 16 日
(b)公益のための電力供給事業における電力購入 and/or 送電網賃借の手順に関するエネルギ
ー鉱業資源相令 2005 年 9 号、州間あるいは国家送電網と接続する電力事業の許認可手続き
に関するエネルギー鉱業資源相令 2005 年 10 号(2005 年 4 月 25 日)
(c)有料道路に関する 2005 年政令 15 号(2005 年 3 月 21 日)
(d)飲料水システム開発に関する 2005 年政令 16 号
(e)公共のための開発実現のための土地に関する(土地収用)大統領令改正 2005 年 36 号(2005
年 5 月 3 日)
(5)インフラ整備促進の政策枠組み:
2005 年 11 月に発表された政府と企業とのインフラ整備に関する 2005 年政令 67 号を基
本とし、インフラ整備促進委員会(KKPPI)をツールとして推進することとなった。
政府保証については財務相令 518 号/KMK/.01 号により、財務省がリスク管理委員会を設
立し、検討することとなった。即ち以下。:
(イ)インフラ整備促進政策委員会(KKPPI)に関する大統領令 42 号:
(Komite Kebijakan Percepatan Penyediaan Infrastruktur:the Policy Committee for
50
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
Accelerating Infrastructure Provision: 2005 年 5 月 23 日付け。ただし、KKPPI の実際
の活動開始は 7 月)
A.以前のインフラ建設促進政策委員会(同じく KKPPI と称した)を、2005 年の大統領令
により、経済調整大臣府に権限を集中させ、政策の決定権を持たせることとなった(従
来は現業省庁の調整権限のみ)。
B.現業省庁が権限に固執し、リスクをおそれて決定できない状況を乗り越える意向であ
り、「総論よりは各論」として、案件ごとに意思決定する方向である。
C.課題としては、機能の分業により、現業省庁で物事が進まない場合、KKPPI も「待ち」
になる可能性があること及び、調整大臣府の人材の量に限界があることである(経済
調整大臣府の次官級タスク・フォースはエクソンとのチェプ油田契約交渉やニューモ
ントとの環境問題交渉も担当する等、極めて多忙であった)。
インフラ整備促進政策委員会に関する大統領令 42 号(2005 年 5 月 23 日)
:
(a)従来のインフラ建設促進政策委員会を改組。
(b)政策・戦略の決定権限あり。
(c)メンバー:
委員長
経済調整相(注:バクリ⇒2005 年 12 月以降はブディオノ)
委員長代行 国家開発企画庁長官(注:スリ・ムルヤニ⇒2005 年 12 月以降はパスカ・スゼッタ)
第一事務局長:(スヨノ・ディクン)経済調整大臣府財政地方分権・インフラ開発担当次官
第二事務局長:(イムロン・ブルキン)国家開発企画庁インフラ担当次官
委員:①内務相、②財務相、③エネルギー鉱業資源相、④公共事業相、⑤運輸相、
⑥情報・通信相、⑦国有企業相、⑧内閣書記
(d)インフラ分野: 運輸、道路、灌漑、上下水道、通信、電力、石油・ガス輸送
D.P3C(Public Private Partnership Center)Network の設立準備中:KKPPI の下に P3C
が設立され、関係各省(公共事業省、エネルギー鉱業資源省、運輸省、国家開発企画
庁、財務省等)の傘下に設けられる P3 Unit と共に P3C Network を形成する1。
(ロ)インフラ整備に関する政府と企業2との協力に関する 11 月 9 日付け 2005 年 67 号大統
領令:(1998 年同 7 号の改定:入札による官民協力協定の詳細に関する添付規程あり):
2005 年 11 月 9 日付(実際は 17 日過ぎに公表)で発布され、民活インフラ整備(PPP)
に関する政策枠組みの骨格が漸く整った。政府は、以前はリスクのほとんどが投資家負担
のため、民間投資家にとっての魅力に欠けたが、この大統領令により、有料道路の土地関
連が政府の責任となる等、リスクの多くが政府の負担となり、案件の進捗が期待出来る、
としている。
同大統領令の要旨及び政府説明は以下。:
A.消費者、社会と企業の利益を守りつつ、インフラ整備への企業の参加を促す。
1
Consolidated Indonesia Infrastructure Forum(CIIF)が、2005 年 2 月に設立された。:国際商工会議
所(IBC)、米国商工会議所(AMCHAM)、ジャカルタ・ジャパン・クラブ(JJC)等を含め、投資家他関係
各層と対話を深めつつインプットを求めるとのことだが、実際は対外広報活動に重点があると見られる。
2
私企業、国有・地方政府所有企業等を含む。
51
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
B.インフラ整備に関する官民協力について、分権と地方自治適用等に関するパラダイム
の変化に沿って、1998 年の政令 7 号を改定した3。
C.官民協力は公正、公開、透明性、競争、(入札結果への)責任、共栄、相互の必要性、
相互支援、効率性、level playing field の原則に基づく。官民協力は協力協定また
は事業許可による。その実施プロセスは、上記原則に基づきつつ、簡素化される。
D.大臣・省庁の長、州知事、県知事・市長等に対して提案されるインフラ案件は、proper
due diligence を経る。
E.民間投資のリターン(料金設定)は、投資・運営コストと自然な利益に基づく。これ
が成立しない場合4の料金決定は、(public service obligation としての)政府による
代償(compensation)供与を加味した消費者の支払能力に基づく。
政府の代償の額は、入札参加者の競争結果に基づく。
F.インフラ整備への投資リスクは、効率性と効果を保証するため、各省庁・地方政府・
企業が分担し、その能力を最も有すると思われる先5が管理する。
政府のサポートが必要な場合は、国家の財政能力を勘案して、投資協力、補助金、保
証、免税の形を取る。
リスク管理と政府支援の規定は、インフラ整備のためのリスク管理委員会設立に関す
る以下(ハ)財務相令による。
G.政府案以外の案件(unsolicited project)を申請する企業は、申請案件が採用されれ
ば、案件の準備費用を政府から代償として受け取ることが出来る。
H.政府の保証により、コンセッション契約を銀行融資の担保にすることが 可能となる。
I.有料道路の Performance Bond は、従来のプロジェクト総投資額の 5%から 2%に下げ
られる。尚、投資家が土地収用を行う場合には、収容された土地の割合を Performance
Bond から差し引くことが出来る。
(ハ)インフラ整備のためのリスク管理委員会設立に関する 2005 年 10 月 31 日付け財務相
令 518/KMK/.01/2005:
政府は「リスクを極小化するための戦略を策定し、案件のファイナンス面の評価を行い、
予算措置を講じるべき適正案件の採否、あるいは案件に対してどの程度の代償を準備する
かを決める」として、財務省にリスク管理委員会を設立した。
これにより、ようやくインフラ整備絡みの偶発債務に対するリスク管理検討の態勢が整
った。
保証内容について、まずは手掛かりとなる原則が発表される見込みである。
3
地方政府の関与を追加。
4
料金が、運営費用を下回る場合。
5
財務省。
52
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
財務省リスク管理委員会の構成:
諮問委員会:委員長はジャネス・フタガルン(注:前経済調整大臣府次官、現大臣補佐)
委員はアニ・ラトナワティ、アンソニー・クエック(注:それぞれブライトン・インスティチュート、ADB 出向経験者)
政策委員会:委員長:財務省経済・財政・国際協力研究庁長官(アンギト・アビマニュ)
委員:財務省国庫総局長(ムリア・ナスチオン)
委員:予算・財政均衡総局長(アハマッド・ロフヤディ)
実務委員会:委員長:財務省国債管理局長(アフマッド・ワルヤント)
適正検討担当副委員長:経済・財政研究センター長(委員 10 名)
ファイナンス担当副委員長:予算編成局長(委員 5 名)
法務担当副委員長:財務省法務部長(委員 4 名)
事務局長:ダハラン・シアマット(国債管理局)
(6)民活インフラ活用の課題と解決の方向性は何か:
(イ)政府保証:
A.現状:日本企業が最も興味を有する IPP を例に取れば、以下:
インドネシア政府はアジア通貨危機の際に、PLN の PPA(Power Purchase Agreement)
による IPP 電力の PLN 引取義務が、外貨建て料金の為替急落と相まって PLN に大規模
な偶発債務を発生させたトラウマに囚われ、保証に踏み切れないできた。
しかし、PLN が IPP 電力の Buyer になる場合には、PLN の財政基盤の弱さから、何らか
の政府支援が必要である、との図式に今でも変化はない。
ちなみにタイ電力公社(EGAT)、メキシコ連邦電力庁(CFE)等の場合は、IPP 電力に
関し政府(財務省)による保証がある(EGAT が民営化されれば、不透明となるが)。
従来の IPP 27 案件は、PLN の PPA 上の支払い義務をサポートする政府のコンフォート・
レターが基であったが、サポートが実質的に機能しなかった、との事業者側の認識が
ある。
IPP 成立にはファイナンス成立、すなわち銀行団の支持が鍵となるが、当然ながら銀
行団は「従来のサポートよりも強い内容」を求めることになる。
また「完全な政府保証」が難しければ、
「PLN の PPA の実効性を政府が“サポート”す
る」、即ち「問題発生時の政府サポートの約束」程度でもやむを得ないとの一部投資家
(事業者)・銀行の考え方もあり、今後の詰めを要する。
PLN は一旦は、
「ブランケットの保証状やコンフォート・レターの出状は難しいが、事
象を絞ったものであれば可能性があるので、どのような事象がカバー対象となるのか、
事業者(含む銀行団)との間で打ち合わせる」としているが、未だ紆余曲折があると
みられる。
B.政府の認識の変化:一定の保証の必要性:
アンワール財務相(当時)は、2005 年 1 月のインフラ・サミットにて、「一定の政府
保証の必要性」を認めて検討するとし、世銀もリスクシェアリング・スキーム構築等
のアイデアを出してきた。
53
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
しかし、その後バクリ経済調整相(当時)は、(政府責任がないとの理解で)「コンフ
ォート・レター発行」に傾き、さらに「ケース・バイ・ケースの保証」と変化し、そ
の後中国との案件が保証なしであったことから「政府保証なし」に傾いた。
しかし、中国案件が必ずしも円滑に進まないことや、日欧米企業の対 IPP スタンスの
現状等に鑑み、政府は再度「一定の保証の必要性」を認める方向となったものと見ら
れる。
しかし、総論賛成が各論での保証実行に至るには、ブディオノ新経済調整相、スリ・
ムルヤニ新財務相の今後の判断を含め、未だ紆余曲折があると見られる。
C.土地収用:
政府は土地収用に関し、政府のサポートによる投資家リスクの軽減をうたっており、
その具体策が待たれる。IPP、有料道路、パイプライン等多くの分野に共通の課題であ
る。
D.Capacity Building:
インドネシア政府の偶発債務リスクの管理には、政府・中銀を統合したリスク管理能力
の向上が必要と見られる。
KKPPI は、リスク管理の総合判断まで財務省に預けてしまった感がある。
政府全体としてこれをどういう原則の下に、案件毎に具体的にいかに柔軟に処理して
いくか、が問われているので、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)、日本等によるイン
ドネシア政府の Capacity Building への一層の支援が必要と思われる。
(ロ)IPP 成立に関するその他要件:
A.政府の関与と保証(土地収用の他に、燃料供給、送電線敷設、電力購入、為替リスク)
の明確化が必要である。これらの解決は、事業者のみでは不可能ではないものの、こ
の明確化なしには解決が困難と見られる。
B.新電力法の早期制定による、IPP の位置づけの明確化が求められている。
エネルギー鉱業資源省によれば、同法案のドラフトは既に法務人権省に持ち込まれた
が、国会の審議等で 1 年程度かかる可能性があり、それまでは、2005 年 1 月の政令 3
号で対処していくことになる(2004 年末、憲法裁判所にて違憲判決が出た前回の電力
法 20 号の準備と国会通過には 3 年を要した)。
C.上記憲法裁の違憲判決により、IPP 電力は「PLN による Single Buyer」が必須かと思
われた。しかし、エネルギー鉱業資源省の実務レベルでは、「前の法律には電力料金
への政府関与の規定がなかったので違憲となったが、政府による電気料金のベンチマ
ーク決定権を明確にしさえすれば、電力購入者は PLN 以外も含む Multi Buyer で問題
ない筈」、との考え方から、新法案ドラフトに明示はないが、元来の政府の持論であ
る Multi Seller, Multi Buyer の可能性を追求する方向にある。この場合、電力監督
庁設立案も復活する可能性が高い。
54
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
従い、新法律制定後、同じく法案に明示はないが、政府による電力料金のベンチマー
ク の 範 囲 内 と い う ”Cap” つ き な が ら 、 IPP 電 力 料 金 算 定 を Automatic Price
Adjustment mechanism にする方向である。
D.自家発電及び特定需要家に対する、余剰電力販売の有効利用に係るルールの明確化が
必要である。
E.既存施設の効率性向上の観点から、PLN の既存施設の IPP 化の可能性も視野に入れる
必要がある。バクリ前経済調整相は、既存発電所も新設とセットで入札に出す考えを
示していた。
(ハ)モデル・プロジェクト:
民活インフラ案件は「全てを一度に」よりも、数件のモデル・プロジェクトを実現させ、
成功例を作ることが早道(国際金融公社(IFC)代表提案)と思われる。優先・必要な案件
に限った保証により、リスク総額を抑えることも可能となる。
当面は IPP 案件として入札予定の 8 案件をいかにスムーズに推進できるか、この場合の
政府保証の内容がどうなるか、が今後の展望への鍵となる。
スリ・ムルヤニ新財務相のさばき方が注目される。
(ニ)国家予算の増額と政府案件の増加:
民間資金による大量のインフラ・プロジェクトの早期実現は、実際問題として困難と見
られる。従い、インドネシアに対する日本や世銀等海外ドナーからの ODA 増額と共に国家
予算による、政府案件の増加が必要ではないかと思われる。これを補う国内資金調達のた
めに、新規の建設国債の発行も考えられる。
このためには、インドネシアの国会等で見られる様な、
「IMF モニタリングへのトラウマ
による外国援助への反発意識」からの解放を志向すると共に、インフラの劣化阻止・同整
備のためには、1%前後(2005 年度予想は 0.9%)にまで急低下した財政赤字の対 GDP 比
率のこれ以上のペースでの急減を、一時的にでも止める政策を選択肢とすることが必要で
はないだろうか(ちなみに、2005 年度予算の 2006 年 1 月速報値では、予算執行の遅れも
あり、財政赤字の対 GDP 比率は 0.9%の予定が 0.59%まで急低下している)。
なお、ブディオノ新経済調整相も、
「財政赤字の対 GDP 比率が 1.0~1.5%程度なら安全」
との考えを示している。
3.中国の投資活動:エネルギーとインフラ:
(1)中イ両国の提携枠組み:
2005 年 4 月の胡錦濤国家書記訪イ時及び同年 7 月のユドヨノ大統領訪中時の発表によれ
ば、以下。:
(イ)戦略提携協定:政治・経済(含 ODA)・国防・文化を包含している。
55
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(2005 年度財務省委嘱研究会)
(ロ)中イ貿易投資促進会議:2005 年 8 月のカラ副大統領訪中時に、第 7 回会合をマリ・
パンゲストゥ商業相と薄熙来商務部長との間で開催し、A.2010 年の両国間貿易額目標を
300 億ドルとし、B.投資促進、C.金融面での協力、D.観光協力を約し、ロードマッ
プを年末までに作成することとなった6。
(ハ)インフラと天然資源協力の覚書(2005 年 4 月 25 日、ハッサン外相、薄熙来商務部長
が調印:上記(ロ)会議の枠内)
インフラ開発と天然資源の協力を行うための、両国間ワーキンググループを設置する。
(2)中国のインフラ関連 ODA:
(イ)両国間の経済及び技術協力に関する無償援助協定7
(ロ)Preferential Buyers’Credit:
中国からの 1 億ドルの Preferential Buyers’Credit 供与協定(第 1 次 4 億ドル、第 2
次 3 億ドルに続く)の第 3 次分を、2005 年 7 月の大統領訪中時に締結した。
本案件の一部は 4 月の胡錦濤主席訪イの際にも署名済。7 月の大統領訪中時は以下①②
の最終借款分となる。:案件以下:
①チレボン~クロヤ(中部ジャワ)間鉄道複線化:(案件総額:37.75 百万ドル)
②ジャティ・ゲデ ダム(西ジャワ)建設:(案件総額:199.8 百万ドル、ダム容量:7.95 億㎥)
(注)先進国からのダム開発援助は住民の立ち退き問題等から、得難くなる傾向にある。
なお、以下はそれ以前に合意済みで実施中。:
③パリット・バル(西カリマンタン)火力発電所建設:55MWx2:93.5 百万ドル
④スラバヤ・マドウラ架橋建設(東ジャワ): 約 1.5 億ドル。
⑤ラブハン・アンギン火力発電(55MWx4:北スマトラ・シボルガ:機械設備進出口公司)
(3)ユドヨノ大統領の 2005 年 7 月訪中時のインフラ案件:
中国国際貿易促進委員会とインドネシア商工会議所との会談時、以下の 2 投資案件(①
②)の覚書を調印した。インドネシア政府の保証はなし。中国の銀行がファイナンスする
(金利 3%、据え置き期間 3 年、期間 15 年程度と見られる)。
7 案件合計で総額は約 75 億ドルに達するが、この中には入札案件のパートナーとなるこ
とを決めただけのものを含み、投資額とは限らない。
6
2004 年の貿易実績は 135 億ドル(中国商務部ベースの数字)、2005 年の貿易目標は 160 億ドル、 2010
年の貿易目標は 300 億ドル。
7
金額は諸分野で 3,000 万人民元。
56
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ユドヨノ大統領訪中時(2005 年 7 月)の案件:
①中央バンコ(南スマトラ ムアラ・エニム)山元石炭火力発電所建設:西ジャワへの電力供給。
案件総額:21.8 億ドル
発電能力:2,400MW:4x600MW。フェーズ 1:2x600MW、フェーズ 2:2x600MW
事業者:中国華電工程公司(旧国家電力公司傘下の電力建設企業)、ブキット・アッサム石炭公社、
PLN 、ムアラ・エニム地方政府、PT Indika Inti Energi
資金供与:中国進出口(輸出入)銀行、(中国)国家開発銀行(インドネシア政府保証なし)
②南スマトラの石炭開発・輸送・輸出プロジェクト:石炭輸出 15 年間(96 億ドル)タンジュン・エニム~
パレンバン間 84km の鉄道、28km の水路、ターミナル建設
案件総額:7 億ドル
事業者:輸送:中国国際信託投資公司(CITIC)、中国煤炭(注:石炭)集団他によるコンソーシアム
中国側石炭輸入:CITIC、中国煤炭集団
建設事業者:中国鉄路(注:鉄道)工程公司(CREC)
資金供与:中国工商銀行(インドネシア政府保証なし)
③中部ジャワ タンジュン・ジャティA火力発電プロジェクト:ジャワ・スマトラに対する電力供給
案件総額:11 億ドル:(注:このパートナーで今後、入札参加を目論む)
発電能力:2x660 MW
オリジナルの事業者:トーメン、バクリ・パワー、 MSH Group(注:ヒダヤット・インドネシア商工会議所
(KADIN)会頭の企業)
工事入札参加事業者:成達工程公司、バクリ・パワー他
工事への資金供与:中国銀行(インドネシア政府保証なし)
プルタミナ所有石油ガス鉱区の提供(商業ベース、First Refusal Right?)とパッケージとの情報も
ある。
④中国石化集団公司(SINOPEC)とプルタミナによる東ジャワ・トゥバンにおける合弁製油所建設:その後
Head of Agreement に向けて交渉しているが、進展がない模様。
15 万~20 万バレル/日(案件総額は約 24 億ドル)
投資の見返りに SINOPEC が、インドネシアにおける石油ガスの採掘権を得ることで、プルタミナと交
渉中(注:プルタミナ保有油田の二次回収も含む。なお、2005 年 8 月 26 日、SINOPEC と Indelberg
Indonesia 社が、南スマトラにおける石油・ガス生産の協力を約した)。
さらに以下も交渉中:
⑤タンジュンエニム・タラハン(ランポン州)間の鉄道建設:
案件総額:6.5~7.5 億ドル、資金提供・投資:中国工商銀行
EPC 契約:中国鉄路工程公司(CREC)
⑥南スマトラ バトゥラジャ石炭火力発電所投資建設:
案件総額: 1.9 億ドル、発電能力: 2x100MW
資金提供・投資支援:中国銀行(総額の 85%)
中国企業グオファ(中国華電工程公司?)と当国県営企業のペトロ・ムグ社との投資・建設。
⑦(ジャカルタ郊外)カラワンでの工業団地開発と東インドネシア(東南マルク)での総合水産業開発:
カラワン工業団地は第一段階で 450 ヘクタール、予算 7 千万ドルの予定:インドネシア側事業者は
アルタ・グラハ・グループ(トミー・ウイナタ総帥)とされる。
57
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(4)カラ副大統領訪中時のインフラ覚書調印案件:
カラ副大統領は 2005 年 8 月末に訪中し、9 月 1 日帰国。中国訪問の成果として合計約
50 億ドルの協力案件を発表した。
カラ副大統領訪中時の覚書調印案件:
①東カリマンタン・ガス・トランスミッション・パイプライン覚書調印:1,200 百万ドル
PT PGN(インドネシアガス公社)、CNOOC SES Ltd(注:共同で、入札参加を企図するもの)
②通信機器及び東インドネシアにおける通信インフラ開発の技術・ビジネス協定 5 億ドル
PT Inti、Alcatel Shanghai Bell、PT Alcatel Indonesia
(インドネシア国有企業と在中・フランス系企業の協力)
③中部カリマンタン(サンピット)鉄鉱石開発プロジェクト覚書:年産 250 万トン、10 億ドル
PT Krakatau Steel、PT Sumbergas Sakti Prima、成達工程公司、四川省川威集団有限公司
④インドネシアにおけるアルミナ精錬プロジェクト覚書:1 億ドル
PT Antam Tbk、中国鋁業(アルミ)公司
⑤薬品部門での投資協力覚書 :10 億ドル
PT Jamsostek (Persero)、PT Transpacific Securindo、華凌集団有限公司(広東省)(?)
⑥インドネシアにおける住宅開発協力覚書:11 億ドル
PT Jamsostek (Persero)、PT Tranpacific Securindo、華凌集団有限公司(広東省)
⑦インドネシアにおけるハイブリッド米種籾協力協定:(金額 NA)
PT Sumber Alam Sultra、四川国豪種業(四川省の種苗企業)
⑧リアウ諸島開発協力協定:(金額 NA)
AG Networks Associates、光彩能源(エネルギー)有限公司
⑨インドネシアにおける砂糖産業が 2009 年に自給を達成するための FS 覚書:(金額 NA)
中国技術進出口総公司
⑩シバヤック(北スマトラ)地熱発電所契約:120MW:12 百万ドル:
PT Dizamarta Powerindo、中国電線電繿進出口有限公司
(ハルピンのタービンメーカーから中国の銀行ファイナンスにて地熱発電機器を購入)
(5)その後の案件以下:
①9 月 7 日のプレス・リリース:入札を経ての IPP 案件参加につき覚書(MOU)締結:
A.バリ石炭火力発電
2x100MW
B.東カリマンタン石炭火力発電 2x60MW
②広東省との協力:
広東省ミッション 500 名が、張徳江省共産党書記を団長として 11 月 5 日に訪イし、水産、
電力、鉱山開発、石炭輸出、IT 関連等 18 件、8 億ドルの協力協定に署名した。
(6)中国案件の特徴と問題点:
(イ)インドネシア政府の保証不要:
A . 融資は中国国営銀行が、中国の機器メーカーに融資し、中国出口信用保険公司
(Sinosure:中国版の日本貿易保険(NEXI))が、中国の国営銀行に対して保証するス
キームにより、インドネシア政府の保証不要が中国案件の目玉である。
ただし Sinosure が保証するのは中国のトップ 50 程度の企業についてのみであり、低
位の企業については「保証出来ない」として、インドネシア政府の保証を求め、イン
ドネシア政府はそれを断った経緯がある。
58
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
B.カラ副大統領訪中時の案件の中には、中国の大企業の参加とは見られないものもあり、
この場合は Sinosure の付保が困難と見られ、ファイナンスも不透明となる。
(ロ)天然資源とインフラの結合:Bundling Up of Natural Resources and Infrastructure:
A.中国側が、発電所、鉄道、製油所等(将来は有料道路も)を建設する見返りに、イン
ドネシア側が石油・ガスの鉱区を提供するスキームである。
この結合の構築を基にして、イ中両国間の大規模プロジェクトの覚書(MOU)締結に至
った。
B.しかし、このイ中協力構想を推進したインドネシア側幹部は、これを「アチェ復興庁
の如く政府組織から半独立の機関を設立して推進することを企図していたが実現せ
ず、官僚に任せることとなったのでモメンタムに欠ける」と評している。
C.Commercially Viable か?
2005 年 7 月のユドヨノ大統領及び同年 8 月のカラ副大統領訪中時に発表された同結合
による大規模案件については、その後勢いが弱まった感がある。
特に石油・ガスの利権獲得絡みの案件は、結合内の各々の契約が(インドネシア政府
に拠れば)商業ベースとのことゆえ、結合によるインセンティブが働きにくく、交渉
が実際にまとまるのは容易ではないと見られる。プルタミナ所有の小規模油田や二次
回収用の古い油田に対して、中国があまり食指を動かさないこともあると見られる
(Sinopec との交渉は続いている)。
ただしバンコ炭開発関連等の発電所、鉄道建設関連は、両国の国有企業同士の協力で
あり、他に大規模利用の可能性の少ない低品位石炭の利用のゆえとも思われるが、順
調に交渉が進捗中とのことである。山元発電であることと中国機器の低価格のゆえに、
驚異的な「USC3.5/kWh」を実現するとしている8。
D.カリマンタン(ボルネオ)のマレーシア国境沿いに、180 万ヘクタールの大規模パー
ム農園を設立する計画も交渉中だが、これには有料道路(カリマンタンとは限らずジ
ャワもありうる)の建設等を Bundle Up する構想がある。ただしその後、本件の全面
開発には、環境問題等の査定に時間がかかる見通しとなった。
(ハ)中国製品の価格競争力:
企業同士の提携案件は、基本的に中国製機器の売込みが主体で、中国の国有銀行が融資
し、Sinosure が保証するスキームと見られる。
インドネシアの IPP 事業者によれば、中国製は日欧米製に比べ大幅な価格競争力があり、
高性能でも高価な日欧米製の必要がないものについては、積極的に購入する予定で、その
種の案件については問題なく進展しているとのことである。
また、中国の電力機器等は「(欧米企業からの特許の期限切れ等で)ロイヤリティあるい
は R&D 費用を含んでいないために、相対的に低価格」、との見方がある。
8
全インドネシア平均の現在の電力料金は USC6.4/kWh。
59
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(2005 年度財務省委嘱研究会)
特に中規模石炭火力発電機器や地熱発電機器については、環境対応等への懸念はあって
も、価格競争力があると見られている。
ただし、日本には複合火力やガス焚き発電の技術があり、中国による南スマトラ・バン
コ炭火力発電所電力の西ジャワへの海底ケーブル送電線についても、中国には技術がなく、
日本(やドイツ等)が担うことになると見られている。
(ニ)国産化の問題:
中国はマンパワーを含め全て自国から持っていく傾向があるので、現地の抵抗を生む可
能性がある。
鉄道案件では、インドネシア側は国産スリーパーの使用を条件とした由。
(7)中国の対インドネシア石油権益:
(イ)中国企業では、2001 年末以降、中国海洋石油総公司(CNOOC)が、次いで中国石油天然
气股份有限公司(Petro China)が既存オペレーターからの買収により、インドネシアで石
油権益を取得し、急速にシェアを伸ばした。
インドネシアにおける中国を含む各国企業石油ガス権益の現状は、以下試算表の通り。
:
インドネシアの各国企業(オペレーター)石油・ガス権益試算現状:
生産量
順位
1位
2位
3位
4位
5位
6位
7位
8位
9位
10 位
11 位
オペレーター
ChevronTexaco (米)
TotalFinaElf
(仏)
Pertamina
(イ)
ExxonMobil
(米)
Vico (英:BP 系列)
ConocoPhilips (米)
BP
(英)
Unocal
(米)
CNOOC
(中)
Medco
(イ)
PetroChina
(中)
Others
(イ・日等)
合計
参考
参考
ChevTex+Unocal (米)
PetroChina+CNOOC(中)
原油+コンデ
ンセート:mbd
507
62
95
21
50
40
31
55
81
49
23
83
ガス(石油
換算):mbd
16
424
179
236
153
149
85
58
9
22
34
47
合計: mbd
比率
523
486
274
257
203
189
116
113
89
71
58
129
20.9%
19.4%
10.9%
10.3%
8.1%
7.5%
4.6%
4.5%
3.6%
2.8%
2.3%
5.2%
1,096
1,411
2,507
100.0%
562
67
74
147
636
214
25.4%
8.5%
(注)ガス 100mmcfd(百万立方フィート/日)は石油換算で約 17 mbd (百万バレル/日)とし
て算出。
(ロ)インドネシア石油・ガス生産の現状:前表へのコメント:
A.原油・コンデンセートのみのシェアで見れば、CNOOC と PetroChina を合計すると 9.4%
と、シェブロン・テクサコの 46.3%に次ぐ第 2 位。CNOOC はユノカル買収に失敗した
60
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
が、成功していれば石油・コンデンセートでは、CNOOC 単独で 2 位となっていた(プル
タミナは 8.6%で現在第 3 位)。日本勢は Others の項目に入り、下位にある。
B.中国勢 2 社の石油・ガス合計シェアは 8.5%で、①シェブロン 20.9%、②トタール
19.4%、③プルタミナ 10.9%、④エクソン 10.3%に次ぐ 5 位に位置する。
C.外資(プルタミナと民族系民間のメドコ等を除く)を主とする生産分与契約者(PSC)
がオペレーターをしている鉱区産出の全原油につき、各鉱区の生産分与契約に基づい
て政府取分と PSC 取分に分けられ、現在の油価の場合、総生産量の 60%強が政府取分
となり、その大半がプルタミナに渡る。従いプルタミナはオペレーターとして 3 番目
に多い生産量の他に、政府取分を加えた 600~700 百万バレル/日を取扱い、一部のコ
ンデンセートを除き、その大半がプルタミナの国内製油所に投入されている。
D.シェブロンと合併するユノカルは、Attaka 鉱区からボンタンの LNG プラントに供給し
ており、ガスのオペレーターとしては 7 番目(4.1%)の生産量である。
ガス生産量で下位のシェブロンにとって、ユノカル買収はガス生産量を伸ばす意味が
ある。
E.エクソンが参加することで交渉中の東ジャワのチェプ開発により、今後 1 日あたり 17
~18 万バレル増加する見込みである。
F.インフラ案件との結合がうまくいけば、中国の石油ガス利権がさらに増える可能性が
あるが、少なくとも当面は中国の利権増加に寄与していない。
G.CNOOC、PetroChina に次いで、中国三大石油企業グループである中国石化集団公司
(Sinopec)も、先述通りプルタミナの鉱区取得のため、トゥバン製油所建設とのセッ
トで未だ交渉を続行中である。
以
61
上
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第5章
インフラ整備資金の調達と金融資本市場整備
日本総合研究所
調査部
環太平洋戦略研究センター
上席主任研究員
高安
健一
はじめに
インドネシアでは、経常収支が黒字を維持する一方で、投資率が経済危機前の水準を大
きく下回る状態が続いている。ユドヨノ政権が持続的経済成長の基盤を築くためには、貯
蓄率の引き上げ、インフラ投資の拡大、経常収支の均衡を同時に達成する必要がある。
政府は、2005 年 1 月に主催したインフラ・サミットにおいて、高い経済成長率、雇用の
確保、国民生活の向上などを実現するために、同年より 5 年間で 1,450 億ドル相当のイン
フラ投資が必要との見解を明らかにした。政府は、国家予算から 250 億ドルを拠出するこ
とを表明する一方で、国内の銀行、保険会社、年金基金、ミューチュアル・ファンドなど
から 300 億ドルが供給されると見込んでいる。残りの 900 億ドルのうち、100 億ドルを支
援国や国際機関からの支援に頼り、800 億ドルについては国内外の民間セクターからの資
金流入を期待している。
以下においては、銀行部門、資本市場、民間セクター(含むプロジェクト・ファイナン
ス)の資金供給力を検討したうえで、国債市場を積極的に活用したインフラ整備の必要性
について考察する。
1.銀行貸出
(1)貸出市場の規模
表1 インドネシアの金融機関(2004年末)
インドネシアの銀行部門が1、イン
フラ整備に必要な低利の長期資金を
大量に供給することは難しい。表 1
銀行
商業銀行
農村銀行
に全金融機関の総資産の 74.0%を
保険
占めるなど、金融システムの中核的 年金基金
な存在である。しかし、同年末の貸 ファイナンス・カンパニー
ベンチャー・キャピタル
出金は 579 億ドルにすぎない(表 2)。 証券会社
他の東アジア諸国(アジア NIEs、 ミューチュアル・ファンド
質屋
ASEAN4、中国)と比較しても貸出残 合計
が示すように、商業銀行は 2004 年末
高は小さく、かつ 1 人当たり換算額
(出所)財務省、インドネシア銀行(中央銀行)
の 263 ドルは最少である。
1
機関数 資産(兆ルピア)
構成比(%)
2,297
1,288.8
74.0
133
1,272.1
73.0
2,164
16.7
1.0
157
199.9
11.5
338
49.6
2.8
237
78.9
4.5
60
1.9
0.1
124
15.9
0.9
246
104.0
6.0
1
3.5
0.2
3,460
1,742.5
100.0
本章では、「銀行部門」は商業銀行を意味し、農村銀行は含まない。
63
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
表2 東アジア主要国の金融資本市場(2004年)
(億ドル)
人口
(100万人)
中国
1,304
アジアNIEs
82
香港
7
台湾
23
韓国
48
シンガポール
4
ASEAN4
387
タイ
63
マレーシア
24
インドネシア
220
フィリピン
80
日本
128
合計
1,901
GDP
16,494
12,730
1,646
3,216
6,800
1,068
6,190
1,572
1,178
2,576
864
46,482
81,896
貸出残高 預金残高
23,181
14,673
2,453
4,456
6,696
1,068
3,338
1,269
1,233
579
256
46,224
87,416
29,253
16,656
4,235
6,201
5,111
1,109
3,932
1,362
1,149
994
426
59,219
109,060
株式時価 債券発行
総額
残高
6,398
4,833
17,069
8,241
7,146
465
4,186
1,429
4,286
5,684
1,451
663
4,073
2,542
1,151
649
1,900
1,066
733
578
289
249
30,407
88,667
57,947 104,283
政府 金融機関
2,874
1,837
3,170
3,154
158
249
854
364
1,716
2,375
442
166
1,324
281
362
88
452
164
510
29
n.a.
n.a.
68,367
12,406
75,735
17,678
企業
122
1,917
58
212
1,592
55
687
199
450
38
n.a.
7,894
10,620
(出所)世界銀行「World Development Indicators」、BIS「Quarterly Review」、BIS「Triennial Central Bank Survey of Foreign
Exchange and Derivatives Market Activity in April 2004」、IMF「International Financial Statistics」より作成
さらに、2004 年末の貸出残高の対名目 GDP 比率は 23.4%であり、1996 年末時点の 55.4%
のおよそ半分の水準である(表 3)。銀行部門の資金仲介機能は回復しつつあるとはいえ、
インドネシアの貸出残高の対名目 GDP 比率の低さは、東アジア諸国の間で際立っている。
表3 銀行預金と貸出金の対名目GDP比率および預貸比率
(%)
中国
香港
台湾
韓国
シンガポール
タイ
マレーシア
インドネシア
フィリピン
日本
預金
1996
94.0
167.0
n.a.
36.3
78.2
73.9
76.8
48.4
48.2
103.2
貸出残高
1996
93.1
159.8
n.a.
53.7
97.9
101.7
92.4
55.4
49.0
112.9
2004
177.4
259.4
193.9
68.0
107.1
80.9
97.6
40.1
49.5
125.5
2004
140.5
150.2
139.3
89.0
103.1
75.4
104.7
23.4
29.7
98.1
預貸比率
1996
99.0
95.7
n.a.
147.8
125.2
137.5
120.4
114.5
101.7
109.4
2004
79.2
57.9
71.9
131.0
96.3
93.2
107.3
58.3
60.0
78.1
(出所)IMF「International Financial Statistics」、台湾中央銀行ウエブサイト掲載資料より作成
(2)健全性の回復
銀行部門がインフラ整備に必要な資金を安定的に供給するためには、健全性が十分に回
復していることが重要な条件となる。1998 年以降の金融再建策が功を奏し、商業銀行は一
部の国営商業銀行を除いて健全性を回復した。
まず、自己資本比率については、1998 年と 1999 年にマイナスに陥ったものの、大規模
な公的資金の注入を契機に改善傾向が定着し、2005 年 6 月末には 19.5%に達した(表 4)。
不良債権比率は、貸倒引当金を差し引いたネット・ベースで、1998 年末の 35.1%から 2004
年末には 1.7%へ低下した。2005 年 6 月末に 5.4%へ上昇したのは、不良債権の定義が厳
64
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
しくなったことによる2。新定義が導入された時点で、不良債権比率の達成目標である 5%
を超えていたのは、131 行のうち 6 行のみであった3。
収益力は著しく改善した。ネット金利収入と税引き前利益は、2000 年から 2004 年まで
5 年連続で前年を上回る黒字を計上した。貸出金の増加は、金利スプレッドの拡大とあい
まって収益力の向上をもたらした。総資産利益率(ROA)は 2003 年以降 2%を超えており、
2004 年には 3.5%に達した。これは経済危機前の 1.2%を遥かにしのぐ水準である。
表4 銀行関連指標の推移
(兆ルピア)
総資産
貸し出し
預金
自己資本
自己資本比率(%)
不良債権額
不良債権比率
(グロス)(%)
貸し倒れ引当金
不良債権比率
(ネット)(%)
税引前利益
ネット金利収入
ROA(%)
1996
506.9
331.3
303.2
n.a.
11.8
n.a.
1997
1998
715.2
895.5
444.9
545.5
400.4
625.4
n.a. ▲ 129.8
9.2 ▲ 15.7
n.a.
n.a.
1999
1,006.7
277.3
617.6
▲ 41.2
▲ 8.1
n.a.
2000
1,030.5
320.4
699.1
53.5
12.5
60.1
2001
1,099.7
358.6
797.4
62.3
19.9
43.4
2002
1,112.2
410.3
835.8
93.0
22.4
33.2
2003
1,213.5
477.2
888.6
110.8
19.4
n.a.
2004
1,272.1
595.1
963.1
118.6
19.4
n.a.
2005/6
1,345.0
664.3
1,011.1
114.3
19.5
n.a.
6.6
n.a.
7.1
n.a.
48.6
n.a.
32.8
n.a.
18.8
47.6
12.1
36.5
8.1
30.6
8.2
n.a.
5.8
n.a.
7.9
n.a.
3.9
n.a.
n.a.
1.2
4.2
35.1
n.a. ▲ 178.6
n.a.
n.a.
1.4 ▲ 18.8
7.3
▲ 91.7
▲ 38.6
▲ 6.1
5.8
10.5
22.8
0.9
3.6
13.1
37.8
1.4
2.1
22.0
42.9
1.9
3.0
26.4
49.5
2.5
1.7
41.1
65.8
3.5
5.4
n.a.
n.a.
2.9
(出所)インドネシア銀行(中央銀行)資料などより作成
(3)金利スプレッド
インフラ整備資金の円滑な供給には、金利スプレッド(貸出金利-預金金利)の適正化
による借り手の負担軽減が必要である。しかしながら、金利スプレッドは 2002 年に銀行部
門の健全性回復が鮮明になってからも拡大し(図 1)、2004 年には 7.7%となった(貸出金
利 14.1%、預金金利 5.4%)。インドネシアでは、1980 年代に着手された金利自由化と 1997
年以降の金融再建が、借り手に金利スプレッドの縮小というメリットをもたらしていない。
金利スプレッドが拡大している理由として、①銀行が不良債権処理に必要な原資を捻出す
るために厚めの利鞘を維持
していること、②預貸比率
(貸出金/預金)が 2004 年
末時点でも 58.3%と 100%
を大幅に下回っており銀行
の預金獲得意欲が乏しいこ
と(前掲表 3 参照)、③銀行
が企業向け貸出に消極的な
こと、④銀行部門の総資産
の 72%を 15 の銀行が占め
図1 インドネシアの金利スプレッド(貸出金利-預金金利)
(%)
10
8
6
4
2
0
▲2
▲4
▲6
▲8
1992
1994
1996
1998
2000
2002
(出所)IMF「International Financial Statistics」より作成
2
銀行ごとにばらつきのあった債務者の資産査定を統一した。
3
6 行のなかに、銀行部門全体の資産の 28.9%を占める大規模国営商業銀行が含まれている。
65
2004
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ていることなどが指摘できる。なお、1998 年に預金金利が貸出金利を上回るネガティブ・
スプレッドが生じたのは、銀行部門への信認が大きく低下したなかで、預金流出を食い止
めるために預金金利が大幅に引き上げられたことによる。
(4)銀行の貸出行動とインフラ整備
(イ)回復した銀行貸出
銀行の貸出残高の推移をたどると、2001 年以降は前年の水準を一貫して上回っており、
資金仲介機能は回復している。図 2 は、銀行貸出残高の前年比増減率を、名目、実質(消
費者物価の前年比上昇率で実質化)、ドル建ての 3 つの系列について整理したものである。
1999 年に銀行のバランスシー
トから大量の不良債権が切り離
され貸出残高が急減して以降、
銀行貸出は回復してきた。2004
年にはすべての系列が前年比
20%程度の伸びを示し、経済危
機前の勢いを取り戻した。銀行
部門は、過剰な流動性を貸出に
回しはじめ、実物経済の資金需
要に応えるようになった。
図2 インドネシアの銀行貸出残高の前年比増減率
(%)
60
40
20
0
▲ 20
▲ 40
▲ 60
▲ 80
1991
1993
1995
ルピア建て(名目)
1997
1999
2001
ルピア建て(実質)
2003
ドル建て
(出所)IMF「Internationa Financial Statistics」より作成
(ロ)個人部門向け貸出の増加とその影響
資金仲介機能が回復基調にあるものの、銀行の貸出残高(資金使途別)に占める投資資
金向け貸出のシェアは低い。2005 年 6 月末時点の貸出残高である 629 兆ルピア(650 億ド
ル)のうち、運転資金が過半に達する 320 兆ルピア(50.8%)を占め、個人消費が 181 兆ル
ピア(28.8%)で続いた。一方、投資資金は 128 兆ルピア(20.4%)にとどまった4。さら
に、同時点の部門別の不良債権比率を見ると、投資資金が 13.1%と二桁を超えており、個
人部門の 2.5%、運転資金の 7.1%を大きく上回った。また、銀行部門の総資産の 22.0%
をリスク・フリー証券である国債が占めていることを勘案すると、銀行が投資資金を積極
的に供給するようになるためには、企業・投資プロジェクトの信用リスクの軽減が必要で
ある。
1990 年代後半より、銀行は企業部門の不良債権処理を進める一方で、個人部門(借入主
体別)への貸出に注力した。同部門への貸出残高は 2004 年末に 238 兆ルピア(256 億ドル)
に達した。銀行貸出に占める割合は 1998 年末の 14.9%から 2004 年末に 43.0%へと 30 ポ
イント近くも上昇した(図 3)。
4
インドネシア政府が 2005 年 10 月に外債を発行した際のメモランダムによる。
66
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
図3 銀行貸出に占める個人部門の割合(1996年と2004年)
(%)
60
1996年末
50
2004年末
40
30
20
10
0
国
韓
ガ
ポ
ール
湾
シン
台
ーシ
ア
マレ
ド
ネシ
ア
イン
香
港
本
日
゚ン
フィ
リヒ
イ
タ
中
国
n.a.
(注)左の棒線:マレーシアと香港は1997年。インドネシアは1998年。
右の棒線:中国は2003年。 韓国は2003年6月末。
(出所)各国中央銀行資料より作成
このような個人部門向け貸出の動きは、インドネシアに特有の現象ではなく、経済危機
で企業部門が打撃を被った東アジア諸国に共通している。インドネシアのケースで看過で
きないのは、個人部門の動向が銀行の資金調達に影響をおよぼし、長期資金の貸出を難し
くしていることである。2003 年頃より、住宅、自動車、オートバイなどの購入意欲が高ま
ったのにともない、個人の預金が定期預金から貯蓄・当座預金へシフトした。これは、銀
行に預金獲得費用の低下というメリットをもたらす反面、長期資金の調達を難しくする5。
流動性の高い預金は、ミューチュアル・ファンドや株式を購入するための待機資金の受け
皿としても利用されている模様である。さらに、定期預金にしても 2005 年 6 月末時点で、
その 58%が 1 カ月物、13%が 3 カ月物であり、もともと短期物が大勢を占めている。
2003 年からの個人消費の拡大は、貯蓄・投資バランスにも影響をおよぼしている。表 5
で貯蓄・投資バランスを見ると、民間部門の貯蓄超過の対名目 GDP 比率は低下傾向にあり、
2004 年には 2.3%となった。これは、一つには個人が「借りて買う」消費行動を強めたこ
とにより 2003 年頃より貯蓄余力
表5 インドネシアの貯蓄・投資バランス
(対名目GDP比率)
が低下したことによると思われる。
(%)
もう一つは、個人消費の拡大を受
けて 2004 年に設備投資が大きく
伸びた影響で投資率が上昇したこ
とである。政府が 2005 年から 2009
年までの 5 年間で 2004 年の名目
GDP(2,576 億ドル)の 56%に相当
する 1,450 億ドルのインフラ投資
を見込むのであれば6、個人部門の
政府部門
貯蓄(A)
投資(B)
(A)-(B)
民間部門
貯蓄(A)
投資(B)
(A)-(B)
合計
貯蓄(A)
投資(B)
(A)-(B)
2000
2001
2002
2003
2004
2.1
4.3
▲ 2.2
1.8
4.3
▲ 2.4
2.6
3.9
▲ 1.3
3.7
5.5
▲ 1.7
4.0
5.2
▲ 1.1
22.6
15.5
7.1
21.6
15.0
6.6
20.3
15.1
5.2
18.5
13.4
5.1
18.2
15.8
2.3
24.7
19.9
4.8
23.4
19.2
4.2
22.9
19
3.9
22.3
18.9
3.4
22.2
21.0
1.2
(出所)インドネシア銀行(中央銀行)
5
Bank Indonesia (2005a), pp.25-34.
6
2004 年のインドネシアの粗固定投資(Gross Fixed Formation)は 541 億ドルである。経済危機が発生
する前年の 1996 年は 673 億ドルであった。
67
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
貯蓄増強を並行して進めることが必須である。
(ハ)投資向け貸出の推移
個人部門と対照的な動きを示しているのが、投資向け貸出(資金使途別)である。投資
向け貸出(ドル建て)は 1997 年末に 346 億ドル(101 兆ルピア)に達していたが、ルピア
相場の急落と企業向け債権のインドネシア銀行再建庁(IBRA)への移管にともない急減し
た(図 4)。2001 年には 1997 年末のおよそ 5 分の 1 にあたる 71.6 億ドル(117 兆ルピア)
に落ち込んだ。2004 年か
らは、消費拡大を受けて
投資が拡大したものの本
図4 商業銀行の投資向け貸出残高(ドル建て)
(億ドル)
400
格的な回復には至ってい
300
ない。さらに、多くの産
200
業で幅広く貸出が回復し
たというよりは、自動車、
100
通信、不動産などの好況
業種に偏重している模様
である。
0
1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
(出所)インドネシア銀行(中央銀行)資料より作成
(ニ)インフラ部門への貸出
インフラ部門への貸出は拡大している。表 6 は、商業銀行のインフラ部門への貸出を、
①電力・ガス・水道、②建設、③運輸・倉庫・通信の 3 つの分野について整理したもので
ある。商業銀行は 2004 年 6 月末時点で、これら部門に対して合計で 43 億ドル(40 兆ルピ
ア)を貸し出していた。2001 年末と比較すると 23 億ドルの増加である。ただし、広範な
部門で増えているの
ではなく、通信、運
表6 商業銀行のインフラ関連貸出残高
輸、建設などに限ら
2001年末
2004年6月
増加額
10億ルピア 億ドル 10億ルピア 億ドル 10億ルピア
億ドル
電力、ガス、水道
4,625
4.4
5,731
6.1
1,106
1.6
電力
4,179
4.0
5,161
5.5
982
1.5
ガス
362
0.3
473
0.5
111
0.2
水道
84
0.1
97
0.1
13
0.0
建設
8,233
7.9
16,066
17.1
7,833
9.1
運輸、倉庫、通信
7,425
7.1
18,456
19.6
11,031
12.5
運輸
4,267
4.1
8,788
9.3
4,521
5.2
倉庫
687
0.7
482
0.5
-205
-0.15
通信
2,471
2.4
9,186
9.8
6,715
7.4
合計
20,283
19.5
40,253
42.8
19,970
23.3
(出所)マンデリ銀行(2004). Indonesia Update, December.
れている。通信部門
の伸び率が際立って
いるのは、携帯電話
の保有者が 2005 年 8
月末時点で 4,000 万
人に達したように、
需要が極めて旺盛な
ことを反映している。他方、電力、ガス、水道、倉庫などへの貸出は低調である7。
7
2005 年 6 月末時点の部門別貸出の詳細な統計は入手できなかったが、電力・ガス・水道部門が 5 兆 3,070
億ルピア、建設部門が 25 兆 6,690 億ルピア、運輸・倉庫・通信部門が 18 兆 5,210 億ルピアであった。
表 6 に示した 2004 年 6 月末のデータと比較すると、建設部門が急増する一方で他の 2 つの部門は減少
した。建設部門の大きな伸びは、住宅建設が活発であったことを反映している。
68
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(ホ)銀行貸出の今後
銀行部門では今後、経済活動の復調による資金需要の拡大に加えて、資本注入行が抱え
ている国債の市場売却が進むに従い新規貸出が増えることが期待され、預貸比率の上昇が
続こう。しかし、銀行部門の正常化が達成されたとしても、長期の低利資金を大量に必要
とするインフラ部門への貸出増に直結するとは考え難い。その理由として、すでに指摘し
たように、①貸出市場の規模が小さいこと、②貸出先に占める個人部門の比率が高いこと、
③投資資金向け貸出の不良債権比率が高いこと、④金利スプレッドの大幅な低下が期待し
難いこと、⑤商業銀行の調達基盤が短期資金に偏っていること、などが指摘できる。銀行
はリスク調整後のリターンを確保する観点から、インフラ整備資金(投資資金)よりも、
国債での資産運用、個人向け貸出、運転資金貸出などを引き続き選好しよう。
さらに看過できないのが、経済危機後の新しい金融監督のフレームワークのなかで、銀
行が自らの判断でリスク調整後のリターンを確保することを求められるようになったこと
である。インフラ事業に資金を貸し出す場合にも、信用力の高い企業、有望な業種やプロ
ジェクトを選好するであろう。当然のことながら、新しい金融監督体制のもとでは、政府
が経済危機以前のように商業銀行に特定プロジェクトへの融資を指導することは回避され
るべきこととして認識される。今後、国営銀行の民営化が進展するにともない政府の影響
力は低下しよう。外国金融機関に買収された銀行についてはなおさらである。国際決済銀
行(BIS)のバーゼルⅡの導入が 2008 年に大手銀行から開始される予定になっており、商
業銀行は自己資本の充実とリスク管理をさらに推し進めなければならない。また、銀行規
制の観点からは、すでに銀行による大規模プロジェクトや特定事業への貸出を制限する法
定貸出限度規制(legal lending limit)が導入されている。大規模プロジェクトについて
は、シンジケート・ローンの組成による対応が必要になろう。
2.資本市場
インドネシアでは、2004 年末時点の株式時価総額(733 億ドル)と債券発行残高(578
億ドル)が、銀行貸出市場の規模(579 億ドル)と拮抗している(前掲表 2)。これは、東
アジア 9 カ国のなかで、インドネシアに特有の現象である。ただし、それは資本市場が発
達して銀行貸出を代替するようになったこと、あるいは間接金融から直接金融へのシフト
が進んだことを示唆するものではない。こうした状態は、①不良債権処理の過程で銀行貸
出市場が急激に縮小したこと、②株式市場が 2003 年以降のブーム期に時価総額を急拡大さ
せたこと、③1998 年以降の銀行再建期に経営危機に陥った銀行に巨額の国債が注入された
ことなどによって生じた。
69
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(1)株式市場
表 7 は、ジャカルタ証券取引所
表7 ジャカルタ証券取引所の業種別株式時価総額
に上場されているインフラ・運輸
(2004年10月末)
部門に属する 16 社の株式時価総
兆ルピア
億ドル シェア(%)
170.1
187.2
29.0
125.5
138.1
21.4
105.7
116.3
18.0
49.5
54.4
8.4
42.8
47.1
7.3
37.6
41.4
6.4
34.1
37.5
5.8
13.7
15.1
2.3
6.9
7.6
1.2
585.9
644.6
(出所)マンデリ銀行(2004). Indonesia Update, December.
額を示しており、2004 年 10 月末
時 点 の 規 模 は 125.5 兆 ル ピ ア
(138.1 億ドル)であった。同部
門の市場シェアは、金融部門の
29.0%に次ぐ 21.4%であり、ほぼ
5 分の 1 を占めた。時価総額の上
位 は Telekomunikasi Indonesia
などの通信企業である。
金融
インフラ・運輸
消費
その他製造業
鉱業
基幹産業
流通
建設・不動産
農業
合計
(2)債券市場
インドネシアの債券市場は、他の東アジア諸国と異なる発展経路を辿ってきた。長年に
わたり均衡財政主義が堅持され、財政赤字は外国からの支援で埋め合わされたために、国
債市場を育成する必要性に乏しかった。しかし、金融再建局面で大量の国債が経営不振銀
行に注入されたのを契機に、政府は債券市場の育成に本格的に取り組むことになった。2002
年末に国債法が制定されたことを受けて、銀行が保有する国債が順次売買可能(tradable)
となり市場に放出されるようになるとともに、国債の定期入札が開始された。
国債(売買可能国債)の発行残高は、2005 年 10 月末時点で 406 兆ルピア、その対名目
GDP 比率は 15.3%である。発行残高のうち固定利付債が 187 兆ルピアであるのに対し、変
動利付債が 218 兆ルピアであり価格変動リスクを比較的受けやすい構成となっている。こ
れに、中央銀行へ供与している国債 221 兆ルピア(売買不可)と外債(米ドル建て)の 39
億ドルを加えると、政府債の総額は 665 兆ルピア(650 億ドル)、対名目 GDP 比で 25.2%と
なる。
国債市場の活性化には、銀行が抱えている国債の受け皿となる買い手が多数現れ、投資
家層の厚みが増すことが不可欠である。2003 年以降、ミューチュアル・ファンド8、保険
会社、外国人投資家、年金基金などの国債保有シェアが高まってきた。
ルピア相場が不安定化し金融引き締めが行われた 2005 年 8 月以降、ミューチュアル・
ファンドが大打撃を受けた。しかしながら、その一方で、非資本注入行、外国人投資家、
その他投資家、年金基金、保険会社などが受け皿となり保有シェアを高めた(表 8)。加え
て、国債の売買高はそれ以前よりも増加し、流動性は確保された模様である。
長期の運用ニーズを持つ機関投資家にとって、償還期限が 10 年を超える銘柄を多く含
み、比較的クーポン・レートが高いリスク・フリー証券である国債は、魅力的な金融商品
8
ミューチュアル・ファンドは近年急拡大し、純資産額は 2004 年末に 104 兆ルピアに達した。これには、
銀行が販売代理店となったことも寄与している。債券型のミューチュアル・ファンドのシェアは 85.1%
で、その大半が国債で運用していた。
70
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
である。債券市場は、決済システムなどのハード面の整備が一段落した段階にあり、次の
ステップは国債先物市場の充実などによりリスク・ヘッジ手段を提供すること、ならびに
地場証券会社の育成である。さらに、国債市場の発達を社債(金融債)市場の育成へつな
げる必要がある。これがないと銀行が資産負債管理上のミスマッチを解消することは難し
く、長期資金の供給が停滞する。
表8 ルピア建て売買可能国債の投資家別保有シェア
(%)
資本注入国営銀行
資本注入民間銀行
地方銀行
非資本注入銀行
ミューチュアル・ファンド
保険会社
外国人投資家
年金基金
証券会社
その他
合計
発行残高
2004年末 2005年9月末
(A)
(B)
39.8
38.3
23.8
22.5
0.3
1.1
8.1
12.1
13.5
2.4
6.8
8.0
2.7
6.0
4.1
5.4
0.1
0.2
0.8
3.9
100.0
100.0
399兆ルピア 406兆ルピア
(A)-(B)
▲ 1.5
▲ 1.3
0.8
4.0
▲ 11.1
1.2
3.3
1.3
0.1
3.1
-
(注)外国人投資家は、銀行、投資銀行、ミューチュアル・ファンド、証券会
社など。その他は、財務省、インドネシア中銀、企業、個人、基金など。
(出所)財務省資料より作成
他方、社債市場は、上場銘柄数、発行残高ともに増加傾向にある。しかし、2005 年 8 月
末時点の発行残高は 60 兆ルピア(59 億ドル)であり、国債市場のおよそ 7 分の 1 にすぎ
ず、売買も低調である。表 9 は、インフラ関連企業の社債発行実績を整理したものである。
2004 年 10 月末時点で 14 社がスラバヤ証券取引所に社債を上場しているが、その総額は
12.4 兆ルピア(12 億ドル)であり規模は小さい。
表9 インフラ・運輸部門に属する企業による社債発行(2004年10月末)
企業名
業種
10億ルピア
Adhi Karya Tbk
建設
400
Waskita Karya(Persero)
建設
100
Wijaya Karya (Persero)
建設
200
Perusahaan Listric Negara (Persero)
電力
600
Pembangunan Perumahan(Persero)
不動産
400
Citra Sari Makmur
通信
185
Excelcomindo Pratama
通信
1,250
Indosat Tbk
通信
4,750
Telekomunikasi Indonesia Tbk
通信
1,000
Citra Marga Nushapala Persada Tbk
道路・空港・港湾
224
Jasa Marga (Persero)
道路・空港・港湾
2,200
Arpeni Pratama Ocean Line
運輸
171
Berlian Laju Tanker Tbk
運輸
600
Serasi Auto Raya
運輸
300
合計
12,380
(出所)マンデリ銀行(2004). Indonesia Update, December.
71
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
3.民間部門のインフラ事業への参加
(1)インフラ部門ごとの参加実績
政府は、民間部門がインフラ整備に大きな役割を果たすことを期待している。表 10 は、
民間部門のインフラ事業への参加状況を整理したものである。世界銀行が集計対象として
いるのは、ファイナンシャル・クローズ(出資者や融資提供者が法的拘束力のあるコミッ
トメントを実施)した時点のプロジェクト総額である。プロジェクトの形態は、新規プロ
ジ ェ ク ト ( greenfield project )、 営 業 権 分 離 ( concession )、 国 営 企 業 株 式 取 得
(divestiture)、およびマネージメント・リース契約(management and lease contract)
の 4 つである。
1994 年から民間部門の参加が急増し、ピーク時の 1996 年には 76 億ドルに達したものの、
1998 年以降は低迷した。インドネシアは、インフラ整備の初期段階にあるため、新規プロ
ジェクトの割合が最も高く 1990 年から 2004 年までの累計である 69 件、300 億ドルのうち、
35 件、151 億ドルを占めた。これに営業権分離の 28 件、76 億ドルが続いている。
民間部門の参加は、インフラ部門によって大きくばらついている9。経済危機後にエネル
ギー部門への参加が停滞したのが目立ち、近年の原油生産低迷の原因の一つになっている。
また、経済危機後の民間部門の参加は、ほぼ通信部門に限られてきた。他方、運輸部門へ
の民間部門の参加は停滞しており、上下水道部門については経済危機前より一貫して低調
である。
表10 インドネシアのインフラ投資への民間部門参加
(100万ドル)
年
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
合計
エネルギー
件数 投資額
0
0
0
0
1
137
0
0
2
596
1
2,470
7
3,794
6
3,224
1
330
0
0
0
0
0
0
1
188
0
0
1
128
20 10,990
通信
件数 投資額
0
0
0
0
0
0
0
0
2
1,119
4
2,430
9
3,629
0
1,206
0
579
0
1,260
0
642
1
877
0
1,432
1
856
0
947
17 14,525
運輸
件数 投資額
1
116
2
19
2
39
2
352
6
109
5
495
0
0
1
700
0
0
2
1,028
0
0
0
0
1
587
1
0
1
4
24
3,523
上下水道
総件数 総投資額
件数
投資額
0
0
1
116
0
0
2
19
1
4
4
179
0
0
2
352
0
0
10
1,824
0
0
10
5,395
1
200
17
7,623
3
172
10
5,302
2
500
3
1,409
0
11
2
2,298
0
0
0
642
1
37
2
914
0
0
2
2,206
0
0
2
856
0
0
2
1,079
8
923
69
29,962
(出所)世界銀行「Private Participation in Infrastructure」より作成
9
民間部門の参加が低調な分野については、国営企業や地方政府の存在を勘案する必要がある。
72
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(2)プロジェクト・ファイナンス
プロジェクト・ファイナンスもインフラ整備資金の重要な供給源である。インドネシア
向けのプロジェクト・ファイナンスは、1990 年代初頭より活発になり、1997 年にはアジア
で最も多い 43 億ドルが供与された。Thomson Financial 社が発行している「Global Project
Finance Review」によれば、経済危機後に激減したローン供与額は、2003 年に 22 億ドル、
2004 年に 12 億ドルに達し最悪期を脱した模様である。ただし、他のアジア諸国よりも動
きは鈍く、特に中国、台湾、韓国に見られるように、有力地場銀行が積極的にプロジェク
ト・ファイナンスを手掛けるようになった国々に水をあけられている。また、タイでは政
府保証がなくとも国営企業が商業ベースでプロジェクト資金を調達しており、優良案件に
ついては銀行間の貸出競争が激しくなっている。
外国銀行としては、インドネシアのインフラ需要が旺盛だとの認識を持っていても、格
付けの低さや対外債務のリスケジューリングの実施などが障害となり、同国のリスクを直
接的にとることは困難である。インドネシアの信用力が十分に改善するまでは、外国の政
府系金融機関や国際機関などによる保証供与がプロジェクト・ファイナンスを手掛けるた
めに不可欠な情勢にある。
外国銀行は現状、ASEAN でのプロジェクト・ファイナンスについて、経済危機の教訓を
踏まえて良質の資産を積み上げる方針であるように見受けられる。当面は、輸出代金から
返済資金(外貨)をほぼ確実に徴収できる資源輸出プロジェクト、需要が確実に見込める
電力事業などを中心に取り組むことになろう。
4.インフラ整備と国債市場の活用
(1)民間資金の限界と政府の役割
2005 年 1 月に開催されたインフラ・サミットでは、インフラ事業への民間資金の導入が
強く意識された。しかしながら、これまで述べてきたように、銀行貸出市場、株式市場、
社債市場におけるインフラ関連企業・部門の資金調達の現状、ならびに民間部門による参
加を考慮すると、5 年間で 1,450 億ドルのインフラ整備資金(国家予算から支出する分と
海外からの支援を除くと 1,100 億ドル)を供給することは厳しいと思われる。さらに、イ
ンフラ部門によって民間資金が偏在している状態を修正することも難しいであろう。
政府は、経済成長の達成、雇用の確保、国民生活の向上などに必要なインフラ整備資金
を民間部門から調達することは困難だとの前提に立って、自らの役割を再検討すべきであ
る。政府がインフラ整備に果たすべき役割は、間接的なものと直接的なものに分けられる。
間接的な役割として、①経済・金融環境の安定化、②法制度改革などが指摘できる。現状、
政府は、2005 年 8 月以降の経済・金融環境の不透明感の払拭に努める一方で、インフラに
関わる法制度改革を進めている。
他方、直接的な役割として、①国家予算からのインフラ整備資金の拠出、②外国政府や
国際機関からの援助資金の活用、③民間プロジェクトへの保証供与、④インフラ整備を目
73
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
的とした債券(建設国債)の発行、⑤政府系金融機関による資金供給などが考えられる。
インフラ・サミットで明確にコミットメントが表明されたのは、①と②である。①につい
ては、2005 年から 2009 年までに政府が計画通りに 250 億ドルを支出しても、年間支出額
である 50 億ドルは 2004 年の名目 GDP の 1.9%にすぎず力不足である。表 11 が示すように、
政府の開発歳出は回復基調にあり、2004 年には 69.4 兆ルピアになったものの、そのうち
経済部門に投下されたのは 3 分の 1 強に過ぎない。政府予算からの直接的な支出を増やす
必要がある。②については、100 億ドルが期待されているが、対外債務管理との関係で大
幅な増加は好ましくなかろう。政府は、③の民間プロジェクトの政府保証については、偶
発債務の増加につながるため消極的である10。④の建設国債の発行が、インフラ整備事業
に弾みをつけるために必要と思われる。
表11 政府の開発歳出の部門別内訳
(%)
総額(兆ルピア)
経済部門
運輸・通信
農業・林業
エネルギー
鉱業・工業
その他経済サービス
その他部門
合計
2000
25.8
41.9
15.1
15.8
4.8
0.6
5.6
58.1
100.0
2001
41.6
49.9
16.2
14.1
5.8
1.8
12.0
50.1
100.0
2002
37.3
35.4
13.0
14.1
4.1
0.9
3.3
64.6
100.0
2003
69.2
36.5
13.2
12.7
5.6
1.3
3.7
63.5
100.0
2004
69.4
36.2
14.8
13.5
4.1
1.0
2.8
63.8
100.0
(出所)財務省資料より作成
(2)財政赤字のファイナンス構造の変化
インドネシアは、政府がインフラ整備への直接的な関与を強めることを決めても、財政
赤字の拡大が政府の信認の低下に直結するというジレンマを抱えている。インドネシアの
財政構造はなお脆弱であり、外部環境も、原油価格の高騰、2005 年中頃からの金利上昇な
ど不安定である。しかし、インドネシアは、中長期的な財政構造の改善を先取りし、イン
フラ整備を積極的に進めるべき時期に差し掛かっている。
基礎収支(プライマリー・バランス)段階ではすでに黒字が達成されている。足元の財
政赤字は、2003 年が 35.1 兆ルピア(名目 GDP 比 1.8%)、2004 年が 29.9 兆ルピア(同 1.2%)
まで改善している。2005 年予算については 2005 年 10 月に国会が承認した第 2 次補正予算
で 24.9 兆ルピア(同 0.9%)、2006 年予算で 22.4 兆ルピア(同 0.7%)に抑制されると見
込まれている。2005 年 1 月に国家開発企画庁(Bappenas)が発表した「国家中期開発計画
(2004-2009 年)」では、2009 年に財政黒字に転じると見込まれている。
財政赤字のファイナンス構造は近年大きく変化している(表 12)。まず、中央政府の対
外借入を見ると、2004 年予算から返済超過(23 兆ルピア)に転じた。2005 年予算では 4.8
兆ルピア、2006 年予算では 28.5 兆ルピアの返済超過が引き続き見込まれている(2006 年
以降、パリクラブのモラトリアム措置は適用されなくなる)。
10
民間インフラ投資への政府保証の付与を決定するための仕組みが構築された。インフラ整備促進政策
委員会(KKPPI)より政府保証案件を財務省に提出、同省が最終的に決定することになった。
74
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
表12 財政赤字のファイナンス
(兆ルピア)
国内ファイナンス
国内銀行からの調達
非銀行部門調達
民営化
資産回収
国債(ネット)
その他
対外ファイナンス
借入(グロス)
プログラム・ローン
プロジェクト・ローン
返済
合計(財政赤字)
2000
5.9
▲ 13.0
18.9
0.0
18.9
0.0
10.2
17.8
0.8
17.0
▲ 7.6
16.1
2001
30.2
▲ 1.2
31.5
3.5
28.0
0.0
10.3
26.2
6.4
19.7
▲ 15.9
40.5
2002
17.0
▲ 8.1
25.2
7.7
19.4
▲ 1.9
6.6
18.8
7.2
11.6
▲ 12.3
23.6
2003
34.6
10.7
23.9
7.3
19.7
▲ 3.1
0.5
20.4
1.8
18.6
▲ 19.8
35.1
2004
52.9
26.8
26.2
3.5
15.8
6.9
▲ 23.0
23.5
5.1
18.4
▲ 46.5
29.9
2005(予算) 2006(予算)
29.8
50.9
29.8
23.0
25.5
27.9
3.5
1.0
5.1
2.4
22.1
24.9
▲ 5.2
▲ 4.8
▲ 28.5
35.6
35.1
11.3
9.9
24.3
25.2
▲ 40.4
▲ 63.6
24.9
22.4
(出所)財務省資料より作成
次に、政府による対外債務の返済
スケジュールを見ると(図 5)11、返
済額は 2006 年から 2008 年にピーク
を迎えた後、2010 年に向けて急減す
る。加えて、2000 年までは返済額に
図5 中央政府の対外債務返済計画
(億ドル)
30
20
15
占める金利部分の割合が過半を超え
10
ていたのに対し、2001 年以降は元本
5
部分が返済額の大半を占め対外債務
0
の継続的な減少が期待できる。
国内債務のファイナンス構造も変
2000
らの借入(中央銀行の政府預金口座
2.0
1.5
民営化収入が減少していることに加
1.0
えて、不良債権処理のために銀行か
0.5
国債による調達であり、2004 年には
2006
2008
2010
財政赤字
証券(ネット)
証券以外(ネット)
2.5
非銀行部門からの調達については、
つある。代わって増加しているのが
2004
図6 証券(国債)による財政赤字のファイナンス
(対名目GDP比)
(%)
3.0
からの引き出し)が増加している。
ら買い取った資産の売却が一巡しつ
2002
(出所)財務省資料より作成
化している。まず、前掲の表 12 が示
すように、2003 年以降、国内銀行か
金利
元本
25
0.0
▲ 0.5
1999
2000
2001
(出所)財務省資料より作成
2002
2003
2004
2005
(予測)
2006
(予測)
6.9 兆ルピア(GDP 比 0.3%)を計上
した(図 6)。2005 年には 22.1 兆ルピア(同 0.8%)、2006 年には 24.9 兆ルピア(同 0.8%)
が調達される計画になっている。年間の財政赤字に匹敵する金額が国債で調達されること
になる。
11
中央銀行の返済分は含まれていない。
75
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
中央政府の国内債務返済計画が図
7 に示されている。対外債務と同様
に、国内債務の返済も 2006 年から
図7 中央政府の国内債務返済計画
(兆ルピア)
100
2008 年にかけてピークを迎えたあ
80
とに、低下基調に転じる。また総返
60
済額に占める元本の割合は高まって
40
いく。2010 年には総返済額である 73
20
兆ルピアのうち 43 兆ルピアを元本
0
金利
元本
2000
返済が占め、国内債務残高の減少が
公的債務残高の対名目 GDP 比率は、
ろう。共和国としての公的債務は12、
2004
2010
図8 公的債務残高(対名目GDP比率)
80
対外債務
国内債務
45.2
対名目 GDP 比率で 54.4%であった。
60
国 内 債 務 の 同 比 率 は 2000 年 の
40
46.4%から 2005 年 6 月末に 26.6%
20
42.2
46.4
37.3
33.9
31.3
27.8
39
35.3
31.8
28.4
26.6
2001
2002
2003
2004
2005/6
に低下した。対外債務についても順
た(図 8)。プライマリー・バランス
2008
(%)
100
2005 年 6 月末時点で 1,451 億ドル、
調に低下しており、同 27.8%となっ
2006
(出所)財務省資料より作成
加速していく。
今後とも低下基調をたどることにな
2002
0
2000
(出所)財務省資料より作成
の黒字化、高い名目成長率、金利水
準の安定化が、経済危機後の公的債務残高の対名目 GDP 比率の低下に寄与してきた。
「国家中期開発計画 2004~2009 年」によると、公的債務の対名目 GDP 比率は、2006 年
末に 43.9%、2007 年末に 39.5%、2008 年末に 35.4%、2009 年末に 31.8%へと低下基調
を維持する。国際通貨基金(IMF)は、インドネシアの公的債務残高は名目 GDP 比 35%程
度であれば、持続可能だとの見方を示している13。
経済・金融環境、名目成長率、偶発債務の規模などにもよるが、インドネシアの公的債
務は今後 3~4 年で管理が十分にできる水準に低下する可能性がある。その過程において、
公的債務に占める対外債務の割合が低下し、国内債務(国債)の割合が上昇することにな
ろう。インフラ整備の重要性と緊急性に鑑みて、政府は建設国債の発行を含めてインフラ
整備により直接的な役割を果たすべきであろう。国債市場を活用して安定的にルピア建て
で資金を調達し、財政赤字のファイナンスとインフラ整備に充当する仕組みを構築すべき
である。
12
13
対外債務は、中央政府債務と中銀債務に分けられる。公的債務には中央政府の債務のみが含まれる。
他方、共和国債務には中銀も含まれる。2004 年末の共和国の対外債務は、807 億ドル、対名目 GDP 比
31.3%であった。
ただし、為替レート、実質金利、経済成長率などの前提条件が予測から大きく乖離しないという前提
を置いている(IMF2005, p.23)。
76
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(3)公的債務管理の強化
言うまでもなく、政府がインフラ整備に直接的な役割を果たそうとするのであれば、公
的債務管理が強化されなければならない。インドネシアの公的債務管理は、
「国債ポートフ
ォリオ管理」が成果を上げた段階にある。その戦略は、①リファイナンシング・リスク(特
に 2006 年から 2009 年にかけての国債の借り換えリスク)の回避、②償還期限の長期化、
③政府予算や市場の消化能力に応じた満期構造の調整、④流通市場における流動性の確保、
⑤既発債の買い戻しによる発行残高の削減などである。バイバック・プログラムは、2003
年 8 月から 2005 年 10 月までの間に計 5 回、13 兆 6,900 億ルピアの国債を対象に行われた。
2004 年 2 月からは国債の月次定期入札が実施され、2005 年 8 月までに 19.5 兆ルピアが調
達された。そして、国債の償還期限の平準化、スムーズなイールド・カーブの形成などが
達成されている。2005 年 8 月以降の金利上昇局面では、国債利回りは上昇(価格は下落)
し、なだらかな右上がりを描いていた利回り曲線はいびつな形となった。しかし、国債の
入札には大きな混乱は生じず、また 2005 年 10 月に実施された外債発行の応募倍率は高か
った。
インドネシアは、国債管理から公的債務全体の管理へと体制を整えなければならない。
そのためには、第 1 に、国営企業が抱えている債務の管理を強化する必要がある(政治的
には困難な問題である)14。第 2 に、地方政府の債務の管理である。これは、地方債の発
行が行われた場合に、国全体としてどのように管理すべきかとの問題を含む。第 3 に、イ
ンフラ・プロジェクトの債務管理である。今後、新規のインフラ・プロジェクトについて
は、財務省による債務管理が行われる模様である。第 4 に、国債発行政策と金融調節のコ
ーディネーションを強化する必要がある。
おわりに
インドネシアは財政赤字のファイナンスを外国政府や国際機関からの支援に求めてき
た。1990 年代前半からは、国内外の民間部門にインフラ整備資金を依存するようになった。
換言すれば、政府が徴税力や信用力に基づいて、財政赤字をファイナンスしたり、インフ
ラ整備資金を円滑に調達するためのメカニズムを構築してこなかったのである。政府は、
民間部門が採算を確保することが困難な事業をファイナンスし、推進する力量を備えなけ
ればならない。
政府は、インフラ整備に関わる規制を緩和するという間接的な役割のみならず、直接的
な役割をこれまで以上に担うべきである。政府が自ら負担することを表明しているのは、
1,450 億ドルの投資額のうち 250 億ドルであり、80%以上を民間部門と対外援助に委ねよ
うとしている。開発予算の不足が今日の原油問題の原因であるならば、悪循環を断ち切る
14
政府によって明示的に保証されていない限り、国営企業の対外債務の返済義務を負うことはないとの
認識である。2005 年 6 月末現在、国営企業の対外債務は 89 億 6,200 万ドルであった。非銀行部門の対
外債務の多くが石油・ガス関連の国営企業によるものである。
77
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ための投資が必要である。さらに、インフラ整備資金の産業間、地域間の偏在に対応でき
るのは政府だけであろう。
他方で、政府と民間部門のいずれが主導するにせよ、インフラ整備は一定の制約のなか
でしか進まないことも確かであろう。第 1 は、インフラ事業の返済原資は最終的には受益
者(利用者)と納税者が負担するということである。換言すれば、受益者と納税者の負担
能力を越えたインフラ投資は持続可能ではない。第 2 は、貯蓄・投資バランスの維持であ
る。インドネシアは、今後 3~4 年は比較的多くの対外債務を返済しなければならず、経常
収支黒字を維持する必要がある。第 3 は、インフラ事業の遂行能力である。必要かつ有望
な事業が多数あっても、事業を推進する物的、人的なキャパシティには限度がある。
インドネシア政府に求められているのは、国債市場の活用によるインフラ整備資金の調
達、マクロ経済均衡の維持、プロジェクトの優先順位の設定を長期的なビジョンの下でバ
ランスさせることであろう。
主要参考文献
・Asian Development Bank, Japan Bank for International Cooperation and the World Bank
(2005). Connecting East Asia: A New Framework for Infrastructure.
・Bank Indonesia (2005a). 2004 Economic Report on Indonesia.
・_____ (2005b). Financial Stability Review II-2004.
・Bank Mandiri (2004). Indonesia Update, December.
・BAPEPAM (2005). Indonesian Capital Market Master Plan.
・International Monetary Fund (2005). Selected Issues: Indonesia, IMF, Washington
D. C.
・石川純生(2005)「インドネシアの中期開発計画における公的債務持続可能性」『開発金
融研究所報』第 23 号、198-210 頁
・入村隆英(2005)「インドネシア:脆弱さ残しつつも緩やかに改善する財政」『JCR 格付
け』5 月号、23-33 頁
・国際金融情報センター(2005)
『インドネシアの将来展望と日本の援助政策(財務省委嘱
調査)』
・原田喜美枝、伊藤隆俊(2005)
「インドネシアの銀行再建:銀行統合と効率性の分析」
『開
発金融研究所報』第 23 号、137-166 頁
・野崎久和(2004)
「発展途上国における民活インフラストラクチャー・プロジェクトの問
題点:インドネシアに見る期待と現実の相違」『北海学園大学経済論集』第 51 巻第 3・4
号、129-162 頁
78
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第6章
国際的生産・流通ネットワークとインドネシア:FTA/EPA への示唆
慶應義塾大学
教授
経済学部
木村
福成
1.経済のグローバル化とインドネシア
東アジアでは、1990 年代初頭から機械産業を中心とする国際的生産・流通ネットワーク
の形成が進んだ。そして、この新しい「東アジア開発モデル」は、従来からの幼稚産業保
護型開発戦略や輸入代替型直接投資を用いた開発戦略とは一線を画するものとして、世界
中の注目を浴びるものとなりつつある。
インドネシアは、東アジアに位置しながら、その生産のグローバル化の波に乗り遅れて
いる。その発端は、1990 年代前半、直接投資を積極的に誘致する政策へと転換するのが遅
れたことである。タイ、マレーシアが 1980 年代半ばの時点で明確に舵を切っていくのに対
し、インドネシアでは 1994 年まで政策転換が遅れ、しかも十分な成果を見る前にアジア通
貨・金融危機に突入してしまった。その後の政治改革に伴う混乱は避けがたい必要なステ
ップであったのだろうが、経済的には近隣諸国に大きく水をあけられることとなってしま
った。
しかし、東アジアの経済的活力は、まだ決して減衰していない。生産・流通ネットワー
クはベトナムにもおよびつつあり、またラオスやカンボジアにも波及効果が見られるよう
になってきている。インドネシアは大きな国であり、機械産業を中心とする工業化のみで
は十分でないとの見方もあるだろう。しかし、逆に言えば、大きな国であるがゆえに、さ
まざまな産業を同時に育成していくことも可能なのである。高度成長を志向するのであれ
ば、近隣諸国の経験から学べることが数多くあるはずである。
本章では、東アジアにおける生産・流通ネットワークがいかなるメカニズムでどの程度
発展しているのかを紹介し、それを踏まえ、インドネシアが学ぶべきものは何か、そのた
めに自由貿易協定/経済連携協定(FTA/EPA)をどのように活用していくことができるのか
について、試論を展開する1。
2.東アジアにおける生産配置と貿易・投資
1990 年代以降の東アジア経済における最も重要な出来事の 1 つは、国際的生産・流通ネ
ットワークの形成であった。1990 年以前の時点における東アジア内の貿易では、典型的な
産業単位の南北間分業・貿易が大きな部分を占めていた。日本は製造業品全般、それも多
くの場合、特に最終製品を輸出し、東アジアの途上国は労働集約的製造業品や天然資源集
1
インドネシアの開発戦略については木村(2004)、FTA/EPA との関連については木村・高橋(2004)で
も議論したので、必要に応じて参照されたい。
79
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
約的製品、原材料を輸出していた。このような産業単位の国際分業、産業間貿易は、各国
の比較優位が貿易パターンを決定するという伝統的な比較優位の理論によって、明解に説
明される。先進国である日本は資本および人的資本が豊富であり、また技術水準も高い。
一方、東アジアの途上国は相対的に労働豊富国で、天然資源も豊富であり、また、技術
水準は一般に低い。このような生産要素賦存と技術水準の違いが、産業単位の国際分業と
貿易パターンを決定していた。
さらに、時間を通じてこれらの条件が変化していけば、各国が各産業のいずれに強みを
発揮するかも変わっていき、いわゆる「雁行形態的発展パターン」が観察されることとな
る。企業の生産拠点の国際展開を考慮に入れると、経済理論的には若干の修正が必要とな
ってくるが、結果的には上記とほぼ同じ結論が得られる。時系列での各国の産業構造の変
化は、直接投資を考慮すればさらにスピード感のあるものとなりうる。
しかしその後、1990 年代に入ると、東アジアの生産立地パターン、貿易パターンは大き
く変化し始めた。機械産業、とりわけ電機・電子産業を中心に、産業単位ではなく生産工
程単位の国際分業が本格化したことが、東アジア経済の性格を以前とは全く異なるものと
した。国際貿易データに基づく分析によれば、1990 年から 2003 年までの間に、東アジア
諸国の域内輸出はおおよそ 2.91 倍、域外輸出はおおよそ 2.25 倍に成長した。そのうち、
域内輸出の成長の 66%は機械輸出の増加によって説明され、機械部品輸出だけでも 48%に
達している。域外輸出の方も、成長の 61%は機械輸出の増加によって説明されるが、機械
部品輸出のみでは 26%の成長貢献しかない。このことは、東アジアを 1 つの経済単位とし
て、機械産業の工程間分業が急速に発達したことを物語っている。また、機械完成品だけ
をとってみれば、対東アジア向け輸出と対その他世界向け輸出の比率は、それぞれ 3 割と
7 割近辺でほとんど変わっていない。東アジア各国における最終組立と現地販売分を考慮
すれば、米国を含むその他世界市場の重要度は若干低下していることになる。
いまや日本は、資本財(産業機械)と一部の新しい製品を除けば、最終製品よりもむし
ろ部品・中間財の供給者となった。また、部品・中間財、最終製品のいずれについても、
輸入が顕著に増加した。一方、東アジアの途上国では、部品・中間財貿易が、輸出、輸入
とも爆発的に伸びた。産業間貿易の比率は急速に低下し、産業内貿易、それも特に、輸出
と輸入の単価が異なる垂直的な産業内貿易が伸長した。そして、産業単位ではなく、生産
工程単位での国際分業が盛んになった東アジア製造業の重要な特徴となった。
東アジア、ここでは単に生産工程の分散立地が起きただけではない。他企業に生産工程
の一部をアウトソースする比率も高まった。日系企業のみならず、台湾系、香港系、さら
には各国の地場系など他の企業国籍の企業も、徐々に生産・流通ネットワークに参加する
ようになってきている。工程間分業が企業内のみにとどまらず、さまざまな形態の企業間
取引を含む形で発展している点も、東アジアの生産・流通ネットワークの大きな特徴であ
る。
図 1、図 2 は、1990 年代初頭および 2000 年における世界各国の輸出・輸入全体に占める
80
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
機械・機械部品の比率を、機械部品輸出比率の高い国から順に示したものである。ここで
言う機械貿易には、一般機械(HS 分類 84)、電機機械(HS 分類 85)、輸送機器
(HS 分類 86-89)、
精密機械(HS 分類 90-92)が含まれる。これらの図から明らかなように、東アジア諸国は、
他地域にも増して、機械貿易、とりわけ機械部品貿易を拡大させ、輸出志向型のオペレー
ションを強化してきた。例えば、1990 年初頭の時点で左方に並んでいる国を見ると、その
多くが日本、米国、英国、フランス、ドイツをはじめとする先進国であるのに対し、2000
年になると東アジアの発展途上国が左の方へとシフトして、絶対的にも相対的にも高い機
械輸出入比率、機械部品輸出入比率を示すようになっている。また、日本についても、機
械輸出比率そのものはあまり変化していないものの、その内訳は大きく変化した。1990 年
時点では機械輸出のほとんどが完成品・最終財であるのに対し、2000 年時点では機械輸出
のほぼ半分が機械部品である。と同時に、日本の機械輸入比率は、機械部品輸入の増加を
反映して 2 割弱から 3 割強へと上昇している。
図1 総輸出・総輸入に占める機械貿易および機械部品貿易比率:1990年代初頭
図1 総輸出・総輸入に占める機械貿易および機械部品貿易比率:1990 年代初頭
%
80
日本90
%
70
80
日本90
60
70
Figure 1 Machinery goods and machinery parts and components: shares in total
exports and imports in 1990-1994
マレーシア90
シンガポール90
50
60
マレーシア90
シンガポール90
40
インドネシア90
韓国90
タイ90
中国92
香港93
50
インドネシア90
韓国90
タイ90
中国92
香港93
30
40
20
30
10
20
0
メ
日
本
90
リ
イ カ
ギ 91
マ リ
レ
シ ー ス9
ン シ 3
ガ ア
ポ
90
フ ール
ラ 90
ン
ド ス 94
イ
ツ
9
香 1
港
カ 93
ナ
ダ
9
韓 0
国
ハ タ 90
ン イ
ガ
9
リ 0
チ ー 92
メ ェ
ス キ コ9
ロ シ 3
ヴ コ
ァ
90
ブ キア
ラ 94
ポ ジ
ー ル
リ ラン 90
ト ド
ア 94
ニ
ア
ア
9
ル
中 4
ゼ
国
ン
9
チ 2
イ ン 93
ン
ラ ド
ト
コ ビ 90
ロ ア
ン
ベ ビ 94
ネ
イ ズ ア9
ン エ 1
ド ラ
ネ
9
シ 4
ア
ペ 90
ル
ー
ホ
9
ン
チ 2
ジ
リ
グ ュラ 90
ア ス
テ
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ク ラ
ア 93
ド
ル
91
10
ア
0
日本90
シンガポール90
輸出:機械
輸出:機械
カナダ90
チェコ93
ポーランド94
輸入:機械
輸入:機械
インド90
インドネシア90
輸出:機械部品
輸出:機械部品
(出所) Ando (2005)
81
グアテマラ93
輸入:機械部品
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
%
図2 総輸出・輸入に占める機械貿易および機械部品貿易比率:2000年
図
2 総輸出・輸入に占める機械貿易および機械部品貿易比率:2000 年
80
フィリピン
シンガポール
マレーシア
70
日本
韓国
60
タイ
香港
50
中国
40
インドネシア
30
20
10
フ
シ ィリ
ン ピ
ガ ン
マ ポー
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ー
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シ
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ポ ラン
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ン
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ヴ ダ
ァ
キ
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ト
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ン ジ
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ル ニ
ゼ ア
ン
チ
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ラ ンド
ト
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ア
コ ロシ
ロ ア
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ビ
ホ
ア
ン チ
ジ リ
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ベ ラ
ネ ス
グ ズエ
ア ラ
テ
マ
ラ
エ ペル
ク ー
ア
ド
ル
0
輸出:機械
輸入:機械
輸出:機械部品
輸入:機械部品
(出所) Ando and Kimura (2005)
3.国際的生産・流通ネットワークのメカニズム
以上のような東アジアの生産・流通ネットワークのメカニズムを説明する理論として、
筆者は二次元のフラグメンテーション理論を提唱している。
図 3 は、二次元のフラグメンテーションを図示したものである。基点は、たとえば日本
企業のケースで言えば、日本国内の本社に置いてもよいし、あるいは海外子会社の 1 つに
置いてもかまわない。そこからある生産工程、生産ブロックを分散立地(フラグメント)
させる状況を考えている。二次元空間の横軸はディスタンスすなわち地理的な距離であり、
生産ブロックを地理的な意味で遠くに配置するタイプのフラグメンテーションを表してい
る。基点からわずかに生産ブロックを移動させるだけであれば国内のフラグメンテーショ
ン、破線で表した国境線を越えれば国際的フラグメンテーションである。特に国境線を越
えると、大きく異なる立地の優位性を利用できるため、生産ブロック内の生産コストを大
幅に低減できるかもしれない。しかし一方で、国境をまたぐことによって、生産ブロック
を接続するサービス・リンクのコストは大きく上昇する。このトレード・オフを考慮して
もなお、全体としての生産コストを低減することができる時のみ、国際的フラグメンテー
ションが選択されることになる。
82
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
図3 二次元のフラグメンテーション:各種フラグメンテーションの例示
図3 二次元のフラグメンテーション:各種フラグメンテーションの例示
ディスインテグレーション
インターネット
・オークション
スポット・マーケット入札
③
④
他の企業国籍の企業
国内・企業間
EMS企業
フラグメンテーション
国際的・企業間
フラグメンテーション
②
その他日系企業
OCM契約
下請・協力会社
合弁企業
国際的・企業内
フラグメンテーション
国内・企業内
フラグメンテーション
自社子会社
①
他の事業所
基点
国境線
ディスタンス
一方、縦軸はディスインテグレーション、すなわち生産ブロックを企業内にとどめるこ
とをやめて他の企業に任せるという意味でのフラグメンテーションを表している。この軸
に沿ったフラグメンテーションも、自社内の別の事業所や子会社・合弁企業に仕事を任せ
るといった企業内のフラグメンテーションから、点線で表された企業の境界を越えて下
請・協力会社への委託・外注、各種アウトソーシング、競争的スポット入札による部品供
給などを含むさまざまなレベルの企業間フラグメンテーションまで、企業のコントロール
力の強弱でグラデーションがついている。ここでも、企業の境界を越えるかどうかがフラ
グメンテーションの性格に大きな差異をもたらす。さらに、企業間フラグメンテーション
の中でも、取引相手が日系企業なのかどうか、中長期にわたってつき合いのある協力会社
なのかどうかという点も、企業のコントロール力に影響してくる。外に生産ブロックを出
してしまえば、非効率な内部化を避けて自らの得意な分野に特化することが可能となり、
また他企業の強みを活かすことができる。一方で、経営コントロールの効かない関係にな
ってくると、トランザクション・コストが発生する。このトレード・オフを考慮して、デ
83
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
ィスインテグレーションの次元のフラグメンテーションを行うかどうかの意志決定がなさ
れていくことになる。
以上のような 2 種のフラグメンテーションのコスト構造におけるトレード・オフをまと
めたのが表 1 である。アジア NIEs、ASEAN 諸国、中国をひとまとめにして論ずるのは少々
乱暴であるが、一般にこれら 2 つのトレード・オフを克服する形で国際的生産・流通ネッ
トワークが構築されてきたものと考えられる。
表1 二次元のフラグメンテーションにおけるトレード・オフ
ディスタンスの次元の
フラグメンテーション
生産ブロックを結ぶサービス・リンク・コスト
地理的距離から生ずるコスト
構成要素例:
輸送・電気通信インフラ、流通の非効率性、
貿易障壁、コーディネーション・コスト
企業のコントロールが失われることから
ディスインテグレーションの次元の 生ずるトランザクション・コスト
フラグメンテーション
構成要素例:
潜在的取引相手に関する情報収集コスト、
モニタリング・コスト、契約の公正性・安定性
確保に関するリスク、紛争解決メカニズムの
不備、その他一般的な法制・経済制度の
不備
生産ブロック内の生産コスト
立地の優位性から生ずるコストの削減
構成要素例:
賃金水準、資源へのアクセス、電力その他
エネルギー、工業団地等インフラ・サービス
投入、技術許容能力
「反」内部化から生ずるコスト削減
構成要素例:
外資系・地場系企業を含む多様な潜在的
取引相手の有無、サポーティング・インダ
ストリーの発達度、多様な契約形態の
許容度、情報の不完全性の程度
二次元のフラグメンテーションの分析枠組みは、東アジアにおいて形成されつつある産
業集積の性格を理解するためにも有用である。コア EU の場合、集積を生む要素としてしば
しば強調されるのが、差別化財についてのマイルドな輸送費の存在と消費者立地である。
東アジアの場合にも、サービス産業などでは、消費者立地に起因する集積を見いだせるか
も知れない。しかし、それ以上に重要と思われるのが、生産面の主導する集積である。
フラグメンテーションと集積とは、第一義的には逆の方向を向いたベクトルである。特
に、1 つの企業の生産活動を分散立地させるか集中立地させるかという意志決定は、確か
に二者択一的である。しかし、産業・業種レベルでは、フラグメンテーションと集積の形
成が同時に進行する状況もしばしば観察される。そこでは、サービス・リンク・コストの
性格が影響してくる。
図 4 は、図 3 に示した 4 つの方向に生産ブロックがフラグメントされた場合のサービス・
リンク・コストの変化を図示したものである。ディスタンスの軸に沿ったフラグメンテー
ション(①、②)では、地理的距離が遠くなるに従ってサービス・リンク・コストは上昇
してくるが、特に国境線を越える部分で大きく跳ね上がる。また、企業内フラグメンテー
ション(①)の方が企業間フラグメンテーション(②)よりも若干低いサービス・リンク・
コストで済むであろうが、それほど大きな差はないものと考えられる。一方、ディスイン
テグレーションの軸に沿ったフラグメンテーション(③、④)も、全体として右上がりで、
しかも企業の境界のところで上方に跳ね上がるパターンとなる。ただしここでは、国内の
フラグメンテーション(③)か国際的フラグメンテーション(④)かによって、サービス・
リンク・コストは大きく異なってくる。地理的に近いと、取引相手をモニターするコスト
が大幅に軽減されるためである。
84
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
図4 二次元のフラグメンテーション:2種類のサービス・リンク・コスト
サービス・リンク・コスト
②
①
②'
①'
集積
国境線
ディスタンス
サービス・リンク・コスト
④
③
③'
集積
企業の境界
ディスインテグレーション
生産ブロックの集中立地は、少なくとも次のような 2 つの要因によって起こりうる。第
1 は、サービス・リンク・コストの不均一性から生ずる生産ブロックの集中立地である。
発展途上国は、まさに途上国であるがゆえに、投資環境は国ごとに大きく違っており、一
国内の地方・都市・工業団地ごとでも異なっている。ディスタンス、ディスインテグレー
ションのいずれの方向へのフラグメンテーションについても、サービス・リンク・コスト
は決して均一ではない。しかも、一般にサービス・リンクには強い規模の経済性が存在す
る。したがって、たとえば投資受入国の政策手当て等によってサービス・リンク・コスト
が①’、②’、あるいは③’のように低減されると、フラグメントされた生産ブロックが
そこに集中立地し、それがさらにサービス・リンク・コストを押し下げるという現象が起
こりうる。ただし、このタイプの集積の場合には、近くに立地している生産ブロック同士
であっても、特に有機的なつながりは持たない状況にとどまる可能性もある。
第 2 は、ディスインテグレーションの次元のサービス・リンク・コストと地理的距離と
の関係から生ずる集中立地である。企業間取引に伴うサービス・リンク・コストは、距離
に極めて敏感である。近くに立地すればするほど、ビジネス・パートナーの検索から始ま
ってスペックの相談、品質・納期の管理、問題が発生した際の迅速な解決といったことが
85
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
より容易になる。そこから、企業間取引を容易にするための集中立地が起こりうる。図 3
で言えば、北西に当たる部分について集積が生ずる可能性がある。このタイプの集積では、
集中立地によるサービス・リンク・コストの軽減と、低位のサービス・リンク・コストが
牽引する集中立地という、双方向の因果関係が働きうる。しかもここでは、企業間で盛ん
に取引し合う有機的な産業構造ができあがってくる可能性が生じてくる。
東アジアにおいては、以上のような 2 つの力が働いて、生産面主導の集積ができてきて
いるものと考えられる。
4.インドネシアの現況
1990 年代初頭以降、もちろんインドネシアの工業化が全く進まなかったというわけでは
ない。先に示した図 1 と図 2 を見比べてみれば、インドネシアの機械産業も相当程度発展
してきたことが見てとれる。しかし、東アジアの近隣諸国と比べるとその発展の速度は遅
く、2000 年時点でも図の右方に位置している。
表 2 は、2001 年時点の ASEAN 諸国および中国の対世界輸出を産業別(品目別)シェアの
形で見たものである。特に機械・輸送機器の部分に注目すると、インドネシアの同シェア
は 16%にとどまっており、他国が大きく機械産業にシフトしているのに対し、はっきりと
したコントラストを示している。
表2 ASEAN諸国と中国の対世界輸出(産業別)
SITC
インドネシア
マレーシア
フイリピン
シンガポール
(100万ドル、2001年)
タイ
中国
輸出額合計
56,317
88,004
32,150
121,754
65,113
266,098
農業製品
食料品
原料、素材
鉱物製品
鉱石、他の鉱物
燃料
非鉄金属
製造業品
鉄、鋼鉄
化学製品
その他の準製造業品
機械・輸送機器
発電機
産業機械・設備
事務用機器、
電機通信機器
電気機械・器具
自動車、その他の
輸送機器
織物
服
その他の消費財
特定されない製品
12.47%
8.88%
3.59%
30.79%
3.83%
25.34%
1.62%
55.97%
0.71%
5.03%
11.88%
16.17%
0.62%
0.90%
8.16%
6.05%
2.11%
10.75%
0.14%
9.72%
0.88%
80.02%
0.87%
4.26%
4.29%
60.61%
0.84%
2.36%
6.09%
5.57%
0.52%
2.72%
0.73%
0.84%
1.14%
90.96%
0.05%
1.05%
1.92%
74.25%
0.24%
1.17%
2.71%
2.28%
0.43%
8.72%
0.28%
7.57%
0.87%
84.26%
0.44%
8.11%
1.95%
64.45%
1.09%
4.62%
18.52%
15.39%
3.13%
3.85%
0.55%
2.78%
0.52%
74.12%
0.98%
5.78%
7.30%
42.00%
1.83%
4.16%
6.25%
5.34%
0.90%
4.90%
0.49%
3.16%
1.25%
88.63%
1.18%
5.02%
7.70%
35.66%
1.15%
3.85%
75, 76
77
9.62%
4.06%
32.88%
23.79%
25.44%
44.72%
28.33%
28.52%
17.68%
14.02%
17.79%
9.48%
78, 79
65
84
8(84以外)
9
0.98%
5.69%
8.04%
8.45%
0.77%
0.73%
1.20%
2.35%
6.43%
1.07%
2.68%
0.79%
7.42%
5.49%
0.23%
1.89%
0.60%
1.34%
7.37%
4.30%
4.31%
2.90%
5.49%
9.67%
3.52%
3.39%
6.32%
13.77%
18.96%
0.22%
100.00%
100.00%
100.00%
100.00%
100.00%
100.00%
0, 1, 4, 22
21, 23-26, 29
27, 28
3
68
67
5
61-64, 66, 69
71
72, 73, 74
合計
(出所)木村・高橋(2004)
(データ出所) UN Comtrade.
86
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
以上のような数字を示すと、インドネシアは大きな国だから輸出部門が小さいのではな
いかとの意見、あるいは東アジアの中で最も南に位置し他国から離れているためネットワ
ークに乗っていないのではないかとの意見などが、しばしば提起される。それらに一定の
反論をするために、グラヴィティ・モデルによる分析を行った。グラヴィティ・モデルと
は、二国間の貿易量を、二国の経済規模、所得水準、二国間の距離などで説明しようとす
るモデルであり、背景となる経済理論についてはさまざまな議論があるものの、実証的に
はかなりの説明能力があると評価されている。東アジア内の機械部品についての二国間貿
易量を左辺に置き、標準的な説明変数を右辺に置いて、回帰分析を行った結果が表 3 であ
る。ここでは、各国の国内市場の大きさや各国間の距離を考慮してもなお、インドネシア
ダミーは統計的に有意に負となっており、他の東アジア諸国と比較すると、インドネシア
の機械部品貿易は小さい、ということが統計的に示されたことになる。
表3 グラヴィティ・モデルの推計結果
従属変数:二国間の機械部品の貿易額
モデル
定数項
距離
輸出国のGDP
輸出国一人当たりGDP
輸入国のGDP
輸入国一人当たりGDP
多国籍企業数
1
東アジア内
7.74***
(1.59)
-0.56***
(0.16)
0.40***
(0.08)
0.39**
(0.07)
0.22***
(0.08)
0.46***
(0.07)
0.29***
(0.06)
インドネシアダミー
2
東アジア内
8.48***
(1.56)
-0.51***
(0.16)
0.40***
(0.08)
0.33***
(0.07)
0.25***
(0.08)
0.42***
(0.07)
0.25***
(0.06)
-0.62**
(0.25)
サンプル数
81
81
Adjusted R-squared
0.71
0.73
(注)
・データは2001年のものである。
・ダミー変数以外の変数は対数をとった。
・カッコ内は標準誤差
・***: 1% レベルで有意。**: 5% *: 10%.
・"東アジア" はインドネシア、フィリピン、マレーシア、タイ、シンガポール
日本、韓国、中国、香港、ベトナムを含む。
・"インドネシアダミー"は輸入国もしくは輸出国にインドネシア
が入っている場合、1となり、それ以外は0となる変数である。
(出所)木村・高橋(2004)
スハルト体制は、近隣諸国の開発戦略転換の波に乗りきれないまま、1997 年にアジア通
貨・金融危機を迎えることとなってしまった。この遅れの背景には、インドネシアの資源
賦存や人口規模などの初期条件、経済発展の度合い、プリブミ優先の政治風土などが複雑
に絡み合い、輸出志向の外資系企業を受け入れにくい構造が存在していたことが指摘でき
87
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
よう。さらに、危機後、国際機関等によって外から持ち込まれた制度も、近隣諸国の政策
転換を十分に意識したものとはなっておらず、さらに時間を浪費することとなった。
「ASEAN
の中でインドネシアは、とりわけ資源が豊かなのだから、資源集約的な産業に特化すべき
である」といった誤った政策提言がたびたびなされてきたことは、極めて残念なことであ
る。
近隣諸国が行ってきたことは、まず第 1 に好き嫌いせずにできるだけ多くの外資系企業
を誘致すること、第 2 にそれらによって集積の種を形成すること、第 3 に外資系企業の生
産ネットワークに地場系企業がじわじわと浸透していくように仕向けることであった。イ
ンドネシアのように多国籍企業と言えば資源収奪型か輸入代替型と決まっていた国では、
外資に対する警戒感を振り払えと言ったところで、なかなか難しいのは事実である。しか
し、ここで意識をはっきりと変えていかなければ、時流に乗って成長していくことはでき
ない。
投資環境については、実にさまざまな問題が指摘されうるであろう。それらを全て、短
期で解決するのは難しい。しかし、個々の問題をよく見れば、おおよそ 3 つに分類するこ
とができるだろう。第 1 はインドネシアの発展段階あるいは現状での人的資源や制度の成
熟度に関わる問題点、第 2 は政治・経済の体制転換に関わって一時的に生じている問題点、
第 3 は直接投資に関連する開発戦略や投資誘致に対する努力に関する問題点である。第 1
のタイプのものについては、簡単に直せるものではないので、じっくりと取り組むべきで
ある。第 2 のタイプのものは、政治・経済が落ち着いてくれば、自然と解決してくる。問
題は第 3 のタイプのものである。これは、政策決定者の理解と意志の問題であり、短期的
にもかなりの程度の解決が可能である。政策決定者が対内直接投資の重要性をしっかりと
認識すれば、投資前・投資後の規制、貿易円滑化、投資時のサポートなど、実行可能なこ
とはたくさんある。現政権の中にはこのような意識も芽生えつつあり、それらが実行に移
されていくことを期待する。
5.開発戦略の転換と FTA/EPA
インドネシアに対し、東アジアに展開されている国際的生産・流通ネットワークへの参
加を促すことは決して不可能ではない。東アジアに立地していることの優位性は何を置い
ても代え難い。近隣諸国の例を見れば、インドネシアも、この生産のグローバル化の波に
乗っていくことを是非とも試みるべきである。
表 4 は、二次元のフラグメンテーション理論から導かれる政策課題を例示したものであ
る。ディスタンスとディスインテグレーションという 2 つの次元のフラグメンテーション
のそれぞれにつき、生産ブロック内の生産コストをどれだけ節減できるか、一方でサービ
ス・リンク・コストをどこまで低く抑えられるかが、課題となってくる。従来から生産コ
スト削減の部分については盛んに議論されてきたが、サービス・リンク・コストの部分に
ついては明示的に意識されてこなかった。しかし、今、インドネシアで問題となってきて
88
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
いるのはまさにその部分であり、政策改革が望まれるところである。
表4 二次元のフラグメンテーションと政策課題
ディスタンスの次元の
フラグメンテーション
生産ブロックを結ぶ
サービス・リンク・コストの軽減
地理的距離、国境効果を克服する諸政策
政策例:
(i) 関税等貿易障壁の削減・撤廃、
(ii) 通関手続の簡素化・効率化等を含む
貿易円滑化、(iii) 輸送インフラ整備と輸送・
流通サービスの効率化、(iv) 電気通信
インフラ整備、(v) 金融サービスの効率化、
(vi) 人の移動の円滑化等による離れた
拠点間のコーディネーション・コストの節減、
(vii) 生産・流通ネットワーク構築のための
投資コスト節減
トランザクション・コストを軽減する
ディスインテグレーションの次元の
制度整備
フラグメンテーション
政策例:
(i) 潜在的ビジネス・パートナーに関する
情報収集コストや取引相手に対するモニ
タリング・コストを節減するための諸政策、
(ii) 垂直分業のための集積形成を促す
諸政策、(iii) 多様なビジネス・パートナーの
共存と弾力的な契約形態を許容する経済
システムの構築、(iv) 契約の公正性・
安定性の確保、(v) 紛争解決メカニズムの
整備のための法制・経済制度の改善、
(vi) アウトソーシングを容易にする方向の
モジュール化等の技術革新を促進する
政策、(vii) 安定的でかつ有効な知財
保護体制の確立
生産ブロック内の生産コストの
さらなる軽減
立地の優位性を強化する諸政策
政策例:
(i) 多様な人材確保を可能とする教育・職業
訓練制度の整備、(ii) 安定的かつ弾力的な
労働法制・制度の整備、(iii) 効率的な国際・
国内金融サービスの整備・育成、(iv) 電力
その他エネルギー、工業団地等のインフラ
サービス投入コストの軽減、(v) 垂直的分業を
可能とする集積の形成、(vi) 投資ルール、
知財保護等の制度整備、(vii) きめ細かな
貿易・投資円滑化措置
潜在的ビジネス・パートナーの
競争力強化のための諸政策
政策例:
(i) 外資系・地場系企業を含む多様な潜在的
ビジネス・パートナーの誘致・育成、(ii) サポー
ティング・インダストリーの強化、(iii) 集積の
形成を促す諸政策、(iv) 多様な契約形態の
許容する経済制度整備
ここ数年、筆者は、国際協力銀行とインドネシア大学の共同調査に参加させていただい
ている。この中の成果の一部として、インドネシア大学経済学部社会経済研究所
(LPEM-FEUI)によるロジスティックスの調査がまとめられた2。Chatib Basri が率いたこ
の調査は、インドネシア政府の中に浸透し、一定の政策改革へつながったものとして、高
く評価される。全ての課題を一度に解決することは難しい。しかし、比較的コストがかか
らず、またそれが人々のモノの見方を変えていくような改革もある。ロジスティックスに
注目することは、その意味で大いに意義のあることと考える。
日本とインドネシアの FTA/EPA の内容についても、二次元のフラグメンテーション理論
を参考に組み立てていくことができる。具体的には、通常の FTA の構成要素である関税撤
廃に加え、①貿易・投資円滑化措置の導入、②投資ルール、知的財産等に関する制度整備、
③民間対政府の問題解決の枠組み作り、④国際金融政策、経済協力政策、資源・エネルギ
ー政策等、他の政策分野との連携を進めていくことが必要である。特にインドネシアの場
合には、資源・エネルギー政策とのリンクに加え、国際的生産・流通ネットワークへのよ
り深い連結を意識したものを盛り込んでいくことが期待される。
関税および貿易に関する一般協定(GATT)/世界貿易機構(WTO)との整合性ということ
で問題となってくる関税体系について、簡単に見ておこう。
まず、日本のインドネシアからの輸入と、そこに賦課されている関税を見る。表 5 は、
2
米田・大出(2005)にその一部が紹介されている。
89
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
日本のインドネシアからの農水産品・加工品について輸入額シェアが高い品目を抜き出し
て、見やすい形に再集計したものである。
表5 日本の農水産品・加工品輸入と関税体系(HS9桁分類)
日本のインドネシアからの輸入:農水産品・加工品(HS01類-24類) (2000年)
輸入総額:1兆7,661億8,731万円
農水産品・加工品輸入総額:1,248億5,506万円(農水産品・加工品輸入割合7.1%)
主要品目の輸入額シェアと関税 輸入額シェア
対農水産品・
対全輸入
加工品
シュリンプ及びプローン
60.47%
4.28%
シュリンプ及びプローン(生きているもの、生鮮、冷蔵、冷凍)
54.86%
3.88%
0.00%
0.00%
シュリンプ及びプローン(その他のもの)
シュリンプ及びプローン(*)
2.28%
0.16%
シュリンプ及びプローン(**)
3.33%
0.24%
品目名
関税
基本
WTO協定
特恵
4%
6%
4.8%
6%
1%
5%
(4.8%)
5.3%
4%(0%)
3.2%(0%)
5.3%(0%)
10%(0%)
7.42%
7.33%
0.09%
0.52%
0.52%
0.01%
0%
20%
12%
14.87%
13.33%
1.54%
1.05%
0.94%
0.11%
5%
9.6%
3.5%
(9.6%)
アンチョビ
アンチョビ(塩蔵した魚(乾燥し又はくん製したものを除く)
及び塩水漬けした魚)
アンチョビ(調製し又は保存に適する処理をしたものに限る)
1.68%
0.12%
0.00%
1.68%
0.00%
0.12%
15%
9.6%
(9.6%)
7.2%(0%)
アルコール飲料
エチルアルコール(アルコール分が90%以上のもの)
リキュール及びコーディアル
エチルアルコールに含まれる「その他」に属するもの
1.04%
1.04%
0.00%
0.00%
0.07%
0.07%
0.00%
0.00%
32%
141.1円/L
17.9%
27.2%
126円/L
16%
25.2円/L(0%)
コーヒー
コーヒー豆、カフェインを除いていないもの
コーヒー(炒ったもの)、カフェインを除いていないもの
マグロ
マグロ(生鮮、冷蔵、冷凍。フィレも含む)
マグロ(調製し又は保存に適する処理をしたものに限る)
暫定
63円/L
(注1) HS6桁で見て輸入額シェアが高い品目を上から10個ピックアップし、それぞれの品目について関連する細品目をHS9桁分類でみて集め、同じ関税率を持
つHS9桁分類品目をまとめて1つのカテゴリーとしている。
(注2) 括弧つきの数字は関税暫定措置法第8条の2第3項に基づくもので後発開発途上国を原産とする物品のみに適用する税率である。
(注3) 220710110(エチルアルコール)については、「関税暫定措置法第8条の7及び関税暫定措置法施行令第62条に基づくもので、特定の用途に使用することを
用件として適用される軽減税率」として「無税」が併記されている。
(*) 調製し又は保存に適する処理をしたものに限る。くん製したもの及び単に水若しくは塩水で煮又はその後に冷蔵し、冷凍し、塩蔵し、塩水漬けし若しくは乾燥したもの。
(**) 調製し又は保存に適する処理をしたものに限る。その他のもの。
(データ出所)
輸入シェア:財務省ホームページ「貿易統計」のHS9桁分類データをもとに作成。
関税率:日本関税協会(2000)、『実行関税率表』より
(出所)木村・高橋(2004)
この表からはいくつかの点が読み取れる。日本の農水産品には高関税が残存しているが、
日本のインドネシアからの全輸入に占める農水産品・加工品の割合は 7.1%と小さく、ま
たこれらの品目にかかる関税が輸入全体に特に大きな影響を与えているとは考えにくい。
農水産品・加工品の中で半分以上のシェアを占めているシュリンプおよびプローンには
1%の関税が課されているだけで、少なくともインドネシアとの貿易自由化交渉において致
命的な障害にはならないであろう。しかしマグロの輸入シェアが比較的大きく、加工品に
は 10%近い関税がかけられていること、その他の加工食料品やアルコール類を中心として
高率な関税が残存していることを考慮すると、貿易自由化の余地はまだ小さくないと言え
る。
90
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
次に、インドネシア側を見てみよう。表 6 は、HS6 桁レベルで見て、平均関税率の高さ
によって分類し、その日本からの輸入額とシェアを足し上げたものである。貿易額ベース
で 50%以上の品目については、関税がすでに 5%以下になっていることがわかる。また 20%
を超える”センシティブな”品目の関税率を固定したままでも、それ以下の品目について
自由化することによって 90%ルールはクリアできる。インドネシアにとって日本との FTA
締結は不可能ではないと言える。
表6 インドネシア平均関税率と品目別の日本からの輸入額
単純平均関税率
貿易額加重平均関税率
関税率
5%以下
~10%以下
~20%以下
~30%以下
~40%以下
~50%以下
~60%以下
それ以上
8.81%
6.83%
輸入額(千㌦) 輸入額シェア
2495084
56.6%
808422
18.3%
1011235
22.9%
67893
1.5%
1800
0.0%
22331
0.5%
3
0.0%
2546
0.1%
(データ出所)
輸入額シェア: インドネシア輸入統計2002をもとに作成。
関税率:UNCTAD(2001), Trade Analysis and Information
System Data Baseより。
(注)データベースの関税率は1999年のものである。したがって
その後も関税率が低下し続けていることに注意が必要であ
る。USTRの"2003 National Trade Estimate Report"によれ
ば、2003年1月時点での単純平均関税率は7.3%まで低下
している。したがって、「インドネシアが日本とFTAを締結す
ることは不可能ではない」という主張は一層強められる。
(出所)木村・高橋(2004)
品目別に見ると、HS50 代~60 代の軽工業品(繊維・衣料など)に比較的高率な関税がか
けられている。また輸入額シェアが大きい品目に注目すると、プラスチック、鉄・鋼鉄、
電気機器、輸送機器は輸入額シェアが大きく、同時に高い関税がかかっている。とりわけ
HS-87 の輸送機器、中でも自動車・二輪車の部品は、輸入額シェアが大きく、かつ高関税
が残存している。日本との貿易における自動車・二輪車の部品の輸入シェアは、合計する
と全輸入額の 19%、機械の輸入の中では 31%にも上る。この輸入に 10%を超える関税が
かかっている。この部分をどう扱うかが、FTA/EPA の関税の部分の交渉で焦点となってく
ることが予想される。
6.むすび
この週末(2005 年 12 月 16~17 日)、マレーシアでの東アジアサミットから香港の WTO
閣僚会議へと回ってきたマリ・パンゲストゥ商業相と言葉を交わす機会があった。WTO 閣
僚会議と並行して香港大学で行われていたエコノミストのコンファレンスに顔を出してく
91
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
れたのである。その際、WTO 交渉はなかなか進まず、それゆえに、東アジアはさらに地域
主義へと当面の力を傾けていかざるを得ないとの見方を披露していた。また、
「タイ、マレ
ーシアに次いでインドネシアも、米国と FTA 交渉を始めるつもりがあるか」との米国人の
質問に対しては、
「インドネシアのような小さな(!)国では、とりあえず日本と交渉する
だけで手一杯」と発言していた。
マリ商業相に、開発戦略を転換しなければならないとの意識がどの程度芽生えているの
かはよくわからない。しかし、近隣諸国にキャッチアップしていかなければならないとい
う危機感は相当強くなっているように感じられた。日本とインドネシアの間の FTA/EPA は、
協定そのものの効果もさることながら、インドネシアの政策転換を促すための政策対話と
しても大変重要な役割を担っている。日本側の交渉担当者も、目の前の交渉アイテムのみ
に目を奪われるのではなく、中長期的にインドネシアを大きく伸ばしていくための議論の
進展に資するよう、対話を重ねていっていただければと思う。インドネシアは日本にとっ
て極めて重要な国である。
参考文献
・Ando, Mitsuyo (2005) “Fragmentation and Vertical Intra-industry Trade in East
Asia”. 21st Century COE Discussion Paper No.2004-25. Presented at Claremont
Regional Integration Workshop with Particular Reference to Asia, Claremont
McKenna College, U.S.A. on February 25, 2005 and the Japan Economic Association,
spring, Japan on June 4, 2005
・Ando, Mitsuyo and Kimura Fukunari (2005) “The Formation of International Production
and Distribution Networks in East Asia”. In Takatoshi Ito and Andrew Rose, eds.,
International Trade (NBER-East Asia Seminar on Economics, Volume 14), Chicago:
The University of Chicago Press
・木村福成(2004)「国際的生産・流通ネットワークとインドネシア」。佐藤百合編『イン
ドネシアの経済再編:構造・制度・アクター』
、アジア経済研究所:25-57 頁
・木村福成、高橋悠也(2004)
『インドネシアの貿易・投資政策の現状と可能性にかかる調
査:インドネシアと国際的生産・流通ネットワーク』、国際協力銀行委託調査
・米田篤裕、大出一晴(2005)
「国際協力銀行・インドネシア大学共同調査「ロジスティッ
クスの観点から見たインドネシア産業の輸出競争力」:第 2 回共催セミナー「インド
ネシアの輸出競争力強化に向けて:産業発展への挑戦に応じて」の報告」『開発金融
研究所報』、第 27 号(11 月):15-23 頁
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
第7章
総括と課題1
政策研究大学院大学
副学長・教授
財団法人
白石
隆
国際金融情報センター
アジア第2部長
松村
淳
はじめに
インドネシアがかつてオランダ領東インド時代の 1903 年、サバンからメラウケまでの領
域をもって成立して、すでに一世紀になる。その間、オランダ領東インド=インドネシア
共和国の人口はおそらく 8 倍以上に増加し、産業構造にも大きな変化が起こった。しかし、
それでも、この国家が南北 1,900 キロ、東西 5,100 キロにわたる広大な領域と言語、民族、
宗教的にきわめて多様な住民を支配していることに変わりなく、そのためこの国家は、植
民地時代も今も、ある一定の問題に直面せざるをえない。
こうした問題は大きく社会の問題と国家の問題の二つに分けて考えることができる。社
会の問題としては大きく四つ挙げることができる。その第一は中央と地方の問題である。
オランダ時代には、
「ジャワ・マドゥラ」と「外領」で違う統治システムが採用され、ジャ
ワでは集権、外島では分権が基本だった。それが 1940 年代の占領と革命の時代から 1950
年代の議会制民主主義の時代に分権へ振れ、その後スカルノの指導民主主義時代に集権へ
の揺り戻しがはじまり、スハルト時代に集権的体制となり、ポスト・スハルトの今日、ま
た分権へと大きく振れている。
第二はエスニシティの問題である。ここには二つの問題がある。その一つはジャワ人と
それ以外の人たち、とくに外島の人たちの対立である。この対立の基本には、人口が多く
資源の少ないジャワと人口が少なく資源の豊かな外島の対立がある。一般的にはこの問題
は中央集権、地方分権の問題と絡み合い、中央集権はジャワ人の優位、地方分権は外島優
位をもたらすと観念される。エスニシティに関わるもう一つの問題は、カリマンタンにお
けるダヤック人、マレー人とマドゥラ人の対立のような問題である。これはスハルト時代
の移民政策、開発政策によって生み出されたところが大きく、地方分権の拡大のなかで各
1
本研究会は、2005 年 9 月 6 日から 12 月 6 日にかけて計 4 回、会合を行った。この間、インドネシア
では次々と重大な事件が発生した。第 1 回会合直前の 8 月末には 2006 年度予算案提出をきっかけとして
インドネシア・ルピアが暴落、「小危機」がおこり、10 月 1 日には燃料費価格の大幅値上げ(政府補助金
の削減)が行われた。10 月 1 日にはまたバリで爆弾事件がおこり、その後事件の首謀者、アザハリが射殺
された。さらにこの頃から内閣改造がうわさされ、第 4 回会合前日の 12 月 5 日、現に内閣の改造が発表
された。こうした事情もあって、委員には、あらかじめ準備した発表内容を直前に一部変更する、事態の
新しい展開に応じて首尾範囲を拡大するといった依頼をせざるをえなかった。こうした要望に適切に対処
していただき、研究会の議論を常にアップ・トゥ・デイトなものとできたことについて、委員の皆様にこ
こで謝意を表したい。また研究会の会合には、主催者の財務省国際局からはもちろんのこと、関係省庁・
機関から多くの方々がオブザーバーとして参加された。ごく限られた回数の研究会会合であったにもかか
わらず、多くの方々の参加を得て、大いに議論を深めることができたことにも謝意を表したい。
93
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
地におけるエスニシティと権力分配の問題は地方分権的民主体制によって処理されるかた
ちとなっている。
第三は宗教の問題、とりわけイスラムの政治的地位をめぐる敬虔なイスラム教徒と「統
計上の」イスラム教徒、カトリック教徒、プロテスタント、仏教徒、ヒンドゥー教徒など
の対立である。インドネシアでは人口の約 90 パーセントがイスラム教徒、そのうち 40~
45%が敬虔なイスラム教徒、55~60%が統計上のイスラム教徒と言われる。この二つの勢
力のあいだでは、イスラムの政治的地位、ナショナリズムとイスラム主義のいずれを国家
の原理とするかといった問題をめぐって大きな対立があり、それが政党においてもゴルカ
ル、民主党闘争派、民主党(あるいは民主主義者党)など、主として「統計上の」イスラ
ム教徒に支持される国民主義政党、民族覚醒党、国民信託党を代表とする敬虔なイスラム
教徒を支持基盤とする国民主義政党、開発統一党、福祉正義党、月星党などのイスラム主
義政党の分立として現象している。
そして第四は階級格差、階級対立の問題である。この基本には毎年 250 万人に達する若
い人たちが新たに労働市場に参入するという問題がある。たとえば 1990 年代半ば、失業率
は 1995 年の 7.2%から 1997 年の 4.7%と順調に低下していた。ところがこの趨勢は
1997-1998 危機によって逆転した。しかし、これを放置しておけば社会危機が深刻化し、
いずれはまた外的ショックの如何によってはまた 1997~98 年の反華人暴動、華人商店略奪、
焼き討ち、犯罪の増加といったことになりかねない。こういう問題にどう対処するか、こ
れが一つの問題である。
もう一つの問題は国家そのものの問題、あるいは通常の政治学の用語を使えば、国家の
正統性の問題である。インドネシアではかつて、スハルト時代、国家の機構が上から下ま
で腐ってしまい、国軍は国民の軍隊というより国民を敵とする軍隊となって、アチェでも
東ティモールでもイリアン・ジャヤでも、またその他の地域でも、実に多くの人を殺した。
それがどういう意味をもつか。それを理解するには、わたしがアチェ人で、わたしの子供
がある日、何の理由もなしに軍に殺された、と想像してみればよい。そのときわたしはな
おインドネシア共和国をわたしの国家と思うだろうか。思うわけがない。つまり、ここで
「国家の正統性」の問題として問われているのは、ごく当たり前の正義の問題である。国
家がそういうごく当たり前の正義を保証しない。だから多くの国民が国家を信用しない。
ではどうするか。ある人たちは正義の回復を求めてイスラム主義革命とイスラム国家の建
設を訴える。それがジャマア・イスラミアである。またある人たちは正義の回復をインド
ネシア共和国に代わる新しい「われわれの」国家に求める。それがアチェでおきたことで
ある。そしてまたある人たちはマルク、ポソの宗教紛争に見るように、正義の名において
殺し合う。ではどうするか。国民の国家に対する信頼を回復すること、インドネシア共和
国を国民的プロジェクトとして捉え直し、インドネシアの領域に居住する人々にこれはイ
ンドネシア国民の国家であることを説得することである。
もう一つ、インドネシア国家がいま直面している問題は、国家の機構をいかにして機構
としてしかるべく作動するようにするかということである。たとえばインドネシア国軍は、
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
紙の上では、上は中央の国軍司令官、陸軍参謀長から、下は県・市レベルの地区軍管区司
令官、郡レベルの機関長まで、整然とした機構があることになっている。しかし、この機
構は上が号令をかけると下はすべてそのように動くということにはなっていない。スハル
ト時代にあった資金調達メカニズムが崩壊し、
「現地自活」が大勢となったからである。そ
の結果、軍の規律は大いに弛緩し、中央は地方の、将校は下士官、兵卒の統率がとれず、
末端では国軍の機構とマフィアが融合するようになっている。では国家の機構がしかるべ
く作動しないところで人々は行動するか。当たり前のことであるが、国家の装置がしかる
べく作動しなければ、人々は自衛するしかない。こうして各地に自警団がつくられ、そう
した自警団のなかには、マフィア化した軍人、警察官がボスとなっているものも少なくな
い。またジャカルタのような都市では、どろぼう、すりなどが捕まると、人々はその場で
集団でリンチを加え、ときには殺してしまう。そこで起こっていることは、人々が「コミ
ュニティ防衛」の名において暴力を行使し、そうした暴力行為そのものの中で、いま、こ
こに「コミュニティ」を再建しようとしているということである。
こうした社会と国家の問題にどう取り組むか。そしてインドネシアの統一を維持し、民
生を改善し、インドネシアの国民の国家に対する信頼を地方分権的民主主義の憲法体制の
下でいかにして回復するか、これがユドヨノ政権の課題である。
いうまでもなく、こうした課題は 2004 年 10 月に発足した現政権が一年で達成できるよ
うな簡単な問題ではない。また、実のところユドヨノ政権はこの 1 年余、スマトラ沖大地
震・大津波、鳥インフルエンザ、テロ、原油価格高騰と次々と大事件に遭遇し、多くの課
題について、当初期待されたほどには政権の取り組みは進んでいない。したがって、以下
では、こうした長期の国策の課題を念頭に置きつつ、ユドヨノ政権のこれまでの成果を評
価し、これから将来、政権が政治・経済的にどのような課題を抱えているか、多年にわた
り、インドネシアと密接な関係を有する我が国は、同国の長期的安定と発展のためにどの
ような貢献を行うことができるか、研究報告、研究会での議論を踏まえ、簡単にまとめて
おくこととしたい。
1.政治
(1)政権の安定
インドネシアでは、1998 年 5 月、スハルト長期独裁政権が崩壊して以降、ハビビ、ワヒ
ド、メガワティ政権を経て、2004 年 10 月にユドヨノ政権が誕生した。ハビビ政権は多く
の改革措置を実施したが、その政権基盤はきわめて弱く、1999 年 10 月、退陣を余儀なく
された。これに続くワヒド政権も「虹の連合」が急速に消えていくにつれて不安定化し、
2001 年 7 月には国家非常事態宣言をめぐる茶番劇の中で崩壊した。さらにメガワティ政権
は政権の維持、マクロ経済安定には功績があったものの、期待された改革をほとんど行わ
ず、国民の期待を失って、2004 年の総選挙、大統領選挙で敗北した。こうした政権に比較
すれば、大統領直接選挙で選ばれ、議会で安定多数を確保する現政権が政治的に安定し、
95
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
そのパーフォーマンスにおいても高く評価されていることは特筆されてよい。
ユドヨノ大統領、ユスフ・カラ副大統領はこの 1 年、政権基盤を大いに強化した。議会
では与党が安定勢力を確保し、国会では第1党ゴルカル党の党首にユスフ・カラ副大統領
が選出された。同副大統領は、
「実行力の商人(あきんど)副大統領」などと称され、極め
て慎重な大統領と比較して、果敢な実行力の持ち主といえる。これまでのところ、大統領
と副大統領のあいだには密接なコミュニケーションと役割分担があり、これが政権の危機
対応能力を確保し、バランスのとれた政策決定能力を保証することにもなっている。
次に内閣においては、2005 年 12 月 7 日発足の内閣改造において、メガワティ大統領時
代、マクロ経済安定に大きな功績のあったブディオノ元財務相が経済調整相に、またスリ・
ムルヤニ前国家開発企画庁(Bappenas)長官が財務相に任命され、マクロ経済安定を重視
しつつ、有能な人材の適材適所が実現された。
さらにまた、国軍、警察、国家情報省では、この一年、三軍参謀長、警察長官、国家情
報庁長官の交代をはじめとする一連のユドヨノ人事によって高級幹部はほぼユドヨノ大統
領の信頼できる人物によって占められることとなり、これらの機構はほぼ大統領が掌握し
たとみられている。
世論調査によれば、大統領の実績について「満足している」とする回答者の比率は、就
任直後の 2004 年 11 月の 80%から 2005 年 9 月には 63%まで低下した。しかし、これはな
お大統領選挙の得票数を超えており、その意味で国民の政権支持率はまだ高い。
(2)実績とこれからの課題
政権の実績としては、まず中央政府と自由アチェ運動(GAM)が 2005 年 8 月に和平協定
に合意したことが大きく評価される。その後の和平プロセスも順調に進展している。ただ
し、GAM が地方政党として認められ、今後アチェにおいて地方議会選挙、地方自治体首長
選挙に参加できるためには、地方政党を認めていない現行法を改正する必要があり、不確
定要素を含んでいる。また、元 GAM 兵士の社会復帰をどうするかも大きな問題である。
この点に関し、本名委員より、
「我が国はカンボジアやアスガニスタンの紛争終結後、
『武
装解除・動員解除・社会復帰』のサポートを行った実績を持つので、この経験をアチェ支
援にも生かすべき」との提言がなされている。
次に、2005 年 6~7 月、地方自治体首長の直接選挙は概ね平和的に実施された。大統領
直接選挙に加え、地方政治にも直接選挙が導入されるということで、これによってどれほ
ど「民意」が地方自治体首長の選出に実質的に反映されることなるか、大いに注目された。
結果をみると、あまりに不適切と思われた候補者が落選するなど、一部では「民意」の反
映されたところもあったけれども、金権選挙がなお一般的な慣行として横行し、高級官僚、
実業家などの地方エリートが首長当選者の多数を占める事態となった。その意味で、民主
化の地方への拡大には一定の進展はあったものの、その深化にはまだまだ時間がかかると
いってよい。
なお、白石は 2005 年 12 月、ユドヨノ大統領と直接面談する機会を得たが、その際、大
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
統領は今後 4 年間の政権の課題として、①マクロ経済の安定、②雇用の創出と貧困削減、
③総合的エネルギー政策の実施、④法秩序の確立、⑤貧困者対策の充実、を挙げた。
国民は現政権の政治・社会問題への取り組みについては一般的に高い評価を与え、一方、
その経済問題への取り組みについての評価は厳しい。ユドヨノ大統領指揮下、ブディオノ
経済調整大臣以下の経済チームがこれから経済問題にどう取り組んでいくか、これが大き
な注目点である。
2.経済
(1)評価
ユドヨノ政権の中心的な経済課題は、①雇用創出、②貧困削減、③それを可能にする成
長の実現、である。通常インドネシアでは、1%の成長が 40 万人の雇用を創出するとされ
ているが、新規労働人口への参入が大きいことから、計算上 7.5%程度の成長が必要とさ
れている。高い成長率を確保するためには、投資の高い伸びが必要で、政府も投資が二桁
成長を続けて経済成長を牽引することを想定している。
ユドヨノ政権発足の 2004 年以降、インドネシアでは概ね投資主導の経済成長が実現して
おり、2004 年第 4 四半期から 2005 年第 3 四半期までの 4 四半期平均では、実質 GDP 成長
率は約 6.0%となった。これは、近隣 ASEAN 諸国と比べて良好な水準である。
一方、失業率は、今日に到るまで経済危機後の上昇に歯止めがかかっておらず、2000 年
の 6.1%から 2005 年 10 月には 10.8%まで悪化している。貧困削減についても改善に向け
てさしたる進展はなく、相当息の長い問題として取り組んでいく必要がある。
しかも、2005 年 10 月の石油製品価格の大幅な引き上げなどもあって、CPI が大幅に上昇
しており、今後消費の減退や雇用情勢のさらなる悪化が懸念されている。これに伴って比
較的良好であった経済成長率についても低下が予想される。そこで、成長促進のための投
資環境の整備がますます重要な課題となってきている。
(2)投資環境の改善とこれからの課題
ユドヨノ政権は、投資環境改善に向けた政策を策定するため、政府とインドネシア商工
会議所(KADIN)との連携を深め、外国政府などとの対話も緊密化させた。2005 年 1 月に
はいわゆるインフラ・サミットを開催し、民間からの投資・協力を仰ぎたいインフラ案件
リスト(91 件、総額 225 億ドル)を提示したが、同年 10 月までの成約案件はわずか 6 件、
20 億ドルにとどまっている。
そこで政府は、「インフラ整備に関する政府と企業の協力に関する 11 月 9 日付 2005 年
67 号大統領令」を発表し、インフラ投資のリスクの多くを政府の負担として、民間資金を
導入しやすくする枠組みを作った(詳細は古宮委員の報告書ご参照)。
また、2005 年中に租税・通関・その他サービス・コストの削減など、いくつか具体策が
提示されたことも、一定の前進として評価される。さらに、現在検討中の新投資法案では、
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
外資に内国民同様の待遇を与えるとともに、投資を従来の許可制から登録制に変更するこ
となどが織り込まれている。
ただし、これらは投資環境の整備としては十分とは言い難い。それでは、さらにどのよ
うな改革が必要とされているのか。まず、民間のインフラ投資が不活発である要因として
インフラ関連法の改正が遅れていることが指摘されている。具体的には、運輸 3 法といわ
れる港湾法、空港法、鉄道法や、民間開放が違憲とされた電力法の改正問題などが挙げら
れる。
さらに、政府保証やそれに準ずる位置づけとなる「コンフォート・レター」などにより、
民間のインフラ投資のリスクをどのように軽減し、投資を促進するかが重要な検討ポイン
トとして指摘されよう。これは、海外投資家にとっても大きな誘因となる。
(3)金融市場・資本市場からのインフラ整備資金調達
上記 2005 年 1 月のインフラ・サミットにおいて、政府は「同年から 5 年間で 1,450 億ド
ル相当のインフラ投資が必要」との見解を明らかにした。このうち、250 億ドルを国家が
拠出し、100 億ドルを支援国や国際機関からの支援に頼ることとしている。一方で、300
億ドルを国内の銀行、保険会社、年金基金、ミューチュアル・ファンドなどから集め、残る
800 億ドルを国内外の民間セクターからの投資に期待することとしている。
ここで、同国の金融市場をみると、銀行部門はアジア経済危機で大きく傷ついたが、そ
の後は不良債権比率も大きく低下し、資金仲介機能は回復しているといえる。こうした中
で、インフラ部門への貸出も増加基調にはあるが、今後これが大きく伸び、同国のインフ
ラ資金を支えるものになるとは考えにくい。その理由として、①銀行のスタンスとして個
人部門への貸出への選好が強い、②商業銀行の調達構造が短期資金に偏っており、ミスマ
ッチが生じている、③銀行は監督当局から国際基準に基づく信用リスク管理を求められて
おり、ハイ・リスクのプロジェクトへの投資がやりにくい環境になってきている、などが
指摘されている。
一方、株式市場や社債市場も拡大が続いているが、規模はまだまだ小さいものにとどま
っている。この結果として、政府が上記 1,450 億ドルのうち、自己が拠出する以外の 1,200
億ドルを対外援助や民間資金導入などに依存しているのは、甘い判断といえよう。実際に
政府がインフラ資金を安定的に調達するためには、政府保証の供与による信用補完や、イ
ンフラ整備を目的にした建設国債発行による資金調達などの手段を検討せざるを得ないの
ではないか(詳細は、高安委員の報告書をご参照願いたい)。
(4)産業政策の動向
中国、インド、ベトナムなどのアジア諸国が高い経済成長率を実現し、国際競争力を高
めている一方、インドネシアの産業競争力は低下していると考えられる。
これを受けて、2005 年 3 月、工業省は「国家産業開発政策」を発表した。詳細は佐藤委
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
員の報告書に詳しいが、インドネシアが今後 20 年間のタイムスパンで競争優位を持ち得る
産業を「優先的産業クラスター」として選び、官民が協力して環境を整備し、産業発展を
支援していこうというものである。もっともこれに対しては、
「理想論、抽象論に過ぎない」、
「実効性が薄い」との批判も聞かれている。
日本との関係においては、2004 年 12 月に日本からの投資を促進するための「日イ官民
合同投資フォーラム」が設立され、2005 年 5 月には「戦略的投資行動計画(SIAP)」が策
定されたことが特筆される。これは日本・インドネシアの生産者のトップが産業の近未来
像、競争力強化への方策などを率直に議論する場であり、今後の活動が期待される。
なおユドヨノ大統領は白石との面談に際し、経済特区構想にふれ、バタム、大ジャカル
タ圏、西ジャワ、東ジャワをその候補として挙げた。
(5)国際的生産・流通ネットワークの中でのインドネシアの位置づけ
近隣国のタイ・マレーシアなどは、1980 年代から直接投資誘致の方向に明確に舵を切り、
生産のグローバル化も進めてきたが、インドネシアは明らかに経済的に遅れを取った。東
アジアでは総じて 1990 年代に入り、機械産業、とりわけ電機・電子産業が活性化し、生産
工程単位での国際分業も本格化した。この結果、周辺各国の機械輸出は域内向けも域外向
けも飛躍的に伸びた。インドネシアでも機械産業は相応には伸びたが、近隣諸国と比較し
て輸出額に占める機械産業製品の比率は圧倒的に低い。
この理由は単純ではないし、解決が容易であるわけでもないが、今後は東アジアで展開
されている国際的生産・流通のネットワークに同国も参加していくことで、付加価値の高
い産業へのシフトを図ることが重要と思われる。
昨年開始された日本とインドネシアの FTA/EPA 交渉は、協定そのものの効果ももちろん
重要だが、インドネシアが政策転換を行っていくことに向けた一つの対話とも位置づけら
れ、極めて大きな意味を持ち得るのではないか。我が国としても、今後の交渉においては
個別の利害関係に捉われず、同国の中長期的発展に向け議論を深めていくことを提言した
い(詳細は、木村委員の報告書をご参照願いたい)。
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
「インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組」に係る研究会
第 1 回:政府のインフラ整備戦略およびエネルギー投資等中国の動き
開催日時:2005 年 9 月 6 日 15:00~17:00
開催場所:財務省 4F 第 3 特別会議室
報告者: 三菱商事 業務部 顧問 インドネシア担当 古宮 正隆
1.報告要旨(報告者:古宮委員)
<為替下落>
・ 05 年 8 月下旬、ルピアの対ドルレートが急落した。石油価格の上昇で補助金歳出が急増す
る中、政府が原油価格の前提を 40 ドルとする等楽観的な 06 年度予算案を提示したことで、
経済政策に対する懸念が市場で広まったことが背景にある。大統領は 8 月 31 日に政策パッ
ケージを発表し、貧困者救済のための補助金を拠出した上で、10 月以降、燃料価格を引き
上げる方針を示した。経済閣僚は早期の補助金削減を提言したが、大統領は燃料価格引き
上げによる人気低下を危惧し慎重姿勢を崩さなかったとされる。大統領発表に先立つ中銀
の金融引締め策は効果があったが、大統領の政策は具体性に欠け、市場は燃料価格引き上
げを含むより詳細な政策の発表を待っている。
・ 大統領の政策発表の際に経済調整相が不在であったことなどから、大統領と経済閣僚の関
係が注目されている。組閣 1 年目となる 10 月頃、改革への取組などを評価した上で内閣改
造が行われる可能性があり、経済閣僚人事が注目されている。
<インフラ整備>
・ インフラ整備に関し、政府トップの期待と現実の間に大きな乖離がある。05 年 1 月のイン
フラサミットで表明した 91 件、225 億ドルの投資案件は、8 月初旬に 6 件の高速道路の入
札が行われたにすぎない(この内 2 件は応札者なし)。法令整備も遅延しており、8 月に各
省庁幹部の人事異動が完了し、漸く業務推進体制が整った状況である。
・ インフラサミット以降、政府のインフラ整備戦略に大きな変更はみられない。サミットで
は、電力、運輸など多くの分野で商業ベースのインフラ投資を促進し、優先民活案件に対
し一定の政府保証が必要である(Adaptive & Pragmatic Policy)との認識が示された。ま
た、今後 5 年間で 1,450 億ドルのインフラ投資が必要で、うち 800 億ドルを外国投資等民
間資金に期待するとした。
・ インフラ整備促進のための政策枠組みに関し、5 月にインフラ整備促進政策委員会(KKPPI)
が発足した(7 月より業務開始)。KKPPI は戦略・政策の決定権限も有している。なお、透
明性確保やモニタリングに関し、官民パートナーシップ(PPP)に関する政令改定や、PPP
センターの設立などが検討されている。
・ 民活インフラ活用の課題として、第 1 に法制度整備が挙げられる。インフラサミットで政
府が 18 法令の改定を表明したが、関連の政令等が制定されたのは 6 件のみである。第 2 の
課題は政府保証の取扱いである。政府は為替急落に伴う偶発債務の発生懸念から保証スキ
ームへの慎重姿勢を崩していないが、世銀・ADB と共にリスクシェアリングや PPP 戦略など
につき検討している。世銀は制度的改善を目指しているが、内外債務の一元把握などに注
力している状況で偶発債務の管理に迄は至っていない。なお、経済調整相は、当初コンフ
ォート・レターの発行方針を示していたが、リスク発生への懸念と中国が政府保証なしで
案件を進めていることから、政府保証(コンフォート・レターを含む)の付与に否定的で
ある。
・ 電力分野等民活インフラ活用の課題は、①新電力法の制定、②IPP に関し透明な競争入札
の実施、既存施設の効率性の向上、③政府保証に関しインドネシア電力公社(PLN)のパフ
ォーマンスの保証や IPP における自動価格調整メカニズムの導入、土地収用及び燃料調達
101
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
リスクの軽減、④偶発債務に対応するための政府のリスク管理能力向上、⑤モデルプロジ
ェクトとしての優先案件の実現、等であるが、大量の民活インフラ整備が容易ではない状
況下、⑥ODA によるインフラ予算大幅増額も政策課題となるのではないか。
<中国の投資活動>
・ 中国とインドネシアは 4 月に戦略提携協定を締結した。両国は定期的に経済貿易技術委員
会を開催しており、8 月の会合では 2010 年までに貿易額を 300 億ドルに増加させることで
合意した。また、4 月にはインフラと天然資源の開発協力に関する覚書が締結された。
・ 中国のインフラ関連の ODA では、①3 千万元の無償資金協力、②8 億ドルのバイヤーズ・ク
レジットの供与による複数の発電所、橋梁整備、鉄道整備、ダム建設等がある。
・ 7 月のユドヨノ大統領の訪中時には、火力発電プロジェクトなど 3 つのインフラ案件(イン
ドネシア側の政府保証なし)の覚書を締結する等、全部で 7 案件(合計 75 億ドル)の推進
に合意した。また、8 月末のカラ副大統領の訪中時には、10 件、総額 49 億ドルの案件(中
小企業や地方企業の案件を含む)推進に合意した。
・ 「 天 然 資 源 開 発 と イ ン フ ラ 整 備 の 結 合 」( Bundling Up of Natural Resources and
Infrastructure)という枠組みの下、中国とインドネシアは複数の大規模プロジェクトの覚
書を結んだ。しかし、商業ベースで実現可能か疑念の残る案件も多い。中国の国営銀行が
中国企業に融資し、中国出口信用保険公司(Sinosure)が保証する大型案件のスキームに
ついては、中国トップ 50 の企業以外の利用は難しいとされる。中国は、中規模な石炭火力
発電で競争力を有しているが、複合火力やガス発電の分野では日系企業が依然として優位
にある。
・ 石油利権について中国勢は開発ではなく現在産出済の油田を獲得し、既にインドネシアの
10%弱と、シェブロン・テキサコに次ぐ第二位のシェアを有し、今後も積極的に利権増加
の方向にある。
2.主な議論
(問)民間企業がインフラ整備に参入する際のリスクシェアリングの構築に関心がある。偶発
債務に対する政府の対応は十分でなく、政府内で方向性への統一見解もない。リスクシェアリ
ングを考える上で、民間企業が絶対に必要とする条件を体系化することは可能か。セクターに
より異なるかもしれないが、例えば発電では、PLN の PPA、価格調整メカニズム、土地収用の 3
つが解決すれば民間企業は参入できるのか。それとも、より幅広い対応が必要であるのか。
(答)インドネシアでは、憲法裁判所判決により PLN がシングルバイヤーとされ、PLN の財務
状況に問題がある中で財務省が PLN をバックアップしないのであれば、投資することは難しい。
土地収用は新規投資の場合は重要、しかし、パイトンなど既存設備の拡張では解決済の場合も
ある。また、偶発債務への対応に関し、例えばルピアの価値が 4 分の1へ急落することは滅多
にないがこういったケースも含めて、政府に全てのリスクを担保させることには無理があり、
何か起こった場合に双方で解決策を見出す態勢が出来れば良いとの考え方もある。保証の具体
的内容を全てのケースについて包括的に事前に決めることは難しく、価格調整メカニズムも含
め、個々に条文を練りながら対応するのが現実的ではないか。要はプロジェクト・ファイナン
スが成立する条件になるかどうか、が鍵となる。
(問)8 月末に大統領が政策パッケージを発表した際、経済調整相が出席しなかったが、経済
閣僚間の力関係はどうなっているのか。
(答)大統領は 8 月下旬にルピアの下落圧力が強まって以降、経済閣僚を伴わずに中銀を訪問
したり、対策発表を行う等、自らの主導で解決する意思を示した。経済閣僚の多くが外遊中で
あったことは事実だが、国内にいた経済調整相も(閣議には出席したが)これには同席してい
ない。燃料価格の引き上げは大統領の人気低下につながるため、経済閣僚が燃料価格の引き上
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
げを提言すると、大統領の政治基盤を侵食する行動、と取られかねない。一方、大統領主導と
いっても単独では思い切ったことが出来ないことも事実。大統領は自前の経済閣僚を起用した
いが、同経済相を支持するカラ副大統領とは対立したくないというジレンマを抱えている。テ
クノクラート(学者)出身閣僚は、政治的なしがらみが無い点もあり、正副大統領とも企業家
出身閣僚とも好関係を維持している。
(答)大統領は補助金政策に関し、石油燃料価格の引き上げでデモが発生し、軍がそれを弾圧
するというシナリオを懸念していたという情報もある。
(答)また、世論調査をみると、3 月の燃料価格の引き上げで国民の経済政策に対する信認は
30%へ低下したが、8 月に漸く 60%まで戻った。大統領は既に次の大統領選挙を意識し世論を
重視しており、できれば燃料価格の引き上げは実施したくなかったとみられる。
(問)中国のインドネシアに対する資金供与の条件はどうなっているのか。
(答)期間 15 年で、金利は世銀の実績を下回ると聞いている。
(問)日本は経済連携協定の締結交渉を実施しているが、現在日系企業がインフラ投資を実施
する上で、競争条件上、不利になっていることは何か。またエネルギー分野に関し、IPP では
外資参入制限、現地調達義務、また鉱物資源開発では森林法による鉱区の限定などの問題があ
るが、優先的に交渉すべき問題は何か。
(答)中国からの大規模投資案件の急増を懸念する向きはあるものの、中国案件は十分な調査
なしに覚書を締結した実現性に疑問なしとしない案件もあるとみられる。このため、日本勢も
早急に中国と同様の条件でビジネスを行う必要があるとの切迫感は後退しつつある。ただ中国
は OECD 加盟国ではないので、バイヤーズ・クレジット等の供与条件が OECD 加盟国の条件より
甘くなっていると見られ、この場合日欧米企業に対し、抜け駆け的になる点は問題と思われる。
日系企業が環境面などで自主的に厳しくするといったことはあろうが、インドネシアにおける
一般的な参入制限が日系企業に特に不利ということは無く、投資家は政府が環境面や税制を含
めたきちんとした(石油ガスを含めた)魅力的な資源開発政策を打ち出すことを要望している。
(問)中国企業による天然資源開発とインフラ整備の複合案件は、インドネシア政府は商業ベ
ースとしている様だが、中国政府が低利借款をつけると政治的意味合いが強くなるがどう考え
るか。また、ユドヨノ大統領の訪中時にインドネシアの華人系企業家が随行したが、華人グル
ープはどれほど関与しているのか。
(答)中国の大型案件は、政府の意向を受けた国営企業が中心であり、エネルギー確保も絡め
た政治的案件との印象を受ける。
自分がジャカルタで会った華人企業家は、一名を例外として、中国とのビジネス拡大に期待し、
興奮していた。カラ副大統領訪中時に合意した地方案件を含む小規模案件は、インドネシアの
華人系ネットワークを使って発掘したと考えられる。
尚、ユドヨノ大統領訪日時には 30 名のインドネシア企業家が随行したが、訪中時には 300 名で
あったとの情報もあり、彼らの対中ビジネスへの期待の大きさを物語る。インドネシアの華人
グループのみならずプリブミ系企業も、地熱発電案件に見られる様に、中国のファイナンスに
期待して案件を持ち込んでいる。
(問)中国企業が進出する際には、企業単独の場合と中国政府が背後からバックアップする場
合があるようだが、実態はどうなっているのか。政府機関がバックアップしている場合のプレ
ーヤーは誰か。
(答)中国海洋石油や PETROCHINA をはじめ、数年前まで単独で来る例が多かった。勿論これに
は中国政府のエネルギー確保戦略が背後にあると見られる。
但し、ユドヨノ政権が発足し戦略提携協定を締結した頃から、中国の商務部長や国際貿易促進
委員会の動きが見られるので、これら機関がインドネシア案件の中国内での紹介等に積極的に
動いている可能性もある。
以 上
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
「インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組」に係る研究会
第2回:「開発資金の円滑な調達に向けた金融システム整備」
「国際的生産・流通ネットワークとインドネシア:FTA/EPA への示唆」
開催日時:2005 年 10 月 4 日 15:00~17:00
開催場所:財務省 4F 第 3 特別会議室
報告者: 日本総合研究所 調査部 環太平洋戦略研究センター 上席主任研究員 高安 健一
慶應義塾大学 経済学部 教授 木村 福成
1.報告要旨
(1)「開発資金の円滑な調達に向けた金融システム整備」
(報告者:高安委員)
・ インドネシアではインフラ投資向けの資金需要が高まっているが、同国の金融資本市場の規
模は小さい。銀行貸出残高は、株式時価総額、債券発行残高を下回り、銀行の預貸比率をみ
るとアジアの中で最低水準にある。同国では通貨危機に際し、銀行救済のため大量の国債が
発行され、銀行はリスクの低い国債保有を選好している。近年、銀行貸出も徐々に増加しは
じめたが、個人向け貸出の伸びが目立つ。銀行部門は預金増加により貸出に十分な資金を有
しているが、大企業向けの資金供給は滞っている。また、金利水準が低下する一方で銀行の
利鞘は拡大している。インフラ投資には低利・長期の融資が必要だが、預貸スプレッドの拡
大で資金調達者の借入コストは高まっており、インフラ投資への資金供給という観点から望
ましい状況とは言い難い。
・ 同国の銀行システムを資産規模でみると、商業銀行のシェアが圧倒的に大きい。国営銀行の
民営化が進んでおり、今後、金融仲介機能は民間銀行が担っていくとみられる。銀行関連指
標をみると、銀行の健全性は回復しており(自己資本比率の改善、不良債権比率の低下、ネ
ット金利収入の増加など)、銀行再建策につき肯定的な評価がなされるようになってきた。
・ インフラ・サミットにて、今後 5 年間で 1,450 億ドルのインフラ投資が必要との試算が公表
された。内訳は、国家予算から 250 億ドル、銀行融資・保険・年金基金などから 300 億ドル、
ドナー国から 100 億ドル、国内外の民間部門からの投資 800 億ドルとなっている。
・ 銀行の設備投資向け貸出は、通貨危機を機に減少したが、04 年に 130 億ドルへと回復してい
る。銀行部門のインフラ向け貸出残高は、04 年 6 月末時点で 42.8 億ドルとなっており、運輸・
通信分野が残高の半分程度を占める一方、ガス・水道など公共性が高い分野の貸出残高は低
い。国債市場をみると、04 年末の国債発行残高は 399 兆ルピアで予想以上に拡大している。
国債の大部分は資本注入を受けた銀行が保有しており、今後、国債の市場放出が必要である。
社債・株式市場をみると、インフラ整備のための社債発行額は 12 億ドル、インフラ・運輸部
門の株式時価総額は 138 億ドルで、株式市場を通じた資金調達が主流である。世銀によると、
同国における民間のインフラ・プロジェクトへの参加状況は、通貨危機前はエネルギー・通
信が中心であったが、危機後は通信分野を除き資金流入が鈍っている。
・ 同国の金融システムが、将来的に供給できるインフラ整備資金(5 年間で現在の残高が倍増す
ると仮定)を試算すると約 280 億ドルである(銀行貸出 46 億ドル、株式市場 138 億ドル、債
券市場 14 億ドル、プロジェクト・ファイナンス 85 億ドル)。銀行は十分な貸出余力を有して
いるが、リスクを勘案し、企業の設備投資向け貸出でなく、国債保有、個人向け貸出、運転
資金向け貸出などを選好している。インフラ部門への貸出は、採算が確保しやすい分野(通
信等)に限られている。また、銀行自身の資金調達基盤の強化(長期預金の受入、金融債の
発行)が課題である。国債管理政策は、満期構成の平準化、イールドカーブの形成など成果
を挙げている。政府が経済成長や国民の生活レベル向上のためにインフラ投資が必要だと認
識しているのであれば、国債を発行しプロジェクトに資金を直接配分することを検討しても
よいのではないか。
104
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(2)
「国際的生産・流通ネットワークとインドネシア:FTA/EPA への示唆」
(報告者:木村委員)
・ 東アジアでは 90 年代初頭から国際的生産・流通ネットワークが形成され、経済のグローバル
化が進んできた。しかし、インドネシアでは開発戦略の転換が遅れ、また通貨危機後の政治・
経済の混乱により、国際的生産・流通ネットワークへの参加が遅れている。インドネシアも高
成長を志向するのであれば、近隣諸国の経験から学ぶところは大きい。
・ 東アジアでは、産業・業種単位の国際分業から、生産工程単位の国際分業へと移行している。
これに伴い、東アジア域内における機械部品・中間財の双方向貿易が急拡大する一方、米国
向け輸出のシェアが低下している。インドネシアの全輸出に占める機械類輸出の割合をみる
と、90 年は僅か数パーセントであったが 03 年には 17%程度まで上昇した。ただし、他のア
セアン主要国(マレーシア、タイ、シンガポール、フィリピン)の 60~70%と比べると、イ
ンドネシアの比率は相当低い。インドネシアへの直接投資も 02 年まで純流出で推移している。
・ 東アジア各地での集積は、外資系企業だけでなく地場系企業も加わった形で形成されている。
これは貿易論ではフラグメンテーションと呼ばれ、①地理的距離の軸と、②アウトソーシン
グの軸に分類することができる。地理的距離の軸では、距離を克服するためのサービスリン
クコスト(輸送代、通信費など)と立地の優位性による生産コストの低下(賃金水準、イン
フラコストなど)がトレードオフの関係にある。アウトソーシングの軸では、ビジネスパー
トナーのノウハウを活かすことによる生産コストの低下と、企業間取引における取引費用(パ
ートナーを探すコスト、モニターするコストなど)がトレードオフの関係にあり、トータル・
コストが安ければ生産立地を移動することになる。フラグメンテーションと集積の関係をみ
ると、サービスリンクコストが低ければフラグメントされた生産ブロックが集中立地する。
また、地理的近接性による企業間取引の強みをいかした集積が形成されることもある(バン
コク周辺やシャーアラムなど)。集積が形成されると企業は簡単に拠点を動かさず、産業構造
が安定し地場系企業の発達も促進される。インドネシアが国際分業のネットワークに参加す
るためには、サービスリンクコストの引下げ(輸送関連の非効率性の改善等)、生産コストの
引下げ(労働市場の問題解決等)、取引コストの引下げ(ビジネスパートナーとの紛争解決の
手順の整備等)や裾野産業の育成など、様々な改革が必要である。
・ インドネシアでは、ネットワーク形成に役立つ海外直接投資(FDI)の受入政策が不十分であ
った。同国への FDI は資源開発や内需向け産業が中心で輸出向けは主流でなかったが、東ア
ジア諸国との競争も視野に入れ、今後の FDI 受入政策を考えていく必要がある。同国のビジ
ネス環境に関する問題は、①移行過程にあるために生じ今後改善が見込まれる問題(地方分
権による混乱)、②発展段階に伴う問題(ガバナンスの問題、労働問題)、③政策のコミット
メントにより改善できる問題(インフラ開発など)に分類することができる。インドネシア
は大国であり、ネットワーク構築型の産業(電気・電子分野等)を追加的に育成しても、そ
の他の産業の比較優位が低下する懸念は小さい。東アジアに立地している優位性を活かすべ
きである。同国がサービスリンクコストの低下に努め、中小企業を含む直接投資を積極的に
受入れ、集積形成を促すことが重要ではないか。
・ 同国は日本にとって政治・経済両面で重要な国であり、経済連携協定(EPA)の締結は、緊密
なコミュニケーションの確保に役立つ。貿易自由化目標の達成はそれほど難しくない。日本
からの輸入品に対するインドネシアの関税率は 5%以下が 5 割程度を占め、高関税の品目は少
ない(製造業では自動車・二輪車など)。一方、日本のインドネシアからの輸入をみると農水
産品は 7%にすぎず、その多くが低関税の冷凍えびで、関税率の高さは交渉の障害にならない。
インドネシアでは日本に対する機械部品の輸入依存度が高いため、機械を中心に自由化を行
うことが大事なポイントではないか。また、ネットワーク構築に役立つ措置を盛り込むこと
が重要ではないか。
105
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
2.主な議論
(問)国債の保有者構成をみると、商業銀行の比率は低下しているが、依然として資本注入銀行
の比率が 3 分の 2 を占めている。商業銀行の総資産のうち公的部門債権は過去 5 年で 100 億ドル
ほど減ったが、この傾向は今後も続くのか。同期間に民間向けの債権(貸出)が増えているが、
どういう部門が中心か。銀行部門の再生が経済の活性化につながっているのか。
(答)国債の保有者は多様化しており、近年は投資信託のシェアが高まっているほか、保険・年
金基金による保有も増えている。外国人投資家の比率はそれほど高くないが、途上国であるにも
かかわらず、外国への利益送金を自由化していることは評価できる。銀行貸出の配分に関し、銀
行は企業の設備投資向け貸出には消極的で、個人向けや、通信・不動産向けに資金を振り分けて
いる。民間銀行である以上、貸出先の選択は銀行に任されている。インフラ整備向けの資金供給
という観点では、政府は民間銀行の投資を過度に期待せず、国債発行により資金を調達する方が
望ましいのではないか。
(問)ルービン元財務長官による 95 年以降の強いドル政策が、全世界ベースでポートフォリオ構
成の変化を生じさせて 97 年のアジア通貨危機の遠因となったとの見方がある。インドネシアでも
この一年の米国金利上昇へのキャッチアップの為もあり、ルピア金利が上昇して新規発行の国債
利回りが上昇し、ここ数ヶ月で投資信託の残高が急減した。インドネシアの株式市場の約 7 割が
外国投資との情報もあるが、8 月中旬以降の通貨不安は、政策的な歪みを狙ったヘッジファンド
の動きが引き金となった可能性があるのではないか。今後も米国金利が上昇する可能性がある中
で、このあたりのリスクを如何見るか。
EPA に関し、日本は二国間と地域間の 2 つのアプローチを採っており、二国間協定の交渉が進
む一方、日本アセアン EPA が収斂しないことが懸念され始めていると思われる。これには日本と
アセアン複数国を含めた累積原産システムが本当に必要か、またそれが有効に構築できるかどう
か、が鍵と思う。日本のメーカーは二国間 EPA と共通効果特恵関税(CEPT)のみで十分対応が可
能との見方もある様だが、日本アセアンという累積原産システムが、現在日本企業によって構築
されているサプライチェーンの中で、理念というより現実問題としてどの程度必要とされている
のかについて、如何見るか?
(答)インドネシアの金融市場の規模は小さく、ショックがあった場合に影響を受けるのはやむ
を得ない。国債市場では、10 年超の国債発行なども行われそのニーズも高いため、ある程度のボ
ラティリティーが発生しても回復可能な状況である。ルピア建ての資金調達の場としての国債市
場を評価しても良いのではないか。なお、8 月の金融市場の混乱の一因として金融引締めの遅れ
が指摘されており、早めの利上げを行っていればルピア不安は防ぐことができたのではないか。
(答)EPA 交渉を多国間で行うメリットとして、二国間交渉を行っていない国々と一度に協定を
結ぶことができる点が挙げられる(例えばラオスなど)。累積原産システムはビジネスチャンスの
拡大につながる。トヨタは現地調達率が高く現在のオペレーションでは効果がないが、将来的に
日本で部品を調達する余地はあり、日本を含めたルールをつくる意味はある。AFTA の CEPT は昨
年から利用するケースが増えている。タイ、マレーシア、シンガポールでは、ロジスティックス
産業が急速に発達し、原産地規則の統合は有用な政策環境整備である。日系企業はネットワーク
を形成する産業が多く、自由で迅速な生産流通ネットワークを形成することは、日系企業の競争
力を高めることにつながる。
(オブザーバー・コメント)日本も含めた累積原産ルールに関し、高付加価値の家電製品(例え
ば液晶テレビ)では CEPT の 40%基準を満たせないことがあり、累積原産規則を設ける必要性が
指摘されている。アセアンでは中間所得層が増加しており、高付加価値製品の需要も拡大すると
期待され、ルールの整備も必要との見方がある。
(問)インドネシアでは、ガバナンス、法運用の問題などから、日系企業の進出が難しいことが
ある。政府の FDI 受入政策に関し、FDI を誘致する意図はあるが、実施レベルで障害が発生して
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
いるのか、それとも 2 億人の市場などを背景に FDI の受入に必ずしも積極的でないのか。
(答)両方の側面があるのではないか。大きい国では政府が誘致しなくても進出を希望する企業
があり、インドネシアもそういった期待をまだ持っているのではないか。ガバナンスの問題をす
ぐに解決することは難しいが、FDI 受入政策の中には資金をかけずに行えることも多い。投資の
窓口省庁が一所懸命に誘致するかにかかっているが、同国では近隣諸国と競争しているという意
識が薄いことは否めない。
(問)過去にアセアンの産業別の分業構想があったが機能しなかった。現在は、生産工程単位の
国際分業が進んでいるようだが、なぜうまく機能するようになったのか。日系企業が果たした役
割はどのようなものか。
(答)中東欧でもフラグメンテーションは起こっているが、ドイツ、オーストリア向けの生産を
担うチェコ、ポーランド、ハンガリーの間で部品貿易はほとんど行われていない。また外資系企
業が地方に進出する例が多く集積が起こりづらいため、より条件のよい生産拠点が見つかると企
業は工場を移動させる。一方、東アジアでは、部品メーカーが生産製品を変えながらも同じ場所
で操業を続けることが多く、そのような地域にさらに新しい企業が進出し集積が起こった。日系
企業、特に中小企業が進出したことが東アジアでのネットワーク形成に役立った。
以 上
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「インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組」に係る研究会
第3回:「ユドヨノ政権 1 年目の経済 -投資環境改善と産業政策に進展はあったか-」
開催日時:2005 年 10 月 25 日 10:00~12:00
開催場所:財務省 4F 国際会議室
報告者: 日本貿易振興機構/アジア経済研究所 地域研究センター
東南アジア I 研究グループ長 佐藤 百合
1.報告要旨(報告者:佐藤委員)
<ユドヨノ政権の 1 年>
・ ユドヨノ政権は、経済政策を「安定」志向から「成長」志向へと転換した。政権発足前か
らインドネシア商工会議所(KADIN)などを中心に政府への政策提言が行われ、政権は「成
長」に向けたアクションプランを携えてスタートした。しかし、想定外の外的ショック(ア
チェ大地震・インド洋大津波、原油価格の高騰、ポリオ再発、鳥インフルエンザ、航空機
墜落、爆弾テロなど)への対応に追われ、経済の安定維持に手一杯で、
「成長」志向の政策
には特筆すべき成果はなかった。
<経済の現況>
・ ユドヨノ政権発足後の 3 四半期(2004 年 10 月~2005 年 6 月)の GDP 成長率は輸出と投資
の伸びから平均 6.1%と、前政権期の平均 4.3%を上回った。消費に代わって投資(固定資
本形成)が成長を牽引し、6 四半期連続で 2 桁成長を維持した。1~8 月の資本財輸入は 36%
増と消費財輸入の伸び(22%増)を上回ったほか、投資調整庁(BKPM)が発表した 1~9 月
の投資実績は、国内投資が 21%増、外国投資は 2.6 倍となった。また、輸出も成長を牽引
し、1~8 月の総輸出は 24%増、非石油ガス輸出は 25%増、工業製品は 19%増であった。
さらに、成長の継続により対外債務負担は大きく軽減され、例えば対外債務残高は 98 年の
対 GDP 比 163%から、05 年 6 月末時点で同 50%へと低下した。
<ユドヨノ政権の経済課題>
・ ユドヨノ政権にとって、雇用創出、貧困削減、それを可能とする経済成長の実現が重要な
政策課題である。中期開発計画では、成長率を足元の 5.5%から 7.6%へと加速させ、09
年までに失業率、貧困率を半減させることを目標に盛り込んだ。ただし、大統領の政治公
約のため「野心的」な内容といえる。雇用に関し、6%成長では新規参入労働力の吸収に留
まるため、失業率低下にはそれ以上の高成長が必要で、目標達成は厳しいとの見方もある。
成長の加速には投資が重要であり、今後 5 年間に必要な総投資額は 4,073 兆ルピアと見積
もられている(このうち 85%を民間投資、調達面では 88%を国内民間貯蓄で賄う計画)。
その実現には民間投資の活性化が不可欠で、「投資環境の改善」が急務となっている。
<投資環境の改善>
・ ユドヨノ政権は投資環境の改善に意欲的に取り組んでおり、多くのプランを示し、制度的
前進もみられた。しかしまだ決定的な成果をあげていない。政権発足後の変化・動きとし
て、政府と KADIN の協力・連携が強化されたこと、日イ官民合同投資フォーラムが設立さ
れ戦略的投資行動計画(SIAP)が策定されたこと、インドネシア支援国会合(CGI)投資環
境ワーキンググループのフォローアップ会合が 3 回開催されたことなどが挙げられる。
・ インフラ整備に関し、政府は民間への投資機会開放という基本方針をうちだし、政府・KADIN
共催のインフラサミットで民間投資案件リストを提示した。ただし、その進捗は、法制度
整備状況に左右される。民間インフラ投資への政府保証に関し、各省庁が保証を求める案
件をインフラ整備促進政策委員会(KKPPI)に提示し、KKPPI がセクター間の優先度を勘案
して案件を決定し、最終的には財務省が保証の形態をケース・バイ・ケースで決定する仕
組みが作られた。
108
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
・ 新投資法には外資の内国民待遇、投資許可制から登録制への移行などが盛り込まれる見通
しだが、同法案の成立までにあと 3~6 ヶ月かかるとみられる。
・ 租税・通関・その他サービスコストの削減策に関し、05 年 7 月にバタムなど 3 島の工業団
地の保税区化が決まった。また新税法案も準備されている。10 月のインセンティブ・パッ
ケージに、減免税措置、通関検査免除、輸送コスト軽減などの施策が盛り込まれた。しか
し、租税・通関の担当総局内の汚職摘発は十分に行われていない。
・ 労働法制の見直しは、新投資法、新税法の成立後になるとみられる。最低賃金基準の実質
的引き上げや、外国人就労ビザ発給条件にインドネシア語能力試験を追加するなど、産業
界の期待に逆行する動きがみられる。
<ユドヨノ政権下の産業政策>
・ 工業省は 05 年 3 月に「国家産業開発政策」を発表した。335 業種の中から、2025 年までに
振興する 22 業種を絞り込み、その中から雇用創出と輸出振興を基準として 09 年までに振
興する 10 業種を「中核産業クラスター」と位置づけた。また、中核クラスターの関連支援
産業として 6 業種を示した。将来的な優先産業として、アグロインダストリー、情報通信
技術(ICT)、輸送機器を掲げ、各業種につき問題、中期・長期目標、戦略・行動計画を列
挙している。産業クラスターの概念を用いた産業政策の策定は、政府による政策介入から
環境整備へのパラダイム転換であるが、産業戦略の中身をみると理想的な内容が多く、現
実とのギャップをどのように埋めるのかについての具体的方策には言及がない。
・ 日本は SIAP の下、官民合同フォーラムを通じ主要産業(自動車・電子・繊維)の戦略提言
を策定している。両国の業界団体や企業が情報交換を直接行う場ができたことは大きな意
義がある。だが、工業省のコミットメントが弱く、産業戦略の動きと連携できていない。
・ 商業省は関税政策に関し判断基準の策定作業を実施しており、KADIN のロードマップを活用
しつつセクター別に国際競争力の評価などを行っている。保護関税の発動に際し、明確な
根拠、時限、時限内計画など、その判断基準が必要との認識にもとづく作業である。
<石油ショックへの対応>
・ 同国では、石油の生産・消費バランスと貿易のバランスが 70 年代と比べ大きく変化した。
経済危機後の投資減少を主因に石油生産が減少する一方、国内の石油消費が拡大し燃料輸
入が急増している。また、05 年度当初予算では原油価格の前提を 24 ドル/バレルとしてい
たが、想定外の原油価格の高騰で、燃料補助金歳出が拡大した。原油価格の高騰に燃料消
費の急増が加わり、05 年 3 月に燃料価格を平均 27%引き上げても財政危機は回避できなか
った。
・ またルピアは、プルタミナのドル実需を主因に 3 月から軟化したが、中銀は成長志向で金
融引き締めへの転換が遅れた。05 年 8 月には、06 年度予算案における原油価格の前提が非
現実的な数値であったことなどから市場不安が広まり、ルピアは急落した。中銀は大幅な
利上げで対応し、政府も抜本的な解決策の実施を迫られた。
・ 05 年 10 月、政府は政治リスクを伴う燃料価格値上げを史上最大幅で断行した。政権の政策
実行能力を示すことで市場不安を除去することに成功した。この政策の経済合理性として
は、①廉価燃料の過剰消費の回避、②財政資金の消費から教育・保健投資への移転、③ば
らまき支出から貧困ターゲットへの切り替え、などが挙げられる。燃料価格引き上げに際
し、抗議デモ、スト、買いだめ行列などの混乱が生じたが、大規模な暴動は発生しなかっ
た。ただ、灯油・交通費の大幅値上げは庶民への打撃が大きく、ユドヨノ政権への不満に
直結する可能性はある。
<おわりに>
・ ユドヨノ政権 1 年目の経済政策のなかで、最大の成果は石油燃料の大幅値上げで、「成長」
加速に向けた政策に特筆すべき成果がなかった。実体経済は 2 年目に減速が予想されてお
109
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
り、
「成長」加速政策への決定打が必要となっている。新投資法の制定は必須で、電力法や
運輸 3 法などのインフラ関連法の制定が望まれる。また、産業戦略の実効化や、財界との
太いパイプをもつ現政権の特性をどのように活かせるかが課題である。
2.主な議論
(コメント)日本は世銀の開発政策借款に協調融資しており、3 つの政策の柱のうち、投資環
境整備に重点をおいている。民間セクターが政府保証なしでインフラ投資を行うことは難しく、
日本政府は、大規模インフラ投資における官民協力のリスクシェアの枠組みをつくることを借
款供与の条件の一つとした。民間インフラ投資への政府保証を決定する仕組みは漸く決まりつ
つあり、予算状況をみながら政府保証案件を最終的に決定することとなった。しかし、どのよ
うにリスクをシェアし、偶発債務を債務戦略に織り込み、偶発債務を予算シーリングに含める
か、などは決まっていない。偶発債務を含めた債務戦略の開始にはまだ時間を要するとみられ
る。また、SIAP で掲げた日本の主張は、様々なチャネルを通じ実行を後押ししていくもので、
開発政策借款にも盛り込む方向にある。投資環境整備に関し、開発政策借款ではセクター横断
的な問題の解決を後押しする一方、世銀・ADB を中心に各セクターの政策項目(料金設定や規
制機関など)に関するローン組成の動きがある。日本もこの動きに関与しており、世銀・ADB・
日本の 3 ドナーが、セクター横断的な問題、セクター別問題の政策を支援していく形ができつ
つある。
(問)近年の石油生産の減少にもかかわらず原油輸出が減っていないのは、輸出先と長期契約
を結んでいるためか。国民は煮炊きに灯油を使っているというが、ガスの普及は進んでいるの
か。今後の石油部門への投資の見通しはどうか。
(答)原油輸出は長期契約が多く、生産が減っても優先的に輸出している。なお、グラフは輸
出金額を示しており原油価格の上昇を受け増えているが、輸出量は減っていると思われる。家
庭でのガス利用は、灯油価格が過度に低かったため利用するメリットが小さかった。しかし、
10 月の石油燃料価格の引き上げ後はガス需要が急増しており、今後供給体制も整備されていく
のではないか。石油分野への投資は、原油価格の状況に左右される。インドネシアの原油開発
は枯渇が近くコスト高といわれるが、危機後に落ち込んだ投資は徐々に再開され、07 年からチ
ェプ油田で 20 万バレルの生産増が見込まれている。また、プルタミナはリビアでの油田開発も
実施している。
(答)過去数年の石油開発の停滞の理由として、インセンティブの縮小と、明確なエネルギー
政策の不在があげられる。05 年 6 月に石油開発に関する政策なるものが出されたが、内容は漠
然としており、石油開発の投資家にとって大幅に魅力的になったとは見られていない。今後の
当国油田開発は、エクソンとの開発合意に漕ぎ着けた東部ジャワのチェプ等を除けば、一般的
にはオフショアの深いところに移りつつあるが、採掘の技術進歩も進んでいる。従って基本的
には制度・政策の不透明性が投資落ち込みの理由といえる。なお、石油に、ガスと石炭の輸出
を加えると、同国はエネルギーの純輸出国で、エネルギー価格の高騰はトータルではプラスに
働いている筈である。
ここ数年来、同国内では石油補助金削減の為もあり、燃料の「液体から気体(ガス)への転換」
を促進する方向にある。大規模なガス田はジャワ外にあり、カリマンタンやスマトラからのガ
ス輸送には長距離パイプラインや液化ガス受入ターミナルの建設が必要である。ジャワ島にも
中小ガス田があり、ジャワ島内のパイプラインによる輸送が可能である。ただし、こうした動
きを大きく進展させるには政策的な支援が必要である。
(答)製油所建設に向けた動きも重要である。石油危機の発生後、ユドヨノ大統領は製油所建
設を振興する方針を打ち出した。現在、議論されている新税制法案では、石油開発・製油所建
設など鉱業分野の投資に税制上の優遇措置が盛り込まれていると聞いている。
110
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
(問)インドネシアのマクロ経済指標は改善に向かっているが、政府はマクロ政策、産業セク
ター政策に関し、どの程度自律的に遂行する能力があるのか。日本、世銀、ADB など外部の支
援はどの程度必要とされているのか。援助に関し、日本は東アジアでインフラ整備などのプロ
ジェクト支援を行い基本的に成功してきた。インドネシアに対しては開発支援借款も供与して
いる。プロジェクト支援とプログラム支援の供与に関し、様々な意見があるがどうみるか。燃
料価格に関し、7 年前は 40%の値上げで政権が崩壊したが、今回は 2 倍以上の価格引き上げが
国民に受け入れられた。ユドヨノ政権とスハルト政権で、根本的な状況の変化があるのか。今
後も燃料価格の引き上げが必要というが、その見通しはどうか。
(答)インドネシアへのコミットが高いほど、同国政府には海外からの支援が必要との思いを
持つ。しかし、政府が支援国会合(CGI)の議長を務めインフラサミットも主催するなど、イン
ドネシア政府主体で経済政策を遂行していこうとの意気込みが強まってきた。ドナーは、1.5
億人の有権者が選んだ政権であることを十分尊重した上でコミットする必要がある。ドナーは
必要なインプットを行うものの、政府はその内容を政府内で十分検討した上で政策を決めてい
くという、微妙なバランスをとっていくことが当面重要だ。インドネシアは既に危機を脱し、
援助はプロジェクトローン中心へと戻るのがあるべき姿ではないか。ただし、知的支援の実施
で改善できる部分もあり、プログラムローンを有効に拠出する道を一定程度保持してもよい。
燃料価格の引き上げに関し、7 年前と大きく異なる点は、国民が国際情勢の変化(世界中が原
油価格の高騰に直面していること)をテレビ等を通じて認識したことである。また、国民は、
ユドヨノ大統領は庶民の痛みを伴う政策の導入に反対したが、最終的に価格を引き上げざるを
得なかったと認識している。権威主義体制の権化だったスハルト政権の政策と、同国初の民主
的政権が選択した政策では、国民の受入れ方が異なったといえる。なお、10 月の燃料価格値上
げに際し、08 年 1 月までに軽油、ガソリン、灯油を市場価格に引き上げるとのスケジュールが
示された。ただし、今後の値上げ幅は今回に較べれば小幅に留まるとみられる。また、灯油に
ついては補助を残す可能性もある。
(問)援助はプロジェクトローンに回帰していくということだが、マレーシア、タイに比べ、
インドネシアではインフラ・プロジェクトへのニーズはあるのか。
(答)危機後の 7 年間は、インフラの新規投資もメンテナンス投資も行われず、既存のインフ
ラは相当劣化している。タイ、マレーシア並みの新興工業国を目指すには、かなりのインフラ
投資が必要である。インフラの状況は依然としてアジア危機後の状況が続いているといえる。
(問)インフラ投資を民間部門へ開放するというがその手法はどのようなものか。また、商業
省が関税政策の判断基準の策定作業を進めているが、作業は意味のあるものか。インドネシア
側の説明によると、産業セクターごとに国際競争力を高めるため、国内政策と整合性のある関
税政策の策定を進めているというが、国内の産業政策との関連でどういう意味をもつのか。
(答)前商業相の下では場当たり的な関税政策が目立ち、税率や期限を検証せずに関税が導入
されてきた。商業省としての土台なしに対処療法を続ければ、関税政策の迷走につながるため、
一度見直すことは必要ではないか。商業相によると、半年程度で目途がつく見通しという。民
間開放については、公開入札のため基本的に BOO 方式となるが、具体的案件はまだ少ない。
(問)インフラ投資へのファイナンスはどのようになされるのか。
(答)政府が民間インフラ投資分として提示した金額は、政府資金が足りない部分を民間資金
で賄うとの前提で試算した金額で、
「民間投資がどれほど担えるか」という実現可能性は考慮さ
れていない。民間投資を支援する規制改正なども遅れている。もともと、民間投資に過度に期
待する計画には無理があり、相当部分は ODA に回帰する必要があるのではないか。なお、土地
庁長官が「有料道路整備に必要な土地収用費用は総額で約 6 兆ルピア程度であり、海外から援
助が得られれば整備が進むのでなんとか日本等からの支援の工夫ができないか」と述べていた。
円借款でもルピア・ポーションのファイナンスがネックになるので、これを供与できないかと
111
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
の話が発展途上国の常として良く出る。
(コメント)円借款の内貨ポーションを負担してほしいとの意見は多くの国で聞かれる。円借
款ではプロジェクト完了後の維持管理予算の確保がなされるかをいつも懸念しているが、建設
費の内貨ポーションも手当てできないのでは、プロジェクトを運営・管理する意図があるのか
疑問を感じる。基本的に予算の優先順位のつけ方の問題であると考えている。なお、日本はプ
ロジェクトローン主体でプログラムローンが例外となっている一方で、世銀はプログラムロー
ンを供与しているので、プログラムローンでセクター管理や公共財政管理を行っている。
(問)直接投資が増えているが投資国はどこか。最近の中国のプレゼンスの高さをインドネシ
アの政策決定者はどう認識しているのか。中国は政府保証なしで投資を進めているようだが、
中国が海外にエネルギーを求める動きにインドネシアは影響を受けているのか。中国人はイン
ドネシアでは微妙な立場にあったが、中国本土からの資金流入増が国民感情に及ぼす影響はど
うか。
(答)対内直接投資の上位は、イギリス、シンガポール、マレーシアの順で、業種別では通信・
運輸・倉庫などが上位を占める。BKPM の統計では石油・ガス分野は含まれず、エネルギー関係
の投資が多い中国は、統計上、上位の投資国にあがらない。中国による鉱業やインフラへの積
極投資を、インドネシアは好ましい動きと認識している。産業界は中国との貿易増加はビジネ
スチャンスの拡大であるとし、華人だけでなくプリブミの企業家も期待している。華人ゆえの
ネガティブ面よりも経済ロジックが優先している。ただし、政策当局者の間には、密輸も含め
廉価な中国製品が国内市場に溢れることへの危機感はある。
(答)中国のプロジェクトは、石油・ガス以外は多くが交渉段階にあり、実行ベースの統計に
は未だ入ってこない。なお、労働移住大臣によれば、外国人就業ビザの取得に際しインドネシ
ア語の習得を義務付ける方針が打ち出されたが、これ等は「実は中国や韓国企業の普段の行動
を意識したもの」とのこと。
大統領訪日で随行したインドネシア企業家は約 30 名、同じく訪中への同行者は約 300 名で基本
的に当国企業家の中国とのビジネスの伸びに対する期待感は大きい。
(問)民間投資インフラの政府保証に関し、最終的には財務省が案件ごとに保証内容を決める
ことになった。予算状況や偶発債務を考えながら、政府保証の内容を決めるのは難しいと推察
されるが、具体的にどう行うのか。
(答)漸く財務省内にリスク管理ユニットをつくることになったが、まだ動いておらず、アイ
ディアの段階である。KKPPI によると、政府保証の内容は恣意的に決めるのでなく、仕組みを
作って対応するという。財務省のユニットにあがった案件の内容をみて、その特性に応じ、例
えば外債発行か予算かなど、様々なオプションを組み合わせ決めていくという。偶発債務をど
うするということまで議論が詰まっていない模様である。
(コメント)偶発債務の処理方法が重要なポイントとなる。現在、リスク管理ユニットに対す
るキャパシティ・ビルディングがバイのドナーにより行われている。投資案件に応じ、どのよ
うなリスクを誰が取るかを考え、積み上がったリスクを債務管理戦略に含めることが課題であ
る。偶発債務を、予算にラインアイテムとして組み入れることを、政策支援借款の政策マトリ
ックスに盛り込む方向で調整している。
(コメント)一年間で特筆すべき成果なしとのことだったが、パラダイムシフトは明らかに起
こっている。問題は周りの国にキャッチアップするスピードである。経済連携協定(EPA)につ
いては、インドネシアは通商政策と産業振興政策の接点があるので、新しいタイプのデザイン
ができる可能性があり、期待している。
以 上
112
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
「インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組」に係る研究会
第4回:「持続的成長の基盤となる政治状況の分析-改革・復興・治安・選挙-」
「インドネシア、現状と展望」
開催日時:2005 年 12 月 6 日 16:00~18:00
開催場所:財務省 4F 第 3 特別会議室
報告者: 立命館大学 国際関係学部 助教授 本名 純
政策研究大学院大学 副学長・教授 白石 隆
1.報告要旨
(1)
「持続的成長の基盤となる政治状況の分析-改革・復興・治安・選挙-」
(報告者:本名委
員)
<政治改革の傾向と力学>
・ ポスト・スハルト時代の政治改革は、計画に基づいて実行するのでなく、その時代の圧力
に対応する形で場当たり的に行う傾向がみられた。改革はハビビ政権で最も前進し、ワヒ
ド政権で一旦混乱、メガワティ政権でも低迷した。ユドヨノ政権はこれらの 3 つの政権と
比べ、政治改革に前向きに取り組んでおり、前進の兆しがみられる。
・ 政治部門の主要な改革分野は 3 つある。第 1 の国軍改革は、順調に進んでいる。軍のビジ
ネスにメスが入り、国防法・国軍法といった法制度改革が進められている。違法伐採に対
する断固とした措置や、政治汚職に対する追及も進んでいる。第 2 の民主制度の改革では、
法的整備(政党法、選挙関連法、憲法改正)が進んでいる。第 3 の司法改革は進捗が遅く、
裁判所、検察は、中央から地方レベルまで汚職が蔓延している。
・ 改革持続の展望を考える上で、政権内の力関係が重要であり、①大統領・副大統領の関係、
②行政府と立法府(国会)の関係、③場外勢力の動向、の 3 つが注目点となる。ユドヨノ
政権では、大統領が方向性を示し副大統領が実行する状況にあり、カラ副大統領は経済に
加え、政治分野でも影響力を及ぼしている。副大統領の権力基盤は、①ビジネス界との関
係、②ゴルカル党(党首)、③イスラム社会のネットワーク、④東インドネシアにおける影
響力、の 4 つである。ユドヨノ大統領の基盤は世論の人気だけだが、副大統領が大統領に
取って代わろうとの野望は現時点ではみられない。内閣改造でバクリ前経済調整相が閣内
に残留したが、これは国会と副大統領の権力バランスで決まったものと考えられる。場外
勢力をみると、大衆動員で反政府運動を盛り上げる中心人物(メガワティ女史、アクバル・
タンジュン氏など)の求心力は低下している。近い将来において、行政府、立法府、場外
勢力の均衡が崩れる兆しは見られず、政治改革は前進していくであろう。
<アチェ和平と復興>
・ アチェ・ニアス復興再建庁に対する信頼は、不透明な資金配分への批判などもあり低下し
ている。復興プロジェクトは進展しておらず、国際機関による住民参加型プロジェクトを、
地元の封建エリートが妨害しているとの報告もある。地方の利権エリートによる歪んだ社
会経済構造の再構築が懸念される。また、アチェ和平の達成に伴う地方政治の正常化で、
市民団体の活動が活発化し「内戦」状態で可能となっていたエリートの利権が暴露される
可能性がある。エリートによる抵抗にどう対応するかが政治面でのアチェの懸念である。
アチェに対する継続的な外国からの目が今後も大事になるのではないか。
<テロ対策>
・ 10 月 1 日、バリで自爆テロが発生した。テロ後の政府の対応は迅速で、既に 4 人を拘束し
ジェマ・イスラミア(JI)幹部のアザハリも確保した。豪州警察との協力関係(トレーニ
ングと情報交換)が成果をあげている。インドネシア情報局は、アザハリ逮捕により JI に
よる強力な爆弾作成は難しくなるが、小型爆弾によるテロは続くとの認識を示している。
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インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
小型爆弾のマニュアルも広まり、散乱した脅威となることを警戒している。今後もジャカ
ルタやバリ(警備が手薄で建物の強度もない)が標的となる可能性が高い。
・ JI は、イスラム寄宿学校(プサントレン)を卒業し失業している若者(特に敬虔なイスラ
ム教徒)などをリクルートしている。欧米ではテロ防止のため外国人を監視するが、イン
ドネシアでは、警察や軍が国民の国内移動を制限することには限界があり、テロを未然に
防ぐことが難しい。各国はプサントレンを支援しテロ対策を強化しようとしているが、欧
米は 1950 年代の近代化、冷戦後の民主化推進でプサントレンの活用を試みたが、うまくい
かなかった。
・ 「国境を越える犯罪」は 8 分野あり(テロ、人身売買、麻薬、海賊、消火器密輸、マネー
ロンダリング、サイバークライム、違法伐採)、テロ以外の分野も含め、犯罪全体を取り扱
った対応を考えなければならない。
<地方首長選挙>
・ 05 年より地方でも直接選挙で首長を選ぶこととなった。05 年は、215 の県、11 の州で首長
選挙が予定されており、6 月~7 月にかけ 160 箇所で実施された。地方レベルでの民主化促
進が期待されたが、選挙結果をみると、約 6 割が現職の再選であった。残り 4 割の大半は
地方高級官僚とビジネスマンで、市民社会派の当選は皆無に近い。選挙に立候補するため
には政党の公認を得る必要があり、そのために資金をばら撒くため、資金なしでは選挙に
勝てないのが実態である。候補者の公約や支援政党の論理といったイデオロギー色はなく、
金権政治が加速したといえる。もちろん、パフォーマンスが悪い現職政治家が落選するケ
ースも見られたが、直接選挙の導入で民主化が進展したとの評価は現実的でない。
(2)「インドネシア、現状と展望」(報告者:白石座長)
<内閣改造>
・ 12 月 5 日、内閣改造が発表され、ブディオノ元財務相が経済調整相となり、スリ・ムリア
ニ前国家開発企画庁(バペナス)長官が財務相に横滑りした。バペナス新長官にゴルカル
党のパスカ・スゼッタ氏、工業相にファハミ・イドリス前労働相が就き、マリ商業相とプ
ルノモ鉱業・エネルギー大臣は留任した。経済関連ポストのうち、マクロ経済運営にかか
わる調整相、財務相、中銀総裁はテクノクラートが占め、また企業家大臣ではバクリ氏が
社会・福祉調整相に移動したとはいえ、ファハミ・イドリス氏が工業相に、パスカ・スゼ
ッタ氏がバペナス長官に就いた。テクノクラートと実業家を軸とした経済運営は変わって
いない。
・ 今回の内閣改造は、大統領の意向が通った人事であると同時に政党への配慮もみられる。
ゴルカル党の閣僚ポストは 1 つ増加し、またバクリ氏も閣内に残留し、カラ副大統領のメ
ンツは保たれた。なお、組閣の最終段階で、経済調整相ポストをマクロ経済担当と産業・
貿易担当に分割する案が浮上したとされ、実現しなかったものの興味深いエピソードとい
える。
<政権基盤の強化>
・ ユドヨノ「統一」内閣のミッションは、分離独立運動の抑制やテロ防止など、軍・警察を
含む政治分野での統一の維持、マクロ経済の安定(雇用創出、貧困対策など)による統一
の維持、汚職への取り組み、などである。ユドヨノ政権は「統一」の達成に向け、政権基
盤を強化してきた。議会では、政権発足当初は野党勢力が強かったが、現在はゴルカル党
を中心に安定多数を維持している。閣僚人事でも、与党連合の参加政党に配慮している。
また、警察・軍の人事が進展しており、軍の地域軍管区のレベルの交代がほぼ終わった。
警察長官も大統領の同期へ交代し、人事異動を通じて急速に警察機構の掌握が進んでいる。
議会、軍・警察ともに 1 年前に比べ安定した政権基盤になりつつある。
114
インドネシアの政治・経済情勢の変化に沿った我が国の取組に係る研究会
(2005 年度財務省委嘱研究会)
<パフォーマンス>
・ 05 年 9 月の世論調査から、国民が政権のパフォーマンスをどう受け止めているかをみると、
大統領のパフォーマンスに満足しているとの回答は 04 年 11 月の 80%から 63%へ、同じく
副大統領は 77%から 58%に低下したが、決して悪い数字ではない。経済について、現状が
良くなっているとの回答は、04 年 11 月の 41%から徐々に下がり、一時上がった後、05 年
9 月に 24%へ再低下した。ただし、1 年後に悪くなるとの回答は少なく(05 年 9 月時点で
も 15%)、大統領・政権に対する信頼感、期待感を示していると考えられる。政権の経済問
題への取組に対する評価は、特に燃料供給、物価、失業の分野で低下した。他方、政治社
会問題への取組に対する評価は、犯罪や賭博への取締りが 70%台、汚職への取締りが 66%
などと高い。物価や失業対策に対する国民の評価は低いものの、経済問題を除くと、政権
への評価は相当高い。
・ 民主主義体制に対する評価・支持は、01 年の 28%から、05 年の 73%まで着実に上がって
いる。現役軍人による政治指導に対する支持は、メガワティ政権の 34%からユドヨノ政権
で 24%に下がった。指導力のない人物が大統領に就任すると軍人を待望するが、退役軍人
が就任すると軍人による政治指導への支持が下がる。なお、調査回答者の 3 分の 2 強が、
現役軍人は国会議員、大統領になるべきでないとし、半分以上が国防問題(軍事力の水準
など)は政府と議会が決めるべきとした。また、軍の領域管理システムの維持が必要との
回答は 50%程度であった。軍はビジネスへ関与すべきでないとの回答は約 60%であった。
・ 政権発足時、大統領は経済チームの選定で、副大統領や与党連合の政党に譲歩したとされ
る。経済チームに対する評価が低い理由として、8 月後半のルピア急落と燃料価格引上げへ
の対応を通じ、大統領が経済チームを信頼していない事実が露呈したこと、が挙げられる。
・ 経済閣僚には、①Business Politician(実業家から政治家に転身)、②Academic Technocrats
(大学で教鞭を取りつつ政権入りし経済運営に関与)、③Technocratic Bureaucrats(元キ
ャリア官僚で留学経験を有する省内エリート)の 3 つのタイプがある。①の例がバクリ氏、
②の例がスリ・ムリアニ女史、③の例がユスフ・アンワール氏であった。今回の内閣改造
では、支持基盤のない Technocratic Bureaucrats がポストをはずれ、Academic Technocrats
のブディオノ氏がマクロ担当として入閣し、Business Politician であるファハミ・イドリ
ス氏が実態経済に関わるポストに就いた。
・ 工業省、科学技術応用評価庁(BPPT)、投資調整庁(BKPM)は、過去においてプリブミや戦
略産業の育成を担ってきたが、ポスト・スハルト時代にこれらの省庁は力を失い、現在は
産業振興への政策手段がない状況にある。経済調整相ポストをマクロ担当と産業・貿易担
当へ分割する案の背景には、実体経済(産業振興、雇用創出など)を担当する閣僚を通じ、
プリブミ・ビジネスを育成することも念頭にあったとみられる。産業構造の推移をみると、
農業部門の GDP 構成比が低下する一方、就労人口の構成比は上昇しており、農業部門に人
口が停滞し農業従事者の所得が下がっていることがわかる。他方、中央政府の歳出削減で
農民に対する様々な措置が廃止されたとみられる。今回の経済チームの布陣では、雇用創
出やプリブミ企業の育成など実体経済面の対策をどうするかが、残された課題となった。
・ ユドヨノ政権のパフォーマンスに対する国民の評価は一般的に高いが、経済分野で低く、
インフレと雇用対策が今後の懸案となってくる。内閣改造により、マクロ経済運営に対す
る安定感は増したが、実体経済の活性化に向けた具体策を持っていない状態にある。
2.主な議論
(コメント)内閣改造に関し、ゴルカル党はバクリ氏のポストを守るため、経済調整相ポスト
の分割(商工担当とマクロ経済担当)を模索したが、結局、バクリ氏は社会調整相に横滑りし
た。大統領は 8 月末のルピア急落に際し、経済閣僚を連れずに中銀を訪問しており、企業家大
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臣に対する不信感が解消されなかったことが、バクリ氏の社会福祉調整相への異動の要因とい
える。ただし、ゴルカル党はバペナス長官のポストを手に入れた。パスカ・スゼッタ新バペナ
ス長官は国会の財務委員長だが、国家経済開発の委員を長く務めたことがありバペナスに詳し
い。なお、大統領は組閣時に副大統領の経済チームを受け入れるが、1 年後に見直すとしてい
た。1年が経過し、ユドヨノ陣営が念願の自前の経済チームを導入したことが、今回の内閣改
造のポイントである。ブディオノ氏は元財務相としての手腕が高く評価されており、スリ・ム
リアニ財務相の就任と相俟って、マクロ経済運営の安定感は飛躍的に高まった。しかし、ブデ
ィオノ氏が、産業、工業、商業などミクロ経済への造詣と興味があるという履歴はない。
一方、スリ・ムリアニ女史については、インフラ民活に対する政府保証の有り方の策定、及び
新税法案で税務総局の権限拡大の方向が打ち出される中、歴代財務相がコントロール出来なか
った税務総局長を如何にコントロール出来るか、その判断とリーダーシップが注目される。正
副大統領の関係は安定しており、お互いを必要としている。しかし、議会第 1 党のゴルカル党
は次の大統領選で大統領候補を出さざるを得なくなるので、その準備が始まる 08 年以降、両者
は別れる方向となるであろう。バクリ氏の下では、インドネシア商工会議所(KADIN)の関係者
が政権内への影響力を強めた。新経済チームでも、ファハミ工業相、パスカ・スゼッタ国家開
発企画庁長官、マリ商業相などが KADIN の幹部や顧問を経験しており、KADIN の影響力は残る
が、その度合いは低下するとみられる。ブディオノ氏がインフラ民活の動きに興味があるとは
考えにくく、同分野の取り組みは停滞する可能性もある。産業政策に関し、98 年以降、IMF に
よる自由化政策が徹底された為、政策手段に限りがあり、方向性も打ち出されてこなかった。
マリ商業相が関税見直しにより、産業毎の重点ポイントを整理していることは正しい方向とい
える。なお、ブディオノ氏が財務相であったとき、投資優遇税制復活は全く視野になかった。
同氏のミクロ政策運営が気にかかる。
(問)内戦利権とは具体的にどういうことか。また、世論調査で、経済問題への取組に対する
評価が低いのは、経済問題は数字に明確に現れまた国民に痛みを伴うためではないか。政治問
題への取組は、国民はメディアなどを通じて知るため進展しているとの評価になるのではない
か。経済問題への取組みに対する評価の中で、
「投資誘致」の項目に対する評価が上がっている
一方、今後、民活は頓挫するかもしれないとの指摘があったが見通しはどうか。
(答)アチェでは戒厳令や非常事態宣言の下、通常の政治機能が停止し、国軍が中心となって
予算配分、治安の維持、公共事業を独占していた。そのような体制下、紛争により利権を得て
いたグループが、今後、利権が失われていくプロセスの中で抵抗する可能性が指摘されている。
内閣改造に対する市場の反応は良好である。企業家のバクリ氏を経済調整相ポストから外した
ことを海外投資家は評価したのだろう。パスカ・スゼッタ氏はゴルカルの財務担当であったた
め、政党と行政府との間でしっかり調整できるのか懸念が残る。
(答)世論調査をみると、政治分野に比べ、経済に対する国民の評価は低い。ユドヨノ大統領
は世論調査を見ながら政治を進めており、経済再生が鍵ということを明確に認識していたと思
われる。今後の投資誘致に向けた動きに関し、ブディオノ氏はそれほど積極的に動かない可能
性はある。前メガワティ政権下の経済パッケージの作成でも、投資環境整備の分野ではそれほ
ど関与しなかった。今度は職務上、関与することになるが、基本的にマクロ運営をしっかり行
い、後は市場にまかせるというスタンスではないか。
(答)内閣改造でミクロ活性化からマクロ寄りの布陣になった。国際金融市場の受けがよい閣
僚を投入したことで、株価とルピアは共に上昇している。8 月のルピア急落により、マクロ安
定なくして成長はないということを学んだといえる。バクリ氏の社会福祉調整相への横滑りは、
8 月のルピア急落と燃料値上げをめぐる確執が決定打となったのだろう。今回の改造で機能す
ると見られるポストは財務相と工業相である。ファハミ・イドリス氏は実行力もあり改善が期
待できる。能力はあるがどう機能するか注視すべきポストは経済調整相とバペナス長官である。
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パスカ・スゼッタ氏はゴルカルの財務部長を務めていたことから、政党との関係が行政へ及ぼ
す影響を注意する必要がある。ブディオノ氏は、IMF プログラム下で引締め政策を実施してお
り、そのスタンスが全面に出れば成長を阻害するとのイメージがある。ただしハビビ政権下で、
バペナスで成長政策に携わった経験もある。なお、インフラ整備促進委員会(KKPPI)の委員長
は経済調整相が務める。ブディオノ氏が積極的にインフラを促進するかどうかは不明だが、企
業家であったバクリ氏と異なり、ビジネスへのバイアスなく決定するという点でプラスといえ
る。エルマン・スパルノ労働移住相、パスカ・スゼッタ新バペナス長官は、ビジネスマンから
政界へ転じた。新労働相が、成長政策に合致した労働市場の柔軟化の方向を提示することを期
待するが、手腕は未知数である。
(コメント)インフラのリスクシェアリングに関し、ブディオノ氏は、財務相退任の直前、計
算に基づいてリスクシェアを行う必要があり、セクターごとにモデル化しリスクの取り方を考
えて財政負担を決めればよいとの見解を示した。その後 1 年が経過し、同氏の述べた方向に政
策が取られつつある。ブディオノ氏は必要であるプロジェクトについては、ビジネス・インタ
レストなく判断すると期待しており、ポジティブな目でみたいと思う。
(問)国境を越える犯罪の中には、中国絡みのものもあるというが、その背景は何か。
(答)国境を越える犯罪(違法伐採、武器密輸など)は、どこかの段階で中国のマフィアや組
織犯罪のネットワークとオーバーラップすると指摘されている。違法伐採では、パプアやカリ
マンタンで伐採された木材が、マレーシア船で中国に入ったりする。アンダーグラウンドのネ
ットワークのため、ネットワークが一度開くと、人身売買やテロなど様々な犯罪に使われ問題
となる。
(問)カラ副大統領は、副首相的な立場で様々な問題に取り組んできたが、ブディオノ氏が経
済調整相として政権入りした場合、二人の関係はどうなるのか。
(答)二人のパーソナリティは異なり、一人はジャワ人でじっくり考え控えめな発言をするが、
もう一人は必要ないことまで言うタイプである。雇用促進、公共投資(財政の出動)について
も、対極的な考え方の持ち主で微妙な関係となる可能性がある。ただし、ブディオノ氏はテク
ノクラートで政治的スキルもあるため、よく対話し経済運営を行うのではないか。
(答)カラ副大統領が、ブディオノ氏の入閣に去年の組閣時に反対していたのは、積極財政が
できなくなると考えた為であった。カラ副大統領は政治活動の資金源としてバクリ氏に依存し
ており、両者は一体で経済運営を行ってきた。これ迄に比べれば、カラ副大統領の経済政策へ
のグリップは、相対的に弱まるであろう。
(答)ユドヨノ大統領は、カラ副大統領にバクリ氏の社会福祉調整相への横滑りを承知させる
ため、バクリ氏の息子のスキャンダルなどについても触れたとの情報がある。
(答)1 年前の組閣では、カラ副大統領がブディオノ氏を嫌ったのでなく、ブディオノ氏が副
大統領と一緒に仕事はできないとの感覚を持ったと理解している。カラ副大統領とバクリ前経
済調整相は積極財政主義者で、政権入りで財政赤字の拡大懸念が指摘されたが、実際には石油
燃料価格を値上げし、財政赤字も GDP 比 1%以内に留めた。政権発足から 1 年で、カラ副大統
領もマクロ経済バランスを無視しないことがわかり、ベクトルが逆を向いているとの印象が和
らいだのではないか。今後も、拡張主義か緊縮財政かで真っ向から対立する局面は、当面ない
のではないか。
(問)経済閣僚が変わったことで、資源をめぐって動きが目立つ中国との関係に変化はあるの
か。
(答)中国との関係は、05 年 7 月から 8 月のユドヨノ大統領やカラ副大統領が訪中した時点と
比べ、熱が冷め、プロジェクトも必ずしも円滑に進まないものが目立ってきた。この為、日欧
米等からのインフラ民活投資を呼び込む必要性を再認識し、一定の政府保証に前向きに取り組
むため、財務省によるリスク管理を行う方向に回帰してきたと理解している。
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(2005 年度財務省委嘱研究会)
中国を含め個別の案件促進にも取り組んだバクリ前調整相に比べ、個別案件には興味が薄いと
見られるブディオノ調整相の就任により、システム設定中心的なアプローチになるのではない
か。
以 上
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