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夏目 漱石 草枕 ダウンロード
草枕 夏目漱石 草枕 ごさい けんらん おのず しんがん 架 に向って塗 画 抹 せんでも五 彩 の絢 爛 は自 から心 眼 に映る。 とまつ 一 ただおのが住む世を、かく 観 じ得て、霊 台方寸 のカメラに か 季溷濁 の俗界を清くうららかに収め 澆 得 れば足 る。この故 が 山 路 を登りながら、こう考えた。 に無 声 の詩人には一句なく、無 色 の画家には尺 縑 なきも、か ち こう むせい じんせい こんりゅう ひょうり むしょく う ぼんのう か い せんきん たのし こんにち ちょうじ しょうじょうかいしゅつにゅう けんこん うれい ばんじょう がりしよく げだつ せっけん た れいだいほうすん 智 に働けば 角 が立つ。情 に棹 させば流される。意地を 通 く人 世 を観じ得るの点において、かく煩 悩 を解 脱 するの点 きゅうくつ そうとう ふどうふじ きはん かん せば窮 屈 だ。とかくに人の世は住みにくい。 において、かく 清浄界 に 出入 し得るの点において、またこ さと ぎょうきこんだく 住みにくさが 高 じると、安い所へ引き越したくなる。ど の不 同不二 の 乾坤 を建 立 し得るの点において、 我利私慾 の やまみち こへ越しても住みにくいと 悟 った時、詩が生れて、画 が出 絆 を 覊 掃蕩 するの点において、︱︱︱千 金 の子よりも、万 乗 とお 来る。 の君よりも、あらゆる俗界の 寵児 よりも幸福である。 りょうどな さお 人 の 世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やは 世に住むこと二十年にして、住むに 甲斐 ある世と知った。 じょう り向う三軒 両隣 りにちらちらするただの人である。ただの 二十五年にして明暗は 表裏 のごとく、日のあたる所にはきっ かど 人が作った 人 の 世が住みにくいからとて、越す国はあるま と影がさすと悟った。三十の 今日 はこう思うている。︱ ︱︱ え い。あれば 人 で な しの国へ行くばかりだ。 人 で な しの国は かた ふ 喜びの深きとき 憂 いよいよ深く、 楽 みの大いなるほど苦し ま 人 の 世よりもなお住みにくかろう。 ね みも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。 片 づ ま 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をど つか けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが 殖 くつろげ れほどか、寛 容 て、 束 の間 の命を、束の間でも住みよくせ のどか 寝 る間 も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積 えれば くだ ささ せなか ねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家 ゆえ た 万人の足を 支 えている。背 中 には重い天下がおぶさってい あ 人の心を豊かにするが故 に尊 とい。 うそく あわ すわ る。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば 飽 き足 らぬ。 わずら え かんがえ う へいこう 住みにくき世から、住みにくき煩 いを引き抜いて、あり よ そ 存分食えばあとが不愉快だ。⋮⋮ い はし がたい世界をまのあたりに写すのが詩である、 画 である。 かくいし 余 の考 がここまで漂流して来た時に、余の 右足 は突然坐 わ あ る は 音 楽 と 彫 刻 で あ る 。こ ま か に 云 え ば 写 さ な い で も さそく しそん りのわるい角 石 の 端 を踏み損 くなった。平 衡 を保つために、 きょうり たんせい すわやと前に飛び出した 左足 が、 仕損 じの 埋 め合 せをする おん おこ よい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も 湧 きゅうそう く。着想を紙に落さぬとも 璆鏘 の音 は胸 裏 に起 る。 丹青 は たっ もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百 、 、 、 、 という使命が降 る。あらゆる芸術の士は人の世を 長閑 にし、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 草枕 ひばり みおろ たちまち足の下で雲 雀 の声がし出した。谷を見 下 したが、 お と共に、余の腰は具合よく 方 三尺ほどな岩の上に 卸 りた。 どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに ほう 肩にかけた絵の具箱が 腋 の下から躍 り出しただけで、幸い 聞える。せっせと 忙 しく、 絶間 なく鳴いている。 方幾里 の ひのき みち おど と何 の事もなかった。 空気が一面に蚤 に刺されていたたまれないような気がする。 わき 立ち上がる時に向うを見ると、 路 から左の方にバケツを あの鳥の鳴く 音 には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を あおぐろ しか まゆ せま ね こがね ほういくり 伏せたような峰が 聳 えている。杉か檜 か分からないが根 元 鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済 いただ ぐん うち す まっさかさま な いどころ はんぜん たましい と みおろ あんま い たえま から 頂 きまでことごとく 蒼黒 い中に、山桜が薄赤くだんだ まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも たなび はげやま おの ひばり せわ らに 棚引 いて、続 ぎ目 が確 と見えぬくらい 靄 が濃い。少し 登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り なん 手前に 禿山 が一つ、群 をぬきんでて眉 に逼 る。禿 げた側面 詰めた 揚句 は、流れて雲に 入 って、 漂 うているうちに形は てっぺん きわ あが のみ は巨人の 斧 で削 り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に 消えてなくなって、ただ声だけが空の 裡 に残るのかも知れ うず はっきり けっと ほりくず ねもと めている。 埋 天辺 に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の ない。 そび 空さえ 判然 している。行く手は二丁ほどで切れているが、 巌 角 を鋭どく廻って、按 摩 なら 真逆様 に落つるところを、 なんぎ い もや 高い所から赤い 毛布 が動いて来るのを見ると、登ればあす どく右へ切れて、横に見 際 下 すと、菜 の花が一面に見える。 め こへ出るのだろう。路はすこぶる難 義 だ。 雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの 黄金 の つ 土をならすだけならさほど 手間 も入 るまいが、土の中に 原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀 たい けしき は は大きな石がある。土は 平 らにしても石は平らにならぬ。 と、 上 る 雲雀 が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、 そばだ つらぬ いわ まんなか ただよ 石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。 掘崩 した土の上に 落ちる時も、上る時も、また十文字に 擦 れ違うときにも元 ゆうぜん く あげく 然 と 悠 峙 って、吾らのために道を譲る 景色 はない。向うで 気よく鳴きつづけるだろうと思った。 あ けず 聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。 巌 のない所 春は眠くなる。猫は鼠を 捕 る事を忘れ、人間は借金のあ はば わた ななまが いわかど でさえ歩 るきよくはない。左右が高くって、中心が 窪 んで、 る事を忘れる。時には自分の 魂 の居 所 さえ忘れて正体なく て ま まるで一間幅 を三角に 穿 って、その頂点が 真中 を 貫 いてい なる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が 醒 める。雲雀の くぼ ると評してもよい。路を行くと云わんより川底を 渉 ると云 声を聞いたときに魂のありかが 判然 する。雲雀の鳴くのは もと 口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声に さ う方が適当だ。 固 より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと 七曲 りへかかる。 草枕 ぞうきやま しばらくは路が 平 で、右は 雑木山 、左は菜の花の見つづ たいら けである。足の下に時々 蒲公英 を踏みつける。 鋸 のような のこぎり あらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。 葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な 珠 を擁護している。 たんぽぽ ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。 たま たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで 菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事を あんしょう 覚えたところだけ 暗誦 して見たが、覚えているところは二 のんき したと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のな く ひばり いつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の 景物 に接 けいぶつ くて胸が 躍 るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も︱︱︱桜は おど 持になれば 微塵 の 苦 もない。菜の花を見ても、ただうれし みじん 詩人に 憂 はつきものかも知れないが、あの 雲雀 を聞く心 うれい かに 鎮座 している。 呑気 なものだ。また考えをつづける。 ちんざ 三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。 We look before and after And pine for what is not: Our sincerest laughter With some pain is fraught; Our sweetest songs are those that tell of saddest すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段 じゅんこ くたび が うま の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が 草臥 れて、旨 いもの こも が食べられぬくらいの事だろう。 おもい thought. しり ものほ ﹁前をみては、 後 えを見ては、 物欲 しと、あこがるるかな きわ われ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一 かん うつくしき、 極 みの歌に、悲しさの、極みの 想 、籠 るとぞ じめん ひともう み の画 幅 として観 、一巻 の詩として読むからである。 画 であり た え 知れ﹂ 詩である以上は地 面 を貰って、開拓する気にもならねば、鉄 ぷく なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い 道をかけて 一儲 けする了 見 も起らぬ。ただこの景色が︱︱︱ ともな とうや りょうけん 切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う 訳 腹の 足 しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景 しろうと わけ には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく 色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も ごう うれい 斛 の 万 愁 などと云う字がある。詩人だから万斛で 素人 なら わぬのだろう。自然の力はここにおいて 伴 尊 とい。吾人の ばんこく 一合 で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦 性情を瞬刻に 陶冶 して醇 乎 として醇なる詩境に入らしむる ぼんこつ 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構 たっ 労性で、 凡骨 の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗 のは自然である。 かなしみ の喜びもあろうが、無量の 悲 も多かろう。そんならば詩人 になるのも考え物だ。 草枕 きょく つむじ ま きょう げだつ ゆう こんじきやしゃ べつけんこん しんりん かんこうば るものもこの 境 を解 脱 する事を知らぬ。どこまでも同情だ なんざん ほととぎす きんをだんじてまたちょうしょうす うきよ だろう。しかし自身がその 局 に当れば利害の旋 風 に捲 き込 とか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、 浮世 の 勧工場 くら まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は 眩 んでし にあるものだけで用を 弁 じている。いくら詩的になっても しいか ゆうぜんとして なんざんをみる ひばり べん まう。したがってどこに詩があるか自身には 解 しかねる。 地面の上を 馳 けてあるいて、銭 の勘定を忘れるひまがない。 げ これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者 シェレーが 雲雀 を聞いて嘆息したのも無理はない。 きくをとる とうりのもと のぞ ぜに の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は うれしい事に東洋の 詩歌 は そ こ を 解脱 し た の が あ る 。 か て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、 観 採菊 東籬下 、 悠 然 見南山 。た だ そ れ ぎ り の 裏 に 暑 苦 まぬ しゅっせけんてき ひとりゆうこうのうちにざし めいげつきたりてあいてらす くどく げだつ 小説を読んで面白い人も、自己の利害は 棚 へ上げている。 しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣 み 見たり読んだりする間だけは詩人である。 りの娘が覗 いてる訳でもなければ、南 山 に親友が奉職してい ひとしらず こんりゅう うち それすら、普通の芝居や小説では人情を 免 かれぬ。苦し る次第でもない。超然と 出世間的 に利害損得の汗を流し去っ たな んだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものも そん た心持ちになれる。 独 坐幽篁裏 、 弾 琴 復 長 嘯 、 深林 まじ 不知 、 人 明月来 相照 。ただ二十字のうちに 優 に別 乾坤 を とりえ いつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、 立 している。この乾坤の功 建 徳 は﹁不 如帰 ﹂や﹁金 色夜叉 ﹂ じょうしょ 泣いたりする。 取柄 は利慾が交 らぬと云う点に存 するかも いや 知れぬが、交らぬだけにその他の 情緒 は常よりは余計に活 の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で のち 動するだろう。それが嫌 だ。 疲れ果てた 後 に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような あ 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につ ぶ あきあき 功徳である。 しとお きものだ。余も三十年の間それを 仕通 して、飽 々 した。 飽 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の こ き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変 詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読 じんかい きょうがい もと のんき だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を 鼓舞 するような む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ 呑気 な さかのぼ 舟 を泛 扁 べてこの 桃源 に溯 るものはないようだ。余は 固 よ ふきょう とうげん ものではない。俗念を放棄して、しばらくでも 塵界 を離れ り詩人を職業にしておらんから、 王維 や淵 明 の境 界 を今の うか た心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた 世に 布教 して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分に へんしゅう 芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世 はこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるよう しいか えんめい 間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の おうい 詩になると、人事が根本になるからいわゆる 詩歌 の純粋な 草枕 さんきゃくき うきよこうじ に出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮 世小路 ひとり おのうはいけん に思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありが やまじ の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情 かつ たく考えられる。こうやって、ただ 一人 絵の具箱と三 脚几 しちきおち を離れる事が出来んでも、せめて 御能拝見 の時くらいは淡い う を担 いで春の 山路 をのそのそあるくのも全くこれがためで ぶげい すみだがわ 心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。 七騎落 すいきょう じょう ある。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこし ひにんじょう ねがい でも、 墨田川 でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは ま しょうよう の間 でも非 人情 の天地に逍 遥 したいからの 願 。一つの 酔興 三分 情 芸 七分で見せるわざだ。我らが能から 享 けるありが す りょちゅう ふるまい ゆうこう ゆうちょう しょさ なんざん ばしょう まくらもと てぎわ だ。 たけやぶ ねんじゅうなんざん た味は下界の人情をよく そ の ま まに写す 手際 から出てくる いちぶんし ねん もちろん人間の 一分子 だから、いくら好きでも、非人情 のではない。 そ の ま まの上へ芸術という着物を何枚も着せ わけ はそう長く続く訳 には行かぬ。淵明だって年 が 年中 南 山 を つの ほおかむ ひばり み 、 、 、 、 ほっく あ て、世の中にあるまじき悠 長 な振 舞 をするからである。 ばしょ が で しばらくこの 旅中 に起る出来事と、旅中に 出逢 う人間を や 見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで 竹藪 の中に 能の仕 組 と能役者の所 作 に見立てたらどうだろう。まるで か 帳 を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花 蚊 人情を 棄 てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だか にお こよい しくみ 屋へ売りこかして、 生 えた筍 は八 百屋 へ払い下げたものと ら、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは あ や 思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に ぎつけたいものだ。 漕 南山 や幽 篁 とは性 の違ったものに相 や お 入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が 募 ってはお 違ないし、また 雲雀 や菜の花といっしょにする事も出来ま ひのき あね たけのこ らん。こんな所でも人間に 逢 う。じんじん端 折 りの 頬冠 り いが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観 の は や、赤い 腰巻 の姉 さんや、時には人間より顔の長い馬にま 察点から人間を 視 てみたい。芭 蕉 と云う男は枕 元 へ馬が 尿 おんせんば おと たち で逢う。百万本の 檜 に取り囲まれて、海面を抜く何百尺か するのをさえ雅 な事と見立てて発 句 にした。余もこれから い かね こ の空気を 呑 んだり吐いたりしても、人の 臭 いはなかなか取 逢う人物を︱︱︱百姓も、町人も、村役場の書記も、 爺 さん こしまき れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、 今宵 の も婆 さんも︱︱︱ことごとく大自然の点景として描き出され みよう ことば ね いばり 宿は那 古井 の温 泉場 だ。 たものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物 さ じい ただ、物は 見様 でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィ と違って、彼らはおのがじし勝手な 真似 をするだろう。し な こ ンチが弟子に告げた 言 に、あの 鐘 の音 を聞け、鐘は一つだ かし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を 探 ぐっ みようしだい ばあ が、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も ま 様次第 でいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をし 見 、 、 、 、 草枕 せんぎだ せ 山の 背 が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向う じんじかっとう が脈の走っている所らしい。左はすぐ山の 裾 と見える。深 ぎんせん おの ぬ あ る なまあたたか なな ぬくもり すそ て、心理作用に立ち入ったり、 人事葛藤 の詮 議立 てをして く 罩 める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出 こ は俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れ つかえ ば差 し支 ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出ら す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くの さ れるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働く か、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。 たいら 路は 存外 広くなって、かつ 平 だから、あるくに骨は折れ ぞんがい と思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起った んが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から 雨垂 れがぽた からだ いくじょう ありてい あまだ りして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている りぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒 わけ に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上か 訳 い中から、 馬子 がふうとあらわれた。 ぬか し うすずみいろ ま ま ご ら見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないよ ﹁ここらに休む所はないかね﹂ ふところ うにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの 懐 ﹁もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ 濡 れたね﹂ え には容易に飛び込めない訳だから、つまりは 画 の前へ立っ まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は 影画 あいだ うち て、画中の人物が画面の 中 をあちらこちらと騒ぎ廻るのを のように雨につつまれて、またふうと消えた。 ぼうぼう たも つく ひとすじ かげえ 見るのと同じ訳になる。 間 三尺も 隔 てていれば落ちついて 糠 のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は 一筋 かか へだ 見られる。あぶな 気 なしに見られる。 言 を換 えて云えば、 ごとに風に 捲 かれる 様 までが目に入 る。羽織はとくに濡れ かんしき た か 利害に気を奪われないから、全力を 挙 げて彼らの動作を芸 して肌着に浸 尽 み込んだ水が、身 体 の温 度 で 生暖 く感ぜら も しほう ことば 術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でな れる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた 歩行 く。 げ いかと 鑒識 する事が出来る。 茫々 たる 薄墨色 の世界を、 幾条 の 銀箭 が斜 めに走るなか だ あ ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え を、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思え と こまや い 切れない雲が、頭の上へ 靠垂 れ 懸 っていたと思ったが、い ば、詩にもなる、句にも 咏 まれる。 有体 なる 己 れを忘れ尽 へだ さま つのまにか、 崩 れ出 して、四 方 はただ雲の海かと怪しまれ して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物とし あざむ つく る中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は 疾 く て、自然の景物と美しき調和を 保 つ。ただ降る雨の心苦しく くず に通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が 濃 て、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩 よ わからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い かでほとんど霧を 欺 くくらいだから、隔 たりはどれほどか 草枕 の一 豎子 に過ぎぬ。雲煙飛動の 趣 も眼に 入 らぬ。 落花啼鳥 中の人にもあらず、 画裡 の人にもあらず。依然として 市井 に考えているらしい。床几の上には 一升枡 ほどな煙 草盆 が が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か 狗 のよう 気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌 の上へあがった。 障子 がしめてなければ奥まで 馳 けぬける か の情けも心に浮ばぬ。 蕭々 として独 り春 山 を行く 吾 の、い 閑静に控えて、中にはとぐろを 捲 いた線香が、日の移るの しょうじ かに美しきかはなおさらに 解 せぬ。初めは帽を傾けて歩 行 を知らぬ顔で、すこぶる 悠長 に燻 っている。雨はしだいに しせい た。後 にはただ足の甲 のみを見詰めてあるいた。終りには 収まる。 が り 肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は 満目 の樹 梢 を揺 かし しばらくすると、奥の方から足音がして、 煤 けた障子が のち しほう こう せま すす かい しょうじ ひと しゅんざん うご われ つる じゅしょう ひさし まんもく あるい らっかていちょう て四 方 より孤 客 に逼 る。非人情がちと強過ぎたようだ。 さらりと 開 く。なかから一人の婆さんが出る。 のぞ さび い どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈 に火は燃えてい のきした おもむき 二 る。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は 呑気 に燻っ じゅし ている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の 見世 わらじ し いぶ かつ へつい のんき はしがか み たばこぼん いぬ ﹁おい﹂と声を掛けたが返事がない。 を 明 け放しても苦にならないと見えるところが、少し都と しょうしょう 軒 下 から奥を覗 くと 煤 けた障 子 が立て切ってある。向う だ が うす ほうき いっしょうます 側は見えない。五六足の 草鞋 が淋 しそうに庇 から吊 されて、 は違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつま くったくげ ぶんきゅうせん すみ たかさご ま 托気 にふらりふらりと揺れる。下に 屈 駄菓子 の箱が三つば でも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここら にわとり ほうしょう ゆうちょう かり並んで、そばに五厘銭と 文久銭 が散らばっている。 が非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入っ こかく ﹁おい﹂とまた声をかける。土間の 隅 に片寄せてある臼 の た。 どべっつい かつじんが うしろむき すす 上に、ふくれていた鶏 が、驚ろいて眼をさます。ククク、ク 二三年前 宝生 の舞台で高 砂 を見た事がある。その時これ ちゃがま あ ククと騒ぎ出す。敷居の外に 土竈 が、今しがたの雨に濡れ はうつくしい 活人画 だと思った。箒 を担 いだ爺さんが 橋懸 た せ て、半分ほど色が変ってる上に、真黒な 茶釜 がかけてある りを五六歩来て、そろりと 後向 になって、婆さんと向い合 しょうぎ あ が、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は 焚 きつ い ま う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは は けてある。 うす 婆さんの顔がほとんど 真 むきに見えたから、ああうつくし はばた いと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き にわとり 返事がないから、無断でずっと 這入 って、床 几 の上へ腰 おろ を卸 した。鶏 は羽 摶 きをして臼 から飛び下りる。今度は畳 ﹁あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおお ﹁だいぶ降ったね﹂ ﹁はい、これは、いっこう存じませんで﹂ ﹁御婆さん、ここをちょっと借りたよ﹂ したほど似ている。 付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わ と風を起して一尺あまり吹き出す。 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が 颯 ﹁あいにく 今日 は︱︱︱先 刻 の雨でどこぞへ逃げました﹂ ﹁聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい﹂ ﹁ええ毎日のように鳴きます。 此辺 は夏も鳴きます﹂ ﹁ 鶯 は鳴くかね﹂ ﹁へえ、御覧の通りの 山里 で﹂ ﹁閑静でいいね﹂ い くず おかげ さっき やまざと だいぶお濡 れなさった。今火を焚 いて乾 かして上げましょ﹂ ﹁さあ、御 あたり。さぞ御寒かろ﹂と云う。 軒端 を見ると青 しゅんじゅん うぐいす ﹁そこをもう少し 燃 しつけてくれれば、あたりながら乾か い煙りが、突き当って 崩 れながらに、微 かな 痕 をまだ 板庇 ふたこえ ひとふで ろうう かた てんぐいわ ろせつ ここら すよ。どうも少し休んだら寒くなった﹂ にからんでいる。 こげちゃいろ く きょう ﹁へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ﹂ ﹁ああ、 好 い心持ちだ、御 蔭 で生き返った﹂ ま こ みじんぼう なが みくら ばば あと ぜんざん さんがん けず いたびさし いっかく やまうば ものすご さっ と立ち上がりながら、しっしっと 二声 で 鶏 を追い 下 げる。 ﹁いい具合に雨も晴れました。そら 天狗巌 が見え出しまし かわ ここここと馳 け出した夫婦は、 焦茶色 の畳から、駄菓子箱 た﹂ た むぞうさ た の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき 逡巡 として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに ぬ 駄菓子の上へ糞 を垂 れた。 吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた 前山 の 一角 は、 も ﹁まあ一つ﹂と婆さんはいつの 間 にか刳 り抜き盆の上に茶 未練もなく晴れ尽して、 老嫗 の指さす方 に と、あら削 ご ま なが はんはん たかさご のきば 碗をのせて出す。茶の色の黒く 焦 げている底に、 一筆 がき りの柱のごとく 聳 えるのが天狗岩だそうだ。 ふん へっつい お の梅の花が三輪 無雑作 に焼き付けられている。 余はまず天狗巌を 眺 めて、次に婆さんを眺めて、三度目 たすき もみじ かす ﹁御菓子を﹂と今度は鶏の踏みつけた 胡麻 ねじと 微塵棒 を には 半々 に両方を 見比 べた。画家として余が頭のなかに存 そでな さ 持ってくる。糞 はどこぞに着いておらぬかと 眺 めて見たが、 在する婆さんの顔は 高砂 の 媼 と、蘆 雪 のかいた山 姥 のみで ふところ にわとり それは箱のなかに取り残されていた。 ある。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは 物凄 いものだ か 婆さんは袖 無 しの上から、襷 をかけて、竈 の前へうずく と感じた。 紅葉 のなかか、寒い月の下に置くべきものと考 ふん まる。余は懐 から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写 そび しながら、話しをしかける。 草枕 ほうしょう べつかいのう と ﹁妙な事だね。それじゃ 泊 めてくれないかも知れんね﹂ と えた。 宝生 の 別会能 を観るに及んで、なるほど老女にもこ ﹁いえ、御頼みになればいつでも 宿 めます﹂ めん んな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの 面 は定 だ ﹁宿屋はたった一軒だったね﹂ し ほ めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き ﹁へえ、 志保田 さんと御聞きになればすぐわかります。村 おだ 落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、 穏 やかに、あ かっこう ゆびさ はるかぜ のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません﹂ きんびょう たたかに見える。 金屏 にも、春 風 にも、あるは桜にもあし ﹁じゃ御客がなくても平気な訳だ﹂ かざ やまじ つかえ らって 差 し支 ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をの ﹁旦那は始めてで﹂ さ して、手を 翳 して、遠く向うを 指 している、袖無し姿の婆 ﹁いや、久しい以前ちょっと行った事がある﹂ さっき さんを、春の 山路 の景物として 恰好 なものだと考えた。余 会話はちょっと 途切 れる。帳面をあけて先 刻 の鶏を静か とたん と ぎ が写生帖を取り上げて、今しばらくという 途端 に、婆さん ひょうし に写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと きこ の姿勢は崩れた。 かわ 云う馬の鈴が 聴 え出した。この声がおのずと、 拍子 をとっ てもち ぶさ た 手 持無沙汰 に写生帖を、火にあてて乾 かしながら、 て頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの たず お いねん 春風や 惟然 が耳に馬の鈴 はじ ﹁御婆さん、丈夫そうだね﹂と 訊 ねた。 ひ 臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をや おだんご こ ﹁はい。ありがたい事に達者で︱︱︱針も持ちます、 苧 もう めて、同じページの 端 に、 ひ みます、 御団子 の 粉 も磨 きます﹂ いしうす この御婆さんに 石臼 を挽 かして見たくなった。しかしそ と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢っ た んな注文も出来ぬから、 い こ た五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の な こ お ﹁ここから那 古井 までは一里足 らずだったね﹂と別な事を とうじ のどか まごうた ふ くうざんいちろ 馬とは思われない。 だんな 聞いて見る。 やがて長 閑 な馬 子唄 が、春に 更 けた 空山一路 の夢を破る。 え ﹁はい、二十八丁と申します。 旦那 は 湯治 に 御越 しで⋮⋮﹂ すずか と、今度は 斜 に書きつけたが、書いて見て、これは自分の はす 子唄 の 馬 鈴鹿 越ゆるや春の雨 まごうた 声だ。 憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても 画 にかいた とうりゅう とん ません。まるで締め切り同様で御座います﹂ ﹁いえ、戦争が始まりましてから、 頓 と参るものは御座い が向けばさ﹂ ﹁込み合わなければ、少し 逗留 しようかと思うが、まあ気 草枕 ひと ごと こんにち ﹁ありがたい事に 今日 には困りません。まあ仕合せと云う なか い 句でないと気がついた。 こ のだろか﹂ ﹁本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっと な ﹁仕合せとも、御前。あの 那古井 の嬢さまと比べて御覧﹂ る。最前 逢 うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこ いくねん つらぬ くだ は具合がいいかい﹂ ここん の婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を 下 り、 こむら じゃくまく ﹁なあに、相変らずさ﹂ いと 思われては山を登ったのだろう。路 寂寞 と古 今 の春を 貫 い はくとう な ﹁困るなあ﹂と婆さんが大きな息をつく。 こんにち て、花を 厭 えば足を着くるに地なき小 村 に、婆さんは幾 年 ﹁困るよう﹂と源さんが馬の鼻を 撫 でる。 えだしげ の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、 今日 の白 頭 か すまい まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足 塊 かた 枝繁 き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の しらが おお ふりそで うえした をすくわれて、いたたまれずに、 仮 りの住 居 を、さらさら めいそう たてがみ と次のページへ 認 めたが、これでは自分の感じを云い 終 せ と 転 げ落ちる。馬は驚ろいて、長い 鬣 を上 下 に振る。 ころ ない、もう少し 工夫 のありそうなものだと、鉛筆の先を見 ﹁コーラッ﹂と 叱 りつける源さんの声が、じゃらん、じゃ くふう 詰めながら考えた。何でも 白 髪という字を入れて、 幾 代 の らんと共に余の 冥想 を破る。 き しか 節と云う句を入れて、 馬 子 唄という題も入れて、春の 季 も すそもよう たかしまだ 御婆さんが云う。﹁源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの まと れいがんじ ば んで行ったな、 御叔母 さん﹂ かじちょう ふ ほろほろと落ちて、せっかくの島田に 斑 が出来ました﹂ もなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像し え らってきておくれなさい﹂ おあき 余はまた写生帖をあける。この景色は 画 にもなる、詩に ば づいて仕合せだ。な、 御叔母 さん﹂ お ﹁はい、貰ってきよ。一枚か。︱︱︱御 秋 さんは善 い所へ片 よ ﹁何か買物があるなら頼まれて上げよ﹂ お ﹁そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休 で、馬に乗って⋮⋮﹂ めさき 加えて、それを十七字に纏 めたいと工夫しているうちに、 、 、 、 ﹁あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花が とま 姿が、まだ眼 前 に散らついている。裾 模様 の振 袖 に、高 島田 、 、 、 、 、 ﹁おや源さんか。また城下へ行くかい﹂ かける。 、 ﹁そうさ、鍛 冶町 を通ったら、娘に霊 厳寺 の御 札 を一枚も おふだ ﹁はい、今日は﹂と実物の馬子が店先に 留 って大きな声を したた 子 唄や白 馬 髪 も染めで暮るる春 ま ご に至ったのだろう。 お ひとすじ ただ 一条 の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見え ﹁また誰ぞ来ました﹂と婆さんが半 ば独 り言 のように云う。 草枕 て見てしたり顔に、 むか かこ 鏡に 対 うときのみ、わが頭の白きを 喞 つものは幸の部に おもむき せん の 疾 き趣 を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ 仙 に と 属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪 と書きつける。不思議な事には 衣装 も髪も馬も桜もはっき 近づける方だろう。余はこう答えた。 いしょう 花の頃を越えてかしこし馬に嫁 りと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけ ﹁さぞ美くしかったろう。見にくればよかった﹂ とうじば なかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案している こつぜん ﹁ハハハ今でも御覧になれます。 湯治場 へ御越しなされば、 おもかげ じ め ふりそで うちに、ミレーのかいた、オフェリヤの 面影 が忽 然 と出て すそもよう きっと出て御挨拶をなされましょう﹂ くず 来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、 ﹁はあ、今では里にいるのかい。やはり 裾模様 の振 袖 を着 さっそく せっかくの図面を 早速 取り崩 す。衣装も髪も馬も桜も一瞬 て、高島田に 結 っていればいいが﹂ きれい もうろう い 間に心の道具立から 奇麗 に立ち 退 いたが、オフェリヤの合 ﹁たのんで御覧なされ。着て見せましょ﹂ の 掌して水の上を流れて行く姿だけは、 朦朧 と胸の底に残っ 余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外 真面目 であ すいせい あいさつ ま て、棕 梠箒 で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に る。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆 ひ しゅろぼうき 尾を曳 く彗 星 の何となく妙な気になる。 おとめ さんが云う。 ななまが あるき ながら ﹁それじゃ、まあ御免﹂と源さんが 挨拶 する。 ﹁嬢様と 長良 の乙 女 とはよく似ております﹂ よ ﹁帰りにまた 御寄 り。あいにくの降りで七 曲 りは難義だろ﹂ ﹁顔がかい﹂ こ い ﹁いいえ。身の成り行きがで御座んす﹂ な 馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。 ﹁へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい﹂ ちょうじゃ ﹁あれは 那古井 の男かい﹂ ﹁ 昔 しこの村に長良の乙女と云う、美くしい 長者 の娘が御 むか ﹁はい、那古井の源兵衛で御座んす﹂ 座りましたそうな﹂ とうげ ﹁へえ﹂ けそう い﹂ お ﹁ところがその娘に二人の男が一度に 懸想 して、あなた﹂ あ ﹁なるほど﹂ ひ ﹁志保田の嬢様が城下へ 御輿入 のときに、嬢様を 青馬 に乗 ﹁ささだ男に 靡 こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけ はづな せて、源兵衛が 覊絏 を 牽 いて通りました。︱︱︱月日の立つ なび のは早いもので、もう今年で五年になります﹂ おこしいれ ﹁あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、 峠 を越したのか お ﹁はい、少し骨が折れよ﹂と源さんは 歩行 出す。源さんの 草枕 草枕 わずら ら嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢 様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは くれ思い 煩 ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう 々 内 極 気 の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなっ ごくごく う ち き あ き づ け ば を ば な が 上 に 置 く 露 の 、け ぬ べ く も わ は 、 て、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。⋮⋮﹂ は これからさきを聞くと、せっかくの 趣向 が 壊 れる。よう ふちかわ と云う歌を咏 んで、淵 川 へ身を投げて果 てました﹂ やく仙人になりかけたところを、誰か来て 羽衣 を帰せ帰せ よ おもほゆるかも 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな 古雅 と 催促 するような気がする。 七曲 りの険を冒 して、やっと おもい おろ からだ か にお はごろも おか けあな ほう こわ な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。 の 思 で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きず あか しゅこう ﹁これから五丁東へ 下 ると、道 端 に五 輪塔 が御座んす。つ り 下 されては、飄 然 と家を出た甲 斐 がない。世間話しもあ こ が いでに 長良 の乙 女 の墓を見て御行きなされ﹂ る程度以上に立ち入ると、浮世の 臭 いが毛 孔 から染 込 んで、 たた ながら みち ななまが 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、 で身 垢 体 が重くなる。 お あ さいそく そのあとを語りつづける。 ﹁御婆さん、那古井へは一筋道だね﹂と十銭銀貨を一枚 床几 い ごりんのとう ﹁那古井の嬢様にも二人の男が 祟 りました。一人は嬢様が の上へかちりと投げ出して立ち上がる。 みちばた 京都へ修行に出て 御出 での頃御 逢 いなさったので、一人は ﹁ 長良 の五輪塔から右へ 御下 りなさると、六丁ほどの近道 くだ ここの城下で随一の物持ちで御座んす﹂ になります。 路 はわるいが、御若い方にはその 方 がよろし おとめ ﹁はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい﹂ かろ。︱︱︱これは多分に御茶代を︱︱︱気をつけて御越しな わ ながら ﹁御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこに され﹂ おもら い は色々な 理由 もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ ふちかわ き ひょうぜん 取りきめて⋮⋮﹂ 三 さ ゆうべ しみこ ﹁めでたく、淵 川 へ身を投げんでも済んだ訳だね﹂ おりあい ぐあい しょうぎ ﹁ところが︱︱ ︱先 方 でも器量望みで 御貰 いなさったのだか 昨夕 は妙な気持ちがした。 お ら、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと 強 い 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の 具合 庭の おくだ られて御出なさったのだから、どうも折 合 がわるくて、御親 作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻 け 類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の し 戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それか 草枕 でいると、小 女 が来て床 を延 べよかと云 う。 違う。 晩餐 を済まして、湯に入 って、室 へ帰って茶を飲ん の小さな座敷へ入れられた。 昔 し来た時とはまるで見当が 廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほど 内 を し た 。三 段 登 っ て 廊 下 か ら 部 屋 へ 這入 ろうとすると、 てた、広い 間 をいくつも通り越して一番奥の、 中二階 へ案 い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果 とめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若 題である。 棟 の高い大きな家に女がたった二人いた。余が も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問 ゆつぼ こおんな い い めった いろけ はしごだん えんいた かたむ ま むね 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、 晩食 の給 庇 の下に 板 傾 きかけていた 一叢 の修 竹 が、そよりと夕風を いなかじ むか 仕も、 湯壺 への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの 受けて、余の肩から頭を 撫 でたので、すでにひやりとした。 しそく お へや 小女一人で弁じている。それで口は 滅多 にきかぬ。と云う 板 はすでに朽 椽 ちかかっている。来年は 筍 が椽を突き抜い ばんさん て、田 舎染 みてもおらぬ。赤い帯を 色気 なく結んで、古風 て座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何 の な紙 燭 をつけて、廊下のような、 梯子段 のような所をぐる にも云わずににやにやと笑って、出て行った。 とこ ぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも その晩は例の竹が、枕元で婆 娑 ついて、寝られない。 障子 は おどか ば さ たけのこ らんま つきあきら おおうなばら か や も じ しんぼう らっかん ちくえい しゅぬ ちゅうにかい 階段ともつかぬ所を、何度も 降 りて、湯壺へ連れて行かれ をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月 明 かなるに、眼 なみ は い た時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来してい を 走 しらせると、垣も 塀 もあらばこそ、まともに大きな草 ばんめし るような気がした。 山に続いている。草山の向うはすぐ 大海原 でどどんどどん あ しゅうちく 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除が と大きな 濤 が人の世を威 嚇 しに来る。余はとうとう夜の明 くさぞうし ひとむら してないから、 普段 使っている部屋で我慢してくれと云っ けるまで一睡もせずに、怪し気な 蚊帳 のうちに辛 防 しなが とおざ いたびさし た。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉 ら、まるで 草双紙 にでもありそうな事だと考えた。 ぼうしゅう あおむけ がく な を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった その 後 旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、 け かずさ ふち く 廊下を、次第に下の方へ 遠 かった時に、あとがひっそりと 今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。 たてやま とまっ だいてつ しょうじ して、人の気 がしないのが気になった。 仰向 に寝ながら、偶然目を 開 けて見ると欄 間 に、朱 塗 り あるい かいをはらってちりうごかず へい 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し 房州 の 縁 を と っ た 額 が か か っ て い る 。 文字 は 寝 な が ら も 竹影 ふだん を館 山 から向うへ突き抜けて、 上総 から 銚子 まで浜伝いに 払 階 塵 不動 と明らかに読まれる。 大徹 という 落款 もたし ご 行 た事がある。その時ある晩、ある所へ 歩 宿 た。ある所と ちょうし 云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名 草枕 し現 に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗 ら手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しか でしかも 雅馴 である。今この七字を見ると、筆のあたりか も木 庵 もそれぞれに面白味はあるが、高 泉 の字が一番蒼 勁 生から、 黄檗 の高 泉和尚 の筆 致 を愛している。 隠元 も即 非 かに見える。余は書においては 皆無鑒識 のない男だが、平 だが、なるほどもっともだ。文芸を 性命 にするものは今少 の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそう 悟道の 後 、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢 な夢を見たものだと思った。昔し 宋 の 大慧禅師 と云う人は、 そこで眼が醒 めた。 腋 の下から汗が出ている。妙に雅 俗混淆 ぶ。 知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼 は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、 行末 も ゆくえ に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色 しうつくしい夢を見なければ 幅 が利 かない。こんな夢では かいむかんしき が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れな 大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、 げん がじゅん とこ しょうばいがら じゃくちゅう は い いっぴん わがい そうけい そくひ い。 いつの間にか 障子 に月がさして、木の枝が二三本斜 めに影 せいち こも いんげん 横を向く。 床 にかかっている 若冲 の鶴の図が目につく。 をひたしている。 冴 えるほどの春の夜 だ。 ひとふで のっ はし ひっち これは 商売柄 だけに、部屋に這 入 った時、すでに 逸品 と認 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。 きがね たまごなり こうせんおしょう めた。若冲の図は大抵 精緻 な彩色ものが多いが、この鶴は 夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの おうばく 世間に 気兼 なしの一 筆 がきで、一本足ですらりと立った上 世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに 紛 れ込んだのかと ひょういつ おもむき こうせん に、卵 形 の胴がふわっと乗 かっている様子は、はなはだ吾 意 耳を 峙 てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声 もくあん を得て、 飄逸 の趣 は、長い嘴 のさきまで籠 っている。床の には相違ないが、眠らんとする春の 夜 に一 縷 の脈をかすか あ お そばだ う しょうじ おとめ き いちる まぎ せいめい よ よ なな がぞくこんこう 隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中に に 搏 たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、 おとめ わき は何があるか分らない。 文句をきくと︱︱︱枕元でやってるのでないから、文句のわ ながら さ すやすやと寝入る。夢に。 かりようはない。︱︱︱その聞えぬはずのものが、よく聞え のぼ ながら だいえぜんじ 長 良 の乙 女 が振袖を着て、青 馬 に乗って、峠を越すと、い る。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわ おっか そう きなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ は、おもほゆるかもと 長良 の乙 女 の歌を、繰り返し繰り返 むこうじま のち 張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ 上 って、河 すように思われる。 さお はば の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってや さ ろうと思って、長い 竿 を持って、向 島 を 追懸 けて行く。女 草枕 く、 背 の高い女姿を、すぐに遮 ってしまう。 右へ切れた。わがいる部屋つづきの 棟 の角 が、すらりと動 かど 初めのうちは 椽 に近く聞えた声が、しだいしだいに細く 借 着 の 浴衣 一枚で、障子へつらまったまま、しばらく 茫然 むね 退 いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、 遠 としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒 えん れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心に 憐 いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再 あわ かりぎ きさん け まくら ふおんとう ばけもの さえぎ は、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云 び 帰参 して考え出した。 括 り枕 のしたから、 袂時計 を出し びょう とうか せい う句切りもなく 自然 に 細 りて、いつの間にか消えるべき現 て見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで とおの 象には、われもまた 秒 を縮め、 分 を割 いて、心細さの細さ 考え出した。よもや 化物 ではあるまい。化物でなければ人 こわ やど え ぼうぜん が細る。死なんとしては、死なんとする 病夫 のごとく、消 間で、人間とすれば女だ。あるいは 此家 の御嬢さんかも知 いっせつな ゆかた えんとしては、消えんとする 灯火 のごとく、今やむか、や れない。しかし 出帰 りの御嬢さんとしては夜なかに山つづ ふとん おの あふ たもとどけい むかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の 恨 みをこ きの庭へ出るのがちと 不穏当 だ。何にしてもなかなか寝ら とこ した こた すご うれい くく とごとく 萃 めたる調べがある。 れない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今ま ほそ 今までは床 の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざ で懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、 じねん かるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、そ さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るな こまく ひざ さ の声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけに と忠告するごとく口をきく。 怪 しからん。 あせっ とたん ふん なっても、あとを 慕 って飛んで行きたい気がする。もうど 怖 いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。 あ びょうふ う焦 慮 ても鼓 膜 に応 えはあるまいと思う 一刹那 の前、余は い事も、 凄 己 れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば 画 しょうじ ねまき がんぜん みず こ こ たまらなくなって、われ知らず 布団 をすり抜けると共にさ になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。 うら らりと 障子 を 開 けた。 途端 に自分の膝 から下が斜 めに月の 失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の 宿 かいどう かげぼうし くだ でがえ 光りを浴びる。 寝巻 の上にも木の影が揺れながら落ちた。 るところやら、 憂 のこもるところやら、一歩進めて云えば あつ 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あ 失恋の苦しみそのものの 溢 るるところやらを、単に客観的 もうろう なな の声はと、耳の走る見当を見破ると︱︱︱向うにいた。花な に 眼前 に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有 せ らば 海棠 かと思わるる幹を背 に、よそよそしくも月の光り りもせぬ失恋を製造して、 自 から強 いて煩 悶 して、愉快を しか はんもん を忍んで 朦朧 たる 影法師 がいた。あれかと思う意識さえ、 し とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み 確 砕 いて 草枕 じょうにん ぐ この てんち うち おうきょ えが すまでは汽車の美を解せず、 応挙 が幽霊を描 くまでは幽霊 むさ えが ぼるものがある。 貪 常人 はこれを評して 愚 だと云う、気違 の美を知らずに打ち過ぎるのである。 こくが がんぜん かえい い は い い こうだいもく ひょうぼう せんぎだ わ イ タ リ ア りくつ おぼろよ だ だと云う。しかし自から不幸の輪廓を 描 いて好 んでその 中 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、 誰 こちゅう に起 臥 するのは、自から 烏有 の山水を刻 画 して 壺中 の天 地 れが見ても、 誰 に聞かしても饒 に詩趣を帯びている。︱︱︱ うゆう に歓喜すると、その芸術的の 立脚地 を得たる点において全 村 の温泉、︱︱︱ 孤 春宵 の花 影 、︱︱︱ 月前 の低 誦 、︱︱︱ 朧夜 き が く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸 の姿︱︱︱どれもこれも芸術家の 好題目 である。この好題目 わらじたび さ むれ ゆたか 術家は︵日常の人としてはいざ知らず︶芸術家として常人 が 眼前 にありながら、余は 入 らざる 詮義立 てをして、余計 だれ よりも愚である、気違である。われわれは 草鞋旅行 をする な 探 ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に 理窟 の筋が りっきゃくち 、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけて 間 立って、願ってもない風流を、気味の 悪 るさが踏みつけに ふいちょう ふところ ていしょう いるが、人に向って 曾遊 を説く時分には、不平らしい様子 してしまった。こんな事なら、非人情も 標榜 する価値がな ちょうちょう りょうけん かけ ひょうぜん げつぜん は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、 い。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向っ いつ まめつ しゅんしょう 昔の不平をさえ得意に 喋々 して、したり顔である。これは て 吹聴 する資格はつかぬ。昔し 以太利亜 の画家サルヴァト みずか いっかく こそん あえて 自 ら欺 くの、人を偽 わるのと云う 了見 ではない。旅 ル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険 あいだ 行をする間は 常 人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに 詩 を 賭 にして、山賊の 群 に 這入 り込んだと聞いた事がある。 そうゆう 人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角 然 と画帖を懐 飄 にして家を 出 でたからには、余にもそのく あざむ な世界から常識と名のつく、 一角 を磨 滅 して、三角のうち てんねん しゅうぞく へきえき りっきゃくち らいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。 ゆえ てぢか す に住むのを芸術家と呼んでもよかろう。 りんろう くうげらんつい ありてい こんな時にどうすれば詩的な立 脚地 に帰れるかと云えば、 び か へいこ あ えいじょくとくそう しりぞ この 故 に天 然 にあれ、人事にあれ、衆 俗 の辟 易 して近づ ほうろ なづ おのれの感じ、そのものを、おのが前に据 えつけて、その感 むじょう きがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳 琅 を見、 じから一歩 退 いて 有体 に落ちついて、他人らしくこれを検 さいこう いちえい た か しがい 上 の 無 宝璐 を知る。俗にこれを 名 けて美 化 と云う。その実 査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の 屍骸 つ さんらん は美化でも何でもない。燦 爛 たる 彩光 は、炳 乎 として昔から を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有 せ なん 現象世界に実在している。ただ 一翳 眼に 在 って 空花乱墜 す している。その方便は色々あるが一番 手近 なのは何 でも蚊 ぞくるい せま きせつろう でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七 、 のわれに 逼 る事、念 々切 なるが故に、ターナーが汽車を写 、 、 るが故に、俗 累 の覊 絏牢 として絶 ちがたきが故に、 栄辱得喪 、 草枕 のぼ のりき この調子なら大丈夫と 乗気 になって出るだけの句をみな かわや 字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、 春の星を落して 夜半 のかざしかな よ は かき付ける。 あんちょく に上 厠 った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十 春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪 さと 七字が容易に出来ると云う意味は 安直 に詩人になれると云 う意味であって、詩人になると云うのは一種の 悟 りである 春や今 宵 歌つかまつる御姿 こよひ から軽便だと云って 侮蔑 する必要はない。軽便であればあ 棠 の精が出てくる月夜かな 海 かいだう るほど 功徳 になるからかえって尊重すべきものと思う。ま うた折々月下の春ををちこちす ぶべつ あちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ 思ひ切つて更け行く春の独りかな くどく 十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。 がいかい こうこつ 恍惚 と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思 ひとり 他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう う。熟睡のうちには 何人 も我を認め得ぬ。 明覚 の際には誰 さ せいき けんこん か にぶ どうへいり おぼろ ま てまえ なめら かす てい いんうん たれ 人 が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。 一 あって 外界 を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に 縷 の うれ さいかん は ためら めいかく この涙を十七字にする。するや 否 やうれしくなる。涙を十 ごとき幻境が 横 わる。醒 めたりと云うには余り朧 にて、眠 へいぜい しいか から なんびと 七字に 纏 めた時には、苦しみの涙は自分から 遊離 して、お ると評せんには少しく 生気 を剰 す。 起臥 の二界を同 瓶裏 に いな れは泣く事の出来る男だと云う 嬉 しさだけの自分になる。 盛りて、 詩歌 の彩 管 をもって、ひたすらに攪 き雑 ぜたるが さんまん ようわん やわ い る これが 平生 から余の主張である。今夜も一つこの主張を ごとき状態を云うのである。自然の色を夢の 手前 までぼか まっさき ゆうり 実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立 して、ありのままの宇宙を一段、 霞 の国へ押し流す。睡魔 かいだう まと てる。出来たら書きつけないと 散漫 になっていかぬと、念 の 妖腕 をかりて、ありとある実相の角度を 滑 かにすると共 たましい よこた 入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。 に、かく 和 らげられたる乾 坤 に、われからと 微 かに鈍 き脈 おぼろ ば き が ﹁海 棠 の露をふるふや 物狂 ひ﹂と真 先 に書き付けて読んで を通わせる。地を 這 う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、 かさ しやういちゐ あま 見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事も わが 魂 の、わが 殻 を離れんとして離るるに忍びざる態 であ のんき たも かすみ ない。次に﹁花の影、女の影の 朧 かな﹂とやったが、これは る。抜け出 でんとして逡 巡 い、逡巡いては抜け出でんとし、 ものぐる 季が 重 なっている。しかし何でも構わない、気が落ちつい ては魂と云う個体を、もぎどうに 果 保 ちかねて、氤 氳 たる おぼろづき て呑 気 になればいい。それから﹁正 一位 、女に 化 けて 朧月 ﹂ は と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。 草枕 氛 が散るともなしに四肢五体に 瞑 纏綿 して、依 々 たり恋 々 なかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならな 浴衣 のまま、風 呂場 へ下りて、五分ばかり偶然と湯 壺 の のだろう。 れんれん たる心持ちである。 い。第一 昨夕 はどうしてあんな心持ちになったのだろう。 い い 余が寤 寐 の境 にかく逍 遥 していると、入口の 唐紙 がすうと 昼と夜を 界 にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。 てんめん いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現わ 開 身体 を拭 くさえ 退儀 だから、いい加減にして、 濡 れたま めいふん れた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ 心地 よく 眺 めて ま上 って、風呂場の戸を内から開 けると、また驚かされた。 まぶた うち まぼろし ことわ ここち は い と せんにょ からだ あが ふ さかい ゆうべ いとま たいぎ なな へきえき たい しりめ だいぞうきょう ようぼう せなか であいがしら しりぞ ねじ いま ひんぴょう きょうがく じょ ろうばい ゆつぼ いる。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が 閉 じて ﹁御早う。 昨夕 はよく寝られましたか﹂ しか め ば いる 瞼 の裏 に幻 影 の女が断 りもなく滑 り込んで来たのであ 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人 まなこ うし とたん なが ふ ろ る。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに 這入 る。仙 女 のいるさえ予期しておらぬ 出合頭 の 挨拶 だから、さそくの えりあし そで ゆかた の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。 返事も出る 遑 さえないうちに、 ほかげ こま からかみ 閉ずる 眼 のなかから見る世の中だから 確 とは解らぬが、色 ﹁さ、 御召 しなさい﹂ とだな くらやみ しょうよう の白い、髪の濃い、 襟足 の長い女である。近頃はやる、ぼ と後 ろへ廻って、ふわりと余の背 中 へ柔かい着物をかけた。 さかい かした写真を灯 影 にすかすような気がする。 ようやくの事﹁これはありがとう⋮⋮﹂だけ出して、向き ご び まぼろしは 戸棚 の前でとまる。戸棚があく。白い腕が 袖 直る、 途端 に女は二三歩退 いた。 た ゆうべ をすべって 暗闇 のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。 昔から小説家は必ず主人公の 容貌 を極力描写することに あ 畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとり 相場がきまってる。古今東西の言語で、 佳人 の品 評 に使用 あいなか へだた ここち こんにち ぬ でに 閉 たる。余が眠りはしだいに 濃 やかになる。人に死し せられたるものを列挙したならば、 大蔵経 とその量を争う なが て、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。 かも知れぬ。この 辟易 すべき多量の形容詞中から、余と三 たけごうし むこうがわ あ いつまで人と馬の 相中 に寝ていたかわれは知らぬ。耳元 歩の隔 りに立つ、体 を斜 めに 捩 って、後 目 に余が驚 愕 と 狼狽 すべ にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れ を 心地 よげに眺 めている女を、もっとも適当に 叙 すべき用 はるび ひそ かわ あいさつ ば夜の幕はとくに切り落されて、天下は 隅 から隅まで明る 語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。し さんず お い。うららかな 春日 が丸窓の竹 格子 を黒く染め抜いた様子 かし生れて三十余年の 今日 に至るまで未 だかつて、かかる じゅうまんおくど かじん を見ると、世の中に不思議と云うものの 潜 む余地はなさそ すみ うだ。神秘は 十万億土 へ帰って、 三途 の 川 の向 側 へ渡った 草枕 き ギリシャ ひとくせ れの道具が皆 一癖 あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛 たんしゅく 表情を見た事がない。美術家の評によると、 希臘 の彫刻の び込んだのだから迷うのも無理はない。 らいてい お なさ そむ へいこう こんにち つつし わ うち ふんべつ すが かんけつ 理想は、 端粛 の二字に帰 するそうである。端粛とは人間の 元来は 静 であるべき大 地 の一角に陥 欠 が起って、全体が ふううん おとな だいち 活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう 思わず動いたが、動くは本来の性に 背 くと悟って、力 めて せい 変化するか、 風雲 か雷 霆 か、見わけのつかぬところに 余韻 昔 の姿にもどろうとしたのを、 往 平衡 を失った機勢に制せ がんちく たんぜん そう いきおい まよい けんか つと が縹 緲 と存するから含 蓄 の趣 を百 世 の後 に伝うるのであろ られて、心ならずも動きつづけた 今日 は、やけだから無理 いかん どう よいん う。世上幾多の尊厳と威儀とはこの 湛然 たる可能力の裏面 でも動いて見せると云わぬばかりの有様が︱︱︱そんな有様 ろう ゆえ まんが むかし に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二 がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。 たでいたいすい ほくさい のち か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には それだから 軽侮 の裏 に、何となく人に 縋 りたい景色が見 あかつき におう おもむき ひゃくせい 相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった える。人を馬鹿にした様子の底に 慎 み深い分 別 がほのめい ひょうびょう には、 泥帯水 の陋 暁 を遺 憾 なく示して、 本来円満 の 相 に ている。才に任せ、気を 負 えば百人の男子を物の数とも思 うんけい てい うら 戻る訳には行かぬ。この 故 に動 と名のつくものは必ず卑し わぬ 勢 の下から 温和 しい情 けが吾知らず湧 いて出る。どう がこう けいぶ い。運 慶 の仁 王 も、北 斎 の漫 画 も全くこの動の一字で失敗 しても表情に一致がない。 悟 りと迷 が一軒の 家 に喧 嘩 をし ほんらいえんまん している。動か静か。これがわれら 画工 の運命を支配する ながらも同居している 体 だ。この女の顔に統一の感じのな はんちゅう さと 大問題である。古来美人の形容も大抵この二大 範疇 のいず いのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、こ お れにか打ち込む事が出来べきはずだ。 の女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に 圧 しつけら えしゃく えり かろげ か ふしあわせ ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に せまくる ご ぶ れながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。 不仕合 しずか しもぶくれ ひたい うりざねがた 迷った。口は一文字を結んで 静 である。眼は五 分 のすきさ な女に違ない。 か い え見出すべく動いている。顔は 下膨 の瓜 実形 で、豊かに落 ぞくしゅう いちょうがえし そうじ ﹁ありがとう﹂と繰り返しながら、ちょっと 会釈 した。 ふじびたい はっか のち ちつきを見せているに引き 易 えて、額 は狭 苦 しくも、こせ せま ﹁ほほほほ御部屋は 掃除 がしてあります。 往 って御覧なさ まゆ ついて、いわゆる 富士額 の俗 臭 を帯びている。のみならず いな い。いずれ 後 ほど﹂ れ と云うや 否 や、ひらりと、腰をひねって、廊下を 軽気 に馳 じ は両方から逼 眉 って、中間に数滴の 薄荷 を点じたるごとく、 けて行った。頭は 銀杏返 に 結 っている。白い 襟 がたぼの下 え い 鈍に丸くもない。 画 にしたら美しかろう。かように別れ別 ぴくぴく 焦慮 ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅 草枕 には小さな用 箪笥 が見える。上から友 禅 の扱 帯 が半分 垂 れ ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇 麗 に掃除がしてある。 四 から見える。帯の 黒繻子 は 片側 だけだろう。 も庭は狭い。五六枚の 飛石 を一面の青 苔 が埋めて、素 足 で 棠 と鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったより 海 右側の障 子 をあけて、昨 夜 の名 残 はどの辺 かなと眺める。 ろう。 のだ。これでは 午飯 だけで間に合せる方が胃のためによか だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たも れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時 後 ほどと云ったから、今に 飯 の時にでも出て来るかも知 けた。 かたかわ かかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出 踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの くろじゅす て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい に赤松が 崖 斜 めに岩の間から庭の上へさし出している。海 ゆうべ ざぶとん ゆうぜん おらてがま からき いせものがたり かいどう がけ うし みど なな とびいし さら りゅうぜん い そば くだ かかと なごり めし 裳 の間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰 衣 棠の 後 ろにはちょっとした茂みがあって、奥は 大竹藪 が十 なにげ のち めてある。一番上に 白隠和尚 の遠 良天釜 と、伊 勢物語 の一 丈の 翠 りを春の日に 曝 している。右手は 屋 の棟 で遮 ぎられ な こ ひるめし 巻が並んでる。昨 夕 のうつつは事実かも知れないと思った。 て、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら 下 りに はさ きれい 何 気 なく座 布団 の上へ坐ると、 唐木 の机の上に例の写生 風呂場の方へ落ちているに相違ない。 ものぐるひ やわら がけ のぼ こけ や さえ へいち ふもと しかけ うち えん まやじま お おおたけやぶ むね い ひらや へん 帖が、鉛筆を 挟 んだまま、大事そうにあけてある。夢中に 山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの 平地 かいだう あさがらす かたす ひとかまえ はしごだん ゆうべ 書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。 となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七 わか かさ おんざうし しょうじ ﹁海 棠 の露をふるふや 物狂 ﹂の下にだれだか﹁海棠の露を 里向うへ行ってまた 隆然 と起き上って、周囲六里の 摩耶島 びっくり おぼろづき てんさく た ふるふや 朝烏 ﹂とかいたものがある。鉛筆だから、書体は となる。これが 那古井 の地勢である。温泉場は岡の麓 を出 おぼろ しやういちゐ ね しごき しかと 解 らんが、女にしては硬 過 ぎる、男にしては 柔 か過 来るだけ 崖 へさしかけて、 岨 の景色を半分庭へ囲い込んだ ようだんす ぎる。おやとまた 吃驚 する。次を見ると﹁花の影、女の影 構 であるから、前面は二階でも、後ろは 一 平屋 になる。椽 ま かたむ すあし の朧 かな﹂の下に﹁花の影女の影を 重 ねけり﹂とつけてあ から足をぶらさげれば、すぐと 踵 は苔 に着く。道理こそ昨 まじ あおごけ る。﹁正 一位 女に化けて 朧月 ﹂の下には﹁ 御曹子 女に化けて 夕は 楷子段 をむやみに 上 ったり、下 ったり、 異 な仕 掛 の家 いしょう 朧月﹂とある。 真似 をしたつもりか、添 削 した気か、風流 はくいんおしょう の交 わりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を 傾 草枕 めし げどう さんきゃくき はいざんまい いかん くうざん ひ と を み ず 時計は十二時近くなったが 飯 を食わせる景色はさらにな くぼ え と思ったはずだ。 いろ い。ようやく空腹を覚えて来たが、 空山 不 見人 と云う詩中 くまざさ 今度は左り側の窓をあける。自然と 凹 む二畳ばかりの岩 ふたかぶみかぶ えんがわ い き くく にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても 遺憾 はない。 ひた ぼ のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影 せなか や をかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに 画 俳三昧 に入っ いけがき そばみち を している。 二株三株 の熊 笹 が岩の角を彩 どる、向うに こ みなみさ ているから、作るだけ 野暮 だ。読もうと思って三 脚几 に 括 く 杞 とも見える 枸 生垣 があって、外は浜から、岡へ上る 岨道 きわ しゅんじつ りつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやっ みかん く か時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと 南下 がりに て、 煦々 たる 春日 に 背中 をあぶって、 椽側 に花の影と共に お く 柑 を植えて、谷の 蜜 窮 まる所にまた大きな竹藪が、白く光 寝ころんでいるのが、天下の 至楽 である。考えれば外 道 に せきとう しらく る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から 堕 呼吸 もしたく おおかた 知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から 石磴 えん らんかん ない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ば ふすま が五六段手にとるように見える。大 方 御寺だろう。 かり暮して見たい。 わん あが 入口の 襖 をあけて椽 へ出ると、欄 干 が四角に曲って、方 へだ やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か 上 ってくる。 ひとま よ 角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を 隔 てて、表 なん 近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前で ゆつぼ じ 二階の 一間 がある。わが住む部屋も、欄干に 倚 ればやはり こじょろう え さわらび ゆうべ とまったなと思ったら、一人は何 にも云わず、元の方へ引き にゅうとう ふすま 同じ高さの二階なのには興が催おされる。 湯壺 は 地 の下に が 返す。 襖 があいたから、今朝の人と思ったら、やはり 昨夜 き あるのだから、 入湯 と云う点から云えば、余は三層楼上に の 小女郎 である。何だか物足らぬ。 やきざかな なが あさめし ﹁遅くなりました﹂と 膳 を据 える。 朝食 の言訳も何にも言 あまど す 臥 する訳になる。 起 わぬ。 焼肴 に青いものをあしらって、 椀 の蓋 をとれば 早蕨 たいてい しめ ぜん 家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、 の中に、紅白に染め抜かれた、 海老 を沈ませてある。ああ かいむ おきら ばんさん ふた 右へ折れた一間のほかは、 居室 台所は知らず、客間と名が 好い色だと思って、椀の中を 眺 めていた。 ま つきそうなのは 大抵 立て切ってある。客は、余をのぞくの ﹁ 御嫌 いか﹂と下女が聞く。 い ほかほとんど 皆無 なのだろう。 〆 た部屋は昼も雨 戸 をあけ ﹁いいや、今に食う﹂と云ったが実際食うのは惜しい気が び ず、あけた以上は夜も 閉 てぬらしい。これでは表の戸締り した。ターナーがある 晩餐 の席で、皿に盛 るサラドを見詰 くっきょう た さえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来い も と云う 屈強 な場所だ。 草枕 た甲 斐 は充分ある。 眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がっ も物 奇麗 に出来る。 会席膳 を前へ置いて、 一箸 も着けずに、 そこへ行くと日本の 献立 は、吸 物 でも、口取でも、 刺身 で 知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。 ドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか たい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラ 海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いっ に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと 傍 の人 ﹁いいえ、 和尚様 の所へ行きます﹂ ﹁御寺 詣 りをするのかい﹂ これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。 ﹁御寺へ行きます﹂と 小女郎 が云う。 ﹁それから﹂と聞いて見た。 これは意外であった。面白いからまた ﹁ 三味 を弾 きます﹂ ﹁それから﹂ ﹁針仕事を⋮⋮﹂ ﹁若い奥さんは毎日何をしているかい﹂ ﹁へえ﹂ ﹁わたし一人かい﹂ かたわら ﹁うちに若い女の人がいるだろう﹂と椀を置きながら、質 ﹁和尚さんが三味線でも習うのかい﹂ か い かいせきぜん ひ 問をかけた。 だいてつさま しゃみ ﹁へえ﹂ ﹁いいえ﹂ さしみ ﹁ありゃ何だい﹂ ﹁じゃ何をしに行くのだい﹂ すいもの ﹁若い奥様でござんす﹂ ﹁ 大徹様 の所へ行きます﹂ お こんだて ﹁あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい﹂ なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。 ひとはし ﹁去年 御亡 くなりました﹂ この句から察すると何でも 禅坊主 らしい。戸棚に 遠良天釜 ものぎれい ﹁旦那さんは﹂ があったのは、全くあの女の所持品だろう。 ゆうべ は い ぜんぼうず こじょろう ﹁おります。旦那さんの娘さんでござんす﹂ ﹁この部屋は普段誰か 這入 っている所かね﹂ まい ﹁あの若い人がかい﹂ ﹁普段は奥様がおります﹂ おしょうさま ﹁へえ﹂ ﹁へえ﹂ ﹁それじゃ、昨 夕 、わたしが来る時までここにいたのだね﹂ な ﹁御客はいるかい﹂ おらてがま ﹁おりません﹂ 草枕 ﹁それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何を 余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、 Sadder than is the moon’s lost light, Lost ere the kindling of dawn, しに行くのだい﹂ ﹁知りません﹂ To travellers journeying on, ﹁それから﹂ ﹁何でござんす﹂ The shutting of thy fair face from my sight. いちょうがえ けそう と云う句であった。もし余があの 銀杏返 しに 懸想 して、身 へだ たまぎ Might I look on thee in death, いちべつ ﹁それから、まだほかに何かするのだろう﹂ を砕 いても逢わんと思う矢先に、今のような 一瞥 の別れを、 うえこ くだ ﹁それから、いろいろ⋮⋮﹂ 消 るまでに、嬉しとも、 魂 口惜 しとも感じたら、余は必ず あけ くちお ﹁いろいろって、どんな事を﹂ こんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に おわ ﹁知りません﹂ ふすま 会話はこれで切れる。飯はようやく了 る。膳を引くとき、 らんかん いちょうがえ ほおづえ ようりゅうかんのん With bliss I would yield my breath. と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通あり 小女郎が入口の襖 を開 たら、中庭の 栽込 みを 隔 てて、向う二 階の 欄干 に銀 杏返 しが 頬杖 を突いて、開化した 楊柳観音 の ふれた、恋とか愛とか云う 境界 はすでに通り越して、そん きょうがい ように下を見詰めていた。今朝に引き 替 えて、はなはだ静 な苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の 刹那 に うつむ ぼうし か かな姿である。 俯向 いて、瞳の働きが、こちらへ通わない 起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれてい そうごう うち あてはめ いんが にじ く の べ たなび せつな から、 相好 にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔 る。余と銀杏返しの 間柄 にこんな切 ない 思 はないとしても、 かく ちょうちょう ふすま かた みけん おもい の人は人に存するもの 眸子 より良きはなしと云ったそうだ 二人の今の関係を、この詩の 中 に適 用 て見るのは面白い。 いずく じゃくねん えしゃく せつ が、なるほど人 焉 んぞ さんや、人間のうちで眼ほど活き あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈 とたん つらぬ あいだがら ている道具はない。 寂然 と倚 る亜 字欄 の下から、 蝶々 が二 しても愉快だ。二人の間には、ある 因果 の細い糸で、この あじらん 羽寄りつ離れつ舞い上がる。 途端 にわが部屋の襖 はあいた 詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、 括 りつけら くう よ のである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の 方 に転じ れている。因果もこのくらい糸が細いと 苦 にはならぬ。そ も くく た。視線は毒矢のごとく 空 を貫 いて、会 釈 もなく余が眉 間 の上、ただの糸ではない。空を横切る 虹 の糸、 野辺 に棚 引 く く霞 の糸、露 にかがやく蜘 蛛 の糸。切ろうとすれば、すぐ しごく のんき つゆ に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立 かすみ て切った。あとは 至極 呑 気 な春となる。 草枕 すぐ ろうせき ねりあ どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた 煉上 げ方 ぎょく 切れて、見ているうちは 勝 れてうつくしい。万一この糸が は、玉 と蝋 石 の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。 いどなわ 見る間に太くなって 井戸縄 のようにかたくなったら? そ のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなか な んな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。 やわら から今生れたようにつやつやして、思わず手を出して 撫 で ねがえ はち 突然襖があいた。 寝返 りを打って入口を見ると、因果の せいじ て見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるもの たたず 相手のその銀杏返しが敷居の上に立って 青磁 の鉢 を盆に乗 みごと じょうか とま ごんごどうだん いちもく は一つもない。クリームの色はちょっと 柔 かだが、少し重 ゆうべ せたまま 佇 んでいる。 苦しい。ジェリは、 一目 宝石のように見えるが、ぶるぶる ふる ﹁また寝ていらっしゃるか、 昨夕 は御迷惑で御座んしたろ えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔 顫 たんぜん けしき う。 何返 も御邪魔をして、ほほほほ﹂と笑う。 臆 した景 色 を作るに至っては、 言語道断 の沙汰である。 おく も、隠す景色も︱︱︱恥ずる景色は無論ない。ただこちらが ﹁うん、なかなか 美事 だ﹂ なんべん を越されたのみである。 先 ﹁今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなた せん ﹁今朝はありがとう﹂とまた礼を云った。考えると、 丹前 に召し上がられるでしょう﹂ せず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事は 源兵衛は昨夕 城下 へ留 ったと見える。余は別段の返事も 女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って ひじつぼ ない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足 ささ ゆ ﹁まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう﹂ きさく あご かす である。 はらばい そんしょく 対して 遜色 がない﹂ あな と、さも 気作 に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず を立てる。 しゃれ 女はふふんと笑った。口 元 に 侮 どりの波が微 かに揺 れた。 え ﹁御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました﹂ あたい ち 余の言葉を洒 落 と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、 けいべつ ﹁ありがとう﹂またありがとうが出た。菓子皿のなかを見 蔑 される 軽 価 はたしかにある。 智慧 の足りない男が無理に ようかん ると、立派な 羊羹 が並んでいる。余はすべての菓子のうち すき はだあい 洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。 ちみつ はんとうめい ﹁これは支那ですか﹂ なめ が滑 らかに、 緻密 に、しかも半 透明 に光線を受ける具合は、 でもっとも羊羹が 好 だ。別段食いたくはないが、あの肌 合 くちもと ﹁この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に 、 、 這 になって、両手で 腹 顎 を支 え、しばし畳の上へ 肘壺 の柱 うと云う三字である。 べん の礼をこれで三 返 云った。しかも、三返ながら、ただ 難 有 、 ります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう﹂ ﹁父が 骨董 が大好きですから、だいぶいろいろなものがあ ﹁ええ、見せて下さい﹂ ﹁そんなものが、御好きなら、見せましょうか﹂ ﹁どうも支那らしい﹂と皿を上げて底を 眺 めて見た。 ﹁何ですか﹂と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。 ﹁人間は田舎の方がいいのです﹂ ﹁人間は田舎なんですか﹂ ﹁はははは、時にあなたの言葉は 田舎 じゃない﹂ ﹁負けて、たくさん御褒めなさい﹂ ﹁へえ、少しなら褒めて置きましょう﹂ ﹁年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ﹂ ﹁ 褒 めなくっちゃあ、いけませんか﹂ ですから⋮⋮﹂ ちゃじん ほ 茶と聞いて少し 辟易 した。世間に茶 人 ほどもったいぶっ ﹁それじゃ 幅 が利 きます﹂ きわ れんたい なが た風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に 縄張 りを ﹁しかし東京にいた事がありましょう﹂ あざぶ いなか して、 極 めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこ ﹁ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、 こっとう ましく、必要もないのに 鞠躬如 として、あぶくを飲んで結 方々にいました﹂ へきえき 構がるものはいわゆる茶人である。あんな 煩瑣 な規則のう ﹁ここと都と、どっちがいいですか﹂ なわば ちに雅味があるなら、 麻布 の聯 隊 のなかは雅味で鼻がつか ﹁同じ事ですわ﹂ の き えるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でな ﹁こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう﹂ りきゅう はば くてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教 ﹁気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでど きくきゅうじょ 育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところ うでもなります。 蚤 の国が 厭 になったって、 蚊 の国へ 引越 はんさ から、器械的に 利休 以後の規則を 鵜呑 みにして、これでお しちゃ、 何 にもなりません﹂ う おかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にす ﹁蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう﹂ おいや ひっこ るための芸である。 ﹁そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出 か ﹁御茶って、あの流儀のある茶ですかな﹂ してちょうだい﹂と女は 詰 め寄せる。 いや ﹁いいえ、流儀も何もありゃしません。 御厭 なら飲まなくっ ﹁御望みなら、出して上げましょう﹂と例の写生帖をとっ のみ てもいい御茶です﹂ て、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち︱︱︱無論とっ なん ﹁そんなら、ついでに飲んでもいいですよ﹂ つ ﹁ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなん 草枕 え い さの筆使いだから、 画 にはならない。ただ心持ちだけをさ は ふう 顔を見たから、余は知らぬ 風 をしていた。 ﹁私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話を お らさらと書いて、 あんしょう して聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかっ き ﹁さあ、この中へ 御這入 りなさい。蚤も蚊もいません﹂と たのですが、何遍も 聴 くうちに、とうとう何もかも 諳誦 し うかが さき 鼻の 前 へ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子 てしまいました﹂ けしき では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと あわ ﹁どうれで、むずかしい事を知ってると思った。︱︱︱しか きゅうくつ よこはば 色 を 景 伺 うと、 しあの歌は 憐 れな歌ですね﹂ かに おとこめかけ よ ﹁まあ、窮 屈 な世界だこと、横 幅 ばかりじゃありませんか。 ﹁憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏 みませんね。第一、 の そんな所が御好きなの、まるで 蟹 ね﹂と云って退 けた。余 川 へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか﹂ 淵 うぐいす そこ ふちかわ は のきば な ﹁なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか﹂ くず そばだ ふたり ﹁わはははは﹂と笑う。 軒端 に近く、啼 きかけた 鶯 が、中 ﹁どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もさ かた 途で声を 崩 して、遠き方 へ枝移りをやる。 両人 はわざと対 さべ男も、 男妾 にするばかりですわ﹂ ど ﹁両方ともですか﹂ の あ 話をやめて、しばらく耳を 峙 てたが、いったん鳴き損 ねた 喉 は容易に開 咽 けぬ。 ﹁ええ﹂ お あ ﹁えらいな﹂ きのう ﹁昨 日 は山で源兵衛に御 逢 いでしたろう﹂ ﹁ええ﹂ ﹁えらかあない、当り前ですわ﹂ ﹁なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まず ごりんのとう ﹁ええ﹂ に済む訳だ﹂ おとめ ﹁あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、お ﹁蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょ ながら ﹁長 良 の乙 女 の 五輪塔 を見ていらしったか﹂ もほゆるかも﹂と説明もなく、女はすらりと節もつけずに いきおい う﹂ さかし うぐいす 歌だけ述べた。何のためか知らぬ。 ほーう、ほけきょうと忘れかけた 鶯 が、いつ勢 を盛り返し たかね ﹁その歌はね、茶店で聞きましたよ﹂ てか、時ならぬ 高音 を不意に張った。一度立て直すと、あ ど とは自然に出ると見える。身を 逆 まにして、ふくらむ 咽喉 の ﹁婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公した よ もので、私がまだ嫁に⋮⋮﹂と云いかけて、これはと 余 の 草枕 ﹁東京と見えるかい﹂ ﹁失礼ですが旦 那 は、やっぱり東京ですか﹂ 五 ﹁あれが本当の歌です﹂と女が余に教えた。 づけ様 に囀 ずる。 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つ の底を 震 わして、小さき口の張り裂くるばかりに、 えんだから、︱︱︱なあに今 時 の職人なあ、剃 るんじゃねえ、 をかけて、一本一本 髭 の穴を掘らなくっちゃ、気が済まね ﹁痛うがすかい。私 ゃ癇 性 でね、どうも、こうやって、 逆剃 けない﹂ ﹁おい、もう少し、 石鹸 を塗 けてくれないか、痛くって、い な橋だがね﹂ ましょう。え? 旦那なんか知らねえはずさ。あすこに 竜閑橋 てえ橋があり でさあ。なあに猫の 額 見たような小さな汚ねえ町でさあ。 ﹁親方じゃねえ、職人さ。え? ﹁もとから 髪結床 の親方かね﹂ かみゆいどこ ﹁見えるかいって、 一目 見りゃあ、︱︱︱ 第一 言葉でわかり でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ﹂ 撫 ふる まさあ﹂ ﹁我慢は 先 から、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少 やま こうじまち よつや しゃぼん つ ぺら いまどき わっち かんしょう ひげ うす ひた ぬ りゅうかんばし す お いくにちまえ ぜんてい さかずり そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、 名代 なだい 所かね。所は 神田松永町 かんだまつながちょう ﹁東京はどこだか知れるかい﹂ し湯か石鹸をつけとくれ﹂ わっち たな ひたい ﹁そうさね。東京は馬鹿に広いからね。︱︱︱何でも下 町 じゃ ﹁我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。 全体 、 め いなせ こいしかわ さえ ねえようだ。 山 の手 だね。山の手は麹 町 かね。え? それ 髭があんまり、延び過ぎてるんだ﹂ さま じゃ、 小石川 ? でなければ 牛込 か四 谷 でしょう﹂ やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親 どうれ だんな ﹁まあそんな見当だろう。よく知ってるな﹂ 方は、 棚 の上から、薄 っ片 な赤い石鹸を取り 卸 ろして、水 だいち ﹁こう 見 えて、 私 も江戸っ子だからね﹂ のなかにちょっと 浸 したと思ったら、それなり余の顔をま ひとめ ﹁道 理 で生 粋 だと思ったよ﹂ んべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられ いなか く な ﹁えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、 た事はあまりない。しかもそれを 濡 らした水は、幾 日前 に かみゆいどこ さっき みじめですぜ﹂ んだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。 汲 したまち ﹁何でまたこんな 田舎 へ流れ込んで来たのだい﹂ すでに 髪結床 である以上は、御客の権利として、余は鏡 て ﹁ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだ うしごめ んだからね。すっかり食い詰めっちまって⋮⋮﹂ 草枕 草枕 は い ようしゃ そ たが、 這入 って、わが首の所置を托する段になって驚ろい ひげ に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を た。 髭 を 剃 る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、 たい 放棄したく考えている。鏡と云う道具は 平 らに出来て、な はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出した し くぎづ だらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性 か くらい、 容赦 なく取り扱われる。余の首が肩の上に 釘付 け そな 質が具 わらない鏡を懸 けて、これに向えと強 いるならば、強 かみそり しもばしら ごう にされているにしてもこれでは永く持たない。 ふる いるものは下 手 な写真師と同じく、向うものの器量を故意 彼は 髪剃 を揮 うに当って、 毫 も文明の法則を解しておら ぶじょく くじ に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を 挫 くのは修養 ん。頬にあたる時はがりりと音がした。 揉 み上 の所ではぞ へ た 上一種の方便かも知れぬが、何も 己 れの真価以下の顔を見 きりと動脈が鳴った。 顋 のあたりに利 刃 がひらめく時分に あげ せて、これがあなたですよと、こちらを 侮辱 するには及ぶ はごりごり、ごりごりと 霜柱 を踏みつけるような怪しい声 しんぼう あおむ ふくろくじゅ ガ ス け が か も まい。今余が 辛抱 して向き合うべく余儀なくされている鏡 が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって おの はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻 自任している。 まったいら なんどき のどぶえ す りじん になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。 仰向 くと 蟇蛙 を 最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な もうしご しゃぼん あご 前から見たように 真平 に圧 し潰 され、少しこごむと 福禄寿 いがする。時々は 臭 異 な瓦 斯 を余が鼻柱へ吹き掛ける。こ けんきん ひきがえる の祈 誓児 のように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡 れではいつ 何時 、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行く ばけもの は ば り つぶ に対する 間 は一人でいろいろな 化物 を兼 勤 しなくてはなら か解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、 お ぬ 。写 る わ が 顔 の 美 術 的 な ら ぬ は ま ず 我 慢 す る と し て も 、 顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任 しょうじん き が い 鏡の構造やら、色合や、銀紙の 剥 げ落ちて、光線が通り抜 せた顔だから、少しの怪 我 なら苦情は云わないつもりだが、 きわ しょうじん にお ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが 急に気が変って 咽喉笛 でも掻 き切られては事だ。 あいだ 醜体を 極 めている。小 人 から罵 詈 されるとき、罵詈それ自 ﹁ 石鹸 なんぞを、つけて、 剃 るなあ、腕が生 なんだが、旦 つうよう なま 身は別に 痛痒 を感ぜぬが、その 小人 の面前に起 臥 しなけれ ほう 那のは、髭が髭だから仕方があるめえ﹂と云いながら親方 のぞ ばならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。 ころ は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ 放 り出すと、石鹸は親方の そむ その上この親方がただの親方ではない。そとから 覗 いた たいくつげ にちえいどうめい 命令に 背 いて地面の上へ転 がり落ちた。 ながぎせる ﹁旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近 あぐら ときは、 胡坐 をかいて、長 煙管 で、おもちゃの 日英同盟 国 たばこ 旗の上へ、しきりに 煙草 を吹きつけて、さも退 屈気 に見え 草枕 ﹁うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな 事 たろ ﹁志 保田 に逗 ってるよ﹂ ﹁へえ、どこにいるんですい﹂ ﹁二 三日 前来たばかりさ﹂ 頃来なすったのかい﹂ ﹁よく痛くなる髭 だね。髭が硬 過 ぎるからだ。旦那の髭じゃ、 て来た﹂ ﹁おい、もう一遍 石鹸 をつけてくれないか。また痛くなっ 景色のいい所ですよ﹂ ﹁本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。 ﹁本家があるのかい﹂ し ほ だ にさんち うと思ってた。実あ、 私 もあの隠居さんを 頼 て来たんです 三日に一度は是非 剃 を当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっし ごしんぞ こ とうりゅう そり しゃぼん よ。︱︱ ︱なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近 の剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ﹂ とま 所にいて、︱︱ ︱それで知ってるのさ。いい人でさあ。もの ﹁これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい﹂ ひね めん ろく こわす の解ったね。去年 御新造 が死んじまって、今じゃ道具ばか ﹁そんなに長く 逗留 する気なんですか。あぶねえ。およし ひげ り捻 くってるんだが︱ ︱ ︱何でも素晴らしいものが、有るて なせえ。益もねえ事 った。 碌 でもねえものに引っかかって、 こっ えますよ。売ったらよっぽどな 金目 だろうって話さ﹂ どんな目に逢うか解りませんぜ﹂ きれい たよっ ﹁奇 麗 な御嬢さんがいるじゃないか﹂ ﹁どうして﹂ わっし ﹁あぶねえね﹂ ﹁旦那あの娘は 面 はいいようだが、本当は き印 しですぜ﹂ かねめ ﹁何が?﹂ ﹁なぜ﹂ めえ じる きちげえ ﹁なぜって、旦那。村のものは、みんな 気狂 だって云って でもど ﹁何がって。旦那の 前 だが、あれで出 返 りですぜ﹂ ﹁そうかい﹂ ぜいたく るんでさあ﹂ つぶ ﹁そうかいどころの 騒 じゃねえんだね。全体なら出て来な ﹁そりゃ何かの間違だろう﹂ げん くってもいいところをさ。︱︱︱銀行が潰 れて贅 沢 が出来ね ﹁だって、 現 に証拠があるんだから、御よしなせえ。けん わ えって、出ちまったんだから、義理が 悪 るいやね。隠居さん わけ のんだ﹂ ほうがえ がああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、 おいで ﹁おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい﹂ の ﹁おかしな話しさね。まあゆっくり、 煙草 でも呑 んで御 出 たばこ 返 しがつかねえ 法 訳 になりまさあ﹂ なせえ話すから。︱︱︱頭あ洗いましょうか﹂ あた あにき ﹁そうかな﹂ めえ ﹁当 り前 でさあ。本家の 兄 たあ、仲がわるしさ﹂ さわぎ 、 上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始し ﹁ 納所 にも 住持 にも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ﹂ ﹁ 観海寺 の 納所坊主 がさ⋮⋮﹂ ﹁その坊主たあ、どの坊主だい﹂ ちげえ が抜けそうになったっけ﹂ た。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の ﹁そうか、 急勝 だから、いけねえ。苦 味走 った、色の出来そ ふ け ﹁頭はよそう﹂ を巨人の熊 境 手 が疾風の速度で通るごとくに往来する。余 うな坊主だったが、そいつが 御前 さん、レコに参っちまっ のぼ えったらねえ。︱︱︱そこでその坊主が逆 せちまって⋮⋮﹂ ﹁違 ねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがね が頭に何十万本の髪の毛が 生 えているか知らんが、ありと て、とうとう 文 をつけたんだ。︱︱︱おや待てよ。口 説 たん ずがいこつ ある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面 だっけかな。いんにゃ文だ。文に 違 えねえ。すると︱︱︱こ たま ﹁頭 垢 だけ落して置くかね﹂ に蚯 蚓腫 にふくれ上った上、余勢が 地磐 を通して、骨から うっと︱︱︱何だか、行 きさつが少し変だぜ。うん、そうか、 あか 親方は 垢 の溜 った十本の爪を、遠慮なく、余が 頭蓋骨 の 味噌 まで震 脳 盪 を感じたくらい 烈 しく、親方は余の頭を掻 やっぱりそうか。するてえと 奴 さん、驚ろいちまってから めめずばれ のうみそ しんとう なっしょ ふみ せっかち じゅうじ なっしょぼうず き廻わした。 に⋮⋮﹂ らつわん けったる かんかいじ ﹁どうです、好い心持でしょう﹂ ﹁誰が驚ろいたんだい﹂ くまで ﹁非常な 辣腕 だ﹂ ﹁女がさ﹂ きょう ﹁え? こうやると誰でもさっぱりするからね﹂ ﹁女が文を受け取って驚ろいたんだね﹂ やっこ し お ちげ にがんばし ﹁首が抜けそうだよ﹂ ﹁ところが驚ろくような女なら、 殊勝 らしいんだが、驚ろ やつ は ﹁そんなに倦 怠 うがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春 くどころじゃねえ﹂ おまえ てえ 奴 あ、やに身 体 がなまけやがって︱︱︱まあ一ぷく御 上 ﹁じゃ誰が驚ろいたんだい﹂ おいで ふみ くどい がんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話 ﹁口説た方がさ﹂ じばん しに 御出 なせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっ ﹁口説ないのじゃないか﹂ はげ ちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱり ﹁ええ、じれってえ。間違ってらあ。 文 をもらってさ﹂ みさけえ い あの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱ ﹁それじゃやっぱり女だろう﹂ お あ し、見 境 のねえ女だから困っちまわあ﹂ からだ ﹁御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首 草枕 ﹁男なら、その坊主だろう﹂ ﹁なあに男がさ﹂ かすると、大変な目に逢いますよ﹂ 何 大丈夫ですがね、相手が相手だから、 滅多 にからかったり 平気なもんで︱︱︱なあに旦那のようにしっかりしていりゃ から うち ざる ば か ど ささ く まてがい うずく めった ﹁ええ、その坊主がさ﹂ ﹁ちっと気をつけるかね。ははははは﹂ なん ﹁坊主がどうして驚ろいたのかい﹂ のれん か はす 生温 い磯 から、塩気のある 春風 がふわりふわりと来て、 つばめ むこう か き ゆくえ の はるかぜ 親方の 暖簾 を眠 たそうに煽 る。身を 斜 にしてその下をくぐ うち ざる すながわ ほう あお ﹁どうしてって、本堂で和 尚 さんと御経を上げてると、 突然 り抜ける 燕 の姿が、ひらりと、鏡の 裡 に落ちて行く。向う み ねむ あの女が飛び込んで来て︱︱ ︱ウフフフフ。どうしても 狂印 の 家 では六十ばかりの爺さんが、軒下に 蹲踞 まりながら、 いそ だね﹂ だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたび かげろう なまぬる ﹁どうかしたのかい﹂ に、赤い 味 が笊 のなかに隠れる。 殻 はきらりと光りを放っ いきなり ﹁そんなに可 愛 いなら、仏様の前で、いっしょに寝ようっ て、二尺あまりの 陽炎 を向 へ横切る。丘のごとくに堆 かく、 きじるし て、出し抜けに、 泰安 さんの頸 っ玉 へかじりついたんでさ 積み上げられた、貝殻は 牡蠣 か、馬 鹿 か、馬 刀貝 か。 崩 れ きちげえ おしょう あ﹂ た、幾分は 砂川 の底に落ちて、浮世の表から、 暗 らい国へ かわい ﹁へええ﹂ たま ﹁面 喰 ったなあ、泰安さ。気 狂 に文をつけて、飛んだ恥を 葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へ くび かせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死ん 掻 たまる。爺さんは貝の 行末 を考うる暇さえなく、ただ 空 し たいあん じまって⋮⋮﹂ き殻を 陽炎 の上へ 放 り出す。 彼 れの 笊 には支 うべき底なく どんとう むな と なまぐさ ぬくもり しんし うずた ﹁死んだ?﹂ して、彼れの春の日は無尽蔵に 長閑 かと見える。 かげろう ﹁死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ﹂ 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水 いくひろ くず ﹁何とも云えない﹂ をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、 参差 とし めんくら ﹁そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって 冴 えねえから、こ て幾 尋 の干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、 腥 き微 温 か とによると生きてるかも知れねえね﹂ を与えつつあるかと怪しまれる。その間から、 鈍刀 を 溶 か さ ﹁なかなか面白い話だ﹂ して、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。 しゃあしゃあ こ の 景 色 と こ の 親 方 と は と う て い 調 和 し な い 。も し こ ね が当人だけは、 根 が気が違ってるんだから、 洒唖洒唖 して ﹁面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところ 草枕 草枕 よ も や ま のれん すべ 方八方 の話をしていた。ところへ 四 暖簾 を滑 って小さな坊 きっこう の親方の人格が強烈で 四辺 の風光と拮 抗 するほどの影響を 主頭が しへん 余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる ﹁御免、一つ 剃 って貰おうか﹂ ろう たいとう りょうねん そ 方鑿 の感に打たれただろう。 円 幸 にして親方はさほど偉 と 這入 って来る。白木綿の着物に同じ 丸絎 の帯をしめて、 にょうぜつ さいわい 大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどた 上から 蚊帳 のように粗 い法 衣 を羽織って、すこぶる気楽に かな えんぜいほうさく んかを切っても、この 渾然 として駘 蕩 たる天地の大気象に 見える小坊主であった。 いちみじん しか ほ まるぐけ は叶 わない。満腹の饒 舌 を弄 して、あくまでこの調子を破 ﹁ 了念 さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、 和尚 うち は い ろうとする親方は、早く 一微塵 となって、 怡々 たる 春光 の さんに 叱 られたろう﹂ ころも に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、 裏 ﹁いんにゃ、 褒 められた﹂ ひょうたんあいい こぶ ぼこでこ あら もしくは意気 体躯 において氷 炭相容 るる能 わずして、しか ﹁使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だっ しゅそく か や も同程度に位する物もしくは人の間に 在 って始めて、見出 て、褒められたのかい﹂ こんぜん し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶する ﹁若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老 しじんろうま たいじん どうれ こ べらぼう ﹁ 箆棒 め、腕が鈍いって⋮⋮﹂ す おしょう ときは、この矛盾はようやく 礱磨 して、かえって大勢力 師が褒められたのよ﹂ まいしゃ しゅんこう の一部となって活動するに至るかも知れぬ。 大人 の手 足 と ﹁ 道理 で頭に 瘤 が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、 剃 る ここう こわ い なって才子が活動し、才子の 股肱 となって 昧者 が活動し、 なあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次か しんぷく のどか い 昧者の 心腹 となって牛馬が活動し得るのはこれがためであ ら、 捏 ね直して来ねえ﹂ こっけい や じ あた る。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の ﹁捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます﹂ のんき たいく 稽 を演じている。長 滑 閑 な春の感じを壊 すべきはずの彼は、 ﹁はははは頭は 凹凸 だが、口だけは達者なもんだ﹂ やよいなか あ かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わ ﹁腕は鈍いが、酒だけ強いのは 御前 だろ﹂ しょう 家 は、太平の象 を具した きえんか おまえ ず弥 生半 ばに 呑気 な弥 次 と近づきになったような気持ちに きわ なった。この 極 めて安価なる気 ﹁わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう としがい る春の日にもっとも調和せる一彩色である。 怒るまい。 年甲斐 もない﹂ え ﹁ヘン、面白くもねえ。︱︱︱ねえ、旦那﹂ す こ う 考 え る と 、こ の 親 方 も な か な か 画 に も 、詩 に も な しり る男だから、とうに帰るべきところを、わざと 尻 を据 えて おっと、もう少し 頭 を寝かして︱︱︱寝かすんだてえのに、 こんな小坊主までなかなか 口幅 ってえ事を云いますぜ︱︱︱ て 、 屈托 がねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。 ﹁全 体 坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがっ ﹁ええ?﹂ ﹁勝手にしろ、口の 減 らねえ餓 鬼 だ﹂ ﹁いやもう少し遊んで行って 賞 められよう﹂ よ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ﹂ が、何て云ったって、 気狂 は気 狂 だろう。︱︱︱さあ剃 れた ﹁石段をあがると、何でも 逆様 だから 叶 わねえ。和尚さん ﹁あの娘さんはえらい女だ。老師がよう 褒 めておられる﹂ 全く 先 の旦那が 祟 ってるんだ﹂ たた ︱︱︱言う事を聴 かなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ﹂ ﹁ 咄 この乾 屎橛 ﹂ せん ﹁痛いがな。そう無茶をしては﹂ ﹁何だと?﹂ くったく いちにんめえ のれん きちげえ ほ が き あ しゅんぷう はな いくまがり ま ものう ひとしお ほ ﹁このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか﹂ 青い頭はすでに 暖簾 をくぐって、春 風 に吹かれている。 ぜんてえ ﹁坊主にはもうなっとるがな﹂ ふすま きょう かじ かな ﹁まだ 一人前 じゃねえ。︱︱ ︱時にあの泰安さんは、どうし 六 さかさま て死んだっけな、御小僧さん﹂ ふるま わずらい かすみ は おの す ﹁泰安さんは死にはせんがな﹂ 夕暮の机に向う。障子も 襖 も開 け放 つ。宿の人は多くも のち ちしき きちげえ ﹁死なねえ? はてな。死んだはずだが﹂ あらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあ しゅぎょうざんまい おしょう くちはば ﹁泰安さんは、その 後 発憤して、 陸前 の 大梅寺 へ行って、 らぬ人の、人らしく振 舞 う境 を、幾 曲 の廊下に隔てたれば、 おめえ どたま 業三昧 じゃ。今に智 修 識 になられよう。結構な事よ﹂ 物の音さえ思索の 煩 にはならぬ。今日は 一層 静かである。 き ﹁何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法 主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ 間 に、われを残して、 きじるし へ はあるめえ。 御前 なんざ、よく気をつけなくっちゃいけね 立ち 退 いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ きじるし かんしけつ えぜ。とかく、しくじるなあ女だから︱︱︱女ってえば、あ 立ち退きはせぬ。 霞 の国か、雲の国かであろう。あるいは みそすり さかい ただよ とつ の狂 印 はやっぱり和 尚 さんの所へ行くかい﹂ 雲と水が自然に近づいて、 舵 をとるさえ懶 き海の上を、い きじるし だいばいじ ﹁狂 印 と云う女は聞いた事がない﹂ つ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け りくぜん ﹁通じねえ、味 噌擂 だ。行くのか、行かねえのか﹂ 難き 境 に 漂 い来て、果 ては帆みずからが、いずこに 己 れを ごきとう の ﹁狂 印 は来んが、志保田の娘さんなら来る﹂ なお ﹁いくら、和尚さんの御 祈祷 でもあればかりゃ、 癒 るめえ。 草枕 草枕 と 画客 なるものあって、 飽 くまでこの待 対 世界の精華を 嚼 か んで、徹 骨徹髄 の清きを知る。 霞 を餐 し、露を 嚥 み、紫 を品 たいたい 雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ︱︱︱そんな 遥 か し、紅 を評 して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に 着 する あ な所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春の のではない。同化してその物になるのである。その物にな がかく なかに消え失せて、これまでの 四大 が、今頃は目に見えぬ り済ました時に、我を樹立すべき余地は 茫々 たる大地を極 はる 氛 となって、広い天地の間に、顕 霊 微鏡 の力を藉 るとも、 些 めても 見出 し得ぬ。自 在 に 泥団 を放 下 して、 破笠裏 に 無限 なごり な こ けんびきょう のち ずい そこ こう ひょう みいだ も どうしゅうじ せいらん しせい しゃり ふくいん しゅんじゅう でいだん か しゅうがい いちぶつ われ はくとう はりつり なん きわ あえ むげん ちゃく いっそう と はくしゅ こうき なにもの ちょう いきがい しんぎん にんにんぐそく しゅじょう さしまね ひょうち ねんしゅつ ほうげ も れいだい ひん の名 残 を留 めぬようになったのであろう。あるいは 雲雀 に の 青嵐 を盛 る。いたずらにこの境遇を 拈出 するのは、 敢 て あぶ ありてい よ そく いちべん りょうらん きん し 化して、 菜 の花の黄 を鳴き尽したる後 、夕暮深き紫のたな 井 の銅 市 臭児 の鬼 嚇 して、好んで高く 標置 するがためでは おちつばき きょう いちじ うち の びくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永 ない。ただ 這裏 の 福音 を述べて、縁ある 衆生 を麾 くのみで おのず いただ たなごころ あご おこ たくふう さん くする 虻 のつとめを果したる後、 蕋 に凝 る甘き露を吸い 損 ある。 有体 に云えば詩境と云い、画界と云うも皆 人々具足 はるかぜ むな きづかい あらそ しへん めいりょう かすみ ねて、 落椿 の下に、伏せられながら、世を 香 ばしく眠って の道である。 春秋 に指を折り尽して、白 頭 に 呻吟 するの徒 むな つらあて こころ おそれ く てっこつてつずい いるかも知れぬ。とにかく静かなものだ。 といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し きた しだい 空 しき家を、空しく抜ける春 風 の、抜けて行くは迎える 来るとき、かつては微光の 臭骸 に洩 れて、吾 を忘れし、 拍手 ふる かたく かも さ 人への義理でもない。 拒 むものへの面 当 でもない。自 から の 興 を喚 び起す事が出来よう。出来ぬと云わば 生甲斐 のな ささ こめかみ か りて、自から去る、公平なる宇宙の 来 意 である。 掌 に顎 を い男である。 れいふん えたる余の心も、わが住む部屋のごとく 支 空 しければ、春 されど 一事 に即 し、一 物 に化 するのみが詩人の感興とは いなずま はち むげん ぼうぼう 風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。 云わぬ。ある時は 一弁 の花に化し、あるときは 一双 の 蝶 に いちぶん ざ じざい 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの 気遣 も起 る。 戴 化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化し けんこん あだ こ ひばり くは天と知る故に、 稲妻 の米 噛 に震 う怖 も出来る。人と 争 て、心を沢 風 の裏 に撩 乱 せしむる事もあろうが、 何 とも知れ き わねば 一分 が立たぬと浮世が催促するから、 火宅 の苦 は免 ぬ 四辺 の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは 那物 とど かれぬ。東西のある 乾坤 に住んで、利害の綱を渡らねばな ぞとも 明瞭 に意識せぬ場合がある。ある人は天地の 耿気 に たのしみ きかく らぬ身には、事実の恋は讎 である。目に見る富は土である。 触るると云うだろう。ある人は 無絃 の琴 を霊 台 に聴くと云 す ゆえ かん 握る名と奪える 誉 とは、小 賢 かしき 蜂 が甘く醸 すと見せて、 うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限 ちゃく こば 針を 棄 て去る蜜のごときものであろう。いわゆる 楽 は物に ほまれ するより起るが 着 故 に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人 草枕 知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、 唐木 の の域に して、 縹緲 のちまたに彷 徨 すると形容するかも の 憂 を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき が心の、今の状態には、わが 烈 しき力の銷 磨 しはせぬかと る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわ 籠 の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの 懸念 が けねん 机に憑 りてぽかんとした 心裡 の状態は正 にこれである。 凡境をも脱却している。淡しとは単に 捕 え難しと云う意味 ほうこう 余は 明 かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物 で、弱きに過ぎる 虞 を含んではおらぬ。 冲融 とか澹 蕩 とか ひょうびょう をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって 云う詩人の語はもっともこの 境 を切実に言い 了 せたものだ せんかい 動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも ろう。 あきら うれい こも 云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおら この 境界 を画 にして見たらどうだろうと考えた。しかし こうこつ からき ぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。 普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と がんぜん おもむき のうじ きょう いっとうち ほとば おの ろくか ぜんじん えぎぬ おお ちゅうゆう とら しょうま 花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して 称するものは、ただ 眼前 の人事風光をありのままなる姿と ほうわ せいどう めいりょう はげ 動くにもあらず、ただ恍 惚 と動いている。 して、もしくはこれをわが審美眼に 漉過 して、 絵絹 の上に移 とうげん まさ 強 いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共 したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が れいえき けあな しんり に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の 人物として活動すれば、画の 能事 は終ったものと考えられ ほうらい よ 物、春の声を打って、固めて、 仙丹 に練り上げて、それを ている。もしこの上に 一頭地 を抜けば、わが感じたる物象 ま うわ おの みかた り か み しんら りんり たんとう 莱 の 蓬 霊液 に 溶 いて、 桃源 の日で蒸発せしめた精気が、知 を、わが感じたるままの 趣 を添えて、画布の上に淋 漓 とし ごう たのしみ おそれ らぬ 間 に毛 孔 から染 み込んで、心が知覚せぬうちに 飽和 さ て 生動 させる。ある特別の感興を、 己 が捕えたる森 羅 の裡 ふぶんみょう ようぜん おもむき そうかい え れてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺 に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見 そら こうよう きょうがい 激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化 たる物象観が 明瞭 に筆端に迸 しっておらねば、画を製作し し したか 不分明 であるから、 毫 も刺激がない。刺激がないか たとは云わぬ。 己 れはしかじかの事を、しかじかに観 、し せんたん ら、窈 然 として名状しがたい楽 がある。風に揉 まれて上 の かじかに感じたり、その 観方 も感じ方も、前 人 の籬 下 に立 いくひろ と なる波を起す、軽薄で騒々しい 空 趣 とは違う。目に見えぬ ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっ し 尋 の底を、大陸から大陸まで動いている 幾 潢洋 たる蒼 海 の とも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示 うち 有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないば も かりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力 草枕 いさおし ぶそん うんこく りゅうは る。古来からこの難事業に全然の 績 を収め得たる画工があ しゅかく す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。 ぶんよか るかないか知らぬ。ある点までこの 流派 に指を染め得たる あ この二種の製作家に主 客 深浅の区別はあるかも知れぬが、 けいしょく は びょうしゅつ ほおづえ え きいん たいせい ものを 挙 ぐれば、 文与可 の竹である。 雲谷 門下の山水であ たいがどう 明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共 る。下って 大雅堂 の 景色 である。蕪 村 の人物である。 泰西 つと しんおう 同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほど の画家に至っては、多く眼を具 象 世界に 馳 せて、神 往 の 気韻 こうろく しんいん せっしゅう ぐしょう に分 明 なものではない。あらん限りの感覚を 鼓舞 して、こ に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に よこた こ ぶ れを心外に物色したところで、方円の形、紅 緑 の色は無論、 外 の神 物 韻 を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。 ぶんみょう 濃淡の陰、洪 繊 の線 を見出しかねる。わが感じは外から来 惜しい事に 雪舟 、蕪村らの 力 めて描 出 した一種の気韻は、 あ いや ほうふつ ぶつがい たのではない、たとい来たとしても、わが視界に 横 わる、一 あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から すじ 定の景物でないから、これが 源因 だと指を挙 げて明らかに 云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが 画 に わけ こうせん 人に示す 訳 に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この して見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であ げんいん 心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう︱︱︱ 否 この心 るだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。 頬杖 か をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来な がてん 持ちをいかなる具体を 藉 りて、人の合 点 するように髣 髴 せ しめ得るかが問題である。 ふういん かいこく い。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたな わがこ いなずま ま 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の かいこう さ と、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。 ね 画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存する えら 生き別れをした 吾子 を尋ね当てるため、六十余州を回 国 し かっこう ものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共こ て、 寝 ても 寤 めても、忘れる 間 がなかったある日、十字街 ののし さえ の心持ちに恰 好 なる対象を択 ばなければならん。しかるに 頭にふと 邂逅 して、稲 妻 の 遮 ぎるひまもなきうちに、あっ、 まとま この対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に 纏 らない。 ここにいた、と思うようにかかなければならない。それが こと むずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても おもむき 纏っても自然界に存するものとは 丸 で趣 を異 にする場合が 構わない。画でないと 罵 られても恨 はない。いやしくも色 さ まる ある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。 の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の 曲直 がこの気 しょうきょう うらみ いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておら 描 合の幾分を表現して、全体の配置がこの 風韻 のどれほどか えが ん、ただ感興の上 した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少 きょくちょく の生命を 怳 しがたきムードに与うれば大成功と心得てい 草枕 はじゅう おもむ うれ ようぜん えて三が生まるるがために 嬉 しいのではない。初から窈 然 どうしょ を伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であ として 同所 に把 住 する 趣 きで嬉しいのである。すでに同所 いと れ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、 厭 わ に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したとこ あんばい ない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置い ろで、必ずしも時間的に材料を 按排 する必要はあるまい。 くふう やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来る じょう て、両眼が帖 のなかへ落ち込むまで、工 夫 したが、とても 物にならん。 だろう。ただいかなる 景情 を詩中に持ち来って、この 曠然 とら こうぜん 鉛筆を置いて考えた。こんな 抽象的 な興趣を画にしよう として 倚托 なき有様を写すかが問題で、すでにこれを 捕 え けいじょう とするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはな 得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する ちゅうしょうてき いから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れ 訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わな きたく たものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せん い。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれ しんちょく と試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。 ば、このムードは時間の制限を受けて、順次に 進捗 する出 か 来事の助けを 藉 らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件 せま たちまち 音 楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音 を充 たしさえすれば、言語をもって 描 き得るものと思う。 き えが 楽はかかる時、かかる必要に 逼 られて生まれた自然の声で のだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れな み あろう。 楽 は聴 くべきもの、習うべきものであると、始め 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れている 内である。 い。とにかく、 画 にしそくなったから、一つ詩にして見よ え 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。 と う、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆす あきら わけ レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来 ごう ぶって見た。しばらくは、筆の先の 尖 がった所を、どうに の ど 事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様 ほうゆう か運動させたいばかりで、 毫 も運動させる訳 に行かなかっ きょうがい なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見る た。急に 朋友 の名を失念して、 咽喉 まで出かかっているの てごたえ でそく と、今余の発表しようとあせっている 境界 もとうてい物に に、出てくれないような気がする。そこで 諦 めると、 出損 しんり ていじ なりそうにない。余が嬉しいと感ずる 心裏 の状況には時間 なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。 はし 葛湯 を練るとき、最初のうちは、さらさらして、 箸 に手 応 くずゆ はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、 逓次 に展開 きた すべき出来事の内容がない。一が去り、二が 来 り、二が消 がく て気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案 、 、 草枕 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、す ねばり でに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもそ しんぼう がないものだ。そこを 辛抱 すると、ようやく 粘着 が出て、 の姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思 ま き 攪 淆 ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ま か せずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには 鍋 の う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。 なべ 中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて てがか じゃくねん ふりそですがた 詩を作るのはまさにこれだ。 来た。 振袖姿 のすらりとした女が、音もせず、向う二階の あるい 手 掛 りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得 側 を 椽 寂然 として 歩行 て行く。余は覚えず鉛筆を落して、 らんかん 花曇 りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降る はなぐも 鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。 えんがわ て、かれこれ二三十分したら、 青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。 蛸掛不動。篆煙繞竹梁。 と待たれたる夕暮の 欄干 に、しとやかに行き、しとやかに けん と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になり しょうりょう すそ 帰る振袖の影は、余が座敷から六 間 の中庭を隔てて、重き やす えん そうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよ ふ 空気のなかに 蕭寥 と見えつ、隠れつする。 わきめ かったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り 易 かったかと思 る 女はもとより口も聞かぬ。 傍目 も 触 らぬ。 椽 に引く 裾 の あ う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。し うた 音さえおのが耳に入らぬくらい静かに 歩行 いている。腰か じょう わ む じ ら下にぱっと色づく、 裾模様 は何を染め抜いたものか、遠 すそもよう かし画に出来ない 情 を、次には咏 って見たい。あれか、こ わずら れかと思い煩 った末とうとう、 くて 解 からぬ。ただ 無地 と模様のつながる中が、おのずか ここち 独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。 ら 暈 されて、夜と昼との境のごとき 心地 である。女はもと ぼか 会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬邈白雲郷。 より夜と昼との境をあるいている。 いっぺん はい と出来た。もう 一返 最初から読み直して見ると、ちょっと この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、 よそおい 面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた 入 った神境を 余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な 装 をして、この さくぜん 写したものとすると、 索然 として物足りない。ついでだか 不思議な 歩行 をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その あゆみ ら、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の はな 主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずな あ らぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまで ふすま 幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。 気もなしに、入口の方を見ると、 襖 を引いて、開 け放 った 草枕 消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。 逝 く も度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、 の世の 呼吸 を引き取るときに、枕元に 病 を護 るわれらの心 いて、その眠りから、さめる暇もなく、 幻覚 のままで、こ またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りにつ むあたりに、おのが身の 素性 をほのめかしている。 すじょう 春の 恨 を訴うる所 作 ならば何が 故 にかくは無 頓着 なる。無 はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、 いろ そうぜん おびじ きんらん ゆ 頓着なる所作ならば何が故にかくは 綺羅 を飾れる。 甲斐 のない本人はもとより、 生 傍 に見ている親しい人も殺 りょうえん ゆうめい きんびょう のが はた じょうごう ま まも なむあみだぶつ やまい うつつ 暮れんとする春の色の、 嬋媛 として、しばらくは冥 邈 の戸 すが慈悲と 諦 らめられるかも知れない。しかしすやすやと ゆうげき あかつき はな むとんじゃく 口をまぼろしに 彩 どる中に、眼も 醒 むるほどの 帯地 は金 襴 寝入る児に死ぬべき何の 科 があろう。眠りながら冥 府 に連 きら おもむき ゆえ か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ 蒼然 たる夕べのな れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに おち もん しょさ かにつつまれて、 幽闃 のあなた、遼 遠 のかしこへ一分ごと 惜しき一命を 果 すと同様である。どうせ殺すものなら、と たいげん うらみ に消えて去る。燦 めき渡る春の星の、 暁 近くに、紫深き空 ても 逃 れぬ 定業 と得心もさせ、断念もして、念仏を 唱 えた ふ けしき か い き の底に 陥 いる趣 である。 い。死ぬべき条件が 具 わらぬ先に、死ぬる事実のみが、あ ら 太 玄 の閽 おのずから 開 けて、この華 やかなる姿を、幽 冥 りありと、確かめらるるときに、 南無阿弥陀仏 と回 向 をす ぎんしょく いと き の府 に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。 金屏 を背 る声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあ よそおい せま おだや はた に、銀 燭 を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らして の世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。 しきそう まぼろし かんせい いきがい こそしかるべきこの 装 の、厭 う景 色 もなく、争う様子も見 りの眠りから、いつの間 仮 とも心づかぬうちに、永い眠り うろたえ きわみ すまい めいばく えず、 色相 世界から薄れて行くのは、ある点において超自 に移る本人には、呼び返される方が、切れかかった 煩悩 の せ はいかい うち しょうよう さ 然の情景である。刻々と 逼 る黒き影を、すかして見ると女 綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だか せんえん は粛然として、 焦 きもせず、狼 狽 もせず、同じほどの歩調 ら、呼んでくれるな、 穏 かに寝かしてくれと思うかも知れ わざわい ものすご めいばく あいだ あき をもって、同じ所を 徘徊 しているらしい。身に落ちかかる ぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女 む いな うち ぼんのう えこう とな よ み を知らぬとすれば無邪気の 災 極 である。知って、災と思わ の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの 裡 か もと う するすみ とが ぬならば 物凄 い。黒い所が本来の住 居 で、しばらくの 幻影 ら救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅 ひら を、元 のままなる冥 漠 の裏 に収めればこそ、かように 間靚 を、すうと抜ける影を見るや 否 や、何だか口が 聴 けなくな ふん そな の態度で、有 と無 の間 に逍 遥 しているのだろう。女のつけ き た振袖に、紛 たる模様の尽きて、是非もなき 磨墨 に流れ込 草枕 る。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通っ 持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全 と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気 とたん く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての うかが てしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる 途端 に、女はまた 注文はまるでない。 みじん 通る。こちらに 窺 う人があって、その人が自分のためにど すぽりと 浸 かると、乳のあたりまで 這入 る。湯はどこか しょて うず ゆ ふち けしき のどか うち うず ゆうげた すきま い れほどやきもき思うているか、 微塵 も気に掛からぬ有様で ら 湧 いて出るか知らぬが、常でも 槽 の縁 を奇麗に越してい くま もや で は 通る。面倒にも気の毒にも、初 手 から、余のごときものに、 る。春の石は乾 くひまなく濡 れて、あたたかに、踏む足の、 しょうしょう ゆか いと よ ふね 気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うている 心は 穏 やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を 掠 めて、ひそか しげ つ うちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、し に春を 潤 おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、 わ めやかに落し出して、女の影を、蕭 々 と封じ 了 る。 ようやく 繁 く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て 籠 めら ふしあな ぬ れた湯気は、床 から天井を隈 なく 埋 めて、 隙間 さえあれば、 くだ かわ 七 穴 の細きを厭 節 わず 洩 れ出 でんとする景 色 である。 やわ ひとえ にじ かす 秋の霧は冷やかに、たなびく 靄 は長 閑 に、 夕餉炊 く、人 あわ おだ 寒い。 手拭 を下げて、 湯壺 へ下 る。 の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。 おわ 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな 様々の 憐 れはあるが、春の 夜 の温 泉 の曇りばかりは、 浴 す とうふや うる 風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は 御影 で敷 るものの肌を、 柔 らかにつつんで、古き世の男かと、われ ゆぶね ごこち おの あたた ゆあみ こ き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、 豆腐屋 を疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわり はい き い ほどな 湯槽 を 据 える。 槽 とは云うもののやはり石で畳んで はせぬが、薄絹を一 重 破れば、何の苦もなく、下界の人と、 におい い も ある。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるの れを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重 己 ゆつぼ だろうが、色が純透明だから、 入 り心 地 がよい。折々は口 破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔 てぬぐい にさえふくんで見るが別段の味も 臭 もない。病気にも 利 く に、四方よりわれ一人を、 温 かき虹 の中 に埋 め去る。酒に は みかげ そうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。 酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にし ふね もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭 た事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少 おんせんみずなめらかにしてぎょうしをあらう す 滑 洗凝脂 と云う句だけである。温泉 はくらくてん のなかに浮んだ事がない。ただ 這入 る度に考え出すのは、 楽天 の温 白 泉 水 草枕 しゅんしょう ささ す とお し強過ぎる。ただこの靄に、 春宵 の二字を冠したるとき、 あおむけ ない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成 功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、 ゆぶね さん もっ 始めて妥当なるを覚える。 からだ ただよ 彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーは かろ 余は 湯槽 のふちに仰 向 の頭を 支 えて、 透 き徹 る湯のなか ミレー、余は余であるから、余は余の興味を 以 て、一つ風 どざえもん の軽 き身 体 を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ 漂 わして見 じょうまえ あ 流な 土左衛門 をかいて見たい。しかし思うような顔はそう らく たましい ふんべつ た。ふわり、ふわりと 魂 がくらげのように浮いている。世 たやすく心に浮んで来そうもない。 ゆ どざえもん の中もこんな気になれば 楽 なものだ。分 別 の 錠前 を開 けて、 湯のなかに浮いたまま、今度は 土左衛門 の 賛 を作って見 しゅうじゃく しんばり ゆ 着 の栓 執 張 をはずす。どうともせよと、 湯泉 のなかで、湯 泉 る。 キリスト 雨が降ったら濡 れるだろう。 ぬ と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。 が下 霜 りたら冷 たかろ。 つめ 流れるもののなかに、魂まで流していれば、 基督 の御弟子 土のしたでは暗かろう。 お となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、 浮かば波の上、 しも 左衛門 は風 土 流 である。スウィンバーンの何とか云う詩に、 沈まば波の底、 ふうりゅう 女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあった どざえもん と思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤ まんぜん 春の水なら苦はなかろ。 じゅ も、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快 ね と口のうちで小声に 誦 しつつ 漫然 と浮いていると、どこか ひ な所を 択 んだものかと今まで不審に思っていたが、あれは で 弾 く三味線の音 が聞える。美術家だのにと云われると恐 えら やはり 画 になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈ん 縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこ え だまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのまま ぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳に ため の姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸 で ゆ は余り影響を受けた試 しがない。しかし、静かな春の夜に、 たましい にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の 雨さえ興を添える、山里の 湯壺 の中で、魂 まで春の温 泉 に うた おもむき ゆつぼ 顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっ けいれんてき 浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉 ひ ゆ と画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、ま しい。遠いから何を 唄 って、何を弾いているか無論わから いろけ ねいろ ない。そこに何だか 趣 がある。 音色 の落ちついているとこ こ るで平和ではほとんど神話か 比喩 になってしまう。 痙攣的 くもん な苦 悶 はもとより、全幅の精神をうち 壊 わすが、全然色 気 の 草枕 灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、 昔 し、しゃがん 三本の松はいまだに 好 い恰 好 で残っているかしらん。鉄 かっこう ろから察すると、 上方 の検 校 さんの地 唄 にでも聴かれそう だ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに い な太 棹 かとも思う。 過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。 御倉 さんの 旅 の じうた 小供の時分、門前に 万屋 と云う酒屋があって、そこに御 倉 衣 は 鈴 懸 のと云う、 日 ごとの声もよも聞き覚えがあるとは けんぎょう さんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎ 云うまい。 かみがた になると、必ず長唄の 御浚 いをする。御浚が始まると、余は 三 味 の 音 が思わぬパノラマを余の眼 前 に展開するにつけ、 おさら まわ ゆか しゃみ がんぜ あ ゆぶね ね ふち つ ランプ こまや しか おさ ぶっしょく なな おくら むか 庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に 控 えて、三本の松が、客 余は 床 しい過去の面 のあたりに立って、二十年の昔に住む、 ふとざお 間の東側に並んでいる。この松は 周 り一尺もある大きな樹 是 なき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさ 頑 かなどうろう かたくなじじい おくら で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある 恰好 を形つ らりと 開 いた。 よろずや くっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松 誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に 注 ふね あまだれ ひ の下に黒くさびた 鉄灯籠 が名の知れぬ赤石の上に、いつ見 ぐ。 湯槽 の縁 の最も入口から、 隔 たりたるに頭を乗せてい ひか ても、わからず屋の 頑固爺 のようにかたく坐っている。余 るから、 槽 に下 る段々は、間 二丈を隔てて斜 めに余が眼に こけ めぐ ひか がんぜん はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後に ま ま は、苔 深き地を抽 いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知 入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。し い かっこう らぬ顔に、独 り匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のな ばらくは軒を 遶 る雨 垂 の音のみが聞える。三味線はいつの ひざ か こよい そそ ほかげ てら 、 、 を浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。 にげば へだ かに、わずかに 膝 を容 るるの席を見出して、じっと、しゃ にかやんでいた。 間 にら おりあい くちばし あいだ がむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、こ やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を 照 す てがら むこ ふく か くだ の灯籠を 睨 めて、この草の香 を臭 いで、そうして御倉さん ものは、ただ一つの小さき 釣 り洋 灯 のみであるから、この ぬ の長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。 隔りでは澄切った空気を 控 えてさえ、 確 と物 色 はむずかし しょたい ひと 御倉さんはもう赤い 手絡 の時代さえ通り越して、だいぶ い。まして立ち上がる湯気の、 濃 かなる雨に 抑 えられて、 つばくろ か んと 世帯 じみた顔を、帳場へ曝 してるだろう。聟 とは折 合 場 を失いたる今 逃 宵 の風呂に、立つを誰とはもとより定め さら がいいか知らん。 燕 は年々帰って来て、 泥 を 啣 んだ 嘴 を、 にくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす 灯影 どろ いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の 香 とはどう しても想像から切り離せない。 、 、 、 、 、 草枕 ても 差支 ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけ かと見えて、足音を 柔 証 にこれを律 すれば、動かぬと評し 黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は 天鵞 のごとく るべきを、 十二分 にも、 十五分 にも、どこまでも進んで、ひ て、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。 十分 で事足 し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れ は、物足らぬと見えて、 飽 くまでも 裸体 を、衣冠の世に押 めておらぬ。 衣 を奪いたる姿を、そのままに写すだけにて ころも あって人体の骨格については、 存外 視覚が鋭敏である。何 たすらに、裸体であるぞと云う感じを強く 描出 しようとす びろうど とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂 る。技巧がこの極端に達したる時、人はその 観者 を強 うる あ ぞんがい ほうしん く じゅうごぶん ひっすう し ど ことわざ こりょ ひょうかく きんだいげいじゅつ かんじゃ びょうしゅつ あた え ひとみ げいぎ あくそく はっき はだか 場の中に 在 る事を 覚 った。 を 陋 とする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしく のうり へいとう く あ 注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間 せんと 焦 せるとき、うつくしきものはかえってその 度 を減 せたけ ふうき りっ に、女の影は 遺憾 なく、余が前に、早くもあらわれた。 漲 ずるが例である。人事についても満は損を招くとの 諺 はこ うすくれない さほう しょう ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一 分子 ごとに含んで、 れがためである。 やわら 紅 の暖かに見える奥に、 薄 漾 わす黒髪を雲とながして、あ 放 心 と無邪気とは余裕を示す。余裕は 画 において、詩にお さしつかえ らん限りの背 丈 を、すらりと伸 した女の姿を見た時は、礼 いて、もしくは文章において、必 須 の条件である。今 代芸術 きんせいふっこく あからさま つと じゅうぶん 儀の、 作法 の、 風紀 のと云う感じはことごとく、わが 脳裏 の一大 弊竇 は、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の こんせき じゅうにぶん を去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得た 士を駆って、 拘々 として随処に齷 齪 たらしむるにある。裸 ギリシャ さと とのみ思った。 体画はその好例であろう。都会に 芸妓 と云うものがある。 とぼ ろう 古代 希臘 の彫刻はいざ知らず、 今世仏国 の画家が命と頼 色を売りて、人に 媚 びるを商売にしている。彼らは 嫖客 に きいん ゆえ みな む裸体画を見るたびに、あまりに 露骨 な肉の美を、極端ま 対する時、わが容姿のいかに相手の 瞳子 に映ずるかを 顧慮 いかん で描がき尽そうとする 痕迹 が、ありありと見えるので、ど するのほか、何らの表情をも 発揮 し得ぬ。年々に見るサロ いや あ ことなく 気韻 に乏 しい心持が、今までわれを苦しめてなら ンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。 こんにち ぶんし なかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評す 彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる 能 わざるのみなら はんもん ただよ るまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ 故 、吾知らず、答 ず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示 の えを得るに 煩悶 して 今日 に至ったのだろう。肉を 蔽 えば、 さんと 力 めている。 とど こ うつくしきものが隠れる。かくさねば 卑 しくなる。今の世 おお の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を 留 草枕 ひょうてい まと ぞくあい いしょう れいふん ほうふつ はつぼくりんり じゅうぶん あいだ おくゆか に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する さえ きゅうりょう かい へんりん 今余が面前に 娉 と現われたる姿には、一塵もこの 俗埃 だざい 一種の 霊氛 のなかに髣 髴 として、十 分 の美を 奥床 しくもほ にんがい の眼に 遮 ぎるものを帯びておらぬ。常の人の 纏 える衣 装 を のめかしているに過ぎぬ。 片鱗 を 溌墨淋漓 の 間 に点じて、 さま 脱ぎ捨てたる 様 と云えばすでに 人界 に堕 在 する。始めより 竜 の怪 虬 を、楮 毫 のほかに想像せしむるがごとく、芸術的 かみよ ちょごう 着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる 神代 の なが れいき つんざ とおの せきらら に じ ふち かんかいじ の おしょう ゆ ぼう せつな りゅう に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、 冥邈 なる めいばく 調子とを具 えている。六々三十六鱗 を丁寧に描きたる 竜 の、 げっかい むこう りん 姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。 稽 に落つるが事実ならば、 滑 赤裸々 の肉を浄 洒々 に眺めぬ こまや かつら みやこ つった うずま じょうが ちゅうちょ そな 室を埋 むる湯煙は、埋めつくしたる後 から、絶えず 湧 き上 うちに神往の 余韻 はある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、 わ がる。春の夜 の灯 を半透明に崩 し拡げて、部屋一面の虹 霓 の都 桂 を逃れた月 界 の嫦 娥 が、彩 虹 の追 手 に取り囲まれて、 かろ あと の世界が 濃 かに揺れるなかに、 朦朧 と、黒きかとも思わる しばらく 躊躇 する姿と眺 めた。 くびすじ うず るほどの髪を 暈 して、真白な姿が雲の底から次第に浮き上 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっ なび ふね あいきゃく じょうしゃしゃ がって来る。その 輪廓 を見よ。 かくの 嫦娥 が、あわれ、俗界に堕落するよと思う 刹那 に、 わか ぎゃく かかと こっけい 頸 筋 を軽 く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へ 緑の髪は、波を切る 霊亀 の尾のごとくに風を起して、 莽 と うし あしのうら に じ なだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本 いた。渦 靡 捲 く煙りを劈 いて、白い姿は階段を飛び上がる。 いきおい くず の指と 分 れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下に ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる ひ は、しばし引く波が、また滑 らかに盛り返して下腹の張りを 風呂場を次第に 向 へ遠 退 く。余はがぶりと湯を 呑 んだまま よ 安らかに見せる。張る 勢 を後 ろへ抜いて、勢の尽くるあた の中に 槽 突立 つ。驚いた波が、胸へあたる。 縁 を越す 湯泉 ひざがしら かっとう よいん りから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に 傾 く。 逆 の音がさあさあと鳴る。 ひら もうろう に受くる 膝頭 のこのたびは、立て直して、長きうねりの 踵 さくざつ ごちそう ぞく おって につく頃、 平 たき足が、すべての 葛藤 を、二枚の 蹠 に安々 八 やわ だいてつ じょうが と始末する。世の中にこれほど 錯雑 した配合はない、これ ぼか ほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど 柔 御茶の 御馳走 になる。相 客 は僧一人、観 海寺 の和 尚 で名 りんかく らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は は 大徹 と云うそうだ。 俗 一人、二十四五の若い男である。 なめ 決して見出せぬ。 かたむ しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前 草枕 老人の部屋は、余が 室 の廊下を右へ突き当って、左へ折 ﹁いや、 御使 をありがとう。わしも、だいぶ 御無沙汰 をし げようと思って、⋮⋮﹂と坊さんの方を向くと、 ﹁ 今日 は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上 きょう れた 行 き留 りにある。大 さは六畳もあろう。大きな 紫檀 の しつ 机を真中に据 えてあるから、思ったより狭苦しい。それへ たから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ﹂ ふとん まわり さらさ かべかけ からくさ したん と云う席を見ると、 布団 の代りに花 毯 が敷いてある。無論 と云う。この僧は六十近い、丸顔の、 達磨 を 草書 に崩 した おおき 支那製だろう。真中を六角に 仕切 って、妙な家と、妙な柳 ような 容貌 を有している。老人とは 平常 からの 昵懇 と見え どま が織り出してある。 周囲 は鉄色に近い藍 で、四 隅 に唐 草 の る。 い 模様を飾った茶の 輪 を染め抜いてある。支那ではこれを座 ﹁この 方 が御客さんかな﹂ インド ようぼう かた おそ うなずき いなか いつわ おさみ ふだん おしょう なんそうは くず かお さび こはくいろ じっこん そうしょ ご ぶ さ た 敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して 老人は 首肯 ながら、朱 泥 の急 須 から、緑を含む 琥珀色 の ま おもむき おつかい 見るとすこぶる面白い。 印度 の 更紗 とか、ペルシャの 壁掛 液 を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い 玉 香 りが す とか号するものが、ちょっと 間 が抜けているところに価値 かすかに鼻を 襲 う気分がした。 かたん があるごとく、この花毯もこせつかないところに 趣 がある。 ﹁こんな 田舎 に一 人 では御 淋 しかろ﹂と和 尚 はすぐ余に話 とう こま なかば おいそ だるま 花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。 しかけた。 し き どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れ ﹁はああ﹂となんともかとも要領を得ぬ返事をする。 淋 し しゃばっけ よすみ ない。見ているうちに、ぼおっとするところが 尊 とい。日 いと云えば、 偽 りである。淋しからずと云えば、長い説明 きんちゃくき あい 本は 巾着切 りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて 細 か が入る。 わ くて、そうしてどこまでも 娑婆気 がとれない。まずこう考 ﹁なんの、和尚さん。このかたは 画 を書かれるために来ら さよう きゅうす えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の 半 を占 れたのじゃから、 御忙 がしいくらいじゃ﹂ しゅでい 領した。 ﹁おお 左様 か、それは結構だ。やはり南 宗派 かな﹂ ひざ ぎょくえき 和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の 膝 の傍 ﹁いいえ﹂と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、こ しり ひとり を通り越して、頭は老人の 臀 の下に敷かれている。老人は の和尚にはわかるまい。 あご ちゃたく 引き受けてくれる。 え 頭の毛をことごとく抜いて、頬と 顎 へ移植したように、白 は の ﹁いや、例の西洋画じゃ﹂と老人は、主人役に、また半分 ひげ い髯 をむしゃむしゃと 生 やして、茶 托 へ 載 せた茶碗を丁寧 に机の上へならべる。 草枕 きゅういち かかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけ あじわ ゆかげん ﹁ははあ、洋画か。すると、あの 久一 さんのやられるよう た。濃く甘 く、湯 加減 に出た、重い露を、舌の先へ一しずく あま なものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗 ずつ落して 味 って見るのは 閑人適意 の 韻事 である。普通の ふくいく におい いや たんすい きょう いんじ にかけたのう﹂ 人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。 舌頭 へ の かんじんてきい ﹁いえ、詰らんものです﹂と若い男がこの時ようやく口を ぽたりと 載 せて、清いものが四方へ散れば 咽喉 へ下 るべき こまや くだ ぜっとう 開いた。 液はほとんどない。ただ 馥郁 たる匂 が食道から胃のなかへ ぎょくろ かた の ど ﹁御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか﹂と老人が若い男 み渡るのみである。歯を用いるは 沁 卑 しい。水はあまりに し に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親 軽い。 玉露 に至っては濃 かなる事、淡 水 の境 を脱して、顎 あご 類らしい。 いけ を疲らすほどの 硬 さを知らず。結構な飲料である。眠られ かがみ ﹁なあに、見ていただいたんじゃないですが、 鏡 が池 で写 せいぎょく く みち しょうじん ぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。 つ てぎわ かたまり 生しているところを和尚さんに見つかったのです﹂ き 老人はいつの間にやら、 青玉 の菓子皿を出した。大きな めいめい たん ﹁ふん、そうか︱︱︱さあ御茶が 注 げたから、一杯﹂と老人 こ を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、 塊 刳 りぬいた 匠人 なまかべいろ は茶碗を 各自 の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶 い の 手際 は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影 の 碗はすこぶる大きい。 生壁色 の地へ、焦 げた丹 と、薄い 黄 は一面に 射 し込んで、射し込んだまま、 逃 がれ出 ずる 路 を さ で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったとこ ほ 失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。 か せいじ ろか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描 いてある。 ﹁御客さんが、 青磁 を賞 められたから、今日はちとばかり もくべえ ほ ﹁杢 兵衛 です﹂と老人が簡単に説明した。 いとぞこ 見せようと思うて、出して置きました﹂ にせもの ﹁これは面白い﹂と余も簡単に 賞 めた。 ふすま ﹁どの青磁を︱︱︱うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも しょうじ すき ﹁杢兵衛はどうも 偽物 が多くて、︱︱︱その糸 底 を見て御覧 じゃ。時にあなた、西洋画では 好 襖 などはかけんものかな。 めい なさい。 銘 があるから﹂と云う。 い かけるなら一つ頼みたいがな﹂ おりばえ おしょう 取り上げて、 障子 の方へ向けて見る。障子には植木鉢の かいてくれなら、かかぬ事もないが、この 和尚 の気に入 のぞ るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は こうずしゃ ま 蘭 の影が暖かそうに写っている。首を 葉 曲 げて、 覗 き込む 駄目だなどと云われては、骨の 折栄 がない。 はらん と、杢 の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さの もく み大切のものとは思わないが、 好事者 はよほどこれが気に え あいだ となみ すがたみばし はしょ 強い。この 間 法用で 礪並 まで行ったら、 姿見橋 の所で︱ ︱︱ あいだ ﹁襖には向かないでしょう﹂ おしょう なさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前は は どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を 端折 っ そんな 形姿 で地 体 どこへ、行ったのぞいと聴くと、今 芹摘 ぞうり て、 草履 を 穿 いて、 和尚 さん、何をぐずぐず、どこへ行き ﹁私のは駄目です。あれはまるでいたずらです﹂と若い男 みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、い は で 少し派 手 過ぎるかも知れん﹂ ﹁向かんかな。そうさな、この間 の久一さんの画 のようじゃ、 はしきりに、恥 かしがって謙 遜 する。 きなりわしの袂 へ 泥 だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ﹂ たもと うやうや せりつ ﹁その何とか云う池はどこにあるんですか﹂と余は若い男 ﹁どうも、⋮⋮﹂と老人は苦 笑 いをしたが、急に立って﹁実 じたい に念のため尋ねて置く。 はこれを御覧に入れるつもりで﹂と話をまた道具の方へそ したん な り ﹁ちょっと観海寺の裏の谷の所で、 幽邃 な所です。︱︱︱な らした。 けんそん あに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって 老人が 紫檀 の書架から、 恭 しく取り下 した 紋緞子 の古い はず 見ただけです﹂ 袋は、何だか重そうなものである。 どろ ﹁観海寺と云うと⋮⋮﹂ ﹁和尚さん、あなたには、御目に 懸 けた事があったかな﹂ とうりゅう にがわら ﹁観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を ﹁なんじゃ、一体﹂ ゆうすい 目 に見 一 下 しての︱ ︱︱まあ 逗留 中にちょっと来て御覧。な ﹁ 硯 よ﹂ さんよう ぶた あずきいろ もんどんす に、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の ﹁へえ、どんな硯かい﹂ しゅんすい かど たんけい おろ 石段が見えるじゃろうが﹂ ﹁ 山陽 の愛蔵したと云う⋮⋮﹂ きゅういち いろあい か ﹁いつか御邪魔に 上 ってもいいですか﹂ ﹁いいえ、そりゃまだ見ん﹂ みおろ ﹁ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、 ﹁ 春水 の替え蓋 がついて⋮⋮﹂ ひとめ 来られる。︱︱ ︱御嬢さんと云えば今日は 御那美 さんが見え ﹁そりゃ、まだのようだ。どれどれ﹂ すずり んようだが︱︱ ︱どうかされたかな、隠居さん﹂ 老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、 小豆色 の四角 あが ﹁どこぞへ出ましたかな、 久一 、御前の方へ行きはせんか な石が、ちらりと 角 を見せる。 み な﹂ ﹁いい 色合 じゃのう。端 渓 かい﹂ ひと な ﹁いいや、見えません﹂ お ﹁また 独 り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が 草枕 ここの そらい おしょう ﹁ 徂徠 かな﹂と和 尚 が、首を向けたまま云う。 くよくがん ﹁端渓で 眼 が九 つある﹂ ﹁徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは おおい りんず きょうほ ﹁九つ?﹂と和尚 大 に感じた様子である。 のうしょ はる 善かろうと思うて﹂ ひん ﹁これが春水の替え蓋﹂と老人は 綸子 で張った薄い蓋を見 こうたく ﹁それは徂徠の方が 遥 かにいい。享 保 頃の学者の字はまず しちごんぜっく きょうへい せる。上に春水の字で七 言絶句 が書いてある。 しょ くても、どこぞに 品 がある﹂ じょうず ﹁なるほど。春水はようかく。ようかくが、 書 は杏 坪 の方 せつ ﹁ 広沢 をして日本の 能書 ならしめば、われはすなわち漢人 ば が上 手 じゃて﹂ い の 拙 なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん﹂ ぞくき ﹁やはり杏坪の方がいいかな﹂ さいしはだ ﹁わしは知らん。そう 威張 るほどの字でもないて、ワハハ さんよう ハハ﹂ おしょう いっこう面白うない﹂ うろこ しゅうるし みが てならい ﹁時に和尚さんは、誰を習われたのかな﹂ ふた どんす こうせん ぜんぼうず ﹁ハハハハ。 和尚 さんは、山陽が 嫌 いだから、今日は山陽 か ﹁わしか。 禅坊主 は本も読まず、 手習 もせんから、のう﹂ ふく ﹁しかし、誰ぞ習われたろう﹂ ひらどこ の幅 を懸け替 えて置いた﹂ ﹁若い時に 高泉 の字を、少し 稽古 した事がある。それぎり あ もくらん こきんらん とこ ﹁ほんに﹂と和尚さんは 後 ろを振り向く。 床 は平 床 を鏡の たいふく じく うし ようにふき込んで、 鏽気 を吹いた古 銅瓶 には、木 蘭 を二尺 じゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハ い ぶっそらい さいしき こげちゃ けいこ の高さに、活 けてある。軸 は底光りのある 古錦襴 に、装 幀 ハハハ。時にその 端渓 を一つ御見せ﹂と和尚が催促する。 くふう で こどうへい の工 夫 を籠 めた物 徂徠 の 大幅 である。絹地ではないが、多 とうとう 緞子 の袋を取り 除 ける。一座の視線はことごと さびけ 少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が く硯 の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例の は きわだ そうてい 周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたて ものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず 並 と云っ きんし じく の は、あれほどのゆかしさも無かったろうに、 彩色 が褪 せて、 てよろしい。 蓋 には、 鱗 のかたに研 きをかけた松の皮をそ ぞうげ たんけい 糸 が沈んで、 金 華麗 なところが 滅 り込んで、渋いところが のまま用いて、上には 朱漆 で、わからぬ書体が二字ばかり こ せり出して、あんないい調子になったのだと思う。 焦茶 の 書いてある。 すなかべ とこ すずり 壁 に、白い象 砂 牙 の軸 が 際立 って、両方に突張っている、手 ので、御覧の通り、松の皮には相違ないが⋮⋮﹂ ﹁この蓋が﹂と老人が云う。﹁この蓋が、ただの蓋ではない おもむき なみ 前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、 床 全体 め の趣 は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。 きら ﹁ 山陽 が一番まずいようだ。どうも 才子肌 で俗 気 があって、 草枕 じ き しる ている。残る一個は背の真中に、 黄 な汁 をしたたらしたご に 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいか とく 煮染 んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほと いんねん なる 因縁 があろうと、画工として余はあまり感服は出来ん んど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を 湛 える所は、よ とうと すいう たた から、 もやこの 塹壕 の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐと ぎんしゃく ざんごう ﹁松の蓋は少し俗ですな﹂ もこの深さを 充 たすには足らぬ。思うに水 盂 の中 から、一 じゅんたく こ わがめ は むしようかん あざむ いちだ す と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を 挙 げて、 滴の水を 銀杓 にて、蜘 蛛 の背に落したるを、 貴 き墨に 磨 り ぶんぼうよう あいまじ うち ﹁ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはそ 去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純 は よだれ がん す ひといきか も の何ですよ。 山陽 が広島におった時に庭に生えていた松の 然たる 文房用 の装飾品に過ぎぬ。 さんよう はだあい いんげんまめ く 皮を剥 いで山陽が手ずから製したのですよ﹂ 老人は 涎 の出そうな口をして云う。 み なるほど山 陽 は俗な男だと思ったから、 ﹁この 肌合 と、この眼 を見て下さい﹂ あ ﹁どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなも なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く 潤沢 を帯びたる さんよう のですな。わざとこの 鱗 のかたなどをぴかぴか研 ぎ出さな 肌の上に、はっと、一 息懸 けたなら、 直 ちに凝 って、 一朶 の と くっても、よさそうに思われますが﹂と遠慮のないところ 雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色であ うろこ を云って 退 けた。 る。眼の色と云わんより、眼と地の 相交 わる所が、次第に色 すずり しょうたい ただ ﹁ワハハハハ。そうよ、この 蓋 はあまり安っぽいようだな﹂ を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど 吾眼 の欺 かれ おしょう の と和 尚 はたちまち余に賛成した。 たるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の 蒸羊羹 ふた 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不 の奥に、 隠元豆 を、 透 いて見えるほどの深さに 嵌 め込んだ てい あんばい るい ようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重さ まんなか らわす。 こく れる。九個と云ったら、ほとんど 類 はあるまい。しかもそ しょうじん もしこの硯について人の眼を 峙 つべき特異の点があると かか いっぴん の九個が整然と同距離に 按排 されて、あたかも人造のねり おのおの く よ く が ん ほ すれば、その表面にあらわれたる 匠人 の 刻 である。 真中 に かた ふち ものと見違えらるるに至ってはもとより天下の 逸品 をもっ たもとどけい て許さざるを得ない。 せ 時計 ほどな丸い肉が、 袂 縁 とすれすれの高さに彫 り残され ﹁なるほど結構です。 観 て心持がいいばかりじゃありませ わんきょく く も て、これを蜘 蛛 の背 に象 どる。中央から四方に向って、八 み 本の足が 彎曲 して走ると見れば、先には 各 眼 を抱 え そばだ 機嫌の 体 に蓋を払いのけた。下からいよいよ 硯 が正 体 をあ 草枕 さわ ﹁本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか﹂ にさんち ん。こうして 触 っても愉快です﹂と云いながら、余は隣り ﹁ 二三日 うちに立ちます﹂ きゅういち じ かわふね みあわ の若い男に硯を渡した。 け ﹁隠居さん。吉田まで送って御やり﹂ や ﹁久 一 に、そんなものが解るかい﹂と老人が笑いながら聞 ﹁普段なら、年は取っとるし、まあ 見合 すところじゃが、こ お あ いて見る。久一君は、少 々自棄 の気味で、 とによると、もう 逢 えんかも、知れんから、送ってやろう なが ﹁分りゃしません﹂と打ち遣 ったように云い放ったが、わか と思うております﹂ や らん硯を、自分の前へ置いて、 眺 めていては、もったいな ﹁ 御伯父 さんは送ってくれんでもいいです﹂ そで おい いと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余 のち て や うやうや 若い男はこの老人の 甥 と見える。なるほどどこか似てい ぜんじ な はもう一 遍 丁寧に撫 で廻わした後 、とうとうこれを 恭 しく る。 ぺん 師 に返却した。禅師はとくと 禅 掌 の上で見済ました末、そ ﹁なあに、送って貰うがいい。 川船 で行けば訳はない。な あ く ねずみもめん あ隠居さん﹂ つ れでは 飽 き足らぬと考えたと見えて、 鼠木綿 の着物の袖 を ﹁はい、 山越 では難義だが、廻り路でも船なら⋮⋮﹂ しょうがん も 容赦なく 蜘蛛 の背へこすりつけて、光 沢 の出た所をしきり 若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。 やまごし に賞 翫 している。 ﹁支那の方へおいでですか﹂と余はちょっと聞いて見た。 よ ﹁隠居さん、どうもこの色が実に 善 いな。使うた事がある かの﹂ ﹁ええ﹂ めった ﹁いいや、滅 多 には使いとう、ないから、まだ買うたなり しょうじ らん ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞 ひか じゃ﹂ く必要もないから 控 えた。 障子 を見ると、蘭 の影が少し位 置を変えている。 し な ﹁そうじゃろ。こないなのは 支那 でも珍らしかろうな、隠 居さん﹂ ﹁なあに、あなた。やはり今度の戦争で︱︱︱これがもと志 さよう ﹁左 様 ﹂ 願兵をやったものだから、それで召集されたので﹂ や ﹁わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。 つ 老人は当人に代って、満洲の 野 に日ならず出征すべきこ すずり どうかな、買うて来ておくれかな﹂ つ の青年の運命を余に 語 げた。この夢のような詩のような春 いでゆ の里に、 啼 くは鳥、落つるは花、湧 くは温 泉 のみと思い詰 わ ﹁へへへへ。 硯 を見つけないうちに、死んでしまいそうで な す﹂ 草枕 年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得 の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青 ら迸 る時が来るかも知れない。この青年の腰に 吊 る長き 剣 の曠 野 を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈か て、平 家 の後 裔 のみ住み古るしたる孤村にまで 逼 る。朔 北 めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越え ﹁なぜ?﹂ ﹁それが面白いんです﹂ ﹁それで面白いんですか﹂ た所をいい加減に読んでるんです﹂ ﹁勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう 開 けて、開い ﹁ホホホホ。それで御勉強なの﹂ ﹁そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです﹂ ﹁じゃ何が書いてあるんです﹂ こうや ほとばし つ つるぎ さくほく ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸 ﹁なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです﹂ せま に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。そ ﹁よっぽど変っていらっしゃるのね﹂ こうえい の鼓動のうちには、百里の平野を 捲 く高き 潮 が今すでに響 ﹁ええ、ちっと変ってます﹂ へいけ いているかも知れぬ。運命は 卒然 としてこの二人を一堂の ﹁初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう﹂ あ うちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。 ﹁初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読ま うしお ま 九 なけりゃならない訳になりましょう﹂ そつぜん ﹁妙な 理窟 だ事。しまいまで読んだっていいじゃありませ さんきゃくき んか﹂ りくつ ﹁御勉強ですか﹂と女が云う。部屋に帰った余は、 三脚几 ﹁無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたし ぬ に縛 りつけた、書物の一冊を抽 いて読んでいた。 だって、そうします﹂ しば ﹁御 這入 りなさい。ちっとも構いません﹂ ﹁筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読む はんえり い 女は遠慮する 景色 もなく、つかつかと這入る。くすんだ ものがありますか﹂ お は 襟 の中から、 半 恰好 のいい頸 の色が、あざやかに、抽 き出 余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気にな かっこう けしき ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照 る。 ぬ が第一番に眼についた。 ﹁あなたは小説が好きですか﹂ くび ﹁なあに﹂ ﹁西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね﹂ 草枕 と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。 ﹁小説なんか読んだって、読まなくったって⋮⋮﹂ ﹁好きだか、嫌 だか自分にも解らないんじゃないですか﹂ 然 しない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。 判 ﹁私が?﹂と句を切った女は、あとから﹁そうですねえ﹂と もあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦にな んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れて うちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込 です。あなたと話をするのも面白い。ここへ 逗留 している む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いの ﹁全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読 ﹁おやそう。それだから 画工 なんぞになれるんですね﹂ えかき ﹁それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、い る必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要が はっきり い加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませ あるんです﹂ きらい んか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょ ﹁すると 不人情 な惚れ方をするのが画工なんですね﹂ とうりゅう う﹂ ﹁不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。 漫然と読んでるのが面白いんです﹂ ひとみ ﹁しかし若いうちは随分御読みなすったろう﹂余は一本道 ﹁なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃ おみくじ ふにんじょう ﹁だって、あなたと私とは違いますもの﹂ 小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。 うち ﹁どこが?﹂と余は女の眼の 中 を見詰めた。試験をするの こうして、御 籤 を引くように、ぱっと開 けて、開いた所を、 で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。 る所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てく れかかる。すこしも油断がならん。 ﹁話しちゃ駄目です。 画 だって話にしちゃ一文の 価値 もな るか伺いたいから﹂ たか ﹁ そ ん な 事 が 男 の 前 で 云 え れ ば 、も う 年 寄 の う ち で す よ ﹂ くなるじゃありませんか﹂ ﹁いいえ日本語で﹂ ねうち と、やっと引き戻した。 ﹁ホホホそれじゃ読んで下さい﹂ ﹁英語を日本語で読むのはつらいな﹂ え ﹁そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そ ﹁英語でですか﹂ きびが出来たのってえ事が面白いんですか﹂ は ﹁ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです﹂ ほ んなに年をとっても、やっぱり、 惚 れたの、腫 れたの、に かわいそう ﹁今でも若いつもりですよ。 可哀想 に﹂放した鷹 はまたそ あ ﹁ホホホホ解りませんか﹂ はここだと思ったが、女の 眸 は少しも動かない。 草枕 ﹁いいじゃありませんか、非人情で﹂ ﹁そんなものですかね。何だか船の中のようですね﹂ その場限りで面白味があるでしょう﹂ なたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、 こい これも 一興 だろうと思ったから、余は女の 乞 に応じて、 いっきょう 例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界 ﹁船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞 き に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。 聴 く き出すと 探偵 になってしまうです﹂ たんてい 女ももとより非人情で聴いている。 とも はだえ ﹁ホホホホじゃ聴きますまい﹂ なさ たす なが ﹁情 けの風が女から吹く。声から、眼から、肌 から吹く。男 ﹁普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情 おもむき に扶 けられて 舳 に行く女は、夕暮のヴェニスを眺 むるため なところがないから、ちっとも 趣 がない﹂ いなずま ﹁じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?﹂ みゃく か、扶くる男はわが 脈 に稲 妻 の血を走らすためか。︱︱︱非 ﹁ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く 一抹 の淡き しゅろう とんぼだま いちまつ 人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知 線となる。線は切れる。切れて点となる。 蛋白石 の空のな へだた た れません﹂ かに 円 き柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く 聳 よ お ﹁よござんすとも。御都合次第で、 御足 しなすっても構い えたる 鐘楼 が沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女 ふなばた そび ません﹂ まる ﹁女は男とならんで 舷 に倚 る。二人の隔 りは、風に吹かる の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェ 男と女は暗き湾の 方 に眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らか きせつ るリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らば に 揺 ぐ海は 泡 を濺 がず。男は女の手を 把 る。鳴りやまぬ 弦 かた ニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊 絏 の苦しみを与う。 く、薄赤く消えて行く。⋮⋮﹂ を握った 心地 である。⋮⋮﹂ ここち ゆづる ﹁ドージとは何です﹂ ﹁あんまり非人情でもないようですね﹂ と ﹁何だって構やしません。 昔 しヴェニスを支配した人間の ﹁なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし 厭 なら少々 そそ 名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でも 略しましょうか﹂ あわ ヴェニスに残ってるんです﹂ ﹁なに私は大丈夫ですよ﹂ ゆら ﹁それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう﹂ ﹁わたしは、あなたよりなお大丈夫です。︱︱︱それからと、 むか ﹁誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いの いや ですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあ でんろう と云う。ヴェニスなるドウジの 殿楼 は今第二の日没のごと 草枕 む とたん いちりんざし からだ い つばき ひざ くず する わす 途端 に、机の上の 一輪挿 に活 けた、椿 がふらふらと揺 おたがい ええと、少しく 六 ずかしくなって来たな。どうも訳し︱︱︱ よ れる。﹁地震!﹂と小声で叫んだ女は、膝 を崩 して余の机に おりゃく いや読みにくい﹂ き じ やぶ りかかる。御 靠 互 の身 躯 がすれすれに動く。キキーと 鋭 ど すりよ ﹁雉子が﹂と余は窓の外を見て云う。 はばたき ﹁読みにくければ、 御略 しなさい﹂ い 羽摶 をして一羽の 雉子 が藪 の中から飛び出す。 ひとよ と男がきく。一と限るはつれなし、 幾夜 を重 いくよ ﹁ええ、いい加減にやりましょう。︱︱︱この 一夜 と女が云 う。一夜? き ﹁どこに﹂と女は崩した、からだを 擦寄 せる。余の顔と女の きっ い ねてこそと云う﹂ 顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の 呼吸 ひげ ﹁女が云うんですか、男が云うんですか﹂ たた まんおう いずまい が余の 髭 にさわった。 ことば ﹁男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくない よこた ﹁非人情ですよ﹂と女はたちまち 坐住居 を正しながら 屹 と かんぱん くぼ うご ごんか のでしょう。それで男が慰める 語 なんです。︱︱︱真夜中の と 云う。 しか 板 に帆綱を枕にして 甲 横 わりたる、男の記憶には、かの瞬 ﹁無論﹂と 言下 に余は答えた。 おおなみ 時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を 確 と把 りたる瞬 岩の 凹 みに湛 えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと ふち どこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こん し な場合に用いられるのだろう。落ちついて影を していた ぬる 時が 大濤 のごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、 く揺 鈍 いている。地盤の響きに、 満泓 の波が底から動くの ﹁女は?﹂ 山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねっ くだ いられたる結婚の 強 淵 より、是非に女を救い出さんと思い だから、表面が不規則に曲線を描くのみで、 砕 けた部分は ﹁女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ 様 である。 たりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を と 定めた。かく思い定めて男は眼を閉 ずる。︱︱︱﹂ われて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量︱︱︱ 攫 っているところが非常に面白い。 保 ひた あ と が ち ょ っ と 読 み に く い で す よ 。ど う も 句 に な ら な い 。 ﹁こいつは愉快だ。 奇麗 で、変化があって。こう云う風に さま ︱︱︱ただ不可思議の千万無量︱︱︱何か動詞はないでしょう 動かなくっちゃ面白くない﹂ さら か﹂ ﹁人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても たも ﹁動詞なんぞいるものですか、それで沢山です﹂ 大丈夫ですね﹂ ごう きれい ﹁え?﹂ き 轟 と音がして山の樹 がことごとく鳴る。思わず顔を見合 草枕 草枕 なが ききめ だけ先へ出て置く。いくら出ても何の 利目 もなかった。女 ちくえいかいをはらってちりうごかず だいてつおしょう ﹁非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ﹂ ふりそで は何喰わぬ顔で 大徹和尚 の額を眺 めている。やがて、 きのう ﹁ホホホホ大変非人情が御好きだこと﹂ ﹁ 竹影 払 階 塵 不動 ﹂ きらい ﹁あなた、だって 嫌 な方じゃありますまい。昨 日 の振 袖 な と口のうちで静かに読み 了 って、また余の方へ向き直った おわ んか⋮⋮﹂と言いかけると、 が、急に思い出したように、 あま ﹁何ですって﹂ ごほうび ﹁何か 御褒美 をちょうだい﹂と女は急に 甘 えるように云っ た。 と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。 ゆ ﹁なぜです﹂ ﹁その坊主にさっき 逢 いましたよ﹂と地震に 揺 れた池の水 あ ﹁見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたん のように円満な動き方をして見せる。 わけ ふと ﹁ 観海寺 の和尚ですか。 肥 ってるでしょう﹂ かんかいじ じゃありませんか﹂ ﹁西洋画で 唐紙 をかいてくれって、云いましたよ。禅坊さ からかみ ﹁わたしがですか﹂ んなんてものは随分 訳 のわからない事を云いますね﹂ え ﹁山 越 をなさった画 の先生が、茶店の婆さんにわざわざ御 ﹁それだから、あんなに肥れるんでしょう﹂ やまごえ 頼みになったそうで御座います﹂ あいさつ 余は何と答えてよいやらちょっと 挨拶 が出なかった。女 ﹁それから、もう一人若い人に逢いましたよ。⋮⋮﹂ きゅういち はすかさず、 ﹁ 久一 でしょう﹂ じつ ﹁そんな忘れっぽい人に、いくら 実 をつくしても駄目です はたいろ まっこう ﹁ええ久一君です﹂ うら わねえ﹂と嘲 けるごとく、恨 むがごとく、また真 向 から切 ﹁よく御存じです事﹂ あざ りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん 旗色 がわるく ﹁なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知 きらい なるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せら りゃしません。口を聞くのが 嫌 な人ですね﹂ すき れると、なかなか 隙 を見出しにくい。 きわ ﹁なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから⋮⋮﹂ ゆうべ ﹁じゃ 昨夕 の風呂場も、全く御親切からなんですね﹂と 際 ﹁小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか﹂ いとこ どいところでようやく立て直す。 地へ行くので、 暇乞 に来たのです﹂ ﹁ホホホホそうですか。あれは 私 しの従 弟 ですが、今度戦 わたく 女は黙っている。 いとまごい ﹁どうも済みません。御礼に何を上げましょう﹂と出来る 草枕 ﹁御茶より御 白湯 の方が好 なんですよ。父がよせばいいの ﹁じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね﹂ ﹁いいえ、兄の 家 におります﹂ ﹁ここに 留 って、いるんですか﹂ りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二 股 に 岐 れて、おのず 鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降 十 出るとき、 顧 みてにこりと笑った。茫 然 たる事多 時 。 た じ に、呼ぶものですから。 麻痺 が切れて困ったでしょう。私 から鏡が池の周囲となる。池の 縁 には熊 笹 が多い。ある所 ぼうぜん がおれば中途から帰してやったんですが⋮⋮﹂ は、左右から 生 い重なって、ほとんど音を立てずには通れな かえり ﹁あなたはどこへいらしったんです。 和尚 が聞いていまし い。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まっ とま たぜ、また一 人 散歩かって﹂ て、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あ ひとり ゆ うち ﹁ええ鏡の池の方を廻って来ました﹂ るいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非 しびれ すき ﹁その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが⋮⋮﹂ 常に不規則な 形 ちで、ところどころに岩が自然のまま 水際 お ﹁行って御覧なさい﹂ に 横 わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいよう かた つぼすみれ くまざさ つら てんらい かんじょう わか ﹁画 にかくに好い所ですか﹂ に、波を打って、色々な起伏を不規則に 連 ねている。 したぐさ ふたまた ﹁身を投げるに好い所です﹂ 池をめぐりては 雑木 が多い。何百本あるか 勘定 がし切れ も ふち ﹁身はまだなかなか投げないつもりです﹂ ぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に おしょう ﹁私は 近々 投げるかも知れません﹂ 枝の 繁 まない所は、依然として、うららかな春の日を受け お 余りに女としては思い切った 冗談 だから、余はふと顔を て、 萌 え出でた下 草 さえある。壺 菫 の淡き影が、ちらりち せいじん いや みずぎわ 上げた。女は存外たしかである。 らりとその間に見える。 え ﹁私が身を投げて浮いているところを︱︱︱苦しんで浮いて 日本の菫は眠っている感じである。﹁ 天来 の奇想のよう とたん よこた るところじゃないんです︱︱ ︱やすやすと往生して浮いてい に﹂ 、と形容した 西人 の句はとうていあてはまるまい。こう ぞうき るところを︱︱ ︱奇麗な画にかいて下さい﹂ 思う 途端 に余の足はとまった。足がとまれば、 厭 になるま じょうだん ﹁え?﹂ でそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそ きんきん ﹁驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう﹂ こ 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を 草枕 こじき ひた いくよ さそ なまぬる おもい くき なぶ まぎわ まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、 たみ んな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さな のぞ 足を 浸 せば 生温 い水につくかも知れぬと云う 間際 で、とま たんてい ければ巡査が追い立てる。都会は太平の 民 を乞 食 と間違え る。水を 覗 いて見る。 す り て、掏 摸 の親分たる探 偵 に高い月俸を払う所である。 眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い 水草 おうじょう ととの くどく あわ ものうげ も みずぐさ 余は草を茵 に太平の尻をそろりと卸 した。ここならば、五 が、 往生 して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容 おろ 六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す 気遣 すべき言葉を知らぬ。岡の 薄 なら靡 く事を知っている。 藻 みれん しとね はない。自然のありがたいところはここにある。いざとな の草ならば 誘 う波の 情 けを待つ。百年待っても動きそうも ようしゃ いわさき ここん いきどお ひと みくき なび ると 容赦 も未 練 もない代りには、人に因 って取り扱をかえ ない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての むへんさい う む し りく すすき るような軽薄な態度はすこしも見せない。 岩崎 や 三井 を眼 姿勢を 調 えて、朝な夕なに、 弄 らるる期を、待ち暮らし、待 けい びょうどうかん けい きづかい 中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として 古今 帝王 ち明かし、 幾代 の 思 を茎 の先に籠 めながら、今に至るまで ふうばぎゅう ま しょうぞく なさ の権威を 風馬牛 し得るものは自然のみであろう。自然の徳 ついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。 ぐんしょう さしまね えん よ は高く塵界を超越して、対絶の 平等観 を 無辺際 に樹立して 余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って らん みつい いる。天下の 羣小 を麾 いで、いたずらにタイモンの 憤 りを 来る。 功徳 になると思ったから、眼の先へ、一つ 抛 り込ん つちか こ 招くよりは、 蘭 を九 畹 に滋 き、蕙 を百畦 に樹 えて、独 りその でやる。ぶくぶくと 泡 が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消 き が だいじ しかばね ほう に 裏 起臥 する方が遥かに得策である。余は公平と云い 無私 えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして うち と云う。さほど 大事 なものならば、日に千人の 小賊 を戮 し り 見ると、 三茎 ほどの長い髪が、 慵 に揺れかかっている。見 まんぽ かんがえ て、満 圃 の草花を彼らの 屍 に培 養 うがよかろう。 なむあみだぶつ かす つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠し かんそう まんなか 何だか 考 が理 に落ちていっこうつまらなくなった。こん てごたえ に来る。 南無阿弥陀仏 。 たばこ あまりょう す 今度は思い切って、懸命に 真中 へなげる。ぽかんと 幽 か マッチ な中学程度の観 想 を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。 に音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう 抛 たもと から 袂 煙草 を出して、 寸燐 をシュッと擦 る。手 応 はあった げる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ マッチ つまさきあ な が火は見えない。 敷島 のさきに付けて吸ってみると、鼻か 廻る。 しきしま ら煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がつい 二間余りを 爪先上 がりに登る。頭の上には大きな樹 がか じゃくめつ き た。寸 燐 は短かい草のなかで、しばらく 雨竜 のような細い みずぎわ 煙りを吐いて、すぐ 寂滅 した。席をずらせてだんだん 水際 草枕 間遠 退 いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に も、軽快な感じはない。ことにこの椿は 岩角 を、奥へ二三 いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、 日向 で見て ぶさって、身 体 が急に寒くなる。向う岸の暗い所に 椿 が咲 に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまた 見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春 から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。 い。 屠 られたる囚 人 の血が、自 ずから人の眼を 惹 いて、自 ら 金輪際 、 免 るる事は出来ない。あの色はただの赤ではな している。ただ 一眼 見たが最後! 見た人は彼女の魔力か ひとめ 閑 として、かたまっている。その花が! 一日勘 森 定 しても ぽたり落ちた。あの花は決して散らない。 崩 れるよりも、 つばき 無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定し かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れ からだ たくなるほど 鮮 かである。ただ鮮かと云うばかりで、いっ るから、 未練 のないように見えるが、落ちてもかたまって しんかん と あと だま かんじょう ようじょ ほふ みれん のが こう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、 いるところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。あ みやまつばき えんぜん こんりんざい 気を 奪 られた、 後 は何だか凄 くなる。あれほど人を欺 す花 あやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考 さと ひなた はない。余は 深山椿 を見るたびにいつでも 妖女 の姿を連想 えた。花が静かに浮いている 辺 は今でも少々赤いような気 あざむ さま あたり うず ひ する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、 嫣然 たる毒 がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ち い うちゅう かいどう おの を血管に吹く。 欺 かれたと悟 った頃はすでに遅い。向う側 たのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あ で しお げっか ま しゅうじん の椿が眼に入 った時、余は、ええ、見なければよかったと れが沈む事があるだろうかと思う。 年々 落ち尽す幾万輪の は しょうぜん えん いわかど 思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を 醒 すほどの 椿は、水につかって、色が溶 け出して、腐って泥になって、 とおの 出 やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持ってい 派 ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、 よそお くず る。悄 然 として 萎 れる 雨中 の梨 花 には、ただ憐れな感じが 人の知らぬ 間 に、落ちた椿のために、 埋 もれて、元の 平地 あざや する。冷やかに 艶 なる 月下 の海 棠 には、ただ愛らしい気持 に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、 人魂 み すご ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気 のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際 うわべ ねんねん のある、恐ろし 味 を帯びた調子である。この調子を底に持っ 限なく落ちる。 さま と て、上 部 はどこまでも派出に装 っている。しかも人に媚 ぶ こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、ど り か る態 もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっ うだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を 呑 ん せいそう の ひとだま ひらち と咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾 こ 百年の 星霜 を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮ら 草枕 ば お な み き の う じょうだん じょう を忘れていた。憐れは神の知らぬ 情 で、しかも神にもっと ゆ で、ぼんやり考え込む。 温泉場 の 御那美 さんが昨 日 冗談 に も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの たね 云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。 憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬので いたご 心は 大浪 にのる一枚の 板子 のように揺れる。あの顔を 種 に ある。ある 咄嗟 の衝動で、この情があの女の 眉宇 にひらめ おおなみ して、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿 いた瞬時に、わが 画 は成 就 するであろう。しかし︱︱︱いつ とこしな あいさつ せ きょうり うすわらい は かが ぶ び う が長 えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわ それが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満してい とっさ したいが、それが 画 でかけるだろうか。かのラオコーンに るものは、人を馬鹿にする 微笑 と、勝とう、勝とうと 焦 る そむ じょうじゅ は︱︱︱ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に 背 いて 八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。 つつそで え も、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しか がさりがさりと足音がする。 胸裏 の図案は三分 二で 崩 れ え し人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは た。見ると、 筒袖 を着た男が、 背 へ薪 を載 せて、熊 笹 のな てぬぐい なた あ がっこう とたん くず あせ 容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにして かを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来た う いっそ か くまざさ も、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを 打 ち 壊 のだろう。 おと お の わしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。 一層 ﹁よい御天気で﹂と手 拭 をとって挨 拶 する。腰を 屈 める 途端 なれなれ だんな まき ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折っ に、三尺帯に 落 した鉈 の刃 がぴかりと光った。四十恰 好 の おもわ こ て見るが、どうも 思 しくない。やはり御那美さんの顔が一 しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように 逞 たくま 番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないと 々 しい。 馴 われ までは気がつくが、どこが物足らないかが、 吾 ながら不明 ﹁ 旦那 も画を御 描 きなさるか﹂余の絵の具箱は 開 けてあっ しっと か である。したがって自己の想像でいい加減に作り 易 える訳 で か ふ さみ た。 は しゅんこん に行かない。あれに 嫉 を加えたら、どうだろう。嫉 ぞうお うらみ ﹁ああ。この池でも 画 こうと思って来て見たが、 淋 しい所 いかり は不安の感が多過ぎる。 憎悪 はどうだろう。憎悪は 烈 げし だね。誰も通らない﹂ お 過ぎる。 怒 ? 怒では全然調和を破る。 恨 ? 恨でも 春恨 ﹁はあい。まことに山の中で⋮⋮旦那あ、 峠 で御 降 られな うん 御前 はあの時の馬 子 さんだね﹂ とうげ とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗で さって、さぞ御困りでござんしたろ﹂ ま ご ﹁え? じょうしょ おまえ ある。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気 あわ がついた。多くある 情緒 のうちで、憐 れと云う字のあるの じょうか ﹁御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか﹂ たきぎ ﹁はあい。こうやって 薪 を切っては 城下 へ持って出ます﹂ たばこいれ ﹁いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が﹂ おろ ﹁ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは﹂ ﹁なんでも、よほど昔しの嬢様で⋮⋮﹂ マッチ てやる。 ﹁その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい﹂ か と源兵衛は荷を 卸 して、その上へ腰をかける。 煙草入 を出 ﹁あんな所を毎日越すなあ大変だね﹂ ﹁その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であっ かわ す。古いものだ。紙だか 革 だか分らない。余は寸 燐 を借 し ﹁なあに、馴れていますから︱︱︱それに毎日は越しません。 ﹁アハハハハ。馬が 不憫 ですから四日目くらいにして置き ﹁四日に一返 でも御免だ﹂ ﹁はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵 ﹁梵論字と云うと 虚無僧 の事かい﹂ ﹁すると、ある日、 一人 の梵 論字 が来て⋮⋮﹂ ﹁うん﹂ よっかめ たそうながな、旦那様﹂ ぺん ます﹂ 論字が志保田の 庄屋 へ逗 留 しているうちに、その美くしい ぺん ﹁そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハ 嬢様が、その梵論字を 見染 めて︱︱︱因 果 と申しますか、ど そ とうりゅう こもそう しょうや み ぼろんじ ハハハ﹂ ひとり ﹁それほどでもないんで⋮⋮﹂ うしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました﹂ ふびん ﹁時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からある ﹁泣きました。ふうん﹂ ならんと云うて。とうとう追い出しました﹂ いんが んだい﹂ ﹁ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は 聟 には ﹁昔から? ﹁その 虚無僧 をかい﹂ こもそう 一 ﹁なんでもよっぽど古い昔から﹂ ﹁はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで どのくらい昔から?﹂ ﹁よっぽど古い昔しからか。なるほど﹂ だ 来て、︱︱︱あの向うに見える松の所から、身を投げて、︱︱︱ ほ とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の し りますよ﹂ 鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池 ゆ を今でも鏡が池と申しまする﹂ ﹁志保田って、あの 温泉場 のかい﹂ ﹁はあい﹂ ば ﹁なんでも昔し、 志保田 の嬢様が、身を投げた時分からあ むこ ﹁昔からありますよ﹂ みっか 日 に一 三 返 、ことによると 四日目 くらいになります﹂ 草枕 いっすん すきま そうせい 崖 の上から水 断 際 まで、一 寸 の隙 間 なく叢 生 している。上 みずぎわ には 三抱 ほどの大きな松が、 若蔦 にからまれた幹を、 斜 め だんがい ﹁へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね﹂ に 捩 って、半分以上水の 面 へ乗り出している。鏡を懐 にし ねじ あやし ふところ なな ﹁まことに怪 しからん事でござんす﹂ さんきゃくき わかづた ﹁何代くらい前の事かい。それは﹂ た女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。 みかかえ ﹁なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから︱︱︱ 三脚几 に 尻 を据 えて、面画に入るべき材料を見渡す。松 け これはここ限りの話だが、旦那さん﹂ と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分 おもて ﹁何だい﹂ らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水 あざ す ﹁あの志保田の家には、 代々 気 狂 が出来ます﹂ 際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと 怪 まるる いっそ しり ﹁へええ﹂ くらい、 鮮 やかに水底まで写っている。松に至っては空に はや だいだいきちがい ﹁全く 祟 りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云う ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長 聳 たた て、皆が 囃 します﹂ い。眼に写っただけの寸法ではとうてい 収 りがつかない。 そび ﹁ハハハハそんな事はなかろう﹂ 層 の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水を 一 かいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人 おふくろさま ﹁うちにいるのかい﹂ に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけでは な つぎめ けあい そうがん ちくいち ぎ ん み ひとみ おも ﹁いいえ、去年 亡 くなりました﹂ くふう つまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつ せ すいがら ﹁ふん﹂と余は煙草の 吸殻 から細い煙の立つのを見て、口 まらない。どう 工夫 をしたものだろうと、一心に池の 面 を いくにち まき を閉じた。源兵衛は 薪 を背 にして去る。 見詰める。 え 画 をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴 奇体なもので、影だけ眺 めていてはいっこう画にならん。 じゅんたく なが くばかりでは、 何日 かかっても一枚も出来っこない。せっ 実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から 眸 を さいわい わけ したえ 転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の もう まっすぐ ほぼまと かく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも 下絵 を を、影の先から、水際の 巌 継目 まで眺めて、継目から次第に あおぐろ くまざさ いわお とって行こう。 幸 、向側の景色は、あれなりで 略纏 まって 水の上に出る。 潤沢 の気 合 から、皴 皺 の模様を逐 一 吟 味 し さ さ か いる。あすこでも 申 し訳 にちょっと描 こう。 てだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の 双眼 かど しゅんしゅ 一丈余りの蒼 黒 い岩が、真 直 に池の底から突き出して、 濃 こ き水の折れ曲る 角 に、 嵯々 と構える右側には、例の 熊笹 が おさま ﹁ござんせんかな。しかしあの 御袋様 がやはり少し変でな﹂ 草枕 草枕 が今 危巌 の頂 きに達したるとき、余は蛇 に睨 まれた 蟇 のご 句はともかくも 自力 で綴 る。あとはひたすらに神を念じて、 物ほど神の 御覚召 に 叶 うた書き方はないとある。最初の一 トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書 ひき とく、はたりと 画筆 を取り落した。 筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。 にら 緑 りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがっ へび 巌頭を 彩 どる中に、 楚然 として織り出されたる女の顔は、 て責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を いただ ︱︱ ︱花 下 に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、 振袖 に んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層 汲 きがん 余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。 の無責任である。スターンは自分の責任を 免 れると同時に か か いわお あおじろ たいく かす かす いっせつな ぶ か じりき ど さえぎ まばた かくいし つづ かの 余が視線は、蒼 白 き女の顔の真 中 にぐさと釘 付 けにされた これを在天の神に 嫁 した。引き受けてくれる神を持たぬ余 じゅしょう おぼしめし ぎり動かない。女もしなやかなる 体躯 を 伸 せるだけ伸して、 はついにこれを 泥溝 の中に棄 てた。 えふで 高い巌 の上に一指も動かさずに立っている。この 一刹那 ! 石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらい みど 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の なら、すぐ引き返す。一段登って 佇 むとき何となく愉快だ。 そぜん 間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、す それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。 黙然 と いろ でに向うへ飛び下りた。夕日は 樹梢 を掠 めて、幽 かに松の して、吾影を見る。 角石 に 遮 られて三段に切れているのは ふりそで 幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。 妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥か おしょう たっちゅう く また驚かされた。 ら、小さい星がしきりに 瞬 きをする。句になると思って、 おぼろ くぎづ また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。 やまざと まんなか 十一 石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆ あおぎかぞ しう ゅんせい い せきとう のぼ ころも くだ のが る五 山 なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか 円覚寺 の 山 里 の朧 に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りなが の 塔頭 であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそ な す ら仰 数 春 星 一二三と云う句を得た。余は別に 和尚 に逢う用 りと登って行くと、門内から、黄 な 法衣 を着た、頭の 鉢 の開 くんしゅさんもんにいるをゆるさず おいで たたず 事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を 出 でて いた坊主が出て来た。余は 上 る、坊主は下 る。すれ違った はち えんがくじ もくねん 足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの 石磴 の 時、坊主が鋭どい声でどこへ 御出 なさると問うた。余はた ごさん 下に出た。しばらく 不許葷酒入山門 と云う石を撫 でて立っ き ていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。 草枕 段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた た 。あ ま り 洒落 だから、余は少しく 先 を越された気味で、 ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行っ だ境 内 を拝見にと答えて、同時に足を停 めたら、坊主は 直 えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云う 黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は 差 し控 う。方針は 人々 勝手である。ただひったひったと云わずに ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云 と云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、 つ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせ ただ 頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。 なら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とする と その 間 かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は ばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。 けいだい 面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を 這入 って、 こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あ く り せん 見ると、広い 庫裏 も本堂も、がらんとして、人影はまるで るいてるのは実際高尚だ。興 来 れば興来るをもって方針と しゃらく しゃらく ない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこん する。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、 ずいえんほうこう ぼうぎょ にんにん な洒 落 な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれ 得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方 げ うずま せきとう いけがき ぜっく おぼろ ひか たかと思うと、何となく気分が 晴々 した。禅 を心得ていた 針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方 さら あおぎかぞ しう ゅんせい まと く さ からと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。た 針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひる あいだ だあの鉢の開いた坊主の 所作 が気に入ったのである。 のは正当 防禦 の方針で、こうやって観海寺の石段を登るの つら い 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ず は 随縁放曠 の方針である。 かんじょう は うずうしい、いやな 奴 で埋 っている。元来何しに世の中へ 仰 数 春 星 一二三の句を得て、石 磴 を登りつくしたる時、 朧 へ むこう たた かす きた を 面 曝 しているんだか、 解 しかねる奴さえいる。しかもそ にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。 絶句 たんてい ぜん んな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多 は 纏 める気にならなくなった。即座にやめにする方針を立 しり せいせい いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年 てる。 しょさ も人の 臀 に探 偵 をつけて、人のひる屁 の勘 定 をして、それ 石を甃 んで庫 裡 に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの 生垣 やつ が人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は で、垣の 向 は墓場であろう。左は本堂だ。 屋根瓦 が高い所 り 屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教 で、 幽 かに光る。数万の 甍 に、数万の月が落ちたようだと うし やねがわら える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでも いらか ないが、 後 ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いく 草枕 住んでいるらしい。気のせいか、 廂 のあたりに白いものが、 上 る。どこやらで鳩の声がしきりにする。 見 棟 の下にでも している句がある。﹁時に九月天高く露清く、山 空 しく、月 少時 、晁 補之 と云う人の記行文を読んで、いまだに 暗誦 あろう。 た場合には、余は一も二もなく、 月下 の覇 王樹 と応 えるで こた 点々見える。糞 かも知れぬ。 かに、仰いで星 明 斗 を視 れば皆 光大 、たまたま人の上にあ はおうじゅ 雨 垂 れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも るがごとし、 窓間 の 竹 数十 竿 、相 摩戞 して声 切々 やまず。 げっか 見えぬ、草では無論ない。感じから云うと 岩佐又兵衛 のか 間 の梅 竹 棕 森 然 として鬼 魅 の離 立笑 の状 のごとし。二三 むね いた、 鬼 の念 仏 が、念仏をやめて、踊りを踊っている姿であ 子 相顧 み、 魄 動いて 寝 るを得ず。遅 明 皆去る﹂とまた口の みあげ る。本堂の 端 から端まで、一列に行儀よく並んで 躍 ってい 内で繰り返して見て、思わず笑った。この 覇王樹 も時と場 おに ねんぶつ はじ おぼろよ さそ ひさし る。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並ん 合によれば、余の 魄 を動かして、見るや否や山を追い下げ しゃもじ やまでら しゅもく お おど ほうがちょう あきら ちくかん はく そうかん とげ はく ばいそうしんぜん あいかえり いしだたみ もくれん たけ いぬ き かん まかつ かかえ く り ちめい りりつしょうひん ひ せつせつ さぼてん あきら あんしょう で躍っている。 朧夜 にそそのかされて、鉦 も撞 木 も、奉 加帳 たであろう。刺 に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。 きゅうり あわ ちょうほし も打ちすてて、 誘 い合 せるや否やこの山 寺 へ踊りに来たの 石甃 を行き尽くして左へ折れると 庫裏 へ出る。庫裏の前 へちま つ しょうじ だろう。 に大きな 木蓮 がある。ほとんど 一 と抱 もあろう。高さは庫 ふん 近寄って見ると大きな 覇王樹 である。高さは七八尺もあ 裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝 え つな はんぜん むら むな ろう、 糸瓜 ほどな青い 黄瓜 を、 杓子 のように圧 しひしゃげ の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月 あまだ て、 柄 の方を下に、上へ上へと 継 ぎ 合 せたように見える。 である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花 ひさし す みなひかりだい あの杓子がいくつ 継 がったら、おしまいになるのか分らな があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と み い。今夜のうちにも 廂 を突き破って、屋根瓦の上まで出そ 枝の間はほがらかに 隙 いている。木蓮は樹下に立つ人の眼 せいと うだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこから を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ 明 かで き いわさまたべえ か出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が ある。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっき こっけい ていぜん じょう 新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだ りと一輪に見える。その一輪がどこまで 簇 がって、どこま とっぴ ぶつ び んだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続 で咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに かね がいかにも突 飛 である。こんな滑 稽 な 樹 はたんとあるまい。 一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が 判然 と望まれる。 はくじゅし あわ しかも澄ましたものだ。いかなるこれ 仏 と問われて、庭 前 さぼてん の柏 樹子 と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接し 草枕 えかき とりつい ﹁温泉にいる 画工 が来たと、取 次 でおくれ﹂ おあが 花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。 たく ﹁画工さんか。それじゃ 御上 り﹂ もっぱ さ ﹁断わらないでもいいのかい﹂ ひ ぼうぜん るいるい げ らに白いのは、ことさらに人の眼を奪う 専 巧 みが見える。 みずか 木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと 避 けて、あ おくゆか ﹁よろしかろ﹂ さま たんこう たたかみのある 淡黄 に、奥 床 しくも 自 らを 卑下 している。 余は下駄を脱いで上がる。 いしだたみ 余は 石甃 の上に立って、このおとなしい花が 累々 とどこま ﹁行儀がわるい画工さんじゃな﹂ くうり はびこ でも 空裏 に 蔓 る 様 を見上げて、しばらく 茫然 としていた。 ﹁なぜ﹂ ﹁下駄を、よう 御揃 えなさい。そらここを御覧﹂と紙燭を おそろ 眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。 み 木蓮の花ばかりなる空を 瞻 る したた 差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さ みはから と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うてい きゃっか を見 計 って、半紙を四つ切りにした上へ、何か認 めてある。 ぬすびと る。 ほ ﹁そおら。読めたろ。 脚下 を見よ、と書いてあるが﹂ いぬ 庫裏に入る。庫裏は明け放してある。 盗人 はおらぬ国と てい かぎ て まが ﹁なるほど﹂と余は自分の下駄を丁寧に揃える。 しょうじ うやうや し へや 見える。 狗 はもとより吠 えぬ。 和尚の 室 は廊下を 鍵 の手 に曲 って、本堂の横手にある。 しん ﹁御免﹂ 子 を恭 障 しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、 おとず と訪 問 れる。森 として返事がない。 ﹁あのう、志 保田 から、画工さんが来られました﹂と云う。 だ ﹁頼む﹂ はなはだ恐縮の 体 である。余はちょっとおかしくなった。 ほ と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。 り ﹁そうか、これへ﹂ てつびん めがね い ろ ﹁頼みまああす﹂と大きな声を出す。 余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に 囲炉裏 を と むこう ﹁おおおおおおお﹂と遥かの 向 で答えたものがある。人の 切って、 鉄瓶 が鳴る。和尚は向側に書 見 をしていた。 しょけん 家を 訪 うて、こんな返事を聞かされた事は決してない。や ﹁さあこれへ﹂と 眼鏡 をはずして、書物を傍 へおしやる。 しそく かたわら がて足音が廊下へ響くと、 紙燭 の影が、衝 立 の向側にさし ﹁了念。りょううねええん﹂ ﹁ははははい﹂ りょうねん ﹁ 座布団 を上げんか﹂ おしょう ついたて た。小坊主がひょこりとあらわれる。 了念 であった。 ﹁和 尚 さんはおいでかい﹂ ざぶとん ﹁おられる。何しにござった﹂ ほかには何もない、 平庭 の向うは、すぐ 懸崖 と見えて、眼 ﹁いい月じゃな﹂と障子をあける。飛び石が二つ、松一本の ﹁あまり月がいいから、ぶらぶら来ました﹂ ﹁よう、来られた。さぞ退屈だろ﹂ ﹁はははははい﹂と了念は遠くで、長い返事をする。 近頃は画工にも博士があるかの﹂ ﹁ははははまあ、そうでも、 賞 めて置いてもらおう。時に ﹁上手で俗気があるのより、いいです﹂ おれば⋮⋮﹂ ﹁わしらのかく画はそれで沢山じゃ。 気象 さえあらわれて ﹁無邪気な画ですね﹂ 先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。 いさりび きしょう の下に 朧夜 の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなっ ﹁画工の博士はありませんよ﹂ ほ たような心持である。漁 火 がここ、かしこに、ちらついて、 ﹁あ、そうか。この間、何でも博士に一人 逢 うた﹂ おしょう けんがい 遥かの末は空に入って、星に 化 けるつもりだろう。 ﹁へええ﹂ ひらにわ ﹁これはいい景色。 和尚 さん、障子をしめているのはもっ ﹁博士と云うとえらいものじゃろな﹂ おぼろよ たいないじゃありませんか﹂ ﹁ええ。えらいんでしょう﹂ ﹁そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならない ば ﹁そうよ。しかし毎晩見ているからな﹂ ﹁画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろ 違うて﹂ でしょう﹂ お ﹁何 晩 見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見て ﹁和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさ ﹁ハハハハまあ、そんなものかな。︱︱︱何とか云う人じゃっ いくばん います﹂ う﹂ あ﹂ た て 、こ の 間 逢 う た 人 は ︱︱︱ ど こ ぞ に 名 刺 が あ る は ず だ え ﹁どこで御逢いです、東京ですか﹂ だるま ﹁なるほどそれもそうじゃろ。わしも 達磨 の画 ぐらいはこ が⋮⋮﹂ がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる﹂ ﹁いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車と とこ なるほど達磨の画が小さい 床 に掛っている。しかし画と おお か云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいよ せつ うな気がする﹂ ぞっき してはすこぶるまずいものだ。ただ 俗気 がない。拙 を蔽 お つと うと 力 めているところが一つもない。無邪気な画だ。この じく れで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この 軸 は先代 えかき ﹁ハハハハ。もっともあなたは 画工 だから、わしとは少し 草枕 あえ なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察 たんてい ﹁はあ、やはり衛生の方かな﹂ ごぎゅう ﹁衛生じゃありません。 探偵 の方です﹂ ほ ﹁つまらんものですよ。やかましくって﹂ ﹁探偵? いなかもの しょっけん しのような田 舎者 は、かえって困るかも知れんてのう﹂ ﹁そうかな。 蜀犬 日に 吠 え、呉 牛 月に喘 ぐと云うから、わ ﹁しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。 やっかい ない﹂ ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察 澄 い の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの﹂ えかき ﹁困りゃしませんがね。つまらんですよ﹂ ちゃだんす ﹁そうですね、 画工 には入 りませんね﹂ おしょう ﹁そうかな﹂ さかん ﹁わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の 厄介 になった事 てつびん 鉄 瓶 の口から煙が盛 に出る。 和尚 は茶 箪笥 から茶器を取 がない﹂ つ り出して、茶を 注 いでくれる。 ﹁そうでしょう﹂ ﹁いえ結構です﹂ じゃて、どうもなるまいがな﹂ うま ﹁あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがや ﹁屁くらいで、どうかされちゃたまりません﹂ おあが ﹁番茶を一つ 御上 り。志保田の隠居さんのような 甘 い茶じゃ はり画 をかくためかの﹂ ﹁わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本 す ﹁ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないで 橋の真中に 臓腑 をさらけ出して、恥ずかしくないようにし え も構わないんです﹂ なければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれま ぞうふ ﹁はあ、それじゃ遊び半分かの﹂ かんじょう で修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる﹂ へ ﹁画工になり澄ませば、いつでもそうなれます﹂ い ﹁そうですね。そう云っても 善 いでしょう。屁 の勘 定 をさ れるのが、いやですからね﹂ ﹁それじゃ画工になり澄したらよかろ﹂ げ ﹁屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ﹂ さすがの禅僧も、この語だけは解 しかねたと見える。 ﹁屁の勘定た何かな﹂ ﹁ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの 泊 っている、志保田 とま ﹁東京に永くいると屁の勘定をされますよ﹂ の御那美さんも、嫁に 入 って帰ってきてから、どうもいろ い ﹁どうして﹂ いろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにと ほう うとう、わしの所へ 法 を問いに来たじゃて。ところが近頃 しり の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ﹂ 臀 ﹁ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、 草枕 草枕 くうり ささ けつりょう しゅんや まなか を 空裏 に擎 げている。 泬寥 たる春 夜 の真 中 に、和尚ははた わけ と 掌 を 拍 つ。声は 風中 に死して一羽の鳩も下りぬ。 ふうちゅう はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような 訳 のわかっ ﹁下りんかいな。下りそうなものじゃが﹂ う た女になったじゃて﹂ たなごころ ﹁へええ、どうもただの女じゃないと思いました﹂ いんねん する 了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が きほう ﹁いやなかなか 機鋒 の 鋭 どい女で︱︱︱わしの所へ修業に来 にゃくそう ちしき 夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。 きゅうめい ほうちゃく ていた 泰安 と云う若 僧 も、あの女のために、ふとした事か 山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸 たいあん ら大 事 を窮 明 せんならん因 縁 に 逢着 して︱︱︱今によい 智識 い影と、小さな丸い影が、 石甃 の上に落ちて、前後して庫 だいじ になるようじゃ﹂ 裏の方に消えて行く。 かす 十二 いしだたみ 静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに いさりび う や む や こた うるがごとく、応えざるがごとく、 応 有耶無耶 のうちに 微 かがや かなる、 耀 きを放つ。漁 火 は明滅す。 キリスト ﹁あの松の影を御覧﹂ 基 督 は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、 きれい ﹁奇 麗 ですな﹂ オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。 おしょう ﹁ただ奇麗かな﹂ けしき ふくろ ずいしょ ちんでん くだ 観海寺の 和尚 のごときは、まさしくこの資格を有している だるま え ﹁ええ﹂ ちゃたく と思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じてい いとぞこ ﹁奇麗な上に、風が吹いても苦にしない﹂ ると云う訳でもない。彼は 画 と云う名のほとんど 下 すべか えかき き ふく 茶碗に余った渋茶を飲み干して、 糸底 を上に、茶 托 へ伏 らざる 達磨 の 幅 を掛けて、ようできたなどと得意である。 おかえり せて、立ち上る。 彼は 画工 に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜 ていたい じんし かか ﹁門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が 御帰 でも 利 くものと思っている。それにも 関 わらず、芸術家の く り だぞよ﹂ 資格があると云う。彼の心は底のない 嚢 のように行き抜け さ にんい 送られて、庫 裏 を出ると、鳩がくううくううと鳴く。 である。何にも 停滞 しておらん。随 処 に動き去り、任 意 に な ﹁鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな のうり ゆ し去って、些 作 の塵 滓 の腹部に沈 澱 する景 色 がない。もし うんげ ちょう 彼の 脳裏 に一点の趣味を 貼 し得たならば、彼は 之 く所に同 いくだ 飛んでくる。呼んで見よか﹂ もくれん 月はいよいよ明るい。しんしんとして、 木蓮 は幾 朶 の雲 華 草枕 手板 を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こう 小 は 、と う て い 画 家 に は な れ な い 。 画架 に向う事は出来る。 得るだろう。余のごときは、探偵に 屁 の数を勘 定 される間 化して、 行屎走尿 の際にも、完全たる芸術家として存在し 限されるのもまた 当前 である。英国人のかいた 山水 に明る てくる。それは無論であるが、時と場所とで、 自 ずから制 ろいろな調子が出る。この調子は画家自身の 嗜好 で異なっ のうちに色と物とを織り出すか。画は少しの 気合 一つでい か、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそ 興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出す こうしそうにょう やって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする 春色 のなかに いものは一つもない。明るい画が 嫌 なのかも知れぬが、よ か ほ ぶ すんけん きょうがい しゅんしょく かんじょう 五尺の 痩躯 を 埋 めつくして、始めて、真の芸術家たるべき し好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。 へ 態度に吾身を置き得るのである。一たびこの 境界 に入れば 同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違う ゆず うんようえんたい しこう ま はっきり フランス せつな けいしょく エジプト けいしょく さんすい おの しこう きあい 美の天下はわが有に帰する。 尺素 を染めず、寸 縑 を塗らざ はずである。彼は英人でありながら、かつて英国の 景色 を ごう が るも、われは第一流の大画工である。 技 において、ミケル かいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国 こていた アンゼロに及ばず、 巧 みなる事ラフハエルに譲る事ありと に比すると、空気の透明の度の非常に 勝 っている、埃 及 ま すいきょう のぼ わら き とうぜん も、芸術家たるの人格において、古今の大家と 歩武 を斉 ゅ たは 波斯辺 の光景のみを 択 んでいる。したがって彼のかい かつ うず うして、 毫 も遜 るところを見出し得ない。余はこの温泉場 た画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな そうく へ来てから、まだ一枚の 画 もかかない。絵の具箱は酔 興 に、 色を出すものがあるかと疑うくらい 判然 出来上っている。 きょう あお きらい いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと 担 嗤 うか 個人の 嗜好 はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を せきそ もしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。 描くのが主意であるならば、 吾々 もまた日本固有の空気と色 しきしま なが かすみ ぎ 立派な画家である。こう云う 境 を得たものが、名画をかく を出さなければならん。いくら 仏蘭西 の絵がうまいと云っ あさめし たく とは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知ら て、その色をそのままに写して、これが日本の 景色 だとは うし ひとし ねばならん。 云われない。やはり 面 のあたり自然に接して、朝な夕なに しょうじ さんきゃくき まさ 朝飯 をすまして、一本の敷 島 をゆたかに吹かしたるときの 容煙態 を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、す 雲 あざ しっ えら 余の観想は以上のごとくである。日は 霞 を離れて高く上 っ ぐ 三脚几 を担いで飛び出さなければならん。色は 刹那 に移 よのなか ペルシャへん ている。 障子 をあけて、後 ろの山を眺 めたら、蒼 い樹 が非 る。一たび機を失 すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。 え 常にすき通って、例になく 鮮 やかに見えた。 われわれ 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を 宇宙 でもっとも 草枕 は めった 済んだ。 おんながた 余が今見上げた山の 端 には、滅 多 にこの辺で見る事の出来 あの女を役者にしたら、立派な 女形 が出来る。普通の役者 は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなか にが で、 常住 芝居をしている。しかも芝居をしているとは気が み すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。 つかん。 自然天然 に芝居をしている。あんなのを 美的生活 い ないほどな好 い色が充 ちている。せっかく来て、あれを 逃 襖 をあけて、椽 側 へ出ると、向う二階の 障子 に身を 倚 た とでも云うのだろう。あの女の 御蔭 で画 の修業がだいぶ出 ふたお うず とたん しょさ しぜんてんねん じょうじゅう して、那美さんが立っている。 顋 を襟 のなかへ埋 めて、横 来た。 いなずま のぞ も 顔だけしか見えぬ。余が挨 拶 をしようと思う途 端 に、女は、 あの女の 所作 を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一 か ぶ き ざ しょうじ 左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。 閃 日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の 道具立 いな ぶ しらさや えんがわ くは 稲妻 か、 二折 れ三 折 れ胸のあたりを、するりと走るや を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を ふすま や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り 否 研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に そばみち のぞ ごんご ふとど どうぐだて びてきせいかつ 手には九 寸 五分 の白 鞘 がある。姿はたちまち障子の影に隠 って、余とあの女の間に 在 纏綿 した一種の関係が成り立っ しわす いくつ え れた。余は朝っぱらから 歌舞伎座 を覗 いた気で宿を出る。 たとするならば、余の苦痛は恐らく 言語 に絶するだろう。 うぐいす ところどころ き やくしゅや かんがえ おかげ 門を出て、左へ切れると、すぐ 岨道 つづきの、 爪上 りに 余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり みかん えり なる。 鶯 が 所々 で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、 切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画と あご 柑 が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並 蜜 して見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物と あいさつ んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度 してのみ観察しなければならん。この覚悟の 眼鏡 から、あ かも ひらめ この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い 師走 の頃 の女を覗 いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっ うた み お であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた 生 りに生る景色を始 ともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見 すん めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、 幾顆 で せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくし ふし りょうし てんめん も上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、 樹 の上で妙 い。 つつ あ な節 の唄 をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ 薬種屋 こんな 考 をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民と つまあが へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しき して不適当だなどと評してはもっとも 不届 きである。善は めがね りに 銃 の音がする。何だと聞いたら、猟 師 が鴨 をとるんだ な と教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに 草枕 めに命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは 何人 行い難い、徳は施 こしにくい、節操は守り安からぬ、義のた すの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮 と思う。死そのものは 洵 に壮烈である、ただその死を 促 が 年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるもの 湍 に赴 急 いた青年がある。余の視 るところにては、彼の青 み に取っても苦痛である。その苦痛を 冒 すためには、苦痛に 烈をだに体し得ざるものが、いかにして 藤村子 の所 作 を嗤 おもむ 打ち勝つだけの愉快がどこかに 潜 んでおらねばならん。画 い得べき。彼らは壮烈の最後を 遂 ぐるの情趣を味 い得ざる きゅうたん と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この 悲酸 の が 故 に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最 ほど うちに 籠 る快感の別号に過ぎん。この 趣 きを解し得て、始 後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは ごじん おもむ せま つ しりぞ ちょく ていかく ひさん なんびと めて 吾人 の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての 人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主 せい だざい あじわ りょちゅう ぼつふうりゅうかん うな 困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめた 張する。 さ た まこと くなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、 くじ おか とも思わず、勇猛 精進 の心を駆 って、人道のために、鼎 たとい人情世界に 堕在 するも、東西両隣りの 没風流漢 より ひそ きょう ひそ に烹 らるるを面白く思う。もし人情なる 狭 き立脚地に立っ も高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位 たす ぐ しょさ て、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育 に立っている。詩なきもの、 画 なきもの、芸術のたしなみ じゃく はくじつ てら げすげろう きん ふじむらし ある士人の胸 裏 に潜 んで、邪 を避 け正 に就 き、曲 を斥 け 直 なきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあっ さん いや みずか と にくみし、弱 を扶 け強 を挫 かねば、どうしても堪 えられぬ て、美くしき所作は正である、義である、直である。正と こも と云う一念の結晶して、燦 として白 日 を射返すものである。 義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範で つらぬ わら た ひばく ゆえ 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣 ある。 こちゅう のこ か 味を 貫 かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの 旅中 に しょうじん に遠きを 嗤 うのである。自然にうつくしき性格を発揮する 人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄に に の機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を 衒 うの 愚 なる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底 いや ぎん きょく を笑うのである。真に 個中 の消息を解し得たるものの嗤う にあまる、うつくしい金 のみを眺めて暮さなければならぬ。 がんとう じゃ はその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ 下司下郎 余 自 らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専 きょうり の、わが 卑 しき心根に比較して 他 を賤 しむに至っては許し え がたい。昔し 巌頭 の吟 を遺 して、五十丈の 飛瀑 を直下して 草枕 まと 存外 纏 まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつ るいさく くうちに、いつしか 描 く気がなくなった。描かぬとすれば、 てんめん 門画家として、己 れさえ、 纏綿 たる利害の 累索 を絶って、 地位は構わん、どこへでも 坐 った所がわが住 居 である。染 おの に 優 画布裏 に往来している。いわんや山をや水をや他人を み込んだ春の日が、深く草の根に 籠 って、どっかと尻を 卸 あが わらぞうり ひとはけ こんじょう かげろう か や。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見 すと、眼に入らぬ 陽炎 を踏 み潰 したような心持ちがする。 すまい り るよりほかに致し方がない。 海は足の下に光る。遮ぎる雲の 一片 さえ持たぬ春の日影 が ふ 三丁ほど上 ると、向うに白壁の 一構 が見える。 蜜柑 のな は、 普 ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波 ゆう かの 住居 だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を の底まで 浸 み 渡 っ た と 思 わ る る ほ ど 暖 か に 見 え る 。色 は はぎ こま つめ つぶ ひとひら たた け け だいせん ぼ あ しゃ した だ きわ み まっすぐ おろ し 横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い 腰巻 刷毛 の紺 一 青 を平らに流したる所々に、しろかねの 細鱗 を みど こまぶね ぼ べに すまい をした娘が上 ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶 畳んで 濃 やかに動いている。春の日は限り無き 天 が下 を照 たいら そのかみにゅうこう ひたい すわ 色の 脛 が出る。脛が出 切 ったら、藁 草履 になって、その藁 らして、天が下は限りなき水を 湛 えたる間には、白き帆が そばみち えん ね ぬ まが こも 草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。 小指の 爪 ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動 たた また がんこ ふ 背中には光る海を 負 ている。 かない。往 昔入貢 の 高麗船 が遠くから渡ってくるときには、 あおうみ みかん 岨 道 を登り切ると、山の出 鼻 の平 な所へ出た。北側は 翠 あんなに見えたであろう。そのほかは 大千 世界を 極 めて、 がけ ひとかまえ りを 畳 む春の峰で、今朝 椽 から仰いだあたりかも知れない。 照らす日の世、照らさるる海の世のみである。 くず むこう のぼ 南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末 ごろりと 寝 る。帽子が額 をすべって、やけに 阿弥陀 とな みち あま は崩 れた崖 となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を 跨 い る。所々の草を一二尺 抽 いて、木 瓜 の小株が茂っている。余 こしまき で向 を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青 海 である。 が顔はちょうどその一つの前に落ちた。 木瓜 は面白い花で し 路 は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、ど ある。枝は 頑固 で、かつて 曲 った事がない。そんなら 真直 みわけ はいかい やわら さいりん れが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝 で き 路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりし に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、 斜 に構えつ おちこち あんかん あめ て、どの筋につながるか 見分 のつかぬところに変化があっ つ全体が出来上っている。そこへ、 紅 だか白だか要領を得 え しょっ て面白い。 ぬ花が 安閑 と咲く。柔 かい葉さえちらちら着ける。評して えん でばな どこへ腰を据 えたものかと、草のなかを 遠近 と徘 徊 する。 す から見たときは 椽 画 になると思った景色も、いざとなると 草枕 さと み ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を 観 おろ 見ると木瓜は花のうちで、愚 かにして悟 ったものであろう。 らいせ て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっ せつ 世間には 拙 を守ると云う人がある。この人が来 世 に生れ変 の ぶ し はしょ きんぺん へり やせい かたむ せきばらい ても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構であ なかお ぞうき うな るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。 る。と 唸 りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の 咳払 ぼ け 小供のうち花の咲いた、葉のついた 木瓜 を切って、面白 が聞えた。こいつは驚いた。 すいひつ ひつか すあし ねがえ 寝返 りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回っ ぼ け いな いんけん く枝 振 を作って、筆 架 をこしらえた事がある。それへ二銭 て、 雑木 の間から、一人の男があらわれた。 ひつか 五厘の 水筆 を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、 隠見 茶の 中折 れを被 っている。中折れの形は崩 れて、傾 く縁 えだぶり するのを机へ 載 せて楽んだ。その日は木 瓜 の筆 架 ばかり気 の下から眼が見える。眼の 恰好 はわからんが、たしかにきょ の にして寝た。あくる日、眼が覚 めるや 否 や、飛び起きて、机 ろきょろときょろつくようだ。 藍 の 縞物 の尻を 端折 って、 ふしん ひげ くず の前へ行って見ると、花は 萎 え葉は枯れて、白い穂だけが 足 に下駄がけの 素 出 で 立 ちは、何だか鑑定がつかない。野 生 しゅっせけんてき そばみち かぶ 元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、 の 髯 だけで判断するとまさに野 武士 の価値はある。 さ こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は 不審 の念に 男は 岨道 を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き かっこう えなかった。今思うとその時分の方がよほど 堪 出世間的 で な ある。 返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもな ね しまもの 寝 るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。 い。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほ あい 見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちにな かに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しか しる た る。また詩興が浮ぶ。 しあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの 近辺 に 人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。 い 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に 記 して行く。 住んでいるとも考えられない。男は時々立ち 留 る。首を傾 た しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。 ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。 余はこの 物騒 な男から、ついに吾眼をはなす事ができな どま 出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。 停 かった。別に恐しいでもない、また 画 にしようと云う気も ぶっそう 行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。 出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左 而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。 寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。 え 逍遥随物化。悠然対芬菲。 草枕 落ちた。あぶない! さいふ りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男は するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、 財布 てんしゅつ はたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視 しゅんぷう のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い ひも 界に点 出 された。 がふらふらと春 紐 風 に揺れる。 そうほう え 二人は 双方 で互に認識したように、しだいに双方から近 てくび 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白 ちぢ づいて来る。余が視界はだんだん 縮 まって、原の真中で一 せ い 手頸 に、紫の包。これだけの姿勢で充分 画 にはなろう。 せま たた 点の 狭 き間に 畳 まれてしまう。二人は春の山を背 に、春の し たい あんばい 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振 の ぶ ふそくふり せつな 海を前に、ぴたりと向き合った。 み り返る男の 体 のこなし具合で、うまい 按排 につながれてい な 男は無論例の 野武士 である。相手は? 相手は女である。 る。不 即不離 とはこの刹 那 の有様を形容すべき言葉と思う。 しり 美 さんである。 那 女は前を引く態度で、男は 後 えに引かれた様子だ。しかも えん 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。 ひにんじょう それが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の 縁 は紫の の 財布の尽くる所で、ふつりと切れている。 ふところ もしや 懐 に呑 んでおりはせぬかと思ったら、さすが 非人情 二人の姿勢がかくのごとく 美妙 な調和を保 っていると同 たも の余もただ、ひやりとした。 びみょう 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立って 時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められる けしき ひげ しま いる。動く景 色 は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、 せ から、画として見ると一層の興味が深い。 た 言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を 垂 れた。女は山の方 な やさすがた ほそおもて えり なでがた びん あいじま しりき ふだんぎ きゃしゃ 背 のずんぐりした、色黒の、 髯 づらと、くっきり締 った うぐいす を向く。顔は余の眼に入らぬ。 かいけん おびあげ くろじゅす で だ そ めいせん 面 に、襟 細 の長い、 撫肩 の、華 奢 姿。ぶっきらぼうに身をひ ふたあし とま くびす 山では鶯 が啼 く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。 ねった下駄がけの野武士と、 不断着 の 銘仙 さえしなやかに さま ぞうり て なか しばらくすると、男は 屹 と、垂れた首を挙げて、 半 ば踵 を 着こなした上、腰から上を、おとなしく 反 り身に控えたる こうぜん きっ らしかける。尋常の 回 様 ではない。女は 颯 と体を開いて、 形 。はげた茶の帽子に、 痩 藍縞 の尻 切 り出 立 ちと、陽 炎 さ ぬ さっ 海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは 懐剣 ら え燃やすべき 櫛目 の通った鬢 の色に、黒 繻子 のひかる奥か めぐ しい。男は昂 然 として、行きかかる。女は 二歩 ばかり、男 である。 ら、ちらりと見せた帯 上 の、なまめかしさ。すべてが 好画題 め こうがだい かげろう の踵を 縫 うて進む。女は 草履 ばきである。男の 留 ったのは、 くしめ 呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の 右手 は帯の間へ 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ 巧 みに ﹁それじゃごいっしょに参りましょうか﹂ ﹁もう無いんです。帰ろうかとも思うんです﹂ ﹁まだ木瓜の中に御用があるんですか﹂ たく 平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち 崩 れる。女は くず もう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構 かぶ ﹁ええ﹂ しりぞ 成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今 余は再び唯々として、木瓜の中に 退 いて、帽子を被 り、絵 ﹁ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃあ まと まで気がつかなかった。 の道具を 纏 めて、那美さんといっしょにあるき出す。 ぞうきばやし きあい 二人は左右へ分かれる。双方に 気合 がないから、もう画 ﹁画を御描きになったの﹂ しりめつれつ としては、支 離滅裂 である。雑 木林 の入口で男は一度振り ﹁やめました﹂ あと あるい 返った。女は 後 をも見ぬ。すらすらと、こちらへ 歩行 てく ましょうめん りませんか﹂ る。やがて余の 真正面 まで来て、 ﹁先生、先生﹂ っ ﹁ええ﹂ め さらなくっちゃ、つまりませんわね﹂ ﹁でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきな ふたこえ と二 声 掛けた。これはしたり、いつ 目付 かったろう。 ﹁何です﹂ け と余は 木瓜 の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。 ﹁なにつまってるんです﹂ ぼ ﹁何をそんな所でしていらっしゃる﹂ 描かなくったって、つまるところは 同 じ事でさあ﹂ か ﹁おやそう。なぜ?﹂ ね ﹁詩を作って寝 ていました﹂ ﹁なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ 描 いたって、 ﹁そりゃ 洒落 なの、ホホホホ随分呑 気 ですねえ﹂ おんな ﹁うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう﹂ ﹁今の? ﹁こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来 のんき ﹁ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいの た 甲斐 がないじゃありませんか﹂ しゃれ に﹂ ﹁なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました﹂ ﹁実のところはたくさん拝見しました﹂ 甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人 か い ﹁それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃ に見られても 恥 かしくも何とも思いません﹂ はず い。木瓜の中から出ていらっしゃい﹂ い い 余は 唯々 として木瓜の中から出て行く。 草枕 草枕 ﹁城 下 から来ました﹂ ﹁へえ、どこから来たのです﹂ 金を貰いに来たのです﹂ あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御 ﹁ホホホ 善 くあたりました。あなたは 占 いの名人ですよ。 ﹁そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね﹂ です﹂ ﹁そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思い ﹁思わんでもいいでしょう﹂ ﹁ええちっと頼まれものがあります﹂ ﹁用でもあるんですか﹂ う﹂ ﹁あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょ すね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の 家 なんですか﹂ ﹁そうですか。︱︱︱あの蜜 柑山 に立派な白壁の家がありま ﹁それぎりです﹂ ﹁なるほど、それで⋮⋮﹂ ﹁今の亭主じゃありません、 離縁 された亭主です﹂ ﹁ええ、少々驚ろいた﹂ ﹁どうです、驚ろいたでしょう﹂と女が云う。 みかんやま りえん ﹁随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんで ﹁いっしょに行きましょう﹂ うらな すか﹂ 岨道 の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、 よ ﹁何でも満洲へ行くそうです﹂ けあい しゅろ うち ﹁何しに行くんですか﹂ また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからず じょうか ﹁何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに に、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も どべい そばみち 行くんだか、分りません﹂ 無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、 棕梠 が三四本あっ かす この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ て、 土塀 の下はすぐ蜜柑畠である。 えんばな 口元には、微 かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は 女はすぐ、 椽鼻 へ腰をかけて、云う。 げ せぬ。 解 おお ひとたち ﹁いい景色だ。御覧なさい﹂ じんらい いとま ﹁あれは、わたくしの亭主です﹂ ﹁なるほど、いいですな﹂ ふいうち みおろ 余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。 おと 迅 雷 を掩 うに遑 あらず、女は突然として 一太刀 浴びせか 障子のうちは、静かに人の 気合 もせぬ。女は 音 のう景色 く けた。余は全く 不意撃 を 喰 った。無論そんな事を聞く気は もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を 見下 して平気でいる。 かった。 さら なし、女も、よもや、ここまで 曝 け出そうとは考えていな 草枕 せま 坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さん ご しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を と、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、そ おしょうばん れから余である。余は無論 御招伴 に過ぎん。 む 山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、 蒸 し な や 見下している。 午 に 逼 る太陽は、まともに暖かい光線を、 かが いかだ ふち とも 御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても かえ ひら されて 返 耀 やいている。やがて、裏の納 屋 の方で、鶏が大 きゅういち 行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は 筏 に縁 をつけたよ おひる きな声を出して、こけこっこううと鳴く。 いく みよし うに、底が 平 たい。老人を中に、余と那美さんが 艫 、久一 あ とこ ひと ﹁おやもう。 御午 ですね。用事を忘れていた。︱︱︱久 一 さ そうふく しょうじ さんと、兄さんが、 舳 に座をとった。源兵衛は荷物と共に ごし ん、久一さん﹂ り離れている。 独 およ 女は 及 び腰 になって、立て切った障 子 を、からりと開 け ﹁久一さん、 軍 さは好きか嫌いかい﹂と那美さんが聞く。 むな ﹁出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉 かのうは る。内は 空 しき十畳敷に、狩 野派 の双 幅 が空しく春の床 を 飾っている。 快な事も出て来るんだろう﹂と戦争を知らぬ久一さんが云 ころ ﹁久一さん﹂ ふすま むこう たんとう う。 な や しらさや ﹁いくら苦しくっても、国家のためだから﹂と老人が云う。 あ て、からりと、 開 くが早いか、 白鞘 の短 刀 が畳の上へ転 が 納 屋 の方でようやく返事がする。足音が 襖 の向 でとまっ ﹁短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃし は い せんべつ り出す。 じ かか ないか﹂と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、 お ひげ ﹁そら 御伯父 さんの餞 別 だよ﹂ うけが ﹁そうさね﹂ かろ 帯の間に、いつ手が 這入 ったか、余は少しも知らなかっ と 軽 く首 肯 う。老人は髯 を掀 げて笑う。兄さんは知らぬ顔 いく わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄 あしもと た。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、 をしている。 さんがちょっと眼を見合せた。 いさい 久一さんの足 下 へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴか ﹁そんな平気な事で、 軍 さが出来るかい﹂と女は、委 細 構 ﹁那美さんが軍人になったらさぞ強かろう﹂兄さんが妹に すん りと、寒いものが一 寸 ばかり光った。 十三 話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、 ステーション かわふね 川 舟 で久一さんを吉田の停 車場 まで見送る。舟のなかに じょうだん ただの 冗談 とも見えない。 わたしが軍人になれりゃ う き にちろせんそう 見ると、安心して 浮標 を見詰めている。おおかた 日露戦争 かわはば が済むまで見詰める気だろう。 わたしが軍人? ﹁わたしが? ふなばた すべ 川 幅 はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかであ よ とうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御 る。舷 に倚 って、水の上を 滑 って、どこまで行くか、春が がいぶん 前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外 聞 がわるい﹂ 尽きて、人が騒いで、 鉢 ち合せをしたがるところまで行か ようしゃ ゆえ た ぐ いん ねばやまぬ。 腥 き一点の血を 眉間 に印 したるこの青年は、 あ ものすご てもと から みけん ﹁そんな乱暴な事を︱ ︱ ︱まあまあ、めでたく凱 旋 をして帰っ 余ら一行を 容赦 なく引いて行く。運命の縄 はこの青年を遠 いんが は て来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもま き、暗き、物 凄 き北の国まで引くが 故 に、ある日、ある月、 なまぐさ だ二三年は生きるつもりじゃ。まだ 逢 える﹂ ある年の 因果 に、この青年と 絡 みつけられたる吾 らは、そ がいせん 老人の言葉の尾を長く 手繰 と、尻が細くなって、末は涙 の因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばな つな いやおう いやおう なわ の糸になる。ただ男だけにそこまでは だ まを出さない。久 らぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、 たぐる 一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。 彼一人は 否応 なしに運命の 手元 まで 手繰 り寄せらるる。残 すす われ 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋 いで、一人の男 る吾らも 否応 なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいて ふたり なみあし がしきりに 垂綸 を見詰めている。一行の舟が、ゆるく 波足 い と を引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久 も、引いていて貰う訳には行かぬ。 ど て わらやね つくし 一さんと眼を見合せた。眼を見合せた 両人 の間には何らの やど 舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には 土筆 で ふな 電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの も生えておりそうな。 土堤 の上には柳が多く見える。まば あひる らに、低い家がその間から藁 屋根 を出し。 煤 けた窓を出し。 きょうはん 公望 の前を通り越す。 太 かっとう 時によると白い 家鴨 を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の にほんばし わだか 日本橋 を通る人の数は、一 分 に何百か知らぬ。もし 橋畔 てきれき しろもも 中まで出て来る。 うきよ めまぐる に立って、行く人の心に 蟠 まる葛 藤 を一々に聞き得たなら うた 柳と柳の間に 的 と光るのは白 桃 らしい。とんかたんと たえま ば、 浮世 は 目眩 しくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢 を織る音が聞える。とんかたんの 機 絶間 から女の 唄 が、は けっく はた い、知らぬ人でわかれるから 結句 日本橋に立って、電車の旗 ああい、いようう︱︱︱と水の上まで響く。何を唄うのやら かえ いっこう分らぬ。 さいわい を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそう たいこうぼう 、 、 な顔に、何らの説明をも求めなかったのは 幸 である。 顧 り ぷん 頭の中には一尾の 鮒 も宿 る余地がない。一行の舟は静かに 草枕 草枕 え むこう かわべり いちめん うずま 女は黙って 向 をむく。川 縁 はいつか、水とすれすれに低 はんくう と ﹁先生、わたくしの 画 をかいて下さいな﹂と那美さんが注 はんぷく てきてき ぽう かすみ べに く着いて、見渡す田のもは、 一面 のげんげんで埋 っている。 あざ 文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしてい やかな 鮮 紅 の滴 々 が、いつの雨に流されてか、半分溶 けた そうこう はて る。老人はいつか居眠りをはじめた。 花の海は 霞 のなかに果 しなく広がって、見上げる 半空 には ほの ﹁書いてあげましょう﹂と写生帖を取り出して、 ﹁わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだ るように、丁寧にかいて下さい﹂ ﹁こんな 一筆 がきでは、いけません。もっと私の 気象 の出 と書いて見せる。女は笑いながら、 ﹁日影ですかしら。 禿 げてるんでしょう﹂ ﹁あの日影の所ですか﹂ ﹁あの 翠 の濃い下の、紫に見える所がありましょう﹂ ﹁ 天狗岩 はあの辺ですか﹂ い手を 舷 から外へ出して、夢のような春の山を指 す。 ﹁あの山の向うを、あなたは越していらしった﹂と女が白 嶸 たる一 崢 峰 が半 腹 から微 かに春の雲を吐いている。 けじゃ 画 にならない﹂ ﹁なあに 凹 んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見 しゅす ﹁御 挨拶 です事。それじゃ、どうすれば画になるんです﹂ えます﹂ ど ﹁なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところ ﹁そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうで 春風にそら 解 け繻 子 の銘は何 がある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ﹂ す﹂ ごあいさつ てんぐいわ くぼ みどり かか へん さ ﹁足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませ ﹁そうすると、 七曲 りはもう少し左りになりますね﹂ ふなばた んわ﹂ ﹁七曲りは、向うへ、ずっと 外 れます。あの山のまた一つ きしょう ﹁持って生れた顔はいろいろになるものです﹂ 先きの山ですよ﹂ ひとふで ﹁自分の勝手にですか﹂ ﹁なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうす え ﹁ええ﹂ い雲が 懸 ってるあたりでしょう﹂ は ﹁女だと思って、人をたんと馬鹿になさい﹂ ﹁ええ、方角はあの 辺 です﹂ ななまが ﹁あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ﹂ 居眠をしていた老人は、 舷 から、 肘 を落して、ほいと眼 そ ﹁それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだ をさます。 ひじ い﹂ こべり ﹁これほど毎日いろいろになってればたくさんだ﹂ 草枕 直に 伸 して、ううんと 欠伸 をするついでに、弓を 攣 く真似 胸 膈 を前へ出して、右の肘 を後 ろへ張って、左り手を真 ﹁まだ着かんかな﹂ 歩も出てはならぬぞと 威嚇 かすのが現今の文明である。何 この何坪何合の周囲に 鉄柵 を設けて、これよりさきへは一 きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時に 坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起 の方法によってこの個性を踏み付けようとする。 一人前 何 ひとりまえ をして見せる。女はホホホと笑う。 坪何合のうちで自由を 擅 にしたものが、この鉄柵外にも自 うし ﹁どうもこれが癖で、⋮⋮﹂ 由を擅にしたくなるのは自然の 勢 である。憐 むべき文明の ひじ ﹁弓が 御好 と見えますね﹂と余も笑いながら尋ねる。 国民は日夜にこの鉄柵に 噛 みついて 咆哮 している。文明は の おすき きょうかく ﹁若いうちは七分五厘まで引きました。 押 しは存外今でも 個人に自由を与えて 虎 のごとく 猛 からしめたる後、これを たた こふう なわのれん へさき おんさかな ひ たしかです﹂と左の肩を 叩 いて見せる。 舳 では戦争談が 酣 穽 の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。こ 檻 の び である。 の平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨 めて、 つばくろ ねころ とら ど か ほしいまま お てっさく 舟はようやく町らしいなかへ 這入 る。腰障子に 御肴 と書 転 んでいると同様な平和である。 寝 檻 の鉄棒が一本でも抜 ステーション と たけ ごじん こ おり つ にちや フランスかくめい てっしゃ あわれ いた居酒屋が見える。 古風 な縄 暖簾 が見える。材木の置場 けたら︱︱︱世はめちゃめちゃになる。第二の 仏蘭西革命 は すんごう いきおい が見える。人力車の音さえ時々聞える。 乙鳥 がちちと腹を返 この時に起るのであろう。個人の革命は今すでに 日夜 に起 お して飛ぶ。家 鴨 ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて 停車場 りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状 ごう おんたく もうどう ほうこう に向う。 態についてつぶさにその例証を 吾人 に与えた。余は汽車の ようしゃ たけなわ いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所 猛烈に、 見界 なく、すべての人を貨物同様に心得て走る 様 なさ じょうき かんせい を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するも を見るたびに、客車のうちに 閉 じ籠 められたる個人と、個 い のはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて 轟 と通る。 人の個性に 寸毫 の注意をだに払わざるこの 鉄車 とを比較し は け 情 容赦 はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、 て、︱︱︱あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思 まっくら にら 同一の停車場へとまってそうして、同様に 蒸滊 の 恩沢 に浴 う。現代の文明はこのあぶないで鼻を 衝 かれるくらい充満 あひる さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれる している。おさき 真闇 に盲 動 する汽車はあぶない標本の一 さま と云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。 つである。 みさかい 汽車ほど個性を 軽蔑 したものはない。文明はあらゆる限り けいべつ の手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限り 草枕 ﹁いよいよ御別かれか﹂と老人が云う。 なが ﹁それでは 御機嫌 よう﹂と久一さんが頭を下げる。 よもぎもち 停 車場 前の茶店に腰を下ろして、 蓬餅 を眺 めながら汽車 ﹁死んで 御出 で﹂と那美さんが再び云う。 ステーション 論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す ぎ は い われわれ お い ごきげん 必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。 つ わらじば ﹁荷物は来たかい﹂と兄さんが聞く。 しょうぎ 向うの 床几 には二人かけている。等しく 草鞋穿 きで、一 ひざがしら 蛇は 吾々 の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が ももひき 出たり、 這入 ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さ あかげっと 継布のあたった所を手で抑えている。 んも、那美さんも、余もそとに立っている。 ちくさいろ 人は 赤毛布 、一人は 千草色 の 股引 の 膝頭 に 継布 をあ てて 、 ﹁やっぱり駄目かね﹂ 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではな た すべ てっしゃ まどぎわ えんしょう ﹁駄目さあ﹂ にお い。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では 煙硝 の わ ﹁牛のように胃袋が二つあると、いいなあ﹂ いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑 臭 って、 ころ ﹁二つあれば申し分はなえさ、一つが 悪 るくなりゃ、切っ むやみに 転 ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。こ いなかもの てしまえば済むから﹂ れからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言 へだた なが のまま、吾々を 眺 めている。吾々を山の中から引き出した きっぷ と この 田舎者 は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の 久一さんと、引き出された吾々の 因果 はここで切れる。も か み いも知らぬ。現代文明の 臭 弊 をも見 認 めぬ。革命とはいか うすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけ へい なるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己 で、 御互 の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六 にお の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。 尺ばかり 隔 っているだけで、因果はもう切れかかっている。 いんが 余は写生帖を出して、二人の姿を描 き取った。 車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を 閉 てながら、こちらへ そろ おたがい じゃらんじゃらんと 号鈴 が鳴る。切 符 はすでに買うてあ 走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離は ベ ル る。 ますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃり ベ ル かいさつば ﹁さあ、行きましょ﹂と那美さんが立つ。 としまった。世界はもう二つに 為 った。老人は思わず 窓側 ごう な ﹁どうれ﹂と老人も立つ。一行は 揃 って 改札場 を通り抜け へ寄る。青年は窓から首を出す。 のたくっ て、プラットフォームへ出る。 号鈴 がしきりに鳴る。 ﹁あぶない。出ますよ﹂と云う声の下から、未 練 のない 鉄車 ちょうだ 轟 と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の 長蛇 が蜿 蜒 みれん て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。 草枕 われわれ の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一 つ一つ、 余等 の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、 ひげ な ご 最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また 一つ顔が出た。 おしげ 茶色のはげた中折帽の下から、 髯 だらけな野武士が 名残 みあわ てっしゃ り惜 気 に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わ ぼうぜん ず顔を 見合 せた。鉄 車 はごとりごとりと運転する。野武士 の顔はすぐ消えた。那美さんは 茫然 として、行く汽車を見 あわ それが出れば 画 になりますよ﹂と え 送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事 たた それだ! のない﹁ 憐 れ﹂が一面に浮いている。 ﹁それだ! とっさ じょうじゅ 余は那美さんの肩を 叩 きながら小声に云った。余が胸中の ルビの﹁こもそう﹂は底本では﹁こむそう﹂ 画面はこの咄 嗟 の際に成 就 したのである。 後註 一 底本:「夏目漱石全集 3」ちくま文庫、筑摩書房 1987(昭和 62)年 12 月 1 日第 1 刷発行 底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房 1971(昭和 46)年 4 月∼1972(昭和 47)年 1 月 入力:柴田卓治 校正:伊藤時也 1999 年 2 月 17 日公開 2007 年 5 月 28 日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫( http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作 にあたったのは、ボランティアの皆さんです。