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http://trans-aid.jp
シャルリ・エブドと自己欺瞞の政治学 / アルファ・ウィンストン
Charlie Hebdo & The Politics of Self-Deception / Alpha Winston
https://zcomm.org/znetarticle/charlie-hebdo-the-politics-of-selfdeception/
kmasuoka 2015-01-25 22:45:47
2015年1月15日
「過去を記憶できないものはそれを繰り返す宿命を負う。」
----ジョージ・サンタヤーナ
2001年9月11日(「米国同時多発テロ」)の直後に、当時大統領だったジョージ・W・ブッシュ
はテロリストがその行為に出た理由について次のように断言した。「奴らは我々の自由を憎んで
いる。宗教の自由、表現の自由、投票と集会の自由、異なる意見を持つ自由を。」 時を2015年
現在に早送りしよう。バラク・H・オバマ大統領はシャルリ・エブド襲撃者たちの動機について
やはり次のように断言している。「これがジャーナリストに対する攻撃であり、我らが報道の自
由に対する攻撃であるという事実は、奴らテロリストがどれだけ自由を、表現の自由と報道の自
由を恐れているかをはっきりと示すものだ。」 さらにそれに加え、私が目を通した営利メディ
アがニューヨーカーからVoxそしてSlateまでこれについては同じ見解であることを考えると、ブ
ッシュとバラクは正しいのではないかと結論付けたい欲求に駆られるかもしれない。煎じ詰める
と、シャルリ・エブド攻撃のあと出たほぼすべての記事は、私が読んだ限りでは、「我々は表現
の自由を野蛮の攻撃から守らなくてはならない」というスローガンのバリエーションである。
さて、表現の自由の名において、私は次のように言おう。このような分析は戯言に過ぎず、徹底
的に間違っている、と。テロリストがテロ行為を行うのは自由を憎んでいるからではない。西洋
の暴力に信じがたいまでの怒りを感じているからである。説明しよう。テロリストの動機が自由
を徹底的に憎むことにあるのだとすると、(それなりの)自由を謳歌しているあらゆる地域でテ
ロ行為が起きるはずである。しかしながら、実際には、アルゼンチン、ブラジル、チリ、メキシ
コ、南アフリカ、チェコ、日本などをはじめ様々な場所で、人々は、アメリカ人やフランス人が
謳歌しているのと同程度の相対的な自由を手にしているにもかかわらず、テロ攻撃に年中怯えて
生活しているわけではない。これはどうしたわけだろうか? テロリストたちが自由に対してか
くも大きな憎しみを抱き、自由への憎悪から殺害行為に及ぶというのなら、どうしてテロリスト
の活動は、米国、英国、カナダ、フランス、イスラエルを始めとするいくつかの選ばれた地域に
集中しているのだろう? アメリカ人が、日本人よりもはるかに大きな自由を手にしているから
なのだろうか?
もちろん、そうではない。
この問いに対する答えは次のようになる。すなわち、テロリストが限られた国のみを標的とする
のは、まさにそれらの国々が、ムスリム世界とアラブ世界の各地で軍事行動を行なっているから
である。そして、読者の皆さん、それこそが、テロリストが行動を起こす理由なのだ。テロリス
トたちは自由を憎んでいるのではなく、自分たちが暮らす祖国で同胞に対して膨大な不正義と思
われるものが加えられている状況を憎んでいるのである(皆さんが彼ら彼女らに同意するかどう
かは別問題である)。むろん、彼ら彼女らの気持ちと方法に同意しないことはできるが----確認し
ておくが、私はあらゆる種類の暴力を非難する----テロ行為はその根本において、ムスリムとアラ
ブの人々が暮らす地域で西洋が不正義を犯してきたという認識から来るものである。実際、殺害
を行った者たちは、我々に向かってその点をずっと指摘し続けてきた。例えば、シャルリ・エブ
ド虐殺に加わった襲撃者の一人シェリフ・クアシは、6年前、まさにそれを言っていたのである。
デア・シュピーゲルの長文記事が指摘するように、「2008年の[シェリフの]裁判で、彼は、自
分が急進的になったのはアブグレイブの写真を見てからだと述べた。」 この部分は、改めて読
みなおす価値がある。シェリフがシャルリ・エブドを標的に選んだ理由は複数あるだろうが----ア
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ルカーイダの標的リストに含まれていたのかもしれないし、そうでないかもしれない----、彼がア
ブグレイブの出来事によって急進的になったことに疑いを差し挟む余地はない。
「マリファナを吸い、ラップを聴く、『週末ムスリム』と自称する存在」であったシェリフを、
自らが犯した虐殺の現場から立ち去るときに「アッラーフ・アクバル!」と叫ぶ無慈悲な殺人者
に変えたのは、この急進化であることを思い起こすことが決定的に重要である。つまり、風刺新
聞社の事務所を標的としたシェリフが、そもそも暴力に訴える必要性を感じるようになったのは
、この風刺新聞社の風刺画がきっかけなのではない。彼が急進的な考えに傾いたのは、彼自身の
言葉を使うと、アブグレイブの写真が原因なのである。
そして、報道の自由の精神において、私はアブグレイブの写真のいくつかをここに公開している
。確実に、それによって傷つく人がいるとしても。これらの写真----そしてもちろんそれが体現し
ている背後の行為----が、シャルリ・エブド襲撃者の少なくとも一人を、制御できないまでの怒り
に駆り立て、急進化させ、殺害の欲望を抱くまでに傷つけたことに疑う余地はない。もちろん、
抱いた怒りへの反応として彼らが選んだ行為に同意しないことはあるし、実際、私は同意しない
が、私の主張はそれとは関係なく妥当する。行為に同意しないことは、これらの攻撃が「奴らは
我々の自由を憎んでいるのだ」という曖昧なかたちで撒き散らされた呪文により起きたのだとい
う主張を受け入れるふりをしなくてはいけないことを意味しはしない。
このような理由付けは、単に、ナンセンスである。
そして、こうした攻撃が起きた後で自らに嘘をついて、我々は表現の自由に献身していると再び
主張し、シャルリ・エブドが最新号の表紙で不屈の精神を行動で示したことを賞賛したりするこ
とで、実際には、テロ攻撃、それに続く監視の強化、それに続く海外での軍事活動、それに続く
テロ攻撃という終わりなきサイクルが永続化する(飽き飽きするほど繰り返されてきたことであ
る)。というのも、表現の自由に問題を間違ってすり替えることで、我々は、テロリストがテロ
攻撃を行う実際の理由について考えようともしなくなるからである。しかしながら、テロリスト
がどうしてテロ攻撃を行うのか、その理由を理解できないならば、我々はテロ行為を決して阻止
することはできないだろう。グレン・グリーンウォルドがガーディアン紙で指摘していたように
、テロリストたちは、繰り返し繰り返し、どうしてテロ行為に出るかについて同じ理由を述べて
いる。「彼らは全員が、はっきりと同じことを言う。すなわち、自分たちが行動に出る理由は、
米国とその同盟国がムスリム世界に継続してもたらしている恐ろしい暴力、罪のない男女と子ど
もを日常的に殺し抑圧する暴力にある、と。」
けれども、まさにこれこそが、テロ攻撃が起きたあとで、西洋が決して語ろうとしない点なのだ
。そのかわりに、我々はシャルリ・エブドの雑誌で身をくるみ、「表現の自由!」と叫んで、シ
ャンゼリゼを鉛筆を持って更新し、それがすべてを(あるいは何かを)解決するかのように振舞
う。そうした行動に参加すると心温まる感覚を持てるのかもしれないが、実際には、そうした行
為により、我々は、「報道の自由! 私はシャルリだ!」という政府公認のスローガンを唱えな
がら、テロリズムの根本原因として存在する、ムスリム世界・アラブ世界に対する西洋の暴力の
犠牲者について考える労をまったく取らない、自動ロボットになってしまうだけである。そして
、我々が決してそれらの犠牲者に思いを馳せないのだから、イエメンの結婚式で米国の無人攻撃
機が少なくとも12人を殺害したことや、2001年以来米軍がその他にも8つの結婚式を爆撃したこ
とや、グアンタナモに何年ものあいだ抑留されている子どものことなどは、視界に入ることも頭
に浮かぶこともない。すなわち、一部の人々を急進化させるまさにその事態に対して、西洋は、
考えを向けることを拒否し続けているのである。ムスリム世界とアラブ世界で西洋の軍事行動の
結果殺された何千人もの罪のない人々に連帯を示すラリーが西洋で行われることはない。グアン
タナモで先が見えない状況で不法に抑留されている男たちに連帯を示す抗議行動もない。米軍の
無人機により生を切断された人々を追悼する大衆行動もない。
このようにして、終わりのない悪循環が続くようである。中東で西洋が行なっている軍事行動に
テロリストは怒りを覚え----シェリフのような人々が急進化し----、自ら暴力に訴え、それに対し
て西洋は「奴らは我々の自由を憎んでいる!」と叫ぶ一方、西洋の無人爆撃機とミサイルがもた
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らす犠牲と悲しみの長い道から目を背ける。既に、シャルリ・エブド襲撃を受けて、米国でも英
国でも監視が強化されている。すでに、西洋は、グアンタナモに拘束されている人々のことは考
えないと決めている----そのことを断言し声高に叫んでもいる。CIAの特例拘置引き渡しについて
も考えないし、米国が出資する拷問についても、ほかの様々なことも考えない。結婚式で身内全
員を失うことがどういうことかも考えはしない。NSAの監視が広く行き渡ることについても考え
を向けることはない。そうするかわりに、丘の上にそびえる輝ける都市を自称する西洋は、自省
を拒否し、上で述べたような西洋自身の行動には完全に無関心のまま、テロリストたちの野蛮、
そして我々が表現の自由に抱く(としている見せかけの)愛だけを考えるのである。
これが何をもたらすのか、既に我々は知っている。古い格言を少し変えるなら、同じ事を繰り返
しながら、違う結果を期待するのは愚か者だけである。これからどうするかについては選択肢が
二つあろう。一つは、国家による安全監視と風刺漫画家のペンがテロリズムを防止できるという
(誤った)期待を抱いて、市民的自由を犠牲に監視のさらなる強化を受け入れること。(ネタバ
レになるが、それでテロリズムは抑止できない。)もうひとつ、別の道として、テロリストがテ
ロ行為に訴える実際の理由を理解しようとし、次のように自問してみること:無人攻撃機で殺さ
れる罪のない人の数を減らすことはできるだろうか? 人々を無期限に勾留しないことは可能だ
ろうか? 拷問をやめさせることはできないだろうか? 特例拘置引き渡しを阻止できないだろ
うか? つまり、我々の問題を「解決」するために、監視と爆撃、拷問に訴えないことはできる
だろうか? もしかすると、これらによって、テロリズムをきっぱりと防止することができるか
もしれない。けれども、それまでは、平和の実現はどんどん先延べされる夢に過ぎない。
原サイトが基本的に翻訳推奨。
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