...

PDFをダウンロード

by user

on
Category: Documents
38

views

Report

Comments

Transcript

PDFをダウンロード
目 次
【論 文】
社会的協働における組織間学習のプロセス
― 繊維産業におけるリサイクル事業の事例を通して ―
…………………………………………………………大 倉 邦 夫
1
生活圏間純流動データを利用した
国内航空旅客市場特性に関する実証分析
…………………………………………………………大 橋 忠 宏
25
準市場の優劣論と日本の学校選択( 2・完)
―実証的調査・研究の整理
…………………………………………………………児 山 正 史
39
監査風土に基づく監査手続に関する考察 …………………………………………………………柴 田 英 樹
63
性犯罪と裁判員裁判 …………………………………………………………平 野 潔
79
「秋入学」構想に対する「態度保留」が意味するもの
―「入学者選抜への依存」からの脱却に向けて―
…………………………………………………………石 岡 学 103
【翻 訳】
ドイツ連邦首相メルケルの G8サミットと
NATO 首脳会議に対する 5 月10日政府声明
…………………………………………………………齋 藤 義 彦 123
【研究ノート】
台湾の高齢者福祉に関するインタビュー記録
…………………………………………………………城 本 る み 135
等値線に基づく地域区分を実行する算法について
…………………………………………………………増 山 篤 169
【論 文】
社会的協働における組織間学習のプロセス
― 繊維産業におけるリサイクル事業の事例を通して―
大 倉 邦 夫
1 .本稿の目的
本稿の目的は、地球環境問題のように単独の組織では解決することのできない社会的課題に対し
て、複数の組織が協力して取り組む社会的協働という事業形態に焦点を当て、そうした社会的協働
に参加している各企業が協働事業という場において、いかなる学習をどのようにして行っているの
か、その結果、各参加企業が社会的課題に対する理解を深めていくプロセスを考察することである。
近年、企業の社会的責任の関心の高まりを受けて、企業は経営活動のあり方を見直すことに加え、
地球環境問題・貧困問題・地域社会の問題等の多様な社会的課題に自社の経営資源を活用して取り
組むようになってきた(谷本 , 2006)。
企業が自社の特徴的な資源を活用し、社会的課題に取り組むことは、その課題解決に寄与するこ
とになる。しかし、社会的課題の多様化や、複雑化に伴い、企業が単独で社会的課題に取り組むこ
との困難性も顕在化している。企業が社会的課題に取り組む上で、これまでの事業活動で培ってき
た技術やノウハウを活用できる場合もあるが、社会的課題の性質によっては新たに資源を蓄積させ
る必要がある。その際に、必要となる資源を全て自社内部で蓄積するには、追加的な投資を行わな
ければならず、投資に要する時間や費用など企業に負担がかかることになる。このような状況にお
いて、自社単独ではなく他の企業・NPO・行政等の多様なセクターの組織と協力して社会的課題
に取り組む企業も見られる。本稿では、地球環境問題などのいま解決が求められている社会的課題
の解決を目的とした複数の組織による協働を「社会的協働」と定義する。
図 1 は社団法人日本経済団体連合会(以下日本経団連)が会員企業および 1 %クラブ 1 の法人会
員企業を対象に行った「社会貢献活動実績調査結果(事例調査編)」の中で、企業が社会貢献活動
を進める際に、他の組織と協働していると回答した企業の数を整理したものである 2。
1
1 % クラブとは、日本経団連が1990年に設立した企業や個人の社会貢献活動を推進する組織である。法人会
員(企業)は経常利益の 1 %以上、個人会員は可処分所得の 1 %以上を目安に、社会貢献活動のために拠出す
ることに賛同している。会員数は法人会員が234社で、個人会員が940名となっている(2010年 5 月時点)。
2
日本経団連では1991年より、会員企業および 1 %クラブの法人会員企業の社会貢献活動支出や社会貢献に関
する制度、さらには社会貢献活動の事例ついて調査を行い、企業の社会貢献活動の実態調査を進めている。本
稿が取り上げた日本経団連の社会貢献活動に関する調査の報告書は http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/csr.html#kouken を参照。
1 2009年度の実績を見てみると、同調査に回答した337社(計1306社:回答率25.8%)のうち、175
社が社会貢献活動を進める際に他の組織と協働したと回答している。参考までに2003年度の同調査
結果を参照してみると、回答企業307社(計1371社:回答率22.3%)のうち、95社が他の組織と協
働したと回答している。2003年度の調査結果と比較すると、近年社会的協働の事例はほぼ倍増に近
い伸びを示していることが分かる。また、2005年以降は同調査に回答した企業の約半数以上が、他
の組織との協働による社会貢献活動を実施したと回答している 3。こうしたデータは日本企業におい
て社会的協働が徐々に定着していることを示唆する。
図1 企業の社会貢献活動における他の組織との協働の広がり
協働事業を展開している企業の数︵社︶
200
180
179
173
177
175
2006年
2007年
2008年
2009年
160
160
141
140
120
100
95
80
60
40
20
0
2003年
2004年
2005年
年度
(出所)各年の日本経団連「社会貢献活動実績調査結果」から筆者作成
なお、日本経団連による2008年度の「社会貢献活動実績調査結果(社会貢献活動支出と社会貢献
に関する意識の調査)
」を見てみると、企業が NPO 等の他の組織と協働事業を展開することによっ
て、社会的課題への理解を深めるという成果を得たことが示されている。これは、他の組織との協
働事業が、企業にとって社会的課題の現状や問題点、さらにはそうした課題への取り組み方法を学
習する場として機能したことを示唆する。
3
各年の「社会貢献活動実績調査結果(事例調査編)
」に回答した企業の数は以下の通りである。①2003年の回
答企業307社(計1371社:回答率22.3%)、②2004年の回答企業355社(計1309社:回答率27.1%)
、③2005年の回
答企業303社(計1403社:回答率21.6%)、④2006年の回答企業308社(計1405社:回答率21.9%)
、⑤2007年の回
答企業299社(計1368社:回答率21.9%)、⑥2008年の回答企業305社(計1321社:23.1%)、⑦2009年の回答企業
337社(計1306社:回答率25.8%)。
2
上記の日本経団連の調査に見られるように、社会的協働が、その参加企業にとって社会的課題に
対する学習の場になる、という点は Arya and Salk(2006)も同様の指摘を行っている。例えば彼ら
は、社会的責任に関する行動規範を経営戦略や企業文化に統合することを目的とした協働事業が、
その参加企業にとって社会的責任を学習するためのプラットフォームになることを主張している。
このように、社会的協働は、単独の組織では解決困難な社会的課題に対して取り組むための手段
という位置づけだけではなく、社会的課題についての学習のプラットフォームという位置づけもな
されている。しかし、Arya and Salk(2006)は学習することの意義や学習の成果という点に触れ
てはいるが、具体的に複数の組織の間でどのようなプロセスでいかにして学習が行われたのかとい
う点については詳細な議論を行っていない。
そこで、本稿は事例研究を通して社会的協働に参加している組織が、協働事業において学習を行
い、その学習の中で社会的課題に対する理解を深めていくプロセスを検討する。以下ではまず、組
織学習論や組織間学習論の先行研究を考察し、本稿の分析視点を提示する。次に、社会的協働の事
例として、繊維製品の廃棄物問題という 1 社だけでは解決が困難な社会的課題の解決に向けて、使
用済み繊維製品のリサイクル事業を展開した株式会社エコログ・リサイクリング・ジャパンによ
る「エコログ・リサイクリング・ネットワーク」を取り上げ事例研究を行う。具体的には、同ネッ
トワークに参加している株式会社ユニングと、東海サーモ株式会社という異なった学習プロセスを
辿った 2 社に焦点を当てる。そして最後に、本稿の結論と課題を整理する。
2 .先行研究の検討
(1)組織学習
①組織学習とは
高井(2001)が指摘するように、組織学習に関する多くの研究は、分析の基本単位は個人の学習
をベースにしている。組織は人間の集合から構成されるために、組織学習は個人の学習と密接な関
連性をもつことは明らかである。しかし、組織学習の先行研究は、個人学習と組織学習の違いを明
確にしている。
例えば、Argyris and Schon(1978)は、組織は個人の行為と経験を通して学習することを指摘
する一方、組織学習は個人学習の単なる集積ではないということを主張する。彼らは、学習した内
容が組織の記憶やシステムに組み込まれることで組織学習が生じると捉えている。そのため、個々
人が学習し獲得した知識が組織のシステムに統合されない場合、個人が学習したとしても組織は学
習していないものとみなされる。この点について高井は、個人学習と異なり、組織は既存のメン
バーだけではなく、組織の歴史や規範という方法で、次世代のメンバーにも影響を与えることがで
きる伝承可能な学習システムを維持し、開発することができるという点を指摘している。
以上のように、個々人が学習した内容を組織のシステムに統合しているかどうか、という点に個
3 人学習と組織学習の違いが見出される。
また、組織学習に関する研究は認識と行動を関係づけており(高井 , 2001)、組織学習の成果と
して組織のルーティンや活動原則における変化(Levitt and March, 1988; Feldman, 2000)や、認
識的システムや行動における変化(Argyris and Schon, 1978, Fiol and Lyles, 1985; Huber, 1991)
を挙げている。個々人が学習した知識を組織に統合することで、既存の組織の規範やシステムが変
化することが指摘されている。つまり、ここでは組織学習の成果として組織変化が示されているの
である。なお、組織学習の研究者は、個人レベルでの変化が生じたとしても、組織レベルでの変化
が生じなければ、組織が学習したことにはならない、と主張している。
②組織学習のタイプ
Argyris and Schon(1978)が指摘するように、組織学習には異なったタイプの学習が存在する。
それは、低次学習(シングル・ループ学習)と高次学習(ダブル・ループ学習)である。
前者の低次学習は、既存の組織構造や既存のルールの下で行われる学習である(Argyris and
Schon, 1978)
。高井(2001)によると、このタイプの学習は与えられた目標を達成するために、い
かに業務上のエラーを修正したり、除去することで効率的に業務をこなすのかという効率性に重き
が置かれる。そのため、学習の焦点は既存のシステムを大幅に変化させることではなく、安定・維
持させるための情報を収集することにある。
後者の高次学習は、組織の基本的な方針・規範・規則の修正を目的とした学習である(Argyris
and Schon, 1978)
。高次学習は組織における業務システムそのものを問い直し、低次学習の場合の
ように発生したエラーを修正するのではなく、なぜエラーが発生したのかを問うことになる。
このように、組織学習の先行研究は低次学習と高次学習という 2 つのタイプの学習があることを
示唆する。なお、その中でも後者の高次学習は、既存の組織の規範や方針を問い直すために、組織
の変化と密接に関連する。組織学習と組織変化の関係性に着目した研究は、高次学習が組織の認識
的システム・組織ルーティン・行動の変化を促すメカニズムになることを指摘している。
(2)組織間学習
①組織間学習とは
アライアンスなどの複数の組織間の協働に着目する研究は、これまでその協働の形成理由をリ
スクの低減・市場へのアクセス・重要な資源の獲得という点から説明してきた(Yoshino and Rangan,
1995; Nooteboom et al., 1997; 徳田 , 2000)
。また、近年では、アライアンスの形成理由として、
パートナーの知識の学習という側面に注目する研究も見られる(Inkpen and Crossan, 1995; 高井 ,
2001)
。こうした研究は、アライアンスが学習のためのプラットフォームを提供することを指摘し
ており、組織間学習という複数の組織の間で行われる学習の形態に焦点を当てている。以下で見て
いくように、組織間学習を促進する要因について研究の蓄積が進んでいる。
4
組織間学習に関する研究は、組織間学習の意義として、企業が協働を通じて他の企業の知識にア
クセスしたり、さらにはそうした知識を獲得し内部化することで自社の競争優位性を高めるという
点を挙げている(Kogut, 1988; Mowery et al., 1996)
。一方、そうした知識の獲得に加えて、各企業
が学習する中で新たな知識を創造していく側面を強調する研究が見られる(高井 , 2001; JanowiczPanjaitan and Noorderhaven, 2008)
。
例えば高井(2001)は、知識の獲得だけではなく共に価値を創造するという側面を強調し、組織
間学習を「 2 社以上の企業が、互いの知識を学習しあうことによって新たな価値を提供する価値創
造プロセス」と定義している。高井は、異なった企業が組織間関係という場で、異なった知識を提
供し合い、融合することで新たな知識を創造し、その知識をベースにして新しい価値を市場に提供
することが組織間学習の本質的意義であるとしている。
以上の議論に基づき、本稿は組織間学習を、他の企業からの知識の獲得という側面だけではなく、
企業同士が学習することで新たな知識や価値を共に創造する側面をもつ学習の形態として捉える。
②組織間学習と組織変化
また、組織間学習に焦点を当てる研究者は、組織学習に関する研究と同様に、認識と行動の変化
に着目しており、組織間学習の重要な成果として協働に参加している企業が他の企業との学習を
通じて、自社の認識システムや行動(Inkpen and Crossan, 1995; 高井 , 2001)、あるいは組織ルー
ティン(Larrson et al., 1998; Phan and Peridis, 2000)を変化させるという点を挙げている。例えば、
Inkpen and Crossan(1995)は他の組織との学習を通じて参加企業の従業員個々人の信条と行動や、
複数の従業員の集団における共通の信条や行動、さらには組織のシステムや行動が変化したことを
事例研究から明らかにした。
さらに、高井(2001)は、組織間学習を意図したアライアンスが、組織変革を促す要因になるこ
とを示している。アライアンスによって関係する企業は、それぞれ固有の思考・行動様式の体系を
持っている。そのためアライアンスによる他の企業との相互関係は、多様な学習材料や異質な知識
が提供されたり、自社と異なる企業の思考・行動様式を発見する場になることで、自社の思考・行
動様式の変革の場になりうることを高井は指摘している。
そして、組織学習のタイプの 1 つである高次学習に着目し、組織間学習と組織変化の関係性に着
目する研究も見られる(Phan and Peridis, 2000)。これは、他の企業との学習を通して獲得した新
しい知識が、自社の既存の規範や方針を問い直す高次学習を生じさせ、組織の認識的システムを変
化させるという点を示唆している。
つまり、組織間学習は他の企業の多様な知識の獲得やそうした知識の内部化を可能にする場とし
て機能することで、協働に参加している企業の既存の認識や戦略・組織ルーティン・行動を変化さ
せるということが示される。
5 ③組織間学習のマネジメント
知識の獲得や知識の創造、さらには組織変化を促す場となる組織間学習を成功裡に進めていくた
めにはどうしたらよいのだろうか。組織間学習に関する研究の多くは、個別の組織内部での学習と
異なり、組織間学習が他の組織との協働関係において行われる学習であるために、他の組織との信
頼関係の構築が円滑な学習にとっての前提条件になると捉えている。
例えば Kale et al.(2000)は、
「関係性の資本(Relational Capital)
」がアライアンスにおける新し
い知識の獲得と自組織の重要な資源の保護を達成させることを指摘する。関係性の資本とは、協働
関係にある各組織を代表する個人レベルでの密接な相互作用から生じる相互の信頼、尊重、友情と
定義される。こうした信頼ベースの関係性の資本は、アライアンスのパートナー間の密接な相互作
用を強化し、アライアンスのインターフェイスをこえて情報とノウハウの交換や移転を促進する。
さらに、関係性の資本がアライアンスのパートナーによる機会主義的な行動の可能性を低減させ、
自組織の中核的な資源を失う危険性を防ぐことが示されている。したがって、組織の間でいかにし
て信頼関係を構築するのかという問題は、組織間学習において重要な課題となる。
そうした他の組織との関係性を構築し、効果的な学習を進めていくためのマネジメント手法につ
いては様々な議論がなされている。ここでは、学習を牽引していく個人の役割や、そうした個人を
支援したり学習の環境を整備するための組織の施策に注目し、他の組織との学習を促進する要因に
着目した研究を取り上げる 。
(a)組織間学習を牽引する個人の役割
組織間学習を牽引する個人に焦点を当てた研究として、Janowicz-Panjaitan and Noorderhaven
(2009)が挙げられる。彼らは、知識交換のフローが他の組織からの情報を伝達することに責任を
持ち、各組織を代表する「境界連結者(Boundary-Spanner)
」の相互作用から生じることを主張し
ている。彼らは組織内部でのポジションによって境界連結者を現場レベルと企業レベルという 2 つ
のレベルに分類している。現場レベルの境界連結者とは、実際に組織の境界を越えて互いの組織を
結びつける個人である。一方企業レベルの境界連結者とは、協働戦略を含む企業の全体的な戦略の
方向性に影響を与える権力をもつ上級マネジメントのことである。また、それぞれの境界連結者は
組織間学習において異なる役割を持つことが示されている。現場レベルの境界連結者は、パートナー
組織の知識の観察や模倣、パートナーとの関係性構築という役割をもつ。一方、企業レベルの境界
連結者は現場レベルでの社会的相互作用を促進するシステムや構造を設定することに責任をもつ。
Janowicz-Panjaitan and Noorderhaven は、過去の研究(Janowicz-Panjaitan and Noorderhaven,
2008)において、149の協働事業に対して質問票調査を行っており、こうした現場レベルでの相互
作用と組織体制の整備が相互にポジティブな影響を与えあうことで、円滑な知識交換を実現させる
ことを示している。こうした個人に焦点を当てた研究の知見は、組織間学習において誰が、どのよ
うな役割を果たすのかという点を考察するにあたり参考になる。
6
(b)組織間学習を促進する組織の施策
組織間学習に関する研究は、他の組織との協働関係を構築し、学習の環境を整備するための様々
な組織の施策を提唱している。ここでは、そうした組織の施策を議論した研究として Makhija and
Ganesh(1997)と Dyer and Nobeoka(2000)を主に取り上げる。
まず、Makhija and Ganesh(1997)は組織間学習を促進するための調整メカニズムに着目してい
る。ここで言う調整メカニズムとは、組織環境における情報の獲得・解釈・普及に影響を与える目
的志向の活動のことである。彼らは、移転される知識の性質によって活用される調整メカニズムが
異なることを指摘している。例えば、移転される知識がより予測可能で明確なものであるならば、
チームやタスクフォースの結成・標準化した手続きや規則の制定・公式的調整メカニズムが活用さ
れる。また、情報が不確実で、曖昧でそれぞれの組織に埋め込まれているものであるならば、共通
の規範を形成することを目的とした協働事業に関わる主体のネットワーク化という非公式的な調整
メカニズムが活用される。つまり、文書や図表などによって明確に説明可能な知識は公式的に計画
した仕組みを通じて獲得される一方、文書や図表などで説明することが難しいような知識は個人間
で自然発生的に生じる非公式的な相互作用を通じて獲得されることが示されている。組織間学習に
関する研究は、後者のような知識が組織に埋め込まれ暗黙的な性質をもつ場合、その知識の獲得が
困難になることを主張している(Janowicz-Panjaitan and Noorderhaven, 2009)
。
こうした研究は、暗黙的な性質をもつ知識を獲得していく際に、Makhija and Ganesh(1997)が
指摘するような個人間の関係性の重要性を指摘している。これは、公式的な仕組みだけでは学習す
ることのできない側面を、非公式的な仕組みがフォローするということであり、組織間学習のため
の様々な施策を考慮することの必要性を示唆している。以上のような知識の性質と学習のための公
式的・非公式的なメカニズムの関係性に関する議論は、組織間学習において、各企業は何をどのよ
うな仕組みによって学習するのかという問題を検討するにあたり、有効な分析の枠組みになる。
次に、Dyer and Nobeoka(2000)はトヨタ自動車株式会社(以下トヨタ)のサプライヤーのネッ
トワークに焦点を当て、トヨタのサプライヤーがいかにしてネットワークの中で知識を交換し、組
織間学習を行うのかという点を検討している。彼らは、
「共存共栄」という哲学やトヨタの生産ネッ
トワーク内部の知識に関するサプライヤーの学習を促進するために、トヨタが 4 つの知識共有のプ
ロセスを開発したことを明らかにしている。第 1 のプロセスはサプライヤーの協力団体である。こ
れは共通の社会的コミュニティをつくりだし、ネットワークの規範を学ばせ、形式知を共有するた
めのネットワークレベルのフォーラムである。第 2 のプロセスはトヨタのマネジメントのコンサル
ティング部門の活動である。トヨタ内部のコンサルティング部門はサプライヤーによるネットワー
ク内部の知識の獲得を支援する役割をもつ。また、こうした部門はサプライヤーの抱える操業上の
問題の解決についても責任を担う。第 3 のプロセスは小規模集団の学習チームの結成である。これ
は、サプライヤー自身が自発的に学習のためのチームをつくることであり、生産性や品質の改善、
さらには共通のアイデンティティの創出という効果をもつ。第 4 のプロセスは、企業間の従業員の
7 移転である。これは、トヨタの従業員がサプライヤーに出向するなどして、企業の境界をこえて移
動することであり、トヨタの知識やアイデンティティを共有させる重要なメカニズムである。
Dyer and Nobeoka(2000)はこうした 4 つの知識共有のプロセスが、サプライヤー間の緊密な相
互作用を促し、ネットワークレベルでの社会的コミュニティをつくりだしたことを指摘している。
その結果、サプライヤー間でアイデンティティの共有が進み、サプライヤーがより知識共有の活動
に関与するようになったことが示されている。
以上のように、組織間学習に着目した研究は、協働関係にある複数の組織の間で信頼関係を構築
し、効果的な学習を実現させるための様々な手法について議論している。それぞれの研究から導き
出された知見は、組織間学習をいかにしてマネジメントしていくのかという問題について分析する
上で参考になる。しかし、Inkpen(2002)は、組織間学習が実際にどのようにして生じ、具体的に
いかなる過程を経て進展するのかという組織間学習のプロセスを詳細に検討した研究が少ないこと
を指摘している。詳細な事例分析によってネットワーク内部での複数の組織による学習のプロセス
を検討した Dyer and Nobeoka(2000)を除き、基本的には組織間学習の促進要因を特定する研究
が多く、Inkpen が指摘するように組織間学習のプロセスについては十分な議論がなされていない。
そのため、組織間関係という場において、具体的にいかなる知識がどのようにして交換あるいは創
造されるのかという学習のプロセスを事例分析を通して明らかにすることは、組織間学習論におけ
る重要な研究課題として示される。
(3)組織学習と組織間学習の相互関係
上述したように、組織間学習に関する研究においては、他の組織がもつ知識をいかにして獲得す
るのか、さらにはどのようにして新たな知識を創造するのかという点が議論の中心になっている。
そこでは主に、効果的な知識の獲得、創造のための手法に焦点が当てられていた。Holmqvist(2003)
は、組織間学習の先行研究の多くが、新しい知識の獲得と創造という側面に着目する一方、組織間
学習に関与する各組織がそうした新しい知識をいかにしてそれぞれの組織の内部に統合するのかと
いう側面については十分に考慮していないことを指摘している。その上で、他の組織との協働を通
して新しい知識を獲得するという組織間学習のプロセスと、そうした知識を自組織に統合していく
組織学習のプロセスの相互関係に着目することの必要性を示唆している。
こうした組織間学習と組織学習の相互関係に着目した研究として、Inkpen and Crossan(1995)
が挙げられる。彼らは、知識マネジメントの議論に基づきながら、パートナーから獲得した新しい
知識を自組織の知識として制度化する一連のプロセスを整理している。彼らはそうしたプロセスを
理解するにあたって、個人・集団・組織という 3 つのレベルで生じる学習のプロセスを考察してい
る。まず、個人のレベルでは新しい知識を他者に説明するために、そうした知識に関するイメージ
を明確にし、共通の理解を深めていく活動である「解釈」が重要なプロセスとなる。解釈の成果と
して個人の信条や枠組み、さらには個人の行動の変化が促されることが示されている。次に、集団
8
のレベルでは新しい知識を組織の成員に広く共有させるための「統合」が行われることになる。統
合による成果としては、新しい知識に関する組織の成員間での共通の信条や、それに基づく一致し
た行動が促されることになる。そして、組織のレベルでは新しい知識を組織のシステムに組み込ん
でいく「制度化」が進められる。制度化の成果としては、既存の組織ルーティンの変化や新しい組
織ルーティンの構築という点が示されている。
他の組織から獲得した知識は、それぞれの組織の内部に組み込まれたり、既存の知識と効果的な
つながりが生み出されることによって、はじめて価値のあるものとなる。そのため、組織間学習の
成果を捉える際には、他の組織からの新しい知識の獲得や、他の組織との知識の創造というプロセ
スだけではなく、上述したような新しい知識を組織内部に定着させていくという組織学習のプロセ
スも同時に考慮することが必要になる。
3 .本稿の分析視点と調査概要
(1)分析視点
上記の先行研究の検討より、組織間学習と組織学習の相互関係という視点を踏まえ、本稿は、社
会的協働において行われる学習のプロセスを考察する。具体的には、使用済み繊維製品のリサイク
ル事業「エコログ・リサイクリング・ネットワーク」という社会的協働において、各企業が他の企
業からどのような知識を、いかなる場で、どのようにして学習するのかという、異なる組織間の間
で行われる学習のプロセスを考察する。また、その際にはそれぞれの企業を代表し、協働事業の窓
口となりながら、組織間学習を主導していった人物の役割に焦点を当てる。なお、本稿ではこうし
た組織間学習を主導したり、組織間学習を通して獲得した知識を自社に定着させる役割を担う人物
を「推進者(Champion)
」と呼ぶことにする。
次に、各企業が組織間学習を通して獲得した知識をいかなる手法を用いて、社内の各部門や各従
業員に学習させていくのかという、それぞれの組織の中で行われる学習のプロセスを検討する。
そして、そうした学習の過程で、繊維製品の廃棄物問題の解決という社会的ミッション 4 を各企
業が共有する側面を捉える。その上で、各参加企業の繊維製品の廃棄物問題という社会的課題に対
する認識や行動にどのような変化が見られたのかを明らかにする。
(2)調査概要
本稿は、株式会社エコログ・リサイクリング・ジャパンが中心となり、繊維産業の川上(化学繊
維製造企業)・川中(資材製造企業)・川下(アパレル企業)の各企業とともに、1994年から展開し
ている繊維製品のリサイクル事業「エコログ・リサイクリング・ネットワーク」を取り上げた。エ
4
社会的ミッションとは、「ローカル / グローバル・コミュニティにおいて今解決が求められる社会的課題に取
り組むことを事業活動のミッションとすること」である(谷本 , 2006)。
9 コログ・リサイクリング・ジャパンとは、広島県福山市で紳士用コート等を製造する株式会社ワッ
ツの発案のもと1994年に設立された企業であり、同社の他、化学繊維製造企業の東レ株式会社・商
社の伊藤忠商事株式会社・ボタン製造企業の株式会社アイリスという計 4 社の出資によって成り
立っている。エコログ・リサイクリング・ジャパンは繊維製品のリサイクル事業を主な事業内容と
している。同社の設立時の出資金は 1 億2000万円であり、同社の設立において中心的な役割を果た
したワッツが6000万を、残りの 3 社がそれぞれ2000万円ずつ出資した。なお、2003年には各企業の
出資額を倍増し、資本金は 2 億4000万円となっている。
本稿の事例研究は、エコログ・リサイクリング・ネットワークに関わった複数の企業の担当者へ
のインタビュー調査や、リサイクル事業に関係する工場見学というフィールド調査に加えて、繊維
関連の学会誌・雑誌・専門紙、さらには同ネットワークに参加している各企業の公表資料あるいは
内部資料等の文書資料調査に基づいている。今回は、同ネットワークに参加している企業として、
株式会社ユニングと東海サーモ株式会社を取り上げた。
ユニングと東海サーモの 2 社を取り上げた理由としては、次の点が挙げられる。それは、両社と
も1994年のエコログ・リサイクリング・ネットワークの設立時から参加している企業であり、長く
この事業に関わっているという点である。本稿は、社会的協働における組織間学習と、その結果繊
維製品の廃棄物問題という社会的課題に対する参加企業の認識や行動がどのように変化したのかと
いう点を考察することを目的としている。そのため、そうした学習と変化のプロセスを明らかにす
るために、長く協働事業に関わっている企業を取り上げた。
インタビュー調査の概要は以下の通りである。①エコログ・リサイクリング・ジャパンの取締役
である田邉和男へのインタビューは2010年 4 月23日と2011年 5 月27日に、同社の営業部長の宮内民
朗へのインタビューは2011年 5 月27日に実施した。②東海サーモの専務取締役である城戸浩へのイ
ンタビューは2010年10月 7 日に、同社の開発部に所属する棚瀬勉へのメールインタビューは2011年
8 月10日に実施した。③ユニングの前代表取締役社長である森下洋へのインタビューは2011年 6 月
8 日に実施した。また、リサイクルの処理工程の観察と現場での聞き取り調査のために、リサイク
ルが行われているエコログ・リサイクリング・ジャパンのリサイクル工場でフィールド調査を実施
した(2010年 9 月16日)
。
文書資料については、繊維関連の学会誌として「繊維工学」
・「繊維製品消費科学」を、専門雑誌
として「繊維トレンド」を、
専門紙として繊維関連の総合新聞である「日本繊維新聞」と「繊維ニュー
ス」を取り上げた。また、各企業の公表資料としては主に、各企業がホームページで公表している
エコログ・リサイクリング・ネットワークに関する情報を参照した。さらに、各企業の事業戦略に
関する社内資料なども活用した。
10
4 .事例研究
(1)事例概要
①エコログ・リサイクリング・ネットワークについて
エコログ・リサイクリング・ネットワークとは、エコログ・リサイクリング・ジャパンと、同ネッ
トワークに参加している各企業が協力して、リサイクルしやすい設計に基づいた同ネットワーク規
格の繊維製品(企業ユニフォーム、一般衣料品等)の開発・販売、使用済み繊維製品の回収、リサ
イクル(ペレット状の再生原料の生産)、
再生商品(中綿・手袋・ハンガー・ボディタオル等)の開発・
販売を行う繊維リサイクル事業のネットワークである。このネットワークは、繊維リサイクル事業
を通して、繊維製品の廃棄物問題の解決や、繊維製品の製造における地球環境への負荷の低減を目
的としている。
図 2 はエコログ・リサイクリング・ネットワークの仕組みを示しており、各企業の役割は以下の
通りである。まず、資材製造企業や素材製造企業は、ポリエステルのバージン原料あるいは再生原
料をエコログ・リサイクリング・ジャパンから購入し、それを原料としながらリサイクル可能な資
材(衣料用芯地・ボタン・ファスナー等)の製造・販売という役割を担う。
図 2 エコログ・リサイクリング・ネットワークの仕組み
再生商品(中綿、手袋、ハンガー、ボディタオル等)の製造、販売
(出所)エコログ・リサイクリング・ジャパンホームページ(一部加筆修正)
http://www.ecolog.co.jp/about/a5up2.html
11 また、アパレル企業の役割としては、そうした資材を活用したリサイクルしやすい繊維製品(主
に企業ユニフォーム)の製造・販売が挙げられる。アパレル関連の小売企業は、繊維製品を最終的
なユーザーに納入するという役割を担う。さらに、その繊維製品を利用する企業(ユーザー)は、
アパレル企業あるいは小売企業と使用済み繊維製品の回収に関する契約を結び、製品を使用した後
に、それをエコログ・リサイクリング・ジャパンに送ることになっている。
そして、エコログ・リサイクリング・ジャパンは、エコログ・リサイクリング・ネットワーク製
品認定マークを各企業に付与することに加え( 1 点につき110円)、回収した使用済み繊維製品をリ
サイクルし、再生原料を生産したり、そうした原料を活用してボディタオル等の再生商品を製造・
販売するという役割を担っている。エコログ・リサイクリング・ネットワークでは、ポリエステル
100%あるいはポリエステル・綿、さらにはポリエステル・ウールの繊維製品の製造、回収、リサ
イクルを行っている(繊維製品の素材や資材はポリエステル100%)。1994年の事業開始以降、2010
年度までに合計約650万点の同ネットワーク規格の繊維製品が販売されている。再生原料について
は2010年度までに合計約750トンを生産している。
2011年現在、エコログ・リサイクリング・ネットワークに参加している企業は65社である。
②エコログ・リサイクリング・ネットワークの事業化の背景
現在、繊維製品の廃棄物は、年間約200万トン排出されており、その内訳は一般廃棄物が約164万
トン(約82%)である一方、産業廃棄物が約36万トン(約18%)であり、このうち衣料品が約半分
(約94万トン)を占めるという(大松沢 , 2006)。これに対して衣料品の廃棄物の総回収量は約24万
トンで、全体の約26%が回収されていることになる(中小企業基盤機構 , 2010)。回収された衣料
品のうち、約10万トンがリサイクルされている。衣料品のリサイクル率(再利用された衣料品を除く)
は約11%であり、家電リサイクル法の対象製品のリサイクル率(テレビ:85%、冷蔵庫:76%、洗
濯機:86%、エアコン:88%)と比べると非常に低い数値となっている。
エコログ・リサイクリング・ジャパンが、リサイクル事業に着手した1990年代前半当時、リサイ
クルに関する技術的問題や再生素材が市場で浸透していないという問題のために、事業の収益の見
通しが立たないという問題が存在していた。当時の状況を振り返り、同社の田邉は、ワッツが繊維
リサイクル事業に乗り出し、エコログ・リサイクリング・ネットワークを設立した背景として、繊
維製品の廃棄物問題を解決したいという、当時の社長である和田敏男の社会的ミッションに対する
強いコミットメントが存在したことを指摘している。
1992年に和田が社内で自社製品を廃棄物としない処理方法のアイデアを募ることになるが、これ
というアイデアが見つからない状況が続いていた。そのような中、和田をはじめワッツの従業員が
1993年にヨーロッパに紳士用コートの市場調査に出向いた際に、ドイツで衣料品をリサイクルして
いる企業があるという噂を聞きつけた。そこで、和田は予定を急遽変更し、ドイツでリサイクル事
業を行っている ECOLOG RECYCLING GmbH を訪問し、リサイクルの仕組みや技術について説明
12
を受けた。同社のリサイクル技術は衣料品を裁断し、溶かし、冷やして固めることでペレット状の
再生原料をつくりだすというものであった。この方法はリサイクルの際に地球環境に負荷を与える
溶剤を利用せず、地球環境にやさしい技術であるために、和田はこのリサイクルの仕組みを日本に
導入することを決意した。
しかし、1990年代前半当時は、繊維産業において使用済み繊維製品のリサイクルに取り組む企業
がほとんど存在しなかったことに加え、リサイクル可能な繊維製品を製造するための資材もなく、
そうした製品を製造すること自体困難であった。そのため繊維製品のリサイクル事業の見通しが不
透明であり、ワッツでは採算性の問題からリサイクル事業に反対する役員も存在した。
このような状況の中、和田はトップマネジメントのリーダーシップを発揮し、さらにはワッツの
常務取締役の谷本勇や資材購買担当の田邉らの支持者の協力を得ながら、社内の反対意見を説得す
ることを通して、自社の資源をリサイクル事業に動員した。なお、ワッツ内部の反対意見を説得す
る際には、繊維製品の廃棄物問題の解決という社会的ミッションに対するコミットメントを強調し
た上で、最終的には、和田自身の熱意で押し切っていった。
和田を中心として、ワッツにおいてエコログ・リサイクリング・ジャパンの設立に関する取り組
みが進められる中で、次のような課題が浮き彫りになった。それは、リサイクル対応の繊維製品を
製造するにはそのための資材を開発する必要があるという点や、ワッツという地方の中小企業 1 社
だけでは資金的な面においてリサイクル事業を全国に展開することが難しいという点であった。当
初、ワッツがリサイクル事業のための別会社であるエコログ・リサイクリング・ジャパンを設立し
ようとした際には、ワッツ単独の出資を計画していた。しかし、中小のアパレル企業の保有する資
源だけではリサイクル事業の実現が難しいという、上記に挙げた課題が明らかになり、ワッツの内
部では他の企業との協働事業という方向性を模索していった。
そこで、ワッツはこれまでの取引関係や和田個人の人脈をベースとしながら、エコログ・リサイ
クリング・ジャパンに出資してくれる企業を探した。出資協力を要請した企業は、これまで取引の
多かった東レや伊藤忠商事、さらには和田と個人的に関係の深かったアイリスの 3 社であった。東
レはリサイクル対応製品に適した生地等の素材の供給や、リサイクル対応の企業ユニフォーム等の
最終製品の製造・販売という点で重要なパートナーであると考えられた。また、伊藤忠商事は製品
の流通という点で、さらにアイリスはリサイクル対応製品に適した資材の開発という点でパート
ナーとして選択された。
和田や谷本は上記の 3 社に訪問し、出資交渉を続けた。出資を要請された各企業がエコログ・リ
サイクリング・ジャパンへの出資参加を決めた主たる理由としては、リサイクル事業の収益の見通
しという経済合理性というよりはむしろ、繊維製品の廃棄物問題の解決という社会的ミッションで
あったり、和田個人のリサイクル事業に対する熱意への共感が挙げられる。
さらに、エコログ・リサイクリング・ジャパンの設立と並行して、和田や谷本、田邉らはリサイ
クル事業の開発に本格的に着手していった。上述したように、同社はリサイクルしやすい設計に基
13 づいた繊維製品の開発と販売・使用済み繊維製品の回収・リサイクル・再生商品の開発と販売を行
う繊維リサイクル事業を計画していた。この事業を展開するためには、出資企業に加えて、リサイ
クルに適した資材を製造する資材関連の企業や、その資材を用いた繊維製品を製造するアパレル企
業の保有する資源を活用することが不可欠であった。
そこで、和田はエコログ・リサイクリング・ジャパンを中心として資材製造企業やアパレル企業
から構成される、繊維リサイクルのネットワークである「エコログ・リサイクリング・ネットワー
ク」の組織化を計画し、この事業に賛同する企業を募っていった。
以上のように、ワッツという地方の中小アパレル企業が計画した繊維製品のリサイクル事業は、
和田敏男という人物の社会的ミッションに対するコミットメントをベースにしながら、繊維産業の
川上から川中、そして川下部門までの各企業を巻き込み、生み出されていった。
(2)事例分析:エコログ・リサイクリング・ネットワークにおける組織間学習
それでは次に、エコログ・リサイクリング・ネットワークに参加している企業に着目し、そうし
た企業が他の企業とどのようにして組織間学習を行っているのか、さらに繊維製品の廃棄物問題と
いう社会的課題に対する認識や行動をいかにして変化させたのかという点について考察する。
3(
. 1)の分析視点でも述べたように、本稿は組織間学習を主導した個人に焦点を当てた。そこで
インタビュー調査を進めていく際には、エコログ・リサイクリング・ネットワークの参加企業であ
るユニングと東海サーモにおいて、協働事業の窓口となり組織間学習を主導した人物である推進者
に注目した。その調査の結果、推進者の社内でのポジションによって、各企業の学習のプロセスが
異なることが明らかになった。ここでのポジションとは、トップあるいはトップ層(重役レベルの
人物)とミドルレベル(事業部門の部長あるいは課長クラス)の 2 種類を指す。こうした 2 種類の
タイプの推進者が果たす役割によって、組織間学習やその結果生じた企業の変化のプロセスは次の
2 つのパターンに分類された。それは、
①トップマネジメントが中心となって組織間学習を主導し、
社内の変化を促していくパターン、②ミドルマネジャーが支持者を得ながら組織間学習を主導し、
社内の変化を促していくパターン、である。
以下ではこうした 2 つのパターンを比較しながら組織間学習のプロセスや、各企業の変化のあり
方の違いについて考察する。
①ユニングの事例:トップマネジメント(重役レベル)主導のパターン
(a)ユニングがエコログ・リサイクリング・ネットワークに参加した背景
ユニングは1966年に資本金1000万円で設立された、従業員15名の中小企業である。ユニングはエ
コログ・リサイクリング・ネットワークが設立された1994年から同ネットワークに参加しており、
現在も参加を続けている。ユニングの参加の背景には、当時常務取締役という重役であった森下洋
(2006年に代表取締役社長就任、2009年に退社)のリーダーシップの影響力が存在した。
14
ワッツにおいてエコログ・リサイクリング・ネットワークの事業計画が議論されていた1990年代
前半、ユニングは特に、自社製品の回収・リサイクルや、リサイクルに配慮した製品設計に取り組
んではいなかった。その当時は繊維産業あるいはアパレル産業において、まだリサイクルというこ
とについては十分な理解が広がっておらず、アパレル企業がリサイクルに取り組むということはほ
とんどなかった。そのような中、ユニングの森下は、東レのユニフォーム部門の担当者からエコロ
グ・リサイクリング・ジャパンの和田を紹介され、そこではじめて和田から同ネットワークへの参
加の打診を受けることになった。
当時、森下は繊維製品の廃棄物問題やリサイクル事業については関心もなく、ほとんど分からな
い状態であったという。また、この当時はリサイクル対応の資材が開発されておらず、リサイクル
可能な企業ユニフォームを製造できるかどうかの目途も十分に立っていなかった。そのため、森下
はユニングでリサイクル事業に取り組めるのかどうか懐疑的であったという。そのような状況を背
景として、森下は和田と議論を重ねていく中で、リサイクル事業への理解を深めていき、和田の熱
意に押し切られる形でエコログ・リサイクリング・ネットワークへの参加を検討した。
しかし、当時ユニングの内部では、繊維製品の廃棄物問題やリサイクルについての重要性がまだ
認識されておらず、リサイクル事業への反対が予想された。そこで、森下は社内ではトップシーク
レットの案件とし、直接の部下である生産部長の南渕功一とともに、社内で秘密裏にエコログ・リ
サイクリング・ネットワークに関わっていった。
実際にリサイクル事業の内容を策定していくにあたり、森下と和田はユニングの主要な顧客で
あったパナソニックに対してエコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の企業ユニフォームを
販売することを計画し、パナソニック向けの製品の開発を進めていった。
これまでも述べてきたように、リサイクル可能なポリエステル100%のユニフォームを製造する
場合には、そうした製品に適合する資材(ボタン・ファスナー・芯地)を開発する必要があった。
そこで、エコログ・リサイクリング・ジャパンとユニングは、資材製造企業を東レに集め、パナソニッ
ク向けの資材開発の方向性について会議を重ねた。特に時間がかかったのは、ファスナーの部分で
あった。ファスナーは製品の強度を保つため、通常金具も利用している。しかし、エコログ・リサ
イクリング・ネットワークでは金具を利用せず、ファスナーをポリエステルの再生原料で製造する
ために、強度の面で問題が生じた。具体的には、再生原料を用いたポリエステル100%のファスナー
では、洗濯した際に製品が損傷するという問題や、留め具として十分に機能せず、開閉が自由に行
えないという問題に直面した。
このような問題を抱えながら、ファスナーを含む資材製造企業は適宜エコログ・リサイクリング・
ジャパンやユニングらと協議を行い、エコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の資材開発を
進めた。森下によると、こうした一連の資材開発には約 2 年ほど費やしたという。パナソニック向
けのユニフォームが完成したのは2000年のことであった。森下と和田は製品開発の目途が立ったこ
とを契機として、パナソニックを訪問し、
従来の企業ユニフォームをエコログ・リサイクリング・ネッ
15 トワーク規格の企業ユニフォームに切り替えることについて交渉を行った。パナソニックは、環境
配慮型製品の調達という環境経営の推進の観点から、自社のユニフォームの切り替えに合意し、契
約を結んだ。
森下は、エコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の企業ユニフォームの製造と販売の体制
を踏まえて、2000年に社内で同ネットワークへの参加をオープンにした。上述したように、森下は
リサイクル事業の先行きの不透明性のために、社内からは反対意見が出ることを予測していた。そ
こで、森下は常務取締役の権限を活用することで、秘密裏にリサイクル対応の製品開発と販売網の
構築を完了させた後に、社内に同ネットワークへの参加を報告した。リサイクル事業にビジネスと
して取り組める状況を整えたことで、社内から反対意見は出なかった。また、当時の代表取締役社
長の保田貢には事後報告を行い、承認を得て、ユニングは正式に同ネットワークに参加していくこ
とになった。
(b)ユニングの組織間学習のプロセス
上述したように、ユニングでは常務取締役という重役の地位にあった森下が、エコログ・リサイ
クリング・ネットワークへの参加を主導していったことに加えて、
社内の代表者として同ネットワー
クの窓口となり、他の企業との交渉を行うことになった。
森下自身が、繊維製品の廃棄物問題の解決というエコログ・リサイクリング・ジャパンの社会的
ミッションや、リサイクル技術についての理解を深めた契機として挙げたのは、東レで毎月行われ
ていたエコログ・リサイクリング・ネットワークのマーケティングや事業戦略に関する会議であっ
たり、広島県の福山市で開かれていた同ネットワークに参加している企業同士の交流会というエ
コログ・リサイクリング・ジャパンの公式的な会議であった。その他、森下は YKK、東海サーモ、
アイリスをはじめとする資材製造企業と非公式的に会議を重ねる中で、同ネットワーク規格のユニ
フォームの製造に必要となる資材の技術的知識について学習した。
上述したように、ユニングではエコログ・リサイクリング・ネットワークに関する事業計画の策
定や実行については、森下と彼の部下であった南渕のみが関わっており、他のユニングの従業員は
関与していなかった。そのため、社内で同ネットワークへの参加に関する計画をオープンにした時
点では、ユニングの従業員の多くがリサイクル事業に対して関心がなく、また繊維製品の廃棄物問
題や、リサイクルそのものについて十分な知識をもっていなかった。そのような状況の中、社内で
はリサイクル事業に対して否定的な意見が多く存在していた。
そこで、森下は常務取締役という権限を用いながら、リサイクル事業の推進者として、まずは自
身がエコログ・リサイクリング・ネットワークでの各種会議で獲得した知識を社内に定着させるこ
とに注力した。
例えば、森下は従業員にリサイクル事業に対する理解を深めてもらうために、東レの環境経営の
担当者やエコログ・リサイクリング・ジャパンの田邉らと繊維製品の廃棄物問題やユニフォーム・
16
アパレル業界でのリサイクルあるいは環境経営の実態に関する勉強会を開いた。さらに、ユニング
の従業員とともに、エコログ・リサイクリング・ジャパンのリサイクル施設を訪問し、実際のリサ
イクルの現場を見せることで、リサイクル技術について学習する機会を設けていった。
その他、森下は日々行われる営業会議において、リサイクル事業に関するレクチャーを10∼20分
程行うことを習慣化していった。森下は、「従業員の意識付けが重要。末端の従業員にわかっても
らうというのはそこから入らないと。」
と語っており、
上記のような取り組みを地道に続けることで、
従業員のリサイクル事業に対する考え方を変化させることに注力した。
そして、そうした地道な取り組みを進めていく一方、森下は2006年に代表取締役社長に就任した
後、2007年に環境省が策定した環境経営システムのあり方に関するガイドラインに基づき(エコア
クション21ガイドライン)
、取り組みを行う事業者を審査し、認証・登録する制度であるエコアクショ
ン21を取得し、リサイクル事業を含めた環境経営を行っていくための体制を整えていった。
ユニングがエコログ・リサイクリング・ネットワークの参加企業とリサイクル事業に関する勉強
会を行っていた2000年当時、ユニフォーム・アパレル業界を取り巻く環境も徐々に変化していた。
2000年にグリーン購入法が制定されると、官公庁や企業が使用後のリサイクルも含めた環境に配慮
した製品を積極的に購買する流れが広がっていった。その結果、ユニフォーム・アパレル企業各社
による環境配慮型製品の製造・販売が促された。さらに、環境配慮型製品であることを示すエコマー
クを取得するユニフォーム・アパレル企業も近年増えている5。ユニフォーム製品でエコマークを取
得するためには、ユニフォーム製品にリサイクル繊維(バージンの繊維ではなく PET ボトルをリ
サイクルして生産した再生繊維等)を一定量(製品の重量ベースで50%以上)活用する必要がある。
容器包装リサイクル法の制定(1995年)により、PET ボトルから再生繊維を生産する取り組みが
進み、ユニフォーム・アパレル業界における再生繊維の活用が広がっている。
森下は、こうしたユニングの内部での繊維製品の廃棄物問題やリサイクルについての学習やエコ
アクション21の取得に加えて、ユニフォーム・アパレル業界を取り巻く事業環境の変化が、同社の
従業員のリサイクル事業に対する認識を変える契機になったことを指摘している。森下はその結果、
当初は否定的な意見が多く見られた一方で、ユニフォーム・アパレル企業がリサイクル事業に取り
組むことに対して肯定的な意見が増えたことを実感しているという。
以上のように、ユニングでは森下という重役レベルの人物が推進者として他の企業との窓口とな
り、公式的・非公式的な場において他の企業の担当者とともにリサイクルの技術や繊維製品の廃棄
物問題、さらにはリサイクル事業の社会的ミッション等について学習した。また森下は自身が中心
となり、他の企業の協力も得ながら様々な学習の手法を用いて、そうした知識や社会的ミッション
を社内に定着させた。
5
ユニフォーム・アパレル業界における環境配慮型製品の広がりについては、日本繊維新聞(2007年 9 月20日)
「リサイクルユニフォーム特集」
、日本繊維新聞(2009年12月14日)
「ユニフォーム、選ぶ時代 個 で勝負、エコ
やレンタル必携に」という専門紙でも特集がなされている。
17 (c)ユニングにおける変化
ユニングでは、次の 3 つの変化が生じていることが示された。第 1 の変化として、エコログ・リ
サイクリング・ネットワーク規格製品の製造が挙げられる。ユニングは、同ネットワーク規格のユ
ニフォームを製造しており、年間約40万点のユニフォームをパナソニックに納入している 。こう
した製品については2000年以降継続して納入を続けている。
第 2 の変化は、他の環境配慮型製品の製造である。ユニングは、エコログ・リサイクリング・ネッ
トワーク規格の製品開発を通して、環境配慮型製品の製造に関するノウハウを蓄積した。そこで、
近年需要が高まりつつあるエコマークの対象となる PET ボトルの再生繊維を活用したユニフォー
ムの製造、販売を進めている。
第 3 の変化として、エコアクション21の取得という環境経営の体制の整備が挙げられる。ユニン
グは、これまでの業務の手続きや規則を環境経営に適合させるために組織ルーティンを変化させ、
環境経営を進めるための体制を構築することで、従業員がリサイクル事業あるいは環境経営に取り
組むことを習慣化させた。また、こうした習慣化は社内での地道な学習に加え、リサイクル事業や
その社会的ミッションに対する従業員の理解を深めていくための重要な手段の 1 つであった。
②東海サーモの事例:ミドルマネジャー主導のパターン
(a)東海サーモがエコログ・リサイクリング・ネットワークに参加した背景
それでは次に、ミドルマネジャーが主導しながら、組織間学習を進めていった企業として東海サー
モを取り上げる。同社は、1958年に設立された衣料品の襟などの芯にする布地である「芯地 6」を製
造する企業である。2010年末の時点で資本金は 1 億円であり、従業員は200名である。
東海サーモは1994年の初期段階からエコログ・リサイクリング・ネットワークに参加しており、
現在に至るまでコミットメントを続けている。東海サーモが同ネットワークに参加していく際には、
同社の営業部の部長であった城戸浩(現専務取締役)というミドルマネジャーが推進者となり、社
内の調整を行っていった。
東海サーモは、1992年のリオデジャネイロで開催された地球サミットなどを契機とし、1990年代
の前半には自社の環境経営をどのように展開していけばよいのかという問題について考え始めてい
た。特に、この時点においてバージンの原料ではなく、再生原料を活用した衣料用芯地の開発の構
想をもっていた。丁度その頃、東海サーモは、エコログ・リサイクリング・ジャパンからリサイク
ル事業への参加の打診を受けた。エコログ・リサイクリング・ジャパンは、東海サーモが自社で一
貫した生産システムを有しているという点や、幅広い製品群(接着芯地 7・毛芯地 8・ベルト・肩パッ
6
洋服をはじめとする衣料品のシルエットを形づくる際に用いられる副素材のこと。
7
衣服のシルエットを形づくる芯すえ作業(芯地を表地に装填する縫製の工程)を接着によって実現する芯地
のこと。
8
山羊などの太い獣毛繊維を使用した芯地。
18
ド等)を揃えているという点から、有望なパートナーであると考えていたという。
東海サーモにおいて、エコログ・リサイクリング・ジャパンとの交渉の窓口となったのは城戸で
あった。城戸が、「それ(リサイクル事業がビジネスにつながるということ)は想定していました。
我々の方からいけば、価格が同じであればすべてのポリエステルの材料は再生原料に切り替えよう
と。接着芯地なんかね。そういう捉え方をとっていました。
」と語るように、彼自身は再生原料を
活用した衣料用芯地の開発などの環境経営の推進を考えており、繊維リサイクルの事業に強い関心
を抱いたという。また、城戸個人としてはこうした事業が将来ビジネスとして成長することを想定
しており、他企業に先駆けて取り組むことの重要性を認識していた。このような理由から、城戸は
東海サーモの内部における推進者として、エコログ・リサイクリング・ネットワークへの参加を社
内で推進していくことになった。
和田からエコログ・リサイクリング・ネットワークへの参加の打診を受けた後、城戸は社内の会
議で同ネットワークへの参加に対する承認を求めた。ただし、1990年代前半当時、リサイクル事業
は収益の見通しが立ちにくく、客観的な経済合理性を欠いていたために、東海サーモがリサイクル
事業に取り組むことについて否定的な議論が多くなされたという。特に、芯地業界ではどの企業も
リサイクル事業には着手しておらず、さらにはリサイクル対応の芯地に対する需要もほとんどない
という状況であり、他の企業に先駆けて事業展開をすることのリスクも高かった。
このような否定的な議論を受けて、城戸は自身を支援してくれるマーケティング課の課長ととも
に、再度交渉を続けていった。マーケティング課では、リサイクル事業の宣伝広告活動のスタイル
に関する提案やリサイクル対応の芯地に対するシーズやニーズの調査を行うなど、城戸の活動を積
極的に支援していった。東海サーモでは元々社内で自社の環境経営のあり方に関する議論がおこな
われていた点に加えて、再生原料を活用したリサイクル対応の衣料用の接着芯地の開発構想をもっ
ていた。そこで、城戸らは環境経営の推進の観点から他の企業に先駆けてリサイクル事業に取り組
むことや、エコログ・リサイクリング・ネットワークという仕組みを活用し、リサイクル対応の芯
地を販売するという点を主張し、社内の反対意見を説得した。社内では重役クラスのマネジャーに
加え、他の部門、例えば製品設計や実際の製品の生産に関わる製造部や開発部などを巻き込みなが
ら議論が重ねられていった。そしてミドルマネジャーの城戸らの粘り強い交渉の結果、東海サーモ
では同ネットワークに参加することを決定した。
(b)東海サーモの組織間学習のプロセス
東海サーモでは、それまで再生原料を用いたリサイクル可能な衣料用芯地の開発構想は持ってい
たものの、実際にそうした製品を開発・製造した経験はなく、一からの製品開発に取り組んだ。
エコログ・リサイクリング・ネットワークに参加した後、城戸は、同ネットワークが東レで開催
している事業戦略に関する会議に出席し、繊維製品の廃棄物問題の現状や、エコログ・リサイクリ
ング・ジャパンの社会的ミッション、さらには同ネットワーク規格の資材の要件について学習して
19 いったという。また、城戸はこの会議の持っていた機能を次のように語っている。
「
(資材の)どれか 1 つが駄目でも服にならない。全部のものを整えないと。例えば我々のものが
OK であっても、ボタンがダメとか、ファスナーがダメとか、色んなものがダメだということにな
ると服ができないからね。そういう意味ではみんな足並みをそろえるということですね。」
エコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の繊維製品を製造するためには、各企業が意志疎
通を図りながら、様々な資材の関連性を考慮する必要がある。その意味において、東レでの公式的
な会議は各企業の足並みを揃えたり、それぞれの技術について学習する場でもあった。また、城戸
は、公式的な会議だけではなく、YKK をはじめとする他の資材製造企業と適宜情報交換を行って
おり、非公式的な会議も製品開発に関する知識を蓄積する重要な場であったことを指摘している。
東海サーモでは、各種会議を通して獲得したエコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の資
材開発に関する知識を踏まえ、城戸を推進者とした上で、設計開発を行う開発部や製造を行う製造
部が中心となり、実際の衣料用芯地の製品開発に取り組んでいった。同社が製品開発において特に
苦労した点は、製品の組成がポリエステル100%に限定されるということであり、ナイロンなどの
素材と比較すると、ポリエステルは表生地と芯地を接着する際の接着強度などにやや劣るという問
題があった。また、エコログ・リサイクリング・ジャパンから供給されるポリエステルの再生原料
はバージンの原料と比べ価格も高く、コストの問題をクリアしていく必要があった。
城戸は開発部や製造部とともに、こうした問題を解決するために開発を続けていき、約 2 年をか
けてエコログ・リサイクリング・ネットワーク規格の衣料用芯地の製造を実現した。その結果1996
年以降、東海サーモではそうした衣料用芯地を同ネットワークの各アパレル企業に供給する体制を
整えることになった。
なお、城戸は製品開発を主導していく一方、営業部や製造部、開発部、マーケティング課などの
各部門の担当者と勉強会を行い、エコログ・リサイクリング・ネットワークを通して獲得したリサ
イクル事業に関する知識や、社会的ミッションを社内に定着させていった。また、城戸によって影
響を受けた上記の各部門の担当者が、今度はそれぞれの部門でリサイクル事業に関する勉強会を開
くなど、地道な普及啓発に関する取り組みが進められていった。特に、こうした地道な活動は、リ
サイクル事業だけではなく、環境経営に対する社員の認識を高めることにつながっている。
そして、城戸は、社内での勉強会に加えて、東海サーモにおいて元々環境経営の推進を計画して
いたことや、少数ではあるがマーケティング課や開発部などの担当者に見られるように、環境経営
に理解のある人物が社内に存在していたことが、リサイクル事業に対する社員の理解を醸成する要
因になったことを指摘している。
20
(c)東海サーモにおける変化
東海サーモでは、エコログ・リサイクリング・ネットワークに参加し、環境経営に対する取り組
みを本格化する中で、次の 3 つの変化が見られた。第 1 の変化として、同ネットワーク規格製品の
製造が挙げられる。現在、同ネットワーク規格の衣料用の接着芯地は 5 種類ほど存在している。東
海サーモの開発部の棚瀬勉によると、これ自体の販売量は同社の製品全体の数パーセントを占める
のみであり、必ずしも主力事業になっているわけではない。ただし、同ネットワーク規格の製品は、
同社の主要な環境配慮型製品として位置づけられている。
第 2 の変化は、他の環境配慮型製品や環境事業の開発である。東海サーモでは、エコログ・リサ
イクリング・ネットワークへの参加を通して蓄積した製品開発に関する知識を活用して、1998年に
エコマーク認定の製品を、2002年にはエコテックス100規格 9 の認定製品を開発するなど環境配慮
型製品の開発を進めている。これらは主力製品というわけではない。しかし、社内において環境配
慮型製品の開発は続けられており、近年では生分解性 10 の資材開発に取り組むなど、製品開発の際
に環境配慮の視点が定着しつつある。また、リサイクル事業の実績を重ねることで、2008年に帝人
ファイバーから同社の繊維リサイクルのネットワークである「エコサークル」への参加を打診され
た。東海サーモでは、エコログ・リサイクリング・ネットワークだけではなく、そうした他の繊維
リサイクルのネットワークにも参加しており、自社の環境事業の拡充を図っている。
そして第 3 の変化として、環境経営の推進体制の整備が挙げられる。棚瀬によると、環境経営の
中でも省エネルギーの取り組みに関しては、社内の各部門のリーダーで構成した「エネルギー管理」
の組織を新たにつくり対応を進めているという。その他、二酸化炭素排出規制や有害物質規制に関
しても城戸を中心とし、各部門の担当者が連携してプロジェクト・チームを立ち上げ、取り組みを
行っている。東海サーモでは基本的に各部門がそれぞれ環境経営を推進するための体制を整えてお
り、全社的な環境経営の体制はまだ整備されていない。また、同社は ISO14001の認証取得を検討
しており、現在はそのための委員会を社内で立ち上げ議論を重ねている段階であるという。
城戸は、近年になりようやく社内においてリサイクル事業や環境経営に対する認識が深まってい
ることを指摘している。特に、帝人ファイバーのリサイクル事業や、ユニフォーム・アパレル業界
におけるリサイクル対応のユニフォームの推進をはじめとする繊維産業における環境経営の広がり
によって、徐々に東海サーモの環境配慮型製品に対する需要も高まりつつある。その結果、社内で
は環境事業の経済合理性も見なおされており、1994年の時点と比べると、そうした事業に自社の資
源を動員することについて理解が得られるようになったことを城戸は述べている。
9
欧州を中心に世界24カ国の試験研究機関で構成するテキスタイル・エコロジー国際共同体が定めた繊維製品
に対する国際的な安全基準のこと。
10
物質が土中や水中の微生物によって分解される性質であること。
21 5 .結論
本稿は、エコログ・リサイクリング・ジャパンによる使用済み繊維製品のリサイクル事業「エコ
ログ・リサイクリング・ネットワーク」を取り上げ、社会的協働に参加している各企業が他の企業
といかにして組織間学習を行っているのかという点と、各企業が社会的課題に対する認識や行動を
どのように変化させたのかという点を考察した。 本稿の事例研究は、トップマネジメントとミドルマネジャーという組織間学習を主導した推進者
の役割に焦点を当てながら、組織間学習の 2 種類のパターンを導出した。それぞれのパターンを見
てみると、まず、ユニングではトップマネジメントが先頭に立ち、他企業との情報交換を積極的に
行ったり、さらには社員の普及啓発活動を主導していた。次に、東海サーモでは生産や営業の現場
で活躍する各部門のミドルマネジャーが、他企業との共同開発の現場に赴き、定期的に情報交換を
行っていた。また、同社は、こうしたミドルマネジャーたちが、自身の所属する部門、あるいは自
身の部門を越えて他の部門で地道にリサイクル事業に関する勉強会を自発的に開催していた。
エコログ・リサイクリング・ネットワークに参加していた企業の推進者は、東レで開催されてい
た同ネットワークのマーケティングや事業戦略に関する公式的な会議においてエコログ・リサイク
リング・ジャパンの社会的ミッションや繊維製品の廃棄物問題の現状を学習し、さらには同ネット
ワーク規格製品の開発に関する技術的知識を交換していたことを確認した。こうした会議は、リサ
イクル事業に関して各企業の間に共通理解をつくり、足並みを揃える場として位置づけられた。
また、事例研究を通して、各企業の間で自発的に行われる非公式的な会議が、公式的な会議にお
いて十分に話し合うことのできなかった部分についてフォローしたり、製品開発に関する互いの細
かい技術的知識について学習する密接な情報交換の場として機能していたことを明らかにした。
そして、組織間学習を通して生じた各企業の変化については、ユニングと東海サーモともに、リ
サイクル事業や環境経営の進展という点が挙げられる。ただし、推進者のちがいによって導出され
た組織間学習の 2 種類のパターンに着目してみると、双方の企業に生じた変化のあり方には異なる
点が見られる。まず、トップマネジメントの権限が強かったユニングの場合、組織変化が迅速に促
されることが示された。また、その組織変化が社内の一部門にとどまらず、全社的な変化になるこ
とも確認した。ユニングでは、後に代表取締役社長となる推進者の森下洋(当時常務取締役)に自
由裁量が与えられており、かつ企業の規模も比較的小さかったことから、トップダウンで非常に迅
速な意思決定を行うことができた。そのことによって社内の抵抗も抑えられ、環境経営のための体
制整備やリサイクル事業の展開が全社的に進められた。
一方、東海サーモでは、基本的には各ミドルマネジャーがそれぞれの部門で会議を重ね、独自の
リサイクル事業や環境経営の施策を計画立案するという形式を採用している。そのため、同社は、
生産・開発・営業・マーケティング等の各部門において環境経営に関する取り組みが進められるも
のの、全社的な環境経営の施策を導入するまでに多くの時間を要していることが明らかになった。
22
このように、本稿は、組織間学習を主導した人物である推進者や学習が行われた場に焦点を当て、
組織間学習が誰によって、どのようにして行われていくのか、さらに組織間学習で獲得した知識や
情報を、誰がどのようにしてそれぞれの企業の内部に定着させていくのかという、社会的協働にお
ける組織間学習のプロセスと、それぞれの企業内部で行われる組織学習のプロセスを明らかにした。
そして、こうした社会的協働における組織間学習と組織学習が、参加企業の社会的課題に対する認
識や行動を変化させるメカニズムになることを示した。以上が社会的協働研究に対する本稿の貢献
である。また、事例研究を通した組織間学習のプロセスと組織学習のプロセスの相互関係の解明と
いう点は、組織間学習の先行研究で十分に検討されていない研究課題であり、その意味において本
稿は組織間学習の研究に対しても一定の貢献があると考える。
最後に本稿に残された課題は次の通りである。それは、組織間学習がうまく行われず、社会的課
題に対する理解が醸成されなかった企業を対象とした比較事例研究である。本稿の事例研究は、組
織間学習と組織変化のプロセスを明らかにするために、エコログ・リサイクリング・ネットワーク
に長期間にわたり深くコミットしている企業を取り上げた。そのため、成功的な学習のプロセスが
描かれた。しかし、組織学習や組織間学習の先行研究を見てみると、学習がうまく行われず、組織
変化が阻害されることが指摘されている。例えば、Inkpen and Crossan(1995)は、米国の企業と
日本の企業における協働事業の事例研究を行い、協働事業の窓口となる協働マネジャーの認識が学
習を阻害し、パートナーから十分に知識を獲得できなかった事例を示している。これは、学習の失
敗が、企業にとって必要となる知識の獲得を阻害し、その結果組織変化が行われない可能性を示唆
するものである。そこで、今後は社会的協働にそれほどコミットしていない企業なども調査対象に
入れながら、組織間学習や組織変化の試行錯誤のプロセスを明らかにしていく必要がある。
参考文献
安藤史江(2001)
『組織学習と組織内地図』白桃書房
Argyris, C. and D. A. Schon(1978)Organizational Learning: A Theory of Action Perspective, Reading, MA:
Addison-Wesley.
Arya, B. and J.E. Salk(2006)Cross-sector alliance learning and effectiveness of voluntary codes of corporate
social responsibility , Business Ethics Quarterly, Vol.16, Issue 2, pp.211-234
中小企業基盤整備機構(2010)
「繊維製品 3R 関連調査事業報告書」
Crossan, M.M., H.W. Lane, R.E. White and L. Djurfeldt(1995) Organizational learning: Dimensions for a
theory ,
, Vol.3, No.4, pp.337-360
Dyer, J.H. and K. Nobeoka(2000) Creating and Managing a High-Performance Knowledge Sharing Network:
The Toyota Case ,
, Vol.21, No.3, pp.345-367
Feldman, M.S.(2000) Organizational routines as a source of continuous change ,
, Vol.11,
No.6, pp.611-629
Fiol, C.M. and M.A. Lyles(1985) Organizational learning ,
, Vol.10 , No.4 ,
pp.803-813
23 Holmqvist, M.(2003) A dynamic model of intra- and interorganizational learning ,
,
Vol.24, No.1, pp.95-123
Huber, G.P.(1991) Organizational learning: The contributing processes and the literatures ,
, Vol.2, No.1, pp.88-115
Inkpen, A.C. and M.M. Crossan(1995) Believing is seeing: Joint ventures and organization learning ,
, Vol.32, No.5, pp.595-618
Inkpen, A.C.(2002) Learning, Knowledge Management, and Strategic Alliances: So Many Studies, so Many
Unanswered Questions , in Contractor, F.J. and P. Lorange(eds.)
,
,
Amsterdam: Pergamon
Janowicz-Panjaitan, M. and N.G. Noorderhaven(2008) Formal and informal interorganizational learning
within strategic alliances ,
Vol.37, pp.1337-1355
Janowicz-Panjaitan, M. and N.G. Noorderhaven(2009) Trust, calculation, and interorganizational learning of
tacit knowledge: An organizational roles perspective ,
, Vol.30, Issue 10, pp.1021-1044
Kale, P.,H. Singh and H. Perlmutter(2000) Learning and Protection of Property Assets in Strategic Alliances:
Building Relational Capital ,
, Vol.21, pp.217-237
Kogut, B.(1988) Joint ventures: Theoretical and empirical perspectives ,
, Vol.9,
Np.4, pp.319-332
Larsson, R., L. Bengtsson, K. Henriksson and J. Sparks(1998)The Interorganizational Learning Dilemma:
Collective Knowledge Development in Strategic Alliance ,
, Vol.9, No.3, pp.285-305
Levitt, B. and J.G. March(1988) Organizational learning ,
, Vol.14, pp.319-340
Makhija, M. and U. Ganesh(1997) The relationship between control and partner learning in learning-related
joint ventures ,
, Vol.8, No.5, pp.508-527
Mowery, D.C., J.E. Oxley and B.S. Silverman(1996)Strategic alliances and Interfirm knowledge transfer ,
(
), pp.77-91
Nooteboom B., H. Berger and N.G. Noorderhaven(1997)Effects of Trust and Governance on Relational Risk ,
, Vol.40, No.2, pp.308-338
大松沢明宏(2006)
「繊維製品のリサイクル技術の動向」
『繊維トレンド』No.57, pp.48-52
Phan, P.H. and T. Peridis(2000)Knowledge creation in strategic alliances: Another look at organizational
learning ,
, Vol.17, pp.201-222
高井透(2001)「企業間学習による価値協創」寺本義也・中西晶編著『知識社会構築と理念革新:価値創造』日
本日科技連出版社
谷本寛治(2006)
『CSR −企業と社会を考える−』NTT 出版
徳田昭雄(2000)
『グローバル企業の戦略的提携』ミネルヴァ書房
Yoshino, M.Y. and U.S. Rangan(1995)
Business School Press.
24
, Harvard
【論 文】
生活圏間純流動データを利用した
国内航空旅客市場特性に関する実証分析
大 橋 忠 宏
要 旨
本研究では、生活圏間純流動データを利用して、個々の空港や路線の特徴を考慮し
うる枠組みの下で、国内航空旅客市場の特性を応用計量経済学的手法により検討す
る。国内航空旅客市場における輸送密度の経済性については、大橋(2011a)が都府
県及び北海道 4 ゾーンの50ゾーン間 OD データを利用して当該特性の検討を行ってい
るが、ゾーン間 OD レベルに集約する際に、大都市圏等のように複数空港を利用でき
る場合には、路線データの集約等が行われており、個々の路線や空港の特性を考慮し
うる枠組みとはなっていなかった。本研究では、当該問題を解決するために207生活
圏間 OD レベルのデータ構築を行い、需給関数を同時推定した。推定の結果、輸送密
度の経済性については、大橋(2011a)、
(2011b)と同様に、路線需要の二次の項まで
考慮したモデルでは、ローカル線では輸送密度の経済性が卓越的であるが、幹線では
輸送密度の不経済性が卓越的であることが、統計的に有意な結果として得られた。た
だし、路線需要の一次の項のみ考慮したモデルでは、輸送密度の不経済性が働いてい
る可能性が指摘される。
1 .はじめに
本研究の目的は、個々の空港や路線の特徴を考慮しうる枠組みの下で、国内航空旅客市場の特性
を応用計量経済学的手法により検討することにある。
日本の国内航空旅客市場では、1980年代後半以降に経済的規制が徐々に緩和された。具体的に
は、参入については、1986年から複数社が同一路線に参入するための基準が段階的に緩和され、
1997年に参入が自由化された。その結果、1998年の SKY、ADO 参入以降、多くの新規参入が行わ
れている。一方で、2001年の JAL・JAS 統合などの寡占化の動きもある。さらに、より最近では
ローコストキャリヤーの新規参入も始まっている。運賃については、1995年に一部運賃の届け出制
採用、1996年に幅運賃制度導入を経て、2000年に届け出制へ移行された。
25 以上のような市場環境の変化の中で、空港政策としては首都圏や近畿圏での空港機能分担やハ
ブ空港化などに関する議論が行われている。空港の機能分担やハブ空港化の議論を行うためには、
個々の空港や路線の特徴を考慮しうる枠組みの下での分析・評価が不可欠であるが、日本の国内航
空旅客市場を対象とした実証研究は筆者の知る限り十分な研究蓄積が行われているわけではないと
言えよう。
航空旅客市場に関する理論的研究では、市場特性として輸送密度の経済性が考慮されることが
多い。本研究では、Brueckner and Spiller(1994)に倣って、輸送密度の経済性とは路線需要の増
加に対して追加的費用が低下する特性であると定義する1。Brueckner and Spiller(1994)によると、
米国の国内航空旅客市場では、輸送密度の経済性がハブ・アンド・スポーク型運航を促進し、規
制緩和直後には新規参入が促進されたが、結果的に規制緩和前より寡占化が進行したと指摘してい
る。日本でも規制緩和後には新規参入が行われたが、航空路線網再編や前述の JAL・JAS 統合など
の変化があり、米国との共通点もみられる。したがって、日本の国内航空旅客市場において輸送密
度の経済性/不経済性が存在するならば、市場の寡占化が促進される可能性があり、当該経済性を
考慮した分析を元に議論する必要があると考える。
日本を対象とした実証研究では1990年代以降、村上(1994)や衣笠(1995)などの費用構造に関
する分析や大橋(2003)のように国内全体を集計した枠組みの下で空港整備や規制緩和の社会的
余剰を分析した事例はあるが、個々の空港や路線の特徴を考慮したネットワークレベルでの議論は
近年始まったばかりである。ネットワークレベルでの航空旅客市場に関する実証的な議論につい
ては、(i)数理計画問題としてのネットワークモデルによる方法と、
(ii)応用計量経済学的手法によ
るもの、の 2 つが代表的である。
(i)については、大橋他(2004)や石倉(2008)などがあり、き
め細かな政策の考慮が可能な反面、需要関数や費用関数等については別途推定したものが外挿され
るため、モデル全体の整合性については課題もある。さらに、データ入手可能性などにより、地域
区分を大きくする必要があり小ゾーンを対象とした評価を行うにはモデル拡張が必要となる2。
(ii)
については、国際航空旅客市場に関する白石(1997)や国内航空旅客市場に関する村上(1995)
や Yamaguchi(2007)
、 大 橋(2011a)
、
(2011b) が あ る。 た だ し、 白 石(1997) や 村 上(1995)、
Yamaguchi(2007)では、航空旅客市場の寡占性は考慮されているものの、費用特性としての輸
1
Brueckner and Spiller(1991)
,(1994)あるいは彼らのモデルを援用した研究の多くでは、供給側の限界費用
低下の特性のみが明示的に考慮されることが多い。しかし、需要分析の成果をみると、需要側にとっては路線
需要の増加は運行頻度の増加によるスケジュールコスト低下をもたらす。本稿では、前者を供給側の輸送密度
の経済性と呼び、後者を需要側の輸送密度の経済性と呼ぶこととする。なお、最近の航空旅客市場に関する理
論研究では、Brueckner(2010)のように需要側の輸送密度の経済性を明示的に考慮し、供給側の輸送密度の経
済性は考慮されない下でスケジュールコストの考慮の重要性を指摘しているものもある。
2
欧州を対象とした事例として、Adler et al.(2010)がある。彼らは、大橋他(2004)と同様の枠組みの下で、
EU 域内の航空と鉄道モードの代替性を考慮したモデルを構築し、比較的小ゾーン単位でのデータを使って分析
を行っている。
26
送密度の経済性などについては十分に検討されているとは言い難い。大橋(2011a)、
(2011b)は、
Brueckner and Spiller(1994)に倣って輸送密度の経済性を考慮した枠組みの下で分析を行ってい
る。ただし、それらでは、都府県及び北海道 4 ゾーンの50ゾーン間 OD レベルでのデータセットを
元に分析が行われている。首都圏や近畿圏などでは、地域内に複数空港が利用可能であり、50ゾー
ン間 OD レベルではデータ作成段階で路線等が集約されてしまっているため、大都市圏での複数空
港の役割分担等には言及できないなどの問題がある。したがって、よりきめ細かな個々の空港や路
線の特徴を考慮するためには、より地域区分の小さい207生活圏間 OD レベルでのデータセットに
よる分析が必要であると考える。
以上を概観すると、空港の機能分担などの日本の国内航空旅客市場における課題を議論するため
には、個々の空港や路線の特徴を考慮し、かつ、先行研究で指摘されている輸送密度の経済性/不
経済性を考慮しうる枠組みの下での実証的な検討が不可欠であろう。そこで、本稿では、207生活
圏間 OD レベルでデータセットを構築し、大橋(2011a)、
(2011b)を拡張したモデルを使って、日
本の国内航空旅客市場の特性を実証的に検討する。具体的には、2. で大橋(2011b)を元にした実
証モデルについて説明し、3. でモデルの特定化並びにデータ作成について説明する。4. で推定結果
を元にして、日本の国内航空旅客市場特性について考察し、5. で研究結果を総括し今後の課題につ
いて説明する。
2 .モデル
本研究では、国内航空旅客市場について Brueckner and Spiller(1994)や大橋(2011a)、
(2011b)
などと同様に以下を仮定する。
まず、OD ペア毎に旅客市場が存在するものとする。各市場に参入する航空会社は同質的な財を
生産しているものとし、簡単のため各市場は独立であると仮定する。以上の仮定の下で、本研究で
は逆需要関数を以下のように定義する。
(1)
ここで、m は地域間旅客市場(OD)、qm は市場 m での航空需要量、Em は市場 m の市場規模、tm は
運賃以外の旅客の費用(アクセスコストや所要時間、スケジュールコストなど)
、airsharem は航空
の交通機関分担率とする3。
航空会社の費用については、簡単のため運航に係る費用は路線ごとに独立であると仮定する。こ
のとき、ネットワーク全体での運航費用は路線での費用の和として定義される。航空会社 i の路線 j
での限界費用を次のように仮定する。
3
国内航空旅客市場を分析する上で、
鉄道等の代替交通機関の影響は無視できない。ここでは、
Yamaguchi(2007)
でも利用されている航空シェアを導入することで、代替交通機関の影響を考慮する。
27 (2)
ここに、Qij は航空会社 i の路線 j での需要量、Distancej は路線 j の時間距離、AirportDum は主要
空港ダミー変数(羽田や伊丹・関西、新千歳、中部、福岡、那覇など)とする。航空旅客市場は路
線ごとではなく OD ペア毎に存在するから、市場 m で集計した限界費用は以下のように書くことが
できるものとする。
(3)
ここで、qim は航空会社 i の市場 m での航空需要量であり、Im を市場 m で運航する航空会社 i からな
る集合として、
とする。Sim は Qij の関数とする。Distancem は市場 m の時間距離と
する。
航空旅客市場の競争について、Brueckner and Spiller(1994)など多くの先行研究で仮定されて
いるように、クールノーの寡占競争を仮定すると均衡では次の式が成立する。
(4)
ただし、一般に航空会社の個別の需要に関する情報は入手し難いので、両辺に航空会社数を掛けて
平均化して考える。すなわち、
(5)
ここで、nm は 都市間市場 m での参入企業数とする。
3 .関数の特定化と利用データ
3 . 1 関数の特定化
実証分析のための、逆需要関数及び限界費用関数等のモデル特定化について説明する。
逆需要関数は大橋(2011a)、
(2011b)と同様に次のように仮定する4。
4
(6)
Brueckner and Spiller(1994)では、需要関数の傾きとして市場毎に異なる bm が設定されているが、本研究で
は、簡単化のため式(6)のような特定化を行った。
28
ここで、逆需要関数の切片 am を以下のように特定化する5。
(7)
ここで、Qj は路線 j の需要量とし、L(m)は与えられた m の旅客が利用する路線からなる集合とす
る6。逆需要関数(式(6))の傾き b の符号は負を想定している。次に、逆需要関数の切片(式(7))
の符号について、a 1 はプラスを想定している。その理由は、航空シェアの上昇は、鉄道等の代替
交通機関に比べて航空機関が競争において有利になると考えられるため、価格支配力を強めると考
えるからである。a 2 の符号は、潜在的な需要量及び旅客のスケジュールコストに関連する係数で
あり、プラスを想定している。a 3 、a 4 の符号については、旅客にとって費用に相当すると考えら
れるため、共にマイナスを想定している。
限界収入 MR は、式(6)から次のように書くことができる。
(8)
限界費用は、Brueckner and Spiller(1994)や大橋(2011a)、
(2011b)と同様に次のように特定
化する。
(9)
本研究では、先行研究と同様に均衡ではクールノーの寡占競争を仮定する。すなわち、限界収入
と限界費用が等しいという以下の式が得られる。
(10)
5
研究当初、旅客需要については、大橋(2011a)
、(2011b)と同様に、潜在的な市場規模に関する変数として、
OD ペアの人口の積(POPPOPm)及び需要側の輸送密度の経済性としてのスケジュールコストを表現する運航
頻度(Freq m)の逆数、あるいは路線需要を含むような以下の式を想定した。
しかしながら、上記のモデルについて符号条件を満足する推定式が得られなかった。なお、式(7)のような特
定化を行うと、市場規模の程度と需要側の輸送密度の経済性の程度が一つの変数に集約されてしまうため、効
果をわけて議論できなくなど問題点が多い。データ構築やモデル特定化については今後の課題としたい。
6
式(7)に含まれる路線需要 Qj は、厳密には qm の関数である。しかし、今回はモデル展開およびデータ処理
を簡単化するため、Brueckner and Spiller(1994)と同様に qm とは独立な変数として、すなわち、外生変数とし
て扱う。
29 なお、今回は需要に関して航空会社毎のデータは入手できないので、航空会社については市場毎に
平均化して問題を考える。すなわち、両辺に参入企業数 nm を乗じて整理すると、
限界費用の切片
(11)
は、主要空港ダミー変数(HND、CTS、FUK、NGO)7 や、時間、頻度からな
る関数として次のように特定化する。
(12)
ここで、主要空港ダミー変数の係数(α1∼α4)については、プラスの符号を想定している。日本
の国内航空旅客輸送を対象とする場合、今回の主要空港として想定しているのは基本的には国管理
空港であり、地方管理空港に比べて、路線や運航頻度などが相対的に集中しているため、滑走路等
での遅延が発生しやすいと考えられる。また、地方管理空港の多くでは、空港使用料が国管理空港
と比べて安く設定されているためである。ラインホール時間の係数 α5 の符号としては、ラインホー
ル時間の増加は燃料費の増加を意味すると考えられるのでプラスを想定している。
供給サイドに関する輸送密度の経済性を表現する
は、路線需要を使って次のように特定化す
る。
(13)
式(13)は、輸送密度の経済性が卓越している場合( β1 + 2 β2 Qj < 0)には Qj に関して減少関数と
なる。他方、混雑効果が卓越している場合( β1 + 2β2Qj > 0、すなわち、輸送密度の不経済性が働
いている場合)には Qj に関して増加関数となることを想定している。
7
データ作成段階では、羽田(HND)と新千歳(CTS)
、福岡(FUK)
、中部(NGO)以外に、伊丹(ITM)
、
那覇(OKA)の各空港ダミー変数を作成して、推定作業を行った。しかし、多重共線性が疑われるケースや係
数の t 値が低いなど、符号条件や統計的有意性の観点から良好な推定結果は得られなかった。
30
3 . 2 利用データ
今回の推定に利用したデータの一覧を表 1 に示す。
表 1 : 利用データ一覧
変数名
変数の説明
出所及び作成方法
第四回の幹線旅客純流動調査の代表交通機関別年
間拡大データの往復の平均値
qm
OD ペア間 m の航空需要(千人)
Qj
航空路線 j を利用する需要(千人)
OD ペア間の航空需要を航空路線毎に集計
airsharem
航空機関の分担率
第四回の幹線旅客純流動調査の代表交通機関別年
間拡大データの往復の平均値から算出
POPPOPm
発地域人口(人)×着地域人口(人) 国勢調査人口
pm
OD ペア間 m の航空運賃(円)
JTB 時刻表掲載の正規運賃で、複数路線を乗り継
ぐ場合はそれらの運賃の足し合わせ
LTIME
ラインホール時間(分)
JTB 時刻表掲載のものを利用し、往路側の所要時
間の最頻値
FREQ
運航頻度(便)
JTB 時刻表の往復の平均値
HHI
運航頻度に関するハーフィンダール・
JTB 時刻表掲載の運航頻度を利用
ハーシュマン指数
ACC_FARE
ACC_TIME
アクセス運賃(円)
JTB 時刻表掲載のバス、鉄道データ
アクセス時間(分)
JTB 時刻表掲載のバス、鉄道データ
CTS
新千歳空港ダミー
新千歳空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
HND
羽田空港ダミー
羽田空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
ITM
伊丹空港ダミー
伊丹空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
NGO
中部空港ダミー
中部空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
FUK
福岡空港ダミー
福岡空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
OKA
那覇空港ダミー
那覇空港を離発着する路線を利用する場合に 1
を、そうでない場合に 0 を設定
OD 交通量(qm)は、全国幹線旅客純流動調査の生活圏レベルの207ゾーン間の代表交通機関別
年間拡大データの往復の平均である。ただし、大橋(2011)と同様に、OD 以外第三地域へのト
リップを含む周遊行動を行っていると推測されるため round trip として解釈できない OD ペアや離
島便利用と推測されるものは標本から除外した。航空路線需要(Qj )は、OD 交通量を路線毎に集
計したものである。airsharem は航空機関分担率であり、幹線旅客純流動調査の代表交通機関別年
間拡大データの往復の平均値から算出した。
POPPOPm は OD ペア m の人口の積であり、国勢調査のデータを利用している。
運賃や運航頻度、ラインホール時間、HHI のデータは、JTB 時刻表から作成している。HHI は
供給便数に関するハーフィンダール・ハーシュマン指数であり、1/HHI を平均化した市場での参入
31 企業数(nm)として利用している。運賃(pm)には通常期の正規運賃を利用している。航空運賃
には通常期や繁忙期の正規運賃の他、各種割引運賃等が利用可能であるが、データの入手可能性か
ら通常期の正規運賃を利用することとした 8。ラインホール時間(LTIME)は一般に往路(時刻表
左欄)と復路(時刻表右欄)では異なるが、簡単のため、往路で最も運航頻度の多い航空会社の値
を利用している。
OD ペアそれぞれの最寄り空港間に直行便が就航していない場合の乗り継ぎの設定方法は大橋
(2011a)
(
, 2011b)と同様に設定した。すなわち、OD ペアに対してそれぞれの最寄り空港間に直行
便がない場合、隣県空港利用による直行便があれば当該便を利用すると想定している。それ以外の
場合には、複数区間乗り継ぎを設定している。乗り継ぎ設定については次のように設定している。
当該地域と羽田空港間に直行便路線が設定されている場合には羽田乗り継ぎとしてデータを作成し
ている。羽田線がない場合には、適宜、伊丹乗り継ぎ、あるいは新千歳乗り継ぎ、福岡乗り継ぎ、
中部乗り継ぎを想定してデータの作成を行っている。また、乗り継ぎ便を利用する OD ペアに関す
る HHI は簡単のため、各利用路線の HHI を単純平均したものを利用している。
アクセス運賃(ACC_FARE)及びアクセス時間(ACC_TIME)については、JTB 時刻表を元に
各 OD の最寄りの空港について作成したものを利用している。
主要空港ダミー変数は JTB 時刻表を元に作成している。データ作成段階では、国内航空輸送を
考える上で主要な空港と考えられる新千歳空港、羽田空港、伊丹空港、中部空港、福岡空港、那覇
空港に関する空港ダミー変数を想定した。空港ダミー変数は、これらの空港を利用する路線の場合
には 1 をそうでない場合には 0 を設定している。なお、乗り継ぎ便を利用する OD については、主
要空港ダミー変数を設定した空港を着陸及び離陸で利用する場合には、 2 を設定している。
4 .推定結果
式(6)、(11)を3.1で説明したデータを利用して、三段階最小二乗法により推定した。その結果
を表 2 に示す。表 2 に示したモデル 1 ∼ 3 は推定の結果、概ね想定した符号条件を満たしたものを
掲載している。
まず、式(6)について、需要関数の傾き b 及び切片のラインホール時間以外の係数の内、a 1 、
a 2 、a 4 の符号条件は想定通りである。ラインホール時間とアクセス時間の和の係数 a 3 については、
マイナスの符号を想定していたが、さまざまな変数の組み合わせで推定した結果、いずれの場合も
プラスの符号であった。符号がプラスということは、アクセス時間とラインホール時間を合わせた
所要時間の増加が需要を増加させることを意味するが、他の交通機関との関係から航空機関は長距
8
澤野(2006)は、航空運賃関数の推定で、データとして利用する運賃の種類によって、運賃の決定要因に違
いがあることを指摘している。運賃としてどのようなデータを利用するのが望ましいか等の検討については今
後の課題としたい。
32
離ほど時間費用で有利に働くので、所要時間が長いほど相対的に航空機関への需要が高まると解釈
できる。各係数の統計的有意性については、需要の傾き及び航空シェア、OD に関する路線需要の
集計値の係数 b、a 1 、a 2 についてはモデル 1 ∼ 3 のすべてについて 1 % 未満で有意である。アクセ
ス運賃の係数 a 4 について、モデル 1, 2 では 1 % 未満で有意であるが、モデル 3 では有意ではない。
アクセス時間とラインホール時間を合わせた所要時間の各係数 a 3 については統計的に有意ではない。
同様に、式(11)の推定結果についてみていこう。
限界費用関数の構成要素の内、路線需要に依存しない部分に当たる α 1 ∼α 5 の符号条件は想定通
りである。ただし、統計的な有意性については、空港ダミー変数の係数 α 1 ∼α 4 については、 5 %
未満の水準で有意であるが、ラインホール時間の係数 α 5 については統計的に有意な結果は得られ
ていない。
次に、供給側にとっての路線需要の増加に伴う規模の経済性、すなわち、供給側の輸送密度の
経済性に関する係数 β 1 、β 2 についてみていこう。モデル 1 、 2 での β 1 の符号はプラスである。こ
の結果は、輸送密度の不経済性が働いていることを意味している。他方、モデル 3 をみると、β 1
はマイナスで β 2 はプラスとなっている。すなわち、需要規模の小さい路線では輸送密度の経済
性が働いているが、需要規模の大きな幹線では輸送密度の不経済性が働いていることを示してい
る。統計的有意性については、モデル 1 、 3 では β 1 、β 2 は 1 % 未満の水準で有意であるが、モデ
ル 2 では β 1 は統計的に有意ではない。ここで、モデル 3 の結果を使って式(13)を Qj で微分した
β 1 + 2 ・β 2 Qj の符号を確認した。その結果、羽田−新千歳、羽田−伊丹、羽田−福岡では輸送密
度の不経済性が卓越的であり、それ以外では輸送密度の経済性が卓越的であることがわかった。こ
れは、Caves et al.(1984)
、大橋(2011a)での幹線に比べてローカル線ほど輸送密度の経済性が強
く働いているという指摘と一致する。なお、Brueckner and Spiller(1994)では、式(13)と同様
の特定化の下で、すなわち、輸送密度の経済性と不経済性とを同時に考慮できる特定化の下で分析
が行われているが、路線需要の二乗の項の係数について統計的に有意な結果は得られていない。
なお、輸送密度の経済性について、都府県レベルの OD データで分析を行った大橋(2011a)
(
、2011b)
と今回のモデル 1 、 2 の結果は異なっている。すなわち、大橋(2011a)
、
(2011b)では、β 1 のみを
含む結果のすべてで輸送密度の経済性が働いており、統計的にも有意であるが、生活圏間 OD デー
タで推定した今回のモデル 1 、 2 では逆の結果になっているのである。もちろん、大橋(2011a)、
(2011b)とは、データ作成段階での違い等があるため注意が必要である。すなわち、大橋(2011a)、
(2011b)は都府県レベルの地域間航空旅客 OD を利用しているため、首都圏や中部圏、近畿圏など
の大都市部で複数空港が利用可能な場合に複数路線の需要を集計して路線需要として扱っている。
一方、今回は概ね殆どの路線の需要を集計することなく利用している点などが異なる 9。
9
輸送密度の経済性の定義からすると、本研究のデータ作成の方が整合的である。ただし、作成したデータか
ら計算される路線需要と、航空輸送統計などから得られる路線需要との誤差についての検討は、時間的な問題
等もあり行っていない。
33 最後に、モデルの再現性については、モデル 1 ∼ 3 の自由度修正済み決定係数をみると、総じて
非常に低い結果しか得られていない。詳細は次章に譲るが、データ作成上の問題や利用データ等の
問題等に起因していることが予想される。モデルの再現性向上については今後の課題としたい。
以上から、日本の国内航空旅客市場において、モデル 3 の結果を採用するならば、需要規模の小
さい路線では輸送密度の経済性が働いているが、需要規模の大きな幹線では輸送密度の不経済性が
働いていると言える。他方、モデル 1 、 2 の結果を採用するならば、国内航空旅客市場において輸
送密度の不経済性が働いていると言えよう。ただし、上述のように、モデル 1 , 2 の結果は、大橋
(2011a)
、
(2011b)とは反対の結果であり、より詳細な検討の蓄積が必要であると考えられる。
表 2 :三段階最小二乗法による需給関数の推定結果(標本数:5207)
モデル 1
モデル 2
モデル 3
a 0(定数項)
被説明変数:航空運賃
29828.06
28032.43
28040.73
a 1(航空シェア)
3879.143
(0.000)
6961.309
(0.000)
7561.970
(0.000)
式
a 0(OD に関する
路線需要の集計値)
1.957908
(0.000)
2.281963
(0.000)
2.361025
(0.000)
(6)
a 3(アクセス時間
+ラインホール時間)
0.058684
(0.365)
0.088932
(0.234)
0.100085
(0.189)
a 4(アクセス運賃)
-0.917054
(0.000)
-0.814563
(0.000)
-0.901911
(0.223)
b(需要)
-16.56127
(0.000)
-120.1626
(0.000)
-144.0225
(0.000)
自由度調整済み決定係数
0.160
0.124
0.082
被説明変数:航空運賃
モデル 1 続き
モデル 2 続き
モデル 3 続き
α 0(定数項 )
27723.47
27043.69
28425.86
α 1(羽田ダミー)
3124.745
(0.000)
4823.591
(0.000)
6168.223
(0.000)
α 2(新千歳ダミー)
2617.371
(0.000)
4058.498
(0.000)
3163.848
(0.000)
α 3(福岡ダミー)
1960.351
(0.000)
−
−
α 4(中部ダミー)
706.3688
(0.020)
−
−
α 5(ラインホール時間)
0.055829
(0.404)
0.051170
(0.469)
0.232290
(0.005)
β 1(リンク需要)
0.832670
(0.000)
0.216905
(0.126)
-5.548933
(0.000)
−
−
0.001294
(0.000)
16.56127
120.1626
144.0225
0.154
0.128
0.055
式
(11)
β 2(リンク需要の二乗)
- b( 1 社当たり平均需要)
自由度調整済み決定係数
※括弧内は p 値。
※推定には EViews 7 を利用している。
34
5 .おわりに
本稿では、ネットワークレベルで捉えた国内航空旅客市場において、従来から指摘されることの
多い輸送密度の経済性等を明示的に考慮しうる枠組みの下で需給関数の同時推定を行い、市場特性
について検討した。主要な結果は次のように要約される。
(1)限界費用関数について考慮されることの多い供給側の輸送密度の経済性について、
(i)輸送密度
の不経済性が働いている可能性、
(ii)ローカル線では輸送密度の経済性が働いており主要幹線
では輸送密度の不経済性働いている可能性がある、という結果が得られた。
(2)限界費用関数について、主要空港ダミー変数として相対的に路線や運航頻度の多い空港では相
対的に限界費用が高くなることを想定したところ、羽田や新千歳、福岡、中部では想定通りの
結果が統計的にも有意であることがわかった。
(1)については、考慮する変数や関数型等により、
(i)または(ii)
であることがわかった。ただし、
(i)
の結果については、大橋(2011a)、
(2011b)の結果とは異なる。先行研究でのデータ作成段階での
地域集約時の限界に依存する面もあるが、本研究ではゾーンのセントロイドから公共交通機関利用
により所要時間最小となる空港のみを利用する、という前提の下で利用路線を特定化して、路線
需要を算出している。ただし、本研究で計算される路線需要と統計データとして整備されている総
流動データとの誤差については時間的な問題等もあって比較検討を行っていない。これらについて
は今後の課題としたい。(2)については、大橋(2011a)、
(2011b)との結果と同じである。ただし、
空港政策の評価を考える場合には、地方空港で行われているような空港使用料の減免措置などの評
価についても考慮できることが望ましいと考えられるため、各地方空港の特性も考慮しうるような
モデル拡張も必要であろう。
なお、分析については、幾つかの問題点も指摘される。
一つは、利用データに関するものである。特に、運賃データについては、澤野(2006)が指摘し
ているように、利用する運賃の種類(正規運賃か割引運賃かなど)によって推定値は影響を受け
る。この点について、今後は実勢運賃を利用した分析等も必要であろう。また、データ作成時にお
けるセントロイド特定時の恣意性や空港選択、代替経路があるときの扱いなどについても課題が残
る。ただし、空港選択に関する想定や代替経路設定に関しては、統計データが整備されていないた
め、改善するには難しい面も存在する。さらに、今回の分析では、OD ペア毎の市場規模を表現す
る変数として人口の積を想定していたが、推定作業の過程で符号条件を満たすものが得られず、採
択されたモデルからは除外されている。その結果として、自由度修正済みの決定係数の値が非常に
低い推定結果しか得られなかったと考えられる。市場規模を表現しうるデータとしては、人口以外
にも経済規模に関するものも考えられる。たとえば、県民所得等をデフレーターで実質化したもの
を、生活圏間へ人口比等で比例配分するなどして作成するなどである。これらの利用データ等につ
いては今後の課題としたい。
35 二つ目は関数の特定化及びモデル選択についてである。今回の分析では Brueckner and Spiller
(1994)に倣って線形の関数に特定化したが、関数が線形の場合には、どうしても運賃や需要量を
再現した際にマイナスになる可能性がある。政策効果を定量的に評価するためには、この点につい
ても改善する必要がある。
三つ目は、市場の枠組みについてである。今回は航空旅客市場のみを対象に分析を行っている
が、国内旅客市場を考える上では、新幹線等の代替交通機関との関係を考慮することが非常に重要
である。今回の推定結果では、需要関数の一部の係数では符号条件が満たされなかったが、代替交
通機関の考慮に問題があった可能性がある。この点については、より効果的な代替交通機関を考慮
する方法を考える必要がある。もちろん、空港整備効果等を適切に評価するためには、航空旅客市
場だけでなく、国内の旅客市場全体での枠組みへの拡張も必要となる。
謝辞:本研究は、科学研究費補助金(若手研究 B:21730216,基盤研究 C:24530288)を受けてい
る。熊本大学政策創造研究教育センター主催の都市政策研究会では、安藤朝夫教授(東北大学)、
柿本竜治教授、丸山琢也准教授(熊本大学)
、宅間文夫准教授(明海大学)には、今後の課題等に
関して多くの有益なコメントを得た。ここに記して感謝の意を表するものである。本稿に関するあ
らゆる誤りや責任は筆者に帰属するものである。
参考文献
Adler, N., Pels, E., and Nash, C.: High-speed rail and air transport competition: game engineering as tool for
cost-benefit analysis,
, Vol.44, pp.812-833, 2010.
Brander, J.A. and Zhang, A.: Market conduct in the airline industry: An empirical investigation,
, Vol.21, pp.567-583, 1990.
Brueckner, J.K.: Schedule competition revisited,
, Vol.44(3)
, pp.261-
285, 2010.
Brueckner, J.K. and Spiller, P.T.: Competition and mergers in airline networks,
, Vol.9, pp.323-342, 1991.
Brueckner, J.K. and Spiller, P.T.: Economies of traffic density in the deregulated airline industry,
, Vol.37, pp.379-415, 1994.
Caves, D.W. , Christensen, L.R., and Tretheway, M.W.: Economies of density versus economies of scale: Why
trunk and local service costs differ,
, Vol.15, pp.479-489, 1984.
Fageda, X. and Fernandez-Villadangos, L.: Triggering competition in the Spanish airline market: The role of
airport capacity and low-cost careers,
, Vol.15, pp.36-40, 2009.
石倉智樹,竹林幹雄 : 羽田空港への国際定期航空路線乗り入れによる航空市場への影響分析,
『土木学会論文集
D』
,Vol.64(3)
,pp.432-446, 2008.
衣笠達夫:『公益企業の費用構造』,多賀出版 , 1995.
国土交通省国土技術政策総合研究所:『航空需要予測について』
,2007.
国土交通省国土技術政策総合研究所,三菱総合研究所:
『航空需要予測手法における供給者モデルの検討調査業
務報告書』, 2005.
36
村上英樹:国内トラッキング増加航空路線の需給バランス計測,
『応用地域学研究』
,No.1, pp.37-48, 1995.
村上英樹:国内航空運賃・費用の計量分析,
『神戸大学経営学部研究年報』
,Vol.40, pp.67-92, 1994.
Nero, G.: A structural model of intra European Union duopoly airline competition,
, Vol.30(2)
, pp.137-155, 1996.
大橋忠宏:日本の国内航空旅客市場における輸送密度の経済性,
『運輸政策研究』
,Vol.14(3)
, pp.9-15,2011a.
大橋忠宏:日本の国内航空旅客市場における規制緩和の効果:2000年と2005年の比較 ,『弘前大学経済研究』
,
Vol.34, pp.1-14, 2011b.
大橋忠宏,安藤朝夫:地域に複数の空港は必要か:アクセスコストと輸送密度の経済性を考慮した航空旅客市
場モデル分析,
『国際交通安全学会誌 IATSS Review』
,Vol.32(3)
,pp.206-215, 2007.
大橋忠宏,宅間文夫,土谷和之,山口勝弘,堀健一:ネットワークを考慮した航空旅客市場での空港拡張の効果:
羽田空港を例として,
『土木学会論文集』
,No.772/IV-65,pp.131-142, 2004.
大橋忠宏,宅間文夫,土谷和之,山口勝弘:日本における国内航空政策の効果計測に関する実証研究,
『応用地
域学研究』
,No.8(2)
, pp.45-55, 2003.
Pels, E. and Rietveld, P.: Airline pricing behaviour in the London-Paris market,
, Vol.10, pp.279-283, 2004.
澤野孝一朗:航空サービスの規制緩和とその政策評価:航空自由化・JJ 統合・羽田空港発着枠,
『日本経済研究』
,
No.53, pp.13-41, 2006.
白石浩介:国際旅客輸送における米国系企業の参入,
『日本経済研究』
,No.35, pp.69-94, 1997.
Yamaguchi, K.: Inter-regional air transport accessibility and macro-economic performance in Japan,
, Vol.43, pp.247-258, 2007.
Zhang, A.: An analysis of fortress hubs in airline networks,
, Vol.30
(3),pp.293-307, 1996.
37 【論 文】
準市場の優劣論と日本の学校選択( 2・完)
― 実証的調査・研究の整理
児 山 正 史
目次
1 .はじめに
2 .概観
3 .供給者への誘因
4 .利用者の行為主体性
5 .条件の充足 (以上、前号)
6 .良いサービスの提供
7 .他のモデルとの比較
8 .おわりに
6 .良いサービスの提供
ルグランは、準市場が、質、効率性、応答性、公平性(教育については社会的包摂も)の点で良
い公共サービスを提供する可能性が他のモデルよりも高いと主張していた。しかし、日本の学校選
択に関しては、質の向上には限界がある(質はむしろ低下する)、公平性や社会的包摂を損う、学
校が序列化する、生徒・親・学校と地域の関係が切断されるという批判があった。
(1)質
ルグランによると、供給者は、利用者に選択されないことによって資金を失うなどの不都合な結
果に直面するなら、サービスの質を改善しようとする。しかし、このような主張に対しては、教育
の質には学校・教員だけでなく社会や生徒・親も影響を与えるので、学校選択制は効果が限られて
おり、むしろ生徒・親の意識に悪影響を与えて教育の質を低下させるという批判や、困難を抱えた
生徒が集中する学校では教育の質が低下するという批判があった。学校選択制によって学校・教員
のどのような努力がどのくらい促されるかについては第 3 節で整理したので、ここでは、生徒・親
の意識に対する影響、困難を抱えた生徒が集中することによる影響、生徒の成績への影響につい
39 て、実証的な調査・研究を整理する。
①生徒・親の意識への影響
学校選択が生徒・親の意識に与える影響については、選択することでその学校に来たくて来てい
るという自覚が生まれるという主張と、逆に、校内暴力・いじめなどの問題に対する消極的・逃避
的な構えを助長する、劣位に位置づけられた学校の生徒に劣等感・疎外感を抱かせるという批判が
あった。以下、学校選択制の効果に関する教育委員会・教員や親へのアンケート調査、選択を行使
した生徒・親の意識を分析した研究、劣位に位置づけられた学校の生徒の意識に関する教員の記述
を整理する。
(a)アンケート調査
まず、学校選択制の効果に関する教育委員会や親への全国的なアンケート調査では、保護者の学
校教育への関心が高まったとする回答が比較的多い。第 3 節で述べたように、内閣府の市区教育委
員会アンケート(2006、07、08年度)によると、学校選択制を導入して良かったこととして多く挙
げられたのは、保護者の学校教育への関心の高まり(小中学校の 3 回の平均は51.5%)、個性に合っ
た学校で学べるようになったこと(48.3%)、特色ある学校づくり(45.7%)などだった(内閣
府 2009b:12)。同じく、文部科学省の抽出教育委員会アンケートでも、学校選択制の導入による成
果として多かったのは、その他(39%)、保護者の学校教育への関心の高まり(34%)、個性に合っ
た学校で学べるようになったこと(33%)
、特色ある学校づくり(32%)だった(文部科学省 2010)。
また、文部科学省の自治体調査によると、学校選択制を導入してよかったこと(複数回答)は、個
性に合った学校で学べるようになったこと(小学校49.6%、中学校61.6%)、保護者の学校教育への
関心の高まり(46.4%、51.4%)
、その他(33.3%、30.8%)
、特色ある学校づくり(32.5%、37.3%)
、
学校間の競争による教育の質の向上(9.2%、12.4%)だった(文部科学省 2008)。内閣府の保護者ア
ンケート(2009年)でも、学校選択制を活用・検討した保護者に対して子供のために良かったと感
じる点を尋ねたところ(複数回答)、
「保護者の学校教育への関心が高まった」が25.8%、
「子どもが
自分の個性に合った学校で学ぶことができるようになった」が25.3%、
「学校を選ぶに当たって保護
者と子どもの十分な話し合いが行われるようになった」が21.3%、
「選択や評価を通じて特色ある学
校づくりが推進されている学校に就学できた」が18.0%などだった(内閣府 2009a:31)。このように、
保護者の学校教育への関心の高まりは、個性に合った学校で学べることや特色ある学校づくりなど
と並んで、学校選択制の効果の上位に挙げられている。
次に、自治体ごとのアンケート調査でも、保護者の関心が高まるなどの効果があったとする回答
が比較的多い。東京大学・品川区教育委員会の品川区教員アンケートでは、「保護者の学校や教育
に対する関心が非常に高まった」と思うかどうかを尋ねたところ、
「とてもそう思う」という回答
は管理職が3.1%、非管理職が5.4%、「そう思う」はそれぞれ54.6%、45.9%だった(品川区教育政策研
40
究会編 2009:52-3)。また、品川区の保護者に対する民主教育研究所のアンケート調査(調査の概要
は不明)によると、学校選択制の導入によって「学校や教育を考える機会になった」と「思う」と
回答した割合は69%だった(廣田 2004b:152)。このように、保護者の関心が高まったなどの回答が
半数以上である。
以上のように、学校選択制の効果に関する教育委員会・教員や親へのアンケート調査では、保護
者の関心が高まったとする回答が比較的多い。
(b)生徒・親の意識の分析
選択を行使した生徒・親の意識については、生徒の教員への意識や親の学校への愛着を分析した
研究がある。
まず、ある自治体の生徒に対して、小学 6 年生の 2 月と中学 1 年生の 7 月・11月に追跡調査を
行った研究によると、
「先生とはできるだけ話したいと思う」
「先生の言っていることはだいたい『正
しい』と思う」という設問に否定的に回答した割合は、小学 6 年生の時点では指定校変更をした生
徒の方が多かったが、中学 1 年生の時点ではそのような傾向は見られなくなったとされる。(加藤
(1)
2006:394-5)
他方、品川区の小学生の保護者に対するアンケート調査を分析した研究によると、「子どもが通
う学校に愛着を感じる」と回答した割合は、地元以外の学校を選択した保護者の方が低かった。た
だし、その解釈は一義的ではなく、入学以前の期待と入学以後の状況に乖離が生じているのかもし
れないとも述べられている。(橋野2003:361-2)
このように、選択を行使した後に生徒の教員に対する否定的な意識が減少したことを示す研究が
ある。なお、選択を行使した親の方が学校への愛着が低いことを示す研究もあるが、選択の行使に
よる影響かどうかは不明である。
(c)劣位の学校の生徒の意識
足立区のある教員によると、学校選択制の導入後、生徒には集中校を上位に見て流出校を見下す
ような言動が見られ、抽選から外れた生徒は入学時から意欲を失っているとされる(橋本2008:85-6)。
ただし、人気校と不人気校の生徒の意識の違いを数値で示すなどした調査・研究は見られない。
②困難を抱えた生徒の集中による影響
困難を抱えた生徒が集中する学校で教育の質が低下するという批判については、そのような事例
が紹介されている。生徒数が減少した足立区の中学校の教員は、悪い評判が決まると、問題を抱え
た子供の比率が高くなるので、学校はますます難しくなるという悪循環があると指摘したとのこと
である(久冨 2000:108)。また、同じく足立区の中学校の教員は、流出傾向が大きくなると、経済的
に困難を抱える生徒の比率が高まり、成績上位者が集まらず、授業や生活指導の困難を多く抱える
41 結果となっていると述べている(橋本 2008:85)。ただし、これらの記述を裏づける数値などは示さ
れていない。学校選択制によって経済的・教育的な困難を抱えた生徒が集中するようになったかど
うかは、公平性・社会的包摂の問題として次項で扱う。また、困難を抱えた生徒が集中することな
どによって全体的に教育の質が低下したかどうかについては、生徒の成績への影響として次に述べ
る。
③生徒の成績への影響
教育の質には多様な側面があるが、学校選択制が生徒の成績に与える影響については、いくつか
の自治体に関する研究が行われている。
まず、足立区の生徒の学力調査の点数を東京都の平均点と比較した研究では、足立区の点数が改
善したというデータが示されている。東京都が2004、05、06年に中学 2 年生を対象に実施した学力
調査では、東京都の平均点に対する足立区の点数の比率は、国語がそれぞれ96.1%、97.6%、
97.3%、数学が93.8%、92.6%、95.0%、英語が90.5%、91.7%、94.3%だった。そして、学校選択制
が、他の教育政策とともに、教員の生産性を向上させたという説明が可能であると述べられている
(Yoshida et al. 2009 : 468-70、吉田 2007)
。しかし、この研究に対しては、足立区の点数は時期や教科に
よって多様であることや(2)、学校選択制を導入していても点数が低下している区があること(3)(嶺
井編著2010:27-8)、学校選択制以外の要因を制御していないこと(中村 2009:58)が指摘されている。
次に、東京都の学力調査のデータを分析した研究によると、学校選択制を導入していた地域は、
他の条件(生徒 1 人当たりの教員数、資本的支出、消費的支出)を一定にすれば、選択制を導入し
ていなかった地域と比較して正答率(%)が0.061ポイント高くなるが、この値は統計的に有意で
はなく、学校選択制が教育達成に与える影響はなかったとされる。ただし、学校選択制が明示的に
導入される前から実質的に行われていたため選択制の影響を正確に推定していない可能性や、逆
に、学校選択制と同時に導入された制度変更(学校評価など)を考慮していないため選択制の効果
を過大に推定している可能性があるとも述べられている。(同上 59, 72)
このように、学校選択制の導入後の生徒の成績の変化は、自治体、時期、教科によって多様であ
り、学校選択制によって成績が向上したことも低下したことも論証されていない。
以上、学校選択制が生徒・親の意識や教育の質にどのような影響を与えるかに関わる実証的な調
査・研究を整理してきた。まず、学校選択制の効果に関する教育委員会・教員や親へのアンケート
調査では、保護者の学校教育への関心が高まったなどの回答が比較的多い。また、選択を行使した
後に生徒の教員への否定的な意識が減少したことを示す研究もある。ただし、学校選択制によって
生徒の成績が向上または低下したことは論証されていない。
42
(2)公平性・社会的包摂
ルグランによると、公平性とは、社会経済的地位などのニーズと無関係な違いに関わらずサービ
スを利用できることである。また、社会的包摂は、教育に特有の目的であり、学校が社会の溶融炉
の役割を果たし、文化的分裂を融解するという考え方である。
日本では、学校選択制が導入されると、学校が序列化されて相対的に価値の高い教育と価値の低
い教育を受ける者が現れる、進学準備・情報収集の能力の高い階層の子供ほど上位の学校に入学す
る傾向が強まる、生徒の属性が学校内で同質化し学校間で異質化すると批判されていた。このよう
な批判に対しては、従来から公立学校の間に地域の階層差を反映した格差が存在してきたことや、
公立学校と私立学校の間に社会的分裂が存在してきたことが指摘されていた。ルグランも、不公平
や社会的分裂は転居や私立学校への入学によっても生じると指摘していた。
これらの議論のうち、学校の序列化とその弊害については次項で扱う。また、進学準備・情報収
集の能力の違いについては、いいとこ取りや情報の問題として既に扱った。そこで、本項では、学
校選択制によって公立学校間および公立学校と私立学校の間の生徒の特徴の違いに変化が生じたか
どうかに関わる実証的な調査・研究を整理する。
①公立学校間
公立学校間の生徒の特徴の違いについては、家庭の所得や生徒の成績の違いの変化を分析した研
究がある。
まず、家庭の所得の違いについては、東京都の 2 つの中学校の間で就学援助率の違いが拡大した
例を示した研究がある。それによると、ある中学校は、学力テストの成績が最上位に位置し、生徒
数が増加し、就学援助率が2002年度の28.1%から05年度の23.8%に減少したのに対して、もう 1 つ
の中学校は、学力テストの成績が下位に低迷し、生徒数が減少し、就学援助率が34.7%から48.1%
に増加した(嶺井・中川 2007:103-4)。ただし、このような違いの拡大が一般的に見られるかどうか
は示されていない。
次に、生徒の成績の違いの変化については、足立区に関する研究があるが、学力調査の実施主
体、学年、時期、教科によって多様である。例えば、足立区が中学 1 年生に対して2005年と06年に
行った学力調査の結果を比較すると、学校間の点数の差は国語ではほぼ同じで、数学ではやや縮小
した。また、東京都が中学 2 年生に対して2004年と06年に行った学力調査では、点数の差は国語と
(4)
英語で拡大し、数学では縮小した(Yoshida et al. 2009 : 468)
。また、東京都が2004∼07年に実施し
た学力調査で最高点だった学校と最低点だった学校の点数差は、国語、社会、理科で拡大し、数学
ではあまり変化がなく、英語では縮小した(嶺井編著 2010:30)。
このように、公立学校間で家庭の所得の違いが拡大した例を示した研究があるが、それが一般的
かどうかは示されておらず、また、生徒の成績の違いの変化は多様である。
なお、地域の階層差や転居から生じる不公平・社会的分裂に関連して、足立区における小学校の
43 質と地価の関係を分析した研究がある。それによると、2001年には私立中学進学率(%)が10ポイ
ント増加すると地価は2.6%増加し、02年には同じく2.1%増加する関係が見られたが、03、05、06
年にはそれぞれ0.8%、0.9%、1.6%増加する関係になった(2004年はデータなし)
。ここから、学
校の質は地価に影響を与えるが、その効果はあまり大きくなく、2002年度の学校選択制の導入に
よってその効果が小さくなったと述べられている。(吉田他 2008:12-5)
②公立学校と私立学校
公立学校と私立学校に進学する生徒の間には、親の学歴や職業に違いがあることが示されてい
る。ベネッセの東京都保護者アンケートによると、私立中学校に進学する割合は、保護者の最終学
歴が18歳の場合は12.0%、20歳では35.8%、22歳では44.0%だった(ベネッセ2005:10)。足立区のデー
タを分析した研究でも、社会的地位の高い職業の比率が大きい学区の生徒は、私立学校を選択する
傾向があることが示されている(Yoshida et al. 2009 : 456)。
このような社会的分裂に対する有効な解決策は学校選択制による公立学校の改革であると主張さ
れることもあるが、学校選択制の導入後、私立学校への入学率や階層間の違いが減少したことは示
されていない。品川区の公立中学校への進学率は、2004、06年は約75%だったが、08年には71.8%
に下落した。また、目黒区の公立小学校への進学率は10年ほど変わっていないとされる(菊池他
2008a:34、2008b:36)
。足立区でも、学校選択制の導入後、私立学校への進学率は低下しなかった。
階層別に見ると、社会的地位の高い職業の比率が大きい地域では私立学校の選択に歯止めがかから
ず、他の地域では私立学校の選択が抑制された(Yoshida et al. 2009 : 456-7)。
このように、公立学校と私立学校の間には社会的分裂が存在してきたが、学校選択制によってこ
れが縮小したことは示されていない。
以上、学校選択制によって学校間の生徒の特徴の違いに変化が生じたかどうかに関する調査・研
究を整理した。まず、公立学校間では、家庭の所得の違いが拡大した例が挙げられているが、それ
が一般的かどうかは示されていない。また、生徒の成績の違いの変化は、学力調査の実施主体、学
年、時期、教科によって多様である。次に、公立学校と私立学校の違いについては、学校選択制の
導入後、私立学校への進学率や階層による違いが減少したことは示されていない。
(3)序列化
日本では、学校選択制によって学校の序列化(学校間の人気の差)が生じ、その結果、受験競争
をはじめとするさまざまな弊害が生み出されると批判されていた。本項では、学校間の人気の差が
生じているかどうか、学校間の人気の差が生じる要因は何か、不人気な学校にどのような対応がな
されているか、序列化による弊害が生じているかどうかに関する実証的な調査・研究を整理する。
44
①学校間の人気の差
学校間の人気の差に関する代表的な研究は、東京都、埼玉県、広島県、富山市、金沢市、長崎
市、那覇市の事例を取り上げて、選ばれる学校と選ばれない学校がほぼ固定化する傾向にあると結
論づけている(嶺井編著 2010:143)。この研究は、学区外からの流入数や学区外への流出数を棒グラ
フなどで示しており(嶺井・中川編著 2005、嶺井・中川 2007、嶺井編著 2010)、流入・流出の傾向がおおむ
ね固定していることを感覚的に把握することができる。
いくつかの自治体については、人気の差が拡大したことが示されている。品川区の各小学校の入
学率は、学校選択制導入初年度の2000年には40校中17校が0.9∼1.1に集まっていたが、2003年度に
はこのような学校は40校中 9 校に減少し、入学率が0.7未満の学校は 5 校から11校に、1.3以上の学
校は 4 校から 9 校に増加した(廣田 2004a:55)。また、足立区でも入学率の差が拡大し、日野市では
流入校・流出校の数が増加したと言われている(久冨2005:70)。
このように、学校間の人気の差がおおむね固定し、いくつかの自治体では拡大していることが示
されている。
②人気の差の要因
上述の代表的な研究は、学校間の人気の差が生じる要因も挙げている。それによると、プラスに
働く要因は、伝統校(評判の良い学校)、施設・設備の良さ、中学校では部活、マイナスに働く要
因は、小規模校、立地条件の悪さ(自治体・学区の端、人気校の近く)、良くない評判(風評)、校
舎の古さなどである。(嶺井・中川 2007:129)
これらの他にも、通学の利便性・安全性(廣田 2004a:56、嶺井編著 2010:68)、地域の特性(住宅街、
(廣田 2004a:55、菊池・各務 2004:35、石渡他 2006:38)
住民の職業)
、話題性(小中一貫校、民間人校長、
研究指定校など)(嶺井・中川編著 2007:62)、小学校では私立中学受験者・進学者の多さ(廣田・深見
2001:320-1、廣田 2004a:55、嶺井編著 2010:48)、特に中学校では成績(嶺井・中川 2007:129-31、嶺井編著
2010:62-6)などが挙げられている。
このように、学校間の人気の差が生じる要因は多様であり、立地、歴史、施設・設備、規模、生
徒の成績・進路、部活、特色、評判などがある。
③不人気な学校への対応
学校選択制が学校の序列化をもたらすという批判に対しては、不人気な学校を顕在化し、その改
善を促すという反論もあった。
第 3 節で述べたように、入学者が減少した学校では、教員が危機感を持って PR の強化や教育の
充実を行った例がある。また、教育委員会も人員や予算の支援を行っていると言われる(安田編著
2010:22、若月編著 2008:44)。
学校の努力や教育委員会の支援によって不人気校が人気を高めた事例も紹介されている。足立区
45 のある小学校は、1997年度の入学者が10人だったが、小規模校の特色を生かした教育活動を展開
し、テレビや新聞で取り上げられたこともあり、99年度には新入生が20人を超えた(児玉 2000:50,
53)。江東区のある小学校は、伝統校に囲まれて生徒の確保に苦戦し、2006年度まで入学者は30人
前後だったが、教育委員会の手厚い援護を受け、小規模でも子供の面倒をしっかり見ようとしたと
ころ、07年度には46人、08年度は70人に急増した(瀧井 2009:244-5)。また、品川区のある中学校は、
荒れの風評があったため2003年度までは流出校だったが、校長の交代を契機に部活動の活性化や土
曜日の補習授業を行い、04年度からは人気校に転じた。ただし、小中一貫校や冷暖房完備・新校舎
の中学校に抜かれ、2007年度からは再び流出校になった(嶺井・中川 2007:41、嶺井編著 2010:52)。品
川区の別の中学校は、2002年度には入学者が 9 人だったが、新しい校長が公開授業、少人数教育、
習熟度別授業などに取り組んだ結果、03年度には38人に増加した。しかし、その後は漸減し、2006
年度には入学者がゼロとなり、07年度には新入生の募集を停止した(瀧井 2009:246)。品川区では小
中一貫校が人気を集めており、2005年度まで流出校だった小中学校が06年に一貫校化すると、一番
の人気校になった(嶺井・中川 2007:40、嶺井編著 2010:46-7)。
このように、不人気な学校が、教育活動の改善、校長の交代、小中一貫校化などによって人気を
高めた事例が紹介されている。しかし、効果は一時的または部分的であり、学校間の人気の差は上
述のとおりおおむね固定している。
④序列化の弊害
学校が序列化すると、進学競争が生じ、その結果、教育機会の差別化・階層化が起こり、子供に
劣等感や歪んだ優越感が醸成され、さらに、教育困難校が出現し、その教職員の意欲に否定的な影
響が及ぶと批判されていた。これらの他に、生徒数の過少・過多による弊害も指摘されている。
(a)進学競争とその結果
進学競争とその結果としての弊害については、いいとこ取り、選択の行使や情報の入手・活用と
階層との関係、公平性・社会的包摂、生徒・親の意識への影響、困難を抱えた生徒の集中の問題と
して既に触れたが、ここでは序列化の弊害の問題として改めて整理する。
まず、進学競争については、日本の公立小中学校はいいとこ取りを行うことはできず、高校・大
学のような受験競争は生じていないと考えられる。なお、抽選に当たるための競争は一部で起きて
いるが、その規模は小さい。内閣府の保護者アンケート(2006、09年)によると、学校選択制が導
入されていると回答した保護者のうち、定員を超えた等の理由で希望する学校に通学させることが
できなかった割合は0.5%、0.0%だった(内閣府 2006:17、2009a:28)。
このように、日本ではいいとこ取りは行われていないため、それによって教育機会の差別化・階
層化などの弊害が生じることはないと考えられる。しかし、選択を行使する割合や入手・活用する
情報が階層間で異なれば、そこから教育機会の階層化や教育困難校が生じる可能性もある。まず、
46
選択を行使する割合については、親の職業との関係を示す研究がある一方で、親の学歴や家庭教育
との関係はないとする研究もあった。次に、入手・活用する情報については、親の自由時間や職業
との間に極めて緩やかまたは非継続的な関係があることを示す研究があった。そして、教育機会の
階層化や教育困難校については、このような問題が生じたとする教員の指摘や、学校間で家庭の所
得の違いが拡大した例を挙げる研究があったが、それが一般的かどうかは示されていなかった。ま
た、学校間での生徒の成績の違いの変化は多様だった。なお、子供の劣等感・優越感については、
そのような言動が見られるとする教員の指摘があったが、それを数値で示した調査・研究は見られ
なかった。
以上のように、日本の公立小中学校の選択制では、高校・大学のような受験競争やその結果とし
ての弊害は生じていないと考えられる。選択を行使する割合や入手・活用する情報が階層間で異な
り、そのことなどから弊害が生じていることを指摘する研究があるが、それが一般的かどうかは示
されておらず、別の結論を示す研究もある。
(b)生徒数の過少・過多
進学競争やその結果としての弊害の他に、不人気校における生徒数の過少や人気校における生徒
数の過多による弊害も指摘されている。
まず、生徒数の少ない学校では、行事が寂しい、部活動が成り立たない、教員 1 人当たりの負担
が大きくなるなどの問題があるとされる(安田編著 2010:29、山本 2004a:43)。ただし、小規模校の良
さを生かしたきめ細かな指導が行われるなどの利点も挙げられている(安田編著 2010:29、橋本2009:
58)。
逆に、生徒数の多い学校では、教室不足のため倉庫・PTA 室を教室にしたり、特別教室・図書
室を普通教室にした例や、生徒の管理・ケアが行き届かないという問題があると指摘されている
(山本 2004a:43、2004b:97、佐貫 2010:70、橋本 2008:85、菊池他 2008b:85)。ただし、先述のとおり、生
徒・親は大規模な学校を選択する傾向がある。
このように、生徒数の過少・過多による弊害が挙げられているが、小規模校・大規模校にはそれ
ぞれ利点も挙げられている。
以上、学校の序列化とその弊害に関する調査・研究を整理してきた。学校間の人気の差はおおむ
ね固定し、いくつかの自治体では拡大している。このような人気の差が生じる要因は多様である。
序列化によって、高校・大学のような受験競争やその結果としての弊害は生じていないと考えられ
るが、選択を行使する割合や入手・活用する情報が階層間で異なることなどから、教育機会の階層
化や教育困難校などの弊害が生じているとする研究もある。ただし、それが一般的かどうかは示さ
れておらず、別の結論を示す研究もある。なお、生徒数の過少・過多による弊害も挙げられている
が、小規模校・大規模校には利点も挙げられている。
47 (4)生徒・親・学校と地域の関係
日本では、学校選択制が生徒・親・学校と地域の関係を切断し、地域の教育機能の低下などの悪
(5)
影響をもたらすと批判されていた。
学校選択制によって地域の教育機能が低下した例としては、夏休みの地域パトロールが組みにく
くなった、子供会ができなくなった、地元以外の子供が多いため学校づくり協議会に力が入らな
い、荒れている学校の立て直しへの地域の協力が得にくくなった、などが挙げられている(橋本
2008:86、瀧井 2009:242、石渡他 2006:40)。逆に、特に生徒数が減少した学校では、学校行事への参
加・協力やペンキ塗りなど、地域住民が学校への支援を強化した例も挙げられている(福島 2000:
103、山本 2004b:107-8、久冨 2000:113-4、児玉 2000:52-3)
。
教育委員会・教員や親に対する調査でも、学校と地域の関係が弱まったという回答と強まったと
いう回答がある。まず、内閣府の市区教育委員会アンケート(2006、07、08年度)によると、学校
選択制を導入していると回答した教育委員会のうち、導入して悪かった点として「学校と地域の連
携が希薄になった」を挙げたものは 8 ∼13%であり、逆に、導入して良かった点として「地域住民
と学校との結びつきが強くなった」を挙げたものは 5 ∼10%だった(内閣府 2009b:14, 12)。また、
文部科学省の抽出教育委員会アンケートによると、学校選択制の導入による課題として「学校と地
域との連携が希薄になった」を挙げたものは 6 %だった(文部科学省 2010)。次に、東京大学・品川
区教育委員会の品川区教員アンケートでは、「地元地域・学区の住民の学校に対する関心が高まり、
学校の活動への支援・協力を得やすくなった」と思うかどうかを尋ねたところ、管理職の回答は
「とてもそう思う」が5.2%、
「そう思う」が57.7%、非管理職は「とてもそう思う」が1.0%、
「そう思
う」が25.1%、「どちらとも言えない」が60.3%だった(品川区教育政策研究会編 2009:55-6)。最後に、
内閣府の保護者アンケート(2009年)では、学校選択制を活用・検討した保護者(学校選択制が導
入されていると回答した保護者の45.8%)に子供のために良かったと感じる点を尋ねたところ(複
数回答)、
「地域住民と学校との結びつきが強くなった」を挙げたものが9.0%だった。他方、学校選
択制が導入されていると回答した保護者のうち、悪かったと思う点があると答えた保護者(22.1%)
に悪かったと感じる点を尋ねたところ(複数回答)
、
「学校と地域との連携が希薄になった」が
23.3%だった(内閣府 2009a:26, 31, 33-4)。
このように、学校選択制によって地域の教育機能が低下したという事例・回答と強化されたとい
う事例・回答がある。
(5)その他
教育委員会や親へのアンケート調査では、学校選択制によるその他の効果や悪影響も挙げられて
いる。
まず、学校選択制の効果としては、個性に合った学校で学べるようになったことが比較的多く挙
げられている。第 3 節で述べたように、教育委員会へのアンケート調査では、このような効果が
48
あったとする回答が 3 ∼ 6 割であり、保護者の学校教育への関心の高まりや特色ある学校づくりと
並んで上位だった(内閣府 2009b:12、文部科学省 2010)。その例としては、自分のやりたいことができ
る学校や自分に合う校風の学校を選べた、部活動で選択肢が広がった、個性に合った規模の学校を
選ぶことができた、小規模校で積極性や主体性が育っている、などが記述されている(同上)。ま
た、先述のように、内閣府の2009年の保護者アンケートでは、学校選択制を活用・検討した保護者
に対して子供のために良かったと感じる点を尋ねたところ、保護者の学校教育への関心が高まった
こと、個性に合った学校で学べるようになったことが上位を占め、ともに25%程度だった(内閣府
2009a:31)。なお、内閣府の2006年の保護者アンケートは回答者や選択肢が異なっており、学校選
択制を活用・検討して良かったと回答した保護者(活用・検討した保護者の70.3%)に対してその
理由を尋ねたところ(14の選択肢から複数回答)、
「地理的に自宅から近い学校に通えた」が53.2%、
「兄姉や仲の良い友達などと一緒の学校に通えた」が28.8%、「子どもの個性に合った学校で学ぶこ
とができた」が23.1%、
「子どもが希望するクラブ活動などに参加できた」が21.8%、
「いじめや不登
(6)
校、学級崩壊等の校内問題がなかった」が20.5%などだった(内閣府 2006:20)
。このように、通
学距離、兄姉・友人の通学、部活動なども含めて、生徒・親の希望に合う学校に通えたことが多く
挙げられている。
他方、学校選択制によるその他の悪影響としては、教育委員会に対する調査では、通学距離が長
くなり安全の確保が困難になったことが比較的多く挙げられている。内閣府の市区教育委員会アン
ケート(2006、07、08年度)によると、学校選択制を導入していると回答した自治体のうち、導入
して悪かった点(複数回答)として、「通学距離が長くなり、登下校時の児童の安全の確保が難し
くなった」を挙げたものは 8 ∼18%(小中学校の 3 回の平均は14%)で最も多く、以下、学校と地
域の連携の希薄化が 8 ∼13%(10%)
、その他が 8 ∼12%( 9 %)入学者が減少し適正な学校規模
を維持できない学校が生じたことが 4 ∼10%( 7 %)などだった(内閣府 2009b:14)。文部科学省の
抽出教育委員会アンケートでも、学校選択制の導入による課題を尋ねたところ、
「課題は特にない」
が39%、
「その他」が38%、
「通学距離が長くなり、安全の確保が難しくなった」が12%、
「学校と地
域との連携が希薄になった」
「入学者が大幅に減少した学校ができ、適正な学校規模が維持できな
い学校が生じた」がともに 6 %、
「学校間の序列化や学校間格差が生じた」が 2 %だった(文部科学
省 2010)。ただし、親へのアンケート調査の結果は異なっており、内閣府の2009年の保護者アンケー
トでは、通学距離の問題は 7 つの選択肢の中で「その他」と並んで最下位(学校選択制が導入され
ていると回答した保護者の 4 %)だった(内閣府 2009a:34)。このように、教育委員会へのアンケー
ト調査では、通学距離が長くなり安全の確保が困難になったという悪影響が比較的多く挙げられて
いるが、保護者へのアンケート調査の結果は逆である。
49 7 .他のモデルとの比較
ルグランは、準市場が他のモデルよりも優れていると主張していたが、日本の教育については、
生徒・親・住民・教員が共同で学校を作るモデル(ルグランのいう発言モデルの一種)の優位が主
張されていた。ルグランは、発言モデルは教育や発言力に恵まれた者に有利であると指摘し、ま
た、発言は選択と結びつけることができる(選択は発言の力を与える)と主張していた。しかし、
選択によって参加の意欲がそらされるという考え方もあった。
住民の参加については前節で地域の教育機能の問題として扱ったので、本節では、親の発言・参
加と階層との関係、選択と親の発言・参加との関係についての調査・研究を整理する。
(1)発言・参加と階層
発言・参加と階層との関係については、多様な結果が示されている。
まず、山陰地方の 3 町の小・中・高校生の父母に対するアンケート調査(7)を分析した研究によ
ると、学校生活・学校教育の諸問題(PTA のあり方、宿題の量、学校施設、学校のきまり・規則、
運動会のあり方、教材費や給食費、通信簿のあり方、学級担任の選択、学校の教育目標、教師の教
え方)に関して、父母としてどの程度意見を出してよいと考えているか(学校関与意識)は、農林
業従事者で高く、技術職、専門・管理職・自由業従事者で低かった。また、低学歴層で高く、高学
歴層で低いという関連も見られた。ただし、学校関与意識の高さと実際の行動とは必ずしも一致せ
ず、関与意識が最も高い層で PTA 役員経験者の比率が 4 分類中 2 番目に低く、教師に「相談した
くない・できない」と答える比率が最も高かった。(高口 1987:38, 40)
次に、関東地方のある小学校の全児童の保護者に対するアンケート調査(8)を分析した研究によ
ると、学校支援活動(学校ボランティア、PTA 役員、奉仕作業などの PTA 活動)を行った割合は、
父親がホワイトカラー(管理的職業、専門的職業、技術的職業、事務的職業、自営の商工サービス
業)である方がブルーカラー(農林漁業、技能労働的職業、一般作業的職業)であるよりも多かっ
た。(城内・藤田 2011:91-3)
このように、農林業従事者や低学歴層の方が学校に発言する意識が高いことを示す研究がある
が、意識と行動が一致しないことや、父親がホワイトカラーである方が学校に参加した割合が多い
ことを示す研究もある。
(2)選択と発言・参加
選択と発言・参加との関係については、事例研究やアンケート調査に基づく研究がある。
まず、事例研究では、学校選択制の下で親の発言・参加が消極的になった例と積極的になった例
が紹介されている。ある人気校の説明会では、校長が、厳しい生活指導の方針を示した後で、この
学校が厳しいと思ったら別の学校を選択してもかまわないと述べ、保護者からは、学校に意見を言
いにくくなったという声が聞かれたとのことである(廣田 2004b:154、山本 2004a:44)。逆に、良い学
50
校という評判なので入学させたが、期待ほどではなく失望しているという抗議電話が入学早々に
あった例も紹介されている(廣田 2004b:154)。また、特に生徒数が減少した学校では、父母会・授
業参観への出席、父親の会の発足、PTA による学校の PR や土曜教室への協力など、親の参加が増
加した例も挙げられている(福島 2000:103、教育ジャーナル 2001:12、菊池他 2006:22、山本 2004b:107、
久富 2000:113、児玉 2000:52-3)
。
次に、品川区の小学校の保護者に対するアンケート調査を分析した研究によると、地元以外の大
規模校を選択した保護者は、PTA 時における意見・要求や平時の校長に対する意見・要求の頻度
が低かったが、地元以外の小規模校を選択した保護者は、平時の校長に対する意見・要求の頻度が
高かった。また、地元の学校を選択した保護者と地元以外の同規模の学校を選択した保護者の意
見・要求の頻度はほぼ同様だった。(橋野 2003:359)
このように、選択と発言・参加との関係は多様であり、選択した学校の規模によっても異なるこ
とが示されている。
8 .おわりに
本稿では、準市場の優位というルグランの主張に沿って、日本の学校選択に関する実証的な調
査・研究を整理してきた。最後に、これまでの調査・研究で明らかになったことを要約した上で、
日本の学校選択について暫定的に考察し、今後の調査・研究の課題を挙げる。
(1)要約
日本の学校選択について、これまでの実証的な調査・研究によって明らかになったことは、以下
のとおりである。
①供給者への誘因
学校選択制によって学校・教員のどのような努力がどのくらい促されるかについては、学校選択
制の効果に関する教育委員会への全国的なアンケート調査によると、特色ある学校づくりが上位に
挙げられていたが、教職員の意識の変化や学校間の競争による質の向上は中位または下位だった。
また、事例研究では、学校選択制の導入に伴い、PR の強化、教育の充実、表面的な変化、学力調
査における不正行為が促された例が挙げられていた。
②利用者の行為主体性
学校の選択を希望・行使する生徒・親がどのくらいいるかについては、全国的なアンケート調査
によると、学校選択制に肯定的に回答した親が 6 割前後、学校選択が可能なら活用・検討したいと
回答した親が 7 ∼ 8 割程度、学校選択制が導入されていると回答した親のうちそれを活用して地元
以外の学校に通学させた親が15%前後、同じく活用を検討した上で地元の学校に通学させた親が
51 25%程度、活用・検討した親のうちそれを肯定的に評価した親が 5 ∼ 7 割だった。ただし、学校選
択制への肯定的な回答や選択の行使の割合は、自治体や時期によって大きく異なっていた。
学校選択制への賛否と階層との関係については、所得や学歴が高いほど賛成の割合が多いことを
示す調査・研究があった。他方、選択の行使と階層との関係については結果は分かれており、社会
的地位の高い職業の比率が大きい学区の生徒ほど地元以外の学校を選択しやすかったことを示す研
究がある一方で、親の学歴や家庭教育との関係はないとする調査・研究もあった。
③条件の充足
(a)競争
通学可能な学校がどのくらいあるかについては、人口の70%は歩いて通える距離に複数の小中学
校があると言われているが、学校の数は自治体や地域によって異なり、それが選択の行使に影響を
与えることが示されていた。
学校選択制が小規模校の廃止を促進するかどうかについては、まず、極端に小規模な学校や統廃
合の不安のある学校は生徒・親に回避されることが多いと解釈できた。また、学校選択制によって
小規模校が生徒数を減らす場合の方が多いというデータが示されていた。しかし、学校選択制が導
入されている方が小規模校が廃止されやすいかどうか、それによる悪影響が生じやすいかどうか
は、選択制が導入されていない場合とも比較して分析する余地がある。
(b)情報
生徒・親がどのような情報をどのように入手・活用するかについては、まず、親が入手した情報
は学校などからの公式なものが多いが、役立った情報や重視した情報は他の親などからの非公式な
ものが多いという調査結果があった。また、親は自分の選択には 7 ∼ 8 割が自信を持っているが、
他人の判断には 6 割以上が否定的な評価をしているという調査結果があった。
生徒・親が一般的に重視したのは、通学の距離・安全や友人関係など、学校・教員の努力では直
接改善できない側面だったが、選択を行使した親は、いじめ・不登校や生活指導・しつけなど、学
校・教員の努力で直接改善できる可能性のある側面を重視したという調査結果もあった。また、学
力調査の学校別の点数の公表が、特に中学校の選択に影響を与えたことを示す研究もあった。
入手・活用する情報と階層との関係については、親の自由時間や家庭内で教育について話す時
間、親の職業との間に、極めて緩やかまたは非継続的な関係があることを示す研究があった。
(c)いいとこ取り
日本の公立小中学校の選択制は、市町村教育委員会が就学校を指定する場合に、就学すべき学校
についてあらかじめ保護者の意見を聴取するものである。そのため、学校が生徒のいいとこ取りを
52
行うことはできず、学校による生徒の選別・差別や高校・大学のような受験競争は生じていないと
考えられる。また、これらの問題の発生を指摘した調査・研究は見られなかった。
④良いサービスの提供
(a)質
学校選択制が学校・教員のどのような努力をどのくらい促すかについては先述のとおりである。
生徒・親の意識への影響については、まず、学校選択制の効果に関する教育委員会・教員や親への
アンケート調査によると、保護者の学校教育への関心が高まったなどの回答が比較的多かった。ま
た、選択を行使した後に生徒の教員への否定的な意識が減少したことを示す研究があった。
学校選択制が生徒の成績にどのような影響を与えるかについては、選択制導入後の学力調査の点
数の変化は自治体、時期、教科によって多様であり、生徒の成績が向上または低下したことは論証
されていなかった。
(b)公平性・社会的包摂
公立学校間の生徒の特徴の違いについては、家庭の所得の違いが拡大した例を挙げる研究があっ
たが、それが一般的かどうかは示されていなかった。また、学校間の生徒の成績の違いの変化は、
学力調査の実施主体、学年、時期、教科によって多様だった。なお、転居による不公平・社会的分
裂に関しては、学校の質が地価に与える影響は選択制の導入前から大きくなく、導入後にさらに小
さくなったことを示す研究があった。
公立学校と私立学校の間の生徒の特徴の違いについては、学校選択制の導入後、私立学校への進
学率や階層間の違いが減少したことは示されていなかった。
(c)序列化
学校の序列化については、学校間の人気の差はおおむね固定し、いくつかの自治体では拡大して
いることが示されていた。このような人気の差が生じる要因は、立地、歴史、施設・設備、規模、
生徒の成績・進路、部活、特色、評判など多様だった。
序列化の弊害については、日本の公立小中学校はいいとこ取りを行うことができないため、高
校・大学のような受験競争やその結果としての弊害は生じていないと考えられる。選択を行使する
割合や入手・活用する情報が階層間で異なり、そのことなどから教育機会の階層化や教育困難校な
どの弊害が生じているとする研究もあったが、それが一般的かどうかは示されておらず、また、別
の結論を示す研究もあった。なお、不人気校における生徒数の過少や人気校における生徒数の過多
による弊害も指摘されていたが、小規模校・大規模校にはそれぞれ利点も挙げられていた。
53 (d)生徒・親・学校と地域の関係
学校選択制が地域の教育機能を低下させるかどうかについては、事例研究や教育委員会・教員・
親へのアンケート調査の結果は分かれており、低下したという事例・回答と強化されたという事
例・回答があった。
(e)その他
学校選択制によるその他の効果としては、教育委員会や親へのアンケート調査では、生徒・親の
希望(通学距離、兄姉・友人の通学、部活動なども含む)に合った学校に通えたことが上位に挙げ
られていた。
逆に、その他の悪影響としては、教育委員会へのアンケート調査では、通学距離が長くなり安全
の確保が困難になったことが比較的多く挙げられていたが、親へのアンケート調査ではこの問題は
最下位だった。
⑤他のモデルとの比較
発言・参加と階層との関係については、農林業従事者や低学歴層の方が学校に発言する意識が高
いことを示す研究があったが、意識と行動が一致しないことや、父親がホワイトカラーである方が
学校に参加した割合が多いことを示す研究もあった。
選択と発言・参加との関係は多様であり、選択した学校の規模によっても異なることが示されて
いた。
(2)考察
次に、これまでの実証的な調査・研究で明らかになったことに基づいて、日本の学校選択の効果
について、準市場の優劣論の観点から考察する。
ルグランによると、準市場は、供給者に誘引を与え、利用者を活動的な行為主体として扱うこと
などにより、一定の条件が満たされるならば、質・効率性・応答性(9)
・公平性の点で良い公共サー
ビスを提供する可能性が他の方式よりも高い。供給者は、利用者に選択されないことによって資金
を失うなどの不都合な結果に直面するなら、サービスの質を改善し、より応答的になろうとする
(投入される資源の水準が一定であれば、質の向上によって効率性も向上すると考えられる)
。ま
た、準市場は、教育や発言力に恵まれた者に有利な発言モデルよりも公平である。ただし、準市場
が成功するためには、競争、情報、いいとこ取りなどに関する条件を満たす必要がある。競争と
は、多数の供給者が存在することなどを意味する。また、利用者の選択が質の向上をもたらすため
には、利用者が質に関する情報を持ち、質を判断しなければならない。いいとこ取りが行われれ
ば、公平性や社会的包摂が損なわれる。(児山 2011)
以下では、質・効率性・応答性と公平性・社会的包摂に大別して、日本の学校選択の効果につい
54
て考察する。
①質・効率性・応答性
(a)学校・教員の努力による質・応答性(・効率性)の向上
ルグランによると、供給者は、利用者に選択されないことによって資金を失うなどの不都合な結
果に直面するなら、サービスの質・応答性(・効率性)を改善しようとする。しかし、日本の学校
選択は、学校・教員の努力によって質・応答性を高める効果が大きいとはいえない。教育委員会へ
のアンケート調査では、学校選択制の効果のうち学校・教員の努力に関わることは、特色ある学校
づくりが比較的上位に挙げられていたが、教職員の意識の変化や競争による質の向上は中位または
下位だった。事例研究では、学校が強化・充実した活動は PR が中心だった。また、品川区の教員
へのアンケート調査では、教育改革の方法としての学校選択制の有効性は、学校評価や学力調査と
同等かそれ以下だった。そして、学校選択制を導入した自治体の方が学力調査の点数が向上したこ
とは論証されていなかった。このように、学校選択制の他の効果や教育改革の他の方法と比較し
て、また、学校選択制を導入していない自治体と比較して、日本の学校選択は、学校・教員の努力
によって質・応答性を高める効果が大きいとはいえない。
その原因としては、学校・教員への誘引が弱いこと、予算・人事に関する学校の権限が小さいこ
と、準市場の誘引が日本の教員に作用しないこと、競争や情報という条件が必ずしも満たされてい
ないことが考えられる。
第 1 に、日本の学校選択制は、イギリスの制度と比較して、学校・教員への誘引が弱い。イギリ
スでは、1988年の教育改革法により、学校選択制が拡大されると同時に、学校の予算(人件費を含
む)の大部分が生徒数によって決められるようになった(児山 2004:130、本間・高橋編著 2000:99)。
他方、日本の学校予算は物品購入費や施設営繕費などに限られ、その配分は必ずしも生徒数を基準
にしていない(小川編著 1996:103-5)(10)。そのため、生徒数が減少した学校は多額の資金を失うわけ
ではない(11)。また、イギリスでは、教員の任用の権限が学校に与えられたが(児山 2004:131)、日
本では、公立小中学校の教員は都道府県教育委員会が任命し(地方教育行政の組織及び運営に関する法律
37条)
、生徒数が減少した学校の教員は他校に転任する。このように、日本の学校選択制は、イギ
リスの制度と比較すると、学校・教員が生徒に選択されないことによって資金や職を失うなどの不
都合な結果に直面する程度が小さく、それを回避するためにサービスの質・応答性を高めようとす
る誘引が弱い。
第 2 に、日本の学校は、イギリスと比べて、予算・人事に関する権限が小さい。イギリスでは、
学校選択制の拡大と同時に、学校に予算・人事に関する裁量が与えられた。学校の予算は使途を特
定せずに各学校に一括配分され、教員の採用や給与も学校の理事会が決定するようになった(児山
2004:130-1, 142、本間・高橋編著 2000:99)
。日本では、上述のように、学校予算は物品購入費などに限
55 られ、教員は都道府県教育委員会が任命している(12)。このように、日本の学校は、予算・人事に
関する裁量を行使してサービスの質・応答性を高める余地が小さい。
第 3 に、利用者に選択されない供給者が資金を失うなどの不都合な結果に直面するという準市場
の誘引は、日本の教員には作用しない可能性も考えられる。ルグランによると、準市場の誘引は、
供給者が利己的な「悪党」でも利他的な「ナイト」でも作用するが、パターナリスティックなナイ
トには作用しない。悪党的な供給者は、その生計と自己利益が事業への残存にかかっているため利
用者を引きつけようとし、ナイト的な供給者も、利用者の利益になるサービスを提供し続けるため
に事業に残ろうとする。しかし、パターナリスティックなナイトは、利用者の幸福に最も寄与する
ものは何かについて独自の認識を持ち、利用者自身が知覚した関心事にあまり興味を持たないの
で、利用者から送られた信号に反応するという準市場の誘因によって適切な行動をとらない(児山
2011:19, 22)。ただし、日本の教員文化に関する調査では、教員が利己的な動機を持つことや(13)、
生徒の要望に耳を傾けない教員が低く評価されること(14)が示されており、日本の教員が純粋にパ
ターナリスティックなナイトであるとはいえない。
第 4 に、日本の学校選択では、競争という条件が必ずしも満たされていないとも考えられる。教
育委員会・教員に学校選択制の効果を尋ねたアンケート調査や、生徒の成績に対する学校選択制の
影響を分析した研究は、競争の程度(学校選択制の形態、自治体の面積当たりの学校数、学校間の
距離、選択を行使した生徒の割合など)との関係を分析していなかった。また、事例研究では、特
に入学者が減少した学校で、教員が危機感を持って教育の充実を行ったことも記述されていた。
従って、競争という条件が十分に満たされた自治体・学校に限定すれば、学校・教員の努力によっ
て質・応答性を高める効果はより大きくなる可能性もある。ただし、アンケート調査における学校
選択制の効果の順位は変わらないとも考えられる。
第 5 に、日本の学校選択では、生徒・親は、学校・教員の努力によって向上できるような質に関
する情報を持たず、重視しないとも考えられる。生徒・親が一般的に重視するのは、通学の距離・
安全や友人の通学など、学校・教員が改善しにくい側面だった。ただし、選択を行使した親は、い
じめ・不登校や生活指導・しつけなど、学校・教員が改善できる可能性のある側面を重視したとい
う調査結果もあった。また、学力調査の学校別の点数の公表が、特に中学校の選択に影響を与えた
ことも示されていた。従って、選択を行使する割合が増加し、学校・教員が改善できるような質に
関する情報が提供されれば、学校・教員の努力によって質を高める効果が大きくなる可能性もあ
る。
(b)学校システムとしての応答性(・質・効率性)の向上
日本の学校選択は、個々の学校・教員の努力によって質・応答性(・効率性)を高める効果が大
きいとはいえないが、これとは別に、学校システム全体としての応答性(・質・効率性)を高める
効果がある。先述のように、教育委員会が挙げた学校選択制の効果の中では、個性に合った学校で
56
学べるようになったことが 2 番目に多かった。学校選択制を活用・検討した親の回答も同様であ
り、また、選択肢の異なる調査では、近くの学校、兄姉・友人と同じ学校、個性に合った学校で学
べたことや、希望する部活動に参加できたことが上位に挙げられた。このように、通学距離や兄
姉・友人の通学、学校の規模や部活動など、学校・教員が直接改善しにくい側面も含めて、生徒・
親の希望に合う学校に通えるようになったという効果が上位に挙がっている。
つまり、個々の学校・教員が生徒・親のニーズ・欲求に応答してサービスを改善するという効果
とは別に、既存の学校の中から生徒・親が自らのニーズ・欲求に合ったものを選ぶという意味で、
学校システム全体としての応答性を高める効果があるといえる。この効果は、学校・教員に誘因を
与えることではなく、生徒・親を活動的な行為主体として扱うことから生じるものである。
そして、応答性が質の本質的な要素であるとすれば、応答性の向上によって質も向上するといえ
る。また、投入される資源の水準が一定であれば、質の向上によって効率性も向上すると考えられ
る。ただし、通学距離や兄姉・友人の通学などの点で生徒・親のニーズ・欲求に合った学校を選べ
るという意味での応答性が、教育の質の多様な側面の中でどのくらい重要かは議論の余地がある。
②公平性・社会的包摂
(a)選択と発言・参加
ルグランによると、準市場は、教育や発言力に恵まれた者に有利な発言モデルよりも公平であ
る。しかし、日本の学校選択は、学校への発言・参加よりも公平であるとはいえない。ルグラン
は、イギリスでは恵まれない人(単純労働者、年収が低い人、低学歴の人)の方が選択を好むとい
うデータを示していたが、日本では、学校選択制に賛成する割合は所得や学歴が高いほど多かっ
た。ただし、選択を行使する割合と階層との関係については、調査・研究の結果は分かれていた。
また、日本では、学校への発言・参加と階層との関係について多様な結果が示されており、発言モ
デルが恵まれた者に有利または不利であるとはいえなかった。
なお、ルグランは、準市場以外の方式でも、転居や私立学校への入学によって不公平や社会的分
裂が生じると述べていた。しかし、日本では、学校の質と地価の関係は、選択制の導入以前も大き
くなかった。また、学校選択制の導入後に私立学校への進学率や階層間の違いが減少したことは示
されていなかった。
(b)準市場における不公平・社会的分裂
他方で、日本の学校選択は、不公平や社会的分裂を拡大したともいえない。
まず、日本の公立小中学校はいいとこ取りを行うことができないため、これによって不公平や社
会的分裂が拡大することはないと考えられる。
次に、選択を行使する割合や入手・活用する情報が階層間で異なれば、不公平や社会的分裂が拡
57 大する可能性があるが、選択の行使と階層との関係については調査・研究の結果は分かれており、
入手・活用する情報と階層との関係は極めて緩やかまたは非継続的だった。また、公立学校間で生
徒の家庭の所得の違いが一般的に拡大したかどうかは示されておらず、生徒の成績の違いの変化は
多様だった。
日本の学校選択では学校の序列化が生じており、学校間の人気の差はおおむね固定し、いくつか
の自治体では拡大していた。しかし、これが不公平や社会的分裂の拡大をもたらしているかどうか
は明らかではない。上述のように、学校間の生徒の成績の違いの変化は多様であり、学校間で教育
の質や生徒の構成の違いが拡大したとはいえない。
日本の公立小中学校の選択は、いいとこ取りがないという点で、高校の選択とは異なっている。
日本の高校は生徒を学力によって選抜し、生徒の学力は階層と関連しているので(児山 2000:4)、入
学できる高校が階層によって異なり、高校間で生徒の階層が異なる。つまり、高校の選択は階層間
の不公平や社会的分裂を拡大するといえる。また、人気の高い高校は学力の高い生徒を選抜するこ
とができ、生徒の学力の高い高校は人気が高いので、高校間の人気の差と生徒の学力・階層の差は
循環的・累積的に拡大する(児山 1999:114-5、2001:13)。こうして、不公平や社会的分裂はさらに拡
大する。他方、日本の公立小中学校は生徒を学力で選抜しないため、このようなメカニズムで不公
平や社会的分裂が拡大することはない。
以上、日本の学校選択の効果について、準市場の優劣論の観点から考察してきた。その結果をま
とめると次のとおりである。
第 1 に、日本の学校選択は、学校・教員に強い誘因や権限を与えず、個々の学校・教員の努力に
よって質・応答性(・効率性)を高める効果が大きいとはいえない。ただし、この効果は競争や情
報という条件によって変わる可能性もある。
第 2 に、日本の学校選択は、生徒・親を活動的な行為主体として扱うことにより、生徒・親が自
らの欲求・ニーズに合った学校を選べるという意味で、学校システム全体としての応答性(・質・
効率性)を高める効果がある。ただし、このような意味での応答性が教育の質の中でどのくらい重
要かは議論の余地がある。
第 3 に、日本の学校選択は、発言・参加よりも公平であるとはいえないが、いいとこ取りは行わ
れておらず、不公平や社会的分裂を拡大したともいえない。
(3)今後の課題
最後に、準市場の優劣論の観点から、学校選択に関する今後の調査・研究の主な課題を挙げる。
第 1 に、イギリスの学校選択において、学校・教員の努力によって質・応答性(・効率性)を高
める効果がどのくらいあるかを明らかにすることである。日本の学校選択でこの効果が大きいとは
いえなかった原因として、学校・教員への誘因が弱いこと、予算・人事に関する学校の権限が小さ
58
いこと、競争という条件が必ずしも満たされていないこと、学校・教員の努力によって向上できる
ような質に関する情報が生徒・親に提供されていないことなどが考えられた。他方、イギリスで
は、学校が日本よりも強い誘因と権限を与えられ、各学校の成績も公表されている(本間・高橋編著
2000:98)。このようなイギリスの学校選択において、競争という条件が満たされた場合に、学校・
教員の努力によって質・応答性を高める効果がどのくらいあるかを明らかにすることは重要な課題
である。
第 2 に、日本の学校選択において、競争という条件が十分に満たされ、学校・教員が改善できる
ような質に関する情報が提供された場合に、学校・教員の努力によって質・応答性(・効率性)を
高める効果がどのくらいあるかを明らかにすることである。日本の学校選択はこのような効果が大
きいとはいえなかったが、競争や情報という条件が満たされた自治体・学校に限定すれば、効果は
より大きくなる可能性もある。ただし、学校・教員への誘因や学校の権限が弱いことから、効果は
やはり大きくない可能性もある。従って、この点は優先的に取り組むべき課題であるとはいえない。
第 3 に、日本の学校選択において、不公平や社会的分裂が拡大しているかどうかを明らかにする
ことである。これらの悪影響がいいとこ取りによって生じることはないと考えられるが、選択を行
使する割合や入手・活用する情報が階層間で異なることから生じる可能性はある。 2 つの中学校の
間で生徒の家庭の所得の違いが拡大した例を示した研究は、それが一般的であることを示していな
かったが、そのことが否定されたわけではない。同様の手法を用いて多数の学校・自治体を調査・
研究することは重要な課題である。
注
( 1 )なお、「大人になって生活するのに学校に行っておくことは必要だと思う」という設問に否定的に回答し
た割合は、中学 1 年生の時点では指定校変更をした生徒の方が多かったが(加藤 2006:395)、小学 6 年生
時点の回答とは比較されていないため、選択の行使による影響かどうかは不明である。
( 2 )足立区の国語の点数の比率は2007年に94.2%に低下した(数学は94.4%に微減、英語は94.6%に微増)
。ま
た、社会の点数は上昇傾向だが、理科の2004∼07年の点数の比率は95.2%、98.5%、98.0%、97.5%であり、
2 年連続で低下した。(嶺井編著 2010:27)
( 3 )豊島区は、2001年に学校選択制を導入したが、東京都の平均点に対する比率は、2004∼07年に 5 教科平
均で101.6%、100.7%、99.5%、98.2%と低下した。
(嶺井編著 2010:28、嶺井・中川編著 2005:57)
( 4 )他に、足立区が2005年と06年に中学 2 年生に対して行った学力調査では、点数の差は国語で縮小し、数
学と英語で拡大した。同じく中学 3 年生に対する調査では、差は国語と数学で拡大し、英語で縮小した。
(Yoshida et al. 2009 : 468)
( 5 )他に、子供の生活圏が解体されていじめや不登校などの問題が多発する、同じ地域の子供や親の交流の
場としての学校の機能が低下するという批判もあったが、これらの点に関する実証的な調査・研究は見ら
れなかった。
( 6 )これらの選択肢のうち、
「子どもの個性に合った学校で学ぶことができた」以外のものは、2009年の保護
者アンケートにはなかった。
( 7 )調査の概要は次のとおり。対象:兵庫県村岡町、鳥取県大栄町、島根県三刀屋町の小学校 4 ・ 6 年生、
59 中学校 2 年生、高校 2 年生の父母全員。方法:子供を経由しての自計調査。時期:1985年度。配布数:記
載なし、有効回収数:小学生父母782、中学生父母365、高校生父母499。(高口 1987:36,43)
( 8 )調査の概要は次のとおり。対象:関東地方のある県のある小学校の全児童の保護者。方法:学級担任を
通して配布・回収した質問紙調査(質問紙は封筒に密封して回収)。時期:2009年 4 月。配布数:524、有
効回収数:495。
(城内・藤田 2011:89)
( 9 )ルグランによると、
「質」は多様な意味を持つが、利用者にとって最も重要なのは過程(丁重さ、敬意など)
と成果(技能の習得など)である。
「効率性」の高いサービスとは、与えられた水準の資源から可能な限り
高い質・量のサービスを提供するものである。「応答性」とは、
利用者のニーズや欲求に応答することであり、
質の本質的な要素である。
(児山 2011:28)
(10)大規模な教育委員会は生徒数などを基準に学校予算を配分し、中小規模の教育委員会は学校の予算要求
(必要な物品などを積み上げたもの)を査定して予算を配分し、小規模な教育委員会の一部は物品を自ら購
入して学校に配布すると言われる。
(小川編著 1996:103- 5 )
(11)ルグランの定義に従えば、
「競争」のうち「選択に応じて資金が配分され」という側面(児山 2011:23)
が弱いといえる。ただし、選択に応じて資金が配分されることは、準市場の条件としての「競争」ではなく、
準市場の定義の中の「交換関係」
(サービスと対価の関連性)
(児山 2004:134-5)に含まれると考える。
(12)学校・教員の権限が弱いことは、準市場の定義の中の「交換関係」の前提(供給者の権限)
(児山 2004:
134-5)が弱いことを意味する。準市場の「市場」の側面(交換関係)には、供給者の権限、利用者の権限、
サービスと対価の関連性という 3 つの要素があるが(同上 135)、日本の学校選択制は、利用者の権限だけ
が強化された「 3 分の 1 の準市場」であるといえる。
(13)関東・中部地方の教員へのアンケート調査によると、
「教師にはプライベートな生活を過ごす時間をもっ
と保証すべきである」
「教師は自分自身の趣味などの生活をもっと充実したものにすべきだ」という項目に
「そう思う」と回答した割合は61.1%、70.4%、
「ややそう思う」は30.2%、25.8%だった。他方、
「教師は居住
している地域においても教育的な役割を担うべきだ」に「そう思う」
「ややそう思う」と回答した割合は4.5%、
20.8%だった。調査の概要は次のとおり。対象:関東・中部地方の 4 市町の公立小中学校の全本務教員など。
方法:質問紙を配布し、勤務校に設置した回収用パックに回答済の質問紙を投入、返送。時期:2000年 2
∼ 3 月。対象数:903、有効回収数:718。(久冨編著 2003:59-61, 80)
(14)東京都の公立小学校の教員へのアンケート調査では、同僚の中で低く評価している教員を 1 人選んでも
らい、
「生徒の要望に耳をかたむけない」という特徴がその教員に当てはまるかどうかを尋ねたところ、
「非
常にそうである」が16.8%、
「どちらかというとそうである」が27.1%、
「どちらともいえない」が23.5%、
「ど
ちらかというとそうでない」が7.7%、
「まったくそうでない」が4.7%、
「N.A.」が20.2%だった。この回答の
分布は、
「あまり勉強していない」という特徴についての回答(それぞれ、17.6%、26.6%、27.1%、6.4%、3.6%、
18.8%)に近かった。調査の概要は次のとおり。対象:東京都区部の公立小学校在職教員(28分の 1 を抽出)
。
方法:調査票の配布・回収は留置法による。時期:1976年11月∼77年 2 月。対象数:801、有効回収数:
613。(石戸谷・門脇編 1981:584-5, 617)
参照資料
石戸谷哲夫、門脇厚司編(1981)
『日本教員社会史研究』
(亜紀書房)
。
石渡嶺司、庄村敦子、内山洋紀(2006)
「学校選択制 全国の『攻防』
」
、
『AERA』19巻55号、37- 40頁。
小川正人編著(1996)
『教育財政の政策と法制度―教育財政入門』
(エイデル研究所)
。
加藤美帆(2006)
「中学校進学における学校の『選択』についての社会学的考察―パネル調査の分析から」
『人
、
間文化論叢』
(お茶の水大学) 9 巻、389-397頁。
60
菊池正憲、各務滋(2004)
「公立小中学校選択制ランク」、
『AERA』17巻52号、34-38頁。
菊池正憲、石渡嶺司、庄村敦子(2006)
「公立小中の天国と地獄」
、
『AERA』19巻55号、18-23頁。
菊池正憲、小林哲夫、柿崎明子、甲斐さやか(2008a)
「公立中学の『選択格差』
」
、
『AERA』21巻41号、31-36頁。
―(2008b)
「公立小選択の『絶望格差』
」
、
『AERA』21巻42号、31-36頁。
教育ジャーナル(2001)
「学校選択制を導入した品川区(東京都) 2 年目は308人が他校区へ」
『教育ジャーナル』
40巻 3 号、10-13頁。
久冨善之(2000)「日本型学校選択制はどうはじまっているか―東京・足立区三年間の『大幅弾力化』に関す
る調査から考える」
、池上洋通、久冨善之、黒沢惟昭『学校選択の自由化をどう考えるか』
(大月書店)
、89124頁。
―(2005)
「学校選択問題の理論・比較・実証―公立学校を『つくる』自由とその公的認証めぐる理論問題・
制度問題」
、
『教育学研究』72巻 1 号、64-73頁。
久冨善之編著(2003)『教員文化の日本的特性―歴史、実践、実態の探求を通じてその変化と今日的課題をさ
ぐる』
(多賀出版)
。
児玉洋介(2000)
「足立区における『通学区域自由化』問題の経過とその歴史的背景を考える」
、
『民主教育研究
所年報』創刊号、36-59頁。
児山正史(1999)
「教育の自由化論争と文部省の政策(1)―公共サービスにおける利用者の選択」
『法政論集』
、
(名古屋大学)178号、87-120頁。
―(2000)
「日本の高校の選択(1)― 公共サービスにおける利用者の選択」
、
『人文社会論叢(社会科学篇)
』
4 号、1-20頁。
―(2001)「日本の高校の選択( 2 ・完)― 公共サービスにおける利用者の選択」、
『人文社会論叢(社会科
学篇)
』 5 号、1-19頁。
―(2004)
「準市場の概念」
、日本行政学会編『〔年報行政研究39〕ガバナンス論と行政学』
(ぎょうせい)
、129146頁。
―(2011)
「イギリスにおける準市場の優劣論―ルグランの主張と批判・応答」、
『季刊行政管理研究』133号、
17-31頁。
佐貫浩(2010)
『品川の学校で何が起こっているのか― 学校選択制・小中一貫校・教育改革フロンティアの実像』
(花伝社)。
品川区教育政策研究会編(2009)
『検証 教育改革― 品川区の学校選択制・学校評価・学力定着度調査・小中
一貫教育・市民科』
(教育出版)
。
城内君枝、藤田武志(2011)「階層と社会関係資本が保護者の学校参加に及ぼす影響―S小学校の事例調査を
通して」
、
『学校教育研究』26号、87-98頁。
高口明久(1987)
「地域社会における学校と父母―『父母の教育意識』論の今日的課題」
、
『教育学研究』54巻 2
号、34-43頁。
瀧井宏臣(2009)
「広がる学校選択制見直しの動き」、
『世界』 1 月号、241-249頁。
内閣府(2006)
『学校制度に関する保護者アンケート 調査結果』
(内閣府ホームページ)
。
―(2009a)
『学校教育に関する保護者アンケート 調査結果』
(内閣府ホームページ)
。
―(2009b)
『教育委員会アンケート集計結果』
(内閣府ホームページ)
。
中村亮介(2009)
「学校選択制が学力に与える影響の実証分析―東京都学力パネルデータを用いて」
、
『エコノ
ミア』60巻 2 号、57-74頁。
橋野晶寛(2003)
「公立学校選択制の計量分析」、
『東京大学大学院教育学研究科紀要』43巻、355-364頁。
橋本敏明(2008)
「新自由主義教育改革と地域―現場から見える格差と共同の破壊」
、佐貫浩、世取山洋介編『新
(大月書店)
、83-95頁。
自由主義教育改革―その理論・実態と対抗軸』
61 ―(2009)
「東京・足立に見る学校選択制と学校統廃合」
、
『人間と教育』61号、54-59頁。
廣田健(2004a)
「学校選択制の制度設計と選択行動の分析」
、堀尾・小島編、51-63頁。
―(2004b)
「学校選択の現状と課題」
、堀尾・小島編、145 -157頁。
廣田健、深見匡(2001)「東京都品川区における学校選択制の展開 ―『ブロック化』初年度における動向を中
心に」
、
『民主教育研究所年報』 2 号、316-338頁。
、
福島裕敏(2000)
「A 1 小学校でおこったこと― 通学区域の弾力的運用のインパクトと学校づくりの取り組み」
『民主教育研究所年報』創刊号、92-107頁。
ベネッセ(ベネッセ未来教育センター編)
(2005)
『〔モノグラフ・中学生の世界 VOL.79〕保護者の学校選択』
(http://
www.crn.or.jp/LIBRARY/CYUU/VOL790/index.html)
。
(ぎょう
本間政雄、高橋誠編著(2000)
『諸外国の教育改革―世界の教育潮流を読む 主要 6 か国の最新動向』
せい)
。
嶺井正也編著(2010)
『転換点にきた学校選択制』
(八月書館)
。
(八月書館)
。
嶺井正也、中川登志男(2007)
『学校選択と教育バウチャー― 教育格差と公立小・中学校の行方』
(八
嶺井正也、中川登志男編著(2005)
『選ばれる学校・選ばれない学校― 公立小・中学校の学校選択制は今』
月書館)
。
文部科学省(2008)
「小・中学校における学校選択制等の実施状況について」
(文部科学省ホームページ)
。
―(2010)
「学校選択制の状況について」
(文部科学省ホームページ)
。
(NTT 出版)。
安田洋祐編著(2010)
『学校選択制のデザイン― ゲーム理論アプローチ』
山本由美(2004a)
「品川区『教育改革』の全体像と問題点」、堀尾・小島編、39-50頁。
―(2004b)「荒川区『教育改革』の現状と問題点― 学校選択、
『学力テスト』
、教育特区」
、堀尾・小島編、
91-113頁。
吉田あつし(2007)
「導入進む学校選択制 公立間の学力差は縮小」
『日本経済新聞』2007年 8 月24日、朝刊31面。
、
、
『季刊 住宅土
吉田あつし、張璐、牛島光一(2008)「学校の質と地価― 足立区の地価データを用いた検証」
地経済』68号、10-18頁。
(学事出
若月秀夫編著(2008)
『学校大改革 品川の挑戦― 学校選択制・小中一貫教育などをどう実現したか』
版)。
Yoshida, Atsushi, Katsuo Kogure and Koichi Ushijima(2009)School choice and student sorting : Evidence
from Adachi Ward in Japan,
62
, vol.60, no.4, pp.446-472.
【論 文】
監査風土に基づく監査手続に関する考察
柴 田 英 樹
目 次
Ⅰ はじめに
Ⅱ 米国の監査風土の特徴
Ⅲ 日本の監査風土の特徴
Ⅳ 現代監査手法の本質
Ⅴ 非訴訟社会における監査手法
Ⅵ むすびとして
Ⅰ はじめに
日本の監査風土と米国の監査風土は、様々な点で明らかに異なっている。ところが監査手続は両
国で全く同じ方法が実施されている。この点に関して筆者は従来、あまり疑問に思ってこなかっ
た。なぜなら、会計監査に関しては、米国が非常に監査制度が進んだ国として世界中から認識され
ているからである。また、監査手続はテクニック的な色彩が強く、新しい監査手法の導入した方が
日本での監査もより良くなると考えていたからである。そこで監査先進国である米国で開発された
監査手続であるならば、日本企業の会計監査に米国流の監査手続を積極的に導入・使用することは
むしろ当然ではないかと考えていたのである。しかし、以下で記述するように両国の監査風土が非
常に異なっており、欧米から日本を見た時に文化的にあべこべ(topsy-turvy)の国といわれるこ
とがある 1。そうしたあべこべの国である日本でアメリカ式の監査手続をそのまま使うことが本当に
適合しているのであろうかという疑問を持つようになってきた。そこでこの小稿では、日本の監査
風土に適合した監査手続というものは存在するのか、そしてもし存在する場合には、日本企業の監
査に導入することが望ましいのかについて検討してみたい。
まず監査風土に基づく監査手続を考察するために、その土台ともいえる監査先進国である米国の
1
遠山他(2009)
、241頁。遠山は「日本文化 / 社会がヨーロッパとは「あべこべ(topsy-turvy)であると最初
に言及したのは、イエズス会宣教師ルイス・フロイス(ポルトガル人)である」と言及している。
63 監査風土と監査後進国 2 といえる日本の監査風土の相違点について考えてみたい。監査風土とは、
人々や組織あるいは国民、国家がおかれた経済・経営環境の中から長い間にわたり醸成されてきた
監査に対する思考習慣や思考様式のことである 3。
米国の監査風土は、監査の本場であるアングロ・サクソン的な徹底的に厳格な監査を実施する。
米国の経営風土は、企業性悪説に基づいており、外部監査による財務諸表監査は、財務諸表の適正
成を保証するという実務上の必要性から生まれたものである。すなわち、監査慣行として自然発生
的に生じたことに注目する必要がある 4。
一方、日本の監査風土は米国から第二次世界大戦後に直輸入された監査制度をお上(かみ)から
実施されたものであり、日本ではもともと公認会計士による外部監査がそれ以前に実施されてこな
かったといえよう。つまり、官主導による統制的な役割を担ってできたものである。もっといえ
ば、日本政府が自国の再建の必要性からつくったものではない。第二次世界大戦後、日本を文民統
治してきた GHQ 5(連合国総司令部)が日本を当時成立したソビエト連邦や中華人民共和国などの
社会主義、共産主義の防波堤にするために、特に米国の意図に従って制度化されたものである。こ
のように日本の監査風土は監査慣習として発展してきたものではなく、日本の市場経済において自
然発生的に監査の必要性があって監査制度が導入されたというよりも、米国で発達・確立した証券
取引法監査制度は日本を資本主義化するために無理矢理に植えつけた制度であるといえよう。しか
し、日本企業は公認会計士制度の導入当時、資金調達に関して米国企業のように直接金融に依存し
ておらずメインバンク制をとっており、メインバンクから資金調達を行う間接金融が中心だった。
銀行が企業を支配している状況だったのである。そしてこうした間接金融を中心とした状況が昭和
50年代後半まで続いていたのである。そのため証券市場の番人である公認会計士の活躍の場はあま
り与えられてこなかったといえよう。このように公認会計士制度は、第二次世界大戦後に導入され
たが長い間、投資家、株主のために有効に機能してこなかったといえよう。
2
いまだに公認会計士を計理士という人が多くおり、また税理士と公認会計士との相違も十分に日本社会で一
般に認識されていないことから、日本が監査後進国といっても間違いないだろう。監査の必要性についても日
本人は認識が不足していると思える。
3
柴田(2011)、16頁。
4
もともとは英国の勅許会計士による会社法に基づく監査が当時(1880年代∼1900年代)
、経済発達が著しい米
国において出張監査するようになったが、その後、貸借対照表監査(1910年代∼1920年代)、証券取引法監査(1930
年代∼)へと独自に発展していった。貸借対照表監査と証券取引法監査との間には、1929年に起こった世界大
恐慌があったことは認識しておかなければならない。
5
General Headquarters の略であり、連合国総司令官総司令部を意味する。1945年にアメリカ政府が設置した
対日本占領政策の実施機関であり、1953年にサンフランシスコ講和条約が発効されて、廃止されるまで日本を
支配した。
64
Ⅱ 米国の監査風土の特徴
米国の監査は、英国の監査にその起源がある。近代監査の発祥の地は、英国であるといえよう。
英国における会社法において、勅許会計士 6 による監査が義務付けられた。勅許会計士は、英国に
おいて職業的専門家として成立した。
A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマンは、英国の監査と米国の監査を次のように述べている7。
「ある意味では、アメリカは、会計と監査の両者をイギリスから受け継いだ。しかしながら、
その遺産は、変わらずに長期間残存してはいなかった。財務諸表の雛形と監査手続の両者は、
合衆国における現存の諸条件と信念を反映している地方的色彩を呈した。」
A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマンは、米国における監査が最初の段階では英国のものとほとん
ど変わらなかったが、金融機関の要請から徐々に変化していったことを指摘している8。また、米国
における監査が初期の段階では、当時の英国と同様に精査(精密監査)が実施されたことについ
て、次のように記述している。
「イギリスと合衆国において現われた会計についての専門的なある種の側面は、変化を伴う
継続性についての一つのすぐれた事例を提供する。財務諸表の若干の特徴と監査機能の若干の
側面は、ほとんど変動することなく大西洋を越えて移動した。その他のものは、地方的な諸条
件や意図に適合するように明確に修正された。
財務諸表は、両方の国において資本・利益会計の諸記録からの要約であったし、これらの要
約は、利害関係をもつ外部当事者に企業情報を伝達した。また、継続性は、双方の国における
監査が独立した第三者による熟練した精査(監査)を使用したということ、および利害関係者
の保護が主要な監査動機であったことを立証している。
変化は、現在の債務が満期になると同時にそれを支払う企業能力を報告することがアメリカ
式財務諸表と監査の焦点となったという事実から明らかである。」
日本の監査風土と米国の監査風土とを比較し、 3 つの視点からまとめたものが図表 1 である。そ
こでまず、図表 1 の右側を見ていただきたい。ここでは米国の監査風土についての特徴を次の 3 つ
にまとめている。
6
英国には公認会計士団体が複数存在するが、スコットランド、イングランド及びウェールズ、並びにアイル
ランドの 3 つの勅許会計士協会から別々に授与される勅許会計士資格を総称した呼称を勅許会計士という。
7
A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマン(上田雅通訳)
(1976)、132頁。
8
A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマン(上田雅通訳)
(1976)、147頁。
65 図表 1 日本の監査風土と米国の監査風土
日本の監査風土
米国の監査風土
企業と監査法人
支配従属関係
対等関係
監査法人内
徒弟制度的
透明性のある評価システム
監査手法
漢方医的(ぬるま湯監査)
外科医的(厳格監査)
(出典:柴田英樹『粉飾の監査風土 −なぜ、粉飾決算はなくならないか』プログレス、2007年 7 月、
111∼113頁及び115∼116頁)
第一は、企業と監査人との関係である。米国では両者の関係が対等関係になっている。どちらか
一方が他方を支配従属させるのではなく、お互いの立場が尊重され、対等に発言しあう関係であ
る。企業から監査報酬の支払いを受けながら、対等の関係は成立しないという考えもあるが、監査
人は会計監査のプロ(会計専門家)であり、また企業との間に独立性(精神的独立性と経済的独立
性)も保持されている。したがって、監査人が対等の立場で物事を考察し、被監査会社の会計監査
を実施することはむしろ当然といわなければならない。ただし、企業の役員や経理担当者と監査法
人に所属する監査人との人間関係は、親密になることは少ないため、他の監査法人が監査報酬をダ
ンピングしてきた場合には、企業はその他の監査法人に監査の依頼先を変更してしまうことになる。
第二は、監査事務所内の人間関係である。上司は部下の能力を監査プロジェクト終了ごとに厳格
に査定する。しかも上司は監査プロジェクトごとに異なるので、色々な上司からの査定を受けるこ
とになる。もし甘い査定をすれば、社会から監査事務所の信頼はなくなり、最終的に監査事務所の
評判は地に落ちてしまうからである。厳格で透明性のある評価システムにすれば、部下も甘えを捨
てて監査を懸命に実施することにつながる。もしそうしなければ、解雇されることは一般的だから
である。また、米国では、毎期、監査事務所に勤務する採用から一年たったジュニア(新人の監査
人)を翌期の新人採用時期になると、大量に解雇することが通常である。これは大学卒業予定の優
秀な新人を多数、採用するための措置である。
第三は、監査手法としては、外科医的な手法となる。一番問題となっている箇所を探り当て、そ
の問題部分を徹底的に除去するからである。現在のビジネス・リスクアプローチ監査がそれを十分
に行っているかは議論の分かれるところである。企業をビジネスの観点からリスクを把握し、リス
クの高い項目を選択し、そのリスクを評価し、大きなリスクを除去する手法である。また、外科医
的な手法は、厳格監査と呼びかえることができる。
このような米国の監査風土と根本的に異なる日本の監査風土については、次節において展開す
る。
66
Ⅲ 日本の監査風土の特徴
図表 1 の真ん中に日本の監査風土の特徴と考えられる 3 点をまとめてみた。
第一は、日本の監査風土の特徴が対等関係ではなく、支配従属関係である点である。監査人は被
監査会社にその収入の多くを依存しており、どのクライアント(被監査会社)の監査を行っている
かによって、その監査法人の収益力が根本的に異なっている。
例えば、ある大手監査法人はある特定の財閥系の系列会社の監査の多くを担当している(図表 2
を参照のこと)
。これらの系列グループ会社が、他社をグループ企業内に買収・合併(M&A)す
れば、その大手監査法人は新しく買収した会社の会計監査を依頼されるという関係が成立している
ことになる 9。つまり、その監査法人の監査責任者は経営努力をほとんどすることなく、タナボタ式
にクライアントが増加することになる。企業の経営が順調に行き、系列グループ会社が大きくなれ
ばなるほどこの傾向は強まることになる。ということは、その監査法人は被監査会社と監査上で意
見の対立が顕在化することはまずないと考えられる。ある意味で系列グループ会社に支配される構
造がその監査法人には存在することになる。もしクライアントが行っている会計処理と監査法人が
主張する会計処理とが異なっていても、監査法人はできるだけクライアントの会計処理に沿う形で
対処してきた。そして何年間かで監査法人の会計処理に修正するように指導してきたのである。多
くの場合には、クライアントの業績が向上するのを待って、業績の良くなった時に監査法人が勧め
る会計処理にクライアントの会計処理を修正してきたのである。そのため、日本の監査法人の指導
的なやり方は、第三の特徴である漢方医的な手法につながっている。
第二は、監査法人内の人間関係である。以前から監査法人は相撲部屋によく例えられてきた。つ
まり、大手監査法人を例にとると、監査法人内の各部門は通常、100名程度から数百名単位である
場合、数名から十数名の代表社員(監査法人への出資者)、数名からから十数名の社員(監査法人
への出資者)、マネジャー、シニア(ベテラン公認会計士)、ジュニア(公認会計士試験合格者)か
ら成り立っており、代表社員の中でも最も権限を持っている会計士が相撲部屋の親方のような役割
を果たしているからである。この親方である代表社員に気に入られないとその部門内で出世するこ
とはなく、飼い殺しとなる運命になっていた。なぜなら部門間の移動は、以前はほとんど不可能
だったからである。米国であれば、監査人は能力がないと上司から査定されると即座に解雇され
る。米国では能力がないとされた監査人は当該監査事務所には必要ないと判断され、迅速にリスト
ラされることになるが、日本では能力がないとされた監査人が自分たちの部門内に存在しているこ
とは自部門の恥になるため、その事実を他部門に認識されたくない。そこで当該監査人は部門移動
にならずに飼い殺し状態にされることになる。
9
伊藤(2012)、19頁。ジャーナリストの伊藤は「あずさは三井住友、新日本はみずほ、トーマツは三菱東京
UFJ の監査を担当しており、担当先のメガバンクルートは極めて重要な営業チャネルになっている。」と述べて
いる。
67 第三は、漢方医的な監査手法についてである。監査人は激しく問題点を指摘し、不適正意見を表
明するのではなく、問題点の是正を指導することが重要な役割だったのである。監査上で会計処理
上の問題が発見された場合に即座にその会計年度で対応するものではなく、数期間に亘り徐々に修
正したり、あるいはクライアントの経済状況の悪い時には発見された問題点を何ら修正せず、経済
状況が良くなった時に問題点を修正するケースが少なくない。また、漢方医的な手法は、ぬるま湯
監査ないしは馴れ合い監査と呼びかえることができる。つまり、外科医的に患部を除去するのでは
なく、徐々に体質改善していけば良いという考え方なのである。
日本は企業性善説を前提としているので、企業性悪説を前提に展開される監査手法であるリスク
アプローチ監査は日本の経済社会に適合しているのか再検討する必要がある。
図表 2 日本の監査法人と系列企業
監査法人名
銀行・証券・商社系列企業
メーカー系列企業
新日本有限責任監査法人
みずほファイナンシャルグ
ループ、丸紅、野村ホールディ
ングス
日産自動車、東芝、日立製作所、キャノン、
三菱自動車工業、三菱重工業、三菱ケミカ
ルホールディングス、富士通、古河電気工
業、東レ、オリンパス、いすず自動車、王
子製紙、エルピーダメモリ、JFE、セイコー
エプソン、田辺三菱製薬、富士フィルムホー
ルディングス
有限責任監査法人トーマツ
三 菱 東 京 UFJ 銀 行、 新 生 銀 クボタ、JT、パイオニア、HOYA、パナ
行、中央三井トラスト・ホー ソニック電工、オムロン、住生活グループ、
ルディングス、りそなホール 花王、エーザイ、ブリヂストン
ディングス、三菱商事、三井
物産、伊藤忠商事、あおぞら
銀行、横浜銀行
有限責任あずさ監査法人
三井住友ファイナンシャルグ
ループ、住友信託銀行、住友
商事、大和証券グループ本社、
双日
あらた監査法人
東京スター銀行、豊田通商、 トヨタ自動車、ソニー、旭化成、日野自動
兼松、松井証券
車、クラレ、ダイハツ工業、アイシン精機、
大正製薬、フジクラ、豊田自動織機
本田技研工業、パナソニック、新日本製鐵、
小松製作所、住友化学、三洋電機、日本電
気、川崎重工業、資生堂、住友重機械工業、
セガサミーホールディングス、TDK、武
田薬品工業、三菱電機、神戸製鋼所、シャー
プ、第一三共、帝人、マツダ、アサヒビー
ル、キリンビール
(出典:『上場企業 監査人・監査報酬白書 2010年度版』を参考に筆者が作成)
(注)財閥系の企業を中心に監査報酬が高い系列企業をそれぞれの主要クライアントとしてまとめた
ものである。これを見ると、新日本は三菱財閥系列や古河財閥系列が多いことがわかる。みずほファ
イナンシャルグループや野村ホールディングスも新日本はクライアントにしている。トーマツは三
菱東京 UFJ 銀行をおさえており、さらに大手商社(三菱商事、三井物産、伊藤忠商事)をクライア
68
ントにしている。また、あずさは住友財閥を多くクライアントとしながらも、新日鉄グループやパ
ナソニックグループ(三洋電機、パナソニック電工など)をおさえており、三菱グループ(三菱電
機やキリンビールなど)もメーカーを中心にクライアントとしている。このように新日鉄やパナソ
ニックが主要クライアントをしている理由は、みすず監査法人が解散したことからクライアントを
して獲得できたためである。さらにあらたはプライスウォーターハウス・クーパーズの日本支店的
な側面を持っているが、トヨタグループ(ダイハツ工業、日野自動車、アイシン精機、豊田自動織
機など)やソニーグループを顧客としていることがわかる。ソニーは M&A などにより1,200社以上
の子会社を持っている。しかし、あらたは都市銀行をクライアントにしておらず、銀行からクライ
アントを紹介される機会はほとんどないといえよう。
Ⅳ 現代監査手法の本質
現代監査手法の本質は、米国でも日本でもリスクアプローチ監査である。これは訴訟社会のアメ
リカで導入されたものを日本に直輸入したのである10。つまり、企業性悪説を前提とした監査手法
である。
日本の監査法人は欧米の大手監査事務所と提携関係を持っている(図表 3 を参照のこと)
。そし
て日本の監査法人は米国ないしは欧州で独自に開発し、マニュアル化されたリスクアプローチ監査
を実施している。このように日本の監査法人が提携している米国を中心に開発されたリスクアプ
ローチ監査を導入しているのは、提携先のリスクアプローチ監査を導入しなければ、監査訴訟に負
けても提携先の監査事務所は資金の援助してくれないからである。しかし、日本の監査法人が彼ら
の開発したリスクアプローチ監査を実施していたのであれば、訴訟に負けてもその米国の監査事務
所が加入している損害保険から支払われることになる。したがって、日本の監査法人は提携先の監
査事務所の開発したリスクアプローチ監査を使用することになる。
日本の監査法人はアメリカの大手監査事務所と提携していることは前述した通りである。この提
携の理由について考察してみよう。多くの日本企業は海外に進出しており、日本の監査法人は、こ
れらの海外子会社を監査するためには、
(1)自前で監査事務所をクライアントの海外子会社が進出
している国に独自に開業し、それらの子会社の監査を実施するか、あるいは(2)海外の大手監査事
務所と提携し、その監査事務所に海外子会社の監査を依頼するかの二通りの方法しかない。二通り
の方法があるに関わらず、すべての日本の監査法人は後者の提携先の監査事務所に監査を依頼する
方法を取っている。この理由は前者のように自前で海外に進出するのは資金が多くかかり、また有
用な人材も確保することが困難なことが多いからである。それに比べて提携先の監査事務所に依頼
する方法は、提携先にインターネットを通じて監査を依頼すれば即座に日本の監査法人の依頼を実
行してくれることが可能になる。しかも日本の監査法人は自前で海外に進出し、開業する場合に負
担する時に発生する資金はほとんどいらない。そこで後者の方法を選択する日本の監査法人が現在
10
守屋(2012)、20頁。1991年(平成3年)の監査基準の改訂でリスクアプローチ監査は日本に導入された。
69 では100% である。これは資金負担が安く済み、人材確保が容易であり、経済的な観点や事務処理
軽減の観点からは当然の選択かもしれない。しかし、日本の監査法人にとって、米国で新しい監査
手法が導入されたら、日本でも同様の監査手法を100% 採用しなければならないことと、日本の監
査法人から生じた利益から米国の監査事務所に情報等の提供料や米国の監査事務所グループの加盟
料や毎年のロイヤリティを支払うことなど経済的な負担が少なからず発生することを忘れてはなら
ない。さらにアーサー・アンダーセンが崩壊した時のように粉飾事件に巻き込まれれば提携先の監
査事務所がつぶれることもあり、そうした時にはクライアントの流出を防ぐために早急な対応処理
をしなければならず、日本の監査法人の負担は大変に大きくなる場合もありうる。
日本の監査法人は、米国で各監査事務所が独自に開発し、作成されたリスクアプローチ監査を導
入している。これは米国の監査事務所と提携している日本の監査法人は、リスクアプローチ監査を
導入していなければ、損害を受けた投資家が訴訟を提訴し、その裁判に日本の監査法人が負けた場
合に、提携先の米国の監査事務所は何ら負担してくれることはないからである。しかし、逆にいえ
ば、もし米国の監査事務所が開発したリスクアプローチ監査を日本の監査法人が採用していた場合
には、米国の監査事務所が入っている損害賠償保険を使い、日本の監査法人の受けた損害を補填し
てくれることになるからである。
訴訟に勝つ監査は、日本の会計監査に適合するのであろうか。そこで日本のような非訴訟社会に
適合する監査とは何かについて、次節において検討してみよう。
図表 3 日本の大手監査法人と欧米の大手監査事務所との提携
日本の大手監査法人
欧米の大手監査事務所
新日本有限責任監査法人
E&Y(アーンスト・アンド・ヤング)
有限責任監査法人トーマツ
DTT(デロイト・トウシュ・トーマツ)
有限責任あずさ監査法人
KPMG(ケーピーエムジー)
あらた監査法人
PwC(プライスウォーターハウス・クーパーズ)
(出典:柴田英樹『粉飾の監査風土 −なぜ、粉飾決算はなくならないか』プログレス、2007年 7 月、99頁)
(注)中央青山監査法人から分離した監査法人としては、あらたの他に京都監査法人があるが、京都
監査法人はみすず監査法人(みすず監査法人は2006年 9 月から中央青山監査法人が社名変更した監
査法人である)の京都事務所が独立したといえる。任天堂や京セラを主たるクライアントとしている。
京都監査法人はプライスウォーターハウス・クーパーズと提携しており、プライスウォーターハウス・
クーパーズは提携先を日本にあらたと京都の 2 社持っている。このように新たに監査法人を創立し、
みすずのクライアントや監査人の一部を受け入れた例があるが、みすずの大部分のクライアントや
監査人は大手監査法人の新日本、トーマツ、あずさに吸収された。
中央青山監査法人はカネボウ粉飾事件に関与していたことから、金融庁から 2 ヶ月間の業務停止
命令(2006年 7 ∼ 8 月)を受け、2006年 9 月 1 日からみすず監査法人に社名変更して、再起を誓って
いた。しかし、クライアントである日興コーディアル・グループの粉飾決算問題についてマスコミ
が騒ぎ出したため、みすず監査法人の経営トップ(理事長)である片山英気氏は同監査法人を再建
することは困難と判断し、みすずの解散を2007年 2 月に決めた。
70
Ⅴ 非訴訟社会における監査手法
日本でも監査法人に対する訴訟が増えはしているが、米国のような訴訟社会ではない。むしろ当
事者同士の和解を勧める非訴訟社会といった方が正しいだろう。非訴訟社会である日本に適合した
監査手続を考える場合に、抑えるべきポイントがいくつかある。
まず、日本人の国民性である。「国民性」とは、大多数の国民に共通する性格のことである11。高
野は文化を「本質論」や「決定論」で捉えることに異議をもっている12。ここに文化とは、服装や
髪形、生業や社会制度、あるいは、建設物や芸術作品といった外形的なものではなく、人間の心の
中にあって、外形的な文化を生み出すもととなると考えられている精神文化である13。
ここで高野がいいたいことは、人間の行動は、「かならず正確に対応した行動をとる」という膠
着したものではなく、人間は、たいがい、そのときの状況に応じて、行動を柔軟に変化させること
ができるということである14。つまり、高野は、日本文化もそのときの状況で柔軟に変化し、硬直
的に集団主義的に日本人は行動するとは一概にいえないことを強調する。
日本人は集団主義的な国民性を持っている。一方、アメリカ人は個人主義的な国民性を持ってい
るといわれている。人の行動は、その性格によって決定される。国民の行動は、その国民性によっ
て決定されることになる。日本企業の行動は、日本人の持つ集団主義的な国民性により、集団主義
あるいは家族主義的にふるまう(図表 3 を参照のこと)。一方で、アメリカ企業は、アメリカ人の
持つ個人主義的な国民性により、個人主義的にふるまう(図表 4 を参照のこと)。
図表 4 日本企業と米国の企業の国民性
日 本 企 業 アメリカ企業 日本人
⇒ 集団主義的行動 アメリカ人 ⇒ 個人主義的行動
日本企業 ⇒ 集団主義的行動 アメリカ企業 ⇒ 個人主義的行動
11
高野(2008)、277頁。高野は日本人論では、
「日本人は、集団主義的な国民性をもっているので集団的にふるま
い、アメリカ人は、個人主義的な国民性をもっているので個人主義的にふるまう」と考えられていると指摘する。
12
同上、250頁。「本質論」は、どの文化にも、それを独自の文化たらしめている本質的な特徴があり、日本人
の本質的特徴である集団主義は変わることなく存在しつづけるはずとの宿命論的な考え方である。一方、
「決定
論」は、集団主義を本質とする日本文化のなかで育った日本人は、その思考も行動も、かならず集団主義的に
なるはずだという考え方である。
13
同上、250∼251頁。
14
同上、277頁。
71 日本企業が集団主義的になるのは、日本人が集団主義的であることに起因していることは確かで
あるが、日本企業が従業員を重視し、家族経営を大切にすることで従業員に一体感が生まれ、集団
主義的になっていく要因であると考えられる。逆にアメリカ企業は従業員よりも株主を重視する。
しかし、従業員はいつ会社を解雇されるかどうかわからないことから従業員は組織の一員ではあり
ながらも、会社に忠実ではなく個人主義的になると思われる。
リスクアプローチ監査は、米国のような訴訟に対応する監査手法として開発された。訴訟に勝つ
リスクアプローチ監査は、日本の監査法人が採用する重要な手法として適合しているのだろうか。
また、訴訟に勝つことを前提としたリスクアプローチ監査は、本当に投資家のための監査といえる
のだろうか。あるいは、リスクアプローチ監査が投資家のための監査でないとしたら、誰のための
監査だろうか。
リスクアプローチ監査手法は日本において何の疑問も抱くことなく大手監査法人を中心に導入さ
れたのである。リスクアプローチ監査を1991年(平成 3 年)の監査基準の改訂に際して導入した理
由としては、アメリカ監査基準や国際監査基準において新たな監査手法としてすでに導入され、確
立していることが挙げられる。国際的な監査基準とのコンバージェンス(収斂)するためにも、日
本においてもリスクアプローチ監査を導入することは必要不可欠であると考えられたのである。し
かし、本当にそれでよいのであろうか。これらの監査手法が日本においても優れた監査手法といえ
るかを十分に再検討することが必要である。公認会計士の川口は、2005年(平成17年)の監査基準
の改訂の前文に記載されている「平成 3 年の監査基準の改訂でリスクアプローチの考え方をとり入
れたところであるが、なおも我が国の監査実務に浸透するに至っていない」という文章を取り上
げ、実務サイドからは、制度が先行するスピードが速く、十分にキャッチ・アップしきれていない
状況が一部にあることを危惧している15。
実際にリスクアプローチ監査はビジネスに注目して、ビジネス・リスクアプローチ監査に監査基
準が2005年に改訂された。ここにビジネス・リスクとは、事業目的の達成を脅かすリスクのことを
いう。ビジネス・リスクに基づいた方がより効果的・効率的に監査を実施できる。そのためビジネ
ス・リスクを、もっと明示的に把握しようという動きが出てきている16。従来のリスクアプローチ
監査でいわれていた固有リスク、統制リスクを捕捉、認識するために、まずビジネス・リスクの分
析から入る方法をいう。監査の実施段階では、経営者である社長はもちろんのこと、管理部門、営
業部門、製造部門などの担当役員などの責任者にも質問の範囲を広げて、経営幹部と同じ目線でビ
ジネス・リスクを評価し、それに起因する不正リスクを認識する手法である17。
しかし、この修正リスクアプローチ監査では、どこにリスクがあるか調査することが容易ではな
く、ジュニアはもちろんのこと、シニア会計士でもリスクの調査をそれを行うことは難しい。まさ
15
川口(2009)、137頁。
16
浜田(2008)、155∼156頁。
17
浜田(2008)、156頁。
72
にマネジャー以上の役職の監査人が行う必要がある。だがもう一つ問題なのは、若手のパートナー
ならリスクアプローチ監査の監査計画を作成できるが、ベテランの会計士の中には過去の監査手法
が身についているため、リスクアプローチ監査を十分に理解できないという人もいる。リスクアプ
ローチ監査が導入されてずいぶん経つがいまだリスクアプローチ監査は試行錯誤の状態である18。
また、米国は競争社会であり、一方で日本は談合社会である。よく話題になるのは、建設談合や
官製談合であるが、その他にも談合は多く存在している。日本的経営の特徴の一つである企業内組
合も、企業の経営者と労働組合側との談合が存在するとよくいわれる。確かに労働組合の幹部か
ら、経営トップになる例があり、経営者と労働組合には何らかの深い絆が少なくないと考えられ
る。リスクアプローチ監査はこのような競争社会における監査手法ともいえる。競争社会でない日
本において、従来型の監査を放棄し、リスクアプローチ監査を日本の監査手法とすることが適切で
あったといえるのだろうか。競争社会であれば、監査法人が行った監査手法に対して財務諸表に重
要な虚偽記載があったとして競争に負けた人が訴訟を起こした時に、原告が納得できるように対処
するリスクアプローチ監査が必要になろう。だが日本のように談合社会ともいえる競争のない社会
では、リスクアプローチ監査は適切な監査手法とはいえないのではないだろうか。
リスクアプローチ監査は誰のための監査だろうか。どう考えてもアメリカの監査は監査人のため
の監査になっているのではないだろうか。なぜなら、訴訟に負けないという要請から生まれた監査
手法だからである。確かに一見、重要な虚偽表示リスク(RMM)をチェックするので投資家保護を
目的としているようにみえる。しかし、あくまでリスクアプローチ監査の一番の目的は監査人の保
護である。
監査人が訴訟で訴えられない監査手法を確立したいと米国の監査事務所は考えたのである。確か
に監査事務所はデープポケット(deep pocket)であるので、投資家や株主は監査事務所を狙い撃
ちして監査事務所の築き上げた財産を得ようとして、それを実行してきたのである。監査事務所に
とっても、こうした問題のある投資家や株主からターゲットにされ、骨の髄まで取られてしまうこ
とは耐えきれない。しかし、従来の監査手法でいくら適切な監査手続を実施したといっても、会計
や監査に関して素人である陪審員を納得させることは困難だった。そのため、監査事務所は訴訟に
敗訴することが多かったのである。
何故、監査事務所が訴訟で負けるのかといえば、試査による抜き取り検査であるため、抜き取り
で発見できなかった不正や誤謬が監査リスクとして残ってしまっていたからである。そこで監査事
務所は生き残りをかけて新たな監査手続を開発する必要性に迫られていた。
リスクの高い項目に重点的に監査資源を投入し、リスクを徹底的に潰すという監査手法であり、
陪審員にとっても納得することができるものだった。しかし、誤ってはいけないのは、これが本当
に優れたすぐれた監査手法であるかという点である。なぜなら、リスクの高い項目について徹底的
18
柴田(2007)、74∼75頁。「日本公認会計士協会の品質管理レビューの結果でも、ビジネス・リスクアプロー
チが有効に機能していないと指摘されることが多い。」
73 に監査を実施することは当然であり、何ら誤りではない。だがどの項目のリスクが高い項目あるか
認識することは簡単なことはない。いやむしろ非常に難しいといえる。陪審員の中にはリスクの高
い項目について監査をしましたといえば納得する人がいるだろうが、監査人が本当にリスクが高い
項目に関して監査を実施したといえるかどうかといえば、大いに疑問である。
Ⅵ むすびとして
リスクアプローチ監査は不正摘発のための監査としては十分に機能せず、監査事務所が訴訟から
身を守るための監査手法ではないかと考察してきた。
日本のような非訴訟社会においては、リスクアプローチ型の監査よりも、万遍なくすべての勘定
科目を検証する従来型の監査の方が適合しているように思える。しかし、明らかに金額的に重要性
がない勘定科目まで詳細に監査手続を行う必要はないことも確かである。
よく現代監査において、監査計画の段階で選択した監査手続、監査範囲など監査の大部分のこと
を決定するため、監査計画の比重が高くなり50% 以上、いや70% 近くが全体の監査業務のうちで必
要であるといわれている。しかし、これに関してはもう一度考え直すことが必要である。監査計画
の段階でクライアントから本年度の決算数値を入手しているのであれば、その考え方は誤りではな
い。だが、監査計画の段階で本年度の決算書をクライアントから受け取っていないのであれば(こ
のような事例が一般的である)
、この指摘(監査計画中心であること)は誤りであるといわざるを
得ない。あくまで本年度の実績数字を根拠として監査計画は立案しなければならないからである。
財務諸表は絶対的に正しい計算書であるとはいえない。その理由は、当該財務諸表の作成に適用
される一般に認められた会計原則(GAAP)は不完全なものだからである19。さらに種々の仮定20の
数値が使用されており、経営者の主観的な判断が財務諸表の作成には多く行使されている。
つまり、会計上の不正や誤謬が入り混じっているのである。しかし、財務諸表上に金額の規模の
大きな不正や誤謬が存在することは許されない。したがって、監査手続としては大きな金額の不正
や誤謬は発見・防止しなければならない。もしそうしなければ、誤った財務諸表の数字を見た投資
家などの企業の利害関係者は誤った投資意思決定を行い、最終的に巨額の損を出してしまうことに
なる。
監査法人はこうした不正を発見・防止する監査手続を開発し、実施しなければならない。では、
その不正の発見・防止の監査手続とは、どのような概要であろうか。
19
R.K. マウツ& H.A. シャラフ(近澤弘治監訳)
(1987)
、217∼228頁。
20
減価償却計算に使用する耐用年数や残存価額、あるいは退職給付引当金の計算に使用される残存退職年数な
どは典型的な仮定である。
74
そこで最後に重要な不正の発見・防止の監査手続に関する筆者の試案を提示する。
(1)キャッシュ重視の監査を行う21。 現金=利益+減価償却費 であるから、当該算式を次のように
展開し、 利益=現金−減価償却費 を計算し、損益計算書の利益と一致するか、あるいは一致し
ない時には、その内容を検証する。
(2)貸借対照表、損益計算書、キャッシュ・フロー計算書のそれぞれ前期と当期の数値の期間比較
を行い、大きな差異が発生している勘定科目に関しては、クライアントの担当者に質問するな
ど、差異内容に問題がないかを検証する。
(3)連結の範囲に問題がないかを調査する。これは「連結外し」がないかを検証するためである。
(4)循環取引が行われていないかを調べる。そのために重要な取引先への売上が急増していないか
を検証する。外部に不正処理の協力者が存在しているケースが多いことが、粉飾の発見を困難に
させていることが、最近判明した会計不正で明らかになっている22。
(5)会計方針の変更がある場合には、その理由が妥当であるかを調査する。また、影響額がどの程
度かに関しても検証する。
(6)滞留売掛金に関して、年齢調べを行い、その回収可能性と引当金の妥当性を吟味する。
(7)
在庫金額の妥当性を検証する。棚卸立会は、クライアントの倉庫を行うだけでなく、必要なら
ば、営業倉庫23に関しても実施する。
(8)売上原価はその詳細がブラックボックス化しているので、十分に検証することが必要である。
(9)売上に関して押込み販売が行われていないかを決算日直前における多額の売上をチェックす
る。
(10)支払利息をチェックし、借入金の総額を想定し、借入金の帳簿金額との間に大きな差異金額
がないかを検証する。これは負債の網羅性を調べるための監査手続である。
(11)クライアントの社風(企業風土)を調査し、会社の従業員は自社をどう考えているのかを調
査する。また、社風が会社経営にどのような影響を与えているかを検討する。
(12)経営者の出身の部署を質問等で調査し、何故、社長となったのか、社長の性格、派閥の存在
等を調べる。代々、経営者不正を行っているときは、長年に亘り前の経営者から不正についても
引き継いでいることが多い。経営者の担当部署の監査を行うことが望ましい。経営者の性格等が
企業風土の形成に大きな影響を与えている。
(13)過去の監査調書をチェックし、過去に不正が行われた事実があったのかを調査し、現在は同
21
柴田(2007)、14∼15頁。
22
浜田(2008)、176∼177頁。浜田は、
「メディア・リンクス、アイ・エックス・アイまどのソフトウェア業界で、
また最近では、加ト吉など別の業界でも発覚した架空循環取引は、まさに外部の協力者がいなければ成り立た
ないものです。
」と指摘している。
23
倉庫会社に預けている棚卸資産の金額は、在庫証明書をクライアントが入手するので、棚卸立会を行わない
のが一般的だが、現地で棚卸資産の状況を見れば滞留状況や評価減の必要性等に関する情報が入手できるので、
監査人が行くことが望ましい。
75 様な不正がないことを吟味する。
(14)経理部長や経理担当取締役に種々の質問を行い、不正を行うような人間性でないことを確か
める。
(15)担当しているマネジャーは、分析的手続を実施し、問題のある比率があれば、監査担当者や
補助者にその旨を説明し、監査の際に調査をしてもらうようにする。また、当該クライアントの
監査を担当しているマネジャーはその調査結果を監査調書の一部としてファイルしておく。
(16)ビッグバス24といわれる粉飾手法が行われていないかを検証する。このようにリストラ費用
を水増ししており、将来の費用を先取りし、V 字回復をしたようにみせかけているのを見破る必
要がある。
(17)経営者がワンマンか、それともサラリーマン的なのかを吟味する。さらに当期に経営者が不
正を行う動機の有無を吟味する。企業の業績が悪い場合には、経営者は粉飾に手を染めてしまう
可能性がある25。
(18)監査人自らがクライアントの経営者の立場で考える。もし監査人が経営者であったならば、
どのように不正を行うかを考えて、監査人がその不正が行われていないことを検証する。 (19)内部監査人や監査役との連携を強化し、外部監査人として知った事項について、機密保持し
なければならないものを除き、内部監査人や監査役と情報交換を行う。
(20)クライアントの日本的経営に関する部分を認識・理解し、企業がグローバル経営の方向に進
もうとしているのか、これまでの日本的経営を維持する方向で行こうとしているかを認識する。
また、そのことが会社経営にどのような影響を与えているのかを考察する。
ここでは20項目の監査手続をランダムに羅列したが、 5 つのカテゴリーに分類すると次のように
整理される。
図表 5 不正防止・発見の監査手続
カテゴリー
24
監査手続(20項目)の番号
統 制 環 境
(17)、
(18)
企 業 風 土
(11)、
(20)
監 査 技 術
(2)、
(12)
、
(13)、
(14)、
(15)
、
(19)
粉 飾 手 法
(3)、
(4)、
(5)
、
(9)、
(16)
勘 定 項 目
(1)、
(6)、
(7)
、
(8)、
(10)
柴田(2007)、15頁。ビッグバス(big bath)とは大きな風呂という意味であるが、粉飾決算で行われる場合
には、旧経営者が残していった不良債権や不良在庫を新経営者が就任した際に、実際の貸倒損失や評価損以上
の金額をリストラ費用化してしまうことをいう。すると新経営者が就任してから一年後の決算はすでに前期に
費用化されているので、実際の費用が少なく計上されることにより、V 字回復したようにみせかけることがで
きる。日産自動車のゴーン社長がこの手法を使ったといわれている。
25
柴田(2007)、13頁。経営者の資質が良くても、魔が差すことがあるので、不正が行われる蓋然性をチェック
する必要がある。
76
【参考文献】
A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマン(上田雅通訳)
(1976)
:A.C. リトルトン、V.K. ジンマーマン(上田雅通訳)
『会
計理論 −連続と変化−』税務経理協会、1976年 5 月。
(A. C. Littleton., &V. K. Zimmerman, 1962 Accounting
Theory ; Continuity and Change : Prentice-Hall, Inc.)
R. K. マウツ& H. A. シャラフ(近澤弘治監訳)
(1987)
:R. K. マウツ& H. A. シャラフ(近澤弘治監訳、関西監査研
究会訳)
『監査理論の構造』中央経済社、1987年11月。
(R. K. Mautz., & H. A. Sharaf, 1961 The Philosophy of Auditing : American Accounting Association)
伊藤(2012)
:伊藤歩「監査法人「仁義なきクライアント争奪戦」
」
(特集 怯える「監査法人」
)
『ZAITEN 6 月号』
財界展望新社、第56巻第 7 号通巻第689号、2012年 6 月。
川口(2009)
:川口勉『最新監査事情 −監査実務「エンロン後」の進化』税務経理協会、2009年 6 月。
監査人・監査報酬問題研究会(2009)
:監査人・監査報酬問題研究会『上場企業 監査人・監査報酬白書 2010年
度版』清文社、2009年12月。
柴田(2011)
:柴田英樹『会計士の監査風土』プログレス、2011年 6 月。
柴田(2007)
:柴田英樹『粉飾の監査風土 −なぜ、粉飾決算はなくならないのか』プログレス、2007年 7 月。
高野(2008)
:高野陽太郎『「集団主義」という錯覚 日本人論の思い違いとその由来』新曜社、2008年 6 月。
浜田(2008)
:浜田康『会計不正 会社の「常識」監査人の「論理」
』日本経済新聞社、2008年 3 月。
遠山他(2009)
:遠山淳、中村生雄、佐藤弘夫『日本文化論キーワード』有斐閣双書、2009年 3 月。
守屋(2012)
:守屋俊晴『監査人監査論』 −会計士・監査役監査と監査論の中心として− 創成社、2012年 4 月。
77 【論 文】
性犯罪と裁判員裁判
平 野 潔
1 .はじめに
2 .性犯罪に関する裁判員裁判の現状―青森県における裁判員裁判を素材として―
3 .裁判員裁判における性犯罪事件審理の諸問題
4 .裁判員裁判対象事件から性犯罪を除外することの是非
5 .おわりに
1 .はじめに
1
2009年 5 月に施行された裁判員制度は、今年で 3 年を経過する(1)
。この「 3 年」という期間の経
過は、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下「裁判員法」)の附則 9 条に規定されている
裁判員制度全体の見直しを行う時期になったことを示している。具体的に見直すべき課題として挙
げられているのは、裁判員に課せられる守秘義務の問題、死刑が多数決によって決定されていいの
2
かという問題などである(2)
。この課題の中には対象事件の問題も含まれており、被告人が望んだ場
合には対象外でも裁判員裁判で審理すべきとする意見や、反対に覚せい剤密輸事件等は市民感覚と
は相容れないものであるので審理対象から外すべきとする意見もある。
ところで、この裁判員裁判の対象事件の範囲は、裁判員法 2 条 1 項に定められている。その 1 号
は、法定刑を基準として「死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件」としており、
具体的には、殺人罪、現住建造物等放火罪などが含まれる。これに対して 2 号は、罪の種類を基準
としており、「裁判所法第26条第 2 項第 2 号に掲げる事件であって、故意の犯罪行為により被害者
を死亡させた罪に係るもの(前号に該当するものを除く。)」としている。いわゆる法定合議事件と
される「死刑又は無期若しくは短期 1 年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪」(強盗罪等の一部を
除いたもの)のうち、 1 号に定めるものを除き、さらに過失犯や被害者が死亡しなかった場合も除
(1)
最高裁判所によれば、2012年 1 月末時点で、全国で3,266人に判決が言い渡され、18,871人が裁判員を経験
している(最高裁判所『裁判員裁判の実施状況について(制度施行∼平成24年 1 月末・速報)』
)
(http://
www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/02.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)
。
(2)
朝日新聞2012年 5 月19日朝刊 3 面など参照。
79 かれる。具体的には、傷害致死罪、危険運転致死罪などがこれに含まれる。
この対象事件の範囲に関して、『司法制度改革審議会意見書』は、「国民の関心が高く、社会的に
3 3)
も影響の大きい『法定刑の重い重大犯罪』とすべきである。」とした(
。その後の裁判員制度・刑
4
事検討会においても、この意見書を叩き台として議論が進められた(4)
。この議論の中では、審議会
の意見書とは反対の方向、すなわち軽微な事件から始めて、運用が定まるにつれて徐々に範囲を拡
5
大していくという意見も少なからず見られたとのことである(5)
。いずれにしても、対象事件の範囲
を決定するプロセスにおいて基準とされたのは「法定刑」「罪の種類」であり、個々の犯罪が果た
して対象事件とすることに相応しいか否かという議論は、ほとんど見られなかったということが分
かる。
以上のような経緯で設定された裁判員裁判の対象事件には、いわゆる「性犯罪」も含まれてい
る。ここで、性犯罪とは、一般には性に関係する犯罪の総体を指すが、刑法上の性犯罪としては、
6
第22章「わいせつ、姦淫及び重婚の罪」の諸犯罪から重婚罪を除いたものが、これに当たる(6)
。こ
のうち性犯罪をその構成要件に含む強制わいせつ致死傷罪・強姦致死傷罪・集団強姦致死傷罪と、
第36章「窃盗及び強盗の罪」に規定されている強盗強姦罪・強盗強姦致死罪が、対象事件となる。
この性犯罪は、複雑困難事件、少年逆送事件と並んで、
「裁判員制度下で審理する際の課題が多
(7)
7
く指摘され、一部では裁判員制度の対象事件から外すべきとの意見も出ている」
とされるもので
ある。性犯罪特有の具体的な課題として挙げられるのは、選任手続きにおいて守秘義務が課されな
い非選任候補者から個人情報が漏れて二次被害が出るおそれがある、公判においても、 6 人の一般
市民に被害を知られる負担や公開法廷でいわれなき「落ち度」を追及される不安が懸念され、この
8
ままでは裁判員裁判を避けようと被害の申告を諦める者も出てくる、などである(8)
。このため、裁
判員裁判の対象から外すべきという主張もなされるのである。
本稿は、性犯罪を裁判員裁判の対象事件とすることで生ずる問題点の検討を試みるものである。
確かに性犯罪に関しては、被害者のプライバシーの保護という重大な問題があり、市民が参加する
裁判員裁判において十分にその保護が図れるのかという疑問が残る。しかし一方で、裁判員裁判が
導入されたことにより性犯罪の実態が市民にも理解され、それに伴い従来の量刑基準が市民感覚に
より見直されつつあることも事実である。そこで、本稿では、まず実際の性犯罪に関する裁判員裁
判の流れを、個別ケースをもとに概観してみる。その中で問題となる点の洗い出しを行い、想定さ
(3)
司法制度改革審議会『司法制度改革審議会意見書』
(2001年)106頁(http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/
report/ikensyo/pdfs/iken-4.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)。
(4)
池田修『解説 裁判員法[第 2 版]』
(2009年、弘文堂) 9 -10頁。
(5)
池田・前掲注(4)11頁。
(6)
三井誠=町野朔=曽根威彦=中森喜彦=吉岡一男=西田典之編『刑事法辞典』
(2003年、信山社)
〔上田寛〕
478頁。
(7)
内田亜也子「裁判員裁判の対象事件に関する一考察」
『立法と調査』298号(2009年) 3 頁。
(8)
内田・前掲注(7)14頁。
80
れている問題点とその解決策について考察を加える。それらの考察を踏まえた上で、最後に、性犯
罪を裁判員裁判から除外すべきか否かについて検討してみたい。
2 .性犯罪に関する裁判員裁判の現状―青森県における裁判員裁判を素材として―
本章では、性犯罪が起訴罪名に含まれている事件について、その裁判員選任段階から判決言渡し
までの一連の手続きを概観してみる。現在の裁判員裁判において性犯罪を取り扱う際に、どのよう
な運用がなされているかを確認し、問題点の洗い出しを試みるためである。なお、ここでは、検討
の素材として青森県における裁判員裁判を取り上げる。性犯罪を含めた各事件に対する一般的な対
応は最高裁判所や最高検察庁によって示されているが、個々の事件に対する具体的な運用は各地方
裁判所・各地方検察庁の判断に委ねられているため、特定の地方裁判所・地方検察庁の対応を継続
的に検証することによって、具体的な運用状況を把握することが出来るからである。
青森県では、2012年 6 月11日現在、36件の裁判員裁判が行われている。そのうち、性犯罪を起訴
罪名に含むものは 6 件ある。罪名別では、強盗強姦罪が 1 件、強姦致傷罪が 3 件、強制わいせつ致
傷罪が 2 件であり、そのうち性犯罪そのものが既遂に達しているものが 3 件になっている。
9
⑴青森地判平 21・9・4(9)
青森県における第 1 号事件となった本件は、強盗強姦事件 2 件を含めて、計 4 件が併合審理され
ている。裁判員裁判対象事件として起訴されたのは、2006年 7 月、窃盗目的で被害者 A 方に侵入
したところ、被害者が帰宅したため、暴行・脅迫を加えてその反抗を抑圧し、強いて姦淫した上
で、現金14,000円を強取し、その際、被害者に対して全治 3 日の傷害を負わせたという住居侵入・
強盗強姦事案である。その他に、性犯罪としては、2009年 1 月の強盗強姦事件も起訴されている。
01
公判に先立つ 9 月 1 日に選任手続きが行われた。選任手続き(10)
では、裁判所職員より、被害者
を特定する事項を口外しない等の要請が行われた後、「当日質問票」が配付された。この「当日質
問票」には、被害者のプライバシー保護の観点から、住所や勤務先に関する「この事件と関係があ
る可能性についての質問」項目が追加されている。この項目に「可能性がある」と答えた候補者
は、別室で個別に質問を受けたようである。また、「当日質問票」の裏面には事件の概要が記載さ
れているが、この記載も、被害者名は「A、B」とされ、住所も市町村名までに抑えられたとのこ
とである。これらのプロセスを経て、 6 人の裁判員と 3 人の補充裁判員が選任されている。裁判員
の男女の構成は、男性 5 人に対して女性が 1 人であり、補充裁判員は、女性 2 人に対して男性 1 人
(9)
本件に関する弁護活動に関しては、竹本真紀「性犯罪事案の量刑が主要争点となった事例」
『刑事弁護』62
号(2010年)15頁以下参照。
(10)
選任手続きについては、東奥日報2009年 9 月 2 日朝刊 1 面、26 -7 面、朝日新聞2009年 9 月 2 日朝刊34面な
ど参照。質問票の個々の質問に関しては、東奥日報2009年 9 月 2 日朝刊27面参照。
81 となっている。
本件の審理は、 9 月 2 日 3 日の 2 日間行われた。まず初日の冒頭、起訴状朗読の際、裁判長よ
り、「第 1 事件の被害者をAさん、第 2 、第 4 事件の被害者をBさんと呼び、住所・年齢は読まな
いことにしてもらう」旨が告げられた。さらに黙秘権告知に続く罪状認否の前に、被告人に対し
て、「Aさん、Bさんの名前を口にすることは絶対にしないでください」という要請がなされた。
証拠調べにおいては、とくに性犯罪が関係する場面で、被害者のプライバシーに配慮するため、大
型モニターの電源は切られ、裁判官・裁判員の手元にある小型モニターにのみ電源が入れられてい
た。また、検察官は、被害者・被告人の供述調書を取り調べる際、被害者に配慮して一部を読み上
げず、裁判官・裁判員には後で写しを配付している。 2 日目は、被害者 2 人の意見陳述が、ビデオ
リンク方式を使って行われた。この意見陳述に先立って、裁判所は、検察官・弁護人席の小型モニ
ターの角度を変えて傍聴席からまったく見えない状態にした上、弁護人の横に座っていた被告人を
証言台に座らせ、被告人にも被害者の姿が見えないようにした。また、意見陳述が始まる前に、裁
判長が被害者に対して、
「傍聴席・被告人席から見えないので安心して欲しい」旨を伝えている。
本件の判決言い渡しは、 9 月 4 日に行われている。検察官の求刑が懲役15年なのに対して、弁護
人の求刑意見は懲役 5 年であったが、裁判所は検察官の主張を容れて懲役15年を言い渡している。
判決文の量刑の理由によれば、裁判所がとくに重視したのは、
「第 1 事件と第 4 事件の悪質さ、重
大さ」であるとされている。この判決の特徴的な部分としては、本件が強盗強姦 2 件、窃盗 2 件と
いう財産犯 4 件の事案であるのに対して、財産的損害に関しては量刑の理由の中でまったく言及さ
1
れていない点である(11)
。まさに、性犯罪としての側面を最大限重視した量刑判断になっている。
わが国で初めて性犯罪を裁判員裁判で裁くということで、全体的には、かなり慎重な運用がなさ
れていることが見て取れる。ただ、大型モニターには映し出されないとはいえ、実況見分調書では
本件犯行現場である被害者宅の写真や見取り図が、被害者の供述調書では再現写真が、それぞれ裁
判員に対して示されている。また、被害者の供述調書の取調べの際には、一部で読み上げない部分
があったものの、それでも被告人が被害者を姦淫した生々しい様子が読み上げられている。これら
の点は、被害者のプライバシーの観点から考えた場合、検討する必要があるであろう。
⑵青森地判平 22・6・17
青森県の第 6 号事件である本件は、強姦未遂と強制わいせつ致傷の 2 つの罪で起訴されている。
裁判員裁判対象事件として起訴されている強制わいせつ致傷は、2009年10月、駐車中の自動車内に
おいて、強姦に失敗した直後、同車内および被害者が逃げ出した後は車外において暴行・脅迫を加
え、被害者に口付けしようとしたが、被害者に抵抗されたため未遂に終わり、その際、上記暴行に
(11)
この点について、控訴審である仙台高判平22・3・10は、
「財産的な被害等をやや軽視しているきらいがない
ではないが」と指摘している。
82
より、被害者に全治約 2 週間を要する傷害を負わせたというものである。その他に、同日同所の車
中において、強制わいせつ致傷の直前に行った強姦未遂も併合審理されている。
公判前日の 6 月14日に選任手続きが行われた。選任手続きでは、第 1 号事件と同様、当日質問票
に「この事件と関係がある可能性についての質問」が追加されている。裁判員の構成は、女性 4
人、男性 2 人であり、補充裁判員は 2 人とも女性であった。
本件の公判は、 6 月15日16日の 2 日間であった。本件も被害者の氏名・住所等を明らかにしない
旨の決定が前もってなされており、冒頭、裁判長からも「被害者がどなたかは明らかにせず、
『被
害者』と言い換えます」という趣旨の発言がなされている。本件は、被害者参加制度が適用された
事案であり、法廷では、検察官席の後に席が設けられ、傍聴席からは見えないように遮へい措置が
取られた上で、被害者と被害者代理弁護士、付添人が審理の様子を見守っていた。被害者が直接
質問をするようなことはなかったが、被害者代理弁護士が被告人質問を行い、求刑意見も述べてい
る。また、被害者は、証人として証言台に立っているが、この際にも、証言台の周囲に遮へいを施
す措置が取られている。検察官も、出廷している被害者に配慮して、被害者が事件のことを具体的
に思い起こす表現を避け、一部については小型モニターに映し出して黙読してもらう措置を取って
いた。
判決は 6 月17日に言い渡されている。検察官の求刑は懲役 5 年であり、被害者代理弁護士の求刑
意見は懲役 8 年であった。これに対して、弁護人は執行猶予付きの判決を求めた。裁判所は執行猶
予こそ付けなかったが、「被告人がその責任を果たした上で社会復帰するための期間としては、被
害者参加人や検察官が求めるほど長期の刑は相当ではない」として懲役 3 年 6 月を言い渡してい
る。この判決について、被害者参加人として出廷していた被害者は、公判後検察側に「判決には納
21
得している」との考えを伝えたようである(12)
。
公判終了後会見に応じた裁判員経験者は、被害者が参加したことについて「被害者の口から直
接意見が聞け、被害者がどんな表情をしているのか知ることができた」と述べた。また、別の経験
者は、被害者の懲役 8 年という意見について、
「被告のことも考えてちょっと重いと思った」とし、
31
意見そのものは「量刑を上げたり下げたりする(判断)材料にはならなかった」と述べている(13)
。
本件の手続きは、基本的に性犯罪 1 例目を踏襲している。大きな特徴は、被害者参加制度が適用
された点である。性犯罪 1 例目での被害者の参加は意見陳述に止まったが、本件では被害者が在廷
している点が大きく異なる。これが裁判員裁判にもたらす影響については、検討する必要がある。
(12)
東奥日報2010年 6 月18日朝刊23面。
(13)
裁判員経験者の発言に関しては、東奥日報2010年 6 月18日朝刊23面、読売新聞2010年 6 月18日朝刊21面(青
森県版)、朝日新聞2010年 6 月18日朝刊29面(青森県版)参照。
83 ⑶青森地判平 22・8・27
性犯罪としては 3 件目に当たる本件は、青森県における第 9 号事件であった。裁判員裁判対象事
件として起訴されたのは、強姦致傷である。事実の概要は、被告人は、2010年 1 月、被告人方にお
いて、被害者に対して暴行・脅迫を加え、強いて被害者を姦淫しようとしたが未遂に終わり、その
際、上記暴行により、被害者に全治10日間を要する傷害を負わせたというものである。なお、当日
に被告人が行った道路交通法違反(無免許運転)に関しても、併合審理されている。
選任手続きは 8 月24日に行われた。ここでは、これまでと同様の配慮がなされていたようであ
る。最終的には、男性 4 人、女性 2 人の裁判員と男性 1 人、女性 1 人の補充裁判員が選ばれてい
る。
公判は、 8 月25日26日の 2 日間行われた。冒頭手続きにおいて、被害者の氏名・住所等は明らか
にしないことが裁判長より示され、被告人に対しても黙秘権告知の後、
「被害者の名前は口にしな
いように」という要請がなされた。その他の手続きは通常の裁判員裁判とほぼ同じである。
判決は、 8 月27日に言い渡されている。検察官の求刑が懲役 6 年なのに対して、弁護人は懲役 3
年が相当であるという求刑意見を示した。これに対して裁判所は、懲役 4 年 6 月を言い渡してい
る。量刑判断で目を引くのは、被害者が、深夜、被告人宅に上がって被告人と 2 人きりで過ごした
ことを「分別ある年齢の女性の行動としては軽率であったといわざるを得ない」として、被害者の
落ち度とし、これを被告人のために酌むべき事情としている点である。
全体的な手続きは、性犯罪 1 例目、 2 例目と異なる点はない。手続きはほぼ固定されていると見
てよいであろう。これまでの 2 件と異なり、本件では被害者が参加していない。この点が本件の特
徴である。また、判決文において被害者の落ち度を指摘している点も特徴的といえるであろう。
⑷青森地判平 22・9・2
青森県で10番目の裁判員裁判となった本件は、強姦致傷事件であった。事実の概要は、2010年 1
月、青森県内の飲食店 2 階事務室において、被害者に対して暴行・脅迫を加え、被害者を強いて姦
淫しようとしたが、被害者に激しく抵抗されるなどしたため未遂に終わり、その際、上記暴行によ
り、被害者に加療約 4 週間を要する傷害を負わせたというものである。
8 月30日に裁判員の選任手続きが行われ、女性 4 人、男性 2 人の裁判員と、女性 2 人の補充裁判
員が選ばれている。ここでは、これまでとほぼ同様の「質問票(当日用)」が使われている。
公判は 8 月31日と 9 月 1 日の 2 日間行われた。冒頭、起訴状朗読の際に、被害者に関しては「被
害者」と呼ぶこと、犯行現場に関しては「青森県内の飲食店」とすることが確認された。さらに、
黙秘権の告知の後、裁判長より被告人に対して、被害者の名前を口にしないようにという要請がさ
れている。引き続き行われた証拠調べ手続きにおいても、被害者が特定されないような配慮がなさ
れていた。また、被告人質問の際には、弁護人から「被害者の名前と店の名前は伏せるように」と
いう注意が、被告人に対して再度なされている。なお、本件も性犯罪 2 例目と同様に被害者参加制
84
度が適用されているが、被害者本人は出廷せず、代わりに被害者参加弁護士が参加し、意見陳述の
最後には、被害者が書いた意見書を読み上げている。
判決言い渡しが行われたのは、 9 月 2 日である。検察官の求刑が懲役10年、被害者代理弁護士の
求刑意見は「最大限の懲役刑を望む」というものであり、これに対して、弁護人は「更生にとって
最も適切な刑罰」を求めたが、判決は検察官の求刑通りの懲役10年であった。この時点で、検察官
の求刑通りの判決が出たのは、青森県においては第 1 号事件に次いで 2 例目であり、いずれも性犯
罪であった。被告人は、本件の 4 年前に強姦未遂罪で懲役 2 年 6 月の判決を受け、性犯罪者処遇プ
ログラムを受けるなどしながら、本件犯行に及んでいる点が判決にも影響しているようである。
公判終了後の会見に応じた裁判員経験者は、被害者の手紙について「代読でも十分に被害者の感
14
情が伝わった」
「涙が出そうになった。被害者には一日も早く立ち直ってほしい」と述べている(14)
。
本件でも、これまでの手続きが踏襲されている。また、本件も被害者参加制度が適用されている
が、性犯罪 2 例目とは異なって被害者は出廷していない。この点が特徴的である。
⑸青森地判平 23・11・18
本件は、青森県第29号事件となった強姦致傷事件であり、性犯罪に関する裁判員裁判としては青
森県では 5 例目となる。事実の概要は、以下の通りである。すなわち、被告人は、2001年10月、当
時の被害者方に侵入し、居間の床で寝ていた被害者に対して暴行・脅迫を加え、その反抗を抑圧し
て被害者を姦淫し、その際、上記暴行により、被害者に加療約 2 週間を要する傷害を負わせた。
11月15日に裁判員の選任手続きが行われ、そこで、男性 3 人、女性 3 人の裁判員と男性 2 人の補
充裁判員が選任されている。
11月16日17日行われた公判においては、起訴状朗読の際に検察官より、被害者が誰かは一切明ら
かにしない、犯行場所についても「当時の被害者宅」とするという説明がなされた。その後の証拠
の説明においても、大型モニターの電源が切られるなどの配慮がなされている。本件も被害者参加
制度が適用され、被害者代理弁護士が被害者の意見陳述書を代読し、求刑意見を述べている。
判決言い渡しは11月18日にあり、裁判所は、被告人に対して懲役 8 年を言い渡した。弁護人は
「寛大な判決」を求めたが、検察官が求刑した懲役 8 年がそのまま容れられた形となった。被告人
は、2011年 2 月14日に住居侵入、強姦、強姦未遂の罪により懲役 6 年 6 月に処せられ、本件起訴が
行われた時点で宮城刑務所に服役中であったという点も、判決には大きな影響を与えていると思わ
れる。
本件も手続き的な面で大きな違いは見られず、また、被害者参加制度が適用されているものの、
性犯罪 5 例目と同様、被害者参加弁護士が出廷したに止まっている。
(14)
東奥日報2010年 9 月 3 日朝刊27面。
85 ⑹青森地判平 24・5・16
性犯罪としては 6 例目となった本件は、青森県35件目の裁判員裁判である。起訴罪名は、強制わ
いせつ致傷罪であり、事実の概要は、2011年 8 月30日、青森県内の畑において、当時 9 歳の被害者
にわいせつな行為を行い、その際、加療 1 週間を要する傷害を負わせたというものであった。その
他に、別の少女に売春をさせたという売春防止法違反、児童福祉法違反も併合審理されている。
審理に先立つ 5 月11日に裁判員選任手続きが行われた。その結果、女性 4 人、男性 2 人の裁判員
と、男性 1 人、女性 1 人の補充裁判員が選任されている。
公判は、 5 月14日15日の 2 日間行われた。今回もこれまでと同様、起訴状朗読の際に、被害者を
それぞれAさん、Bさんと呼ぶということが、検察官から説明された。しかし、今回の裁判では、
これまでと異なる点が何点か見られた。まず、犯行現場に関しては、「青森県内の畑」というよう
に市町村名も伏せられていた点はこれまでとは異なっている。また、冒頭手続きにおいても、これ
までと異なる点があった。これまでは、黙秘権告知の際に、裁判長から被告人に対して、被害者の
名前を言わないようにという要請がなされていたが、今回はそのような要請がないまま進められた
のである。もう1つ大きな違いがあったのは、公判中一度も大型モニターの電源を入れることがな
かったという点である。これまでは、被害者のプライバシーに関わる場面のみ大型モニターの電源
が切られ、それが終わると電源を入れるという形が取られていたが、今回はそのような措置は取ら
れなかった。これまでの 5 例と比較して違いが多く見られたのは、裁判所、検察庁とも性犯罪 5 例
目以降人事異動があり、その影響があったことが推測される。そして、本件も、被害者参加制度が
適用された。出廷したのは、被害者の両親(法定代理人)と被害者参加弁護士である。被害者参加
人のうち被害者の母が意見陳述を行い、被害者の父と被害者参加弁護士が求刑意見を述べている。
判決の言渡しは 5 月16日に行われた。検察官が懲役 6 年、罰金20万円を求刑し、被害者参加人は
「法律が許す範囲の中で最大限長期の懲役刑を望む」と述べ、そして弁護人は執行猶予付判決を求
めたのであるが、判決は懲役 5 年 6 月、罰金20万円というものであった。被害者参加弁護士によれ
51
ば、被害者参加人である両親は、
「判決を聞いて落胆している」ということであった(15)
。
本件の裁判員経験者は、閉廷後の会見で、検察官の求刑を「すごく軽いと思った」「懲役 3 年∼
30年の長い方を想定していた」 と感想を述べている。
冒頭手続きにおいて被告人への要請がなかった点、犯行現場に関して市町村名すら明らかにしな
かった点、そして大型モニターの電源が一度も入れられなかった点が、本件の特徴と言い得る。そ
して、その原因として考えられるのは、人事異動である。この点にも注目する必要がある。
(15)
東奥日報2012年 5 月17日朝刊23面。
86
3 .裁判員裁判における性犯罪事件審理の諸問題
前章では、青森県における裁判員裁判を素材として、個別事案ごとにとくに性犯罪特有の問題と
なり得る点を示してきた。本章においては、
「裁判員選任手続き」
「公判手続き」
「裁判員の男女構成」
「量刑判断」に分け、裁判員裁判において実際にとられている対応策を確認する。そして、果たし
て現在の対応策で十分なのか、十分でないとした場合どのような対応策をとることが可能なのかを
検討していく。
⑴裁判員選任手続きにおける被害者の保護
まず、裁判員選任手続きにおいては、裁判員候補者には守秘義務がないことから、被害者を特定
する情報を裁判員候補者に提供した場合、情報が流出する懸念がある。ここでのリスクは、①被害
者とは面識のない裁判員候補者が、選任手続きで得た被害者特定事項を漏洩するリスクと、②被害
者と面識のある裁判員候補者に、被害者が性犯罪の被害に遭ったことを知られてしまうリスクであ
る。他方で、このような被害者特定事項は、裁判員法17条および18条の不適格事由該当性を判断す
るに当たって不可欠な情報であり、公正な裁判を確保するためには、性犯罪においても被害者特定
事項をまったく提供しないということはできない。そのことから、被害者特定事項を裁判員候補者
に提供するにあたっては、裁判員法17条および18条該当性の判断の必要性と被害者のプライバシー
保護の必要性の双方の観点から、提供の方法および程度を慎重に検討する必要があるとされてい
16
る(16)
。具体的には、以下のような方策が提示されていた。すなわち、「裁判員候補者に被害者特定
事項を口外しないように依頼する」
「被害者特定事項については筆記しないように求める」
「例えば、
性犯罪の犯行場所が被害者の自宅であるような場合には住所を知らせないこと」「被害者に候補者
71
の名前を知らせ、これら候補者の不適格事由の有無を把握すること」(17)
などである。
実際に、青森地裁において行われている手続きは、おおむね以下のようなもののようである。ま
ず、裁判所職員より、被害者を特定する事項を口外しない、筆記もしないことが要請される。次
に、携帯電話のカメラを使わないことを求めた上で、「あなたがこの事件と関係がある可能性につ
いての質問ですが、あなたは、ご自身やご家族が○○市に住んでいたり、ご自身が○○市で働い
ているなどして、○○市を繰り返し訪れるといった事情がありますか。
」という性犯罪を対象とす
る事件の際にのみ追加される質問項目を含んだ「質問票(当日用)
」が配付される。この「質問票
(当日用)」の裏面には事件の概要が記載されているが、ここでも被害者名・住所が伏せられる。そ
して、上記の質問項目に対して「住んでいる」「繰り返し訪れる」と答えた候補者は、別室で個別
に質問を受ける。具体的には、事件のあった市町村に酒の配達で行くという候補者の男性に対し
て、
「どのようなところを回っているのか」
「知り合いはいるか」などの個別の質問が行われたよう
(16)
河本雅也「裁判員制度実施に向けた取組の概要」法律のひろば編集部編『裁判員裁判の実務』
(2011年、ぎょ
うせい)20頁。
(17)
詳細は、河本・前掲注(16)20頁を参照。
87 81
である(18)
。
このような対応については、具体的な運用は各地検と各地裁の判断に委ねられており、被害者の
19
プライバシーが保護されるという確かな保証はないという、懐疑的な見方も存在する(19)
。しかしな
がら、現在行われている手続きが確実に履践されれば、被害者のプライバシー侵害のリスクはか
なりの確度で回避できるように思われる。前述した①のリスクに関しては、被害者名を明かさな
い、市町村名までしか住所等を示さないなど被害者特定事項の提供を極力抑えることによって可能
となっている。また、②のリスクに関しても、当日質問票に項目を追加し、さらに個別質問を用い
ることによって、被害者と面識のある裁判員候補者を選任手続きから外すことが可能となるであろ
う。ただ、現行の手続きでもなお被害者の不安が払拭されないということであれば、被害者と同じ
市町村に住む候補者を除外するということが検討されてもいいのではないだろうか。仮に被害者と
同じ市町村に住む者を裁判員候補者から除外したとしても、範囲が一地方に限定される以上、意見
の偏りが見られるような極端な結果を生ずる懸念はない。他方、被害者特定事項を極力抑えるため
に公平な裁判が実施されない懸念に関しては、被害者に事前に裁判員候補者の名簿を提示すること
20
である程度緩和することが可能となる(20)
。
⑵公判手続きにおける被害者の保護
次に公判手続きに関する問題を検討する。大きく分けて、公判全体を通じた「被害者特定事項の
秘匿」、
「書証の取調べ」の際の犯行状況等の詳細な朗読、
「被害者の証人尋問、意見陳述等」におけ
る被害者保護が問題となる。
①被害者特定事項の秘匿
公判手続きで問題となり得るのは、被害者の氏名等の被害者特定事項が、法廷で明らかにされて
しまうことである。
12
実際の運用では、2007年の刑事訴訟法改正によって新たに加えられた290条の 2(21)
に基づいて氏
(18)
朝日新聞2009年 9 月 2 日朝刊34面。なお、東奥日報2009年 9 月 2 日朝刊26面も参照。
(19)
雪田樹理「性犯罪被害と裁判員制度」
『部落解放』631号(2010年)36頁。
(20)
実際の運用でも裁判員候補者のリストが被害者に示されているようである(朝日新聞2012年 5 月23日朝刊
39面参照)
。
(21)
公開法廷における性犯罪被害者等の被害者の氏名等の秘匿に関しては、白木功=飯島泰=馬場嘉郎「『犯罪
被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法の一部を改正する法律(平成19年法律第95号)
』の解説⑴」
『法曹時報』60巻 9 号(2008年)54頁以下など参照。
被害者特定事項秘匿に関しては、最決平20・3・5 判タ1266号149頁がその合憲性を認めている。本決定に関
しては、滝沢誠「一 被害者特定事項を公開の法廷で明らかにしない旨の決定がされた事例 二 被害者特
定事項を公開の法廷で明らかにしない旨の決定をすることと憲法三二条、三七条一項」
『法学新報』116巻 7 =
8 号(2009年)155頁以下、松本哲治「被害者特定事項の非公開決定と公開裁判を受ける権利」
『平成20年度重
要判例解説』
(2009年)24-5 頁を参照。
88
名等を公表しない決定がなされ、それに基づいて、検察官の起訴状朗読の時点から、被害者のこと
を「被害者」ないし「Aさん」と呼び、犯行現場についても、「青森県内」あるいは「青森県○○
2
市内の被害者宅」として可能な限りで被害者が特定されるような情報が伏せられている(22)
。また、
証拠調べの際には、必要に応じて法廷内の大型モニターの電源が切られ、傍聴人には被害者を特定
するような情報が漏れないような配慮がなされている。とくに象徴的であったのが、性犯罪 6 例目
である。この事件では、公判中大型モニターの電源が切られたままであった。
このような対応によってある程度の危険性は回避できるように思われるが、しかし懸念が完全に
払拭されるわけではない。これまでの青森県における性犯罪に関する裁判員裁判は、いずれも事実
関係に争いがなかったため大きな問題は生じなかったが、これが事実そのものを争う場合に、そこ
まで秘匿することが出来るかはなお疑問が残る。また、仮に事実関係に争いがない場合であっても、
被告人と被害者に面識がある場合などは、裁判長等から要請があったとしても、つい被害者の名前
等が出てきてしまう可能性がないとは言えない。それは、被告人だけの問題ではない。性犯罪に関
する裁判ではないが、被告人の内妻の名前を匿名にすると言いながら、検察官が被告人質問で誤っ
て名前を口に出してしまうケースもあった。被告人だけでなく検察官や弁護人から情報が漏れる危
険もあるのである。
また、性犯罪 6 例目では、犯行現場の特定を避けるため、強姦致傷事件に関しては「青森県内」
、
売春防止法・児童福祉法違反事件に関しては「秋田県内」という表示に止めていた。しかしなが
ら、後者の事件に関して、売春の相手の供述調書を朗読する際、売春の現場となったホテルの名前
が読み上げられていた。そこは秘匿する必要がないという判断なのかもしれないが、売春を行った
32
女子中学生のプライバシー保護という観点からは疑問が残る(23)
。
事実関係に疑わしい点がある場合には、具体的に言及する必要が生じてくるのはやむを得ないと
しても、とくに事実関係に争いがないケースに関しては、法曹三者が協力して極力情報を漏らさな
いような努力をしていく必要がある。また、人事異動などによっても大きな影響を受けないような
体制を構築し、維持していくことも重要である。
②書証の取調べ
次に問題となるのは、とくに被害者の供述調書を取り調べる際、性犯罪の被害状況が検察官に
よって詳細に読み上げられるという問題である。このことによって被害者にとって公にされたくな
い事実が法廷内に示されることになる。また、被害者が出廷している場合には、被害に遭った時の
(22)
なお、2007年の刑事訴訟法改正以前においても、実務上は、被害者等から申し出があったり検察官が適切
だと判断したりした場合には、弁護人や裁判所に同意を求めた上で、仮名を用いたり、単に「被害者」と述
べるなどの方法で、被害者の氏名等を秘匿する運用がなされてきたということである(白木=飯島=馬場・
前掲注(21)55頁)。
(23)
さらに、プライバシー保護が問題となったケースに関して、雪田・前掲注(19)37- 8 頁も参照。
89 状況が思い出され、二次被害に晒される懸念もある。この問題は、供述調書のほぼ全文の朗読が行
われているからこそ顕在化されたものであり、裁判員裁判だからこそクローズアップされた問題で
42
あるとされている(24)
。問題の解決策として、具体的には、被害状況うち、ここは公判廷で朗読すべ
きではないと考える部分については朗読を省略し、その部分の写しを裁判官・裁判員に配付してそ
25
の場で黙読してもらうというやり方が、一般的にはとられているとされている(25)
。
実際、青森地裁における運用でも、例えば性犯罪 1 例目においては、供述調書で読み上げない部
分を後から配付したり、性犯罪 2 例目においては、小型モニターにのみ供述調書を映して黙読をし
てもらうという措置をとったりしている。現状においては、これらの方法により事案ごとに対応す
ることで、ある程度の問題解決は見込まれる。
しかしながら、性犯罪 1 例目で顕在化したように、調書の読み上げを行わなかった部分以外で
も、かなり詳細に被害状況が朗読されている。判決言い渡し後に行われた裁判員経験者の会見で
も、裁判員経験者から「びっくりしたのは、守秘義務のない傍聴人に対して犯行内容が読み上げら
れたことで、大丈夫なのかなと思いました」
「犯行過程を詳しく言われたことに衝撃を受けました」
26
という声が聞かれた(26)
。そもそもの問題は、被害者の供述調書にそこまで詳細な内容が必要なのか
72
というところである(27)
。もちろん、事実を正確に認定するためには被害者の供述は不可欠のもので
あり、事実そのものが争われる場合には、当然被害者の供述調書が大きな意味を持ってくることは
間違いない。しかしながら、事実関係に争いのない事件で、詳細な供述調書の朗読が必要であるか
はやはり疑問である。被害者にとっては触れられたくない事実であり、被害者が出廷している場合
にはその心の傷口を広げる可能性もあるのであるから、とくに事実に争いがない事件に関しては、
犯行状況に関してはすべて黙読とするような措置をとってもいいのではないかと思われる。
③被害者の証人尋問、意見陳述等
被害者等が関与する手続きとしては、①自身が証人となる場合、②刑事訴訟法316条の36に規定
する情状証人に対する尋問、③刑事訴訟法316条の37に規定する被告人に対する質問、④刑事訴訟
法292条の 2 に規定する意見陳述、⑤刑事訴訟法316条の38に規定する弁論としての意見陳述があ
28
る(28)
。①は従来から行われていたが、④は2000年の「犯罪被害者保護二法」によって導入され、
(24)
上冨敏伸=小野正典=河本雅也=酒巻匡「〈座談会〉法曹三者が語り合う本格始動した裁判員裁判と見えて
きた課題」
『法律のひろば』
(2010年)31頁〔上冨発言〕。
(25)
上冨=小野=河本=酒巻・前掲注(24)31頁〔上冨発言〕
。
(26)
東奥日報2009年 9 月 5 日朝刊11面。
(27)
この点に関しては、ビデオリンクシステムを利用した被害者の証人尋問では、そこまで詳細な尋問を行わ
ないのであり、それで立証が足りるのであれば、その程度の内容の調書でもいいのではないかという指摘が
ある(上冨=小野=河本=酒巻・前掲注(24)31頁〔河本発言〕
。これに対する反論としては、上冨=小野=
河本=酒巻・前掲注(24)32頁〔上冨発言〕参照)。
(28)
河本・前掲注(16)10頁。
90
②③⑤は2007年に導入された被害者参加制度の手続きである。②∼⑤特有の問題は後に論ずること
として、ここでは「被害者保護」に関わる点についてのみ検討したい。
これらの参加形態に関して、とくに「被害者保護」との関係で問題となるのは、犯罪被害者が法
廷で証言等をしようとする時、被告人の目の前で証言することに大きなプレッシャーを感じたり、
二次被害に晒されたりする危険である。そこで、2000年に成立・施行された改正刑事訴訟法では、
被害者が証人として出廷する際の負担軽減措置として、証人への付添い(157条の 2 )、証人の遮へ
9 29)
い措置(157条の 3 )、そしてビデオリンク方式(157条の 4 第 1 項)が導入されている2(
。また、
30
被害者等による意見陳述の際にも、同様の措置を取ることが認められている(30)
。
現に、青森県の裁判員裁判においても、性犯罪 1 例目の被害者 2 人の意見陳述では、ビデオリン
ク方式と遮へい措置が併用された。また、性犯罪 2 例目で、被害者が証人として証言台に立った際
には、遮へい措置が採られている。
このような負担軽減措置に関しては疑問が呈される。すなわち、たとえビデオリンク方式を用い
たとしても、被害者は自らの情報が裁判員に知られてしまうので、プライバシー保護との関係では
13
問題になるという指摘である(31)
。しかし、性犯罪 1 例目の裁判員経験者は、判決言い渡し後の会見
で「暗い部屋の中で映しているので、わたしたちもよく分からない、外で会っても分からない感じ
23
のビデオでした」
「被害者は映っていますが、そんなにはっきり見えません」と述べている(32)
。
「被害者」の立場から考えた場合、遮へい措置およびビデオリンク方式の採用は、大きな意味を
有する。とくに裁判員裁判においては、職業裁判官に加え、市民から選ばれた裁判員も参加してい
るため、被害に遭った事実を周囲の者に知られたくない被害者としては、刑事裁判参加へのハード
ルがより高くなっていることも事実である。刑事裁判に被害者として参加したいことを望む被害者
にとっては、負担が大きく軽減されることとなるであろう。ただ、性犯罪 1 例目で実施されたビデ
オリンク方式のように、映像は流れないが音声はそのままという場合、被害者が、声によって人物
が特定されるのではないかという懸念を持つことは当然である。とりわけ、現在の裁判員選任方法
によれば、被害者が居住するのと同一の市町村から裁判員が選任される可能性があるため、そのよ
うな懸念を抱くのも無理はない。裁判員経験者が会見で「今回はビデオモニターを使って被害者の
話を聞けましたが、音声も変えた方がよかったかなと思いました」「今後声を変えるとか、そうい
う措置を取った方がいいと思いました」と提言しているように、音声を変えるなどの措置を検討す
べきではないかと思われる。
(29)
証人への付添い等に関しては、松尾浩也編著『逐条解説 犯罪被害者保護二法』
〔甲斐行夫=神村昌通=飯島
泰〕
(2001年、有斐閣)66頁以下参照。
(30)
松尾編著〔甲斐=神村=飯島〕
・前掲注(29)97頁以下参照。
(31)
坂根真也=村木一郎=加藤克佳=後藤昭「【座談会】裁判員裁判の経験と課題」
『法学セミナー』660号(2009
年)18頁〔加藤発言〕。
(32)
東奥日報2009年 9 月 5 日朝刊11面。
91 反対に、「被告人」の側から考えた場合にも問題が残る。性犯罪 1 例目の裁判員経験者によれば、
ビデオリンク方式による意見陳述の際、被害者の顔はよく見えなかったようである。被害者の意見
陳述は、被害者の心情・意見であるから、その性質上、信用性を弾劾する反対尋問は想定されてい
3
34
ない(33)
。そのため、被害者の表情が見えなくても問題にはならなかった(34)
。しかしながら、これが
証人として出廷した場合には事情が異なる。
35
周知のように最高裁は、遮へい措置およびビデオリンク方式に関して合憲の判断を示した(35)
。そ
の中で、最高裁は、遮へい措置・ビデオリンク方式を採用しても、憲法37条 2 項前段に規定されて
いる証人審問権を侵害するものではないとしている。遮へい措置に関しては、
「供述を聞くことは
でき、自ら尋問することもでき、さらに、この措置は、弁護人が出頭している場合に限り採ること
ができるのであって、弁護人による証人の供述態度等の観察は妨げられない」ことから、ビデオリ
ンク方式に関しては、「映像と音声の送受信を通じてであれ、証人の姿を見ながら供述を聞き、自
ら尋問することができる」ことから、被告人の証人審問権は侵害されていないとしたのである。こ
こで、証人審問権の内容が問題となるが、これには、①証人に対して質問することそのもの、②質
問とそれに対する証人の回答の際の証人の態度を被告人が観察できること、③法廷で被告人と証人
63
とが直接対面し、その状態で質問および回答が含まれるとされる(36)
。このうち問題となるのは、②
および③が証人審問権の内容として認められるか否かという点であるが、最高裁はこの内容を明確
にはしていない。これまでの最高裁判決を踏まえて考えると、最高裁は②③とも証人審問権の内容
37
とは解していないとする見解も主張されている(37)
。しかしながら、③に関しては措くとしても、
「証
人の供述態度等の観察」に言及している以上、最高裁は、少なくとも②を証人審問権の内容の一部
83
と考えていると理解することは可能であろう(38)
。そのように考えると、性犯罪 1 例目のようにはっ
きりと顔が見えないような形での証人尋問が行われた場合には、最高裁が認めた被告人の証人審問
権の一部を害する恐れがある。被害者が証人として出廷する場合には、顔がはっきりと見えるよう
(33)
松尾編著〔酒巻匡〕
・前掲注(29)27頁。
(34)
なお、朝日新聞2012年 5 月23日朝刊39面によれば、強姦致傷事件の被害者が被害者参加制度を利用して陳
述した際には、パーカーを着てフードを被り、鼻から下をストールで覆い、その上からマフラーをぐるぐる
巻きにした上、サングラスや手袋もして法廷に立ったとのことである。実務上は、とくに反対尋問が想定さ
れていない場合にはこのような形でも許容されているようである。
(35)
最決平17・4・14刑集59巻 3 号259頁。本決定に関する評釈としては、堀江慎司「証人尋問における遮へい
措置、ビデオリンク方式の合憲性」
『刑事法ジャーナル』 2 号(2006年)108頁以下、眞田寿彦「刑事裁判にお
ける遮へい措置及びビデオリンク方式での証人尋問を合憲とした最高裁判決」
『法律のひろば』59巻 2 号(2006
年)44頁以下、宇藤崇「遮へい措置、ビデオリンク方式による証人尋問と証人審問の機能」『平成17年度重要
判例解説』
(2006年)201- 3 頁、山口裕之「刑訴法157条の 3 、157条の 4 と憲法82条 1 項、37条 1 項、2 項前段」
『法曹時報』60巻 3 号(2008年)278頁以下、稲田隆司「遮へい措置・ビデオリンク方式による証人尋問」井
上正仁=大澤裕=川出敏裕編『刑事訴訟法判例百選[第 9 版]』
(2011年)152-3 頁など参照。
(36)
川出敏裕「刑事手続における被害者の保護」
『ジュリスト』1163号(1999年)44頁。
(37)
眞田・前掲注(35)47頁。
(38)
稲田・前掲注(35)153頁参照。なお、眞田・前掲注(35)47頁もその余地は認める。
92
な形で、すなわち弁護人が証人の供述態度等の観察が出来るような状態でビデオリンクを使用する
必要がある。被害者については、証人として出廷するにしても被害者参加人として参加するにして
39
も、多大な苦痛とプレッシャーに晒されなければならないという点も指摘されている(39)
。その苦痛
やプレッシャーを緩和し、被害者がより刑事裁判、とくに裁判員裁判に参加しやすい環境を整える
ことは重要であるが、そのために被告人の権利を害することは許されないであろう。
⑶裁判員の男女構成が与える影響
裁判員の男女の構成に関して、法に定めはない。とくに性犯罪に関しては、男女の性意識の差が
40
性犯罪の判断に影響を与えるのではないかという懸念(40)
から、裁判員の男女構成をどのようにす
14
るかという問題が生ずる(41)
。この問題は、最終的な「判断」に男女の構成が影響するかという側面
で見れば、次に論じる「量刑判断」に大きく影響するが、裁判員選任手続きにおける理由なき不選
任請求という「手続き」にも関係するため、ここで独立して検討してみたい。
試みに、青森県における裁判員裁判の男女構成比を見てみると、 1 件平均で、男性が3.25人、女
性が2.75人となっている。もちろん事件ごとに見れば偏りはあるが、全体としてはやや男性が多い
という程度である。これに対して、性犯罪 6 件を抽出してその構成を見てみると、 1 件平均で男性
3.00人、女性3.00人となっている。性犯罪 1 例目こそ男性 5 人、女性 1 人となり裁判員の男女の構
成が問題となったが、その後の性犯罪に関する 5 件の裁判ではほぼ男女の割合が同じであった。む
しろ性犯罪以外の裁判に比べると性犯罪の方が女性の割合が多いということが出来る。
性犯罪 1 例目の裁判員経験者の一人は、男性であっても妻や娘がいることから「私が感じたのは
(42)
42
男性でも非常に冷静に、また真剣に事件に向き合うことができたんじゃないかなと思いました。
」
と述べている。それでは、具体的に男女の構成が判決、とくに量刑判断に影響を与えているのであ
ろうか。ここで男女構成と量刑の関係を見てみたい。性犯罪 1 例目は、男性が 5 人、女性が 1 人で
あったが、検察官が求刑したとおりの懲役15年という厳しい判決が言い渡されている。同じように
男性が 4 人、女性が 2 人と男性が多かった性犯罪 3 例目は、検察官の求刑が懲役 6 年であったのに
対して、懲役 4 年 6 月という、比較的寛大な判決が言い渡されている。女性が 4 人、男性が 2 人
であった性犯罪 2 例目でも、検察官の求刑が懲役 5 年、被害者参加弁護士の求刑意見が懲役 8 年で
あったのに対して、比較的寛大な懲役 3 年 6 月という判決が出されている。性犯罪 2 例目と同様の
女性が 4 人、男性が 2 人という構成であった性犯罪 4 例目においては、反対に懲役10年という検察
(39)
平山真理「裁判員裁判と性犯罪」
『立命館法学』327=328号(2009年)675頁。
(40)
東奥日報2009年 9 月 5 日朝刊26面参照。
(41)
なお、青森地方裁判所の裁判員裁判合議体の裁判官の男女構成は、制度施行から2010年 3 月末までが男性
2 人、女性 1 人であったが、2010年 4 月以降は現在まで男性 3 人になっている。
(42)
弘前大学人文学部裁判法ゼミナール編『北国司法通信』
(2011年)93頁(http://www.saibanhou.com/semi-
nar2010report.html)
(最終アクセス日2012/06/11)
。
93 官の求刑通りの判決が下されており、男女の構成が同一であっても判断は分かれている。もちろ
ん、まだ絶対数が少ないため全体的な傾向を語ることは出来ないが、少なくともこれまでは、男女
43
の構成の違いが極端な形で量刑に反映されるような事態は生じていない(43)
。
また、検察官・弁護人が理由なき不選任請求できることから、この運用を誤ると「本来、公正な
裁判を実現するために用意されている忌避の制度が、逆にジェンダーバランスを欠いた裁判員の構
4 44)
成による裁判をもたらし、結果的に不公正な審理をもたらす可能性が高い」4(
という指摘もある。
青森県内においては、強盗致傷事件に関して、被害者が女子大学生であったことから、共感する部
5 45)
分が多いとみられる若い女性や、被害者と同じ大学の卒業生らを不選任請求した4(
以外、不選任
請求がいかなる理由で何人に対して行われたかは明らかにはなっていない。性犯罪 2 例目において
も不選任請求がなされようであるが、その理由は「性犯罪だから女性を除こう」というような意味
46
ではなかったとのことである(46)
。単純に数字だけで判断するわけにはいかないが、現時点では男女
のバランスを大きく欠くような傾向は見られないことから、不選任請求が不当な形で使われている
可能性は低いように思われる。
以上のように、裁判員の男女構成に関しては、選任手続きにおいて不当に男女バランスを欠くよ
うな不選任請求がなされている形跡もなく、判決という結果の面から見ても、男性が多いから極端
に軽い方向に動くことも、反対に女性が多いから極端に重い方向に動く傾向も見られない。このよ
うに見てくると、少なくとも「形式面」では、性犯罪に関しては男女の構成を同じにするというよ
うな是正措置は、必要ないものと思われる。ただ、とくに量刑判断の「実質面」を考えた場合、果
たしてそのように言えるかは問題として残る。この点は次の「量刑判断」において検討する。
⑷量刑判断
47
最高裁判所の資料(47)
によれば、平成20年 4 月 1 日∼平成24年 3 月31日に職業裁判官のみによっ
て審理された事件の判決と、制度施行∼平成24年 3 月31日に裁判員裁判によって審理された事件
の判決を比較した場合、強姦致傷罪は、職業裁判官のみによる裁判でもっとも件数が多かったの
が「 3 年超 5 年以下」の35.8%であったが、裁判員裁判では「 5 年超 7 年以下」の30.3%になって
いる。つまり「量刑の山」が重い方向にシフトしている。また、執行猶予の割合も、強制わいせつ
罪では、職業裁判官のみの場合が43.9%であったのが、裁判員裁判では38.8%に、強姦致傷罪では、
(43)
この点については、「被告人あるいは被害者への立場性への想像力は、男女差というより社会的なものの見
方に左右されるのではないか」という指摘もある(平井佐和子「性暴力犯罪と裁判員裁判」『西南学院大学法
学論集』42巻 3 ・ 4 合併号(2010年)120頁)
。
(44)
雪田・前掲注(19)38頁。
(45)
東奥日報2009年11月18日朝刊27面。
(46)
弘前大学人文学部裁判法ゼミナール編・前掲注(42)88頁。
(47)
「第17回裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会配付資料・特別資料 2(量刑分布)
」
(http://www.courts.
go.jp/saikosai/vcms_lf/80818005.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)参照。
94
48
職業裁判官のみの場合が 6.0%であったのが、裁判員裁判では3.5%に、それぞれ減少している(48)
。
また、検察官の求刑も重い方向にシフトしているようである。平成20年 4 月 1 日∼平成23年 8 月
31日に職業裁判官のみによって審理された事件の求刑と、制度施行∼平成23年 8 月31日に裁判員裁
94
判によって審理された事件の求刑を比較してみる(49)
。まず強姦致傷罪について、全体に占める求刑
の割合がもっとも多い「求刑の山」は、職業裁判官のみの場合も裁判員裁判の場合も「 5 年超 7 年
以下」にある点は変わりない。しかし、職業裁判官の裁判において 2 番目に多かった求刑は「 3 年
超 5 年以下」の16.8%であるが、裁判員裁判においては5.3%とかなり少ない。反対に、裁判員裁判
で 2 番目に多かった求刑は「 7 年超 9 年以下」の20.5%であり、職業裁判官による裁判では14.9%
に止まっていた領域であった。裁判員裁判では「 9 年超11年以下」
「11年超13年以下」も高い割合
を占めており、全体に重い方向に求刑もシフトしていることがわかる。強制わいせつ致傷罪に関し
ても、
「求刑の山」は両者とも「 3 年超 5 年以下」にあり、いずれも求刑のほぼ半数がこの領域に
ある点では違いはない。しかし、職業裁判官による裁判では、
「 3 年以下の実刑」が28.1%を占めて
いたのに対し、裁判員裁判では10ポイントほど減少して18.3%になっており、反対に「 5 年超 7 年
以下」が職業裁判官による裁判では12.9%であったのが裁判員裁判では22.2%になっている。強制
わいせつ致傷罪に関しても、求刑は重い方向にシフトしていることが分かる。これらの資料から、
一般的に性犯罪は「厳罰化」の方向に傾いていると考えることは可能であろう。
それでは、青森県内で行われた裁判員裁判の現状はどのようになっているだろうか。試みに、性
犯罪を含む36件について、判決で言い渡された懲役刑の年数を求刑で示された年数で割ってみると
50
82.7%という数字が出てくる(50)
。いわゆる「求刑の八掛け」に近い数字である。この中から性犯罪
を扱った 6 件を抽出し、同様の計算をしてみると、93.0%という数字になる。個々の判決を見ても、
性犯罪 1 例目、 4 例目、 6 例目において、求刑通りの判決が言い渡されている。もちろん、 1 例目
は性犯罪としては 2 つの事件が対象となっており、 4 例目は仮釈放期間が終わって間もない時期、
6 例目は性犯罪によって服役中であったという事情はあるが、全体的には求刑に近い形の、比較的
重い判決が言い渡されていることが分かる。
裁判員が量刑判断に関わることの意味を、量刑に関しても国民の「健全な社会常識」を反映させ
51
るという点に求めるのであれば(51)
、従来の職業裁判官による裁判よりも重い判決として現れる「結
(48)
朝日新聞2012年 5 月15日朝刊 1 面、37面も参照。
(49)
「第13回裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会配付資料・特別資料 2(求刑分布)
」
(http://www.courts.
go.jp/saikosai/vcms_lf/80803005.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)参照。
(50)
この計算においては、
(保護観察付)執行猶予が付いた判決は除いている。それは、執行猶予を付する場合
には、仮に実刑に処する場合の主刑より長い刑期の刑が言い渡される傾向があるとされているためである(植
野聡「刑種の選択と執行猶予に関する諸問題」大阪刑事実務研究会編著『量刑実務大系第 4 巻 刑の選択・量
刑手続』
(2011年、判例タイムズ社)77-8 頁。なお、原田國男『量刑判断の実際〔第 3 版〕
』
(2008年、立花書房)
47頁も参照)
。
(51)
司法制度改革審議会・前掲注(3)103頁。なお、佐藤幸治=竹下守夫=井上正仁『司法制度改革』
(2002年、
有斐閣)333-4 頁〔井上発言〕も参照。
95 果」は、国民の「健全な社会常識」が反映されたものとして受け入れていくべきものなのかもしれ
ない。しかしながら、その「結果」を導く「過程(プロセス)
」に関しては、検証する必要がある
だろう。ここでは、 2 点について検討を加えたい。
まず、被害者が裁判員裁判に関与することが量刑判断に与える影響である。2000年の「犯罪被害
者保護二法」が成立した際に導入された被害者の意見陳述は、これまで証人や参考人としてしか
刑事裁判に関与できなかった被害者に対して、事件当事者として主体的に関与する道を開くもので
52
あった(52)
。この意見陳述は、「量刑上の資料の一つとすることは可能であり、判決書の『量刑の理
53
由』欄で、被害者等の意見陳述の内容を引用することもできる」とされている(53)
。この点に関し
ては、制定当初から「量刑判断が過度に被害者の報復感情に左右されることが懸念される」とい
54
う指摘があった(54)
。さらに、2007年の刑事訴訟法改正によって導入された被害者参加制度は、被
55
害者が直接刑事手続きに関与できる制度として創設されたものである(55)
。裁判員裁判に関しては、
平成21年に19件について22人が参加し、このうち性犯罪については、集団(準)強姦致死傷罪が 4
56
人、
(準)強制わいせつ致死傷罪が 1 人、
(準)強姦致死傷罪が 1 人となっている(56)
。また、平成22
年には154件に262人が参加し、そのうち性犯罪は、(準)強姦致死傷罪が26人、(準)強制わいせつ
57
致死傷罪が 9 人、集団(準)強姦致死傷罪が 2 人となっている(57)
。この被害者参加制度に関して
も、被害者参加人の訴訟活動の影響を裁判員が受けて量刑が重罰化するのではないかという懸念が
58
示されていた(58)
。確かに裁判員裁判導入後、性犯罪に関しては重罰化の傾向が強い。しかしなが
ら、その傾向が被害者参加制度等一連の被害者保護立法によるものであるかは明確ではない。
青森県で行われた性犯罪にかかる裁判員裁判 6 件のうち 4 件において被害者参加制度が適用され
ている。被害者参加制度が適用される事件と裁判員裁判対象事件が完全に一致するわけではないた
め単純比較は出来ないが、とくに性犯罪に関しては、かなり積極的な運用がなされていると言い得
る。例えば、性犯罪 2 例目においては、被害者参加制度が適用され、実際に被害者が証人として出
廷している。そして、最後に被害者代理弁護士が求刑意見として、検察官の求刑を上回る懲役 8 年
(52)
髙井康行=番敦子=山本剛『犯罪被害者保護法制解説[第 2 版]』
(2008年、三省堂)41頁。
(53)
松尾編著〔甲斐=神村=飯島〕
・前掲注(29)101頁。なお、被害者参加人等の意見陳述は、刑事訴訟法316
条の38第 4 項により、証拠とすることは出来ないものとされている(詳細は、白木功=飯島泰=馬場嘉郎「
『犯
罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法の一部を改正する法律(平成19年法律第95号)
』の解説
⑵」
『法曹時報』60巻10号(2008年)90頁以下参照)。
(54)
川崎英明「犯罪被害者二法と犯罪被害者の権利」
『法律時報』72巻 9 号(2000年) 3 頁。
(55)
この制度の概要に関しては、白木=飯島=馬場・前掲注(53)25頁以下などを参照。
(56)
最高裁判所事務総局『平成21年における裁判員裁判の実施状況等に関する資料』
(2010年)67頁(http://
www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/h21_siryo3.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)。
なお、ここで示されている件数・人数等は、平成21年 5 月21日∼12月31日の数である。
(57)
最高裁判所事務総局『平成22年における裁判員裁判の実施状況等に関する資料』
(2011年)66頁(http://
www.saibanin.courts.go.jp/topics/pdf/09_12_05-10jissi_jyoukyou/h22_siryo3.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)。
(58)
日本弁護士連合会『犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる被害者参加制度に対する意見書』
4-5頁(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/070501.pdf)
(最終アクセス日2012/06/11)。
96
を求めている。これに対する結果として示された判決は、懲役 3 年 6 月であった。会見の応じた裁
判員経験者は、求刑意見について、「被告のことも考えてちょっと重いと思った」と感想を述べて
いるし、求刑意見そのものについても、
「量刑を上げたり下げたりする(判断)材料にはならなかっ
た」と語っている。もちろん、この 1 件のみをもって、被害者が刑事裁判に参加することは裁判員
裁判にまったく影響していないということは出来ないが、裁判員は比較的冷静な目で法廷に望んで
95
おり、一方的に被害者に肩入れして厳罰化を引き起こすということは言えないと思われる(59)
。
もう一つの懸念は、評議内容に関わる。その問題が端的に表れているのが、性犯罪 6 例目であ
る。裁判終了後、会見した補充裁判員を含めた男女 3 人の裁判員経験者が、検察官の懲役 6 年の求
60
刑について「軽い」
「短い」との印象を持ったと回答している(60)
。とくに裁判員を務めた女性は「す
ごく軽いと思った」と述べているが、前述したように本件の判決は求刑よりも短い懲役 5 年 6 月で
あった。もちろん、この「軽い」
「短い」は検察官の求刑段階の印象かも知れず、その後の評議を
通じて意見が変わったのかもしれない。あるいは、最後まで意見が変わらなかったものの、最終的
には評決によって刑が決まったのかもしれない。いずれにしても、裁判員経験者が検察官の求刑に
対して感じた「軽い」「短い」という印象が、評議に参加した裁判官・裁判員の中でどのような位
置づけであったのか、その印象が変化したのか、あるいは最後まで変化しなかったのか、変化した
とした場合、それはどのような意見によって動かされたのかは検証する術がない。また、先ほどの
男女構成の問題とも関係するが、女性の裁判員が検察官の求刑を非常に軽いものと考えていたが、
男性の裁判員は妥当だと考えていた場合、男女において認識の差が生じていることになる。もちろ
ん、男女の性差のみがその判断に影響しているとは限らないが、その点も含めて検証をすること
は、現時点では出来ない。男女の構成をどのようにすべきかを考えることは、個々の評議のプロセ
スを検証した上でなければ不可能だと思われるが、その検証すら出来ないのである。まさに守秘義
務の「壁」の問題である。量刑判断のプロセスに男女構成がどのように影響するのかを検証するた
61
めにも、守秘義務の緩和は不可欠であるように思われる(61)
。
4 .裁判員裁判対象事件から性犯罪を除外することの是非
前章においては、性犯罪を裁判員裁判で裁くに際して問題となる点を、「裁判員選任手続き」「公
判手続き」「裁判員の男女構成」「量刑判断」に分けて検討してきた。このうち、前二者は、被害者
(59)
城下裕二「裁判員における量刑」『刑法雑誌』51巻 3 号457- 8 頁〔ワークショップにおける青木孝之教授の
報告要旨〕参照。さらに、青木孝之「裁判員裁判における量刑の理由と動向(下)」
『判例時報』2074号(2010
年)19頁以下も参照。
(60)
東奥日報2012年 5 月17日朝刊23面。
(61)
具体的な立法提言としては、日本弁護士連合会『裁判員法における守秘義務規定の改正に関する立法提言』
(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/110616.pdf)(最終アクセス日2012/06/11)を
参照。
97 のプライバシー保護に関係するものであり、裁判員裁判から性犯罪を除外すべきか否かという議論
に直接関係する。本章では、この議論に焦点を絞り検討していきたい。
制度施行 3 年を迎えるに当たって行われた新聞社のアンケートを見ると、性犯罪を裁判員裁判
から外すべきという意見が根強いことが分かる。毎日新聞のアンケートによれば、裁判員経験者の
17%が「性犯罪を外すべき」と回答している。とくに特徴的なのは、「性犯罪を外すべき」と回答
26
したのが、男性では13%に止まるのに対して、女性は24%がそのように回答している点である(62)
。
また、朝日新聞のアンケートによれば、裁判員経験者500人のうち136人が「性犯罪を裁判員裁判対
象外にすべきである」としている。これは、覚せい剤密輸と並んで最多であった。しかし一方で、
36
500人中221人は「どれも外すべきではない」と回答している(63)
。それでは、性犯罪は裁判員裁判の
対象事件から外すべきなのであろうか。
この問いに答える前に、現在の枠組みを残した上で一部を修正しようという提案がなされている
ため、まずこれらの提案を検討してみたい。現在の枠組みを残した上での修正案として示される第
一のものとして、致傷罪成立の範囲を限定するという方向が示されている。この方向では、 2 つの
方策があるとされている。ここでの方策は、検察における致傷罪の起訴基準を引き下げることを意
64
図して主張されているものであるが(64)
、その方策の検討に先立って学説・判例の状況を確認し、そ
の上で検察における起訴基準引き下げがどの程度可能であるかを考えてみたい。
まずは、致傷罪の成立を姦淫・わいせつ行為そのものから結果が生じた場合と手段としての暴行
56
から結果が生じた場合に限定すべきであるとするものである(65)
。確かに、このような見解は有力に
6
主張されている(66)
。しかしながら、最高裁は、
「死傷ヲ惹起シタル行爲カ猥褻姦淫罪ニ随伴スルニ
於テハ其目的カ犯罪ヲ遂行スル爲メナルト又犯罪ヲ免ル爲メナルトヲ問フコトナシ」とする大審院
67
68
判例(67)
を基本的に踏襲している(68)
。最近の事案においても、
「被告人のこのような暴行は、上記準
強制わいせつ行為に随伴するものといえるから、これによって生じた上記被害者の傷害について
(69)
69
強制わいせつ致傷罪が成立するというべきであ」
るとして、やはり強制わいせつ行為に「随伴」
(62)
毎日新聞2012年 5 月18日朝刊15面。
(63)
朝日新聞2012年 5 月19日朝刊 1 面。
(64)
平井・前掲注(43)241頁参照。
(65)
平井・前掲注(43)238-240頁。
(66)
瀧川幸辰『刑法各論』
(1953年、世界思想社)81頁、大谷實『刑法講義各論[新版第 3 版]
』
(2009年、成文堂)
122頁、曽根威彦『刑法各論[第 5 版]』
(2012年、弘文堂)、西田典之『刑法各論〔第 6 版〕
』
(2012年、弘文堂)
95頁など。
(67)
大判明44・6・29刑録17輯1330頁。
(68)
最決昭46・9・22刑集25巻 6 号769頁。学説においても、団藤重光『刑法綱要各論 第 3 版』
(1990年、創文社)
495頁、大塚仁『刑法概説(各論)
〔第 3 版増補版〕
』
(2005年、有斐閣)105頁、川端博『刑法各論講義 第 2 版』
(2010年、成文堂)201頁、山口厚『刑法各論[第 2 版]』
(2010年、有斐閣)114頁などがこの立場を採る。た
だし、論者においてその範囲は若干異なる。
(69)
最決平20・1・22刑集62巻 1 号 1 頁。
98
する行為から生じた傷害結果に関しても、強制わいせつ致傷罪が成立するとしている。解釈論とし
ては十分成り立ち得るものの、判例実務でそのような限定を求めることは難しいように思われる。
また、致傷罪限定の 2 つ目の方策として、傷害の結果について故意がある場合には、強姦罪と傷
70
害罪の観念的競合と解すべきであるという主張がある(70)
。このような見解は刑法学においても主張
71
されている(71)
。しかし、現在では、処断刑に不均衡が生ずること、強姦罪と傷害との結びつきは通
常のものと考えられることなどから、強姦致傷罪のみを適用すれば十分であるとする見解が有力で
72
ある(72)
。傷害の故意がある場合についての判例は現在のところ見られないが、殺人の故意がある場
73
合については殺人罪と強姦致死罪の観念的競合を認めていることから(73)
、少なくとも判例は強姦致
傷罪の成立は認めるのではないかと思われる。そうすると、この方策も実務上は難しいであろう。
上記 2 つの方策の他に考え得る方策としては、傷害の範囲を限定することがある。すなわち、
「傷
害概念の相対性」を認め、204条の傷害概念と他の犯罪類型にいう傷害概念を異なるものと解する
74
のである。これが問題となったのは、平成16年改正前の240条前段の強盗致傷罪に関してであった(74)
。
この平成16年改正前の240条前段については、正面から傷害概念の相対性を認める判例も存在し
57
た(75)
。しかし、最高裁は、
「軽微な傷でも、人の健康状態に不良の変更を加えたものである以上、刑
76
法にいわゆる傷害と認めるべき」であるとして、傷害概念の相対性を認めていない(76)
。強制わいせ
つ・強姦致傷罪においても、軽度の傷害は本罪の成立を基礎付けるものではないとする見解は有力
7
に主張されている(77)
ものの、判例は、比較的軽度の傷害も本罪における「負傷」に当たると解し
78
ている(78)
。そうすると、この方策も難しいと言わざるを得ない。
以上のように、判例実務においてそのような限定することは難しいと思われる。それなら起訴の
段階で限定することは可能であろうか。このように従来の判例に照らせば強姦・強制わいせつ致傷
罪が明らかに成立するケースをより軽い罪で起訴するのは、一部起訴の一類型である。ここで一部
起訴とは、実体法上ないし処罰上は一罪である犯罪事実のうち、検察官がその一部のみを訴因とし
(70)
平井・前掲注(43)240頁。
(71)
大塚・前掲注(68)106頁、曽根・前掲注(66)70頁など。
(72)
大谷・前掲注(66)123頁、西田・前掲注(66)96頁、山口・前掲注(68)116頁など。
(73)
大判大 4・12・11刑録21輯2088頁、最判昭31・10・25刑集10巻10号1455頁。なお、札幌地判昭47・7・19判
時691号104頁は殺人罪と強姦罪の観念的競合と解しているが、その匿名解説でも、その場合には刑の不均衡
が問題になるという指摘をされている。
(74)
平成16年改正により、240条前段の有期刑の下限が 7 年から 6 年に引き下げられたため、この議論の重要性
は減少したとされている(西田・前掲注(66)42頁)
。
(75)
大阪地判平16・11・17判タ1166号114頁。
(76)
最判昭24・12・10裁判集刑15号273頁、最決昭37・8・21裁判集刑144号13頁、最決昭41・9・14裁判集刑160
号733頁、最決平 6・3・4 裁判集刑263号101頁など。
(77)
大谷・前掲注(66)122頁、山口・前掲注(68)115頁など。
(78)
最大判昭25・3・15刑集 4 巻 3 号355頁、最判昭24・7・26裁判集刑12号831頁など。
99 97
80
て訴追の対象とすることを言う(79)
。そして、起訴便宜主義を採用するわが国においては、判例(80)
・
81
通説(81)
とも、この一部起訴を原則として適法であると解している。このような現状からすれば、
例えば強姦致傷罪が明らかに成立するような場合にも、強姦罪で起訴することは許されることにな
ろう。現に性犯罪の起訴率が低下しているとされていることから、検察実務においても、そのよう
82
な処理が行われていると考えることが出来る(82)
。しかし、すべての一部起訴が許されるわけではな
(83)
83
い。「検察官の合理的裁量」
に基づく場合、すなわち立証の難易、迅速裁判、訴訟経済など合理
84
的理由がある場合に許される(84)
と解するべきである。問題は、
「合理的理由」がないのはどのよう
な場合か、つまりどのような場合に裁量が許されないかと言う点になる。この点については、検察
官は市民の代理人であるから「当罰性および可罰性が高く立証も比較的容易であると思料される事
(85)
85
件をことさらに起訴しない、という『裁量』は許されない」
とする立場がある。このような立場
を前提にすれば、例えば、強姦致傷罪の成立の余地があるが、傷害が軽微である場合や暴行行為や
姦淫行為に随伴する行為から結果が生じたような場合については、その一部である強姦罪で起訴す
ることは許されるであろう。この意味で起訴基準の引き下げは一定の範囲で可能となる。しかし、
傷害の結果が明らかに基本行為たる暴行行為から生じ、その傷害結果も甚大なものであるにも関
わらず、強姦罪で起訴するような場合については、果たして合理的な裁量の範囲か疑問が残る。ま
た、これが一律に適用されるのであれば問題は少ないかもしれないが、被害者の意思によって左右
されるとすれば、それは妥当なのであろうか。この点は、
「第二の方向」とも関わるので、次で検
討したい。
現在の枠組みを残した上での修正案として示される第二の方向として、裁判員裁判に付すか否か
86
の選択権を被害者に実質的に与えるという提案がなされている(86)
。致死傷罪は親告罪とはされてい
ないが、被害者に対して裁判員裁判対象事件になることを説明し、同意があれば致傷罪として、同
意がなければ強姦・強制わいせつ罪と傷害(過失傷害)罪の観念的競合として起訴すべきであると
するのである。しかし、検察において一律に、しかも合理的に起訴時点で限定をかけ、裁判員裁判
対象事件の範囲を狭めるというのであればそれは可能であろうが、被害者の意思によって起訴罪名
が変わり、審理形態まで異なることになるのはやはり疑問が残る。何よりその根拠を何に求めるの
かが明確ではない。また、現在の制度上、裁判員裁判になるかならないかは起訴時点での罪名に掛
(79)
新屋達之「犯罪事実の一部起訴」松尾浩也=井上正仁編『刑事訴訟法の争点〔第 3 版〕
』
(2002年)108頁。
(80)
最決昭59・1・27刑集38巻 1 号136頁。
(81)
松尾浩也『刑事訴訟法 上 新版』
(1999年、弘文堂)181- 2 頁、田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕
』
(1996年、有斐閣)
170頁など。
(82)
朝日新聞2012年 5 月23日朝刊39面参照。
(83)
最判平 4・9・18刑集46巻 6 号355頁、名古屋高判昭62・9・7 判タ653号228頁。
(84)
上口裕『刑事訴訟法〔第 2 版〕』
(2011年、成文堂)197頁。
(85)
白取祐司『刑事訴訟法〔第 3 版〕』
(2004年、日本評論社)194-4 頁。
(86)
平井・前掲注(43)240-1 頁。
100
かってくるが、起訴の時点までに裁判員裁判に付すか否かの決定を被害者に強いるのは、いささか
酷である。このような負担を回避するために、起訴後でも意思表示を可能としたり、あるいは変更
を可能としたりするとすれば、被告人の地位は著しく不安定なものとなる。被害者の保護は重要で
あるが、そのことによって被告人の地位が不当に不安定な状態に置かれることは許されるものでな
87
い。このように考えると、被害者に選択を委ねる制度を採用することは難しいように思われる(87)
。
以上のように、現時点で示されている解決策は、どれも決定的なものとは言い難い。そこで、最
初の問いに戻って、改めて性犯罪を裁判員裁判から除外するべきかを検討してみたい。確かに、被
害者のプライバシー保護という観点から考えれば、性犯罪を裁判員裁判から除外することも一つの
選択肢となり得る。しかし、まず考えるべきは、現在の裁判員裁判の枠組みの中で、被害者のプラ
イバシーは十分守られていないのかという点である。前章までの検討の中で、現在の制度における
被害者保護の枠組みを明らかにしてきた。念のため確認してみると、以下のようになる。まず、裁
判員選任手続きにおいては、現状でも被害者特定事項の漏洩のリスクはかなり低いものになってい
る。公判手続きにおいても、法曹三者が協力し、細心の注意を払えばという条件付きであるが、現
在の手続きを着実に履践していれば、ある程度のリスクは回避し得る。より確実を期するのであれ
ば、被害者と同じ市町村に住む候補者を除外するという手続きを加えるべきであるが、少なくとも
事実関係に争いのない事件に関しては、現状でもある程度のリスクは回避できると思われる。そう
であるなら、 3 年経過による見直しにおいてまず実施すべきは、これらの手続きが確実に実施され
ているかどうかを検証することである。これらが確実に機能しているか否かを検証することなく、
ただ抽象的な危険のみをもって制度を大きく変更することはできないであろう。
量刑判断を検討した際に明らかにしたように、裁判員制度の施行以降、性犯罪に関しては厳罰化
の傾向が進んでいる。これは、「今までの判例資料を見たときに、こんなもので済まされていたの
(88)
88
か」
という裁判員の声が量刑に反映されているものと考えることが出来る。まさに市民感覚が取
り入れられたことが大きな要因なのである。このような量刑傾向を確実化していくためには、裁判
員裁判対象事件に性犯罪を含めておくことが必要である。また、裁判員制度の意義は、「裁判員裁
判に携わった市民が、事件の背景から犯罪が生じる社会の問題を知り、そのような問題を解決する
(89)
89
ための社会の仕組みを考えるきっかけとなり得ることである」
という指摘もある。裁判員裁判対
象事件に性犯罪を含むことで、市民が性犯罪の実情を知り、また誤った認識を正し、性犯罪を防止
するためにはどのようにすればよいのかを考える契機を提供することができるのである。この点も
含めて考えるとすれば、少なくとも今すぐ性犯罪を裁判員裁判対象事件から外すべきではないと思
われる。
(87)
滝沢誠「性犯罪の審理と裁判員制度」
『被害者学研究』21号(2011年)78頁参照。
(88)
弘前大学人文学部裁判法ゼミナール編・前掲注(42)93頁。
(89)
平井・前掲注(43)242頁。
101 5 .おわりに
本稿では、青森県における裁判員裁判を素材として、性犯罪特有の課題を浮き彫りにしてきた。
そして、その中からとくに性犯罪を裁判員裁判対象事件から外すべきかという問題を取り上げ、検
討を加えた。これまで検討してきたことをまとめると、以下のようになる。
性犯罪に関しては被害者のプライバシー保護をどこまで徹底できるかが課題であるが、この問題
は性犯罪を裁判員裁判から除外すべきか否かという議論に直結する。しかしながら、現状の枠組み
でかなりのリスクを軽減することができると考えられるため、 3 年経過後の見直しに際しては、現
在の枠組みの中で被害者のプライバシーがどの程度守られているかを検証することが第一に着手す
べき課題である。対象事件の範囲を狭めることは、国民の司法参加を狭めることにつながり、裁判
員制度の理念を阻害しかねない。まずは検証を行い、現状を正確に把握する必要がある。
裁判員裁判で性犯罪を審理することにより生ずる懸念として、
「被害者がプライヴァシーに対す
る配慮が十分でないと感じてしまうがため、告訴をしなかったり、また捜査に積極的ではなくなっ
(90)
90
てしまうがために、性犯罪が一層潜在化することにつながらないか」
ということが挙げられてい
る。確かに被害者がプライバシーに対する配慮が不十分であると感じれば、裁判員裁判として審理
されることに抵抗を覚えるのは当然である。検証等を通じて、プライバシーの保護が十分に図られ
ていることを示し、そのことによって被害者に安心感を与えることができれば、あえて性犯罪を裁
判員裁判の対象から外す必要はないであろう。
検証の結果、とくに重大な問題が判明した場合であるが、その場合にもいきなり性犯罪を対象事
件から除外するべきではない。現在あるシステムを最大限活用し、場合によっては重畳的に活用す
91
ることで事態の打開を図るべきである(91)
。それでもなお、被害者のプライバシー保護に限界がある
場合に、初めて性犯罪を裁判員裁判から除外することが検討されるべきである。
*本稿は、平成23年度科学研究費挑戦的萌芽研究(課題番号23653028)の研究成果の一部である。
(90)
平山・前掲注(39)676-7 頁。
(91)
内田・前掲注(7)22頁、滝沢・前掲注(87)79頁なども参照。
102
【論 文】
「秋入学」構想に対する「態度保留」が意味するもの
―「入学者選抜への依存」からの脱却に向けて―
石 岡 学
1 .はじめに
東京大学の濱田純一総長は、2012年 1 月20日の記者会見において、入学時期を将来的に秋季とし
たい意向を正式に発表した。いわゆる「秋入学」構想である。東大がこうした意向を表明したこと
の背景には、「大学のグローバル化」、すなわち「研究機関としてのグローバル化」と「グローバル
人材の育成」を「秋入学」によって促進したいとの思惑がある。
ところで、入学時期を秋季とする構想自体は、特段に目新しいものではない。すでにこれまでに
も、大学改革案として幾度か浮上したことがある。しかし、主として政治家や官僚の側から出され
たこれまでの案は、経済界からの反対や財政上の問題などもあり、いずれも本格的に検討される
ことなく立ち消えとなってきた 1 。それに対し、今次の東京大学による「秋入学」構想は、他なら
ぬ大学自身から打ち出されたものであること、経団連などの経済団体が支持を表明したことなども
あって、非常に大きな広がりをもって社会に受け止められている。とはいえ、この「秋入学」構想
に対し明確な賛成あるいは反対の立場を表明している大学は、決して多くはない。特徴的なのは、
無視できないほどの「態度保留」の反応が示されている点である。
こうした態度保留という反応の多さは、「秋入学」構想の得失に対する軽重のつけ難さを意味し
ている。本論ではこの点に注目し、「秋入学」構想に対する判断の困難さとは具体的にどういうこ
となのか、その考察を通じて、「秋入学」は大学改革にとっての最優先事項なのかどうかを吟味す
ることとしたい。結論を先取りするならば、「秋入学」実現に向けての障壁として認識されている
二つの問題 ―「ギャップターム」をめぐる問題と就職活動をめぐる問題―は、ともに「入学者
選抜のあり方」に端を発するものであり、「入学者選抜への依存」からの脱却こそが「秋入学」よ
りも「大学のグローバル化」への対応に資する可能性が高い、ということになる。なお、今次の「秋
入学」構想に関する先行研究は、管見の限り存在しない。
本論文の構成は以下のとおりである。第 2 章では、新聞記事で報じられた今次の「秋入学」構想
をめぐる社会的反応を整理・分析する。「秋入学」構想への態度保留の多さという事実をおさえた
うえで、その背景について考察する。第 3 章では、「秋入学」実現に向けての第一の障壁と認識さ
れているギャップターム(以下、GT)をめぐる問題に焦点を当て、東大「秋入学」構想がなぜ GT
103 の設定を必要としているのか、その背景にある問題意識について検討する。その上で、
「GT の必要性」
は大学の入学者選抜のあり方によって生じていること、それによって生じる「弊害」の解決を他の
セクターに委ねることの問題性について議論する。第 4 章では、
「秋入学」実現の第二の障壁と目
されている就職活動をめぐる問題(以下、「就活問題」)に焦点を当てる。近年の「就活問題」深刻
化の背景に、やはり大学の入学者選抜への依存というあり方が大きく関っていることについて議論
する。第 5 章では、前章までの議論をふまえ、「秋入学是か非か」を超える問いの必要性について
考察する。
本論に入る前に、議論の前提となる、東大「秋入学」構想の概要についてここで述べておきたい。
東京大学入学時期の在り方に関する懇談会『将来の入学時期の在り方について −よりグローバル
に、よりタフに−(報告)』
(2012年 3 月29日、以下『報告』と略)では、大学教育の国際化が急務
であり、多様性に富んだ「グローバル・キャンパス」の実現が必須であるとしている。その上で、
現状の 4 月入学を前提とする学事暦および高大接続のあり方に問題点があるとして、「学習体験を
豊かにする柔軟な教育システム」の実現を謳っている。具体的には①学部段階の秋季入学への移行
② GT の導入③優秀な学生への対応がその骨子である。その中でも秋季入学への移行を最重要事項
として位置づけ、その実現およびそれによる所期の成果達成のために、他大学・社会・政府に対し
て幅広い連携・協力を求めている2。
2 .「秋入学」に対する「態度保留」の多さとその内実
図①は、朝日新聞および読売新聞のデータベース(それぞれ「聞蔵Ⅱビジュアル」
「ヨミダス歴
史館」)において、
「秋入学」
で検索した記事数の推移である
(2011年 6 月 1 日∼2012年 5 月31日まで)。
濱田総長の記者会見をきっかけとして「秋入学」をめぐる記事が増加し、社会的注目を集めたこと
が見て取れる。それでは、
「秋入学」に関して報じら
図①:
「秋入学」という言葉を含む新聞記事数の推移(筆者作成)
れた社会的反応、特に他大
40
学の反応とはどのようなも
35
のであったか。本章では、
30
新聞紙上で報じられたアン
25
ケート調査によって全体的
な傾向をおさえた上で、意
見の具体的内容について見
ていくこととしたい。
104
20
朝日
15
10
5
0
読売
(1)
「秋入学」に対する評価の全体的傾向
まず、朝日新聞が全国174大学の学長に対して行ったアンケート調査 3 から見ていこう。
「秋入学」
構想に対する評価については、
「評価する」が43.1%(72人)、
「評価しない」が2.4%( 4 人)
、
「どち
らでもない」が53.3%(89人)であった。また、
「自校で導入を検討する予定があるか」との質問に
対しては、
「ある」が45.5%(76人)、
「ない」が17.4%(29人)
、
「どちらでもない」が36.5%(61人)
であった。ただし同記事では、検討予定ありの76人のうち「評価する」は46人であったと指摘さ
れており、「検討」と「評価」との間に微妙な意味合いのズレが生じていることが分かる。これは、
後で見る個別大学の意見とも関わって、注目すべき点である。さらに記事では、 1 学年の定員が
3000人以上の24校中約60%の15人が「検討予定」、1000人以上3000人未満の142校では約40%の60人
が「検討予定」と答えており、大学の規模によって対応が異なる傾向がみられることも報じられて
いた。
一方、読売新聞では、全国の国立大全82校(大学院大学を除く)を対象に、
「秋入学」の導入を
検討するかどうかを尋ねている 4。この調査では、82校のうち39校が検討しているか今後検討すると
回答、
「検討する予定はない」が31校、未定が 8 校、無回答が 4 校であった。こちらの調査は国立
大のみを対象としたせいか、予定なしとする明確な回答が朝日新聞の調査よりも多い。ただ、検討
すると回答した割合は47.6%で、先の朝日新聞調査とほぼ同じである。「秋入学」への評価に関し
ては記事に掲載されていないため、不明である。
私立大学の場合はどうであろうか。日本私立大学連盟が行った調査 5 によると、
「秋入学」への移
行に「賛成」は20校、
「反対」は 8 校、
「どちらともいえない」が70校であった。
「秋入学」の検討状
況についても、全学または一部での実施を「検討している」は 8 校、
「今後も検討する予定はない」
は16校、
「今は検討していないが今後検討する」が70校であった。いずれの質問項目においても、
態度保留の多さが目立つ。この傾向は、学校規模による違いや大学の立地(都市部か地方か)によ
る違いに関係がなかった。
読売新聞では、「秋入学」に関する世論調査も行っている6。それによると、すべての大学での移
行には「賛成」が39%、
「反対」が37%と拮抗している。全大学での移行に賛成する理由(複数回
答)は、「日本の学生が海外に留学しやすくなる」が60%で最多、「外国の留学生や教員を受け入れ
やすくなる」が48%、「入学までの半年間にボランティアなどの社会経験ができる」が38%、「夏休
みによる長期の中断がなく、授業が効率よくできる」が31%だった。反対理由(複数回答)のトッ
プは「春の入学が定着している」の62%で、「就職時期に様々な影響を及ぼす」が48%、「高校まで
は春の入学だから」が35%、「入学までの半年間を有効に使えると思えない」が30%、「春と秋の入
学の両方があった方がよい」が12%となっていた 7。
経済界の反応についても見ておこう。経団連の米倉会長や 8 大手商社が加盟する日本貿易会が賛
意を示している9 ことにも表れているように、大企業は概ね好意的な反応とされている。しかし、
朝日新聞が国内主要100社に聞いたアンケートでは、
「秋入学」の賛否について「賛成」が42社、
「反
105 対」が 1 社、
「わからない・無回答」が57社となっており、ここでもやはり「態度保留」が大勢となっ
ている10。また、読売新聞が九州圏の主要企業に「秋入学」の是非を尋ねたアンケート結果によれ
ば、
「どちらともいえない」が 8 割に達している11。こうした結果からは、大企業グループである経
団連の支持表明をもって経済界が賛同的だと判断するのは早計と言わざるを得ない。
以上、朝日新聞・読売新聞が行ったアンケート結果を中心に、
「秋入学」をめぐる対応の大まか
な傾向を見てきた。総じて言えるのは、
「秋入学」構想に対する「態度保留」の多さである。加えて、
次節で詳しくみるように、「検討するが評価しない」「検討しないが評価する」といった立場の大学
もあり、事態はより錯綜的である。このような状況の背景には何があるのか。次に、各大学の意見
の具体的な内容に注目することで、この点について考察していきたい。
(2)明確な賛成意見・反対意見
まずは、明確な賛成意見について見ていこう。
東大「秋入学」構想に対して明確な賛同を表明しているのは、筑波大 12、九州大 13、広島大 14 な
どである。いずれも「グローバル化」への利点をその理由としているほか、九州大は「合格から入
学までの間にさまざまな体験を積むことで、学問に取り組む姿勢が劇的に変わる可能性もある」15 と
して、GT にも積極的な意義を見出している。また、学習院大 16、東工大 17 は「秋入学」構想を評
価したうえで、全大学での導入を主張していた。大学関係者以外では、前述のように経団連や日本
貿易会といった大手企業グループのほか、大阪府の松井知事 18 や野田総理大臣 19 も「秋入学」構想
を支持する構えを見せている。いずれも、「秋入学」による国際化進展への期待が、その賛同理由
として挙げられている。
一方、反対意見はどうであろうか。明確に反対の立場を示しているのが茨城大で、池田幸雄学長
は「今議論されている秋入学は、大学のためであって学生のためではない。大学のプライドだけ
で学生を振り回してはいけない」と、今次の「秋入学」構想を批判している 20 。「メリットがない」
とする東京芸大 21 や、
「変更のデメリットの方が多い」とする宇部フロンティア大 22 も、反対の立場
と見てよいだろう。さらに、日本の大学に来る留学生の少なさは入学制度の問題ではないとする滋
賀大 23 や流通経済大 24 のような意見もみられた 25。大学関係者以外の意見としては、NPO 法人代表
の藻谷ゆかりが、朝日新聞への寄稿で「大学生活が実質 4 年半になることによって負担が重くなる
のは、所得が低い、兄弟が多いといった家庭環境の学生、浪人生、仕送りが必要な地方出身者だろう。
(中略)大学関係者は親の経済格差が教育格差につながらないよう配慮しながら、日本の未来を担
う大学生が国際協調力を高められるよう様々な施策を熟議して欲しい」として、
「経済的弱者への
配慮を欠いた東大の秋入学に強く反対する」としている 26。この意見は、次節の「態度保留」の背
景にも関わってくる。
以上、明確な賛成・反対意見の内容について見てきた。しかし、前節で見たように、これらの賛
成・反対意見にまして多く見られるのは「態度保留」という反応である。その内実について、より
106
詳細に検討しなければならない。
(3)
「態度保留」の背後にあるもの
さきほど(1)でも指摘したが、
「秋入学」への「評価」と「検討予定」は、必ずしも同じ意味合い
ではない。例えば、駒澤大学は「秋入学」構想を「世界をリードする先進的な研究を行っている大
学ならではの世界戦略の一環」と評価しつつも、自校での検討はしないとしている 27。同様に、東
亜大学は「学生の国際間移動を考えた場合、必要なこと」とする一方で、やはり導入検討の予定は
ないとしている 28。
こうした「秋入学」構想へのアンビヴァレントな評価は、「検討する」という答えの内実を読み
解いていくと、より鮮明になる。まず、当然ながら、「検討する」の具体的内容として「積極的に
検討」とする立場が挙げられる。例えば宮崎大学は、「グローバルな時代にふさわしい大学作りを
進める上で優秀な留学生の確保、さらに日本人学生の海外留学促進の観点から前向きに検討したい」
としている 29。金沢大 30、鳥取大 31、新潟大 32なども同様の意見であった。これらは、前節で見た賛
成意見にかなり近い立場といってよい。
しかし、「検討する」という回答の内実としてより目立つのは、他大学や社会の動向次第とする
意見である。例えば、
「中四国の国立大学で機運が高まれば後れをとらないよう検討しなければな
らない」とする香川大 33、
「社会情勢を踏まえ、必要に応じて秋入学実施を検討する」とする関西学
院大 34、
「多くの私立大が同調する動きがあれば検討を始める」とする津田塾大の意見 35 などが、こ
れに該当する。こうした立場のなかには、
「導入ありきではないが、国立大は社会の関心、要請に
応えなくてはいけないので検討する」36 という横浜国立大や、「大手の大学が検討するのであれば従
わざるを得ない」37 とする関東学院大のように、どちらかといえば消極的な検討動機を示している
大学もある。いずれにせよ、
「検討する」という回答の多くは、
「積極的検討」ではなく、
「態度保留」
を意味すると見てよい。
では、こうした態度保留の多さの背景には、何があるのだろうか。第一に挙げられるのは、「大
学のグローバル化」に対する必要性の認識、切実さの違いという点である。その違いは、主として
地域性の差と大学規模の差に由来している。
「大都市圏での検討がそのまま地域に当てはまるとは
思えない」とする青森公立大 38、
「地方の小規模大学としては対応が難しい」とする下関市立大 39、
「大
規模大学と地方大学では相当温度差があると思う」とする山口大 40 の意見などが、好例である。また、
都市部の大規模大学である名古屋大も、「国の中枢で活躍する人材を育てる東大と、アジアを重視
する企業が集まる中部地区にある名大とは力点が違う」として、地域性の差を強調している 41。さ
らに、
「規模が小さく、経営の問題もある。天下の東大が言ったから合わせます、とはならない」
とする鈴鹿国際大 42、
「東大は海外から優秀な留学生を受け入れるために考えたことだろう」とする
福井大の意見 43 などからは、
「アンチ東大」ともいうべき冷ややかな視線も受け取れる。
態度保留を招く第二の背景は、「秋入学」が「グローバル化」実現に向けての最善策なのかどう
107 か、という点についての懐疑である。例えば大阪大は、「秋入学は国際化の一つの手段であって、
それ自体が目的ではないと考えている」として、
「秋入学」はあくまで一手段に過ぎないとの立場
を示している 44。「秋入学にしたら大学が変わるというのは考え過ぎ」とする三重大 45 なども、こ
れに近い立場であろう。これらは、
「秋入学」が「グローバル化」の促進にどの程度効果があるのか、
という疑問であると見てよい。しかし、仮に「秋入学」に「グローバル化」促進の効果があったと
しても、なお解消されざる問題が残っている。それが、GT と就職をめぐる問題である。
前者については、「地方の大学では授業料を免除されている学生も多く、誰もが海外で刺激的な
経験をできる環境にない」とする秋田大 46、
「入学時期を変えただけでは、大学は実質的に 5 年制に
なりかねない。新たな負担を学生や保護者にしいることが許容されるだろうか」とする千葉大 47 な
どの意見が該当する。ほかにも、福井大 48、鹿児島大 49 などが同様の見解を示している。大学外の
立場からも、「気がかりは保護者の負担だ。卒業までの期間が半年か 1 年長くなれば、それだけ教
育費が重くなる。
(中略)お金がない家庭の子に、ますます行きにくい大学になれば本意ではない
だろう」50 とする朝日新聞の社説など、GT の設定により懸念される経済問題への指摘がみられた。
後者の就活問題との関わりについては、「約半年ずれる国家試験や就職活動時期の調整が必要に
なるでしょう」51 とする岡山大の意見や、
「就職活動や資格試験などを考慮するとスムーズに移行し
ないのではないか」52 とする弘前大の意見などがある。これについても、香川大 53 や山口大 54 など
が同様の指摘をしている。新聞記事でも、
「東大の秋入学実施に向けた最大の課題は就職だ」55、
「国
会試験の日程、企業の春季一括採用が変わらなければ、夏の卒業から翌春の就職までの期間にも空
白が生じ、学生側の経済負担が増してしまう」56 と、やはり就活問題との関わりについての指摘が
なされていた。
これらの背景のうち、「秋入学」構想の得失に対する軽重のつけ難さという観点から見た場合、
より重要なのは第二の背景の方である。国際化を目指すことは否定しないが、
「秋入学」の実施によっ
て発生するリスクにも配慮すべき―このような立場に、
「秋入学」をめぐるアンビヴァレンスが
集約されているといってよい。それによってどの程度「国際化」が進展するのかも未知数ななかで、
「秋入学」に賭けることが本当にそのリスクに見合っているのか、その見通しの不透明さが「態度
保留」の主要因となっていると考えられるのである 57。
実は、GT がもたらす経済的問題や就職活動の時期とのずれに関しては、
『報告』の中でも「秋入学」
構想の含み持つデメリットとして認識されていた 58。したがって「秋入学」構想にとっては、これ
らの問題は「織り込み済み」であったということになる 59。そうであるならば、なおのことこの点
に関して考察してみる価値は十分にあると言えよう。
そこで第 3 章と第 4 章では、これらのリスクが発生するそもそもの構造的要因とは何なのかとい
う点について、考察していく。それを通して、「秋入学」がこれらのリスクを負ってでも最優先に
実現すべき課題なのかどうかを検証することとしたい。
108
3 .GTはなぜ「必要」なのか
「秋入学」実施にあたっての第一のリスクと認識されているのは、GT による家計負担の増大と、
それによって生じかねない教育機会の格差拡大という問題である。GT はこうしたリスクを負って
まで必要なことなのであろうか。このことを考えていくために、
「秋入学」構想においてなぜ GT が
必要とされているのか、その背景となっている問題意識について、『報告』の記述を検討すること
としたい。
「秋入学」構想において GT は、高校卒業から大学入学までの約半年間に、
ボランティアやインター
ンシップ、あるいは語学留学などの経験を積むことによって、学習体験の豊富化を図るものとして
設定されている。そのメリットとして多様な体験機会の充実や入学前教育の充実といった点が挙げ
られているが、
『報告』の中ではもう一点、注目すべき「メリット」が指摘されている。それは、
「受
験競争の中で染み付いた点数至上主義の認識・価値観をリセットし、学びに取り組む姿勢を転換す
ることできる」
(
『報告』p.12「図表 A」
)という点である。
「受験競争」の基盤となる偏差値序列の頂
点に立っているのは当の東京大学に他ならないはずであるが、この指摘の中では、その「受験競争」
があたかも他人事であるかのように捉えられている点が注目される 60。さらに『報告』には、次の
ような記述がある(『報告』p.7)
。
このような受験競争は、与えられた問題で高得点をとることを目指す余り、ともすれば学び方
を外発的動機に基づく受動的なものとしてしまう。そうした学び方は、大学で求められる「自ら
課題を発見する」という主体的・能動的な学びとは異なるものである。大学入学前の受験準備教
育の浸透、その一方で生じている大学に対する人材育成の要請の高まり(例えば「グローバル人
材」への需要)は、こうした乖離を益々際立たせている。
つまり、人材育成という観点から見た場合、大学入試に向けた受験競争は学生に対し好ましい結
果をもたらしていないとの認識を、『報告』は示しているのである。では、そのような好ましから
ざる結果を招来しているものは何か。『報告』では、こうした問題が「下級学校の卒業時期と上級
学校の入学時期とが隙間なく接続していること(シームレスな学校間接続)
」に起因するものとし
て説明されている 61。すなわち、受験競争による弊害はあくまで「入学時期の問題」として捉えら
れているのである。しかし、受験競争、あるいはそれがもたらすとされる「点数至上主義の認識・
価値観」とは、入学時期ではなく選抜方法によって引き起こされる問題である。
『報告』の認識は
明らかな錯誤、もしくは「秋入学」を正当化するための我田引水だと言わざるを得ない。
日本の大学入試による選抜は、「入学志願者の大学教育を受けるにふさわしい能力・適性等を多
面的に判定」することを目的としている(『平成25年度大学入学者選抜実施要項』2012年 5 月31日
付け、24文科高第236号文部科学副大臣通知、p.1)。しかしそれは、一定以上の能力がある者を全
員合格とする資格試験のような形態とは異なり、試験結果の相対的上位者について予め定められた
109 入学定員分だけ入学を許可する、という方式で行われている 62。こうした試験のあり方を、
「相対試
験」と呼ぶことにしよう。相対試験においては、合格者の学力水準は母集団の大小によって左右さ
れるから、合格者が一定レベル以上の能力を備えているかどうかは必ずしも保証されない。
「日本
の大学入試は、子供の学力そのものに関心を払ったことはなく、単に子供を序列化してきただけ」
(河
本 2009:103)と評される所以である。
東大が問題視する「点数至上主義」は、こうした「落とすための試験」
「排斥するための試験」
ともいうべき選抜方式によって生み出されている。相対的な位置というものは常に流動的なもので
あるから、
「より高い点を取ることを目指す」という目標には際限がない。受験生にとってみれば、
「こ
こまでやれば絶対に合格できる」という確証を得ることなどできないからである。
こうした背景を踏まえたとき、学びに対する受動的な姿勢を問題視するのであれば、入学試験の
あり方を変えるという発想も、十分にありうる。しかし『報告』では、
「教科書に書かれた内容を
吸収し、ペーパーテストでその理解の深さを競うこと自体は、学力を高める上で重要な意義を持っ
ており、否定されるべきではない」として、「学力を測定する客観的な手段として、ペーパーテス
トに比重を置く仕組み」を堅持する姿勢を見せている(『報告』p.7)。したがって『報告』は、学生
が受動的な学び方や点数至上主義の価値観を身に付けてしまうことを、一種の必要悪として認識し
ていることになる 63。
このように、GT の設定とは、入学予定者全員にその期間における何らかの活動を強制することで、
こうした「必要悪」により生じる「弊害」の除去を企図するものなのである。果たして、この発想
は肯んずべきものであろうか。実は、GTという発想の基となった英国におけるギャップイヤー
(Gap
Year)という習慣は、学生に一律に課されるものではないし、その取得率は進学者の 1 割内外に
過ぎない 64。期間も 3 ∼24か月と幅があり、取得時期が入学前に限定されるものではなく、卒業後
に取ることも可能である。それに対し、
「秋入学」構想における GT の設定は「合格後の半年」と一
律に限定されているため、英国の GY のような「寄り道」にはならず、結局はカリキュラムの延長
ともいうべき位置づけになっている。カリキュラムであるならば「教育プロセスとして必要」とい
うことであるから、教育活動としてその教育機関自らが責を負うべきものであるということになろ
う。しかし、GT 期間における活動として想定されているのは、海外の大学への語学留学や、ボラ
ンティアやインターンなど大学外のセクターにおける活動である 65。また、活動に必要なコストに
ついても、全て各自の自己負担ということになっている。大学側の都合により生じる「弊害」の除
去を、このように他のセクターに負担させるのは、やはり筋違いであろう。特に日本社会は教育費
用を各家庭に依存する割合が高い社会であり 66、現状に加えてさらなる負担を課すこととなれば、
教育機会の不平等が拡大する方向に動くことは必定と考えられる。
以上のように、
「秋入学」構想が設定する GT とは、その必要性を生じさせているこれまでの選抜
方法や教育方法に手を加えることなく 67、そのことで発生する問題の解決を他のセクターに負担さ
せようとする志向性を内包している。ここに、GT の最大の問題点があると言えよう。たしかに『報
110
告』では、教育内容やカリキュラム、あるいは入学者選抜のあり方等の問題についても、中長期的
な視野で検討することが必要との認識も示されている(『報告』pp.27-30)
。しかし、それらに優先
するものとして「秋入学」が位置づけられているということは、当面必要となるコストを他のセク
ターに負担させようとする志向性の強さを物語っている。濱田総長は「自ら汗をかく」という表現
を好んで用いているが 68、こうした志向性に鑑みれば、やや説得力に欠けると言わざるを得ない。
4 .「就活問題」と入学者選抜のあり方
続いて本章では、「秋入学」実施にあたっての第二のリスクと目されている「就活問題」、具体的
には就職活動の時期がずれるという問題について考えていきたい。実は直近10年の間にいくつかの
大学が個別に入学時期の変更を検討しているのだが、そのいずれもが就職活動との兼ね合いを理由
として断念したという経緯がある 69。その意味では、
「就活問題」と入学時期との確執は、前章で見
た GT の問題よりも根深いと言えよう。
(1)就活の「負のスパイラル」
就活時期のずれという問題に対し、『報告』は「企業は採用時期についても、春季のみならず、
多様化が進められていくことが望ましい」とし、春秋二回あるいは通年での採用活動を求めている
(『報告』p.31)。大企業では既に秋採用あるいは通年採用を行なっている企業も多いが、全体的な傾
向としては必ずしも歓迎する向きが大勢を占めるわけではない 70。その背景には、採用活動や採用
後の研修にかかるコスト面の問題が大きく横たわっている 71。
ここ10年あまりの間に蓄積されてきた大卒就職に関する研究や議論の中で、大学生の就活および
企業の採用活動にかかるコストの大きさは、つとに指摘されているところである。日本の大卒就職
の大きな特徴は「新卒一括採用」を前提に大学在学中の早期から始まるという点にあるが 72、特に
2000年代以降は就職活動の早期化・長期化が顕著となり 73、学生の経済的・精神的負担増のみならず、
大学にとっても度重なる授業の欠席により教育が立ち行かない、企業にとっても採用活動にかかる
コストが莫大となるなど、様々な点で問題が噴出している 74。就職・採用活動におけるコストの問
題を考えるうえでは、なぜこのような現状が維持され続けるのかという点を押さえておかなければ
ならない。 太一朗(2010)の分析によりながら、この点について見ていこう。
の分析によれば、現状の日本の就活は「負のスパイラル」に陥っているという。その仕組み
は、以下のようなものである。スパイラルの発端は、
「優秀な人材を確保したい企業の思惑」である。
企業は優秀な人材を確保するために早期募集を行うが、採用の際に大学での成績はあまり重要視さ
れない。学生は、採用基準として成績が重視されないために、授業・勉強よりも「就活に必要なこと」
(自己分析、各種の就職対策セミナーへの出席、面接訓練、実際の入社試験・面接等々)を優先する。
それゆえ大学は学生に対し十分な教育ができず、結果として学生は十分に能力を伸長させることな
111 く社会に出ていく。これが企業にとって「優秀な学生の減少」としてとらえられ、採用活動の早期
化・長期化に拍車をかける。以上が、 のいう「負のスパイラル」である。
がスパイラルの発端を企業の思惑としていることから、「そもそも企業のエゴが悪い」と評価
する向きもあるかも知れない。しかし、優秀な人材を確保したいという欲求そのものは、企業に限
らずどのような組織でも共通であろう。論点とすべきは、なぜ企業が採用活動の際に大学での勉学
の成果や成績を判断材料として重視しないのか、という点である。
図②:日本の就活の「負のスパイラル」
(
2010:115)
(2)1980年代までの新規大卒者に求められていたもの
近年は、企業が新規大卒者に対して「即戦力」を求めるようになった、と言われることが多い。「即
戦力」と言われると、特定の職務に関する能力のことを指すと考えがちである。しかし先行研究の
知見によれば、
「即戦力重視」という表現の内実は、一つには「訓練可能性(Trainability)
」(サロ
ウ 1984)に対する要求水準の上昇、もう一つはその訓練可能性の内容の変化である(岩脇 2004、
2006b)
。後者に関しては、従来のような頭の良さ(学力の高さ)や協調性に加え、
「課題創造・達成力」
「アピアランス」といった要素が求められるようになったということを意味する(岩脇 2006a)。
このような変化は、1980年代後半から90年代にかけて起こったと考えられている。
1980年代以前の能力観における「訓練可能性」
(=将来の人的資本形成の可能性)を知るシグナル
と考えられていたのは、「学歴」あるいは「学校歴」であった(苅谷 2010)。実際、1970年代後半
112
までの大卒就職においては、企業が大学を指定して求人を行う「指定校制」が採られていたし、こ
の方式に対する「学歴差別」との社会的批判から自由応募制が主流となった80年代以降も 75、
「OB・
OG リクルーター」などの活用を通じて、先輩後輩関係を通じた大学と企業との結びつきは維持さ
れた(苅谷ほか 1993)76。
学歴あるいは学校歴が訓練可能性の指標と見なされえたのは、何故だったのか。一つの有力な説
明は、入学試験の難易度である。難易度の高い入学試験をクリアした者とはすなわち、教えられた
ことを的確に身に付け、テストの際に高いパフォーマンスを示した者のことである。そうした能力
の高さは、まさに当時重視されていた訓練可能性の高さそのものであり、それゆえに学歴・学校歴
が訓練可能性の指標として用いられた、というわけである(新堀・加野 1987:102、原・山内・
杉本編著 2008:45)
。もう一つは、統計的差別による説明である。それによれば、企業はそれぞ
れの企業内に蓄積されたデータから学歴・学校歴による訓練可能性の違いを判断し、その序列にし
たがって採用を決めているとされる(中村 2010:215-216)
。日本の大学の場合、学歴を獲得する
上での最大関門は入学試験であったから、やはり重要だったのは入学試験ということになる。
これらは、一般にスクリーニング仮説として知られているモデルに適合的である。すなわち、人
的資本論の如く学校教育を受けることによる知識・技能の増大を想定せず、学歴は訓練可能性を示
す指標だとする解釈である。日本企業の多くが正規雇用者に対し OJT(On the Job Training)によ
る技能形成を重視してきたことを考え合わせても、このモデルの説明性は十分に高いと言える 77。
以上のように、1980年代ころまでの日本企業においては、大卒者の採用に関して学歴あるいは学
校歴を指標として用いることにより、「訓練可能性」の高低を判断していたわけである。そのため、
採用時に大学での成果・成績を評価するノウハウが十分に蓄積されず、また評価しようとする傾向
も弱いままだったのである。
学歴や学校歴が企業側にそのように使われたことの背景には、日本の大学が学生の質を「入学者
選抜」によって担保してきたという事情がある。たしかに、大学での勉学の成果を評価しないとい
う傾向には、企業側が大学の教育成果を過小評価している側面もある。大学での知的トレーニング
によって伸長する能力は、必ずしも企業での職務に必要とされる能力とかけ離れたものではないか
らだ。しかし、大学側がそうした大学教育の意義を十分に説明することを怠ってきた面も否定でき
ないであろう。その背景には、大学入学後の教育よりも「入学者選抜」によって大学の質を維持し
てきた側面もあるのではなかろうか 78。
(3)
「入学者選抜」の変容と近年の「就活問題」深刻化
それでは、こうした「訓練可能性」のシグナルとしての学歴・学校歴という観点から見た場合、
近年の「就活問題」深刻化はどう説明できるであろうか。
第一に、いわゆるペーパーテストによる選抜を経ない者、すなわち推薦入試や AO 入試による大
学進学者の増加が挙げられる。その割合は1980年ころには約20%だったものが、2000年代に入って
113 30%を超え(中村 2011:79)
、2011年度では実に約44%の新入生が AO 入試または推薦入試を経
て大学に入学している 79。このような現状において、かつて入学試験による選抜が持っていたシグ
ナルとしての有効性は確実に薄らいでいると言ってよい。
そもそも、入試による選抜が社会的に意味を持つのは、大学進学者が相対的に少数であるエリー
ト段階(進学率15%以下)
、せいぜいマス段階(進学率15∼50%)でのことである(トロウ 1976)
。
大学進学率が 5 割を超えた現在の日本は、すでにユニバーサル段階に突入している。高等教育シス
テムの段階移行を論じたトロウ(1976)のモデルに従えば、ユニバーサル型の大学においては、能
力主義に基づく学生の選抜という機能ではなく、万人のための教育保証がその中心的機能となる。
推薦入試や AO 入試の普及は、こうした高等教育の大衆化に対応した「マス選抜」
(荒井 1993、
中村 1996)の拡大を意味するものであり、入学時点での選抜が学生の「エリート性」を保証する
というあり方は、既に一部の大学にしか当てはまらないものとなっているのである 80。
第二に、前節でも指摘した「訓練可能性」の内容の変化である。今述べたように、頭の良さ(学
力の高さ)やルールへの順応性を測るシグナルとしても、学歴・学校歴の有効性は弱体化している。
それに加え、近年重視されるようになった「課題創造・達成力」や「アピアランス」などの要素は、
そもそもペーパーテストで測定することの困難な要素であり、必ずしも従来のような入学者選抜に
よってその能力の多寡を測定できるものではない。したがって、この点から見ても、入学試験によ
る選抜が持っていたシグナルとしての有効性は減少していると考えられる。
以上をふまえ、企業がなぜ採用時期の多様化に足踏みをするのかという最初の問いに戻れば、す
でに莫大となっている採用コストや研修等による人材育成にかかるコストをこれ以上増大させたく
ないからだ、ということである。もちろん、これはあくまで企業側の論理であるから、大学側がそ
のために譲歩する必要はないとする意見もあるだろう。しかしそれでは、就活の早期化・長期化に
より大学教育の空洞化が起こっているという現実に歯止めをかける道筋は立たない。大学が、その
輩出する人材の質によって高等教育機関としての質を保証し、それを企業側が正当に評価するシス
テムを作り出さなければ、根本的な解決は望めないのではなかろうか。そのためには、当然ながら
企業側も「優秀な人材」が備えている能力・スキルの内容をより具体的に言語化していく努力が求
められるし、自らが選抜を行う主体であるということの責任を明確化する必要があるだろう 81。
5 .結論:
「社会全体のための大学」に向けて
以上、
「秋入学」の実施によって発生が危惧されている 2 つのリスクについて分析し、それらは
いずれも「入学者選抜」に関わる構造的問題であることを論じてきた。したがって、入学者選抜の
あり方を問い直すことなしに「秋入学」のみを先行させたとしても、
「グローバル化」は期待通り
に進展しない可能性が高いといってよいだろう。
このように「入学者選抜のあり方を問い直す」というと、「入試改革」という言葉が脳裏に浮か
114
ぶかも知れない。しかし、竹内洋(1988)が「リボルビング・ドア・ポリシー(回転ドア政策)」
と呼んだように、近代日本における入学試験の歴史とはほぼそのまま「入試改革」の歴史でもあ
る 82。「グローバル人材」に求められる能力の測定方法を開発したところで、結局はその方法への
対策がマニュアル化するだけであろう 83。解決すべき問題は、これまでのように相対試験を前提と
した「入試改革」で解決できる類のものではない。立てられるべき問いは、「入学者選抜をいかに
すべきか」ではなく、
「入学者選抜への依存をどう脱却するか」である。
こうした問題意識そのものは、とりわけ目新しいものではない。1990年代後半以降特に盛んに論
じられるようになった「高大接続」の問題系においては、選抜中心に考えられてきた大学進学の問
題を問い直す視点が見られる。「高大接続」に注目が集まるようになった背景には、大学生の「学
力低下問題」も大きく関わっていると思われるが、
「入学者選抜への依存」からの脱却につながる
可能性が見られることは評価してよいだろう 84。ただ、その名称にも表れているように、
「大学に入
学する者のほとんどは、高校を卒業して間もない者」という認識枠組みが、日本社会には強固に存
在している。吉本圭一(2001)は、
「大学での勉強・教育が役に立たない」という認識が、日本の
特殊性ではなく、年限の短く若い卒業者を輩出する高等教育をもつ社会に通底する認識ではない
かと指摘している。この指摘を踏まえれば、「学びの場」としての大学の機能を強化するためには、
大学を真の意味で生涯学習の場とする構想が必要なのではないか 85。
この点に関して大いに参考になるのが、矢野眞和(2011)のいう大学の「習慣病」の克服であ
る。矢野は、「18歳主義」
「卒業主義」
「親負担主義」によって特徴づけられる「日本型大衆大学」の
あり方は「習慣病」のような桎梏となっており、それが大学の質保証の大きな壁となっていると指
摘する。その上で、学習意欲がなくなれば中退すればよいし、進学したくなればいつでも進学する
というような、
「明るく中退、元気に復学」が健全な大学の姿である、としている。すでにヨーロッ
パでは、こうした大学進学のあり方を前提に、大学教育の拡大、具体的には生涯進学率の上昇策を
経済成長戦略の一つとして組み込んでいる国も多い 86。アイスランドやニュージーランドでは大学
新入生の 2 割が30歳を超えているし、OECD 平均でも25歳以上となっているが 87、これはこうした
高等教育拡張政策の反映と見てよい。
このような海外事情をふまえれば、事実上20歳前後の若者のみを「学生」として想定するような
日本の大学がいかに「グローバル化」から程遠いか、また「入口での選抜」によって大学の質保証
を図ろうとする発想がいかに時代遅れであるかは、言うまでもないだろう。社会全体の知的レベル
を高めるための拠点として大学を広く開放する方向を目指すのが、
「グローバル化」ではないのか。
『報告』は再三にわたり「多様性・流動性の重視」を述べているが、
「秋入学」によって促進される
可能性があるのは「国籍」の多様性・流動性だけである。そこに、「年齢」の多様性・流動性とい
う観点を組み入れてみる必要があるだろう 88。入学時の年齢や入学・卒業の時期が固定化している
ことの必然性など、全くないのである。
もちろん、以上のような「習慣病」克服のためには、これまで以上のコストが大学教育にとって
115 必要となる 89。しかし、知られているように、日本の GDP 比あるいは一般政府総支出比における
高等教育への公的支出は、OECD 諸国の中で最低ランクに位置する 90。こうした情勢をふまえれば、
大学教育に対する公的支出の増加を求めることは、必ずしも世論に受け入れられない話ではあるま
い 91。ただその際には、大学を「高校の延長」のような位置づけから解放する構想が同時に求めら
れるし、その上で予算配分の正当性に対する社会的理解を得ることが必須となるだろう。
今回の「秋入学」構想をめぐる新聞での意見・投書においては、
「制度の柔軟化こそ重要」とす
るものも少なからず見られた 92。いま求められているのは、いわば「人生の多様性」を保証するよ
うな高等教育システム、年齢主義に縛られ硬直化したライフコースのイメージを突き破るような構
想なのではないだろうか。
注
1
例えば、臨時教育審議会「教育改革に関する第四次答申(最終答申)
」
(1987年 8 月)
、教育再生会議「社会総
がかりで教育再生を(第二次報告)
」
(2007年 6 月)など。
2
以上の東大「秋入学」構想の詳細については、
『報告』のほか、東京大学学内広報『入学時期の在り方に関す
る懇談会中間まとめ特集版』
(2012年 1 月26日)等を参照。いずれも、東京大学 HP 上で公開されている。
3
「秋入学、迷う大学」
『朝日新聞』2012年 2 月12日(以下、『朝日』2012. 2. 12 のように略記する。読売新聞の記
事についても同様。なお、特記のない限り記事は東京版の朝刊に掲載)
。主に 1 学年の定員が1000人以上の大学
を対象。回答数は167、回収率96.0%。
4
「秋入学の導入 39大学が検討 国立大82校アンケート」
『読売』2012. 1. 29。
5
一般社団法人日本私立大学連盟「秋季入学への移行にかかるアンケート」
(2012年 2 月実施)
。加盟121大学に
調査、98大学から回答(回収率81.0%)。
6
「東大秋入学『賛成』43% 『全大学で』は賛否二分」
『読売』2012. 3. 9。調査は2012年 2 月25∼26日に全国の有
権者3000人を対象に実施、1661人から回答(回収率55%)。
7
内閣府が2001年 7 月に行った世論調査でも、大学の入学時期を原則秋頃に改めることについて「賛成」とす
る者の割合が40.7%(「賛成である」12.8%+「どちらかといえば賛成である」27.9%)、「反対」とする者の割合が
40.5%(「どちらかといえば反対である」26.7%+「反対である」13.8%)、
「わからない」とする者の割合が18.8%
となっており、世論の賛否が真っ二つに割れるという傾向は同様であった(内閣府大臣官房政府広報室「今後の
大学教育の在り方に関する世論調査」
(内閣府 HP、http://www8.cao.go.jp/survey/h13/h13-daigaku/index.html)
)
。
8
「秋入学 東大に追随も」
『読売』2012. 1. 19。
9
「秋入学 広がる波紋」
『朝日』2012. 1. 21。
10
「採用時期『見直す』6 割 東大などの秋入学うけ 主要100社調査」
『朝日』2012. 3. 10。
11
「九州・山口・沖縄 主要80社採用アンケート」
『読売』2012. 3. 28 西部。
12
「筑波大が『秋入学』正式表明」
『読売』2012. 1. 27。
13
「秋入学移行、九大も検討」
『朝日』2012. 1. 19 西部。
14
「広大が『秋入学』検討」
『読売』2012. 1. 31 広島。ただし、のちに広島大の浅原利正学長は「個人的な考え」
としつつ「春と秋の併用を考えていくべきだ」との見解を示し、全面的な賛同からは距離を置く姿勢に転換し
ている(
「広大学長 『入学 春秋併用考える』」
『読売』2012. 5. 26 広島)。
15
前掲「秋入学移行、九大も検討」、有川節夫総長の発言。
116
16
「秋入学『就職の時期は』
東大先行に冷めた目も」
『朝日』2012. 2. 12、福井憲彦学長の意見。
17
同上、伊賀健一学長の意見。
18
「府立大の秋入学『積極的に検討』
松井知事」
『朝日』2012. 2. 28 大阪市内。
19
「秋入学、野田首相が評価 移行の問題点調査へ」
『朝日』2012. 1. 26。
20
「秋入学ドミノ倒しも」
『読売』2012. 1. 21。
21
同上。
22
「秋入学 県内11大学に聞く 積極姿勢少なく」
『朝日』2012. 5. 12 山口、山田通夫理事長の発言。
23
前掲「秋入学ドミノ倒しも」
、佐和隆光学長の意見。
24
前掲「秋入学『就職の時期は』
東大先行に冷めた目も」、小池田富男学長の意見。
25
今次の「秋入学」構想に関するものではないが、安倍政権時代に持ち上がった秋入学案に対し、当時の朝日
新聞社説は「日本から優秀な人材が米国の大学に流れるように、大学やカリキュラムに魅力があれば、入学時
期にずれがあっても、学生は集まる」
(
「社説 9 月入学 無理に進める話ではない」
『朝日』2007. 9. 23)と指摘
していた。
26
NPO 法人代表藻谷ゆかり「東大の秋入学 経済的弱者への配慮欠く」
『朝日』2012. 3. 2。
27
前掲「秋入学『就職の時期は』
東大先行に冷めた目も」、石井清純学長の意見。
28
前掲「秋入学 県内11大学に聞く 積極姿勢少なく」
、櫛田宏治学長の意見。
29
前掲「秋入学ドミノ倒しも」
。
30
「金大、秋入学を議論 9 月にも中間報告」
『読売』2012. 3. 30 石川。
31
「鳥大、秋入学検討へ」
『読売』2012. 2. 3 鳥取。
32
「新大も秋入学『前向き』
」
『朝日』2012. 2. 2 新潟全県。
33
「東大秋入学巡り『社会的合意で』
」
『朝日』2012. 1. 27 香川全県、長尾省吾学長の発言。
34
「秋入学の可否を関学大も検討へ」
『朝日』2012. 1. 27 神戸、関西学院大広報室の回答。
35
「秋入学 多摩地区大学も検討」
『読売』2012. 3. 10 多摩。
36
「秋入学 4 大学が検討」
『読売』2012. 2. 23 横浜、大沢俊正広報渉外室長の発言。
37
同上、事務局関係者の発言。
38
「秋入学に新学長反対」
『読売』2012. 4. 12 青森、香取薫学長の発言。
39
前掲「秋入学 県内11大学に聞く 積極姿勢少なく」
、荻野喜弘学長の回答。
40
「
『秋入学 課題多い』」
『朝日』2012. 2. 1 山口、丸本卓哉学長の発言。
41
「秋入学、名大総長は慎重」
『朝日』2012. 2. 2 名古屋本社、浜口道成総長の発言。
42
「東大の秋入学移行方針 歓迎と困惑…反応様々」
『朝日』2012. 1. 27 三重全県、中野潤三学長の発言。
43
「東大の秋入学、福井大『静観』」
『朝日』2012. 1. 21 福井全県、福田優学長の発言。
44
「東大、秋入学に移行案 入試は春を維持」
『読売』2012. 1. 18 大阪夕刊、平野俊夫総長の発言。
45
前掲「東大の秋入学移行方針 歓迎と困惑…反応様々」、内田淳正学長の発言。
46
「大学秋入学、県内では」
『朝日』2012. 2. 19 秋田全県、吉岡尚文副学長の発言。
47
「秋入学、悩める千葉大」
『朝日』2012. 2. 4 千葉全県、検討委委員長の山本恵司理事の発言。
48
前掲「秋入学ドミノ倒しも」
。
49
「秋入学 鹿大がシンポ」
『読売』2012. 4. 21 鹿児島。
50
「社説 東大の秋入学 学生のための国際化を」
『朝日』2012. 1. 21。
51
「秋入学 飛びつかない」
『朝日』2012. 3. 30 岡山全県、森田潔学長の発言。
52
「弘前大・佐藤新学長 秋入学に慎重姿勢」
『読売』2012. 2. 7 青森、佐藤敬学長の発言。
53
前掲「東大秋入学巡り『社会的合意で』
」
。
117 54
前掲「
『秋入学 課題多い』
」。
55
「東大が秋入学移行案」
『読売』2012. 1. 18 夕刊。
56
「社説 東大秋入学案 社会的な環境整備の議論を」
『読売』2012. 1. 21。
57
実際、国際化に対する「秋入学」の効果に対しても、それを疑問視する向きは多い。進路情報会社が行なっ
た全国の263大学への調査では、現行の 4 月入学が大学の国際化を阻害しているかとの問いに「大いに影響があ
る」と答えたのは7.6%に留まっている(
「『注目する』5 割強 東大の秋入学移行検討」
『朝日』2011. 10. 7)。濱田
総長自身も、「秋入学」の実施のみによって「海外に行く日本人学生、海外から来る留学生が、爆発的に増える
とは考えていない」と述べているように(「 1 月20日記者会見 総長発言概要」p.1)
、国際交流の活発化という
点に対しても「秋入学」の効果は限定的なものだと考えられている。
58
GT の設定によって発生するコストに関しては、
「中間まとめ」の段階で既に指摘されている。また、学内意見
募集後の「報告」では、GT 期間の学力低下に対する懸念も踏まえられている。
59
「中間まとめ」発表後に学内募集した意見でも、これらに関する指摘が散見される(『
「将来の入学時期の在り
方について」
(中間まとめ)学内意見募集概要』
)。
60
この点について、濱田総長の出身校でもある私立灘高校(神戸市)の和田孫博校長は、「受験競争で染みつい
た偏差値重視の価値観をリセットする期間」という GT の狙いに対し、「まず入試の中身を変えてくれないと、
高校の授業も変われない」としている(
「
『秋入学』期待と不安」
『読売』2012. 1. 19)。また、茨城大の池田幸雄
学長も「こうした点数至上主義は、そもそも大学が実施する入試のせいではなかったか。それなのに、ギャッ
プターム中に自分で考え直しなさいというのは酷な話だ」と発言している(「論点スペシャル 東大秋入学」
『読
売』2012. 2. 2)
61
『報告』p.7。
『報告』では、
「 1 .入学時期をめぐる問題点」のセクションに、
「主な問題点」として①学事暦の
国際動向との不整合、②学期と休業期間との不調和、③受験準備の学びと大学での学びとの乖離、の 3 点が挙
げられている(同頁)。
62
近代日本の学校制度上、初期に上級学校への進学にあたって入学試験が重要視されたことの背景としては、
学校間接続の問題がある。下級学校の卒業が、上級学校で必要とされる学力を保証していなかったからである
(天野 2007)
。そのため、明治20年代までの高等学校においては、入学を許可された者の人数はしばしば定員
を下回っていた。また、学校体系が整備された後も入学試験の重視が続いてきたことの背景には、進学希望者
の増加に見合うだけの教育機会の拡大を図ってこなかったことがある(戦前の状況については、天野(2006)
などを参照。戦後については、黒羽(2001)などを参照)。
63
もちろん、受験勉強や学歴取得競争が実際に受動的な学び方や点数至上主義の価値観を学生たちに植え付け
ているのかどうかについては、大いに検証の余地がある。ここで指摘しているのは、あくまで『報告』ではそ
のような認識が見られる、ということである。
64
「
『ギャップターム』って? 東大 秋入学までの半年間」
『朝日』2012. 1. 27 夕刊。同記事によれば、英国の
2001年の統計では全大学合格者の7.6%が取得したという。
65
『報告』では、GT において質の高い体験を積むことができるよう、大学が支援や指導を行うことも想定され
ている(『報告』p.22)
。この点からも、GT の設定が「カリキュラムの延長」のような位置づけとなっているこ
とがわかる。
66
日本の高等教育における教育費の負担は、公財政33.3%、私費66.7%となっており、OECD 各国のそれぞれの
平均68.9%、31.1%と比較して、私費の割合が高い(文部科学省(2012:44)、2008年の数値)
。
67
「懇談会」では入学時期を春秋 2 回とする案も検討されたが、基礎から積み上げる学部の授業体系にあわない
ことを理由として退けられた(前掲「社説 東大の秋入学 学生のための国際化を」
)
。
68
例えば、
「 1 月20日記者会見 総長発言概要」、
「 1 月26日報道機関等との懇談会 総長発言概要」など(いずれ
118
も東大 HP 上で公開されている)。
69
秋田大(前掲「大学秋入学、県内では」
)、室蘭工業大(前掲「秋入学の導入 39大学が検討 国立大82校ア
ンケート」)
、広島大(前掲「広大が『秋入学』検討」)など。また、東洋大は1994年から一般の受験生向けに10
月入学を始めたものの、志願者の減少により2006年に事実上廃止しているが、その理由は教員の負担増と「企
業の雇用サイクルに合わない」ことであった(
「 9 月入学 増えるか」
『朝日』2007. 7. 1)。
70
人事向けポータルサイト運営会社の HR が企業の新卒採用担当者を対象に2012年 1 月23∼25日に行なったアン
ケート(有効回答195人)によると、
「秋入学は良いこと」と評価する企業の割合は大企業で61%に上る一方、従
業員301∼1000人の中堅企業では26%にとどまったという(中川美帆「秋入学の波紋 就職時期と半年間のずれ
採用コスト増で企業に負担」
『エコノミスト』90-10、2012. 3. 6)
71
東大が秋入学検討を始めて間もない頃の企業人へのインタビューでは、「会社で『人財』を育てるという考え
から、 4 月入社を前提に、新入社員研修やキャリアアップのための 3 年研修などを(中略)一括して行なって
いるからです。入社時期がばらばらだと事務作業も増えますし」と述べられている(「オピニオン 大学の秋入
学」
『朝日』2011. 7. 15、米村祐一 JTB 人事企画部グループリーダーの談)
。また別の記事では、
「入社時期がずれ
ると、研修も含め手間もコストも余計にかかる」とする「ある建設会社の採用担当者」の談話が掲載されてい
る(前掲「秋入学広がる波紋」
)
。
72
日本労働研究機構(2001)によれば、日本では卒業前に就職活動を開始する者が88%に上っているが、比較
対象となったその他の国については、その割合は平均して約37%である(最高はノルウェーの約60%、最低は
フランスの約10%)
。
73
濱中義隆(2010)の分析によれば、大学によって多少の違いはあるものの、2005年における就職活動期間は、
1993年と比較して概ね 2 ∼ 3 ヶ月ほど長期化している。
74
それぞれの立場にとって現在の就活がいかに徒労なものとして受け止められているかについては、石渡・大
沢(2008)に詳しい。
75
理系学生の場合、自由応募制が主流となるのはやや遅れて1990年代に入ってからである。
76
こうした OB・OG 訪問の隆盛は、「就職協定」の存在により、解禁日前に学生と企業が公然と会うことができ
なかったことを背景としている。
77
もちろん、現実には教育を受けることによる能力増大が皆無ということはなく、人的資本論が全くの誤謬で
あるということにはならない。ここでは、1970-80年代の日本社会を説明する上でより適合的なものとしてスク
リーニング仮説を取り上げた。ただし、「学歴と選抜」をめぐる理論・仮説には、経験データによってそれが実
証されるというよりも、それぞれの理論・仮説に内包される予断・予見に沿う形で経験データが解釈されてし
まうという側面があることには留意しなければならない(竹内 1995:31)。
78
「良い学生を確保したい」という常套句に、こうした志向性が端的に示されている。
79
文部科学省「平成23年度国公私立大学入学者選抜実施状況」より(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/
23/10/__icsFiles/afieldfile/2011/10/25/1310780_1.pdf)。全入学者599,407人のうち、推薦入試の入学者は210,450
人、AO 入試の入学者は51,895人。
80
この点は、第 3 章で議論した「点数至上主義の価値観」のリアリティにも疑問を投げかけるものである。
81
この点に関して教育史研究者の佐藤秀夫は、近代日本においては評価と選抜との機能が学校制度に一方的に
押しつけられたことで、「企業・官庁側では、人事行政にさほどコストを投じなくともよいという『利益』をえ
ていた」
。したがって、
「都合の悪い事態が生じたなら、学校制度の責任を追及し、その改革を求めればすむこと
になった」と鋭く指摘している(佐藤 2004)。
82
すでに1961年の時点で、
「選抜制度ほど同じ道を行きつもどりつして、建設の後の崩壊がむざんである例はほ
かにあまりないであろう」と言われている(増田・徳山・斉藤 1961:30)。
119 83
豊田義博(2010)は、あたかも受験対策をするかのように真面目に就活にコミットし、しっかりと結果を出し、
意中の企業に入社していく「就活エリート」が、往々にして企業が求める「優秀な人材」とかけ離れる実態を
描いている。対策のマニュアル化により選抜が形骸化することの好例であろう。
84
こうした問題関心に基づく最近の成果として、佐々木(2012)を挙げておく。
85
潮木守一「生涯通じ関わる場に」
『読売』2012. 2. 6。
86
生涯進学率とは矢野の造語であり、一般には純進学率と呼ばれる。生涯の間にどれだけの人が大学を利用し
たか、その割合を示す。
87
Education at a Glance 2011 : OECD Indicators, p.311
88
矢野は、近年喧しく言われる「学生のコミュニケーション力の向上」なども、大人と若者が机を並べて学ぶ
ようになれば勝手に解消すると述べ、「二十二歳主義に閉じ込められている異常な日本の大学の空間が、空疎な
就活論を繰り返させています」と指摘している(矢野 2011:275-276)。
89
苅谷剛彦(オックスフォード大)は朝日新聞のインタビューに対し、
「日本の大学が質を上げようとしても、
学生数に比べて教員の数が十分ではありません」と指摘している(
「オピニオン 秋入学は日本を救うか」
『朝日』
2012. 3. 22)。
90
対 GDF 比で0.6%(OECD 平均1.3%、最高はノルウェーの2.9%)、
対一般政府総支出比で1.8%(OECD 平均3.0%、
最高はニュージーランドの5.5%)である(文部科学省 2012:42。数値は2008年のもの)。
91
「財政難の今、これ以上の支出はできない」といった反論は無効である。一つには、高等教育への公的支出の
低さは「対 GDP 比」
「対一般政府総支出比」であるから、全体の歳出額を増やすのではなく配分の割合を変えれ
ばいいだけの話である。あるいは、不況だからこそ教育=「人への投資」を重視し好結果につなげた1990年代
の Finland の例も良い参考となろう(ヘイノネン・佐藤 2007)。
92
高校教員からの投書「秋入学 東大は柔軟な姿勢で」
(『朝日』2012. 1. 30 西部本社)
、投書「秋入学、慎重な名
大にエール」
(『朝日』2012. 2. 15名古屋本社)
、社会部記者 仲村和代「大学の秋入学 進学も就職も『一律』排せ」
(『朝日』2012. 2. 17)など。
参考文献
天野郁夫 2006『教育と選抜の社会史』筑摩書房(←1982 『教育学大全集 5 教育と選抜』第一法規出版)
― 2007『増補 試験の社会史:近代日本の試験・教育・社会』平凡社
荒井克弘 1993「大学入学者選抜に関する研究の回顧と展望」
『大学論集』22、広島大学大学教育研究センター、
pp.57-79
石渡嶺司・大沢仁 2008『就活のバカヤロー:企業・大学・学生が演じる茶番劇』光文社
岩脇千裕 2004「大学新卒者採用における『望ましい人材』像の研究:著名企業による言説の二時点比較をと
おして」
『教育社会学研究』74、東洋館出版社、pp.309-327。
― 2006a「大学新卒者に求める『能力』の構造と変容:企業は『即戦力』を求めているのか」
『Works
Review』Vol.1、pp.36-49。
― 2006b「高度成長期以後の大学新卒者採用における望ましい人材像の変容」
『京都大学大学院教育学研
究科紀要』52、pp.79-92。
苅谷剛彦 2010「大卒就職の何が問題なのか」苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』東京大学出版会、
pp.1-26。
苅谷剛彦・沖津由紀・吉原惠子・近藤尚・中村高康 1993「先輩後輩関係に 埋め込まれた 大卒就職」『東京大
学教育学部紀要』32、pp.89-118。
120
河本敏浩 2009『名ばかり大学生:日本型教育制度の終焉』光文社
黒羽亮一 2001『新版 戦後大学政策の展開』玉川大学出版部
佐々木隆生 2012『大学入試の終焉:高大接続テストによる再生』北海道大学出版会
佐藤秀夫 2004「近代日本における『エリート教育』の系譜」『学校の文化史 1 学校の構造』阿吽社、pp.326327(←1987『月刊 高校教育』20-1)
サロウ、L(小池和男・脇坂明訳)
1984『不平等を生み出すもの』同文舘
新堀通也・加野芳正 1987『教育社会学』玉川大学出版部
竹内洋 1988『選抜社会:試験・昇進をめぐる〈加熱〉と〈冷却〉
』リクルート出版
― 1995『日本のメリトクラシー:構造と心性』東京大学出版会
太一朗 2010『就活革命』日本放送出版協会
豊田義博 2010『就活エリートの迷走』筑摩書房
トロウ、M(天野郁夫・喜多村和之訳)
1976『高学歴社会の大学:エリートからマスへ』東京大学出版会
中村高康 1996「推薦入学制度の公認とマス選抜の成立:公平信仰社会における大学入試多様化の社会学的分
析」
『教育社会学研究』59、pp.145-165
― 2010「就職と学歴」有本章・山崎博敏・山野井敦徳編著『教育社会学概論』ミネルヴァ書房、pp.209224。
― 2011『大衆化とメリトクラシー:教育選抜をめぐる試験と推薦のパラドクス』東京大学出版会
日本労働研究機構 2001『日欧の大学と職業―高等教育と職業に関する12カ国比較調査結果』
濱中義隆 2010「1990年代以降の大卒労働市場」苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』東京大学出版会、
pp.87-105
原清治・山内乾史・杉本均編著 2008『増補版 教育の比較社会学』学文社
ヘイノネン、オッリペッカ・佐藤学 2007『オッリペッカ・ヘイノネン:「学力世界一」がもたらすもの』日本
放送出版協会
増田幸一・徳山正人・斉藤寛治郎 1961『入学試験制度史研究』東洋館出版社
文部科学省 2012『教育指標の国際比較 平成24(2012)年版』
矢野眞和 2011『
「習慣病」になったニッポンの大学:18歳主義・卒業主義・親負担主義からの解放』日本図書
センター。
吉本圭一 2001「大学教育と職業への移行:日欧比較調査結果より」
『高等教育研究』第 4 集、pp.113-133。
121 【翻 訳】
ドイツ連邦首相メルケルの G 8 サミットと
NATO 首脳会議に対する 5 月10日政府声明
齋 藤 義 彦
2012年 5 月18、19日キャンプ デイヴィッドでの G 8 サミットと2012年 5 月20日、21日シカゴで
の NATO 首脳会談に対する連邦首相メルケルの政府声明(ベルリン、 5 月10日連邦議会)1
連邦政府公報
議長、議員の同僚の皆様、ご列席の皆様
来週からアメリカ合衆国は二つの重要な国際会議のホスト国となります。最初に G 8 諸国がキャ
ンプ デイヴィッドに集まります。続いてシカゴで NATO の年会が開かれます。
G 8 会議の主要議題は、すべての G 8 会議がそうであるように、世界経済が主題となります。そ
の際当然ユーロ圏の経済情勢が重要な役割を占めます。我々、欧州からの参加者は、当然ユーロ圏
での国家債務危機の沈静化の努力について報告することになります。その際我々は財政の健全化の
ための追加的な措置と並行して成長と雇用の強化のための措置について話すことになります。これ
らの措置については、我々は12月、 1 月、 3 月の欧州首脳会議で実施に合意し、また 6 月に実施を
予定しているものが含まれます。
債務の削減そして成長と雇用の強化は、欧州首脳、欧州の諸機関、IMF が欧州での国家債務危
機を克服するための戦略の二つの柱です。ここでもう一度誤解が全く生じないように申し上げます
が、特に野党の皆さんに対してですが 2 、構造改革による成長、これは意味があり、重要であり、
必要なものです。借金による成長、これは我々を再び危機の開始に投げ返すものです。そのため
我々は借金による成長をすることは許されません。我々はそうしないと決心しています。
私は、これまで何回もそうしてきたように、キャンプ デイヴィッドでもはっきりさせるつもり
です。欧州の国家債務危機の克服は、一夜にして成ることはできず、そうならないでしょう。我々
123 がどんなに願ったとしても、すべてを解決する一撃を持ってしても不可能です。王道もなければ、
いわゆる秘密兵器もありません。ユーロ共同債や信用創造効果など多くのことが議論されてきまし
た。これらの道具は現れては消えて行きました。最初は秘密兵器のようにもてはやされましたが、
間もなく効果のない解決法だと分かりました。効果があり、効果を持続するものは一つしかありま
せん。つまり、危機の克服は長く困難なプロセスであり、このプロセスは、危機の原因を除くこと
によって初めて成功の見込みがあることを認めることです。原因はユーロ圏の数カ国 3 の途方もな
い債務であり、また競争力の欠如です。
つまり、我々は債務を削減すると同時に、競争力を強化しなければなりません。これは対立する
事柄ではなく、表裏一体なのです。このことは欧州だけでなく、ほとんどすべての産業国に妥当し
ます。共同で我々は産業国の仲間とともに、G 8 はそのための最適の場です、債務の山を削減する
努力を一層加速しなければなりません。そうすることによって我々は安定的継続的、すなわち持続
的成長のための礎石を置くことができるのです。
世界経済のこのように理解される成長のためには、自由貿易と世界市場の開放が重要な要素で
す。ですから私は今月開催される G 8 会議でも、 6 月にメキシコで開かれる G20会議でも自由貿易
に対する我々共同の支持を強調するつもりです。G20はすでに新たな貿易障壁を作らないこと、存
続している貿易障壁を取り除くことを相互に義務付けています。しかし、最新の OECD の報告が
この問題では逆の状況を示していることに言及せざるをえません。ですから私はこのことも議題に
するつもりです。貿易障壁を作ろうとする試みが次々と現れています。これが成長を阻害している
のです。ですから関係する国際機関は、我々は自由貿易の問題を真剣に受け止め、効果的な統制メ
カニズムと矯正メカニズムを必要としていると繰り返し主張しているのです。まさにこのことを私
は G 8 会議の議題とするつもりです。
さらに我々は昨年フランスで北アフリカ諸国との首脳会議で設立したいわゆるドーヴィユパート
ナーシップについてキャンプ デイヴィッドで取り上げます。その後このドーヴィユパートナー
シップには、リビアが参加し、新たな仕組みが追加されました。重要な要素としては、欧州復興
開発銀行に対する委任の拡大があります。ドイツ連邦議会の2012年 3 月29日の採決によって、我々
はこの問題で成功を収めることができました。連邦参議院も明日批准法を採決することを希望しま
す。
同様に間もなく始まる 5 月18日、19日の欧州復興開発銀行の年会でできるだけ多くの国が批准を
宣言し、南部および東部地中海沿岸諸国で欧州復興開発銀行ができるだけ早く活動を開始できるこ
とを私は望んでいます。
124
経済的な課題が G 8 会議での主要議題になることは明らかです。しかし我々は気候変動やそれに
関連した問題のような他の課題を忘れてはなりません。ですから我々はこれらの課題についても
キャンプ デイヴィッドで議論します。
我々は、
(温暖化による気温上昇)2 度目標を達成することができるように、持続的に二酸化炭素
排出を削減するために、これまで合意してきた以上の努力を試みなくてはなりません。連邦政府は
全欧州連合諸国と共同で新しい、法的拘束力を持つ国連気候保護条約で合意するという目標を堅持
しています。我々は、これは G 8 諸国でも明らかですが、この目標を達成する道は困難だけれど、
我々すべての利益なのだと知っています。ですからこの道は避けられないのです。
エネルギー政策でも我々は大きな課題に直面しています。G 8 諸国はきれいで、安全で、支払い
可能なエネルギーのための政策を実行することを義務付けました。しかし我々はそれぞれの G 8 参
加国でエネルギーミックスは異なっていることを我々は知っています。 4 しかし、エネルギー政策
でのこの非常に異なったやり方にもかかわらず、我々はエネルギーミックスが再編された場合のイ
ンフラに対する影響を議題にするつもりです。つまり、どのようにして我々は天然ガス部門で公正
な市場アクセスを確保できるのか。どのようにして透明性と共通基準のもとエネルギー生産が進め
られるのか。どのようにしてエネルギー生産の安全を確保できるのか。特に沿岸部での石油と天然
ガスの生産が問題になります。これらのことが我々が議論すべき課題となります。
もちろん再生可能エネルギーの投入とエネルギー効率の向上が問題となります。我々には合意が
あると思います。連邦政府はこの発展の先駆者です。というのも我々は再生可能エネルギーを我々
のエネルギー供給の一つの重要な要素へと拡大しているからです。ですから私はこの議論を G 8 サ
ミットで自信を持って進めることができると思っています。 5
この間地上では70億人が暮らしています。皆エネルギーへのアクセスを求めています。皆豊かさ
への参加を求めています。皆まず水と食料を求めています。ですから、アフリカでの食糧確保をさ
らに拡充するために、アメリカ合衆国が、アフリカのサハラ以南地域の 6 カ国とともに、キャンプ
デイヴィッドでいわゆる新しい連合を計画していることを軽視してはなりません。
尊敬するキューナストさん 6 、私がホスト国アメリカ合衆国の議題について話していることにお
気づきだと思います。あなたにはもしかしたら耐えがたいことかもしれませんが、これは私の課題
です。ですから私はこの課題を遂行します。アメリカ合衆国は、正しいことですが、サハラ以南地
域の食料確保問題に取り組もうとしています。あなたはこの問題に興味を持たれないかもしれませ
ん。しかし我々はこの問題に関心があります。
125 2012年は 3 年目、最後の年のラキラ提案が終了します。この提案で G 8 諸国と多くの協力国が飢
饉克服のため220億ドルを支出しました。21億ドルのドイツの分担金だけで多くの成果が得られま
した。しかし我々は昨年、アフリカの角(ソマリア)での飢饉が我々に改めて示したことですが、
我々の奉仕は決して後退してはなりません。後退することはありません。ですから食糧確保のため
の新しい同盟の意欲的な目標は、10年以内に 5 千万人のアフリカ人を貧困から解放するというもの
なのです。この目標を G 8 はまず民間投資のためのよりよい環境整備によって達成しようとしてい
ます。我々は、いつも別の場所で作付けされる食糧で援助するのではなく、民間の、利益を生む投
資という基盤に立って、自助のための援助を与えることがとても重要なことだと、私は考えます。
ですから私はこの目標を絶対共有します。
零細農民に資金と市場へのアクセスを用意し、よりよい作付けと保管のための技術を供与し、
様々なリスクを回避できるようにすることが重要なのです。ニーベル(開発)大臣の開発政策が
我々の成果について報告するためのいい機会を提供するでしょう。 7 食糧確保のための粘り強い努
力は2012年以降も継続しなければなりません。
国家債務の削減、競争力の強化、成長と雇用の促進、世界の飢饉の克服、気候の保護、これら
は皆、21世紀のグローバル化が何を意味しているかを示すものです。 8 世界のどの国も単独では、
我々の時代の大きな課題に本当に効果的に対処することはできません。外交政策や安全保障政策で
も同じことです。
ですから、G 8 サミットに続いてすぐに NATO 首脳会談がシカゴで開催されるのは首尾一貫して
います。そこでも冷戦時代とは異なった形で、我々の時代の外交・安全保障政策の課題が NATO
だけでなく、世界の国々にも課されていることが明らかになるでしょう。
我々は出発点を決して忘れてはなりません。過去63年間北大西洋条約機構ほど平和と自由を明確
で確実に保証してきた機関はありません。とりわけ我々ドイツ人は、今日ここでもう一度強調しま
すが、NATO と我々の同盟国の連帯に大いに感謝すべきです。鉄のカーテンが崩壊し、90年代に
冷戦が終了したのち、NATO は東欧の新しい構成員と同伴者に門戸を開きました。 9 そしてバルカ
ン半島での戦争を終息させました。
1999年のワシントンでの NATO 首脳会談以来またアメリカ合衆国が NATO 首脳会談のホスト国
となります。10連邦国防相、連邦外務相、そして私が一緒に参加します。シカゴでの我々の会議の
メッセージは、私にとっては、共通の価値と利益の基礎に立った欧州と北米の間の大西洋の絆を強
調することです。まったく新しい脅威にさらされた時代のメッセージとなります。
126
世界は変化しています、それもますます加速しながら。世界は複雑になります。欧州人とアメリ
カ人はこれまで以上に例えばアジアと新興国に視線を向けています。しかし強調したいのは、まさ
にそうであるから我々、欧州人とアメリカ人は、変わることなく互いを必要としているのです。こ
のことは特に、世界にとってさらなるテロの危険が生じないように、アフガニスタンの安定につい
て言えることです。
我々はこれまでの ISAF 活動の総括をし、安定した、安全なアフガニスタンのための追加的な重
要な行程を決議します。この目標を達成する中で繰り返し揺り戻しを経験しなければなりませんで
した。このことは明白なことです。しかし同じように明白なのは、アフガニスタンで既に重要な目
標が達成されたことです。この国は今日アルカイーダの避難地ではもはやありません。タリバーン
は弱体化しました。襲撃の回数はここ数カ月減少しています。アフガニスタンの保安要員の数は過
去数年間国際社会の強化された訓練措置により継続的に増員され、今年には計画されていた35万 2
千人を達成する見込みです。
しかし保安要員の量が増加しただけではありません。彼らの質も明確に向上しました。最近のカ
ブールやその他の都市での襲撃に対するアフガニスタン治安要員の迅速で訓練された対応は、継続
している訓練の努力が一定の成果を上げていることを示しました。アフガニスタンの治安要員は自
ら自国の安全を確保する能力をつけてきているのです。つまり、アフガニスタンの国際部隊の役割
は、作戦の指揮から支援と援助へと着実に変化しているのです。これは、まさに国際社会が、全土
での治安責任のアフガニスタン政府への段階的な移譲によって2014年までに達成しようとしている
ことなのです。
アフガニスタン人が責任を引き受けることができ、またそうしようとする限りで、国際社会の役
割は減少します。今日既にアフガニスタン人の半数が、アフガニスタンの治安要員が責任を負って
いる地域に生活しているのです。良いニュースはですから、我々が2010年リスボンで NATO 首脳
会談で決定した、責任の移譲プロセスは、前進しており、それは我々が企図した通りなのです。11
シカゴでは具体的には、リスボンで決定した2014年までの行程表を強調することになります。連
邦政府は繰り返し唱えられてきた、共同で介入し、共同で撤収するという標語を支持します。これ
にはまたアフガニスタンは2014年以降も国際社会の支援を当てにできることが含まれます。2011年
12月ボンでのアフガニスタン国際会議はこのことを明確に確認しました。12
具体的には、我々は2015年以降 ISAF の終了後も、将来の NATO の任務がこれまでのものとは
根本的に別のものになるとしても、アフガニスタンを実質的に支援し続けます。新しい任務の中核
127 は、軍と警察の訓練、支援および助言となるでしょう。同時に我々はアフガニスタンから行政の在
り方を改善し、選挙手続きを改革し、まず第一に腐敗を撲滅することを期待しています。
アフガニスタンは2014年以降安全保障政策上の展望だけでなく、経済的市民社会的展望を必要と
しています。我々はキャンプ デイヴィッドの G 8 会議でボンでのアフガニスタン国際会議の決定
を引き継ぎ、東京での次回アフガニスタン会議にむけてメッセージを送りたいと思います。という
のも G 8 諸国は目下アフガニスタンへの民生用援助の80% 近くをまかなっているからです。ですか
ら我々はこの問題では大きな責任を負っているわけです。
連邦政府はこの任務にも実質的な貢献を持って参加します。しかし他のパートナー諸国も、アフ
ガニスタン人が財政の責任を段階的に引き受けることができるまで、同様の行動をとることを期待
しています。この問題ではもちろん NATO 諸国だけでなく、国際社会全体が貢献を求められてい
ます。というのも世界全体がこの地域の安定と、アフガニスタンが再びテロリストの撤収地になら
ないことに利害を持っているからです。
この問題に関して私はアフガニスタンのことを語るときに、そこで貢献しているすべてのドイツ
の同胞たちのことを考えないわけにはいきません。私は兵士諸君と民間の援助者の皆さんに感謝い
たします。彼らの貢献は大きな意味を持っています。この貢献は我々皆の敬意に値します。
シカゴでの第二の議題は今日そして明日の安全保障政策上の課題に応えるために必要な、軍事的
能力です。国庫がひっ迫している時にはより緊密な協力によって結合効果と共通性を利用しなけれ
ばなりません。そのため2010年にリスボンで、皆さんもご記憶のことだと思いますが、我々は新し
い戦略概念を決定し、同盟を現今の安全保障環境と21世紀の課題に対応させました。そのためには
我々は相応しい軍事的能力を必要とします。これは今後とも段階的に開発していかなければなりま
せん。
この関連で「Smart Defense 効率的な防衛」という標語が生まれました。つまり正しい優先順位
の設定、個別国家間の防衛計画の調整、重要な軍事的能力の開発、調達および利用です。いくつか
具体例をあげましょう。
第一例として、NATO ミサイル防衛があります。リスボンでは我々は、例えばイランのような
いくつかの国における大量破壊兵器の拡散と長距離ミサイルシステムの存在のような新しい脅威か
ら防衛するために、2010年原則的決定を下しました。シカゴでは、NATO ミサイル防衛のいわゆ
る初期展開能力が達成されたことを確認することができます。今後のシステムの拡張のためにドイ
128
ツは個別の貢献として移動式パトリオット防空システムを提供しました。
2010年リスボンでの首脳会議では同盟はロシアに対しミサイル防衛での協力を提案しました。こ
の協力によって我々はロシアとの質的に新しい段階に入ることを求めました。初めて NATO とロ
シアは真の共同の防衛努力を企てることになります。この議論は部分的になお異論が多いことも確
かです。しかしドイツはこの議論を成功させることに重大な関心を持っています。ミサイル防衛で
の協力をどのように具体化させることができるかについて、異なった意見があります。しかし我々
はロシアとの協力を求めて真剣な努力を続けます。提案はなお有効です。 3 月にドイツから伝達し
た NATO 諸国とロシアとの共同の電算支援によるミサイル防衛訓練は、我々の努力を改めて示し
たところです。13
効率的な防衛という意味での新しい軍事能力の第二の例は、地域監視のための NATO のプロジェ
クト、Alliance Ground Surveillance 地上監視同盟です。ドイツはこのために必要な無人飛行機を
提供します。これが我々の計画です。予算委員会での議論は承知しています。これによって我々は
新しい偵察能力を獲得し、投入された我々の兵士の安全を向上させることができます。
第三の例は、シカゴでは NATO は、いわゆる Air Policing 空域監視、つまりバルカン半島での空
域の監視を恒常化させることを計画しています。連邦軍はバルカン半島でのこの任務をすでに幾度
となく引き受けてきました。これによって我々のバルカン半島の同盟国は、追加的な自前の空軍力
を拡張する代わりに、同盟が必要としている他の軍事能力に資源を投入することができます。
新戦略概念の実行全体では、個別国家の貢献だけではなく、同盟における軍事能力の共同の提供
がますます重要となります。これは実際の行動が必要になったときに、これらの軍事能力が確実に
信頼できる形で利用できるものでなくてはならないという我々の同盟諸国の期待に答えられるもの
でなくてはなりません。
私はドイツ連邦議会でもこの期待を指摘しなければなりません。ですから我々はドイツ連邦議会
で有事に備えてこの問題に取り組まねばなりません。というのも有事に際して共同で提供される
NATO 軍事能力へのドイツの貢献に対する期待と議会参加法の規定とをいかに調和させることが
できるかを、議会で議論を深めなければなりません。この議論を避けて通ることはできません。
リスボンでは我々はさらに、同盟の軍事能力の構成、つまり通常兵器、核兵器そしてミサイル防
衛の構成を根本的に検証することを決定しました。このプロセスはドイツの提案に負うところが大
きく、特に外相の提案によるのですが、こうした形ではこれまでなかったものです。その際安全保
129 障の共同性と軍縮、軍備管理および不拡散の問題が重要な役割を果たします。
NATO はこれまで例えば軍縮の問題をこうした形では議論してこなかったことを想起してもら
いたいと思います。ですからこの問題に関してわれわれは、説得力のあるサミットの結論に至る過
程にあることをここで報告できることは、いいことです。軍縮の問題と非戦略的核兵器でのロシア
に対する相互的な透明化措置の問題に関して実質的な言明がなされています。
これはアフガニスタンと軍事能力と並んでシカゴで議題となる第三の主要議題に関係してきま
す。つまり NATO と NATO 外のパートナー諸国との協力問題です。
ドイツは伝統的に特別にこの協力に注力してきました。14これはまさに NATO の新戦略概念にも
支えられている、我々の近代的で、協力的な安全保障の理解に対応するものです。ですからシカゴ
で合わせて60の国と機関が参加することを大いに歓迎します。その中には我々の視点から見ても当
然同盟のもっとも重要なパートナーである欧州連合が含まれます。というのも連邦政府にとっては
強力な大西洋安全保障共同体と欧州の安全保障政策は一体のものだからです。
我々のパートナーの意義は、個別の作戦行動でも明らかです。たとえばアフガニスタンでは
NATO 同盟諸国と共同し20以上のパートナー諸国が部隊派遣国として ISAF に参加しています。し
かし他の NATO が主導する作戦行動でもパートナー諸国が実質的に参加しています。KFOR の最
近の事例を指摘したいと思います。この作戦では、セルビアの議会選挙と大統領選挙期間中特にコ
ソボ北部の安全を保証するために、再び共同のドイツ・オーストリア予備部隊がコソボに派遣され
ました。15
ここで思いを新たにしなければなりません。 5 月 8 日から 2 日経ちました。67年前の1945年 5 月
8 日に、人類史の中でドイツから欧州と世界にもたらされた恐るべき破局が終結しました。今日
我々はドイツで、また欧州連合の中で平和と自由を享受しています。しかし欧州全域でというわけ
ではありません。というのもウクライナとベラルーシでは人々がなお独裁と抑圧の下で苦しんでい
るからです。決して忘れてならないことは、今日の課題がいかに大きく、政党間の論争がいかに困
難なものであるとしても、欧州連合と大西洋共同体の中で67年間我々がいかなる宝を守ってこなけ
ればならなかったかということです。もちろん平和と自由、民主主義と人権、法治国家主義と人間
の尊厳という宝です。
ですから 2 日前の 5 月 8 日にフランス大統領ニコラ・サルコジと次期大統領フランソア・オラン
ドが共にパリで第二次世界大戦の終結を記念した時の映像を見て私は感動しました。この共同の記
130
念の中で、ちなみに我々の大統領が先週土曜日にオランダを訪問した時の記念もそうですが、欧州
のすべての国と世界の不断の任務が我々皆に明らかにされたのです。16平和と自由のための任務で
す。
キャンプ デイヴィッドの G 8 サミットと、アメリカ大統領バラク・オバマの政治的故郷であり、
開かれている、活気あふれる、まったく異なった文化の集合する町シカゴでの NATO 首脳会談、
この二つのサミットは、世界が経済的にも社会的にもいかに緊密に関係しているかを示すことにな
るでしょう。この二つのサミットは、我々の北大西洋の同盟国と欧州の絆がいかに緊密なものであ
るか、この同盟が世界を包括する協力関係の網で平和、自由、民主主義そして人間の尊厳を今日も
明日も成功裏に支えることを示すでしょう。これらの価値はあらゆる努力と奉仕をする価値があり
ます。
注
1
ドイツ連邦議会でのこの政府声明は、議会と国民に対して主としてユーロ危機と安全保障政策の基本方針を
示したものである。G 8 と NATO 首脳会談の直前に行われたこのメルケル首相の演説は同時に、G 8 と NATO
首脳、実質的には世界に向けてドイツ政府の基本的な考えを提示したものでもある。ユーロ危機に対しては、
長期的な構造改革によって対応するという従来の原則的立場を強調し、短期的に効果があるとされる国家債務、
特にいわゆるユーロ共同債による成長政策を峻拒している。ギリシア総選挙での財政協定支持政党の不振、フ
ランス大統領選挙での財政協定見直しを主張している社会党オランドの勝利にもかかわらずメルケル首相の基
本姿勢に変化は見られない。成長と雇用に対する新たな政策を求める内外の圧力に対し、メルケル首相は、国
家債務の削減と競争力の強化が成長と雇用を持続的に保証する唯一の方策であるという立場を堅持している。
最大野党 SPD は友党社会党オランド勝利に喝采を送ったが、構造改革路線は基本的にメルケルと共有しており
(2003年体制)
、金融取引税の導入(メルケルも条件付きで賛成している)によって成長政策を実施することを
財政協定支持の条件としているにすぎない。その間2012年 5 月13日のノルトライン・ヴェストファーレン州議
会選挙でキリスト教民主同盟 CDU が惨敗した。州政府首相候補として選挙戦を指揮したレトゲン(CDU)が、
CDU の敗北が明らかとなった終盤でメルケルのユーロ政策が選挙の争点であるとしたため、メルケルの不興を
買い、選挙敗北の責任を取らされ連邦環境相を解任された。ここにもメルケルのユーロ政策に対する強い姿勢
が象徴的に示された。2012年 6 月のスペイン危機では、スペインの不良債権処理に苦しむ銀行に対し、欧州安
定化基金 EFSF と 7 月に発足する予定であった欧州安定メカニズム ESM からの直接の融資(財政主権を損なう
ことを恐れたスペイン政府が要請)に条件をつけ、スペイン政府に債務返済の責任を負わせた。メルケルは中
長期的な欧州連合の財政同盟の深化と、政治同盟の促進の必要性を強調する一方で、短期での新規の財政負担
は拒絶している。ここで再度確認しなければならないことだが、メルケルのユーロ政策は、ドイツ国内の構造
改革政策を欧州規模に拡大するものである。2003年に始まるこの構造改革政策(労働市場改革と金融規制緩和
を二本柱とした)は、当時の中道左派政権(社会民主党 SPD、緑の党)が開始したものであるが、2005年に成
立した大連立政権(同盟 UNION(CDU/CSU)
、
SPD)が2008年以降リーマンショックを克服する前提になり(金
融規制緩和路線は撤回された)、2009年以降の中道右派政権(UNION, 自由民主党 FDP)が継続しているもので
ある。メルケルにとってこの構造改革がドイツ経済の好調維持の原因であることは、単にモネタリズムの理論
ではなく、経験的事実となっている。財政出動ではなく(日本がしばしば失敗例として引き合いに出される)、
健全な財政と高い生産性に基礎を置く社会的市場経済が安定した国民生活のための唯一の政策であるというメ
ルケルの主張を、依然多数の国民が支持しているという背景がある(CDU への支持は低迷しているが、メルケ
131 ル個人への支持は相変わらず高止まりしている。2012年 5 月17日に発表された ZDF の世論調査によれば、
Union への支持率が35% であるのに対し、メルケルを評価する国民は70% に上っている。)。
その際、メルケル政権は、この国家モデルが戦争遂行や減税のための小さい政府を目指すものではないことに
も慎重に配慮している。リビア空爆で NATO 同盟国に同調せず、安全保障理事会で軍事介入の決議で棄権した
ことにこの姿勢は象徴的に示された。シリア危機でも、軍事介入には反対の姿勢を鮮明にした。周知のように
ドイツはフランスとともにイラク戦争反対の姿勢を示して以来、自律的な安全保障政策を確立している。大連
立政権では、選挙で不利であった(SPD は増税に反対した)財政健全化のための付加価値税増税公約を断行し、
中道右派政権になってからも、減税を主張する FDP を押さえて財政健全化を優先している。これらの論点はア
ングロサクソンの英語圏(黒人大統領のアメリカでは2011年からヒスパニックを含むマイノリティーが出生数
の過半を占めるようになった)やその影響圏にある日本では評価されていない(むしろ軍事同盟のリスクや社
会民主主義的政策として批判の的となっている)
。安全保障政策では、メルケル政権は軍事同盟の効率化に注力
している。リスボン(2010年)での NATO 新戦略概念は、軍事能力の共同開発、共同配備、共同使用を目指し
ており、日本でも、周知なようにその影響は明らかである。ドイツでは2011年から徴兵制が中止されるという
軍制でも大きな改革が断行された。ここでも軍の効率化がその理念であることは明らかである。
2
SPD、緑の党、左翼党( 5 月17日の時点での支持率はそれぞれ、30%、13%、 5 %(ZDF))
。ちなみに、連立
与党の FDP の支持率は 4 % であり、選挙があれば議会排除条項= 5 % 条項に抵触する可能性がある。
3
アイルランド、ギリシア、ポルトガル、スペイン、キプロス(イタリアも取りざたされている)。スペインは、
救済と引き換えに金融部門のみトロイカ(EU, EZB, IWF)による統制を受け入れると主張した。イタリアは、
2012年 6 月の時点では EU 救済基金に申請していない。
4
ドイツ政府は福島での原発事故を受け、長期間稼働している原発の即時廃止と2022年までに原発を全廃する
というエネルギー転換政策を宣言した。中道右派政権の発足以来既設原発の稼働期間延長を模索していたが、
180度の方針転換である。原発全廃の方針は中道左派政権時代に決定されたものである。
5
ドイツでのエネルギー転換でネックとなっているのは、送電網の拡張と蓄電設備の不足である。北部風力発
電地域から南部ハイテク地域への送電網の拡充が、連邦制に特有な連邦と州の規制権限の複雑な手続きがある
こともあり、
大幅に遅れている。住民に対する説明と補償、法的整備と直流化が求められている。再生エネルギー
の安定的供給に欠かせない蓄電設備でもコストを下げる新技術の開発が泥縄式に行われている。しかしドイツ
ではこのエネルギー転換が最重要課題であることに変わりはない。
6
緑の党議員団長
7
2012年 6 月ニーベル開発相が、アフガニスタン視察に際し私物を密輸入した疑惑が持ち上がり注目を集めた。
10数万円相当のじゅうたんを公的贈答品と偽り、連邦情報庁(BND)長官の公用機で持ち帰り、脱税したとい
う事件である。減税を旗幟に掲げ、社会保障を削減することを主張する FDP の議員に対し、野党はこの機会を
とらえ激しく攻撃した。
8
この課題の順序は、メルケル政権の優先順序を表わしている。
9
メルケル首相は、このポスト冷戦秩序の最大の享受者の一人である。ドイツ統一後コール首相(CDU)に後
援された東独出身のメルケル(東独では物理学博士として大学で研究に従事)は環境相に就任し、CDU の裏金
疑惑の騒動で揺れる党幹部をしり目に、頭角を現し党首となり(CDU のジャンヌダルク)
、CDU の実権を握った。
その間ライバルである西ドイツ政界はえぬきの CDU 右派の議員団長メルク、ヘッセン州知事コッホや CDU 左
派のノルトライン・ヴェストファーレン州知事リュトガースは政界から去った(党首(当時)のショイブレは
現在、財務相としてメルケルを支えている)
。メルケルの後継者とされていた環境相レトゲンも、州議会選挙敗
北の責任を問われ、当人と世論の予想に反しメルケルに罷免された。イラク戦争に際しては、メルケルは野党
党首・議員団長として戦争に反対する中道左派政権を批判し、欧州の保守党政権(フランスのシラク政権を除く)
や民主化された東欧諸国、イギリスのブレアー労働党政権とともにブッシュ政権を支持した(イラク戦争に反
対したオバマ大統領とは依然として距離感がある)。2012年 5 月から連邦大統領に就任した自由主義を旗幟とす
るガウク(独立系。東独ではプロテスタントの反体制牧師として活躍)も東独出身である。ちなみに、ヴルフ
前大統領(CDU)が辞職に追い込まれた理由は、自宅購入に際する収賄疑惑であった。ヴルフ前大統領はイス
132
ラム教トルコ人の統合に積極的で(「イスラムはドイツに属する」)、一部保守勢力から批判されていた。ヴルフ
はニーダーザクセン州首相時代には、戦後ドイツ初めてトルコ系ドイツ人を社会相に登用している。メルケル
自身プロテスタント牧師を父親に持つが、文化政策ではリベラルな立場をとっており、前回の大統領選挙では
対立候補のガウクを退け、ニーダーザクセン州知事であったヴルフの大統領就任を強力に進めた経緯がある。
10
この NATO 首脳会談では、国連の委任を受けることなく、人道的介入を目的としてユーゴ(コソボ)空爆を
決定した。ドイツ政府(当時は中道左派政権)も偵察機を派遣して参加した。
11
自爆テロ、潜入攻撃、待ち伏せ攻撃といった形をとる、首都カブール中枢部への襲撃、ISAF 要員への襲撃は
頻発しており、ISAF 撤収計画は成功しているとは言い難い状況にある。撤収に伴い ISAF 要員が襲撃される恐
れはむしろ高まっている。
12
アメリカ軍によるパキスタン軍国境検問所襲撃事件により、アメリカ・パキスタン間の緊張は高まり、パキ
スタンはこの会議に欠席した。
13
ロシアはこの NATO ミサイル防衛構想を反ロシア的挑発行為ととらえており、合意形成は全く見込みがない
状況である。しかしドイツはエネルギー問題でロシアと共通の利害を持ち(天然ガス供給国ロシア、天然ガス
消費国ドイツは、バルト海パイプラインで直接つながっている)
、中道左派政権以降一貫して親密な関係にある。
ドイツはこの立場を利用して、米ロの仲介者としての資格を持っている。
14
例えばドイツはイスラエルと兵器提供で協力してきているが、イスラエルがドイツの潜水艦を購入して核兵
器を装備したことが報道され、政府も対応を迫られた。サウジアラビアへの戦車の輸出についても民主化運動
を鎮圧する目的でつかわれる可能性があるという批判がある。
15
ユーゴ紛争でスロベニアとクロアチアをいち早く国家として承認して、EU と国際社会でバルカン再編を主導
したドイツは、コソボも国家として承認した。しかしセルビアはコソボの独立に抵抗している。ドイツは EU と
ともに EU 加盟を求めるセルビアにコソボ承認の圧力を加え続けている。コソボ北部のセルビア人地区では、コ
ソボ政府による国境管理を認めないセルビア人と KFOR との緊張が続いている。
16
フランス大統領選挙期間中メルケルは公然と友党サルコジを支持し、オランドの会見申し込みを拒絶した。
これはメルケルがオランドを財政協定のリスクとみなしたからである。財政協定を先導するドイツ・メルケル、
財政協定を拒絶したイギリス・キャメロン、財政協定の修正を求めるフランス・オランドの欧州列強三者は、
新しい欧州秩序をめぐって主導権争いを繰り広げることになる。メルケルは欧州での今後の議論を内政化と表
現している。
133 【研究ノート】
台湾の高齢者福祉に関するインタビュー記録
城 本 る み
1 .はじめに
2 .行政院労工委員会
3 .行政院衛生署
4 .医療ケアスタッフ育成の立場から
5 .おわりに
1 .はじめに
現在の台湾の高齢者福祉政策は老人福祉法を基礎として設計されている。基本的には在宅ケアを
中心に据え、コミュニティケアと施設ケアを副次的に両輪で支えるものとし、家庭内の介護者を支
援しつつ高齢者の生活の質を維持することが目指されている。台湾では1995年に〈全民健康保
険〉1 が導入され、国民すべてが健康保険に加入する皆保険制度 2 へ踏み出したことで社会保障制度
が大きく変化した。国民年金に関しては様々な議論が行われ、提案から15年の年月をかけてようや
く2008年10月から〈国民年金制度〉が開始された。2009年 1 月には〈労工保険年金制度〉が開始さ
れ、労働者が定年退職時に一時金として退職金を一括受給するだけでなく、年金を毎月受給する、
またその受給開始年齢を遅らせてより多く受給する等の選択肢が増えた。2007年には日本のゴール
ドプランに似た〈長期照護10年計画〉3 が開始され、2009年に介護保険制度を立法、2011年からの
実施が目指されていたが、介護保険制度は現在もまだ立法機関で審議中であり、これまでの審議過
程をみると今後さらに導入が遅れる可能性も少なくない 4。
1
本稿では初出の中国語原文を使用する場合は〈 〉で括って日本語と区別し、
( )内に日本語訳を付すが、
それ以降は〈 〉を省略する。
2
3
居留証をもつ外国人もすべて対象とされている。
「長期介護10年計画」と訳され、一般に「10年計画」と略称されている。この計画は介護保険制度導入の基盤
整備を目的とするものという解釈が一般的である。城本(2010 a)
「台湾における高齢者福祉政策と施設介護」
(弘
前大学人文学部『人文社会論叢』社会科学篇 第23号)でもとりあげているので参照してもらいたい。
4
介護保険導入はもともと国民党政権の提案によるものであったため、2012年 1 月に国民党馬英九政権が再任さ
れたことにより、数年以内に導入されるのではないかともいわれている。ただ財源問題や受給者範囲、負担割
合等の課題が山積しており、しばらく審議が難航しそうである。
135 施設入所を回避し在宅を中心とする高齢者ケアのあり方は子世代との同居を前提としたものであ
るが、政治的影響を受けながらも老後の経済的保障が少しずつ整備されていく一方で家族による介
護機能は減少し、子世代との同居が困難な世帯も増加している。台湾は1992年から外国人介護労働
者の導入に踏み切っており、導入から今年ですでに20年が経過している。少子化の急激な進行とと
もに家族による同居や介護がさらに難しくなることが予想されるなか、介護職の社会的地位や収入
は向上せず、台湾人介護職者の人手不足は解消できていない。経済格差を背景として渡台してくる
外国人単純労働者に占める福祉分野の従事者数は増加しており、台湾はすでに外国人介護労働者な
しでは高齢者福祉を支えられない状況にある 5。
本稿は2012年 3 月に調査研究期間が終了した科学研究費補助金による海外調査 6 において、台湾
の行政担当者及び医療スタッフ育成者に対して外国人介護労働者の雇用と「10年計画」に関する意
見を聴き、それを整理したものである。本稿で扱う訪問調査時は台湾で国民年金制度が開始された
直後で、日本に倣った介護保険導入の議論が本格化している時期であった。紙幅の制約があるため
高齢者福祉施設および内政部社会司 7 の訪問記録は別稿に譲り8、本稿では労工委員会職業訓練局専
門委員、護理学院長期照護研究所長との面談および衛生署担当者らとの座談会記録を整理した 9。す
でに別稿で一部引用している部分もあるが、これまで高齢者行政に携わる部局担当者の聴き取りな
どを扱った論稿は未見であるため、今回資料として掲載することにした。
基本的に本稿はインタビューや座談会において、先方の承諾を得て IC レコーダに記録した内容
を筆者が日本語に訳出し書きおこしたものである。録音した内容を活字化した後、原稿として読み
やすくするために、筆者の記録メモを加え若干の修正加工を施している10。記録は時系列ではなく
内容を優先し、労工委員会記録を 2 節、衛生署の記録を 3 節とし、医療スタッフの育成にあたって
いる医師の話を 4 節にまとめた。調査期間全般を通して台湾の関係者には大変丁寧かつ熱心に応対
5
外国人介護労働者に関しては城本(2010b)「台湾における外国人介護労働者の雇用」
(弘前大学人文学部『人
文社会論叢』社会科学篇 第24号)を参照してもらいたい。
6
2008∼2011年度科学研究費補助金基盤研究(C)課題番号20530449「台湾の高齢者福祉に関する研究」
(研究
代表:城本るみ)
7
内政部は台湾の内政全般を扱う行政院の最高行政機関である。〈社会司〉は社会福祉や労働問題などを扱い、
その下部にさまざまな〈科〉がおかれ、老人問題は〈老人福利科〉などで扱われる。
8
高齢者施設および行政担当者インタビューの一部は、城本(2010 a)・城本(2010b)において引用掲載してい
るが、今回の科研費調査によるインタビュー調査全容は城本(2012)
「台湾の高齢者福祉に関する研究」
(平成20
−23年度科学研究費補助金 基盤研究(C)研究成果報告書第 5 章にまとめている。
9
本稿でとりあげた2008年調査は立法委員 G 氏事務所を通して関係部署に依頼状を作成して頂いた公式ルート
での訪問であった。日程はまず内政部社会司を訪ね、次に衛生署、労工委員会の順に担当者との面談を設定し
てもらい、その合間に各種高齢者施設の訪問をはさむ形となった。訪問設定にあたっては清華大学 Z 講師、ま
た G 事務所への仲介の労をとって下さった W 弁護士、書類を作成して下さった G 氏事務所の皆様に大変お世話
になった。記して深謝申し上げる。
10
こうした記録は時間の経過とともに資料的価値が減少していくため、今回は活字化した全体を掲載し、前後
の流れがわかるような形とした。なお本稿の内容は調査時の2008年11月時点のものであることをおことわりし
ておく。
136
して頂き、筆者の研究の方向性に大きな示唆と刺激を与えて頂いた。心より感謝申し上げる。
2 .行政院労工委員会
本節は外国人労働者問題を扱う労工委員会職業訓練局外労作業組11 専門委員へのインタビューを
整理した。〈外労作業組〉は外国人労働者問題に関する専従部署である。先方の応対者は 2 名で、
外国人労働者問題に関する概況説明を受けた後、質疑応答という形で意見交換を行い、関連資料の
提供を受けた。
(2008年11月某日) 場 所:台北市103大同区延平北路 2 段83号 2 F
応対者:外労作業組専門委員 Z 氏 12 および秘書
【Z委員インタビュー】
外国人労働者について、まず大まかな説明をする。
我々が〈外労〉13 と呼んでいるものには 2 種類ある。①〈社服外労〉
(福祉サービス従事労働者)14、
②〈産業外労〉である。①の社服外労はさらに「家政婦」と「家庭介護労働者」の 2 つに分けられ
ている。①以外の外国人労働者はすべて②に分類され15、これには工事現場で働く者から漁業従事
者、娯楽方面までさまざまなものが含まれる。これらの人々はブルーカラー層であり、専門職につ
いているホワイトカラー層の外国人とは区別されているが、法律上台湾で就労している外国人はす
べて〈外労〉と括って呼称している。
外国人介護労働者に関心があるとのことなので補足しておくと、福祉サービスに従事する外国人
労働者はすべてブルーカラー層に区分される。先ほど述べたように社服外労という括りのなかに
「家政婦」と「介護者」という分類をするのではなく、本来は〈看護工〉(福祉ヘルパー)という前
段階の括りがあり、それを①〈家庭看護工〉
(家庭介護労働者)
、②〈機構看護工〉
(施設介護労働
者)に分類 16 すべきであると考えている。
こうした人々に関する法律でいちばん重要なのは《就業服務法》である。台湾でいちばん効力が
強いのは憲法であり、その下にそれぞれの法律が位置している。この就業服務法は法律に分類さ
11
労働行政全般を扱うのが労工委員会であり、行政院組織の一部である。その下部に職業訓練局がおかれ、今
回は外国人ヘルパー問題について話を伺いたいというこちらからのオファーに対し、
〈外労作業組〉
(外国人労働
者問題専従班)の専門委員を紹介された。
12
本稿は後日 WEB 公開が予定されているため、先方への影響に配慮し、インタビュー当時の肩書は記載するが、
名前はイニシャル表記、訪問日は月までにとどめさせていただく。
13
〈外労〉とは〈外籍労工〉
(外国人労働者)を短縮した表現である。
14
〈社服外労〉とは家事や介護などのサービスを担う人材のことで、そのほとんどが女性で占められている。
15
〈非社服外労〉と呼ばれる。
16
〈家庭看護工〉は個人の家庭で雇用される介護ヘルパー、
〈機構看護工〉は高齢者施設で雇用される介護ヘルパー
のことである。
137 れ、その次が《法規命令》
、そしてその下の具体的な取り扱いが《辦法》となる。のちほど資料を
お渡しするが、関係法令は労工委員会 HP でも検索可能である。
2008年 8 月のブルーカラー層の外国人労働者受け入れ数は37万3,336人、うち産業外労は20万5,657
人、社服外労は16万7,679人、うち家庭看護工は15万6,873人である。外国人介護労働者は台湾人な
ら誰でも雇用できるわけではなく、申請資格を満たす人でないと申請そのものができない。この部
分は法規による規定が定められている。この法規名は長いが、内容を簡単に言うと「ブルーカラー
層外国人雇用申告基準」である。この基準に合致するものだけが雇用申請できることになってい
る。申請にあたってはまず指定病院からの医療証明が必要である。たとえば24時間介護が必要であ
る、または特定の食事をとらなければならないというような理由がある場合は、この申請が認めら
れる。つまり正当な理由があり、家庭介護労働者が必要だと認められる必要があるということであ
る。これは各家庭が直接申請するもので、ケアマネージャーなどを介す必要はない。
施設介護労働者の場合は手続きが異なる。施設が雇用するということは一般的には産業外労に含
まれることになる。この場合、国内の労働市場や労働者の働く権利を圧迫しないことが前提である
ため、国内の介護職者公募手続きを経ることが求められる。施設の場合、仲介業者が外国人介護労
働者を紹介し手続きを行う。
また台湾人の雇用を侵すことがないよう、外国人労働者の滞在には一定の期間制限がある。外国
人なのできちんとした契約に基づき手続きをした場合にのみ合法的な滞在が許されることになる。
一般に家庭介護労働者の場合、契約年数は 2 年である。 2 年の契約満期後、契約を継続する必要が
認められ、さらに仕事上の評価が高い場合は 1 年の延長が可能となる。 3 年の満期がくると契約満
了時には必ず出国しなければならない。現行の規定では出国後 1 日以上経過すれば、再入国は認め
られる。しかしそれぞれ別の場所で同じような仕事内容で働いた場合、就業年限は最長でも 9 年し
か滞在が認められない。
この 9 年と 3 年の就業年限というのはしっかり区別しておかねばならない。たとえば雇用主に気
にいられ、 3 年( 2 年+ 1 年)形式の契約を 3 回延長して 9 年ということもあるし、 3 年+ 2 年+
2 年で 7 年の場合もある。この場合は 9 年になっていないが、同じ内容の仕事を 3 回やっているの
で、この場合あと 2 年をさらに追加することはできない。
ある家庭が外国人介護労働者を雇用したいと申請し、合法的に仕事としてやってくる外国人は許
可を得て合法的に働くので〈工作居留証〉(ワーキングビザ)をもらうことができる。出入国の管
轄は内政部の〈入出国及移民署〉の管轄となるので、内政部の法規に従うことになる。自分の記憶
に間違いがなければ、基本的には工作居留許可を得た後、なんらかの証明をもらっていたと思う。
帰化に関しては《移民法》と《国籍法》が関わっており、外国人は一定年限台湾に滞在し、何らか
の申請資格を得る必要があったと記憶している。介護労働者などのブルーカラー層労働者は、ワー
キングビザであっても帰化できる仕事の種類に含まれていない。したがって彼らがその仕事で移民
となるのはほぼ不可能である。
138
しかし彼らも健康保険には必ず入らなければならない。現在台湾にいる外国人はすべて対象と
なっている。健保加入には観察期間が設けられており、すぐには発行されない。期間は入国後 4 カ
月である。たとえば入国後すぐに病気になるなどの場合もあり、その場合の保険負担問題もあるの
で、すぐには発行されないが、いったん発行されると彼らが受ける待遇は台湾人と全く同じであ
る。
管理上の問題点を挙げると、連絡がとれなくなることがいちばんの課題である。これは一般に言
う逃亡問題である。奴隷制社会ではないので人権を尊重しなければならないから、この「逃亡」と
いう言葉は相応しくないと思っている。法規上もさまざまな報告でも「逃亡」という言葉は使われ
ていない。したがって我々は〈失去連系〉
(連絡が取れなくなる状態=失連)と呼んでいる。08年
8 月時点で現在まで連絡がとれない(=失踪)外国人は 2 万3,792人である。台湾は民主国家であ
り、入国した外国人の行動の自由を奪うことはできない。この数については仕方ないものと思って
いる。
外国人労働者の第一義的な入国目的は経済条件の改善である。そのため雇用評価が低く契約期間
が延長されないことを理由にそのまま不法滞在になってしまうケースが少なくない。介護労働者の
場合、雇用主が契約を更新することによってはじめて滞在が可能になるからこの問題はどうしても
生じる。あるいはもっと滞在したいが 9 年という就業年限を迎えてしまったという場合も合法的に
滞在はできなくなるので、不法滞在者として働き続けるケースがある。雇用主が部屋に閉じ込めて
おくということは不可能なので、休憩中や休暇中に外出したまま本人が戻ってこないというケース
もある。失踪の背景はさまざまである。
また台湾の場合、外国籍女性配偶者問題も特殊性をもっている。彼女たちには固有のネットワー
クがあるようだが、我々がそれに対して何らかの対処をとるのは難しい。我々は頻繁に外国人労働
者の人権問題について啓蒙活動を行い、雇用される側の人権問題に配慮するように雇用主に対する
教育も行っている。我々が最もおそれているのは雇用主による外国人労働者への虐待で、それに対
する外国人たちの反発デモが起こることである。こうなると外交問題に発展するので、そうならな
いように気をつけている。したがって行方不明になっていた外国人労働者が見つかった場合は、ま
ず彼らの雇用待遇を明らかにすることから始める。もしも雇用主側に問題があったのであれば、も
ちろん逃亡した本人も非合法なので罰せられるが、雇用主側の責任も問うようにしている。就業服
務法には関連する内容が書かれている。
外国人介護労働者に関しては労工委員会(労委会)、内政部、衛生署の 3 つの部門が関わってい
る。彼女たちの法的な問題については労工委員会が主導的に管理することになっている。衛生署は
彼女たちの健康検査管理を担当している。ブルーカラー層の外国人労働者は法律によって入国後 3
日以内に所定の健康診断が義務付けられており、その後 6 か月、18か月、30か月という一定期間で
健康診断を受けなければならない。これらはすべて衛生署の管理下で行われる。衛生署管轄の健康
診断は外国人労働者には義務付けられたものであるから、基本的に受けないという選択肢はない。
139 以前は 6 か月ごとの検査が義務付けられていたので、現在はこれでもだいぶ緩やかになったのであ
る。もともとはあってはならないことだが彼女たちが妊娠していないかなどを検査する目的もあっ
たと思う。自分は法律を専攻した人間なので、とくに外国人労働者の人権問題は重視している。新
たに政策や法規を作らなければならない場合は、人権という視点から出発できるように気を配って
いるつもりである。
政府は外国人労働者をいれたことによって、台湾人の就労に影響が出ていることを重視してい
る。とくに「10年計画」などの長期介護分野で外国人介護労働者の受け入れ枠を拡大することにつ
いては、かなり慎重に考えている。台湾人の仕事の権利とのバランスを考えているのだと思われ
る。我々労工委員会は基本的に外国人労働者の人権をいかに守るかという立場で考えている。政策
や法規の制定もこの方向で考えている。
外国人労働者の側から人権問題について抗議がないかというと、それはある。彼らの人権問題に
ついては NPO や NGO がいろいろな立場で活動している。我々の仕事は出入国前後の法的な手続き
や滞在中の法的な管理であるから、どうしても時間的にできる仕事が限られる部分がある17。外国
人労働者の権利に関しては台湾語・各国語の両方で書かれたハンドブックを作成しているので、そ
れを参考にしてもらいたい。
彼らは台湾に来る前に多少の言語的訓練は受ける。台湾を出稼ぎ先として選べば〈国語〉18 を勉
強する。台湾にも仲介業の会社があるので、言語訓練はそこでも受けることになる。雇用主が被雇
用者に対して望むのは、まず基礎的な会話力である。語学力があればあるほど給与には反映されや
すくなる。とくに介護労働者については、専門性も必要とされるので台湾に来る前に母国で研修を
受けてもらうことを義務付けている。台湾人介護労働者が受けているような訓練と同じような内容
のものを受けてもらわなければならない。外国人だからなおさらきちんとした基礎訓練を受けても
らわねば困るからである。来台後の外国人労働者のなかには、滞在が長くなって本当に言葉がうま
くなるものもいる。台湾語 19 がうまくなる人も少なくない。外国人花嫁の場合はとくに言語能力の
向上がはやい。一言も喋ることができない介護労働者は雇用者側もほしくはないので、一般的に入
国時に簡単な会話程度はできる形で来ることが多く、面接時に中国語を一言も話せない介護労働者
を雇用する可能性はほぼないと言ってよい。
非合法滞在者の雇用においては、言葉ができなくても仕事さえしてくれるならかまわないという
雇用主もいるだろう。しかし人権上の問題を考えても雇用される側に言葉の問題があると被害を受
ける可能性が高くなることは間違いない。日本でも今後外国人労働者を受け入れる場合、言葉の問
題は重要なポイントとなるだろう。人権問題については頻繁に雇用主への啓発活動をしていかなけ
ればならないと考えている。
17
ニュアンスとしては、その手つかずの部分を非営利部門が埋めているのだ、という感じの話であった。
18
台湾で使用されている標準語のこと。
19
〈国語〉ではない現地方言のこと。
140
【質疑応答】20
Q)人権について考えるなら、台湾人との収入格差問題をクリアしなければ根本的な平等の精神に
反するのではないか?
A)(Z委員)⇒外国人労働者は台湾と母国との収入格差があるからこそ出稼ぎにきている。台湾
で 1 年働くことが、母国で 8 ∼10年働くのと同じ収入が得られるからこその出稼ぎであるし、それ
が出稼ぎの強い動機となる。台湾の人権に関する保障制度は比較的整っているほうだと思う。また
台湾人の特性として外から来た人間に対して友好的にもてなすという性質も挙げられるだろう。
1 人の外国人介護労働者が 1 か月に稼ぐ給料は 1 万7,280元である。台湾の短大卒以上の学歴保
有者が新入社員として得る給与の平均は自分の記憶に間違いがなければ 2 万3,000∼ 2 万5,000元で
ある。台湾人介護労働者を雇って(排泄処理を含む)すべてのケアを負担してもらうとなると、そ
の経済的負担はとても大きい。たとえば身内が病気になって入院し臨時に介護人を雇う場合、同じ
内容だと 1 日に最低でも2,000元はかかる(これは 1 日交代や時間交代の場合もある)
。したがって
一般の台湾人が身内に介護が必要になったとしても、台湾人介護者は高くて雇えない。だから安い
外国人を雇うことになるのである。経済格差があるからこそ成り立っている部分が大きいので、す
ぐにこの格差の解消という方向に進むのは難しい。
Q)介護資格を持っている人は出身国で働くより給与は台湾のほうが高いが、台湾人と差をつけら
れているから母国で専門職として働いたほうが仕事上の満足度は高いのではないか?
A)
(Z委員)⇒「満足度」というものについては、それを測定する基準ときちんとした調査に基
づく数字であらわされるものがなければ一概には感覚的に言えるものではないと思う。我々外国人
労働者を扱う部署が発行している調査報告書(外労運用報告)では毎年こういった内容に関するア
ンケート調査結果を載せている。自分の記憶では雇用主に対するアンケート調査はあるが、外国人
労働者自身に対する満足度に関する資料はなかったように思う21。
外国人介護労働者が自分の給与に満足しているかどうかについては、我々の立場からは言いにく
いものがある。しかし彼女たちの労働対価として当然得られるべき金額に対して、雇用主が勝手に
さまざまな名目で削ったあげく本人に渡さないというようなことがないよう、我々が監視する役目
をもっている。
外国人労働者のなかでもとくに家庭介護労働者がもらう給与の低さについては、家庭で彼女たち
20
質問部分をQ)、それに対する応答をA)とあらわしている。⇒のマークを付けている部分が Z 氏の意見であ
るが、途中 Z 氏からの質問に対し、こちらが応答している部分も含まれている。以下の節も同様に台湾側から
のコメントについては⇒で区別して明示している。
21
職業訓練局は1993年から外国人労働者を雇用している事業主に対するアンケート調査を実施し、1994年、
1996年には外国人家事・介護労働者を雇用している家庭の雇用主も対象に加えている。1998年からは労働者自
身も調査対象に加えているが、満足度に関する項目は見当たらなかった。2008年度のアンケート調査結果につ
いては城本(2010b)pp.39-50を参照してもらいたい。
141 を雇わなければならない需要に対する供給が少ない現状では、当然起こりうる現象である。言葉を
換えれば彼女たちの給与が安くてすむからこその需要だといえるかもしれない。もし彼女たちの給
与が台湾人と全く同じであれば、このような競争市場のなかで彼女たちを求める人がいるかという
とそれは難しい。介護労働者を雇う金額が同じであれば、台湾人は外国人を選ばないだろう。
そして台湾人自身も介護職という仕事を好まないという絶対的な背景がある。10数年前まで台湾
の労働者はもっと勤勉で、残業によって少しでも収入を上げることを望む状況があった。しかしい
まの台湾人はその頃とは違う。楽を求める傾向も強く、勤勉とはいえなくなった。時間に拘束され
ることすら嫌う傾向が強い。ほんの少し何かを言われただけで辞めてしまうという傾向も強くなっ
ている。訓練を受けた台湾人介護者はきちんとした施設で働くことを希望し、個人の家庭にはあま
り行きたがらない。このギャップも結果的に在宅介護に外国人が多く雇用される一因でもある。こ
うした人材の欠如した部分を台湾人に代わって外国人労働者に埋めてもらっている、ということな
のである。
少子高齢化の進行と今後の外国人労働者の受入れ傾向については、内政部が出している「人口政
策白書」を参考にしてもらいたい。これは内政部の HP からも見ることができると思う。政府はこ
うした高齢化に必要な人材を現在は外国人介護労働者にやってもらっているが、できるだけ台湾人
にやってもらうことを願い、人材育成に力を入れようとしている。それには 2 つの側面がある。ひ
とつは①この不景気時代に台湾人に就業機会を与えるという目的、もう 1 つは②ケアを受ける側の
立場に立って、できるだけ行き届いたケアを受けてもらう、という考え方から出発している。介護
労働者の育成は世界的に高齢化が進み、各国政府が直面している問題だと思う。
客観的に外国人労働者問題を考えると、このような見方もできると思う。すなわち台湾人は外国
人労働者に感謝すべきなのである。彼らは台湾人がやりたがらない 3 Kの仕事をやってくれている。
家庭でも工場でも、いたるところで彼らは台湾の人材の需給バランスが取れていない部分を埋めて
くれているのである。高齢の双親を抱えると、その子供夫婦はどちらかが仕事を辞めて介護に専念
しなければならない。このような問題を抱えた家庭に外国人介護労働者がはいることで解決の方向
に向かう。介護のすきま部分を彼女たち外国人労働者が埋めてくれているのである。
ケアを受ける側の立場から考えた場合もそうである。台湾ではまだ施設ケアの概念がそれほど普
及しているわけではない。西洋の国々のように年をとったら施設にはいることをあたりまえ、自然
なことだと考える価値観はまだ台湾では根付いているとはいえない。もし 1 人の寝たきりの高齢者
を施設に送ることになったとしたら、もちろん施設で身体的な管理はしてもらえるが、やはり周囲
は「親不孝」だと見るだろう。そのためやはりヘルパーを個人的に雇う在宅介護という選択肢が選
ばれることになるのである。自分はドイツの失敗に関する論文 22 をずいぶん目にした。後進国から
来た外国人労働者に対する先進国雇用側の差別的な対応というのは、どこの国でも発生しているよ
22
トルコから大量の外国人労働者を受け入れて問題が山積し、いまだにそれらの問題を解決できていないとい
う内容。
142
うである。しかし外国人労働者に関しては、やはりその当時国の人口政策への対応や外国人の雇用
政策が鍵になると考えている。
先ほどの問題に戻るが、やはり無制限に外国人労働者を受容れると結果的にどうなるだろう。最
長でも 9 年という制限があり、長くいても国籍が取得できるわけではない、という前提があり、双
方(送り出し国と受入れ国)の法律がそれを許さない状況がある。どんなに頑張って働いてもその
社会の一員となることはかなわないというのは人道上どうだろう。外国人労働者の存在意義は、こ
うした制限とともに出現するのではないだろうか。
Q)台湾は今後、外国人労働者の受入れについて条件を厳格化するような方向に進むのか、それと
ももっと緩やかな方針に転換していくのか。その見通しは?
A)
(Z委員)⇒いまの状況から考えると、これから先いま以上に制限が厳しくなるというのは考
えにくいと思う。介護労働者に関して言えば、統計資料を見ればすぐにわかることだが、ずっと右
肩上がりにその数が増えている。先ほど人道的な観点を前提に話をしたが、もちろん自分たちもな
かには不法滞在者が含まれており、違法行為もあることは承知している。就業服務法の規定によら
ない雇用(たとえば雇用資格がない者が他人の資格を利用して、そもそも外国人を雇う必要がない
のに外国人労働者を雇用したりすること)が発覚した場合、その雇用主は15∼75万元の重い罰金が
科せられる。あるいはもともと許可されていない種類の仕事に外国人を就業させるのも違法行為と
みなされる。たとえば家庭介護労働者として雇ったのに、介護ではなく家政婦として家事労働をや
らせることなどは典型的な違法行為である。
Q)外国人労働者が契約する場合、そもそも仕事内容についてはどれくらい理解できているのか。
介護労働者か家政婦なのかということの理解を本人たちはできているのだろうか?
A)
(Z委員)⇒その点は、まず契約段階でシャットアウトしなければならない問題である。こう
した問題は宣伝、啓発活動を強化しなければならない。雇用主自身がまず何が違法行為となるのか
を理解してなければならない。とくにこのような問題については労働の提供者側の理解が大事にな
る。入国する際に、我々は各国語でつくったハンドブックを外国人労働者に渡している。労働者自
身にも自分の権利意識をもってもらうためである。またこれにはもし何か問題があったら、どこに
訴えればよいかなどの情報をもりこんである。我々はこのようにして労働者自身の権利意識教育を
やっている。一般労働者との違いなどを教えることも大事である。抑圧され搾取されている外国人
労働者がいたらそれを訴えるように、そしてそのような状況に陥る前にどうすべきかを知らせてい
る。
このような外国人労働者に対する教育を行い、労働者自身が知識をもつことがもっとも重要だと
考えている。こうした教育によって初めて相対的な保障ができる。雇用主も人道的な違法行為で訴
えられると、その後の雇用枠を失い(一般的には 2 年間の資格停止)
、重い罰金を科せられること
143 になる。仲介業者に対する処分も重いが、彼らは《私立就業福利機構許可機関辦法》に従って処分
を受けることになる。
外国人介護労働者の雇用は必ず仲介業者を通さなければならないという決まりはない。家庭介護
労働者は必要な人が直接雇用することも可能であり、その場合は雇用センターに連絡をして紹介し
てもらうことになる。我々は新規雇用よりも、たとえばこれまで 2 年使った外国人労働者を 1 年の
契約延長をして 3 年満期を迎え、さらにその労働者を使い続けたい場合などに直接雇用の手続きを
するよう奨励している。この場合、雇用主は合法的にあと 6 年この労働者を延長雇用できる。こう
した直接雇用では雇用センターと労工委員会が各種手続きをサポートする。これはそれほど煩雑な
ことではなく、健康保険などの各種手続きや定期的な健康診断の受診を促す、などの内容である。
積極的に雇用主が外国人労働者雇用手続きに関わることによって無用な搾取やトラブルを避けるこ
とができ、また労働者本人も安定的な雇用につながるので、双方にとってプラス面が多いと考えて
いる。
Q)外国人介護労働者の導入に対して、行政各部門で意見や立場の違いはあるのか?
A)(Z委員)⇒労工委員会は基本的に人道上の見地から、外国人労働者の権利を守る立場をとっ
ている。外国人介護労働者は、ある一定の受入れ数に達した時点でそれ以上になることはない。理
論上、人口学的にもケアを必要とする高齢者が無限に増加することはありえないし、その数を減ら
していくことも可能だからである。もし無制限に外国人介護労働者が増えていくようなことがある
としたら、それはおそらく非合法雇用が介在しているからだと思われる。
就業服務法42条ではとくに「外国人労働者の雇用にあたっては、台湾人の就業権を妨げないこ
と、台湾の経済成長の妨げにならないこと」を強調している。したがって外国人労働者に対する門
戸開放政策の原則はあくまでも「人手不足の補充」にある。つまり台湾人が好んでやりたがるよう
な仕事であれば、外国人労働者と仕事を奪い合うようなことにはならないのである。台湾人が喜ん
で介護職をやるのであれば、外国人への依存は消滅の方向に向かうということである。しかし「10
年計画」が実施され、今後も高齢者数の増加がみこまれるあいだはケア人材の需要が下がることは
ない。しばらくは現在と同じような外国人介護労働者数の上昇傾向が続くだろう。もしも理論的に
人口動態とあわない動きがあれば、我々はきちんとその原因を明らかにし、問題を解明していく。
Q)もし外国人労働者と連絡がとれなくなったら、どのような対処をするのか?
A)(Z委員)⇒入出国及移民署所属の各県市〈専勤隊〉が管理・対応する。収容や処罰について
もここが管轄する。この点に関しては就業服務法の条文を修正しているところである。現在行政院
の審査を通過して立法院に送られている。入出国及移民署は2007年 1 月 1 日に成立した。それ以前
の外国人の収容や移送は警察が担当していた。したがって立法院に送った新たな法規には移民署管
轄をもりこんでいる。移民署が成立してからは、外国人労働者に関する多くの問題を移民署で扱う
144
ようになった。居留証(ビザ)も近年は移民署が扱うことになった。いまは各県市にそのサービス
拠点があるので、部分的ではあるが、移民署の本局ではなく地域で扱えるものもある。現行法規で
は居留証の管理も移民署となっている。
Q)ケアの必要な高齢者を抱えた人が外国人労働者の雇用手続きをする場合、その手続きはやはり
雇用主自身がやらなければならないのか?
A)
(Z委員)⇒外国人労働者の雇用主とケアを受ける本人との間には親子関係などの血縁関係が
あるのが一般的であるが、たとえば子女のいないケアを受ける患者本人が雇用主となることも可能
である。またケースとしては少ないが、本人に代わって雇用主となってくれる子女などの血縁者が
おらず、また本人も自分で申請することができない寝たきりの状態にあるなどの場合は、法的に手
続きをした保証人(日本でいう後見人)が本人に代わって申請することも可能である。以上 3 つの
ケースのどの場合であっても、審査を通って許可がおりるのであれば、外国人労働者を雇用するこ
とが可能である。
このように台湾の法律制度はかなり人道的なものであるといえる。我々の認可基準はケアを受け
る人がその条件を満たしているかどうかの一点にあるため、本人が雇用申請できない場合でも代理
人申請が認められているのである。したがって日本が今後外国人労働者を受け入れていくというの
であれば、それに関連する法整備が大事になると思う。我々はすでに外国人労働者に関連する法律
や規定などをすべてネット上で公開している 23。どこからアクセスしてもダウンロードの障害はな
いはずである。日本でもそれを参考にして議論を尽くしてもらいたい。
Q)外国人介護労働者の具体的な雇用状況についてもう少し教えてもらいたい。
A)
(Z委員)⇒いま台湾にいる介護労働者の出身国はベトナム、インドネシア、フィリピン、マ
レーシア(人数は非常に少ない)、タイである。それから現在はモンゴルにも門戸開放しているが、
人数は非常に少ない。介護労働者はインドネシア人がいちばん多く、2008年 8 月末で10万8,000人
あまりである。その後マレーシア、フィリピンと続いている。
Q)日本が今後、外国人介護労働者を受け入れるにあたってのアドバイスはあるか?
A)
(Z委員)⇒日本の法制度は大陸法系(成文法を主体としている)だと思う。日本の法律はド
イツを参考に作られていると思うが、台湾も同じである。おそらく関連法規の整備の仕方も似てい
るところがあるのではないだろうか。
日本は今後どのように外国人労働者を受け入れていくのだろう。韓国などは国と国の協定でしか
受け入れていない。実際のところこの方式がいちばん管理しやすい形だと思う。台湾はあまりにも
23
後日、関連法規が中国語で掲載されており、一部重要な部分については英訳が付いていることを確認した。
145 先を行きすぎたと思う。これまでの経験から言えることは、おそらく我々も国対国の協定による受
入れを拡大していく方向で進んでいくのだと思う。このやり方がいちばん有効的な管理ができるか
らである。国と国との関係で進めていく場合は、外国人労働者の「労働の質」をどのように確保・
保証していくかについて要求しやすいし、これは雇用主にとってもメリットがある。日本人のこの
問題に対する要求は高いのだろうか。彼らに対する入国審査基準が高いのであれば、レベルが比較
的高い外国人が来るのではないだろうか。
Q)(Z委員)⇒私もあなたがたにお尋ねしたいのだが、日本にそうした外国人介護労働者を導入
することをあなた方自身はどのように考えているか。そして日本の雇用主はそのような外国人介護
労働者に対して日本人介護者とそれほど差がない給与を払う意思があるのか。もしくは安い労働力
として考えているのか。そのあたりをお聞きしたい。
A)日本にはいま大量の失業者がいる。しかし彼らの給与に対する希望は決して低くないし、彼ら
が就業してみなまじめに働くという保証はどこにもない。こうした企業の採用する側と失業してい
る人々との矛盾は小さくない。仕事を選ばなければ就業できる人々が大量にいるというのは、やは
り労働価値観の問題といってもいいだろう。したがって現在の介護職者の労働環境の改善、もっと
も大きな誘因になるのは給与待遇のひきあげであり、それをしないと多くの失業者はこの仕事を選
ばないだろう。
2 つめの質問については、多くの人が「平等」を唱えているが、実際には経済的労働力として外
国人は考えられていると思う。というのは日本と彼らの母国の間には経済格差があるからである。
日本人より安い給料であっても、むこうにとってみればよい待遇ではないかという気持ちがある人
は少なくないと思う。給料が安くても日本人がやりたがる仕事であれば、雇用主は必ず日本人を雇
うだろう。日本円はいまのところ高水準にあるが、全体的にはやはり不景気であるから給与水準の
引き上げは難しい。となるとやはり表向きは平等をうたっていても、実際には安い給料で満足して
働いてくれる労働力として期待されているのは明らかである。
また日本人は比較的保守的な民族である。外国人が介護労働者として働く場合、施設ケアであれ
ばまだしも個人の家庭に外国人がはいってくることについて抵抗感は台湾以上に強いと思われる。
日本人ヘルパーの家庭訪問を嫌い、親を施設に預けることを選ぶ人も少なくない。日本人同士で
あっても知らない人と一緒に生活することへの抵抗感は根強いのだから、外国人介護労働者が家庭
内に入るのは難しいのではないか。
Q)(Z委員)⇒それなら一緒に生活しない選択肢もあるのではないか?たとえばフィリピン人労
働者に部屋を別に借りてやるというのはどうだろう。しかしこうすると確実に雇用主の経済的負担
は重くなり、日本人を雇うより高くなるかもしれないが。
A)日本には住み込み型ヘルパーはいない。昼の時間帯にケアや家事を手伝ったりするやり方なの
146
で、日本人ヘルパーでも生活をともにすることはない。こういうやり方のほうがお互いに距離を保
てるし、プライバシーも確保できるからである。もし外国人介護労働者のために部屋を借りるなど
の必要があるとなれば、経済的問題だけでなく、管理上の問題やトラブルを避けて誰も雇用すると
は言わなくなるだろう。施設に雇用される外国人は増える可能性があるが、個人の家庭で雇用され
る外国人介護労働者が増える可能性はないと思う。
(Z委員)⇒日本が施設雇用のヘルパーとしてのみ外国人を使うというのはひとつの賢明な方式だ
と思う。労働者の雇用条件の整備や管理などもやりやすいし、施設はひとつの公共的な場所である
から人道的な問題も個人雇用よりは起こりにくい。外国人労働者自身にとってもそのほうがよいと
思う。契約そのもののトラブルもおこりにくい。
Q)日本人よりも台湾のほうが個人雇用しやすい背景(民族性など)を持っていると思うが、あな
た自身は外国人介護労働者を自分の家庭で雇用することに特段問題はないと思うか?
A)(Z委員)⇒もしその必要があるなら、受け入れる。自分がこれまでみてきた資料からは、台
湾人が外国人介護労働者の受け入れを排除あるいは避ける傾向はそれほど強くないと考えている。
しかし実際の状況はかなり難しいものがある。たとえば外国人介護労働者と生活をともにする雇用
形態であれば、雇用主と被雇用者の関係もあり頼まれると断れないことが多い。外国人介護労働者
に子どもの学校への送り迎えをさせたりしている雇用主は少なくない。しかしこれは違法行為であ
る。子どもの送り迎えはヘルパーの仕事ではないからである。これはあくまでも〈家庭幇傭〉(家
政婦)の仕事であり〈家庭看護工〉
(家庭介護ヘルパー)の仕事ではない 24。なれ合いになりやすい
部分はあるが、ヘルパーに子どもの送り迎えをさせるのは違法行為以外の何物でもない。ヘルパー
に認められている仕事ではないことをやらせた場合の罰金は 3 ∼15万元である。これは就業服務法
で決められている。
このように家庭内雇用では許可されている以外の仕事をやらされる状況に陥りやすいが、もしこ
ういう状況が発覚あるいは外国人介護労働者からの訴えがあった場合は、雇用主を替え、新たな雇
用先にいくよう手続きをする。雇用主側には教育的指導を行い、一度はチャンスを与えるが、その
後改善が見られない場合は雇用資格を喪失することになる。こうした付加規則の部分は外国人労働
者雇用のいちばんネックになりやすいところである。こうした部分も日本が今後外国人労働者を導
入するのであれば、台湾の就業服務法を参考にしてもらいたい。
Q)台湾の外国人介護労働者の導入からどれくらい経過しているのか?
A)(Z委員)⇒1992年から受け入れを始めた。しかし台湾が経済的に未発達だった頃は、多くの
24
〈家庭幇傭〉は〈三胞胎〉
(三つ子)の場合、また別荘においては雇用できる。
147 台湾人が日本に出稼ぎに行っていた。当時の台湾人の出稼ぎ目的は現在台湾にきている外国人労働
者と同じで、経済格差を利用して収入を少しでも多く得ることが第一義的なものであった。高収入
を得て、自分とその家族の生活改善を目指したのである。
Q)では現在台湾にきている介護労働者の母国での生活状況はどのようなものか?たとえば彼女た
ちの母国での生活があまりにも悪条件だったのか、家族の経済問題を一身に背負っているのか、あ
るいは夫があまり働かないなどの状況にあって出稼ぎに来ているのか?
A)(Z委員)⇒台湾から日本に出稼ぎに出ていた頃にも同じような状況があったと思う。つまり
家族の中の誰か一人が自分の人生を犠牲にして家族のために働くという状況である。以前は国内の
田舎から都会へという動きだったものが、現在では国際的な人の流動へと変化している。グローバ
ル化ということをいうなら、本当は「地球村」というくらいの理念があり、「相互扶助」の精神が
あって初めて人々が平等に、だれもが豊かに生活していけるのだろうと思うが、現実はなかなか厳
しい。各国の文化や伝統、風俗などがあまりにも異なっているためになかなかこのような理想を実
現することはできないだろう。
台湾の人口構造も日本のように超高齢化社会に向かっている。今後台湾は日本だけでなく、シン
ガポールや香港、韓国などのモデルとも比較分析をすることが必要になってくると思う。台湾には
いまこのような国々との比較を扱った論文が増えてきている。どの国もそれぞれの特徴があり、問
題もさまざまだが共通点も少なくない。
Q)あなた自身は外国人労働者の抱えている困難というのは言語以外に(宗教や生活習慣など)ど
のようなものがあると考えているか?そして彼らの抱えるもっとも大きな困難とは何だと思うか?
A)(Z委員)⇒これまでの違法案件などを例にして話すと、我々は外国人も告訴できることを強
調してきた。しかしこの訴えるという手段も言語の問題を克服していないと乗り越えられない。彼
らはそれほど英語ができるわけではない。もし多少の英語ができれば台湾ではもう少し生活しやす
くなるがそうではない。外国人労働者の中で英語が多少通じるのはフィリピン人であるが、彼らに
は彼らの母語があり、その影響もあってそれほど標準的な英語とはいえない。それはベトナム人も
同じようなものである。
我々の手元には、外国人労働者からの訴えに関する資料がある。彼らを雇用すると雇用主は〈就
業安定費〉を払わなければならない。我々はこの費用を利用して各県市政府の補助を行っている。
各県市はそれぞれ〈外労資訊服務中心〉(外国人労働者相談サービスセンター)というのを設立し
ている。これはひとつの窓口であり、外国人労働者は全国どこのセンターに駆け込んでも随時相談
や申し立てをすることが可能である。我々はこうした窓口を継続し、外国人労働者が訴える場所を
確保しておかなければならない。また角度を変えて考えると、労働者が自分の権利に対する知識を
もつように宣伝・教育が必要である。労働者自身が自分の権利を守るという考え方をするのが基本
148
だからである。そして自分の権利のために訴える場所がある、ということが欠かせない。このよう
に考えていくと、やはり言語の問題は大きい。インドネシアやベトナムの外国人ヘルパーの場合、
とくにこの問題は大きいといえる。権利を守るためには雇用主も労働者自身も知識が必要であるか
ら、ハンドブックも母語と中国語の両方で記載して作成した。
これまでに起こった違法案件を鑑みると、ごく少数の刑事事件(性犯罪やセクハラ)以外は、大
部分がいじめや金銭トラブルといったものである。たとえば外国人労働者からすると、自分たちの
給料からお金が天引きされるというのはおかしいと考えている。法律上も基本的には労働者の給料
は全額支給することが定められている。天引きが認められているのは健康保険料、雇用保険料、宿
舎費、所得税である。
家庭介護労働者の場合はまた条件が異なる。個人で雇用している雇用主は所得税の支払い義務者
ではないので労働者の給与から天引きすることはできない。家庭介護労働者は雇用保険も個人の意
思によってかけるものであり強制ではない。すなわち天引きが認められるのは雇用主が必ず負担し
なければならない部分であって、それ以外を天引きするのは論外なのである。雇用主は天引きが認
められている部分以外は直接全額を外国人労働者に支払わなければならない。外国人労働者が国内
の仲介業者などに支払わなければならない貸借がある場合は、もらった給与の中から労働者自身が
支払いに行くのである。
一般に私立の福祉施設の場合は、仲介業者によって外国人介護労働者を雇いいれる。おそらく現
状ではこれがもっとも賢明なやり方である。我々が不動産を買う時に不動産業者を通さずに自分で
気に入った物件を探すのが困難であるのと同じ理屈である。外国人の雇用をゼロからすべて自分た
ちでやるような余裕は施設側にはない。仲介業者を介して外国人介護労働者を雇用する場合、一般
的に雇用主は仲介業者との間に契約書を交わし、仲介業者は外国人労働者との間で契約を交わすこ
とになる。
したがってヘルパー雇用上何らかの問題が起こった場合は、まず仲介業者を通すことになる。た
とえば外国人介護労働者が健康上の問題を抱えた場合、言語に問題があるとなかなか状況を的確に
伝えるのが難しいため、一般には労働者自身が(相談センターではなく)仲介業者に連絡を取り、
業者がその外国人を病院に連れていく。
こうした仲介業者の仲介部分について我々は評価制度をとっている。A、B、C 級というように
ランク付けをしている。ある業者が C 級と評価され、その後も改善が見られない場合は労工委員会
が許可証を出さないことになる。したがって日本も受入れが限定的に施設のみとなっている場合
は、管理上だけでなく複雑な問題を避けるという意味でもよいと思う。
Q)これまでに司法訴訟になった案件などはあるのか?
A)
(Z委員)⇒まだない。外国人労働者の問題は一般には民事扱いになるので、民事法廷にもち
こまれ、一審、二審と進んでいく。台湾は日本と同じドイツ型司法なので、法的な流れは日本と似
149 ていると思う。刑事事件の場合は、その案件による。過去には加害者が台湾人の場合と外国人労働
者の場合の双方のケースがあった。
この点に関して我々法律を専門とする者の立場から見ると、やはり法律がすべての中心に据えら
れるべきだと考える。加害者が台湾人であろうと外国人労働者であろうと法に則って正しく裁かれ
るべきである。
Q)日本では外国人が日本で罪を犯し、そのまま国外に逃亡したが、犯人の引き渡し協定がない国
の場合、日本の司法は手の出しようがなかったという案件があったが?
A)
(Z委員)⇒万国共通の法律というのは少ないので、自国の領土、領域内で適用する法律の内
容が他国と異なることはごく当たり前にあること。この点に関しては国家間の犯人引き渡し協定の
ようなものでカバーしていくしかないと思う。ただ台湾の場合は出境(出国)については微妙な問
題で、外交上の問題が特殊である。国と国との問題解決というところに交渉の照準を合わせるのは
難しいだろう。
Q)事前研修の内容について教えてもらいたい。
A)(Z委員)⇒事前研修は言語のみではない。言語はその中のひとつのプログラムにすぎない。
基本的には台湾の介護ヘルパーの訓練と合致する内容で行うように組まれている。台湾の介護ヘル
パーは資格制であるから決まった教程がある。そうした教程にみあう内容を90時間に組みこんでい
る。しかし実際のところ90時間では最低限の基本的な部分しか研修することはできない。
日本が受け入れを決めたのが看護師であるなら、おそらく外国人に求めている水準も高いのだろ
うし、彼女たちの仕事も看護師としての専門的なものになるだろう。台湾とはその点が異なる。
政府の管理者としての立場にある者から言わせてもらうと、多くの学者も指摘しているように人
口動態の変化から今後も介護に対する需要は高まるものと考えられる。介護とはつまり人権の保障
である。介護需要が高まれば、当然それにまつわる人権問題も今後一層深刻化していくだろうと考
えている。もちろん自由市場経済であるからある程度はやむをえないが、この自由化があまりに進
むと人権が侵害されやすい。つまり福祉そのものが市場化とはあまりなじまない概念だと思う。こ
の問題は我々政府機関としても頭が痛いところである。
Q)個別の問題はあると思うが、台湾は総体的にみて外国人労働者の雇用については成功している
と評価できるのではないか?
A)(Z委員)⇒我々はさらに進歩し改善もしていかなければならないと考えている。今日は法律
を扱う立場から発言してきたが、政策の全体的な方向性としては間違っていないと考えている。
我々は外国人労働者の人権保障に関する施策を多く採っている。たとえば雇用主に対しての教育も
行っているが、労働者側に言語の問題があればやはり難しい部分もでてくるので NPO や NGO にも
150
手伝ってもらっている。
経費の出所については先ほど話した就業安定費で〈就業安定基金〉というものをつくり、基金管
理委員会を設置している。我々の政策の基点は〈只要是人,被尊重人権〉(どんな人であっても、
すべからく人はみな人権を尊重されるべき)という一点に尽きる。それが台湾人であっても外国人
であっても、高齢者であっても子どもであっても。もしかすると自分が受けてきた教育の影響なの
かもしれないが、自分はずっとこういう考え方を信念としてやってきた。だから案件を処理すると
きに多くの場合、はじめは表面的なものしか見えないが、よくよく観察していくと真実の深い部分
(正義的なもの)がみえてくる。
我々はできるだけ宣伝や啓発活動を行うようにしている。こういう考え方は自分だけがもってい
てもダメで、やはり多くの雇用主に考えてもらわないといけないと考えている。労働者の側も言語
や文化、背景の違いを抱えながらの出稼ぎであるし、彼らの権益を守ることは、ひいては雇用主の
権益も保障することにつながる。このような問題についてみなが正しい認識をもてるようになれ
ば、労働者は自分の労働を提供して相応の報酬を受取り、雇用主はその労働の対価として相応の報
酬を支払い、双方が満足する結果を得られるはずである。
たとえば台湾人ヘルパーを雇うとすると、おそらく 1 か月の支出は 5 万から 6 万元になる。一般
家庭の収入からは介護が必要であっても経済的事情で雇用できないとなると、それは一種の社会的
な不公平である。そうした隙間を埋めるために外国人ヘルパーの導入が考えられたわけで、そこに
こそ彼女たちの存在意義というものがあると考えている。
大学生が一般行政職に就くと新人の月給平均は 2 万3,000元である。こういう比較に意味がある
かどうかは不明だが、それを考えると労働の対価として外国人介護労働者が得る報酬の経済的価値
は、彼らの母国の経済状況を考えても、ましなほうなのではないだろうか。
国際的な人の流動がさかんなグローバル経済のもとで、客観的な条件面だけを考えると台湾を選
ばないだろう。外国人労働者にとっては台湾でなくても選択肢はたくさんあるのだ。たとえば韓国
での待遇(給与)は台湾よりも高い。しかし多くの外国人労働者が台湾を選ぶのは、ひとつには台
湾の国民性が比較的善良で外国人を排斥しようというような雰囲気も少ないこと、そして 2 つめは
やはり法整備が比較的進んでいることがあげられる。
法律も少なからず改善の余地はあり、現状に満足しているわけではない。しかし方向性としては
間違った方向には進んでいないことについて自信をもっている。NPO や NGO の人々が指摘する問
題点についても、我々は彼らの観点も参考にしているつもりである。自分には以前から考えていた
ことがあり、この職に就いてから実際に行った仕事がある。以前は外国人労働者が 1 つの仕事から
次の仕事に移るまでの期間も在職(滞在)期間として扱っていた。しかし実際にはこの期間は仕事
をしていないわけで、この期間を含めてしまうと彼らが台湾で働ける期間も短縮されてしまう。そ
のため関連法規に「解釈」をつけ、現在ではこの前職から転職するまでの期間は在職(滞在)期間
に含めないことにしたのである。こうすることによって外国人労働者の労働権は侵害されなくな
151 る。これは我々の仕事のひとつの成果だといえると思う。
彼ら外国人労働者たちは台湾のために本当に貢献してくれている。我々は本当に彼らに感謝して
いるし、そのためにも彼らが気持ちよく台湾で働けるように今後もできるだけの環境整備に努めた
いと考えている。
3 .行政院衛生署
本節は衛生署において看護や介護等に関する問題を扱っている〈護理及健康照護処〉25 から副処
長、科長、視察その他数名、高雄市の安養機構経営者、スロベニアからターミナルホスピタルディ
レクター、精華大学 Z 講師それに筆者が参加した座談会記録を整理したものである。
(2008年11月某日) 場 所:台北市愛国東路100号15F
応 対 者:護理及健康照護処 副処長 C 氏
:護理及健康照護処 科長 C 氏
:護理及健康照護処 視察 L 氏 ほか
会議参加者:C 医療集団総裁 G 氏
:スロベニア ターミナルホスピタルディレクターT 氏 26
:清華大学 Z 講師
【座談会記録】27
(C 処長)
:〈福利之家〉28 は多種多様である。おそらくいま台湾に 3 ∼400くらいあると思う。最初
に福利之家を始めたのは高雄である。これは中小企業ネットワークのような形態をとった。高雄か
ら始まり次にひろがったのが台中である。したがってこの拡大は台湾の市場的な傾向とマッチした
ものだと考えている。G 院長はそのネットワークの中心的な人物であり、こうした福祉市場を異な
る角度から見ることができると考え、今回お招きしてある。
台湾が現在抱えている外国人ヘルパーは約16万人である。〈護理之家〉、
〈長期照護機構〉
、そして
在宅で生活ケアの必要な高齢者は外国人ヘルパーを雇用することが認められている。外国人ヘル
パーには〈外籍看護工、外籍照顧服務員〉という 2 つの呼称があるが、仕事内容はほとんど同じで
25
衛生署も行政院に属しており、日本の厚生労働省にあたる。台湾の保健衛生に関する業務全般を担当している。
〈護理及健康照護處〉は看護や介護問題を主に扱っている部署である。
26
T 氏には衛生署が通訳をつけたが、逐次通訳であったためか座談会での発言は少なかった。
27
この前段として開会にあたって C 処長からの挨拶、台湾側参加者の紹介や話題整理が行われたが、ここでは
割愛している。座談会の開始にあたり、こちらから台湾の特徴である外国人ヘルパーや「10年計画」を話題の
中心に据えて意見を伺いたいというリクエストを出した。
28
福祉施設の分類や位置づけについては城本(2010a)pp.7-9を参照のこと。〈福利之家〉は福祉施設の総称であ
るが、ここでは老人ホームと訳してよい。〈護理之家〉は老人保健施設、
〈長期照護機構〉は特別養護老人ホーム
に相当すると言われるが、実態は日本とは異なっている。
152
ある。我々が〈医師人員〉
(医療スタッフ)と呼ぶ範疇にはいるのは〈医師、看護師、栄養士、復
健士、物理化検士、社工〉29 などであり、彼女たちのような外国人ヘルパーは医師人員には含まれ
ない。なぜなら個人で雇うヘルパーの本来の仕事は、あくまでも生活ケアであり医療行為は行えな
いからである。したがって医療スタッフの範疇に含めないのである。この仕事を担当するのが台湾
人であれば管轄は内政部、外国人であれば労工委員会となる。労工委員会は外国人労働者全般を管
轄する部署であり、外国人労働者は大きく分けてブルーカラー層(建設現場などで働く労働者)と
自立生活ができない高齢者をケアするヘルパーの 2 種類に分けられる。
こうした外国人ヘルパーは「10年計画」において〈非医師人員〉の部分を占めているので、内政
部や我々衛生署とも関係してくることになる。ヘルパーとして雇用されるには、事前に①身体検査
に合格すること、②100時間の規定訓練(生活ケアの仕方など一般的なヘルパーとしての訓練)を
受けて修了証をもらうこと、それが両方ともクリアできて初めて台湾への入国が労工委員会に認め
られることになる。しかし台湾人ヘルパーの場合はこのような資格審査がない。
したがって内政部、労工委員会、衛生署はこの問題について検討しているところである。労工委
員会はできるだけこうした外国人の雇用は制御したい方向である。彼らの政策もできるだけ制限を
加え、計画的に受け入れなければならないという考え方である。衛生署も労工委員会と一緒にどの
ように外国人ヘルパーを受け入れるか検討している。はじめは個人で雇用申請する場合は医師に診
断書(病気の内容や自立度)を書いてもらうのが条件であった。しかしその後どのような基準を設
けるかが議論になった。結論を出すのに 1 年以上かかってもなかなか意見の一致をみなかった。と
いうのも初診で来た患者が外国人ヘルパーを必要とするかどうかをどのように判断するのか、とい
う現実的な問題があったからである。
結果的に到達した結論は、第一に本人が24時間のケアを必要とするかどうか、という点である。
必要と判断されればケアセンターを通じてヘルパーを紹介してもらう。それを使わないということ
になれば、外国人ヘルパーの雇用申請を出すことになる。施設が雇用申請する場合、ヘルパー数は
入所者に対して一定比率が決められている。内政部の養護機構であれば 1 : 3 の比率、福利之家の
場合は 1 : 5 である。ここから必要とされるヘルパー数が算出され、外国人ヘルパーはその施設で
雇用されるヘルパー総数の50%を超えることはできない、という決まりになっている。この基準さ
えみたしていれば公営施設においても外国人労働者を雇用することは可能である。
衛生署と内政部では台湾でヘルパーになる場合は90時間の訓練を義務付けている。訓練後、内政
部が準備した資格試験もあるが、試験の合否は別として訓練が終わることが最低条件である。この
規定に従えば、外国人ヘルパーは国外で100時間、台湾にきてから90時間の訓練を受けることにな
る。ある程度ヘルパーの質を維持していくために自分は大事なことだと考えているが、外国人ヘル
パーの場合、台湾での訓練を受けるには言語や文化習慣などの問題も存在する。本当はだからこそ
29
〈復健士〉は作業療法士、
〈物理化検士〉は臨床検査技師、
〈社工〉はソーシャルワーカーを指す。
153 台湾での訓練が必要だと思うが実際には難しい。そうした事情も理解できるので、現在は労工委員
会の意向により、国外での100時間訓練を尊重し、外国人ヘルパーに国内訓練を強制するようなこ
とはしていない。いずれにせよヘルパーとして働くためには最低限の訓練は必要なので、国内の訓
練を受けるかどうかは別問題とするようにしたのである。いまこの問題に関する規定を修正検討し
ているところである。少なくとも現在の規定では外国人ヘルパーは医療スタッフには含まれていな
い。我々は政府がこの件に関する統一した見解を持てるよう希望している。
(G 院長)
:外国人ヘルパーは現在も増加している。なぜなら一般的に彼らはコストが安いからで
ある。彼女たちの給与はいまのところ最低標準月額は 1 万7,280元である。それに労働健康保険が
必要である。さらに月額2,000元の雇用税がかかるので、実際のところ施設で雇用するにあたって
は台湾人ヘルパーとコスト的にはそれほど大きな差はない。しかし彼女たちを雇用するメリットの
ひとつは流動性が比較的低いということである。台湾人の場合は、たとえば面白くないことがあれ
ば翌日から来ないなど人材流動の問題があり、実際のところ入所者からの評価も外国人ヘルパーの
ほうが高かったりする。同じ人がずっと担当してくれたほうが高齢者は安心するからである。台湾
人は非常勤ではなく正式雇用であるし月給制にしているのだが、頻繁に欠勤する。台湾人にとって
ヘルパーというのは社会的地位の低い仕事である。経済的な必要がなければ、彼らも従事したくて
しているわけではないという気持ちが強いので、家庭内でも職業について結構もめごとがあるよう
である。家庭の経済能力に問題がなければ一般にはヘルパーの仕事を選ぶことはない。したがって
ヘルパーの仕事をしている人々の質もそれほど高くはないというのが実情である。
外国人ヘルパーは一般に 2 年契約なので、いったん台湾にはいってしまうとすぐに帰国もできな
い。そのためわりとまじめに仕事をしている。契約中に勤務評価があまりよくないと、途中帰国も
ありうる。評価が高ければ 9 年までは延長できるように法改正されたので、最長 9 年までは滞在可
能である。一般的には外国人ヘルパーの評価は高いのだが、たとえば高雄では公立施設では外国人
を使っていない。衛生局が同意しないのである。いま現在、外国人を使っている公立施設は 6 か所
で、宜蘭、桃園、台中県市、台東などにある。彼らの県市政府では省立医院あるいは附設の施設で
の外国人ヘルパー雇用を認めている。
高雄の衛生局では条例によりヘルパー資格の検査確認をするが、その際外国人ヘルパーは数にい
れない。つまりそのままだとヘルパー数不足と認定され問題視されるのである。つまり外国人を認
めないというのと同じ形式をとっているので高雄の公立施設ではどこも外国人を雇っていない。
(C 処長)
:その点についてはもう少し異なる観点も聞いてほしい。G 院長は雇用者(経営者)の立
場からの発言であるので、経済効率の面からそのような見解を持たれるのはもちろん理解できる。
しかし政府の立場から言わせてもらうと、高雄の衛生局が受入れを認めないのには理由がある。
もともと外国人ヘルパーについては限定的な受容れとして許容されているものである。彼女たちは
154
出身国と台湾との経済格差が生んだ労働者である。ひとりの外国人が生活するとなれば、文化的背
景など様々なものが異なる。介護を受ける側からしてみると、ヘルパーの言葉の問題や文化習慣の
違いは決して小さな問題ではない。しかし介護を受ける立場からは、そのような不満は述べにく
い。ケアを受ける側が被る不利益は実際には小さくないと考えている。
これまで外国人ヘルパーについてはさまざまな議論がなされてきた。要するに今後受け入れを拡
大するかどうかという点に集約されると思う。福祉施設経営者の立場、介護を必要とする高齢者を
抱える家族の立場からは24時間態勢の介護ヘルパーが比較的安く雇用できるのであれば、受容れを
拡大してもらいたいという話になる。しかし介護を担う外国人の人権問題や介護を受ける本人の立
場からは、また違った見方もできるであろう。
これだけの多様な考え方があるなかで、個人的には無制限の開放という選択肢はまだないように
思う。無制限に受容れることが結果的に台湾全体にとってよいことなのかどうか判断はつかない。
制限をつけて慎重な議論を重ねていき、誰がどのように雇用を申請できるのか、ということを見極
めていくしかないように思う。誰でも雇用できる、という形がベストだは考えていない。
高雄の話を聞いていて感じたのだが、法的には〈外籍看護工〉
(外国人介護ヘルパー)と呼んで
いるが、我々は福祉施設を〈評鑑〉(外部監査)する際は、外国人ヘルパーを〈照顧服務員〉(ケア
サービス担当者)として評価する。法的には同じものを指しているのだから、いずれはこの名称も
実際の中身も統一しなければならない、という根本的な問題を抱えていると思う。
政府はいまのところ慎重な姿勢を崩していない。将来的にはこのヘルパーの質(内容)について
も考慮して制限をさらに厳しくする方向性もあり得るだろう。「10年計画」においても、もともと
はできるだけ外国人ヘルパーは使わないという方針であった。介護を受ける高齢者の立場から考え
ると台湾人ヘルパーを増やすべきだという考え方をしているからである。
「10年計画」の中に外国
人ヘルパーについての言及はない。しかしその背後に、この計画の実施にあたって最終的に必要な
人材は医療スタッフの問題もあるが、実際には介護にあたるヘルパーの確保が長期ケアでは最も必
要になるという考え方がある。政府としては、その需要に対しては台湾人ヘルパーを増やしたいの
である。しかし実際のところ、さきほど G 院長からの指摘もあったように、収入も社会的地位も高
くないという現実問題がある。専門性が低く人からの尊敬を得にくい仕事であるというのも背景に
はあるだろう。現在の規定では「小学校卒業以上」というのが就業条件である。もともと学歴が低
いために家庭の経済状況に問題を抱えているという悪循環もそこには存在している。また彼女たち
の就業環境がよくない、というのも事実である。勤務時間は長くて給料は安い、肉体労働部分も多
いので身体的負担も大きい。
したがって我々はこの「10年計画」の実施にあたっては、人材の拡充が最重要課題だと考えてい
る。具体的な方策が盛り込まれているわけではないが、我々はそこのところを強調している。教育
部はこうした人材育成にあたる専門学校や専門課程の拡充を考慮・奨励している。とにかく台湾人
ヘルパーを養成するのが急務だと考えている。そして最低でも高校卒業後の人々にこうした職業に
155 ついてもらい、専門性を高めなければならない。
政府もこうした考えから宣伝をたくさんするようになった。人材の必要性を世の中に訴える必要
があるからである。そしてできるだけ若い人材を育成することが必要である。そのためにも現在の
ヘルパーの社会的地位や給与の改善は急務である。この人材育成と就労条件の改善を同時並行的に
進めていく必要があると考えている。しかし人材の育成には長い時間がかかるし、条件の改善も一
足飛びには難しい。したがって台湾人ヘルパーが増え、その地位向上が定着していくまでの間を外
国人ヘルパーに働いてもらうという考え方をしているのである。外国人ヘルパーの雇用について
は、やはりコストの問題がいちばん大きい。市場の要求から考えてもこの点をぬきには考えられな
い。
(G 院長)
:さきほど話題になった外籍看護工と照顧服務員の実質はやはり違いがある。一般に各
家庭で病人の世話のために雇う人材は外籍看護工である。福祉施設で雇用しているのが照顧服務員
である。それぞれの出身国で訓練を受けてきても台湾の資格(免許)をとることはできない。
高雄で我々が雇用している外国人ヘルパーはそれほどコスト面でのメリットは大きくない。先ほ
ど述べたように雇用メリットはやはり流動率の低さにある。彼女たちの国籍は①フィリピン、②ベ
トナム、③インドネシアである。ベトナム人はまだ雇用中である。ベトナムは中国に近いことも
あって、わりと中国人の感覚に近い部分があり適応力がある。フィリピン人は飲食習慣はじめ、
様々な面で違いが大きく、性格的にもわりと細かいところがある。ベトナム人はそういう細かいと
ころはあまりない。ただ介護面ではフィリピン人が質的にはいちばん高い。しかし教会など宗教関
連のさまざまな行事があり、フィリピン側雇用者との関係で使いにくい部分があり、最近はあまり
雇用人気がない。インドネシア人は学習能力や環境への適応力など様々な面でこの 3 ヶ国のなかで
はいちばん劣っている。しかしわりと情に厚く、遅い時間になっても仕事を続けてくれる面はある。
台湾の高齢者ケアは民国60年代(1970年代)に始まった。当時もそれは高雄から始まっている。
そうした先陣をきったこともあって、この事業分野の発展も比較的早いのだと思う。だから外国人
介護労働者をまず受け入れたのも高雄ということなのだろう。南から徐々に北へと発展すると思う
が、たとえば北部では土地もせまいし高い。ひとつの福祉施設をつくろうとしても用地取得が難し
いという問題がある。狭い土地ではたくさんの人を受け入れることもできない。もともと経済発展
している地域であると、入所者が少なければコスト面からも施設運営が割に合わない。そういう意
味で南部のほうがこうした施設福祉の発展が早くから進んできたのだと思う。
台湾は比較的客を好む民族である。外から来た客人、たとえば外国人に対しても比較的親切にで
きる民族だと思う。したがって日本のように他人が家にあがってケアをするということへの抵抗感
も日本人よりは少ないのではないか。もちろん台湾でも南部と北部の気質の違いのようなものはあ
ると思う。南部のほうが抵抗感はより少ないのではないだろうか。
156
(C 処長)
:外国人介護労働者の受け入れも南部と北部では異なっている。現在はこの介護ヘルパー
に関する研究が進み報告書もずいぶん出てきている。大学院の修士論文などではこういうテーマが
かなり増えているし、外国人ヘルパーに焦点を絞って書いたものも少なくない。自分もそうした研
究報告をずいぶん読んだ。
先ほどの地域性の問題については、台湾は(国土面積が)比較的小さいが、北部、中部、南部、
そして東西の地域性というものがやはり存在している。北部のほうが経済的には発展しているし、
東岸のほうが西岸地区よりも発展している。自分は中部の出身だが、北部で勉強し、高雄にも 3 年
いたのでそれがよくわかる。
外国人ヘルパーを個人で雇っている家庭は、一般的に中産階級より上の階層の人々である。貧困
層では外国人ヘルパーであっても個別に雇うことは難しく、施設を選択する可能性が高い。なぜな
ら中南部の施設は費用が比較的安いからである。中南部の施設入所者は 2 分の 1 から 3 分の 2 の割
合で比較的経済力が劣っている家庭だと言えると思う。中南部での入所費用はだいたい月額 2 ∼ 3
万元程度である。したがってこういう人々は施設を選択する。もちろん残りの人々は経済的に問題
があるというわけではないが、家に高齢者の世話をする人がいないなどの理由で入所させている場
合が多い。あるいは子女がいない、などの理由もある。したがって個人の家庭でヘルパーを雇って
いるのは、やはりそれなりの経済条件がある人々だと言える。高齢者自身も経済的に可能であれば
在宅で生活することを望んでいる。
しかし個人でヘルパーを雇っている家庭に問題がないわけではない。たとえば高齢者だけでな
く、ついでに子どもの世話もさせる、高齢者をたたくなどの虐待問題もあれば、逆にヘルパー自身
が虐待されるなどの問題もある。施設の場合は比較的管理がしやすいし、問題があれば表面化しや
すいからである。また施設に住み込むと言うことも可能なので住居問題は比較的少なくて済む。病
院(とくに公立病院)や個人の家庭となると、外国人の住み込み問題は大きい。自分の友人たちや
自分も含めて、他人が一緒に生活するのはイヤである。イヤというより慣れない。相手は別文化圏
の人間だし、生活習慣が異なるからである。個人的にこの問題はやはり大きいと思う。したがって
外国人ヘルパーはコスト面から選択肢に入れられることが多いが、自分は経済的問題があろうとな
かろうと将来的に外国人ヘルパーを雇う可能性は低いと思っている。雇うのであれば、やはり言葉
の通じる台湾人ヘルパーを雇いたい。
生活習慣上の差異も大きいが、個人の家にヘルパーを住み込ませるというのは、安全問題からも
考慮されるべき点だと思っている。赤の他人とともに暮らすことへの不安は尽きない。排泄処理や
家事を手伝ってもらっても、時間がきたら自分の家に帰ってもらう方式でないと台湾人であっても
自分は落ち着かない。こういうことについては仕事を持っている女性なら一度は考えたことがある
のではないだろうか。質と安全の問題を考慮すれば、やはり自分でなんとか解決できるのが望まし
いが、それが無理なら経済的に可能であれば台湾人ヘルパーの雇用、外国人雇用はそのずっと先に
しか自分の選択肢にはない。
157 安全の問題を具体的に言えば、雇用者が老人虐待、逃亡、窃盗などの被害に遭うことがあり、ま
た被雇用者が時間外勤務(長時間労働)を強いられることもあれば性的虐待の被害に遭うこと、差
別、身体的虐待に遭うこともある。本人が悪癖(賭博なども含む)を持っていることもある。人権
の問題は双方に起こるが、外国人が被害に遭うケースのほうが多いかもしれない。ストレスの大き
い仕事なので、被雇用者が精神を病み、それが犯罪を引き起こすというようなことがよく報道され
ている。治安ということを加味して考えると、外国人の雇用が必ずしもコストパフォーマンスがよ
いという判断にはつながらないと個人的には考えている。
経済面、ケアの質、そして仕事を覚えてもらうまでの訓練などの手間暇、治安を含むその他もろ
もろの心配ごとを考えると自分はやはり外国人ヘルパーを雇用する選択肢はない。どの国も同じよ
うに発展していかなければならないが、それは国同士の経済格差によって得られるべきものではな
いと考えている。福祉分野の市場化が進んでいるが、それを制限するかしないかと考えたとき、や
はりある程度の制限は必要で無限大に拡大する分野ではないと思う。たとえば外国人の雇用に2.5
万元の費用がかかるとする。個人で雇っても施設が雇っても同じ金額であるとするなら、
(台湾人
が 3 万元かかるとすれば)その差額は政府が負担するなどして積極的に台湾人を雇用する方向に
持っていくべきではないのか。基本的に自国の問題は自国の能力の範囲内で解決する、というのが
国のあるべき姿だと自分は思う。その国なりの解決方法を模索していくしかない。世界的に介護人
材の不足は深刻である。アメリカなどでもかなり不足している。経済格差を利用して台湾では自分
たちよりも経済後進国から外国人を雇い入れ、台湾人自身はアメリカに出稼ぎに行くというのは問
題だと思うからである。
先ほど述べたようにメンタルな問題を抱えてしまうヘルパーも少なくないが、彼女たちの多くは
年が若い。結婚後間もなく、あるいは小さな子供を本国に残して出稼ぎに来ている者が少なくな
い。こうした場合、彼女たちの人生だけでなく、家族そのものも崩壊の危機にさらされてしまうこ
とを我々はもっと考えなければならない。子どもが小さい場合は、本国に残る夫に子どもを託して
きているパターンが多いと報道されている。金持ちになる、豊かな生活をするという欲望が先にあ
る(多くは大きな家を建てるという目的がある)と、それを利用する側との間にさまざまな問題が
起こりがちである。双方の需要と供給の関係が満たされて自然発生的にヒトの移動が起こってお
り、もちろん彼女たちも強制的に連れてこられたわけではなく、自分たちの意思できている。しか
し彼女たち自身が本国でその仕事の経験があるわけではない。またこの問題には多様で複雑な背景
もある。夫に子どもを託し、遠く離れて暮らす生活が長くなれば、当然夫婦関係に亀裂もはいる
し、あるいは台湾人の雇用者家族や施設経営者などとの間に特殊な感情が芽生えてしまうこともあ
る。先日外国人ヘルパーが高齢者を車椅子で外に散歩に連れ出した場面に遭遇したが、そのヘル
パーはずっと携帯で話をしていて高齢者のことなどほったらかしにしていた。家族ではないので自
分は「観察」していればよいと考えているのだろう。外に出てしまえば家族の監視の目もないから
自分の欲望が優先される。そういうことは往々にしてありうることだと思う。
158
(G 院長)
:家族だって好きこのんで他人に親の世話を頼んでいるわけではない。やむを得ない事
情を抱えて結果的にそうなっているケースが多い。寝たきりの高齢者を抱えている家族は共倒れに
なる可能性が高い。24時間介護というのは家族に安眠をもたらさない。誰かの手助けがないと乗り
切れないのである。さきほど高齢者を車椅子で連れ出してほったらかし、というケースの紹介が
あったが、それでも家にずっと閉じ込められているよりも高齢者にとっては外出することに意味が
あるのではないか。自分の家族に世話をする余裕がなくて外国人ヘルパーを雇うというのは高齢者
自身も理解していることが多い。
(C 処長)
:独居老人の問題は台湾ではまだそれほど深刻化していない。しかしいずれそのような
状況が出て来ることは予想される。親が子供に面倒を見てもらうのを遠慮し、実際の身の回りの世
話は他人にやってもらい、子どもたちはその状況を見守りつつ関心をもつという状況については、
その家族の親子関係や状況によると考える。真の家族関係には相手のプライドの尊重も含まれると
思う。誰の世話になりたいのか、誰が世話をできるのかというのは別次元の問題だと思う。親戚関
係、姻戚関係もこの場合大きく影響するだろう。ケースバイケースなのではないか。
(G 院長)
:30年前、台湾では老人を福祉施設に入れるということを家族が拒んできた。ある一定
の時間が経過して、高齢者を施設に入れることをだんだんと受け入れるようになってきたのであ
る。こういう時間経過とともに社会のほうが変わっていくことは普通にあることで、いまは日本社
会が外部からの人を個人で雇うことに抵抗があっても、 2 ∼30年後には現在の台湾と同じように、
それが普通に行われるようになると思う。両国の経過は似たような形をとり、数年後には外国人ヘ
ルパーへの抵抗も減ってそれを受け入れるようになると思う。受け入れざるを得ない状況を台湾も
たどってきたからである。最初は 8 床しかもたなかった福利之家や安養機構ですら満床になるのに
ずいぶん時間がかかったが、いまはそのようなことはない。年月とともに人々の観念も変わってき
たのだ。日本は台湾と同じような経路をたどるように思う。
日本で若い人がヘルパーになりたがらないという状況も、おそらく台湾と同じ結果を招くだろ
う。台湾もやはり自国でヘルパーの養成がうまくいかなかった結果として外国人を受け入れる事態
になっているのだから。
Q)
(G 院長)⇒日本では極端な人材不足との話だったが、台湾の施設が日本で開設すると喜ばれ
るだろうか?
A)日本はこの方面では比較的保守的であるし、おそらく考え方は台湾政府と同じで「本国為主」
主義ではないだろうか。おそらく法律制限が厳しいと思う。
Q)
(G 院長)⇒日本人が台湾にきて老後を暮らすという選択肢はないだろうか?
159 A)おそらく台湾の施設が日本に進出するよりその可能性のほうが高いだろう。なぜなら台湾の生
活費のほうが安いからである。経済格差を前提として日本人が台湾に来る可能性は低くはない。し
かし問題は医療面である。老後生活では医療の心配が大きくなる。これが解決できないと外国人が
外国で生活するのは容易ではないと思う。いずれにせよ医療面の問題解決(たとえば言語や医療水
準などの問題)が相互交流の拡大につながる可能性は残されている。
たとえば中国大陸から金持ちが健康診断に来るという可能性などはあるかというと、経済格差が
まだ大きくて検診以外にかかる生活費が高いので、旅行のついでに受けるというのはあり得るだろ
うが、そのためにわざわざというのは可能性としては低いだろう。韓国などではそういうツアーが
あるらしい。たとえば日本人にとって比較的安く検診が受けられるなどがあると、将来的には高齢
者ツアーを対象としたものが考えられるかもしれない。
(C 処長):「10年計画」は2007年 4 月から施行されたが、これを実施するまでには 3 年以上の時間
をかけて内容を模索し、アメリカ、ヨーロッパ、日本や OECD 諸国など様々な国のこれまでの経
験を参考にしている。なかでも日本についてはやはり同じアジアで高齢化の進み方やその経験、文
化的背景などから参考にした部分が多かった。とくに参考にしたのがサービスネットワーク、介護
保険、高齢者の健康促進などの部分である。
台湾の「10年計画」の基本的な考え方は、まず高齢者サービスのネットワークを確立することで
あった。中央政府、地方自治体にかかわらず、それぞれがこれまでの高齢者サービスにかかる経費
項目やサービス項目(内容)を行政院管轄下においてまとめる作業をしたのである。また社区(地
域コミュニティ)にケアセンターを設置し、地域によるケアが可能になるようにした。さらにケア
内容を 8 項目のサービスにまとめ、国内どこにおいても同様のサービスが受けられるようにした。
このようにある一定水準の決まったサービスが受けられるというのは大事なことである。
もちろんこの計画ができて我々の仕事がすべて終わったわけではない。これを起点にして各地域
でサービスネットワークを形成していく必要があるし、予算や今後の保険のことも考えていかねば
ならない。この計画の大きな目的の一つにコミュニティケアを発展させていくということがある。
それを実現していくためにネットワークをつくっていく必要がある。 8 項目のなかで施設ケアは 1
つだけである。これも注目すべき点であろう。リハビリや給食、送迎サービスなどはすべて在宅ケ
アを主眼においてつくられたものである。施設ケアについては家族のいない人を対象に作成された
ものである。施設ケアについては以前からの経験があるが、コミュニティケアについては台湾には
基盤がなかった。そのため、この「10年計画」ではその基礎をつくり、在宅介護のネットワークと
して生かしていく方針をとっているのである。〈福利之家〉をやっている人たちには申し訳ないが、
政府の立場としてはやはり在宅介護を中心に考えている。高齢者自身も 7 ∼ 8 割がやはり在宅で介
護されることを望んでいるからである。残りの 2 割ほどは施設もやむを得ないと考えている。
福祉施設の多元化について我々がどのように考えているかというと、コミュニティケアの拡大で
160
ある。我々が「10年計画」を作る際になぜ日本を参考にしたかというと、日本の高齢化の進行が早
かったからである。これは台湾と同じ状況であり、社会的需要の部分でもかなり似ている側面が大
きいと判断したからである。 日本の介護保険がうまくいっていないことは知っている。だからすべてを取り入れようとしてい
るわけではない。たとえば健康保険については皆保険制度にしたものの、やはり財政上の問題が大
きい。長期介護保険をとりいれると健康保険よりも大きな問題になることが懸念材料としてかなり
議論された。なぜなら高齢化が進めば医療費財源が大問題になる。健康な人でも年をとればとるほ
ど健康問題が出てくるからである。そうして健康保険をどんどん使うことになると財政問題が深刻
化する。健康保険問題と介護保険問題を同時に解決できるのかという現実的な問題が派生する。保
険の設計についてはかなり長時間熱い議論が続いた。
人材不足と財務問題がやはりいちばん大きい。医療分野の人材はまだいいが、介護人材はいちば
ん不足している分野である。しかもこの人材が足りなければ介護の問題は根本的に解決できない。
Q)日本は現在多くの高齢者問題を抱えているが、日本をモデルとして本当に問題はないのか?
A)
(G 院長)⇒台湾は日本の植民地時代が50年もあるので、日本との関係を切り離して考えるこ
とはできない。当時の台湾人と日本人の考え方はかなり共通する部分があったと思う。その後戦争
時代に突入すると日本も台湾も兵士がたくさん戦死している。そのため現在高齢者施設に入所して
いる80歳以上の年齢層の人々は 6 ∼ 7 割が女性である。これは時代の与えた大きな影響だといえよ
う。もともと女性の平均寿命のほうが長いが、人口構造を考えると特にこの傾向は顕著にみられる
と考えている。中国大陸ではいま一人っ子政策をとっているが、今後高齢者の世話をする人は圧倒
的に不足するだろう。
(T 氏)⇒スロベニアには外国人ヘルパーはいない。現在の高齢化率は約15%である。しかし高齢
者のうち福祉施設のようなところにはいっているのは 5 %にすぎない。施設の介護ヘルパーは自国
でまかなっている。スロベニアも健康保険制度をもっている。これで医療部分のケアを受ける。生
活上のケアは自費負担で 2 つの部分から成っている。
スロベニア政府もいま介護保険の設立を計画している。医療部分は100%政府負担ではなく、収
入に応じた部分負担がある。低収入者は負担が少ない。低所得者が介護を受けることになった場合
は、まずケアにかかる補助具(たとえばベッドや介護服など)を現物給付する。
Q)アメリカのように低所得者が保険を買えないということはないのか?
A)
(T 氏)⇒台湾と同じで全員に保険が与えられる皆保険制度である30。
30
その後日本の介護状況や介護保険についての質問があり、それに対してこちらから回答できる範囲で説明を
行った。質問内容は現在の介護状況に庶民が満足しているのかというものが多かったが、ここでは割愛する。
161 4 .医療ケアスタッフ育成の立場から
本節では T 大学医学院附設 B 分院を訪問した際に B 護理学院長期照護研究所教授で所長でもある
L医師に面談することができたので、そのインタビュー記録をとりあげる。L医師は台湾政府のさ
まざまな委員会に医療専門家として招聘されており、福祉関連立法にあたって医療ケアスタッフを
育成する立場からアドバイスを行う立場にある31。
(2008年11月某日) 場所:台北市 K 路 T 大学医学院附設 B 分院会議室
【L医師インタビュー】
日本は長い間ずっと外国人介護ヘルパーへの門戸を閉ざしてきたと聞いている。外国人労働者の
雇用には多くの問題がある。ドイツではトルコ人700万人を雇用してきたが問題が多く32、いまだに
それを解決できていない。我々もたくさんの外国人労働者に関する社会問題を抱えている。たとえ
ば逃亡、そして虐待である。台湾人ヘルパーは虐待を受ける等の問題は少ない。なぜなら台湾人で
あればその親戚身内が彼女を救助できるからである。外国人の場合、たとえばパスポートをとりあ
げられたりすると自分ではどうすることもできない場合が多く、孤立無援となる。また外国人ヘル
パーは休みをもらえないことも多い。自分も立法院に行って、法律で彼らの権利が守られない政策
は間違っていると批判したことがある。それでも現在は以前よりだいぶましになってきている。
現在の台湾は、すでに外国人介護ヘルパーがいないとやっていけない段階に入っている。外国人
を導入しないと、台湾人自身がやりたがらない仕事をやってくれる人がいなくなる。いくら内政部
や衛生署が表向きは外国人労働者の導入を縮小の方向にもっていくのだと主張しても、それは現実
的には無理である。そういえば半年前、日本の J 大学アジアセンターで、外国人労働者問題につい
て同じような質問をされたことがある。たしか日本も近々外国人ヘルパーを導入するのではなかっ
たか?日本ではフィリピン人の雇用がいちばん多くなるのだろうが、台湾で雇用されているのはベ
トナム人とインドネシア人が多いはずだ。台湾は日本のように資格審査は厳しくない。外国人労働
者の導入資格もあって無きが如くである。
Q)政府の「10年計画」についてはどのような評価をしているか?
A)(L医師)⇒台湾はまだ理念の段階にとどまっていると思っている。ケア哲学もないのに、
「長
期介護」という名目の形式だけを整えようとしているように思う。大学院の学生にはまずその点を
はっきりと話すようにしている。つまりケア哲学とはこういうものではない、と。達成する目的を
はっきりさせておかないと、どのような問題も解決に導くことはできない。まずは問題点の洗い出
31
L医師は来日経験も豊富で日本の事情にも詳しい。清華大学 Z 講師とも面識があり、その関係で面談に応じ
て頂いたのだが、現場を預かる現役医師そして後進の指導にあたる立場から厳しい意見が多かった。
32
労工委員会でも同様の話題が提供されたが、台湾においては外国人労働者問題でドイツが失敗事例として取
り上げられることが多いという。
162
しをきちんとやって、それを解決するためには具体的にどれだけのヒトやモノがいるのか、という
話につながっていかないと何事も解決はできない。
たとえば日本の介護保険と同じようなものを台湾にも導入しようとしているが、台湾にはこの問
題を解決する根本的なものが欠けているように思う。自分は13年前にこの計画の議論に加わった
が、13年経ったいまでも問題点は何も変わってはいない。制度設計にかかわる人々の流動も大き
く、それまで携わっていた役人がある日突然異動し、その後新しく来た人は右も左もわからずにま
た最初から問題の洗い直しをするというようなことの繰り返しである。ひとつの問題を解決しよう
とするときの取り組み方に対するメンタリティがおそらく日本とはずいぶん異なっているように思
う。日本ではこうした問題への取り組みはわりと独立した形(厚生労働省内)で取り組んでいると
思うが、台湾はその点も異なっている。したがって問題の枠組みそのものがブレやすい状況にあ
る。
「10年計画」にしても決めたのはいいが、これまでの問題点のブレは修正されていないと思っ
ている。
自分は日本の厚生労働省が出している高齢者介護や障害者介護にかかわる調査報告書をずいぶん
読んだが、日本はこの方面においてはアメリカよりずっとよいと思う。報告書を作成した人自身が
専門的にこの問題に取り組んでおり、各方面に対する知識も豊かである。日本は内閣府の下に12省
庁だが、台湾はすでに36の政府単位(日本の省庁に相当)がある。地域制にしても日本は県をひと
つの単位としているから47都道府県だが、それを250万人ほどの公務員で担っている33。北欧に行く
とスイスでは30万人ほどで国を動かしている。日本の福祉に関する問題はほとんど厚生労働省で動
かしているといっていい。そうした物事の優先順位(問題に関与する官僚人材の育成など)に関す
る考え方が台湾にはまだ欠けている。
日本にも地域格差があるのは知っている。しかし基本的な考え方が中央と地方でそれほど差があ
るとは思っていない。台湾の場合は、「専業性」が足りない。たとえば台湾人の一体どれくらいの
官僚が「ロングタームケア」についてわかっているのか。なにが「介護」なのかわかっているの
か。そうした概念がまったくわかっていない。自分の講義ではそうしたキー概念の理解から始める
ようにしている。専門職に就く人々の基本的知識があまりにも欠けていると思うからである。夜間
授業は一般人にも開放して誰でも受けられるようにしているが、残念ながら役人がこうした基本概
念の学習に来ることはない。
「10年計画」についてあちこちで宣伝活動を行っているが、それが役に立つものだとは思ってい
ない。最近 2 つの大学でこの問題について討論したが、今後は経済建設などおそらく大きな問題に
直面することになるだろう。こうした計画立案に携わっている人々が、外国がこのような問題をど
のように対処してきたかということについてあまりにもわかっていない。国外の視察に出る官僚は
多いが、彼らは肝腎なところを見るのではなく、観光に行って帰ってきているだけである。問題は
33
これはおそらくL医師が訪日した当時の地方公務員数だと思われる(現在の日本の公務員数は国家公務員100
万、地方公務員300万の約400万人)。
163 大きい。以前台湾の10年計画の責任者にこの計画の立案に関わってほしいと頼まれた。後日電話す
るとのことだったが 2 年たっても連絡はなかった。その後できあがったものをみて「ああ、ゴミが
できただけだ」と思った。
Q)それでは今後改善される可能性はあるのか?
A)
(L医師)⇒スタートから間違っているのだから、初めからやり直すしかないと思う。関与す
べき人選を間違っているのだから、根本的な思想そのものが間違っている。日本は1958年に皆保険
制度を導入したが、介護という概念そのものは最近になって出てきたものである。理念そのものが
異なるのである。香港では1997年に中国に返還された際には EC(Elderly Commission)という組
織をもっていた。香港は小規模でも、当時から高齢者に関する組織の専任スタッフが20数名いた。
しかもスタッフの知識も豊富でみな豊かな学識を持ち、この問題をいい方向に導こうという理想も
高かった。もしそこで問題があると判断されれば、そのやり方を無理に押し進めると言うやり方は
とっていなかった。日本は官僚組織の論理が強いので、こうした問題を専門に研究している学者が
政策の制度設計に関わっていくことは少ない。台湾も同じである。日本でさえうまくやれていない
ことを、台湾がうまくやれるかというとそれは難しいだろう。アメリカがいいといえば台湾もいい
という。間違った方向に進んでいってもそれを正すシステムがない。
Q)外国人介護ヘルパーについてはどのように考えているか?
A)
(L医師)⇒自国で解決できるのであれば導入する必要はないのだが、必要に迫られて導入し
ている。自国で解決できないからである。しかし問題が大きすぎる。たとえば台湾では外国人ヘル
パーに関しては衛生署、内政部、労工委員会が関わっているが、この 3 つの部署は体制も異なれば
文化も違う。もしこの 3 つの部署が交流をもっても役には立たない。求めているものの考え方もそ
の質も異なる。一緒に問題にあたることができない。
外国人労働者の導入による経済的効果や彼らへの報酬などについて自分は語るほどの資料をもっ
ていないが、台湾全体にきている外国人労働者総数は34∼35万くらいで、そのうち16万人くらいが
介護の仕事に就いているはずである。台湾にいる外国人労働者全体の半数である。日本は部分的な
開放によって受け入れるつもりだろうが、求められている仕事の質は高く、負担が大きいからそれ
ほどうまくいかないのではないだろうか。
台湾にはもうひとつ問題があり、全面的に開放するとなるとおそらく中国大陸から人が押し寄せ
てくる可能性が高い。共産党のスパイもずいぶんもぐりこんでいるという冗談も囁かれるほどで、
現実問題として台湾が抱えている中国との関係は難しいものがある。しかし政府高官は今後大陸と
の関係を強化すると言っているので、今後この問題もどうなるかは不透明である。
ベトナム人は投機性が強い民族である。インドネシア人はあまり鋭敏ではない。自分はベトナム
の大学に講義に行ったことがあるが、彼らは中国に対する反感が強い。蒋介石は第二次世界大戦が
164
終わってからもハノイに10数万人を送り込んでいる。彼らと話していると彼らが中国人を侵略者と
みなしており、中国大陸についても相当な反感をもっていることがわかる。しかし台湾はベトナム
に対してはかなりの支援を行い、現在台湾とベトナムは比較的良好な関係が保たれている。彼らの
現在の民族性は歴史的に中国と台湾が関わった結果だともいえる。ベトナム人はさまざまな事柄に
おいて打算的傾向が強いので、はっきりいえばあまり正直ではない。国家自体もその時点でいちば
ん利益がある国を頼るという性質をもっている。フィリピン人にはフィリピン人の問題がある。
日本が多くの高齢者を抱えているのであれば、やはり外国人ヘルパーを導入しないとやっていけ
なくなるだろう。台湾は当初外国人ヘルパーの入国条件は緩やかだった。だんだん厳しくなって
いった。今日も会議でこの話題が出たが、台湾は高齢者介護にあたるヘルパーを最高で24万人導入
する予定で、いま現在外国人が16万人雇用されている。すでに全体の 3 分の 2 を占めており相当数
にのぼっている。この仕事は離職率が高いからである。台湾も介護士の待遇が低い 34。
Q)台湾の老人問題についてどのように考えているか?
A)
(L医師)⇒非常に深刻に受け止めている。おそらく台湾全土に200万ほどの高齢者がいると思
うが、その中には必ずケアアレンジをしなればならない老人がいる。在宅介護でも施設介護でも、
何らかのサポートが必要である。我々の病院では 2 週間に 1 度看護師が、医師は 1 か月に 1 度訪問
する訪問看護をやっている。必要なときには電話連絡をもらって応対している。
今年どれくらいのケアが必要だったから来年はどのように修正していくかなど、長期的な展望を
持って計画を臨機応変に変更し柔軟に運用するということが台湾では出来ておらず、今後も難しい
だろうと思っている。需要に対してどれくらいの供給をするか、できるかというのは予測可能だし
計算できるはずなのだが、そのあたりの調整がうまくできていない。
自分もこの問題については真剣に考えていたので、以前は衛生署の会議で意見を求められる立場
にあり、今年はこういうことをやりたいというような具体的な意見を述べていた。しかしこういう
(ご意見番としての)地位を求める人は多く、結果的にほかの人にその地位を奪われてからは衛生
署では何も改善されていない。台湾では地位を求める人は多いが、その地位に就いてからきちんと
責任を果たそうという人は少ない。たとえば海外視察に出かけても、結局何も学ばずに帰ってくる
だけでお金をずいぶん無駄にしている。
こういう問題を解決していくためには、どれくらいの資源(人材・経済)を投入し、どのように
やっていくのか具体的なビジョンがなければならないし、きっちりと計算することも必要だ。こう
いう方面についての解決は台湾では(台湾人の性格を考えると)難しいだろうと思っている。チー
ム医療という考え方すら定着させていくことができないのだから。
結局のところ200万老人のケアが必要であるといえば、何をどのように準備しなければならない
34
この後、台湾の医学系大学の特徴や歴史等を伺ったが、紙幅の制約があるためここでは割愛する。
165 かを考えるという話なのだが、根本的なところがなにもわかっていないので無駄が多い。いろいろ
な施設で外部評価監査をやっても、その施設の理念や方向性そして患者個人のカルテや入院記録と
あわせて評価しなければ意味がない。ただ単に人数や設備だけみても何の役にも立たない。福祉施
設でもカルテ式の詳細な記録を採っていくとよいと考えている。こういう方面では台湾はまだ未成
熟な部分が多い。現在のカルテからは何も見えてこないことが多い。大学ではいま若い医師にカル
テの書き方から教えている。何をどのように記入するのがよいのか、本当に必要な情報は何かとい
うことから始めないといけない。これは電子カルテを採用するかどうかというのとは、また別次元
の話なのである。必要な情報を書き込むためのカルテの様式を整えるというのも急務であろう。
5 .おわりに
本稿は2008年秋に台湾台北市で行ったインタビュー調査記録の一部を整理した。本稿では割愛し
たが、行政関連ではまず高齢者福祉行政を扱う内政部社会司を訪ねた。内政部では2006年予備調査
時に台湾の高齢者福祉全般の現状を聴いて関連資料の提供を受け、2008年調査時には開始されたば
かりの国民年金の話題を中心に、縦割り行政によって高齢者問題が一元的に扱われていないことに
関する意見交換ができた。
今回とりあげた外国人介護労働者については、働いてもらう立場にある衛生署と管理する側の労
工委員会双方の関係者に話を聴くことができたことにより、それぞれの立場の違いが理解できた。
衛生署関係者は台湾政府の方針にしたがって外国人介護労働者の雇用拡大には消極的な立場である
ことを鮮明にし、
「10年計画」の実施にあたっても外国人導入枠の拡大ではなく台湾人ヘルパーの
育成に力を入れて台湾人介護者の増加を目指す 35 方針を述べ、担当者自身も個人的にはなるべく外
国人の雇用は避けたいという見解を語っている。しかし実際に外国人介護労働者を雇用している施
設経営者は人材確保という観点から外国人ヘルパーの流動性の低さと仕事の熱心さを評価してお
り、台湾人ヘルパーの労働の質が今後飛躍的に高くなる、あるいは流動性が低くなるとは思えない
と述べている。その点については後日訪問したフィリピン人介護ヘルパーを雇用している公設民営
の高齢者福祉施設の担当者からも同様の見解を聴くことができたので、実際に外国人介護労働者を
雇用している現場の声と行政側の意見の相違は興味深いものがあった 36 。ただこの点については台
湾の外国人介護労働者のほとんどが個人家庭で雇用されており、施設雇用割合が外国人介護労働者
全体の 5 %程度にとどまっているという特殊な事情を考慮しなければならないだろう。
35
2009年 6 月に台湾政府は外国人介護労働者の非営利団体や通所施設への受入れ規制緩和方針を打ち出したが、
あくまでも台湾人ヘルパー増加に至るまでの過渡的措置であり、台湾人介護者数が一定水準に達した時点で厳
しい制限を加える予定だという。
36
高齢者福祉施設の外国人介護労働者の雇用状況に関しては城本(2010b)pp.50-59を参照のこと。この公設民
営施設で雇用されているフィリピン人スタッフは母国では全員看護師や介護士の資格を持っており、ケア能力
も高いと評価されていた。
166
一方、外国人介護労働者を管理し、雇用を監督する立場にある労工委員会の担当者は、外国人労
働者は台湾人の嫌う仕事をしてくれているのだから台湾人にとっては本来感謝すべき存在であり、
人権が尊重されるべきだという考えを強調していた。衛生署では労工委員会が外国人労働者の受け
入れ自体を削減したがっているとの見解を述べていたが、今回対応してくれた労工委員会の担当者
は外国人労働者の社会的地位の向上のために熱心に取り組んでおり、諸外国の労働移民に関する問
題等についてもよく研究されている印象を受けた。立場上の発言もあったとは思うが、実際に外国
人労働者に関するさまざまな問題に直面している部署の担当者であったので、経済格差のために出
稼ぎに来ている外国人労働者たちが「困った存在」であってはならないという思いはこちらにも伝
わった 37。
本稿でとりあげた応対者はみな国家公務員であり、社会的地位も高く、老後保障についても不安
の少ない人々である。その多くが高学歴者であり、海外への留学経験や視察経験をもち、外国人へ
の応対にも慣れている。別稿で扱った高齢者福祉施設関係者への聴き取りにおいても、公務員とい
う身分保障のある人々は、いずれも施設への外国人労働者の導入には消極的で、無用なトラブルを
避けるためになるべくなら雇用はしたくない、という見解を持っていた。外国人介護労働者に対す
る評価が高かったのは実際に彼らを雇用している民営施設の関係者である。そうした中でL医師の
ように外国人介護者枠を縮小していくことは現実的でなく、政府の高齢者福祉全体の方針について
も現実に即して長期的視野に立って柔軟に対応していくことが現状ではできていないという批判も
聴けたことは大きな収穫であった。
日本では在宅で家族が高齢者を看取ることが当たり前だった時代を経て、高齢者の施設扶養が提
唱された。予想を上回る速度で高齢化率が上昇し、そこに介護や看護職者の不足も加わり、施設介
護が追いつかない状況になってから「施設や病院ではなく自分の家で最期を看取る」ことをうたっ
た在宅介護が再び提唱され始めた。はじめから施設ケアと在宅ケア、コミュニティケアが同時進行
的に推進されてきたのではなく、在宅ケアが再提唱された頃にはすでに核家族化、小家族化の進行
によって家族のケア能力は縮小され、少子化の進行により人口構造も大きく変化し、実際にはとて
も在宅介護を家族のみで担いきれる状態にはなかった。子世代が就職や結婚で親元を離れ、遠隔地
で新たな家族をもって生活している人が増え、同時に晩婚化・未婚化も進んだからである。
台湾や中国では、施設介護はあくまでも身寄りのない高齢者の救済措置的な位置づけにあり、在
宅ケアがあたりまえのこととして社会的に共有される価値観をもっている。政府は在宅ケアを推進
する方向で高齢者福祉を設計しているが、台湾は日本以上に急激な少子化が進行しており、日本同
様家族のケア機能は減少している。そこを埋める存在としての外国人介護労働者や在宅介護の担い
37
ただし彼らはあくまでも低賃金で雇用される外国人労働者を管理する側であり、対等な一個人としての人権
尊重というよりも「人道上守ってやらなければならない弱者」に対する視線は言葉の端々に感じられたのも事
実である。
167 手として期待されている外国籍配偶者たち38 の存在は、政府が厳しい受け入れ制限をしない限り、
増えることはあっても減ることはないと考えられる。介護保険の導入が遅れ、外国人雇用の規制緩
和は台湾人ヘルパーの育成供給が需要に追いつくまでの過渡的措置といわれているが、台湾人ヘル
パーをとりまく社会環境そのものが変化しなければ、今後もマンパワーの不足による外国人導入枠
の拡大は避けられないと思われる。
2012年秋には衛生署衛生局と内政部社会司を合併し、あらたに〈衛生福利部〉をたちあげ、少子
高齢化に対応する医療・福祉関連部署の一元化が目指されている。今後台湾における高齢者福祉が
どのように変容していくのか関心をもって見守りたい。
【付記】本稿は、平成20∼23年度 JSPS 科学研究費補助金基盤研究(C)20530449「台湾の高齢者福
祉に関する研究(研究代表者:城本るみ)」の助成を受けた研究成果の一部である。
〔日本語文献〕
城本るみ(2010a)「台湾における高齢者福祉政策と施設介護」
弘前大学人文学部『人文社会論叢』
(社会科学篇)第23号
―(2010b)「台湾における外国人介護労働者の雇用」
弘前大学人文学部『人文社会論叢』
(社会科学篇)第24号
―(2012) 「台湾における介護者としての大陸籍配偶者」
弘前大学人文学部『人文社会論叢』
(社会科学篇)第27号
〔中国語文献〕
内政部統計處(2009)
『中華民國98年老人状況調査報告』
内政部社會司(2008)
「老人福利現況及發展」
(簡報)
―(2006)
「我國老人福利政策現況及展望」
(老人福利科簡報)
38
外国籍配偶者のなかでも大陸籍配偶者はとくに将来的な介護不足を担う者として政府からも期待されている。
城本(2012)
「台湾における介護者としての大陸籍配偶者」
(弘前大学人文学部『人文社会論叢』
(社会科学篇)第
27号)pp.75-82を参照のこと。
168
【研究ノート】
等値線に基づく地域区分を実行する算法について
増 山 篤
1 .はじめに
一つの地域が、単変量ないし多変量属性の与えられた空間単位の集合からなるとする。このとき、
・どの空間単位のグループ(以下、部分地域)も空間的に連坦している
・一つの部分地域を構成する空間単位はなるべく似通った属性値を持ち、部分地域内部は最大限
均質となる
という二つの条件(以下、これらの条件をそれぞれ「連坦性条件」、
「均質性条件」と呼ぶ)を理想
的には満たすものとして、空間単位の集合をグループに分ける試みは「regionalization」と呼ばれ
る 1 )。この単語に定まった訳はないため、この研究ノートでは、
「地域区分」と訳すことにする。
地域区分を行うことが求められる場面は多い。具体的としては、生態地域分析、公衆衛生分析、
(地図の)総描、センサス区設計などが、地域区分を行うことの求められる場面の例として挙げら
れる(Guo 2008)
。
幅広い場面における地域区分を行うことのニーズから、これまでさまざまな地域区分方法が提
案されてきた 2 )。それらの中で、等値線にしたがって地域区分を実行する方法(以下、等値線法)
は、連坦性条件を必ず満足し、他の方法よりも均質性条件に適う区分が得られると期待される(増
山 2010; 2012)。ただし、等値線法を確かに実行に移し、なおかつ、現実的な計算時間で動作する
算法を構成するのは必ずしも容易ではない。この研究ノートでは、等値線法を実行する算法を構成
することの難しさについて考察する。
2 .等値線法とそれを実行する算法
まず、ごく簡単に等値線法を説明しておく。等値線法では、空間単位の持つ属性が単変量の場合
は、その単変量属性値をそのまま地域区分に用いることにする。属性が多変量の場合は、各空間単
位に第一主成分得点を与え、これを地域区分に用いることにする。そして、隣接する部分地域間に
は単変量属性値あるいは第一主成分得点の等値線が通っている区分を列挙する。最後に、列挙され
169 た区分の中から、最も均質性条件に適うものを探し出す 3 )。
2 - 1 .二つの部分地域へと区分する場合
部分地域数が 2 であれば、以下に示すように、等値線法を実行する算法を構成することは決して
難しくない。その算法がどのようなものとなるか直観的に説明しよう。
仮に、各空間単位を、それぞれの単変量属性値もしくは第一主成分得点の大きさの分だけ、 上
に持ち上げた とする(図 1 )。すると、 地形 のような起伏ができることになる。ここで、上方
から 水平面 を下ろしていくと、この 水平面 と 地形 との交差箇所に、等値線は現れることに
なる。そこで、この 水平面 を下ろす位置を徐々に下げてゆき、それに応じて(交差箇所に現れ
る)等値線の推移を記録してゆけば、あらゆる等値線が列挙されることになる。明らかに、ここで
列挙された等値線はいずれも、連坦性条件を満たしつつ、一つの地域を二つの部分地域に区分す
る。つまり、列挙された等値線の中から一本を選び出すことと連坦性条件を満たすように二つの部
分地域へと区分することは同値である。したがって、この場合、等値線法を実行するには、あらゆ
る等値線の中から最も均質性条件に適う区分となるものを探せばよい。等値線の本数のオーダーは
空間単位数のオーダーと等しいはずだから、このときの等値線法の実行に要する計算量が、我々の
手に負えないものになるとは考えがたい。以上みてきたように、一つの地域を二つの部分地域へと
区分するのであれば、現実的な計算時間で等値線法を実行する算法を構成できる。
図 1 等値線を列挙する手順の直観的説明
170
2 - 2 .三つ以上の部分地域へと区分する場合
2 - 1 節では、列挙された等値線から一本を選ぶことで、現実的な計算時間で等値線法を実行す
ることができることを示した。このことを踏まえて素朴に考えると、三つ以上の部分地域へと区分
する場合にも、前節で述べたようにして列挙される等値線から何本かを選び出せば良いように思わ
れる。より明確に言えば、部分地域数を
としたとき、最大限に均質性条件に適うように( - 1 )
本の等値線を選び出せば良いように思われる。しかしながら、文字通りに等値線法を実行に移し、
なおかつ、現実的な計算時間で動作する算法を、このようにして構成することはできない。
まず、 が大きくなるにつれ、等値線を選び出す場合の数は組み合わせ的に増加するから、この
ことだけからも、等値線法を文字通りに実行する算法を構成できるとは言えない。また、そもそも
このような方法(何本かの等値線を選び出す方法)で、 個の部分地域への区分が列挙されること
はない。前節で述べたようにして列挙された等値線には、互いに重なり合うものが存在する(例え
ば、図 2 )。したがって、
( - 1 )本の等値線によって、
( + 1 )個以上の部分地域への区分となる
ことがありうるため、列挙された等値線の中の( - 1 )本を選び出すという方法では、そもそも
(部分地域間に等値線が通る)N 個の部分地域への区分が列挙されることはない。
図 2 互いに重なり合う等値線の例
! "#$%&'($)*
(部分地域間に等値線が通る) 個の部分地域への区分を列挙することは、再帰的に区分する
ことで実現できるようにも思われる。つまり、まずは 2 - 1 節で述べた手順にしたがって、
(等値
線にしたがった)二つの部分地域への区分を列挙する。次に、このどちらの部分地域についても、
2 - 1 節で述べた方法によって、さらに二つに区分する場合を列挙する。これによって、
(等値線に
したがった)三つの部分地域への区分が列挙され、以下同様にして、部分地域をさらに二つに区分
することを繰り返せば、部分地域数がいくつであっても、部分地域間に必ず等値線が通る区分を列
挙できるようにも思われる。しかしながら、このような再帰的区分に基づいたとしても、文字通り
に等値線法を実行に移す算法を構成するには至らない。
今、 個(
≧ 3 )の部分地域に区分されており、どの部分地域間にも等値線が通っているとし
よう。ここで、等値線を挟んで、空間単位の持つ単変量属性値ないし第一主成分得点が低い側か
ら高い側へ矢印を引くものとしよう。ここで、部分地域間の境界線をつないで、一つの地域を二つ
171 の部分地域を区分するような線をとったとしよう。こうした線には、一つの地域を二つに 切断す
る もの(図 3(a))と 一周する するもの(図 3(b))がある。前者の線の場合は、一方の端点か
らもう一方の端点へ、後者の場合については、どこか適当な点からその点まで戻ってくるように、
線に沿って 歩いた としよう。このとき、この歩いていく過程において現れる矢印の向きが一定
でない(切り替わることがある)のであれば、この線が等値線であることはありえない。したがっ
て、例えば、二つの部分地域へと区分するどのような線についても、その上を歩いたときに矢印の
向きが切り替わるのであれば、この区分は、まず最初に( 2 - 1 節で述べたようにして列挙される)
等値線を選ぶことによって見いだされることはありえない。実際に、そのような区分は存在しうる
から(たとえば、図 4 )
、したがって、再帰的な区分を行うことで漏れなく見出すべき区分を列挙
できるとは限らない。つまり、文字通りに等値線法を実行する算法を構成することはできない。
図 3 一つの地域を二つの部分地域に区分する線の分類
図 4 再帰的区分によって等値線法を実行することができないことを示す例
!
3 .まとめと今後の課題
以上みてきたように、二つの部分地域へと区分するのであれば、現実的な計算時間で等値線法を
実行する算法を構成することは決して難しくない。しかし、三つ以上に区分するとなると、等値線
法を実行に移す算法を構成するのは甚だしく困難になる。比較的容易に思いつく方法では、いずれ
にしても計算量が膨大なものとなり、また、そもそも見出すべき区分をすべて列挙することがで
きない。このように、それを実行する算法という点において多くの課題を残すものの、等値線法に
172
よる地域区分は、従来方法よるものと比べたとき、より均質性条件に適うものになると期待できる
(増山 2010; 2012)
。このことと部分地域数に依らず等値線法を実行する算法を構成することの困難
さとを考え合わせると、今後の課題としてまず考えられるのは、等値線法を実行する近似算法を考
案することであろう。
注
1 )Berry(1961),Haining et al.(2000)
, Assunção et al.(2006),Guo(2008)などにおいて、
「regionalization」とい
う語が、この研究ノートで述べた意味で用いられている。
2 )主立った方法としては、ランダムな初期区分から始めて、部分地域間で空間単位の入れ替えを繰り返して
いく方法や連坦性条件を考慮して階層的クラスター分析法を拡張した方法がある。詳しくは、増山(2009)
を参照されたい。
3 )部分地域内の均質性を表す指標としては、偏差平方和を用いることが多い。ここでも、均質性条件をより
詳しく定義するならば、
「偏差平方和が大局的に最小となること」とする。
参考文献
Assunção, R.M., Neves, M.C., Cãmara, G. and Da Costa Freitas, C.(2006)Efficient regionalization techniques
for socio-economic geographical units using minimum spanning tree,
20(7)
, 797-811.
Berry, B.(1961)Method for deriving multifactor uniform regions,
, 33, 263-282
Guo, D.( 2008)Regionalization with dynamically constrained agglomerative clustering and partitioning
(REDCAP)
,
, 22(7),801-823
Haining, R., Wise, S. and Ma, J.(2000)Designing and implementing software for spatial statistical analysis in a
GIS environment,
, 2, 257-286
増山 篤(2009)
「都市計画およびその周辺分野における地域区分方法」
,
都市計画報告集,8(2),
106-113(available
at https://www.jstage.jst.go.jp/article/cpijreports/8-2/0/8-2_0_106/_pdf)
増山 篤(2010)
「空間的連坦かつ最大限均質な部分地域への地域区分となるための必要条件」
,地理学評論,83
(6),585-599
増山 篤(2012)
「等値線に基づく地域区分方法と他方法との比較」,日本地理学会2012年春季学術大会発表要旨
集,p.65
173 弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢』の刊行及び編集要項
平成23年4月20日教授会承認
この要項は,弘前大学人文学部紀要『人文社会論叢』
(以下「紀要」という。
)の刊行及び編集に
関して定めるものである。
1 紀要は,弘前大学人文学部(以下「本学部」という。
)で行われた研究の成果を公表することを
目的に刊行する。
2 発行は原則として,各年度の8月及び2月の年2回とする。
3 原稿の著者には,原則として,本学部の常勤教員が含まれていなければならない。
4 掲載順序など編集に関することは,すべて研究推進・評価委員会が決定する。
5 紀要本体の表紙,裏表紙,目次,奥付,別刷りの表紙,研究活動報告については,様式を研究
推進・評価委員会が決定する。また,これらの内容を研究推進・評価委員会が変更することがある。
6 投稿者は,研究推進・評価委員会が告知する「原稿募集のお知らせ」に記された執筆要領に従っ
て原稿を作成し,投稿しなければならない。
「原稿募集のお知らせ」の細目は研究推進・評価委
員会が決定する。
7 論文等の校正は著者が行い,3校までとし,誤字及び脱字の修正に留める。
8 別刷りを希望する場合は,投稿の際に必要部数を申し出なければならない。なお,経費は著者
の負担とする。
9 紀要に掲載された論文等の著作権はその著者に帰属する。ただし,研究推進・評価委員会は,
掲載された論文等を電子データ化し,本学部ホームページ等で公開することができるものとする。
10 紀要本体及び別刷りに関して,この要項に定められていない事項については,著者が原稿を投
稿する前に研究推進・評価委員会に申し出て,協議すること。
附記
この要項は,平成23年4月20日から実施する。
執筆者紹介
大 倉 邦 夫(ビジネスマネジメント講座/経営学)
大 橋 忠 宏(情報行動講座/地域科学)
児 山 正 史(公共政策講座/行政学)
柴 田 英 樹(ビジネスマネジメント講座/会計監査論・環境会計論)
平 野 潔(公共政策講座/刑法)
石 岡 学(附属雇用政策研究センター/教育社会学・歴史社会学)
齋 藤 義 彦(国際社会講座/現代ドイツ論)
城 本 る み(国際社会講座/現代中国論)
増 山 篤(情報行動講座/地理情報システム)
編集委員(五十音順)
◎委員長
北 島 誓 子
齋 藤 義 彦
作 道 信 介
柴 田 英 樹
城 本 る み
田 中 岩 男
田 中 一 隆
◎長谷川 成 一
日 野 辰 哉
宮 坂 朋
人文社会論叢(社会科学篇)
第28号
2012年 8 月31日
編 集 研究推進・評価委員会
発 行 弘前大学人文学部
036-8560 弘前市文京町一番地
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/
印 刷 やまと印刷株式会社
036-8061 弘前市神田四 四 五
28
OHKURA Kunio ………… The process of interorganizational learning in social collaboration:
of recycling business in the textile industry
1
The case …………………………………………………………………………
OHASHI Tadahiro
………… Empirical study about the characteristics of Japanese domestic
aviation market using
OD data among round-trip-area within a day
25
……………………………………………………………
KOYAMA Tadashi
………… Quasi-Market and School Choice in Japan (2):
Research and Study
39
Review of Empirical ……………………………………………………………
SHIBATA Hideki………… A Consideration of Audit
Procedures based on Audit Culture
63
……………………………………………………………
HIRANO Kiyoshi………… Sexual Crime Cases
and Saiban-in Trial
79
………………………………………………………………
ISHIOKA Manabu………… The Meaning of Reserving Judgment on the “Autumn Enrollment”
Plan: Toward a Departure from the Dependence on Selections of
Entrants …………………………………………………………………………103
SAITO Yoshihiko………… Regierungserklärung von Bundeskanzlerin Angera Markel zum
G8-Gipfel und zum NATO-Gipfel vor dem Deutschen Bundestag
am 10. mai
…………………………………………………………………………123
SHIROMOTO Rumi
on Welfare for Senior Citizens in Taiwan
135
………… Some Notes………………………………………………………………………
MASUYAMA Atsushi
for an isopleth-based regionalization method
169
………… On the algorithm
…………………………………………………………………
ISSN 1345-0255
Fly UP