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第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」 序章 「約束」か「詐欺」か 一

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第二部 ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」 序章 「約束」か「詐欺」か 一
第二部
ナショナリズムの台頭と「報復の連鎖」
――『永遠の0(ゼロ)
』の構造と隠された「日本会議」の思想
序章 「約束」か「詐欺」か
一、「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」
一二の章、およびプロローグとエピローグから成る作家・百田尚樹のデビュ
ー作・『永遠の0(ゼロ)』は、二〇〇六年に太田出版から発行された。この小
説はたいへん好評で二〇〇九年には文庫化されて講談社から発行され、安倍首
相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』に収められた対談では、もう
すぐ三〇〇万部を突破しそうです」と語り、同名の映画が公開されるまでには
「四〇〇万部いくのではないか」と語っている*1。
ただ、単行本には「この小説のテーマは『約束』です。/言葉も愛も、現代(い
ま)よりずっと重たかった時代の物語です。」との著者からのコメントが付けら
れていた*2。
たしかに、
「個人」のレベルでならば、そのような場合もありえたとは思える。
しかし、戦争中の「時代」に関しては、その記述は歴史的な事実に反するだろ
う。
「無敵皇軍」などのスローガンによって多くの日本の若者が勇躍戦地に赴い
たが、この小説の第五章で元海軍飛行兵曹長の井崎が語っているように、ガダ
ルカナル島の戦闘では「三万以上の兵士を投入し、二万人の兵士がこの島で命」
を失ったが、
「二万のうち戦闘で亡くなった者は五千人で」、
「残りは飢えで亡く
なった」ために、ガダルカナルは「餓島」とも書かれるほど悲惨な戦いを強い
られていた*3。
さらに、第八章では「玉砕」という言葉について問われた元海軍少尉の岡部
が、
「全滅という意味です。ひとつの部隊全員が死ぬことです。全滅という言葉
を『玉砕』という言葉に置き換えて、悲惨さを覆い隠そうとしたのです。当時、
日本軍はそういう言葉の置き換えをあらゆるものにしていました」と説明して
いる。
つまり、これらの作中人物が語る言葉に留意するならば、小説が描いている
のは「言葉も命も、現代(いま)よりずっと軽かった時代の物語」なのである。
それをあえて「言葉も愛も、現代(いま)よりずっと重たかった時代」と言い換
えた著者からのコメントは、戦前に語られた「王道楽土」や「八紘一宇」など
の標語を美化しようとした著者の秘められた本音が露呈しているように思える。
二、義理の祖父・大石賢一郎の謎
第一章の「亡霊」の章では、祖母の二番目の夫である大石賢一郎について、
「ぼ
くは祖父が好きだった。司法試験を目指したのも弁護士である祖父の影響だ。」
と記され、
「祖父は国鉄職員だったが、三〇歳を過ぎてから司法試験に合格して
弁護士になった努力の人だ」と書かれているばかりでなく、
「祖父は貧しい人た
ちのために走り回る弁護士だった。使い古された言葉で言うなら清貧の弁護士
だ。ぼくはその姿を見て弁護士を目指したのだ」とも記されている。
ただ、その祖父の大石がどのような歴史観や宗教観の持ち主であるかは最後
の章までほとんどふれられていない。一方、健太郎の母・清子は第二章で「私
の本当の父が母を愛していたかどうか、母も父を愛していたかどうかは、永遠
の謎だと思う」(太字は引用者)と語りつつも、「父が亡くなったのは二六歳の
時よ。今の健太郎と同じなのよ」と自分の父と息子の比較を行い、
「父がどんな
青年だったのかは、お母さんに教えてもらいたかったわ」と語っていた。
しかし、小説を読み進むと実の祖父の宮部久蔵が強く妻・松乃と娘・清子を
愛しており、その写真を常に持っていたばかりでなく、戦時中も絶対に生きて
戻ると公言していたことが判明する。しかも、最終章では大石が祖母の松乃に
求婚した際には、「宮部さんは私にあなたと清子ちゃんのことを託したのです。
それゆえ、わたしは生かされたのです」とまで語っているのである。それにも
かかわらず、なぜ大石は義理の娘に本当の父親の生き方を伝えていなかったの
だろうか。つまり、大石家では家族関係を支える基本的な愛情についても語ら
れぬままに時間が過ぎていたのである。
映画《永遠の0(ゼロ)》の宣伝文では「六〇年間封印されていた、大いなる
謎――時代を超えて解き明かされる、究極の愛の物語」と謳われていた(太字
は引用者)。だが、母・清子の言葉に注目するならば、「大いなる謎」とはなぜ
義理の祖父である大石が孫たちの実の祖父である宮部のことを六〇年間も封印
していたのかということになるだろう。
この意味で注目したいのは、広島と長崎への原爆の投下を知って「もしそう
だとすれば、日本という国は本当に滅んでしまうかもしれないと思った」と大
石に語らせた作者が、
「自分たちが特攻で死ぬ事で祖国を守れるなら、潔く死の
うと思った」と続けさせていることである。
この言葉は「命が大切」と語っていた実の祖父・宮部久蔵の考えとは正反対
の「一億玉砕」の思想のように思える。以下、言論人・徳富蘇峰や作家・司馬
遼太郎の歴史観に注目しながら、登場人物たちの発言を詳しく分析することに
より大ヒットしたこの小説に隠された思想に迫ることで、二〇〇六年に発効さ
れたこの小説が「日本会議」の思想と安倍首相の復権に深く関わっていること
を明らかにしたい*4。
註
*1
安倍晋三・百田尚樹『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』ワック株式会社、二〇一三
年、六四頁。
*2
ネット・ショップ「アマゾン」の図書紹介による。
*3
百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』講談社文庫、二〇一四年、二〇一頁。以下、本書では
章のみを表記する。
*4 菅野完は、二〇〇六年に「戦後レジームからの脱却」などを掲げて総裁に選出された安
倍首相が翌年の参議院選で大敗北を喫し、次の国会で所信表明演説を行ってからわずか二
日後に退陣を表明したことで、政治生命が完全に絶たれたように思われたが、保守論壇誌
には「極めて早い時間から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶように」
なっていたと指摘している(『日本会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、七~八頁)。
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