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地域探検隊活動発表会&歴史まちづくり講演会

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地域探検隊活動発表会&歴史まちづくり講演会
地域探検隊活動発表会&歴史まちづくり講演会
<イベントの概要>
日時 平成 23 年 11 月 23 日(水・祝)14:00~16:30
会場 名古屋都市センター ホール(来場者 約 100 人)
内容 2隊の地域探検隊の活動成果の発表と名古屋都市センター専任研究員で
ある杉山正大氏による歴史まちづくり講演会を行った。
<碁盤割地域探検隊の発表要旨>
私たちは、碁盤割の中で、今に残る江戸時
代の名残をもっている店、歴史のある店を探
して、そこが実際に現在どうなっているか、
歴史を踏まえながらまわろうという形で探検
を行いました。
探検の最初に本町公園に集合しました。こ
こは明治維新後、名古屋憲兵隊本部のおかれ
たところで、それほど広くはありませんが、
明治から敗戦までの大きな歴史の流れを経験した場所です。
中北薬品は、享保 11 年江戸時代の中期8代
将軍吉宗のころに油屋として開業しましたが、
それから 20 年ほど後、薬種業を始め、さら
に 50 年くらい後に今の京町通りの辺りに移
っています。ここのエピソードと致しまして
は、明治維新の 10 年ほど前の安政の大火の
時に、安政2年にふろ場から出火したという
ことで、店はもちろん、京町全体がほとんど焼けるというような火事になりま
した。その火事の起きた日には、風呂を焚かない。それから再建した時にはま
わりの店よりも軒を低くして謝罪の意をこめたとのことです。
荒川長太郎合名会社は現在、アラクスさんということで一般的には知られて
います。ここは江戸の末期に尾張徳川家の薬種御用をつとめています。薬とし
ては当初は神仙湯という神経妙薬、これを中心にしていましたけれども今はノ
ーシンという名前で有名になっています。
大西人形店は 150 年ほど前、綿とかそういうものを扱っていましたが、借金
のカタにとった人形を店に置いたところそれがよく売れたということでそのま
ま人形店になったといわれています。人形専門店として今も活躍しています。
徳川時代の和菓子は、桔梗屋と美濃忠の二つが有名ですけれども桔梗屋の方
は明治時代には営業を終えているということで、その桔梗屋の分家、そこで働
いていた人が伊藤忠平という人が美濃忠を建てて今に繋がっていきます。
河文は、河内家文左衛門という人が元禄年間に料亭を開いています。当時は
魚の棚この河文のあった辺りに、有名な御納屋、
近直、大又、それから河文といった料亭があり
ました。それも戦後になりますと、こういう料
亭、芸妓遊びそういうのが今でいえばキャバレ
ー、スナック、カラオケそういうようなものに
変わっていきました。河文さんも今は近代的な
洋食料理も取り入れています。
両口屋是清さん。ここもお菓子屋さんで皆さんよくご存知だと思います。
あと、河村畳店さん。ここは宝永4年ということで、ちょうど元禄畳奉行と
して有名な朝日文左衛門が畳奉行をやっている頃に開業していますが、朝日文
左衛門のメモはそういった仕事関係のものはなく、当主の人も探してみたそう
ですが何もなかったということです。
お茶の升半さんとかは時間の都合で紹介できませんけれども、一度時間をぜ
ひ作っていただいてこの地図を見ながら昔の歴史とかそういうものを思い起こ
していただければ幸いかと思います。
<鳴海歴史倶楽部の発表要旨>
私たちは、「ため池の歴史」ということをテ
ーマに選びました。緑区は、鳴海・大高・有松・
桶狭間といろいろ歴史のあるところですが、私
たちが主に取り上げた緑区東部地域は、今から
50 年前は山ばかりだったということで、ため池
ということになるわけです。
ため池は、昔の文献などでは「雨池」などと
出てきます。
「ため池」というのは新しい言葉のようです。ため池とは、農業用
水を確保するために作られた人口の池ということになっております。鳴海村は
尾張藩の中で3番目に石高の多い村で、米の生産にため池の水が使われました。
現在、名古屋市には 111 のため池がありますが、その半数近い 49 が緑区にあ
ります。名古屋市のため池はこの 40 年ほどで1/3くらい減ってしまいました
が、この間に民有の池の公有化が進み、公有の池は増えているという状況です。
私たちがため池を見る視点は3つあ
ります。1つ目が農業遺産の視点、2
つ目が洪水調節の施設、3つ目が環境
要素の視点です。
現在、名古屋市内では米作りに池の
水が使われているということはほとん
どありません。しかし、江戸時代には
尾張藩の新田開発促進にともない多く
のため池が作られました。また、緑区の要池、螺貝池などは、天白川を越えて
南区側まで水を送っていた池でした。これらのため池を農業の歴史を伝えるも
のとして、私たちは「農業遺産」と呼びたいと思っています。
ため池には民間伝承も多く残っています。池に絡んだ民間伝承というのは子
どもたちに、
「池というのは危ないところだよ」
、
「行くなよ」ということ教える
ものでなければならない。したがって、龍や蛇が登場させて非常に危険なとこ
ろだよということが多いようです。
現代のため池の役割として、洪水調整があります。開発が進み、水をためる
事のできた森林や田んぼがなくなると、アスファルトの道路などに降った雨は
ものすごい勢いで一瞬のうちに下水に流れ込むということになります。10 年近
く前に東海豪雨というのがございましたけれども、ああいうような被害が出て
くる恐れがあります。そういうものへの対応策としてこのため池というのが使
えるであろうということで、名古屋市もため池を重視する政策を出しています。
環境要素ということでは、ため池や緑は
当然確保しなければいけません。私の家の
近くの螺貝池には、ヨシゴイという絶滅危
惧種の鳥がおります。こういう池には絶滅
危惧種など非常に面白い生物がいっぱい集
まってきます。そういう意味でも池という
のは大事にしなければいけません。
ところが困るのはここへ外国から持ってきた魚を捨てる方がいる。それから
ミドリガメ。これらは日本に古くからいた生物を食い尽くすんじゃないかとい
うぐらいの勢いで増えているんです。市も言っていますが、そういうことにな
らないように他から動植物を持ち込まないようにしてほしいものです。
ため池は、歴史的な大事なものであり、景色のいいものであるので、これを
利用して散策会などをどんどんやって皆さんに理解してもらうのがいいのでは
ないかと考えています。そのためにも、ため池を解説する案内板のようなもの
が充実するとよいと思います。
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