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マルコ「パンの物語集」再考(1)
駒澤大學佛 學部研究紀 第63號 平成17年3月 (89) マルコ「パンの物語集」再考(1) 挽 地 茂 男 すべての物語言説は、 ①一度生起したことを一度物語るか ②n度生起したことをn度物語るか ③一度生起したことをn度物語るか ④n度生起したことを一度物語る、ことによって成り立っている(2)。 原始キリスト教の諸伝承は、イエスに発する宗教的エートスを、自律した様式 をもつ種々の口伝によって後代に伝達した。イエスの言葉と業はキリスト教共同 体の中で、信仰の生命の源泉として、受容者の「語り」の連鎖の中に生きつづけ る。やがて、語り継がれる伝承の中からキリスト教諸文書の結集が開始するが、 最初の福音書記者マルコもこの語りによる伝承の流布の状況の中にいる。 イエスに関する諸伝承は、「一度生起したことをn度物語る」反復の過程のうち ヴァリアント に、派生を繰り返し、様々な派生伝承を産みだしながら、流布していったのであ る。流布していた諸伝承は淘汰され、共同体の生にとって重要性を保持するもの だけが生き残った。福音書記者は、イエスの伝承を結集、選択、配列することに よって、語りの単位を、「一度生起したことを一度物語る」一回起的なイエスの生 と死の物語へと拡張した。従前の語りの単位であったイエスの諸伝承は、一つの 大きな物語の中に編み込まれ、その文脈の中に永続的な意味の方向づけを与えら れることになる。福音書には、伝承様式のもつ反復・自律的な特徴と、より大き な物語の枠内に編集される際に物語のプロットの流れが要求する一貫性とが交錯 している。 マルコ福音書には、供食物語が二度にわたって、すなわち5000人の供食物語と 4000人の供食物語が報告されている。この二つの供食物語を含む6章30節―8章 21 節に及ぶ箇所は、そこに含まれるペリコペー(伝承単位)の大半が「パン」 [artos] アルトス)を「見出し語」にして集められているとして、「パンの ( 物語集」(Bread Section)と呼ばれることがある(3)。さらに、これらのペリコペー ―228― (90) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) は、元来、聖餐伝承であったと推定することが可能であり、ここで取り上げる 「パンの物語集」に含まれる伝承群の背後には、原始教会の会食儀礼つまり聖餐と、 それをとりまく聖餐伝承の流布が背景として存在したと考えられる。供食物語が 聖餐伝承であるという理解も、研究史上決して新奇なものではない(4)。それゆえ、 マルコが聖餐をどのように理解したかを問う場合には、マルコがこの「パンの物 語集」においてこれらの聖餐伝承をどのように編んだのか、そしてその編集に際 して支配的に働いたマルコの神学ないし思想、その他の要因は何であったかを問 うことが必要となる。 この論考では、マルコの聖餐理解を問題にするにあたって、文献学的なテクス ト分析に向かう前にまず、会食儀礼(共食儀礼)一般について宗教史の観点から 考察し、さらに聖餐のルーツと考えられている旧約聖書およびユダヤ教の会食儀 礼に関して宗教史的な一応の理解を得ておきたい。よってこの論考は、以下の手 順にそって進められる。( 1 )会食儀礼に関する宗教史の基本的な知見を確認し、 (2)旧約聖書およびユダヤ教の会食儀礼を概観し、(3)初期キリスト教における 聖餐伝承に関する研究を一瞥した後、(4)「パンの物語集」に推定可能なマルコの 聖餐理解に一考を加える。 1 会食儀礼の宗教史 世界のどの宗教も何らかの形の会食儀礼(共食儀礼)をもたないものはない。 会食儀礼は古来宗教的な祭儀の主要部分であった。この宗教的会食は、日常的で ありながら、同時に日常的な現実を超えて、人を超越の世界に導き入れる。この 会食を通じて人は〈聖なるもの〉と交流し、また同化し、またそれによってこの 儀礼に参加する人びとも互いに交流し同化する。〈聖なる会食儀礼〉は宗教共同体 を形成する必須の要素として機能する。 1)神話的世界の再現としての儀礼 なんらかの神話伝承が生きている社会や宗教集団では、その神話的世界がつね に再現され続ける。共同体における人間生活の秩序を創造した神的存在や、苦難 からの解放や救いや祝福をもたらす神話的な英雄や始祖についての神話は、儀礼 において再現される。多くの祭においては、そのような神話的存在の「姿をまね て仮面をかむり、仮装してしかるべき所作をすれば、演技者たちは英雄や祖先に 同一化してその場に神話的世界が実現する。神話の生命は、祭式的な舞のリズム と言葉の旋律から生まれる。……歌舞のリズムこそが、人びとの精神を高揚し、 ―227― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (91) 共同の想像力を働かせて、普段では見られないめざましい世界を開示する」(5)。 初期の教会教父であったアレクサンドリアのクレメンス(150-215頃)は『ギリ シア人への勧告』(Protrepticus)のなかで、ヘレニズム・ローマ世界の代表的な密 儀宗教(秘儀)であったバッコス(ディオニュソス)の信者にむかって、その秘 儀を批判し、キリスト教への改宗を勧めて、次のように書いている。そこではク レメンスは、バッコスの祭儀のイメージ(心の像)を、キリスト教の奥義(秘儀) を提示する下敷きとして使っている。 「来なさい。おお、狂える人よ。バッコスの杖に寄りかかったり、蔦の冠 をかぶったりせずに、かぶりものを投げ捨てよ。子鹿の皮も投げ捨てよ。正 気に戻れ。 私は、あなたがたの心の像にしたがって、御言葉と御言葉の奥義を示そう。 神に愛された山がある。シテロンのごとき悲劇の主はなく、真理の劇を演 じるために清められた主――潔白の森に覆われた謹厳の山である。そこで宴 を開くのは、稲妻に照らされたセメレの姉妹たちや不浄な肉のむさぼりに捧 げられたメナデスではなく、神の娘たち、御言葉の聖なる儀式(オルギア) を行い、純潔な輪舞に熱中する善き子羊たち。 合唱隊は義人たち、その歌は万物の王への賛歌。おとめらは七弦の琴を奏 で、天使たちはほめたたえ、預言者は語る。音楽が響き、輪舞が行われる。 そこで召された者たちが父を得るために、憧れに満ちて勇んで進む。…… おお、まこと清き秘儀よ。おお、曇りなき光よ、たいまつの光に導かれて 私は天と神を見る。私は聖別によって聖とされるだろう。秘儀の祭司は主で あり、秘儀を授けられたものたちを光に導き、封印を与える。彼らは父に信 者を紹介し、永遠に守ってもらうようにする。それが私の秘儀の狂乱。おま えが望めば伝授してもらえるようにせよ。」(6) ディオニュソスの劇的な祭典は「オルギア」( )とも呼ばれた。この言葉 は、後に〈典礼〉(liturgy)の意味で使われるようになる「民の奉仕」という原意 を持つ「レイトゥールギア」( )という言葉の中にも含まれている(7)。 この秘儀の主題は、ティタンによって裂き殺されたゼウスの子ディオニュソスの 死とその再生の神話である(8)。この祭儀では、ディオニュソスの殺害と再生という、 二つの出来事が祝われる。祭儀は一晩中、山中で挙行され、ディオニュソス自身 がそこに顕現すると信じられた。この酒の神バッコス=ディオニュソスの祭は、 ぶどう酒が重要な役割を演じ、大量のぶどう酒と音楽で醸し出される熱狂の中、 〈忘我〉状態に参入することで、人々はいわば自分自身の生命から離れ、神の子の ―226― (92) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 死と再生にあずかれると信じたのである(9)。 クレメンスの言うキリスト教の秘儀をいきなりキリスト教の聖餐式と同定して しまうことは不可能だが、クレメンスがキリスト教の秘儀の祭儀的昂揚とディオ ニュソスの秘儀の祭儀的昂揚を比較しうるものとして描いていることは重要であ る。クレメンスはディオニュソスの秘儀(オルギア)を狂気とし、それに対して キリスト教の秘儀を「正気」で営まれるものとして対照している。しかし彼が言 う「御言葉の聖なる秘儀(オルギア)」また「清き秘儀」に参与する「正気」も、 決して日常的な「正気」ではない。「私は天と神を見る」という表現が示している ように、その儀礼にはもう一つの「現実」が介入する。 生きた儀礼は、創造のはじめであれ、救済の到来であれ、重要な神話的始原の 時への回帰を特徴としている。神話は生きた現実として何度でも再現される。祭 式的なリズムのなかで詠唱によって描き出される原古の出来事が、世代を超えて 変わらずに神話の内容をよみがえらせるのである。神話は決して単なる伝説でも なければ、二度と還らぬ過去の歴史でもない。むしろ「生きた現実」として儀礼 的に何度でも再現される始原の世界である。神話を知るだけではなく神話に生き る人びとは、始原の世界を「覚めて見る夢」と説明する。いわば日常の現実とは 別に、もう一つの現実として、まるで夢のようによみがえってくる体験の世界で ある。普段は見えない神話の世界が現実として祭の場に開けてくる。その場にお ける祭式的所作と伝承の詠唱は、神話的始原を共同の経験としてよみがえらせる のである。 2)ヒエロファニーの場としての会食儀礼 儀礼的所作によって神話的世界を演じる人たちにとってみれば、これは普段の 自分を脱して別の存在になることに他ならない。この〈忘我〉の状態を一般にエ クスタシー( 「脱自」「脱魂」)というが、宗教の場合には単に自失の状 態にとどまるのではなく、別の存在に移行すること、つまり別の霊格がとりつい たりするトランス(trance「憑依」「憑霊」)が基本となる。先史未開社会のなかに は、このエクスタシー・トランスの過程を占有して、祭の神聖なる秘儀を司祭し たり、聖なる舞踏を主宰したり、霊媒として神霊と人間とを媒介したりする職能 的な「シャマン」がいる場合がある。「シャマン」は、儀礼的にトランス状態にな って諸霊と直接に交渉することを職能とし、その過程で、祭儀をはじめ卜占、治 病、予言などを行う。祭儀の神顕現的(epiphanic)な性格は「シャマン」に集中 する。 古代宗教にはこのような「シャマン」的な司祭者が多く見られる。例えば2世 紀の教父テルトゥリアヌス(160頃-220以降)は、ミトラ(ス)教の司祭者について ―225― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (93) 次のように報告している。 ● ● ● ● ● ミトラは、彼の顔(の表情)で彼の兵士たちに合図を与える。彼は祭儀を執 り行ってパンを授け、そして復活をまねて見せる。 (テルトゥリアヌス『異端者たちへの抗弁』40)(10) この文脈では「ミトラ」と「彼」は同一の存在であり、「彼」とはもちろん、「祭 儀を執り行ってパンを授け」る司祭者のことである。つまりミトラ教の司祭者は、 祭儀の際には、ミトラと神人合一した状態で祭儀を執行するものと考えられてい る。またこのミトラの祭儀は、「パン」という言葉からも類推されるように、会食 儀礼であった。現在このミトラの聖餐式は、残された図像資料に基づいて再構成 されている。それによると司祭者は、図像に描かれた神々と同じ衣装を身にまと い、神々が演じた役割を代行したと考えられる。信徒たちは神々に侍って陪食し、 神人混在の聖なる会食が再現される。通常は牡牛の肉を食べ、その血を飲んだも のと推測されるが、牡牛が手に入らなかったり、あるいは、あまりに高価である 場合は、他の手近な動物の肉で我慢するか、肉の代わりには、パンと魚を、血の 代わりにはぶどう酒を用いた、と考えられている(11)。 先に見たような古代地中海のバッコス=ディオニュソスの祭にも、強度のエク スタシーとトランスを特質とする「シャマン」的司祭者の存在が指摘されるが、 同時にこの祭儀は、酩酊によって日常的秩序を一時的に破壊したところに、聖な る場を出現させようとする聖なる酩酊の観念に通じるものでもある。精神状態に 強く作用するアルコール性飲料は、元来、宗教行事と深いかかわりをもっている。 人々が酩酊することによって日常的な人格を脱し、非日常的なふるまいをする場 には、日常的世界ではかいま見るとができない神が降臨して、神人一体の境地を 体験することが可能であると考えられた。儀礼空間は〈ヒエロファニー〉(12)の空 間と化するのである。 このような儀礼の神人交流的要素は、強度の差こそあれ、多くの会食儀礼に共 通して見られるものである。例えばトーテミズムでは、神話的祖先との関わりを 持つとされる〈聖なる〉トーテム動物の食用を禁じておいて、宗教行事に際して のみ神への犠牲としてささげたトーテム動物を共食する。こうして、神にささげ た食物や酒を行事に参加したもの同士で共同飲食をして、神人共食をすることに より、神とのコミュニケーションがはかられるのである。このコミュニケーショ ンは、人格的な性格を待ち、人間と神的な〈聖なるもの〉との間で、またそれを 通して人と人相互の間で実現する。宗教行事の本質は、神と人間がコミュニケー ションを行うことであり、そしてこの神人のコミュニケーションを会食儀礼によ ―224― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (94) って共有するもの同士の間に強い集団的紐帯が形成される。こうして垂直的、水 平的な人格の同一化が生起するのである。 3)儀礼的遮断としての聖餐 宗教儀礼が生み出す強い集団的紐帯は、その反作用として、外部に対する遮断 機能を発揮することがある。ロバートソン・スミスが明らかにした古代セム系諸 族の供犠の中心は、神への奉献において聖化された犠牲を、奉献者一同が共食す ることにあった(13)。厳粛な祭儀のうちに祭壇で屠殺され、神に献げられた犠牲の コミュニオン 動物は、神への供え物であり、それを共食することによって神と人との霊的交流 が生起する。デュルケムによれば、未開社会において日常禁忌とされる神聖な動 植物を祝祭の場で食べ合うことは、これに宿る神聖な原理と交流し同化すること である(14)。しかしこれらの同化の原理は、同時に、差異化の原理としても機能す る。宗教儀礼は、集団の内部に向けては①集団的結束力として機能する一方、集 団の外部に向けては②儀礼的遮断の機能を果たすことが一般的に確かめられてい る。儀礼によって再現される神話的宇宙の全体が一つの生命的共同体を維持する 象徴体系を形成している古代宗教においては、一般の目から見て異常に見える宗 教集団の儀礼行動は、神聖な霊的交流の原理であると同時に、それが集団の存続 にかかわるものとなるとき、排他の原理として機能する。パウロはコリントの信 徒への手紙一10章14-22節で、異教祭儀とキリスト教の聖餐を峻別して次のように 書いている。 わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。 わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自 分で判断しなさい。わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血に あずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずか ることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。 皆が一つのパンを分けて食べるからです。肉によるイスラエルの人々のこと を考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわ る者になるのではありませんか。わたしは何を言おうとしているのか。偶像 に供えられた肉が何か意味を持つということでしょうか。それとも、偶像が 何か意味を持つということでしょうか。いや、わたしが言おうとしているの は、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なので す。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。主の杯 と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に 着くことはできません。それとも、主にねたみを起こさせるつもりなのです ―223― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (95) か。(新共同訳) このような異教祭儀との峻別のプロセスは、「本家争い」にも似た起源に関する 論争、参加者の資格、使用される食物や祭具、それらの意味づけなどをめぐって、 多様な展開を見せている。2世紀前半の教父ユスティノス(100頃-165頃)は、ミ トラの密儀にこと寄せて次のように述べている。 これ〔キリスト教の聖餐式〕さえをも悪しきダイモーンどもはミトラの密儀 の中に(持ち込んで)、真似るように教えた。すなわち、入信者の密儀に際し て、ある種の言葉が唱えられて、パンと水の杯とが差し出されるのである。 このことはあなたたちの知っていること、あるいは見聞きすることのできる ことである。 (ユスティノス『第一弁明』66)(15) ユスティノスはミトラの聖餐式を、キリスト教の聖餐式の悪魔的模倣として退け ている。キリスト教で行われていた聖なる儀式が、悪しきダイモーンの儀式に変 形されてしまったことを嘆くこの文章は、偽りの聖餐に決別し真の聖餐にあずか るようにという勧めを含意している。さらにこの文章で注目すべきことは、ユス ティノスがキリストの血を象徴する「ぶどう酒」を避けて、ことさらに「水」と いう言葉を使用して、キリスト教の聖餐との区別を鮮明にしていることである。 ミトラの祭儀において「ぶどう酒」が使われていた証拠もあるので (16)、おそらく ユスティノスの文章が意図的に「ぶどう酒」をはずしたと考えてもよいであろう。 また逆に興味深いのは、むしろキリスト教の聖餐に「水」が使われていたという ことが、ユスティノスの文章から分かることである。 次の文章は、同じくユスティノスの文章だが、1世紀末以後「エウカリスティ ア」(17)と呼ばれるようになった聖餐、特に洗礼式の後の聖餐の様子を生き生きと 伝えている。 .. 私たちと同じ信仰を受け入れて、私たちに加えられた人に、こうして洗礼 を授けてから、兄弟と呼ばれる人々のもとに連れてゆき、そこで私たち一同 とともに、私たち自身のため、照らしを受けた人のため、また世界中の他の 人々のために共同祈願が唱えられる。…… 祈りが終わると、互いに親睦の挨拶を交わす。それから兄弟たちの司会者 に、パンと水の混ざったぶどう酒の杯が運ばれる。司会者はこれを受け取っ て、子と聖霊の名によって万物の父に賛美と栄光を帰し、父からいただいた この賜物のために、ゆっくり感謝の祈りを唱える。祈願と感謝の祈りが終わ ―222― (96) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) ったとき、全会衆は〈アーメン〉と叫ぶ。〈アーメン〉とはヘブライ語で 〈そのようになるように〉との意味である。司会者が感謝の祈りを終え、会 衆が応唱した後、〈助祭〉と呼ばれる人々がエウカリスティア〔感謝の献げ . 物〕となったパンとぶどう酒と水を出席者全員に配り、欠席者にも運んで行 く。そしてこの食物は、私たちのもとで〈ユウカリスティア〉と呼ばれてい る。私たちの教えることを真実のものと信じ、罪の赦しと新たに生まれるた めの洗礼を受けており、キリストが教えられたように生活している者でなけ れば、感謝の典礼に参加することは許されない。 (ユスティノス『第一弁明』 65.1-66.1)(18) この文章の最後は、聖餐を受ける者の資格が、①信仰告白、②洗礼、③信仰生 活の三つの面で吟味されるべきことを伝えている。この点では1世紀末頃、マタ イ福音書に少し遅れて成立したとされる『ディダケー』もほぼ同じ立場に立って いる(例えば、9-10章)。聖餐は、儀礼的遮断の機能をより強く持つ洗礼と連続線 上におかれて、集団的な結束、信者の社会的結合の強化という点で大きな機能を 果たしたのである。ゆえにキリスト教にとって、聖餐に関する共同体内外の理解 は根本的な宗教的生命に関わっていたのである。 2 旧約聖書およびユダヤ教における会食儀礼 キリスト教の聖餐と旧約聖書およびユダヤ教との関係は、ヘレニズム諸宗教と の関係と並んで重要である。聖餐の「原型」ないし「ルーツ」という言い方で取 りざたされる旧約聖書およびユダヤ教の「食事」を以下に概観しておこう。 1)犠牲の祭儀 旧約聖書には多くの犠牲祭儀が記されている。イスラエル人にとって供犠を伴 わない祭儀はなく、公私にわたって盛んに供犠が行われた。申命記12章5-7節は イスラエルにおける供犠と共食の雰囲気を次のように伝えている。 必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場 所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい。焼き尽くす献げ物、い けにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、 牛や羊の初子などをそこに携えて行き、あなたたちの神、主の御前で家族と 共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主 ―221― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (97) はあなたを祝福されているからである。(引用は新共同訳による。以下の引用 も同じ。) イスラエルの犠牲祭儀はその始祖たちの遊牧生活にまで遡り、その体系化・組 織化は、王朝時代を通して進展し、さらにバビロン捕囚期以後の民族的再生と並 行して確立されていった。レビ記は、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の 献げ物、贖罪の献げ物、任職の献げ物、賠償の献げ物などの犠牲祭儀について、 詳細な規定を記している (19)。これらの犠牲祭儀のなかで、祭司以外の会食を伴う のは、〈和解の献げ物〉である。〈和解の献げ物〉として捧げられた犠牲獣は、無 傷の牛、羊、山羊などである。奉納者は犠牲獣の頭に手を置き、屠殺する。祭司 はその犠牲獣の血を祭壇の四つの側面に注ぎかけ、脂肪および腎臓と肝臓の尾状 葉を祭壇で焼いて、主への宥めの香りとして献げる(レビ3:1-17)。レビ記はさら に、〈和解の献げ物〉において献げられる動物以外の供犠と、その後の共食に関す る詳細な規定を記している(7:11-38)。 主にささげる和解の献げ物についての指示は次のとおりである。それを感謝 の献げ物としてささげる場合、献げ物にする動物のほかに、オリーブ油を混 ぜて焼いた小麦粉の輪形のパン、オリーブ油を塗った薄焼きパン、上等の小 麦粉にオリーブ油を混ぜて練って輪形にした物をささげる。奉納者はこの和 解と感謝の献げ物のほかに、更に酵母を入れて作った輪形のパンをささげる。 彼はそれぞれの献げ物から一個ずつを奉納物として主にささげる。これは、 献げ物の血を祭壇に注ぎかける祭司のものとなる。和解と感謝の献げ物の肉 はささげられた日に食べねばならない。一部でも、翌朝まで残してはならな い。和解の献げ物を満願の献げ物ないしは随意の献げ物としてささげる場合 は、ささげた日にそれを食べ、翌日にもその残りを食べることができる。し かしこの残りの肉は三日目には焼き捨てねばならない。(7:11-17) この献げ物の目的は、〈和解の献げ物〉( ゼバハ・ハ・シェラーミ ーム)という語義が示しているように、神との〈和解〉(シャローム)を祭儀的に 保証することにある。そのために犠牲(ゼバハ)が献げられ、その「お下がり」 に祭司や奉献者が与かって、飲食する。こうして〈シャローム〉は、神と人との 間からさらに人間相互の間へと及ぶのである (20)。イスラエルはこの祭儀において 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と出会い、その神との契約関係が保 証する〈シャローム〉を、この神に犠牲を献げ、それを会食することによって確 認したのである。神の恵みに対する感謝の献げ物として犠牲祭儀が行われ、そこ ―220― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (98) で行われる会食は、この恵みとそれに対する感謝を内容とする契約関係のシンボ ルとなった。 またこの〈和解の献げ物〉に伴う会食は、サムエル記下6章では王が民にふる まう「王の祝宴」に拡大されている。 人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは 主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。焼き尽くす献げ物 と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝 福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、 なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分 の家に帰って行った。(6:17-19) もちろんダビデ自身がこの祭儀の司祭者として献げ物をささげたのではなく、祭 儀の主宰者として祭司を通して犠牲祭儀を催したということであろうが、ダビデ がこの祭儀に対して立っている位置はきわめて注目に値する。後に、ダビデ王が 終末的なメシアの原型とされると、この犠牲と会食がメシア的祝宴の原型と解さ れるようになるのである。 2)過越祭 〈過越祭〉は、ユダヤ人にとって最も重要な犠牲祭儀といってもよい。それは イスラエルの民の救済論の原点である「出エジプト」の神話を、祭儀的に再現す るのである。それによって、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、 奴隷の家から導き出した神である」で始まる十戒(出20:2-17)、さらにはそれに派 生する律法規定を遵守する民としての、自分たちのアイデンティティと動機づけ を新たにするのである。出エジプト記は、過越の出来事の劇的な物語展開の中に、 祭儀規定を物語化して次のように記している。 エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエル の共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ご とに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族 が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合 うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。そ の小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊 でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同 ―219― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (99) 体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入 り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、 酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べて はならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却す る。それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べ る。これが主の過越である。(12:1-11) エジプト脱出の前夜、旅支度をととのえた民が急いで食した〈過越祭〉の食事は、 旧約聖書における「出エジプト」の救済体験を記念する歴史的儀礼として整備さ れ、さらにユダヤ教のミシュナ・ペサヒーム、およびペサハ・ハガダーといった 聖典や式文において典礼化されて、ユダヤ教の中心的な祭儀へと発展していった のである(21)。 〈過越祭〉が、新約におけるイエスの「最後の晩餐」の伝承の意味づけに強く 影響していることはいうまでもないが、「最後の晩餐」が歴史的事実として〈過越 祭〉であったという主張は、現在ではほとんど受け入れられていない(22)。 〈過越祭〉 の祭儀と「最後の晩餐」を起源とする聖餐伝承に共通するのは、原初的な救済の 出来事に対する歴史的な関わりである。どちらも、会食において出エジプトある いはイエスの十字架という歴史的な救済の出来事を記念し、救済の歴史的原体験 を現在化しつつそれによってさらに将来あるいは終末における救済の完成への期 待を表現しているのである。 3)安息日の食事(カブラーとキドゥーシュ) 「最後の晩餐」の伝承では、周知のように、マルコとマタイが同一系統の伝承 に属し、ルカとパウロがそれとは別の伝承系統に属すると考えられている。ルカ とパウロにおける表現は、ほとんど一致しており(ルカ22:19-20、Ⅰコリ11:23-26)、 特に両者とも、杯を聖別する際に、「食事の後に、杯も同じようにして」と前置き をして、イエスの「血による新しい契約」という杯に関する制定語が宣言されて いる。イエスは「食事の後に」杯を聖別して回したとすると、パンの聖別が、食 事に先だって行われたということは明白である(23)。 ユダヤ人の食事習慣の中に、このような食事を反映しており、宗教的厳粛さと ある程度の祝祭性をともなった食事をさがすと、ユダヤ人が安息日に祝う食事が ある。この食事は、金曜の夜に個人の家で行われ、この食事で安息日が始まる。 安息日の食事には、好んで客が招待された。またこの食事は、安息日の始まりに 先立って金曜日の午後早い時間帯から友人同士の社交的な会合として始められる ―218― (100) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 場合があり、社交的な意味をこめて〈カブラー〉(24)と呼ばれていた。〈カブラー〉 が長引けば当然、夕刻から始まる安息日の食事に食い込むことになる。安息日の 食事は慣習にしたがって聖別の儀式〈キドゥーシュ〉(25)をもって始まる。イエス は杯を聖別した「食事の後に」とは、そのような〈カブラー〉の食事の後であり、 厳粛な杯の聖別は〈キドゥーシュ〉の聖別の儀式と考えることができる (26)。過越 の食事でも安息日の〈キドゥーシュ〉でも、パンを裂く習慣は冒頭に置かれてい た。家長がパンを取り、その上で短い祝福の祈りを唱え、パンを裂いて、着席し ている客人や家人に配る。パンを裂くことが、安息日の食事の儀式の初めの部分 をなしていたように、「杯も同じようにして」祝福と感謝の祈りの後に会食者に供 することが、安息日の食事の一部となっていた。この感謝の祈りは、本来の厳粛 な食卓の祈りであった。これによって創造者なる神に対し、食べ物と飲み物のた めのみならず、それ以上に神がご自分の民に与えたあらゆる恵み、美しく広大な 大地、神が民との間に結んだ契約、民に与えた律法などのためにも、感謝がささ げられた。こうして、そこにいる全員が互いに一致し、交わりを深めることを、 美しい形で表現するのである。 4)終末的祝宴 旧約聖書にはもう一つ異質な会食の描写が存在する。それは神が主宰する終末 的な祝宴である。その祝宴に象徴される。終末は、超越的な神の国が到来する時 であり、古い世(アイオーン)と新しい世(アイオーン)が交替するときである。 古い被造世界は過ぎ去り、神によって新天新地が創造され、新しい秩序が樹立さ れる。バビロン捕囚期の預言者エゼキエルは、終末に到来する新しい世(アイオ ーン)において、新しい神殿が建設され、神がそこに新しく顕現し、新たな祭儀 が行われる様子を信仰の幻において見、黙示文学的表象を用いて描写している (エゼ40-47章)。 彼〔姿が青銅のように輝いている人40:3=天使〕はわたしに言った。「人の子 よ、主なる神はこう言われる。以下は焼き尽くす献げ物をささげ、血を注ぐ 祭壇を造る時の掟である。ツァドクの子孫であるレビ人の祭司だけが、わた しに仕えるためにわたしに近づくことができる、と主なる神は言われる。あ なたは彼らに贖罪の献げ物である若い雄牛を与えなさい。あなたはその血を 取って、祭壇の四つの角と土台の四隅と周囲の縁に注ぎ、それを清め贖いな さい。あなたは、贖罪の献げ物の雄牛を取って、それを聖所の外の神殿の定 められた場所で焼きなさい。その翌日、あなたは無傷の雄山羊を贖罪の献げ 物としてささげ、それによって、雄牛で清めたように、祭壇を清めなさい。 ―217― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (101) あなたは、清めを完了したのち、無傷の若い雄牛と、群れの中から選んだ無 傷の雄羊をささげなさい。あなたは、それらを主の前にささげ、祭司たちは その上に塩をまき、焼き尽くす献げ物として主にささげる。あなたは、七日 の間、毎日、贖罪の献げ物の雄山羊をささげ、また若い雄牛と群れの中から 選んだ無傷の雄羊を選んでささげなさい。七日の間、彼らは祭壇を贖い、清 めて、奉献しなければならない。これらの日が終わると、八日目以後、祭司 たちはあなたたちの焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を祭壇にささげる。そ して、わたしはあなたたちを受け入れる」と主なる神は言われる。 (エゼ43:18-27) これは終末時の新しい祭儀を描いた図である。つまり、イスラエルの祭儀がそ の本質としての神への人格的忠誠を失い、異教の影響や表面的な組織化・制度化 を強く受けて信仰の堕落をもたらした結果、バビロン捕囚の悲劇がもたらされた。 この批判に答えて、イスラエルの歴史においては、捕囚後、一方で祭儀改革が行 われて、犠牲祭儀が新たに組織化・制度化された。しかし、他方このような組織 化・制度化を拒絶し、イスラエルはその背信によりすでに〈神を宥める〉祭儀執 行の宗教的資格を喪失したために、神との和解が完成する終末になってはじめて 真正の祭儀が回復されるという、「終末的祭儀観」が預言者において生まれたので ある。預言者エゼキエルは、終末的な破壊・虐殺の幻を、祭儀的な会食を蹂躙す る猛禽・猛獣のイメージを使って語っている。 人の子よ、主なる神はこう言われる。あらゆる種類の猛禽と、あらゆる種類 の野の獣に語りなさい。お前たちは集まれ。来て、わたしがお前たちのため に屠ったわたしの犠牲に向かい周囲から集まれ。それはイスラエルの山々の 上での大いなる犠牲である。お前たちはその肉を食らい、その血を飲め。勇 士たちの肉を食らい、国の支配者たちの血を飲め。それは雄羊、小羊、雄山 羊、雄牛であり、みなバシャンの肥えた動物たちである。お前たちは、わた しがお前たちのために屠った犠牲から、飽きるまで脂肪を食べ、酔うまで血 を飲むがよい。お前たちはわたしの食卓で、馬や騎兵、勇士やすべての兵士 たちの肉を飽きるまで食べる、と主なる神は言われる。 (エゼ39:17-20) 黙示文学的表象とは、現在の経験における閉塞を打破する預言者の終末への期 待を、信仰の幻として具象化したものに他ならない。外国支配の下、理想的な統 治者つまり王的メシアが現れて、社会的差別、文化的支配、帝国的抑圧に打ちひ しがれたイスラエルの民に真正の宗教と正義と平和を取り戻してくれる、という ―216― (102) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 人々の活きいきとした希望が絶望の色を深めていく時、個人も集団もしばしば黙 示思想に傾き、世界を震撼させるような大規模な神の介入を夢想するようになる。 そしてこの新しい世(アイオーン)の到来は破壊や審判のイメージと同時に、新 たに神の主宰する祝宴のイメージで語られる。イザヤ書25章6-9節は次のように その終末の祝宴を描写している。 万軍の主はこの山で祝宴を開き〔山はシオンの山、つまりエルサルムをさす〕 すべての民に良い肉と古い酒を供される。 それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。 主はこの山で すべての民の顔を包んでいた布と すべての国を覆っていた布を滅ぼし 死を永久に滅ぼしてくださる。 主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい 御自分の民の恥を 地上からぬぐい去ってくださる。 これは主が語られたことである。 その日には、人は言う。 見よ、この方こそわたしたちの神。 わたしたちは待ち望んでいた。 この方がわたしたちを救ってくださる。 この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。 その救いを祝って喜び躍ろう。 旧約聖書およびユダヤ教の祝宴のイメージは、原始キリスト教にも受け継がれ、 新約聖書に様々な祝宴の表象として現れている。ヨハネ黙示録の「子羊の婚宴」 (黙19:5-10)や「神の大宴会」(黙19:17-21)のような黙示文学的表現としてだけで はなく、イエスの語録や(27)、「盛大な晩餐」(マタ22:1-10/ルカ14:15-24)や「十人 のおとめ」(マタ25:1-13, 31-45)、「放蕩息子」(ルカ15:11-32)などの譬話(28)、物語 伝承として伝わるイエスの「取税人・罪人との会食」(29)、「供食物語」(30)、「最後の 晩餐」などの記事にその痕跡を見いだすことができる。 以上のような会食儀礼の概観は、新約聖書の会食儀礼すなわち聖餐の理解を直 接的に解明するものではないが、われわれはこれによって、古代キリスト教の会 食儀礼を取り巻く意味世界の多様性を前提的に理解しておくことができよう。マ ―215― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (103) ルコはこの多様な意味世界の住人なのである。マルコの共同体はこの多様な意味 世界の中で存続するために、自分たちの会食儀礼の持つ意味を、一定方向に画定 することを余儀なくされたのである。 それではまず、われわれが対象とするマルコ福音書の聖餐の意味理解を考察す る前に、原始キリスト教における聖餐伝承の発展について先行する所見をまとめ ておこう。 3 原始キリスト教における聖餐伝承 1)二聖餐説 原始キリスト教の聖餐伝承の発達 (31)に、古典的な系列化を試みたのはリーツマ ンの「二聖餐説」である(32)。すなわちリーツマンによると、聖餐伝承には、エル サレム原始教団のものと、パウロのものとがあった。前者は、イエスが弟子たち とガリラヤ―ユダヤの地を巡回しつつ、いつもなしていた交わりの食事に起源を 待つ。それは、イエスの生前の習慣を想起して、イエスの復活後においても継承 され、原始教会の「パン裂」きの伝統へと連続する。それは、イエスの死の想起 とは無関係に、復活の主の臨在と再臨とにむけられていた (33)。この歓喜をともな った「パン裂き」は使徒言行録に認められ(使4:42, 46)、後には、そこから『ディ ダケー』(9-10章)にみえる聖餐形態が発展してくる。それはイエスの死との結び つきがない事を特徴としている(34)。これと並んですでに後50年頃、第二の型。す なわちパウロの型のものがあった。その起源はイエスと弟子たちとの会食ではな く、伝承的にはただイエスの「最後の晩餐」とのみ結合する。しかもイエスはパ ンだけしか用いなかったのに、異邦教団において、特にパウロによって、サクラ メンタルな神秘宗教の影響を受けて杯が付加され、キリスト教のサクラメントと して形成された。これがキリストの死の記念祭としての「主の晩餐」であり、こ れのみが教会で繰り返され現在に至るまで存続した、とする説である (35)。R・ブ ルトマンも、パレスティナの原始教団様式と異邦的・パウロ的様式を区別して、 リーツマンを支持している (36)。このサクラメンタルな聖餐がパウロに起源すると いう点に修正を加え、E・ローマイヤーは「食事」に関する解釈の二つの型が二 つの原始教団、つまり、ガリラヤ教団とエルサレム教団の二つの集団に起源する もので、「パン裂き」はガリラヤ伝承により生前のイエスと弟子たちの会食を基盤 としており、「主の晩餐」はエルサレム伝承に属しておりイエスの死が中心となっ ているという(37)。また、W・マルクスセンは、生前のイエスとの食事を再現しつ つ、やがての再臨を待望する「パレスティナ型」の聖餐から、パンとブドウ酒の ―214― (104) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 特別な意味づけを持った「ヘレニズム型」の聖餐を発展段階的に区別している(38)。 以上のような、聖餐に関する異なる二伝承の仮説に対して、当然反論が提出され ている。B・ライケは、所与の証拠は一つの聖餐に関する二つの異なる言及の仕方 を表しているのであって、それは強調点の違いによっているだけだとし、聖餐はそ の始まりからただ一つであったと主張する(39)。E・シュヴァイツァーも同様の指摘 をし、全く異なる二種類の聖餐の存在を証明することはできないとしている (40)。 H・コンッェルマンも二聖餐説を支持していない(41)。 2)現在の二聖餐説 だが、現在もこの二聖餐説を基礎にしてマルコの聖餐伝承を整理しようとする 議論が立てられている。田川建三は、聖餐の意義づけについて、二つの異なった 伝承が原始教会に発達していたという観察は基本的に正しいとしている (42)。田川 は上述したうちの前者の「パン裂き」に「共餐」という表現を用い、イエスの死 との関連において神学的意義づけされた後者の聖餐と対峙させている。田川は、 このように仮説的に二聖餐説を設定し、そこから供食物語にアプローチする (43)。 すなわち、福音書に見られる5000人の供食物語や4000人の供食物語といった供食 の奇跡の物語は『ディダケー』などと同じく、聖餐よりも「共餐」の伝統をひく ものであり、マルコは、この伝承を福音書の枠内に組み入れる際に供食物語の奇 跡的側面を強調して採用し、独自の聖餐理解を提供しようとしたのだと推定して いる(44)。さらに、かの「十四章以下付録説」(45)を論拠として、14章の「最後の晩 餐」(14:22-25)の聖餐式制定の物語はマルコの考えを直接表現するものではない から、マルコは聖餐の意義づけをこの供食物語(6:30-44)においてなしているの だという結論に至っている。「つまり、聖餐のパンはイエスの肉で、ブドー酒はイ エスの血で等々の神学的議論から、神秘主義的なイエスの死と復活への信者の参 与といったような意義づけなどに対してマルコはむしろ、イエスが共に食事をす る、それで十分なのだ、と強調しているのである。そこにマルコがこの物語の奇 跡としての側面を強調した理由がある (46)。イエスが共に居る。そこに奇跡的な共 なる食事が祝われる。現在の信者の生活においてもイエスが共に居る。そのイエ スに信頼していけばよいのであって、それ以上に聖餐の祭儀的な意義づけは必要 としない、というのであろう。ここでは祭儀的キリストに対して奇跡物語のイエ スが主張されている」(47)。田川は、マルコが祭儀的伝承を奇跡物語の方向に読み 換えることによって、自らの主張を打ち出したというのである。 これに反して、同様に二聖餐説に基本的に立脚し、かつマルコが祭儀伝承を奇 跡物語の方向に読み替えたということを認めながらも、田川と全く対照的な意見 を提出しているのがP・J・アクテマイヤーである (48)。彼はまず二聖餐説を補強 ―213― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (105) するために資料的考察を行い、二系列の聖餐のもつ特質を資料的に跡づけている。 それによると、イエスと弟子たちの会食に起源を持つ聖餐は、(1)その食事にお ける復活の主の現臨に対する喜びに特に強調があり、かつこの系列の伝承には、 (2)イエスの死への言及が全く欠けており、(3)血を象徴するブドウ酒への言及 がほとんどなく、ある場合でも主要な十字架との関連づけを与えられていないと、 リーツマン説を基本的に再認している。またこの聖餐の主要素がパンであること から、アクテマイヤーはこの型の聖餐を「パン聖餐」(Bread Eucharist)と呼び、 この「パン聖餐」の系統に使徒言行録に見るパン裂きや『ディダケー』の聖餐が 入るとし、「供食物語」がその原因譚であったと推定している。さらにこの「パン 聖餐」は、イエスの奇跡的側面を強調するテイオス・アネール( 神 (49) の人) の神学の影響下にあり、「パン聖餐」の祭儀の場には、復活・被挙したイ エスの顕現を特徴づけるしるしが顕われる(Epiphanic Meal)と考えられていたと いうのである。アクテマイヤーによると、ルカ福音書にも「パン聖餐」の伝統を 反映する伝承が確認される。「一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福して 裂き、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであるこ とがわかった」(ルカ24:30f.)(50)。 これと対極にあるパウロおよび共観福音書 (51)の聖餐制定の記事はすべて。( 1 ) イエスの死との結びつきを強調する食事の系列に属しており、(2)イエスの復活 に関しては完全に沈黙している。福音書伝承が基本的に復活の光の下で形成され ていったという一般的な認識からすると、これらの状況はむしろ驚きに値する。 アクテマイヤーはこの聖餐伝承(特にパウロとマルコの記事)の背後には、復活 を一面的に強調する聖餐理解に対抗しようとする論争的な要素があるとしている。 コリントの信徒への手紙一においてパウロが、聖餐制定伝承(1コリ11:24-25)に 付加した「あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、 主がこられる時に至るまで、主の死を告げしらせるのである」(26節)という言葉 や(52)、導入部の「主イエスは渡される夜」(23節)などの付加は、当時流布してい た常套句的な表現ではなく、むしろ対立する聖餐理解に対抗して、パウロの聖餐 に関する神学的立場を表明するものだとしている(53)。 アクテマイヤーは、マルコ福音書には次のような点に論争的な要素が見られる、 としている。まず(1)「最後の晩餐」を編集的に、過越の子羊が屠殺され儀礼的 に会食される「過越祭」と重ねることによって、イエスの死を媒介とする救済の 観念を前面に打ち出している点。さらに、(2)マルコは、聖餐伝承としての供食 物語が彼の聖餐理解と異質なテイオス・アネール的な神学要素を持っているため に、この聖餐伝承のもつ(田川と同じく)祭儀的要素を弱化して (54)、イエスの生 涯における奇跡物語の一つに改変している点である。つまりその問題性の強い神 ―212― (106) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 学要素を払拭するためにマルコは伝承に手を加え配列操作を行い、供食の記事を 聖餐制定の記事(14:22-25)から引き離して、イエスの地上生涯の枠組みの中に置 いた、というのである。アクテマイヤーによれば、マルコはその際同時に、イエ スをテイオス・アネールとして提示している他の資料をもその枠組みの中に置い て、奇跡をイエスの生前の地上生活のみに限定させることによって、奇跡行為者 としてのイエスが聖餐において、共同体の中に顕現するというテイオス・アネー ル的な聖餐理解(Epiphanic Meal)を処理したというのである。それ故に「メシヤ の秘密」の動機が、テイオス・アネール的な奇跡記事の直後に付加されているの であり、またマルコに復活顕現の記事が欠落しているのもそのためであるとして いる。イエスを記念する聖餐は、奇跡行為と栄光によって特徴づけられるもので はなく、謙卑と苦難を特徴とするという主張を提示するために、マルコは、この 「パン聖餐」のもつ奇跡的傾向を弱化し、それと並行して真の聖餐の意義づけを、 (田川とは逆に)イエスの死の直前に置かれた14章の最後の晩餐の記事において行 ったと考えるのである。アクテマイヤーは二種類の聖餐伝承の対立を、受難のイ エスと奇跡的テイオス・アネールという異なる二つの神学の対立としてとらえ直 し、マルコがその対立を伝承操作によって福音書の文脈内で処理したと考えるの である。 以上新旧の二聖餐説は、その仮説性のゆえに、前提的な使用は避けなければな らないが、これらの学説の概観はマルコの聖餐伝承を考察するに際して、いくつ かの示唆を与えてくれる。 4 「パンの物語集」にみるマルコの聖餐理解 さて、「パンの物語集」の考察に移ろう。マルコは同趣旨のもの、もしくは同様 式の物語を一括してまとめる傾向がある。むしろそれが彼の基本的な編集方針で ある。1章21-45節の「奇跡物語集」、2章1節-3章6節の「論争物語集」、4章133節の「譬話集」、4章34節-5章43節の「奇跡物語集」、6章30節-8章21節の「パ ンの物語集」、8章31節-10章45節の「受難予告と教えを反復する仕方」、11章27節12章34節の「論争物語集」、13章の「黙示的言辞」などである。このようなマルコ の編集方針から、それをまとめて並べたのは、伝承の段階よりも編集上の操作で あるという可能性のほうがよほど強いことになる (55)。そして物語伝承を集め、そ れらの物語に手を加えその編集操作に、マルコの関心が現われるのは当然である(56)。 「パンの物語集」(Bread Section)に集められている物語は以下のとおりである。 ―211― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) ① 6:30-44 〔5000人の供食〕 (107) 5つのパン(artos)による5000人の供食 ② 6:45-52 〔湖上歩行〕 「先のパン(artos)」によって供食物語と連結 ③ 6:53-56 〔多くの者の癒し〕 ④ 7:1-23 パンの言及なし 〔不浄論争〕 不浄の手でパン(artos)を食すべきか、ファリサイ人 との論争 ⑤ 7:24-30 〔シリア・フェニキアの女〕 子供のパン(artos)を犬に与えるべ きか ⑥ 7:31-37 〔聾唖者の癒し〕 パンヘの言及なし ⑦ 8:1-10 7つのパン(artos)による4000人の供食 〔4000人の供食〕 ⑧ 8:11-13 〔しるしの要求〕 ファリサイ人、しるしを求める パンへの言及 なし ⑨ 8:14-21 〔パン種への警告〕 一つのパン(artos)に発する議論と教え 1)「パンの物語集」再考 それでは、マルコはこれらの物語をいかなる関心によって集め、どのように手 を加えているのだろうか。一見したところ、この伝承群にはパンに言及する著し い特徴が見られる。6章30節-8章21節の間にartosという言葉が17回、すべての主 要なペリコペーに現れている、(①6:30-44、②6:45-52、④7:1-23、⑤7:24-30、⑦ 8:1-9、⑨8:14-21)。しかし、詳細に観察してみると、この著しさは後退する。すな わち、artosという見出し語が17回登場するうち、8回が二つの供食物語に、そし て6回がその供食物語に対するコメントとなる部分に現れており( 6:52 と 8:14 )、 17回中14回は供食物語との関連で集中的に現れていることになる。他に④(7:1-23) に2回と⑤(7:24-30)に1回現れるのを除けば、パンの物語集の残る3つのペリコ ペー(③6:53-56、⑥7:31-37、⑧8:10-13)にはartosという見出し語は見当たらない。 もし「見出し語」がこの物語集の構成原理だとすると、これらの3つのペリコ ペーに見出し語がないということにいかなる説明がなされるのか、また「パンの ―210― (108) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 物語集」以外に見られるこのartosという語を含む個所(2:26, 3:20, 6:8, 14:22)が どうしてこの「パンの物語集」の中にまとめられなかったのをいかに説明するの かが問題となる。パンに関するテーマの在在は、「パンの物語集」の最後におかれ た8章14-21節(⑨)が編集的に(57)パンの問題を総括していることからも確実と見 てよいと思われるが、このパンの物語集が「見出し語」を単一の原理として構成 されたと単純に割り切ることは出来ないであろう。 これに対して、この個所を奇跡物語集としてみる見方がある。すなわち、9つ の物語のうち、ファリサイ人との「不浄論争」(④7:1-23)とファリサイ人の「し るしの要求」(⑦8:10-13)の2つのペリコペーを除くと、あとの7つはすべて奇跡 物語と見なしうるからである。アクテマイヤーは、この物語集をマルコの編集操 作によって編まれた「奇跡章句集」(Miracle Catenae)(58)と呼び、田川は折衷的に 「パンの奇跡に関連する物語」と呼ぶ(59)。しかしアクテマイヤーのように奇跡集と して割り切ると、この部分の「パン」への言及の多発性を全く度外視することに なる。同時に、奇跡よりもパンの教えに力点を持つペリコペー(④7:1-23、⑨8:1421)の存在によって、その見方は裏切られることになる。「パン」への集中をマル コの意図から全くはずしてしまうことは、かえって不自然なのである。では、マ ルコは奇跡物語に重点を置いているのだが、物語の選択に際しては、パンの言葉 を含んでいるという点で、似通った物語を集めたにすぎず、マルコはパンの内容 あるいは、それに係わる特別な事柄に注意を払わずに、比較的ルースに物語を収 集したのだと考えるべきだろうか。そう考えるには、マルコはあまりにもパンに 意識を向けすぎていると言わねばならない。その例が、主要なパンの物語に編集 的に「弟子の無理解」への言及(②6:52、④7:17f.、⑨8:17-21)が付加されている ことである。マルコにおいては、「弟子の無理解」のモティーフは特別な機能を担 っており(60)、読者の注意を喚起して、重要な教えを持ち込む導入的効果と、その 教えが特に重要であることを指示する強調効果を持つのである。「まだ悟らないの か」(8:21)というような無理解に対する強い叱責表現の背後には、パンヘのマル コの意識が集中し、そこに彼の強い主張が潜在している可能性を度外視できない。 よって、以上の物語を「奇跡物語」と単純に割り切ってしまうことはできないで あろう。上記の問題に納得のいく解決を得るためには、この物語集に一面的な印 象に基づいた断定的な性格づけを行うよりもむしろ、各ペリコペーの内容と、ペ リコペー間に見られる物語のプロット上の関連を問い、マルコの編集の痕跡に無 理のない跡づけを行うことが重要である。 2)見出し語 artos をもたないペリコペー そこでパンの物語集を内容的に検討してゆくと、われわれは、この物語集にお ―209― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (109) いて、パンに関係する3つのまとまりの存在と、パンヘの直接的言及を含まない 2つの挿話(③、⑥)が継句的に使用されているのを観察することができる。 Ⅰ ①6:30-44 5000人の供食(artos) ②6:45-52 湖上歩行〔と弟子の無理解〕(artos) ③6:53-56 多くの者の癒し Ⅱ ④7:1-23 不浄論争〔と弟子の無理解〕(artos) ⑤7:24-30 シリア・フェニキアの女(artos) ⑥7:31-37 聾唖者の癒し Ⅲ ⑦8:1-10 4000人の供食(artos) ⑧8:11-13 パリサイ人、しるしを要求 ⑨8:14-21 パン種のへ警告〔と弟子の無理解〕(artos) 最初のまとまり(①、②、③)では5000人の供食(①6:30-44)に対して、無理 解を顕すものとして湖上歩行の奇跡に対する驚きの記事(②a 6:45-51)が結合され、 その結尾(②b 52節)において弟子たちのパンヘの無理解が叱責されている。この 第Ⅰのまとまりの最後に「多くの者の癒し」(③6:53-56)が報告される。この癒し の報告は明らかにマルコの編集上の「まとめの句」である(61)。まとめは、数多く のイエスの活動を(n度生起したことを一度で)総括的に報告する。一章以来現 われる「まとめの句」と基調を同じくして (62)、ここでもイエスの癒しと宣教活動 の拡大が再度報告されている。すなわちイエスの活動は依然として拡大・進展し ているのである。マルコはこれを継句として使用し、福音書全体の文脈上の一貫 性を保持している。続く第Ⅱのまとまりは、ファリサイ人との「不浄論争」に端 を発するユダヤ人の食物規定の排撃(④7:1-23、ここにも弟子たちの無理解への言 及がある、17f.)の実例として、シリア・フェニキアの(ギリシア)女がパンを受 ける物語(⑤7:24-30)が記される。ここには、キリスト教の世界進展の過程にお ける、民族的排他性の問題が扱われている。食事祭儀に参加するためのユダヤ民 族的資格は拒否され、求めと信仰がパンにあずかる者を有資格者たらしめる。一 見奇跡物語的色彩の濃いこの物語は、直前の「不浄論争」と並置されることによ って、ユダヤ的食物規定や習慣を排撃し、異邦人に食卓を開く鮮やかな例証とし て機能している。同時に奇跡行為の発現が信仰の契機と結合されて(29f.)、奇跡 行為に対する信仰の優位を印象づけている。次いで継句的に「聾唖者の癒し」の 物語(⑥7:31-37)が報告される。この癒しの出来事は異邦人の地デカポリスでな されており、イエスの宣教拡大の基調をさらに保持している。また、この癒しは ―208― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (110) イエスの異邦世界への活動の拡大・継続であると同時に、民族的排他性排撃のも う一つの例証として「シリア・ファニキアの女」の記事を補強する位置にある。 同時に、この耳が聞こえず、口のきけない男の癒しは、イエスの側近的位置にい ながら、目があっても見えず耳があっても聞こえない弟子たち(⑨8:18)の姿と鮮 明なコントラストをなしている。そして、第Ⅲのまとまりでは、 4000 人の供食 (⑦ 8:1-10 )に、別種の無理解の実例となるファリサイ人の「しるしの要求」(⑧ 8:11-13)が結びあわされ、終結部においてファリサイ人とヘロデの「パン種への 警告」(⑨8:14-21)が発せられる。そして、その警告に誘発されて弟子たちの無理 解が表面化すると、そこではファリサイ人の無理解と弟子たちの無理解とがもは や同一線上に置かれ、パンに対する理解が弟子たちには徹底的に欠落しているこ とが示されるのである。 以上に見るようにように、この一連の物語の流れの中に、2つの継句的報告 (③、⑥)が存在することによって、イエスと弟子たちの宣教活動は変わらず進展 しているという印象が創り出されている。イエスの宣教活動の開始から、6章の 十二弟子派遣を経て進展する宣教活動の拡大の基調を、2つの継句的報告によっ て支えながら、福音書記者はその宣教活動の進展の中にパンの物語を配置してい るのである。宣教の拡大は、食物規定の排他性の排撃、異邦人の参与しうる食事 祭儀の定位なくしてはあり得ないのである。そこでイエスと弟子たちは宣教の拡 大の業のために絶えず動くが、その動きをとどめることなく、マルコはパンに関 する事柄をちりばめたのである(63)。 3)食事のテーマの拡大 さらに、この「パンの物語集」には、他の物語集において提示された食事のテ ーマが、継承され、拡大されている痕跡が認められる。この基本的な着想を提供 したのは、デューイの「論争物語集」(2:1-3:6)の研究である(64)。彼女は、2章1 キ ア ス ム ス 節−3章16節に合まれる5つの論争物語の交差配列的構造(Chiastic Structure)に 注目し、その論争の焦点の一つが食事に関するものであることを観察している。す なわちこの物語集が、 A(2:1-12 中風人の癒し) B(2:13-17 取税人や罪人との食事) C(2:18-22 断食問答) B'(2:23-28 安息日の穂摘み) A'(3:1-6 片手のなえた人の癒し) ―207― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (111) という構造をとっており、B―B'(「取税人や罪人との食事」―「安息日の穂摘み」 ) のキアスムス対応において食事が問題とされているのである。つまりBにおいて は、イエスは家に入って収税人や罪人たちと食事をする(動詞 「食べる」 が現在形で2回現れる)。一方、B'では、ダビデが神の家に入って供えのパンを食 べ、共にいた者にも与える( はアオリスト形で2回)。Bにおいてイエスと 弟子たちは、この食事によって祭儀的な聖潔を侵すのだが、B'においてもダビデ と従者たちは、祭司にのみ許されているパンを食べることによって禁を侵す。B' (安息日の穂積み)は、弟子たちの安息日破りを話の枠組みとして、その中に旧約 のダビデの行為を挿入し、イエスと弟子たちの違反行為を理想の王ダビデの行為 によって正当化しているのである。これによってまた、B'に対応するBでの取税 人や罪人との食事における、イエスの行為も正当化されることになる。ダビデは クレイアン・エスケン、25節)時に律法を破った。 「必要のある」( クレイアン・エクーシン、17節) 同様にイエスも「必要のある」 ( 時に掟を超える。このように、「論争物語集」において食事のテーマが構造的に重 要な位置で取り扱われているということは、マルコの共同体が直面していた論争 問題の一つが食事(すなわち会食儀礼としての聖餐)の問題であったことを示唆 している。そしてさらにこの食事への問題意識がわれわれの考察している「パン の物語集」に受け継がれ、拡大されているのである。すなわち「論争物語集」が 律法を破るイエスの死を画策するファリサイ人とヘロデ派の陰謀において頂点に 達する(3:6)、という編集処理を施されているのに並行して、「パンの物語集」は その終結部で、ファリサイ人とヘロデのパン種への警告(⑨8:15)において極まる という編集処理をされているのである (65)。かつ両者はともに、イエスの受難を指 向している。 加えてこの「パンの物語集」にみられる同根の二つの供食物語(一度生起したこ ヴァリアント とをn度物語る反復的な伝承過程で生じた二つの派生伝承、すなわち5000人の供食 物語と4000人の供食物語)をルカがしているように一方を割愛することをせず、二 つの物語を反復的に配列、強調し、イエスの生涯に二度起こった(n度生起したこ とをn度物語るべき)重大な事として物語り、さらにどちらの物語にも弟子の無理 解の動機を(②6:52、⑨8:18)付加し意味の重要性を強調したのは、マルコの意図 的な操作だと言ってよい(66)。 「パンの物語集」の存在は、マルコの聖餐への関心の高さを表している。また そこに加えられた編集操作は、マルコに固有の聖餐理解を提示するものでもある。 では、「パンの物語集」を形成したマルコの意図とその聖餐理解についてわれわれ は一体何を知り得るのか。 ―206― (112) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) 4) 「パン種」が意味するもの さて、二つの供食物語の文脈に再度戻ってみよう。「パンの物語集」の第Ⅱのま とまりである「不浄論争」と「シリア・フェニキアの女」(④、⑤)の文脈におけ マルコの編集上の意図はすでに観察したように明白である。それでは「パンの物 語集」の中心ともいい、反復される二つの供食物語(①、⑦)のそれぞれの文脈 において、マルコはいかなる聖餐理解を見せているであろうか。 まず第Ⅰのまとまりである「5000人の供食」と「湖上歩行の物語」(①、②)が つくる文脈に注目してみよう。この文脈の結尾に、明らかにマルコが付加したと 判断できる編集句(6:52)が、この両物語を繋いでいる(67)。マルコはこの編集句で 「湖上歩行」の奇跡でみせた弟子たちの驚愕を責める。「(弟子たちは)先のパンの ことで悟らず、その心が鈍くなっていたからである」(52節)と。すなわち、パン に関して無理解であるため、それが湖上歩行に対する驚きとなって表面化してい るのだということになる。マルコおよびその共同体が供食物語を自明の聖餐伝承 として受け取ったことを前提とすれば、聖餐の意義に対する無理解が「湖上歩行」 の奇跡に於ける驚きとなって表面化し、そしてそれをマルコは、「先のパンのこと で悟らず、その心が鈍くなっていたからである」と叱責したのだと考えることが できる。では何故、マルコは「湖上歩行」の奇跡に対する驚きを、聖餐に対する 無理解に由来するものとし、また叱責に値するものとしているのか。奇跡物語の 結尾唱句が驚きの動機で終わるという一般的な事実からしても、湖上歩行の場面 における弟子たちの驚き(51節)は、当然と言わなければならない(68)。その当然 とも言うべき驚きに、マルコは、何故叱責を加えているのか? その回答「を得 ようとすれば必然的に、「湖上歩行」のペリコペーをここに編み込んだマルコの編 集意図を問わなければならなくなる。 これを問う前提として、先に第Ⅲのまとまりを見ておこう。「4000人の供食」物 語(⑦)のあとに置かれたペリコペー(⑧ 8:11-13 )では、ファリサイ人たちが、 イエスのもとにやって来て、(1)イエスに議論をしかけ、(2)天からのしるしを 求めて、(3)イエスを試みる(8:11)。彼らはイエスに対して、メシヤとしての奇 跡的な神的保証を要求しているのである。しかしイエスは、心の中で深く嘆息し て拒否を表明する「なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせ ておくが、しるしは、今の時代には決して与えられない」(8:12)。マルコ前の伝承 に属するこの言説の前後に編集枠(8:11と13)を施して、この位置に配列したのは マルコである(69)。さらにその直後のペリコペー(⑨8:14-21)では、「ファリサイ人 の…パン種をよくよく警戒せよ」という警告をイエスの口に置き(8:15)、その警 告が発せられると、パンに対する弟子たちの無理解が顕在化するという展開をた どっている(8:16-21)。イエスが2度の供食の事件に言及して、パンの数と食した ―205― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (113) 人数と余ったパンくずの量を確認していることから、従来多くの注解者がここで の弟子たちの無理解は、奇跡的にパンを増殖させるイエスの全能性に対する無理 解だとしてきた。しかし、この解釈は「パン種を警戒せよ」という謎めいた警告 の意味を正しく理解していない。むしろ、ここではパンの数に終始している弟子 たちに対して、イエスは数を引き合いに出しながら、この数に対する議論を一掃 しているのである。「5つのパンをさいて5000人に分けたとき、拾い集めたパンく ずは、12のかごに一杯になり、7つのパンで4000人の人たちに供食したときには 7つのかごに一杯になったではないのか、持ち合わせのパンの数が一つであると か、幾つであるとかは問題なのではない。パンがないなどと論ずるな(17f.)、数 ではなくてパン種に気を付けろ」と弟子たちの蒙昧を、ファリサイ人の無理解と 同列に置くことによって、聖餐と奇跡的「しるし」とを結びつける考え方を、パ ン種を合むものとして排除しているのである。と同時に「ヘロデのパン種」を並 置することによって、バプテスマのヨハネを殺害し(6:14-29)、イエスをヨハネの 生き返りだと妄想し、やがてはイエス殺害の加担者となるヘロデに言及すること によって、ファリサイ人のパン種とともに、イエスを無にしてしまうイエスに対 する曲解の契機を一掃しているのである(70)。 5)「パンの物語集」に見られる聖餐理解の特徴 では供食物語の文脈において提出されている真のパンすなわち聖餐理解とは何 か。それは「しるし」を求める要求が鎮まったところで獲得される。つまり真の 聖餐理解に至るには、奇跡を神的保証としようとする、すなわち「しるし」とし ての直接的な神顕現に依存しようとする志向を批判的に乗り越えなければならな い。このことは、「湖上歩行」の物語を、今少し観察してみることによって、より 鮮明になる。 この「湖上歩行」のペリコペー(②a 6:45-51)は、マルコ前の段階で、復活顕現 ヴァ リ ア ン ト の派生伝承として流布していたのではないかという推測が一つのヒントとなる(71)。 というのは、このペリコペーの顕著な顕現物語的性格とマルコの叱責とは不可分 だからである。その性格は、おじ恐れている弟子たちにかけられた、イエスの言 葉の中にみられる (エゴー・エイミ、「わたしだ」、 6 : 50 )によって、 他の物語よりも一層強いものとなっている。 マルコ福音書において、 はこの箇所を含めて、全部で三個所に現われ 6:50, 13:6, 14:62 13 る( )。 章6節の「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分 がそれだ( )と言って、多くの人を惑わすであろう」という記事は、同 13 21-22 じ 章の 節において見られる状況を共有している。「そのとき、だれかがあ なたがたに『見よ、ここにキリストがいる』『見よ、あそこにもいる』と言っても、 ―204― (114) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) それを信じるな。偽キリストたちや、偽預言者たちが起こって、しるしと奇跡を 行 い 、 で き れ ば 選 民 を も 惑 わ そ う と す る で あ ろ う 。」 マ ル コ に と っ て は、 はキリスト論的な意味合いを持っている。マタイは、このマルコ13 章6節の の意味を明確にするために、並行するマタイ24章5節におい て「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだ ( エゴー・エイミ・ホ・クリストス)と言って、多くの人 を惑すであろう」と、「キリスト」を補っている。 もう一つ個所はの14章62節である。 という表現は、サンヘドリンの裁 判の個所で、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」(14:61b)と問う大 祭司の尋問に答えて、「わたしがそれである( )。あなたがたは人の子が 力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」(14:62)と答えるイ エスの言葉の中に見い出される。この個所において典型的に見られるように、マル コにとって という表現は、メシヤの宣言定式なのである(72)。上に見たよ うに一度は、「偽」キリストの言葉として、さらに一度はサンヘドリンの裁判での 大祭司の尋問に対するイエスの答えとして、そして、もう一度が現在のわれわれ のペリコペーに現れている。 勿論、このペリコペーに現れた は伝承によるものである(73)。しかしマ ルコは、この伝承を何の意図もなく、無造作に、現在の位置に配列したのではな い。この配列の中に。マルコ自身の神学的な表現が見えるのである。特に直接的 神顕現の動機の濃厚なこの物語に、批判的な態度を表明する(6:52)ことによって、 パンに対する真の理解の在りかを指しているのである。つまり、マルコの聖餐理 解は、直接的神顕現の動機を批判的に越えたところに成り立っている。イエスが 偉大な奇跡行為者であると知るだけでは、真の聖餐の意味に到達しないのである。 かえって、奇跡の無批判な称賛は聖餐の意味を全く曇らせてしまう結果に至る。 マルコは、聖餐伝承に直接神顕現の動機の強い奇跡物語やエピソードを並置し て、それによって自らの聖餐理解を提出する。その際に、直接的神顕現による驚 きや、それに対する要求に、叱責を加え、拒否を示すという批判的態度を取るこ とによって、真の聖餐理解へと近づいていくのである。マルコは、決して奇跡を 全面否定してはいない。それは「パンの物語集」内における、継句的な奇跡に関 するまとめの記事である「多くの者の癒し」(③6:53-56)と、「聾唖者の癒し」(⑥ 7:31-37)の奇跡の記事からも明らかである。前者(③)がイエスの活動をまとめ る「まとめの句」であり、後者(⑥)がイエスの活動を特にイザヤ書35章5-6節aの メシヤの時代の到来を象徴する記事と結びつけていることからも、そのことが理 解される。むしろここでは、マルコは奇跡物語に積極的な関心を持っているとさ え言える。しかし上述のようにマルコは、湖上歩行の奇跡に対する弟子たちの驚 ―203― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (115) きには無理解の動機を付加して、叱責に値するものとしている (74)。つまりマルコ は奇跡物語に見られるイエスの力ある行為を神の国の接近しつつある新しい時を 示すものとして受容するが、しかし、奇跡物語の本質的構成要素である直接的神 顕現の動機に対しては、これを批判的に解釈し、前段的なもの秘密にすべきもの(75) としていることになる。なぜなら、イエスの神の子たることの啓示は、地上のイ エスの個々の奇跡行為に基づいてではなく、受難をまって初めて(15:39)与えら れるものだからである(76)。 5 結 び 以上われわれが観察してきた供食物語を含む聖餐伝承および奇跡伝承に対する マルコの態度は、聖餐理解の消極的な面を示しているにすぎない。実際マルコは とど 福音書の構成上戦略的に聖餐理解の消極的な面を示すだけに停まっているのであ る。パンについて悟るべき内容について、「パンの物語集」は、それに直接的に答 えを示していない。反復する2回の供食物語を総括する8章14-21節(⑨)は「ま だ悟らないのか」(8:21)と、パンに対する弟子たちの無理解への叱責で終わって いる。悟るべき内容をマルコは明示していない。つまり、21節の問は開かれたま まである。マルコは、パンの記事を繰り返しながらも、聖餐理解の否定的な側面 だけを示して、意図的に問を宙に投げ出したままにしているのである。この問へ の答は、聖餐祭儀に参与していたマルコ共同体には自明のものであったはずであ るが、福音書のプロット上の戦略においては、もう一つの聖餐伝承すなわち「パ ン種」を入れない祭りとともに祝われる「最後の晩餐」の記事を指向し、それと の関連においてのみ明白なものとなるはずである。しかし、これは本稿の論考の 範囲を越える課題となる(77)。 〔注〕 (1) 本稿は拙稿「マルコ福音書におけるartos」(東京大学宗教学年報Ⅲ、1985, 60-77頁)の論考の一部において取り上げた問題にさらに検討を加えようと するものである。それゆえ、重複がかなりの部分に存在することを最初にお ことわりしておく。 2 ( ) G・ジュネット『物語のディスクール』(花輪、和泉訳、風の薔薇刊、 1985年)129頁以下。 (3) A. Meyerが Die Entstehung des Markusevangeliums, Tübingen, 1927, SS. 35-60 において、それらの物語が“Brotessen”の見出し語のもとに結び合わ ―202― (116) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) されていることを指摘し、現在にいたる議論を開いた。パンの物語集に関す る諸研究はQ. Quesnell, The Mind of Mark,Interpretation and Method through the Exegesis of Mark 6:52(Rome, 1969)pp. 28-38に詳しい。 (4) 荒井献『イエス・キリスト』人類の知的遺産 12 、講談社、 1979 年、 263 頁。 (5) 小口偉一編『宗教学』弘文堂入門双書、1981年、79頁。 (6) Clemens Alexandrinus, Protrepticus XII, 119. 翻訳はJ.A.ユングマン『古代 キリスト教典礼史』(石井祥裕訳、平凡社、1997年)ギリシア悲劇のエウリ ピデス『バッコスの信女』(405B.C.頃)〔松平千秋訳、「ギリシア悲劇Ⅳ」筑 摩文庫、1986年、447-524頁〕は、酒神ディオニュソス(バッコス)崇拝の 激情的な秘儀を描いた作品として興味深い。 (7) ユングマン、前掲書、172頁。 (8) ゼウスの子ディオニュソスが遊びに夢中になっているときに、ティタン に襲われる。ディオニュソスは雄牛に姿を変えるが、ティタンに追われ、ず たずたに引き裂かれてしまう。ところが、女神アテナがディオニュソスの心 臓を救い出し、ゼウスのところへ持ってくると、ゼウスはそれを飲み込み、 新しい息子、新しいディオニュソスを生む。ティタンによってばらばらに引 き裂かれたディオニュソスは再び生命を得る。ユングマン、前掲書、174頁 参照。 (9) J.A.ユングマン、前掲書、174頁参照。 (10)翻訳は、蛭沼寿雄他編『原典新約時代史』山本書店、1976年、328頁によ る。傍点は筆者による。 (11)フェルマースレン『ミトラス教』小川英雄訳、山本書店、 1973年、111117頁参照。ミトラ(ス)教はペルシア起源の宗教で、おそらく、前1世紀半 ばにローマに伝わり、後2世紀から4世紀半ばにかけて密儀宗教として流行 した。 12 ( )宗教学者のM.エリアーデは、〈ヒエロス〉 ァイノマイ〉( 「聖なるもの」)が〈フ 「自らを現す」)という観点から、宗教的時間、宗 教的空間を〈ヒエロファニーとしての時間〉および〈ヒエロファニーとして の空間〉と規定した。 (13)W.R.スミス『セム族の宗教』永橋卓介訳、岩波文庫、1941年、第6-11講。 (14)E.デュルケム『宗教生活の原初形態』古野清人訳、岩波文庫、1941年、下 巻185-186頁。 (15)翻訳は、蛭沼寿雄他編『原典新約時代史』山本書店、1976年、329頁によ る。『第一弁明』の執筆は後150年頃。 ―201― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (117) (16)フェルマースレン、前掲書、115頁参照。 (17) 「聖餐」は、2世紀以後の教父においては「エウカリスティア」 (eucharistia)、つまり〈感謝の献げ物〉と呼ばれた(たとえば1世紀末に成 立されたとされるディダケー9:1参照)が、新約聖書で最初にこの会食儀礼 に対する述語として現れるのは、 「主の晩餐」という用語である。 (18)ユングマン、前掲書、57-58頁。傍点および〔 〕内の注釈は筆者による。 (19)特にレビ記1-10章は、供犠の規定を詳細に記している。また祭儀的会食の 記事の代表としては、王上1:25、サム上2:13以下、9章、13章、21:4-7、詩 4:6-9、その他、創26:30、31:46、 54、出32:6、申12:18、士9:27、雅5:1等が ある。 レビ記の記している祭儀規定を参考のために以下に要約しておく。 焼き尽くす献げ物 犠牲として献げられる動物は、牛、羊、山羊などで、 無傷の雄でなければならない。奉納者は罪をあがなう儀式として犠牲獣の頭 に手を置く。屠殺された犠牲獣の血は、祭司によって祭壇の四つの側面に注 ぎかけられ、各部に分けられた体は脂肪とともに神に献げる宥めの香りとし て祭壇で焼かれる。鳩が献げられることもあるが、供犠の過程はこれに準じる。 穀物の献げ物 小麦粉にオリーブ油を注ぎ、乳香を加えて祭司に差し出す と、祭司はその一部をとって祭壇の上で燃やして、主に献げる宥めの香りと する。焼いてパンにしたり、蒸すなど調理して献げ物とする場合も、祭司は その一部をとり、祭壇の上で燃やし宥めの香りとして主に献げる。収穫した 穀物の初穂を献げる場合も、ほぼ同様に規定されている。 和解の献げ物 無傷の牛、羊、山羊が献げられるが、その際、雌雄は問題 とされない。奉納者は犠牲獣の頭に手を置いて屠殺すると、祭司は犠牲獣の 血を祭壇の四つの側面に注ぎかけ、脂肪および腎臓と肝臓の尾状葉を祭壇で 焼いて、主への宥めの香りとして献げる。 贖罪の献げ物 .. 人が罪を犯した場合、彼が祭司であれば無傷の若い雄牛を、 共同体全体であれば若い雄牛を、その代表者であれば無傷の雄山羊を、個人 であれば雌山羊を、贖罪の献げ物として献げる。貧しい者の場合には、二羽 の鳩や一定量の小麦粉で、山羊や羊に代えることができる。鳩以外の犠牲獣 は、奉納者がそれに手を置いて屠殺した後、祭司は犠牲獣の血をとってそれ に指を浸し、主のみ前で7度振りまき、祭壇の四隅の角に塗り、残りの血を 祭壇の基に流す。和解の献げ物と同じように脂肪および腎臓と肝臓の尾状葉 を祭壇で焼くが、皮、肉、頭、四肢、内蔵、胃の中身は宿営の外の焼却場に 運び出して、燃える薪の上で焼き捨てられる。こうして儀式が完了すると、 彼ないし彼らの罪は赦される。祭司の任職に際しては、贖罪の献げ物に加え ―200― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (118) て焼き尽くす献げ物として雄羊一頭、任職の献げ物として雄羊一頭を献げ る。 賠償の献げ物 聖物侵犯、知らざる罪、隣人に対する背信に対して要求さ れる、損害賠償と罰金を含んでおり、相当額の無傷の雄羊を献げて賠償の献 げ物とする。犠牲獣の血は祭壇の四つの側面に注ぎかけ、脂肪および腎臓と 肝臓の尾状葉を祭壇で焼いて、主への宥めの香りとする。 以上の供犠のほとんどは、奉献後に祭司のみが食べることを赦されている が、だだ和解の献げ物にだけは共食が伴っており、奉献者がこれにあずか る。 (20)小林信雄『主の晩餐――その起源と展開』日本基督教団出版局、1999年、 13頁参照。 (21)加納政弘『過越伝承の研究』創文社、1971年、11頁以下。 (22)例えば、 W.O.E.Oesterley, The Jewish Background of the Christian Liturgy, Gloucester, 1965, pp.156-179 参照。反対に過越の食事であったとす る代表的な研究は、 J. Jeremias, Die Abentmahlworte Jesu, Göttingen, Vandenhoeck & Ruprecht, 1967(田辺明子訳、J・エレミアス『イエスの聖 餐の言葉』日本基督教団出版局、1974年)。 (23)ルカの記事では、パンの聖別の前にさらに杯が回されていることから、聖 餐制定の際の杯は、過越の食事の儀式で回される四度の杯のうちの最も重要 な三番目のいわゆる祝福の杯であって、この三番目の杯をあげる際にイエス が「血による新しい契約を」制定した、と主張されることがある。J・エレ ミアス『イエスの聖餐の言葉』日本基督教団出版局、1974年、103頁参照。 (24) 〈カブラー〉は「同僚」や「友人」という意味を持つ〈カベール〉に由来 する。W.O.E.Oesterley, The Jewish Background of the Christian Liturgy, Gloucester, 1965, p.167 参照。 (25) 〈キドゥーシュ〉とは「聖別」を意味し、安息日やその他の祭日の始まり に、祭司が、パンやぶどう酒の上で祈りを唱え、これを聖別する儀式、ある いはその祈りをいう。これは聖なる日を平日から区別するという考えによる。 吉見宗一『ユダヤ教小辞典』リトン、1997年、58頁参照。 (26) 〈カブラー〉を考慮の対象からはずして、〈キドゥーシュ〉だけを聖餐儀 礼の背景として考察することも可能である。しかしいずれにしろ、これらは すべて推測の域を出るものではない。 (27)マタ8:11/ルカ13:28ff.、マタ6:10ff./ルカ11:2b-3、マタ19:28/ルカ22:2830など。 (28)その他、「礼服を着ない客」(マタ22:11-13)、「忠実な僕」(ルカ12:35-38) ―199― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (119) など。 (29)マタ11:16-19/ルカ7:31-35、マコ2:15-17(並行)、ルカ7:36-48、ルカ19:110、マコ7:24-30/マタ15:21-28など。 (30)マコ6:32-46、8:1-10(並行)。 (31)新約聖書および初期キリスト教における聖餐に関する基本的な資料として は、Jerome Kodell, The Eucharist in the New Testament, The Liturgical Press, Collegeville, 1988; Francis J. Moloney, A Body Broken for Broken People: Eucharist in the New Testament, Revised Edition; Eugene Laverdiere, The Eucharist in the New Testament and in the Early Church, The Liturgical Press, Collegeville, 1996; Hans-Josef Klauck, Herrenmahl und Hellenistischer Kult, Münster, 1986 を参照。以下の論考における新約聖書の 引用には、各種邦訳ならびに和訳を用いた。 (32)H. Lietzmann, Messe und Herrenmahl, Leiden, 1926. (33)福田政敏「せいさん」『キリスト教大辞典』(改訂新版第2版)教文館、 1973年、612頁。 (34)H・コンツュルマン、前掲書61頁、松木浩三郎『イエスと新約聖書の教会』 日本基督教団出版局、1972年、204頁。 (35)Q. Quesnel1, op.cit., p.65. (36)R. Bultmann, Theolgie des Neuen Testament, 2 Aufl., Tübingen, 1954. 邦訳、 R・ブルトマン(川端純四郎訳)『新約聖書神学』Ⅰ、Ⅱ、新教出版社、 1963年。邦訳、Ⅰ、185頁。 (37)E. Lohmeyer, "Das Abendmahl in der Urgemeinde," JBL 56(1937). (38)W ・マルクスセン「聖餐の観念とその変遷」『イエスの時代』佐藤研訳、 教文館、1979年、199、202、203頁。 (39)B. Reike, Diakonie , Festfreude und Zelos in Verbindung mit der altchristlichen Agapenfeier, (Uppsala Universitets Arsskrkfe 5)1951. (40)E. Schweizer, "Abendmahl in N.T.," RGG 3. (41)コンツェルマンはリーツマン説を否定して二つの聖餐の型が存在したので はなく、資料からは、原始教団がすでに食事を儀式的な行為としていたこと と、食事についての様々な解釈があったという事が確認できるだけとしてい る。 H. Conzelmann, Grundris der Theologie des Neuen Testaments, München, 1967. 邦訳、H・コンツェルマン(田川建三、小河陽訳)、『新約 聖書神学概論』新教出版社、1974年、64-66頁。 (42)田川建三『原始キリスト教史の一断面』(頸草書房、1968年)231頁。(以 下『一断面』と略す。) ―198― (120) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (43)パウロ型聖餐はパウロのオリジナルな聖餐理解ではなく、パウロが以前か らその存在を知っていたものであり、両方の型の聖餐がパウロ以前から並存 していたという前提で議論が展開されている。『一断面』231頁。 (44)田川『一断面』232頁。 (45)田川はマルコ福音書は元来13章までで完結しており、「最後の晩餐」の記 事を含む14章以下は後代の付加としている。田川『一断面』338頁。 46 ( )奇跡物語としての面が強調されているとする根拠を田川は示していない。 (47)田川『一断面』232頁。 (48)P.J. Achtemeier, "The Origin and Function of the Pre-Markan Miracle Catenae," JBL 91(1972)pp.198-221. (49)Achtemeier, op.cit., p.209. ヘレニズム世界においては、並みはずれた能力 を持つ個人を神的英雄とみなし、政治的英雄、哲人、宗教集団の創始者をテ イオス・アネール( =神の人)と呼んだ。これらが伝記という ジャンルと結びついて、種々のアレタロギー(神的英雄説話)が形成された。 イエスとテイオス・アネールとの関係という観点からマルコ福音書を研究し たものとして、 J.D. Kingsbury, 'The "Divine Man" as the Key to Mark's Christology - The End of Era?', Int 35, 1981, pp.243-257. ユダヤ教におけるテ イオス・アネール概念に関する研究としては、C.H. Holladay, Theios Aner in Hellenistic Judaism (SBL Dissertation Series 40), Missoula, Montana, 1977. (50)その他、ルカ24:36-43。 (51)マタイ、ルカは、マルコを先行資料としているので、マルコ的聖餐理解が どの程度意識的に受容されているのかは推定しがたい。特にルカの特殊資料 には、ここで言う「パン聖餐」の系統の特徴をもった記事が見られる(ルカ 24:30f., 36-43; cf. 使1:3f.; 2:46)ので、ルカの聖餐理解を分析する際には注意 を要する。 (52)H・コンツェルマン、前掲書、66頁。 (53) 『ディダケー』やヨハネ福音書からみて、パウロ的解釈は、当時あまり一 般的な解釈ではなかった可能性もある。Achtemeier,op.cit., p.217. (54)マルコは、供食物語が元来持っていた聖餐祭儀的な性格を弱めるために、 魚の記述を付加して奇跡物語としての性格を持たせたとする。Achtemeier, op.cit., p.213. (55)田川建三『マルコ福音書』上巻(新教出版社、1972年)124頁(以下『マ ルコ』と略す。) (56)田川『マルコ』341頁。 ―197― マルコ「パンの物語集」再考(挽地) (121) (57)プライクは、この部分の17、18節以外をすべてマルコの編集と見る。E. J. Pryke,Redactional Style in the Marcan Gospel(Cambridge,1978)p.162. 筆者は18節も編集に含める。 (58)Achtemeier,op,cit., pp.198-221. (59)田川『マルコ』124頁。 (60)挽地茂男「マルコ福音書における弟子の無理解の動機」『ペディラヴィウ ム――ヘブライズムとヘレニズム研究』27号、1988年、19-33頁。 (61)田川『一断面』14、261頁。 (62)1:28, 39, 45; 3:7-12; 6:12 etc. (63)マルコの意図的な編集を主張するために、「物語集」内における並行 (6:30-7:37と8:1-21/26)を問題にする解釈者が多い。この両者に、供食―湖 横断―パリサイ人との論争―シリア・フェニキアの女/パンの秘義―癒し、 という並行関係が存在するとされる [V. Taylor, The Gospel according to St. Mark(London, 1966)p.628]。しかしわれわれは、①物語集の前後幅の取り 方が研究者によってまちまちであり、②主張されるような並行関係は完全な 並行関係を持っていない、という二つの理由からこれを問題にしない。 (64)Joanna Dewey, "The Literary Structure of the Controversy Stories in Mark 2:1-3:6," JBL 92(1973)pp.394-401. (65)V. K. Robbins, "Last Meal: Preparation,Betrayal and Absence," in W. H. Kelber ed., Passion in Mark, Philadelphia, 1976, p.27. (66)終結部の⑨8:14-21で二つの物語が総括的編集のもとにまとめられている ことからも、明らかである。注57参照。 (67)6:52に関して詳細な論述を展開したのはクウェズネルである。注3参照。 (68)挽地、前掲論文「マルコ福音書におけるartos」、63-65頁参照。注1参照。 (69)Pryke,op.cit., p.162. (70) 「パン種」を警告的に、かつ聖餐との関連で用いる例はパウロに見られる。 1コリ5:6-8「あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、 少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新 しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがた は事実パン種のないものなのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリス トは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また 悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパ ンをもって祭りをしようではないか。」しかし、ここで見られる「パン種」 の内容も、警告の文脈もマルコのものとは異っている。 (71)アクテマイヤーはこの物語が顕現物語(epiphanic type)に属することを、 ―196― (122) マルコ「パンの物語集」再考(挽地) Kertelge ( Die Wunder Jesu )を根拠にして主張している、 Achtemeier , op.cit., p.220. (72)N. Perrin, "The High Priest's Question and Jesus' Answer," in W.H.Kelber ed., Passion in Mark, Philadelphia, 1976, p.181. (73)Pryke,op.cit., p.160. (74)これに対して田川は、奇跡に対する驚きはマルコのイエス観を示す重要な 要素であり、マルコはそれに叱責を加えていないと主張する。それゆえ、52 節は驚きの理由を説明するための理由句ではないとされる。田川『一断面』 392頁。 (75)いわゆる「メシアの秘密」。挽地、前場論文「マルコ福音書における弟子 の無理解の動機」19−20頁参照。注60参照。 (76)小河陽『イエスの言葉』教文館、1978年、235-242頁参照。 (77)挽地、前掲論文において大筋の展望を示した。注1参照。 ―195―