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なぜスコットランドは「反レイシズム」を掲げるのか
――1990 年前後のイギリス国民党の「アングロ・サクソン」から
「ケルト」への接近を手がかりに考える――
Title
Articulating the Anglo-Saxons with the Celts:
A Discourse Analysis of the British National Party’s Approach to Scottish
Nationalism during the 1980s and 1990s
加藤 昌弘
Author
KATOH, Masahiro
『歴史家協会年報』 第10号 1∼15頁
Source
Annals of the Society of Historians 10, pp.1-15
歴史家協会
Publisher
The Society of Historians
2015年 3月
Issue Date
March 2015
日本語
Language
Japanese
なぜスコットランドは「反レイシズム」を掲げるのか
-1990年前後のイギリス国民党の「アングロ・サクソン」から
「ケルト」への接近を手がかりに考える­
加 藤 昌 弘
WhyhastheScottishgovernmentconductedamulticultural/anti-racismcampaign-GOne
Scotland,ManyCultures'一since2003?HasScotlandbeenexposedtothethreatofracismin
recentyears?ThispaperdiscussesthehistoryoftheBritishNationalPartyduringthel980s
andl990sandexploresitsconnectionwithracisminScotland.Asbothtextandimage
discourseanalysisdemonstrate,theBritishNationalPartyhadtriedtoconceptualizehybrid
GAnglo-Saxon-Celtic'ethnicityinitspublicationsduringthisperiod・TheBritishNational
PartyimaginesthatBritishnationsharesacommonancestry,anditseemsthattheScottish
peoplecouldpotentiallysympathizewiththeParty'spopularnationalism.
キーワード:Scotland,Racism,Multiculturalism,BritishNationalParty,Celtic
はじめに
長 ら く 連 合 王 国 の な か に 編 入 さ れて き た ス コ ッ ト ラ ン ド は 、 本 当 に 独 立 国 家 へ の 道
を歩むのだろうか。2014年9月18日にスコットランドで実施された住民投票の様子
は、新聞やテレビといったマスメディアから、FacebookやTwitterのようなソーシャ
ルメ ディア に 至 る ま で 広 く 話 題 と な り 、 英 国 で は も ち ろ ん の こ と 、 日 本 に お いて も 大
きな注目を集めた'・住民投票では 差で「独立しない」が勝利したものの、84.59パ
ー セ ン ト と い う 高 い 投 票 率 が 示 すよ う に 2 , 今 回 の 住 民 投 票 は 大 多 数 の 住 民 が 今 後 の ス
コットランドのありかたを真剣に討議した歴史的成果であったと見ることができる3。
そ の よ う な 近 年 の 状 況 を ふ ま えて、 将 来 的 な ス コ ッ ト ラ ン ド の あ り か たを 展 望 す る
た め に 、 本 稿 で は ス コ ッ ト ラ ン ド 内 部 の い わ ゆ る レ イ シズ ム の 問 題 に 歴 史 的 な 視 点 か
ら注目する4。これまでのスコットランド研究でレイシズムや「多文化主義」の問題が
取 り 上 げら れ る こ と は 稀 で あ り 、 英 国 研 究 の 多 く が そ う し た 社 会 問 題 の 中 心 地 と して
イングランドを対象としてきた5.しかしながらスコットランドへの権限委譲が進むな
­ 1 ­
かで、「どうやって国になるのか」ではなく「どのような国になるのか」という具体的
な議論の必要性が高まるにつれ、既存のナショナリズム研究からも人種・民族の問題
と関連づけた研究の必要性が指摘されている6.
統計上、スコットランドは英国内でも、とりわけイングランドと比べて人種・民族
的に「均質な」社会を形成しており、国勢調査でも住民の約96パーセントが「白人」
に分類される7.その一方で、スコットランド政府は2004年2月16日から「ひとつの
スコットランド、たくさんの文化(OneScotland,ManyCultures)」と名付けられた反レ
イシズム・キャンペーンを展開してきたし8,今回の住民投票の独立賛成派も「イエス・
キ ャンペーン 」 の な かで 多 様 な 文 化 的 な 背 景 を 持 つ 人 々 を ス コ ッ ト ラ ン ド の 象 徴 と し
て 取 り 上 げ、 決 して ス コ ッ ト ラ ン ド が 排 他 的 な 民 族 主 義 に よる ネ イ シ ョ ン を 目 指 して
いないことをアピールした9.これまで以上に、スコットランドにおける多文化共生を
目指す試みと、その歴史的背景を明らかにしていく必要性が生じている。
そこで本稿は、今まさに進行中であるスコットランドにおける反レイシズムの取り
組 み を 、 歴 史 的 な 背 景 か ら 理 解 す る こ とを 目 的 と す る 。 特 に こ れ ま で ス コ ッ ト ラ ン ド
に対するアプローチがあまり注目されてこなかったイギリス国民党(BritishNational
Party、一般にBNPと略される'0)の言説を取り上げ''、スコットランドが1980年代か
ら90年にかけて徐々に「ネオ・ファシズム」の射程に入ってきた過程を描き出し、現
在 の ス コ ッ ト ラ ン ド に お ける 過 剰 と も 思 える よ う な 反 レ イ シズ ム ・ 多 文 化 共 生 へ の 取
り組みが、決して的外れなものではないことを明らかにしてみたい。
1 . イギ リス 国 民 党 ( B N P ) の 成 立
イギリス国民党は、そのルーツを1960年代の国民戦線(NationalFront)に置きなが
ら、1982年に結成された政治団体である'2.当初は選挙活動にそれほど熱心ではなく、
総選挙において候補者をひとりも擁立しないこともあったが、1990年代に入ると地方
選 挙 で の 議 席 獲 得 に 焦 点 を 移 し た こ と で 政 党 と して 大 き な 転 換 期 を む かえ た ' 3 。 も ち
ろん従来の極右の象徴でもあった暴力行為から完全に手を引いたわけではなかったが、
堂々と「白人の権利(RightsfbrWhites)」キャンペーンを掲げ、とりわけ移民によっ
て 白 人 の 利 益 が 侵 害 さ れて い る と 考 え ら れ る 地 域 に 絞 って 政 治 活 動 を お こ な い 、 得 票
を重ねていった14・イギリス国民党が初めて地方議会に議席を確保したのは1993年の
ことで、ロンドンのイーストエンドにあるミルウォール選挙区だった'5・
イギ リス 国 民 党 が 、 どの よ う に してそ の 支 持 者 を 穏 健 な 層 ま で 拡 大 し よ う と して い
たのかは、党内で制作された選挙用手引き書からも読み取ることができる。政治集会
で再生されるべき音楽(BackgroundMusic、いわゆるBGM)についての細かなアドバ
­ 2 ­
イ ス に は 、 そ の 配 慮 と 戦 略 が 端 的 に 示 さ れて い る 。 生 ま れ 変 わ っ た イギ リス 国 民 党 に
とって必要なのは、若者たちが愛好するような激しいパンクロックではなく、軍楽隊
やオーケストラによる愛国的な音楽の演奏であるというのである'6。「あらゆる年齢層
に訴えかける」ために、中高年の人々により受け入れられやすいような雰囲気をつく
ることが、いかにイギリス国民党によって心がけられていたのかがよくわかる17.
そのようにして1990年代からイングランドで勢力を拡大しつつあったイギリス国
民党にとって、同時代に生じたスコットランドへの権限委譲(Devolution)の問題は、
おおいに関心の対象となった。スコットランドのナショナリズムが再び盛り上がりを
みせた1990年代後半は、イギリス国民党が地方選挙での成功を足がかりとして、「極
右」や「ネオ・ファシズム」ではなく、より大衆うけのする「民衆ナショナリズム(Popular
Nationalism)」の担い手として戦略的な衣替えをしようとしていた時期でもあった'8・
イギ リス 国 民 党 が そ の 原 動 力 だ と 考 えて い た の は 、 英 国 政 府 か ら 押 し 着 せ ら れ る 「 公
式 の 」 ナ シ ョ ナ リズ ム で は な く 、 英 国 に 住 む 人 々 一 一 こ れ は も ち ろ ん 彼 ら の 視 点 で は
白い英国人に限定される­­による「下からの」ナショナリズムだった。
2.イギリス国民蛍にシってのスコットランド問頴
そ れで は 、 ネ オ ・ フ ァ シズ ム か ら 「 民 衆 ナ シ ョ ナ リズ ム 」 の 担 い 手 へ と 転 換 し よ う
としていたイギリス国民党にとって、スコットランド国民党(ScottishNationalParty)
に よ って 主 導 さ れて い た ス コ ッ ト ラ ン ド 独 立 問 題 は 、 どの よ う に 捉 え ら れて い た の だ
ろうか。
その際の論理は、スコットランド独自の文化が、独立と権限移譲に向けた変化によ
って損なわれつつあることへの不満や恐怖に訴えかけるものだった。例えば、1995年
に『スピアヘッド」に掲載された「権限委譲の神話」では、「多人種社会(multi-racial
society)」という言葉を用いて、スコットランドの独立支持者たちが独自の文化を破壊
しようとしていると攻撃している'9。
「スコットランド議会は、労働党と自由民主党、そしてスコットランドの「ナシ
ョ ナ リス ト 」 に よ って 支 配 さ れ る だ ろ う 。 こ れ ら 全 ての 政 党 は 中 道 左 派 で あ り 、
ヨーロッパ共同体への参加とヨーロッパ封建主義への参加に関与している。もち
ろん多人種社会(multi-racialsociety)を好んでいる」20
こ こ で 特 徴 的 な の は 、 ま ず 人 種 を 持 ち 出 し 、 ス コ ッ ト ラ ン ド の 独 立 は 決 して ス コ ッ ト
ラ ン ド 文 化 や 民 族 の 独 自 性 を 保 持 す る よ う な も の で は な い こ と に 訴 え か けよ う と して
­ 3 ­
いる点である。さらに、スコットランドの「ナショナリスト」と括弧付けで記されて
いるのは、イギリス国民党のナショナリストとしての立場と、スコットランドにおけ
るナショナリストの立場が大きく異なるからだろう。スコットランド国民党はスコッ
トランドという国に奉仕するナショナリストであることを強調し、イギリス国民党は
英 国 ( B r i t a i n ) と い う 連 合 王 国 の た め に 奉 仕 す る ナ シ ョ ナ リス ト で あ り 、 決 して ス コ
ットランド人全体の敵ではないことを読者に伝えようとしている。
そのような姿勢は、権限移譲を問う住民投票が間近となった1997年には、より鮮明
化されていく。イギリス国民党の機関紙『ブリティッシュ・ナショナリスト』は、ス
コットランドとウェールズのナショナリストを、英国にとってのナショナリストでは
ないとする論説が掲載された2'。
「今月、スコットランドとウェールズにおいて中央政府から独立した議会設立の
是非を問う投票が行われる。……(中略)……それは、グレート・ブリテンおよ
び 北 部 アイル ラ ン ド 連 合 王 国 の 解 体 の 始 ま り を 示 す も の か も し れ な い 。 … … ( 中
略 ) … … ど ち ら も 、 真 の ナ シ ョ ナ リズ ム を 代 表 して は い な い 。 彼 ら は 、 ス コ ッ ト
ラ ン ド 人 と ウ ェ ールズ 人 の 文 化 の 「 利 益 」 の た め に 、 有 色 移 民 た ち を 抱 き 込 も う
としていることがその証拠である」22
やはりここでも「有色移民」という言葉が用いられ、権限移譲を進め、連合王国の
な かでよ り 自 立 性 を 高 め よ う と す る 二 つ の 地 域 に 住 む 「 愛 国 者 」 へ の 訴 え か け が な さ
れて い る 。 あ た か も 、 あ な た が た が 支 持 して い る ナ シ ョ ナ リス ト た ち は 、 実 際 に は 国
を 守 って は くれ な い んで すよ 、 と 言 わ ん ば か り で あ る が 、 も ち ろ ん そ う し た 想 像 は た
だ の 推 測 で は な い 。 イギ リス 国 民 党 は 読 者 に 対 して、 よ り 自 分 た ち の 立 場 を 訴 える よ
うに言葉をつないでいく。
「イングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアルスター[訳注:北ア
イル ラ ン ド ] と い う 四 つ の 国 民 は 、 よ り い っ そ う 一 体 と な る べ き だ 。 潜 在 的 に は
再 び そ の よ う に な る こ と が で き る 。 あ の 並 外 れて 強 力 な 帝 国 、 偉 大 な る 芸 術 と 文
化、産業革命と発明の才能は、英国を何者にも劣らぬ歴史への貢献者にしてきた。
分 割 さ れ た 連 合 王 国 は 、 離 れて 住 む 親 類 で あ り 、 皆 同 じ 人 種 で あ り 、 同 じ 歴 史 的
な 経 験 を 有 し 、 言 語 と 文 化 、 そ して 文 明 を 有 す る 私 た ち を 分 断 す る も の で あ る 。
弱 体 化 し た イ ン グ ラ ン ド 、 ス コ ッ ト ラ ン ド 、 ウ ェ ールズ 、 アルス タ ー か ら い っ た
い誰が利益を得るだろうか?それは英国人ではない」23
­ 4 ­
つまり、イギリス国民党の見方に従えば、英国に住む人々は、みな同じ人種であり、
同 じ 文 化 ・ 歴 史 を 共 有 して い る 家 族 の よ う な も の で あ る 。 今 、 連 合 王 国 か ら 離 れて い
こう と して い る 人 々 は 、 そ う し た 血 縁 関 係 を 壊 そ う と す る も の だ と 、 イギ リス 国 民 党
は強調している。
こう し た イギ リス 国 民 党 の ス コ ッ ト ラ ン ド 独 立 に 対 す る 言 説 の な かで 注 目 し た い の
は 、 や は り 彼 ら が 「 ナ シ ョ ナ リス ト 」 の 再 定 義 を 試 み る な かで、 イギ リス 「 国 民 」 党
とスコットランド「国民」党というともすれば混同してしまいそうな二つの「ナショ
ナ リス ト 」 を 明 確 に 区 別 して い る 点 で あ る 。 そ の 際 に イギ リス 国 民 党 は 「 人 種 」 を 持
ち出す。スコットランドはイングランドと同じ歴史を共有し、また同じ人種である。
スコット ラ ン ド 独 立 は 、 ス コ ッ ト ラ ン ド を こ れ ま で の 文 化 や 伝 統 か ら 切 り 離 さ れ た 「 多
人種社会」に導くものである。…..という主張は、スコットランド独立を民族主義的な
観 点 か ら 支 持 して い た 人 々 に 対 して は 、 そ の 政 治 的 立 場 の 見 直 し を 迫 る も の だ っ た か
もしれない。
し か し な が ら 、 よ り 重 要 な の は 、 イギ リス 国 民 党 が イ ン グ ラ ン ド 人 と ス コ ッ ト ラ ン
ド人を同質な人種集団として考えていた点である。両国の歴史的な経緯に鑑みると、
しばしば「ケルト辺境(CelticFringe)」という空間的想像力が描き出すように、イン
グ ラ ン ド と ス コ ッ ト ラ ン ド は 民 族 的 に 同 質 で は な い と も 一 般 的 に 考 え ら れて い た に も
関 わ らず 2 4 , 次 節 か ら 見 て い く よ う に 、 イギ リス 国 民 党 は 独 自 の 人 種 に 対 す る 考 え 方
によって、イングランドとスコットランドの一体性を主張していったのである。
3.「アングロ・サクソン」と「ケルト」の接合
イギ リス 国 民 党 が 考 える 英 国 の 人 種 的 一 体 性 と は 、 い っ た い ど ん な も の な の だ ろ う
か。そのイメージを捉える
となるのが「ケルト」である。ケルト文化は、1980年代
末 か ら 注 目 さ れ る よ う に な り 、 ア カ デ ミ ズ ム だ け で は な く 、 さ ま ざ ま な ポ ピ ュラ ーカ
ル チ ャ ー を 通 じ て 「 ブーム 」 と な っ た 2 5 . 当 時 、 包 括 的 か つ 大 規 模 な ケル ト の 展 示 例
としては、1991年イタリアのヴェネチアで開催された『ケルト、始原のヨーロッパ』
展 が あ る 2 6 . そ の 図 録 『 ケル ト 人 」 の 「 現 代 の ケル ト 人 」 と 題 さ れ た 項 で は 「 マ ン 島
を除いた全てのケルト諸国が、ヨーロッパ共同体の一部となっている。したがって、
アイル ラ ン ド 共 和 国 を 除 け ば 、 全 ての ケル ト の 共 同 体 はそ れ ぞ れ の 国 家 に お ける マイ
ノリテイである」と説明されている27・
イギリス国民党は、その「マイノリテイ」とされるケルト人を、「私たち英国人」と
い う マ ジョ リ ティ の 一 部 に 組 み 込 も う と し た 。 同 党 の 機 関 紙 『 ブ リ ティ ッ シ ュ ・ ナ シ
ョナリスト』の1983年5月号に、同党の設立者であるジョン・ティンダルの談話が掲
­ 5 ­
載されている。この談話の紹介文に「アングロ・サクソン・ケルト(Anglo-Saxon-Celtic)」
というカテゴリーで、「私たち」について言及している部分がある。そこには「我々の
ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン の 伝 統 と 遺 産 。 こ の 談 話 は 、 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン ・ ケル ト の 人 々
の偉大なる世界規模の遺産についてのもので、その結束を呼びかけるものである」と、
「アングロ・サクソン・ケルト」というイングランドとスコットランドのあいだに橋
をかけるかのような人種カテゴリーが登場している28.
雑 誌 『 ス ピ アヘッ ド 』 に 掲 載 さ れ た ト ニー ・ ウ ェ ルズ に よる 記 事 は 、 ケル ト が どの
よ う な 感 覚 を イギ リス 国 民 党 の 支 持 者 た ち に も た ら し う る の か を 示 して い る 2 9 . こ の
記事は、読者諸氏には納得できるだろうが、と前置きをしながら、英国の文化を形成
していくうえで「アングロ・サクソン・ケルト人」である英国人の「人種的な経験」
の重要性を指摘している30。さらにその民族的な感情(fblkfeeling)は、英国はもちろ
ん 、 他 に も 同 じ 「 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン ・ ケル ト 人 」 の 国 で あ る オ ース ト ラ リ ア や ニュ
ー ジ ー ラ ン ド に お いて 共 通 して い る 、 と 締 め くく ら れて い る 3 ' 。 こ こ で オ ース ト ラ リ
ア が 例 と して 挙 げら れて い る の は 、 別 の 記 事 に よ れ ば 、 英 国 と 同 じ く 「 非 白 人 移 民 の
洪水」にH西されており、「グローバルという名の病」によって、「アングロ・サクソン・
ケルト人」の痕跡が跡形もなく消されつつあるからであるという32
ここで重要だと思われるのは、「私たち」が「ケルト人であること」は、当時の英国
内 で 高 ま り を み せ て い た ウ ェ ールズ と ス コ ッ ト ラ ン ド に お ける ナ シ ョ ナ リズ ム に 対 す
る 牽 制 で も あ っ た こ と で あ る 。 例 え ば 、 「 ケル ト 人 で あ る こ とを 誇 ろ う 」 と 題 さ れ た
1989年の記事では、ウェールズの文化的独自性を訴えるナショナリストたちに対して
「あなたたちの誇りは私たちの誇りだ。あなたたちが生まれ持った権利は私たちの権
利 だ 。 あ な た た ち の 敵 は 私 た ち の 敵 だ 。 私 た ち ア ン グ ロ . サ ク ソ ン. ケル ト 人 種 と し
てのつながりを再興しよう」と、同じ人種としての共闘を訴えている33。このように、
自分たちをケルト人の血統ともみなすことによって、イギリス国民党のような極右は、
「アングローサクソン人とケルト人は違う」ということを理由に民族的独自性を主張
す る 地 域 ナ シ ョ ナ リス ト た ち に も 手 を 差 し 伸 べ て い る 。 こ の よ う な 、 こ の 時 期 の イギ
リス 国 民 党 が 示 し た よ う な 「 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン 」 と 「 ケル ト 」 の 接 合 は 、 異 な る と
考 え ら れて い た 二 つ の 「 人 種 」 を 、 ひ と つ の ま と ま っ た 集 団 と して 記 述 し よ う と す る
こ と で、 当 時 の 英 国 の 一 体 性 と 、 ナ シ ョ ナ リス ト た ち の 糾 合 を 訴 える も の だ っ た と 言
えるだろう。
なぜ、そのような接合が可能だったかというと、それは極右たちの歴史観にある。
そ れ は 決 して 特 殊 な も の で は な く 、 現 在 の イ ン グ ラ ン ド の 諸 ミ ュ ー ジ アム で も 当 た り
前のように展示されている物語ではあるのだが34、当時の『スピアヘツド』誌にも、
英国における「人種」の混交の歴史について、概説的な物語が記載されている35。
­ 6 ­
「紀元前800年までに、「火葬骨つぼ墓地の文化」が徐々に鉄器時代の「ハルシ
ュ タ ッ ト 文 化 」 で 発 展 して い っ た 。 こ れ は ケル ト 人 と 密 接 に 関 係 して い る 文 化 で
あ る 。 こ の 段 階 に お いて、 最 初 の 大 規 模 な イ ン ド = ヨ ー ロ ッ パ 語 族 の 移 民 が 英 国
に到達したが、初期のそれはとてもゆるやかなものだった ….(中略)……北方
か ら の 侵 入 者 た ち の 影 響 と 植 民 は 、 私 た ち の ナ シ ョ ナル ・ アイ デ ン ティ ティ を 形
づ くる う えで 重 要 な 役 割 を 果 た し た 。 彼 ら の 侵 入 以 前 に は サ ク ソ ン 人 が お り 、 さ
らに前にはケルト人がいた」36
し た が って、 そ の よ う な 混 交 を 経 て き た か ら こそ、 現 在 の 英 国 人 で あ れ ば イ ン グ ラ
ン ド 人 で あ ろ う と ス コ ッ ト ラ ン ド 人 で あ ろ う と 、 こ の 地 に 長 く 住 んで い る の で あ れ ば
同じ「アングロ・サクソン・ケルト人」
で あ る 、 と 考 える こ と が で き る の で あ
磁土些幽噸夢
る 。 こ の 「 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン ・ ケル
ト人」という1990年前後のイギリス国
民党関連の出版物に頻出する表現は、
ス コ ッ ト ラ ン ド や ウ ェ ールズ の 「 ナ シ
ョ ナ リス ト 」 に 対 す る ア ピール で も あ
り 、 当 時 の イギ リス 国 民 党 の 民 衆 ナ シ
ョ ナ リズ ム 的 な ア プ ロ ー チ を よ く 示 し
VikingPrincess#1MotherandChild#2Neison'sGIory#3
ていると言えるだろう。
4.図像による「アングロ・サクソン・
ケル ト 」 へ の ア プ ロ ー チ
BI測ShFu #4
Abovea職dbeIow:Sい、ehenge,W航terSunSet
andSt◎neCi I⑧,Abe ee繍s賊r8.These l Iour
g砲eMngsca1dsa"8"x4%uandcomeinsetBoftweIve
w伽enveIoPes・Calds mep。st舵e、
こう し た 言 葉 の う えで の 「 ア ン グ
ロ・サクソン」と「ケルト」の接合は、
お そ ら く は イギ リ ス 国 民 党 が ア ピー ル
する守るべき英国の伝統を読者と共有
(図l)Foノル4〃α"JHeγ"age,ca.1996.
(表面)
す る と い う 意 味 で も 、 視 覚 的 な イメ ー
ジ の 領 域 で は よ り 積 極 的 に 試 み ら れて
いる。
まず、一枚あたり2ポンドから4ポンド程度で販売されていたポスターの広告を見
てみよう(図1,図2)。この『フォークアート.アンド・ヘリテッジ』と題されたフ
ライヤーの発行年は、おおむね1996年ごろと推定される37。
­ 7 ­
ま ず 全 体 的 に 印 象 に 残 る の は 、 こ こ で 用 い ら れて い る 題 材 の 雑 多 さ で あ る 。 絵 柄 も
統 一 さ れて い る わ け で は な い 。 し か し な が ら 、 ケル ト は も ち ろ ん 、 ヴァ イキ ン グ、 巨
石遺跡(ストーンヘンジ、メンヒルとも)、大英帝国の威光を思わせるネルソン提督か
ら 、 北 欧 神 話 の オ ー ディ ン や 雷 神 ト ール ま で
え ら れ た ポ ス タ ー 群 は 、 ど れも 英 国 の
過 去 と 深 く 結 び つ いて い る と い う 点 で は 一 致 して い る 。 同 時 代 の イギ リス 国 民 党 の 選
挙 マ ニ フ ェ ス ト に は 「 英 国 民 ( B r i t i s h n a t i o n ) の 大 部 分 は 、 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン、 ス
カ ン ジ ナ ビ ア、 そ して ケル ト の 血 統 で あ る 」 と 宣 言 さ れて い る こ と か ら 、 こ の 一 連 の
ポスターの図案がその主張と深く結びついていることがわかる38。
これらをさらに大
きく二つの種類に分
類して考えてみよう。
ま ず ひ と つ め の グル
ープ は 、 伝 統 的 な 英
Ca雌働加cess-poste「#50鋤 ソ鋤79 わ"〃-poster#67Wa"d鯛eV肋〃・poster#7
国 民 の イメ ー ジ を 描
いていると思われる
ものである。連合王
国 の 象 徴 と しての 国
旗 ( ユ ニ オ ン ・ ジャ
ック)が描かれてい
る#2や#3の他に、ト
ラ フ ァルガ ー の 海 戦
所orl確峨、gハ"b伽〃トィe"77曲/a"d的ea物ev激カァgDawn〃e"ん〃by〃bo何婚hr
nnRfRrがR
ハ ヂノ 脆 偽 P ­ n n c 守 早 グ 件 。 へ 六 ← 令 ハ デ 係 1 ,
(図2)Fo/化〃加服Heγ"age,ca.1996.(裏面)
でフランスとスペイ
下段左から#8,9,10,11となる。
ンの連合艦隊を撃破
し た ネ ルソ ン 提 督 の 艦 隊 が 描 か れて い る も の は 、 英 帝 国 の 延 長 線 上 に 現 在 の 国 民 を 想
像させる。
そ して も う ひ と つ の グル ープ は 、 よ り 民 族 的 な も の や、 当 時 「 ニュ ーエイ ジ 」 と 呼
ばれたような神秘的なモティーフを描いているものである。#1の「ヴァイキング・プ
リ ン セ ス 」 で は 、 船 や 海 と い っ た モ ティ ーフ に 加 えて、 女 性 が リ ー ダー と して 描 か れ
て い る 。 そ して、 イ ン グ ラ ン ド 南 東 部 に 位 置 す る ス ト ーンヘ ン ジ と 、 ス コ ッ ト ラ ン ド
北 東 部 の アバ デイーン に あ る 石 柱 遺 跡 が 描 か れて い る 。 こ こ に は 、 か つ て ナ シ ョ ナ リ
ストたちが愛好したイングランドの田園風景が描かれていない。その代わり、当時、
キ リス ト 教 と は 異 な る 、 ケル ト 人 の 異 教 信 仰 の 象 徴 と も さ れ た 遺 跡 が 、 ポ ス タ ー の 図
案として採用されているのである。
こう い っ た 傾 向 は 、 こ の フ ラ イヤ ー の 裏 面 に 掲 載 さ れて い る 図 案 群 で、 よ り 明 ら か
になっている。#5「ケルテイック・プリンセス」では、先ほどのストーンヘンジのよ
­ 8 ­
う な 背 景 に 、 金 工 品 と み ら れ る 冠 を か ぶ っ た 白 人 の 女 性 と 、 エク ス カ リ バー を 思 わ せ
る岩に刺さった剣が並列して描かれている。#7「ティールとウルフ」は、北欧神話に
お ける オ ー デイ ン の 息 子 ・ 戦 争 の 神 テ イール ( Ty r ) を 描 いて い る が 、 こ の 神 は ア ン グ
ロ ー サ ク ソ ン 神 話 の 戦 争 と 空 の 神 ティ ー ウ ( T i u ) に 該 当 す る 。 背 景 に は 、 ケル ト の 象
徴とされた組紐文様が描かれている。同様に北欧神話から題材を取ったものが、#8の
雷 と 戦 争 の 神 ト ール 、 そ して # 9 は 光 の 神 へ イム ダル ( H e i m d a l ) は や は り 組 紐 文 様 と
共に描かれている。#10「月明かりに照らされるメンヒル」は、先史時代のストーンヘ
ンジのような巨石を用いた遺跡を、幻想的に描き出したものである。
さ ら に 、 そ の 図 案 の 意 味 す る と こ ろ に つ いて、 イギ リス 国 民 党 の 幹 部 に よる 公 式 な
見解が加えられた記事もある。
雑誌『スピアヘッド』のなかに、当時党首を
務 めて い た ニ ッ ク ・ グ リ フ イ ン が 、 警 察 か ら 職
■..■ロ
夢・、
務質問をうけた際の録音を書き起こした記事が
掲 載 さ れて い る 3 9 . そ こ で 警 察 は 、 グ リ フ イ ン
らが所持していたポスターの図案を問題として
いる。警察官からポスター(図3)について尋
ねられたグリフインは、画家の素性については
ノーコメントを貫いているが、図案については
説明を加えている(ただし誌面では、画家の名
を 「 イギ リス 国 民 党 の な かでよ く 知 ら れ た E d .
氏 」 に よる も の だ と 読 者 に 対 して 示 して い る の
で、同誌を講読する同党の支持者には明白な事
実だったようだ)。
グリフインによるとこのポスターは、「千年か
数千年前に、現代の私たちとまったく同じよう
(図3)"FreeSpeech,"
"e""eqd343(1997):16.
に、私たちと同じことを考えていた」という「美
しい女性」を描いたものである40。その女性は
しい女性」を描いたものである40。その女性は現代の「私たち」の祖先であり、その
「叡智と技術によって建造された船に乗って、信じられないような距離を航海した。
彼らは、彼らの文化をさまざまな土地へ伝えた」のだという4'。このように、この図
案と、先ほど示した一連のポスターの図案は、誰か第三者を攻撃するようなものでは
なく、ニック・グリフインの言葉を借りれば「私たちが誇るべき何か、守るべき何か」
を示しており、「決して誰かを憎悪することを暗に意味しているわけではない」という
特徴がある42。
こう し た イギ リス 国 民 党 の 視 覚 的 な ア プ ロ ー チ は 、 選 挙 活 動 に お ける 背 景 音 楽 と 同
様に穏健であり、イングランド人だけではなく、スコットランド人からも共感可能な
­ 9 ­
「ケルト」や古代神話的なモティーフを多用している。それは一見雑多な図案から構
成されているが、イギリス国民党が「アングロ・サクソン・ケルト」で示した概念と
一致しており、よりわかりやすいかたちで複数の民族的なイメージを組み合わせて読
者に対して提示している。こうした戦略はイングランドだけではなく、スコットラン
ドやウェールズの「ナショナリスト」をも狙ったものでもあり、同党が目指していた
民衆ナショナリズムを部分的に担っていたのである。
おわりに
本稿で示してきたように、1980年代末から90年代、そして2000年代の英国におけ
る 「 ネ オ ・ フ ァ シズ ム 」 を 代 表 して き た イギ リス 国 民 党 は 、 ス コ ッ ト ラ ン ド を そ の 活
動の射程に入れ、「アングロ・サクソン・ケルト」という特別な言葉を用いながら、同
党が目指す民衆ナショナリズムにスコットランド人を取り込もうとしてきた。
文 字 通 り イ ン グ ラ ン ド と 地 続 き で あ る ス コ ッ ト ラ ン ド は 、 イギ リス 国 民 党 ( B r i t i s h
NationalParty)だけではなく、近年はイングランド防衛同盟(EnglishDefenseLeague、
一般にEDLと略す)やイギリス独立党(UKIndependenceParty、一般にUKIPと略す)
による活動にも晒されている43・スコットランドにおける連合王国からの独立への支
持は民族主義的な運動ではないにせよ、「白いスコットランド」を推進するような排他
的 な レ イ シズ ム と 重 ね 合 わ さ れて い く 危 険 性 は 常 に 孕 ま れて い る の で あ る 。 む し ろ ス
コ ッ ト ラ ン ド に お ける ナ シ ョ ナ リズ ム が 高 ま り を み せ て き た 裏 側 で は 、 内 部 で は 「 レ
イ シズ ム 」 に 対 す る 問 題 提 起 が な さ れ 、 ス コ ッ ト ラ ン ド 政 府 も 率 先 して 国 民 の 多 様 性
を認める政策を推進してきたとも言えるだろう44.
し た が って、 イ ン グ ラ ン ド に お ける レ イ シズ ム の 台 頭 は 、 権 限 委 譲 か ら 独 立 へ と 歩
み を 進 め よ う と す る ス コ ッ ト ラ ン ド に と って も 、 決 して 「 対 岸 の 火 事 」 で は な い 。 本
稿 で は 描 く こ と が で き な か っ た が 、 ス コ ッ ト ラ ン ド に も イギ リス 国 民 党 の よ う な 極 右
に 心 を 寄 せる も の が お り 、 イギ リス 国 民 党 も 継 続 して キ ャンペーン を お こ な って い た
様子が、同党のメディアではしきりに喧伝されている45・スコットランドでの受け取
られかたも含めて、80年代から90年代にかけての「ネオ・ファシズム」のスコット
ランドでの活動については、また別の機会に分析してみたい。
スコットランドが独立か、それとも自治のさらなる拡大か、どちらへ進むにせよ、
ス コ ッ ト ラ ン ド 政 府 が 「 反 レ イ シズ ム 」 キ ャンペーン を 一 貫 して 継 続 し 、 独 立 賛 成 キ
ャンペーン の な かで も 文 化 的 多 様 性 を ア ピール す る 論 陣 が 張 ら れ た こ と は 、 少 な く と
も 今 後 の ス コ ッ ト ラ ン ド 社 会 が 進 む べ き 方 向 性 を 示 して い る 。 果 た して ス コ ッ ト ラ ン
ドは文化的多様性に開かれた国民でありうるのか、それともそのような寛容さのイメ
- 1 0 -
一ジはみせかけにすぎないのか46。今後もスコットランドのナショナリズムのなかで
「ネオ・ファシズム」がどのような動向を示すのか、注視していく必要がある。
謝辞
本稿は、2008年度の立命館大学大学院博士課程後期課程国際的研究活動促進研究費
によって、2009年3月17日から20日にイングランドのウオリック大学モダン・レコ
ー ド ・ オ フィス 内 「 エ ス ニシ ティ お よ び 移 民 コ レ ク シ ョ ン ( E t h n i c i t y a n d M i g r a t i o n
Collections)」で実施した史料調査を元にしている。論文原稿は2011年3月に立命館
大学に提出した筆者の博士論文「イギリス国民の再編成­­20世紀末の「ケルト的な
もの」に注目した歴史的研究」の第五章として収録したものを下敷きにして、現在の
問題関心に照らし合わせながら大幅に加筆修正したものである。
本 稿 で 示 し た イギ リス 国 民 党 の 機 関 誌 や 周 辺 団 体 の 出 版 物 、 パ ン フ レ ッ ト ・ チ ラ シ
といったエフェメラ類は、全てウォリック大学の同コレクションに収蔵されている。
その発見にあたっては当時、大阪大学大学院言語文化研究科の稲垣健志氏(現在は金
沢美術工芸大学講師)による助言が大きな助けとなった。この場を借りて御礼申し上
げます。
1日本では新聞各社がスコットランド住民投票の結果について一面で報じた。例えば
讃売新聞は2014年9月19日の朝刊一面で「スコットランド「独立」投票開始」と
速報し、夕刊一面「スコットランド独立否決へ」で結果を伝えた。朝日新聞は同様
に朝刊一面で「独立是非、午後にも判明」と報道した。日本経済新聞は9月20日の
朝刊一面で「スコットランド独立否決、住民反対55%、経済へ悪影響懸念」と報じ
た。また、ソーシャルメディアでのスコットランド住民投票に関する言説について
は、独立賛成派と反対派それぞれのインターネット上の言説に特徴があることを分
析した研究がある。浦口理麻「SNSの使用状況から探る独立賛成派、反対派のキャ
ンペーン戦略」日本カレドニア学会2014年度大会(2014年10月5日、拓殖大学)、
配布資料。
2スコットランド政府が住民投票の詳細について、オンラインに公開している。詳し
くは、ScottishGovernment.Sco"α"d'sRe/bre"d""@.Edinburgh:ScottishGovernment,
2014;https://www.scotreferendum.com;(Internet;accessed28January2015).
3現地からのレポートを交えた論説については、久保山尚「スコットランドで何が起
こっているのか­民族とアイデンティティを超えた独立運動」<http://synodos.jp/inte
­11­
rnational/10615>、『SYNODOS」2014年9月ll日掲載<http://synodos.jp>、2015年1
月31日最終確認。久保山が指摘しているように、今回の住民投票を「民族主義」と
して分析することは妥当ではないと思われる。
4レイシズムは、英国ではしばしば人種関係(racerelations)と呼ばれてきたが、これ
は近年のヨーロッパで問題視されてきた「新しいレイシズム」の傾向と一致した現
象であると言える。ミシェル・ヴイヴイオルカ『レイシズムの変貌一グローバル化
がまねいた社会の人種化、文化の断片化」森千佳子訳、明石書店、2007年(原本:
MichelWieviorka,LeRaas"@e.・U"e肋"o伽c伽",Paris:LaDecouverte,1998.)。
sヨーロッパ全体の近年の趨勢を日本語で紹介するものとしては、エリック・ブライ
シュ『へイトスピーチー表現の自由はどこまで認められるか」、明戸隆浩・池田和弘・
河村賢・小宮友根・鶴見太郎・山本武秀共訳、明石書店、2014年(原本:Bleich,Erik.
TソieFク繩eedo"m6eRac航?HowrルeU"〃edS"resα"dE"γOpeS〃"gg/eroP7ese"ve
ルeedo腕α"dCo"76"R"cis"7.Oxfbrd:OxfbrdUniversityPress,2011.)。また、英国にお
けるポスト多文化主義の動きを論ずるものとしては、安達智史「ポスト多文化主義
における社会統合について一戦後イギリスにおける政策の変遷との関わりのなかで」
『社会学評論』第6巻3号(2012年)、433-48頁。また、スコットランドにおける
人種関係をその独自性という観点から論じたものに、RobertMilesFGTheRacialization
ofPoliticsinScotland:WhyScotlandisDifferent,''Pα"eγ"sq"dP〃"仇ce20.1(1986):
23-33がある。現代スコットランドにおける多文化・多民族に注目する日本語での
研究としては、山口覚の一連の研究が挙げられる。山口覚「ニュー・スコッツー現
代のスコットランドのエスニック/宗教カテゴリーの関係性」『関西学院史学』35
号(2008年3月)、48-82頁。山口覚「世界最高の「小さな」国へようこそ­現代ス
コットランドの変容とホワイト・セトラーズ問題」『人文論究』第57巻3号(2007
年12月)、25-46頁。山口覚「主権なきネイシヨンと移民政策一スコットランドのア
サイラム・シーカーを事例に」『人文地理学会大会発表研究要旨集』(2008年12月)、
132-3頁。
6DavidMcCrone,U"deJ・sm"d加gSco"α〃:TWeSocio/ogyQMMJ"o",2ndEd.(London:
Routledge,2001),p.171.また、RowenaArshad,GGRaceRelationsinScotland,''ined,Jim
Crowther,IanMatin,andMaeShaw,Re"ew加gDe"TocγαCy加Sco〃α"d,Edinburgh:
NationallnstituteofAdultContinuingEducation,2003,p.142.によれば、権限移譲に先
立って、スコットランドでは人種間平等はほとんど議論されてこなかったことが問
題提起されている。近年、スコットランドにおけるレイシズムに注目する研究とし
ては、GavinBoyd,FqscjsrSco"α"d:Cq/e伽"jαα"コr"eF"Rjg"(Edinburgh:Birlinn
Limited,2013).
­12­
72011年の国勢調査によると、スコットランドの全人口5,295,403人に対して、「白人
(White)」が5,084,407人、そのうち「白人のスコットランド人(WhiteScottiSh)」が
4,445,678人となっている。詳細な結果は、ScottishGovernment.Sco"α"d'sCe"・s"0s
20":Sh叩加go"γF"〃re.Edinburgh:NationalRecordsofScotland,2011;http://ww
w.scotlandscensus.gov.uk;(Internet;accessed9January2015).
8KatohMasahiro'GUncoveringRacisminSmallNations:TowardaComparativeAnalysisof
Scotland'sDevolutionandCatalonia'sSelfLDetermination,''R"s""7ejんα〃B""ga"638
(July2014):pp.98-9.
9PeterDempsie,:GScotland'sStrengthLiesinToleranceandDiversity,notaNarrow
UKIP-DrivenAgenda.''yesSco"α"d.Ner(12September2014);Internet;https://www.y
esscotland.net/news/scotlands-strength-lies-tolerance-and-diversity-not-narrow-ukip-driven
-agenda;accessed25September2014.
'Oイギリス民族党、イギリス国家党など、BritishNationalPartyの日本語表記は一定
で は な い が 、 本 稿 で は 「 イギ リス 国 民 党 」 で 統 一 す る 。 た だ し 、 こう し た 固 有 名 詞
に 含 ま れ な い 文 脈 で の B r i t a i n ( ブ リ テ ン ) に つ いて は 、 現 在 の 大 使 館 名 な ど 外 交 上
の公式な呼称に鑑みて、英国と表記をする。
' 】 多 くの イギ リス 国 民 党 の 研 究 が 、 イ ン グ ラ ン ド を 調 査 と 考 察 の 対 象 と して い る 。 例
えば、RobertFord,andMatthewJ.Goodwin,$GAngryWhiteMen:Individualand
ContextualPredictorsofSupportfbrtheBritishNationalParty,''Poノ伽cQ/S"dies58
(2010):pp.1-25.は、イギリス国民党を「最も成功した極右」の例として取り上げな
が ら 、 そ の 政 治 的 成 功 が イ ン グ ラ ン ド に お いて 成 し 遂 げら れ た こ と 、 そ して 「 ウ ェ
ールズとスコットランドは、1970年代からナショナリスト政党が活動しており、異
な る 政 治 風 土 に あ る こ と か ら 、 研 究 の 対 象 と は して い な い 」 ( p . 8 ) と 述 べ る 。
'2MartinDurham,GGTheConservativeParty,theBritishExtremeRightandtheProblemof
PoliticalSpace,1967-83,''ined,MikeCronin,7VieFα""γeqfB""s"F"cis"7.・MeFαγ
Rjg〃α"Jr/ieFjg"/bJ・Po""cαノRecog〃"o"(London:MacmillanPress,1996),pp.81-98.
' 3 桾 沢 栄 一 「 戦 後 イギ リ ス の ネ オ ・ フ ァ シス ト 団 体 の 思 想 と 行 動 - 1 9 8 0 年 代 お よ び
1990年代の「イギリス国民党」(BNP)の活動について」「埼玉女子短期大学研究紀
要』第ll号、2000年3月、15-6頁。
'4NigelCopsey,@6ContemporaryFascismintheLocalArena:TheBritishNationalPartyand
GRightsfbrWhites',''ined,MikeCronin,WieFα""reqfBrj"s/IFqscis"I:TVieFqrRjg"
α"ar/ieFjg/M/brPo""cq/Recog""jo"(London:MacmillanPress,1996),p.119.
' 5 江 川 潤 「 イギ リス 極 右 の 一 断 面 ­ ウ ィ ンス トン. s ・ チ ャ ー チル と イギ リス 国 家 党
( B N P ) 」 『 法 学 新 報 」 第 l l . l 2 号 、 1 9 9 4 年 、 8 6 - 8 頁 。 江 川 に よる と 、 こ の 地 区 で
- 1 3 -
は長らく労働者階級の住宅問題に端を発し、人種間の緊張が高まっていた。
'6BritishNationalParty,&'reqd加grIIe〃ひγα:B""sルⅣα"o"αノPar〃Hα"肋ooko"
Pmpqgα"血(London:BritishNationalParty,c.1995),pp.57-8.
17I6jd.
18NigelCopsey,G℃hangingCouseorChangingClothes?Reflectionsontheldeological
EvolutionoftheBritishNationalPartyl999-2006,''Pα"er"sqjP""dice41.1(2007):pp.
6
2
­
3
.
'9BritishNationalParty,"TheDevolutionMyth,""eαγhe"d312(1995):p.3.
20乃耐、
2'JohnMorse4GEditorial,''B"伽ルMI伽"α""(Septemberl997):p.2.
22Ibid.
23I6jd.
24加藤昌弘「空間的想像力とメディアの歴史的分析一世紀転換期英国における「ケル
ト辺境」の編制」『立命館史学』第26号(2005年11月)、1­26頁。
2520世紀末に生じたとされる「ケルト.ブーム」については、原聖「ケルト諸語文化
の 復 興 、 そ の 文 化 的 多 様 性 の 意 義 を 探 る 」 原 聖 編 『 ケル ト 諸 語 文 化 の 復 興 』 女 子 美
術大学、2012年、9-10頁。また、そのブームの英国における受容については、加藤
昌弘「イギリス人とは何者なのか?­BBC『ケルト人」(1987年)を事例とした、
現代イギリスにおける「ケルト」受容のメディア分析」『ケルテイック・フォーラム』
第14号(2011年)、8-19頁。
26TノieCel"(Milano:GruppoEdiorialeFabbri,1991).
27Gear6idMacEoin,"TheModemCelts,''T/ieCe"s(1991),pp.671-6.
28BritishNationalParty,B〃"shMI伽"αノ航(Mayl983):p.4.
29TonyWells,@6GeneticandCulturalinARacialNationalistState,"&7eq"・/ieqd241(1989):
p
、
1
2
.
30I6〃、
31I6jd.
32"InvasionofAustralia,"&7eαγheqd247(1989):p.14.
33PeterFowler4GProudtobeCeltic,""earheaJ242(1989):pp.8-9.
34加藤昌弘「国民のルーツを現代のミユージアムはどのように展示するのか?­イン
グランドの博物館における「英国人の起源」に関わる常設展示の調査から」『ケルテ
イツク.フォーラム』第16号(2013年)、24-35頁。
35EddyButler,"ThePrincipleof@SelfLDetermination'Examined,"SZ)eα『んeαα249(1989):
pp.8-11.
- 1 4 -
36肪耐、
37Foノルα〃Her伽ge,ca.1996,flyer.推定される発行年である1996年は、本史料を所蔵
するウオリック大学のEthnicityandMigrationCollectionによる。
38BritishNationalParty,J'OrejbrBr加加,J'ひ花BNP(Mピン"旅sr/b'"M,pp.14-5.
39@GFreeSpeech,""e""e"343(1997):pp.15-6.
40乃掴、
41IMI.
42Ibid.
43イギリス国民党はスコットランド議会選挙に公式に立候補を擁立しており、筆者も
2009年3月にエディンバラ市内で選挙キャンペーンに遭遇した。イングランド防衛
同 盟 ( E D L ) に 対 応 す る 分 派 と して ス コ ッ ト ラ ン ド 防 衛 同 盟 ( S c o t t i s h D e f e n s e L e a
gue,SDL)が存在する。StevenHarkins,@cParanoidScottishDefenseLeagueAbando
nsFacebookDuetofearof@Fakes',''助加w"c/@(7March2010);http://www.spinwa
tch・org/index.php/blog/item/474-paranoid-scottish-defence-league-abandons-facebook-due
-to-fear-ofLfakes;Internet;accessedl5January2015.また、イギリス独立党(UKIP)
にはUKIPScotlandという支部が設置されている。PaulHutcheon,GGUKIPatWar
加Scotland,''Heγα〃Sco"α" (17September2013);http://www.heraldscotland.com/
news/home-news/ukip-at-war-in-scotland.22719662;Internet;accessedl5January201
.
5
4 4 ス コ ッ ト ラ ン ド に お ける イギ リス 国 民 党 の 活 動 を 警 告 す る 論 説 と して は 、 例 え ば
AlisonCampsie,@GRevealed:TheSecretLinksbetweentheScottishDefenseLeague
andtheBNP,''He7α〃Sco"α"a(13December2009);http://www.heraldscotland.co
m/news/politics/revealed-the-secret-links-between-the-scottish-defence-league-and-the-bn
p-1.991834;accessed31December2014.
4s例えば、@GNewHigh-QualityScottishLeaflet,''B""s〃Ⅳα伽"α"sr(Marchl987):6.によ
れ ば 、 イギ リス 国 民 党 の グ ラス ゴー 支 部 が 、 「 目 覚 め よ 、 ス コ ッ ト ラ ン ド 」 と 題 し
た 両 面 カ ラ ー の リ ーフ レ ッ ト を 、 1 0 0 0 部 に つ き 2 0 ポ ン ド で 党 員 に 頒 布 す る と して
い る 。 リ ーフ レ ッ ト 内 「 ス コ ッ ト ラ ン ド へ の 脅 威 」 と の 見 出 し に は 、 「 白 人 の 子 ど
も」がいない小学校や、グラスゴーのモスクの写真が掲載されている。
46GerryHassan,Ca/edomα〃Dγeα""g:Wieg"esr/bγαD縦γe"rSco"α"d,Edinburgh:
LuathPressLimited,2014.特に第二章「TheSixMythsofModernScotland」内の「The
MythofOpenScotland」を参照。
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