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プ ロ ロ ー グ

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プ ロ ロ ー グ
プロローグ
﹁撃て﹂
ささや
狩 猟 ガ イ ドあわが 耳 元 で 低 く 囁 い た 。
あご
わたしは慌てて銃を構え、ガイドが顎で示した方向を見た。
腰の高さほどもあるクマザサの向こうに、林が広がっていた。ササの葉が風に揺れてい
るだけで、獲物のエゾジカはどこにも見えない。
﹁早く!﹂
﹁どこ?﹂
﹁幹が二つに分かれている木の下﹂
北海道、冬の根室。すでにミズナラやシラカンバは葉を落とし、林の中は奥深くまで見
通せた。積雪はまだない。低い冬の朝日がそこにある何もかもを照らし出している。
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わたしは息を押し殺して目を凝らした。
エゾジカは見えない。危険を察知してじっとしているのだろうか。いや、もうどこかに
逃げてしまったのかもしれない。緊張が少し緩み、鼻から吐息がもれた。息はゆらゆらと
立ち上り、太陽光を浴びて白く輝いた。
地面を蹴る音が響いたのはその瞬間だ。視界の右側をかすめるように、三頭のエゾジカ
が 一 目 散 に 駆 け て い っ た。 メ ス の 群 れ で、 ど れ も 体 長 一 メ ー ト ル を 超 え る ほ ど の 大 き さ
だ。
そのときは、熟練したハンターでもあるガイドの言葉をすぐにはのみ込めなかった。
9
﹁こんなチャンスはめったにないのに⋮⋮﹂
うだ。狩猟初心者のわたしはずっと遠くを見つめるば
ガイドがぼそりと言う。確かにそ
はん てん
かりで、近くにいる灰褐色に白い斑点の野獣には気がつかなかった。エゾジカが走り出す
と、林の一部が動き出したかのような目の錯覚を起こした。こうなっては弾を命中させる
どころか、発砲することも難しい。
﹁あんなに大きいのに、どうして見つけられなかったのだろう﹂
一二番口径のショットガンから弾を脱砲すると、わたしはガイドに話しかけた。
﹁異常を見つけることだよ。そこにあるはずのない形や色、影なんかをね﹂
プロローグ
林野の行きつ戻りつを繰り返して二日目、わたしは木立の奥に潜む不自然なものに気づ
いた。垂直に並んでいる木々の均衡を破るように、灰色の曲線が水平に伸びている。倒木
だろうか。落ち着いて見つめると、薄暗がりの中で一瞬きらりとガラス玉のようなものが
光った。目だ。すぐに頭部のシルエットが浮き上がり、エゾジカの体が見分けられた。
急に心臓の鼓動が速くなり、わたしは夢中で銃の引き金を引いた。耳の鼓膜にひびが入
りそうな爆裂音とともに、強い反動で身体が後ろに押し出された。
﹂
10
クマザサの向こうで、エゾジカが大きく跳躍した。白い尻毛が舞うように林の中をすり
抜け、あっという間に茂みに飛び込んでいった。
﹁やったか
きた。見つけ出すというよりも、気配を感じ取ること。視覚だけではなく、聴覚や嗅覚も
きゅうかく
めるような目の使い方から、線や面を眺めるような視線に変えると、獲物が視界に入って
狩猟に出た初日、わたしはエゾジカの姿を探し求めて林のあちこちを注視した。ところ
がすぐ近くにいることにさえ気づかなかった。二日目になって、どこか一点をじっと見つ
逃しはしたものの、気分は不思議と高揚していた。
遠くにいたガイドがわたしに叫んだ。
﹁外した﹂
!?
重ね合わせ、時には五感全体を働かせる。エゾジカも同じようにわたしの存在を気配で感
じるのだろう。相手をいち早く察知した方が優位に立てる。
獲物を見つけられた喜びに加え、そんな野生動物との駆け引きにわたしは言いようのな
い興奮を覚えた。
二〇〇四年一一月末。狩猟免許を取って、北海道に来たのには理由があった。
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ちょうど三〇〇年前、マスケット銃や火薬、わずかな身の回り品とともに、南太平洋の
無人島に置き去りにされた男がいた。救出されるまでの四年四ケ月間、男は主に島のヤギ
を撃って食いつないだ。またヤギの毛皮で衣服や小屋を造り、どうにか雨風をしのいで生
き延びた。わたしはその男の体験を自分の肌で感じてみたいと考えていたのだ。
男の名前はアレクサンダー・セルカーク。小説﹃ロビンソン漂流記﹄のモデルとして知
ら れ て い る。 ロ ビ ン ソ ン・ ク ル ー ソ ー の 世 界 的 な 知 名 度 に 比 べ て、 モ デ ル に な っ た セ ル
。
カークの体験は断片的にしか知られていない。無人島に漂流した人間が実際にどのような
│
環境で生き延びたのか。何が支えとなったのか。そしていかに救出されたのか
わたしはセルカークの体験を探るために狩猟に出かけることにしたのだ。
セルカークの獲物はヤギだったが、日本では狩猟鳥獣に当たらない。クマやイノシシに
プロローグ
比 べ て、 せ め て シ カ が 近 い と 思 え た。 北 海 道 の ハ ン タ ー で ガ イ ド を し て く れ る 人 を 探 し、
電話でエゾジカ猟に同行させてほしいと頼んだ。するとガイドがわたしに尋ねた。
﹁銃は何を使うの?﹂
﹁ショットガンです﹂
﹁それじゃ、難しいよ﹂
ガイドの反応が受話器から重苦しく響いた。
﹁いいんです。どこまでやれるか、やってみたいんです﹂
熟練したハンターは通常、エゾジカ猟に三〇口径のライフル銃を使う。弾の有効射程距
離は約三〇〇メートル。最大で四キロメートル先まで届くという。
一 方、 シ ョ ッ ト ガ ン は 散 弾 銃 と も 呼 ば れ る よ う に、 多 数 の 細 か い 弾 を 一 度 に 発 射 し て、
飛来する鳥を五〇メートルほどの近距離で撃つといった用途に適している。エゾジカなど
の大型獣を狙う場合は一発弾のスラッグ弾が使われるが、射程距離はせいぜい一〇〇メー
トル。ライフル弾の三分の一しかない。
まれ
エゾジカをそんな至近距離で撃てるチャンスはめったにない。スラッグ弾の射程圏内で
発砲することができるのは、よほどの幸運か、避けがたい不幸のとき。つまり怒り狂った
エゾジカが角を振りかざして突進してくるようなときぐらいのものだが、それは極めて稀
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だ。
日本の銃砲刀剣類所持等取締法では、原則的にショットガンを十年所持した実績がなけ
ればライフル銃は所持できない。初心者のわたしには最初から選択の余地がない。しかし
ライフル銃が使えたとしても、わたしはショットガンにこだわっただろう。
セルカークが狩猟に使ったのはマスケット銃だった。それは弾を銃身の先から込めるタ
ひ なわ じゅう
イプでフリントロック式だが、構造は旧式の火縄銃に似ている。射程距離はわずかに五〇
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∼一〇〇メートルしかない。
命中精度や弾の威力など、どれを取っても現代の銃の方が勝っているが、セルカークの
体験を知るためにはショットガンの方が条件も近い。
自 分 の 目 的 を 説 明 し、 狩 猟 に 参 加 し た い と 懇 願 す る と ガ イ ド は 快 く 受 け 入 れ て く れ た。
しかし数人でチームを組むエゾジカの追い込み猟にとって、わたしは明らかにお荷物に違
いなかった。経験が多少あるならともかく、全く初めてなのだ。
に 加 わ り、 割 り 振 ら れ た 持 ち 場 に つ く。 そ こ は 谷 間 を 見 下 ろ す 坂 の 上
六人のハンター
せ こ
で、後方にいる勢子が追い出すエゾジカの逃げ道に当たっていた。クマザサの中に身を潜
め、わたしはじっと様子をうかがった。初雪が降る前の枯野は沈黙したままだ。
やがてトランシーバーから囁くような勢子の声が聞こえてきた。
プロローグ
くぼ ち
﹁オス一頭いるな。窪地から北上中。時速二キロ﹂
﹁了解﹂
﹁川からゆっくり向かう﹂
﹁了解。林の方も動いてくれ﹂
そう てん
獲 物 を め ぐ り、 一 斉 に ハ ン タ ー た ち が 動 き 始 め た。 空 に 浮 か ぶ 雲 に さ え、 緊 張 感 が 走
る。目の前に飛び出してくるエゾジカの姿を想像しながら、わたしは銃にスラッグ弾を三
発装塡した。
﹁坂の方に行ったぞ﹂
ガイドの呼びかけに、わたしは深呼吸をして銃の安全装置を外した。
すぐに茶色い影が流れ込むように視界に入ってきた。立派な角を持ったオスのエゾジカ
だ。体長は一メートル半以上もあるだろうか。ところが早くもこちらの存在に気づき、大
きく方向転換した。
むな
わたしは慌てて立ち上がり、身体をねじるように銃口を向けた。狙いを定めたときには
見る影もない。何という速さなのだ。
小さな点となった標的を狙ってわたしは引き金を引いた。三発の爆発音はただ空しく青
空に吸い込まれていくばかりだった。
14
ニューヨークで夢を
瓦造りの建物
れん が
15
第一章
その日、ニューヨーク、マンハッタンは真冬日だった。
二〇〇三年一月。冷え切った外気が鋭利な刃のように肌にさし込んできた。日が落ちて
暗 く な る と、 巨 大 な 摩 天 楼 に 照 明 が 灯 さ れ た。 透 き 通 る 輝 き に 寒 さ も 忘 れ て し ま い そ う
だ。天にそびえ立ついくつもの光の塔。その間をイエローキャブが駆けていく。歩道には
帰宅を急ぐ人々の靴音が響いていた。ダウンジャケットに身を縮こませ、わたしも駅をめ
ざす人の流れに加わった。
で、門には﹁探検家クラブ﹂と書かれている。
もに青、白、赤、三色の旗が目に入った。英国調マナーハウスを思わせる
地 下 鉄 レ キ シ ン ト ン・ ア ヴ ェ ニ ュ ー 線 の 電 車 に 乗 り、 六 八 番 ス ト リ ー ト・ ハ ン タ ー カ
レッジ駅で下車。東西に延びる七〇番ストリートに入ると、アメリカ合衆国の星条旗とと
第一章 ニューヨークで夢を
じゅう たん
呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開錠された。中は白熱灯のやわらかな光と包み込まれる
ような暖かさで満たされていた。わたしは受付で用件を告げ、面会者が来るのを待つこと
にした。
きつ りつ
玄 関 ホ ー ル 脇 に は ラ ウ ン ジ が あ り 、﹁ メ ン バ ー ズ ・ オ ン リ ー ﹂ の 札 が 立 っ て い る 。 絨 毯
の上に木目のテーブルや赤い革張りのソファが並び、暖炉の左右にはアフリカゾウの象
が屹立している。ビッグゲーム・ハンティングの時代、メンバーがアフリカから持ち帰っ
たトロフィー︵記念品︶だ。壁には風景画やポートレイトが飾られ、ラウンジの奥はバー
になっている。
いかだ
玄 関 か ら 奥 の 小 ホ ー ル に 足 を 運 ぶ と、 古 び た 地 球 儀 が 目 を 引 く。 ノ ル ウ ェ ー の 探 検 家
トール・ヘイエルダール︵一九一四│二〇〇二︶が、コンティキ号実験漂流計画をクラブ
の 人 た ち に 説 明 す る と き に 使 用 さ れ た も の だ。 一 九 四 七 年、 バ ル サ 材 の 筏 で 太 平 洋 を 漂
い、ポリネシア人のルーツを探ろうとした探検はあまりにも有名だ。
その手前には、今日行われる講演会の案内が掲示されていた。
﹁イン・サーチ・オブ・ロビンソン・クルーソー
ダイスケ・タカハシ﹂
16
第一章 ニューヨークで夢を
探検家クラブのラウンジ。多くの探検家がここで夢を語り合う。
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探検家クラブでは、月曜日の夜に一般公開の講演会を行う習わしになっている。宇宙や
深海など前人未到の世界に出かけた宇宙飛行士や潜水艦の乗組員。失われた都市や恐竜を
掘り出した考古学者や古生物学者。新種の生物や活火山のメカニズム、極地のオゾンホー
ルを研究している科学者などが、日常離れした現場の体験を語ってきた。
そして今度は﹁ロビンソン・クルーソーを探して﹂という演題で、わたしが十年に及ん
だ旅について話すことになった。ちょうど同名で出版した自著︵新潮文庫 二〇〇二︶の
英 語 版 が ニ ュ ー ヨ ー ク の 出 版 社 よ り 発 刊 さ れ る こ と に な り、 講 演 の 話 が 持 ち 上 が っ た の
だ。
絶海の孤島に漂流した人間が、いかにして困難を克服し生還することができたのか。ダ
ニエル・デフォー︵一六六〇?│一七三一︶作﹃ロビンソン漂流記﹄は、極限状態の中で
生き抜いた男の二十八年あまりを描いた冒険小説だ。
難破し、カリブ海の無人島に流れ着いた船乗りのロビンソン・クルーソーは孤独や恐怖
にもめげず、生活を切り開いていく。銃でヤギを撃って肉を食べ、毛皮で衣服を作る。木
材 を 集 め て 小 屋 を 造 り、 小 麦 の 種 を 見 つ け て 栽 培 を 始 め、 パ ン を 焼 く こ と に も 成 功 す る。
忠僕フライデーを得てともに困難を克服し、最後にはやって来た船に乗って故国へと生還
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を果たすのだ。
この本は二十代のわたしにとってバイブル的な存在だった。大陸や秘境に魅せられたわ
たしは大学に入ると、アルバイトで稼いだ金をもとにバックパックを担いで世界各地を旅
した。シベリア、ヒマラヤ、東南アジア、サハラ砂漠、アマゾン川。砂漠へ行けばすぐに
飲み水の確保が心配の種となり、ジャングルではどれが食べられる草なのかさえわからな
か っ た。 現 地 に 暮 ら す 人 の 知 識 に 頼 ら な け れ ば な ら な い。 と て も 一 人 で は 生 き ら れ な い
。
19
│
そんなわたしにとって、ロビンソンは理想的な冒険者だった。大自然の中に一人放り込
ま れ て も、 ど う に か 生 き 延 び て い く 姿 に 憧 れ た。 そ の 一 方、 心 の 片 隅 で は 創 り 出 さ れ た
フィクションだというあきらめもあった。現実にはデフォーが書いた小説のようにうまく
いくはずなどないではないか。
架空の存在だと思い込んでいた主人公が実在していたのは衝撃的だった。実際の無人島
一人で四年四ケ月間を生き抜いた。
一 ︶。 ス コ ッ ト ラ ン ド の 船 乗 り で 、 三 〇 〇 年 ほ ど 前 に 南 太 平 洋 の 無 人 島 に 漂 流 し 、 た っ た
と こ ろ が 偶 然 手 に し た 洋 書 の ﹃ 王 立 地 理 学 協 会 ・ 世 界 探 検 史 ﹄︵ 一 九 九 一 ︶ で 実 在 の モ
デルがいることを知った。彼の名前はアレクサンダー・セルカーク︵一六七六?│一七二
第一章 ニューヨークで夢を
漂流はどのようなものだったのか。いかなる困難が立ちはだかり、切り抜けたのか。その
様子がわかればフィクションではない生身の人間がどこまでやれるのか、人間の可能性が
見えてくるのではないかと思った。
調べてみると、わずかながらセルカークと同時代の英文資料が残っている。
彼 を 救 出 し た キ ャ プ テ ン ・ ウ ッ ズ ・ ロ ジ ャ ー ズ が 書 い た ﹃ 世 界 巡 航 記 ﹄︵ 一 七 一 二 ︶、
同 じ く キ ャ プ テ ン ・ エ ド ワ ー ド ・ ク ッ ク の ﹃ 南 洋 お よ び 世 界 周 航 記 ﹄︵ 一 七 一 二 ︶。 そ れ
つづ
に帰国後、セルカークに直接インタビューしたジャーナリスト、リチャード・スティール
の エ ッ セ イ ﹁ 英 国 人 ﹂︵ 一 七 一 三 ︶。 い ず れ も セ ル カ ー ク の 無 人 島 生 活 の 様 子 が 綴 ら れ て
いて興味深い。彼はヤギを捕まえ、限られた道具をもとに木で小屋を二つ建てて暮らして
いたという。
セルカークが暮らした島は現在、南米チリ領のフアン・フェルナンデス諸島に属してい
る。 大 陸 の 西、 約 六 七 〇 キ ロ メ ー ト ル 沖 合、 南 太 平 洋 に 浮 か ぶ 絶 海 の 孤 島 だ。 一 九 六 六
年、小説にちなんでロビンソン・クルーソー島と名づけられた。
しかしセルカークがどこで暮らしていたのかは不明のままだ。木造の小屋も時代ととも
に所在さえわからなくなってしまった。もしどこかに残っているなら、世界的に有名なロ
ビンソン・クルーソーのモデルが住んだ場所ということになる。発見できれば、セルカー
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クの漂流生活がどのようなものだったのかを知ることができるに違いない。何とかして探
し出せないだろうか。わたしは夢を膨らませた。
う
よ き ょ く せつ
十年もの間、幾度もロビンソン・クルーソー島や英国を行き来し、失敗を繰り返しなが
ら、ようやく山中に埋もれていた石積みの遺跡にたどり着いた。文献やさまざまな状況証
拠から、セルカークの住居だと考えられた。そんな追跡の紆余曲折について、クラブの本
す
21
部で語る機会はわたしにとって集大成を意味した。
い
るまま二階のメインホールへ。階段
やがて講演の担当者が階上から下りてきた。導かれ
きし
に足を踏み込むと、年代を物語るように木の床板が軋んだ。
かたど
講堂には椅子が整然と並べられていた。間をすり抜け、正面の演台に進む。壁にはクラ
ブの古い探検旗が何枚か掲げられていた。三色旗にはエクスプローラーズ・クラブの頭文
字E とC 、 コ ン パ ス の デ ザ イ ン が 象 ら れ て い る 。
﹁歴代の探検家が使った旗だよ﹂
のだ。そういえば北極点に出かけた日本人が持っていった旗もあったっけ。ええと、名前
講演担当者が教えてくれる。
﹁ ひ と き わ 小 さ い も の が あ る で し ょ う。 ア ポ ロ 計 画 で 宇 宙 飛 行 士 が 月 に 持 っ て い っ た も
第一章 ニューヨークで夢を
は⋮⋮そう、ナオーミ・ウエモラ﹂
いぬ ぞり
それは紛れもなく植村直己が一九七八年、北極点犬橇単独行を成功させたときに持って
いった旗だ。
クラブには旗を持って探検に出る伝統がある。審議会に申請し、意義や価値が認められ
ると探検隊に旗が貸与される。帰還後はクラブに返却され、また別の探検家がバトンを受
け継ぐように未知のフィールドへと旅に出るのだ。
午 後 七 時、 い よ い よ 講 演 の 始 ま り。 控 え 室 か ら 講 堂 に 入 る と 超 満 員 の 聴 衆 が わ た し を
待っていた。並べられた椅子はいっぱいになり、立ち見する人や床に座り込んでいる人も
いる。わたしは偉大な先人の探検旗を背に演台に立った。
司会者から紹介を受け、マイクを渡された。開口一番、静まり返った聴衆に向かってこ
う問いかける。
わたしはロビンソン・クルーソー島での探検を話し始めた。
﹁信じられますか?
ロビンソン・クルーソーは実在したのです﹂
人々はじっとわたしを見つめた。
﹁全てはそんな驚きから始まりました﹂
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セルカークの足跡を求めて初めて島に渡ったのは一九九四年。アグアス・ブエナス︵お
い し い 水 ︶ と 呼 ば れ る 山 中 の 谷 間 に、 石 積 み の 遺 跡 が あ る こ と を 知 っ た の は 二 〇 〇 一 年、
三度目の滞在のときだった。
日本のテレビ番組制作クルーとともに島に来ていたわたしは、チャンスがあれば住居跡
を探したいと思っていた。現地の人に尋ねてみたが有力な情報は得られない。ところがそ
れまで何も知らないと言っていた現地ガイドは、カメラが向けられると思いがけないこと
を口にしたのだ。
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﹁ 山 の 中 に 石 積 み の 遺 跡 が あ る ら し い。 そ こ を 知 っ て い る の は あ る 老 人 さ。 で も、 見 つ
けたって言うばかりで、誰にも教えたがらないからな﹂
赤ちゃんのバブバブという言葉︶の愛称で
わたしはさっそく老人を訪ねた。グァウィ︵
ひげ
知られる老人は、その名に似つかわしくない髭を生やし、いかつい顔をしている。
﹁連れていってくれませんか﹂
ロビンソン・クルーソー島では、数年前から大規模な宝探しプロジェクトが始まってい
埋めた財宝がな﹂
わたしは恐る恐る頼み込んだ。
﹁ だ め だ。 あ そ こ は 秘 密 の 場 所 な ん だ。 き っ と 宝 が 埋 め ら れ て い る に 違 い な い。 海 賊 が
第一章 ニューヨークで夢を
た。米国人のトレジャーハンターが巨額の資金を投じて、島民を雇い、地面に大穴を開け
た。しかし金貨は一枚も出てこない。根拠が薄い上、科学的に調査が行われているとも思
え な い プ ロ ジ ェ ク ト だ。 そ ん な 彼 ら に ア グ ア ス・ ブ エ ナ ス の 石 積 み の 遺 跡 を 知 ら れ た ら、
めちゃめちゃにされてしまうだろう。
わたしはグァウィに食い下がった。
﹁ 宝 が 出 た ら あ な た の も の で す。 わ た し は 遺 跡 が セ ル カ ー ク の も の か ど う か を 知 り た い
だけなんです﹂
粘った末、ようやくグァウィの信頼を勝ち得た。わたしを遺跡に案内すると約束してく
れたのだ。
翌 日、 彼 は わ た し を 連 れ、 ブ ラ ッ ク ベ リ ー の 茂 み に 足 を 踏 み 入 れ た。 マ チ ェ テ︵ ブ ッ
とげ
つる
むち
シュナイフ︶を振り下ろすたびに、反動で鋭い棘の蔓が佃のように顔面や首筋を襲ってく
る。傷だらけになりながら道を切り開き、数時間がかりで高台の平坦な場所にたどり着い
た。
﹁あそこだ﹂
石壁が見えた。ほとんどが土に埋もれ、ブラックベリーの茂みに
グァウィが指さす先に
は
覆われている。周囲を いながら一周してみると、四角い石積みの建物だとわかった。
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大きさはおよそ縦六・五メートル、横五・五メートル。人間が一人で暮らした規模の住
居跡とみていい。
わたしが写真を撮っている間、グァウィは地面から素焼きの破片のようなものを掘り出
した。
﹁壊れた水がめの一部だろうか?﹂
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また周囲を調べると近くに水場があった。海も見渡せた。セルカークが救いの船を探す
ために足しげく通っていたとされる山の上の見張台は、目と鼻の先だ。
その数週間後、わたしは英国のスコットランドへと出かけた。スコットランド国立博物
館 で キ ー パ ー︵ 所 蔵 品 責 任 者 ︶ を 務 め る デ イ ビ ッ ド・ コ ー ル ド ウ ェ ル 博 士 の も と を 訪 ね
る。博士と出会ったのは一九九七年。スコットランドにあるセルカークの遺品を案内して
もらったのがきっかけだった。
﹁セルカークの住居跡だという可能性はあると思うね﹂
現場で撮影した写真を見せると、彼は写真を一枚ずつ机の上に並べ、何か気になるとこ
ろがあると、メガネを外して子細に眺めた。沈黙が続き、わたしは言葉をじっと待った。
発見した遺跡はセルカークのものだろうか。考古学者である博士はそれをどう見るだろ
う。わたしは意見を聞いてみたかった。
第一章 ニューヨークで夢を
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