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ムンバイに住んで
世界を歩こう ムンバイに住んで ボンベイ日本人学校校長 畠 河 弘 乗り回し、娘の結婚披露宴に数千人を招待したり するが、一方で、通りにはたくさんの路上生活者 大都会・ムンバイ がいる。スラム街があちらこちらにできていて、 ムンバイはイギリス東インド会社の頃からの港 林立する高層ビルとの対照的な風景にとまどって 湾都市である。1995年にボンベイからムンバイへ しまう。 と市名が変更されたが、いまでもボンベイと名の 比較的安全なスラム街に入り、シートをかぶせ つく施設や団体は残っている。古くからインド経 ただけの小屋の中を見るとテレビが置いてあった 済の中心地として栄え、現在、市の人口は1200万 りする。聞くところによるとインドの発電量の3 人ともいわれている。一応、国勢調査は行われて 割は盗電されているという。厳しく取り締まらな いるが地方からの流入者が多く、住民登録ができ いのは低所得者層への一種の社会政策ではないか ない人も多いため誰も正確な人口は把握できてい と思う。貧しい人たちは壊れた物でも徹底的に直 ない。ムンバイを紹介する本によって100万人単 しながら使っており、そのたくましさには感心す 位で数字が違うところがいかにもインドらしい。 るほどだ。 長くイギリスの植民地支配を受けていたので市 オールドペーパーマンという職業の人が家々を 内には今でも当時の洋館が数多く残っている。残 回り、外国人の家の物なら何でも買ってくれる。 念ながらかなり傷んだり汚れたりしているが、独 ここでは空のペットボトルでもお金になる。 立前はさぞかし立派な街並みだっただろうと想像 される。 ムンバイの日本人 人口が東京都より多いこの街で在留届を出して いる日本人は子どもも含めて約200人に過ぎない。 当然、日本食を扱っている店はない。アラビア海 に面しているが漁業は盛んではない。捕れる魚も 限られているし、汚水処理はすべて海洋投棄なの で海が汚染されていて、日本人で近海物の魚を食 べる人はいない。もちろんインドなので牛肉はな かなか手に入らない。ムスリムが人口の1割ほど 学校の近くの海岸 いるらしく、商店には豚肉やハム・ソーセージも ムンバイはインドではないというインド人もい ほとんど置いていない。 るが、私も着任した当初は市街地が予想以上に近 そのため日本人は休みの時にシンガポール・ク 代的で日本車の多いことに驚いた。 アラルンプール・バンコク・ドバイなどに保養を しかし貧富の差があまりにもひどい。映画俳優 兼ねて冷凍食品の買い出しに行かざるをえない。 や宝石関係の仕事をしているお金持ちはベンツを 重い缶詰類はリュックサックにつめて機内に持ち −16 − 込むが、空港の税関職員は大量の日本食品に驚く。 しのキャディが一人ずつつき、バッグを担いでく 短期間の滞在ならインド料理を食べ歩くことも れる。料金は1回2000円ほどなのでゴルフが好き おもしろいだろうが2年、3年となると当地のス な人にはありがたいところである。ちなみにキャ パイシーな食べ物は日本人の常食にはならない。 ディフィーは250円にしかならないが、バッグに 駐在員の奥さんたちは日本食に近い食品が手に 入れてあったはずのボールが知らない間に減って 入る店を探し回り、情報交換をしている。 いることがあるので、最初に必ず面前で数を確認 暑い国なのに白菜やキャベツが八百屋に並ん しプレー中も気を抜くことはできない。 でいるのは不思議だ。リンゴは北方の涼しいカシ ミール地方から運んでいるらしいが輸送能力を考 日本人学校の子どもたち えると疑いたくなる。 日本国籍のある学齢児童・生徒は23人いるが21 人が日本人学校に通っている。専用のスクールバ スで登下校し、放課後友だちの住宅に行くときは 運転手つきの自家用車を使う。それぞれの家には メイドやサーバントがいる。戸外で遊ぶことはな い。 学校では水泳指導を週に1回、市内の会員制 のプールを使ってしている。乾季は10月から翌年 の6月まで続き、この間、雨はまったくといって 路上の八百屋 よいほど降らないので、水が貴重なのか、プール 私はときどき持参した日本製のインスタントの の水は5km沖合の海水をパイプで取り入れ濾過 豆腐をメイドに作らせて食べているが意外に美味 して使っている。雨季は海が荒れて汚れた海水が しい。国内にいるときは知るよしもなかったが、 プールにまで押し寄せるので閉鎖される。 このような製品は海外に住む日本人にとってはあ 小学部17人、中学部が4人の小規模校なので休 りがたいことだ。 み時間はいつも一緒に遊んでいる。委員会活動な ども全員で取り組み、小学部1年生と中学部2年 生が机を並べて話し合う姿は日本ではなかなか見 気候・風土 られないだろう。 北緯20度近くにある当地は日差しは強いが乾季 当地にはインターナショナル校として、アメリ は土地が乾いていて湿度が高くないせいか、木陰 カン、ジャーマン、フレンチ、ロシアンがあるが に入れば暑さは感じない。ヤシの木が生い茂り、 規模が似ているのでフレンチスクールとの交流を ブーゲンビリアやハイビスカスが年中咲きみだれ 長年続けている。図工や習字などを一緒にするこ ていて、南国の楽園ともいえる。 とが多いが、今年は水泳の授業もしたいと考えて イギリスの文化が色濃く残り、19世紀中頃イギ いる。 リス人が7つの島の間を埋め立てて作った市街地 教員たちの楽しみは夕方、近くの飲み屋に集 の真ん中には東洋一の規模の競馬場がある。その まってインドビールを飲むことである。普通のレ 横には18ホールのゴルフコースもあるが、日本人 ストランは夜7時30分にならないとオープンしな など外国人が多く住む高台の高級住宅地から車で いがこの店はなじみの客にはいつでも飲ませてく 10分もかからない。 ゴルフ場は土・日はプレーヤー れる。釜で焼いたタンドリーチキンは冷えたビー のほとんどが日本人と韓国人で占められる。はだ ルによく合う。 −17 −