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万葉の里かつらぎ町に関する歌は、こちらから
万葉G)里hIつらet これやこの 大和にしては 背の山。これこそまさしくその名にそむかぬ背の山よ。 紀州路にあるとしてかねて大和で私が心ひかれていた 真木の葉の ・ま き 紀路にありといふ きぢ この気持ちを分かってくれたであろう。 賞美することもできずに越えてゆくが、木の葉は私の 真木の葉がよく茂りたわむ背の山を、私はゆっくり Y.丁し) 我が越え行けば ^ しなふ勢能山 妹の恋ひ 巻1-三五㌧ 阿閉皇女 いも せのやま 巻三-二九l、小田事 お 木の葉知りけむ 妹に恋ひずて 我が越え行けば こま しのはずて ▲〃 たくひれの かけまく欲しき をだのこと 妹山といったらどうだろう。) 山にかけてロにしてはどうだろう。(背の山に代えて ロに出して呼びたい 〝妹〃 の名を、この背という名の あるがともしさ この勢能山に かけばいかにあらむ 巻七-一二〇八 背の山の せやま せのやま 宜しなへ 我が背の君が よろわせ 今さら妹山とは呼びますまい。 結構なことにもわが背の君同様「背」という名を持つこの山を 巻三-二八五㌧ 丹比真人笠麿 この背の山を せ 妹の名を たぢひのまひとかさまろ いも 勢能山に せのやま 山の紅葉は今日散っているだろうか。 旅路の背 山に紅葉が絶えず散りつづけている。大和の神岡の 妹とは呼ばじ 山の黄葉は 紀伊道にこそ 黄葉常敷く もみぢつねし 神岡の かみをか きぢ あったことだ。 紀の国に妹山があるというが、二上山だって妹山が 今日か散るらむ けふ 二上山も 妹こそありけれ ふたかみやま 妹山ありといへ 玉くしげ いもやま 巻九-一六七六 巻七-一〇九八 我が恋ふる 名に負ふ背の山 のが羨ましいことよ。 背の山が妹の山と一緒にいて恋い苦しんでいない 妻への恋心に苦しみつ 山路を越えて行くと、 巻三-二八六、春日蔵首老 いも 負ひ采にし おき あへのひめみこ ふじこ 妹があたり 今そ我が行く 目のみだに ことばはなくとも。 せめて幻の中にだけでもわが妹(妻)は見えてほしい。 妹山を通り、妹のあたりを今こそ私は通っているのだ。 我に見えこそ 言問はずとも われこと わ 後れ居て 恋ひつ あらずは 紀伊の国の おくゐき 背の山に せやま 麻衣 着ればなつかし たのか、妹の山には打橋を渡していることよ。 背の山に真向かいの妹 山は、背の山 いう事をきい く紀の国の妹背の山でありたいものを。 後に残って恋い苦しんでいな で、あなたの歩いて あさごろもき の山に麻をまくいとしい子よ。 麻の衣を着ると懐かしく思い出される。紀の国 妹背 巻七-一二二 妹背の山に あらましものを 事許せやも いもせ 妹背の山に ゆる 直に向へる いもせ ただ 巻七-二九五、藤原 巻四-五四四㌧ 笠朝臣金村 打橋渡す うちはし 麻蒔く我妹 妹の山 人ならば 母が愛子そ いもやま まわぎも 紀伊国の きのくに 巻七-一一九三 紀ノ川沿いの妹山と背の山よ。 もし人間だったら母の最愛の子であろう。 ふぢわらの 紀の川の辺の きかはへ まへつきみ 卿 まなご 我妹子に 巻七-二一〇九 妹と背の山 いもせ わぎもこ ことに並んでいるよ。妹の山と背の山は。 いとしい妻を思いつ 旅を行くと、うらやましい あさもよし 並び居るかも 我が恋ひいけば あ 杏 巻七-1二一〇 妹と背の山 ともしくも 大汝 少御神の 作らし なった妹背の山は見ると立派なことよ。 大汝(大国主)と少御神(少産名)の神々がお作りに おはなむちすくなみかみ ○ 妹背の山を 見らくし良しも いもせ いま二日だみ 君は聞LL 巻七-二一四七㌧ 柿本人麻呂歌集 女よ。」ということだった。 ければ二日ほどだろう。だからそれほど恋しがるな 帰って来ないのだ。帰りまで遅ければ七日ほど、早 玉を探していて、帰って来ないのだ。拾おうとして お前が待つあの人は、沖の波や岸の波に寄り来る白 聞いたところ、夕占が告げていうにはrこれ女よ、 こられるかと玉梓の道に出かけて夕占をして私が 妹の山背の山を越えて行ったあなたがいつ掃って 紀の国の浜に寄るという真珠を、拾おうといって、 久ならば ひさ 辺つ波の 君が来まさぬ 汝が待つ君は な 夕占の 我に告らく 我妹子や 道に出で立ち 夕占を 我が問ひしかば 拾はむと言ひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉梓の ふつか われのわぎもこ いま七日だみ 早からば 寄する白玉 求むとそ な恋ひそ我妹 あらむとそ わぎも 巻十三-三三1八 なぬか 拾ふとそ 君は来まさぬ ひり 沖つ波 来寄る白玉 ゆううらわ きたまほこ ひりいもせ 紀伊の国の 浜に寄るといふ 飽玉 きあはぴたま