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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
文化環境論の構築へ向けて
Author(s)
松田, 雅子
Citation
長崎大学総合環境研究 6(1), p.63-72; 2003
Issue Date
2003-10-31
URL
http://hdl.handle.net/10069/5423
Right
This document is downloaded at: 2017-03-31T19:26:12Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学総合環境研究
第 6巻
第 1号 pp. 6
3-7
22
0
0
3
年1
0
月
文化環境論 の構築へ向けて
AGui
de
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松田 雅子
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序論
スタデ ィーズの創始者の一人 となった文芸批評家 で
ある。階級制度がいまだに残存す るイギ リス社会で、
2
0
0
2
年 より実施 された長崎大学環境科学部の新 カ
1
9
3
0-4
0
年代 に、 中流 ・上流 階級 のための教育機
リキュラムにおいて、「
文化環境論」は環境政策 コー
関である大学で学んだウィリアムズは、階級 による
スの基礎科 目の一つ として、 2年生対象 に開講 され
文化の違 いに深 く思 いをめ ぐらす。 その思索の結果
ている。 しか し、文化 という概念の包含す るものが
きわめて広 く、多岐にわたっているばかりではなく、
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vol
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on,(
1
9
61),
生 まれ た の が 、 Th
Cul
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1
9
81
)などの文化をめ ぐる一連 の著作 であ
文化 と環境問題 との関連 に関す る議論が既存の学 問
eLo
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uol
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i
o
nのなかで、彼 は文化 につ
る。 Th
領域 と して積み重ねが少ないので、 どのように取 り
3
)
いての三つの定義 を示 している。 (
若松 4
組めばいいかが課題 となっている。地域文化的 な側
(1)文化を「
理想」と考える定義。 この定義では、
面ばか りではな く、 もっと広 いパースペクテ ィブで
∧ 文化 の分析 は 「
人間 に普遍的な状況 と永遠 に結
文化を考察す る視点 も、 求 め られて いるよ うであ
びっいていると見 ることがで きるさまざまな価
る1
)
。小論では、 まず現代 における文化 とその役割、
値をさまざまな生活や作品 に見つけ出 し、記 す
文化帝国主義、異文化交流、 イギ リスバー ミンガム
こと」である。
大学 に端を発す るカルチュラル ・スタデ ィーズ、 さ
(2)文化を 「
記録」 と考える定義。 この定義では、
らに具体例 としてイギ リス文化などについて考察 し、
「
文化 は、知性 と構想 力 を働 かせて作 られた も
その後、「
文化環境論」をどのように組み立てて いけ
のの全体であって、細かなところまで、人 間の
ばよいか、 イギ リス文化の視点か ら考えてみたい。
考えや体験のさまざまな姿が記録 されている も
の」である。
第 1章
文化を生活そのものとしてとらえるカルテュ
(3)文化を「
社会生活 のあ り方」と考え る定義。 こ
ラル ・スタデ ィーズ
の定義 に従えば、文化 の分析 は「特定 の生活 の
文化 という概念が意味す るものは、 きわめて多様
仕方、特定の文化 に暗黙の内に、 また、 は っき
である。 自然 に対抗 し人間が作 り出 した ものすべて
りとした形で含 まれている意味 と価値 とを明 ら
であると、
いう立場か ら、伝統 に裏付 けられ高度 に洗
かにす ること」である。 それだけで はな く、「生
練 された教養 とみ る見方などがその例である。 その
産の組織、家族の構造、 さまざまな社会関係 を
なかで、 ウィリアムズの定義 はこの多様 さに方 向性
表現 あるいは規定 しているさまざまな制度 の構
を与えて くれるように思われる。
造、 その社会の構成員が コ ミュニケー トす る時
の独 自な形式、の分析を も含んでいる。」
1) レ イ モ ン ド ・ウ ィ リ ア ム ズ (
Raymond
Wi
Hi
ams
) の三つの定義
これまで、文化 というときには教養、伝統 と結 びつ
いたハイ ・カルチ ャーすなわち第一や、第二 に定義
ウェールズの労働者階級出身のウィリアムズは、
されたものを意味 しがちであった。たとえば、マシュー
・ア - ノル ド(
Ma
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)の Cul
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ケ ンブ リッジ大学で学 び、 イギ リスカルチュアル ・
Anar
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1
8
6
9)が 『教養 と無秩序』 と訳 されたの
受領年月 日 2
0
0
3(
平成1
5
)年 6月 1
0日
はその例である。 しか し、現代の文化 は第三 の定義
受理年月 日 2
0
0
3(
平成 1
5
)
′年 8月 4日
で把握 されるようにな っていて、本論で もこの枠組
-6
3-
総合環境研究
第 6巻
第 1号
松田 雅子
みを中心 に考えていきたい。
で きたが、 そのかわ りに環境 と資源の臨界 とい うも
うひとつの深刻な問題 に直面す るようにな った。 こ
2)文化の現代的重要性
の推移の核心 は、「
情報 による消費 の無限空間の創
文化を、社会、政治、経済などと区別 して独立 し
た もの ととらえる古典的な見方 は、現在ではもはや
出」であり、 このことによる、矛盾の外部化である。
(
見田 1
9
9
6b4)
すたれて きた。 その理由は、文化を分離す ることに
この変化を文化 とい う面か ら見 るな らば、モー ド、
よって、「
社会統合、政治支配、 不平等 の維持 。再
ファッション、音楽、 ライフスタイルという文化 が
生産 などの微妙かっ トータルなメカニズムの解 明が
経済 と結 びっいていて、文化の誘惑 によって消費者
不可能 にな って しまう」(
見田 。宮 島
1
) か らで あ
は欲望 をか きたて られ、送 り手 によって操作 され、
る。 この点 に、現代文化をとらえなおす必要性 が生
消費行動 に走 らされているとい う現象である。 この
じている。
誘惑 は、 外部 か ら強制 された もので はないので、
ドイツの思想家、ヴァルター 。ベ ンヤ ミンの芸術 。
「
誘惑を避 ける唯一の手段 は、 誘惑 に身 を任せ る以
文化論 によると、複製技術が発達 し普及するまでは、
外 はない」(ワイル ド) とい う状態 にな って いる。
文化 はすなわち上流階級の芸術であ った。 しか し、
このよ うに強制ではな く、消費者みずか らが自由を
複製技術時代のテクノロジーが、創造的個人 によ っ
行使す るよ うにみえる消費行動 は、消費者の自我 の
て生み出され、希少性 と個性 によ って光 り輝 いて い
プライ ドを満足 させて くれ、文化 というソフ トなパ ッ
た芸術作品か ら、そのアウラを奪 って しまうとい う
ケージに包 まれた欲望誘発のメカニズムは、経済 に
結果 にな った (ベ ンヤ ミン)。現代では 「
文化産業」
直接 に結 びっ く、文化 の実利的な機能 となっている。
が大衆 に向けて、「文化製品」 あ るいは「文化商品」
を大量 に流通 させ、販売す るようになり、 こう した
第 2章
文化を制するものは世界を制するのか ?
文化 はわれわれの日常生活のなかに浸透 し、各人 の
1) 文化帝国主義 とグローバ リゼー シ ョン
アイデ ンテ ィテ ィの形成 に も大 きな影響 を与え るよ
国民国家の国境を越えて、政治 ・経済のグローバ
うにな っている。
さ らに、 この文化商品の流通 。消費 は現代で は国
ル化が進むにつれ、異文化理解や文化の伝播の重要
境 を越えて行われ、欧米の資本主義文化が世界 的 に
性が強調 されている。 たとえば、 「文化 とい うもの
浸透 していった結果、先進国による文化的支配、 経
が世界 に通用す る形で表現 されないと、結局経済 も
済的支配 と呼びうるような状態を作 り出 している。
政治 も上手 く行かない」とか、「
文化を制す るもの は
第三世界の生活様式 に見 られるよ うに、他の文化 の
世界を制す」と、文化の重要性 が力説 され る (
青木
価値観 を脅かす文化の流通状況 は「文化帝国主義」と
1
81
)
。 これ らの言説 は、 グローバ リゼ-ションの文
呼ばれている。 しか し、それだけにとどま らず、 グ
化的側面を表現 しているが、その一方で、その負 の
ローバ リゼーションによって、 テ レビ 。映画 ・イ ン
側面である 「
文化帝国主義」 という用語 も、資本主
ターネ ッ トなどで配信 される映像や メッセージは世
義の近代的拡張 に対す る抗議を表す言葉 として使 わ
界中の人間の文化的経験全体 に影響 を与えている。
れている。
しか し、 イギ リスの社会理論家、 トム リンソンは
文化帝国主義 に関す るさまざまな言説 を分析 した結
3) 消費文化の成立 とその問題点
文化の意味が変容 してきた根本には、テクノロジー
果、 この言葉 は文化 による支配、 あるいは文化的押
の発達以外 にも、資本 による消費文化の創出とい う
しつけという意味をこめて使われることが多 いけれ
大 きな問題がある。 いわゆるモー ドや ファッシ ョン
ども、 グローバ リゼーションは帝国主義 よりもはる
を作 り出 し、消費者 の欲望をあお り無限に需要 を生
かに無 目的な ものであ り、経済活動や文化活動 の結
み出す ことで、最大 の難問である恐慌 を回避 し、 繁
果生 じた ものであると論 じている。 それよりも問題
栄を続 けよ うと しているのが、現代の資本主義 とい
は、帝国主義のように強制 されたわけではないのに、
うシステムである。人 々は社会学者 の見田が指摘 し
消費者が進んで文化を受 け入れようと していること
ているように
である。
[大量採取
大
さらに、 グローバ リゼーションに関す る最大 の問
量廃棄 ] という無限幻想 に魅了 された。 その結果
題 は、お もに現代 アメ リカが作 り出 した生活様式 と
として、現代の消費文化 は、恐慌 を克服す ることは
大衆文化が世界中に広 まり、文化の画一化 を引 き起
-
大量生産
-
大量消費
-
-6
4-
文化環境論 の構築へ向けて
こしているが、一方 そのなかで、民族 や宗教 の対立
報道、 サ ッカーの ファン雑誌 なども、文化 テクス ト
が頻発 していることである。 なぜ、画一化のなかで
であると定義 し、 それ らの持っ意 味を考察 している。
文化摩擦 は容易 に解消 されず、「
文明の衝突」は避 け
がたい というこ とませが真剣 に論 じられ るようにな
人 々が広告文 を利用す る方法 は、小説や映画 を
るのだ ろうか。 この点 に関 して も、文化 のグローバ
利用す る方法 と似ていることが多 い。 それ は、 そ
ルな面 とローカル なアスペク トのあいだの ダイナ ミ
うした広告文が、(イデ オ・
ロギ ー的 に は どん な に
ズムに注 目せざるをえない。
疑 わ しい ものであれ)人生 はどのよ うに生 き られ
るか という物語や、共通 のアイデ ンテ ィテ ィ概 念
2) アメ リカ化 について
の根拠 や、 自己 イメー ジのア ピールや、 「理想」
現代では世界中のほとん どの大都会 で、高層 ビル
の人間関係像や、人間的な満足や幸福 の型 な どを
が立 ち並 び、高速道路 には車があふれ、 シ ョッピン
提供 して くれ るか らである。 - 我 々は、 この意
グ ・モ-ル、 ファース ト・フー ドのチェーン店、ファ
味での文化 を、「
実存 に重要 な」 意 味 の領域 と し
ミリー ・レス トランを訪れ る、 ジー ンズにTシ ャツ
て考え ることがで きるか もしれない。 - この文化
とい うラフなスタイルの市民 とい う、 どこで も似 た
観 は、 -深 い個人的意味 に関す る問 いで もある。
りよった りの風景が繰 り広 げ られている。 これは、
(トム リンソン 1
9
9
94
2
)
文化 の グローバ リゼーシ ョンの表層であ り、文化 の
アメ リカ化 という面 を強 く持 っている。 アメ リカの
老子、-ベー トーベ ン、 ピカソ、スパイス ・ガー
大衆文化が提示す るライフスタイルは単純 なまで に
ルズ、 ダイアナ妃 の死、広告 などは 「
文化的 テ ク
明 る く若 々 しく、わか りやす くオープ ンである。 そ
ス ト」 なのである。 これ らはすべて、人 々が 自分
の上、
-- リウッ ド映画やポ ピュラー音楽 によって、
の存在 の意味を理解す るために利用 しているとい
文化が持っ理想的なイメージが映像 と物語 と音楽 に
う意味 において、文化的テクス トの資格 を有 して
よって、人々の心理 のなかに食 い込んで行 く。 映像
いるのだ。-・
文化 とは、現在進行中の人 々の 「生
の提示す る物質的な豊か さにたいす るあ こがれは、
活物語」 に直接寄与す る、 こうした 日常的 な活動
その文化を進んで受 け入れ る態度 を助長 している。
のすべてを指す。 これ らの物語 によって、 われ わ
メデ ィアをテキス トと して解読 しようとす るフラ
れは、-イデガ-のい う「
被投性」を持 った人 間的
Rol
and
ンスの構造主義の思想家、 ロラン ・バ ル ト(
状況の中で、我 々の存在 を長期 にわた って解 釈 し
Ba
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) はテクス トの読み方 につ いて、 テキ ス ト
9
9
94
4
)
続 けるのである。 (トム リンソン 1
と読者 のあいだには「
絡み合 い」の構造があることを
指摘 し、 それを批評の基本原理 に据 えて きた。 わ た
この議論 は大衆的な文化 テ クス トの持っ意味 とい
したちが、映画や小説 などの文化的なテクス トを読
う点では、非常 に深 い洞察 を与 えて くれ る。 この よ
む時 は、 いとも簡単 にテクス トを支配 している主人
うな文化 に もっとも敏感 に反応す るのは、 グローバ
公の視点 に自分を同一化 して しまう傾向がある。 ま
ルな コ ミュニケーションとメデ ィアのテ クノロ ジー
た、読書 においては じめか らはっきりとした考 えを
に容易 にアクセスで きる若 い世代であるが、彼 らは
もって読み進 めているわけではな く、む しろテ クス
テクノロジーの最先端 に位置 し、 それ らを使 って、
トの ほうが、 わた したちを 『そのテクス トを読 む こ
自分 たち自身で文化的な コンテクス トを作 り出 して
1
2
5
)
い く。 それは若者文化 と して、 メイ ンカルチ ャーや
こういった理由か ら、 メデ ィアを支配す ることの
ハイカルチ ャーに対す る抵抗 を示す とい う意味 を持
とがで きる主体』へ と形成 してゆ く。 (
内田
意味 は非常 に大 きく、受 け手 のアイデ ンテ ィテ ィの
ち、若者独 自のアイデ ンテ ィテ ィを主張するために、
形成 にかかわ る問題 とな って くる。次節では大衆文
ポ ップカルチ ャーが利用 されている。
化 のテクス トが、受 け手の内面で どのような意 味 を
持 って受容 されているのか考えたい。
けれど も、 ここに提示 されているテ クス ト、 大衆
が利用す る材料が、 お もに広告、娯楽、 ゴシップな
どであるとい うところに、 この文化戦略 の限界 が あ
3)大衆文化の持 っている意味
るのではないか。広告 はあ くまで人 々の消費行動 を
トム リ ン ソ ン は 1
9
9
9年 の Gl
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誘 うための ものである。 それゆえに、 このよ うな文
Cul
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eのなかで、 コマーシャル、 アイ ドル グルー
化 テクス トが永続的な 「実存 に重要 な意味の領域」
プのアルバ ム、 ダイアナ妃 の死 をめ ぐるメデ ィアの
とな りうるか とい うことになると、 はなはだ心許 な
-6
5-
総合環境研究
第 6巻
第 1号
松田 雅子
い。 と くに、今 日のように地球環境 問題が、物質 的
イギ リス社会で観察 された文化の政治性 は、グロー
な豊 か さの追求 その ものには限界があることを示 し
バルな文化 の分析 に も応用 され る。 グローバ リゼ ー
て来 るときに、多 くを期待 で きるのだろうか。
ションとローカルな文化 との括抗、特定 の場所 を越
トム リンソンは前著Cul
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al
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1
9
91)
えて、広が ってい こうとす る文化 と、身近 な場所 に
では、近代性 の拡張 にともな って い るの は、 「文化
おける共同体 など、個人のアイデ ンテ ィテ ィを育 て
的押 しつ けで はな く、文化的喪失 のプロセス」だ と
上 げた共通 の価値観 に基づ く文化が影響 しあ って、
し、 もし文化 とい うものを、 「個 人 お よび社会 の意
変容 を遂 げてゆ く過程 をカルチュラル 。スタデ ィー
味や 目的の物語 を生 み出す手段」 と考 え るな らば、
ズでは研究課題 と している。
文化帝国主義 に対す る不満 は、近代的状況 にお け る
こう した手段が世界的に機能 していないことに対 す
5) 多文化主義
る不満 として解釈 され うると論 じている。
一方、植民地体制 の崩壊 とグロ-バ リゼ-シ ョン
0
年代 においては、多文化主義 が カ
の影響 によ り、7
4) イギ リスカルチ ュラル 。スタデ ィーズの現代性
ナダ、 オース トラ リアで徐 々に制度化 され、 ア メ リ
イギ リスに端 を発 したカルテュラル 。スタデ ィー
カで も、80
年代後半か ら注 目を集 めている。 多文化
ズは、バー ミンガム現代文化研究所 を拠点 と した、
主義 は 「さまざまなマイノ リティ集団か らの要求 に
St
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ジャマイカ出身の批評家 スチュア- 卜。ホール (
端 を発 し、 マ ジョリテ ィも (
彼 らの要求 を)多民族
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tHal
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) によって、盛んにな った。彼 はオ ックス
国家 の新 しい国民統合原理」 と して受 け入れ るよ う
フォー ド大学 に学 び、 そ こで初めて植民地出身者 と
にな った ことをさす。
して人種的な偏見 を感 じることにな り、 フランス思
多文化主義 は、西洋近代 に内在す る矛盾 に対 して
想 の紹介 とそれを使 っての、文化 の政治性の解 明 を
の挑戦 である。 西洋列強の諸国 は植民地時代 には、
7
0
2
)
国内で 「
市民 の自由 ・平等を原理 とす る民主主義 を
カルチュラル 。スタデ ィーズの研究で は、抵抗 す
建設 し、外 には植民地 の原住民や従属民 を抑圧支配
る文化、文化 による抵抗 とい うことがいわれ る。 イ
す るダブルスタンダー ド」 の体制 をとって きた。 し
ギ リス文化 のなかで、階級 の違 いに対す る労働者 の
か し、植民地体制が崩壊 した後、国境 を越 えた大量
試 みた。 (
上野 ・毛利
若者 たちの異議 申 し立て、 あるいは旧植民地出身 の
の人 口移動が起 こり、外か ら流 れ込んで きた「
他者 」
人々の、文化 を通 しての自己主張が行 われ、主流文
が、 内部 で同化 されていたはずの少数者のアイデ ン
化 とい くつかの対抗文化 との 「せめ ぎあい」が観 察
テ ィテ ィをめざめさせた。「
近代が掲 げた 『
普遍性』
されている。
は、 マ ジョリテ ィによる単一文化支配 を偽装す る論
英文学者 の本橋 はこの 「せめぎあい」 とい うこと
理」で はないか とその正当性 に疑問が投 げかけ られ
を、文化 の ダイナ ミズムを生み出す もの として、 重
たのだ。 いわゆる、「
政治 的公共性 の空間 に文化 的
要視 している。
三浦
『
差異』が もち こまれたのである。」 (
1
7
2
)
このような変革 に対 し、 アメ リカで は先鋭化 した
- (
重要 な ことは)文化が意味生産 の システ ム
多文化主義 は国内を分裂 にみちび くと して、警戒 す
であって、 そ こか ら特定 の社会秩序が伝達 され、
る声が高 まっている。 たとえば、文明が衝突す ると
再生産 され、体験 され るとい う点である。言 い換
い う説 の- ンチ ン トンは多文化主義 を断固 と して拒
えれば、文化的な活動 は、芸術作品の創造にせよ、
否 している。 国内での多文化主義 はアメ リカと西欧
社会秩序 を構成す るものであ って、 あ らか じめ与
を脅か し、混沌 のパ ラダイムへ世界 をみちび くもの
え られた秩序 を表現す るもので はない、 とい うこ
8)と強硬 な西欧文化支持 の姿
だ (
- ンチ ン トン 48
とだ。 - 構成す る諸 々の力のせめ ぎあい、 つ ま
勢 を見せている。
り、階級 や、人種、 エスニシテ ィ、 ジェンダー、
セ クシュア リテ ィ、宗教、年齢 などによって複 合
6)文化研 究 は環境 問題 の解 決 に役 立 つ ことが で
きる
的 に影響 され る差異や多様性 に犯 された場 の政治
的力関係 こそが、文化 をよりダイナ ミックな もの
今 まで見て きたように、文化研究 は政治や経済 に
と して見 よ うとす るとき注 目され るようにな るの
結 びつ いた、生活 その ものである文化 の ダイナ ミク
である。 (
本橋 1
9)
スを解明 しようとす る研究領域である。 したが って、
生活 のあ り方 に影響 を与 えることで、文化研究 は環
-6
6-
文化環境論 の構築へ向けて
ことは記憶 に新 しい。 (
- ンチ ン トン 4
7
3
) しか し、
境問題 の解決 に資す ることがで きる。
研究の方向性 として は、(1) 自然環境 と共生的
衝突す るのは実際には文明で はな く、 「対立 す る二
な、持続可能な文化のあり方を求 めて い く、 (2)
者の利害 と利害をめ ぐる思惑」である、ハ ンチ ン ト
メディア研究を含むこ カルチュラル ・スタデ ィーズ
ンはこの利害調整を困難 にす る文化的相違 を文 明 と
や多文化主義の研究 によって、文化その ものの ダイ
言 いかえ、 あたか も文明が衝突す るかのような論 を
ナ ミクスを知 り、文化 の及ぼす影響を把握すること、
展開 していると、批判 されて い る。 (山岸 ・飯塚
(3)文化研究、異文化理解を深 ゆることによって、
9
3)
文明の衝突を避 ける道 を探 り、異質な ものとの出会
しか し、文化の画一化が進行す るなかで、最終 的
いか ら新 しい価値草生み出す こと、 (4) トム リン
には人々は体験を共有す る共同体,場所 の感覚、 ア
ソンのいう近代の文化的喪失状態を取 りもどす こと
イデ ンテ ィテ ィを最初 に築 き上 げた母国語 による自
によって、いままでの文明の歴史が内包 していた、
分の概念世界へ と回帰 してい く。 アメ リカのユ ダヤ
物質的な豊かさにたいす るあこがれに代わる価値観
Ge
r
da Le
r
ne
r
)は、
系歴史学者 ゲル ダ ・ラーナ -(
を探求す ることなどが考え られる。
アメ リカへ移民 して母国語の ドイツ語 を捨てた こと
循環型社会のあ り方 を構想す る時が きているとい
を、子 ども時代か らの豊かな深層の記憶、出来事 や
う意識 は個々人のなかで、広 く行 き渡 っているに も
音の響 きあい、 そのつなカブりか ら切 り離 されて しまっ
かかわ らず、私たちはいまもなお、近代文明や近代
たと、次のように述べている。
都市の放っェロス的幻影 に目を弦まされ、社会全体
の経済優先志向のなかで、暗中模索 しているとい う
De
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状態である。 経済学者 の西山賢一 は、経済の営 みの
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本質 は生命の再生産 にあるとし、そのためには 「-・
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前向 きに生 きてい くための意欲、価値観、世界観」
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た ものが必要であり、 この生 きるための原動
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力 として、文化が大 きな役割を果た していると述 べ
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.(
Le
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3
9
)
ている。 それを彼 は文化資本 と呼 び 2)、 「文化資本
というものが経済学の分野で注 目されてきてい るの
は、経済の豊かさがモノの豊か さか ら自己実現 や 自
人々は 「-どんなに国際化 されて も、- どこか に自
己表現、 さら8
.
こは相互交通などの活動 に重点が移 り
分が生 まれ育 った文化を担 っている、 あるいはその
だ した ことと結 びついているのだろう」と分析す る。
青木
宿命か ら逃れ られないという側面」(
その上で、「
2
1
世紀が求めてい るの は、_
文化 的表象
残す ということになる。
1
7
8
)を
の生成過程を理解す ることだけでな く、それを脱構
地球上 には異なる文化 を持っ数千の民族が共存 し
築 し、新 たな文化的表象を生み出 してい くための手
72
)、 これまで異質 な もの と
ているが(
石毛 ・小山 1
がか りである」 として、「
文化生態学」という学際的
の出会 いが、衝突 と同時 に新 しい文化や価値観 を生
1
9
9
)これか
み出 して きた。 そのなかで、現代の特異 な点 と.
して
らJ この事うな視座が文化研究 にとっては重要課題
は、文化 の同質化 と異質化が同時 に進行す るとい う
になるだろう。
状況がお こっていることである。 グローバルとロー
なアプロ-チを提案 している。(
西山
カルを組み合わせて、 グローカ リゼーシ ョンと呼 ば
第 3章
異文化理解
れるこの現象 は、「
世界の文化的多元化」 と「
単一 の
世界文化 の形成」(
西欧文化 の浸透)の共存 とと らえ
1)文明の衝突 とグ ローカ リゼ-シ ョン
られ、そのメカニズムの解明が待 たれている。(リッ
(
Gt
oc
al
i
s
at
i
on
)
ツ7
1
4
8
9
)
現代 は画一的な文化が広が ってい く一方で、民族
や宗教 の対立が頻発 している。 とくに、冷戦終結後
2) 宗教 について
文化のメカニズムを理解す る際のキーワー ドのJ
ひ
にみ られる民族間の紛争の多発 は、 「東西冷戦終結
後の国際政治における最大の問題点 は文明の違 いで
とっに宗教がある。 科学技術の時代 に、一見す ると
ある。文明の違 いは基本的 には克服 で きない」とい
宗教の力 は衰えて しまったように思われ るが、 これ
う「
文明の衝突」論を登場 させ、人々に衝撃 を与 えた
までほとんどすべての人間の歴史を通 し、 あ らゆ る
-6
7-
総合環境研究
第 6巻
第 1号
松田 雅子
文明において宗教 はきわめて重要 な役割 を果た して
文化的要求 になっている。 - 政治的パ ラダイムが
きた。文化環境 について学ぶ時には、 その役割 を理
崩れた ことによって空虚 とな った公共空間を満たし、
解 してお く必要がある。
権威の原理 として政治 に完全 に置 き代 わ る」ことが
アメ リカの社会学者 のバ ーガー(
Pe
t
e
rBe
r
ge
r
)
は宗教が文化 にとってなぜ重要なのかを こう説 明 し
めざされて い るとと らえて い る。 (セ ンブ リーニ
1
6
1
)
ている。
3)文化比較の必要性一 自国の文化的伝統壷意識化
する
生物学的に ヒ トの世界を もちあわせないので、
彼 (ヒ ト) は人間の世界を構築す る。 この世界が、
異文化理解 と自国文化の理解 は表裏一体の関係 に
いうまで もな く文化である。 その根本の目的は、
ある。異文化を知 ることは自己認識 の手段でもあり、
生物学的に欠 けている生活上の確かな構造を提供
自国文化の特徴を発見す ることに他 な らない。また、
・
・ 文化 は、人間の手で不断 に
す ることにある。 ・
異文化間の交流がお こなわれる時、人 々が興味 を寄
生産 され、再生 されねばな らない。 その構造 は、
せ るのは、それぞれの文化が持っ魅力 に対 してであ
だか ら本来的に不安定で変化すべ き運命 にあ るの
り、 そ こにエキゾチ シズムを感 じとってい く。 それ
である。文化 に欠 くべか らざる安定性 と本来不安
ゆえに、 自国文化を系統立てて意識化 し、その独 自
定な文化の性格 とがあいまって、人間による世界
性を説明 しア ピールす ることが非常 に重要である。
構築 の営 み に根本 的 な問題 を投 げか けて い る。
(
バ-ガ- 9)
4)日本における東西文化の出会い
バーガーによる文化の性格の定義 は、驚 くほど、
(1)異文化交流の原点一長崎の歴史的な意義
カルチュラル 。スタデ ィーズの知見 に似通 っている。
異文化交流 として、 日本における東西文化の出会
不断 に生産 され、再生 されるダイナ ミックな もの と
いを考えるとき、長崎の持っ歴史的な意義 は計 り知
して とらえ られている文化、 この不安定性 を持っ文
5
7
0
年の開港以来、多 くの外国
れない ものがある。1
化 に、永続的な意味を与え、安定性 を もた らす ため
船、 ポル トガル、 スペイ ン、中国、 オランダ、 イギ
に、宗教が利用 され るというのがバーガーの説 で あ
リス、 アメ リカ、 ロシア、 フランスなどの船が長崎
る。
に立 ち寄 り、東西交流 の舞台 となって きた。江戸幕
府の もと鎖国時代 には 「
世界 に開かれた日本の唯一
社会の意味の統一のための、すべてのシンボル
の窓」 として、 日米和親条約の後 は、開港場 と して
を覆 う包含的な天蓋を提供す る、決定的な役割 を
特権的な立場を維持 し、外国人居留地が作 られ、 貿
はた して きた。人間社会を動かすさまざまな意味 。
易 と西洋近代文明の技術導入 に重要 な役割を演 じた。
価値 。信念などは、人類の生活 を宇宙全体 に関連
(
松田 1
6
5
)
このように、環境科学部学生 には、身近 に異文化
づけ る総合的 な現実解釈体系 の中で、 窮極 的 に
「まとめあげ」 られていた。-宗教 とは、 まさに、
交流の歴史を紐解 く手がか りが あ るのであ る。「長
宇宙の中で人間が「
安住感」を得 ることを可能 に し
崎学」という名称で、長崎県の教育庁 によって 「地
て くれ る認知構造であり規範構造 で あ る。 (バ ー
域社会 の向上 と文化の創造や発展 に努力 した過去 の
ガー 8
8
9)
歴史 。文化を学ぶための事業」が展開 されている。
語学、医学、科学技術 などについての異文化交流は、
近代社会では、宗教の世俗化の趨勢 に身を任 せ る
人 々は多いが、一方では宗教が強 い影響力を行使 す
学生が プ レゼ ンテーションす るテーマとして最適 で
ある。
る社会 もある。 原理主義的な動 きは、他文化 との激
しい対立 を引 き起 こすが、宗教が世俗化す ると、 今
(2)異文化交流 と しての宗教一長崎 にお ける隠れ
度 は人々が心理的に安住感の喪失 に悩むことになる。
キ リシタ ンの例
そ ういったなかで、近年民族紛争 に宗教性が前面
前述の とお り、文化 における宗教 の役割 には重要
に出て くる場面が多 い。 フランスの社会学者セ ンブ
な ものがある。宗教か ら文化へアプローチ しよ うと
リ-ニ (
Andr
e
aSe
mpr
i
ni
) は、 とくに冷戦終結後、
す る時、長崎を舞台 としたキ リス ト教 の布教、伝播、
「
宗教性が、強力なアイデ ンテ ィテ ィの要素、 真 の
および隠れキ リシタンとしての信仰の遵守 は、宗教
-6
8-
文化環境論 の構築へ向けて
ト教、および西洋文化受容の歴史 として、 きわめて
を中心 とした異文化交流 という点で貴重な歴史的資
興味深 い ものがある・
。
料を提供す る。
徳川時代初期における、 キ リス ト教 の伝道 と禁止
1
9
6
6
) は、
令を背景 に した遠藤周作の小説 『
沈黙』(
第 4章 イギ リス文化について
西彼外海町や長崎市の西勝寺などを舞台にしている。
宗教迫害の時代 に信仰 を守 ってい く困難 と、 日本人
文化研究の例 として、 イギ リス文化 にアプローチ
のキ リス ト教信仰の異質性がテ-マになっている。
しようとす る理由は、まずカルチュラル ・スタディー
しか し、次のような個所 には、作者の ヨーロッパ文
ズの伝統があるということと、 イギ リス庭園に見 ら
化 に対す る劣等感のよ うな ものが色濃 く感 じられる。
れる自然回帰志向やナシ ョナル ・トラス ト運動 に.
よ
この国 は考 えて いたよ
る環境保護 など、文化研究 と環境問題解決を結 びつ
り、 もっと怖 しい沼地だ った。 どんな苗 もその沼
けたパースペクテ ィブを与えて くれるも、
の として、
地 に植え られれば、根が腐 りは じめる。葉が黄 ば
参考 にで きる点が多 いか らである。 そのなかで も、
み枯れ てい く。 我々はこの沼地 に基督教 とい う苗
産業革命 による環境の悪化を自然への回帰 によ って
を植 えて しまった」 -
修復 しよ うとしたナショナル ・トラス ト運動 は、 一
「この国 は沼地だ。-
般人の意識を環境保護 に向けようとする試みとして、
「だが 日本人がその とき信仰 した者 は基督教 の教
遠藤
える神でなか ったとすれば-」 (
1
8
9
)
特筆すべ き活動である。 さらに、大英帝国が文化 に
与えた影響 として、 オ リ,
エ ンタ リズムとポス トコロ
ニア リズムを取 り上げてみる。
というように、異文化 を自分にとって同化 しやす い
形 に変えて、含欲 に取 り入れ、吸収I
して しまう日本
1)環境問題 に示唆を与える視点 一産業革命、景観
人の特異な傾向を批判 している。
に対する関心 とロマン派の詩人たち、イギ リス
それに対 して、隠れキ リシタンの研究家、宮崎賢太
庭園、ナ シ ョナル ・トラス トなど
郎 はむ しろこうした傾向を、肯定的に捉え、 日本 の
1
8世紀 の後半 に、 イギ リスは世界で初 めて産業革
民衆の宗教感覚 にマ ッチ したキ リス ト教が必要 で あ
命を経験 し、機械制工場 において工業製品の大量生
ると述べている。
産をは じめた。 その結果 として、公害 による都市 の
荒廃や、農村か ら追 い立て られた労働者 たちの都市
これまでキ リス ト教が海外にむけて布教 され る
とき、-
ヨーロッパスタイルのキ リス ト教 を意
における劣悪な住環境など、近代文明の もた らした
問題点を最初 に体験 した。
味す るという大前提が暗黙の うちに了解 されてい
ち ょうどその ころ、 イ ングラン ド湖水地方 の景観
たように思 う。 受容する側 もヨーロッパスタイル
の美 しさが人気をよびは じめ、風景画家の ジョン ・
のキ リス ト教が唯一 の範 とすべ き正統なキ リス ト
John Cons
t
abl
e
) や、 ロマ ン派 の
コンスタブル (
教であると思 い込んでいたのではなかろうか。 こ
詩 人 ウ ィ リア ム ・ワ ー ズ ワ ー ス
とに日本のキ リス ト教 にはその傾向が著 しかった。
Wor
ds
wor
t
h) によって、古今第-の景勝地 と して
しか し、欧米文化が世界最高の文化であるとい う
紹介 され る。工業化が自然を破壊 しつつあることを
幻想 はすでに崩壊 して しまっている。 -
(カク
人々が意識 し、田園回帰への関心が強 くな って きた
レキ リシタンは)民衆の宗教感覚 に もっとマ ッチ
のである。結果 として、都会志向か ら田園への回帰
した、 日本的キ リス ト教の道を考えてい く上 での
というイギ リス社会の伝統的な流れが再 びよみが え
重要 な ヒン トを与えて くれるものとなるであろう。
り、最終的にはナショナル ・トラス ト運動へ と結実
92
93
)
(
宮崎 2
してい く。
(
Wi
l
l
i
am
自身が湖水地方の自然 のなかで、 フランス革命 に
0
01
年の宮崎の間には、両者
1
9
66年の 『沈黙』 と2
かかわ って受 けた トラウマを癒す ことがで きた ワ∼
の個性 の違 いだけではな く、文化の受 け入れ方 につ
ズワースは、 その詩 によ って、 自然 は魂 にやす らぎ
いて、 コペルニクス的 といえるような転換があ るよ
を与え、喜 びを与えて くれると語 りかけた。 マイケ
うだ。時代が西洋中心 の近代か ら、構造主義 さ らに
ル (M̀i
c
hae
l
'
) とい う詩 で は、 堕落 した宮廷 を逃
ポス ト構造主義の時代 に移 り変わ ったことを示 して
れて、田園生活 に理想的な生 き方を見出す とい う旧
いる。 このように隠れキ リシタンの歴史は、 キ リス
来のパ ス トラルの形式 をか りて、都市の商業化 と工
-6
9-
総合環境研究
第 6巻
第 1号
松 田 雅子
業化 を堕 落 とと らえ、 それ に代 わ る田園生活 の秩 序
を提 示 して い る。 (ロジ ャー ス
3
5
3)
れ た長 編小説 を対象 に、最 も優 れ た作 品 に与 え られ
Nai
paul
,西 イ ン ド出身)
、
るが、V.S.ナイ ポール (
彼 の影響 力 は大 き く、湖 畔詩人 (
t
heLakePoe
t
s
)
ナデ ィ ン ・ゴーデ ィマ (
Nadi
neGol
di
me
r,南 ア フ
と呼 ばれ る詩 人 た ち とと もに、 イギ リス人 の 自然 観
リカ)、J.
M.
ク ッツ ェ (
Coe
t
z
e
e
, 南 ア フ リカ)、 サ
を変 えて い く。 ナ シ ョナル 。トラス ト創設 に大 き く
ル マ ン ・ラシュデ ィ (
Sal
manRus
hdi
e,イ ン ド)、
関 わ った美術 批評 家 ジ ョン ・ラスキ ンや トラス ト創
ピー ター 。ケ ア リー (
Pe
t
e
rCar
e
y, オ ー ス トラ リ
設者 の- - ドウ ィ ック ・ロー ンズ リーな ど もそ の ひ
ア) な どの、 旧植民地 出身者 が数 多 く受賞 している。
と りで あ る。
1
9
89
年 の カ ズオ ・イ シダロ (日本) の受賞 も、 異 文
イギ リスナ シ ョナル ・トラス トは歴 史 的遺産 と美
8
9
5
年 、 ロバ ー ト ・しい 自然環 境 を守 るため に、1
化 に対 す る関心、
とい う流 れ のなか にあ る と考 え られ
る。
しか し、 文学賞 の対 象 とな る小説 とい うの は現 代
ンクー (
弁 護士)、 オ ク タヴ ィア 。ヒル (社 会 活 動
家)、 - - ドウ ィ ック 。ロー ンズ リー (
牧 師) の 3
で は- イカルチ ャーに属 して いて、享受 す る層 はか
人 に よ って設立 され た。 自然 と歴 史 に配慮 した美 し
な り薄 い よ うだ。 イギ リス作家 の ア ンソニー ・バ ー
い田園風 景 を作 り上 げ、 都市 にす む労働者 もそ の 中
Ant
honyBur
ge
s
s
) は旧植民地 の学生 に向
ジェス (
で心 を癒 す ことがで きる土地 を確 保 しよ うとい う 3
人 の呼 びか けが結実 したので あ る。 (
横川
2
3
)こ
gl
i
s
h Li
t
e
r
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ur
e(
1
95
8;
1
97
4) で
けて執 筆 したEn
TheBr
i
t
i
s
h nove
li
sf
l
our
現代小説 につ い て、 "
0
0
年 も継 続
の よ うに ボ ラ ンテ ィア活動 を組 織 し、1
2
3
3
)と
i
s
hi
ng,t
houghi
t
sr
e
ade
r
s
hi
pi
snot
.
"(
して い く力 はど こにあ るのだ ろ うか と、思 わ ざ る を
述 べ て い るが、少 な くと も文化 の良心 と しての機 能
え な い。 この問題 が この項 で は大 きなテーマになる。
は果 た して い る と見 られ る。 また、 ポ ス トコZ
ロニ ア
まL
たこ ナ シ-̀
ヨナ>
)
レ・トラス ト運 動 と平行 して イ ギ リ
リズ ムが一段落 して くる と、 イギ リス出身 の作 家 た
スの風景 を作 り出 した といわれ る風 景庭 園 の成 り立
ち も旺盛 な創作 意 欲 を見 せ、 "
TheEmpi
r
ewr
i
t
e
s
ちを中心 に、 イギ リス庭 園 の歴 史 もと りあげ、 自然
bac
k"といわれ る活 発 な状況 で あ る。
志 向 の ライ フス タイルを考 えて み た い。
第 5章
文化研 究 の実 践
2) オ リエ ンタ リズム とポ ス トコ ロニ ア リズム ー
1) カ リキ ュラム で の位 置づ け
帝国主 義が文化 に及 ぼ した影 響
文化環境論 は文化環境 講座 の名称 をその まま用 い
パ レスチ ナ出身 の比較文学者、エ ドワ- ド・サイ-
Edwar
dSai
d) は1
97
8年 に 『オ リエ ンタ リズ ム』
ド(
て い るので、講 座 の中心 的 な科 目の ひ とっ で あ る と
を出版 し、-西 欧 を中心 と した世 界 が中東地域 を どの
いえ るだ ろ う。 環境科 学部創設 時 の カ リキ ュ ラムで
よ うに見 て きたか、 オ リエ ン トに関 す る さまざ ま な
は、授 業 はオムニバ ス形式 で、 おおむね各担 当教 官
言語 を分 析 した。 その結 果、 それ は実 際 の オ リエ ン
が 自分 の専 門分野 を中心 に、 文化 に環 境 的視点 か ら
トの姿 とは違 って、 オ リエ ン トを、従 属 的 な立 場 に
アプ ローチす る とい う方 法 が と られ た。
置 いてお くための偏 見 に満 ちた イ メー ジで あ り、 言
それ に対 し、新 カ リキ ュ ラムで はで きるだ け オ ム
説 で あ る と結 論 づ けた。 西欧諸 国 はオ リエ ン トに対
0
0
2
年度 は
ニバ スの科 目を減 らそ うとい う方針 で、2
して、植民 地主義 的 な関心 が あ り、 その言説 は、 再
7名 で担 当 して いた文 化環境論 は、
.日本文学 とイ ギ
リス文学専 門 の教員 が 2名 で担 当す る ことにな り、
生産 を重 ねて、 オ リエ ン トの従属 性 を固定化 す る と
5
)
い う政治性 を持 って いた。 (サ イ ー ド 3
自国文 化 と異文化 と しての イギ リス文化 の理解 に そ
この よ うな オ リエ ン ト側 か らの非難 を受 けて、 ポ
の主 眼点 が置 かれて い る。
ス トコロニ ア リズ ムあ るい は多文化主義 の文化 的 現
て い る ことで あ る。 文学 は抑 圧 され疎外 されて い る
2) 2
0
0
3
年 の講 義 の概要
2
0
0
3
年度前 期 を さ らに前 半 と後 半 に わ け、 そ れ
者 に と って重 要 な表 現手段 で あ るが、植民地主 義 に
ぞれ イギ リス文 化 (
筆 者担 当) と日本文 化 (
若木 太
抵抗 して、 旧植民地 で あ った地 域 か ら、次 々 と重 要
一教授 担 当) を中心 に、 と くに環境 に関連 が あ る分
な作 家 が生 まれ た。
野 につ いて講義 をお こな った。 イギ リス文化 に限 っ
象 と して は、 旧植民地 出身 の作家 たちに関心が集 ま っ
イギ リス の権 威 あ る文 学 賞 、 Bo
oke
r賞 は過 去 1
て いえ ば、 (1) 西洋 文化 と 日本 文 化 の イ メ ー ジ、
年 間 にイギ リスお よび旧 イギ リス領植民 地 で発 表 さ
イギ リス文化 と長 崎 の接点、 (2) 宗 教 - イ ギ リス
-7
0-
文化環境論の構築へ向けて
5) 学生による発表
国教会、長崎の宗教、隠れキ リシタ ン、 (3) 産業
学習者中心の授業方法を取 り入れるため申 ま、 学
革命の歴史 と景観 に対 す る関心、 ロマ ン派 の詩、
(4) イギ リス庭園について、(5) ナシ.
ヨナル ・ト
生による発表 は欠かす ことが出来ない。 この発表 の
.反省 としては、 文
ラス トの歴史などをとりあげたL
テーマは大体 4種類 に分 けて考 え られ る。 (1) 日
化 と環境問題のつなが りについて、やや説得力 に欠
本人学生 による日本文化の紹介、 (2) 日本人学生
け、散漫 に トピックを取 り上 げている印象を与 えた
による長崎における異文化交流 に? いて、 (3) 留
学生による自国文化の紹介、 (4) イギ リス文化 の
ようである。
なかで、環境 に関係がある局面の紹介の 4つである。
グループを組 ませ、資料集め、準備、発表などを協
3) 他大学の例
イ ンターネ ッ トで検索 した結果、「文化環境論」と
力 してやるようにさせる。1
9
9
9
年度環境国際関係論
いう科 目名での大学での開講 はあまり見受 けられな
を担当された田村政美助教授 、2
0
0
2
年度 のF
D講演
か った。「
文化」 と 「
環境」 を名称 に使 っている科
会で発表 された、北海道大学の鈴木誠助教授の方法
目をい くつか紹介 してみよう。
論を参考 に したい。
(1)環境文化史学
(
千葉大学 2
0
0
2
年度)3)
「ヨーロッパの歴史 の中で文化 と環境が ど
結論
文化を 「ある特定の生活の仕方」 と定義 し、文化
のような関係 を築 いて きたか」を 自然観 や
が現代資本主義社会で持 っている重要な位置、グロー
産業革命を中心 に考察す る。
バ リゼーション、文明の衝突、多文化主義 につ いて
(2)文化 と環境
(
広島大学 総合科 目 2
0
0
2
考察 して きた。講義 において も、 こういった認識 を
年度)4
)
もとに、伝統的 日本文化および西洋文明を代表す る
文系 と理系の教官 に加えて、英米人の教官、
イギ リス文化 について、 自然観、田園-の回帰、 自
学外か らも講師を招いて、自然観、ネイチャー
然保護運動、異文化交流などをキーワー ドに掘 り下
ライティング、 グ リー ンピース運動などに
げて行 きたい。 また、授業形態 にバ ラエティを持 た
ついて講義が行われる。
せるために、今後外国人教員による講義 と学生 によ
る発表形式を取 り入れてみたい。
(3)環境文化論
(
高知大学
人文学部
国際
社会 コ ミュニケーション学科 専門 コア教
参考文献
0
0
1
年度)
育科 目 2
1)青木保、『異文化理解』(
2
0
0
1:岩波新書)
2)石毛直道 ・小山修三、『文化 と環境』 (
1
9
9
3:放
自然 と環境を描 いた日英米の文学作品を取
り上 げ、 ネイチ ャーライテ ィングや環境文
』『複合
学 を紹介 している。『お くのはそ道
送大学教育振興会)
3)板垣雄三監修、山岸智子 ・飯塚正人編、 『イス
汚染』、 ワーズワース、 レイチ ェル ・カー
ラーム世界がよ くわかるQ&A-人々の暮 らし・
ソン、 ソローなどを取 り上 げてい る。 (
上
経済 ・社会』 (
1
9
9
8:亜紀書房)
4)上岡克巳、
「
『たのしく読めるネイチャーライティ
岡)
ング』 を楽 しく授 業 す る :授 業 実 践報 告」
『NEWS
LETTER
4) 外国人による自国文化の紹介
異文化を理解す るひとっの手段 として、外国人 に
No.
1
1』 (
2
0
0
1:AS
LE-
Ja
pan/文学 ・環境学会)
よって自国文化 について講義 して もらえば、学生 に
5)上野俊哉 ・毛利嘉孝、『カルチュラル ・スタディー
ズ入門』(
2
0
0
0:ち くま新書)
より深 い興味を抱かせ ることがで きると思われる。
前項での広島大学では、外国人教員がグリーン・ピー
6)内田樹、『寝なが ら学べる構造主義』(
2
0
0
2:文
春新書)
ス運動 について、講義 を している。 現在環境科学部
で も、英米の外国人非常勤講師が自国文化の紹介 を
7)遠嘩周作、『
沈黙』 (
1
9
6
6:新潮文庫)
す るな らば、 いっそ う学生 にとっては異文化が身近
な ものに感 じられるだろう。 英語 による講義を増や
8)鈴木誠、『学ぶ意欲 の処方義 一や る気 を引 き出
す1
8の視点』(
2
0
0
2:東洋館出版社)
す とい う方針 は、長崎大学の中期 目標 (
莱)のなか
9) 西山賢一、『
文化生態学 の世界一文化 を持 った
生物 としての私たち 』(
2
0
0
2:批評社)
にもあげ られている。
- 71-
総合環境研究
第 6巻
第 1号
松 田 雅子
1
0)松 田雅子、「長崎 とイギ リス… もうひ とつ の交
『グローバ リゼ- シ ョン-文化帝 国主義 を超 え
流4
0
0年」長崎大学文化環境研究会編、確環境 と
文化』(
2
0
0
0:九州大学出版会)
て』片岡信訳 (
2
0
00:青土社)
2
8
) Wi
l
l
i
ams
,氏.
,TheLon
gRe
vol
ut
i
o
n,1
9
61
,
ll
) 三浦信孝、「
訳者解説- フラ ンスか らみ た ア メ
『
長 い革命』若松繁信他訳 (
1
9
8
3:ミネル ヴ ァ
リカの多文化主義」ア ン ドレア 。セ ンブ リ- ニ
著、『多文化主義 とは何か』(
20
0
3:白水社)
書房)
2
9)
1
2
)見 田宗介、『現代社会 の理論 一情報化 ・消費 化
,Cul
t
ur
e
,1
9
81,『文化 とは』小池民男
訳 (
1
9
8
5:晶文社)
1
9
9
6a:岩波新書)
社会の現在 と未来』(
1
3)
、「
環境 の社会学 の扉 に」、井上 。上野 他
編、『現代社会学 2
5 環境 と生 態系 の社会学 』
注
1)環 境科学部環境政 策 コース 2年生 、2
0
0
3年度
(
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6b:岩波書店)
「
文化環境論」受講者 に要望 を書 いて もらった結
1
4)宮崎賢太郎、『カク レキ リシタン』(
2
0
01:長 崎
果である。
2)西山 は2
0
世紀 の経済の成長 は膨大 な物的資本 の
新聞社)
1
5
)本橋哲也、『カルチュラル ・ス タデ ィーズ入 門 』
世紀 の経済が持続
蓄積 に結 びついて いたが、21
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0
02:大修館書店)
可能であるためには、新 しい資本が活躍 しな け
1
6)横川節子、『イギ リスナ シ ョナル 。トラス トを
ればな らないとして、知識資本、人的資本、 文
旅す る』(
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0
01:千早書房)
化資本、 自然資本 などをあげている。
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,「複製技術時代 の芸術 [
第二稿]
」
3)千葉大学 のホームページ:
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『ベ ンヤ ミン 。コレクシ ョン 1 :近代 の意 味』
浅井健二郎編訳、 久保哲 司訳
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4)広島大学 のホームペ ー ジ:
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ち くま学芸文庫)
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『
文明の衝突』鈴木主税訳
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8:集英社)
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no,『啓蒙 の弁証
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0:岩波書店)
法』徳永悔訳 (
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98,『マ ク ド
ナル ド化 の世界一 そのテーマは何か ?』正 岡寛
司監訳 (
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001:早稲田大学 出版部)
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87,『図説 イギ リス文
学史』桜庭信之監訳、 (
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0:大修館書店)
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4)Sai
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8,『オ リエ ンタ リズ
ム』 板 垣 雄 三 ・杉 田英 明監 修 、 今 沢 紀 子 訳
(
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6:平凡社)
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7,
『多文化主義 とは何か』三浦信 孝 ・長谷川秀樹
訳 (
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3:白水社)
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6) Toml
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『文化帝国主義』片岡信訳 (
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997:青土社)
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